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自由民主党・新自由国民連合衆議院
総発言数
2,526
直近の所属会派
自由民主党・新自由国民連合
直近の役職
直近の発言日
1967/05/16

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 社会労働委員会82 件・82%
  • 安全保障特別委員会16 件・16%
  • 科学技術委員会1 件・1%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,526 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,526 20 を表示
労働省職業安定局長1967/05/16

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第7号

○有馬政府委員 それは、沖繩の人が日本の失業保険法による給付を受ける権利といいますか、これはあくまで沖繩の特別措置法によって認めておるわけでございます。逆に、沖繩から沖繩の失業保険法を受ける権利を持って日本本土に来た場合には、この法律によって日本政府が支給するわけですが、給付内容は日本の失業保険と沖繩の失業保険と若干違いますので、向こうのほうが若干給付内容が悪いわけでありますが、その内容の悪いままの失業保険受給資格を本土へ持ってきてその…

労働省職業安定局長1967/05/16

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第7号

○有馬政府委員 思想はわかるのですが、法制的には法域が違いますので、沖繩に帰った場合には、沖繩の特別措置法によって失業の認定という行為がなければ、現実の失業保険の受給資格が得られない、こういうことに相なっておるわけでございます。逆の場合も全く同じでございまして、そこで相互保障という相互主義の考え方に立っているわけでございます。

労働省職業安定局長1967/05/16

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第7号

○有馬政府委員 これは失業保険法でございますので、失業という認定がなければ失業保険の給付はしない、これは沖繩法においても同じでございます。この失業という事実といいますか、失業の認定に基づいて相当給付を支給した場合にのみ、日本政府は初めて沖繩政府に必要な経費を交付する、こういう考え方でできておりますので、失業なしに沖繩に帰って就職した場合にも日本の相当給付を受けられるという仕組みにはしてないわけでございます。

労働省職業安定局長1967/05/16

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第7号

○有馬政府委員 御指摘のように、期待権はあると思います。しかし、現実の法律上の権利は、先ほどから申しますように、沖繩の立法による特別措置法によって具体的な権利が発生する、こういうふうに私ども解しております。

労働省職業安定局長1967/05/16

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第7号

○有馬政府委員 そのとおりでございます。

労働省職業安定局長1967/05/11

55参議院 予算委員会 第11号

○政府委員(有馬元治君) 豊里炭鉱の離職者の問題につきましては、ただいま大臣から御答弁がございましたように、離職前から特別の就職相談を開始いたしまして、現在、道内と本土方面とに分けまして、大体、離職者の半数程度が道内に残り、半数程度が本土方面に就職を希望いたしております。で、北海道方面に就職する者の大部分は再度、石炭山に再就職する、こういうふうな状態になっております。いずれ近いうちに希望者はほとんど大多数が再就職できると、かように考えて…

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 この特別立法をいたします前提といたしまして、われわれと、米国民政府と、それから琉球政府の当事者の間には、この考え方について意見の合意を見ております。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 日米協議委員会にかけずに意見の一致を見たものでございますが、御承知のように、日米協議委員会は、昨年の一月協議事項が広範になりましたので、この問題を協議して悪いということはございませんが、三十六年来の懸案でございまして、関係当事者間においても、今回われわれがとったような措置について、米琉はもちろんのこと、日本政府部内の外務省、特連局等もこの問題についての処理のしかたについて了解をいたしておりますので、今後も協議委員会にかけ…

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 本国会で予算措置とこの特別措置法が成立いたしましたならば、あらためて関係者の間で正規の取りきめをしたいと思っております。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 これはあくまで覚え書きでございまして、いわゆる紳士協定の性格を持つものだと思います。したがって当事者を条約のように法的に拘束するという力はないと思いますが、当事者間に完全に意見の一致を見てこの特別措置法をお願いしておるわけでございますので、法律ができて後に話が食い違うというようなことはないものと確信いたしております。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 この覚え書きは、あくまで予算と成立した法律の範囲内において当事者間に交換をしたいという予定でおりますので、もしその間に話が食い違って法律を手直ししなければならぬ、あるいは国会においてこの特別措置法を修正するということになったら、その限りにおいて、法律の修正された部分については当事者間の話し合いの内容を変えなければならぬ、かように思います。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 国会の意思は予算と法律という形できまってまいりますので、あくまでその範囲で覚え書きを締結したいと思っております。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 沖縄問題等に関する特別委員会 第6号

○有馬政府委員 そのとおりでございます。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 炭鉱の労働者のうちで、常用労務者の例につきまして、これは全国平均でありますが、平均年齢を調べてみますと、四十年で三十八・五歳という平均年齢でございます。三十年当時が三十四・五歳でございまして、逐年平均年齢が上がってまいっております。 それから、新たに雇い入れられた数でございますが、御承知のように……。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 四十一年の十二月末現在で、雇い入れの総数が、鉱員一万三千八百二十九名、職員は、微々たるものですが、八百九十九名、合計いたしまして一万四千七百二十八名でございますが、そのうち石炭離職者から雇い入れた者が七千四百一名ございます。ちょうど半数でございます。したがいまして、残りの半数が新規に雇い入れられた総数でございます。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 筑豊地区の平均年齢が五十歳以上の者七〇%というのは、ちょっと高過ぎるのじゃないかと思います。私どもが通常申し上げておりますのは、筑豊地区を中心にしました離職者の状況について年齢を調べてみますと、五十歳以上が七〇%をこえる比率を占めておる、こういうことは申しておりますが、在職者の平均年齢は、そんなに高くないと思います。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 御指摘のとおり、現状の状態におきましては、炭鉱に若い労働者が新規に入ってくるという例は非常に少ないわけでございます。しかし太平洋あるいは住友、三井等におきましては、それでもやはり若いあと継ぎの労働者が細々ながら入ってまいっております状態でございまして、今後の石炭産業の再建策の中で一番重要な問題だと思いますので、私どもとしましても、先ほど大臣からお答えがありましたように、石炭産業全体を体質をよくして魅力ある職場にして、年少…

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 いま御指摘がありました数字で大体われわれも計画を立てております。

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 炭鉱離職者臨時措置法によりましてわれわれが対策を講じておる対象人員が、いま申しました計画数と過去の実績数にあらわれておるわけでございますが、これによりましても、御指摘のように来年度に六千五百名繰り越しになる。それから緊急就労事業に五千二百名は今年度の計画として吸収しておる。さらに手帳切れの問題が過去二カ年わたりまして福岡県だけで二千名をこえる数字が出てきております。さらに今年度はやはり千四、五百名程度は出る者が見込まれる…

労働省職業安定局長1967/05/10

55衆議院 石炭対策特別委員会 第6号

○有馬政府委員 失対法の改正は、御承知のように三十八年の七月から施行になったわけでございますが、この時点におきまして福岡県の失対就労考の総数が三万四千七百三十二名でございます。以後、多少減りましたのでございますが、一番減ったときが四十年の六月末で三万一千二百六十七名、こういう状態に相なったのでございますが、最近またふえてまいりまして、四十二年の一月末では三万三千百九十二名、こういうふうに漸次ふえてまいっております。