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自由民主党経済企画庁長官衆議院参議院
総発言数
9,704 件
直近の所属会派
自由民主党
直近の役職
経済企画庁長官
直近の発言日
1959/11/16

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 商工委員会37 件・37%
  • 予算委員会21 件・21%
  • 大蔵委員会21 件・21%
  • 外務委員会10 件・10%
  • 社会労働委員会7 件・7%
  • 物価問題等に関する特別委員会4 件・4%

※ 全 9,704 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

9,704 件中 20 件を表示
自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 正確に申せば、必ずしも継承ではございませんけれども、事実上の問題として、そういうことになろうかと思います。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 技術的な問題につきましては、条約局長から……。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) そういうことだと存じております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 御承知の通り、ドゴールが開戦と同時に日本に対して宣戦を布告したわけでございます。しかし、当時ドゴールはフランスにおりませんし、ビシー政府が正統の政府でございます。従って。(「大きい声で言って下さい」と呼ぶ者あり)大きい声で言います。ドゴールが復帰して参りまして、パリに来て政府を作りましたとき、一九四四年八月二十五日が開戦の日だというふうにわれわれは考えております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 昭和十九年八月二十五日、一九四四年でございます。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 間違いありません。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 日本としては、今日法律的にその日が日本とフランスと戦争状態になった日だ、こういうことにきめております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 同日パリに入りまして、そして正統政府になりました。むろんほかの国の承認等は若干おくれておると思います。その事実の上に立っております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 二十五日にパリに入りまして、実体的には二十五日から政権をとっておると思っておりますが、詳しいことは条約局長に。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) ドゴールは御承知の通り解放政府を作っておりまして、その前から相当実質的には各国政府と連絡をつけておりまして、むろんフランスに上陸いたしません間は、そういう状態であることは当然でありますが、フランスに上陸しましてパリに入りました以上、実質的に、その承認の手続そのものは別といたしましても、実質的にそのときから宣戦の布告が有効になったと見るのが適当だと考えております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 今申し上げました通り実費的に、その日まで解放政府として、フランスにはおりませんでしたけれども、各国と連絡をとりながらやっております。従って、フランスに上陸しましてパリに入ってきたという日が事実上宣戦布告した日だと、それからさかのぼるということは無理だと思います。やはりその日が初めてわれわれとしてはそれを認めなければならぬ日だと、こう考えております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 当時まででも日本に対してそういう態度をとっておったのでありまして、従って、当然そういう態度がはっきり過去の経緯からいいまして認められるわけであります。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) ドゴールは、先ほど申し上げましたように、解放政府を作りまして外国におりましたときにすでにそういうことを申しておるのでございまして、従って、そういう状態に引き続き継続されているというふうに解釈すべきだと思います。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 今申し上げたような事実問題からしてその日とするのが一番適当であろうとわれわれは考えておるのであります。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) ドゴールがフランスに、パリに戻りまして、ビシー政府の外国関係のものはむろん破棄できないと思っております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) ビシー政府の外国関係は引き継いでおると考えております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) その点は事実問題ではないかと思うのでありまして、八月二十五日以後交戦状態にあるというふうに認めるのが適当であって、あとは事実問題だと思います。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) ただいま辻委員の御質問の第二点、日本の戦争指導会議において、フランスを敵としないという方針をきめたということでありますが、私ども現在そうした書類を手に持っておりませんので、その点のはっきりしたことはわかりません。ただ、われわれの想像といたしましては、おそらく当時の政府としては、仏印において敵対行動をなるべくしたくない、また同時に領土的野心も日本は持っていないのだし、そういうことによって混乱させることは適当でな…

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) ドゴールがパリに復帰いたしました、——復帰と申しますか、あるいは進攻したと申しますか、そのこと自体は連合国と一緒に進んでおるわけでありまして、実質的に実力を持って入ったことだと考えられるわけであります。当然、それでありまするから、実質上の支配権を獲得したと、こう見るべきだと存じております。

自由民主党外務大臣1959/11/16

第33回 参議院 予算委員会 第3号

○国務大臣(藤山愛一郎君) 先ほど申し上げましたように、ドゴールはロンドンで解放政府を作り、あるいはアフリカで解放政府を作り、その関係においてはイギリスなどとの接触を持っておったわけでございます。同時に連合軍として入って参ったわけです。フランスに来たわけであります。こういう事実から見まして、むろん当時まだヴィシーの、ペタンが必ずしもヴィシーから退いていなかったかもしれない、パリという首都を回復して、そうして現実にそこに政権を立てました以…