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日本社会党(右)衆議院
総発言数
759
直近の所属会派
日本社会党(右)
直近の役職
直近の発言日
1948/09/10

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 行政監察特別委員会100 件・100%

※ 全 759 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

759 20 を表示
1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 端的にいえば、当時の雑誌の通弊として、米英打倒、日独伊三國同盟推進というようなことが載らない右翼の雑誌というものはなかつたのであります。皇道会の雑誌には、そういうものは一つも載せてありません。ただ特に粛軍とか反軍とか反戰というような言葉は、これは載せられないので、消極的な意味においては、こういうことはしなかつた。おおいうことはなさなかつた。進んでやつたということは農村問題である。こういうことになつております。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 東條内閣が昭和十六年にできまして、言論集会結社等臨時取締法という戰事立法を作つたのであります。そのときあらゆる團体は一應当局の了解を得なければ團体が在立しないということになつたのであります。そのときにその言論集会結社臨時取締法に触れて皇道会は昭和十七年四月と覺えておりますが、和菓子が内務大臣から受け書を貰つたのですが四月二日と思つておりますが、先ず皇道会山梨支部の結社禁止をするというので禁止命令を受けた。その理由は…

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) これは昨年十二月二十六日に、資格審査委員会において七対二を以つて私は非該当になつたのです。この非該当の判定文は東大教授の大川内一男君が起草せられ、牧野委員長これに筆を入れられまして、委員会は七対二を以つて私を非該当にした。私は今尚この十二月二十六日に行なわれた私の資格審査委員会に関する判定文は正当なものであると深く信じております。その正当なものであるということは、今ここに私がこの小委員会において述べました通り、例え…

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 当時非推薦で出たのありますが、苟くも議会に議席を持つておる者は全部強制的に加盟をせられたので、一会員として入つたのでありますが、これは誰も、一人殘らず入つたのです。その役員とか幹部たることについては、絶対承知をしなかつたのであります。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 当時の皇道会の諸君の言いました國防論というのは、物量とか資源を増すことを以て國防とは考えない。軍事自体の整備、又は軍自体の科学的研究というものを以て國防であるおいう思想でありました。そういう文字があるからといつて、それが侵略であるとか、或いは特にいわゆる帝國主義戰争を行なうための軍備であるという意味ではないのであります。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 誰がという個人の記憶はないのでありますが……

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 私じやありません。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) まあそうですね。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 無論知つています。重点をおいたのは一と二であります。既成政党の積弊打破と、資本主義経濟制度開発という点にこの綱領の重点であつたと思います。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) なつておりません。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 私は大会にも出席しておりません。併しよくある例でありますが、本人は出席せず、何もしないが名前だけ役員に列して、何時脱会したとも、怪しいからんから削つておくともいわないで、余りよくないことでありますが、ずるずるべつたりに押附けられておつたということであります。私自信から言えば、承諾したことも大会にも出ておらない。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) これは人間の思想というものはなかなかそう何と言いますか、私から言えば変わるもの出ないのですが、大体社会主義を奉じ、農民運動を継続した私としては思想の根底に侵略とか、軍國とか言うものはないのです、問題は私は現実政治家でありますので、この農民運動というものを継続する途上において、そのときそのときによつて多少のそこにいろいろな書き物とか、或いは宣言とかいうものの綾はこれは一々檢討して見れば、今になつて見てどうかと思う点は…

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 著述は一冊だけでありますが、「日本農政と農地問題」という本があります。これだけです。これは私の農政に関する自己の信念を書いたものであります。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) あります。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) そうですね。先刻申上げたように安部磯雄、北澤新次郎等を最初の先生として、出てからは、高橋亀吉、麻生久、鈴木文治、無論今の片山、水谷、西尾、從來も同僚であり、運動を多少見解では差があるかも知れんが或いは長谷川如是閑とか、ああいう人達、軍人では宇垣大將今の黒澤主一郎、等々力森藏というところですが、政界方面においては、まだ澤山、知り合いがありますけれども、これは知合いです。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) それは特に同志として、どうということは、大体においてありません。それは大体多少の知り合はありますけれども、それから杉山元治郎なんかですね。河上丈太郎、河野密そういう諸君も非常に運動の係累であります。それから賀川豊彦。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) それは一番最初二、三ケ月の間述べたのは裁判権問題です。これは非常に正当なる理由があると思います。寧ろ裁判所側が裁判権という問題について被告人たる私に、明確に日本に裁判権があるということを明らかにしてやることが正しい。それが不明瞭であるということが正しくないと思つて、今そう思つております。併し私は百歩譲つてこれを眞理であると思つております。それから現在は七、八月頃は抑鬱症でありまして、今だんだん委員長の御質問に答えて…

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) いや幾らかします。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) 私もします。

1948/09/10

2参議院 司法委員会資格審査不実記載に関する小委員会 閉会後第5号

○証人(平野力三君) そうです。從つてこれは私は法廷の威信も客観的に第三者が見ていかんと思つておられる点はあろうと思いますが、その点は私が負うべき罪ではない、その裁判が上手くいかんで遅れたということはそれは裁く方においても大体においても正当を欠いておる。例えばまあこういうところでもはつきり申上げた方がいいと思いますが、例えば鈴木法務総裁は院内において高瀬代議士に平野は懲役一年だと言つている。苟くも法を司る最高の司法大臣である法務総裁とい…