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改進党衆議院
総発言数
2,996 件
直近の所属会派
改進党
直近の役職
—
直近の発言日
1950/04/06

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 議院運営委員会52 件・52%
  • 労働委員会35 件・35%
  • 労働委員会人事委員会運輸委員会連合審査会9 件・9%
  • 懲罰委員会3 件・3%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,996 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,996 件中 20 件を表示
国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 何かその当事、捕虜になつてから以前の部下を、いわゆるびんたをくれるということは、ソ連の收容所当局から監督を委任されたあなたたちは、それは許可を受けたものですか。それだけの権限を與えられたのですか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 そういたしますと、少くとも直属の上官が軍隊にあつた当時は、まず一応認められるといつても不当な認め方ですが、しかも日本刀をぶら下げて、階級章をえりにつけ、戰争に負けて、しかも祖国に帰りたいという人たちがお互いにソ連收容所に人づておるのに、どういう事情があつたかしらぬが、收容所長であるところのソ連ならソ連の人たちが君たちにこれだけの権限を委任するから、もし反抗するやつがあつたらぶんなぐつてもよいからやれといつて許されてやつ…

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 証人の言われるタシケントにおいては、よそではびんたのひどいところもあつたけれども、非常にうまく行つたということは了承できるのです。しかも反軍闘争そのものが、いわゆる民主化運動のおもな原因ではなかつたということは、おもなる原因ではなかつたが一部の原因になつているのじやないかと思うのです。これはもう過ぎたことであつて、先ほどあなたのおつしやるように、あなたたち自身が反省なさつてもらえばいいと思うので、このことを今追究しよう…

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 それではもう一つだけ聞きます。先ほど佐々木君が聞いた問題ですが、あなた自身にスパイをつけられた。それは宇野君がつけたということがわかつておる。その姓名はあなたは言いたくない。言いたくないとおつしやる気持はよくわかるのだが、しかし宇野君自身のことについては、宇野君がそういうことを言うとするならば不届きだ。彼が反動としてわれわれをこうこうしたことは不届きだ。宇野君、菅君の問題についてはたいへん皮肉なお言葉で、高いところにい…

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 あなたは今のお言葉で、スパイということを取消すとはつきりおつしやつたので、私はこれ以上追究しますまい。さつきの言葉を撤回しましよう。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 委員長、議事進行について伺いたい。委員長は証人の言葉を聞くのじやないのかね。そこに書いてあることを読んで聞いて、ああそうです、ふんそうです、そんなばかなことはありはしない。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 証人が知つていることを聞けばいい、あんたが言うことを、ああそうです、ふんそうです、それで証言になるか、それが誘導尋問の典型的なものだよ。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 あなたはこちらにお帰りになつて、浜松で共産党の支部か何かにお入りになるか、また浜松あたりにある民主グループとか何とかいうものの会合などに、出席したことはありませんか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 それであなたのおつしやつた野坂要請なるものですが、要するに反動は、革命一歩手前にある日本の革命のじやまになるから、反動は帰すなという野坂氏の要請があつたということは、もう一ぺんはつきり聞いて置きますが、二十三年の八月に聞いたとおつしやるのですね。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 徳田要請というものか今国会の参議院あたりでも問題になり、ここでも今その件を中心として調食しているのですが、それがいつごろあつたということは御存じですか。要するに徳田要請というものは、いつごろの問題だということは御存じですか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 あなたが聞いたというその相手方、この相手方は、スーチマン地区に前からいた人が、野坂要請というものは、どういう手紙でよこされたとか、あるいははがきでよこされたとか、何とか言いませんでしたか。それとも日本新聞にそういうことが出しいたの、だとか何とか、何か言いませんでしたか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 こういうことを野坂參三氏から言つて来ているのだと、ただそれだけですか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 その人は、手紙とか何とかを見たと言いましたか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田委員 その人もほかから聞いたと言いましたね。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 ああそうですが、その人一人だけじやなかつたのですね。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 その当時は、スーチヤン地区では寄るとさわると、野坂參三というものが、こういうような要求をソ連にして来ているのだという話で持ち切つていたのですね。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 それではそのスーチヤン地区で、あなたの現在知つていらつしやる方で、その話を聞いたり話したりした人のお名前を、だれか覚えていらつしやいますか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 あなた一人がいらしつたのですか。そのスーチヤン地区へは……。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 あなたが特殊ラーゲルでスーチヤン地区に送られたのは、あなた單身で送られたのですか。

国民協同党1950/04/06

第7回 衆議院 考査特別委員会 第20号

○石田(一)委員 その七十名は、要するに元の收容所に七十名でいたのでしよう。