受田新吉
会議録に記録された「受田新吉」の発言を集計しています。会派・役職は直近の発言から推定した値です。同姓同名の別人が含まれる場合があります。
出典: 国会会議録検索システム API(国立国会図書館) ↗- 総発言数
- 17,759 件
- 直近の所属会派
- 民社党
- 直近の役職
- —
- 直近の発言日
- 1977/04/12
政策テーマ別の発言量
テーマ代表語との共起件数- 防衛82 件
- 宇宙59 件
- 社会保障・年金56 件
- 労働・賃金5 件
- 観光・インバウンド4 件
- 半導体0 件
- AI0 件
- GX・脱炭素0 件
- 経済安保0 件
- 医療0 件
- 農業0 件
- 地方創生0 件
- 防災0 件
- こども・子育て0 件
- 教育0 件
- デジタル行政0 件
- エネルギー0 件
- 住宅・不動産0 件
- スタートアップ0 件
- 通商・貿易0 件
※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。
よく発言している会議
直近 100 件の標本- 内閣委員会90 件・90%
- 内閣委員会同和対策に関する小委員会10 件・10%
※ 全 17,759 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。
発言履歴
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 そういう簡単な問題ではないのです。局長さん、私がいま指摘しているのは、恩給法とできるだけ調整をとってもらいたい、成立の趣旨が違うのじゃなくて、二十七年には全く同じでスタートしたのです。二十七年以前の分はもう二十七年で全部まとめた。まとめたときは恩給法の適用を受ける人は皆同じだった。できるだけ同じにしなければいかぬ。六項症五款症、七項四款症、これはできるだけ同じにしなければいかぬ。ところかいまの一款症の人は——戦傷病者援護法の…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 御指摘の問題ではなくして、ことしは改善措置をされたのです。ことし片づいておる。恩給法の方は同じ症度の傷が去年片づいておる。援護法の方はことし入れておられるのです。検討するのじゃなくして、ことしは入っておるのです。私はそこに一つの手落ちがあることを、同じ公務に従事して亡くなった人、傷ついた人に対する処遇として公平にやってもらいたいということです。これは今度戦傷病者の問題にも波及するのですから申し上げます。 傷病恩給受給者に対す…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 総務長官、この問題はあなたは予算折衝で努力された問題でございまするが、ことし一〇%を片づけたいというお気持ちが二年間にわたるということになったが、大蔵省は来年のことを予想していないという懸念もあるのだが、これは恩給局長の答弁されたとおり、残りの五%は来年必ず片づけて処理して、この減額措置はなきものとするとお約束できますか。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 もう一つこの間差の問題に触れます。 昭和八年の恩給法の改正のときに、傷痍軍人の間差が昭和十三年の改正のときと比べると、六項症以上においては昭和八年の方がよかった。それ以下は十三年の方がよいということになっているのですが、六項症以上の場合の間差を現行間差から昭和八年の間差に取り戻す、こういう措置をすることを私から要請したい。つまり、昭和十三年の改正で六項症以上の傷痍軍人は既得権を侵害されておったのです。恩給法で既得権を侵害する…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 七項症というのは、十三年にできたんですよね。追加されたわけです。したがって、これが六項症と一款症との間でどうするかという問題は残ってきておるわけですから、その問題も一つ、時間の関係で大変残念でございますが、これは款症の一款症二九という間差とそれから六項症の三三という間差、今度われわれが改正を要望する間差です。その間へ七項症を置くという問題をいま提起をさしてもらったわけです。五分か六分の間に残りをやれというのでございますので、…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 非常にむずかしいとあっさり片づけられたが、一般の扶助料でも今度七割になるというときには、当然この問題が論議されるわけになるのです。むずかしい問題じゃなくして、増加非公死の皆さんの場合は、普通扶助料というような簡単な考え方を対象にせられないで、公務の性格を持っておることにおいてはもう全く公務扶助料と同格であるという観念を私は基礎的に持たにゃいかぬと思うのです。その認識の違いが一つあるわけですが、普通扶助料が七割に上がるというと…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 それでは残された問題は次の厚生省設置法で厚生大臣をここへ据えたところでもう一度やらしてもらう。恩給局長にそこへまた御苦労を願うという条件を付して、せっかくの御要望にこたえまして、残余の質疑を保留して、きょうは私の質問を終わります。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 だんだんと夜も更けてくるわけでございますが、きょうは、同僚各位の御友情もありまして、遅く質問をするかわりに、どれだけ時間をとってもいいというお許しをいただいておるわけです。ただ、それぞれの御都合もありましょうから、最後に私が一人残るだけでも結構でございますから、友情を私は知っておりますから、委員各位は適宜御退散相なってよろしゅうございます。 厚生大臣がおられる機会に、午前中審査をさしていただきました恩給法並びに戦傷病者戦没者…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 そうしますとちょうどいいわけで、恩給法と兄弟関係にあるこの法案を、厚生省設置法というお役所の関連の重要法案として私から質問を続けます。 長い戦争で痛手を受けられた戦傷病者並びに戦没された方々の御遺族や御家族を守ろうという目的をもって、占領がまだ終わっていない昭和二十七年の四月から施行された法律が戦傷病者戦没者遺族等援護法でございます。それにひっかけて、間もなく二十七年四月二十八日から講和条約が発効して、占領下から独立国になり…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 現在の扱いをひとつ指摘していただきたい。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 軍事に関係のあるということですが、満州の原野は満州軍総司令官の指摘下で、もう完全な軍の統制下にあったわけです。そして、昭和十四年十二月二十二日の重要国策の基本要綱に基づいてこれらの皆さんが送出されたということであって、別に満州軍の計画とは別の単独行動をするわけにはいかなかったわけでございまするし、いわんやソ連参戦後におきましては、満州の原野は全部ソ連の侵略のもとにさらされたわけで、軍も開拓者も区別のない戦塵に荒らされたわけで…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 この数字は余りにも少数でございまして、私ちょっと指摘さしてもらいたいのですが、この満州開拓青少年義勇隊の実態を厚生省は把握しておられるのですか。何人送出され、何人現地で死亡し、そのうちで、死亡した人の中で、これだけの二千八百七十二名、二千二百六十八名という死亡したり傷ついた人に出したというのか。実態の把握をしておられるのかどうか。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 この亡くなった方々が何人あるか、数字をお持ちですか。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 開拓団に属した方々はわからないのですか。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 青少年義勇隊として現地へ送られたその皆さんが、軍事訓練期間、軍の支配下にあった期間を過ぎると開拓団に変わってきた、その青少年義勇隊の立場から見た開拓団が何人おるかということです。つまり、昭和十四年から訓練期間を経て開拓団に転移した。その転移して、最後には二十年八月九日からソ連参戦ということになったわけですから、そのちょうど青少年義勇隊から転移した開拓団というものは、やはり数字を明確にっかんでおられると思うのですが……。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 取り歩げた数字がない。だから前と後ろと真ん中と、この三つの段階をつないだ数字というのは、送出した数字と帰ってきた数字とを比べればわかることだし、そしてその中間で亡くなった人も自然にわかってくると思うのです。つかんでいないということはあり得ぬことだと思うのですが……。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 最初の義勇隊が満州へ行くと三年間の訓練期間があったですね。訓練期間は把握しておられる。それで訓練期間が終わると今度は開拓団ということになって五年間のさらに訓練するという目標であったわけです。その実態がつかめてないということは、私どうもおかしいので、いま御答弁をいただくと、送り出された青少年義勇隊は八万八千人といま明確に御答弁になった。その数字が最後にどうなってきたかということは、これは当然わからなければならぬですが……。
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 この調査は不可能ですか。各府県にもそれぞれ指導者たちが——中隊長として出かけた人々は各府県でわかっているはずです。それらを集計していけば自然に全国の数字がわかってくる。そう困難な問題ではない。しかも開拓青少年義勇隊の人々は経済的にも豊かでないのでございますから、これをみずからの力で実態を把握するのにもなかなか困難であるのです。それに対してある程度、軍人軍属の実態を把握するための国の財政的支援をしたと同じようなかっこうで協力し…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 大臣、青少年義勇隊の皆さんは、あちらへ渡って三年間の訓練期間、さらに開拓団としての五年間、こういう問題は関東軍の隷下にあったのです。関東軍司令官の隷下にあって行動したわけで、関東軍と別個の行動ができない当時の事情はよくわかるはずなんです。だから、軍の命令であったかないかわからぬということよりも、関東軍の隷下で行動したという意味から言えば、そうかれこれ議論をするべき問題でなくして、特殊法人であった満鉄とか満州電業の皆さんでさえ…
第80回 衆議院 内閣委員会 第10号
○受田委員 義勇隊の諸君は満州に配属された軍人の諸部隊よりもむしろさらに奥地の方へ配属されて非常な苦労をしておるわけです。これは義勇隊、訓練隊が当時の井上陸軍中将の支配下にあった、と同時に、そうした開拓団の皆さんの方は満州開拓公社の陸軍中将二宮治重さんの傘下にあって行動したわけでございまして、北辺の鎮護とか北進政策という意味からは、関東軍の予備的な役を果たしておったということは世間周知のとおりになっている。それで、関東軍司令官の事実上の…