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自由民主党大蔵政務次官衆議院参議院
総発言数
825 件
直近の所属会派
自由民主党
直近の役職
大蔵政務次官
直近の発言日
1957/05/08

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 大蔵委員会66 件・66%
  • 科学技術振興対策特別委員会19 件・19%
  • 科学技術振興対策特別委員会動力炉開発に関する小委員会3 件・3%
  • 科学技術振興対策特別委員会科学技術の基本問題に関する小委員会3 件・3%
  • 予算委員会3 件・3%
  • 大蔵委員会金融及び証券に関する小委員会2 件・2%

※ 全 825 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

825 件中 20 件を表示
自由民主党1957/05/08

第26回 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

○纐纈委員 大体早急だと御判断になった点につきましてはわかりまするが、同時に世論はきわめて浅薄だということをおっしゃっておるわけでありますが、この世論が浅薄だという点についての先生の御意見をお伺いいたします。

自由民主党1957/05/08

第26回 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

○纐纈委員 世論調査、もちろんアンケート等につきましては、先生たちもそういった感じを抱かれましょうし、私たちもそういった点については多少先生と同感の点がないでもないのでありますが、私どもがいわゆる世論調査といって採用いたしておりますものは、この層化無作為多段階抽出法という世界全国に行われておりまする世論調査の方法によっておるわけでありまして、これはおそらく大体において、国民の動向を知ることができるものである、しかもきわめて簡単に浅薄だと…

自由民主党1957/05/08

第26回 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

○纐纈委員 なお先生は教育上や政治的な観点からこういうことをきめるのは反対だとおっしゃっておりますが、これは実はあちこちから聞いた例でありますが、日本歴史は御承知のように小中学校では推古天皇以前のことはほとんどやっておりません。どうも私ども子供の話を聞きますと、そういう学校で全然扱っていない歴史の場合に、学校の先生たちは紀元節なんというものは全くでたらめだ、こんなものは根拠はないのだということを相当教えられているのです。これはどこから指…

自由民主党1957/05/08

第26回 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号

○纐纈委員 学問的にとおっしゃるのでありますが、少くとも中小学校で取り上げた問題について、そうした考え方で、日本の歴史をことさら積極的にあいまいであるとか、うそであるというようなことを言われること、私は少し行き過ぎじゃないかと思うのです。そういう点は私も教育上において相当考えなければならないことじゃないかというふうに見ているわけでありますが、先生のお時間が過ぎたようでありますから、それではこの程度で簡単に質問を終ります。

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 お答えいたします。神武天皇即位の年を紀元とするということは相当以前から出ておりまして、いろいろの史実に出ているわけでありますが、実際にこれを国祭日としてきめましたのは、明治になりましてからで、明治五年には一応一月二十九日ということでお祭りしたのですが、これでは毎年日にちがきまらぬということで、翌六年に太政官布告によりまして、二月十一日を紀元節とするというふうに定めたものであります。

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 それまでは、御承知のように、国祭日というようなものは別に法律できまっておらなかったわけであります。ただ日本の歴史を勘案いたしまして、やはり神武天皇が御即位になった日が国の初めという気持は相当行われておったわけであります。ただいまの御質問のように、いつ二月十一日を紀元節としたかということは、ただいま申し上げましたように、太政官布告できまったわけでありますが、ただ神武天皇がいわゆる辛酉の年の一月一日に御即位になったということで、…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 それまでやはり国家の体制をなしてはおりまするが、明治になりましていよいよ欧米の文化を取り入れて、一応の新しい形の体制になってきましたので、いわゆる維新をやりましたので、その際において将来新しい国が健全に発展していくにつきましては、いろいろと歴史等を勘案しつつわが国の発展のために必要なものを取り上げて、そして祝祭日をきめるというような説が非常に強くなりましたために、特にそれ以前は、いろいろ皇室の歴史が長い国でありますけれども、…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 徳川幕府時代に国が全体としてお祝いしたということについては、私は寡聞にして知りませんが、少くとも家康が権現様を祭って、そして祖先を祭るというような形は、もちろんあったと思います。そういう以外に、徳川幕府の間に特別な国民の祭日というような形で行われたことはない。ただ、あるいは仏教の方、宗教的関係からきまして、祖先を祭る日であるとか、あるいはお節句であるとか、そういった今日も習慣として祭られておるようなものは、これは国民の間に一…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 あるいは政策の上から多少そういうふうな意図を持っておったかもしれませんが、国民としては必ずしもそういう意図をそのまま受けてお祝いしたとは私は考えておらぬのであります。

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 大体、初めというような意味合いにおいて、各国いろいろ名前が違うのであります。まず、ないところは、イギリスとスエーデンがないのでありますが、ほかの国は大体ありまして、アメリカは御承知のように独立記念日、ロシアは革命記念日、フランスはカトリシアの七月十四日がお祭りになっております。ユーゴには独立宣言記念日があります。イタリアにも共和国宣言記念日、西ドイツには連邦共和国記念日、ベルギーは独立記念日、ノルウェーは独立憲法採択の日を記…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 フランスは一七八九年、革命の日です。スイスは、一二九一年のスイス連邦の結成された時代、新しいところでは、ソ連が一九〇〇年、ベルギーは一八三一年で、オランダからレオポルド一世が独立を宣言した日であります。それからオランダは一五八一年で、スペインから独立した日であります。ノルウェーは一八一四年の憲法採択の記念日をお祭といたしておるわけであります。ポルトガルはいつからでしたかちょっとはっきりしませんが、スペインも革命があって後にで…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 BC六百六十年前であります。

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 これは今読み上げましたように、御承知のように欧米各国の方は、日本と違いまして、しょっちゅう戦争をやったりいろいろしておりまして、国がごたごたしている。そうして最近の国家というものは新しく出てきたのでありますが、日本は皇統連綿としてずっと伝わってきまして、ほかの国に行われた革命というようなものはなかったのであります。そういう意味において日本はその古い歴史を尊びたい、こういうような考え方から、しかも御承知のように、日本の正史であ…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 お答えいたします。スイスが一二九一年にお祭ができたわけでありますから、西暦と日本の歴史とは六百六十年の違いがありますから、一二九一年に六百六十年を加えれば、千九百五十一年前だ、こういうことになります。

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 お答えします。淡谷先生も御存じの上での御質問だと思うのですが、コロンブスがアメリカ大陸を発見しまして、欧米からだんだんあちらに移住民がふえていった。もちろん土人もおったわけであります。それがおのおのいろいろの形で一つの国家というものを成さずにおったわけでありまするが、そこでワシントンがこれを治めて全体の国家というものの体制が初めて整ったのであります。それによって合衆国ができました日が独立記念日ということになったと思うのであり…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 私もあまり十分な研究はいたしませんが、イギリスの歴史なんか見てみますると、相当前からほかの国に侵略されたり、またそれを盛り返したりというようなことで、いわゆるノルマンディーのあれによってようやくそこでほんとうの国の体制ができたような形です。ところがアングロサクソンがほかのところから攻め立てられてきたわけですから、そういう意味合いにおいて、統一されたときに国のお祭をするということが国民の感情に必ずしも沿わなかった。また古い国で…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 古い国だから建国記念日が要らぬというのは、それはやっぱりそれぞれの国の事情によるのであります。ことに日本は最初も私が申しましたように、大和民族からずっと伝わってきており、しかも皇室というものは長い間連綿として続いてきております。ほかの国では支配者がしばしば非政を行なって、そのために国民が争いを起して、遂に革命というようなものが起きて、それぞれ支配者がかわってきておるわけです。ところが日本は私は二千六百年の歴史をひもどいてみま…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 私は、先ほど申し上げましたように、皇室の皇位継承の問題で争いがあったことは認めております。天皇をお流ししたということもその一つであります。国民全体が、やはり人事問題になるとそれぞれ今でもお互いに争っているということで、そういうやはり自分の支持している天皇を立てるという意味合いにおいてそういうことはあった。そこは結局皇位継承の皇室だけの争いに国民が味方したわけでありまして、皇室に対する恨みを持って争いをしたということには私とし…

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 それはおそらく上古時代には直接おやりになったかどうか知りませんが、いずれそういうことになる。新しいところで見ますれば大化の改新がありまして、そこでやはり皇室が中心になっておやりになったが、だんだんいろいろ豪族というようなものがはびこってきて、それが政治を行なっておった。そういう行き方が日本の発展のためにはいろいろと阻害してきたということで、明治維新によりまして皇室を中心という形においてやられたということだと思うのであります。

自由民主党1957/05/07

第26回 衆議院 内閣委員会 第37号

○纐纈委員 それはやはり日本国民が非常に優秀であった。国民がだんだん努力をして、また政治も日本のあの虚脱状態を直して、独立した以上は一日も早く日本をりっぱな国にしたい、そうしたやはり国民全体の気持がだんだん日本がもとに返ってくるようになったものと考えます。