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日本社会党衆議院
総発言数
6,887 件
直近の所属会派
日本社会党
直近の役職
—
直近の発言日
1953/11/07

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 法務委員会100 件・100%

※ 全 6,887 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

6,887 件中 20 件を表示
日本社会党(左)1953/11/07

第17回 衆議院 法務委員会 第7号

○猪俣委員 休業声明の直前に出資した人の住所姓名が相当わかるだろうかどうかということ。今ここでなくても、あなたが帰つてからでもいいが、わかつたら事務局へでも知らしていただけるかどうか。

日本社会党(左)1953/11/07

第17回 衆議院 法務委員会 第7号

○猪俣委員 いま一つは、何か団体をつくられたそうであるが、それが何というお名前でどのくらいの人数の団体であるか。

日本社会党(左)1953/11/07

第17回 衆議院 法務委員会 第7号

○猪俣委員 いま一点。その投資者連盟で話し合われた中に、被害者の中で相当多額の出資をしている方があると思いますが、最高どのくらいの人があるわけですか。

日本社会党(左)1953/08/07

第16回 衆議院 法務委員会 第33号

○猪俣委員 本件は昨年の十一月二十日ごろ鹿地亘の近親者から、鹿地亘がアメリカ側に監禁せられている模様であるから救い出してもらいたいという依頼がありましてから、私は二週間にわたりまして、その事実の有無を調査いたしました。真実なりと認定いたしまして昨年の十二月八日当法務委員会へこの調査方を提案いたしました。法務委員会におきましてはこれを採択されまして、爾来今日に至るまでこの問題を御調査願つたのであります。当時の委員長でありまする田嶋好文君、…

日本社会党(左)1953/08/06

第16回 衆議院 法務委員会 第32号

○猪俣委員 関連して政務次官に希望を申し上げたいと思いますが、今までも考えておつたのでありますけれども、法務省の予算を組むときに当委員会み内示なり相談なりができないものであろうか。実はほかの党は知りませんが、私どもの党から出ておる予算委員なんというものは、大部分は司法行政なんというものには全然興味もなければ、知識もない八が多いのですそれで今いろいろ各委員から意見があつたが、地方法務局なんていろいろなことをやつているけれども、――たとえば…

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 この人はよく知らぬかもしれませんが、実は例の鹿地亘君、それから山田善二郎君、これが鹿地事件を起しまして、それで非常に生活に窮しております。そこで文化人やその他の進歩的グループの間に、彼らに何か幾分かの生活費を給するということで、おもに鹿地君の友人が中心になりまして、鹿地、山田救援会というものができ上つております。そこでやつておるうちに、この人も職がなくてあれするものだから、鹿地、山田救援会の事務を何か手伝わして、幾らか生活費…

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 二点ばかり簡単にお尋ねします。山田善三郎君がまだいわゆるキヤノン機関に勤めておりました時分に、あなたは何回くらい山田善二郎君に会つておられますか。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 そうするとあなたが東川クラブに監禁されたときは二箇月くらい毎日会つた。その後遊びに行つたのは二回であつて、その二回とも山田には会つておるわけですね。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 それからあなたの行つた東川クラブ、これはたびたび行つてお言わけであるが、これはそこから逃げ出す者を監視するような設備その他何か方法を講じておつたか。あるいは普通の役所のように特にそういう監禁するような設備はしておらなかつたか。その点について述べていただきたい。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 それから東川クラブには光田、福本その他のアメリカの軍人がいたはずでありますが、その連中は武装しておりましたか、どうですか。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 それから先ほどあなたが四箇所に監視所があると言つたのですが、それはやぐらのような高いものを組んでいるのですか。普通のいわゆる交番みたいなものなんですか。そこに守つている人間は武装しておつたかどうか。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 そうするとあなたが総合的に観察したところによれば、そのいわゆる東川クラブなる構内から外部に逃亡するようなことはできがたいような状態であつたわけですね。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 それから先ほどちよつと話されたようであるが、後にあなたが鹿地だとわかつた、その当時はお客様、そのお客様のおつた部屋は二階であるか、下であるか。どんな部屋であり、それはあなたが見たかどうか。そしてそこの入口にどういう設備がしてあつたか。それについてお話願いたい。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 私はこれで済みました。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 ただいまの板垣証人の尋問によりまして、きわめて重要な、われわれが、主張いたしております。東川クラフで鹿地が監禁されたるやいなやという点につきましての証言がありましたが、なお山田善二郎とおよそ三度――三度と申しますのは日数ではありませんが、立場をかえて板垣は三回も会つておるはずであります。そこでそれが事実なりやいなやを山田に委員長からお確かめ願つて、これでけりをつけたいと思います。参考人でもよろしゆうございます。どういう意味で…

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 昭和二十七年の十一月の二十日ごろ、この鹿地事件につきまして家族から私は救い出しを頼まれた。あなたは同月の二十四日に初めて第一議員会館の私の事務室に現われたときに、私はあなたに一切の詳細な手記を書くことを頼みました。それが同月の十一月二十六日に、厖大なあなたの手記が私のところへ届けられたが、その中に東川クラブにやはり十七、八歳の少年が監禁せられておつたということを書いてあつたと思うのであるが、あなたは書いた記憶があるかないか。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 その手記には書いてないですか。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 ぼくはそれを読んでおるんだがね。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 そうすると二度目のときにはつきりと書いて出したこういうわけですか。

日本社会党(左)1953/08/05

第16回 衆議院 法務委員会 第31号

○猪俣委員 いま一点はあなたが板垣にその後、つまり板垣が船に乗ると言つて出かけてから会わなかつたが、その後この鹿地事件が起り、そうして最初に板垣に再会したのは、どこでいつごろですか。