憲法審査会 第4号
- 発言数
- 114 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 8
- 開催日
- 2014/05/26
会議録
○会長(小坂憲次君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。 日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。 本日は、本案の審査のため、参考人の方から意見を聴取いたします。 御出席いただいております参考人は、徳山工業高等専門学校准教授小川仁志君、慶應義塾大学名誉教授・弁護士小林節君、東京慈恵会医科大学教授小澤隆一君及び愛媛大学法文学部総合政策学科教授井口秀作君の四名でございます。 この際、参考人の皆様に一言御挨拶申し上げます。 本日は、御多忙のところ本審査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。 参考人の皆様から忌憚のない御意見を賜り、本案の審査の参考にいたしたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。 なお、御発言は、質疑、答弁とも着席のままで結構でございます。 それでは、まず小川参考人にお願いをいたします。小川参考人。
○参考人(小川仁志君) 小川でございます。 本日は、発言の機会をいただきまして誠にありがとうございます。 私は、後で御発言をされる参考人の先生方とは異なり、その道の大家ではございませんので、あくまで教育現場、そして社会において公共的な対話を実践する者の一人として発言をさせていただきたいと思います。 お手元に、「考え、議論し、意見の言える「公共的社会」の構築に向けて 「哲学カフェ」の実践から見た国民投票法改正案」という表題のレジュメを用意してございます。併せて御覧いただければと思います。 本日の議題にも関わることですので、初めに、少し私自身の紹介と私の活動についてお話しいたします。 私は、元々総合商社に勤めていたのですが、二十代の頃に台湾で政治の動乱を目の当たりにし、遅ればせながら、公的なものに関わることの意義を知りました。そして、会社を辞め、紆余曲折を経て地方公務員となり、町づくりに携わると同時に、働きながら大学院に通い、公共哲学の分野で博士の学位を取得いたしました。そして、徳山工業高等専門学校に倫理や哲学を担当する教員として採用され、現在、教育に加え、哲学者として公共哲学を研究し、またその実践にも力を入れているところでございます。 公共哲学という学問自体がそもそも自分と社会をいかにつなぐかを本質的に考えるものであることから、それは必然的に市民との対話や町づくりといった実践につながってまいります。そこで、私も、机にかじりついているだけでなく、若者を中心とした市民との対話、商店街の活性化といった町づくりの実践に従事しております。その中でも、哲学カフェという気軽に市民と哲学的対話を行う場については、ユニークな試みとして時折メディア等でも取り上げていただいております。同様の試みは他の場所でもなされているわけでございますが、私の主宰する哲学カフェは、町づくりの一環として商店街の空き店舗を借りて行っている点や、学生と市民が共に対話を行う場として位置付けている点で特徴を有しております。 工業高専には十六歳から二十二歳までの学生が所属していることから、まさに今般議題となっております十八歳の若者たちもこの哲学カフェに参加しているわけであります。テーマについてはインターネットの在り方から戦争の是非まで実に幅広いものを扱っていますが、彼らは常に参加する市民を驚かせるような立派な意見を述べております。参加者は小学生からお年寄りまで、年齢も職業も様々で、その意味で社会の縮図ともいうべき公共的対話の空間が形成されているわけでございます。 次に、こうした公共的対話の実践を主宰してきた立場から、具体的に国民投票法改正案について意見を述べてまいります。 本日の議題は憲法改正手続としての国民投票法の改正ですので、総論として、まず憲法改正に対する私の考えを一言述べさせていただきます。 そもそも憲法とは、歴史的には、人民が権力の濫用から自らの権利を守るために生み出した知恵であり、その本質は現代も変わらないものと考えます。そうした憲法の本質こそが立憲主義と呼ばれるものなのです。したがって、立憲主義は、間接民主制における国民の代表にさえも、それが権力である限り一定の歯止めを掛けるものであり、それゆえに憲法の改正に際しては、いわゆる硬性憲法として第九十六条において厳格な手続を定めているわけでございます。 とするならば、その九十六条の趣旨に鑑み、実質的に憲法の改正に当たるようなケースでは、憲法の予定する手続を経ない、行政府による安易な解釈の変更があってはなりません。そのような事態を避けるためにも、早急に憲法改正の手続を明確化し、オープンに国民的議論を行っていく必要があると言えます。 今回の国民投票法の改正については、そうした手続の明確化として基本的に賛成をいたしますが、三つの課題と呼ばれる個別の論点につきましては以下のように考えております。 第一に、選挙権年齢等の十八歳への引下げについては、他の国がどうかということではなく、国民投票年齢と選挙権年齢を同じにする必要があるかという点、そして日本の教育水準、文化水準に鑑み、我が国の十八歳に政治を判断する能力があるかどうかという点、さらに民法上の成年年齢との関係で権利と義務のバランスをどう捉えるべきかという点、これら三つの視点から本質的に考察する必要があると考えます。 まず、国民投票年齢と選挙権年齢のいわゆる参政権グループに関しましては、共に主権を行使するものであることに変わりなく、政治に対する同程度の判断能力が求められるものと言えます。よって、国民投票は十八歳で可能と認める一方、選挙権だけ二十歳まで待たせるというのは、不合理な主権の制限を課すことにもなりかねません。 そして、日本における十八歳の基礎的な判断能力そのものにつきましては、私の教育経験及び公共的対話の実践経験からしましても、これは十分であると考えます。ただし、実際に選挙権を行使するに当たっては、後でお話しする教育の改革や熟議文化の醸成が大前提となってまいります。 また、民法との関係ですが、権利と義務のバランスにつきましては、国民という存在が共同体の成員である以上、憲法以前の共同体理論として、自由を行使するという契機と他者と支え合うという二つの契機を持ち備えているのは当然であり、権利と義務の間にはバランスが必要であると考えます。したがって、参政権年齢が十八歳なのであれば、民法におきましても成年を十八歳に統一するのが望ましいと言えます。 次に、公務員の政治的行為に係る法整備につきましては、代表民主制の例外として、あえて直接的に広く主権者に判断を委ねるという国民投票の趣旨に鑑み、できるだけ自由に、かつ幅広く議論ができるよう配慮する必要があります。その意味では、規制は合理的、かつ、やむを得ない場合に限られなければなりません。その点で、純粋な国民投票運動の定義、組織的な勧誘運動の定義、そして特定公務員の国民投票運動の全面的禁止の是非につきましては再度慎重に議論する必要があると考えます。 第三に、国民投票の対象拡大につきましては、確かに民主主義の理念からは魅力的な発想であると言えます。しかし、ここは、国民投票の存在理由に鑑みて、冷静に考察する必要があると考えます。 そもそも国民投票とは、憲法によって規定されている代表民主制が制度の上位にある憲法を改正するに当たって、憲法の更に上位に位置する主権者に意思を確認する行為であると言えます。そうであるならば、国民投票の対象拡大は、通常どおり代表民主制に委ねておくだけでは何らかの不都合が生じる場合に限定する必要があります。また、その効果につきましては、現在の憲法下では、国会を唯一の立法機関と定める憲法第四十一条の規定がある限り、法的拘束力のない諮問型にとどまるものと考えます。 以上のように、基本的には私は今回の国民投票法改正案に賛成しておりますが、国民投票を実のあるものにし、またさきの三つの課題をクリアするためにも、最後に、大前提として、公共的社会を構築する必要性を訴えさせていただきたいと思います。 ここでいう公共とは、先ほど公共哲学について御紹介する際にもお話ししましたように、自分と社会をつなぐという意味であり、公共的社会の構築とは、一言で言うならば、国民一人一人が社会の問題についてしっかりと考え、議論し、意見の言える環境を整えていくことにほかなりません。 具体的には、学校及び社会における熟議の制度化と、生涯を通じたシチズンシップ教育の充実が急務と考えます。本来、国民が主権を行使するためには、十分な議論、いわゆる熟議の機会が提供されてしかるべきです。間接民主制を取っているのも、国民の代表が熟議の末に判断することを前提としているからです。したがって、国民に直接的な主権の行使が求められる国民投票においては、なおさらしっかりとした熟議の機会が制度として提供されなければなりません。 最低投票率の問題が危惧されておりますが、むしろ、熟議の機会を制度化することで低投票率になる事態そのものを避けるべきであると言えるのではないでしょうか。例えば、国民投票を実施する前に全ての有権者が一日を割いて議論する熟議の日の創設や、討論の機会を経た上で世論調査を行う討論型世論調査を行うことを制度化することなどが考えられます。 また、熟議のための制度を設けることによって、さらにそれを文化にまで高めることが望ましいと考えます。主権者が国民投票や選挙の直前ににわかに議論をするというのではなく、日頃から様々な社会の問題に関心を持って、自ら考え、議論し、意見を言える環境があって初めて個別の問題について主権者として適切かつ賢明な判断ができると考えるからです。あらゆる問題は、それ単独で存在するわけではなく、複雑に絡み合っています。論点を総合的視野から判断できるようにするためにも、政治をタブー視するのではなく、オープンに議論をするのが当たり前といった風潮をつくり出す必要があると考えます。 社会において、その熟議を成り立たしめるのが教育であると言えます。とりわけ、十八歳から主権を行使できるようにするためには、高校三年生になる前に市民教育、公民教育としてのシチズンシップ教育を十分に施しておく必要があります。これについては、教育者としての私の実感からしても、また学生たちの声を聞いてみても、決して十分だと言える状況にはありません。残念ながら、本来シチズンシップ教育として活用されるべき社会科はただの暗記科目、道徳は価値観の押し付け、総合的な学習はホームルームの延長、法教育はほぼ皆無、基本的には学校は一方的に先生の話を聞く場所になっているというのが現状です。恐らく、道徳という科目に象徴されているように思うのですが、今の学校教育は、常識や権威を疑い、主体的に考えさせることを忌避しているようにさえ見えます。その点、私の専門とする哲学は、批判的、根源的に考えることで物事の本質を探求する学問ですから、主体的思考力を養うためのシチズンシップ教育には不可欠と言えます。 そこで、具体的には、社会や政治・経済などの公民系科目を知識偏重のものから課題解決型に変え、道徳や総合的な学習の時間には主体的、批判的に考えるための哲学を組み込み、法教育を初等教育から導入し、他のあらゆる科目についても熟議の要素を取り入れることを提案したいと思います。 さらに、熟議という概念やシチズンシップ教育という概念そのものがまさにそうなのですが、政治を判断する上での手法についても、時代とともに新しい考え方が出てまいります。したがって、学校教育で終わりというのではなく、主権者として、社会に出てからも新しい知識を学び、実践する機会を持てるようにしていく必要があります。その意味で、シチズンシップ教育は生涯を通じて行うものであり、そうした学習自体が当たり前になるような社会を構築していく必要があると思うのです。 最後に、今回の国民投票法改正案で議論すべき本質は、国民が今まさに自らの手で憲法を改正しようとするときに、果たして本当に十分な条件が整っているかどうかだと思います。その意味では、改正を判断する際の大前提となる教育や熟議の制度が整っていないことは、ある意味で大きな問題だと言えます。 学校教育から生涯にわたり、熟議をベースとしたシチズンシップ教育が定着することで、初めて国民は社会の問題について自分の頭でしっかりと考え、異なる考えを持った他者とじっくり議論し、きちんと自分の意見を表明できるようになるのです。それこそが私の言う公共的社会であり、今回の国民投票法改正案がそうした公共的社会を構築する契機になることを強く期待いたしまして、私の意見とさせていただきます。 御清聴ありがとうございました。
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。 次に、小林参考人にお願いをいたしたいと存じます。小林参考人。
○参考人(小林節君) このレジュメに従ってお話ししてまいります。 今回、残された課題として三つございましたけれども、一つは投票年齢の引下げ、もう一つは公務員の一見政治活動に見える賛否表明の解禁の問題、三つ目は国民投票の対象事項の拡大でございます。 投票年齢の引下げにつきましては、いろいろそれに、何というか、ふさわしい成熟度があるのかないのか、これ、社会科学的検査をしていると限りなくいろんな答えが出てくるわけでありまして、私はもう、これ、さきの安倍内閣のときにこの法律が可決されたときの前提として、国際調査をなさった委員会の結果、十八歳が世界標準であるということ、これ以外に積極的な理由はないような気がするんです。 ただ、これ、決して無責任なものではなくて、私たち実際にこの非常に国際化した社会を生きておりますと、言わば地球上を生きておりまして、この世界標準に合っているということは、それだけでも一つ積極的な理由になるような気がいたします。 ただ、面白かったのは、その当時、中山太郎先生が私の大学に押しかけてきて、学生たちに、おい、君たち、十八歳から投票に参加できるんだよとおっしゃったら、二百人ぐらいの学生が一斉にどん引きしまして、いや、今そんなこと言われても困る、それはもちろん、何人か強引に指名された学生がそう答えてしまったのを、もう本当に私は横にいてひっくり返るほどびっくりしましたけれども。私の教え子ですから、かなり教育は行き届いているはずなんですけど、それでそのざまでありましたので、大変びっくりはいたしました。 ただ、これについては、そのときから中山先生が音頭を取られて、様々な憲法教育とか法教育とかいうことを唱道されまして、今では弁護士会とか司法書士会などが憲法教育、法教育出前講義などということをボランティアでやってくださっておりますので、そういう下地はできつつあるのかな。 いずれにしましても、若者の教育というのは、巻き込んで学ばせる以外に方法はないと思います。巻き込む前に、あの人たち未熟だから巻き込めないと言ったら、永遠に巻き込めないと思います。 正確な例かどうか分かりませんが、先生方、当選したときに、院の先例集という何かハンドブックみたいなものをお渡しされたと思うんですけど、あれ読んでもぴんとこなかったはずなんですね。だけど、当選を重ねるうちに、皆さん、いつの間にか生き字引のようになっているじゃないですか、先生方とお話ししていると。そういうものでありまして、世界標準に合わせて十八歳から選挙に巻き込んであげることがやはり一番の教育方法ではないかなと私は実感しております。 もう一つメリットがあるとすれば、投票年齢が下がったことによって、それだけ母集団が増えるわけでありまして、仮に投票率が低くても、それだけ参加者がいたということで、でき上がった新憲法が支えられる基盤は厚くなったはずなんです、統計上。若い人はそれだけ長く生きるわけですから、憲法の安定という点でもそれはそれでよいのではないかと思います。 論点の一は以上でございます。 論点の二なんですけれども、これも意外と理解されていないことですけれども、憲法改正というと、熱心なグループがたくさんあるものですから、それに労働組合などがあるものですから、非常にポリティカルに思われますし、それはある意味でいえば最高の政治課題ではあるんですけれども、選挙と憲法改正国民投票の違いというものをこの際はっきりさせておきたいと思います。 選挙というのは、議員であれ首長であれ特定の椅子に特定の個人が座ることで、その椅子には様々な権限が伴うわけで、それは見ようによっては利権につながる権限であります。ですから、ある意味では、かつての徳之島のすごい選挙もそうですけれども、どっちが勝つかということが天と地を分けてしまうことになるので大変深刻な争いになることはあるのですが、ただ、その点では、憲法改正の国民投票というのは、国の将来の設計図について言えば夢を語り合う、夢を争い合う話でありますから、そういう意味では特定の椅子を奪い合う選挙とは本質が違うということはこの際申し上げておきたいと思います。 とはいえ、警察官とか検察官とか税務署の職員とか裁判官とか、ちょっと立場上ふさわしくないというものは、その後のお仕事の継続を考えたらふさわしくないというものはあると思いますので、そういう点は考慮しなければなりませんけれども、基本的には公務員という身分を持ったお方でも一個人として賛否表明をすることは許されていいのではないか、ここが公職選挙法の規定と違う点であります。 ただ、もちろん、私も今年の三月まで教師でしたけれども、憲法改正に賛成しないと単位あげないよとか、あるいはお父さん、お母さんが賛成を言わないと君に単位あげないよとか、それから行政の窓口で許認可の判こを押すのも君の賛成反対を聞いてからでないと判こを押さないよというのは、これはもう法というより道徳の問題でありまして、論外でありまして、そういうものを許す必要は全くないと思うんですね。ただ、それにも、刑事罰なのか懲戒処分なのか、検討の余地十分ありますけれども、基本的な大枠は見えていると私は思います。 論点二については以上でございます。 投票の対象の拡大。これは前回のこの法律が通ったときに、何か、民主党でしたか、拡大を主張して抵抗勢力になっていたような気がするんですけれども、私はこれ、先ほどの小川先生のお話にもありました、原理的にはちょっと矛盾があると思うんです。現行憲法上、有権的に国民投票ができることは選挙と最高裁裁判官の国民審査と憲法改正案のみ、あとは前文から一貫して代議制民主主義を取っているわけです。これは、言わば衆愚政治ではなくて選良による熟議の政治という伝統的な制度を取っているわけです。でありますから、大きな争点になればなるほど、むしろ政治が責任を持って決めなければいけないことだと思うんですね。 ただ、様々に今住民投票運動が地方自治体レベルで広がっていますけれども、あれ見ておりますと、要するに、政治が決めれなくなっちゃって住民投票に委ねるというか、住民投票のせいにして先に進むというのは、私は正しくないと思うんです。つまりそれは、そういう制度を多用していくと、議会制が役割放棄にはまっていく。特に小選挙区制などの場合はオール・オア・ナッシングですから、つい選挙区の五一%を味方にしたいと思い、無難な意見を言うようになると。そうすると、多少今は人気がなくても言うことを言えば将来理解されるというような決断をオピニオンリーダーとしての政治家が言えなくなるというか、言わなくなる。そして、住民投票にお伺いしましょう、住民投票がこう言っているからと。これ、もちろん、先ほどの小川先生の話にもありましたけれども、現行憲法上その国民投票に、参考国民投票に法的拘束力を持たせることはできませんが、ただ、事実上、国民投票でばんと数字が出てしまったら、それに逆らうということは次の選挙で不利な目に遭うという危険があるわけであります。ですから、法的拘束力がないといっても、それは事実上の拘束力を持つわけでありますから、よほど慎重にこの問題はなさるべき、もっと今率直に私らしく言えば、おやめになった方がいいと思います。 むしろ、議会が、見識を持っています、日本には世界最高の官僚制度があるわけですから、そこには最高のシンクタンクがあるわけですから、最高の情報をそこから得て政治家が責任を持って結論を出せる、これが現行憲法の目指す、目指すというより、定めた制度であると思います。ですから、国民投票の対象を拡大するという議論は、私は賛成できません。 それで、あと、最後の言葉でありますけれども、私は、憲法は不磨の大典ではない。つまり、日本国憲法について言うならば、終戦直後の非常に不自由な時代にかなりの拘束の中で一種興奮しながら急ごしらえされたもの、しかも不完全なる人間が見たことない将来のために作ったものですから、必ず間違いはあるし、現にある。でありますから、主権者国民が幸福に暮らすための援助機関として国家があるので、国家を主権者国民が管理、指示するマニュアルとして憲法がある以上、その時代の変化の中で適宜憲法を改廃していくというのは主権者国民の当然の権利であると同時に、務めであると思っておりますから、そういう意味では、憲法改正は、改悪は困りますけれども、改正はなさるべきという前提からいけば、改正をする道具立てが今日まで整っていなかったことは異常なことであると思います。 ですから、今回初めて本当にようやく使える憲法改正国民投票法ができつつあるわけでありますから、それは喜びたいと思っております。これは明らかに、安倍総理の好きなお言葉で言えば、憲法を国民の手に取り戻す、まさに国民主権の実効化でありますし、それから、野党の方たちの好きな言葉で言えば、立憲主義の実効化という意味で、誠に喜ばしいことで、今回の一歩前進を心から願っているものであります。 以上でございます。
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。 次に、小澤参考人にお願いいたします。小澤参考人。
○参考人(小澤隆一君) 本日はお招きいただきまして、ありがとうございます。 東京慈恵医科大学の小澤です。専門は憲法学です。 レジュメに沿ってお話をさせていただきます。 私は、憲法改正手続法が成立した第百六十六国会で、衆議院の公述人、参議院の参考人として、法案段階ですが、意見を述べさせていただきました。同法成立後は、事前配付された参考人資料にとじられた二年前に発表した論文、「憲法改正手続法の施行と憲法審査会の始動をめぐって」で論じています。同法についての私の意見はこれらを御覧ください。 そこで述べているように、私は、現行の憲法改正手続法には様々な問題点が含まれていると考えていますが、本日のテーマは改正法案についての議論と思われますので、本日の私の意見も今回の改正法案に関わるものに限らせていただきます。 まず、憲法改正手続法の現在の法状況についてですが、私は前述の二年前の論文で、同法附則三条二項は執行することができない状態にあり、執行するには附則の改定や別個の立法措置が必要と記しました。 この点は、今回いただいた参議院憲法審査会事務局作成の参考資料でも、字義どおりに適用できないという不安定な状態、これは船田衆議院議員のお言葉として紹介されていますが、とか、あるいは国民投票が実施できるかどうか判然としない状態、これは衆議院法制局の橘氏の発言として紹介されていますが、と記されています。私の考えとこれらの発言は符合しており、我が意を得たりという思いです。 今回の改正法案の附則三条二項、三項は、この法状況を解消して、字義どおりに適用できる状態にすることを意図しているものと思います。 そこで、附則三条二項、三項案の憲法改正国民投票年齢に関する点について意見を述べさせていただきますが、これらは日本国憲法の十五条三項に違反する法状態を生み出す蓋然性のある、避けるべき立法行為だと考えます。これらは、憲法改正国民投票権者と国政選挙等での選挙権者との不一致が長期間継続する蓋然性のある、そのことを法的に遮断できていない立法措置です。これは、「公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。」とした憲法十五条三項に反する立法行為です。 同項に言う普通選挙には、選挙権の平等の原則が当然に内包されていると解されます。また、同項は、公務員の選挙と表現していますが、人を選ぶのではない憲法改正国民投票のような場合も含む広義の参政権における成年者による普通選挙を定めた規定と解するべきであり、それは国民主権原理から当然に導かれてくるものと言えます。この原理は、政治的事項について判断能力を有するとされる者に対して平等に参政の権利を付与することを求めるものとして解され、それは憲法十五条一項が「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と規定していることからも導かれると考えられます。 このように考えると、憲法改正の是非について判断能力があるとされた者、具体的には十八歳、十九歳に対して国政選挙等での選挙権を認めないのは、その部分につき権利を侵害していることになります。投票権年齢と選挙権年齢を変動させるのであれば同時に実施すべきであり、万が一タイムラグが生じる場合でも、許容できる範囲内での時限的なものでなければならないと思います。それぐらいに選挙権の平等原則の年齢への適用は厳格であるべきと解されます。 四月三日のいわゆる八党合意は、衆議院での審議から明らかなように、法的拘束力がありません。一方、附則三条二項、三項案は、法施行四年後の時点での、また、その後のいずれかの時点での十八歳選挙制の実現を法的には担保していません。したがって、附則三条二項案、三項案は、憲法改正国民投票権を有する者に選挙権が付与されないという状態が長く継続する可能性というリスクを負った、言わばギャンブル的な規定です。私は、憲法学を専攻する者として、このような危険な法案を本院にはお勧めできません。 次に、公務員の政治的行為に関連する改正法案百条の二及び附則三条四項について意見を述べます。 まず、改正法案百条の二についてですが、同条が規定する政治的行為禁止規定により禁止されている他の政治的行為、これが何を意味するかについては、最低限、国公法違反二事件最高裁判決、平成二十四年十二月七日の判決ですが、これなどに留意して慎重に検討しなければなりません。 同判決の理由が、公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは、当該公務員の地位、その職務の内容や権限等、当該公務員がした行為の性質、態様、目的、内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当であるとして、具体的には、当該公務員につき、指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務遂行に一定の影響を及ぼし得る地位の有無、職務の内容や権限における裁量の有無、当該行為につき、勤務時間の内外、国ないし職場の施設の利用の有無、公務員による行為と直接認識され得る態様の有無などを考慮の対象とすべきと述べていることは、改正法案百条の二の規定内容の意味を確定する上で最低限踏まえるべきことです。 また、近年では地公法による政治的行為の制限を上回る規制を条例によって定めている地方公共団体が現れていますが、これらについては過度に広範な規制となっていないか精査が必要であり、これらを安易に政治的行為禁止規定に含めてはならないと思います。 さらに、同条の何々に伴うという文言が一体何を意味するのか、どの程度限定性を持ち得るのか、慎重に検討するべきです。 改正法案附則三条四項で、規制の在り方について検討を加え、必要な措置を講ずるとされている組織により行われる勧誘運動、署名運動及び示威運動の公務員による企画、主宰及び指導並びにこれらに類する行為、この中の組織という言葉や、企画、主宰及び指導並びにこれらに類する行為という言葉は著しく不明確な概念です。例えば、個人名を名のらずに何らかの団体名を使えばそれだけで組織により行われたということに一体なるのでしょうか。そうなれば規制対象は際限なく広がってしまいます。 また、ほかのものが規制の対象として挙げられずに、すなわち除かれて、なぜこれらの行為が規制の在り方の検討対象に選ばれたのか不分明であると思います。 次に、百二条についてですが、現行の百二条は選挙管理に関わる委員、職員、国民投票広報協議会事務局の職員による国民投票運動を禁止しており、そこには言わばレフェリーの公平性の確保という合理性があると思います。改正法案では四つの種類の公務員が追加されていますが、これら全てについて禁止の合理性を個々に検討する必要があります。しかし、ここでは時間の関係もありますので、取りあえず裁判官について検討させていただきます。 裁判所法五十二条一項は裁判官に積極的に政治運動をすることを禁じており、今回の禁止がそれと平仄が合うのか、均衡を欠いていないか検討する必要があります。とりわけ、今回の禁止措置は裁判所法にはない刑事罰が科されていますので、なぜ懲戒だけで足りないのかが問われなければなりません。 確かに、寺西裁判官懲戒事件での最高裁決定、一九九八年十二月一日、及びその前身としての仙台高裁決定では、裁判所法五十二条一項が禁止する積極的に政治運動をすることの範囲を相当に広く捉えています。しかし、これには学界から批判も多いところであり、最高裁決定には懲戒不相当とする五人の裁判官の少数意見が付いています。 「犬になれなかった裁判官」という本の著者、安倍晴彦元裁判官は、結社、団体加入の自由が民主主義をつくっていく力になるとして、裁判官の結社、団体加入の自由にこだわったと述べ、同書では前述の寺西裁判官に対する最高裁決定に触れて、裁判官は専門家である市民として知識や見解を一般の市民に伝える義務があると記されています。このような裁判官の市民的自由の主張には私は合理性があると思います。改正法案百二条はその自由を不当に制限することになると思われます。裁判官による国民投票運動については、最低限、刑事罰から解放した上で規制の在り方を検討すべきものと考えます。 最後に、参議院に期待することですが、以上の点について、参議院には衆議院から独立した熟慮と徹底審議を期待したいと思います。特に、法案を提出した衆議院議員に遠慮される余り、また四月三日のいわゆる八党合意をおもんぱかって、既に述べたような違憲状態の創出の危険性を内包する言わばギャンブル的な法案の拙速な成立にくれぐれも同調せぬよう熟慮の府としての貴院に強く求めて、私の意見陳述を終わります。 御清聴ありがとうございました。
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。 次に、井口参考人にお願いいたします。井口参考人。
○参考人(井口秀作君) 愛媛大学の井口と申します。本日は発言の機会を与えていただき、ありがとうございます。 意見陳述の中でも、レジュメの中でも、日本国憲法の改正手続に関する法律を憲法改正手続法と略して発言をさせていただきたいというふうに思います。 今から七、八年前ですが、この憲法改正手続法について、私自身、たくさんのところで意見を述べる機会を得ました。今振り返ってももう少し考えておくべきであったと反省する点もあるわけですが、基本的な視点は変わっていないというふうに思っております。本日は、憲法改正手続法全般ではなくて、改正案を中心に、レジュメに挙げた三つの点で意見を述べさせていただきたいというふうに思っております。 最初に、投票権年齢についてですが、まず、我が国の様々な法令が年齢によって様々な区別をしているということは、これは周知のところです。この年齢の区別というのは、当然のことですが、それぞれの法令の趣旨、目的等に応じて定められるべき事柄であるはずです。したがって、趣旨、目的が同じであれば一致するし、違うのであればばらつきが出るというのは、これは当然のことです。 公職選挙法を見ても、これが許されるかどうかは別にして、選挙権は二十歳ですが、被選挙権は衆議院は二十五歳、参議院は三十歳以上となっていますから、これ、恐らく趣旨が違うから年齢の差があっていいとお考えになっているからだというふうに思うわけですね。このように、それぞれの趣旨、目的に応じてそれぞれの年齢による区別を付ければよいということになるわけです。 したがって、ある法律とある法律で年齢をそろえるというのであれば、これはなぜそろえるのかという、なぜ同じにするかという原理原則が重要となるはずです。これが附則の三条に関わる問題であるというふうに思います。 ただ、これとは別に、今のは一致させるかさせないかという問題ですが、これとは別個に、その前提として、そもそも憲法改正手続法において国民投票の投票権年齢をどういうふうに設定するかという論点があったはずです。また、今でもあるはずです。これについては判断能力で考えるということなんでしょうけれども、判断能力を厳密に検証して検討しても、これは余り意味がないことではないかなというふうに思います。 先ほど、小林先生のところは先生の教育がよく行き届いているということだったのですが、私のところは、多分行き届いていないからかもしれませんけれども、学生は割と、少なくとも自分の母親よりは私の方があると思いますよという十八歳、十九歳の学生って結構いるんですね。そういうこともありますし、そもそも投票権というのは、あるいは選挙権もそうですけれども、一定の年齢に達したら判断能力鈍ってくるから外すという、こういう議論をするわけではないわけですね。若者だけ何か厳密に、教育が足りないとか判断能力が足りないとかどうだとかいう、こういう議論をするというのは、ちょっと大人から見た、子供たちにいじめかなというふうに私なんかは思うところがあるわけです。 そもそも、判断能力は個々によって差異があるわけですから、おおよそのところ、一定の年齢であればこれぐらいだという判断をするという、こういうことを前提に制度設計ですべきであるというふうに思うわけですね。だから、余り判断能力云々ということで厳密に、十八歳だったらどうかとか、こういうことをやってもしようがないのではないかなというのが私の思っているところです。 むしろ、重要なのは、これは憲法との関係であるというふうに思います。レジュメの1の(2)の法律事項と憲法の要請というところですね。憲法九十六条の一項は、国会が発議した憲法改正案について、国民の承認を経なければならないとなっているわけですね。国民という言葉が使われているわけです。他方で、憲法の十五条の一項は公務員の選定、罷免権を国民固有の権利と呼ぶとともに、十五条の三項は成年者による普通選挙を保障するという、こういう規定を置いているわけです。 この九十六条一項の国民の範囲、あるいは十五条一項の国民の範囲ですね。これは、年齢については憲法は何も語っていないわけです。したがって、何歳以上にするのかというのは、基本的にはこれは法律事項ということになるわけです。ただ、法律事項だからといって、これ法律で全く自由に決められるということではないことも明らかです。例えば、恐らく、憲法改正手続法について国民投票権の年齢を三十歳以上にするとか、選挙権の年齢を、今二十歳以上ですが、これを二十五歳以上に引き上げるというようなことが、これ法律事項だからといって自由にできるというものではないはずです。いずれも法律で具体化されることが前提とされているわけですが、一度法律で具体化された場合、立法府による第一次的判断があった場合には、それをベースラインにして考えるということが必要になるのではないのかなというふうに思っています。 私の意見ですけれども、憲法九十六条の国民と十五条一項の国民は、これは、主権者として政治に参加する者の範囲という点でこれは一致しているというふうに理解をしています。九十六条の国民と十五条一項の国民というのは、これは一致しているというふうに考えています。ただし、その両者の一致は、レジュメにも書いたように、必然的に憲法改正手続法の投票権者と公職選挙法の選挙権者の年齢についての一致を要求するわけではないはずです。 というのは、憲法で規定されて、この年以上という考え方というのは、それ以外の者を投票権者に含めてはいけないというところまでは意味していないからです。例えば、十八歳以上に選挙権を与える、国民投票の投票権を与えるというのが憲法上の要求だとしても、別の観点から、国民投票については別の考慮要素から例えば十六歳以上に投票権を与えるとか、こういうことがあり得ないわけではないからです。 要するに、問題になるのは、レジュメの1の(3)ですが、十八歳問題の位置付けというところですが、憲法改正手続法の三条の位置付けです。この三条の十八歳以上という規定が、憲法九十六条一項の国民の範囲を確定したのだ、立法府として憲法九十六条一項の国民の範囲として十八歳以上というふうに確定したというふうに考えているのか、それとも、そうではないけれども、あくまでも二十歳以上でいいんだけれども、政策的に若者にも投票権を与えようということで立法政策的に追加したものだけという、そういうふうに位置付けるのかという、こういう点が必ずしも議論の中で明らかにされてこなかったのではないのかなというふうに思っています。前者であれば憲法の具体化の問題ですし、後者は立法政策の問題というふうになるわけです。 私の理解では、憲法改正手続法の三条は、憲法九十六条の国民を受けて、十八歳以上の国民を立法府の第一次的判断として確定をしたという意味を持っているというふうに思っているわけです。憲法九十六条の国民の範囲を、そのようにして一度、国会として十八歳以上というふうに本則で、三条で規定をしているわけですから、これがベースラインとなって、それを後退させるということは原則としてこれは許されないというふうに考えています。 現行の附則の三条は、国民投票の投票権年齢は十八歳であるというふうに確定をした上で、三年間、公布から施行までの三年間の間に限って、他の法令の調整を行って、施行時点では十八歳以上となっているということを想定した上で、極限状態な例外的な条項として二十歳に読み替えるという可能性を認めていたという、こういう規定であったかというふうに思いますし、これが憲法手続法の制定時の立法者の意思であるというふうに思うわけです。 この附則の三条を削除して、新たにまた四年間二十歳というのは、制定当初から見るとかなりの制度後退ではないのかなというふうに思っております。これは、憲法改正手続法の制定時、憲法九十六条の具体化法として国民の範囲を確定をしているという、このことが余りにも軽視されているのではないのかなというふうに思うわけです。 四番目ですが、先ほど言いましたように、投票権者の範囲の確定は、これはどういう原理原則に踏まえているのかということが明確化されているということが必要なわけですが、恐らく、一応改正法では施行後四年間は二十歳でというふうになっているわけですが、恐らく、その前に公選法等の改正が済めば、もう一度これを改正して、四年を待たずに十八歳でということもあり得るわけですから、これは要するに、国民投票のときの投票権年齢がまだ確定をしていないということになるのではないのかなというふうに思うわけです。 憲法九十六条は、国会は憲法改正の発議をして、国民に提案してその承認を経なければならないというふうに規定しているわけですね。この提案している相手方の範囲を国会が明確に決めていないで、いかようにでも国会の処理の仕方で、十八歳でもできる、二十歳でもできるような体制にしておいて、憲法改正の原案だけは審議する手続を整えたいというのは、ちょっと提案する相手方の国民に対して失礼ではないのかなというふうに思っているところです。 そのような点もありますので、今のような、要するに十八歳なのか二十歳なのかを曖昧にして、原理原則としてどういうものなのかというのを曖昧にして国民投票ができるという体制が整ったというのはいかがなものかというふうに思うというのが私の見解でございます。 二つ目ですが、公務員の国民投票運動についてですが、これは改正法の百二条の二に関わるところのみ発言をさせていただきたいというふうに思いますが、この条項は、レジュメに書いたように、純粋な国民投票運動あるいは憲法改正に関する意見の表明は許容するものだという、こういうふうに言われているようでございますが、純粋かどうかというところは、結局のところ、これは公務員法等の規定に触れるかどうかということになるのではないのかなというふうに思います。 本文の規定は、政治的行為禁止規定にもかかわらずとなっていて、ただし書が、ただし、政治的行為禁止規定により禁止されているときには駄目ですよと、こういうふうになっているわけです。結局のところは、先ほど申し上げたように、これ公務員法の制限によるかどうかということになっているのではないのかなというふうに思うわけです。 レジュメの(2)のところですが、要するに、純粋な意見表明等かどうかという、これを切り分けることの困難性というのは当初から言われていたはずです。結局、よく、許容される範囲を確定すべきだということをよく言われるわけですが、むしろ何が結局許されないのかということを明確化しないと、これは公務員の政治的行為について萎縮的効果を除去できないというふうに思っています。 三番目の期間の限定というところですが、この百条の二のところは、実は「国会が憲法改正を発議した日から国民投票の期日までの間、」という規定が置いてあります。これは、憲法改正案というものが存在して、それについて賛否を勧誘する運動やそれに関する意見表明があるということを想定をしているものだというふうに思います。 しかしながら、今この時点であっても、憲法改正に関する公務員の意見というのはこれはあり得るわけですね。純粋に意見表明ということはあり得るわけですから、これが現行の公務員法上問題ないのであれば別にこういう規定は要らないということになるし、逆にこういうものが規制されるということであれば公務員法自体の問題ということになるわけです。 括弧四番目のところは、公務員法それ自体の問題を考えるべきだというふうに私自身は思っているということですので、ちょっと省略をさせていただきたいと思います。 三番目で最後ですが、この憲法改正手続法の位置付けについてですが、現在の政治状況に関連して、これ、憲法改正手続法を整えているにもかかわらず、こんな手続法要らずに憲法改正したのと同じような効果を導き出すことができるかのごとくの政治状況があるということですね。これは看過できない事柄であるというふうに思います。その点で、国権の最高機関であり、かつ憲法改正の発議権を独占をしている国会として、しかるべき判断をすべきだというふうに思っております。 一番最後になりますが、レジュメの3の(2)のところに、憲法改正手続法の制定時の法案提出者の説明を書いておきましたが、国民主権の確立だという、こういう議論があったわけですが、むしろ、この改正手続法ができたにもかかわらず、現在の政治状況というのは国民の手からむしろ憲法が奪われつつあるのではないのかなというのが私の感じているところであります。それは私だけではなく多くの国民が感じているところではないかなというふうに思いますので、そのことも踏まえて審議をしていただければというふうに思っております。 以上で意見陳述を終わらせていただきたいと思います。
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。 これより参考人に対する質疑を行います。 質疑者はそれぞれ持ち時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔に願います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○北村経夫君 自由民主党の北村経夫でございます。 本日は、四人の参考人の皆様には御多忙の中をお越しいただきまして、ありがとうございました。貴重な御意見をいただきました。心より感謝申し上げます。 先ほども小林先生が、この国民投票法が整っていなかったのは異常だというふうに御指摘されましたけれども、私もそう思っているわけでございます。国民投票法は憲法改正手続の重要な部分でありまして、それが未整備だということは国民の憲法に対する考えを聞けない状況にあるということであります。一日も早く改正案を成立させて憲法に関しての国民主権を行使する道を開かねばならないとして、自民党も共同提出されている各党会派の皆様においても努力しているところでございます。 時間も限られておりますので早速質問に入らせていただきますけれども、その際、時間の都合上、一つの質問に関して全ての参考人の先生にお聞きできない可能性もあるということを御容赦願いたいというふうに思っております。 まず、公務員の運動規制についてお伺いいたします。 公務員の国民投票運動については、原則自由であるというのと規制すべきという見解が大きく分かれているところであります。私なりの理解でいえば、この見解の相違というのは、公務員の政治的中立性についての解釈の相違があるからだというふうに思っているわけでございますけれども。 国会においても、衆参それぞれいろんな議論が行われてまいりました。その中で、原則自由であるべきと主張しておられる中で、これは民主党の枝野幸男委員が平成十九年の四月、衆議院の憲法に関する調査特別委で述べておるわけでございますけれども、その理由というのは、国民投票運動は憲法自体、それ自体を形成する作用に直接関与するものであるから、より一般的な政治活動以上に制限は少なくなければならないというふうに述べております。 一方、規制すべきと主張している方には、理由をこう述べているわけであります。選挙運動と比較してはるかに高度な政治性を有する国民投票運動に、全体の奉仕者として本来政治的に中立でなければならない公務員を自由に参加させることは矛盾すると。これは百地章公述人が、これも平成十九年四月の衆議院憲法に関する調査特別委員会公聴会で述べているわけであります。 そこで、小川参考人並びに小林参考人に、国民投票運動における公務員の政治的中立性についてどう考えておられるか、御見解をお伺いいたします。簡潔にお願いいたします。
○参考人(小林節君) 最高裁の判例の中に、公務員の政治活動を許すと公務員の政治的中立性について疑いを生じさせ、そこから、公務員には国会が法律と予算を与えて、代議制民主主義で国の意見を一つにまとめて全国一律にフェアに権力を執行しているのが、窓口でゆがむのはないかということですよね。 そういう意味で、私は、先ほど枝野先生の御意見が援用されましたけれども、ちょっと選挙の、椅子を争う選挙と性質は違うと思いますけれども、やはり裁判官とか検察官とか警察官とか税務署職員とか、そういう人がそういう運動に熱心に参加した後、事が終わった後、その席に座って、その席が信用されるかな。これはやはり公務員の職務の政治的中立性の問題だと思いまして、それはもう論外で、あり得ないと思います。ただ、その他の公務員については、まだ拡大というか許す余地がある。 つまり、全体の奉仕者という概念は、反対側には一部の奉仕者、すなわち党派の奉仕者ではないということですよね、百地先生もおっしゃった。それを疑わせることについては、私も具体的ケースはまだよく分かりませんけれども、反対。具体的な線引きは、官僚から正しい情報を与えられて国会でなさればいいんですけれども、私は全面解禁論は無理があると思います。 以上です。
○北村経夫君 ありがとうございます。 小川参考人も今の質問にお答えください。
○参考人(小川仁志君) この問題は、公務員の中立性というところから出発するよりも、やはり国民投票の本質に鑑みて、そこから、では公務員はどこまで関与できるかというふうに考えていくべきだと思うんですね。 その意味では、やはり間接民主制の例外的な状態として直接的に主権者に主権を行使してもらうということですから、できるだけ制限を緩やかにするという必要がまずあるということですね。 その上で、公務員が、じゃ、どこまで関与できるかと。それはもう最小限になってくると思うんですが、例えば職権濫用に当たるようなケース、小林先生も例を挙げられましたけれども、地位利用の明らかな場合ですね。それから、組織として公務員が参画する場合も、公務員という肩書で組織しなければこれは問題ないのではないかと思いますし、また特定公務員に関しましても、時間外に私人として行うことも規制しなければならないのかどうかということは疑問に思うところであります。 以上です。
○北村経夫君 ありがとうございました。 もう少し公務員の国民投票運動に関してお聞きしたいんですけれども。 当初、この改正案、自民党と公明党との案では、組織的な勧誘運動、これは禁止されておりました。しかし、民主党との協議の結果、この禁止は削除をされたわけであります。その中身については今後検討されていくことになっておりますけれども、自民党内には懸念する声も多い。つまり、削除されたことによって、主権者たる国民の最高の政治判断が下される憲法改正国民投票において、政治的に中立であるべき公務員が組織的に反対あるいは賛成運動を展開することを結果的に容認する法律になってしまうのではないかと危惧しているわけであります。 これまでも、北海道教職員組合とか山梨県教職員組合、教員や地方公務員らによる違法な政治活動や選挙活動というのが行われてきた、これも報道されてきたわけでございますけれども、このように、地方公務員法では政治行為を様々に制限しているにもかかわらず、現実には野放しになっているのが実態だというふうに感じております。 そして、この国民投票運動というのは、運動期間が六十日間から百八十日間となっています。当初は恐らく周知の意味も込めて最長の百八十日間で行われるのではないかという予想をされるわけでございますけれども、半年間、熱狂的に組織的に運動を展開したら国民の判断に大きな影響を与えるだろうと懸念しているわけであります。そして、国民投票は国政選挙と同日選挙となる可能性もあるわけであります。そうなると、二つの運動期間が重なってまいります。 こういったことを考えますと、公務員も当然意見表明の自由は認められなければなりませんけれども、公正さを保つために、組織的あるいは党派的な運動には罰則を設けることが必要ではないかという意見も多いわけでございますけれども、その点についてお聞きいたします。 まず、小林参考人、そして小澤参考人、井口参考人にお聞きいたします。
○参考人(小林節君) 今、御指摘いただいて、私も納得できます。 本来、憲法改正の投票に関する啓蒙運動は、国会の仕事というか党派の仕事だと思うんですね。それを、百八十日間、国の費用で賛否のパンフレットを作って啓蒙活動をやればそれで十分でありまして、それ以外に横から、組織的運動というのは、逆に言えば冷静な国民の判断を妨げるんではないかという心配を私、今伺って感じました。どちらにしろ、こういうことというのは歴史的決断ですから、フェアにやってくれないと困ると思うんですね。ですから、党派が真っ当に活性化すれば、逆に言えばそれ以外の運動体は要らないと思うんですね。 確かに、教職員組合の過去の先例などを見ると、ついつい、何というかしら、のめり込んでしまう、善意ではありましょうけれども。ただ、冷静なフェアな判断という点では問題は起きると私は思います。 以上です。
○参考人(小澤隆一君) 政治に携わる人やあるいは政党を選ぶ選挙において、公務員によって組織されている組合が組織を挙げて活動をするというのは、これはあってはならないことだと思います。と同時に、そのような、人や政党を選ぶ選挙ではない、規範、憲法という規範を選ぶ憲法改正国民投票の場合は同列に扱うわけにはいかないと思います。 先ほど高度な政治性を有するがゆえに規制をする必要があるという御意見を紹介されましたけれども、私は、これは逆に、公務員であっても憲法改正という高度な政治性を持つ行為については主権者の一人として意見表明できてしかるべきだという、高度な政治性という言葉は逆の理由にもなり得るという、そういうふうに捉えております。 その上で、国民投票運動については、仮に公務員によって組織された団体が何らかの意見表明をするということについても、これはあくまでも人や政党ではない、規範を選ぶものですから、刑事罰を科すべきではないというふうに考えております。 百八十日が長いというお話もありましたけれども、日本国憲法上は憲法改正案を発議できるのは国会議員の皆さんですから、国民の方から発議できないわけですから、これは、発議された後、国民の中で議論する時間は十分取るべきだと。私は、百八十日でもむしろ短いぐらいだということを前の憲法改正国民投票の法案審議のときには申し述べました。 以上です。
○参考人(井口秀作君) 公務員の組織的な働きかけによって国民の判断が影響を受けるということは、これはあり得ることだと思いますが、国民は様々な情報や意見に接して判断をするわけですから、それはまた一つの主権者の判断として僕は別段問題ないというふうに思っています。 これ、百八十日あって、実はそのスポットCMのような、いわゆる国民投票運動などはこれ許されるわけですから、そちらの影響力というのは余り考慮せずに、公務員の組織的なものだけ何か影響力が強いということで罰則まで科すというのは、私はいかがなものかなというふうに思っています。 一般的に、多分、職務の中立性を害するような事柄によって公務員が国民投票運動を行う、まさに公務員の権限を行使して行うという、これは問題があるかというふうに思っていますが、一般的に、公務員が組織として何か運動したからといって、それは多分、恐らく全体の国民投票運動の中の一つに僕はすぎないというふうに思っていますので、それを、ここだけ取り上げて罰則まで科すというのは、私としてはいかがなものかというふうに思っております。
○北村経夫君 ありがとうございました。 最後の質問になりますけれども、十八歳選挙権問題に関連してです。 選挙年齢が下がりますと、中学生、高校生への政治教育、これは憲法教育も含めてでありますけれども、これが非常に大切になってくると思います。そこでは実際に思想的に偏らない教育をどういう方法、形で教育していくかというのが問題になるかと思うんですけれども、これは小川参考人にお伺いいたします。 先ほど、熟議ということをおっしゃいました。熟議という言葉は、元来、民主主義をめぐってヨーロッパやアメリカで使われてまいりました。日本の政治の場で使われてきたのは、恐らく民主党政権になってからだというふうに思っております。特に、原発再稼働問題でよく使われたわけでございますけれども、小川参考人、若者への政治教育を思想的に偏らないようどういう形でできるのかどうかですね、そういう教育が。時間が参りましたので、一言だけお伺いいたします。お答えください。
○参考人(小川仁志君) じゃ、時間短いということですので一言でお答えしますと、結局、今の道徳に象徴されているように、何か答えを提示してしまうともう子供たちはそれが正しい、特に教科書なんというのはもうバイブルですから、そういうものをとにかく出さないと。私は教科書なんかなくてもいいと思っているんですけれども、全く答えがない状態で答えを出させるような、そういう授業をしていけば可能だというふうに思いますし、私も実践しています。
○北村経夫君 ありがとうございました。
○有田芳生君 民主党・新緑風会の有田芳生です。 参考人の皆さん、今日はありがとうございます。非常に限られた時間ですので、小林参考人に絞って何点かお聞きしたいと思います。 一つ目。先ほどの話にもありましたように、小林参考人は一貫した改憲論者だと思います。その中身については、これまで書かれたもの、インタビューなどを拝見しましても、現在の日本国憲法の精神、理念を最大限生かすための護憲的改憲だというふうにおっしゃっています。その立場から、国民投票法の改正が国民主権の実効化と評価されているんだということは今日のレジュメにも明らかだというふうに思います。 しかし、こうした環境が整いつつあるときに、安倍政権の下では憲法九十六条の先行的な改定を目指しました。そのとき、小林参考人は裏口入学と否定的な判断をなされました。その理由は何なんでしょうか。国民投票法との関係で御説明ください。
○参考人(小林節君) 安倍総理が年来の改憲論者であることは直接よく存じ上げておりますし、そして、そのターゲットが九条にあることもよく存じ上げております。 その上で、私は、安倍総理が九条の改正を堂々と打って出るのかと期待していたのですけれども、ただ、どうも、つまり予測を間違えたんだと思うんですけれども、憲法改正、国民の説得ができないと読まれたのか。私はきちんとした話をすれば国民説得できるといまだに自信を持っているんですけれども、何か駄目という前提で、だったらば、去年突然、まあ昔からあった話ではあるけど、突然表に出てきた、九十六条はたかが手続じゃないですか、軽い話という乗りでキャンペーンが始まって。私にしてみれば、これ手続じゃなくて本質だわ、憲法が硬性憲法でなくなったら憲法じゃなくなっちゃう、びっくりするような話で。 それで、結局のところ、憲法九条改正はやろうとしたらできない、できないなら、迂回作戦として、たかが手続ですよといってハードルを低くして通り過ぎようと。これは、表現は本当にいい表現でない、下品だと家内に怒られましたけれども、入試の前に、どうも必要とする点数が取れそうもないので、私だけ別口で入れてというようなお話に思えちゃったんですね。どこぞの新聞社のインタビューで、これって裏口入学ですねと言ったら、それが全国的に流れてしまって、非常に恥ずかしい思いをいたしました。そういういきさつです。
○有田芳生君 二点目。皆さん御承知のように、憲法の第九十九条にはこうあります。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」。これは、この条項を含んだ明文改憲がなされない限りという理解で果たしていいんでしょうか。もしそうならば、憲法九条という現行憲法の精神的核心部分を閣議決定による解釈改憲で進めるというのは、この憲法九十九条に違反しないものなんでしょうか。お答えください。
○参考人(小林節君) 私の認識では、明確な憲法違反だと思います。つまり、九条というのは、その文言とその作られた歴史的背景からいって、ずっと守られてきた専守防衛、つまり日本の自衛隊は外へ打って出ないという枠組みは、はっきりしておると思うんですね。まずは、賛否がどうであれ、あれは、悔しいか悔しくないにかかわらず、敗戦ごめんなさい憲法であることは間違いない。だから、作らせた側としては、日本軍国主義が外へ出てこないことを歯止めが欲しかった。これは、ポツダム宣言からいけばそうなるじゃないですか。だから、まず外へ出れるはずがない。 それから、九条で、まず戦争を放棄し、一項で、二項で軍隊と交戦権を否定しているということは、外へ出て戦う道具立てがないということですよね、交戦権。交戦権というのは、戦時当事国が例外的に与えられる国際法上の権限。だから、当事国になっても振る舞えないということですよね。だから、外で戦うことは予定されていないんです。こんなの明らかじゃないですか。だからこそ、法制局がずっと、専守防衛、海外派兵の禁止を言ってきたじゃないですか。だから、これを踏み越えるなんということはできないはずなんですけど、びっくり、本当にびっくりしています。 閣議決定といっても、それは、三権分立ですから、内閣のレベルで、どこまでが憲法のキャパシティーかなと、許容限度かなということをまず内閣がお決めになることで、それは実際には、憲法というのは実際に適用されませんから、それを国会が法律や予算を付けて初めて自衛隊は海外派兵できるし、ということですよね。 集団的自衛権というのは同盟国を助けるために無条件で外へ飛んでいく権利ですから、ですから、実際にこれ、閣議決定がいつなされるかは存じませんけれども、その後、当然、国会に海外派兵手続法制の整備が課題として下りてくると思いますから、そこで、今度は国権の最高機関としての国会の憲法有権解釈が立ちはだかるわけです。もちろん、国会が多数決でいいよと言ってしまったら、それは内閣の意見に対して国会の意見が重なるだけでありまして、あとは、実際にその法制の下で派兵されることを拒否して懲戒処分か何か受けた兵隊さんが、処分の撤回を求めて訴訟を起こして、堂々巡りで最高裁に行って、最高裁で違憲判決が下るかなと思ったら、統治行為で、最高裁は、判例によればね、それは一義的に内閣と国会がお決めになることで、あとは主権者国民が投票でお決めになることですと逃げると思うんですね。つまるところ、総選挙で我々主権者が決着を付けなきゃいけない。だから、私はこの事実ははっきり私自身も記憶しようと思うし、主権者国民に記憶してもらおうと思って、今発言の機会があれば発言させていただいているわけです。 以上です。
○有田芳生君 三点目です。防衛大学の名誉教授に佐瀬昌盛先生がいらっしゃいます。今から十三年前に「集団的自衛権」という新書を出されまして、安倍首相が成蹊高校から内部で上に、大学に上がるときの面接をなさった方で、それで安保法制懇のメンバーの一人でいらっしゃいます。この佐瀬さんがある週刊誌で語っていることですけれども、集団的自衛権を安保法制懇で決めてくれたことはいいんだけれども、諦念、つまり物すごい諦めの気持ちがあるというふうにおっしゃっているんですよね。それはどういうことかというと、佐瀬さんはこう語っていらっしゃいます。集団的自衛権とは何ぞやという基本的な認識の共有を目指した議論はありませんでした。何でも、一回の発言が三分ぐらいしかできなかったという。七回安倍首相が参加をされて、三回は参加をされていない会議ですけれども、そういうことを明らかにされた上でこうおっしゃっている、更に。我々は言わば安倍さんの隠れみのに使われることになります。さらに、集団的自衛権について、国民にとってはこれはもう怪物のようなもので、えたいの知れない怪物のようなものだということをおっしゃった上で、更にこう語っていらっしゃいます。国民には全くと言っていいほど理解されていないことを政府は前提にしなければなりませんと語っているんですよね。 国民的合意がない現状で解釈変更を閣議決定し、憲法を実質的に変えようとする安倍政権について、どのように見ていらっしゃるのか。小林参考人はある雑誌で、先ほどの裏口入学も下品だという表現なされましたけれども、更に厳しい表現で、憲法泥棒という表現をされておりますが、一体どういうことなんでしょうか。
○参考人(小林節君) これも家内に怒られました、表現が品がないと。ただ、分かりやすいので使ってしまいました。 憲法というのは、本来、主権者国民が一時的に権力をお預けする人々、先生方もですけれども、を権力濫用をさせないために管理するマニュアルでありますから、本来憲法というのは我々主権者国民に対する、つまり権力を持っていない者どもが持つ道具で、それで権力者たちを管理する道具なはずなのですが、それをこの間の安保法制懇は、ずっと、何度読んでも、もう十回ぐらい読みましたけど、つまるところ、安全保障について憲法は何も書いていないから政府が必要と思うことを書き込んで、これを国民にこれぞ憲法であるといって下げ渡してよろしいというふうに読めちゃうんですね。いや、私の頭が狂ったのか、それとも書いている方がどうかしているのかと思ったんですけれども、本当に何度も読みました。何度も読んで、気付いてみたら朝になっていたという、それで何か怒り狂っている自分がいたんですけれども。 まず、憲法とはそういうものなんですけれども、それを、つまり国民の持ち物の憲法を国民の持ち物によって管理されるべき権力者がひょいと取り上げて、これが憲法だ、おまえたちに下げ渡す、これって持ち主が逆転しちゃっているじゃないですか。だから、それを泥棒だと言ったんで、別の表現としてはハイジャックと言ったんですけれども、その思いは変わりありません。表現の汚さは別として、思いは変わりありません。 それで、佐瀬先生ですか、私も防大で四年間教えたことがありまして、そのときお目に掛かって存じ上げていますけれども、その御発言が本当であるかどうか確認はしておりませんけれども、法制懇の方では北岡先生としか議論をしたことがないんですけれども、そのときの印象からいって、確かにそのレベルの話なんだろうなと私は思いました。 集団的自衛権という概念はとても大事な概念ですよね。個別的自衛権というのは、我が国が襲われたら我が国が反撃する。集団的自衛権というのは、前もってどこぞの国と同盟国と決まっていて、あなたの国が襲われたら私たちは四の五の言わずに飛んでいって参戦して助けますという概念ですよね。つまり、世界警察をやっているアメリカと同盟国である以上は、どこでいつ戦争が起きるか分かりませんよね。そのとき無条件で行くから、同盟国じゃないですか。それを、ほっといたら我が国の安全保障に何か害が起きそうなときだけ行きますということは、逆に言えば、あなたが襲われていても私に関係ないときは行きませんと言っているようなものですよね。それでアメリカが喜ぶはずないじゃないですか。ただ、アメリカの人に聞けば、集団的自衛権を日本が行使して一緒に戦争してあげるようになるんだ、ああ、それは結構じゃないですかと言うに決まっていますよね、集団的自衛権と言えば。そういうその概念の混乱が僕はあると思うんです。見ていて。アメリカの人と話をしても。ですから、ここは、かなり拙速ですよ。 それから、一般国民にしてみれば、集団的自衛権という概念、話が来た途端にチャンネル変えたくなるほどどうでもいい、分かりづらい、それよりバラエティーの方がいいという、そういう話題ですよね。だから、国民、大衆が理解していないときに、だって尖閣諸島って危ないじゃないですか、何とかしないとアメリカと手切られたら困るじゃないですか、これ一種の強迫ですよね、オオカミ少年ですよ。それって、だから、何とかここで、いや、そんな大風呂敷広げない、限定的だからいい、あっ、そう。だから、世論調査では丸、バツ、三角で、三角が増えちゃう。つまり、過激なことをしない、限定的だから、しかも尖閣諸島は危ないし、アメリカと仲よくしなきゃ。これは、事の真相を語っていない話ですよ。 だから、佐瀬先生が国際関係論の大家としていら立ちをお感じになったとしたら、それはそうなんだと思います。いつか出会って聞いてみたいと思っております。 お答えになっていたでしょうか。
○有田芳生君 はい。 最後の質問になります。五月二十八日、つまりあさって、二人の元内閣法制局長官を含めての憲法学、国際法、それから安保、外交の専門家の方々が国民安保法制懇、これはまだ仮称だそうですけれども、設立されると聞いております。先生もそのメンバーに入っていらっしゃいますけれども、この懇談会の目的はどこにあり、これから何をなされるんでしょうか。それを最後にお答えください。
○参考人(小林節君) 安倍総理の私的懇談会が、我々、学識経験者としては聞くに堪えないような内容のものを世の中に公表してくださったので、我々はずっとその過程で反論してきて無視された人間としては、個人的な思いではないんです。主権者、国民、大衆が何も知らされず、さっきと同じです、だから、そこにきちんと責任ある学識経験者が語るとこうなるんだよということを、どういう形になるかまだ決まっていません、一番いいのは逐条反論みたいにすると、何かお利口とおばかみたいで分かっていいじゃないですか、そういう文書を作って国民啓蒙することによって、あの最大政党の自民党の中にそれを良心的に理解してくれる人をつくりたいというのが、私がそれに参加した思いです。
○有田芳生君 ありがとうございました。終わります。
○佐々木さやか君 公明党の佐々木さやかと申します。どうぞよろしくお願いいたします。 本日は、四人の参考人の皆様、貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。 早速質問に入らせていただきます。 まず、小川参考人と小林参考人に対しまして、投票権年齢のことについて伺わせていただきます。 憲法の改正という極めて重要な手続には、できるだけ多くの国民が参加をできることが望ましいと思いますし、また、世界標準という観点からも十八歳以上に投票権を認めるという改正は私は妥当であると考えております。 本来であれば、投票権、また選挙権、成人年齢、これを同時に十八歳とすることが望ましいと思っておりますけれども、今回の改正案は、投票権年齢について施行後四年を経過すると十八歳とすると、こういった内容になっております。 そうなりますと、選挙権年齢、成人年齢と場合によっては一致しないという可能性もあるわけではございますけれども、まず、この投票権年齢について十八歳に引き下げるとしたことに対する評価、どのようにお考えになるか。それから、これを一致をさせるために四年間の間に努力をしていかなければならないわけでありますけれども、仮に不一致となった場合の懸念、投票権年齢と選挙権年齢、成人年齢の一致の必要性についてどう考えられるか、改めてお伺いをしたいと思います。
○参考人(小林節君) 二十歳か十八歳というのは、制度論でいけばノット・ア・ビッグ・ディファレンス、大差ないと私は思うんです。要は走りながら身に付けていけばいいと思っているんです。ですから、多少タイムギャップができても、それはせいぜい選挙管理事務のときに選挙人台帳が二種類必要なぐらいの手間でありまして、何というか、効果において実害はない。ですから、今回こういう形で決まるのは一歩前進だと思います。その一歩前進でやっている中でおのずと収まっていかざるを得ないと思いますから、そのギャップについては私は特に心配しておりません。 以上です。
○参考人(小川仁志君) そもそも主権を行使するということについては、これは、主権の概念というのはいろいろございますけれども、本来全国民が主権を持っているわけでございます。その中で政治的なこと、あるいは憲法の改正についてどれぐらいの年齢から判断ができるのかということに鑑みますと、本当は十八歳でも遅いぐらいではないかと私自身は考えております。義務教育、何のためにあるのか。義務教育を終えて場合によっては社会に出て、社会のことを自分で判断をして自活していけるということで義務教育というのがあるんだと思いますが、その意味ではもっと若くてもいいのかなというふうにも思っております。その意味で十八歳に引き下げるということは当然評価しております。 それから、その不一致につきましては、これは先ほども申し上げましたように、国民投票は十八歳でできて、そして選挙は二十歳というのは、これは本来同じことを、政治の判断という意味で同じことを判断するのに二十歳まで待たされるというのはまさに主権の侵害でありまして、これは何としてでも避けなければならないというふうに思っております。 以上でございます。
○佐々木さやか君 次に、同じ投票権年齢に関することなんですけれども、これも小林参考人、小川参考人と、それから井口参考人にもお聞きをしたいと思います。 小林参考人から、この投票権年齢が十八歳以上となることについて学生にお話をされたら、ちょっと引いていたというふうなお話がございました。世論調査を見ましても、この十八歳以上に投票権ということについて若い世代の方々も必ずしも強く希望していないのではないかと、こういう意見もあるところではございます。ですけれども、四年を過ぎますと十八歳以上ということにもなるわけですので、これからどう意識の啓発をしていくかということが問題であると思います。 小林参考人、小川参考人、井口参考人は実際にそうした世代の皆さんとも接点が多いと伺っておりますので、そもそもこうした世代の皆さんが十八歳以上投票権ということを聞いて必ずしも強く希望しないというところはどうしてなのか、どういうところに原因があるのかと、それを踏まえて、これからそうした世代に国民投票、また政治への関心を高めていってもらうために必要なことは何なのか、これは私も青年世代を代表する国会議員として常日頃から考えている興味のある問題であるんですけれども、この点についてお聞きしたいと思います。
○会長(小坂憲次君) それでは、小川参考人、小林参考人、井口参考人の順でお願いいたしたいと存じます。まず小川参考人。
○参考人(小川仁志君) 実は、私もちょうど十八歳、高校三年生に当たる子たちにちょうど憲法の話をしている時間がありましたので、この話をしてみました。やはり非常に消極的でした。というのも、これは彼らに能力がないというのではなくて、やはりそういう教育をしていないというだけのことだと思うんですね。 先ほど申し上げましたように、学校では先生が一方的に話をするというのがいまだに教育のスタンダードです。ということは、学生生徒には考える機会がない、それから議論する時間もない、そして自分の意見を表明する時間もないということに裏返すとなりますので、当然自分が考えて議論をして意見を表明する自信を持てるはずがないんですね。 したがって、私は、これから十八歳に主権を行使させるということであれば、十八歳の時点でそうした自信が持てるように、自分の意見を考えて、議論して意見が言えるような、自信が持てるような、先ほど申し上げましたシチズンシップ教育を実践していく必要があると思います。 以上です。
○参考人(小林節君) 若い人たちの話を聞いていると、全く政治に関心がないというか、政治に絶望しかけているんですね。ですから、これは政治の危機だと思うんです、この国の。ですから、私は、今回、安倍総理による解釈改憲などという憲法無視がまかり通ってしまったら大変なことですから、このキャンペーンに身を投ずることによって主権者意識取り戻せよと、君たちの寝ている間にとんでもないことが起きかけているんだぞという一つのケーススタディーとして若者の注意を喚起したいと思って、いろいろチャンネルでやっているんです。 若者の、つまり、さっき原因を問われたので、この中でも何人か松下政経塾出身の議員がおられますけれども、松下政経塾の入塾審査というのをお手伝いさせていただいたんですけれども、応募者減っているんですよね。だから、いろんな意味で、政治、今不人気になってきていると思います。ですから、むしろそれは私なんかより、オピニオンリーダーとしての政治の当事者である先生方がきちんと若者に具体的に主張して、リードしてあげてください。佐々木先生であれば第三文明の後輩たちに檄飛ばすとかですね、大いに頑張っていただきたいと思うんですけれども。 以上です。
○参考人(井口秀作君) 若い人たちは一般的に政治的な関心が低いというか絶望しているとかいう、そういうことはあるんだと思いますけれども、それが何か、ちょっと議論の仕方の問題なんですけれども、十八歳はどん引きで、二十歳になったら急に積極的になるかというと、多分慶應大学でもそういうことはないと思うんですよね。 だから、二十歳で選挙権が与えられているので、何か我々で啓蒙活動しているかというと、少なくとも僕はそんなことを意識したことは全くないわけですから、十八歳だからこういうふうにしましょうということを何かしようというつもりもないんですね。取りあえずどれぐらいの判断能力があるのか、どれぐらいの年齢でこれぐらいの判断能力、一般的に与えていいだろうという年齢を考えて、制度設計というのをした上で、与えた上で、その中で若者たちがそういうものを、スキルを身に付けていくということが必要であるでしょうし、一番いけないのは、若者が政治とかこういうものに対して目を背けるような、もうがっかりするようなという、そういうものをむしろ大人の方が除去してあげるということが必要なのではないでしょうかというふうに思っております。 以上です。
○佐々木さやか君 次に、国民投票の対象の拡大の点について、これは小林参考人、そして小澤参考人、井口参考人にお伺いをしたいと思います。 今回の改正案の附則で、憲法改正問題についての国民投票制度、これについては今後の検討課題となっております。小林参考人からは先ほど、この国民投票の対象拡大については否定的なお考えをお聞きしましたけれども、一般的国民投票制度だけでなく、こうした憲法改正問題についての国民投票制度ということについても同じように否定的なお考えなのか、何か違いがあると思っていらっしゃるのか。 小澤参考人と井口参考人については、この国民投票の対象拡大についてどのようにお考えになるか、お聞きしたいと思います。
○会長(小坂憲次君) それでは、小林参考人、小澤参考人、井口参考人の順でお願いいたします。
○参考人(小林節君) 大分前に議論に参加したときに私は対象拡大全面否定だったのですが、民主党の枝野議員からか、憲法改正の論点整理の国民投票というのはありではないかと、つまり焦点が定まらないときの国民投票はありではないかと言われてイエスと言った記憶があるんですけれども、ただ、今改めて考えてみますと、それまたややこしくなりますから、手続法というのはシンプル・アンド・クリアがいいと思うんですよ。 そういう意味では、憲法改正の論点整理だって実にここですべきことじゃないですか。皆様方は選挙で負託されてきている全国民の代表なんですから、ここでやるべきことだと思うんですね。ですから、あのときは一瞬、枝野議員に私は妥協してしまいました。魔が差したというか。今は少し年がたって賢くなりましたので、やはり憲法が認めていない対象はなしという立場で、それは議会制の実質的に形骸化につながりますよという、先ほどの発言に戻ります。 以上です。
○参考人(小澤隆一君) 今回の附則三条の五項に関する御質問だと思いますけれども、そこに書かれている、憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度に関し、その意義と必要性について、省略しますけれども、更に検討を加え、必要な措置を講ずるものとするというふうになっていますが、ここで言う憲法改正を要する問題及び憲法改正の対象となり得る問題についての国民投票制度というのが一体何を意味するのかよく分かりません。国会の責任で国民に対してアンケート調査をなさるという意味合いもこの中に含まれるのであれば、わざわざそういうことをこういう形で立法にするということが一体何ほどの意味があるのかということが私にはよく分からないところがあります。 ですから、こういう立法措置を早々とこういう形でするよりも、もう少しこの問題は今の、先ほど来小林参考人が言われていますように、憲法上そういうことができるのかどうか、どういうものができるのかということについて、こちらの立法府でしっかり検討された上で立法措置をされたらいかがかと、このように考えております。
○参考人(井口秀作君) 憲法九十六条以外の国民投票について、これは一般的な理解でも法的拘束力のない諮問的な国民投票ができるというふうに理解されていて、私もそう考えておりますが、しかしながら、国民投票の結果に法的な拘束力があるかないかというのは、ある意味ではこれは便宜的な議論で、多分事実上の拘束力を持つということを一般的に言われているわけですね。圧倒的多数で国民の票で意思が明らかになった場合に、それはなかなか国会としては無視できないようなことがあるんだというふうに思っています。 そうであるがゆえに、この憲法改正問題、国民投票と、かえって気になる。というのは、それがあることによって本来の憲法九十六条の国民とは意味がなくなって、事前にやる国民投票の方が事実上決定の場になってしまう、そういうおそれがあります。これは結果として、昨年問題となった憲法九十六条改正論のように、九十六条の国民投票そのものではないので、国会の過半数の発議で参考程度で意思を問いますよということになってしまうと、じゃ逆にそこで出た国民の意思は無視できないということになると、これは制度設計の仕方によってはかえって本来の憲法九十六条の国民投票を無にしてしまうという、そういう危惧が、危険があるというふうに思っておりますので、この点については非常に慎重な制度設計が必要かなというふうに思っております。
○佐々木さやか君 以上で終わります。 ありがとうございました。
○川田龍平君 結いの党の川田龍平です。よろしくお願いいたします。 早速質問に入らせていただきます。 十八歳選挙権が国際標準であると小林参考人からもお話がありましたとおり、既にこの世界で八〇%以上、G8では日本以外、OECD三十四か国では日本と韓国以外の全ての国が十八歳ということになっていますが、さらにオーストリアで十六歳選挙権というのが認められ、ドイツ、スイス、ノルウェーの特定の州、市町村選挙で選挙権年齢が十六歳に引き下がっていると。この中でドイツ、オーストリア、ノルウェーでは、十六、十七歳の投票率が十八歳、十九歳の投票率を上回っているという傾向も見られるということなんですけれども、非常に世界標準である十八歳選挙権というのを既に進んでいる国では十六歳に引き下げているということまであって、被選挙権についても、ドイツは二十一歳ですとか、かなり選挙権だけではなく被選挙権年齢も下がってきているところがあります。 そういう意味で、今後、成年の年齢と被選挙権というのは分けて僕はいいと思っているんですが、特にたばこの喫煙なんかに関しては二十歳以上ということで、これは日本でもそういう年齢要件が定められたのは、軍隊で採用するときにたばこを吸っていると非常にもう使い物にならないということでこれはたばこの年齢引き上がったと聞いていますが、そういう意味で、こういう年齢というのは分けて、成年年齢と選挙権年齢というのは分けてもいいと思うんですが、そこで問題となってくるのは、私は、ずっと結婚年齢で特に男性と女性が平等ではないと、ここは男性は十八歳、日本の場合には十六歳で女性は結婚できると。これ、性教育の観点からも、十六歳で女性が結婚できるということで、十六歳というのは子供をつくってもいいんでしょうというふうに考えている若い人たちがいるという中で、今後十六歳に成年年齢や選挙権を、特に選挙権を十六歳に下げるということについては、今後、十八歳というのはまず四年後ということですけれども、その先の議論として十六歳に下げていくことについてはどのように考えるかを各参考人から短く意見を伺いたいと思います。
○会長(小坂憲次君) それでは、井口参考人から順にお願いしてよろしいでしょうか。
○参考人(井口秀作君) 今十八歳にということを言っているこの場面で、じゃ十六歳にというと、まあちょっと早いかなという感じに、率直に思います。十八歳に引き下げるということでも、今ちゅうちょがあって前へ何か進まないような状況ですよね。その中で十六歳というのは若干早過ぎるかなという印象を持っています。
○参考人(小澤隆一君) 私の先ほどの意見の趣旨は、十八歳にするのであれば投票も選挙も一緒にするべきであるという、こういうことを言いました。 それは、こちらの参議院そして衆議院の立法府の意思として、これからは十八歳から政治に参加してもらう、これが参政権だと、国民の主権者としての参政権の保障をこれからは十八歳にするという意思を両院がそういうふうに考えたということで立法をなさるならそれでよし、そうでないとすれば、そうでないとするといいますか、その意思に基づきながら、しかし、もし仮に何らかの形で投票は十八、選挙は二十歳という状態ができてしまったら、これはいかがなものかということを申しました。 それで、もし仮に十八歳でそろえるということであれば、それは、十八歳からこれからは政治に参加する資格を与えようという、そういうことを立法府でお決めになったんだろうと思います。 そうすると、それよりも下げる、仮に国民投票だけ十六に下げるというのは、これは十六、十七歳の人たちに対してある種のプレミアム的なそういう投票権を与えようという、こういう意思なので、果たしてそういう手当てがこの日本の国の中でもってうまく説明できるのかどうかということを立法府としてちゃんと判断していただいた上で検討していただくのがよろしいんじゃないか、このように考えております。
○参考人(小林節君) 今いろいろ思い出していたんですけれども、やはり若いときからきちんとした政治的な主張と運動をしてこられた川田龍平議員らしい御見解ですけど、私は高校生をたくさん見てきまして、十六歳というと、さすがにぴんときません。恐ろしいです。まずは、十八歳ならば運転させて身に付けさせる自信はありますが、十六歳に下げるというのは、まだちょっと現段階では荒唐無稽としか言いようがない、御無礼な言い方をお許しください、正直そう思います。
○参考人(小川仁志君) 私は、主権者としての判断能力という点からお答えしたいと思うんですが、私は実はこの中で恐らく十六歳も教えている唯一の立場だと思うんですけれども、これは問題ないというふうに思っております。 とりわけ、私がやっている哲学カフェではどうして小学生でも大人と同じように議論ができているのかといいますと、これは難しい言葉は使わない、あるいは使うときはそれをきちんと説明するというルールを徹底しているからなんですね。そういうふうにすれば、まあ小学生でもできているんですけれども、もちろん十六歳であれば、これは十八歳以上、二十歳以上の人と全く同じ判断能力を持って議論できる状況にあると思います。
○川田龍平君 私も、高校生のときに国を相手の裁判に原告として加わって、それから実名公表したのは十九歳のときですので、本当にこの政治的な問題ですとか、特に国というものを相手に考えるということが非常に早くから自分自身の体験からしてやっぱり考えてきたことです。 やはり、こういった政治に、政治ではないんですけれども、僕はそのときは政治家になろうとは思っていなかったんですが、そういう国とか行政とかというものに対して考えを深めていくに当たっては、やっぱり習うよりも慣れた方が早いんではないかと思いまして、コスタリカという国では、例えば選挙権は成人年齢からですけれども、模擬投票を午前中にやって選挙に対しての関心を高めて、その上で午後からは投票と、大人の投票という時間になって、子供の頃からやはり選挙に慣れさせていくということが非常に重要なことなのではないかというふうに思っております。 そういう意味では、やっぱり是非若いうちからこういったいろんなことを考える時間をつくるという小川参考人のこの資料は大変興味深かったんですけれども、小川参考人に聞きたいのは、この「小さな哲学者」という映画についてで、フランスの幼稚園生が哲学の授業を導入した後に愛や自由について語り出すと、非常に、幼稚園生でもできることが小学生にできないわけがないと書いておられるんですけれども、非常に若いときからそういった議論をできるようにしていく教育というのはどういうふうにやっていくとできるんでしょうか。
○参考人(小川仁志君) よく言われるように、教育というのは学校だけでやるものではございません。 この「小さな哲学者」でも幼稚園で愛とか自由について問われるわけですけれども、分からないんですね。それを帰ってきて今度はお父さんとかお母さんとやっぱり話をするんです。そうすると、お父さん、お母さんは子供のレベルを知っていますから子供に分かるように話をする。そうした中で子供が理解をして、また幼稚園で先生と話をしてどんどん成長していくということなんですけれども、そういうことが日本でも日常的に行われるようになれば、私は十六歳であっても十分将来的には主権を行使できる能力が身に付いていくのではないかというふうに思っております。 以上です。
○川田龍平君 私、そのことはとても、大変すばらしいことだと思います。 というのは、エイズですね、例えば自分が体験したこのエイズの問題というのは、性教育もそうですけれども、大人は学校では習ってこないんですね。エイズについては一九八〇年代に発見された病気で、子供のときに習っていない大人の人たちは理解していなくて、結局これは学校で習うしかないというところで、学校で習って、それを家に帰ってお母さん、お父さんと話をすることで実は学校の教育が家庭にも波及していくと。 さらには、コンピューターなんかもそうですけれども、今はもう誰でももう生まれながらにしてiPadとかiPodとか使っているような状況で、結局大人よりも子供の方が進んでいて、結局、その大人や子供というよりも、大人が子供から習うような状況になっていると。 本当にそういう意味では、本当に、若い人の年齢からこういった政治に参加をしたり投票権を与えていく、被選挙権も与えていくという、僕はすごくいいことではないかというふうに思っているんですが、そのことでやっぱり是非こういった若年層、特に若い人たちにやっぱりこういった関心を持たせていくためにも実際に選挙権を付与していくということが大変重要なことではないかと思っておりますが、是非この問題についてはまた、もっと更に下げるということについても考えていくのはどうかというふうに思っています。 それから二つ目に、公務員の選挙についてですが、私、ドイツに留学もしていたときに、ドイツの裁判官と日本の裁判官の比較ということで裁判官物語という映画がありました。非常に、このドイツの裁判官はもっと市民的な自由が与えられておりまして、日本の裁判官との比較が非常にあるんですが、世界標準であるというこの十八歳選挙権ということであれば、公務員の政治参加というものについても世界標準というのは考えられないのかどうかということで各参考人から、特に小澤参考人から伺いたいと思いますが、いかがでしょうか。
○会長(小坂憲次君) それでは、小澤参考人から各参考人にお願いいたします。
○参考人(小澤隆一君) 先ほどの意見の趣旨も、日本の現在の公務員に対する政治的な活動の規制は非常に厳しいのではないかという、そういう思いを持ちながら意見を述べました。 法令の規定の文言上は、国家公務員に対しては非常に厳しい規制になっている。ただし、意見でも述べましたように、先般の最高裁判決によってそれを理屈の上では限定するような形の判決理由も示されております。その結果、被告にはなりましたけども、無罪になった人も出ております。 だとすれば、そういう法の運用状況、法文の規定の字面だけを見るのではなくて、法の運用状況もしっかり踏まえた上でこの憲法改正国民投票運動についての公務員の関与の在り方について検討していただいたらよろしいのではないか、そして、さらにその場合には、人や政党を選ぶ選挙とは違うということを踏まえた方がいいのではないか、このように考えております。
○参考人(井口秀作君) 私、教師ですけど、その教師であるのは、学生の前で授業をやったり、あるいは研究室で研究しているときは教師だという、こういう自覚がありますけれども、それ以外はもう普通の人間だと思っているんですね。公務員も基本的に同じだと思うんですね。 だから、現行の公務員、三百六十五日二十四時間全部公務員として、全体の奉仕者として規制される的なものというのは、さすがに問題があるというふうに思っておりますので、まあ世界標準になるかどうか分かりませんけど、公務員であっても私人としての表現活動は当然保障されるわけですから、そういうものをベースにこれは考えていくべきだというふうに思っています。 以上です。
○参考人(小林節君) ドイツと日本の比較を出されましたけど、恐らくちょっと民族性が違って、ドイツ人って結構理論どおり、理屈どおりスイッチングができるじゃないですか。その点、日本人はそれが下手だし、それから、この島国の中に何千年と閉じこもっていましたから、お上意識みたいなのはまだ残っていますよね。 だから、ドイツの裁判官と日本の裁判官を比較するのはちょいと無理があるというような印象を今持っております。 それだけです、済みません。
○参考人(小川仁志君) 世界の公務員という、ちょっと分かりませんけれども、例えばアメリカの学校の先生であったらもう一つ仕事をやっているとか大学院に通っている人が多かったりとか、私がいたときもしたんですけれども、私自身も公務員として働きながら大学院にずっと通っていたんですね。 そうすると、その大学院生としての自分というのはもう全く公務員とは反対で、どちらかというと、自由に発言をして自由に研究をするということをやらないといけない、全くその正反対の立場になるわけですね。今そういう人たちが増えているという現実も見ないといけないというふうに思います。
○川田龍平君 ちょっと時間が来てしまったんですが、井口参考人に、先ほど最後、意見陳述の際に、三番目の憲法改正手続法の位置付けについてで、国民の手から憲法が奪われつつあるのではというところが言い足りなかったように感じたんですが、是非そこの点を一言いただきたいと思います。
○参考人(井口秀作君) 要するに、国民投票によって憲法改正の是非を判断するという九十六条の枠組みからすると、要するに、この手続によらずとも憲法改正をしたのと同じような効果が導き出せるという、これは先ほど小林先生も言われているような、解釈改憲というのは、まさに国民から憲法を奪うという、そういうものではないのかという、そういう趣旨です。 以上です。
○川田龍平君 ありがとうございました。
○和田政宗君 みんなの党の和田政宗です。 私は、この法案に関連して、憲法改正や自主憲法制定の必要性を整理していきながら、この法案の意義などについて質問をしてまいります。 私は、憲法改正の実質的な第一歩となるこの法案が審議入りしたことを大変喜ばしく感じております。現行憲法はGHQ草案を基に作られ、占領国の圧力の下、被占領国が制定せざるを得なかった憲法で、本来であれば無効であり、サンフランシスコ講和条約発効により主権回復がなされた時点で日本人の手により作り替えられるべきであったと考えています。しかしながら、政治家がこれを放置してきたことにより、時効的要素ができてしまったと考えます。 これは、国民の意思に反して政治家が放置した、政治家が本来やるべきことを怠った、まさに怠慢であったと強く反省しなくてはなりません。 昭和二十一年の十月には、大日本帝国憲法改正案について、帝国議会貴族院の壇上で、当時日本を代表する最高峰の憲法学者であった佐々木惣一京都帝国大学名誉教授が、改正案、すなわち新憲法に反対であるとの発言、演説を行いました。佐々木博士は、戦前は学問の自由のために闘い、軍部の圧力に抵抗した信念の学者でありました。占領下のGHQ監視下で大日本帝国憲法改正案に反対の演説をすることは非常に勇気の要ることであったと考えますが、信念を持って憲法学者として改正案には反対であるという声を上げられたのです。演説はこのように結ばれています。 帝国憲法は皆さん御存じのとおり、明治天皇が長年月にわたり、我が国の歴史に徴し、外国の制度の理論と実際とを調査せしめたまい、その結果につき、御裁定になったものであります。その根本は、政治を民意と合致して行い、また国民の自由を尊重して政治を行うという原理に立っているのであります。加うるに、明治天皇は憲法制定の事務をお考えになったのみでなく、御一個として、明治維新以来つとに民意政治を原理とするの必要を思わせられまして、そうしてその御教養のために、あるいは我が国に学者を招いて外国の書を講ぜしめたまい、あるいは待臣をイギリスに派遣させられまして、その制度を研究せしめたもうたものであります。 かくのごとく、上に聖天子あり、下に愛国先覚の国民あり、また事務的に精励の当局あり、かくのごとく上下一致して長年月の努力の結果、ようやくにして成立しましたところの帝国憲法が、その発布以来今日に至るまで幾十年、これがいかに大いに我が国の国家の発展、我が社会の進歩に役立ったかは、ここにちょうちょうするまでもありません。その憲法が今一朝にして匆々の間に消滅の運命にさらされているのであります。実に感慨無量であるのであります。 佐々木博士、まさにGHQにより、熟考もされず憲法を変えられてしまうことに身を挺して反対したわけです。また、枢密院議長であり著名な憲法学者でありました清水澄博士、慶應義塾の教授でありましたけれども、大日本帝国憲法の改正が行われた後、自決をされています。清水博士の遺書には、GHQ主導の下、憲法改正を認めざるを得なかったことを悔いる内容が記されています。ですから、日本人の手で自主憲法を制定することは、日本国と日本人の悲願であると考えております。 みんなの党と日本維新の会の有志で、今週、自主憲法制定に向けて考える自主憲法研究会が発足することは、極めて真っ当な議論が政党の枠を超えて始まる大変喜ばしいことであると思っております。そして、今回の法案の審議や成立により、憲法への国民的関心が更に高まることはとても良いことであると考えます。 現行憲法に比べ、大日本帝国憲法は日本人の手によって考え抜かれて作られたという部分ですばらしい憲法でありました。日本国の歴史、伝統、文化にのっとり、諸外国の憲法や法律を研究し尽くし、我が国のありようを示したまさに宝と言っても過言ではないものでありました。当時の国際社会や学者からも大いに称賛された憲法でした。大日本帝国憲法を現在の社会にそのまま用いることは現在の社会情勢等を考慮して修正が必要であると考えますが、今こそ日本人の手で、大日本帝国憲法の精神に基づきながら自主憲法を制定することが急務であると考えます。 その中でも、現行憲法の前文はすばらしいという議論がありますが、恥ずかしい内容であるということを認識しなくてはなりません。その文章は、アメリカの政治文書の継ぎはぎと言える内容です。アメリカ憲法や独立宣言、大西洋憲章やテヘラン宣言などから引用したと思われ、およそ日本国の憲法の前文としては立派でない恥ずかしい内容となっております。 さらに、日本国の平和を将来にわたって守っていくためにも、憲法改正、自主憲法の制定は急務であると考えます。 私は、戦争は起こしてはならないものであると考えます。これは、何も罪のない人々の命が失われるということはあってはならないと思うからです。しかしながら、憲法九条があったから平和が守れているという虚偽の主張には惑わされてはならないと考えます。果たして九条があったから日本の平和は守れたのか。事実は違うと思います。 北朝鮮による拉致被害者は、憲法の制約でいかなる状況であっても奪還することができず、軍事上はアメリカの保護下にあるとも言える状況で、ベトナム戦争などにおいては、日本の米軍基地から飛び立った軍用機によって攻撃が行われ、日本国はこれらの戦争の実質的な参戦国になったわけです。 また、憲法九条に対する誤った説明も繰り返されています。憲法九条は戦争放棄をうたった世界にただ一つの平和憲法で、ノーベル賞に値するという間違った主張をする人もいます。世界にも戦争放棄をうたった憲法は幾つもあり、イタリア、エクアドルなどにおいては徴兵制を憲法に定め、軍隊の保持を明記しています。 我が国におきましても、憲法に明確に国防軍の保持を明記するとともに、不当に拉致をされた国民を奪還できるようにしなくてはなりません。そして、この憲法九条があることが先日の中国軍戦闘機による自衛隊機への挑発行為にもつながっていると言えます。日本側が撃ってこない、撃てないとたかをくくってあのような攻撃をしたとも言えるわけです。 実は、憲法九条に対しては、現行憲法の制定に関する昭和二十一年の衆議院本会議において、共産党の野坂参三議員が共産党を代表して反対をしております。野坂議員は、我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある、それゆえに我が党は民族独立のためにこの憲法に反対しなければならないと述べているわけです。 そこで、小林参考人にお聞きしていきたいというふうに思います。 この法案に反対する人の中には、憲法九条の改正につながり、日本の平和が失われるのでこの法案にも反対だという論があります。小林参考人は、憲法九条改正について、堂々と打っていくべきだという話をされましたが、九条改正について、我が国の平和を守るという観点からどのように考えますでしょうか。
○参考人(小林節君) 私の九条改正案は極めて単純明快で、それは、観点としては、していいことと悪いことがはっきり書かれることであります。一、間違っても侵略戦争はいたしません。二、独立主権国家として我が国が侵略の対象にされたときは当然自衛戦争をいたします。三、そのために自衛軍を持ちます。四、この自衛軍を用いて国際国家日本として国際貢献の用意があります。ただし、その条件は、国会の多数決で法律で決めるのではなく、あるいは同盟国からの要求に応じて海外派兵するのではなく、国際社会の意思を持ってきてほしいということで、憲法中に国連の決議を条件として書きます。そしてさらに、国際社会の意思があっても、たまたま日本が長引く不景気とか、それから国防上の問題が生じているときとか、震災直後とか、それから海外支援して帰ってきたばかりとか、いろいろありますから、出発前に国会両院の承認をもらう。こうすることによって、我々は二度と侵略者にも、それから脅かされる立場にもならないと私は確信しております。 以上です。
○和田政宗君 ありがとうございます。 私も、自ら戦争は起こしてはならないというふうに考えております。 次に、集団的自衛権についても誤解に基づいた議論がなされていますので、これは小林参考人にお聞きしていきたいというふうに思うんですけれども、集団的自衛権は、国連憲章五十一条に見られますように、国家が当然に保有し、行使できるものであります。また、米軍に対しての基地提供により、既に、過去、日本国において集団的自衛権は行使されているのではないかと考えるのが妥当であると私は思います。 自衛権や集団的自衛権については、憲法解釈の変更もこれまでなされてきており、私は、憲法改正や自主憲法制定という王道に打って出るべきだと考えますが、現在の日本国が置かれた状況を鑑みれば、憲法解釈の変更を限定的であれば行って何ら問題はないと考えます。 小林先生、二〇一三年の七月のダイヤモンド・オンラインの記事によれば、こう述べられていらっしゃいます。 政府は憲法の立法趣旨に照らして、集団的自衛権を自らの解釈で自制していますが、このままだと日本は、他国に攻められたときに自分たちだけで自衛しなくてはいけません。しかし、襲われたら同盟国が報復に行くというメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。だから、改めて、日本は集団的自衛権を持っていると解釈を変更するべきでしょう。 今の日本は海外派兵を自制しているため、自国が侵略されそうなときは同盟国である米国に助けてもらえる一方、米国が侵略されそうなときは助けに行けない。日米安保条約は片務条約になっています。これまで日本は、九条のおかげで日米安保にただ乗りし、米国の傘下で安心して経済発展に邁進することができた。 でも、これだけの大国になった今、それでは済まないでしょう。今後、集団的自衛権を認めれば、日米安保が強化され、日本の領土をより安全に守ることができるようになるはずです。 これ、記事、今もネットに上がっておりますし、これ、事実であろうかなとは思うんですが、最近では小林先生は安倍総理が目指している憲法の解釈改憲は大変危険だというふうに述べておられます。 集団的自衛権の憲法解釈の変更について、先生はどこまでであれば容認できる、どのような議論が進めば容認できると考えていらっしゃるんでしょうか。
○参考人(小林節君) 今のネットの記事、私が言ったとは、ちょっとインタビュー受けたんですけど、到底信じられない。確認の上、削除します。 もちろん、私も人間ですから、議論の中で、過去三十五年、変わってきましたので、縦で見れば私の発言の矛盾はあり得ると思います、宗教じゃないですからね。日々議論の中で私は変わってきていると思います。 それで、さっきの国連憲章の話ですけれども、こんなの国際法の常識で、国連憲章上権利が認められているけれども、それによって権利義務の履行を各国の機関が、エージェントがする以上、国内法に、つまり日本国自衛隊が出ていく以上、日本の法律と予算の裏付けがなかったら行けないんですね。その上に憲法があるんです。ですから、いろんな国際条約見ていただければ分かりますように、締約国はこの条約の権利義務を自国の法制の制約の下で実施すると書かれているものいっぱいあります。ですから、国連憲章上持っている権利だけど国内法上行使できないなんて異常でしょうという議論は異常だと私は思います。 それから、米軍基地を提供していることは、私はすばらしい双務性だと思っています。だって、基地を提供するということは主権の明渡しに等しいんです。抵抗されたら返してくれないもの、米軍基地が日本に向かってきますもの。だから、十分アメリカにとっては、あれはアメリカのためにある基地ですから、双務性があって、何も一緒に飛んでいけなくてもいい。 それで、集団的自衛権という概念ですけれども、米軍基地を提供しているから集団的自衛権行使しているというのは、これは無理な話で、集団的自衛権というのはさっきも申しましたように国際慣習法上の権利ですから、同盟国が戦渦に巻き込まれたときに無条件でその現地へ飛んでいって一緒に巻き込まれるという権利ですからね。海外派兵ですから、基地提供ではそれは代替できるものではない。ただ、バランスは取れているでしょうという話で。 それから、解釈変更ですけど、最初の自民党か民主党の御質問に対して答えましたけど、憲法九条は少なくとも海外に軍隊を出さないということだけは明確、この枠を超える以上、これは解釈じゃなくて脱法行為だよということは今私は明確に主張しております。 さっきの御指摘いただき、ありがとうございました。そんなもの、ちょっとほっておけませんので、ちゃんと手続を取らせていただきます。ありがとうございます。
○和田政宗君 最後に、そうしましたら小川参考人にお聞きしたいのですけれども、投票権を持つようになる十八歳について先ほどから議論になっていますけれども、率直なところ、十八歳を教えられてみたときに、政治や憲法に対する知識や成熟度、現状でどのような状態にあるというふうに考えますでしょうか。
○参考人(小川仁志君) 簡単にお答えしますけれども、知識という面ではこれもう全く十分だと思うんですね。はっきり言って、大人以上の知識を、まだ覚えたてですから持っていると思いますし。ただし、そういう知識だけで国政は判断できるものではありませんよね。それをどういうふうに自分の意見につなげていくかというところは全くその教育の中でなされていないわけですから、そこはもうこれからしっかりとやっていくという大前提の下に十八歳に主権を与えていくということが必要だと思います。
○和田政宗君 終わります。
○吉良よし子君 日本共産党の吉良よし子です。 本日は、参考人の皆様、ありがとうございます。 早速ですが、まず小澤参考人に、若者の参政権について伺いたいと思います。 先ほど来、若者の中に政治に対して消極的になっている若しくは絶望しているとも言われておりますが、その一方で、自分たちの意思に反する政治が次々と進められていく今の状況に対して黙っているわけにはいかないと、憲法や権利に関わって政治に対して声を上げる若者が増えているのも事実だと思います。 例えば、今年の五月三日の憲法記念日、新宿で秘密保護法に反対する学生デモが行われました。デモの主催者は学生ですから、十八歳、十九歳も入っています。実は私もこの現場に行ったんですけれども、学生たちは、僕たちにも政治に意見を言う権利がある、憲法記念日のこの日に声を上げ国民主権を実行するんだと、これが僕たちの民主主義だと声を上げ、プラカードを掲げて新宿の町を練り歩いた。この様子は多くのマスコミにも取り上げられました。 私は、こういう学生たちの姿を見て、十八歳、十九歳でも政治に対する意見を表明する判断能力、十分にあるというのはもちろんのこと、若者自身が政治に対して意見を言いたいという強い要求を持っていることを実感しています。だからこそ、十八歳、十九歳にも参政権を認めること、大変重要だと考えますが、先ほどの小澤参考人のお話では、本改正案におけるこの十八歳、十九歳の参政権については、重大な問題、憲法に照らしてリスクも負っているのではないかというお話もありました。この点について、より具体的に、どのような問題点があるのか、御意見をお聞かせください。
○参考人(小澤隆一君) 何歳から政治に参加させるかというのは、これは歴史的に変遷を経ていると思います。大日本帝国憲法の下では一九二五年から二十五歳ということでしたが、戦後は四五年から二十歳になっております。そして、この度、憲法改正国民投票について十八にするということを立法府でお決めになったんだろうというふうに思います。 であるとすれば、これは憲法改正国民投票という問題について判断能力がある人たち、そういうものがあるというふうに立法府としてみなされた人たちが普通の一般選挙についてないというふうに判断する根拠は、私はないというふうに思います。これは、そういう根拠を見付けるのは極めて困難だろうというふうに思います。 であるならば、憲法改正国民投票について十八にするならば、選挙権についても一緒に十八にしなければならない。これは、主権者としての平等性、選挙権の平等の要請から当然に出てくるものだというふうに思いまして、今回の法案はそこの点についての配慮が必ずしも十分ではないのではないか、このような趣旨で先ほどの意見を申し述べたわけです。
○吉良よし子君 主権者としての平等性では十分ではないということですけれども、ということであれば、違憲ということで若者が声を上げるという可能性もあるということなんでしょうか。小澤参考人、お願いします。
○参考人(小澤隆一君) シミュレートしてみますと、例えばこのまま四年が過ぎ十八歳投票制が実現したと、まだ選挙権については十八歳が実現していないという、こういう状態が生まれます。そうしますと、恐らくそのすぐ後にやってくる国政選挙でもって十八、十九歳は選挙できないということになりますと、私たちは憲法改正国民投票によって十八からできるというふうにされた、主権者の一員としてみなされたのに、何でこの国政選挙には参加できないんだという、そういう違憲訴訟が出てくる可能性は、これはあるんじゃないでしょうか。そういうことを誘発するような立法を果たしてなさっていいのかどうかという、こういう問題を私は指摘したいというふうに思います。
○吉良よし子君 ありがとうございます。 なお、大変憲法に照らして重大な問題がある、リスクがある法の立て付けになってしまっているのではないかという御意見だったと思うのですが、この十八歳、十九歳の参政権の在り方について、小澤参考人の意見も踏まえた上で、井口参考人、また先ほど来若者にも参政権をということで御発言なさっている小川参考人にもこの点について意見を伺いたいと思います。お願いします。
○参考人(井口秀作君) 私、憲法改正手続法と省略して言いますけど、これを国民投票法って省略すること自体に僕、七年、八年前違和感あったのですが、国民が憲法改正に関わるプロセスというのは、決して国民投票だけではないですね。憲法改正を発議する機関である国会議員の選挙についてもこれ国民は参加するわけですから、国民投票だけ十八歳、だけど選挙の方は二十歳でもしようがないということに僕は多分ならないというふうに思っていますので、先ほどの意見はちょっと分かりにくかったかもしれませんが、私自身は憲法でこれは一致していると、それを十八歳としてまず国民投票法で書いて、当初三年間で整備するというのは立法者の意思でもあったはずですから、これが遅れているということ自体がやっぱりおかしい。 先ほどから、国民投票法がなかったことが問題だったって、かつてであれば立法不作為という言葉がはやったわけですが、そうであれば、まさに立法不作為なんではないでしょうかというふうに思っております。 以上です。
○参考人(小川仁志君) これは繰り返しになりますけれども、やはり同じ主権の行使をするに当たって、国民投票も、それから選挙権についても、これは当然同様の能力が求められてくるはずですし、同様の能力があるという前提の下に国民投票に関しては十八歳と決められていたんだと思います。したがって、選挙権年齢もこれはまさに速やかに同じにしなければ、理論的には、先ほど参考人が言われたように、違憲訴訟もあり得るというふうに私も考えております。
○吉良よし子君 違憲訴訟もあり得るというようなお話であったり、遅れていること自体がおかしいという話でした。 改めて小澤参考人に伺いたいんですけれども、こうした、そうした違憲訴訟も起き得るような立法になっているという意味でも、本法案はギャンブル的であり、拙速な成立に参議院が同調せぬようにというようなお話もありましたけれども、その点をより具体的に、また、今後の参議院におけるこの審議において参考人が期待されること、どのようなことがあるか、お聞かせいただきたいと思います。
○参考人(小澤隆一君) ちょっとギャンブルという言葉はきついかもしれませんけれども、しかし、先ほど申しましたように、事態として十八歳投票制と二十歳選挙制が併存するという、こういうことが今回の法案では塞がれていないわけであります。 もちろん、この度の八会派の、八党の合意は、これは立法府の皆さんの政治的な意思として、強いものとして受け止めます。ただし、法を問題にするものとしては、あくまでもそれは政治的な意思、法的な拘束力が担保されているものではない。前の法で三年という法的拘束力があるというふうにしたにもかかわらず、実際には政治の動きの中でもってその三年が徒過してしまうという、こういうことが現にあるわけですから、そうしますと、政治的な意思ではどうしようもない、法的な担保というものがないという、この問題について今回の法案はやはり対応ができていないというところに致命的な欠陥があるのではないかと、このように考えております。
○吉良よし子君 では、この小澤参考人の御意見を踏まえて、同じ憲法学者である井口参考人、小林参考人はこの点どのようにお考えか、お聞かせいただければと思います。
○参考人(井口秀作君) 投票権年齢っていうのは、これ、先ほどのように、憲法九十六条の国民の範囲を確定するものですから、国会が発議する憲法改正案を承認してもらう対象の範囲ですから、これが要するによく分からない。国民投票と全く違う、公職選挙法が先に進まない、ずれが生じる、じゃ、どうするんだというような形でそもそも立法がなされること自体がおかしいというふうに私自身は思っています。 以上です。
○参考人(小林節君) 私は、先ほど来申しましたように、十八歳にいずれ行くことが望ましいと思いますが、一歩前進でいいではないか、そのことによって二歩目も必ず来るんですからというふうに思っております。 それから、違憲訴訟といいますけれども、実際にそういう違憲訴訟が起きても、これこそ典型的な統治行為で、最高裁は必ず判断を回避します。これはもう、アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、日本の確立された判例法理ですから、それが見えているのに違憲訴訟に突っ込むのは生産的ではない。結局、違憲訴訟でだらだらやって、結局これは国会と内閣がお決めになることで、つまるところ国民が投票で決めることですと、堂々巡りになるんですね。ですから、ここで違憲訴訟を持ち出すことは憲法論的には生産的でないと私は思います。
○吉良よし子君 では、話を変えまして、公務員による賛否の表明について伺いたいと思います。 小澤参考人は、先ほど法案の百条の二のただし書について、解釈と運用によっては公務員の意見表明や勧誘行為を際限なく規制し得るという御指摘と受け止めましたけれども、どういうケースがグレーゾーン、判断が際どいものとして考えられるか、御意見をお聞かせください。 また併せて、井口参考人についても、先ほど公務員法それ自体の問題性もあるというお話があったと思うんですが、その点を踏まえて御意見をお聞かせいただければと思います。
○参考人(小澤隆一君) 附則の三条四項に書かれている国民投票運動に関し組織により行われる云々かんぬんという、この組織によりというのが一体何を意味するのか不分明であります。考えられるのは、現存する公務員によって組織されている組織、労働組合とかいうのも含まれるでしょうが、しかし、国民投票運動に関して組織により行われる云々、個人名を名のらずに何らかの会、団体名を名のれば、それは組織により行われるというふうになってしまうのか、その辺りがこの条文からはおよそ読み取ることができません。 そういうものも、最終的に在り方について検討を加え、必要な法制上の措置を講ずるというふうに、まだ現時点では方向性が出てはいないのでしょうけれども、それでもこのような形での法文の書き方について、私は少し生煮えなのではないかなという、こういう印象を持っております。
○参考人(井口秀作君) 公務員法、特に国家公務員法ですね、これの規制の範囲、人事院規則まで含めてですが、これは非常に広範になっていて、それが刑罰も科すということになっている広範な規制だということについては、多くの憲法学説では指摘していることです。私自身もそう思っています。 憲法改正手続法の方では、地位利用についてはこれ罰則ないわけですね。しかしながら、公務員法の方には罰則がまだ残っていて、いわゆるただし書は公務員法の適用を完全に排除しているわけではないわけですから、まさにグレーゾーンというか、グレーというよりブラックのような感じもしますけれども、本来公務員であっても許されるような意見表明についてまでも罰則付きで適用される可能性はやっぱり排除されていないという点で大きな問題があるというふうに思っています。 以上です。
○吉良よし子君 ありがとうございました。終わります。
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。 今日は、参考人の皆さん、本当にありがとうございます。 まず初めに、井口参考人と小澤参考人に、集団的自衛権の行使についてどうお考えか、解釈改憲についてどうお考えか、安保法制懇の報告書と安倍総理の記者会見についてどうお考えか、お聞かせください。先ほど小林参考人からはありましたので、よろしくお願いします。お二人にお願いいたします。
○参考人(井口秀作君) どう言ったらいいんですかね、今言った四つ全部ノーという答えが一番簡単なのかもしれませんけど。 一つだけ、集団的自衛権について、それは解釈改憲についてのところですけれども、今何が問題かというと、政府自身ができないと言ってきたことを解釈でできるというふうに変えるということの問題ですから、要するに、他人がノーと言われたものを嫌だと言っている話じゃなくて、自らできないと言ってきたことを変えるということですから、これは本来あるべき手続というのは憲法改正の手続によるべきである、よってもできるかどうかはまた別の議論かもしれませんけど、そういう意味で、解釈改憲が進んでいくということ自体が一つ問題であるというふうに思っています。 それから、先ほどの意見陳述の最後の方、ちょっと急いでしまいましたが、要するに、国民投票法ができることは国民主権の実現だみたいな話というのは僕はおかしいというふうに元々思っていましたけれども、七年前、八年前のときの議論は、憲法改正手続を整えて、もう解釈改憲の限界があるからこれでやりましょうと、こういう話だったわけですね。こういう話をして、ここで議論しているにもかかわらず、片っ方で解釈改憲がむしろ進んでいくというのは、これはまた正直もう理解し難い状況であるというふうに思っています。 集団的自衛権については、賛成かどうかと言われたら、端的に反対というふうに思っています。 安保法制懇については、それほど小林先生の報道、詳細に読んでおりませんけど、これもちょっと理解し難いことが多々あるなというふうに思っています。 以上です。
○参考人(小澤隆一君) まず集団的自衛権についてですが、先ほど和田委員からも基地提供も集団的自衛権に含まれるというお話の御案内がありましたけれども、これは、確かに一九六〇年三月三十一日の参議院予算委員会で岸首相はそのような趣旨の答弁をされていますが、しかし、同じ年の四月二十日の衆議院安保特別委員会では、そうではない、他国に出ていって、そしてその領土を守るという集団的自衛権の行使はできないという、現在の政府の定義している集団的自衛権の概念を前提にした答弁をされています。ですから、今の政府の集団的自衛権の理解、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利、この定義を取りあえず踏まえて議論をするべきではないかというふうに思います。 そのように考えた場合に、このような集団的自衛権は必要最小限度の自衛権を越えるというふうにしてきた政府見解というのは、憲法九条の読み方としては、その限りにおいては間違っていないというふうに考えております。これを解釈によって変えるというのは六十年間培ってきた政府の憲法解釈を変えるということですから、それは幾ら何でも一政権のできることではないだろうというふうに考えております。 安保法制懇の報告につきましては、いわゆる芦田修正論を持ち出して全面的な集団的自衛権と国連の集団安全保障措置を認めるという議論を立てておりますけれども、これについては安倍総理の記者会見でもって政府としては取れないというふうに言われました。これは、芦田修正論というのはかなり憲法九条についての乱暴な、私から言うと解釈だと思いますので、それを排除されたことは結構なことかというふうに思いますけれども、しかし他方で、必要最小限度であれば集団的自衛権を行使できるという説も一方で立て、それは政府として今後研究されるというふうに安倍総理は述べられましたけれども、これについては現在の政府の憲法解釈とは相入れないものとして私は理解をしております。 以上です。
○福島みずほ君 井口参考人にお聞きをいたします。 安倍総理は記者会見で二つの事例をフリップを使って説明をされたわけですが、今、与党協議の中では十五の事例でやっているというふうに報道をされています。そもそも、集団的自衛権の行使というのと、その説例として出ているものとがどういう関係なのか、関係があるのかも分かりませんし、国民の皆さんに二つの事例で説明しながら、実は十五事例で議論しているというのも全く国民に説明をしていないと思いますが、いかがでしょうか。
○参考人(井口秀作君) まさにそのとおりだと思います。要するに、これが一年前に国民のために憲法を取り戻すと言っていた人の出す事例かというふうに思っていますので、そこの整合性を含めて、この説明で何か国民に理解してもらえるんだろうかという、正直大いに疑問に思っています。 以上です。
○福島みずほ君 投票年齢についての議論について、それぞれ参考人の方から非常に意義深い説明をしていただいたというふうに思っています。 ところで、宿題は三つと言われて、衆議院議員の方はそうおっしゃる人が多いんですが、実は参議院は、ここは参議院で、十八の附帯決議が付いておりまして、それも全く、まだまだ本当に論議は、ほとんどというか、一切されておりません。今日の例えば小澤参考人の話では、選挙のときの投票年齢と憲法改正のための年齢がギャップがあることは違うんじゃないかという説明もありましたが、それも残っているし、それから十八の附帯決議も残っていると。 私自身は、今回の憲法改正のための国民投票法案は未完成交響楽団というか、未完成だと、この状況で憲法改正のための国民投票はできないというふうに思っておるんですが、井口参考人、小澤参考人、いかがでしょうか。
○参考人(井口秀作君) 未完成というか、未完成の部分というのはあると思います。そして、未完成であるにもかかわらず、もう数年前にこれを作るということの意味が、これは多分作ることに意味があった、作る側からすればですね、要するにそういうことだったんだろうなというふうに思います。それは何のために作るのかというと、要は、要するに国会で憲法改正の原案を作りたいという、そういうことを優先させた結果だというふうに思っています。 だから、宿題それから附帯決議も含めて問題になっているのは、全部、ほとんど国民投票に関わる事柄なんですよね。国民投票の年齢ですら、今日の話でもそうですけれども、よく分からないという、そういうところがありますから、ある意味未完成で、議論すべきが多々あるにもかかわらず、取りあえずは作ることに意味がという、そういうもので、未完成、見切り発車立法であったのではないのかなというふうに強く思っています。 法的に施行できないかどうかということはまた別途の問題、別の問題かもしれませんけれども、いずれにしろ、幾つも疑義を抱えた国民投票の制度設計の中で国民投票を行われると、その結果自体に疑義が生じる可能性があるという意味で重大な問題だというふうに思っています。 以上です。
○参考人(小澤隆一君) 私はこの現行法が成立する直前の参議院で参考人として意見を述べさせていただきましたけれども、またその前の衆議院での公述も含めて、現在の法律は例えば投票が成立するに当たっての最低投票率が定められていないとか、そういった様々な問題点があるということを指摘いたしました。それはこちらの院でも附帯決議としてなされているところでありまして、まさに福島委員御指摘のとおり、未完成なものだと思います。そしてまた、未完成部分については、現行法の現在の状態はかなり憲法の目から見て危ない、怪しいという、こういうことも考えております。 今回私が指摘をさせていただきました十八歳投票制と二十歳選挙権のずれの問題はまた別の論点、テーマではありますけれども、違憲の問題を上書きしてしまうという、こういう危険性のある立法措置ではないかと、このように考えております。
○福島みずほ君 小川参考人にお聞きをいたします。 今日のお話で、さっき小林参考人が、憲法は誰のものか、国民のものだと力強くおっしゃって、そして小川参考人もそのことを実践としてやっていらっしゃるということにすごく示唆をいただきました。 私も、若い人でも年齢に関係なくやっぱりいろいろ政治のことを考える、あるいは日本の中でもっともっと主権者教育がされていればもっと憲法は国民のものになるし、もっとダイナミックな政治過程が生ずると、みんな政治を諦めないで少しずついろんな形であれコミットしていくことで民主主義がもっと実現されるというふうに思っております。 先ほど公務員の政治活動や、様々発言していただいたんですが、その観点からこの法案についての御意見をお聞かせください。
○参考人(小川仁志君) もうまさにおっしゃるとおりだと思うんですけれども、国民が今の教育においては善き市民になるための教育しか受けていないと。本来であれば、シチズンシップ教育の概念からすると、積極的な市民、能動的な市民になることが望ましいわけですね。しかし、そういう教育がされていない。その現状を変えない限り、国民投票をこれ十八歳に権利を与えても形骸化されたものになってしまうということで、私は教育の充実を訴えているわけですけれども、公務員の規制についても基本的には同じようなことが言えると思うんですね。いろんな制約を考慮して、本来、主権者が積極的に能動的に国家に関わるべき事態において余り制約が大きいと、その本来の趣旨が損なわれてしまって、我々が求めている間接民主制の例外として直接主権者に意思を問うというところが実現されないのではないかという危惧はいたしております。 以上です。
○福島みずほ君 私は、安保法制懇の座長代理である北岡さんの憲法を無視してもいいのだという発言に実は一番、最近の中では危惧を感じております。 また、今日、憲法学者として来ていただいているので、短くて済みませんが、井口参考人、小澤参考人、小林参考人に、こういう発言について、あるいは、申し訳ないが、自民党のQアンドA、憲法改正案の中で、この憲法は天賦人権論に立たないというのに本当に驚いて、アメリカ独立宣言やアメリカの憲法、そしてフランス人権宣言に立たないのかと本当に驚いたんですが、この二点について、簡単に感想をお願いいたします。
○会長(小坂憲次君) それでは、井口参考人、小澤参考人、小林参考人の順でお願いいたします。
○参考人(井口秀作君) 私人として憲法に従う必要はないと言ったのであれば、あなたはどうぞという感じですけど、要するに、政治家に向けて、権力者に向けて従わなくてよいんだという意味で言ったのであれば、これははっきり言ってとんでもない話だというふうに思います。 それから、多分二つ目のことと関わると思うんですが、憲法というのは、やっぱり人類の歴史の中で、積み重ねの中で出てきているわけですね。明治憲法ですらドイツのことを参照しつつ出てきているという、そういう人間の、何というんですかね、歴史の中で積み重ねられてきた立憲主義とか、そういう思想に基づいて作られてきているわけですから、その観点からいうと、そもそも日本だから天賦人権はないとか、そういうのはちょっと歴史的にナンセンスかなというふうに思っています。 以上です。
○参考人(小澤隆一君) 今、福島委員が述べられた北岡座長代理の御発言は、もしかしたら憲法だけではなく自然権もあるんだということを言われたのかもしれませんけれども、しかし、今、国連憲章に書かれている個別、集団の自衛権は、これは確かに固有の権利とは書かれていますけれども、個別的自衛権につきましては国際慣習法上、自然権的な性格の強い権利かもしれませんけれども、集団的自衛権については国連憲章によって創設された権利だというのが国際法学の通説ですから、これについてはわきまえていただきたいというふうに考えております。 以上です。
○参考人(小林節君) 北岡発言は直接聞いておりませんので確認はできませんが、もしそれが事実だとしたら、冗談でしょうとしか言いようがないです。 それから、天賦人権説については、たくさんの自民党の議員を僕存じ上げているんですけど、あのパンフレットがとても異常に見えて、誰か執筆責任者が書いちゃったんでしょうけれども、例えば去年の五月の憲法記念日の前に、あるテレビ局の取材で石破幹事長と党本部で三十二分、対談をしたんですけど、そこで一つも対立が起きなかったんですね。つまり、意見の違うところは、あれはたたき台ですからこれから議論して変えていけばいいじゃないですかと彼は言ったんですね。 だから、言葉尻を捉えたらとんでもないものですけれども、だけど、これも議論の中で、自民党というのは大きな政党で、一番のはっきり言って人材集団ですから、議論によって変わっていくと私は信じております。
○福島みずほ君 ありがとうございました。
○浜田和幸君 新党改革・無所属の会の浜田和幸です。 四人の参考人の皆さん方に大変貴重な御意見を頂戴して、ありがとうございました。 まず、小川参考人の疑うことの大切さということに私は大変心を動かされました。この七ページに、小川参考人は、本当のことは常に隠れている、私たちはついつい人から聞いたことや実際に見たものをそのまま本当のことと信じ込んでしまいます、でも、大抵それはうそなのです、これは人間の弱さや未熟さが関係していますと、こういう極めて強い確信に満ちた表現で、我々が今目の前で見ている現実と信じ込まされていることも、本当はいかにそれが欺瞞に満ちたものか、うそで塗り固められた世界なのか、そういうことを主張されているわけですけれども。 そうなりますと、今我々が議論している憲法、これの問題についても、様々な観点から、本当にどこまでが真実の議論なのかということを教育の現場で教える。 今、哲学カフェを通じて小川参考人が様々な、若い人たちもお年寄りの人たちも一緒に議論されている、すばらしいことだと思うんですけれども、そういう議論の中で戦わされている、その意見のベースになる情報ですとかあるいは考え方といったものが、我々がいわゆるネット社会ですとか情報化社会の中で極めて意図的にそういう方向に誘導されているということをしっかり認識していないと、誤ったうその情報や考えによって議論を展開するという、常に大きなわなに落ち込む可能性があると思うんですね。 特に、若い人たちはそういう意味では純粋だから、幼稚園児でも小学生でも愛を語り、あるいは憲法を語ることができるということをおっしゃったんですけれども、そういう観点で、逆にどういう、政治教育ですとか学校教育、市民教育ということの重要性を考えるとき、一体どうやって真実とうそを見極めるのか。この辺りの対策がないと、全てが何かうそで固められている、大抵うそですと言われると、いやいや何を信じていいのかということになると思うんですね。 小川参考人のこれまでの御経験から、そのようなことを踏まえて、どういった政治教育、それがなければ選挙年齢の引下げということにもいろんな意味で弊害が出てくると思うんですけれども、お考えをお聞かせください。
○参考人(小川仁志君) ありがとうございます。 参考資料、「「道徳」を疑え」という私の著書の一部を今引用していただいたわけですけれども。まさに、いわゆる道徳という科目、これを私はいつも典型だと思ってよくこれについて話をするんですけれども、特に学校教育においては、教科書というのは、子供たちが信じるべき信頼性のある情報として提示されているわけですね。ところが、本当はそれさえも誰かが誰かの意見として作ったものであって、私たちは疑わないといけないんですね。しかし、学校教育では教科書を疑いましょうなんという、そういう授業をするわけがないですね。メディアもそうですね。学校でそういう授業を受けていると、メディアで提示されたものも子供たちはまず疑うということをしないわけですね。したがって、全てを、与えられるものを全て信じてしまうわけなんですけれども、それだと非常に危険なことになってしまうということで、私は哲学をしようということを訴えているんですね。 なぜなら、哲学というのは、まず見えるもの、与えられたものを疑うところから始まるからなんですね。じゃ、疑ったら一体何を信じればいいのかという今議員の御質問があったんですけれども、もちろん、最後は自分を信じるしかないですね。しかし、その自分というのは、一回目の前に与えられたものを疑って、あるいは他者と議論をして、その上で、その熟慮の後にああやっぱりこうだなと思った、その自分の考え、それを信じればいいわけですね。 これは、まさに哲学のもう二千五百年の歴史の中で行われてきたことなんですけれども、最後はもちろん自分なんですけれども、その自分というものを一回批判的に吟味したかどうかということですね。そのプロセスを学校教育において、あるいは社会においても私は継続して行っていかなければいけないというふうに思っております。 以上です。
○浜田和幸君 ありがとうございました。 その関連で、イギリスの十一歳から十六歳の学校で市民教育が義務化されているという事例を紹介されていますね。その市民教育の中には当然政治教育ということも含まれていると思うんですけれども、イギリスにおけるこの経験、教訓といったものと、今、日本で投票年齢の引下げあるいは学校における政治教育ということを考えた場合に、参考になるべき点、あるいは反面教師として、そういうことに対してやはり、何というんでしょうかね、見直すべきというようなケースがあれば、併せて小川参考人に御教示をお願いしたいと思います。
○参考人(小川仁志君) ありがとうございます。 イギリスは、シチズンシップ教育、非常に盛んで、よくシチズンシップ教育を勉強するときには参考にする例なんですけれども、一九九八年にバーナード・クリックという政治学者がクリック報告というのを出しまして、そこでまさに政治リテラシー、政治教育というものを中心に市民教育をしていかなければならないのではないかというようなことを訴えたわけですね。 それで、二〇〇二年から中等教育において必須化されたということなんですけれども、どうしてそういうことが起こったかというと、やはりそれは日本と同じような背景があったからなんですね。若者が政治に無関心になってきているということ、そしてそれがまた社会の問題を招いているということで、こういうことが議論されて、そして義務化に至ったわけですね。 したがって、大いに参考にすべき点があると思うんですけれども、じゃ、具体的に一体どういうことをしているかといいますと、まず一つはやっぱり議論ですね。授業の中に、先生が一方的に知識を教えるのではなくて、議論を中心にするということですね。それからもう一つは、例えば地域課題の解決をして、それを実際の社会に提案するというような実践ですね。そういったことを組み込んでいるということが一つの特徴的なことだと思うんですけれども。 問題は、なかなか、とはいえ、それが、何というんでしょうか、授業でやっぱり収まってしまうといけないということですね。授業だけで、これは、実際の社会で実際に自分たちがやることとか起こっていることとは違って、学校でやっていることというふうになってしまうと、そこは子供たちというのはぴしっと線を引いてしまいますので、いかに、私先ほどお話ししたように、家庭でそれをまた話をして、親もまたそれを問いかけてつなげていく、あるいは地域でそれを話題にして子供たちが勉強していることを取り込んでいくかという、私の提案する公共的社会の構築というのはそういうことなんですけれども、学校でやっていることを学校だけで終わらせないことによって初めて実のあるものに、社会にとって実のあるものになっていくのではないかというふうに思っております。 以上です。
○浜田和幸君 ありがとうございました。 そういった意味で、学校教育あるいは哲学カフェといった、そういった存在が地域に果たす役割はこれからますます大きくなるんではないかと思うんですね。 それで、小林参考人にお伺いしたいんですが、そういうことを大学ですとかあるいは教育機関が地域と一体化して展開するということ、大学とは限りませんけれども、いろんな社会教育の現場ありますよね、そういうところでこういった政治教育的なものがなじむ、導入できる、そんな可能性、あるいはそういう方向性を目指すべきかどうかについてお考えをお聞かせください。
○参考人(小林節君) やはり大学は歴史もありますし、ネットワークもありますし、同窓会もありますし、それから、およそ政治学関係の教師は各種おりますから、いろんな意見の違い、だから場として適切なんだと思います。今探すのだったら、大学のネットワークをその気にさせれば効果は大きいと思います。 以上です。
○浜田和幸君 ありがとうございます。 それで、今の日本国憲法に話を戻すんですけれども、今、小林参考人、繰り返し、これは言ってみれば、敗戦ごめんなさい憲法というような面があるという。 私もいろいろとアメリカの憲法ビジネスというものを見ていますと、要するに、憲法あるいは国歌、国旗、そういうものがビジネスの対象として成り立っている、そういうアメリカの現状があるわけですね。世界が混乱し、ソビエトが十五の共和国に分断し、中東やアフリカや諸外国でいろんな新興国が誕生しますよね。そうすると、必ずアメリカの憲法コンサル会社が出かけていって、その国の望むような憲法を提供しますよと、幾らでという発想があるわけですね。 そういうことから考えますと、今我々が後生大事に受け止めている日本国憲法も余りにも神聖化し過ぎているんではないだろうか。先ほどの小川参考人の考えからすると、憲法そのものの発生あるいは現状ってもっと疑って、ここでもう一度日本らしい憲法を考えるべきだと思うんですけれども、そういうアメリカの憲法ビジネスといったものを我々がどう切り返していくのか、その辺りについてもしお考えがあれば、お聞かせください。
○会長(小坂憲次君) 小川参考人でよろしいですか、小林参考人ですか。
○浜田和幸君 小林参考人に。
○参考人(小林節君) 先ほど自主憲法、和田先生ですか、御主張あった、あの歴史的いきさつについては共感するところがあります。と同時に、明治憲法だからこそおばかな戦争をしておばかな負け方をしちゃったんだという認識を持っています。 そこで、日本国憲法を作り替えるとき、さすがに日本は経験豊富な大国ですから、憲法ビジネスがやってきません。と同時に、もう一つお話ししたいのは、私自身がかつてモンゴルという国とウクライナという国で、戦後、日本は憲法改正して出直して、かくも発展したではないか、教えてくださいと言われて、国際シンポジウムなどで日本の戦後憲法とその後の発展との関連を講演した記憶がございます。ですから、逆に、ここで我々が今回の改憲論議を乗り切れば、我々こそ新しい憲法ビジネスというマーケットに乗り出せるんではないかと思っております。 以上です。
○浜田和幸君 ありがとうございます。 新しい成長産業にこの憲法ビジネスが昇華できる、そういう可能性もあるような気がしないでもないんですけれども。 次に、小澤、井口両参考人にお伺いしたいんですけれども、世界の憲法を取り巻く、あるいは政治を取り巻く現状を見ていますと、例えばイタリアで大変今力を付けつつある五つ星運動ですよね、従来の政治とは一線を画す、もう本部もネット上でしかやらない、政策とかそういうものも全部ネットを通じて直接有権者の声を聞いて、それに基づいて政策を訴えていく。 これは相当力を発揮しているようなんですけれども、ネット民主主義ということについて、お二人、今後の日本にとってそういうものが参考になる点があるのかどうか、答えのない状況で答えを引き出すためのことが我々に求められていると思うんですけれども、そういう新しい可能性としてネット民主主義とかネット政治についてどういうお考えをお持ちか、お聞かせください。
○参考人(小澤隆一君) ネットを利用した政治は今後ますます拡大していくだろうと思いますけれども、ネットが主流になる政治はむしろ本来の政治をないがしろにすることになると思いますので、そうあってはいけないと思います。 国会も選挙もそれ自体、ネット空間ではなくて現実の場で行われている政治ですから、それはやはりそこが軸になった政治、これしかないかなというふうに思っております。 以上です。
○参考人(井口秀作君) ネットが持っている利便性のようなものがあって、それが政治の場でも拡大していくということもあり得る話だというふうに思いますが、それが今までの政治を全て取り替えてしまうというような状況はやはり好ましいことは多分ないだろうというふうに思っていますので、ネットが持っている限界とかそういうものを踏まえつつ、政治の現場は考えていく必要があるんだろうというふうに思います。 以上です。
○浜田和幸君 ありがとうございました。終わります。
○会長(小坂憲次君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 参考人の皆様には貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。審査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時散会