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農林事務官(食糧庁業務第二部長)衆議院参議院
総発言数
2,849
直近の所属会派
直近の役職
農林事務官(食糧庁業務第二部長)
直近の発言日
1950/04/05

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 農林水産委員会30 件・30%
  • 外務委員会多国籍企業等国際経済に関する小委員会16 件・16%
  • 厚生労働委員会12 件・12%
  • 内閣委員会9 件・9%
  • 青少年問題に関する特別委員会9 件・9%
  • 予算委員会公聴会5 件・5%

※ 全 2,849 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

2,849 20 を表示
日本社会党1950/04/05

7参議院 懲罰委員会 第4号

○島清君 あなたはトモサンという薬を製造された。そういう意味において非常にエキスパートであると承つておる。商行為についても大変な権威者であるということを承つておりますが、取引というものにはいろいろな意味があると思います。例えばあなたがいつか京都の方にお越しになりまして、いろいろなされようとしたことも、政治上における不道徳なる取引として糾彈さるべき問題である。而もあなたは、売つたり買つたりも商行為の取引でしようが、そういうことはいろいろあ…

日本社会党1950/04/05

7参議院 懲罰委員会 第4号

○島清君 小川君に対する質問ではないのですが、議事の進行ですが、小川君は私達の疑問にしておつたものを一言にして答えて呉れたと思う。それはどの政党に所属しようと、はた又賛成しようと、ここに生命の危險なり、身体の危害の加えられる心配は毛頭ございませんし、又過去においてもなかつたと寡聞にして私達は信じております。そこでそういうことについて小川君が白票を投じても青票を投じても、いずれにしても小川君は殴られる運命にあつたのだということの一言は………

日本社会党1950/04/04

7参議院 懲罰委員会 第3号

○委員外議員(島清君) 只今委員長から本人を召喚すべきや否やという御提議があつたようでございますが、私は小川君が懲罰に付されております事由というものは、別に本人を召喚をして聞かなければならないというような問題ではなくして、明確になつておる問題だと思うのです。ですから運営委員会におきまするところの要望等もあるようでございまするからして、この明確になつた事実によりまして、懲罰委員会としての態度を御決定になつた方がよろしいと思う、こう思うので…

日本社会党1950/04/04

7参議院 懲罰委員会 第3号

○委員外議員(島清君) その通りです。

日本社会党1950/04/04

7参議院 懲罰委員会 第3号

○委員外委員(島清君) 只今遠山委員から発言をされたのは非常に意味あると思うのです。私は小川君のことであるからして、或いは仮病も使うだろうし、又そういうことはやりかねないと思うのでありまするが、遠山委員が何か知らん……委員会の方で当の小川君を喚問するということになりますると、何か言外にそれはお止めになつた方がよくはないかという意味のことを言つておられる。それこそ我々が……いわゆる議長の言われた背後関係を調べて貰いたいということについて、…

日本社会党1950/04/04

7参議院 懲罰委員会 第3号

○委員外議員(島清君) 委員会は速記が付いておりまして、今委員会を開いているわけでございまして、私が聞いたところによりますと、今遠山氏の発言は、私の解釈したような解釈以外でないと、別段取上げてここで発言されるようなことでないと私は思つたのです。若しそういうことをおつしやつて、何か速記録にでも残して置かれて置かなければならんというような御事情の間柄か知らんと思つて、そこで私は申上げたのであつて、そうでなかつたとするならば、私はただうつかり…

日本社会党1950/03/27

7参議院 通商産業委員会 第16号

○島清君 鎌田さんの御動議にもとより異議があるわけじやないのでありまするが、鎌田委員は何かしらんこの法案に対して結論を與えなければ、鉱害地の住民諸君に対して申訳がないじやないかという、こういうようなことをおつしやいましたが、私はそういう意味ではなくして、衆議院においてもこの法案の重要性に鑑みて、小委員会を設けて愼重審議を期しておりまするので、我々参議院といたしましても今日会議は余すところ僅か数日しかないのにも拘わらず、まだ以て衆議院の方…

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 軍隊に入る当時からでございますか。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 昭和十八年十二月一日に学徒出陣で樺太に入りました。十八年の十二月一日に学徒兵として人隊しまして、十九年の十一月見習士官になりまして、それから二十年の一月満洲の第二航空軍の第一教育隊の教官となつております。武装解除は奉天で二十年の九月初旬であります。入ソ後二十年の十月ウズベックの第一收容所、タシケントにあります。そこにおりました。これで終ります。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 入ソ後二十年の十月、これはウズベックのタシケント第一收容所であります。それから二十一年の四月タシケントの第十收容所、コルホーズの方であります。それから二十一年の九月に第一收容所に帰りました。それから二十二年の八月タシケントの第五收容所に転属しました。それから二十二年の九月ベクアードの第一收容所、二十三年の九月ベクアードの第五收容所、二十三年の十二月タシケントの第五收容所に戻りました。それから二十四年春カラカンダの第九…

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 確か今年の第一回ですから、一月二十二日と記憶しております。引揚証明書に書いてあります。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 二十二日の上陸になつております。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 見ました。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) その手紙をそちらに出す経緯ですか。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) それは詳しいことは自分はこちらに来ておりますので、ただ言うた当時、結局それが原稿になつて出たのだろうというだけであります。結局……

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) それは記事を取りに来たかどうかということは分らないのですが……

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 日にちは七日の日だつたと思います。朝十時頃であります。そのときにその本人は、自分が今度東京の方に行くということを誰から聞いて来たかということを全然言わないで、自分がこつちへ出るということを、カラカンダ地区から帰つて来た者に友達がおつて、結局その者がやはり呼出しを食つておるからして、あなたも呼出しがあつたのだろう。だからその本人は十三日までに上京するのだから、それで小島君も一緒に行くのだつたらば私も一緒に行きたいという…

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) それがその日訪れて来た者と翌日訪れて来た者と、予期しておりませんでしたのでごつちやになつていかんのですが、前の者は要するにチタ附近に同じ抑留生活をやつておつたということを言います。それからいろいろ向うで煉瓦工場で仕事をやつておつたそのときのつらい話などをしました。そのときに非常に自分が前に反動といわれて残されておつた、こういうことを……先に自分のお袋がうちの息子は日の丸で帰つて来たということを言うたためだろうと思うの…

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) そういつた話……まあ本人の意思をどれだけ酌んでおるかどうか分りませんが、話したことは事実です。併し内容は違つておるというところに私が反駮するところがあるのであります。

1950/03/24

7参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第18号

○証人(小島清君) 人隊前は、早稲田専門部一年終了で行きました。