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日本社会党参議院
総発言数
2,234
直近の所属会派
日本社会党
直近の役職
直近の発言日
1977/09/14

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 内閣委員会46 件・46%
  • 予算委員会45 件・45%
  • 安全保障特別委員会8 件・8%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,234 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,234 20 を表示
日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 厚生省が知ったのはいつですか。二十年は敗戦の年でわからなかったら、いつ知ったのですか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 昭和三十六年にアメリカの食品局はアメーバ赤痢以外の使用を禁止しているというように私は承知しておりますが、これも訴訟が起きるまで知らなかったんですか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 その二年前、日本で釧路、室蘭に集団発生、つまり三十四年ですね。そして三十九年、埼玉県の戸田市、東京オリンピックの年ですが、集団発生をし、前川教授による研究班、いわゆる前川班。この厚生省の助成金が三十九年度三十万、四十年度三十六万、四十一年度百四十万。そして、四十一年度で打ち切られておりますが、この前川班が解散していなかったらスモンの大量発生は防げたのではないかと、こう言われていますけれど、この点についてはどういう見解をお持…

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 この助成金を打ち切った理由につきまして、四十四年の衆議院産業公害対策特別委員会において、政府委員の方は、研究班長の前川先生が亡くなられたからと言われています。しかし、ほかの資料をいろいろ勉強してみますと、厚生省の当時の担当官の方が、全国的にスモンの発生が減ったから打ち切ったんだと言っている資料もあります。どちらの理由にしても、当時、この四十一年度で助成金を打ち切り、研究班を解散をした、これは重大な誤りだったというように私は…

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 率直な御答弁をお聞きをしましたが、局長もお見えになったようでありますので、いままでのやや細かい質問を変えましてお聞きをしてまいりたいと思います。 エマホルムを厚生省が許可をされたのはいつですか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 二十八年ごろと違いますか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 当時担当されていたのは製薬課長と聞きますが、そうですか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 その課長が、昭和五十年の六月と七月、静岡地方裁判所の法廷で次のように証言をされています。「業者の申請書類に約一時間程度目を通しただけ」だと言っていますが、大体そういう状況であったでしょうか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 私は、さっきから細かくアメリカやあちこちのことを言っていましたのは、そういうことをおっしゃると思ったから聞いておいたんです。全然違うと思いますよ。外国では安全だったなんということは一つもないんじゃないですか。 まあそれはそれとして、静岡地方裁判所で当時の課長さんが法廷で証言された、「業者の申請書類に約一時間程度目を通しただけ」だと、こう言ったのに、なぜそうしたかという追及に対して、その課長さんは次のように答えているわけです…

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 いや、現在じゃなくて、その当時ね、「他の新薬の場合の許可も従来からそういう方法であったから」と証言をしているわけですよ。そのことだけを聞いているんです。現在どうしているかということを聞いているわけではありません。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 四十二年以降のことをお聞きしたのではありません。二十八年当時の、この許可をしたときの製薬課長さんの証言の内容を、二十八年当時の厚生省がどうであったかということをお聞きしたのでありますが、お答えがありませんのでこれはまた別途にいたします。 キノホルムの歴史——昭和初期に輸入、十四年国産開始、その他のデータも調べなかった、戦前の劇薬の指定も知らなかった、こういうようにその課長さんはそのときにも答えているのでありますが、そういう…

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 いろいろ担当の方が調べられたという答弁でありますが、先ほどからお聞きしますと、輸入の際に、外国ではほとんど被害がなかったというお話ですが、たとえばアメリカでは、大正十二年「内科診療の実際」という初版本に、「十日連用したら八日休め」と明記されていると聞きますが、こういうことも知らなかったんでしょうか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 幾つかアメリカの例ばかり挙げましたけれど、そういうことをもし知っていて勉強していらっしゃり研究していれば、一時間程度書類を——業者の出したままのですよ、出したままの書類だけで許可をするということは考えられないはずですが、私の常識からいけば。その点はいかがですか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 少し急ぎますが、厚生省自身が独自の調査あるいは他の研究機関に調査を依頼する、こういうような方法は幾らでも考えられたと思うんです。そういう方法をどうしてとられなかったんでしょうか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 これはもう約十年前ですが、四十三年の五月の七日、参議院の社会労働委員会で、ここに会議録もございますが、当時の園田厚生大臣は次のように言っております。「やはり理論的な上に動物実験、人体実験、臨床実験を経て、万間違いのないという場合にこれははじめて許可すべきものであって、」云々と続くんです。そして、厚生省の責任を痛感しています、と。これはサリドマイド児にかかわる場合のことですが、この厚生大臣が答えている、厚生省の責任を痛感して…

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 本年四月二十六日、参議院の社会労働委員会で政府委員の方が次のように答えられております。これも途中を省きますが、「国が医薬品の製造承認に当たりましてきわめてずさんであったがためにそれを見落としてしまったというような場合には、」「民事上の責任ということは問われる可能性はある」と答えていらっしゃいます。そうしますと、この四十三年の園田厚生大臣の、責任を痛感しているという以前、つまり二十八年当時からキノホルムを製造承認をしたその時…

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 それでは、行政のあり方について二、三お伺いをいたします。 エマホルムを厚生省が許可された、先ほどの二十八年当時の厚生省の製薬課長の方は、——会社の名前を発表する必要はありませんが——現在どういう地位におられますか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 そのある製薬会社、相当大きな某大製薬会社でありますが、常務取締役をされているその方が、厚生省から会社に行かれたときにはどういうポストにつかれましたか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 私は、開発部長になられたというように聞いておりますが、知らないと言えばそれ以上追及できませんが、観点を変えまして、製薬会社の開発部長というのはどういうお仕事をされる方ですか。

日本社会党1977/09/14

81参議院 公害対策及び環境保全特別委員会 閉会後第1号

○勝又武一君 新しい薬ですから、新薬の担当ですね。そして、厚生省に新薬の許可を求めるという業務を担当するというように考えますが、間違いですか。