国民生活・経済に関する調査会 第2号
- 発言数
- 90 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 2017/02/15
会議録
○会長(川田龍平君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 去る八日、野田国義君が委員を辞任され、その補欠として斎藤嘉隆君が選任されました。 ─────────────
○会長(川田龍平君) 国民生活・経済に関する調査を議題といたします。 本日は、「あらゆる立場の人々が参画できる社会の構築」のうち、「経済・生活不安の解消」に関し、「社会保障分野における格差の現状と課題等」について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。 御出席いただいております参考人は、慶應義塾大学経済学部教授駒村康平参考人、東京大学先端科学技術研究センター准教授熊谷晋一郎参考人及び特定非営利活動法人ほっとプラス代表理事・聖学院大学人間福祉学部客員准教授藤田孝典参考人でございます。 この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。 御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。 本日は、皆様方から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。 本日の議事の進め方でございますが、まず駒村参考人、熊谷参考人、藤田参考人の順でお一人二十分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、駒村参考人からお願いいたします。駒村参考人。
○参考人(駒村康平君) 今日はこういう機会をいただきまして大変ありがとうございます。慶應義塾大の駒村でございます。 冒頭二十分ほどお時間をいただいて、私のお話をさせていただきたいと思います。(資料映写) 幾つかのキーワードがございますので、御存じのデータもあるかと思いますけれども、最初に、長寿社会、高齢化社会というよりは長寿社会ですね、寿命の伸長に伴う様々な社会問題、課題についてお話ししたいと。後半は、格差の問題中心にお話をしていきたいと思っております。 長寿社会、これは今新しい人口推計が発表されるということになってきているようですけど、まだ発表前だと思います。新しい人口推計でどのくらい寿命が延びるかということになるわけですけれども、これは過去の人口推計で、一九八一年の推計から最新の推計まで、寿命の延びですね、縦軸は寿命、横軸が各時点での予測ということになっていますけれども、二〇二五年までデータが入っていますけれども、寿命の延びがどう予測が変化したのかというのを見ていただいているということになります。 端的に言うと、一九八一年の予測では女性の寿命も八十歳ぐらいで頭打ちすると、ここですね、八十歳ぐらいで頭打ちをするという前提で作られていたわけですけれども、これも御案内のとおり、予想外に寿命が延びているということで、推計を繰り返すたびに寿命の上昇変更が行われていくということが見て取れるということです。 だから、少子高齢化と一概に言われますけれども、子供の数が減っているだけではなくて、予想以上に寿命も延びているということを理解しておかなければいけないということです。 そういった動きはまたいろいろなデータを見て分かります。 一般的には平均寿命と言われている概念を使うケースが多くて、男性も八十代に入り、女性も八十代後半に入ったというふうに言われていますけど、こちらで出ているのはいわゆる中位寿命、その人口の半分が生存する年齢ということで、これはかなり高い数字が来ていると。中位寿命、平均寿命じゃなくて中位寿命ですね、ちょうど半分の、真ん中の人が何歳まで生きるのかという予測になります。 あるいは、次が、これが例えば六十五歳まで何%の方が生きるのか、七十五歳までに何%の方が生きるのかという数字でありますけれども、緑の六十五歳のFは女性を意味していますけれども、現時点で女性の九〇%の方が六十五歳まで生きると、男性も八〇%の方が六十五歳まで生きるという生存率になっているということになります。 寿命の延びがどうなるのかというのは非常に難しいわけでありまして、過去においては、人類、寿命をいかに延ばすかという、人類の夢ですから、昔はもう子供の半分ぐらいが最初の五年間で亡くなっちゃうと。これ、ローマ時代とか奈良時代とか平安時代とかはそういう時代だったわけで、そういう時代の残されているデータを見れば、初めの生まれて五年間で子供の半分が亡くなっちゃうということによって寿命が短い時代があったわけですけれども、福祉国家や産業革命以降は、子供が早く死ぬということによって寿命が抑えられるという時代は終わってきて、子供は生存率が上がってくると。 そして、その福祉国家後は、六十五歳到達以降の生存率がどんどん上がってくるということになってきているということで、寿命がどこまで延びるかというのは、いろいろなデータがあるんですけれども、この赤い点線で示されているように、時々、もう幾ら何でも頭打ちだろうと。先進国のトップの国の寿命の一番長い国の数字をプロットしているものなんですけれども、しかし、日本の女性が今トップですけれども、止まるだろう、止まるだろう、止まるだろうという予測は出るんですけれども、うれしいことにというか、その止まるだろうという予測を裏切って寿命は延び続けてきている歴史であるということです。 今後も、医療技術の発展や食事や環境の改善の影響を積極的に取り入れれば、最近もそういう本が出ていますけれども、今世紀生まれた子供たちの半分近くが百歳まで到達するのではないかと。これは、今の寿命予測みたいに過去のトレンドから将来を予測するんじゃなくて、今後起きる未来の様々な技術も考慮すればそういう時代も来るのではないかというデータも出てきているということです。 いずれにしても、従来の人口推計、これは人口推計の手法としては仕方がない部分があります。過去のデータを使って未来を予測するという方法を使うわけでありますので、世の中の技術変化が予想以上に速ければ寿命の延びを抑えて予測しちゃうわけですけれども、実際にはそれを上回って寿命は延びているという状況でありまして、これが、結果、人口推計が例えば六十五歳以上の人口が将来何万人になるんだと。例えば、一九七〇年代、八〇年代の予測は二千五百万人ぐらいにとどまるだろうと予測されていたわけですけれども、最新の予測だと四千万人に到達するのではないかという予測が出てきている。だから、二千五百万人と四千万人というのは全然違うわけでありまして、こういうふうに人口推計も五年置きに実際の動きをフォローしてそれを吸収して将来予測をするわけですけれども、技術の変化や社会構造の変化が、それを上回るスピードで寿命が延びているということになっているようです。 したがって、年金制度、社会保障制度に影響を与えるのは六十五歳以上人口ということになるわけですけれども、六十五歳以降何年生きるのかと。平均寿命よりは六十五歳時点での余命があと何年あるのかというのを例えば年金で議論する場合は見なきゃいけないんですけれども、例えばこの二〇一五年。この点線入っているのは、五十五歳、六十歳、六十五歳というのはその時代その時代の厚生年金の支給開始年齢を意味しています。だから、戦時中つくられた厚生年金は当初は五十五歳、戦後、六十歳に支給開始年齢上げられて、六十五歳に切り上げられたという形で、寿命の延びに合わせて年金の支給開始年齢は先送りされているわけですけれども、そのピッチを上回るスピードでどうも、特に女性の六十五歳時点の余命は延びていくのではないかということになるわけです。 二〇六〇年になると、六十五歳以降で女性が二十七年とか二十八年とかそのくらい生きるという形になってくると、四十年間保険料払って三十年間年金をもらうという姿は自分四人で自分三人を支えるということを意味するわけですから、これは大変厳しいことになるということになります。 その辺をどう乗り越えるかという話を次にしたいと思います。ちょっとこの辺の話はスキップしたいと思います。 ちょっと今の話の続きでいくと、ダイレクトに影響を与えるのは年金制度であろうと思います。この生活の、老後生活の保障の基礎になる年金制度でありますけれども、重大なジレンマというかトリレンマというかに直面していると。一つは、財政の持続可能性を維持しなければいけない。二つ目は、しかしながら最低保障の維持はしなければいけない、生活保護とのバランスも考えなければいけない。三つ目は、世代間の公平性を維持しなければいけないと。 一番目を重視すれば、保険料を上げるか給付を下げるかしなければいけない。二番目を維持するためには、今度は保険料を上げなければいけない、しかし保険料を上げ続ければ若い世代から不満が出ると。こう非常に難しい問題に今関わっている。これは、世界中の年金がこういう課題に直面していると。 今日は寿命の延び、少子化も年金財政にはマイナスの影響を与えるわけですけれども、今日は寿命の延びに着目すると、現時点では、寿命の延びがこれ以上、今の予想の範囲で進んだとしても年金財政は持続可能であるという形にはなっています。これは、二〇一四年の財政検証で、八ケースの財政検証のうち、労働力率が伸び、生産性が上昇して、そして投資の収益率が一定の数字が確保できるという五ケースにおいては維持できるということにはなってはいます。 ただ、よく考えてみると、寿命が延びているにもかかわらず年金の支給開始年齢も六十五歳に固定して年金の持続可能性が維持できるというのは、どうもそんなうまい話があるわけじゃなくて、正確に言うと、これは巷間言われているマクロ経済スライドによって毎年一%ずつ年金の実質給付水準を下げるということを行うと。それで、厚生年金の場合は、マクロ経済スライドは報酬比例部分について五年程度適用すれば安定するとされていますけれども、より問題なのが国民年金、基礎年金の方と。こちらは、マクロ経済スライドを三十年ぐらい適用しないと財政的には維持できないということになるわけです。 この意味することはどういうことなのかというと、この次の話になるわけですけれども、この二番目のキーワードになるわけですけれども、寿命が延びた分だけもらう期間が長くなるよ、したがって一年当たりもらう金額は減らすよと。だから、もらう金額はどの世代でもバランスは取れるけれども、あなたたちの世代は前の世代よりも寿命が延びているんだから、もらう時間長いよねというロジックになるわけですけれども、一年当たりの年金はその分だけ、対賃金の価値を見てみると、厚生年金だと二〇%、基礎年金だと三〇%ほど実質価値が下がると。これは対賃金です。賃金を分母にして分子を年金額にしたときのこの比率が下がるという意味です。年金額が下がるという意味じゃなくて、年金の価値が二割から三割程度下がるというのが正確な意味でありますので、そういうことが二〇一四年の財政検証では確認されているということになるわけです。この実質価値の低下をどう考えていくのかというのは大きなテーマになるかと思います。 生活保護の方は、国民の標準的な家計支出の動向に合わせてその金額を調整しますので、マクロ経済スライドみたいに、寿命が延びたから、子供が減ったからという理由で継続的に給付水準を決めて下げていくということではないと。経済成長と家計の実質支出に連動して生活保護の方は決まるわけですから、当然、年金、特に基礎年金が実質価値が下がってくる一方で生活保護の実質価値が維持されていけば、当然、逆転現象が出てきて、逆転現象が広がる危険性もあるということについてどう考えていくのかというのは大事なテーマかなとは思います。 基礎年金の給付、現行基礎年金の実質水準を一〇〇にしたといったときに、対賃金上昇率との比較で見ると、二〇四二年で大体三〇%の水準低下、もしHケースと言われている労働力率がほとんど伸びない、成長もほとんどないという一番厳しいケースで想定すると、基礎年金の実質価値は四三%下げないと年金財政は維持できないという難しい問題に差しかかっているということになります。 ただ、一方では、今から十年後、二十年後、三十年後の六十五歳は今の六十五歳と同じ人たちなのかということも考えなければいけないと、三十年前の六十五歳と今の六十五歳が同じような能力を持った人なのかと。最近も老年学会の方から発表されたように、かなり健康状態も改善していると、そして高齢者の就労能力も知的能力も維持できているということになれば、現時点でも六十歳代後半ぐらいまでは働く能力や、その能力はあるんだろうと思います。 仮に、そういうことを考慮して、今後、例えば四十年加入にして六十五歳から支給というルールを変えて、四十五年加入にしてみましょう、あるいは四十七年加入にしてみましょう、六十七歳からの支給にしてみましょうとなると、この落ちていく年金を、こういう加入期間の延長や就労期間の延長によって、その引き下がる分を取り戻すことはできるということになると思います。そういう意味では、今日あした年金の支給開始年齢を上げるとか上げないとかいう問題ではなくて、こういうふうな超高齢化社会の中で、その六十歳後半の方をどのように能力を、活躍してもらうのか、特に今の既に六十五歳になった方をターゲットにするよりは、今の五十代、四十代にそういう意識を持たせるということは非常に重要ではないかなと思います。 ただ、一言申し上げておくべきなのは、六十代に入ると当然個人差が、健康においての個人差が出てくると思います。日本でも、所得と健康の相関性、所得が低い人ほど健康が悪いというような研究も千葉大の近藤先生なんかも発表していると。ただ、ほかの国で見られるように、非常に膨大な国民レベルの、所得においてどのくらい健康状態と寿命が違うのかということに関する研究は余りない、ほかの国ははっきりこの関係は確認されています。 だから、平均所得が、平均寿命が上がったから平均的に働ける人も上がっただろうという平均の議論をすると、当然、低所得の人は付いてこれなくなるということも考えなければいけないので、そういうところも視野に入れながら、高齢期の所得保障と労働政策は考えなければいけないだろうと思います。 これが高齢化に伴う話でありまして、次に、少し話を飛ばして格差の話に進めていきたいと思います。不足した部分は後ほど議論の中でまた資料を使って補いたいと思いますけれども、これが最近よく注目されている象の姿と言われている、世界各国で、世界全体を見たときに、どの層の賃金が、所得が上がって、どの層の所得が下がっているのかというのを見たものです。いわゆる新興国の国民の所得は上がり、先進国の中間所得層の所得は下がり、そして先進国のトップのみがリターンが出ているということで、グローバル経済はその格差を拡大したのではないかという意見が最近よく指摘されるようになっています。 日本においても、やっぱり非正規労働者の増加などがあって、これは消費態度指数と言われているもので、所得階層別に、あなた、今後半年間お金をよく使えるようになりますか、消費が意欲高まりますかというアンケートに対して、所得の低い人は、ここをレンジ的に見てもらえばいいんですけれども、余り高まっていないと。高所得者グループは、一時期低所得者とほぼ同じ動きをしていたんですけれども、大体安倍政権辺りぐらいから急激に高所得は将来の見込みは改善しているということになっています。 同じように、所得階層別に、将来あなたの賃金がどうなりますかという質問に対して何%の方が期待があるよと答えているのかというと、高所得層は上がっていくと、期待と答える人が増えていくけれども、低所得層は依然として下の方でとどまっているという傾向があるというわけです。 この高所得層と低所得層の将来期待へのギャップですね、将来の見込みのギャップの動きが、見たのがこの二つの線でありまして、特にこの時期は高所得層と低所得層で将来に対する見込みが大きな差ができた時期であるというふうに見て取れます。 こういうふうに、景気、経済が多少上向きになったとしても、低所得層はなかなか将来にいい未来が持てないと。これは恐らく非正規の増加と、こういったものが背景にあるのではないかと思います。 残された時間も短いので、この非正規層の課題や貧困の課題を着目してみますと、これはいわゆる世代間の貧困連鎖を示した線だと言われています。横の数字がいわゆるジニ係数で、その国の格差の大きさ。縦軸は、父親が貧しければ子供も貧しい、父親が豊かであれば子供も豊かであるという、その世代間の格差の連鎖の強さを示していると。既にアメリカは格差の連鎖は極めて強い国になっている、北欧は世代間の格差の連鎖が弱い国になっているということが見て取れると。日本はどうでしょうかというと、まあまあ、今の時点では中間的なところに位置するとされています。 子供の貧困率、試しに全国消費実態調査の個票を使って子供の貧困率の都道府県別格差を推計をしてみました。八・五%というのは国民生活基礎調査を使った子供の貧困率一六%に比べると半分近い数字になっていますけれども、これは、全国消費実態調査というのは比較的高所得層をカバーしていると言われていますので、この八・五%と一六%の違いというのはデータに基づく部分であると。したがって、着目すべきは、やはりかなり都道府県間で大きな差があると。 もちろん、これ後で議論する機会があれば補足説明をしますけれども、信頼区間、九五%信頼区間というのを別途計算していますので、ある一定の幅で議論しなければいけないというわけでありますので、この県とこの県が逆転しているのはどういうことなのかというのは、推計誤差が当然ありますので、たかだか数%の差であれば、それは推計誤差の範囲になります。ただ、見てみると、やはり常にパフォーマンスのいい県がある一方で、常に悪い方の上位に来る県も存在しているということは留意しなければいけないだろうと思います。 さらには、恵まれない子供たちに対して最後フォーカスを当てたいと思います。 これは横浜市が行った子供の貧困に関する調査ですけれども、虐待を受けている子供がかなり多いと言われている養護施設の子供たち、子供たちの六割から七割が虐待経験者であるとも言われていますけれども、そういう子供たちは社会や未来に対して、人に対してどういう見方をしているのかというのをこれ見たものであります。これが、施設出身の子供ではない、施設出身の子供たち。まとめて言うと、施設出身の子供たちは非常に人に対して、社会に対して信頼性を持っていないということになると。 虐待が子供たちの脳の構造にどういう影響を与えてくるのかと。これは性的虐待が、受けた子供たちの脳の容積に関する研究でありますけれども、要するに、場合によっては長い期間において子供たちの、子供時代のそういう劣悪な環境や虐待、そういったものは子供の将来を大きく左右する危険性もあるんだと。これは一つの研究でありますので、そういう研究もあるということです。 子供の貧困については、特に恵まれない子供たちの貧困は一時点の貧困では済まないと。生活環境の改善は長い良い影響を与えて、それは長い間続くんだと。逆に、放置することによって、一時点の子供時代の貧困が人生の選択や考え方に大きなマイナスの影響をもたらして、それが貧困の連鎖につながっていく可能性がありますということでまとめたいと思います。 最初の私のプレゼンは以上にさせていただきたいと思います。どうもありがとうございます。
○会長(川田龍平君) ありがとうございました。 次に、熊谷参考人にお願いいたします。熊谷参考人。
○参考人(熊谷晋一郎君) 皆さん、こんにちは。熊谷と申します。 今日は本当に貴重な機会をいただきましてありがとうございます。 私は、今日は障害に関して、特に暴力の問題を考えたいと思います。 暴力というのは、自分と異なる他者を排除しようとする振る舞いのことですね。ですから、異なる他者と共生する社会を考える上で、その逆照射をする、つまり暴力の問題から逆に暴力のない社会を考えることで共生社会というのはどういう条件を満たしていなければいけないのかということを考えてみたいと思っています。 私は、今、大学の方で当事者研究というものを専門にしています。今日の本題に入る前に少しだけ、私が取り組んでいる当事者研究、今日お話しさせていただく内容というのは、当事者研究からの知見を半分、それからこれまでの先行研究のエビデンスを半分という形でプレゼンテーションいたしますので、まず、その当事者研究というものを、まだ聞き慣れない言葉だと思うので、少しだけ説明をしたいと思います。(資料映写) 当事者研究とは何かというと、一言で言うと自己知、つまり自分に関する知識やあるいは自助、自分を助ける方法を共同創造する、英語ではコプロデュースする、そういう実践というふうに要約することができるかと思います。 ここで言うコプロデュース、共同創造という概念は昨今欧米で注目されている概念で、従来、当事者、つまり障害を持っていたり貧困であったり虐待を経験したりという社会的弱者は、サービスの受け手、受動的なエンドユーザーとして規定されることが多かったわけですが、そうではなくて、サービスや政策やあるいは支援法や医療などの生産者になる。もちろん、当事者だけで生産者になることはできないので、専門家の側方支援が必要なわけですけれども、受容する消費者ではなく生産者側になるという取組が、実は非常に効率のいいサービスを、ある条件を満たしていれば効率のいいサービスを生み出すことができるんだというふうな考え方のことです。 昨今は、精神医療領域、特に臨床研究の中でこのコプロダクションというのが注目されていて、従来、主に臨床研究や薬の開発といった精神医療の臨床研究というのは、専門家がリサーチトピックを立ててそれに対してリサーチプランを立てるというふうなことが多かったんですが、それだと満足度の高い、コストエフェクティブな支援がなかなか開発されないということが注目されるようになり、そうではなくて、例えば、これ今お示ししている例は、統合失調症の方に集まっていただいて、次の十年で解いてほしい問いを言ってくださいと、それをトップテンリストを作るわけですね。そのトップテンリストに対して公費を付けて全国に公募する、研究者を募るというようなジェームス・リンド・アライアンスというイギリスでの取組を紹介したネーチャーの論文です。こういった取組が欧米では注目されていて、その日本版が言わば当事者研究と言えるものなわけですね。 当事者研究というのは、昨今、AMEDなんかでも支援をいただいていますけれども、当事者が精神医療あるいは医療全般をコプロデュースする取組として注目をされ始めているものです。 改めて、当事者研究とは何かといいますと、障害や病気を抱える当事者が困り事の解釈や対処法について、従来のように医者や支援者に任せきりにして受動的なエンドユーザーになるのではなく、自ら自分の困り事のメカニズムを解明しようとする研究者になるんだと、そして、似た経験を持つ仲間や支援者、専門家と助け合って困り事の意味やメカニズム、対処法を探り当てる取組、要約すると自己知と自助のコプロダクションというふうに要約できるかと思います。 実は、自己知と自助の関係というのは、これ私が取ったデータですけれども、向かって右側ですね、横軸が把握可能感、つまり自分の経験に関して意味を発見している度合いですね、自己知そのものです。縦軸が反すう傾向といって、自分の過去に起きた出来事をくよくよくよくよ、ぐるぐる思い悩む傾向の強さですね、これが強い負の相関をしている。つまり、自分を知ることというのは、単に知識が得られるだけじゃなく、それ自体がメンタルヘルスやウエルビーイングにとって非常に重要なんだということを示したデータになります。 自分を知ることが何のメリットになるのかというと、大きく言うと四つぐらいあるんですが、そのうちで特に今日注目したいのがコミュニケーション能力ですね。自伝的記憶というのは、自分に関するこれまでの経験を意味ある一つの物語としてまとめた記憶の総体のことです。自己知そのものですね。その自己知があるとコミュニケーション能力が高まるということがよく知られています。それからもう一つ、展望記憶といいまして、未来の構想を描く、私はこういう人間になりたい、こういうことをしたいという意思決定の力が、自伝的記憶によって、何というかファシリテートされるということも分かっています。 現代社会においてそのコミュニケーション能力と将来に対する展望を持つというのは、不確実性が増した社会でとりわけ個人に要求される二大能力なわけですけれども、そういったものの基盤にこの自己知、専門用語で言うと自伝的記憶といったものが存在しているんだというのが当事者研究の着想の一つです。 逆に、自己知、自伝的記憶というものがうまく整理整頓できないとどういう症状が起きるのかといいますと、ちょっと、これは当事者の方が作った再現VTRですが、フラッシュバックですね、夜寝ると、目を閉じると、その日に起きた出来事がばんばんばんと勝手に再生される。トラウマを持っている、虐待を受けている方なんかよくこれが起きますけれども、トラウマを持っていなくても、例えば自閉症を持っている方なんかですと、トラウマなしでもこのフラッシュバック症状というのが起きます。 それから、そのフラッシュバックの映像を見ながらあのとき私はああ振る舞ってよかったんだろうかというふうな反省をずっとしてしまう、これを先ほども紹介しました反すう傾向といいます。もう一つ、OGMというのは、抽象的にしか過去を思い出せない、そういった記憶の持ち方で、実は、後ほど説明しますが、自殺率と相関することが分かっています。 これまで述べたようなフラッシュバックや反すう傾向あるいはOGMというのは、いずれも自己知がうまくまとめ上げられていない、自伝的記憶の統合がうまくいっていない兆候として知られているものです。そういう意味では、当事者研究がアプローチしようとしている自己知の再構築、コプロダクションというのは、こういったメンタルヘルスのかなり中核的なところに介入しようとしている取組というふうに言えます。 これも私たちのデータですけど、自閉症スペクトラムでも、昨今急激に人数が増えているコミュニケーション障害を中核とする発達障害の一種ですが、自閉スペクトラム症でもOGM傾向が強いということが分かっておりますし、先ほども申しましたように自殺のリスクがこのOGMと相関するということも分かっています。 じゃ、そのOGMといいますか自己知や自伝的記憶がうまくまとめ上げられない人はそのままに放置されていいのかというと、そんなことはありません。実は、自伝的記憶がうまく統合できる条件として知られているのが、自分の日常的な経験を言葉であるいは記号で分かち合える他者が周りにいるかどうかということが決定的に重要だということが知られているんですね。 必然的に何が分かるかというと、生まれつき見え方や聞こえ方といった認知特性の異なる少数派はそういった経験の分かち合いの機会が乏しくなりがちですので、そうするとOGMやフラッシュバックになることは必然なわけです。あるいは、先ほど駒村先生もおっしゃっていた虐待なんかもそうですね。虐待の本質は秘密です。つまり、人知れず誰とも分かち合えないひどい仕打ちを経験している、そこからの回復は、実は同じような虐待経験を持った人と一緒に自分の経験をカミングアウトして分かち合うことなんですね。そういうふうに秘密領域を持った自伝的記憶というものを持っている人も、同じくOGMやフラッシュバック、あるいは自殺率の高さ、それから今日後半で述べる犯罪の加害というものと結び付きやすいということが分かっています。 そういう意味では、人知れずひっそりと誰とも分かち合えない経験を持った少数派同士が自分の経験を似た仲間と分かち合うという当事者研究の取組自体が、これら一連の問題に対してかなり中核的な効果を及ぼすということが予想されるわけですね。実際、私たち、昨年から臨床研究をやっておりまして、まだ論文にはなっていないんですが、かなり強い手応えを感じているところがあります。 以上が当事者研究のあらましに関する説明でした。 ここから暴力の話をしようと思うんですけれども、皆さんも御存じのとおり、昨年七月二十六日に痛ましい事件が起きました。障害者施設をある容疑者が襲って、十九名の仲間たち、障害を持つ仲間たちが殺されたという事件、津久井やまゆり園の事件ですね。私は大きな衝撃を受けて、八月六日、十日後に追悼集会を開いたんです。国内外からおよそ四百通、たった十日間で四百通の、その中にはアメリカ大使館、当時の大使からのメッセージもありましたけれども、四百通のメッセージが届いたんですね。その中で特に私が印象に残ったメッセージ、一つだけ紹介します。 カナダのソーシャルワーカーのライナスさんという方のメッセージで、彼女はこういうふうに言っているんですね。このような困難な状況において、一部の人々が問題を外部化し、依存症者、精神障害者、特定の専門家といった他者を責めたくなることは理解できます。しかし、私たちは、自分たちの住むこのコミュニティーに他者などおらず、暴力行為や依存症、そして精神疾患は症状にすぎないということを知っています。そうした症状は社会のより深部にある満たされていないニーズを反映しているのですというふうに述べている。 つまり、こういった陰惨な事件が起きると犯人捜しをしたくなる、そして自分とは関係のないと思われる犯人、専門家や依存症者や精神障害者、そういった他者に全ての原因を押し付け、そして彼らを責め上げて社会から排除することであたかも自分たちのコミュニティーはまたクリーンな状態に戻ったという幻想を抱きたい動物だということを述べている。しかし、それは全く問題解決にならない。むしろ、真犯人はこの社会全体なんだ、そしてそれを支えている我々一人一人が真の加害者なんだということを見詰めましょうということを述べています。 残りの時間では、この暴力の問題を暴力の加害側からのエビデンス、それから被害側からのエビデンスに分けて紹介したいと思います。ちょっと時間の関係で少し飛ばしながらになりますけれども、まず暴力の加害のリスクに関するこれまでの先行研究を見ていきましょう。人はどういうときに他者を排除するのかという研究です。 結論だけ言いますと、これまで統計的に関係があるとされているリスクファクターは八つあります。八つ全てを説明することはできませんが、おおよそ三つに分けられます。赤い色を付けたところと青い色を付けたところとピンク色の色を付けた三つですね。赤い部分は、一言で言うと反社会的な行動パターンと言われるものです。青い部分は、社会的排除そのものです。例えば、親密な他者との関係からの排除、あるいは就労や教育からの排除、そういったものです。そして三つ目、これは後ほど、保留が必要だと、少し補う必要があるんですが、薬物使用によって暴力の加害性が増すというふうなエビデンスがありますが、これは、じゃ薬物を禁止したらいいと、そういう単純なものではないことを後ほど説明します。 これを見ますと、青い部分は社会的排除だが、赤い部分とピンクの部分は個人の特徴なのかなと勘違いされやすいのですが、そうではなく、赤い部分の反社会的行動は、実はソーシャルエクスクルージョン、特に経済的な貧困や差別といった問題によって説明されるということが分かっています。必ずしも個人に帰責できるような特徴ではないということです。 それから、薬物依存も同様です。差別や社会的な排除というものが薬物依存症の背景にあるということが分かっています。当事者研究の中でも、薬物依存症だとカミングアウトするや否やなかなか就職先が見付からない、それによって社会に再びインクルードされる機会を失って、再びアンダーグラウンドに行かざるを得なくなるというような当事者の語りがよく聞かれます。こういった差別というものが依存症に対して燃料を与えているということは重要です。 そう考えますと、先ほど述べたビッグエイトと呼ばれる八つの暴力の加害のリスクというものは、個人に帰属できるリスクというよりは、社会が一部の人を排除することによって、その排除された人々を加害性のリスクにさらしているということがお分かりになるかと思います。 少しだけ飛ばします。もう一つ重要なのは、依存症、薬物依存症が実は虐待などのトラウマによって引き起こされるという十分なエビデンスがあるということです。先ほど駒村先生のデータの中にもありましたが、虐待を受けていると人が信用できなくなります。あるいは、社会を信用できなくなる。そうすると、他者に依存できなくなるんですね。困ったときに他者に依存できない。健康な人は実は依存しているんです。たくさんのものに依存している。ところが、虐待を受けると依存できなくなる。依存できない病が依存症なんだということをまず理解していただきたい。消去法的に、人に依存できない人は物質に依存して、人に迷惑を掛けないで何とか問題をクリアしようと思って当然なわけですね。それが依存症なんだということです。ですから、依存症から回復したければ、依存できる人を増やすということが重要になってくるわけです。 依存症の結果、女子刑務所に入った方々の当事者研究というのも私たちやっているんですが、研究の結果が非常に興味深い結果になっています。一言で言うと、刑務所はどういうところだったかというと、犯罪の学校だったというふうに要約されているわけです。実際、海外でも笑えないような取組がございます。刑務所の中で学んだ文化が犯罪のリスクを高めるという十分な証拠があります。ですので、刑務所から出所した人に対して、その刑務所で学んだ文化を解除するためのプログラムというのを税金を投入して回している地域がある。素朴に考えれば、そもそも最初から刑務所に入れなければよかったんじゃないか。二度税金を使っているわけですよね、刑務所に入れてリスクを高めて、それを解除するのにもう一回税金を使うというような状況で、本当に、今まで慣習的に薬物依存の人を、違法な薬物を使ったからという、ただそれだけの理由で刑務所に入れてきたわけだけれど、そこにエビデンスはあったのかということが今先進国では問い直されているんですね。エビデンスベースドなポリシーメーキングになっていたかどうかということです。 実際、トラウマを持っている人が犯罪の犯すリスクが高いという十分な証拠があります。それともう一つ、刑務所に入るとトラウマが増えるという十分な証拠があります。二つを足し合わせたら何が起きるか。トラウマ・刑務所・犯罪、トラウマ・刑務所・犯罪という三角形がぐるぐるぐると回るような事実、現実というものが容易に想像が付くわけですね。ですから、何が何でも現行の刑法の制度の枠組みで、何でもかんでもエビデンスを無視して刑務所に入れることが本当に妥当なのかということを考えるタイミングにあると。 実際、国際的なNGOで薬物に関する政策に対して様々なエビデンスベースドな提案をしているNGO、GCDPというNGOがあるんですが、その勧告の中でも、薬物使用者、単純使用者ですね、つまり犯罪をほかに、薬物以外の暴力や犯罪を犯している場合にはもちろん刑務所に入らないといけないけれども、単純に薬物を使用しただけで刑務所に入れることはエビデンスに合っていないということを勧告しているわけです。 以上が暴力の加害に関するお話でした。残り二分で暴力の被害、特に障害を持った人がどういうときに暴力の被害を受けやすいかという話をします。 これが結論ですね。大きく言うと三つの要因に分かれます。暴力を受ける子供側の要因としては、移動能力の低さ、言語能力の低さ、これは容易に想像が付きますよね。暴力から逃げられない、移動できなければ逃げられない。言語がうまく操れなければ暴力を受けたという経験を他者に報告できない、あるいは信用されないということです。三つ目が非常に重要で、見えにくい障害、これは発達障害や高次脳機能障害など、周囲からは健常者と違いが分からない障害は、実は暴力の被害を受けやすいということが分かっています。なぜかというと、周囲の大人が健常者並みに振る舞えることを期待するからですね。その期待外れな行動に対して意味が分からないので、この子はきっと反抗しているんだとか、この子はサボっているんだというふうな解釈を周囲が与えやすい。しかも、本人もその周囲の解釈を内面化しやすい。なぜなら、見えにくい障害というのは、周囲から見えにくいだけじゃなく、本人からも見えにくいからです。ですから、自分は駄目なんだというふうにして自尊心をすり減らしていく。そういう中で、見えにくい障害というのは、実は暴力の被害を受けやすいだけでなく、加害にもつながりやすいということが分かっています。ここを何とかしなきゃいけない。 それから、養育者側の要因。これは親密さが暴力の加害につながりやすいということが分かっています。とりわけ共依存ですね。共依存というのは、言葉の正しい意味で説明すると、相手の依存先を独占することで相手を支配することと定義されます。依存できる先が少ないと、ほかに依存できない、つまり相手に支配される構造になるわけです。ですから、親、特に障害を持った子供の親なんかは共依存になりやすいということが分かっています。それから、ストレスですね。これ、ストレスは経済的なストレスももちろん含まれます。あるいは、先ほどの見えにくい障害について申し上げたような、障害についての知識の不足、これも暴力の加害につながりやすい。 そして、最後、環境要因。社会的排除が強い環境では暴力の加害が起きやすい。 このスライドでおしまいにしますね、もう時間も来ましたので。 最後、もう一つだけ環境要因で重要なのが、専門的な支援が充実していれば暴力の加害がなくなるのかというと、そういうわけでもない。むしろ、隣近所に依存できるか、隣近所にSOSが出せるかということが非常に重要なんだということが分かっています。 ちょっと尻切れとんぼになってしまいましたが、取りあえず暴力の加害、被害の話をさせていただきました。話は以上になります。どうもありがとうございました。
○会長(川田龍平君) ありがとうございました。 次に、藤田参考人にお願いいたします。藤田参考人。
○参考人(藤田孝典君) 改めまして、皆さん、こんにちは。今日は本当にお招きいただいてありがとうございます。貴重な機会をいただいたことに感謝申し上げます。 私の方からは、経済・生活不安の解消において今、近々の課題となっている格差、貧困をどう縮小していけばいいのかということを話をさせていただけたらと思っております。(資料映写) 私は、今日、肩書にも書いてありますが、NPO法人ほっとプラスというところで、これは埼玉にある団体なんですけれども、年間約五百件、生活に困窮されている方の相談を受ける事務所で活動しております。そこには十代から八十代まで様々な方が、生活に困窮されて、中には明日の生活にも不安を抱えているという状況で相談に来られています。その方たちの実態から、まずは、どう政策があるべきなのか、どういうふうにしたら生活不安を解消していけるんだろうかということを話をさせていただけたらというふうに思っております。 私自身、いろんな相談を受けておりますので、昨今、ブラック企業等の問題で若者が非常に苦しいという方も相談に来ますし、労働相談ありますし、あるいは家賃が滞納してしまってというような住宅政策の相談も多く寄せられるというような、そんな状況があります。様々な生活に困難を抱えるという方たちがいらっしゃるので、これにどうやって向き合っていったらいいのかというのが今の現場の専らの課題になっております。 それに対して、私たちのNPOは、弁護士、司法書士、税理士、あるいは不動産屋さん、労働組合、様々な方に協力してもらいながらそれに対応していくということをしています。ここから見えてきた問題を少し今日は話ができたらいいかなというふうに思います。 一言で言えば、現場で困っているという方たちにサポートするNPOの活動がまだまだ足りないという状況もありますし、そういった活動のネットワークがまだ弱いというんですか、そういった実態もあるかなというふうに思います。なので、これは、おととしから生活困窮者自立支援法が施行されていますけれども、まだまだそれを加速していく必要性があるだろうというふうにも思っております。 なぜこういう生活に困っている方たちが実態としては増えている、あるいは高止まりの状態が続いているのかということについては、やはり失われた二十年というんですか、経済がなかなか上向いていかないという中で、働いても十分収入が得られない、賃金が得られないという若い人、それを中心にしながら、子供は育てにくい、あるいは親に仕送りができない、後半でちょっと高齢者の貧困問題についてもお話をさせていただこうと思いますが、親を援助することが難しいというような実態が浮かび上がってきます。 なので、まず、貧困率が非常に世界で見ても高い方に位置する国にもうなってしまったんだというような、そこからどうやって脱却したらいいんだろうかということが大きな課題として上がってくるんじゃないかというふうに思っております。 御承知のとおり、先ほど駒村先生もお出しした、先ほどは全消の資料に基づいたデータですけれども、こちらは国民生活基礎調査に基づいた調査でも同じように高い数値が見られる傾向があるかなというふうに思います。 子供の数は減っているわけなんですが、貧困に苦しむ、そういった状況にある子供たちは逆に増え続けてきているというのが今の日本の実態であるかと思います。 中でもNPOに相談が寄せられる件数で多いのは一人親のお母さん、母子家庭のお母さんという実態はもう明らかです。これは統計を見てみるとはっきりしておりまして、相対的貧困率、これ五四・六%と非常に高い数字が見られていて、世界最悪の水準じゃないかというふうな指摘もされている状況です。要するに、貧困が生まれやすい家庭があって、生活不安を抱えやすい家庭があるんだということがまず注目すべきところじゃないかというふうにも思います。 先ほど、駒村先生の補足にもなりますけれども、じゃ子供の貧困を放置するとどうなるのかということを考えていただけると、これ日本の将来を大きく左右する問題と言っていいんじゃないかというふうなデータが出てきます。 これ、文科省が出しているデータですけれども、低所得の子供の家庭からは大学進学率が低い、もう性急に労働力を売らざるを得ない、労働力の窮迫販売と呼ばれますが、もう中学校卒業、高校卒業してから働かざるを得ないというような、そういった子供たちが出てきているという状況です。ですので、当然ですが、まだ日本社会、大学、大学院、進学した方がほかの学歴と比べても所得がやっぱり高いという傾向が見られますので、この大学の学費が捻出できない、教育費が捻出できないということは子供の将来に大きな影響を与えていくだろうということがデータでもはっきり見えてくるかと思います。 下のデータは、低所得であればあるほど成績とも相関関係が激しいというデータです。これ、ようやく少しずつ、大学の学費をどうやって工面していけばいいのかということで、政府の方でも少しずつ奨学金等を入れていこうということで議論が始まっていますけれども、どの家庭で生まれたとしても、これは将来、もう希望ですね、大学に行くか行かないかと選択肢を提供するということはやっぱり大事だと思います。今は選択する余地すらもないというのが、低所得の家庭の子供たちあるいはお母さん方が抱える大きな不安として上がってきています。 是非現場に足をお運びいただきたいなというふうにも思っておるんですけれども、今、子供食堂、子供の学習支援、急速に行っているNPO、各社会福祉法人が増えてきています。この現場に足を運んでみるとどうかというと、もう既に将来の夢を語らない子供たちが出てきています。 この前相談を受けた女の子は中学校二年生で、将来の夢は何ですかと聞いてみると、正社員と答えるんですね。正社員ってなぜなのかというと、これ雇用形態ですので、なぜこういうふうな答え方をするのかというと、お母さんがダブルワーク、もう日中も夜も家にいなくて、一生懸命働いて子供を育てている、時給八百円、九百円で働いているという状況ですので、それだと将来が不安定なので、私はああいう働き方はしたくないという声が現場の多くの子供たちから出てくるというんですか、もう非正規雇用が非常に広がっているという状況もあって、正社員であることがそもそも夢になりつつあるというような子供たちもかなり見られてきている傾向かなというふうに思います。成績が優秀であっても大学進学を諦めざるを得ないという子供たちが平成になったこの日本社会であってもまだいらっしゃるという状況を何とか改善していかないといけないかなというふうに思います。 一つは、なぜこういう実態になっているのかというと、働いている労働者、特に三十代以降でばりばり働いている、要するに稼働年齢層と呼ばれる方たちの貧困率が上がっているという傾向も見られています。ですので、働いて、普通だったらちゃんと賃金が得られる、福利厚生等企業から受けられて安心して家族を養うことができるという人々が、企業の体力の低下とともに、なかなかそうなっていないという方たちが非常に増えてきている実態があります。 要するに、社宅であるとか家族手当であるとか、以前は大部分の企業が提供していたということがあるんですが、軒並み、企業で今、給料以外支給する、ほかの福利厚生がなくなっているという状況がありますので、これは、後半にも少し付け加えさせていただきたいなと思っているんですが、まず、これまで企業が行ってきたこういった福利厚生を出さない限りは国民生活の不安は解消しないんじゃないか、あるいは、働いている賃金だけだと十分に子供を育てること、あるいは家族を養う、親を養うということはちょっと難しくなってきているんじゃないかということを指摘せざるを得ない社会保障の実態があるかなというふうに思います。なので、まず一番最初に削る、経済が衰退している、低迷しているという状況で削るのは人件費あるいは福利厚生費になりますので、この部分を誰が担うのかという課題が大きく出てくるだろうというふうに思っております。 もう一つ、昔から貧困問題がなぜ起こるのかという議論をしていく中で、必ず賃金と社会保障という議論になります。これは、賃金が少なくてもそれを補う社会保障があれば人々は生活不安を抱えないというわけなんですが、日本は残念ながら今非常に中途半端な状況にあると言わざるを得ない、賃金が低くて、なおかつ社会保障が弱いと言わざるを得ないんじゃないかなというふうにも思っております。 これ、国際比較で最低賃金の金額を挙げているもので、少し前のデータなんですけれども、世界各国と比べてもまだ随分低いレベルの水準にあります。少しずつ、今、過去最多で最低賃金の伸び率も上がってきている状況ではありますが、引き続き、シングルマザーのお母さんが少なくとも子供と向き合える時間を持つための賃金、あるいは、この後お見せする、年金を少ないがために働くお年寄りが少し働いただけで暮らしが楽になる、生活ができる、過度に労働に埋没しなくても人間らしい暮らしができるというような、そういった働き方を是非御議論いただけたら有り難いなと思っております。残念ながら、今シングルマザーのお母さん、低所得である若者、高齢者、様々な方は、低賃金であるがゆえにダブルワーク、トリプルワークという非常に過酷な中働いている、働かざるを得ないという実態があるんじゃないかなというふうにも思います。 今までは子供の貧困、シングルマザーのお母さんの貧困等を見てきましたが、次は、若者の貧困、なぜ生活不安なのか、生きづらいのかということを見ていけたらと思っています。 御承知のとおり、非正規雇用が非常に拡大してきているという傾向もありますし、福利厚生が軒並み削られてきているという傾向もありますので、なので、結婚することもそもそも難しいという若い方たちが出てきています。これは先ほどの駒村先生のお話にもあるとおり、少子高齢化が進む中で、子供がいなければ当然、年金、様々なもの、社会保障の財源というものが確保することが難しい中で、若者の貧困が広がっているという状況なんかがあるかなというふうに思います。 どれだけ働いてもなかなか今報われないという状況もありますので、それが何を招いているかというと、若い人たちは本当は元気に働いてもらって納税をしてもらったり社会に貢献してもらうということが必要なはずなんですが、私たちの元に相談に来られる方は軒並みうつ病、精神疾患、あるいは自殺未遂含めてかなり追い詰められている状況にあるんじゃないかというふうに思います。これは、頑張って働いても報われないという実体験があるというんですか、あるいは三十代になるともう三つ、四つ転職を繰り返さざるを得ない、なかなか賃金が上がらないという就労形態が増えてきていますので、この賃金だけだとなかなか生活ができない若者たちをどうするのかということが議論される必要があるんじゃないかというふうに思います。 後半の話にもちょっとつなげていきたいところはこの上の実家暮らし率の割合でして、若者が実家から出られないという現象が今急速に起こっているというところが私が各種指摘しているところです。以前であれば、ちゃんと働きさえすれば、企業に勤めさえすれば、最初の三年、五年は実家暮らしで、その後は実家を出られて独り暮らしということがあって、そこで結婚する、同棲する、様々な機会があってライフコースを歩んでいくということになるわけなんですが、日本の若者は実家から今出られない。要するに、賃金が低過ぎて、あるいは企業が社宅、住宅手当、様々なものを支給を取りやめていますので、この辺りの急速な実家依存というんですか、親依存、あるいは家族依存と言ってもいいかもしれないですけれども、相互に支えざるを得ないという実態が生まれています。 これ、フランス等幾つかヨーロッパの調査結果でも住宅政策の弱さと未婚率、少子化の相関関係って比較的エビデンスが出始めておりますので、この住宅政策、若者の住まいをどうするのかということ、特に低所得の若者、非正規雇用、不安定な若者の住宅をどうするのかということがもう少し議論されてもいいのかなというふうにも思っております。 特に若者についていえば、教育費の高さ、これ子育て世帯にも言えますけれども、教育費の高さ、あとは卒業した後の職業訓練制度の不十分さ、失業した後はまた同じ低賃金の労働に従事せざるを得ないというような、なかなかそこから抜けられないという実態とか、あとは家賃分が高過ぎるというんですか、特に二十三区内、平均すると大体家賃十二万円から十四万円、ワンルームでもそれくらい掛かりますので、初任給十八万円から二十二万円くらい、大卒初任給であってもこれくらいの住宅費になってくると負担するのは到底難しいだろうということが見て取れるかなというふうに思います。 これ、以前は、繰り返しになりますが、企業が一部住宅手当を支給していたということなので、それは表面化しなかったわけなんですが、非正規雇用の拡大と福利厚生費の削減に伴って若者が非常に急速に生活がしにくくなっている、明日への希望が持ち得なくなってきているという状況があるんじゃないかというふうに思います。それの一環が、うつ病あるいは自殺等の蔓延ということで起こってくる一つの問題かというふうに思います。 あとは、最後は高齢者の貧困問題についても見ていこうと思いますが、まず、高齢者の貧困も、悠々自適に高齢者は暮らしているんじゃないかと思われていたんですが、そうでもないんだという実態を一昨年からずっと指摘してきています。 まず、先進諸国の中でも、幾つか議論、先ほど駒村先生の中でも年金の議論がありましたが、年金が実は貧困を抑止するためのものになっているのかということがもう一つ注目すべきところかなというふうに思っております。特に一人分の年金、国民年金であったり遺族年金、旦那さんが亡くなった後の女性の遺族年金が、支給されたとしても人間らしい暮らしが難しいというんですか、そんな実態なんかが浮かび上がってきています。 特に、年齢を重ねれば重ねるほど、年を取れば取るほど貧困率は上がっていくというんですか、そんな傾向も見られていて、そのときに医療費、介護費の負担が重くのしかかってきますので、高齢者は、当然ですが、自分の生活を何とかしようとすると過度な貯蓄に励むということが今の実態です。 ですので、個人消費が伸びようがないというんですか、一生懸命今政府でも経済対策をやろうとしていますが、将来不安、生活不安があればあるほど、それが解消しなければしないほど個人消費が伸びないだろうということはやっぱり言うまでもないことかなというふうに思います。若者は教育費の高さ、住宅費の高さ、高齢者は医療費、介護費、あとは住宅、同じように困っている、それに不安を抱えているということが分かりやすく出てくるかなというふうに思います。 あとは、ちょっと飛ばそうと思いますが、高齢者の中で生活保護受給世帯も、やっぱり年金を受けていても生活保護にならざるを得ないという方も増えているということからもお分かりのとおりですし、これは幾つか私もやや過激な言葉を使いながら、下流老人という言葉を使いながら高齢者の貧困問題を可視化、見える化していこうという取組等をしております。これくらい過激な言葉を使わないとなかなか対策が前に進まないというんですか、なので、実態としてはかなり広範に高齢者の貧困問題も広がっているという状況があるかと思います。 どれくらい高齢者が今年金もらって生活しているのか、個人当たりの年金を見てもらうと、一人当たり十万円以下で生活しているという状況があります。これは夫婦で何とか暮らしているから今の高齢者は貧困に苦しまなくて済んでいますが、これくらいの水準の年金支給額だと容易に生活保護基準を割り込んでくる、あるいは人間らしい暮らしができなくなってくるということが予想できるかと思います。医療、介護が必要になったら誰がこれを負担するんだろうかということは議論がされる必要があるだろうというふうに思います。 あとは、なぜ今格差、貧困の議論なのかというと、このなかなか経済が低迷しているという状況の中で、生活費自体は減らない、だけれども収入が下がっている。これは全体的に収入が下がっているんですが、年金受給者、労働者、全体的になかなか上がらないという状況もありますので、最近、若干大企業を中心に上向いてきている傾向はありますが、全体的には相変わらず沈んでいる傾向が取れますので、生活費自体は下がりませんから当然手元に残るお金が減りますので、これが生活が苦しいという要因の一つになるだろうというふうに思います。 なので、後半のまとめになっていくと思いますが、この支出をどう下げるのかという政策がやっぱり最も重要になってくるかと思います。介護費、医療費、教育費、住宅費、保育料、様々な支出、これがなければ人間らしい暮らしができないというものの支出をいかに下げていくのかということが議論として必要かと思っております。これ、収入を上げるということがちょっと難しいという場合には、あとは支出を下げる政策をどう入れるかということになりますので、この支出を下げる政策も是非御議論いただけたらいいのかなというふうに思っております。 これからも独り暮らしの高齢者は増え続けていきますし、地域の関係性も希薄化していくという状況も見られています。なので、働かざるを得ないという高齢者が増えていきますので、これ、元気に働く高齢者はいればいいと思いますが、先ほど駒村先生もおっしゃったとおり、高齢者は非常に個別差がありますので、年金が少ないがために特に低所得の方たちが窮迫して労働力を売らないと暮らしが成り立たないということがないように、丁寧な制度の導入を期待したいところです。既に高齢者であっても働かざるを得ないという環境が広がっていて、世界でも類を見ないくらい働かざるを得ない高齢者が多い国になっています。 結論を申し上げると、最後、これがやっぱり必要だということで申し上げると、医療、介護、住宅、教育、保育で積極的な税の投入をまず先行的にお願いしたいというふうに思っております。これ、支出を下げる政策を是非導入していただきたいということです。これ、具体的に空き家活用であるとか、あるいは、今、定年した方たちが退職金でたくさんアパートを建設したりとしていますので、この税制優遇をしたりしながら、なるべく低所得の人に住宅を供給するのであれば、税制優遇等の措置をするということであるとか、様々、住宅の支出を下げてあげたり教育費をなるべく無償に近づけていったりだとか、医療、介護等の不安を解消していく施策を更に推進いただけたら有り難いというふうに思っております。特に、家族がいないと苦しいという状況にある、家族が依存し合わないと困ってしまうという状況をなるべくなくしていくというんですか、そういった状況がやっぱり必要なんじゃないかということを思います。 今は残念ながら、上に挙げた五つ全て買わないといけない、商品になっていますので、これ買わなくてもあらかじめそろっておくような、脱商品化された社会といいますけれども、そういった社会をなるべく目指していく方が、人々の生活不安は解消し、個人消費、貯蓄に回っていたお金が個人消費に回っていくんじゃないかということも予想されるかというふうに思います。 私の方からは以上にしたいと思います。どうも御清聴ありがとうございました。
○会長(川田龍平君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。 これより質疑を行います。 本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。 まず、各会派一名ずつ指名させていただき、その後は、会派にかかわらず発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。 質疑を希望される方は、挙手の上、会長の指名を待って御発言くださいますようお願いいたします。 質疑及び答弁は着席のまま行い、質疑の際はその都度答弁者を明示していただきますようお願いいたします。 なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、答弁を含めた時間がお一人十五分以内となるよう御協力をお願いいたします。 それでは、質疑のある方は挙手を願います。 自見はなこ君。
○自見はなこ君 ありがとうございます。本日は、国民生活・経済に関する調査会にて質問する機会を頂戴いたしましたことを心から感謝申し上げます。参議院の自見はなこでございます。よろしくお願いいたします。 まず初めに私の所感を述べさせていただいた後に質問に入りたいと思います。 私は、去年の七月の参議院選挙で、全国比例区で当選をさせていただきました。三人の先生方のそれぞれの立場からのお話を今拝見しながら、自分自身がなぜ政治を志したかということの原点を改めて思い出させていただくような、すばらしいそれぞれの先生の内容であったと思っております。 私自身は、選挙に出るまでは実は小児科の医師でありました。実は今日で四十一歳になりましたけれども、私が政治を志すことを決めたのは三十八歳の頃でありました。それまで私は一小児科の勤務医として働いておりましたけれども、実は突然掛かってきた医療の国際電話での相談というものがきっかけになって私は政治の道を志すことを決めております。 それは、当時私が働いておりました虎の門病院の小児科での当直の日のある晩の出来事であります。一件の電話相談がアメリカから掛かってまいりました。それはお母様からの電話、小児科でございますので、お母様からの電話相談でありました。お母様がおっしゃるには、自分に十二歳の一人の女の子がいて、一週間東京でホームステイをしている。その子がおなかが痛くなってしまって、泣いてお母さんに国際電話で相談をしてきた。お母さんは大変心配になって、一体どうしたらいいんでしょうかということで電話相談をしてきたというのが私が受け取った電話でありました。 お話を聞いておりますと、幸いにもお嬢様の症状というものが本当に軽いおなかの風邪、胃腸炎の初期の症状かなと思われましたので、日本であれば誰もが当たり前にするように、こうやって水分摂取をしたらよろしいんじゃないでしょうかとか、あるいはこんなふうな症状が出てきたらすぐに病院にかかってくださいねという、日本であれば当たり前のいわゆる電話相談というものをさせていただきました。 ところが、その電話相談が終わりましたときに、実はお母様が電話の向こう側で本当に大きな声で号泣されました。私が大変驚いて、一体どうされましたかとお母様にお伺いしたときにおっしゃった一言というものが私のある意味でいえば人生を変えたわけですけれども、そのときの一言というのが、私の国の私の入っている民間の医療保険では私は直接医者と話すことすら許されていないのに、日本ではこうやって医者とも話すことができて、かつ夜中に受診してもいいよと言われるなんて、何ていい国なんでしょう、ゴッド・ブレス・ジャパンと言って本当においおいと泣き続けられました。そのことが私はきっかけとなっております。 それまで留学経験もございましたし、頭の中では国民皆保険というものがいかに大事かということを分かっているつもりでございましたけれども、改めて、医療がビジネスである国ではこんな思いを人々が抱きながら生きているんだ、そして、日本ではこの国民皆保険というものがやはり政治で守られているということは知っておりましたので、私も本当に、一小児科の勤務医ではありましたけれども、この国民皆保険がない国になってしまった場合に、恐らく医療従事者である私たちがこの悲惨な状況というものに耐えられないだろうという思いで、これは守っていきたいという思いで私自身は政治の世界に飛び込んでおります。 本日は、それぞれの参考人の先生方が御指摘を下さいました。貧困というものは大変大きな社会問題であると私も思っております。特に、最近は四百万から七百万円の所得の層というものが一気に落ち込んでまいりまして、残念ながら所得の二極分化というものが明らかに日本でもなっております。その中で、子供の六人に一人は貧困にあえいでいるという状況の中で、子供食堂を民間の基金を活用してですとかいう流れは、私自身は私たちの国の在り方としてはいま一度立ち止まって考えるべき課題ではないかなと思っております。 また、参考人の先生の藤田先生からも御指摘ございましたように、子供を持ちたい世帯というものが実は、もちろん二十代、三十代の特に結婚して五年以内の世帯には多うございますけれども、その中の八三%の世帯の方々が経済的な理由というものを挙げて子供が持てないというのが実情であると思っております。 私自身はいわゆる大きな政府論者でありまして、この所得の再分配というものを強化していくこと、そして次世代に投資をしていくことというのが今の日本にとって最も求められているものではないかなというふうに思っております。 質問に移りたいと思っておりますけれども、私は、様々な考えがあるとは思いますけれども、行き過ぎたというあえて形容詞を付けさせていただきますけれども、行き過ぎたグローバリゼーションですとかあるいは新自由主義というものが私は多くの人々を幸せにするかどうかということに関しては大変疑問を感じております。 本日は大変貴重な機会でございますので、それぞれのお立場から、まずグローバリゼーションの本質というものは何だとお考えかということと、それから、格差とこのグローバリゼーションということを結び付けて考えるということが最近よく新聞の論調でも出てきておりますが、それについてのお考えと、そして、この格差社会というものが今あるとするとすれば、それのスタート、きっかけは一体どこに日本社会の場合はあったかと、この三点について、まずそれぞれのお立場から御意見をお伺いできたらと思います。
○会長(川田龍平君) では、まず駒村参考人。
○参考人(駒村康平君) では、今の三つの御質問についてお答えしたいと思います。 私の資料でも、今のグローバリゼーションの話は象の姿、象の姿というパワーポイントを使わせていただきました、二十四ページ。 グローバリゼーションについては、経済学者は、世界全体で見れば世界全体の中での格差は縮まっているんじゃないかという言い方をしています。つまり、新興国の人の所得が上がっているから、それは一つの成果であると。ただ、一方では、国の政治というのは国家単位で意思決定、民主主義の意思決定行われますので、この中間層がグローバリゼーションの結果埋没していくということは、当然不安定な状態になってくる、政治が不安定になってくる。これが今、トランプ現象なりUKの、あのイギリスの離脱の問題なんかにもつながっていると思います。 グローバリゼーションをやる一方で、当然多くの国もそれを心掛けてきたわけですけれども、再分配政策を同時に強化すると。つまり、グローバリゼーションを進めたければ再分配政策をやらないと、付いていけない人が政治を通じてそのグローバリゼーションそのものを潰してしまうというのが今起きている状態だと思いますので、そういう意味では、アメリカは、イギリスにしても、グローバリゼーションの二極の、二つの車輪である再分配の強化が非常に甘かったということが言えるんではないかと思います。データを見る限りは、グローバリゼーションをやっている国は大きな政府を目指しているという傾向はあったんですけれども、不十分だったという理解をしています。これが最初の二つの答えになるかと思います。 三つ目は、日本の場合はやはり九〇年代前半のバブル崩壊が大きな影響だったと思います。先ほど藤田さんがお話ししたように日本型雇用システム、つまり、いいか悪いかは別にしても、一つの企業で働いて年功賃金で保障して住宅も買えるような、子供を学校に行かせるような社会モデルがあったと。残念ながら、それと引換えに、結婚した女性は早く家に戻ると、こういうシステムが起動していたわけですけれども、肝腎要の年功給あるいは企業福祉がどんと落ちた、そして非正規労働者が増えたと。それを補うように本来は社会保障が出てこなければいけなかったわけなんですけれども、財政状況が非常に悪かったためにそこを補えなかったということで、今の状況が起きているのではないかと思います。 以上です。
○参考人(熊谷晋一郎君) 私は完全に専門外で、門外漢なもので、うまく答えられる自信は全くないんですが、少し、私のきっと役割だと思うので、障害に関連した部分でお話しできることをお話ししようと思うんですが。 今回、能力主義ですとか優生思想というものが昨今障害者に対して大きなプレッシャーとしてのしかかっていて、その背景には、やはりそういった優生思想や能力主義がはびこる土壌というものがあるんだろうと思います。その最たるものが恐らく分配の仕方、もう既におっしゃっている生産物に比例した形で分配する貢献原則と、それから必要に応じて分配する必要原則の割合が、後者の必要原則を担う担い手というのは国家がその担い手なわけですけれども、グローバリゼーションというのは、その国家の力がある意味では弱まって、グローバル企業というものが力を持ち始めて、それと比例して、もしも分配の仕方も割合として貢献原則にウエートが強まっていくとすると、そういった能力主義あるいは優生思想というものがはびこる、それがひいては障害者の尊厳を傷つけるというようなことが今起きているんではないかなというふうには観測しています。 日本に関して、格差のきっかけ、これは全くちょっと私も素人なので分からないんですが、私の周辺では発達障害という概念が、急に人数が増えた時期というのがおおよそバブル崩壊以降なんですよね。その発達障害と呼ばれてラベリングを貼られてやってくる、当事者研究の場にやってくる方の多くはかつては健常とされていた人で、恐らくメンバーシップ型の雇用の中で包摂されていた人なんだと思うんですね。そういった人々が今急速に社会から排除されて、そして、その排除の理由を個人化するための概念として発達障害というものが非常に活用されているというふうな印象がございます。 その背景に何があるのか、もちろん私、門外漢ではありますが、私の周辺でも観測される事実としてはそういった現象が起きているなというふうな感触を持っています。
○参考人(藤田孝典君) 私の方からは、駒村先生とほぼ同意見ですけれども、国際競争をするということでいえば、やっぱり企業が生き残り策をあらゆる手を取っていく、取っていかざるを得ないという非常に企業にとっては厳しい時代を迎えているんじゃないかというふうに思います。 その企業が、もうこれ禁断とも言えますけれども、手を付けてきたのが人件費、福利厚生費だと私は思っておりますので、なので、いわゆる弱肉強食というんですか、なるべく強くありたい、生き残りたいということを考えれば、そのためにどういう手段を取れば企業体が生き残るのかということを考えたときの手だてだったんじゃないかということで、多くの労働者が低賃金の中に埋没し、一部の企業であれば正社員とかエリートの人たちだけはうまく以前の終身雇用、賃金形態の中に残されていて、なので、格差が非常に広がっていきつつあるかなという、そういった状況かと思っております。 なので、大企業の正社員であっても非常に厳しいし、長時間労働で苦しいし、中小零細も厳しいし、非正規雇用の人たちはなかなか暮らしが成り立たないというんですか、なので、どの労働者の人たちも厳しいという状況にありますので、これ、それぞれの階層で厳しさを解消するための、先ほど社会保障がなかったということがやはり大きな要因だと思いますので、なので、この社会保障を企業に全部委ねてきたと言っていいと思うんですね。なので、この社会保障を、じゃ企業がやらなくなったら、労働者を守らなくなったら誰がするのかということは次の日本を見据える上で重要な視点かというふうには思っております。
○自見はなこ君 それぞれの先生からのお立場の御発言、本当にありがとうございました。熊谷参考人には、貢献原則と必要原則の再分配の話まで及んでいただきまして本当に感謝をしております。 残された時間が僅かでございますので、最後コメントにして締めたいと思います。 私は、この格差社会というものを何とか日本が乗り切っていかなければいけないと思っておりますし、そのための社会の制度づくりというものに対して一議員としてしっかり頑張っていきたいと思っております。 今、私は医療の分野が専門でありますけれども、医療の世界では地域包括ケアというものが今進められております。これに恐らく一番大事になってくるのは、いろんな制度の構築と同時に、その地域の力そのもの、人と人との結び付きそのものが大変大きな意味を見出してくると思っております。失われた二十年は恐らくは分断の歴史であったのかなと思いますけれども、私は、これからは連帯の、人と人が改めてつながり合う時代になっていけたらいいな、そのためのお手伝いを立法府の一員として働けたらいいなという思いで本日は先生方三人のそれぞれの御意見を拝聴させていただきました。 ありがとうございました。
○会長(川田龍平君) 平山佐知子君。
○平山佐知子君 参議院議員の平山佐知子と申します。 今日は、本当に三人の先生方の貴重な現場に即したお話、また御提案等も藤田先生からもいただきました。本当に貴重なお話をありがとうございます。 中でも年金について様々お話がありましたけれども、まずは駒村先生に伺いたいと思います。 私は団塊ジュニア世代でございまして、以前の職は、いわゆる正社員ではなくてフリーランスで仕事をしておりました。大変長年不安定な状況が続いて、体力的にも精神的にも、僅かかもしれませんけれども、大変な状況を経験をいたしました。そんな中、国民年金を払い続けるというのは大変しんどくて、頑張って働いて、そして頑張って納付して、しかも四十年真面目に納めても、満額で六十五歳になって受け取れる額というのは今でいうと六万五千円ということで、大変厳しい。そして、しかも先生のお話にもありましたけれども、著書にもありましたけれども、マクロ経済スライドが二〇一四年検証では基礎年金部分のみを大きく引き下げることが、対賃金ということですけれども、明らかになったとあります。 非正規労働者が今こうして増えている状況で、また、世帯も高齢者の単独世帯が増えるなど世帯構造が変わってきている現状を見ても、かつて自営業者を中心に考えられてきた第一号の基礎年金、この部分がこのままでいいのかどうか、この仕組みからもう見直す必要があるんじゃないかというふうに私も疑問に思うところもあるんですが、まずその辺りを先生のお考えを聞かせていただきたいと思います。
○参考人(駒村康平君) では、お答えさせていただきたいと思います。 高齢化によって、先ほど正確に申し上げたように、金額ベースよりは水準ベースで見ると、これは対賃金で見るか対物価で見るかによってその水準の落ち方は少し違うわけですけれども、貨幣価値を、経済が成長して賃金が成長したらば社会も豊かになると、その豊かさに高齢世帯が付いてこれるかという尺度で見たときに、対賃金上昇率で見たときに、徐々にですけれども、二〇四〇年ぐらいまでマクロ経済スライドは続くと想定されると、基礎年金の実質水準は三割ほど下がるという見込みになっているということです、これは正確な。 おっしゃるとおり、ただ、一九八五年あるいは一九六〇年代にできた現行制度は、やっぱり一号というのは自営業者であると、こういう想定だったわけですけど、実際起きているのは一号の大半が非正規労働者になってきていると。つまり、国民年金一号は既に自営業者年金ではなく非正規労働者、あるいは不安定労働者、零細企業者の労働者が入る年金になってきているということは構造変化として捉えなければいけないだろうと思います。 〔会長退席、理事風間直樹君着席〕 したがって、対応すべきものは、まず現行制度の中でやるべきものは、徹底的な非正規労働者に対する厚生年金の適用拡大を行うと、このことによってほとんどの、国民年金の一号の四割、五割ぐらいはもう適用拡大することによって厚生年金に吸収されますので、厚生年金は所得比例で保険料払いますから、少ない保険料でも二階はもらえますので、場合によっては三号も付いてきますので、非常にメリットがあると思います。もちろん、企業側としては反対したいとは思いますけれども、私は、まずやるべきことは非正規労働者に対する厚生年金、同時に健康保険の適用拡大、これを徹底的に進めるというのがまずやるべき政策だと思います。 以上です。
○平山佐知子君 ありがとうございます。 そうすると、本当に、単独世帯だとなかなかそこら辺の救済、まあ再分配なのか、様々また議論が必要なのかなというふうに考えますが、まずはその四割から五割は助かるということで厚生年金への移行ということ、大変参考になります。ありがとうございました。 また、藤田先生にもお伺いしたいんですけれども、先ほど、一人親世帯、大変厳しい状況があるというふうにお伺いしました。私も、地元が静岡県なんですけれども、静岡県の母子寡婦福祉連合会という一人親の方々が入っている団体があるんですが、その方々に聞き取りをしたところ、やはり大変厳しいと、ダブルワーク、トリプルワークをしても子供さんの給食費もなかなか支払うのが大変だというお話を聞いたりしております。 藤田さんの著書の中でも、若者たちの中でも生活保護受給者予備軍は相当分厚い層を形成しているというふうに書かれているところがありました。ただ、本当に厳しい方を救済するこの生活保護ですけれども、一方で、受給しても例えばギャンブルに使ってしまうとか、生活保護ビジネスという言葉も私聞いたことがあるんですけれども、そういうものがあるのも現状かなと見受けられます。その辺り、本当に困っている人を救済するものである一方でそういう方々もいらっしゃるという現状を、もし知っているところがあれば聞かせていただきたいなと思います。
○理事(風間直樹君) 藤田参考人、どうぞ。
○参考人(藤田孝典君) ありがとうございます。 私、現場で何をしているかというと、ソーシャルワーカーとしてそういった生活に困窮されている方と向き合っておりますので、先ほどの様々な方たちを生活保護制度に結び付けたりとか支援の救済制度に結び付けるということを行っています。 その中で、例えばギャンブル依存症であるとかアルコール依存症であるとか、熊谷さんの領域も含みますけれども、そういう依存症に罹患しているという方たちが非常に多く見られていて、これに対するケアとか支援体制であるとか、本人が望む、当事者からの、支援を受けられるような体制になっていないという状況もあって、実際にはもう小さな政府としてケースワーカーが一人当たり持つ人員数というのも非常に多いという状況がありますから、なので、一人当たり相当過重な負担が出てきているというんですかね。以前であれば、ちゃんと依存症を治療に結び付けたり、安心してそれこそ依存ができる関係性をケースワーカーさんと結んだりだとか、そういったことができていた福祉職が急速に今減ってきていますので、この辺りの、だから、ケアをする、人々をケアする、困っている人たちをケアするという仕組み自体が人員削減とともに随分弱くなってきているんじゃないかというふうに思っています。 〔理事風間直樹君退席、会長着席〕 ですので、地域福祉という言葉で、最近、地域に何でも委ねていこう、財源がないので公務員を減らして福祉的な機能を地域に委ねていこうということが強い傾向があるんですが、できれば公、公務員の人たちがちゃんと福祉事務所内で働きやすく人々をケアできる仕組みを整備していっていただけると有り難いなというふうには思っております。
○平山佐知子君 ありがとうございます。 では、もう一つ、熊谷先生にもお話を伺いたいんですけれども、私もやはり地元の障害者のお子さんを持つ親御さんたちのNPO法人の方にもこの前お話を伺ったんですけれども、様々意見交換をさせてもらう中で、どうしてもやはり障害者の方々の生涯の選択の余地がすごく狭まっている気がするというお母さん方の御意見がたくさんありました。 様々支援をしてもらっていることを踏まえて、もちろんぜいたくは言えないというふうなことはそれぞれおっしゃっていたんですけれども、そんな中で、例えば放課後デイとか、十八歳までの様々支援をしてくださる国の予算も入った施設はたくさんあるんですけれども、十九歳になってしまうと、じゃ例えばショートステイでどうですかというふうに言われると。そうすると、十九歳の若者でも高齢者の方々と一緒の施設になってしまうと、もうただそこにいるだけ、何もしないような状況、そのような世界があるだけだということになってしまって、それで本当にいいのかどうかということを疑問に感じていらっしゃるお母さん方がたくさんいらっしゃるように感じました。 日本でいうと、私もちょっと勉強不足のところもあるかもしれないんですけれども、十八歳までの様々な支援が手厚くある一方で、十九歳以降の長い生涯の中でどういうプランを考えていけばいいのかすごく迷っていらっしゃる方が多かったので、その辺りのことで、もし、どういうプランがあるとか、具体的に何かあれば教えていただきたいと思います。
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。 これは日本に限らずアメリカの支援者にも聞いた言葉ですけど、ブラッディーナインティーンという言葉があって、血みどろの十九歳ですね。これは、障害を持った子供が十九歳になったときに、親たちが行き場を失う現象を指して親の会でよく使われる言葉です。日本でも全く同じそのブラッディーナインティーン問題というのは起きていると思います。 その最も重要な背景というのは、じゃ本当に十八歳までの支援というのは共生社会にかなうものだったのかどうかというところだと思うんですね。手厚い囲い込みであるケースというのは結構多くて、地域の中で例えば同年代の子供たちとどれぐらい一緒に過ごすことができたのか、素人に支えられる機会を十八歳までにどれぐらい得てきたのか。とかく、先ほども虐待を受けやすいリスクの一つとして専門的支援への囲い込みの問題というのがありましたけど、十八歳までの支援の在り方がもしもコミュニティーから排除する形で手厚さを提供しているものだったとすると、非常に十九歳以降の適応状態に大きな影響が出るということが、それこそエビデンスがあるんですね。 ですから、十八歳までの支援は手厚いという前提で論じるのではなくて、もしかすると十九歳以降を見越していない手厚さですね。地域の中で、私なんかは、専門職というのはもっと黒子のようになって、地域社会の中で共生できるような人間関係を支援するような、ちょっと縁の下の力持ち的なサポートが必要だと思うんですけれども、本当にそういうふうになっているのかというとちょっと心もとないところがやはり、私も小児科で外来でそういった相談非常に多いので、十九歳以降どうしましょうというふうな。思うと、やっぱり十八歳までの暮らしぶりというものが非常に大きく影響を及ぼしているな、そこで資源を開拓してこなかったことというのが、これは別に本人のせいではないんですけど、社会の支援の仕方が、必ずしも手厚さと共生社会というのが一致はしないというところは意識しておく必要があるのかなと思っています。
○平山佐知子君 ありがとうございます。 そうすると、やはり周りも、地域も含めて、御家族もそうですけれども、十八歳、放課後デイでいろんなカリキュラムがあるから、じゃ、そこに入ってもらってというふうに安易に考えるのではなくて、それぞれに見合った生活の仕方というか……
○参考人(熊谷晋一郎君) 見合ったというよりは、混ぜこぜ……
○会長(川田龍平君) 熊谷参考人。
○平山佐知子君 お願いします。
○参考人(熊谷晋一郎君) 済みません。ごめんなさい。 そうですね、見合ったというよりは、ある種、混ぜこぜというんでしょうかね。今、小学校で例えば特別支援学級に行くのかそれとも普通学級に行くのかというのが、もしかすると以前よりもよりきめ細やかにするために排除するというんでしょうかね、そういうふうなレトリックが若干目立つ感じがしているんですね。 そうすると、十八歳までの育ちは専門的支援によってあたかもバックアップされているように見えるんだけれど、十九歳から地域の中にぽんと出たときに全然つながりがないというふうな状況になりがちで、そこら辺を、本人に合わせたとかカスタマイズしたきめ細やかなというレトリックがもしかしたら社会からの分離の方に働いていないかというのは、ちょっとチェックする必要があるかもしれません。
○平山佐知子君 ありがとうございます。 貴重なまた現場の声を様々私も聞いて、また何かあれば御相談をさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。 ─────────────
○会長(川田龍平君) この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、朝日健太郎君が委員を辞任され、その補欠として徳茂雅之君が選任されました。 ─────────────
○会長(川田龍平君) 伊藤孝江君。
○伊藤孝江君 参考人の先生方、本日は本当にありがとうございました。公明党の伊藤孝江です。 先ほどお聞かせいただいたお話で、また資料としていただいていた文献等を踏まえて幾つか御質問をさせていただければと思っております。 まず、先ほど熊谷参考人の方からも社会の土壌づくりというお話があったんですけれども、その点に関連して三名の参考人の先生方にお聞きさせていただきたいと思っております。 まず、駒村先生にお聞きいたします。 社会保障、年金の関係で、超長寿社会ということもあって、年金の制度自体もこれから考えていかないといけないのではないかというような御指摘もるるいただいているところだと思います。年金の仕組み自体、本当にやっぱりこれから特に年齢層がたくさん変わってくる中にあって、制度設計をまた考えていかないといけないということもあるかと思いますけれども、その中にあって、やはり社会保障制度を、年金だけではありませんが、どれだけ国民の皆さんにしっかりと理解をいただけて納得をいただけて、またそれぞれが痛みも踏まえた負担部分もみんなで分かち合うことができるかというのがやはり大きな課題になってくるかと思います。 その中で、国民の皆さん方の、もちろん年金であれば金額がたくさんもらえるようになるというだけであればいいんですけれども、その金額がなかなか生活には足りないであるとか、また払う側は大変だという、そういう状況の中で、皆さんから御理解をいただけるためにどういうような国としての取組なりしていく必要があるか、また、そのための課題等について今お考えになられていることがあればお教えいただければと思います。
○参考人(駒村康平君) ありがとうございます。 私は、社会保障改革国民会議でもメンバーとして二〇二五年までの絵姿を議論して、そのときには、社会保障給付費は百五十兆円ぐらい、二〇二五年に到達するだろうと。ただ、このときには、やっぱり自助と共助と公助をどうバランス取るのかということで、百五十兆円に膨らむとはいうものの、実は、共助と言われている部分の社会保険が中心でしたけれども、かなり抑える部分も、例えばさっきのマクロ経済スライド、介護保険、後期高齢者医療制度、あるいは高額療養費制度、いろいろな部分でやっぱり少し抑えなきゃいけない部分もあるということだったと思います。 これで取りあえずは二〇二五年、見通しは付いたとはいうものの、若い世代はやっぱり今後どうなるんだろうかというところが見えないわけですね。もう僅かあと八年とか七年とかいう時期まで来ていますので、やっぱりこのくらいまでは負担していただければこの程度の給付はできますよという見通しを二〇二五年から先も出さないと若い世代の不安は解消できないんじゃないかと。つまり、できる範囲を、できる水準と費用負担を、長期見通しを早めに出さないといけないというのが私は重要かと思います。 あと、自助、公助も期待される部分があるんですけれども、公助は、先ほどからの議論にあるように、税財源でやる部分でなかなか増やしていくというのが難しい部分になる一方で、実際には増えていると思います。自助も頑張ってもらいたいところはあると思いますけど、実際には非正規が増えてしまったり賃金が停滞してしまったりしていると。 もちろん、先ほど私がお話ししたように、今四十代、五十代の方は場合によっては年金の支給開始年齢が延びるかもしれないけれども、それは自分の寿命も延びたんだから自助の部分で働ける能力のある人は働いてもらおうという、このまた見通しも、どんな状態になっても六十五歳で年金は大丈夫ですよ、その代わり三割下がっちゃいますけどねという話じゃなくて、三割下がることを回避するためにはこういう政策があるんだということを早めに政府がプランを出すということも大事かなと思います。 最後に、国民会議では互助の話は出ていませんでしたけれども、先ほども熊谷さんのお話あるいは藤田さんのお話にあったように、やっぱり互助というものは極めて重要だと思います。それは、先ほど熊谷さん、あった話の中も、やっぱりごちゃ混ぜという話もあったと思います。これは実際に石川県なんかで、障害を持った方も高齢者も周りの住民も潰れてしまったお寺にみんな集ってお互いにケアをし合う、遊ぶ、こういった場をつくっていますので、こういう地域づくりも、これは決して簡単なことじゃないと思いますけれども、目指していかなければいけないと思いますので、片方では互助の仕組みを充実して、公助はきちんとその一番最後の部分を守り、そして自助は特に高齢者には活躍できる余地を、若い世代に対してもメッセージを出し、長い人生どう生きるか、そして共助の部分、社会保障の部分、社会保険の部分は、このくらいのことはできます、このくらいの費用負担は求めますということをはっきり長期展望を出さないといけないと思います。 以上です。
○伊藤孝江君 ありがとうございます。 どうしても、年金だけではありませんが、社会保障全般に関してすごく今ネガティブなイメージが先行しているところもあって、自己責任論と言われる部分もありますので、そういうところではなくどういう社会をつくっていくのかという視点で本当に私たちもしっかり取り組んでいきたいというふうに思っております。 先ほど、社会の土壌づくりということで、今、駒村先生にお聞きさせていただいたんですが、熊谷先生と藤田先生にも併せて少しお聞きさせていただきたいと思います。 先ほど来のお話しいただいていたところで、例えば貧困の連鎖の点であるとか暴力で人を排除するというようなところで、富裕層なのか貧困層なのかで人生が決まるとか、またあるいは障害があるのかないのかというところでいろんな立場が決まっていくというようなことも踏まえて、熊谷先生の資料の中で読ませていただいて私が本当にそうだなと思ったのが、生産能力に応じて資源というのは与えられるものではなくて、生きていることそのものに対して無条件に資源は与えられるべきだというふうにおっしゃっておられたのがすごく私自身は心に残っております。本当に排除か連帯かというのが今すごく問われている社会の中で、何とかその連帯という社会をつくっていきたいというところで私自身も思うところです。 私も弁護士としてこれまで元野宿者の方の相談であるとか生活保護施設とか更生保護施設の入所者の方の相談にもずっと応じてきた中で、先ほどお二人からお話をいただいたいろんな現状ですね、就職活動一つ取ってももうなかなか思いどおりにいかないというような現状で、どうやって生活を立て直していくのかというところもこれまで現実も見せていただいて、本当に今議員としてできることに取り組んでいきたいという思いでいっぱいです。 その排除か連帯かの中で、連帯する社会をつくっていくと。そのための国としての取組ですね、人権教育というものであるのか、どういう形で、またこういうものを取り組んでいけばいいんじゃないかというような、現実の活動の中で思われている課題なりありましたら教えていただければと思います。
○会長(川田龍平君) まず、では熊谷参考人。
○参考人(熊谷晋一郎君) 私は、中間層が没落している今のタイミングというのは、一方では連帯のチャンスだと思っているんですね。つまり、あした障害者になるかもしれないというリアリティーを、少なくとも潜在的には中間層を含めた多くの国民が感じ取っている、不安を感じている。ところが、その不安が防衛機制というか、ちょっと転化されてしまって、その不安を無視するかのように、より弱い人を排除したりですとか、小さくなりつつある椅子取りゲームを奪う他者に暴力を振るったりですとか、そういう方に向かってしまっている。ですから、ベースはもしかするとかつて以上に連帯のチャンスであるような構造がある。実は、その障害者が以前から抱えてきた不安と地続きの不安を中間層も含めて共有し始めている兆候なんじゃないかというふうに考えているんですね。 その先どうやって中間層を取り込むかという、つまりこの問題を普遍主義化するかというのは私もいつも頭をひねっていて、私は対話の力というものをやはりすごく重視しているので、例えば暴力の加害をしてしまう人たちと当事者研究をしたりですとか、そういった不安を見詰める作業ですよね、人に暴力的に転嫁する前にちょっと立ち止まって自分の不安を見詰め直すような文化というものをあまねく広めていきたいというふうに、力不足ではあるんですが、細々とやっているような状況なんですね。 そういう意味では、当事者研究の普遍化という、これまでは障害者が当事者研究をやる担い手だと思われてきたんだけど、最近はサラリーマンの当事者研究とか非正規の当事者研究やホームレスの当事者研究も始まっていて、少し他者に攻撃のやいばを向ける前に自分を振り返ってみようというふうな、そうすることで少し連帯とか共感という回路が開かれるんじゃないかというふうなことを今考えているところです。
○参考人(藤田孝典君) 私は、具体的に何ができるかということを一つお願いしたいのは、税金が何に使われているかということを国民に分かりやすく明らかにしていただきたいなというふうに思っております。 これ、なぜかというと、年金の議論も財源が足りない、住宅政策も財源が足りない、どこの審議会に出ても必ず財源が足りないということで、財源不足で、どれだけ案を研究者が出しても現場の知見を提供しても政策誘導に結び付かないということがありまして、なので、少なくとも社会保障の財源というのはもう税であるべきだと私思っていますので、この税の使われ方、使い道を少し明らかにしながら、税が上がると何にどれくらい良くなるのか。 先ほどの駒村先生の言葉も借りれば、そういう将来の見通しというんですか、そういったものが分かりやすくなれば、ヨーロッパ、北欧並みに、生活不安を抱えないように、税を払ったんだからちゃんと安心なんだというふうな、そういった社会を展望できるんじゃないかというふうに思っております。 今はちょっと残念ながら、国民の多くが、税は取られるんだけれどもこれが社会保障に本当に還元されているのか、そもそも何に使われているのか分からない、見えにくいという状況がありますから、是非ちょっと、この社会保障を議論する上でも財源を議論する上でも、税の使われ方を透明化、なるべく見えやすくしていけたら有り難いなというふうに思っております。
○伊藤孝江君 ありがとうございます。 熊谷参考人に引き続きお聞きさせていただきます。 先ほども津久井やまゆり園の事件の話がありましたけれども、先生のいただいた資料であるとかの中で、今回建物を同じ場所に改めて再建をするということに対して、結局周りが、被害者の御本人の方であるとか障害がある方に話を聞くんじゃなくて、家族であったり行政であったりの話合いの中で全てが決まっていく、障害者も自分のことは自分で決めたいんだと、自分のことは自分で決めるということをしっかりと柱に置いていきたいという思いを強くいろんな形で書かれているところを読ませていただいたんですけれども、その自分のことは自分で決めるというふうにおっしゃられている思いの中で、いろんな現実を見た上でのお話だと思うんですが、今の障害者の方が置かれている現状の中で、自分たち障害者の声をもっと聞いてほしいんだと思われるような場面であったり思いがありましたら教えていただければと思います。
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。 大分本人の意思を聞こうという構えは周囲に強くなってきたとは思うんですね。今むしろ怖いのは、選択肢を十分に提供しないままに意思決定の権利を与えるというレトリックが非常にあらゆる場面で進んでいる感じです。意思決定は尊重しますよ、しかし選択肢は提供できませんというような形で、ある種究極の選択というんでしょうか、そういうことを迫られる場面というのは少なくないと思います。 私が、今回のそのやまゆり園の同じ場所に再建するというふうなスタンス、その方針に疑問を感じた理由もそこにありまして、本人の意思を聞いたかどうかという論点とはまた別に、今ほかの選択肢を増やすことなく、つまり地域の中で暮らすというオプションに資源を配分することなく、また同じ選択肢というんでしょうか、つまり人里離れた場所、つまりコミュニティーから遠い場所にしか暮らせないという現状の選択肢の瑕疵、選択肢が偏った状態をもう一度再現してしまうことの危うさということが一番引っかかったんですよね。 そういう意味で、特に知的障害とされる人々の意思決定支援をする場合の重要なポイントは、本人に意思決定を迫る前に選択肢が十分あるんだろうかということを振り返る、そしてその選択肢を一つずつ経験してもらうチャンスを十分に保障しているんだろうか、そのときの御本人の幸せそうな表情とか、そういうものから言葉のない当事者の意思というものを拾っていく支援というのはすごく重要なんですね。そういう意味で、意思決定の保障に先行する条件としての選択肢の保障、これをちょっと考える必要が今かなりあるかなというふうに思っています。
○伊藤孝江君 ありがとうございました。 今日お聞きした話を踏まえてまたしっかり頑張っていきますので、これからもよろしくお願いいたします。
○会長(川田龍平君) 岩渕友君。
○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。 参考人の皆さん、ありがとうございました。 今、二〇一七年度の予算案が議論をされていて、この予算案は過去最大だと。軍事費は五年連続で増額をされて過去最高となる一方で、医療や介護などの社会保障の予算は高齢化などによる自然増まで大幅に削減をされています。社会保障が今後も削減をされていくということになれば、国民の生存権を脅かして、将来不安を増大させて、格差と貧困がますます拡大をするということになるのではないかと懸念がされます。 この上に立って、初めに駒村参考人にお聞きをいたします。 駒村参考人は、日本社会が現在抱える課題として、非正規労働者の増大によって所得格差がもたらされて貧困が拡大するということを指摘をして、その対応として仕事と育児の両立支援の拡充が正規、非正規関係なく重要だということを述べておられます。 保育園落ちたの私だということで、国会前で保護者の皆さんが待機児童問題の解決を訴えてから間もなく一年がたとうとしています。厚生労働省のまとめでは、昨年四月に認可保育所を希望しながら入れなかった子供たちは全国で二万人を超えて、二年連続で増加となって、やむを得ず認可外の施設に預けた子供などを含めると約九万人が待機児だということで、非常に深刻な状況になっています。認可保育所に子供を入れるための保活はますます厳しくなっていて、保育士不足の解決が急務になっています。 仕事と育児の両立をする上でどういったことが必要だとお考えか、また、どうしたらこの保育士不足を解消することができるとお考えでしょうか。
○参考人(駒村康平君) 極めて難しい質問だと思います。 今御指摘のありましたように、仕事と暮らしの両立、これは保育だけではなくて介護も、あるいは先ほどから少し熊谷さんのところで議論があった地域で活動する機会、要するに、働く時間が長過ぎるということで、地域の人と対話する時間もないという状態だと思います。いずれにしても、仕事と生活のバランスを取り戻すために、もう一つは出生率を改善するためにも、保育所の整備というのは極めて重要だと思います。 保育所の整備については、社会保障・税一体改革で消費税を一定額投入するということで新制度ができたわけでありますが、その新制度ができたときよりもやはり働く女性の数が想定以上に増えているという部分もありますし、もう一方は、自治体が保育所整備に十分な資源を投入できない、これは一つは保育士不足だろうと思います。 保育士の賃金、特に民間保育士の賃金が非常に、七、八年でこれは頭打ちになっていると。一方で、一体改革の想定した状況と経済状況が違ってきて、全般的には賃金上昇傾向に入っても保育士の賃金はそれほど伸びないというところで、やはりそこに一般労働者並みの賃金を配分しないと、保育所をつくるのも、これもなかなか厄介な問題でありますけれども、保育所をつくっても人がいなけりゃどうしようもないと。何かバスで、バスは買ったけどドライバーがいないという話になっちゃうわけですから、それじゃ運転できないわけですね。やっぱりもう一息保育士を確保するための予算配分をしていただきたいと、こういうふうに思います。 あとは、一歩間違えると全国から若い女性を東京圏に集めてしまうと、東京圏の問題が一番保育士不足大きいですから。保育士が見合わない仕事だと思って保育士の資格があるにもかかわらずリタイアしてしまった方なんかを、やっぱり保育士は魅力的だよねというふうに戻ってこれるような、これ七十万人潜在保育士いると言われていますから、そういう方々も活躍してもらえるように、賃金のみならず保育士の労働条件を早急に改善するというのが保育士不足の一個の手ではないかと思います。 以上です。
○岩渕友君 ありがとうございます。 次に、藤田参考人にお聞きをいたします。 藤田参考人が、一億総下流老人社会の到来を避けるために、貧困の連鎖を断ち切ること、社会保障に積極的な先行投資をというふうに述べていらっしゃいます。私も、格差と貧困の拡大、そして中間層の疲弊をいかに克服するのかということを国の経済政策の基本に据える必要があるというふうに考えています。 社会保障を拡充させるために財源をどうするのか、先ほども出ていましたけれども、ここが問題になると思います。私は、大企業や富裕層を優遇する税制から応分の負担を求める税制に切り替えること、大企業の内部留保を活用させること、軍事費を削減するということが必要だというふうに考えていますけれども、この社会保障拡充のための財源についてはどのようにお考えですか。
○参考人(藤田孝典君) もうまさにおっしゃるとおり、財源が必要であることはもう間違いないことでして、これは是非広範な御議論をいただけたらと思っていますけれども、企業が福利厚生を削りながら、非正規雇用を増やしながら困っている方たちを増やしてきていると言っても過言ではないという状況もありますので、なので、当然ですけれども、それに対して社会保障が必要で、これはもう介護も必要でしょうし、保育所も必要でしょうし、私は、住宅、様々なもの、教育も含めて、ほかの国と比べても随分企業依存で任せ切りになってきて社会保障が足りないという状況の中で苦しさが生まれているというふうに思っておりますので、なので、税負担を上げざるを得ないというふうに思っております。 なので、どこからどういうふうに取るのかということは、これかなり政治的な選択であったりとか難しい判断がされると思うんですが、まずはその前提を示していただきたいと思っているんですね。これは先ほど御議論、前の御質問でもあったとおり、誰がどれくらい負担していて、そのお金がどこに何に使われているのか。先ほどから軍事費って出されていますけれども、軍事費にどれくらい使われているのかとか、それが本当に必要なのかとか、あるいは、じゃ、こちらへ回せるのかとか。そもそも税が、どれくらい私たちが払って何に使われているのかということを明確に示すところからまずは出発点にしたいなというふうに思っております。 これは、一つは、税にもやっぱり民主主義的に、民主的にちゃんと明らかにして公開しながら国会以外の場所でも様々議論するということが必要なんじゃないかというふうに思っています。どうしても議論の現場だと、あれが欲しい、これが欲しいで社会保障を求めがちにやっぱりなりますけれども、そのためには、じゃ、どれくらい負担をすればいいのかということをはっきりと示しながら議論するというケースがほとんどないと言っていいと思いますので、なので、例えば保育所をつくるのに幾ら掛かるのかとか、住宅は、じゃ手当を幾ら出せば、それか、どれくらい増税すればいいのかとか、その具体的な選択とか議論というんですか、そういった形でまずは見えやすくしていくということから始めていきたいなというふうに思っております。
○岩渕友君 ありがとうございました。 次に、熊谷参考人にお聞きをします。 資料を読ませていただいて、社会の役に立つかどうかではなくて生きていることが大事だと、個人の尊厳を守ることが大切だということはそのとおりだというふうに思いました。障害のあるなしにかかわらず、安心して暮らしていくことができる社会をどうやってつくっていくのかということが政治に問われているんだと思います。 一方で、アメリカで排外主義的な大統領が誕生をしたり、日本では一億総活躍社会ということで活躍が求められているようなことが掲げられていますけれども、こうしたアメリカの政府や日本の政府をどういうふうに見ていらっしゃいますか。
○参考人(熊谷晋一郎君) 難しい御質問だなというふうに思うんですけれども、そうですね、現状でどんどんと、何というんでしょうね、能力主義といいますか、何かを生産しなければ生きている価値がないんじゃないかというふうな不安にさいなまれている障害を持った人々は非常に多いという事実はありますし、例えば、少なくとも我々国民はメディアを通じて政治の事情を知るわけですけれども、国内外のそういった政治の動向を当事者の多くは見聞きしており、それに触れることによって私は生きていていいんだろうかというふうな不安にさいなまれている当事者も実際私の周りには多くいます。 そういう意味で、事実はどうなのかというところは私にも観測できる範囲が限られているので分からないんですが、メディアを通じて伝わってくる現代社会の政治の動向というものが多くの障害者にとって不安を与えているということは事実だと思うんですね。なので、もうちょっと政治の役割としては、生きていていいんだということを積極的に発信していただきたい。メディアを通じても、例えば政権を批判するだけではなく、むしろ政治が一丸となって、生きていていいんだというメッセージを国民全体に対して発信、そこはみんな合意が取れているんだというふうなメッセージをしっかり発信していただきたいなと。それだけで、少なくともあした生きられるというふうな、あしたは生き延びられる。批判的な言説に触れると死にたくなっちゃう当事者も、少なくともここは政治として、党を超えてコンセンサスなんだ、生きていていいんだというふうな発信をしていただけたら随分違うんだと思いますね。
○岩渕友君 ありがとうございました。 最後に、藤田参考人にお聞きをしたいんですけど、藤田参考人が住宅は最大の福祉制度だというふうに述べておられます。私は福島県の出身なんですけれども、東日本大震災と原発事故を受けて、阪神・淡路大震災で被災をされた方々から住まいは人権だということを教えてもらって、そのとおりだということを痛感をしています。 原発事故によって避難区域外から全国に避難をしている方たちの住宅の無償提供が今度の三月末で打ち切られようとしています。けれども、行き先が決まらずに無償提供が打ち切られたら路頭に迷ってしまうという方や、母子避難で二重生活をしていて家賃が掛かることになったら生活費が赤字になってしまうという方など、深刻な訴えが相次いでおります。 国の責任で無償提供を継続するべきだというふうに私考えているんですけれども、この住まいの確保の重要性についてどのように考えていらっしゃいますか。
○参考人(藤田孝典君) ありがとうございます。 本当にまさにおっしゃるとおりで、日本の社会保障でもう欠落している視点が住宅政策だと思っております。これは、一つに持家政策をずっと誘導してきたという歴史があって、正社員になってマイホームを構えて、ある程度年功賃金が続いていって住宅ローンも返済できるという見通しが立って、それまでは民間賃貸住宅で我慢して暮らす、あるいは社宅を提供してもらって暮らすというのが一般的で、なので、住宅というのはもう自分たちで手に入れるものなんだということを随分教え込まれてきているというか、多くの人たちがそうあるのが当然なんだと思っている中でこの生きづらさが蔓延しているんじゃないかというふうに思っております。 これは、一番弱い立場にある、それこそ被災された方もそうですし、障害のある方もそうですし、非正規雇用で働く若者もそうなんですが、なぜこんなに頑張っても住宅が手に入らないんだろうか、あるいはこんなに負担重たく、住居を手に入れることすらも難しいんだろうかということは、全ての低所得者あるいは弱い立場に置かれている人たちが疑問に思っているところなんですよね。 なので、自分で住宅というのは手に入れるという感覚を、ヨーロッパ、北欧ではほとんどありませんので、これは、住まいというのはもう人権で、住まいというのはある程度一定層の困っている人たちのためには国が用意するものだという感覚をほかの国々では持っていますが、これが残念ながら日本は持家政策として進めてきてしまったという動きが強いですので、もう一度、経済が低迷しながら住宅に困って、家賃部分高すぎて、あるいは住宅ローン組んで買えないよという人々に対してどういう政策があるべきか、これ、公営住宅であるとか、あるいは海外では、社会住宅という企業あるいは大家さんが低所得の人に貸すために税制優遇を入れたりという制度をつくっていったり、家賃補助制度って入れたりとか、非常に重厚な住宅政策を取っていますので、是非積極的に、被災者の方に限らず住宅政策の負担軽減、是非これ御議論いただけたらと思っております。
○岩渕友君 ありがとうございました。 以上です。
○会長(川田龍平君) 藤巻健史君。
○藤巻健史君 日本維新の会の藤巻です。 今日のプレゼンと、そして質疑を聞いていてちょっと感じたことを申し上げますので、コメントいただければと思うんですが。 前回のこの調査会、先週でしたけれども、たしか森口一橋大学経済研究所教授がおっしゃっていたことですが、日本の格差というのは、別に富裕層が豊かになり、低所得者層が貧乏になり格差が開いたわけではなくて、富裕層は別にもうかっているようでも、豊かになったわけではないと、低所得者層の所得が落ちたことによって格差が広がったというふうにおっしゃっていたわけですね。 それはよく感覚的に合っていまして、例えばプロ野球の選手と大リーグの選手の年俸を見ても、Jリーガーと世界のサッカーの選手の年俸を見ても、それから経営者、日本の経営者とアメリカの経営者の年俸を見ても、全然トップレベルの収入というのは日本人は低いわけで、富裕層がもうかるようになったから格差が開いたわけじゃなくて、低所得者層が下がったから格差が開いたと私も思うわけですね。 藤田参考人もおっしゃっていましたように、この三十年の経済低迷が格差が開いた理由ではないか、これも非常によく私、分かるわけですね。というのは、当然のことながら、この三十年間で日本の名目GDPって一・五倍しかなっていない、二十年間で全く伸びていないと。三十年間でいえば、アメリカでもイギリスでも四・数倍に伸びて、オーストラリアとかシンガポールも七倍とか八倍になっている、中国に至っては七十五倍になって、それは七十五倍とか七倍になればみんなの生活レベルが上がっていくわけですよ。だから、その低所得者層の収入が減るなんていうこともあり得ないんですけれどもね。 ということは、やはり最大の問題というのは、分配の問題ではなくて、日本の経済が低迷してしまった。これは、もうパイが大きくなっていないんですから、誰ももらうものがなくなっちゃうと、これは当たり前の話だと思うんですね、幾らパイをどう切ろうと考えても、再分配なんか言っても。だから、やはり格差、特に低所得者層の収入が落ちたことの最大の問題というのは日本経済が伸びなかったことだろうと私は思うんですね。 それじゃ、解決策は何かというと、先ほどグローバル化の話が出ていて、駒村参考人がグローバル化は世界経済全体にとってはいいと。それは分かりますね。例えば絶対的貧困、一ドル以下で暮らしている飢餓人口はがたっと減りましたから、世界的にはいいに決まっているわけで。ただ、問題は、各国の中で格差が開いたとおっしゃったと思うんですが、そうはいっても、日本はどうかという話なんですけど、私は、別にグローバル化だから日本の格差が開いたわけじゃなくて、グローバル化しなかったから日本の格差は開いたのかなと私は思っているわけですよ。 なぜかというと、例えばトランプは反グローバル化というふうによくマスコミなんかは言いますけど、トランプがやっていることというのは、まあアメリカ企業を国内に戻すというのは別ですけれども、例えばトヨタをアメリカに来いというのは対米と対日直接投資を増やすと、要するに、企業よ、うちに来いという話ですよね。日本の場合には、対外進出はしていますけど、日本に全く企業は入ってこないわけですね、アジアの企業もアメリカの企業も入ってこない。対内直接投資が極めて低いわけですね。別に出るのがグローバル化じゃなくて、入ってくるのもグローバル化なわけですよ。そこが極めて遅れていると。 分かりやすい例でいうとウィンブルドン現象。イギリスなんかは、要するにもうイギリスの銀行、全部駆逐されて、外国銀行が進出したおかげでイギリスのシティーなんかもう大繁栄しているし、給料もわっと上がっているわけで、まさに対内直接投資があったからこそシティー、イギリスが繁栄しているわけですね。あれはグローバル化だと思うんですよ。日本はその点が非常に遅れている。もし日本がグローバル化をして対内直接投資が増えてくれば、それはもう日本人労働者に対する需要は物すごく増えるし、ブラック企業もなくなるし、そんなことがあったらほかの会社へ移っちゃいますからね。それで、給料は上がる。ということは、今の低所得者層の給料がぐっと上がって、富裕者層はそんな上がっていないわけですから、格差ががくっと縮まるわけでね。 ということを考えると、要は日本がグローバル化ができていなかったから、対内直接投資がなかったからこそこんなに格差が広がったんではないかなと今日のいろんな議論を聞いていて思ったんですが、いかがでしょうか。お二人にちょっとお聞きしたいと思います。
○会長(川田龍平君) どなたですか。
○藤巻健史君 駒村参考人と藤田参考人にちょっとお聞きしたいと思います。
○参考人(駒村康平君) 今のお話は、例えば日本についてはお話のとおりで、ここ二十年、三十年のトップ一〇%の所得の伸び率とボトム一〇%の所得の伸び率、各国ともおおむねトップ一〇%はすごく伸びて、ボトム一〇%は少し伸びていると。日本は、トップ一〇%少し伸びて、ボトム一〇%は下がっているという特異な状況になっていると思います。だから、日本が伸びていないというのは、これは事実だと思います。 その原因が、成長が不足していたんだと、だから分配は遅れているんだという発想と、それから、IMFやOECDがここ数年発表したように、実は分配政策に失敗があったから成長しなかったんじゃないかと。つまり、今までになかったロジックですね、これを明らかにしていますので、私は、やっぱりバブル崩壊後の日本の雇用システムの変化、あるいは企業の持ち株の変化、その中にかなりの外資がやっぱり企業の株主になったという時期がありますので、その影響を受けて企業が短期的な経営スパンを持つようになって人材を育成しなくなったということがあると思いますので、私は、何も日本の企業が外資の影響を受けていないとは思いません。 かなり外資の割合も上がってきていますし、外資が入ってくるという可能性だけで、そのグローバル化の可能性だけでもかなり行動を変えたと思っていますし、それから、必ずしも日本に投資しなくても、日本に外資が来なくても、日本の企業が外国に投資をするということもグローバル化ですから、グローバル化イコール外資が多いかどうかというのはグローバル化の尺度の一つでありますけれども、尺度の全てではないと思いますので、日本がグローバル化の進展が遅いということは私は当たらないんではないかと、こういうふうに思います。 そうですね、今の二つの視点はそういうふうなお答えをしたいと思っております。以上です。
○参考人(藤田孝典君) 私の方からは、なぜこういう経済が低迷しているのかという点についてですけれども、今日幾つかの資料でもお示ししましたが、この失われた二十年で教育投資が非常に弱い、家庭に任せてきていますので、OECD加盟諸国と比較してみても、大学進学率もやっぱり低い、あるいは高等教育に対する支出、あるいは職業訓練に対する支出が低いというんですか、なので、一人当たりの労働生産性が上がらないというんですか、なので、ほかの国々は、まず失業することを前提にしながら職業訓練制度を手厚くしていったりだとか、人に対する訓練あるいは教育費を投資する形で社会保障を入れておりますので、なので、グローバルに出ていく人材自体を日本は国としてちゃんと育てているのかということも、この二十年間、もう少し丁寧に見ていかないといけないかなというふうに思っております。 大学進学率、上がっているといっても、ほかのヨーロッパの国々見ても、ちょっと低い水準で推移しておりますので、ですので、まず経済成長の根幹となる人々一人当たりがどれくらい生産できるんだろうか、それを上げるためには何を必要とするんだろうかということを考えないといけないかなというふうに思っております。 これが私は、繰り返しになりますけれども、積極的な社会保障の投資という意味では、一人当たりの労働生産性をやっぱり上げる、あるいは一人当たりがちゃんと活躍できる、一億総活躍等いろいろと議論されていますけれども、まずはちょっと先行的に教育費、職業訓練等の投資を是非お願いしたいなというふうに思っております。
○藤巻健史君 ちょっと質問の前に、駒村参考人のおっしゃっていた、外資の影響とおっしゃっていましたが、私、外資の影響じゃなくて外資の数が足りないというわけで、外資がどんどん、アメリカの企業、イギリスの企業、アジアの企業が来て日本人を雇えば、賃金が上がって所得が上がるよという話をしたわけですよね。 要は、労賃というのは、これ物とかサービスと同じでやっぱり需要で決まりますから、これ経済ですから、需要が増えれば値段は上がっていくので、日本人の供給というのは一定ですから、需要が増えるということは、企業が入ってきて、外資が入ってきて雇ってくれれば賃金上がっていくわけですよ。だから、そこを考えなくちゃ格差なんというのは是正されないんじゃないかという話をさせていただいたわけです。 教育の問題については、当然、私どもの党は教育無償化を言っているぐらいですから、教育が再投資として格差の連鎖を防ぐという意味では非常に重要であるということは十分認識しております。 ちょっと時間がないので次の論点に入りたいんですが、社会福祉を税の負担でとおっしゃっても、残念ながら、この国、物すごい赤字で、今年の今衆議院で審議している予算も六十三兆円の収入に対して九十七兆円使うぐらいで、三十四兆円赤字なわけですよ。その赤字を今、日銀が紙幣を印刷して配っているわけで、そんなものはいつまでも続くわけがなくて、国自身がすごい貧乏なわけですね、正直言って。そういうときに社会福祉をと言われてもなかなか難しいので、だから、やっぱり日本の国力自身を強めると。九十七兆円使いたいんだったら、九十七兆円の税収が上がるくらいの国力にしないと解決しないと思うんですが。 それは別としておいて、次の質問ですが、駒村参考人にお聞きしたいんですが、年金の健全性をおっしゃって、財政検証のお話されていましたけど、あの前提というのは名目成長率の方が労賃の上昇よりも高い、こういう前提。要するに、スプレッドが大きければ年金が存続可能だという話だったと思うんですね。労賃が上がるということは、要するに名目GDPの成長率よりも名目金利の方が高ければ年金は持続可能だという話だったと思うんですけど、そうしますとこれ、財政が破綻しちゃうわけですよね。 ドーマーの定理、御存じだと思いますけど、プライマリーバランスが黒字化しても、ドーマーの原理でいうと名目成長率の方が名目金利より高くないと収縮していかないわけですよ、借金は。そうすると、年金が持続したら財政が破綻しちゃうと。じゃ、財政が大丈夫だったら年金が破綻しているというロジックになっちゃうと思うんですが、その辺についてはどうお考えかをお聞きできればと思います。
○参考人(駒村康平君) 今の御質問、確かにそのとおりでございまして、経済前提のときに使われている数字は、賃金上昇率プラス、これは賃金上昇率が二・五%だったかな、それに対して名目利回りをスプレッドを取って一・七取ったんだと記憶していますけれども、四・二だったかと思いますけれども、そういう想定でやっています。 要するに、金利が上昇しているということで、その金利は恐らく国債の金利にも一定の幅で影響を与えてくると思いますので、あの経済前提は年金の財政の経済前提の議論をしていたと。いわゆる労働分配率から計算された賃金上昇率は、これは技術的にはある仮定の上ではああいう上昇率になる。それから、スプレッドは、それはそれで別の、同じ分析体系の中から出されてきて、リスク分散をするとあの数字が出てくると。そして、外から与えられた全要素生産性を最後に投入するとああいう数字が出たということで、あくまでもまず、過去何年かのデータを見て、当面五年のシナリオを作ったということにすぎないということだと思います。 おっしゃるとおり、日本財政全体の絵姿と整合性を持って作っているわけでもございませんし、あの前提が本当に百年先まで続くという想定でもなくて、仮置きをしているという、まあバーチャルな数字にすぎないのは、これは事実だと思います。
○藤巻健史君 時間がないので、ちょっと最後にもう一つお聞きしたいんですけど。 先ほど駒村参考人のデータでいうと、六十五歳以上生きる女性がもう既に九割という、男性が八割とかいう数字があったと思うんですけど、そういうことを考えますと、年金保険という言葉はもう死語じゃないか、もうやめるべきじゃないかと。保険というのは、もらう人もいれば、ほとんどもらわなくて、ちょっとの人がもらうのが保険であって、六十五歳から支給されるということはもう保険でも何でもないわけですから、支給年齢を上に上げるか、それとも年金保険というのを年金制度に変えるかじゃないのかなというふうに私は思うんですけれども。 本来、年金ってどういう目的でできたんですか。要するに、私は長寿保険だと、長寿、長生きしちゃったときの保険だと思ったんですが、今そうじゃないですよね。本来、年金って何でできたんですか。ちょっと基本的な見解をお願いします。
○会長(川田龍平君) 駒村参考人、時間が迫っていますので、答弁は簡潔に。
○参考人(駒村康平君) はい、分かりました。じゃ、かいつまんで。 歴史的な経緯を言うと、産業社会、産業革命以降、やっぱり働く年齢がせいぜい、筋肉労働ですから、五十五歳、当時は五十五歳ぐらいで、とにかく工場で働くのは邪魔だと、そこで追い出してしまえば、工場労働者にとってみれば生活がないというところで、福祉国家のドイツが、じゃ、五十五歳から働けないならば代わりに国が保険を出しましょう、つまり産業革命と福祉国家のセットで生まれたものだという理解だと思います。 したがって、元々はやっぱり五十五歳以上を生きる方が一定の率でいるという想定だったわけですね。その時代に合わせて六十歳以上にそれを変えた、生存率が上がれば上がると、六十五歳に上げたということで上げてきているわけですけれども、それよりも早く寿命が延びているということを考えると、九、十割の人に保障するというのはもうリスクも何でもなくて給付になっちゃいますから、本来は、保険性を回復するならばやっぱり一定の生存率のところで線を引くというのが正しいと思うんですけれども、じゃ、その間どうするのかというところで、そこは働くのか自助努力なのかというのが保険数理的には正しい解だと思います。ただ、それを一般国民の方が付いてこれるかどうかはなかなか、個々の問題で考えたときにそれをどう感じるかはまた別問題、数理の問題とは違うかもしれません。
○藤巻健史君 ありがとうございました。
○会長(川田龍平君) 薬師寺みちよ君。
○薬師寺みちよ君 無所属クラブの薬師寺みちよでございます。よろしくお願い申し上げます。 まず、熊谷参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。 私は、いつも産業医として障害者雇用の皆様方とともに接する時間が大変長うございます。とともに、先日のあのやまゆり園の事件、私もとてもショックでございました。先ほど熊谷参考人からもお話がございましたように、これを個人の問題として落とし込むには余りにも大き過ぎる、日本社会が抱えている一つの闇というものがこういったところに現れてきているんではないかな、何となく国民はみんなそう思っていると思うんですね。 当事者研究をやっていらっしゃる立場から、もう少しその辺りを肉付けして、どのように今お考えになっていらっしゃるのか、伺ってもよろしゅうございますでしょうか。
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。 今回のやまゆり園の事件に関しては、まだまだこれから慎重に情報を収集して調べていかないと論じられない段階だと思うんですね。そういう意味では、今回の事件がどういうふうな背景があったのかというふうな個別的な議論は、なかなか今の段階では深められないなと思います。 ただ、今回の事件をきっかけにして、可視化された問題というんでしょうか、つまり、今日話したような暴力の問題というのはかなり深刻なレベルにまで達しているなというふうに思っています。 今日、お話ちょっと途中で切れてしまったんですけど、結論は何だったかというと、暴力の加害からアプローチしても暴力の被害からアプローチしても、同じ結論に到達するというところですね。つまり、加害性のリスクも、やはり社会的排除といいますか、私の言葉で言うと頼れるものが少ないというんでしょうか、依存先が少ない。例えば、依存症でしたら、人間に依存できないので薬物に依存するというような例もありますし、犯罪に関してもそうですね。依存できるものの資源の少なさがリスクファクターとなっている。一方で、その暴力の被害の方も、やはり頼れるものの少なさというもの、つまり、頼れるものが一つしかなければ、そこから暴力を受けたときにほかに逃げられないという意味において、そういう意味で、どちらも社会的排除や依存先の少なさみたいなものが、暴力の加害からアプローチしても被害からアプローチしてもリスクとして浮かび上がってくる。 だとしたら、暴力の加害の問題だけを切り離してそれを犯罪化しても解決しなくて、社会全体が一部の人々を排除していて、その排除された人々があるときには暴力の加害、あるときには暴力の被害に巻き込まれているというふうな現状をお伝えしたかったというところはありますね。 そういう意味では、先ほど混ぜこぜの地域という話もしましたけれど、専門家にしか依存できないのもやはり危なくて、広く地域の中のいろんな資源を頼りながら生きていくような障害者の暮らしというものをどういうふうに実現するのかということを考えたいなというふうなことを今日はお話ししようかなと思っていた次第です。
○薬師寺みちよ君 ありがとうございます。 私は聴覚障害者の教育といったものも今研究を始めたところなんですけれども、聴覚障害者であれば、例えば手話というものが一つ言語としてございます。そういうものをツールとして地域社会の皆様方となかなか話ができない。今までの教育の中で手話が言語として認められてこなかったという歴史がございます。それを考えるに当たりましても、やはりそういった手話を使った教育というものを逆に特化させるべき場面もある、そういう教育も必要だ。 ですから、ちょっと先生の論とは少し対極にあるかもしれませんけれども、そういう場面も必要で、かつ、どこかでインクルーシブな社会をつくっていく、そういうその両面というものを上手につくり上げていく必要があると私は考えているんですが、その点、お考えを聞かせていただけますか。
○参考人(熊谷晋一郎君) 非常に重要な御指摘だと思います。 障害には粗っぽく分けると二種類あって、外からは見えにくい障害と、外から、私のように可視化されている障害があります。それぞれ逆向きの排除を受けるんですね。 どういうことかというと、見えにくい障害というのは同調圧力を受けます。聴覚障害なんかまさにそういう例でして、外から見たときに一見気付かないんですよね。特に難聴の場合なんかはパスされることが結構多いんです。そうすると、同調圧力の方が本人に働きやすくて、それに対しては異化戦略というか、自分とあなたたちは違うんだというふうなアピールをしないと等身大の違いというものが社会に受け入れられないというふうなところがあります。 一方で、私のような可視化された障害というのは、どっちかというと同調圧力ではなく排除の方の圧力、同じ仲間に感じられない、だからコミュニティーから排除したいというふうな圧力を受けます、傾向としてですね。なので、それに対するカウンターとしては、私たちも同じなんだというふうに力点が百八十度変わることがあるんですね。 一見すると聴覚障害のような見えにくい障害と私のような可視化された障害は逆向きの主張をしているように見えますが、実態としてはその差異を等身大に認めて地域の中で暮らしたいというふうなことでは共通しているわけですね。その辺を、過剰でも過小でもなくというんでしょうか、違いというものを等身大で認めてもらうためのポリティクスみたいなものが障害者を取り巻くある種の日常の一部になっているんじゃないかなというふうに思います。
○薬師寺みちよ君 ありがとうございました。本当に勉強になりましたので、これからもどうぞ、また我々にも御指示いただきたいと思っておりますので、お願い申し上げます。 次に、藤田参考人にお伺いをさせていただきます。 藤田参考人にはほっとプラス代表としてちょっと御意見をいただきたいところなんですけれども、私も、いろいろ貧困の格差のところで、どういう方々がどういう活動をしていらっしゃるのかなと思って、地域に出向いて実際にその現場を見せていただくことが多うございます。その中で感じることというのは、これ行政にはできないなと思うことが余りにも多過ぎるということなんですね。 例えば、三・一一で避難所にパンが来ました。パンが十個しかない。でも、避難していらっしゃる方が十二戸あったらそこでもう廃棄してしまうようなというのは、まさに平等を求める行政のやり方ですよね。しかし、それではとてもではないですけど、個別性が高いこの貧困の問題というものに行政だけを頼ってというのは、これはきめ細やかな手助けというものがうまく回っていっていないなというのも感じているんですね。 そこで、いろんな皆様方が今社会的起業家としてNPOを立ち上げ、実際にその現場のきめ細やかな手を差し伸べるためのボランティア活動であったりクラウドファンディングだったり、いろんなことをしてくださっております。私は、どちらかというと、行政が何かをやるよりも、そういった社会的起業家の皆様方だったり民間団体の皆様方がそういう活動をしていただいた方が実際にその受け手側としてもメリットが多いのではないかと思うんですが、その辺りのところはどのようにお考えでいらっしゃいますか。
○参考人(藤田孝典君) ありがとうございます。 まさにもう御指摘のとおり、行政ができることと民間NPOがやった方がいいことと、もうはっきりと役割が違うだろうというふうには思っております。行政は、当然、生存権、要するに重要なお金をちゃんと支給するということだとか、あるいは分け隔てなく必要なものを、サービスを供給していくということが重要だろうというふうに思います。 私たちは、その中から漏れてしまった方であるとか、あるいは行政の今の仕組みだとケースワーカーの不足とか、あるいは様々な制度がまだ追い付いていない中で起こってくる問題をピックアップしながら、相談体制を整備して、要するに行政以外の依存先を一つまたつくるというような、そういった作業をしているんだろうというふうにも思っておりますので、中には、一緒に食事を取るとか一緒に病院に通うとか、なかなか行政だとできないことを今のNPOであるとかソーシャルワーカー行っておりますので、どちらかというと、海外だと教会組織であったりとか宗教の方たちが主に担っていたりとか、そこのつながりが非常に深いということもあって、日本には、まだちょっと海外と比べて教会とか宗教が強くないということもあって、コミュニティー自体もそんなに、以前よりは高齢化も進んで崩壊に近いと言っていいと思いますので、それに代わる形でNPOが今活発にいろんな分野で出てきておりますので、子供食堂しかりですし、様々な問題点の最前線の基地と言っていいと私は、NPOが、思いますので、そういったNPOが活動しやすいように、女性を増やすであるとか、あるいは様々支援を入れていくということであるとか、もう少し、一歩踏み込んだ、共助というんであれば予算措置も併せて行うというんですか、そういったことも含めて御議論いただけたらと思っております。
○薬師寺みちよ君 ありがとうございます。 子供食堂も私、見に参りましたら、余り行政はここに立ち入らないでくれとおっしゃられたんですね。ああ、なるほどと思って、何か私どもが縛りを付けてそこに対してお金を付けていくというよりも、もっと自由に皆様方がお金を使っていただけるようにということを考えると、逆に、ドネーションの文化のようなものを育てるための税制など、我々がもっと真剣に考えていく時代なのかなと思います。その辺りはどのように思われますか。
○参考人(藤田孝典君) そうですね、まず、私、子供食堂はもろ手を挙げて賛成ちょっとできない立場にありまして、まずは、なぜ食べられない子供たちがこの日本社会にいるのかということを見据えないと、それを供給するのは誰が主体的に供給するべきなのかというのは、やはりもう少し税を入れるべきかなというふうに思っております。 なので、そもそも子供食堂を行っているNPO、関係者、今増えていますけれども、まずはそこで問題を把握しながら、それを政策につないでいったりだとか、あるいは先生のような方を招いていったりだとか、様々な政策と現場の起こっていることを交流するというんですか、そういった場所がどんどん増えていくといいのかなと思いますし、そのための問題提起としてあるというふうに私は思っていますので、是非、子供食堂に政策側も依存せずに、あるいは余り子供食堂の側も自分たちが全てやるべきだと過信し過ぎずに、相互にやっぱりいい役割を果たしていけるといいのかなと思いますね。 特に、子供が十分な教育を受けられない、食べられないという状況は誰が改善するべきなのか、第一義的な役割は誰にあるのかということは、もう少し議論が進んでもいいのかなと思っております。
○薬師寺みちよ君 ありがとうございました。 またしっかり、私どもも現場に足を運んで意見を聞いていきたいと思います。ありがとうございます。 最後に、駒村参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。 駒村参考人の話を聞いていると、女性はちょっと長く生き過ぎてしまったかなと思うようなところもございまして、しかし、ということは、女性ならではの働き方であったり、やはりキャリアラダーの描き方というのが更に研究がなされるべきであるというふうに私ちょっとこれを見て更に感じたところでございますけれども、経済学的に見てもその辺りのところはどのようにお考えなのか、教えていただけますでしょうか。
○参考人(駒村康平君) 私の資料の十九ページには、今後の女性の就業率や高齢者の就業率が上がっていったときに、労働者の性別、年齢構成はどう変わっていくのかというのが出ています。この例えば一番左の二三、三四、一八、二六というのは、一九九〇年のときの男女の若いグループは四〇%以上いたわけですけれども、将来的にはこれが三三%、つまり若い世代は極めて希少価値になってくるというわけですね。それから、女性も、オレンジの部分と薄い青の部分から構成されますけれども、重要な社会の労働者としての戦力になってくる、特に中高年の女性が重要な戦力になってくると思います。 そういった中で、参考資料の方の三十五ページを見ていただくと、人間の能力というのはどのように構成されているのかということになるわけですけれども、若いときに得意な能力と、それから若いときには余り得意じゃない能力というのがあるんですね。 これは、一番最後のページに付いているように、三十八ページですけれども、いわゆる流動性知能と結晶性知能と言われています。流動性知能というのは、瞬間的に物を判断する判断力だというふうに言われているわけです。結晶性知能というのは経験値、あるいは人に説明する、説得する、相手の顔を見て相手の気持ちを想像する、こういう部分が実は加齢とともに伸びていく、あるいは安定的に確保できると。それを合わせて、人間は六十代後半までは労働能力があるんだろうと思います。 これも性別によって違うと思うんですね。だから、労働者を一つのくくりにして考えずに、やっぱり年齢の変化とともに得意、不得意がある、それから性別によっても得意、不得意がある、その中で、女性の得意な分野がどんどんマーケット、市場の中に増えてきていると思いますので、女性も生涯にわたって六十代後半まで働くんだというつもりでキャリアプランを作っていくという必要があろうと思います。従来のように、M字でもちろん戻れる、一回退職して戻れる社会が望ましいわけですけれども、と同時に、いろいろなタイミングで働くということを人生設計の中に入れていくというのが大事かと思います。 以上です。
○薬師寺みちよ君 ありがとうございました。
○会長(川田龍平君) 以上で各会派の一巡目の質疑は終了いたしました。 他に質疑の希望のある方は挙手を願います。 新妻秀規君。
○新妻秀規君 公明党の新妻秀規と申します。 熊谷先生にお伺いをしたいんですけれども、この薬物の依存症対策で、先生のこの資料でいうと依存先を増やすことが依存症からの回復というふうにありまして、またその次のページには、グローバル・コミッション・オン・ドラッグ・ポリシー、GCDPの勧告も示されています。私もこの薬物依存症対策という、先生がその前のスライドでお示しいただいた認知行動療法、これが確かに、席巻していると今先生は表現しましたけれども、そうしたことを実践している医療機関の視察とかには行ったんですけれども、こういう新しいアプローチというのは実は全く知らなかったんですね。 先生が、この依存先を増やすことは依存症からの回復だとかこのGCDPの勧告、こうしたことを実践をしている諸外国とか、あと自治体で支援している例とかがあればちょっと教えていただけたらなと思います。
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。 私が知っているのはカナダ、オーストラリアがやはり非常に進んでいるというふうに聞いております。例えば、ある地域、私も固有名はちょっと失念してしまったんですけれども、ある地域では政府がドラッグユーザーに対してクリーンルームを提供すると。クリーンルームですね。つまり、その場所で清潔な針を使って薬物を使ってもよいというふうな場所を提供して、なぜなら、ハームリダクションといいまして、何というんでしょうね、例えばストリートドラッグを使ったり不潔な針を使ったりしてHIVなどが蔓延する実情があるわけです。それを抑止するためには、ただ単にその薬物を規制して水面下に潜らせるのではなくて、ある種堂々と使っていただく場所と清潔な針と、あとコンドームの配布、そういうものを提供しているというような地域があります。 ただ、もちろんそれだけでは全く意味がなくて、同時にプログラムに参加してもらう。つまり、薬物以外に信頼できる他者を見付けるようなプログラムですね。こういうふうなときにはこういうところに相談に行けばお金の問題はクリアできるんだとか、そういうふうに依存先のノウハウを提供するプログラムに参加することが義務付けられるわけですね。 ただ、順序がとても大事で、依存先を増やすことを先行させないと、いきなり依存先のない状態でなけなしの依存先を禁止するというふうなやり方、つまり薬物をばんと断ち切るようなやり方ではかえってその再発が多いというふうなエビデンスが蓄積され始めているんですね。そういうふうなエビデンスに基づいて、徐々にウイーニングしていくといいますか、その依存先を増やしていくことを先行させて、後から結果として薬物を使わなくても済む状態になるというふうな順序でサポートすることがコストもすごく低いし成績も高いというような報告が出始めているんですね。そういうふうなエビデンスを背景にしながらこのGCDPというものがこういった勧告を出しているというふうな現状があります。
○新妻秀規君 ありがとうございます。 それでは、日本国内で、日本ダルクさんの取組だと思うんですが、依存先を増やすことが依存症からの回復だと、こういうダルクさんの取組を自治体として支援しているような、そういう先行例みたいなのはありますでしょうか。
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。 私も余り詳しくはなくて、ただ、ダルクさんとはずっと共同研究をしているので、いつも、正確な表現ではないかもしれませんが、自治体としては、何というか、支援はしてくれる気持ちはすごくあるんだけれども、しかし財源がないというふうなことで、先ほど来話が出ているNPOとかそういった民間の団体がある種安上がり的に使われてしまっている問題というのはダルクさんからも聞くところがありますね。ですから、気持ちとしては各地方公共団体で支援はしたいんだけれども、そういった民間の活動に対して十分な金銭的な保障がなされていないということはよくお話として伺いますね。
○新妻秀規君 ありがとうございました。終わります。
○会長(川田龍平君) 他に挙手がございますでしょうか。 神本美恵子君。
○神本美恵子君 民進党の神本美恵子と申します。 今日はありがとうございました。 一つだけ熊谷参考人にお聞きしたいんですけれども、先ほど平山委員からの御質問で、ブラッディーナインティーン、血みどろの十九歳というお話をされました。私も教育の場に長いこといたんですけれども、障害を持っている子もいない子も一緒に学ぶということをやった経験があって、本当にそのことがいかに大事かということを経験してきたんですけれども、今、日本の教育政策の中では、障害者権利条約批准に伴ってインクルーシブ教育を進めるというふうに口では言っていますけれども、手厚い囲い込みが本当に熱心にきめ細やかにやられていることに対してとてもいら立ちと怖さを感じています。 この前の津久井やまゆり園のあの事件の様々な報道とか反応を見ていても、私はやっぱり地域の中で小さいときから一緒に育っていないことがこういうことにつながっているなということを痛いほど感じてきているんですけれども、今度また学習指導要領を改訂されて、その中で、何を学んだかではなくて何ができるようになったかということを重要視するというようなうたい文句なんですね。まだ細かく中身読んでいませんけれども、やはり、先ほど優生思想や能力主義とおっしゃいましたけれども、物すごい、それこそ今世界的に、先ほどからグローバリゼーションとナショナリズム、内向きというような話もありますけれども、全体競争社会の中で勝ち抜いていくためにはどうしてもそういうふうな教育政策を選ばざるを得ない方向に今の政権はより行っているような気がします。 政権批判というよりも、ああいう事件を私たちが見たときに、起こしたあの容疑者の個人の問題というふうに捉えてしまって片付けてしまうことの怖さをとても感じているんですけれども、熊谷参考人は、あの事件のことも含めて、この国の教育の在り方といいますか、共に生きる社会をつくっていくときに、今この国の教育の在り方について御意見があればお伺いしたいと思います。
○参考人(熊谷晋一郎君) ありがとうございます。 グローバリゼーションとの関連で述べたときに、例えば人的資本、ヒューマンキャピタルをどういうふうに高めるかというふうな話をしたときに、OECDなんかが、かつてのような能力基準ではなくて、もっとコミュニケーション、異質な他者とコミュニケーションできる力であるとか、あるいは自分の価値観や感情を少し切り離して相対化する力であるとか、いわゆるちょっと物差しでは測りづらい非認知能力というんでしょうか、そういうものが実は年収と関係していたりですとか、そういうふうな研究は今盛んになされています。そういうふうなエビデンスが蓄積されているときに、教育の中でどういうふうな人的資源の開発というんでしょうか、国連のいう意味でのディベロップメントを考えるのかというのをちょっと冷静に議論しなければいけないと思うんですね。 例えば、分離教育が進んだら、果たしてそこで得られる経験というのはグローバル化した社会に適応的なんだろうかというと、そうでもない気がいたします。異質な他者と自分をこらえながら助け合っていくような力というのは恐らく必要とされていると思うんですよね。そういう意味で、本当に今のような分離してきめ細やかにゾーニングして発達保障をするというような考え方で果たしていろんな角度から見たときにいいんだろうかということをちょっと思います。 例えば、イギリスなんかで取り組まれている教育方法で、インクルーシブ教育の例として友達媒介サポート法という方法がありまして、それは、クラスの中でちょっとリーダー格のメンバーを一人選んで、あなたに今日から重度の障害を持っているクラスメートのサポートをお願いしますというふうなサポート法なんですよね。それの研究結果が出ていて、実はサポートする側の子供の成績が伸びたという結果が報告されているんですね。それはPTAからの批判に先行して応えるための研究なんですけれど、日本なんかだとすぐに、うちの子をそういう友達媒介サポートに動員するなんて、うちの子の成績が落ちたらどうするんだというふうに言われかねないと思うんですが、そういうことを先に芽を摘むためにそういった論文が出ていたりします。 そういう意味で、共存しながら、インクルーシブな環境で教育を行うということの本当の意味というものを少し学術的にも研究する余地がありますし、本当に今の方向でいいのかというと、私はちょっと疑問ですね。
○神本美恵子君 ありがとうございます。 まさに今おっしゃったように、私も学校現場で同じような経験をしました。ですから、障害のある、私は自閉症だったんですが、その自閉症の子のためというよりも、その子と関わる一年間を過ごした周りの子の物すごい変化を、変化といいますか、私自身も新しい発見があったので、それを一生懸命言うんですけれども、やっぱり親御さんが、あの子がいるためにとか授業が進まないとか、全然そういうことではないんですけれども、なかなか通じないというような経験をしましたので、今おっしゃったそのイギリスの研究も含めて、これからやっぱり、文科省だけではないんですけれども、社会全体が共に生きる社会をつくることによって、いわゆる健常と言われる人たちにとってどういう変化があるのかということに目を向ける政策を考えていかなければいけないなということを思いました。 ありがとうございました。
○会長(川田龍平君) 他に質疑の希望はございませんか。どうぞ。 新妻秀規君。
○新妻秀規君 済みません、二回目です。 藤田先生にお伺いをしたいんですけれども、先生の資料の十四ページ目に、若者の生活不安を解消するためにということで、一番目が学費の無償化、また職業訓練制度の拡充とあるんですよね。二つ目には企業の福利厚生を社会保障でと、特に住宅政策に光を当てて御説明いただきました。 ここで、職業訓練制度の拡充は、実は先週の参考人質疑で森口参考人が、セーフティーネット機能の強化のためにはやはり職業訓練制度をもっと充実させるべきだという、そういう御主張をされまして、全く先生と同じことをおっしゃっていたんですよね。なので、先生がおっしゃるこの職業訓練制度の拡充の具体的なイメージ、あとは、先生、ヨーロッパとかそういう他国での先進的な事例をもしお伝えいただければ有り難いです。 また、住宅政策、先ほど委員との質疑の中でもありましたけれども、ヨーロッパの、例えば大家さんに税制優遇をするとか少しおっしゃいましたけど、もうちょっと詳しめに先進的な他国の事例を教えていただければと思います。 以上、二問です。
○参考人(藤田孝典君) ありがとうございます。 まず、職業訓練制度の現状なんですけれども、まず、例えばヘルパーの資格を取るということであるとか、パソコンのスキルを上げるということだとか、様々なものが用意されているんですが、失業期間中にその職業訓練制度等を受けて、じゃ所得が上がったりあるいはほかの産業に労働力が移動しているかというと、実はかなり疑問がある状況かなというふうに思っています。 企業は、これまで企業内で研修をちゃんとやって、それは終身雇用というのを前提で育てながら職員を雇っていきましたけれども、これがもう若者を中心にして三年とか五年で離職率が非常に激しい状況が一般化してきていますので、企業で入ってもキャリアが形成されない、あるいは資格が取れない、あるいは三年後、五年後にはまた別の職種に移るというんですか、この教育なき労働力移動というものがかなり非常に増えてきていまして、これは海外だと、労働組合であったりだとかあるいは職業訓練校であるとかそういったところが、失業することを前提にしてもう失業中に、例えばこれ失業の給付期間、要は、雇用保険の失業給付期間もかなり長いんですけれども、日本はそれこそ半年から一年半の間にもうすぐにでも仕事を見付けないと、訓練を受けている場合じゃないので、生活が干上がってしまいますので。 だから、この給付期間の延びと併せてなんですけれども、例えば海外だと、オランダとかほかの国々でも、二年とか三年失業した間にちゃんと教育を受けるというんですか、その間には、例えば弁護士になるという人もいれば、大学に通いながら行政書士になるという方もいれば、パイロットの資格を取るという方もいて、要するに多様なメニューが用意されていて、ある程度教育を受けながらお金を支給されて次の産業に移動できるというんですか、当然その方が移った後継続して自分がやりたい仕事に就けますし納税額も上がっていきますので、だから、これも先行投資として職業訓練にお金を入れていくというんですか、そういった試みが各国で行っています。 残念ながら、今、日本の職業訓練は、当然短期間で早く労働収入を出さないといけないので短期間にできる資格取得とすると、ヘルパー資格だったりパソコンのスキルを上げることだったり、それを得て出たとしても低賃金労働に従事せざるを得なかったりとか、この低所得から抜け出せないというんですか、だから、抜け出すすべがちょっと持ちにくいという現状が、職業訓練等、生活困窮者を支援していてやっぱり課題として挙がってきているところかなと思います。 なので、職業訓練制度のメニューを整備するためにも、長期的に、要するに安心して職業訓練を受けられるように、失業保険の給付期間とか求職中の支援の体制整備は引き続き必要だろうというふうに思っております。 もう一つは住宅政策についてですけれども、主に三つ海外では行われています。 一つは、日本でも一部行われていますが、公営住宅です。この公営住宅の整備は、日本はもう高度経済成長期以降はやめてしまっていますので、どちらかというともう縮小傾向があって、全体の住宅のうちの三%程度しか今公営住宅って用意されていませんので、UR入れても五%から六%くらいですから、もうほとんど持家と民間賃貸に依存していると言っていい状況だと思います。 例えばフランスだと、その年にもよって違いますけれども、大体おおむね二〇%前後公営住宅が用意されていますので、おおむね貧困率の全体、要は低所得の人たちには提供できる、あるいは若者であるとか高齢者であるとかそういった人たちには提供できる十分な量が保障されているというんですか、これは災害が起こったときにも有効なストックがあるということになるかなと思います。 あとは、二番目に、社会住宅と呼ばれるような、民間の市場に任せて、要するに家を建てたい、アパートを建てたいという場合には、低所得の人に貸せばその分税制優遇を入れるとか建設費の一部を補助するということで、なので、これは市場のメカニズムに委ねる形で社会的な住宅、低家賃の住宅を供給するという仕組みを取っています。そうしないと、実は普通にアパートを建てたらどうかというと、立派な建物を建てれば当然家賃高くなりますし、そこからは低所得者、様々な事情がある人は排除されるという傾向はありますので、公営住宅並みに低家賃にして貸すのであれば、その分は一部助成をするという形を取っているのが社会住宅ですかね。 あと三つ目には、やっぱり家賃補助制度というものがあって、これは企業がずっと行ってきましたが、家賃の一部であったり半額であったり全額を補助するという、所得に応じて行うということを取っています。 この住宅補助制度、家賃補助制度というものは、今、日本だとどうかというと、生活保護受給者の住宅扶助と失業された方たちに対する住宅確保給付金のこの二種類しかなくて、極度に貧困に陥らなければ支給しないという仕組みになっていますので、ほかの諸外国はとことんまで困る手前で、低所得の間には保障するとか、ある程度手前でサービスを入れていくということをやっていますので、そもそも困らないという仕組みですかね。なので、防貧制度として、貧困に至る手前、貧困を防ぐための制度として住宅政策を位置付けているということがやっぱり特徴かなというふうに思っております。 いずれにしても、この三つどれもやっぱり弱い、欠けているということが日本の若者の生きづらさ、全部自分で労働で住宅を手に入れないといけないというふうになっていますので、苦しいという状況かと思っております。
○新妻秀規君 ありがとうございます。 このうち、社会住宅と家賃補助について、日本の自治体とかでやっているこういう先進的な優良事例とかってありますかね。
○参考人(藤田孝典君) まず、社会住宅的なものは、日本を見渡してみて、過疎地域で例えば人口流出が激しい地域だったりすると、シングルマザーに対してとかあるいは若者に対してもう土地とか建物を提供したり、無償でということはやっています。だから、日本の住宅政策は、どちらかというと、過疎に困っている地域が人口を引き寄せるために行っているというものは非常に多いかなと思いますね。あとは、最近だと、世田谷で行っているのは、もう保育士が足りないので、保育士であれば、その職業であれば住宅手当を支給するというような職種別の住宅政策を入れたりという試みは幾つかの自治体であります。 なので、この自治体、地域をどういうふうにしていきたいのか、どういう人を招きたいのかということによって行われるということがありますけれども、本来住宅というのは、先ほど幾つか議論あるとおり、全ての人に必要なものだと思いますので、なので、もう少し住宅の負担軽減は全体的に、国全体として議論されていいものかなというふうには思っております。
○新妻秀規君 終わります。ありがとうございました。
○会長(川田龍平君) 他に質疑はございませんか。──はい。 質疑はしたかったんですが、それでは予定の時刻が参りましたので、参考人に対する質疑はこの程度といたします。 一言御挨拶申し上げます。 駒村参考人、熊谷参考人及び藤田参考人におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手) 本日はこれにて散会いたします。 午後三時五十八分散会