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自由民主党衆議院
総発言数
880
直近の所属会派
自由民主党
直近の役職
直近の発言日
1948/10/13

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 運輸委員会97 件・97%
  • 本会議3 件・3%

※ 全 880 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

880 20 を表示
民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 地区によつて違いましようけれども、九州といたしましては五千円いただきました。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 私は淵上房太郎氏から、党からことずかつたと言つて受取りました。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 ございません。全然植原さんにはございません。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 いいえそんなことはありません。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 それは知りません。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 それはございませんが、代議士の推察でそんなことを言つたんじやないかと思います。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 全部にやつたからということでもらいました。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 龍名館に行きました。御承知のごとく龍名館は炭鉱業者の旅館でございまして、私の國から陳情に來ますればたいがい龍名館に泊りますから、龍名館には敬意を表すために行つたことがあります。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 あれは私の國の市長とか商人とかが來るので、たまたま炭鉱業者に会いましたし、私は炭鉱地帯出身の代議士ですから、もちろん会えば敬意を表しますが、当時社会党の代議士衛藤さんなんかと同じ選挙区で、行けば挨拶をし、雜談をするというようなことで、別に特別に呼ばれて行つたということもないし、特別自分から行つたということもない。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 私は見ません。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 そうです。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 私はかけ出しの代議士でありますからよく知りませんが、党から選ばれで党議によつて視察するときに党から視察手当をくれる、そんなものであるというように思つて私はいただきました。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 それは幹事長に聽いていただけばわかります。私は知りまん。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 私はどこから出ているかわかりません。ただ党から言ずかつてきたということにおいて、私は党からというふうに信じていただきました。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 淵上君は言ずかつてきただけです。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 党の封筒に平井君と書いておりましたから、もちろん党ということを自分は信じてもらつた、こういうことでございます。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 それは私は知らぬのです。淵上さんがどこからいただいてたれに言ずかつたかということは私は知りません。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 そう私は信じております。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 実際に調べたわけではありません。

民主自由党1948/10/13

3衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第3号

○平井證人 私は視察後におきまして、自分の信念に基いて街頭演説をやろうという氣でビラを五千枚つくりまして、私の方で千五百枚ばかり貼りまして、三千数百枚残つておりました。私は新橋で街頭演説をやりました。その後においてたまたま田中彰治君に会いました。田中君は私の選挙区の炭鉱業者であります。自分たちも立看板を立てて大衆に訴えるという話でありましたから、非常にそれは手がかかる、人夫があるか、手はいくらでもある、人夫はいくらでもあるというお話でし…