共生社会・地域活性化に関する調査会 第4号
- 発言数
- 53 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 7
- 開催日
- 2011/02/23
会議録
○会長(直嶋正行君) ただいまから共生社会・地域活性化に関する調査会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 去る十六日、友近聡朗君が委員を辞任され、その補欠として中村哲治君が選任されました。 また、本日、前川清成君が委員を辞任され、その補欠として松浦大悟君が選任されました。 ─────────────
○会長(直嶋正行君) 共生社会・地域活性化に関する調査を議題といたします。 「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち、「元気で活力ある地域の構築」について調査を行うに当たって、本日は「文化・伝統産業による地域の活性化」について参考人から意見を聴取いたします。 御出席いただいております参考人は、劇作家・演出家・大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授平田オリザ君、同志社大学経済学部教授河島伸子君、愛媛県内子町長稲本隆壽君及び株式会社黒壁代表取締役常務伊藤光男君の四名でございます。 この際、参考人の皆様方に一言御挨拶を申し上げます。 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。 時間が限られておりますので、御意見を各十五分程度でおまとめいただきますよう御協力をお願いいたします。 また、参考人、質疑者とも御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、平田参考人からお願いいたします。平田参考人。
○参考人(平田オリザ君) 平田でございます。よろしくお願いいたします。(資料映写) 地域の文化政策について少し話をさせていただきたいと思っております。 私は劇作家、演出家が本業でございますので、この十数年、全国回って仕事をしてまいりました。その中で非常に強く感じるのが、地方都市の風景というのは非常に画一化してきているなということを感じます。要するに、郊外にバイパスができて、郊外型ショッピングセンターができ、旧市街地は非常に寂れてしまってシャッター銀座というふうな言葉も出てきたわけですね。これ、私、一九七九年に初めてアメリカに行ったんですけれども、七〇年代末のアメリカの風景に非常によく似てきたんではないかと思っています。 七〇年代末のアメリカというのは、ベトナム戦争の影を引きずってアメリカが精神的にも経済的にも最も落ち込んでいた時代でした。白人中産階級は車でショッピングセンターに行くだけで、そして旧市街地はもうスラム化して、非常に昼間でも人が寄り付けない地域がたくさん出てきた。日本はまだそこまでひどくはなっていないんですけれども、実際には商店街の空き店舗がいわゆる不良少年たちのたまり場になって、犯罪の萌芽が見えてきているというような報告も出てきています。こういったコミュニティーが完全に分断された状況というのが出てきているんではないかと。 このような風景は実際にはもうこのつい二、三十年で急速に完成された風景であって、かつては旧市街地、商店街というものがいろいろなポテンシャルを持っていたわけですよね。私は東京の駒場という町の商店街で生まれ育ったんですけれども、こういった商店街の中では、例えば子供が隣近所にちょっと預かってもらったりとか、あるいは、例えば駄菓子屋さんに行って、子供がふだんは十円玉でお菓子買いに行くわけですけれども、それをたまたま一万円札で買いに行ったら駄菓子屋のおばさん注意したりとか、あるいはその親に、おたくのお子さん、ちょっと一万円札で買いに来たけど大丈夫というような、こういったものを私は無意識のセーフティーネットと呼んでいます。 要するに、かつては村落共同体にしろ商店街にしろ、そういった無意識のセーフティーネットがあって、それが地域の様々な安全や安心を支えてきたわけですけれども、そういったものが非常に急速に崩れてきているんではないかということです。 では、どうすればいいかということなんですけれども、単純に、じゃ、そういった商店街を何か活性化すればいいのかというと、そうもいかないと思うんですね。 それで、大事なことは、例えば、これ例えばの例ですけれども、子供たちなんかを例にしても、いじめの問題というのは余り単純化するのはよくないんですが、かつては子供たちは学校社会だけではなくて、ドラえもんに出てくるような広場みたいなものがあって、そこでも遊んでいて、そこは学年を超えた交流なので、例えばいじめられっ子というのは昔からいたわけですけれども、そのいじめられっ子も広場に行くと、その子、また広場でもいじめられたかもしれないけれども、そこは学年を超えた交流なので餓鬼大将みたいなのがいて、餓鬼大将というのは自分の子分がいじめられていると知ると仕返しに行ったりしたわけですね。要するに、社会全体に重層性があったと、子供の社会にも。今はもう子供たちの居場所も学校しかないので、学校でいじめられてしまうと、大人から見るとあっけないほど不登校になってしまったり、あるいは心を病んでしまったりすると。 じゃ、この広場をそのまま復活すれば、原っぱのようなところを復活すれば子供たち戻ってくるかというと、そう簡単なことではないんだと思うんですね。要するに、私たちは現代社会に合った形で、あるいは市場原理にもきちんと折り合いを付ける形で新しい広場、新しい人々の居場所というものをつくっていかなくてはいけないんじゃないか。その一つが劇場であったり、音楽ホールであったり、あるいは図書館であったり、美術館であったりするんではないか、あるいはフットサルのコートであったり、ミニバスケットのコートであるかもしれないですね。そういった居場所をつくっていく。 私が仕事をしている劇場という空間はよく非日常の空間と言われますが、非日常の空間というのは何かお化け屋敷みたいなところが非日常の空間なのではなくて、要するに経済原理だけでは出会うはずのない人が出会うということが大事なんだと思うんですね。 かつて、これ東村山だったと思いますけれども、十年ほど前ですが、中学生がホームレスを撲殺してしまったという事件がありました、これ御記憶の方も多いと思いますが。これは冬の寒い時期で恐らく居場所がなかったんですね。ホームレスもそれから中学生も図書館に行くわけですけれども、残念ながら日本の図書館はまだコミュニティースペースではなくて学習の場ですよね。だから、静かにしなきゃいけない場所で、そこで中学生が騒いでそれをホームレスがたしなめて、それを逆恨みして塾の帰りに中学生がホームレスを撲殺してしまうんですけれども。これは明らかに中学生は悪いですが、しかしそういった弱者の居場所をつくってこなかった日本の都市政策の無策があるんではないか。要するに、経済合理主義だけで町をつくっていくと、そういった弱者の居場所というのはなくなってしまうわけですね。 今、欧米の多くの図書館は学習の場というよりもコミュニティースペースとして機能させ始めています。図書館の役割は非常に大きくて、引きこもりの方でも近くのコンビニと図書館だけは行けるという方多いんですね。そうすると、次に行政がやらなきゃいけないことは、その図書館の中に例えば談話室みたいなものを設けて、そこにカウンセラーなどを配置して、少しずつコミュニケーションが取れるようにする。恐らく次の段階では、その引きこもりだった人たちに、じゃ、ちょっと子供に読み聞かせやってみない、ボランティアやってみないというような今度は出番を用意する。これが居場所と出番ということなんだと思うんですけれども。そういった政策を進めていく上では、図書館、美術館、音楽ホール、劇場、そういった文化施設というのは非常に強い力を発揮するというのが今の欧米の基本的な政策です。 これを文化による社会包摂というふうに呼んでいます。要するに、もう地縁血縁型の社会、特に日本の場合には稲作文化だったということもあって、非常に強固な地縁血縁型の社会、誰もが誰もを知っている社会をつくってきたわけですけれども、しかしその地縁血縁型社会はもう半ば崩壊してしまった。 内子町のように非常に小さなコミュニティーだったらそれでも可能なんですけれども、多くの地方都市はもうそれは維持できないんですよね。で、無縁社会と呼ばれる社会になってしまう。しかし、人間は社会的な生き物なので全く孤立しては生きていけないんですね。そうすると、これからは、私たちは誰もが誰もを知っている社会から誰かが誰かを知っている新しいコミュニティーにつくり変えていかなきゃいけないんではないか。僕はこれを緩やかなネットワーク社会と呼んでいるんですけれども、要するに、強固な村落共同体型の社会から新しい都市のコミュニティーにつくり変えていかなきゃいけない。 その誰かが誰かを知っているというのは、例えば演劇を通じて、例えば音楽活動を通じて、例えばフットサルを通じて、例えばバスケットを通じて、例えば野球を通じて、大人と子供、子供と子供、障害者と中学生、ホームレスと高校生、いろいろな組合せが可能なコミュニティースペースを町のそこかしこにつくっていく以外に、恐らく日本の地域社会の再生はないと思っているんですね。 これの一番象徴的な例が、ヨーロッパの多くの都市で今取り組まれているホームレスプロジェクトというものです。これは、ホームレスの方たちに、月に一度でもシャワーを浴びてもらって、バザーで集めた服を着てもらって、コンサートやオペラや美術館に招待する。先進国のホームレスは生まれ付きホームレスなわけではないですね。もちろん経済的な理由が一番ですけれども、もう一つはやはり精神的な理由が大きいと。社会からドロップアウトしてしまう。その方たちにどうやって社会と接点を持ち続けてもらうかと。ホームレスは極端な例ですけれども、失業なさった方たちも、要するに最初のうちは一生懸命ハローワークに通うわけですけれども、これはだんだん嫌気が差してくるというか、精神的に参ってしまうわけですね。 要するに、今までの日本の雇用対策というのは成長社会を前提にしていましたから、半年も頑張れば、我慢すれば、本人にやる気があれば必ず職に就けたし、手に職を持っていれば一生食えていけた社会モデルが前提になった雇用政策だったと思うんですね。しかし、今一番国民が不安に思っているのは、やっぱり先が見えない、幾らハローワークに通っても自分に合った職が見付からない、だんだん精神的に落ち込んでくる、世間の目もあるので家から出たがらなくなる。それが最終的には大人の引きこもり、あるいは更に厳しい場合には孤独死につながっているわけですね。そういう方たちを孤立させない政策というのがこれからは必要になってくるんだと思います。孤独死は社会的なリスクもコストも非常に高いですよね。一旦それが起こってしまうと物すごく税金も掛かってしまう、実は。 だから、そういう失職された方たちが、半年、一年、求職活動をしている間も社会との接点を常に持ってもらうということが大事なんじゃないか。今までの日本の雇用政策は、雇用保険受給者が昼間にお芝居なんか見に行ったら、求職活動ちゃんとしてないんじゃないかといって雇用保険切られちゃうような政策をしてきたわけです。そうじゃなくて、ああ、よく劇場に来てくださいましたね、ああ、美術館に来てくださいましたね、社会とのつながりを持っていてくださいと、これが文化による社会包摂、要するに弱者を孤立させない、社会とのつながりをどこかで持たせる。これは経済活動だけでは無理なんですね。 ですから、文化活動でもいい、スポーツでもいい、あるいはボランティア活動でもいい、農作業体験でもいい、何か社会との接点を持続させるような政策、そのときに特に地域においては文化活動やスポーツ活動というのは非常に重要な役割を果たすのではないかと思います。 ナント市、これは文化による都市の再生の最も有名な例ですけれども、これは河島先生の方がお詳しいので後でまたお触れになるかもしれませんが、ナント市はフランス最大の造船業の町で、重厚長大型産業の町でしたので、これが日本と韓国の造船業にやられて壊滅的な打撃を受け、失業率二十数%という大不況に見舞われます。しかし、ここに若い市長が登場して、ナントを文化によって再生させると宣言し、町の中核に大きな芸術センターを造り、パリから芸術家をたくさん呼んでアパートに住まわせ、そして今、ナントはフランスで最も文化的な町、最も芸術家に優しい町というイメージをつくり上げました。多くの高齢者、リタイアした方たちが、文化活動が盛んで気候もいいということでナントに移り住むようになりました。造船業も復活しました。これは町のブランドイメージが高まったので、ナントで造られる高級クルーザーが売れるようになったんですね。それから、元々は歴史と伝統のある町ですから、ここに豪華客船も寄るようになりました。これはナント・モデルと言われる文化による都市の再生の例です。 ちょっと時間がありませんので少し急ぎますが、金沢市、これ御覧いただければ分かると思うんですが、金沢というのは兼六園という単品に頼った日本の典型的な観光都市でしたが、八〇年代以降、海外旅行者に客を奪われ、長期低落傾向にありました。しかし、平成十六年、金沢21世紀美術館が開業し、これ平成二十年の数字ですけれども、兼六園が百八十万人に対して金沢21世紀美術館の来館者数はもう百六十万人。兼六園に行く方はほとんどが21世紀美術館に行くということなんですね。そのおかげで、この長期低落傾向にあった、これ、この前の数字があるとよかったんですけど、平成十四年はこれは「利家とまつ」の放送の年で一時的に伸びたので、二百万人を切るところだったのがV字回復して、今はもう「利家とまつ」の年を抜いていると。これはもう金沢の21世紀美術館の効果だと言われています。これは美術館が町を救った例です。 富良野、これは「北の国から」で有名な町ですけれども、今、富良野は海外からの旅行者が非常に多いですね。富良野は大変な、文化にも力を入れていただいていて、今観光客で大変にぎわっていると。ラベンダーというのは、ラベンダー畑をみんな見に来るわけですけど、これは元々は農業の、香水の原料だったものが、香水の原料が人工香料に変わる過程で一旦全部潰されていくんですね。ところが、これを観光資源として使えるんじゃないかということで、半ば偶然のように復活をしたわけです。要するに、これは第一次産業が第三次産業に転換したという例です。ただ、その過程で富良野市民の方たちは様々なアイデアを出して、ラベンダー摘み体験とか香水工場の見学とか、要するに、どういうふうにそれを売っていくかと、付加価値を付けていくということを非常にやってこられたわけですね。 その富良野に対して、横に芦別という町があります。もし御関係の方がいたら大変申し訳ないんですが、芦別は、これは見えているのは大観音と五重の塔、これは九〇年代に北の京という名称でリゾート開発がされました。この裏には第三セクターで破綻したカナダ村があります。この五重の塔の横には三十三間堂を模した巨大なホテルもあります。今これを、全施設をパッケージで一億円で売りに出されています、完全に破綻して。 全く隣町なんです、富良野と芦別は。何でこんなことになってしまったのか。要するに、自分たちの強みは何か、小さな町が自分たちの観光資源は何かということを冷静に判断し、そこにどういう付加価値、ソフトの付加価値ですね、を付ければ、国内はもとより海外からも観光客が誘致できるかということを自分で判断しないと、あっけなく東京のディベロッパーに僕は文化的に収奪されているんだと思うんですね。僕はこれを文化の自己決定能力というふうに呼んでいます。要するに、自分たちの文化資源は何かということを自分たちできちんと判断できないと、全国一律、ミニ東京、ミニリゾート、ミニディズニーランドをつくるような観光開発が今まで行われてきてしまったと。ここに日本の地域社会の疲弊の大きな原因があるんではないかと。 じゃ、文化の自己決定能力は何によって養われるのか。僕は、子供のころから優れた芸術、豊かな芸術活動に触れること、あるいは外国の方とたくさんコミュニケーションを取るとか、そういったことによってしか養われないと思いますが、今の現状では、こういった機会は東京や大阪のような大都市圏の子供たちに限られてしまっています。文化の地域間格差は非常に激しい。そうすると、この文化の自己決定能力は、このまま放置しておくと非常に格差が激しくなってしまう。せっかく日本は百四十年掛けて教育の地域間格差をこれだけなくしたにもかかわらず、文化の地域間格差が非常に大きいので、この文化の地域間格差によって地域の競争力に大きな差が、隔たりが出ているというのが今の現状です。 これは行政がやらないと、市場原理に任せておけば大都市圏が有利になるに決まっているんですね、文化活動というのは。直接的にはお金にならないので、二十年後、三十年後の投資的な費用ですから。これは是非国の政策として行っていただきたい。 もう一つ、ちょっと時間ですので、終わりにしますが。 先生方、公共事業をやっても地域が潤わないということはもう実感なさっていると思います。もちろん必要な公共事業はあると思います、安全対策とか。それからもう一つは、よく言われるようにカンフル剤、モルヒネのような痛み止めの公共事業が必要なときもあるかもしれません。しかし、今は消費社会になっていて、そしてその最終消費手段を全て東京資本が握っていますね。だから、公共事業をやっても、お金が地域で一周する前に、全部ショッピングセンターでみんな買物するから、商店街で買物しないですから、吸い上げられてしまうわけですね。ここに一番の問題がある。 大事なことは、消費社会なわけですから、それに気が付いて、皆さん、地産地消、地産地消と言うんですけれども、こんなにエンゲル係数の低い国で食品だけ地産地消していてもお金が回らないんですね。大事なことはソフトの地産地消です。自分たちで生み出して、自分たちで楽しみ、そこに付加価値を付けてよそからもお客さんを呼んでこられるかどうかということが地域活性化の唯一の方策だと思っています。じゃ、このソフトの地産地消、要するにソフトを地産できるかどうかに地域の生き残りが懸かっているというふうに思っております。 ちょっと駆け足でしたが、以上で終わりにします。
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。 次に、河島参考人にお願いいたします。河島参考人。
○参考人(河島伸子君) 同志社大学の河島と申します。よろしくお願いいたします。 今日は、文化政策論、文化経済学といった分野での研究結果の議論を御紹介しながら、皆様の何らかのお役に立てたらと存じます。(資料映写) スライドの方はたくさん用意してありますけれども、時間の関係上、幾つか飛ばして御説明申し上げて、後ほどの質疑応答の中で御説明し切れなかったところについても何か発言できたらよいと思っております。 まず、今日一番申し上げたいことというのは、芸術文化、文化産業、伝統文化といった、こういった文化的な資源、文化資源といったものは、これまでは、経済的に豊かになったら、あるいは市場では生き残れないからかわいそうだから公的な支出をしてあげようというような発想が強くあったように思うんですけれども、今はこれが逆であると、パラダイムシフトが起きているんですね。つまり、文化的な資源こそが経済成長の源泉でもあり、新たな市場を生み出す一つの源となり得るし、それから非物質的な経済の中でもより心の豊かな社会を、それから平田先生がおっしゃっていたような人々の結び付きがきっちりとしたそういう社会をつくっていくためには、もう文化に投資せざるを得ない。文化というのは、何か全てのこと、問題が片付いてから初めて余裕があるからやることではなくて、今取りかかるべきもう本当に重要な課題なのだと、そういうふうに申し上げたいと思います。 こういう考え方を創造都市論というふうに呼ぶこともございまして、実はこの考え方は、欧米ではもう一九八〇年代、九〇年代を通じて非常に世界中の各都市で取り入れられている考え方なんですね。その背景というのは、もうこれ皆様御存じかと思いますけれども、製造業の衰退と、それと経済のグローバル化による都市の空洞化、荒廃、失業率の増加、それから犯罪率の上昇といった、もう決まったパターンの都市の荒廃の問題というのが一九七〇年代の欧米の都市では起きているわけです。 これを何とかせねばならないということで、ヨーロッパでは、グラスゴー、バーミンガム、シェフィールド、リバプール、それからモンペリエ、ビルバオ、もう全ての町が文化に取りかかっていくと。アメリカでいえばピッツバーグやデトロイトのような、元々の重厚長大型の産業で発展してきた町がそれでは立ち行かないことが明らかになっていくのが一九六〇年代から七〇年代にかけてでして、その点日本より早く、先行事例としてあるわけなんですね。 そういった経済的な衰退がある中でどうしようかということで、もう誰もが飛び付いているのがこれです。知識経済への転換、それから高付加価値型の知的なサービス、製品というものに根差していくサービス産業を誘致していきたい。あるいは文化資源自体を観光の目玉にしたいとか、コンベンションビジネスを誘致したいといった、様々な取組が今申し上げたような各地域で起こっています。 元々文化的な資源に豊かな町であればそれを更に活用すれば済むことなんですけれども、そうでない場合というのはどうしたかといいますと、これがスペインのビルバオの事例になりますけれども、よそから文化を持ってきてしまえということも実はなされています。 スペインのビルバオはバスク地方の大事な町でして、古くは鉄鋼業やそれから造船などで非常に栄えた中核規模の都市だったわけなんですけれども、二十世紀の前半でもう見る影もなく衰えてしまって、それから同じようなパターンで犯罪率も上昇して、都市の内部が荒廃してといった問題を抱える中で、文化的な取組を幾つか実は八〇年代に始めていました。その頂点となっているのがこのグッゲンハイム美術館なんですが、これは一九九六年に開館しています。 グッゲンハイム美術館というのは、先生方御存じかと思いますけれども、ニューヨーク市にある現代アートの美術館なんですね。そことフランチャイズ契約を言わば結びまして、中身はニューヨークから持ってきた現代アート、建物自体はこのビルバオの石とか水とか鉄といったイメージを生かした建築で、もう建築物自体が非常にすばらしいということで、開館以来、毎年百万人ぐらいの観光客が押し寄せるという一大観光名所となっているんですね。見ていただくとお分かりになるように、非常にすてきな建物です。 それとは対照的なのですが、こちらはロンドンのテート・モダンという事例です。テムズ川の南側に当たるところにある美術館なんですけれども、向かい側はロンドンの金融の中心、世界で最も富が集まっているシティー地区と向かい合った、テムズ川を挟んで向かい合った地区なんですが、ロンドンの中でも最も貧しい、まあ荒れた地区だったんですね。ここに、この建物何かと申しますと元火力発電所です。ですから、非常に天井がもう何十メートルもあるようなすばらしい空間でして、ここを生かした二十世紀のアート作品を展示する美術館というのを二〇〇〇年に造っています。 こちらもオープン以来、予想外に、まあロンドンは元々観光客が多いところですけれども、毎年百五十万人ぐらいの人が訪れ、入館が無料なので、実を言うと入館者数正確には分かりかねるんですけれども、かなり多くの人が押し寄せて、本当に様々な活動が行われている。文化の、ロンドンから、ともするとイギリスの場合、ヘリテージと申しますか、過去の文化のイメージも強いと思うんですけれども、未来に向かって進む新しいクリエーティブなブリテンだということを国家ブランディング戦略として打ち出したいと考えている国ですので、その一つの中心となっているシンボル的な存在でして、周辺地区は見る見るうちにオフィスビルや高級マンションが建ち並ぶということで、風景が随分変わりました。 それで、だからといって、先生方にこういった立派な文化施設を造りましょうということが実は申し上げたいのではないんですね。むしろ、日本にはそれなりにもう既に全国津々浦々に立派な文化施設が大分整ってきておりますので、むしろソフトの方に力を掛ける時代だということが本当はこの次の話としてあるんですけれども、我が国の社会経済状況というのを見てみますと、先ほど御紹介したような欧米の先行事例と共通した問題、さらに急速な少子高齢化が起きていまして、空き家、空き店舗、それから農村では耕作放棄地が増加したり山林が荒廃したりといったことで、人口減が最大の問題かと思いますけれども、もう一つ困難な状況を迎えてしまっているんですね。その一方で、地方分権というのが進みつつありますので、初めて地方や地域が自ら主体的、創造的に問題解決に取り組まなければ、いよいよ本当に立ち上がらなければならないという、そういう時代に追い込まれているように思います。 この際の文化・伝統産業に期待される役割としては、①と②といたしましては、経済的な役割というのも十分期待できると。それ以上に、③、④というところが今日お越しの参考人の方々とも共通するお話になるかと思うんですけれども、文化的な資源を地域の中で掘り起こして、もう一度再点検して、そこからコミュニティーづくりをしていこうということがもう本当に大事になってきているんですね。地域の記憶というものを読み解いていき、そしてそれをもって未来に向かってどう自分たちの社会というのを組み立てていったらいいのだろうかという、そういう地域ガバナンスのための切り口の一つとして文化というのは非常に有効な道具と、ツールとしての位置付けが期待できるのではないかと思います。 それで、創造都市というものの具体例としては、こういった横浜、金沢、神戸といったところが国内では有名な事例なんですけれども、今日は、あえてもう少し面白い、私、個人的に面白いなと思っておりますのは、小規模の都市や農村部などにおける事例なんですね。瀬戸内と丹波の篠山、兵庫県にある篠山市の事例を駆け足で御紹介したいと思います。 このどちらにも共通していますのは、都市部というよりは山間部であったり、島とか海、村とか山といった、そういうところの自然とそれから文化と元々の日本の暮らしといったものを見直すところから始まっている。けれども、使っている話は現代アートであったりという辺りが非常に面白いコンビネーションだと思います。 瀬戸内の国際芸術祭というものは、昨年の夏に三か月にわたり開催されまして、約百万人もの人が押し寄せました。印象としては、どの島を渡っても人が多いですし、船に、島々を渡るためのフェリーに行列ができていたのでもっと多かったような印象があるんですけれども、あら、百万人しか来なかったのかなと、資料を調べて思ったくらいです。小豆島が一番大きくて、それでようやく人口が三万人、一番小さな犬島に至っては六十人のところで、ここに、瀬戸内海の美しい島々に現代アートの作品を持ってきたというところに特徴があります。 本当にもう絵にかいたようにきれいな島々なんですけれども、船に乗るところにいきなりこういう現代アートの作品があって、みんな笑って写真を撮っていると。今度は、船を降りると、これが民家を使ったこれ自体アート作品なんですね。次に、レンタサイクルを押して島を渡っていき、足下が悪い中を、階段状のところを、何か暑い中を上がっていきますと、ぼうっと、わっという感じの非常に驚くアート作品がそこにそびえ立っていると。コケの生えた池の中に、これ実はハイテクを使った作品なんですけれども、そういうものがあるとか。今度は、産業廃棄物の問題で有名になってしまった豊島という島では棚田を生かして、そこに現代美術の美術館を今造りつつあります。 こちら、ベネッセコーポレーション、企業のお金が相当メセナとして出ていますし、それからこのフェスティバル全体においては、他の企業やそれから関西の大学、自治体などがすべてがみんなで連携してつくった面白いフェスティバルだったんですね。 こうして町の風景がどんどん変わっていくと。その頂点はこれなんです。犬島というところでして、人口六十何人のもう本当に過疎の、過去に、二十世紀の初めに十年間だけ稼働した銅の精錬所がそのまま見捨てられているわけなんですけれども、本当に悲しい風景なんですね。それが、中に入りますと、それをベネッセコーポレーションとその財団が見事に修復しまして、写真や言葉では言い尽くせないようなアート作品が展示されています。機会があったら是非いらしていただきたいところです。 あるいは、町、島を巡り歩くと、懐かしい町並みの横に家プロジェクトと称する作品があって、なかなか意味が分かりにくいんですけれども、これを通して何か日常の風景が新たに違ったものとしてよみがえるという、そういう効果があるんですね。 時間が押していますので、大急ぎで丹波の篠山のお話を申し上げます。 こちらは、大阪や神戸、京都といった大都市から電車で一時間少しで行ける町で、ここに書きましたが、城跡や武家屋敷や商家街だとかが、もう様々な観光資源があるすばらしいところなんですけれども、そうはいっても、篠山が観光地だというふうに関西に来て認識している人というのはそんなに多くはないんですね。 それで、例に漏れず、こちらも人口減と高齢化に悩む町となっておりまして、町づくりをするNPOを立ち上げて市民が参加して、それでだんだんと町が変わっていくというプロジェクトがこの、そうですね、十年ぐらいの間、続いているように聞いています。 例えば、アートフェスティバルを町並みの中でやっていくと、古い民家の中にまた現代アート作品がぼうっと浮かび上がって、子供たちや観光客や地元の人たちが楽しむと。あるいはマルシェが開かれるとかいうことで、もう本当ににぎわいを見せています。 あるいは、古民家の再生プロジェクトというのもありまして、こちらは市民のボランティアベースで改修をこつこつとやっているんですね。その結果、もうどうかすると捨てられて、壊されそうになっていた民家、商家などをストップを掛けて、それを中身をきれいにして、おしゃれなブティックであるとかちょっとしたデザイン性の高いグッズを売っている、そういうお店になっていくと。あるいは、単なるお店としての商業スペースだけではなくて、ここでデザインに関するワークショップを開いたりセミナーを開いたりといったことを続けて、市民の人たちの交流の場ともなっているということでコミュニケーションが生まれているんですね。 またもう一つ、これは同じ篠山の郊外といいますか篠山市の市街地より外にある集落でのプロジェクトですが、非常に美しい古民家が幾つか固まっているんです。これを改修しまして、それで、中身は非常に現代風のモダンなおしゃれな宿泊施設に生まれ変わったということがあります。これも、リゾート開発の会社にぼんと渡してしまえばそれで楽は楽なんですけれども、そういうことがしたいわけじゃない、自分たちでやりたかったということで、この集落に住む十九人の人たちがこつこつとボランティアで改修を続けて、そして自分たちでマネージもしているという事例です。 幸いなことに、隣に神戸からフレンチレストランが来て、それから奥にはそば会席のお店があるんですけど、これ一人当たり客単価が九千円もする、九千―一万円とするような非常に高級な、しかし地元の食材をうまく生かした大人のリゾート地と、プチリゾートみたいな場所になっております。 しかし、やりたいことは、高級なサービスを提供する別に星野リゾートになりたいわけではなくて、日常の農村の暮らしを見せていきたい、そこを体験してもらいたい、そこから上がってくる収益は里山保全に還元していくという、そういう地域マネジメントが成立しているんですね。したがって、このようなワークショップや話合いを何度も何度も続けて、手間を掛けて町づくりというのをやっています。 最後に、文化政策の課題というところに少し話を広げますと、一番大事なことは、施設を造るというもうその時代ではないんですね。むしろ、その創造過程のところ、アーティストやアートをつくっていく人たち、その過程の、プロセスのところに今投資しなくちゃいけないと、それが第一の課題です。 それから第二番目は、そうして生まれたすばらしいアート、芸術作品というものをより多くの人々に楽しんでもらうような仕掛け作りというのが非常に大事になってきていると思います。 これ、私は鑑賞者開発というふうに呼んでいるんですけれども、現代アートの例、幾つか御紹介しましたが、従来ですと、現代アートというのは一番敷居が高い、もう分からないというふうに拒絶反応が一番起きるものなんですね。ところが、見方、見せ方を変えて、自然の中に解き放ってみる、あるいは、そうですね、建物が面白いとか、もうそういうことで人々が見事に垣根をぽんと乗り越えてくれるということが大分分かってきているんですね。それぞれの方々というのはそれなりに何かを感じ取って感動したり、それから考えたり、地域を見直したりといったことを続けて帰っているので、そういう仕組みづくりというのが大事だと思います。 それから三番目は、これは行政の課題ですので今日は飛ばします。 あとは、行政だけではなく、民間の企業メセナやNPOや大学等の連携で、知恵や労力やお金をみんなで出し合っていく、そういうガバナンスが必要なのではないかと思います。 こういった考え方を別の言い方をすればカルチュラル・プランニング、都市づくり、町づくりの全てに文化的な視点を取り込むことが大事なのではないかというふうに考えております。 どうもありがとうございました。
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。 次に、稲本参考人にお願いいたします。稲本参考人。
○参考人(稲本隆壽君) 私は、愛媛県内子町長の稲本隆壽でございます。 この度、本調査会で人口一万八千人程度の中山間地域、過疎化、高齢化の進行する小さな町の文化、伝統、歴史と、そういったものを核にしながら町づくりをしている、このことにつきまして報告させていただきますことを大変有り難く思っております。(資料映写) まず、本町の位置でございますけれども、簡単に御紹介を申し上げます。 愛媛県のほぼ中央部に位置しておりまして、面積が三百平方キロメートル弱でございます。人口は二〇一〇年の国調の速報で一万八千四十六人、世帯数は六千七百戸でございます。面積約三百平方キロメートルのうち七七%、八〇%弱が山林原野でございまして、主にヒノキ、杉の人工林が占めています。農地の面積は約千三百八十ヘクタール、一戸当たりの平均耕作面積は一・一ヘクタールでございます。高齢化率は三三%、産業別の就業割合は約五〇%が三次産業の就業者ということでございます。 次に、農林産物の生産状況を見てみますと、本町は県下でも有数の果樹の産地でございます。桃、梨、ブドウ、柿、クリが生産されておりまして、ブドウ、桃、梨などにつきましては観光農園として経営されています。かつては葉たばこが西日本でも指折りの産地でございまして、二十億円近い生産額を示しておりましたけれども、現在は喫煙者の減少等々もありまして、三億円程度になっています。 次に、町の財政でございますけれども、普通会計、二十一年度決算で百八億八百万円です。税収は十四億円程度、財政力指数は〇・二七でございます。その基盤は、御覧のように、非常に脆弱でございまして、公債等に依存せざるを得ないという状況が続いています。 さて、この内子町でございますけれども、平成十七年一月一日に、旧内子町、旧五十崎町、旧小田町の三つの町が合併しまして、新内子町としてスタートいたしました。 旧内子町につきましては、江戸末期から明治、大正期にかけまして、和紙と木ろう、ハゼを原料としまして作り上げるんですけれども、木ろう、ろうそくのろうでございます、この木ろうの生産で栄えた町でございました。特に、この生産は全国生産量の約三割を占めておりまして、パリの博覧会にも出品されていたという歴史を持っています。当時の繁栄を今に残した白壁の土蔵造りの歴史的な町並みを保存して暮らしに生かす取組を柱に、このプロジェクトと連動させながら、地域農産物の直売所を整備し、グリーンツーリズムの一環として、農村景観を整備したり農家民宿等に取り組んでいるところであります。 また、旧五十崎町でございますけれども、この町は鎌倉時代から始まったとされる大だこ合戦が非常に有名でございまして、毎年五月のこどもの日に空高く乱舞する様子は町内外から多くの人々を呼び寄せています。また、日本の棚田百選にも選定されております泉谷の棚田やトンボの里づくりなどが有名でございまして、その自然環境を人々の暮らしの中にどういうふうにかかわらせていったらいいのか、様々な取組がされている地域であります。 次に、旧小田でございますけれども、ここは県内有数の林業の地域であります。見事に手入れされたヒノキ、杉が伐期に入っていますけれども、林業不振の中で大変苦慮しているという状況が続いております。一方で、標高千メートルから千五百メートルのところにあります約四千ヘクタールの小田深山、ここにはブナの原生林や紅葉、カエデなども多く自生しておりまして、季節季節の美しい移り変わりを、変化を私たちに見せてくれて、山岳で多くの皆さん方に来ていただいております。また、愛媛では、えっ、スキー場があるんですかと言われるんですけれども、私の町にもスキー場がありまして、今大勢の人で土曜日、日曜日、にぎわっております。 さて、ここからは本論でございます。 今から四十年くらい前、私たち内子町を紹介する言葉として、内子町はね、道後温泉のある松山市から南西へ約四十キロのところにありましてという枕言葉がありました。また、かつてNHKで放送されました「おはなはん」というのがありまして、これは私どもの隣の町、大洲市でございますけれども、その大洲市の隣の町でございましてねというような導入部から始まっておりました。いや、でも、たばこの生産は全国で五本の指に入りますよというような紹介もしておりました。何かしら自分の町に誇り、自信というものが弱かったという紹介の仕方でありました。 昭和五十年代に入りまして、私たちがいつも見慣れておりましたこの歴史的な町並みが歴史的にも大切な財産である、これを保存して生かしていこうというような運動が盛り上がりました。昭和五十七年、文化庁から八日市護国地区の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けました。面積三・五ヘクタール、延長が約六百メートル、戸数にしまして九十戸でございます。このゾーンの中には三件の国の重要文化財の指定を受けている物件もあります。現在、国の援助を受けましてそれの保存、修景をしておるところでございます。 保存し、暮らしに生かすということは、このような歴史的な環境の中で暮らすという住環境の在り方を考えることが大切なことでございまして、それは修理、修繕を修景を通じまして、瓦、それから建具屋さん、大工さん、一つ一つの物件が伝統的な技術で復元しなくちゃならない、その技術がその町内に生きていくという、よみがえるという大切な部分があります。そして、その歴史性を、歴史を守っていく、伝えるという心を次の世代にも伝えるという大事な役割があるというふうに私は考えております。 この運動が始まりまして、一九八六年、ローテンブルクの市長に来ていただきましてシンポジウムを開催いたしました。歴史的な町並みの中で私たちはどういうふうに暮らしを見詰めていったらいいのか、暮らしていったらいいのか、快適性というのをどういうところに求めていったらいいのか、多くの教示を受けました。それがきっかけになりまして、現在、ローテンブルク市とは友好都市盟約を結んでおります。今年の九月には姉妹都市の盟約を結んで交流を更に活発にしていきたいというふうに思っております。 次に、内子座でございますけれども、大正五年、町民の皆さん方がお金を出して創建をした芝居小屋でございます。キャパは五百五十です。娯楽の殿堂を造りたいという町民の皆さん方の熱意で、町内産材を使ってこういうふうな小屋を造りました。芝居など多様な催物が行われておりましたけれども、映画の発達などもありまして利用回数も次第に減少しまして、商工会の事務所になったり、廃屋に近いような状態になってしまいました。 このような状況にあって、町民からは、商店街の振興のためにむしろ劇場よりも駐車場にしたらどうでしょうというような提案もあったことがあったんですけれども、しかし一方で、歴史的な町並みを保存するのにこういうものを壊してしまうということはできない、使い方は分からないけれどもとにかく残そうよと、後から使い方は考えようということで残したわけでございます。今では毎年八月の末に文楽の定期公演を二日間、四回公演するようになりました。そして、今度七月には曽根崎心中のフラメンコを二日間やります。もちろん、町民の皆さん方のカラオケ大会やファッションショーにも使います。まさに町民の皆さん方の娯楽の殿堂として使っているということでございます。 次に、本町の農業農村を活性化させようということで、農家の人々の学習の場、内子町知的農村塾を開設しまして、六十名ぐらいの参加者で、現在二十五年が経過をいたしました。これは将来の内子町の農業農村を担っていく人材を育てようということでございます。非常に厳しい農業情勢の中で、やっぱり体張ってきちっと付加価値を高めて、地域に根付いて暮らしていくぞ、家族を支えていくぞ、そういう人たちを育てていこうという狙いで勉強会を開催しております。町並み保存から村並み保存へと、その運動の考え方を周辺部の農村部にも広げていこうということでございます。 農村景観の保存と食、そして暮らしを見詰める村づくりが現在進行しております。中でも石畳地区の人々は非常に元気でございまして、自分たちで資金を出して水車小屋を復活させ、そば屋を経営し、そして秋の紅葉祭り、水車祭りを大勢の人をお迎えして、地域挙げて取り組んでいただいております。 特に、この地区の石畳の宿は、町が整備したんですけれども、地域のお母さん方に経営をお願いしておりまして、お母さん方が大勢のお客様と交流を通して元気に経営をしておられます。年間利用者約二千人の方々がここを使っていただいております。 次に大瀬地区でございますけれども、大瀬地区はノーベル文学賞受賞作家の大江健三郎さんのふるさとでもございます。地域の歴史的な財産でありますかつての村役場をお宿として復元させ住宅改修に取り組むなど、住民主導の活動に取り組んでいる地域であります。 平成九年に農産物直売所を整備しまして、運営母体を第三セクターで株式会社内子フレッシュパークを立ち上げました。直売所は、現在会員四百三十名の出荷者で、新鮮な地場の野菜、果物、加工品などが所狭しと並べられて大勢のお客様に味わっていただいております。ここに出される農産物はトレーサビリティー、栽培履歴をきちっとしておりまして、どういう栽培の仕方をしたのか全て分かるようになっております。お客様に安心して買っていただいております。 また、農家のお母さん方が店頭に立っていただきまして、直接消費者の皆さん方と交流しながら販売しているという状況です。現在、平均で大体百万円ぐらい売り上げておりまして、稼ぐお母さん方は一千万を超えているお母さん方もおられます。先般もあるお母さんが、町長、今月はあなたの給料抜いたわよと言われたので本当に私うれしく思って、こんなに元気になってくださる、本当に有り難いというふうに思っています。自分で値段を付けて、そしてお客様の反応が分かる、そしてその反応に基づいてまた農産物に工夫を凝らしていく、そういうことで循環しているのかなというふうに思っています。お金だけではなくて、やっぱり農村に生きる喜びというものを非常に感じておられるんではないかなというふうに思っています。 次に、平成十六年に内子町のグリーンツーリズム協会を立ち上げまして、農家の民宿、現在二十名ぐらいの農家の皆さん方が頑張っていただいております。どぶろくそしてワインの特区を受けまして、現在それの製造に挑戦をしております。 次に、内子町の自治システムにつきまして御紹介をいたします。 このシステムは旧内子町でスタートいたしました。現在、五つの自治センターの下に四十一の自治会、その下に百五十を超える区を置きまして、四十一自治会ごとの振興計画を地域の皆さん方自らが作っていく、その作業に基づきまして、町独自の地域振興策としまして補助金を交付しております。個性的で地域のことは地域で考える、汗を流していく、そういう運動に対して町が助成をしております。その中の一つが先ほども紹介しました石畳地区でもあるわけであります。 次に、新しい魅力づくりとしまして健康増進施設を造りました。また、レストラン、お宿も整備をいたしまして、これらは民間資本を活用しながら、また指定管理者としてお願いをしながら昨年の四月の末にオープンいたしました。先ほども申しましたように、ろうそくも非常に有名でございますから、ここのレストランではろうそくを使っていただいて、それを見られたお客様がそれを買って帰られるという非常にいい意味で循環をしているというふうに思います。 こういうふうな取組が功を奏しまして、まだまだもちろん問題はあるんですけれども、今現在私たちの町を訪れてくださるお客様は年間百万人を超えるという状態に相なりました。表彰もサントリー文化賞、そして先般はミシュラン社の星一つでございますけれども、町としていただくことができました。 一方では、限界集落でありますとか、人口減でありますとか、そういう問題を抱えておりますけれども、しかし、住んでいる町の人たちがどういうふうに元気を出していただくのか、自分たちの未来は自分たちで汗流してつくり上げる、そして次の子供たちにバトンタッチしていく、そういう元気のある町をやっぱりつくっていかなくちゃいけないというふうに思っています。 そのためにも、先ほど申し上げましたように、歴史性のあるもの、文化のにおいのするもの、そういうものに対してはしっかりと行政も支えていこう、みんな、町民の皆さん方と一緒につくっていこうというふうに思っています。こういうこの取組は非常に時間が掛かります。時間が掛かるものですからすぐに結果は見えないんですけれども、これは粘り強くつくっていかないかぬ、地域のアイデンティティーをきちっとつくり上げていく、そういうことが大事だというふうに私は思っています。 少し早口になりましたけれども、以上で終わりたいと思います。 ありがとうございました。
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。 次に、伊藤参考人にお願いいたします。伊藤参考人。
○参考人(伊藤光男君) 滋賀県の長浜というところから参りました伊藤でございます。お招きにあずかりまして、光栄でございます。 私ども、今日は黒壁という会社の、第三セクターでございますが、その活動を、二十数年してまいりました活動を御紹介して、いわゆる町づくりという観点だろうと思うんですけれども、知っていただければ有り難いというふうに思っております。(資料映写) 長浜は、御存じかもしれませんが、滋賀県の琵琶湖の東側にある町でございます。秀吉が初めて、この間、今、大河ドラマやっていますけれども、浅井のお城を落として長浜にやかたを築いた町でございまして、完全な、秀吉が天正年間につくった人工の、都市計画された人工の町でございます。それまでは多分漁港と水田だった町だそうでございますが、江戸時代は井伊家の領になっておりまして、残念ながら、秀吉がつくった町ですが、長浜は城下町ではございません。ほとんど商人の町でございます。 そんな歴史がございまして、黒壁というのは昭和六十二年ぐらいから、そして営業を開始しましたのが平成元年からでございますので、既に二十三年目に入ったところでございます。まだその時分は町づくりという言葉も余り普通ではなくて、村おこしとか町おこしとか言われた時代でございまして、我々はその中で今まで、それまでから青年会議所という活動を通じて長浜という町を何とかしていかないかぬなという運動をしていたんですが、どうしてもイベントといいますか、一過性のものにしかならないということから、たまたま長浜の町の中に残っておりました明治時代に造られた銀行、当時はキリスト教会に使われておった建物なんですけれども、それが売却されてしまったということを契機に、その建物を残そうというよりも、何とか長浜の町の中にある建物を保存と活用、いわゆる残すことと使うことを一緒にして長浜の町の中、古い町、旧商店街といいますか、どっちかというとオールドタウンですね。先ほどの曳山祭りの写真がございますけれども、祭りを続けてきた町なんですけれども、これが何とか続けられるようにという、いわゆる町の元気さを保てるようにということ、なるようなものができないかということで、市役所の人間もいたんですけれども、第三セクターという形でやらせていただきました。 御存じと思いますが、昭和六十年代、いわゆる平成になる前は世の中第三セクターばやりでございまして、長浜にも第三セクターなかったものですから、三セクでやろうじゃないかというふうなことでやらせていただきました。当時の資本金は一億三千万でございまして、長浜市が、市が四千万、三分の一になってしまったんですが四千万、民間で九千万を集めました。しかも、集めたお金につきましては、大勢がやっては何もできないということで一人一千万出そうということにしまして、一部一千五百万になったんですが、八人の会社が、地元の会社が一千万ずつを出資して会社をつくり、そして元気になるためには町の中はどうなったらいいのかなということでございます。 御存じのように、長浜も先ほど来の話のように、いわゆる大手スーパーの問題等々、郊外の問題等々で町の中は完全に疲弊をしていまして、何もない、人が来ないという状況でございます。我々がオープンをしました平成元年には、その時分は堤清二さんの流通の天下でございましたけれども、長浜楽市というのが、大型のができまして、郊外型の大ショッピングセンターができたときでございます。そんなときに、町の中で何かをやろうということでやらせていただきました。 その当時、三セクなんで、いわゆる会社はつくったんですが何をやろうかというのがなかなか難しゅうございまして、当然ながら、三セクですから地場のもの、若しくは歴史に関係のあるもの、何かないだろうかというふうなことをやったんですが、どうしてもみんなが、一千万出した連中がしかっとくるものがないわけでありまして、そのうちに、社長をしていた、もう亡くなられたんですけれども、社長になっていた方が、一千万みんな出してやったけれども実際どうしたいんやと、どうなりたいんだということを言われました。結局は、活性化というのはいろいろあるでしょうけれども、僕はこの我々が買った施設、若しくはここを運営しようとしている施設に、人さえ来れば、人がたまる、集まるようにすれば、これは元気になるでしょうと。幾ら落ちぶれたりといえ、商店街といえ、みんな商売人ですから、人が集まれば何かやってくるでしょうと。だから、人が集まることを考えてますんやというようなことをその当時の会議で申し上げました。 そんなところで、思い付きなんです、思い付きだと思うんですけれども、当時の社長が、いや、わしは世界中回ったけどガラスが一番人が集まっているように思うと言われまして、実は長浜にガラスは一切関係ありません。歴史的にも何の関係もありません。急にガラスと言われまして、何でやと思ったんですけれども、まあたまたまほかにアイデアもなかったことやら、何といいますか、第三セクターで町中で何かをするためには一番大事なことは、既存の商店街、落ちぶれたりといえ、商店街があるわけでありますから、商店があるわけでありますから、同業のものはできない、うどん屋があるところの隣で第三セクターがうどん屋やるわけにいかぬわけですから、ですから、三セクですから取締役の企画部長ぐらいが入っているわけでありまして、市もガラス、よう分からぬけどガラスやったらええかなという市の賛成もありまして、まあガラスはどうかなということになりました。その時分、御存じの、北海道の方もいらっしゃるかもしれませんが、小樽のガラスが有名でございまして、北一硝子は非常に人を集めていると、たくさん売られているということでございまして、じゃ北一に見に行こうかと、小樽に見に行こうかということでございます。 長浜はおかげさまで、歴史的には屯田兵の以後、結局、北海道の開墾に北前航路を使って、北前船航路を使って敦賀から小樽へ上がったという歴史がございます。小樽市と長浜市は結構仲よくやっていたという例もあります。何とか物産展とか一緒にやっていた仲間、敦賀と一緒にやっていたんですけれども、そんなこともありまして、小樽へ行きましてガラスを見ていて、何とよう売れたるものやというのは、何とようけ来てはるものやというのと、何と若い女性が多いんだというのに感心をいたしまして、みんながすごいなということで、じゃガラスをということにさせていただきました。その経過はいろいろあるんですけれども、おかげさまでガラスをやりかけまして、ただ町中で何か人を集めたいということでみんなが金出して、三セクなんですけれどもやりかけました。 一番感じましたのは、商店街の中でやるわけでございますが、いわゆる人の来ない商店街の中でやるわけでありますけれども、つまり商店街とは何やというと、やっぱり大手流通資本によって、まあいわゆる潰されたというのか、戦えなくなったわけですね。ですから、ほとんど商店街の開発というと、それまでは駐車場を造れとか、公共で駐車場さえ造ってくれたら何とかなるというような補助金がたくさんありましたし、街路を直すために、景観を直すために、ファサードを直すための図面だけかくというコンサルタントがたくさんいらっしゃいまして、そういう補助金もいっぱい付いたようなことも聞いておりますけれども、現実的には、町が、誰かやるやつがいないと何にもできぬわけでありまして、駐車場を造ったって店が変わらなんだら何もできぬわけであります。 ですから、我々は今、ガラスをネタにやりかけようとしたときに一番考えましたのは、基本的にやっぱりいわゆる小売屋さん、いわゆる大手流通、その当時は西友が、西友長浜楽市店というのがあったわけですが、西友がやっているようなこと、いわゆる大手の小売店にはなっちゃいかぬだろうというふうなことを思っていました。今三人の先生方がおっしゃいましたけど、文化の話をされましたが、残念ながら、我々、まあ言葉は悪いですけど、余り文化的なことを考えてやったわけじゃございませんで、何とか人が来てガラスが売れればいいということでやってまいりました。たまたまでありますけれども、ガラスを選んだというかガラスになってしまったんですが、ガラスになったおかげで今、黒壁は文化的な産業ではないかなということを言われております。 それは何かというと、非常にガラスが奥が深いということと、余り日本中にガラスが少なかったいうせいもありますけれども、そんなことでございます。それはつまり、今おかげさまで、ほとんどゼロに等しい、平成元年時分、元年の七月にオープンしたわけでありますけれども、それまではほとんどゼロに等しい。あるところでは、アーケードはあるんですけど、アーケードの中に人間一人と犬一匹通っていたみたいな話をしている者もおりますけれども、ほとんど日曜日の昼に人がいなかった商店街に、おかげさんで年間今は、去年ちょっと減ったんですけれども、もう一遍今年は多分戻ると思いますが、二百万人ぐらいの方がお越しになるようになりました。 それは何でかなというのをいつも考えているんですが、まあガラスがよかったのかやった人間がうまくやったのか、分かりませんけれども、ずっといろいろなこの二十年間の中で自分らが実感というのか感覚的に感じますのは、つまり、先ほど言いましたように、小売屋にならなかったということがまず大事なことだと思います。つまり、小売屋にならぬために何を売るかということを一生懸命考えたんだろうと思います。つまり、物を売るんではないということを多分一生懸命考え、つまり、ガラスのコップを売っているんですけど、コップを売るということでは人は来ないだろう、コップを売ることでは大手スーパー、いわゆる大手流通とは勝負できないだろうと。つまり、コップを売っちゃいかぬのやないか、しかしガラスは売らなきゃいかんのやけれどもコップ売ったらあかんのやなということを多分うちの店の女の子も会社の者もいろいろ考えてやってきたのが結果だったんではないかなと。それが、今先生のお話を聞いていてそう思うんですけれども、ガラスというものに対する文化的というか、僕らは文化チックと言うとるんですけれども、結局、物を売らんためにガラスを売ろうと思うと、やっぱりどうしても工房を造ったり、作っているところをやったり、体験をしてもらったり、自分のものにしてもらったり、ガラスのファンになってもらったり、ガラスはすてきだねと思ってもらわぬことには売れぬわけでありますので。で、ガラスはすてきだねとなると、リピーターがもう一度来ようかと、今度は違うことをやってみようかとか、もっと深く見ようかというふうに来ていただけます。そんな目の方が来ていただきますと、町並みも見ていただいたときに、いわゆる何の変哲もない町並みなんですけれども、特別な町並みじゃありませんけれども、何か道幅が狭いのがいいとか、逆に言うと、車は通れるけれども、何か知らぬけれども人がいっぱいになっていいとか、屋根が低いわけでありまして、昔の家ですから、ひさしが届くぐらいの屋根なんですけれども、ああ、こういうのがいいねと、昔はこうやったねとかそんなことを言いながら集まっていただけるという、まあ口コミみたいな世界が生まれてきているのではないかなというふうに思います。残念ながら、今たくさん来ていただいてもなかなか買っていただけないんで、今生意気なことをガラスを売るために言いましたけれども、売上げが伸びていかぬので弱っていますけれども、人は何とか来ていただいています。今はおかげさんで、NHK大河ドラマを、もう長浜シーンは終わってしまいましたけど、第一回目で終わってしまったんですが、お江という長浜生まれの方のドラマをやっていただいていましてNHKは大層宣伝をしていただいていますので、おかげさんでイベントをやらせていただいていまして、皆さんにお配りした中にもちょっと入れておりますけれども、おかげさんで、オープンしまして今四十五日ぐらいですかね、一月十日ぐらいからオープンしていますので、四十五日間ぐらいで既に六万人を超えた人がお集まりをいただいておりまして喜んでおります。できたら来ていただいたら買っていただけるとええなと思ってやっておるんですが、それは売手の方の問題でございまして、もう一つ、やっぱり来ていただいた方に何かガラスを通じて我々は感動を与えられればいいなというふうに思っております。 実はこの写真なんかは、ずっとばばっと見せますけれども、古い建物を直して新しくしてきました。これなんかも、こういう店をこんなふうに直したということで、いわゆる修繕をして、改修をして全部やっています。一番の改修した原因は、余り金がなかったから改修しかできなかったということもあります。これも改修した後ですが、これ前の、これをこのように直しているわけですが、金がなかったというか、改修の方が安いということもあるんですが、一番の原因は、建築基準法のいわゆる確認を出す出さないの問題でありまして、この地域は確認を出して改修しますとこんな形には絶対戻りません、景観が。つまり、巻いてしまわなければいけない、防火にしなきゃいけないということで景観がどうしても変わってしまいますもので、そのまま、余り建物を変えないように、外観だけ変えるとか屋根をふき直すとかいう形で、これ、どっちなんですかね、こんなふうに直したり、ほとんど同じ格好で直しています。ですから、黒壁の場合は、屋根の周辺は、屋根の高さは全部違います。ひさしの高さは、見ていただくと、ひさしの高さが低ければ低いほど古い建物で、昭和になって建てたほど高い建物、よく分かるようになっていますけれども、そんなことも、来ていただいて、皆さんが、自分でお客さんが勝手に解説をしておられるようなところもございます。 いろいろやっていますけれども、そんなところでございまして、これからも、我々、人数は集まっているんですけれども、これをどうして、黒壁の周辺から町が、我々の外回り、おかげさんで十年前ぐらいからだんだんと町の中が改修に入りましたし、直ってきました。一部、やっぱり東京へ行っていたり大阪へ行っていたやつが、息子が嫁さん連れて子供連れて帰ってきておやじの後を継いだとかいうのも何軒か出てきていまして、多少我々の活動で、町というか、元気になったなと、元気というか、実際の商売として元気になったかどうかは別にして、自信を持てるようになったなというふうに思います。 一番の自信を持てた原因は、やっぱり、変な言い方ですけれども、外から、いわゆる例えば東京の人が、例えば大阪の人が、長浜おもろいねとか黒壁すごいねと言うていただきますと、長浜の町中ではなかなか褒められません、田舎の町ですから、何や黒壁ばっかりじゃないかと、長浜市の市長は黒壁ばっかりやっておられる、何もしてくれないんですけれども、こういうふうに見られますけれども、外から自分のところを褒められると結構自信付くものでありまして、自信付くと自分も何かやってみようかなと、商売やっている子は自分のところも新しいことやってみようか、商店街でなくてもだんだんと考えられるやつが増えてくるというふうに、増えてきたんではないかなと。 これから本当の意味で活力が出てくるかどうかは、まだ二十年で分かりませんので、これから結構長い時間掛かるんじゃないかと思いますが、こんなことを通じながら長浜が存続できるように頑張ってまいっておりますので、よろしくまた御指導をお願いしたいと思います。 終わります。ありがとうございます。
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。 以上で参考人からの意見聴取を終わります。 これより参考人に対する質疑を行います。 本日の質疑は、あらかじめ質疑者を定めずに行います。 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。 一回の質疑時間は、答弁及び追加質問を含め最大十分としております。 また、本日はこの四時から党首討論がございます。予定では四時としておりますが、できれば十分ぐらい前に終えたいと思いますので、質疑をされる方の御配慮をお願い申し上げます。 それでは、質疑のある方は挙手を願います。 亀井亜紀子君。
○亀井亜紀子君 四人の参考人の方、どうもありがとうございました。 時間が限られておりますので皆様に御質問いたしませんけれども、いろいろ感じたことを、まだ頭の中は整理されておりませんけれども、幾つかお伺いしたいと思います。 今日は、文化による地域再生ということでしたけれども、疲弊した町にとって文化というのは一番遠いところにありまして、やはり身近な病院であるとか、もっと生活に密接したところをまず助けてほしいわけで、なかなか文化って地域住民にとっては最後に考える部分ではないかと私も実感をしています。 そして、また、元気がない町というのは自信をなくしている町ですから、何か始めるときに一体何がそんなに特徴的なのか分からないと。たまたまガラスになったという今の黒壁さんのお話もありましたけれども、その刺激を与える人が誰なのか、その人材がいないということがすごく大きな問題だと思っています。Uターンで戻ってきた人が外のセンスを身に付けて、何かを始めて活性化するということは例としては幾つかあるんですけれども。 私の質問は、どうやって文化を見直そうというムードというか、取っかかりをつくっていくかということなんです。先ほど平田オリザ参考人が金沢市の美術館ですとか、そういう例を出されましたけれども、そういうことができるのはある程度の規模の都市じゃないと、恐らく造ったところでお客様が来ないということもあると思うんですね。 出雲市の例なんですけれども、出雲大社がありますし、歴史があるところで、大きな博物館造って、そちらはなかなか盛況なんですが、阿國座という歌舞伎の施設を造ろうとしまして、それで市の中で大変な対立になって、結局それを造ろうとした市長は選挙で負けてしまって、それも造られなかったということがございました。ですので、文化で町おこしというのもなかなか難しくて、その辺、何が町の意見を分けるのかというんでしょうか、どのようにして説得して最初の取っかかりをつくるのか。文化の自己決定能力ということもおっしゃいましたけれども、その点についてもしお考えがあれば平田参考人にお伺いしたいと思います。 あともう一つ、伊藤参考人にお伺いしたいことがありまして、それは先ほどおっしゃった、ガラスを売るために、小売業になりたかったわけではないとおっしゃったところがすごく印象に残っております。やはり、小さな町を活性化するときに、ガラスならガラス、東京でも買えるわけですけれども、やっぱりそこに来ていただくことに価値を見出していただかないと活性化ってできないと思うんです。まず、人に来てもらうことが最初だと。でも、今景気が悪いから物が売れないというのも全く一緒でして、地元の観光地も人は呼んできますけれども、物は売れません。 ですので、それでも人の流れを起こすことがまず第一なんだろうと思いますが、町にいらっしゃる方々というのは、近郊の方ですか、どういう人の流れになっているんでしょうか。そして、泊まる、宿泊するところもそんなにないでしょうから、何時間ぐらい滞在してどういう人の流れになっているのか、御参考までに教えていただきたいと思います。
○参考人(平田オリザ君) 今日の四人の参考人、それぞれ指摘があったと思いますけれども、文化政策は非常に投資的な部分が大きな政策で、その効果が現れるのが二十年後、三十年後になる場合もあります。金沢市は非常に大ヒットしてすぐに効果が現れた例で、特殊な例と言ってもいいと思います。ただ、金沢現代美術館は、それ以前に、金沢芸術村という市民が活用できる、二十四時間活用できる非常に特殊な文化施設を造って、そこで活発な活動を市民の方でもやっていたり、それ以前に金沢フィルをつくったり、様々な文化的な政策の蓄積があってあれが実現したわけですね。 ですから、そこに踏み込むかどうかというのはやはり首長さんの判断がまず非常に大きいと思います。そして、その首長さんの任期中には成果が出ない場合もありますから、非常にやはり政治家としての高度な判断がまず要求されるということは前提としてあります。 ただ、もう少し具体的な話をしますと、よく今、町づくりとか、特に文化、それから文化観光等でよく言われることは、こういったものの成功には三つ、よそ者、ばか者、若者という言葉をよく使います。富良野の場合、よそ者はもう倉本聰先生ですね。倉本聰先生がいなければあの富良野の風景を、先ほど長浜の話もありましたけど、ふだんの町並みとか自然的な景観というのは、そこにいる方たちは毎日見ているんで、それがどのぐらいの価値があるのかよく分からないんですね。それをやっぱり、これ、こういうの、こんなに価値があるんですよというふうに言葉にしたり、色にしたり、音にしたりするのが芸術家の役割なんで、そういうアーティストに来てもらって新しい町のポテンシャルを発見してもらう、これをアーティスト・イン・レジデンス、要するに滞在型政策といいますけれども、こういったことを積み重ねていくことがまず町の発見につながるんじゃないか。じゃ、誰を呼ぶのかとか、そこがやはり一番センスが問われるところで、鶏が先か卵が先かになってしまうんですが。 私、大学の教員もしておりますので、学生たち、以前東京の私立の大学にいたんですけれども、芸術系の、結構、帰ってから地域の文化活動に貢献したいという、そういう文化財団なんかに就職する学生もいるんですけど、あるとき姫路出身の学生とちょっと話をしていて、卒業後どうするのと言ったら絶対帰らないと、つまらないからと。要するに、もうこれだけ東京で刺激的な生活をしてしまったら帰れないですと。彼はお父さんが市議会議員なんですけど、市議会議員の息子が帰りたくないという町は多分滅んでいくと思うんですね。 要するに、もう今は終身雇用が崩れていますから帰るタイミングが様々で、大学を出たとき、それから結婚、それから子育て、それからセミリタイア、リタイアと。それからIターン、Jターンもあるわけで、Jターンは非常に多いですよね。要するに、親は、一緒に暮らしてくれなくてもいいんだけど、やっぱり近くにいてほしいと。本当にいろんなふるさとに帰る機会、様々な機会があるんだけれども、これを選ぶのが、Jターンですから自分が生まれた場所だから帰るわけではないんですよ。雇用だけでも駄目なんですよ。要するに、工業団地造って住宅造っても帰ってこないでしょう、皆さんの方が御存じだと思うんですけど。帰ってくるのは、子供の教育と環境とそれから広い意味での文化的なことですね。つまらないから帰ってこないんですね。だから、つまらない町はスパイラル状に滅んでいくんですよ。 だから、どこかで勇気を持って町づくりを変えて、そこに住むことに、もう特にお二人がおっしゃられたように、地域の人が自信を持ったり誇りを持ったりする町を、どこかでそこに踏み切らないと、今までの経済政策だけやっていれば人々は戻ってくるんだというのはもう幻想なんで、それを捨ててどこかで勇気を持つということが一番だと思うんですよね。それが持てる町だけが生き残っていって、持てない町は衰退することはもうしようがないというか必然だと思うので、その勇気の問題が一番大きいと僕は思っています。
○参考人(伊藤光男君) まず、端的に、どの辺から来ておられるんだということなんですが、大体、全体でいいますと一〇%ぐらいが滋賀県内でございまして、ほとんどあと京阪神と中部地区でございます。大体、我々のところから車で一時間から一時間半ぐらい。長浜というJRの駅、黒壁はすぐそばなんですが、大阪の梅田までは新快速で九十分でございます。名古屋の栄までは、今JR長浜駅で多分一時間十五分ぐらいの距離にあります。私どもは、多分長浜から二時間圏ぐらいに二千万人ぐらい住んでいるんじゃないかなと勝手に、琵琶湖の水飲んでいるのは今千三百万人と言われておりますので、名古屋を入れると二千万人になるのかなという感じはしていまして、大体お越しになるエリアはそういうところです。 ですから、残念ながら、長浜を五時に出ましても大阪へ六時半ぐらいに着くということなんで、日帰りばっかりでございます。一部泊まって、宿泊施設がないわけじゃなくて、造っているんですが泊まっていただけません。これから宿泊をどうするかという問題が、いつも市役所の観光なんかのやつとしゃべっているわけですけれども。 もちろん宿泊も大事なんですが、なかなか難しいのは、すぐ宿泊宿泊と言い過ぎるというのもありまして、宿泊したら金がいっぱい落ちるのは間違いないんですが、その代わり、宿泊することによって日帰りされる方に対するサービスというかフォローというのがいいかげんになる可能性もありますので、黒壁という、我々のやっているのは、宿泊を考えるのはよそと、長浜の中の違う部門で考えてもろうて、黒壁なんかは日帰りというか、来ていただいて楽しんでいただくという、できたら感動していただけるというのを大事にしたいなというふうに思っていますのと、先ほど、今の平田先生のお話の絡みですけれども、なかなか今おっしゃったように、行政施策で文化政策があり得るのかというのは、ちょっと感じないことはありません。 今、我々は、自分たち先ほど言いましたように決して文化的なことをやって人を集めているとは思っていません。たまたまガラスをやった、ガラス自体に文化性が高かったんでガラスをやっている町がすてきな町だというふうに見られるようになってきたんではないかな。そうやってそういう見る人が出てくると、今までの長浜って私の町が持っていた、自分たちも、また周りの人も気が付かなんだ非常に何か誇りにすべき文化的な中身というのが、その人たちも含めて見付けてくれはったんでないのか。 そうすると、この町並み大事にせなあかぬなとか、潰すよりは直した方がいいんじゃないかとか、そのときに、おやじからもろうたんやから潰さんとくかとか、そういう話がどんどんと、まあどんどんというほどではないですけれども、そういう感覚の方が、そうでない人、つまりもっと違うもの、箱もん造れ、箱って四角いもん造れみたいなものの意見よりも勝ってくるというか、こっちの方がいいなという感じになってくるんではないかな。まあ保守的と言うたら保守的ですけれども、急激な革新よりもやっぱりそういう中で判断されておる方が増えてきたんではないかなというふうに思います。 ちょっとお答えになったかどうか。済みません。
○会長(直嶋正行君) それでは、先ほど申し上げましたように、質疑、お答えともなるべく簡潔にお願いいたします。 では、藤谷光信君。
○藤谷光信君 参議院の藤谷でございます。 今日は、参考人の先生方、本当にありがとうございました。大変いいお話で、質問をするというよりか、なるほどなと思って感心して聞いておりました。長浜も私大好きで何度か行きまして、黒壁の町を始められるときに行きましてから、こういうふうに町づくりはするんだなというふうなことで感心した覚えがあります。 お聞きしたことでお尋ねしますので、お答えは自分と関連があるところだけを答えていただいたら結構かと思いますが。 今までは、芸術とか文化というのは好きな人がやっているという感じで、行政の方が相当力を入れて補助したりなんだりしながら進んだところもありますが、何か金食い虫みたいなところがあったわけでございますけれども、私は芸術やら文化というのがこれからの町づくりの基本になる、あるいは大きな力があると私は思っておりまして、今日の四名の方のお話を聞いて意を強くしたわけでございますが。 芸術文化振興都市宣言というのをした町もありました。全国で何都市かあるのじゃないかと思っておりますが、私も演劇が好きで演劇のグループを持っておりまして、もう五十年も続いているんですが、地元では、私のところは山口県の田舎でございますけれども、人口が十五万ですが、文化団体がお茶とかお花とか俳句とかバレエとか全部含めまして百十七団体ありまして、会員が一万人ほどおります。非常に元気でやっているんですが、私たちは町が、琴の音が聞こえたり、ピアノの音が聞こえたり、バイオリンの音が聞こえたり、あるいは鼓が聞こえたり、昔は聞こえていたんですが、田舎の町でございますから、しかし最近全くそういうことがありません。それで、もっともっとそういうことをみんながしようじゃないかということで、合い言葉でやっておるわけでございます。 初めにまず、平田先生特に関係がありますからお聞きするんですが、地方のそういうアマチュアの劇団などの育成といいますか、私どもは年に何回か公演していますが、そういうものによって、劇活動によって町づくりといいますか町の文化的な刺激をしている例がありましたらお話をいただきたいと思っております。 それから、先ほどお話がありましたが、もう文化ホールなどが、私のところの、そうですね、十分ぐらい車に乗ったところへ文化ホールが、私の自宅のところから四か所ぐらい千人の文化ホールがあるわけですね。それは合併しましたから、元々町、何町が持っていた、何市が持っていたというのがたくさんあるわけです。それで、いかにこれからはそれを使うことによって文化的な、あるいは地域振興ができるんだという話、ちょっとございましたが、そうだと思っておりますけれども、今ごろは指定管理者制度でちょっと使い勝手が悪くなっているとか、あるいは、もうちょっとそれを生かして使う方法があるのではないかということが盛んに指摘をされていますが、その点はどういうふうにお考えでしょうか。 それから、私のところに、演劇のグループですから、そこに中学校の不登校の子供が来まして、芝居が好きだというので来ました。それで、中学校にはもうほとんど一日も行かなかったんですが、芝居をやっているうちに元気が出て、私は高等学校へ行くと言い出して、高等学校へ行くといっても、ちょっとそれはなかなか、中学校を卒業してないんじゃないかという話をしまして、いろいろと学校の先生と相談しながらしましたら、何とか中学校を卒業できまして高等学校に行きまして、高等学校では在校生代表で送辞を読むというまでになりまして、演劇とか、そういう文化活動の刺激というのが、これは教育の方の分野になるか分かりませんが、いろんな面で地域の刺激を与えるんじゃないかと思っております。 それと同時に、伝統的な内子町の芝居小屋もありましたが、その伝統的な芸術とか芸能とか、そういうものの重要性というか、地域振興あるいは活性化にいかにつなげることができるかということのお気付きがあったらお話をいただきたいと思っておりますが。 伝統的な芸能とか伝統的な芸術文化が一部の人のものになっておる可能性があるわけですね。例えば、茶道とか華道とか、何道と道が付く字はだんだん衰退していくんだというようなことを言われる学者の先生方がおられましたが、私はそうじゃないと思うんですが、それのもう一回見直しによって、もっともっとその道も栄えるし、地域もそれによって刺激を与えていくんじゃないかと私は思っております。 それから、町並み保存で、長浜市、内子町、非常にいいお話を聞いたんですが……
○会長(直嶋正行君) 藤谷先生、簡潔にお願いします。
○藤谷光信君 ええ、まとめてお願いします、返事は。 それで、行政がどこまで手助けできるかということについて、お気付きがありましたら教えていただきたいと思っております。 一遍に何もかも申しましたが、よろしくお願いいたします。
○参考人(平田オリザ君) 文化ホールの問題から先に御説明した方がいいと思うんですが、私の個人的な経験で申し訳ないんですけれども、今年は四十日ほど、つい最近までフランスに滞在していまして作品を作っていました。毎年大体フランスで一本は作品を作るんですけれども、今年はパリ郊外のサルトルビルという小さな町の国立演劇センターで作品を作りました。これは児童劇で、フランスの子供向けに「銀河鉄道の夜」を作りました。作品を作ると、ここは国立演劇センターという中核の劇場なんですけれども、今このサルトルビルというのはイブリン県という、日本でいうと埼玉県の、パリの隣にあるような県ですね、あのベルサイユなんかがあるところですけれども、ここを今ずっと私の作品が回っています。 ですから、埼玉のさいたま市で作って、それが上尾市とか春日部市とかの市の市民会館を回っていくんです。要するに、子供ですから、埼玉県という非常に大きな県で、さいたま市に全員が、子供たちが行くわけにいかないので、各市の文化会館を回って、そこに小学校からバスで乗り付けて作品を見せるというようなことなんですね。これは極めて合理的な考え方で、作品を作るというのは非常に資金もそれから人的な資源も必要です。 今はどうなっているかというと、各市町村が作ったり見たりというのをばらばらにやっていて、結局、そうすると東京にアーティストは一極集中していますから、東京から作品を買うしかないんですけれども、各県には非常に立派な県立劇場がほとんどあります。そこが作品制作の主体を担えば、その地域で作った作品を回していくことができるんですね。実際にこれをやっている県もあります、静岡県あるいは兵庫県。 これ、音楽にしろ美術にしろそうで、こういった、もう日本には二千から三千と言われる公共ホールがあります。世界最大の劇場大国なんですが、これが全く階層化されていない。それから、地方自治体の天下りの職員がそこに巣くっていて、私たちアーティストが全くそこに、作品制作や、買い取ることにさえ関与できないんですね。要するに、プログラム選定をどうしているかというと、昨日まで下水道局にいましたというような人がカタログ見て、ああ、俺、このタレント知っているぜみたいな感じで何千万という予算を使っていると。これをとにかく排除して、きちんと専門家をそこに位置付けて、そして階層化を図ると。 ですから、例えば今先生お話しになったように、各地にもうたくさんホールあるわけですね。その中の一館はもう国際水準の作品を作るということに集中すると、別の館は、先生御指摘のようにアマチュアの芸術活動を支援すると。これ、階層化することによってそこに必要な人材も違ってきますから、もう貸出し中心だったらば指定管理者でもいいわけです。創造的な活動というのは専門的な技術を持ったスタッフが必要なんです。これを今、まあこれどの分野でもそうなんですけど、国交省の成長戦略会議にいましたので、港湾とか空港の行政に非常に似ているんですね。要するに、日本人というのは全部どこでもフルスペックでやろうとするから物すごく高コストな体質になってしまうわけです。これを各劇場をちゃんと機能分化してやっていけば、創造型、鑑賞型、そしてコミュニティー型、参加型と言ってもいいと思いますけれども、そういうふうに機能分化をして使っていくことが大事なんじゃないか。 そして、最初の御質問にありましたアマチュアの文化振興についても、そういう形でやれば税金の垂れ流しと言われずに、そしてその方たちに是非、これケネディの言葉ではないですけれども、自分たちに何をしてもらえるかではなくて、自分たちが地域の文化活動に何をしていけるかというふうに参加する場所として劇場を機能させれば、アマチュアの文化団体はもっともっと活性化すると思いますし、社会的包摂の役割を担っていただけるんじゃないかと思っております。
○参考人(稲本隆壽君) そういう劇場をどう使うかという藤谷先生の御質問もあったかと思うんですけれども、内子では内子座で太鼓、太鼓の鼓童ですね、鼓童もよくやります。それから、先ほど言いましたように、文楽も毎年やります。今年で十五回目なんですけれども、竹本住大夫先生にも来ていただいたり、その文楽をやるときには、地元の子供たちにあの三味を弾かせる、あるいはお人形を持たせる、大事なところを指導していただく、そういう日本の伝統とか文化、文楽は非常に面白いんだよと、こんなにすごいんだよということを先生たちに子供たちを指導していただくと、そういう時間を持っています。 また、太鼓の鼓童も、地元の県立高校の郷土芸能部という太鼓のクラブがあるんですけれども、そこを、来ていただいたときには指導していただいて、そこの県立高校の郷土芸能部はもう全国大会へ出るぐらいの力を持っているんですけれども、そういう関係を結んでいただいているということですから、子供たちもそういう人から教えていただくというのはやっぱりすごい喜びなんですね。これはやっぱり大事なポイントになるんじゃないかなと私思っています。 それから、地元にももちろん劇団があります。劇団があるんですけれども、そういう人たちとも交流をしていただくということで非常に広がりを持ってくる。うちの町はすごいね、こういう人たちも来てくれるんだよね、そして、私たちと一緒にお酒も飲んでくれるし、こんな話ができるんだよね、そういうものが町の人たちの誇りにつながっていくんじゃないかなというふうに私は思っています。
○会長(直嶋正行君) それでは、松下新平君。
○松下新平君 自由民主党の松下新平です。 本日は、参考人の皆様、示唆に富んだお話をありがとうございました。 〔会長退席、理事武内則男君着席〕 ちょっと時間の関係と、ちょっと深く聞きたいこともありますので、今日は平田オリザ参考人に大きく二問お伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします。 私からは、障害者と芸術文化について、もう一問が国の文化行政の役割はどうあるべきかという点について、御所見をお願いしたいと思っております。 平田先生は、私、地元が宮崎なんですけれども、障害者アート、これを十年以上御指導をいただいております。この障害者アートというのは、障害者の皆さんが感性豊かな絵をかかれたり、物を作られたり、それを商品として販売されているんですけれども、私の事務所にも何点か掲げてございます。 画一化する都市、そしてコミュニティーが分断されて、そういった社会の弱いところにひずみが出ると。引きこもりの話がございました。高齢者の問題もそうです。そして、障害者も同じだと思っております。 今国会で障害者基本法、この改正について今議論がなされているんですけれども、地元の障害者の皆さんから、ついこの間お話を聞きました。障害者の皆さんがネットワークをつくられて、そこで自分たちの意見をこの法案に盛り込みたいということなんですけれども、今議論されている問題が、障害者の皆さんはかわいそうだから手を差し伸べる、そういった考えに後退しているんじゃないかと、自分たちは社会に貢献したいんだと、そういったお話をいただきました。まさに、居場所、そして、そこから出番といった意味では、障害者と芸術文化について、平田参考人の御意見をお聞かせください。
○参考人(平田オリザ君) 障害者アートについて私も随分お手伝いをさせてきていただいたんですけれども、まず先生方に認識していただきたいのは、日本の障害者アートは世界的にも大変注目を集めております。昨年から今年にかけまして、パリのモンマルトルの麓にあります美術館で、障害者アートの美術館なんですけれども、日本の障害者アートの展覧会が半年以上にわたって開かれ、非常に多くの観客を集め、たくさんの出展品が売れたということです。 〔理事武内則男君退席、会長着席〕 ただ、これは民間では大変盛んなんですけれども、そして国際競争力も持っているんですが、日本の障害者アートに対する行政施策は非常に貧弱であると。これ、スポーツの方は、皆さん御存じだと思うんですが、パラリンピックが厚生労働省管轄になっていて、これは非常に大きな不満があって、スポーツ庁というのをつくって、そこに組み入れようという動きもあるわけですね。 これは障害者アートも全く同じで、これが文化庁の管轄になっていなくて、厚生労働省の管轄になっている。まさにその、障害者がかわいそうだからアートでもやっていてくださいというようなことが現状なわけですね。これはスポーツ以上に不満があります、障害者の方にとっては。 なぜなら、これちょっと誤解を受けやすい言い方ですけど、スポーツにおいては健常者と一緒に競うということはなかなか難しいわけですけど、アートにおいては障害者の方が上に立つ場合はもう普通にあるわけですね。特に美術においては、山下清さんに象徴される。 これは最近は大脳生理学なんかが発達しまして、どうも障害者、要するに脳に欠損がある場合に、非常に特殊な、私たちがもう見えないような色とか、私たちは三原色を別々の脳細胞が認識して、それをある統合する機能を持って私たちはふだん世界を認識しているんですけど、この統合する機能がない場合に、社会生活は営めないんだけれども私たちに見えないような色彩感覚があるというようなことが学術的にも分かってきて、こういった方たちのアートに私たちは非常に感動するわけです。なぜなら、恐らくそれは私たちの脳が本来は見ている色なんですね。それを代わりに見てくれているんですね。それが障害者アートの強みです。 こういったものというのは、今世界各国では本当に、何というか、一つのアートのジャンルとして、アウトサイダーアートとかアールブリュットというふうな名前で呼ばれています。滋賀県は、初めてこれ、今度文化条例の中に、障害者アートというのをポジティブな形でもう文化資源として位置付けたと思いますけれども、そういった動きも各自治体で出てきておりますので、是非そういったことを力強く推進していただきたいということと、これは要するに障害者に対する福祉施策ではなくて、文化政策の非常に大きな柱にこれからなっていくということを御理解いただきたいと思っております。 時間が限られていますので、国の文化行政ということではちょっとできるだけ短くお話ししたいんですけれども、世界最先端の作品をなぜ日本は作り続けなくてはいけないのかということなんですけれども、日本の文化予算は大体GDP比でフランスの十分の一、韓国の七分の一ぐらいというふうに言われています。大体先進国の平均の四分の一から五分の一、極めて低いわけです。 僕は、よく御説明申し上げているのは、かつてあのタリバン政権がバーミヤンの仏教遺跡を破壊しましたよね。あれ、世界中から非難を受けたと。それは、あの仏教遺跡は決してアフガニスタン人だけのものではないし、ましてタリバン政権だけのものではなくて、世界共有の財産だからです。それを破壊すると世界的に非難を受けるわけですけれども、文化政策の基本というのは、過去から価値を受け継ぎ、それを保護し、育成し、継承するのが文化政策の基本です。 日本の場合には、保護はしているんですけど、育成したり継承する予算は、要するに先進国の五分の一ぐらいなんですね。ということは、そこについての先進国としての責務を怠っているということです。これを僕は緩やかな文化破壊というふうに呼んでいます。要するに、日本の今の文化政策の現状では、これは緩やかに文化破壊をしているんだと。緩やかだから世界中から非難を受けないだけであって、本来はユネスコ辺りで決議をしていただいて非難を受けるべきものだと思っています。 もう一つは、ソフトパワー戦略ということがあると思うんですね。韓国は今も文化予算を伸ばしています。これはもう理由は簡単です。日本がなぜこの二十年間停滞してしまったかということを韓国政府は徹底的に分析し、何千本というレポートを出して、その中で、要するにソフト、要するにキャッチアップ型の経済で日本も韓国もやってきたわけですね。しかし、キャッチアップしてからどうするんだと。そこから先はもうクリエーティビティーの勝負なんだと。このクリエーティビティーに欠けていた、教育も行政もそこが欠けていたのが今の日本の停滞の原因であると。だから、そのクリエーティブな産業を興すためには教育も行政機関も文化政策をきちんとしなきゃいけないというのが韓国政府の今の基本的な方針で、このままいくと、恐らくフランスを抜いて韓国の文化予算は世界最大になると思います。 恐らく、まだ日本は民間のソフトパワーは強いですから優位に立っているわけですけれども、いずれスポーツと同じように、あのフィギュアスケートとかと同じように頂点で抜かされると思います。日本は伝統がありますから完全に全部が抜かされるとは思いませんけれども、この間のバンクーバーの冬季オリンピックのように金メダル数でもうすぐに韓国に抜かされると思います。そのままでいいかどうかというのは、先ほども申し上げたように政治の非常に強い判断が必要なところだと思っています。
○松下新平君 ありがとうございました。まさに障害者の芸術文化については文化による社会包摂の一つだと改めて認識をいたしました。 先生の「芸術立国論」も読ませていただいたんですけれども、国の文化予算、大変貧弱なものだと。そして、先生は海外でも活動をされていらっしゃいますけれども、今御指摘をいただきました。 我々は、日本のアニメとか伝統文化とか、もっと国際社会にアピールして日本を理解してもらうという努力も必要だと思うんですけれども、その点についてもう一度お願いします。
○参考人(平田オリザ君) アニメ、漫画は国際競争力があることはもう間違いないですし、どんどん売っていった方がいいと思いますが、一方で、これを国策でやる場合には注意が必要かと思います。 アニメというのはやはり暴力的という印象が非常に特にヨーロッパでは強いので、これを国が後押ししているということがそれほどいいイメージを与えるかどうかとか、非常に注意深く、僕は余り偏見はない方だと思っているので、そこも大事なんですけれども、先端的なものとか基礎的なものもきちんとアピールをしていく必要があるだろうということですね。 フランス外務省文化部という非常に強い組織があるんですが、フランス外務省文化部の官僚たちは口を開けば、フランス製品が売れるのは、フランスが世界一の文化大国であるというイメージを維持し続けているからだと。だから、最先端の演劇、音楽、美術、要するに先端芸術にも、それ自体は集客が少なくても、そこで勝っていかないと駄目なんだと。要するに、金メダルやノーベル賞を取っていかないと国家のブランドイメージが下がってしまうので、そこにフランスの文化政策の意味はあるんだと。ルイ・ヴィトンが売れるのもシャネルが売れるのも、このフランスの文化政策が国家のブランドイメージを支えているからだというのが基本的な、これを外交文化戦略といいますけれども、フランスの外交文化戦略なんですね。そういったポリシーが日本のこれまでの政策には欠けていたんではないかと思っております。
○松下新平君 ありがとうございました。
○会長(直嶋正行君) それでは、横山信一君。
○横山信一君 今日は、四人の参考人の皆様に大変に貴重な講演をいただきましてありがとうございます。 端的に伺ってまいりたいと思いますが、まず平田先生に、文化の地域差の話をされましたけれども、文化政策の向かう方向の中に、コミュニティーというか緩やかな社会共同体という話もされましたが、その共同体を再生するという方向と、それから、ナントあるいは金沢市のような経済効果を生み出すという、当然方向性は違うと思うんですけれども、文化政策として、今日は時間が短かったので、そこのところをもう少しちょっと掘り下げてお願いしたいと思います。 それから、河島先生ですけれども、文化に投資をするという、創造過程への投資というお話をされましたが、私は北海道なものですから、北海道は伝統文化が非常になくて、その分伝統文化に非常に強い憧れを持っているんですね。ですから、強い憧れということと、それがそのまま文化に投資をするということにはなかなか通じていかないというか、そういう文化に投資をする発想を持つにはどうしたらいいのかという、そういう仕掛けが必要なんじゃないかと、教育ということも含めてということになりますが、その辺についてのお話を伺えればと思います。 それから、稲本町長に、文化政策は当然その地域の町の再生には、地域性はもちろんあって、そこには当然農業というのは深くかかわってきていたと思うんですが、こうした町並みの再生を通じた地域の活性化によって農業はどの程度再生しているのか。具体的には、専業農家はちゃんと確保されているかとか、それから農業関連産業はどうなっているかとか、その辺の具体的なお話を伺いたいと。お願いいたします。
○参考人(平田オリザ君) 社会包摂的な部分と経済振興の部分は、どちらも文化政策を支える大きな理由付けになると思うんですが、私の個人的な見解では、やはり社会包摂的な部分というのはマイナスの側面というか、これから日本の人口の減少とか少子高齢化とか、それから経済の不況が長引いたりとか、そういったことに対する対症療法的なものであって、決してこれがすごくすばらしい成果を上げるというようなことはなかなか期待できない。非常に漢方薬的なものだと思うんですね。やはり今の御時世ですから、この漢方薬的なものだけではなかなか、例えば首長さんが議会を説得したりする要素としては弱いと思うんですね。 そこでもう一つ注目されるのが、特に観光なんかに象徴されるような経済的な側面であって、ここはまさに政治的な判断で、この二つをうまく組み合わせて文化政策というものをつくっていくことが重要なんじゃないかと。これは決して矛盾するものではなくて、ナントなんかも社会包摂的な部分、失業対策、雇用対策の部分と経済振興を併せて行いましたので、矛盾することではないので、あとはもう本当に政治の優先順位と組合せだというふうに思っています。
○参考人(河島伸子君) 大変いい質問をいただきまして、ありがとうございました。 文化創造への投資という発想がちょっと持ちにくいのではないかと、北海道では持ちにくいのではないかという御発言ありましたけれども、多分、文化という定義を割合狭く考えてしまうとやはりそういうことになるかと思いますけれども、ここではもっと広く考えまして、北海道には食というすばらしい文化資源があるんですね。それも使いますと、実は日本人にとって一番なじみのある垣根が低い文化的な資源って食文化ではないかと思うんですね。 私、従来の文化政策の中では食文化というのをちょっと取り上げにくいなというふうに常々感じてはいましたので、自分の論文ですとか著書の中では取り上げていないんですけれども、食があるということで、芸術文化に対しても、あるいは遺跡だとかそういうものに対しても急に垣根が低くなって誰でもなじみやすくなるという、そういう効果があると思うんです。 逆に、たしか二週間前のこの調査会で、奈良が、地元の先生が御発言されていて、それで、奈良はどうして観光客がこんなに文化資源があるのにもう一つ来てくれないんだろうというような悩みがあるというようなことをお話しされていましたけれども、奈良はいわゆる歴史的な文化資源は物すごくあるんですけれども、もう一つ食文化の点で頑張りが足りないんじゃないかなとインターネット中継を見て感じていたんですね。 ですから、瀬戸内の事例でも御紹介しましたけれども、瀬戸内若しくは篠山の事例でも御紹介しましたけれども、その地元の、日本にはすばらしい食材が地元地元にあるわけですよね。それを生かして、そして現代的なアレンジも見せてそこで引き付けていくと、急に現代アートだとか舞台芸術で難しいと従来は思われるようなものが身近に感じられるということがすごくあるんだと思います。 私、ちょっとお手伝いをしている地域の公立文化ホールが、ガラス張りで人が入りやすいところにもかかわらず、余り皆さんが素通りして自分たちには関係ないところだと思っている人が多いという悩みがあると聞くんですね。そういうところ、全国に山ほどあるんです。もう思い切ってもちつき大会でもしたらどうですかと提案しているんですけれども、それで多分子供が入りたいといって親を引っ張って入っていって、それで見てみたら、あら子供向けのミュージカルもやっていたんだとか、いろんなことをやっている場所なんだなということで、急に自分の中の壁というのがなくなる、日本ではそういう効果というのがとても期待できると思っているので、北海道にはそのすばらしい資源があるんですね。それを是非生かされるといいのではないかと思いました。 先ほど伊藤参考人が、ガラスは何も関係ないけれども持ってきたんですというようなお話されていましたけれども、黒壁の事例の文化資源はもう何といっても町並みだったんですね。それが最初にあったところで、ですから、やはり文化を生かした町づくりの事例には絶対間違いがないんです。それに付加するものというものは、またそのときそのときその町の発想でやっていったらいいのではないかというふうに思います。 それからもう一つ、札幌はちょっと特殊に創造都市という北海道の中では突出した存在ですから、さすがに文化芸術都市宣言ということで創造都市としても名のりを上げていますのでいろいろやっていますけれども、その中でも面白いのは、結構ITを使ったり、それからアニメとか漫画だとかサブカルチャー的なことをやったり、それからもっと純粋アートを専門とする人たちを集めて育てていくインキュベーター施設というふうにそういうものを呼んだりしますけれども、そういった施設を札幌市の中で運営しておりまして、大したお金は掛かっていないと思うんですね。昔の学校だったか養護施設を改造したようなところでして、まあ家賃を少し払ってもらうぐらいで、あとはもう自らビジネスも起こしてくださいということで、その中でIT関係の人と純粋芸術の人と、現代アートをやっている人とかいろいろな人の交流があって、ワークショップも設けたりセミナーをやったり、外国からアーティストが訪ねてきて何か月も滞在したりといったようなことをやっておりまして、それで、新たなビジネスというのを幾つも起こしているという事例もあります。 ですから、今からやる文化政策として、それほど実は大金を掛けなくても、従来あるものを生かしつつ、そこに本当に少しずつ手を加えたり地元の人のアイデアを加えていくことでかなり大きなことができる世の中にはなっていると思うんですね。 ただ、そのために、平田参考人が先ほどから何度も御指摘があったように、政治家の方々の決意というのが本当に今までもうひとつ感じられなかった。首長の方々、それから国政レベルでの、自信を持って文化でいこうというその発言がない限り、なかなか行政の現場の人たちは怖くて動けないんですね。今まで私何度も行政の方々に研修は重ねてきましたけれども、最終的にはうちの首長がというふうにどうしても言われてしまうんです。ですから、もう本当に先生方にそこのところを今日決意して帰っていただけたらこんなにうれしいことはありません。
○参考人(稲本隆壽君) 地域の農業とどうかかわるかという話だと思うんです。私は総合産業だと思っているんです。文化あるいは町並みを保存していくこのプロジェクトも、農業を再生させていくということも、やっぱりこれはお互いにリンクをさせて、横串を刺して、小さな町ですから総合力で全体を上げていくと。町並みだけ単独でとか芝居小屋だけで単独で、農業だけで単独でということは、なかなかこれは難しゅうございます。 しかし、その中でもこういう歴史的な建物を保存するということは柱になるというふうに思っています。これをやりましたおかげで年間百万人ぐらいのお客様に来ていただけるようになりました。そして、先ほども申しましたように、農産物の直売所をつくったものですから、ここに来られたお客様が直売所の方に今度は行かれるんですね。そして、直売所で出ているものが町並みの民宿のおやじさんが料理として使ってくださる、また買ってくださるというふうに循環していくわけです。 この直売所もローテンブルクとつながりがありまして、養豚業の息子がローテンブルクへ行きまして、そこでハム、ソーセージを修行して、三年間行ってたんですけれども、帰ってきて、ここの直売所でハム、ソーセージを作っている。町並みに来たお客様がそれを買ってくださるというようなことで、ここの直売所だけで年商大体七億二千万ぐらい、地域の若い人たち、お母さん方を中心に五十三名雇用をしています。ですから、小さな町の中ではもう一大産業になっているんですね。これは、農産物を販売するところでもありますけれども、町内で大きな経済を支えているということにもなっているということでございます。
○会長(直嶋正行君) では、上野ひろし君。
○上野ひろし君 上野ひろしでございます。 四人の参考人の先生方、どうもありがとうございました。 ちょっと重なってしまうんですけれども、平田参考人とあと河島参考人に一問ずつ質問をさせていただきたいと思います。 まず平田参考人にお伺いをしたいんですけれども、美術館それから音楽館、劇場のような場所を造って地域を活性化をしていくという話を伺わせていただきました。金沢の21世紀美術館、ほかにも美術館、うまくいっているところはたくさんあると思うんですけれども、こういう話を聞くと、単にこういう美術館のようなものを造ればうまくいく、百五十万人ぐらいの観光客も来るというような幻想を持ってしまうところもあるんじゃないかと思うんですけれども、一方で、行政主導で例えば美術館を造ったり音楽館を造ったりしても、うまくいっていない例というのも多分たくさんあるんだと思うんですね。 そういう中で、ではどういうことに気を付けていったらいいのかというのをお伺いをしたいんですけれども、文化活動、特に施設を使った文化活動による地域の活性化をするときの留意点といいますか、成否を分ける要因というのは何なのかというのを是非お伺いをしたいと思います。 私、地元群馬なんですけれども、音楽センターを造ろうという話もある地域でやっておりまして、これは今ある既存の音楽センターを、耐久時期が来たので建て替えようという話を、建て替え先行という形でやりがちなんですけれども、それを使って地域にどういう影響を与えるのか、また観光にどういう影響を与えるのかという議論というのはどうしても後回しになりがちなんですけれども、どういう考え方といいますか、留意をしていったらいいのかという話をまず平田参考人にお伺いをしたいと思います。 あわせて、御専門外かもしれないんですけれども、御説明の中でスポーツを活用した地域振興という話も一点あったかと思うんですが、例えばどういうやり方をしたらいいのか、またうまくいっている事例の御紹介などあればお願いをしたいと思います。 それから、河島参考人の方なんですけれども、瀬戸内国際芸術祭、それから丹波篠山の事例、地域でいろんな取組、うまくいっている事例というのをお伺いをいたしました。 これも、そういう事例を見ると、いいなと思う自治体、地域というのはたくさんあると思うんですけれども、自分のところで同じような取組をしようと思ったときに、なかなか成功したところと同じことをやってうまくいくわけでももちろんないと思いますし、自分の地域のどういう観光資源が可能性があるのかということについても、なかなかどう使ったらいいのかというのが分からない自治体、地域というのがたくさんあるんだと思うんですね。 相談する先もなかなかないし、結局手を付けられないということにもなりかねないんだと思うんですけれども、先ほど政治家側の決断次第だという話もあったんだと思うんですが、なかなかそこまで踏み切れない事例というのはたくさんあるんじゃないかと思うんですけれども、そういう中で、地域の活性化のために地域の文化資源、観光資源を使って、どうしたらまず最初の一歩を踏み出せるのかというところを是非お考えをお聞かせいただければと思います。
○参考人(平田オリザ君) まず、河島先生にもお話があったように、造るというのはもう要らないので、今もう十分過ぎるほどあるので、ソフトですね。ソフトについてですが、二つポイントがあります。一つは、特に観光政策で言われることなんですけれども、同心円上の集客。要するに、地元に愛されない施設は外からは来てもらえません。もう一つは、参加体験型というのがキーワードになります。 金沢市の現代美術館は、小学校四年生は全員が遠足等で必ずこの美術館に行きます、これは無料なんですが。そうすると、もう一回来てくださいみたいな何かチケットを渡すらしいんですね。例えば、金沢に、これちょっと遠回しになりますが、ディズニーランドは浦安市民が一番パスポートを持っているんですね。これは、ディズニーランドというのは浦安市民とか千葉県民にとって誇りなので、全国からお客さん、友達とか親戚が来ると一緒に行くんですよね。一緒に行って、パスポートだから何回行ってもただだから、それで、じゃ、このアトラクションはもう私見たから、私レストランで待っているわと、これ好きだから何回も行くわと。私、大阪大学なんですが、大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン、大阪の人は行かないんですよね。暑いから行ってきてといって、行かないんですよね。ここに違いがあるんですね。 金沢市の現代美術館は、行かれた方は分かると思うんですけど、有料ゾーンと無料ゾーンがあって、無料ゾーンにもいろんな体験型の施設があって、子供が遊んだりできるんですよ。そうすると、例えば小学校四年生の子が学校で行って、夏休みにどこか近くのおじいさん、おばあさんが一緒に来たとしますね。そうすると家族で、孫に、おじいちゃん、現代美術館行こうよと言って、いや、俺、現代美術は分からないからなって拒否するおじいちゃん、おばあちゃんはいないと思うんです。うちの子はアートが分かるのかみたいに誇りに思うと思うんですよね。一緒に行って、もしちっちゃい妹、弟がいたら、じゃ、お父さんと妹、弟はこの外の施設で遊んで待っているわと、おじいちゃん、おばあちゃんと嫁とその小学校四年生だけ中行って展示するとかというふうにリピーターが来やすいようになっているんです。地元の人が、周りにこんなにすばらしい施設がうちにあるんですよと誇りが持てるということがまず一番大事なんですね、そういう仕掛けをつくっていくということ。 それから、現代アートは分かりにくいんですけど、河島先生の御指摘にもあったように、自然に溶け込んでいたりとか触れたりとか、その中に入って写真が一緒に撮れたりとかという参加体験型にすると非常にいいんですね。 これ僕、観光の仕事を前原大臣に頼まれて国交省の成長戦略会議の観光部会の座長をやっていたものですから、それを僕はローマの休日効果と名付けたんですけれども、ローマの休日という映画が何で強いかというと、あれはスペイン階段でソフトクリームをなめたり、トレビの泉でコインを投げたり、それから真実の口に手を突っ込んだり、要するに、見るということと主体的な体の動きが一緒になっているんですね。これも最近、認知心理学なんかで研究が随分進んでいるんですけど、どうも人間の深い記憶というのは、この主体的な自分の動きと、それから見るとか聞くという受動的な動きがセットになっていると深い記憶になるらしいんですね。だから、思い出に残るということなんですね。だから、ただ単に名所旧跡を見て回るだけじゃ駄目で、これ参加させないと駄目なんですね。 これも面白いなと思ったのは、静岡県で、今観光、中国のお客さんは東京、京都、大阪しか回らないんですけど、途中で富士山を見るために静岡へ寄るんですが、お茶を売りたいんですよね、静岡県としては。だけど、中国人にお茶を売るのはとても大変なんですよ、ふだんからお茶を飲んでいるわけです。ところが、これ、茶道のセレモニーを体験させると、その後でお茶の売上げが六倍に増えるそうなんですね。要するに、これ参加体験型にしていくと非常に波及効果が高い。だから、そういったものが重要になると。 これスポーツ観光も全く同じで、例えば今沖縄のキャンプ地で潤っているわけですけれども、ただそれだけではなくて、やはり参加体験型にしていくということが持続性を持つと。 そういう施設をこれからどういうふうに活用していけるかということなんだと思うんですね。その活用の仕方が地域によって非常に強いところと弱いところの差が出てきているというのが現状なんじゃないかというふうに思っております。
○参考人(河島伸子君) 確かに最初の第一歩というところが実に難しいとは思うんですね。先ほどから話に出ていたように、地域の人にとってはもう余りに当たり前になっていて、その文化的な資源というのがいかにすてきかということが分からなくなってしまっているということは、本当によくある話なんです。 ですから、平田参考人もおっしゃっていましたように、まず最初の第一歩としては、具体的に申し上げますと、やはりよその人に来てもらって、再点検をみんなでしましょうみたいなことというのが一つあり得るかなと。私のような仕事をしている人というのもたくさんいますから、仕事というか、こういう専門をやっている人もたくさんいて、いろいろな事例も知っていますので、別に大学の教員というのがどこまで実際の地域おこしのお役に立てるかどうか分かりませんけれども、何か再点検のお手伝いぐらいは一度はできるかなという気がいたします。 その上で、分析をしていく中でだんだん地域の人たちのネットワークが生まれていき、そしてどの事例も、篠山の事例にしろ内子町にしろ瀬戸内にしろ、いきなり大きなプロジェクトが始まったという話はほとんどないと思うんです。小さな第一歩をまず踏み出すところが本当に難しいんですけど、そこさえ乗り越えていくと、時間を掛けてだんだん共鳴する人が現れてきたり、アイデアというものがぶつかり合っていってコミュニケーションも生まれていき、即興的な形でどんどんどんどんこういう活動が広がるという、そういう事例でもう五年、十年掛けてやってきているんですね。金沢にしてももちろんそうですし、横浜市、神戸市、札幌市、もう創造都市として名前を挙げている事例というのはみんなそうなんです。 ですから、ほかの事例を学んでいいなと思うけれど、なかなかあそこまではいけないよねという大きいところも見ることも大事なんですけれど、初めの一歩というのは本当に小さいことから、あの公民館をもうちょっと活用してみようよとかいうような呼びかけからでも十分いいと思います。ただ、それが行政であるとか政治的に上から押し付けるというものはなかなか受け入れられにくいこともありますので、なるべく地元のNPOのような組織と協働しながら、あるいは大学等があればそういうところとも連携しながら、少しずつやっていくしかないのではないかなというふうに思います。
○上野ひろし君 ありがとうございました。
○会長(直嶋正行君) それでは、田村智子君。
○田村智子君 今日は本当にありがとうございます。是非、内子町、長浜市にも伺って、現場でいろいろお聞きしたいと思います。 今日、済みません、質問はまず河島参考人にお願いをしたいんですが、実はこの調査会でおととい、昨日と岡山に視察に行きまして、その際もバスガイドさんから、瀬戸内の島々のアートフェスティバル、すばらしい取組だったということがバスの中で紹介をされていました。 それで、あれは企業と芸術家と自治体の枠も超えた取組、地元の住民の皆さんの協力も得てということで、大変大掛かりな取組だなというふうに思っているんですが、端的で申し訳ないんですけれども、これが成功した大切だと思われるポイントを幾つか是非御紹介いただきたいなと。そもそもどうしてこれが具体化できたんだろうというぐらい不思議な取組なので、是非お伺いしたいと思います。 それから、平田参考人になんですけど、今日お話をお伺いしていて、経済活動の中では出会うはずのない人間が出会うんだと、これが非常に、言わばルーチン、産業活動、日常活動のルーチンを打ち破るようなエネルギー、地域活性化につながるという可能性を非常に感じました。ある意味、これは出会うはずのないものの共生ということが地域の活性化につながるということで、今後は是非いろいろ考えてみたいと思っているんですけれども。 そうすると、それだけのエネルギーをアーティストの側も生み出さなきゃいけないわけです、他者とかかわって。ところが、実際の特に若手のアーティストの日常を見ると、まさに自分の日常生活のルーチンの中に入らざるを得ないような実態があると思います。 先日、千葉に伺いましたら、千葉県のオーケストラでは、もう既に、一年契約どころかコンサートごとにオーディションをやって、一年にも満たないような契約期間という団員が増えてきているというお話もお聞きしました。 こうした、特に若手ですね、いかにエネルギーを爆発させるような養成を行うかということで、御意見ございましたら是非お聞かせください。
○参考人(河島伸子君) 瀬戸内の事例は、元々やはりベネッセコーポレーションの力が非常に大きいとは思います。福武總一郎さんが、まあ瀬戸内、岡山の会社ですから、地元にお返ししたいということで、企業メセナという形で、企業の社会貢献ということで、瀬戸内の地域活性化と、それにアートを加えたいというもう全く多分個人的な思いから始まっているんだと思います、直島にホテルを造って、行かれていないですよね、そちらには。こちらも高級な大人向けのホテルですので、先生方も是非いらしても大丈夫なところですけれども、そこに地中美術館という安藤忠雄建築の美術館も造ったりだとか、全て企業メセナとして行っているというのがあるんですね。 企業メセナというと、先生方あるいは社会一般で、企業はやはり短期的な利益を追求していて、この御時世で文化でもないだろうと思われるかもしれませんし、バブルのころならともかく、今ではそういうことをやる会社というのは減っているだろうと思われるかもしれませんけれども、それは元々バブルだからということでブームに乗って入ってきた会社は後退したんですけれども、元々やりたいと、本当にきちんとした形で文化に取り組みたいと考えてきた企業というのは、いまだにもう地道な物すごくいい活動をやっています。 企業の場合、普通の活動ですと自らの市場開拓だとか市場の中でのシェアということを考えますので、ほかの企業と協力とか連携というよりは競争がまず最初にあると思うんですけれども、メセナについては割合それが緩いといいますか、うちの会社一社ではお金出せないからみんなで出しませんかみたいなことで、一社二十万ずつでみんなで百万出しましょうみたいなことというのは日常的にあるんですね。 それは、企業メセナの担当者の人たちというのが非常に優れていまして、会社の中での、一番最初に始まったころは、もう自分は何でこんな仕事に就いて、もう営業マンだったのに訳の分からないことをやらされてとぶつぶつ言っていたのが第一期だとすると、今は会社の中では結構憧れの部署になっているんです。それは、もうどこの営業に行ってもなかなか物も売れないし、お客さんから怒られてというのをやっているのに比べれば、文化に対する投資をうちの会社ではやっていますというのは誰からも喜ばれる本当にいい仕事で、そしてそのアーティストの喜んだ顔や、その地域に還元したことで喜んでもらえるということで、とても憧れの部署に変わったんですね。資生堂の前の社長というのは元々企業メセナの担当だった方でして、私はもう社長にまでなられたのかと、出世街道まっしぐらなわけですね。 今、企業の中ですらそういうことになっていますので、行政の中でももう文化担当というのは出世街道の王道だということになっていかなきゃいけないと思うんですよ。先ほど北海道の御質問をいただいたときちょっと言い忘れたんですけれども、全く同様でして、今まで文化行政がうまくいっていないのは、その行政の中で優秀な人がそこに配置されないからなんですね。よく文化は非常に専門性が高いので、それが分かっていない人が来ているからいけないんだというふうに言われてきたんですけれども、そうではなくて、能力が高い人であれば、その仕事に就けば本当はできるんです。それが、マイナーな仕事であると、出世街道ではないと思われていたがために外れていて、文化だからできないんじゃなくて、その公務員の人はほかの仕事に就いても余り能力を発揮できないタイプの人だったのがいけないのではないかと私は思っているんです。その証拠に、文化的な知識がなくても、専門的な知識がなくても、優秀な人が就いてくれれば、ぐんぐんその文化行政は伸びているんですね。 済みません、ちょっと話が飛びましたけれども、瀬戸内が成功した要因というのは、一つは、やはり企業メセナの力が非常に大きいということはあると思います。それから、あとは、地元の方々と島に住む高齢者の方々からすると、ああいう訳の分からないアート作品が突然来てというのはやはり本当は違和感あることなんですね。ですから、そこのところは非常に工夫していまして、いきなり持っていって、はい、今日からアートです、あしたから百日間もう観光客が押し寄せますよ、何とかしてくださいでは、それは絶対うまくいかないんですね。設置の期間からアーティストがもうずっとそこに何か月か移り住んで、それでこんなことをやっているんですよという対話をして、アーティストの側も瀬戸内の暮らしとか文化とか歴史を理解しながら、それを反映した作品にしていくという、これが、このプロセスが大事なんですね。そうすることによって地元のおばあさんたちもおじいさんたちも物すごく作品に愛着だとか、自分なりの解釈も持って、美術史上どうこうとか、そういうことではなくて、自分にとっての私のアートはこういうものなんだという、その解釈を持って自分の言葉で語れるまで成長しているといいますか、変わっていくという、これが成功の原因だったのではないかと思うんですね。 私、会期の最後の方に訪れたんですけれども、もう本当に絵にかいたような美しいところで、もうおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんがみんな声を掛けてくれて、今日はどこへ行くのとか、こっちに行くにはどう行ったらいいんですかという、もう百万人の人が同じ話をして、さぞかしうんざりするだろうと思うんですけれど、それがないというのが本当にもう不思議で感動して、丁寧に教えてくれて。 うれしかったんだと思いますよ。彼らは、そういう人が来てくれて、自分たちが既に愛着を持ってもう何か月も付き合ってきたアーティストの作品を外の人がこうやって見て、それで帰っていくというのが、ばたばたばたと観光客が来てお金だけ落として帰っていって、そこで何も残らないではなくて、もう少し持続的なコミュニケーションが生まれたということがどうもうれしかったのではないかと思います。その辺り、成功の要因として考えております。
○参考人(平田オリザ君) ドイツにしろ、フランスにしろ、ヨーロッパでも文化政策それぞれ違うんですが、大事なことは、劇場とか音楽ホールとか美術館にきちんと専門家、アーティストが雇用されているということです。ドイツの場合には劇場が丸抱えしますし、フランスの場合にはアーティストに対する最低所得保障があって、それで賄われているわけですけれども、それ、何が違うかといいますと、例えば、先ほど私の作品の話をしましたけれども、今ずっとフランスじゅう回っているんですが、そうすると、私の作品が上演される一週間前ぐらいからその小学校では日本についてとか日本文化についてとか宮沢賢治についてとかという授業もして、その授業の教材とか教え方を用意するのも劇場の仕事なんですね。劇場には、各劇場に教育担当プロデューサーというのがいて、地域の学校と綿密に連携をしてプログラムを提供するというのは劇場や音楽ホールの責務になっているわけです。そういう専門職員がいると。 これ、河島先生の話と連動するんですけれども、日本の場合には、先ほど申し上げたように、本当にもう天下りとか出向職員で二年三年、とにかく大過なく過ごして次の職場に行くということがずっと続いてきたわけですね。アーティストに全くお金が回らない。 要するに、アーティストも公的な職業に就きますから、自分の作品を作るだけではなくて、教育とか社会包摂の仕事もするわけです。それで給料をもらうわけですね。 それから、若手の演出家でいいますと、フランスの場合、早ければ二十代後半で先ほど申し上げた国立演劇センターの芸術監督になります。二億、三億の事業予算を使うことになります。当然それは公的なお金なので、自分のプログラムだけではなくて、どういう作品を市民に見せたらいいか、どういう社会教育活動をすればいいかということを一生懸命考えます。その中で競争と淘汰があって、頂点の国立劇場の芸術監督になっていくんですね。これがフランスのシステムです。 要するに、日本の場合には競争と淘汰もないし、アーティストが誇りを持って働ける職場もないと。今、音議連の先生方にも御協力をいただいておりますけれども、劇場法というものを作りたいということで、文化庁の方でも審議をしていただいております。要するに、劇場、音楽ホールに関するその意義を規定する法律さえ日本ではないんですね。劇場や音楽堂というのは、日本では今までは単なる集会施設、人が集まるための施設であって、芸術施設ではなかったんですね。やはり、ここをきちんと芸術施設であるということを位置付けて、そこに働く人々の資格やその職分というものをきちんと法律で定めて、それを地域振興、観光や町づくりの核にしていくという位置付けが、やはり日本というのは法律で動く国ですから、法律上必要なんじゃないかというふうに思っております。
○会長(直嶋正行君) では、福島みずほ君。
○福島みずほ君 ありがとうございます。それぞれ大変興味深い話を聞かせていただいて、本当にありがとうございます。 まず、平田参考人に一つお聞きしたいのは、全国へ行くといろんな博物館や美術館やいろいろあると。行ってすごく感動するけれども、例えば那須にあったニキ美術館などは閉鎖というふうに聞いておりますし、実は美術館、ちっちゃい美術館やいろんなものがどんどん閉鎖していったりしているという現状があると。 そうすると、一体何が違うのか、あるいは一体どうしたらいいのか。個人的というか、頑張っていろんな美術館、博物館、もってきたようなところがむしろ廃れていっている面もあり、どうしたらいいのかという点についてお聞きをします。 次に、河島参考人にお聞きしたいのは、瀬戸内海の海でモダンアートってもうすばらしいと思うんですが、私も地方出身なので思うのですが、その時期は例えば潤うんだけれども、人がいなくなったら元の寂しい町が残るみたいな。ですから、確かにモダンアートの芸術祭をやったり、そのときに来た人はもう一回、じゃ瀬戸内海を見に行こう、島に行こうと思ってくれるとは思うんですが、フェスティバルやいろんなことがそれをどう続けていくのか。これは、平田さんのところでイベントについての理解ということで論文もありますけれど、その華やかだった時期を過ぎた後、地方が残る、私が残るじゃないけれども、そこをどうしたらいいのかということについてお聞きをします。 そして、稲本参考人とそれから伊藤参考人には、文化庁と観光庁は何をやったらいいのか、というか、やらない方がいいのか。行政が口出すと多様性が失われるのでしない方がいいのか。もし、文化庁、そしてできたばかりの観光庁がどう動いてくれると本当にいいのだろうかということについて教えてください。
○参考人(平田オリザ君) 美術館が潰れていく理由は様々なので一般的なことは言えないんですけれども、まず一つは、諸外国に比べても非常に劣っている税制の様々な優遇措置というのを是非お願いしたいということはあります。一つには寄附税制の問題、もう一つが固定資産税等の減免の問題、これらはそれほど実は財政負担、物すごい大きな額ではないので、すぐにできることだと思っています。 ただ、アメリカの例を見ても、私たちが今やっているようなワークショップ活動とかアウトリーチ活動と言いますけれども、こういったものが始まったのは実は今の話と逆で、寄附が集まらなくなって、六〇年代後半から七〇年代、寄附が集まらなくなって、美術館もただ来てもらうだけではなくて、町に出ていこうということでアウトリーチ活動というのは始まったんですね。 やはり、そういった美術館、博物館もただお客さんを待っているだけではなくて、美術館に来られない人たち、あるいは来る動機付けが弱い人たち、それは小学生、先ほどの金沢の例のような小学生とか、あるいは病院の入院、長期入院の方たちとか、あるいは高齢者の方たちに美術館の側から出ていく、それから社会教育などに積極的にかかわっていくということをやはりアイデアを出していかないとそれは難しいのではないか。 文化政策は福祉政策ではないので、僕は全部を助ける必要はないと思います。やはり、自助努力のある劇場、音楽ホール、美術館が生き残っていくという競争原理は多少ないと、経済行為とは違うので全部競争では困るんですが、そこは両面がないと難しいんじゃないかと思っております。
○参考人(河島伸子君) 一言だけ美術館のことも申し上げたいんですけれども、美術館が閉鎖していく、人が来ないというのは、美の殿堂だというふうに思っているところが多いからだと思うんですね。収集した作品を守る、それをどうだということで県民に見せるみたいな態度だけだとやはり人がついてこない。むしろ、それは、そこは施設だけではなくて地域の文化活動のハブみたいな形になっていく必要があるのではないかと思っているんですね。 先ほどロンドンで御紹介したテート・モダンですけれども、あそこももちろん現代アートの収集と保存と展示という基本的な機能も持っていますけれども、金曜日と土曜日は朝の十時から夜の十時まで開館しているんですよ、毎週毎週。そこでクラブイベントだとか、いろんな若い人を呼び込めるようなイベント活動をやったり、日中だったら近隣の小学校の生徒を呼んだりとか、もう様々な文化活動を展開するその拠点でしかないよという、そういう認識で活動しているんだと思います。 ですから、そういうことが、日本の美術館、今までは予算が少ないとか人が少ないとかいろいろ問題はあるんですけれども、そこのところの基本的態度がもうひとつ改善されていけばまた変わっていくのかなというふうに思います。 それから、御質問の瀬戸内の話ですけれども、確かにそのすばらしかったあの百日間、その後どうするということは大きい課題だと思いますので、今後この瀬戸内がどう変わっていくのかということは研究対象としてもウオッチしていきたいなというふうに個人的には思っているんですけれども、一応仕掛けとしましては、直島と豊島には美術館という恒常的な施設がありますので、現代アートのその百日間で盛り上げたフェスティバル後も、行きたいところ、見切れなかったところというのはたくさん残っていて、今後も新たな作品を増やしていくとか、いつ行っても何か違う場所だねという仕掛けを恐らくつくっていくのではないかと思います。 もう一つは、やはりアーティストが住みたくなる町にしなければ結局いけない。作品だけは残ってしまって人は去ったではちょっともったいなさ過ぎると思うんですね。そういう点では、このタイプの、瀬戸内に限らず、越後妻有であるとか、それから群馬県の中之条町とか別府市ですとか、いろいろなところでこういった野外のアートフェスティバルとか、ダンスも含めたり劇場的なパフォーマンスも含めたフェスティバルというのはたくさんあるんですけれども、最終的にはアーティストが何とか移住してそこの場で作っていってくれないかという、そういう仕掛けを考え始めています。 そのためには、やはりそのアーティストに貸してあげられる、非常に廉価で貸してあげられるようなスタジオ施設であるとか、それから、彼らが展示していって自分たちで自主企画で何かやれる場所があるとか、そういう機会があるとか、何かそういった手助けというのが地方の文化行政には求められているというふうに思います。
○参考人(稲本隆壽君) 例えば、皆さん方は御存じだと思いますけれども、イタリアに行きましても、ミラノにしてもボローニャにしても、小さな町が自分たちの食で、あるいはファッション、あるいは中世のあの建築様式を大事にしながら常に情報を発信して、世界からお客さん集めてますですよね。人口二万人とか何十万人とか小さな町が結構やっぱり頑張っているんですね。何で私は日本がそれができないんだろうかと思うんです。そして、農村部の景観だってすばらしいです。ドイツを車で走ってもすばらしいです。 私、ドイツである農家に泊めていただいたんですけれども、そこのおじいちゃんが、よく来たねと言って、これ飲んで帰れよなんて、奥の倉庫の方へ行きまして本当にほこりをかぶったワインを出してくれました。これは先代の誰々が作ったやつだからうまいと思うから飲んで帰れよとか、本当においしいですね。 だから、ああいう食、あるいはその対応の仕方というのは、景観も含めてですけれどもね、まだまだ私は日本は学ばないといけないことがたくさんあるんじゃないかと思っているんです。 平田先生が言われたように、今日本の中小都市は、どこもミニ新宿になったりミニ渋谷になったり、夜のネオンサインとかけばけばしい看板とか、クモの巣が張ったような電柱とか、本当に美しさというものがないです。何でこんな町になったんだろうかと思いますですね。私は、そういうふうなものをまず一掃していく、美しいその地域に合った伝統的な町並み、たたずまいというものをもう一回やっぱり作り直していくという、これはもしかしたら第二公共事業みたいな形で思い切って僕はやるべきじゃないかなというふうに思うんです。 特に、私は四国ですから、四国は弘法大師様がお遍路、八十八か所をつくり上げた、そういう文化があります。まず四国からでも、そういう四国アイランドをつくっていくべきじゃないかなというふうに思っているんですね。 ですから、まず観光庁はそういうふうなものを、ちゃんとお客様に来ていただけるような美しい景観、美しい食べ物、地域の伝統文化というのを思い切って私は地域に指示してほしいというふうに思っています。 それから、バイエルン州なんかの観光の宣伝なんかを見てみますと、もう州挙げて日本に売り込んできていますね。何日間でお値段はこのぐらいでこういうふうなのをやりますという、そういうものをやっぱり観光庁はもっと思い切ってやるべきだというふうに思います。 それから、文化庁はもう少し予算を付けていただきたいと思います。本当に数億円なんです、先生方御存じだと思います。これでは、私たちも歴史的な町並み保存の連盟に入っていますけれども、なかなか前向いて進みません。 それから、もう一つお願いがあります。これは、私たちの内子座のように芝居小屋を持っている自治体が全国に三十あるんです。これは、全国芝居小屋会議という、年に一回集まりまして総会をして、持ち回りでいろんな情報交換をやります。しかし、その芝居小屋をどういうふうにして維持していくのか、あるいは使っていくのか、みんな苦労しているんですね。ですから、いろんな皆さん方に、是非その伝統的な芝居小屋を応援していただきたいと思うんです。 例えば、運輸関係者は、片道、そこでやるときには半額にしてあげますよとか、こういうアイデアはどうですかとか、あるいは、NPOの皆さん方はこういうふうにかかわりますよとか、是非地域地域のそういう芝居小屋を守っていただきたい。もちろん、私たちも全力でこれは守っていきたいと思うんですけれども、是非外部の皆さん方も応援していただきたいというふうに思っています。 以上です。
○参考人(伊藤光男君) どうなっていったらいいのかって分かりませんが、うちの黒壁では、現実的にやっていますのは、今幾つかの施設を持っていまして、その中でガラスやっていますものですから、多少生意気にも黒壁美術館という、小さな古い木造の建物なんですけれども、そこを美術館ということにして、いわゆるその美術館を運営しておるわけでございまして、全国そうらしいですけれども、ほとんど採算の取れないことを実際やっておりまして、もう市もたまらぬものですから、第三セクターなんですけど、長浜市に、これだけ長浜市でやってくれぬかという話を再三しておるんですが、市の連中からいうと、一切補助金はこんなもん出ぬのやと、買取りには補助金出ぬのやというふうなことを言われておりまして、補助金さえ出たらしてくれるんかいなというような話をしておるところもございまして、弱っておるところでございます。 ただ、先ほど言いましたように、買い取ってくれとは言うてますけれども、市で買い取ったら余計運営としてまずうなってしまうんかなというような気概もありまして、弱ったなと、続けられるかなと。いわゆる採算がどうしても合いません、年間それだけで八百万ぐらい損していますので、続けられないことになった場合弱ったなというふうに思っております。これ、文化庁の担当なのかどうか分かりませんけれども、そんな感じでございます。 私どもは、実は黒壁というのは、御案内いただいておるのは観光屋的に見られているんだろうと思っておるんですが、実際的には、いわゆる一般的には我々が少なくとも観光業者かどうかというのはちょっと疑問でございまして、決して観光業をやっているというつもりではございません。どっちかというと、ちょっと商圏を広げて、つまり買い回り品の商圏からちょっと二時間圏ぐらいの商圏に広げているようなつもりで、ガラス屋というかガラスの体験も含めたガラスのファンづくりをやっているつもりでございますけれども。 どっちかといったら、基本的には、やっぱり我々の長浜でもそうですし、それを何というんですかね、褒めていただくというのはおかしな言い方ですけれども、うまく伝えていただくというか、先ほどもちょっと申し上げたけれども、結局、外からまあ国が顕彰していただくというか、何かすばらしいぞという観点を見ていただくことで、地元の者というのか、やっておる者は元気付いたり、もう一遍改めて何かのチャレンジをしたりすることができるんではないかなと思いますし、また、先ほどのおもてなしという概念にしても、そういう気持ちがあると何か緩やかな、物すごくすてきなおもてなしができるんではないかなというふうな気がしておりますので、観光庁なのかどうか分かりませんけれども、是非、僕らも含めた各地方で、ちっちゃなことが何か違う観点で、いわゆる見方を変えていただいた観点でちょっと拾っていただけると活動として元気になっていくんではないかなというような気がいたします。
○会長(直嶋正行君) では、渡辺猛之君。
○渡辺猛之君 四名の参考人の皆様、本当に貴重なお話をいただきましてありがとうございます。特に、稲本参考人、それから伊藤参考人、お二人のお話を聞いておりますと、文化、町づくり、そしてまた現場のトップでいらっしゃいますので、そこに生活とか暮らしという観点も勉強になりまして、本当に参考になりました。ありがとうございました。 そこで、時間が限られておりますので、逆に私は平田参考人と河島参考人にそれぞれ一問ずつ質問をさせていただきたいと思うんですけれども、先ほどの質問ともちょっと関連しますけれども、まず河島参考人に、文化と町づくりの大切さというのは非常に示唆に富んだお話を聞かせていただきましたけれども、その先にある生活というところですね、生きる糧といいますか、その文化と生きる糧をどのようにつなげていったらいいのかというところが私自身の中で、結局、そこに暮らす人たちが何を生活の糧にしていくのかというところとその文化をどうやってつなげていったらいいのかなということを一つ疑問に思ったものですから、もし何か御示唆あるお答えがいただければ大変うれしいなと思っております。 そして、平田参考人に質問なんですけれども、論文も読ませていただきました。今地域で起こっていることは何かというと、例えば先ほどの劇場やホールが集会場になっているというような一つの事例として、文化活動をやっているんだけれども、いざ何かステージをやろうとすると趣味の発表会みたいな感じになってしまって、結局家族と親戚の人たちにちょっと見に来てよと言って人を集めて何かイベントをやるというような現状があります。 そしてまた、地方のホールなんかでも、結局マスコミで名の売れた文化人の方が来ていただけると会場いっぱいになる。美術館にしても、有名な作家の作品が来るといっぱいになるけれども、ふだんは閑古鳥が鳴いているような現状がありますので、間接的な話になるかもしれませんけれども、そんな中で、地方自治体が取り組める文化、芸術の教育という観点でどういうふうにそれを進めていったらいいのか、何かお答えがあればお聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(河島伸子君) 御質問の趣旨をきちんと理解したかどうか若干不安なんですけれども、私の考えるところの生活というのは、文化と町づくりの別に先にあるものではなくて、生活をつくること自体が文化と町づくりなものですから、もしかして御質問では、文化と町づくりで、生活の糧という言葉をお使いになったので、それでどうやって食べていくのかということでよろしかったでしょうか。
○渡辺猛之君 はい、それをどう結び付けていくべきなのか。先ほどもちょっと話に出ておりましたけど、要は観光客を誘致して宿泊という形でやっていくのがいいのかとか、そういう成功事例がもしあれば。
○参考人(河島伸子君) はい、分かりました。 一つは、篠山の事例でも御紹介しましたように、古民家を使った集落でそこを再生させるということで、もうほとんど朽ち果てた家だったわけですね。ただ、その風景といい、そこまでのアプローチから見ていくと、わあ、こんなところにこんなに日本の何か農村の原風景みたいなものが残っていて、誰も気が付いていなかったのかというような風景が展開されているんです、たかだか数軒の家なんですけれども。それをもうほうっておいたら多分空き家になって終わりか、それか壊されるか、どっちかだった運命のところだったんですね。 それを外の人が見て、コンサルタントの人なんですけれども、コンサルタントの人が中心となったNPOがどんどん立ち上がっていくんですが、その後。これをどうにかしようということでボランティアがかかわって家を改修して、それで宿泊施設に変わったということで、そうしたら、レストランは来るわ、それからまた違う集落には芦屋市から物すごく高級なグレードの高いプリンのお店が出店するとか、それから何か小物を売るお店が出店するとか、あと、焼き物もここは実は有名なものがあるのでそれも見直していこうとか、どんどん生活の糧というのが生まれていくんですね。若い人が、二十代の若者がそこで起業もしていく、それこそ大阪で働いていた人たちが、子育てもしながらここで暮らす方がいいと思える町にどんどん変わっていくということがあるんですね。 今のその古民家の話に、もう一度集落の話に戻しますと、十九人しかいない集落でやっているんですね。彼らのいわゆるホテル業としての、シーツを取り替えたりだとか部屋を掃除したりだとかいうことに対してはアルバイト料はもちろん出ていると。でも、ただ金もうけすることが目的ではなくて、そうやって外の人たちと触れ合いながら、もう高齢になった人たちが、若い人もいるんですけれども、集落の人たちが自信を持って自分たちの町を外にプレゼンテーションしていくという、それ自体が大事なんですね。それで生まれた余剰は里山保全に使って、もうどうかすると、何というんですか、大きな環境問題にも貢献しているわけですね。もうただの観光ではないわけです。 これが一つ成功してくると、まだ立ち上がって一年ぐらいでして、今のところ口コミだけでやっているんですけれども、結構有名人だとかもこっそりお忍びで泊まりに来ているすばらしいところなんですね。これが一つ軌道に乗ってくると、ああいうことっていいかもと思う人たちが町の中に出てきて、違う集落もそれをやりたいとか、今度は昔の小学校を生かした何々をやりたいということでどんどん広がっていき、もう本当に大規模なマスツーリズムにはなり得ないですし、それはやりたくないんですね。でも、そんなことで、お仕着せで篠山に遊びに行きたいという人もそれほど世の中には多くない、むしろ手作りで、その場で森林体験をしたり農村体験をしたり、内子町でもやっていらっしゃると思いますけれども、エコツーリズムあるいはカルチュラルツーリズム、それから、もっと自分で見付けて篠山発見をしていくとか、隣には丹波市というところも、似たような町がもうごろごろあるんですね、あの辺には。 そういうツーリズムの開発を町としてやっていくことで、爆発的な大きな経済発展はないかもしれませんけれども、じり貧だった人口減を食い止められて、そして町の人たちが誇りを持っていく、小さな形で持続的な経済発展というのができていくという、それがモデルなのかなというふうに考えております。
○参考人(平田オリザ君) まず、集会施設が駄目というわけではなくて、機能分化ですね。集会施設も必要ですし、それから市民参加型のものも必要なんですけど、機能分化しないと、全部の会館をフルスペックでやるともう予算が幾らあっても足りないということになる。 その事例で、渡辺先生、岐阜だと思うんですけど、岐阜の可児市で、僕はもう毎年可児市へ行っているんですが、可児は今非常に強い演劇の創造活動を行っています。もう全国レベルの作品を作っているんですね。ところが、残念ながら、可児市でいい作品が作れても、これは東京と可児でしか上演してないんですよ。本来は可児市で作った作品を岐阜県内のほかの市でも買い取ってあげれば予算も付くのに、ほかの市は東京からしか作品を買い取ってないわけですよ。だから、岐阜のお金がどんどんどんどん東京に流れていっちゃうと、せっかくやっても。 機能分化で大事なのは、じゃ、可児は演劇に特化しますよと、演劇の作品を作って岐阜県内のほかの市が買ってくださいと。その代わり、例えば多治見市は音楽をやりますよと、音楽の一流のコンサートを企画するんで、これを回しましょうと、教育普及活動もセットで、うちは音楽の人材がいるんでというふうなことだったらば、人口十万人、二十万人規模の都市でも十分に活力のある芸術文化活動、世界レベルのものが、日本はポテンシャルがあるので、できるんですよ。ただ、それを全部の市町村が音楽もやる、演劇もやる、伝統芸能もやるというと、全部東京に頼らざるを得なくなっているというのが今の実情なんですね。だから、これは実は県レベルで、実は総合的な政策でやっていかないと、各地がばらばらでやっていると今のままではなかなか難しいかなということが一つ。 それから、可児はアウトリーチ活動も非常にやっていて、私もこの三年、四年間、可児市内の教育委員会の主催で市の先生方向けのワークショップをやっている、去年は岐阜県の教育長も視察に見えましたけれども、そういう取組、可児だけじゃなくて全国でもう始まっているんですね。ですから、是非そういうところを、頑張っているところをやっぱり支援してネットワークをつくっていく、地域間のネットワークをつくっていくということが重要になってくるんじゃないかと思います。
○渡辺猛之君 ありがとうございました。
○会長(直嶋正行君) 他に御発言はございませんか。──他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手) 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。 午後三時五十分散会