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日本社会党衆議院
総発言数
1,620
直近の所属会派
日本社会党
直近の役職
直近の発言日
1955/07/01

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 文教委員会78 件・78%
  • 文教委員会文化財保護に関する小委員会19 件・19%
  • 本会議3 件・3%

※ 全 1,620 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,620 20 を表示
日本社会党(左)1955/07/01

22衆議院 行政監察特別委員会 第7号

○高津委員 ちっとも強制しておりません。

日本社会党(左)1955/07/01

22衆議院 行政監察特別委員会 第7号

○高津委員 そうでございます。

日本社会党(左)1955/07/01

22衆議院 行政監察特別委員会 第7号

○高津委員 現在特約供給所が学校の付近の取次店に渡して、その取次店が学校へ運んでおるようにわれわれは考えますけれども、学校があって、それが生徒が多くなるから、どこかへ分校ができるとか、独立した学校ができるという場合、前の単なる文房具屋とか何でもない雑貨店とか、そういうところが供給する権利を持っておるのです。それで、今度、新しい学校の方に、分れて行った学校の前の方にいい本屋があって、そこの本屋がそこへの供給をする権利をもらいたいといって特…

日本社会党(左)1955/07/01

22衆議院 行政監察特別委員会 第7号

○高津委員 前の権利を持ったものが、新しくできたのをまた一緒に取って、ちょうど新しい学校の前にあっても、そこには権利がなかなか行かない、こういうような独占的な行為が行われておるわけなんです。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 証人は、一昨日、日本の印刷技術は三十年おくれている、弊社のみは三十年進んだコットレル機を輸入した、こう言われるのでありますが、あなたのように金をどっさりつぎ込めば、あの程度の機械は日本でもできるものか、あなたはどうお考えですか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 それは特許などの関係でできないので、特許でいろいろやかましく押えておりますが、別のものならば、それをくぐってあれと同じ程度の性能のものができるような技術が今日本にあるのじゃないか、あなたは、やはりない、アメリカが三十年進んでいるのだ、こうおっしゃるのか、そういう意味で聞いているわけです。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 コットレル機は原色がそのまま出るなどとさっき非常に御自慢をなさったわけであります。しかし、批評する者は、あれはライフ程度のものが刷れるので、向うの漫画雑誌が色彩でどんどんああいうように大量生産で刷れる程度のもので、技術ということになると日本のも相当進んでいるのだと言っております。あなたは証言台に立ってもちゃんと広告放送ということをお忘れにならない。私は国産論者で、民族産業擁護者です。たとえば、平凡社の世界美術全集が戦後に再刊…

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 量産ですか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 当時CIEにいた宮崎寛氏、もう一人はまた、戦時中精神文化研究所で、皇国観念というか、天皇思想というか、大東亜共栄圏思想というか、それを大いに鼓吹された伏見猛弥という人がいます。二人ともあなたのところで使っておられるんだが、この人がコットレル機の輸入に大いに奔走された、大いに手伝われた、——大なり小なりという言葉をあなたは使われるんですが、大なり小なり手伝われたという事実があったかなかったか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 それでは、さらに進んでお伺いしますが、十一億円という巨費を投じてあなたが日本一の印刷工場を作られたのであるが、それだけの金融の道をつけられるのは、だれか援助者があったはずだと思うのであります。あなたが顔だけ出せば、それで重たいとびらはみな開けるというものではあるまいと私は考えるから、そういう質問をするのです。あなたが前回の証言において、三億数千万円は自分が、いわゆるあなたが現在社長をやっておられる学校図書、もう一つはあなたが…

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 当時あなたの会社はまだ赤字だったといわれておるんですよ。赤字であったかどうか、その点を聞きます。昭和二十七年。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 どの程度の黒字でしたか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 図書印刷も学校図書も、定価が高い高いという評判があるときに、二割も三割も配当をしておりましたと、日本の教科書出版の中の第一人者が今そう言われておるので、われわれは驚いておるのであります。しかし、なお旧国定の四つ、五つの社がおるのであるし、少くともあなたがスタートが一年余り早かっただけでそうあなたに大きな信用を金融界が与えるわけはないと思うのでありますが、二割、三割くらいの配当というその事実だけでは、あれだけの大資金を集めると…

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 コットレル機だけでも百三十万ドル。その外貨の割当を受けるということでも、役人がいばっていましてね、なかなか取れるものではないですよ。その外貨割当審議会などでも非常にスムーズにいったと聞いているのでありますが、商魂たくましい川口芳太郎という者が現われると、みんなすらすらとこういくのであるか。別に人相にそういうところは全くお見受けできないし、重量感という点でも大したこともない。そうすれば、だれかそこを助けた者がなければ、そういう…

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 銀行の信用さえあればと言う。その銀行の信用を得るのに、相当の政治的バックがなければ、あの当時のあなたの経済力と信用力で、そんな十億などという、見込みのない——教科書を自分が全部引き受けるというようなことを話されたわけでもあるまいし、なかなか十億に余る金が集まるわけではないんだが、銀行を信用せしむるに至った勢力はあなたから出たんですか。出たら英雄だが、そういばらぬでもいいでしょう。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 ところで、そのコットレル機を輸入されたときに、関税はお払いになりましたか。無関税で通しましたか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 そのコットレルの本機こそが問題で、その免税の扱いを受けるためには、税関長に運動されたのですか。大蔵省にも了解をつけなければ、なかなかそういう扱いなどできないものなんですよ。やはりあなたの顔だけ出したのですか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 池田大蔵大臣が戦後、——砂糖、セメント、肥料なんというのが今三百で有名ですが、その砂糖業界において、藤山愛一郎氏が大日本製糖であなたのように業界を押えておられた時代が長く続いたのですよ。それなのに、砂糖の仲買い卸売り商をやっていたにすぎないところのいわゆる名古屋精糖をもり立てて、今それが砂糖業者のうちで日本一のものになったわけです。そのときに、製糖機械をアメリカから輸入するのに、これはよそか見に来た場合に見せるという条件なら…

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 私は、さつき、自分の使っておる部下や、あなたが月給を払っておる人でなしに、横から、あるいはあなたより上の地位の人が上から横からお手伝いをした者はなかったかと伺ったのです。それに対して、あなたは、会社の者以外は動いてはないんだ、こう言われるのですか。

日本社会党(左)1955/06/29

22衆議院 行政監察特別委員会 第6号

○高津委員 それでは、あの開所式の場合に臨まれた政界、官界、財界の人を、上の方から二、三人数えてもらいたい。結婚などしますと、一生がいの記念すべき日に出た人間がだれであるかということは、差しつかえもあろうによくぞ万障繰って出てくれたと思ってうれしいわけです。あなたにとっても、このコットレルを輸入して日本の印刷業界に君臨する、一将功成って万骨枯れる、いい気持だという忘れられない日だろうと思う。そういう場合には、だれが出席してくれたか、あれ…