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日本社会党衆議院
総発言数
3,139 件
直近の所属会派
日本社会党
直近の役職
—
直近の発言日
1973/02/28

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 外務委員会99 件・99%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 3,139 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

3,139 件中 20 件を表示
日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 それではまたいずれ後ほどそうしたことは機会もございますから、そのときに尋ねたいと思います。 もう時間もあと数分でありますので、私、外務大臣に要望的な意味でお尋ねをしておきたい、こう思うのです。きょうは海洋博の法律の審議でありますが、あなたは担当の大臣ではありません。通産大臣が担当の大臣でありまして、最高の責任者になっておる、こういうことでありますが、あなたは国務大臣でもあるし、また有力な閣僚でもありますから、私は、この海洋博…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 午前中の質問に引き続きまして、政府当局に、海洋博に関連をしまして沖繩の基地問題についてもう少し質問をしておきたい、こう思います。 たびたび委員諸君からも発言がございましたように、那覇空港はなかなか返ってこない、こういうことであります。そこでP3の基地を嘉手納に移して、そして普天間の基地等の修理、あるいは岩国、三沢の基地の修理、いろいろなこととの関連でいろいろな予算が要るわけでございますが、そうしますと、先般予算委員会でも、三…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 ただいまの答弁でありますが、非常に予算委員会で問題になった返還時の三億二千万ドルの支払い以外には何も話はなかった、こういうことでございますか。今度のことはその後出てきたという。そのときからこれはあったのですか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 一昨年の沖特の委員会で、当時の福田外務大臣は、P3が具体的にどこに移転するのかということが基本的にきまっていないで、精細な見積りをすることはできませんが、したがって補正予算に計上することができなかったのであるが、大体二千万ドル以下である、こう踏んでおりますと答弁しております。局長どうですか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 六十七国会の沖特で二千万ドル以下である、こうあります。そのときには普天間へ行くP3は嘉手納という構想はないのですよ。そして、もっとコースは簡単だったと思うのです。こんな複雑な事情にならなかった。そのときでも二千万ドル以下というから、千万ドルも五百万ドルも以下は以下ですけれども、二千万ドル以下といえば近いもの、こういう判定じゃないでしょうか。それが三十八億円でまだいいというからあれですけれども、だいぶ違うのじゃないですか。まる…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 だから、その三十八億円というのも腰だめの予算であって、正確な予算ではなかった。そうじゃないですか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 あなたの答弁で経緯はわかってきました。そうでしょう。この六十七国会、八国会のころにはP3の基地は嘉手納に行くということはきまってなかった。そのころ全然そんなものはないのですよ。それでも三十八億でやると、こうしておりながら、今度は嘉手納に基地の拡張をやるんだ。すると、もっと巨額の金がまたプラスされてくる。これはあたりまえですよ。しかるに、この予算の要求、計上は三十八億の繰り越しだけになってきておる。理屈が合わぬですよ。まるで、…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 そうすると、いまのそのような答弁は、以前にもたしか福田外務大臣当時もしていると思うのです。ただ、交渉の経過の間で、約束はしておりませんが、先方からは六千五百万ドルくらいの費用、予算を必要とするようなことになるのではないかという話があって、こっちはそうかというような聞きおくというような姿であったが、まあそう簡単なものではないと思うのですが、約束まではしておりませんが話は出たのだ、こういうような答弁があったように私速記録で読んだ…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 まあ返還協定に関連して一、二聞いておきたいと思うのです。 午前中の委員会でも、復元補償費についてはお聞きしましてあなたから答弁がありましたから、これはいいでしょう。まだいま、一千万ドルをこえる補償費についてアメリカ当局が審査をやっておるところでございますと、こういうことでしたから、審査中ですからどうにもなりません。 そこで、返還協定の四条2項では、米軍の施政下で現地法令によって認められた県民の請求権は、アメリカが沖繩に事務所…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 それはそういうふうになっておるということはわかりますが、現実に、沖繩の人たちのそうした請求権というものは公正に、具体的によく行なわれるような現況にありますかと、こういうことをお聞きしたわけです。理屈はそうでありましょう。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 講和前の人身損害補償漏れの人員は現在幾らくらいあるのでございますか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 では、引き続いて聞きますが、昨年五月の復帰後、見舞い金支給は円滑に行なわれつつあるのですか。もう一ぺん聞いておきたいと思います。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 もちろん御答弁のとおりですが、こういうような補償漏れの人たちというのは調査が非常にむずかしいと思うのですね。それで、これからも新しく証人等があらわれたり、いろいろな事情でわかってくるというものも相当あるのではないかと思うのですが、施設庁ではこういう点についてどのような見通しを持っておられるのでしょうか。まだまだどんどんたくさんの人が出るのだろうか、あるいは大体終わりに近づいておるのだろうかとか、何かそういう見通しをお持ちでご…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 これからも新しいいろいろな補償すべき事案といいますか、そういうものは出てくるということは当然考えられることだと思うのであります。厳重に今後もそういう意味で努力してもらわなければならぬ、こう思うのであります。 そこで、時間がありませんので、この講和前の人身補償の見舞い金の問題と関連しまして、当時の軍の行動、判断等によって起きた事件があったのですね。たとえば久米島事件、鹿山兵曹長の事件あるいは渡嘉敷の赤松大尉事件、その他各地にあ…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 いまの答弁の中で、犠牲者の遺族ではあるが日本に国籍がないからできない、それは具体的にどんな場合ですか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 もう少し聞きます。そうしますと、御本人は他国人であった、しかし、その細君は沖繩の人であった、こういう場合ですか。どうなんですか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 さっきも申されましたように、久米島の事件ですか、答弁の中で、久米島の事件は非常にはっきりしておるが、ほかのほうははっきりしない事件が多いんだ、それで援護等のやり方もたいへんむずかしいんだ、国家がどう補償するかということについても、したがってたいへんなむずかしい問題である、こういうふうな答弁のようでございます。しかし沖繩には、ああいうような戦争末期の事情でございましたから、私は、まだたくさん他にもあるのじゃないか、こういうふう…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 この返還協定が締結されたころには、那覇軍港の分しかわかっていなかったんでしょう。ところが、その後関係の市町村が八カ村——井川条約局長が答弁しておりますよ。資料を見ますと、関係市町村八カ村、地域としては二十三地域、海没面積は二十三万坪をこえる膨大なものになっておる。請求金額は七百四十三万ドルをこえる金額となっておる。筆数でいけば三百九十一というのが、この当時政府が受け取った琉球政府の調査だから、交換公文においては那覇軍港だけし…

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 局長、もう一ぺん聞きますが、なっておるということはわかっていますが、現在はどういう状況に進行していますか。もうかなり完了しておるのですか。政府答弁だけでも二十三万坪以上のものが請求が出てきておる。それの補償はどうなっておるのですか。

日本社会党1973/02/28

第71回 衆議院 外務委員会 第3号

○堂森委員 もうずいぶん古い話じゃないでしょうかね。そんなに調査にかかるのですか。それはよくわからぬからそういう答弁じゃないのですか。あなた、ずいぶん古いことですよ。いまの答弁にもありましたが、六十七国会の当時すでに沖繩、琉球政府から日本政府に連絡があった。それを当時の井川条約局長が沖特におきまして答弁していますよ。そして、まだそれが目下調査中である、それはあまりにスローじゃないですかね。補償というものとしてはあまりにのんきじゃないでし…