東郷和彦
会議録に記録された「東郷和彦」の発言を集計しています。会派・役職は直近の発言から推定した値です。同姓同名の別人が含まれる場合があります。
出典: 国会会議録検索システム API(国立国会図書館) ↗- 総発言数
- 402 件
- 直近の所属会派
- —
- 直近の役職
- 元外務省条約局長
- 直近の発言日
- 2010/03/19
政策テーマ別の発言量
テーマ代表語との共起件数- 半導体0 件
- AI0 件
- GX・脱炭素0 件
- 経済安保0 件
- 宇宙0 件
- 医療0 件
- 農業0 件
- 地方創生0 件
- 防衛0 件
- 防災0 件
- こども・子育て0 件
- 教育0 件
- デジタル行政0 件
- 労働・賃金0 件
- エネルギー0 件
- 観光・インバウンド0 件
- 住宅・不動産0 件
- スタートアップ0 件
- 社会保障・年金0 件
- 通商・貿易0 件
※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。
よく発言している会議
直近 100 件の標本- 外務委員会73 件・73%
- 決算行政監視委員会第一分科会6 件・6%
- 沖縄及び北方問題に関する特別委員会6 件・6%
- 外交・防衛委員会5 件・5%
- 厚生労働委員会3 件・3%
- 法務委員会3 件・3%
※ 全 402 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。
発言履歴
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 私、この御質問に対しては、元外務省に在職した者として、できればお答えを差し控えさせていただきたいと思います。これは非常に重要な問題であり、まさに今の外務省において判断していただきたいというふうに思っておりますので、ぜひ御理解を賜りたいと思います。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 当時、条約局長として勤務しておりましたときの私の認識としましては、核の持ち込みはあり得た、あり得るというふうに思っております。 ただ、これはもちろん九一年以前の話でございまして、九一年以降はもうアメリカは艦船に核を積んでいないということをはっきりさせておりましたので。しかし、九一年以前の状況に関しては、先ほど申し上げましたように、アメリカは、NCNDということで、艦船の上に核を載せているか、載せていないかは言わないと。その…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 外務省としてはという御質問でしたが、私が今申し上げているのは、条約局長として一年間勤務をしていた間の私の認識でございまして、私は、九一年以前、NCND政策のもとにすれば、それは持ち込みはあり得る話だというふうには思っておりました。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 私は、先ほども申し上げましたけれども、これはアメリカ合衆国大統領それから日本国総理大臣としてのニクソンと佐藤総理が署名した文書であり、普通の国家間の、政府間のやりとりとしては、恐らくアメリカ側は何らかの形で引き継ぎがされていただろうというふうに思う種類の文書だというふうに、若泉先生の本が出たときも思いましたし、今もそう思っております。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 まず、何でそのようなことになったかということに関しては、一切承知しておりません。佐藤総理が議事録に署名され、なおかつそれを御自宅の方にしか残されなかったということに関しても、一切私は事情を承知しておりません。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 私が確実に申し上げられるのは、条約局長をしておりました間、外務大臣、総理大臣がこの問題についてどういう認識を持っておられたか、私がお仕えしたのは高村外務大臣でございますが、私の認識としては、高村大臣は御存じでおられたというふうに思っておりました。 ただ、それが、どなたがいつ大臣に御説明したかということについては、はっきりした知識は持っておりませんでした。しかし、外務省の幹部から説明がされていたというふうに私は思っておりまし…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 今手元にその文書を持っておりませんので、これは記憶で申し上げますが、松永条約局長の後、栗山条約局長、それから小和田条約局長、丹波条約局長、この残り三人の方々が、条約局長になる前、どの立場におられたかはちょっと記憶しておりませんが、ラロック発言とそれからライシャワー発言について、それぞれ意見書を書いて省内の議論に提出しておられました。 栗山元条約局長のメモというのは今回の有識者委員会の中から発表されておりますが、それ以外の、…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 お答え申し上げます。 ちょっと申しわけないんですが、今すぐ出てきません。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 私の記憶では、この諸先輩のメモの大筋は、非核二・五原則という方向でこの問題を収れんし、それをきちんと国民に説明すべきである、大筋そういう方向だったと思います。 しかし、それぞれのメモにおいてのニュアンスの問題がありまして、ですから、これはメモをもう一度読んでみたいというふうに私も切に思っていた次第であります。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 まず、引き継ぎの形につきましては、後任の条約局長でありました谷内局長には、その五つの箱と、それからその七ページの文書を引き継いだと記憶しております。その第一の箱の中の一番上に乗せて引き継いだ。 藤崎局長に関しましては、その七ページの文書だけを封筒に入れて、しかるべき形で送付した。したがって、文書そのものは藤崎局長には引き継いでおりません。 それから、番号等は一切とっておりません。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 個人的な書類というのは当たらないと思います。 しかし、累次御説明しましたように、これは、条約局長室の中に先輩の条約局長の方々が残し、それから私も若干それに加えた、そういう条約局長室の中に残っていた書類であり、そういうものとして後任の条約局長に引き継げば、それを見て十分彼はその文書の内容、重みというものを判断して、きちんと対処してくれるだろうというふうに思っておりましたので、文書番号をとるということは全く考えませんでした。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 存在しております。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 船に載った核兵器をNCNDのもとに、実際問題、アメリカが日本の港に持ち込んでいることもあり得るという点を申し上げました。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 持ち込みはイントロダクションという言葉が使われていたと記憶しております。それから、寄港、これは私の今の記憶ではポートエントリーであったのではないかと思います。それ以外に、通過、トランジットという言葉が使われておりました。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 この辺は、ちょっと記憶で申し上げますが、過去の国会答弁等で、トランジットというのが、無害通航という形で本当に領海の中をさっとかすめて通っていくのか、それとも、領海の中に入って、しばらくの間、しばし遊よくしてそのまま出ていくというのがトランジットなのか、そういう点について国会の中でいろいろ議論があったというふうに記憶しております。 したがって、通過というものがそもそも何なのか。先ほど斉藤参考人の方から、三木大臣のときにその通…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 私もないと思っております。
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 私は、冒頭の十分陳述の最後に申し上げましたが、確かにアメリカはNCND政策は変えていない、他方、現状においては艦船の上の核兵器というのは積んでいない、これが昨年の五月から私がもう一回勉強し直したまさに現状でございます。そうであるならば、日本が非核三原則ということを日本の政策として堅持、打ち出していても、実質的に日米間の安全保障上の問題は生じないというのが現時点の私の認識であります。 そうであるならば、非核三原則というものを…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 小和田メモも、丹波メモも、それから今回公表されました栗山メモも、ラロック発言それからライシャワー発言という、当時非常に大きなインパクトを持って受け入れられた発言が出た後に、この問題をどうしたらいいかということについて必死になって考えたメモでありました。そのことは、私、鮮明に記憶しております。ただ、基本的にはそのファイルを整理しながらざあっと読み込んでいっただけの作業でありますので、正確な内容は記憶しておりません。 ただ、ラ…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 今、メモで申しましたのは、六八年の北米局長がつくったメモで、この問題については、それぞれ政治的、軍事的に動きのつかない問題であり、さればこそ米側も我が方も深追いせずという考え方が固まった後の話でございます。 今の御質問は、六〇年安保改定のときに何が起きたのかという点でございまして、この点については、この東郷北米局長の六八年一月二十七日付のメモで、「安保条約改定交渉、特に事前協議条項に関する交渉を通じ、我方は総ての「持込み」…
第174回 衆議院 外務委員会 第6号
○東郷参考人 資料を整理して引き継いだ後は、どなたとも話をしていないと思います。 ただ、さっき申し上げましたように、若干、こういう思いを持って資料をつくったよという話は、引き継ぎとして後任の条約局長にはいたしたと思っております。 しかし、その資料をつくる過程で、一年間条約局長として勤務している間に、この問題について若干の話は同僚の者とした記憶はあります。