憲法審査会 第4号
- 発言数
- 23 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 8
- 開催日
- 2025/05/21
会議録
○会長(中曽根弘文君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査を議題といたします。 本日は、憲法に対する考え方についてのうち、憲法と現実のかい離について意見交換を行います。 まず、各会派から意見表明を行った後、委員間の意見交換を行います。 全体の所要は一時間五分を目途といたします。 発言時間につきましては、経過状況をメモで通知し、時間が超過した際はベルを鳴らしますので、あらかじめ御了承願います。 また、御発言は着席のままで結構でございます。 なお、委員間の意見交換において発言を希望される方は、各会派からの意見表明の間にあらかじめ氏名標をお立てください。 それでは、まず各会派一名ずつ、各七分以内で御意見を順次お述べいただきたいと存じます。 中西祐介君。
○中西祐介君 自由民主党の中西祐介でございます。 私は、憲法と現実の乖離、本日は地方自治と選挙制度について申し述べたいというふうに思います。 これまで憲法審査会や参議院改革協議会などで議論を積み重ねていただきまして、制度導入以来約十年間、ほとんどの会派よりこの合区解消、改正が必要であるということを御理解いただくに至り、心から感謝を申し上げたいと思います。 しかし、残念ながら、本年行われる参議院通常選挙でもまた五度目の合区選挙が行われることになります。投票率の低下や無効票の増加という合区による弊害は、私も二度経験した過去四度の合区選挙を踏まえ明らかでありまして、この立法府の不作為というべき事態を一刻も早く是正しなければならないと考えています。 最高裁は、令和五年の判決で初めて、有権者において、都道府県ごとに地域の実情に通じた国会議員を選出するとの考え方がなお強く、これが選挙に対する関心や投票行動に影響を与えているということがうかがわれると指摘しています。当たり前のことだと思っています。 昨年の報道機関の世論調査でも、参議院議員は地域の代表として都道府県から一人以上選択されるのがよいという選択肢に考える割合が六割以上に上ったことは皆さん御承知おきだと思っております。これらの民意を背に、以前、本審査会に参考人でおいでをいただきました全国知事会始め地方六団体も、合区の解消及び都道府県単位での参議院議員の選出を毎年の緊急要望で強く訴えられておるところであります。 国立国会図書館に調査を依頼したところ、OECDに加盟している三十八か国の議会の選挙区選挙において、最広域の自治体より広域の選挙区を設け、直接選挙を採用しているところは、我が国のこの参議院選挙以外に全くありませんでした。やはり合区選挙は世界的に見ても極めて不自然な制度であるということが言えると思います。 先月、四月三十日には、ついに徳島の弁護士会が合区反対の意見書を取りまとめました。そこには、住民がひとしく持つ公務員を選定する権利を侵害しかねず、合区制度が国民主権を定める憲法に違反する疑いがあるというふうに訴えられております。さらに、これまでも最高裁の個別意見、反対意見で述べてきた参議院選挙における一票の価値の平等の判定は、選挙区選挙、比例代表選挙を総合した参議院議員全体で判定すべきとの考え方も示されています。 衆議院の不在時に大規模災害が発災し、甚大な被害がもたらされ、現行の憲法に規定されている唯一の緊急事態対応である参議院の緊急集会が開催されたとしても、合区選挙区では代表がいない地域がある可能性も、前々回、私から指摘させていただきました。 我々が直近経験した、緊急で国家を挙げて対応すべきコロナ禍の状況においては、県選出の参議院議員を通じて都道府県、市町村単位に緊急対応を講じたことを思えば、合区の常態化は県民感情として到底受け入れられず、怒りに似た感情を持つのは当然だと思っています。明らかな制度的欠陥に真摯に向き合うべきだと考えます。 参議院定数訴訟における最高裁のリーディングケースとされる昭和五十八年判決では、投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではないと言及している中で、少子高齢化と大都市への人口移動による人口減少が進み、我が国の例えば食を支える農林水産業の持続性が脅かされる、あるいは地域の社会サービスを支える就業者が足りなくなるなど、人口数だけを尺度に地域を代表する参議院議員を減らすということは、立法府がこの国における負の循環を促しているようなものだと私は表現したいと思います。 憲法論としても関連した御意見を御紹介したいと思います。 護憲派学者と評されることもある一橋大学の杉原泰雄名誉教授は、日本国憲法の施行以来の憲法政治の中で特に大きく軽視され続けてきたのが第八章地方自治のところであり、それは日本国憲法制定当初からのものであった、そしてその一因には、明治期以降、資本主義の発展に地域の資源や労働力を利用する中央集権により地方自治が軽視されてきたことがあるということの趣旨を指摘されております。 また、大石眞京大名誉教授は、自主立法権、自主行政権、自主財政権等の内容を憲法典に明文化して地方自治の充実を図ることは十分考えられる選択肢というべきとも述べられております。 さらに、地方政治を専門とする砂原神戸大学教授も、地方自治体への更なる権限や自律性の付与の観点から、国と地方自治体の権限配分を憲法に明記し、地方自治体の憲法上の責任を明らかにするということは一つの方法とされております。 さらに、全国知事会は、合区問題の主たる原因として、憲法における地方自治の規定が第八章の僅か四条項にとどまり、第九十二条における地方自治の本旨が余りにも抽象的であると鋭く指摘されております。 これら現行憲法における地方自治規定の規律密度の低さと、地方公共団体が果たす役割の重大さと大きさという現実は、まさに是正すべき憲法と現実の乖離ではないかと指摘したいと思います。 既に、参議院改革協議会の下で選挙制度専門委員会では、合区弊害の解消が大勢を占めるという報告書を取りまとめていただいたところでありますが、一方、そのための選挙制度としては、各都道府県から少なくとも一人の参議院議員を選出する方策を主張する意見と、ブロック制による選出を主張する意見に大きく分かれています。 参議院改革協議会には、立法府として、弊害が明らかとなった合区選挙を放置しないという強い決意を示した上で、参議院の在り方を踏まえた選挙制度についての議論を進めつつ、令和十年の参議院選挙においては、民意や地方六団体の意見が適切に反映され、合区の弊害が解消された選挙制度で実施できるよう、不退転の意思と計画性を持った審議を強く要請するものであります。 以上より、地方自治と選挙制度の現状を鑑み、憲法の観点から、日本国憲法第八章の地方自治などについて議論を更に深めるべきことを申し上げて、私の発言を終わります。 ありがとうございました。
○会長(中曽根弘文君) 福島みずほ君。
○福島みずほ君 立憲民主・社民・無所属の福島みずほです。 国会法第百二条の六は、各議院に憲法審査会を設け、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査することを目的の一つとしています。その意味で、本日、憲法と現実の乖離について議論がされることは憲法審査会の設置目的にまさにかなうものです。 日本国憲法九十八条は、憲法が最高法規であると規定しています。日本国憲法ができて、例えば民法の親族編、相続編が大改正になりました。戦前、民法は、妻は無能力者であると規定し、妻は婚姻によりて夫の家に入るとしていました。しかし、憲法二十四条が、家族の中の個人の尊厳と両性の本質的平等を規定し、家制度は廃止になり、また、男女平等になりました。まさに憲法の威力です。 そして、戦争をしないと決めた憲法九条により、専守防衛、海外に武器を売らない、非核三原則、軍事研究はしないなどの原則が積み上がっていきます。まさに、憲法を生かしていくという人々の動きが法制度や政策をつくってきました。だからこそ、憲法と現実の間に乖離があるときに、現実をどう憲法に近づけていくかが重要であり、憲法を現実の方に引きずり下ろすことは本末転倒の、憲法を理解しないものです。 日本国憲法九十九条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と規定をしています。まさに、憲法を守らなければならないのは権力者です。私たち国会議員も憲法尊重擁護義務を持っています。だからこそ、本当に憲法理念を生かし切れているのかということを常に問う必要があります。憲法改正など、憲法を十分に守ってから言えと言いたいです。 ところで、自民党日本国憲法改正草案は、国民に憲法を尊重する義務を課しています。つまり、憲法とは国民が国家権力を縛るものであるのに対し、自民党日本国憲法改正草案は、百八十度回転をさせ、国家権力が国民を縛るものにしているのです。これはもう憲法ではありません。 憲法尊重擁護義務を持つ国会議員は、憲法理念を実現するために多大なるエネルギーを注ぐべきであり、憲法理念がまだまだ生かされていない現実の中で、憲法改正を言う資格はありません。 まず、選択的夫婦別姓と同性婚について話します。 NHK日本語読み訴訟判決が述べたように、名前は人格権です。結婚するときにどちらか一方が必ず改姓しなければならないことは、憲法十三条が保障する人格権、個人の尊重と幸福追求権を侵害しています。また、夫又は妻となっているものの、女性が九五%氏を変えていることは憲法十四条の法の下の平等に反しています。また、一方が必ず結婚改姓を強制されることは憲法二十四条に反しています。 ところで、五月二十日、自民党は公明党に、選択的夫婦別姓について、今国会では困難であり、六百五十以上の法律や二千七百以上の政省令の見直しが必要であると説明しました。しかし、打越さく良議員の質問主意書の回答では、四つの法律しか改正の必要はありません。間違った認識で違憲状態を放置することは許されません。 同性婚を認めないことは明確な憲法違反であると五つの高等裁判所が断じました。憲法十四条、十三条、二十四条に反していることが理由です。好きになった相手によって、そもそも結婚届を一切出せないのですから、その不利益も極めて甚大です。五つの高等裁判所が違憲と言ったにもかかわらず、国会でまだ同性婚が成立していません。 選択的夫婦別姓と同性婚が認められていないことは、まさに憲法と現実の乖離です。憲法に合致するように法律を変えることで、幸せになる人を増やすことができます。実現できていないことは国会の怠慢です。家族が崩壊するなどといって多くの人が幸せになることを妨害することは、憲法理念を理解せず、憲法尊重擁護義務を踏みにじるものです。憲法と現実の乖離を埋める努力をすることこそ、国会議員はやるべきです。 憲法と現実の乖離というのであれば、生存権の規定が国民に保障されていないことは大問題です。 生活保護の基準を引き下げたことに対して、いのちのとりで裁判が全国で提訴され、勝訴判決が相次いでいます。まさに生存権の侵害です。訪問介護の報酬を減額したことで、訪問介護事業所が倒産をしていっています。これこそ、介護を受ける権利の侵害であり、生存権の侵害です。高額療養費の自己負担額引上げも生存権の侵害です。 ほとんど全ての憲法学者が集団的自衛権の行使は憲法違反であると言っているにもかかわらず、二〇一四年、安倍政権は集団的自衛権の行使を認める閣議決定をし、二〇一五年、安保関連法、戦争法を強行成立させました。安保関連法、戦争法は憲法違反です。憲法九条を基に戦後積み上げられてきた、海外に武器を売らない、軍事研究をしないということも破壊されていっています。 二〇二二年十二月に閣議決定をした安保三文書の具体化が進められています。沖縄、南西諸島における自衛隊配備とミサイル計画、それが九州にも、そして西日本にも、全国にも広がり、全国の軍事要塞化が進められています。戦争のできる国から戦争する国へ、憲法九条破壊が進んでいます。 そして、次々と憲法違反の法律が成立していっています。現在、国会で審議中の学術会議改革法案は、学術会議の破壊法案であり、憲法二十三条の学問の自由を侵害するものです。小西洋之議員が、菅政権のときに、六人の任命拒否について内閣法制局の文書の黒塗りを開示するよう求める東京地裁の裁判で勝訴しました。この黒塗りが開示されることなく法案の審議入りはありません。 憲法の規定が守られないことは枚挙にいとまがありません。憲法五十三条後段は、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は召集の決定をしなければならないとしていますが、内閣が臨時会を召集しなかったことが今まで、二〇一五年、一七年、二一年など存在しています。まさに憲法を無視し、憲法規範の空洞化を政府自身がつくっているのです。たくさん存在する憲法と現実の乖離を埋めるべく、法律制定、法改正や政策の転換をすることこそ国会に求められています。 なすべきは、憲法改正ではなく、憲法理念の実現です。憲法を踏みにじっている人たちが憲法改正を言うことなど、言語道断、ずうずうしいにも程があると言わざるを得ません。現実を憲法に合わせ、憲法が保障する基本的人権が生かされる平和な社会をつくっていくべきです。憲法審査会にもその役割が期待されています。 以上です。
○会長(中曽根弘文君) 平木大作君。
○平木大作君 公明党の平木大作でございます。 憲法と現実のかい離というテーマで、四月二日に続いて意見表明したいと思います。 このテーマを象徴するのが、近年活発化する裁判所における違憲審査であります。東京大学の宍戸常寿教授によれば、二十世紀の間、五十年以上あった運用期間において五件にとどまった法令違憲判決が、今世紀においては最初の十五年で肩を並べ、以後も増え続けております。法令違憲判決は、三権分立の枠組みにおいて司法権が立法権の決定を覆す行為であることから、従来より非常に慎重に運用が行われてまいりました。そうした前提に立つとしても、法令違憲判決が相次いでいる理由は、一つには、人権侵害とみなせるシビアな状況に対して裁判所としても踏み込んだ判断を迫られているということ、同時に、不作為のまま、そうした状況に真摯に向き合おうとしない立法府の鈍い人権感覚にしびれを切らしているからではないでしょうか。 四月二日の当審査会で、私は、同性婚を認めない民法などの規定について、個人の尊厳が損なわれているとして、憲法十四条や二十四条二項などに違反するとの判断が続いていることを指摘させていただきました。現時点で五つの高裁全てで違憲判決が下されており、明年にも最高裁での判断が示される見込みであります。 この国は自分という存在をないがしろにしているのではないか、どうして自分らしい生き方が尊重されないのかと絶望的な思いを抱えてきた当事者にとって、高裁で五件の違憲判決が出そろった今なお、国会の議論や同性婚訴訟の状況なども注視していく必要があるとする政府答弁は余りにも冷淡に響いています。この間、同性カップルの公営住宅の入居や病院での面会、手術の同意などに道を開いたパートナーシップ制度が自治体の間で広がりを見せ、人口カバー率がおよそ九三%に迫ってきたことは、国会の不作為をより際立たせています。 そして、個人の尊厳に関わる憲法的課題は同性婚にとどまりません。旧優生保護法をめぐる裁判では、令和四年、大阪高裁が国に対して初の賠償を命じ、さらに昨年、最高裁は、立法当時から違憲だったと断じる判決を下しました。これ以上、立法府の不作為によって個人の尊厳に関わる問題を放置しておいてよいはずがありません。 ローマ法の大家である木庭顕先生が高校生を相手に行った授業を収録した「誰のために法は生まれた」という名著があります。かつて一人の学生として法学部の授業になじめず勉強に身が入らなかった私にとっても、木庭先生の授業は、難解でほとんど理解することができませんでしたが、知的刺激に満ちて、毎回わくわくしながら臨んだ数少ない授業の一つでありました。日本国憲法を含む近代法体系の骨格となり、法的思考の基盤を形成してきたローマ法の占有の論理に立ち返って精緻に思考することは、現在、日本の直面する法的課題に対処する上でも極めて有用であると考えます。 最も弱い個人に肩入れするものとして法が生まれ、権力と利益をめぐって個人を犠牲にしようとする動きにあらがう仕組みとして政治が誕生したとする木庭先生の整理を踏まえれば、当憲法審査会において真っ先に取り組むべきは、個人の自由と人権における憲法と現実の乖離の解消ではないでしょうか。人の苦痛に共感できる想像力こそが政治を行う上で不可欠の素養だとする木庭先生の御指摘を真摯に受け止めたいと思います。 さて、次の大災害がいつどこで起きてもおかしくない我が国において、緊急事態における国会機能の維持というテーマが重要であることは論をまちません。しかしながら、先述した個人の尊厳に関わる問題については司法の動きを注視しながら最高裁判決が出るまで放置し、もう一方で、緊急事態時における任期延長の議論に専心する姿というものは、国会議員が自分たちの身分保障にきゅうきゅうとしているようにしか今の国民の目には映っていないことに私たちはもっと自覚的でなければなりません。 最後に、戦後長らくこの国の憲法論議の中心であり続けてきた憲法九条と自衛隊をめぐる問題についても言及しておきたいと思います。 逐語的に読んだ九条の文言と最も乖離した状態にあるのが我が国最大の実力組織である自衛隊の存在であります。この乖離を解消し、一部にある自衛隊違憲論を終わらせるために、九条を改変して、その存在を明記すべきとする主張があります。 しかしながら、今や多くの国民が自衛隊の活動を理解し、支持する状況下において、九条改変という国論を二分するテーマに挑むことは、多大なる政治的エネルギーを使うことのみならず、施行以来、営々と議論が積み重ねられ、形作られてきた憲法解釈の安定性を揺るがす危険性があり、賛成できません。 一方で、戦後の国際秩序が転換期を迎え、厳しさを増す安全保障環境における自衛隊の使命と役割について、憲法との関係において議論していくことは極めて重要であります。この点について、現在も続くウクライナ戦争を受けて、ロシアの安全保障政策を専門とする東京大学先端科学技術センターの小泉悠准教授は、今回の戦争は古色蒼然とした侵略戦争がいまだに起き得ることを示した、現代の国家闘争は古いものから新しいものまで無数のバリエーションを取り得る、その全てに対応しようとすれば際限なき軍拡となり、相手の恐怖を駆り立て破滅的な軍拡競争に至るだろう、対応の優先付けと歯止めの論理が必要だと指摘をしています。 目まぐるしく世界情勢が変転し、急速に技術が進歩する中にあって、日本の平和と安全を守るためにも遅滞なく必要な対応を行う必要があります。そこにおいて重要なのは、何を優先してどこまでを許容するのかという歯止めの論理を明確にしておくこと、精緻でクリアな基準を持っておくことであります。 改めて、自衛隊は我が国最大の実力組織であります。内閣や国会による自衛隊の民主的統制を確保することは、国民主権の原理からも重要であり、これを自衛隊法等の法律だけでなく憲法が定める統治機構の中に位置付けることについては検討に値することを申し述べて、発言を終わります。
○会長(中曽根弘文君) 浅田均君。
○浅田均君 日本維新の会、浅田均です。 憲法と現実のかい離というテーマで語ることは、すなわち憲法改正の必要性を語ることにほかなりません。日本国憲法は、一九四七、昭和二十二年に施行されて以来改正されていませんが、現在に至るまでに時代の変化がもたらした憲法と現実の乖離は以下八点と考えます。 一、国民主権と国民の政治参加。 国民主権は日本国憲法の基本原則の一つですが、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」と憲法前文がうたう高揚感とは裏腹に、現実には政治参加の機会や方法に限界があり、特に若者の投票率の低さや政治的意思決定における国民の位置付けは、国民主権という原則とは大きな乖離があります。一票の較差や政治資金の問題について、すぐにでも結論を出し、国民の政治への信頼を回復させることは、国民主権の理念を再確認するためにも必要不可欠なことだと考えます。 二、基本的人権の尊重と社会の不平等。 基本的人権の尊重も基本原則の一つですが、インターネットやAIの発展などに伴って生じている新たな人権問題に十分に対応できません。プライバシー権や情報アクセスの権利など、現代の社会情勢に即した人権保護が必要です。 また、日本国憲法第十四条は法の下の平等を規定していますが、ジェンダー平等や性の多様性についての言及はありません。現代の社会では、ジェンダーの平等、LGBTQ+の現実が重要な問題となっており、これらを規定する憲法上の枠組みが必要です。 さらに、一九四七年には現在のような急速な高齢化が想定されていませんでした。日本は世界でも有数の高齢化社会であり、それに伴う年金制度、医療制度、介護サービス等を憲法上どのように支えるかが課題です。憲法第二十五条は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を規定していますが、高齢化に伴う具体的な施策への展開が求められています。 三、安全保障環境の変化。 国際社会における日本の役割が増す中で、特に国際平和維持活動、PKOへの参加や同盟国との協力の在り方について、憲法が掲げる平和主義と実際の安全保障政策を整合させることが必要です。 自衛隊が国際的な平和活動や災害救助で重要な役割を果たしている一方で、その憲法上の位置付けが明確でないことは不幸なことです。ロシアのウクライナ侵略や近年の中国の拡張政策、北朝鮮の核、ミサイルやロシア派兵問題など、東アジアの安全保障環境が大きく変化している今こそ憲法の理念と現実の乖離を埋める必要があると考えます。そうしないと、日本国憲法は日本人を守ることはできません。 四、教育の機会平等と教育格差。 憲法第二十六条は、全ての国民に教育を受ける権利を保障していますが、地域や経済状況による教育機会の格差が存在します。都市部と地方での教育環境の違いや私立学校と公立学校との間の経済的負担の差は、教育の機会平等の理念から乖離していると指摘されてきました。私たちが進めている教育の無償化は教育格差の解消を進めると考えていますが、まだまだ十分ではありません。 五、地方自治と中央集権、統治機構の硬直性。 憲法は地方自治を尊重していますが、実際のところは中央集権的な政治体制で、地方自治体の財政や政策決定における自由度は限られています。地方交付税制度や国からの補助金に依存せざるを得ない現状は、地方自治の本来の趣旨から乖離しています。日本維新の会は、憲法八章の地方自治を改正する案を提示しております。 六、情報技術とプライバシーの保護。 憲法制定時には、現在では当たり前のインターネットやデジタル技術の発展は予想されていませんでした。現代社会では、個人情報の収集、監視技術の進化によるビッグデータの活用が進んでいます。 憲法第二十一条は通信の秘密を保障していますが、デジタル時代における個人情報の収集、監視技術はどこまで認められるべきか、プライバシー権はどこまで保護されるべきか、憲法制定時との乖離をどのように埋めるべきか、憲法に則して議論することは重要な課題です。 七、グローバル化と国際関係。 憲法制定時にはグローバル化が現在ほど進んでいませんでした。現代の日本にとって、国際的な経済活動や政治的国際協力は不可欠です。 憲法が国際法や多国間協力をどのように位置付けるかが重要です。特に、憲法第九条の平和主義の解釈は、国連憲章や国際的な安全保障環境の変化を背景にし議論し直すべきです。 八、環境問題と持続可能性。 一九四七年当時、環境問題は政治的アジェンダではありませんでした。しかし、今や気候変動、カーボンニュートラル、資源の枯渇、生物多様性などのアジェンダがグローバルな課題となっています。憲法には自然環境の保護に関する直接的な条項がないため、法的に十分な枠組みがつくれないのも現実と乖離している一例です。 最後に、日本国憲法九十六条は、憲法改正の発議に国会の総議員の三分の二以上の賛成を必要とし、さらに国民投票で過半数の賛成を得る必要があります。この高いハードルにより、時代の変化に応じた柔軟な改正が難しいことも事実ですが、国民投票法が成立寸前まで来ているのも事実です。 以上でございます。
○会長(中曽根弘文君) 川合孝典君。
○川合孝典君 国民民主党・新緑風会の川合孝典です。 国民民主党は、憲法に対する問題意識と目指すべき方向性をこれまで人権保障分野と統治機構分野に分けて議論を行ってきておりますが、本日は、このうち、人権保障分野の中で、デジタル時代の人権保障の在り方ということについて問題提起をいたします。 現行憲法は、七十年以上前の一九四六年に制定されたものであるにもかかわらず、人権保障の分野に関して明文化された人権に関する条文は、その後に制定された比較的新しい諸外国の憲法典と比較しても、質、量共に遜色のない充実した内容となっており、この点は高く評価されるものと考えております。しかし、デジタル時代の到来やAI社会の進展によって、人権保障を取り巻く環境は急速に変貌しております。 具体的には、特定個人の行動、嗜好、健康状態、経済状態などの個人情報を用いたプロファイリングによって、個人の思想や良心の形成過程に影響を及ぼしており、その結果、自律した個人という憲法の前提に影響が生じております。 例えば、商業広告を送る際にターゲットとなる消費者の属性や行動履歴、趣味、嗜好などを把握するマイクロターゲティングや、ネット検索サイトが提供するアルゴリズム等により各人の嗜好や関心に限定された情報ばかりが提供され、自分が気に入りそうな情報に囲まれて視野狭窄に陥る、いわゆるフィルターバブルは、有権者の主体的な判断過程のゆがみや選挙等の公正に対する脅威といった民主主義のプロセスへの懸念を生じさせています。こうした現状から、我々は、自律した個人の尊厳といった近代立憲主義が目指した中核的な価値それ自体が脅かされる状況が生じているということを認識しなければなりません。 また、デジタル化の進展により、GAFAMなどの国家と対抗し得るほど、あるいはそれを凌駕するほどの新しい統治者の登場によって、自律的かつ多様な言論空間や、公正かつ自由な経済競争が明らかに阻害されるおそれが現実のものとなっております。 このような状況は、現行憲法制定時には全く想定されていなかった事象であり、こうした事象に対応して個人の尊厳を守り続けるためには、データ基本権、いわゆる情報自己決定権の保障など、時代に即した人権保障のアップデートの必要性について真剣に検討すべきと考えます。 以上述べたことを踏まえて、今後検討すべき論点として幾つか課題を抽出、整理すると、次のような検討項目が挙げられるだろうと考えております。 まず、デジタル化に対応するための基本理念として、憲法十三条に定める個人の尊重をサイバー空間にも拡張する必要があるものと考えられます。 その上で、各論的な人権保障規定として、まず憲法十四条関係では、AIを用いたプロファイリングや遺伝子解析技術の飛躍的発展によって生じるおそれがある遺伝的属性による差別の禁止規定を検討する必要があります。 また、個人の尊厳が脅かされている現状に鑑み、憲法十八条に定める奴隷的拘束及び苦役からの自由規定に関係するものとして、情報自己決定権の保障を規定することや、フィルターバブルによって個人の意思形成過程や認知傾向に過度な干渉が及ぶおそれがあることに鑑み、憲法十九条の思想及び良心の自由に、思想、良心の形成過程の自由、自律性の保障の追加を検討することなども挙げられます。 これらに加えて、プラットフォーム提供者の影響力が言論空間のみならず経済活動分野においても甚大な影響力を有している現状に鑑み、憲法二十一条の表現の自由に、精神的自由に関する熟議可能な言論空間の確保規定を追加することや、経済的自由に関する公正かつ自由な競争秩序の確保に関して、新しい統治者ともいうべきプラットフォーム提供者の責務やその環境整備に関する国の責務に関する規定を、職業選択の自由を規定する憲法二十二条に追加することについても検討されるべき事項であると考えています。 さらに、デジタル時代の民主主義の在り方として、選挙や国民投票の公正を確保するための規律についても、憲法上明確にしておく必要があるか否かについて検討する必要があるものと考えております。 以上、急速なデジタル化が進展する中、人権保障分野に限っても、憲法の規範力を維持する上で速やかに検討すべき課題がこれだけ抽出できるということを指摘し、国民民主党・新緑風会からの意見表明といたします。 以上です。
○会長(中曽根弘文君) 仁比聡平君。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平です。 戦後八十年を迎えて振り返るとき、私は、幾たびも改憲の動きにさらされながら、これをはね返してきた日本国憲法の生命力を感じます。 昨年秋、日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞翌日、私は広島の原爆ドーム前で街頭演説の機会があり、歓喜に沸く広島市民の皆さん、とりわけ若い人たちの平和を願い核兵器廃絶を求める声に接して、とても頼もしく、大きな勇気をいただきました。 オスロの授賞式と田中熙巳代表委員の講演はテレビ中継で拝見しましたが、その冒頭から、生き長らえた原爆被害者は、歴史上未曽有の非人道的な被害を再び繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました、一つは、日本政府の戦争の被害は国民が受忍しなければならないとの主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し、遂行した国によって償われなければならないという運動、二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり、人類と共存させてはならない、速やかに廃絶しなければならないという運動ですと、徹頭徹尾、被爆者の要求と運動の歴史を語られ、世界中の人々に対して、日本政府は一貫して国家補償を拒み、原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと繰り返し毅然と訴えられた姿に、今も背筋が伸び、身動きもできないような思いがいたします。 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意した憲法前文、二度と戦争はしない、軍隊は持たないと定め、あの戦争の犠牲となり亡くなった方々の遺言だと言われる憲法九条の下での戦後日本社会の平和国家としての歩みに対し、自民党政治は戦争の被害は受忍せよと誤った立場を改めず、この十年余り、自公政権は、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安保法制の強行、敵基地攻撃能力の保有と五年間で四十三兆円もの大軍拡、統合司令部創設など、事実上自衛隊を米軍の指揮統制下に組み込む体制づくりまで進めています。これらは日本国憲法の平和原則を根底から覆す暴挙です。 今日、米国トランプ政権は国連憲章と国際法を無視し、各国の経済主権を侵害し、貿易協定も破り捨てる傲慢な振る舞いで信頼を失い、世界から孤立する道を進んでいます。日米同盟絶対の戦争する国づくりへの暴走は、米国とともに世界から孤立する道です。 日中友好議連の訪中に際し、両国が互いに脅威にならないという合意を生かそうという我が党の提案が注目をされました。対話と外交の力で戦争の心配のない東アジアをつくろう、日本共産党は憲法を生かす国民的な共同を心から呼びかけます。 個人の尊重、法の下の平等、家庭生活における両性の本質的平等を求める憲法の下、国際人権水準に学び、ジェンダー平等社会に向かおうとする巨大なエネルギーが政治の激動をもたらしています。同性婚の実現は喫緊の憲法問題であり、特定の家族観を押し付けて当事者を苦しめ続けることはもはや許されないことは、四月二日の当審査会で述べたとおりです。 選択的別姓問題はどうでしょうか。日本社会の夫婦の氏の動きを振り返れば、むしろ夫婦別姓が主な流れでした。それが、明治の半ばから大日本帝国憲法、教育勅語、朝鮮出兵、日清、日露戦争へと進んだ富国強兵を背景に家制度が採用され、それと不可分に、明治三十一年、明治民法によって家の呼称として同氏が法制上初めて義務化、強制されたのです。絶対的な戸主権の下、妻と子供は無権利者、無能力者とされました。 一九四七年五月、日本国憲法施行の下、家制度は廃止されました。明治民法から四十九年、日本社会の長い歴史から見れば僅かな期間です。同じ年成立した戦後民法は、氏は名と併せて夫、妻それぞれの呼称、つまり、その人がかけがえのない個人として尊重されるあかしであり、人格権の象徴、すなわち人権であることを大前提にしています。 選択的別姓を求める国会請願がなされて五十年、来年は選択的別姓をという法制審答申から三十年になります。党派を超え、根深い家父長制的な固定観念を乗り越えて、誰もがお互いを尊重し合い、ジェンダーに基づく支配や暴力、差別のない社会に変えていくことを心から呼びかけ、意見表明といたします。
○会長(中曽根弘文君) 山本太郎君。
○山本太郎君 れいわ新選組、山本太郎です。 皆、今食べることに困っていて、生きるか死ぬか。これは、生活保護を利用する男性の言葉です。障害者加算も含め生活扶助を月九万五千円受給するが、五キロ五千円の米には手が出ない。昨年夏には、電気代節約のためにエアコンを使わず、熱中症で緊急搬送された。 先進国で唯一、三十年の経済不況が続いたところに、コロナに物価高。今や国民の六人に一人が貧困。このように経済的に追い詰められた国民にとって、最後の命のとりでが生活保護。しかし、終わりの見えない物価高が続く中、それに見合う引上げが行われておらず、最低限度の生活すら難しい状況になっている。 主食である米の値段は、昨年の同じ時期と比較して二倍以上。生命維持すら危うい状況に置かれているのに、政府の対策は、今年十月から二年間限定で現行の生活扶助の特例加算へたった五百円上乗せをするというだけ。武器、兵器に関しては財源論などほぼスルーで六十兆円出しても、国民の生命を守るために必要な金はたった五百円アップでも恩着せがましい。 住み続けるには何が必要か考えてほしい、最低限の生活以上は望まない、それすらもかなえてもらえないのか。これは、昨年の能登半島地震、奥能登豪雨の被害を受けた珠洲市大谷地区の区長の言葉。被災地は現在も地震と豪雨の二重災害からの復旧の遅れに苦しんでいる。 一方で、政府は、発災から十一か月、補正予算さえ組まずに、小出しの予備費支出を繰り返しただけ。過去の災害と比較しても桁違いの土砂被害を受けた奥能登の土砂撤去に自衛隊派遣すらしなかった。 結果、現在でも百件以上、重機を使った土砂撤去の必要がある案件が残っている。土砂が残ったままでは、住まいの再建もコミュニティーの維持も難しく、人口減少は止まらない。最低限の生活以上は望まないから、生まれ育った地域で住み続けたい、そんな願いすらかなえられない状態が放置されている。 苦しんでいるのは一部困窮者や大災害の被災者だけではない。今はまだぎりぎり踏みとどまっているけど、近い将来、困窮に陥ることが目に見えている多くの人々がいる。 五十代のうちに潔く死にたい、なるべく迷惑を掛けない死に方で。そう諦めると気持ちが楽になった。そう語るのは、独り暮らし、四十代女性。氷河期真っただ中の就活では四十社以上不採用に。そこから二十年、非正規として働き続けたが、副業と合わせても年収二百万円に届かない。 一千七百万人いると言われる就職氷河期世代。さきの女性のように、就職もままならず、国からの支援もなく、非正規、バイトで生きてきた人が多くいる。二十五年間の経済不況で、この世代の所得の中央値は百七十五万円も下がった。 現役期間の年収が低ければ、もらえる年金も低くなる。厚労省の試算では、氷河期世代である一九七四年度生まれ全体で約二割、女性で約三割が月七万円未満の年金しか受け取れないという。 この世代では無年金となる人も多い。二〇二三年時点、同世代で国民年金を納めていない者が二百十・三万人。基礎年金が更に減額される人、無年金になる可能性がある人がこれだけいる。これでは到底生きていけない。この先の地獄は目に見えている。 対策は急務というが、議論されている対策は苦しんでいる人を救おうというものではない。年金が少なければ生活保護に頼る人が多くなる。近い将来お荷物になるおまえらを年金でほんの少し支援するから、生活保護申請するなよと言っているにすぎない。ばかにしているのか。 ここ数年で活発化するのが尊厳死や安楽死の推進。そこにリンクするおそれがあるのが臓器移植の要件緩和につながる法改正。目の前の生活や命を守る話ではなく、コストカットのための人減らしと、富裕層への臓器ビジネス下準備に向けて抜かりのない政治。 奨学金の返済金額が賄えないため、週七で働いており休みがありません、自分が死んでもほかの誰かに迷惑掛からないなら死んだ方がましかもしれないと思い詰めることもあります。三十代の正社員の若者がこんなことを言うのが今の日本です。 年収二百万円以下、奨学金債務は五百万円台。このように、若くして多額の債務を負う人が現在の日本に約六百万人もいる。返済に困難を感じる人は多く、奨学金債務者本人の自己破産件数は十年で二・四倍、返済を苦にして自死する者も、二〇二四年は前年の約四倍、二十三名にも及んだ。この数字に表れていないが、命を失った者はどれぐらいに及ぶだろうか。 奨学金債務があることで、将来を諦めた者も多い。約四割の方々が結婚、出産、子育てに影響が及んだという調査結果もある。国は、教育を受けるための資金という名目で若者に多額の借金を背負わせ、利息までむしり取る。こうした国の誤った政策によって、多くの若者の未来が閉ざされてきた。 ここまで見てきた人たちに共通するのは、憲法十三条、二十五条が保障する基本的人権が侵害されているという問題。その状態を国が長く放置する事例が余りにも多過ぎないか。憲法と現実のかい離というテーマなら、こうした問題を取り上げて、調査と対策を進めていくための議論が必要。それなのに、一部改憲派は、憲法と現実が乖離している、だから緊急事態条項の創設や議員任期の延長が必要などと言う。 お花畑も大概にしてくれ。現実を見てくれ。寝言は寝てから言ってくれ。国民は基本的人権を侵害され、命の危機に瀕している。今回のテーマ設定はただのガス抜きではあるまいな。 最優先課題は、現行憲法をほごにし、三十年続く悪政とその検証、それを改める具体を政府に突き付けること。これこそが本審査会の存在意義である。それをやるつもりがないなら、憲法審査会など開く価値もない。 終わります。
○会長(中曽根弘文君) 高良鉄美君。
○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美です。 五月二十一日です。沖縄の首里城が、沖縄戦において司令部のあったところですけれども、陥落をしました。その時期には、世界中で地上戦が行われていたのは沖縄だけです。そして、ヨーロッパの戦争はもうとっくに二週間前に終わっています。そういう状況の中で、瓦れきの山の中で過ごしてきたということです、それ以降。 しかし、日本のこの国会は、実は爆撃はそのまま直撃せず、外は瓦れきの山でした。そして、憲法を作るときに何と言ったかというと、窓を開けて外を見てくださいと、瓦れきの山の中で暮らしている人たちがいると。そこにいるのは、女性の嘆き、子供の嘆き、そして大けがをしている人たち。だから、どんな憲法を作るんだ、それはもう決まっているだろうということです。 これから、憲法と現実のかい離というテーマですけれども、議論というとかなり広範になりそうなテーマなんですけれども、各党各会派の思惑によっては、憲法九条が現実と乖離しているという主張を展開して改憲を訴える場としたいという面も見え隠れしています。 しかし、法の支配の原理、中心である憲法の最高法規性からすれば、違憲状態の氾濫している現在の社会状況、政治状況を取り上げて、憲法と乖離している現実を問題にする場として議論をしていくのが、憲法四十一条で言う国の唯一の立法機関としての国会の役割と言うべきです。 国会が意図的に憲法違反の立法をするわけがないという合憲性推定原理により、国会で作った法律には、まずは合憲だという前提で向き合うことになります。この合憲性推定があるから国会の立法は遵守しなければならないということになるわけです。 ところが、憲法の最高法規性、権力によって侵されない個人の人権、適正手続、権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割の尊重といった法の支配を口にする割には、その本質、内容をまず念頭に入れているのか疑問符の付くほど、平気で改憲、改憲を叫んでいる国会議員がいかに多く存在していることか。合憲性推定を託されている国会議員にもかかわらずです。これも憲法理念と現実の乖離の一つと言ってよいでしょう。果ては、憲法改正をするのが国会議員の義務であるとまで言い放ち、憲法に書かれていない義務を独善的につくり出す始末にまでなっています。 国会が憲法違反の立法をするはずがないとはいっても、多数を握る政党が中心となって、人の支配により、あるいは党利党略によって、何らかの利益誘導で違憲の立法をしたり違憲状態を追認したりすることが歴史的には散見されます。 米軍や安保条約の違憲性が問われた砂川事件も、憲法と現実との乖離の典型例です。 第一審の伊達判決は、駐留米軍及び安保条約は憲法違反と明言しました。しかし、最高裁は、駐日米大使と事前に面談をし、跳躍上告を行うことや判決に関わる内容に言及していました。それだけではなく、統治行為論的理論によって憲法判断を回避しました。内容的には合憲判断と見まがうほどで、米国の考え方に沿うものでした。安保条約や米軍が憲法と現実の乖離を生んだ要因の一つと言ってよいでしょう。 また、憲法と現実の乖離の問題において分かりやすいのは、不平等、不公平、不公正です。このような憲法違反の法律は、是正するか、廃止するか、あるいは憲法に沿った立法を行うということになります。これが法の支配のしっかりとした実現です。 確かに、法律を作る際に立法府の裁量ということはあると思います。しかし、例として挙げますが、障害福祉年金を受給していた全盲の母が、離婚して、子供を育てるため児童扶養手当の受給を申請したところ、併給禁止規定があってその手当は認められず、児童扶養手当法の規定が憲法十四条や憲法二十五条違反として訴えた、いわゆる堀木訴訟というのがありました。 一九七二年、神戸地裁で憲法十四条違反とする判決が下された後に、児童扶養手当法は国会で改正され、併給可能となりました。しかし、問題は、国会が、一九八二年のこの訴訟の最高裁判決で合憲と判断されたことを受けて、何と再改正して併給禁止規定を復活させたのです。果たして、憲法によって唯一の立法機関とされた国会が、憲法二十五条の最低限度の生活を営むために必要だと判断して一度併給可能と改正した規定をわざわざ廃止する立法行為に出たことは、立法権の主体としての地位にふさわしい対応であったかは大いに疑問が湧きます。 最高裁判決において、立法政策上の裁量事項であり、当然に憲法二十五条違反に結び付くわけではないと判断したからといって、国会が、制度を後退させ、明白な不利益的変更を加えて、憲法により適合的な規定に改正したものを廃止する必要があったのか、立法権に対する主権者からの信頼が崩れかねない問題とも言えます。 国会が立法すべき事項を立法しない場合、あるいは改正すべき事項を改正しない場合など、司法の場で立法不作為として問題となり得るわけです。選択的夫婦別姓や同性婚の民法改正問題、谷間世代の司法修習生の給付金不支給問題などは、憲法十四条の法の下の平等に関わる同一線上にあると思います。 安保条約第三条には、「憲法上の規定に従うことを条件として、」と文言がありますが、真に法の支配を生かさなければ、人の支配に陥るだけです。憲法を現実に合わせるように、憲法を政策的に変えていく、あるいはゆがめていくことと、現実を憲法に適合するように政策を策定し実施していくこととでは、どちらが法の支配なのかといえば紛れもなく後者であることを申し上げて、意見とします。
○会長(中曽根弘文君) 以上で各会派の意見表明は終了いたしました。 次に、委員間の意見交換を行います。 一回の発言時間は各三分以内でお述べいただきたいと存じます。 なお、発言が終わりましたら、氏名標を横にお戻しください。 和田政宗君。
○和田政宗君 自民党の和田政宗です。 東日本大震災を経験した身として、民主主義の根幹である選挙を守るためにあらゆる事態を想定して憲法で備えることは必須であると考えます。 東日本大震災では、直近で予定されていたのは国政選挙ではなく統一地方選挙でしたが、各地方選挙の延期は国会で決まったものの、最大六か月の延期でできるのか、想像も付かない状況でした。実際に、臨時特例法案は再改正され、全ての選挙が終わったのは十一月二十日でした。 大災害時に国政選挙においてどういった事態が想定されるのか。過去、安政年間においては、南海トラフ地震の翌年に首都直下地震が発生しており、もしかなり近接して発生すれば全国全てで選挙が行えない可能性が生じます。衆院解散後に全国一律に選挙が行えない事態については、衆院議員の不在が長期化する可能性があり、参議院も任期満了を同時期に迎えれば、参院議員の半数による緊急集会で決めていくことになります。その際に決められることの内容については、衆参の憲法審で議論が続いています。 次に、衆院解散後の大災害で被災地では繰延べ投票となり、ほかの地域では通常の状態で衆院選が行われる場合についてはどうなのか。 平成二十四年に近藤三津枝衆院議員が提出した質問主意書ではこう問うています。衆議院の解散中に大災害が発生し、被災地では繰延べ投票となった場合、被災地住民の民意を反映せずに構成された衆議院が総理を指名し、解散中に参議院の緊急集会でとられた措置に同意を与えることになる、緊急事態が発生し、大きな被害を受けた被災地の代表が最も求められているときに、その被災地から繰延べ投票が行われるまで衆議院議員が選出されない事態は、被災地の国民の参政権は保障されていると言えるのか、憲法第十五条第三項で保障されるべき参政権が侵害されている事態であって、憲法上極めて大きな問題であると考える。これに対する野田佳彦内閣の答弁書は、緊急事態においても公職選挙法の下で有権者の投票の機会ができる限り確保すべきものと考えると答えています。 私は、投票機会の平等において同一選挙における投票日の平等も確保されるべきとの考え方は一理があると考えます。それは、衆参の憲法審のこれまでの議論でも出てきていますが、繰延べ投票では、繰延べ投票に先行して行われた投票結果を受けて繰延べ投票の選挙結果に影響が出かねないという可能性をどう考えればよいのかという点が一つの論点であるからと思うからです。 また、被災地での繰延べ投票に先行して、ほかの地域での衆議院選挙を受けて特別国会が召集された場合、特に災害対応や復旧復興に全力を注ぐべき重要な局面で被災地の意思が反映されないまま国会において様々なことが決まっていくことは、円滑な行政活動の遂行に支障が出ることを危惧する向きがありますし、私もそういう懸念はあってしかるべきとも感じます。 災害時において民主主義の根幹である選挙を守るために、繰延べ投票などの現行制度について論点を整理しつつ、同時に、あらゆる事態を想定して憲法で備えることについて、現行憲法のままで対応可能なのか、そうでなく憲法改正が必要なのか、議論を更に深めるべきと考えます。
○会長(中曽根弘文君) 松沢成文君。
○松沢成文君 日本維新の会の松沢成文です。 本日の当審査会のテーマがいまだに憲法と現実のかい離だと聞いてびっくりしました。 参議院では、二〇〇一年に憲法調査会ができて、七年間議論しました。その後、憲法改正原案の審査を目的とした憲法審査会となり、以来十八年にわたり議論を続けてきました。しかしながら、憲法改正原案の審査には全く到達できず、毎回テーマを変えての放談会が繰り返されるばかり。憲法改正議論が国会で始まって四半世紀以上が経過するのに、議論は堂々巡り。国民の約六割が憲法改正を求めているのに、国会議員がその期待に全く応えられない。これでは、職務放棄、衆愚政治と言われても仕方がありません。 私たち参議院議員は六年の任期が保障されており、任期の短い衆議院議員より中長期的な政策を大局に立って審議して結果を出せるはずです。にもかかわらず、衆議院の審査会の後追いをするだけで憲法改正審議の主導権を全く発揮できない現状は、参議院の存在意義を失わせています。この実情こそが国民の憲法改正に対する期待と現状の乖離ではないでしょうか。 現行憲法の最大の問題点は、国の存続のため、必須の条件である国家安全保障と国家緊急事態の対応を定めた条文が欠如していることです。こんな憲法は世界にはありません。憲法九条は、戦争放棄をうたっているだけで、国家をどう防衛するかを規定したものではありません。侵略戦争は否定した上で、自衛権を明記し、自衛隊を保持し文民統制下に置くと改正すべきです。激変する安全保障環境の中で、日本の独立と主権を守るためには待ったなしの改革です。 そして、国家の緊急事態に憲法秩序を守りながら対応できるよう新たな条項を加えるべきです。大規模自然災害も軍事侵略もパンデミックもいつ日本を襲うか分からない。そのとき想定外だったでは済まされません。これでは政治の不作為そのものです。 このように、国家防衛と国家緊急事態の条項の欠如こそ日本国憲法と現実との最大の乖離だと考えます。 この参議院憲法審査会の停滞を打破するためには、まず各会派で緊急事態条項案を提起し、徹底的に審議して憲法改正原案を作り上げましょう。そして、衆議院にも賛同を求め、国民投票を実現しましょう。こうした行動こそがこの審査会の国民に対する責務です。いいかげんに堂々巡りの意見発表会を脱皮しようではありませんか。 以上です。
○会長(中曽根弘文君) 打越さく良君。
○打越さく良君 立憲民主・社民・無所属の打越さく良です。 憲法と現実が乖離する場合、憲法九十九条により憲法尊重擁護義務を負う私たち国会議員は、現実を憲法に近づけなければなりません。 昨年の選挙の結果、衆議院の憲法審査会では、枝野幸男会長の下、ようやく熟議を尽くせる構成になりました。 五月一日、共同通信社が公表した世論調査では、改憲の必要性については、どちらかといえばを含めて七〇%が肯定したものの、改憲を急ぐ必要はないが五〇%です。さらに、改憲の進め方については、慎重な政党も含めて幅広く合意形成を進めるべきだが七二%と圧倒的です。改憲に前のめりな姿勢はいさめられているのです。 私が本審査会でこれまで述べてきたように、日本国憲法に違反すると主張されながら改正されずに放置されている法律について調査を行うことは、本審査会の第一義的な責務です。 先ほどの共同通信社の調査では、選択的夫婦別姓については実に七一%が賛成であり、同性婚についても賛成が六四%です。憲法の基本的価値、個人の尊重、個人の尊厳、平等にかなう法制度については、私たち国会議員は世論がたとえ消極的であっても実現しなくてはいけませんが、今や世論も賛成しているのです。望まれる諸制度の実現を先送りし、憲法尊重擁護義務違反を続けるべきではありません。 憲法は、不平等、差別、理不尽に甘んじず、立ち上がるときの手掛かりになります。私は、第一次訴訟弁護団事務局長として、まさに憲法を手掛かりに、多くの女性たちと連帯して、選択的夫婦別姓を認めない現行法は憲法に違反すると闘いました。 今や、芦部信喜先生の「憲法 第八版」において、夫婦同氏強制を憲法違反だとする学説が多数であるとされています。今会期中で是非実現すべきだと多くの声が上がっています。 また、同性婚訴訟では、五つの高等裁判所全てで違憲判断がなされました。 選択的夫婦別姓や同性婚を認めれば、社会の幸せは確実に増えます。多様な幸せを認めなかった家制度はとうに廃止され、家族法は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならないことになっているのです。選択的夫婦別姓と同性婚に反対する国会議員はかたくなにそのことを認めないもので、憲法尊重擁護義務に背を向けていると言わざるを得ません。 本審査会の委員使命は、こうした憲法に沿わないとされている法律について、立法府として熟議を行うことにあります。 以上、申し述べます。
○会長(中曽根弘文君) 他に御発言もないようですから、以上で意見交換を終了いたします。 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。 午後二時二十三分散会