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日本共産党参議院
総発言数
5,162
直近の所属会派
日本共産党
直近の役職
直近の発言日
1979/05/09

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 税制問題等に関する調査特別委員会47 件・47%
  • 社会労働委員会44 件・44%
  • 土地問題等に関する特別委員会5 件・5%
  • 本会議4 件・4%

※ 全 5,162 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

5,162 20 を表示
日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 ちょっと、経過はいいんですがね、経過は簡単でいいですから、メーカーとか導入台数とか、数点端的に答えてください。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 その四十両すべてが去年までに廃棄処分になったんですが、年度別に何両ずつ廃棄されたかを、長い説明要りませんから、その点を答えてください。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 ディーゼル機関単の法定耐用年数は何年ですか。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 この四十両すべてが耐用年数に満たないで廃棄処分になったわけですが、このDD五四について四十両のうち一番長く使ったのは何年何カ月か。それからついでに聞きますが、一番短いのは何年何カ月で廃車になったか、廃棄にされたか。平均で何年何カ月か、これを養えてください。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 非常に短いですね、十八年の耐用年数に比べて。長くて十年ですね。 どうですか、国鉄で導入した車両のすべてが、しかも四十両というような車両のすべてが耐用年数に満たないで、みんな耐用年数に満たないで廃棄されてしまったという実例はほかにないでしょう。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 いや、そういう例があるかないかです。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 私は三月の下旬に、調べるために福知山機関区に行ってきたんです。そうしましたら、一両だけDD五四が福知山機関区の放射十一番線上に、これは廃車決定は内部的にされているそうでありますが、存在しておりました。これは昭和四十六年製作のものですから三三号機、まだ八年しかたっていない。 ちょっと大臣、これですね、これがいま問題のDD五四なんです。ちょっとごらんに入れておきます。雨の日に行って撮影をしてきたんですが、まだ新しいという感じが、…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 いや、非常に新しい車体だというふうに感じませんか。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 このDD五四の車両の故障件数がまた問題であります。昭和四十一年に導入しましたが、四十一年、二年、三年と、この初期の三年間で、走行キロ百万キロ当たりの事故件数、これはどうなっておりますか。

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 その後一たん減ったんですが、また四十七年、八年、九年、五十年、五十一年と、こうふえてきているんです。これも後で質問し出す。そうしてしかも、四十九年、五十年、五十一年あたりでは平均の約十倍、百万キロ当たりの事故件数が十倍という多発を示しておるんですね。 そこで、次に私はお聞きしたいのは、DD五四はすでに昭和四十三年までに八両導入して、その八両は、いまお答えのような、非常に高い、百万キロ当たりの件数二四・七、二四・二というふうな…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 そうして、その欠陥があって、それも克服されないままに四十四年以降、四十六年までにあと三十二両が導入をされたと、そうして四十両になった、こういう経過であります。その結果、全部耐用年数に満たないままで昨年までに廃棄処分ということになったわけです。これは欠陥が多過ぎるということを気づきながら、残りの三十二両を次々と導入していったと、ここのところに私は大きな原因がある。八両を入れて、八両が湖山駅の脱線転覆事故を含めて大きな事故を起こ…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 私の方はいろいろ国鉄の技術関係の方の書かれたものなども調べてみました。おわかりと思いますが、たとえば上西尾源太郎という人がおります。これは本社運転局車務課にいた技術関係の方ですな。この人が一九七七年五月のある雑誌――「鉄道ファン」という雑誌です。これにこう書いているんですね。「往々にして発生した機関故障や車両故障が初期故障時から、なかなか収斂しきれなかった。」と、こういうことを言っております。 それから永瀬和彦さん、これは車…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 結局、あなたの答弁、それからこのお二人の論述を私は総合して細かい技術論をここでやる余裕はありませんし、またその場でもないと思いますから、大きく見た場合に、これはエンジン、変速機などの車両としては一番大事な中心部分、その欠陥だと、そしてその欠陥が耐用年数十八年持ち切れなかったと、そこで廃車にしてしまったと、大変な経済的損失だと思うんですね。これは、国鉄としては売買契約の目的物たる商品あるいは製品について重大な瑕疵があるものだと…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 早く完全なものに仕上げる努力は努力として、しかし完全なものにならなかったわけなんです。そうすると、三菱重工は、メーカーの方は、最初からこれは十年でおしまいになっちゃいますよ、これは四年九カ月で中には廃棄になるのがあるかもしれませんよというようなことは言ってないはずだ。これはもうりっぱに国鉄として耐用年数は使えるものとして、その前提に立ってやった以上は完全にこれが直らない以上は、損害賠償の要求を考えるのは、これはユーザーとして…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 その内部検討もしなかったと、こういうことですか。損害賠償要求をするかどうかの内部検討もしなかったということですか。 〔理事安恒良一君退席、委員長着席〕

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 これは全然損害賠償要求をしないという理由にはならないと思います。DD九一がどうであろうと、それはDD五四の前の車でありまして、DD九一はたった一両でしょう、これは。そしてしかも、これは試運転中にも何かシリンダーが割れるという事故を起こした、そういういわくつきのものでしょう。DD九一がどうのこうのということは理由にならない。これはやっぱりメーカーの三菱重工に損害賠償を要求しなかったということは、はなはだ私は国鉄の措置としては合…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 DD五一の方の損害賠償はやらないと。まあよけいなことを言うようですが、労働者が国鉄の施設の中にビラを張ったとかいうとき、それからストライキやったときにはこれは損害賠償の訴訟を最近非常におやりになっております。これと比較するのはどうかという意見もありましょうけれども、そういう非常に損害賠償訴訟に積極的な国鉄が、こういうメーカーから瑕疵のあるものをつかまされたと――それに対して損害賠償という訴訟はある程度冒険はつきものですよ。し…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 いま検査院の答弁の中で、導入の経緯についても鋭意検討をしている、それも含めて検討をしているというお話があったんです。 そこで私も、これは昭和四十一年当時、どんな理由でこのように短期間にその後廃棄処分せざるを得なくなったこのDD五四という車種を、しかもいろいろさっき担当理事は言われましたが、ディーゼル機関車のエンジンをつくった経験のない三菱重工に任せた理由は何かと、この点について疑問に思うところなんです。これを、いろいろいまま…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 そうすると、前にDD五〇のとき、ズルツァそれからMAN――ズルツァというのはスイスですね。MANは西ドイツですね。そういう経験があるから大丈夫だろうと思ってやったと、こういうことなんです。私はまず結論から言うと、ドイツとかスイスとか三菱とかいう名前、ある意味において虚名に目がくらんで技術上の検討不十分のまま飛びついたという印象があるんです。 この昭和四十年の十月に三菱重工と国鉄の最初の当初契約のとき、国鉄部内の技術関係者の意…

日本共産党1979/05/09

87参議院 交通安全対策特別委員会 第5号

○内藤功君 ところが、この導入したのは四十年十月、私の持っているのは「交通技術」四十年八月号、その当時の雑誌ですが、ここで国鉄の当時の臨時車両設計事務所におった玉置光夫という人、この人は五十年に退職されて、大宮工場長をやられて退職されて、現在ある会社の工場長をやっている人ですがね、この人の論文を見ますと、さっきあなたがほめていたズルツァ、MANということについてこう言っているんですね。「さきにズルツァ、MANで非常に苦はいをなめ現在なお…