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自由党参議院衆議院
総発言数
1,657 件
直近の所属会派
自由党
直近の役職
—
直近の発言日
1949/05/06

政策テーマ別の発言量

テーマ代表語との共起件数

※ 発言者名とテーマ代表語1語の共起件数です。全期間が対象ですが、表記ゆれや 同音異義語を含むため、関心の強さを厳密に測る指標ではありません。

よく発言している会議

直近 100 件の標本
  • 在外同胞引揚問題に関する特別委員会91 件・91%
  • 大蔵委員会6 件・6%
  • 本会議1 件・1%
  • 建設委員会1 件・1%
  • 内閣委員会1 件・1%

※ 全 1,657 件のうち直近 100 件のみを集計した標本値です。

発言履歴

1,657 件中 20 件を表示
民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 重ねてお尋ねいたしますが、そうすると今のあなたの御証言によりますと、伊東少尉或いは更に西村曹長或いは又別々の將校が監督に來たと言いますが、大体班とか組とか、例えば淺岡組とか、或いは永井班とか渡邊班とかいうふうなものはなかつたのですか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 更に重ねてお尋ねしますが、今の渡邊廣太郎証人が石切場に尺計りか、監督か、指導か知らんけれども、とにかく渡邊廣太郎軍曹が石切場に行つておつたということは知つておりますか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 それは吉村隊に渡邊廣太郎がおつたということは、今日初めてお知りになつたのですか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 渡邊証人にお尋ねします。あなたは瀬戸口という人を知つておりますか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 実はそれをお尋ねいたしましたのは、曾て酒井一郎証人がこういうことを言つております。「私は現場に行つておりませんから……そうするとそれらの監督に当つておる者が、これに暴力を加え、それがために死んだのだろうと思います。で帰つて來ましたのは夜間の十時頃でございます。日は同じくしておりませんが、昏睡のまま帰つて参つたわけであります。そのうち菊地七郎君は、当時ついて帰つて來ました記憶はさだかでありませんが、瀬戸口という人がおりました…

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 重ねて永井証人にお尋ねいたしますが、先程私は吉村隊の隊長池田証人の速記をお読みいたしたのでありますが、これも岡元理事に証言を求められましたのに酒井証人は、「二年間に私が死亡診断書を作成しました人数は、恐らく三十名から三十五名以内であります。この中で内科疾患として死んだ者が二十名余り、外科疾患として亡くなりました者が十名余りであります。正確なる数字は資料がないので申述べられません。その外科疾患十名のうち、これは人爲的暴力によ…

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 委員長、ちよつと……

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 小林証人にお尋ねいたしますが、一問一答で簡單ですから……。先程あなたが最初にナホトカに着かれて、兵士大会か人民大会か知りませんけれども、とにかくそこで少佐以上は奥地に送り返された、それを仄かに聞いておつたときに、外の少佐以上の人もおつたということで、あなたは簡單に奥地に唯々諾々として、これは行かざるを得んから行つたんでしようが、そういうふうにそれは仄かに聞いておつたんですか、或いはソ連側としてはそういう点ははつきりしている…

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 ウランバートルの生神様が少佐という階級を附けておつたというので、すつと送られたということに対して、当時は強い不審をお持ちになりませんでしたか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 先程大体お述べになつたのでありますが、最初のナホトカのその模様をもうちよつと詳しく聽かして頂けませんですか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 そうです。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 それから各梯團或いは各將校がナホトカに帰つて來るまで襟章を附けておつたり、或いはこういう階級その儘の形で來ておるということに対しては、ソ連当局からそれに対して、こういうものを取れ或いはその儘行けというようなことに対しての許容はあつたのですか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 要するに捕虜がソ連当局において許されておる。それをそうした兵士大会とか人民大会でやるということに対して不審に思われたことはありませんか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 日本人自体、併し日本人自体だといつたつてあなた方が帰つてこられて、ナホトカから函館に着かれる、或いは舞鶴に着かれる。着いてそうして引揚港から一歩出たときに初めて自由の体になる。それまでは自由の体ではない。そうしたことになる。そういう場合において、その支配團が有しておるものをそういうように変革するということはいいのかどうかということに対して御不審をお持ちになられましたか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 矛盾がありますか。それからもう一点だけお尋ねいたしますが、あなたが奥地に帰られたときの状況はどんなふうですか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 ちよつと、奥地に引返せという指令は誰があなたに通達しましたか。それは民主グループの人達がなされたのですか。或いはナホトカの捕虜收容所のソ連当局からそういう指令を頂いたのでありますか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 それから……

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 あのポツダムの條項の中に、武裝解除後は、各自の家庭に帰した平和な業務に就かしめるという條章があるのですが、そういうような点につきましては、あなたが向うにおられる間、お知りになつたおりましたでしようか。

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 知らない。それからもう一つ、あなたが奥地に引返されるソ連当局の命令、これに対して少くとも最後の引揚梯團として、ウランバートルを出られた。これは外蒙側の命令によつたものであるか。勿論あなたのさつきの証言から言えば外蒙側の命令だ。それがナホトカで奥地にソ連当局の命によつて返された。要するにそういうような民主グループの人の扱い方によつて、或いは進言、或いは讒訴と申しますか、そういうようなことによつた返されたというようなことに対し…

民主自由党1949/05/06

第5回 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第22号

○淺岡信夫君 分らない。それからその奥地に引返されまして、再びナホトカに出て参りましたその間どの位の月日を閲しましたか。