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改進党衆議院
総発言数
2,996 件
直近の所属会派
改進党
直近の役職
—
直近の発言日
1950/04/12

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 議院運営委員会52 件・52%
  • 労働委員会35 件・35%
  • 労働委員会人事委員会運輸委員会連合審査会9 件・9%
  • 懲罰委員会3 件・3%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,996 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,996 件中 20 件を表示
国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 議事進行。菅君がソ連のスパイだつたということを発言していいのか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 私はせんだつての委員会で菅君の問題を取上げて何か発言したので……。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 それでその前に、ただいまの委員の発言の中に……。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 私は証人に質問するのだが、その前に私は一応質問の前提をやつておかなければいけない。菅君の自殺を、毎日新聞の十日の記事は、どこから材料を出されたか知らぬが、さながら菅君がスパイであつたという一新聞の記事をとつて、スパイであつたからこうだ、それで死んだのであるというようなことを前提としながら、しかも証人にその証言を求める。しかも毎日新聞のこれが真実なものであるとするならば——菅君自身が残した遺書が三通も四通も各新聞に出たの…

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そういうようなみつともない状態がまたこの委員会で繰返されないために質問……。(発言する者あり)そういうような信念において証人に質問を求めるということは……。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 出したのではないかと思つて……。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そういう考え方をもつてこれから証人に質問をするのです。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 先ほどからあなたに対して温情あふれる委員の御説諭がありまして、さぞかしあなたも心に銘じたことと思います。しかし私は、あなたのお母さんがお前の信ずるところに向つて進めと言われたことは、さすがに日本の賢婦人だと思つております。しかしただ私はあなたの証言の中に——きのうもこれは言つたのだが、立場を明らかにするために特に言つておきますが、いわゆる日本の軍隊が天皇に隷属していたことは旧憲法から見ても間違いありません。それが奴隷で…

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そうするとあなたのいた收容所には、兵というものは捕虜になつていなかつたのですか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 その兵に対して、見習中であつたあなたたち将校のどなたかが乱暴をなさつたことはありませんか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 三十名ばかりの兵の中で、やはりそこでもいわゆる反軍闘争というものは起りましたか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そういたしますと反軍闘争というのは、少くともその動機は、その收容所の指揮権をまかされた将校が、兵に対して元の軍隊的な猛烈な訓練をしたというのか、びんたをしたというのか、そういうような将校の乱暴とか、兵隊の食糧の頭をはねるとか、病人に與えたものを将校が食べて涼しい顔をしているとか、こういう将校の——同じ日本人で階級はあるけれども、一旦捕虜というような同じ身分になつたというようなことを考えないで、常軌を失した将校の無軌道さ…

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そういう実例をあなたはごらんになつたか、お聞きになつたことはありますか、最もひどい実例で、こういう事実があつたために兵がこういうふうになつた、実際的な反軍闘争というものをやり始めたというようなことを御存じありませんか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 どういうお話をお聞きになりましたか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そういたしますと、あなたが最初にいらした收容所のいわゆる幹部見習というか、勉強中の方々はほとんど全部いわゆる民主化運動、あるいは反ファシスト委員会というものの運動にお入りになりましたか、それとも一部ですか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 要するにあなたの同期生ですね。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 それはいつころですか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 それで要するにあなたの友だちで、ハバロフスクに行く前に二百七、八十人いらつしやいましたね。その友だちの中で、あなたと一緒にお帰りになつた方がありますか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 その方は現在どういう運動——運動というと変だけれども、どういう思想的な傾向ですか。

国民協同党1950/04/12

第7回 衆議院 考査特別委員会 第24号

○石田(一)委員 そうするとほかに将校の方でも、相当日本に帰つて共産党に入党されたという方が多いわけですね。