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自由民主党衆議院
総発言数
1,387
直近の所属会派
自由民主党
直近の役職
直近の発言日
1959/12/04

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 予算委員会48 件・48%
  • 予算委員会公聴会30 件・30%
  • 決算委員会22 件・22%

※ 全 1,387 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,387 7 を表示
自由民主党1959/12/04

33衆議院 決算委員会 第8号

○井原委員 ちょっと、大臣にお伺いしたいのです。新聞で見た程度なんですが、御承知のように東大は長い歴史から見ましても、国民はあの学校には日本の青年の中で最も優秀な者を集めておるということで、卒業いたしましても無条件にこれは受け入れておるわけであります。それほど国民が大きな期待を持っておりまする東大学内におきまして、新聞に出ておりますように、品物が盗まれたとか、あるいは警視庁が指名いたしました犯人をかくまって、その間にバリケードを張って、…

自由民主党1959/12/04

33衆議院 決算委員会 第8号

○井原委員 もう一点お伺いいたします。大臣、お知りにならぬかと思うのですが、校長、引き続いて教頭の管理職手当の問題があがっておるわけであります。むろんそれはけっこうだと思うのですが、ただ一つ、私非常にふに落ちない点は、校長から管理主事として管理職に変わった場合に、その主事に対して管理職手当がついてないということが、非常に実際に管理職に当たる者の意欲を阻害するというようなこと等を考えると、私は、どうしてもこれは当然管理主事に校長から変わっ…

自由民主党1958/10/16

30衆議院 決算委員会 第1号

○井原委員 この問題については、私は、高橋委員、鹿野委員の御発言に賛成でございます。前の砂糖事件の問題、それからこの問題に関連した裏面の問題等につきましては、私自身はもうすでにはっきりして、何らないということを確認をいたしておるのでありますが、しかしただいま社会党の諸君の言われるように、まだほかにくさいものがあるだろうという感じを持たれておる国民もまだ多数あるということは、私も認めていいと思います。しかしながら、あのドミニカの砂糖の事件…

自由民主党1958/10/16

30衆議院 決算委員会 第1号

○井原委員 私がただいま発言の中に、国民の中にも疑いを持っている者があるであろうと言ったのは、これはやはり何の問題でもそうでございまして、信ずる者もあれば、あるいはその問題について疑いを持つ者も、性格の上から申しましても、また立場によって、そういう考えもあろうかと思います。これは私は否定いたさないのでございます。しかし重複するようでありますが、前に申しましたように、われわれはわれわれとしての委員会の一つの限界があろうと思うのでありまして…

自由民主党1958/08/13

29衆議院 決算委員会 第6号

○井原委員 先般田中委員長外五名は、衆議院規則第五十五条に基いて、閉会中の国政調査を行なつたのでありますが、その詳細につきましては収集いたしました資料を検討しまして、適当な機会に御報告申し上げることにし、さしあたり簡単に中間報告をいたします。 派遣委員一行は、去る八月二日より五日間にわたって電源開発株式会社の奥只見ダム工事現場、北陸電力株式会社の有峰工事現場、日本国有鉄道中部支社の金沢管理局管内における北陸線交流電化の実情、及び敦賀地区…

自由民主党1958/04/09

28衆議院 建設委員会 第22号

○井原委員 私は自由民主党を代表いたしまして、ただいま議題となりました前田榮之助君提出の修正案に反対し、薩摩雄次君提出の修正案及びその修正部分を除く正原案に賛成の討論を行わんとするものであります。 下水道整備の必要性に関しましては、ただいま三鍋義三君の討論において御意見の開陳があった通りでありますが、ようやくにして国民の関心も下水道の上に高まりつつありますので、われわれといたしましても今後大いに努力をいたして参りたいと思うのであります。…

愛媛縣会議員1948/11/17

3衆議院 建設委員会 第4号

○井原参考人 地盤沈下によりまする災害地元の縣会代表といたしまして、本委員会にお列席をお許しをいただきまして、一言お願いできることを非常に光栄とするものであります。 御承知のように二十一年の十二月の震災によりまして、当時特に香川縣、高知縣に非常な隆起沈下の状況が現われまして、政府当局におかれましても、應急工事として多額の御出費をいただきまして、地元の者も一應安心をした次第であつたのでございます。ところがその後昭和二十二年の五月、大月ごろ…