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自由民主党衆議院参議院
総発言数
1,169
直近の所属会派
自由民主党
直近の役職
直近の発言日
1950/04/12

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 公職選挙法改正に関する調査特別委員会53 件・53%
  • 地方行政委員会40 件・40%
  • 産業公害対策特別委員会6 件・6%
  • 本会議1 件・1%

※ 全 1,169 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,169 20 を表示
元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 警視庁の関係でも沢山おります。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) どうも極く親しいというとあれですが、非常に数多いもんですから、大体皆お親しくはして参りました。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 上村君は私の特高部長のときに……

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 刑事部長のときに……

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 門叶さんは警視庁では一緒ではございません。警保局の課長のとき一緒です。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 田中楢一氏も警保局の課長の時代に一緒になりました。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 中西君は警視庁では一緒にやつておりません。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 松尾英敏氏は署長のときだつたと思います。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) みんな特別深いということもございませんが、又非常に長い間一緒にずつと……まあ採用が同じだとか、一年先だとか、一年後だとか、こういうような同じくらいの年にずつと一緒にやつて来た連中です。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 増田さんは私が見習で警視庁におりました頃、交通係長というものを私がやりました。そのとき増田さんは警保局の警務課の事務官でおられて、それで丁度自動車取締令の改正がございました。自動車事業法の制定、それに伴う地方庁の法令が出ましたものですから、それで増田さんがその主任の事務官をやつておりました。それで交通係長をしておりましたものですから、交通係長でお供をしていろいろ御援助申上げて、それでお親しくなりました。それ以来……

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) ですから昭和八年ぐらいじやないかと思います。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) ええ、そうです。なつて一年経つてからですね、何と言いますか御指導を受けるようになりましたのは八年の……

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) それから特別お仕えをしたことはないのですが、私は寺島の署長になりましたときに、増田さんが丁度内務省の文書課長をしておられました。そこでその頃満州国ができ上りました直後で、内務省からもいろいろ人をやらなければならんというので、私に行けという人事課長からの御折衝がございました。私そのときお断りをいたしましたのですが、そのときに増田さんに行かないかと言われましたが、私はお断りした。それから又特にお近付きになりました。その…

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 北海道長官をなさつておる頃は、私一遍ぐらいお目にかかつただけでございます。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) その後は鉄道大臣におなりになられましたときに御祝辞をお宅に述べに参りました。その後一切増田さんのところへはお近付きにならない方がよいという皆さんの御意見でお近付きしませんで、今日に至つたわけであります。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 私の追放が確定になりましたのは余程後のことでございまして、丁度終戰直後に特高の関係者の一斉罷免がございましたときに、私は内務省の保安課長でございましたので、内務省の課長は追放令の一斉罷免にかからないでおりましたので、辞表を出してやめさして頂きましたが、その後G項該当が出まして特高関係の者が皆追放になつたという事実がございました。私は割合に特高が長かつたものでございますから、私が追放になつたとみんな世間で思つておりま…

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) 伊藤鑛壽君は、私の知合いに……一遍会つたのは、丹羽喬四郎君が官舎が燒けまして、品川の伊藤君の家を借りておりましたときに、病気で寢ておつたと思いますが、私病気を見舞に行きまして、その帰りにこの辺は馬鹿に家が燒け残つてよかつたなあ、私も一つこの辺に住んでたら……丁度夏だつたものですから、品川の海岸辺で涼しいものですから、そんなことを申しまして、そのときに伊藤という人から家を借りているということを聞いて、初めて名前を知り…

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) それは丁度印刷工場の二階ですから、なかなか商売が盛んで、夜遅くまで印刷をやつておりますから、参りまして伊藤君に頼んで二十三年だつたか、病気して帰つたものですから、病気しましたから困りまして、今の南浜川町のを貸して呉れました。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) それは伊藤君の家でございます。私が困つているものですから、それならこつちの家はどうかというので貸して呉れました。

元警視庁特高部長1950/04/12

7参議院 法務委員会 第24号

○証人(岡崎英城君) そんなことはなかつたと思います。