国民生活・経済に関する調査会 第1号
- 発言数
- 28 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 2009/01/28
会議録
○会長(矢野哲朗君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会をいたします。 委員の異動について御報告をいたします。 去る五日、佐藤公治君、増子輝彦君、小林正夫君、犬塚直史君、藤原良信君、姫井由美子君、舟山康江君、中谷智司君及び友近聡朗君が委員を辞任され、その補欠として大石尚子君、浅尾慶一郎君、一川保夫君、鈴木寛君、加藤敏幸君、大久保勉君、川上義博君、川崎稔君及び行田邦子君が選任をされました。 ─────────────
○会長(矢野哲朗君) 理事の辞任についてお諮りをいたします。 広田一君から、文書をもって、都合により理事を辞任したい旨の申出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(矢野哲朗君) 御異議ないと認め、さよう決定させていただきます。 理事の補欠選任についてお諮りをいたします。 理事の辞任及び委員の異動に伴い現在理事が二名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと思います。 理事の選任につきましては、先例により、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(矢野哲朗君) 御異議ないと認めます。 それでは、理事に大石尚子君及び亀井亜紀子君を指名いたします。 ─────────────
○会長(矢野哲朗君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りをいたします。 国民生活・経済に関する調査のため、今期国会中、必要に応じ参考人の出席を求め、その意見を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(矢野哲朗君) 御異議ないと認めます。 なお、その日時及び人選等につきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○会長(矢野哲朗君) 御異議ないと認め、さよう決定をいたします。 ─────────────
○会長(矢野哲朗君) この際、本調査会のこれまでの経過について御説明を申し上げます。私から申し上げたいと存じます。 本調査会は、国民生活・経済に関し、長期的かつ総合的な調査を行うため、第百六十八回国会のさなか、平成十九年十月五日に設置され、三年間にわたる調査を開始させていただきました。 一年目におきましては、調査項目の決定に先立ち、まず、調査会活動の意義と成果を問う必要があると考え、報告書、提言、決議などが行政にどのように生かされてきたのか、過去十年にさかのぼり検証を行うこととし、内閣府外六省から説明を聴取し、質疑を行いました。 質疑を通じ、各府省からは、従来より、報告書、提言等を踏まえ、基本方針を定める計画に盛り込むよう努めていること、また、施策の改善、実施に当たり重要なものであると認識していることが示されるなど、調査会の活動の成果が行政府において重く受け止められていることが確認をされたところであります。また、今後におきましても、報告書、提言等の一層の周知徹底を図るとともに適切に取り組むこと、及び指摘された問題等を十分に認識し、大臣官房において委員からの照会にも対応できるよう体制を整えることなど、対応の更なる強化について報告がありました。 以上のことから、本調査会の活動の意義を確認することができたわけでありますけれども、私といたしましては、与野党の垣根を越え、五年、十年先を見据えて議論をし、提言をするという、いかにも参議院にふさわしい、独自の組織としての調査会の存在意義を改めて強く感じたことを委員各位にお伝えするとともに、今後の調査会活動に大いなる御協力をいただきたいと存じます。 次に、調査項目につきましては、理事会等で鋭意協議の結果、「幸福度の高い社会の構築」とすることに決定をいたしましたが、問題意識を共有し、共通理解を深めるため、調査会において、理事から、選定の経緯、今後の調査の進め方等について説明を行った後、委員間の意見交換を行ったところでもあります。 昨年の常会、第百六十九回国会におきましては、調査を進めるに当たり、まず、国民生活の現状を全般的に把握するため、「国民の生活環境と意識」、「国民生活と行財政の現状」、「都市と地方のくらしの現状と課題」、「若者のくらしと教育」、「福祉とくらし」、「ゆとりとくらし」の六テーマについて参考人から意見を聴取し、質疑を行うとともに、適宜委員間の意見交換を行いました。また、国連世界食糧計画日本事務所及び国際連合大学高等研究所を視察し、世界の食糧事情・貧困及び持続可能な開発のための教育に対する取組等について知見を深めたところでもあります。その後、委員間で締めくくりの意見交換を行い、一年目の調査について中間報告書を議長に提出した次第であります。 二年目におきましては、まず、先国会、第百七十回国会におきまして、スーダン共和国、ケニア共和国、タンザニア連合共和国及びフランス共和国における経済・社会保障・労働・貧困問題等国民生活に関する実情調査等のため本院から海外に派遣された議員の報告を聴取しました。 また、二年目以降の調査の進め方につきましては、昨年来、鋭意協議してまいりましたが、固定観念にとらわれない新たな視点で調査を深めるため、幾つかの仮説を立ててそれを検証するという仮説検証型の調査を行うことになりました。仮説につきましては、お手元の資料にその内容をお示ししてありますが、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」、仮説二、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」、仮説三、「高負担・高福祉国家の国民は総じて国民幸福度が高い」の三つの仮説を順次取り上げることとし、今国会では、まず仮説一について、次いで仮説二について検証を行うこととなりました。 また、参考人質疑を終えた後、仮説の検証を元に委員間の意見交換を行い、中間取りまとめを行うことにしております。 以上が、本調査会におけるこれまでの調査及び二年目の調査の進め方の概要であります。委員各位の御協力をお願い申し上げます。 ─────────────
○会長(矢野哲朗君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会の構築」のうち、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」に関し、人口減少社会の姿について参考人からの意見聴取を行います。 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、作家・経済評論家であられる堺屋太一君、株式会社大和総研常務理事チーフエコノミスト原田泰君に御出席をいただいております。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。 本日は、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会の構築」のうち、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」に関して、人口減少社会の姿について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じております。よろしくお願いを申し上げます。ありがとうございます。 議事の進め方でありますけれども、堺屋参考人、原田参考人の順にお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと思います。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、まず堺屋参考人からお願いを申し上げます。
○参考人(堺屋太一君) ありがとうございます。 御紹介いただきました堺屋太一でございます。 私は、かねがね人口問題について非常に興味を持っておりまして、四十年ぐらい前に「団塊の世代」という日本の人口の膨らみがどのような影響を与えるかという予測小説を書きました。以来、人口問題には深い関心を持っております。 今日お話しすることは、これまで日本の官庁やマスコミあるいは多くの学者の言ってきたこととはやや異なる事実だと思いますので、是非お聞きいただきたいと思います。 まず第一に、今議長からお話のございました、少子化が一人当たりの所得を増やして豊かな世の中をつくるかどうか、これを検証いたしますと、歴史の中ではいろんな例がございまして、必ずしも一方的には言えません。 最も典型的なものとして、十五世紀のヨーロッパの状態が歴史学会ではよく語られております。ヨーロッパで一三四〇年から一五〇〇年までの百五十年、百四十年間に人口の激減時代を迎えました。そのときに幸せになった国と不幸せになった国があります。ここにございますように、スペイン、フランス、イタリア、ドイツ、いずれも人口が減るわけでございますけれども、中でも激しかったのはイタリア半島でございまして、一三四〇年には九百三十万人が居住しておりましたが、一五〇〇年には五百五十万、五六%になりました。一方、ドイツは千百万人から七百万人、六四%に減少したと、こう見られております。 ところが、結果は全く逆でございまして、イタリアでは、人口が減少いたしますと生産性の低い土地を耕す者がいなくなりまして、生産性の高い土地や、特にベネチアやフィレンツェなどの都市に人口が集中し、生産性の高い仕事をいたします。その結果、一人当たりの生産額は増加いたしまして、生活費に占める食料の比率、エンゲル係数が低下をいたしまして、文化的な支出が増大いたします。これがまたフィレンツェの絹製品とかベニスのガラス製品のマーケットになり、ルネッサンスの文化の華が開きました。そして、さらに、貿易が自由化されて、小麦はエジプトから、材木はドイツから輸入されるというような形で、いわゆるルネッサンス文化がどんどん開きます。当然お祭りも盛んになって、ベニスやフィレンツェ、ジェノバなどのお祭りが有名になりますし、教会への寄附も増えました。その結果、やがてミケランジェロやダビンチが絵筆を振るうような輝かしい時代になります。その反面で、封建諸侯、地主は、耕す農民がいなくなったので非常に貧困に陥りました。以来、イタリアの封建諸侯は余り力がなくなってきます。特にやせた山地の封建諸侯の中には非常な貧困に陥った人もいます。 それに対して、同じく人口が減少いたしましたドイツでは、封建諸侯の力が非常に強くて、農民を農地に縛り付けいわゆる農奴化するという現象がありました。このために、都市に流出する人口が減少し、都市の商業が衰退し、経済全体が衰えます。この束縛と貧困の時代が約百年続きまして、これにドイツ国民が大反発をした。それが一五二四年から二五年のいわゆるドイツ農民戦争、宗教革命が起こった直後に生じた大動乱であります。 以上のように、人口が減少しても、自由な移動と転職があれば経済、文化は発展する。しかし、それがなければ経済、文化は非常に衰退するであろうと、大体こういうことを言われております。 今日、農民を束縛した封建諸侯に当たるのは政府の各省でございまして、農業、医療、教育、こういった面を極めて専門家的な方々に拘束しようという動きが非常に強い、これは私の最も危惧するところでございます。今話題になっております公務員改革でも、公務員を身分にするのか職分にするのか、これが大問題でございますが、やはり役所の方では、これは生涯変わらない身分であるという概念が強く打ち出されておりまして、その点、誠に憂慮するところがあります。 第二番目に、少子化が起こればどんな世の中が生まれるかということで、必ず生じるであろう三つのゆがみがございます。 第一は、年齢構造でございます。少子化の過程では相似形に人口が減るわけではございませんで、人口の減るときにはまず生まれる人が減ります。したがって、人口減少を放置すれば、高齢者が多く若年層の少ない人口構造ができることは明らかです。このことから、いわゆる現在言われておりますニュータウン現象、多摩ニュータウンとか千里ニュータウンで起こっているような現象が生じてまいります。高齢者の医療、介護、生活ケアの人手が不足して、孤老、独り暮らしの老人が増えるであろう。 第二番目には、若年者用の技術。例えば育児の技術とかあるいは幼児教育、小児科、児童音楽というような技術が衰退するのではないか。現に小児科は非常に減っておりますし、また、最近は児童音楽が非常に衰退いたしまして、専らコマーシャルソングを子供が歌うようになった。昔は童謡、唱歌というのがきちんと作られておりましたけれども、今はそういう知的活動が極めて少なくなってまいりました。今、まだ団塊ジュニアのときまでは良かったんですけれども、団塊ジュニアが子供のころ、青年のころは良かったんですが、急速に少年、青年に対する供給技術が衰えております。したがって、良き次の世代が育ちにくくなります。 第三番目は、技術や資産の継承ができないという問題で、これは団塊の世代が引退するときにも問題になりましたが、次の団塊ジュニアが引退するときには大きな問題になります。 また、資産の面につきましては、二百年住宅などということが言われておりますが、大きな問題は、国税庁が物納のときに住宅を廃棄して更地にしなけりゃ取らないということで、二百年住宅を親に建ててもらったら子供は大変迷惑するというような形になっているんですね。税金だけ掛かって住まないということになりますと大変迷惑する。だから、この官僚の統制も何らかの早期に解決していただく必要があると思います。 四番目の問題、Dの問題ですが、これは、有権者の中で高齢者がどんどん増えてまいります。そうしますと、過去を優遇するデフレ政策が取られることが多い。デフレは過去を優遇し、インフレは未来を優遇するわけでございますけれども、高齢者が増えてくるとどうしても過去を優遇する政策が取られてくる。これに対しまして、ヨーロッパ諸国では、既に成年の年齢を十八歳、中には十六歳のところもありますが、引き下げるということで年齢構成のバランスを回復しております。日本も一九九〇年代末にはそういう話がありましたが、最近は立ち消えになっております。これは是非ともお考えいただきたいことだと思います。 五番目には、若者向きの仕事や軍事行動ができなくなるということでございます。よく世の中には、人口が減って若者が少ない、けれども、高齢者や女性をもっと活用すればいいとおっしゃる方がおりますけれども、六十を過ぎた高齢者が力仕事をするというのは非常に困難なことでございまして、やはり移民の活用等が必要になってくるでしょう。 また軍事の面でも、なかなか若い人が採用できなくて、曹の、軍曹、曹長という下士官クラスが五十代になったら、軍隊というのはなかなか活動できません。幸いにして日本はそういう局面に当たっておりませんけれども、災害救助や海外派遣などが増えてくるといたしますれば、こういうことも考える必要があるだろうと思います。 第二番目は、地域構造の問題です。 これは今や大問題でございまして、人口が都市に集中し地方の過疎化が猛烈に進むということであります。特にこの過疎化が高齢化を伴いますので、地方には高齢人口だけが残るという状態が生まれやすくなります。この点に対しては、各地域に中核都市を残せばいい、全国的には均衡が保てるという説もあります。これは、例えばアメリカ、特にドイツは非常にこの状態になっておりまして、高齢化が進みましても地方都市は盛んであります。 ちなみに申しますと、一九八〇年以降二十数年間に全国の経済や文化に占める首都圏の地位が高まったのは日本と金融傾斜をしたイギリスだけでありまして、世界中は全部首都圏あるいは中心的都市の比重は下がっております。日本は、官僚機構が猛烈な圧力、努力で東京一極集中を進めておりますので、世界とは違った構造になっています。この点も考える必要があろうかと思います。 その結果、土地不足、人口過剰を前提とした現在の政策は、これはやめなきゃいけない。明治から昭和にかけて日本政府の一番の仕事は、過剰人口をいかに養うか、人口収容地をどうつくるかでありました。そのために、明治、大正、昭和の初めまでは、移民を外に出すとかあるいは植民地をつくるとか、そういったことが正義のごとく語られたのでありますが、そのために様々な政策が、可住地は、人間が住めるところは必ずサービスするということが行われています。 これが次に書いてありますユニバーサルサービスの確定であります。我が国では、人間の住んでいる限り、一軒でも家がありますと、行政、警察、郵便、基礎教育、電力、新聞配達の六つが必ずされておりますけれども、これは世界の先進国でも極めて珍しい例です。御存じのように、外国、まあアメリカなんかへ行きますと、郵便配達は町の角までで、角にポストが並んでおりまして、そこに入れていくだけで各戸には配達をしない。学校も、基礎教育も同様でございまして、スクールバスで生徒の方を集めるので分校をつくらないということになっておりますが、日本はすべてユニバーサルサービスをするという事態になっています。これは郵政改革などでも問題になったとおりであります。 そして三番目には、やはり道州制でございますが、そろそろ明治以来のこのユニバーサルサービスを前提とした全国一律の行政は変えるべきではないかと考えられます。 それから四番目として、過疎地域の環境貢献を評価する必要があると思います。日本の歴史を見ますと、日本の大都市、特に江戸、東京というのは常に出生率が極端に低い状態でした。江戸時代を通じて江戸の出生率は常に一・〇を下回っておりまして、江戸へ出てきて死に絶えるという状態が繰り返されてまいりました。東京を首都機能の重圧から解放して、東京が子供の産める町になるべきだと考えます。 それから三番目には、職業、職種によるゆがみが出てまいります。これが非常に重要な問題で、人口が減少する段階で少子高齢化をいたしますと、地方からの出稼ぎや学生アルバイトなどの臨時職員に支えられた肉体労働者が急速に不足いたします。高齢者が建設業や清掃業に当たらねばならないというのは悲惨な状態でございまして、移民を含めて抜本的な解決が必要になってくるでしょう。 第二に、対高齢者サービスが限界になります。若年層が高齢者サービス、医療、介護に集中するとなりますと、国民経済が成り立たなくなります。 三番目に、技術・学術継承が困難になります。例えば、既に内弟子制度というのは相撲と落語、将棋以外になくなってしまいました。これは伝統的日本文化を支えるのが難しくなってまいります。逆に、今、京都辺りの伝統文化の内弟子になっているのはほとんど外国人になっております。こういったことも正確に直視する必要があるでしょう。 四番目に、子供に接する若者が少なくなる。つまり、兄弟的な精神関係が乏しくなり、一人っ子ばっかりになってくると。そして、小学校、中学校で教師の高齢化が進みますと、生徒と教師の年齢差が非常に開いてきて、町の若者リーダーがいなくなるという問題が生じてくるでしょう。以上が重なりますと、全体として活力の低下、そして人材の流出が起こります。 この二十一世紀になりましてから人材の流出が極端でございまして、よく言われた学者、技術者だけではなしに、最近はスポーツ選手までどんどんと流出する。私の若かったころには外国からスポーツ選手が来たんですけれども、今外国からたくさん来てくれるのは大相撲だけでございまして、あとのスポーツは大分出ている。こういう人材の流出が人口の減少とともに起こるというのは歴史でよく見られるところであります。 さて、人口減少の対策でございますが、緊急の対策として数年のうちにやっていただきたいことは、やはり日本を、明治維新的な体制改革が必要だろうと思います。明治維新的改革ということはよく言われます。改革の中には、享保の改革や寛政の改革のような体制内改革と、体制そのものを変えた改革とがあります。享保の改革などは、ますます武士体制、徳川幕藩体制を強くして、以後、経済の成長を止め不況の連続になるわけですが、明治維新は逆でございました。全く新しい体制をつくりました。その意味では、世界の歴史の中でも最も徹底した革命でありました。 明治維新とはでは何物かといいますと、まず第一にしたのは開国であります。現在ならFTA協定、移民制度の確立、それから外国の情報が入るようにすること、この三点であります。 特に、外国情報が最近全く閉鎖された状態になってまいりました。例えば、上海や北京に大変たくさんビルを建てておりますが、あれだけビルを建てている中国の設計家を日本の建築の習っている学生すら一人も知らない。これは世界的に見て異常な状態です。非常に有名な、例えば来年の上海万国博覧会の総合設計者である呉志強教授などというのは世界的超有名人でありますが、日本では建築・都市計画の学生さんさえ知らない。あるいは中国や韓国のファッションデザイナーも一人も知られていない。世界中で珍しい国です。世界で六番目ぐらいの売上高になったヒュンダイの自動車が売っていないのも日本だけ。 非常に日本の情報は、官僚統制と一部マスコミの掌握によりまして、長崎出島のような、今情報出島という言葉がありますけれども、千代田区、港区、渋谷区、あのところだけが情報出島でそこを通過しないと情報が入らない状態になっている。このために、日本の外国知識というのは大変偏ったものになってまいります。これも改めなければなりません。 そして、移民についての情報も非常に偏っております。これはきちんとした制度をつくって、一定の数を入れられ、また、その人たちが日本文化、日本の話を世界に普及する伝道者として帰っていただけるような制度を考えるべきだと思います。 明治維新でやりましたことの二番目は、武士を廃止したことであります、武士の身分を廃止する。これは現在でいいますと公務員制度の改革で、公務員を身分ではなくして職業にすべき、職分にすべきです。最近、公務員の中では、公務員は身分だということを強く主張いたしまして、職業公務員というような言葉も八〇年代末から使われるようになりました。これは職業軍人、徴用軍人という区別と同じように、公務員の中に職業公務員というのをつくろうという意識でありますが、これは極めて危険なことだと思います。 三番目は廃藩置県であります。これは明治四年に行われましたが、現在でいうと道州制であります。道州制をきちんと御検討いただきたいと思っています。 四番目、これは廃藩置県からすぐ後に行われました通貨の改革。それまでは小判とか銀子とか銭であったものをお札の円に統一いたしました。これによって財政、税制ががらりと変わった。幕末に小栗上野介という大変知識も技術もある勘定奉行がいました。この人の計算では、大増税をしないと日本の国の財政は成り立たないと。実に綿密な、今の財務省よりもずっと綿密な計算をしております。ところが、この新貨令が発行されますと、たちまちに財政は良くなりまして、不可能だと言われた鉄道や郵便制度が一遍にできる財政が出てまいります。これは信用創造をつくったんですね。今もこういう新貨令に当たる税制、財政の改革、金融制度の改革が必要だと思います。 そして、五番目には教育改革。教育の自由化が今必要であります。明治維新の段階で日本は世界一の教育大国でありました。男性の四〇%、女性の二五%が教育機関に通った経験があるという、イギリスなんかよりもうんと進んだ教育制度があったんですが、それを全廃して、今までの寺小屋とか修養塾を全廃して新しい共通の教科書によるいす式教育にしました。これは教育の目的を変えたんです。今は教育改革といっても枝葉末節の議論をしておりますが、どのような人材を育てるのか、教育改革を必要といたします。 六番目には首都改革でございます。東京を首都機能と生活圏の自治体とに分割していただく必要があろうかと思います。 あわせて、次の表を、これは参考資料でございますが、見ていただきますと、今までマスコミや官僚がやっていた議論がいかに変なことであったかというのがお分かりいただけると思います。 よくフランスや北欧で福祉とかなんとかが高いから出生率が上がったという説がありますが、正確に言うと、あらゆる学者がいろんな政策を合わして出生率の向上したという統計的形跡は全く見られないという結論になっております。 まず、どういうところが高いかといいますと、西、中央アフリカ、これが一番高くて五・六%、それから東、南アフリカが五・〇%、それから中東イスラム圏、中東、北アフリカのイスラム圏が三・一、これは合計特殊出生率、簡単に言うと女性が一生のうちに何人子供を産むかという数字であります。 ところが、このイスラム圏でも非常に開きがございまして、アフガニスタンが七・二、パレスチナが五・三、そしてイランになったら二・〇なんですね。それから、南アジアでもパキスタンとスリランカでは大きな差があります。ラテンアメリカ、これが一番特徴的でございまして、ボリビアなんというのは、ほとんど福祉政策はありませんが、高い数字です。逆にキューバは、社会主義で大変丁寧な福祉制度を持っておりますが、一・五です。それから、東アジアではフィリピンが高くて、韓国、シンガポール、これが非常に低い。これは非常に特徴的なんですね。それぞれの国がどのような政策状態にあるかは御存じのとおりです。 工業国で見ますと、アメリカが断トツです。これは十分注意すべき点で、アメリカも一時下がりましたが、最近非常に八〇年代から向上しております。それに比べて、ドイツ、イタリア、スペイン、こういう国は非常に低い。それから、最も低いのは旧ソ連の諸国でございまして、中央アジアのイスラム教圏でありますタジキスタンやウズベキスタンは高いんですが、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、これは御存じのように、ソ連時代に子供は全部社会が育てるという政策を取った国々です。それから、今度は東ヨーロッパの国、これもほぼ同様の政策を取りました。 こういう数字から見ると、一般にOECDの国々、特にOECDの中で、なぜかアメリカを除いて西ヨーロッパの国々だけ挙げて議論しているのはいかに偏った議論かというのをお分かりいただけると思います。 それで、いろんな人々が書いている内外の説を並べてみました。 幼児死亡や戦乱になると、子供を産んで子孫を、種を残そうという意欲が出てくるから必ず高くなるんだ。これはかなり有力な説ですが、乱暴な説です。それから、近代工業社会の成熟期には必ず出生率が低下するんだ。これは極めて重要な問題でありまして、近代工業社会というのは、教育、就職、結婚、出産という人生の順序を決めてしまいました。この結果、近代工業社会が進んで教育年限が長くなると、どんどんと就職が遅くなり結婚が遅くなり出産が遅くなるから減るんだと、こういう論理でございます。 それから、宗教によって違うという説は昔からあります。それから、政策との相関性は見られない。これはいろんな学者が世界中の数字をたくさんつくっておりますが、だれも発見したことはございません。それから、政府の統制は出生率を下げる、家庭に任すべきだ。これは、東ヨーロッパ、旧ソ連、あるいはキューバでありますとかシンガポールでありますとか、そういう国を見ればうなずける説であります。やっぱり家庭に任さなきゃいけないということを、かわいいから子供を育てる、愛が必要だという議論もかなりあります。 それから、高学歴社会になると結婚、出産が遅れて少子化する。これは特に東アジア、香港やシンガポールあるいは韓国での実例から言われた説であります。それからその次に、これが、敗戦や体制破壊した国は長期にわたって出生率が落ちる。確かに、調べてみますと、ドイツ、イタリア、スペイン、ハンガリー、ルーマニア、これ、ことごとく敗戦国なんですね。それから、旧ソ連の国々が冷戦が終わってから劇的に下がっている、そんなことも指摘されています。 それから、初産年齢の低いところが出生率が高い。これは完全にパラレルに相関性が出ます。伝統的道徳観と高学歴とを両立させると出生率が低下する。先ほど言いました教育、就職、結婚、出産の序列を守っていれば高学歴になると出生率が下がる、これは至極当然のことであります。 以上のことから、少子化対策として申し上げますと、前回も参議院で参考意見を述べさせていただきましたけれども、まず早期出産を奨励すべきだと思います。そのために、大学にやはり託児所をつくるような、学生時代に子供を産めるような条件をつくるべきです。そして、親の年齢が一定になるまでは必ず奨学資金を出して学生ママさんを十分に生活できるようにすべきだと思います。 二十歳で第一子ができまして、三十歳までに第三子を産みます。そうすると、六十歳になったときに親の介護が来るんですね。今の状態でございますと、四十歳のときに親の介護が来ますから、介護と子育てと、そして社会的管理職というのが三つ一緒に来ますから、夫婦とも大変でございます。もう少し早く子供を産んでしまうと、二十歳で第一子が生まれておりますと、六十歳のときに親の介護ができる。再雇用の後にできる。したがって、子育てと親の介護と社会的管理職責任というのの重なりがなくなります。そんなことも、これは大変今までの議論とは違いますけれども、この早期出産の対策ということもお考えいただきたいと思っています。 これまでいろいろと言われていたこととは違った事実を述べさせていただきました。 どうも御清聴ありがとうございます。
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。 それでは次に、原田参考人にお願い申し上げます。
○参考人(原田泰君) 大和総研の原田です。このような重要な会議にお招きいただきまして、大変ありがとうございます。 では、座ったままでお話しさせていただきます。大体二時ちょっと過ぎまでお話しさせていただきたいと思います。(資料映写) 後ろの方の方、このスクリーンお見えになりにくいかもしれませんけれども、事務局からお手元に資料が届いて、印刷して配ってありますので、見にくかったらそれを見ていただければと思います。 本日は本当に立て込んでいるところ、こういう会議で私の話を聞いていただきまして、大変ありがとうございます。 人口減少によって一人当たりが豊かに幸福になれるかについて私の意見をお話しするわけですけれども、まず、その幸福というのはなかなか難しいものでありまして、現在の人たちは何か自己実現できないと幸福と言わないということですから、これを政治でかなえるというのはなかなか難しいことだと思います。 中国人は極めて現実的な人々で、昔から中国では幸福は福禄寿であるということを言っております。この福というのはそもそも子宝に恵まれることなわけです。禄は財産を得ること。寿は健康で長生きをすることです。 そうしますと、人口減少社会、少子社会というのはもう福を除外しているんですから、これではもう幸福になれないのが定義で決まっちゃうんじゃないかと思いますが、これは外しまして、高齢社会というのはもう寿を実現しているわけです。禄は、禄自体が幸福ではないわけですけれども、禄が安定的に可能でないと幸福にはなれないと思います。ですから、安定した所得が得られる上で幸福な人口減少社会は可能かどうかということを考えてみたいと思います。 それからまた、人口減少が国力の停滞をもたらすという意見もあります。国力が停滞すると個人は不幸かという問題もあると思います。直接的にはないと思いますが、恐らくイエスだろうというように思います。つまり、国力が減退するということは、恐らく個人の不幸に何らかの形で結び付くと思います。 しかし、世界中で先進国は人口が減少しておりまして、人口増加している先進国というのは、ほとんどアメリカだけが人口が増加しているという状況にあります。先ほど堺屋先生からもお話ありましたけれども、その国がうまくいっていない国ですね、うまくいっていない国の方が人口は増えているんじゃないかというように思いますので、人口がむしろ減っている国の方がうまくいっている、個人も幸福な国の方が多いということは確かだろうと思います。 ということで、人口減少で安定的な所得が得られて、その上で幸福になれるかということについて具体的に考えていきたいと思います。 この委員会では、人口減少で大変だということではなくて、人口減少しても幸福になれるかという非常にユニークな問いを投げかけられまして、それについて私がお答えしようと思っているわけですが、幾つかその前に確認することがございます。 それは、人口減少というのは高齢化していくということです。まあ当たり前なんですけれども、例えば六十五歳以上の人口の比率というのは二〇五〇年ぐらいには人口の四割になってしまいます。これ、比率をかいてあるわけですけれども、青いラインが六十五歳以上の人口比率で、それが四割になってしまいまして、六十五歳以上人口対生産年齢、十五歳から六十四歳までの生産年齢の比率をかきますと、これがピンクのラインで、二〇五〇年には八割になってしまいます。ということは、ほとんど一対一になってしまうということなんですね。ですから、例えば年金などというものも、こういうマンツーマンで年金を払うというような状況になってしまいますので、現在のような高い年金を払うというのはもうほとんど不可能なんじゃないかというように思います。 それから、この高齢化が徐々に進むだけではなくて、あるとき急に進むということがございます。堺屋先生が団塊の世代という言葉をつくられておりますが、これは人口構成を折れ線グラフでかいて、その人口構成が二〇〇五年から二〇五五年まででどういうふうに動いていくかというのをかいたものです。そうしますと、大体これが団塊世代の山なんですけれども、この団塊世代の山がどんどん移っていきまして、二〇二五年には七十代以上の人に団塊世代がなって、七十を過ぎればなかなか元気に働くということは難しくて、医療費もかなり使うということになりますので、この辺りでかなり大変なことになってしまうんじゃないかというように思います。 先ほど申し上げましたように、世界中の先進国で人口が減少してアメリカだけが増えているという状況ですから、人口減少というのはもう前提で考えるしかないんじゃないかということであります。ここで、一人で伸びているのがフィリピンですね。ですが、フィリピンの経済というのは余りうまくいっておりません。というわけで、大体成功しているアジアの国の人口も減少しているわけです。 ここで、日本と韓国、お隣なのにいろいろトラブルあるわけですけれども、このままの出生率が続きますと最後の日本人が二九五六年に生まれるんですが、韓国は二五七六年に生まれますから、韓国の方が先に最後の韓国人が生まれることになりまして、日韓いろいろトラブルがありますが、五百年後にはトラブルはなくなってしまうということになります。ここで言いたかったことは、人口が減っていって高齢化するというのはもうやむを得ないことで、これを覆すということはできないだろうということです。 それからもう一つ、人口増大、日本の人口減少を逆転させるために日本人が本気かどうかということを考えてみたいと思います。 先ほど堺屋先生からいろいろ、政府が面倒を見ても子供は増えないとおっしゃいましたが、面倒を見ているということは、政府が何とか必死に子供を増やしたいと思っている証拠だと思うんですね。ところが、例えば児童手当を見ますと、ほかの国は大体二万円以上の、先進国は大体二万円ぐらい払っておりますが、日本は五千円で、第三子からは一万円ですけれども、五千円ぐらいしか払わないですし、小学校終了までしか払わない。ほかの国は大体二十歳ぐらいまで払っているというような国がいっぱいあるわけです。ですから、ヨーロッパの先進国はかなり本気で増やしたいと思っているんじゃないかと。それに比べると、日本は世界一低い児童手当ですから、政府あるいは国民がと言ってもいいと思うんですけれども、何としても子供を増やしたいと実は思っていないんじゃないかと、それがこの証拠だというように思います。 さらに、今女性も自己実現ということで働きたいという女性が増えておりまして、働くためには子育てが非常に難しくなる。働けば非常に高い所得を得られるのに、子育てで働かなければ、働いた場合と子育てで働かなかった場合の差というのは非常に大きくなりまして、大体その差が二億四千万ぐらいになるという試算がございます。この試算、大き過ぎるという批判はあると思いますけれども、それでも一億五千万ぐらいは違いがあると思うんですね。ですから、多少の児童手当を配ったからといって、その母親の機会費用を考えますとそう簡単には増えないだろうというように思います。 というわけで、人口減少を前提として、高齢社会のコスト削減と所得の安定というのを図るしかないんじゃないかというように思います。 まず、人口減少していても、一人当たりの所得が伸びればいいじゃないかと、全体で増えなくても一人当たりの方が大事だということも皆様方のお考えだと思います。 中国は全部集めればもちろん非常に強大なわけですけれども、一人当たりの所得で考えれば日本の方がまだ十倍以上豊かなわけです。中国の一部の人々は大変なお金持ちですけれども、中国人全体として見ればまだまだ貧しい。そういう貧しい国民よりも豊かな国民の方が恐らくは幸せだろうと思います。 ですから、その幸せ度というのは一人当たりだと思うんですね。その場合、一人当たりGDPの増加率を高くするためにはどうしたらいいかというと、働いている人一人当たりの生産物がどんどん増えていくこと、つまり労働生産性が上昇すること、それから働く人が増えることですね。ただ、そこから働いていない人を含んだ全人口の増加率も引いてあげないと一人当たりGDPの増加率というのは決まりません。 というわけで、人口が、人口がというか、労働人口の増加率よりも全人口の増加率が大きければ、大きければというか、これはマイナスで大きければということですね、一人当たり小さくなってしまいます。その関係を表にしたのがこの下の表なんですけれども、ここで労働人口を生産年齢人口で書いてございますが、生産年齢人口から全人口を引くと、二〇〇五年から二〇五〇年ぐらいまではマイナス〇・五%のインパクトが働くことになります。この意味は、全然生産性が上がらないと、毎年毎年〇・五%ずつ日本人は一人当たりで貧しくなってしまうということなんですね。ですから、生産性を上げなきゃいけないということになります。 というわけで、人口減少を前提としますと、一人当たりを豊かにするためには、高齢社会のコストを引き下げる、より多くの人が働く、一人当たりの生産物を大きくすると、この三つしかないということになります。 皆様方、とんでもないとおっしゃるかもしれませんけれども、高齢社会の負担というのはやっぱりカットしていくしかないんじゃないかというように思います。 これは字が小さくて読めないと思うんですけれども、日本の年金というのは実は世界で一番高いと言ってもいいんですね。夫婦で二十三万六千円になります、専業主婦の場合です。一方、アメリカを見ると、これは為替レートで計算しますと大きく変動しますので購買力平価で計算しておりますが、アメリカの場合は夫婦で十九万円。それから、ドイツの場合は十一万円ぐらい。スウェーデンの場合は両方、二人とも働いていますから、二人ともというか、夫婦とも働いているのが普通ですから、夫婦というのはなくて、男性は十六万、女性が十万六千円となっております。 しかも、ほかの国はみんな六十五歳以上ですが、日本はまだ六十五歳支給になっていないわけですね。しかも、日本の方が長生きしますから、世界一高い年金を世界一長く払うということになっております。しかも、二〇五〇年ぐらいには生産年齢人口と高齢者人口の比率というのが一対〇・八になってしまうわけですから、高齢者の方にはこれから我慢していただくしかないんじゃないかというように考えております。 実際に、公的年金を受け取っておられない方は、年金で生活、足りないんじゃないかって答えられる方が多いんですね。例えば、年金をまだもらっていない方は、八割ぐらい賄えるだろうというのがこのピンクですね。この青が十割ぐらい賄えるんじゃないかということなんですが、それが三十何%しかないわけです。 ただ、実際にもらっている人に聞きますと、十割以上、十割賄えているという人が五割いまして、八—十割賄えているという方が六割いらっしゃるんですね。というわけで、実は日本の年金というのはかなり潤沢なんじゃないかと。 実際、例えば二十三万円というのは、今、派遣切りとかいろいろなことを言われておりますけれども、そういう人たちが稼ぐお金よりも大きいわけですね。ですから、現在、なかなか若者に高所得のいい仕事を与えられない状況の中で、なかなかこういう高い年金をお支払いするというのは無理ではないかというように考えております。 実際、日本の場合は、若者の、社会保障から国際的に見ると見放されているということが言えると思います。これは社会保障支出の対GDPをかいたものなんですが、この青いところは高齢者向けの社会保障支出で、これは高齢者向けというのは大体年金なんですね。この年金を見ますと、イギリスやアメリカよりも日本はいっぱい払っていると。スウェーデンやドイツのようなヨーロッパの高福祉国にはかないませんけれども、イギリス、昔、揺りかごから墓場までと言われたイギリスよりもいっぱい払っていると。ところが、家族支出ですね、つまり児童手当であるとか保育所なんかへのお金ですね、これが緑のところなんですけれども、それを見ますと、イギリスなんかは年金は少ないのにかなり払っている。日本は非常に低くて、アメリカ並みということであります。ですから、若者は社会保障から見放されているんじゃないかということです。 それからまた、消費税で、三年後の消費税で国会が大もめされて、自民党の中も大もめされたわけですけれども、この消費税というのは実は今まで高齢者は負担していないんですね。といいますのは、消費税で物価が上がりますと、年金は物価スライドされますので、消費税で上がった分だけ年金が増えます。ということは、高齢者は消費税を負担していないというのと同じです。ところが、高齢者の消費支出のシェアというのが今どんどん大きくなっているわけです。今これ三割ですけれども、これがだんだん大きくなっていきまして、やはり二〇五〇年ぐらいには五割ぐらいになるのではないかというように思います。ですから、消費税を増税したときに年金の支給額を上げるか上げないかということが非常に重要な問題になります。 多くの政治家の皆様方は、消費税を引き上げることは将来世代のために責任ある政治だと思っていらっしゃると思うんですけれども、消費税を上げたときに年金は上げないと決めない限り、将来世代のための責任ある政治にはならないと思うんですね。このことを皆様方が国民に訴えていただかないといけないというように思います。 ですから、消費税上げますけれども高齢者の年金は上げませんとだれも言っていらっしゃらないと思うんですが、だれも言っていらっしゃらないというか、学者もだれも言っていないと思いますが、これが大問題だというように考えています。 時間がだんだんなくなってまいりましたので、あと少し大急ぎでお話しさせていただきます。 皆で働くということでは、九〇年代の不況において若年労働を無駄にしてしまったという大失敗があると思います。つまり、若者が仕事を訓練できるような職に就くことができなくていつまでも単純労働しかすることができない、そういう仕事しか与えられないということで、そういう若者がだんだん年を取っていくとなおさら仕事が見付からないということになってしまいます。ですから、そういう若者、若者がもう若者ではなくて三十、四十になっているわけですけれども、その人たちから年金保険料を取って高齢者に配るということは非常に難しくなっているということが言えると思います。 女性が働きたがっているということはよく言われていることですので、それは省略いたします。 それから、生産性を上げるということですけれども、これは横軸に人口増加率をかいて縦軸に一人当たりの実質GDPをかいているんですけれども、そうすると人口増加率が低い国ですね、低い国ほど一人当たりのGDP成長率が高いという関係がございます。ですから、人口が減っても一人当たりの生産性が上がるということは十分に期待できるというように思います。 それからまた、日本は、これは現在生産性の低い部分がいっぱいあるわけですね。このグラフはアメリカを一〇〇とした生産性を産業ごとにかいたものです。横軸の幅は、そこにいる就業者数のウエートで幅を作ってあります。 ということで、例えば日本は製造業のごく一部分、ごく一部分だけで、これがアメリカですから、アメリカと生産性比べて高い、ないしは同等なんですけれども、それ以外のところでは非常に低いと。農林水産業とか建設、卸小売、飲食・宿泊、運輸・通信、ビジネスサービス、対企業サービスですね、そういうところでアメリカよりも生産性が低いわけです。ただ、生産性が低いというのは過去については失敗だったわけですけれども、将来についてはむしろこれを引き上げる余地があるということなわけですから、未来についてはむしろいいんじゃないかというように考えられます。 人口減少が更に直接豊かさを生むということもあると思います。ヨーロッパ、カナダ、アメリカ、オーストラリアの豊かさというのは、人々がまばらに住んでいるからこそなんじゃないかと思うんですね。そういう国では土地が安くて、また住宅に価値があります。インフラを人口減少社会にふさわしいものにすることも重要だと思います。つまり、コンパクトシティーと言われる。先ほど堺屋先生がおっしゃった地域ごとの中核都市にある程度人口が集中することもやむを得ないのではないかということですね。ヨーロッパの都市というのはまさにコンパクトシティーで、その中で歩いて何でもあるような、小さな、しかしきれいな町がいっぱいあります。日本もそういうことを目指す必要があるのではないかと思います。 今、需要の減少で日本は困っているわけですが、一方アメリカの住宅投資というのは非常に大きいわけですね。アメリカの住宅投資が今まで大き過ぎたがゆえに住宅バブルになって今アメリカが困って、そのアメリカ発の金融危機が世界金融危機になって日本も襲っているわけですけれども、住宅投資が大きいこと自体は別に悪いことではないと思います。 ここに書いてございますのは、日本とアメリカの家計の資産の内訳を比べたものです。ここにゼロのところがありまして、このゼロから下はマイナスですから、借金ですね。これが日本の住宅ローンの借入れで、これが住宅資産です。アメリカを見ると、借入れが非常に大きいんですね。大きいと同時に資産も、住宅資産もあります。日本では住宅ローン残高はGDPの四割ですけれども、アメリカでは八割あります。日本人は物すごい覚悟でお金を借りて一生懸命家を建てたつもりなんですけれども、それでもアメリカに比べると半分です。何でアメリカ人はこんなにいっぱい借金しているかというと、借金をしても住宅資産が残っていますから大丈夫だというふうに考えているわけです。ところが、日本ではその上物が全く価値がすぐなくなってしまうわけです。アメリカでは上物の価値があるから、一生懸命借金して一生懸命家を建てれば大きな家でその大きな家が財産になって、いざとなれば、このでかい家を売って小さな家に住めば老後は安泰だというふうに考えているわけです。 つまり、アメリカ人にとっては住宅は貯蓄なんですね。しかも、アメリカの場合は、住宅ですからこれは内需ですよね、住宅を建てるというのは内需であると。ですから、アメリカ人は内需と貯蓄が同時にできるわけですが、日本は貯蓄するだけで内需は増えないわけですね。アメリカはやり過ぎたから大失敗なわけですけれども、日本だってアメリカに多少近づけても全然リスクはないわけで、上物の価値が残るような政策によって住宅投資を増やすということも重要なんじゃないかというように思います。 最後にまとめですけれども、人口減少、少子高齢社会は覆せないと思います。また、そうするための本気でやるという意思が国民にはないと思います。その中で経済安定は可能であって、一人当たりではより高い成長もできるというように思います。これまでの高齢者の経済状況が良かったのは、思わぬほど成長して、若年労働者が多かった。これ、七〇年代の最初までですね。しかし、結局これ他人の子供に依存することになるわけですから、私は他人の子供に依存するということは幸福ではないわけで、自分に頼ることが幸福であって、多少年金が減ってもそれで食べていけないわけではないと思います。これからの日本の幸福というのは、人口の少なさを生かすことが重要なのではないかと思います。 済みません、多少時間を超過いたしましたが、以上で私の意見陳述を終わらせていただきます。 どうも大変、御清聴ありがとうございました。
○会長(矢野哲朗君) 原田参考人、ありがとうございました。 以上で参考人からの意見聴取は終わらせていただきます。 これより参考人に対する質疑を行います。 本日の質疑でありますけれども、あらかじめ質疑者を定めずに行います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願いを申し上げます。 なお、質疑に当たっては、参考人の方々の御意見の確認など、簡潔に行っていただきますよう御協力をお願いをいたします。 それでは、質疑のある方の挙手を願います。 吉田君。
○吉田博美君 今日は、堺屋参考人とそして原田参考人にそれぞれ貴重な御意見、御提言をいただきましてありがとうございました。 自由民主党の吉田でございます。今日は、お二方の先生からそれぞれお聞きしたいことございますので、お答えをいただきたいと思うわけでございますが。 堺屋先生が団塊の世代というのを付けられたわけでございますが、実は私は今年還暦を迎えまして、そこで隣の日枝神社へ行きまして、早いうちにということで厄払いをしていただきまして、そのときに、名前と住所と、そして自分の生年月日を昭和二十四年六月十七日生まれと書きまして、年齢は五十九歳と書きましたら、何とあなたの年は六十一歳ですよと言われまして、これ数えで、えらい年取ったなという感じがしまして、お隣の筆頭理事の岩城先生も、十二月四日生まれでございますから、一年もあるのに六十一歳といって書かれるんじゃないかなと思っておるわけでございますが。 団塊の世代という中で、私は今日、二点にわたってお聞きしたいんですけど、実は、団塊の世代、私自身がこの年齢を聞いたときには、えっ、こんな年になったのかと思いつつも、まだ二十歳の気持ちでおるわけでございまして、非常に元気なわけですよね。私たちはいろんな、受験戦争だとか就職戦争だとかあるいは経済戦争だとか、そういうものを乗り越えてきたいろいろな経験がございまして、そうした中で元気なわけでございまして、そしてこれからの豊かな、元気のある、活力のある高齢社会を形成するためには、この団塊の世代がどうひとつ活躍するかに懸かっているんじゃないかと思います。 そうした中で、いろいろな条件だとか環境整備をどのような関係の中でしていけばいいのかということをまず一つお聞きをしたいわけでございます。 それともう一つは、先生の論文の中に、タクシーの運転手、東京都のタクシーの運転手が平均年齢が一九七五年には三十二・五歳であったのが、二〇〇四年には五十五歳と。今では六十歳、七十歳の運転手さん。それは、もう安い賃金で年金兼業型高齢労働力が若年層を駆逐したという、論文でこう記述されておるわけでございますが、そうした中で、我々が、高齢者と言っていいのかどうか分かりませんけれども、我々が若者を邪魔をするようなことというのはいかがなものかと思いますものですから、これをどうすみ分けをしたらいいのかと、その辺のお考えをお聞かせいただきたいと思います。 また、原田先生にお伺いしたいんですけれども、先ほど来、人口減少の中でお話を、また事前にいただいたペーパーの中で四十四ページに、北米あるいはヨーロッパ等の人口密度の低いところの方が豊かさを感じるということを記述されておるわけでありますが、先ほどその説明にあったようなことじゃないかと思うんですけれども。 私は、現実に東京の三大都市圏なんかの暮らしを見てみますとそういうものを肌で感じるわけでございますし、特に信州の人口密度の少ない田舎から参りまして、八年近くこの東京へ住んでおりますと、本当に住宅の問題、あるいは公共交通機関を使うときに非常に混雑をして、その閉塞感というものを肌で感じておりまして、やっぱり人口密度の少ない方がいいんじゃないかなと思いつつも、一方では、私どもの本当に過疎化が地方では進んでまいりまして、もう超高齢化社会になり、人口減少が、特に東京等を中心とした中で、中京圏もそうでありますが、人口が移動しまして人口が減少すると。 そうしたことになりますと、例えば、全体的には人口減少してもその影響を抑えることはできても、地方の超過疎化の中でどういうような形の中でその人口減少について対応していったらいいのかということを先生からお聞かせいただきたいと思います。 以上でございます。
○参考人(堺屋太一君) ありがとうございます。 今の団塊の世代の話ですが、今年中には団塊の世代の方が全員六十歳におなりになると思います。そうしますと、多くの企業、職場では再就職若しくは再雇用ということになろうかと思うんです。いわゆる定年を迎えるというのは、決して働くことの終わりではございません。定年というのは、年功賃金、終身雇用の終わりでございまして、これからいよいよ自分で自由に労働市場で職場を探せるという長年の拘束から解き放される自由への出口だと、出発だと私は考えております。 当然、賃金は下がります。年功賃金制度でございますから、社内賃金と市場価格、社内価格と市場価格の差があります。若いころは大体まあ働きほどに賃金をもらわない、その分を会社に積み立てて、職場に積み立ててある、そしてだんだんと中年になりますと賃金の方が追い付いて、定年間際になると賃金の方が高くて職場に対する貢献を上回る賃金をもらう、したがって年功賃金が終わると市場価格に戻って賃金は下がると、こういう仕掛けになっておるわけですね。 これは、日本では終身雇用というのは大変温情的な方法だと言われてきたんですが、実は十八歳か二十二歳でした職場の選択を一生背負わされる極めて残酷な方法なんですね、それから逃れられないという。だから、いったん会社に入って、えらい会社に入ってしもうたと思ったらもう一生の不作という仕掛けになっておりまして、これはどう考えるべきか、大変重要な問題だと思います。 それで、六十歳を過ぎましたら、やはり自分の好きな職場を選んで就職ができるような社会全体の年齢観を変えなきゃいけないと思います。昔は五十五歳定年制でありました。五十五歳定年制のときの根拠は、大体人生の六割働くということだったようです。徳川時代あるいはそれ以前から見ましても、大体、平均寿命、人生五十年と言われたときは三十年間働く、その三十年間は十五歳から四十五歳まででございまして、明治の初めまでは四十五歳で大体隠居をしておりました。それが大正、昭和の初めになって人生六十五年時代になりますと三十八年働くというので、十七歳で旧制中学校に当たるところを卒業してから五十五歳、これが五十五歳定年であったようです。 今度は人生八十年時代でございますから四十八年ぐらい働いていいんじゃないか。そうすると、まあ二十二歳から七十歳まで働ける条件を整えていいんではないか。その代わり、賃金の方は工夫をし、また労働時間の方も必ずしも一日八時間、週五日、年に二百二十日ではない労働、あるいは自宅勤務、様々な労働条件をつくるべきだと思います。 そうすると、若者の職場を奪うという問題が出てくるわけでございまして、この原田参考人の資料にも若者の失業率が高いということが書いてありますが、この重大な問題は、高齢者がマーケットとして、需要者としてもっと楽しんでいただくことを考えなきゃいけないんです。高齢者が人生を子供のために使っちゃって自分が楽しむことがあんまりないんですね。 実際、我々は十五歳未満の子供たち四人に対して六十五歳以上の高齢者一人の割合で歴史のほとんどを生きてきました。そのために、子供たちのためにはいろんな需要をつくりました。例えば、歌といえば子供専用の童謡、唱歌がある。本には童話、絵本がある。百貨店には子供ファッションコーナーがある。スポーツには軟式子供用がある。お子様ランチもある。あらゆるものが子供用があるんですが、高齢者用というのはないんですね。本当に高齢者が楽しみと誇りを持って生きる、それだけの需要ができるような仕組みを、商品開発もしなきゃいけない。 私もこのペーパーの一番最後に書きましたが、年齢観の変更。私が経済企画庁長官のときに出しました八十歳まで働くことを選べる社会、これには、例えば職場の事務機械の改造から必要です。これも、ずっと昔は、二十歳代の人が中心だったときには、照明はスポットで、色はニスとグリーンで、机は傾斜型がいいと、わき目も振らずに書類を押さえていないと仕事ができないようにした方がいいと。それが戦後になりまして四十代中心になると、影のない部屋を造ってグレーの大部屋がいいということになります。 こういう人間工学の面から、職場の存在あるいは雇用の形態、そういったものまで含めて全体像を考える大型プロジェクトを立ち上げていただいて、そして高齢者が需要者でありかつ生産者である、六十以上の日本人のもう一つのサイクルをつくれるように是非、国家的プロジェクトとしてお考えいただきたいと思っております。
○参考人(原田泰君) 人口密度の少ないことが生む豊かさと過疎化ですね、それが、過疎化の中で人口密度の少ない豊かさが本当に実現できるのかという御質問だと思います。 ヨーロッパの地方の町はどうなっているかというと、中央に集中した都心、都心といっても東京の都心ではなくて町の都心ですね、小さな町の都心があって、そこに集中して建物があって、その後美しい郊外があって、その先はだれも住んでいないと、こういうパターンになっていると思います。その集中したところは昔ながらのきれいな町で、その周りに美しい郊外住宅があって、何もないということなんですが、日本の場合にはだらだらと続いていて、そのだらだらと続いていくことによって社会インフラのコストが非常に高くなっているんじゃないかというように思います。 ですから、特にそのだらだらと続く町のコストが高くなる雪国ですね、青森などでは除雪費用が非常に高いのでコンパクトにしようということで青森の市長さんなんかはやっておられます。そうしますと、そのコンパクトシティーの中でそれに関連してきれいな町というのはつくれるんじゃないか。そして、そのきれいな家が並んでいることによって豊かさを感じるということは十分可能だと思います。 明治の初めに、イザベラ・バードという世界的な旅行家なんですけれども、その人が日本に来て、現在の秋田市を訪れて、美しい家が何マイルも並んでいると。そこに果物が植えてあって、ザクロやイチジクの木の下で楽しい暮らしをしているというようなことを書いております。昔できたことが今できないはずはないと思うんですね。 昔何でそれができたかというと、一つの富は農業で、もう一つの富は日本海側の船を通じた交易で栄えていたわけです。例えば、信州なんかですと、様々な精密機械とかそういうものがあるわけですので、そういうことから富を生む、あるいは農業からも富を生んでそういう美しい町をまたつくるということは私は可能なのではないかというように考えております。
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。 他に質疑のある方。 行田君、お願いします。
○行田邦子君 民主党の行田邦子です。 今日は、お二人の参考人にお忙しい中お運びいただきまして、ありがとうございます。また、少子高齢化社会についての示唆に富んだ御意見を伺うことができまして、大変勉強になりました。 お二人の参考人に対してそれぞれ御質問させていただきたいと思います。 一つは、先ほどの吉田委員と少し重なる部分があるんですけれども、この人口減少社会、すなわちお年寄りが増える社会という中にあって、ここで年齢観の変更というのを考えなければいけないというふうに思っております。生産年齢というのは今は十五歳から六十四歳と、そしてお年寄り、高齢者は六十五歳というふうに位置付けられているかと思いますけれども、これからどんどんどんどんお年寄りが増えていく社会の中にあって、この生産年齢というものをもう少し上げていかなければいけないのではないかと、そのことによって労働人口が増えていくのではないかというふうに考えているんですが。 そうすると、先ほどの吉田委員のお話と少し重なるところがあるんですけれども、団塊の世代の方たち、これから高齢者というふうになっていきますけれども、こういった方たちがもっと労働市場へと入っていって、労働力として、新しい自由な労働力としての担い手になっていくべきであろうと思います。 ただ、一方、今は特に非正規雇用者の失業という問題も大変深刻な問題になっておりますけれども、団塊の世代という大変人口ボリュームのある方たちが新しい労働力として労働市場に参入することによって若年労働者とのカニバリゼーション、あるいは出産や育児によっていったん仕事を辞めてしまった、労働市場から姿を消してしまった女性の再就職の雇用の機会の喪失につながりはしないかということを懸念しているんですけれども、その点について堺屋参考人にお伺いします。
○会長(矢野哲朗君) 一緒に質問されて、答弁一緒にいただくということでいいですよね。
○行田邦子君 はい。 もう一つの質問は原田参考人にお伺いしたいんですけれども、堺屋参考人それから原田参考人からもお話がありましたけれども、特に堺屋参考人からのお話でも、合計特殊出生率と政策との相関性は見られないというお話もありました。また、原田参考人からは、子供を増やすことにはとてもコストが掛かるというお話もありました。 ただ、そうはいっても、長期的に見て、少子化ということに政策的に何らかの歯止めを掛けなくてもよいのかどうかということをもう少しお聞かせいただけたらと思います。
○参考人(堺屋太一君) ありがとうございます。 まず、第一の点でございますけれども、やはり年齢観は変えなければいけないと思います。下の方も変えなきゃいけないと思います。今、労働人口を十五歳から六十四歳というのはかなり古い時代、二十世紀の初め、百年前ぐらいに決めているんですね。今、十五歳から労働人口になって家計を立てて税金が払える人というのはよほど運のいい少女歌手ぐらいでございまして、大体不可能です。まあ平均して二十二歳ではないでしょうか。下の方が七歳も上がったんなら、やっぱり上も上げなきゃいけないのでありまして、いつまでも厚生労働省が十五歳から六十四歳にこだわっているのはいかがなものかと思います。 しかし、六十五歳以上の人に働いてもらうためには、全部が正規労働、一日八時間、満員電車で通勤するということは困難ですから、そこにやはり労働雇用の柔軟性を生み出すべきではないかと。例えば、自宅勤務をどうするかとか、パートタイムをどうするかとか、あるいは週休三日制の労働をつくるとか。そういたしますと、いわゆるヒューマンウエア、人間を、人をどのように待遇するかという技術の進歩、それから先ほど申しました事務機械などの進歩、それに合わせたものというのもビッグプロジェクトとして考える必要があると思います。 そして、働いてくれる人、しょっちゅう外へ出る人は、やはり需要もいたします。ここが大変重要なところで、高齢者が働くだけでお金を使わないということはないんですね。ずっと団塊の世代を追ってまいりますと、いつも、団塊の世代が六〇年代の末から七〇年代の初めにかけて高校、大学を卒業したときには、当時の労働省は、こんなに一遍に大勢学校を出て就職すると物すごい就職難になるというので、当時、今のハローワークですね、というようなところに大変職員を付けたりしたんですが、実際は団塊の世代はまず需要者として働きました。マーケットとして働いたから、大好況になって人手不足になりました。人が働くということは、同時にやはり需要になります。 だから、高齢者が好むような消費、それからもう一つは高齢者の誇りの持てる暮らし。外国では、高齢者の誇りを持てる典型的なのは寄附でございまして、寄附すると物すごく名前やら何だか書いてくれるんですね。そのために、アメリカでは個人の寄附が年間二十兆円あります。日本は二千億円です。百倍あるんですね。もし高齢者の人が、アメリカ並みでないにしても、その半分でも、日本の経済規模はアメリカの半分として五兆円ぐらい教育、学術、福祉等に献金してもらえるようになったら、そしてその人たちを顕彰して誇りを持って暮らせるようになったら、世の中相当変わると思うんですね。だから、いかにして高齢者の人に働きかつ楽しんでいただくか。そういうプロジェクトを是非立ち上げていただきたいと思います。 今、非正規社員の問題が出ておりますけれども、私は、非正規社員はやはり企業が弾力的な運営をして次の投資をしていくためには必要な存在であろうかと思いますし、また働かれる方も、必ずしも正規社員として終身雇用の中でいるのがいいと思う人ばかりではございません。そういう点では、この非正規社員の増減というのは存在いたします。 それは、今問題になっている非正規社員の問題は、これはパブリックセクター、政府、地方自治体、そういうパブリックが責任持つことでございまして、これを禁止して企業に全部社員は切っちゃいかぬなどと言うと、投資がヘジテートして新しい雇用もつくらなくなりますから、むしろそれはやっぱり、安全ネットというのは国が、公共が持つべきものだというのをしっかり考えていただきたいと思っております。 そういう意味で、団塊の世代が六十歳を超えられるときに、この方々を更に労働力として、そしてマーケットとして活躍できる体制を早急に整える必要があるんじゃないかと考えています。
○参考人(原田泰君) 合計特殊出生率がどんどん下がってくるときにある程度歯止めを掛ける必要があるのではないかという御質問だと思います。 もちろん、このままの出生率が続きますと、千年後には最後の日本人が生まれることになります。それは皆様方も歓迎しないことだと思いますので、どこかの段階で何とかしないといけないということで日本人が本気になるということは十分考えられると思います。また、そういうふうにすべきだということかもしれません。 それで、対策をやってもうまくいかないということを堺屋先生がおっしゃっておられました。ただ、先進国の中だけを見ると、ある程度効果はあるのではないかと思います。 例えばアメリカの場合も、何もしていないんですけれども、ただ一つやっているのは、子供を育てるためのいろんなコスト、そういうものを全部所得から控除できます。もちろんこれは女性が働く場合ですね。女性が働く場合、子供を保育所なりあるいはベビーシッターに頼むと、そういうコスト、そういう費用を全部その女性の所得から控除できます。ですから、当然、税金をまけてあげるということは結局補助しているのと同じですから、アメリカにもある程度補助はあるわけですね。 ということで、日本でもそういうことをやるとか、あるいはヨーロッパや北欧がやっているような高い児童手当であるとか、あるいは保育所に対する援助を増やすとか、あるいは幼稚園と保育園がごちゃごちゃに、まあごちゃごちゃというか、役所の縄張争いでうまくいっていないわけですが、それを統合して長期間預かることができるようにするとか、様々な方法はあると思います。ただ、ヨーロッパの国が大体GDPの五、六%のお金を使ってやっと出生率が二になっているわけですね。そういうことを考えますと、やはり更に上げるということは非常にコストの掛かる非常に難しいことではないかというように思います。
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。 本日の調査会でありますけれども、本会議三時開会ということでありまして、おおむね二時四十五分には終了させていただこうかなと思っております。御協力をいただきたいと存じます。 その他、質疑のある方、挙手を願います。 亀井君。
○亀井亜紀子君 亀井亜紀子でございます。 両参考人のお話を非常に興味深く聞かせていただきました。率直に感じたことを申し上げますし、お二人に同じ質問をしたいと思います。 この調査会でこの仮説を取り上げたということは、一つには今少子化が問題であると、少子化になったら大変だという前提で政策が進んでいるわけですけれども、この仮説が証明できた場合に、少なくとも少子化は怖くないと、少子化しても幸福な社会をつくることは可能だということが証明できるわけで、その可能性を探っているのだと思います。 初めに、堺屋参考人が発表されたときに、人口が減少しても自由な移動と転職があれば経済、文化は発展するとおっしゃいました。そして、ヨーロッパの例を挙げられて、人口が減少したときに都市に人口移動がスムーズにいった国は発展し、ドイツのように土地に縛り付けられてしまった国は衰退したとおっしゃいました。それを今当てはめますと、例えば大前提として過疎は問題である、限界集落を助けなければいけないというのが今の日本の考え方です。そして、国土の均衡ある発展という言葉もあるわけですけれども、堺屋参考人のお話を伺っていると、ある程度は致し方ないことであるので、人口が減少していく中で、その人たちがまとまって住めば幸福な形は維持できると言われているように私は理解したんですね。 ですので、国土の均衡ある発展という考え方が善なのかそれとも時代遅れなのか、ユニバーサルサービスということもおっしゃいましたけれども、そのことも今までのようなサービスを少子化の中ではあきらめていかなければならないのか、そういった視点で御意見をお伺いしたいと思います。 同じ質問を原田参考人にもしたいのですけれども、原田参考人は人口がまばらな国々の方が幸福度が高いようであるとおっしゃいました。ですので、私もカナダに住んでいたことがあるんですけれども、広い国土にまばらに人が住んでいて、非常にスペースがあって、豊かなんですね。ですので、原田参考人のイメージしておられる幸福な人口の少ない社会というのは、まとまって住むのではなくて、むしろ今都市に集中している人口をある程度分散させていくようなイメージに私には聞こえるんですけれども、国土の均衡ある発展という考え方についていかがお考えでしょうか。お願いいたします。
○参考人(堺屋太一君) ありがとうございます。 先ほどの行田委員の質問にも併せて答えたいと思うんですけれども、私は、やはり人口減少はなるべく止めるべきだと。なるべく止めるべきだけれども、その方法論はまだ人類は見付け出していないと思います。 今最も統計的に有力なのは、少子化、早産、早く結婚するように進めるということなんですね。これはやはり倫理観を変えなきゃいけないという問題がありまして、今ヨーロッパの例を挙げられましたけれども、ヨーロッパでもフランスや北欧の国々はかなり高まっていますが、それ以上にいろいろとやっているハンガリーとかドイツとかいうのは全然上がらないんですね。だから、その間に関連性はないというのは一般的に証明されているところだと思います。 だから、教育、就職、結婚、出産というこの近代工業社会だけが持っていた人生観というのはちょっと変える必要があるんじゃないかという気するんですね。これは、大変これを言っている人が日本で少ないものですから変わった意見だと言われるんですけれども、実際、統計的に見ると、また現実にもそうだろうと思います。 それで、今の亀井委員の御質問でございますが、私は、道州制をしく等の方法で国土の均衡ある発展を目指すべきだと思います。ただし、国土の均衡ある発展は、あらゆる地域を、あらゆるところに人口をばらまくのではなくして、ある程度効率的な生活のできる状態をつくりたいと思います。 現在、集落と言われるのは三戸以上あるところだそうでありますが、それが十四万、全国にございます。その中で九戸未満、九戸以下というのが五千七百あります。九戸以下のところというのは大体高齢化しておりまして、お年寄りがお一人で住んでいるような家が多いんですが、私は、危険もございますし、コストの問題以外に孤立した存在になるので、余り幸せな生活、九戸未満ではできないんじゃないか、せめて一番その近くのところに百戸以上ぐらいで集住できる方が幸せで安全なんじゃないかなと思うんですね。 雪国、まあ山国で九戸未満のところでお年寄りばかりのところというのは、私も随分、山林業をやっておるものですから行きますけれども、やっぱり危ないんじゃないかなという気が最近します。そういう意味では、もっと便利なところに移築する、移住する補助金を出すということも考えるべきじゃないか。 その反面、地方中核都市といいますか、そういうものはやはりもっと個性ある発展をすべきだ。そのために、現在の国土政策の国家統一基準、昭和十年代に次々とできました国家統一基準というのをやめまして、道州単位ぐらいでそれぞれが自由にできるように、地方分権、それから税財政の地方移管というような個性ある町づくりを進めるべきだと思っております。 そういたしますと東京一極集中が緩みます。特にマスコミの東京一極集中、これをやはり解消しなきゃいけません。全国から情報発信ができる、これは中国でもドイツでもイギリスでもそうです。フランスでもパリの比重がどんどん下がったのはマスコミの分散です。こういうことをやりますと、地方から文化を発信し、若者に夢を与えることができる。これは、やはり地方中核都市あるいは地域中核都市を育てるべきだと思っています。 現在の地方の衰退は甚だしいものがございまして、やはり物づくりの時代から文化づくり、知恵づくりの時代に合った地域政策が必要だろうと考えております。
○参考人(原田泰君) まばらに住んでいるということの私のイメージは、あらゆるところに住んでいるという意味ではなくて、集中しながらその集中点がいろいろなところにあると、そういうイメージであります。ヨーロッパに、あるいはカナダでもアメリカでも、大体町と町の間には何もないというのが普通だと思います。日本ですと、東京からいつまでも家が続いているというのが日本の町並みです。ですから、そうではなくて地方の中核都市に集中すると。集中することによって社会インフラのコストも安くなりますし、例えば東京ではできないような豊かな居住生活というのも可能になると思うんですね。 例えばアメリカで、アメリカでは百万ドル以上の家を何となく、日本円でいえば一億になりますが、何となくやったという感じの家だというふうに思うらしいんですが、あらゆる町に百万ドル以上の家が並んでいるところがあるんですね。だから、人口が十万ぐらいのところでもそういう家が並んでいる町があります。日本ですと、東京で一億円といってもミニ開発にしかならないんですが、地方に行くとそういう家はないですね、そういう家を売っているというものはないです。そういう家が並んでいるというところもないです。ですから、私のイメージは、様々なところで集中しながら、都市への集中によって富をつくって、その富をつくった人たちが美しい家に住むことによって豊かさを感じる、そういうことをイメージしております。
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。 その他、質疑ございますか。よろしいですか。 他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了させていただきます。 堺屋参考人そして原田参考人には、御多用の中、本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。有意義な意見交換ができたと思います。 ありがとうございました。(拍手) ─────────────
○会長(矢野哲朗君) 本日は、テーブルの上に黄色い資料を置かせていただきました。この資料の中にはテーマ一における次回、次々回の参考資料として御活用いただきたいと思います。そして、二月いっぱいでもって中間取りまとめというふうな予定をさせていただいておりますけれども、こういうふうな国会状況でありますから、逐一、筆頭間でもって協議をいただきながら看板立てをすると。看板立てをさせていただいたら御協力をお願い申し上げるというような今後の展開にさせていただこうと考えております。 本日はこれにて散会いたします。 午後二時四十四分散会