P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
公明党・国民会議衆議院
総発言数
4,766
直近の所属会派
公明党・国民会議
直近の役職
直近の発言日
1984/03/12

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 沖縄及び北方問題に関する特別委員会45 件・45%
  • 土地問題等に関する特別委員会44 件・44%
  • 外務委員会11 件・11%

※ 全 4,766 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

4,766 20 を表示
公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 だめですよ、今ごろから調査するとかなんとか。国の財産は常に良好な状態で管理しなくてはならないとちゃんと書いてある。あれは決して良好な状態の管理ではないですね。今後どうするつもりですか。あのまま放置されるのですか。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 申しわけないということのようですけれども、これはやはり早急に管理上の対策を講じていただかないと、あのままでは大変な問題になると思いますね。 大臣、お聞きのとおりです。大臣も行かれたと思いますけれども、琉球大学跡地といいますのは沖縄では観光の非常に大事なところでもありますが、そこが本当に荒れほうだいで、文部省のああいうものの管理の状態は一体どういうことになっているのか、本当に非難の声が強いのです。しかも、文部省というのは我が…

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 跡地、いわゆる使い方の問題につきましては後ほど伺いますけれども、警備の方が二人で二十四時間警備していらっしゃるわけであります、広範な地域ですからね。農学部とか工学部とか理学部だったですか、それから女子寮、男子寮、体育館の裏側とか、大変な荒れほうだいなんですね。ですから、OBの方々も大変情けない思いをしていらっしゃるわけです。ですから、後の使い方の問題は問題としても、現在の管理上の問題としてこれは早急に対策をとっていただかな…

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 そこで、具体的な問題としまして、お城ですね。沖縄の方で「ぐすく」と言っていますが、沖縄の城というのは二百五十余あると言われているわけです。本土の方と比べますと非常に趣が——文化庁の方は、沖縄の城の特色といいますか、それについてどういう評価をしていらっしゃるのか、お伺いします。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 そこで、これは首里城の復元のことについて伺いたいわけですが、文化庁としても、この問題については長い間、昭和四十五年か四十六年、沖縄県が本土復帰する以前からかかわってきていらっしゃいますので、首里城という城の経緯を概略伺っておきたいわけです。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 そこで、これは大臣御存じのとおりですが、昭和二十年四月一日に米軍が沖縄本島に上陸しました。それまでは艦砲射撃でそういう国宝級のものについては破壊しなかったわけですが、上陸してきたために、日本軍の司令部が逃げ込みまして、首里城の地下の方に司令部を構えたわけです。そこで米軍が集中砲火を浴びせて、四月四日に焼失してしまったわけです。それでなくなったわけですね。 そこで、今文化庁のお話もありますとおり、沖縄文化のいわゆる大変シンボ…

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 それで、沖縄開発庁が窓口になって、補助金を出して今お話しのあった久慶門とか歓会門をつくっていらっしゃるわけですが、その経過、現状、開発庁とされて今後どうするのかをお伺いします。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 それは、本体の首里城の正殿まで開発庁がずっとやっていかれるわけですか。その正殿は、昭和六十二年の沖縄国体までにぜひ完成をしたいという声が非常に強いですね、ですから開発庁がずっと窓口になってやってきていらっしゃいますね。その本体の正殿まで開発庁が今のようにずっとやっていく考え方ですか。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 わかりやすく言えば、先々のことはまだはっきりしないということになるわけですね。 それで、ちょっと確認しておきたいことは、開発庁が補助金を県に出して門をつくってやりますが、この門の所有権者はだれですか。政府ですか。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 そうすると、所有権者は県である、しかしその土地は国有地ということですね。これはそのとおりですね。

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 わかりました。 それで、今度は大臣にぜひお伺いしたいわけです。 この琉大跡地はいろいろな経緯がございまして、これはもともと首里城の敷地なんですね。ところが、そういうふうに戦争によって首里城が焼失してしまった。そこに琉球大学をつくるということで、当時所有権者である首里市がそのまま寄附をしたのです。それで琉球大学ができて、沖縄が返還されたそのときに、国が国有地としてその土地も引き継いでおった。琉球大学はこの間移転したわけですね…

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 今大臣も大変理解のあるお話でございますけれども、申し上げましたとおりそういう経過がございますので、あの土地の所有権を県に移転するという場合にも、いろいろな原則がおありでしょうけれども、経緯を考えますときには特別な配慮が当然あってしかるべきだと私は思うのです。これから二十一世紀に向かって、首里城の復元という問題が文化的にも歴史的にも、あるいは教育の立場からも、あるいはまた、沖縄県というのは観光というのがこれから非常に大事です…

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 最後に、もう二分ぐらい時間ありますが、これも要求してありましたので、我が国の留学生政策ですが、これは非常に立ちおくれているということで、ヨーロッパ諸国と比べますと数字的にも非常に少ないわけです。「二十一世紀への留学生政策に関する提言」というようなものも出ているわけですが、その中で一点お伺いしておきたいことは、沖縄県が積極的に東南アジア等への留学生の送り出し並びに受け入れ、そして琉球大学も当然国立大学として関係してくるわけで…

公明党・国民会議1984/03/12

101衆議院 予算委員会第三分科会 第2号

○玉城分科員 以上です。

公明党・国民会議1983/12/28

101衆議院 外務委員会 第1号

○玉城委員 外務大臣にお伺いしたいのですが、この日ソ、ソ日漁業協定なんですが、交渉は例年になく厳しかったあるいは難航したという話があるわけでありますが、これは毎年、わが国の方は後退していますね、譲歩を強いられている、毎年そういうことになっているわけです。これはいろいろな言いわけもおありだろうと思うのですが、私は、外交交渉として、この結果からしまして、これはこれでいいのかという非常に疑問があるのですが、いかがでしょうか。

公明党・国民会議1983/12/28

101衆議院 外務委員会 第1号

○玉城委員 私が申し上げていますのは、毎年毎年わが国の方は譲歩を強いられている、後退しているということなんですね。たとえば漁業の割り当て高の問題にしましても、いまさっき問題になっています寄港の問題にしましても、何か新しいものが常に出てきていますね。相互主義ということでナホトカヘのわが国漁船の寄港も認めるとは言いつつも、常にやっぱり譲歩を強いられている。これは外交交渉としては拙劣じゃないかと私はあえて申し上げたいのですが……。

公明党・国民会議1983/12/28

101衆議院 外務委員会 第1号

○玉城委員 先ほども外務大臣おっしゃっておられましたとおり対ソ関係、日ソ関係の改善、そして対話、それを文化的にも経済的にもあるいは人的な交流、そういうお話をしておられるわけですが、八月に北方領土視察へ行かれたときにも大臣は記者会見でそういうことをお話ししておられるわけですね。先ほどもお答えがありましたけれども、非常に大切なことだと思うのです。 そこで、例のアフガン問題以降、ポーランド問題、大韓航空機撃墜事件等、わが国として一連の対ソ制裁…

公明党・国民会議1983/12/28

101衆議院 外務委員会 第1号

○玉城委員 いまお話のあったこと、やはり大臣もそういうお考えでいらっしゃるのか。対ソ関係改善ということでいろいろな経済交流とかそういう文化交流とかということも含めて、いまのいろいろな制裁措置についてもやはり検討していくというようなお考えを持っていらっしゃるのか、いかがでしょうか。

公明党・国民会議1983/12/28

101衆議院 外務委員会 第1号

○玉城委員 そこでソ連漁船の小名浜港寄港、この小名浜港をそのように寄港させるというふうにした理由ですね。何かソ連の方は複数の要求もあったやに聞いておるが、これは今年限りということになっていますけれども、あるいは来年この小名浜港も含めて別の港という要求も来ないとも限りませんが、その小名浜港にした理由ですね。それから来年そういうことについてどう対応されるのか。

公明党・国民会議1983/12/28

101衆議院 外務委員会 第1号

○玉城委員 いまの長官のお話で小名浜港、結局沿岸一般漁民への秩序といいますか、そういうものは混乱させないとかそういうことなんでしょうけれども、地元は大変な大騒ぎをしているのです。降ってわいたような、何でこんなことになっておるのかということですが、その影響とか、事前に地元とのどういう話し合いをされたのか、その辺いかがでしょうか。