法務委員会 第12号
- 発言数
- 107 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 7
- 開催日
- 2018/05/15
会議録
○平口委員長 これより会議を開きます。 内閣提出、民法の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、本案審査のため、参考人として、学習院大学法学部教授山下純司君、放送大学名誉教授・千葉大学名誉教授宮本みち子君、弁護士中村新造君、社会福祉法人旭児童ホーム理事長伊達直利君及び実践女子大学人間社会学部人間社会学科教授広井多鶴子君、以上五名の方々に御出席をいただいております。 この際、参考人各位に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。 本日は、御多忙の中、御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜れれば幸いに存じます。 次に、議事の順序について申し上げます。 まず、山下参考人、宮本参考人、中村参考人、伊達参考人、広井参考人の順に、それぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。 それでは、まず山下参考人にお願いいたします。
○山下参考人 山下でございます。 現行の民法四条というのは、「年齢二十歳をもって、成年とする。」と定めており、二十歳未満の若者を未成年と定義づけています。今回の成年年齢を二十歳から十八歳に引き下げるという改正提案は、直接にはこの民法第四条にかかわるものですので、民法を研究する立場から改正に対する意見を述べさせていただきます。 まず、民法という法律を支える基本的な考え方について、二十歳以上の人々の場合にどうなっているのかという点を簡単に確認しておきたいと思います。 民法は、私たちが社会生活を送る上で必要とされる基本的なルールを提供する法律です。そして、その根本にある考え方として、人はみずから好きな生き方を自分の判断で選択できるという、私的自治の原則と呼ばれる考え方があると言われています。 中でも特に重要とされていますのは、契約自由の原則、すなわち、人は、自分の財産の範囲内であれば、自由に契約を結ぶことで、好きなものを買ったり好きなことを学んだりすることができるという原則です。こうした、契約を結ぶ自由が保障されていることによって、私たちは好きな職業につくことができ、好きな家に住むことができ、好きな生き方を選択することが可能になっているわけであります。 このように、民法という法律は、人々は自分の財産の範囲内であれば自由に契約を結んでよいという考え方に支えられているわけですが、そこには一定の例外があります。その一つとして、成年後見制度があります。 この制度は、認知症などの精神上の障害によって十分な判断能力を有さないような人々について、家庭裁判所の判断で、単独で契約する能力を制限するものです。これは、判断能力が不十分な人々の財産を守るために用意されている制度ですが、自分の財産を自分の好きなように使うことを制限し、その人の自由を大きく制約するものでありますから、その判断は慎重に行われます。具体的には、その人の判断能力の不十分さに応じて、後見、保佐、補助という三つの制度を使い分け、必要最低限の契約のみ単独では行えないように制限をするわけです。 このように、一般の人々、つまり、二十歳以上の人々については、民法は、みずからの財産の範囲内であればみずからの判断で契約することができるというのが原則であり、たとえその人の財産を守るという理由であっても、その自由を制限するのは必要最小限にとどめようという考え方でつくられています。 こうしたルールがとられるのは、最初に紹介したように、本来、人は自分の好きな生き方を自分の判断で選択する自由を有していると考えられてきたからです。この考え方は、歴史的には二百年以上も前に確立している、現在の私たちの社会を支える基本的な考え方と言えます。 ところが、未成年者の扱いというのは、原則と例外が入れかわることになります。現在の民法の未成年者の扱いを見ますと、二十歳未満の若者についてはこれを一律に未成年と定めて、単独での契約を制限しています。 未成年者が契約をする際には、原則として親権者や未成年後見人の同意が必要であり、仮に単独で契約をしても、親権者や後見人は後からこれを取り消すことが可能です。また、親権者や後見人は、未成年者の財産の管理権、法定代理権を有しているため、未成年者の財産を使って、本人の同意なく契約を結ぶことさえできるとされています。 要するに、民法は、未成年者に分類される若者については、重度の精神障害によって判断能力をほとんど失ってしまっている人とほとんど変わらないほどに、自分の判断で契約をする自由や、その背後にある、自分の生き方を自分で決める自由というものを一律に剥奪しているわけです。 なぜ、未成年者について、一律に広い範囲で、こうした自由が剥奪されているのでしょうか。 小学生、中学生ぐらいまでの幼い子供の場合には、単独で契約をするには知能の発達が不十分であるといった説明ができるかもしれませんが、高校生ぐらいになりますと、そのような説明が難しくなります。ある民法の教科書では、社会的な経験が十分でないために適切な判断ができない危険を考えて、特別な制限をしているのだといった説明がされています。 なお、ここで注意しておきたいのは、ここでの自由の剥奪というのは、親が子供に与えた小遣いについて、自分が決めた使い道でしか使えないといった問題とは全然性質が違う問題であるということです。ここでのポイントは、未成年者が、自分で働いて稼いだり、あるいは他人から相続を受けたり、あるいは贈与を受けたりなどして、親とは別に自分自身の財産を持っている場合でも、その使い道について、自分だけで決めることは許されていないという点です。 このように、民法の未成年者についての扱いは、本人の財産を保護するという理由があるとはいえ、大人であれば当たり前に持っている、自分の財産を使って好きに生きる自由というものを大きく制限しているのだということは改めて強調しておきたいと思います。 ここまで、私は、民法の根本にある考え方について説明をしました。繰り返しますが、その根本にあるのは、人は自分の生き方を自由に決めることができるという考え方です。 こうした民法の仕組みを前提に、成年年齢を引き下げるか否かという問題を考える場合、最初に考えなくてはいけないのは、若者が自分の生き方を自分で決めてよい最低年齢を何歳に設定するかという問題であることになります。 未成年者とは、大人の反対があれば、自分の好きな仕事につくこと、好きなものを買うこと、さらには、好きな人とともに生きることといったことが一切不可能な存在なわけです。 例えば、将来、職人として生きていきたいと思っていたとして、そのために、高校を卒業したらその道の職人に弟子入りしたいと考えるような十八歳の若者がいるとします。しかし、その親が、その子に大学進学を勧めて反対をしたとき、現行の民法は、親の意見が優先するというルールになっています。たとえその若者が、今までの貯金を切り崩してひとり暮らしをする、あるいはアルバイトでみずからの生活費を稼いで、親に迷惑をかけないでそうした道に進もうとしたとしても、現在の民法はそれを許してはいません。ひとり暮らしのアパートを借りる賃貸借契約、あるいはアルバイトのための労働契約など、十八歳の若者は、生きていくための一切の手段を親に判断を握られているからです。 さて、高校進学率が高い我が国において、高校を卒業する十八歳という年齢は、四年制の大学に進学するか、二年制の短大やあるいは専門学校に進学するか、あるいはそのまま就職して働き始めるか、自分の生き方を決定する最初の分岐点と言える年齢です。もちろん、多くの若者はすぐに親元を離れるわけではなく、親からの経済的支援や年長者としてのアドバイスを受けながら、徐々にその生き方を決定していくものと思います。 しかし、十八歳にもなれば、親の支援を当てにせずに、自分の生き方を自分で決定したいという若者もいるでしょう。そうした自立心のあふれる若者の決断を、親が問答無用で抑え込んでよいのは何歳までかということが、今回の問題を考える上では最初に考えなくてはならない問題です。このとき、十八歳という年齢は、私は決して若過ぎる年齢ではないというふうに考えております。 このように、私は、成年年齢の引下げについて、若者の生き方の決定の自由を認めるためにも賛成したいという立場ですが、これに対しては、成年年齢を引き下げることによって、若者の消費者被害が拡大することを懸念する意見というのが予想されますので、この点についてコメントしておきたいと思います。 十八歳、十九歳の若者について、単独で契約をすることを認めるということは、その契約によりみずからの財産を失うリスクを若者が負うということも意味します。現在では、未成年者が単独でした契約は取り消すことができますから、未成年者が悪徳商法などで消費者被害に遭っても、財産を守ることは容易です。しかし、未成年者取消権がなくなると、十八歳、十九歳の若者がこうした被害を受けるのではないか、そういう心配がされています。 しかし、私は、このことを理由に成年年齢を二十歳から十八歳に引き下げることに反対するのは、政策論としてはおかしいというふうに考えております。二つ理由を述べさせていただきます。 第一は、未成年者の決定権を一律に制限することが許されるのは、若さゆえの知能の未発達と、社会経験の不足による判断の誤りから、財産を失うおそれが一般的に存在するという点にあると申し上げました。しかし、知能という点に関して言いますと、十八歳といえば、社会で一定の活動をする思慮分別を持つ年齢であり、中には、社会人として立派にやっていくだけの知識を身につけ、自立心を持った若者もいる年齢です。そうした若者まで含めて、みずからの生き方を自分で決める自由を一律に奪うということは、そうした若者の自由を理由なく制限しているということにほかなりません。 第二に、社会経験の不足という点ですが、もし、取引経験の不足から若者が消費者被害に遭うおそれがあるというのであれば、人の経験不足につけ込むような取引の方を規制するべきなのであって、若者が取引をすることを制限することは、政策論として本筋ではないということです。経験不足につけ込む形での消費者被害というのは、今の二十代の若者にも生じているのですから、十八歳、十九歳の若者だから懸念されるものではありません。 そうしますと、この問題は、高校生の間に消費者教育を徹底するとともに、消費者保護の法律を充実させることで、取引経験が不足した若者であっても回復不可能な財産被害が起きないような環境を整えるということによって対処することが、政策論として本筋であるはずです。 ですから、二十歳に達すれば自由に行ってよいとされている取引を、十八歳、十九歳の若者には一切許さないとする理由として経験不足を挙げるというのは、おかしな話ではないかと思っております。 現在、まさに取引経験の不足した若者が陥りがちな取引被害について、消費者契約法の改正の提案がなされていると承知しております。また、現在でも、契約相手の経験不足に乗じて莫大な損害を与えるような契約は、公序良俗に反するもので無効であるといった解釈論が、最高裁の判例として採用されています。さらに、一般的に消費者被害の生じやすい取引については、特定商取引法等による規制、あるいは民法自体でも、詐欺や強迫によって結ばれた契約は取り消せるといった形で、不適切な勧誘による取引被害を防いでいます。 若者の取引経験の不足による消費者被害は、こうした方向からの保護によって対処するべきであるというふうに考えております。 以上のような理由で、私は、成年年齢を二十歳から十八歳に引き下げることについて賛成するものでありますが、最後に、一点つけ加えたいことがあります。 世論調査などでは、成年年齢の引下げに反対の意見が少なくありません。理由はさまざまですが、その中には、最近の若者は未熟であるといった意見が見られます。 こうした意見に対して私が思うのは、大人から見た場合、若者に未熟さを感じるのは当たり前であり、だからこそ、自分の生き方を自分で決めることの大切さを教え、社会で生きていくことの責任の重さを感じさせること、それが大人の役割であるということです。若者をいつまでも社会に送り出さずに、大人の管理下に置いておくことは、次世代の若者を育成するという観点では得策でないことは明らかです。 民法という法律は、人が一人前になるということは、失敗するリスクを負ってでも自分の生き方を自分で決めることであり、そうした自由を持つことが、結局はその人の幸福につながるのだという思想によって支えられています。若者が未熟だからといって、いつまでも半人前扱いをするということは、過保護な親が子をだめにしてしまうという失敗を社会全体で犯すということにつながりかねないということを理解した上で、この問題を御議論いただければと考えております。 以上でございます。(拍手)
○平口委員長 ありがとうございました。 次に、宮本参考人にお願いをいたします。
○宮本参考人 宮本でございます。 私の立場から意見を言わせていただきます。 日本の前に、欧米先進国の、若者の年齢とそれに対する権利義務に関して、どのような流れがあるかということからお話ししたいんです。 欧米先進国では、早くから若者の社会への参画政策を進めてまいりました。近年では、国によっては、住民投票を十四歳から認めるようになっておりますし、幾つかの国では、投票を十八歳から十六歳へ下げようかという議論が進んでいるというような状況にございます。その考え方は、若者が発言できる機会をつくり、社会へ早くから参画させるという趣旨でございます。 日本の場合、若者が発言できる機会が極めて少ないという状況の中で、成人年齢を引き下げることを若者の参画推進の転機とするべきではないかというのがまず私の立場でございます。 先進諸国において、若者に関してどのような特徴があるのかということでございますけれども、この若者期というのを青年期から成人期への移行、トランジションですが、というふうに捉える傾向が強くなっておりまして、この成人期への移行のプロセスが長期化している。これは先進諸国に共通する特徴と指摘されております。 年齢的に言いますと、思春期、つまり後期中等教育の年齢から三十歳程度までを想定して、成人期への移行のプロセス、このように把握をしながら、そのプロセスの中でどのようなことが起こるのか、それに対する対策、政策というようなものが議論されるというような状況にあります。 この移行のプロセスが長くなっているだけでなく、工業化時代でありますと、子供期から成人期まで一本の順序立った連続的な移行のルートというものがあって、要するに、レールがあって、そのレールをみんなが同時に歩むという形でございますけれども、一九九〇年代の後半になると、日本の場合でも、先進国より二十年くらい遅かったと思いますけれども、移行期が長期化し、直線的な移行からジグザグで複雑な移行のパターンへと変わって現在に来ているということでございます。 この成人期への移行の課題というのは何があるのかというと、四点くらいあるかと思いますが、一つは、安定した職業生活の基礎固めをすること、二つ目は、親の家を出て独立した生活の基盤を築くこと、三つ目は、社会のフルメンバーとしての権利を獲得し義務を果たせるようになること、そのための準備とトレーニングの時期、そして四つ目には、社会的な役割を取得して社会に参画する。 こういうことなんですが、この四つの課題が、移行期の長い期間の中で徐々に徐々に進んでいくものということになります。 ということでございまして、東京大学の大村先生が、青年期、成人期、あるいは若者と大人というものを年齢で分けるときにどういう考え方ができるかということで、これは七年前の法制審議会の委員の折に出されておりますけれども、ゼロ歳は完全未成年、十五歳からは準成年、それから現行の日本でいうと二十歳までは初成年、これで改定されれば十八歳からが初成年、それが二十五歳あるいは二十六歳まで、そしてその後完全な成年になると。こういうような形で、つまり、何がポイントかと申しますと、いきなり、十八歳になったとしてそこからが大人になるというような考え方ではなく、移行のプロセスの中を順次歩む人々、その中で完全な大人になる、いろいろな課題がそこで次第次第に解決し、身についていくもの、このように考えるべきではないかということでございます。 レジュメのところにはもう少しく詳しく年齢ごとの区分が書いてありますけれども、ここは省略させていただきます。 そういうことで、成人をどう定義するかということですが、世間では大人になれないという際に暗黙のうちに前提にしている大人像というのは、今や日本でも成り立たなくなっております。 つまり、完全な大人というので従来定義されていたのは、就職する、自分でお金を稼いで自活できるようになること、結婚して家庭を持つことというようなライフコース上のイベントをきちんきちんと踏んでいく人々、これを大人と言ったんですが、現在の状況は、日本もそうですけれども、欧米諸国ではもっとずっと前から、そのような工業化時代の大人像というのはもう成り立たないと。 それにかわってどのように定義をするかといったときに、一枚目の一番下に書いてありますけれども、社会的に自立する三つの条件として、職業的社会化イコール経済的な自立、それから政治的な社会化イコール市民的な自立、そして成長、発展をして人格的な自立を遂げていく、この三つの課題をかなり時間をかけながら大人になっていく、こういう解釈が成り立つだろうということでございます。 二枚目なんですけれども、西欧諸国においては、この二十年くらいの間に若者に対する若者政策がかなり明確に新しい時代に入ったと思われますけれども、青年期から成人期への移行というものを、シチズンシップ、公民権とか市民権と言ってもよろしいかと思いますが、その権利を獲得するプロセスと捉えようという考え方へと変化をしておりまして、就職とか結婚だとか家族を持つとかいうようなことで定義をしないということになっております。 成人期に入るということは、選挙権、労働の諸権利、社会保障の諸権利等のシチズンシップの権利を獲得するだけではなく、その権利を実際に行使することができる地位を得た状態と考える、こういう定義がなされております。 ところが一方では、先進工業国全てですが、高学歴社会になって学校にとどまる期間が非常に長くなっている中で、それが持つジレンマというものがあるわけですけれども、要するに、社会で生活するために必要的なもろもろのスキルを十分早くから学ぶことができない。学校が終了してから大人になる訓練をしていくということになると、先ほどの山下純司先生のお話でもあるとおりですけれども、いつが一体大人として認められる年齢かということが極めて難しい話になってまいります。 そこでですけれども、世界の動向はどうなっているかというと、新しい若者政策の特徴ですけれども、例えば、選択の力、それから自己決定、参加、そのための情報の提供、それからエンパワーメント、こういう用語がこれからのシチズンシップ政策の共通するキーワードになってきております。 このキーワードというのは、一言で言えば、若者たちをできるだけ早期に社会へ参画させる。そして、自分で物を見て行動をし、意見を言って、社会に影響を与えるというようなことが重視されているわけで、これは年齢等の段階によってその程度は違いますけれども、全体としては、成人の年齢を非常に早く設定をして、その大人になるスタートまでに必要な条件を供与するという考え方になってきております。 そういう点でいいますと、成年年齢を二十歳にしている日本社会は、年齢的に遅いだけではなく、その二十歳までの間に大人のための準備、あるいは参画させるための準備が極めて弱いまま現在まで来ているように思われるわけでございます。 一つの例を挙げさせていただきますと、欧州委員会が二〇〇一年に若者に関する白書を出しております。その後も毎回白書は続いているんですけれども、二〇〇一年の白書は非常に特徴的なことを出していると思うんですけれども、三本の柱を出しております。 一つ目は、若者の積極的シチズンシップ。二つ目は、経験分野を拡大し、若者たちの認識を広める。これは、若者というのは、もう幼稚園生から大人に差しかかるまで、全てにとってでございます。それから、若者の自律を促していくこと。この三つが若者政策の重要な三本柱だと言っているんです。 その中で、特に積極的シチズンシップというのは、若者を社会に統合する、つまり、アウトサイダーにしないで、社会のメンバーとして入れるために、社会への参画を大胆に進めようという政策につながっていきます。二つ目は、若者を意思決定のプロセスに参加させることを積極的なシチズンシップとして押さえるということ。三つとして、権利の主体としてのシチズンシップから、参画する主体としてのシチズンシップへということで、これは、高校生くらいになるといろいろな形で、模擬投票も高校生なんかは中心の年齢になりますけれども、北欧諸国がこの動きをリードした国と言われていますけれども、幼稚園、保育園生から、常に物を考え、発言をさせるということをいろいろな形でやっております。 三枚目のところにそのあたりのところの例が書いてありますけれども、時間の関係で、そこははしょらせていただきます。 最後に、イギリスの例で御紹介いたしますと、イギリスは二〇〇二年にシチズンシップ教育を公式のカリキュラムとして導入をしておりますけれども、その導入するまでの間に長い議論があって、やはりその議論の中心は、若者たちが社会のアウトサイダー化していく、社会に関心を持たなくなっていく、一方で、人口構造的に言うと、少子高齢化の中で若者の意見が反映しにくい、そういうような状況の中で、市民としての教育が必要であるということで公式カリキュラムになったわけでございますけれども、それだけでなく、学校外においても、小さい子供の段階から社会に参画して、いろいろな活動をする中で、自分たち世代によい環境と思われるものをつくるために活動をし、その成功体験を積み重ねるというようなことを取り組んでおります。 これは、イギリスだけではなくて、EU加盟国全体にそういう傾向がありますけれども、成功体験をすることによって、子供たちは発言をし、自分たちが動けば環境はよりよくなるんだということを認識していくということが指摘されております。 時間で、最後ですけれども、ヒア・バイ・ライトというのがこの資料に書いてございますけれども、これは、二〇〇一年に若者参画のための一つのツールとしてつくったものですけれども、あらゆる機関が子供、若者の意見を聞くこと、それから参加させること、それを、尺度をつくってどれだけ進展したかということを評価の対象にしていくというようなことをしながら、若者の社会への参画を進めているということでございます。 ということで、こういう世界的な潮流を見たときに、日本が十八歳に成年年齢を下げるということは、単に年齢が変わるというだけではなく、子供や若者の社会におけるポジションを変えていくという点で大きな転機になるのではないかというふうに思っております。 ありがとうございました。(拍手)
○平口委員長 ありがとうございました。 次に、中村参考人にお願いいたします。
○中村参考人 弁護士の中村でございます。 本日は、このような場で発表の機会をいただき、こういう貴重な機会をいただきましたことに感謝申し上げます。 本日は、私の方でお手元に資料を冊子で用意いたしまして、そちらを適宜使いながら説明いたしたいと思いますので、御参照のほどよろしくお願いいたします。 まず初めに、私は、民法の成年年齢の引下げの議論については、より慎重に進めるべきだと考えております。 以下、成年年齢引下げの立法事実が存在するのか、引き下げた場合の問題点と対策の二つに分けて理由を述べたいと思います。 まず第一に、成年年齢引下げの立法事実について、五つの観点から意見を述べます。 一つ目は、選挙年齢との関係についてです。 二〇〇九年の法制審議会の最終報告書は、民法の成年年齢の引下げが十八歳、十九歳の若年者の政治への参加意欲を高める、両者をそろえることが法制度としてシンプルであるなどを理由に、両者は特段の弊害がない限り一致していることが望ましいとしています。 しかし、そもそも、法律における年齢区分は、それぞれの法律の立法目的や保護法益ごとに個別具体的に検討されるべきものです。 民法の成年年齢については、私法上の行為能力を付与することで、親の同意なく一人で高額の買物をしたり職業を決定したりするのにふさわしい判断能力が認められるのは何歳かという点が正面から論じられるべきであり、選挙年齢との関係から論ずる性質のものではないと感じます。 また、選挙権の場合は、選挙権を行使できるようになるというメリットがある一方、選挙権が付与されることによるデメリット、例えば投票しないと罰則があるなどは想定されません。 これに対して、民法の成年年齢の場合は、みずからの判断で買物ができたり職業を決定できたりするというメリットだけでなく、未成年者取消権や親権による保護を喪失するというデメリットがあり、このデメリットの解消にも十分な注意を払う必要があるという点で、選挙年齢に比べて、より慎重に議論する必要があるものです。 二つ目は、将来の国づくりの中心となる若者に対する期待という考え方についてです。 最終報告書は、少子高齢化を背景として、民法の成年年齢を引き下げ、十八歳をもって大人として扱うことは、若年者が将来の国づくりの中心であるという国としての強い決意を示すことになると述べています。また、十八歳、十九歳の者を大人として扱い、社会への参加時期を早めることは、若年者の大人としての自覚を高めることにつながるとも述べています。 しかし、実際に最終報告書が期待するように、大人としての自覚が高まるという結果が得られるかは疑問が残るところです。むしろ、若年者の自立のおくれや消費者被害拡大のおそれが指摘されている今日において、十八歳、十九歳の者を大人として扱った場合、大人としての自覚を持つ以前に、若者が窮地に立たされることが危惧されます。 実際、内閣府が平成二十五年に実施した民法の成年年齢に関する世論調査、これは政府の参考資料の五番目に入っておりますが、これにおいても、契約年齢引下げに反対した者のうち三五・五%が、権利を与え、義務を課しても、大人としての自覚を持つとは思えないと回答し、親権の対象年齢の引下げに反対した者のうち三八・七%が、親権を及ばなくしても大人としての自覚を持つとは言えないと回答しており、最終報告書の期待どおりの効果を得ることについて疑問を持っている国民が多数存在することは看過できないと考えます。 また、そもそも、成年年齢を引き下げることで十八歳、十九歳の者を大人として扱い、社会への参加時期を早めることによって若年者の大人としての自覚を高めるというのは、本来あるべき順序とは逆であるように思います。本来は、さまざまな施策の効果として若年者の大人としての自覚が高まったことを確認してから大人として扱うという順序になるべきではないでしょうか。 三番目は、国民は成年年齢の引下げを求めているかという点です。 先ほども述べたとおり、最終報告書は、国としての強い決意を示すと説明しています。我が国は国民主権を採用している以上、この決意は国民の決意と同義若しくはそれと相当近いものである必要があると考えられます。 しかしながら、内閣府の世論調査を見ると、契約年齢の引下げについて、反対、どちらかといえば反対とした者の合計は七九・四%、親権については、六九%が反対若しくはどちらかといえば反対と回答しています。 しかも、この世論調査においては、契約年齢の引下げに反対、どちらかといえば反対と回答した者に対して、どのような条件整備が必要かという質問をしたところ、どのような条件が整備されたとしても反対と回答した者が四三・八%と、反対意見が根強いことがうかがえます。 また、引下げの条件として、法的な物の考え方を身につける教育を挙げる者が四〇・五%、消費者教育、金融教育を挙げる者が二九%となっていますが、教育制度を充実させ、かつその成果を上げることは容易でないことからすると、相当厳しい条件整備を求めていることがわかります。 なお、この世論調査は、平成二十年、二十五年と実施されていますが、平成三十年であることしはなぜか実施されていません。引下げを審議する前に、これまでと同じ項目で世論調査を実施するべきではないでしょうか。 また、法務省が平成二十九年九月に実施した民法の成年年齢引下げの施行方法に関する意見募集において、成年年齢引下げの改正法の施行に伴う支障の有無を問うたところ、支障なしはわずか五名、支障ありと回答したのが百七十一名でありました。 そして、支障ありと回答した理由の上位をまとめた表が、私がお配りした資料八の七十八ページに表でまとめてあるんですが、これを見ると、消費者被害について百六十六名、多重債務を心配する声が二十八名、養育費についてが十六名、自立支援について心配する声が十五名となっております。 さらに、全国の弁護士会も、民法の成年年齢引下げについては慎重な態度をとっています。 日本弁護士連合会は、平成二十八年と二十九年に意見書を発出しております。私がお配りした資料八の七十九ページに一覧表で紹介しましたが、全国の弁護士会、弁護士連合会も、引下げに反対若しくは慎重の意見を表明しており、その合計は三十五に上ります。 以上のような状態からすれば、国民は成年年齢の引下げを望んでいないと評価するのが素直ではないでしょうか。 四つ目は、諸外国と足並みをそろえる必要があるかという点です。 一九六〇年から七〇年代以降、それまで二十一歳から二十五歳としていた成年年齢を十八歳に引き下げる国が相次ぎました。その数は、平成二十年度の時点で約七六・九%と言われています。 しかし、単に諸外国の多くが成年年齢を十八歳としているからそれに数字をそろえようという形式的な理由ではなく、かつて諸外国が成年年齢を十八歳としたときの理由が現代の日本にも当てはまるかという実質的な観点からの検討が必要と考えます。 私がお配りした資料の五十四ページの表五は、かつての法制審議会で配られた成年年齢部会第七回の参考資料、諸外国における成年年齢の調査結果をまとめたものです。成年年齢引下げの理由を一概に分析することはなかなか難しいとは言われていますが、あえてこのように分析すると、若年者の成熟を考慮したということを理由とする国が実に多いことがわかります。 それでは、この点について我が国の世論はどう考えているのでしょうか。 内閣府が平成二十五年に実施した世論調査によれば、子供が大人になる条件を問うたところ、自分がしたことを自分で責任がとれる、自分自身で判断する能力がある、精神的に成熟する、社会人として最低限の学力、知識を身につけるという四項目が上位に上げられています。しかし、今の十八歳、十九歳に当てはまることを問うたところ、この上位四項目については、いずれも当てはまるが約二五%以下という低い割合にとどまりました。 このような結果からすると、国民の大半は十八歳、十九歳の若年者を大人として扱う条件を満たしていないと考えていると見ることができます。 立法事実の五つ目は、若年者の自己決定権についてです。 法制審議会の最終報告書は、契約年齢を十八歳に引き下げることは、十八歳に達した者がみずから就労して得た金銭などを法律上もみずからの判断で費消することができることになるという点で、メリットと述べています。これは、未成年者取消権が若年者の自己決定権の制約という要素を持つことを指摘するものと考えられます。 しかし、若年者の自己決定権、言いかえれば、みずから就労して得た金銭等をみずから費消できるという点については、結局のところ、自己決定権の尊重と保護の必要性という二つの考え方のバランスをどのように捉えるかという点に帰着します。そうすると、十八歳、十九歳の若年者が、親の同意なくして単独で契約できるという自己決定権尊重の側面と、未成年者取消権を喪失するという保護喪失の側面の両方を丁寧に比較衡量することが必要となります。 ところが、実は、現行民法は五条と六条に詳細な例外規定を置いており、小遣いや仕送り等については金額の制限なく未成年者が単独で法律行為ができるということにしていることもあり、これまで十八歳、十九歳の若者から不都合があると感じる、不都合があるという声を聞かれたことはないように思います。 このようにして、若者から引下げを求める声が聞かれない状況で自己決定権を強調しても、引下げのための立法事実として十分とは言えないと感じられます。 二つ目に、成年年齢引下げの問題点と施策について、三つの観点から意見を述べます。 一つ目は、消費者被害拡大のおそれです。 民法の成年年齢を引き下げた場合の最大の問題点は、未成年者取消権の喪失にあると考えられます。 現行民法において、十八歳、十九歳の若者を含む未成年者が単独で行った法律行為は、未成年者であることのみを理由として取り消すことができ、これを未成年者取消権といいます。 この未成年者取消権には二つの意味があると考えられています。すなわち、一つ目は、未成年者自身が未成年者取消権を行使することで一旦締結した違法、不当な契約の拘束力から免れるという後戻りのための黄金の橋としての意味です。二つ目は、事業者が、未成年者取消権があるために、当初から未成年者をこのような契約の勧誘対象から外すという鉄壁の防波堤としての意味です。 一つ目は民法の文言どおりの法律効果であるのに対し、二つ目は事実上の効果とでもいうべきものです。これを薬に例えて言えば、前者は治療薬、後者は予防薬で、年齢を立証すれば足りることから、いずれの場面においても抜群の効き目を持っていると言うことができます。 このような効き目を持つ薬が使用できなくなってしまったらどうなるでしょうか。国民生活センター等のデータによれば、二十歳を境界線として消費者被害が増加すると言われています。特に注目されるのは、マルチ商法の相談件数が約十二・三倍、フリーローン、サラ金の相談が約十一・三倍となるというデータです。 このデータによれば、民法の成年年齢を十八歳に引き下げると、高校三年生の学級内でマルチ商法等の消費者被害が蔓延する可能性があると考えられます。しかも、自己資金を持たない高校三年生は、その購入資金を借入金で賄うことが予想され、さらに、これらの問題がいじめ問題とつながる可能性も否定できないのではないでしょうか。これをまとめて、私は、借りて、マルチ、いじめの問題と呼んでいます。 それでは、このような問題点に対する施策はこれまで十分になされてきたのでしょうか。 まず、消費者保護の施策として、今国会で消費者契約法の改正が検討されています。しかしながら、改正法案では、いわゆるつけ込み型の取消権が認められる類型が不安をあおる商法、人間関係を濫用する商法に限定されるなど、保護として十分なものとは言いがたい状況にあります。 そもそも、消費者契約法による保護は、立証の容易性などの点で、後戻りのための黄金の橋としての機能や鉄壁の防波堤としての機能を有していた未成年者取消権に比べて大きく見劣りすることは否めません。 次に、消費者教育の充実が考えられますが、消費者教育の効果はこれまで十分に上がっていると言えるのでしょうか。 私がお配りした資料の八十四ページ以降は、消費者教育支援センター等が平成二十八年に全国の高校生三千百五十三人に実施した消費生活と生活設計に関するアンケート調査報告書です。 この資料の九十六ページには、お金や生活設計、ライフプランの学習体験について質問していますが、学んだことがあるは五三・四%、学んだことがないが四六%となっており、これらの教育が十分に実施されているとは言いがたい状況にあります。また、同じ資料の九十七ページで、実際に学んだことがある項目について質問をしたところ、悪質商法の被害と対処法の高校三年生の回答のみが六一・三%となったのを除けば、その他全ての項目で五〇%に達していません。さらに、同じ資料の九十一ページでは、契約の知識についてクイズ形式で質問したところ、コンビニで菓子を買うことは契約か、契約は口約束でも成立するか、契約に契約書は必要であるかという基本的な質問についての正答率はいずれも五〇%に達していません。 また、このアンケート結果では、資料の九十三ページですが、教諭に対して、成年年齢引下げについてヒアリングを行っています。 これによれば、しかし、法的保護が弱まることによって経済的な損失をこうむることが懸念されるとか、家庭科の授業で、大学生でひとり暮らしを始めることを想定して、それに備えた内容を教えるように心がけているが、実際にはかなり難しいように思う、心配だなどの声が上がっており、現状の消費者教育が成年年齢引下げに十分対応しているとの感想は聞こえてきません。 さらに、平成二十九年一月に出された内閣府の消費者委員会ワーキンググループの報告書、これは本日衆議院の方からお配りされた参考資料六に入っておりますが、これまでの消費者教育について、この報告書では以下のように指摘しています。 例えば、消費者教育は、消費者教育推進に関する法律や平成二十年、二十一年の学習指導要領改訂においても内容の充実が図られているものの、実際に消費者教育に割かれている授業時間は少ない、効果がどの程度あったか明確でない、教育を担当する学校教員にとっても指導への負担が大きく、適切な教材がない、大学によっても、全体的に言えばその取組は十分とは言えない、大学教員養成課程においてもその取扱いは十分とは言えないなどの課題があるということが厳しく指摘されております。 二つ目に、自立に困難を抱える若年者の困窮の増大について説明します。 平成二十八年二月、子供・若者育成支援推進大綱が制定されました。この大綱は、全ての若者が持てる能力を生かし、自立、活躍できる社会の実現を目指すものとされています。 しかし、この大綱が子供、若者を育成支援する政策をとっているということは、裏を返せば、現時点では子供、若者を育成しなければならない状況にあると言うことができます。 一方で若者の育成支援をうたいながら、他方で若者から未成年者取消権や親権による保護を喪失させることは、例えて言えば、アクセルとブレーキを同時に踏むようなもので、大きな政策の枠組みとして矛盾しているようにも思えるところです。 三番目には、養育費の支払い終期の問題があります。 まず、過去に成年に達するまでと合意した場合については、仮に十八歳に引き下げられた後に支払う親が養育費の支払いをとめてしまった場合に、受け取る側の親が調停や裁判、強制執行を起こす負担を負うことになります。そうすると、あと二年だからといって泣き寝入りするケースが出てくるのではないでしょうか。 次に、これから成年年齢が引き下げられてしまった後に養育費を合意する場合についても、支払いたくない方の親は十八歳までだと主張してくる可能性があり、本来は二十歳や二十二歳でもいいはずのものが、調停等の負担から解放されようとして片方の親が妥協してしまうという可能性が懸念されます。 最後に、法制審議会の最終報告書について指摘したいと思います。 最終報告書は、成年年齢を十八歳に引き下げるのが適当であるとしつつも、若年者の自立を促すような施策や消費者被害拡大のおそれの問題点の解決に資する施策が実現されること、これらの施策の効果が十分に発揮されること、それが国民の意識としてあらわれたことという三つのハードルを課していると考えられます。しかも、この三つのハードルは、成年年齢引下げの施行ではなく、決議に対して先に履行するべきものと読むのが素直な解釈と考えられます。 しかし、現時点においては、成年年齢を引き下げるだけの確かな立法事実が見出せないばかりか、問題点に対する施策について、この三つのハードルがクリアされたとは言えない状況にあるのではないでしょうか。 以上より、この議論については、より慎重にあるべきだと考えております。 以上です。ありがとうございました。(拍手)
○平口委員長 ありがとうございました。 次に、伊達参考人にお願いをいたします。
○伊達参考人 私は、横浜市内で児童養護施設二カ所と、それぞれ附置されている児童家庭支援センターを運営している社会福祉法人の理事長をしております伊達と申します。どうぞよろしくお願いします。 本日は、このような機会をお与えいただきまして大変ありがとうございました。 それでは、私の方からは、それまで家庭で、一時的、あるいは、その後、長期に家庭から離れて社会によって取り組まれることになる社会的養護の子供たちのケアの現状と、それから特に十八歳以降の支援の不足という問題について少しお話をさせていただきたいと思います。 この十八歳以降の支援の不足という問題ですが、このことが、とりもなおさず、二十から十八歳への成人年齢の引下げということと強く関連をしてまいります。 それでは、初めに、資料の一によって、我が国でどのくらい社会的養護児童がいるかということについてお話をさせていただきます。 資料一をごらんいただきたいと思います。 社会的養護の子供たちが暮らしている場所は、里親、ファミリーホーム、乳児院、児童養護施設、児童心理治療施設、児童自立支援施設、自立援助ホーム、母子生活支援施設、この八カ所になっております。合わせて約四万五千人、これは、この五年間ぐらいほぼ変化がありませんけれども、少しずつふえているというふうな状況になっています。 さて、これに対して、OECD諸外国というのは我が国より二十年、三十年先を進んでいるというふうに言われておりますけれども、この国々ではどういうふうになっているかというと、数字的に言うと、最低でも我が国の数倍、フランスそれから北欧に至っては、一桁違います、十倍以上います。ですから、子供の人口比にすると、フランスとか北欧は四十五万人というふうな数で考えられるほどの状態にあるということを御理解いただきたいと思います。 最後のところで、資料十でイギリスの例を出しますけれども、イギリスは、我が国より人口が半分ですが、おおよそ子供は六万人ほどおります。 それでは、次の二ページに移っていただきます。 今、八種別の、里親とか施設で生活している子供のことについて述べましたけれども、その子供たちはどんな年齢でそれぞれ生活しているのかということを厚労省の方で五年置きに調査をいたします。ちょうどことし二月一日がその調査日でしたが、まだ集計が出ておりません。ちょっと古いんですけれども、五年前の平成二十五年の二月一日時点での数字を使わせていただきます。 この表のように、例えば里親さんですとゼロ歳が百十一人、乳児院だと八百七十五人、児童養護施設だと二人、それから児童養護施設で一番多いところは十五歳の二千四百七十一人、そういうことで、年齢別の統計がこのように出ております。 次の資料三も、その八種類のうちのファミリーホームそれから自立援助ホームということになります。 この八種類の子供たちのそれぞれの年齢の違いを表にまとめてみますと、資料の四のようなことになります。つまり、それぞれの種別のところにどのくらい年齢別で子供たちがいるか、それを縦の棒グラフで積み上げてみました。 そういうふうな資料をつくってみますと、こういうふうなグラフになります。つまり、ゼロ歳から十五歳までの間は、ほぼ同じ勾配で右肩上がりになっています。つまり、年々ふえているということです。そして、この中には退所する児童も含まれますけれども、入所してくる児童の方が多くて、十五歳までふえ続けるということです。 さて、十五歳です。この棒グラフでは、全部、八種類合わせて三千七百二十五人の子供たちがいます。普通、一般的な家庭で、十五で家庭から離れて外に出るということはまずあり得ません。ところが、社会的養護の子供たちは、十五を過ぎてしまいますと極端に減っていきます。 つまり、幾つか理由がありまして、大きくなって対応困難な児童を社会的養護の現実の里親さん、施設では受け切れなくなっているという問題があります。それから、受けてやっていても、途中でうまくいかなくなって退所になってしまうということもあります。 そういうことが続いておりますので、十五を過ぎると必ずしも社会的養護が万全ではなくて、こういう形で減っていくということを覚えておいていただけたらありがたいと思います。 それから、特に私どもがおります児童養護施設で数を見てみますと、おおよそ十五歳あたりがピークで、それ以後は対応できない数の子供がいて、その子供たちがどこに行っているかというと、児童自立支援施設あるいは児童心理治療施設にいる、それから自立援助ホームにいるという形で、この種別を移動しながら十五歳までは何とかやりくりがつくわけですけれども、十五を過ぎると自立の対応が非常に貧弱になっているという現実がございます。 次のページに移っていただきたいと思いますが、グラフの四からわかることを少しまとめておきたいと思います。 ゼロから十五歳というのは右肩上がりです。これはどういうことを意味するかというと、入ってくる子供たちがおりますけれども、それぞれ幾つで入ったかは別にして、例えば十歳ですと、十歳までに入った子供の数、その年、その年齢で入った子供の数も含めて、その子供たちの数と、それまでにその年齢で退所していった子供の累計数、それが、入所が上回るということです。つまり、年々十五歳までたまっていくということです。 ところが、十五歳からは、今度は全く逆転します。入所してくる子供の累計数よりも退所していく子供の累計数が高くなってくる。 さて、十五を過ぎて退所していく、子供の数が極端に少なくなっていいのかどうか。実は、これは社会的養護がこの年代の子供たちにうまく対応できていないということを意味するんだろうというふうに思います。ここの問題をどういうふうにしてもっと改善していくことができるかということが、子供たちの自立の大変重要な課題になっているのではないかというふうに思います。 その十五歳後の極端な減少は、第一のケアリーバー問題というふうに呼ばれておりますけれども、それを呼び起こします。つまり、継続ができないので外に出してしまって、そして、外の社会の中でうまくいかないまま過ごしてしまったり、あるいはもう一回Uターンをしてきたりというふうな、そういうケアリーバーの第一の問題を起こします。 それから、十五歳を過ぎて家庭引取りという話もありますけれども、残念ながら多くは、普通の家庭でも十五歳を過ぎると生意気盛りですから、親御さんとうまいぐあいに関係を結べません。暴力の問題等々が頻発をしてきます。親子関係が再び不調に陥るということが決して少なくありません。これが第二のケアリーバー問題を生んでいます。 ともかく、一般家庭の子供がおおよそ大卒の二十二歳あたりに家庭から離れて自分で生計を営んでいく、自立を遂げるということを考えるとすれば、この第一のケアリーバー問題、第二のケアリーバー問題は、社会的養護がこの子たちに対して過早な自立を強いているんだというふうに御理解いただきたいというふうに思います。 この自立の問題とかは、私が今言っておりますケアリーバーあるいは自立の問題というのは非常に理解がしがたい問題なものですから、資料六のような図をちょっとつけておきました。 一般に、家庭で子供が誕生すれば、それからずっと、未就学、小学、中学、高校、大学、この一番上の赤い線のような経過をたどって子供は自立をしていくというふうなイメージになると思います。 ところが、社会的養護は、中途から子供たちが生活の場に入ってきます。ゼロ歳であれば、しっかりとした養育環境が確保できているというふうな前提とすると、ほぼ一般の子供と同じような長期にわたるきちんとした養育が可能になるだろうと思います。ところが、十五歳過ぎ、あるいは十二歳過ぎ、あるいは十八になってから社会的養護に入ってきた子供たちは、それ以後、社会的養護の中で、時間をかけてそれまでの欠損を埋め合わせるような、そういうケアができる時間がまずありません。場所がそういうふうに整っておりません。 そうすると、虐待で子供たちを家庭から切り離して保護をすればいいということではなくて、その保護をした子をどう育成して大人として社会に送り出していくのか、ここのところがきちんとサイクルとして整わなければ社会的養護というのは意味がないだろうというふうに考えているわけです。 資料七に移ります。 資料七は、横浜市の、私がいるところですけれども、実際の数です。毎年何歳ぐらいの子が里親施設に入ってくるのか、新規に措置された子供の数を集計してみました。それがこの表です。 確かに、小さいときのゼロ歳児というのが多いわけですけれども、ゼロから三歳までが約四割、それから四歳以降から十一歳までは二割、ほとんどおりません。そして十二歳過ぎたあたりからまた再び子供たちがふえていくということで、ゼロ歳から三歳までのところを第一の山場というふうに考えますと、十二歳以降に第二の山場が来ます。この山場をどうやってうまく自立に結びつけていくかということが我々社会的養護の大きな仕事になっております。 資料八に移りますけれども、児童養護施設というのは自立のための援助をする場所だというふうに児童福祉法第四十一条では規定しています。児童養護施設に入る子供のことが上に書いてありまして、下から四行目ですが、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設とするというふうに書いてあります。 さて、この自立のための援助とは一体何なのか、そのことが非常に大事になります。 資料九番ですけれども、自立のための援助、実はこれこそが、援助から離れていく、リービングケアというこの大事な時期のケアに当たるということです。日本では余りリービングケアという言葉は使われませんけれども、向こうは法律としてリービングケア法というのがあって、ほぼ十六歳から二十二あるいは二十四歳ぐらいまで、どういうふうな援助が必要か、いろいろなことがもう決めてあります。 我が国の場合、この三つの問題が大きく今考えなければならない課題になっているだろうと思います。 まず一点、十八歳までが措置できる年齢ですけれども、措置延長の場合は二十までになります。これを達成した後、実は、一般の子供さんと同じように、最低でも二十二歳の年度末まで引き続き支援をしていく策が必要です。これについては、社会的養護自立援助事業という補助金の事業ができましたけれども、きちんと措置の体系の中でその作業をやっていくべきではないかというふうに考えます。つまり、この社会的養護に係る子供たちは、少なくても二十二まできちんと援助し続けるという体制が必要だろうと思います。 それから二番目、社会的養護は残念ながら親子関係不調整の問題が多いです。そうしますと、保護者に対する面会、通信制限等の対象ということで、二十から引き下げられてしまいますと、十八歳でその制限がとれてしまいます。これは大変大事なところです。どうかこのことをもう一度お考えいただきたいと思います。 最後一枚余してしまいましたけれども、後ほど何か質問いただければお答えしたいと思います。 どうもありがとうございました。(拍手)
○平口委員長 ありがとうございました。 次に、広井参考人にお願いをいたします。
○広井参考人 実践女子大学の広井と申します。 私自身は、親子関係及び親子関係にかかわる法制度についての歴史的な研究を行ってまいりましたので、そうした点から、十八歳成年制度のあり方といいますか、その考え方、かなり理念的なところについてお話しさせていただきたいと思っております。 成人制度というものは歴史の中で大きく変わってきました。大きくは二つに分けられるだろうと思います。 まず、1のところなんですけれども、第一次産業が中心だった時代の成年というのは、身体的な能力というものが成人の大きな基準になっていました。それはやはり労働能力というものと性的な能力が大きな意味を持っていた、そういう時代だったからです。 ところが、第三次産業が中心になるような高度成長期以後の社会になりますと、肉体的な成熟は当然のことなんですけれども、それに加えて精神的な能力というものが非常に重視されるようになりました。特に知的能力それから対人関係能力、サービス産業ですから、そうしたものが非常に重視されるようになりました。 ところが、そうすると、身体的な成熟は非常にわかりやすいんですけれども、精神的な成熟というものは非常にはかりにくい、捉えにくい。しかも、かなり高度なものが要求されるようになってきています。例えば、経済産業省は、社会人基礎力などというものを社会人としての基礎的な能力ということで提唱されていますけれども、その能力を身につけるということ自体が物すごく大変なことだと思います。 今の社会というのは、非常に高度な知的能力、技術、精神的な成熟、それから対人関係能力、そうしたものを若者に求める社会になっているんだということです。そこをまず押さえておく必要があるのではないかというふうに思われます。 次、二ページなんですけれども、それとともに、成人のあり方、捉え方も大きく変化しました。 かつての、およそ十五歳で成人というふうにみなされていた時代というのは、十五歳、しかも数えですので十三とか十四歳なわけですね、それが大人と全く同じように扱われていたなどということは考えられないわけです。 どういう時期だったかというと、大人の始まりとしての時期だったということですね。ですので、大人として扱う、同時に、いろいろな失敗も行う、それも許容する、宥恕する、大目に見る、そうした中で、大人として成人していくことをトレーニングしていく、そういう期間として成人年齢があったということです。 そして、その中で一定の技術、能力を身につけて初めて一人前とみなされる。その一人前の能力というのは、多分、今の時期とそれほど変わらなかっただろうというふうに言われています。すなわち、二十三歳とか二十五歳とか、人を食わせる力があって初めて、男性の場合は大人としてみなされるというふうなことが言われていました。 それに対して、二十歳成年制というのは、成人の時期を非常に先延ばしにしました。同時に、大人になる準備期間として思春期、青年期というものを設けることになりました。 この思春期、青年期というのは、大人になる準備期間ですけれども、大人ではありません、大人として扱わない、そういう期間です。ですので、二十歳成年制というのは、大人としての修業期間、大人として扱う修業期間を失わせて、子供のまま大人になる準備をさせる期間として思春期、青年期が登場したということになるかと思います。 この思春期、青年期のあり方についても、歴史の中で大きく変化してきました。 かつて、思春期、青年期というのは、大人の既存の価値、社会の因習、家の伝統、そうしたものとあらがって、自分の生き方を模索し、自分の人生を決めていく、そういう時期でした。そういう意味では、大人の社会、大人の価値、そうしたものと闘って、家族と、親と闘って、そして初めて成人として自立していく、そういう時期として、思春期のモデル、青年期のモデルが形成されたわけです。それは十九世紀に誕生したというふうに言われています。 ですが、そういう思春期、青年期というのは、実は、かなりのエリートの、中産階級の若者の青年期でした。多くの若者たちは、十五歳とか十六歳でもう親のもとで働くとか社会に出て働いていたわけです。 ところが、教育期間が延長して、親と同居する期間が長くなります。それから、社会も、もはや親から子供が自立するのは当たり前というふうにみなす社会になっていきます。そういう中で、親と子の価値観の断絶というものが非常になくなっていきます。思春期の平穏化と言われるような現象が広く浸透していくようになりました。 そういう思春期の平穏化、それから親との同居期間の延長、これは社会の変化に伴って必然的に生じたものなんですけれども、それに対して世の中の見方は、それによって子供たちの成熟がおくれている社会というふうにみなすようになりました。それが、今、成年期の引下げ、成人年齢の引下げに対する反対意見として非常に広まっているのではないかと思います。 子供たちが未熟化しているという見方が一体いつぐらいから広がってきたかということなんですけれども、私の調べた範囲では、七〇年代ぐらいからだと思います。やはり教育年齢が長くなっていく。それに伴って、かつては、教育を受けることによって大人になるというふうに考えられていたのが、教育を受けることによって子供になるというふうに考えられるような社会になりました。 同時に、七〇年代から、核家族化が批判され、核家族化によって子供が甘やかされて、そして子供のさまざまな問題が生じているというふうに考えられるようになりました。 しかしながら、このことは、幾つかといいますか、かなり誤解があるように思います。 三ページのところにデータを挙げておきました。これは十八歳未満の子供の核家族率です。皆さん、これをごらんになって、ああ、戦後一貫して核家族化が進展しているなというふうに思われますでしょうか。 実は、核家族化というのは、五五年、高度成長期以前の段階でも、既に六割が核家族で子供は成長をしていました。今は八割ぐらいにふえましたけれども、何十年もかけて少しずつ変わってきたものです。ですので、これをもってさまざまな問題が起こっているなどということは私はとても言えないのではないかと思います。 核家族化によって親の養育態度が非常に甘やかしになり、過保護になり、子供の規範意識が育たないというようなことが盛んに言われました。特に二〇〇〇年ごろの少年犯罪の凶悪化論では、非常にそうしたことが強調されました。しかしながら、もしそうだとすれば、現在少年犯罪というのは戦後最少のレベルまで減少しています、ということは、親の養育態度が物すごくよくなったというふうにも考えることができますが、そうした評価は全くなされていません。非常に不思議なことだと思います。 次のページをごらんください。 これは少年による殺人件数ですけれども、殺人件数が最も多かったのが六〇年代までです。今は非常に少ないです。ですが、少年犯罪凶悪化論が言われたときにどういうことが行われたかというと、例えば、七九年、八〇年ぐらいは非常に少ないんですけれども、それと比べて倍になっているなどということが新聞報道でも非常に問題にされました。そうした統計のレトリックで非常に誤解が世の中に広がったのではないかと思います。 それから、親の養育態度も非常に問題だということが言われて、特に甘やかしとか過保護が問題にされるケースが多いんですけれども、そこの警察庁の統計を見る限り、親の養育態度に特に問題はない、該当なしというのが大多数を占めています。甘やかしではなくて、挙げるとすれば、放任、これが一番問題だということになるかと思います。溺愛も少しはありますけれども、主要な問題ではありません。 それから、下の、法務省の白書からとったデータですけれども、こちらでいえば、親が厳し過ぎることの方がむしろ子供の非行に結びつくというデータになっています。 五ページのところですけれども、一般青少年においても非行少年においても、家庭生活への満足度は非常に上がっております。 すなわち、何が言いたいかといいますと、今の、家庭がだめになった、親子関係がだめになった、親が子供を甘やかしている、だから子供がだめになっている、だから成人年齢を引き下げるのに反対だという議論というのは、かなりの程度、見直しが必要なんじゃないかというふうに思っています。 というのは、だめだから支援するという発想と、それから、今の社会は大人になるのが非常に大変で、大人になるために社会が物すごく高度な要求を若者にする社会だと思うからこそ支援する、そういう支援とでは全く違う支援になるだろうと思います。支援の発想も内容もあり方も全く違うのではないかと思うんですね。 という意味で、若者が成熟しているからどうこうという議論と成人年齢の引下げというものは、結びつけて考えるべきではないだろうというふうに思います。 それから同時に、成年年齢というのは、そういう若者の成熟度の問題ではまず第一義的にはないだろうというふうに考えています。 先ほど少し話題になりましたけれども、法制審議会も、若者が将来の国づくりの中心であるという国としての強い決意を示すものとして成人年齢があるというふうに書かれていました。私としては、国会議員の皆さんにそれをまず考えていただきたいと思います。この国をどのような国にするのか、どのような社会にするのか、若者をどのように位置づけるのか、成人年齢というのはそういう問題だと思います。 ですので、若者の意見を引き出し、反映させ、力を引き出し、そして若者が活躍できる社会をつくるにはどうしたらいいのかということを皆さんでぜひ知恵を出し合って考えていただきたいというふうに思っています。それに当たっては、ぜひ、成人のあり方そのものについても見直していただきたいと思っています。 先ほど言いましたように、今の制度は、子供として長く扱い、二十歳になった途端にたちまち大人としてみなして、まだ成熟していないじゃないかというふうに非難をする、そういう社会になっているかと思います。そうではなくて、十八歳という年齢を大人の始まりとして位置づけて、大切な若者、少なくなった若者を社会の一員として大事に育てていく、そういう保護と、それから責任と権利の主体として若者を位置づけていく、そういうような社会のあり方をぜひ考えていただきたい、そういう社会にしていっていただきたいというふうに思っています。 同時に、このことは、これまで親権のもとに置かれていたから基本的に親の責任だということではなくて、十八歳で成年になるということは、十八歳以上の若者を育てるということが社会の責任になっていくわけです。社会の責任として若者を育てていく社会、そうしたものをぜひ目指していただきたいということが私の主張であり、皆さんへのお願いです。 以上です。(拍手)
○平口委員長 ありがとうございました。 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。 —————————————
○平口委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。 質疑の申出がありますので、順次これを許します。古川康君。
○古川(康)委員 自民党の古川康でございます。 歴史的な民法改正の議論に際しての参考人質疑の機会を与えていただきましたことに心から感謝を申し上げつつ、早速質疑に入ります。 まず、山下参考人にお尋ねをいたします。 山下参考人の陳述の中で、この問題というのはすなわち自己決定権の尊重という問題に帰着するのだという御指摘をいただきました。極めて肯綮に当たるものだと拝聴をいたした次第でございます。人は、好きな生き方で、自分で判断できる、その例外としての未成年者という存在、この自分の判断で自由にできる最低年齢を何歳にすべきか、そういう観点から見たときに、本当に今のままでよいのかということについて改めて感じた次第でございました。 私も、成年年齢を十八歳に引き下げるということについては必要性があると考えております。しかしながら、一方で、さまざまな世論調査などでは反対が多いというのも事実であります。私どもローメーカーの立場として考えたときに、世論調査では反対が多い、そういう中で、この問題についてどのように考えていったらよいのか、そのことについてまず御意見を聞かせていただければと思います。
○山下参考人 御質問ありがとうございます。 世論調査の結果として、成年年齢の引下げに反対であるという意見が非常に多いということは承知いたしております。ただ、この問題、幾つかのポイントがありますが、二点、ここでは挙げておきたいと思います。 一点目は、世論調査の仕方の問題としまして、十八歳に成年年齢を引き下げることで消費者被害が拡大する、取引の責任を負わされるということを強調し過ぎて世論調査をしてしまいますと、これは、今まで無条件で保護をされていた未成年者が責任を負わされるんだ、それで賛成をする方というのはなかなか少ないのではないかと思います。 しかし、私が申し上げたかったのは、そこに恐らく民法改正の根本はなくて、自己決定権を若者にも認めていこうというところにあるという点があるわけでして、この点についての世論調査の仕方というのが果たして適切なものかということが非常に気になっております。 もう一点は、やはり、今までの御意見からも出てきましたけれども、教育等によってこれから国民の理解を得ていくということは非常に重要なことではないかとは考えておりまして、十八歳に引き下げることの本当の意味、民法上の意味というものについて、国民の理解を今後も得ていく努力というのが必要だろうと考えております。 以上です。
○古川(康)委員 山下参考人、ありがとうございます。 私自身のことで恐縮でありますけれども、十八歳になって、東京の大学に進学することになったとき、初めてキャッシュカードをつくり、判こをつくり、そして親元を離れるときに、親からは、もうこれからは生活に関することは自分でやらなければいけない、そのことを言い渡されて東京に向かったことを覚えております。 佐賀県の県民のことを考えても、多くの人の場合、十八歳から十九歳になるタイミングで新しく仕事につく、あるいは上級学校に進学をしていく、その際には県外の学校に行くという人もたくさんいらっしゃいます。人生の大きな転換期のときに、まさに社会としても大人として扱うのだ、こうしたことにする方が、私は、環境の変化と自分が主体とならなければいけないということの変化というものが合っていくのではないかと思っているところでございます。 その一方で、やはり議論として見たときに、保護か自立かといった二項対立的になっているということを私は非常に懸念しておりまして、各参考人の先生方からもお話があったように、これは決して二項対立ではないのではないか。 私はずっと、知事を十一年間やっておりましたけれども、今、若い人たちを見ておりまして、一つは、未熟であるという指摘は当たらないのではないかと思っています。むしろ、生活の厳しい若い人たちは自立を強いられています。何とか自分で生活していかなければいけないということで、その意味では、以前のような工業化モデルの社会のときに比べると、自立を強いられているということではなかろうかと思っています。 そういう状態に対して果たして社会的にきちんとしたケアができているのかどうかということこそ我々は考えるべきであって、それが今は十分ではないからという理由で十八歳にしてはならないということは、違うのではないかというふうに思っております。 そこで、もう一度、山下参考人にお尋ねをしたいと思うのでありますが、この保護か自立かということではなく、私は一律か個別かということだというふうに考えているんですけれども、その点についていかがでしょうか。
○山下参考人 全くおっしゃるとおりだと思います。 私が問題にしたいのは、やはり若者に対する消費者保護というのは絶対に必要だというふうに思っておりまして、未経験につけ込むような取引被害というものを防止する施策というものはこれからも充実が必要だと思っていますが、その保護の一方で、保護の必要のない若者の自由まで奪っているという点が問題なわけでございまして、今まさにおっしゃいましたように、一律か個別かということがここでの問題の焦点ではないかというふうに考えている次第です。
○古川(康)委員 山下参考人に対するお尋ねとしては最後になりますが、国民生活センターというところでPIO—NETというものがあって、そこでさまざまな調査をしております。それを見たときに、消費者相談件数を見た場合、例えば、二十代よりも三十代の方がむしろ相談件数が多いといった指摘があります。一方で、今回、二十から十八歳に変わると、高校三年生の段階においてさまざまなマルチ商法などの被害が出てくるのではないかというような懸念も示されているところでございます。 これについていかがお考えか、お示しください。
○山下参考人 消費者被害のターゲットになりやすい年齢というのは、さまざまな要因があるわけでございまして、社会経験の不足につけ込むタイプと、あと、やはり財産をたくさん持っているからといったことで狙われる場合とか、その人々のネットワークとか、そういった問題がさまざまありますので、何歳でという問題というのは個別に考えていく必要はあると思うんですが、マルチ商法等について十八歳が被害に遭う可能性があるということである、そこは非常に問題であるというのであれば、それはマルチ商法についての特定商取引法の連鎖販売取引の部分についての施策をより充実させていくというのが筋ではないかと考えております。 以上でございます。
○古川(康)委員 ありがとうございました。 続きまして、ちょっと時間の関係もございますので、広井参考人と宮本参考人、それぞれ、大学で若い人たちと接していらっしゃるというところのお立場から教えていただければと思います。 私は、佐賀県知事時代、若者サポートステーションと随分かかわっておりました。佐賀県の若者サポートステーションは、アウトリーチ対応を熱心に行っておりまして、一万軒を超えるような若者の家庭に出かけていって、さまざまな声を聞かせていただいています。 その代表理事の方と、今回の十八歳成人についていろいろな議論を重ねました。その中で、基本的には賛成をしておられます、賛成しながらも、こう言っておられました。自立に困難を抱える若者、特に貧困や虐待などの家庭環境に問題を抱える当事者の自立、こうしたものをどう考えていけばよいのか、また、自立に必要なトライ・アンド・エラー、失敗する自由や再チャレンジの機会が損なわれる可能性があるのではないか、こうしたことについてもしっかりと社会としてのシステムをつくっていかなくちゃいけない、対策を講じなければいけないのではないか、こうしたことの必要性を訴えられました。 そこで、両参考人にお伺いしたいと思います。 このような若者政策として必要だとお考えになる具体的なシステムとか場所とか、どういったことを我が国としてこれから準備しなければいけないのか、このことについて教えていただければと思います。
○宮本参考人 御質問ありがとうございます。 どういう施策が必要なのかということですが、例えば自立に関しては、本人に自立せよという、この極めてシンプルな要請というのは間違いでありまして、先ほどから申し上げているとおり、未成年と成年というのはグラデーションなんですね、順番に行く。その自立するための支援というものがあってこその自立であるわけでございまして、しかも、若者層といっても、全部一緒くたに同じではない。特にこの十年から十五年にかけて若者の問題が明確に認識されるようになってから、若者に対する支援というものが、今の、元知事の県でも極めて熱心になさっていることを私も知っているんですけれども、自立のためには支援が必要。 それから、もう一つ必要なのは、一方的に大人が若者に支援をするのではなく、そこに若者自身を参画させる。この部分がこの十年から十五年の日本の支援に関しては足りなかったと思っております。支援の現場では、一方的に、支援する側と支援される側の一対一関係になってしまって、これでは真に若者は育たない。だから、いかにしてこれからそういう当事者を巻き込んで環境整備をしていくのかということが重要だというようなことが意見として出てきている、そんな状態にあると思います。 もう一点、これは、十年以上前からヨーロッパのいろいろな国を回りながら、若者の問題でどういう問題を抱えているか、それをどのようにして解決しているのかということに関心を持って見てきたんですけれども、全ての国が成年年齢は十八歳、投票権はもっと下げようというような、そういう傾向にありましたけれども、ある日気づいたのは、街角に若者センターがあちこちにあるようになりました。 若者センターが何をやっているかというと、もろもろですね、その年齢の、思春期から、二十五歳から三十歳くらいまでの人たちに必要な情報を全部そこに集める、そしてそこには相談員がいて、どんな相談でもそこでまずは対応できる。ですから、先ほどから問題になっている消費者被害に関しても、まずはそこへ駆け込めばいい。それから、そこへ行けばエイズ検査もその日のうちにやってくれる。 つまり、若者が大人になるために必要なもろもろの資源をそこに集め、そこでだめであればどこかと対応する形でやる。つまり、それは何かというと、大人になった人たちといっても全くのフルの大人とは違うということを前提にしての仕組みづくりだと思いますけれども、そのセンターをつくるに当たっても、若者たちの声を積極的に集めながら、運営に関してもそれをやっていたというところが非常に重要なポイントではないかというふうに思っております。 ありがとうございました。
○広井参考人 私は、ちょっと違う視点からお話しさせていただきたいと思います。 今の社会は、自立がなかなかできない、おくれている社会というふうに言われますけれども、それは、社会に出ていけない、そういう仕組みがあるからだろうと思います。 具体的に申しますと、やはり教育費が高過ぎるということですね。これだけ高い授業料を払っている、しかも私立学校が多いというのは、OECDでも日本ぐらいなものだと思います。そうである以上、教育費を親に依存せざるを得ない、そういう社会になっているということですね。同居も必然的にせざるを得ない。私の学生も、私の大学は渋谷にあるんですけれども、静岡からですとか茨城ですとか群馬からわざわざ電車で通ってきます。そうやって生活費を抑えているということですね。 子供が十八歳になれば自立できる、それをサポートするためには、私はやはり、教育費の補填といいますか援助といいますか、社会が責任を負う、そういう社会になっていく必要があるだろうというふうに思っています。 以上です。
○古川(康)委員 ありがとうございました。 時間となりました。 十八歳にしていくということで問題は終わりではなく、まさに、大人の始まりとして、私たちの国や社会がどのように総合的に、ワンストップであらゆる問題を解決できる場所を提供できるのか、そうしたことが課題だということを感じたということを申し上げて、御礼にかえさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。
○平口委員長 次に、國重徹君。
○國重委員 おはようございます。公明党の國重徹でございます。 本日は、五名の参考人の皆様に当委員会までお越しいただきまして、貴重な御意見を賜りましたこと、まずもって心より感謝と御礼を申し上げます。 まず、中村参考人にお伺いしたいと思います。 中村参考人の論文、また日弁連の意見書、私、取り寄せたものに関しては全て読ませていただきました。非常に示唆に富むものでありまして、党内の議論、また当委員会でのこういった審議等にも活用させていただいております。 論文等に関しては、もう既に読ませていただいておりますので、ちょっときょうは違った角度から質問をさせていただきたいと思います。 先ほど、山下参考人、また宮本参考人、広井参考人等は、大人になるというのは、これは段階的かつ個人差のあるものであってということで、急に一定の年齢になったからといって大人が完成するわけではないというふうな御意見をおっしゃられました。 この成年年齢の下限、成年年齢の開始年齢というのを、今回、二十歳から十八歳に引き下げるという法案について今審議をしております。では、参考人の御意見として、成年年齢を開始するにはどの程度の成熟度が必要とお考えなのか、お伺いいたします。
○中村参考人 中村でございます。 大変難しい御質問をいただきまして、今ここから歩いてくる間で答えを見出すのはなかなか難しいと思ったところではありますが、御質問の前提のお話から、そして現状に鑑みて私の御意見を申し上げたいと思います。 まず、きょう、いろいろな参考人の先生からお話をいただきまして、若者の自立のあり方、社会参画のあり方という中でこの成年年齢の問題を位置づける必要があるのではないかという部分があったかと思います。 ただ、私がちょっと思いましたのは、若者が社会参画をする、社会について意見を述べていくということと、この民法の成年年齢の問題は必ずしもイコールなんだろうか。 つまり、この問題は、社会に参加するという側面もありますが、要するに一人で取引をするということなんですね。国民の世論がついてきていないのもその点にあるように思っていまして、今の若い人たちが必ずしも、親の相談なく買物をしたいと思っているだろうか、取引をしたいと思っているだろうかという点を正面から問うと、そういった点で、国民、特に若い人が求めていないのではないか。 それとは別に、先生方からお話があったような社会参画のあり方について議論をして深めていって、グラデーションの過程を高めていくということは非常に必要だと思います。 それで、民法の成年年齢についての御質問ですが、御承知のとおり、民法の成年年齢については、グラデーションで決めることが性質上できないとされています。それは、取引の安全というものがありますので、相手方が人によって判断をたがいにするというわけにはいかないものですから、どこかの年齢で区切らなければいけない。そういった意味で、日本では、歴史的な経緯も踏まえて、二十ということで定着をしております。 そこで、先生の大変難しい御質問ですけれども、私は、やはり二十、若しくは、現状ではそれより高い年齢でも構わないのではないか、二十二とか二十三でも構わないのではないかと思っております。 その理由は、一つは、現状まで百二十年の間、若い人、社会から、取引ができる年齢を二十とすることによっての不都合がそれほど聞こえてきていないのではないかという点。 それと、日本の現状において、高校進学率が非常に高いわけですから、十八歳になって、人によっては十九歳の手前ですね、そこで初めて高校を卒業して、社会にデビューしていくわけです。大学であったり、専門学校であったり、社会人であったり、さまざまな形ではありますが、地方から東京に出てくる、学校から社会に出ていく、親のもとを巣立つ、いろいろな形で社会に出ていく。その前に大人にしていく、前に一人で取引、契約ができるというふうにするよりも、社会に出た後で、親と相談しながら、二年間、準備期間があるわけです。 きょう先生方からも、社会に参画していくためには準備期間があってもいいというお話がありましたが、実は、一人で買物ができるかどうかという点に関しては、今まで日本は、二年間の準備期間を図らずとも置いていたのではないかというふうに考えます。 さらに、大学進学率が上がって、お金を使うということは自分で稼ぐということが前提になっていると思われますので、そうだとすると、働き始める年齢はいつなんだろうか、大学進学率などのことを考えると、二十若しくは二十二や二十三というものも説得力があるのではないか、そういったものを私としては念頭に置いております。
○國重委員 ありがとうございました。突然で、難しいと言われる質問にお答えいただいてありがとうございます。 じゃ、さらに、中村参考人にお伺いいたします。 これまで、婚姻開始年齢というのは十八歳でした。今回、女性の婚姻開始年齢を十八歳に引き上げる、婚姻開始年齢は男女ともに十八歳ということにしております。 この婚姻開始年齢を十八歳とすることを適当と考えるか、また、婚姻開始年齢に関しての成熟度についてどのようにお考えなのか。きょう、限られた十五分という中で、難しい質問かもしれませんけれども、できるだけ簡潔にお答えいただければと思います。
○中村参考人 また大変難しい質問をありがとうございます。 婚姻年齢の問題もあわせて議論されていることは承知しております。 まず、私は、民法の行為能力、親権の問題の成年年齢の問題と婚姻年齢の問題はやはり趣旨が違うものですから、分けて議論するべきだと思っております。買物ができるということと結婚ができるということとはまた違ったものですから、分けて議論するべきと。 その上で、先生から御質問があった婚姻年齢を十八歳でそろえるという点については、これは、男女の平等を図るという点であるということと、十六歳から十八歳に上げる、むしろ、十六歳と十八歳に差を設けるということにやはり問題があるという指摘があるものですから、私としては、それをそろえるということには賛成をしているところであります。 ですので、民法の成年年齢の問題と婚姻年齢の問題は、できれば切り離して議論をするべきではないかなというふうに思っています。 婚姻年齢と買物ができる契約年齢との間にそうすると差が生まれるのではないかという点もあるかと思いますが、この点については、もともと、買物をするということと結婚するということで持っている意味が違いますので、異なることについては私としてはあり得る考え方だと思っています。
○國重委員 続きまして、宮本参考人にお伺いします。 婚姻開始年齢と成年年齢、今の現行法ではこれは違う年齢になっております。今、成年年齢は二十、婚姻開始年齢は、男性は十八歳、女性は十六歳ということで、これは分かれております。 今回、これが結果的にせよ一緒になるということでありますけれども、これについてどう思うのか、また、婚姻開始年齢の成熟度と成年年齢に関する成熟度、この関係についてどのようにお考えか、捉えているのか、お伺いいたします。
○宮本参考人 ありがとうございます。 結論から言うと、やはり、結婚年齢を十八歳とするのであれば、成年年齢を十八歳にして一致させる方がすっきりする。なぜかというと、結婚をして、みずから経済的な自立、それから社会的な自立、その他、結婚生活を機に高まっていくというのは、これは長い歴史上そうで、大人になるというのは結婚して家庭を持つという世間の常識があったくらいのことでありまして、結婚は十八歳だけれども、民法上は消費者としてはフルの権利を持たないというような、そういうかなり矛盾があるであろうというふうに思います。 それから、結婚して家庭を持ち子供を産むというようなこととなったときに、おのずとそこにより一層の成熟度というものがあるわけでありまして、何も二十歳まで待つ必要はないだろうというようなことでございます。
○國重委員 続きまして、山下参考人にお伺いいたします。 山下参考人の論文も読ませていただきまして、これまでとは、私が読んださまざまな論文とはちょっと違った切り口の、いわゆるステレオタイプではない、やわらかい視点で書かれてあるように感じまして、関心を持って興味深く読ませていただきました。 その中に、若年者が未熟であることと若年者の自立のおくれというのは似て非なるものなんだというようなくだりがございました。これについて具体的にどのように捉えているのか、お伺いいたします。
○山下参考人 済みません、もう一度。
○國重委員 じゃ、もう一度、質問させていただきます。 法制審の最終報告書の箇所を、若年者は未熟であるということと若年者の自立のおくれというのは、これは似て非なるものなんだというふうに書いてありました。これは具体的にどういうことなのか、どのようにお考えなのか、お伺いいたします。
○山下参考人 申しわけありません、少し前に書いた論文ですので。 まさに、ここの部分の趣旨というのは、未熟であるということと、今までお話があったように、若者が自立していくというものが段階的であるということとの関係を書きたいと思っていたわけでございまして、未熟であるから自立について一律に否定してしまうということについての違和感というものを書きたかったということでございます。
○國重委員 では、続きまして、伊達参考人にお伺いいたします。 今回、成年年齢を十八歳に引き下げた場合、社会的養護に関してさまざま懸念されることがあるかもしれません。その中で、とりわけ参考人が懸念されていると感じることがあればそれは何なのか、お伺いしたいと思います。
○伊達参考人 御存じのように、子どもの権利条約その他で、子供自身が主体者としていろいろなものを決めていくという趣旨、そのことは大変いいことだろうというふうに考えておりますが、もう一方で、社会が育てるというときのその社会の責任が二十から十八になってしまうと、その二年間、むしろ薄まってしまうのではないか、早く責任が解除されてしまうのではないかというところを大変私の方は懸念をしております。
○國重委員 我々としても、今回の成年年齢の引下げを機に社会的養護が必要な若者たち、若年者に対してこれまで以上の社会的な支援、保護が引き下がることがないように、これはしっかりと私も責任を持って取り組んでまいりたいというふうに思います。 私も、我が党の社会的養護のプロジェクトチームの座長として、さまざまな現場も今まで行かせていただきました。ファミリーホームに行った際に、そこで育った若者で当時大学生だった青年、若者がこういう苦労話をされていたんですけれども、施設は出ないといけないけれども、家は出ないといけないけれども、社会的には、二十から、二十歳からが成人のため、携帯の契約、不動産、賃貸借契約、クレジットカード契約など、全て一人ではできないので不便だというようなことを言っていました。 これに関して、現場にかかわってきた参考人として、現場の実態がどうなのか、どのように受けとめておられるのか、お伺いしたいと思います。
○伊達参考人 まず一つは、十八歳まで、携帯が持てるような、施設の経済的な問題もあって施設によっては本人に持たせない施設、それから、持たせながら何とかその支払いの部分をカバーできるように一緒に考えるという幅広いやり方になっておりますが、経験的に言えば、生活保護と同じように、多くの同年齢の子供たちがやっていることは全て、やはり施設あるいはファミリーホームにいる子供たちも当然できるような条件を整えてやるということが必要だろうというふうに考えております。
○國重委員 時間が参りました。 きょう、広井参考人にも本当は質問しようと思って最後に準備しておりましたけれども、ちょっと私の要領が悪くて時間不足で済みません。ただ、論文は、私が手に入れたものは全て読ませていただきまして、今後の審議にしっかり生かしてまいりたいと思いますので、御容赦いただければと思います。 きょうは、五名の参考人の皆様に貴重な御意見を賜りましたこと、改めて感謝と御礼を申し上げまして、今後の審議にしっかりと生かしていくことの決意を申し上げて、私の質問を終わりたいと思います。 ありがとうございました。
○平口委員長 次に、山尾志桜里君。
○山尾委員 立憲民主党の山尾志桜里です。 それぞれの参考人の皆さん、きょうは本当にありがとうございます。 私、今回の議論に当たって、三点のことを気にしております。それに沿って御質問したいと思います。 一点目が、今回のこの動きが、いわゆる一人親家庭や親のもとで暮らすことができない子供たちにとって決して不利益になってはならないということ、二点目が、若者、若年消費者の保護の問題、三点目が、少年法と安易な連動があってはならないということでございます。 一点目についてお伺いをいたします。 中村参考人、養育費の問題なんですけれども、この委員会でも、既に成年に達するまでというような合意がなされている、そして、十八歳で一方的に打ち切られた場合に、実際、調停、裁判になっていくだろうという懸念が随分出ております。それに対して法務省は、当事者の合理的な意思を解釈するならば、現時点で成年ということであれば二十を意味するものと解するのであろう、こういう答弁はいただいているのですけれども、実際は、十八になって打ち切られ、費用をもって調停あるいは裁判、実際にどれぐらいの時間がかかり、どれぐらいの経済的負担を強いられるようなことになるのか、少し実務の観点からお伺いしたいと思います。
○中村参考人 中村でございます。御質問ありがとうございます。 養育費の観点に関する御質問ですが、既に成年というふうに合意されているときに、後で支払われなかったときにどうなるかという問題ですが、確かに、原則でいえば、当事者の合理的意思解釈で二十というふうに読めばいいということになると思いますが、しかし、そうすると、引下げが決まった後、施行までの間の合意はどうなるのかという問題については、ちょっとクエスチョンということになります。 それと、結局のところ二十というふうになるのではないかというふうに思われてはいますが、これは、国会の先日の答弁でも、裁判所には、裁判官にも自由がありますので、異なる考え方をとる場合もありますので、必ずしも二十という判断が下るとは考えられない場合もあると思います。 それと、二十と結局なったとしても、手続上の負担がやはりありまして、養育費について、成年と決めたにもかかわらず、十八歳だから打ち切るというような場合には、かなりの抵抗があると予想されますので、もし調停とか強制執行の裁判などの手続をやったとしても、簡単には終わらずに、やはり一年程度かかってしまうこともあり得るのではないか。つまり、裁判とか調停は一月に一回しかありませんので、そういった可能性は十分あると思います。
○山尾委員 ありがとうございます。 私もその裁判所の認識というのを懸念していまして、今の養育費の請求の裁判書のひな形には、未成熟子ではなくて「未成年者」と書かれているので、これを質疑をしましたら、検討するというような話はございました。 実際、実務をやられておって、裁判所あるいは社会全体ですね、当事者も含めて、なかなかこの養育の対象が、成年、未成年ではなくて、実際に自活できるのかどうか、成熟しているかどうかなんだという認識がほとんど共通認識になっていないというふうに思うんですけれども、実務の立場からはいかがでしょうか、現状。
○中村参考人 未成熟子という考え方については、古くから専門家、法律家の間では言われていることでありまして、それをもとに進めるべきだということで物の本などには書いてございますが、必ずしも、例えば調停であれば調停委員の先生の方やいろいろな方がかかわりますし、そもそも当事者であるお父さん、お母さんがそのことを常識として知っているわけではありませんので、成年というふうに決めることが、ひな形にもなっているとおり、むしろそちらの方が強く出てくることがありまして、裁判所からも成年でいいのかどうかというところがまず一つの基準として出てきてしまう、未成熟というものがまず第一に出てくることはないという現状にあると思います。 それともう一点は、この問題は十八、十九の二年間の問題ということになりますので、十年とか十五年の問題ではなくて二年間の養育費ということになってしまうと、もう二年間のことだから諦めてしまおうかという泣き寝入りも予想されると思われます。
○山尾委員 ありがとうございました。 それでは、伊達参考人にお伺いをいたします。 現状、実際に児童福祉法では十八歳まで、しかし、二十までは措置延長が認められ、二十二歳、場合によっては大学卒業まではごく限られた条件のもとで自立援助が認められる、こういう状況になっております。 そういう中で、私自身は、前回、この委員会で担当の厚労省の方に質問したところ、措置延長の時期が二十までになっているということには成年が二十ということは関係している、こういう答弁がありまして、やはりこの引下げが措置延長の時期に影響するのではないかという懸念を持っております。 そしてもう一つ、この成年年齢の動きが、本当は、今皆さんの御努力で二十二歳までの自立援助の対象を広げようとか、あるいは、むしろ措置延長自体を二十二歳にしてもいいのではないか、こういう動きを一生懸命されている中で、ブレーキになる懸念もございます。 そういったことについて現場でどうお考えになっていらっしゃるか、自立可能な時期まで支えてあげたいのに支えられていない現状の原因をどういうところに見ておられるか、教えてください。
○伊達参考人 ありがとうございました。 全く今の御質問どおり考えておりまして、二十二歳までの措置年齢でなければ大学中途で経済的な負担が大きくのしかかってくるという問題がありますし、もう一方、基本的に今の社会的養護に対する子供たちの認識はどういうふうなところにあるかというと、ここに入っているから大学に行けないんだというふうなそういう認識を子供に持たせてしまっているという事実はあります。それは非常によくないことだというふうに思いますので、措置延長は二十二歳、大学が終了する三月までということでやるべきだろうというふうに考えます。
○山尾委員 ありがとうございました。 それでは、もう一度中村参考人に、消費者保護の観点をお伺いしたいんですけれども、以前、私、中村参考人のお話を伺って、経済効果をクローズアップする向きもあるが、むしろ、いわゆる適正なマーケットよりも負のマーケットの問題に若者が引き込まれる可能性、リスクが極めて高くなるのではないか、こういうお話もございました。 それにあわせて、今、閣法では消費者契約法というのが出ておりますが、その消費者契約法で保護として十分であるのかどうか、不十分だとしたらどの点が不十分なのかということを御指摘ください。
○中村参考人 消費者保護に関して御質問いただきました。 現在、消費者契約法の改正の議論が進んでおりますが、その改正法案で民法の成年年齢引下げについて十分な対応と言えるかという点に関しましては、私は不十分だと考えております。 なぜならば、一つは、今回の改正がいわゆる就職の不安をあおる商法とかデート商法というふうに非常に限定されたものになっていて、実は、国民生活センターなどのデータによると、これら二つに関する相談件数はそれほどふえていないのではないか、それほど多くないのではないかという指摘もあるところです。 そうすると、いわゆるつけ込み型については、若しくは判断能力が劣る者に関する取引については広く取消権を認めるべきなのですが、そのようになっていないという点で、その点については議論をより深めて、要件をより使いやすいものに、かつ広いものにする必要があると思います。 それともう一つは、そもそも民法の成年年齢が二十であるということは、年齢を立証するだけですぐに取消しの効果が認められるという後戻りの黄金の橋であるとともに、業者が寄ってこないという鉄壁の防波堤という効果がありますので、それに比べるとやはり大きく見劣りするのではないかというのが私の見解です。
○山尾委員 ありがとうございます。 私自身も、消費者契約法の改正案、これではやはり若者、消費者保護に当たって不十分なんだろうということで、立憲民主党でも今、そちらはそちらとして修正をしっかりと求めているところでございます。 次に、少年法の関係について、あるいはこの成年というものの考え方について、広井参考人にお伺いをしたいと思います。 私自身は、広井参考人の論文を本当にたまたま見つけることができまして、「成年年齢と若者の「精神的成熟」」という論文の中で、広井参考人が、十八歳を大人としての完成の時期ではなく、大人としての経験を積む大人の始まりの時期として位置づけることにより、若者の未熟さを肯定し、その保護を正当に位置づける必要があるものと思われるというところで、すごく目からうろこというか、すごく皆さんに御紹介をしたい考え方だなというふうに思っておりました。 この考え方をベースとしながら、少年法との関係をもう少し伺いたいと思いますが、率直に言って、この少年法の対象年齢、これを変更すべきだと考えていらっしゃるか、するべきでないと考えていらっしゃるか、その理由も含めて教えてください。
○広井参考人 私自身は、今の少年法というのは非常にうまく機能しているのではないかというふうに考えております。 というのは、先ほどデータを見ていただきましたけれども、これほど少年犯罪が減少しているということ。それから、世界的に見ても日本の少年犯罪率というのは非常に低いです。これほどうまくいっている少年法の機能を下げる必要はないのではないかというふうに考えております。 それから、先ほど、保護と権利、それはバーター取引を行うようなものではないというお話がありましたけれども、そのように思っております。 保護をすることによって若者を育てるという機能は十分あることです。それはやはり大事にすべきだと思います。同時に、保護することによって権利を制限するとなれば、若者の自立は失われていきます。保護をしつつ権利を与え自立を促していく、自立を認めていく、そのような仕組みをつくっていくべきだろうというふうに思っておりますので、少なくとも今のところは、今の機能は非常にうまくいっているんだろうというふうに思います。 それから、かつては、少年法に対して、六〇年代、七〇年代、改正論がすごく多かったときに何が議論になってきたかというと、若者が未熟であるということをどのように考えるかということで、最高裁だとか法務省とかで非常に大きな議論になりました。そのときは、非常に重要だと思っているのは、六〇年代、七〇年代の議論では、若者の未熟さというのは肯定すべきことだというふうに捉えられていたんですね。その未熟さをいかに守り、育て、大人にしていくかということが考えられていた。 それが、今、引き下げて罰すればいいというような論調になるというのは、非常に若者を育てるという意味で問題があるのではないかというふうに考えています。
○山尾委員 ありがとうございました。 山下参考人にお伺いいたします。 山下参考人は、最初の陳述のときに、失敗するリスクを負ってでも自分の生き方は自分で決めるとおっしゃったので、ちょっと私は不安になったりもしたんですが、一方で、議論を重ねる中で、未熟かどうかと自立を認めるかどうかは、これは表裏ではなく、やはりグラデーションがあるんだ、こういうお話もございました。 山下参考人のお立場から、この少年法の対象範囲の引下げについてはどのようなお考えなんでしょう。
○山下参考人 少年法と民法の年齢の引下げというのは、全く問題の性質が異なるものだというのが私の意見でございます。 少年法は、やはり、社会からドロップアウトしてしまった若者をどうやって社会が受け入れるか、その問題を議論するべき問題であるのに対して、民法の成年年齢というのは、むしろ、自立をしたいと思っているような独立心あふれる若者にどこまで自由を認めるかという問題だと理解しておりますので、別に議論をするべきだと考えております。
○山尾委員 最後に、宮本参考人にもお伺いをしたいのですが、この少年法との関係をどのようにお考えでしょうか。
○宮本参考人 少年法に関しては、先ほど広井委員が言われたとおりですけれども、日本の少年法の教育的な効果という点では、国際的に見ても極めて効果的に作用しているというふうに思います。 十八歳に下げて大人と同じような罰則を与えることと、現在のような教育的な力を使って若者たちの自立更生を促すか、どちらの方が効果が上がっているかということからすると、日本の少年法というのは極めてすぐれたものだというふうに思っております。 そういう意味では、十八歳ではなく現在と同じでよろしいのではないかというふうに思います。
○山尾委員 ありがとうございました。 しっかりと参考にして議論を深めていきたいと思います。感謝いたします。
○平口委員長 次に、柚木道義君。
○柚木委員 国民民主党の柚木でございます。 参考人の皆様、きょうはありがとうございます。お隣で消費者契約法の参考人質疑もしていて、きょうこの後ちょっと質疑に立つもので、行ったり来たりになっていまして、全てのお話を伺えていない部分と、全ての皆様にお尋ねできない部分があったら、大変申しわけなく、御容赦をいただければと思います。 先ほども山尾委員の方から、消費者契約法との関係はもうお答えになられていましたので、重ねてになること、時間があればまたと思いますが、ちょっと具体的な質問を、中村参考人を中心に、その他の皆さんにも時間があればお伺いをしたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。 前回も、インターネット、SNS等の中で、非常に、今回、民法の成人年齢引下げという改正が行われた場合には、これはさまざまな影響、悪い影響が出てくるのではないかということで質疑をいたしました。 例えば内閣府の男女共同参画局の三月の調査結果を見ると、私はこれは自分も子を持つ親として衝撃だったんですけれども、実際に、聞いていなかった性的な行為等の撮影を求められた経験があるというのが、調査対象十五歳から三十九歳までの女性のうち九人に一人、実際に求められた行為に応じたのが約半数、そのうち、誰かに被害の相談をしたのが六割なんですね。 これは本当に恐ろしい数字だと思っていまして、具体に、例えばAVの出演強要、こういったことで逮捕、検挙、処罰されている事案も出てきている中で、今回、成人年齢が十八歳に引き下げられてしまうと、十八歳になると、成人であることを理由として、例えばこのようなAVの出演強要、こういったことが起こったとき、契約の無効取消しができないとAVの例えば撮影業者側が主張するおそれがあると考えますし、これについては、内閣府からも、共通の課題認識、対応もしっかり必要だという答弁も前回ございました。 もちろん、こういう業界では、若いそういう方を出演させて売上げを維持しようという報道もありますし、もとより、このような職業の方を差別するつもりは全くございません。他方で、本人の同意もなくそういった撮影を強要されてしまうというのは、これは人権問題だとも考えるわけでございますが、中村参考人の御意見を伺えればと思います。
○中村参考人 御質問ありがとうございます。 ただいまの先生からの御質問のように、例えばアダルトビデオ等について、同意がなく撮影されたり、撮影に参加させられたりということであれば、これが本当に全くの同意がないということであれば、これはもう犯罪、刑法の問題にもなることだろうと思いますので、それは問題だろうと思います。 一方、その同意がないというものが、契約はとりあえずは結んでしまったんだけれども、それは間違っていたんだ、真の同意がないというような意味だと考えますと、一旦契約を結んでしまった場合に、これを取り消すことは、成年になった場合は難しいというふうに思われます。 未成年の場合は、未成年者なんだということで取消しをすることが簡単にできましたし、逆に、未成年者だからそういう勧誘に遭わずに多くの場合は済んだ、これが防波堤としての意味をまさに持っていたことだと思いますが、成年になった後でそういった契約を結んでしまった場合には、これは判例でも出ていたところですが、やはり、取消しや解除ができるのか、その要件は何なのか、若しくは公序良俗違反とは何なのかというような細かな立証の争いの中に巻き込まれるということ、それともう一つは、未成年者取消権が使えなくなりますので、裁判とかそういった手続の負担を負うということ、これが非常に大きくなるのではないか、そのリスクが十八歳、十九歳におりてくるのではないかというふうに思われます。
○柚木委員 そうすると、私も前回も、まさにそのような調査が既にあって、ネット等を通じたさまざまな消費者センターへの相談内容の中で、まさに今のような事案が十八歳から十九歳では最上位に来ていて、先ほど山尾委員とのやりとりの中でも、十八歳、十九歳に引き下げることによって、これまで防波堤であった部分が防波堤の外にいきなり放り出される、そういうことになることが、これは消費者契約法との関連でいかに法整備をしても、防波堤の外に出てきてしまうこと自体が最大の問題点なんだということで、私は、それこそ、このような被害も、十八歳成人になれば更に今度はその若い年代へということで被害拡大しかねないというふうな懸念もあるわけでございまして、そういった対応をしっかりしていくことが必要だという御答弁をいただいたと思います。 あと一、二点具体的なことを伺って、ほかの参考人の皆さんにも伺えればと思うんですが、例えば、今のような話というのは、ほかにも具体的に想定をされます被害拡大ですね、仮想通貨への投資、これを具体的にお尋ねもしたいと思いますし、それから、これとも関連をして、ギャンブル依存症、これも実はこの国会で非常に大きなテーマになっているわけですが、それぞれについて端的に伺いたいんです。 例えば仮想通貨投資、これは若い人が結構、学生でも、借金までして、本当は学費をアルバイトで、足しにしようと思ってやったところが、逆になっちゃって大変なケースも出てきているという中で、消費者被害が問題になるのは二通り、一つは、仮想通貨に実際に投資して大損をする、それからもう一つが、仮想通貨投資という詐欺にひっかかって大損をするというパターン。前者は相場の上下による損失は合法ですけれども、後者は完全に違法であるということでございまして、この後者の場合、事業者が本当にどこかにいなくなってしまって損失回収することも難しいケースが多いということでお聞きをしております。 これは、もちろん仮想通貨に限らず、このように消費者の方が、特に若年成年と仮になられる方が余りそういうリスクもわからないまま契約を結んでしまうという問題が続いておるのが更に拡大をしていく、こういうリスクに関する消費者教育、啓発も非常に重要だと思いますが、仮想通貨の問題は最近よく報道もされていますので、実際にどういう状況があるのかも含めて、御答弁を中村参考人にお願いできればと思います。
○中村参考人 ただいま御質問をいただきましたとおり、国民生活センター等の情報におきましても、今回消費者契約法で改正が予定されているいわゆるデート商法や就活セミナーなどよりも、今の若者は、SNSなどを通じて、お金もうけになるとか、働かなくても高い収入が得られるといったものに対して非常に誘引される。消費生活相談員の方からお話を聞いても、お金がもうかるよということは今の子供たちにとって魔力のような響きを持って聞こえるんだという話も聞いたことがありまして、そういった意味では、そういったお金もうけにつながるようなものについて子供たち、若者が強く引きつけられる可能性はやはりあると思います。そういった意味では、仮想通貨に限らず、そういったものについて手当てをする必要があると思います。 実際に私が担当、接した事例で申し上げますと、仮想通貨、若い人が仮想通貨にだまされてというよりも、今の十八歳、十九歳はだまされないわけですから、大人がだまされた場合に仮想通貨はどういうふうな解決が図られているか申し上げますと、これは高齢者の方の事例ですが、五千万円の仮想通貨を買うという名目でお金を払ったところ、何の仮想通貨も、何ももらえなかったという事例で、私が交渉や裁判をしましたけれども、結局のところ、回収したのは二割、二割回収したところで向こうの会社が行方不明になってそのまま回収できなくなったという事案がありますが、大体その程度の回収で終わってしまうことが少なくないと思われます。
○柚木委員 時間がないので、ちょっと各参考人に一言ずつ同じ質問でコメントいただきたいと思うんですが、本来は今のようなこととかギャンブル依存症についても同様の視点から伺いたく、また、私自身は、親の監護との関係、これもこの議論に影響してくると思っているんですが、ちょっと具体で伺いたいのは、それぞれ一言ずつ、きょうの五人の参考人の方、それぞれの御専門、それぞれの分野でいらっしゃるので、ぜひ伺いたいのが、諸外国の中で、成人年齢を遅くできる制度について伺いたいんですね。 例えばフランスなどでは、裁判所に請求をして成年年齢をおくらせる若年成年者保護制度があるということでございまして、何か成人としての権利義務を得るために、そのことによって何らかの課題が通常以上に生ずる、こういう方については、これもひょっとしたら何らかの一定の条件をもとに成年となる時期をおくらせることを選択できる制度が検討されてもいいのではないかと考えるわけであります。 それぞれ参考人の中には、諸外国の事案に精通をされている参考人もおいでですし、また、そういった生育、養育環境が通常の方とは異なるような状況の中で生活をされてこられた方に詳しい参考人もおいでになられますから、それぞれの視点で、成人年齢を遅くできる制度の検討について、もしメリットだけじゃなくてデメリットもあるとするならば、それぞれで結構なんですが、一言ずつコメントをいただければと思います。
○山下参考人 直接のお答えになるかはわかりませんが、先ほどの依存症の話との関連でいいますと、依存症が精神上の障害に当たるというふうに評価できるようなものであれば、現在の制度でも保佐人をつけるという形で重要な取引を制限することが可能でございます。 そのほかに成年年齢をおくらせるという制度を例外的に設けるかということについては、そういう考え方もあり得るのかなとは思いますが、私個人では定見はございません。 以上です。
○宮本参考人 保護が特別に必要なケース、それはあるかとは思います。現に、現在の二十歳成年年齢ですけれども、しかし、多くの若い人たちの中のいろいろなハンディキャップを持っている人たちに関しては、特段の位置づけをして支援をやっているというようなことがあって、そういうそれぞれ具体的な問題というのと成年年齢を現在の二十歳に据え置くかどうかというのは、やや問題のレベルが違うような気がいたします。 必要なことは、現実に起こっているところの支援が必要な若者層を個別具体的に問題として取り上げながら、成年年齢に関しては、全体としては、社会のあり方をどうするのか、私の言葉で言えば、より自立促進型の社会に変えることによって若い人たちが社会に参画しやすくなり、その世代の権利が守られるような、そういう社会のあり方にすることの方が重要な意味を持っているのではないか、そんなふうに思います。
○中村参考人 年齢をおくらせるかどうかという点に関しましては、私は民法は二十歳のままでいいと思っていますので、まずそれが第一義だと思いますが、仮にそれ以外の制度でフォローするとすると、これは取引の場面ですので、一律な基準でないといけないという要請がありますので、例えば、二十二歳までの若者については、不招請勧誘、招かれざる勧誘については一律として取消権を認めるとか、わかりやすい基準で取消権を認めるという制度は有効かと思います。
○伊達参考人 法的なやり方がどういうふうにできるか、私の方は詳しくないですけれども、今の社会的養護に入ってきている子供たちの四分の一から三分の一は障害を抱えております。契約関係その他の問題でも大変トラブルが起こりやすい、こういうことを考えると、十八に引き下げるのであれば何らかの後見人をつけるとか、そういうふうなきちんとした対応がとられなければ危ない問題がふえるというふうに考えております。
○広井参考人 その制度についてよく存じ上げないので何とも言えないという感じなんですけれども、ただ、日本ではかなり、学校に入るのも一律でというふうな、年齢で一律にする制度が非常に多いですから、例えばドイツなんかだと一年おくらせて入学させるといった選択権もあったりします。個々に対応できるような柔軟な制度ができること自体は悪いことではないのではないかというふうに思います。
○柚木委員 それぞれから、まさに専門分野に応じて、本当に示唆に富む御見解をお述べいただいたと思うんですね。 私個人は、実は私は心理学を大学で専攻しておりますし、精神関係も含めた幾つか仕事に携わっていたものもあるものですから、そういう専門家の中には、逆に、大学を卒業して就職して数年たった二十五歳ぐらいの方がむしろ成年年齢としてふさわしいという御意見もあるやに承知しておりますし、実際に今、特別成年制度のようなものがあった方がいいんじゃないかという重要な御指摘もいただきましたので、こういったそれぞれの今の参考人の皆様の御意見を十分にこの法案審議に反映させるということをしっかりさせていただくことが重要だということを申し上げて、質疑とさせていただきます。 どうもありがとうございました。
○平口委員長 次に、黒岩宇洋君。
○黒岩委員 無所属の会の黒岩宇洋でございます。 きょうは、参考人の先生の皆様、貴重な意見陳述をいただきまして、本当にありがとうございます。 早速、私の方から質疑させていただきます。 まずは、宮本先生。 宮本先生の御説明の中で、これはレジュメの二枚目ですけれども、青年期から成人期への移行をシチズンシップの権利を獲得するプロセスと捉えようという考え方へと。成人期に入るには、選挙権、労働の諸権利、社会保障の諸権利のシチズンシップの権利を獲得するだけでなく、その権利を実際に行使することのできる地位を得た状態とみなすと。 権利の獲得と地位を得た状態というのは、私は、表裏一体というか、一心同体のものですから、これは大変重要なことだと思うんです。 この選挙権と労働の諸権利と社会保障の権利、今回の成人年齢の引下げによって、この権利が、じゃ、実際に、本当に実質的に例えば広がっていく、得られるのかということを私なりに今ちょっと考えたんです。 まず、選挙権については、実際に十八歳ですから、二十を十八歳に成人年齢を引き下げることによっては何の変更もありませんよね。 次に、労働の諸権利なんですけれども、これは、具体的にあるのは、高校を出て就職するときに労使契約を結びますので、実際にこれは親の同意がなければということになりますが、ただ、今現状で、このことによって不都合というものは、私が見聞する限りにはほとんどないと思っています。ですから、実質上という意味では、これが十八になったからといって何か新たな権利が生まれるということは、私、実質的には極めて少ないのではないかと思っております。 重要なのは、次の、社会保障の諸権利とありますけれども、これはちょっと長くなるかもしれません。 社会保障といったときに、概念として、社会福祉制度と社会保険制度、この二つの概念に分かれることになります。社会福祉制度は、児童福祉、そして障害者福祉、高齢者福祉と、この三つになるんですが、ただ、この高齢者福祉は、二〇〇〇年の介護保険ができたことによって、保険料を払ってそして受給できるという社会保険制度の中にほとんど組み込まれているという状況でありますので、これはむしろ介護保険という保険制度の中で考えるべきだと思っています。 そうなりますと、児童福祉と障害者福祉、これは基本的には権利義務の関係じゃありません。保険料を払うという義務をやって、受給できるという権利が広がるというものではありません。先ほどお話にあったように、児童福祉に関しては、児童養護を受ける権利がむしろ狭まる、むしろ権利が縮小される、こういう側面がありますので、このことにおいて権利が拡大するということは、社会福祉においては私はないのではないかと思っています。 それでは、今申し上げた、ここにあります社会保障というのは、多くの点でいうと社会保険制度にかかわるんですけれども、社会保険制度は、これも大きく四つになりますけれども、簡単に言いますと、健康保険、これは医療保険と言いかえてもいいですが、健康保険、そして年金保険、年金制度ですね、そして介護保険、加えて雇用保険と、四つになるわけです。 そこで、一つ一つ見ますと、健康保険については、二十歳から十八歳になるからといって権利が拡大することはありません。 そして、今度は年金なんですけれども、これは、二十歳から十八歳になっても、一階の基礎年金部分、国民年金の加入条件である年齢というのは現在二十歳ですけれども、十八歳に下がったからといって、十八歳から加入できるようにはなりません。ですから、国民年金、基礎年金一階部分については権利が拡大することはありません。 じゃ、二階建ての、いわゆる被用者保険と言われる部分ですね、労使折半の。この部分については、現在も、十八歳で就職した場合には加入要件を満たしますので、これ自体も、二十歳から十八歳に成人年齢が引き下がることによって権利が広がることはありません。 そうなりますと、今言った二つ目の年金制度においても、今回の成人年齢引下げで権利が拡大するということはないわけです。 そして、介護保険、これはもともと二号被保険者は四十歳から六十四歳ですし、一号被保険者は六十五歳以上ですから、これも、二十の成人年齢が引き下がることによっては何ら変更もありませんので、権利が拡大することもありません。 そして、今言った雇用保険、これは失業保険等も含む雇用保険ですけれども、これも労使折半の部分で、現在十八歳から加入できますので、二十歳から十八歳に成人年齢が引き下がることによって権利の拡大はありません。 そうなると、今言った社会保障の諸権利というものは拡大することがほぼないというか、皆無という状況なんですよ。 そうすると、今言ったように、選挙権については一切変わりません、労働の諸権利については、特に労使契約等においては、現在の不都合がほとんどない中で権利が拡大することもない。今言った社会保障については、これも今るる説明したとおり権利の拡大はない。そうなると、今回の二十歳から十八歳への成人年齢によって、青年期から成人期への移行をシチズンシップの権利を獲得するという、この権利自体の獲得につながらないと思うんですけれども、この点についての先生の御見解をお聞かせいただきたいんです。
○宮本参考人 御質問ありがとうございます。 非常に丁寧に法律の制度をこれに当てはめて御質問いただいて、むしろ私の方が勉強させていただきました。 実は、ここに書いてある1から4というのは、今回の成年年齢を引き下げるに当たっての課題というよりも、若者期から大人になるということがどういう時期なのかということを整理したものでありますので、十八歳におろすとここの四つの権利がより拡大するという意味で書いたわけではないのです。 何を意図したかというと、要するに、若者期というのは長期化していて、その長期化した時間の中で順次フルメンバーになっていくときに、この1から4というものがそれぞれ満たされていく、そういう整理を書いたものでございます。 ただ、現実には、例えば先ほどの社会的養護の子供たちの問題、今、子供の貧困対策でかなりこの部分に光が当たりつつありますけれども、法律的に言えば、日本の国民である限り何歳からこういう権利が得られるということがあっても、例えば社会的養護を出た子供たちが労働の権利を持っていてもまともに仕事につけないとか、あるいは、施設を出ても住宅を確保することができないとかいうような形で具体的には問題がある。 これは、権利は持っていても具体的にその権利へのアクセスができないというような形で、それぞれの社会的な課題というのはいろいろあると思っておりますけれども、この1から4に関しては、若者期というものを捉えるときの一つの枠組みだというふうに御理解いただければと思います。
○黒岩委員 わかりました。先生、ありがとうございます。 先生のこの整理された御提示によって、私も頭の中でいろいろな検討がこの短時間で進みましたので感謝申し上げますし、また、この点も法案質疑でも進めていきたいと思っております。 次に、山下先生にお聞きしたいんですけれども、山下先生の、今回、成人年齢を引き下げるべきだというこの論拠において、契約自由の原則です、私的自治の原則ですと。私もおっしゃるとおりだと思います。最低年齢を決めることがある意味未成年の定義であるので、それを十八歳に引き下げることによって、契約自由の原則という、確かに原則をちゃんと広げていくんだ、これを行使できるようになるんだ、これは私もそのとおりだと思います。 ただ、私は、時間軸においての比較なんですけれども、今から百四十年前、成人年齢を我が国は二十に決めた。それまでは、慣習的に十五歳で元服という時代もありましたし、十五歳である意味成人だとみなしていた。それは、ある意味、欧米がまだ二十何歳とかいう時代に、我が国だけ逆に二十にがあんとはね上げた。その当時、いろいろな議論があったと思いますけれども、その時点で、身体的はともかくとして、社会的、精神的、そういった成熟が図られているというのは二十だという判断が下されたんだと思っております。 そこで、質問なんですけれども、じゃ、百四十年たって、これは欧米との比較でもありませんし、我が国での時間軸においての比較なんですけれども、今、百四十年たって、明治の時期の二十と比べて今の十八歳の方が社会的、精神的に成熟している、そういう御判断なのか。それがあるとすれば、今時点で契約自由の原則にのっとって行為能力の制限を撤廃していくということに私は合理性があると思うんですが、この点をもう少し明確におっしゃっていただかないと、私はなかなか肯首、うなずくことができないという視点でお聞きしますので、先生からの御説明をいただきたいと思います。
○山下参考人 私も明治時代に生きておりませんので、明治時代の若者がどうだったのかということについては必ずしもわかりませんが、先生がおっしゃるとおり、十五歳で元服という社会的な状況があった中で、二十歳という形で引き上げるというのは、むしろ日本は世界的に見ると年齢を低く設定していたというような時代だったというふうに承知しておりますので、明治時代の社会的成熟はそれなりに進んでいたんだろうというふうには推察いたします。 ただ、当時の大人というものの概念というのが現在の日本の大人という概念とはかなり違うということを私としては指摘しておきたいと思います。民法上は、その当時、男性の婚姻年齢は十七歳、女性は十五歳というふうになっていましたが、要するに家長の判断がなければ婚姻ができないなどの形で、家制度と言われる制度によって、基本的には家族の財産や家族関係というものは全て家長が監督をするという制度のもとで明治時代の民法というのは家族制度をつくってきたということでございまして、その当時の成年年齢を二十歳に決めようという判断が、現在ここでなされているような意味での成熟とか、あるいは成熟の過程にあるということと同列に論じられるのかというのは、非常に私は疑問に感じている次第でございます。
○黒岩委員 ありがとうございます。 先生の御説明を聞いて、私もうなずく点、大変ありますので、またこれも検討させていただきたいと思います。 時間の都合上、済みません、全ての参考人の先生にお聞きできないので、中村先生に。 これは非常に具体的なことなんですけれども、養育費の問題で、今、実際の法律実務の現場で、これは法律上の規定でなく取決めですから、二十までとしている、すなわち成人年齢で二十まで払いますよという、これがどのくらい一般的なのか。これは法務省に聞いたって、一般的かどうかとかは答えられない、そういう評価はできないんですけれども、実務上の肌合いとして。 いや、実際に、一般の方がなるべく自分の子供に長い期間養育費を払いたいんだと思ってくださるなら私は非常に望ましいことだと思うんですが、先生の御指摘でも、むしろ、それほど期間的には長く払いたくないよという親御さんがいる。そうなると、やはり、十八歳に成人年齢が引き下がると、ちょっと妥当かどうか、これを奇貨として、十八歳までで養育費を払う期間を終えてしまおうという、二つ目の質問ですけれども、こういったことが実務上どれほど発生し得るのか、それをちょっと、実務上の先生の御判断というものを聞かせていただきたいと思います。
○中村参考人 私の実務としての感覚でございますが、そもそも、自分の子供ではあるわけですけれども、養育費をきちんと支払う、履行する割合というのはそれほど高くないデータが出ていると存じ上げております。ですので、必ずしも養育費は喜んで支払うというような状況にはなっていない。 それを前提に考えますと、今の調停の実務においては、やはりスタート地点は二十、成年でしょうというところが多いのではないかと思います。それはなぜかというと、今の民法が成年年齢を二十としているからであって、これが十八になると、民法は十八ですよねということで、十八歳が基準として提示されるのではないかと思います。 それと、両親が仮に高学歴で大学を卒業している場合であっても、子供が二十二歳まで養育費の支払い終期、支払っていこうという取決めをすることは簡単にできるということではないというのが実務の肌感覚でございます。
○黒岩委員 先生、ありがとうございます。本当に残念な思いですけれども、その懸念があるということがわかりました。 伊達先生、広井先生、質疑はできませんでしたけれども、大変参考になりましたので感謝申し上げ、私の質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○平口委員長 次に、藤野保史君。
○藤野委員 日本共産党の藤野保史です。 きょうは、五名の参考人の皆様、本当に御多忙のところをありがとうございます。心からお礼を申し上げます。 早速ですが、本法案は、一八七六年、明治九年の太政官布告以来、約百四十年間維持されてきた二十歳という成年年齢を十八歳に引き下げるという中身であります。これは二百本を超える法律が関連し、いろいろな施策や担当する省庁も多岐にわたるということで、本当にこの成年年齢をどうするかというのは大きな影響を与えるというふうに認識をしております。 先生方のお話を聞いていましても、本当にそうだなという部分がたくさんございました。グラデーションというお話もありましたし、取引の安全の観点からはやはり一律でなければならないというお話がありました。 そこで、やはり私は、これだけの影響を与えるものですから、国民的な議論が非常に重要だというふうに思っているんですけれども、国民の皆さんにいろいろな提供をしていく上で、五人の参考人全員にお聞きしたいんですが、ちょっと何歳かを離れまして、そもそも民法における成年年齢とは何なのか、民法における成年年齢をどのようなものだと参考人の皆さんはお考えでいらっしゃるか、あるいは、どのようなものであるべきかという点でも結構なんですが、その点についてお考えをお聞かせください。
○山下参考人 私は、個人としては、民法の成年年齢というのは、自分の生き方を自分で決められる、一人前の人間として社会で扱う最初の年齢であるというふうに考えているという次第で、この点、繰り返しになってしまいますので、以上でございます。
○宮本参考人 民法で定めている若者に関する問題は、極めて限定的な消費者の問題等々あると思いますが、ただし、民法における成年年齢を何歳にするかということの波及効果が非常に大きいというふうに思っております。 したがって、現行どおりに二十とするか、十八歳に下げるかということは、先ほども申しましたとおり、日本の社会の、例えば世代間の関係、それから若い年齢層の人たちを社会のどういうところに位置づけるか、つまり、変えるか変えないか、そのあたりのところに影響を及ぼすという意味で、民法の成年年齢は非常に重要な位置づけにあるのではないか、そういうふうに思っております。
○中村参考人 私は、民法の成年年齢というものは、やはり法律上の制度でございますので、契約を親などの同意がなくても一人で金額の定めなくできるのか、裏返せば未成年者取消権が使えなくなるという制度であるとともに、親権の対象から外れて、財産管理や監護について親の保護から外れるという制度というふうに端的に考えるべきだと思います。 確かに、それ以外の多くの法律への波及効果というものもありますが、今、きょうもお話でいろいろ私も勉強しましたが、昔と比べて、大人のあり方、大人に成熟していくあり方がやはり変わってきている、揺らいできているというお話もありましたので、民法を変えることで全ての若者の社会参画のあり方を変えるということではなくて、民法は民法である、その他はその他の制度、その他の立法で画するということで、社会参画やシチズンシップについては別個の法手当てで進めることで、民法については、その法的な効果を端的に見きわめて議論するべきだと思います。
○伊達参考人 一週間ほど前に私のやっているホームで二十を迎えた子がいますけれども、その子には、今から責任が伴うよ、社会の中で生きていくという、今までとは違う自分のスタンスを考えないといけないねというふうな話をしましたので、恐らく、子供が育つ中で、それまでの認識とは若干違う、社会というものを意識しながら生きるというその新しいスタート地点の年齢だというふうに考えております。
○広井参考人 私自身は、親子関係について研究しておりますので、民法の成年といえば、まず、親の保護下にある期間が未成年であって、それ以上、親から独立していく時期が成年だというふうに考えております。 もう一つは、民法を制定するときに言われていたのは、一般の成年という意識をつくり出す、そういうものとして民法の成年制度があるというようなことが議論になっておりました。 ですので、民法上の狭い意味では、取引とか契約とか、法的な主体としての成年ということになるわけですけれども、同時に、大人とは何か、大人とはこうあるべきものだというような一般的な観念をつくり出す意味でも、民法の成年制度というのは大きな役割を果たしてきただろうというふうに思います。
○藤野委員 ありがとうございます。 二〇〇九年の法制審では、いわゆる三つのハードルと言われるような、若者の自立を促すような施策あるいは消費者被害の拡大のおそれを解決する施策が実現されること、これら施策の効果が十分に発揮されること、施策の効果が国民の意識としてあらわれること、この三つを要求しているんですが、これも五人の方にお聞きしたいんですけれども、これがクリアされたと今考えていらっしゃるかどうか、この点についてお願いいたします。
○山下参考人 三つのハードルをどのように解釈するかというのは、非常に文章が曖昧な部分がございますのでわかりませんが、私自身は、やはりここで問題になっているものというのは、消費者保護の施策というものが国民にとって十分波及しているかということですけれども、それは、恐らく教育の問題というのが非常に大きいのではないかというふうに考えております。 現在までの間に、消費者教育、法教育、あるいは金融教育という形で、さまざまな形での未成年者に対する教育施策が行われていて、取引被害を防ごうという努力が行われております。こういったものも含めた上での意識の問題というのを国会で判断してほしいというのが、その当時の考え方ではなかったかというふうに理解しております。 ですので、達成されたかと申しますと、私は、教育が大きいと思っていますので、その意味では、制度自体は達成されているのではないかというふうには考えておるという次第でございます。
○宮本参考人 ありがとうございます。 達成されたかということですけれども、消費者教育に関しては、常に学校教育が期待されるという状況にあるわけですけれども、学校教育の中で、この民法改正をして想定される被害が防止できるかということになれば、学校教育の力だけで変えることはできないだろうというふうに思っております。 今、中教審の生涯学習の部会で、いろいろ社会教育のあり方についての検討をしておりますけれども、やはり学校教育だけでなくて、地域社会というような範囲まで広げたところで、この十八歳にもし年齢を下げるとした場合に想定される教育、例えば消費者教育もそうですし、その他いろいろあると思うんですけれども、もっとそこのところで議論が必要だというふうに思います。 そういう意味では、法制審の時期から七年もたっていますけれども、実際のところ、このテーマに関しての世論の盛り上がりが余りないというのが残念なところで、盛り上がりをどうやってつくっていくかということは非常に重要ではないかというふうに思います。
○中村参考人 三つのハードルにつきましては、大きく分けますと、自立の支援を支える施策と消費者被害の拡大を防ぐ施策ということになると思いますが、いずれについても道半ばであり、私は、達成されていないと考えております。 きょうも私の意見で説明しましたが、制度については、確かに、いろいろと整備をされたり、問題点を指摘して、これからやっていこうということで政府も取り組んでおられると思いますが、その制度が呼びかけられているということは、そういう施策が達成されていないということをむしろ浮き彫りにしているのではないかというふうに思っております。 ちなみに、この施策というものについては、やはり制度をつくるだけではだめで、その効果測定、その結果どうなっているんだ、では、例えば消費者被害は減っているのか、自立についてはどういったことが結果としてあらわれているのかという点を加味しなければいけないと思います。 さらに、もう一点だけ申し上げますと、この三つのハードルについては、やはり施行を基準として前に行われていればいいというわけではなくて、国会で決議をするよりも前にクリアされている必要があるのではないか、そのように読むのが素直ではないかと思っています。 なぜならば、先に引下げを決めた後で施行までにこの条件をクリアしようという考えでいくと、仮にクリアできないうちに施行日が来てしまった場合に施行できなくなるのではないかという問題が生じるからです。
○伊達参考人 私の方は、全体的な理解が少しできていないかと思いますけれども、社会的養護に関する限り、何か積極的な意味をこの引下げの中で見出していくというふうな契機には余りならないのではないかというふうに判断をしております。
○広井参考人 私も、残念ながら、十分な取組はなされていないだろうというふうに思います。 ただ、例えば消費者教育とか、やはり教育に期待をするということ自体が、非常に教育にとっては過重な負担になっているのではないかと思います。何でも教育すれば何とかなるということ自体が、かなりの程度幻想じゃないかというふうに思ったりします。 私は、大事だと思っているのは、今回十八歳を成年にするに当たっては、今まで禁止していた行為を、行為をすることができるように権利を認めるわけです。それで保護を外すということになるわけですけれども、そうではなくて、権利を与えつつ、失敗したときにはそれを保護するような、若者に対する制度をやはり新たにつくる必要があるだろうと思います。今の消費者のものは、若者だからということではありません。そうではなくて、若者を保護するような制度をちゃんとつくっていただきたいなというふうに思っております。
○藤野委員 ありがとうございます。 それでは、中村参考人にお聞きしたいんですが、先ほど、民法第五条は黄金の橋という御指摘がございました。鉄壁の防波堤というお話もございました。これが、今議論されている消費者契約法の取消権と何が違うのか、あるいは、民法の一般条項、例えば公序良俗と何が違うのかという点を教えていただきたいのと、あわせて、消費者契約法では、あるいは現行法では、借入れというのはどういうふうになっているかというのも教えてください。
○中村参考人 これは私を含めた弁護士の実務の感覚だと思いますが、民法の成年年齢でいこうと思った場合には、契約時の年齢を立証すればいいだけですので、極端なことを言えば、免許証を示して契約書を示せばそれで立証が終了するということになります。 ですが、実際に、消費者契約法で判断能力があったのか、若しくは公序良俗に違反するのかという点でやると、今、十八歳、十九歳は守られているからそれはありませんが、例えばこれがどういうふうになるかというのを推測するためには、高齢者の消費者被害に置きかえてみたらいいと思います。 高齢者の消費者被害で私が裁判をやった例でいうと、あるおばあさんが五千万円の健康食品を買いました。これは保護する法律が、適用できる法律がありませんでしたので、公序良俗違反でないかということで私は裁判で訴えましたが、裁判所から出された和解案は九百万円でした。 やはり契約があって書類があるじゃないかということになれば、八十何歳のおばあさんが五千万の健康食品を買ったこと自体で判断能力はないんじゃないですかと言っても、それが簡単に通用するわけではない、それが裁判実務だということでございます。 二つ目は、借入れの問題ですが、これについては割賦販売法や貸金業法で規制をされているところですが、やはり資力審査についての要件が不十分であったり、例えば、自己申告で足りる、若しくは確認義務の例外規定があるなどの問題点がありますし、銀行系のキャッシングの場合には総量規制の適用を受けないとかそういった問題がありますので、これらについて規制をすることで、基本的に、収入がない学生については借入れはできないんだというふうに私はするべきではないかと思っています。
○藤野委員 最後にもう一点だけ中村参考人にお伺いしたいんですが、先ほど契約年齢についての立法事実は説明がありましたが、親権対象年齢について、同じように立法事実を御説明ください。
○中村参考人 私は、親権を対象とする年齢の引下げについても、十分な立法事実はないと考えております。 ちなみに、二〇〇九年の法制審議会の最終報告書でも、この点については、子供を虐待するという心配はもっと小さい年齢を対象とするものだから立法事実とならないのではないかという指摘がなされているところでございます。
○藤野委員 本日は、まことにありがとうございました。 質問を終わります。
○平口委員長 次に、串田誠一君。
○串田委員 日本維新の会の串田誠一でございます。 まず最初に、山下先生、宮本先生、中村先生に、選挙権と今回の契約との関連性というものをちょっとお聞きしたいと思っています。 先ほど中村先生の方から、選挙権と取引というのは、自分に対する負担というものが発生するというような話があって、立法事実からして違うんじゃないかというようなお話もありました。ただ、そのときに、選挙権が十八歳でもいいという肯定的な話まではまだお聞きしていないので、その点についての関連性というのもお聞きしたいと思っているんですが。 要するに、契約と選挙権というもの、選挙権が十八歳になったので、成人も十八歳でいいんじゃないか、そういう意見も多いわけですので、この関連性について各先生方はどういうふうにお考えになっているのかということと、我が党は、日本維新の会なんですが、被選挙権も十八歳でいいのではないか、そういう提案もさせていただいているわけでございますので、選挙権と契約の関連性、そして、被選挙権はまたちょっと違うのか、あるいはそれも同じようなことで考えていいのかどうかというようなこともお話をいただきたい。 宮本先生に関しては、諸外国との関連で、選挙権と契約との関係が、何らかの関連性というものが我が国と違ってあるのかどうか、そんなことも踏まえてお話をいただければと思います。
○山下参考人 ありがとうございます。 選挙権についての十八歳引下げとの関係ということですが、民法の成年年齢というのは、今までもお話がありましたが、契約を単独でできるかということを中心にしたものですので、直接にはやはり関係ないのかなというふうには思っております。 ただ、私が御報告させていただきましたように、人間が自分の生き方を決めるというところの思想によって民法というものがつくられているのだということについて申しますと、もちろん若干の関連はございます。 ただ、私も、その原則は、私的自治の原則と言いましたが、自分の私的な、プライベートな空間をつくることを認める年齢を何歳にするかというのが恐らく成年年齢の問題であるのに対して、選挙権の問題というのは、パブリック、要するに公的な問題について、自分の意見がどこまで公的な部分に反映するかという問題だというふうに考えておりますので、そういう意味では、もちろん関連は非常にあると思ってはおりますが、やはり分けなければいけない部分というか、レベルの違う部分というのはあるというふうに考えている次第でございます。(串田委員「被選挙権は」と呼ぶ) 被選挙権は、これはまた、要するに、国民の代表として立つためには何歳がふさわしいかということでございますので、まさにパブリックの中でもパブリックな部分ではないかという意味では、やはり民法の成年年齢と直接に絡めるのはちょっと難しいかなというふうには考えてはおりますが、関連がないと言い切れるかというと、なくはないという程度でございます。 以上です。
○宮本参考人 選挙権と契約の関係に関してですけれども、基本的には、私は法律家でないので極めてアバウトなことですけれども、全くイコールであるわけではないとは思います。したがって、きょう、参考人の御意見のような形で、選挙権十八歳、しかし契約の方は違う扱いをするということも選択肢としてはあり得るというような感じがいたします。 ただ、私、例えば、日本でいうと、十八歳で結婚する人は極めて少ないですし、それから、十八歳になって働く人も今のところは少ないですけれども、しかし、実際のところは、非常に多くの人たちがアルバイトという形で労働に従事し賃金をもらっているというような状況がある中で、やはり契約の問題というのも、これはそれこそ国の意思を示すという意味では、十八歳に一旦おろした上で、いかにして、一定の期間をある種の教育の時期として位置づけつつ、ある程度の失敗はあるということを想定しつつ、しかし、極めて大きな被害に遭わないように保護する、そういう方法がないだろうかということを検討していただきたいなという感じがします。 それから、被選挙権に関しては、これは日本では十八歳におろすということは恐らく国民の合意を得ることは難しいだろうと思っておりますけれども、諸外国の例を見ると、被選挙権も含めて十八歳におろしている例は少なくなく、地方の選挙になると、十八歳をもっとおろしてもいいというような議論が出ているという実態はあるということだけはお話しさせていただきます。 以上です。
○中村参考人 中村でございます。 民法の成年年齢と選挙権、被選挙権との関係というお話ですが、これらはやはり制度が異なりまして、選挙権と被選挙権でもあり方を異にするという場合もございますので、一つを十八にするからといってほかをそろえる必要はないという考えは先ほど私が意見で述べたとおりです。 ただし、制度は違うとはいえ、ややその引下げの議論について共通する基盤があるのではないかと思っておりますのは、当の若者はどう考えているのかという観点でございます。選挙権の場合も、若者が本当に選挙権を求めたというような強い世論があったのかというと、私はやや疑問と思っておりまして、民法についても、端的に、契約が一人でできるのか、買物が一人でしたいのか、親権を外したいのかという若者の声があるのかどうかをやはり探索するべきであって、被選挙権についてもその点は同じくするのであろうというふうに考えています。
○串田委員 次に、広井先生の方にお聞きをしたいと思うんです。 先ほどのお話の中で大変興味深かったのは、教育を受ければ受けるほど子供になっていくという。そこの理由がちょっとお話がなかったので、今回、ゆとり教育とか、ゆとり世代の最後の世代がこれからなっていくということで、そういう意味も含めまして逆に教育を受けていないゆとり世代なのかなとか、そこら辺で、要するに、教育を受ければ受けるほど子供になっていくというようなことの理由というものをちょっとお話しいただきたいと思うんですが。
○広井参考人 私は、教育を受ければ受けるほど実態的に子供になっていくというふうに申し上げたつもりではないんです。 かつて、教育がまだ普及していなかった例えば一九六〇年代とか五〇年代というのは、大人の世代からすると教育を受けるということは憧れだったわけです。中卒で働いている人たちからすれば、高校に行ける人たちというのは憧れの存在だったわけです。そういう人たちは、教育を受けることで立派な人間になっていく、大人になっていく、そういうふうに世の中を見ていた時代だったということです。 ところが、今は、皆さん当然のように教育を受けて、当然のように中学、高校、大学と進むような時代になった。そういう中で、みんなが受けているということは、みんな同じように子供でいる期間というふうに社会がみなすようになったということだ、そのような趣旨で申し上げました。
○串田委員 大変よくわかりました。 そういう意味で、扶養を受ける、そういったようなことが法務でも今問題になっているんですけれども、逆に言えば、そういう意味で、学生でいるということは、みずからその修学の機会があるということを社会的に認知されているという意味で、自分自身が子供で、そして保護されているという意識が芽生えてしまうということなのかな、ちょっと要約してしまいましたが、もしかしたら間違っているかもしれませんけれども、そういう意味合いなのかなと。大変よくわかりました。 次に、伊達先生にちょっとお話をしたいんです。 今度は、児童福祉法第四条で、児童というのは十八歳未満というふうな規定になっておりまして、これまでは未成年者と児童という言葉がずれていたんですけれども、この法案が通れば、児童と未成年者というのが一致するようになるんだと思うんです。 未成年者というのは成人ではないということでいまだという言葉なんですが、一方、児童という言葉は、児というのはかわいいということであるし、童というのは小さな子供たちを意味するという意味で、ちょっと未成年者と児童という言葉の違いというのがあるのかな。 特に、児童ホームで運営をされていらっしゃって、児童福祉法にもお詳しいという部分の中で、未成年者と児童というのは、先生にとって、言葉として、年齢的には一致するんだけれども、意味合いとして同じになるのか、やはりこれは、児童というのは特殊に、こういうような思い入れがあるのか、そこら辺についてお話をいただきたいと思います。
○伊達参考人 いわゆる十八から二十までの未成年の期間に対して社会的養護の中でどういうふうな施策がとられているかというと、一番最初にお話しさせていただきましたけれども、目ぼしいものは本当になくて、ここの部分が一番大事なんですね。 そういう意味で、決して未成年と児童ということを同じ十八歳でそろえればいいということではなくて、私の方の趣旨は、十八では全然終わらない、十八過ぎてからの自立の支援をどういうふうにしていくかということが社会的養護の大きな課題なんだということを申し上げたいという立場ですので、あえて十八でそこを整合性を持たせる必要はないのではないかというふうに考えております。
○串田委員 その件を踏まえまして、広井先生にももう一度お話を伺いたいんですが、社会での責任というのを持たせていく、そういう意味で、区切りということではなくて、これから社会的に責任を持たせるということなんだと思うんですが、一方で、今度は親が親権者ではなくなるという部分が出てきてしまうわけですね。そうすると、社会での責任というか、大人にしていくという部分で、親と子供との関連というものをどういうふうに捉えていらっしゃるのか、先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○広井参考人 親と子供との関係ですか。 今の親たちは、当然、子供が十八歳だろうと二十だろうと、ずっと子供を保護するという意識になっていると思います。子供を保護する期間がこれほど長期になっているというのが今の時代です。十五歳で働き出している時代は十五歳で手放しました。それが高校、それから今は大学、八割ぐらいまでは高校卒業後まで、進学しておりますので、二十ぐらいまでは親が面倒を見ているのが当たり前です。大学に入ってもそうですし、卒業しても面倒を見ているというのが今の実態ではないでしょうか。 ですので、十八歳成年制になったからといって、親が、ではもうやめますというようなことは、ごく一部にはあるかもしれませんけれども、例えばさっきの離婚の問題では。ですが、世の中の親たちは子供を守り、保護し続け、その責任を負い続けているというのは変わらないだろうと思います。 というような趣旨でよかったんでしょうか。
○串田委員 最後の質問を宮本先生にもお願いしたいと思うんです。 先ほどEUとかイギリスのお話がありましたけれども、欧米というのは自己責任というのが非常に強いようなイメージが私はありまして、観光地に行っても、日本の場合には落ちないように柵があるのに対して、意外と柵がないのをよくテレビで見たりして、落ちないように自分で管理をするんだというような自己責任という意識が非常に強いと思うんです。そういう意味で、年齢というものを諸外国と日本と同じように合わせるというような部分を考えるときに、国民性の違いというものがまだ日本にもあるのかなとは思うんですが、先生としての御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○宮本参考人 ありがとうございます。 国民性というか、国の制度的なものの違いと国民性、そういうようなものが大きく影響して、今の親子の関係とか、それから大人になるなり方の違いに影響を及ぼしているというのは事実だと思います。 ただ、日本の場合の今後のことを考えてみると、欧米の過去の歴史を見たときに、例えば離婚率等は欧米の方が非常に高く、先を進んでいたわけですけれども、日本が今後、離婚率がもっと高い状況になることは間違いないと思うんです。その一つをとってみても、子供がいつまでも親に依存して、自立しないで移行期を進むことができるか、そういう懸念が明確にあるわけです。 欧米諸国の場合には、離婚率が非常に高くなり、それから、国家的な、福祉国家だとよりそうですけれども、公的な責任というものが強いところでは、子供たちをより一層社会のメンバーとして参画させていこう、こういう動きが日本よりも二十年以上早くにスタートした、そういうようなことなんです。 その歴史を見てみても、民族性が違うからということだけでは解決できない問題というのがあって、日本もやがてそういう段階になるんだということを踏まえて、やはり自立できるための環境整備と自立するための支援、これをやる必要があるのではないかというふうに思っているところでございます。 一言だけ申しますと、自立支援というのを、いろいろな国々を見てみると、本当に小さいときから、自分で考える、いろいろな制度をどうやって自分が利用できるかを考える、それから発言をする、そして何かが変化したということを通して自分の自尊感情を高めるというような取組が徹底して行われるというのがあるんです。 その点で、数年前の法制審で高校生調査等に私も参加しましたけれども、聞き方にも問題があったかと思いますけれども、ほとんどの高校生たちは、いや、この状態ではとても選挙に参加できませんとか、とても今の状態では自立したと言われても困ります、こういう反応なんです。これはそういう環境を与えてこなかった大人たちの問題であって、その世論に依拠して改正を見送るということではないんじゃないかというふうに思いました。
○串田委員 大変参考になりました。ありがとうございました。 終わります。
○平口委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。 参考人の方々には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手) 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午前十一時三十三分散会