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186回国会参議院2014/06/04

憲法審査会 第7号

発言数
102
登壇者
13
会派数
8
開催日
2014/06/04

会議録

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。  日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  本日は、本案審査のため、参考人の方々から意見を聴取いたします。  御出席いただいております参考人は、九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授大西斎君、弁護士・日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長伊藤真君、慶應義塾大学法学部教授小林良彰君及び名古屋大学大学院法学研究科教授愛敬浩二君の四名でございます。  この際、参考人の皆様に一言御挨拶申し上げます。  本日は、御多忙のところ本審査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  参考人の皆様から忌憚のない御意見を賜り、本案の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。  議事の進め方でございますが、大西参考人、伊藤参考人、小林参考人、愛敬参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただいた後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は、質疑、答弁とも着席のままで結構でございます。  それでは、まず大西参考人にお願いをいたします。大西参考人。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 九州産業大学の大西と申します。  この度は、参議院憲法審査会での発言の機会をいただき、厚くお礼を申し上げます。  時間の都合でレジュメの論点全てに触れることができないことを最初にお断りさせていただきます。また、日本国憲法の改正手続に関する法律を国民投票法と述べさせていただきます。  元来、憲法改正権と国民主権は不可分な関係に私はあるというふうに思っております。芦部説でも、主権の権力性とは、具体的には憲法改正を決定する権能といいます。それだけに、国民主権を担保する意味からも、平常時から十分論議した、国民的コンセンサスが得られた国民投票法を的確に準備しておく必要があります。憲法改正に伴う議会の発議があれば、制度上いつでも国民投票が適切に実施される状況でなければならず、そうでなければ、国民主権が担保されないばかりか、憲法改正の必要性が生じた場合にデュープロセスにのっとった改正が行われないおそれも考えられなくはありません。  現状の国民投票法は附則三条一項の期間を経過しており、今回の改正案が一日も早く成立することは急務と言えましょう。できることなら、日本国や日本国民の将来のためにも、議員の皆様方がお力を合わせて、検討課題の先送りを極力することなく、改正案がより完備されたものになることを望む次第でございます。  次に、三つの検討課題に対する意見陳述を行いたいというふうに思っております。  まず、投票年齢ですが、よく、十八歳以上に選挙権を認めているのは世界の九割近くの国がそうであるからと言います。私は、本来は、二十歳で成年とするという我が国の伝統文化が守られてしかるべきだと思います。それは、司法上の責任能力の問題や権利と義務との関係からも言えます。また、十八歳と二十歳は大学でいえば一年生と三年生に該当する年齢ですが、成熟度の面で見ると、私は相当違うように感じます。当然個人差はありますが、毎日若い方を見ていると、十八歳より二十歳の方の方が相対的に落ち着きや社会的視野の広まり、判断力においてより社会人としての適性が満たされているように思います。  そのような点を加味すれば、我が国が培ってきた二十歳の参政権を簡単に変更していいものでしょうか。改正案では十八歳以上の投票権が現実味を帯びてきただけに考えさせられるものがあります。  ただ、現行の国民投票法が成立する際に十八歳以上の国民に投票権を与えるということに政治的な判断があったとしたら、ここで十八歳の年齢にこだわり過ぎて国民投票法の完備がこれ以上遅れることの方が問題多いと思うだけに、ここでは、なぜ二十歳ではなく十八歳なのかという問題提起にとどめさせていただきたいと思います。  次に、二点目といたしまして、公務員や教育者の国民投票運動についてでございます。  八党合意の四では、公務員への規制が強まると、萎縮効果により憲法二十一条の表現の自由が阻害されるおそれがあるから配慮を求めるとあります。しかし、憲法二十一条の関連で公務員の国民投票運動の自由が必要以上に認められるとしたらいかがでしょうか。確かに、憲法二十一条を尊重したり、公務員の萎縮を最小限にするということは大事かもしれません。しかし、百地章教授も述べているように、選挙と国民投票、どちらがより高次の政治的公正性が求められるかといえば、私は明らかに国民投票ではないかと考えます。  法治国家としての頂点にある憲法を改正する国民投票が公正に行われてこそ、主権者である国民の意思が立法、行政、司法を始めとした国家制度や国民の権利保障の在り方に反映されるからです。当然、選挙制度の在り方も憲法の規定に基づいて行われるものでもあります。それだけに、政治的に中立であるべき公務員が過度に憲法二十一条の表現の自由の主張を唱えて国民投票運動に参加することになれば、行政の中立性は損なわれ、行政の信頼が失墜いたします。  また、国民投票法が目的とするところは、国民が投票する場合の自由意思の尊重と公正な国民投票の実施であります。公務員が、個人であれ組織であれ、投票の自由尊重に必要以上に影響を与えることは看過できないと言えましょう。憲法は国の最高法規であり、国の存立をも左右する特質を持つことを考えるならば、より公正な国民投票が必要であります。必然的に、公務員には政治的中立性の面からも一定の制約が必要になることは言うまでもございません。  続きまして、公務員の勧誘行為、意見表明と地位利用について述べたいと思います。  国民投票運動は公正であることが何より求められます。国民投票法第百三条は、公務員や教育者に対して地位利用の投票運動を禁止していますが、罰則規定がありません。この点、国家公務員法百二条一項、人事院規則では公務員の政治的行為は制約されており、違反した場合には罰則の対象となります。また、公職選挙法百三十六条の二においても、公務員の地位を利用した選挙活動などを禁止しており、違反した場合には罰則があります。  八党合意の二において、百三条の公務員の地位利用の罰則規定が今後の検討課題になったことは大変遺憾であります。国民投票運動をできるだけ自由闊達に行うという趣旨から罰則が設けていられないようですが、これでは国民的なコンセンサスが得られないと思います。発議者の船田代議士のさきの五月二十八日の御答弁にありましたように、罰則を設ける方向で今後是非とも論議を深めていってくださるように切望するものです。  また、改正案百条の二は、八党合意の四の点を重視する余り、非常におおらかな規定と言えます。中でも、国民投票法における勧誘において、公務員の国民投票運動の規制の在り方に関する見解でいうなら、切り分け論がどのような場合に成立するのか、疑念に思っております。憲法改正の国民投票における純粋な勧誘とそうでない場合の区分けが、選挙の場合のようには簡単にいかないのではないかと危惧するからです。場合によっては、司法を交えた政治的な混乱を来すことさえ予想されます。  私は、公務員は権力の担い手であって、その特権的地位から生み出された権力が国民に与える影響力は多大なものがあると考えております。また、権力を有する者に対する国民の信頼感があるだけに、より公正と中立性が求められます。表現の自由があるからと公務員が殊更改正法案百条の二で認められた国民投票運動を行い、結果として国民投票に大きな影響を与え、国の政治を方向付けることになっていったとしたら、公務員の本質的性格である政治的中立性や、憲法十五条二項の公務員が全体の奉仕者であることの趣旨からも逸脱していると言わざるを得ません。  それだけに、私は、適用除外不要説、制約可能性説の立場から、改正法案百条の二で勧誘行為を公務員に認めること自体が問題と捉えております。例えば、それは私はこう思うというふうな公務員の方の意思表示とは違い、勧誘行為の場合は、私はこう思うのだからあなたもこの考えに従ってくださいというように、第三者を自己の見解に誘う行為をいい、公務員の中立性から逸脱した行為と考えられます。憲法二十一条との関連で認められるのは、せいぜい意見表明までではないでしょうか。  さらに、次に、(5)の改正案附則四の組織的勧誘運動についてお話をさせていただきたく思います。  先日の本院での、五月二十六日の北村経夫議員、二十八日の熊谷大議員の質問にも関連してまいりますが、私はかつて県立の高等学校において教諭として教鞭を執っていたことがございます。当時その県では、教職員組合の組織率がほぼ一〇〇%で、選挙になると組織的な運動が展開していました。私の周りでは、自分たちの反対候補が当選したら自分たちの権利が奪われるを合い言葉に、支持候補者の演説会への動員、支持者カードの記入、ポスター貼りなどなど、かなり際どい選挙運動が組織立って行われておりました。選挙戦によっては、三万にも満たないその町で、空き家を借り上げ、電話機を十台ほど置き、そこに市内の小中高校の教員が勤務時間中に学校を抜け出し、交代で支持者カードや電話帳を用いて選挙運動の電話掛けを行っていました。  生徒の前で人の道を説いている教員が、自分たちの権利保持や政治的信条から法令を無視した組織的選挙運動は、今思い出しても一種異様な光景でした。  校長の中には、選挙を通じて自分たちの主義主張を実現するのは大切なことだと、朝の朝礼時に教職員を前にして公然と言う方も見えました。組織立った選挙戦を展開すればどれほどの威力を発揮するか、私自身目の当たりにしてまいりました。その結果、当時当選が厳しいと言われていた候補者が当選したりもしました。  選挙戦と国民投票運動とを同列には扱えませんが、あれだけの組織力をもって、もし憲法改正国民投票運動を行い、自分たちの組織にとって都合の良いキャンペーンを全国規模で打ったとしたらいかがなものでしょうか。  教育者の影響力は一般の方が考えている以上に大きなものがあります。君が代にこだわりのある教員が、式典で斉唱時に起立をしないように担任クラスの生徒を教化して、卒業式に見事にそのクラスだけ全員立たなかった事例も過去に見てきております。  批判能力の乏しい純真な若者ほど教育者の教育に感化されやすいものです。まして、改正案では投票年齢も十八歳以上に引き下げられることが現実的になってまいりました。高校生にも投票権があるわけですし、同じ高校生、十五歳から十七歳の十八歳に近い生徒が控えております。私はこの点も含めて大変危惧いたしております。  組織的勧誘運動などは附則四で検討課題になっておりますが、その影響力が国民投票運動に及ぼすことを考えていただき、国民投票運動の公正な実現のためにも組織的勧誘運動などに罰則の整備を是非ともお願いしたく思います。  組織的勧誘運動は認められませんが、改正案百条の二として活動すれば合法であります。自由意思を持った教育者個人の集合体の組織として行動したにすぎないと言われたら、罰則規定があってもどこまで適用できるか疑問であります。その意味でも、前述したように、改正案百条の二の勧誘行為を公務員、教育者に認めることを再考していただければと願う次第でございます。  以上、時間の都合で国政への国民投票については割愛させていただきます。  本改正案の一日も早い成立を切望するものです。  御清聴ありがとうございました。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、伊藤参考人にお願いをいたします。伊藤参考人。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) それでは、少しお話をさせていただきます。伊藤真といいます。  今回、国民投票法の改正について三点ほどお題をいただきましたが、最初に確認をしておきたいことがあります。  言わずもがなのことではあるのですが、そもそも憲法というのは、一人一人を個人として尊重する、そのために日本の社会で多様な価値観が公平に共存し合えるような、そのための方策を定めております。そして、その方法としては、国家権力の行使者たる公務員の皆さんたちの権力行使を制限をして、そして国民がその公務員に言わば命令をする、憲法の規定に従って政治を行ってくださいと命じるものだと考えています。まさに国民が憲法を制定し、そして国民が憲法に従った政治権力の行使を言わば公務員に指示をするものでありますから、国民がその制定の主体であります。  したがって、国民が、憲法による歯止めの掛け方、またその命令の仕方というものに国民自身が不都合を感じたときには、その命令書の中身を自ら、憲法を作った国民自身が改定する、それは当然のことだと考えています。  ただ、そのためには、国民が十分な議論をし、しかもできるだけ多くの国民がこの議論に参加し、意見表明ができること、そのための自由な討論をする、その空間をどうつくり出すのか、これがこの国民投票法というものを考えていく上で極めて重要なことだと思っています。  理由は幾つもあるんですけれども、法律も憲法改正も多数決によって最終的には決まります。ですが、その多数決の結果の意味というのは全く違います。  法律が多数決によって可決されましたという場合と、憲法改正が国民の多数によって通りましたといった場合、どちらも多数決による結果ですから、少数派はそれに従わなければならない、これはもう多数決の基本的なルールなんですが、法律が国会の多数決によって可決された場合、仮にその法律によって少数派の方が余りにも不利益を受ける、時に人権の侵害を受けてしまうというようなことがあった場合には、裁判所に訴えを提起して、裁判所の違憲立法審査権という手続によってその少数派は自己の権利を回復する手段を持っています。  まさに多数派の横暴に対して裁判所が歯止めを掛けるという仕組みが憲法の中に組み込まれているわけです。ですから、もちろん、国会での御審議の過程で少数意見を尊重しながら、十分少数派への配慮を考慮した上で法律ができたとしても、仮にそこで少数派の方の人権が侵害されたときには裁判所を通じてそこを回復する手だてが残されています。  ところが、憲法改正という場面においては、まさにその少数意見を十分に反映させるような形で、また、国民の多数派が少数派に対する十分な配慮というものを仮に怠った形で憲法改正の国民投票が実施されてしまいますと、もうそこで憲法自体が変わってしまいますから、その結果、仮に少数派の方の人権が侵害されたり、大きな不利益を課せられるようなことになった場合、その少数派はもう取るべき手だてがありません。言うまでもないことですが、この憲法改正は不当だといって裁判所に訴え出ることはできないわけです。あり得る方法は唯一、自分たち少数派が多数派の側に何とか回るように努力をしてもう一度憲法改正をし直すか、若しくはこの国の国民をやめて出ていくかしか方法はないということになります。  ですから、憲法改正という場面における少数者への配慮、また、多様な意見を尊重するということは、立法の過程におけるそれとは比べ物にならないほど格段の重要性があるということ、それを是非前提にこの改正法の議論をしていかなければいけないんだろうと思っています。  憲法改正の結果が国民の幸せにつながるかどうか、それは正直言って誰も客観的に証明はできないことなんだろうと思います。まあ、言わばやってみなければ分からないというところも多々あるかと思うんですね。ですが、だからこそ、その審議の過程、プロセスが適正であること。その手続の適正さというものによって、結果が正しいかどうか分からないときに、この憲法改正は正しいんだという国民の、少数派の方の思いも含めた国民の信頼というものが得られなければならないと思っております。  ですから、国会における審議の過程において、この場もそうだと思いますが、少数意見、多様な意見が十分に出てきて議論を闘わせることができるその手続のプロセスがフェアであるということは、通常の立法過程においても重要なことなんですが、憲法改正の手続過程においてはより一層重要であると私は考えています。  そうした前提の下で考えた場合、憲法制定権者である、主権者である国民と、実際に国民投票に参加できる投票権者、ここの差をできるだけ縮める、可能な限り一致させる方向でやはり考えていくのが基本であろうかと思います。  ですから、今回十八歳への引下げという方向を打ち出されていますけれども、私はこれには賛成です。十八歳、四年後十八歳ということがもし実現することになれば、十四歳ぐらいから、現在の十四歳の子供たちも言わば憲法国民投票に参加する可能性が出てきます。ですから、中学、高校、そういった子供たちに対する憲法教育、立憲主義教育、これは本当に重要なことになるんだろうと思っています。  特に、民主主義の本質はどこにあるのか。それは国民が主権者である、どういうことか。主体であるというのはどういうことか。国民が主人公ですよと、よくそんなことが言われます。主人公ってどういうこと。子供たちに聞いてもちょっとぴんとこない。国民が主人公ってどういうことなんですか。そういうことをしっかり自分の頭で考えて、自分の頭で考えて自分の価値観で意思決定をし自分で行動する。そういう言わば国民主権、民主主義の基本を十分理解し、実践し、そしてまた、民主主義の一つの本質は権力を監視すること、権力を監視し続けるということが民主主義のやはり重要なポイントなんだ。そういうことも子供のうちからきちっと教育をしていくということが必要ではないかと考えています。  この憲法改正国民投票の年齢と選挙権の年齢、できるだけ一致させるべきだろうと思いますが、それがずれたとしても私は憲法に違反するとは考えません。また、成年、民法上の成年ですとか、様々な法律におけるその一定の基準が全てこの憲法改正の国民投票と一致すべき憲法上の要請があるとも考えていません。それぞれの法律の立法趣旨によって最も適切な年齢が決定されるのであろうとは思っています。  二つ目のテーマであるところの公務員の政治的行為に関してですけれども、ここは先ほど申し上げたとおり、公務員も主権者国民であります。もちろん、仕事の場面では権力を行使する側、公務員の立場で、の側なんですが、同時に、国民という主権者であるという面が当然あるわけですし、そちらの方がむしろ重要であります。ですから、主権者たる国民であるところの公務員に、憲法制定権者である公務員に、この運動に参加し自由な意見を述べる機会を与えるということは極めて重要というか、言わば当然のことだと考えています。  また、公務員は憲法尊重擁護義務を九十九条で課せられていますから、憲法によって拘束される側の立場です。言わば、一番の利害関係人と言ってもいいかもしれません。自分が憲法によってどういうことを命じられることになるのかということについて自由に意見が述べられないということになってしまったら、これはやはり民主的な空間ではないと思います。  例えば、自衛官の方に、集団的自衛権を行使できるように憲法を改正するから海外に行って武力行使をしてきなさいと。国民の名によって、言葉はきついかもしれませんが、国民の名によって殺人を強要するということを求められる仕事になるわけですから、それは言わばその当事者であるところの公務員の皆さんがそれについての意見を述べる機会が封じられてしまうということがあってはならないだろうと。憲法尊重擁護義務を課されている側の人間が、警察官でもそうでしょう、ありとあらゆる公務員の皆さんたちは最も重要な当事者である。そこの意見を聞かずして憲法の改正の議論は前に進まないと思っています。  政治的中立性という言葉がございます。多くの方は誤解しておられます。政治的中立性というのは職務において公正中立な職務を行うということであって、当たり前のことですが、公務員の方も一人一人政治的な信条を持っておられます。選挙になれば、当然自分の政治的な信条に基づいて投票行動をするわけであります。公務員も、外からは見えませんが、それぞれ思想、信条を持っている、当たり前のことです。そして、その思想、信条に基づいて言わば選挙権を行使するわけです。  その個人の思想、信条が中立的であるなんてことはあり得ない話。あくまでも職務行為のその場において公正中立でなければならないということにほかなりません。裁判官に関してはまた別の考え方等あるかもしれませんけれども、公務員の職務の中立性、あくまでも職務の中立性、それが求められているということです。  個人として投票運動をしたことが、じゃ、その職務の中立性に具体的に、観念的ではなく、現実的にそして実質的にどれだけその中立性を損ねるおそれがあるのか。これが近時の最高裁の判例の重要な言わば指針、基準でありますから、その公務員がこの投票運動に参加すること、それが果たして観念的な職務の中立性を損なうおそれにとどまらず、現実的で実質的なものなのかどうなのか。その点を考えると、あらかじめ様々な法的な規制をしておくという必要は全くないと考えています。  特に今回、特定公務員、罰則付きで運動を禁止するということになっていますが、私は、裁判官であろうが警察官であろうが職務を公正に中立な立場で職務を行う、それさえきちっと守られるのであれば、その職務を離れて個人として投票運動に参加する、これは何ら問題ないと思っています。  ドイツの裁判官などは原発反対と自分の部屋にポスターを掲げていたり、ミサイル配備反対というデモ行進に参加したり、むしろ目の前の裁判官がどういう政治的な信条を持っているかということを明らかにすることが裁判の公正さ、それにつながる、そういう考え方もあります。逆に言えば、個人としてどういう信条を持っているのかが一般の国民に明らかにされることによって、より厳しい目で、その職務行為が公正に中立に行われているかどうかという、より厳しい目でそれは監視されることになるからです。  自分は政治的に中立だというふりをすることが国民の信頼につながるのではなく、情報を公開し、自分はこういう考え方だ、しかしこの事件やこの仕事において、私はこれだけ公正に、中立に仕事をしている。その職務内容によって、その公正さ、中立さを示す。それが公務員の仕事であろうと考えています。  ですから、公正さに対する国民の信頼というこの点についても、私は多様な議論があってしかるべきであろうというふうに思っています。公正さのためにというだけで、抽象的な、観念的な議論で終わらせてはならないと、そう考えています。  最後に、国民投票の対象の拡大という点についてですが、ここはもう少し慎重に検討しなければならない。現在の憲法の下では、代議制民主主義ということですから、少なくとも拘束力のあるような国民投票制度は取れないと私は考えています。この言わば国民投票制度を拡大するという議論をすることもとても重要かもしれませんが、それ以前に、この国会が民意を正しく反映している、そういう代表者で構成されているのかどうか、正当に選挙された国民の代表と言えるかどうか。一票の不平等の問題など、まだまだ先に議論をし、そして正していかなければいけない問題が山積みではないのかなと思っています。むしろ、代議制の健全化を今の制度の下で図っていくこと、それが先決ではないかと考えています。  以上です。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、小林参考人にお願いをいたします。小林参考人。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 慶應大学の小林良彰です。  本日は発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。  私は、ほかの参考人の方々とは異なりまして、政治学を専門にしております。政治学は、現行法令から現実を見るという視点ではなくて、現実のどこに問題があり、その解決のためにどうすればいいのかという視点から研究をしておりますので、本日はそうした立場から意見を述べさせていただきたいと思います。  まず、第一の選挙権年齢の十八歳への引下げ関係につきましては、国民投票の投票権が十八歳になるのだから、国民の権利と義務は同一なので、全てを十八歳に引き下げるべきとは考えておりません。国民の権利や義務といっても、内容によってその求められる能力は異なりますので、それぞれの法律の立法趣旨に即して決められるべきものであります。例えば、民法八百十七条の四の特別養子縁組の養親は二十六歳以上ですし、同じ民法でも九百六十一条によれば、遺言は十五歳以上ができるということになります。  その上で、公職選挙法の選挙権年齢について見ますと、憲法九十六条の国民と十五条一項の国民が主権者として政治に参加する者という点では一致していると考えることができますので、国民投票への投票権が十八歳に引き下げられるのであれば、同じ立法趣旨に基づく選挙権も十八歳に引き下げるのが適当であると考えますし、また、主権者としての平等性、選挙権の平等性から出てくる当然の要請になると考えております。それ以外の民法等における年齢規定においては、各々の立法趣旨に基づいて決めるべきものであると考えます。  恐らくここまでは、これまでも多くの方が議論されていると思いますので、私は更に一歩踏み込んで、投票権引下げに合わせて選挙権を引き下げることが望ましいということを申し上げたいと思います。なぜなら、言うまでもなく、ここは裁判所ではなくて立法府ですので、現実の課題をより良い方向に改善するための方策を御検討いただくことをお願いしたいためであります。  まず、事前に送付させていただいたお手元の資料を御覧いただければと思います。資料の二ページ目を御覧いただきたいと思います。上が参議院選挙、下が衆議院選挙の年代別投票率です。例えば、昨年の参議院選挙では、二十代で投票した者は僅か三分の一しかおりません。三十代で四割、五十代でも半分余りという現状です。しかも、平成十年以降緩やかに下がってきております。衆議院では多少投票率が高いものの、平成十七年郵政解散・総選挙と平成二十一年政権交代の焦点となったその二回を除けば、やはり緩やかに下がってきております。  これは、年代別投票率の違いが加齢効果、つまり年齢が上がれば自然に投票に行くようになるという要因だけではなくて、世代効果、つまり世代によって次第に投票に行かなくなる人が新たに有権者として参入してきているという効果の二つが組み合わさったことによるためであります。  したがって、衆議院選挙で見ると、低い投票率から始まった世代は、その後、年齢を重ねても前の世代の同年齢のときほどは投票率が実は上がってはおりません。つまり、有権者のスタートである若年層の投票率を上げることがその世代の生涯の政治参加に大きな影響をもたらしているということになります。  日本の参議院は、実は各国の上院と比べても最も民主主義的に議員を選出している制度を取っております。例えば、イギリスの貴族院はそもそも選挙しておりませんし、ドイツの連邦参議院は地方政府の代表者で議員が構成されており、フランスの元老院は間接選挙、一般の有権者は選挙権を持っておりません。アメリカの連邦上院は有権者による直接選挙ですが、各州の代表であることから定数不均衡は一対七十ぐらいまで開いております。つまり、日本の参議院議員は世界の上院の中で最も民主主義的な手続で選出をされております。  しかしながら、それにもかかわらず有権者が投票になぜ来ないのか。それをほかの国と比較しながら見たのが三ページ目以降になります。これは、私が慶應大学でセンター長を務めていたときにアジアで行った調査を同様の質問で行ったEU諸国における調査データと比較したものです。  まず、三ページ目の上は有権者が政治について日頃議論するかどうかを見たものですが、日本では半数以上が全くしない。三八%が時々する。頻繁にする有権者というのは実は五%しかおりません。政治参加の中で最も簡単な日頃政治について話すということすらしていないわけです。その下は、その国の民主主義に対する満足感で、十七か国中十五位と低く、オランダやデンマークで八割が満足しているのに比べて五割にとどまっております。  その理由は、四ページの上にありますとおり、有権者に知識がないわけではなくて、むしろ欧米に比べて有権者の政治的知識のレベルは高いと言えます。また、下の図にあるように、政治や行政に対する信頼も相対的には低いとは言えません。しかし、それにもかかわらず参加しない。  そこで、日本の有権者の政治意識で何が特徴的なのかを探しますと、五ページにありますとおり、政治的有効性感覚が低いことです。欧米や韓国に比べても低く、特に国政に対する有効性感覚が低くなっております。  ここで、慶應大学のセンターと横浜市が、今回の論点となっております十八歳を含む高校生に対する調査、これは六千四百名から回答を得た大規模な調査ですが、これに基づく共分散構造分析を行った六ページの結果を御覧いただきますと、横浜市政や政治に対する関心を阻害している最大の要因が、自分自身が政治に働きかけることができるかどうかという内的有効性感覚の欠如にあることが分かります。  十八歳という年齢が重要なのは、多くの十八歳が高校で、学年進行に従いまして政治・経済や公民を通して現代日本の政治や社会の諸課題を学び、それについての関心が芽生える機会を得る時期になります。しかし、そうした機会を得ながら、実際の選挙で投票する機会を得るのは早くても二年先、場合によっては四、五年先になり、自分は何も関与することができないという若者に内的有効性感覚を持てという方が無理ではないかと思います。つまり、十八歳の若者にとっては、待たされている間に関心が薄れていき、それが世代効果を通じてその後の政治関心にも影響しているということになります。  このため、神奈川県では、平成十九年に四校の県立高校で模擬投票を実験的に行った上で、平成二十二年には全ての県立高校、百四十四校で模擬投票を行い、若者の内的有効性感覚を高める努力をしました。そのとき模擬投票を経験した若者に後から調査をすると、政治関心や政治についての議論をする機会が増え、様々な意味で参加意識あるいは憲法に対する関心、そういうものが高まるという効果が見られます。  もちろん、選挙権年齢を十八歳に引き下げても選挙に来ないのではないかという意見もありますが、しかし、有権者は、自分が参加する機会を持つことで、内的有効性感覚のみならず、政党や政治家に対する外的有効性感覚も高くなり、それが民主主義に対する満足感や政治への積極性を育てることにつながるエンパワーメント効果を見ることができます。  七ページを御覧いただきますと、これはEUの有権者三千六百人から得た意識調査の回答を基に、国民投票の頻度が有権者の政治的有効性感覚を通して民主主義への満足感や政治への積極性にどのように影響しているのかを共分散構造分析で見たもので、明らかにエンパワーメント効果を統計的に有意なレベルで見ることができます。  これまで述べてきた分析結果は、国民投票の投票年齢を十八歳にすることに合わせて公職選挙法の選挙権年齢を十八歳に引き下げることで、国民投票や選挙を通じた若年層の政治関心や政治参加意識、ひいては民主主義に対する満足感に良い影響をもたらすことが期待できることを明らかにしております。  ただし、選挙権年齢引下げを若年層の政治意識の向上に生かすためには、現行の政治・経済などにおける諸外国の制度や数字を覚える知識偏重な教育だけではなくて、問題解決型の教育を取り入れていくことが必要になります。なぜならば、あの国はああいう制度、あの国の選挙年齢は何歳、そういう数字だけ、知識だけでは生徒は疑うことができません。知識、事実そのとおりということになります。問題解決型にして、自分の解決策を相互に討論で議論を高めていくことで、例えば常識と思われるようなことも疑い、自分自身の考えで政治、経済、社会を捉えていく目を養うということが何よりも重要であると思います。  なお、日本の有権者の政治意識を見ますと、投票率だけではなくて、お手元に参考人資料というのを、別途私が書いた論文の方を提出させていただいておりますが、選挙区選挙であれ比例代表選挙であれ、選挙に関して有権者が判断する基準に実は政策争点が大きな影響を与えておりません。つまり、各党の政策や、あるいは各候補者の選挙公約というものや、あるいは努力というものよりも、いわゆる風と言われるような全国的トレンドで選挙結果が決まっている割合が大きいことが分かります。これは、選挙を通して政策争点についての有権者の民意を負託するという代議制民主主義の本来の姿とは少し離れているように思います。  さて、第二の公務員の政治的行為に係る法整備関係については、公務員といえども有権者であることから、自由に行い得る部分と、公務員の職務上求められる政治的中立性から制限される部分が当然出てきます。具体的には地位利用ということが問題になりますが、何をもって地位利用とするかについて一番分かりやすい考え方は、その地位にない一般市民としてでき得ることであったかどうかになります。つまり、公務員がその地位を離れて一般市民であったとしてもなし得た行為であったのかどうか。しかし、特定公務員についてはもちろんその限りではなくて、私は国民投票運動の主体となるべきではないと考えております。  なお、公務員でなければ何をしてもいいというわけではなくて、例えば一人の会社のオーナーが取引先とかそういうところに対して明示的に取引増加と引換えに特定の考えを押し付けることは、当然公務員でなくても適切とは言えませんので、この点、組織的な多数人買収とか多数人利益誘導以外の国民投票に関わる買収や利益誘導に対する対応等々について、まだ国会で議論すべきことが残っているのではないかと思います。  最後に、国民投票の対象拡大については、もちろん憲法の前文にありますとおり代議制民主主義ということになっております。先ほど国民投票機会の増加が有権者の有効性感覚を通じて民主主義に対する満足感や政治参加意識につながると申し上げましたが、あくまでも代議制民主主義を損なわない範囲で行われるべきものであると考えます。言い換えますと、直接民主主義は、有権者の政治意識に良い効果をもたらす一方で、時には危うい状況をもたらすこともあります。  例えば、ドイツの独裁者であったヒットラーが首相と大統領の権限を一人が担う総統になったのは、もちろん軍事クーデターによるものではなくて、当時のヒンデンブルク大統領が病死した際に、首相であるヒットラーに大統領の権限を移行させることを国民投票に掛けて、九割の賛成で承認されたことによります。ナポレオンも国民投票で世襲の皇帝になったわけです。  これを受けまして、戦後、イギリスのシュンペーターが議会重視の代議制民主主義を強調して現在に至っています。つまり、国会議員が熟慮することで最悪の事態が生じないようにすべきと考えているわけです。こうした考えに基づけば、国民投票の範囲を仮に拡大することを検討する場合であっても、あくまでも国会が国民投票に諮るべきと判断したことに限定して、拘束力を持たないものに限定して検討すべきであると思います。  なお、私自身、九〇年代半ばにカリフォルニアに長く住んでおりましたが、一九九八年の中間選挙に際して、プロポジション187という不法移民に対する公共サービスを停止する州民投票が行われて六対四で可決され、その結果、マイノリティーは常に自分が合法的居住者であることの証明を求められました。その際、合法的居住者であるマイノリティーの小さなお子さんが事故で公立病院に運ばれて、証明する書類をお子さんですから持っておりませんので、結果的には追い返されて次の病院に行く間に亡くなるというようなことが多々起きまして、事実上のマイノリティー排斥につながったことがあります。  つまり、こうした、投票によらずとも守られるべき人権などございますので、全てのことを国民投票で決めるべきとは考えられないと思います。  時間を過ぎましたので、これ以上のことは質問に答える形で述べさせていただきたいと思います。  ありがとうございました。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。  次に、愛敬参考人にお願いをいたします。愛敬参考人。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) こんにちは。名古屋大学の愛敬と申します。憲法学を専攻しております。  本日は発言の機会を与えていただいて、ありがとうございます。  改正法案の評価につきましては、五月二十六日の本審査会の小澤隆一参考人とかなり意見が一致するところが多いものですから、改正法案の内容を逐一検討すると、同じことをもう一回先生方がお聞きになることになってしまうので、今日はちょっと趣向を変えさせていただきまして、なぜ私がそのように考えるのかという理由をちょっとお話しさせていただけたらと思います。  今回、意見陳述の機会を頂戴いたしまして、スティーブン・ティアニー教授のコンスティテューショナル・レファレンダムスという本を読みました。買ったまま読んでいなかったんですけれども。同書によれば、世界では過去三十年の間に憲法レファレンダムの活性化というのが生じているそうです。教授の定義によれば、憲法レファレンダムというのは単なるレファレンダムではなくて、憲法の変化や憲法の制定という特別の争点について市民が直接投票することだそうです。ただし、同書の巻末の一覧表を見ると、選挙制度改革の是非を問うようなレファレンダム、すなわち、日本だと憲法レファレンダムではないようなものも含めてこの言葉を使っているということはちょっと確認しておこうと思うんですけれども、この憲法レファレンダムの活性化というのは、これなかなか評価が難しいところもあるかなという気がいたします。  今、小林先生もカリフォルニアの例についてお話がありましたけれども、例えば最近のウクライナの情勢を見ていると、憲法レファレンダムを利用することによって、結局、代表民主制を通じた妥協というのが難しくなっている感じがしないでもありません。  私が親しくしていただいているイギリスのある憲法学者は、その方は国会改革を通じて国会の機能を強化するということが今の政治に対する解決策だとお考えなんですが、その方は、最近イギリスで結構レファレンダムが使われるようになってきているのを見て、ポピュリズムだと非常に消極的な評価をなさっていました。  他方、二〇一一年の、御記憶かと思いますけれども、ギリシャの債務危機の際、当時の首相パパレンドウさん、名前が呼びにくいので間違っているかもしれませんが、たしかパパレンドウ首相という方が国民投票にかけるというふうに動いたところ、EUとかIMFとかの方々が政治的圧力を掛けて、要するに、EUの融資条件の中に例えば公務員の給料を下げるとか、そういう国民的に議論をすべき事柄が含まれていたものですから国民投票にかけたいと言ったんでしょうけれども、これ断念したという事件が御記憶かと思います。  この事態を前にして、ドイツの有名な哲学者であるユルゲン・ハーバーマスという方は、これは民主主義の尊厳に対する冒涜だという言い方をしたんですね。要するに、国際的な組織であるEUやIMFがギリシャの国民が自らの事柄に関して判断する機会を奪ったという評価なんだと思いますけれども、それを「民主主義の尊厳を救え」という論文をお書きになっています。  このように、憲法レファレンダムというのは評価はなかなか難しくて、消極的な評価というのもそれなりにあるものだなという印象を持っているのですが、御案内のとおり、スコットランドの独立の是非を問うレファレンダムが今年の九月に予定されております。  ティアニー教授はエディンバラ大学の教授ですから、基本的には憲法レファレンダムに好意的な立場からこの書物をお書きになっていて、この憲法レファレンダムというものを批判論から弁護する一方、あるべき憲法レファレンダムの姿を示そうとなさっています。そのあるべき憲法レファレンダムの姿というのが、これ本書の副題にもなっているんですけれども、共和主義的な熟議と言っているんですね。  リパブリカンデリバレーションというふうに彼は言っているんですけれども、それはどういう内容を持っているかというと、まず、政治的決定に対して市民が公民として参加すること、これ、シビックリパブリカニズムの思想だと何かおっしゃっています。それから、決定方法として、いわゆるマジョリタリアンデモクラシーというんでしょうか、単純多数決型のやり方ではなくて、なるべくデリバレーティブな、熟議がきちんと行われるような民主主義で決定する。この二つの要素がきちんと充足していれば憲法レファレンダムというのは擁護可能なものだみたいな、そういう御主張のようです。  もちろん、熟議民主主義というのは最近政治学でも非常によく使われる言葉ですので様々な理解がございますが、ティアニー教授の熟議民主主義という理解は、こういう内容のようです。要するに、既存の選好がただ集積されるだけの、これアグリゲーティブモデルと彼は言っているんですけれども、そういう今現在ある選好ですね、いいか悪いかの判断、それがただ集積されるだけの決定であればそれは余り良くなくて、投票の前に市民がきちんと熟考と反省を行い、彼はリフレクションという言葉を使っていますけれども、それから討議を行う機会を確保することが大切ではないかということです。  そして、更に彼が強調するのは、その熟考と討論を通じて今存在している選好ですね、例えば憲法改正に反対するかしないかというこのパーセンテージがきちんと変化する、そういう条件が確保されることが大切だというふうにおっしゃっていて、逆に言えば、こういう条件が確保されていると、憲法レファレンダムという形で人民投票に重要な政治的争点を委ねてもいいという考え方なのではないかと私は理解しました。  そこで、レジュメの二に移らさせていただきますけれども、日本国憲法の憲法改正国民投票の問題を考える上でも、このティアニー教授の研究は参考になる点もあると思います。しかし、幾つかの留保も必要ではないかと考えました。  第一に、いわゆる義務的国民投票と諮問的国民投票の区別というものがあります。日本国憲法九十六条の憲法改正手続における国民投票は、これは国民投票を実施しないと憲法改正が実現しないんですね。そういう意味ではこれ義務的な国民投票になります。  実際問題として、せっかく両院で苦労して三分の二以上の賛成を獲得して改憲案を発議しておきながら、国民に十分な熟議をさせてそこで選好の変容が生ずるのをおおように眺めているというのは、これ、できないのが人情だと実は僕も思うんですね。ここは僕重要だと思うんですけど、それが当然の人情だからこそ、そこは無理しても義務的国民投票においては、国民の熟議を十分にさせたくなくなるインセンティブがあるからこそ、作為的に、自覚的に、わざと、投票の前の国民の熟議ですね、先ほど申し上げた、国民が反省と討論を通じて自らの選好の変容を行う可能性の確保、こういうことをきちんと確保できるように最大限の努力、工夫をするべきではないかと考えております。  次に、第二に、憲法改正国民投票の効果は、諮問的一般的国民投票の効果よりも強力で長期的という問題があると思います。  憲法改正は、環境権の新設のように、人権カタログの充実の方向だけで行われるとは限りません。例えば、立法や行政実務を通じて少しずつ発達してきた、発展してきた社会的マイノリティーの基本権を制約、剥奪するために行われる憲法改正もあり得るわけですね。これ、実際にカリフォルニア州の住民投票提案八号というのは、同性婚を認める州最高裁判所の判決を無効化するために住民投票で行われた憲法改正ですね。要するに、同性婚を憲法違反とするための州憲法の改正です。このタイプの憲法改正が行われると、社会的マイノリティーの権利保障のために立法的、行政的な措置、それがその後憲法違反とされる可能性が生ずるわけですね。  アメリカは幸いにも連邦制なものですから、提案八号による州憲法改正は連邦裁判所で違憲無効とされています。二〇一三年六月にこのことは報道されていますので、御承知の方も多いと思いますけれども。連邦制を取らない日本ではこのような解決はないわけですから、そうしますと、日本でも例えば特別永住者の権利保障など類似の問題がございますので、拙速な改憲を抑止する制度設計というのは特に重要だと思います。  時間の関係もありますので(3)の問題は割愛してレジュメの三に移りたいと思います。  以上のとおり、憲法改正手続法の評価、そして改正案の評価は、義務的国民投票であることの特性を踏まえて熟議民主主義が十分に確保されているかという観点から行われるべきだと考えます。よって、今回の改正案には含まれてはいないのですが、熟議期間の設定というのはもう少し真剣に考えてもいい問題ではないかと思っています。そこでは長谷部恭男教授の見解を示しておきましたので、後、御覧いただければと思います。  次に、私、このようになぜそう考えるかという理由ばかり述べてしまいましたので、お話しできることは公務員の国民投票活動だけになってしまうのですけれども、レジュメの三に入ります。  事務局作成の資料の三十九ページで、適用除外説として枝野議員の見解が紹介されていますが、私もこの見解を支持します。第一の理由は、そもそも公務員法上の政治的行為の禁止それ自体の合憲性が非常に疑わしいと考えているからです。日本のように包括的、画一的な禁止は比較法的に珍しいと指摘されておりますし、日本の学説においても違憲説が有力だと思うんですね。  事務局が作成した参考資料は四十八ページで、憲法学の通説的理解とされる芦部教授の見解を紹介していますが、実は、私がレジュメに書きましたけれども、行政法学で通説的理解というふうに言及されることの多い塩野宏教授も違憲説なんですね。最高裁判事であった田中二郎博士も違憲説だそうで、ある行政法学者の方は、慎重さをもって知られるこれらの行政法研究者、すなわち塩野教授と田中博士ですが、このお二人がそろって現行法令の違憲性を指摘する例はほかには見られないと述べていらっしゃるわけです。  このように、そもそも違憲性が高いと考えられている事柄をベースラインにして国民投票運動の在り方を議論するというのは、私は疑問だと思っています。  関連してですが、参考資料三十九ページで紹介されている切り分け論ですね。船田議員などが明快にこの立場をお取りのようなんですが。その御意見、五月二十一日の本審査会における船田議員の御発言を見ますと、純粋な国民投票運動とそうでないものの切り分けについて、現行法で禁止されているほかの政治的行為を伴っていれば今回の改正案でも許されない行為であるとの基準を示した上で、ほかの政治的行為というものを例示するとすれば、例えば特定の政党、特定の候補、そういった名前、あるいは内閣の支持、不支持、そういったものがこれに該当するものと考えておりますと述べていらっしゃいます。  しかし、この切り分け論は疑問です。四月二十二日の衆議院憲法審査会で田中隆参考人が指摘していることですが、憲法改正の賛否の勧誘や意見表明は、前提となっている政治認識の表明を含まざるを得ないと考えるわけです。例えば、ある内閣、便宜上X内閣と呼びますが、X内閣が原発の安全基準の緩和を進める一方、環境権の新設のための憲法改正を行おうとしていると考えてみましょう。この場合、X内閣の政策やその内閣の中心であるX首相の政治手法を批判することなく環境権の新設に反対するというのは、これ非常にナンセンスな印象があります。すなわち、賛成、反対は本来理由を示して行うべき事柄ですから、理由を示さない賛成、反対は、先ほど来お話をしている熟議民主主義の理念に反するのではないかと考えます。  時間の関係がありますのでかなりはしょらさせていただきますが、最後に、特定公務員の国民投票運動の禁止について、裁判官について一言だけ申し上げさせていただきます。  先ほど伊藤参考人からドイツの裁判官についてお話がありましたが、私は比較研究の対象がイギリスなものですから、イギリスについてちょっと一言だけ述べさせていただきますけれども、イギリスでは一九九八年人権法という、国会主権に対して一定の制約を加えるという、その意味ではまさに憲法改革というか、そういうものが実現したわけですけれども、その際、一九九〇年代以降、名前そこに書きましたけれども、ロード・ビンガムとかサー・スティーブン・セドリーのように、上級裁判所の裁判官でありながら、権利章典の制定やヨーロッパ人権憲章の国内法化、あるいは国会主権原理の法的制約という、憲法の根本原理に関わる事柄に関して積極的に論文や講演で訴えた方々がいらっしゃいます。  高い見識と実務経験に裏打ちされた彼らの見解は、賛否はいろいろありました。けれども、いずれも学者の間でシリアスに受け止められ、人権法の制定に向けて一定の理論的効果があったものと私は評価しています。ですので、裁判官や検察官がその見識と経験を踏まえて国民投票運動に参加することは、憲法改正国民投票におけるより良い熟議のために必要不可欠ではないかと考えております。  ですので、特定公務員の範囲について再考を求めて、私のお話を終わりにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  各質疑者の持ち時間はそれぞれ限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。  質疑のある方は順次御発言願います。

山下雄平自由民主党

○山下雄平君 自由民主党の山下雄平です。  今日は、四人の参考人の先生方に貴重な御意見をいただき、ありがとうございます。  今日は、持ち時間の関係もありますので、附則に盛り込まれた三つの課題についての一つ、国民投票を憲法改正以外にも広げるのかどうなのか、どこまで広げていくのかという話についてちょっとお伺いしたいなと思っておりますけれども、附則には、施行後速やかに、憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度に関してその意義や必要性を検討しなさいというふうに書かれております。一方で、加えて、間接民主制との整合性の確保もというふうにも書かれております。  現行の憲法では国会が唯一の立法機関というふうに定めてありまして、基本的には間接民主制を原則にしておって、その中でも例外的に憲法改正だったり、最高裁の判事の国民審査だったり、住民投票といった、本当に例外的に幾つか直接民主制の制度を明記されております。  先ほどの参考人の先生方の意見の中には、伊藤先生と小林先生自体は国民投票の範囲を広げることに関しては極めて慎重に考えるべきだという意見だったと思うんですけれども、まず、愛敬先生にちょっとお伺いしたいのは、いわゆる今の憲法の国民投票に関しては義務的な国民投票なので熟議を前提にしていいことだという話だったと思うんですけれども、それ以外のところに範囲を広げていくこと、それは諮問的国民投票であったり、義務的国民投票の違いもいろいろあるとは思うんですけれども、広げていくことに関してはどのようにお考えなのか、お聞かせください。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  私は、国民投票を行うのであるならば熟議の条件が確保されるべきだという見解を持っておりまして、そして、一般的国民投票に関して現時点での意見を求められる場合には、比較的消極的だということになると思います。地方レベルであるならば住民投票で決定をしていくということも大変いいことだと思いますけれども、国レベルで決定をするということに関してはいろいろ考慮すべき事柄がたくさん、幾つかあるのではないかと考えております。

山下雄平自由民主党

○山下雄平君 大西先生は、レジュメには載せてありますけれども意見陳述の中にはなかったので、改めて説明いただけますでしょうか。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) ありがとうございました。ちょっと時間の関係で触れられなかったものですから、改めてお聞きいただいて非常に感謝いたしております。  私は、どちらかというと、この問題は二つの側面で捉えることができるのではないかというふうに思っております。それは、結果について、国民投票の結果でございますけれども、これはもう拘束的国民投票制度は、これは憲法四十一条、五十九条の趣旨から認められないというふうに思います。  これをいわゆる諮問的国民投票としてどう捉えるかというふうなことでございます。これは多くの憲法学者の方が、諮問的であればこれは憲法違反ではないというふうによく答えております。しかし、これ諮問的だからこの国民投票を行えばいいかといえば、これは先ほど愛敬参考人の方もおっしゃられたように、これは国政に、場合においては行政の長が間接的に国民から選ばれているというふうなことでございます。ですから、もしそれが国民投票によってその内容が否定されるようなことがあった場合に、そのことを行政の長が否定できるかというふうなものがございます。  それから、現代政治が世論調査をある程度意識して行われているような点、そういうふうな中でその国民の意思というふうなものを無視できない。さらには、直接民主制の国民投票を実施して国民主権を無視するというふうなことは、国民主権の面からも当然疑問になってくるというふうに思っております。  国民投票には非常に膨大な費用と労力も掛かっております。ですから、もし諮問的だからということで安易に導入して、それを受け入れないというふうなことになれば、議会の存在意義自体が問われかねないように思いますので、その点も含めて、やはり現在の憲法的に考えても、もしどうしてもするのであれば諮問的な国民投票を、その場合には、私はむしろもう憲法を改正してその上で行う、それが一番正しい方法じゃないかというふうに考えております。  以上でございます。

山下雄平自由民主党

○山下雄平君 伊藤先生にお伺いしたいんですけれども、伊藤先生のお話をお伺いしたときに、国民の民主主義や立憲主義への理解が不十分だから国民投票の範囲を広げることには慎重であるべきだというふうな意見のようにお伺いしたんですけれども、これは代議制民主主義を前提としている憲法論として考えた場合、許容されるのかどうなのかということに関してはいかがでしょうか。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 現在の憲法は、やはりどう考えても代議制民主主義、代表民主制を原則としております。それは直接国民が国民投票などに参加する能力や時間がないからという消極的な理由ではなく、むしろこの代議制民主主義の方が十分な議論が尽くせて、そこで少数者への配慮なども十分なされる、そして統一的な国家の意思を形成するにはそれがふさわしいという積極的な理由から、この間接民主制、代議制民主主義が憲法では採用されていると考えています。  その例外を言わば三つだけ国政レベルでは規定しているんですが、それを安易に広げていくことは憲法上、私は難しいというふうに考えています。ですから、ここで民主主義リテラシーが成熟したものになればと書いておきましたが、これもあくまでも諮問的なものがその限りにおいてという趣旨であります。

山下雄平自由民主党

○山下雄平君 小林先生には、この点ではないことをちょっと時間的に少なくなってきたのでお伺いしたいなと思っておるんですけれども。  今回の国民投票法が改正されたら、憲法改正に対する手続がいよいよ整備されるというわけですけれども、先ほどの先生の意見陳述の中にもありましたけれども、なかなか争点、いろんな政策的な争点がなかなか投票参加に結び付かないという話がありました。  先生から事前にいただいております参考資料の中に、読ませていただきましたけれども、その論文によると、共分散構造分析では、有権者の争点態度というのは、ごく一部の例外を除いて投票参加への経路を形成しておりませんでした。つまり、争点態度というものが投票に行くかどうかということにはほとんど関係ないという分析だと思います。数量化理論Ⅱ類の方でも、憲法改正を始めとした争点態度の影響というのは余り高くなかったように思いました。  憲法改正に限ったことではないですけれども、争点態度というのは投票する方向、誰に投票するかということに関しては一定程度の影響はあるのかもしれないという分析でしたけれども、投票に行くか行かないかと、そういうことに関しては影響はほとんどないと、そういう分析だったと思うんですけれども、憲法改正を実際発議した場合に、国民のほとんどの人がそのことに関して関心がなかったということになっては非常にまずいと思うんですけれども、憲法改正の国民投票を発議するに当たって、争点態度と投票参加を結び付けていくためにはどういうふうにしていけばいいのか。  先ほど投票年齢を下げていくという話もありましたけれども、どういったことが考えられるのか、また、憲法のどういったテーマであれば有権者の投票行動に影響するというふうに分析されているんでしょうか、お聞かせください。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) そもそも憲法改正に関する国民投票をやるのであれば、国民の側に、そのことについての十分な国民の側の要請というのがまずあるということが前提になっていると思います。それを議員の方々が受けて熟議した結果、両院で発議をして国民投票にかかるということですから、そもそも国民が全く関心がないのに国民投票がかかるということはまず想定し得ないわけですが、ただ、非常に貴重な御質問ありがとうございます。  やはり重要なことは、どれだけ国民の間での熟議を進行させられ得るかということになります。そうなりますと、一つにはやはり期間ということが重要になります。現行の公職選挙法におけるいわゆる公示期間、周知期間ということではなくて、やはりある程度の期間ですね。それが例えば六か月なのかどうかは別にして、そういうものが必要になると思います。  それから、やはりメディアというものがかなり重要な役割を果たすと思います。既に昨年の参議院選挙からインターネット選挙は解禁をされておりますが、参議院の附則の方には付いておりますが、在外邦人に対する投票機会の確保をどうするかということも含めて、そこに対しては当然日本と同じ環境ではないわけですから、そういったインターネットを通じた世論の国民投票に関する議論の巻き起こり、ただ、それが一方的に賛成か反対かというのではなくて、熟議でお互いにどこまで議論で歩み寄れるのかということも含めて、そういった活動、運動が必要で、したがって、私がその二番目の論点について、余り厳しく制限をしてしまうとそれがやはりできないのではないかということになります。  ただ、もちろんその二番目の関係でいえば、制限すべきものは当然出てくると思うんですが、そういう意味で、私はまず第一に、そもそも国民の間でそのことを国民投票にかけることについてのある程度の世論形成がまずあるということが恐らく前提になると思います。その上で、投票期間の一定の確保、それから在外邦人も含めた議論への参加の機会の確保、そういうものが恐らく必要になるというふうに思います。  ただ、御指摘のとおり、なかなか今まで国民がそういう機会がなかったので、一挙に有効性感覚が高まるかということはなかなか難しい点もありますが、しかし、それを経ることで少しずつ上がっていくということが従来のデータからは出てくる、それがいわゆるエンパワーメント効果として期待をできるというふうに思っております。

山下雄平自由民主党

○山下雄平君 以上、終わります。ありがとうございます。

藤末健三民主党・新緑風会

○藤末健三君 民主党の藤末健三でございます。  本日は、四人の参考人の先生方には本当にお話をいただきましてありがとうございました。  私は、皆様に御説明いただきましたこの附則にあります三つの検討課題以外に、二つについて御質問を申し上げたいと思います。  一つは、我々が今この憲法審査会におきまして国民投票法、日本国憲法の改正手続に関する法律の改正を議論しているわけでございますが、そのような状況の中におきまして、政府による憲法解釈の変更ということが議論されていると、この点について一つ。そしてもう一つございますのは、今日御説明いただきませんでした最低投票率についてどう考えるかということの二つでございます。  まず、一つ目の政府による憲法解釈の変更でございますが、政府が今、憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に向けた検討を進めているわけでございますが、一方、我々はこの日本国憲法の改正をするためには、第九十六条に定められましたように、最終的に国民が判断をするという国民投票が必要条件とされていますので、その法的な整備を行っているわけでございます。  特に私が思いますのは、憲法の基本原則たる平和主義というものの在り方につきまして、政府自身が長い間解釈でつくってきたもの、そして、かつ、その解釈は国民や国際社会に受け入れたもの、このような憲法の基本原則に対して政府が解釈変更により集団的自衛権の行使を容認しようとすることにつきましては、我々国民の意思確認を軽視する非民主的な政治プロセスじゃないかということ、そして特に大事なことは、近代国家の大原則である立憲主義を否定するものではないかというふうに考えております。  そこで、私がお聞きしたいのは、まず、真の立憲主義の実現を目指すとおっしゃっておられます伊藤真参考人にこの点をお聞きしたいということと、もう一人ございますのは、「立憲主義の復権と憲法理論」という著作を二年前にお書きになられました愛敬参考人にこの点につきまして御意見をいただきたいと思います。お願いいたします。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) お答えします。  今御指摘の、一点目の解釈の変更というところについてお答え申し上げればよろしいですね。  政府も憲法の解釈の権限はあると考えています。やはり、憲法は非常にある意味では幅が広い法でありますから、それを具体的に執行する場面のところで、その憲法の枠の中でその解釈によって憲法の規定をより具体的なものにしていく、また、これまで不明確だったところを明確にしていく、また当てはめなどを適宜具体化していく、そういう形での解釈というものは、また従来の解釈をより深める、進めるという意味の解釈の変更ということは、それはあり得ることだと考えています。  ですから、例えば文民の規定の意味、当てはめを考えていく。それから、この国は独立国家として自衛権を持っているけれども、その自衛権というもの、それが、例えば自衛権に基づく戦争、それもしませんと。ですが、その自衛権というものが具体的にどういうものなのか、その中身をより明確にし深めていく、そういう形で一見変更に見えるようなことは行われていく、それは当然のことだろうと思っています。  ですが、憲法の枠を飛び出して、元々憲法が想定しているその枠を飛び出して変更をするということは当然許されることではありませんし、そしてまた、これまで蓄積されてきた憲法の解釈、それに基づいてこの国が運営されてきたというある意味で安定したその憲法の解釈というものを大きく変えてしまう、百八十度その意味を変えてしまうということは一内閣の決定でできることではないと考えています。元々憲法は国家権力を拘束するものですから、拘束される側の言わば恣意的な判断によってそれを緩める方向で変更を認めてしまうということはあってはならない、これは立憲主義に反すると考えます。  もう一点、やはり、今回、特に平和主義に関わる、この国の根本原理、規範に関わる部分のところでございますから、そして、それはイコール国民の言わば人権、国民の生活に直結する極めて重要な部分であります。時に国民自身の生死に関わるような極めて重大な問題ということは、その当事者である国民が参加して、今まで議論がなされたように、十分国民のレベルでの熟議が尽くされること、これは国民主権という観点からも不可欠のことではないかと思っています。  それが、国民が参加して十分な熟議がなされないまま政府の解釈によってこれまでの方向が全く逆になってしまい、この国の形が変わってしまうような変更は、立憲主義の観点から及び国民主権という観点から、これは許されることではないと考えています。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  まず第一点に関してなのですが、立憲主義の考え方によると、憲法解釈の方法というのは、統治機構と人権規定では異なるのではないかと考えています。要するに、統治機構に関しましてはなるべく拡大解釈は行わない、人権規定に関しては広く拡大解釈をしていくというのは、権力を制約して各人の人権を保障するという立憲主義の考え方からすれば素直に出てくる考え方だと思うんですね。  とりわけ、統治機構の中でも立憲主義が歴史的に見て統制の対象と考えてきたのは行政権、とりわけ警察力とか軍事力だったと私は理解しています。そうすると、集団的自衛権行使の解禁というものが重大な政策転換であるとするならば、やはりそれを解釈で行うというのは立憲主義の観点から非常に問題なのだろうと思うわけです。このような重大な変更を加えるために憲法改正の規定があるわけですので、憲法改正の手続を行えば国民の意見を聞く機会もあるわけですから、やはりそういう手法を取るべきであったのではないかと思っています。  あと、二点目の最低投票率の件ですが、最低投票率に関して、よくパラドックスだパラドックスだとおっしゃる意見を聞くのですが、その場合、見ると、五〇%の最低投票率とかかなり高めのものを設定して、それで四九%が賛成しても憲法改正は実現しないではないかとおっしゃるのですが、これは最低投票率をどの辺に設定するかということを十分考えた上で、例えば三〇%ぐらいとか、設定する意味は大きいんだと思います。  先ほど小林先生からお話がありましたけれども、国民が十分な関心を持っていない問題に関して憲法改正が発議されてしまって、国民が十分関心を持たないまま低い投票率で改正が実現してしまうというのは、その後、立法府をも拘束する規定に憲法はなるわけですから、やはりその点に関しましては慎重に検討すべきではないかと私は考えております。

藤末健三民主党・新緑風会

○藤末健三君 どうもありがとうございました。  それで、先ほど申し上げました最低投票率についての御意見を伺いたいと思っておりまして、それはイギリスの国民投票法などを研究されておられます、外国の国民投票法を研究されている大西参考人と、あと、また選挙制度を研究なされています小林参考人にお聞きしたいんですけれども、私自身、この最低投票率の議論、実際にこの国民投票法が議論されるときに、最低投票率を入れるべきではないかと、何らかの概念でということを主張させていただいておりまして、私はやはり今でもその思いは変わりません。  実際に海外の事例を見ますと、例えば、全体の投票者、有権者のうち三割程度の賛成で憲法が改正された事例はございます、実際に。それがよしか悪いかということは議論はなかなか難しいところはございますが、我が国においてこの憲法を変えるという非常に大きな課題を迎えたときに、やはりある程度の有権者が支持をしたという事実がなければ、大きな議論があるような憲法の改正というのは難しいんじゃないかと考えておりますけれども、その点につきまして、大西参考人、また小林参考人、御意見をいただければと思います。お願いします。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 私は、最低投票率については個人的見解としては付ける必要はないんじゃないかというふうに思っております。仮に三〇%の投票しかなかっても、当然そのときに投票する機会というのは国民皆に与えられているわけでございまして、それで、その三〇%を投票した人の意向が仮に多数だった場合に、そういった人たちの意向が結局無視されてしまう、そういう結果になりかねないというふうに思いますので、個人的には付ける必要はないというふうに思っております。  以上です。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 一つの事例で申し上げますと、デンマークの場合は投票者の過半数かつ全有権者の四〇%以上の賛成を必要とすると。これは投票率が何%ということではなくて、国民の投票の結果の相対的な得票率、いわゆる賛成率だけではなくて絶対的な得票率を求めるということになりますが、私はこれはややハードルが高いのかなという気がいたします。  いろいろな国の、国民投票ということではなくて、一般の選挙制度でも絶対的なものを求めるところもありますが、例えば、一つの考えとしては、有効投票の二分の一以上、加えて有権者数の四分の一以上と。これに達しない場合は、なしというのではなくて、一定期間を置いて再投票すると、一回目は。二回目はもう相対的な賛成率だけでやると。つまり、相対的賛成率二分の一以上なんだけれども絶対的なのが四分の一を超えないということは、これは相当に投票率が低いということですね。ですから、三割の賛成で、だけど残りの七割が反対というわけではないということは、まだ国民の間での議論が十分ではないとしたら、例えば二か月後にもう一回やるとか、そういうふうな、もう一回国民に機会を与えるという考えもあるのではないかというふうに思います。

藤末健三民主党・新緑風会

○藤末健三君 どうもありがとうございました。これで質問を終わらさせていただきます。

石川博崇公明党

○石川博崇君 公明党の石川博崇でございます。  本日は、四人の先生方、大変傾聴に値する御意見をお述べいただきまして、心より感謝申し上げたいと思います。  私から、まず、伊藤参考人と小林参考人に対しまして、選挙権年齢の十八歳への引下げに関して、教育現場で子供たちに対する憲法意識、憲法への理解というものをどのように深めていくかという観点をお聞きしたいと思います。  伊藤参考人もレジュメの中で、中学生から憲法教育をしっかり行うと、日本の小中学校では法教育が弱いということをお述べになっておられます。また、小林参考人も高校生の社会意識を高めることをお述べになっておられますけれども、現段階で公教育におきまして憲法に関する教育というものが全くないわけではない、こういう中でその理解が残念ながら進んでいないという御指摘かと思いますが、そういった教育現場において具体的にどういう点が欠けているのか。  それは、教員の例えば養成課程において、更なる教員の憲法に関する理解と、それから教育に対する姿勢というものを向上させていく必要があるのか、それは教員の養成課程のみならず研修という観点もあるのかもしれませんが。どういったときに、その教育を行う教員の面から必要なのかという点と、それから、憲法といっても様々な論点がございますが、憲法の掲げている内容の中でどういう点を特に教育の現場で重視していく必要があるか。特にこれから、今の十四歳の人は早ければ十八歳の段階で憲法改正に臨むかもしれないという、実際に直面している中でどのようなことが必要かということを、伊藤参考人それから小林参考人からお聞きできればと思います。よろしくお願いいたします。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) それでは、お答えします。  その教育の現場で幾つかあるかと思うんですが、まず前提として、教育現場で憲法を議論するということがそもそもタブー視されない、自由闊達な議論ができるというその場の雰囲気、これをつくることも大切だと考えています。  昨今、学校の中で憲法を論じたり、人権や平和というものをテーマにした講演ですとかまたディスカッションなどをしようとすると、いかにも政治的だというようなことで、また偏向という名の下で憲法自体を話題にすることがちゅうちょされてしまうような雰囲気が少なからずあるように思います。まず、そういった雰囲気を払拭すること。憲法を議論することは明日の主権者を育成するという意味で教育の根本に関わる極めて重要なことなんだ、そしてそれは、当たり前ですが、政治的ではあるかもしれませんけれども、偏った内容を押し付けるということでないのならば、自由闊達に教育の現場でもやはり議論がなされるべきなんだという、まずその雰囲気づくりが大切かというふうに思っています。  その上で、やはり教員の養成の中で、先生方がこの憲法についての理解を深めるということは極めて重要な大前提になると思っていますので、そこは教員の皆さんたちに対する憲法教育、立憲主義教育、特にその内容という点、これは教育の現場における内容という三つ目の点にも関わるのですが、私は、教育内容としては、まずは立憲主義、憲法とは何のために存在する法なのか、そして今の私たちの憲法がどういう価値を大切にしているのか。私は個人の尊重と考えていますが、一人一人の個を個人として、かけがえのない個人として尊重するというその根本の考え方の意味というものを、それをしっかりと教育の現場で伝えていく。改憲、護憲という前に知っておかなければいけない大前提としてのその知識や理解というものがあろうかと思います。  その際に、単に知識として単語を覚えるというのではなく、なぜそうなのか、なぜそれが大切なのか、またどういう関係にあるのかというようなことを子供たちと一緒に考えてみる、ディスカッションしてみる。また、例えばクラスの憲法を作ってみようよとか、学校の憲法を作ってみようとか、何かそうやって子供たちが参加していって、自分のこととしてこの憲法や人権や法というものを体験できるような、そういう体験学習のようなものも含めてやはり進めていく必要があるのではないかというふうに考えています。  以上です。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 私は高校の政治・経済の教科書というのを作成したことがございますけれども、やはり内容としては余りにも知識偏重。アメリカの選挙制度はこれです、ドイツはこれです、イギリスはこうです、ああです。これ疑えないんですね。そのとおりでしかないので、ああそうですかといって、ただそれを覚え込むしかない。期末試験もそれが出るし、入試もそれが出るという形になります。  そうすると、何も自分で物を考えないでいくわけですね。それではやはり政治とか、あるいはもっと消費者問題も含めた経済とか、社会に対して自分で興味を持ったり考えたりしていくということができないと思います。やはり必要なのは、どうやって憲法のリテラシーを高めていくのか、これはやはり教員養成課程も少し検討した方が私はいいと思います。  社会科のところで、法学か政治学かどちらかという選択ではなくて、私はどちらもやはり取る必要があるんだろうと思います。同じようなことは、例えばセンター試験でも、その科目選択において、例えば地歴公民全体の中からもし選ぶという形になりますと、はっきり言えば全くやらなくても済んでしまうわけですね。授業としてはやるけれども受験としては全くやらなくて済むというと、どうしても生徒さんの力の入れ方も違ってくるということになってくると思います。ですから、先ほどの意見陳述と少し重なって恐縮なんですが、自分で疑問に思うような、やはり討論でやっていくというような授業を私は入れる必要があるというふうに思います。  やはり決定的なのは、諸外国はもっと子供のときから選挙の重要性というのを教えています。例えばアメリカの小学校であれば、今日のランチを選挙で決めましょうと、アイスクリームとポテトチップとどっちがいいですかと。みんながアイスクリームに投票したとする。でも出てくるのはガーリックのアイスクリーム、それとてもまずいわけですね。先生は一言言うんですね。何でよく調べて投票しなかったんですかということを通じて教えるわけですね。そんなことは日本は、小学校はおろか高校だってやらないわけですよね。  ですから、私はやっぱりシチズンシップ教育が本当に日本は立ち遅れていると思います。これは恐らく戦前の問題に対する反動ということなんでしょうが、特定の政党に入れなさい、特定の何かを支持しなさいという、そういう教育ではもちろん良くないのは言うまでもないんですが、選挙に行きなさい、あるいは、政治で決めることは皆さんの身にも降りかかってくることです、当たり前のことを何で教えていないのかということですよね。  結果的には、それで育った子供たちが選挙で三分の一しか投票に行かないということは当然出てくる結果なんです。そのこと自身が私は、やはり政治に対する正当性というものが薄れていくことになると。私は、これは今は確かに憲法改正の問題ですけれども、それを機会に、伊藤先生もおっしゃられているとおり、やっぱり法律のリテラシー、もっと政治学のリテラシーということを私は教えるべきだと思います。  特に、政経の教科書を作った経緯でいえば、憲法についていえば、余りにも統治の方ばっかりなんですね。人権が物すごく薄いんですね、単元としては。私は、人権についてももう少しきちんと教えていくということが、やっぱり学校におけるいじめとかいろんなものの解決にも私はつながっていくというふうに考えております。

石川博崇公明党

○石川博崇君 大変ありがとうございます。  もう一点、これは四人の先生方全員にお伺いをしたいんですけれども、この国民投票法改正案が成立いたしますれば、国民全体の問題として憲法改正というものが手続的に整うということで、国民全体の憲法理解をいかに進めていくかということが非常に重要でございます。最近は、この憲法改正あるいは憲法そのものについての著作なども本屋で随分と書棚に上るようになってきてはおりますけれども、先生方の中には、幾つかの著作の中で、憲法に対する国民の理解についてまだまだ十分ではないのではないかというようなことをおっしゃられておられます。  この国民の憲法理解、国民の憲法に対する理解をどのように向上させていくのかという観点で、例えば憲法の趣旨をより分かりやすくするような改正ということも一つは案としてあり得るのではないかというふうにも考えられます。例えば、憲法九条、戦争の放棄は強調されておりますけれども、自衛権というものが明記されていない、ここの分かりやすさというものがなかなかないこと、あるいは国会に関する規定の中で、間接民主制がなぜ国政の原則とされたのか、二院制を採用した理由というのが明記されていないわけでございます。  国民誰しもが、なかなか憲法に対する、日頃から基本書を所有して十分に勉強しているというわけではない中で、どうやってこの国民理解を進めていくかについて先生方の御所見を教えていただければというふうに思います。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) 全員ということでございますが、若干時間が限られております。  それでは、大西参考人から順次お願いしてよろしいでしょうか。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) なかなか憲法の理解というふうなことで、国民の方の非常に見識の違い、それから学識の違い等もあろうかというふうに思います。ですから、御年配の方も、若い、余り興味の持っていない、憲法問題に興味の持っていない方でございますが、そういう方にも分かるようにするために、やはりこれは行政の側も、日頃からのそういう広報活動というんでしょうか、そういうところも非常に重要じゃないかなというふうに思っております。  それからあと、そういうマスコミの、やはりこれはこの国民投票法でも議論になってくるんですけれども、報道の在り方、そういったことも当然大事になってきますし、何よりやはり学校教育の問題というふうなのが大事じゃないかというふうに考えております。  以上でございます。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 二つあると思っています。  一つは、対立する、考え方が違う人同士の討論の場、議論の場をできるだけ多く設けるということかなと思っています。様々な集会などで一方の考えの人たちだけが集まって何か話し合い議論をする、また反対の立場の人たちだけが集まって議論をするというのではなく、考えの違う人がその場で対論もするという、その場をできるだけ多く設ける、そしてそれをメディアなどを通じて多くの国民にそこを共有してもらうということが一つ大切なことかなと思っています。様々な考えがある、そして意見が違ってもいいんだなということ、人と意見が違っていいし、そこは討論の中でより新しい発見があるものだということにもっと気付いてもらいたいなと思っています。  二つ目は、やはり国民の皆さんたちの生活に身近なものなんだということを、これもメディアを通じながらなのか広報活動を通じながらなのか分かりませんけれども、憲法というのは雲の上のものではなく自分たちの生活にまさに身近なものなんだ、特に若者たちにとってみても自分の、例えば音楽だとかダンスをしたりゲームをしたり、そういう自分の楽しいこと、そこにも憲法は関わってくるというような形で、一人一人の国民の問題意識や関心とうまく結び付けながら身近な問題だということを伝えていくということが大切かと考えています。  以上です。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 日本の憲法を改めて読んでみると、よくできているとは思いますが、同時に非常に抽象的だとも思います。ですから、全てのことについてやっぱりよって立つのが憲法であるべきなんですが、どちらかというと私、日頃民法の方を見てしまうということの方が多いと思います。それは、民法の方がかなり個別具体的にいろいろと出てくるということであります。そういう意味では、もう少し説明的なものが私は必要ではないかなと思います。  また、メディアでも、いろんな問題、年金でも何を取り上げるにしても、憲法と関わるものがあるんですが、ほとんど憲法の話というのは出てきません。憲法が話題になるのは大体、憲法の改正のとき以外に余り出てくるということがない。  この辺も私は、一つ憲法について、少し国民から見ると抽象度が高い分だけ遠いものというふうに思われていて、この間を結び付けるもの、一つはそれが学校という場だと思いますが、もう一つはやはりメディアという場だと思いますが、もう少しこの問題について、国民との距離を縮めるための、国民全体のリテラシーを高めるというものがやはり必要ではないかな。そのためには、憲法そのものを何か詳しく書くということなのか、あるいはもう少し副読的なものが別途できるのか、何らかのそういう試みは私はあり得るというふうに考えております。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 私は、憲法の条文を教えることと憲法の価値を教えることは少し違うのではないかと思っておりまして、憲法の価値というのは、私の考え方では、自分がもしマイノリティーになった場合にその憲法が自分の尊厳を守ってくれるかどうか、その一点で評価すべきではないかと考えています。  例えば、けがをして障害者になってしまう危険性もあるわけですし、あるいは失業してしまう可能性もあるわけですので、第三者の問題としてではなくて、あくまでも自分がそうなるかもしれないという想像力を持って、その場合にどういう政治の在り方がいいかどうかということを、できれば早い時期に、小学生は無理かもしれませんけれども、そういう問題を議論できるような時期に一度考える機会があるといいのではないかと考えております。

石川博崇公明党

○石川博崇君 ありがとうございました。

川田龍平日本維新の会・結いの党

○川田龍平君 今日は、参考人の皆さん、貴重な時間をいただきまして御意見を述べていただきまして、ありがとうございました。  それでは、まず質問させていただきます。  前回の参考人のこの参議院の質疑で十八歳選挙権というのが国際標準であるということが参考人の意見でありまして、私も、今、世界の八〇%以上、それからG8では日本以外の国、さらにはOECDの三十四か国では日本と韓国以外の全てが十八歳以上ということになっているということで、さらに、オーストリアで十六歳選挙権、ドイツ、スイス、ノルウェーなど、特定の州、市町村選挙での選挙権年齢が十六歳に引き下がっているということも質問で述べさせていただきました。  この中で、ドイツ、オーストリア、ノルウェーでは十六歳、十七歳の投票率が十八歳、十九歳の投票率を上回っているという傾向も見られるということなんですけれども、先ほど小林参考人から、十八歳のときの政治に対する関心が、二十歳まで投票年齢が上がることによって、結局その関心が薄れてしまうんではないかという話もありました。  私としても、やはり早い年齢でできるだけ政治への直接的な関与をしていくということが大事なことではないかと思っております。ドイツでは二十一歳で被選挙権などもありまして、そういった、国によって、進んでいる国では十八歳選挙権よりももっと更に十六歳まで選挙権を引き下げているという国もあるんですが、日本では今、十八歳を四年後ということで議論が進んでいるところですが、その先の議論として、十六歳選挙権についてどのように考えるかを各参考人から御意見をいただきたいと思います。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) 御準備のできた参考人から挙手をしていただければ指名をさせていただきますが。よろしいですか。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 私はこの国民投票法の議論が始まったときに、当初から十六歳ということを主張しておりました。できるだけ、冒頭で申し上げたとおり、主権者国民とそれから実際に投票に行ける、そのギャップをできる限り埋めていくべきではないか。そしてまた、義務教育の課程が終わったならば社会に出る方もいるわけですし、もう十分判断ができるであろう。またさらに、主権者として、一市民として判断ができるように、そういう義務教育を、きちっと主権者教育をしていかなければならない。ですから、目指すべきは十六歳というふうに考えていました。  ただ、今すぐ十六歳となるとなかなか、先ほどの話にも出てきたような憲法教育、立憲主義教育、市民教育というところがまだ不十分なところがあるものですから、そこを十分充実させて、一つの目指す方向としてあり得る考えではないかというふうに考えております。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 私は、十六歳は早い、十八歳が適当というふうに考えております。  理由は二つあります。  一つは、もちろん義務教育を終えて働いている方もいらっしゃると思いますが、日本の場合は多くの方は高校へ進学をいたします。しかし、高校を卒業した後は少なからずの方が働いていらっしゃいます。そういう意味では、元々が代表なきところに課税なしで茶会事件が起きているわけですが、当然ながら、十八歳で税金を納税されている方も大変たくさんいらっしゃいます。そこでやはり選挙権がないのはおかしいというふうに考えます。  では、なぜ十六歳ではないのかというと、これはもうまさに割合で決める話ではないんですが、納税者は余り多いとは言えないということが一点と、やはり高校の三年間でいわゆる公民、政治・経済、そういうものを今学年進行で教えるようになりました。その中で、最初は制度を教え、それから次に課題を教えて議論していく。やはりその三年間を経て、あるいは高三ですと途中で選挙権を得る方も出てくると思いますが、やはりその時期というのは私はとても重要なところではないかと思います。その上でやはり投票に行くというのが、私としては日本の今の教育制度から言えば適当ではないのかなというふうに思っているところです。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 私は、十八歳でも実は早いというふうに先ほども言わさせていただきました。それはなぜか。これは、権利と義務の関係で考えた場合に、民法は当然これ二十歳と。そして、今回の改正でも、ちょっと属性が違うというふうなことで民法とリンクしないと、成人の年齢ですね、そういうふうにも言っているわけでございますが、一方で権利が守られながら、一方で義務が果たされないと、これがちょっとアンバランスかなというふうに思っています。  これは、納税の問題もそうじゃないかというふうに思っています。住民税の問題、現在二百四万円ですか、これ以下の方は年収の場合には住民税が掛かっておりません。  それからあと、海外の事例が出てまいりましたが、海外の多くの国では、やはり国民投票年齢の引下げは兵役の義務とのリンクで下げてきたと、選挙権ですね、とかがございます。  ですから、私は、日本は元々選挙権自体がこの民法、明治に倣ったこの民法というものを基本として二十歳というふうにしてきた、こういった伝統文化というのは守られてしかるべきじゃないかというふうに考えております。  以上です。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 私は年齢の問題に関しましては、変な言い方ですけれども、何歳でなければいけないということを言うのは難しいのではないかと考えています。要するに、成熟度は人それぞれですので、何歳だからきちんと判断ができる、何歳だからきちんと判断ができないというのは、例えば五歳の子に選挙権を与えるというばかな議論はあり得ないわけですけれども、十六歳から二十歳のうちどこに置くかというのは、これはもう、いわゆる廊下の右側と左側どちらを歩くか、調整問題ではないかと私は思っているのですが、ただし、世界で十八歳が最も多いという事実があると、日本が二十歳であり続けると、なぜ日本だけそうなのかということを説明しなければいけなくなって、日本の若者の成熟度が低いとかそういう議論をしなければいけなくなるのは不幸なことだと思っておりますので、十八歳に下げることには賛成しております。  さらに、十六歳に下げるかどうかということに関しましては、これは先ほど小林先生からもありましたけれども、現在の教育システムを維持したままで直ちに十六歳に下げるという話では多分なくて、十六歳に下げるならばそれ相応の制度設計もするという話であるならば、別に十六歳でも構わないのではないかと考えております。

川田龍平日本維新の会・結いの党

○川田龍平君 ありがとうございました。  民法との、成年年齢とこの選挙権年齢というのではずれがあるということについてはずっと私は、結婚年齢が男女で差があると、特に男性が十八歳、女性は十六歳ということで、女性の結婚年齢というのは以前から比べれば上がってきているんですけれども、そういう意味では、やっぱりこういった男女の差ですとか、それから十六歳で要するに結婚ができるということは若い人は子供をつくってもいいと考える、要するに大人という基準をどこに置くかということが、やっぱり非常に年齢によって、何歳にするのかというのは非常にここは考えていかなきゃいけないところがあると考えております。  それから納税のことに関しても、外国では高校生ぐらいで、プログラミングなどかなりソフトウエアの分野で若い人が作っているところなんかもありますので、そういった意味では本当に若い人たちにしっかり選挙権を与えていくということ、これから将来的に学校教育も含めて考えていく必要性があるのではないかと御意見を伺って考えました。  それでは次に、先ほど愛敬参考人からありました裁判官の政治参加、それから意見表明についてなんですけれども、私も、専門家としてこの裁判官の意見表明というのは大変いい意味があることがあると思いますし、それから最近では、裁判官が余りにも市民的な感覚がなくて、認知症に対する考えが裁判官にないのではないかといった判決による意見もありますが、裁判官の政治参加、裁判官の意見表明について、各参考人からそれぞれ御意見をいただけないでしょうか。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  私は、裁判官に今重要なのは、今、川田議員からもありましたけれども、市民的自由を行使する機会が増えていくことではないかと思っています。  たまたま手元に、これ瀬木比呂志先生ですか、「絶望の裁判所」という新書があるのですが、この裁判所の理解は、一人の方の理解なので全て正しいとは言えないかもしれませんけれども、やはり今、個々の裁判官が非常に市民的自由が限定されている中で、幾つか問題点が出てきているということはあるのではないかと思います。  ですので、私としては、この憲法改正国民投票の機会から裁判官の市民的自由を広げていくという方向で国会においても検討していただければと思っております。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 私は、裁判官の意見表明というのが、例えば死刑を反対する裁判官の方がお見えになって、勤務に離れた場所で勤務時間外に、私は死刑反対ですというふうなことで堂々とそういった表明若しくはそういう運動まで行ったとしたら、これは裁判、私はその裁判官に、もし私がそういう被害者の立場であったら、もし加害者の方を裁いていただくとしたら、これ、ちょっとどうかなと思います。  以上です。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 少し前から、司法の民主化、制度改革というところで裁判員制度などが導入されるようになりました。私は、その司法の民主化というのは、市民の参加ということ、これをとても大切だとは思うんですが、それと同時に、司法内部の民主化ということも重要だと思っています。  その一つの要が、先ほど愛敬先生から出てきた裁判官、司法全体の中で市民的な自由というものがいかに確保、保障されるのかということ。通常の市民の中の一人が言わば職業裁判官の役割をそこで果たすだけであると。また、一般の市民生活をしている中のある人が裁判員という役割を果たすだけなのであって、あくまでもベースは一市民、国民であるということから離れてはならないだろうと思っています。ですから、市民的自由が確保されて、それで初めて言わば公正な民主的な司法ということになるのだろうと思っています。  それから、私の話の中でも申し上げたとおり、裁判官が公正な裁判をするかどうかの信頼というのは、その裁判官の考えていることをブラックボックスの中に閉じ込めてしまって、何を考えているのか分からない、でも、きっと公平なんだろうなという期待を抱くよりは、日頃からどういう言動をしている人なのかということが分かった方が、先ほど申し上げたとおり、より批判的な目で監視され得るということになりますから、その方が裁判自体の公正さの担保にもつながるのではないかと考えています。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 平成二十四年十二月七日に最高裁判決出ております。まあ裁判官がという意味ではないんですが、そこでの議論でいえば、他の職員の職務遂行に一定の影響を及ぼし得る地位の有無、職務の内容や権限における裁量の有無、当該行為についての勤務時間の内外、国ないし職場の施設の利用の有無等々になっている。それで考えるならば、まず、その裁判官がどういう状況で誰に対して意見表明したのか。  ですから、やはり私は、認められ得るものはかなり制限をされて、まず勤務時間外、それからその人の勤務の場所以外ですね、それは裁判所の敷地内とかそういうことではなくて。それから相手がその職務に携わっている人ではないということ。それから裁判官である自分の職位について明示しない。そういう方が、例えば自分の家の近くで、家の近所の人に対して誰々という個人名で何かを言う、これは意味が違うと。私は、認められるのは後者の場合であるというふうに考えます。

川田龍平日本維新の会・結いの党

○川田龍平君 ありがとうございます。  私、本当にそういう意味では、裁判官のそういった市民的自由というのは、是非、死刑についてもやっぱり議論に参加してほしいというふうに思う立場です。特に国際標準ということから考えると、やっぱり死刑制度をしいている国というのは非常に少ない中で日本がまだ死刑制度を維持しているということを感じているところですので、これについては国民的な議論がもっと喚起されてしかるべきだというふうに感じております。  次に、もう時間なんですけれども、これは伊藤参考人と愛敬参考人にお伺いしたいと思うんですが、小平市で住民投票のときに、非常にこの最低投票率というものが問題となりました。私は、国政選挙など選挙制度について考えたときに、やはりオーストラリアのような義務的な投票制度というのが必要ではないかというふうに思うんですが、そういった投票率が低い場合に、それが国民投票として効果のあるものなのかどうか、また、それから、その義務的なそういうオーストラリアの選挙制度のようなものをしくことを、日本でやることはどう考えるかということで御意見いただければと思います。  小林参考人にも、済みません、できればお願いしたいと思います。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) 時間がありませんので、参考人のお名前絞っていただけませんか。

川田龍平日本維新の会・結いの党

○川田龍平君 はい。  じゃ、小林参考人と愛敬参考人、お願いします。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 今、オーストラリアの選挙制度というのは非常に複雑な選挙制度で、移譲式ですから、五十人立候補したら一番から五十番まで全部順位付けなきゃいけないというので、非常に投票率が下がったので、二千五百円だったり五千円ぐらいの罰金を科しているということになります。  ただ、私は、残念ながら、日本がそうなってほしくないと思っております。いろんな国がいろんな義務投票制を持っています。投票に行くと米が安く買えるという国もあれば、投票に行かないと給料が引き下ろせないという国もあるんですけれども、ちょっとそういう国のレベルでは日本はないはずだというふうに私は思いたい。そうでなくても行ってほしい。  つまり、やはり投票意欲の違いを、実際に投票されてしまえば全部一票で、同じ等価値で計算することになりますよね。ですから、それが、本当は行かないんだけど取られるから行った一票と、本当に自分の意思で入れた一票を同じに扱うことの問題というのが実は起きるのではないのか。それを入れずとも、その一定の投票率を確保する努力を我々がすべきであるというふうに考えております。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  先ほど小林先生の中にもありましたけれども、今、日本において、政治によって何かを変えることができないから投票率が低いとするならば、そこで義務的投票を入れるというのは、要するに達成感がないにもかかわらず強制されて、ますます政治を嫌いになってしまうかもしれませんので、大切なことは、今、国民が投票をしに行きたくなるような政治が行われることだと思いますので、私自身は今のところ義務的投票には賛成しておりません。

川田龍平日本維新の会・結いの党

○川田龍平君 ありがとうございました。

松沢成文みんなの党

○松沢成文君 みんなの党の松沢成文と申します。  今日は、参考人の先生方、お忙しい中ありがとうございました。  私は、大きく二問、四人の先生全ての、識見をお持ちの方ばかりですので、見解を伺いたいので、答弁時間の御配慮の方もよろしくお願いいたします。  まず第一点目でありますが、政治参加教育、特に実践的政治参加教育の必要性。これはもう、公職選挙の投票率がどんどん低くなっている、あるいは、今回国民投票法ができれば、国民の皆さんがその投票をするわけですね。その投票率が低いと、正当性すら疑われます。  そこで、実は、先ほど小林参考人の方から御紹介いただきましたが、私が神奈川県知事を務めていたときに、全ての県立高校で参議院選挙において模擬投票をやってもらうという教育改革を行いました。なぜ参議院選挙かといいますと、三年に一回定期的に来ますので、高校生三年間ですから必ず一回は経験できるという仕組みが参議院の選挙だったんですね。  それで、この議論を一年掛けてやりましたが、教育委員会や選挙管理委員会は相当な反対がございました。当然、教育委員会は、教育の政治的中立性ということで、まあ、政治教育じゃないんですけどね、政治参加教育でもどうしても政治色が出てしまうじゃないかという心配があった。それから、選挙管理委員会は、公職選挙法の中の人気投票に触れるんじゃないかということで、様々議論をした中で、選挙の公示前に学校のロビーで投票箱に政党名を投票して、結果は学校内だけで選挙投票後に行うというやり方でどうにか公職選挙法もクリアできるんじゃないかということでやりました。  その目的は、特に若い人たちの投票率が、もう二〇%、三〇%、低いわけですね。このままだと民主政治の国家が崩壊してしまうという危機感を持ってこの制度をつくった。ただ、これがどういう効果を生むかは、今後検証が必要だと思います。  ただ、先ほど熟議が必要だという議論がありましたが、これは学校で、参議院選挙前四時間ぐらいを取って、それぞれ公民の時間や総合学習の時間で先生が指導して、各党のマニフェストをみんなで読んでごらん、各党の選挙公報をみんなで読んでごらん、どれがいいかみんなで議論して自分で判断して、ロビーに投票箱が置いてあるので、投票用紙も投票箱もほとんど本物と同じです、それで投票をする練習をしてごらん。それで、事後にもその投票結果が本物の投票結果とどれぐらい違うか分かるわけですね。それについてみんなで検証しようということをやっています。  いよいよ憲法の国民投票も可能な状況になってきた中で、それも十八歳ということですから、もう高校生でしっかりと実践教育をしておいた方がいいわけですね。  そこで、これは各民主政治の先進国を見ると、ほとんどの国で学校における実践的な政治参加教育というのはやられています。もうアメリカしかり、あるいは小国でもコスタリカしかり。日本だけなんですね、やっていないのは。過度に政治教育と勘違いされてしまってやっていないんですが、やはり実践的なこういう教育をして初めて本物の市民ができていくんじゃないか、国民ができていくんじゃないかというふうに思います。  そこで先生方に伺いたいのは、憲法の国民投票も可能になってきた、あるいは公職選挙の投票率が低いという状況の中で、全ての公立高校で選挙の際、あるいは憲法の国民投票の際の模擬投票を義務化するというか、全ての高校生にやってもらう、こういう実践的な政治参加教育をやっていかない限り私は投票率を上げることができないんじゃないかというふうに思っているんですが、こうした教育改革の在り方についていかがお考えか、見解をお聞かせください。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) それでは、手の挙がった順に御指名させていただきます。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 模擬投票は幾つかの条件が必要になると思います。  神奈川県の県立高校でやりましたとおり、まず第一に言えることは、その結果は当該選挙の開票が終わった後にのみ開票すると。つまり、これは当該選挙に影響を与えないということ。選挙が終わってから開票であれば、これは影響の与えようがないということです。二番目ですが、公選法との関わりでいえば、校内にとどめるということになります。つまり、インターネットみたいなもので公表しないと。その結果が実際の結果とずれた場合に、実際の結果に対する信頼を失わせないということ。それから三番目ですが、そのためのいわゆる運動みたいなものが、政治家の方が校内に入ってきてやったりすることはこれは適切とは言えないと。  こういう幾つかの条件を踏まえて言えば、それは若年層に対する効果は私は少なからずあると思います。神奈川県で百四十四校でやって、その模擬投票を受けた後の、去年の選挙でそれから三年たっているわけですが、実際、その世代の投票率は他県と比べると実はいいわけです。そういう効果です。  ただ、義務化というところまで持っていくのかですね。やはりそれは個々の県の判断というものが出てくると思いますので、それを推奨するということは私はあり得ると思いますが、どうしてもやらなければいけないということになると、それはそれで逆に抵抗というものが出てくるのではないのか。神奈川県の場合は、校長会からむしろ提案が出てきたという経緯があったと思います。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 模擬投票というふうなことでございますが、私は非常に面白いんじゃないかなというふうに思います。私もかつて高校で授業を持ったことが、主に公民の方でございますが、ありますので、今思うとそれをもっと取り入れるべきだったんじゃないかなというふうにちょっと思ったりもします。  ただ、この問題に関しては、もし中学、小学で取り入れる場合、高校もそうでございますが、これは教員の力量というものが非常に求められるのではないかというふうに思っております。その力量を教員個人に、あなた、これを研修してきなさいと任すのではなく、やはり研修の機会というものを保障していくというふうなことが重要かなというふうに思います。その場合に、もう一つ大事なのは、やはり教育の中立性というふうなことで、特定のそういった政党なんかを意識させるような、そういった模擬投票を行ったりしないということが大事かなというふうに思います。  ですので、小学生の場合にはそういうディベートなんかを用いたりするとか、そして高校生ぐらいになったらそういうプレゼンテーションなんかを用いて、模擬投票をやる前に投票の意義とかそういったものを深めた上でこの模擬投票をやるということをすると、自分たちの問題としてより深まった教育の浸透というものができるのではないかというふうに思っております。  以上でございます。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 先ほど政治教育、過度に政治教育というようなことでとお話がありましたけれども、やはり政治教育は必要だと思います。それは触れてはいけないのではなく、公平に扱わなければいけないということなので、やはり政治教育はしっかり、それはイコール市民教育ということにつながりますので、私は、義務というところは少し抵抗ありますが、これは国公立だけではなく私学にまで推奨をするという形で広めていけたらすばらしいなと考えます。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 私も義務化ということに関しては若干疑問を感じておりますけれども、早期からの政治参加教育というのは必要かと思います。  ただ、一点申し上げますと、やはり投票にとどまるのではなくて、何か自分たちできちんと議論をして決定できる機会というのがあった方がいいと思うんですね。小さなことでもいいですので、学校内部のことでもいいですので、自分たちが一生懸命議論して何かを変えた、それが失敗に終わっても自分たちで失敗を負うみたいな、そういう機会があればいいのではないかと思います。

松沢成文みんなの党

○松沢成文君 ありがとうございました。  二点目が、憲法の九十六条、憲法改正のやり方を決めた条文ですが、この条文の先行改正というのが議論されました。この件について先生方の賛成か反対か御意見を伺いたいんですが、九十六条も条文の一つであります。ですから、憲法改正はどの条文からもできるわけでありまして、その改正条項自体を改正することはおかしくはないわけで、逆に他国、デンマークなんかもそうですが、幾つかの国で、緩める、強める両方ありますけれども、改正条項を単独で改正しているという例はあるんですね。ところが、この議論が数年前に出たときに、何を変えるかを言わないで条件だけを緩めるというのはけしからぬと、裏口入学みたいなものだという厳しい批判もあったのもこれ事実でございます。  ただ、確かに今の日本の改正の条件は国会議員の総議員定数の三分の二と、それから国民投票の投票者の過半数ですよね。これは比べてみるとかなり厳しい条件で、これまで戦後、与野党で三分の二、一つの勢力が占めたという例もないわけで、このままの状況だと憲法改正というのはなかなか発議されない、国会から提案されない状況がずっと続いてしまうんじゃないかと。むしろ、ここを少しハードルを下げてあげることによって国会から国民の提案の回数が増えて、主権者である国民が本当に憲法についてどうするかを判断する機会が与えられやすくなるという意味では、この国民投票法を作った意義にもつながってくるんじゃないかというふうに思っているんです。  そこで、先生方は、この九十六条を先行で改正することについていかがお考えか、また内容的にこういうものだったらいいというのがあったら御指導をいただければというふうに思います。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) それぞれ手短にお願いをできれば幸いです。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 今、諸外国で見ますと、アメリカは上下両院の出席の三分の二プラス五十州の四分の三と。ドイツは両院の三分の二。フランスは両院の二分の一プラス両院合同協議会の五分の三プラス国民投票。台湾は立法議員の四分の三が出席して四分の三の賛成と。そうすると、これにもし倣うならば、一つは、日本が出席の三分の二プラス都道府県の四分の三という、三十六県になるんですが、ただ連邦制ではないので、アメリカの連邦制とは多分違うでしょう。  そうすると、考えられるのは四分の三の出席プラス四分の三の賛成と。今とどっちが厳しいのかという話になるんですが、〇・七五に〇・七五を掛けると〇・五六ということになるんですが、ただ、国会議員の皆さんが出席をされる、憲法の問題ですから、多分出席率高いと思うんですね。そうすると、実は今よりも高くなってしまう可能性もあるということで、いろんな国がいろんなことをしているということだけ申し上げたいと思いますが。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 私は、憲法改正手続条項だから改正が許されないとか、それだけ先行して改正すること自体がおかしいというふうには余り考えていません。  ただ、現在のその三分の二、総議員の三分の二というところにはそれなりの合理性があると考えているものですから、これはやはり反対野党の方も納得できるぐらい国会の中で十分な審議、討論を重ねた上で国民に案を提示すると。あえてそこで三分の二にしているというところにやはり意味があると考えています。  これが過半数になってしまいますと、やはりどうしても十分な、国会の中における十分な審議、討論がなされないおそれが出てきてしまう。そこであえて三分の二、言わば間接民主主義の熟議を尽くしてほしい、その上で国民に提案をしましょうという考えだと思っているものですから、ここを過半数などに下げることには反対の立場なんですね。  それから、国会の方からいろいろ国民に提案する機会が増えると。これもいろんな議論の場が増えることはとても良いことかなと思うのですが、元々憲法改正は、やはり国民の方から提案をして、主権者国民の側が様々な思いを持つということが大前提になるものですから、その国民の意識、関心の高まりということを国会の方でくみ上げていただいてということになるんだろうなと思っています。  以上です。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 私も九十六条の改正に関しては可能だというふうに考えております。  ただ、三分の二というふうな数に関しては、確かに諸外国の今お話、小林参考人の方からありましたが、六十八年間、日本の場合にはこれ憲法が全く改正しなかったというふうなことで、現在、多くの解釈憲法問題とか、それからあと包括的基本権の問題もそうでございます。ほとんど新しい人権に対応できてきていないというふうなことで、最終的には、確かに国会議員の方の発議というのが大事でございますが、最終的にそういう、国民がそれをイエスかノーかと言えるやはり場を提供する、そういう意味でも私は過半数と、今先生おっしゃられたことに対してはこれから討議の必要があるんじゃないかというふうに考えております。  以上でございます。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 一点だけ申し上げます。  三分の二という発議要件に関しては、ドイツやアメリカと比べて特に厳しいわけではありませんので、三分の二を外国と比べて難しいと言うことはできないと思うことと、あともう一点なんですけれども、ドイツは御承知のとおり比例代表制の要素が強い選挙制度ですので、一党が過半数を取ることは非常に難しい、連立政権しかつくれない選挙制度の下で三分の二を獲得して今まで憲法を改正してきたわけですので、三分の二という数字をまず変えるというのには私は賛成できません。

松沢成文みんなの党

○松沢成文君 どうもありがとうございました。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。  今日は、大変示唆に富むお話、ありがとうございます。また、他の委員会との関係で順番を入れ替えていただいたことに感謝をいたします。  まず、伊藤参考人にお聞きをいたします。  伊藤参考人は、議員定数不均衡の問題に関して、原告の代理人として、弁護士として訴訟活動をやっていらして違憲というのを勝ち取っていらっしゃるわけですが、憲法を改正するに当たって、最高裁などは事情判決なども出していますが、議員定数不均衡で違憲であると言われる国会が発議をすることの問題点についてどうお考えでしょうか。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) お答えします。  やはり、憲法改正の発議をする国会議員というのは、憲法の前文にもあるように、日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動する、正当に選挙されたということが大前提であります。その正当に選挙されたというのは、まさに民主的な正当性を持った国会議員であるということが大前提だと考えます。  その民主的正当性というのは、じゃ、何なのか。国会議員の方々お一人お一人がこの国会の中においてその一票を投じられる、国会議員の中の議決での一票を投じられる、その一票が新しく国会議員になられた方も何年もやられている方も対等な同じ一票である、それはどうしてか。一人の国会議員の背後に同数の主権者が控えているからにほかならないわけですね。  ですから、主権者を正しく反映してその一票を国会において投じる、その言わば集合体の結果が国会の議決ということになるものですから、言わば一人の国会議員の背後にてんでばらばらな有権者がいる、言い換えれば、一票の不平等というものを前提にした上での国会における様々な権力の行使というのは、理屈の上ではやはり正当性はない。  最高裁は違憲の状態、この選挙は違憲の状態ですということをはっきり言っているわけですね。違憲状態というのはちょっと分かりにくいんですけれども、選挙が無効というところまで行く前の憲法に反する状態であるということをはっきり言っているわけですから、最高裁判所が憲法に反する状態だと指摘したその国会の中でこの改正の議論が進み、そして発議がなされるというところは、後に様々な疑問が寄せられるおそれはあるだろうと考えています。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 本日は、公務員と政治活動に関しての示唆に富むお話、大変ありがとうございます。  愛敬参考人にお聞きをいたします。  塩野宏さん、行政法の大家ですが、やはり公務員法上の政治的行動の制限規定の合憲性が疑わしいと、先ほども説明をしていただきました。ですから、本来は、国民投票において公務員がどのような政治活動ができるか、国家公務員法、地方公務員法がこれで本当にいいのか、意見表明も含め、何をどこまで保障するのかということを根本的に議論すべきだと私は思っております。  ただ、今回の改正法案は検討規定を置いて、こうこうこうこうこういうことに関しての規制の在り方について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるものとすると書いてあります。つまり、これらの措置、検討をして措置を講じない限りは実は国民投票はできないというふうに考えますが、要するに根本的な議論を実はしていないんじゃないか。法律の条文の中に、検討を加え、必要な法律上の措置を講ずるものとするとしていることは、この法律は実は未完成の途上を言っているんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  そうですね、やはり、この問題を議論する際に現在の公務員法上の政治的行為の禁止を当然の前提として議論することは学説との関係でも問題があると思いますし、それからいわゆる堀越事件最高裁判決との関係でも問題があると思います。  これは参考資料の中にも載せられていますが、要するに特定の公務員に関して限定的に政治的行為を認めた最高裁判決がありますので、それは現在の条文からは直ちに解釈が出てきにくい結論かもしれません。だけど、憲法との関係でそういうふうに最高裁は判断しているわけですね。としますと、やはり考え直す機会だったわけですから、公務員法上の政治的行為の禁止に関しても、国民投票運動との兼ね合いも考えつつ、再検討が必要だったのではないかと思います。  と申しますのは、再検討をしなかったので、切り分け論というのが非常に具体的に分かりにくくなってきているという状況があるのではないかと思いました。先ほど大西参考人も、切り分け論は取れないから基本的には全面的に禁止という方向でいけばいいという結論になっているようですし、切り分け論が難しいので、だから私は枝野議員と同じで全面的に開放すればいいという結論になってしまうわけですから、その辺はもう一度御検討いただけたらと私も考えております。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 伊藤参考人にお聞きをいたします。  確かに、公務員は憲法尊重擁護義務が課せられるわけですから、どのような憲法の下において自分が仕事をするのかというのは重要です。また、政治的中立性というのは個人の思想、信条に対してではなく公務に対して行われるというのは、本当にそのとおりだと思います。  ところで、今回の改正法案は、例えば、「組織により行われる勧誘運動、署名運動及び示威運動の公務員による企画、主宰及び指導並びにこれらに類する行為に対する規制の在り方について検討を加え、」というふうにしております。でも、例えば、私は、署名運動というのは独りぼっちでやる署名運動なんかないわけだし、自分の意見表明の地続きとして署名運動というのもやっぱりあるというふうに思っているんですね。また、示威運動の公務員による企画というが、二人以上でこういうことをじゃ駅前で街頭演説しようか、あるいは働きかけようかというのだって、署名集めようかというのだってあっていいしと思っているんです。  ですから、まだ、この法律案が仮に成立したとしても、これらの件の検討というのがこれからあるわけですが、この検討の中身について御教示いただけたらと思います。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) お答えします。  やはり、賛成、反対の投票をし又はしないように勧誘するという運動行為は許されるわけですから、その勧誘ということの具体的な内容として挙げられているのは署名運動ですとか、また企画等々、それを主宰するということ、そことの言わば区別は非常に難しい。そして、市民としてそういう活動をするということは、基本的には原則やはり自由でなければならぬだろう。具体的な、じゃ、その弊害や危険性がどこまで言わば予測されるのか、その立法事実をより具体的、明確に出して議論がなされなければ、ここは安易に規制をするべきではないというふうに考えています。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 戦後日本の政治は、自民党政治は、集団的自衛権の行使は違憲であるということを確立したものとして政治を行ってきました。日本の国民もそれを支持してきたというふうに考えております。現在でも、内閣法制局長官も、集団的自衛権の行使は違憲であると明言をしております。  この集団的自衛権の行使を解釈改憲で認めることについて、伊藤参考人、愛敬参考人、どうお考えか。  私自身は、合憲の集団的自衛権の行使と違憲の集団的自衛権の行使を発生させるということになれば、結局歯止めがなくなる。時の政府が、ここまでは合憲です、ここまでは認めましょうというふうになれば、結局、憲法による縛りというのはなくなってしまうんではないかと思っています。  ライプチヒの行政裁判所は、ライオンに対して鎖を掛けている。それは何か。権力は鎖を掛けなければならない。それは、法の支配というのは権力に対して、まあライオンと言うとあれですが、ライオンに対して鎖を掛けるというのは憲法なわけで、合憲、違憲の区別が時の政府によって動いていくということは憲法そのものを破壊すると思いますが、この点についてそれぞれいかがでしょうか。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 御指摘のように、これまでの政府の解釈、それから憲法学の定説としまして、集団的自衛権の行使は現行憲法上許されない。平たく言えば、海外で自衛隊が武力行使することはできないんだと明確な歯止めがありました。やはり、日本が武力攻撃を受けたときにあくまでも例外として個別的自衛権の発動が許されるだけだと。その明確な歯止めがあったところを、集団的自衛権の行使を仮に限定的であったとしてもそれを許してしまうということになると、限定というのは時の政府がやっぱり限定するだけなことになりますから、事実上、その政権の考え方によって幾らでもその限定の歯止めというものは緩やかになる。言い換えれば、限定はないに等しいということになります。  まさに、この国の基本的な平和主義に関する考え方、形が変わってしまうということになりますから、先ほど申し上げたとおり、この解釈、内閣の解釈の変更によってそのような大きな変更を行うということは立憲主義の観点からあってはならないことであると考えています。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 私も解釈によって集団的自衛権行使に踏み切るということに関しては解釈の限界を超えているのではないかと思いますが、付け加えますと、従来の政府解釈、内閣法制局の解釈に関してもう迷宮のようだ、ラビリンスのようだと批判されてきたと思うんですが、この度、限定的に集団的自衛権行使を解禁するという方向で議論し始めているので、更にラビリンスが深まったのではないかという印象を持っております。  このように重大な政策上の変化をそういう形で更に進めるということに関して、是非御検討をいただければと思っております。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 イラク特措法に関して社民党は反対だったんですが、時の小泉政権、小泉総理は、非戦闘地域、武力行使はしないということで自衛隊の派遣が行われました。ぎりぎり首の皮一枚、武力行使をしないということで派遣をしたわけですが、このイラク派遣された自衛隊の問題に関して、御存じ、名古屋地裁、名古屋高裁で裁判が行われました。名古屋高裁は、御存じのとおり、イラク特措法に基づいて自衛隊が行った行為、米軍や武器を運ぶという行為は違憲であるという判決の中身があります。  ですから、戦闘行為が行われ、それの直接戦闘行為を行わなくても、その武器を供給する、あるいはそれを支援する後方支援というのは、これはやっぱり集団的自衛権の行使と極めて問題があり、違憲だというふうに私は思いますが、この点について、伊藤参考人、愛敬参考人、いかがでしょうか。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) このイラク特措法に基づく自衛隊の派遣に関しては、御指摘のように、名古屋高裁で憲法違反である判決が出ています。やはり、そこでは後方支援という名の下で実質的には武力行使、それと一体化するような結果を招いてしまっているではないかと。国会の議論の中では、例えば航空自衛隊は国連職員、復興支援物資を運んでいるというような話ではありましたが、実質的には、実際は武装した米軍兵士を大量に運んでいた、そういった事実を基にしながら違憲の判決が出たわけであります。  まさに、ここは海外で日本が武力行使をしないという、その歯止めを乗り越えてしまったところだというので憲法違反と考えますが、私は、この問題自体が問題ではあるんですが、それ以上に、ここの部分について検証が何もなされていない。このイラクへの自衛隊の派遣について、あれはどうだったんだ、特にアメリカからの情報、大量破壊兵器がイラクにはある、テロリストと結び付いている、そういう様々な、今からは多くの国々が間違った情報だったと考えているその情報に基づいて、それを念頭に置いて意思決定がなされてしまったことも含めて、このイラクの問題についてはきちっと国として検証をしていかなければいけないんだろうと思っています。それが何もなされないまま今こうした安全保障の議論が進んでいってしまうということに大変問題を感じています。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 自衛隊のイラク派遣に関しましては、大過なくというんでしょうか、現地の人を殺傷することもなく、それから自衛隊員に被害者が出ることなく、犠牲者が出ることなく、日本に戻って来られたということは私は非常に良かったことだと思っております。  それが可能であった一つの理由というのは、やはり従来の政府解釈の延長線上で、いわゆる武力行使の一体化論ですね、武力行使と一体化する形での活動はできない、よって戦闘地域には入れないという一種の歯止めがあったからというのは大きかったのではないかと思うわけなのですが、これはあくまでも、先ほど名古屋高裁判決の話も出ましたけれども、名古屋高裁判決でイラク派遣に関してあのような判決が出たのは、これは従来の政府解釈を前提にしているからあのような判決が出たわけですので、今回のように、もし政府解釈が変更されて戦闘地域でも活動ができるようになれば、もう名古屋高裁のような判決も出なくなるかもしれませんし、また、次の派遣の際には、より難しい選択というんでしょうか、無事に終わったイラク派遣とは違う問題を国民が真剣に考えなければいけなくなるかもしれないと思いますので、そういう重大な変更は、やはり単なる政府の解釈の変更で行うべきではないと考えております。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 どうもありがとうございました。

吉良よし子日本共産党

○吉良よし子君 日本共産党の吉良よし子です。  参考人の皆様、本日はありがとうございます。  では、まず小林参考人にお聞きします。  憲法第九十六条は、憲法改正の手続について、一、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で国会が発議すること、そして二番目に、国民投票で過半数の賛成が必要という二段構えの仕組みを定めています。憲法上、改憲を発議できる唯一の機関である国会がこの第一段階の改憲発議を行おうとする場合、その構成は民意を正確に反映したものであり、発議に至る審議は国民に完全に開かれた状況で十分に尽くされなければならないことは当然の前提だと考えます。  そこで問題は、国会の現在の構成がこの憲法上の要請に応えるものとなっているかどうかという点です。  小林参考人は、先ほど、最初のお話でも、現在は正しい代議制とは言えないとの御意見もありましたが、かねてから、現在の国会は両院ともに民意を正確に反映しているとは言い難い、選挙制度の根本欠陥である小選挙区制の導入によって、主権者国民が自分たちで自分たちのことを決めるという間接代議制の擬制が成立していない、日本の民主主義の機能不全は解決されないままであると指摘されておられます。こうした状態を放置したままでもし改憲が発議されるとしたら、私はその正当性に疑義が生じると思うのですが、この点についての御意見をお聞かせいただきたい。  また、今日の国会に課せられている重要な課題というのは、民意を正確に反映する選挙制度に改正し、国会を真に国民を代表する機関、国権の最高機関にふさわしい構成に改めることだと考えますが、この点についても小林参考人の御見解をお聞かせいただきたいと思います。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) まず、現在の国会の構成が、代議制民主主義が正しくないと申し上げているのではなくて、有権者の投票行動の決定要因が、これは有権者側の問題なんですが、代議制民主主義の機能として理想的とは遠いということを申し上げております。これは要するに、争点で投票していなくて違うことを要因で投票しているということになります。  さて、御質問の点ですが、ありがとうございます、恐らく定数不均衡のことを少し念頭に置いていらっしゃるのではないかと思いますが、私もその定数不均衡はあってはならないというふうに考えております。ただ、定数不均衡についての考えがややほかの方と違うかもしれませんが、私は有権者数とか人口で決めるのではなくて、投票数に応じてその定数は決まるべきものであるというふうに考えております。  つまり、現行の考えというのは一票の投票機会の平等、法の下の平等を問うておりますが、一票の等価値性は問題にしておりません。分かりやすい例を言いますと、仮に有権者人口四十万の選挙区が二つあったとします。片方が投票率が八〇%ですと、三十二万票で一議席になります。片方が四〇%だとすると、十六万票で一議席。実は一票の格差は一対二に開いています。というように、有権者数や人口で計算をする、これ、実はアメリカから来たのが人口の説です。アメリカは、御存じのとおり、要するに住民票というのはありません。それから有権者が登録制ですから、あらかじめ計算ができないので人口でやっているということになります。日本は住民票もあれば選挙人名簿もございます。それから投票数も分かりますので、それで計算をするという形の方が私は正しいというふうに思っております。  ですから、自動的に定数不均衡が起きないような選挙制度、今日は多分時間がないと思いますが、そういうものもございますので、これやはりドイツがやっておりますが、こういうような制度に私は改める方が正しいのではないのか。つまり、五十六条が、その発議というのが国民の民意をむしろ背景にしているものであれば、それが正しく反映された民意で行われるべきであるというふうに私は思います。

吉良よし子日本共産党

○吉良よし子君 ありがとうございます。  では、この改憲発議を行う国会の構成の正当性について、伊藤、愛敬両参考人はどうお考えか、御見解をお聞かせください。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 私も、九十六条の発議の前提として、国会議員が民意を正しく反映していること、それは必要なことだと考えます。先ほど申し上げたとおり、それは正当に有権者、主権者の意思を反映しているということが必要だと思いますので、人口比例に基づく選挙制度の下で選ばれた国会議員であるということを前提としなければならない、それを前提とすべきであるというふうに考えています。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) まず、投票価値の平等との関係で申しますと、やはり違憲状態である国会で提案するのは望ましくないとは思っています。違憲だということまでは言えないと思いますけれども、やはり国民意思をきちんと聞く機会として国民投票があるという位置付けであるならば望ましくないという言い方はできるとは思います。  また、国会の構成に関しまして、吉良議員からは、多分、より国民の意思をきちんと反映させるためには比例代表とかの方が望ましいのではないかという趣旨も含まれているのではないかと思いましたが、これもなるべく国民意思を反映するためには比例代表の方が望ましいという言い方はできるかなと思うんですが、他方、比例代表でなければ国会が発議ができないという話ではないと私自身は考えております。

吉良よし子日本共産党

○吉良よし子君 では次に、第二段階の国民投票について、伊藤参考人、愛敬参考人に伺います。  現行の改憲手続法には、多くの国民が懸念を表明しているように、最低投票率の規定がないことを始めとする根本的な欠陥があると考えます。このままでは、先ほど来ありますように、有権者の一割、二割の賛成でも改憲が承認されかねません。つまり、第一段階では私の考えでは国民の意思と懸け離れた構成の国会の発議により、第二段階で国民の多数意見とは言えない賛成で改憲が承認されてしまうという、二重の意味で正当性を大きく損なってしまうのではないかと懸念を持っております。  にもかかわらず、この最低投票率の規定を本法案に定めないことについて、発議者はボイコット運動が起きる可能性、民意のパラドックスなどを理由に挙げていますが、これらはこの最低投票率を定めないことの正当な理由となり得るのか、その点についてお二人にお伺いしたいと思います。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 私も、最低投票率をどの程度にするのかというのは議論があるかと思いますけれども、一定の歯止めは必要だということを述べてきました。元々、有権者の意思を測る、そのときに、主権者としてこの憲法を変えたい、積極的にここに不都合があるからこう変えたいという主権者の意思がどれほどあるのかということを、この国民投票のところでやはり判断をすることが必要だろうと思っています。  その積極的に変えるというその意思の数が余りにも少ないということであれば、やはり主権者国民がこの憲法を変えるという積極的な意思を持っているとは判断すべきではないだろうと思っています。棄権等々ありますが、それは、あくまでもこの国民投票は、現在の憲法が不都合であるからこうしたいという主権者国民の意思がうまく測れるような制度にするべきだろうと考えています。  その点で、ボイコット運動ですとかもよく挙げられますけれども、それは一つの、言わばそのボイコット運動を受けて自分が変えたいと思うかどうか、積極的に変える意思を持っている人数がどれほどかというところには影響しないと思っていますので、それは根拠にならないと考えています。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  まず、最低投票率に関しまして、私も、五〇%というような数字ではなくとも何らかの数字は置く方がいいのではないかと先ほど申し上げました。先ほど小林参考人の御提案は非常に興味深い提案だと私は思いました。  それからもう一つ、長谷部恭男教授が提起している問題は重要だと思うんですけれども、国会の発議から国民投票まで二年以上の期間を置くか、若しくは総選挙を挟むべきという提案なんですね。これ、なぜ貴重かといいますと、そうすると、もしかしたら議会の構成が変わるかもしれないという状況の中で提案することになりますので、長期的な視野に立って改憲案が提起されるだろうということですので、これは参考にすべき御議論ではないかと思います。  あと、最後一点なんですけれども、これは松沢議員からも御質問がありましたが、この憲法改正国民投票法は、国会の発議要件が二分の一、過半数に変えられるかもしれないという状況の中でこれは手続法が議論されているわけですね。そうすると、最低投票率であるとか熟議期間の設定とかをきちんと議論しないで一旦手続法が制定されて、さらに国会発議要件が二分の一に変えられてしまったら、これは相当問題が大きくなるのではないかと思います。  ですので、過半数に変更するという改憲案が提起されているということを踏まえてこの手続法に関する議論はするべきではないかと考えております。

吉良よし子日本共産党

○吉良よし子君 では次に、投票権年齢と選挙権年齢について伺います。  前回の参考人質疑では、本改正案では国民投票権は法施行四年後に十八歳になるのに、その改憲案を発議する国会議員を選ぶのは二十歳以上という状態が長期に続き得るものとなっており、それは憲法に違反する法状態を生み出す蓋然性となるという内容の御意見がありましたが、この点について、今度は小林、愛敬両参考人はどうお考えでしょうか。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) 直ちに違憲とは言えないまでも、私はその両方の年齢は等しくあるべきだと思います。  私は、これは、実は選挙権年齢については、国民投票の投票権年齢の引下げに関わらず私は元々引き下げるべきであるというふうに考えておりますけれども、少なくとも国民投票の投票権年齢が引き下がるのであれば、選挙権年齢を引き下げないというのは、これは選挙権等々のあるいは参政権の平等の趣旨からいえば私は当然に出てくる要請であり、引き下げるべきであるというふうに思います。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) 私も同じでして、やはり国民投票の権利と選挙権が異なるというのは説明することが非常に難しくて、結局、それは何か便宜的なものになってしまう。手続法を早期に使えるものにするという非常に便宜的なものになってしまうわけですので、やはりこれは一致させるということが望ましいですし、それをきちんと法的に可能にするような努力というのもしていただけたらと思います。将来の課題というふうになってしまうのは非常に問題ではないかと思っております。

吉良よし子日本共産党

○吉良よし子君 では、愛敬参考人に伺います。  現憲法は主権在民と基本的人権を侵すことのできない根本原理としています。そして、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については最大の尊重を必要とすると述べて、戦前の明治欽定憲法のような、法律で何でも規制できる式の考え方を厳しく退けていると考えます。  ところが、今、安倍首相自ら、憲法は国家権力を縛るものだという考え方があるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方だと立憲主義を真っ向から否定し、自民党改憲案を説明した自民党のQアンドAでは天賦人権説に基づく規定ぶりを全面的に見直したと、人類が到達した基本的人権すら否定する考えをはっきりと示しています。  愛敬参考人は、いわゆる憲法改正限界説を述べておられますが、私はこのような内容の、いわゆる自民党の改憲案を国会が主権者国民に向けて発議すべき憲法改正案のたたき台として国会に提出すること自体、立憲主義に照らしてもそもそも許されないのではないかと考えますが、参考人の御意見をお聞かせください。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) その点に関しましては、参考資料にお配りした私の文献をお読みいただきますと、私は実は憲法改正限界説に近い立場を取っておりまして、といいますのは、結局、日本国憲法の改正要件は非常に厳しいものですから、国会の三分の二の発議を経て、かつ国民投票まで経るわけです。そうすると、それが仮に日本国憲法の基本原理を侵しているとしても、裁判所も、それから公務員の方々もそれを実行し始めると思いまして、そうした場合にはもはや憲法改正の限界を超えたかどうかという議論をしても余り意味がないという立場を取っています。すなわち、それは新憲法の制定として妥当性が成立するだろうという立場を取っておりまして、この点は私は通説ではないと思います。私は専門がイギリス憲法との比較研究なものですからこのような考え方になってしまうのかもしれません。  他方、憲法改正に限界があるということの意味は、国民がそれが限界だと思い、国会であれ政府であれそういう改正をさせないということを決めるというか確保するというか、そういう意味では極めて大きいことだと思いますので、そういう観点からやっぱり憲法改正の限界を語る意味はあるかとは思っています。

吉良よし子日本共産党

○吉良よし子君 どうもありがとうございました。終わります。

浜田和幸新党改革・無所属の会

○浜田和幸君 新党改革・無所属の会の浜田和幸です。  まず、大西参考人にお伺いしたいと思います。  大西参考人の事前の資料、今我が国はグローバライゼーション、この急速な流れの中に取り込まれている、そういう大きな国際社会の変化というものが我が国の憲法にも何らかの影響をすることは当然避けられないだろうという指摘がございました。具体的にはどういう国際化の波が日本国憲法の中に今後反映されるべきとお考えなのでしょうか。  例えば、今我が国は人口減少化を迎えております。この状況を打破するためには、外国人の移民ですとかあるいは外国人労働者の帰化ですとか受入れ、そういうことを考えなければ日本という国自体が存立が危うい状況にもなりかねない、将来の話ですよね。そういうことを先取りするとすれば、この外国人の今回の国民投票運動について全面的な禁止という条項はやはり時代遅れになる可能性があるのではないかと思うんですけれども。  この外国人の運動の全面禁止とも絡めて、このグローバル化というものが日本国憲法にどういうような影響を与えつつあり、それに対して我々はどう備えるべきか、その点についてお考えをお聞かせください。

大西斎九州産業大学国際文化学部日本文化学科准教授

○参考人(大西斎君) 国際化の問題に関し、非常に多くの論点があろうかというふうに思います。  今議員御指摘の人口減少の問題で言いますと、私は基本的に移民の問題に関しては余り賛成ではございません。なぜなら、外国人の方を日本に受け入れるということはそれなりの当然準備も必要でありますし、当然日本の文化との整合性というものも受け入れなければならないというふうに思います。  現に私、イギリスの方に一年間、エディンバラ大学の方に客員研究員として行っていた折に、向こうの現地で非常に治安が昔に比べて悪くなった、それから、あと、ごみの問題もそうですし、いろんな社会問題がたくさん出てきておりました。何よりも、文化の破壊というか崩壊というふうなものが非常に多く見られたような部分がございました。  そういった面も含めて、まず、移民を受け入れる前に、日本の場合には女性の活用といったものを私は考えていくべきじゃないか。だから、そういう国際化だから何でもかんでも受け入れていくというのではなくて、まずは、受け入れる前に、日本独自のもの、できることをきちんと行っていく、そのことの大切さというのを感じながら対応していくべきじゃないかというふうに思っております。  それからあと、国際化、そういうグローバル化というふうなお話でございますが、当然これは今問題になっているそういった自衛の問題なんかもそれに該当してくるんじゃないかというふうに思っております。ですから、国際社会の今そういった多くの常識というふうなものを、集団自衛権の問題もそうじゃないかというふうに思っているわけでございます。これも国連憲章で認められているわけでございまして、だから、そういったものも日本として的確にやはり対処していく必要があるのではないかというふうに思っております。  以上でよろしゅうございましょうか。

浜田和幸新党改革・無所属の会

○浜田和幸君 ありがとうございます。  その関連で伊藤参考人にお伺いしたいんですけれども、伊藤参考人は、御自分の夢は世界の幸せの総量を増やすことにあるということを主張されていますよね。この世界の幸せの総量を増やす、これは具体的にどういうことを考えておられるのか。  そういった意味では、今の大西参考人は、日本には日本の文化、伝統があるから、外国人が入ってくるとごみの出し方もいろんな問題が起こったり様々な問題が起こるから、まずは日本のやるべきことは、日本の中の言ってみれば女性を含めて未開発というか不十分な部分をもっともっと活性化させるべきだと、こういうお考えのようなんですけれども、確かにそれはそのとおりなんですけれども、しかし、日本が世界にこれから貢献すると考えれば、その象徴が日本国憲法だと思うんですね。こういう憲法を持っている日本という国に、自分もその文化になじみたいというか、行く行くは日本人になりたい。元々アメリカだってそうですよね、移民で成り立っている国で。  そういう意味の、将来、国民のあるいは世界の幸福の、幸せの総量を増やすという観点からいくと、どういうようなことが今取り組んでおられるのか。また、そういう観点で考えると、日本国憲法の在り方も、もう少し世界に開かれた、そういう性格ということも必要ではないかと思うんですけれども、将来に向けてこの憲法の在り方、お考えをお聞かせいただきたいと思います。

伊藤真弁護士日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長

○参考人(伊藤真君) 私たちのこの憲法は、大きく言いますと二つの特徴があるかと思っているんですね。一つは、個人の尊重に基づく立憲主義という考え方。これはもう世界標準と言ってよいかと思っています。もう一つは、やはり非暴力、平和主義、徹底した恒久平和主義を取っている。これはもう、ちょっと世界の常識から懸け離れた、ある意味では日本の独自性というふうに言っていいかと思います。  私は、何事もそうですが、例えば個人のレベルでも、人と同じ、人と違うがあっていい。国家でも、他国と同じ、他国と違う、この両面があっていいかと思っています。そのバランスの取り方こそがこの国の繁栄、そして世界への貢献につながるんだろうと思っているんですね。ですから、根底にある世界共通の価値基準であるところの一人一人を尊重する、そして憲法で権力を縛っていく、この部分のところは維持しながら、日本のある意味では独自性であるところの徹底した恒久平和主義、この部分も更に言わば洗練させていくこと、そしてそれは世界に発信していくことができる部分ではないかと考えています。  私たちの憲法の前文では、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定しています。日本の憲法であるにもかかわらず、全世界の国民が恐怖と欠乏から免れる、それを言わば目指そうとしている。人類を視野に入れた憲法というのは、なかなかほかにはないかと思っています。  ですから、まだまだ世界は、貧困や飢餓や教育、差別、疾病、いろんな問題を抱えております。多くのそういった問題はやはり紛争の火種になることが多かろうかと思いますから、日本は、そういう紛争の原因になるものを除去するために、言わば積極的に非暴力の様々な国際貢献ができるであろう。ですから、日本は海外の様々な文化などを取り込んで融合して新しいものを生み出すというとても得意な部分があるかと思いますし、また日本独自のものを世界にこれからますます発信していく、その点も重要かと思っています。  私の考える世界の幸せの総量というのは、それぞれの世界の市民の皆さんたちが、自分が考える、自分が決めた幸せ、それを追い求めることができる、そういう世界が広がったらよいなと思っていますので、その意味で日本の憲法というのはとても重要な役割を果たし得るものだと考えています。差別化戦略、ブランド戦略として、平和国家としての日本というものをもっともっとアピールしてよいのではないかと考えています。

浜田和幸新党改革・無所属の会

○浜田和幸君 ありがとうございました。  是非、そういう日本発の世界標準になるような、そういう要素を憲法の中にもどんどん取り入れる、そういう方向で進みたいと思っています。  それで、小林参考人にお伺いしたいんですけれども、大変興味深いデータをお出しいただいて、特に政治についての議論というのが日本と例えばイタリアを比べると、全然日本は少ないですよね。しかしながら、日本と例えばイタリア共に民主主義に対する、何というんですか、満足度、不満足度という点ではほとんど同じ結果がこの表から見えるんですけれども、日本人はほとんど政治的な議論はしない。それと、四ページを見ても、政治的知識度に関しては、日本人は要するにすごく知識はある、イタリア人はほとんどないですよね。しかしながら結果的に、政治についてはイタリア人はごんごん議論して、満足度は日本人と本当変わらない。何か国民性の違いもあるかとは思うんですが。  今イタリアで話題になっている五つ星運動ですよね、著名なコメディアンがネットを舞台にした大衆運動を起こして、もうどんどん政治進出を図っていますよね。ですから、そういうような新しいネットをベースにした政治運動あるいは選挙活動といったものと政治に対する国民の関わり方といったものが恐らく影響していると思うんですけれども、そういうことをいろいろと調査されていて、小林参考人、新しい動きが日本にも早晩起こるとお考えでしょうか。  あるいは、今の選挙は、国民投票、費用も労力も掛かる、大変だということを御指摘されました。そういう問題を克服する上においてもネットの活用ということはとても重要な視点だと思うんですけれども、そういう意味でイタリアの例というのは参考になるんでしょうか。

小林良彰慶應義塾大学法学部教授

○参考人(小林良彰君) イタリアの例は、参考にした方がいい部分と、こう言っては恐縮ですが、しない方がいい部分と、率直に言ってございます。  イタリアの場合は、確かにネットがかなり使われておりますが、とにかく政治的な混乱が非常に激しいわけです。できた政権がすぐ壊れる、しかも、ややスキャンダルがそれに絡んでくる。ですから、いろいろコミュニケーションはするけれども、満足度はこの十七か国の中では最低というところになります。  御指摘のインターネットの活用についてなんですが、私は正しく使うことが必要なんだろうと思います。現行は、やや、とにかくオープンなところとそうでないところがありますので、非常にネットにおける情報というのが実はかなり偏りがある部分がございます。ですから、私は、もはやネットというのを制限したりということは不可能だろうと思います。ネットで、ネットといいましてももうインターネットではなくて、学生はもう既にツイッターでもなくて、それはもっと先に行っておりますので、LINEとかそちらの方を使っていますが、それを使うなということはこれはまさに思想、信条の自由と反することですから、これはもうできません。  であれば、私は、それをきちんと法制化して、公選法の中にもっと正しく取り入れる形で、より利用するような形で使っていくと。恐らくそれが選挙権年齢を引き下げるのであれば間違いなく必要なことなんだろうというふうに思います。  大変残念ながら、新聞を読んでいる若年層というのは非常に減ってきています。では、テレビでニュースを見ているかというと、これも実はかなり減ってきています。インターネットでニュースを見ているか、これも実は少ないわけです。どこで見ているかといえば、もっと違うIT環境で見ているわけですね。だから、それもやはり受け入れるような形で公選法の、これは逐条解釈になりますけれども、この部分を少し弾力的に見ていただくことが私は若年層の政治関心を高める上でも必要ではないかというふうに考えております。

浜田和幸新党改革・無所属の会

○浜田和幸君 ありがとうございました。  最後に愛敬参考人に、イギリスの憲法が御専門ということで、小林参考人の資料を見ますと、政治的有効性の感覚、国のレベルでも地方のレベルでもイギリスはもう断トツで高いわけですよね。日本と比べると、どうしてこんなに大きな違いが出てきているのか、簡単で結構ですので、また、そういう意味で、有効性の感覚の高いイギリスから我々は何を学ぶべきだとお考えでしょうか。

愛敬浩二名古屋大学大学院法学研究科教授

○参考人(愛敬浩二君) ありがとうございます。  例えば、二大政党がありますので、各政党で議員になるためにも、例えば大学時代からその政党の中でいろいろ議論をしたりとか、そういう中で選ばれてくるとか、要するにある意味で非常に政治が身近だというところがあると思いますし、あと日本と違って、学校において何かを決定する場合にもすぐ親とかを呼んで、親とか呼んでというのは変な話ですけど、やっぱり議論をする機会が多いんだと思うんですね。  重要なことは、議論をした結果、何か変わったという経験が多分大きいんだと思うんです。とりわけ政権交代が多かった、頻繁に行われたという経験もあるのかもしれませんけど、投票をしたら何かが変わるかもしれないというところは大きいのではないかと思います。  あと、一点だけ紹介したいんですけれども、イギリスは、やはり日本の公職選挙法と比べてかなり緩やかな規制しか掛けていませんのでいろんなことができまして、たしかかつては、自分の選挙区では例えば労働党が勝てなくて保守党が勝っちゃいそうだけど、自分の選挙区とほかの選挙区とでバーター取引できませんかみたいなことをネット上でやるとかということが許されていて、日本からすると信じられない感じなんですけれども。そういう形で、自分のところではだから自由民主党、イギリスの自由民主党ですけど、それを当選させるから、あなたは別のところで労働党に票を回してくださいとかということが許されてしまうというところ辺りも、参考になるかどうか分かりませんが、一度検討していただくといろいろなやり方があるものだなと思うんじゃないかと思います。  以上です。

浜田和幸新党改革・無所属の会

○浜田和幸君 ありがとうございました。終わります。

小坂憲次自由民主党

○会長(小坂憲次君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人の皆様には貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。審査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十七分散会

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