矢田部理
会議録に記録された「矢田部理」の発言を集計しています。会派・役職は直近の発言から推定した値です。同姓同名の別人が含まれる場合があります。
出典: 国会会議録検索システム API(国立国会図書館) ↗- 総発言数
- 8,703 件
- 直近の所属会派
- 新社会党・平和連合
- 直近の役職
- —
- 直近の発言日
- 1976/07/06
政策テーマ別の発言量
テーマ代表語との共起件数- 防衛65 件
- 労働・賃金3 件
- 宇宙2 件
- 半導体1 件
- 経済安保1 件
- 住宅・不動産1 件
- 社会保障・年金1 件
- AI0 件
- GX・脱炭素0 件
- 医療0 件
- 農業0 件
- 地方創生0 件
- 防災0 件
- こども・子育て0 件
- 教育0 件
- デジタル行政0 件
- エネルギー0 件
- 観光・インバウンド0 件
- スタートアップ0 件
- 通商・貿易0 件
※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。
よく発言している会議
直近 100 件の標本- 法務委員会53 件・53%
- 予算委員会37 件・37%
- 外務委員会10 件・10%
※ 全 8,703 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。
発言履歴
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 いま強制捜査をされているのは、どちらかというと贈賄側に目される、あるいは位置づけられる人たちですわね。それと反対側で今度は受け手がいるわけですから、その受け手の側が一般的に——というのは、一般論はともかくとして、本件でもそちらの捜査にも、あるいは事情聴取等にも入っているかと、こういうふうに伺っているんです。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 私がこういうことを聞くのは、アメリカの嘱託尋問にかなりのウエートをかけた。しかし、これが非常に難航している。それからいろんな周辺事情を中心にして、外為だとか偽証だとかとやっているけれども、どうもその核心に迫り方がはだで感じられないと、ひょっとするとアメリカで嘱託尋問の結果が余りうまくいかないので、そちらに責任を転嫁してうやむやにされてしまうんじゃないかなどと考えている国民もかなりあるわけですよ。そういう点で、確信を持って贈…
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 両大臣、結構です。 坂田防衛庁長官に伺いますが、防衛庁関係者はこの事件に関して何人ぐらい事情聴取を受けているでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 次に、質問を変えたいと思いますが、専門家会議に向けて防衛庁なり国防会議事務局はどういう説明をされていたかを念のために確認しておきたいと思うのでありますが、専門家会議のスタートに当たって、答申は五十年度予算編成に間に合わせてほしい、つまり四十九年いっぱいぐらいに結論を出してほしいという要請をしたことはあるんでしょうか。結論だけで結構です。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 どちらでも結構ですが、同時に、国防会議事務局なり防衛庁は五十七年度には次期対潜哨戒機を用意しなきゃならぬ、配備をしなきゃならぬと、こういう説明も専門家会議にしているんでしょうか。結論だけでいいです。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 そこで、その五十七年度タイムリミット論というのは、その年には量産機を取得しなきゃならぬ、そういう時期として言われたのでしょうか。それとも開発期間の終年というか、終わりの年といいますか、そういう時期として五十七年度論を言われたのでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 いいよ、簡単で、後で質問いたしますから。 ところで、この「審議概要」を見ますと——ちょっと、その前に質問しておきますが、国防会議事務局なり防衛庁は、五十年度予算編成に答申が間に合えば五十七年度配備は可能だと、これはたとえば国産の場合もあり得るわけですけれども、答申は。国産の場合でも可能だと、こういう前提に立たれたんでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 私が言っているのは、どういう検討をしてもらいたいかということじゃなくて、自分たちの考え方として五十七年度には欲しいと、その欲しい時期に見合って予算なり計画を組むわけでしょうが、五十年度予算に間に合えば五十七年度には国産ということでも配備が可能だという前提で提案をしたのかと、こう言っているんです、時期的な提案を。結論だけでいいです。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 いまあなたも言われたように、「審議概要」を見ますと、開発期間七年、実用化まで二年、つまり九年かかるというのが一つ提案の内容になっているわけですね。そうすると、五十七年度ということになれば、一年かそこらかもしれませんが、間に合わないという計算になるわけですね。その辺は五十七年度タイムリミット論というのをどういうニュアンスで説明したのか。特にこの答申の最後のところが、ただし書き以下の条項が、つまり時間の問題で間に合わないから輸…
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 事務局なり防衛庁の提案そのものが数字上合わないということを一つ指摘したわけでありますけれども、同時にそれならば五十七年度をさらに延ばすことが可能なのかどうかという論議は専門家会議でしたんでしょうか。それについてどんな吟味や検討がなされたのか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 「審議概要」の最後のところ、答申の最後でもあるわけですが、量産機取得までに相当の期間を要するから、土屋証言によれば、もう時間の問題だけだということをこの説明としてするわけですが、相当の期間を要するから当面は輸入もやむを得ないんだと、こういう結論づけになっているわけでしょう、ただし書きは。だとするならば、この期間がもう少し明確に、量産機取得までこのぐらいの余裕はあるよと、それから国産の場合にはどのぐらい縮めたり、あるいは期間…
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 土屋証言は時間の制約だけだと、この間私の質問に答えているのですよ。あなたの言うとおりだとすれば、逆にうそを言ったことになるわけですけれども、いずれにしてもこの時間の議論が余りなされない。そこで国産ではなくて輸入やむなしという現実論が出てくる余地を開いたと。しかも土屋証言によれば、時間の日程的な面はそちらの案をそのままほぼ受け入れて作業しましたとも言っているわけなんで、この点が非常に欠落をしているんじゃないかという指摘が一つ…
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 事務局は六十年ぐらいまでという国会答弁のニュアンスもあるわけですが、この四十二年ごろ配備になったやつが五十七年つまり十五年後に減衰状態に入るのは字面としてはわかるわけですが、これは最初の段階では余り飛行時間がなかったのではないかという指摘が一つと、それからオイルショック以降飛行時間を制限している、少なくなっているという状況もあって、さらにこの運用面の配慮をするならば、もう少し延ばすことが可能なんじゃなかろうかという問題点が…
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 いま私が指摘したような問題も含めて、あるいは運用上の問題も検討して、五十九年あるいは六十年あたりまでの期間を示せば専門家会議の答申内容はまた違った味が出ていたんじゃないかという感じもしないではないのですが、どうもその辺の議論がほとんどやっぱり尽くされていない。ここに一つ問題点があろうかと思うのです。 もう一つ最後にお聞きをしておきたいのは、そういう中で答申が出たにもかかわらず今日まで機種の選定がおくれてきましたね。おくれて…
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第12号
○矢田部理君 かいつまんで話してください。わかっているから……。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第8号
○矢田部理君 証人が事務局より専門委員になってほしいと要請をされたのは、時期はいつごろになりますでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第8号
○矢田部理君 直ちにお引き受けになったのでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第8号
○矢田部理君 専門委員をお引き受けになった時期にすでにこの答申を出す時期的なめどづけ、いつごろまでにやってほしいという話はあったのでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第8号
○矢田部理君 そこで、四十九年末ぐらいまでにはというめどで日程を組まれたようですけれども、具体的な日程の入れ方等については事務局がイニシアをとったのでしょうか。それとも委員の御都合でああいう段取り、日程になったのでしょうか。
第77回 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第8号
○矢田部理君 そこで日程に関して若干伺いたいと思いますが、第二回の委員会——専門委員会が四十八年九月二十五日に開かれました。それから翌年の四十九年三月十一日、第四回が開かれるまでの間六ヵ月前後あるわけでありますが、この間には十二月末に開かれた程度で、かなりの間があったというふうにまあ言われておるわけでありますが、これも事務局のイニシアでこういう日程になったのでしょうか。