松原仁
会議録に記録された「松原仁」の発言を集計しています。会派・役職は直近の発言から推定した値です。同姓同名の別人が含まれる場合があります。
出典: 国会会議録検索システム API(国立国会図書館) ↗- 総発言数
- 4,863 件
- 直近の所属会派
- 立憲民主党・無所属
- 直近の役職
- —
- 直近の発言日
- 2006/11/14
政策テーマ別の発言量
テーマ代表語との共起件数- デジタル行政12 件
- 観光・インバウンド8 件
- 経済安保5 件
- 住宅・不動産4 件
- 農業3 件
- 地方創生2 件
- 半導体1 件
- 労働・賃金1 件
- 社会保障・年金1 件
- AI0 件
- GX・脱炭素0 件
- 宇宙0 件
- 医療0 件
- 防衛0 件
- 防災0 件
- こども・子育て0 件
- 教育0 件
- エネルギー0 件
- スタートアップ0 件
- 通商・貿易0 件
※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。
よく発言している会議
直近 100 件の標本- 外務委員会100 件・100%
※ 全 4,863 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。
発言履歴
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 伊吹大臣がおっしゃったわけでありますが、愛国心という場合の国、そこにはもちろん、国土もあれば伝統もあれば文化もあれば営みもある、非常にそれは多義にわたるものでありますが、愛する対象として、私は、そのときの政体がどういうものであれ、その政体の中身ではなくて、政体という、非常に抽象的でありますが、国家を運営するそのものに対しての基本的な愛情も当然含まれるというふうに思っております。 今であれば民主主義に対する愛情というものもある…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 私はその仕組みを言っているわけで、民主主義とかですね、ただ、その仕組みを愛する中には、私は非常に微妙だと思うんですよ。イズムが入るかどうかというと、イズムは仕組みの上に成り立っているわけですよ。仕組みを否定したイズムというのは、これは革命になるわけでありますが、革命も含めてその仕組みと言えるかもしれない。このイズムというのも仕組みの中に成り立っているという中で、それはイズムを支持しろということではないですが、そこは極めて内包…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 最後の部分は、全くそういう無意味な発言をされてもお断りというか、困るわけでありますが。 私は、ひっきょう一つの政党がということを言っていないんですよ。それぞれの政党はその仕組みの上に成り立っているから、その中にある意味で内包される部分があると言っているので、それをそういうふうに言われては、水かけ論をあえてしようとするような大臣では困るので、そういうことではいかぬと。 私が申し上げたいことは、では、愛国心教育をなぜ書かないのか…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 本当の理由はこういうところでは言えないということでしょうが、伊吹さんも本当は愛国心を入れたいと思っているんですよ。思っているけれども、この委員会室では言えないと。私は、本当に苦渋の胸のうちを感じますよ。 では塩崎さん、なぜ愛国心教育というのを入れられないのか、お答えください。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 大変に私は残念なんですよ。世界のほかの国々でこういう議論があって、少なくとも責任政党の幹部が、愛国心はどうですか、愛国心教育は必要ですかと聞かれて必要だと言い切れない国というのは、私は極めてまれだと思うんですよ。 少なくとも教育基本法の中にそれを明記する、当然のことだろうというふうに思っておりますが、このことについて極めて歯切れのいい発言を従来からしてきた下村官房副長官、はっきりした答弁を聞きたい。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 それでは、この第五の項目にある「我が国と郷土を愛する」ということは、これは事実上、愛国心ということですか、伊吹大臣。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 愛国心という表現を使ってもこれは構わないんだ、こういう認識なんですね。もう一回確認します。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 私は、これを愛国心と呼んで構わないんですねと聞いているんですが、これはイエス、ノーで答えてください。(発言する者あり)
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 どうしても愛国心というこの言葉を使えない。どうしても使えないというのは大変に残念でありますが、これが使えるようにならないとこの国はいかぬのじゃないかな。大きく大臣もうなずいていますから、これは、書記の人に本当は、「大臣、大きくうなずく」と書いてほしいわけでありますが、愛国心。 そして次に、国を愛する態度、これを教育基本法に明記することによって、今後、学習指導要領の各教科はどんなふうにイメージが変わるのか。国を愛する心というも…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 時間がないので、次の項目に入ります。 宗教的情操教育ということに関してお伺いしたいわけでありますが、この宗教的情操教育をきちっと行うということがなかなか明快に語られていない。私は残念でありますが、なぜこれが明快に語られないのか、お伺いいたします。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 今いじめの問題等が多発しておりますが、ここに欠けているのは何か。それはやはり、もちろんさまざまな暴力風刺漫画とか、またそういった映像という影響もあるでしょうが、やはり学校教育においてこういった宗教的情操というものが涵養されていないというところに大きな問題があるのではないかというふうに私は思っております。 翻って、いろいろと今までの経過を見ると、これは昭和二十年九月十五日の文部省の新日本建設の教育方針というものの章でありますが…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 これは非常に難しい部分で、後でまたさらに質問を続けていきたいと思いますが、宗教的情操が多義的であるということで入っていないというふうなことの御答弁もあったようでありますが、宗教的情操が多義的であるという、このことはどういう意味でしょうか。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 そうすると、宗教的教育、宗教的な情操教育というものに関しては、これは今回の教育基本法では否定をしている、こういうふうに考えた方がいいんですか。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 では、この宗教的情操について、藤村さん、お答えできますか。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 やはりこの部分、踏み込むというのが私は大事だと思うんですね。特に今の殺伐とした事件が多発している状況の中では、私はこの部分というのは物すごい大事だろうと。 宗教教育と書いてあるけれども、そうなると、具体的に、宗教のどういう教育が行われるのか。それは例えば、今言った精神的な部分で、情操面において、子供たちの考え方、そこにやはり生命への慈しみとかを教える、そういった宗教教育なのか、単なる知識教育なのか、どういうふうな宗教教育をこ…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 先ほど、私がさまざまな文部省の見解や、それから文部大臣の見解も申し上げて、宗教的情操は必要であると。宗教的情操は必要であるという点は、これは大臣も一緒ですよね。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 宗教の持つ情操、必要であると大臣がお答えになったそれは、この宗教教育で、この箇条において実現されますか。
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 これで達成できるかと。私は、教師の能力というところで最後の条件をつけて、それだけ条件をつければ、できませんと言っているのと同じなんですよ。それだけ条件、これがこれで、これがこれで、これがこれで、全部よくって、最後に教師の能力まであればできますと。できますか、それ。これだけ問題意識がずっと営々として語り継がれてきて、今回それをやらなかったらどうなるんだ。 下村さん、これはできますか。今宗教的情操は必要だと言った、一般論として。…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 これは非常に難しいところでありますが、まず今多義的と言った部分に関しては、これは他のこの基本法の中で語られている概念にも多義的なものというのは随分あるわけであって、多義的であるということを理由にして宗教的情操を入れないというのは、これは承服しかねる部分であります。 それはそういうことにしておいて、私は現実に、今言った畏敬の念を持つ、そして、この祈るという行為、これはいかなる宗派であろうと、祈るという行為の中に込められた一つの…
第165回 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第11号
○松原委員 重ねて副長官にお伺いしますが、今ヤーバリー校では、それぞれの宗教を持っている人はその宗教で祈っていただいていいですよ、相手は小学校の三年生とかそういう、ちょっと学年も幾つかあったと思いますが、そして、そういったもののない人は瞑想ですよと。つまり、それは、宗教でもあり瞑想でもあるけれども特定のものではない。こういうレベルのものは、今回の、従来からの見解の中でも結構です、この宗教教育として当然許容されると下村さんは考えておられる…