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運輸省航空局長参議院衆議院
総発言数
2,019
直近の所属会派
直近の役職
運輸省航空局長
直近の発言日
1977/05/11

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 運輸委員会38 件・38%
  • 決算委員会38 件・38%
  • 交通安全対策特別委員会13 件・13%
  • 地方行政委員会8 件・8%
  • 航空機輸入に関する調査特別委員会3 件・3%

※ 全 2,019 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,019 20 を表示
運輸省航空局次長1977/05/11

80参議院 交通安全対策特別委員会 第6号

○政府委員(松本操君) 成田自身のキャパシティーは年間約十三万回、羽田自身のキャパシティーは約十七万回何がし、したがいまして、両方空域を分けておりますので、両方足しますと約三十万回、しかし、これは計算上の問題でございまして、開港の当初におきましては、成田ができたからといって、直ちに成田と羽田を足しました全体の能力というものが、現在が約十七万足らずでございますが、それを際立って超えていくというふうなことは私どもは考えておりません。

運輸省航空局次長1977/05/11

80参議院 交通安全対策特別委員会 第6号

○政府委員(松本操君) ちょっと私の答弁がまずかったのかもしれませんが、成田と羽田が完全に動くような状態になりました場合、管制官も十分に慣熟をいたしました場合、こういうときには、先生おっしゃるように現行の約倍になる。これは変わっておりません。しかし、当面いきなり、成田ができたから急にどんどんふやせるんだというふうには私どもは考えていない。これは管制官もなれなければなりませんし、新しい空域で新しい仕事をするわけでございますので、そういう方…

運輸省航空局次長1977/05/11

80参議院 交通安全対策特別委員会 第6号

○政府委員(松本操君) 私が承知しておりますところによりますと、七月の下旬には工事が完了すると、こういうふうに報告を受けております。

運輸省航空局次長1977/05/11

80参議院 交通安全対策特別委員会 第6号

○政府委員(松本操君) テスト輸送というふうなことが果たして必要になってくるのかどうか、これはまたいろいろと皆様の御意向も伺わなければなりませんが、七月の二十日にタンクができたから直ちにテスト輸送ができるというふうなことでは必ずしもないと思います。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) お答え申し上げます。 四月十八日に発生いたしましたフィリピン航空ダグラスDC8型機の事故、つまり滑走路を逸脱をいたしまして、着陸帯の上で向きを変えてとまりはしましたけれども、足も折れ、エンジンも全部飛んでしまう、幸いに火は出なかった、この事故でございますが、原因につきましては目下、私どもの方の事故調査委員会が鋭意調査中でございまして、的確な事故原因というものについての報告はまだ出るに至っておりません。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 先生おっしゃるとおり、今回は幸いにそういうことにならなかったのでありますし、今後ともそういうことをさせることのないように私ども努力をしておるわけでございますが、万が一にもそういったような事故が発生いたしました場合には、各空港に保安対策協議会とか保安委員会とか、名称は多少違いますが、われわれの方の航空関係と消防関係、警察関係、こういうところが一体となった常設の委員会がございます。現にこの前の羽田の事故のときにも、そ…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 先ほど私がお答え申し上げました保安対策協議会なり委員会なりの座長の場を空港長が占めておりますから、空港長がその空港内で起こっております問題につきましてはすべて責任を持って取り仕切るわけでございますが、それぞれ警察なり消防なりの持ち分につきましては、その依頼によって警察なり消防なりがそれぞれの持ち場を守る、こういう仕掛けになっております。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 一義的には空港長でございますが、空港長は通常の官庁勤務をしておりますので、土曜の午後とか日曜とかというときにはおりません。その場合には代行者がだれということがそれぞれの空港によってきちっと決められておりますので、そのときの責任者が指揮をとることになります。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) この場合には、直ちに空港長が先ほど申し上げました委員会を招集し、自分が先頭に立って彼は指揮をいたしております。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 先生いまおっしゃいますように、十五時二十三分ごろ事故が起こったことを知りますと、空港長としては直ちにランウエーをクローズするかどうかという当面の判断をいたしまして、B滑走路及びC滑走路をクローズする、こういう判断をいたしまして、テレタイプをもって同じく十五時三十九分には国内のすべての空港にクローズした旨の通告が行っております。さらに、十五時四十一分にはB滑走路だけがあけるようになりましたので、これにつきましては十…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 最初のころは、羽田のC滑走路、つまり事故の起こりました滑走路を午前六時の始発便までにはオープンできるのではないか、こういう期待感がございました。そこで午前六時までにはC滑走路を再開できるだろう、こういう情報を流しておったのでございますが、実際はあそこに残骸化しておりましたフィリピン航空の機体を取りのけるのに思いのほかの手間と時間のかかることがわかりましたので、これを延ばしまして十時十五分にはオープンできるだろう、…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 十時十五分については私、ただいま承知しておりません。ちょっと資料を持っておりませんので、お答えいたしかねます。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 確かに先生御指摘のとおり、空港長一人でできるものではございませんので、冒頭申し上げました委員会なりあるいは空港の航務課、管制、その他の機能を動員して事に当たったわけでございますが、外部的に見ました場合、ただいま御指摘がございましたように、うまくやったと残念ながら私も言えないと思います。しかし、相当の努力をし、相当効率的にやったということは言えるのではないだろうか。 いまの朝のオープンにつきましても、実はB滑走路に…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 羽田の離発着、これは着陸回数で申し上げますが、四十三年ごろで大体六万三千回でございましたものが、五十年に八万二千回になっております。ただしこの回数は四十六年、七年ごろがピークでございます。それ以後は頭打ちあるいは多少減る、こういう状態の繰り返しがここ数年続いてございます。 ピークのときにどのようになっているかという御質問でございますが、これは四十六年に私どもの方で時間別のそれぞれのダイヤの調整基準というものをつく…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 大体着陸機があれば出発機がある、こういうことでございますので、私の申し上げました八万二千回とか八万六千回とかいう数字を倍していただく、つまり十七万前後というあたりのところが年間の総発着回数になる。一日当たりは四百六十のほかに有視界飛行で飛ぶ飛行機が十機か二十機かございますので、これは日によって違いますが、一日当たりの発着回数が全部を含めまして多いときは四百八十ぐらい、少ないときは四百六十幾つ、こういうふうな数字に…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 現在の羽田の滑走路の配置の方法、飛ばせ方等から理論的に求められます限度は、十七万五千回というふうに私ども考えておりますので、たとえて申しますならば、五十年度の十六万四千回とか四十九年度の十七万二千回とかいうのはきわめて限界に近い状態ではございますが、限度ぎりぎりというのにはちょっとすき間をあけてある、こういうふうな感じでございます。

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 一時間当たり三十四でございますから、本当にピークのところをとりますと、六十分割る三十四でございますから二分まではいきませんので、一分五十秒か五十何秒かということになろうかと思います。先ほど申し上げましたように、引き続く三時間に八十六という別の枠をもう一つかけてございますので、ある一時間に仮に三十四飛んでしまいますと、前後の一時間は残りの五十二を割り振らなきゃなりませんので、三十四まではまいらない、こういうふうな仕…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 四十三年ごろの羽田の旅客数が六百五十万人でございました。これが昭和五十年になりますと千八百二十万でございますから、三倍とは言いませんがかなりふえていることは事実でございます。ただその間に、全空港を合計いたしましたいわゆる航空旅客の数も非常にふえたわけでございまして、昭和四十三年には千八百八十万程度でございました。したがって、羽田が三四%程度を持っておったわけでございますが、それが昭和五十年になりますと日本全国で五…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 旅客の数で申しますと、最近というのは四十八、九、五十くらいのところでながめてみますと、四十八年が千五百九十万、約千六百万でございますが、これが前年比一・二八倍。それから四十九年が千七百十六万、前年比一・四四倍。五十年が千八百二十万、前年比一・〇六倍、ここは少し頭を打ちかけてまいりました。これは先ほど申し上げましたように、発着回数の方はそんなにふえておりません。むしろ頭打ちという状態でありながら旅客の方はなお最近ま…

運輸省航空局次長1977/04/27

80参議院 決算委員会 第5号

○政府委員(松本操君) 五十一年度というふうにまとめた数字、あるいは先生いま御指摘の五十一年の十二月あるいはことしの一月、二月という数字を用意してまいればよろしかったんでございますが、ちょっといま私手元に持っておりません。 ただ、したがって抽象的なお答えになって大変恐縮でございますが、最近あれは何というんでしょうか、乗車効率というとおかしいんですが、ロードファクターと申しますか、要するに座席に対するお客の乗りぐあいが伸びてきております。…