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171回国会参議院2009/07/07

厚生労働委員会 第23号

発言数
264
登壇者
29
会派数
6
開催日
2009/07/07

会議録

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。  委員の異動について御報告いたします。  昨日、丸川珠代君、姫井由美子君、森田高君、家西悟君及び小林正夫君が委員を辞任され、その補欠として義家弘介君、下田敦子君、亀井亜紀子君、田中康夫君及び川上義博君が選任されました。     ─────────────

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。  臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案の審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、厚生労働省健康局長上田博三君外一名の政府参考人の出席を求め、その説明を聴取したいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     ─────────────

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案を議題とし、参考人の方々から御意見を聴取いたします。  本日御出席いただいております参考人の方々を御紹介申し上げます。  日本移植支援協会副理事長高橋和子参考人でございます。  次に、大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授の高原史郎参考人でございます。  次に、大阪府立大学人間社会学部教授森岡正博参考人でございます。  次に、東京大学先端科学技術研究センター特任教授米本昌平参考人でございます。  以上の四名の方々に御出席いただいております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様方には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。  皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、今後の両案審査の参考にさせていただきたいと存じます。何とぞよろしくお願い申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、参考人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。  なお、参考人、質疑者共に発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず高橋参考人にお願いをいたします。高橋参考人。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) こんにちは。日本移植支援協会の高橋和子でございます。  このような立派なところで話すのが初めてなので少し緊張しておりますが、難しいことは先生たちにお願いして、私は支援の経験から家族や国民の声をお届けする役目かなと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。  参考資料として、私どもの機関誌サポを添付しています。こちらには、藤田保健衛生大学医学部の脳神経外科主任教授であります佐野先生のメッセージも載っておりますが、昨年、全国大会におきまして、脳死は死だということを御講演賜りました。あと、活動などが出ておりますので、参考までによろしくお願いします。  それからもう一つ、小冊子なんですが、こちらは成育医療センター研究所移植・外科研究部の絵野沢先生のなんですが、私どものホームページを参考にしてデータベースを作りましたよということをお伺いしましたので、渡航移植の苦悩についての視点ということで、結構いい資料だと思いますので見ていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。  十年一昔と言いますけれども、移植法ができてもう十年、昔なんですね。ちょうどそのころ私は、三歳のかわいい男の子を臓器移植で救わなければならないということにぶつかりました。日本ではできないということでアメリカに渡り、当時、目標金額六千万円ということで募金をいたしまして支援をいたしました。残念ながら、アメリカに着きましたら非常に重症で、ICUに三か月、治療代は一日百万、二百万となりまして、本当に家族は悲鳴でございました。私も国際電話掛かってきて、もうあきらめるとか言えないし、もうとにかく聞いてあげることしかできませんでした。  このびっくりの、どうして日本が助けられないのかということも含め、本当に大変な経験をいたしました。  結局亡くなりまして、一億五千以上の請求が来まして、これは大変と青ざめましたけれども、もうどうにもできなくて追加募金いたしましたが届きません。ドクターと相談してアメリカに飛んでいただき、向こうの病院に交渉をしていただくという、そして寛大なアメリカなんですが、ディスカウントオーケーになりまして、何とか残された家族の生活を守ることはできました。  あの経験は忘れられません。子供を持つ親でしたらだれでも、何としても助けたいという気持ちになるのが自然だと思います。何でもしますね。なぜ日本で助けられないのかということで、今もこの渡航は続いております。  あの悔しい思いをばねにNPOを立ち上げまして、啓発活動に入りました。私たちは、生きたいという一つの願いをかなえてあげたいという、その思いだけでございます。先進国の我が国が移植難民となって、これまでにたくさんの患者さんの命をつなげております。脳死は死であると分かっているのですから、一日も早い世界レベルになってほしいと思います。  衆議院で可決されましたA案に心からうれしく、希望の日差しが差しました。これで子供たちを救えるとうれしい涙を流した人もおりますが、これまでにたくさんの患者さんが亡くなっていったことを思い出して悔しい涙を流す方もおりました。協会は一〇〇%うれしく、万歳をしてしまうほどはしゃいでしまいましたが、国民は皆喜んでおります。全国からおめでとう、良かったですねという電話がりんりん鳴りまして、その日は大変でございました。  参議院の先生たちにもう一度申し上げます。国民はA案にみんな喜んでおります。国の宝、子供の命は自国の法律で救わなければなりません。昔は守りだったのかもしれませんが、情報の入る現在では、国民は理解しやすく、成長しまして、昔と違います。今に生きる子供たちは十歳でも賢く、よく分かります。まあ、二歳とか五歳の子供は意思表示はやはり無理ですね。しかし、そのために保護者というものがあるのではないでしょうか。理解をした保護者が家族の同意等々、命を救うために一歩進めて積極的になってよいと思います。A案は拒否権があるのですから反対派にも平等だと思います。NHKの世論調査も六〇%賛成です。国民の理解は、無知な昔と違って全く違ってきております。  世論が高まった今は啓発活動が非常にやりやすいです。チャリティーコンサートの会場は、慈愛に満ちて、善意の輪で大盛況でございます。学校からの講演や勉強会も依頼が来るようになりました。先日亡くなりましたプロレスリング・ノア、三沢さんなんですが、ジャンボ鶴田さんが肝臓移植で亡くなってからずっと啓発活動に御協力長くいただきました。お別れ会は二万五千人の行列になったそうで、全国の方が知らない方はいないほどでございます。先生方のお耳にも入っているかと思いますが、大きな啓発になっております。  また、移植患者が一人渡航して、助けるために地域を挙げて募金を行いますが、その際は県挙げて三万人の方が動きます。御協力いただきます。その都度多額が集まります。助けたいという国民の根付いた優しさがあるからだと思います。  臓器移植は日本の文化に合わないと言う方がいると聞きましたが、とんでもございません。日本には優しさというすばらしい文化があるのではないでしょうか。でなければ億のお金は集まりません。そして、移植に賛成だから御寄附くださる、反対であれば応援はくれません。今、理解は深まって、ドネーションという本当の優しさの医療が始められるのではないでしょうか。  先週、アメリカで子供が一人亡くなりました。事務局に第三者から電話が入りまして、年配の方でした。大人の責任で申し訳ない、電話の向こうで泣いている声が聞こえました。そういう優しい方があります。  先生方、小さな命などどこにもないのです。大人の作った法律で子供を救えない、こういうような政治では少子化は進みます。一事が万事でございます。国民は、厚生労働省にもう我慢できないのではないでしょうか。これはこの国の殺人と言う方もいらっしゃいます。議論をしている間に本当にどれだけの患者を救えたのかと怒る方もいらっしゃいます。どうか先生方、A案で、国民の心をしっかり受け止め、WHOレベルに、一日も早い移植推進整備をお願い申し上げます。  ここから先は患者の声をお伝えいたします。私がここの参考人に呼ばれるということで、何か言いたいことありますかといただいた言葉です。  患者から。こんなに元気になりました。国内で早く移植ができるようにしてほしい。助けていただいて、毎日、一日一日大切に幸せに生きております。応援いただいた皆さんとドナーに感謝の日々で生きております。元気になって学校へ行っています。毎日お薬は飲んでいますが、あとは普通に暮らせております。ドナーへの恩返しは元気に生き続けることです。  家族からです。悲しみはもう、うちの子供で終わりにしてください。次の子からは国内で移植ができるようお願いいたします。結婚いたしました。こんなに元気になり、うそのようです。移植医療のことを伝えたい。本当にありがとうございました。元気に成長しております。この子は八歳で移植したんですが、今中学二年になったということです。参議院でA案が通ることを祈っております。一日も早い法案をお願いいたします。みんなを助けてあげてほしい。  全国移植団体、国民の声です。必ず通ると信じております。百万人の署名運動はいつまで続けるのか。先生たちはいつ分かってくれるのでしょうか。いつまでもほっておくのは、これは殺人と同じだ。変えてほしい。患者の生きる権利を尊重してください。移植でこんなに元気になるのかと驚く人はたくさん、多いですよ。本人の意思と家族の思いを酌み取る医療へやっと見直していただけるんですね。死の定義を避けてきた日本、時代に合った死の定義をしてほしいです。  以上でございます。  どうか先生方、御自分の家族を救う、国民を救うことを思って、A案で通していただけますよう、心からお願い申し上げます。私たちは、これからも国民のマインドを上げるよう啓発活動を行ってまいります。  ありがとうございました。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。  次に、高原参考人にお願いいたします。高原参考人。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 一言お礼申し上げます。発表の機会を与えていただき、ありがとうございます。座ったままでお願いします。  なぜ私が今ここにいるかなんですけれども、私の所属する大学附属病院は、心臓移植、肝臓移植、肺移植、膵臓移植、腎臓移植、全部行っています。お世話するために移植医療部という臨床部がありまして、私は以前そこの世話役をしていました、今は違うんですけれども。そこでは、やっぱり私の専門とする腎臓移植や膵臓移植だけじゃなくて、肝臓移植、心臓移植、肺移植のいわゆるカンファランスですね、移植前の方、移植した方、それをドクターだけじゃなくて、技師の方々とかコーディネーターの方々と一緒に検討していました。そういうことで、いろんな経験があるということで私が選ばれたのかもしれません。  最初に私が申し上げたい点は、実際にどのくらいの数の患者さんが移植によって救うことができずに亡くなられているかです。七月二日の参考人意見陳述で、日本移植学会の寺岡理事長が説明しましたように、心臓移植によって救えたはずの患者さんの数は、少なく見積もって年間四百人から五百人です。肝臓移植で年間救えたはずの方が二千二百人から二千三百人。私の専門とします腎臓移植に至っては、血液透析、腹膜透析をされている今約二十八万人の患者さんの中の適用は約十五万人以上です。移植によって生命予後を延ばす効果を考えますと、数千人の効果があります。つまり、臓器移植を受けていれば助かっていた可能性の高い人の数は年間一万人以上であり、交通事故で毎年亡くなられている人の数よりも多いのです。  日本という国にとって、臓器移植という医療があった方がよいのか。あった方がよいのであれば、何をすべきか、どのような優先順位ですべきか、この点が重要だと考えます。  私がA案を推進するのも、A案が通ってすぐに増えるわけではありませんが、まずこのA案を通してドアを開けない限り、次に進まないことが明らかだからです。では、これから今後、日本における臓器移植を必要とされる患者さんの数は増えるのでしょうか、減るのでしょうか。  肝臓移植を例に取ります。今、C型肝炎の患者さんの数は約二百万人と言われています。今後数年、少なくとも十年以内に数万人の患者さんが肝臓移植を必要とします。これらの患者さんにおいて生体移植のドナーが見付かるとは限りません。実際に行われる数は年間四、五百例です。腎臓移植においては、四十万人程度にまで透析の数が増えると言われています。現在の年間の生体臓器移植の数は千人から千百人ですから、今後十年以内に三倍、四倍に増える見込みはほとんどありません。医療経済的にも、現在、血液透析で一兆数千億円のお金が掛かっております。実際に臓器移植のニーズは非常に高いと考えていいと思います。  海外渡航移植について述べます。  私自身が班員の一人でありました厚生労働科学研究の調査によれば、これは三年前の調査ですが、海外で移植されて日本の移植している施設、主に日本移植学会の施設ですが、に通院されている方は、肝臓移植でその当時約二百人、腎臓は数百人、これはちょっと実数が分かりません、移植学会以外の施設でも見ていますから。心臓移植でも百数十人の方でした。また、この方々の大多数が大人の方であり、今回大きく問題になっている子供だけではありません。つまり、これらの数は氷山の一角です。特に腎臓移植においては、特定の施設以外の医療機関で通っていらっしゃる方が多く、実際に本当に数は分かりません。  今後、もし、今回の法改正において、これから日本での臓器移植は増える見込みがない、現在の法律ですが、となった場合、どのようなことが起こるでしょうか。恐らく、やみに隠れ、海外での違法な移植、非倫理的な移植が増えるでしょう。  イスタンブール宣言のことがよく話題に上がります。昨年の四月、私も日本からの出席者四人のうちの一人として参加しました。これくらいの部屋の中に世界中から二百数十人が集まって、二日間缶詰になりました。移植医療の方々、WHOのメンバーの方、医療倫理の方々、この二日間まるっきりその中でやったんですね、会議を。  予想どおり、日本は名指しで非難されました。特に発展途上国からの非難は非常に厳しいものでした。お金で臓器を買いに来る。その結果、自分たちの国の中で本来その臓器を必要とされている患者さんが死んでいる。日本だけが、先進国の中で日本だけがなぜほとんど臓器移植が増えないのか、極端に少ないのか。非常に厳しい質問、なぜなのか、問いかけを受けました、二日間。セルフサフィシエンシー、自分たちの国で必要な臓器移植のドナーは自分たちの国の中で賄う。その二日間の会議の中で、そんなことは当然だ、なぜわざわざそんなことを宣言し、WHOのガイドラインに入れようとするのか。要するに、名指しで非難された金で臓器を買いに来る日本のような国を防ぐためなんです。もうはっきり言われました。  これもよく新聞に載っていますが、WHOのガイドラインの変更は今年は見送られました。来年になる見込みです。しかし、昨年のイスタンブール宣言以降、実際に日本からヨーロッパ、アメリカ等の海外での肝臓移植、心臓移植で行われているのはほんのごくわずかの数です。  例えばアメリカだと、デポジットを三億円入れろと言ってきます。一〇%ルールというのはアメリカは変えませんから、三億円入れろということは要するに断っているんです、彼らの意思表示として。ドイツはもう断っています。実際に今、高橋先生もおっしゃったように、お金を集めても行けなくなっていますし、より強調したいことは、最初に私が申し上げたように、本当に必要としている数は年間四百人、心臓だけでいらっしゃるんです。この十数年間で移植ができなくて亡くなられた方は十万人を軽く超えるんです。  もう一度繰り返しますが、日本の国として、この国にとって臓器移植という医療があった方がいいのか。いいのであれば、どういう優先順位で何をすべきか。私は、やはりA案をまず通すことだと思います。  日本はまだ臓器移植のためのインフラが整っていないのではないかとよく御質問を受けます。私もその提供の現場にお手伝いに行くこともありますので、そういう質問をよく受けます。私がそのやっぱり現場においてつくづく感じますのは、インフラがしっかり整っているところから始め、少しずつ広げていくのが正しい方法じゃないかと思います。  例えば、日本臓器移植ネットワークにはコンサルテーション医師というのが登録されています。私もそうです。私は何かというと、ちょっとこの方は厳しい状態なので、非常に言葉はちょっと失礼な言い方になりますけれども、この腎臓使えるかどうか分からないから来てくれと言われたら行くんですよね。脳死の診断でも、やっぱり四類型の病院でもそんなにしょっちゅうあるわけではありませんから、特に臓器提供の法的の手順というのは結構複雑なところもありますので。そういういわゆるお助けマンですよね。今でもいらっしゃるんです。やはり今あるインフラを少しずつ広げていくというところが大事だと思います。  虐待についてもよく言われるんですけれども、私もISODP、インターナショナル・ソサエティー・オブ・オーガン・ドネイション・アンド・プロキュアメントといって、要するに政府機関と学会の人間が一緒にどうやって臓器移植をそれぞれの国で増やしましょうかというところの理事をやっているので、よくそういう話題を受けることあるんですけれども、まず虐待のことも含めてドメスティック・バイオレンスすべて共通して言えるんですけれども、何万人もやっているわけですから、アメリカ、ヨーロッパ。数がやればやるほどコーディネーターの方及びそのシステムが慣れてくるから、はっきり言えることは、慣れれば慣れるほど、数が増えれば増えるほどそういうドメスティック・バイオレンスとか虐待についての見極め、チェックは、より精度が高くなる。それははっきり言えると思います。  あと、もう一つ言われたいのは、やっぱりドナーファミリーのケアについてですよね。これはもう当然のことであって、崇高な精神で提供されたわけですから、後で何か悩んでいらっしゃるんじゃないかとか、あと後悔している人いるんじゃないかとか、こういういろんな意見を聞くんですけれども、私が間接的にですけれども経験したことを一言だけ述べさせていただくと、実際に今の法律下で脳死提供が行われました、あるところで。提供されたんですね。御家族の方ももちろんドナーカードもあって申出されたんですけれども。後から今の法律をよく読むと、あのとき自分が、その御家族の方ですね、あのとき自分がうんと言ってサインしたから脳死診断が行われて移植をされたわけですよね。ということは、自分があのときサインしていなければ死の診断は実際には遅れていると思うんですよね。ということは、自分がある程度死の判断に関与したと、それはやっぱり遺族と家庭としては非常につらいことだというふうに、間接的で、僕は聞きません、コーディネーターの方からお聞きしたんです。  そういうふうな経験ありますから、今の法律の方がむしろドナーファミリーの方にとってはおつらい要因が大きいということは私ははっきり言えると思います。私は移植サイドなので、直接提供された方には会うことはほとんどないんですけれども、コーディネーターの方はよくお会いすることがあるので。特にドナーファミリーのケアは大事です。  一つだけ例を申し上げますと、昨年、日本移植学会という学会を私が会長でやったんですけれども、いわゆる学術集会ですよね。でも、去年はもうさすがにそれだけじゃ済まないということで、ドナーファミリーの方にも集まってきてもらって、学会自体のテーマを「いのち・希望・感謝」というふうなテーマにして、一日掛けて、実際ドナーファミリーの方にちょっとでも光が当たるように、どうすれば、移植医療というと僕ら医療従事者は限られていますから、やれることが。どうやって光を当てていけばいいか、僕たちがお手伝いできることをやってみました。だから、今後はこのような学会だけじゃなくて、公的なやっぱり支援の枠組みというか、いろんなのが必要だと思います。  今の法律の中でも、これは行政の方も、そこそこと言うと非常に失礼ですけれども、よくやっていらっしゃる部分もあると思うんですよね。当たり前のことですけれども、移植医療者だけで提供が増えるわけではありません。今の枠組みで何とか増えないかということを我々も頑張っているんですけれども、例えば、去年、移植学会に合わせてWHOと厚労省と学会が共催で会議を開きました。これはやっぱり行政の方にも、日本からは上田局長がわざわざ来てくださって、どうやって少しでも増やしていこうかという会議をやったんですけれども、一日だけの会議なので限度がありまして、やはり残念ながらそこでも言われていたのは、日本は変な国と言われたんですよね。なぜこれだけ先進国で医療技術があって行政システムが発達しているのに提供が増えないのかと。もちろん、臓器提供にはいろんな問題あるだろうけれども、やっぱり社会として、日本の国としてあった方がいいのであれば、やること決まっているじゃないかというふうに言われました。  先ほどから私は同じことを繰り返していますけれども、私はA案推進なんです。なぜかというと、A案が通ってもそんなすぐ増えるわけじゃないんですけれども、本当にやっぱり医療従事者、さっき申し上げた移植医療部の部長として、移植の専門家として、それから実際に、昔コーディネーターがいらっしゃらないころ、私もコーディネーターみたいなことをやったことありますから、それの経験からいって、この案が通らないと前へ進まないんです。そこだけは御理解いただきたいと思いますね。  以上です。ありがとうございました。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。  次に、森岡参考人にお願いいたします。森岡参考人。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) 森岡と申します。よろしくお願いします。  私は、二十年間、生命倫理の研究をしてまいりました。今日は一研究者として意見を述べたいと思います。恐らくマイノリティーの考え方になるかと思いますが、よろしくお願いいたします。  私は、衆議院提出B案の原案となったいわゆる森岡・杉本案の提唱者の一人でございます。内容としましては、大人については現行法のまま、子供については子供にも意見表明の機会を与えるという案であります。参議院におきましては、個人的には、E案というのでしょうか、に親近感を抱いております。  今日は、主にA案に対して疑問点を述べさせていただきます。  まず、最初の第一点でありますが、これは親族優先提供であります。  A案の親族優先提供の条項は削除すべきであると思います。例えば、英国では提供先の指定というのはガイドラインで禁止されております。昨日もそうでしたが、ぬで島さん、あるいは私のかねてからの論敵であります町野先生も削除ということをおっしゃっておりました。私も削除です。ですので、この点に関してはもう議論の余地なく削除ではないかと私は思っております。  二番目は、本人の意思表示についてであります。  A案は本人の書面による意思表示がなくても脳死判定、移植ができるとしていますが、これは国民のコンセンサスにはなっていないと私は思っています。二〇〇四年の内閣府調査、そして二〇〇八年内閣府調査共に本人の意思表示に賛成する案が五〇%を超えております。本人の意思表示が必要ということについては過半数の国民が現行法を支持していると私は考えております。新聞調査によっては、社によって意見が違います。読売新聞は一九・二%ですが、毎日新聞は五二%。ですので、やはりこれに関しては、政府の調査を見る限り、本人の意思表示の前提を外すことに関しては国民のコンセンサスはないと言わざるを得ないと私は思っております。この点に関しては後ほどもう一度戻ってきたいと思います。  三番目でございます。長期脳死についてでございます。  子供は長期脳死になりやすいとされています。長期脳死とは脳死状態で三十日以上心臓が動き続けるケースでございます。その間に脳死の子供は成長し、身長が伸び、歯が生え替わり、顔つきが変わると言われています。A案はこのような子供を死体と断じるものであります。  日本移植学会理事長の寺岡氏は七月二日の厚生労働委員会において次のような発言をされておりました。ネット中継から文字を起こしてみたのですが、以下にちょっと引用します。寺岡さんはこうおっしゃいます。最近繰り返し報道されているいわゆる長期脳死につきましては、法的脳死判定の基準あるいは小児脳死判定基準を完全に満たしている事例は存在せず、脳死とは言えません。すなわち、無呼吸テストが実施されておらず、またその他の判定基準も一部しか満たしていないのが事実です。引用終わりです。  これをお聞きになった皆さんは、長期脳死は無呼吸テストを行っていないし、法的脳死判定をしていないので厳密には脳死ではないと思われたのではないでしょうか。ところが、昨日の谷澤先生、島崎先生の御発言では無呼吸テストをした長期脳死があると言われておりました。事実はどうなのでしょうか。昨日も丸川議員からその点について最後に御質問があったと存じます。それについて私が代わってお答えしたいと思います。  二〇〇〇年に日本医師会雑誌に発表された旧厚生省研究班の論文、「小児における脳死判定基準」という論文があります。これでありますけれども、これは日本の小児脳死判定基準を定めた決定版の論文でございます。寺岡さんが発言で引用されていたものであります。論文には次のように明記されています。まず、脳死とされる六歳未満の子供について厳密に無呼吸テストを二回以上実施して無呼吸が確認されたケースが二十例あったと述べられています。これは小児脳死判定基準を厳密に満たしております。そして、その二十例のうちの七例が長期脳死になっています。すなわち、無呼吸テストを行った六歳未満の脳死の子供のうち、何と三五%が長期脳死になっています。さらに、驚くべきことに、そのうちの四例、すなわち二〇%が百日以上心臓が動き続けております。これが論文で発表されている事実です。  無呼吸テストを厳密に実施した脳死判定で、脳死の子供の三割以上が長期脳死になっており、二割は百日以上心臓が動いている、我々はまずこの厳粛たる事実を胸に刻まなくてはなりません。どうしてこのような重大な事実が国民に広く知らされてこなかったのでしょうか。この論文は、日本で最も権威のある脳外科の医師である竹内一夫先生のグループによって執筆されたものでございます。  この論文の注に引用されている論文の一つが皆様の今お手元に資料として配られております。これを御覧になりながらお聞きいただきたいと思うのですが、この論文は日本救急医学会雑誌二〇〇〇年のもので、「三百日以上脳死状態が持続した幼児の一例」というものであります。これは兵庫医科大学のケースであります。  このケースでは、生後十一か月の男児が脳死になった後、厚生省研究班の小児脳死判定基準を二回の無呼吸テストを含め厳密に満たしております。その状態で三百二十六日間、約一年弱心臓が動き続けております。論文には、二回の無呼吸テストを含む神経学的評価を行い、基準案を満たしていることを確認したと明記されておりますし、また、医学的には本例は早期から脳死状態にあったことは間違いないと明記されています。小児脳死判定基準を厳密に満たし、二回の無呼吸テストを行い脳死と判定された上で三百二十六日間心臓が動き続けた長期脳死の例がはっきりとあるのです。  また、それだけではありません。この間、身長が七十四センチから八十二センチまで伸びています。成長しているのです。また、九十日ごろから手足を動かし始め、著しいときにはあたかも踊るように見えた、いわゆるラザロ兆候というものですが、と書かれております。手足の動きは心停止まで続いております。再度確認しますが、この兵庫医科大学のケースでは、無呼吸テストは二十四時間空けて二回行われています。  ここにもマスメディアの皆さんがおられると思いますが、脳死についての正しい情報を是非とも国民に知らせてください。心臓が百日以上動き続け、成長し、身長も伸びる脳死の子供が死体であるとする国民のコンセンサスはありません。また、長期脳死になるかならないかを見分ける医学的な基準も発見されていません。たとえ親の同意があったとしても、長期脳死の可能性のある脳死の子供を死体と断じ、その身体から心臓や臓器を取り出すことは危険過ぎます。これらの点について子ども脳死臨調で専門的な調査を行って、その結論が出るまでは脳死状態の子供からの臓器摘出を許可してはならないと私は考えます。この点において改正は拙速に過ぎます。  再度繰り返しますが、お手元の資料にあるように、無呼吸テストを二回行って長期脳死になった例がはっきりとあると、複数あるということでございます。  さて、再び、残りの時間をまた本人の意思表示の問題に戻りたいと思います。  私は、本人の意思表示の原則は外してはならないと思います。その理由をこれから述べます。  現在、ドナーカードの所持率は八・四%でございます、実際にイエスと記載している人はもっと減るのでありますけれども。私個人は、B案の原案の提唱者でありますが、ドナーカードを持っております。ここにありますとおり、私はドナーカードに記載しております。ですので、私が脳死になって、家族が反対しなければ、私の臓器は使ってください、私はそのことに何の後悔もありません。ただ、ドナーカードを持っていない大多数の人々にはやはりその理由があると思うんですね。ドナーカードを持っていない人というのは、持たないことによって何かの意思表示をしていると思うのです。そのうちの多くの人々は迷っているのです。この迷っていることを尊重すべきだと私は思います。  我々には脳死が人の死かどうか、臓器を摘出すべきかどうかについて迷う自由があります。この迷う自由を人々から奪ってはなりません。迷う自由を保障するもの、それこそが本人の意思表示の原則であります。すなわち、迷っている間はいつまでも待っていてあげる、もし決心が付いたら申し出てください、これが本人の意思表示の原則なのです。これが現行法の基本的な精神となっております。  A案、すなわち拒否する人が拒否の意思表示をすればよいというA案では、この迷う自由、悩む自由というものが守られません。なぜなら、あれこれ迷っていたら、迷っているうちに脳死になってしまい、家族がもし承諾してしまえば臓器は取られてしまうからです。迷っていたら臓器は取られてしまいます。これが私がA案に反対する大きな理由の一つです。  最後に、脳死の議論で忘れ去られがちになるのは、忘れ去られるのは、脳死になった小さな子供たちです。脳死になった小さな子供たち、彼らは、生まれてきて、事故や病気で脳死になり、そしてひょっとしたら何も分からぬまま臓器まで取られてしまうのです。余りにもふびんではないでしょうか。  ここから私の個人的な見解といいましょうか、思想、哲学になるのですが、子供たちには自分の身体の全体性を保ったまま、外部からの臓器摘出などの侵襲を受けないまま、丸ごと成長し、そして丸ごと死んでいく自然の権利というものがあるのではないでしょうか。そして、その自然の権利がキャンセルされるのは、その本人がその権利を放棄することを意思表示したときだけではないでしょうか。私はこのように思います。そして、現行法の本人の意思表示の原則というものは、このような考え方が具現化されたものなのではないかというのが私の解釈、考え方であります。  外国では脳死の子供からの移植が可能だというふうに、すぐに外国のことを我々は気にします。しかし、日本は実は世界で最も脳死について国民的な議論をした国です。その結果成立したのが本人の意思表示の原則という日本ルールなのです。我々はこの日本ルールにもっと誇りを持とうではありませんか。もちろん、移植法全体としては、昨日ぬで島さんが指摘したような改善点は当然あります。しかしながら、本人の意思表示の原則というものは世界に誇れるものであるというのが私の考え方であります。  私からは以上です。御清聴ありがとうございました。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。  次に、米本参考人にお願いいたします。米本参考人。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 米本でございます。  私は三十数年間、生命倫理の政策の比較をやってまいりました。私はよく生命倫理の専門家というふうに、一応研究対象は生命倫理なんですけれども、生命倫理というのは本人若しくは関係者が思い悩んで決断することであって、社会が考えないといけないのは、その技術の使用の現場若しくは研究の現場にどの程度の技術規制を掛けるかという技術使用の合理的な政策立案の問題と読み替えまして、世界中の生命倫理に対応する法律を横に比較してまいりました。  私は今から十七年前の脳死臨調の参与だったんですけれども、その場でもこういう決め方はおかしいというので、例外の少数派でございました。それ以来、私の意見は全然変わっていないんですけれども、特にこの場を、機会を与えていただきましたので、私の考え方が正確にお伝えすることができるようにサマリーを作ってまいりましたので、これに合わせて御説明してみたいと思います。  先進国の脳死にかかわる移植法を比較しておりますと、まず欧米では物事を考える場合に、事実、ファクト、価値という二項対立から入りまして、世界を、だから人が生きているか死んでいるかというふうに価値付けるのは哲学や宗教の役割でありまして、それを扱う科学は自然対象でありますので、これはバリューフリーであります。  死を確定する手順というのは、社会が人の死と信じる状態に対する生理学的な指標を医療職能集団、メディカルプロフェッション、これは法的に定義された明確な身分団体でございますけれども、これが選定し、臨床現場でこれを測定し、専権的に死亡判定を行ってまいりました。三徴候説というのがその典型でございます。  一番最初のハーバード脳死基準でございますけれども、一九六八年の脳死に関する重要論文であるこのハーバード基準のタイトルは不可逆的・深昏睡の一定義でありまして、著者はハーバード大学医学部脳死定義検討委員会特別委員会であります。この原著論文の冒頭を後ろから二枚目に出しておきました。これ、文字どおり、ですから、論文のタイトルとしては科学的事実である深昏睡でありまして、この自然現象のうち脳の機能不全が不可逆的に停止したことが確認できたものに対して人の死という意味付与を試みたのがハーバード大学脳死委員会でございます。  同時に、医療の側は、社会の側が脳死状態を人の死と解釈し得る道筋を示してまいりました。例えば、イギリス王立医学部会議名誉会長は、脳死概念を何らかの形で魂が肉体から離れるという諸宗教の概念と同一視することは、困難なことでも非倫理的なことでもないというふうに、脳死状態と判定されたものを人が死と受け入れられるような解釈を示唆してまいりました。  一般に、社会に向かって脳死は人の死かと問われますと、大半の人間は実はイエスと答えるんですけれども、大体どの社会でも二割前後はノーと答える微妙な問題でございまして、この比率は時間や場所を変えても余り変化は見られません。  これは最後の、一九八五年時点のアメリカの電話調査でございますけれども、この時点ではアメリカでは実は脳死問題は法的には決着した後でございますが、今申し上げた程度、脳死を法的な死と定義として使ってよいが、最後でございますけれども、五五%で、使うべきではないというのが大体二六%でございます。そもそも、脳死は死かということについて世論調査をするということを諸外国はやってきておりません。  脳死を前提した移植は、新たな死の判定方法を設け、死亡宣告時点を繰り上げる要素を含むため、欧米社会では、脳死は死かという問いが過度に社会に流出して制御不能とならないよう、慎重に扱ってまいりました。医師は、脳死と判定された最末期の身体を限りなく死体同然と扱う既成事実を積み上げ、社会の側はこれに特には異論を差し挟まない光景が実現してまいりました。脳死移植は、医療職能集団の権威とこれに対する社会的信頼の下で辛くも行い得る限界医療という認識がありまして今日の状況が達成されてまいりました。  先ほど、森岡参考人もおっしゃいましたけれども、その意味で、脳死は死かということをこの二ポツに書いておきましたけれども、大掛かりな社会的な議論にさせた国は非常にわずかでございます。一般的に、キリスト教教義と脳死は人の死とする見解をすり合わせることは比較的、論理的には簡単でありまして、他方、キリスト教会は人工妊娠中絶を認めませんので、どこから人間が始まるか、どこから人間として認めるかという人間の発生に関する価値論というのは欧米では激論が続いておりまして、これは大統領選のアメリカでは必ず論拠になっております。ただし、脳死問題ではアメリカとヨーロッパでは立法プロセスでは別の経緯をたどってきております。  一九六〇年代末に初めて心臓移植が行われますと、脳死状態で臓器を取り出した医師が殺人罪で告発されるという例が出てまいりました。これに対して、カンザス州大学の医学部の解剖学の教授でありましたハーディン教授がカンザス州の州議員と共同で脳死法というのを制定いたしまして、世界で初めてカンザス州脳死法を制定させました。その後、アメリカでは医療関係立法が州の立法権限にありますので、臓器移植は州をまたがって行われますので、アメリカ中共通の州法にした方がよろしいということで統一脳死法が提案されまして、これが全州で可決、採択されております。これがアメリカでは脳死が法的に死と認められているという事実なんですけれども、逆に言いますと、世論調査をして大議論をやってアメリカ中が立法が終えているということではございません。  具体的に言いますと、この統一脳死法の法律の構造でございますけれども、この法律は、血液循環か呼吸機能の不可逆的な停止若しくは脳の全機能の不可逆的停止のどちらかが確認されれば死んだものとする非常に単純な立法、法律でございます。  アメリカでは、各州でできた法律が合衆国憲法の人権条項に違反しているんではないかというので、いったんもう既に州議会を通った法律を阻止することができますけれども、その後、統一脳死法が全州で可決、採択されて以降は一件もこの違憲申立てがありません。これは、脳死問題についてはアメリカ社会ではそれ以上の関心を引かなかった。そういう意味では、一九八〇年代の初頭に、主として大統領委員会が死の定義というものをまとめまして、これでアメリカ国内はほとんど決着したということであります。この時点で在米のキリスト教各派は脳死を死と認めましたけれども、それ以外では正統ユダヤ、オーソドックス・ユダヤはいまだに心停止を人の死としておりまして、そういう意味で、このアメリカの統一脳死法は両方の死の定義を選択できるという意味で宗教的価値の多様性を担保されている、そのためにアメリカでは異議申立てがないということだと推測されます。  ヨーロッパでございますけれども、八〇年にサイクロスポリンAが商品化されまして、欧州では八〇年代を通して臓器移植法が成立いたしました。その形態は死体からの臓器の取り出しを定めたものでありまして、ヨーロッパは強制参加の身分組織としての医師集団がその自律性が強く、実際にはここが定める脳死判定基準を法律が後追い的に認めるということで現状が達成されてきております。近年、臓器の不足や臓器売買が明らかになりました。それから、それ以外の、ソリッドな臓器以外の医学的利用が可能性が出てまいりましたので、人体組織全体の法律に作り替えるという立法の作り替えがありまして、臓器移植法の見直しや包括的な人体組織法が制定されまして、その中で既に八〇年代を通して定番化した脳死判定を法律が後追い的になぞるということで法は脳死を死としている国がございます。  次のページがそのサマリーでございまして、この三ページを見ていただきますと、ヨーロッパ主要国、左側の細かいカラムがすべてこれは脳死判定基準でございますが、この国は全部一応外からは法的に脳死が死と認められていると表記されている国でございますけれども、実際には脳死判定はメディカルプロフェッション、医療職能集団の判定基準の採用とそれの臨床的適用であります。  右側を見ていただきますと、臓器移植法に死の表現がどうなっているかという表が書いてありますが、一応、八〇年代を通して成立したヨーロッパの移植法は死者の臓器、死者からの臓器摘出という表現になっておりまして、最近になって、脳機能がすべて停止した者、若しくはそういう表現を後追い的に追認している。  例えば、ドイツですと、脳死という概念は明確に法では定義しておりませんが、脳死前の摘出は禁止という、そういうネガティブな、間接的な表現で脳死を採用しているということでございます。  例えば、一番下を見ていただきますと、イギリスは全脳死ではなくて脳幹が完全に停止したらこれは脳死ということで、イギリスのメディカルプロフェッション及び実際の医療現場の運用はそれでほとんど定着しておりますので、ほかの国、特に日本の脳死判定の現場でよく言われる確定診断、脳波とか血流検査については、イギリスの場合は積極的に考慮外ということで、ですからこれは、医療職能集団が決めた脳死が、死に対する脳死判定の基準とヨーロッパにおける脳死の法律の方の表現の仕方というのはこれほど違うということでございます。  ですから、それで最後に申し上げておきますけれども、ちょっと二ページ目のポツ三に戻りますが、日本もこれを見ると八〇年代中期に脳死問題に手を付けるべきであったけれども、日本は強制参加の身分組織としての医師制度、日本医師会とは独立の強制参加の身分組織としての医師制度がありません。間接的にいろんなことがあって、脳死は死かという問いを過度に社会の中に流出させたままにあります。八〇年代の末に学術会議、医師会生命倫理懇談会、脳死臨調が脳死を死とする報告をまとめましたけれども、これらには、脳死は人の死かという問い立てを迂回するような制度設計とすることが脳死移植を社会的に包み込む道であるとする政策論的な視点が欠けております。  脳死は医学的に死であるというふうにお医者さんはおっしゃる方いますけれども、臨床的には死かも分かりませんけれども、いやしくも医学というのは科学であれば科学的な価値判断を込めてはいけないんだろうと思います。そういう意味では、あの衆議院採択の改正案を前提にするとすれば、法的に脳死を認めるのは移植の場合に限るという現行法の表現に戻すべき。要するに、国が、社会がすべて脳死を認めないと脳死移植ができないというアジェンダセッティング、そういう認識そのものが諸外国のプロセスと違っていると。ですから、日本が文化的、宗教的理由で脳死が行われているのではないというのが比較政策論の研究者の見解でございます。  どうもありがとうございました。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑に入ります。  なお、参考人の方々におかれましては、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願い申し上げます。  それでは、質疑のある方は、順次挙手の上、委員長の指名を待って御発言願います。

石井準一自由民主党

○石井準一君 参考人の皆さん、今日は本当に御苦労さまでございます。  まず、この改正法案は人の生死の問題にかかわるものであり、特に脳死は臓器移植を行うために導入された便法としての死の定義であるのか、また、脳死臓器移植は暫定的な医療であるのに、法律で脳死は人の死と定めることに対する疑問も私は持っておるわけでありますけれども、現行法の六条二項の一文、臓器を提供する場合に限って脳死は人の死と、また、A案は臓器移植とは関係なく脳死は人の死となっているが、実際に臓器移植にかかわる家族にとって両者がどのような違いがあるのかということについて高橋参考人、高原参考人、米本参考人にお伺いをしてみたいと思います。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) では、最初に高橋参考人、お願いします。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) この微妙なところの脳死判定ですが、今の現行法でいきますと、やはり家族が、脳死状態です、いかがいたしますかの状態になるかと思って、みんな苦しいですね、外すことはできないと思います。心臓死でも、御臨終ですと言われたら、しっかりとあきらめも決断もできるんですよね。脳死判定を先生から言われたら、先生が脳死でございますと、御臨終ですと言ってから何時間後にどうするかという、臓器を与えるか与えないかですよね、そのことがあれば何の苦痛もないと思いますし、現行法では、さも臓器を取られるような、ドナーカードを持っていると、誤解を生じると思います。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 今、高橋先生のおっしゃったことと同じことの繰り返しになります。  それと、先ほど私申し上げたように、六条二項を残すとすれば今と同じなんですよね。そうすると、先ほど私紹介しましたように後で悩まれる方がいらっしゃるんですね。  もう一つ、これはもう一般論なんですけれども、私はいろんなヨーロッパとかアメリカなんかの移植医療関係者にお会いすることが多いので、いろんな宗教の方もいらっしゃるんですけれども、皆さん同じことをおっしゃって、コーディネーターの方もそうなんですけど、まず、やっぱり家族が救急なりICUなり一生懸命治療されて、もうこれは、まあちょっと語弊がありますけど、もう無理だと、もう亡くなられたと、この人は死んでいるんだという認識がはっきりしないと次のステップに進めない。次のステップというのは、必ずしも臓器移植とは限りません。アメリカ人だって日本人だってそうですけど、ぽんとデス・オン・アライバルで救急に入ってきて、亡くなられています、すぐ移植しますなんか、そんなの答えられる人なんかほとんどいないんですよね。やっぱり、いわゆる通常の臨床業務における脳死診断というのがあって、どういう言い方するかはちょっと救急の先生、ICUの先生によりますけれども、もうこの人は亡くなられているんだという認識、まあほとんど脳死ですけど、脳死という言葉使う場合が多いんですけれども、それがあって、それからまた二十四時間ぐらいとか何時間か置いて、臓器提供のこともありますけどコーディネーターの人の話聞きますかという話になるんですよね。それを考えると、今、六条二項を残すと今のままと一緒で、単に数が増えないだけで、より悩まれる方は今後も増えると私は思います。  以上です。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 私は、既にこの場で多分議論が何度もあると思いますけれども、脳死を実質上移植のためだけに認めるんだという提案側の御説明であればちゃんと法律に書き込むべきであって、幾ら審議でそういう御説明があってもやはり法は独立に動くと思いますので、脳死は臓器移植のためだけにこの法律の中では認めるということに戻すべきだろうと思います。  法的に後ろから支えられて移植医療が進むという国はちょっとありませんので、むしろ関係者がこれどの道激しく思い悩む問題でございますので、それは法の支えがあった方がいいという指摘よりは、むしろ社会的な全体のバランスを、統治構造の全体のバランスを、位置付けを考えると、明確に移植の際に脳死判定をするというこの形容詞句は外されない方がよろしいと思います。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 今の点、引き続き質問を行わせていただきたいと思うんですが、私は高原参考人とそれから米本先生にお聞きします。  高原先生、ありがとうございました。  先生今ドナーの家族のことをおっしゃいまして、抽象論としては理解できるんですが、実を申し上げますと、六条二項を戻すことになっても、これは移植に限定されている場合だけですということを明確にするだけになるんですね。ですから、御家族が何かを選ぶというよりは、まさに移植の場合には人が死んでいるという前提で入るものですから、もう人は亡くなっていると。それは、御家族が確認の手段を選ぶか選ばないかを選択されるということになる。実際そうなるんですけれども、それを逆に言うと、今の臓器移植法で言っているのも、臓器移植という場面、本来は臓器移植法ですから臓器移植を超えた議論というのはできないはずなんですよね。ですから、あくまでも臓器移植の場合だけというのは六条二項で、私自身は、正確に申し上げますと、六条二項の文言というのはあってもなくても同じというのが実際なんですね。現場で、逆に言うと、インフォームド・コンセントで説明の仕方あるいはドナーの感じ方が違うとすれば、それは法の誤った適用が実務で行われてしまっているということなんです。それで、その点から、先生がなぜやはり変わるとおっしゃるのかをもう一度明確にしていただきたい。  それから、米本先生、ありがとうございました。前から先生の、私も医者でございますので、やはり御著書をたくさん拝見しております。  先生の御結論としてよく分かるんですけれども、同じことを申し上げさせていただきまして、現在、臓器移植法で問題としているのは臓器移植という中のスコープなんです。六条二項を私がなぜ削ったかというふうに理解しているのは、あの中の法律であそこを削って臓器移植の中だけの一応定義をつくると、その方が法文上整ったものに見えるからだろうという理解なんですが、それは今までのA案の中の答弁でもそういう点は繰り返されているんですけれども。  その中で先生が、例えば臓器移植法の中でこの点は削除しない方がいいと、一つの御提案は御提案として承って、かつ、今度は、じゃ臓器移植以外の場面で恐らくこの脳死というものをどう扱うかという、またその死の定義をしないという前提でいろいろな議論が出てくると。そうすると、言ってみれば死の相対性というのがすごく制度内で広がっていくということになりますね。  それから、強いて、別の観点から申し上げますと、先生、先ほどこの比較表を示されましたけれども、私の理解では、スイスでは二〇〇八年に改正法ができまして、ようやく統一の法律ができたという話を聞いたことがあります。それで、何か州がばらばらだったのが、いろんな州でいろんな考え方を共有していたというんですね。それを統一していくような考え方ができてきたというふうに伺っております。  それから、一方では、先生おっしゃったように、ほかの国で、例えばアメリカですけれども、まさに宗教的な死の多様性というのをずっと残したまま来ているということですよね。そうすると、やはり日本においても、制度内、各制度の中のあるいは外の死の多様性、あるいは倫理的な死の多様性というのは、ずっとそれを法的に位置付けないということですね。それは永遠にやっていった方がいいのかと、どこかでやはりある程度の区切りをつくって合理的な範囲をつくっていくべきなのか、この点について政策論的にお話を伺いたいと思っています。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) では、まず高原参考人。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 法制的な文言の件と残すか残さないの件は、実際の詳しいところはやっぱりA案提案の先生方と議論していただきたいんですけれども。ただ、私が今日ここにお伺いしているのは、やはり臨床の現場、提供の現場にも立ち会うことがある人間として僕なりに読みました、新しいのと。やっぱりあの文言はない方が、やはり僕は、現場の人間が一生懸命読んで理解するとして理解しやすいと思います。だから、十分にお答えにはなっていないと思うんですけれども、現場の人間からすればあの文言はない方がすっきりすると私は思っております。  以上です。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 死一般の法的定義を一体おまえはどう考えるのがいいのかというような御質問だと思いますけれども、やはり基本は、死という言葉以外に法は決めるというのはなじまない。ですから、この三ページ目のヨーロッパの比較でございますけれども、それで直近になればなるほどルーチン化した医療現場の死の判定を手続として法に書き込むことが、ですから、もっと言いますと、それまでメディカルプロフェッションのスタンダードでありプラクティスのコードであった職業集団の倫理であったものを次々と立法府のルールにするということが実はヨーロッパでどんどん進んでおりまして、メディカルプロフェッションの独立性と立法府の権限というのは何度も揺り戻しがあります。  そのためには、やはり現在の日本の中では、少しこれは移植法から外れますけれども、生命倫理の非常に大きな問題を包括的に解決するためには、日本の場合もメディカルプロフェッションの身分団体としての法的な独立性、ですから、ちょうど日本でいいますと、弁護士法に弁護士会規定が明確にあるように、日本の医療現場にも医者集団の自治、それは医療のプラクティスを医者専門家集団として、社会の価値観のありどころを見ながら医療の現場のプラクティスを、実施手順を医者集団として責任を持って社会として調節していくということが現実だと思います。  どこまで法に繰り込むのかというのはこれは社会がお決めになることで、まさしくこういうところで法に書き込むか書き込まないかという議論だと、まさしくそういうことだと思いますけれども、私が申し上げたいのは、こういった政策の基盤になる比較研究が余りにも少なくて、私は脳死臨調以来ずっと同じことを申し上げているんですけれども、医学的に死と決まっているものを米本は何かごちょごちょ言うということで、ずっと少数派で来ております。私は、慎重派というよりは、脳死を前提とした移植医療というものが統治構造の全体の中でどういう問題の形として組み込むべき問題かということの全体像を分かる形で研究し、立法の基盤になるような情報提供するようなセクターが絶対に必要だろうというふうに思います。  ちょっと要求された、求められたお答えになっているかどうか分かりませんけれども、御勘弁いただきたいと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 田中康夫でございます。  二点ございますが、まず、高橋さんと高原さんは恐らく脳死イコール死というお考えになられようかと思います。森岡参考人、米本参考人にもお聞きをしたいと思いますが、であるとするならば、では脳の死が人の死であるならば、人の生、人の誕生というものはどの段階をもって誕生となるのかという点を四名の方にまずお聞きしたいと思います。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) 人の生ですか。これはすばらしく尊いものだと思います。生まれてくる……

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 脳の死の段階をもってイコール死というお考えがとりわけ高橋参考人、高原参考人のお考えだと思います。とするならば、いかなる段階をもって人間の生というものの段階になるのかということを簡潔にお答えください。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) 私個人の見解になってくると思いますけれども、臨床的に心臓死で御臨終と言われる病院の中でのことですから、脳死は幹脳を含む大脳、全脳ですね、が止まった時点で死というふうになりますね。ですから、生ということであれば、やはり自律呼吸、臨床的に自律呼吸が判断されると私は思っております。  先ほどの毛、髪が伸びるとか、つめが伸びるとか、これはDNAに含まれているいろんな情報が、やはり酸素と栄養を与えていれば伸びると思います。しかし、必ず戻らないですよね、百日掛けて。一応私どものボランティアの中には、余りにもメディカル、科学が、機械が発達して、死んだ人間に蘇生させていると、そしてたくさんの税金を使って延命していると、そのような声も上がっておりまして、本当は取られるんじゃなくて、医師判断ができますから、生きているということは私は自呼吸、幹脳、全脳、そこだと思っております。精神的にはとても分かりますけれども。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 高原さんにもお聞きになったでしょう。どうしますか。高原参考人にも求められたんじゃないですか。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 じゃ、確認をさせて。  ということは、高橋参考人は死は脳死であると。同時に今、自呼吸とおっしゃいましたので、生は心臓動から始まるというふうにお考えいただいて、あるいは肺が機能する、心臓が機能するがイコールだと思いますので。ということでよろしゅうございますね。  じゃ、高原参考人に続いて。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) 臨床では、解剖生理学的にはそのように思います。ただ、先ほど先生のにあったんですけれども、迷う自由があると言いましたですね。肉体的に蘇生をさせて生きている、延びているという考え方、それぞれ違うと思うんですけれども、その迷うところを取るということはしないわけですから、それは生きていると思っている方は生きていると思うことだと思います。私は、そこで社会的なことを考えると、自律呼吸というところの判断で臨床的に死と思いますし、生きていると思います。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 生とは何かという御質問だと思うんですけれども、私の理解、まあ一医師としての考えですけれども、いわゆる人格として、個人として成り立っているというのは、やはり私は脳が正常に働いている状態だと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 今、つまり、私は臨終と生誕を聞いているわけでございます。すると、高原参考人は臨終は脳死であると。生誕は、もう少しその文脈でお答えいただけると有り難いんですが。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 済みません、ちょっと質問がよく分からない。生誕というのは赤ちゃんが生まれてくるときのことをおっしゃっているんでしょうか。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 法律的には出産をした日がその出生の日ではあります。しかし、胎内で宿っているわけでございます。今お話しになられているのは、私どもには、今まで心臓死というものもあれば脳死というものもある、それをどうとらえるかであります。脳死がお二方はイコールその瞬間において死であるというお考えであろうかと思います。森岡参考人あるいは米本参考人はいささか異なると思います。  とするならば、いかなる瞬間が人間の臨終の対語である人間の生誕なのかということに関して、個人、人間としてその瞬間を専門家としてお答えいただきたいと思います。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 何となく分かりました、御質問の意味が。私の考えは、妊娠から出産のことを考えますと、例えば出産する直前は胎児というか、その人格はあるのかというような質問に私には受け取れました。  だから、先ほどの私の答えに戻るんですけれども、その個体ですよね、生まれてきた子供であれ、まだ生まれる直前の胎児であれ、人格として成り立っているという時点があればその時点だと思います。  じゃ、どこかというと、それは私、今ちょっとお答えできないと思いますね、分からない部分がある。例えば、妊娠一か月なのか二か月なのか、どの段階で自我が、脳としての働きが個人として判断していいのかというのは、これはちょっと今の医学、医療では難しいと思いますね。  以上です。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 高橋参考人もおっしゃいますか、挙手がありましたけれども。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) そういう生ということを考えますと、初めに妊娠の着床ができて脳と心臓がつくられてということで、アウス、つまり中絶は五か月までというふうにされていますよね。そういうところが測るところになるんでしょうか。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) 今の点に関しまして個人的には、生もプロセスであり死もプロセスであるので、普遍的な、一義的な決定はできないのではないかというのが私個人の考え方であります。  ただ、この点に関しては、特に出生の方に関しましては、御存じのとおり、生命倫理学の中で大変大きな議論がずっと起きておりまして、諸専門家の意見も一致を見ていないというのが大方の学者の見るところであろうと思われます。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 私も森岡参考人と同意見でございます。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) よろしいですか。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 あともう一点ございます。  他方で、例えばスキルス性のがんの方であったり、あるいは、もうかなり治る形は出てきましたが、血液の白血病等の病気の方というものは、どなたかの助けを借りて延命を図るということは現在段階では極めてというか、ほぼ困難でございます。  他方で、この臓器移植に関して、ありていに言えば、他人の死を期待をして延命を図るということではないのかと、他の治療と比べた場合に、こうした見解があります。この他人の死を期待をし、他人の死が起きることでもう一方が延命が図ることができると、この点に関して医学的あるいは人間としての倫理的にどのような御見解を四者の方がお持ちか、お聞きしたいと思います。

高橋和子日本移植支援協会副理事長

○参考人(高橋和子君) 他人の死は期待しておりません。必ずどこかで亡くなっていますので、それを臨床的に脳死ですと先生が言われて、差し上げたいという方がいれば、そこで臓器移植が成立するということだと思います。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 私の理解している範囲で申し上げます。  いわゆる人工呼吸器ですよね、これが医学、医療の現場に登場する前までは臓器移植そのものもほとんど行われませんでしたし、このような議論もなかったと思います。人工呼吸器が生まれることによって、あるいは今さっきから議論されている脳死の診断が普及するようになって、社会の資産としてのそういう臓器を社会全体としてやはり使った方がいいのではないかという議論が起こったと私は理解しています。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) 今の点でございますが、私も少し離れた位置から見れば、他人の死を期待する医療と言われても仕方がないのではないかと私は思っております。  これはアメリカの例でありますが、お手元の資料の私の書いた、朝日新聞に書いた記事があるかと思いますけれども、今米国ではピッツバーグ・プロトコルと言われている方式で、二〇〇七年の時点で七百例以上の、主に腎臓でありますが移植をされております。  これはどういうことかといいますと、まだ脳死になっていない段階の患者さんの人工呼吸器を人工的に停止して死に至らしめ、心停止になった直後数分間待ち、その後即座に臓器を取り出すという方式であります。日本ではまだ行われていないのではないかと思われますが、アメリカでは今この方式が非常に拡大しておるということが論文に書かれております。  これこそがまさに他人の死を待ち望む医療の入口に当たることではないだろうか。そして、俗に、私は好きな言葉ではありませんが臓器不足という言葉を使われる方がおられますが、その臓器不足、あるいは臓器不足の解消という方向に進もうとする先に見えているのはそのような姿ではないかというのが私の考え方でございます。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 他人の死を前提にしているのではないかというのは、それは外形的にはそういうことになるかもしれませんけれども、それを人間的、道徳的な形にどう包み込むのかというのが社会の知恵だろうと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 済みません、補足でもう一点だけお願いします。  では高原参考人にだけお聞きします。  高原参考人は、これは社会資産であるという御見解を述べられました。  川の水は皆の共有物としての社会資産であろうと思います。税金を用いて造った道路や公民館も社会資産であろうと思います。他方で、その個体の持っているものは、ある意味でいえば、不動産であったり金融資産というものは社会に還元するということを望む方もいれば、自分の取り分、あるいはそれは固有の自分の所有物であるとおっしゃる方もいます。  今、いかなる形において、その個体である人間の臓器あるいはそれに類するものは社会資産であるというふうに述べられたのか。それは、不動産や金融資産というものも社会全体を構成する資産なのか、あるいは今私が申し上げたような川の水であったり公共物であったりというものと同じ、類するということで社会資産と述べられたのか、御見解をお聞かせください。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 私も御質問の趣旨が十分理解できていないのかもしれませんが、例えば、例えばといいますか、実際にこの臓器移植ネットワークというものが日本には存在して、そこがアロケーションといって実際の臓器をどなたかに差し上げるかということをルールを決めているわけです。その意味では、やっぱり日本だけでなくて、いわゆる臓器移植を積極的に行っている国は基本的に社会の資産と考えていらっしゃると思います。  ただし、先ほども森岡参考人からも話あったかもしれませんが、現実的に一部の臓器がやはり御家族の方に提供されている場合があります。これは、その数からいえば、例えばフランスとかドイツとか、どれだけ表に出ているか僕知らないんですけれども、幾つかあるらしいんです。あるらしいというのは、やっぱり向こうの移植の先生、ドクターとかコーディネーターの方に聞いたらそうなんです。数はそんなに多くないらしいんですけれども。じゃ、なぜ残すんだと、社会の資産というんだったらそれしない方がいいんじゃないかという話もあるんですけれども、実際にはフランスなりドイツなり、イギリスはちょっとさっきおっしゃったように違うのかもしれませんけれども、やはり一部そういうふうな形で残しておく方が現実としては臓器移植というのを普及発達させるにはいいように判断しているらしいです。このらしいというのは、もう全部私伝聞ですから確認は取れておりませんけれども。ちょっと私の理解ではそこまでなんですけれども。

小池晃日本共産党

○小池晃君 日本共産党の小池晃です。  森岡参考人と米本参考人にお伺いしたいんですけど、森岡参考人にまず。  本人同意をやはり外すべきではないという、子どもの権利条約も引いてお話しになったことは大変大事なことだというふうに私どもも思っているんですが、一方で、そのことがあることによって、一つは、大人についていってもなかなか臓器の提供が増えないという問題にどう参考人はお答えになるか。  それから二つ目に、その本人同意ということになってくると子供がやっぱり問題になってくるわけで、それは提案もされていますけど、何歳まで参考人は可能だというふうにお考えで、それはその根拠があれば教えていただきたいのと、そのためにはどういう社会的、制度的なサポートが必要になってくるのかということをお伺いしたいということと、それから、その本人同意ということを突き詰めていくと、結局、ごく小児ということについていうと、これはやっぱりできないということになってくると思うんですが、その点について参考人はどういうふうにお考えになるのか、お聞かせ願いたいと思います。  それと併せて、参考人が配られた資料の中で、いわゆる町野案について、我々は死後の臓器提供へと自己決定している存在なのであるという学説は、学問的に言って端的に誤っているというふうにお書きになっているんですが、私も感覚的には端的に誤っているような感じはするんですけど、学問的にいかに誤っているか、ちょっと説を聞かせていただければなというふうに思っております。  それから、米本参考人に、前回、脳死臨調にも参加されたという御経験だということで、今回の議論というのは、やっぱり前回に比べてもかなり国民的な議論という点でも、国会の議論、臨調の議論という点でも不十分な感じが私はしているんですけれども、前回の議論からずっとこの議論に携わっておられて、国会の議論の在り方、全体としての合意形成の在り方について御意見をお聞かせ願いたいというふうに思います。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) では、まず森岡参考人。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) 済みません、幾つか論点がありましたのでもう一度確認させていただきたいのですが、最初の御質問は、本人同意を取った場合に大人の場合増えにくいと、それで御質問は何でしたっけ、その増えにくいことに対してということでしたっけ。

小池晃日本共産党

○小池晃君 要するに、それで増えないんだという批判があるものですから、そういう批判に対して参考人としてはどうお答えになるかということです、一点目は。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) 本人同意があるわけでして、それで、あるせいで増えないということが言われております。それに関しましては、まず、私はドナーカードの普及ということにもっと力を本当に入れるべきではないかと思います。もちろんその前提としては、脳死臓器移植に対して多方面からの正しい情報を公開した上でということがありますけれども、現在、ドナーカードは所持率、先ほども言いました八・四%です。いろんな調査によりますと、移植に賛成であるという意見はアンケートすると六割以上あるわけですね。六割以上あるにもかかわらず、実際に持っている人が八・四%、これは衝撃的な低さでございます。何かここに大きな問題があるのではないか。  まずは、私は、ここを衆知を集めて、これをもっと、本当にしたいと思っている方は正しい情報を手に入れた上でドナーカードを持つという、そこから始めていくことが大事ではないかというふうに私は思っています。  次の御質問の子供に関してですけれども、さっきは、B案の原案になった私たちの案では二つの選択肢を考えてみました。一つは、年齢としては十二歳まで取りあえず下げてみる、もう一つは六歳まで下げてみるということを書いております。ただし、この十二歳、六歳ということにつきましては、厳密な線引きの根拠というのは示せません。それはちょうど法律において成人が二十歳ですか、そこをもって成人とするということについても実は厳密な根拠はないわけですね。と同じように、人間はプロセスで成長しますので、やはりそれは難しい。ただ、一つの目安として、中学校に入るあるいは小学校に入るというのは一つの分かりやすい目安ではないだろうかということで提案をさせていただきました。  そして、子供にも意思表示をしたい子供にはしていただけるようにしたらどうかということなんですけれども、そのためには当然、やはり一つには教育ということが大事ではないかと思います。  ただ、この教育というのも非常に難しい問題を含んでおりまして、特に小学校になりますと、生と死に関して心の中まで踏み込む教育をすることになります、死生観でありますので。ですので、これは本当にそういうことに非常に敏感に教育をできるようなまず教育者を育てるというところから始めなくてはいけない話だと思いますので、非常に長い話にはなるかと思いますが、やはり生と死の問題は国家百年の計の問題でありますので、みんなで生と死について子供と一緒に考えるということを進めていく必要があるかと思います。  じゃ、六歳未満の場合はどうかということでありますね。我々の案でも、六歳未満は臓器摘出はできないということになります。  その理由は、一つとしましては、私の中で言いました、一つは長期脳死になりやすいということがやはり言われている。その問題が解決するまではあり得ないであろうというのが我々の考え方であります。  そしてもう一つは、先ほどの私の話の後半で言いましたけれども、やはり人は生まれてきて、そしてその人が一年とかその辺りでまた死んでいってしまう。そういうときには、やはり丸ごと持って生まれた体が丸ごと亡くなられていく、そしてあちら側に帰っていく、そういうことを我々はもっと大切に考える必要があるのではないだろうかというふうに私個人は思っております。ですので、もちろんこれは大変難しい問題なのです。  先ほど他人の死を待ち望むという御意見もありましたが、脳死からの臓器移植というのは、どう考えても矛盾をはらむ医療であることに間違いはないのです。これは、推進側に立ったとしても、我々のような慎重派に立ったとしても、一〇〇%真っ白のクリアな解、答えというのは出ないものなのであります。どう考えても、どこかに必ず矛盾が出る。そういう本当に心の、腹の、胃が痛くなるようなこれは話なのでございます。そういうふうに理解していただければと思います。  例えば、もし仮にでございますけれども、六歳に近いところまで意思表示を認める例があるとしますと、六歳といいますと、子供さんによってはかなり体は小さい子供さんがおられます。その場合、その子供さんから取った例えば心臓がどのぐらい小さいレシピエントの方に移植可能かというのは、その可能性は医学的に追求できるのではないか。今、回りくどい言い方をしておりますけれども、そういうこと、あるいは臓器移植によらずとも、心臓や様々な臓器をその場で治していく医療はますます今後も進めていただきたいというふうに思っております。  最後、町野案の自己決定が誤りであるということでありますが、これも本当に学問的な話はここでもう講義をするわけにいきませんので、ポイントだけ申しますけれども、一つは、町野先生の案は、臓器提供の自己決定がなされているといきなり言われるわけでありますが、そのXへの自己決定というときのXには、実はほかのものも様々入るはずでございます。  例えば、生まれながらにして、臓器を提供しない、例えば私が言いましたように、持って生まれた体丸ごと亡くなっていくという自己決定をしているという言い方ができないとは言えません。ですから、そこのXに入る部分がどうして臓器提供だけなのかという点に大きな疑義があるという点。  もう一つは、人間の本性の話をされていますが、これは法哲学あるいは倫理学の中でも古来より、人間の本性としては博愛の精神が人間にはある、と同時にエゴイズムの精神がある、この二つがあるということはずっと長い間議論されていることであります。そのどちらか一方を取って普遍的に人間の本当の本性だと言うのは非常に難しいことではないかというような、このようなことを私は考えております。  以上です。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 私は、先ほど冒頭にも申し上げましたけれども、脳死臨調以来ずっとなぜか少数派なんですが、小池議員に、私がどうしても言っておきたいことを機会を与えられたと思っておりますが、結局、例えば脳死を前提とした臓器移植は、社会が取り組むべき問題の全体構造をバランスよく議論の場に供給する、ケアするセクターが絶対必要で、それは立法活動の根拠に、バックグラウンドになるような明確な目的を持った調査活動と、バランスの取れた、要するに先入見のない、要するに、もし国が政策選択をするとすればこういうメニューがありますねという公平な引用文献を踏まえたテクノロジー・アセスメント・レポート、科学技術評価報告書を書く第三者機関を国会の近くにおつくりになるべきだと思います。  私は、そういう話になると思わなかったんですけれども、実は脳死臨調の審議便りというのがありまして、それにポスト脳死臨調についてということを書いて、私の、いつも黙殺されてしまうので、アリバイを付けておきました。  これは、脳死臨調は二年間で一億六千万の経費を使いましたけれども、私が常に申し上げてきたことは、脳死臨調がどういう結論に到達するにしろ、こういった先端医療と社会の価値調整、それを政策的にどういうメニューがあり得るかということについて安定したレポートを書くような予算を持っていて、例えば脳死臨調が半分とは言わない、例えば四千万ぐらい持っていて、今年は例えば生殖技術の規制の諸外国の現状をこの先生若しくはこの先生に書いてもらおう、それについては日本国中が協力するようにという一文があるような、テクノロジー・アセスメント・レポートに準ずるような調査機関を国会の近くがお持ちになる。要するに、政府に資料を出させろということではなくて、立法活動に必要な包括的なバランスの取れた報告書作りの機関を持つべきだというふうに繰り返し申し上げたんですけれども、二年間の脳死臨調の時限立法で、あとは国会の先生がお考えになることだから、臨調の、ましてや参与ごときが変なことを言うなというので。  ただし、それがあれば、あれから十七年間ありますので、毎年出ないにしても、少なくともオフィシャルである程度レジティマシーを持った、日本として科学技術の規制若しくは推進する場合にどういうルールがあり得るかという包括報告が十冊ぐらいは出たはずですので、もし議論をするとすれば、最低限その議論に参入する人はそれを読んでから議論をしてくださいということが言えますので、このアジェンダがめちゃくちゃに振れて、また議論してまたゼロからやるような議論にしないためにも、どこかにそのテクノロジー・アセスメント・レポート、こういうことを申し上げると、どこかで国家生命倫理委員会つくれということになるんですけれども、それ仮につくるとしても、それ以前にエビデンス・ベースド・ポリシー・メーキングの一こまの素材を提供するような第三者機関をどこかに資源を集約すべきだというふうに思います。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 高原参考人とそれから米本参考人、お二人にお伺いしたいと思います。  まず、高原参考人につきましては、私は先ほど社会の資産という言葉に非常に引っかかってしまいました。臓器はだれのものなのか、社会の資産なのかという問いですけれども、森岡参考人が、日本の現行法は本人意思表示の原則、これは日本の誇るべきルールであるとおっしゃいまして、私もその考え方に同意しております。私の考え方は、自分の体は自分のものである、臓器も含めて自分のものであって、それを提供する提供しないは自分が決めることであると、そのように考えています。  今、私はドナーカードを持っていません。例えば、あした交通事故に遭って脳死になって自分の意識がなくなった、自己決定をできなくなったときに、たちまち私の臓器は社会の資産になるのだろうかと、そのように考えてしまうわけですけれども、高原参考人はそのようなお考えなのでしょうか、そこを確認したいと思います。

高原史郎大阪大学大学院医学系研究科先端移植基盤医療学教授

○参考人(高原史郎君) 脳死診断したからすぐに社会の資産になるわけではもちろんないと思います。  私、先ほどちょっと誤解があったかもしれませんけど、社会の資産というのは、現実に臓器移植まで持ち込まれる場合の話と私は前提条件で申し上げたつもりなんです。そうすると、例えば死体腎移植、献腎移植と言います、あるいは脳死肝移植でも心臓移植でも、やはり日本では臓器移植ネットワークというところが非常に、これも誤解を招く言い方ですけれども、あっせん機関と言うんですけれども、どなたにあげるかということを、やっぱり、どの器官を移植し、どの人に差し上げるかということを決めているんですよね、ルールがあって。  だから、やはりそれは、私の意見というよりは、日本を含めたほとんどの国はそういう公的なあっせん機関がありますから、例えばアメリカだったらOPOになりますし、フランスやったらフランス・トランスプラント、イギリスだったらUKトランスプラントでありますから、そういうところが決めているんです。  だから、死んだ人はすぐ社会の資産になるんじゃなくて、あくまで臓器移植に供されるということが、手続を踏んだ上で、そういうふうなルールというのはもう日本を含めたほぼ世界の先進国のルールだと僕は理解しているんです。ただ、もう一回言いますけど、誤解していただきたくないのは、もう死亡宣告されたらすぐ社会の資産になるわけじゃありませんから、そういう手続を踏んであるので。  それに対して、私がさっきもう一つ追加で申し上げたのは、その公的あっせん機関、まあ日本の臓器移植ネットワークを含めてなんですけれども、非常に重要視しているのがやっぱり記録なんですね。だれを、どこのどの臓器がどういうところに行ったか、そのとき何かトラブルなかったかとか。  そうすると、さっき私がちょっとお話しした、日本はちょっとよく覚えていないんですけれども、どこの国でも本当にごくわずかなんですけれども、一%か〇・何%かはやっぱり親族の方に行っていらっしゃる場合があって、現実としては、社会の資産だったらそれは良くないんだという意見はもちろんあるんですよね。でも、現実はやっぱりそういうふうに残っている。そういうやり方をしている国が多いということも確かです。いい悪いはちょっと別としてです。  じゃ、なぜ残しているのかというと、やはり、あくまで私が関係者に聞いた話では、関係者というかお医者さんとかコーディネーターとか政府の人に聞いた話では、臓器移植全体をある意味で健全に増やしていくにはそれは残しておいた方がいいというふうに考えているというふうな人が多いですね。確かに矛盾しているかもしれません。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 それでは、米本参考人にお伺いしたいと思います。  法律は何のためにあるのかという、かなり根源的な質問になりますけれども、海外で脳死に関して定義する法律がある。一方で、海外の文化あるいは宗教的背景を考えると、どこから生が始まるのか。先ほどの田中委員の質問にもありましたけれども、妊娠中絶に関しては非常に議論が大きい。ですから、これをどこから生が始まるのかといった法律で定めようとしたら、恐らく大変なことになるだろうと思います。それが日本においては、妊娠中絶に関してはそれほど大きな議論にならないけれども、死の定義に関してはこれだけ大きな議論になっている。それは国によってやはり状況が違うわけだと思います。それをあえて法律で定める必要があるのかという、まず疑問点があります。  そして、先ほど、生にしても死にしても、そのプロセスであるから、それを定めなくてもよいのではないかというお考え、たしか森岡参考人でしたけど、おっしゃっておりました。  それで、社会的なコンセンサスがなく、倫理的には正しくないけれども法律的には正しい。例えば、脳死は死でないと考えている人にとっては、脳死を死であると定め、その人から臓器を摘出することは生を奪う、命を奪うことですから、それは倫理的には正しくない、けれども法律的には正しいとなったときにどういうことが起きるか。つまり、法律的には正しい、違法ではない、合法なのだからこれは正しいということになって、倫理の方が法律に引っ張られていくんじゃないかなと。それが長い時間たつと倫理の方が変わってしまっている。それをですから法律が後押しするということになるのではないかと思うんですけれども、その点を踏まえた上で、法律とは一体何のためにあるんでしょうかというかなり根源的な質問ですけれども、お考えを伺いたいと思います。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) まさか立法府のこの場で、おまえは法律をどう考えるかという御質問を受けるとは思いませんでしたけれども。  もう一度整理の意味で繰り返させていただきますと、やっぱり先進国はキリスト教圏の出自でしたので、死ぬところは、何度も言いますけれども、死という唯一の関門を通って魂が天国に行った、で、魂は脳に集中しているはずなので、脳が完全に機能停止、これ、ですから、医学的に客観的に言うと全脳不全の状態に、個人がもう現世にいなくなったという解釈を重ね合わせることも必ずしも無理ではないというのがまあ広い意味でキリスト教圏の知恵でして、これはなぜそういうことを言うかというと、教会がありますので、価値の供給源としてそういう整理をまあしたわけですね。出生のところは、むしろ中絶を非常に厳しくしたために、ヨーロッパではむしろ、これこそフェミニズムですけれども、中絶が不法だったものを合法化する運動が七〇年代に始まりました。  ですから、そういう意味では、日本とヨーロッパあるいはアメリカというのは、特にこの価値の問題について非常に違う。その違い方が、間違っていたのは、日本が脳死移植が遅れているのがまさしくその価値観だと皆さんは思い込んでおられた方が多いんですけれども、私は政策の作り込みの失敗だと思います。  死をどこまで定義するかというのは、私は、余り法は踏み込むべきではなくて、むしろ医療の現場における、どんどんどんどん実際上、医師の先験的自由というのはどんどん狭まっておりますけれども、それを医療職能集団の側が責任を持って、社会の価値観の在り方をよく見て、なるべく透明に、しかしぶれないで、終末期のプラクティスをメディカルプロフェッションの中で標準化して責任を持っておやりになる。それに対して社会の側が価値観を提示して、できればそのプラクティスと社会における、社会の側の解釈をなるべくすり合わせると。  そういう意味では、法が余り、ですから、今、脳死判定というのは行政手続になっておりますけれども、先進国の中で脳死判定手続が行政手続になっているというのはやっぱり日本だけですので、そういう意味でも、一般的な死若しくは脳死に準ずる法概念をここでお決めになったとしても、やはり重点は医療における医師の判断になるんだろうと思います。お答えになっているかどうか分かりませんけれども。  そのためにも、一点だけ、先ほどの私のお答えに重ねますと、日本には、キリスト教圏とかイスラムのように共通の生きるためのテキストを持っておりませんので、そのためにも議論が収れんしないように立法に何が必要かという問題を明確にするためにテクノロジー・アセスメント・レポートを作る、そこのところにエネルギーを投入すると、民主主義も時々間違いをやりますけれども、それでも間違いの幅は小さくなるんではないかというふうに思います。

福島みずほ社会民主党・護憲連合

○福島みずほ君 今日はどうも命のことを本当に考えさせられる発言、どうもありがとうございます。森岡参考人に二点、米本参考人に一点お聞きいたします。  森岡参考人、A案は、A案というか、脳死は人の死だと、そして承諾をなくすというところに割とポイントがあるんではないかと思っているんですね。この委員会の中での議論は、遺族、家族にとって同意をするというのが本人の同意がないので大変重いので、脳死は死だと医者が言ってあげない限り判断が大変なんだという議論などよく出てくるんですね。でも、私は、それは本末転倒で順番が違う、遺族が同意できるために脳死は死だと医者が言ってあげるというのは逆じゃないかというか違うんじゃないか、重要なことと重要でないことがひっくり返っているんじゃないかというふうに思っています。  その命、そういう見方についてどう思われるかというのと、今日の話の中でも、社会の資源という言葉やもう死んでいるのに治療を続けることはどうなのかという意見が出ることもちょっと私はショックだったんですね。人はその人自身がどういう死を迎えたいかはやっぱりその人に帰属をしているというふうに思うのですが、その二点についてどう思われるか、お聞かせください。  米本参考人に、国会でA案は、衆議院では脳死は人の死だと言いながら、ここの参議院に来たら、脳死は人の死ではなく臓器移植のときだけそうだとおっしゃる方もいれば、参考人の中には、自分は脳死は死だと一般的に思うからA案に賛成だと言って、一体どっちなんだというか非常に混乱が起きている。確かに、死についてのダブルスタンダードは良くないと思う反面、すべて脳死は人の死だという考え方がある程度浸透していけば、小児で長いこといわゆる脳死状態になっている子供もじゃ死体かという問題など起きてしまいます。ですから、この議論に長くかかわっていらして、この混乱についてどう思われるか。  私は個人的には米本参考人と同じ見解で、各医者のプラクティスにこれは任せるべきだと。つまり、戸籍にはいつ誕生したかは日にちで記載をします。しかし、戸籍に死亡は何分まで書くんですね。それは、いつ死んだかということが遺産相続のもう本当に大前提になるので、相続の開始時になりますから何分となる。しかし、何分に死んだかというのは個別的にやっぱり医者が責任を持って死亡診断書を書く以外にないだろうというふうにも思っています。いかがでしょうか。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) では、まず森岡参考人。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) ありがとうございます。  家族にとってどちらにしても同意を与えるということ自体が重いのではないかということがあります。ただ、これはどのようなシチュエーションにありましても家族にとっては重いのであります。つまり、例えば本人の事前の意思がなくても脳死になれば死であるというような法律になれば、家族の負担は軽くなるかというと、そういうわけではやはりありません。例えば、そこから臓器を摘出するということでありましたら、それは愛する家族から臓器を摘出するということに家族は同意をやはり与えなくてはいけません。そこでやはり重い決断、重い判断が生まれるわけです。ですので、ドナーカードで意思表示があるとかないとか、あるいは法律が一義的に決めるとか決めないとかということとは無関係に家族は重い判断をしなくてはならないのです。  ですので、これは先ほども私も言いましたけれども、そもそも脳死からの移植ということ自体が重いことなのです。これは一〇〇%みんなが本当に納得することというのはほぼあり得ない、そのぐらい重いことだということをまずみんなが認識しないといけない。もちろん、ここにいらっしゃる皆さんは全員認識されていらっしゃるわけですが、ないと思うわけです。  ですので、おっしゃったように、家族に重いものが掛かるから、重いこと、心理的負担を軽くしなくてはいけない。軽くするためにはどうすればいいかという考え方はやはり本末転倒ではないかというふうに私も思います。重いものはやはり重いまま引き受けなくてはいけない。それを引き受ける中でどういう道を探るか。そして、そこにはやはり順序がある。その順序は、やはり脳死が確実に判定され、そして脳死、こういう場合は死体としてよいというコンセンサスが得られ、そしてあらかじめその人が自分の臓器を役立ててくださいという善意を示しており、しかる後にその善意を生かして移植医療に役立てる、これこそが守るべき順序であります。この順序をひっくり返すことは、私は本末転倒であるというふうに思います。  二番目の資源化のことでありますが、私もこれは大変憂慮しております。先ほどアメリカの例も挙げましたけれども、諸外国の例を見ておりましてやはり憂慮するのは、臓器不足であると、臓器不足を解消しなくてはいけないという、そういう言説があり、それに乗っかって考えていくときに裏側から忍び込んでくるものが、臓器はやはり社会の資源だろう。だとすると、その資源をいかに有効に活用すればよいかというふうに我々の思考は流れていきがちになるのです。その陰でやはり危なくなってくる危険性があるのが、やはり命のかけがえのなさ、命の尊厳ではないかというふうに私は思っておりますので、その面は、どのような今後法案が通り、そしてどのように移植医療が進むとしても、すべての人がそのようなマイナスの面、そういうふうに陥らないように、お互いにちゃんと理解し合い、監視し合っていく必要があると私は思っています。  以上です。

米本昌平東京大学先端科学技術研究センター特任教授

○参考人(米本昌平君) 先ほど、一点だけちょっと別のあれをしますと、やはり移植のときだけに脳死を死とするというのは、一般的に脳死を認めてくれないと判断しにくいということは、むしろそれは法に求めることではなくて、私は現場のコンサルテーションなりアドバイスで支え合うべきことではないかと思います。  それから、脳死という問題は医師のプラクティスの問題だという福島議員の御指摘ですけれども、確かに私もそうなんですが、だとすると、日本のメディカルプロフェッションの統治機能が非常にあやふやなので、そういうことをやると、ですから、医療問題の幾つかの究極の解決は医師法改正で医師の強制的な法的な自治集団をつくるということになりますが、それはちょっと大仕事なんで大変なことになるのではないかと思います。  それから、脳死臨調のはるか手前に、実は脳死状態で臓器を取り出したドクターが殺人罪で告発される、そのことについて幾ら何でも殺人罪で訴えられるのは耐えられないというので立法という選択があったんですけれども、一つだけ、当時、私は、加藤一郎先生の選択で日本の司法制度の運用を脳死の現場に合わせてルールを明確にしてしまう、要するに、国際基準の脳死判定の上で行われた臓器取り出しが明確である場合には、幾ら告発があっても検察は動かないという運用をどこかで明確にしてしまうと。そうすると、脳死状態で臓器を取り出したドクターが幾ら法的に殺人罪だと問われても検察は受け付けないということになりますので、それは非常に後ろ向きですけれども、ネガティブな追認ということになります。  その場合、やはりメディカルプロフェッションの自己統治能力というのが、法的になくてもいいんですけれども、社会から見て実質的に機能しているというふうに納得できるようなシステムになっていないといけないんだろうと思います。

森ゆうこ民主党・新緑風会・国民新・日本

○森ゆうこ君 時間がないので端的に伺いたいと思います。  まず、森岡参考人なんですけれども、ピッツバーグ方式、先ほど披瀝されましたけれども、私もこの大統領の生命倫理評議会の死の決定をめぐる論争、これについてのレポートをある文献で読みまして、大変これはみんなが知るべきことだなというふうに思いました。つまり、長期脳死児の登場などで脳死の定義そのものが、脳死の概念そのものが揺らいでいるのだと。つまり、脳が細胞をすべて統合的に支配するから脳死は人の死なんだという、これまでの元々の脳死の概念が実は揺らいでいるということが、我が国だけではなく諸外国でも指摘をされているのだということがありまして、私はやはり今回の大きな法改正の前にはきちんとした脳死臨調、特に今回は子供のことが大変にテーマになっていますので、子どもの脳死臨調というものが必要だというふうに考えます。  E案の子どもの脳死臨調では子供の自己決定も大きな政策課題として検討するということにしているわけなんですが、この分野ではどのような専門分野の方にお入りいただくのが適当かということをお答えいただきたいと思いますし、あわせて、先ほどのピッツバーグ方式あるいは大統領生命倫理評議会についてもう少しコメントがいただければと思います。

森岡正博大阪府立大学人間社会学部教授

○参考人(森岡正博君) まず最初のアメリカ、大統領委員会のレポート、これは実は昨年の十二月に出たもので、非常に新しいものでございます。その中で、今御指摘のあったように、ここ十年ぐらいでしょうか、米国の脳死に関する専門家、様々なメディカルの、医療の専門家を含め生命倫理の専門家の中で脳死概念は実は昔思われていたほどクリアではないのではないかという意見がどんどん現れてきておりまして、そして専門家の間では、ほぼ昔ほどクリアではないということは、そちらの方がコンセンサスになっております。  ただ、それが人の死かどうかということに関しましては、それは医学だけでは決めることができませんので、大統領委員会というものが設立されました。大統領委員会のレポートそのものは、多数意見では、今、長期脳死の問題や様々なことで揺らいでいるけれども、それを人の死と大統領委員会の多数派は認めたいというレポートを書いております。  ただし、多数派がそのレポートを書く中で、確かに今や脳死概念が医学的に揺らいでいるということはもう認めざるを得ないということははっきり指摘されております。そのレポートには少数派の個人の意見も付いておるわけであります。ですので、そのような意味において、ここ十年ぐらいの間に脳死を専門的にどう見るか、特に長期脳死やラザロに関するいろんなことが分かってきましたので、そのことが揺らぎ始めているという事実は事実としてあります。日本の立法府としてそういうことをどう考えるのかということは、やはり専門家を含め議論をするべきではないかというのが私個人の考え方でもあります。  二番目の、どのような専門家に入っていただければいいかというのは、これは私はとても申し上げるべき立場の者でもございません。ですが、やはり当然脳の専門家の方に入っていただく、あるいはその周辺の医学の専門家の方に入っていただくと同時に、昨日ここで発表されましたぬで島さんのような社会科学の側面から見てこられた方や宗教的や心の面から見てこられた方なども同じようなスタンスで、立場で入っていただき、多方面からの議論をするということは是非とも必要ではないかというふうに思っております。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) その他よろしゅうございますか。  それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたします。  参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして心より厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  午後一時に再開することとし、休憩いたします。    午後零時四分休憩      ─────・─────    午後一時開会

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を再開いたします。  委員の異動について御報告いたします。  本日、義家弘介君が委員を辞任され、その補欠として西田昌司君が選任されました。     ─────────────

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 休憩前に引き続き、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 民主党・新緑風会・国民新・日本の谷博之でございます。  今日は、それぞれ提出者の皆さんには大変御苦労さまでございます。  質問の前に一点だけちょっとお話しさせていただきたいんですが、七月三日に、A案を提出された方々が、私たち参議院の議員会館の部屋にこの臓器移植法改正A案への御賛同のお願いという五人の提出者の連名で衆議院の先生方のこういう文書が実は入ってまいりました。これは、大変なそういうA案をそのままの形で可決、成立したいという思いがこの文書には入っているわけですけれども、基本的には今参議院が真剣に議論をしている中で、そういう意味では衆議院の皆さん方が可決したからということでその思いをお伝えしたいんだろうというふうには思うんですけれども、私個人が受け取った気持ちというのは、ちょっとやっぱりここまで御要請されるのかなというような思いもいたしました。  ですから、いろんな受け止め方がいるということを、私はA案をどうのこうのというんじゃないんですよ、そうじゃなくて、そういうふうな院のやっぱりそれぞれの独立した検討している最中であるということは十分御理解をいただいて、そして参議院は参議院として全体が議論をしてその方向を決めるということでございますので、この点は、いろいろ言い分もあると思いますが、私はそういうふうに受け止めましたので、参考にしていただきたいと思っております。  質問に入る前に、私自身の立場をまず冒頭申し上げたいと思うんですが、私は長い間、障害者の政策とか難病対策について当事者の皆さん方と長年一緒になっていろんな活動を取り組んできた一人の人間というふうに自分でも考えております。そういう中で、心臓移植を希求する親の気持ちとか、あるいはまた反面、長期脳死状態や重度の障害のお子さんの回復を願う親の気持ちもよく分かるような気がいたしております。  そういう中で、したがって、それらの方々が共に共存可能な社会をつくれないのか、こういう立場は非常にこれは難しいわけですけれども、こういう思いを持ちつつ、特にA案の提出者の皆さんに何点かお伺いをしていきたいというふうに考えております。  そのまず第一点は、通告に出しておりますけれども、衆議院ではちょっと十分な議論の掘り下げができなかったのではないかなという思いから質問をさせていただきたいんですが、A案が施行された場合、本人の意思が不明なまま家族の同意によって法定脳死判断が行われ、そして臓器摘出の最終確認を家族にしたときに、仮にその直後に本人の拒否カードが例えば自宅の机の引き出しから見付かったり、そういうことの結果、そこで家族が臓器提供の同意を撤回する、こういう場合もあるのではないかなというふうに思います。  そのとき、一度は患者は脳死が確定しているので死亡とみなされ、呼吸器などは外されることになるのかどうか。また、その場合に本人の死亡時刻は脳死確定のときなのか、それとも家族の希望で呼吸器等の生命維持装置を継続し、最終的に心停止に至ったときなのでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 法的脳死判定にかかわる二回目の検査で脳死と判定された場合には、その時刻が死亡時刻になります。その後、本人の拒否カードの存在が明らかになったために臓器提供が行われないというときもそれは同様でございます。これは現行法のガイドラインでもそのように規定をされております。  ただし、脳死判定が行われ、その者の死亡が確認されたからといって直ちに呼吸器その他の生命維持装置が外されることではございません。遺族の心情等に配慮して、心停止に至るまで呼吸器を装着するなど医療の現場で適切に配慮されるべきだと思っております。  また、現行法の附則十一条に、脳死判定以後の呼吸器の使用その他についても保険が適用されるという附則の十一条はA案もそのままに残しておりますので、その場合も保険の適用になることになります。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 それじゃ、更に引き続いてお伺いしたいんですが、例えば本人の拒否カードが自宅の机の引き出しから発見されたのが既に臓器移植が済んだ後だった場合、この拒否カードが生かされなかった責任は一体だれが負うのでしょうか。家族なのでしょうか、それとも病院なんでしょうか、それとも立法府なんでしょうか。いかがでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 脳死判定あるいは臓器提供という切迫した時間の中で、御本人の意思の確認というのがきちっと尽くされなければならぬというのは言うまでもございません。  A案では、そういうような事態を防止するように、カードが机の奥底にしまわれていて分からなかったということを防ぐためにも、臓器移植ネットワークに御本人の意思を登録することができるようにしてございます。また、免許証や保険証に意思を、要するに常に持ち歩いていらっしゃる可能性の高いカードに意思表示を記載する欄を付ける、そのようなことでそうした事態が起こらないように努めてまいりたいと思っております。  これまで、腎臓移植その他で年間百件以上こういうケースがございますが、その後、本人の拒否の意思が判明をしたというようなことは起きておりません。これは、脳死からのこれまでの移植でも、二枚目のカードが見付かったとかそういうことはございません。  ですから、そういうことは起きないというふうに思っておりますが、もし万が一先生のおっしゃるように、そういう場合が起きたときにどうなるのかというと、結果として本人の意思表示に反することになってしまいますが、可能な限り十分な確認作業が尽くされている場合にはだれの責任ということにはならないというふうに思っております。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 今いろいろと御答弁いただきましたが、我々が質問をしているのは、今の御答弁は御答弁として分かりますけれども、想定し難いといいますか、いろんなケースの中で臓器移植の提供というのが行われてくるということになれば、例えば、家族がそのカードそのものを本人から聞いていないとか、あるいは本人自身がもう忘れちゃっているとか、そういうふうな状況の中で、どこかにしまっていたのがその後に出てきたということも、これはないことではないというふうに思っています。今そういう一定のルールというか、そういう状況を踏まえながら処置をしていくんだということですけれども、これは私自身がやっぱりちょっと一つのこれからの大きな課題として残るのかなという、そんな思いはいたしております。  それから、次に、先ほど私も冒頭申し上げましたけれども、重度心身障害者とかあるいは難病患者の皆さん方のことについてちょっとお伺いしたいんですが、知的障害とか精神障害とか重度心身障害者、それから例えばALS、それから重症筋無力症等々、こういう重度の障害者やあるいは難病患者の皆さん方は意思表示が非常に難しい、こういう方々がそういう対象だと思っています。こういう方々については、現行法では意思表示ができなかった人として臓器提供者になることはないということを規定しています。そして、衆議院の審議の中でも、脳死は人の死であるということは臓器提供を選択した場合のみとすることがA案提出者からも説明がなされてきているというふうに我々理解しています。  そこで、再度確認したいのですけれども、A案では、知的障害者など意思表示ができなかった人が家族の同意によって脳死が確定し臓器を提供することになってしまうのではないかということについての見解をお聞きしたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) A案は現行法と全く同じでございます。そのことにつきましては、知的障害の方あるいはその他の意思表示ができなかった方につきましては法的脳死判定を見合わせるということになっております。家族の同意によってそういう方々の脳死が確定するということは、法的脳死判定を見合わせる以上起こりません。そこは現行法と全く変えておりません。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 じゃ、それにさらに関連してお伺いしますけれども、そういう今申し上げたような知的障害、精神障害、重度心身障害者、ALSなどの意思表示の難しい難病患者の皆さん、こういう方々に対して臓器提供を拒否できることをしっかりと詳しく説明する対応や、そして、本人が臓器提供の拒否の意思を示すために必要なコミュニケーション支援をすることが、これある意味では拒否をする場合ですね、そういうことについてしっかりそれはそれとして、A案が成立すると同時にそういう整備をするというかそういう対応をするというのが不可欠のことになってくるんではないかと思います。  そこで、これらについてA案発議者の皆さんは具体的にどのようにそうした対応をされていくべきと考えているのか。つまり、言い換えれば、これは障害者の国連の権利条約というのは批准を目指して今国内の法整備等々を取り組んでいるわけですけれども、そういう批准するという観点からも、こうした方々の臓器提供を拒否する権利は、丁寧にこれは保障されるべきではないのかというふうに考えておりますが、いかがでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 知的障害を始めとする意思表示がしにくい方であっても、拒否をされた意思表示は有効でございます。  先生おっしゃるように、こういう方々の権利をきちっと御説明を申し上げるというのはこれは大変大切なことでございますので、A案では移植医療に関する啓発、知識の普及に必要な施策を講ずるという規定を入れさせていただいておりますので、こういう方が法的脳死判定の対象にならないということをまずきちっと分かるようにしていきたいと思っておりますし、そういう方にも拒否の意思表示ができるんだ、もちろん法的脳死判定の対象になりませんから拒否の必要性がないということもありますが、そういう方でもきちっと拒否の意思表示はできるんだということを明確にするためのあらゆる施策を講じてまいりたいと思っております。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 これ具体的な例としてお話し申し上げますけれども、ALSというさっき申し上げた筋萎縮性側索硬化症という、いわゆる難病中の難病と言われている患者の皆さん方。要するに、その症状が進行すると同時に自分の意思を伝達する手段というのがいよいよ低下してくるというか衰えてくるという状況になって、最後は目の、目線といいますか、それによって文字盤を使ってその患者さんの意思を確認すると、こういうところまで行くわけですけれども、しかしそれも最終的にはなかなか難しいということになれば、もう意思を伝達するということは非常に不可能になってくるわけですね。  こういう患者さんやあるいはその家族や支援をしている方々の中から、やっぱり一番この部分についての懸念といいますか、そういう心配というか、そういう声が聞こえてくるということでありまして、今御答弁をいただきましたけれども、そういう方々の意思は尊重されるんだと、拒否するなら拒否するという意思は尊重されるんだということでありますから、これはこれとして是としながらも、そういう非常に大変な状況にあるという方々の立場というものもしっかり踏まえながら、そういう人たちに対する対応をどうするかを、このA案の成立と同時に、成立すれば整えていかなければいけないんじゃないかなというふうに考えているところです。  もう一度、したがって、今の点について整理してお伺いしたいんですけれども、現行制度が例えばA案に変わると、障害者などの意思表示ができなかった人の取扱いは具体的にどのように変更されていくのか、お答えいただきたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) A案でも現行法とこの分野に関しましては何ら変わるところがございません。障害者などの意思表示ができない方であることが判明した場合には、法的脳死判定は行われることがございません。ガイドラインのこの部分に関する取扱いにつきましては、今後とも維持されるべきだというふうに考えております。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 先ほど私の方でちょっと懸念すべきことについて幾つか申し上げましたけれども、いずれにしましても、参考人のいろんな質疑の中にも出ておりますように、本人の意思というものが、いわゆる臓器提供を是とする人、あるいはそれを拒否をする人、そういういろんな方々がもちろんおられるわけですけれども、そういう人たちのまずはやっぱり意思というのは基本的に尊重されるべきだろうと思っていますし、なおかつ、そういう意思表示のできにくい方、非常に厳しい方については、それはより、そういう意味ではその方の意思をしっかり確認できるような仕組みというものはこれから構築していかなければいけないだろうというふうに、こんなふうに考えております。  最後に、私自身の、ちょっとこの件について、あるいは全体を通じて、見解というか主張を申し上げたいと思っていますが、ドナーカードの所持状況について、これは既に政府参考人からもその数字が出ていますけれども、七・九%から八・四%に増加していると、こういう結果が出ています。しかし、このドナーカードの記入状況については、カード所持者のうちの五〇・三%、前回よりも一〇ポイント減少しています。つまり、いわゆるカードの記入者については、全体としても記入している人が三・八%、これも若干減少しているという、こういう報告が政府参考人からありました。そうすると、逆算すると、九五%を超えるほとんどの国民が意思表示をしていないという状況に現在あるわけですね。今回のA案が全国民に対してドナーカードを所持することの義務付けや、もっと言えば臓器提供の意思表示の強制につながっていくものであってはならないというふうに私は考えております。  この点について、ちょっと質問通告はしてないんですけれども、何かコメントすることがあったらお答えいただきたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 例えばA案では、非常に多くの方が保有されている運転免許証ですとか健康保険証にそういう意思表示の欄を設けることにしてございますが、それはあくまで欄を設けるということにとどめておりまして、そこにどちらかの意思を記入してくださいという強制は一切いたしません。意思を表示するかしないかも併せてそれは個人がお決めになることであって、記入する欄を設けることによってより多くの方に意思の表示をしていただきたいとは思いますが、そこはもう既に個人の決断の範疇というふうに考えておりますので、あらゆる方に意思表示を強制するようなことは、よもやA案では考えておりません。

谷博之民主党・新緑風会・国民新・日本

○谷博之君 時間が参りましたので終わりますが、E案の発議者の皆さん方に質問ちょっとできなかったこと、残念ですけれども、大変申し訳なく思っておりますけれども、いずれにしましても、何度も申し上げますけれども、発議者の皆さん方の御労苦に敬意を表して、私の質問を終わりといたします。  ありがとうございました。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 ありがとうございます。  平成九年の参議院修正をいたしましたそのときの意義と今日的な評価ということについてお尋ね申し上げたいと思います。  臓器移植法関連法案につきましては、主に臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、いわゆるA案の御提案者に対してのお尋ねでございます。  思い起こしましたら、十二年前、本院の臓器の移植に関する特別委員会において、臓器の移植に関する法律案、当時の中山案に対し、多くの生や死に接してきた私、看護師、助産師の立場から質問をさせていただきました。そして、皆様御案内のとおり、臓器移植法案は参議院において、脳死が認められる場合を限定するとともに、脳死判定手続をより厳格化する修正が行われ今日に至っているのでございます。  臓器移植法の参議院修正は、脳死は人の死かという問題について国民の意見が様々に分かれる中で、脳死を一律に人の死とせず、臓器を摘出するときに限り人の死と認めたもので、良識の府たる、まあ我々参議院のことを申しますが、参議院の英知の結集であったと思っております。我が国では初めての議論であり、当時も真剣な課題でございました。  そこで、A案の御提出者にお尋ねいたしますけれども、平成九年当時の参議院修正の意義と今日的評価についてどのようにお考えでしょうか。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 平成九年当時の参議院修正の意義と今日的評価についてお尋ねがございました。  平成九年の臓器移植法制定時における参議院での修正につきましては、脳死は臓器移植の場面に限り人の死であるという立場から、臓器移植法に定める脳死した者の身体の定義規定が修正されたものと認識しております。そして、臓器移植法の施行から十年以上が経過し、多くの命が救われるという実績を、遅々としてではありますが、確実に積み重ねてきたものと認識しております。  しかし、脳死臨調の最終答申においては、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されているものとされております。また、近年のアンケート調査等におきましても、多くの方が脳死を人の死と認めてよいとする結果が出てきております。A案では、このような事情を背景といたしまして、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としており、脳死した者の身体の定義についても、このような考え方によりふさわしい表現となるよう、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除したところであります。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 第六条の二項を削除することを今お尋ねしようと思ったんですが、もうお返事がございましたが、先月十六日の毎日新聞の世論調査では、脳死を一般的な人の死と認めるかどうかに関しては、現行法どおり臓器提供の意思を示している人に限るべきだ、これが五二%、過半数を占めております。人の死と認めるべきだ、先生方がおっしゃっている分については三割未満にまだとどまっているということでございます。脳死が人の死かに関してはまだ国民の世論は二分されている状況にあろうかというふうに思っております。  この点に関しましては、A案では、今回この参議院修正に係る限定を外しておりますけれども、先日の提案理由説明においては、提出者から、臓器提出の場合に限って脳死とする現行法と変わるものではないとの説明が加えられました。  そこで、今お答えいただいた分でございますけれども、ではなぜ今回、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」というこの文言を削除されたのでしょうか。その理由をもう一度聞かせてくださいませ。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) ちょっと重なる部分があるかもしれませんが、改めまして、脳死臨調の最終答申においては、脳死は人の死であるということについておおむね社会的に受容されているとされております。また、先ほどお話ありました近年のアンケート調査においても、新聞社等によって多少数字は違うことはあるかもしれませんが、多くの方が脳死を人の死と認めてよいとする結果も出てきております。こういった背景から、脳死は人の死であるという考え方を前提としてA案を提出させていただきました。  提出した提出者の意思といたしましては、脳死した者の身体の定義についてもこのような考え方によりふさわしい表現となるように、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の部分の文言を削除したものであります。ただし、あくまで脳死が人の死であるということについてはA案の前提となる考え方ということであります。  臓器移植法は、臓器移植に関連しての脳死判定あるいは臓器摘出の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面については一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではありません。したがって、この文言を削除したとしても、臓器移植以外の場面において、A案による改正後の六条の二項の規定により脳死が人の死として取り扱われることにはならないと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 先生の御答弁は十分に理解させていただきますが、新聞などではA案は脳死イコール人の死と書いて、これが全国に配られているわけでございます。こういう細かいことを知らない人たちは、一般住民はこれを見て、ああ脳死は人の死かと思う人たちがほとんどであることも先生方御了解いただきたいというふうに思っているところでございます。  臓器移植法の改正では、本人の意思が不明な場合には家族の代諾を認めておりますけれども、その場合でも、一義的には本人の意思が尊重されるべきであり、その基本は揺るがすべきではないと考えます。  この点、A案が成立すれば、小児から臓器摘出も可能となりますけれども、十五歳未満であっても一律に親の代諾を認めるのではなく、一定の年齢以上であれば本人の意思表示を原則とし、それより小さい子供についても第三者の関与が前提となるなど、子供の年齢に応じたきめ細やかな対応が必要であると考えますが、A案の御提出者の御所見をお伺いいたします。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 臓器提供に係る意思を表示するには、その意思を表示する本人に意思能力、すなわち移植医療や臓器摘出の意義、臓器提供の承諾の効果などを理解した上で主体的に判断する能力が必要とされます。  この能力については、年齢などの形式的な条件を設けない限り、移植医療の現場においてだれがどのようにその能力の有無を判定するのかという問題があり、現行法においては、民法上の遺言可能年齢を参考に十五歳以上の者の臓器提供に係る意思表示を有効なものとして取り扱うこととされているところであります。この点についてはA案も同様の考え方を取っております。  ただし、十五歳未満の者についても臓器提供を拒否する意思表示はできることとされていることから、子供の年齢に応じたきめ細やかな普及啓発措置が講じられるものと考えております。  子供に関しても、拒否に関しては意思表示は有効というふうに考えておりますので、先生御指摘のように、きめの細やかな普及啓発活動というのは必要だと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 小児の臓器移植の拡大に関しては、虐待児が臓器を摘出される懸念が様々なところから表明されております。虐待児童、虐待児がドナーとならないようなシステム、これを確立する必要があると考えます。  この点、A案では虐待児かどうかの確認と適切な対応のための方策について検討規定が設けられておりますけれども、提出者としてこの検討をどう行うべきと考えておられますか。今一年後ということがございましたが、被虐待児からの臓器提出を防止するための検討は一年後と言わず早期に開始する必要があると考えますが、御所見を伺います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 児童虐待を行った者は、被害者である児童の利益を考慮した上で意思表示をするという立場にはなく、また臓器の摘出が虐待を隠滅することに使われてはならないことは言うまでもありません。虐待を受けて死に至った児童から臓器が摘出されることがないようにするのは当然のことと考えております。具体的な検討に当たっては、児童虐待の現状を十分に踏まえた上で、医療現場に従事する者、児童虐待の専門家などの意見を参考にして、早急に被虐待児からの臓器摘出を防止するための方策を考える必要があると考えております。  そういった意味で、このための検討については改正法の公布後から一年後と言わずに早急に開始すべきとの御意見ですけれども、その点に関しては全くそのとおりだと思っております。早急な検討が必要だということは考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 是非それは早急にお願いしたいというふうに思うわけでございますが。  次に、親族への臓器の優先提供についてお伺いしたいと思っております。  A案では親族への臓器の優先提供につきまして明記していますが、限りある臓器移植の機会の公平性確保の観点からは、現時点での親族への優先提供は問題が少なくないと考えられます。今回、親族への臓器の優先提供を明記した理由及び公平性確保について、A案提出者の御所見をいただきたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 平成十三年七月に発生した十五例目の脳死下における臓器提供を契機に、親族への優先提供の意思表示を認めるべきか否かの議論がなされてきたところであります。この問題は、臓器移植法においてその取扱いが定められていないために生じたものであり、立法府として早急に答えを出さなければいけない問題であると認識しております。  現在、臓器移植を望む患者は、血液型等が適合するか、医学的に緊急度が高いかなど、臓器ごとの詳細な条件に照らして優先順位が決められております。親族への優先提供の意思表示を認めることは、このような従来の優先順位の在り方を変更するものであり、公平性の原則に反するとの批判があることは我々も承知しております。  しかしながら、自分の臓器は身近にいる親族に提供したいという声が強くあることもまた事実であります。生活を共にする中で強い信頼と情とをはぐくんできた家族には少しでも長く生きていてもらいたいと願うことは、人が持つ自然の心情として十分理解できます。そして、このような心情は移植医療がよって立つ人道的精神の根幹にかかわるものであり、考慮されてしかるべきではないだろうかというふうに考えております。  また、本人意思の尊重という立場からすれば、自分の臓器の提供先の指定がいかなる場合にも認められないとするのは、やや硬直的な考え方ではないかと思います。さらに、親族への優先提供の意思表示を認めたとしても、これが臓器移植の公平性の原則を根本から否定するほどの重大な影響を及ぼすほどの数に上るとは考えられません。我々も、親族といっても一親等プラス配偶者程度、極めて限られた親族に限定することを考えております。  したがって、親族に対する優先提供の意思表示は、強いきずなで結ばれた家族として自然に持つ心情への配慮を理由に、これを是認するのが適当であると考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 今の親族への提供のことについては、御趣旨は分かりますが、やはりこういう問題点については公平性というところに一番ポイントを置かれます。一親等と配偶者に限るというふうなことは明記しておられるんでしょうか。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 法律の中にはありませんが、附則なりガイドライン、そういったところで定めていくべきだと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 そこら辺の問題点についての公平性を是非保っていただかないと、これは困るかなというふうに思っております。  臓器移植につきましては、レシピエントはもちろん、ドナーの権利擁護が極めて重要でございます。その家族への支援も重要でございます。そのための看護師やまた移植コーディネーターなどを含む医療従事者の養成、人員配置などの体制整備についての現状及び今後の取扱いについて政府参考人の御所見をお伺いしたいと思いますが、この前の参考人の方は二十一人というふうにおっしゃっていますが、そこら辺の数の訂正もおありかなと思います。政府参考人でお願いします。

上田博三厚生労働省健康局長

○政府参考人(上田博三君) ドナーの候補となる方の御家族は、悲しみの中で臓器提供に関する説明や意思確認などの手続を行うこととなるため、御家族の置かれている状況や心情に対して十分に配慮し、移植後も含めて家族の方々への支援を行うことは大変重要だと考えております。  このため、社団法人日本臓器移植ネットワークにおきまして、移植医療に関する知識を持ち、御家族の精神面への配慮ができる者として、その多くは看護師、薬剤師などの資格を持つ方から成る臓器移植コーディネーターを養成しているところでございます。  現在、臓器移植コーディネーターの数は、社団法人日本臓器移植ネットワークの本部と三つの支部に配置されているネットワーク臓器移植コーディネーターが二十一名、このほかに都道府県に設置されている都道府県コーディネーターが五十一名、合わせて七十二名となっております。臓器提供事例が確認された場合には、ネットワーク臓器移植コーディネーターと都道府県コーディネーターが一緒に現場に向かいまして、連携をして臓器提供に関する説明やドナーの御家族の対応とケアに当たっているところでございます。  今後とも、臓器移植コーディネーターに対する研修などの充実により、ドナー家族の御家族の支援を含め、移植医療の適切な実施に努めてまいりたいと考えております。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 本当にコーディネーターの役割をされる方は大変な方だというふうに思っております。心身共にしっかりと養成されるべきであろうかと思います。そこら辺のカリキュラム、また、その人柄が臓器移植を増やす、また、臓器移植を少ない方向に持っていく、いろいろなキーパーソンでもありますことをお考えになって、しっかりと養成をお願いしたいというふうに思っております。  最後の質問でございますが、「おくりびと」がアカデミー賞でも高く評価されて、大きな話題になりました。こうした「おくりびと」に見られる日本人の死生観は、脳死や臓器移植の場面においても大事にされなければなりません。グリーフケア、お亡くなりになったときに、我々看護職は特にその方に寄り添いながら時間を過ごさせていただいております。そういう意味では、「おくりびと」に対する臓器移植法改正案及び子ども脳死臨調設置法案の両案の御提出者の方も含めて、Aの御提案者も含めて、最後にお伺いしたいと思っております。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) ここにいる衆議院の提出者三名ともこの映画を見ておりませんで、大変申し訳ありませんが、衆議院の法制局の方にストーリーを伺いましたところ、大切に思う人の最期をどのように送っていくべきなのか、あるいは大切に思う人から自分が最期どのように送られたいか、そういったテーマの、大変すばらしい、家族に対する愛情を描いた秀逸な作品であると承っております。この映画に示された日本人の死生観、あるいは人生の最期の瞬間をどのように迎えるべきか、こういった点に関しては、日本の歴史や文化的な土壌を背景に生じたものでありますので、今後とも大切にしていかなくてはいけないと思っております。  だからこそ、我々の法案におきましても、脳死を人の死とするかどうか、いろいろな考え方があることは承知しておりますので、そういった脳死を人の死としない人の権利も保障されるというところはきちんと担保していかなくてはいけないなというふうに思っております。

近藤正道社会民主党・護憲連合

○委員以外の議員(近藤正道君) 私は幸いなことにこの映画を見ております。大変感動的な映画だったというふうに思っております。御遺体も生きている人と同じように、尊厳を持って、そして愛情を込めて大切に取り扱うと、美しく装わせる納棺師の仕事に焦点が当てられた映画でございました。バックミュージックも大変荘厳なものでございました。  御遺体と対面することによって死者との思い出を振り返り、御遺体と対話をしながら死者との最後の時間を過ごす遺族の姿が様々な形で描かれておりまして、普通に暮らす市井の市民に対する敬意にあふれた私は映画だったというふうに思っております。そして、死亡宣告だけで割り切ることのできない死者の尊厳やみとりの時間を大切にしながら、時の流れの中で人の死をしっかりと受け入れていく、受容していく、そういうこの国の文化を再認識させられた映画だというふうに思っております。日本人の死生観をよく表しているというふうに思っております。  付け加えますと、この映画、そして今月二日の参考人質疑で柳田参考人がおっしゃっておられたことも併せて考えたときに、臓器移植のように個人の生死にかかわる制度を決めていくときには、このような日本独特の文化、死生観も大切にしながら、ドナー家族の心情にも十分に寄り添う姿勢が必要であると思いますし、広く国民的な合意を形成していくプロセスというものがとりわけ大事なんだと、重要なんだというふうに思っているところでございます。  以上でございます。

南野知惠子自由民主党

○南野知惠子君 ありがとうございます。映画の評論をお聞きしているわけじゃなく、そこの中に表れる死生観、そしてその方、お亡くなりになる、今から旅立とうとされる方とどう寄り添うかというところから、やはり臓器の提供ということはどういうことなのかとお考えいただきたいというふうに思うわけでございます。  私の質問はこれにとどめたいと思います。ありがとうございました。

山本博司公明党

○山本博司君 公明党の山本博司でございます。また、発議者の皆様、本当に御苦労さまでございます。  臓器移植法は施行から十一年が経過したにもかかわらず、脳死下における臓器移植は八十一例にとどまっているわけでございます。進まない現状は改善すべきであり、立法府の不作為と言われないためにも今国会で結論を出さなくてはいけないと考えるわけでございます。  いわゆるA案は、脳死を一律に人の死という考え方に立っておりますけれども、この参議院でも、二十一名の参考人の方々、様々お話、意見を聴かさせていただきましたけれども、この部分に関しましてはいまだ国民的な合意になっているとは言えないのではないかと考えるわけでございます。また、児童の脳死判定の基準や臓器を提供した側への配慮を十分に考えなくてはならない点など、これから検討すべき課題が数多くあると考えるわけでございます。こうした点に関しまして、提案者の方々の見解を確認を申し上げたいと思います。  先ほども南野議員からも指摘されました部分でございますけれども、現行法、参議院の修正によりまして、臓器を提供する場合に限り人の死として扱う規定でございます。しかし、この規定を削除することで、臓器提供の場合以外にも波及して治療が打ち切られるのではないかとか、終末期医療にも影響が出るのではないか、様々な懸念を持っている方もたくさんいるわけでございます。  この審議のさなか、例えばこの部分に関しましてA案提出者のぶれがあるのではないかとも言われているわけでございます。  例えば、この法案審議前に、河野太郎氏のホームページでは、脳死は心臓死と同様に人の死だということをはっきりとさせるべきでないか、こういう御意見がございましたけれども、法案審議中は、脳死は人の死というのは臓器移植法に関して限定的なものを考えている、冨岡氏の発言とか、この今回の法案趣旨説明でも、脳死が人の死であるのは、本案の場合も現行法と同じく臓器移植に関する場合だけに適用されるのであり、一般の医療現場で一律に脳死を人の死にするのではありませんと、こう答えられているわけでございます。  それであれば、この六条二項の臓器移植の場合に限るという部分を削除せずに現行法のままでもよいのではないかと、こう思うわけでございますけれども、この点に関しましての提案者の見解をお聞きをしたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 委員の質問にお答えします。  先ほどからこの問題も出てきてまいりましたけれど、我々は脳死臨調の最終答申においては、脳死は人の死であることについておおむね社会的に容認されているものと考えております。また、近年のアンケート調査においても、多くの方が脳死を人の死として認めてもよいとする結果が出ております。このような背景から、脳死は人の死であるという考え方を前提としてA案を提案、提出したところであります。  提出者の意思としては、脳死した者の身体の定義について、先ほどから触れておりますが、このような考え方にふさわしい、よりふさわしい表現となるよう、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることになる者であっての文言を削除したところであります。

山本博司公明党

○山本博司君 今回の参考人の方々の意見の中にも大変この部分をいろいろ苦慮される部分がございました。例えば、柳田参考人は、こうした臓器提供を望む人の場合、脳死を人の死とする現行法というのは日本人の心情と日本の死の文化の特質をうまく取り入れたものとして今後も大事にしていくべきであるという、そういう社会的な部分、また哲学的な部分も含めてこうした意見もあるわけでございまして、まだまだ国民的な合意に至っていないのではないかという気がするわけでございます。  この部分はこれくらいにしまして、その後の部分に関してお聞きをしたいと思います。児童の脳死判定の部分でございます。これは両案の方にお聞きをしたいと思います。  A案では、現行法で禁じております十五歳未満の児童からの臓器提供も可能となっているわけでございますけれども、児童の脳死判定につきましての規定が、法律上、条文の中では明記をされておりません。児童には脳死と診断されても心臓が動き続ける、今日の午前中でもいろんな議論がございました、長期脳死と呼ばれる状態がまれに起きる場合もある部分がございます。また、様々な方々が、この児童の脳死判定の難しさは専門家の間でも意見が分かれております。  そうした部分で、E案の提案者、子どもの脳死臨調を設置すべきということに関しましては大変趣旨は理解できるわけでございます。ただ、単なる先送りになっても児童の臓器移植が実現しないという懸念もあるわけでございます。  こうした状況を考慮しますと、児童の脳死判定につきまして、成人とは異なる児童の特性に十分配慮をした厳格な基準が検討されるよう法文上明記して、臓器移植の道を開くべきと考えますけれども、両案の提案者にこの児童の脳死判定の基準に関しまして御見解をお聞きしたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 平成十二年に旧厚生省の研究班によって報告された小児、六歳未満ですが、の脳死判定基準によると、出生予定日から換算して十二週目未満の小児を除いて脳死判定をすることが可能であるとしています。その際、二回行われる脳死判定の間隔を二十四時間以上とすることなどが決められております。  上記の研究班が作成した基準を参考にしつつ、諸外国における小児の脳死判定基準や最新の医学的知見も踏まえた上で、六歳未満の者についても脳死判定基準が早期に定められることを期待しております。

岡崎トミ子民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(岡崎トミ子君) E案でございますけれども、この法律案は、子供の脳死判定基準について、専門家の間でも、今、山本議員がおっしゃいましたように、意見が大きく異なっていること、そして国民の間にも大きな懸念があるということ、このことを踏まえて、これらの問題について検討を行っていくということが趣旨でございます。臨時子ども脳死・臓器移植調査会の専門的な調査審議を通じたこの検討は、子どもに係る脳死の臓器移植に関する制度、これを設けるかどうかということも含めて行っていこうとしております。  したがいまして、臨時子ども脳死・臓器移植調査会の審議の結果をまだ見ていない、こういう段階におきましては、子供の脳死判定についてどのような基準を設けるべきか、今述べるということについては適当ではないというふうに思っております。

山本博司公明党

○山本博司君 大事な部分でございますので、このことも含めてよろしくお願いを申し上げたいと思います。  続きまして、ドナー家族のことに関しましてお聞きをしたいと思います。A案の提案者にお聞きしたいと思います。  多くの家族といいますのは、肉親の突然の死に直面をして、強い悲しみに暮れる中で臓器の提供に同意することになるわけでございます。脳死を受け入れられないままに同意する場合もあり、残された時間を有意義に過ごすためのみとりの時間というのが必要ではないかと、参考人の方々からの意見もあったわけでございます。  さらに、検証会議の下に設置をされましたドナー家族の心情把握等に関する作業班の報告によりますと、臓器提供を誇りに思って生きる支えにしている家族がいる一方で、臓器提供に応じたことを悩み続けている家族もいるとのことでございました。また、本人が拒否したことが提供後に分かった場合、承諾した家族が悩みを深める懸念があるなど、事後の精神的ケアや支援策を検討すべきであると、こういう参考人からの意見もございました。  こうしたドナー家族の心情に対しまして十分な配慮をすることが大変重要であると考えるわけでございます。法律の運用の中でもこうした点を考慮すべきと思いますけれども、A案の提案者にお伺いをしたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 委員がおっしゃるとおりでございます。  したがって、私たちは、ドナー家族の心情に十分配慮するということで、臓器の提供に際しては、亡くなった人の体にメスが入れられることになり、遺族の心情は本当に察して余りあるものがあると思います。特に、臓器提供が行われる場合、不慮の死であることが多く、突然の悲しみの中、死を受け入れられるというのも、本当にそれは大変なことじゃないかと思います。またさらに、その上で臓器の提供を決断される御家族は、家族を亡くすという不幸に直面しながらも、大変な作業が待っているわけでございます。このため、このような家族の心のケアについては万全を期すべきだというふうに私たちも考えております。  諸外国におきましては、グリーフケアという、ある意味ではシステマチックな制度もございます。我々も、当然そういうシステムを導入するようなことを考えていきたいと思っております。

山本博司公明党

○山本博司君 続きまして、やはりA案の方にお聞きをしたいと思います。  A案では、本人の書面による意思の表明を前提とする現行法の枠組みを変更して、本人の意思表示が不明な場合、家族の同意で臓器提供が可能となってくるわけでございます。これによってドナーカードを必要としないとする意見もあるわけでございまして、そうではなくて、どのような改正をするとしても、臓器移植の正しい理解を求めていくにはドナーカードの普及が欠かせないわけでございます。学校や社会の中でも、あらゆる機会を通じて普及啓発に努めるべきでございます。  また、臓器を提供したいという本人の意思が十分に生かされるよう、健康保険証や運転免許証などに臓器提供の意思を記載できるようにする、ドナーカードのデザインを多様化するなど、これまで以上に臓器移植に対する国民の意識を高めることができるように工夫をしなくてはなりません。  そこで、臓器提供の機会を拡大させるためにドナーカードの普及策についてどのように考えられるのか、A案の提案者にお聞きをしたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 今までもいろいろな普及策が講じられてきておりますけれども、我々としては、国民があらゆる機会を通じて移植医療に対する理解を深めることができるよう、現在のドナーカードに加えて、多くの国民が所有する運転免許証あるいは医療保険の被保険者証、そういうところに臓器移植に関する意思表示を記載する欄を設けることを提案させていただいているところであります。  現在においても、免許証に意思表示のシールを張ることができるなど、一定の措置も講じられているところでありますけれども、いまだ国民の間に浸透していないこともあり、今後は広報活動等を十分に行っていく必要があると考えております。  これは、厚生労働省もいろいろな協力を依頼し、それを志向していきたいということで今検討を既に始めているところであります。

山本博司公明党

○山本博司君 最後になりますけれども、やはりA案の提案者にお聞きをしたいと思います。  我が国の脳死における臓器移植、欧米諸国と比較をしても非常に限られておるわけでございまして、また、今日の午前中でもお話ございました、臓器提供を増大させるには、多額な医療費が掛かる現状を改める必要があると考えるわけでございます。特に、児童への臓器移植を求めるために数千万円から一億円を超す募金を集めなくてはならないということは、海外から見れば、臓器を金で買い取るような印象を持たれる場合もあるわけでございまして、改善が必要でございます。  また、イギリスやドイツなどの受入れ中止などが影響をして、現在この渡航移植の大半はアメリカで行われておりますけれども、アメリカでは最近、自国の待機患者の感情に配慮をして、外国の移植希望者の手術費用を一気に高額化させる傾向もあるわけでございます。  さらに、国際移植学会が昨年五月、移植用臓器の自国内での確保の方針を打ち出したほか、WHOも来春の総会で同様の趣旨の指針を決めていると見られておりまして、こうした国際的な流れに対しましても、我が国の体制整備を進めなくてはならないと思います。  今後、自国内の臓器移植が増加をすることを予想すれば、保険適用の在り方など体制の整備も含めまして、臓器移植に関する医療費の負担軽減、この点に関しましても図る必要があると思います。A案提案者にお聞きをしたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 確かに、この医療費の削減というのはもう大変な問題でございます。したがいまして、国内で臓器移植を受ける場合は、平成十八年四月一日から小腸移植を除く臓器移植に保険が適用されているところは御存じのとおりでございます。また、一月当たりの自己負担が高額になる場合には高額療養費制度が適用され、その上限が抑えられていることとなっております。  なお、保険適用がない移植医療については、治療実績や保険適用のニーズ等を踏まえつつ、医療保険制度全体の中で検討されるべきではないかというふうに私たちは考えております。

山本博司公明党

○山本博司君 ありがとうございました。  以上で質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 国民新党の亀井亜紀子でございます。  A案の提出者の方に質問させていただきます。  まず一点目、これは先ほどから質問が繰り返されている部分ですけれども、核心部分だと思いますので、もう一度質問させていただきます。現行法の六条二項を削除した真意についてであります。  私が思いますに、A案がA案であることの意味、最大の特徴は、現行法から六条二項を削除したことにあると思います。先日この委員会に参加されたA案を推進する大久保参考人は、A案と現行法の違いについて、A案は脳死は人の死というのを理念としてしっかり持っている部分だと思います、まず、理念として脳死は人の死であるということが非常に大事だと思いますと述べていらっしゃいます。臓器移植法の中での定義なのだから、臓器提供のときに限って脳死は死である、拒否することもできるという御答弁がA案提出者からありましたけれども、それでも、基本的理念として、脳死は人の死であるとすることが大前提であり、これがA案の核心部分だと思いますけれども、間違いはないでしょうか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 前提に立つ考えは確かにそのようだというふうに理解していただければいいと思います。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 それでは伺います。  先週辺りから修正案が出てくるのではないかという報道がされております。それは、聞くところによりますと、今のA案に六条の二項を戻したものであると、そのように伝えられています。それについて、Aダッシュであると報道するところもあります。けれども、A案の大前提となっている六条の二項を削除したものというのが果たしてA案の修正案であり得るのかということに私は疑問を持っています。もしそこが復活した場合は、私はこれは全く違う参議院のF案なのではないかというふうに思っております。  この疑問点について法制局に確認をいたしました。そうしましたら、修正案というのは、提出者がこれは修正案でありますと言って提出をすれば、取りあえず拒否をすることはできないのだそうです。この臓器移植法の修正案でありますと言って例えば環境について書かれた法律であればそれは拒否することができますけれども、基本的に臓器移植法についてであればそれは受けざるを得ないのだそうです。そして、修正案を出した人はこれはA案の修正案でございますと言っても、それは問題はないそうです。けれども、それを修正案だとA案の提出者の方が認めるか認めないかというのはまた別問題だろうと思います。  ここにありますのは、七月三日付けのA案の提出者の皆様からいただいたA案の御賛同のお願いという文書でございます。ここに、A案のそのままでの形での可決成立に御協力いただきますようお願い申し上げますと書いてあります。このときにはもう修正案の提出される可能性について報道されておりました。ですから、私は素直にこの文書を読んで、やはり六条二項が入る、入らないということは大変大きな意味を持つのだろうなと。  やはりA案の提出者にとっては、これを入れ込んで、基本的に脳死は死であると信じたくない人は信じたくないし、構わないけれども、基本理念として脳死は人の死であります、そこを前提にこの法律は始まるのですと、そう主張されているように感じるのですけれども、六条二項が復活した場合、それはA案の修正案と言えるのでしょうか、それとも全く違うF案なのでしょうか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) これは提出されて、我々の、今私が答弁しているのですけれど、これを見てから、まだ出されていないという状態ですので、お答えはできないような気がします。また、仮に出された場合には、これは法制局と見解を、考えなくてはいけないとは思いますけれど、もう一度、真意ということで、原点に戻ってちょっとお答えしたいと思います。  我々は、脳死臨調の最終答申において脳死は人の死である、これも何度も申し上げておりますが、おおむね社会的に受容されている、それで前提で物を考えております。近年のこれはアンケート調査、直近の七月の読売新聞ですかの調査ではもっと六十数%になっていたと思いますけれど、多くの方が脳死を人の死と認めてよいとする結果が出ていると、そう理解しております。このような背景から、脳死は人の死であるという考え方を前提としてA案を提出いたしました。  提出者の意思としては、脳死した者の身体の定義についてもこのような考え方にふさわしい表現となるよう、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であっての文言を削除したものであります。これは先ほどから何度も申し上げます。  ただし、あくまで脳死が人の死であるということはA案の前提となる考え方にすぎなく、臓器移植法は臓器移植に関連して脳死判定や臓器摘出の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではありません。この文言を削除したとしても、臓器移植法以外の場面においてA案による改正後の六条二項の規定により脳死が人の死として取り扱われることはありません。これをもう一度確認していただきたいと思います。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 脳死は人の死であるということが社会的に受け入れられていると思うと、そこを前提としてA案の提出者の方の議論は始まっていると思います。その社会的に受け入れられているのではないかということが何に基づいているのか、例えば世論調査だとして、その世論調査が信頼性に足るものなのかということは考えなければいけないでしょうし、仮に多くの方、過半数以上の割合でその脳死は人の死であると受容する方があったとしても、やはり民主主義社会において少数意見の尊重ということはあってしかるべきだと思います。特に、死の定義を法律で決める場合においては、やはり十分な反対意見の方の配慮は私は必要だと思っております。ですから、私は現行法の方が良識に合った法律であると考えています。  次の質問に移りますが、憲法に定める思想、良心の自由についてお伺いをいたします。  現行法は、自己決定権の尊重という理念に基づいて、本人の意思を証明するドナーカードの取得を義務付けています。ドナーカードが見付からない、あるいは家族が同意しないことによって善意が無になることもありますが、本人の意思に反して臓器を摘出してしまう危険はありません。家族の同意による臓器提供を可能にするということは、本人の自己決定権よりも家族の意思を優先するということになりますが、これは憲法に定める思想、良心の自由の中核である内心の自由を侵害する可能性があるのではないでしょうか。憲法との関係をどのように御説明されますか。  またもう一つ、献体の場合、死後、医学に役立てる解剖などのための献体の場合には、本人の書面による事前の承諾意思表示は必須条件になっています。それなのに、なぜ脳死の場合、臓器移植の場合は本人の同意を不要とするのか、その根拠についてお伺いいたします。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) まず、A案において本人の意思が不明な場合に家族の承諾で臓器の提供が認められるとした趣旨は、生前の本人の意思をよく知る立場にある家族に本人の意思をそんたくして臓器提供に関する意思表示を行うことを認めることが本人の意思の尊重に資することにある。この趣旨から考えれば、本人の意思の尊重に資することを目的としたものであって、本人の憲法上保障された内心の自由を侵害するという批判は当たらないものと考えています。  一方、献体については本人の事前の承諾意思表示を条件とすることとされているが、これは献体を取り巻く状況や献体に関する経過を踏まえて定められたものと認識しています。  他方、臓器移植については、現行法では生前の本人の意思がない限り臓器摘出を認めないこととなっているため、法施行から十二年間における臓器提供の件数が非常に少なくなっているほか、小児については国内で移植を受けることすらできない状況にあるため、海外に渡航して移植を受けるケースが後を絶たず、また生体間移植も多く行われているという問題が指摘されております。  また更に、脳死臨調の最終答申においても、近親者が諸般の事情から本人の提供の意思を認めているときに臓器提供を認めてよいものと考えるとされており、内閣府が平成二十年に行った世論調査でも、本人の意思が不明な場合に臓器提供を認めてもよいとすることについて約五四%の人が賛成しております。  このようなことから、臓器移植に関して、家族の承諾で脳死判定、臓器移植ができるということについて国民の理解が広がっていると考えております。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 それでは次に、倫理観と医学の関係についてお伺いをいたします。  私は、今回の問題は、医学の進歩と倫理観の闘いなのだと思います。例えば今、クローン技術というものがあります。これは動物に対しては認められていますけれども、人に対する使用は全世界的に禁じられております。けれども、それがどのくらいの期間、今後守られるのか分かりませんけれども、倫理的に認められないということでクローン技術は今、人には使われておりません。このように新しい医療が出てまいります。それを、技術的には可能ですけれども、使っていいのかいけないのか、それを決めるのが人間であり、そして倫理観であります。  私は、今回の臓器移植法の改正で一番懸念していることは、やはり私の倫理観にはどうしても合わないんですね。それは、子供のときからやはり人の物を取ってはいけません、人を殺してはいけません、こういう倫理というのは、どれだけ、五十年、百年たとうとも変わらない倫理だと思うんですね。正しいことは正しい、間違っていることは間違っている。今回の法律は、やはり人を殺してはいけない、人の物を奪ってはいけないというのを臓器提供の場合は例外としましょうと、そういうふうに言っているのではないかと思うのです。ですから、どうしてもやはり抵抗があります。  現行法はやはりその辺りのところを懸念したのでしょうが、臓器を提供したいという人の権利は尊重しなければいけない、であるからドナーカードというものを考え、本人の事前の提供の意思があった場合にはその提供する権利を保障しましょうということで、非常に良識のある妥協であったと思います。今回それを崩そうとされているということに私は大変大きな懸念を持っております。  そこで伺いたいのですが、これは毎日新聞に掲載されました渡辺淳一さんの文章です。渡辺淳一氏は作家であり元医師であられます。彼は、日本で初めて心臓移植が行われた、いわゆる和田移植が行われた札幌医大で医師として勤務し、そして、私が前にほかのエッセーで読んで分かったことですけれども、彼はこの移植に疑問を持ち、ペンネームで意見を投稿し、それがきっかけで大学病院を辞めることになって作家の道に行ったと、ほかのものに書いておられます。  その渡辺さんが今回はA案の推進者です。彼が何を言っているかといいますと、日本人は肉体に執着し過ぎる、医学の進歩に日本人の倫理観が付いてこられなかった結果だが、感性も医学の進歩に合わせる必要があるのではないかと書いておられます。  私はこれにやはり大変な違和感を覚えるんです。この渡辺淳一氏の感性も医学に合わせるべきであるという考え方について、A案の提出者の方はどのようにお考えでしょうか。  また、もう一つ。例えば倫理的に正しくはないけれども、法律的に正しいというものを作った場合に、社会は混乱すると思います。倫理的には正しくないけれども、違法ではない、合法である、ですから罰せられない。したがって、合法なのだからこれは正しいと。法律を作ることによって倫理の方を変えていく、引っ張っていくということになるのではないかと思いまして、そうであるならば一体法律は何のためにあるのだろうかと私は考えてしまいます。  ですから、A案の場合、脳死は死であるという本当に大きな国民的な理解がなければ合法的な殺人法案になってしまうと思いますけれども、ためらいはないでしょうか、御質問いたします。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 先般、渡辺淳一さんの意見というか、勉強会でお話を聞きました。A案に近いお考えをお持ちだったと私は思いました。渡辺淳一氏が唱える意見も一つの意見として尊重されるべきだと考えております。  提案者、我々としては、歴史的、文化的土壌において長年にわたり培われてきた日本人の死生観や倫理観というものは大切にしていかなければならないと、それは考えております。一方、A案において脳死が人の死であるという考え方を前提とする背景には、このような考え方について医学的、科学的妥当性が示されており、また脳死臨調の最終報告や近年における世論調査の結果から社会的合意が形成されていると考えております。  したがって、A案はあくまで国民の倫理観や国民的理解を前提としたものであって、委員が言われる合法的殺人法案との批判は当たらないと思います。現に、この現行法も、この法的脳死判定が行われて呼吸器を外す等の処置がされているわけですけれども、その間におきましては一例も訴訟問題あるいは殺人罪で逮捕されるということは現に起こっておりません。

亀井亜紀子民主党・新緑風会・国民新・日本

○亀井亜紀子君 今まで臓器提供をされたいわゆるドナー側の例というのは、先日、柳田参考人からもこの委員会で御意見がありましたけれども、丁寧に検証する必要があるのだろうと思います。やはり訴訟がなかったというのは、もちろん現行法が提供したい人たちの権利を保障したものであるから、それだけの配慮があるから訴訟が起こっていないのだろうと思います。そして、ドナー側の御家族の方でいまだに悩んでおられる方もあるし、また、もう連絡もしてくれるなというぐらい傷ついておられる方もあるということは、初めて先日、柳田参考人の意見で分かったところです。ですから、慎重に過去の八十一例の検証というのは進めるべきですし、その辺りの情報をもう少し、ドナー側の心情はあると思いますが、少しは国民の方に伝わる努力も必要なのではないかと思います。  まだまだ考慮すべき点、たくさんありますから、私は、今なぜこの国会で急いでA案を通さなければならないのであろうかという疑問があります。なぜ、例えば小児の脳死判定もまだ十分に議論されていない、確立されていない、脳死は人の死かというところに関しても大きな議論がある、そういう状況で急いでA案をこのままの形で通さなければならない、その理由を最後にお尋ねいたしまして、質問を終わりたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) これはもうこの委員会あるいはいろんな場で出ている問題でありまして、現に患者さんたちが亡くなっている、そしてもう、改正をしなさいと言われて三年、三年と言わず十一年余りがたちました。  したがって、この間、私たちいろいろ議論をしてきて、委員がお考えのように、急いでという表現は当たらないと思います。当たらないというより、十分な議論を私たちはしてきたつもりでおります。特に、いろんな場面において、A案、B案、そしてC案が出た時点で、衆議院の方ですけれども、勉強会等を超党派でやらせていただきました。  したがいまして、私は、今の患者さんたち、大変長く待たされたんではないかと思っています。決して早いとは全く思っていませんので、どうぞ委員の皆様方、その点御理解いただければと思っております。

石井準一自由民主党

○石井準一君 自由民主党の石井準一です。  E案提出者にまずお聞きをしたいと思います。  よくマスコミ等を通じて子供の渡航移植を耳にすることが多いわけでありますが、実は移植が必要な患者は九割以上が大人と聞きますが、現行法は大人からの提供を認めているが、提供数は年間十例程度にとどまっていると。このため、中国やフィリピンなど違法とも思えるものを含め、海外で移植を受けた大人の患者は既に五百人を超えていると聞きますが、一方、今回の改正本来の趣旨は、年齢を問わずドナーの理解を求め、自国内での移植を受けられることとすることと、私はそう理解をしておりますが、このE案には大人の提供を増やす道筋がないのではないかというふうに私自身は理解をしておりますが、この現実をどう考えているのか、まずE案の提出者にお伺いをしたいと思います。

小池晃日本共産党

○小池晃君 お答えいたします。  この法律案には大人の提供を増やす道筋がないんではありません。むしろ、そのための条件整備に資するものであるということを是非お酌み取りをいただきたいというふうに思っているわけです。  まず第一に、臓器移植の問題でいいますと、やはりドナーの数が増えるためには国民の理解が深まるということが何よりも重要だというふうに思うんです。これは、先日、この委員会で有賀徹参考人からも紹介がありました日本救急医学会の脳死者の発生等に関する研究でも、脳死症例が臓器提供につながらない理由については家族の申出がないが最大で、まずは啓蒙活動と書いてあるわけですね。  この点、この法律案では、臓器移植法を改正して、移植医療の適正な実施を図るための検証を遅滞なく行い、その結果を公表するというふうにしております。子ども脳死臨調での国民的議論と相まって、臓器移植についての国民の理解が深まることに資することになるというふうに私ども考えております。  それから、さらにあわせて、救急医療体制のことも大変重要で、現在でも脳死下で臓器提供する旨の意思が表明されたカードを持っていたにもかかわらず、いわゆる四類型以外の病院に搬送されたために貴重な意思が生かされなかったという例がたくさんあるわけですね。また、今本当に医療崩壊という中で、救急医療現場はもう深刻になっているわけで、それも大人の臓器提供が増えない理由の一つであるというふうに言われております。  重ねて、日本救急医学会の脳死者の発生等に関する研究を見ますと、脳死症例が脳死臓器移植につながらない理由としては、救急医療などの日常業務に追われる中で、負荷的な脳死臓器提供の業務に当たる余裕がほとんどない、人的並びに物的支援システムの構築が求められているというふうに指摘をされております。  この点、私どもの提案では、臓器移植法を改正し、脳死臓器摘出、移植を行う医療機関について厚生労働省令で基準を定めることとしておりまして、これによって、要するに基準に適合した医療機関に対しては体制を整備する直接の支援もしやすくなるというふうに考えておりまして、そういう医療機関の整備に資するものであると。  いずれにしても、丁寧な合意形成を行っていくことで脳死移植に対する国民的な理解と合意形成をやはり図っていくということが、それが大人も含めてひとしく命を救っていくことにつながるのではないか、そういう思いで提出をさせていただいております。

石井準一自由民主党

○石井準一君 小池先生の方から答弁がありましたとおり、私自身も国民が正しく理解をし、誤解を取り除く地道な取組が大切であるというふうに認識をしておりますので、その点は合致していると思います。  次に、A案の提出者にお聞きをしたいと思います。  午前中の参考人にも同趣旨の質問をしたわけでありますけれども、この改正案は人の生死の問題にかかわるものでありますが、特に、脳死は肝臓移植を行うために導入をされた便法としての死の定義であるのか、また、脳死臓器移植は暫定的な医療であるのに、法律で脳死を人の死と定めることに対する疑問、これも私も常に持っているわけでありますけれども、亀井委員からの質問と同趣旨のことでありますが、現行法六条二項の一文、臓器を提供する場合に限って脳死は人の死と。A案は、臓器提供とは関係なく脳死は人の死となっているが、実際に臓器提供にかかわる家族にとってこの両者はどのような違いがあるのか、まずA案の提出者にお聞きをしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 六条二項の一文に関して、家族にとって両者の違いという御質問ですが、提出者としては、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しております。A案における法的脳死判定は、人が亡くなっているかどうかの確認行為であるというふうに位置付けられるということが言えます。  臓器移植の場面に限り脳死は人の死であるという考え方に立って、本人の意思が不明の場合に家族の承諾により法的脳死判定を認めることとした場合、家族の判断が本人の死に直接結び付くことになるので、家族には脳死判定の承諾をするに当たり相当の心理的な負担が掛かることになると思われます。  それに対して、A案では、仮に脳死と認定されれば、それは一般に人の死という状態であるから、脳死判定は人が死んでいるかどうかの確認行為にすぎないので、脳死判定の承諾を行う家族にそれほどまでの心理的負担は掛からないものと考えております。

石井準一自由民主党

○石井準一君 今答弁をいただいたわけでありますけれども、それならば、自分がその当事者の家族として臓器を提供したということを想定してみたときに、現行法の場合だと、そもそも脳死は死だと思ったからあなたは臓器を提供されたのではないでしょうか。しかし、提供した後でもしこの法律を読んだらあなたはどう思われますかと。提供する場合に限って脳死は死と書いてあるのです。それじゃ、自分が愛する人を死なせてしまったんだと思うのではないでしょうか。  実は、このような家族が実際におるということも聞いております。提供したことに悔いはないが、自分が死を決めてしまったことに深く傷つく場合もあるというふうに言われております。  これに対して、A案は脳死は死でありますから、これを読まなくても傷つくことはないというような理解でよろしいんでしょうか。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) はい、そういうことになります。

石井準一自由民主党

○石井準一君 それでは、現行法でもA案でも法施行上は何も変わらないということであるのでしょうか。もしそうであるならば、なおさら善意で提供された家族を苦しめないよう、A案が最もだということであるのでしょうか。もちろん、脳死は死と思っていない方もいらっしゃいますが、A案ではその方の意思も守られているとも言われておりますが、また脳死は、死が及ぶ範囲、あくまでも臓器移植法の中に限定されることが法制局の方からも指摘をされておりますが、いま一度見解をお伺いをしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) ちゃんと御理解しているかどうかちょっと自信もありませんが、法的な意味という意味では変わりはありませんが、ただ、前提となる考え方として、現行法に比べるとコンセンサスの幅がA案の方が広がっているというふうに理解をしております。そういうことですね。

石井準一自由民主党

○石井準一君 じゃ、次の質問に移らせていただきます。  WHOは脳死は人の死とし、国際的にも脳死は人の死であると聞きます。一方、国内には、心臓が停止をし、呼吸が止まり、瞳孔が散大する三徴候が従来からの死であり、これを変えるべきでないという意見もあります。  ところで、最近でありますけれども、マラソンランナーが倒れて三徴候を呈していても脳死に至る前ならば救命できる場合があると聞きます。三徴候が死ならば倒れたところで死亡と思いますが、現実はどうなっているのか、知っている範囲でお答えをいただければ有り難いと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) さきの東京マラソンでテレビの芸人の方が一人倒れられてAEDで蘇生したという例があって、報道されたので御存じの方も多いかと思います。  救急医療の現場においては、心肺停止状態となった者に対し心肺を蘇生させるために様々な処置が施されることになりますが、三徴候により人の死とされるためには、このような処置を施してもそのかいがなく、三徴候が確定的に確認されることが必要であります。したがって、処置を施す前の状態をとらえて人の死とするような運用がされているわけではないと考えられます。ですから、三徴候の死の徴候があったとしても、それは蘇生する可能性があるというのは実際に多く見られる現象です。逆に、脳死の場合は不可逆的な死ということになっておりますので、そういった意味では、このマラソン中に倒れて三徴候を呈した方がいらっしゃいましたが、こういった三徴候というのが現実の問題としては必ずしも人の死と言えないというような状況も出てきているということが言えると思います。

石井準一自由民主党

○石井準一君 今日の午前中の高原先生に、実は個人的にこのことを確認をいたしました。  マラソン中に心臓が突然止まって心肺停止になることがあると、急いでAEDを持ってきて、心臓が止まってから数分はたっているので呼吸も止まり瞳孔も散大している、つまり三徴候がすべて整った状況であると、しかしそこでAEDを作動させると心臓が動き出し、人工呼吸をして酸素を肺に送ってあげれば、その人は意識を取り戻すことがありますと。けれども、心臓蘇生に時間を要した場合は脳への血流が途絶えているため、脳はダメージを受け障害が残り植物人間になったりしますと。更に時間を要した場合は、脳は破壊的なダメージを受け脳死となりもはや救命はできないと。したがって、三徴候死だけで死とするのはもはや現実的ではないと。脳死も死であり、従来の三徴候よりも確実な死と言えるというような回答をいただいたんですが、この件について御意見をお伺いいたします。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 今御指摘のあった点に関しては、そういった側面が実際あるというふうに思います。

石井準一自由民主党

○石井準一君 それでは、次の質問をさせていただきます。  脳死も臓器移植もすぐれて医学的な領域であり、専門性や権威主義が隠れみのとなりやすいことから、情報公開がなされるとともに高い倫理性が求められると思うが、その点を改めて確認をしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) もちろん求められるというふうに思っております。  以上です。

石井準一自由民主党

○石井準一君 もうちょっとめり張りのある答弁がいただきたいんですが。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 済みません、ちょっと順番が違っておりまして。  丁寧に答えさせていただきます。  脳死や臓器移植がすぐれて医学的な領域の問題であって、情報公開や高い倫理性が求められるという点についてはまさしくそのとおりだと思います。  情報公開の点におきましては、現行の臓器移植制度においては、脳死判定等に関する記録の作成、保存及び閲覧が定められているところであり、また脳死下での臓器提供事例に係る検証会議において、臓器提供者等の個人情報の保護に配慮した上で、これまでに行われた脳死下における臓器提供に係る検証結果が報告されているところであります。こういった検証制度に関しては、日本は最も世界で厳しい部類に入るというふうに専門家の方から聞いております。  次に、倫理性の確保の点に関しましては、現行法においては、臓器を摘出するに当たっては礼意を失わないよう特に注意しなければならない旨が規定されており、移植医療の現場において高い倫理性を持って臨んでいるものと承知しております。まさしく、先ほど「おくりびと」のお話がありましたが、こういった点については大変重要だというふうに我々も認識しております。

石井準一自由民主党

○石井準一君 私自身も、死因を究明できる体制整備と事後検証が不可欠だと思いますので、その辺しっかりと取り組んでいただければ有り難いというふうに思っております。  また、次の質問でありますが、ドナーの親族が臓器提供後提供を後悔するケース、あるいは逆に提供しなかったことを後悔するケースへの対応、またレシピエントとその家族に他人の死を待望する気持ちが生じるようなケース、午前中の参考人に対する質問にもあったわけでありますけれども、あるいはその気持ちを道徳的に否定しようとする良心との葛藤が苦悩するケースが考えられますが、心のケアが十分なされる体制づくりが必要と考えますが、その点についてお伺いをしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 心のケアの体制整備というのは我々も重要だというふうに認識しております。  事故や病気で死が切迫した状況にある者の家族はまさにその不幸に直面しているのであり、その嘆きや悲しみといった感情は察するに余りあるものがあります。このような状況の中で、御指摘の事例のように、臓器を提供する側のドナーの親族、あるいは移植を受ける側のレシピエントとその家族に大きな心の葛藤があるのは事実であります。このため、このような家族の心のケアについては、移植コーディネーター等によるカウンセリング体制の更なる充実を図ることなどによって万全を期すべきであると考えます。  ですから、この法ができたらなるべく早い時期に予算措置も含めてきちんとした体制をつくっていくことが必要だと考えております。

石井準一自由民主党

○石井準一君 是非ともしっかりと取り組んでいくことを要望したいと思います。  次に、ドナーとレシピエントはこうあるべきだという当事者以外からの身勝手な要請と現実との板挟みになるケースがあると思いますが、それへの対応についてもお伺いをしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 御指摘のような事例に関しましては、啓発普及などによって国民が移植医療に対する理解を深め、適切な医療行為が行われるようにするとともに、移植コーディネーター等によるカウンセリング体制の更なる充実を図ることなどによって、当事者の心のケアに万全を期すことなどによって対応すべきであるというふうに考えます。この点に関してもまだまだ体制不十分だと思っておりますので、十分配慮すべきだと思います。

石井準一自由民主党

○石井準一君 次に、移植手術を受ける順位の判定が恣意的に行われる危険性があり、これに対する解決策が示されていないという点について、先ほど南野先生の方からも質問があったわけでありますけれども、この件についても再度お伺いをしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 移植医療に対する国民の信頼の確保のために、移植機会の公平性の確保と最も効果的な移植の実施という両面からの要請にこたえた臓器の配分が行われることが必要であります。現行法の下でも、厚生労働大臣の許可を受けた臓器移植ネットワークが臓器のあっせんを一元的に行うこととなっております。  移植手術を受ける順位については、血液型などが適合するか、医学的に緊急度が高いかなど臓器ごとの詳細な条件に照らして決められており、公正かつ適切に行われているものと認識をしております。この配分先の決定に当たっては、純粋に医学的なデータだけに基づいてコンピューターで自動的に優先順位が決められる、そういう体制になっているというふうに聞いております。したがいまして、本当に数値や医学的な情報だけで決められていますので、恣意が入り込む余地というのは今の体制ではございません。  A案におきましては、親族への優先提供の意思表示の規定を設けることとしておりますが、この場合におきましても、その意思表示を踏まえた上で、最終的には血液型が適応するかなどの条件に照らし合わせて順位が判定されることになると想定しており、決して順位の判定が恣意的に行われることはないと認識しております。  なお、現行法においても、臓器あっせん機関に対する厚生労働大臣の報告徴収などの手続や、必要な指示及び当該の指示に従わなかった場合の許可取消し等の規定が設けられており、臓器移植ネットワークによる適切な運用が担保される制度が設けられているところであります。

石井準一自由民主党

○石井準一君 最後の質問になりますが、子供の虐待死の問題がありますが、臓器提供を承諾すると多くのチェックが入り、虐待を隠し通せなくなるという一面もあり、虐待の加害者が臓器提供を承諾することは考えにくいのではないかと思いますが、その件についてどう思いますか。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) そういった御意見をお持ちのお医者さんがいることも我々も承知しております。  近年、児童虐待が増加傾向にあることを踏まえると、虐待を受けて死に至った児童から臓器が摘出されることがないようにするのは当然のことだと思います。  なお、この改正案の附則五項で、「政府は、虐待を受けた児童が死亡した場合に当該児童から臓器が提供されることのないよう、移植医療に係る業務に従事する者がその業務に係る児童について虐待が行われた疑いがあるかどうかを確認し、及びその疑いがある場合に適切に対応するための方策に関し検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。」と規定しているところであります。  具体的には、虐待対応チェックリストを作成し、子供からの臓器摘出が行われる医療機関に備えておくなど、必要な対策が講ぜられるものと考えております。

石井準一自由民主党

○石井準一君 じゃ、私の質問はこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 民主党・新緑風会・国民新・日本の一員であります新党日本代表の田中康夫でございます。私は、今回、E案の発議者の一人としても名前を連ねさせていただいております。  今日は、A案を御提出の方々、今日御三名お越しでいらっしゃいますが、この方々に御質問をさせていただきたく思います。  昨日、皆様、「生物と無生物のあいだ」という本あるいは「動的平衡」という著書でも知られる分子生物学者の福岡伸一さんと私、TBSをキーステーションにする二時間のラジオを月曜日は夜やらせていただいておりまして、二時間にわたって脳死の問題を彼と話をいたしました。  そのときに、午前中の四名の参考人の方のときにも御質問をしたんでございますが、やはり私たちは、他人の死を期待して延命をするというようなことは、これは社会の人間として、倫理としてこうしたことには極めて慎重であるべきではないかというのが私の考えでございます。にもかかわらず、現在議論をされていることは、ともすれば法律の独り歩きによって延命のために他人の死を前倒しをするようなことに結果としてなりはしないかと。  そのことは、イザヤ・ベンダサンが述べているまさに「「空気」の研究」、空気で動くようなこの日本、あるいはおととい亡くなられた土居健郎さんの「「甘え」の構造」というような中において、何か一方的に正邪が決められ、また一方的に押し付けられるような社会であってはならないと思っております。  こうした中で、従来は心臓死というものもございました。これに対して、現在、脳死があろうかと思います。発議者の方々に、冨岡さんのみならず、河野さん、山内さんにも事前にお伝えしておりますので、(資料提示)ここに「臨終に関する認識」という、私が三類型に分けました。生から死、そしてその後脳死に至るのか、あるいは生から脳死があり、その後に死が至るのか、あるいはCとして、A、Bいずれでもないのか。お三方にこの点に関して、事前にお伝えをしておりますので御見解をまずお聞かせいただきたく思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 提出者として、脳死は人の死であるという考え方を前提にしてこの改正案を出しておりますので、今のボードですと、Cのいずれでもないということになるんではないかなと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 今のプレート、先生、もう一度表に出していただけますでしょうか。  私個人としては脳死が人の死であるという前提ですので、矢印ではなくて、死と脳死がイコールなわけでして、そういった意味では、Cのいずれでもないというのが答えであります。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) その矢印の意味がちょっと分からないんですけれども、今のお二人と同じような考えで理解されていいと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 人間の体は、六十万、六十億ではなく、六十兆もの細胞によって成り立っております。私は、基本的に、心臓というものは、パーソナルコンピューターに例えればディスクドライブ、エンジンであろうかと思います。それに対して脳は、オペレーションシステムのOSであろうかと思います。  恐らく、従来、現在話されていることは、脳死が死か死でないかということですが、やはりこれは先ほど亀井亜紀子議員が鋭くも御指摘になられましたように、すなわちAダッシュ案というのが、結局は羊頭狗肉ではなかろうかというようなことであったかと思いますが、私は、この問題というのを、いずれというんではなく、この二つをどのように人間が勘案をしてアウフヘーベンをするかということが今まで現場の医師に倫理観と技術者として求められたことかと思います。  これも事前に通告をしておりますが、では、お三方とも脳死イコール死ということでございます。それが臨終であるということであります。とするならば、人間の、個体の人間の生誕はどの段階において生誕と認めるのか、誕生と認めるのかということをお一人ずつ御見解を述べていただきたく思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 私の子供が生まれましたときに、おなかの中で内側からぺしぺしと女房の腹をたたいておりましたが、やはり生誕というと、産道を出てきて頭がのぞいたところが人の誕生なんではないかなというのが私の個人的な実感でございます。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 私はまだ子供がいないんですけれども、人は母胎から出てきた時点において誕生するものではないかなというふうに思っております。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 一般的には、今お二人が言ったとおりだろうと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 午前中に四人の参考人の方、高橋和子さん、高原史郎さん、森岡正博さん、米本昌平さんにもお聞きをしました。そのときに、いわゆる脳死が死であると、臓器移植を推進しようという冒頭の高橋和子委員は、死は脳死であると、脳死が死であると、他方で、じゃ誕生は自呼吸を始めたときだということをおっしゃいました。自呼吸ということは、これは肺と心臓ができるということであります。脳は、こちらに専門家の医師もいらっしゃいますが、恐らく受精して二十四週くらいから胎内において脳は活動してまいります。二十八週ともなれば完璧に活動し始めてまいります。  すると、この高橋委員の御意見は、私は、参考人でございましたが、いささか自家撞着に陥っているのではないかと思ったわけでございます。死は脳死であると。しかし、誕生は、現在、法律的には出産をした日が出生日でございます。  この問題に関して多くの国民の方が違和感を持たれているのは、やはりまだ心臓が動いている、八十兆もの細胞がすべて停止をするまでには大変な時間は掛かるかもしれませんが、しかし、体というものが、これは日本の方のみならず多くの方が死生観として、体がだんだんに機能を停止し温度が冷めていくという中において、最愛の方あるいは同僚の方の死というものを受け入れていくということではなかろうかと思います。  これに対して私は、いささかこの脳死イコール死という考え方は、人間が生きている期間を法律的に極めて短く設定しようという思惑があえて言えばあるのではないかと思うわけでございます。すなわち出産から生でございます。ですので、出産をする前、体内で既に脳があり、そして、自呼吸かどうか分かりませんが、肺や心臓というものが形成されている間はES幹細胞を始めとする様々な外科的あるいはもっとミクロな作業が認められると。そして、脳死があっても実際にまだ心臓であるハードディスクドライブは動いているにもかかわらず、そこで脳死と決めることによって、その後の部分を良い意味では多活用できると。これは私はいささか何か公共事業的な、箱物事業的な発想になっているのではないかと思いますが、これは私の見解でございますので、それに関してもし御意見があれば御三者からいただきたく思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 箱物的というところが全く訳が分かりませんが、体内にいて二十六週、二十八週からそこは生まれているんだという認識が世の中一般になればそういうこともあり得るんではないか。ただ、現時点ではやはり産道を通って赤ちゃんの頭が出てきたところが全体的には誕生なんではないかなというふうに思っております。  脳死については、世論調査で過半数の方が脳死を人の死としてもいいということでございますし、脳死臨調でもそういう考え方が社会的にも受容されているということですから、特に誕生から脳死までということで私はおかしいことはないと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 そこは見解が違うとおっしゃるかもしれませんが、私は、この基本にあるところが、まさに外科的手術というものはあえて言えば土木工学的な発想の部分がございます。そして、それはなるべくその作業ができるチャンスを増やしたいということの中でこのことが考えられていると、まさに他人の死を期待して延命をするという形になるのではないか。  他方で、午前中にも申し上げましたが、スキルス性のがんでありましたり、あるいは、無論、医療の発達によってかなり治癒をする確率は高まっておりますが、急性の白血病であられたり、まさに臓器を移植するという形ではないような、血液の問題でありましたり、あるいはリンパの問題というものは、これはどんなに皆が最善を尽くしてもかなわないという場合がございます。そして、そのように他者の臓器を借りて延命をするということはできません。  医師であります野田正彰さんという方は、一九九二年に「喪の途上にて」という大変にすばらしい本を書かれました。これは日本航空の御巣鷹山の事故であったり、高知学芸高校の中国の上海の列車事故であったり、こうした御家族。そうした方々は、朝元気に出ていかれた方が、突如として最愛の方がみまかってしまうと。予期していなかった、でもそのときにまさに会話をしながらそれを徐々に受け入れていくと。同時に、スキルス性のがんであったりそうした場合にも、余命二週間かもしれませんが、それは周囲の者も一緒に受け入れていくことで最期の貴い瞬間を一緒に過ごそうという形がございます。  無論、私は臓器移植を全面否定するということなのではありませんが、臓器移植ありきの中で発想をしていく、そしてそのことによって臓器移植をしやすい形の中で脳死というものが扱われていくということは余り好ましいことなのではなかろうかと思います。  生命維持装置、いわゆる人工呼吸器のようなものがございます。これに関しましても、河野さんから、こうした装置、これも一つの延命装置かもしれません。この人工呼吸装置を始めとする生命維持装置というものに関してはどのようにおとらえになるか、お聞かせください。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 生命維持装置といいますと、例えば人工呼吸器とか人工心臓というようなものも多分あるんだと思いますが、自分で呼吸ができない、あるいは自分の心臓が血液を送り出せないというような状況になったときに、呼吸とか心臓の送り出しという機能を代替してくれる器械というのが今できております。それを使って人間の生命を維持していくというのは、今の医療では不可欠のことなんではないかなというふうに私は思っております。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 しかし、当初アメリカで、A案と同様な形で、それを見直すという中で今出てきているのは、人工的な心停止の移植という形を認めていこうという方向でございまして、これはまさに独り歩きをしていくのではないかと。  私は、日本どころかほかの国にも個人主義が希薄なところや、あるいは、一人一人は弱うございます。けれども、例えば、お子様に限らず働き盛りの方が交通事故で、不慮の事故で脳挫傷で病院に担ぎ込まれたとします。家族の方がそこにいらっしゃるとします。そのとき、あなたの御家族は脳死でありますと。幸いにしてというか、たまさかうちの病院にはもちろん臓器移植のネットワークにも登録をしている、腎臓を、心臓を望まれている方がいますと。そこに、まさに国家試験を受けたカウンセラーの方もいらっしゃって、あなたの御家族の命がここで生き延びていく、社会貢献でございますと。そう言われても、いや、よく分かりませんといったときに、いや、あなたの御家族はこんなに尊いことができるのに、ミーイズムでございますかというような形になっていくと、これは日本に個人主義が確立しているしていないという話ではなく、やはりそうした無言の圧力のような形になっていく、これは私は望ましいことではなかろうと思います。  実は、今回は、拒否することができるというのがA案であろうかと思います、臓器移植は。しかし、多くの方にとっては、世論調査をすれば様々な御意見を述べるかもしれませんが、まだ臓器移植のドナーカードを持っている方は一〇%にも満たないという形の中で、私は、むしろこれは積極的に提供する意思のある方、この方に関してはきちんとするという形でないと、現在、皆様御存じのように、グーグルというところの図書館の問題が大きな全世界の問題になっております。世界中にある図書館の本を、七百万冊、グーグルはこれを全部複写を複写というかコンピューター上のデジタル化をしまして、著作権をそこに使うことは好ましくないと申し出た人に関しては排除するけれども、そうでない方の著作に関しては一律、自動的に無料で閲覧できるという話なんでございます。  これは、やはりアメリカという、良くも悪くも、私はここにいる、私の考えはこうだというような社会の中で進んできたことかもしれません。しかし、日本は、日本的な良さとか日本的な弱さということではなく、こういう形ではない社会にもかかわらず、臓器を提供することを拒否することを申請しなかった人は自動的にそうなっていくということは、これは、私は逆に社会の一員としての、皆が信頼感を持つということを損ねるのではないかと思いますが、欧米での生活経験もあられる河野さんに改めてお聞きしたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) A案は、自分が脳死を死だと思わない、あるいは脳死になっても臓器を提供しないという方には拒否をすることを認めております。そういうことをすることによって、御自分はどうされたいのかというのを考える機会にもなってくると思います。  今の現行法では、残念ながらこの十二年間で八十一件しか臓器の提供がなかった。今、日本では何が起きているかというと、移植を必要としている家族の命を救うために健康な家族の体にメスを入れる生体移植というのが行われております。私も自分でやりましたが、私の場合には助けようかということでやりました。  しかし、いろんな話をこの七年間聞いてくると、本当に生体移植をやろうと思ってドナーになる方、いろんなプレッシャーの中でやむを得ずなった方、いろんな方がやはりいらっしゃいます。私は、そういう現実を見ると、プレッシャーの中で健康な自分の体にメスを入れなきゃいけない生体移植が最初で最後の手段である場合が多いという現状は、やはり直さなきゃいかぬというふうに思っております。  私は、諸外国と同じように、脳死になった方から、御本人が拒否をせず、御家族が拒否をしない場合に臓器の提供をいただいて臓器提供をする、そういう選択肢がまずあるというのが私は正しい姿ではないかなと思っておりますので、現行法をA案に改めさせていただいて、葛藤の中で生体移植のドナーになることを求められているような方の数を少なくしたいというのが私の願いでもございますし、自分がドナーになった経験上、今、田中先生がおっしゃったように、社会的な圧力で臓器の提供なり法的脳死判定を強制されるようなことだけはこれはしちゃいかぬというのが、自分の経験からもそこはきっちりしなきゃいかぬというふうに思っておりますので、仮にA案をお認めいただきましたら、そうならないようなシステムをきちっと講ずるところへ全力を注入してまいりたいと思います。

田中康夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○田中康夫君 人口百万人当たりの心臓提供者というのは年間日本は〇・〇五人で、アメリカは十・一人と、あるいはスペインは十二・五人といいます。でも、それは日本人の死生観あるいは日本人の社会性云々ということではなく、これが現状なわけでございます。  そういたしますと、私は、日本臓器移植ネットワークと、ここは厚生労働省から三名天下りをしておりますし、国税が四六%投入をされている機関でございます。  先に資料提出しませんでしたが、これは午前中も参考人の方も示していましたし、こういう臓器カードがございます。しかし、これ、こんなぴらぴらの紙でございます。別にパスポートのような立派な紙を作れとは言いませんが、人間の尊厳で、そして自分の意思がある方が、本当にその人が書いたかどうかも三者機関によっても認定できないようなこういう紙を、天下り三人の機関が国税四六%も入れて行っている。だから逆に、この問題に関しての理解が深まらないというのも私は一因でなかろうかというふうに思います。  そして、その意味においては、例えば糖尿病で臓器の移植を望まれる方もいます。でも、それはやはり厚生労働省あるいは私たちも、臓器に関して考えるだけではなくて、食生活改善運動をしていくことでそのような形にならないで済む方もいるわけでして、今の臓器移植ありきというのは、ダムを造れば川は平気と言いながら、まさに河川改修もしていなければ、しゅんせつもしていないし、森林整備もしていないような本末転倒なのではなかろうかと私は思います。  そして、その意味においては、先ほど米本先生が、きちんとした八十一例の実際の移植手術、美談ばかりが伝えられておりますが、実際その方々がどうであったのか。本当にそのことによって延命されたのか、逆にそのことで感染症を併発して余命を短くされたのか、あるいは臓器を移植しなくても様々な支えの中で延命をした方はどれくらいいらっしゃるのか。こうしたことがきちんと、私たち、国によって八十一例がきちんと検証されないままに、今ここに困っている方がいらっしゃるということは、そのことによってまさに逆に新たな谷間や溝や不幸を生むことにもなりかねないというふうに思っております。  そしてまた、仮に国内で手術ができるようになっても、これは自由診療の領域でございますから安価になるという保証もないわけでございまして、これはまさに小泉・竹中さんが行った医療改革の失敗を新たに追認をしていくようなものではなかろうかとも私は思っております。  いずれにいたしましても、臓器移植をすれば助かるという幻想は、これはだれもまだ現在では立証不可能でございます。であるからこそ、きちんとした三者機関の調査のレポートということも必要でございますし、十年議論をした、だからと言いますが、十年議論をしてもなお国民がドナーカードを含めて多くの関心を持たないというのは、今までのそうした行政の不作為にも私はあるのではなかろうかと思います。そして、まさに公共事業的に人の命を人為的に縮めることでその前後を利用しようということは、これは大変に国民との間の信頼関係を損ねることになるのではないか。  E案を私が発議をさせていただきましたのも、これは小児の子供の問題に限らず、このことをきちんと的確な情報の検証の下に行わなければ、アメリカとて、A案を修正をしているときに、周回遅れの進み方を日本は歩むことになるのではないかと思っております。  是非、皆様の御慎重な審議と御英断を望むところでございます。  どうもありがとうございます。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 続きまして、自由民主党の古川俊治の方から質問をさせていただきます。  私、最初にE案の提出者の先生方にお聞きをして、次にA案の提案者の先生方にお聞きをしたいというふうに考えております。  最初に、E案の提出の先生方にお聞きしたいんですけれども、この法律案の趣旨説明というものを私拝見をいたしました。そのときに一番気になったのが、大人について、現状のことについては、私は今まで医師でやっておりまして、こうした成人の医療というものは非常に今難しい状況にある場合もございまして、ここに関する言及がほとんどなされていないんですね。  その上で、ちょっと伺いたいんですが、現在、臓器待ちをしている患者さんが、心臓は百十四、肺が百十三、肝臓が二百二十、腎臓に至っては一万千五百六十三と本日、配付資料に書いてある、そういう状況があるわけでございまして、先ほど田中先生の方から、実は確証はないという。  臓器移植すれば、今の技術で申し上げますと、待っていると、例えば小児の心臓移植で申し上げれば、二、三年以内にほとんどが亡くなってしまう状況が、移植をすれば九〇%以上が十五年近く延命を、少なくとも追っているフォローアップ期間はそうなっているということで、まさに移植を受けられるかどうかということが人の生死を決めてしまうというような現実的な状況にある、これは間違いないわけでございます。  そうした移植待ちの患者さんが非常に多くいると。そして海外に渡航できない、そうした患者さんが本当に治療ができないというだけで日本において亡くなっていかなきゃいけない。そして、受けに行くとなると極めて高額な負担を強いられることになる。こうした現状につきましてどう御認識なのか。  それがなぜ起こっているかというと、一番の問題点は、やはり先ほどこれはもう田中先生から御指摘ございましたが、アメリカが十・一、スペインが十二・五のところ、日本は〇・〇五である。これは、台湾が一・八で韓国が〇・四で、その四十倍、十倍とあるわけですね、数が。ということになりますと、文化的な要素ということだけではやはり説明がなかなか付かない。そのぐらい規制の問題が一番大きいのではないかというふうに考えているんですけれども、こうした成人の患者さんの現在の状況についてどうお考えなのか、御所見をいただいておきたいと思います。

森ゆうこ民主党・新緑風会・国民新・日本

○森ゆうこ君 古川委員にお答えをしたいと思います。  まず、現行法の考え方を我々は成人に関しては維持をするということでございます。先ほど南野先生からもお話がございましたが、現行法というのは、南野先生の先ほどのお言葉をお借りすれば、良識の府たる参議院の英知の結集であった、その上に成り立っているというふうに思っております。  E案は、ドナー不足の原因は意思表示要件にあるのではなくむしろ運用面の問題に起因するという認識を持っております。ドナー不足に悩むイギリスでは、オプトインからオプトアウトへの変更も検討されたものの、結局、二〇〇八年の時点では運用体制の強化、改善により努力するとの結論に至ったことは古川委員もよく御承知のことと思います。  我が国におきましても、先週来の参考人質疑で明らかになったことは、例えば日本救急医学会理事の有賀先生からも御披瀝がございましたけれども、いわゆる現在のガイドラインで行われております四類型の施設についても、その三五%が実際には対応できない状況だという指摘がございました。また、四類型以外の脳神経外科あるいは救急科の施設でも条件が整えば約七割が協力できる、このような御説明があったわけでございます。  E案は、現場の医療機関への積極的な支援を行い、提供な可能施設を増加することだけでもドナーの数はかなり増加するというこういう指摘があったことを踏まえまして、現在はそれに対しては何らの対策も講じられておりません。この点、E案は、指定病院の基準を省令事項とすることにより提供施設の積極的な増加も視野に入れております。  また、ドナーカードの配布に加えインターネット登録システムも導入はされているものの、なお実際の成果に結び付いているか疑問がございます。多くの善意が無駄にされている。このような運用を続ける一方で、せっかく参議院の先輩方の英知を結集してできた現在のこのような要件のために、成人の方が日本においては臓器の提供が受けられないのではないか。まずは運用を改善をして善意が生かされるようにすべきである、このように考えております。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 E案提出者の先生方がこれどのように認識されているかはいろいろな考え方があると思うんですが、私は少なくとも医療現場にいる先生からそのようなエビデンスを聞くことはできなかった。運用面だけの改善で十分な数がいく。多くの方々が、規制の問題を変える、そこがブレークスルーになるという発言があったというふうに認識しておりまして、先生方が考えられることとは違うんではないかという認識でおります。  今までも、臓器移植ネットワークあるいは医療現場で多くの改善努力というのは既になされてまいりました。それを更に改善できるという方が、私はこれはもう絵にかいたもちであり、運用が悪い、運用が悪いと言っているだけで全くこれは変わらない。今までの医療現場の努力も相当なものであったという点に是非お考えを致していただきたいと思っております。  続きまして、小児の、課題であります調査会ですか、臨時調査会の問題でございますけれども、提案理由の中でもまさに早期に結論を出すことが求められているので、本法律案では一年間と期間を区切っているとお話しになっているんですね。これ、一年間で本当に結論が出せるんでしょうか。その点が、どういうものが出てくる、一年で結論出せって、できるんですか。それがなぜ一年で出せるのか、理由を教えていただきたいと思います。

小池晃日本共産党

○小池晃君 しっかり国民的な議論を行って一年で結論を出すということをはっきり書いてあるわけです。  この法律案は、子供の脳死判定基準それから臓器の提供に関して、子供の自己決定及びその親の関与が認められる場合について、それから虐待を受けた子供の身体からの臓器の摘出を防止するために有効な仕組みの在り方について、これは専門家の中でも意見が一致していない、小児科学会の倫理委員長も参考人質疑ではっきりおっしゃっていたわけですね。これについて検討するというのが趣旨です。  この検討に当たっては、専門的な調査審議を行うために内閣府に臨時子ども脳死・臓器移植調査会を設置する。これは、設置期間はこの法律の施行から一年間と明記しておりまして、先ほどから先送りという話もありますが、決して先送りではこれございません。一年以内に結論が出されることになっております。  この一年間に、この臨時子ども脳死・臓器移植調査会においてしっかりと調査審議するのはもちろんですが、同時にやはり政府、国会においても精力的な検討を進めて、多くの国民の声を聴いて議論を重ねていくということが当然必要であるというふうに思いまして、私どもは、広く合意形成を図りつつ、すべての命がひとしく尊重されるように立法府としての結論を出すことが肝要であるというふうに考えております。  付け加えさせていただければ、古川委員はA案を支持されているというふうに思うんですが、だったら何で数時間の審議でじゃ結論が出せるんですかと。数時間では出せるのに一年間では出せないのというのは、私にとっては非常に違和感のある議論に聞こえるということを申し上げておきたいと思います。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 小児の脳死判定の基準については、これは枠組みを決めるだけですので、A案あるいは基本的にA案を基本とする考え方もですね。ですから、その後の、私から先生、申し上げると、一年で終わるべきものではないですね。これ、小児の脳死判定基準というものは、今後もエビデンスが積み重ねられます。一年終わったら二年後はどうか分からない。そうしたら、継続的に更に議論を積み重ねて、これをよりブラッシュアップしていく、新しい診断法ができますから、当然必要性ができてくると思うんですね。そういう観点からこれは具体的に作っていかなきゃいけないもので、一年間で、今までも議論がございました、小児医療全体の問題を話し合わなきゃ解決ができないという意見もかなり多い。そして、様々な症例の検討を行っていかなきゃいけない。現在でも行っておりますけれども、小児科学会の方のこの検討というのがなかなか一致できない所見も多いわけですね。そうした中で、一年間のそのときの決定というのを、臨調の決定ということでもって持ってくるのは非常に問題ではないかというふうに考えております。  じゃ、最後の、これ時間の関係がありますので、これは特に小池先生に伺いたいんですが、私は、大人のことも、成人のことが大変気になっておりまして、ただ、この小児のこうした何らかの会というものをつくっていく、脳死判定のことを真剣にやっていく、ここを法律事項として書き込むということは非常に重要な点ではないかと思うんですね。  残念ながら、先生にとっても残念だと思いますけれども、A案が衆議院で可決したわけですね。仮にここで参議院においてもA案あるいはA案類似の法案が通るとした場合に、こうした法律上の規定、子供の脳死判定を行うべきという規定が入った方がいいんではないか、両立する話なんではないかという点について御所見をいただきたいと思います。

岡崎トミ子民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(岡崎トミ子君) この法律案は、A案と同じように臓器の移植に関する法律の改正を行っておりますけれども、A案のように脳死した者の身体の定義ですとか、臓器を死体から摘出する、そういう場合に関しては改正を行っておりません。このことは、これらについて国民の合意が得られていないということから、A案のように改正を行うのではなくて現行法のままであるという、こういう趣旨でございます。  特に子供につきましては、A案は脳死した子供からの臓器の摘出に係る制度を設けるものでありますけれども、この法律案では、脳死した子供の身体からの移植術に使用されるための臓器の摘出その他子供に係る臓器の移植に関する制度について検討を行うこととしております。このことは、子供についてA案のような改正を行うのではなく、制度について検討を行うという趣旨でございます。つまり、A案とこの法律案とは両立することは大変難しいと考えておりますので、A案の要件を可能とするそういうことを条件とした成立、この前提で私たちはこの問題についてお答えするのは大変難しいというふうに思っております。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 時間の関係で、恐縮でございます。  では、続きまして、A案の先生方にお聞きしたいと思います。  私は外科医でございますし、医学的にはこれは脳死は人の死だと考えております。そして、今までも移植の現場、特に私はレシピエントサイド、ドナー側の医療機関になったこともありますけれども、そうした中で移植医療にもかかわってまいりました外科医として、当然、移植医療が進まない現状、これを改めたいと思って国会議員になりました。このA案、あるいは基本的にA案を酌み取った法案が通らない限り、本当にこれはもう私にとって悔やまれる国会でございまして、何とかしたいという思いがございます。  その上で、先生方にも是非お聞きしたいんですけれども、先ほどから、もう脳死は一律に人の死という考え方を前提としているんだと、A案は。この発言を冨岡先生は繰り返しされていると。本日、山内先生もそういう考え方が前提にしているということをおっしゃいましたので、前回の衆議院での議論がよく分からなかったのでその点は明確になってきているんですが、では、私が是非お聞きしたいのは、このような前提とする考え方というのを持つメリットというのは何なんですか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) お答えします。  何度もこれもお答えしているんですけれど、脳死臨調の最終答申において、これは脳死は人の死であるということを言っておおむね社会的に認容されたと、受容されたと。そして、脳死は一般に人の死であるということを前提としてこの法律案、改正案を提出しています。  したがって、提出者の意思としては、先生いつも指摘するんですが、六条二項の脳死した者の身体についてもこのような考え方にふさわしい表現となるように努めたつもりであります。だから、メリットといえば、このような身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者といった文言を削除するために、我々は分かりやすくなったんじゃないかというふうに考えているところであります。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 この議論が、私もいろんなところを、国会それから有識者、あるいはマスコミ、それから患者団体、医療の団体、そういうところを巻き込んで大きくなっていったこの背景に、レベルとして、考え方、ある意味で哲学的な議論と法律上の取扱いの議論、それと感情の議論が非常に込み合ってしまったと。ですから、このレベルを、しっかりしていないと議論の擦れ違いが起こって結局よく分からないという形になっているのが今までだと思うんですね。  法律、この臓器移植法のスコープからすれば、実際には法律上の取扱いを決めるものであって、私は、この臓器移植法の中で人の死を脳死と考えてスコープを取っているのがこの法律の限界であろうと。この場合に、先生に是非お聞きしたいのは、脳死は臓器移植を前提とする場合に限って人の死と、こういう考え方についてどうお考えになりますか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) それでいいと思いますけれども。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 はい、分かります。  言ってしまえば、そういった前提となる哲学というのは、ある意味で議論をしても私はメリットがないんだろうと思っております。その上で語らないと、そのようなもし前提とする哲学があれば、それは必ず臓器移植外の場合にその哲学を及ぼすことになりますから、法律上の取扱いを行う範囲で人の死というものを取り扱えば、あるいは考えれば、この法律のスコープ自体は恐らく十分なんであろうと。先生がおっしゃっていただいた脳死は臓器移植を前提とする場合に人の死と考えるという立論に立っていえば、脳死は臓器移植を前提とする場合以外は脳死は人の死でないと考えることになるわけですよ。  取りあえずこの法律案で私はいつも思いますのが、A案であっても、恐らくこれから出てくるであろうA案の修正案であっても、脳死を一般的に人の死という哲学でも、あるいは脳死を臓器移植の場合に限って人の死とする考え方でも、両方が受け入れる余地があるわけですね。その余地を消すような議論というのは基本的にするべきではなくて、やはり法律上の取扱いを議論するというのが真っすぐな議論ではないかと。  時間の関係で申し上げますが、福島先生が衆議院の過程で、修正案というのも私としては一考であろうという御発言をされました。私は、A案の発議者の中でもそうした前提の考え方については多々、個人個人について価値観にかかわる部分ではあってもいいと考えております。  そうした中で、A案というものの立論をどう考えていくか、そのような議論がなされるべきであって、もう時間がないんで、そういう中では、六条二項の削除については、臓器移植法というスコープの中で法律的な、繰り返しになりますが、臓器移植の場合に限ってという要件を整えたと、法律上ですね、そういう整合性を取ったんだという形の方が、私は臓器移植法というスコープの中で定義をつくったという言い方の方がよりスムーズに議論を行っていけるんではないかという気がするんですが、私の考えについてどなたか一言お願いを申し上げます。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) そのやはり答弁としては、先生がお考えになっているのに、我々の中でも少しずつ微妙にその定義については、その内情ですよ、内情を申し上げますと、この脳死は人の死であるという中で微妙に違う部分はあります。文言にすればこういうことだろうというふうに私自身も考えています。ただ、現場は全く混乱しません。これは今もそうですし、現場の声が非常に不安な声が上がれば、私自身もこの法律の本文については、非常にやはりこれ問題かなと思いますけれども、全く起こっていません。よろしいですか、そういうことで。

古川俊治自由民主党

○古川俊治君 了解です。  現場の混乱ということでいえば、これは六条二項を削除しても削除しなくても同じ運用がなされるはずですから、現場がこれは混乱しないはずなんですね。私は両方の哲学を少なくとも受け入れるような法案ということで、これをAの修正案、A案、共にお話をしていった方がこれからの議論は優れているというふうに考えております。  以上で時間ですので質問を終わらせていただきます。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 川上義博です。  私は、臓器移植を進めることに何が何でも反対するということではなくて、先ほども医療の現場では違うという話がありましたけれども、今の現行制度で運用の実態を改めていけば提供者が増えるんじゃないだろうかという立場から質問をいたしたいと思います。  そして同時に、将来、臓器提供、これを拒否することは悪いことなんだと、あるいは提供を受けるのが当然なんだというような風潮に社会がなってしまうということを非常に危惧するわけなんですよ。提供しなければあなたは悪いことをやっているんだというようなことになると、これは極めて暗い社会というか危険な社会につながっていくんではないのかなということを考えているわけなんです。  そこで、先ほど河野提案者が、生体移植を少なくする、そのための一つは今回の法案なんだという話がありましたけれども、そうであるとすれば、生体移植に関してどうして法律を今回はっきりと書き込まなかったんですか。生体移植は非常に弊害がある、これを何とかしなければいけないと、どうしてこれに触れようとなさらなかったんですか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 今、生体移植の手続については、臓器売買を除く部分についてはガイドラインで規制をされております。ガイドラインだからといって混乱、問題が起きているというわけではございません。今、結局脳死下での臓器提供がほとんど行われないために、生体移植に過度に今の日本の臓器移植は寄りかかっているという現実がございます。脳死からの臓器提供が行われないまま、生体移植について強い規制をするのが本当にいいのかどうかという御議論も当然あると思いますので、生体移植の手続を法律で決めるかどうかというのは、少し、ガイドラインで規制をしている現状、あるいはここで臓器移植法の改正案を成立させていただければ、脳死からの臓器提供がきちっと行われるようになったそういう段階で、生体移植についてどのような法律を作っていったらいいのかということが浮き彫りになってくるんだろうというふうに思っておりますので、私は現状のように臓器売買以外がガイドラインで規制されている状況が必ずしも悪いというわけではないと思っております。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 先ほどの話ですね。ガイドラインは法律じゃないんですね。手順とか手続に違反した場合に、全く罰則も何もないわけでしょう。だからWHOが、ガイドラインじゃ駄目なんで、法律で規制した方がいいというふうな考えもあるわけなんですね。だから、先ほどの答弁で、これから、これがいったん落着したら生体移植に関しても国会として考えなければいけないんだということをおっしゃっているんですね、よろしいですか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) おっしゃるとおりでございます。今のまま未来永劫にガイドラインでいいというふうには思っておりませんが、脳死下での臓器提供、その他いろいろ状況を踏まえて新たに法律を生体移植についても検討していく必要があるというふうに思っております。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 先ほど脳死の話がさんざん出ていたわけでありますけれども、発議者は、やはり脳死は一律に一般的に人の死であると、これは修正の話ありましたけれども、これは全く撤回しないと、基本的には脳死は人の死であるんだ、それを前提にしているんだと、これは臓器の提供する意思あるなしにかかわらず、そういうことなんですね。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 法案の修正についてのお伺いであるとするならば、我々は修正の必要はないというふうに思っております。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 とすれば、今までの、今の現行法はダブルスタンダード的なものがあるんですね。脳死は認める、これは提供する意思がはっきりした場合は脳死として認める、意思がなければ脳死としては認めない、脳死、死ではない、ダブルスタンダード的なものなんだと。これは要するに間違っていたんだと、十二年間、そういうことでよろしいですか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) それは法律で決めたことでございますから、間違っていたというわけでは必ずしもないんだろうというふうに思います、これは参議院で御修正をいただいたことでございますので。それで十二年間やらせていただいた結果として、脳死からの臓器提供が八十一件、十二年間で八十一件しかなかったという現実がございますので、現実を踏まえWHOの指針に合うべく改正をさせていただきたいということでございます。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 先ほどから、脳死臨調で脳死は人の死なんだと、おおむね受容されているという話があったんですね、脳死臨調で。私はそうは思わないんですね。おおむね、おおむね受容されているんじゃないか、認められるんじゃないかと。ただし、少数意見といいますか、あれ十五人かどうか分かりませんけれども、相当数の人がそうではないという反対意見があったんじゃないんですか。と同時に、その時代は長期脳死とか慢性脳死が知られていなかった、そういうものが時代背景になかった、ところが今は長期脳死とか慢性脳死というのが出ているわけだと。  だから、その辺りのことを脳死臨調は、だから脳死は結論出したんだから脳死は一律人の死なんだということは、私は脳死臨調というものを盾に取って言われるのはどうかなと思うんですけれども、その辺りはどうですか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 例えば、今も国内で移植を受けることが認められていない小さいお子さんや生まれたばかりの赤ちゃんが移植を必要とする病気を持っていて、そういう子供たちを海外へ送るために御両親あるいはそのお仲間がいろんなところで募金活動をされております。一億円近いお金が必要になるわけですけれども、ほとんどの場合、その一億円近いお金を国民の皆様の善意で集めて外国へ行かれるわけであります。それだけのお金を年に何件も募金をして集まるというのは、やはり私は相当幅の広い方々が移植を受けさせてあげようというふうに思っていなければそれだけのお金は集まらないんだと思うんです。特に心臓移植の場合には、それはもう国内だろうが海外だろうが、脳死からでなければ、生体心臓移植というのはありませんから、脳死からの提供をいただいて心臓移植を受けさせてあげようということで一億円近い、あるいは一億円を超える募金が集まるというのは、やはり私は社会の中にそれなりのコンセンサスがあるんだろうというふうに思っております。  もちろん、先生がおっしゃるように、全員がそうかといえばそうではなくて、やっぱり脳死は人の死じゃないよねと思われる方もいらっしゃいます。我々は、そういう方に、いやいや、それは死なんだということを強制するつもりは毛頭ございません。そういう方には法的脳死判定を拒否する権利というのをきちっと明確にさせていただいておりますので、脳死は人の死でないという方は法的脳死判定を拒否していただければ脳死になることはありませんから、そういう少数の御意見にもきちんと配慮をしている。そして、脳死臨調だけでなく現実のそういう募金の動き、あるいは直近の世論調査、そういったことを考え合わせても、脳死は人の死であるということがおおむね社会の中に受け入れられているというふうに思っております。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 今日、大臣おいでになっていますけれども、脳死が人の死であるのかないのかという議論が午前中からずっとあるんですね。大臣、個人的に議員としてこれはやはりどうなんだというお考えを、せっかく来ていただいていますから、ちょっと披瀝していただきたいと思います。

舛添要一自由民主党厚生労働大臣

○国務大臣(舛添要一君) 私は議員であるとともに厚生労働大臣でありますので、衆議院のレベルにおいても常に申し上げていたのは、私は投票のときには私の倫理観に基づいて投票いたしますけれども、今私がここでとやかく述べるということは、厚生労働省を代表しておりますので、皆様方の御決断に予断を差し挟むようなことになることを避けたいという思いで、それは禁欲したいと思っております。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 ちょっとしつこいようですけど、じゃ、どんな倫理観をお持ちなんですかね。御自身の倫理観の下にということを今、さっきも倫理と法律の話ありましたけど、どんな倫理観なんですか。

舛添要一自由民主党厚生労働大臣

○国務大臣(舛添要一君) いや、それも厚生労働大臣を辞めて、一議員になったらお話しできると思います。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 次に、もう一度聞きますけど、脳死は人の死であるとした場合に、臨床的脳死状態である人がいますよね、この人に対して医療行為が、要するに人工のあれを外すとか、そういった医療行為が家族の意思に反して打ち切られるという危惧を私は持っているんですよ。こういった意思に反して、だんだんと要するに人工の機能を低下して打ち切られるようなことはないというふうに理解していいんですか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) それは全くございません。臨床的脳死状態というのは脳死ではございません。脳死というのはあくまで法的脳死判定を二度受けて、二度とも脳死と判定された場合に初めて脳死になるわけで、臨床的脳死状態というのは、それがどんなに脳死状態に近いものであっても脳死ではありませんので、それに対して診療行為が停止されるというようなことはございません。  もっと言えば、法的脳死判定で脳死と判定をされても、そこで御家族がやはり臓器の提供はしたくないというふうに意思を変えられた場合であっても、それはその患者さんはお亡くなりになっておりますが、法的脳死判定で脳死と判定された方に対する診療行為が継続した場合には、そこも保険が適用されるという現行法の附則をA案はそのまま維持しておりますので、最後心臓が止まるところまで、御遺族が望むなら診療行為が続けられることになります。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 今日午前中の、森岡参考人いらっしゃっていましたけれども、生命倫理会議の声明の中でこのような文章があるんですね。臓器不足ということは脳死者不足にほかならないと。交通事故が減って、救急医療体制が整備されれば、脳死者も減ることが予想されるんだと。国民が安全で安心して暮らせる社会を実現することは政府及び国会が果たすべき本来の務めであるはずなんだと、それと今回の脳死者、いわゆるドナーを増やすことは、これは両立しないんじゃないかと言っているんですよ。だから、これはA案との矛盾を厳しく指摘されていると思うんですけれども、危険な社会をこれからも維持するんだと、危険な社会があるから、存在するからこそ脳死者がたくさん発生するんだということを前提にしているんじゃないですかということなんです。これは、大臣、厚生労働省と、救急医療体制が不備だということですから、A案の発議者にお伺いします、お二方。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) まず、発議者衆議院議員河野太郎君。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 現在の救急医療体制がどうかというのはそこはもう大臣の御答弁にお任せをしたいと思いますが、残念ながら今我が国で脳死になられる方が数千人いらっしゃるのは事実でございます。本来、こういう方が脳死にならずに命がきちっと救われるなら、それは何よりも望ましいということだと思います。ですから、救急医療体制が整備され脳死になる方が少なくなる、あるいはゼロになるというのは、A案の提出者、我々としても、それはそれで非常に大切なことであって、もしそうなればそれで極めて望ましいことだというふうに思っております。  その場合に、脳死からの臓器提供はできないではないかということですが、それはそういうものだと思います。極めて残念ながら脳死になってしまった方がいらっしゃって、御本人並びに御家族が拒否をされない場合に臓器の提供をいただいて命を取り留めようというのが今の臓器移植の考えでございますので、脳死になられる方がゼロになって脳死からの臓器提供ができなくなるというのは、ある面、先生がおっしゃるように、この国が安全になったということですから、それはむしろより望ましい社会であります。その場合に脳死からの臓器提供ができないという現実はありますが、それはそれでそういうことなんだと思います。  そういう場合には、ほかの医療方法を開発して救える命を救うためにどうするかという努力を我々はしていかなければいかぬということだと思います。

上田博三厚生労働省健康局長

○政府参考人(上田博三君) 平成四年の長谷川友紀さんの論文によりますと、脳死の発生率は全死亡の〇・四%という報告がございます。これに百十四万人という年間の死亡者数を掛けますと、年間約四千六百人の方が脳死となっていると推計をされます。脳死者の数の将来動向につきましては、救命医療の充実とか人口構成、疾病動向などの要素がございますので、一概には言えないと思います。  また、言うまでもなく、もとより救急医療の充実、疾病の予防及び早期発見、早期治療の取組、これらの推進に図りまして、また新たな治療法の普及によって、脳死を含め重篤な状態に至らないよう早期に対応を図る救命医療の充実が必要だと考えているところでございます。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 それでは、ドナー・アクション・プログラムというものがあるそうでして、これのことについて質問をいたしますけれども、その前に、ドナーになり得る人、この意思がはっきりしていない場合、これは家族に対して例えばアクションプログラムでも誘導するわけなんですね、スペインなんかの例があるようですけれども。その誘導、強制的な行為があってはならないと。あなたは提供した方がいいですよとかドクターに言われると、患者の家族は従わざるを得ないという心理が働くわけですから。  これを担保するというか、法律に書き込まなければいけないんじゃないのかなと、強制的、誘導的な行為をしてはいけないと。この辺りのことは、A案の提案者はどうですか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 今、日本の国の中で人工透析をやられている数は恐らくヨーロッパ全体とほぼ同じと言われております。そういう中で、腎臓移植を受けることができれば健康な体を取り戻して人工透析から離脱することができるわけであります。残念ながら、心停止の後、腎臓の提供というのは、諸外国と比べてやはり日本の数は少ないというのが現実でありますので、そのドナー・アクション・プログラムを通じて、そういうことができますよということを啓蒙するのは私はやるべきだと思います。  ただ、先生がおっしゃるように、それが強制になってはならぬというふうに思います。私は、自分自身ドナーでございますので、やはりドナー側のことを常に考えて、それは生体移植であっても脳死下での提供であっても死体からの提供であっても、ドナーに対してこういうことができますよということをお知らせするのはやるべきだと思いますが、それが強制につながることについては私は絶対反対でございますし、そうならないようにきちっと努力をしてまいりたいというふうに思っております。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 前回の質問主意書で、このドナー・アクション・プログラムの実施病院ってどのぐらいありますか、現在ですね、二十四病院だということなんですね。その実施病院を増やせば、今の法律の枠組みでドナーの数は相当増えるんじゃないかと思うんですよ。なぜ二十四病院しかないんですか。あの四百幾らの病院の中で、実施しているのはたったの二十四病院なんです。その辺りはどう思われますか。

上田博三厚生労働省健康局長

○政府参考人(上田博三君) 現在、厚生労働省は、ドナー・アクション・プログラムについては研究で行っております。そういう中で、今御指摘のように、二十四の医療機関で導入されまして、先ほど御指摘にもありました臓器提供希望者の意思を尊重できるシステムをきちっと開発しようということで、まず研究的にしっかりやった上で、その成果を見て、このドナー・アクション・プログラムの導入について更に判断をしていこうと思っております。  また、心臓停止下でもドナー・アクション・プログラムは使えるわけでございまして、その点につきましては、心停止下での例えば腎臓の提供などについてこのドナー・アクション・プログラムが十分役に立つものだと思っておりまして、そういうことも考慮しながら今研究段階でやっているということで二十四施設に限られているということでございます。

川上義博民主党・新緑風会・国民新・日本

○川上義博君 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございました。

島尻安伊子自由民主党

○島尻安伊子君 自由民主党、島尻安伊子でございます。  今回の臓器移植改正法案審議におきまして、私、子を持つ親として、家族の一人として、努めてそういう視点といいますか、そういう立場といいますか、この点を大事にして参考人のお話を聞かせていただきました。明日何が起こるか分からない、夫も一人しかおりませんし、そういう中で、本当にそういうところ、国民の理解、納得というのがやはり得られなければならないんだというふうに思っております。  そんな中で参考人のお話を聞かせていただいたわけですけれども、この度の審議で思うのは、るる各委員の方からもありましたけれども、人の死ということについて、学術的な観点から論じるものと、それから、この世に生をうけて生きていくんだという人の情緒的な死という観点が混在している中での堂々巡りかなという、そういう印象を持っております。  その中で、平成四年の臨時脳死及び臓器移植審査会の答申から今日の現行法に至るまでの経緯を見ておりますと、人の死についてのとらえ方がやはり三者三様、様々あって、もう大変に悩ましいと。しかし、一方で、臓器提供を一日千秋の思いで、しかも命のともしびが絶えないようにと、もう本当に祈りながら待っている患者とその家族の存在に何とか道を開こうという先輩委員の苦悩が感じられるわけでございます。この度の改正法案を審議している我々もまさに連日同じ気持ちなのではないかなというふうに思うわけでございます。過去における議論の中、私に言わせれば、その苦悩ですね、の中から出た知恵というのが、大変多くの先生方から出たいわゆる六条の二項なんではないかなというふうに思います。  ここで、先ほど南野先生からは、参議院の英知の結集というふうにおっしゃいましたけれども、この知恵という、その知恵にもいろいろな知恵がございまして、私としては、知慧は慧眼の慧ですよね。つまり、人の知恵というよりは仏智といいますか、何というんでしょうか、仏の知慧といいますか、いろんな表現があると思うんですけれども、人というよりは、何か違ったところからのアドバイス的なものに正直言って感じるわけでございます。  ということで、私はこの六条二項というのを大変に重要視をしておりまして、大事にしていきたいというふうに思うわけであります。移植手術をするときに限って脳死を認めるということでありまして、これまでの審議の中で、今日ももうたくさんの先生方から指摘をされたことでございますけれども、あえてもう一度お聞かせいただきたいんですけれども、どうしても引っ掛かるところなのであえてお聞かせをいただきたいというふうに思うんですが、これが削除された理由、そして、この条文を変えることで、削除することでドナーやその医師若しくはそのドナーの家族にどんな影響があるのかということをまずお聞きしたいと思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 先ほど来、同じ質問に対してなので同じ答えになってしまって恐縮ですが、済みません、壊れたレコードのように同じ答えをさせていただきます。  脳死臨調の最終答申におきまして、脳死は人の死であることについておおむね社会的に受容されているとされております。また、近年のアンケート調査、世論調査等におきましても、多くの人が脳死を人の死と認めてよいとする結果が出てきております。  最近、もうほんの数週間前に出た読売新聞の調査などでも、六割以上の方が脳死を人の死とすることについて受容しているというふうに報道されております。こういった背景から、脳死は人の死であるという考え方を前提としてA案を提出させていただきました。  提出者の意思としては、脳死した者の身体の定義についてもこのような考え方によりふさわしい表現に改めたいという意図がございます。「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除をしたものであります。ただし、あくまで脳死が人の死であるということはA案の前提となる考え方にすぎません。  臓器移植法は、臓器移植に関連して脳死判定や臓器摘出の手続等について定める法律であって、臓器移植以外の場面について一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではありません。この文言を削除したとしても、臓器移植以外の場面において、A案による改正後の六条の二項の規定により脳死が人の死として取り扱われることにはならないというふうに考えております。  次に、この表現を変えることによって、ドナー、医者、家族についてどういう影響があるかというお尋ねでございました。  ドナー、医師及び家族に具体的にどういう影響があるか、確定的に申し上げることはできませんが、脳死が一般的に人の死であるという考え方を前提にしていることから、例えば、家族が法的脳死判定を行うことに承諾を与えることは、他者である家族が本人の生死を決定することにはならないため、臓器移植の具体的場面において関係者の心理的負担を多少なりとも軽減する影響が生じるものというふうに思われております。特に、我々が意見を聴いている臓器移植の患者団体等、あるいは現場のお医者さんたちの声を生かしてこの表現を改めたところであります。

島尻安伊子自由民主党

○島尻安伊子君 壊れたレコードというふうにおっしゃいましたけれども、これだけそれこそ繰り返さなければならないほどやはり多くの指摘を受けているというその事実は厳然たる事実でありまして、むしろA案の発議者の皆様にはその点御認識をいただきたいというふうに思うところであります。  私の立場といたしましても、臓器移植に対しても決して反対の立場ではありませんで、やはりその機会は多く与えられなければいけないんだろうというふうに思うんですが、様々な考え、意見ということがある中で、やはり国民のコンセンサスといいますか、いろいろな新聞でのアンケート調査、そのパーセンテージ挙げられておりますけれども、究極的には、もう最後には国民の理解、納得が得られなければいけないんだということでございます。  その、何というんでしょうか、移植を望む方若しくはドナーとして提供してもいいよというそのマッチングができたときの道というのはやはり広げなければいけないという大前提の下で、なぜ、やはりそれは道は開かれるべきだというふうに思ったかといいますと、実はこんな話がございました。  臓器移植を待つ子供の親御さんから、日本にある米軍基地内はアメリカでしょうと、ドナーが見付かったときに基地内の医療施設で移植は可能なんではありませんかという問いかけがございまして、それが実現可能かどうかということはまた別としても、やはり臓器移植を待つ子供を持つ親御さんたちの気持ちというのはもう切実であって、せっぱ詰まった状態なのだというのは十分伝わってくるわけであります。同じ子供を持つ親としては、そのドナーとレシピエントとがマッチングするとき、これはもうやはり一日も早くそういった手術が実行されるべきだろうというふうに思うわけであります。しかしながら一方で、参考人のお話をお伺いすると、そのドナーの家族の立場になるとまた大変に悩ましいわけでありまして、PTSDに悩まされる御家族もいるということを考えますと、もう本当に心が重くなるわけでございます。  こういったことを考えますと、やはりこの六条二項ということは、ある意味、全体を包んで、なおかつ前進させるかぎではないかというふうに思うわけであります。先ほど、何度も同じ答弁でというふうな前置きの中で御答弁いただきましたけれども、その六条二項が包括するかぎじゃないかという点に関しての御見解をいただければというふうに思います。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) かぎかどうかということに関しては、ちょっと今の段階では正直分からないということではあるんです。実際、修正案もまだ見ておりませんので確定的なことは申し上げられませんが、ただ、我々提出者といたしましては、脳死が一般的に人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しておりますので、脳死した者の身体の定義についても、このような考え方によりふさわしい表現となるように御指摘の文言を削除したところであります。  実際に、多くの患者団体の皆さんやあるいは現場の医療関係者の皆さんの意見を聴いても、やはりこの部分についてはこだわりたいという意見も多いようでありますし、また、衆議院においてはA案が多くの賛同を得て可決したところでもありますし、我々提出者としては、今の段階では速やかにA案のまま可決していただきたいというのが願いであります。  取りあえず、以上です。

島尻安伊子自由民主党

○島尻安伊子君 ありがとうございます。  今の答弁の中にも関連するんですけれども、このドナーの家族、ここでは遺族と言った方がいいのかもしれませんけれども、この方々のケアということが大変に重要なのではないかというふうに思います。本当にこのことに関しても、もうそれこそ何度も何度も繰り返して御指摘があり、また様々な方からの御回答、答弁があったわけでありますけれども、その臓器提供に当たっては本人の同意が第一だということではありますけれども、しかし一方で、現場では本人にはもう意識がないわけでありまして、むしろ最終的に判断するのは遺族だろうと。  平成六年の臓器提供手続に関するワーキング・グループによる脳死体からの場合の臓器摘出の承諾等に係る手続についての指針骨子、大変長いものでありますけれども、ここに、脳死体からの臓器提供の承諾手続において本人の意思をそんたくして判断する例、家族がそんたくする例ということが具体的に書かれてありました。  基本的に、遺族がそんたくして判断するというのはもう大変に酷といいますか、難しいだろうというふうに思うんですけれども、しかし一方で、いろいろな書物を読んでおりますと、生前の本人の意思を確信しているケースもあって、亡くなった家族が、困っている人のお役に立っている、あるいは体の一部が生き続けていることに喜びを感じるという遺族もいるわけでございます。  先日の産経新聞に曽野綾子さんがエッセイを載せておられましたけれども、例えば、想像の域を超えませんけれども、小さい子供の親だったときに、その子供が自分の一生は短かったにしても、その臓器の一部が人のお役に立てる、つまりは社会貢献ができたんだということを、むしろ親がそういうことを子供に味わわせてあげたいというか、そういった趣旨のエッセイを載せておられましたけれども、やはり一方でこういう考え方もあるんだということでございます。  何が言いたいかというと、やはり家族のそんたくということがまたいろいろと意見で述べられているんですけれども、そのことについて、これからケアをしていかれるというふうにおっしゃってはおられますけれども、具体的にどのような考え方をベースにして家族のケアを行っていかれるおつもりなのかということをお聞かせ願えませんでしょうか。

山内康一自由民主党

○衆議院議員(山内康一君) 私どもも臓器移植、この法案を作る前の勉強会で実際にドナーになられた方の御家族のお話を伺ったことがあります。その方は、お子さんがアメリカで脳死になられて、ドナーになって、そのことが逆に自分にとってはよかったと、そのことがいやしになっている、そういう御家族の方も実際にいらっしゃるなということを我々も承知しておりますが、そういった意味では、家族に対するケアの体制、あるいはドナーの家族の方に対するケアというのは今のままではまだまだ不十分だというのはよく認識しております。人員の面でも、それから恐らくはノウハウの面でもまだまだ日本は遅れている面があるかと思います。  そういった意味では、ドナーになられた家族の皆さんが後で後悔しないように、事前の説明のやり方から、それからその事後のケア、それからそういったある意味社会貢献ということもありますので、それに対する、何といいますか、検証制度のようなものを含めてトータルで考えていく必要があるかなというふうに思っております。

島尻安伊子自由民主党

○島尻安伊子君 ちょっと時間もありますので、最後にこの普及啓発ということについてお聞きをしたいというふうに思います。  海外の国々の中にはシチズンシップという考え方があって、ふだんから教育の現場で取り入れられているということをお聞きいたします。このシチズンシップというもので大変有名なのがイギリスであるというふうに思いますけれども、今回はイギリスに限ってお聞きしたいというふうに思うんですが、イギリスで行われているシチズンシップ教育、いわゆる市民教育の中で臓器移植について触れられているのかどうかということをお聞きしたいと思います。

寺西達弥文部科学大臣官房審議官

○政府参考人(寺西達弥君) お答えいたします。  脳死の定義など臓器移植に関する内容につきましては、イギリス政府の教育課程基準におきますシチズンシップの領域には含まれておりません。ただし、シチズンシップ教育の民間振興団体でございますシチズンシップファウンデーションが公表している中等教員向けのハンドブックにおきましては、シチズンシップに関連付けて教えることができる理科の指導内容の一例として臓器移植が取り上げられてございます。

島尻安伊子自由民主党

○島尻安伊子君 ありがとうございます。  いろいろな意味で、やはり国民的議論といいますか、これがもっと必要なのかなというふうに思いますが、いずれにいたしましても臓器提供を待っている方というその思いというのは、やはり大事にしなければいけないというふうに思います。  私個人といたしましては、是非六条二項のところをもう一度大事にしたいという気持ちをこの場で述べさせていただきまして、質問を終わりたいというふうに思います。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) この際、お諮りいたします。  委員外議員櫻井充君から両案についての質疑のため発言を求められておりますので、これを許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 御異議ないと認めます。  それでは、櫻井充君に発言を許します。櫻井充君。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) ありがとうございました。  経済産業委員会の委員長を務めさせていただいております櫻井でございます。本来であれば私は質問に立つことができないんですが、辻委員長始め与野党の理事の先生方、そして委員各位の御理解をいただきまして、今日は発言の機会をいただきました。本当にありがとうございます。  私は、一番最初に持った患者さんが肺高血圧症という病気の患者さんでございます。これ、原発性と付いておりまして、この原発性というのは原因の分からない病気でございまして、私が診た患者さんはもう既に亡くなっております。その患者さんから私が言われたことは、櫻井さん、あなたも医者になったからにはちゃんと勉強して私たちのような患者さんが治せるようなそういう医者になってほしいと、そういう研究をしてほしいと言われました。現在は肺と心臓を同時移植することによってしか救済することができませんが、救済する手だてが今はございます。  今回の臓器移植法の議論の中で、私は多分三つ大きな問題があって、それが混在しながら議論されているところにどうも大きな問題があるんじゃないのかなと、そう思っております。その三つとは、一つは人の死を脳死とするのかどうかということ。それからもう一つは、臓器移植をこのまま認めていくのかどうかということ。というのは、何人かの議員と話をしてみると、元々臓器移植に関しては反対なんですが、社会でこれだけ広く臓器移植が行われているから、もう私は仕方がないなとは思っているんですという方もいらっしゃいました。それからもう一つは、臓器提供をする際に御自分の判断を下せない子供さんたち、この人たちに対して臓器移植の提供を求めることがいいことの是非、この三つが実は混在しているからこのような議論になってきているところがあるんじゃないのかなと。そういう点で、少し問題点を整理をさせていただきたいと、そう思っています。  まずE案の方の提出者の方にお伺いしたいと思います。これ、個々人お考えが違うのかもしれませんが、時間の関係上代表してどなたかにお答えいただきたいんですが、現在の臓器移植、大人に対しての臓器移植の是非に関して認めてくださるのかどうかということ。それからもう一つは、意思表示ができない子供たちに対して、その子供たちに対しての臓器移植の提供を求めることについての是非についてどうお考えか、御答弁いただきたいと思います。

小池晃日本共産党

○小池晃君 お答えいたします。  これは提出者としての検討した統一の見解ということでお答えしたいと思いますが、最初の答え、問いについてはイエスということになります。  この法律案は、子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等について定めている。それとともに適正な移植医療の確保のための検討及び検証ということについて定めているわけで、現行の臓器の移植に関する法律の規定による臓器の移植を否定するものではございません。  ただし、臓器の移植に関する法律の規定による臓器の移植に関してですが、これは移植医療の適正な実施を図るための検証が行われる必要があるというふうに考えておりますので、この法律を改正してそのための規定を設けると。そのことによってより適正な治療が行われるということを意図するものであります。  それから、二番目の答えに関していえば、これはまさにその問題を検討するために子ども脳死臨調を設置しようというのがこの法案の趣旨でありまして、子供の脳死判定基準それから臓器提供に関する子供の自己決定それから親がどう関与するか、それから三つ目に虐待からの防止、こういう枠組みについて専門家の中でも意見が大きく異なっておりますし、国民の中でも懸念の声が出ているのでそれを検討する、そのために臨時子ども脳死・臓器移植調査会をつくって、専門的な調査審議を行って、子どもに係る臓器の移植に関する制度を設けるかどうかも含めて、これは検討するということでございます。  したがって、二つ目の答えについては、それを検討するための機関をつくるということであって、その結論が出ていない段階で子供に係る臓器の移植が認められるかどうかということについて、提出者として結論を述べることはこれは適当でないというふうに考えます。  以上です。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) ありがとうございました。  そうすると、前段のことに関しては私もまさしくそのとおりだと思っておりまして、我々もこれは臓器移植に限ったことではなくて、治療したことに関して本当にこれが適切であったのかどうかということをきちんと検証すべきだと、そう思っております。  そうすると、もう一つ問題になるのは後半の方ですが、今のところはどちらとも決定していないと、考えがまとまっていないということでよろしいんですね。

小池晃日本共産党

○小池晃君 まとまっていないといいますか、これはまさに、例えば先日の参考人質疑でも、日本小児科学会の小児科医に対するアンケートでも、小児の脳死判定できないという答えが多数になっていたり、虐待児を排除することはできないという答えが多数になっているわけで、専門医の中でも意見が分かれているわけですから、そのことについて議論しようということですから、我々として現時点で確定的な答えを持っているということではございません。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) そうしますと、例えば、今海外に渡航されている方々がいらっしゃいます。募金活動を行ってまで何とか我が子若しくはその子供さんを救済したいと思ってやっている方々もいらっしゃるわけですね。そういう方の活動に対してはどのようにお考えでしょう。

小池晃日本共産党

○小池晃君 そのことについて、我々発議者として統一的な見解を持っているということではございません。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) そこだけお伺いすると、本当に、じゃ、そこの脳死臨調で、子ども脳死臨調で結論が出れば、それのところで全部結論を出して、果たして、それで決定したら、ごめんなさい、言葉が適切かどうか分かりませんが、その答えに対して、それにどういう立場で臨まれることになるんでしょう。  つまり、今でも決まっていないと。そうすると、そこの中で議論されたことに結論が出た場合には、それにきちんと従うということになるんでしょうか。つまり、それは今の中では資料が不十分だから、もっと資料が出たら初めて分かるということであって、それなりのその資料が足りないということなんでしょうか。

森ゆうこ民主党・新緑風会・国民新・日本

○森ゆうこ君 一年後に必ずこの答申を出していただく、そのような法律になっております。我々はこのように法制化をして子どもの脳死臨調を設置するわけですから、その結論については尊重をさせていただく、これは国会に報告をされます。その上で、国会として、立法府として、もちろん先ほど小池議員の方から答えましたように、この一年間子どもの脳死臨調を設置する、後は立法府はそれを待っているだけなのか、そういうことではありません。並行していろんな形で委員会での質疑もできることでしょう。いろんな場面で我々がこの一年間、国会の場においてもこの問題についてしっかりと検討し、そしてその上で立法府としての結論を出していくということになるかと思います。  子どもの脳死臨調、これを設置しなければいけないと我々が思ったのは、先ほどもお話がありましたように、やはり専門家の中でも大変意見が食い違っている。そもそも小児の脳死判定そのものができないというそういう答えも、特に新生児を含む小児の脳死診断は医学的に可能と思うかとの問いに対しては、はいが三一・八%、いいえが一五・八%、分からないが四八・二%。  こういう状況の中で、我々は果たしてこのことについて立法府として責任を持って結論を出すことができるのだろうか。やはりここは、きちんと専門家にしっかりと議論をしてもらって、そしてその上で、それを基に我々が立法府としての責任ある決断をする。先送りの法案ではなく、きちんとした結論を出すための法案であるというふうに御理解をいただきたいと思います。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) 理解いたしました。  ただ、済みません、時間がないので私の感想だけ述べさせていただきますが、どこかで結論を出さなければいけないわけであって、今私は何らかの結論を出すことが重要だと考えておりまして、それから、その子供の脳死の判定等に関して言えば、今後必ず、たとえ仮にA案が通ったとしてもきちんとした形で議論されなければいけないと思っていますし、それから、そういう定義から何からやらなければいけないことだと思っておりますので、私は、まず今結論を一回出すことがこれは大事なことではないのかなと、まずこれは、済みません、私の個人の意見でございます。  その上で、もう一つのテーマである脳死は人の死であるかどうかということでございます。  今までは、法律上人の死が明記されたということはございません。これはもう太古から、こうやったらよみがえらないから亡くなったのかなというものが、だんだん医学的にこういう場合には人の死だと認めましょうということになってきているんじゃないのかなと、そう思っております。そういう点で申し上げると、法律上に人の死を規定しているわけではございませんが、この臓器移植法の中に死体として「脳死した者の身体を含む。」と書いたということは、これは今までの歴史上からすると例のなかったことだと、そういうふうに認識しております。  大事な点をまず一つ、前提をお伺いしておきたいと思いますが、これは臓器移植に関する法律ですから、ここに書かれている六条に関しては臓器移植にのみ適用されるということでよろしいんですね。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) そのとおりであります。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) その上で、今日はちょっと違う観点から質問させていただきたいと思いますが、その前に、私は先ほどの島尻議員に対する答弁をお伺いしていて若干の違和感を感じております。それは何かというと、人の死は脳死であるということを前提にと、私のこれは聞き違いでなければそのように御答弁されていたかと思いますが、私はそうだとは思っておりません。ですから、今のそういうその社会的な中で、まだそれが私は社会の中でとても受け入れられるとは思っておりません。  これはなぜかというと、まだ現場で働いている臨床医から申し上げると、やはりその心電図上のモニターがフラットになるか、若しくは往診で行った際、器具がない際でも、今の三徴を取って、これは残念ですが御臨終ですということを我々が申し上げているということは、脳死が一般的な人の死だということで受け入れられている前提で御議論されるのは私はいかがなものかなと、そう思います。  その点についていかがですか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) これも再三申し上げているとおり、この脳死は人の死ということは、頭の中にそういう概念があってこの法律、改正案を出しているわけなんですが、あくまでも、委員がおっしゃるように、広く、六〇%を大多数と取るのかどうか、その議論はあるでしょうけれど、おおよそ受け入れられているというふうに我々は考えている。ただし、限定をします、臓器移植法改正法案の中で脳死は人の死として扱いますよというのを、これを再三申しているわけであります。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) 臓器移植法に関して脳死は人の死であるということは、ここの臓器移植法に、先ほどの文言を取って理解はいたします。ですから、この点に関して私は何の違和感もございませんし、それから、先ほどから議論になっております六条二項は、これは仮に文言がなくなったとしても、臓器移植法に限定されるということは、この文言がなくなっても恐らくは同じような解釈になるんだろうと、そう思います。  これは以前に参議院で修正で加えられたものであって、私の理解は、その当時は、臓器移植法に対して、臓器移植というものに関してまだまだ信頼を得ていなかった、臓器移植に関してまだまだ皆さんから十分理解されていなかったということを考えると、こうやって限定を加えなければいけなかった状況にあったのではないかと、そのように思っております。ですから、先ほどの御答弁が適切な御答弁なのかどうかということに関して申し上げると、私は若干違和感を感じております。  ただ、ちょっと時間がないので、脳死のことに関して、この僕は臓器移植法の中で議論されているからややこしくなってきている感じがいたしております。  それで、ちょっと今日は違う視点で、是非、尊厳死のことについてこれ両提案者にお伺いしたいと思いますが、例えば今人工呼吸器等の発達によっていわゆる死の三徴と言われるものが必ずしも当てはまらない場合が出てきております。そうしてくると、御家族と話合いをした中でも、もうそろそろ治療をやめてもいいんじゃないかという話が実際出てくるわけであって、しかし、この場合、仮に人工呼吸器を外すことになると医療者は殺人罪で問われることになっていくわけです。  そういうことを考えてくると、僕は、この問題というのは臓器移植法から本来切り離して議論しなければいけないものであって、どうもそこの中で一緒に議論されているからややこしくなっているんじゃないのかなと、そう思っております。  そういう点から考えてきたときに、まず一つは尊厳死について、これは個人的な御見解で結構でございますので、A案、E案の両提案者から御答弁いただきたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) これは混同されないように委員の皆様方にもお願いしたいんですけれども、尊厳死というものと臓器移植法の改正案における脳死は人の死であるというのは混同されないようにお願いしたいと思います。尊厳死法というのはまた別の問題でありまして、これを植物人間になられた方に適用するかどうか、これは議論のあるところであります。ただ、この場で、臓器移植法改正法案でしている法的脳死というのは、全くその植物人間とは違う状態を指しておりまして、この点をまず御留意いただきたいと思います。  終末期医療の現場において、いわゆる尊厳死を認めるかどうかという問題が非常に今、委員御指摘のように大きなものとして存在していることは承知しております。また、これを認めるとしても、どのような状態のときにどのような条件で認めるべきかという問題については、軽々しく結論が出せるようなものでもないことも私も承知しております。しかし、臓器移植法は、臓器の移植に関連して脳死判定や臓器摘出等の手続について定めている法律であり、尊厳死を認めるかどうかの問題とは直接関係はございません。このことは、脳死は一般に人の死であるという考え方を前提とするA案においても同様であります。  したがって、尊厳死を認めるべきかどうかという問題は、臓器移植とは別途に終末期医療の在り方の問題として検討されるべき問題と認識しております。

千葉景子民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(千葉景子君) 今、A案の提案者の方からも御答弁がございましたけれども、私も、尊厳死というのは基本的に患者が自らの意思で延命措置を行うだけの医療をあえて受けずに死を迎える、これを言わば尊厳死と称しているというふうには受け止めております。  尊厳死を認めるかどうかというのは、やはりこのE案とは特段直接関係がございません。そういう意味では、提案者として統一した見解を述べるというのは差し控えたいというふうに思っております。ただ、尊厳死というのも、患者さんの人間としての尊厳を最大限に受け止めて、患者さんの意思、言わばリビングウイルを尊重した、そういう考え方によって立つものだというふうに思っています。  そういう意味では、私どもの提案をしているE案、この基本になる現行法も含めてですけれども、やはり基本的には患者の意思、自己決定と、こういうものを尊重していこうということでは一定の共通点はあろうかというふうに思いますけれども、法案としてあるいは制度として直接かかわるものではないというふうに認識しております。

櫻井充民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員以外の議員(櫻井充君) ありがとうございました。  まさしく本当にこの法案と関係ないんですが、ただ、人の死というものをいろんな角度からちょっと見ていかないともういけない時期に来ているのではないのかなと。ですから、多分、今のような議論で脳死が人の死として認められるかどうかということになってくると、また違った見解が出てくるのではないのかなと、そういうふうに思っております。  もう時間になりましたので、いずれにしても、臓器移植を待っている方々も随分いらっしゃいます。それから、臓器移植そのもの自体に反対されている方々もいらっしゃって、この方々が、皆さんが納得できるような形で是非結論をこの参議院で出していただきたいということをお願い申し上げまして、質問を終わります。  ありがとうございました。     ─────────────

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) この際、委員の異動について御報告いたします。  本日、川上義博君が委員を辞任され、その補欠として小林正夫君が選任されました。     ─────────────

石井みどり自由民主党

○石井みどり君 自由民主党の石井みどりでございます。長時間の御審議が続きますので、少し視点を変えたところで御質問をさせていただこうと思います。  もう既に十年前になりますので、皆様の御記憶も薄れたか分かりませんが、日本で初の脳死判定をされたのが、十年前、一九九九年の二月の二十五日、二十二日に高知日赤病院に搬送された四十四歳の女性が、二十五日の日に最初に脳死の判定をして、その時点では脳死ではなく、そして二回目、三回目と判定をされた、そういうことがございました。その何日かは非常にマスメディアは大騒ぎでございました。  なぜこのことを申し上げるかといいますと、実は私は、随分その高知日赤病院の主治医の方々が記者会見で答えられているのを、私も広島の市民病院で、アニュリスマで、くも膜下出血で、そして集中治療室から一般病室へ出たところでテレビを初めて見たら、このニュースが大騒ぎでありました。幸い私は生還はいたしましたが、当時の脳外科の部長の主治医は、惜しかったな、今ごろ僕があのインタビューを受けていたのにということをおっしゃった、すばらしいユーモアの持ち主でありますが、それ以来、私は脳死下による臓器移植に対して大きな関心を抱いてまいりました。  そして、私は小児歯科の臨床医師として三十二年働いてまいりましたが、私の患者さんでお一人、大変残念ながら、先天性の心臓疾患で、移植しか治療法がないという患者さんを失いました。心臓疾患ですので大変細菌感染に対する管理をきちんとされていましたので、赤ちゃんのときから年に何度も定期的に通院をしてこられて、非常に御家族とも親しくお付き合いをして、今思い出しても本当に目頭が熱くなるようなつらい思いをいたしました。  そういう経験者として、今日は御質問をさせていただきます。主に、臓器移植の改正案、A案の発議者の方々に御質問をさせていただきます。  脳死といいますと、私はやはり生物学的には死であると、死であれば大人も子供もないというふうに思っておりますが、そうなると、脳の状態はどのような変化をたどるのか、純粋に生物学的な変化、転帰をちょっとお教えいただければと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) お答えいたします。  医学的に脳死のとらえ方については幾つかの見解があります。多くの先進国と同様に、日本においては、脳死とは、何度も出ていますけれど、脳幹を含む全脳の機能の不可逆的な停止ということを意味しているものであります。  脳死になった場合における脳の状態については、脳幹を含む全脳への血流が不可逆的に途絶することになりますので、その場合には脳細胞が死滅してしまいます。いわゆる融解壊死という状態になって、CTでは水様に映ってまいります。これが脳死の状態であります。

石井みどり自由民主党

○石井みどり君 度々問題になっております、小児には長期脳死という問題が指摘をされています。脳死状態であっても髪の毛が伸びる、つめが伸びる、歯が生え替わる、そして成長を続けていくと言われています。  私は、このような状態は脳死ではなくて重症の脳障害ではないかというふうに思っておりますが、どうも正確なところが、無呼吸テストをした上でも多少体重の増加があったとか、そういう例も一例あるようには聞いておりますが、種々言われていることは、私は、メディアを見ていましても、非常に混同されて報道されているような気がいたします。正確な御説明をお願いいたします。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 委員の御指摘のとおりだと思います。すなわち、小児について、脳死状態であっても、髪やつめが伸び、また歯が生え替わる、成長を続けていくといういわゆる長期脳死の事例が報告されていることは私自身も承知しております。しかしながら、これらの事例は、いわゆる臨床的脳死と診断されているにすぎず、臓器移植法において求められる厳格な法的脳死判定にかかわる検査、すなわち、無呼吸テストや時間を置いての二回の検査が実施されているわけではございません。  この意味におきまして、このような状態にあるものは法的に死とされているわけではございません。小児の脳死判定に慎重さが必要であるということはもちろんのことでありますが、単なる臨床的脳死と法的脳死判定により脳死とされていることは区別して議論する必要があると考えております。

石井みどり自由民主党

○石井みどり君 同様に、脳死状態の、これ成人でありますが、脳死状態の患者さんが出産したという報告もメディアでも度々取り上げられています。脳死の方の胎内で胎児は成長するのでしょうか。そこもお教えいただきたいと思います。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 脳死状態にある者の胎内で胎児が成長するという、いわゆる脳死出産の症例があることは存じ上げております。  元々胎児は低酸素状態に対する抵抗力があるため、死後の出産にも耐えられる可能性は否定できないと考えております。ただし、これらの症例における脳死判定がいわゆる法的脳死判定を経たものであるかどうかについてはつまびらかではないため、確定的な意見を申し上げることは差し控えさせていただきたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 済みません。一つだけ補足をさせていただきますと、脳死の場合にはいきむことができませんので、脳死の方から分娩があったというのは全部帝王切開でございます。そこだけ付け加えさせていただきます。

石井みどり自由民主党

○石井みどり君 小児の脳死判定は、先ほど来出ている御意見でも非常に難しいと、専門家の中でも意見が分かれる、脳死判定基準等についても様々な意見の違いがあるというふうに言われています。このことについて、どのようにお考えになられますでしょうか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 今日お配りしているんでしょう、恐らくこういうのが、御覧になっていただければここに詳しく書いてありますので、また後ほど。あ、今日は配られていないですか。お手元に届いているかもしれません。  一般に、子供の脳死判定については、発達過程における脳の可塑性に対して十分考慮する必要があることから慎重に行わなければならないことはもちろんだと承知しております。しかし、平成十二年に旧厚生省の研究班によって、出生予定日から起算して十二週未満の小児を除いて脳死判定が可能であること、脳死判定に際しては、二回にわたって脳死判定にかかわる検査の間隔を二十四時間以上、成人の場合は六時間置いてするわけでありますが、そういった内容を小児の脳死判定基準として報告されております。  また、この基準を参考にしつつ、諸外国における小児の脳死判定基準や最新の医学的知見を踏まえた上で、六歳未満の者についても脳死判定基準が早期に定められることを我々も期待しております。

石井みどり自由民主党

○石井みどり君 被虐待児のことをちょっとお伺いしたいと存じます。  これも度々メディアでも取り上げられています。被虐待児から臓器提供が行われるではないか、その危険性が指摘をされています。虐待は、小児であっても高齢者であっても障害者であっても決してあってはならないことだと思っていますが、現実には社会では虐待が行われております。その虐待による死亡事例がニュースをにぎわすことも、皆様御承知のことだと思います。  虐待を防止する社会のシステムをいち早くつくっていく、そういうことが大変重要であるというふうに思っていますが、同時に虐待を見抜く小児科医、その専門医の中でも更に虐待にかかわるより専門性を持った、そういう小児科医の養成が私は大変今求められているというふうに思っています。被虐待児からの脳死臓器提供をどのように排除していったらいいのでしょうか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) この改正案の附則五項で、政府は、虐待を受けた児童が死亡した場合に当該児童から臓器が提供されることのないように、移植医療に係る業務に従事する者がその業務に係る児童について虐待が疑われたかどうかを確認し、及びその疑いがある場合に適切に対応するための方策に関し検討を加えているところであります。その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとして規定しております。  また、具体的には、政府で今後検討していくことになりますが、例えば虐待対応チェックリストを作成し、小児からの臓器の摘出が行われる医療機関等に備えておくことなどが考えられると思います。

石井みどり自由民主党

○石井みどり君 冒頭申し上げましたように、私は本当に、もし小児への臓器提供が日本で行われていれば失われることのなかった命、これを見てまいりました。もちろん、これは同様に、別の表現をすれば、ドナーの方がいて初めて成り立つことであります。  死に対する考え方は、この委員会での様々な参考人の方の御意見を聴いていても、もちろんこれは死生観、倫理観、価値観、まあ宗教観もあるかも分かりません、様々あるところではありますが、私が望みますのは、やはりドナーとして、もし御自分の御家族あるいはお子さんであっても、命をつなごうという意思がある方に関しては、救える命をやはり救う、そのことが私は社会がより成長して、成熟をしていく社会であろうかというふうに思っています。一日も早い命のリレーがつながれること、これは子供だけでなく大人の方々もそのことができることを望みます。そのためには、やはりどうしても救急医療体制、特に小児救急医療体制の整備がもう前提になるだろうと思っています。  そして同時に、やはり最後の医療、終末期医療、これは特に交通事故の事故死の方の家族の方がおっしゃった、死を受容する時間、みとりの医療の重要さを随分おっしゃいました。これはやはり、医療の現場の方々だけでなく、国を挙げてそういう体制をつくっていく必要があろうかと思っておりますので、この参議院で賢明なる委員の皆様の結論が出て、いち早く命のリレーがつながれることを希望してやみません。  ありがとうございました。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) この際、お諮りいたします。  委員外議員川田龍平君から両案についての質疑のため発言を求められておりますので、これを許可することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 御異議ないと認めます。  それでは、川田龍平君に発言を許します。川田龍平君。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) 今日は、委員長を始め委員の皆様にこの質問の時間をいただきましたことを、ありがとうございます。まず御礼申し上げます。  それでは、質問に入らせていただきます。  意思表示について、まず厚生労働省とそれからA案の発議者の方に伺いたいと思っています。意思表示につきましては、WHOの国際基準に従うという答弁もありましたが、何をもって国際基準と認識されているのかを伺いたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) WHOの出している指針がございます。本人の臓器提供意思が不明な場合は家族の同意で提供できるという方法をそのガイドラインによってWHOは推奨しております。欧米諸国それからアジア各国もこの方式を多くの国が採用しているところでございまして、私はこれが国際標準なんだろうというふうに思っておりますので、A案もWHOのこの指針に合わせて臓器提供を認める要件というものを取り入れております。

上田博三厚生労働省健康局長

○政府参考人(上田博三君) WHOの指針について、少し詳しく申し上げます。  一九九一年五月の世界保健機関、WHO総会におきまして、ヒト臓器移植に関する指針が採択をされました。当該指針の第一番目におきまして、臓器は移植を目的として以下の場合に死者から摘出することができるとなっております。具体的には、法律上必要なすべての同意が得られること、かつ、生前正式な同意を与えていなかった場合でも死者がそのような摘出を拒否するであろうと信じる理由がない、このような二つの理由をもって指針の一が構成されているところでございます。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) そのWHOのガイドラインでオプトインとオプトアウトという、これは皆さん御存じだとは思うんですけれども、オプトインについては、本人が生前に臓器提供の意思を表示していた場合又は家族が臓器提供に同意した場合臓器提供が行われる、また、オプトアウトにつきましては、本人が生前臓器提供の反対の意思を文書で残さない限り臓器提供をするものとみなすということですけれども、このオプトインとオプトアウトというのがあって、WHOのガイドラインではどちらを採用しているのでしょうか。A案提案者の方、お願いします。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) オプトインだそうです。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) オプトインということでお答えいただきましたが、先ほどのガイドラインについてWHOが推奨しているということでしたけれども、実は推奨というのは、オプトインとオプトアウトにつきましてはそれぞれの国の法律によって定めるということになっておりまして、これ特にWHOが国際基準というものを設けているわけではないんでございます。  しかし、厚生労働省が先日用意してくださった日本と海外の臓器移植法制というこの図で見ますと、非常に分かりやすくはなっているんですが、各国によってオプトインとオプトアウトは違うんですけれども、なぜか欧米と一口に言いますと、やっぱりなぜか全部同じかのように思ってしまうんですが、実際のところは欧米それぞれの諸国によって違うということがあるということなんですけれども、それについてA案の提案者の方、どのようにお考えでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 各国でいろんなものに違いはあると思います。しかし、大勢というものはやはりあるんだろうというふうに思いますんで、できれば日本も、要するに今の日本の法律が諸外国と比べて極めて違うことによって、例えば国内では小さいお子さんたちに移植をしてあげることができないために海外へそういう子供たちが出かけていって、逆に海外で本来なら受けられるはずの子供たちの移植の機会をいただいて日本人が移植を受けている、あるいは日本の大人の方々が中国で死刑囚から臓器の提供を受けたり、東南アジアで臓器の売買をして移植を受けるというようなことが起きておりますので、やはり国内できちっとできるような法律の整備をしていくというのが諸外国との協調という意味でも私は必要なんだろうと。日本の国の法律のせいで諸外国の方々が移植を受ける機会を失われてしまうというのは、日本の国としてもそれが長い間続くのはいかがなものかなというふうに思っております。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) 本人の意思というのがA案の最大の改正点であるというふうに考えていますが、本人の意思表示がない場合に家族が脳死判定と臓器摘出を承諾できるとする根拠は、世界のそういう趨勢、大勢がそうだということ以外の理由で説明していただけますでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 本人の臓器の提供の意思表示がない場合に一律否定をするというのが本人の意思の尊重になるわけでは必ずしもないと思うんですね。  例えば、御遺族が御本人の考え方を分かっているときに、本人ならきっとこうしただろうという意思の表示をするということも当然あり得ること、それはすべてのケースでそうなるとは決して思いませんが、そういう会話を御家庭でしている場合にもそういうことというのは当然あるんだろうというふうに思っておりますし、意思表示が明確でない場合に、御家族が意思表示をして提供の意思を決めてもいいという世論がいろんな世論調査の中で六割以上を占めているということを考えると、国際ルールだという、国際的に大勢だということを別にしても、そういうことをそろそろやってもいいんではないかなというふうに思っております。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) 先ほども質問ありましたけれども、本人の意思をそんたくするというか、具体的に先ほど家族で話をするということありましたけれども、具体的なこと、若しくは要件についてどういう場合にという限った要件があればお答えいただきたいと思います。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) これはなかなか難しいんだと思います。御家族にもいろんな形態があると思いますので、こういう場合というのは、これはなかなか正直難しいと思います。  現在でも、コーディネーターの方あるいは倫理委員会でこの御家族の承諾は適正なんだろうかと、この家族関係で承諾というのは認められるんだろうかというのを審査をしております。そのときも一律の何かルールがあるわけではなくて、コーディネーターの方あるいは倫理委員会がいろんな情報を取った上でこの意思表示はおかしくないという形で決められているというふうに伺っておりますので、そんたくするというのはいかがな場合かという一律線を引くのは、これは難しいと思います。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) このA案では、根本的には脳死を一律に人の死とすることを前提に、遺体であるから遺族の意思で取扱いを決めるという立場によっていたと理解しておりますが、この立場であれば、本人の意思と無関係に遺族が決めることも許容されるという論理となるでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) そこは、本人の意思をどうやってそんたくするのかというのがこれはなかなか分からない以上、そういうことにもなりかねないなというふうには正直思っております。  要するに、お亡くなりになった方の御遺体をどのように取り扱うかというのは、それは意思があれば御家族もそのとおりにやろうという努力をされると思いますが、そうでない場合はやはり御遺族に決めていただく以外には決めようがないのではないかなというふうに思っております。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 似たような状態にある死体解剖保存法の下で、例えばお子さんが難病で亡くなられた場合とか、これは意思が分かりません、小さなお子様は。その場合には、御家族がその子供の気持ち、あるいは次にそういった難しい病気が出たら是非この子供の死を無駄にしたくないといういわゆるそんたくという状態で解剖を私たち引き受けるわけでございます。この法律ができたのが昭和の二十四年だと認識しておりますけれども、したがって、日本の医療というのはそういった自己決定権の前に社会のために何か役に立てばという、非常に昔からそういう民族性というんでしょうか、社会に貢献できればというような非常に重たい、もう一つランクを付ければはるかに自己決定権よりも私自身は上じゃないかと、そういう気持ちが医療界の中にはずっとあるわけでございます。  したがって、先ほど出ました献体という概念は、昭和五十八年の法律で、これは自己決定権がきちっとして、そんたくをする家族よりも自分の自己決定権で献体をすると、これがないとできないという仕組みでございます。したがいまして、その点を御理解いただければと思います。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) 今質問する前にお答えされてしまったんですけれども、医学及び歯学の教育のための献体に関する法律によれば、確かに第三条に「献体の意思は、尊重されなければならない。」とあって、その第四条に「死亡した者が献体の意思を書面により表示している旨を遺族に告知し、遺族がその解剖を拒まない場合」というのがあります。献体の場合に本人の意思がやっぱり尊重されなければならないということであるのであれば、やはりこの脳死臓器移植に関しての、臓器移植の方の体についてもこれは本人の意思がやっぱり必要ではないかと考えますが、いかがでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 元々、今、冨岡さんの答弁にもありましたように、昭和二十年代に御遺族が決定をすることができるという法律がございました。その後、献体を恐らく増やそうというところで本人の意思があれば献体してもいいというような法案が後からできたんだと思いますので、それは献体をめぐる当時のいろんな状況からそういう法律になっているんだろうというふうに私は思っております。この場合の臓器の提供に関しては、御遺族が決めるということにしても矛盾するということは私はないんではないかと思います。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) 先ほどの冨岡先生の話というのは子供のケースで言われたんだと思うんですね。やはり、遺族がその解剖を拒まない場合ということで、大人のケースについてはどうお考えでしょうか。

冨岡勉自由民主党

○衆議院議員(冨岡勉君) 日本の医療界では、今、死体解剖保存法の下では、御遺体を解剖する際はその年齢の制限はございません。したがいまして、大人の場合もそんたくできるというふうに解釈されていいと思います。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) じゃ、この臓器移植法の方に戻りますが、現在は、ガイドラインで意思表示を行える年齢は遺言のできる十五歳以上とされて、まずこの意思表示能力にそもそも欠ける者についても除外をされておりますが、この改正後、十五歳未満は何歳以上が意思表示を行うことができるのでしょうか。また、重度障害者や被後見人などについてはどのような扱いとなるのか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) A案でも原則、意思表示ができるのは十五歳以上でございますが、拒否の意思表示は十五歳未満でもこれは認められるというふうにしてございます。そこは本当に御理解をして拒否されているかどうか分かりませんが、拒否の場合には外れていただくということで、年齢の下限は設けてございません。  それから、知的障害者を始めとする意思表示ができないあるいは極めて困難な方については法的脳死判定を見合わせるということにしておりますので、そうした方々は対象外になります。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) それから、また違う話題になりますが、臨床的な脳死診断とそれから法的脳死判定の場合におきまして、ドナーとなるかならないかというのはまだ決まっていない段階で、臨床的脳死診断それから法的脳死判定のその方たちの保険適用についてどのようになるかということで、A案とそれから厚生労働省の方にお願いします。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 臨床的脳死判定というのは脳死とは直接関係がない診断行為でございますので、臨床的脳死状態と診断をされても全く保険の適用については変わることはございません。  法的脳死判定が行われて臓器の提供へ進むという場合にはレシピエントの方の保険の適用になります。  それからもう一つは、法的脳死判定を受けて脳死と判定をされたけれども、御遺族がやはり臓器の提供はしないというふうに意思表示を変えられたときも、現行法の附則で保険適用は継続するということになっておりまして、この附則には変更がございませんので、法的脳死判定で脳死と判定された以後も保険の適用は必要ならば適用されるということになっております。

上田博三厚生労働省健康局長

○政府参考人(上田博三君) 今御答弁のあったとおりでございまして、またさらに、臓器移植法の附則第十一条では「当分の間、」ということを書いておりますけれども、この「当分の間、」ということの趣旨でございますけれども、これは一定の期間を見通すことができないことを理由としてそのように規定されたものでございまして、簡単に言いますと、将来、法改正などの特段の立法措置がない限り、これは当分の間そのまま存続するということで、その効力を有することになるということで、この臓器移植法におきましても立法府の御意思なくしては変更がされないものと考えているところでございます。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) 私は、この「当分の間、」というのは削除してもいいのではないかというふうに考えておりますが、やはり今、ドナーにならないという意思を持って脳死の判定を受けた後やっぱり生きていくという家族の判断があったときに、保険適用がなくなるということになりますと、それは非常に生きていくことがすごく困難になると。  それからまた、さらにそれを、介護も含めて、今、障害者自立支援法ができてからは非常に家族の人たちの負担、経済的な負担というものがすごく重くなってきているという状況の中におきまして、家族が本当にこの選択をするということが、自由に選択できるということが、両方が同じだということにはなかなかならなくなっていくのではないかという状況がある中で、脳死を一律に人の死としてしまった場合に、その判定を受けている又は受けていないという人たちにとっても、やっぱり本当にこれは、とても六条の第二項の問題というのが非常に大きな、そこが心配されているところだと思います。  そういった意味において、この六条二項の問題というのは、私はやっぱりこれは元の現行法に戻すべきではないかというふうに考えているところですが。  それから、質問ですが、A案の提案者に伺いますが、このA案は一日でも早く臓器移植が受けられるようにという患者の願いにこたえるものであるというふうに思いますが、仮に来週の十三日に成立したとすると、子供が臓器提供を受けられるようになるのはいつからでしょうか。

河野太郎自由民主党

○衆議院議員(河野太郎君) 省令の変更が必要になりますので、そこは、小児の脳死判定基準その他必要な整備が行われてからということになります。法律では一年後というふうになっておりますが、それは様々な、判定基準その他、そこが整備されなければその該当年齢はスタートすることができません。それはもう医学的な検討結果でございますから、そこは医学的に準備が進んでからということで、そこは私は構わないというふうに思っております。

川田龍平各派に属しない議員

○委員以外の議員(川田龍平君) であるならば、やはりE案でもこれは一年ということで期限を区切っているわけですので、E案において専門の分野の方々に検討いただくということをしても、A案とE案で別にその一年というのは変わらないのではないか、若しくはE案の方がもっとしっかりと国民の間にこの議論が進むことによって、そういった小児の脳死判定基準についても議論が進むことが、やはりこれは望ましいことなのではないかというふうに考えております。  私としては、もう時間ですので終わりますが、やっぱりすべての命がひとしく尊重されるために、もちろんレシピエントの側の人たちの命も、そしてドナーの人たちの命も同じく扱われるような、本当にどちらかの命を救うためにほかの命が切り取られるというようなことであってはならないと思います。そこの少なくとも意思表示、自己決定の原則がやっぱり担保されなければならないと考えています。  私は十歳のときにHIV感染の告知を受けて、自分自身、インターフェロン治療をやると決めたのも十歳のときでした。そういう意味で、やっぱり子供の意思表示というのもしっかりと、意思表示をちゃんとしていただいて、是非この問題については、そういった子供のことについてはしっかりと臨調の方で、臨時の調査会の方でしっかりやっていただきたいというふうに私は思って、この質問の機会、ありがとうございました。  終わります。ありがとうございました。

辻泰弘民主党・新緑風会・国民新・日本

○委員長(辻泰弘君) 本日の質疑はこの程度にとどめます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五十五分散会

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