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厚生省薬務局長参議院衆議院
総発言数
1,494 件
直近の所属会派
—
直近の役職
厚生省薬務局長
直近の発言日
1971/02/17

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 社会労働委員会87 件・87%
  • 商工委員会7 件・7%
  • 沖縄及び北方問題に関する特別委員会4 件・4%
  • 内閣委員会2 件・2%

※ 全 1,494 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,494 件中 20 件を表示
厚生省薬務局長1971/02/17

第65回 衆議院 予算委員会 第14号

○武藤政府委員 大日本製薬のほうで一月に責任者が西ドイツに調査に参っております。

厚生省薬務局長1971/02/17

第65回 衆議院 予算委員会 第14号

○武藤政府委員 その調査につきまして報告を聞いて検討を続けておった、かように考えます。

厚生省援護局長1970/12/07

第64回 衆議院 内閣委員会 第2号

○武藤説明員 いま外務大臣からお話がございましたように、過去にも二回ほど実例がございます。当方にも、開拓団等でなくなられた方、親子、友人等につきまして、ぜひ現地で追悼の慰霊をしたいという希望がたびたび参っております。私どもとしては、紅十字等を通じていろいろ運動するように指導しておりますが、いま外務大臣からお話がありましたように、私どもこの問題につきましては、外務省ともども前向きで考えていきたいと思います。

厚生省援護局長1970/09/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

○説明員(武藤琦一郎君) ただいま先生が御指摘の点につきましてお答え申し上げます。 二十九年に不服申し立てが出まして、当方には三十四年に、七月でございますが受け付けております。この間まあどこで時間を食っておったのか、おそらく長野県でいろいろの準備をされておったのではないかという推測をしているわけでございます。しかしながら三十四年から現在まで約十年くらいの年月がたっております。仰せのとおり、非常に長くたっていることにつきましては、担当局と…

厚生省援護局長1970/09/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

○説明員(武藤琦一郎君) ただいま武内先生の関係者からの書類の問題につきましては、当方には宮崎からの原本は保管してございます。それから長野県からのものにつきましては、実は写しを私どもは長野県から受け取っております。この件につきましては、西村調査課長が存ぜぬと言ったと先生仰せられましたけれども、いつの時点で調査課長がその点を言ったのか、少なくとも現在はその点は部内ではよく意思疎通がはかられている、その時点でたまたま調査課長がその書類を見な…

厚生省援護局長1970/09/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

○説明員(武藤琦一郎君) 私どもは、戦後処理の問題、すなわち戸籍上の問題あるいは恩給権のいろいろ通算その他基礎の問題、そういうものは書類に基づきましていろいろやっているわけでございますが、それの根拠となるべきものは外地部隊の留守業務規程によって私どもはやっております。これはたぶん勅令に基づきます陸軍大臣の訓令に基づくものと思いますが、そのおもなものをあげますれば、留守名簿、それから死亡者連名簿、それから生死不明者連名簿、そのほか、各県に…

厚生省援護局長1970/09/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

○説明員(武藤琦一郎君) お答え申し上げます。 第一の時日の点でございますが、先生はムグアイ島とおっしゃいましたが、私はファウル島ではないかと思うわけでございますが、終戦後ファウル島におきまして先生がおっしゃったような上官殺、あるいはそこまでおっしゃいましたかどうかわかりませんけれども、そういう事犯がありまして、処刑をされた方があるようでございます。これについては判決書が残っているようでございます。そのことと当該事件の八月十二日とがどう…

厚生省援護局長1970/09/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

○説明員(武藤琦一郎君) お答え申し上げます。先生の御議論に対しまして御意に添えなかったことは残念に思いますが、軍法会議がなかったという方もいらっしゃるようでございますが、当方には軍法会議のあった、もちろんこれは一般論でございますが、あったという証拠もございます。それから御推察のように、非常に戦いの激しい、しかも大混乱の時代、また戦地でございますので、法務官等もいろいろかわっているようでございますので、その点はいろいろ御理解いただきたい…

厚生省援護局長1970/09/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第4号

○説明員(武藤琦一郎君) 時間がございませんので、とりあえず私から前座をつとめさせていただきます。武内先生のいろいろのお話、私ども非常に感銘深く承っておるわけでございますが、この援護法ができまして、それから恩給法が復活しましていろいろ亡くなった方の援護というものは、当初は、おっしゃるとおり、十分ではございませんでした。その後やはり生還された方、関係された方は、何とかしてこの関係者を救いたいということでいろいろ私どもに陳情にお見えになりま…

厚生省援護局長1970/08/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

○説明員(武藤琦一郎君) 先生の御説明になりました事件につきましては、不服申し立てが二十九年に出ておりまして、厚生省は三十四年にこれを県から送付を受けております。

厚生省援護局長1970/08/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

○説明員(武藤琦一郎君) 御遺族に御連絡しました内容につきましては、先ほど先生が読み上げられたとおりで、いわゆる平病死で亡くなっておられる。つまり公務でないということで却下をいたしております。

厚生省援護局長1970/08/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

○説明員(武藤琦一郎君) 公務で亡くなった方には、いわゆる死亡公報が出るわけでございますけれども、それ以外の自殺あるいは事故死、処刑等で亡くなられた方々につきましては、いろいろ御遺族等の心情を考慮しまして、通例平病死というような通知を出しております。 それからまた却下理由等には、援護法の規定に該当しないというような字句を用いられておることが通例でございます。

厚生省援護局長1970/08/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

○説明員(武藤琦一郎君) 昭和二十七年に申請がなされまして、それを却下したのはどういう確認資料によってやったかという御質問であろうと思いますが、これにつきましては、部隊が報告いたしました未詳者連名簿、死亡者連名簿、その他あと一件ございますが、その部隊の規定に基づきまして、調整いたしましたものに死刑ということの事実が明記されておりますので、この処置をとったものと考えられます。

厚生省援護局長1970/08/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

○説明員(武藤琦一郎君) 部隊が復員しますときには、部隊におります生存者あるいは行くえ不明者、その他の詳細な名簿を提出するように規定がなっております。

厚生省援護局長1970/08/11

第63回 参議院 社会労働委員会 閉会後第3号

○説明員(武藤琦一郎君) ただいま私が申しました書類でございますが、これは生存者、生死不明者、それから亡くなった方というものをはっきり区別して部隊長がこれは報告しておりますので、先生が御指摘されるようなものではないというふうに確信しております。

厚生省援護局長1970/05/11

第63回 衆議院 内閣委員会 第25号

○武藤政府委員 いま先生の御指摘されたものにつきましては、恩給法と援護法との関係は、おっしゃるとおり若干でこぼこがございます。この問題につきましては恩給局といろいろ調整をとりまして今後解決をいたさなくてはいけない問題だと思いますが、御指摘の点につきましては、やはり手厚く遺族援護をやるという立場で子供の問題について取り扱われておる、かように私どもは承知しております。

厚生省援護局長1970/05/11

第63回 衆議院 内閣委員会 第25号

○武藤政府委員 従来から若干の差がありますのは経過的な理由があるわけでございまして、この点につきましては、私どもとしましては従来から千円単位で端数整理をしているという経緯に基づくもので、やむを得ないというふうに思っております。しかしその差異は年々縮小しておりまして、現行は三百六十一円でございますが、今度の改正では百二十五円ということで、基本的にはでこぼこはほぼ解消しているというふうに考えます。この点は、先ほど申しましたように、千円単位で…

厚生省援護局長1970/05/11

第63回 衆議院 内閣委員会 第25号

○武藤政府委員 三十三年の場合は先生がおっしゃるとおりでございまして、決して間違っていたとは思いません。

厚生省援護局長1970/05/11

第63回 衆議院 内閣委員会 第25号

○武藤政府委員 経過的には三十年において金額が同一であったことがございます。しかしそれ以外は、遺族援護法の関係ではすべて千円単位でやってきた経緯がございます。これが現在でも若干の差があるという結果になっております。

厚生省援護局長1970/05/11

第63回 衆議院 内閣委員会 第25号

○武藤政府委員 ただいまの御指摘の点につきましては、厚生省としましては、昭和二十八年に、まだこれは終戦問もないころでございますが、それぞれ小さな碑を、遺骨収集をやりました際に各地に設置しているわけでございます。しかしその後その碑も手厚く現地の方からされている場合もございますし、行くえがわからなくなった場合もございます。当省としましては、四十二年から計画的に遺骨収集等をいま行なう途中でございます。できますれば、先生の御提案のような海外につ…