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民進党・無所属クラブ衆議院
総発言数
9,896 件
直近の所属会派
民進党・無所属クラブ
直近の役職
—
直近の発言日
1976/08/19

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 安全保障委員会88 件・88%
  • 予算委員会第五分科会12 件・12%

※ 全 9,896 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

9,896 件中 20 件を表示
日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 本人はこれは認めているのですけれどもね。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 それでは運輸省の方にちょっとお尋ねしたいのですが、全日空が四十七、四十八年以降、全日空の立場から運輸行政に望んできたことはどんなことがございますか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 国際線への進出ということですね。これは運輸大臣、例の日台航空路のときに、あなた全日空の当時の社長といろいろと話をして、全日空の方からいろんな条件といいますか要望なんというものも出されていますね。この当時の要求というのはどういうことがあったのですか。いまの御答弁だけですか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 つまり、国際線への進出のほかに国内的な、国内路線の面での全日空としての運輸省に対する要求はどういうことがございましたか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 つまり、国際線の関係では日本航空と競合し、国内路線の面では東亜国内航空と競合しておったというところで、全日空は全日空としての立場からの行政の要求が当然出てきただろうと思うのですけれども、検察庁の方にお尋ねしますが、全日空の金の出というところで、これはちょっとユニットともう一つ別に、きのう若狭起訴ということもございましたが、あの金の出については、そういうあたり全般的に捜査されているのですか。この捜査はどの辺の段階までいっている…

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 そこでちょっと、いまの点に最後にまた戻りますけれども、今回のこの事件で主役は田中角榮であったということがはっきりしたのですけれども、一番不思議なのは三井物産なんですね。これは全日空にクレームをつけないで、石黒さんの証言ですと二百八十万ドルの損害をこうむったということになっているわけです。彼は東京地方検察庁に七回呼ばれて延べ四十数時間いろいろ聞かれた、こういうことを話されているわけですが、この二百八十万ドルの損害を三井物産がど…

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 これは法務大臣、ちょっと議論した上での要望になるのですけれども、この事件はただ単にロッキードが全日空にトライスターを買わせたというだけじゃなくて、買わせるに当たっていろいろ出てきた障害をやはりきちんと取りつくろったというところまで全部やられている事件だと思うのですね。 そこで、これはどうですか。四十七年の十月二十四日に当時の田中総理大臣と全日空の若狭社長が会談をした直後に、その入れかわりに当時の三井物産の社長が田中前総理に会…

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 これはしかし公判廷になれば、この辺のところは明らかになるでしょうね、田中・若狭会談の内容なんというのは。どうなんでしょうか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 この田中・若狭会談というのは、十月三十日決定の直前の最後の会談です。この同じ日にちに若狭と当時の運輸大臣との会談も行われているわけですよ。そういう意味ではこの十月二十四日というのはきわめて大事な日だと思うのですが、その田中・若狭会談の直後に三井物産と田中総理が会っているというのは、これは結局は三井物産に因果を含めて、全日空はトライスターだ、しかし、おまえのところの埋め合わせば行うから了解しろというような話が会談の内容じゃない…

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 法務大臣、これはちょっと要望なんですけれども、昭和四十四年からずっと一連の経過を見てみると、とにかく一番損害をこうむっているのは三井物産でありまして、二百八十万ドルの損害をこうむって、そして全然クレームつけないで黙っちゃっているわけですね。ところが、損害をこうむったかといいますと、実はこの後にDC10を日本航空が導入し、DC9を東亜国内航空が導入する、しかも代理店を三井物産が行うということでの穴埋めが行われているわけですよ。…

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 ちょっと運輸省の方に日本航空のDC10のことについてお尋ねをいたしますが、このDC10を日本航空が導入するようになったのは、どういう経過でございますか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 当初から対象はDC10とボーイング・747SPになって、日本航空の方でトライスターがはずれていますね、これはどういう事情なんですか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 これはいまおっしゃったように、最初は要するに国際線の長距離路線用として考えた、そうでしょう。国内線は747のSRが入っているわけですから。ところが、これは機数も全日空がキャンセルした六機と同じ機数なわけですけれども、いまはこれは、DC10は国内線に使っているじゃないですか。つまり、国際長距離用というのじゃなくて、国内に使っているじゃないですか。これはどういうことなんですか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 私が聞いているのはそうじゃなくて、最初の導入しようということを決めた段階では、もっぱら国際線中程度需要の中距離路線用としてワイドボデー・ジェット機材の検討ということになっていたのじゃないですかということなんです。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 DC10というのは表向きは決まってないわけだけれども、このワイドボデー・ジェットの機材の検討を促進するようにということで社長が特に指示をしたのはいつですか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 そのときはまだ漠然とした話で具体的じゃないですよ。具体的な指示は四十八年の二月九日に行われているのですね。どうですか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 問題は、四十八年の二月に三井物産が日本航空に対するDC10販売の代理店契約を結び、東亜国内航空に対するDC9、DC10の販売契約を四十八年の二月に結んでいるのですね。つまり、具体的な作業を日本航空が開始すると同時に代理店契約を三井物産とダグラス社の方で結ぶということにこれはなっておるわけです。つまりこのDC10については、初めは長距離国際線用として出発しながら、現在国内線に使用されて、しかも機材が六機と六機ということになって…

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 これは、きのう、ちょっと参議院の方でもやった問題なんですけれども、当初、東亜国内は四十六年二月に策定した長期事業計画においては、日本航空の727を譲り受けるということでジェット化というのを推進してきたわけです。これが突然、小佐野賢治が介在をして、日本航空が大韓航空にこれをリースをしてしまうということになって、東亜国内航空はその検討の変更をせざるを得ないということになったと思うのですけれども、いかがですか。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 二月七日に「DC9の導入について」という東亜国内からの要請が出て、これを運輸省の方では二日十五日にだめだと言って断っていますね。二月十五日に断って、二カ月たって四月二十八日にオーケーになった。この断ったときの理由と、どうして、それが二カ月間で変ってオーケーになったのか。オーケーになった結果、いつから飛行機が入ったのか。簡単にお答えください。

日本社会党1976/08/19

第77回 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第24号

○横路委員 四十八年四月二十八日にオーケーを出して十二月一日就航なんというのは、これは従来の形から言うと物すごく早いですね。つまり、皆さん方がオーケーを出す前に、もうすでに機材も押さえていたし、乗員の訓練も行っていたということじゃないのですか。