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自由民主党参議院
総発言数
1,890
直近の所属会派
自由民主党
直近の役職
直近の発言日
1971/12/22

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 物価等対策特別委員会89 件・89%
  • 社会労働委員会10 件・10%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 1,890 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,890 20 を表示
自由民主党1971/12/22

67参議院 沖縄返還協定特別委員会 第8号

○山下春江君 次に結核問題でございますが、全体として下火に向かってはおりますけれども、いま対策を講じませんとたいへんな状態だと思います。これは私は前から、暑い方面に、たとえばフィリピンなどに非常に結核患者が多いことを前のいろいろな調査でよく存じておりますが、沖繩にも、ごたぶんに漏れないで結核患者が相当たくさんおるのでございますが、いま沖繩政府は、幸いにこのことに対して全額国庫負担で治療をしてあげておるのでございますが、この制度が暫定措置…

自由民主党1971/12/22

67参議院 沖縄返還協定特別委員会 第8号

○山下春江君 以上で、はなはだ簡単でございましたが私の質問を終わります。 終わるにあたりまして、私は、一日もすみやかにこの協定が成立いたしますことを心から念願いたしまして私の質問を終わります。

自由民主党1971/12/22

67参議院 沖縄返還協定特別委員会 第8号

○山下春江君 私は自民党の山下でございます。久貝さんにお尋ねいたします。 いま御答弁の中に、琉球政府にいたということでございましたので沖繩をよく御承知だと思うんですが、私はいまから十四年ほど前に厚生省の政務次官をいたしておりました。そのときに、きょう御出席の屋良主席がその当時は沖繩の遺族会長でいらっしゃいました。いまの遺族会長の金城さんが副会長さん、そのお二人とそのほか、二、三人でおいでになりました。で、沖繩の嘉手納地区で働いている健康…

自由民主党1971/12/20

67参議院 沖縄返還協定特別委員会公聴会 第1号

○山下春江君 私はいま木内先生とそれから戸川先生の言いたいこと、こうしてもらいたいという要素が多少残っていても、占領で失った領土を返してくれるというこの機運にすみやかに返してもらうべく努力すべきだというこの前提の御議論に全く賛成であり、そして始終そのように御指導願っておるんであろうことを考えますと、たいへんに感謝にたえないのでありますが、そこで、占領というと私たちはつい一衣帯水のところにあるので韓国を思い出さざるを得ないのでありますが、…

自由民主党1971/12/20

67参議院 沖縄返還協定特別委員会公聴会 第1号

○山下春江君 いま委員長から御注意を受けましたごとく、私の質問が、やや清水先生の御意見に対して意見を述べて、清水先生のお考え方に対して私が正そうとするものがあったように委員長に響いたようでございます。その点がございましたら、ごめんなさい。それは、そういう意味ではございませんが、私がわからないから教えていただいたのでございますが、さて、沖繩の現地のことでございますが、沖繩でも、アメリカの支配下でございますから、きっと沖繩の婦人たちは非常に…

自由民主党1971/12/08

67参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○山下春江君 私は、いまから二十三年ほど前に消費生活協同組合の提案者で、二十三年――二十四年前ですが、戦後の消費生活協同組合法をつくった人間でございますが、これは大阪方面のいわゆる商業都市の方々から袋だたきにあっ、て、さっぱり芽をふかないで、細々と各県で、もうやっとそれをつかまえている人があるという程度でございました。私の県においても、ほんの、これをつかまえて細々とやっているというところが一カ所か二カ所ある程度でございましたが、ようやっ…

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) ただいまから物価等対策特別委員会を開会いたします。 佐田委員長から委員長辞任の申し出がございますので、私が委員長の職務を行ないます。 委員の異動について御報告いたします。 七月二十一日、伊部真君が委員を辞任され、その補欠として鈴木強君が選任されました。 また、昨二十三日、木村睦男君が委員を辞任され、その補欠として長屋茂君が選任されました。 —————————————

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) 委員長辞任の件についておはかりいたします。 佐田委員長から、文書をもって、都合により委員長を辞任したい旨の申し出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 —————————————

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) この際、佐田君から発言を求められておりますので、これを許します。

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) これより委員長の補欠選任を行ないます。 つきましては、選任の方法はいかがいたしましょうか。

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) ただいまの竹田君の動議に御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

自由民主党1971/07/24

66参議院 物価等対策特別委員会 第2号

○理事(山下春江君) 御異議ないものと認めます。よって、委員長に長屋茂君が選任されました。 ————————————— 〔長屋茂君委員長席に着く〕

自由民主党1971/05/24

65参議院 災害対策特別委員会 第7号

○山下春江君 武内先生から東北の特殊事情について全般的に総括的なお話がございましたが、私も東北の福島でございますから大体全く同感でございますが、時間が十分だそうでございますから、かいつまんで今度の霜害につきましてお聞きいたします。まず、霜害を事前に知る方法がないのかどうか。これは、私衆議院におりますときから、議会でもう二十年もこの議論がされておりますが、これが具体化しているものかどうか。そのことは私あえて追及いたしません。それはまた農林…

自由民主党1971/05/24

65参議院 災害対策特別委員会 第7号

○山下春江君 霜害のほうは、それではよろしく御研究を願って、その成果を知らしていただきたいと思います。 それから、苗しろの場合も、何としても、東北はもうおそく植えたらだめなんです。米が要らないなんという議論の最中ですからそういう議論はちょっとうまくないかもしれませんが、とにかくおそく植えた田には実りは少ないということは、もう私も何年かこの方研究していて、それは全くそのとおりでございますが、早期の苗しろには氷が張るということで、たいへんこ…

自由民主党1971/05/24

65参議院 災害対策特別委員会 第7号

○山下春江君 先ほど今回の降霜害についての被害状況に対して御報告が総括的にございましたが、福島県の場合は御報告のとおりでございまして、果樹の場合なんかはほとんど収穫皆無と思われるような地域も相当広範囲にございますが、そこで天災融資法を発動して、これをひとつ資金面で立ち上がれるような資金を融資していただく、天災融資法を発動していただけるかどうか。それから前にお借りしておりましたものに対しては延期を願えるかどうかということについてお答えを願…

自由民主党1971/05/24

65参議院 災害対策特別委員会 第7号

○山下春江君 それはどうぞお願いいたします。みな期待して、御承知のようにお米の調整でちょっと意欲を失いかけているところへの今度の霜害でありまして、全く農民が意欲を失っておりますので、ぜひひとつお考えのような点を早急に御決定願って、農民たちに立ち上がる意欲を与えていただくようによろしくお願いいたしまして、私の質問を終わります。

自由民主党1971/04/20

65参議院 社会労働委員会 第10号

○山下春江君 私は、ただいま可決されました法律案に対し附帯決議案を提出いたします。案文を朗読いたします。 以上でございます。 何とぞ御賛成をお願いいたします。

自由民主党1970/05/06

63参議院 社会労働委員会 第17号

○山下春江君 ちょっと関連。いま大橋先生から御質問があったことで尽きているようでございますが、家内労働のこの法案は、とにかく全体的にいってたいへんいい法律をつくっていただいたいと思うのですが、一つには、それはこの家内労働というのは「かぎっ子」をなくするのです。現に目で見ておるのですが、私がある家内労働をしておる人をたずねて行ったら、学校から帰った子供がランドセルを置いて、おかあさんがやっておる仕事——これはたいへんきれいな竹細工の仕事で…

自由民主党1970/04/14

63参議院 社会労働委員会 第12号

○山下春江君 私もいまの徳永先生の御発言に関連いたしますが、実は母子福祉年金をつくりましたのは私でございます――というとたいへん失礼でございますが、実は北海道で未亡人の大会が、東北大県と北海道と八百五十人集まったことがあるのです。それは昭和三十年でございます。そのときに、私は、その未亡人の中の一人――その会場に来たんじゃないのですが、まさにあのころは親子心中が毎日新聞に出ておって、そうしてこの母と子も捨てておけばきっと親子心中するなとい…