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自由党衆議院
総発言数
2,293 件
直近の所属会派
自由党
直近の役職
—
直近の発言日
1950/04/04

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 水産委員会38 件・38%
  • 予算委員会22 件・22%
  • 議院運営委員会18 件・18%
  • 決算委員会11 件・11%
  • 懲罰委員会10 件・10%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,293 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,293 件中 20 件を表示
自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 朝は何時ごろとか、あるいは一晩交代、二晩交代でやつておるとか——大体日本人の捕虜が七千人と、囚人はどのくらいおつたのですか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 七千名から入つた日本人の捕虜が、完全で帰つたのは幾人くらい、あるいは幾人くらい炭鉱でなくなつたかということをお聞きになりませんか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 これは日本の炭鉱などに対して非常に共産党がいろいろなことをやるものですから、参考に伺つておくのです。だから簡單でよろしいですが、つまり穴の中でというのですが、露天堀と抗道堀と両方がありますか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 食事とかあるいは厚生施設ということで聞いたことはありませんか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 日本人捕虜に対して向うの設備、あるいにけがしたときは医者はどんなにするか、あるいは浴場の設備とか厚生施設、あるいは勤労状態などをお聞きになつたことはございませんか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 三十八度、三十九度というような熱でも作業に出る。そうして非常に苛酷な労働條件にいじめられるのたから、必ず一日に何トンなら何トン掘れという割当があると思いますが、これを遂行して行く、そのためになくなつたという人はどのくらいありますか。栄養不良と苛酷な労働のもとに病気を押してむくのだから、坑内だとか、現場でばたばた倒れて行つたと思うが、そういうことをお聞きになりませんか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 簡單でけつこうですが、そういう話で、どういう伐採状況をやつていたか、お聞きになつたことをひとつ……。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 それでソ連の捕虜の取扱い方などは、連日にわたる各証人、また今の証人が言われる通り人道を無視しております。梨木君は今、だれによつて召集されたかとか、だれによつてこういうことになつたかとか聞かれたが、この問題について、私は参考に梨木君に申し上げておく。日露戰争のときにステツセル将軍に対して、時の乃木将軍が佩劍を許すようにと明治天皇に申し上げた。ところが、それはそうしなければならぬ。敵といえども決して個人がしたのではない。国のため…

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 証人が非常にはつきりした反動として烙印を押されて来、また伺つてはつきりしたのでありますが、在ソ中に、いわゆるポツダム宣言というものによつて早く帰されることも、奴隷化されないことも、また思想の自由も保障されていることも御承知でありましようがポツダム宣言など聞かないでもいい、あれはアメリカとイギリスと中華民国でやつているんだ、ソ連はそんなことにタツチしていないのだという片鱗でも1向うの将校なりあるいはあなた方の反対である民主グル…

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 証人は大体戰争が降伏に入つたのは、ポツダム宣言をわれわれが承認して降伏したのであるというようなことは思わなかつたのですか。ただ無條件にめちやくちやにやつつけられて負けてしまつたのだというふうにしか感じていなかつたのですか。

自由党1950/04/04

第7回 衆議院 考査特別委員会 第18号

○田渕委員 そのポツダム宣言の九條とか十條というのは、非常に捕虜に対して重大な問題でありますが、この條項の文字、解釈というようなものをお聞きにはたりませんでしたか。

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 私はきのう議院運営に出ておつたために、不幸にして証人がいつごろ入ソされたかを聞く機会を失つたのでありますが、一九四五年八月十五日、ポツダム宣言によつて日本が全面降伏したのだということを聞かれて、武装解除されて入ソしたのですか、そのまま持つて行かれて、向うで、武装解除されたのですか、まず伺いたいのです。

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 終戰当時証人の軍の階級はどの地位におられましたか。

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 そこで南下しておるときにソ連に武装解除せられたのでありますか、それとも入ソしたときにはそのまま連れて行かれて武装解除せられたのか、あるいはソ連国境外で武装解除せられたのかということを伺いたい。

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 二十年九月と申しますと、終戰が二十年八月十五日ですから間もありませんが、当時証人は武装解除せられるときに、ポツダム宣言によつて日本が降伏したのだということを言うて聞かされ、またポツダム宣言の條項というものなどを聞かされたことはございましようか。

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 ポツダム宣言の九條に「各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得セシメラルベシ」ということがあります。また十條には「宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とはつきりうたつてある。しかるにかようなことを後にも研究し、当時も知つておられるのに、かようなことがソ連領内で、いかにその環境がつるし上げ、あるいは民主グループの圧迫を受けようとも、こういうようなことが一つも問題に出ませんでしたか。

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 いずれも思想信念のしつかりした方々が当時幹部になつておられた。それがいろいろ言つておるのですが、これだけポツダム宣言が完全に鮮明されておる。このポツダム宣言を日本が受諾して降伏したのであるのだから、少くとも思想の自由ということは、あなた方として自由であるということくらいは――当時ソ連側に言うことはもちろんできないでありましようけれども、だれかこの捕虜のうちの一人や二人は、ポツダム宣言はどうだというようなことをソ連当局に言うよ…

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 お伺いしたいのですが、証人に、入ソ前の一般軍及び在外同胞の健康状態と、それから入ソ後において著しく落ちたというような点等を伺いたいのですが、一般に私が想像いたしますのに、南方の方は、戰争末期は、敵の潜航艇で非常に食糧の輸送なり、あらゆるものがとだえた。ところが関東軍あるいは北満、あちらにおられた方は、最後の何を安心して、あつちだけ守つておるというような意味で、まずわれわれが想像するのでありますけれども、南方方面に行つておられ…

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 私たち、これは個人としても、あらゆる教育を受けるであろうが、一たび帰つ来て、たとえ三日あるいは五日、長くても一月、家庭のあたたかみを持つたならば、いかに共産主義の訓練を受けて来ても、この家族的な愛情によつて心配することはない。しかしその後の措置が悪ければ、あるいは教育を受けて来たことも、どうもそうじやないかしらんと思うようになるので、この危險な思想が善化されずに悪化する方に入つて行く。だから努めて愛情で迎えなければならぬとい…

自由党1950/04/03

第7回 衆議院 考査特別委員会 第17号

○田渕委員 もう一つお伺いしたいのは、ソ連人は人間社会から見ればあわれむべきものだ。われわれは報復手段を講じようとかどうとかいうのではありませんが、人間としてソ連人はまことにあわれむべき民族だというのは、すぐる尼港事件、バルチザン事件、今回起つている事件、これなどを見て、宗教を信ずるわれわれとしては非常にお気の毒に思うのであります。むしろ不完全な民族である、こう思うのであります。われわれの祖先は七、八百年前に、忽必烈が日本へ攻めて来て壱…