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自由党衆議院
総発言数
2,293 件
直近の所属会派
自由党
直近の役職
—
直近の発言日
1950/04/06

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 水産委員会38 件・38%
  • 予算委員会22 件・22%
  • 議院運営委員会18 件・18%
  • 決算委員会11 件・11%
  • 懲罰委員会10 件・10%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,293 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,293 件中 20 件を表示
自由党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○田渕委員 こういうような御家庭である。そこで私は証人に伺いますが、徳田要請のことをラジオで聞いたり新聞で見て、浜松の共産党が来た。御家庭でごたごたが起きる。余計なことをしやべつてくれるな。大勢人が来てしようがないからというようなことで、あなたがはつきりしたことをおつしやらないというようなことじやないですか。

自由党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○田渕委員 共産党から脅迫されたことはないと今言われたのですが、共産党がアジつたりおどかしに来るので、なるべく言わぬ方がいい。知らぬ存ぜぬでいた方がいいというあなたの御心境じやないですか。

自由党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○田渕委員 どうも知つていることを何だか隠していられるように思うのです。やはり証人としてさつき宣誓した通り、知つていることは知つてるで言うていただかぬと困るので、あなたは決して何にも心配ないのです。知つていることだけは、記憶にあることだけは言つていただく方がいいのじやないか。ただ御家庭がこういう関係で、あまりいろいろなことを言つてくれるなというようなことがあれば、これはやむを得ません。

自由党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○田渕委員 それならばもう少しはつきり言えませんか。知らぬことは言えないというならそれでよろしいが……。

自由党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○田渕委員 それでは伺いますが、聞いた当時は野坂は怪しからぬやつだと思つたが、帰つて来てみると、共産党かいろいろな関係で来るというようなことで、言わぬ方がいい。あなたがスーチャンで聞いた時と今の心境はかわつて、少し日本の共産党どいうものをこわがつていはしません。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 証人は非常にギリシャ哲学の研究者で、頭が冷徹なのですが、私は御記憶を伺いたいのですが、証人は一九四五年の十一月にカラカンダ市に入られまして、その後お引揚げになるまで、カラカンダの炭鉱に連れて行くのに、收容所が何回くらい捕虜を入れかえしましたか。それを伺いたい。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 カラカンダの收容所へ来るまで、今年九百人なら九百人帰します。そうしてまた連れて来る、交替を何回くらいやりましたか。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 およそどのくらい、三百か五百か……。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 八年には参りませんでしたか。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 それから入所当時と帰還当時のその間における炭鉱の過酷な労働のためになくなつたパーセンテージをおよそ……。この四年間カラカンダにおられた間今年は何人ぐらい死んだ、今年は何千人くらい帰つたという御記憶があつたらお教えいただきたい。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 年別でおわかりにくかつたら、四年の間に大体何万人くらい入つて、何千人くらい死んで、何千人くらい帰つたという御記憶はありませんか。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 大体トータル的にわかりませんか。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 カラカンダに送り込まれて来る捕虜はほとんど反動分子だというようなことは御記憶ありませんか。総じてでもけつこうであります。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 そういたしますと一九四九年、去年の九月十五日に九百名ほど送つて来たときに、やはり反動分子が来るということは一応想像されるのですね。九百人から入つて来ましたね。その前後にソ連の将校とか政治部将校らが、今度やつて来るやつはとてもきつい反動分子なんだ、これらに対して民主教育をよほどしなければならぬというような事前の話などはありませんでしたか。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 生活訓示のときに、エルマーラエフという将校がいろいろやつておるのですが、この人の個性を証人は御存じですか、どういう方でございますか。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 将校の訓示するときの態度とか表情、あなたが通訳する。通訳来い、菅君来いというぐあいであなたが行かれる。そこでどうです。態度が非常に嚴粛でしたか、半ば冷笑的な態度でしたか、どうですか。あなたの目に映つたところで……。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 そこで重大になつて来る。そういうふうになつて来ると、收容所から九百何人やつて来た、訓示しようというので頭からなめておつたというような態度に見られましたね。

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 いつ帰してくれるかということをこちらから聞いたときに、いつ諸君が帰れるか、それは諸君自身にかかつている、こういうようなことを私はあなたが心理学者であるがゆえに、哲学者であるがゆえに、心理的にこうだ、そんなことは言わぬでもわかつておるじやないか、お前たちは極端な反動分子が来たから、徹底した共産主義者とならなければ帰れないじやないか、そうでなければ帰れないというような暗示を與えるような訓辞であつたかどうかということを心理的に伺い…

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 そうでしよう。そうでなければならぬ。そこであなたの結論から聞きたいのだが、徳田君が「反動分子としてではなく」という反動分子というのは、共産党以外のものを反動分子というのですから「反動分子としてでなく」こういうのはりつぱな共産党員になつて来いという結論になるわけです。私はそうとつておる。そこであなたは「反動分子としてではなく」ということはりつぱな共産党員になつて来い、こういうぐあいに言うておるのだとあなたの心理に向うの将校の言…

自由党1950/04/05

第7回 衆議院 考査特別委員会 第19号

○田渕委員 そうすると「諸君がよく準備された民主主義者として帰国するように」——結局準備された民主主義者というのは、りつぱな共産主義者になつて来い。こういうふうに言つておるとおとりになりますか。