P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ ☆
日本社会党北星学園大学経済学部助教授衆議院参議院
総発言数
5,368 件
直近の所属会派
日本社会党
直近の役職
北星学園大学経済学部助教授
直近の発言日
1948/07/20

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会34 件・34%
  • 外務委員会18 件・18%
  • 議院運営委員会国会審議テレビ中継に関する小委員会12 件・12%
  • 総務委員会11 件・11%
  • 災害対策特別委員会9 件・9%
  • 内閣委員会6 件・6%

※ 全 5,368 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

5,368 件中 20 件を表示
前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) ありません。新鋭大衆党の会計面も全然私はやつておりませんし、又世間で新鋭大衆党なるものを非常に買いかぶつておつたのじやないかと私は思うのです。とにかく中を解剖して見れば非常に、私が言つちや何ですが、選挙のときでも、一日に五回、十回と演説したくらいのものでありまして、非常にお粗末な大衆党だつたのです。ただあれは宣傳で以て、非常にはつたりをかけたようなわけですが、会計におきましても、ポスターを何枚印刷して幾ら拂つたもの…

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) あれは眞木さんの名義になつておるのじやないでしようか。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 私はそう思つております。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 私は選擧の前にちよつと、どのくらいかかりましたと聽いたことがございました。そのときの話では、たしか四万とか五万とかと聞きましたですが。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) え、あります。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) あれは昨年の八月頃と思います。建てたのでなくて、あれは買いました。權利を買いまして、そうして後から、裏の方を建て増しや造作なんかしたのじやないかと私は思います。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 会計は要するに眞木さんと、先程も申しますように兄さんの堀切さんがやつておりましたので、私共は、何を幾らで買つたものか、權利を幾らで買つたものか、全然存じません。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 結局、東京都民生局から借用しておるミシンを二台持つて行きまして、更生会の收容者の中から洋裁とかそういうことに経驗のある者者を二三名選びまして、それからあとは未経驗の者を二三人收容者の中から連れて行きまして、外部の仕事はあまりせずして、内部の更生会の收容者たちの仕事を大体やつておつたようであります。だけれども、結局それも長続きしませんで、一ケ月か一ケ月半で以て解散になりました。解散といつても從業員が他の施設に移つたり…

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 私の推察では、結局は、とにかく何か巻ぞえでも食うのはいやだというふうに思つたのじやないかと思うのですね。とにかくどうも更生会は更生会、それから会計は会計という、はつきりとカーテンというものを下ろしてありますから、舞台は分つても、樂屋の方は全然私共には分りませんでした。だから、如何なる事情の下に彼が所在不明になつたか、未だに私は想像に苦しむくらいなんであります。とにかくまじめな男だつたですから、私の考うでは堀切という…

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) それは知りません。拘引される昨年の十二月十二日、觧散命令を食つたときは、堀切さんは会計の責任者、いはゆる中間の責任者ですね。今日はほうきを一本買う。それで二十円出す。それを出金傳票によつて堀切さんのハンコをもらつて、それを更に眞木さんに自宅へ持つて行つて、眞木さんの奥さんなり娘さんなりからその金をもらう。傳票を渡して金をもらうということでありまして、その当時はもうすでに会計の一切は眞木さんの自宅でやつておりました。…

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 大体の私の記憶では、常に三百五六十名前後と思います。但し昨年の八月、更生会の設備が保健衛生上非常によくないというので、進駐軍の方から、人員過剰であるという注意を受けまして、昨年の八月に、約百名前後を減らしたのです。それでその後は二百五十名前後じやないかと私は思います。そういう收容者のあれについても、詳しい数字的なことは、私は全然責任を負つていませんので、タツチしておりませんから、記憶がございません。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) それれは取つておりました。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 結局は福利金ということにつきましては、眞木さんの話ではこうなんです。現在東京都から來るところの委託費では、これだけの現在の物價高において、とても食はせることはできない。カロリーも又取らなければならんのだし、これを土台として、福利金というものを取り、それを生活費の一部に充当して、あとの余つた金で以て授産設備を作るとか小さなバラツクの一つも作るというような大体考えから、あれをやつて徴收しておりました。私が一昨年の四月下…

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 私は詳しいことは存じませんが、一級から五級までに区分したらしいのです。昨年の七八月頃と思いますが、一級は一人二十円、二級が十五円、三級が十円、四級が五円、五級がゼロというふうに区分したらしかつたのです。ゼロが何名あるか、二十円級が何名あるか、そういう詳しいことは、私は自分で事務をやつておりませんから分りませんが、そういう区分をしたことは事実であります。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 分りません。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 知つております。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) あれは、新橋に、眞木さんの知り合いの方で吉村という人があります。その人と昔からの知り合いらしいのですが、その人とタイアツプして、あそこの辺にマーケツトでも造つて事業を起そうというような話でした。でありますが、どこへどういうものを立てたのか、私は一回も行つて見ておらんので知りませんが、社会党本部の眞裏とは言つておりました。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 十四万円ですか出したと言つておりました。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) 十四万円出したと聞きました。

前大衆党員1948/07/20

第2回 参議院 司法委員会眞木事件に関する小委員会 閉会後第4号

○証人(齋藤正久君) それは最初は新鋭大衆党が、現在の眞木さんの自宅では、周囲が花柳界でもあるし、地方から上京する人々の信用上もよくないから、何とかして中央に出た方がいいだろう。勿論私もこれは勵めました。將來発展する上においてに、何でもとにかく中央に進出しなければ可能性がないというので、眞木さんは吉村さんと相談して、それに迷つたらしいです。実際に新鋭大衆党の事務所を作るか、或いはマーケツト式にして造作をするかといつて非常に迷つておつたが…