考査特別委員会 第20号
- 発言数
- 1,360 件
- 登壇者
- 19 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1950/04/06
会議録
○鍛冶委員長 これより会議を開きます。 昨日に引続き日本共産党の在外同胞引揚妨害問題について調査を進めます。証人より証言を求めることといたします。 ただいまお見えの証人は、峯田重吉さん、宇野喬夫さん、滝沢滝十さん、小島清さん、以上四名ですね。 これより日本共産党の在外同胞引揚妨害問題につき、皆さんより証言を求めることになりますが、証言を求める前に、各証人に一言申し上げますが、昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。 宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者、またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして、証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。 では法律の定めるところによりまして証人の宣誓を求めます。御起立を願います。 峯田さん代表してそれを読んでください。 〔証人峯田重吉君各証人を代表して朗読〕 宣誓書 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
○鍛冶委員長 署名捺印願います。 〔各証人宣誓書に署名捺印〕
○鍛冶委員長 最初に峯田さんから証言を承ることにいたしますから、ほかの方はもう一度もとの控室でお待ちを願います。順を追うてお呼びいたします。 峯田軍吉さんですね。
○峯田証人 はい。
○鍛冶委員長 あなたの今の御職業及び年齢は。
○峯田証人 職業は農業であります。年齢は二十九歳であります。
○鍛冶委員長 簡単でようございますから、あなたの履歴と入ソ以来日本に帰られるまでの足取りを説明願います。
○峯田証人 昭和十二年小学校卒業以来、家業の手伝いをやつております。
○鍛冶委員長 農業の。
○峯田証人 はい。十六年に入営と、停職後軍事捕虜として中央アジアのアングレンに行きました。アングレンに去年の九月までおつて、九月からカラカンダに行つて、ことしの一月二十九日にこつちに帰つたものであります。
○鍛冶委員長 停職はどこであいました。
○峯田証人 停職の詔書の下つたのは梅河口湖であります。
○鍛冶委員長 在ソ中に民主グループというものへ入られたそうですが、そういう事実はありますか。またどこでいつごろお入りになりました。
○峯田証人 もう一回願います。
○鍛冶委員長 在ソ中に俘虜の間で民グループというものがあつたそうでね。その民主グループヘ、どこで、いつごろ入られたか。
○峯田証人 自分は入りません。
○鍛冶委員長 初めから入らなかつたりですか。
○峯田証人 はい。
○鍛冶委員長 大勢の人はだいてい入つておつたようですが、あなたは何で入らなかつたか。
○峯田証人 いやだから入りませんでした。
○鍛冶委員長 その民主グループのあるところでは、民主グループに入つた者はいわゆる民主主義者と言われ、入らぬ者はすべて反動と言われておつたと聞いておりますが、そういう事実がありますか。そうすると、あなたは反動として最初から最後まで取扱われておつたか、その点いかがです。
○峯田証人 民主グループに入らない者は必ずしも反動と限つたわけではありません。
○鍛冶委員長 で、あなたは反動とし」取扱われなかつたか。
○峯田証人 ぼくは反動として扱われなかつたと思つて来ました。
○鍛冶委員長 そうかね、それは普通の人と大分違うな。四九年の九月にカラカンダに集結したものが大分あつたようですが、それはよほど反動と言われる人が多かつたのじやないか、そうじやありませんか。
○峯田証人 大分ありました。
○鍛冶委員長 大体そうだつたでしよう。だけれどもあなたはその中に入らなかつたのですか。
○峯田証人 人はどう思うかわかりませんが、自分は反動というようなことは思つておりません。
○鍛冶委員長 自分ではね、ああそうか。あなたがカラガンダへ来た直後、四九年の九月十五日かに、今言われておる徳田要請なるものを聞かされたことがありますか。
○峯田証人 あります。
○鍛冶委員長 どこでどういうふうに聞かされました。
○峯田証人 あれは九月十六日だつたと思いますが、牧容所全員が朝点呼場に集合して、大体一時間近く所長の注意事項がありました。それからクラブに集合して、あのとき千人近くおつたので、一回に入れぬというわけで、半分に区切つて、第一回目に自分らは聞きました。で、いろいろ世界情勢等所長が話した後において、問題の講演をやつたのであります。
○鍛冶委員長 だれか何か質問したら、それによつてそういう話が出たそうですね。
○峯田証人 そうであります。
○鍛冶委員長 だれとだれが質問しました。
○峯田証人 質問は五、六人であつたのですが……。
○鍛冶委員長 引揚げに関する質問をした者は……。
○峯田証人 引揚げに関する質問をしたのは二人だつたと思います。
○鍛冶委員長 名前は知つておりますか。
○峯田証人 名前は知つておりません。一人はわかつておりますが、一人はわかりません。
○鍛冶委員長 一人は名前は。
○峯田証人 一人わかります。峯田であります。
○鍛冶委員長 その峯田というのは最初にやつた質問をしたのですか。
○峯田証人 それは第二回目だと思います。
○鍛冶委員長 引揚げ問題についてだよ。
○峯田証人 ええ。
○鍛冶委員長 もう一人も質問したね。どういう質問をしたか覚えておりますか。
○梨木委員 委員長、感違いしておる。峯田というのは本人だ、本人が……。
○鍛冶委員長 いや違うのだ。その峯田というのはまだ帰つていないそうです。
○峯田証人 違います。それはやはりぼくと近所の人ですが、まだ帰つてないそうです。
○鍛冶委員長 それでどういう質問だつたか覚えておりますか。
○峯田証人 はつきり覚えておりません。
○鍛冶委員長 そこでその質問によつてだれがどう言いました。
○峯田証人 あのとき通訳が質問事項を所長に話もました。所長とそれから政治部員二人で相談して、今度は政治部員がロシヤ語で話しました。それを通訳が自分たちに話したわけです。
○鍛冶委員長 どういう話でした。
○峯田証人 その話ははつきり覚えておりません。
○鍛冶委員長 大体のことで……。
○峯田証人 要点をつかむと、要するに反動を帰してくれるなというような文句だつたと自分は思つています。
○鍛冶委員長 反動を帰してくれるなとだれが言つているというようなこと……。
○峯田証人 徳田。向うではつきり徳田と名前を言いました。
○鍛冶委員長 日本共産党徳田と、こう言いましたか。
○峯田証人 は、そうであります。
○鍛冶委員長 日本共産党徳田が帰してくれるなと要請しているから帰さぬ、こう言うのですか。
○峯田証人 そのことははつきり自分はもう覚えておりませんが、日本共産党——これははつきり覚えておりません。
○鍛冶委員長 今頭に残つていることは、徳田が反動を帰してくれるなと言つているから、反動は帰さないのだと、こう言うのですね。
○峯田証人 そうであります。
○鍛冶委員長 それだけしか覚えておらぬ。ほんとうのことはずつと覚えてないですか。
○峯田証人 覚えておりません。それは三百人か四百人おつたんですから、人はどう聞いたかわからないのですが、自分はそう聞きました。
○鍛冶委員長 もう一ぺん言つてください。
○峯田証人 その話を聞いたのは、収容所の人員の半分の人が聞いております。それで、人はどういうふうに聞いたかわかりませんですが、自分は反動を帰してくれるなというように聞きました。
○鍛冶委員長 もう一ぺん、日本共産党の徳田が……。
○峯田証人 反動を帰してくれるなというように自分は聞きました。
○鍛冶委員長 徳田から言つて来ている……。 〔「誘導尋問はだめだ。本人に言わせなくちや」「ありのまま言つて。」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 言わないから、咄々だからしようがない。——そういうことですね。
○峯田証人 そうであります。
○鍛冶委員長 そういう話を聞いたら、みなどういうことを言つたり、気持になつておりましたか。
○峯田証人 その話を聞いた人は、大部分もうやけくそになつたような言動が出ました。
○鍛冶委員長 いろいろ何か話合いでもしておつた……。
○峯田証人 部屋に帰つてから大騒ぎをしておりました。
○鍛冶委員長 どういうことを言つて……。
○峯田証人 はつきり覚えておりません。
○鍛冶委員長 やけくそになるような話をしておつたか。
○峯田証人 そうであります。
○鍛冶委員長 ほかに何かこうとりとめて記憶に残つているようなことはありませんか。
○峯田証人 あと別にありません。
○鍛冶委員長 何かはかにありますか。
○梨木委員 さつきのあなたのお話によりますと、九月十六日ごろの集合で今お話になつたようなことがあつたとおつしやいましたが、それは九月の十六日ですか。
○峯田証人 今までの人は……。
○梨木委員 今までの人はどう言つても、あなたの記憶でけつこうです。
○峯田証人 自分はたしか十六日だつたと思つております。
○梨木委員 そこであなたの記憶では、朝の点呼の際に最初何か訓辞のようなものがあつて、それからクラブの方へ帰つて、さらに今の問題の話があつた、とこういうぐあいにおつしやいましたが、二段階になつておるのですね。 〔「そう言つていない」と呼ぶ者あり〕
○梨木委員 それでは、そこのところを聞き漏らしましたから、もう一ぺん言つてください。
○峯田証人 もう一回言います。あの日は朝点呼場に全員集合しました。
○梨木委員 千名近く……。
○峯田証人 そうであります。そして所長がいろいろ所内生活の注意事項とか何とか話しました。それが終つてから今度はクラブに集合しました。
○梨木委員 それが終つてからさらに場所がかわつたのですね。そこでクラブへ集合した……。
○峯田証人 そうであります。そこでクラブには一回に千人は入れないので、半分に仕切つたのです。
○梨木委員 そこへ集まつた人数はどのくらいになりますか。
○峯田証人 どのくらいになるかはつきり数えたわけではないのですが、ラーゲルの半分という人員ですから、大体三百人か四百人の間だと思います。
○梨木委員 あなたはその集合の場所でどの辺におられましたか、前の方か、うしろの方か、中ほどか……。
○峯田証人 自分は一番前におりました。
○梨木委員 そうしますと、質問をした人はあなたからいつて前とおつしやると、前の中ぐらいですか、右よりですか、左よりですか。
○峯田証人 あの図面ですと、あそこに書いてある峯田という名前、あの辺だつたと思います。
○梨木委員 あなたがあの辺だつたのですか。
○峯田証人 質問した人です。
○梨木委員 あなたは前の中央ですか、右よりですか、左よりですか。
○峯田証人 一番前の列の左から二番目の辺におつたと思います。
○梨木委員 それで質問した人は、あそこに峯田と書いてある、あの辺の位置におつた人が質問したわけですか。
○峯田証人 はあ、そうであります。
○梨木委員 あの質問した峯田さんというのは、峯田何というのですか、覚えておりませんか。
○峯田証人 峯田恒次です。
○梨木委員 あなたとお知合いなんですか。
○峯田証人 自分と知つたのは去年の一月ごろからです。
○梨木委員 どこで知られたのですか。
○峯田証人 アングレンです。
○梨木委員 この峯田という人はまだ残つておるのですか。
○峯田証人 残つております。
○梨木委員 それは戦犯関係か何かの容疑があつて残つておられるように聞かれておりますか。そういう点はわかりませんか。
○峯田証人 あれは軍隊当時特務機関におつたので、その関係じやないかと自分も言つておつたのですが……。
○梨木委員 軍隊におつたときに特務機関におつたから、まだ残つているのじやないかと思うと、こういうわけですね。
○峯田証人 いや、本人がそう言つておりました。
○梨木委員 そこでお伺いしますが、今あなたははつきりされないとおつしやいましたが、この峯田恒次さんが質問したその質問の要点はわかりませんか。大体どういうようなことを質問したか……。
○峯田証人 はつきり覚えておりません。
○梨木委員 それに対してさらにソビエトの将校が答弁した、その答弁を通訳したその通訳の内容もはつきり覚えておらないわけですね。
○峯田証人 はあ、はつきり覚えておりません。
○梨木委員 質問の要領は、あなたはよく覚えておらないとおつしやるのだが、そのときの通訳の名前は知つておられますか。
○峯田証人 通訳の名前は知つております。
○梨木委員 何という名前です。
○峯田証人 菅通訳。
○梨木委員 そこで菅通訳は、峯田恒次さんがいつ帰れるかというような質問をしたところが、それに対して、それは諸君自身にかかつている、諸君がここで良心的に労働し、真正な民主主義者になるとき、そのとき諸君帰れるのである……。
○鍛冶委員長 そう言つちや……。ぼくたちも言つて聞かせるのは知つているけれども、本人の記憶で……。
○梨木委員 あなたも言つたから……。
○鍛冶委員長 そんなことはない。
○梨木委員 こういうふうに聞かれたかという記憶を……。
○鍛冶委員長 そんならもう一ぺん記憶を呼び起して言えと言いたまえ。そんなことを言つては、だめだ。
○梨木委員 そこでこういうようにぼくから言われれば、そういうふうにも言われたのじやないかというぐあいに今記憶を呼び起されればそれでいいし、起されなければそれでいいわけで、私は何も誘導尋問じやない。日本共産党徳田書記は……。
○鍛冶委員長 梨木君、じようだんじやない。皆さんどう思いますか。私は記憶がある限り聞いている。
○梨木委員 しかし委員長はそうおつしやいますけれども、今までもずいぶんそういうような質問が行われているのに、私が特に質問するのに、私のこういう質問の仕方を何かと問題にされるのは、どうも公平を欠くように思います。
○鍛冶委員長 そんなことはありはしない。
○梨木委員 ではその点は聞かぬことにします。しかしとにかく委員長も、さつきはつきり記憶がないと言うのに、委員長の方からも、徳田書記長がそういうように言つて来たのじやないかというような質問をしていますね。
○鍛冶委員長 いや、反動は帰すなと言つたというから……。
○梨木委員 ではその点は横田君にひとつあとまた適当にやつてもらいます。そこで次に伺いますが、あなたは兵隊におつた時分は何をやつておられたわけですか、兵科は……。
○峯田証人 入つたのは歩兵であります。
○梨木委員 その後かわつていませんか。
○峯田証人 それから憲兵隊の補助憲兵をやりました。
○梨木委員 あなたは先ほど委員長の質問に対して、自分は民主グループには入つておらなかつたが、自分としては人から反動扱いをされておらなかつたとおつしやいましたね。
○峯田証人 いや違います。反動扱いにされないというわけではなくて、自分は反動とは思つていない……。
○梨木委員 しかし、人からは反動扱いされたのですか。
○峯田証人 別にされたということは、自分は感じておりません。
○梨木委員 次に伺いますが、あなたは日の丸梯団に入つておられますか。
○峯田証人 おられます。(笑声)おります。
○梨木委員 いつ入られましたか。
○峯田証人 引揚げて来る船の中で入りました。
○梨木委員 だれかから勧誘されたりなどして入られたんですか。
○峯田証人 違います。自分から進んで入りました。
○梨木委員 自分から進んで入るといつても、日の丸梯団というのができなければ、入ろうにも入れないわけですが、何かそういうものができたという話でも聞いて、そこに行つて入られたんですか、そこのところを聞きたいのです。
○峯田証人 船の中で日の丸梯団というものをつくつて、マイクで放送をやりました。
○梨木委員 船の中で日の丸梯団というものをつくるという放送があつたのですね。
○峯田証人 は、そうです。
○梨木委員 それでその放送を聞いたので、あなたが出かけて行かれたのですね。
○峯田証人 はあ。
○梨木委員 結成式か何かありましたか。
○峯田証人 ありました。
○梨木委員 そこで団長か何かきまりましたか。
○峯田証人 きまりました。
○梨木委員 どなたが団長になられましたか。
○峯田証人 高橋善雄というのが団長になりました。
○梨木委員 あなたは久保田善藏さんという人を知らないですか。
○峯田証人 久保田善藏は知つています。
○梨木委員 この人と一緒に帰られたのではありませんか。
○峯田証人 違います。
○梨木委員 あとですか、先ですか。
○峯田証人 先です。
○梨木委員 あなたは久保田善藏さんと、どういう関係でお知合いなんですか。
○峯田証人 久保田善藏は、自分とは全然関係ありません。
○梨木委員 じや、知らないのですか。
○峯田証人 知りません。人は知つております。が、関係はありません。
○梨木委員 そうすると、あなたは第二高砂丸ですか。
○峯田証人 いや、第一高砂丸です。
○梨木委員 その団長は、何とおつしやいましたか。あなたが帰つて来られたときに団長となられた人の名前。
○峯田証人 日の丸梯団のですか。高稿善雄です。
○梨木委員 日の丸梯団というのは、大体どういう趣旨で、どういうことをやろうとして結成されたものなのですか。
○峯田証人 日の丸梯団は、日本人が日本に帰るのにどうして日の丸をつけていかぬかという問題から始まつて、われわれは日本に帰るには、当然日本の日の丸をつけて帰るという気持から結成しました。
○梨木委員 それでは帰るについて、日の丸の旗をつけるというだけで、それからあと国内へ来て、何かこの団体で運動するというようなことはきめられておらないのですか。
○峯田証人 それはきめたと思いますが、自分はそんな関係は全然持つておりません。
○梨木委員 あなたは持つておられないとしても、どんなことをきめられたのですか、国内へ帰つて来て。
○峯田証人 それははつきり覚えておりません。
○梨木委員 はい、よろしゆうございます。
○内藤(隆)委員 ただいまの証人の証言を聞いておりますと、まことに正直者で、しかも温厚で、御本人を前に置いでは済みませんが、気持も実に善良な人のように見受けられます。あなたがあの民主クラブの会場で、徳田要請によつて、反動は帰られぬと聞いたとき、これはいかぬ、実はそのグループに入ることは自分はきらいだけれども、入つてみようという気でも起きなかつたのですか。
○峯田証人 起きませんでした。
○内藤(隆)委員 しかし昨日の菅通訳の話では、徳田要請によつて——要請とは言いませんよ。徳田の期待により、反動は帰さないということを伝えた。ところが非常に動揺があつたということを認めておるのですが、あなたのような正直な方は、うそでもよいから民主グループに入つていなければ、どうも早く帰れぬわいという気持は起きなかつたのですか。
○峯田証人 自分は帰れぬと覚悟しておりましたから、入りませんでした。
○内藤(隆)委員 しかし、その抑留生活があまりに人道に反した、まことに残虐なものであるということはあなた方はよく体験されておられて、そこから一日も早くのがれるために、民主グループに入つた方がよいではないかと考えられませんでしたか。
○峯田証人 考えません。
○内藤(隆)委員 そうすると、あくまでも自分は反動じやない。しかしながらいわゆる民主グループ、共産主義には大反対だ、一年くらい覚悟をしてもここにおろうという気持でおられたというのですね。
○峯田証人 違います。自分は何も反対だから入らないとかなんとかいうわけではないのです。ただ自分の自由な立場をとつて来たというわけです。
○内藤(隆)委員 これは私の感じですが、あなたはまことに温厚な、まことに気持のよい人だから、たとい反動であつても大した反動じやないというふうに見られて、反動だといつて折紙をつけられて、虐待せられたということはないですね。
○峯田証人 ありません。
○島田委員 朝の点呼が終つてクラブへ入つたときに、所長代理がもう一度訓辞か何かしましたか。
○峯田証人 ありました。
○島田委員 それから質問者が二人ばかり質問したわけですね。
○峯田証人 五、六人やりました。
○島田委員 その質問に対して答えるときに、所長代理が答えずに、政治将校が答えたと聞いておりますが、それは間違いありませんね。
○峯田証人 間違いありません。
○島田委員 政治将校が答えるときに、あなたの話では、所長代理と政治将校と通訳とが相談した結果、政治将校が答えたというふうに言われておりますが……。
○峯田証人 違います。それは、質問したのを通訳が今度所長に話すわけです。
○島田委員 日本語だからですね。
○峯田証人 そうです。所長と政治部員が話合つて、政治部員がしやべつたのです。
○島田委員 よろしゆうございます。
○鍛冶委員長 それでは済みました、御苦労でした。 —————————————
○鍛冶委員長 この際お諮りいたします。先日理事菅家喜六君が委員を辞任せられましたので、理事の補欠選任をいたさなければなりませんが、先例によりまして委員長において指名するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 御異議なしと認めます。それでは菅家喜六君を理事に指名いたします。 —————————————
○鍛冶委員長 宇野喬夫さんですね。
○宇野証人 そうです。
○鍛冶委員長 あなたの今の御職業、年齢は。
○宇野証人 自分は現在無職であります。年令は満三十四歳、数え年三十六であります。
○鍛冶委員長 あなたの経歴の大略、それから入ソ後における足取りをほんの大略でいいですからお述べ願いたいと思います。
○宇野証人 昭和三年小学校を卒業しまして、それから滋賀県の八日市中学を卒業し、昭和十年に東京に参りました。そうして昭和十年の八月に渡満をいたしました。それから満鉄の遼陽駅の駅務員になり、昭和十三年までやつておりました。それから十五年に奉天の鉄道総局の営業部の貨物課に転属になりました。それから昭和十八年奉天鉄道局営業課に配属されました。昭和十九年三月十日召集を受けまして満洲の牡丹江省城子溝という所の二千六百部隊に入隊をいたしました。その城子溝に約一箇月おりまして、わが隊は命令を受けまして新京に集結することになりました。その後間もなく自分たちは加藤久平という陸軍大尉の率いる駐屯部隊となつて吉林におもむきました。吉林におもむいて、昭和二十年八月五日別命がありまして、関東軍の特別警備像に編制されるという通知を受けまして、わが分遣隊は新京に集結いたしました。そうしてそのときに新京の関東軍特別警備隊第二大隊というものか編制をされて、全満の各地区から集まつた憲兵を主力とした部隊ができたのであります。そこの補充要員としてわれわれの百五十名が加算された、そうしてその間編制が終りましたのが八月十日前後だと私は記憶しております。それから八月の十日前後に編制はされておりますが、自分はそのとき上等兵でありまして、どういう構成でこれは発表されておるかわかりません、部隊の構成内容もわからずにそのままに済んでおりました。ところが八月十四日に終戦の詔書をわれわれが聞き、そこにおいて初めて自分たちの部隊を統率している者が和田文雄憲兵大佐だということがわかつて来たのであります。それから間もなく一週間にわたり市内の警備に当りました。その警備の任に当つたのはわれわれ全般が当つたのであります。その警備の任はどういつことかと申しますと、われわれは最後の防戦をここにおいてなすべきである。そのために各アスフアルトの道も生部戦車壕をつくらなければならない、その戦車壕の壕掘りもやつておりました。そうして八月の終りにわれわれは武装解除のために公主嶺に南下をするように命を受けました。それでわれわれは和田憲兵大佐の率いる部隊の一員として公主嶺に南下をいたしました。その間に萢家屯あるいは孟家屯、こういう駅において暴動がすでに終り、ソ連軍が入満いたしておりました。そして公主嶺の工作機械工場だと思います。そこにわれわれは集結をされたのであります。そうしてそこに約一箇月駐屯しておりました。なぜ一箇月駐屯をしておつたかというと、そこに牧容されておるときに、ほとんど約八割までがいわゆる憲兵部隊であつて、全満の通路に非常に通じておる人でありまして、そのために相当逃亡というものがあつた。われわれの隊は満召集の相当の年輩者が多かつたのであります。そういう人は家族がおるためにたくさん逃亡したのであります。ところが逃亡すると、そこに牧容されたところの千五百名の人員をビン兵団というところに通知をするときに、本日通知をしたときは現在員が千五百名だつたが、その翌日調査が来ると千四百八十名、こういう人員の不足が出るのであります。そのためにその人員の補充はあくまでも千五百名が単位でなければならないという状況だつたと私は記憶します。そのために窓を割つて他の部隊から逃げた者がその中に来て、約千五百名という部隊を構成したのであります。ようやく千五百名の人間がまとまつて、九月二十一日に公主嶺を出発するように命令を受けた。そのときにはすでに武装も解除をされております。持つものは自分たちの被服、そういうものを持ち得た。あとは何ら許されなかつた。こういう状態であります。九月二十一日に公主嶺を出発いたしまして、その人員は千五百名ということを自分は記憶しております。それで千五百名がアムール、いわゆる黒河であります。ここの埠頭に着いたのが九月二十五日ごろだと思います。その間において輸送は、列車がたくさん入ソするために、交錯しておりますから、鉄道の関係で相当時間がかかつたものと思います。ある駅において四日間、ある駅において七日間、こういう状態であります。そして黒河に着き、さらにそこから五日間を経て黒河の埠頭に着きました。十月の三十日の夜の八時ごろその河を渡つたのであります。そうしてわれわれは対岸のブラゴエチエンスクに着いたのであります。そこの滞在が約三日間であります。われわれが出発したときにはアムールは結氷をいたしました。後続部隊はその氷の上を渡つて来たということであります。われわれは船で渡りした。ブラゴエチエンスクに三日おりまして、それからわれわれはウズベツクスタンのベグワードに十二月の二十二日に到着したと自分は記憶しております。ウズベックのベグワードというのは、タシケントから約八十キロないし九十キロの地点であります。それで二百八十八収容所の第二分所という所に着いたのであります。その第二分所には、その当時まだドイツ人が若干おりました。その分所はわれわれが来たためにドイツ人が移動をいたしました。そうしてそのあいた兵舎にわれわれは収容されたのであります。二十二日に到着をし、われわれはそこに約十日間のソ連の規定によるカランチンという休暇をもらい、一月の十八日になつて初めわれわれは労働大隊として作業に従事することになつたのであります。われわれの作業はウズベツクスタンの発電所の作業であります。この発電所の作業はすでにドイツ人が約三分の一と言つてもいいくらいまで完了しておりました。そのあとをわれわれが引続いてやつたのであります。そうしてその作業に従事をいたし、一九四八年までに大体その作業を完了いたしました。それまでにすべての仕事は完了しておりませんで、タービンといつて、大きな発電機を動かすところの機械が四台あり、二台がアメリカ製作、二台がドイツの製作であります。それが終つて一九四八年の九月二十五日、ほとんどの者が帰還をいたしました。そうして九月の二十五日にいわゆる憲兵、特務機関、警察官を集めたものだけが約三百有余名、そのラーゲルから第五ラーゲルに移動いたしました。それはウズベツクスタンの第二百八十八収容所の第五ラーゲルであります。あとの分所は全部帰りました。他の分所もやはり憲兵、警察官というものが集結されまして、第五ラーゲルは約五百有余名というものによつて構成されました。その五百有余名によつて九月の二十五日に編制を受け、自分はそのときに帰るべき命令がありましたが、急に命令が変更になつて、あとから一人でその第五ラーゲルに行きました。そうしてその第五ラーゲルにおいて十二月の四日に命令が来て、われわれは帰還のためにタシケントに移動するという命令を受けて、われわれはその日に自動車に乗つてタシケントにおもむいたのであります。それまでにへルガナ地区から来た百二十五名がわれわれの五百有余名と合併して、約七百名でその第五ラーゲルは構成されております。その百二十五名というものの構成は、先ほど申しましたように、満洲国の高位高官、ハルピンの警務庁長、あるいは旅順の警務庁長、ハルピンの市長、そういう人たちであります。その中に久保田善藏氏もおりました。そういう者がわれわれの所に入つて来たのであります。そうしてその七百有余名のラーゲルが三部にわかれて、タシケントに移る、こういう命令を受けまして私は二百五十名を引卒してタシケントの第九分所に移りました。他の者は二団に分れて、久保田善藏が率いた二百五十名がタシケントの第十一ラーゲルに移動いたしました。それから鈴木義彦という者が同じく三百五十名を率いて第十一ラーゲルに到着いたしました。そこで五百名で十一ラーゲルを編制されましたが、私ども二百五十名というものが第九分所に十二月五日に到着いたし、翌年の六月十八日第三分所に移りまして、その年の九月五日にタシケントのラーゲルは閉鎖になりましてわれわれはカラガンダに移つたのであります。九月十三日カラガンダに到着し、そこに十三日から十一月十二日までおりまして、十二日に命令を受けてナホトカに向つたのであります。ナホトカに十一月三十日に到着いたし、一月十八日船に乗つて、一月二十二日に舞鶴に上陸いたしまして、現在に至つております。
○鍛冶委員長 第二高砂丸で来たわけですね。
○宇野証人 そうであります。
○鍛冶委員長 在ソ当時いわゆる民主運動というものが非常に盛んであつたようですが、その際にあなたは民主グループにお入りになりましたか。
○宇野証人 入つておりました。
○鍛冶委員長 これは何か友の会から民主グループとなり、さらに進んで反フアシスト委員会となつたというが、あなたの方はそれはどうですか。
○宇野証人 友の会はみなの集まりであり、反フアシスト委員会は一九四七年ごろに編成をされたのであります。
○鍛冶委員長 民主グループからですね。
○宇野証人 民主グループからです。
○鍛冶委員長 あなたは反フアシスト委員会にもお入りになりましたか。
○宇野証人 反フアシスト委員会にもおりました。
○鍛冶委員長 さらにその中のアクチーヴになりましたか。
○宇野証人 自分はアクチーヴになつておりました。
○鍛冶委員長 このアクチーヴは帰還者名簿をつくる権限を持つておりましたか。
○宇野証人 そういう権限は持つておりません。
○鍛冶委員長 しかしもちろん帰還を決定するのはソ連の将校であろうが、こういう者を出してもらいたいと推薦するようなことをやつておつたのではありませんか。
○宇野証人 アクチーヴの上にスタールシ・アクチーヴというものがあります。これはアクチーヴの長でありますが、その者もこの者を帰す、この者を帰さぬということの進言をするところの権限は持つておりません。
○鍛冶委員長 だれがです。アクチーヴは持つておるのですか。
○宇野証人 いいえ、アクチーヴが持つておるかと言われましたが、持つておりません。
○鍛冶委員長 それではスタールシ・アクチーヴが持つておるのですか。
○宇野証人 いいえ、持つておりません。
○鍛冶委員長 じや、だれが持つておるのですか。
○宇野証人 そこにおるところの民主反フアシスト委員会というものが、それぞれにおいてその帰国を云々するというところの問題ではありませんが、要するにそのスタールシ・アクチーヴというものから、さらにそこに反フアシスト委員会というものが構成されておるのであります。
○鍛冶委員長 そうすると、そのスタールシ・アクチーヴから委員会に諮問するわけか、それで委員会で大体きめるわけですか。
○宇野証人 いいえ、そういうことはありません。スタールシ・アクチーヴにおいて質問するということはありません。
○鍛冶委員長 いや質問じやない、諮問——たれを帰せという諮問をする……。
○宇野証人 帰還の問題に——だれを帰せというそれだけの権限は與えられておりません。
○鍛冶委員長 しかし今まで聞いた中では、アクチーヴというものは、帰還をさせるかさせぬかの全権を握るようになつたと言う人が非常に多いのですが。
○宇野証人 アクチーヴというものは、要するにその政治——民主主義的なところの勉強をする、あるいは民主的なところの運動を自分たちで啓蒙するところの最も前進的な分子であります。それがこの者を帰還をさすとかさせないとかいうことの、帰還の問題にアクチーヴは関與しません。そういう権限は持つておりません。
○鍛冶委員長 そうですが。今まで聞いたのとちよつと違うようだね。権限でなくとも、実際でもいいが、アクチーヴ以外の者は帰さぬことにしようという話はありませんでしたか。アクチーヴの間で……
○宇野証人 そういうことは自分は記憶しておりません。
○鍛冶委員長 それから帰国者名簿というようなものが、何かできておつたことはありませんか。
○宇野証人 帰国者名簿というものは、各収容所に牧容所長がおります。そうしてその牧容所がナンバー一からあるいは五まであります。千五百名單位の牧容所が五つくらいあれば、それを統轄して、第こ百八十八管理局と言います。管理局自体においてこれは発令されるものであります。
○鍛冶委員長 それを作成するには、向うは知らぬのだから、向うだけでかつてにつくられやせぬから、だれかに諮問するか、だれかから実情を調査するとか、何かあるはずですが、そういうものはだれがやるのですか。これはなければならぬと思うのだ。向うは何もそう知つておりやしませんから……。
○宇野証人 いいえ、それは知りませんが……。
○鍛冶委員長 スタールシ・アクチーヴかどうかに質問するとか、どこか調査を命ずるとか、何かあるでしよう。
○宇野証人 それは先ほど申し上げましたように、反フアシスト委員会というものがラーゲルの委員の中において結成されております。その委員というものが主体になつております。
○鍛冶委員長 委員会にはそういうことに答える権限はあつたわけですね。
○宇野証人 要するに俘虜の言動、俘虜の動靜というものを向うから聞かれた場合には、それを答えるのです。
○鍛冶委員長 その委員会には、また特別権限のある委員の幹部というものがあるのじやないですか。そういうものはないですか。
○宇野証人 委員の中には、委員によつて互選されたところの委員長がおります。
○鍛冶委員長 長は一人だけですが。
○宇野証人 長は一人です。
○鍛冶委員長 あとは全部委員ですか。
○宇野証人 そうです。
○鍛冶委員長 その長が今言われたスタールシ・アクチーヴですか。
○宇野証人 各中隊〇——一中隊、二中隊、三中隊ときまつておりまして、その中隊の中におけるアクチーヴは一人であり、さらにその各中隊のアクチーヴの長がスタールシ・アクチーヴであります。すなわち十五中隊あれば十五人のアクチーヴのスタールシ・アクチーヴがいるわけであります。結局それから推薦をされ、みんなの選挙によつて、それが反フアッシスト委員会というものを構成する。
○鍛冶委員長 アクチーヴの中からさらに選ばれた者が委員なのですね。
○宇野証人 はい。
○鍛冶委員長 あなたはその委員になられたんですか。
○宇野証人 委員になりました。
○鍛冶委員長 その委員会でそういう名簿をつくつたり、諮問に答えたりするのじやありませんか。
○宇野証人 ソ連の方からだれだれを帰す。だれだれをこうこうするということについて、われわれに質問するということは全然ありません。要するに、AならAという人間はどういう人間であるかという質問はありました。それにお答えをするだけの委員会であります。
○鍛冶委員長 そこでアクチーヴ以外の者は帰さぬという方針があつたかどうか。またそういう方針がきまらぬでも、実際においてアクチーヴ以外の者は帰れない実情であつたかどうか。その点はどうですか。
○宇野証人 アクチーヴだから帰れる、アクチーヴでないから帰れないというところのものはありません。またそういう方針もありません。
○鍛冶委員長 民主グループに入らぬ者は全部反動とみなされておつた、これは事実ですか。
○宇野証人 そういうことはありません。民主グループに入つていないから反動であるということはありません。これは民主主義をとなえる、あるいは帝国主義をとなえようが、これは自由であります。だからいわゆる民主主義をとなえないからこれは反動であるということにはなりません。
○鍛冶委員長 今までの話と大分違うが、反動というのはないのか、反動反動とよく言われるが、あなたの話によると、ないことになるね。
○宇野証人 向うで言われるところの反動は、正しい歴史の流れに逆行するものを反動と名づけております。
○鍛冶委員長 ところがそれはどういうもので見られるのか。民主グループに入らぬ者はすべて反動だとみな言われておるようだが、そうじやないですか。
○宇野証人 民主グループに入らぬから反動であるということを、われわれはきめつけておりませんし、またそういうことを考えたことはありません。
○鍛冶委員長 従つてあなたとしては、そういう帰国者名簿でなくても、これを帰したらいい、これは帰さぬがいいというような、そういうしるしをしたようなことは御承知ありませんか。
○宇野証人 そういうものは全然記憶がありません。
○鍛冶委員長 先ほどのお話を聞きますと、カラカンダへ九月の十三日に着いたとおつしやいましたね。
○宇野証人 そうであります。
○鍛冶委員長 それから二日おいた十五日に、俘虜の一部の人が第九分所に集められて、いわゆる徳田要請なるものを聞かされたということですが、そういう事実はありませんか。
○宇野証人 その集会はありましたが、徳田要請の集会であるというところの集会としては、自分は聞いておりません。
○鍛冶委員長 その集会で、俗にいう徳田要請ということをお聞きになりましたか。
○宇野証人 徳田要請ということは聞いておりません。
○鍛冶委員長 あなたは集まられましたか。
○宇野証人 私は集まりませんでした。
○鍛冶委員長 集まらなかつたのか。
○宇野証人 自分はその当時の大隊長をしておりまして、まだついたばかりで、行政面のこと、兵舎の配置、あるいは作業の指示というようなことに忙殺されておりましたから、行かなかつたのであります。
○鍛冶委員長 集会があつたことは間違いありませんか。
○宇野証人 集会はありました。
○鍛冶委員長 十五日でしたか。
○宇野証人 十五日か、それははつきりいたしませんが、着いて大体四、五日たつてからだつたと思います。
○鍛冶委員長 そういう話はありませんでしたか。
○宇野証人 その政治的な、いわゆる政治将校の指導する集会があつたということは聞いておりました。
○鍛冶委員長 集会でどういう話があつたかということを聞きませんでしたか。
○宇野証人 その集会でどういう話があつたということは自分は聞きません。
○鍛冶委員長 それでは収容所の人々は、これによつて非常に動揺したという話ですが、そのことも知りませんか。
○宇野証人 そのことについて申し上げます。九百二十名がカラカンダに着きまして、その前からカラカンダにおつたところの者は、全部帰国をいたしました。そのあとにわれわれが入つて来たのであります。そのところに着いて、また再び帰還の遂につかなかつたというので、人心の動揺ということは非常にありました。それで、着くと同時に食堂の中で便をしたり、あるいは炊事場に行つて物をかつぱらうというような、いわゆる無政府的な状態を続けました。それで牧容所長がわれわれを集めて相当ひどく怒りました。その後に四、五日たつて政治的な集会があつたということを記憶しております。
○鍛冶委員長 帰還のために集めるのだ、こういつてカラカンダに来たそうですね。これは間違いありませんね。
○宇野証人 タシケントを出るときに、帰還のために東方のラーゲルに移動する……。
○鍛冶委員長 ところがそうだと思つておると冬服が支給され、おかしいと思つておると、反動は帰さぬという話を聞いたので、これはいよいようそだつたということで動揺したのではありませんか。
○宇野証人 到着したときに、すでにそういうところの状態でありました。
○鍛冶委員長 そういう気分があつたから、この話を聞いて一層びつくりしたのではないですか。
○宇野証人 タシケントに着くと被服を支給されました。それは帰還のために東方のラーゲルに移動するというので渡されたのですが、新しい服もあつたが古いのもありました。それはぼろぼろの服を着ている者は渡されましたが、あとの者はそのままであります。
○鍛冶委員長 あなたは日本へ帰つてから、今民主グループの人たちと一緒の行動をとつておりますか。
○宇野証人 とつておりません。
○鍛冶委員長 共産党には入つておりませんか。
○宇野証人 入つておりません。
○鍛冶委員長 今どう思つておりますか。やはりあそこで教育された通りやつて行かなければいけないと思つておりますか。日本へ来たら別な考えになつておりますか。
○宇野証人 在ソ間に習つた通りのことを日本においてやるということは考えておりません。
○佐々木(秀)委員 証人にお尋ねしますが、反フアシスト委員会は、あなたの言う通り、帰国者をどうするのこうするのという権限はないと私は思います。もちろんそれはソ同盟にあるのであつて、あなた方には権限はない。しかし個人的な日常の行動、あるいは捕虜とじてのいろいろな日常の行動等について、ソ同盟の幹部、あるいは牧容所長ですか、そういう人たちから、こういう人間は日ごろどういう行動だとか、あるいはどういう思想を持つておるかということを聞かれませんでしたか。
○宇野証人 そういう質問はありました。
○佐々木(秀)委員 常にですか。
○宇野証人 常にではありません。
○佐々木(秀)委員 常にというと語弊があるかもわかりませんが、たまたまそういうことがあつた……。
○宇野証人 あるときには一箇月に一回、ないときには二箇月に一回、そういうことがありました。
○佐々木(秀)委員 そこでそういうものが一つの採点の集計となつて、向うの幹部によつて上位、中位、下位というような順位がきめられるということは、あなたは考えておりませんか。
○宇野証人 もう一度質問を願います。
○佐々木(秀)委員 たとえばあなたが向うから聞かれる個人の行動に対して答申するわけですね。その答申に基いて向うが、この収容者は日ごろどういう行動をしたか、民主主義になり切つておる人だ、あるいはまたこれはなり切つていない、この人はふだんなまけものだというような順位をつけられることを考えませんか。
○宇野証人 自分は順位をつけられるということは考えません。
○佐々木(秀)委員 あなたではなく、向うがあなた方の答申に基いてきめられるのではないかということです。
○宇野証人 それは参考にはなるだろうと思いますが、決定にはなりません。
○佐々木(秀)委員 決定にはならないとしても、参考になるということだけは、あなたは認められますね。
○宇野証人 その聞かれたものを参考にする……。
○佐々木(秀)委員 それは認めますね。
○宇野証人 認めます。
○佐々木(秀)委員 そうしますと、事実あなたは答弁がうまいので、急所を離れていろいろ言いましを上手にしておりますが、そういうことは帰国者ばかりでなく、会社においても社会においても、その人の順位とかいろいろな価値とかいうものはきめられることになるのです。そういうことがやはり帰国者名簿作成のための大きな資料になるだろうと私は考えますが、あなたはそう思いませんか。
○宇野証人 その資料があくまでも影響するということは……。
○佐々木(秀)委員 あくまでというわけではなく幾分でも、百分の一でも千分の一でもいいが、それが一つの参考資料となつて影響するのではありませんか。
○宇野証人 影響は現われないという……。
○佐々木(秀)委員 全然……。
○宇野証人 全然ありません。帰国に対して云々されるところの一つの参考にはされますが……。
○佐々木(秀)委員 それはおかしい。参考になるものが全然採用されないということでは、参考ではありません。参考というものは、一〇〇%の中に一%でも取入れられることによつて、参考としての必要性を認められるのです。それが全然向うで認めないということになれば、あなた方から何も参考として聞く必要はない。
○宇野証人 決定は……。
○佐々木(秀)委員 決定とか何とかを言つておるのでありません。決定するためのある一部分の、何万分の一か何千万分の一かしりませんが、それが一つの参考となり、名簿作成のための一一つの要素、言葉は何でもいいが、それが名簿作成の資料の一つの参考になるのではありませんか。
○宇野証人 その資料にはなります。
○佐々木(秀)委員 そうしたらあなたが先ほど帰国のことや名簿作成に何ら関係がないということを言つたのでありますが、それは誤つた証言ですね。それをはつきりしてください。
○宇野証人 結論というものは、われわれに対しては指示されておりません。影響しておるかどうかというところの結果は、私ははつきりわかりません。
○佐々木(秀)委員 常識をあなた方から私は聞いておるのです。参考として聞かれた場合は参考である。それを全然認めないのは参考にはならない。そのうちを取捨選択して、参考のために取上げるものもあるし、取上げないものもある。だから参考として、たとえば個人的な調べ、あるいはその状況等を向うが調査するに当つても、その参考なるものが一部分でも認められることについて、あなたは全然認められないということを言つておりますが、幾分でも認められるということだけは確信できるのではありませんか。
○宇野証人 その参考に出すところの資料、それは認められます。
○佐々木(秀)委員 そうするとあなた方に権限はない。あるいは一つの帰国者名簿をつくつて、その通り実行される責任者でもないのではあるが、あなた方の反フアシスト委員会というものは、そういうものについて、一つの小さなことではあるが、責任があつたということを考えませんか。
○宇野証人 その作成したことに対してですか。
○佐々木(秀)委員 作成することではなく、聞かれたときの答申です。
○宇野証人 聞かれたときにおいて、われわれはそれに返答いたします。そして返答する者は、そこの長が返答いたします。それが参考になつております。
○佐々木(秀)委員 その言葉自体、あるいは答申するいろいろな調査でもいいが、やはりその、委員会全体の責任ある参考答弁でなければならないでしよう。当然あなたはそうした責任を考えなければならぬ。しかも人の上に立つ委員会の構成人員となつているからには、すべて答申するそのもの、参考を申し上げる内容そのものに対する責任は、やはり感じなければならないでしよう。
○宇野証人 その責任というとどういう責任ですか。
○佐々木(秀)委員 その申し上げる言葉、その実体に対しての責任です。
○宇野証人 それは正しいところのものに対しては責任を持ちます。
○佐々木(秀)委員 そうすると、あなたは先ほど在ソ中において、反動だとか、あるいは民主グループだからといつて、特殊な取扱いはないというようなことを言われましたが、今まで来た証人、ことごとく反動という言葉を聞いておる。あなたは向うにおいて反動という言葉さえも聞いたこどはありませんか。
○宇野証人 反動は聞きました。
○佐々木(秀)委員 しかもその反動というものが、あなた方の考えでは正しい歴史の流れに反対する行動をとる者が反動と言いましたが、反動という主体性をも、あなたはつかんでいることになりますね。
○宇野証人 知つております。
○佐々木(秀)委員 正しき歴史の流れという解釈を一応聞かしていただきたい。
○宇野証人 今言われました正しい歴史の流れとは、われわれは原始共産時代からいわゆる封建遺制、それから資本主義、それから社会主義社会、共産主義社会に移行するというところのものを、正しい歴史の流れと言つております。
○佐々木(秀)委員 あなたはいわゆるマルキシズムのあの学説を遵奉して、正しき歴史の流れと自分で満足して、それをそう解釈しておるのですね、そこであなたは在ソ中に、日本新聞というのを読みましたか。
○宇野証人 読みました。
○佐々木(秀)委員 日本新聞にアカハタの記事として、日本のアカハタに載つた記事だというのがよく載つたと今までの証人が言つておりますが、あなたは読みましたか。
○宇野証人 読みました。
○佐々木(秀)委員 その日本新聞のアカハタの記事に、徳田書記長か、あるいは野坂參三、あるいは志賀義雄君、こうした人たちの談話なり、何かなりをあなたごらんになつたことはありますか。
○宇野証人 談話は聞いておりません。
○佐々木(秀)委員 読んでないかと言うのです。
○宇野証人 見ておりません。
○佐々木(秀)委員 再三出たそうですが、ほんとうに見ておりませんか。
○宇野証人 見ておりません。
○鍛冶委員長 談話はないかしらぬが、何かその人の名前のものを読んだことはありますか。
○宇野証人 それは読みました。
○佐々木(秀)委員 非常に言い方が……。だからそういう人たちの名前を、アカハタの上に出ていたことがあつたのを記憶があるでしよう。
○宇野証人 アカハタの上にですか。
○佐々木(秀)委員 日本新聞の中に……。
○宇野証人 アカハタの記事が日本新聞に載つておつたかというのですか。
○佐々木(秀)委員 そうです。
○宇野証人 載つておりました。
○佐々木(秀)委員 そうしてその中に徳田君なり志賀君なり野坂君なりの談話であろうと、その今の名前によるいわゆる意思発表でも何でもかまいませんが、そのいう名前のもとにいろんな記事を見たことがありますか。
○宇野証人 見ました。
○佐々木(秀)委員 その記事の記憶しておる一、二をちよつとおつしやつていただけませんか。
○宇野証人 日本でいうところのアカハタ新聞のものが、日本新聞に出たというところの記事は、徳田書記長が日本共産党として、一人でも多くの民主分子となつてもらいたいというところの要望をしておるというものを、私は強く記憶しております。
○佐々木(秀)委員 あなた方の考えておる民主ということはいわゆるソ同盟式の民主ですか、それとも民主主義というのはたくさんありますが、アメリカ式の民主主義もありますし、どつちですか。
○宇野証人 民主主義はただ一つだと思います。
○佐々木(秀)委員 何でしようか、言つてください。
○宇野証人 われわれは正しい新しい日本をつくるところの民主主義、それはわれわれが階級の基盤に立つたところのいわゆる主義思想であります。
○佐々木(秀)委員 あなたはやはりそうすると共産党員ではないが、共産主義を遵奉されておる方ですね。
○宇野証人 何ですか。
○佐々木(秀)委員 あなたは共産党員ではないが、あなたの証言の各般から、私の感じは共産主義遵奉者だと考えますが、そうじやありませんか。
○宇野証人 共産主義を遵奉するというのではなく、現在私は共産党にも入つておりません。但し共産党を支持するというところの立場を持つております。
○佐々木(秀)委員 それから私はまだ納得しないのですが、こういうことをあなたは知りませんか。野坂君なり徳田君なり志賀君から反動分子はなるべく帰してもらいたくない。みんなあなた方の考えておる民主主義者となつて帰つてもらいたいというようなことを見たことはありませんか。前段の方はとつちでもいい。後段のでもいいのですが、要するにあなた方の言う民主主義者となつて帰つてもらいたい。そういう記事を見たことはありませんか。
○宇野証人 民主主義者となつてくれることを望んでおるというところのものは見ました。
○佐々木(秀)委員 それを見ただけであつて、民主主義者でない者はなるべく……。こういうことがあるのですが、たとえばよく準備された民主主義者として帰国するようにというような言葉が、今までの証人からもわれわれ聞いておるのですが、準備という言葉は、一つの時間がありますね。そうすれば今までは向うの言う民主主義者にはなつていないが、なるように準備期間で準備をして、一日も早く民主主義者になつて帰つてもらいたい。こういう言葉をあなた方は聞いたことはありませんか、見たことはありませんか、読んだことはありませんか。
○宇野証人 民主主義者になつてもらいたい。いわゆる一人でも多く民主主義者になつて帰つてもらいたいということを望んでおるということを、私は聞きましたし、また政治将校からも、そういうことを聞きました。
○佐々木(秀)委員 それから反動と言われた人たちがこちらに帰つて来てから、いろいろな特殊な扱いをされた、こう申しておるのですが、たとえばあらゆる団体や作業場や、あるいはその他のものの重要な地位についていたのは、ことごとく民主グループのいわゆる構成人員でなかつたんではないですか。
○宇野証人 私のラーゲルにおいては、そういうことはありません。
○佐々木(秀)委員 全然ありませんか。
○宇野証人 ありませんでした。
○佐々木(秀)委員 民主グループに入つててない。あれはどうも反動くさいと言われた人でも、そういうような立場つきましたか、指導者の立場に……。作業場なり收容所なり、一つの上の機関と言うと、あなた方に語弊があるかしらんが、いわゆる指導機関……。
○宇野証人 政治方面の指導機関……。
○佐々木(秀)委員 政治でも作業場でも、日常の生活の中でも……。
○宇野証人 ついております。
○佐々木(秀)委員 そうしたらあなたは反動というものがあるということを是認することなんでしよう。あなたは反動はないと言つて、反動なりという取扱いをした覚えはないと言うが、今反動の人でもついておるということは、反動と言われた人がいたということを認めることになるでしよう。
○宇野証人 私たちは、反動というものは、結局たとえば反動とそうでないもの、こういうものと三つにわかれるということは主義、思想の問題でありまして、反動がいわゆる上の部署についたということは、一つのラーゲルを構成しているのでありますから、われわれの三百八十八收容所は結局その反動というものがわれわれの見るところの反動、また皆さんが言われるところの反動と私は違うと思います。
○佐々木(秀)委員 あなたは、先ほどから抑留者生活の中に、反動というものがあつたかと言つたら、あなたは、そんなことは全然ないと言つたでしよう。速記録を見ればすぐわかる。反動などというものはなかつたと言つておる。
○宇野証人 先ほどの質問と今の質問と違います。
○佐々木(秀)委員 同じだ。違うわけはない。あなたが……(発言する者多く聴取不能)それを一様に扱つておると、そうしたら反動というものがあるということを認めておる。
○宇野証人 反動という場合は、自己が反動の位置にとどまつているわけです。
○佐々木(秀)委員 自己が反動の位置にとどまつているのを反動とみなすでしよう。あなた方の思想なり、あなた方の考えに相反する行動をとつた者をあなた方は反動とみなしませんか。
○宇野証人 反動とみなしません。要するに私が今申しましたところの真の民主主義者、いわゆる正しい流れに即応して、実際に新日本建設のために、階級の基盤に立つて闘うというものがわれわれのほんとうのグループであります。またその中にもそうでない者もおりますが、そういうものがおるから、これは反動であるということは私の方では規定いたしません。
○佐々木(秀)委員 あなた方の考えていること、あなた方のやらんとすることに対して、反対的な行動をとる者もあるでしよう。そういう者を反動と言つていませんか。
○宇野証人 おりません。
○佐々木(秀)委員 それはほんとうですか。
○宇野証人 ほんとうであります。
○鍛冶委員長 ちよつと聞きますが、あなたはさつき第九分所の收容所へ行くときに、引卒して行つたようなことを言われましたね。
○宇野証人 私は收容所に行くときに引率してはおりません。
○鍛冶委員長 收容するときに全部集めて、そのうちの半分なり、三分の一なりをうちの中に入れたと言いましたね。
○宇野証人 それでは申し上げますが、タシケントからカラガンダに移つたのは、タシケントにアンダレンというラーゲルがあります。それからタシケントに九分所と三分所とあります。われわれは三分所から約九十名とともに来たのであります。そうして停車場に列車があり、そこへ九十二名を連れて行く、アングレンはアングレンの一つの長が連れて行く、それからタシケントの第九分所は第九分所で連れて行くということで、総合されたものは、たれが責任を持つて行くところの長であるかということもわかりませんで、そのままでカラカンダに着いたのでありますそのときにわれわれは列車の飯の運搬、あるいは水の運搬というもののめんどうをみたのであります。
○鍛冶委員長 そうではない、私の聞くのは、さつき徳田要請があつたとかなかつたとかいうときに、あなたは着いてから三、四日してからそういうことがあつたと言われたでしよう。それだけれども、あなたは行かなかつたと言われたですね。そういうことがあつたというときに、まず朝一所に全部集合して、それからそのうちの三分の一なり、半分なりをクラブへ入れたと聞いているが、その事実は御承知ですか。
○宇野証人 全部集合さしたということは、自分は記憶しておりません。
○鍛冶委員長 この間出た証人のうちで言う人があつたが、あなたは相当ロシア語ができるそうですね。
○宇野証人 若干できます。
○鍛冶委員長 そこであなたもこの中に入つておられて、ロシア語ができるから聞いたらわかるだろうと証言した人がありますが、それは間違いですか。
○宇野証人 集会の中ですか。集会の中には私は入つておりません。
○鍛冶委員長 そういうことを言つた人がおつたが間違いですか。
○宇野証人 ラーゲルの構成を言いますと收容者で政治的な集会を持つところのものは一つのクラブになつておりますわれわれの住む所はずつと離れた所にあります。そこに大隊本部という作業の指導とか、兵舎の問題、食糧の問題とかいうものをやるところの各兵舎があります。集会所はずいぶん離れております。
○鍛冶委員長 あなたは郡正夫という人を知つておりますか。
○宇野証人 知つております。郡忠夫であります。
○鍛冶委員長 これはどこで御一緒でしたか。
○宇野証人 タシケントの側にベブワードという所があるが、そこで一緒でした。
○鍛冶委員長 郡という人はアクチーヴだつたのですか。
○宇野証人 郡という人はアクチーヴではありませんが、民主主義者でありました。
○鍛冶委員長 よろしゆうございます。
○内藤(隆)委員 一九四九年九月十五日午前十時ごろの民主クラブにおける会合には、あなたは出なかつたのですね。
○宇野証人 そうであります。
○内藤(隆)委員 この会には一度に千名近くの者は入れないから、二回、三回にわけてこの会を開く予定であつた。ところがこの会が終つて、いわゆる徳田要請なるものを聞き終つてから、にわかにソビエト側の收容所側の態度がかわりまして、一回でやめるから、お前たちはそれぞれの各像に帰つて、このことをつぶさに報告せよと言つておるのですが、この民主クラブの会合にはあなたの隊員も行つておりましたか。あなたのもとに属している隊員は一人もそこに行かなかつたのですか。
○宇野証人 それは行つております。私らのところの大隊というものは、九百二十名というものを持つたところの大隊になつておりました。
○内藤(隆)委員 あなたは大隊長でしよう。
○宇野証人 そうです。
○内藤(隆)委員 その大隊長に、これほど重大なシヨックを感じた問題を報告しないはずはないでしよう。
○宇野証人 そのときに大隊長というところの名目は私はもらつておりませんでした。私は若干のロシヤ語がわかりますために、到着すると同時に、收容所における作業の状態とか、兵舎の割当とかいうことに携わつておりました。
○内藤(隆)委員 そういう重要な職を持つているあなたに、この話を隊員のだれもがしなかつたということは想像できませんね。
○宇野証人 政治的な集会があつたということは私の方で聞きました。
○内藤(隆)委員 そのときにあなたは、政治的などういう内容のものであつたということを聞かなかつたか。
○宇野証人 そのときは聞きませんでした。
○内藤(隆)委員 聞いておつても聞かぬような顔をしておるのではないのですか。
○宇野証人 そういうことはありません。
○内藤(隆)委員 あなたはアクチーヴとして、われわれ頭の悪い者にはわからぬような非常な大理論を持つた共産主義のいわゆる分子である。委員長があちらでやつておつた教育を日本に帰つて来られて、そのまま実行する意思。があるやいなやと聞いたときに、あなたは今はないとおつしやいました。ところがさいぜんの佐々木委員の質問に対して、共産党を支持しておられると言われたが、そうすると支持しているその程度はどのくらいのものですか。
○宇野証人 共産党のまわりに結集したところの一人であるということであります。
○内藤(隆)委員 そうすると向うでやつて来た教育をそのままやりたいということですか。
○宇野証人 向うでやつて来た教育の通りそのまま行くなら、一もくさんに共産党に入ります。
○内藤(隆)委員 そうすると現在の日本共産党は食い足らぬわけですか。向うの教育を受けていたら、日本共産党のその運動や戦術などからみて、日本共産党は食い足らぬと思うから、彼らの運動には参加しないというわけですか。
○宇野証人 食い足らぬという問題ではありません。日本共産党の党的な立場におけるところの方針というものは明らかになつておりますが、その指導方法、あるいは戦術というものはわれわれが習つて来たものとは齟齬しでおります。
○内藤(隆)委員 どういう点が違つておりましたか。
○宇野証人 その点は今自分で発表できません。要するに党が正しいところのものを今行つているというときに、私たちはその党の中に一応結集するところの一人々々の分子であるということは自覚しております。その周囲に結集するものということを言つております。そこに結集するものと認めておりますが、私たちはまだそこに入り切れないのであります。それは現在の日本の状態に対して一年生であるからであります。
○内藤(隆)委員 共産党に入り切れない日本の重大なる段階であるということはどういうことですか。あまり抽象的でそれではわからないのです。
○宇野証人 今日本の状態は、私たちは敗戦後の日本についてはまだ一年生でありますので、何もわかりません。
○内藤(隆)委員 日本の現実に対して、まだあなたは研究も足らなければ、調査も足らず、見聞もまだ少いから、それで共産党に入らない、こうおつしやるのですか。
○宇野証人 私は、今日本の現在の状態がどういうふうにして、私たちは……。
○内藤(隆)委員 私の聞かんとするのは、あなたがアクチーヴとして、大隊長の地位までもとるほどロシヤから信用を得ておる尖鋭分子なんだ。その尖鋭分子が日本へ帰つて来て、共産党と同一な態度をとつて闘争に入られないというところに、非常な疑問が起きて来る。おそらくあなたの向うで学んだ戦術と、現在の共産党がやつておる戦術とは、格段の相違があるからではないか。
○宇野証人 格段の相違があるから私は入らぬという問題じやありません。私は尖鋭的な分子でもありません。要するに私は民主主義者となりたいと思つて勉強しただけであります。それと今帰つて来てすぐ日本共産党に直結する、そしてまた入つて党的な存在で活躍するというところの意思は、今持つておりません。
○内藤(隆)委員 日本新聞なり、あるいはアクチーヴは、われわれは日本共産党と直結しておるということが彼らのモットーであつた。あなたも向うにおられるときはそう考えておつたでしよう。
○宇野証人 われわれは日本共産党のまわりに結集するものである。
○内藤(隆)委員 結集と直結とどれほど開きがあるのか。
○宇野証人 私らのところはそうであります。
○内藤(隆)委員 結集するから直結するのでしよう。それは一種の言葉のあやだと思う。それで大体わかつた。おそらく私の考えでは、あなたは向うに何か誓いをして、こういう食い足らぬ共産党ではなく、もつと尖鋭なことを考えておる人かもしれぬ。そこであなたは向うから日本に帰られたときに、アクチーヴとして船の上でデモなんかやりませんでしたか。
○宇野証人 全然デモはやりません。
○内藤(隆)委員 上陸してから、いたいけな小学生に向つて罵詈譫謗を浴びせたり、親や妻子が迎えに来ておるのを振り切つて、ああいうデモをしたグループの中に入らなかつたですか。
○宇野証人 そのときの状況は、岡元参議院議員殿に聞いていただけば、よくわかります。
○内藤(隆)委員 あなたがそういうことをやつたか、やらなかつたかを聞いておるのです。
○宇野証人 私は全然やつておりません。
○安部委員 証人は中隊長ですか。スタールシ・アクチーヴというものになつたそうですね。
○宇野証人 スタールシ・アクチーヴにはなつておりません。
○安部委員 あなたの中隊というのはどれほどあつたのですか。
○宇野証人 それはいつごろの中隊ですか。
○安部委員 あなたがカラカンダに来る前のです。あなたのおつた前の收容所において……。
○宇野証人 私のおつたカラカンダに移る前の收容所ですか。そのときは約三百名であります。
○安部委員 その間において、あなたはアクチーヴとして、反フアシスト委員会の委員であつたとおつしやいましたね。
○宇野証人 先ほど私が経歴を申しましたように、その以前に何べんもかわつております。
○安部委員 けれども委員であつたのですね。
○宇野証人 委員は、そのサークルによつて委員が構成されるので、そのサークルから他に出た場合には、われわれアクチーヴの資格はありません。
○安部委員 しかし委員であつた場合もあつたのですね。
○鍛冶委員長 証人にちよつと言うが、委員であつたか、委員でなかつたか、こういうことを言えばいい。
○宇野証人 そういうことを言うなら、委員であつたかと言われるなら、委員であつた。
○安部委員 反動という者はないというが、そう言われる者は絶対なかつたですか。
○宇野証人 委員長に言わしていただきますが、これは真剣な証人として今私は言つております。両者において——聞いておられる方に、まじめなところの態度を要望いたしておきます。
○安部委員 たとえばその日の労働を終えて、收容所に帰つて来た場合に、いわゆるアクチーヴあるいは民主主義者の一人。が、何の某は本日の作業において五〇%しか成績をあげなかつた、遂行しなかつた、それは彼の本質が反動であるかためである、おれたちは世界平和確保のために、ソ同盟強化のために、命がけで戰つているのであるが、彼が作業を怠つたことは、われわれに対する挑発行為である、彼は反動である。こういうようなことを言つていろいろ聞くというようなことはなかつたのですか。
○宇野証人 作業成績が悪いから反動と言うというのですか。
○安部委員 そういうことはなかつたですか。
○宇野証人 そういうことはありません。
○安部委員 しからばあなたがスターリンに誓いということをしたことはないか。 〔発言する者多し〕
○鍛冶委員長 委員間における不規則発言もはなはだ迷惑なことですが、いわんや委員にあらざる人の不規則発言は、まことに迷惑至極ですから、注意してもらいます。
○安部委員 証人はスターリンに誓いをしたということを聞いたことがありますか。
○宇野証人 スターリンに誓いをしたということは聞いております。
○安部委員 日本人捕虜の六千人というものが署名をして、スターリンに誓いをしたということは聞いたことがありますね。
○宇野証人 聞きました。
○安部委員 どういう誓いをしたのですか。その内容について聞いたことはありますか。
○宇野証人 内容について聞いております。恒久平和のために戰い、しかもソ同盟強化のためにわれわれは戰う、こういうところのものであります。
○安部委員 あなたも誓いをしたところの一人ですか。
○宇野証人 私はその誓いは、ちようど期間が間に合わなくて、しませんでした。
○安部委員 もし期間が問に合つたら、あなたは誓いをしたのですか。
○宇野証人 その誓いというものは、私は内容は全然読んでおりませんから、そのときの條件について決定するわけです。
○安部委員 さらにその内容の中に、もしも米ソ戰争の場合には、米国及び反動分子である日本人に対しても敵対行為をとる、そういうような内容がありませんでしたか。その宣誓をするところの内容にはそういうことはあつたか、なかつたか。
○宇野証人 そういうところの内容は、私は全然聞いておりません。
○安部委員 あなたはアクチーヴとして日本に帰つてから、日本においてもしも戦争が起きた場合には、米ソ戰争とかあるいはまた日本が戰場になつた場合には、親兄弟というものに対しても、もしそれがソビエト、あるいは共産主義に反したような行動ある者は、断然銃口を向ける、そういうようなことをソ連から帰還する前に宣誓したことがありますか。
○宇野証人 そういうことはしておりません。
○安部委員 何かアクチーヴとして日本に帰つてからいろいろな行動をする、そういうような誓言か、あるいはそういうことを約束したことはありませんか。
○宇野証人 何ら持つておりません。
○安部委員 あなたはアクチーヴとしているく收容者に関する行動、あるいは作業に関する成績、あるいはそれらの言動に対して、ソ連の方からいろいろな諮問を受けましたか。
○宇野証人 自分は受けておりません。
○安部委員 あなたとしては、そういうことに関しての何かの報告、あるいは情報を提供したことはありませんか。
○宇野証人 提供したことは一つもありません。
○安部委員 あなたはそこにおいてどういうことをやつておつたのですか。通訳か何かしておりましたか。
○宇野証人 自分は通訳も何もしておりません。委員会において政治的な集会があるときに、会場の設備、あるいはその宣伝というようなことをやつておりました。
○安部委員 そこにおいて何回ぐらい集会があつたのですか。たとえばソ連の将校が来て、その收容所における状況を調査するとか、あるいは作業における成績を調査するとか、そういう場合に、一週間に一回か、あるいは月に二、三回くらいの集会があつたのですか。
○宇野証人 それはカラカンダ・ラーゲルですか。
○安部委員 いや、カラカンダにおいても、カラカンダに来る前においても……。
○宇野証人 カラカンダに来てからは、政治的な集会を催されたことはただ一回と私は記憶しております。
○安部委員 カラカンダにおいて一回あつたのは、どういうような目的でそういう集会が催されたのですか。
○宇野証人 その目的は、要するに今まで帰還の遂につくというて、東方のラーゲル、すなわちカラカンダに移行された。帰還の遂につかずに、そのカラカンダのラーゲルに来たのであるが、そのラーゲルが非常に乱れたラーゲルでありました。われわれが帰還の遂につくといいながら、そういうところに来て、人心が非常に動揺したので、そのためにこの集会が持たれたものと私は思います。
○安部委員 その場合において、だれが日本に帰るか帰らぬかということは、どういう機関において決定されたのでありますか。帰還名簿をつくるのはだれがつくつたのですか。
○宇野証人 その集会に行つておりませんから、全然知りません。
○安部委員 けれどもそういう場合に、帰還する者の名簿というものはだれがつくるのですか。
○宇野証人 すべてソ連の者であります。
○安部委員 先ほどのあなたの証言のうちに、又フアシスト委員会においては、そういうものを決定する権限がない。しかしながらその委員は收容者の帰還する場合に参考になるような成績、行動、あるいはアクチーヴであるかないか、あるいは反動であるかないかというようなことに関して、情報を提供するということを証言されましたね。
○宇野証人 はあ。
○安部委員 そういう情報は一体どういうふうにして提供するのですか。それは毎週一回くらいの集会があつて、そういうことを聞かれるのですか。あるいはどういうような形式で情報を提供するのですか。
○宇野証人 そのラーゲルの反フアシスト委員会は、一年間同一ラーゲルにおつた場合において委員会が形成されるのであります。けれども一九四八年から一九四九年の、すでに帰還の遂についておるときは、各ラーゲルに移動する。三月あちら、一月こちらという状態で、委員会の存在は現実にありませんでした。
○安部委員 そういう場合には存在しなくても、非公式に、あるいはアクチーヴとして向うの政治将校なりに、特別に何かいろいろな仕事の面、作業の面において接触する人から、そういう情報を提供せよというような要請がなかつたですか。
○宇野証人 そういうものは自分達は記憶しておりません。
○安部委員 もう一つ、九月十六日か、あるいは十五日の集会において、先ほども内藤委員から徳田要請の問題に関しているく質問ありましたが、約九百何ぼ、千人に近い收容者の半分だけ集会所に行つて、あとの半分は行かなかつた。そうしてあなたはほかの仕事のためにそれに出席しなかつた。であるから徳田要請のことについては何も知らなかつたというのですが、これだけの問題であつて、しかも日本に帰るということは、かれらのしよつちゆう希望しておつたことである。その場合において反動は帰さぬ。しかも反動というものは共産主義を遵奉しない者が反動と言われるわけでありまして、その多くの人が帰らぬというので、部屋やその他に集まつた場合に、そういう徳田要請があつたということが当然話題に上るだろうと思いますが、あなたは絶対にそれを聞いたことはなかつたですか。
○宇野証人 絶対に聞いておりません。しかしそのラーゲルにおられた方々の現状をつぶさに今考えてみたならば、そのときの情況を御存じないと思いますが、あのラーゲルの混乱した状態は、ほんとうにこれで日本人であろうかというようなはずかしいラーゲルの状態であつたのであります。そのときに集められた集会であります。
○安部委員 朝飯であるとか晝飯、あるいは夕飯を食べるどきは、一人々々食べるのですか、みんな食堂に行つて食をとるのですか。
○宇野証人 食事の券ですか。
○安部委員 食事の場合一人々々じやないでしよう。多分十人とか二十人とか一緒に食堂に行つて食べるでしよう。
○宇野証人 それは食事の券というものがありまして、その券は朝、晝、晩とわかれております。それを持つて各人が食いに行くのであります。
○安部委員 何人くらい一緒に食べるのですか。
○宇野証人 大体そのラーゲルで二百五十名くらいが一緒でありました。
○安部委員 そういう場合において、食卓についた人々の話題に上らなかつたですか。いつわれわれは帰るんだ、どうもわれわれ反動分子は帰さぬというから、われわれは反動分子と目されておるから、帰ることはできないだろうというようなことを話す人はありませんでしたか。
○宇野証人 帰還のために東方のラーゲルに移動すると言われたが、現在まだ帰れない、いつ帰るのだろう、こういうことは聞きました。
○安部委員 そういう話は聞いたけれども、共産党の徳田書記長から、こういうような要請があつたというようなことは話題に絶対に上らなかつたですか。
○宇野証人 私はそれを聞いておりません。
○佐々木(秀)委員 先ほど委員長からの質問に、郡忠夫という人を知つておると言われましたね。この人は何をしていた人ですか。
○宇野証人 郡忠夫は大隊本部におりまして、大隊本部の作業の経理事務というようなこと、それから作業の出場人員に関すること、いわゆる書記というような役をやつておりました。
○佐々木(秀)委員 この人はロシヤ語は相当達者でしたか。
○宇野証人 ロシヤ語は達者でした。
○佐々木(秀)委員 談話だけでなく、筆記とか、あるいは文字を読むこと、書くことができましたか。
○宇野証人 話したりすることはできますが、それを文書につくる、あるいはそれを読むということはできないというようなものであつたと思います。
○佐々木(秀)委員 そうすると、書記をしておるから、そういう事務的な関係から、その人は引揚者名簿などを見るなどということがありますか。
○宇野証人 そういうものを見ることはあり得ないと自分は考えます。
○佐々木(秀)委員 書記をしておることだけは事実ですね。
○宇野証人 書記というのは、われわれが大体百名なら百名おります、その中において作業の人員を割出す、あるいは同名がゲスの何地区に、あるいは町名がハルフアツトの何地区に行くという割出しをやる。そこに働いておる賃金の計算、そういうものをやるわれわれ自体の書記であります。ソ連関係の書記というのではありません。
○佐々木(秀)委員 あなたは大木正道という人を知つておりますか。
○宇野証人 知つております。
○佐々木(秀)委員 その人はどういう立場の人ですか。
○宇野証人 大木正道というのは、ハルフアツトの最終段階における反フアシストの委員です。
○佐々木(秀)委員 大木さんとあなた方は反フアシストの委員で相当な地位にあつたことだけは事実ですか。
○宇野証人 相当な委員でなくして、委員であることは事実です。
○佐々木(秀)委員 あなたはこういことが頭に浮んで来ませんか。昭和二十二年の六月ごろ、二百八十八地区の第二回の帰還者出発直前において、ソ連による帰還者の名簿が大体でき上つた。そのとき大木という人とあなたとがそれを点検したということをちよつと私うわさに聞いたのですが、そういうことはありましたか。
○宇野証人 帰還者名簿というものは見たことはありません。われわれがたとえば同月何日に帰還するというので名前が発表されます。その発表を自分たちで控える。ソ連の人が言う、それを控えるというところのものは見せていただきました。
○佐々木(秀)委員 それはきまつてからですね。
○宇野証人 きまつてからです。
○佐々木(秀)委員 きまらない前は一回も見たことはありませんね。
○宇野証人 そういうことは全然ありません。
○佐々木(秀)委員 それじや発表された後でもよいのです。が、その中に一品という中尉の名前を記憶しておりますか。
○宇野証人 記憶しております。
○佐々木(秀)委員 その人を知つていますね。
○宇野証人 山口中尉という人間は知つておりまする
○佐々木(秀)委員 帰られる人の中に、名前はわからぬのですが、元医者だつた人、軍医か、医者かおりませんでしたか。
○宇野証人 帰られる人の中とおつしやると……。たくさん帰る梯団がありますから……。
○佐々木(秀)委員 あなたの見た発表の名簿の中に……。
○宇野証人 もちろんそういう軍医もおつたということは知つておりますが、名前は……。
○佐々木(秀)委員 その程度でよろしゆうございます。
○鍛冶委員長 もう一ぺん聞くが、あなたはそういう名簿は見ないと言われるが、先ほど言われた参考資料として出されたものに、今言われた大木とか、それらのものを一緒に何か書いて出されたことはありませんか。
○宇野証人 そういうこともありません。帰還の名簿というものは、われわれにおいてそれを作成することもできないし……。
○鍛冶委員長 そうじやない。あなたは先ほど参考資料として出すことはあると言われた。その参考資料をそれらのものと一緒に書いて出したことはないか。
○宇野証人 全然ありません。
○鍛冶委員長 資料を出すときは口頭か。
○宇野証人 委員会のものが、ソ連のものから指示をされて聞かれたその者自身が返答するのであります。
○鍛冶委員長 何か書いたものを出すのでしよう。
○宇野証人 委員のものが……。
○鍛冶委員長 あなたも委員だつたのだから……。
○宇野証人 委員といつても、個人的な立場の委員です。たとえば委員が六名おります。六名の中のAならAという委員に、こういうものはどうだろうかと聞かれた場合には、そのAが答えるわけであります。
○鍛冶委員長 あなた自身が答えたか、もしくはほかのものが答えたか知らぬが、そういうものを見たり、一緒につくつたことはありませんか。
○宇野証人 それはありません。
○高木(松)委員 ただいま証人の発言中に、委員に対してまじめに聞けという趣旨の発言がありました。委員会の権威のために不穏当と思いますから、委員長から取消しを要求されんことを望みます。
○鍛冶委員長 なるべくやかましくないことを希望すると言われるならよいけれども、まじめに聞けというのは……。
○宇野証人 聞けとは申しておりません。まじめに聞いていただきたい、私はこう言いました。 〔発言する者多し〕
○安部委員 証人からそういうまじめに聞けなんて、はなはだ失礼な言い分であつて、われわれはこの問題に関しては非常に重大性を認めまして、そして熱心にこれを調査し、謙虚な態度において証人に聞いているのでありますから、証人がそういうようなきわめて不遜な態度でもつてそういうことを言うことは、われわれは見のがすことはできぬのでありまして、強くその失言を取消すよう要望する次第であります。
○鍛冶委員長 証人から委員に対してそういうことを言われるとははなはだ困る。私の問いに対して答えられればよい。私から特に注意しておきます。
○宇野証人 わかりました。
○横田委員 質問の前に言つておきますが、自由党の方は人のことをよくとがめる。とがめるんなら、全部正確に聞いてやつていただきたい。私が第一に聞きたいことは、私がこの前にいわゆる活弁云々の問題と、それからあとにありました、自由党の人たちは証人と事前に打合わせておるという問題で、篠田君から取消託しを要求された。しかし私が、自由党の人たちと証人と再前に打合わせているといつ言うたか、そのことを一ぺん調べてくれと言うたときに、後ほど答えるとあなたは言われた。今答えてください。今の言葉にしても、いただきたいと、聞けというのでは非常に違う。今度来ておる証人たちは、戰争の犠牲になつて、長い間人間の言葉を使われないような虐待の中において、非常に命令的な言葉でやられておつた人です。
○鍛冶委員長 そういう議論はやめてもらいましよう。
○横田委員 これから人のことをとがめるんだつたら、もつと正確にしてやつてもらうこと、それをはつきりしてください。(発言する者多し) それじやまず第一に、証人は共産党に入つておられませんね。同時にまた日の丸梯団にも入つておられませんか。この二つをお尋ねいたします。
○宇野証人 自分は共産党にも入つておりません。また日の丸梯団員としても帰つて来ておりません。
○横田委員 考査委員会事務局の調査によりますと、あなたは高砂丸にお乗りになつて、高砂丸の船上におきまして、日の丸梯団から批判されておりますね。何を批判されたかということを承りたい。
○宇野証人 日の丸梯団から批判をされたのでありません。批判もされましたが、十幾つか頭をぶんなぐられました。
○横田委員 頭をなぐられたということは、日の丸梯団員になぐられたのですか。
○宇野証人 そうであります。
○横田委員 その頭をなぐられた前後をちよつと承りたいのですが、たとえばその間にどんなことを尋ねられて、どういう経過からなぐられて、そのときに復員官はどういう態度をとつておつたか、それを承りたい。
○宇野証人 一月十八日に配船されたところの、ナホトカにいた高砂丸に乗船いたしまして、十九日に出帆し、二十一日の朝、甲板におりました自分に呼び出しがありまして、ちようど自分は嘔吐のために寝ておりましたところが、三回私のところに呼び出しが参りました。そうして自分はひつばられて船底に行つたのであります。その中に入つてみると、約二十名内外の人がおりました。そしてその中に入つて締められ、それから船に入つたならばもうわれわれのものである。在ソ間にはいろいろおせわになつた、こういう文句が出た。私は在ソ間にいろいろおせわになつたということの意味が具体的でないから、どういうことですかと聞きました。そうしたら何を言うかといつて、頭をなぐられたのであります。
○横田委員 在ソ中にあなたは人の頭をなぐつたことがありますか。
○宇野証人 全然ありません。
○横田委員 日の丸梯団員があなたの頭をなぐる権限はあるとお思いですか、お思いでないですか。
○宇野証人 それは話をすればお互い成人でありますからよくわかるのであります。復員官の方も、そういうふうに頭をなぐるために、暴力するためにこの部屋を貸したのではない、話をするために部屋を貸したと言つておりました。 〔「つまらぬ話をするな」と呼ぶ者あり〕
○横田委員 つまらないことじやない。そのことが大事だ。——それでなぐつた人の名前を承りたい、三十名のうちのたれかわかつておりませんか。
○宇野証人 森卓馬、中村厚男、そういう者が大体主となつてなぐりました。
○横田委員 あなたは非常に気の毒だ。中間的な態度をとられるがために、ここでは幻兵団と言われ、船に乗ればなぐられる。向うではアクテイーヴになる、非常に気の毒だ——気の毒だが、そういう思想傾向の人もある、それをわれわれは含んでお尋ねするのですが、大体あなたが満洲におつて、日本の軍隊におられたときは、どんな勤務状態でしたか。たとえば懲罰を受けたか受けないか。
○宇野証人 満洲に昭和十九年の三月に召集されまして、三十年の停職のときには上等兵であります。二等兵で入りまして一選抜になりまして一等兵になり、それから上等兵も一選拔でなりました。そうして敗戦となつたのであります。
○横田委員 懲罰事項はないですか。
○宇野証人 懲罰事項は全然ありません。
○横田委員 懲罰事項もないようなおとなしい兵隊さんが、ソ連に入つて、どういうところから反軍思想になつたのか、それを聞かしていただきたい。
○宇野証人 二百八十八收容所の第一分所に着いた中の者は、先ほど申しましたが、ほとんど憲兵によつて構成されております。そして今までの将校あるいは下士官という憲兵に属する者が、捕虜になつても非常にわれわれに対する、いわゆる一兵隊に対する態度というものが、軍隊があつたときと同じように、またそれよりもオーバーしたいわゆる主従関係があつたわけであります。作業に出るときにおいても、将校というものは何ら作業の指示をするというのでもなくて、しかも作業場に行きますと、指示が與えられたために兵隊がそのままで作業をし、将校はどこかで休んでおる、こういうような状態が続いたのであります。そのときは入つたばかりで、まだ食事の関係も非常にわれわれなれておりません。そのためにいつどういうふうに食事が上るかということもわからなかつたわけです。そういう一定の定められた食糧をもらつておりましたが、要するにわれわれはみなが全部こういうふうに捕虜になつているのだから、みなで民主的なラーゲルを築かなければいけないのじやないかと言つた。旧陸軍の肩章に物を言わせた者が、非常に横暴であつたために、それに反撥した者があつたのであります。それがいわゆる反軍闘争としての一番初歩であつたのであります。
○横田委員 兵隊におる間は、給與は向うがきめる、死ねという命令まで向うがきめる、そういう命令をする立場にあつた将校が、あなたたちが捕虜として抑留された後において、兵卒をどういう形で守つてくれましたか。
○宇野証人 われわれを守るものは全然ありませんでした。要するにその部隊に編成されたときに、非常に恐ろしさを感じたのであります。なぜならば在満の各地区から集つた和田憲兵大佐を主体とする憲兵、下士官が全般にわたつておつたのであります。そこにわずか百五十名くらいのいわゆる兵站警備の歩兵がおつたわけであります。それで一応召使い的なものはすべてわれわれ歩兵がしなければならないというのが、そのときの状況であります。それで憲兵中心のこういう部隊に編成された。こういうわけであとから初年兵が入つて来るわけではありません。われわれはあくまでも初年兵でありまして、われわれはいつまも初年兵としての待遇を受けなければならぬ。だから飯の当番をしなければならぬし、くつみがきもしなければならぬという状態が続いたのであります。
○横田委員 それじやソ連に入つても、当初は依然として将校に奉仕しておつたのでありますか。
○宇野証人 そうであります。
○横田委員 たとえば戰争中にありましては、一億玉砕とか、承詔必謹とか、死して俘虜のはずかしめを受けずと言つておつた将校たちは、入ソしてもそういう態度でありましたか。
○宇野証人 そういうことは全然ありません。要するに自分さえよければよいという立場が非常に多かつた。
○横田委員 将校というものは、あの大将軍であり、今日では戰犯となつたあの板垣さんのむすこさんの記録を見ましても、だらしのない生活をしておつた。憤懣にたえない生活であつたと述べられておる。一例を申し上げますと、たとえばステッセル将軍と旅順で会つた日本の乃木さんは軍刀を渡したと言われておりますけれども、ここにおいては日本の将校たちが軍刀をまきを割るのに使つておるので、ロシヤの将校が、軍刀は君たち日本軍人の魂だと聞いている。もつと大切にしてはどうかと注意された。こういうようなことがあつた。 〔「それは真相の小説じやないか」と呼び、その他発言する者多し〕
○鍛冶委員長 静かにしてください。
○横田委員 たとえて申しますと、将校が非常にだらしなかつた。その点をもつとはつきり言つてください。
○宇野証人 今の軍刀を云々という問題は、われわれがラーゲルに着くと、将校は軍刀というものを全部取上げられるということになりました。それでその前に、自分の軍刀はどうせとられるのだからというので、まき割りにするとか、あるいはへし折つてしまうという者もあり、またそれを埋没してあとから発覚したという事件もありました。そういうふうにして軍刀を物を切るのに使つたこともありました。
○横田委員 反軍闘争と民主化運動というものをはつきり聞かしていただいたならば、今度の日の丸梯団の人たちがやつておる要請問題がはつきりして来るのです。その点はややこしいと思いますので、ちよつと聞きにくいのですが、大体日の丸梯団というのは非常に危険な団体のようですが、あなたはこの日の丸梯団のできた経過について御存じでしようか。あなたは高砂丸でお帰りになつたそうですが、それは久保田君がおつた船とは違いますか。
○宇野証人 違います。
○横田委員 それじやよろしい。それじや何か日の丸梯団について御存じありませんか。
○宇野証人 自分たちの帰つて来た日の丸梯団ですか。それとも久保田の日の丸梯団ですか。
○横田委員 それは二つが一つになつておるのじやないですか。
○宇野証人 もちろんそれは相通ずるところがあるだろうと私は思います。久保田の日の丸梯団というものがあとから二月に帰つて参りましたが、久保田善藏という者は、一九四八年の九月二十五日に編成された最終段階におけるウズベスタンのラーゲルの第五分所にあとから百二十五名を引率してやつて来たのであります。この方はあとから来たのでありますが、やはり前歴のある方であります。それは憲兵警察官でも何でもありません。要するに監獄生活を長くしたというような方であります。それに対する反撥か何か知りませんが、ソ連軍隊が旅順に入つて来たときに、その刑務所を開放した。そこが開放されて捕虜となつて来た。ソ連が監獄から出してくれたのだというので、久保田善藏は感謝の念に燃えた。それからわれわれのラーゲル三百名のところに第三分所から来ましたので、約五百名内外の人間になつたのであります。その百二十五名が来るまでにわれわれは大体自治的な民主的ななラーゲルを編成しておりました。そこに久保田善藏氏が百二十五名を引率してやつて来た。そうして私は今度ここに来たところのこうこういう者であると言つて、私の所に来たのであります。そしてそこにおつて彼がいわゆる宣伝啓蒙というものの先頭に立つて、われわれは一人でも民主主義者になつて帰らなければならぬ、そしてわれわれ自身がほんとうにこういう規律のないところのラーゲルに、われわれこういう特殊なものが残されたから、われわれ自身が基盤になつてやらなければならぬということを彼は言つて、宣伝啓蒙の先頭に立つてやつたのであります。それが民主委員会の委員であります。十二月の五日に命令を受けて私はそのタシケントを出たのであります。そこで久保田善藏という者がその中に残つて、第二梯団の二百十五名を引率してタシケントの十一ラーゲルに着いたのであります。鈴木義彦という者が同じくこ百五十名を引率してタシケントの十一ラーゲルに着いたのであります。その後にアングレンに両者の五百名を移動したのであります。われわれは第九分所に二百五十名が入つたままであつたのでありまするそしてアングレンに移り、それからその年の九月の五日の日に命令を受けて、タシケントのラーゲルは八月三十一日現在において閉鎖をするという内務省の発表がありました。そのときにお前たちは帰還のために東方のラーゲルに移動するものであるということで、われわれはその東方のラーゲルに動いた所がカラカンダであります。そのときに久保田善臓と一緒でありました。彼は絵がうまくて、宣伝啓蒙、いわゆる民衆の芝居とか、そういうこともよく指導してやつておりました。また彼が十月の何日か、革命記念日の前後にダンスというものを組織して、最後の署名の日において民主的なダンスをやるというので、彼は変装しておどつておつたのであります。間もなく革命記念日が終り、十一月十二日の日にいよいよ帰還の遂につくという命令を受けて、自分たち以下九十三名のものが、自分はこうやつて先に帰るがよろしく頼むということで、わかれて帰つたのであります。そのときにも彼はあとは引受けた。私はそこで帰るというふうにわかれて帰つたのであります。ところがわれわれがナホトカに三十日に到着いたしましたが、船がなくて、彼はそれで三十日から一月の十八日まで四十日間そこにおいて軽作業をやつておりました。そうして久保田善藏があとから帰つたわけであります。要するに久保田善藏という者が、今までのべグワードにおけるところの、ほんとうにわれわれは民主グループにならなければならないと言つた者が、なぜ船に乗つて日の丸梯団にかわつたか。ということは、前にわれわれが帰つたところの日の丸梯団というものは、今までの本来の日本人に立ち返らなければならぬということが提唱されて、その船の中において日の丸を胸につけさせた。そういうものがあつたから、二次の船もそういう傾向があつたのじやないかと思います。そこでこの日の丸梯団というものができたのじやないかと思います。
○横田委員 あとは簡単にちよつとお答えいただきますが、そのときに胸につけた日の丸はきれいなものですか。赤チンでこしらえたやつですか。
○宇野証人 朱肉で、いわゆるほうたいを切つたようなものだつたと私は記憶しております。
○横田委員 それから日の丸梯団に入りますと待遇がよくなるのですか。同じことですか。
○宇野証人 それはどういうことでしようか。
○鍛冶委員長 船の中でだ。
○横田委員 たとえば復員業務が軽くなるとか、あるいは給與がよくなるとか、そういうことがあるのですか。
○宇野証人 そういうことは私はないと思います。
○横田委員 それで久保田とは一緒にお帰りになつたのじやないのですか。これははつきりもう一回お尋ねしたい。
○宇野証人 一緒ではありません。
○横田委員 そういたしますと、こんなことを聞ぐだけ私が不見識なのですが、この日の丸梯団というふうなものの種類は、あなた個人は何種類ぐらいあるように思つておりますか。もしわかつておいでだつたら答えていただきたい。あなたのときの日の丸梯団と久保田氏が帰つたときの日の丸梯団と二つありますね、このくらいのものでしようか。
○宇野証人 日の丸梯団は、自分の記憶しているのは、私のときの日の丸梯団と今の久保田氏が帰つたときの日の丸梯団と三つであります。
○西村(直)委員 先ほどの私の意見に関連して、議事進行に関して言わしていただきたいと思います。証人はあくまでも真実を述べなければならない。そういう際に、横田君は「真相小説」なるところの材料をもつて、証人を誘導尋問するがごとき態度はきわめて不見識である。たとえば板垣正なる人が「真相小説」なる最近売り出した雑誌の中に書いてあるところのものを持つて来て、あの席で読みながらやつているということは——私は証人が真実を述べるのに対して、あまりにも一つの小説を主題にしてものを聞いて行くということは、その信憑性を疑う。この点は私は今後審議をする上にはつきりしていただきたいと思います。「真相小説」という雑誌が小説を最近募集して、街頭でずつと売り出しているところの小説に書いてあるものを材料に、しかもそれを手に持つて読み上げて証人に答弁を求めて誘導して行くということは、証人の証言の信憑性をきわめてくつがえしやすいということを私は申し上げて、これを速記に残しておきたいと思います。
○横田委員 もちろん私たちは誘導ということはきらいます。であるならば、事務局はこういう重要な問題を扱う場合に、もつと資料を提出してほしい。たとえて申しますと、中央公論の三月号に出ておりますところの——これはジャーナリズムでも問題になつているのですが、日の丸梯団の報告書なるものは実に重要なものでありまして、この梯団が帰つて来て、このうちの急進分子はほとんど要請問題で騒いでいる人なのであります。このうちに書かれてあるところの文字は、もし日本の……。
○鍛冶委員長 待つてください。今の西村君のそれに対する意見じやないのですか。
○横田委員 それに対して言つているのです。そうであるならば、こういうふうな二・二六事件の将校と同じような考え方をもつているこの人たちがやつておることに対して、十分なるわれわれの判断力を持たす上において、事務局においてこういう資料をそろえるべきだ、そういう意味合いにおいて、もつと完備したところのものをやつてもらわなければならぬ。この点ははつきりしてほしい。
○西村(直)委員 中央公論の場合はこれは手記であり、報告書である。片方の場合は小説であります。これをはつきり御認識願いたいと思います。
○横田委員 それはあなた知らぬのですけれども、ここに板垣さんの手記も書いてあるのですよ。
○西村(直)委員 あなたの読み上げたのは小説だ。
○鍛冶委員長 今の西村君の発言はひとつ委員諸君で十分自粛していただくことにいたしまするほかにありませんか。
○梨木委員 お伺いいたしますが、カラカンダの收容所で菅通訳というのがおつたことを御承知でありましようか。
○宇野証人 菅通訳はよく知つております。
○梨木委員 菅通訳というのは、きのうのある証人は、これは非常な急進的なと言いましたか、急進的なアクチーヴであつた、こういうぐあいに言つている。本人は、いや私はそれほど熱心なアクチーヴではなかつたというような答弁をしておるのでありますが、あなたが知つておられる範囲で、この菅通訳という者はどの程度民主主義運動に参加しておつた方であるかということを、答えていただきたい。
○宇野証人 カラカンダのラーゲルにおつたのは九月から十一月でありますから、その間ですからあまり知りませんが、菅通訳というのは、当時カラカンダの第九分所に政治学校という学校がありました。そこに彼は通訳としておつたのであります。そうしてそのときにソ連から指示をされることは、菅通訳を通じて、みなに徹底されておつた、こういうものであります。その菅通訳は、そのときにおけるアクチーヴかあるいはどういうものかというところまでは、私は知らなかつたのであります。
○梨木委員 その次にお伺いしたいのでありますが、カラカンダの收容所の食堂の壁あたりに、日本共産党の党員あたりから来た通信はがきを壁にはつてあつた。あるいは机の上に載せてあつたとかいうような事実を、あなたは御存じありませんか。
○宇野証人 そういうはがきのあつたということは知りません。
○梨木委員 その次に伺いますが、先ほどあなたはカラカンダの收容所へ着いたとき、ここに收容されている日本の捕虜は非常に無政府状態で、あなたの言葉では、日本人としてはずかしいような状態であつた、こうおつしやいましたが、この点をどういうような状態であつたか、もう少し具体的に聞かせていただきたいのです。
○宇野証人 九月の十三日に着いたときは夕方でありました。ちようどそのときは、もう夜おそく着いたものでありますから、どやどやと九百名がその中に入つて行つたわけであります。列車進行中に停車があまり短かいために、夕飯がおそくなつたので、到着すると同時に空腹を訴える者があつて、どこが食堂か、どこが便所かということさえも、ラーゲルの状態がわからぬので、どやどやと入つた。員数を数えて入つたわけであります。電燈がついているのは食堂だけでありました。兵舎はほとんど電燈はついておりませんでした。それで食堂にどやどやと入つたのであります。そのとき私は一番あとの方から入つたものでありますから、どういう状態か知りませんが、收容所長がロシヤ語のわかる者出て来いと言うので、自分は出て行つたのであります。それでついて行つたところが、食堂で洗面をする。そのラーゲルにわれわれが着いたのは十三日で、その前に十日にラーゲルの分子はみな帰国の遂についたのであります。それで炊事場に飯のたいたものが残つているとか、あるいはばれいしよだとか、何だとか残つておる。その残飯をあさつて食べるとか、そこでまつ裸になつてからだを洗う者、こういう者が見受けられた。ちようどその炊事場であまり水を使うものだから、水が詰まつてしまつて、はいているくつにじやぶじやぶ入るという状態で、まつたく炊事場か洗面所かわからないというような状態だつた。そこへわれわれは詰められて、これは何事か、こういうことはお前たちのすることであるかということでひどくわれわれしかられたのであります。そして兵舎にまとまるまでは応各食堂の控室で待つておれ、こういうようなことを收容所長に言われたので、その場へ行きました。ところがそれを聞かずに、結局そういうことが長く続いたのであります。それから間もなく收容所の人員の配置がきめられたわけであります。そのときにはまつたくお互いがみな腹がすいておるというので、そういう混乱状態であつた。收容所長が言おうが副所長が言おうが、何が言おうがそういうことを耳にもない。結局言葉が通じないものだから、わざわざ本人のところへ行つて、こういうことをしていいことか悪いことかと注意されたのも、現実に私も見ましたし、またそういう状態が続いたのであります。
○梨木委員 そこでこの九百二十名の構成、これは大部分が将校であつたということを聞いておりますが、そうしますと、この構成は将校と兵隊の比率はどういうことになつておりますか。
○宇野証人 大部分が将校であるということは、半数以上でありますか。
○梨木委員 小数以上が将校。
○宇野証人 そうではありません。いわゆる約三%が将校だと思います。
○梨木委員 しかしこの九百二十名のうちには、民主化されない分子が非常に多かつたというようなことがあつたのではありませんか。将校が三%であつたといたしましても、ほかに例の憲兵だとか、特務機関、こういう関係の人が相当おつたのではありませんか。
○宇野証人 将校あるいはそういう憲兵、特務機関というものは、その構成分子の大部分であります。憲兵、特務機関あるいは将校どいうものもありましたが、将校としてのパーセンテージは三%であります。但し憲兵、警察官というものはほとんどであります。それから満洲国の高位、高官連中、前にハルピン市長をしておつたというような者がたくさんおりました。
○梨木委員 そうするとこの九百二十名の一隊というのは、大体民主化されない人々であるというようになるわけでありますが、そういうようなことになつておつたのですか。そのところをお聞きしたい。
○宇野証人 すべてそのうちの八%以上の分子というものは各地区、いわゆるベグワード、タシケントからカラカンダ、こういうところのものが結集されて一つの梯団となつて来たのであります。そのときにはすでにわれわれはほんとうの、真に民主分子であるという意味において士気旺盛にして、革命歌も歌い、それから闘つておつたわけであります。ところが帰還のために移されたときにおいて、彼らがほんとうの帰還のための民主主義者であつたというようなことが現実にわかつた。そこにおいて動乱が起つたものだから、それが民主分子であるということは全然私はあり得ないと思うし、またそのときの状態は非常に民主主義も何もあつたものじやない、われわれ帰るのだというような状態が続いたのでありまする
○梨木委員 終りました。
○鍛冶委員長 それでは済みました。御苦労さんでした。 それでは三十分間休憩いたします。 午後二時三十七分休憩 ————◇————— 午後三時三十七分開議
○内藤(隆)委員長代理 それでは休憩前に引続き会議を開きます。 委員長がちよつと支障がありますので、指名によりまして委員長がお見えになるまで、私が委員長の職務を行います。何とぞ御了承を願います。 それでは小島証人より証言を求めることにいたします。こちらから聞いておるときはおすわりください。答えるときはお立ちになつて、委員長と呼んで正式の答えを願います。それから委員長の質問の範囲を越えた答弁はしないように。 小島清さんですな。
○小島証人 そうです。
○内藤(隆)委員長代理 あなたの履歴及び入ソ後の経歴を簡単に述べてください。
○小島証人 自分は郷里の北海中学を昭和十六年に卒業しまして、十七年には早稻田の法律科の専門部一年を終了して、樺太へ入隊しました。学徒出動の十二月一日であります。それから樺太から航空部隊に転属をしまして、三重県の第七航空通信連隊、あそこで見習士官になるまでおりまして、見習士官になりましてから満洲の公主嶺第二航空軍の第一教育隊、そこで区隊長をやつておりました。それから終戰時は南下しまして奉天で武装解除、これは二十年の九月、それから入ソしまして一番先に行つたのがタシケントの第一分所、それから第一分所から第十分所というコルホーズにわずか四箇月ばかり行つておりました。それから第一收容所に帰りまして、それから第五分所、第五分所からベグワードの第一分所、それからベグワードからまたタシケントの第九分所にもどりまして、タシケントの第九からカラカンダに参りました。帰国はカラカンダの第十五分所から帰つて参りました。上陸は一月二十二日。
○内藤(隆)委員長代理 今年ですな、
○小島証人 今年の一月二十二日。以上で終ります。
○内藤(隆)委員長代理 あなたは在ソ中民主グループに関係されたことがありますか。
○小島証人 正式には全然加入しておりません。
○内藤(隆)委員長代理 カラカンダ地上区において、あなたは徳田要請なるものを聞いたことがありますか。
○小島証人 それは前にアカハタ紙に載せられた記事をお読みになつたと思いますが、自分はあの要請があつたということを、收容所におりましたが、直接耳では聞いてない一人であります。
○内藤(隆)委員長代理 そうすると四九年の九月十五日の午前十時ごろに、民主クラブで会合があつたことを御承知ですか。
○小島証人 それは知つております。
○内藤(隆)委員長代理 その会合に御出席になりましたか。
○小島証人 自分は行きません。
○内藤(隆)委員長代理 そうですが。行かないから徳田要請というものを聞かなかつたということになつていいわけですな。それではその会合に出た人からも聞いたことはありませんか。
○小島証人 もちろん出た人からはいろいろと聞いております。
○内藤(隆)委員長代理 簡單でようございますが、どういうことを聞かれたか。
○小島証人 これはこちらでもいろいろと言われておるように、自分が当時聞いたのは、日本の共産党から反動は帰さないでくれということを言うて来た。そういうことを政治将校が直接言うたということであります。
○内藤(隆)委員長代理 政治将校が日本の共産党から反動分子は帰してくれるな、こういう話を聞いたですな。
○小島証人 そうです。もちろんそのときはいろいろに形容されて、われわれは反動だと言われて残されたので、当時においてそういうことを自分たちに持つて来る人も、もちろん非常に興奮して言つて来ますので、それは言葉にはいろいろ相違あると思いますが、とにかくそういつた意味のことを言うております。
○内藤(隆)委員長代理 なるほど。そうすると日本共産党から要請があつたというふうに聞いたが、徳田日本共産党書記長から要請があつたということは聞かなかつた、こう聞きわけていいわけですか。
○小島証人 自分が聞いたのは、日本共産党というぐあいに聞いております。
○内藤(隆)委員長代理 それから三月十二日付でアカハタ紙に、証人の心境について——ここにアカハタがありますが、あとでごらんに入れますが、徳田事件はまつたく事実無根のつくりごと、正式にはどこにも根拠がないと載つておりますが、はたして事実か。こういうことをあなたにおつしやつたでしようか。
○小島証人 そのアカハタの記事については自分が反駁して、三月二十九日付のアカハタ紙があるはずでありますが、それに自分が抗議文を提出をした、その大体の記事が載つております。もちろん省いたところもあります。それでその内容か自分の言うたのと、違つておりますので、三月二十九日のやつにまた私が抗議文を書いて、きのう出しました。
○内藤(隆)委員長代理 そうすると、三月十二百にこの記事がアカハタに載りましたその前に、あなたのところにアカハタの記者が訪問して来たわけですな。アカハクの記者があなたのところをたずねて、この談話を聞いたでしよう。
○小島証人 三月二十九日付の記事は、自分をたずねては全然聞いておりません。
○内藤(隆)委員長代理 いや、三月十二日付、これはアカハタの記者が来てあなたに聞いたですね。
○小島証人 それはまたいろいろ自分の抗議文に出ているように、それを読まれればわかると思いますが……。
○内藤(隆)委員長代理 ちよつとそこで記憶のある、だけ言つてみてくれませんか。違つている点を……。
○小島証人 三月二十九日の新聞に載つているこの自分の手紙というやつは、前の三月十二日付の新聞に対する私の抗議文です。この三月二十九日の新聞を読みますと、結局この最後の札幌支局の報告というやつでもつて、前に三月十二日に載つた記事、それに対してここへ自分の手紙を載せて、しかもこの談話と中川氏夫妻の談話をもつて、最後に北海新報の記事とまつたく異なるところがないと結論をつけております。結局その当時の自分がどういうことを言うたかということを、こういうぐあいにして説明しているにもかかわらず、またここで前の新聞をほんとうであると言うて、結局それには自分の言うたことに対する訂正、謝罪ということは全然やつておりません。それで自分はきのう出したアカハタ紙に、談話の通り書いたと言うておりますので、はたして自分の談話の通り書いたかどうかということを抗議して、また書きました。もちろんそれにもまた反駁して来るでしようが、その原稿は今手もとに持つております。
○内藤(隆)委員長代理 そうすると、あなた方がアカハタの記者にインタービューされて、あなたがお話しになつたことと全然違つたことを捏造してアカハタが書いているということですな。
○小島証人 非常にそれをしやべるのがめんどうくさいので、大体この経過というものは、今度自分がこういうものを出したやつを一度読ませていただけば議長さんがわかると思います。
○内藤(隆)委員長代理 いいでしよう。それをひとつ読んでください。
○小島証人 「私は事実姉夫婦とは帰国以来十数回となく会つているが、これは会談などというものではなく、姉の家へ遊びに行つたもので、きようだいとしてきわめて当然のことである。これらの間に話されたことは大よそ次のような内容であつて、アカハタ及び北海新報の記事とは次の諸点で異なつている。 第一に反動は帰すなと徳田、伊藤氏が要請した云々を私が単なるうわさであると明言はしていない。それは今回も中川氏宅を訪れ確認したことである。すなわち私はあくまでも直接耳には聞いていないのであつて、アカハタ紙に対し提出した抗議文の中で言つているように、カラカンダ地区では明瞭に政治将校の言を日本人通訳の口から、日共から反動は帰さないでくれと言つて来ていると解釈のできる言葉を聞かされたわけであつて、この言葉そのもの、あるいは意味においても右左いかようにも解釈されているので、これは通訳に当つた菅氏自身大よそあやしげな態度をとつているのだから、私個人残留させられた一人としては、あくまでも前記の通りに解釈している。従つて手紙にも述べてあるように、日共とソ連は何かしら云々と帰国した復員者が当然だれもが考えたことなのである。 第二に久保田氏が大よそ民主委員時代にわれわれをいじめたことは事実であるが、彼が「彼のために日本人が罰せられた」とは、私自身罰せられた者も知らないし、言つた覚えはない、一連の民主委員と同様なことを言い、かつ行つて来たことは、彼自身認めているだろうが、「罰せられた」とは彼自身不満に感じよう、中川氏はこの旨認めている。 第三に日の丸梯団員ばかりを証人に喚問することは不公平である云々は、私がこの問題が世に提起されたとき、大体反動等と言われた連中は、政治集会にはあまり出ぬのだから、あのときの集会にも当時の民主運動者がより数多く出席しておるはずであるから、当時のアクチブ連中こそ、この際大いに発言して、「われらの徳田を救う」べきだと私は皮肉を言つたことがあり、それがかく歪曲されて、私がさも委員会に不平を鳴らしているようにとれる。 第四に中川氏は「自由な空気の中で」云々と語つたことになつているが、彼氏自身それを否定している。 従つて彼に「言つたことそのまま」とは、あくまでも私の抗議文を肯定し、以上の各項にわたる反駁文が、中川氏宅において、私が直接会つて一つ一つ確認し、まつたく意見を一致していることで証明される。 次に第一回目に訪れた菅原氏と対談して、次のことがはつきりした。 1 就職先は苗穂工機部と言つたが、これはうそで、すでに馘首されていたこと。 2 彼の言で窪田記者が筆をとつたこと。 3 記事になつている内容は、菅原氏と対談した結果であること、そして菅原氏は窪田記者と二人でつくつたことを認めている。 4 だれから私の状況を知つたか、返答を拒んだ。 5 本人は記者でないこと、記事にしてくれとは頼みません、第三者が資料を提供したこと。いまなお私の抗議文を認めながら、私の言葉から得たうわさにすぎぬと固執している、こうなると当人の意見ではなくて、菅原氏の私と対談した彼個人の意見であつて、迷惑千万なのは私である。 これはまつたく重大なことで、うかつにだれとも話ができなくなることを意味する。完全に私も巧妙な彼らのわなにひつかかつたわけである。これは帰国した者には、大いに注意を喚起せねばなるまい、私の一家はまつたく混乱している。また窪田氏に対しては、 1 北海新報記者とは言つても、名前も知らず、いかような新聞かも、私は帰国早々全然知らなかつたこと 3 中川氏を彼が訪れた際は、アカハタ並びに新報の記者としての名刺を出しているが、私には出さず、従つて「私はアカハタとは全然関係ありません。中立の新聞です。」あるいは「どちらでもいいでしよう。」こうも彼は言つたという言葉を信じ、彼と若干話をしただけのことである。この間も母親の制止によつて、倉皇として立ち去つているわけであるから……。 なおアカハタ紙中で、私の抗議文の削除されている部分。 第一、まつたく苦笑を禁じ得ない、以下……。」この以下はアカハタの抗議文には、向うで当然知つておるでしようから出しませんでした。参考までに言いますと、この記事には、 「そして真相を表看枚にするアカハタ紙並びに党員がその真相をきわめるには、あまりにも浅薄な態度を取つているのにあきれざるを得ない。 第二、戰犯をのみ反動と称するとは聞いたことがない。」この以下の削除されている分は、「収容されていた者は赤、白を問わず興奮状態に入つて、日共に対しては、恐しいまでの反感を持ち、ある者は永住を決意し、死を語り合つたこと。 第三、当然たれもが考えたことである。」その以下の、「良心的にとくと在ソ当時のことを思い出してもらえば、必ずうなづくことなのである。 以上削除された点を見ても、やはり宣伝紙たるの域を脱し得まい。 次に四十四名中の一人でないことと、かかる二人の党員が自己を祕して訪れたこと、あるいは要請問題等について、私の方が偽りを言つておるかどうか、そしてあの談話の通りが、はたして私の真意を確実に披露されているものかどうか、アカハタ紙は二十九日附の記事で訂正も謝罪もしておらぬが、逆に何とも私の抗議文に対する返答もなく、札幌支局からの中川氏夫妻の談話のみをもつ て北海新報の記事を肯定し、「まつたく異なるところがない」との結論をどこから編み出したものであろうか。肝腎の中川氏夫妻も、両親も、私自身も、あざやかなこの結論には舌を巻いている。そして文意の通らぬところは原文のままとし、不利なところは削除するていねいさは、「まつたく知る人ぞ知る」である。 私はこのたび問題を起してくれた菅原氏、窪田氏、中川夫妻、母親、妹と全部に会い、かつ同じことを「通り話して抗議したが、三日午後五時地区責任者と同伴で訪れた窪田記者は、(私はこれら関係の人を全部私の家へ招いたが、結局時間通り来たのはこの二人であつた。)「この件は、」これは窪田氏の話です。「国際的な問題あり、われわれも責任を持つてやつていることであるから、と私の訂正要求に対する答えであつた。で結局明言を欠いて、要するに「できぬ」という意味のものであつたが、しかし私のこの再び提出するこの抗議文は、全然削除することなく載せることを約束した。私はこの約束を守つてくれることを信じて、以上のことを申し上げる、願わくばこれ以上抗議文を作成せねばならぬようなことのないよう、真実を記載されるよう、切にせつかくの努力を希望して置く。」こういう抗議文をきのう出したわけであります。
○内藤(隆)委員長代理 わかりました。それはきのう出したのですね。
○小島証人 はあ。
○内藤(隆)委員長代理 何時ごろ……。
○小島証人 きのうの夜。
○内藤(隆)委員長代理 そうすると、あなたの想像では、けさの紙面には載つていると思いますか。その抗議文をごらんでしたか。
○小島証人 まだ、今たしかなことはわかりません。
○内藤(隆)委員長代理 あなたのその抗議文をこう聞いておりますと、かんじんなところは全部削除をして、そして向うの都合のいいことを書いて、一種の宣伝にあなたが使われておつたという、一つの忿懣をその抗議文に表わしたものですね。
○小島証人 そうであります。
○内藤(隆)委員長代理 それから証人は、三月十二日の同じ日のアカハタ紙上で、日本共産党中央委員伊藤律氏が、引揚者が民主主義者にならない限り、日本に帰さないでほしいと、ソ同盟に頼んだといううわさを聞いたことがあると言つております。一体そのうわさはどこから聞きましたか。それは三月十二日ですか。
○小島証人 十二日です。
○内藤(隆)委員長代理 それはどこでお聞きになつたのですか。
○小島証人 それはタシケントです。しかしその内容は違つておると思います。というのは、この三月二十九日付の新聞に、これは自分の前の抗議文の手紙です。「第五に伊藤律の話の件だが……、とにかくタシケントの第五分所が民主運動の最も高揚した当時、伊藤氏が、ソ連から共産主義者になつて帰つたからといつて、日本に帰つてただちに監獄に入れられるというような心配はいらない、今や日共は公然と合法活動に入つているということ、あるいは伊藤氏がハバロフスクの日本新聞社を訪れたというような話を当時民主グループが都合よく利用して、運動高揚にこれ努めた、そういう話がありました。
○内藤(隆)委員長代理 それはあなたにはタシケントに……。
○小島証人 第九分所で聞きました。
○内藤(隆)委員長代理 だれにお聞きになつたのですか。
○小島証人 それは野村靖という人から聞きました。
○内藤(隆)委員長代理 そうすると、それは野村という者から直接に——そのときにたれかいましたか、あなた以外に。あなたと野村二人きりで聞いたのですか。
○小島証人 その話を聞いたときには、自分と二人だと記憶しております。
○内藤(隆)委員長代理 そうすると、今のアカハタに対するあなたの抗議文で、二つのアカハタの記事は相当に錯誤があることはわかりますね。そこで証人は、徳田要請に関して四十四名の一人として署名したことがありますか。
○小島証人 その要請文には自分は署名しておりません。
○内藤(隆)委員長代理 それでは四十四名の一人ではないのですね。
○小島証人 そうです。
○内藤(隆)委員長代理 何かありませんか。
○塚原委員 証人にお伺いしたいのですが、証人がカラカンダに入られたのはいつですか。 大体のところでけつこうです。
○小島証人 タシケントから前職者と一緒に行つたときですから、一九四九年の九月だと思います。
○塚原委員 この徳田要請が問題になつているのは、一九四九年の九月の十五日とわれわれは前の証人から聞いております。そのときは大体千名くらいの者が、二班にわけて来ることになつた。それで第一回に三百名ないし五百名の者が集まつで、いろいろソ連の政治部将校から、また所長代理から話を聞いた。大体あなたがそごに参加されなかつたと言うのですが、何かほかに仕事でもあつたわけですか。
○小島証人 自分は二つにわけた第二組の方になつておりました。もちろん自分が行く組に入つておつても行かないくちですから。
○塚原委員 行かないということは、やはりそういうことは、行つて聞いてもしかたがないという気持からですか。
○小島証人 そのときはまた作業に関することか、あるいは何か生活の端的な問題であろうと思つて、そんな徳田要請というような、帰国に関する話が出るとは思つておりませんでした。
○塚原委員 その帰国に関する質問をしたという人が、二人ぐらいいるというような証言を私は前の証人から聞いたのですが、あなたはその質問者の名前というものをお聞きになつたことがありますか。
○小島証人 それは知つております。
○塚原委員 どなたですか。
○小島証人 植松とかいつておつたのですが、それは知つております。
○塚原委員 いま一人、峯田さんという者はおりませんでしたか。
○小島証人 何か質問していたのは知つておりますけれども、そのうちで知つているのは植松という人だと思います。
○塚原委員 その質問の中で、ソ連の政治部の将校が、日本共産党の徳田書記長が、反動は帰すなと言つたようなことは、あなたはどなたからお聞きになりましたか。もちろん第一回の会合に参加した人からお聞きになつたのでしようが、その方の名前はお聞きになりませんでしたか。
○小島証人 それはたれからか聞いた。もちろん自分のところにしよつちゆう遊びに来る人もおりますから、たれからとは別に記憶いたしません。
○塚原委員 たくさんの者から聞いたわけですか。
○小島証人 ええ、たくさんおりますから。
○塚原委員 それを聞いたときですけれども、あなたはいつもの会合で、溝潔整頓とか、いろいろの規律の問題とか、通り一ぺんのことだから聞いてもしかたがないというので、あなたはその会合に対して期待を持つておられなかつたでしようが、ところがその会合では、案外重大な質問に対してこういう重大な発言があつた。しかも反動は帰すなというようなことで、その話を聞いたときに、あなたの精神的な動揺というか、気持の動きというものは相当でございましたか。
○小島証人 それは今自分のこの抗議文を読んだと同じであります。もちろんわれわれは残されておつた品ですから、徹底して死ということも考えましたし、ロシヤの女をもらおうじやないかというような、もう絶対帰れないとい前提のもとにいろいろな秘策をめぐらしました。
○塚原委員 タシケントからカラカンダにあなた方が異動されたときの、あなた方の仲間というものは大体どういう方々で構成された団体だつたですか。つまりアクチーヴとか、いわゆる反動であるとか、あるいは何でもないというようなことがあると思います。
○小島証人 それは第一に満洲の高官連中、行政官、それからもちろんその中には商工会議所系統の人とかいろいろおりました。一概に満洲の高官連中、とわれわれは言つておりました。それから憲兵、特務機関、警察官ですね。そのほかにいわゆる普通の兵隊、将校でも最後まで反動だと言われておつた連中が多数おりました。
○塚原委員 さつき委員長がお聞きになつたと思いますが、あなたはどつちたつたのですか。
○小島証人 自分は兵科も航空兵ですし、全然反動として残されておりました。
○塚原委員 いや、けつこうです。
○橋本(登)委員 証人に二、三の点をお聞きいたします。長いこと向うにおいでになつてたいへん御苦労でありましたが、今塚原委員から二、三の質問がありましたけれども、あなたがこちりにお帰りになつて、こうしたアカハタの記者、あるいは共産党の諸君に会われて、日本の共産党がはたしてまじめに日本の改革なり刷新のためにやつておるような印象を受けられましたか。あるいはまたこうした日本の危急存亡のときにあたつての行動をあなたが考えて、はなはだ不満に満ちておるものであるというようなお感じであるか、そのお感じを一応聞きたいと思います。
○小島証人 日共に対する自分の考えというものは、今まとまつたものは持つておりません。しかし身に降りかかつているその範囲で判断しますと、向うにおつて、ほんとうの赤い味といいますか、彼らの運動でさんざんやられて来まして、またごつちへ来ても同じようなことをやられるのじやないかというような感じを受けます。
○橋本(登)委員 あなたの最近の御心境については、まことにお気の毒にたえないとわれわれも感じおります。先ほど来からの抗議文を聞きまして、あるいはまた証言を聞きまして、向うにおると同様に、あるいはそれ以上に苦しい精神的な中に立たされておる、こういうことをわれわれは感じて、まことにお気の毒にたえないと思うのであります。このアカハタ、いわゆる共産党の機関紙ですが、こういうアカハタが公共的なといいましようか、新聞の力をもつて、そういうような非常に苦しい立場にある人たちに対して、心からの同情ではなくして、かえつて苦しめるような態度をとつておられることに関して、あなたのアカハタに対する感想をお聞きしたいと思います。
○小島証人 とる人によつては、アカハタが極端にそういじめておるというようにとる人もありましよう。しかし自分としては、あくまでもまだ向うに残つておる者を救うために、自分の地位というものがこういうところに置かれたのだと想像しております。 〔内藤(隆)委員長代理退席、委員長着席〕
○橋本(登)委員 証人の心境を大体拝聽しましたが、第三には、徳田要請なるものが、これは直接に聞いた者もありましようし、あるいは通訳を通じての言葉でありますから、その間においての言葉の行き違い等からして、いろいろとうわさされておるというような証人の話でありますが、そういうことを総合いたしまして、証人は徳田要請なるものがあつたという観念の上においてお考えになつておられたかどうか、あるいは単なるうわさとして、あるいはアカハタの言うところのいわゆる反動分子のデマである、こういう性格のものであるか、あるいは向うにおられ、また帰つ来てからのいろいろなことを総合して、徳田要請なるものの言葉中には、多少の差異はあるけれども、事実としての考え方としては、徳田要請なるものがあつたとお信じかどうか、その点証人にお聞きしたいと思います。
○小島証人 徳田要請があつたかどうかということは、自分は、これに述べてあるように、それを自分が直接聞いておれば、もちろん要請があつたとはつきり結論づけるでしようけれども、残念ながら自分は聞いておりませんから、これについては断言できません。しかしうわさであると完全に否定することにはまつこうから反対します。
○橋本(登)委員 大体証人の言わんと欲するところはよく了承いたしました。結論として、この問題は、もちろん国際的な大きな問題も含んでおりますが、ただお互い日本人同士——徳田君にしてもお互い日本人同士でありますが、そういう者の中から、もちろんその真偽は、ソ連の将校がうそを言うた場合もありましよう。徳田君が言うたこともない、あるいはこれに類似した言葉も言うたことがないということであれば、あるいはソ連の将校がうそを言つたという結果になるのでありますが、こういうような問題が、お互い日本人同士の間で起り得たということは、われわれ委員としてはまことに遺憾であると思うのでありますが、その直接の被害者であり、あるいはそれによつて非常な迷惑をこうむつておられる証人としては、どうお考えになるか。この点御心境を拝聽いたしたいと思います。
○小島証人 これは同じ日本人である共産党の方でも、そう言うならば、向うに残つておる者のことを思つたならば、あくまでも真相をきわめて、そうして向うにいる者を救出するように私は希望しております。ですからわれわれは向うにいるときには、第一線に立つているのは共産党であるというぐあいに聞いておりました。しかしこつちへ帰つて来て、五年間もの間一回か二回くらいしか引揚げ問題に関してソ連に要請してないというようなあれは、われわれは非常に不満です。
○橋本(登)委員 今の証人の言葉ですが、証人が向うにおいでになつて、日本のわれわれ同胞が、あるいは国会も含めてでありますが、引揚げ問題に対して不熱心であるということを、もちろんこれは日共を通じての通信でありましようが、そういうことを知つてまことに不満である。これは一方的な宣伝を受けられてそう思われたのだろうと思うのでありますが、これは国会におきましても、毎国会数次にわたり、あるいは引揚連盟などが数十たびにわたつて血の出るような大会を開き、その他あらゆる手段をもつて総司令部あるいはソ連大使館にまで、ある夜のごときは徹夜であの寒空にソ連大使館にがんばつたようなこともあるのであります。こういうような点が十三分に伝えられないで、日共側の一方的な宣伝のみが伝えられておる。これはいろいろな事情からやむを得ないのでありますけれども、国会におきましても、この問題には重大な関心を持つて、幾たびか国会も決議をしております。こういう点につきましても、何らかの機会におきまして、向うに残つておられる人々にも、日本側においてはあらゆる努力を盡しておるが、これを妨害したのは日本共産党であるということをお伝え願いたい。それがためにかくのごとき委員会が開かれた、こういうことを御了承願いたいと思います。
○高木(松)委員 証人はソ同盟におられたときの実情、それから今度帰つて来られまして、アカハタ関係の記者及び共産党の方々とお目にかかつて受けられた感じ、こういうことを前提としてものを判断していただきたいと思う。何も共産党にくみすることもなし、共産党を敵愾視することもない、真実を真実としてお述べ願いたい。そのつもりでひとつお話願いたいと思う。 まず第一にお尋ねしたいことは、先ほど菅通訳の態度があいまいであるということをお話になつたが、菅通訳とはどこでどれくらいおつき合いになつたか、その状態をひとつお話願いたい。
○小島証人 菅通訳はカラカンダの第九分所に行つたときに初めて彼という人間に接しました。しかし直接話をしたこともないし、特に自分たちとはおよそ縁の遠いクルサントの講師でおつたのですから、われわれが彼と話するとかなんとかいつても、それは望めないことです。
○高木(松)委員 そこで菅という人は、ソ連の立場に同化して、ソ連の利益をはかろうとした立場におられたように承知するが、その点に対する証人の観察はいかがでございましたか。
○小島証人 自分個人の観察ですと、とにかくクルサントの講師ですから、全然高いところに鎮座しておるのですから、われわれ気の弱い者から言えば、もう恐ろしくて話などできやしません。
○高木(松)委員 そこであなたは、日本新聞をたびたび向うで読まれたことがありますか。
○小島証人 もちろんあります。
○高木(松)委員 その日本新聞の記事の中に、アカハタの記事が転載されておつた事実はいかがです。
○小島証人 アカハタの記事が転載されたことはあります。
○高木(松)委員 それをお読みになりましたか。
○小島証人 読んでおります。
○高木(松)委員 その内容から、日本共産党は、いわゆる完全なる共産主義者でなければ国内に帰つて来てもらつては迷惑であるというような趣旨の文面を読み取つたことはありませんか。
○小島証人 もちろん転載されている記事には、だれが読んでもそういうことは印象を受けると思います。
○高木(松)委員 その印象を前提として、徳田氏があるいは反動者は帰つて来るんじやないという意思を、共産党及び共産党員諸君がそういう考え方を持つているであろうということを推測りるに足るだけの材料はございませんじしたか。
○小島証人 ちよつと話が聞きとりにれいですが、アカハタの記事を転載された、あるいは日本新聞はハバロフスクでつくつておるのですが、あれに書いた記事というもの全般を通じて、とにかく反動が日本に帰つちや困る、こういつたものはとにかくおそく帰つてもらいたい、そういうことはだれもが感じています。とにかくわれわれ反動だといつて残された者は、いつになつたら帰れるかわからない、帰れないだろうというふうな気持には皆がなりました。
○高木(松)委員 そこでソ連将校その他の人の言葉、またその言葉を訳されて日本の抑留者の耳に入つたアカハタのそういう転載、しかもその転載は時間的に見て相当の速度で転載されていたというような事実からして、日本共産党とソ同盟との間の連絡は緊密にあつたとお考えになりますか、その点はどうです。
○小島証人 それは緊密にやつておつたのではないかと思われる節があります。
○高木(松)委員 そこで最後にお尋ねいたしますが、あなたが日本に帰つて来て、ただいまあなたがお話になつたような新聞問題、アカハタの記者の問題、この問題のこの謀略的な形が、要するにソ同盟と日本共産党のつながりがあつて、反動者は帰してくれるなという要請を向うの政府にやつておつたのではないかということを疑うに十分なる材料となるということを認められますか。
○小島証人 今の話は、ちよつと意味がわかりにくいのですが。
○高木(松)委員 それではちよつと説明します。日本新聞にアカハタの転載せられたる事実及び向うの将校その他が直接または通訳を通じてお話をした事実、日本人の抑留者間における語り合い、そういうことを前提とし、また日本に帰つて来てあなたがアカハタの記者に籠絡された事実を思うときに、少くとも日本共産党及びそれに附属しているある種の人は、いわゆるソ同盟に対して、反動者を帰すなというぐらいのことを言うのは朝飯前の仕事であるというふうに感じられるかどうか。
○小島証人 要するに、自分のいろいろな周囲の状況から、あるいは経験から推して、日本の共産党というものが向うに反動は帰すな、帰してもらわない方がいいというぐあいに、こういうようなことをいうのは朝飯前だろう、こういうような意味ですね。
○高木(松)委員 そうだ。
○小島証人 それでは形容はおかしいでしようけれども、合つているかどうかわかりませんが、日の丸梯団としてああいつたことをやつて来たことも、あるいはこちらでこうして委員会に立つというようなことも、すべてすぐ向うに内容が知れているのだろう、そうして向うでまだがんばつている者はまたさらにひどいしうちにあうのではないかというような気持はあります。
○佐々木(秀)委員 証人は宇野喬夫という人を御存じですか。
○小島証人 知つております。
○佐々木(秀)委員 その人はあなたと同じ收容所におられたのですか。
○小島証人 おりました。
○佐々木(秀)委員 その方は反フアシスト委員会で委員だつたということも御存じですか。
○小島証人 そうであります。
○佐々木(秀)委員 またうわさに宇野喬夫という人や、またほかの人もありますが、こういう人たちが引揚者の名簿をソ同盟で作成するときに、個人のいろいろな素行や行動を向うの人たちにお話したり、進言したりするような立場をとつていられる人かということを知りませんか。
○小島証人 宇野喬夫はベグワードの第一分所におつたときには、彼は民主委員並びに通訳をやつておりました。自分が第五分所に転属したときには、彼はあとから来まして、久保田善藏氏と民主委員長をやつておりました。とにかくそういつたあれで、タシケントに来ても一緒でしたから知つております。彼が帰国のときの人名、あるいはふだん收容所生活をやつておるときに、いわゆる反動と目される者に対して、いろんなスパイ的な人間をつけて探らしたということは事実であります。自分も彼のために一人のそういつたいぬをつけさせられたものであります。
○佐々木(秀)委員 重大なことをお聞きしたのですが、あなた自身がスパイをつけられたと言いますが、そのスパイに使われた人の名前を御存じですか。宇野喬夫から命ぜられて、あなたにスパイ的行動をとつた人を御存じですか。
○小島証人 その人は自分とも懇意な仲でありますし、かつ向うにおつては民主運動をやつておつた人であります。それでその人が私に内容を言いましたから、自分がそういうぐあいにはつきり言えるだけの資料があるわけであります。
○佐々木(秀)委員 その人の名前をひとつお聞かせ願いたい。
○鍛冶委員長 言いにくければまた別の機会に聞くことにしたら……。
○小島証人 自分としては、その人は確実に知つておりますし、彼は自分ばかりではなく、民主委員の本部の方に直接おつたのですから、そういつた名前を入れかえたり、転属があるときに自分のきらいな人間を入れて出すというようなことは始終やつておつたと思います。
○佐々木(秀)委員 宇野喬夫のことはわかりましたが、宇野喬夫に頼まれてあなた方にスパイ的な行動をやつたその人を聞きたいのです。これは重大な問題になつているのですから、ぜひひとつお聞かせ願いたいと思う。
○鍛冶委員長 私、心配するのは、言うてくれるのはいいのですが、もし公開の席上で言いにくいなら、また別の機会においてでもという意味で言つたのです。答えてくれればけつこうです。とめやしません。
○小島証人 私としては友だちの名前は言いたくないのです。しかし彼がそういつたことをやつたということは、彼と一緒になつて收容所を転々しておる者は、たれもが認めておることですから、ほんとうに彼の在ソ民主運動を徹底的に暴露しようとしたならば、幾多の証人が出て来ると思うのであります。
○佐々木(秀)委員 先ほどの宇野喬夫証人は、在ソ中においては反動などという分子、あるいは反動と目される人たちの差別待遇などはしたことはない。いわゆる民主グループもその他の者もみんな一緒であつて、反動というような分子をおれは考えたこともないし、特別の扱いもしたことはないと本人が言つておるのですが、あなたの知つておる範囲において、反動というものが民主グループから反動として呼ばれ、目されていたか、あるいは特別の扱いを受けたかということを、知る限りにおいてお述べを願いたいと思います。
○小島証人 宇野が自分よりこの委員会の一時間か二時間前に、もしそういうことを言つたのでしたなら、ほんとうに彼はうそつきだと思います。もちろん私自身も、カラカンダにおいて彼が收容所の大隊長をやつておつたわけですが、十日ばかりカラカンダから大分離れたところに作業に行きました。コルホーズのいもの收穫です。そのとき行つた顔ぶれはどういう顔ぶれであつたでしようか。全部反動あるいはもうはつきり色わけのついたやつばかりをひつこ抜いて行つたじやないですか。それはもちろん彼が自分でタッチしていないと言うかもしれませんが、顔ぶれから推して、彼がそういつた色わけをしないなどということは、よく言えたものだと思います。
○佐々木(秀)委員 そこでこの証人から反動、それからいわゆる民主グループというものが完全に取扱いがわかれていたということの事実を知ることができたのですが、そのほかに日常の生活において收容所の生活において、反動というものが別個な取扱いを受けたという何か一つの事実はまだありますか。
○小島証人 反動と民主グループとの差別、端的に言いますと、一つこういうおもしろいのがあります。グループ員同士が話をするときには、名前の上に昔軍隊で何々少尉殿と殿をつけたように、彼たちは同志何々というぐあいにつけるのです。グループ員同士ですと、みんな同志だれだれ。タシケントの第九分所では、反動には同志をつけてくれなかつた。たとえばある演芸会に民主グループ員の中に入つて、グループ員でない者が出ることになると今度の出演は同志だれだれ、グループ員に入つていないのは同志を抜かしてだれだれ、そういつたたぐいです。その他反動を特別酷使したという、別扱いにしたという例をあげるのでしたら、数限りなくて、自分の経験したことでも、見たりしたことでも、たくさんあるのですが、これは区別したというのは事実ですから、一々申し上げるということになるとたいへんだと思います。
○佐々木(秀)委員 そこで大体その問題はその程度にしておきまして、九月十五日の問題に入りますが、九月十五日にあなたはその箇所には行かなかつたが、その会で徳田要請なるものの話を聞いて帰つて来られた人たちが、いろいろそれに対しての批判なり、あるいはそれに対しての衝動を受けたりして相当話合いがあつた。それでわれわれ反動はもう帰されないのではないかというところまで行つていたとあなたはおつしやつていますが、その徳田要請の話が政治部将校からきようあつたということは、その收容所の人は全部知つていたと思いますが、いかがですか。
○小島証人 もちろんほとんど知つておると思います。
○佐々木(秀)委員 また宇野喬夫のことを言うが、宇野喬夫という人は、そんなうわさもあつたことがない、全然聞いていない、そんなことは話があつたなどということも聞いていないというのですが、食堂や何かで一緒に飯を食つても話があるであろうし、寝るときも話があるだろうと思いますが、あなたの想像では、この宇野喬夫という人は、そういうことを全然聞いていないと証言しておりますが、そう思われますか。思うだけでいいです。
○小島証人 自分の考えでは、彼は言葉も通じますし、そういつたところが見込まれて大隊長のようなことをやつておつたのですから、あのときも收容所開設当初いろいろ忙しくて、彼自身は出席もしていなかつたでしよう。かつわれわれがそういつた騒ぎをやつておるということも、彼自身にまで波及して行かなかつたのかもしれません。というのは、菅の場合と同じように、宇野の場合も、とにかくわれわれとしてはもう手の届かないところにおる人物ですから、そういう者からこんなことを聞いてみたところでお話にならないと思います。
○佐々木(秀)委員 その徳田要請以外に、あなたはあなたの收容所の食堂に、たとえば民主主義者になつて帰つてもらいたいとか、あるいはそうした類似の日本共産党なり日本共産党の徳田球一氏なり、あるいはその他の人たちから来たと思われるはがきが食堂に張られたことがあるのですか。それを見たことはありませんか。
○小島証人 自分の見たのは、便所のところで一つ、自分自身が拾つたやつがあります。食堂に張つてあつたのは、自分もさつと目を通しましたけれども、それは内容も全然気にもとめませんし、記憶にもない。しかし自分の拾つて来たやつはよく知つております。内容は徳田書記長が爆弾事件でけがをした。しかしそれが回復して非常に元気になつたということと、日本の物価が恐ろしく高い。それを一つ一つ幾らしている幾らしているということを書いてある。表紙には代々木の日本共産党本部、名前は書いてあつたかどうか忘れましたが、そういうはがきでした。
○佐々木(秀)委員 そのはがきをあなたが拾われたというのですから、よくごらんになられたと思います。その内容までも今御記憶があるのですから……。その消印はやはり日本で使つているような消印でございましたか。
○小島証人 あのときは、自分たち自身も消印がどうなつていると言つて問題にして見たのですが、あのときは東京の消印でなかつたかと思います。
○佐々木(秀)委員 東京と思われる消印があつたことは事実ですね。
○小島証人 はあ。
○佐々木(秀)委員 それからはがきの形ですが、形はもちろん日本のはがきと同じ形だろうと思いますが、たとえば万国赤十字社で使うはがきとか、あるいは日本の一般民間で使うはがきとか、そういうはがきの種類の御記憶はありませんか。
○小島証人 そのはがきは日本のはがきとまつたく同じで、捕虜用のやつと同じような大きさですがたしかあれは日本のはがきだつたと思つております。
○佐々木(秀)委員 そこで大体明らかになつたのですが、要するに内容は記憶はないが、食堂に張られていたという事実、それからあなたがまた便所の前かわきかで拾つたはがきが、東京の消印と思われる消印であり、日本のはがきだつたという三つから考えてみましても、日本の共産党なり共産党の一部の者が、いわゆる向うにはがきの連絡があつたということだけは想像できますね。
○小島証人 それはできます。
○田渕委員 今の佐々木委員の聞かれたはがきの日本共産党本部というのは、インキで書いてあつたのですか、それともあの紫色のスタンプで判が押してあつたのですか。
○小島証人 あれはインキで書いてあつたと思います。
○田渕委員 証人の年を伺うのを忘れたが、私は連日来の証人で最も実直な証人であると思うので伺うのですが、証人はお幾つでおられますか。
○小島証人 数え年二十八、今の年で二十六。
○田渕委員 あのタシケントからカラカンダに送つて行つて、そこへ九月に送還をして、十二月に送り返しておるのですが、この三月の間特にカラカンダの菅、あるいは宇野というような連中に十分なる教育をさす、あるいは何とかそういう作戦的な意味があつて、タシケントからカラカンダに送つたものかどうか。 もう一つ伺うならば、タシケントにどれぐらいおられたか。タシケントの收容所でどういうことをしておられたか。きのう、おととい伺いましたカラカンダは低品位炭の炭鉱でありまして、七千人からの抑留者が十幾つの收容所におつた。その收容所の一つには千人ぐらいおつたと聞いておりますが、タシケントからカラカンダまで、なぜ三月ぐらいの間送つて行つたか、なぜ收容所をかえたか、こういう疑いが出て来るのですが、こういう点でタシケントではどういう作業であり、どういうことをしておつて、幾人ぐらいおつたかということがわかつておれば、ひとつお教え願いたい。
○小島証人 タシケントからカラカンダに送られるとき、これはわれわれ送られる者の名前が全部発表になりまして、そうしてわれわれがいよいよ皆とわかれて行くというときには、装具も服の悪いもの、くつの悪いもの、そういうものをとりかえましたので、顔ぶれは憲兵と満洲の高官連中、それに反動のみですから、どうも先に帰るような気はもちろんしませんでした。それを察知してか、タシケントのソ側の收容所長の上級中尉の人が来て、とにかく今君たちはそういつたかつこうをして出発をするけれども、何か質問はないか。要するにそういうことを聞くので、二、三の者は、顔ぶれが悪いのに先に帰るようなかつこうをしてしまつたので、いろいろと質問をしましたわれわれはほんとうに帰れるのかどうか。ところが、お前たちは帰る、しかもこれからある地区に行つて——シベリアの方だとはつきり言つて、シベリアの方に行つて若干働くかもしれないけれども、必ず帰るんだ。そういう話で、われわれは先に帰るにはちよつと顔ぶれがおかしいのですが、また食わされるのだろうとは思つていたのですが、そういつた先に帰るような話のもとに出発したところが、東に行かないで西に行つてしまつた。
○田渕委員 このタシケントからカラカンダまでは徒歩で行かれましたか、トラックなどで送られましたか。
○小島証人 これはもちろん汽車です。汽車で十何日かかりました。
○田渕委員 このタシケントの收容所では、証人はどういうことをされておつたのですか。どういう作業をされておつたのですか。
○小島証人 タシケントにもどつて来たときには、自分は足を折つておりまして、しばらく仕事に行きません。向うに行くころは工場に雑役として行つていました。
○田渕委員 そうすると証人はタシケントからカラカンダへ送られるときには、要するにわれわれは反動であるからこれは帰されないのだ、こういう予感があつたので、どうしてわれわれを送るのかと聞いたら、シベリアの方へ行くのだ、また帰すのだというような話があつたというのですが、そのときに証人は反動ばかり行くのだから、要するに送られる者は反動ばかりですから、これはとうてい帰れないのだというような予感のもとに行つたものですが、行つてみていろいろ菅や宇野がやつたが、結局日本へこの反動は帰した方がいいのではないか、ソ連に長く置いておくことは他の者が共産主義にならぬ、完全な民主主義にならぬから、このうるさい連中だけ帰すのだという意味で帰したものか、どうもこれはいつまで置いても手に負えぬというようなところでこれを帰して来たのか、こういうような点についてお気づきになりませんか。
○小島証人 それは宇野自身もカラカンダに送られた口すし、われわれとしてはもうそれまでに何回となくあつちこつち転々としていますので、腹もきまつておりましたから、どうせ帰れないだろうと、そういうふうには感じました。カラカンダに着してからは、もうこれが最後だとそう思いました。
○石田(一)委員 証人に少しばかりお尋ねしたいと思いますが、先ほど証人はこういうことをちよつとおつしやつていました。それは、私は昨年の九月十五日の将校が話したというときの会合ですね、その会合というのはどうせ作業のことか、あるいはまた生活心得というようなことが話されるんだろうと思つたので、もし一回目に選ばれたとしても私は入らなかつたろう、こういうことをおつしやいましたが、それは間違いございませんか。
○小島証人 間違いありません。
○石田(一)委員 そうだといたしますと、今先ほどからのあなたの話を総合すると、ほとんどそのときタシケントからカラカンダにいらつしやつた方たちは、反動とか何とか目されている方たちなので、どうせおれたちは帰れないのだというようなあきらめというか、自暴自棄というか、お気の毒な考え方を持つていらした。そういうことであつて、なおあなたは先ほどわれわれはいつ帰れるのかということを聞いたところが、将校が、日本共産党の徳田書記長が反動は帰すなというようなことを言つて来ておるということを言つた。その話を聞いてたいへん激昂をした。こういうことをおつしやるのですが、この話と何か矛盾しないでしようか。
○小島証人 それは一度捕虜になつてみると、わかると思うのですが……。
○石田(一)委員 これは帰りたいとお思いになつていることはよくわかるのですが、あなたが先ほどちよつとお名前をお出しになつた菅という通訳ですね。要するに先ほどもあなたがおつしやつたように、タシケントか何かできれいな服装にかえて出た、おれたちは帰れるはずはないと思つておつたのに、何か質問があるかというので質問したら、もう一箇所どこかで働くかもしれぬが、とにかく先に帰れるのだ、こう言われたとおつしやつた。実は菅氏のおつしやつたのは、そのときの人たちは全部帰れるのが事実だと思つていたから、いつ帰れるかと言つて聞いたら、それは諸君の行動にかかつていることである。諸君がこうこうであるならばすぐ帰れる。しかし日本共産党の徳田書紀長から反動は帰すなとか、反動でない者は帰してくれというような要請が来ているということを言つたので、菅氏の言うのは、私は期待だ、徳田の要請だというふうには通訳しなかつたが、そういう激昂のさ中に、帰れるということが事実だと思つているときに、いろいろとそういうふうに解釈されることは、これは私は当然だと思う。こう言つていらつしやるのですが、そうすると菅氏のおつしやるのはみなはもう帰れると思つて、きようの訓辞は何かこれは帰るときの要するに訓辞がなされるのだろうと思つたところが、生活のことだとか仕事のことなんか言われたんだ。そう思つているときにそう言つた。そういうことなんですが、そうするとあなたのおつしやることとは全然話が違つているのですが、しかしあなたのおつしやる菅という人は高いところにいる者で、あなたたちは下にいる者だから、彼らに自分たちの心情がわかるわけはないとおつしやればそれまででございますが、そのときの空気はどつちがほんとうの空気だつたのでございましようか。
○小島証人 われわれはあそこへ集合して、帰れるという予想があるものだから、いつ帰れるかというような質問をした。これは自分が今言うたように、カラカンダに行つてからというものは、われわれはまるつきり絶望したのですから、そのときにまだ帰れるだろうと思つていた連中は、カラカンダに着くころも、またカラカンダを通過して、ノヴオシビルスクを通過して帰れるだろうと思つておつた民主運動者だろうと思います。だからあのとき收容所の中で、もうすぐ腰を上げて、まだ装具をまとめて帰れる状態にあるにもかかわらず、もし菅氏がそういうぐあいに聞いたんだとすれば、これはふに落ちない。やはり帰れないと絶望している中から、帰れないなら帰れないように、帰れるなら帰れるように、われわれの腹をきめるために言つたことなんです。これはほんとうです。
○石田(一)委員 私がさつき菅氏のことを言つたのは、そういう意味ではなかつた。みながここまで来た。要するに昨年の十一月には十万幾らの者が全部帰れるというソ同盟の声明が発ぜられた。その声明によつて全部帰されるというのだが、われわれも十一月までに帰れるかという御質問があつた、みなそういう御質問で、十一月にはそつくり帰されるのだと思つているところへ、その徳田書記長なるものの要請か、期待が来たので、結局徳田が、そういう反動を帰さないようにと解釈するのも、それはむりはないと、こういうことをおつしやつたので、今あなたのおつしやることとはちよつと意味が違う。そこでお聞きしたいのは、先ほどあなたのおつしやつた、菅という通訳とわれわれとは直接話もできないというのは、その菅というのは共産党の闘士として高いところにいた。こういうのですか、菅氏自体は、ソ連ではほんとうに共産党員でなければ、要するに共産党に入党を許されたもの、党員でなければ共産党の闘士という言葉は使わない。その他は民主グループとか、反フアシスト連盟の何々とか、こういうふうに見られていて、共産党の闘士とは呼ばない。こういつておるのですが、これはどちらがほんとうですか。
○小島証人 それはカラカンダで一番古いのは菅氏一人ですから、カラカンダ地区ではあるいはそうかもしれません。しかしわれわれはあつちこつち行つて来ましたが、ベグワードもタシケントも、向うでデモクラートあるいは民主グループというのは、これはもう完全な主義者——主義者というのは共産主義者以外にはない。これは党員に入る入らないではなくて、もう主義者になるということは、共産主義を完全に体得したものであり、信奉者でなければならぬ。そういう運動です。
○石田(一)委員 今のお話ならよくわかるのです。要するに共産党の闘士であつたかどうかということです。だかり共産主義者であつたのならばそれは筋が通ると思うのです。それは何も收容所でなくても、敗戦後の日本にも——実はわれわれはそれ闘つておるのですが、たくさんおります。だかつそれはよいのです。共産党の闘士ということではなくて、いわゆる主義者で強力なアクチーヴ、こういうことですね。
○小島証人 菅氏ですか。
○石田(一)委員 そうです。そこでもう一つ。私は先ほどあなたからいいことを聞いたと思うのです。先だつて私がある証人にこのことを聞きましたら、そんなことはわからぬ、まるで木で鼻をくくつたような御答弁でありまして、私は実は悲観したのですが、先ほどあなたのおつしやつた言葉の中に、私は非常に感激するような言葉があつたと思う。それは要するに今われわれがこうして日の丸梯団としてやつていることや、あるいはまたこうして委員会でこういうことをしていることも筒抜けに向うへ通報されるだろう。そのことによつて現在いまだに帰れない日本人が、われわれが受けたより以上ひどい目にあつて、その人たちの帰ることが遅れるのではないかというようなことも考えておるとおつしやいまして、私は非常にこの言葉は、あなたのほんとうの正しい心持ちであつていいと思うのであります。そこで私がお聞きしたいことは、先ほどあなたのおつしやつた元憲兵であつたとか、あるいは将校であつたとか、あるいは警察官であつたとか、この人々がほとんど全部であつたとおつしやつておりました。そうだといたしますと、その中の四十四名でありますか、何人でありますか、とにかく第一回の高砂丸の人たちが日の丸梯団というものをおつくりになりました。その日の丸梯団に入つている、また幹部になつていらつしやるほとんど全部が、先ほどあなたのおつしやつた憲兵あるいは警察官というような人々ですか。
○小島証人 それはすべてを含みます。
○石田(一)委員 これはきのうも横田君がちよつと聞き始めて、きのうの証人はそんなことはよく知らぬとおつしやつたのですが、あなたも日の丸梯団の一員ですか。
○小島証人 そうであります。
○石田(一)委員 日の丸梯団には行動綱領とか、方針とか、あるいはその方法か講習とか、いろいろなことが定められておりますが、そのことは皆さんで協議しておつくりになつたのですか。それともだれかが提案なさつたのですか。
○小島証人 自分たちの場合は第二回目の日の丸といいまするけれども、船に乗るとすく内地の情勢が聞きたくて、わかりたくてしようがなくて、新聞記事をどつからか見つけて来たり、もらつたり、さまぐやつて情報を得ました。そうしてとにかく日本新聞と全然逆だということになつてしまつて、だれが指導するとか何とかでなくて、とにかく解放された気持に一気になつてしまつたのが、日の丸梯団の結成を早くまとめ上げたものだと思います。綱領とか何とかは、とにかくわれわれは日の丸梯団としてあれしたならば、何か目的がなければだれもついては来はせぬのだからつくろうということになつて、それは全員に諮つてはつくつておりません。しかし、一部の自分たちとしては、よく向うでがんばつて来てくれたというような人たちが、とにかくみんな第一線に一列に並ぶのだ、日本人らしい日本へになつて帰ろう、そうして内容もそれだけに、向うでグループ員だつたというものも、アクチーヴだつたというものも、全部が日本人に立ち返るという趣旨に沿つてもらえるような内容でつくり上げてくれました。そのために入るものもグループ員だつたものも入りましたし、高官連中も憲兵も、反動と言われる連中もみんな入つて来ました。
○石田(一)委員 その綱領あるいは方針の何かおもなものを記憶していらつしやいませんか。
○小島証人 綱領とか何かいろいろあつたようですが、自分の記憶しておるのは第一番目に、引揚げの促進のためにわれわれは生きて帰つただけであれなんだから、とにかくがんばろうということ、それから二番目に在ソ民主運動を徹底的に暴露しようということ、それから呼びかけとして、とにかく日本人に立ち返つてくれ、あまり日本人同士がかみ合つたもんですから、とにかく白紙の日本人に返つてくれという呼びかけであつたと記憶しております。
○石田(一)委員 そうすると綱領というか、方針というか、まあ三つくらいありました。要するに在ソ同胞の引揚げ促進、あるいはまた日本人たる自覚を高揚すること、それからシベリヤにおいてなされた民主運動を徹底的にその罪悪を暴露すること、こういうようなことがあつたことはお認めになりますね。
○小島証人 はい。認めます。
○石田(一)委員 そこでただいまこうしてあなたたちがなされておる現存のこの委員会のあなたの行動も、日の丸梯団の一員として、その綱領によつてこの運動が続けられているのですか。あなたたちの運動の一連としてこれがなされているのですか、どうですか。
○小島証人 自分がこれに出ると、いうことがそれにも沿うだろうと思います。別段その後もそういつた組織がはつきりときまつておるわけでもありませんし……。
○石田(一)委員 今の証言は、お互いに日本人同士がシベリアにおつてあまり反目し合つたということなどをひとつ矯正させて、ほんとうの日本人に立ち返つて仲よくやろう、こうして梯団がつくられたのですが、今お認めになりました第三か何かの、いわゆるシベリアの民主運動の罪悪の徹底的暴露というのは、日本人同士が相反目することではありませんか。現在まだシベリアに日本人が残つておりますが、それらの人たちのやつておることを、あなた方が罪悪を暴露するのだといつて日本でおやりになることは、梯団で日本人が相反目をし合つたから手を握つてやろうという綱領と相反した行動ではありませんか。
○小島証人 ちよつと意味がわかりませんが……。
○石田(一)委員 過去においてシベリアにおる日本人が、一日も早く帰りたい、しかもこれがほんとうの民主主義者だ、共産主義者だというように装えば帰れるとすれば、これは日本人の情ない根性かどうかしりませんが、弱い人間だつたら、だれでも一日でも早く帰りたいために、共産主義を粧うのが人情です。国内的にも終戦当時は相反目し続けておつたのです。ましてやシベリアの收容所においていつまで置かれるかもわからない、それが妻子のおる日本に帰れるといわれたら、あなたのような意思堅固なまたこの間から来ておられる証人の方々のように意思堅固な者だつたならば、あるいは最後までがんばつて反動で押し通されるかもわからないが、弱い多くの人間は、早く帰るために民主主義を装い、共産主義を装う、そういうことをやつて早く帰してもらおうと思うのは人情だと思います。それらのことをあなた方が反省して、日本人同士があまり反目し合つてもいけないから、日本へ帰つたからにはお互いに手を握り合つて、そういうことのないように日本人の自覚に入ろうということをなされておるにもかかわらず、あなた方はシベリアでなされた日本人の民主主義運動、要するに罪悪というものを徹底的に暴露して、そうしてわざわざ決議文をつくつてこの議会に持つて来て、盛んに運動を起していらつしやいますが、このことは日本人同士が相反目する行動ではないか、こういうことです。
○小島証人 自分の考えは、今こちらで日本の土を踏んで、そうして暴露するということは、その者を罪に陥れるのだつたならばそれは悪いことだと思います。しかしあくまでも反省を求めて、自己批判をやつてもらわなければいけないと思います。向うで船に乗つておつて、彼らの実際やつて来た行動——宇野喬夫もやられた口ですが、一緒に帰つて来る。しかし彼らはやはり日本人だからと思つて、われわれはもう徹底的になぐりも殺しもしたい気持になつたのですが、がまんしました。しかし向うに残つておる者はどうにもならない、しかも受刑者なんかはほとんど救出の見込みはない、そのことを思つたら、一人をなぐつたつて殺したつてどうにもおつつきませんから、それでがまんしたのです。だから日本に帰つて彼らがもし悪かつたということを言つて、また同じように第一線にそろつてくれればよいのです。私たちはそれを希望しております。ただ暴露といつたつて、向うでやつたことをここでひつくり返して罪に陷れて行こうというような気持は全然ございません。
○石田(一)委員 私はそれはまことによい考えだと思います。それであなたたちがそれを罪に陷れようとはしない、お互いが自己反省してほんとうの日本人の姿になつて同じにやつてもらえばよい、それが根本である、そうおつしやることは私も同感であります。しかしその結果として、あなた方がそれを暴露し、しかもまだ現在残つておる人たちがより以上に収容所で苦しめられるのではないかということをあなたは証言なすつておるが、そのことをあなたが認めておりながら、またごの冬を越さなければならないという日本人がたくさんおるときに、あなた方がそういうことを言うから、話が全然矛盾するじやないかということを言つておるのです。
○小島証人 もちろんここでこういつたことをやるということは、向うにいる者をまた苦しめるのではないか。実際日共としてもあるいはソ同盟としても、われわれがこういようなことをここではつきり言いながら、かつこういつた運動をやつて行くということは、そういつたことがもしあるとしたならば、それを防止できるのではないのですか。われわれがここでやることが向うにいる者にすぐそういつた弾圧が加わつて行く、そういうことを心配してまでも、私はこうしてしやべつているのです。それをあえて向うと矛盾するというのはちよつと考えがおかしい。
○石田(一)委員 何も私はあなたと討論しているのではない。あなたがそのおつもりならそれでいいのです。怒らないでください。あなたが返したいと思つていらつしやる以上に私は返したいと思つているから、討論はよしてください。私が言つたことで、言葉の使い方でもしあなたの感情を害するようなことがあつたら、それは私の言葉の使い方が下手だつたと思つてかんべんしてもらつて、この問題は重大なのですから冷静に……。 そこで一つお伺いしたいのですが、先ほどソ連にいる同胞の引揚げの促進をやるのだとおつしやいましたが、促進するについては、実際的にはどういう運動を現在なさつておられますか。
○小島証人 自分が運動をやるため、自分から求めてやつて行くということまで言つていません。まだ帰つて来て間もありませんし、さてこれからどうしようか、もちろん引揚げ促進には遺家族を訪れることもいいでしようし、あるいはもしわれわれの話を聞きたいといつて来る人がおつたならば、その人にお話するのもいいでしよう。現在のところ非常に消極的なことしかやつておりません。
○石田(一)委員 そうすると現在のところ、積極的にこの梯団が実際に動いている姿は、徳田要請がなされたということの輿論を喚起して、もし反動は返すなという徳田書記長の要請が事実であつたとするならば、私たちはこれは重大問題として取上げる決意を持つている。今あなたたちが具体的にやつていらつしやること以外には、ほとんど消極的な運動と認めてけつこうですか。
○小島証人 自分の国が遠いですから……。ある人の手紙によると、何か集会を持つて、その席上しやべつたような話もありました。こういつたのを積極的というのかもしれませんが、そういつた人たちもおります。しかし私個人はまだ消極的な範囲内にあります。
○石田(一)委員 この梯団の中にいわゆる方針といいますか、今あなたがおつしやつた基本的な梯団の方針の中に、方法としてこういうことがあるのです。ちよつと申し上げてみますが、三月号の中央公論の中にこういうことが発表されております。「上陸後合法的手段に依り全国民に真相を公表し、且つ社会的地位の剥奪」要するにあなたは罪にしようとするのじやないとおつしやつておりますが、この梯団が内地に帰つてから、ソ連の収容所において民主主義運動——共産主義運動でもいいでしよう——をやつた者に対しては、それを徹底的に調査しまして、合法的手段によつて全国に真相を公表して、これらの者の社会的地位を剥脱する、こういうことが一つの方法になつておると、ちやんとここに発表されているのですが、これはどういうふうにしてソ連において民主主義運動をやつた強力なるアクチーヴの社会的地位を剥脱しようとするのでしようか、あなたがもしこういう者があつたということをお認めになるならば、ちよつと参考までに聞かしていただきたい。
○小島証人 自分はその点知りません。
○石田(一)委員 知らないとおつしやればこれはやむを得ません。そうだといたしますと、こういうことは御存じですか、将校に対して日本人としての礼儀を失つたとか、あるいは無礼なことをやつた、こういろ者を対象にするというようなことは御存じありませんか。あなたたちが民主グループと目する者の中に、特に反動をどうしようと言つた者、要するに将校あるいは憲兵、あるいは元中隊長、大隊長、こういう者に対して一兵士の分際で反動的態度をとつて、日本人的資格を失つたやつをやつつけるというふうな綱領が、あなたたちのおきめになつた綱領の中にはございませんか。
○小島証人 それは自分はよく読んでないのでわかりません。お答えできません。
○石田(一)委員 これはあなた以外の一人たちが全部に諮つたのではないとおつしやられるので、あるいは証人が御存じないことを聞くのでむりかと思いますが、そこで一応証人にお伺いしたいと思いますのは、先ほどのはがきの件で、東京からの消印であつた、消印はどうだというのでみんなで見て、東京からだつたと思うとおつしやいましたが、それはどういうところから消印を東京だと判断なすつたのですか。
○小島証人 あのときは自分が持つて来ていろいろな友だちに見せましたが、やはり消印を問題にして見るのです。そのときに消印をよく見て言つた者もおるでしようが、話に出たのは東京なんじやないかということです。ですから自分ははつきり東京ですと断言はできません。
○石田(一)委員 それでこれが東京の消印だというためには郵便局の消印があるのですね。たとえば中央郵便局とか、麹町とか、あるいはどこそことい各局の消印が入つているわけです。だから東京と認めるためには東京のどこかの区の郵便局の所在地の所から出ているので、たとえば今の日本共一産党本部と書いてあつたら代々木で、おお、これは東京だというのなら話はわかる。しかしそういう印象も何もなくて、ただ東京とみなが言つていたというのでは、何か私たちもぴたつと来ないのですが、その消印についてだれかがそんなことを言つたのを覚えていませんか。東京の消印というからには、東京の何々とか局が書いてあるでしよう、東京とは書いてないでしよう。
○小島証人 それは今自分がここで申し上げるのは、自分が物入れに入れて始終持つて歩きましたが、要するにそれを見せるときには、すぐ消印はどうなつているという話が持ち上つたし、だれから来たかといつたら、裏に代々木の党本部とあつて——とにかく自分は持つて歩いたのですが、それは残念ながら記憶しておらぬのです。とにかく党本部から来たやつで、自分は裏の内容をよく知つています。しかし自分が拾つてそれを見て、幾人かの友だちに持ち歩いて行つたことは事実です。
○石田(一)委員 その当時人にはがきを見せればすぐ消印か問題になるのですね。それほど重要なるその消印が、東京ということはみな言つていたけれども、裏に書いてあつたことはよく記憶している、共産党の本部からというのもよく覚えている、本部から来たのだ、消印はどうだと、それほど大きな問題になるところの消印が東京と判定をされる、要するに証人がいつも持つて歩いていたのだが、そごまでうつかりしていた、不注意だつたとおつしやるのですが、これはたいへん重要な点だと思います。そこでそこのところをひとつはつきり——消印にどう書いてあつたからこうだというのならよくわかる。みながすぐ問題にする問題なんですから、それだつたらはつきり記憶にあるはずだと思いますが……。
○小島証人 その消印の問題は聞きたいでしようけれども、消印は何と押してあつたか、それはそれを自分が見せた人も知つておりますから、これからでも、あくまでも知りたいというのでしたら、自分が持つて歩いてそのはがきを見せた人に、あのときの消印はどうだつたかを聞いて確めてもらつてもいいと思います。しかし自分としてはその消印の話が出たまでの、そういつたはがきなんですが、はつきりお答えできないのであります。
○石田(一)委員 私が証人にこのことを聞きますのは、証人が先ほど証言なさつた便所の付近のどこかで拾つたどおつしやるはがきは、本委員会が調査している徳田要請そのものではないのです。共産党から出た、だれだか姓名不明のものから出たはがきであるが、内容においてはそれほど本委員会で問題になつているものではない。ただ問題は、要するに日本政府の発行したはがきが東京の消印をぽんと押されて、これがカラカンダの收容所のだれかに届くということが、去年の九月十五日以前の事件か、あるいはその前後でしようが、そういうことが何か私にはすぐに立証できがたいような気持がするのです。そこで私はこの消印のことを強くお尋ねしているのであります。要するに日本政府で発行したはがきや手紙の往復通信ができたのかどうか、このことを私はこの際知りたいと思います。その点について捕虜のはがきがあつたとおつしやるが、捕虜のはがきが全部こちらに来るのですか、それともほとんどのこれらの人たちに内地から行つたはがきが着いているのか、そういうことはありますか。
○小島証人 そのはがきは——自分が拾つたというのは、自分あてに来たやつでも何でもないのですから——あれは九分所に、前におつた者の、とにかく皆引揚げて帰つてしまつたそのあとへわれわれが行つた。われわれに来たはがきはわれわれが持つて来た、あれはわれわれに来たのではない。日にちを気にしておられますが、要するにそれは前におつた人間に来て、そしてしかも便所のところで拾つたというのは、そこの所が前に帰つた者のちり捨場になつておりまして、そこの所から見つけて拾つて来たのであります。
○石田(一)委員 そういたしますと、これは間違いなく昨年の九月の十五日より以前だということですね。前にいた人たちのところに来たはがきである。それで日付も何もはつきりしないのですが、この点につきまして、これは委員長にお願いしたいのですが、これはいわゆる万国郵便法とか、何とかいうものがあるはずであります。占領治下にある現在の日本の郵便物は、ただ日本のはがきで、東京のある局の消印を押して、ソ連でもどこでもこれが公然と通用し、出されるものであるかどうか。このことをひとつ郵政省あたりの権威に——しかもそれが昨年の九月十五日以前である。これを一応この委員会において調査して明らかなことを御報告願いたい。こう思うのです。 そこでもう一つお尋ねいたしたいのでありますが、入ソ当時に、いわゆる将校の方たちが一收容所の指揮権といいますか、監督権といいますか、そういうものをソ連の收容所当局からまかされて、たとえば中隊長、大隊長というものに将校の方が一定の期間なつていらつしやつたという事実は間違いありませんか。
○小島証人 ありません。
○鍛冶委員長 ありませんというのは、そういうことはなかつたということですか、どうですか。
○小島証人 将校あたりは、さしあたり軍編制のままで作業隊長をやりました。
○石田(一)委員 その将校の方が元の軍隊の編制のままでソ連の收容所において——あなたはおやりになりませんでしたか。
○小島証人 自分もその階級のままのもとに兵隊を持ちました。小隊長をいたしました。
○石田(一)委員 そのときにこの收容所においては、やはり将校に対しては兵隊は挙手の礼か何かしたのですか。
○小島証人 自分たちの收容所では、最初やはり直属上官とか、あるいはそういつた人にほんとうに短期間だつたですが、若干ほんとうに懇意の者がやつたという程度です。あとはとにかくタシケントの第一收容所においては、そういうことはなかつた。たちまち敬礼というのもなくなつてしまいました。
○石田(一)委員 この收容所において、直属の上官に対して兵隊が敬礼をするという申合せといいますか、收容所内の規律といいますか、その亡とは 兵隊全部にお諮りになつて、兵隊もそうするというのでおやりになつたのですか。それとも今までの大隊長、中隊喜長というものの軍のあり方そのままでその形をお続けになつたのですか。どちらですか。
○小島証人 自分たちの收容所では、将校が兵隊に敬礼を強要する、相かわらずさせるというようなことは、大体将校側の方で頭の切りかえが早かつたわけで、非常にその点ではスムースに行きました。
○石田(一)委員 その間短期間でございますけれども、兵隊の中から何か将校あるいは隊長に対する不平の声が上りませんでしたか。初期において……。
○小島証人 初期においては、三、三の将校に対してそういつた声が若干上つて来ました。
○石田(一)委員 元日本に軍隊を設置することが許された当時のことなのでありますが、たとえばちよつとした問題をとらえて、びんたとか何とかいうのがよくなされたそうですが、あなたの收容所において、いわゆる将校——直属の上官が部下にびんたをくれたり、何かした晴実は一つもありませんでしたか。
○小島証人 タシケント第一收容所では、兵隊の点呼のときにあまりにだらしがないやつ、あまりに見苦しいやつ、そういう者にはびんたをくれた例があります。
○石田(一)委員 だらしのないやつと見苦しいやつというのは、どういう程度ですか。
○小島証人 それは自分がそういつた言葉を使うというのは、なぐられても、兵隊側の方で、これは当然なぐらるべき状態と認められる、それを言うわけであります。だから過去の軍隊当時におけるように、命令を実行せぬためになぐる、あるいは感情でもつてなぐつた例も昔はありました。そういう意味ではない。要するにそのときのびんたというのは、捕虜になつてからのびんたである。それは明らかに收容所でやつたやつをあれしても、これは兵隊の非常に不満を買つてしまつたというようなやつはほんとうにまれで、しかもわずかの期間でそういうことは全然なくなつた。それはひどいところもあつたらしいのですが、自分の收容所上では非常にスムースに行つております。
○石田(一)委員 そのわずかな短期間、ひどいところはまだ他にもあつた。あなたのところでは短期間スムースに行つた。それはけつこうですが、点呼をやるときは、要するに隊長というものは以前の将校の服装と同じというか、刀をぶら下げて階級章をつけていたのですか。
○小島証人 最初の点呼のときには階級章はみなつけておりました。週番肩章をつけました。そんなものをつけてもしようがないと言つておりましたが、私物検査のときにあれが出まして、週番のときにつけるのだというと、それはロス側の方で、それをつけておくと呼ぶのに非常に都合がよいというので、いまさらと言つても、向うが重宝がつてつけさせました。そういうわけで相当の時日週番肩章というものはつけておりました。
○石田(一)委員 何かその当事、捕虜になつてから以前の部下を、いわゆるびんたをくれるということは、ソ連の收容所当局から監督を委任されたあなたたちは、それは許可を受けたものですか。それだけの権限を與えられたのですか。
○小島証人 たたくことに関してですか、別に許可など受けずに……。
○石田(一)委員 そういたしますと、少くとも直属の上官が軍隊にあつた当時は、まず一応認められるといつても不当な認め方ですが、しかも日本刀をぶら下げて、階級章をえりにつけ、戰争に負けて、しかも祖国に帰りたいという人たちがお互いにソ連收容所に人づておるのに、どういう事情があつたかしらぬが、收容所長であるところのソ連ならソ連の人たちが君たちにこれだけの権限を委任するから、もし反抗するやつがあつたらぶんなぐつてもよいからやれといつて許されてやつたというのなら、これはまたあなた方自身がそういうことをやること自体を、向うから許されていたとも見られるのだが、あなたたちが点呼のときにびんたをくれた、しかもあなたのところはまだよかつたが、よそにはまだひどいところがあつたというに至つては、それはなぐられた方も、やはり長い間の習慣がありますので、軍刀をぶらさげて階級章をつけて、隊長という名前でやるならば、それは自分が悪かつたというふうな非常に卑屈な考え方で、がまんしていますけれども、しかしみんな同じ捕虜になつていらつしやるのにかかわらず——これは教育上、軍の規律を守るために、何としても口で言つたんではわからないから、スリッパか上靴なんがで、耳がつんぼになるほどなぐるのも、それはまたその当時ならば何か理由がついて認められましようが、捕虜になつているあなた方がそうしたことをなすつたということが、やがて兵隊たちがいわゆる将校、隊長あるいは警察官であつた者、こういう人たちに対して、後に、やつらはおれたちが捕虜になつたにもかかわらず、自分たちが、位階勲等というものがすでに国内ではなくなつておるにかかわらず、そのせみのからみたいなものをつけて、それでわれわれをぶんなぐつたという反抗心が私は起きるのが当然だと思いますが、証人はどういうふうにお考えになりますか。
○小島証人 自分の考えを申し上げます。反軍闘争というのが、民主運動を始めるにあたつてそれから始まつて、職場闘争とか何とか言つております。しかし自分の知つている範囲では、この第一分所、最初捕虜になつた当時の收容所では、何度も言うように非常にスムースに行つていました。つまり軍刀をさげて階級章をつけてというぐあいに——軍刀はつつておりませんが、そういうことになつたならば、そしてしかもなぐられた場合は、確かにそこに反抗心も起きたでしよう。しかし自分も兵隊を持ち、かつ働くときも一緒になつて、小隊長になつても働くという態度は、決して兵隊を憤懣には持つて行きませんでした。これは自分とは逆な、もし民主運動をやつた者が特別食を食つて、かつびんたをして兵隊を酷使した、しかもそれがさも長期間続いたように言われておる。あるいはそういつたところもあつたかもしれません。そういつたところは確かに悪いでしよう。しかし自分の経験して来たそこでは、もし兵隊に殿をつけさせても、兵隊の方では何とも思わなかつたというだけに、悪い言葉で言えば、兵隊が非常におとなしかつた。しかし第一收容所では、将校の方から兵隊と妥協して行きましたし、かつ作業にも一緒に行つて、どろにまみれてやつて行きましたから、その点はタシケントの第一收容所における限り、決して憎まれるような、あと指をさされるような将校は非常に少かつた。民主運動が事後ずつと高揚して行つても、やつぱりグループ員でも自分から昔の階級を呼んだり、殿をつけたりして行きました。しかしその間において、彼ら同士批判されたり何かしていましたし、それが長く続くことができただけに、民主運動も高揚しないという非難もありますが、それだけにわれわれとしては、捕虜になつたんだから上も下もなく、作業だけは忠実にやつて行こうという意味で、非常に生活そのものは互いに譲り合つて、うまく行つたんじやないかと思います。ベグワードの方に行つてからは、将校が特別食なんか食つていると自分も聞きましたが、その特別食の問題も、日本側の将校の方から食わせろといつた場合はなくて、やつぱりメニューがきまつていますから、それでこちらで断つても向う側として、たとえば査察官が来るときに、両方にぴたつとわけて配給する。そのために食つたということで、おそらく将校で最後まで特別食を食い、特別なことを甘んじて受けて来たというのはいないでしよう。これは日本人である限り、そういつたことはとてもできませんでしたし、われわれはやりませんでした。だから反軍闘争が必ずしも民主運動を起したきつかけではなかつたろうと思います。だからタシケントの第一では、要するにわれわれの生活をうまく、朗らかにやつて行くためには、こういつた運動がよかつたというような形であつたと思います。
○石田(一)委員 証人の言われるタシケントにおいては、よそではびんたのひどいところもあつたけれども、非常にうまく行つたということは了承できるのです。しかも反軍闘争そのものが、いわゆる民主化運動のおもな原因ではなかつたということは、おもなる原因ではなかつたが一部の原因になつているのじやないかと思うのです。これはもう過ぎたことであつて、先ほどあなたのおつしやるように、あなたたち自身が反省なさつてもらえばいいと思うので、このことを今追究しようというのではありませんが、少くとも彼ら、要するに捕虜になつた兵隊たちが反軍闘争あるいは反フアシスト運動というような傾向から、しかも先ほどもおつしやつた日本新聞等を通じて、日本のいわゆる一部分の状況が報道されるというようなことで、なお何も知らないあなたたちの旧部下は、ますます反軍闘争、反フアシストというような運動に伍して行つた。このこと自体、少くともソ連の收容所にいた人たちのいわゆる民主化運動、反フアシスト運動、そのことは、はたして荒く同じ日本人が責められる立場にあるかどうか、こういうふうに考えるのは、私は当然であつたと思います。そのときの要するに客観情勢というか、あらゆる問題が、この人たちがそう行かなければならない状態にあつた。それ以外に行く方法がなかつた。もちろんあなたたちが反動と目されたという先ほど御証言がありましたが、私はあなたが反動と目されたというのは、今まであなたたちのおやりになつたやり方が反動とされたということについては、またあなたにも御意見があるだろうと思いますが、少くとも将校に対するところの直接の反感というものが、兵隊の中にあつた。これは私はあなたに参考までに申し上げておきますが、どこへ行つてでも、兵隊だつた者のあの戦争中の将校に対する言葉を一ぺん聞いてごらんなさい。ひまがあつたなら殺してやろうと思つていたという、そればかりです。これは恐ろしいことです。私はこんなことで旧日本の軍隊が維持されていたのかと、いまさら驚くくらいです。私は共産主義者でも何でもありませんが、ただ私は、今あなたがおつしやつたことについて最後に言いたいことは、反軍闘争が收容所における民主化運動、反フアシスト運動のおもなる原因ではなかつたけれども、少くとも相当な原因になつている。要するに兵隊時代、戦争当時の幹部に対するところの兵隊の、内地において見ると同じような憤懣が、しかもソ連の土地における收容所、しかも悪い條件ばかりで、彼らをおだてれば、そればかりに彼らがいきりたつておる。このこと自体が、そのやつた日本人自体が民主化運動をやつた、反フアシスト運動をやつたと言つてやられた方から責られる立場にはないということであります。もし責められることが許されるとするならば、あなたたちが部下をなぐつたことも許されないではないか、私はこう思うのであります。そういう観点に立つて、私は先ほどあなたがおつしやつた日本人が相反目していたのだ。だから帰つたからにはほんとうの日本人に返つて手を握つてやろうじやないかというこの気持を徹底させること自体が、ソ連にいるいまだに帰らざる人を一日も早く引揚げさせる方法だと思うのです。私はこういう点について、あなたたちのおやりになつている運動にも、一部その綱領、運動方針等で間違つた方向がありはしないか。しかも日の丸梯団が現実にやつている問題は徳田要請なるものを取上げて、輿論を喚起するということのみが一つの運動であるということ、こういうことを私は考えますのに、日の丸梯団の幹部の方たちも、もう一ぺん大会をお開きになつて、そこで討議をして、そうして民主的に下から盛り上るところの千幾人かある日の丸梯団第一、第二の人たちを集めて、大会を開いて再検討なさつて、今の運動のあり方を良心的に検討なさることがいいと思うのであります。 〔「演説はよせ」と呼び、その他発言する者あり〕
○鍛冶委員長 御意見はなるだけ短くしてもらおう。
○石田(一)委員 それではもう一つだけ聞きます。先ほど佐々木君が聞いた問題ですが、あなた自身にスパイをつけられた。それは宇野君がつけたということがわかつておる。その姓名はあなたは言いたくない。言いたくないとおつしやる気持はよくわかるのだが、しかし宇野君自身のことについては、宇野君がそういうことを言うとするならば不届きだ。彼が反動としてわれわれをこうこうしたことは不届きだ。宇野君、菅君の問題についてはたいへん皮肉なお言葉で、高いところにいらつしやるお方で、われわれ話のできないような雲の上の方だということをお話になつておるので、そこまでお話ならあなたについたスパイ、これはあなたとごく懇意な方であるそうですので、その人の姓名、住所等、あなたの知り得る限りのことを御証言願いたいと思います。
○小島証人 自分にスペイをつけた、今スパイ、スパイと言われますと、非常に陰険な気持になります。それで要するにスパイという言葉を訂正しましよう。というのは、スパイという言葉でもいいのでしようが、要するに自分が反動的な気持をまだ持つておるかどうかとか、その後反動的なことを言いふらしておるかどうかとか、そういうようなことをタッチさせる人間がおるわけなんです。それが今友だちであるだけにスパイなんというのはおかしいのです。
○石田(一)委員 あなたは今のお言葉で、スパイということを取消すとはつきりおつしやつたので、私はこれ以上追究しますまい。さつきの言葉を撤回しましよう。
○梨木委員 先ほどちよつと聞き漏らしたのでありますが、あなたは兵隊におられた時分に階級は何であつたでしようか。
○小島証人 見習士官、ポツダム少尉。
○梨木委員 見習少尉には八月一日になられたんですか。
○小島証人 任官は八月一日です。
○梨木委員 八月一日に見習士官になられた、見習将校……。
○小島証人 見習十官は終戰前の十九年十二月になつております。
○梨木委員 それで……。
○小島証人 終戦のときはまだ見習士官でありました。下命は八月一日付であります。
○梨木委員 それで科は何でしたか。
○小島証人 航空兵。
○梨木委員 航空隊ですか。
○小島証人 飛行機の方です。 〔「簡単明瞭にやれ」と呼ぶ者あり〕
○梨木委員 簡単にやります。それであなたは兵隊に入る前は何をしておられましたか。
○小島証人 前は学生であります。
○梨木委員 今は何をしておられますか。
○小島証人 今はまだいろいろやつてはみておりますけれども、遊んではおりません。日雇いにも行きますし、あるいはちよつとした筆耕のようなこともしております。
○梨木委員 お家の方は何か御商売を……。
○小島証人 家の方は大工をやつております。
○梨木委員 日の丸梯団に入られた動機、それをちよつと聞きたい。
○小島証人 自分の動機は、今までずつとそういうぐあいにほとんど民主運動に参加しなかつたために、発言権も何も全然ありません。だからして船に乗つたと同時にその喜びが沸いた。つまり発言できる船に飛び込んだということになります。
○梨木委員 そこで伺いますが、あなたは在ソ中に発言できなかつたというのは、これはどういうわけなのですか。
○小島証人 たとえば自由なことが自分はできないわけですね。
○鍛冶委員長 そうじやない。なぜ自由なことができなかつたかというのだ。
○小島証人 民主運動が盛んになると、とにかく自由なことはできなくなります。
○梨木委員 その民主運動にあなた自身が入られれば、そこで自由に発言できるのじやないですか。
○小島証人 それが入つて、自分の意思が伸ばせるならいいですが、できません。たとえば自分は学生でありますので、英語の辞書はずつと持つて、英語の勉強をやつておりました。ところがそれがカンパの材料になつて、自分は日米反動と結託する人間としてつるし上げられました。その通りで自分のやりたいと思うことは——自分がグループに入つて英語を勉強するというようなことはとうていできませんし、従つて自分はそういつたものには入りませんでした。
○梨木委員 そういう関係から、あなたが反動と目されておつたわけなんですか。たとえば今あなたかおつしやつたように、英語を勉強したい。そういう気持を持つていても、民主グループの方に入れば、そういうことも自由にできないから入らなかつた。入らなかつたために反動と目されるようなことになつた、こういうことになるのでありますか。まだほかに何か原因があるのですか。あなた自身がもつと民主グループのやり方について、基本的な根拠があつたのか、今おつしやつたようなくらいのことでお入りにならなかつたのか。
○小島証人 それはいろいろあります。たとえば自分の言う言葉も悪いでしよう。たとえば国に帰らなければ、この主義がいいか悪いかわからないと言うことも、これはひより見に入ります。それから日本新聞を、これは機関紙だから、全部を信用はできないと言うことも、反動の中に入ります。そういつた自分たちがしやべつてもいいようなこと、また自分はそういつたことを聞かれると、すぐ話もし、説明もするものですから、結局それが全部、いつこういうことを言うた、いつこういうことを言うたといつて、全部向うに通じて行くわけです。それが積り積て反動のあれになつてしまうのであります。
○梨木委員 そうですが。そこであなたは船の中で日の丸梯団が結成された。これは久保田さんとは……。
○小島証人 別です。
○梨木委員 全然別ですか。
○小島証人 そうです。
○梨木委員 久保田さんの方とは関係はないですか。
○小島証人 ありません。
○梨木委員 あなたが帰つて来られたときの日の丸梯団というのは、さつき石田委員からも質問がありましたが、日の丸梯団の報告書というものが中央公論の三月号に出ておるのですが、あなたごらんになつておりませんか。
○小島証人 載つておるということは知りました。しかし買つて読んでおりません。
○梨木委員 そこで先ほど石田委員からの質問の中で、日の丸梯団の綱領の中で記憶しておるところは、日本人らしい日本人になる、それから白紙に返れという言葉もあつたようでありますか、この日本人らしい日本人というのが私にはちよつとはつきりしないのであります。たとえば戰争面の日本人といえば、戰争前、一九四一年ですか、あの米英との戰争が開始され、もちろんその前にもありますが、今度の戰争の前の日本人らしい日本人といえば、あの戰争を謳歌し、それからこの戰争に積極的に協力するというのが、日本人らしい日本人ということになつておつたと一般的には言われると思うのです。ところで今の日本人といえば、それは戰争に反対し、日本の、特に軍事基地化に反対し、日本の独立を守るために闘う、これが日本人らしい日本人だと私は思うのでありますが、そこの辺の日本人の解釈であります。それが私にははつきりしないのでありますが、あなた方掲けられた綱領の中ではどういうのをさしておられましたか、それを聞かしていただきたいと思います。
○小島証人 自分の言う日本人らしい日本人というのは、要するに日本人を売るようなやつは自分では日本人に入れません。だから、日本人らしい日本人というのは、たとえば作業中につらさのあまりに、憲兵隊に若干勤務したことを話してみたり、あるいは自分の前職めいたことをふだん話したことが、全部彼らのアクトになつて報告されます。そうしたら、その結果として、ほんとうに戰犯に類するようなものが監獄に行つておるならばこれは当然でしよう。しかし行つておる受刑者はどういうのがおりますか。特務機関で給仕をやつておつた十八歳の子供が、十八年から二十年の懲役じやないですか。それからまだほかに幾らでもあります。これはわれわれどう考えたつて戰犯に属さない。たとえば満洲の開拓団の団長だつた人も、十八年から二十年の懲役で行きました。それはその人は何もすきでしやべつたことではない。しやべつた当時は、団長だつたということは決して罪になることであると思つてしやべつてはいないと思う。ところが、ソ連側で受けつけるやつは、そういうぐあいにがんとした判定を下されてしまう。一たん刑に行つてしまつたら、それをどうやつてわれわれは救い出しますか。そのいわゆる日本人を売るというのはそれなんです。だからわれわれだつて、すきで戰争に行つたわけでもないし、すきで将校になつたわけでもない。だから完全に戰犯に属すると言われる者が処罰されておるならば非常にけつこうだと思います。しかし戰犯に属さないと思う人たちが行つておるために、それは日本人らしい日本人の運動でもなかつた、だから、日本人らしい日本人に立ち返れと叫んだのであります。
○鍛冶委員長 わかりました。なるべく簡単に……。
○梨木委員 そこで戰犯のあれで追究というのは、あなたは賛成なんですね。
○小島証人 それはもちろんそういつた誤謬がなかつたら、戰犯の追究ということは当然あるべきだと思います。
○梨木委員 そこで戰犯を追究し、摘発するためには——戰犯は自分から名乗つて出るような人がありましたか。戰犯が、自分で私は戰犯でありますといつてソビエト当局へ申し出るような事実はありましたか。(「お前は、自分は共産党員だと言つて名乗つて出るか」と呼ぶ者あり)私は証へに聞いているのです。
○小島証人 それは捕虜にした当時の名簿でもあるのじやないですか。別段……。(発言する者あり)私もそういう、ふうに聞かなければわからないですから……。
○梨木委員 だから、私があなたに聞きたいのは、戰犯というものは、ソビエトの方からいえば、だれが戰犯であるかなかなかわからないですね。また日本人といたしましても、戰犯は徹底的に追究し、処罰しなければ、二度と再び戰争を起すかもしれない。日本人といたしましても、戰犯はあくまでも追究し、これを摘発して行かなければならぬ、この点については今あなたも賛成されましたね。その方法として、やはり日本人同士の間で戰犯の摘発をしなければ、ソビエトとしても、戰犯はどうしても見つけ出すことができないじやないかと私は思います。その辺のことはどうですか。だから、戰犯であるかないかは調べてみなければわからないから、その方法として、日本の捕虜の間でお互いに戰犯は徹底的に追究しようじやないかという運動が起り、その運動の一環としてそういう事態が起つて来たのではないですか。
○小島証人 そうすると、結局ソ連が戰犯を見つけ出すために、民主運動が利用されたというのですね。
○梨木委員 利用されたかどうか知らぬが、民主運動の中に戰犯を追究するということは、一つの大きな運動の一環になるじやないですか。民主運動の中で、戰犯の追究ということもあつたじやないですか。
○小島証人 最初の民主運動が高揚したときには、戰犯を追究するということは、綱領とかそういうものにはなかつたと思います。だんだん発達するにつれて、あとから戰犯を徹底的につるし上げろとか、あれせいということは出ておりました。
○梨木委員 その戰犯を追究し、見つけ出すというその過程の中で、あなたから見れば、これは何か日本人が日本人を売つたようなことになるのですが、その売られた人間は、それは人間のやることだから、そこには実際は戰犯に該当しない人もあつたかもしれませんが、しかしその意図するところは、戰犯でない日本人を売るというのじやなくて、それは日本人らしくない日本人をあくまでも摘発して行くという運動であつたんじやないですか。どうなんですか。だからあなたは日本人らしくないことをやつた、日本人が日本人を売るようなことをやつたというその売るということは、戰犯を追究する、そのことを言葉をかえて言えばそういう行動となつて現われたんじやないですか。(「そうじやない」と呼ぶ者あり)
○小島証人 ただ自分が言いたいのは、戰犯を追究するために民主運動が利用された、自分はそう解釈しています。それから戰犯を追究するためには、そういつたソ連側だけではできないのだから、必ず日本人を利用してやらなければそういつたものは見出せない、だからこれは当然と考えるだろうというわけですね。
○梨木委員 そうです。そこを質問しているのです。
○小島証人 そういうぐあいに、もちろん言葉も知らない、風俗も知らないのですから、それを摘発する場合には、そういつたことがどこの国でも用いられるわけでしよう。
○梨木委員 そうですね。だからあなたは、日本人らしい日本へというものの中にどういうものがあるかといえば、日本人を売るようなものは日本人らしくない、こうおつしやるのですね。ところでそれは戰犯の追究としてやられたことなので、当然のことなのではないか。そういう、日本人として追究しなければならない戰犯をほうつておくことは、そういう者が日本人らしい日本人だということになるのですか、どうですか。
○小島証人 これは自分の考えですよ。日本人が日本人を売るという場合は、自分としては戰犯を摘発される場合でも、金を渡して日本人に日本人のそういつたあら探しをさせるというような手を打たなくてもいいのではないかと思うが、あなたからそれより手はないのだぞと言われれば、私はここでそういうことは当然やることでしようとお答えするよりほかはないのです。しかし私が言いたいのは、在ソ民主運動によつて完全な戰犯が戰犯としてそういうぐあいにあげられているのならいいですけれども、そうでなくて、ほかの者がどんどん犠牲になつたということを強調したいのです。
○梨木委員 ところであなたは、参議院でいわゆる徳田要請問題を調べておつたそのときに、つまり反動と目されるような人々だけを調べておるということですね。それは事実かどうか知りませんが、もし反動の側に属すると目されている人だけを調べておるとして、そういうやり方についてはあなたはどうです、賛成ですか。
○鍛冶委員長 もしというような仮定で言つてもしようがない。
○梨木委員 これは事実参議院のやり方を見ますと、反動と目される方が九分九厘なんです。こういう調べ方、これではいわゆる徳田要請問題の真実はつかめないと私は思いますが、あなたはどうお考えになりますか。
○小島証人 アカハタ三月二十九日に書いてあるように、これには私が先ほど反駁したあれを書きましたが、それを読んだのですが、それにも言うているように、日の丸梯団員ばかりを証人に喚問するというのは不公平である。それは前にも言つたように、あの徳田要請の問題でも反動と言われたような連中はあまり聞きに行つておらぬのだ。だからこの際郷里にいる、われらの徳田と叫んでおつたアクチーヴの連中こそ、この問題の出たときにはさつそく飛び出して、それを救うべきだという皮肉を私は言つたのであります。だから結局あなたが今現実に見てと言いますけれども、私が現実に見たのは、参議院で私が証人に立つたときに、横に来た人は純粋の共産党員です。
○梨木委員 たれですか。
○小島証人 何という人か知りません。何か手紙をソ連側に送つたとか送らないとか言いました人です。だから自分はあのときは、この新聞の出る前ですが、帰つて来てこの新聞が出ましたから、私自身としてはさらにこういつた手紙を書く確信を得ております。だから目の丸梯団員ばかりでなく、こうして自分の横にいる党員も喚問されて来ているのだなと思つておりました。従つて今のお答えは私がこれだけ言えばわかると思います。
○梨木委員 その次に伺いますが、あなたは四十四名の中には入つておられないということでありましたね。そこで四十四名の人が舞鶴で調べを受けた云々のことについて、あなたは何か承知していることがありますか。
○小島証人 知りません。
○梨木委員 引揚げて来られまして、ソビエト地区のみならず、海外の引揚者の方々の生活実態というものについて、どの程度あなたは御存じでしようか。職やあるいは住宅その他の生活援護の問題がどういう程度になされておるかという点についての実情を知つておられるか。あるいはそれについての感想を伺いたい。
○小島証人 それは実際帰つて来た者として言いますと、決して引揚げして来たわれわれに対する政府の受入れ態勢というものは、完全なものとは言えません。それでわれわれは向うにおつたときは、また今なおいる者はルンペンしても、ごじきしても帰りたいという気持でありますだけに、これはまず帰すということが第一、しかしこちらで受入れ態勢を完備させてやろうということはその次、そういうぐあいに考えております。
○梨木委員 帰りの船の中でいろいろな取調べを受けられたような事実はありませんか。船長あるいは復員官によつて、いろいろな調査をされた思いますが、どういう調査をされたかということを伺いたいのであります。
○小島証人 復員官とか、そういつた者からは全然ありません。
○梨木委員 船の中では。
○小島証人 はい。
○梨木委員 船長並びに復員官から何か調査されたような事実はありませんか。
○小島証人 直接やられたことはないが、いわゆる調査といつても、向うに残つておる者で記憶している人、それを書き出すようにということはありました。
○梨木委員 その程度ですか。
○小島証人 そうです。
○梨木委員 舞鶴に上つてからいろいろな調査をされただろうと思いますが、その調査の実況を聞かしてもらいたい。
○小島証人 舞鶴に上つてからは向うに残つている者、特に自分の知つておる者はあまりたくさんおりましたのて、残つている者から死んだ者、そういつた者の報告調査で終始しました。
○梨木委員 それから身体検査をされ、写真をとられる、そういうようなことはありませんか。持物一切を調べられるというようなことはありませんか、どうです。
○小島証人 持物一切というと……。
○梨木委員 持つている物全部を調べられておりませんか。
○小島証人 それは知りません。消毒に全部出してしまつておりますから……。
○梨木委員 消毒に出すのですか。
○小島証人 われわれが立会つて検査するというのではなくて……。
○梨木委員 あなたたち立会わない、知らないうちに消毒にまわされるのですか。
○小島証人 そのまま何日間か消毒に行つておるのであります。
○梨木委員 消毒するのだと言つて持出すのですね。その持物は全部返してもらえますか。
○小島証人 全部返りました。
○梨木委員 それからいろいろな思想調査だとか、向うにおつてのいろいろな飛行場だとか、軍事的な施設だとか、工場のあり場所、そういうものを聞かれておりませんかどうです。
○小島証人 それはたれからですか。
○梨木委員 舞鶴でだれか知らないけれども、とにかく調べられておる事実はありませんか。復員官かその他の人々から……。
○小島証人 復員官ですか。
○梨木委員 もしくはその筋の人々から調べられておりませんか。
○小島証人 もちろん思想調査というようなあれは、簡単なもので行われた。
○梨木委員 どういうふうな……。
○小島証人 それは何か紙に書いて、いわゆるいろいろなテストみたいものですね。それを紙に書いて出すというような……。
○梨木委員 つまり共産主義を正しいと思つておるかどうか、こういう調べをしないのですか。
○小島証人 たしかそんなものだつたと思います。
○梨木委員 それからソビエト地区内におけるあなたの知つておる程度の地図を書き出せと言われて調べられておりませんか。
○小島証人 向うで工場に勤めておりましたから、工場に勤めている範囲のことを聞かれました。だから各收容所をまわつて来たその経歴について全部書きました。
○梨木委員 地図とか地形とかを書かされたことはありませんでしたか。
○小島証人 舞鶴では地形とか、そういうものは全然書かされておりません。
○梨木委員 舞鶴では書かされておりませんが、どこかで書かされておりませんか。
○小島証人 書かされておる人間もおります。
○鍛冶委員長 それでは済みました。どうもありがとうございました。 —————————————
○鍛冶委員長 お諮りいたします。これから滝沢証人より証言を求めたいと思います。が、このあと二名の証人が残つているのであります。本日はたいへん時間もおそくなりましたので、証人より証言を求めることはこの次の滝沢証人だけにいたし、矢浪、高山の両証人については、明日午後一時に延期いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 御異議なきものと認め、さよう決します。滝沢滝十さんですね。
○滝沢証人 そうです。
○鍛冶委員長 あなたはソ連へ行つておられたようだが、まずソ連へ行かぬ前は、うちで何をやつておりましたか。
○滝沢証人 うちでといつても満洲におりました。
○鍛冶委員長 満洲で何をやつておつたか。
○滝沢証人 満洲の牡丹江で特務機関の軍属をやつておつたのです。
○鍛冶委員長 それで終戰のときまで軍属で働いておつたのですか。
○滝沢証人 そうです。
○鍛冶委員長 それから停職になつてからどうしましたか。
○滝沢証人 収容所へ収容されました。牡丹江のところに拉虎というところがあるのです。
○鍛冶委員長 いつまで収容所におつたか。
○滝沢証人 九月の九日までおりました。
○鍛冶委員長 それからどうしたか。
○滝沢証人 それからずつと徒歩でソ連に入つたわけです。
○鍛冶委員長 ソ連のどこからどこにおつたか。
○滝沢証人 ブラゴエシチエンスクの五七〇労働大隊、そこに三年ほどおつて、今度二十三年の八月、十三地区十五分団。
○鍛冶委員長 やはり場所はブラゴエシチエンスクですか。
○滝沢証人 十三地区は沿海州のスーチヤンというところです。
○鍛冶委員長 そこにどれだけおつたか。
○滝沢証人 一年三箇月おりました。
○鍛冶委員長 そうすると二十五年になるね。
○滝沢証人 二十四年の十一月です。
○鍛冶委員長 それからどうした。
○滝沢証人 それから帰国したわけです。
○鍛冶委員長 現在何をやつておりますか。
○滝沢証人 現在浜松の市の消防署に勤めております。
○鍛冶委員長 年は幾つですか。
○滝沢証人 三十二歳。
○鍛冶委員長 あなたは在ソ中、スーチャン地区で日本共産党野坂參三氏から、反動分子は帰ることはならないということを、ソ連側に申し入れたということを聞いたことがありますか。
○滝沢証人 あります。
○鍛冶委員長 それはどういうところで、だれから聞いたか。
○滝沢証人 言つた人の名前は知らなかつたのですが、その十三地区の十五分所にいた当時ですから、二十三年の八月です。そこで言つたわけです。
○鍛冶委員長 それはやはり同じ捕虜の仲間ですか。
○滝沢証人 そうです。
○鍛冶委員長 アクチーヴの人からか。
○滝沢証人 そうでない人です。
○鍛冶委員長 どういう機会に聞きましたか。
○滝沢証人 われわれがそこに行つたら、あなた方どうしてここへ来たというような話から始まつて、元おつた部隊はどこだとか、ここだとかいう話から、ちようど話した連中は北支の衣部隊におつたのです。それからこの部隊の人たちはどうして来たのかと聞いたわけです。そうしたら、今言つたようなことを向うで返答しました。
○鍛冶委員長 その人もいわゆる反動分子といわれておつたような人ですか。
○滝沢証人 その当時はわれわれはつきりわからなかつたのです。われわれ行つたばかりのときでしたから……。
○鍛冶委員長 君も反動分子の仲間へ入れられたのか。
○滝沢証人 はつきりそうではなかつたのですが、大体そんなような部類に入つておつたかもしれません。
○鍛冶委員長 あなたはこういうところへどうして来たのかと言うからといつて、すぐ野坂から帰すなというのはおかしい。反動分子と目されてここへ来た、お前も反動分子か、こんなような話からじやなかつたのですか。
○滝沢証人 反動分子というよりか、元反人民的な行為をやつておつてといつたようなことから始まつて言つたのです。
○鍛冶委員長 それでどうだつて、お前もそういうのかと……。
○滝沢証人 ええ、まあ自分たちの今まで勤めておつたこともいろいろ話し合つて、それからそういうことになつたのです。
○鍛冶委員長 もう少しありのままを言つてごらんなさい。おれも反動分子と目されて、反人民的なあれで来た、お前もそうかと言つた、それから……。
○滝沢証人 それで、どうしてあなた方北支におつて、と聞いたわけですけれども……。
○鍛冶委員長 大体そのときの話の順序を追うて言つてごらんなさい。お互いはこれはちよつと帰れないぞというような話でも出ましたか。
○滝沢証人 まあそんなような話もしました。
○鍛冶委員長 それでどういうわけで帰れないのだと、そう言うのか。あまり私から言いたくないが、君が言われぬから……。じやまあいい。反動分子は帰ることはならぬと、どこから言うて来ておるとかいう話はなかつたですか。だれから聞いたとか……。
○滝沢証人 だれから聞いたということは聞かなかつたです。
○鍛冶委員長 それで、とうていお互いは帰れんぞくらいのところを言うておつたの。
○滝沢証人 まあそんなようなことを言つておりました。
○鍛冶委員長 あなたはこれを何か人に話したようだが、そして新聞に出たようだが、どういうことからだれに話したの。
○滝沢証人 うちで、ちようど夕食のときだつたですが、兄貴と二人で夕食を食べておつたのですが、そうするとラジオで徳田要請というようなことを言い出して、それで、自分は向うにおつたときに聞いたのは、徳田氏でなく野坂氏だというような話をした、そんなようなことから始まつて……。
○鍛冶委員長 兄貴にそう言つたのか。
○滝沢証人 そうです。
○鍛冶委員長 それで……。
○滝沢証人 兄貴がまたよそへ行つてしやべつたかどうか……。
○鍛冶委員長 そうしたらそれが新聞に載つたの。
○滝沢証人 そうです。それから新聞社の人もまた来たのですが。
○鍛冶委員長 兄さんのところに来たのか。
○滝沢証人 うちに来たです。
○鍛冶委員長 あなたもおるときにか。
○滝沢証人 ええ。
○鍛冶委員長 そこで新聞社の人に……。どの新聞社だつた。
○滝沢証人 静岡新聞です。読売とかいろいろあつたようですが……。
○鍛冶委員長 全部一緒に来たの。
○滝沢証人 同じ日だつたですが、一緒じやなかつたです。
○鍛冶委員長 そこであなたと一緒に新聞社の人にそういう話をしたのかね。
○滝沢証人 私がしたです。
○鍛冶委員長 どんなような話だ。
○滝沢証人 あの新聞に出ておつた通りなんです。
○鍛冶委員長 割合新聞に出ておつたのは順序立てて言つておつたが、今あなたの言うのは、あまり順序立たないのだが……。そういうことを私は確かに聞いた、こういうことでも言つたんですか。
○滝沢証人 言いました。
○鍛冶委員長 この新聞のは大分りつばなことを書いてあるのだが、君はその通りこういうことを言つたのかい。
○滝沢証人 大体その通り言いました。
○鍛冶委員長 覚えているでしよう、どういうことを言うたか。
○滝沢証人 大体覚えて……。(笑声)
○鍛冶委員長 その通り言うてみたまえ。大体でいいんだよ。そんなに肩張らぬでいいんだよ。ありのままで……。
○滝沢証人 二十三年の八月に、そのラーゲルに古くからおつた連中に、あなた方どこにおつたというようなことを聞いたわけです。そうしたら、もとは北支の衣部隊におつて……。それであなた方どこにおつたというような話をいろいろ話したわけです。どうして北支の方から帰れないかというような話をして、そうしたら衣部隊で、その衣部隊除の連中もやはり帰つた者もあるらしい。その連中が帰つて、こつちでもつてどういうことをしたか何したか知らぬですが、まあとにかくこつちへ帰つた結果が、日本革命の何かにじやまになるような行為をしたとかしないとかいうので、そんな関係で野坂氏から、そういつた連中を今帰されたんではぐあいが悪いから、あとまわしにしてくれと、こういうようなことを言つて来たという話を聞いた。
○鍛冶委員長 野坂から……。
○滝沢証人 ええ。
○鍛冶委員長 これはアカハタに載つている記事だけれども、三月四日付靜岡新聞に次のごとき記事があつた。野坂參三氏は、日本は革命の一歩手前にあり、この際反フアシスト・グループに参加していない反動分子が帰つて来ると革命のじやまになるから、当分帰すのを見合せて欲しいという要請を、ソ連当局にしたという新らしいニュースが伝えられた。まあこう書いてあるんだが、こんなりつぱなことを言うたんかい。
○滝沢証人 りつぱなことというか、まあそういうようなことを言つたわけです。
○鍛冶委員長 今あなたが言うたようなことが、こう記事になつたわけだね。
○滝沢証人 言葉は違うかもしれませんが、まあ同じです。
○鍛冶委員長 ところが、その記事が新聞に出たら、あなたのところに日本共産党員と称する者が面会を求めに来たそうだが、そういう事実はありましたか。
○滝沢証人 自分の留守中に一回来たそうです。
○鍛冶委員長 それでだれが会つた……。
○滝沢証人 自分の兄貴が会つて……。
○鍛冶委員長 それで会つてどういう話になりました。
○滝沢証人 そのときの話は知りませんです。
○鍛冶委員長 それから……。
○滝沢証人 その後浜松支部か何かで壁新聞か何か出したそうです。本人滝十君に会つたら、この間のはうそだ、靜岡新聞はでたらめを書くとか何とか出したそうですけれども、それは私も知らなかつたです。
○鍛冶委員長 そういう壁新聞が出た……。
○滝沢証人 壁新聞か何か知りませんが、そういつたようなものを出したそうですが、そのことについてはあとで共産党の方から三名ほどであやまりに来ました。
○鍛冶委員長 ちよつと待つてくれ、順序を追うて聞きますからね。そこであなたはその壁新聞の出る前に、共産党の人に会つたことはないのですね。
○滝沢証人 ないです。
○鍛冶委員長 しかるに壁新聞では、面会者に対して、野坂さんが反動的な人間を帰さないように言つたことは知らないと述べた、こう出たそうですね。そういうのでしよう。
○滝沢証人 そうでする
○石田(一)委員 委員長、議事進行について伺いたい。委員長は証人の言葉を聞くのじやないのかね。そこに書いてあることを読んで聞いて、ああそうです、ふんそうです、そんなばかなことはありはしない。
○鍛冶委員長 そうじやない。
○石田(一)委員 証人が知つていることを聞けばいい、あんたが言うことを、ああそうです、ふんそうです、それで証言になるか、それが誘導尋問の典型的なものだよ。
○鍛冶委員長 この壁新聞を今ここに四枚にしてあるが、今あんたが言つた壁新聞とは、こういうものでしたか。これをちよつと見せてください。 〔証人に書類を示す〕
○鍛冶委員長 そういうものでしたか。
○滝沢証人 私は、壁新聞ははつきり見ないのです。 〔「見ないものを聞いてもだめだよ」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 見なかつたのですか。
○滝沢証人 壁新聞は見ないのです。しかし内容は聞きました。
○鍛冶委員長 どういうことを聞きました。 〔「壁新聞を見せておいて、そんなことを聞くことがあるか、しまつて置け」と呼ぶ者あり〕
○滝沢証人 ……。
○鍛冶委員長 あなたが、反動的な人間を帰さないようにと言つたことは、知らないと書いてあつたそうですが、それは聞きましたか。
○滝沢証人 それは聞きました。
○鍛冶委員長 そういうことを言うたことがあるのかないのか、会つていないのか……。
○滝沢証人 全然会つていないのですから、何も言わないのです。 〔「委員長、証言の内容を言うなと言うのだよ。証人に答えさせろ。こう言つたのかああ言つたのか、ああそうです、ふんそうです。そんなばかなことがあるか。」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 しやべらないから、ヒントを與えてやらなければいけない。壁新聞に出たということを知つているのだから……。 〔「どういうことを言つたか聞いたらいいのだよ。」「証人に言わせるようにしたらいいのだ。」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 さらに三月十日のアカハタに、それと同じような記事が載つておつたということを知つておりますか。
○滝沢証人 知りません。
○鍛冶委員長 そこで、その共産党の人があやまりに来たというのは、どういうことですか。
○滝沢証人 さつき言いましたように、本人滝沢君に会つていろいろ聞いたら、この間の靜岡新聞の記者に会つて言つたことは、全然うそであるといつたような意味のことを壁新聞に出したそうですが、そのことに対して浜松支部にいる袴田という党員か何かの人が来て、この間出した壁新聞の記事は、こつちで聞き違いであるから、あのことは許してもらいたいということを言つて来ました。
○鍛冶委員長 それはだれか抗議でも申込んだのですか。
○滝沢証人 これは自分の兄貴が、自分に会わないのに云々ということを言つたそうですが、自分は別に抗議を申込みませんでした。
○鍛冶委員長 兄さんが言つたのですか。
○滝沢証人 そうです。
○鍛冶委員長 靜岡新聞からでも、何か抗議を申し込んだのじやないですか。そういうことは知りませんか。
○滝沢証人 知りません。
○鍛冶委員長 それで、その後別にそれについて何かかわつたことはありませんでしたか。
○滝沢証人 その後、別にかわつたことはありません。
○鍛冶委員長 それじやよろしいです。何か尋ねることがありますか。
○石田(一)委員 あなたはこちらにお帰りになつて、浜松で共産党の支部か何かにお入りになるか、また浜松あたりにある民主グループとか何とかいうものの会合などに、出席したことはありませんか。
○滝沢証人 ありません。
○石田(一)委員 それであなたのおつしやつた野坂要請なるものですが、要するに反動は、革命一歩手前にある日本の革命のじやまになるから、反動は帰すなという野坂氏の要請があつたということは、もう一ぺんはつきり聞いて置きますが、二十三年の八月に聞いたとおつしやるのですね。
○滝沢証人 八月の末か九月だと思います。
○石田(一)委員 徳田要請というものか今国会の参議院あたりでも問題になり、ここでも今その件を中心として調食しているのですが、それがいつごろあつたということは御存じですか。要するに徳田要請というものは、いつごろの問題だということは御存じですか。
○滝沢証人 それは知りません。
○石田(一)委員 あなたが聞いたというその相手方、この相手方は、スーチマン地区に前からいた人が、野坂要請というものは、どういう手紙でよこされたとか、あるいははがきでよこされたとか、何とか言いませんでしたか。それとも日本新聞にそういうことが出しいたの、だとか何とか、何か言いませんでしたか。
○滝沢証人 それはなかつたです。
○石田(一)委員 こういうことを野坂參三氏から言つて来ているのだと、ただそれだけですか。
○滝沢証人 それだけです。
○石田(一)委員 その人は、手紙とか何とかを見たと言いましたか。
○滝沢証人 いや、見たと言いません。
○石田委員 その人もほかから聞いたと言いましたね。
○滝沢証人 ほかから聞いたのだろうと思うのですが、その当時は、あつちでもこつちでもみなそう言つておりました。
○石田(一)委員 ああそうですが、その人一人だけじやなかつたのですね。
○滝沢証人 一人だけじやない。
○石田(一)委員 その当時は、スーチヤン地区では寄るとさわると、野坂參三というものが、こういうような要求をソ連にして来ているのだという話で持ち切つていたのですね。
○滝沢証人 まあそうですね。持ち切つていたというほどでもないのですが、あつちへ行つても、ごつちへ行つてもそういう話はしておりました。
○石田(一)委員 それではそのスーチヤン地区で、あなたの現在知つていらつしやる方で、その話を聞いたり話したりした人のお名前を、だれか覚えていらつしやいますか。
○滝沢証人 そうですね。聞いたり話したりした人の名前は、覚えておりません。
○石田(一)委員 あなた一人がいらしつたのですか。そのスーチヤン地区へは……。
○滝沢証人 いや一人じやないのですが、あそこは特殊なーレゲルで、出たり入つたりしていましたから、名前も何もわからない。
○石田(一)委員 あなたが特殊ラーゲルでスーチヤン地区に送られたのは、あなた單身で送られたのですか。
○滝沢証人 七十名ほど。
○石田(一)委員 その七十名は、要するに元の收容所に七十名でいたのでしよう。
○滝沢証人 おつたのです。
○石田(一)委員 その人と一緒に行つたのですから、その七十名のうちのだれかが、あなたと同じようなことを聞いていると私たちが思うのは常識だと思うのですが、そのうちのどなたかあなたの記憶にありませんか。
○滝沢証人 そうですね、三人くらいの名前は知つております。
○石田(一)委員 その三人くらいの名前をちよつと言つてください。この野坂要請というものを聞いたと言われる、また話したと言われる七十名は、あなたの仲間だから、初めてそこで聞いたのだろうが、私は三人でも五人でも十人でも、多い方がいいと思うのですが、その名前の記憶があれば……。
○滝沢証人 はつきりした住所は知らないですが、佐々木猛、田島金次郎、それから一緒に行つたのではなくて、もとからそのラーゲルにいた笠木富夫なんというのがいます。
○鍛冶委員長 その人たちとこういうことで話し合つたことがあるのですか。
○滝沢証人 別に聞いただけで、こつちは話し合つたわけではないのですが。
○鍛冶委員長 その三人が知つているというのはどうして知つているのですか。
○滝沢証人 知つているだろうということです。
○石田(一)委員 もうほかにありませんか。
○滝沢証人 はつきり覚えておらぬですね。
○石田(一)委員 そうすると佐々木猛さんという方は、元どういうことをしていらつしたか御存じありませんか。要するに捕虜となる前ですね、軍人か軍属か……。
○滝沢証人 いや、兵隊だつたと思います。
○石田(一)委員 どこの兵隊かわかりませんか。
○滝沢証人 さあ、はつきり知らないですね。
○石田(一)委員 これは一緒に行つた方じやないのですか。
○滝沢証人 一緒に行つたんです。
○石田(一)委員 一緒に行つた方は、先ほどの証言では、特殊ラーゲルで相当にらまれている者が行くのだというのですが、佐々木猛さんが行つたとすれば、兵隊であつて、反動であるとかなんとかにらまれて行つていたということを想像しますね。そうなるとあなたが初めて行つたスーチヤンでさえ、ここは特殊なラーゲルで、君、何をしていたのかという話くらい出るはずですね。七十名一緒に元の收容所にいた者が汽車に乗つて行つて、名前もこんなにはつきり覚えておりながら、あなたとその話は全然しなかつたのですか。
○滝沢証人 別にラーゲルといつても、入つたときから二年も三年もずつと一緒におつたのではないんですから、わからない。あつちから何名、こつちから何名と寄つたのです。名前くらいは隣にでもいればわかるのですが……。
○石田(一)委員 そういうことはわかりませんか。
○滝沢証人 わからない。
○石田(一)委員 田島さんの方もわかりませんか。
○滝沢証人 田島さんは元日本におつて、警察官か何かやつておつたらしいですね。
○石田(一)委員 どこの警察官だつたかわかりませんか。
○滝沢証人 どつか鳥取とか何とか言つたですね。
○石田(一)委員 幾つくらいの人ですか。
○滝沢証人 三十六、七になるでしようね。
○石田(一)委員 元からスーチヤン地区にいたとおつしやつた笠木富夫さん、この方はどこの方でどういう人だつたか御存じありませんか。
○滝沢証人 これは北支の衣部隊におつた者で、長野県です。
○石田(一)委員 長野県のどこかわかりませんか。
○滝沢証人 わからないですね。
○石田(一)委員 かんじんのところへ行つたら、探そうと思つたら探せないのだな、新聞広告でもしなければ。そうするとあなたが聞いたという人は、この三人のうちに最後におつしやつた笠木富夫さんじやないのですか
○滝沢証人 そうじやないです。
○石田(一)委員 別の人ですね。
○滝沢証人 別の人です。
○石田(一)委員 その別の人の名前はわからないのですね。
○滝沢証人 わからない。
○石田(一)委員 それじや名前のわからない、だれだつたかわからない人から、とにかく聞いたのですね。
○滝沢証人 そうです。
○石田(一)委員 あなたに話したという人も、だれかから多分聞いたのだろう、こういうことですね。
○滝沢証人 まあそうです。
○石田(一)委員 それでその当時スーチヤンの地区では、だれでも寄るとさわると、この話は出ていたの、だから、たいがい知つているだろうと、こう述べられたのだが、たいがい知つていらつしやる人も、そうするとだれかから聞いたということですか、それともその人はだれそれとか、どこそこのどういう新聞にとか、あるいは手紙で聞いていたのだとか、どこか食堂か何かに張つてあつたの、だというようなことは、話に出なかつたのですか。
○滝沢証人 そんなことは聞かなかつたです。
○石田(一)委員 それじやこれはうわさですね、だそうなという……。
○滝沢証人 今にしてみれば、うわさといえばそれまでかしらないですけれども、あの当時にしては、単なるうわさとしては……。
○石田(一)委員 それはあなたとしてはしやくにさわる、許しておけぬというようなうわさだと思うけれども、私は何だか雲をつかむようになりましたので、これ以上は質問しません。
○横田委員 一、二点伺います。この野坂要請と言われておるけれども、野坂要請というてあなたに聞いてもむりだと思いますが、大体こういうような野坂さんが帰すなと言つたというようなことは、あなたが非常に怒りをもつて共産党を攻撃するために言われたのですか、それとも単なるうわさ話として述べられたやつがぱつと大きくなつてしまつたのですか。
○滝沢証人 聞いたことをそのまま別に攻撃するとか、しやくにさわつたとかいうことでなく、言つたのです。
○横田委員 うわさ話ですか。
○滝沢証人 うわさ話というか、向うで話したその当時の話を……。
○横田委員 普通の人の言うように、普通の世間話をしておられたやつが、こういう政治的に大きくなつてしまつたのですか。何か私はこの新聞記事を読んでおりますうちに、滝沢さんたちを非常な闘士のように思つておつたのですが、聞いてみると聞きようがないのです。こういうことがよくこのころはやつているのです。とにかくこういうようなわけで、單にそういう軽い気持で話しておられたことが、こういうふうになつてしまつた。そうしてここに証人として呼び出されて、こういうようなことになつて、どういう気持が正しますか。
○鍛冶委員長 そんなことは言つていやしない。軽い気持で、うわさ話とかそんなことを言つていない。君一人できめつけてはいけない。
○横田委員 委員長黙つていなさい。この人が知ている。何言つているんだ。こつちのときは新聞をやかましく言つて、自分のときでも新聞のことを言うじやないか。
○鍛冶委員長 言わぬことをそうだなときめつけてやるのは困るというのだ。
○横田委員 世間話ですね。
○鍛冶委員長 さつき言うてるじやないか。徳田のあれをラジオで聞いたから、それで兄さんに、それならおれは野坂のも聞いたとこう言つた。 〔「委員長默つている」と呼ぶ者あり〕
○横田委員 次の問題に移りますが、共産党に攻撃した意味で言うたのではない。これは委員長も聞いたでしよう。それがこういうふうに大きくなつてしまい、そしてここに来られた。こういうことについて一体どういう気持がするか、そのことについてちよつと聞かせてもらいたい。——答えがなかつたら気の毒ですから聞きません。 〔「答えがあるまで待つてろ」と呼ぶ者あり〕
○鍛冶委員長 何か考えがありますか。
○滝沢証人 共産党に攻撃したとかなんとかいうよりは、もと向うにおつたとき、それはあれなんです。こんな調子だから、帰つたら野坂氏を何とかするとか言つた人がおつたのです。今にだれかそういうことを言つて出て来るかなといつたような調子で話したわけなんです。
○横田委員 それでただいまどんな気持がしますか。
○滝沢証人 今のところどんな気持もしません。
○坂本(泰)委員 二点ばかり聞きたいのです。スーチヤン地区で二十三年の八月聞いたと言われるが、何回ぐらい聞かれましたか。その野坂要請のことを……。
○滝沢証人 何回といつてもその当時ですから、回数としてははつきり覚えておりませんが……。
○坂本(泰)委員 一回ですか、それとも一回以上ですか。
○滝沢証人 一回以上何回も聞きました。
○坂本(泰)委員 大体何べんぐらいということはわかりませんか。
○滝沢証人 大体と言いましても、回数はちよつとあれですが……。
○坂本(泰)委員 よろしゆうございます。ウオロシーロフ地区におる時分は、何もこういうことは聞かなかつたのですね。
○滝沢証人 はい聞きませんでした。
○坂本(泰)委員 そうすると二十三年の八月以前は、こういうことを聞いたことはないのですね。
○滝沢証人 ありません。
○坂本(泰)委員 それからもう一点は、二十四年の十一月、あなたが帰られるとき、スーチヤン地区からあなた一人帰りましたか。ほかに数人帰りましたか。
○滝沢証人 あそこに四百名ぐらい、十一月十日ぐらいまでおつたのですが、二百五十名ほど帰りました。
○坂本(泰)委員 一緒に帰つたのか。
○滝沢証人 一緒に帰りました。
○坂本(泰)委員 船も一緒に乗つて帰りましたか。
○滝沢証人 たいがい乗つただろうと思いますが……。
○坂本(泰)委員 一緒に帰つたうちに、やはり野坂のことをあなたと同じに聞いた人がおりましたか。
○滝沢証人 あそこへ来て、アルフアベット順にずつと名前を呼んで、ナホトカへ来て残された人間もあるものですから、全然わからないのです。
○坂本(泰)委員 わからぬけれども、一緒に帰つたのだね、船に二百人も一緒に来たなら……。
○滝沢証人 残つた人間も少しはあるかもしれぬけれども……。
○坂本(泰)委員 大体は乗つているわけだね。その中にはあなたと同じように、二十三年の八月ごろ、野坂參三氏から反動分子は帰すことはならぬということを、ソ連側に要請したということを聞いた人はあるだろうな。
○滝沢証人 それは話し合つてみたらどうかわからないですけれども……。
○坂本(泰)委員 その前にもう一点聞きますが、反動分子は帰すなということを申し入れたことを、あなたが聞いてから、ほかに四百人もいたのだから、だれかと話したことはないのですか。
○滝沢証人 それはありますが、だれと話したというようなことははつきり覚えておりません。
○坂本(泰)委員 どんな話をしたのですか。こういうことを言つているのはけしからぬとか……。
○滝沢証人 それは言いました。
○坂本(泰)委員 あるいは民主グループにでも入らなければいかぬのじやないかというような話でも、事実をあなたの口から聞きたいのです。——結局一緒に帰つた……。事実もわからぬじやないか。大体あなたは聞いたかどうかわからないね。
○滝沢証人 それは聞いたです。
○坂本(泰)委員 相手も知らない、名前も知らない。一月、二月いたなら名前ぐらいは覚えておるでしよう。ぼくも軍隊におつた経験があるが……。
○滝沢証人 実際こうなつて来ると、方々から寄つて来て作業々々と作業に追われていて、実際そんなことはわからないのです。
○坂本(泰)委員 ただこのことだけでなくて、もう少しあるはずだよ。だからそれでその信憑力を聞くわけなんだ。
○梨木委員 あなたはいわゆる徳田要請問題についてのラジオの放送はいつお聞きになりましたか。
○滝沢証人 三月の初まりだつたと思います。二月の末か三月の初め。
○梨木委員 それをだれかと一緒に聞いておつたのですか。
○滝沢証人 自分の兄貴と一緒に聞いておりました。
○梨木委員 それを聞き終つてから、何かあなた兄さんに話されたわけですね。
○滝沢証人 そうです。
○梨木委員 それをさつきも伺つたのですが、そのとき兄さんに話された言葉そのまま、記憶されておる点を聞かしていただきたい。
○滝沢証人 とにかく徳田要請云々といつたようなラジオはあつたのですが、そのとき、ああやつぱしそうだつた、あのとき私が聞いたのは徳田氏でなく、野坂氏というふうに聞いたといつたようなことです。それだけです。
○梨木委員 それではその前に伺いますが、ラジオはどういうように放送したのですか。これはいろいろあると思うのですが、どういうように放送したことを、あなたは今記憶しておるのですか。
○滝沢証人 そのことははつきり覚えておらないのです。
○梨木委員 それでもう一ぺん聞きたいのですが、兄ざんに話した話の内容ですね、どういうぐあいに話したのですか。
○滝沢証人 いや、簡単に今そう言つただけです。
○梨木委員 どういうぐあいにですか。
○滝沢証人 今と同じことですか。
○梨木委員 ええ。
○滝沢証人 夕食を食べておつたけれども、徳田要請云々といつたようなことをラジオて言つておつたので、それから、あのときのことはやつぱりほんとうだつたな。おれが聞いたのは徳田氏というよりも、野坂氏がこういうふうに言つたというような話をしたわけです、そこで……。
○梨木委員 それだけですか。
○滝沢証人 それだけです。
○梨木委員 そうすると、私の聞いたのは野坂さんのことだつたというようなことを、兄さんに話したようなことを話されたのは、兄さん以外にはあなたはだれにも話していないのですか、ほかには。
○滝沢証人 話していなかつたですね。
○梨木委員 そうすると、結局これが靜岡新聞の三月四日付に出ておるのであります。この新聞の記事というのは、これはあなたじやなくて、兄さんかだれかがまたほかに行つて、だれかに話した結果こういうぐあいになつたとあなたは思われますか。あなたが話したのじやないとおつしやるが……。
○滝沢証人 そのことは、新聞記者に話したのです。
○梨木委員 新聞記者が来て、兄貴が話したのですか。それは三月四日の記事ですから、その前のことですね。
○滝沢証人 ラジオを聞いたことですか。
○梨木委員 この新聞の記事は三月四日ですから、この前にこういう話をされたわけですね。
○滝沢証人 三月の三日かそこらだつたと思います。
○梨木委員 ああそうですか。では次に伺います。あなたはスーチヤン十三地区の收容所に行かれた。そうしてそこに前からおつた人に、君たちはどこにおつた舞台かといろいろな話をされたということをさつき言われましたね。その中で、北支の衣部隊におつたということを話している人があつたと、こうおつしやいましたね。
○滝沢証人 言いました。
○梨木委員 衣部隊の人は、そこに相当たくさんおりましたか。
○滝沢証人 おることは相当おりました。
○梨木委員 数はどのくらいいたかわかりませんか。
○滝沢証人 数ははつきり覚えません。やはり二、三百人くらいおつたではないかと思います。
○梨木委員 この衣部隊というのは、一中国共産党員を多数虐殺したというので、戰犯の容疑で調べられておるというようなうわさを、当時あなたはそこで聞かれておりませんか。
○滝沢証人 その当時聞きません。
○梨木委員 しかしこの衣部隊の人々から、われわれはそういう嫌疑を受けているというようなことも聞かれませんか。
○滝沢証人 その当時は聞きませんでした。
○梨木委員 その当時は聞かなくても、あとで聞いたことはありますか。
○滝沢証人 そのことに関して、調査を受けたような話をされたからわかつたのです。向うにおつて人を何人殺したとかどうとかしたということを……。
○梨木委員 衣部隊の人が人を何人殺したかということを調べられていることを……。
○滝沢証人 そんなこともあとになつて聞きました。
○梨木委員 それは中国共産党員を虐殺したというようなことで調べられたのですか。
○滝沢証人 調査の内容は、外へ出てはあまりしやべらないですが、ちよつと漏れた話によると、そんなことらしかつたのです。
○梨木委員 そこのところを聞きたいのです。もう一ぺん話してください。中国共産党員をたくさん殺したという嫌疑を受けて調べられているということを、そこにおつた人たちから……。
○滝沢証人 そういうことに関して調査を受けているということも聞いたのです。全員がそうだかどうかはわかりませんが、そういう人も中にはあつたのです。
○梨木委員 あなたはここへ証人として呼ばれる前に、だれか国会の考査委員会の人と会つた事実はありませんか。
○滝沢証人 あります。
○梨木委員 いつごろお会いになりましたか。
○滝沢証人 三月の十日ごろだつたと思います。
○梨木委員 三月の十日ごろたれに会いましたか。名前はわかりませんか。
○滝沢証人 名前は忘れました。
○梨木委員 一人ですか、二人ですか。
○滝沢証人 一人です。
○梨木委員 どういうことを調べられましたか。
○滝沢証人 この間新聞に出ておつたことは事実かどうかということです。
○梨木委員 私の質問はこれで終りました。
○小玉委員 あなたは、今ちよつと言いかけてひつ込めたのですが、野坂要請というか、野坂が帰すなと言つたので、帰つて来たら野坂に、自分と同じように、そんなことを言つたのはけしからんと詰問される人が出て来るじやないかと思つたけれども、出て来ないということをちよつと言われましたが、そうですが。
○滝沢証人 そうです。
○小玉委員 そうすると、あなたがスーチヤン地区でそういう話を聞いた際に、相当野坂に対して反感を持つており、けしからんやつだ、われわれの帰国の妨害をするけしからんやつだというような話合いが、あなた方会つた者の間で行われたようなことがありましたか。
○滝沢証人 別にあらたまつた話合いではなく、普通の話のときにそういうことを……。
○小玉委員 その際に、野坂がわれわれの帰国を妨害するのはけしからんという、憤慨のようなことはお互いのうちになかつたのですか。
○滝沢証人 それはあつたです。
○小玉委員 そこであなたとしては、野坂はけしからんから、帰つたらこの野坂をとつちめるというか、ひとつ共産党に抗議を申込むというような人が出て来るかもし七れんと期待しているけれども、出て来ないというのですね。
○滝沢証人 そうです。
○小玉委員 わかりました。
○石田(一)委員 あなたのところへ行つたのは、調査員の原口さんという方じやありませんか。
○滝沢証人 そうです。
○石田(一)委員 お会いになつた十日後に、あなたは靜岡新聞の夕刊をごらんになりましたか。
○滝沢証人 靜岡新聞の夕刊、幾日ごろですか。
○石田(一)委員 十二日付だから十一日の夕刊だな。
○滝沢証人 見ていません。
○石田(一)委員 それでは十日の日に、たれか別の新聞社の人と会いましたか。
○滝沢証人 はつきり覚えていません。
○石田(一)委員 調査員の原口さんに会つた日に……。
○滝沢証人 会つた日に会いました。
○石田(一)委員 そのときにあなたは、ただいまのことをおつしやつたのですね。要するに新聞記者に対して、私はそういうこともあつたのですけれども、共産党にこのことで恐喝されたことはないとか何とかいうことを新聞記者に話しているでしよう。
○滝沢証人 ええ、話しました。
○石田(一)委員 それはどういうことです。
○滝沢証人 どんなようなことが出ていましたかとか……。
○石田(一)委員 それはあなたが話したということで、私はこの問題で共産党の人と会見をしていない。従つてビラに貼り出してあるようなことを語るわけはない。また共産党員が直接に私を脅迫されたような事実はないが、私の留守中にやつて来て粘つたとかで、非常に不愉快に感じてはおるというようなことをおつしやつた。
○滝沢証人 言いました。
○石田(一)委員 そういうことをあなたは原口さんには言いませんでしたか。
○滝沢証人 一緒におつたのですが、ちようど来ておられるとき、どつちが先に来たか、自分もよそに出ておつて迎えに来られて帰つた。
○石田(一)委員 そうすると新聞記者と原口さんという方は、一緒に行つたのですか。それとも別ですか。
○滝沢証人 別です。
○石田(一)委員 どつちが先に来たのですか。
○滝沢証人 どつちが先か、私は出ておつて迎えに来られて帰つたので……。
○石田(一)委員 そうしたら、あなたが家へ帰つて来たらだれがおつたのですか。
○滝沢証人 二人おつたのです。
○石田(一)委員 それでは別々に来たのか、一緒に来たのかわからないわけですね。
○滝沢証人 それはうちで聞いたからわかつた。
○石田(一)委員 どつちが先に来たと言いました。
○滝沢証人 どつちが先に来たかそれはわからない。別に来たことは確かです。
○石田(一)委員 しかし……。これは委員長、原口さんという人はちよいちよい証人に対してこの問題で調査をしてくださいまして、まことに感謝にたえないのでありますが、何だか調査に行く前に新聞社に寄り、しかも新聞記者を同道して行つたと思われる節もあり、しかも本人は共産党に脅迫されたことがないといつて、当日彼と並んで話しておるにもかかわらず、原口君自身は、新聞記者に語つておることが事実とすれば、これに対して脅迫がましい行為をするものがあるとの情報があつたので、何とかかんとか静岡の方にやつて来たとか、いろいろな宣伝をしていらつしやるが、このことは調査員としていらつしやつたことが、しかも静岡新聞にまで、衆議院の考査委員会の調査の手が浜松に伸びたという見出しで(「それは新聞が書くのだから、しかたがない」と呼ぶ者あり)それは新聞が書くんだが、談話の点について、本人がそんな事実がないということをいつておるのに、調査員がそういう情報が入つておるというので、すでにそれが本人の前で取消されておるにもかかわらず、こんなことを新聞に発表するということは、調査員の公正を疑われるということです。そうでしよう。だからこの点は先般来から私が言つておる通りに、明日の理事会において、一応本人を喚問するように決定していただきたいということをこの際特に要求して、私の質問を打切ります。
○田渕委員 証人に伺いますが、御家庭の御家族を一応おつしやつていただけませんか。あなたと、その家に今いらつしやる家族は……
○滝沢証人 兄と兄の妻、それに孫が二人。
○田渕委員 孫というのはあなたの兄弟ですか。
○滝沢証人 いや違います。兄の孫です。その母親がおる。
○田渕委員 おばあさんはおいくつですか。
○滝沢証人 五十くらいです。
○田渕委員 お孫さんはおいくつです。
○滝沢証人 十才に六才くらいです。
○田渕委員 兄さんの奥さん、お嫁さんはおいくつですか。
○滝沢証人 いやそれが今言つた五十……。
○田渕委員 おばあさんというのは……。
○滝沢証人 おばあさんというのは、それがそうです。
○田渕委員 兄さんはいくつです。
○滝沢証人 五十ぐらいです。
○田渕委員 これは信憑性の関係で伺うのですが、兄さんが五十、兄さんの奥さんが五十、それから子供さん、孫というのが……。
○滝沢証人 その下にあととりがおつたのですが、戰死してその妻だけ残つておるのです。
○田渕委員 そのお嫁さんはおいくつです。
○滝沢証人 二十八ぐらいです。
○田渕委員 こういうような御家庭である。そこで私は証人に伺いますが、徳田要請のことをラジオで聞いたり新聞で見て、浜松の共産党が来た。御家庭でごたごたが起きる。余計なことをしやべつてくれるな。大勢人が来てしようがないからというようなことで、あなたがはつきりしたことをおつしやらないというようなことじやないですか。
○滝沢証人 そんなことはないです。
○田渕委員 共産党から脅迫されたことはないと今言われたのですが、共産党がアジつたりおどかしに来るので、なるべく言わぬ方がいい。知らぬ存ぜぬでいた方がいいというあなたの御心境じやないですか。
○滝沢証人 共産党が脅迫に来たというけれども、自分の兄だつたら、いつでも何とでも言えというのです。
○田渕委員 どうも知つていることを何だか隠していられるように思うのです。やはり証人としてさつき宣誓した通り、知つていることは知つてるで言うていただかぬと困るので、あなたは決して何にも心配ないのです。知つていることだけは、記憶にあることだけは言つていただく方がいいのじやないか。ただ御家庭がこういう関係で、あまりいろいろなことを言つてくれるなというようなことがあれば、これはやむを得ません。
○滝沢証人 そんなことはありません。
○田渕委員 それならばもう少しはつきり言えませんか。知らぬことは言えないというならそれでよろしいが……。
○滝沢証人 ……。
○田渕委員 それでは伺いますが、聞いた当時は野坂は怪しからぬやつだと思つたが、帰つて来てみると、共産党かいろいろな関係で来るというようなことで、言わぬ方がいい。あなたがスーチャンで聞いた時と今の心境はかわつて、少し日本の共産党どいうものをこわがつていはしません。
○滝沢証人 いやそんなことはありません。
○鍛冶委員長 それでは済みました。御苦労様でした。 明日は午後一時から委員会を開くことにして、本日はこれにて散会いたします。 午後七時二十八分散会