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民社党参議院
総発言数
3,008 件
直近の所属会派
民社党
直近の役職
—
直近の発言日
1956/11/30

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 地方行政委員会25 件・25%
  • 内閣委員会18 件・18%
  • 商工委員会17 件・17%
  • エネルギー対策特別委員会14 件・14%
  • 科学技術振興対策特別委員会12 件・12%
  • 予算委員会第二分科会8 件・8%

※ 全 3,008 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

3,008 件中 8 件を表示
全国電力労働組合連合会会長1956/11/30

第25回 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号

○公述人(向井長年君) まだ私に対する質問が……。

全国電力労働組合連合会会長1956/11/30

第25回 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号

○公述人(向井長年君) 私、先ほど申し上げましたように、五時ごろ会合を予定いたしておりました。ところが、若干開会される時間がおくれましたので、余裕をつけましたので、質問があれば承わりたいと思います。(「われわれの方に質問はございません」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し) ―――――――――――――

全国電力労働組合連合会会長1956/11/30

第25回 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号

○公述人(向井長年君) 大体今の質問につきまして、組合としてのそれに対する世論の喚起ということですが、われわれは当時もちろんストライキをやったことも事実です。しかし、公共の福祉という問題を中心にして存続しよう、こういうような考え方に対して、当時の実情を述べたにすぎないのでございますが、そこで公共の福祉をわれわれが阻害したというよりも、会社みずから経営の中から、今言いますところの公共の福祉を阻害するような制限をやったということを先ほどから…

全国電力労働組合連合会会長1956/11/30

第25回 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号

○公述人(向井長年君) ただいまの質問は、大体この法案が通過した後において、経営者の組合に対するその後の態度ということだと思いますが、そういうことでございますか。

全国電力労働組合連合会会長1956/11/30

第25回 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号

○公述人(向井長年君) 皆様方も御承知かと存じますが、電気の経営者というものは、こればはっきりいって、ほんとうの自分の資本を投じた経営者と私たちは考えておりません。いわゆる公共事業でございますし、従って、露骨にいいますならば、私は自主性がない経営者、大きくいって政府のいわゆる通産官僚と申しますか、あるいはその時の政府の力によっていろいろ左右されるような経営者ではなかろうか、従って私は官僚にまことに弱い経営者だと常に言っておりますが、そう…

全国電力労働組合連合会会長1956/11/30

第25回 参議院 社会労働委員会公聴会 第1号

○公述人(向井長年君) 今竹村さんから回答がございましたが、なるほど経済状態も変りましたし、また、われわれ労働者と申しますか、これも食えない賃金というようなことはもう言っておりません。もちろん労働者たりともやはり各企業の中で、企業努力をして、会社の収益を上げたということは、これは当然経営者のみの問題ではなくて、やはり労務者にも還元されなければならないし、あるいはまた、公共事業である以上は、一般大衆にも当然将来還元しなければならぬと、こう…

全国電力労働組合連合会会長1956/11/24

第25回 衆議院 社会労働委員会 第5号

○向井参考人 私、全国電力労働組合連合会の会長の向井でございます。本日、衆議院の社労委員会の参考人として参った次第でございますが、特に私、本法案の審議に当りまして社労委におきまして、当事者、あるいはまた関係者を呼ばれまして参考意見を聞かれることをまことに喜びといたし、敬意を表する次第でございます。ただこの法案が存続するという形において政府が上程される前に、現在のこの法案に対して国民の世論と申しますか、一般国民あるいはまたいろいろな学者等…

全国電力労働組合連合会会長1956/11/24

第25回 衆議院 社会労働委員会 第5号

○向井参考人 私電労連の立場でございますが、特に二十七年、八年当時の電力事情の問題は、今藤田さんから答えられたのですが、私も関西でございまして、当時このストライキにも参加いたしておりましたし、よく知っておるわけでございます。具体的の数字につきましては明確に記憶いたしておりませんが、大体当時関西で百二十万キロ程度であれば、電力も、あるいは電灯も制限せずにいけたのではなかろうかと存じます。ところが二十七年あるいは八年のあの渇水期の中におきま…