財政金融委員会 第13号
- 発言数
- 80 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 2016/05/19
会議録
○委員長(大家敏志君) ただいまから財政金融委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 昨日までに、櫻井充君、山下雄平君、柘植芳文君、井原巧君、島田三郎君及び白眞勲君が委員を辞任され、その補欠として礒崎哲史君、岡田直樹君、山谷えり子君、岩城光英君、藤田幸久君及び中泉松司君が選任されました。 ─────────────
○委員長(大家敏志君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 財政及び金融等に関する調査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、政府参考人として内閣官房内閣審議官土生栄二君の出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大家敏志君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(大家敏志君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 財政及び金融等に関する調査のため、本日の委員会に参考人として日本銀行副総裁岩田規久男君及び同政策委員会審議委員櫻井眞君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大家敏志君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(大家敏志君) この際、櫻井審議委員から発言を求められておりますので、これを許します。櫻井日本銀行政策委員会審議委員。
○参考人(櫻井眞君) 冒頭、御挨拶いたします。 今回は、私の経歴の件でいろいろな表記の誤りがございまして、大変皆様に御迷惑をお掛けいたしました。大変深く反省しており、遺憾の意と存じております。今後、こういうことがないよう十分気を付けてまいりたいというふうに思っております。 ─────────────
○委員長(大家敏志君) 財政及び金融等に関する調査のうち、日本銀行法第五十四条第一項の規定に基づく通貨及び金融の調節に関する報告書に関する件を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○長峯誠君 自民党の長峯誠でございます。 補充質疑ということで質疑をさせていただきたいと思います。 まず、修士論文についてでございます。 そもそも、週刊誌が四十五年前の修士論文をもって日銀審議委員の適格性を云々すること自体が私は適切だとは思っておりませんが、これ、事は参考人の名誉に関わることでありますので触れておきたいというふうに思っております。 御提出いただいた修士論文は非常に短いです。参考文献、目次含めて五ページということでございます。これについて、衆議院の方の財金委員会の方で参考人は、東大紛争が終わってすぐの時期であったのでやや混乱期にまだ大学院の教育があったというふうに答弁をされております。 実は私、東京大学百年史という資料を皆さんのお手元に配っております。ここに書いてあるマーカーがしてあるところを読み上げさせていただきますが、経済学研究科における教育と研究が落ち着いた雰囲気の中で軌道に乗り、かつ大学院の制度改革が実現されるまでには、その後かなり長い期間が掛かり、教官、院生共に余り生産的とは言えない経院紛争、経済学部の大学院ですね、経院紛争の一時期を経験することとなると。新たな五年一貫制大学院が制度化されていない状況において、古い制度の制約の下に、どのような改革を実現していくかをめぐる争いであったと言えようと。 それから、次の次のページでございますけれども、修士論文のことが書いてあります。 修士論文の取扱いという項目で、研究科委員会が取扱い上最も苦慮したのは、飛ばしまして、修士論文と自由研究の問題でありとあります。まず修士論文については、制度改革が実現するまでの暫定的措置として、修士課程修了時に従来の研究の概要とそれについての学問的反省並びに将来の研究計画についての説明を最低限含むところの論文提出を繰り返し求めたにもかかわらず、そうした要件を満たしたとは言い難いものがかなり提出されたため、研究科委員会と全教官会議はその取扱いをめぐって苦慮し、要件を満たさぬ者は留年の措置をとるべしとの意見も出されたが、結局はやむを得ぬ措置として博士課程への進学を全員について認めることとなった。こうして本研究科の修士論文制度は、五年一貫制の中で新たな制度として位置付けられるまで事実上形骸化されていったのであるとあります。これは、参考人の御指摘と符合する内容でございます。 また、当時の修士論文を私、東京大学に行きまして全部拝見させていただきました。二十三名の方が修士論文を書かれておりましたが、お手元に配付の資料にその結果が出ております。論文の枚数が二枚の方が三名、これ、先ほどと同じ、目次、参考文献を含んで表紙を除いております、二枚の方が三名、三枚の方が五名、四枚の方が一名、そして参考人と同じ五枚という方が三名いらっしゃいまして、それ以上、八枚、十枚から、一番多い方は五十五枚でしたが、この五十五枚は全て数式でございまして、そういう方がいらっしゃる。ちょうど参考人が真ん中辺にこの二十三人の中ではいらっしゃるということでございまして、この時点の修士論文の中で特段異常な修士論文ではなかったということは言えるのかなというふうに思っております。 これ、参考人が衆議院の方で答弁されているんですが、この論文を指導していただいたのはあのかの有名な宇沢弘文先生であるということで、宇沢先生といえば知らない人はいらっしゃらないと思いますが、文化勲章を受けられて、経済学で文化勲章を受けられた方って八十年の歴史で十人しかいないということですから、もう間違いなく日本を代表する経済学者と言ってもいいかと思いますが、この宇沢先生の指導でこの五枚の論文を提出することになったのか、そのときの経緯をお知らせいただきたいと思います。
○参考人(櫻井眞君) 委員にお答え申し上げます。 確かにその修士論文はここに提出いたしました五枚ということでございまして、委員御指摘のとおり、当時、東大紛争の直後ということで大変混乱しておりまして、制度的にもまだ固まっておらなかった時代でございます。 私の場合は、実はその修士の一年、二年の間は、もうお亡くなりになりましたけれども、宇沢先生の下で研究をしておりまして、指導を受けていたわけでございます。その指導を受けていたこと自体は、ほぼ一年半ぐらいの期間、たっぷりと御指導いただきまして、セミナー等、あるいは個人的にも御指導をいただいた。その内容に関して修士論文という形の問題で、ほぼその御指導いただいてきたことに関して、その延長上で将来の研究計画も含めて書くということで五枚の修士の紙を提出すると。これは、事務局の方からもそのような指示があったというふうに記憶しております。
○長峯誠君 事実の確認をさせていただきました。 今日、委員会の方にこの経歴の正誤表といいますか、これが提出をされました。これについては内閣官房と日銀の方で精査をしていただいたということでございますけれども、おおむね、赤字で書いてある誤記載といいますか確認された誤りについては、ほぼ誤字脱字の範囲内、あるいは年数の違いについては、これは、正式な辞令が出ているか否かは別にして、実際にそこで働いていたということを当時の同僚からの証言を日銀の方で取っていただいております。多分、皆さんOBになって、御自宅まで御連絡取って調べ上げたということでしょうから、その作業については多としたいというふうに思っております。 そういったことであるんですが、ただ一つ、やっぱり看過できないといいますか、問題になるとすれば、やはりこの博士課程修了という表現がどうか。正確には単位取得退学であるということなんですね。これについては、実は衆議院の財金で岩田副総裁が、岩田副総裁も日銀のホームページでは博士課程修了と書いているんです。これについて、当時の東大の教務担当者に、自分の場合は満期退学と書くのかと聞いたら、そうではなくて博士課程修了と書くのだと言われたというふうに答弁をされているんですね。ですから、当時は一般的に、このようなキャリアの方々は博士課程修了と書いていたんだろうというふうに推察するわけです。 実は、この衆議院財金で質問していたのは民進党の宮崎岳志議員でございますが、宮崎岳志議員は元々新聞記者でいらっしゃって、実はその新聞記者時代の体験を基に、そのやり取りの中でこういうふうにおっしゃっているんですね。 日本でも二十年くらい前には、確かに論文が通っていなくても博士課程修了というふうに書くということもあったやに記憶をしていますと。私は新聞記者をやっておりましたのでいろいろな人のプロフィールを書くという仕事も結構ありまして、週に一本ぐらいは誰かのプロフィールを書いていることがありましたと。ある時期から、やはり博士課程修了という表現はなくなりましたと。博士号取得と書くか、満期退学とか単位取得退学とか、そういう書き方をするようになりましたというふうに宮崎議員おっしゃっています。 ということは、やはり昔はかなり慣例的にこの表現を使っていた。しかし、ある時期から、やっぱり正確性を期そうということで、特に新聞業界なんかはきちっと正確性を期そうということで表現を改めていた。しかしながら、日銀はその従来の慣例に従った書き方を今日まで続けていたということが今回の謎解きということになるのかなというふうに思っております。 私、要求しまして出していただいた櫻井参考人が内閣官房に提出された経歴書、つまり御自身で書かれた経歴書を拝見をいたしました。それにはきちんと博士課程中退(単位取得修了)と書いているんですね。ですから、御自身はいわゆる正確な書き方をしているんです。しかし、それを受け取った日銀が旧来どおりの表現で日銀のホームページに載せたということで今回の問題が生じたということでありますので、これはやはり審議委員の適格性を問われるような悪質な経歴詐称ということまでは言えないというふうに考えているところでございます。 参考人は、この経歴書によりますと、様々な職場、官民合わせて様々な職場でキャリアを積んでこられているんですが、簡単に、それぞれの職場でどんな研究に携わっていらっしゃったのか、それをお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(櫻井眞君) 委員にお答え申し上げます。 私、まず大学院の博士課程のときに、為替制度の違いによって景気変動がどのように国際的に波及するかという研究を浜田宏一先生と共同研究をいたしました。その成果がシカゴ大学のジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミーという雑誌に一九七八年に掲載されました。これが私の研究活動の出発点ということでございます。 そして、日本輸出入銀行にその後入行いたしまして、そのときには主にアジア太平洋地域のマクロ経済の動向の分析と、それから国際資本移動に関する研究というものを中心にやっておりました。特に、その当時、日本からアジアへの投資が増え始めたところでございまして、そのアジアへの直接投資の、どういうような決定要因でそれが決まっておるかということを主に研究してきたわけです。 その後、エール大学の経済成長センターというところの客員研究員ということで、同じテーマでほぼ日本の直接投資あるいは環太平洋地域全体の直接投資とアジア全体の経済成長の関係ということを中心に研究を続けました。 帰国後は、日本輸出入銀行に戻りまして、やはり日本の直接投資をマクロだけでなくて産業別あるいは国別にどういうふうに動きになっておるか、あるいはそこのどういうような政策との関係というようなことを分析してきたわけであります。 その後、その正式な辞令はなかったんですが、大蔵省の財政金融研究所の研究、幾つかの研究会に参加いたしまして、幾つかの報告書等を執筆いたしました。辞令をいただいたのは、正式に辞令をいただいたのは平成二年に当時の大蔵省から辞令をいただいたんですが、その後はアジア・太平洋金融・資本市場研究会の専門委員というようなことを務めて、そこでも執筆あるいは研究活動を続けたということでございます。その後、経済企画庁の研究所でも資本移動、それから直接投資についての同様の研究プロジェクトに参加をいたしました。 平成元年に日本輸出入銀行を退社いたしまして、転職先の大正海上基礎研究所というところへ移りまして、そこでは、これまでの環太平洋地域の経済の発展、成長、さらには国際資本移動、直接投資といった問題に加えて、日本経済、それから金融問題というものの分析、それからさらに、当時、社会主義経済の市場経済化というものが進んでおりましたので、特に中国経済、ロシアというところの分析も行っておったわけであります。この時期は、これまでと違いまして、社外でのいろいろな刊行物へ寄稿する機会というものが大分増えたというのがその当時のことでございます。 その間、最後に、兼務でございますけれども、三井海上投資顧問の非常勤の役員をやっておりましたので、そのときに主に投資、金融関係の投資の面から定期的に金融経済情勢というものを報告するという仕事をしておりました。 以上でございます。
○長峯誠君 ありがとうございます。 参考人が国際金融経済に幅広く研究等をされて、日銀審議委員としての御見識をお持ちだということを伺うことができて安心をいたしました。これからの金融のかじ取りに存分の力を発揮していただきたいと存じます。 ただし、今回、経歴書に誤記が散見されたことは反省をしていただきたいと思います。国会同意人事は日銀の金融政策に対するほとんど唯一の民主的統制であります。それだけの重みがある手続ですので、厳格に臨んでいただきますようにお願い申し上げたいと存じます。 同じことを内閣総務官室にも申し上げたいと存じます。 確かに、経歴書の真偽を確認するために大学や職場に問合せをすれば人事情報が漏えいしてしまうというおそれがある、それはもう十分に分かります。しかし、経歴詐称、今回の場合は誤記でございましたが、悪質な経歴詐称がもし見逃されることがあるとすれば、これは国会同意人事の信頼を大きく揺るがせることになる重大な問題でございます。 そこで、今後、経歴書の正確性を担保する方策としてどのようなものを考えているか、お伺いしたいと存じます。
○政府参考人(土生栄二君) 内閣総務官室が作成いたしました資料に今日明らかになりましたような誤りがあったということにつきまして、また、先生方に多大な御迷惑をお掛けしたということにつきまして、まずは深くおわび申し上げたいと思います。大変申し訳ございませんでした。 今、先生から御指摘ございましたとおり、国会同意人事に関する資料でございますので、当然正確性を期していくということでございます。今回の事態、私どもも深く反省しているところでございまして、今後、御指摘のとおり、候補者の略歴の正確性を担保する措置を導入していきたいというふうに考えております。 具体的には、先生からもおっしゃっていただきましたとおり、厳しい情報管理の下で、とりわけ日本銀行につきましてはこれまでも事前報道等があったということでございます。そうした制約の中ではございますけれども、まずは何よりも御本人におきまして正確な資料を作成いただきまして御提出をいただくということでございます。 それをどのようにするかということでございますけれども、例えば、候補者が決まった段階で、略歴作成の留意点と申しますかチェックリストのようなものを事前にお届けをいたしまして、御本人が例えば裏付けとなる文書でございますとか記録等をきちんと御確認いただいた上で、正確な略歴を当方に御申告いただくといったような方法が考えられるのではないかと思っております。 今後、こうした方法を含め、できる限りの改善方策につきまして検討し、実施してまいりたいと思います。
○長峯誠君 我々国会議員は秘書がおりまして経歴をきちっと管理しておりますので、出せと言われたらぱっといつでも出せるんですけれども、一般の方はなかなかそこまで正確に取っていらっしゃらない方もいるかなとは思います。しかしながら、先ほども申し上げましたとおり、国会同意人事という大変重大な課題なので、しっかりと対応していただきますようにお願い申し上げまして、質問を終わります。
○大塚耕平君 大塚耕平でございます。 今の長峯理事の質疑を拝聴しておりまして、与党のお立場としてはそのような質疑になるんだろうなということを拝察しながら拝聴しておりましたけれども、この問題は与野党云々の話ではございませんので、できれば淡々と今日は事実確認をさせていただきたいというふうに思っております。 また、冒頭、前回の委員会、委員長も責任感の強い方であられますので、円滑な議事進行にいろいろ思いはおありだったと思いますが、できるだけ議事運営は与野党の理事の協議にお任せをいただいてはどうかなというふうに思いますので、その点だけ、まずお願いを申し上げます。
○委員長(大家敏志君) 今、御指摘いただきました。しっかり反省をして、また筆頭間の合意を尊重し、また先生方の意見を聞きながら今後は運営をしてまいりたいというふうに思います。どうぞ御理解、よろしくお願いします。
○大塚耕平君 委員長の責任でもなければ、ましてや内閣府の責任でもありませんし、日銀の事務方の責任でもありません。櫻井眞氏本人のなせる業であるということをまず明確に申し上げておきます。 今の長峯さんの質疑を聞いておりまして、これはいささか櫻井氏の答弁で解せない部分がありますが、衆議院では、内閣府は在籍は確認できないというふうに答弁をしております。それから、私は、財務省の職員名簿、七五年から平成八年までのものを全部見ましたけれども、残念ながら櫻井さんの名前は一度も出てきません。どうしてさっきまた在籍しているというふうに答弁をされたのか、その根拠を聞かせてください。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 私は、米国から帰りまして二年後だと思いますが、記憶では、その頃から、当時の大蔵省の財政金融研究室だと思いますけれども、まだ当時は、そこにいろいろな研究会の参加をしたわけでございます。したがって、辞令は一切出ておりません。辞令をいただいたのは、平成たしか二年に財政金融研究所の方から辞令をいただいたというふうに記憶しておりますし、辞令も残っていると思います。 ということで、在籍はしておりませんが、仕事はしておりましたということでございます。
○大塚耕平君 平成二年から八年までの職員名簿もここにありますが、あなたの名前は一切出てきません。辞令を受けていないものについて公的な履歴に書くということ自身が、もうこの委員会室の中の多くの皆さんの常識とは懸け離れていると思います。 平成二年に辞令をもらったというんだったら、そのエビデンスを出してください。
○参考人(櫻井眞君) そちらの方はちゃんと辞令を、当時の橋本龍太郎大蔵大臣の名前でいただいておりますので、そこは出せます。
○大塚耕平君 じゃ、それは出していただけるということでいいですね。
○参考人(櫻井眞君) はい、それはもちろん提出することはできますので、提出させていただきます。
○大塚耕平君 この特別研究官という名前では、職員名簿には特別研究官という項がありませんので、ひょっとするとその特別研究官として辞令があったのかもしれません。ただ、この職員名簿には研究官とか主任研究官というのはあるんですけれども、特別研究官というのはないんですよ。だから、その特別研究官の辞令が出てくるということであれば、それはそれでお待ちをしておりますので、可及的速やかに提出を願いたいと思います。 それから、今、博士号、博士課程の修了の記載の仕方については、長峯理事とのやり取りで一定の解釈が成り立っていたわけなんですけれども、さりながら、御本人がお出しくださった、総務官室に出した資料、私、今日は配付資料でお付けしておりますけれども、ここにはおっしゃるとおり中退と書いてあって、単位取得修了と書いてあるんですね。ここにもう既に櫻井さん独特の経歴についての、表現が難しいですけれども、マネージが発生しているんですね。 中退という御認識であるならば、普通は修了とは書きません。なぜ中退という御認識がありながら修了と書いているんですか。
○参考人(櫻井眞君) 修了と書いたのは、日本銀行の方で書いたわけで……(発言する者あり)
○委員長(大家敏志君) どうぞ続けてください。
○参考人(櫻井眞君) はい。単位取得修了というふうに書きました。 これは、単位は五十単位取れておりましたので、修士課程それからドクターコースということで合計で五十二単位取ったと思います。したがって、これは単位取得の退学ということでございますので、そういうふうに書きました。
○大塚耕平君 大久保理事も先週金曜日に東大に行かれて東大の企画調整役とお話をされておりますが、櫻井さん御自身も東大に行かれて、御本人が思っておられた取得単位数と違っておられたようですということを企画調整役が御発言されているそうですので、五十二単位取れていると言うんでしたら、それもエビデンスを出してください。
○参考人(櫻井眞君) 成績を出せると思いますので、私的なあれでございますけれども、出せると思います。
○大塚耕平君 じゃ、その二つ、お待ちしております。 その上で、今でいうところの単位取得満期退学であれば、その当時の人は中退というふうには認識しないんですよ。その博士課程をD1からD3まで終わって、満期、今でいうところの満期退学であれば、その当時の人は、中退とは言わずに確かに修了と言っておられた方がいると思います。 だから、私が今日皆さんにお見せしている資料、これは御本人が作った資料ですから、中退という認識が片方でありながら修了というふうに書いているというところに御本人独特の経歴についての、これまでの、いろんなところにお出しになる、例えば書籍に出されたレポート等のところに、御本人が出すプロフィールのところとかに書かれる経歴についての独特のマネジメントをしておられたというふうに私は理解しておりますが、いかがですか。
○参考人(櫻井眞君) 今回、公的な職ということでございまして、私も何年かぶりかに経歴を書いたんですけれども、それに従いまして少し最近の事例というのを見たら、どうも最近の、我々の単位の取得の仕方というのは修了と書かないらしいということで、私の方は中退というふうに書いたわけでございます。 しかし、従来、これまで発表してきた当時のいろいろな執筆したものに関しましては、過去のことでございまして、その当時の慣例に従って博士課程修了という形で書いていたということでございます。
○大塚耕平君 櫻井さんの文献、余り多くないんですけれども、私も調べさせていただきました。そうしましたら、例えば昭和五十二年の「季刊現代経済」に共同執筆者として書かれている経歴は、中央大学卒、現在日本輸出入銀行と書かれて、これ昭和五十二年なんですよ。 今日お出しいただいた経歴が正しければ、五十一年三月にもう東大修了しているはずですから、普通は東大博士課程修了とか書きたくなるところですよね。だけど、この時点では中央大学卒というふうに書かれていて、櫻井さんが中央大学卒と書かれずに東京大学大学院修了ということを書かれ始めたのは八九年の、平成元年ですね、そういうプロフィールにほぼ変わっていくんですよ。 今日お出しいただいた経歴からすると、平成二年の大蔵省財政金融研究所特別研究官になられる前辺りから全部東京大学博士課程修了というふうに書かれているんですね。なぜこの時期に変えられたか、大分昔の話ですが、御記憶はありますか。
○参考人(櫻井眞君) 私もちょっと記憶はございません、その辺に関しましては。
○大塚耕平君 曲がりなりにも特別研究官というポストがあって、その辞令が、お出しいただけるというそうなので、あったとすれば、当時大蔵省にいらっしゃった委員の方もこの中には何人かいらっしゃいますけれども、やっぱり財金研の研究官に任命される上では、そういう経歴は、持っていらっしゃるんだったらやっぱり表に出した方がいいということでお使いになられ始めたんだろうなというふうに私は推測はいたします。 その上で、先ほど理事会で御提出いただいた資料に基づきながら質問をさせていただきますが、そうすると、この財金研に所属をしながら大正海上、後の三井海上とかMSKに兼務していたということでよろしいですか。
○参考人(櫻井眞君) はい、兼務でございます。
○大塚耕平君 兼務が許されるかどうかというのは、それは当時の大蔵省の人に聞いてみないと分かりませんが、そうすると、兼務をしていたという前提でお伺いをします。 大蔵省については辞令を出していただけるということですから、内閣府は衆議院で在籍を否定していたわけですが、内閣府の辞令もいただけますね。
○参考人(櫻井眞君) 辞令自体、私は持っておりませんが、内閣府の方、内閣府としては辞令の記録が残っておるということを聞いております。当時の経済企画庁の経済研究所でございます。
○大塚耕平君 できるだけ櫻井さんに対する信頼感を、現時点で私は持っていませんよ、回復をさせた上で、今後もしそのお仕事をお続けになるなら、五年、四年ですか、ここで向き合っていかなきゃいけないので、少し信頼感回復のために資料をいただきたいんですが、大蔵省の辞令、内閣府の辞令が内閣府にあるというんだったら、旧経企庁からもらってください。その上で、この間、平成二年から八年は民間企業と兼務をしていたということになりますので、それはそれでその辞令によって確認をさせていただきます。 それで、御本人が内閣府に御提出になられた資料を見て、へえと思ったんですが、その特別研究、ここでは員と書かれていますが、特別研究官になられた後に、社団法人研究情報基金、FAIRと書いてあるんですね。これはどういう組織ですか。
○参考人(櫻井眞君) 私の理解では、FAIRは、たしか当時の大蔵省の外郭団体のような形ではなかったかというふうに記憶しております。
○大塚耕平君 余りこの当時の話には触れたくないんですけれども、宮沢委員もその当時在籍しておられて、このFAIRについてはよく御存じだと思いますが、その当時、かなり悪名高いここは組織としてマスメディアをにぎわせた組織であります。長富祐一郎さんという方が中心で仕切っておられた組織で、いろんな金融機関や大企業から資金を集めて、言わばかなり乱暴な使い方をしていたということで、検索を掛けると朝日新聞の記事とか当時のやつが出てきますけれども、ここで何をしておられたんですか。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 当時、研究情報基金はいろんな仕事をしておりましたが、一番中心になっておりましたのは環太平洋地域の研究のネットワークをつくるという仕事でございました。当時、日本の海外直接投資が非常にアジアに急速に伸びていった時期でございまして、当時のASEAN諸国だとかオーストラリアといったところも含めて、また、環太平洋ということで米国も含めていろいろな研究活動のネットワークをつくりたいということで、私はそのお手伝いをずっとしていたということでございます。
○大塚耕平君 そういうお仕事もしていたんだと思います。 それで、その当時の方にお伺いすると、この週刊誌の記事が出てからですよ、私も基本的に週刊誌の記事的なことは国会ではほとんど取り上げたことがないんですが、今回はそうもいかないだろうなと思ってお伺いしましたら、櫻井さんは財金研には籍はなかったと思う、あの人はFAIRの人だったんじゃないかということをおっしゃる方もいらっしゃいました。だから、FAIRでそういうお仕事をしておられたのかもしれませんが、そのFAIRというのは長富祐一郎さんが中心で、理事長がいるときには理事長が、歴代の大蔵事務次官ですが、やっておられましたけど、いらっしゃらないときには理事である長富さんが代行として仕切っていたという、そういう認識でよろしいですね。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 委員御指摘のとおり、理事長というポストに関しましては、歴代、当時の大蔵省のOBの方、例えば次官であるとかあるいは財務官経験といったような方々がポストに就いておられたと思います。 長富さんは、たしかそこの中の理事会のメンバーで、たしか運営委員会かな、そういうような名前のところの何かポスト、議長か何かのポストをされていたということで、事実上、長富さんがいろいろな研究ネットワークづくりを指導していたということでございます。
○大塚耕平君 その当時の新聞記事とか週刊誌の記事をここで読み上げるのはやめますけれども、長富さんについても、もうお亡くなりになっておられる方なのであれこれ申し上げませんが、いろいろ記事には毀誉褒貶に関わることが書かれているんですけれども。 今日お持ちした資料の三枚目に、櫻井さん御自身がおととし古河電工で講演された資料が、その講演録があるんですけれども、自己紹介のところの二つ目のパラグラフ、ちょっと読みますよ。「帰国して、二年目くらいから大蔵省と銀行と半々くらいで勤務する様になった。当時大蔵省関税局長長富さんの秘書官を仲間二人と一緒に勤めた。その一人が現在国会議員の山本幸三さんで、この人はアベノミクスの実質的な仕掛け人であるが、秘書官時代からの付き合いが今も続いており、アベノミクスの初期から関係することになった。もう一人の秘書官が竹中平蔵さんで、彼は日本開発銀行からの出向であった。」と。 今日お出しいただいた経歴書のどの段階で関税局長の秘書官をしておられたんですか。
○参考人(櫻井眞君) これは講演録ということで、少しいろいろな話をしたときに先方がこういう書き方をしたんですけれども、私は、正確には、多分秘書のような仕事をしていたということでございます。四六時中そこにいたわけではございませんで、先ほど申し上げたとおり、環太平洋の研究交流あるいは研究会といったところで事実上秘書的な仕事というものを一部担当していたということでございます。
○大塚耕平君 ここはテープでも出てこない限りは、今、櫻井さんがおっしゃったようなことを、御自身がおっしゃったのがこうなったのか、それともはっきりこうおっしゃっていたのかは、それは確認のしようがありませんけれども、その当時の朝日新聞のFAIRに関する記事、一つだけ、一くだりだけ読ませていただきますね。 FAIRというのには八つの課、室があって、職員はプロパー、民間からの派遣合わせて二十人程度。派遣は金融機関からが大半で、出身母体が給料を払っていると。そのうち研究員は約十人。実際は会議の準備作業や長富氏が出張したときの通訳などをしていると内部の人は言う。派遣中は、私たちの働きも大蔵省への貢献と考えたと民間からの元研究員は言うと。 つまり、この当時、このFAIRというところに資金を出したり人を提供することで協力しないとよろしくないよという圧力が掛かっていて、それが後の接待問題とかいろんなことにも発展していった、ここが中心的拠点の一つであったという、当時そのように取り上げられていたんですね。 だから、今まさしく長富さんの秘書のような仕事をしていたということは、要するに、これは推測ですよ、私の推測ですが、お出しいただいた経歴やこれまでの櫻井さんのお話からすると、このFAIRを手伝えと、しかし、そのためには財金研の特別研究官という肩書がないと、FAIRは更にその下の組織ですから、そういう仕事ができないのではないかというふうに組み立てられたのではないかなというふうに私なりに拝察をしたんですけれども、余りそういう御認識はないですか。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 私自身が研究情報基金あるいは大蔵省の、当時の大蔵省のいろんな研究会等に参加した一番大きな理由は、やはり私が国際資本移動と直接投資の問題を研究していたということで、当時の私自身がアジアないしはアメリカの研究者との人的ネットワークを持っていたと、これを長富さんは活用したいということが多分あったんだろうということでございます。その結果、私がそういうお手伝いをすることになったということだと記憶しております。
○大塚耕平君 それはもう旧聞に属する話ですから、私も正確なことをここで確認するということはやめます。やめますが、この講演録は二年前の講演録ですからね。例えば、普通、私、自分が講演したときの講演録は、書き起こしができたらくださいと言って原案の段階で全部手を入れます。それはそうです。だって、間違ったことが、それと発言している内容の趣旨と違う文脈で書かれたりしたら困りますから。 櫻井さん、今後はそういうお立場になるんですよ。適当なことを外でおっしゃって、それは向こうが書いたことだから済みませんでは済まされないお立場なんですよ、もう既に。これ、でも、秘書役、秘書のような仕事をしていたけれども、けれどもという文脈を相手が秘書官と書いたというふうには、私はちょっとこれは理解しにくいですけどね。 いろいろ今回、櫻井さんのことについて大変、私もこんなことで時間費やすのは迷惑なんですよ、はっきり言って、だけど、調べたり、いろんな方からお話聞くのに時間費やしましたけれども、先ほど申し上げたように、途中から東京大学院博士課程修了という肩書をお使いになったり、今度は特別研究官や経企庁の研究員になられたということで、その後、輸銀はお辞めになられて民間企業に行かれたとか、大変申し訳ないんですが、こういうことになってしまったので、何か自分のプロファイルを上手にマネージしておられるなという印象を受けざるを得ないんです。 ちなみに、関税局長には秘書官なんかいませんからね。もし秘書的な仕事をしていたという発言をしたという自覚症状がおありなら、それ自身もいかがなものかと思いますよ。しかも、竹中平蔵さんとか山本幸三さんとか、人の名前使ってですね。これだけをもっても、清廉性と信頼性を求められる日銀審議委員にはあなたは不適格です。私も元日銀OBとして本当に残念ですし、こんなことで日銀の生真面目な職員、後ろには審議委員専属のスタッフがもう任命されて座っていますけれども、マンパワーを費やされるのは、日銀は言わないでしょうから僕が言っておきますけど、迷惑です。個人的見解を一回だけ申し上げておきますけど、潔くお辞めになった方がいいですよ。 その上で、ちょっと続けさせていただきますけれども、御自身が内閣総務官室にお出しになった経歴書の後ろの方には、例えば海外関係ということで中華経済研究院とか台湾の財閥グループの一つである新光グループの顧問と書いてありますけど、これはもうお辞めになったんですね。
○参考人(櫻井眞君) はい、当然辞めております。
○大塚耕平君 それから、やっぱり櫻井さん独特のプロフィールに対するパーソナリティーを僕は感じざるを得ないんですけれども、例えばその上の教職歴というのを今拝見してああと思ったんですけれども、非常勤講師を一九七七年から、何か大学いっぱい書いておられますけれども、私もあちこちで随分やらせてもらいましたけれども、非常勤講師、余り一校一校までこんなに覚えていないですよね。随分こういうところにはこだわりをお持ちなんだなということも感じましたし、それから、その他のところに書いてある構造問題小委員会とか、こういうのはみんな先ほど出てきたFAIRに属する組織ですよね、こういうの。そういうことですよね。だから、FAIRに関連してやったポストを随分上手にプレーアップするためにここに記載しておられるなというふうに感じました、私は。 そういうようなことを感じながら、今改めて出された経歴を拝見していたんですけれども、このFAIRというのも、私の記憶では、今日お出しいただいた経歴で、平成二年に櫻井さんは大蔵省の特別研究官の辞令を受けたと書かれているんですが、したがって四年前ですか、ちょうどプラザ合意の一九八五年の昭和六十年から、長富さんがこのFAIRの前身である研究情報基金、それを略称でFAIRと言っていたというケースもありますけれども、これの設立に動き始められて、随分あちこちに資金集めに動かれて、六十一年に研究情報基金が設立されました。六十一年といえば、その三年後が平成元年ですから。 その頃から、つまり長富、その後関税局長になられましたけれども、関税局長とはかなり親しくお仕事をしておられたという理解でいいですね。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 委員御指摘のとおりでございまして、その頃から長富当時の審議委員とは大変懇意にしていただいて御指導を受けていたということでございます。
○大塚耕平君 長富さんは昭和六十三年六月から平成元年六月までの一年間、関税局長をお務めになられたんですが、関税局長になられる直前の一年間は、まさしく今あなたと同じ日銀審議委員をやっておられたんです。私、その頃日銀にいましたので、名前だけは存じ上げています、長富さんの。 大変親しくお付き合いをされた長富さんと同じ立場に今なられたわけですよね。いろんな思いがおありなんだと思いますけれども、先ほど御説明いただいた経歴の中で、やっぱり今後も更に御留意いただいた方がいいということがもう幾つも感じられましたけど、例えば三井海上投資顧問は、これは非常勤のポストに就かれているというふうにおっしゃいましたよね。だったら、普通ここ非常勤と書きますよ。なぜ非常勤と書かないんですか。
○参考人(櫻井眞君) 非常勤といいましても、基本的には毎月のように、ほとんど隣の部屋でございましたので、勤務としてはほぼ定期的に報告をしていたということでございます。
○大塚耕平君 いや、今の御発言が櫻井さんのプロファイルに対する御自身のフィーリングをもう象徴しているんですよ。 経歴というのは、実質的にどうだったかとかそういう話じゃなくて、形式が極めて重要なんですよ。非常勤取締役なら普通は、こんな大事な場に出す経歴であれば、普通は非常勤と書きます。特別研究官も、FAIRの職員、事実上の手伝い輸銀に大蔵省から誰か人を出してくれと言われて、分かった、じゃ投資研究所にいる櫻井さんというのを手伝いに出すから、まあ一応肩書上は特別研究官ということにしようよとかということになったら、普通その程度の経歴なら書かないですよ。 だから、本当に申し訳ないんですが、僕は今、櫻井審議委員に信頼感は全く持っていませんので、やっぱり御自分のキャリアをマネジメントしていくというのは大事なことですよ、それはそれで分かるんですけれども、上手にプロファイルを、出し方を工夫しておられるなという気がしてならないですね。そういう方には、やっぱり審議委員をお務めいただかない方がいいか、あるいは、審議委員を今後お務めになられるなら、よほど少しこれまでの御自身と向き合っていただかないと、日銀職員がかわいそうですよ。 それから、日銀職員だけじゃなくて、今の日本の金融政策というのは、数十年先まで後世の政策担当者や政治家や国民全体に大きな影響を与えるような宿題を残しつつあるわけですよね。だから、よほど信頼感の高い方でないと務めていただきたくないし、いわんや議論する前から賛否が分かっているような審議委員がずらっと並んでいるんだったら、これは日銀政策決定会合の意味がないですね。 今、櫻井さんは、どんな議案が今後出ても全て黒田総裁に賛成するというふうに決めていらっしゃるわけじゃないですね。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 金融政策に関しましては、当然そのときの状況を的確に判断して、その時々に判断をしていこうというふうに思っておりますので、私個人で判断をしたいと思っております。
○大塚耕平君 そうすると、今日お配りさせていただいた資料の一番後ろに、昨年この委員会で毎月提示をするように求めて、以来、日銀、財務省が一緒になって提出してくれている国債関係資料というのがあるんですが、その中で日銀が出しているマネタリーベースと日本銀行の総資産の対名目GDP比の数字があります。 これ、黒田さんが就任した後に、マネタリーベースの対名目GDP比であれば倍以上、総資産の対名目GDP比も大体倍以上になっていますが、櫻井さんは審議委員としてこの比率について上限はどのぐらいだとお考えですか。
○参考人(櫻井眞君) 上限に関しましては、将来の金融政策に関わることなので、御意見はちょっと、意見は述べさせていただくのはここでは控えたいと思いますけれども、もちろん、現在、金融緩和政策というのを進めておりますので、量的緩和、やはり二%の目標というものがございますので、これを二〇一七年度末ぐらいまでには何とか達成したいということで、その状況にまではある程度増えていくだろうというふうに考えております。
○大塚耕平君 この比率がどのぐらいになったら二%が達成できると現時点ではお考えになっていますか。
○参考人(櫻井眞君) それは非常に難しい御質問で、現時点では予測はなかなか難しいということだけを申し上げておきたいというふうに思います。
○大塚耕平君 予測が難しいのはそのとおりですが、黒田総裁は、これ、上限はあるんですかと聞きましたら、上限はないと、二%になるまでこれは拡大し続けるというふうにこの委員会で答弁しておられるんですが、同じお考えですか。
○参考人(櫻井眞君) 最も重要な点はやはり二%の目標を実現するということでございますので、そのときにどのような数字がここに出てくるかということだろうというふうに考えております。
○大塚耕平君 二%を実現することが実体経済にどのような影響を与えるんですか。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 やはり大変長い期間にわたりましてデフレが続いていたということで、デフレになりますと経済がどうしても縮小してしまうということになりかねない。したがって、そこを大きく転換するためには二%程度の目標をきちっとまずは達成するということだろうというふうに思っております。 特に、現時点では潜在成長力というようなものもほぼゼロから〇・五の間ぐらいだろうというふうに考えておりますので、金融政策でまずはサポートをして二%を達成する中で潜在成長力を高めていくということが一番重要なんだろうというふうに考えております。
○大塚耕平君 潜在成長率は一・三から一・五ぐらいの間だと思いますが、私の認識と差があるという理解でいいですか。
○参考人(櫻井眞君) 一・五とかというのは、やはりできればそれぐらいの高さは欲しいと思っておりますが、少し堅めに見れば、一%ちょっと届かない、やはりゼロから〇・五の間ぐらいではないかなというふうに考えております。
○大塚耕平君 黒田総裁の政策手法は、期待に働きかけると、それが結果として物価上昇率にも反映し、物価上昇率が上がることによって実体経済も好循環になると。ここでもう三年半言い続けていらっしゃるんですけれども、期待を測る指標は何ですか。
○参考人(櫻井眞君) 期待を測る指標としては、例えば過去の物価データのウエートであるとか、あるいは将来のエクスペクテーションということでありますから、いろいろな計算方法がございますが、やはり一つ重要な点は、需給ギャップとそれから期待……(発言する者あり)期待を測る指標としては、例えばインデックスとかそういうようなことで測っていくということだろうというふうに思っております。
○大塚耕平君 インデックスというのは余りにも抽象的でよく分からないんですけど、何ですか、インデックスって。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 ボンドの中の要するにインデックスの、物価上昇にインデックスするボンドの指標というのを使っていくというのが一般的だろうというふうに考えております。
○大塚耕平君 多分、今、日銀はブレーク・イーブン・インフレ率とか見ていますので、そういうインデックスの名前ぐらいすぐ出てくるようじゃないと、そもそも審議委員になっていただく資格もなければ、審議委員として務まりませんよ。 ちなみに、期待に働きかけると実体経済が好循環になるということを理論的にそれを明らかにした内外の学者はどういう人がいますか、あるいはどういう理論がありますか、お答えください。
○参考人(櫻井眞君) 御質問、もう一回お願いできますでしょうか。済みません。
○大塚耕平君 期待に働きかけるとそのことによって実体経済が好循環になるという、ここの理論的メカニズム、トランスミッションの理論をちゃんと理論化して説明をしている内外の学者の名前とか、あるいはその理論の名前について、御存じであればお答えいただきたいと思います。
○参考人(櫻井眞君) お答え申し上げます。 私の理解では、例えば古くはアービング・フィッシャーもやはりそういう論文を書いていたと思いますし、最近では例えばクルーグマンでありますとか、そういう方々も同じような内容のものを書いているというふうに理解しております。
○大塚耕平君 もうこれでやめますけれども、同じ質問に対して黒田総裁はここで、そういう該当する学者とか理論はありませんというふうにここでお答えになっているんですよ。 だから、初めてのチャレンジをしているということについては私は否定しませんし、これ何とかして経済を良くしなきゃいけないという意味でいろんなことをやらなきゃいけないので、それについては否定しませんけれども、是非、こう申し上げてはなんですが、審議委員の過去に書かれた、まあ論文とは言えないと思いますが、いろんなレポートの類い、例えば月刊誌なんかに出ている文献も、余り理論的というよりは論評に近いものが多いんですけれども、日銀審議委員をこの大事な時期に今後もお務めになられるおつもりであれば、少し最近の理論とか様々な動向とか経済指標の見方などをキャッチアップしていただいて、お仕事に励んでいただきたいなということを申し上げて、終わります。
○藤巻健史君 おおさか維新の会の藤巻です。よろしくお願いいたします。 私が今日質問に立たせていただいた理由は、やっぱり今後のことを一生懸命考えなくちゃいけないかなと、審議委員の重みというのを再認識していただいて、今後の人選において審議委員はやっぱりトップレベルの人たちにお願いしたいということを思っておりますので、それにくぎを刺す意味で質問をさせていただきたいなというふうに思っております。 私は長年金融の世界におりましたけれども、日銀の審議委員というのは極めて重いというふうに理解しておりましたし、金融界の人たちはみんなそう思っていたと思うんですね。やはり政治からのプレッシャーもたくさんあるでしょうし、非常に日本の経済にとって極めて重要な判断をするわけですし、日本の知性というか、金融における知性とか理性の最後のとりでというふうな理解をしておりましたから、私は現役のときも、意見は違うけれども、あれだけの人たちが議論してそういう判断をしたのならしようがないなというように思っておりました。それだけの人選、人たちがそろっていたと思うんですよね。 今後ともそういう審議委員の重みをキープしなくちゃいけないということで議論させていただきたいと思っておりますが、履歴とかそういうのは、確かに櫻井さんのこの履歴、私も全てのいろんな生活がずさんですけど、ちょっとこれは多過ぎるなとは思いますけれども、まあそれは多少間違いかなという程度で。 一つだけ、これは細かい話で今日の本質には関係ないんですけど、中央大学卒業、四十五年というふうに同意人事のときに出されましたけど、これ、私、この同意人事のときに書かれていた主な著作というのに書かれていた本ということで二冊、国会図書館で取り寄せましたけど、それには四十四年卒と書いてあるんですよね。これは、私も余り物覚えいい方じゃないけれども、自分の卒業年度と生まれた年と家内の生まれた年ぐらいは、この三つぐらいはまず間違えたことないなと。大学の卒業年度を間違えるというのは、これはやっぱり、四十五年扱いと、日本輸出入銀行でそういうふうに取り扱われていたから間違ったと備考に書いてありますけど、この本を書いたときは少なくともそういう認識も、間違えてはいなかったわけで、このくらいはやっぱりきちんと間違わないでいただきたかったかなというふうに思います。 まあ履歴についてはその程度で、余り大したあれではないと思うんですけど、大したことを私自身は余り感じていないんですけれども、問題は、先ほど申しましたように、政策委員会の審議委員であればやっぱりトップレベルの人間でなくちゃいけない。一つは、やっぱり金融界でのオピニオンリーダー。それは、オピニオンリーダーであれば、それなりにその人の意見に対して評価が大体金融界の中でも固まっていますし、それから、例えば日銀総裁に盲従する人であるかないかという判断もできていますから、それはいいだろうと。若しくは、それがなければ、一つは、やっぱり大手会社のそれなりの立場に行った人。これは実務界としてやっぱりそれなりに会社の中で評価された人ということで、まあ実務経験ありと見てもいいのかなと思うわけですよ。そうすると、残りはやっぱり学究肌の人。学究肌の人であるならば、それなりの、学問の世界の中で評価をされている人、それがやっぱりトップの世界だと思っております。 ですから、どれかに櫻井さんは適合するのかなと思って見たんですが、確かに、正直言って我が党、櫻井さんには申し訳なかったんですが、この同意人事には反対いたしました。 それはなぜかというと、まず、ノーバディーノーズ、私も知りませんでしたし、いろいろ聞いてみても金融界の人は誰も知らないということで、やっぱり少なくともオピニオンリーダーという状態ではなかった。そして、一流、トップ企業のトップという実績を得ている人でもないということで、これは学界、学者間でトップレベルの人かなと思って、でも、それをちょっと証明できるような証拠がなかったので、私どもは同意人事に賛成できなかったわけなんですけれども。 まず内閣府にお聞きしたいのは、櫻井審議委員というのは、実務でそれなりの実績を上げた人として選んだのか、又は学識経験者、要するに学問の世界でそれなりの見識があった方ということで選んだのかということをまずお聞きしたいと思います。
○内閣官房副長官(世耕弘成君) これ、日銀審議委員については、日銀法第二十三条第二項で、経済又は金融に関して高い識見を有する者その他学識経験のある者のうちから内閣が任命するとなっております。これは実は、平成十年四月一日に日銀法が大改正をされて施行されてからこの基準ということになっております。 当時、この改正のときの国会審議の中で、当時の橋本総理は委員の選任に関してこう答弁をしております。省庁の出身者、民間出身者といったその出身を問わず、幅広い人材の中から候補となる人物の識見等を総合的に勘案して選考するというふうに述べております。 ですので、今御質問の、実務の世界で実績を上げた者として選んだのか、あるいは学識経験者として選んだのかという明確な区分があるわけではありません。総合的に判断をして選ばせていただいております。
○藤巻健史君 履歴を見た感覚だけですけれども、別に実務界で大いに成功された方というわけでも活躍された方というわけでもなさそうなので、やはり私はどちらかといえば学問の世界で成功された方かなという評価で上ってきたんじゃないかと思うんですけれども、同意人事のときに出されたこの二冊の本、ちょっと驚きましたですけど、まず三十年近く前と二十五年前の著書が主な本というふうに出てきた。かつ、両方とも共著なんですよね、これ。片っ方の本は、序章と終わりの章を含めて九章のうち二章で四十六ページを書かれています、櫻井さん。もう一つの方では、序章を含めて九章あるうち二十一ページだけ書かれたんですね。この共著が主たる本になるのかと、私ちょっと驚いたんですけど。 ましてや、確かに修士論文が四枚、これはいろいろ御説明聞いたら、修士論文のときはいいけれども、その後、大変な研究をされていろんな論文を出されたんだったらやっぱり確かに研究者としてすばらしいなと私は思うんですけれども、今日、朝、理事会で出していただいたのも、一つは講義録ですよね、何か産業能率大学で講演したときの講義録、これが主なる著作と言えるのかどうかということと、それから英文の本も出ていましたけど、これも共著でごく一部で、何か本当に彼が主体になっているのかどうかと、ちょっと疑問に思うところもあるようなものが出ている。 要するに、このように余り研究論文が出されていない人について、これは岩田副総裁に、副総裁としてでなくて学者として、元学者としてお聞きしたいんですけれども、こういう方というのは学問の世界でトップレベルの方と言えるんですか。学問の世界で、やっぱり私の認識だと論文をたくさん書いているというのが一つの重要な評価だと思うんですけれども、例えば准教授から教授に上げるときに、論文を全く書いていなくて教授に上げるというようなことはあるんでしょうか、お聞かせいただきたいと思います。
○参考人(岩田規久男君) 御指摘の点についてはちょっとコメントを差し控えさせていただきたいと思いますが、学者の世界に身を置いた者として櫻井審議委員の業績について申し上げたいと思いますが、例えば、櫻井委員は、経済学に関して世界で最も権威のある論文誌の一つであるジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミー、これに我が国の著名な経済学者である浜田イエール大学名誉教授との共同論文が掲載されております。この論文は非常にアイデアに富んだユニークな実は論文で、学界でも非常に評価されておりまして、この論文誌、ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミーという雑誌に掲載されること自体が非常に大きな業績でありまして、このことなどをもってみても櫻井審議委員は国内外の経済、金融に関して深い見識をお持ちであると私は理解しております。
○藤巻健史君 いや、私は、学者としてはそれはよろしいかもしれませんけれども、さすがに審議委員になるのであれば、やっぱりトップレベルの学者、トップレベルの実務家を選んでいただかないと、マーケットも、それから例えば日銀に働いている方だって、トップが何だと思うような方だったらやっぱり働かないですよ。マーケットだって言うことを聞かないし、日銀の政策自身の信認性が全く崩れると思うんですよね。 櫻井さんをどうこう言うことではなくて、今後、必ずトップレベルの審議委員を選んでいただきたいという希望を述べて、終わります。
○委員長(大家敏志君) 本件に対する質疑はこの程度にとどめ、本日はこれにて散会いたします。 午前十一時十六分散会