P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ ☆
自由党衆議院
総発言数
2,293 件
直近の所属会派
自由党
直近の役職
—
直近の発言日
1950/04/13

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 水産委員会38 件・38%
  • 予算委員会22 件・22%
  • 議院運営委員会18 件・18%
  • 決算委員会11 件・11%
  • 懲罰委員会10 件・10%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 2,293 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,293 件中 20 件を表示
自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 たとえば貨車の荷物をおろします、積み込みます、また石炭を積みます、おろします、いろいろございましたでしようが、たとえばそのうち貨車からかりにおろすといたしましても、何貨車と何時間ぐらいでおろす、午前中あるいは何時間働いて、何時間の休養時間を與えられたか、こういうような点を伺いたいのであります。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 そこで、あなたはとにかく司法官生活を長くされているのですから、重労働には耐えられなかつたと思いますが、非常な苦痛でございましたか、楽な作業状態でありましたか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 それから伺いたいのは、七月二十六日にポツダム宣言が発せられまして、それが二十八、九日に日本の新聞に出た。それから終戰のあれが出たのが八月の十五日、それで証人がチタを経由してウラルに入られたのが十二月と伺つております。証人は天津、奉天の司法領事をされ、また満州で司法官をされておつたのですから、国際公法を十分に御存じだろうと思いますが、このポツダム宣言が発せられたときの條項というもの、それから降伏文書というものを満州においてお聞…

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 この降伏文書にこれが出ておるのでございます。これはもちろん勝者と敗者との関係からいたしかたがないといたしましても、ミズリー艦上でこれをやられておる。下名はここに日本帝国政府及び日本帝国大本営に対し現に日本国の支配下にある一切の連合国俘虜及び被抑留者をただちに解放すること並びにその保護、手当、給養及び指示せられる場所べの即時輸送のための措置をとることを命ず、こういうように日本の天皇が言つております。これは日本が負けたのでありま…

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 昨日品の証人は、ポツダム宣言には何ら無関心でありました。今日私は、あなたが司法官生活を長くされ、ことに五十二というお年で、最も円熟され、思想もまつたく健全な年輩でおられるために伺うのでありますが、そうすると終戰後、入ソ以来転々として連れて歩かれ、いつ帰れるかわからぬ、半ば人生観というものを、運命論者のようになつてあきらめておられる。いつ帰れるかわからぬ、しかたがない、こういう自分の運命だという観念から、このポツダム宣言あるい…

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 そこで、その無関心になるまでというのは、結局重労働以外に、たとえば日本の刑務所における——今日ほともかく、旧憲法下における刑務町では、相互に話をさせないというようなこともしておりますが、かような意味で、ソ連收容所もお互いか和気あいあいと話されるという機会はなかつたのでありましようか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 もう一つあなたにお伺いしたいのですが、先ほど経歴を伺いましたときに、満州国司法官をされておつた。それから終戰と同時に捕虜の名前になつたのだと思いますが、何か軍隊に御関係をなすつたことはありませんか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 そうすると委員長、これを私は伺いたいのですが、たいへんな問題になるのです。ポツダム宣言の九條、これに絶えず問題がかかつて来る。「日本国軍隊ハ完全二武装ヲ解除セラレタル後」とこうあるのに、軍隊でない非戰闘員までもソ連が連れて行つて四、五年間も置いておくそのソ連の暴虐さ、これをもポツダム宣言の違反だ、国際正義に反したとお認めになりませんでしたか、これを伺いたい。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 伺いますが、れんがをつくつたりいろいろされたというのですが、私はれんがの作業状態、ノルマというのはどんなものか伺いたい。たとえば土を型に入れてこれを手でつくるとか、あるいは機械工具でつくるかどうか知りませんが、たとえば日本のれんがと同じくらいのものを何枚くらい一日つくるのがノルマでありますか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 二十二人ですかな。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 もう一つ伺いたい。先ほどのれんがのあれで、私はその経験があるのですが、おそらく一箇月二十五日やるとして、三十万枚のれんがをつくるということは、月本の工場ではないのであります。それは相当スタハノフ運動というものを強要したものだろうと思います。そこで伺いたいのですが、つまり灰土にしても何にしても容易ならぬことです。地上勤務者はぱたぼた倒れて行くということは当然であります。先ほど伺つた通り、坑内で働けば冬は暖かいし夏は涼しい。とこ…

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 日本の炭鉱においても、労働基準法あるいは鉱内保安法などあつて、非常にやかましく言うわけですが、排水が惡くて水がジャブジャブしておるというところで、どういうぐあいに石炭を掘つておられるかどいうことを、もしごらんになわ知つておるならば、大体でけつこうですからお話願いたいと思います。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 大体これでソ連の労働のあり方というものは私も会得できましたが、もう一つ伺いたい点は、あなたが終戰当時に満州の劇場を経営されていて、御家族はどんなぐあいになつたのでございましようか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 連れて行かれるときには、家族の方々とも一緒におられたのだろうが、ただ男だけひつぱつて行く、ソ連の五箇年計画の労働力に使うために、とにかく在満の働ける者はみんなひつぱつて行くというような方針で連れて行かれたのですか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 大体終戰の八月十五日から九月、ころまでの間に、ほとんど満州の設備をソ連に運んでしまつたということを聞いております。目撃したわけではないのでありますが……。その後あなたがチタを経由して連れて行かれる間に、日本の設備ばかりでなくて、またソ連将校、ソ連兵か行つてしまつたあとへ中共軍と言いましようか、そういうものがただちにまた入れかわつてやつて来たということはありません。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 私は先ほどの証人の小泉さんですか。年輩も五十二才であり、奉天の司法領事というようなことから、満州のまた司法官までしていたということで、人格的に実は大勢の証人のうちでも重要な証言がとれると私は信じておつたのです。ところが何かどこかに圧迫を受けておるのか釈然としないものがたくさんありました。そのうちの一つにフンクチョネールということを聞きましたときに、それは私にはわからぬのだと言う。その点について先ほどあなたと控室でお会いになつ…

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 加藤さんにお伺いしたいのですが、徳田書記長、毛沢東あるいは金日成という額はもちろんそうではありますが、スターリンの額をこわしたり、あるいはスターリンはけしからぬやつだというようなことを、かりにもあなた方捕虜ばかりでなく、囚人で来ておるソビエト人、ドイツ人がそういうことを言つた場合にはどういうような迫害にあうかということはどうですか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 もう一つ加藤さんにお伺いしたいのですが、あなたがアルマアタに三年ばかりおられた間に、日本人はどのくらい死んだかという合計がおわかりになりませんか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 墓場はありますか。

自由党1950/04/13

第7回 衆議院 考査特別委員会 第25号

○田渕委員 アルマアタの土まんじゆうで、およそどのくらいという御想像はつきませんか。