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169回国会参議院2008/02/20

国民生活・経済に関する調査会 第2号

発言数
76
登壇者
15
会派数
4
開催日
2008/02/20

会議録

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会をいたします。  委員の異動について御報告いたします。  昨日までに、津田弥太郎君、川崎稔君、中谷智司君及び藤原良信君が委員を辞任され、その補欠として小林正夫君、舟山康江君、平山幸司君及び大島九州男君が選任をされました。     ─────────────

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会の構築」のうち、国民生活と行財政の現状について参考人からの御意見をちょうだいしたいと考えております。  本日は、木下敏之行政経営研究所代表の木下敏之君及び東京大学大学院経済学研究科教授神野直彦君に御出席を賜っております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げたいと思います。  御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会の構築」のうち、国民生活と行財政の現状について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でありますけれども、まず、木下参考人、神野参考人の順に、お一人二十分程度ということになっておりますけれども、多少時間延びても結構でございます、十分に御高説を発揮いただきたいと存じます。御意見をお述べいただいた後、各委員から約一時間程度の質疑を行いたいと考えております。そしてその後、約一時間程度、委員間の意見の交換ということにさせていただこうと考えております。御協力をよろしくお願いいたします。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、まず木下参考人からお願いをいたします。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 参考人の木下敏之でございます。  平成十一年の三月から十七年の九月まで、九州の佐賀市の市長を務めておりました。今日はこうして皆さんに私の考えを説明する機会をいただきまして、誠にありがとうございます。心から御礼を申し上げます。  では、座ってお話をさせていただきたいと思いますが、私が話をいたしますのは九州の佐賀市というところでございまして、平成十七年の十月に合併の選挙をいたしました。私はその合併のときの選挙で負けて、今は政治から足を洗いまして、研究活動、それからベンチャービジネスの経営に関係しておるわけでございますが、今から説明するものは旧佐賀市でございます。今の佐賀市は一市四町で合併をいたしましていささかサイズが違っておりますので、合併する前の佐賀市を佐賀市と言っているということで御理解をいただきたいと思います。  後ろのパワーポイントを使いますが、お手元にほとんど同じ資料が出ておりますので、どちらを御覧いただいても結構でございます。(資料映写)  まず、佐賀市がどういうところかということを簡単に御説明したいと思いますが、人口が当時十七万人ぐらいで、既に人口の減少が始まっておりました。それから、高齢化率が大体二〇%ぐらい。そして、出生率が一・四七。それから、後でお話をいたしますが、建設業以外に主要な産業がございませんでして、工業生産額もかなり落ち込んでおります。財政力指数が当時が〇・七三、今も〇・七ぐらいは保っているかと思っております。  私がお話しする話はあくまで九州の佐賀市の話でございまして、この二年間全国いろんなところで講演や研究活動に回っておりますが、非常に日本というのは地域によって全く状況が違うなということを痛感をしております。  私は、主に人口の減り方、それから高齢化の進み方、それによって自治体を四つに分類しておりますが、佐賀の場合は人口の減少が始まっていて高齢化の進行は大体終わっております。余りこれから高齢化が進むことはないということで、この赤い丸のところに位置をしております。本来ならばこれにもう一本軸が入りまして、その地域に主要な産業が建設業以外にあるのかどうかということで更に八つに本当は分類するべきなんでしょうけれども、今回はあくまで人口と高齢化の推移だけでお話をしたいと思います。  今回は幸福度についてのお話でございますが、私は、簡単に申しますと、徹底した行政改革をやって、そして生み出されたお金を教育と子育て支援とそれから建設業に代わる産業の育成に使うということを六年半やってきておりました。結果としてはうまくいかなかった点が多いなと今振り返っておりますが、そういったことをこれから順にお話をしていきたいと思います。  平成十一年の三月、もう今から十年近い前のことでございますが、当時の佐賀というのは、少なく見積もってもこの五つぐらいの大変にまずい状態がございました。人口は減り始めているし、人口が減りますと税収も減ってまいります。それから、高齢化に伴ってお金がどんどん増えていく。公共事業も縮減をしておりましたし、隣に博多、福岡という大変に商業的に集積したところがございまして、電車で三十分で参ります。中心市街地も空洞化していると。バブルのときの考え方に染まった事業が、破綻を目前としていたやつが山ほどありまして、ただ、こういった危機を残念ながら住民がほとんど当時意識をしておりませんでした。  人口の全体の変化の話は先生方よく御存じと思いますが、これは一九五五年から二〇五五年までの百年間に日本がどういうふうに人口が変わっていくかという表でございます。ちょうど一九九九年ごろというのは、日本の国の在り方自体、人口の在り方自体が大きく変わる時期でございましたので、この時期に住民に人口の減少ということを言ってもほとんど理解はされませんでした。残念ながら、私も最初のうちは言っておったんですが、途中から、人口の減少が始まっている、大変なことになるという話は佐賀の市民には言わないようになってしまいました。  実際に佐賀市の人口がどうなるかということでございますが、これは厚生省の人口問題研究所のホームページのプログラムを使って作成をさせていただいたものです。簡単に言うと、五十年間で人口が半分になる、働く世代がどんどん減っていくと。高齢化はある程度進んでおりましたので、大体二〇一五年ぐらいで高齢者の数自体は横ばいになるという感じでございました。これをなかなか住民に言っても、子供をたくさんつくれば人口が戻るんじゃないかということを言う方が多くて、子供の数がどうなるかというのは、親の数と出生率、その二つの変数で決まるんだと、だから、どんなに子供を一生懸命御夫婦がつくったとしても、親の数が急激に減っているんだから子供の数は増えませんよということはなかなか理解をしてもらえませんでした。恐らく、今も佐賀市民は大部分がそのことを理解していないような気がしております。  財政の状況なんですが、これは二十一年度までの推計を取りあえず入れておりますが、平成三年から十五年にかけて借金残高は急激に増えております。もっとさかのぼりますと、昭和六十一年から十八年間連続して借金の額が増え続けておりまして、ようやく平成十五年から借金を減らすことができたんですが、少なくともバブルが終わったときでも二百四十四億円ございました借金の残高、それが平成十五年には七百億まで増えております。ちなみに、佐賀市の一般会計は当時大体五百億円規模ぐらいでございました。  これも先生方よく御存じの話と思いますが、簡単にお話をさせていただきますと、人口の減少が佐賀市という経営体にとってどう困るかという話なんですが、端的に言うと収入が減ってまいります。佐賀市は、五百億円の財政規模のうち大体税金が四割程度でございましたが、そのうちの住民税がさらに半分、それから土地に関するもの、固定資産税がさらに半分という状態でございました。  当然人口が減ってまいりますと住民税も減ってまいりますし、さらに高齢化が進んで勤労者、働く世代が減ってまいりますと、その分も住民税が減っていくと。それから固定資産税ですが、やはり子供が減っていくと、新しく土地を買って家を建てようという需要がどんどんどんどん落ちておりまして、また、建設業以外に確たる産業もありませんでしたので、新しく建物を開発されて建てたり土地を求めて家を建てるということが非常に減っておりまして、これも今既に固定資産税の減少も始まっておると思います。  簡単に言うと、人口が減ると市役所に入ってくるお金は減り続けると。現実に、平成九年度をピークといたしまして、ずっと一貫して税収は減り続けておりまして、このままいくとどこかで増税をしない限りは恐らく財政はもたないだろうと思っておりました。  ほかにも困ることが幾つもありまして、例えば水道、下水道の整備をいたしましても、整備をした地域から人が減っていきますと、維持管理費用だけが掛かって収入が入ってこない。それから、バスの便が経済的に成り立たなくなる。農業用水も当然需要が減っていきますので、いろんな事業の採算が合わなくなる、サービスを維持できなくなるという不安を常に抱えておりました。佐賀市の場合は中心市街地もかなり衰退しておりますので、中心市街地の中でも空き家がかなり出てきておりまして、それを人に貸さないとか、崩れてしまって大変に安全性も美観も損ねるという問題も今かなり深刻になってきております。  それから同時に、数は大したことがないといいましても、高齢者の数も二〇一五年、二〇二〇年までは数として増え続けてまいりますので、福祉関係経費の伸びもこれから更に続いていくと見込んでおりました。これは高齢者のお金だけではなくて、若干子育て支援の関係のお金が入っておりますので、すべて高齢者対策ではございませんが、一貫して福祉に関するお金は増え続けておりました。高齢者に対する敬老祝い金ですとか敬老パスとか、随分そういったものもカットもいたしましたが、高齢者の関係のお金をカットするとやはり選挙には非常に不利でございまして、私は老人に冷たいといううわさも大分流されまして、ここを切り込んでいくのは本当に政治家としては難しいところかなと思っております。  いろいろ佐賀市の状況をお話をいたしましたが、問題は、一体どんな地域をつくりたいのかということによって行財政改革はやることはかなり変わってまいります。どんな社会を目標とするのか、またいつまでに達成するのかと。市長さんたちの中には正直に本音で、五年しのげれば取りあえずいいんじゃないですかとおっしゃる方もおりますが、それではやはりいけないんじゃないかと思っております。地域の置かれた状況も、佐賀のように既に人口が減っている地域もあれば、トヨタ自動車があるように、地域を支える産業がしっかりしているところもありまして、そういったところは全部違ってくると思います。  私が佐賀で何をしたかというと、これは根拠を言えと言われると非常に厳しいです。自分の理念というか思いのようなものなんですが、次の世代に今自分たちが二〇〇〇年当時に享受していた豊かさを伝えたいという、言わばシンプルな思いを私の市政運営の目標として定めておりました。これが何でだと言われるとなかなか説明しにくいんですが、いろいろ考えた末にこういったことをしたいなと思っておりました。  ただ、じゃ子供たちの幸福とは何かということを当時考えていたんですが、これもいろんな基準がございます、いろんな考え方が。私はどう考えていたかというと、良い教育を受けてもらいたいと。それから、借金をできるだけしょわしたくないと、意味のない借金ですね。それから、佐賀の場合はなかなか地元に働き口がない、結局地元に残りたくても子供たちは出ていくしかないという問題がございましたので、できるだけ雇用の場をつくってあげたいと。それから地球環境の問題ですね。そういった問題、いろいろ四つの観点でできるだけ整備をしてあげたいと思ってやっておりました。  ですから、財政的にはどんどん厳しくなるのが分かっておりましたので、お年寄りへのサービスは基本的に据置きをさせていただきました。介護保険でも自宅の改造の予算を認めたりはいたしましたが、それはトータルとして介護保険の経費が安くなるという判断があったものだけしかやっておりませんでして、できるだけお年寄りのサービスは据え置いて、いろいろ行政改革をやって浮いたお金を子育て支援に回すという方針でやっておりました。  ただ、いろんな自分の議会との関係もございまして、何を重点としてやるかということをやはり考えなくてはなりませんでした。取りあえず三期やったら辞めるのかなとおぼろげに思っておりましたので、一期ごとに何をやっていくかということを考えたんですが、やはり当時は破綻しかかった第三セクター商業ビルですとか、いろんなバブル時期の考え方に染まった事業がかなりございましたので、それの後始末をきれいにして、それから各種の計画を人口減少の時代に合ったものに変えて、ある程度子供たちに余計な借金をしょわせないというめどが立った時点で子育て支援と教育に力を入れる、産業の育成もですね、という方式でやっておりました。途中で負けたので途中で終わりましたけれども。  出血を止めるということについては、これは一応きれいにやりました。たくさんあるので今日は個別にお話はいたしませんが、止められたものも止められないものもあるんですが、何百億かの事業をストップしたり節約をしたりということをやっております。  それから、これも行政改革の常道ですけれども、事業の選別をさせていただきました。これから人口が減りますので、特にこれは急いでやらないといけないと思いましたが、全く基本に沿ってやっております。市が行う必要のない事業はやめる、それから行うものは極力民間に委託をすると、こんな改革をやっております。  ほかの市がまだ余りやっていないことは、人口の減少を前提とした都市計画を変えたり道路計画の見直しをしたり下水道計画の見直しをするということでありまして、こういった事業については、人口が増えるという前提で計算されるようなものも幾らもございます。特に佐賀市の場合はあんこ型というか真ん中にきっちりと人口が集積していて、外部の農村部には開発規制を掛けているということがかなりきちっとできておりましたので、そういったことをさらに外部に開発の伸びていくことをやめるような計画を作っておりました。  下水道も、これは農村下水道の事例なんですが、人口が減るという前提に立たない計画を作ることが非常に多かったですね。これは平成十九年度に供用開始して平成二十五、六年ぐらいに各家庭が下水道に接続するパターンなんですけれども、定住人口は平成十三年の計画人口のままでずっといく、それから建物面積、空き家がたくさんあるんですが、空き家がたくさんあっても建物面積で流入人口を計算するというようないろんな不都合がございまして、いろいろと現実に合った提案をして下げるというようなこともやっております。  子育て支援対策は、ともかく待機児童を減らそうということで補助金の付く範囲で最大限やりまして、千二百名の定員を六百名まで増やすと。それから、保育所だけではなくて幼稚園は定員が余っておりましたので、夏休み預かってもらって、本来幼稚園に行かせたいけれども夏休みが駄目だから保育園に回っている方をこっちに回すというようなことをやっております。  一番やりたくて十分にできなかったのがこの教育の問題でございまして、これは何が基準としていいかといろいろ意見は分かれると思うんですが、これは二〇〇六年度の代ゼミが発表した大学入試センター試験の県別ランキングです。私はやはり地域の格差の最大のものは人材の格差だと思っておりまして、何とか教育に力を入れないと駄目だと思っていたんですが、現実にこのような差が付いておりましたので、この順位を少しでも上げたいということでやっておりました。  ただ、教育は非常に問題が多くて、ともかく偏差値のいい子は東京の大学に出して、もう地方に帰ってこぬでもいいというスタイルの教育をやっておりました。高校の先生の評価はどれだけ偏差値のいい大学に入れたかで決まって、故郷ににしきを飾れとか寄附をしろとか奨学金をつくりなさいという教育は今は残念ながら行われておりません。  それから、佐賀の場合は校長先生が一年から二年でころころ異動する、みんな出世するためなのかよく分からないんですが、そういったこともあって、いろいろ教育関係の政策をさせていただきました。  指導力不足教員が各学校に大体一名ずつおりましたので、これは市の力で排除することはできませんでしたので、臨時の教員を派遣するとか、それから障害を抱えている子供のクラスもやはりかなり先生が大変なので、それも一人ずつやるとかといったようなことをずっとやっておりました。ただ、残念ながら県庁との対立がありまして、どうしても教員の人事権がもらえなかったり、指導力不足教員を排除してもらったりすることがうまくいきませんでした。  それから、できなかったことで最大の気掛かりだったことはこの児童養護施設の拡充でして、残念ながら児童養護施設にいた子はかなりの確率でまた戻ってくる、そのお子さんが児童養護施設に戻ってくることが多いんだということを児童養護施設の関係者の方が非公式の場でいろいろ言われておりまして、ここに何とか手を入れて大学卒業までしっかり育てることをしたかったんですが、ここもうまくはいきませんでした。  建設業以外の産業を何とか育てないといけないということで、企業誘致をしたり、福岡のお金を持った女性を佐賀に観光開発で呼び込むというようなこともやっておりましたが、企業誘致など、そこそこはできましたけれども、建設業に代わる産業を育てるということはやはりどうしてもうまくいきませんでした。  十分にできなかったこととして、これはやはり役人出身の自分の限界だということを感じておりましたが、稼げるプロジェクトというのをどうしてもつくり上げることがうまくいきませんでした。やはり民間の経営者の方が首長になるとか、企業出身者をもっと中途採用するとか、そういうことをしないとここが突破できないかなという気がしております。  それから、県の教育委員会との調整がやはり本質的なところでうまくいきませんでして、内容に至る教育改革が不十分でした。ですから、大学に行く時点でやはりかなり学力差が付いている状況を改善してあげることができませんでした。  各地を講演、調査で回って感じていることのもう一つなんですが、やはり地域間格差の課題、特に地方ですね、最大の理由が人材がいないということを認識していない、これはやはり痛感をしております。佐賀の場合でもそうでしたが、企業でも、なかなか営業にしても会社の方針にしても、ばりばりやれる人が実際には余りおりません。そこを残念ながら認識をされていないので、都会ではこれから大量に余ってくる団塊の世代の方、いろんな会社の経営経験をたっぷり積んでいらっしゃる方が地方に戻るという流れがまだうまくできておりませんでして、これを何とかすることが地域の経済が活性化する非常に大きな手になるんじゃないかと思っております。ただ、自分ではそれをうまくシステムとしてつくり上げることができませんでした。  最後になりますが、地方自治体というのは、かなりまだ削れるところがあるんですが、なかなか急いで行政改革をするというところがまだ難しいと思います。そして、急いで行政改革をやってお金がたまっても、それをどこに使うのかと、これはやはり役人だけで考えてもうまくいかないので、民間の方がトップに立つとか、たくさん中途採用するとか、そういったことが必要ではないかと思います。  実際に、役所はまだ削るところは山ほどございます。現業職でもまだ民間委託を終わっていないところもございますし、東京二十三区でも、基幹のコンピューターはそれぞれ何十億円というお金を掛けて別々に調達をしております。しかし、やっている事務はほとんど同じです。全部共同化すると、二十三区でしたら恐らく何百億という単位でお金が浮くと思います。それから、都道府県にいきましても、税金の徴収の作業は県と市町村が同じようなことをやっておりまして、こういったことも共同化することによって相当人を浮かせることができると思います。  多能工化ということなんですが、例えば、A市の住民票の写しの月別発行件数を掲げておりますが、三月に集中しております。通常は三月にこの事務が滞りなくできるように体制の整備をしております。A市のこれは税証明の月別発行件数ですが、六月がピークです。六月に滞りなく対応できるような人員の整理をしております。A市の場合は、税証明の発行とそれから住民票の発行を同じ課でやっておりまして、ピークが二つ来るような対応になっているんですね。こういったことをいたしますと、一足す一が二ではなくて、一足す一が一・五程度の人員で終わることになりまして、これがトヨタの多能工化の基本的な考え方に近いものなんですけれども、いろんな業務の月別のピークを見て、職員がいろんなことをできるようにしていくと現実にもっともっと減らせるんではないかと思います。  佐賀市も同じように住民の窓口は総合窓口ということで一か所にしておりますが、六十人いた人間が総合化するだけで三人人が浮いておりまして、自治体はまだまだそういったことがたくさんできるので、できるだけ急いで行政改革をやって、浮いたお金を子供たちのために使うということが次世代に対する一番のプレゼントではないかと思っております。  以上でございます。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  それでは次に、神野参考人にお願いをいたします。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 東京大学の神野でございます。よろしくお願いします。  初めに、おわびを申し上げておかなければなりませんけれども、私は網膜剥離を患っておりまして光を目に入れることができませんので、文明の利器は使えません。昔ながらのレジュメでお話をさせていただくことをお許しいただければと思います。  さらに、網膜剥離は近眼が、通常の方は二十歳ぐらいで止まるんですけれども、進み続けちゃうんですね。私の人生の体験からいえば、日本の社会も近視眼的に物を見て目先の利益ばかり考えていると、待っているのは失明、暗黒しかないのではないかということを危惧しております。  お手元のレジュメを見ていただいて、危機の時代における二つの経済学のパラダイムということを書いておきましたが、現在、私たちの歴史は大転換期を迎えておりますけれども、歴史の大転換期には必ず新しい経済学のパラダイムが生まれます。十九世紀の末も現在と同じような大不況でしたが、そのときに二つの経済学が誕生いたしました。  一つは、新古典派と言われている経済学で、現在、経済学といえば新古典派だと言われるような主流派の経済学です。もう一つは、ドイツで誕生いたしました私のやっております財政学でございまして、この財政学は、国民経済というのは市場経済と財政という二つの経済が車の両輪になってうまく絡み合わないと発展することはないという考え方に立脚している学問だというふうにお考えいただければいいかと思います。私は、今日はそうした財政学の立場からお話をさせていただきたいと考えております。  レジュメの最初に書きましたけれども、財政赤字というのは、必ず経済危機、不況が起きたり大不況が起きたり、あるいは戦争が起きるなどの社会的な危機が起これば、必ず財政というのは危機になるんですね、財政は赤字になるんです。論理は逆に考えてはならないということです。財政赤字を解消しようとすれば、財政の使命である経済危機や社会的な危機を解消して、そうしなければ本来の財政の再建というのはあり得ない。財政の目的というのは、経済危機や社会的な危機を解消して、エウデモニア、アリストテレスの言葉でありますが、幸福な社会を実現することにあるということを頭に置いていただければ有り難いと思います。  私は、よくスウェーデンの例を出すのですが、スウェーデンは私の考えている財政学どおりのほぼ政治をやってくれているので、私の言っていることも現実性があるのだということで例を出すのですけれども、スウェーデンの言葉で私の好きな言葉が二つあります。一つは、ラーゴムという言葉です。ラーゴムというのは、程々とか程よいという意味なんですね。極端に貧しくなることも嫌うけれども、極端に豊かになることも嫌う、中庸の徳のようなことを意味する言葉だというふうにお考えいただければと思います。貧しい者と豊かな者とのラーゴム、程よいバランス、それと公、公共部門と民間部門の程よいバランス、私は程よい政府と言っておりますが、現在のようにただ単に小さくしていくということではなく、程よくバランスするということが重要だというふうに考えています。  もう一つの言葉は、オムソーリーという言葉です。オムソーリーという言葉は社会サービスという意味です。ソーシャルサービスと英訳されております。ソーシャルサービスというのは、日本の社会福祉よりもやや、ずっと広い概念と言った方がいいでしょうか、教育、福祉、医療、すべての社会サービスを含んでいます。このオムソーリーという言葉の意味は、悲しみを分かち合うことという意味です。お互いにかばい合うことという意味なんですね。教育も悲しみを分かち合うことですかと聞くと、そうですというふうに答えます。  悲しみを分かち合うことというのは、悲しんでいる人々のためだけじゃないんですね。悲しみを分かち合えば、その分かち合うことによって悲しんでいる人々に自分が必要だ、自分の存在が他者によって必要だということが実感できる。人間が生きる喜び、生きがいというのは他者に自分の存在が必要だというふうに認識できたときだというふうに考えておりますので、スウェーデンの人々はオムソーリー、悲しみを分かち合うために租税を負担し合っている、そういう考え方に立っております。  この点は、日本が次の社会を考える上で学ぶべき二つのキーワードになるのではないかと思って御紹介をいたしました。  現在、私たちはクライシス、大きな時代の転換点に立っていると思います。クライシスというのは危機という意味ですが、クライシスという意味は分かれ道という意味です。医学上でクライシスというと、お医者さんがよく今晩が病の峠ですという、峠と使いますが、これがクライシスという意味ですね。クライシスの結論は二つしかないんです。破局か肯定的な解決かです。  こうした歴史の分かれ道で財政がやらなければならないことには二つありまして、一つは国民の生活、つまり社会に対して安全のネットを整備するということですね。もう一つは、次の新しい社会の経済的な基軸になる産業システムを支えるインフラストラクチャー。インフラストラクチャーというのは次の産業構造の前提条件という意味ですので、次の産業構造の前提条件の整備をする。この安全のネットとインフラストラクチャーのネットの二つを整備するということが歴史の大転換期における、歴史の峠における財政の役割であるというふうに認識をしていただければと思います。  私たちはどういう歴史の大転換期に差しかかっているのかというと、二番目のところにケインズ的福祉国家の行き詰まりと書きましたけれども、重化学工業を基盤とする産業構造が行き詰まり始めて、重化学工業を基盤とする産業構造の上に、第二次世界大戦後、先進国で形成されていた福祉国家が行き詰まっているんだというのが現在の状況だというふうにお考えいただければと思います。産業構造は重化学工業から知識集約産業あるいは情報産業あるいはサービス産業などの方に大きく転換しつつあるわけですね。そういう時期に、福祉国家に代わるどういう社会経済体制をつくり上げていくのかというのが問われている、そういう歴史の転換期だというふうにお考えいただければと思います。  重化学工業では、そこで働く人々というのは、同質で大量の筋肉労働を必要としましたので、主として男性でした。重化学工業の時代の家族像というのは、男性が主として働きに行って、女性が主として家族内で無償労働、アンペイドワーク、育児とか養老とか高齢者福祉サービスとかあるいは家事労働などを行っている、そういう家族像を前提にできたということですね。  ところが、産業構造が大きく転換していきますと、労働市場の構造は当然変わってくるわけです。女性の労働を必要とする大きな産業部門が開けてまいりますので、これまで家庭内で無償労働をしていた女性も労働市場に参加するようになる、これが労働市場の多様化とか様々な言葉で表現されている事柄だというふうに御理解いただければと思います。もう一つ、家族の方も変化するわけですね。家族の方も、これまでアンペイドワーク、無償労働をしていた人々が姿を消していきますから家族像も大きく変わってくる。  結論は先ほど木下さんがおっしゃったような意味になるのですけれども、結論は、家族内でやっていた、無償労働でやっていた、アンペイドワークでやっていた育児とか養老とかなどというサービスを政府が提供していかなければならなくなる時代になっているということになるわけですけれども、そうすると、家族の機能がもっと弱まるんじゃないかという声が聞かれますが、それはありません。  スウェーデン政府は、家族内で行っていた育児、養老、そうしたサービスにすべて責任を持つ、しかし愛情には責任を持てない、愛情は家族の責任であるし、コミュニティーの責任であるし、共同体の責任であると言っていますから、日本の場合には、むしろそういうサービスを政府が怠っているために、かえって国民の家族が崩壊する寸前にあるというふうに言ってもいいのではないかと思います。  お手元のところに書いておきましたが、これまでのケインズ的な福祉国家では、垂直的再分配、これは、お金持ちから税金を取って貧しい人に、生活保護のような形で貧しい人に限定してお金を配分する、こういう再分配をやっていたわけですね。それに対して、これから必要なことは、サービス給付による、現金を配るんじゃなくて、現金給付ではなくてサービス給付による水平的所得再分配。水平的再分配というのは、同じ所得の人で、リスクに陥ったとき、同じ所得なんだけど病に陥りました、あるいは子供を持っています、あるいは高齢者を抱えていますというようなリスクに陥ったときに政府がサポートする、ユニバーサルにサポートする、豊かであろうと貧しい人々であろうとすべての国民にサポートするサービスを提供するというのが水平的再分配ということであります。  ここで皆様に認識しておいていただきたいのは、再分配のパラドックスというのが証明されているということです。  ちょっとお手元に、資料のうち、この図表から始まる資料をお開けいただいて、順番を付け忘れたので申し訳ありませんが、上から五枚目を見ていただければと思いますが、表一のところに、各国の社会支出のジニ係数と相対的貧困率、ジニ係数は不平等度を表す指標ですし、相対的貧困率というのは貧困率ですね、正確に表現すれば、国民所得の半分も行かない、平均の所得の半分も行かない人々がどのぐらいいるかという割合です。  このうち、アメリカ、イギリス、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、フランス、日本となっていますが、生活保護のような貧しい人々に対してお金を配る、貧しい人々に限定してお金を配る社会的扶助支出、左から二番目の欄ですね。これは生活保護のような貧しい人々に限定してお金を配る支出です。この社会的扶助支出が多ければ、通常の場合、不平等度も、垂直的な再分配やるわけですから社会は平等になり貧しい人々も少なくなるはずなんですけれども、再分配のパラドックスというのは、こうした垂直的な再分配をやればやるほど、貧しい人々に対する生活保護などのウエートが高ければ高いほどその社会は不平等になって貧しくなる、貧しい人々が多くなるという、それが再分配のパラドックスです。  お手元を見ていただければ、社会的扶助支出の高いのはイギリス、アメリカですね。この二か国が三・七、四・一と高くなっております。これは、一九九〇年代に日本が悪平等だと言われているぐらい平等な社会だと言われたときの数字をわざわざ使っておりまして、一九九〇年代の半ばでジニ係数を見ていただくと、ジニ係数は高い方が不平等ですから、アメリカ、イギリスは〇・三六一、〇・三二一ですので、アメリカやイギリスは不平等な国になっているわけですね。それから、相対的貧困率を見ていただくと、一六・七、一〇・九ですから、非常に貧困の多い国ということになるわけです。  さて、スウェーデン、デンマークを見ていただくと、生活保護に当たるような社会的扶助支出は一・五、一・四ですから、圧倒的に少ないんです。圧倒的に少ないとジニ係数〇・二一一、〇・二一三で平等の国になっているわけですね、圧倒的に。さらに、相対的貧困率を見ていただくと、三・七と三・八ですから、もう圧倒的に貧困も少ない。  ドイツ、フランスを見ていただきましょうか。これは二・〇です、社会的扶助支出二・〇、二・〇ですから、これ見ていただくと、ちょうどアメリカやイギリスのアングロサクソン諸国とスウェーデン、デンマークというスカンジナビア諸国の中間になります。中間になるとジニ係数もちょうど中間になり、相対的貧困率も中間になるということですね。  では、日本はどうかというと、日本は社会的扶助支出は〇・三ですから少ないので、生活保護のような支出が少ないので、本来ジニ係数は低くていいはずなんですが、アメリカ、イギリスよりも低い。これが日本は平等な国だと言われている社会ですね。日本はいつもアメリカとイギリスしか比較しないからです。さらに、相対的貧困率を見ていただくと、アメリカよりは低いんだけれども高いんですね。  そして、問題なのは、どうしてこういう結果が起こるのかというと、社会的支出のウエートが違うからです。生活保護のような垂直的な再分配にかかわるようなものは少ないんだけれども、スウェーデン、デンマークのような国々は、医療、福祉、教育、貧しい人でも豊かな人でもすべて極端に言えば無料でもらえるというようなことを充実させるか否かということが決定的なメルクマールになるということです。確かに、スウェーデンでも医療をすれば自己負担額が一割ありますので、自己負担しなければなりません。保育園に行けば一割は自己負担ですので、自己負担しなければなりません。しかし、スウェーデン、スカンジナビア諸国、ヨーロッパ諸国の多くの国々はサービスは買うものではないという考え方に立っていますから、その自己負担額は所得比例なんです。貧しい人々はただ、豊かな人々は高いんですね。  ちなみに申し上げておきますと、スカンジナビア諸国では交通違反の罰金も所得比例ですから。この間新聞に、ちょっと前ですが話題になった、フィンランドの大金持ちが十キロか十マイルかちょっと忘れましたけれども、スピードオーバーをやったら罰金が三千万、これは所得比例で掛かってきますから。そういう所得比例を持たせているので、買うものではないという考え方に立っている。  これから重要なことは、女性が働きに行きますので、結局育児サービス、養老サービス、つまり家庭内でやっていたようなサービス、さらに教育、そして医療というような水平的再分配にかかわるようなサービスを充実させていくという政策を打って人々の生活を安定させていくということが決定的に重要になる。そうしないと格差が拡大するんです。  日本の社会で格差の拡大が言われている重要な原因は、労働市場が二極化しているからですね。なぜ労働市場が二極化しているのかというと、重化学工業の時代ではなくなっているにもかかわらず、両立支援サービスと言われているように、家庭内でやっていたような育児、養老などのサービスを政府が提供していないので、仕事をやりながら、つまりアンペイドワークを家庭内でやりつつ労働市場に出ていく人と、家庭内でのアンペイドワークから全く解放されて労働市場に出ていく人が分断されるんです。フルタイムの労働市場とパートの労働市場ができ上がってその賃金格差が激しくなって、結局は格差社会に陥るということになるということです。  さらにもう一つ、なぜ生活保護のようなサービスでは所得再分配がうまくいかないのかというと、日本の社会もそうですけれども、生活保護や年金でほかのサービスを買えというシステムになっちゃうからですね。  生活保護の六割は、皆様方、医療費だというのは御存じですね。生活保護をもらっている人は、六割が医療費なんです。この医療費というのは、簡単に言ってしまえば、健康保険の保険料を、生活保護をあげるからそこから払いなさいと言っているということと同じことです。  今度、後期高齢医療制度ができて、年額ですよ、年額十八万を超える年金者の人から保険料を二分の一以内まで取れるんですね。そうすると、それは、年金あげるから、この年金であなた介護保険あるいは医療保険を買って医療サービスをやりなさいというシステムになる。これを切り分けろということが私の提案です。  時間がないので三つの政府まで詳しく御説明できませんが、私たちの生活を保障するのには、政府がお金を配る現金給付と、それからサービスを配るサービス給付とセットでなければならない。サービス給付が充実していれば現金給付はわずかで済んでしまう。  お年寄りの老後の生活は、配達サービス、訪問介護や施設サービスなどのサービス給付と、それから年金とセットですから、そのお年寄りが病気だったらばこれは医療サービスでやりますし、家がなかったら住宅サービスでやりますし、年金は何に使うかと。そのお年寄りの医と食、食事と医療だけで済みますから、一律にわずかの額さえ配っていけばいいことになるはずですね。すべてを年金でやろうとすると多額になる。しかも、そのやり方をすると、中産階級の人々の生活を公共サービスが支えないんです。そうすると、必ず小さな政府を要求するようになり、結局人々の生活を保障できるような公共サービスが減少してしまうということになるだろうと思います。  お手元二枚目、おめくりいただきまして、最後の私の結論ですが、五番目のところに予言の自己成就と書いておきました。これは皆様にお願いしておきたいことですが、予言の自己成就というのは社会心理学で言われている言葉です。未来はこうなるという予言を信じれば信じるほどそうなる確率は高まるというのが予言の自己成就という言葉です。つまり、私たちは、肯定的な未来を描いて、そのことを信じれば肯定的な未来になる確率は高まる。しかし、悲観的な未来を描いて、そうなるということを信じれば信じるほどそうなる確率は高まる。皆様方の使命は、肯定的な未来のビジョンを描くことだというふうに思います。  最後にケルンの地下ごうで最近発見された言葉を書いておきましたが、予言の自己成就という言葉を最後にお話をして私のつたないお話をこれで終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わります。     ─────────────

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) この際、委員の異動について御報告いたします。  本日、舟山康江君が委員を辞任され、その補欠として川合孝典君が選任をされました。     ─────────────

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) これより参考人に対する質疑を行いたいと思います。  本日の質疑でありますけれども、あらかじめ質疑者を定めずに行います。質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願いを申し上げます。  なお、質疑に当たって、参考人の方々の御意見の確認などは簡潔に行っていただきますよう御協力のほどよろしくお願いを申し上げます。  それでは、質疑のある方の挙手を願います。  増子君。

増子輝彦民主党・新緑風会・国民新・日本

○増子輝彦君 今日は、お二人の参考人の先生、ありがとうございました。御礼申し上げたいと思います。  木下参考人にちょっとお伺いしたいと思います。  大変改革を進めてこられたということで、すばらしい実績を上げられました。しかし、様々なやり残したこともある、またその原因も今日のお話の中でいろいろ伺いました。  もし今、木下参考人が引き続き佐賀市の市長をされていたという仮定の中で、今度の、私ども国会の中の最大の焦点の一つになっておりますいわゆる道路特定財源を一般財源化をするという今の論議の中で、やはり自主財源を持つということによっていろんなことができるという考え方が当然あるわけです。ひも付きの補助金をもらうことによって、しょっちゅう永田町や霞が関に、あるいは佐賀県庁の方に陳情に行きながら予算を獲得するということではなくて、自主財源を持つという立場からそれぞれの地方自治体がしっかりと知恵を出し合いながら、財政をしっかりと健全化させながらやっていくということから見れば、私は、もう文句なしにこの道路特定財源を一般財源化して、道路も造るし、あるいは道路が十分であるということならば教育や福祉や様々なところに回すということの決定権も持てるわけであります。そういうことを踏まえながら、暫定税率を廃止をして、さらにそれを一般財源化をしていくということについてどのようなお考えをお持ちになられるかということが第一点。  それから第二点は、どうしても今度のこの論議の中で、地方自治体がひも付きの補助金に頼ることの方が地方自治体の運営をするのには楽である、今までの仕組みの中でその決められたとおりやっていけばもうそれでいいんだというようなことに慣れ親しんでしまったんではないだろうかと。やはりもっともっと知恵を出し合って、それぞれの地方自治体が独自の知恵を出し合いながら、競争しながら、この町に住めば私たちは幸福になれるんだという競い合いが必要ではないかと思うんですが、そういう意味では、今までの長い習慣の中にどっぷりと浸ってしまっているというところから抜け出せない、その改革的な精神になかなか到達できないというところになれば、私は地域住民の皆さんは幸福度の高い生活ができないんではないだろうかというふうに思っているのですが、地方自治体としての、そのような今までの仕組みの中につかりながら、新しいものに飛び出していくということの気持ちがなかなか持てないものかどうか、それにはどのような障害やあるいは弊害や原因があるのかということについて御所見があればお聞かせを願いたいと思います。  以上でございます。よろしく。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 正直に申し上げたいと思うんですが、今もし私が佐賀市の市長であって、道路財源の暫定税率維持の点について一般財源化がいいという声を上げられたかどうかは正直言って分かりません。というのは、もしそれをしたとすると国からの補助金が確実に減らされるだろうと思いまして、それを地域の不況にあえぐ建設業者のことを考えて果たしてそこに一歩踏み出せるかどうかは、その場になってみないと何とも言えないですね。  ただ、自分の本心を申し上げさせていただければ、やはり一般財源化してもらった方がいいなと思っております。というのは、佐賀の場合、今説明したとおり、既に郊外に展開する佐賀市が造る市道についてはほとんどもう計画自体を廃止もしておりまして、道路が産業振興にプラスになる要素はもう余り残っていないんです。どちらかというと、足りないものはバリアフリーの歩道を造るとか、そういったところだと思っております。  もしやるとすると、一般財源化をして、まず保育所の整備にすぐにお金をぶち込むと思います。できるだけ急いだつもりなんですが、保育所の認可権限が県庁にしかないのと、それから補助金が出ないとどうしても整備が進まないというところもあって、これぐらいのスピードにしていたんですが、まだまだ保育所が受け入れてくれれば、パートに行って、子育てもしながらやりたいという人はいっぱいいらっしゃるので、まずこれを一番に急ぐでしょうね。  それから、観光基盤の整備と、それとやはりあと教育ですね。先ほど時間がなくて御説明しなかったんですが、教育の内容については、アメリカの小学校教育なんかと比べると非常に立ち遅れておりまして、現実に家庭の経済力が子供の学力を決めるという現実がございますので、そこを何とか変える投資を多分したと思います。  ただ、地方自治体の首長さんとか幹部の方とこの問題で結構話すんですが、やっぱり一般財源化されると、今まで回ってきた金額が大きく減って都会に行くんじゃないかという恐怖感をかなり持っておられます。ですから、そうじゃないんだということだったらどうですかと昨日も話していたんですが、そうすると、にこっと笑って何も答えられませんでした。  それから二つ目の質問ですが、確かにひも付きの補助金に乗っかって市政を運営した方が楽は楽です。住民から何か言われても、これは国や県の補助金が付きませんでしたと言ってしまえば、それは自分で逃げられますので。  やはり民間と比べると、公務員というのは非常に面白い違いがございまして、今私はベンチャーの経営に関係しているんですが、企業はすぐまねするんですね、いいことがあると。ただ、役人は、全部ノウハウをただで提供してあげますよと言っても、佐賀市のノウハウをまねるところは非常に少なかったです。それはやっぱりつぶれないと思っているからでして、その根底には、人口がどんどん減って高齢者が増えていくと、今の税制では財政がもたないという意識がほとんどないんですよ。ですから、二年、三年ではなくて、五年、十年と見たときに財政がもたないところがたくさん出る。そこをやはり早く認識させる、そのときはもう国は知らないよとはっきり言った方がいいと思うんですが、そういうことを言わない限りはなかなか精神的な自立をされないんではないかと思います。  以上です。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  愛知君。

愛知治郎自由民主党

○愛知治郎君 両参考人におかれましては、お忙しい中お越しいただき、ありがとうございます。また、大変勉強になるいい御意見を伺ったと思います。ありがとうございます。  何点か的を絞って質問させていただきたいと思いますが、まず木下参考人におかれまして、最初からずっとお話をされていたことだと思うんですけれども、一番の佐賀市の問題点として、どのような産業を立ち上げていくかということでお話をされていたと思います。建設業中心、それから脱却がなかなかできなかったという話で取組をされていたと思うんですが、一言、民間の方だったらもっともっとできるんじゃないかというお話はされましたけれども、先ほど神野参考人からもありましたけれども、これからどんどん医療、福祉、また教育であるとか様々なサービスの形を変えて行政を行っていかなければ、政治的にもそうですし、国としての取組も行っていかなければならないという話がありましたが、佐賀市において、そういった医療、福祉、また教育ですね、そういった産業を主要産業として、今までもそうでしたし、なかなかいかなかったと思うんですけれども、これからもそれはなかなか難しいのか、それともそっちにシフトをしていくことが可能であるのか、見解をお聞かせいただきたいと。また、現実的な問題というのも、問題意識があればお聞かせいただきたいと思います。  もう一つなんですが、その一点として教育なんですけれども、教育のシステムについて問題があるというお話をされましたが、そもそも私自身、教育は一つの持論がありまして、教育とはいい子をつくるためにあるのではなくて、社会で一構成員として立派な大人、いい大人をつくるためにあるというふうに考えておりますが、その点の目的意識ですね。おっしゃられたとおりに、人材を育成するんだと、いい大人をつくるんだという目的意識が自治体、関係者の方々、一貫してあるのかどうか、そういったところもお聞かせいただきたいと思います。  そして最後に、神野参考人に一点だけ質問なんですけれども、やはり先ほどの質問もありましたけれども、意識改革、社会のパラダイムシフトまで行くのかどうか、大きな転換期にあるときにやはり意識の改革をしなければいけない。その意識改革を木下参考人も御苦労されたと思うんですが、今国として非常に苦労しているところでもありますけれども、極論を言えば、痛い目に遭うというか大変な事態に直面しない限りなかなか変わらないのが人間でありますけれども、そうならないで意識をしっかりと変えていくという、そういう方法がないのか、御所見をお伺いしたいというふうに思います。  以上です。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 建設業に代わる産業の育成のところで私が多少なりともやれたのは、小糸製作所という会社の誘致と、それからひな祭りですとか佐賀の鍋島の歴史を生かした観光振興だったんです。実際にそれをだれがやったかというと、民間からスカウトした人がやりました。企業誘致は、三愛石油の取締役をやっていた方をスカウトして収入役にしておりまして、企業がどういう意思決定をどのスピードでやるかというつぼを全部心得ておられまして、営業の仕方も一から手取り足取り職員に教えていただいたんですね。それがなかったら多分できなかったと思います。それから、観光開発の分野は、JRの佐賀の駅長をしていた方をスカウトしてまいりまして、彼が旅行エージェントに何月にどういう仕込みをするとバスが回ってくるということを全部知っておりまして、それからテレビ局へのトップセールスの仕方ですね。彼がやはりいなかったら三年で十万人の有料入場者数を上げるというところまでは行かなかったろうと思います。  焼却炉のコストダウンも二百七十億のやつを百七十億まで下げてやったんですが、これも廃棄物処理業者をやっていた方をスカウトしてまいりまして、そういった技術力がやはり民間の方は非常にあります、営業力も。そういった人間を登用していかないと、ずっと生え抜きの市の職員でやっていた人間ではまず無理だと思っています。ですから、それは役人だった私も同じでして、できればベンチャーの経営者かなんかが、それから伊藤忠の会長さんなんかが首長になられたらもっとダイナミックな発想が出るだろうと思っています。  代わる産業が果たして育てられるかどうかということについては、やっぱり人材を育てる、教育は後でちょっと申し上げますけれども、社会人が勉強する場というのが残念ながら佐賀にはほとんどないんですよ。佐賀大学の大学院というのはございましたが、佐賀大学の経済学部はマルクス経済学的な色彩の方が多くて、残念ながら実社会ではほとんど使えないんです、そこで勉強された方が。じゃ、かといって東京のように社会人の勉強する場がほかにあるかというとほとんどないんですね。今はe—ラーニングが発達していますので何とかそれでやる必要はあるんですが、残念ながら勉強しないといけないんだという気風がまだ余り行き渡っていないんですね。そこがやっぱりネックだろうと思います。  当面はやっぱり、先ほど申し上げたように、団塊の世代で企業経験者が大量に都会では余りますので、それを戻す仕組みですね。今中小企業庁やなんかはぼちぼち始められているようですが、それをやはり田舎の方からも出身者に対して人材登録をするとか、地元の企業で人材が欲しいところに登録をするということをもっとやる必要があると思っております。  今ベンチャーの経営にかかわっているんですが、ベンチャーの育成は役人では無理ですね。私の給料も、この間、売上げが決まらなかったらキャッシュフローが足りなくて給料が出ないんじゃないかというような話もあったんですけれども、そういった世界を役人が育てていくのは正直言ってもう無理だと思っています。  それから、良い子供をつくるための方針というのは一応それぞれ市にあるんですが、それはあくまで良い子供というレベルにとどまっておりまして、今先生がおっしゃられたような良い子供ってなあにという質問をした時点で答えが止まってしまいます。例えば、じゃ社会に出る前に消費者金融に引っかからないようにとか、ちゃんとあいさつができるようにとか、そういったことも入っているのかというと、質問すると、ううん、そうだねというようなぐらいの返事でして、やっぱりもっと具体的な目標を明確化していく必要があると思います。  ただ、それは親の側も同じでして、親の側も、あなたの子供をどうしたいですかと言われたときに、はっきりとしたことがないんですね。ただ単に受験勉強していい大学に行ければいいんじゃないのというぐらいしかないので、そこはあながち行政の責任だけとは言えないかなと思っております。  私の場合には、JRの駅で大変中学生のマナーが悪いなんという話もございましたので、乗車して一緒に指導するとかということをやっておりまして、やはり最低限の社会的な礼儀を心得る、あいさつもちゃんとできる、そういったことのトレーニングをやらないと、受験勉強だけできても余り意味がないということを思っております。ただ、この辺については突っ込んだ議論は全然ないのが実態です。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) どうも御質問ありがとうございました。  愛知先生の御指摘は大変重要な問題なんですが、答えるのに大変難しい問題だと。  意識改革の問題は非常に重要なのですけれども、これは、サローという有名なMITの教授が「資本主義の未来」という本で日本国民にこういう警告を出しているんですね。ルールが変わったという事実に最後に気が付くのは前のルールでの勝利者だと。日本国民は重化学工業で成長して世界に冠たる高度成長を成し遂げた、でもルールが知識社会の方に変わったんだけれども、それを最後に気が付くのが前のルールで、つまり前のルールで勝利した日本国民だと、こういう警告を出しているんです。  状況が変わった、だから自分たちの良いところを生かしながら状況の変化に合わせなくちゃいけないという意識、非常に重要なんですが、なかなかそれがつかみにくいんですね。でも、この意識は、何か変わったんですよという意識改革のお説教をしていれば生まれるかというと、これも生まれなくて、結局、意識を改革していくのには、実践を通じて失敗と成功を繰り返しながらその中で意識を改革していくということと、つまりどちらが先、鶏が先か卵が先になりますが、失敗と経験の中から意識というのを育てていくしかない。  そのときに、リーダーシップも大変な重要な条件になります。しかし、私の考え方では、リーダーをつくり上げていくのもやっぱり社会なんですね。社会がやっぱりつくらざるを得ないんです。そうだとすれば、やはり意識、それからリーダーシップの在り方などを含めて、失敗と経験を積み重ねて国民が努力していくということと、これは堂々巡りになってしまいますが、有機的に関連付けてやるしかないだろうというふうに思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  松君。

松あきら公明党

○松あきら君 本日は、木下先生、そして神野先生、お忙しいところお出ましをいただきましてありがとうございます。  両先生にお伺いをしたいと思います。  まず、木下先生は、人員と予算の削減を行いながら市民サービスを向上させるという大変難しいお仕事をやってこられたというふうに思います。効率化やコスト削減に振れ過ぎると、サービス向上とか、あるいは安全、安心というものの確保が置き去りにされかねないと、そういうことも心配しなければいけない。また、自治体事務のIT化やあるいはアウトソーシングということによるコスト削減、あるいは人件費の抑制は、財政上は必要なことと思いますけれども、その結果、例えば嘱託あるいはパート、臨時など、非正規職員が増加して低賃金労働者をいたずらに増加させてしまう、こういう心配もあります。ですから、これはきちんとした雇用環境を整えなければいけないと、いろんな中で工夫をしてやってこられたと思います。  その中で、例えば欧米の自治体では都市計画や町づくりの業務を地域住民のNPOが担っているというところがあるんですけれども、もちろんそのNPOのメンバーというのは専門家に準ずるような人々で、ボランティアという方が多いわけでありますけれども、こうした住民が行政に参加するような仕組みというのはどう考えられるのでしょうか、これが一点。  それから、先ほどのサービス向上、安全、安心の確保、置き去りにされかねないということをちょっと言ったんですけれども、サッチャー首相登場以来、イギリスの行政改革あるいはアメリカの自治体改革など、行政はサービス産業であるとして、民間のマネジメント、例えば人事評価制度あるいは成果主義賃金制度の手法を導入して一定の成果を上げたと。日本でもこういう制度を導入しようという動きが多くあるわけですけれども、本当のところ、その民間のマネジメント手法、こういったいろんな手法を導入して行政の職員の意識改革につながったのかどうか、多分こういうこともおやりになったと思うんですけれども、この二点をまず木下先生に伺いたいと思います。  それから、神野先生、非常に大きな意味で歴史の大転換点にある、正にクライシスで、峠という、私もああそうかなとつくづく思った次第でありますけれども。  しかし、私は、スウェーデンが良い状況である、悲しみを分かち合うために税の負担をしているというようなお話もありましたけれども、女性としますと、やはり教育、育児、医療、養老、介護、そういうことをサービス給付をしてもらえると非常に助かるという面もあるんです。けれども、先ほどの垂直分配ですとジニ係数が上がる、水平的所得再分配であるとユニバーサルサポート、これですと貧困数が上がらないということなんですけれども、北欧は高負担高福祉ではないかなと。そうすると、例えば、私たちは本当はそういういろいろなサポート欲しいけれども、税金ということを考えると非常に、北欧型になってしまうと例えば税金が上がるのかなという心配がある。  小さ過ぎる政府の大き過ぎる赤字ということを考えると、例えば今のようにだんだん経済、財政が厳しくなってくると、景気回復、大きく言えばですね、を目指すのか、あるいは財政再建をやり遂げた方がいいのか、結局はそのどちらか、どちらかとも言えないかもしれないんですけれども、そういうところまで行き着くのかななんて、ちょっとこれはすごく、済みません先生、少しアバウトな質問かもしれませんけれども、そうしたちょっと私も疑問というか、そういう今の私の質問に対してもしお答えいただけたらうれしく思います。  以上でございます。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 最初の御質問の中でサービスのレベルについて御質問があったと思うんですが、佐賀市の場合には基本的にサービスを落とさないという前提で人を減らすということをやっております。  例えば、保育所の場合は恐らくサービス水準が上がっていると思っていまして、それは、これはほかの自治体はこうじゃないと思うんですが、どんな保育をしたいかという方針が残念ながら佐賀市役所にはありませんでした。それで、例えば無農薬でいい食べ物を子供たちに提供したいとか、独特の、はっきりこうしたいと思って保育をやっていらっしゃる方が何人かいらっしゃいましたので、その方たちに手を挙げていただいて保育所を引き受けていただくということをやっております。当然、何人保育士がいてという基準を作ってチェックはしております。  ガス局の売却などもいたしまして、そこは間違いなくサービス水準は向上いたしました。市営ガスの時代は昼休み業務をやっておりませんでしたが、民間ですと昼間でも対応するようになりまして、市民から極端にサービスが良くなったという評判をいただきました。ただ、先生御指摘のとおり、いろんな民間委託をした場合に非正規雇用の人をどうするか。ただ単に価格だけをやっていくと、受ける業者さん方はどうしても非正規雇用を使ってコストを落として安い値段で仕事を取るということをされます。現実にはそこに対しての有効な手はまだ打てておりませんでした。問題があるとは分かっておりましたけれども、現実には財政再建を優先させていただきましたので、質も確保していて安ければいいやということでやっておったのが現実です。  それから、住民が都市計画に参加するかどうかということなんですが、佐賀の場合はどちらかというとお任せ民主主義が当時の自治会にもかなり強く残っておりまして、これは行政の側にも問題があると思うんですが、地域の道路をどう整備するかとか、どの河川から整備するということについて自治会の意見をほとんど聞かないでやっておりました。自治会自体もそういうことに慣れていたので、意見を言うことについて物すごく抵抗があったんですね。  取りあえず私がやったのは、まず決める練習から始めてもらう、失礼な言い方ですけれども、まず、地域の道路をどこを優先して決めるかは自治会で決めてくれと。ただ、これは非常に大変なことでして、そうなると地域住民はおれが先だってみんなわっと言い出すんですね。それで一応市役所の方から、通学路に当たっているのかとか通行量が多いのかとか歩道の幅がどうかという基準を幾つか示して、そこから点数付けて持っておいでということで一応誘導はいたしました。  道路ができたら次は河川整備、それから公民館の運営を全部任せて、勉強をどうするかは自分たちで決めるということをだんだんとやっていって、できれば私の、これはできなかった話なんですが、将来構想としては、合併前の旧町単位で福祉もある程度決めていくというような権限を本当に現場に下ろそうということを考えておりました。ただ、佐賀の現状からいうと、要するに道路をどこから造るかとか河川をどうするかということすら現実には今までは決めていなかった、参加をしていなかったということであります。  それから、民間のマネジメント手法を入れてどうだったのかと言われると、勤務評定をかなり入れて給料も差を付けてみたんですが、正直なところ、最初から意識のあった二割が頑張っていて、いわゆる真ん中の六割の中で多少意識が高まった人間が出てきたなというのが正直な感覚です。役人をしっかり働かせるという意味では、勤務評定よりも、幹部をより優秀でよく働く人間に替えていった方が早いと思います。上が駄目だと採点もいいかげんなので、下から替えるんじゃなくて上から替えていく。上も、これは霞が関もできていないんですけれども、できるだけ一つのポストに長く置いておく。長く置いておかないと長期的なことはやりませんので、そちらの方が有効ではないかなと思います。  やはり役人にとって一番感覚が変わるのは、非常にきつい仕事をさせて達成ができたときに役人は変わりますね。そして、それを市民から褒めていただく。佐賀市が総合窓口をやったときに、待ち時間が繁忙期でも大体三月、四月でも二十分ぐらいで終わるんですけれども、非常に市民から好評でして、手紙がたくさん来たんですね。それをやった職員は完全に意識が変わりました。今も彼らは意識は変わってなくて頑張っているようですね。そんなことでございました。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) それで、水平的な再分配などをやると税負担は非常に高くなるんじゃないか、そのことを国民が納得するかどうかというお話かと思います。  スウェーデン国民も税負担が高いということについては、これは不満を持って嫌だと言います。ただし、個別に聞いていくんですね。あなたは子供たちの育児サービスを充実させていくために増税に応じる用意がありますか、あります。教育を充実させるために増税に応じる意思がありますか、あります。それから、医療を充実させていきますが、これに応じる意思がありますか、あります。ノーというのは二つだけです。日本でいう生活保護ですね。これはノーです。それからもう一つは住宅手当。これはミーンズテストが付いておりまして、貧しい人々にしか手当が給付されないんです。これはノーです。  先ほど言いましたように、医療とかなんとかは現実に今すべての階層に利益を与えているのでイエスなんですね。したがって、水平的再分配の方が合意は取りやすい。そのことは何を意味するかと言えば、例えば子供たちの扶養とかお年寄りの扶養とかということは、社会全体で考えていけば、どういう形にしろ扶養していかざるを得ないわけですよね。だれかが負担して扶養していかざるを得ないわけですよね。そんなうば捨てみたいな、楢山節考みたいなことできませんから。  そうなってくると、どういう形で、これから私たちは多くの高齢者を抱えます。後期高齢者も増えます。そうしたときにどういう形で、つまり社会全体で負担し合っていくんですか、それとも子供たちを産んだ家族だけで子供たちの育児の負担をしていくんでしょうか、それとも後期高齢者を抱えた家族だけで負担していくんでしょうかという、そういう選択の問題だと思います。  私は、これからの後期高齢者が増えていくような少子高齢社会になっていくと、子供を産んだ人、子供を持っている家庭や持っていない家庭、高齢者を抱えている家庭や抱えていない家庭、すべてのことで痛みを分かち合わないと、もうもたないんじゃないかと。今よく現役世代が負担がもたないんじゃないかと言われますけれども、もしも現役世代の負担を低めて、公的な負担ではない方法でやることがどういう方法があるかといったら、家族に押し付けるか自己負担額を増やすしかないですよね。  後期高齢者の人たちの福祉をやるのに、家族でやっても、これは現役世代がやらざるを得ません。それから、自己負担で自分の負担部分をやりなさいといっても、認知症とかそれから終末期医療であえぐ人々は結局自分で負担することできませんから家族がやらざるを得ないわけですね。私は、その場合には激痛が走ってしまって現役世代が負担に耐えられないのではないかというふうに思っています。  よろしいでしょうかね。

松あきら公明党

○松あきら君 ありがとうございました。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  それでは、大門実紀史君。

大門実紀史日本共産党

○大門実紀史君 今日はお忙しいところをありがとうございます。  もっとまとまって長くお話を聞きたいぐらいでしたけれども、最初に神野先生にお伺いいたします。  神野先生の御本はいつもたくさん読ませていただいておりますので大体言われていること分かるんですけど、せっかくの機会ですので具体的なことを一つお聞きしたいんですけど、神野先生は地方財政の専門家でもありますので、夕張市の破綻の問題で新聞に短く書かれたのを見たことがあるんですけれども、私も夕張の破綻問題は、もう五回ぐらい調査に行っているところなんですが、国の責任、道の責任、市当局の責任という破綻の要因はあるわけなんですが、私が注目しているのは銀行の貸し手責任ということを非常に注目していまして、これは夕張市だけの問題ではなくて、いろんな自治体、今赤字を抱えているところに共通する部分もあるんじゃないかと思って調べてきているんですが。  夕張市でいえば、地元の銀行が危ないよと、これ以上借りない方がいいよと言っているときに東京の大銀行が入ってきて、もう破綻するの分かっていて貸し込んで、破綻した後、元金も利息も取って逃げてしまうと。その大きな負担が今市民にかぶせられているというので大変な事態になっているわけですが。  竹中大臣のときに、私も竹中さんと話したことがあるんですけど、銀行にも貸し手責任を取らせようと。民間の場合は破綻したら債権放棄とかに応じるわけですから、そういう案が少し議論されたところがあるんですけれども、ちょっとその後頓挫しているんですが、これから夕張だけではなくて地方財政の破綻を考えるときに、ちょうど二〇〇二、三年のころに不良債権処理の竹中プランというのが出て不良債権処理しろと追い立てられて、そうすると、自治体というのは優良債権ですから破綻しても返ってくるということで、あのころに大銀行はかなり自治体に貸し込んだんですね。  それがずっと今地方に行っていると思うんですけれども、そういう点では、銀行の貸し手責任、これはやっぱり問う方向で考えなきゃいけないんではないかと。総務省も少し今考えているみたいですけれども、そういうふうに思うんですが、神野参考人は夕張市のことで、関係して銀行の貸し手責任についてどうお考えか、お聞かせいただきたいと思います。  木下参考人には、大体お話そのとおりだなと思ったんですが、一つだけちょっと私の理解が悪いのかよく分からないんですけど、地域格差の最大の理由が人材の格差であるという部分なんですが、私も各いろんな地方の町づくりとかかかわったりして、それほど地方の人材というのは、立派な人もたくさんいるんじゃないかと。要するに、都市部であれ地方であれ、マルクス経済学であれ近代経済学であれ、駄目なものは駄目で、余りそういう、地方と何か都市部との人材の格差、むしろ私は、地方の方が今これからの日本をどうするかという意味で人材が多いんじゃないかと思っているんですけれども、この人材の格差、要するに、簡単に言えば劣っているということになると思うんですけれども、これはどういうことを意味されているのか、逆に言えばどんな人材が地方に必要なのかという点をちょっと補足的に説明してもらえればというふうに思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 質問順にお答えいただきたいと存じます。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 夕張市の問題については多分先生の方がお詳しいかと思います。  というのは、私が夕張市にタッチしていたのは産炭審のときでしたので、最後に産炭審が終わるときでした。夕張市、筑豊などの炭鉱を支えた市町村が自立できるようにということでお話をいろいろアドバイスなどをさせていただいたんですが、私の考えでは、というか私の見たときには夕張市は問題ないと。むしろ問題なのは、筑豊の産炭の町々の今後の自立の在り方に苦心をして、夕張の場合には炭鉱で働いている人々が既にもう十一万人いた人口がわずか一万幾らになっちゃっていましたので、身の丈に合ったサービスをしていけばいいので、そのときまでに発行していた地方債などを、基金がちゃんと準備されておりましたから、そこでその地方債などをきちっと整理しておけばできるはずだと確信をしていたんですね。後でちょっとびっくりしたのは、後でとんでもないことになっていたという事態が分かったんですけれども。  今は市町村に大手の大銀行が貸すということは本来余りあり得ないことで、夕張の場合にそれが何が起きたのかというと、私の理解では、元々大銀行が夕張で行っていたホテルとかスキー場などの民間企業の事業に貸していたものを、それがうまくいかなくなったときにそれを市の方が引き受けて結果として入ってきているというふうに理解しておりますので、何か夕張市に対して大銀行が貸したということではないだろうというふうに思います。  したがって、私の考えでは、普通、アメリカなどでも地方自治体の中には一つの事業、ガスしか供給しないとかというような地方自治体が幾つもあるんですけれども、事業を行っているものとそれから一般的なサービスを行っていることを明確に分けて、地方債も性格が全く違いますから、分けて考えなければならないだろうと思います。  したがって、言いたいことは、銀行の貸し手責任といったときに、一般の地方公共団体の任務、使命を果たす、つまりお金もうけをしてはいけない領域で果たしている使命に対する銀行の責任と、それから三セクなどをつくってそこに貸し込んでいる責任とはちょっと別に考えないとまずいかなというのが今現在言えることで、状況その他については、今私が御説明したことが正しいかどうかというのは議員の方がちょっとよく御存じでないかと思います。私の聞いている情報ではそう理解しておりますので、そのように考えております。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 具体的な数字のデータで根拠があるわけではないんですが、どちらかというとこれは私の実感に近いものがございます。佐賀でやっていたときのお話をしていた企業の経営者の方と、それから今こちらでベンチャーをやっているときにお付き合いしている企業の経営者の方との主に比較がまず一つですね。  現実に、今日の資料では露骨には書きませんでしたが、佐賀という地域の経済界は、誤解を恐れずに言わせていただくと、偏差値でいうと二番手、いや三番手ぐらいの高校の卒業生で支えられておりますが、もちろん偏差値が人間のすべてを決めるわけではないんですが、現実の問題として、一番手、二番手の高校の子供たちは東京なり大阪に出て行って帰ってこないんですね。三番手が、佐賀北高校ぐらいがそうなんですが、そこからが現実に地元に残って地域の会社を支えているんですね。時々しにせの跡取りが、帰ってきたくないんだけどしようがないと言って帰ってきて、その辺が経済同友会なんかで地域を支えているんですが、やっぱりそういった面でいい人材がなかなか採れなくなってきているというのがまず一つございます。  実際に私がつくづく感じるのは、経営者の方と話していて、建設業に代わる産業が育たない、また建設業者の方も経営に非常に苦労されているんですが、その代わりの産業に何かチャレンジしていく人、それから何か新しく創業しようという方自体がまずいないですね。現実に今ITが非常に進んでいまして、流通も進んでいますので、地方にいるというハンディキャップ自体がそんなにないんですね。ですが、現実に産業が地方ではなかなか興ってこない。それは、やはり私が思うには、知的なビジネスが多いですから、その世界で新しい会社を起こすだけの経営能力なり発想力がない、それが私が思う人材の差ですね。それからもう一つは、なかなかいい若い人たちが採れないというところが、私が言う地域の最大の格差は人材の格差ではないかということでございます。  もちろん、地方といっても佐賀のがすべて同じ状況で全国広がっているというわけではありません。地方の中には物すごく教育熱心で、人材の育成に頑張られているところもありますので、地域が一〇〇%そうだというわけではないんですが、先ほど神野先生がおっしゃったように、東京に来てつくづく思うのは、もう知的な能力で、知的なところで会社が興るか興らないかの勝負が大体付いています、私が今かかわっている省エネとかITのビジネスですと。ですから、それに合ったような教育をしっかりやって、またそれができるような人が地方にいれば建設業以外の産業もどんどん興ってくると思うんですが、残念ながらそうじゃないんですね。  先ほど説明では飛ばしましたけれども、アメリカの小学校のIT教育を調べておりましたら、驚いたことにアメリカはもうすべてが総合学習の時間なんですよ、小学校でも。そういうことを地方が前倒ししていって、新しい、頭を使う、知恵を使うところで産業の勝負が決まる世界に対応していかないと、地方は本当に大変だなと思っております。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) それでは、小林正夫君。

小林正夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○小林正夫君 民主党・新緑風会・国民新・日本の小林正夫です。  それぞれ一問ずつ質問をさせていただきたいと思います。  今日は大変貴重な資料もいただきましてありがとうございました。また、参考人の論文なども事前にいただいておりますので、その中から質問をさせていただきたいと思います。  まず、木下参考人におかれまして、これは日本経済研究センター会報の十二月号なんですが、自治体の格差が拡大をしていく、こういう心配の下に、大部分の貧乏な自治体とある程度裕福な少数の自治体に二極化すると考えていると、このように書かれておりました。私もこれからの日本もそうなっていくのかなと心配をしている一人なんですが、そこで、道州制の論議がされているわけなんですけれども、この道州制というのを木下参考人はどうとらえているのかということと、前に私、このような機会である先生からお聞きをした中に、自治体の人口の単位として考えていくと三十万人ぐらいの人がいる自治体が理想的じゃないかなとおっしゃっていた先生もいらっしゃったんですが、この道州制と三十万人規模の自治体、このことについてどのようにお考えになるかということをお聞きをしたいと思います。  そして、神野先生につきましては、今のことも受けまして、先ほどのお話の中でスウェーデンのお話を例に挙げて、お互いに分かち合うと、こういうお話を先ほどされておりましたけれども、ふるさと納税という話が沸き上がっておりまして、平成二十年度の予算にもある面では少し変化した形で出てきているかなと、このように感じているんですが、ふるさと納税については、神野先生、大変厳しいお考えを持っていると私は受け止めておりますけれども、お互いに分かち合うということとふるさと納税について、この関係についてちょっとお聞きをしたいと思います。  以上、二点です。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 私は、高齢者の数が東京、首都圏でも増えていきますので、全体として自治体が沈んでいく中で、まあまあ何とか踏みとどまる自治体と、もっとうんと下に行く自治体に分かれていくだろうと思っております。その中で、道州制をやったらいいんじゃないかという議論があるんですが、残念ながら今の道州制の議論では地域の経済や教育は浮揚しないんだと思っております。  というのは、ただ単に役人の数を減らすだけのコストダウンでしたらば、業務の広域化、若しくは住民番号を広く使うというようなことで同じぐらいの効果を上げることは全然難しくないんですね。じゃ、どうやって道州制にしたら新しい産業なり富が生み出せるのかという提案は残念ながらどこからも出ていないですね。  私は、北海道が道になるというときに、もしかしてサハリンとかロシアの開発でここをベースにするとか、二時間の時差を付けて企業開発をするというような何か提案が出るのかなと期待しておったんですが、新たな富をどうやって生み出すかという提案が出ない限り、道州制をやっても地域経済が浮揚するということにはなかなかつながらないだろうと思います。そうでないと、また逆に動きの悪いまた道ができるだけの話かなと思っております。  それで、三十万人の規模がどうかという話なんですが、今私はたまたま横浜に引っ越しておるんですけれども、横浜なんか見ておりますと、余りにも大き過ぎてもう身動き付かないなと正直思います。佐賀でこれだけやれたのは、人口の規模が小さかったからこれだけすぐに動いたわけでして、やっぱりある程度の、三十万人ぐらいの規模、五十万人でもいいんですけれども、余りにも大きいと、かえって住民との距離が遠くなって良くないかなと思っております。  私は、合併についてはどちらかというと、中立的というよりも、余り性急にやるのは良くないなと思っておりまして、合併で出るぐらいの効果はIT化とか業務の共同化で軽く出せますので、むしろそういう共同化で効果が上がる部分は先に共同化しておいて、できるだけ地域住民と直接つながった方がいい福祉とか産業振興は小さいサイズでやった方がいいと思っております。  以上でございます。

小林正夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○小林正夫君 ありがとうございました。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) ふるさと納税については、二つの議論が混乱していると思うんですね。ふるさとを愛する、ふるさとをどうするかという問題と、もう一つはふるさと納税という形で財政調整をする、地域間の財政力の格差を是正するという問題と二つあると思います。  後者の問題について、先ほど私が説明した分かち合いの議論から言えば、私は、地域社会で地域社会の痛みを、悲しみを分かち合うために地方税を支払い、国民が国民的な悲しみを分かち合うために国税を分かち合っていると。国民は国税を納税することによってすべての日本国民が幸福になるような形で負担をし、地域社会のために地方税をやっているのに、その地方税をほかの地域に持っていくということは課税権の根本を侵すのではないかということが一つですね。  それから、これは先ほどの松先生の質問に幾つか答えていなかった点があるかと思いますけれども、大きさを決めるのも、したがって地方税というのはマンションの管理費みたいなものなので、その地域社会が共同でやらなければならないことについて、マンションの管理費を払ってどこまでをマンションの管理費としてやりますか、高さどのぐらいにしますかということはそれぞれ決めればいい、それが程よいものだというふうに考えておりますので、そういう議論からいっても、分かち合いの議論からいっても、ふるさと納税は成り立たない。  もう一つは、スウェーデンでもふるさと存続運動をやっています。しかし、スウェーデンのふるさと存続運動というのは、私たちは目先の利益に追われて、もうふるさとを見捨てるのをやめようと、もしもそんなことをやったら、このグローバル化の下で自分たちのアイデンティティーを失うのだと。これは、ヨーロッパで行われているサステーナブルシティーとか持続可能な都市とか、持続可能なサステーナブルコミュニティー、持続可能な地域社会というのと同じ考え方です。それは、あくまでもふるさとというのは、ふるさとは近くにありて守るものであり、ふるさとは近くにありて愛するものだという思想に支えられているんですね。ふるさと納税の思想というのはどういうものかというと、これからもふるさとを見捨てていくという思想なんですね。後で仕送りすればいいでしょうというそういう話ですよね。  あくまでも日本がふるさとは遠くにありて思うものという思想に基づく限り、ファウンテン現象と言っていますが、泉のごとく地域から新しい芽が出てきて、泉のごとく地域が持ち上がっていくということはなく、いつもトリクルダウン、一部のところからのおこぼれちょうだいという形で地域社会の発展にはならないんじゃないかという、二つの意味で議員のお目に留まったかもしれません。厳しく言っております。

小林正夫民主党・新緑風会・国民新・日本

○小林正夫君 ありがとうございました。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  森まさこ君。

森まさこ自由民主党

○森まさこ君 自由民主党・無所属の会の森まさこでございます。  今日は、両先生、本当にありがとうございました。大変勉強になりました。  私からは、少子化、それから働く女性、教育といった観点で御質問をさせていただきたいと思います。  まず、木下先生の、親が減っていては子を産んでも追い付かないという鋭い御指摘を深刻な現実として受け止めました。  私も、大変無謀にも首長選に出た経験があるのですが、そのときに選挙のときの演説で、人口減少、少子化の対策には教育こそが大事なんだということを訴えさせていただいたのですが、なかなか有権者の理解は簡単には得られない話だと思います。  そんな中で、先生のレジュメの中にアメリカの小学校教育について載っておりまして、私自身がアメリカで子育てをしたことがありましたので、非常に興味深く拝見をさせていただきました。  子供が三歳から六歳まで三年間、私、専業主婦として二人の子供をアメリカの学校に通わせていたんですが、幼稚園の段階で、ここに書いてあるように時事問題を通じて学習をしていく。メリーランド州なんですけれども、それから、幼稚園でしたが、毎日読書を義務付けられておりまして、毎日一冊持ち帰ってきて、読んで感想文を自分で書いていかなければなりません。幼稚園生ですから、もちろん、アメリカの現地の学校だったのですけれど、現地の子供でさえまだアルファベットもおぼつかないような中でも、必ず親じゃなくて自分で書かせなさいと。まあ子供ですからぺらぺらもうおしゃべりは幼稚園でできますので、その自分のしゃべっている音でアルファベットの単語も適当なつづりで書いていくのですが、本当に年に何冊読みましたか、三年間いて千冊超えたと思いますが、毎日一緒に読んで読書感想文を考えて書くという、幼稚園から帰ってきてから丸々二時間はずっと子供の宿題に付き合っていたような生活でしたが、非常にそのときに、子供のやはり教育に非常に貢献したなというふうな思いがしました。  それからもう一つは、プレゼンテーションですが、三歳のプリスクールという保育園に似たような施設、その時点から毎週一回自分のプレゼンの時間があって、五分から十分皆さんの前に一人だけ立って、先生から与えられた題目又は自由題目でプレゼンをするという、プレゼンをするとその後クラスメートから質問も飛んでくるわけなんですけれども、そのような中で、最初は非常に嫌がって、泣くほど嫌がっていましたが、帰るころにはそのプレゼンの時間が非常に楽しみで、帰国の前には先生から特別一時間の時間をいただいて、ジャパンという題目で、自分で地図も作って、自分以外は全員アメリカ人ですけれども、ジャパンについて話すというそういう機会も持ったということで、是非私もこのような教育を日本に取り入れたいと思っているのですが。  そこで、質問なのですが、木下先生がその前のペーパーで、なかなかこの教育について取り入れることができなかったその理由が、県教育委員会との調整など県の権限に関することの調整がうまくいかずというふうに書かれておりますが、どのような点が障害になっていって、それを解決するとしたら、今後私たち国会議員でどのようなところで努力すれば解決していけるのかという点でアドバイスをいただきたいと思います。  神野先生の方は、少子化と働く母親という点で、無償労働で、アンペイドでしていたサービスを国が行うことによって、逆にそこで家族の愛情が深まるのだという指摘を非常に感動を持って聞きましたけれども、私は、無償労働で今まで主に女性がしてきた育児とか養老というものを行政のサービスに置き換えていくということについては、やはり教育というような面で子供たち、特に幼児のうちからそういったことが大事なのだという、それは無償の人に任せていてはいけないのだというような考えを共通認識にしていくことが必要なのだと思うのですが、その中で特に、やはり絶対的時間でいうと女性の方が、母親の方が子供に接する時間が長いわけですね。うちも共働きなんですけれども、やはり父親の方は平日はほとんど子供たちと接することができません。私はやはり夕方から、それから朝も、朝御飯も一緒に子供たちと接する中でいろいろなやり取りがある。  その中で、やはり働く母親が自分は不幸だというような考えを持っていると、どうしても子供にそれが伝わってしまいます。そして特に、私も地方出身ですが、地方ですと、やはり都会に行った方が女性は働きやすい、その方が幸福だというふうに母親が考えていると、子供たちは、やはり将来、お勉強して、できれば都会の大学に行って、都会であなたたちだけは幸せになってねというようなことがそこはかとなく伝わっていってしまうのではないかというふうに感じております。  そこで、やはり私は、働く女性の権利向上というものが非常に重要で、女性が子育てをしながら働くことを幸せだというふうに感じるような世の中にしていかなければと思うんですが、その点に関する神野先生の御意見や具体的な何か施策がありましたら教えていただきたいと思います。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 県庁と一番もめましたのは、教員の人事権を取る取らないというところでもめたんですよ。  佐賀市の教育委員会には、当時、ブルー教員リストとブラック教員リストというのがございまして、これは表に一切出ない資料なんですが、各学校に指導力不足教員がだれがいて、どんなふうに駄目かということがきちっと書いてあるんですね。  私は何でそういうことを知ったかというと、実際に子供を抱えている親からはなかなか学校には文句を言えないですよね。やはり現実に、先生からまたしっぺ返しを食らうという恐怖感がやっぱりありますので。それで、やはり最後に頼るところがない人たちが私のところに投書を持ってくるんですよ。それをうのみにするわけにはいかないので、やはりいろいろと周辺情報を仕入れてから、ああ本当にこれはまずいなと思うときに乗り出していくんですけれども。  それを突き詰めているうちに、実はと言ってある日持ってきたんですね、教育委員会が、こういうリストがございましてと言って。とんでもないことがいっぱい書いてありまして、各学校に一人いるんですよ。それを教壇に立たせないようにしたかったんですが、それがなかなかうまくいかなかったんですね。というのは、学校に入ってしまうと子供たちはもう逃げられないですから。  現実に、その人が行くと中学校のその学年だけ英語の平均点がどんと下がるとか、本当に恐ろしいことがありまして、何とかしたかったんですが、やっぱり人事権がないのでうまくいかないんですよ。それで、窮余の策として、代わりに、市がお金を出して代わりの先生を雇うから、臨時の職員なんですけれども、正規の職員にはやっぱりできなかったんですが、教壇に立ってもらうということをやっておりました。  それから、ほかにも、校長の人事権がやっぱり佐賀市役所にない、佐賀市の教育委員会になかったんですね。組織というのはトップが替わるだけでがらっと変わりますので、東京都の教育委員会のように、経営管理能力に優れて志のある方だけを校長にぴしっと五年間置いておきたかったんですが、それがまたなかなかうまくいかないんですね。  当時は、今は大分文句言ったので佐賀市だけは変わりましたけれども、学校崩壊が起きて、しかし、学校崩壊を起こした校長、まあ校長自身の責任が一〇〇%ではないんですが、それの処分を佐賀市教育委員会がしようとしたら県庁から待ったが掛かったりとか、非常に苦労しました。その方は現実に佐賀市の校長からは外れたんですが、一年間教育センターに行って、その後、これは伊万里だったかな、佐賀県の東部の校長先生として返り咲かれております。  そんなことがあって、ともかく人事権がないとなかなか教育の内容に踏み込んでいけないということで随分苦労をいたしました。  今先生がおっしゃったような教育をお子さんがアメリカで受けられたということはすばらしいことだと思いますが、日本に帰ってきて相当苦労されていますよね。ただ、私は、そっくり今アメリカのようにまねをするのがいいかどうかは正直よく分かりません。日本には日本なりの教育の仕方があると思うんですが、アメリカがこの教育ですごいなと思うのは、インターネットを使った社会のビジネスの仕方に全く当てはまっているんですね。今私がベンチャーで関係していて外資系の人と話をするときに、仕事のやり方が今アメリカの小学校でやっているやり方と全く同じです。インターネットで調べたり、現地に取材に行って情報を得てきて、大量に情報を入れて分析して自分の考えを出す、それをアウトプットで発表して、みんなにもまれて、また同じ作業をして修正をするという、今のアメリカのビジネスと全く同じやり方をしていまして、これを身に付けている子供とそうでない子供がビジネスの世界で戦ったら、多分太刀打ちできないだろうと思います。  そういう意味で、ここを早くしないと、中長期的な日本の競争力は多分、大分下がるんじゃないかなと思っております。もし物づくりでいくんだったら、今残念ながら理科の実験もほとんどちゃんとやられてなくて、物づくりでいくなら理科の実験はちゃんとやるとか、実際の感覚を積ませるようなところに資源を投入するということをやるべきだろうと思っています。佐賀はそういうふうにしようとしたんですけれども。  実際に教育の内容を変えるとしたら、これは国の法制度ではなくて、県の教育委員会が変わろうと思えば幾らでもやれることばかりです。ただ、現実になぜそうされないかはよく分からないんですが、私のお付き合いのあったいわゆるよく改革をしていると言われている市長さんたちは、大体この教員の人事権を是非くれとおっしゃっていますね、杉並の山田区長にしてもそうですけれども。  もし国の方でいろいろやっていただくとすれば、やはりそれは予算の集中的な投入ではないかと思います。やはりきめの細かい教育をやるとすると、アメリカは一クラス二十人ですから、やっぱり人数を減らす、それから同時に教員の能力を高めるための相当なトレーニングをしないと、時事問題をテーマにして教育をするということは、国の教科書ないわけですから、全部自分で組み立てないといけないんですよね。物すごく能力要ると思います。日本の先生で今これができる方というのは本当に限られるんじゃないかと思いまして、それを移行していくためには、さっきのブラック教員とかそういうような人たちはのいていただいて、残った人がもっともっと勉強する場をつくる、それから先生の数も増やしていく。  一週間に二冊本を読ませると年間百冊本が要るんですよね。それを全部子供たちが家庭で買いなさいというのは不可能なので、そういう意味でも学校の図書館の本も全然足りないですね。今私が横浜に子供通っていますけど、やはり小学校の図書は、子供がもし一人百冊、一年間に読んだとすると、全然冊数は足りないですね。でも、自治体は現実にはお金がなくてなかなかそこも増やせない。ですから、そこの点については予算を入れていただくと、志のある首長は教育の方にうんと更に金を持っていけるんではないかと思います。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 森先生の御意見に私もすべて賛同いたしますので、私の方の意見から申し上げれば、もう世界でと言っていいと思いますが、先進諸国では、今これからの社会にとって一番重要というか力を入れなければいけないのは就学前教育、プレスクールだということはもう明らかになっているわけですね。しかし、日本の場合にはまだ幼稚園が保育園が一元化するとかしないとかという議論にとどまっていて、下手をすれば就学前教育で大きな後れを取ってしまうということになってしまうのではないかと思います。  しかも、子供たちが育っていく過程での政策というのは、やっぱり総合的に打たれなければならないので、すべてが関連してきます。例えば、スウェーデンでは、一方で保育園というかプレスクール、これを重視しながら、子供を育てていく上で家庭で必要なのは三つの愛が必要であると、一つは父親の子供に対する愛、母親の愛、それから両親が愛し合っていることという、この三つの愛というふうに言っています。しかも、プレスクールというか、日本でいう幼保一元化したプレスクールの名前そのものが昼間の家庭という意味ですので、昼間の家庭と同じようにできるだけ地域ごとに小さくつくられることになっています。  しかも、両親は、委員がおっしゃったように子供と一緒にいてあげるということは非常に重要なことなので、子供と一緒にいる権利を持っています。これは今までは一年でしたが今は一年よりちょっと延びているかと思いますが、両親が子供と一緒にいる権利、育児休業といったらいいのか分かりませんが、今ちょっと財政が厳しいものですから前の賃金の七〇%か七五%しか保障していないと思いますが、それを保障して子供と一緒にいる権利を持っています。  ただし、これはどちらかの親が一か月以上行使しないと認められません。簡単に言ってしまえば、ちょっと差別発言になりますが、男親が事実上一か月以上取らないとその有給の一年間は認められないと。したがって、必ず男親は取るということですね。両親が取らないと認められないというシステムになっています。  それからもう一つは、先ほど言ったプレスクールに子供を預けたとしても、家庭での愛が重要だということを認めていますから、六時間以上預ける両親はいません。それはどうしてそういうことが可能かというと、労働時間がフレックスタイムになっているからです。保育園に言っていただければ、お母さんがこの時間に預けに来てお父さんがこの時間に迎えに来ますよというふうになっていますから、ずっと一覧表がなっていて、ほぼ大体六時間以上預けることはなく、家庭の中で子供と一緒にいながら、かつ両親が働きに行けるように保育のサービスがユニバーサルに提供されている。  したがって、労働時間の問題とか、つまり労働政策とか、それから、これも社会保障省でやっていたのを教育省に移しましたから既にもう教育であるという意識とか、様々なものが総合的に打たれて、プレスクール、就学前教育を重視しないとトレーナビリティー、後での発展可能性が制約されちゃうんですね、六歳ぐらいまでで決まっちゃいますから。各国はそこに力を入れていますから、日本もここを怠ると知識社会という点でも後れを取るのではないかというふうに心配しています。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。  参考人に対する質疑、大体予定された時刻になりました。その他、発言ございますか。  大島君。

大島九州男民主党・新緑風会・国民新・日本

○大島九州男君 今日はどうもありがとうございました。  簡潔に、木下参考人にお聞きしたいのは、参考人のおっしゃることは本当にまさしくそのとおりだなと。当然、市長になられたときはまだお若かったわけですから、役所の人がそういう余りにもすばらしいことを言われると素直に聞けなくていろんな抵抗があったんじゃないかと。そういうところですごく御苦労された部分があるのかなという、その苦労されたところを一点聞かせていただきたいのと、ちょっと聞きにくいんですが、佐賀の合併のときの市長の選挙のときの敗因となるものは何だったのかなというふうにお考えになられるのか、ちょっと申し訳ないですが。  それと、神野参考人のお話を聞かせていただくと、ああやっぱり哲学が大事だなというふうに思わせていただいたんですが、行財政改革をやるときの心構え、ちょっと漠然と聞いて申し訳ないんですが、是非それを教えていただきたいのと、私、筑豊の産炭地の直方なんですよ。直方はどうやったら産炭地としていいのか、それはちょっと個別の話で申し訳ないんですが、そこの二点をお願いします。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 私は役人のコントロールは余り苦ではありませんでした。というのは、霞が関にいて役人が何を大事に動くかというのは分かっていまして、役人は人事で動きます。給料ではないんですね。給料は大して差が付きません。人事だけで動きますので、その人事権を握るということをやりました。  私が当選したのが三月十四日でして、一回目が、四月一日の人事を止めたんですね。管理職の人事を全部止めて、五月まで延期して、自分が管理職の人事を全部やりまして、だれが人事権を持っているかというのをやっぱり見せるということをやったんですね。何でそれをやったかというと、それは二つ目の敗因のところにつながるんですが、三期十二年ぐらいやるつもりでいたんですが、逆に言うと十二年しかもたないだろうという気持ちは最初からあったんですよ。  これは、激しい改革をやった人間は途中でみんなやられていまして、何でそうなるかということをリチャード・クーさんに教えていただいたことがあるんですよ。改革をやって特定の者をばっさりやりますと、それに頼って生きていた方たちの恨みがすごく残るんですね。しかし、今財政が厳しい時点なので、それで浮いたお金を広く薄くしか配れない。ですから、それは、ああ、いい改革だねと強く思っていただく方は余りいないんですよ。そうすると、改革を続けていけばいくほど敵はどんどんどんどん増えていって、この間の選挙で、ぎりぎり勝つつもりでいたんですけれども、ちょっと予定が狂って負けてしまいましたが、長くはもたないと思っていたんですね。改革というのはこんなものかなと思っておりまして、しかし、それを恐れていると多分何もできないかなというふうに思っております。  戻りますが、役人の抵抗というのは、役所の出身者であればそんなに難しくはないと思います。ただ、これを、役人の習性が分からない方が入ってきますとかなり難しいので、そういう意味で本当は役人のコントロールもよくできるプロのシティーマネジャーというものができていくと、外から入ってきた市長さんがかなり思い切ったことをやれるんじゃないかと思っています。ただ、今そういう人はいませんけれども。  もし、何か役人のコントロールで悩んでいらっしゃる首長さんがいらっしゃれば、時々相談に乗ったりもしているんですが、言っていただければ、こうしたらいいよというアドバイスはさせていただきます。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 選挙、御苦労さまでした。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 行財政改革で一番重要な心構えないしは問題点をというお話だと思いますが、私は、二つの効率性を混同してはならないと。改革をするときに効率性が問題になるわけですが、一つの効率性は外部効率性と言われているもので、これは企業は追求しておりません。この外部効率性というのは、その地域社会で生活をしていく上で必要不可欠なもの、簡単に言ってしまえば、先ほどの言葉で言えば分かち合いでやらなければならないこと。そのサービスは、市場でサービスを配ると購買力に応じて配っちゃいますから、お金持ちには多く貧しい人々には少なくということになるわけですね。そうではなくて、必要な人に必要なものをちゃんと配っていくという、必要に応じてちゃんと配られているかどうかという効率性が外部効率性です。もう一つの効率性は内部効率性で、公共サービスを生産するのに人件費と物件費をいかに安く効率的に生産して配るのかという話ですね。  この二つがどうも混乱してしまって、外部効率性がどうも日本は抜けるんですね。その地域社会で不必要なものをいかに安く作ってもしようがないわけで、必要なものを安く作るということが重要ですから、まず何が必要か、ニーズを、その地域社会での生活に必要不可欠なサービスを埋めているかどうかという効率性を考え、次に内部効率性を考えるという、二つのことを分けないでもって行政改革で効率性を上げるということを議論しない方がいいのではないかというふうに思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) それでは、他に意見がないようでありますから、参考人に対する質疑はこれをもって終了させていただきます。  次に、「幸福度の高い社会の構築」のうち、国民生活と行財政の現状について、委員間での意見交換を行いたいと思います。  議事の進め方でありますけれども、一時間内を目途に自由に意見交換を行っていただきたいと思います。なお、参考人の方々の御意見を求めていただいても結構であります。  御意見のある方は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願いを申し上げます。  それでは、御意見のある方の挙手を願います。  広田君。

広田一民主党・新緑風会・国民新・日本

○広田一君 広田一でございます。  まず、今日の両参考人の御意見を聞いたときの感想なんですけれども、神野先生が冒頭、網膜剥離の経験から近視眼的な政治をやってはいけないといったアドバイスをいただきました。そのとおりだと思いますし、そしてそれを受けて、木下参考人は、その前だったんですけれども、子供たちの未来のことを考えて政治を目指したというふうなお話がございましたので、まさしく我が意を得たりというふうな感じがいたします。  その子供たちの未来ということを思ったときに、大門委員に少しちょっと御意見をいただきたいなと。突然で申し訳ないんですけれども、夕張のお話をされました。夕張は粉飾決算でああいうふうな財政破綻をもたらしたわけでございますけれども、その再建計画を見ますと十八年から二十年掛かるというふうなことで、まさしく今年、去年夕張で生まれた子供たちが成人するときにこの新しい第二の夕張がスタートをするというふうなところだと思います。  そういったところを踏まえて、大門委員自身五回ほど夕張の方に行かれたということでございますが、この調査会のテーマが幸福度の高い社会の構築ということです。財政破綻というのは、その自治体から見れば大変不幸なことだというふうに思います。ですから、そこに住む住民の皆さんも様々な行政サービスの低下並びに負担の増加というふうな形で、ある意味では不幸なのかもしれません。しかしながら、今、夕張の中で、私自身一度しか行ったことがないのでつまびらかに分かりませんけれども、かえって自治の意識が目覚めてきたと。例えば、有名な成人式のお話でもありますし、そしてあの映画祭を守っていこう、また行政サービスとして当たり前だった除雪作業、これもボランティアで行っていこう、こういうふうな自治の動きが出てきたわけでございます。  その意味で、夕張が破綻して、夕張市にとっては不幸なことかもしれませんけれども、イコール住民が不幸に陥っていないというふうな、むしろ様々な違う新しいことも芽生えてきたんじゃないかなというふうに私自身思っているわけでございますけれども、幸福度というふうなところから見て大門委員自身どのようなことを感じられて、二十年後、今の夕張に生まれた子供たちが成人式を迎えるときにどういったような町になっていくことを期待しているのか、こういったところについての御意見をいただければと思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 御指名をいただきました大門委員、お願いします。

大門実紀史日本共産党

○大門実紀史君 御指名ありがとうございます。  一度予算委員会で質問したこともあるんですけれども、若干説明させてもらうと、夕張は、国の責任もあり、神野先生言われた産炭地から引きずっているものもあり、北海道の責任もあり、一番ひどいのは夕張市当局のいろんな、もう不正と言っていいぐらい破綻を隠していたとか、いろいろあるんですね。それは問われるべきであるんですが、住民の人にそれじゃ全部責任があるのかということを思ったときに、国として、何というか、財政破綻の見せしめのような感じになっていますので、手を打たなければいけないのかということから取り上げてきているんですけど。私も住民の皆さんと懇談すると、破綻の当時よりも今の方がみんなで力を合わせようと、頑張ろうというふうな意識が芽生えていますから、不幸か幸せかという意味ではないんですけれども、むしろ今の方がある意味では気持ちの上では活気があるというのはあると思います。頑張ってもらいたいなと思います。  ただ、一人三百九十五万円の借金、ほかの自治体だと、地方財政だけの負担ですけど、四十五万円ぐらいなんですね、平均すると。夕張だけ三百九十五万の借金が十七年間も背負わされて、それで今の元気がもつのかどうかというのがあって、余りにも重い負担過ぎるというので、私も率直に言って債務の圧縮をしないともたないと。あの計画そのものがもたない。人口が減っているんですよね。いる人は元気なんですけど、黙って出ていっている人もいっぱいいるわけですよね。そういう点でいくと、もたないという点で国の手を打つべき責任があるんじゃないかということで、それはそれで取り上げているんですけど、おっしゃるような、人が何が幸せかというのは、本当、人それぞれ分からないところありますが、今、今までいろんな地域の活動に参加しない人が参加して人を助けてあげるとか、そういう点では、いろんないい意味で生きがいとかそういう点では生まれていると思います。  ただ、国の責任、行政の責任として、じゃみんな何か助け合ってやっているそうだからいいんじゃないのというわけにはいかないだろうという点で取り上げてきているということで、幸福度という点でいえば難しいところはあると思いますが、少なくとも、ただ全国的な、神野先生がお詳しいと思いますけど、ミニマムといいますか、それが達成されてないというのはそれでいいのかと。同じ日本人じゃないかと。何で夕張市民だけそこが抜けているのかと。こういう点はやっぱり幸福の最低条件として手を打たなければいけないんじゃないかなと思っているところでございます。

広田一民主党・新緑風会・国民新・日本

○広田一君 それに関連しまして、神野参考人にお伺いをしたいんですけれども、先ほど大門委員の方から国の責任というふうなお話がございました。まさしく夕張市が行った本当にこれは罪と言っていいようなことを今住民がサービスの低下ということで受けているわけでございますし、当初、総務省は、二度とこういうことを起こしちゃいけないということで、かなり夕張市に対して厳しい姿勢で挑んでいたと。  ただ、一時期、あるとき、菅元総務大臣が夕張市に行かれてから、少し見直しをしようと。高齢者向けのバスの運用とか、そういったものを見直すというふうな動きの中で、たしか神野参考人の方が日経新聞の方に、こういう動きに対して、どういう場合にどういう理由で支援するのか一定のルールを決めなければいけないんじゃないか、そうしないと他の自治体がいずれ国が何とかしてくれるんじゃないかというふうな気持ちが出てしまうというふうなことを踏まえての御発言だったというふうに思いますが。先ほどの大門委員の国の支援というふうなところも絡めてです。  あと、夕張市が、これは償うと言ったらおかしいかもしれませんけれども、背負っていかなければいけないところの中で、国の支援の在り方、ルールの在り方、何か明確なものがあればお示しいただければと思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 神野参考人、御意見をちょうだいします。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 私は、先ほど申し上げましたように、どのような地域社会に住んでいようとも基礎的なサービスについては国民全体として分かち合って保障し合っていくというのがポイントだと思います、生活についてですね、生活を支えるサービスについて。国はそうしたことに責任を持っているから、だから地方自治体が破綻しそうになったときに国がその地域社会に介入して、財政権、例えば財政再建団体などのような決定権限を取り上げて、財政を再建するための計画を作らせて、今財政再建ではなくて再生計画になっていますが、再生計画を作っていくということになるんだろうと思いますので、国がどの範囲で、つまり、基礎的なサービスについての財源保障責任をどうするのかという見合いで介入の仕方を決めていくということが重要なのではないかと思います。  私がちょっと心配しているのは、夕張のことを契機に、国がむしろ財政再建団体に、つまり、これは元市長に聞いていただければ分かりますが、条件をいろいろ細かく厳しくしているんですね。厳しくするんであれば、その代わり財源を保障する責任というのは強化しているのかなと思うと、それは強化してないということになるわけで、国民全体として、日本国民である以上どこまで責任を持ってお互いに助け合っていくのかという話と、地域がどこまで決定できるかという話を明確に分けて議論をするということではないかと思います。  以上です。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) せっかく振られたものでありますから、木下参考人、御意見がありますれば。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 神野先生からの御質問でいいんですね。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) はい。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 正直言って私の場合には、国から来る金は、霞が関にいた経験からいうと、どんどんどんどん何だかんだ理由を付けては地方に回していくだろうと踏んでおりました。  それで、国の金が減らされてもぎりぎり佐賀市民が生きていけるように、ともかく行政改革をやって早めに金をつくって産業を興すという方式を取っておりまして、全く先生のおっしゃるのと同感で、厳しくするんだったら破綻した自治体の最低限のラインの財政を保障してもらわないといけない、全くおっしゃるとおりなんですが、現実には霞が関の役人はやっぱりそうしないですね、私が農林省にいた経験から考えるとですね。  いろいろ理由は付けますけれども、結局、財源は県が面倒を見なさいよとか、地方で自分で頑張りなさいというスタイルになっていくんじゃないかと、当時はそういうふうに予測をしておりました。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) それに対する御意見やら個々人の御意見でも結構でございます。  姫井委員。

姫井由美子民主党・新緑風会・国民新・日本

○姫井由美子君 姫井と申します。  今日は、本当に広くて深い、それぞれの観点の違った切り口からの意見をいただけて大変良かったと思います。しかし、私たちのテーマであります幸福度の高い社会の構築というテーマが本当に難しいなということを改めて感じました。  先ほどの広田委員、またそれに対する大門委員のお答えからも、幸福というものが、えてして主観的なものですけれども、これを私たちは社会の構築をするためには客観的に第三者的に評価をしないといけない。  そこで、ちょっと評価について皆様の御意見とそれから今日の参考人の御意見をできたらお伺いしたいんですけれども、木下参考人の方が、地域の人材いろいろ格差があったにしても、その人材を生かして使うためにまずやったことが行政の中でちゃんと人事評価をするというふうに言われました。それで効果を上げたということも伺いましたけれども、この評価というのは、正しい評価を目的とする評価であれば、一体だれが評価をすればいいのか、その評価は正しかったのか、更に評価が必要になってきます。しかし、その目的が職員をやる気にさせるための評価であったら、正しい評価を追求するよりもちゃんと評価してもらえたかどうかみたいな、またちょっと評価の基準が違ってくるような気がします。  そこで、この評価の効用を生かすためには、その評価の目的というものをどういったところに持っていったらいいのかということを木下参考人に伺いたいと思いますし、また神野参考人の方には、結局だれかに評価されないと頑張れないそういった社会、これが本当に成熟した社会かどうか。最後に神野参考人がケルンの地下室での予言のお話をされましたけれども、それを読んでみますと、だれかに評価されるよりもしっかりと自分を持っている、自己評価みたいなものが確立されているのが理想な社会かな、ともすれば、私たちが求めている幸福度の高い社会というのは、イコール理想な社会を目指すことが果たして幸福度の高い社会の構築を目指すことなのかなというふうに、いろいろと、この幸福度の高い社会というものの目指すものが私たち人間一人一人が本当に幸福を感じる社会なのか、それとも理想の社会なのか、それはイコールなのかという部分が非常に難しくなってくるかと思います。  できたら、その評価という切り口から皆様の御意見と参考人の御意見を伺いたいと思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 参考人に振ってしまうと答えがすぐ出ちゃうものですから、それに関連した御意見をちょうだいしたいと思うんでありますけれども、いかがですか。  同党の委員の質問でありますから、佐藤委員、それに対する御意見ございませんか。

佐藤公治民主党・新緑風会・国民新・日本

○佐藤公治君 姫井委員の質問、非常に難しいと思います。  実は、私、今話を聞いていて、またこれ参考人に聞くことになっちゃうんですけれども、疑問点が幾つかありまして、それをひとつちょっと参考人の方々にクリアにしていただけたら有り難いんですが。  皆さん方々が、お二人がお使いになられている言葉の中に公共という言葉があるんですね。公共事業、公共サービス、基礎的公共というようなこと。お二人にまず一点目に聞きたいことは、この公共という定義というか概念というのはお二人はどういうふうにとらえているのか。まさに幸福度というか、幸福ということは、非常に個々その幸福度というのは違う。価値観も違う、またその理想的体系も違うと思いますが、ただ、そこのベースになるべきところで、前回の参考人の方々からのお話も聞く中、公共という部分が非常に一つのポイントになるのかなと。  ただ、その公共という言葉が果たしてどういった定義によって、どういった概念によって、またどういった意識付けによってあり得るのかというのが、お二人のまずその概念とか基準といったものをちょっと教えていただけたら有り難いことが一つと。あと二点目は、これはちょっと姫井先生の話とはまた違ってきちゃうんですけれども、前回の参考人の方々にもお尋ねをしていたことなんですが、この幸福度の数値化ということを我々は前参考人の方々にも聞いたんです。何とか幸福度というのを数値化することができないだろうか。また、先ほど神野先生などはジニ係数とか、そういったいろいろと相対的貧困率みたいなことをお挙げになられていた。また、こういったことが幸福度の数値とまた関係が出てくるのかもしれませんが、幸福度というのをある一定の基準で何か数値化することができないだろうかなと。  個々に皆さん違うんですが、最低限のところ、そこがある意味いったら公共という概念と、そういうこととまた密接な関係も出てくるのかなというふうに思うんですけれども、この二点をちょっとお二人に聞いて、その前提において話を進めさせていただければ有り難いかと思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) それでは、整理をさせていただきます。姫井委員のお考えに対して、是非両参考人のお考えをお聞きしたいなと。  続いては、佐藤委員の今の思いに対して御意見をちょうだいするというふうな形でよろしいかと思いますので、木下参考人、お願い申し上げます。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 私のやった人事は短期決戦型の人事なんですね。長くても十二年、それで最初に四月一日の人事を止めて、だれが人事権があるかを見せ付けるというスタイルだったんですが、当時は大部分の自治体が人事評価をやっていなかったんですね、法律違反なんですけれども。  それでやったことは、ともかく三年間掛けて評価の練習をしました。どういう観点で評価するのか。ただ、これが難しくて、役所の場合、売上げ何億円とか何千万円というのが目標で立たないので、この設定は苦労しました。いろんなコンサルタントが言うやつの中から話し合って決めたんですけれども、自分で目標を決めて達成度がどうとか、それが正しかったかどうかは今もよく分からないですね、正直申し上げて。  逆に、私は目標達成型の人事をしましたので、先に部長の入替えというのをやったんですよ。それまでの佐賀市の人事というのは、退職二年前か一年前ぐらいに部長に上がって交代する。それは人事評価がなかったので、言わばいろんな、これは恥ずかしい話なんですけれども、いろんな何か閥があるんですよ、何とか閥というのが。だれかが収入役になるとそのラインが上がるとか。そういう不透明なことをなくす、能力だけで選ぶということを選考しました。  ですから、この人事が正しいかどうかというのは、職員の私は受け取り方がどうとかというのは一切考慮しなくて、ともかく決めた目標で成果が出せるかどうかだけでやっていましたので、正直言って、これがいいのかと言われると分かりませんとしか言いようがないです。その代わり、成果は短期間で上がった人事だったと思います。職員のストレスがどうだったか、よくそこは分からないですね。済みません、はっきりしたお答えができなくて申し訳ありません。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 評価ということですが、これは私ども教育に携わっている者からいえば、評価をするということは、その子供あるいは教える相手の良いところを見付けてあげるということですね。組織でも良いところを見付けてやる。ここは良いところだから伸ばせというのが評価だと思っています。  ところが、日本ではともすれば悪いところを見付けるんですね。例えば子供たちの悪いところを見付けても、そこを直せといってもたかだか人並みなんです。社会に貢献するような能力を伸ばしていくという観点からすれば余り意味のないことで、良いところを伸ばす過程の中で必ず欠陥を補うということが出てきますので、評価ということ自身はその良いところを伸ばしてやるということが重要だということですね。  さらに、その動機付けでは、評価ということをするのが動機付けなんですけれども、その動機付けは、姫井議員がおっしゃったように、自己評価というのが非常に重要で、現在、ニュー・パブリック・マネジメントと言われている企業がやっていることを公共部門にも取り入れて効率化を図ろうという考え方をニュー・パブリック・マネジメントと言いますが、これはアングロサクソン型とスカンジナビア型と二つあります。スカンジナビア型のやり方では、人はだれでも働きたがり、学びたがっているのに、何らかの理由でそういう働きたいとか学びたいという理由が阻害されているから、それを適切に動機付ければ必ずだれもが一生懸命働くようになり、学びたがるようになるということなんですね。  これは、例えばブレッド・アンド・バターというか、最低限の生理的な欲求の充足に事欠くような時期にはあめとむちで賃金を引き下げたりすることが、あるいは賃金を引き上げたりすることがインセンティブになりますが、日本のように一定程度の豊かさを保ってしまうと、自己評価でその仕事に意味があるかどうかとかということでないとインセンティブにならないんですね。今は自然破壊が激しいので人力発電で、ハツカネズミのようにベルトコンベヤーの上を、発電機を人力発電で走って回しなさいといってどんどん賃金を上げていきます。しかし、これは一定限度までは効果があるんですが、一定程度に豊かさを保ってしまうと、もう幾ら賃金を上げてもやらなくなるんですね。  ところが、もしも金を取るぞと今言ったら、みんな一生懸命やりますよ。アスレチッククラブとかいろんなクラブに行っていただければ、みんなお金を払ってぐるぐる回していますよね、こんな、走って。あれ、発電機を回させればいいわけですよね。こういうことやるわけですから、あれも米をつかせるとかってやればいいわけですね。やる瞬間にやる気を失います。それはどうしてかというと、自分のやっている行為の意味が分かっているかどうかがポイントですね、どうして自分はこの行為をやっているのかと。  その次に、もう一つは、先ほどおっしゃったような意味で自己目標、つまり目標による管理。それは、目標による管理で一番重要なのは、自分で目標を設定して、他者から強制された目標ではないということですね。私もよく分かりませんけど、体脂肪を一週間でどのぐらい減らすとか、自分で目標を設定しているからやる気が上がるんですね。そういうことをビルトインしていかないと評価がやる気に結び付かない、向上に結び付かないというふうに思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) しからば、佐藤議員からの公共の定義付け、並びに幸せ度の数値化等々の御質問があったわけでありますけれども、御意見をちょうだいしたいと思います。  それでは、木下参考人からお願いします。

木下敏之木下敏之行政経営研究所代表

○参考人(木下敏之君) 正直に申し上げると、私はここのところは余り自信がございません。というのは、公共の定義を考えるときに思っていたのは、非常におぼろげなことしか考えておりませんでして、要は外部不経済をどう調整するかということと社会の基盤を整備するということぐらいでした。あとは、市役所の懐具合を見ながら、住民のニーズを見て、で判断をするということをやっておりまして、公共とは何かということを余り意識をしてやっていたことは全然ないですね。  それから、数値化についても正直に言ってよく分かりません。今、地域を回れば回るほど地域の事情が全然違っていて、例えば佐賀の方に経済格差って感じたことがあるかと正直に聞くと、実はよう分からぬと言うんですね、東京に行ったこともないし。何となくマスコミは格差格差と言うけど、本当はどうか分からぬと。ただ、東京に出て、満員電車にぎゅうぎゅう詰めになって、狭い家で暮らすのは絶対嫌だという方がいて、その違うものを数値にすることができるのかどうかというのは正直に言ってよく分かりません。  私は栃木県庁にもおりましたが、栃木県に行くと大変家も広くて食べ物もおいしくて、そういったところに住んでいらっしゃる価値観と東京に住んでいる方の感じる幸福と、果たして数値に何となくできないような気がしますが、これは詰めて考えたわけではありませんので、むしろ神野先生のお答えを聞かれた方がいいと思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 私も栃木県なんです。ありがとうございます。  神野参考人、お願いします。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) まず、公共という意味ですが、私がやっている財政学というのはパブリックファイナンス、公の財政という意味です。だから公というのが重要になってきます。江戸時代などには財政はありません。なぜならば、徳川家という私的な家計しかないからですね。公でないと駄目。  じゃ、公というのはしからば何かというと、簡単に言ってしまえば、だれもが社会の構成員のだれをも排除しない領域、これが公です。公園というのは、偉大な文学者ゲーテがつくった思想に基づいています。ゲーテは、封建領主やそれから封建貴族が独占している美しい庭園をすべての社会の構成員に開放しようとして公園を説きます。公というのは、すべての社会の構成員が排除されない領域のことをいって、ソーシャルインクルージョンの領域をいいます。  日本はこの点で弱いんですね。例えば、公用電話、中国語で公が用いる電話というと、だれもが利用できる電話のことをいいます。ところが、日本で公用車というと、官僚が使う車のことをいっているんですよね。これはだれもが使うという、排除されないという領域が公であるということで、公共といったときにはソーシャルインクルージョン、だれもが排除されないという意味で私は使っております。  それから、幸福度は、これは数値化はかなりされております。この数値化は、例えば住宅の広さがどのぐらいありますかとか、それは空間的にもそうですし、時間的にも自分の自由な行動ができるような時間がどのぐらいありますかと数値化されております、幾つも。ただ、これは出し方、ここにいらっしゃる皆さんがお分かりのように、出し方がいろいろ、どういう指標を取るかによっていろいろ変わっちゃうわけですね。ただ、日本がかなり低いということは明らかで、普通よく使われているのは、幸福度からいうとマレーシア並みだろうと。GDPではかなり日本の方が高いのに、幸福度ではマレーシアぐらいだということがよく言われます。  更に重要な点は、私の雑文の中に書いておきましたが、イースタリンの逆説といいまして、イースタリンという学者が、物質的に豊かになるということと幸福度ということがどういう関係になるかということを調べたんですね。そうしたら、ある一定の水準に達するまでは、物質的に豊かになるということが幸福度を高めるということと両立するということが分かっています。物質的に豊かになれば、貧しいがゆえに病に陥るということもなくなりますし、幸福になるということは間違いないんですね。ところが、ある一定の水準を突破してしまうと、もう物質的に豊かになるということと幸福になるということは両立しないということがイースタリンの逆説です。  有名な本では「勝者の代償」という、クリントンの政権のときの労働長官が書いた本で、あの人、労働長官辞めちゃうわけですね。自分の自由が、家族と一緒にいる時間がないじゃないかといって辞めていくわけですが、それは勝ち組というか、日本でいう勝ち組になると、その勝ち組になったために失わなければならない幸福が余りにも大き過ぎるというようなことが言われています。  ちょっと雑文にも書きましたが、ちなみに私などは豊かではないんですけれども、医者から勧告されているのは、幸福になりたければ粗食と運動と。ぜいたくをしちゃいけませんよ、貧しいものを食べなさいと。車に乗らずに、あるいは一停留所を、電車を使わずに一駅ぐらいはちゃんと歩きなさいと、そうすれば幸福になれますよと言われているので、日本などではかなりのところが、幸福について言うと、もはや物の豊かさではなくなっている時代になっているだろうと。  実際、内閣府の社会意識調査を見ると、一九九〇年代ぐらいまででは物の豊かさか心の豊かさかということに対する国民は半々でしたけれども、その後を見ていただくと、一九九〇年代辺りから急速に心の豊かさを求める国民の方が増加し、物の豊かさを求める国民の倍ですね、三〇%ぐらいが物の豊かさで、六〇%ぐらいが心の豊かさになっておりますので、ある大衆的な貧困と言ったらいいでしょうか、多くの人々が貧困に陥っている社会じゃなくなったときには、物の豊かさの方よりも心の豊かさが幸福度としては大きな意味を持つのではないかというふうに思います。  それは数値化も一応することはできますが、幸福度指数なんて国連なども何度もチャレンジしていますけれども、これもその出し方、どの指標を取るかということでなかなか難しいので、お使いになるとすれば、こういう条件で幸福を考えて指標を取ればこういうことかと。そうだとすれば、日本の社会はこの点で幸福じゃないとすればどんなことを解決したらいいのだろうかというようなことでお考えになる資料として役立たせていただいた方が無難かと思います。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) それに対していいですか。

佐藤公治民主党・新緑風会・国民新・日本

○佐藤公治君 神野参考人がおっしゃられた、まさにある一定以上になったらという、その一定というのは環境、状況によって違うと思いますけれども、一つの具体的な部分というのがよりちょっと御説明していただければ有り難いことと、あと、私は常日ごろ思っているんですけれども、公、まさに公共というか公という言葉があいまいに、ある意味いいかげんに使われていることが非常にこの日本の社会が全体的に混乱を来しているというふうに思う部分があるんですが、最後にこの二点だけお願いいたします。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) では、神野参考人、お願いします。

神野直彦東京大学大学院経済学研究科教授

○参考人(神野直彦君) 一定以上というのは、まさに先生おっしゃるとおりです。それぞれの地域、それぞれの社会によって違ってきますし、どの程度例えば市場に依存しているかなどによって違うんですね。ただ、イースタリンの統計などを後から検証している人々などによると、国連でいうと最貧国に分類されているような人々では明らかに豊かになれば幸福になるということが分かっています。  ただ、委員がおっしゃるとおり、日本の社会でじゃどこまでかというと、それは私たちの場合には、所得を得てそれで物を市場から買わないと自分たちの生活の糧を得れないという領域がかなり拡大している状況とそうではない状況とでは、一定水準だといってもどこまで一定水準だというのはいわく言い難く、これは恐らく国民が決めることで、先ほど言いましたように公共サービスでやるべきことというのは、多分私の理解では、ここまではある一定水準なんだというところを公共サービスで出すのではないかと思いますので、実質的には国民が判断するしかないのですが、委員のおっしゃるとおりいわく言い難いので、ちゃんとしろというふうに言われるとなかなか困るんですが、前提を置くとある一定の水準が出てきます、出てくると明らかにそれは言えるということでお答えするしかないかなというふうに思います。  公共の方も、これも様々な意味で使われておりますので、先ほど言ったような意味になりますが、どうも日本の場合には社会というか元々の社会が余りないんですね。例えばドイツでいえば、教会を中心にみんな生活をしていて、教会にみんな、教会をシンボルとして言わばゲマインデという地域社会が成り立っているわけですよね。その教会が学校をつくればそれは公立学校になっちゃうんですよ。公という概念になりますよね。そういうことがありますので、公共というのは非常に難しい。  最近新しい公共ということが言われ始めますが、これも解釈によっていろいろな解釈をされていて、古い公共というのは一体何なのかということすらもよく分からないわけですね。  ただ、新しい公共といって私たちがお互いに助け合っていく領域も、ただ単に政府からの公共サービスではない、自分たちでつくり合うサービスが必要だということであるとすれば、これは鶏が先か卵が先かになってしまっていて、そういうことに参加できるためにも政府が公共サービスを出してもらわないと、労働市場に参加するのにもう国民大変なんですね。もう二十四時間働きまくらなくちゃいけないという状況で、これ以上ボランティアしろと言われても無理な状況ですよね。だから、それはいずれも公、新しい公共というときでも、政府が公共サービスを出していくのと車の両輪にならなくちゃいけないんじゃないかなというふうに考えます。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 愛知君、どうぞ。

愛知治郎自由民主党

○愛知治郎君 済みません、私の価値観ということで。  先ほどの姫井委員からのお話を踏まえた上で、最初のそもそも論に戻るわけですけれども、しつこいとかまたかよと言われるかもしれないですけれども、私が最初に自分の意見としてお話をさせていただいたとおりで、私自身の考え方が一つはっきりしているんですが、幸福というのは幸福を追求することにあるんだなというのが私自身の一番の考え方であります、追求権という話はさせていただきましたけれども。  例えば、結果の数値というのはいろいろありますけれども、ある国、ベトナムですね、例を挙げると、一度行ったときに非常に今いい国だなというのを私は感じました。国民の、町を歩いていても、いろんな人に会っても、皆さん目が輝いている。というのは、ある一定の目標、豊かになろうという目標に向かってみんな幸福を追求しているんですね。豊かになるという、お金持ちになるという目標、それを幸福と位置付けてそれを追求している、それがすごく生き生きしている、すばらしいなと思ったんですけれども。確かに、結果として見れば日本の方がはるかに物質的には豊かだし金銭的にも豊かだと思うけれども、幸福の度合いからするとベトナムの方が今幸福なんじゃないかというふうに思います。  だからこそなんですけれども、先ほど木下参考人もいろいろ自分の取組、お話をされていましたが、どこに向かって、目標を掲げて、それに向かって一つ一つ達成していく、これがやはり一番の幸福感を感じられると思うんですね。だから、役所で行政改革をするにも、ただやりなさいとか、命令されてやらなくてはいけないというよりかは、一つの目標をしっかり掲げてみんなで頑張ろう、そしてそれが達成できたときにその喜びも分かち合おうというのが一番幸福を感じられるんじゃないかというふうに思います。  私自身国会議員として、国のため、国を、国民を、どう幸福になってもらうか、どういう国をつくっていくのかというのが我々の課題ではありますけれども、今一番欠けているのは国家目標だと思うんです。国民が総出でどこに向かっていこうか、我々力を合わせてどういう国をつくり上げていこうか、そういった国家的な目標というのがあると、昔は欧米諸国に追い付き追い越せというのが一つの目標であって、それを追いかけていたときは非常に国民はやはり幸福感を持っていたと思うんですけれども、今、じゃどこに向かうのかというのが決定的に足りない。何となく負の遺産というか、そういった昔のツケのようなものを解消しなくてはいけないという意識でいくと、どうしても面白くないというか、幸福を追求しているという気になれないんで、そこが非常に難しいところであるとともに、重要なことだと思っています。  数値化については、一つの数値を掲げてそれを目標にするのは私はいいと思いますけれども、現在の、先ほど神野先生おっしゃられましたけれども、いろんな指標はあると思いますが、今自分が置かれているのが幸福か否かの単なる分析にしかならないと思うんで、それは決して幸福に寄与するとは思いませんし、私自身はどちらかというと否定的というか、ある目安にはなるけれども、幸福度の数値化というのは難しいというのも一つの結論であるということを申し上げたいというふうに思います。  以上です。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) この件について。松委員。

松あきら公明党

○松あきら君 この件じゃなくてもいいですか。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) この件で私はちょっと、橋本委員が一生懸命、オリンピックに出るために目標を明確に明示して頑張ったと。ああいう一つの経験をもってして、今の愛知君のあの意見にどうかなというようなことで、御意見を是非ちょうだいしたいとは思うんでありますけれども。

橋本聖子自由民主党

○橋本聖子君 神野先生が、今日は大変貴重な御意見ありがとうございます。  先ほど、目標を自分で自ら定めてやるから一生懸命やるんだという、メタボリックの解消のこともちょっと参考にされて御意見を言っていただいたことをなるほどと思っていたんですけれども、体を鍛え上げるということは物すごく苦しいことなんですけれども、人ができないことをやる能力を見出すことにやっぱりスポーツマンというのは喜びを感じて、困難なことに挑戦することに幸せを感じることがうまいのがオリンピックアスリートなんですね。普通の人がやれることをそのままやるということでは、これは目標の達成にならないものですから、大体人間というのは約九割以上の人たちが自分自身の持っている潜在能力を引き出すことができないで終わるんですね、これは運動に関してだけかもしれませんけれども。  でも、それを自分自身ができなかったとしても、例えばコーチや監督なりマネジャーになったときに、いろいろな選手を見る経験を積んでいる人というのは、本人が分からないけれども、周りの人間にとっては、能力のある人が見るとその人が物すごく持っている能力というのが分かるんですね。そして、その引き出し方が分かるんですね。そういう人に巡り合ったときのアスリートというのは、大変な天才と言われるかもしれないんですけど、でもそれはみんなが持っている能力なんですけれども、その潜在能力というのを十分に発揮することができるチャンスが与えられるんですね。そうしたときのアスリートというのは、異常な困難に立ち向かっていくということへの意欲も人よりも上回っているんですね。  ですから、やっぱり高い目標と、そして自分の眠っているところの潜在能力にどんどんどんどん気付いていくことへの喜び、それは困難であることにぶつかっていくことが更に喜びにつながっていくという。アスリートというのは、普通の方が見ると何であんなばかなトレーニングを毎日やっているのかというふうに言われるんですけれども、それを幸福と感じなければとても金メダルにはつながっていかないというのが現状かなというふうに。だからこそ四年に一度しかないですし、そして世界が注目をするといいますか、普通の方ができないからこそ自分の夢を託すんじゃないかなという、そこにやっぱり見る方の喜びとやる側の喜びというものの一体感というのがアスリートの力を引き出す幸福度につながっていくんではないかなと。  そこを更に言えば、そのすばらしさを引き出すためにどうあるべきかということで、スポーツをもっと利用して経済効果を図っていくですとか、そういうこともやっぱり国の力になっているんですよね。そこが日本は物すごくまだ足りなくて、スポーツに関心のある国民は多いんですけれども、スポーツの見方を知っている国民はほとんどいないと思います。有名な選手がぱっと出ると、例えばハンドボールがこの前すごくメジャーになったといいますか、注目を浴びたらハンドボールの観客がわっと増えたんですけど、ハンドボールを見に行っているんじゃないんですね。ですから、競技を見るまだ目というのは全然スポーツ先進国から見ると日本は劣っていて、人気のある選手が出るからそのスポーツを見るんですけど、ヨーロッパなんか行くと、どんな各級のレベルの、例えば小学生だったりジュニアだったりまたシニアだったりというような方たちのスポーツも、地域スポーツはほとんどやっぱり観客席は満員なんですね。それだけ、そのスポーツを楽しむ、そしてまた価値観ですとか見方というものを知っている国民だなという。  だからこそ、スポーツというものが、スポーツ文化力というのが高いんだと思うんですけど、日本はまだそういうところまで達していない国なので、スポーツ競技団体が自ら改革をして、スポーツのすばらしさというのをやっぱりアピールすることのできる人材育成を今やっているというところなんですけれども。  済みません、答えになったかどうか。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) いえいえ、御意見ですから。突然の御指名、済みません。

犬塚直史民主党・新緑風会・国民新・日本

○犬塚直史君 今大変いい、夢を託すというお話をしていただいたんですけれども、私はそれを聞いて今地元のことを思い出したんですが、ある離島のとんでもない疲弊した商店街の中で、やっぱり一店舗だけ物すごい元気が良くて目が輝いている店舗がありまして、それは何かというと、簡単なことで、後継ぎがいるんですよね。その逆に、この間聞いた違う離島の話では、お父さんが二代目なんですけど、養殖の漁業をずっとやってきて、三代目の子が、いや、僕は都会にいるんだけど田舎に帰って漁業を継ごうかなと言ったときに、おまえ継げとは言えなかったと。やっぱりこれはどう見てもこの地域はどうしようもないんだ、要するに希望がない地域なんだということなんですね。  一つ、幸福の数値化という意味では、共同体というのが壊れているのかな壊れてないのかなというところが一つの指標になり得るんじゃないかなと。共同体ということを聞いて私が思い浮かべるのは、私のおじが今住んでいる小さな集落ですけど、お年寄りばっかりで五百人ぐらいいまして、目立つ公共というと、小学校がもうすぐ閉校になりそうなんですけど、郵便局がまだ残っているんですね。歩いているところに小学校があって郵便局があるというのも一つの単位なのかな。ということになると、そこで例えばエネルギーと食料を地産地消することができて、そこでぜいたくはしなくても暮らしていけるという単位が健全であるということが一つの指標にたり得るのかな、そんな気が今しているんですけれども。  そこで、ちょっと皆さんの御意見を伺いたいんですが、去年の十月一日に郵便局、郵政が民営化になりまして、もう既に郵貯、簡保の、今幾らか知りませんが、三百兆円ですか、お金が既に国債に回っているということなんですけど。郵貯、簡保の金というのは、考えてみると地域のおじいちゃん、おばあちゃんが自分のたんす預金の代わりに、私の地元ですと一人頭二百万円ぐらいのお金をたんす預金の代わりに昔から知っている郵便局に預けたというのを、総額が例えば長崎県だったらあの当時二兆円あったんですね。その金がどうも地域には回っていないな、どうして地域の人たちが、国からもらったわけでもない、今までためたお金を地域に回すことができないのかな。聞くところによると、アメリカでは地域再投資法みたいのがあると聞いているんですけれども、こういうところを活用していくのも一つの数値化なのかなと、そんな気もしているんですが、御意見をいただきたいんですけれども。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 松委員。

松あきら公明党

○松あきら君 そのことではなくて大変申し訳ないんですけれども、私は先ほど森先生の御意見に対するちょっと感想があったので申し上げたかったんですけれども、それでちょっと手を挙げさせていただいたんですけど、済みません、犬塚先生、大変申し訳ありません。  私、橋本先生のお話も本当にすばらしいなという思いで伺っておりまして、私も宝塚に長くおりましたので、スポーツと同時に文化、芸術というものも人の心を豊かにし、また人の見えないところで努力をすると。前に神野先生が、文化、芸術は非常に大事だと、人の心を豊かにするだけではなくて、実は産業的に言ってもこれは大きな産業になる要素があると、こういうことを言っていただいて、勉強させていただいたことがございましたけれども、まさに人の心を豊かにするというのは、私は根本的には人づくりだと思うんですね。先ほど、父親の愛、母親の愛、そしてまた両親が愛し合っている愛、こういうものを根本にもらった、受けた子供が大きくなっていっていろんな夢や希望を持っていろんなことに挑戦していくと、こういうことが大事かなというふうに私も考えるわけでありますけれども。  先ほど森先生が、アメリカの幼稚園で毎日一冊の本を読んで感想文を書かせるということだったんですけど、木下先生が、自治体はお金もないし、買うのももちろん大変だから図書館で借りるということなんですけど、実は子供の小学校の図書の蔵書のために五年間で六百五十億というお金を付けまして、それが十八年まで付けたんです、毎年毎年百三十億。それぞれの学校になると小さなお金なんですけど、今もそれまたやっているはずなんですけれども、でも、それが残念ながら蔵書には回らなかったんですね。  私は党の当時女性局長をしていまして、九百名近い女性議員がいるんですけれども、交付金で出しますと、お金が付いて、要するにお金に色が付いていないから、本の蔵書のためにそのお金を出してもそれに回らない、違うことになってしまう。でも、子供は本を読むこともとても大事なことだから本の蔵書に回してくださいと一生懸命私もそれぞれの県に、女性局長さんにお手紙出したりしたんですけど、なかなかこのお金が使われないで、今現在は、済みません、ちょっと私も文教科学の方から離れているので分からないんですけど、今もこのお金は付けているはずなんですね。  そして、また元に戻るんですけれども、読書というのは非常に大事なんですけれども、日本では感想文を書かせるということで読書嫌いになってしまうという子供が多いということで、実は本を、朝の読書運動とかいろいろやっているんですけど、感想文を書かせるということはちょっと控えているというような状況がある。でも、今伺ったら、そんなに文字も書けない小さなときから例えばそういうふうなことをやっていれば、自然と、例えば感想文を書きなさいと言われてもそういうことで読書嫌いにはならないのかなと思ったりするわけでありますけれども。  私は、うちの子供は中学からイギリスの学校へ行きまして、またアメリカとは違うんですけれども、非常に、偏差値教育でない、まさに良い教育を受けたと思いまして、おかげさまで今イギリスで弁護士を娘がしていますけれども、日本だったらとてもそんなふうにはいかなかったんじゃないかなと、これはまた別途お話しさせていただきたいと思うんですけど。つまり、幸福度の高い社会、まさに数値化も、それぞれの思いの中で幸福という思いは違ってくるので、なかなかその数値化にするということはとても難しいことなんじゃないかなと。ですから、私はこれが幸福だわと思う人も、ある人にとっては何でそんなことが幸福なのと思うかもしれない、まさに大変な、毎日同じ訓練をしていることが、ほかの人から見ればつらいことでしょうということが本人にとっては目標を達成するために幸福だと思うかもしれない。  ということで、済みません、ちょっと話がそれましたけれども、それぞれの思いの中で幸福度を測るということは、非常に大変なことで難しいことではありますけれども、ただ一つだけ言えるのは、本当に小さいときからの人づくり、もっと言えば、教育ということが何か根底に非常に大きく幸福度ということに関係してくるのではないかなということを今日も両先生から伺って、私はそういう思いを新たにいたしました。  済みません、以上でございます。

矢野哲朗自由民主党

○会長(矢野哲朗君) 各委員の御意見を聞いているとエンドレスになると思います。  犬塚委員の御意見もあったわけでありますけれども、今日に限られたお話ではないかなというふうに理解させていただき、また次回にいろんな意見を交換をさせていただくということにさせていただいたらいかがかなと思います。  それでは、他に意見がないということにさせていただき、今回の意見交換は終了させていただきたいと思います。  木下参考人及び神野参考人におかれましては、大変御多用のところ、本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございました。  本日お述べいただきました御意見は今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。また、今日の委員間のやり取りもお聞きいただいて、今後の調査にもし御意見がありますれば、ひとつまた御指導にあずかりたいなと、かようにも考えさせていただきます。  本当に今日はありがとうございました。厚く御礼申し上げます。(拍手)  本日はこれにて散会をいたします。    午後三時五十九分散会

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