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自由党参議院衆議院
総発言数
1,657 件
直近の所属会派
自由党
直近の役職
—
直近の発言日
1949/05/12

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 在外同胞引揚問題に関する特別委員会91 件・91%
  • 大蔵委員会6 件・6%
  • 本会議1 件・1%
  • 建設委員会1 件・1%
  • 内閣委員会1 件・1%

※ 全 1,657 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,657 件中 20 件を表示
民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 その船名はお分りになりませんか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 そうすると、その船は舞鶴か函館に向つたことは間違いないのですか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 二十二年の一月ですね。そうすると、その日にちはいつ頃でございましようか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 それから続いてお尋ねいたしますが、この前のあなたの御証言の中に、ちよつと読んで見ますが、重ねてこういうふうに言つておられますが、「ナホトカにおける準備をいたしておりました。そうして奧地からはどんどん日本の捕虜が沢山に集結地に集まつて参りました。ところが三月二十日になりましても、日本からの船は來ません。その二十日の日に我々はすでに第一回の梯團の編成をはつきり終りました。そうして分所から直ぐ港に行ける態勢を整えて置く。そうして…

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 常にその人だつたのですね。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 そうしますと、この五万人の人が一万足らずのナホトカの行つて溢れておる。この五万人を奧地からナホトカまでどんどん送つて來るということに対しては、これはこの前私質問いたしましたが、計画経済の國であるソ連として、これはナホトカの地にこの頃に船が來るというようなことは、ソ連当局としては、そういうふうなことをやつておられるのではないかと、私は思つておるのですが、これは私の思つておることですか……。ところが現実に五万人の人がそこにおる…

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 そういうことをお願いしたことがありますか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 ただ、今の中尉の人と一緒に港に行つて、そうしてただ日本から船が來ないのだ、船が來ないのだということで帰つて來られたわけですね。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 それに対してあなたは願つたことはないと言われましたけれども、自分自身でこれはおかしいということはお考えになつたことはありませんか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 考えた。それはどういうふうにお考えになりましたか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 それはあなたの御想像ですか、或いは何かによつてはつきりとそれを認識されたのですか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 分りました。ちよつと小針証人にお尋ねいたしますが、先程北條委員からもお話が出ておりましたが、日本新聞を担当されておりましたときに、日本の留守家族或いは肉親の人がその捕虜となつておる日本人を一刻も早く帰して貰いたいというようないろいろな運動なり、そういうふうな声が内地に溢れておるのだというようなことを新聞の編集をしておりまして、ラジオなり或いはその他でキヤッチされたことがありましよか、或いは……

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 ウイノ……

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 それは一應あなたがラヂオで以てキヤッチされて、そうして原稿なら原稿をそのまま速記されたやつをソ側の責任者に見せたのですか。或いは又……

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 それは年数にしていつ頃でしよう。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 若し後でその記憶を呼び起されましたら、一つ委員会までお知らせ頂きたいと思います。それからあなたの帰られるまでに、ただ上野のそうした大会のことを一回聞かれただけですか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 あなたが舞鶴にお着きなつたのはいつですか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 二十一年ですか。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 そうしますと、未亡人のと、上野と二度だけですね。

民主自由党1949/05/12

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第24号

○淺岡信夫君 津村証人に重ねてお聞きしますが、その人口一万足らずのナホトカの町に五万人からおりましたところの收容された日本の捕虜の人達は、その五万人はずつと引揚が再開されて船が來るまで五万人の人がおられたのですか。或いはいつまで待つても船が來ないので、こうした人達をここへ置くわけにいかんというので、方々の收容所に後送されたことはありませんか。