文教科学委員会 第19号
- 発言数
- 512 件
- 登壇者
- 34 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 2007/06/14
会議録
○委員長(狩野安君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 昨日までに、岸信夫君及び野村哲郎君が委員を辞任され、その補欠として小泉顕雄君及び岩城光英君が選任されました。 また、本日、山本香苗君が委員を辞任され、その補欠として弘友和夫君が選任されました。 ─────────────
○委員長(狩野安君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 学校教育法等の一部を改正する法律案外六案の審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、外務大臣官房審議官杉田伸樹君外七名を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(狩野安君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(狩野安君) 学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案、日本国教育基本法案、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上七案を一括して議題といたします。 去る十一日及び十二日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。 まず、第一班の御報告を願います。蓮舫君。
○蓮舫君 第一班につきまして御報告いたします。 派遣委員は、狩野安委員長、中島啓雄理事、荻原健司委員、水岡俊一委員、鰐淵洋子委員及び私、蓮舫の六名であり、去る十一日及び十二日、水戸市及びいわき市において地方公聴会を開催し、それぞれ三名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。 まず、水戸市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、水戸市教育委員会教育長鯨岡武君からは、政府提出の三法律案は適切なものだが、教育委員会・学校の創意を生かすような弾力的な運用をしてほしい。道徳教育の充実については現行の副読本としての体制で十分であり、総合的な学習の時間を整理して、時間を確保すべきである。教育予算についてはGDPに占める割合が先進国の中で最下位の状況にあり、聖域なき行財政改革の中でも改善してほしい。保護者が集団生活の中での我が子の実態を理解するため、終日学校奉仕活動に参加できるようボランティア休暇の創設を提案したいなどの意見が述べられました。 次に、中央大学文学部教授池田賢市君からは、ユニセフの調査によると日本では孤独を感じている子どもの割合が高い。学校教育法改正案については、人格の完成や個人の尊厳より国家・社会への貢献を重視する点などが問題である。各学校が編成してきた教育課程に関する事項を文科大臣が定めるとしたことは、地方分権に逆行し地域ごと学校ごとの改善努力を阻害しかねない。教員養成の現場では、教員免許更新制及びメリハリある給与体系の導入に対する不安が広がっているなどの意見が述べられました。 最後に、元神栖市立神栖第三中学校校長根本健一郎君からは、学力低下、いじめなど様々な課題に対しては、教員・保護者・地域社会が連携し国を挙げて取り組んでいくことが重要である。副校長等は、学校活動の多様化、連絡調整業務の拡大の中で組織の活性化の点から新設されたものであり、校長の識見が問われることになる。学校評価においては、評価内容の分析等により継続的に教育力を高める努力をすべきである。教育委員会については、体制充実による自主性・主体性の確保が必要であるなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、学校評価の観点として地域住民の満足度を重視する必要性、子どもたちの孤独感及び不登校の要因、教員の定数改善が伴わない前提での副校長等新設の実効性、教員に優秀な人材を集める方策、学校・家庭・地域が一体となった教育システム構築の具体策、これからの校長に求められる役割など、多岐にわたる質疑が行われました。 続いて、いわき市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、前福島県石川郡石川町教育委員会教育長吾妻幹廣君からは、政府提出の三法律案には賛成の立場である。教育委員会に対し厳しい批判はあるが、その機能の充実強化や国の指導性に対する期待、教育委員会を応援する声が圧倒的であると感じている。また、教育委員会に著しい法律違反や怠りがあった場合に最終的な責任は国が担うという立場から、文科大臣が是正要求や指示ができると定めたことは、当を得たものである。副校長などの新設により学校が組織体として有効に機能することが期待できる。新たな職の活用や市町村への指導主事の配置促進については、財政的な裏付けを求めたいなどの意見が述べられました。 次に、「わたなべ英数塾」塾長渡辺稔君からは、民主党案は、学校の失地回復のための法案として理解できる。学校は、学力の保証を第一義的に目指すべきであり、学力が付けば世間は納得する。新免許法は、修士まで六年間の教員養成により高い専門性を持つことで保護者、社会にアピールでき、保護者の多くが大卒であることと教師の学歴のアンバランスに対応できる。一方、学費負担の増加や処遇面での裏付け等が課題となる。地方教育行政については、校長だけを矢面に立たせるのではなく、教育委員会が前面に出て具体的に説明責任を果たすべきである。学校教育については、小学校教員の指導技術向上の観点から、理系と文系の複数担任制を提案したいなどの意見が述べられました。 最後に、元公立小学校教員中島啓子君からは、教育委員への保護者の選任を義務付けたことは女性の割合が低い現状を見ても非常に有意義である。副校長の導入は、多忙な校長を助ける意味から賛成だが、一名増員であればスムーズに行くと思う。指導教諭については、管理職以外の道で頑張っているベテランの励みになるものであり、優遇措置について国の配慮をお願いしたい。教員免許更新制については、ペーパーティーチャーが教職に戻りやすい仕組みとし、採用試験においても門を大きく開いてほしいなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、教育委員会が機能不全に陥る原因と解決策、学力向上のための動機付けの方法、教育実習を長期化することの意味、教育委員会に対するチェックの在り方、近年の学校教育の現場における変化と対応策、教育における国の関与に対する見解など、多岐にわたる質疑が行われました。 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。 以上で第一班の報告を終わります。
○委員長(狩野安君) 次に、第二班の御報告を願います。中川義雄君。
○中川義雄君 第二班につきまして御報告いたします。 派遣委員は、佐藤泰介理事、神取忍委員、林久美子委員、福本潤一委員、井上哲士委員及び団長を務めました私、中川義雄の六名であり、去る十一日及び十二日、横浜市及び名古屋市において地方公聴会を開催し、それぞれ四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。 まず、横浜市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、横浜市教育委員会教育委員長今田忠彦君からは、昨年の教育基本法改正の意義は大きく、今後関係法の整備が望まれる。義務教育の目標の設定や新しい職の設置は、学校教育を充実させるため必要である。地教行法改正案による教育委員会の権限拡大の方向性は評価できる。国からの是正の要求は、限定的かつ慎重に行われるべきだが、国が責任を担保する仕組みは必要である。教員免許法改正の意義を前向きに考えることが大切であり、採用前研修の充実が必要などの意見が述べられました。 次に、横浜国立大学教育人間科学部教授府川源一郎君からは、教員の研修は教育を受ける子どもたちのために教員自身が自主的主体的に取り組むものであり、必要不可欠なものであるが、免許更新制とリンクさせて失職の不安により教員を萎縮させるような政策は採るべきではない。更新制の実施により、事務量の増大や更新講習の主体となる大学側及び現場の教員の多忙化が予想されるが、子どもたちの未来に直接責任を持つ教員の仕事への信頼感を醸成する施策の実現を願うなどの意見が述べられました。 次に、元公立小学校長加藤澄代君からは、若い教員が研修のため大事な時期に担任の学級を見ることができないなどの実態があり、教員研修の在り方を考える必要がある。免許更新制は意味があるがその方法については形式だけではない実のあるものとなるよう吟味が必要である。定数不足により教員は担任を持ちながら様々な職を兼務するなど多忙であり、まじめないい先生が壊されるような状況には考慮が必要であるなどの意見が述べられました。 最後に、弁護士阪田勝彦君からは、政府案は、教育課程に関する事項、学校評価の基準、免許状更新講習の手続や内容などを国が定めることとしており、それらの基準を国に白紙委任するかのような法案は危険である。文部科学大臣に是正要求や指示の権限を与えることとしているが、いじめや未履修問題を理由に地方自治法の規定以上に指示権限を強めることは地方分権の趣旨に反することになるなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、改正案により期待される教育委員会の意識改革、教員免許更新制導入についての見解と教員の養成・研修の在り方、小学校の学級編制の適正規模についての見解、校長のリーダーシップ発揮と学校の組織運営の在り方など、多岐にわたる質疑が行われました。 続いて、名古屋市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、前東海市教育委員会教育長深谷孟延君からは、学校教育法改正案について、改正の趣旨が現場に伝わる工夫をしてほしい。新しい職の設置が組織としての学校に生まれ変わる一助となれば良い。地教行法改正案については、国と地方の役割分担・相互協力に関し更に議論を深める必要がある。教育は長いスパンで考える必要があるため首長ではなく教育委員会が担うのが順当である。教員免許更新講習の内容を時代に即したものにすべきであるなどの意見が述べられました。 次に、愛知教育大学長田原賢一君からは、教員養成の多様化の観点から、本学では教員養成段階に、大学院との連携による六年一貫の教員養成コースと既卒者用の小学校教員免許状取得コースの二つを設けている。大学院レベルの教員養成は、中教審答申でも検討課題とされており、是非必要である。教員免許法改正案による更新講習時間は三十時間では不十分であり、少なくとも六十時間は必要などの意見が述べられました。 次に、東京福祉大学名誉教授、学校法人中島恒雄学園理事坪田要三君からは、現在の教育論議には人づくりという視点からの検討が欠けている。場当たり的な教育改革では、教育に関する国としての考え方が末端まで浸透しない。米国では教員免許の更新制が導入されており、我が国においても教員免許制度の改革は必要と考えられるなどの意見が述べられました。 最後に、名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授、名古屋大学教育学部附属中学校高等学校校長植田健男君からは、学校教育法改正案では、小中学校を義務教育としての普通教育、高等学校を高度な普通教育に分け中等教育の概念をあいまいにしている。教育は「異質共同」の体制で仕事を進めるものであり、副校長等の職の創設は教職員を上意下達の構造にはめ込むことにつながる。学校評価に国が画一的な基準を定めたり、評価結果を財源配分の基礎にするようなことはすべきでないなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、教員免許更新制に係る費用負担及び講習内容の在り方、未来への先行投資としての教育予算に関する見解、学校の自己点検・評価による学校改善の可能性、十年経験者研修の評価など、多岐にわたる質疑が行われました。 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。 以上で第二班の報告を終わります。
○委員長(狩野安君) これをもって派遣委員の報告は終了いたしました。 なお、地方公聴会の速記録につきましては、これを本日の会議録の末尾に掲載することといたします。 ─────────────
○委員長(狩野安君) これより質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○西岡武夫君 西岡武夫でございます。 実は、官房長官と大臣、文部科学大臣とがおそろいのところで質問申し上げたい点が幾つかございますので、その点は官房長官がお見えになりましてからお話しすることにいたしまして、大臣にまず基本的なことをお尋ねしたいんですけれども、鳴り物入りで今回の教育関係三法を政府はお出しになっておられますけれども、率直に申し上げて中身が全然ないと申し上げざるを得ないんです。と申しますのは、一体、安倍政権が教育を最大の政策課題にするんだとおっしゃっている以上、安倍内閣として、すなわち伊吹大臣として日本の教育改革の全体像というものをまず持っておられるだろうと、その全体像の中で今回国会に提出した法案はこういう位置付けなんだと、その全体像をお示しをいただきたい。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、本来、いつの機会か委員会のお定めにより総理が出てまいりましてお答えするのが私は筋だと思いますが、政治家として考えると、これから長寿・少子化社会、国際化社会の中を日本は生き抜いていかねばなりませんので、日本人としてのまずアイデンティティーをしっかり持つと。そして、その中で、大変な国民資源が要る時代になるけれども、その国民資源をつくっていく人が必ずしも十分確保できないという中で、日本が今までどおり国際社会の中で、また国内的にも豊かで認められ得る国家として存在していくための日本人とはどうあるべきなのかということをまずやっぱりしっかりと私は考えるべきだと思います。 やはり、資源がない日本が、物質的な豊かさだけが人間の幸せではありませんが、物質的な豊かさが伴わなければ幸せにならないということを考えれば、やはりここまで来れたのは勤勉な労働力と、そしてしっかりとしたイノベーションを創出できる能力が日本人に私はあったからだと思います。今その二つの力が、残念ながら、いろいろな要素があると思いますが、特にこれはどの国においても豊かになることに伴って生じ得ることなんですが、豊穣の中の精神の貧困のような現象が生じておりますので、それを一つ一つやはり直していくのが教育改革の基本でなければならないと思います。 そういう意味では、やはりとかく経済成長に大切なものとか、あるいはすぐに役立つものとかということに目が移りがちでありますが、そういうことごとをつくり出す能力というのはやはり基礎がしっかりしていなければなりませんし、大学において基礎がしっかりしているというためには、そこへ人材を供給する初等中等教育というものが一番私はやはり基本を成すと思いますので、そのような観点から新しい時代に合った新しい教育の理念を改正教育基本法ということで国会で明確にしていただきましたので、それに従って教える内容、また教えていただく先生の在り方、そしてそれをつかさどっていく教育行政の在り方、そしてなお今回の法律で率直に言って足らざるところ、つまり高等教育、社会教育等の分野の法整備をしていきたいと。 しかし、法律を整備しなければ法治国家ですから物事は改善されませんが、法律を変えただけで物事は改善されるわけではないということは私はよく自覚しておりますので、当然それに伴う人間の在り方、それに携わる人の意識の改革、そして予算の下支えその他のものがすべて一体となって教育改革というものは実現していくべきものだと考えております。
○西岡武夫君 私がお尋ねしているのは、教育の問題というのは、国民全体、親たる者はみんなそれぞれの教育論を持っているわけですね。それで教育問題というのは、非常に専門的であるようですけれども、極めて一般的な議論ができるわけですね。それだけになかなか焦点が定まらないという難点がございます。 しかし、少なくとも安倍政権が教育を最大の政策課題にするんだとおっしゃっているならば、やっぱり政治がやれることというのは私はある程度限られていると思うんですよ、国民の心の中にまで踏み込むことはできないわけですから。しかし、その教育の環境、条件をどうやって整備するかということがやはり私どもの責任であり政府の責任だと。 このように考えますと、少なくとも安倍政権が教育を最大の政策課題だとおっしゃっていたんですから、学校教育法の改正をお出しになる以上は、現在の六三三四という学校制度をこのままでいいのかどうかという御議論が十分された上で、された上でお出しになってくるだろうと私どもは思っていたわけです。 私ども民主党としても、実はこれ大変な、六三三四という区切り方というのは、子供たちの発達段階に応じてどういう学校の体系がいいかというのは非常に難しい、専門的なやはり検討も必要な分野でありますから、民主党としても今国会に学校教育法の改正、実は出したいと思っていたんです。しかし、そこまでは残念ながら力が及ばなかったんです、大変な大きな問題がございますから。 しかし、政府が出してくる以上は、この問題に触れられなかったということは一体どういうことなのか、今後どうされようとしているのか、その具体的なお考え方をお聞きしたいんです。
○国務大臣(伊吹文明君) 西岡先輩がおっしゃるとおり、教育というのは、率直に言って各々の人の価値観、それから政党のしたがって理念の在り方によって理想の日本人像というのは違ってまいりますから、すべての人が一応のことは議論できる分野だと思います。それはお説のとおりです。そして、西岡先輩のかねてからの六三三四の切り方についての御意見も、西岡先生の御意見としては私は承知はいたしております。 しかし、今回の改正教育基本法でも、例えば義務教育の年限というものを必ずしも法律の中で明示はしておりませんですよね。それは、今後いろいろ議論があることも当然想定をいたしておりますし、同時に、子供の発達段階が極めてスピーディー、スピードが上がってきておりますから、六年という切り方がいいのか、あるいはその前の何年かを使うのか、あるいは義務教育ということになると高等学校の問題をどうするのか。高等学校というのは、実は、御承知のように今回の教育基本法の中にも高等学校という項目をあえて設けていないのは、ある意味では御批判があるかも分かりませんが、我々も我々なりにいろいろなことを考えているということです。 そこで、今回学校教育法を出すときに、六三三四というものを考えて出してこなかったじゃないかという御批判については、これは、今それは確かに大切なことではあるんですけれども、緊急にやらねばならないことを我々はお願いしているんで、そのことを決して検討していないとか、ほうっておいていいというふうに思っているわけではありません。 ただ、これは何度も申し上げているように、ある程度六三三四というものが定着をしているだけに、これを動かすにはかなり国民的な合意も要るでしょうし、また、義務教育化していく場合は財源の問題も必要になるでしょうから、これは、だけれども、必要なことがあれば、学校教育法というのは別に、教える内容だとかなんかはともかく、制度的な問題については国民的な合意ができ上がれば来年またもう一度やったって構わないわけでして、国会はそれぐらいのやはり国民に対する責任と自信を私は持っていただいたらいいんで、今回出したのに入っていなかったからどうだということは、これは先輩に対して大変失礼なことかも分かりませんが、私はそうこだわっていただかなくてもいいんじゃないかと思います。
○西岡武夫君 いや、私がそういうことを申し上げているんじゃなくて、安倍政権の文部大臣として教育を最大の政策課題に掲げておられる以上、学制の、学校制度の問題は避けて通れないだろうと、しからば、どう具体的にお考えなのかと。先ほど申し上げたように、私ども民主党としてもこれの検討に入り掛けているんですよ。ただ、答えが出てないんです、正直に申し上げて。 私は個人的な考えがございます。しかし、民主党として国会に提案するまでには至っていない。しかし、変えなきゃいけないと思っているわけですね。 今大臣もお認めになったように、子供たちの発達段階、心身ともに発達段階が大きく変わってきている。このことは今始まったわけじゃないんです。これまでも申し上げてきたことでございますけれども、私が文部省の政務次官をやりましたのが昭和四十五年から六年にかけての一年半でございますけれども、その間にあの有名な四六答申と言われている、森戸辰男先生が中教審の会長であられて、第三の教育改革と称した答申を出されたわけですね。そのときから学制改革の問題は提起されているわけです。長い歴史があるわけです。 そして、これもこの前どこかの委員会で、何日かの委員会で申し上げたんですけれども、昨年だったと思いますけれども、文部省は、当時の文部省、その後の文部省も研究指定校というのを設けて、特に私学の場合には、御承知のとおりに幼稚園から大学まで持っている私学がたくさんありますから、私学の場合には中高一貫の実験といいますか、研究をやるということは非常に簡単なんですね。 したがって、私学に対しても研究指定校としていろんなデータを集めて、文部科学省には膨大な私はデータがあると思うんです。その上に立って、学制改革をどうお考えなんですかと申し上げているんです。あるいは、お考えがないのかどうか。それを国会に振ってこられていますけれども、それは私どもが近く考えまとめますけれども、政府はどうなんですかと申し上げているんです。
○国務大臣(伊吹文明君) 政府としては、今回は現在の六三三四を前提にお願いをしているわけですから、当面これで行くということです。そして、しかし将来についてどうするかということはいずれ検討しなければなりませんが、先生も文部大臣をおやりになり、政権与党の中においでになったから、これは私がこういうことを申し上げるまでもないことですけれども、時間との闘い、予算の制約の中でどれにプライオリティーを置いて政策を提言していくかということですから、当面は政府としては六三三四という前提で今お願いをしている。しかし、その中で緊急にやらねばならないことを取りあえず三法案としてお願いしたということです。
○西岡武夫君 いや、私が申し上げているのは、今国会にお出しになっていないということはもう明らかですから、そのとおりなんですけど、将来は分からないとおっしゃったですね。将来といっても、安倍政権が教育改革を最大の政策課題にしておられるんですから、学制改革は避けて通れないと思うんです。避けて通れないと思うんです。 じゃ、避けてお通りになるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これはちょっと西岡先生のホームグラウンドに引っ張り込まれちゃ困るんですが、六三三四という制度を変えるのが教育改革であるとは私は思いません。それも重要な一つかも分かりませんが、安倍総理が考えているのは緊急にやらねばならない今の三法案を取りあえずお願いしていることで、教育再生を言う限りは、あるいは最優先課題としている限りは、六三三四の制度を変えて持ってこなければ教育改革にならないとは私は思いません。
○西岡武夫君 じゃ、それでは申し上げますけれども、この教員免許の更新制も、大臣、本来なら、本来なら教員養成のところをしっかりすべきだと。これには、大臣、賛成されますか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは賛成いたします。それは再三答弁を申し上げているとおりです。 ただ、それをどういう形でやるかというのは、これはいろいろな制約の中でやるわけですから、今回の例えば出した法律の中にそれが書かれていないからけしからぬというお話では私はないと思いますよ。教員養成についてどうするかということについては、中教審のいろいろな御提言を受けて我々は我々なりに一応、中教審の御提言の中で準備をしていることについて必要であれば参考人から答弁をさせますが。 例えば、民主党さんの御提言のように修士、つまり六年制にしなければ教員養成に手を付けてないんじゃないかということにはならない。それは、六三三四に何らかの手を付けて出してこない限り最優先課題であると言っているのに手を付けてないじゃないかという論理と一緒で、私は必ずしもそうとは考えておりません。
○西岡武夫君 大臣、私が先ほど冒頭に申し上げたように、安倍政権の教育改革の全体像はどうなっているのかと申し上げているわけですね。場当たり的にやれるところからやっていこうということじゃ本格的な改革とは言えないと思うんです。 教員養成の問題というのは、これは私は教育の基本的なところだと思うんですね。それは大変だから、予算とかいろんな制約があるからとおっしゃっているけれども、だからこそ安倍総理は教育を内閣の最大の政策課題とおっしゃっているこのときにやらないで、いつやるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 例えば、西岡先生が考えておられるのは、それで私は何らそのことに反論はいたしませんよ。しかし、考えておられるとおり安倍さんが出してこなければ教育再生の熱意がないじゃないかとおっしゃるのは、少し違うんじゃないですか。 例えば、昨年七月の中教審の答申はどういうことを言っているかといえば、教職の意義や生徒の理解、教科指導力等教員に必要とされる基礎的な資質について最終的に確認するため、教職課程の総仕上げの科目として教職実践演習を必修化する。教員養成を行う大学に対する是正勧告や認定の取消しの制度化をする。大学と教育委員会の連絡協議会の設置等により、教育実習の改善充実を図る。新たな教員養成の一形態として平成二十年度より教職大学院を開設すべく既に必要な措置を実施すると。こういうことを重ねているわけですよ。 ですから、我々は何も教員養成が不必要だとかやらなくてもいいなんて言っているわけじゃないんです。それは先生がおっしゃっているとおり、教員というのはやっぱり一番教育の中のコアの部分ですからね、それは同じ気持ちを持っております。そして、いずれ、来週になると思いますが、いわゆる骨太の方針というものを政府が発表をするでしょう、安倍内閣としてですね、閣議決定をして。その中にも、今回はやはり安倍総理の考え、内閣としての考えがにじみ出るように教育再生という大きな項目を立てて、かなりやれることを私は書き込んだつもりでおります。 ですから、民主党さんの案は案として今後も我々も参考にさせていただきますけれども、今申し上げたようなことじゃなくて、予算をきちっとまず確保して、そして六年制にしてということは、それはそれで一つ大切な御提言だと思いますよ。しかし、そういうことをすべてセットにしないと教育再生のスタートができないような話になっちゃうと、とても、時間との闘いで、そこまでの余裕はないということを申し上げているわけです。
○西岡武夫君 それでは、安倍政権は教育改革の全体像はお持ちなんですね。
○国務大臣(伊吹文明君) それはもちろん持っているわけですよ。いるけれども、西岡先生が考えておられるようなプレゼンテーションをしなければ持っていないということにはならないでしょう。
○西岡武夫君 しかし、全体像を国民の前に示すのが当然なんじゃないですか。
○国務大臣(伊吹文明君) いや、簡単に言えば、それは安倍首相が施政方針演説や所信表明で申し上げている、基礎的な学力と、そして規範意識を十分身に付けた日本人を育て上げるというための教育の諸改革を行っていくということに尽きるわけです。 それをどういう形でやっていくかというのは、毎年毎年の予算、今までの法律、国民の理解、こういうものを考えながらやっていくわけで、私が野党なら、それは西岡先輩がおっしゃったのと同じような攻め口をしますよ、それは。しかし、それをすべてそろわなければ教育再生にならないんじゃないかということは、それはちょっと私は違うと思いますね。
○西岡武夫君 いや、私は野党だから、別に責めているんじゃなくて、聞いているだけなんですね。 私はこの前の委員会でも申し上げたんですけれども、そうおっしゃいますけど、自民党政権の中で中曽根政権のときにやはり教育改革というものを大きく打ち出されたときがあったわけですね。そのときには全体像をお示しになったんですよ、総選挙を前にして。だから、示せないというはずはないんですよ。お持ちならお示しになるべきじゃないですか。持たないなら持たないとおっしゃったらいい。
○国務大臣(伊吹文明君) 再三申し上げているとおり、それは総理が先ほど申し上げたような日本人をつくっていく上で今の教育の在り方は必ずしも適切じゃないと考えたから、まず教育基本法を改正をし、何を教え、新しい時代の教育の理念は何かということをまず明確に政府としては国民の代表にお示しをして、国民の代表がそれを認めていただいたんじゃないんですか。ですから、教育基本法に従って私たちは必要な法律の整備をし、予算を整備をし。 それなら私、逆に非常に疑問に思うのは、中曽根内閣のときは全体像を示したとおっしゃいましたけれども、そのときは教育基本法は変わっておりませんね。教育基本法を変えたという国権の最高機関の意思そのものがこれからの教育にどう取り組んでいくかという一番大きな意思表示の具体像じゃないんですか。
○西岡武夫君 今回改正されました、全面改正というふうにおっしゃっていますけれども、教育基本法は、そういう具体的な教育改革の中身については触れていないわけですね、理念だけですから。ですから、それを受けて、少なくとも内閣は教育改革の全体像をまずお示しになる必要があったと思うんです。それを持っておられるからこそ、教育改革、教育基本法の改正ということに乗り出されたんだと私は思っているわけですね。そこのところがちょっと私には理解できない。 しかし、大臣のお立場でこれ以上おっしゃれないんでしょうけれども、一つはっきりさせておきたいことは、先ほど私が森戸辰男先生の中教審の会長のときの答申、四六答申のことを申し上げたんですけれども、私は、元々、審議会であるとか教育再生会議だとか諮問会議だとか、こういうやり方は私は間違っていると思っているんです。 と申しますのは、政府がこういう考えを持っていると。ついては、それこそ専門家の皆さん方に、例えば学校制度を変える場合でも、教育学から児童心理学から、あらゆる専門の分野の方々にお集まりをいただいて、学校の区切り方をどうしたらいいのかということは検討していただくと。しかし、基本的な方針は政府が示して、こうやりたい、これを具体化するためのどういうやり方があるかということを検討してもらいたいと。テーマは、問題点は明確に政府が、政治が示して、そして専門家の皆さん方の意見を聴くと。ところが、今は逆転しているじゃありませんか。このやり方は、官房長官、どうお考えですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 教育再生会議につきましてはもう何度か申し上げたところでございますけれども、安倍総理の教育改革に懸ける、あるいは教育再生に懸ける思いを持ってこの十七名の方々と一緒に議論をしようということで、閣議決定によって設けられたものでございます。 様々な立場の方々が構成員としておられて、その中で様々な議論が行われ、当然、文科大臣そして私も入り、当然総理も入って自由な議論を行っているわけであります。 報告書が二回提出をされておりますけれども、これに基づいて文科省において法律改正が必要なもの等々については正式な審議会である中教審、ここで御議論を改めてまたいただいて、そこで再生会議で示された問題点は問題点として正面から受け止めていただきながら、また中教審としての検討を加えていただいて、今回、三法案として法律を御審議をお願いする形になって、内閣の責任においてこれを閣議決定して提出をさせていただいたと、こういうプロセスであるわけでございます。 したがって、教育再生会議の位置付けというのは、今申し上げたように、自由な意見を幅広く行っていただき、それを参考にしながら、また文科省において文科省の範囲の法律改正についてはその中の意見も取り入れながら、あるいは参考にしながら、文科省なりの考え方、そして内閣としての考えで最終的には法律としているという、そういうプロセスではないかというふうに考えておるところでございます。
○西岡武夫君 私は、政府が、すなわち政治がこの問題はこうしたいと、これを具体化するための方策について専門の皆さん方にお集まり、まあ私、再生会議がいいか悪いかはちょっと分かりませんけれども、中教審にしても、専門家の集まっておられる会議で具体化するに当たっての具体的な方策については御議論をいただくと、これが私は政治の筋だと思うんです。今はどうも逆転していると思うんですよ。官房長官、いかがですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 先生おっしゃるとおり、政治のイニシアチブというのは、政治がやはり方向を指し示さなければならないというふうに私も考えているところでございます。 教育再生会議にあっても、総理は初回の会合で自らの考え方、今、伊吹大臣からも申し上げましたけれども、骨太の教育再生に関する自らの考え方を示し、そしてできる限り、可能な限りこの教育再生会議に出て、総理も自らの言葉で自分の考えを政治のメッセージとして再生会議に伝えているわけであって、それを受けてまた再生会議のメンバーが自由な御議論をいただいて、それからさっき申し上げたようなプロセスであるわけでありますので、先生おっしゃるように、政治のリーダーシップというのは、やはり政治家が指し示さなければいけない。その方向性については要所要所で総理からもきっちりと出ていると私たちは思っているところであって、おおむねその方向は大きなうねりになっているというふうに私は思っていますが、それはいろんなメンバーに集まっていただいていますから、必ずしもそうなっていないと思っていらっしゃる方もそれはおられるでしょう。しかし、一億三千人いれば一億三千通りの考え方があるわけでありますから、みんなが同じ方向を向くということは多分ないんだろうと思います。やっぱり自由濶達な議論、そして、別に文科省だけに限られたような問題だけで教育の問題というのは語れるわけではないので、幅広い立場で議論をいただいている。根っこはやはり総理の問題意識、政治家としての考え方が示されている、その中で議論が行われているというふうに考えております。
○西岡武夫君 いや、私はちょっと実はそう思わないんですね。再生会議だけを別にやり玉に上げているんじゃなくて、諮問会議もそうです。小泉さんのときの諮問会議というのは、ある大臣、その大臣が諮問会議に呼ばれると、これはその大臣がおっしゃった言葉ですから私は本当は使いたくないんですけれども、お白州の場のようだったと、そういう状況で進んだわけですよ、小泉政権というのは。 私は、少なくとも政治がこういう方向で教育改革はやるんだと、ほかの政策も全部そうですよ、それを示した上でいろんな意見を承りたい。ところがそうじゃないでしょう、今の状況は。 私は、この間ちょっといろいろ振り返ってみて、私が当選してから何人の総理大臣と相まみえたかなと、ずっと振り返ってみたんです。十七人の総理大臣と私は、お付き合いをしたという言い方は、ちょっと濃淡がございますからこれは語弊がございますけれども、その中のある総理が、もうお亡くなりになっておられますけれども、私が、大先輩ですよ、審議会というやり方は政治の責任回避じゃないかと私は思います、全部やめたらどうですかと。そのために国会があるんだから、政府がきちんとした法案を、政策を出して、それを生で国会で議論するのが国会でしょう、審議会というところで何か世論操作みたいなことをして国民をごまかすというのは良くないとあえて申し上げたことがあるんです、総理に直接。そしたら、その総理は何て言われたかというと、西岡君、そうはいっても審議会というのは便利な存在なんだよと、そう言われたんですよ。二人っきりの話ですから、まあ、もう時効だろうと思って申し上げているんですけどね。 私は、審議会というやり方は私はもう全面的に反対なんです。責任の所在がはっきりしないんです。官房長官、どうお考えですか。まず官房長官から。
○国務大臣(塩崎恭久君) 先生のおっしゃりたいことはよく分かります。それは、審議会がどういう役割を果たしているのかというのにもよるんだろうと思います。 その亡くなられた総理がどういう意味で便利なものだとおっしゃったのかはよく分かりませんが、それは自らのやりたいことをやってくれるというならば、それはそれで総理にとっても国にとっても、民主的なプロセスで選ばれた総理である限りは、それはいいことではないかなと私は思っています。 しかし、先生のお気持ちはよく分かりますが、最終的には、やはりこれは、閣議で法律というのは決めて政府提案の場合にはお出しをするわけでありますから、審議会が何を決めようとも、最終的に閣議がどういうことを言うのか、あるいは大臣がまずその審議会をどう、操ると言っちゃいけませんが、どう扱うか、どう扱うか、(発言する者あり)いや、どう扱うかによるわけであって、どういう付き合い方をして、どういう役割を演じてもらうものとして審議会を置いておるのかというのに懸かっているわけで、都合のいいというのが霞が関のお役人にとって都合のいいことであるならば、これはとんでもない話だろうと思います。国のために役に立つというならば、それはそれで役立っているということだろうと思います。 したがって、それは一概にはやはり言えないことだろうと思うんですが、往々にして、往々にして審議会というのは何となくシナリオが決まっていて、それも政治が作ったシナリオではなくて、そうじゃないところで物事が決まって、それに政治が振り回されるということであれば、それはとんでもない話だと思いますから、そういう意味で、先生の言っている意味がそういう意味であるならば私も同感であります。 しかし、教育再生会議にしても何にしても、最後は閣議で決めていくのが内閣としての最終判断でありますから、そこで本当に政治が機能しているかどうかというのが分かってくるわけだし、そこの最終的な責任者は総理大臣でありますので、その判断が問われるということではないでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先ほど来、西岡先生がおっしゃっている、例えば教育再生について六三三四のお話もありましたし、教員養成の六年制のお話もありました。政治主導ということもそれと同じで、先生のおっしゃっていることは私は何ら反対じゃないんですよ。しかし、まず政府が何らかを示してやらなければ政治主導にならないという西岡グラウンドで私は話をするというのはちょっと危険だなということを再三申し上げているわけです。(発言する者あり)いやいや、それは先生のテリトリーに入っていっちゃ、それは同じ政治主導だってやり方がいろいろあるわけですから。 ですから、私は、経済財政諮問会議に呼ばれたときにこういうことを申し上げました。予算というのは、内閣を構成する各閣僚が共同して責任を負ってこれを国会に提出をして、国会の御議決を得て執行されるものであると。したがって、予算というのは安倍内閣の全施策を金銭で表示したものであるから、安倍さんが教育再生を最優先の課題と言われるのならばそれがにじみ出るものでなければならないんであって、最終的に決めるのは内閣でありますと。そして、内閣の長である総理が決断をすることでありますから、その点は間違いのないようにしていただかなければならないと。 今官房長官が申しましたように、再生会議はいろいろ御提言がありますが、まず総理がこれをやりたい、中曽根内閣のときだって学区制をどうしろとか、そんな細かなことまで御提案になっていなかったと思いますよ。やはり、教育を再生していきたい、そして根本から直さなければいけない、どうだと、いろんな御意見があって私は構わないと思います。しかし、その御意見を過去の経緯、あるいは法律の在り方、予算の制約、その中でどうしていくかということは内閣が決めることです。内閣が決めて国会にお願いして、最後は国会が決めるんですよ。それが日本の憲法上の政治の在り方、統治の在り方であって、政府が何か示さなければ政治主導ではないんじゃないかという西岡グラウンドで議論は私はしなくてもいいんじゃないかということを申し上げているわけです。
○西岡武夫君 いや、私が言っていることとちょっと食い違いがきているようでございますけれども、安倍政権が教育改革を政策の第一課題とするんだとおっしゃっている以上は全体像を政権が示すべきだと、そう申し上げているんですよ。何でもかんでも政府がやってくれって言っていないんですよ。 何でもかんでもやってくれというんだったら、私どもが昨日国会に提出した、俗に言う夕張法案ですけれども、夕張だけが対象になる、現時点では対象になる、財政が破綻した市町村における義務教育を国が責任を負うというのを具体的な法案として提案をして、大臣のお手元にも差し上げてございますけれども、これは本来なら、本来なら安倍政権が考えてよさそうな私は施策だと思っているんですよ、本当は、本当は。しかし、なかなか腰をお上げにならなかったので、あえて私ども民主党から法案を提出させていただいたわけでございますけれども。 何もかも政府がやるべきだとは言っていないんですよ。政治の責任というものを明確にすべきだということを私は申し上げているんです。これについては伊吹大臣は御賛成でしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) 政治が最終的に責任を負って物を決めていくというのは、私が賛成というよりも、日本国憲法がある限り当然のことだと思います。
○西岡武夫君 教員養成の問題が非常に私は大事だというふうに思っているわけですけれども、今回、教育基本法を改正して、第一弾として学校教育法を始めとする三法案を出してこられたわけですね。これは第一弾ですね。第二弾はあるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 既に省内では、あと三年ほどの中で社会教育法、大学法その他、どういうスケジュールでやっていくかというものは持っております。持っておりますが、これは、やはり内閣として最終的に意思決定をして国会へ法案は出していかねばなりませんし、あるいはまた、それこそ我々は、政治主導とはいっても、憲法の規定に従った総選挙で選ばれて議院内閣制をつくっているとはいえ、野党の皆さんもいらっしゃるわけですから、広く国民の意見を聴くという観点からは中教審にも当然かけねばならない、国会での御議論も参考にしなければならない。したがって、今これをどういうスケジュールで、どういうふうに考えているかということをここで申し上げるというわけにはいかないと思います。
○西岡武夫君 具体的な問題について御質問いたしますけれども、前回もちょっと触れたことでございますが、同僚議員から再三にわたって教育現場の実態等についての質問がございました。これで大臣も教育現場がいかに大変かということについては、当然そのように同じ御認識になられたと私は思っています。 それを前提として申し上げるんですけれども、この前も私は総理にも申し上げたんですけれども、今の状態のままでまいりますと、行政改革推進法の制約があって学校の先生を増やしたいと思っても増やせないと。増やせない、それを何とかカバーしようということになると、事務職の定員を食っちゃうということになりかねない。予算措置で何かするといっても、これは限度があるわけですね。そして、これは地方自治という問題と非常にかかわる難しい問題でございますけれども。 昨日でしたか、どこのテレビの放送だったか私、ちょっと記憶が定かでないんですけれども、ある二つの裕福な財政の市町村と非常に困窮している市町村の学校の図書費の比較の放送がございました。これは交付金の中に入っているものですから、使い道は地方自治体に任せられている。そのことによって格段の差が図書費に起こっていると。ですから、この委員会でも、いまだに地図を、ロシアはソ連邦の地図を使っているとかですね。ところが、昨日のテレビ見ていましたらば、そこに置いてある学習の資料の中には西ドイツ、東ドイツとあるんですね。それをいまだに使っているわけですね。こういうことが起こっている、現に。 ところが、これを実際問題としては、文部科学省としてはどうしようもないわけでしょう、今の制度では。ちょっとお答えください。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、二つの問題をおっしゃったと思います。二つとも予算あるいは行革推進法に係ることでございますので。 まず、同僚の与野党の先生方から学校現場の状況についてお話をいただきました。それで分かったわけではありません。文科省としては文科省の実態調査をいたしております。そして、各先生からお話しいただいたことで、我々の調査の数字が実態的にも間違ってなかったなという確信を深めたわけでございます。 それで、確かにおっしゃるように制約がございます。ですから、これをどうするかというのは、何も経済財政諮問会議に決めていただく私は筋合いのものではないと思いますが、最終的に閣議決定をいたしますので、骨太の、骨太案というのは。ですから、閣議決定をする限りは、各国務大臣は当然それに縛られるわけです。そのことはるる申し上げて、総理も総理としていろいろなお考えを持っておられますから、最終的には予算編成過程でいろいろお考えになると思いますが、十九日になりましょうか、あるいは来週の金曜日になりましょうか、官房長官の方がよく御存じだと思いますが、閣議決定をした骨太の方針二〇〇七から今先生の御懸念のようなことが解消できるように読み取れるかどうかということを、どうぞひとつ眼光紙背に徹して読んでいただきたいと思います。 それから、ただ、それで予算が決まるものではございません。予算というのは概算要求基準がありまして、各省が八月末までに予算の調整書を財務大臣に提出をして、そして年末までに予算編成過程があって、最終的に内閣が閣議決定をして予算案を国会に提出いたしますので、今おっしゃったことごとも、あるいは国会のいろいろな御注意も踏まえながら、予算編成に臨むときに制約にならないような骨太の方針であってもらいたいと思って最大限の努力をしたということでございます。
○西岡武夫君 大臣、この前の委員会でも申し上げたんですけれども、行政改革推進法の第五十五条第三項、御丁寧に、これはもう二度目なんですけれども、御丁寧にですよ、子供たちの数が減っていると、減っている数を上回る学校の先生の削減をすると書いてあるわけですね、法律に。 これがある限りどうにもならないじゃないですか、幾ら大臣がおっしゃっても。これをなぜ改正しないんですか。ちょっと、官房長官にちょっとお答えいただきたいんですけれども、先に。
○国務大臣(伊吹文明君) これを改正するかしないか、改正するときにどのような改正の、あるいは実質的にこれが機能しないようにするためにはどのような立法政策上の措置をとるかということは、まだ何も決まっていないんじゃないんですか。先生は改正しないと、改正しないとおっしゃった。私は今改正するとは申し上げておりませんが、改正しないとも申し上げていないはずですよ。
○西岡武夫君 これは異なことをおっしゃるんで、私は改正すべきであると、そうしなきゃどうにもならないじゃないですかと申し上げているんですよ。それはどうなんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) ですから、現在のままでは定数を増やすということはこれの縛りがあるからできないということは再三同意をしているわけでしょう。これをどうするかということは今後の問題じゃないんですか。
○西岡武夫君 これは考える余地もなく改正しなきゃ駄目ですよ。なぜ今国会で五十五条三項を、ほかにもありますよ、五十六条三項、四十三条、いろいろありますよ。それを放置したままいろいろおっしゃっても全然説得力ないじゃないですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、それは私より政治歴が長いんだから、予算編成のプロセスのことはよく御承知でしょう。来年からもし定数を増やすということが行われるんならば、予算関連法案として法案は変わっていくんじゃないんですか。 その前提で最大限の努力をするために、今いろいろ私は私なりに、官房長官は官房長官なりに、安倍さんは安倍さんなりにいろいろな思いを持って努力をしているんじゃないんですか。この国会に出さなきゃすべてができないんですか。そんなことはないと思いますよ。それは出した方が分かりやすいということはいいですよ。だけど、常に西岡グラウンドの論理構成の中へ引っ張り込まれようとしても、そうは私は入っていく勇気はございません。
○西岡武夫君 それじゃ、大臣にお尋ねしますけれども、大蔵省の御出身でもあられるから、もしもこの法案があったまま教員増の概算要求はできるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 概算要求をするときは、多分、概算要求の最終的な結果によって別途法案審査を受けて、予算関連法案が国会に提出されるんじゃないんですか。それは先生の今までの御経験でそうだと思いますよ。 ただ、そのときに、当該法律案を改正するのか、他のいろいろな立法上の技術を使うのか、いろんなやり方がありますし、あるいは私がこういうことを申し、私は私の思いを持っていても、内閣が更に高いプライオリティーを持っているものがあれば私の思いは通らなくなるかも分かりません、それは。ですから、今そのことについて、塩崎さんどう思っている、伊吹どう思っているということは、それは先生が文部大臣をやっておられたときでもそういう聞き方をされれば、それは予算編成過程の今後の推移にまつことだというお答えを当然なすっていると思いますよ。
○西岡武夫君 いや、私が申し上げたのはそういう意味じゃないんです。 大臣が、伊吹大臣が、この行政改革推進法五十五条三項をこのままにしておいたままで、概算要求で、第今度は八次になるんですか、八次が凍結されているから、教職員の定数改善の計画を策定して、初年度の予算要求をするというのを八月までにまとめられるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、先生の長い御経験でもよくお分かりのように、予算には最後の折衝というのがあるんですよ。ですから、そこに調整枠というものは当然あるんです。ですから、政治的決断が十二月に行われれば、その政治的決断と相入れない法改正というものは当然行わねばならないんですよ。概算要求のときにすべてを概算要求しているんならば政治折衝枠とかいうものは要らないんですよ。ですから、安倍内閣が最終的にどう判断するかは総理が御決断になることですから、私はとやかくは申しませんけれども、私は先生と同じ思いで努力はしたいということを申し上げているわけです。
○西岡武夫君 大臣が、伊吹大臣が今この場でこれ以上踏み込んだことをおっしゃれないお立場だというのは分かっているんですよ。ただ、大臣は、いかにも何かのり代があって、そこで泳げるんだと言わんばかりのことを、言わんばかりって、もうおっしゃっているんですけれどもね。のり代に頼って文教行政は進められないんですよ、大臣。
○国務大臣(伊吹文明君) これは私の表現力が悪いのか、先輩が私の言葉を理解していただけないのかは分かりませんが、法治国家である限りはのり代などというものはあり得ないんじゃないんですか。だから、さっきから私はそう答弁をいたしております。
○西岡武夫君 大臣、年末の予算折衝ではのり代があるかのごとくさっきおっしゃったじゃないですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは人員のことを言っているわけじゃないんですよ。まず、仮定の問題として、定数を増やせば当然その定数に伴ってくる義務教育国庫負担金、給与の三分の一を金額で表示されるわけでしょう。そして、残りの三分の二が地方交付税の中に入ってくるわけですから、交付税の算定基準の中に入ってくるわけですから、それが決まる。その金額が決まれば、それに従って人員が決まり、法律改正ということはあり得るという予算編成上の技術のことを申し上げているんで、人員ののり代の話なんか一度もしておりませんよ。
○西岡武夫君 それじゃ、官房長官に念を押したいと思うんですけれども、安倍政権が続くのかどうかよく分かりませんけれども、年末まで、年末の予算折衝の際に、今、伊吹大臣がおっしゃったように、仮に予算的な各々話が付いたと。ところが、私のこれまでの経験からいうと、行政改革推進法という、この文部科学省だけではない、内閣全体を縛った法案ですから、その中の文部科学省にかかわる部分だけを取っ払っちゃうというふうな、そういう芸当が、予算的な合意だけをまずやっておいた上で通常国会にその法律改正を出すというようなことはあり得るんですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 一般論で言わざるを得ないと思いますが、そもそもこの行革推進法は去年の六月に通ったばかりで、まだ一年しかたっていない法律でございます。様々な議論をこの国会でしていただいた上で通った法律で、網羅的に様々なことが書いてある行政改革に関する法律であるわけでありますが、いわゆるプログラム法とよく呼ばれておりますけれども。 一方で、予算編成は、あくまでも、今お話がありましたように、概算要求基準を設け、そして予算編成の基本的な方針を設け、そして年末に予算の政府案が決まって、そして国会に提出、出された上で御議論をいただいて通る、成立をすると、こういうプロセスを経るわけでありますから、これはもう予算の中で部分的に、今仮にどこかの項目の予算獲得が、増加が見込まれるとか見込まれないとかいうようなことを言うこと自体もう、予算というのはやっぱり全体であります。この行革推進法が全体のことを言っているのと同じように予算も全体でありますから、今から予断を持ってどこどこの分野についての予算が増えた場合にどういうふうになるのかというような仮定の話になかなかお答えしづらいなというふうに思うところでございます。
○西岡武夫君 要するに、伊吹大臣がいろいろおっしゃったけれども、官房長官としてはこれを担保できないという意味ですね。
○国務大臣(伊吹文明君) 西岡グラウンドへちょっと引き込まないように公正にお話をしたいと思うんですが、私が申し上げたのは、私が申し上げているのは、予算の編成のプロセスとして、今ここで行革法を殺さないと予算要求ができないぞとおっしゃったから、それは違いますよということを申し上げているんです。ですから、予算の要求を我々がするか、しないけれども、予算の調整枠で最終的にある事柄が決まって、その事柄が既存の法律と違うということであれば、既存の法律を変えるということを予算関連法案として出していくということは、当然の従来の予算編成のプロセスとしてあり得ると言っているわけですから。 今、だけれども、先ほど来申し上げているように、内閣としては、私は私の立場を主張しますよ、内閣としては大きな財政再建その他のことがあって私の言い分は通らないかも分かりません、それは。しかし、私は、この大臣をしている限りは私の主張を申し上げますと。主張を申し上げるときは、西岡先輩がおっしゃったように、この国会に、行革推進法を殺さずに予算編成ができないじゃないかというような日本の予算要求の仕組みにはなっておりませんということを私は財務省の主計局にいた経験から申し上げたということです。
○西岡武夫君 いや、私は、行政改革推進法というのは、法律にどの法律が重要でどの法律が重要でないかというそういうことはないんですけれども、すべての法律はすべて重要ですけれども、非常に大きな意味を持っている法律であると。 したがって、今の大臣のお話を承ると、この法律はあるんだけれども、行政改革推進法あるんだけれども、文部科学省としては自分が大臣である限りは概算要求としてきちっと出すんだと。
○国務大臣(伊吹文明君) いや、そんなこと言っていません。
○西岡武夫君 だって、出せないことないとおっしゃったじゃないですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 出すか出さないかは、これは私が判断すればいいことですが、年末の概算要求のときに内閣としてどういう決定をするかというときにですよ、もしも増員の話の予算があったとすれば、方向性としては当然今の行革推進法を次の予算国会に何らかの形で、この法案を改正するかどうかは分かりませんよね、これも立法技術がいろいろありますから、いろんな形で出してくるということは方向性としてあり得ることだと。 だから、先生がおっしゃっているように、この国会に法律を出さなかったら概算要求はできないじゃないかとか、概算要求の中に増員の人件費を入れておかなかったら年末の予算編成のときにできないじゃないかという性格のものでは予算編成というのはありませんよということを申し上げているわけです。
○西岡武夫君 私は、これは、別に学校の先生の定員を増やすというのは奇をてらった政策でも何でもないんですね。正々堂々の予算要求ですよ、文部科学省としては。したがって、八月の概算要求に出せないという代物ではないんですよ。その障害にこの法案はなっているでしょうと申し上げているんですよ。
○国務大臣(伊吹文明君) それは西岡グラウンドのお話で、私はそうは思いません。これは、私は文部科学大臣ですからね、初等教育の教員の給与だけの担当大臣ではありません。大学のこともあれば、科学技術のこともあります。その予算総枠について、すべて内閣としての一定の概算要求基準が決まってくるときはどういう知恵を出すかというのは、これは私の仕事だということを言っているわけです。
○西岡武夫君 もう一点お聞きしたいことがあるので、ちょっとこのあれはどうも、何といいますか、かみ合わないというよりも、大臣は分かっておられるんだと私は思うんですけれども、その苦しいお立場も私は十分理解しておりますから。 もう一つの問題について、どうも骨太方針なるものと関係が出てきそうなので申し上げますけれども、これは官房長官にもお尋ねしたいんですが、教育の場に市場原理というのは私は最もふさわしくないというふうに思うんですね。これは、官房長官、どうお考えですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) それは市場原理という言葉の定義にもよるんだろうと思います。資本主義でありますから、この国は市場原理が基本で動いていることは間違いないわけであって、その市場原理というときに何を指すのか、そして教育の分野にはその中のどういう要素は余り好ましくないのかということを言わないと、包括的に市場原理が教育にはすべて駄目だというのも、多分それは成り立たない論理ではないかなというふうに思います。 したがって、そこは丁寧にやっぱり考えた上で市場原理と教育の大切さの関係というものはよく考えていかなければ、オール・オア・ナッシングということではないんではないのかなというふうに私は思っております。
○西岡武夫君 それじゃ、丁寧に申し上げますが、学問分野について市場原理は適切でしょうか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 大先輩に大変恐縮でございますが、まず第一に、今申し上げたように、市場原理というのはどういう定義か、それともう一つは学問分野というのはどういう定義か、両方正確にしていただかないとよく、判断が付きかねるということではないかなと、大変失礼ながら、そう思います。
○西岡武夫君 これはまだ決定していない骨太原案の、これはマスコミに報道されている部分でございますけれども、大学・大学院の運営費交付金についての項目について、こういう議論がなされているわけですね。基礎的経費と競争的資金の適切な組合せということが指摘されているわけですね。 私は、あえて学問分野というふうに申し上げたのは、どんどん独立行政法人に国立大学がなってから民間の資金が入ってきている。これは結構なことだと思うんですけれども、しかし、これが余り進み過ぎると、特定の企業の研究機関みたいにある部分がなりかねないというのはちょっと問題だと私は思うんです。 それともう一つは、官房長官、これは官房長官に非常に関係のある問題ですから是非お答えをいただきたいんですが、市場原理、すなわち競争原理ですね、別の言い方をすれば。競争原理をそのまま学問分野に持ち込むと、直ちに答えが出る、研究成果が上がって何か商品化されるとか、そういうような分野にお金がどっと行って、なかなか、これは私は英語使うのは嫌ですから、あえて懐妊期間と申しましょうか、懐妊期間が長い学問分野はおろそかにされると。あるいはなかなか哲学のように答えが出ないかもしれない、そういう分野がおろそかにどんどんどんどんされていくということは、学問的な危機だと思うんですね。これを申し上げているんです。市場原理の定義によるとかそんな、そういう話しているんじゃないんです。 官房長官、どうお考えですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 学問には非常に結果が出るまでに長い時間が掛かったり、どう考えても、いわゆる世の中で言うペイしないというものがあり得ることは私も全く同感でございます。 先生が今お取り上げになられましたこの基礎的経費と競争的資金というのは、私たちが議論している限りは、それは支出をする項目としての基礎的経費とそれから競争的資金だと思うんですね、予算における。先生がおっしゃっている民間資金が独法になった後のいわゆる国立大学にたくさん来ていて、それが言ってみれば企業の論理と研究成果との間のリンクが余り強過ぎるのが好ましくないんじゃないかというふうに私は受け止めましたが、それはファイナンスの問題であって、我々が今ここで申し上げている競争的資金というのは、競争という言葉があるものですから何となく市場原理っぽく聞こえますけれども、これはすぐれてやっぱり評価、中身の評価の問題だろうと思います。 ですから、アメリカの、あるいはほかの国の競争的資金の、先生のおっしゃる懐妊期間、あるいは、ですからどのぐらいの期間出すかというのは、日本は極めて短いですね、一年ぐらいとか。ところが、アメリカの場合、例えば平均でも四年分の競争的資金を出すというようなことをやっているので、すぐれてこれはその研究の中身をどう評価するのかというのが多分一番の大事な問題であって、アメリカのNIHとかああいうところが予算三兆円近くあっても、八割がこの競争的資金の用に出ていく。そのときの一番大事なことは、その学問が本当に意味のあるものかどうかということを、この市場の話とかそういうことは別にして、懐妊期間が長かろうと短かろうと関係なく評価をきっちりするというところが一番大事なところだというふうに私はNIHなんかにも行って学んできたところでございます。 したがって、競争的資金であるから市場原理だということではなくて、むしろ、例えば若い人でもいい研究をしていれば競争的資金は必ず評価によって行くという世界をつくろうじゃないかということを今、大学・大学院改革では言っている、主張をしているところであって、このところ競争的資金は大分増えてはきておりますけれども、ほかの国に比べるとずっと少ないという現状で、固定的に経常経費的なものに行ってしまうものが多いんではないのかという批判があるというふうに我々は認識をしているところでございます。 ですから、先生のおっしゃるように、懐妊期間が長いものにお金が行かないということが傾向としてあるという世界はやっぱりこれは私も反対をしたいと思いますが、問題は、中身がどういうものかということの評価の物差しをちゃんと持っているかどうかというところが大事なのではないのかなと、私は文教政策は全くの素人でありますが、そのように思っているところでございます。
○西岡武夫君 伊吹大臣にお尋ねしますが、学問の分野ではいろんな成果が出るとかということを超越した部分がありますね。これを国立大学たるものは見捨ててはいけないと思うんです。これについてのお考えを。
○国務大臣(伊吹文明君) おっしゃるとおりだと思いますね。大学の一番の私はやはり使命というのは知的エリートを社会に送り出すことだと思いますから、すぐに産業化できるとかいうものだけをつくり出すというわけではないと思います。 ですから、今回のいわゆる骨太の方針二〇〇七にも、先生がおっしゃっていることは多分、いわゆる競争的資金と言われる、自分のプロジェクトはこうだからここにお金を下さいと手を挙げて持ってくるお金を増やす余り、先生がおっしゃっている基礎的な部分に回るお金が減るというようなことがあってはならないということをおっしゃっているんだと思うんです。お金に限りがありますから、国民の税負担は無限ではありませんから、今先生がおっしゃったことをよく考えてやりませんと、例えば大学の運営交付金とか私学助成費が減っちゃって、そして競争的科研費が増えるということがあってはならないんで、今度の骨太の案にも、やはり先生がおっしゃった御心配を経済財政諮問会議の皆さんも十分しておられるんですよ。だから、そこに何て書いてあるかというと、基礎的な資金を十分措置した上でと書いてあるわけです。ですから、これは最終的に閣議決定までに文言が動くかどうか分かりませんが、先生のおっしゃったようなことを当然共有しておられます。
○西岡武夫君 その点を伊吹大臣として、また塩崎官房長官もきちっと踏まえた上で取り組んでいただきたいということを要望いたしまして、私の質問を終わります。 ありがとうございました。
○委員長(狩野安君) 午後一時十五分に再開することとし、休憩いたします。 午後零時三十分休憩 ─────・───── 午後一時十五分開会
○委員長(狩野安君) ただいまから文教科学委員会を再開いたします。 委員の異動について御報告いたします。 本日、小泉顕雄君が委員を辞任され、その補欠として北岡秀二君が選任されました。 ─────────────
○委員長(狩野安君) 休憩前に引き続き、学校教育法等の一部を改正する法律案外六案を一括して議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○佐藤泰介君 民主党の佐藤泰介でございます。 午前中の西岡委員と大臣のやり取りを聞いておりましたが、これまで私は伊吹イズムに、伊吹大臣の土俵に入り込んでしまうことがよくあるので、逆にならぬようにしっかり、伊吹グラウンドへ入らないようにしっかりと議論をさせていただきたいと思いますが。 政府提出三法案について、既に明らかになった問題、明らかになっていない問題、確認をさせていただきたい事項等々、更に質問を深めてまいりたいと思っております。 その前に、ちょっと通告はしていないんですけれども、「社会総がかりで教育再生を」という教育再生会議の第二次報告が出ました。この表紙裏の一ページのところにこんな文言があったわけですが、第二次報告を取りまとめました、第一次報告で提言した四つの緊急対応は、現在、すべて政府において実現が図られていますと、こういう文章があるわけですが、この四つの緊急対応というのは一体何を指しているのか、一次報告の、お答え願えますか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 教育再生会議の第一次報告における四つの緊急対応でございますけれども、まず第一が、暴力など反社会的行動を取る子供に対する毅然たる指導のための法令等でできることの断行と通知等の見直しということでございます。それから二つ目は教育職員免許法の改正等でございます。三つ目が地方教育行政の組織及び運営に関する法律の改正でございます。四点目が学校教育法の改正と、この四点でございます。
○佐藤泰介君 今の四点が政府において実現が図られていますと書いてあるんですが、これは、法改正は政府が図るものですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、四つの緊急対応のうちの第一点につきましては通知等の見直しということがございまして、これにつきましては、平成十九年の二月五日付けで問題行動等への対応についての通知を発出をいたしまして対応しているところでございます。それから、第二から第三、第四までにつきましては、教育再生会議では平成十九年通常国会に法案を提出ということを緊急対応として報告をいたしておりますので、結果といたしまして、この国会に三つの法律案を政府として提出申し上げて、御審議を願っているということでございます。
○佐藤泰介君 ちょっとここの文章と意味が違うんじゃないですかね。すべて政府において実現が図られていますということは、今法改正はここで論議しておるんじゃないんですか。しかし、政府が法改正をすべてやっちゃったということは、国会のどうのと言われましたけれども、国会提出スケジュールまで再生会議が決めることは私は越権行為だと思っているわけですよ。にもかかわらず、ここに書いてあるんですね。じゃ全部再生会議で決めたことは実現するのかと、政府で、と思いますよ。 大臣もよく言われますよね、最後はここで決めるんだと。どんな議論をしようとも最後はここで決めるんだということを言われるわけですよね。しかし、これもう実現、政府によってですよ、それも、実現が図られていますということでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) それは佐藤先生、先生の論理の構成どおりでございます。ですから、そのとおり再生会議は書いておるんだと思います。政府によって実現されましたとは書いておりません。政府によって実現が今図っているところでございます。したがって、法案を国会に提出し、実現を図るために御審議を願っているということでございます。
○佐藤泰介君 まあそういう答えかと。こうなるとまた伊吹グラウンドへ入っていくわけですが、そうではなくて、これは政府において実現が図られていますと、すべてですね、それも。一番目に言われた通知等で出したのは理解できますが、法改正の部分もすべて政府において、これ政府において法案を提出して、今国会で御審議を願っているところでありますとは読めませんよ、これ、どう読んでも。どう読んでもこれは、すべて政府において実現が図られている。国会においてとか、立法府の仕事まで再生会議が、私申し上げたように、再生会議までが法案のスケジュールを決めるなと、勝手にと僕は思っておるんですよ。それがどういうわけか、中教審にかかって集中講義みたいに短期間でまとめ上げて、これ出てきたわけですよ。 伊吹大臣も再生会議はそんなに気にすることないよというような答弁をされますよね、時々。それでいくとこれは完全に私は超えている発言だと、委員会、立法府を軽視した発言ではないかと。これを大臣が言われたように読めということなんですね。
○国務大臣(伊吹文明君) 再生会議がどういう意図で書いたかは私は分かりません。自分たちの言ったものは大体実現の方向に向かっているという、何というんですか、胸を張りたいという気持ちがあったんじゃないかと思いますが、まず憲法上の統治の在り方としては、私は書いておる日本語は間違ってないと思いますよ。政府において実現されましたと書けば、これは国会を完全に無視したことになりますが、政府において実現を図ろうとするからこそ、国権の最高機関に今法案を提出してお願いしているわけですから、私はそこは別に日本語の解釈としてそんなに違和感は持っておりません。 ただ、少しやっぱり功にはやり過ぎて、やや書き過ぎたという気はしないでもない。というのは、第一次報告を詳細に読んでみると、免許の更新により不適格教師を排除したいという意図が非常に強く出ておりますよ。我々は、そういう不適格な教師は教壇に立ってもらっては困るけれども、免許の更新とそんなことを結び付けて再生会議がおっしゃったとおりは私はやるつもりがなかったから、法律の構成としては再生会議がおっしゃったとおりの構成にはしておりません。ですから、自分たちが言ったことの方向に大体は進みつつあるというふうに言いたかったと理解してやっていただいたらいかがでしょうか。
○佐藤泰介君 大変うまいことまとめられましたけれども、私は、やっぱり再生会議の位置付けというのをもう少しきっちりしたものにしないと、これだけわあわあわあわあ物議を醸しているわけですから、そして、そのような書きぶりをされると、再生会議で言うことは全部実現できるのかと、全部ここでやっちゃうんだというような感じを日ごろ受けている上にこうした文言がありましたので、これを一遍聞いてみたいなと、このように思ったわけですが。 ちょっと思い上がったとかいうようなことで、そんな答えでしたけれども、これをやるつもりはありませんでしたので、ちょっと、大臣も委員であることでは間違いないんですから、やっぱり多少チェックが入るという体制が必要ではないでしょうか。それは再生会議の書いたことだでは済まされないと私は思いますよ。もう少しチェックを加えていただくなり、それ相応の閣議決定の機関ですから、何を話してもいいよ、何を書いてもいいよということではないと。ある一定の幅、閣議決定にある諮問会議ですから、私的諮問会議といえどもやっぱり一定の枠があろうと、こう思いますが、どうですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生から御注意がありましたことはよく再生会議の方にお伝えしておきたいと思います。 ただ、先生、この日本語は国会軽視の日本語だとは私は読みませんね。政府において実現が図られていますと書いているんだから。図りましたと書いたら大問題だけれども。しかし、本来の教育論の前に先生と私との応答の中で無駄な時間を過ごすような種をつくらないようによく私から言っておきましょう。
○佐藤泰介君 それじゃ、学校教育法一部改正についてまず伺います。 学校教育法の一部改正案は、例えば小学校にかかわる規定の第三十三条で、現行では教科に関する事項を教育課程に関する事項と改正されていますが、なぜこのように改正されたのかということが一点と、それから教育課程の編成は、地域や学校の実態から創意工夫を加えて各学校が行うものであって、国が行うのはある程度における私は一定の基準であろうと、このように理解をしておりますが、この規定はその基準という理解でいいのかどうか、お尋ねします。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現行の学校教育法の二十条では、教科に関する事項は文部科学大臣がこれを定めるという規定があるわけでございます。ここで言う教科とは、各教科に加えまして、道徳、特別活動などを含めました学校の教育計画であります教育課程と同義語と解されております。このため、今回の改正では、その趣旨を明確にするため、教科を教育課程に改めることといたしまして、改正案の第三十三条におきまして、教科に関する事項を教育課程に関する事項というふうに改正をすることとしたものでございます。したがって、この改正によりまして条文の意味するところが変更されるというものではございません。 それから、二つ目のお尋ねでございますけれども、教育課程は先生お話しのように各学校が定めるものでございます。文部科学大臣が定める教育課程に関する事項は、これは従来どおり、各教科の種類、授業時間数、各教科の目標や内容などを定めることといたしております。これらを前提としながら、法令の規定としては、従来から教科に関する事項と規定をされておりましたので、今回は教科を教育課程に改め、従来と同様に教育課程に関する事項という規定にしたものでございます。
○佐藤泰介君 したがって、基準ということは書いてありませんけれども、そういう理解でいいということですね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先生のおっしゃるとおりで結構と存じます。
○佐藤泰介君 幼稚園の方にもそれが付け加わっていると思います。幼稚園という方に加わることによって幼稚園から系統的な教科教育を中心にこれから考えられるのか。幼稚園の方にこの教育課程が加わったことによって幼稚園の教育というものを早期に始めよという意味はあるのか、どういうことですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現行法では、保育内容に関する事項は文部科学大臣が定めるという規定ぶりになっているわけでございます。この幼稚園につきまして保育内容に関する事項としては、現行におきましてもすべての園児を対象といたしました教育課程に基づく教育と希望する園児を対象にしましたいわゆる預かり保育を含める取扱いを行っております。 幼稚園教育要領ではそのことが分かることになっておりまして、幼稚園教育要領では教育課程という用語を使用しているところでございます。すなわち従来から幼稚園教育要領におきましては、一日四時間の教育課程に係る事項と、それ以外の教育活動に係る事項、いわゆる預かり保育の双方について記述をしているところでございます。 このため、今回の改正におきましては、新たに教育課程を内容的に追加したというものではなくて、保育内容に関する事項につきまして、教育課程とその他の保育内容に関する事項、すなわち預かり保育、この二つにつきまして文部科学大臣が必要な事項を定めることを明確化したものでございます。 したがって、先生お話しございましたような幼稚園における早期教育といいましょうか、こういうものを奨励するということを意図したものではなくて、あくまで法令の規定の明確化を図ったというものでございます。
○佐藤泰介君 ちょっと簡潔にお答えをしていただきたいと思います。時間がありませんので。 続いて、地教行法の一部改正に関してお聞きをしますが、第四十九条の是正の要求の方式ですが、まず確認したいことは、児童生徒等の教育を受ける機会、教育を受ける権利は学習指導要領を超えて法的かつ広い上位概念だと私は思います。学習指導要領どおり行われていないからといって、直ちに教育を受ける機会の妨げや権利の侵害になることはないと、こう思っていますが、そのような理解でいいですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 地教行法の改正案の四十九条の是正の要求は、教育委員会に対して行うものでございます。直接学校を対象に是正の要求を行うというものではございません。あくまで教育委員会を対象に行うものでございます。 したがって、学校が学習指導要領に反した教育を行っている場合、教育委員会が所要の措置を、あるいは指導を行っていれば、一般的には是正の要求は必要ないものと考えております。
○佐藤泰介君 そうしますと、国旗の掲揚とか国歌の斉唱をする場合、児童生徒が歌わないということについては認められるというこれまでの答弁でいいですか。これは是正の対象にはならないですね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 従来から、国旗・国歌を児童生徒に指導するということは、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようという趣旨のものではなく、あくまで教育指導上の課題として指導を進めていくというものでございます。このことは仮に文部科学大臣が教育委員会に対しまして地教行法改正案の四十九条の是正の要求を行ったとしても、それは変わるものではございません。
○佐藤泰介君 是正の対象にはならないという理解でいいですね。 続いて、四十九条は地方自治法二百四十五条の五に基づいて行う文部科学大臣の是正の要求、指示を規定していると思いますが、明らかに規定ぶりが異なっていると私は思っています。法令に違反しというところは同様ですが、地方自治法の方は、著しく適正を欠き、かつ、明らかに公益を害していると認めるときと、このように書いてあるわけですけれども、四十九条は、当該事務の管理及び執行を怠るものがある場合と、こうなっているわけですが、ちょっとこの怠るというものが、この委員会でも議論されたと思いますけれども、ちょっとこの怠る例を挙げていただけませんか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 怠るというのは、通常何らの措置をしないという意味が一般的でございますけれども、例えば児童生徒の教育を受ける機会が妨げられていたり、その他教育を受ける権利が侵害をされていることが明らかな場合に教育委員会が何らの措置を講じないというのがこの四十九条の事例に当たるわけでございますので、例えば必修教科・科目の未履修の状態の学校があるにもかかわらず、教育委員会が全く事態を放置をしているような場合に是正の要求ということがあり得るということでございます。 ただ、もちろん実際に是正の要求を行うかどうかは、そのケース、個別の案件に応じて判断をされるということになるわけでございます。
○佐藤泰介君 それを、文科大臣が認知するというのはどういう手続でしょうか。教育委員会に勧告、是正の要求や指示が行くわけでしょう。その実態をつかむのはだれがつかむのですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど申し上げましたように、四十九条に基づきます是正の要求が具体的にどのような場合に行われるか、その判断は文部科学大臣がその個別のケースに応じまして責任を持って行うものでございます。その際、文部科学大臣といたしましては、国民から寄せられました情報、教育委員会に対するいろいろな調査、あるいは大変大きな事案になれば報道等もあると思いますけれども、こういった様々な情報に基づきまして地教行法改正案の四十九条の要件に該当するか否かを判断をするということになろうかと思います。
○佐藤泰介君 ちょっと、だれが判断をするかということを聞いておるわけですよ。教育委員会に勧告、是正ができるわけでしょう。そうすると、その実態は、その教育委員会が文科省に、うちはこういう怠っていますという報告が来るわけじゃないですね、そんな報告は。そうすると、怠っている実態をだれが分かるんですか。教育委員会は知っているわけでしょう、だから、知っていれば是正や何かは言ってもいいわけですけれども、教育委員会としては隠したいでしょう、そんなことは。そうすると、それはだれが行って調べて是正の要求を出すのか。 ちょっと私、言いたくはありませんけれども、前回、九州のどこかの学校で学力テストを受けさせなかった学校があると言ったら、もう次の日には教育委員会に電話が入って、それでどこの学校だと学校探しが始まった、これは事実かどうか分かりません、聞いた話ですから。局長は首をかしげてみえますが、そんなことをうそ言う人はいないんだろうなと思うので、私は正しいと思っています。それは認識の違いがあって結構です、私もきちっとした証明するものがないわけですから。 それぐらいの関係にあるところに、この教育委員会で怠っていると国が判断するわけでしょう。未履修の問題なんて、極端に言えば教育委員会ぐるみ、文科省ぐるみでしょう、あれは、ほとんどが、私が思うには。暗黙の了解があったわけでしょう、そんなものは。その怠ることを文部大臣がどうやって知るんですか。簡単に答えてください。
○政府参考人(銭谷眞美君) 結局、重大な事案でございますので、マスコミの報道とか国民から寄せられた情報、こういったものに基づきまして文部科学大臣が判断をするということでございます。
○佐藤泰介君 大臣、どうですか。ニュースとか新聞で、その地方の新聞を取り寄せて、そしてこれは怠っておると、教育委員会に是正の要求を出さなきゃいかぬと。ちょっと私は、この近代社会においてマスコミに頼ってその実態を知るということは、私は、そのマスコミがすべて正しいというふうに言われないじゃないですか、普通。伊吹グラウンドへ入っていきますと、あくまでこれは新聞の情報でありまして、実はこうなんですというのが伊吹グラウンドへ入っていくことになるんですよ。そういう答弁が多いですよ、大臣。
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと佐藤グラウンドに入らないように御答弁をしたいと思いますが、隠しているものを探そうとすると、先生が最も嫌な、常に視学官を派遣するとか教育の国家統制を行わねばなりませんから、そういうことは余り望ましいことではありません。だから、今参考人が申しましたからそうするわけじゃないんで、そういう情報が寄せられたり、マスコミの報道もあるでしょう。しかし、マスコミがいつも正しいとは限りません。そういうものを発端としてしかるべき調査をして、ケース・バイ・ケースでなるほどと思った場合に文部科学大臣がしかるべき法的な措置を講ずるということだと思います。
○佐藤泰介君 そういう情報をどうやって取り寄せるんですか、文科省として。うわさとかテレビとか新聞とか、そういうもので怠っている実態を知るんですか、やっぱり。それは是正勧告する前にもう一つワンクッションなきゃ分からぬのじゃないですか、と思いますが、大臣、どうですか。
○国務大臣(伊吹文明君) ワンクッションは、先生、あるんじゃないでしょうか。今回、この法改正をしまして是正要求とそれから指示をお願いしているわけですから、その前には調査その他の権限があるわけですから、当然寄せられた情報がすべて正しいのか、マスコミ情報が本当なのか、それは確認、その調査権限やなんかを利用して、こちらが確信を持った上でなければ是正勧告はできないと思います。
○佐藤泰介君 ちょっと具体的には分かりませんけど、私には。教育委員会だってガードしますから、それが調べに入ると、仮にA教育委員会に明日こういう調査に行くといったって、それは全部隠しますよね、普通は。だから、その教育委員会の権限が及ぶ範囲の学校でそういう怠っていることがある場合には私は見付け得ないと、よっぽどでないと、と私は思っています。 しかし、マスコミや新聞やいろんなうわさでそれの真実を突き止めるということが本当に可能なのかどうか、私には分かりません。そうすると国の関与が一層強まっちゃうような気もするわけでございますけれども。 じゃ、五十条の方には、これは地方自治法に準拠したものであるのか、取り立ててこれ規定したものかということをお尋ねをしたいと思いますが、地方公共団体が行う自治事務に関しては、基本的には是正の要求にとどめていますが、この指示というのは地方自治法とどういう関係になって指示ができるのかと。自治事務については、分かりますか、自治事務については基本的に是正の要求、私は指示までは行かないんだろうと思いますけれども、この五十条の指示の内容について伺います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 地方自治法の二百四十五条の三第六項におきましては、国民の生命、身体又は財産の保護のため緊急に自治事務の的確な処理を確保する必要がある場合等特に認められる場合には、個別法で自治事務に対する指示の規定を設けることができるものとされているところでございます。 今回の改正案に、第五十条におきます教育委員会に対する文部科学大臣による指示は、生徒等の生命、身体の保護のため緊急の必要がある場合に限定をして規定をいたしておりまして、地方自治法の定める基本原則にのっとった規定となっているところでございます。
○佐藤泰介君 地方自治法にのっとったということで、例外ではないですね。ということは、国と都道府県、都道府県と市町村はあくまで対等協力の関係にあると、文科行政においてもそのように理解していいですね。頭を振っていただけばいいんです。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほども申し上げましたが、自治事務について認められた関与の範囲内で行われるものでございます。
○佐藤泰介君 今文科省が耐震率を調べておみえになると思いますが、まだまだ十分な実施状況ではないというふうに私は思っていますけれども、今朝文科省からヒアリングをした中に、本来なら十八年末には終えるというような話があって、現実には十九年四月一日現在の調査で耐震診断実施率ゼロ%、設置者百四十、割合七・七%。まあ一〇〇%になっているところが五〇・四で一番多いわけですけれども、その反面、極端にゼロ%というところが百四十の市町村、七・七%あるんですが、これは安全や生命にかかわることですか、かかわらないことですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 子供たちの安全、安心な学校生活のために施設の耐震診断を行うということは必要なことでございます。今回耐震診断の状況を公表いたしましたけれども、耐震診断の実施率は八九・四%でございました。 地教行法の改正案五十条のこの指示は、教育委員会の法令違反や事務処理の怠りにより、生徒等の生命、身体を保護するため、緊急を要する場合であり、かつ他の措置によっては是正が困難な場合に行うものでございます。 耐震診断の実施状況につきましては、これをどのように扱うかということは大きな課題でございますが、教育委員会として必要な取組が行われつつあること、指導、助言等、他の措置により速やかに実施を促すことが可能なことから、現時点では、仮にこの法案がお認めいただいた後のことでございますが、今そういうことで実施が進められつつありますので、五十条の指示の対象とは今時点ではならないんではないかと私は思っております。
○佐藤泰介君 そういう答弁が返ってくるんだろうと思っていましたが、当然こういうことこそ怠ってはいかぬのじゃないですかね。これこそ怠りがあるんじゃないですか。 現在進んでいると。ゼロ%の例を挙げたんですから、ある一定の特定の市町村がやっていないということです。これはもう文科省調べで分かるわけですから、こういう分かったこと、何もしないことがと言われますけれども、これは怠っているんですよ。こういう場合こそ是正の要求や指示をする必要があるんじゃないですか。 国交省の調べによれば、崩壊すると言われるようなものをまだ使っているところがあると聞いておりますが、それこそ、これは文科省と教育委員会の間において、正に生命、地震はいつ来るか分からぬわけですから、これこそ計画的に進めてもらわなければいけない問題ではないんですか。 これは現在進められているから、これは是正の要求や指示には当たらないと。地震が起きて校舎が倒れて子供が死んだと。これこそ早くやれという指示を、大臣、出すべきじゃないですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 耐震診断がまだゼロの市町村もあるわけですが、ほとんどの設置者において実施されるようになりました状況を踏まえまして、今回その結果をしっかりお示しをすることによりまして、今後各地方自治体におきまして、地域住民、地方議会始め関係者の理解を得ながら、耐震化に向けて一層積極的に取り組む契機となることを期待をいたしまして、今回この耐震診断の結果について公表したものでございます。 文部科学省といたしましては、震災時における子供たちの安全確保等の観点から、学校施設の耐震化が最重要の課題であると認識をいたしておりまして、引き続き各設置者に耐震診断を実施するよう強く働き掛けてまいりたいと考えております。
○佐藤泰介君 だから文科行政が批判されるんですよ。これこそ、先ほども申し上げたように、そんな、マスコミやテレビでもすぐ分かることですからね、これは。教育委員会だって分かることですよ。 そういうところに対して是正要求、校舎が倒れそうなところを早くやれと是正要求や指示ができないということは、だから私は教育委員会制度が今のようでいいのかということで、民主党案は、繰り返しませんが、今の教育委員会制度ではなかなか実効が上がりませんと。当たり前でしょう、教育委員会にそういう指示、是正出したってお金ないわけですから。首長さんから要求する以外ないわけですから。あるいは、国が支援すればいいですよ。国も支援しない。やれ、やれ、まだゼロ%がこんなにある、あした地震が来たら壊れそうだと、こういう状況になっているわけでしょう。 だから、それを、約束だったかどうか知りませんけれども、去年の末までにはやりたいと、十八年の十二月までには完了したいと、それが遅れているということは、これは怠っていることですよ、やっぱり。責任の所在がはっきりしないと。したがって、民主党は、教育委員会のような今の制度でいいのかということで民主党案が提起されていると私は思っておりますが。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、先生少し、民主党案をそこでお引きになるのはちょっと私は違うと思いますね。 教育委員会であろうと地方自治体であろうと、どちらが主導権を持っているかは別として、財政状況が良くない地方自治体に対して、この耐震調査というのは国庫補助は出しているわけです。しかし、国庫補助の裏の裏負担がなかなか大変だからというのでやらない地方自治体がある。 それからもう一つは、それが今度は耐震の構造が低いということが分かったときにそれを建て直す。我々が補助をしても、補助裏がないという地方自治体が結果的に調査を、サボるということはいけませんが、内容を糊塗したいということが実態なんですよ。 ですから、今回あえて私がこの悪い状況を発表を踏み切るように言ったのは、そういう状況をごらんになったときに、地方の有権者、当該自治体にお住まいの有権者のやはり地方自治の力を発揮していただかないと困るという思いがあったからあえて踏み切ったわけです。そして、こちらも、建て直しをされる場合の補助裏については、交付税の算定の中に入れてきちっとお渡しをするということを総務省との間に話を付けたから、我々はこれを公表しようということに踏み切ったわけです。 ですから、幾らこちらが補助金を渡しても、補助裏がない自治体は、これが民主党案の自治体の長に教育権があったとしても、財政的に豊かじゃないところは結果的には同じことが起こります、これは。 ですから、我々が、今の先生の御質問の発端になっている是正の要求の対象になるかどうかということは、やはり国としてもある程度の裏付けをきちっと財源的にもしてあげて、なおかつその中で、これは地方議会がしっかりしてもらわにゃいかぬですが、地方議会がそういうことを放置してほかのところに財源を使っておられる場合は、将来的には是正の要求の対象になり得るということはあるでしょう。しかし、現時点においては、国がそこまでの手だてをすべてしているのかと、していないのに是正の要求をした場合に、地方の予算の編成、地方自治の枠の中の予算の編成権との関係で地方自治を今度は侵すんではないかという問題が出てくるから、参考人は慎重に答弁をしたということです。
○佐藤泰介君 いや、それはそうですか。子供の命、安全でしょう。どっちが重いですかね、やっぱり。 首長さん、地方自治を侵すのか、耐震構造をやる場合。予定がないと、今財源がないから。ゼロになっているというところから、物すごい幅があるわけですよね。もう既に済んだところもあるんですよ。それは自治体の財源によって、知らないと。それをわざわざ勧告等すれば、地方自治、首長さんの行政に首を突っ込むことになるというような今答弁だったと思いますが、私は、せっかく安全とか命とかうたい込んだんですから、それぐらいの働き掛けを文科省は取り組むべきだというふうに思います。これは要望しておきます。 あと少し飛ばしまして、免許法の一部改正に関してお尋ねしますが、六月五日のこの委員会で那谷屋委員が十年経験者研修と更新講習の違いをただしたのに対し、銭谷局長は、十年経験者研修はあたかも得意分野づくりによって専門性を高めることであると、このように答えられたと思いますが、教育公務員特例法では、目的として個々の能力、適性に応じてとなっていると思います。能力とは教科指導、生徒指導等の教員としての基本的な資質であり、適性はいわゆる得意分野づくりと説明されてこれまでもきたものであると思いますが、あくまで個々の能力、適性に応じて十年経験者研修が入れられたと、私もこのように理解をしておりますし、今回のこの免許の更新もやはり行き着くところ教員の資質の保持と向上を図るということで、私はこれは同じ目的ではないかと、このように思っているわけです。 十年目の研修と更新講習というのが、十年経験者研修というのは、ちょっと調べていただければ分かりますが、実施している教育委員会によって違いますから、何こま何時間というのは違うと思いますが。得意分野づくり、そのために十年経験者研修があって、免許更新の方は教員の資質を上げるんだと、目的が違うからこれは同時、近い時期にやってもいいんだと、そのように受け取りましたが、本当に十年経験者研修は得意分野づくりで、各実施している自治体は得意分野づくりのこま数を置いてやっていますか。そうではないですよ。先回の答弁は私間違っていると思いますが、どうですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) ただいま先生法文の規定をお引きになりましたが、法令上、個々の能力、適性等に応じて資質の向上を図るために研修を実施をするというのが十年研修でございます。この十年研修を始めましたときの中央教育審議会の答申におきましては、その得意分野づくりを促して、あるいは苦手分野や弱点を抱えている教員に対してはその分野の必要な指導力を補うといったようなことが言われておりまして、文字どおり教員の得意分野づくりを促すための一つの制度として十年経験者研修は運用をされているわけでございます。 この十年経験者研修は、主として教育委員会が採用後十年を経た公立学校の教員に対しまして実施をしているものでございまして、今回御提案を申し上げております免許更新講習は、国公私立すべての教員に新しい最新の知識、技能を共通的に身に付けていただいて、言わば資質能力のリニューアルを図るという、そういう制度として位置付けているものでございます。
○佐藤泰介君 どこが違うんですか。今聞いておっても分からぬですけれども。 十年経験者研修と更新の研修とは、教員の資質向上でしょう。とするなら、目的一緒じゃないですか、これ。これをあたかも得意分野づくりだと、こっちは。こっちは適性を上げるんだと。長い答弁されますけど、結論を言えばそういうことじゃないですか。最終的には、両方、十年経験者研修も免許更新も教員の資質向上のためということの答弁だとするならば、当然、議事録読めば私そうなると思いますよ、これ入れたの十四年ですから。十四年のころは、そんな得意分野づくりのためにさあかねや太鼓をたたいて十年経験者研修を入れるということを決めたわけじゃないですよ。教員の資質向上ということがあって入れたんですよ。 そうすると、今回もこれ同じなんですよ。これは平成十四年の、私が引用したところの教育公務員特例法の一部改正の審議に加わっていれば、私もいましたけれども、これだれでも分かるんです、そう言われたんですから。そういう議論をしたんですから。ただ中教審の答申を尊重して十年経験者研修の一つを織り込んだだけですよ、得意分野というのは。むしろ織り込んだんですよ、付け加えて。全くそのとらえ方が違うと。私は那谷屋委員の質問に対してそのように理解をしたんですが、要するに教員の資質向上を研修制度の面からアプローチしていったのが十年経験者研修ですよ。免許制度からアプローチしていったのが今回の更新制ですよ。目的は一緒なんですよ。 目的が一緒のものを急遽目的が違うようにして、これはこれ、これはこれ、だから両方やっていただくんですと。私は、本当にこれは屋上屋を重ねるだけであって、現場の忙しい実態は大臣もよく御存じであるはずですよ、何度もこの委員会で話題になっておりますから。そこの上に屋上屋を重ねるような研修を、十年経験者研修とそれから免許更新制、これはアプローチの違いだけですよ。 その違いはなぜ生じたかというと、十四年度の中教審の審議のときに、更新制を入れようという意見と入れないという意見があったわけですよ。それが再生会議が今度巻き返したわけでしょう。十四年のときは入れなかったんですよ、免許制度の更新は。その代わりこの十年経験者研修をやりますよと、そういうことだったはずですよ。それで、指導不適格教員も厳格にしますよと、したがって免許制度は入れませんよと。それが再生会議ができて免許制度入れ替えようという風潮になったらころっと変わったわけですよ。状況は何も変わってないと私は思いますよ。 したがって、もう一度、十年経験者研修は得意分野づくりか、それは各教育委員会がやっているから分からないのか、ここで話し合ったときにはそうなんですよ。したがって、十四年度の中教審では更新は望ましくないということになったんじゃないですか。それを補う手段として今言った十年経験者研修と指導不適切教員の転職でしたかね、それが更新制度の代わりに入ったんですよ。そのころにもう銭谷局長は文科省におみえになったと思いますよ、大臣はちょっと御存じないかもしれませんけど。そのときの議論から相当ずれてきていると私は思います、これ。変わってないと思います、十四年のときと今回と、免許制度入れるか入れぬかについての状況は。公務員との関係もあるとか他の資格の関係もあり、十四年のときはこれはちょっと不適当だと。しかし、こうしてこういう教員の資質を上げますよということになったと思うんですが、どうですか。
○委員長(狩野安君) 簡潔に、局長、答弁をお願いいたします。分かりやすい答弁を。
○政府参考人(銭谷眞美君) 済みません。十四年の中教審の答申では、教員の適格性の確保と専門性の向上の二つの視点から更新制の導入の可否が検討をされました。その結果、更新制を導入することはなお慎重にならざるを得ないとしたものの、それに代わり、教員の専門性向上の観点から十年経験者研修の実施が提言をされたところでございます。 今回免許更新制を審議をいただき、答申をいただいた昨年七月の中央教育審議会の答申におきましては、十年経験者研修については、引き続き存続させることが適当であるが、更新制の導入との関係で、中堅教員としての更なる指導力の向上や得意分野づくりに重点を置いた研修としての性格をより明確にするとともに、その実施時期や研修内容については柔軟化の方向で見直しを行うことが必要であるといった答申をいただいているものでございます。 今後、すべての国公私立の教員に知識、技能の最新のものを身に付けていただく免許更新制講習が定着する過程で、十年研を始めとする各種研修の在り方についてもそのかかわりについて更に検討を加えることが必要だと認識をいたしております。
○佐藤泰介君 そうでしょう。後の中教審で付け加わったんでしょう、得意分野というのは。十年研修を入れたときには代わるものだったわけですよ。にもかかわらず、これだけ現場が忙しくて子供と向き合える時間がないと。それだけ問題が起きているにもかかわらず、屋上屋を重ねて、それぐらいは考えられぬですか。中教審が、そういう答申があったからこれは答申どおりやりましたと。西岡先生と伊吹大臣のやり取りもありました。中教審とか審議会、一体どんな性格なものかというのがありましたが、答申して返ってきたら検討もせずにすぐ入れるんですか。現場のことを考えたら、重なるじゃないですか、ほとんど、十年目の人は。私はこれは屋上屋を重ねるものであって、それを組む教育委員会も大変ですよ、こま数は組まなきゃいかぬ、時間数は組まなきゃいかぬ、先生方もそれには出なきゃいかぬと、これ大変ですよ。 スクラップ・アンド・ビルドというのがありますけれども、やっぱり何らかの形で新たなものが出てきたときには現場実態を考えて、変えるなり作り替えていかなきゃ。あるものは全部残していく、また新たなものは入れる、これでは教育現場はたまったものじゃないですよ。 そのことを、まだたくさんありますので、ちょっとこのことだけ強く申し上げ、私は本当は十年経験者研修はなくすべきだと、この時期にという意見を持っておりますが、今言われたように中教審からそういうのがあったからと。私はあくまでなくすべきだという意見を持っておりますということを伝えて、続いて現場の先生方が非常に今日大勢お見えですので聞かれたい問題を。ちょっと飛ばしていきますが。 余り答弁長くならないようにイエスかノーで答えていただければ結構ですが、教員免許状を取得し教職に就かないで十年以上経過した者、こうした者の免許状は有効期限が切れているので失効する、こういう理解でいいですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 法の施行後に免許状を取得した方につきましては、十年間の有効期限の到来によりまして、その方の免許状は失効するということになります。
○佐藤泰介君 そうすると、この失効は平成二十一年四月一日ですよね。これ以降に免許を取ったのは更新制が入るけれども、これより前のものには更新制は入らないという理解でいいですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現に免許状を持っている方は、改正法案の附則第二条第二項の規定によりまして、現に教員である方は免許更新講習の修了確認を受ける義務が課されているところでございます。
○佐藤泰介君 あるの。ちょっと、分かりませんでした。 二十一年の四月一日以前の免許はいいのか、更新が必要なのか必要でないのか、二十一年四月一日以降は更新が生ずる、そういう理解でいいのか。何か法律の附則とかなんとか言われると分からぬですよ、私、そこまで読んでいないですから、法律を。じゃなくて、二十一年四月一日以降は更新が入ると、この免許は十年間ですよと。しかし、二十一年四月一日より以前に取った免許は永久ライセンスですよと、最後まで。そういう理解でいいですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現に免許状を持っている方ですね、二十一年の四月以前に免許を取得をした方ですね。現に免許状を持っている方については、免許状に有効期間の定めがないわけでございますので、その方の免許状は失効しないわけでございますが、法の施行日において現に免許状を持っている方、この方につきましては、その方が現に教員である場合には免許更新講習の修了確認を受ける義務が改正法案の附則第二条第二項の規定によって課されているということでございます。
○佐藤泰介君 修了認定って何ですか。修了認定って何ですか。修了認定を受けなきゃいかぬのでしょう、持っている人も。そうすると、例えば二十一年の三月三十一日で九年になる人は二十一年四月一日以降に十年目研修を受けよということでしょう。ということですか。それは違うんですか。
○委員長(狩野安君) 銭谷局長、分かりやすく簡単に。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現に免許状を持っておられて教員である方は、免許更新講習を今後受けていただく義務が課されるわけでございますが、どの時点で更新講習を受講していただくかということは、今後十年の間にどの年齢の方が、例えばいつまでに更新講習を受けていただくかということは別途定めをする予定といたしております。
○佐藤泰介君 そんなことも決まっていないんですか、この法案。駄目ですよ、そんなことまで決まっていないといったら。そんな制度設計になっておるんですか、この法案は。 二十一年四月一日以前の資格を持っている人、ペーパーティーチャーと言われる人たちはどうするんですか。この人は二十一年四月一日以降は受けなくてもいいのか、四月一日以降に、例えばペーパーティーチャーとして九年済んだ人は四月一日に、まだこれは免許資格があるから選考試験は受けれますね。有効期間が切れたら選考試験は受けれないわけでしょう、免許を持っていないわけだから。そうでしょう。どこで切れるのかというのはこれから検討ではこれは全然困りますよ、そんなことでは。これから考えていきますでは駄目ですよ。
○政府参考人(銭谷眞美君) ちょっと二つに分けてお話をさせていただきますが、教員の、現に教員である方ですね、現に教員である方に有効期間の満了日に相当する日をこちらの方でこれからそれぞれに応じて決めていくわけでございますけれども、その期限までに更新講習を修了しなければ教壇には立てないということになります。 それから、ペーパーティーチャーの方は更新講習の受講義務はないわけでございます。したがって、そのペーパーティーチャーの方の例えば年齢が修了確認期限を過ぎても免許状は失効しないわけでございますが、更新講習を修了していないため、免許状の効果は実質的には停止の状態になります。それで、その状態では教壇に立てないということになります。そこで、ペーパーティーチャーの方が教員採用の内定等を受けた場合には、受けて教員になる場合には、更新講習を修了するということが必要になってくるということでございます。
○佐藤泰介君 一遍きちっとまとめていただきたいと思いますね、これ。意味分からぬのは私だけですかね。 ちょっとまたこれ続きを一遍精査してやらさせていただきますので。 次に、障害のある教員の問題についてお尋ねをしますけれども、この免許更新制の導入に当たり、当然のことながら現場には障害のある教員も働いていると思います。昨年、日本政府は国連障害者の権利に関する条約に仮合意し、これから批准に向かって国内法の整備などを行っていくことになる、こう思いますが、間違いありませんね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 御趣旨のとおりでございます。
○佐藤泰介君 そうすると、この免許更新制の導入に当たり、とりわけ更新講習の受講に関して、障害のある教員への支援をどのように行っていくのか。国連障害者の権利条約は、制度の設計に当たっては障害があることが当然というような配慮を行うべきであると、このように言われているわけです、この条約では。どんな障害を持った先生方にどのような支援をされるんですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 障害をお持ちの先生が免許更新講習を受講される際は、受講者の方の申出に応じまして、教材を使用する場合は点字や拡大文字の使用とか、手話通訳や補聴器の使用など必要な支援を行うよう、各開設主体の人的、物的な条件を個別に勘案しつつ、対応が可能な開設主体に対しましては積極的な取組を促していくことが必要と考えております。 いずれにいたしましても、国会におきまして法案をお認めいただきました後は、障害を有する方ができる限り受講しやすい環境づくりを検討してまいりたいと考えております。
○佐藤泰介君 これも決まってないですね、成立以後。 今ちょっと費用という点が出ましたので、費用について。じゃ、この支援、費用はだれが負担するのですか。例えばサポーターを付ける、あるいは今点字化等々言われました。その費用はだれが負担するんですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 免許更新講習の実施につきましての経費につきましては、今後、その負担の在り方について検討するということとしておりますけれども、国あるいは教育上の要請からこれが導入されるものであることにかんがみまして、一定の配慮が必要との考えもあるわけでございます。 今後、国会における議論を踏まえた上で、こういう受入れ体制の整備も含めました財政支援の在り方についてよく検討してまいりたいと考えております。
○佐藤泰介君 これも全部先送りですね。 順番に行きますよ。 講習の受講料、これはだれが負担するんですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) これも先ほど申し上げましたが、更新講習は個人の資格にかかわるものという考え方もございますし、国として更新制度を設けたということから、そういう観点にも配意すべきだという考え方もございまして、経費の負担につきましてはそういった点を踏まえて今後よく検討していきたいと思っております。
○佐藤泰介君 ということは、全部決まってないんですね。教材費も決まっていない。講習を受けるために要する、例えば特殊な免許がありますから、船舶とか水産とかという免許はそんな近くで受けるわけにできませんので、宿泊も伴う場合があります。これの費用も今後考える、手数料については、これも今後考える。全部考えるって、だれが負担するかということは、あくまでこの法律が成立したら考えると。全部後で決めるんだと。どれだけ高く決まっても文句を言うなということですね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど来申し上げておりますように、教員免許は個人の資格にかかわることでございます。一方で、免許の更新講習というのは国として施策として実施をするものでございますので、それらを勘案をして、今後経費の在り方について、負担の在り方についてよく検討してまいりたいということでございます。
○佐藤泰介君 それはおかしいですよ、やっぱり、この法案自体。そこまで決めてなければおかしいですよ、そんなことは。 この法案がかかって議論をして、これだけの傍聴の人が見えて、全部後で決めますよでは納得しませんよ。私ども国会議員でも聞かれたときに、免許更新制度が出ておるけれども費用はどうするんですかと聞かれたときに、いや、これは後で決めるらしいと、そんなこと地元へ帰って言ったら信用されぬですよ、私自身が。あなた教員出身じゃないのかと。そんなことも法案審議のときに明らかになっていないのかと。 大臣、どうですか。信用しませんよ、そんなのは、地元の人たちが。
○国務大臣(伊吹文明君) 一番最初に先生と問答した、再生委員会の図られていますと実現されていますで、国会軽視だというお話がございました。今、この法案が通らない前にすべてそのことにお答えをしたら、今度は逆のことを参考人は言われると思います。したがって、私は、法案審議の際にある程度国民の合意を得て国が負担をする、公が負担をするということを考えなければならないということは申し上げて、そのことは新聞にも報道されておりましたから、当然御理解になっていると思います。 それからもう一つ、先ほど参考人の答弁は非常に私が横で聞いておっても分かりにくかったので、政治家同士の言葉として、先生のお地元の方ですか、大勢お見えのようですから、もし間違っていれば……
○佐藤泰介君 違います。
○国務大臣(伊吹文明君) ああ、違うの。間違っていれば正してください。もう少し一般の方に分かりやすく答弁をしないといけないから。 免許のことについては、この制度が正式に入る後の免許は、十年ごとに研修を受けなければ、これは法律の規定によって失効します。それ以前にお受けになる場合は、現に教壇に立っていらっしゃる方は、十年研修をお受けになればそのまま教壇に、免許が続いて教壇にお立てになれます。しかし、お受けにならない場合は、免許そのものは失効しませんけれども、教壇には立てませんと。それ以前の免許を持っておられるけれどもいわゆるペーパーティーチャーという方は、免許は続いておりますけれども、教壇に立とうとするときには研修を受けていただかねばならないということです。
○佐藤泰介君 その国会軽視の問題は、ちょっとそれは例え方が違う。そこへ入り込んでいくと、それは伊吹グラウンドになるんですよ。 それでは、今のお答えで大体分かりましたけれども、三十億とか、あるいは何人の者が講習を受けなきゃいけないのか、どの時点で。免許種類ごとにおおよその数字はつかんでいますか、この法案に対する準備として。 あるいは、もう時間がないんで一緒に言いますけれども、教員免許の原簿は免許状を取ったところにありますよね。しかしそれが、その先生がどこへ勤めておるかは分かりませんよね。そうすると、その原簿と、それから更新を受けなきゃいかぬ時期と、これ統一人事管理システムつくらなきゃいかぬですね、分からないわけだから。それは社会保険庁と同じになりますね、それやらないと。 そうすると、私の場合も、免許状をもうどこに入れたかも分からぬですわ。だから、いわゆる、だから六年にしなさいと言っているんです、そうしたら神棚に飾りますから。四年ではみんな一緒だからどっかへ行っちゃうんですよ。まあこれはちょっと余談に入って申し訳ありません。 したがって、じゃ三十億円ぐらい掛かるだろうと。それはどのような数を見積もって、どのような免許状がどうあってと、これ原簿ができないと不可能じゃないですか。数言えますか、今。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、免許更新講習は、現在教壇に立っておられる現職の教員の方が受講をするわけでございます。現在、学校の対象となります教員の数というのは、国公私立合わせまして、幼稚園から高等学校まで約百九万人ほどの現職の先生がいらっしゃいます。こういう方が十年に一度の更新講習を受けるわけでございますので、一年間では十万人程度の方が更新講習を受講するというふうに考えております。 それで、この十万人程度の教員の方が受講するといたしまして、これまでの課程認定講習などの経費を勘案いたしますと、大体お一人当たり三万円前後の経費が講習代等として要するだろうと見込みますと、毎年三十億円前後の負担が生ずることが見込まれているところでございます。 なお、教員の免許状につきましては、免許状を授与した授与権者におきましてその免許状を保存しなければならないということで、原簿はあるわけでございますので、現に勤務しておられる県とその原簿がある県は違うというケースはそれは多いわけでございますので、現に勤務している県から原簿の県に確認をするといったようなことは必要になってくるかと思っております。
○佐藤泰介君 時間が来ましたからもうやめますが、その原簿との対応というのはできるんですか、本当に。取得した都道府県には原簿があると言いますけれども、その原簿は免許状の種類、氏名、本籍地ぐらいしか書いてないでしょう。その三点ぐらいでしょう、原簿は。その原簿を持っている教員免許授与者が、他の県に行っている人から申告を受けてその原簿と対応させにゃいかぬわけでしょう。物すごい作業ですよ、これ。私学へ勤めておる人はどうですか。全部の学校法人から名簿を問い合わせにゃいかぬですよ。すると、初めて原簿と更新者の対応がうまくいって、ここで受けてこういってということになるはずですよ。それをずさんにしたら社会保険庁と一緒ですよ。 本当にできますか、大臣、できますか。決意を聞いて、質問を終わりたいと思いますが。
○委員長(狩野安君) 銭谷局長、簡潔にお願いいたします。
○政府参考人(銭谷眞美君) この制度が施行される平成二十一年四月までの間に一連の確認行為をしっかりと行いまして、制度の運用に遺漏なきよう万全の対応をしてまいりたいと考えております。
○佐藤泰介君 大臣、決意を。
○国務大臣(伊吹文明君) 特に二十二年以前に免許を持っておられた方は、免許を取得された以降、教育再生という大きな国家的の課題のためにこの制度を入れてくるわけですから、御迷惑ができるだけ掛からないようにいろいろな面で私も努力をさせていただきたいと思います。
○佐藤泰介君 どうもありがとうございました。
○荻原健司君 自由民主党の荻原健司でございます。 本日派遣報告がありましたように、私は、先日、水戸といわき、この二か所におきまして地方公聴会に参加をしてまいりました。公述人の方からいろいろな御意見を伺ってまいりましたので、そういった御意見を参考に、また公述人の方々に代わるような質問をさせていただきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いを申し上げたいと思います。 さて、まず最初に、地教行法の関係について御質問をいたしたいと思いますけれども、先日、教育委員長をお務めの方に、昨今のいじめの問題又は未履修の問題等で、発覚といいましょうか、が起きました、そういう問題になかなか教育委員会がうまく対応できなかったと、そういう事例がありました。多くの教育委員会は的確な対応をしていただいているというふうに思っておりますけれども、やはりその中、一部ではなかなかうまい対応をしていただけなかったところもあったわけでございます。 その中で、私は、特に現場の正に教育委員会の教育長さんに今の教育委員会の現場の本当にその生の声を聞かせていただきたいということで、教育委員会がいわゆる機能不全に陥ってしまう原因は何なのか、その生の声を聞かせていただきたいということで御質問をいたしましたところ、まずその前に、教育委員会といっても、事務局の方に問題があるのか又は教育委員の方々に少し良くないところがあったのか、そういったところをしっかり分けて考えていかなければならないのではないかということを伺って、私も非常に浅はかな質問をしてしまったなと反省をしておるところでございます。 その中で、今回このような法改正がなされるわけでございますけれども、まずお伺いしたいのは、今事務局が抱えている課題とやはり委員が抱えている課題というのはそれぞれあると思いますけれども、この課題はそれぞれ何なのかと、そしてこの法律が改正されることによってどのように改善されるのかということをまずお伺いをしたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、教育委員会の事務局が抱える課題としては、特に小規模な市町村において指導主事が配置をされていないなど事務局体制が極めて脆弱であるということが挙げられるかと思います。 これを踏まえまして、今回の地教行法の改正案では、第十九条第二項におきまして市町村教育委員会がその事務局に指導主事を置くよう努めることを明確にいたしましたとともに、第五十五条の二において市町村は近隣の市町村と協力をして教育委員会の共同設置等を進めて、地域における教育行政の体制の整備充実に努めるものとしたところでございます。 それから、教育委員が抱える課題としては名誉職化とか教育委員会の会議自体の形骸化といったようなことが御指摘をいただいております。 このため、今回の地教行法の改正案におきましては、第十一条の第六項におきまして教育委員の責務を明確化し、また第四十八条の第二項第四号におきまして、文部科学大臣、都道府県教育委員会が教育委員の研修を進めることといたしております。さらに、第二十六条におきまして、教育委員で構成する教育委員会の会議におきまして基本的な方針の策定や活動の点検、評価などを行うことを明確にいたしまして、教育委員会が教育長以下の事務局にすべてを任せるのではなく、自らの問題として教育事務を管理、執行することとしているところでございます。
○荻原健司君 ありがとうございます。 今局長が最後にお述べになりました、自らの責任というものを事務局又は各委員の皆さんにもやはり自覚をしていただくということが重要なのではないかなと。その前提として、やはりそれぞれ研修をしていただいて、また情報をたくさん吸収していただいてそれぞれの見識を深めていただくと、その中で大きな責任を果たしていただきたいというふうに思っております。 先日、また続いてお伺いをしたいと思いますけれども、その教育長をお務めの方からこんなことも言われました。これから教育委員というものをしっかりやはり人選をしていかなければならない。それは首長さんであったり又は議会の承認を得なければいけませんから、それぞれの責任を果たしていただきたいということもあったわけなんですけれども。今後、その中でやはり、これは今までもあったかもしれません、例えば、都市部というのは人口が多いものですから、ある意味では教育分野に深い見識を持っておられる方も多数いるだろう。ただ、なかなか地方では人口が少ない分、いわゆる人選をするのにもその人数が限られている中で、これから教育委員会にも地域間格差というのが出てしまうのではないかというような御懸念がございました。これは先日の公聴会だけではなくて、私もいろんなところで、この教育委員会の地域間格差が出るのではないかというような懸念は聞いてまいったわけなんですが、まず、こういった懸念に対してはどんな御所見をお持ちでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 教育委員は、地教行法の第四条におきまして、人格高潔で、教育、学術及び文化に関して識見を有する方のうちから任命をするということになっておりまして、各地域地域にそれぞれこのような人材はいらっしゃるものだと思うわけでございます。また、広く人材を求めたいときには、その地方公共団体に居住をしていない方でも、是非この人にといったような選任はできることになっております。また、今回、先ほど申し上げましたように、教育委員会の共同設置等を進めるということといたしておりますので、広く人材をこれから求めていくということもできるかと思っております。 いずれにいたしましても、それぞれの地域に根差した、教育の充実にふさわしい人材を是非地方公共団体において選任をしていただきたいというふうに思っているところでございます。
○荻原健司君 そういった教育委員会の地域間格差が生まれるのではないかという懸念というのは先日も公聴会でお伺いをしてきましたし、また多方面で聞かれ、私も聞いてまいりました。 ただ、私は、その地域間格差というのはそんなに心配するようなことでもないのではないかと。私は、逆に言えば、地域間格差はそんなに心配することではないというふうに思っておりますし、特に今回のこの法改正を通じてはなおさらそういう思いを持っております。 というのは、やはり今回、法改正の中で、お子さんを学校に行かせております保護者の方も積極的にというようなことが書いてあります。いわゆる、確かに、先ほどのお述べになった中にも、教育委員が名誉職化している、こういう懸念があるというようなこともありましたけれども、さらにそれを今回の法改正を通じて、正に教育の当事者であるといいましょうか、いわゆる子供さんを持っている保護者の方々が任命をされることによって、更に各委員の方々の責任感というのは高まってくるだろうというふうに思う中では、そういった地域間格差、格差が生じるのではないかという懸念は私は当たらないのではないかなというふうに思っています。 とはいっても、やはり先ほど来答弁がございますけれども、やはり当事者意識をしっかり持てるような幅広い人材を積極的に得ていく必要があるのではないかというふうに私は思っておりますけれども、御所見いただければと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今回の地教行法の改正案におきましては、第四条第四項を改正をいたしまして、子供を教育している者であります保護者の意向が教育行政にきちんと反映をされるように、委員の任命に際しましては保護者が含まれるようにしなければならないという規定に改めたところでございます。 今先生お話ございましたように、当事者意識の強い保護者の方が必ず委員に含まれると、さらに委員の年齢、性別、職業等に著しい偏りが生じないような配慮、こういったことも行っていただきまして、教育委員に幅広く適材を得ていくということが必要かと存じております。
○荻原健司君 ありがとうございました。 いずれにしましても、やはりそういった保護者を入れることによって更にその当事者意識を高める、言い換えれば、各委員の方々の責任といいましょうか、そういったものを高めていくというのは私は大変結構なことだと思っております。 ただ、例えば、私が人口の少ない地域の、あなた教育委員やってくれないかなんて頼まれてなったとしたときに、やはり不安というのはどうしてもあるのではないかなと思いますね。やはり、マンモス校と言われるような都会の学校ではどんな取組をしているのか、そういう地域では教育委員の方々はどんな取組をしているのか、また学校数の多い自治体などの教育委員の方々は大変だろうけれども、逆に言えば、そういういろんな情報がたくさんあっていろいろ勉強になっているだろうなというようなこともあるんじゃないかなと思うんですね。 ですから、そういう意味では、やはり教育委員会同士もいろんな幅広い情報交換を積極的にこれから進めていく必要があると私は思っておりますけれども、どんなお考えを持っておりますか、伺いたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 正に先生御指摘のとおりだと思います。各教育委員会同士が情報交換を行うということは非常に有効なことだと思っております。 文部省でも、市町村教育委員会研究協議会というものを開催をいたしまして、各市町村教育委員会間の情報交換の場を設けているところでございます。また、教育委員会関係者自らも団体を組織したりいたしまして、全国的あるいは都道府県を超えたブロック単位で様々な意見交換や研究、協議を行っているところでございます。また、県内の市町村の教育委員会間での情報交換を行う場も設けられているところでございます。 引き続き文部科学省としても、各教育委員会に対しまして、各教育委員会間の情報交換を促進をするための必要な情報提供ということを行ってまいりたいと思っております。
○荻原健司君 ありがとうございました。 いずれにしましても、地方公聴会を回りながら、細かいところはともかく、この教育委員会制度というのは是非残していただきたい、残すべきだというやはり強い声がありましたし、私も同じように考えておりますので、是非そういった教育委員会の活性化のためにまた文部科学省の皆さんにも御努力をいただきたいというふうに思っております。 さて続いて、学教法関係の中の、学校の評価制度のところについて御質問をしたいと思っております。 文部科学省は平成十八年の三月に義務教育諸学校における学校評価のガイドラインを作成をいたしました。これに基づいて今それぞれの学校がまず自己評価をされておりますし、さらには外部評価もなされているところでございます。 〔委員長退席、理事中川義雄君着席〕 まず、ちょっと細かいところで恐縮なんですけれども、この公立小中の中で、自己評価そして外部評価、これ実施率、そしてもう一つの公表率、これ併せてちょっと数字をどんなものか教えていただきたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、学校の自己評価の実施率でございますが、公立小学校は九九・七%、公立中学校も九九・七%となっております。また、公表率でございますけれども、公立小学校が五六・九%、公立中学校が六〇・六%となっております。 それから、保護者、地域住民の方々によりますいわゆる外部評価の実施率でございますが、公立小学校は五一・一%、公立中学校は五二・二%となっております。また、その公表率は、公立小学校七〇・三%、公立中学校六九・二%となっております。
○荻原健司君 ありがとうございました。 大分、自己評価についてはかなりの高い確率というか割合でなされております。ただ、一方では、外部評価の方ではまだ五十数%台ということですので、私としては、やはり自己評価、これも大変いいことだとは思います。ただ、やっぱり自分を自分で採点したときに余り悪い点付けるような方々というのはそんなに多く見受けられないと思いますので、やはり客観的に地域住民の方々などが、まあ学校評議員の方々がメンバーになると思いますけれども、こういった方々に客観的に見ていただくということの方がより重要だと思っておりますので、是非この外部評価の方についても積極的に進めていただきたいというふうに思っています。 私、この評価というのはちょっと個人的な思いがあるわけなんで、思いというか考えを述べたいと思いますけれども。学校評価をされている項目というのも、少し資料でいただいた中で拝見をいたしておりますけれども、私はこの学校評価のまず観点というところでちょっと申し上げたいのは、学校の学力だとか、どういう授業を先生が実施している、これについていいか悪いかということではなくて、やはりその学校を持っている地域の住民の方々がああこの学校はすばらしいな、ああこの学校もう少しこうあればなというような中で、地域の学校を応援する方々、こういう方々からやはりどのくらい満足をしていただけているかと。やはり私は、この学校評価の観点というのは、学力だとかその学校の授業の中身ということではなくて、地域の住民の皆さんの満足度というものが一番求められている部分ではないかななんていうふうに日ごろ思っております。 そういう意味では、是非こういう自己評価また外部評価は、特にこの外部評価はもう積極的に進めていただければというふうに思って質問をさせていただきました。 そこで次の質問に入るわけなんですが、今地域住民の学校に対する理解を深めるためにこの外部評価を更に進めてというようなお話もありましたけれども、やはりこれを積極的に公表していくべきだろうと。先ほどお話の中では、七〇%、六九%というような比較的高い数値も出ているわけなんですけれども、まあ一〇〇%というところで考えればまだまだ足りないのかなというふうに思っております。 まず公表の方法というものをどんな手段で公表されているか、ちょっと細かいところですが教えていただきたいと思っています。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほどの平成十七年度の調査によりますと、公立学校における学校評価の結果の公表の方法としては、ちょっと多い順に申し上げますと、学校評議員に説明というのが一番多いんでございます。自己評価の場合は七四・一%の学校でそういうやり方をやっております。それから、あと次いで多いのが学校便りを配付してその中に学校評価について記載をすると。三番目が保護者への説明会の開催と。次いでホームページへの掲載。それから、地域住民や関係機関への説明会の開催、地域の広報誌への掲載という、大体こういうやり方が多くなっておりますが、地域の方への説明会とか地域の広報誌への掲載というのは、まあ割合としては一けた台という割合でございます。
○荻原健司君 ありがとうございました。細かい数字を述べていただいて、大変ありがとうございます。 確かに、学校評議員に説明をするとか学校便りを配付するというような、先ほどお述べいただいた点、この点については、例えば自己評価結果、これを学校評議員に説明した、これは公立の小中だと思いますけれども、七四・一%とか、私の手元の数字ではこういった数字が出ております。 ただ、先ほど来私が申し上げている、特に地域の皆さんから応援される学校づくりのためには、こういったごく限られた人又はその保護者だけではなくて、やはり幅広い地域住民の皆さんにこの評価結果がどうなっているのかというのをやはり知らせるべきであると、私はこういうふうに考えております。 私の手元の資料によりますと、例えば自己評価結果を地域の広報誌に掲載をした、これは公立小中だと思いますけれども、一・九%なんですね。又は外部アンケート、これを地域の広報誌に掲載したのは一・八%。さらには、外部評価結果を地域の広報誌に掲載したのは二・四%と、平均すれば二%程度しかない。これでは、私はなかなか地域の住民の皆さんに今の学校教育というものがどういうふうになっているのかというのを知っていただくには、これは余りにも低い数字ではないかなというふうに思っております。 例えば、ちょっとこの手元の資料で申し上げさせていただきますけれども、例えば社団法人日本PTA全国協議会が教育に関する保護者の意識調査報告書というところでアンケート調査をしているわけなんですが、例えば学校自己評価制度の認知状況という項目がありまして、学校自己評価制度の認知状況について、知っているか知らなかったか、いわゆる自己評価制度をやっていることを知っていますかというような質問に対して、知らないという方がおよそ七六%もいらっしゃるんですね。又は、学校自己評価制度の公表状況と学校自己評価結果に対する評価という項目で、自分の子供の通う学校の自己評価結果の公表状況について、公表されているかされてないか、分からないというふうに答えている方もおよそ七七%もいらっしゃると。これは非常に、果たしてその評価結果が広く皆さんに伝わっているとは言えない状況だなというふうに思っています。 更に付け加えさせていただければ、これは財団法人経済広報センターというところのアンケート結果なんですが、学校の自己評価、これをやっているまたその結果を見たことがあるかという質問に対して、お子さんを持っている男性、女性の方合わせて、見たことも聞いたこともないという方々がおよそ七八%もいらっしゃるわけですね。 ですから、私が何を申し上げたいかというのは、先ほど来、やっぱり学校というのはとにかく地域の皆さんに応援をしてもらうと。まあ批判ばかりだけではなくて、やはり悪い点も地域の皆さんとともに解決していくためにも、とにかく学校に対しての理解、意識を更に高める必要があるというふうに思っている中では、こういう結果を見ますと、まだまだ公表結果が広く地域住民に伝わっていないのは非常に残念だなというふうに思っております。 そういう意味で、私はこのガイドラインの中にも、実はこの自己評価の結果、外部評価の結果を保護者を対象とした説明会や学校便り、地域広報誌への掲載などの方法により保護者、地域住民に説明するというふうに書かれておりますけれども、これ順番を変えて、自己評価、外部評価の内容を地域広報誌への掲載などによりというのが何か一番最初に来た方がやはりいいんじゃないかなと。これ一番最後に書いてあるので、とにかく順番どおり説明会やって学校便り配ればそれでいいかななんて理解をしてしまっている方がもしかしたら多いのではないかなというふうに思っておりますので、まあ細かい点ですけれども、とにかく地域の住民に広く伝わるような取組をしていただきたいというふうに思っておりますけれども、この点について御所見をいただければと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 学校がそういう学校評価の状況を地域の方々に御提供をして、また地域の御協力をいただくということは大変大事なことだと思います。 学校評価のガイドラインは、あくまで一つの参考例としてお示しをしているものでございますけれども、ただいまのような先生の御指摘も踏まえまして、いずれまたこの内容等については逐次改善を加えていきたいと思っておりますので、そういう中でよく検討させていただきたいと思います。
○荻原健司君 是非、やはり学校応援団を増やすという意味で、地域住民に幅広くこういった結果が伝わるような取組をお願いをしたいと思います。 さて、今度はちょっとまた変わりまして、免許法関係について二点だけなんですがお伺いをしたいと思うんですけれども、先ほど来、十年更新制度、この件について様々な御議論があったところでございますが、これも地方公聴会でいただきました御意見の中にもあったわけなんですが、この更新制度が今後、これから導入をされると、又は教員給与にめり張りが付くようになると、こういったことを受けて、今教員養成課程を受けている若い先生を目指そうとしている人たちが、いわゆる教員になろうと思っているその入口で、その入口に入ろうかそれとも入らざるべきか悩んでいる人たちが多いと。若い人たちが今学校の先生を目指そうかそれともどうしようかなというふうに不安を持っている方々が大変多いというお話を伺いました。 やはり考えてみれば、自分の素養といいますか能力というのが実際教員になったときにどのくらいあるかというのは、やはりまだ学生さんといいましょうか、教員養成課程を受けている中ではそれは分からないわけでありまして、仮に先生になっても、もしかしたら十年後には自分は更新できないのかもしれない、そのときにはもしかしたら失職、職を失うことにつながりかねない、それだったら今からもう教員目指すのをやめようかなというような心配をされている若い方々が多数いるというようなお話を伺って、これはちょっといい傾向ではないなと。やはりここでこそ、希望にあふれた若い方々がよしやろうと思える環境づくりをしなければならないと思っております。 そういう意味で、まずその入口に入っていく若い人たちを増やすためにも、こういった不安を解消させなければいけないというふうに思っておりますけれども、御所見をいただければと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 教員に対する希望者が増えるかどうかというのは、単にこの免許更新制だけでは私決まらないと思うんですね。それから、新人の方ではなくて、現に教員になっておられる方々に対しても、どうも人材確保法ができたときほどは教員と一般地方公務員の給与の優遇が際立つということはなくなっているようだし、先ほど佐藤先生の御質問にもありましたように、大変教員の皆さん忙しいと。忙しいと言いながら、議事堂前には何とか教組と書いたのぼりでたくさん授業時間にお見えになっている例もあるんですけれども、一般論として言えば非常にお忙しいと。こういうことをやっぱりすべて解消をしていかなければ、免許のことだけでは私は問題は解決しないと思うんです。 ですから、先ほど来、午前中から西岡先生からもいろいろ御質問があったようなこともすべて含めて、やはり教員が誇りを持ってやっていけるような体制をつくるために、制約はありますけれども努力をするというのが私の今の責任だろうと思っております。 そういう中で、免許制というのは、やはり児童生徒と向き合っていただく、職業人ではありますが教師という師という言葉が付いておりますので、そのやっぱり職務の性格からいって、是非受けていただかなければならないし、また日々日常の研修、あるいは学ぶより慣れろということがありますから、日常しっかりと本分を尽くしていただければそう難しいことではないというような内容をやっぱり工夫をしていくべきだと、そんなふうに思っております。
○荻原健司君 ありがとうございました。 今大臣からも御答弁をいただいたわけなんですが、そんなにびっくりするような内容にはならないだろうというようなお話もいただきました。ただ、やはり今その入口で迷っている若い人たちにも、先ほど御答弁いただいた中では、この更新制度のことだけではなくて今の先生方のお忙しさ、この辺も解消していかなければならないんだというようなお話も伺いましたけれども、さきの公聴会の中では、やはり今この入口でどうしようかというふうに迷っている若い人たちは多いというようなお話も伺ってまいりました。 そういう意味では、今後法改正がなされたらということにはなるのかもしれませんけれども、いわゆる十年更新というのはおおよそこんな内容になりますよ、又は、例えば十年更新で仮に更新できなかったときには、ただあなたは教員養成のプロセスの勉強をしてきたことでこういった職にも何かつながっていくというような、何か、この入口のところでやはりとにかく入っていこうと、よしやるぞというような若者をこれから積極的に増やすためにも、その十年更新というのはおよそこんな内容になるだろう、又は十年更新、仮に、まあそんなことはないんだと思いますけど、仮に駄目でも教員養成課程を経てこういった仕事に就けるのではないか、何か少し明示をすることで不安解消にもつながっていくのではないかなというふうにも思っているわけなんですが、ちょっと御所見がございましたらお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 法律が通るまでにあれするこれすると言うと、また国会と行政との関係というのはいろいろありますから。しかし、法案が通りましてから研修が実施されるまでの間がありますので、今先生がおっしゃったおおよそのことはやっぱり示さなければいけませんし、各大学、教員養成大学等にお願いするわけですから、準備ができませんですよね、大体。だから、当然それはそういうことだと思います。 それから、万一駄目な場合というのは、これは教員免許は失効はしますけれども、当然地方公務員としての分限がありますから、すぐに職を辞めさせるなんということは当然できないわけですね。ですから、もう一度研修を受け直していただくとか、いろいろな手だてをやっぱり考えていくと。そして、どうしても駄目な場合は、まあ人事異動で対処するのか分限としての処分の対象になるのか、それはいろんなことがあると思いますが、このこと自体がすぐ職を失うということには結び付けるべきではないし、そのような法構成は、私どもが提出した、まあ再生委員会はちょっとそういうことを考えていたのかも分かりませんが、私たちが提出した法案はそういう構成にはなっておりません。
○荻原健司君 ありがとうございました。 今大臣がお述べいただいたようなことをやはり教員養成課程の中にも少し触れられていただけると、これからその入口で迷っている若い有望な方々の何か動機付けにもつながっていくのではないかなと思いますので、是非そんなことも考えていただければと思っております。 さて、続いて、ちょっとこの法案の趣旨とは離れてしまうかもしれませんけれども、私としては大変な事態、緊急事態ではないかというふうに思って御質問をさせていただきたいと思います。 先ほど、学校施設の耐震化について、これについて是正の要求ができるのか、また指示ができるのかというような御議論がございました。これから何点か学校施設の耐震化についてちょっと御質問をさせていただきたいと思います。 先日六月八日に文部科学省が耐震診断調査の結果を公表されました。これまでにもその耐震診断がなされているかなされていないか、耐震性があるかないかというのは何度か公表されてきたところではございますけれども、今回は非常に踏み込んだ公表をされていると思うんですね。非常に倒壊だとか崩壊のおそれがあると、そこまで踏み込んで今回公表されたまずその意味について教えていただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これも先ほど佐藤先生の御質問とも関連することですが、やはり生徒の安全を守っていくという立場からは、当然学校の設置者である地方自治体が、米百俵の精神ではありませんけれども、最優先の課題としてお取り組みいただかなければならないことなんですよ。取り組まれないような首長、若しくは取り組まれないこと、ほっておかれる地方議会は選挙で落としてもらわないと困るんですね。ですから、いや、文部科学大臣の是正要求権や指示権の話もいろいろ御批判ありますけれども、地方議会がしっかりしてそういうことを許さないということなら、こんなことする必要はないわけです。 耐震の問題について言えば、設置者が地方自治体ですから、国は補助はしているんですよ、耐震のその調査について。しかし、一〇〇%のお金を出せてはいないんですね、国の方は。そうすると、国が補助している補助裏を使うのが嫌だとかその余裕がないとか、地方財政のいろいろな事情からおやりになっていないところがかなりあったわけです。 先ほど御批判を受けましたように、なお調査がやっていないという町村があるということは存じておりますけれども、ほとんどの町村においてこれをもう実施するという状況になったわけですね。ですから、積極的にその結果をお示しをして、そして地方の有権者である地域住民の、まあ投票圧力と言っちゃいけませんけれども、これによって地方議会とやはり自治体の首長にプレッシャーを掛けていただかないと困るんですね。 御要望さえあれば、私どもは補正予算でもあれだけのことをしたわけですから、予算を取って補助をやりますし、補助が付けばその裏負担については交付税措置で手当てができるような準備もしておりますから、地方が積極的にこのことに取り組んでいただいて、地域住民の子供さんの命にかかわる大切なことを最優先にやってもらうということを促したいと思って公表したということです。 〔理事中川義雄君退席、委員長着席〕
○荻原健司君 ありがとうございました。 私もこれは単に不安をあおるということではなくて、今大臣がおっしゃったように、やはりこれから特にこの学校はもう耐震性があるのかないのか、そこまではっきりさせていただきたい、こういったことを求めるということの中で、子供たちの命を預かっている又は災害のときには本当に地域住民の避難場所になる学校ですから、なおさらやはりそういう意識を持って、今大臣がおっしゃったような気概を持ってこの耐震化を進めていただくというのが重要だと私も思っております。 先ほど耐震診断すらやっていないところがあるというようなお話もありましたけれども、これは設置者の数では四十六、パーセンテージでいうと三%もあると。非常に全国の公立小中の数というのは多い中で三%というのはまだそれなりの量があると思いますので、こういったことが一刻も早く改善をしていただくようにというふうに私も各自治体の皆さんにはお願いをしたいなというような思いであります。 そこで、今回踏み込んだ調査結果が出されまして、私もいろいろ読ませていただいた中で、第二次耐震診断指標、Is値というものが算出される第二次診断というふうにあったんですけれども、まず第一次診断というのはここまで、何というんでしょう、崩壊とか倒壊の危険性があるかないかというのは出ないんでしょうか。この第一次診断と第二次診断のちょっとその方法の違いだとか、またその費用の違い、この辺について、ちょっと細かい点ですが、教えていただきたいと思います。
○政府参考人(舌津一良君) お答えいたします。 今お尋ねのその第一次診断と第二次診断はともに財団法人日本建築防災協会が定めました耐震診断基準に基づくものでございます。これは建物の強さあるいは形状あるいは経年劣化等の状況により耐震性の、先ほどのIs値、これを評価し、そのIs値を算定するものでございます。 このうち第二次診断は、建物の強さ等の計算におきまして構造部材の種類ごとに極めて詳しく計算をする診断方法でございます。これは耐震補強を今後行うときに具体的なその設計内容を検討するためには必ず必要なものであるということでございます。一般的にその費用でございますけれども、一棟当たり二百万円から三百万円ぐらいの金額が掛かるというふうに言われております。 一方、第一次診断でございますけれども、これは柱とかあるいは壁の断面積を算定いたします非常に簡単な診断方法でございまして、この診断の目的は安全性の高い建物を除外するための、そういうようなことを目的とした調査でございます。こちらの方は費用が大分安くなりまして、一棟当たり約二十万円から三十万円程度というふうに言われておるところでございます。
○荻原健司君 ありがとうございました。 第二次診断の費用がおよそ二百万から三百万円というお話、一次診断では二十万から三十万というお話でありましたから、これ金額にするともう一けた違うわけですね。ですから、中には一次診断まではやったと、ただ第二次診断まではなかなか予算が組めない、財政が厳しいので第二次診断まではちょっとできないというところも多分あるんだろうというふうに思っているわけでございまして、やはり我々としてはこういったまず特に第二次診断までしっかりやっていただくように予算を特に大臣にはお願いをしなければいけないというふうに思っておりますが。 そこで、続いてなんですけれども、先ほど第二次診断、いわゆるIs値というものが出る第二次診断というようなことがありました。その第二次診断の結果、大規模地震に対して倒壊又は崩壊のおそれが高いとされるいわゆるIs値〇・三未満の学校というのが四千三百二十八棟、これは非常にびっくりするような高い数字だと思います。 ただ、確かに言葉で言われれば、倒壊、崩壊のおそれが高い、大きな地震が来れば崩れてしまうのではないか、危険だなと思うんですが、これはさきのいわゆるマンションの耐震構造計算偽装事件だったでしょうか、いわゆるヒューザーとか姉歯事件というのがありましたけれども、結局あれで住めなくなったマンションというのがありました。あの辺のちょっと比較というのかどうか分かりませんけれども、このIs値〇・三というのは、マンションのような、この間の例でいうとどういう、まだ住めるのか住めないのか、ちょっとそれを交えて御説明いただければと思います。
○政府参考人(舌津一良君) お答えいたします。 国土交通省の告示がございまして、この構造耐震指標、Is値が〇・三未満の場合の耐震の性能でございますけれども、これは基本的には震度六強以上の大きな地震が来た場合、危険だというふうに言われているわけでございます。 一方、昭和五十六年以前の建物というのは、基本的には旧の耐震基準に基づいて設計されているわけでございまして、この旧耐震基準の考え方というのは震度五強程度の中程度の地震に対しては安全であると、そういうような考え方で策定されたものでございます。 一方、さきの耐震偽装事件の建物でございますけれども、これは国土交通省の説明によりますと、単に新耐震基準の強度を下回るというだけでなくて、昭和五十六年以前の旧耐震基準に基づくもの、こういうような建物と比べてもなお著しく危険が高いという判断がなされて、あのような措置が講じられたというふうに私ども聞いておるところでございます。 このようなことから、Is値が〇・三未満の学校建物の場合でありますけれども、基本的には旧耐震基準を充足しているわけでございますので、さきの耐震偽装事件の建物と比べれば危険性は低いというふうに私ども理解しているところでございます。
○荻原健司君 ありがとうございました。 さきの様々な事件から比べればそれよりも少しは安全だということで、私もほっとは今御答弁いただいてしましたけれども、それでも四千三百二十八棟の学校がもう倒壊の、震度六といえば阪神・淡路であるとか、またさきの新潟中越ですか、あの辺の震度とほぼ同程度の地震が来たときにはその危険性が高いということですよね。ですから、私は、何とかやっぱり子供たちが日ごろ行っている学校というのを一刻も早く耐震化すべきだというふうに思っています。これまで、幸い、阪神・淡路、またそれぞれの大地震のときには、たまたま子供が学校にいなかったからまあ何とかよかったかなで済んでいるとは思うんですが、これは本当にこれから先を考えたときに、やはり地震大国のこの日本の中ではこれは非常に深刻な事態だと思っておりますので、是非こういったことにも積極的に取り組んでいただきたいと思います。 ちょっと通告していないんですが、お分かりいただければ御答弁いただきたいんですけれども。よく地域に避難場所に指定されている学校というのがありますね。その避難場所に指定されている学校というのは、Is値でも構いませんし、とにかく耐震性は確保されているんでしょうか。
○政府参考人(舌津一良君) 現在の耐震化率、さきの四月一日時点のやつを調査した結果でございますけれども、耐震診断率が八九・四%、それから耐震化されている率が五八・六%でございますので、先ほどの避難場所に指定されている学校というのは、おおよその数字でございますけれども、全学校のうちの八割ぐらいがその指定されているわけでございますけれども、先ほどの耐震化率から類推すれば、すべてが耐震化されているというふうにはとても言えないという状況にあるわけでございます。
○荻原健司君 これは、やはり聞けば聞くほど本当に非常に深刻な問題だなということをつくづく感じておりますので、ともかくこの問題については、もう大臣、先ほど来御答弁いただいているとおり、各自治体の財政難、又は文部科学省が幾ら補助金を御努力いただいて増額しても、その補助裏さえなかなか持てないといいましょうか、出せないところもあるんだというようなお話も伺いました。 ただ、やはり今、その地域の防災拠点、災害拠点、避難場所の学校でさえ耐震化されていない割合が高いのではないかというようなお話を聞けば、本当に我々、そういう災害が起きたときにはどこに逃げればいいのか。やはり地震や何か災害が起きたときにはとにかく学校にさえ逃げれば何とかなるだろうというのが我々国民の理解ではないかなと思うんですが、是非そういった観点からもここはしっかり力を入れていただきたいと思いますけれども、最後に、大臣にもう少しこの辺の御決意を伺って、ちょっと早いんですが、御質問を終わりにしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) いや、それはもう一生懸命やらざるを得ないことですから、昨年は当初予算で千百三十七、八億だったですかね、の予算を組んであったんですが、私が参りまして、補正予算で同額、千百三十七、八億、当初予算と同額の予算をまたもらったんです。ですから、当初の倍になっているんですね。今年の当初予算も大体千百三十から四十億ぐらいだったと思いますが。 補正を組む組まないは今から言えることではありませんのですけれども、私としては、スピードアップして、ともかく地震の避難所が地震に耐えられないじゃこれ困りますから、落語にもならないことですから、一生懸命やりたいと思いますし、ただ、地方自治体が職員の給与やその他に最優先してでもやってくださるという気概を私はやっぱり期待したいですね。
○荻原健司君 大変ありがとうございました。是非その気概を持って取り組んでいただきたいと思います。 質問を終わります。ありがとうございました。
○弘友和夫君 公明党の弘友和夫でございます。 私、この委員会初めてでございますので、基本的なこと等もお尋ねしたいと思うんですけれども。 まず、今この日本の社会、学校教育もそうですし、学校だけじゃなくて家庭、社会、地域、先ほど大臣は豊穣の中の精神の貧困だと、このようにお話がありましたけれども、本当にいろいろな意味で病んでいると。何とかこれをしないといけない、また教育力を、教育の再生をしないといけないということで、いろいろと今回の法案にもそれが出てきているんだと思うんですけれども。 まず、大臣は、優れた教員というものをどう思われているか。イギリスの教育哲学者のアーサー・ウィリアム・ワードという方が、凡庸な教師はただしゃべる、少しましな教師は理解させようとする、優れた教師は自ら実践する、最高の教師は子供の心に火を付けるというこの言葉を残しているわけですけれども、私は、学校教育において児童生徒の限りない可能性、これを引き出していくというのは、私はひとえに、いろいろな要素はありますけれども、教員の、先生の情熱、それから使命感、資質、そういうものにある意味懸かっているんではないかなと、このように思いますけれども、大臣の優れた教員とはどういう教員であると、このように思われているか、ちょっとお尋ねをしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 今先生が例にお引きになった優れた教員の例というのは政治家にも当てはまると思いますから、余りぺらぺらしゃべらない方がいいと思いますけれども。まず、自分の仕事に対する情熱でしょうね、第一番目は。それから、児童生徒に教える知識、技能、こういうもの、専門家として力量があるかどうかということ。そして、何よりも人間としての総合的な包容力というのか、力というんでしょうか。こういうものの三つを備えていて、職業ではありますが、教師という師、つまり人を導くという、牧師あるいは、何というんですか、師範の師という字が付いているように、やはり単なる職業人としてその職に就くという以上のやはり気概を持っている人が最良の教師だと私は思いますけれども。
○弘友和夫君 私も、今大臣の三つ言われた中の、知識、技能、力量、これはやはり教員として必要なことだと思うんですけれども、ただそれだけではいかぬと、その三つ言われました。やはり、子供、児童生徒、本当に個性なりそういうものを引き出していくというこの気持ち、それがなければならないんだと思うんですけれども。 教員免許の更新に、私、本来だったら学校の教員というか先生がそういう講習だとかなんとかは自分自身で研さん、努力したり、そういうことでいいんだと思うんですけれども、やはりこの一つの制度として、大部分の先生方は一生懸命やっておられる、だけど、世間の、民間の、国民の皆さんから見たら、一回免許取ってなれば、もうずっとそのまま何十年も本人が努力もしない、何もしないでもいけるじゃないかという意見もあるのは事実なんですよね。 我々も、先輩から言われて、選挙四年、前四年、今六年ですけど、大変だ大変だと言ったら、もう我々は毎月が選挙みたいなものだというようなことを言われたことがあるんですけど。だから、そういうやはり何らかのことがないといけないんですけれども、じゃ、この更新制というのが果たしてそれだけでいいのかどうかなと。 私は、極端に言うならば、免許があるなしというのは、本来だったら、例えば昔、吉田松陰だってあれだけの人を育てている、だけど、じゃ何の免許があったのかとか、まあ昔の話だからということかもしれませんけれども。クラーク博士だって八か月ぐらいしか日本に滞在してないけれども多くの人に感化を与えるというような。だから、何が大事なのかというのはなかなか難しいことですけれども、一応そういう講習ということをやるという、免許更新というのも自動車免許じゃないから、先生の免許更新というのも言葉としても何かどうかなと思うんですけれども、されるという思いがございます。 法案に関しましてちょっと二、三お伺いしたいんですけれども、今回の教員免許更新制というのは国公私立すべての教員の皆さんに共通の仕組みだと。そうなったときに、公立学校の教員の方は、教育公務員特例法によって研修の機会が制度的に、先ほど来論議になっておりますけれども、あります。じゃ、その費用をどうするんだ、三十時間受けて費用をどうするんだということですけど、個人の資格の問題であるとか、地元の教育委員会また国も何とかして三分の一ずつ負担するのかなと、こういうふうに思いましたけれども、じゃ、私立の場合はどうするんだと。私立の場合、そういうものがあるのかどうか、私は心配なんですね。 その講習を受けるのも、大変先生が少ないんでそんな日ごろ講習なんか行ってもらったら困りますよと、夏休みとか冬休みに受けてくださいとか土曜、日曜に受けてくださいとか、そういうことにもなりかねないし、また費用の負担も自分でやりなさいとかいうようなことだとかというのをちょっと危惧するわけでございますけれども、学校設置者に対しても十分なそうした配慮を求めることが必要なんじゃないかというふうに思いますが、いかがでございましょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 教員免許というのは、これは御承知のようにその人が職業に就くための一種のライセンスですから、基本的にはやはり個人に帰属するものなんですね。 先ほど来御質問がありましたように、教育再生をするというためにこの研修を行うという国の側というか国民の要請によって行うわけですので、ある程度の私は、国民の合意を得た上ですけれども、研修費用については何らかの助成措置はしなくちゃいけないだろうと私は思っております。 国が行う助成措置については、当然私学の方についてもその対象になります。しかし、都道府県がどうするかは私どもはちょっと分かりませんし、私学の設置者においても都道府県がおやりになることについては、同じようにおやりいただくところもあるだろうし、これは私学にお任せをすると。 ただ、ここは私学の方にも是非お願いしておきたいんですが、後ほどもいろいろ御質問があるかも分かりませんが、建学の精神ということで自主性を強く主張される、それはそれで私はあっていいと思うんですよ。いいけれども、建学の精神という権利を主張した場合はそれに伴う義務というものが当然出てくるわけで、建学の精神があるから国会が決めた法律を守らなくてもいいとかいうことはやっぱりあってもらっては困りますので、そこのところは、公立の教師について国が何かすることについては、私立の教師についても公平上同じように私はしなければならないと思っております。
○弘友和夫君 それから、更新講習の内容ですけれども、これは大学が常に最新の知識、技能ということを提供するようなことが前提となっているわけですけれども、中教審は、教職課程の質の維持向上のため事後評価の徹底を求めていると。更新講習についても、開設認定をした後も定期的なチェックをすると。これを求めているわけですけれども、今のお話のような大学の自主性、自律性というふうに考えると、定期的なチェックというのをだれがするのかということになるんでしょうけど、やはり自主的な大学相互間の評価だとかいうことで過度な縛りを掛けるべきじゃないんじゃないかなという気がするんですけれども、教員養成に携わる大学だとか実際に受講した教員の皆さんそれから学校現場や保護者などの意見、そういうものを十分に参考にしながら見直しをしていった方がいいんじゃないかなと思いますけれども、お考えをお伺いします。
○政府参考人(銭谷眞美君) 免許更新講習につきましては、文部科学大臣が開設者を認定をするということになります。開設者におかれましては、免許更新講習の質の保障という観点から、例えば受講者に対して事前のアンケートを実施をするとか、あるいは講習の事後評価を行ってその結果を公表するとか、開設者である各大学が切磋琢磨して多様で質の高い講習を実施していただきたいというふうに思っております。今先生お話しございましたように、各大学相互の切磋琢磨ということは非常に大事なことだと思っております。 また、私どもといたしましても、講習の内容が常に最新の知識、技能を修得するためのものとなりますように、いろいろな意味で講習の見直しといいましょうか、そういうことは逐次行っていきたいと、こういうふうに思っております。
○弘友和夫君 次に、今日の議論の中でも、教員の皆さんが非常に多忙だと、子供たちに向き合う時間が確保が難しいというようなこともございます。確かに、そういういろいろ事務的な問題が多くて、本当に子供たちに向き合いにくいという部分はあると思うんですよ。 これに対して、先日大臣も鰐淵委員の質問に対して、事務負担の軽減、一部事務の外部委託、退職教員や地域ボランティアの活用などが考えられると、こういうような御答弁があったみたいですけれども、教職員が自分の担っている事務の外部委託をしたりボランティアにお願いしたり、具体的に、私は素人考えですけど、自分のやっているのを、じゃボランティアの人にこれやっておってくださいとか、なかなかこれは難しいんじゃないかなというふうに思うんですね。それが一つと、元々の事務、これを軽減する必要があるんじゃないかなと。これいろいろな地元の教育委員会にあれ出せこれ出せと、国のお金もこうとか、そういうものを少なくして、本当に子供たち、児童生徒に向き合う時間をつくるべきじゃないかなというふうに考えますが、この二点についてお尋ねします。
○政府参考人(銭谷眞美君) ボランティアの活用とか教職員の担ってきた事務の一部を外部委託という具体的な事案でございますけれども、例えば東京の学校の中では、保護者や地域の方が学校図書館の司書ボランティアをしたり、部活動のコーチとか、こういうことをやるような支援本部のようなものをつくって行っている例とかございます。それから岡山市では、登録制の学校支援ボランティアの方が教科指導の支援あるいは校門でのあいさつ運動など様々な活動をしているというふうに承知をいたしております。 いずれにいたしましても、設置者でございます教育委員会がその権限と責任に基づいて判断をしていくことだと思っております。 一方、やはり学校で教員があるいは職員が従事すべき事務について、今の状況を考えますと、その効率化と軽減に努めていくということは大変大きな課題だと思っております。例えば、国や都道府県、市町村それぞれが行う調査の縮減、統合とか、業務日誌など学校運営の関連書類等の様式の簡素化とか統一化とか、学校のICT環境の整備などによります事務の縮減といったようなことが今後必要になってくると思っております。 私ども、中教審でもこういったことは提言されているわけでございまして、学校でどんな調査等の事務作業があるのか、そういった実態を更に把握をした上で、どういう事務の軽減、効率化が可能なのか具体的に検証して、更に効果を上げるように努めていきたいというふうに思っております。
○弘友和夫君 今回も、あの資料を出せ、この資料を出せということで、その都度、学校に迷惑を掛けることだってありますから、余りそういうことを言わないようにしたいと思うんですけれども。 本当に、私は、例えば校門に立って、先生がね、それはある意味では児童生徒と向き合うことになるわけですからね。まあそれはボランティアの方が、地域の方がやっている、それはそれでいいと思うんですよ。ですから、事務というのは省いていくべきじゃないかというふうに考えております。 次に移りますけれども、先ほどお話ありました評価の問題です、学校評価。 学校評価ガイドラインというのがあって、これは、先日も大臣は、これはあくまでも目安だと、現時点でどのような項目、内容を盛り込むということを考えておられぬということなんですよね。 確かに、学校評価というのはある意味必要だと思うんですよ、ある意味では。じゃ、その評価の内容が、ただ進学率だとか学校の成績がこれはいいですよとかいう評価でというのはちょっと問題があると思うんですね。だから、その内容というのは非常に大事になると思うんですよ。じゃ、またばらばらでやって評価、比べられるかといったら比べられないわけですから、ある程度のやはりものがないといけない。 私はそういう中で、何というか、数学がいい、国語がいいとかいうんじゃなくて、やっぱりいろいろ体育の方も入ってみたり、いろんなものが入って、これは評価というのは私は難しいと思うんですよ。先生の評価だって同じだと思うんですけどね。いろいろなこと、知識豊富な人はじゃ本当にすごい先生かと、そうじゃない。別に何にも教えてくれなかったけれども、印象に残るすばらしい先生だっているわけですよね。 この評価というのは非常に難しいと思うんですけれども、やはり今の中では評価しないといけないということで、そういうものを考慮した評価の項目というのをやはり私は入れていっていただきたいということと、もう一つは、学校選択制がこれは絡んでくると思うんです。先ほどの自己評価はほとんど一〇〇%自校でやっていると、公開というのは六割ぐらいですか。その評価に基づいてこの学校選択制ということになってくると、そこに人情としていろいろ生かしたいと、こういう話になるわけですね。 これに加えて、教育再生会議は、児童生徒が多く集まる学校など特色の発揮な積極的に取組をする学校に地域の実態や実績等に応じた予算を配分するというようなことは出ておりますけれども、これはイギリスのサッチャー改革だとか、あれも全面的に成功したわけじゃなくていろいろな問題もあった。だから、評価もしなければならないし、やはり選択制というのもある程度導入しても間違いじゃないと思うんですけれども、それが学力面だけだとかそういう面だけで評価をされるべきじゃないと。 また、さっき教育は市場原理じゃないんだという、それも本当だし、じゃ、市場原理じゃないんだって、営々と何もやらないものが続いていっていいのかということも一つあると思うんです。 だから、非常に難しい問題ですけれども、その兼ね合いというのをやはりよく考えてやっていただきたいなと思いますけれども、御答弁お願いします。
○国務大臣(伊吹文明君) それは教師の評価、学校の評価というのは非常に難しいですよね。我々の中でも、随分雄弁な人だなという評価もあれば、あれはおしゃべりで困るということもありますしね。 ですから、特に教育とか人の評価というのは、そんな幾らもうけて損益計算書に幾ら利益を計上したなどというものと同じような評価をすべき分野ではないということは、もうこれは先生がおっしゃるとおりなんですよ。ただ、やっぱり学校教育も私学を含めて国民の税金で動いているわけですから、効率的にやっぱり税金を使うという気概だけはやっぱり持ってもらわないといけない。 したがって、学校教育法の今回お願いしている改正法の四十二条も、学校評価の結果に基づき学校運営の改善を図るということを書いているわけでして、そのことは良い評価結果の学校に例えば予算を集中的に配分して優遇するとかというものでは私はないと思うんです。再生会議が言っているのも、学校評価の結果も活用して創意工夫のある取組を行う学校を支援し、また課題の多い学校に対しても適切な支援をするということを提案しておられますので、特に義務教育の分野においては、今御注意があったような評価をどういうふうに使っていくかということについては、かなり私は慎重な対応が必要だろうというふうに考えております。
○弘友和夫君 是非そこら辺は両方考えていただいて、進めていただきたいと思います。 学校教育法の改正案では、改正教育基本法の規定を受けて、第二十一条で、自主、自律及び協同の精神、規範意識、生命及び自然を尊重する精神、伝統と文化の尊重など、これが規定されているわけですけど、教育再生会議では、徳育を教科化して指導内容、教材を充実させると、こういうふうになっている。 ところが、今までの、先日の答弁でも、同僚議員の質問に対して、道徳の時間の指導が形式化して実効が上がっているかどうか、学年が上がるにつれてこの道徳の時間の指導が子供たちの役に立つという意識は低くなってきているので、こういった発達に即した指導が行われるように改善をする必要があるのではないか、いけないことはいけないといった指導の徹底が必ずしも十分でなかったんではないかと。 だから、私は、徳育というものを教科化してやると、座学というんですかね、そういうことじゃなくて、私は本当に今、ずっと今までも言ってまいりましたけれども、武道教育と環境教育というのが大事なんじゃないかというふうにずっと私は言っているわけです。環境教育というのも、私も環境副大臣させていただきましたけれども、非常に今までは、教育という名前が付いたら文科省だと、環境といったら環境省だということで、なかなかこれが進まないんですよ。子供たちのことを思ってやればこんなこと、一緒に話合いをして、あれを設けてやり出したんですけれども、本当に環境教育というのは大事だなと。 昨日もうちのところの部会で、文科部会、総務、農水の三部会で長野県の大町市という、山村留学の発祥の地と、こう言われているんですけれども、行って、非常にこれは良かったと。一年間留学するんですけれども、非常に子供たちの目が生き生きとして、もうその間余りテレビも見ないでグループでやったりということで、効果が上がっていると。私は、だから毎年百万人の方が生まれて学校に上がっていけば、まあ一年間というわけにいかないかもしれないけれども、まあ一か月でもそういう山村留学等も体験をさせたり、また学校でビオトープ造ったり、そういうものが、環境教育というのは是非必要だと思います。今日はこれは通告しておりませんので、是非これはまた別のときに環境教育やりたいと思うんですけれども。 武道教育もこれは非常に様々効用があります。大臣も京都の剣道連盟の会長もされて、私も剣道をやるんですけれども。いろいろな角度から論じられるんですけれども、例えば厳しいけいこに耐えることを通して自分を律するとか、相手を尊重する、相手の痛みを知る、ルールを守る精神を学ぶとか礼節を重んじるという我が国古来の伝統的な武道に貫く精神を肌で感じることができると。このような経験が、忍耐力の欠如、規範意識の低下している今の子供たちに必要なのではないかと。こういう、何かいろいろな効用というんですか、武道の場合は一対一ですから、向こうが逃げられないというか、本当にぶつかってくるということがあって、だから、徳育でこう、道徳でこうですよと教えるよりも、実際そういう、環境でもいいんですけれども、武道を通してやればこれは私は相当なあれがあると思うんですけれども、まず大臣の武道教育というものに対する考え方をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 私が剣道連盟の会長をしているとおっしゃいましたが、私は、誠に恥ずかしいことですが、剣道は一度もやったことはないんです。ただ、剣道連盟のその綱領に書いてあることが私はすばらしいことが書いてあると思いまして、そのことをどこかでお話をしたら、それでいいから会長になれということなんで会長を務めておるということなんですが。 武道というものは、例えば剣道、柔道、空手道、相撲道、日本の道は、まあ華道、茶道、池坊さんもいらっしゃるから華道も言っておかにゃいかぬですが。道というのが付くのはやはり単なる技術やスポーツというものをやっぱり超えたものを持っているからだと思うんですね。これは日本の伝統的な規範とか礼儀作法とか、人間が生きていく上の必要な道のようなものを技術と同時に、武術と同時に教えると。 しかし、同時にまた、西洋スポーツにも本来のフェアプレー精神というのはあるんですね。テニスで相手が転んだときは打ちやすいゆっくりとした球を返してやったとか、あるいは、絶対にトライをしたと思ったんだけれども、審判はトライの認定をしてくれなかったときに、その人が戦場で息絶える前に、あれは審判の判定に従ったけれども、私はラインの内側にボールを入れていたと言って死んだとか、こういうことがやっぱりあるわけですから、武道はもちろんのこと、そういうフェアな精神を運動を通じて教えると。 同時に、一対一の場合じゃなくて、チームプレーの場合は、自分がどんなに能力があったってチームの一員としてやらない限りは自分の能力も発揮できないとか、努力をしなければ上手になれないとか、レギュラーじゃない人が助けてくれるから一緒にプレーができるとか、そういうことをみんな教えられるわけですから。 武道も当然のことですが、スポーツというものの持つ教育における大切さというのは、単に体力の体だけじゃなくて徳にも及んでくるんだということを理解をしながら、学校でも体育の授業や運動部の活動を通じて実践してもらうということをしっかりとやりたいと思います。
○弘友和夫君 武道と言いましたら何か戦前の教育に戻るんじゃないかと危惧する方もいるんですけれども、全く違うんですね。本当に私は、この武道、今は特に平和主義というか、そういうものがありますし、これ、例えば百十年前に新渡戸稲造博士が「武士道」というのを書きました。これ、ちょっと序文には書いてある。これは元々何で書いたのかといったら、ベルギーの法学の大家の故ド・ラヴレー博士のところで過ごしたと。そのときに突然、あなたの国の学校には宗教教育はないとおっしゃるんですかと、この尊敬すべき教授が質問した。ありませんと私が答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を止めて、宗教なし、どうして道徳教育を授けるのですかと繰り返し言ったその声を私は容易に忘れ得ないと。私はこれに即答できなかった。というのは、私が少年時代に学んだ道徳の教えは学校で教えられたのではなかったから。私は、私の正邪善悪の観念を形成している各種の要素の分析を始めてから、これらの観念を私の鼻腔に吹き込んだものは武士道であるということをようやく見いだしたということから、ずっと英語で全部書いているんです。 これは全世界に、英語はもちろん書いているんですけれども、とにかくドイツ語、フランス語、ポーランド語、ボヘミア語、ノルウェー語、中国、もうあらゆる世界にこれは翻訳をされて、ルーズベルト大統領もこの本を読んで大変感激して自分の友人に配ったと、有名な話がありますけれども。 これは今言われたように、何も日本だけじゃない。そういうフェアプレーの精神だとか、そういうものにやはり打たれるものがあるんだと思うんですね。そういうことから、とにかく今いろいろな中で、実際自分の体を動かして、修行といったらあれですけれども、そういうことが必要なんじゃないかなと思うんですけれども。 先ほど池坊副大臣のお話も出ました。やっぱり華道もそういう道というのが付いているわけですけれども。教育の目標です、今回の。教育の目標というのは、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うと。伝統と文化を尊重しという、こういう部分が入っているわけです。まさしく、華道もそうですけれども、武道も伝統文化。 副大臣は文化予算を大変増額して、今一千億ですか、尽力されてまいったんですけれども、今武道教育がどういうふうに現状取り入れられているかというか、その評価について御説明をいただきたい。
○副大臣(池坊保子君) 今、伊吹大臣がおっしゃいましたように、日本の伝統文化には道というのが付くのが幾つかございます。この道というのは、道を究めるという言葉がございますように、私がいたしております華道もそうですが、形式から、形から内容に入る。ですから、形式を尊重しているのではないんですね。大切なことは、知らない間に身に付くということではないかと思います。 先ほど委員がおっしゃいましたように、道徳は、上から口で教えても特に子供たちは反発いたしますが、知らず知らずのうちに心にしみ込んでいく、身に付いていくということが必要なんだと思います。武道もそうですけれども、道を究める、習っております途中で自然に礼儀作法とかあいさつだとか、あるいはさっき大臣もおっしゃいましたが、人間として生きていく姿勢だとか生き方、あるいは生活の仕方、自然への畏敬とか先輩を敬うと、そういうことを自然に身に付いていくことが私はすばらしいことなんだと思います。 私は、いつも孫に姿勢を正しくとか、あるいはあいさつをきちんとしなさいとかやかましく申しますが、なかなか反発して聞きません。ところが、華道をしておりますときだけはちゃんと正座いたしまして、畳のところで、先生の言うことを聞いてちゃんと、あのだらしない子がと思うぐらいに整理整とんして、頭も下げて終わります。私はやっぱり自然にこういう環境になっていくのはいいなというふうに思って見ております。 武道というのは剣道、柔道、すべて入りますけれども、剣道も、ただ姿勢が正しいというだけでなくて、きちんと頭を下げてあいさつをして、そして先輩を敬うということで、すばらしいと私は思うんですね。 今の若い子供というのは野球とかサッカーだけかと思っておりましたら、そんなことはございませんで、実に頼もしいと思いましたのは、中学校、これは公立、私立学校すべてですけれども、男子で剣道をやっておりますのが五三・九%、女子で四八・五%、こんなに多くの子が剣道をしているんだというのにびっくりいたしまして、特に高校では男子は六六・四四%、女子は五七%もしているんですね。 これはどうしてしているかといいますと、中学校の学習指導要領でも、その履修の中で第一学年、中学校一年生ですと、武道とかダンスのうちから一つを選択なさい、それから二年、三年では武道、ダンス、球技のうちから二つを選択なさいと。それから、高校でも武道、ダンス、器械運動、陸上競技、水泳、球技から、一年、二年は三つから四つ、そして三年は二つから四つを選択しなさいという、このような指導もいたしております。 私は委員がおっしゃいますように、教育基本法の改正案の中で日本の伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う。何か形がなければ養えないと思いますので、是非学校の中にも、あるいは地域社会の中でも、弘友委員がやっていらっしゃる剣道も推進していきたいと思っております。
○弘友和夫君 今副大臣の五三・九と四八・五だと、これは人ですか、学校がそれを取り入れているということじゃないかと思うんですけれども、どうなんですかね。
○副大臣(池坊保子君) そうです。
○弘友和夫君 そうでしょう。取り入れている学校がこれだけということですよね。
○副大臣(池坊保子君) はい。でも、学校が取り入れますともっともっと、まず学校が取り入れませんと生徒たちはやりませんから、取り入れることが先決かと思っております。
○弘友和夫君 いや、そのとおりなんですけれども。 それで、今もお話がありましたけれども、中学、高校は、要するに武道というのは教科じゃないんですよ。体育の中のということになっているんです。それで、中学のときは一年生は武道とダンスを選択、どっちか選択。第二、第三学年では球技、武道、ダンス云々、こうあるんですけれども。 私はダンスは決して駄目だと言っているんじゃない、非常にいいものだと、すばらしいと思うんですよ。だけど、武道とダンスをどっちかを選びなさいというこのやり方というのは、ちょっと違うんじゃないかなと。ダンスはダンス、いろんなものが、いいものはあると思いますよ。だけど、何でこれを並べて武道かダンスなのかということを思うんですけれども。 それで、ちょっと時間もありませんので、これ二月二十七日に日本武道協議会というのが、これは武道、弓道と日本武道館、日本武道協議会というのがあって、会長は塩川正十郎会長なんですけれども。これは安倍総理に、全人教育が図られるよう武道の特徴を生かし、中学校、高校の必修正課として位置付けるという請願を出されております。三月には、これは衆参国会議員百名以上いるんですけれども、武道議員連盟というのがあります、いろいろな武道をされている。その名において、武道議員連盟、また武道協議会、武道館三者によって、やはり同じ中学、高校で必修にすべきじゃないかという決議をされておりますけれども、なかなか多分一遍に必修は難しいと、こういう答弁になるとは思いますが、そういう方向でやるべきじゃないかなというふうに思いますけれども、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私の答弁を先に言われちゃったら困るんですけれども。 塩川先生から出てきた要望と武道議連から出てまいりました要望書は私も承知をいたしております。武道議連は水落先生が受け取っていただいたと思いますし。 先ほど申し上げたように、武道は大変な教育効果があります。しかし同時に、団体スポーツも競技効果がありますので、今後、単にスポーツ、体育という面からだけではなくて、さっきおっしゃったダンスと武道のどちらかというようなことだけではなくて、今回教育基本法に書かれている伝統と文化の尊重という観点も含めて、どういう扱いにするかというのはちょっとこれは中教審その他に伺わないといけませんので、今日の答弁はこの程度にさせていただきたいと思います。
○弘友和夫君 時間もありませんので、いろいろそのときの決議を全部一項目ずつお聞きしようと思ったんですけれども、すぐ御返事もないと思うんです。 それで、そのときの決議、一つは、学習指導要領に柔道、剣道、相撲、なぎなた、弓道と入っているんですけれども、空手、合気道、少林寺拳法、銃剣道、九つあるわけですよ、それを明記してもらいたいというのが一つあります。 今、特別免許状、特別非常勤講師制度による採用というのは、これは高校はある程度してまいりましたけれども、中学には指導者がいないと、指導者が。せっかく柔剣道場を北九州で造っても、遊んでいる場合がたくさんあるわけですよ。だから、それは地域のそういう方、非常勤講師だとか特別免許状による方にお願いしたらどうかという。ところが、特別非常勤講師制度というのは二万四千人今出ているんですけれども、その中の武道というのは七十人か八十人ぐらいだと、こういう状態なんですよ。 ですから、こういうものを是非やったらどうかなということと、それから、全部一遍にもう時間がありませんので聞きますけれども、教員採用もそうなんですね。学校を回っていまして、ある相撲の強い学校で、それは高校でしたけど、一生懸命もう本当に教えて、全体的にそうなんで、土曜、日曜、試合に連れていったり、練習、けいこに連れていったり、いろいろもう一生懸命やっている先生は非常勤講師で、何年たっても正式に通らないんですよ。それは学力が少し、ペーパーテストが足りないのかもしれません。だけど、何にもやらないで試験ばっかし勉強している人と、子供たちに本当に当たってやっている人、どっちがやっぱり教員としてふさわしいのかという問題があると思うんですね。ですから、やはりそういう非常勤講師は、そういう推薦等も、どこが推薦、校長が推薦するのか地域の協議会みたいのが推薦するのかは別としましても、是非そういう採用をすべきじゃないかなと。本当にやる気のある先生というか、その採用面についてお伺いします。 それと、これは海外で、せっかく外務省も来ていただいて申し訳ない。日本の伝統文化の中で、この武道というのは六千万人海外でやっている人がいるんですよ、六千万。日本の伝統文化の中で一番多く普及しているのがこの武道なんです。フランスなんかは、日本の柔道人口より二・五倍多いんですよ。日本が駄目になるかもしれませんけれども。それぐらいやはり求めているものがある。だから、JICAとかお聞きしましたら、ほとんど何人かしかあれしていないというようなこと。だから、海外へもやはりそういう、これはただ単に武道がどうこうじゃない、日本のいろいろな良さを伝えるものであるというふうに思います。 答弁する時間もないといけませんので。あと、学校によっては部活動をするのに人数が余り集まらないと。だから地域で、文科省やっている運動部活動地域連携実践事業というのをやっておられると思うんですよ。地域でいろんな学校が集まってそれをやるということが実験的にやられているみたいで、これをやはり私は、指導者もいない、少なければ、地域でやるべきじゃないか、そういうのを広げていくべきじゃないか。例えば、いろいろな道場にしても、今私は、底辺支えてしっかり礼儀から何からやっている各いろいろな道場、これは非常に経営が厳しいわけですよね。というのは、お金そんな取るわけじゃないし。だから、少なくとも固定資産税なんかは減免すべきじゃないかと言っているんですけれども、こういう事業で、指導者もそこにいるという地域でそういうのはやるべきじゃないかということも含めまして、時間がございませんので、御答弁をいただいて、終わりたいと思います。
○政府参考人(樋口修資君) お答え申し上げます。 まず第一点目に、学習指導要領には、柔道、剣道、相撲、なぎなた、弓道が明記をされておるわけでございますが、残念ながら、空手道、合気道、少林寺拳法、銃剣道については指導要領上、明記をされておらないわけでございます。私どもといたしましては、中学校では柔道、剣道、相撲、高校では柔道、剣道を全国的に実施可能な武道の種目として示しているわけでございます。それ以外の武道についても、地域や学校の実態に応じて生徒に履修させることができる旨の記載をしているわけでございまして、なぎなたと弓道は例示として挙げているわけでございますが、明示されておらないものにつきましても、各学校の判断によりまして、その地域や指導者等の実態に応じて授業として取り上げることは可能であるわけでございます。 どの武道種目、武道種目九種目ございますが、この武道種目を学習指導要領に明記するかどうかについては、この学習指導要領改訂の中で、それぞれの競技種目の全国的な普及度あるいは指導者の確保の課題等も勘案しながら、中教審の専門的な議論の中で深めてまいりたいと思っているわけでございます。 次に、武道の人材登用の問題でございますが、まず特別免許状あるいは特別非常勤講師制度につきましては、昭和六十三年に制度が創設されておりまして、武道指導者を含めた外部の優れた人材を学校で活用できるようにしているところでございます。武道の特別免許状の保有者は、先生御指摘のとおり、残念ながら平成十七年度現在で二名にとどまっておりますし、また特別非常勤講師の届出件数は、平成十七年度においては合計で九十七件にとどまっているわけでございます。 このように、特別免許状や非常勤講師の件数が少ない理由といたしましては、地域によって適任者が必ずしも十分でないということ、あるいは地域の武道指導者の人材活用のためのデータバンクへの登録が十分進んでいないということによりまして、学校などでこのデータバンクが十分に活用されていないということが原因であろうかと思うわけでございまして、私ども文部科学省といたしましても、地域におけるスポーツリーダーのデータバンクが十分活用されるようにこれまでも行ってまいりましたが、今後とも武道団体と協力をいたしまして、指導者の登録を、このリーダーバンクに登録を促すことによりまして、学校における特別非常勤講師の採用等を促進してまいりたいと考えているところでございます。 次に、海外への普及の問題でございますが、後ほどJICAからもお話があろうかと思いますが、海外の人たちに武道を広めるためには、私ども承知しているところでは、独立行政法人の国際交流基金においても海外に対して日本の伝統スポーツの講習会、実演等を行っているとお聞きしております。また、私ども文部科学省といたしましても、外国人に武道が親しまれるように、在日中の外国人の武道修行者を対象に、日本武道館が行う国際武道文化セミナーに対する補助とか、競技団体が行う交流事業への支援を行っているところでございます。 最後に、運動部活動につきましては、地域との連携が私ども大事だと思っておりますので、この実践事業を通じて、この実践の成果を各地域に普及するように今後とも取り組んでまいりたいと思っています。 以上でございます。
○政府参考人(杉田伸樹君) JICAでは青年海外協力隊事業というのがございます。活動分野は農林水産、保健衛生、教育文化、スポーツなどというふうに多岐にわたっている、その中で武道というのもございます。武道につきましては、これまで空手道、剣道、合気道、柔道、相撲と、この五つの指導科目でこれまで五十七か国、総計四百七十四名を派遣した実績がございます。今現在どのぐらいいるかということでいきますと、柔道、空手道、合気道、剣道と、四つの指導科目で二十一か国に二十四名の隊員が派遣されているということで、こうした隊員は相手国のスポーツ連盟といったようなところに所属して武道の指導に従事しているということでございます。 委員御指摘のとおり、海外における武道の普及というものを推進するに当たって、青年海外協力隊事業というのも有益であるというふうに考えております。このため、今後とも、開発途上国とも相談して、意思疎通を図って、本件事業を有効活用してまいりたいと、このように考えております。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。 今日は、いわゆる指導が不適切な教員への人事管理の問題と、教員免許更新制について質問します。 先日も取り上げたんですが、ILO、ユネスコの教員の地位に関する勧告は、教職における雇用の安定と身分保障は、教員の利益にとって不可欠であるということは言うまでもなく、教育の利益のためにも不可欠だと、こういうふうに述べております。先日、私取り上げて以降、現行の指導が不適切な教員の人事管理がこの勧告に照らして問題があるという全教の訴えに対して、ILO、ユネスコの合同専門家委員会が日本に調査団を派遣するということを決めております。これは世界的に見ても初めてのことのわけですね。 まず、大臣にお聞きしたいのは、文部科学省としてこういう調査団が日本に派遣されるということをどのように受け止めていらっしゃるか、そしてこの調査団に対して積極的に協力する用意があるのかどうか、お伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、ILOとユネスコの合同専門家の委員会が日本に来られるということは存じております。 そして、教員の地位に関する勧告、これは各先生も御承知だと思いますが、第二次世界大戦後の、今から六十年前ですが、後の社会経済の進展に対応した教育の普及、改善を図るに当たり、それに主要な役割を果たすべき教員の量的不足、質的低下が世界各国の共通の課題となっているため、優秀な人材を多数教員として確保することを目的として、教員の経済的、社会的地位を高めるために作成されたというのがそもそもの出だしであります。この教員の地位に関する勧告に反するとして、全教というんですか、が申し立てられた事項の調査が目的で来られるということはよく承知をいたしております。 調査団が公平公正な観点から、指導が不適切な教員に対する人事管理システム等に対する事実関係をしっかりと学んでいただく、調査をしていただくということであれば、文部科学省としてそれを受け入れて、丁重に応対するというのはごく当たり前のことですし、また、我々も、これまで我が国の国内の実情を考慮して国内法の中でどういうことをしてきたか、そして、教員の地位に関する勧告というその六十年前の勧告そのものは別に強制力があるものではありませんけれども、その精神を大切にしながら対応しているということは十分御説明申し上げたいと思っております。
○井上哲士君 優秀な人材を教員に確保するということは正に今我が国で求められていることでありまして、だからこそ私はこの勧告というものの現代的意味は非常に大きいと思うんですね。 今回の調査の目的は、指導力不足教員の認定に当たって本人からの意見聴取手続が確保されていないということが大きな争点となっております。私も先日、様々な現行の運用などの問題も指摘をしたわけでありますが、今回この人事管理を強化をするということが盛り込まれておりますけれども、こういう一番基本的な点で国際的に問題になっている以上、この結果を待って再検討すべきだと私は思いますけれども、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今御審議をいただいております教育公務員特例法の改正、この中でも、指導が不適切な教員の定義の問題、指導が不適切な教員の認定基準の問題、それから認定時において教員に弁明の機会を与えるなどの手続の明確化の問題、認定時において公正な第三者からの意見を聴取をして適正な認定が行われるよう手続を整備する、こういった観点を踏まえまして、法律そのもの、あるいは施行通知、ガイドライン、こういったものの作成、周知を通じまして制度の改善を行うこととしているところでございまして、私どもといたしましては、こういった制度の改善等を通じてこの指導が不適切な教員の認定ということは的確に行われるものだと考えているところでございます。
○井上哲士君 先日も申し上げましたけれども、やはり現行の在り方、運用自身が様々な問題があることをまず正すことが必要だと思うんですね。 その中で、今回強化されるわけですが、これまで地教行法では、いわゆる指導が不適切な教員に対して、免職し、引き続いて当該都道府県の常時勤務を要する職に採用することができると、こうしておりました。それを今回のこの改正で、指導を適切に行うことができないと認める教諭等に対して、免職その他の必要な措置を講ずるものとすると、こうなりまして、免職というものが前面に出てきたわけですね。 こういう規定に今回変える理由、そして、その他必要な措置という中には何が含まれるのか。いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今回の教育公務員特例法の改正案の二十五条の三に規定されております免職とは、地方公務員法の二十八条第一項に規定をされている分限免職のことでございます。 それから、その他の必要な措置とは、一つは地方教育行政の組織及び運営に関する法律の四十七条の二第一項によります県費負担教職員の免職及び都道府県の教員以外の職への採用、それから二つには、地方公務員法第十七条第一項によります教員以外の職への転任、それから、指導改善研修の再受講などが考えられるところでございます。
○井上哲士君 先日も定義のあいまいさとか認定基準、それから研修の中身なども指摘をしたわけでありますが、そういう問題がある下で、この免職が殊更この法律の中で強調されているというのは私大変重大な改定になると思うんですね。 それで、指導が不適切な教員と、それから分限免職の処分というのは、六年前の地教行法のときも随分議論になっていますが、明確に答弁では区別をされております。当時、遠山大臣は、分限処分に該当するかどうかというのは、それぞれの個人にとりまして身分上の変化にかかわる大事なことでありますので、児童生徒に対する指導の不適切さだけではなく、公務員一般に当てはまる勤務状況全般について判断されると、こう述べております。また、別の答弁では、分限免職となる場合というのは、指導の不適切という範疇ではなくて、既に授業などの指導が放棄されていたり、あるいは児童生徒が授業中に騒いでも全く指導を行わない、そういう場合と考えられておりまして、指導が不適切ということと分限免職の対象となるケースというのは別のものであると、こういう答弁もされているわけですね。 このように、別の範疇、そして対象となるケースは別と明確に言われていたわけでありますが、いつからこの指導が不適切ということと公務員法上の分限処分に該当する適格性欠如というのが同一のものになったんでしょうか。これ、大臣の答弁ですから、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) いつから別のものになったという御質問ですが……
○井上哲士君 同じものです。
○国務大臣(伊吹文明君) 同じものにはなっておりませんですよ。我々は、再三申し上げているように、指導が不適切な教員と分限処分の対象となる教員についての考え方は、今回の提出しております法律においても何ら私は変わっていないと思います。 特例法の二十五条の二の指導が不適切な教員の認定は、児童生徒に対する指導が適切か否かという観点からこれは判断されるものですね。そして、指導改善研修を実施してもなお指導を適切に行うことができない場合は、これは任命権者がその権限と責任において当該教職員の状況に応じて分限処分、教職以外への転任研修など必要な措置を講ずるわけですから、そこは判然と分けているわけで、従来からの考え方と何ら変わってないと思いますけれども。
○井上哲士君 しかし、法律の書きぶりが免職その他の措置と、こうなっておりまして、非常に免職というものが前面に出ていると。ここにはやはり明らかにこの違いがあると思うんですね。そこはどうでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは立法政策上というか、法文の書きぶりのことであって、従来から分限処分の中にはいろいろなものが含まれているということはこれはもう先生だって当然お分かりのことですから、特に私は内容が変わったとは思っておりません。
○井上哲士君 遠山大臣が当時言われていたように、指導が不適切だということと公務員の適格性の欠如というのは別の範疇だということが維持されているということは、それじゃ確認をしておきます。 その上で、免許更新制度についてお聞きをいたします。 子供たちと向き合う教員の役割というのは非常に重要でありますし、社会や子供たちの変化に対応しながら、その力を教員の皆さんが高めていくということは本当に大事だと思います。しかし、そのためにこの免許更新制度というのが果たしてふさわしいのかどうかと思うんですね。 この間、参考人質疑や地方公聴会でも、教職員の身分を不安定にするという点でも、それから現場から切り離して研修をするという点でも、むしろ子供たちと向き合う力を付けるということに逆行するんではないかという御意見も出されました。むしろ自主的研修の保障こそが必要だということは、これは法案の賛否を超えて様々な御意見がありましたし、更新制度賛成だという方からも、制度の公正性、研修の中身、これが決め手なんだと、こういうことも共通して指摘をされました。 そこで、この教員免許更新制度の現実性や具体性について今日はお聞きしたいんですが、先ほど、これができますと現職教員が毎年約十万人講習を受けるという答弁でありましたけれども、そのうち小学校の教員、中学校の教員は何人ということになるでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現在、小学校の先生は約四十二万人、中学校の先生は約二十五万人でございます。したがって、十年ですべての現職教員の方が均等に受講するとした場合、毎年最大で小学校の先生が約四万人程度、中学校の先生が二万人強というふうに想定をされているところでございます。
○井上哲士君 全体で十万人、小中学校でいいますと六万人ということですから、大変な規模になるわけですね。そのかなりの部分の更新の講習を教員養成系大学が担うことになると思うんですが、この実施について講習の受入れが可能なのかどうかということは、そういう可能性が高い大学と状況について聞き取りをしたり、シミュレーションなどは文部科学省としてされているんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 極めて大ざっぱにちょっとまず申し上げますと、毎年約十万人の更新講習の受講者が想定をされるわけでございます。現在、教職課程の認定を受けている大学が八百五十校ほどございます。そこで、この十万人の方が八百五十校の課程認定大学で仮に受講すると、こう考えますと、一校当たり約百二十人ぐらいの受講者を受け入れるということになります。ですから、課程認定大学すべてが認定講習を行うとすれば、一校当たり百二十人の方に対して三十時間、一日六時間としますと五日間の認定講習を実施をしていただくということになるわけでございます。 ですから、もちろん大学によりまして準備が整うところ整わないところあるかと思いますけれども、私どもとしては決して無理な規模ではないというふうに考えております。
○井上哲士君 八百五十校というのは本当に小さい規模も含めてあると思うんですね。ですから、大体、地方の教員養成課程を持つ中規模なスタンダードな規模の大学でいいますと、私はやはり数百名規模の受入れをするということも出てくると思うんですね。果たして制度をつくってもそういう受皿が大学にあるのかどうなのか、そのことが十分に検証されていると思わないんですが。 今、数の問題を言われましたけど、その上で、個々の大学、主な大学などに実際どうですかという聞き取りなどはされているんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) もちろん免許更新制について検討をいたしました中央教育審議会などでそれぞれの教員養成大学の先生方からもいろいろお話を伺っているわけでございますが、具体的には、法案をお認めをいただきましたら、二十一年四月の開設までの間に、各教員養成課程を有する大学あるいは通信教育とか様々なメディアを持っている大学もございますので、いろいろな各大学の方に免許更新講習の内容等につきまして十分御説明をして、開設に向けて遺漏のない準備をしていきたいと、こう思っているところでございます。
○井上哲士君 今の答弁を聞いておりましても、実際つくっても本当に受皿がしっかり整うんだろうか、それで期待されるような講習が行えるんだろうか、大変心配になってくるんですね。 私、教員養成課程を持つ地方大学の関係者の方からこの間お話を伺いました。ある県の比較的大きな大学で小学校と中学校の課程認定を受けております。これ聞きますと、この間の答弁がどうも机上の空論のような気がしてならないんですね。第一に、平日の夜にやってもらうという答弁もありましたが、この大学では教室は夜まで詰まっていてとっても無理だと。それから二つ目に、土日に行ってもらうという答弁もありました。しかし、それは休日出勤になるわけですから、休日出勤命令を出して、その下で割増し賃金も出さなくちゃならないし、平日にこの振替休日を取らなければならなくなって、これは平日の授業に影響を及ぼすと。当然、事務方も出勤しなくちゃならないということで、土日受入れというのはなかなか困難だというお話なんですね。 こういう土日の大学の状況などは十分につかんだ上でのこの間の答弁なんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど申し上げましたように、八百五十の課程認定大学を平均して百二十人の更新講習を実施をしていただくということでございますので、長期休業期間中の開設あるいは大学によりまして週末の開設あるいはメディアを活用した通信教育とか放送による開設等いろいろなやり方があるわけでございまして、私ども、今後法案を国会でお認めいただきました後は、こういう無理な規模ではないと認識をしておりますので、十分な講習を開設できるように努めてまいります。
○井上哲士君 机上の計算では無理な規模でないと思われるかもしれませんが、受け入れる側が様々な問題点指摘されているんですね。この間の参考人のときにも、教員養成大学は大変な労働強化になるというお話がございました。 今休暇中の開設ということもあったんですが、先ほど紹介しました大学の関係者は、土日は無理だけれども八月の四週間あったら何とかなるかもしれないと、こういうお話だったんですね。一日六時間で五日間やる、三十時間と。これを四回やると、延べ八十こま、これがぎりぎりだと言われておりましたけれども。同時に、この大学は夏休み中に、学校図書館司書教諭研修講習四十二こま、社会主事講習八十三こま、免許法認定公開講座百二十こま、十二年経験者研修四百こまなどを持っているんですね。既に教員養成課程の大学というのはいろんなことを今やっておられるんです。ですから、これにさらに栄養教諭の講習なども見込まれておって、たまたま教室の条件が恵まれているからできるかもしれませんが、そういうところを持たない大学は本当に実施可能なのか、相当な精査が必要だという声も言われておりますし、スタッフの体制があるのかという問題もあるわけですね。 こういう例えば夏休みの大学の状況というのもつかんでいらっしゃるんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 私ども、国立の教員養成大学で夏期に様々な講習があるというのは、それはもちろん承知をいたしております。それに加えて免許更新講習を夏にまたやっていただくわけでございますので、講習の開設主体となる大学に対しまして、この免許更新制の趣旨について十分周知をしたり、更新講習の講習予定者への説明等をしっかりと行っていって、大学の受入れ体制の整備を図っていくということは大事なことだと思っております。 国会で法律をお認めをいただいた後は、受講が必要なすべての教員が十分な受講機会が得られるように努めてまいります。
○井上哲士君 努めてもらうのは当然といえば当然なので、本当にできるんだろうかということを申し上げているんですね。 夏休みというのは、大学の教官にとっては自分の研究を進める非常に重要な時期なわけですね。そこにこういうものがどんどん入ってくると、もう研究ができなくなるという声も聞こえてくるわけですね。ですから、本来、学校の教員のリフレッシュだとかいうことを言いますけれども、肝心の研究者のそういう機能の低下、質の低下を招いていいのかどうかということも問われると思うんですね。 特に今、教員養成系大学いろんな点で厳しい状況にあるわけでありまして、土日とか夏休みの実施を言うんであれば、必要な教職員の増をも含めて具体的な支援策を教員養成系大学に取らなければできないと思うんですが、そういう予算措置も含めて、どうお考えなんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 免許更新講習の開設主体となります大学側の体制整備ということは私ども必要なことだと思っておりまして、今後十分に各大学側に免許更新講習の説明をするとともに、国として、こういう講習の開催につきましてどのような支援ができるのか、これはまたよく検討をしてまいりたいと思っております。
○井上哲士君 今からの検討では本当に心配になってくるんですよ。本当にこういう制度を提案されてもちゃんと水準を持った講習ができるんだろうかと。 これから説明し、予算もということなんですけれどもね、しかし今一体どうなっているのかと。先日、中教審の梶田さんがお見えになったときに私お聞きしたんですが、財務省が大学の運営費交付金の競争を入れるということで、軒並み教員養成大学は八割、九割のカットになるという、こういう試算が示されているわけですね。 一方で、そういう教員養成大学に対して予算的にこういう厳しいものが試算として出されている中で、法案が通ったら何とかなるでしょうというんでは、これはおよそ無責任な話だと思うんですね。結局、説明をして無理やり押し付けることになれば、本来期待されるような講習もできないでしょうし、大学にとっては教育研究機能の低下になると、私はこう思いますけれども、大臣、いかがでしょうか、大丈夫ですか。
○国務大臣(伊吹文明君) こういう法律を出しているときに、通った後のことはどうなるんだという御質問に、すべて準備が整っておりますという答えをすると、国会を軽視しているとおっしゃるし、国会を軽視していないようにやっていると、準備が不足だとおっしゃるし、財務省はいろんな試算を出しておりますが、それは予算を削りたいところはいろいろなことをやりますよ。こちらはこちらでいろいろ準備しておりますから、そう御心配掛けないようにやりますよ。
○井上哲士君 幾らそう言われても心配なんですね。 例えばロースクールの議論を我々はしましたけれども、あの法案が、議論をしているときに一体どれぐらいの大学院が手を挙げるかということは大体情報として来ました。ですから、期待される枠はできるだろうという話ありましたけれども、今のお話聞いておりましても、とにかく説明して何とかしてもらうという以上のことは私には聞こえてこなかったんです。 さらに、じゃ仕組みそのものについてお聞きしますけれども、この間の答弁によりますと、更新講習では幾つかの講座が設けられて、そしてそれぞれ修了認定を受けるということが必要だということのようですが、どの大学で講習を受けるか、これは教育委員会が指定するんではなくて本人の自由であるべきだと思いますが、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) お話のように、各受講者がそれぞれの状況に応じまして必要な講習を受講していただくわけでございますので、受講先は各受講者が選択をするということになります。
○井上哲士君 五日間集中して受ける場合もあれば、二年間掛けて何回かに分散をして受ける場合も本人の都合であると思うんですね。その際に、講座ごとに違う大学で受けたり、それから全部同じところで受けるとか、こういうことも含めてできるようにすべきだと思いますが、この点いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) そういう方向で今検討しております。
○井上哲士君 この更新の目的は、最新の知識、技能を身に付けるということと言われております。 そして、中身については基準は国が定めるということなわけですが、その水準というのは、要するに今年新たに免許を取得する人と同程度の新しい知識、技能を身に付けるということであって、現職教職員にそれ以上の高いハードルを求めるものではないんだと、こういうことで確認してよろしいでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) なかなか難しい御質問だと思うんですけれども、要は、更新制はその時々で必要とされる共通の最新の知識、技能を刷新をするということを目的としておりますので、およそ教員として共通に求められる内容を中心にすべきだというふうに考えております。 ですから、それはある意味では、免許でございますので、同時期に免許状が授与される方に求められる水準と理論的には同じレベルになるのかなというふうに考えております。
○井上哲士君 最新の知識、技能となりますと、そうしますと、この更新講習の科目や講座、中身などは毎年変わるということになるんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 更新講習の内容については、その時々、教員に必要な知識、技能を刷新するためのものでありますから、やはり常に見直しを図るべきものだと考えております。ですから、文部科学省の責任で見直した内容を通知等の方法によりまして、場合によっては毎年何らかの形でお示しをしていくと、こういう内容について講習をやっていただければということをお示しすることにはなろうかと思います。 ただ、内容の見直しに当たりましては、中教審等に御意見を伺うなどの対応も考えてみたいと思っております。
○井上哲士君 修了の認定について聞きますが、筆記試験あるいは実技試験等の試験を行って修了を認定するという制度を考えていますという答弁がありました。 ただ、教員免許を新たに取得する人については、医師とか弁護士のように特に国家試験は課せられていないわけですね。ところが、現職の方がこの十年講習を受けるときには試験をするというのは、先ほど聞きました免許取得時以上の高いハードルを課すということになってしまうんじゃないですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 各大学でもちろん教員養成の課程の段階では単位の認定ということは行って、それが累積をされて所要の単位となれば免許状の授与ということになるわけでございます。 ですから、それと同じでございまして、免許更新講習につきましても、講習の修了認定ということを行うわけでございますが、これは各講習の開設者が行うということでございます。
○井上哲士君 そうすると、免許を取るときの単位認定というのは大学ごとに様々なやり方で認定をするわけですね。 そうすると、今回のこの更新講習の認定についても、開設者ごとにその講座について筆記試験を課したり、ないしはレポートというやり方を取ったり、そういう認定の方法についても一定の大学開設者の裁量になると、こういうことでよろしいんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 具体的には、国が修了認定基準というものを策定をいたしまして、それに基づいて各開設者が修了認定を行うことを考えております。ただ、例えば全国統一試験とか、そういうような形態は考えていないということでございます。
○井上哲士君 全国統一でないのは過去にも答弁ありましたけれども、例えば一定の実技的な話でも、かなり小さい規模でマンツーマン的にやっているところもあれば、かなり大規模の更新講習をやるところもあるわけですね。ですから、実際の基準に達しているかどうかという認定のやり方については、いわゆる試験というやり方とか、それから結果として教授なりがこれで大丈夫と認定をするとか、いろんなやり方があると思うんです。それは、現在の免許取得時の単位認定と同じように一定のそれぞれの大学で任されることになるのかと、私はそうすべきだと思いますけれども、どうでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) これから国が修了認定基準を策定をしていくわけでございますけれども、やはり私ども今考えておりますのは、修了認定に当たりましては、筆記試験など客観的かつ公平な考査というものが必要ではないかというふうに思っております。
○井上哲士君 そうしますと、やっぱりそれぞれに非常に高いハードルということになってきて、本来の趣旨と変わってくるんじゃないかと私は思うんですね。 それから、例えば実技試験に模擬授業というのもありますけれども、相当規模の更新講習をやるところでいきますと、何百人という人たちに模擬授業をやらすというのはこれはもう大変な作業だと思うんですね。そんなことも一律にやらせるということになりますと、正に制度として機能しないものじゃないかということを思います。これは是非やはり柔軟なやり方をやらせるべきだと思います。 さらにもう一個聞きますが、すべての科目、講座を受け終わった時点で一部の科目、講座だけが修了認定を受けられないという場合も出てくると思うんですね。その際にどうなるのかと。これは、五月七日の大臣の答弁では、必ずしも認定に至らない方は三十時間をもう一度受けていただかなければなりませんから、結果的には六十時間になりますよねという答弁があるんです。 これを聞きますと、一通り全部受けて一個でも駄目だったらもう一回全部受け直さなくちゃいけないかのように聞こえるんですが、これは修了できなかった講座のみをもう一回受け直すと。それも、例えば今まで受けた大学と違う大学でもう一回受け直すとか、そういうことも可能であるべきだと思いますけれども、この点、確認できますでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 結局、講習の開設と受講の関係になると思いますけれども、今後、その辺具体的に詰めたいと思いますけれども。 例えば、二か所のところで分割して受講していたときに全部修了認定至らないときには、その分割していた別のところのものはもう一回受け直していただくとか、そういうことはあると思いますが、具体的な修了認定の定め方につきましては、いろいろな講習の開設の形態等見ながらよく検討していきたいと思っております。
○井上哲士君 その際に、いったん受けたところと別の大学で受けることが可能なのかどうか。実際上、日にちが迫っていて自分の都合が付くところはそこしかないことも起こり得るわけですから、これは当然可能にすべきだと思うんですけれども、その点もう一回いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 非常に具体的、細目的な内容でございますけれども、これから更新講習の具体的な開設の仕方、課程の修了の認定の在り方、細部は詰めてまいりますけれども、受講者の負担という問題ときちんと講習を受けていただくということのバランスをよく考えて検討してまいりたいと思っております。
○井上哲士君 さらに、認定をされても現職教員の場合、その確認は必ず都道府県教育委員会が行うと答えておられますが、この確認というのは一体何なんでしょうか。 講習を受講して全部認定をされている人が都道府県委員会に確認を求めたときに、それがされないとかもう一回やれとか、そういうことが起こり得るんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今言ったようなことはまずないと思います。 講習修了の確認というのは、三十時間すべての課程の修了が各講習の開設者により認定をされたことを免許の管理者である都道府県教育委員会が確認をするという意味でございます。
○井上哲士君 要するに、あくまで事務的に確認をするんだと、こういうことでよろしいですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 結構でございます。
○井上哲士君 最後、更新の免除者の問題なんですが、この間、例えば優秀教員として表彰を受けた方ということもその対象として挙げられておりますが、その中には、例えば学習指導で優秀な方とともに部活動指導で優秀な方という方もいるわけですね。しかし、もちろん部活動指導はそのものは大切でありますけれども、その時々で必要とされる最新の知識、技能を身に付けているかどうかとはまた別のことだと思うんですね。 ですから、同様に、校長や教頭先生などが果たしてそういう最新の知識、技能を既に身に付けているのかどうかというのも疑問な方もいるわけでありますけれども、こういうことにしますと、結局、言わば上だけを見るというようなことが優先をされるようなことになるんじゃないかと思うんですけれども、この点いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 既に知識、技能が最新であると認められた者に重ねて免許更新講習を受講させなくても制度の目的が達せられる場合に免除の対象と、こういうことになるわけでございますので、優秀教員として表彰された方や校長、教頭等につきましては、基本的には知識、技能が優れているものと認識をしておって免除の対象になり得ると考えております。
○井上哲士君 私、部活動指導で優秀だというのがイコールそうなるとはとっても思えません。 今日は、この更新制度、果たして受皿が本当にしっかりできるのか、必要な、教員が誇りを持てるようなそういう水準の講習ができるのかということも大変疑問に思いましたし、一連の手続についても非常に果たして公正さが担保されるのか疑問が解消できません。 教員を不安定な身分にさらして、いわゆる上を向くような教員ばっかりつくって子供たちに向き合えないような状況をつくるということは、国民が望む方向とは反していると思いますし、こういう免許更新制度は導入すべきでないということを申し上げまして、質問を終わります。
○委員長(狩野安君) 本日の質疑はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。 午後四時五十八分散会 ─────・───── 〔参照〕 水戸地方公聴会速記録 期日 平成十九年六月十一日(月曜日) 場所 水戸市 ホテルテラスザガーデン水戸 派遣委員 団長 委員長 狩野 安君 理 事 中島 啓雄君 理 事 蓮 舫君 荻原 健司君 水岡 俊一君 鰐淵 洋子君 公述人 水戸市教育委員 会教育長 鯨岡 武君 中央大学文学部 教授 池田 賢市君 元神栖市立神栖 第三中学校校長 根本健一郎君 ───────────── 〔午後三時開会〕
○団長(狩野安君) ただいまから参議院文教科学委員会水戸地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします文教科学委員長の狩野安でございます。よろしくお願い申し上げます。 まず、私どもの委員を御紹介いたします。 私の右隣から、自由民主党の中島啓雄理事でございます。 同じく自由民主党の荻原健司委員でございます。 公明党の鰐淵洋子委員でございます。 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の蓮舫理事でございます。 同じく民主党・新緑風会の水岡俊一委員でございます。 以上の六名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 水戸市教育委員会教育長鯨岡武公述人でございます。 中央大学文学部教授池田賢市公述人でございます。 元神栖市立神栖第三中学校校長根本健一郎公述人でございます。 以上の三名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案、日本国教育基本法案、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上七案の審査を行っております。本日は、七案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を賜るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の七案審査の参考にしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、鯨岡公述人、池田公述人、根本公述人の順序でそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、鯨岡公述人にお願いいたします。鯨岡公述人。
○公述人(鯨岡武君) 私は、ただいま御紹介いただきました水戸市の教育長と茨城県市町村教育長協議会の会長を仰せ付かっております鯨岡でございます。 本日、このような重要な場で教育三法の改正に関する意見を述べる機会をいただきましたことに、深く感謝を申し上げる次第でございます。 様々な教育に関する問題について、現状のままではいけないと考える方々が多くいて、教育基本法の改正、そしてこのたびの教育三法の改正へという流れになっているのだと認識しております。地方教育行政の責任ある立場で、日ごろ考えておりますことの一端を、また政府提出の教育三法案に対して大枠で賛成するという立場から、こうあってほしいという私見も添えまして、実践の日々の中で感じておりますことを申し述べさせていただきます。 まず、学校教育法の改正案について意見を申し述べます。 今回、新設で提案された政府案の義務教育の目標は、新しい教育基本法の理念を踏まえまして、家族と家庭の役割、規範意識を身に付けさせることなど、今の学校教育の課題について新たに盛り込まれましたことは大変適切な内容であると考えます。今後はこれを踏まえた学習指導要領の具体的な改訂作業が進められるわけでありますが、法律で余り細かく規定するのではなく、地教委や各学校の創意が生かせるできるだけ緩やかな枠組みの部分があっていいのではというふうに願っております。 例えば、資料でお配りいたしました水戸市における授業時数増加のための施策について御説明を申し上げます。配付されておりますでしょうか。 学校五日制が実現した時点で、夏休み、冬休み、春休みはそのまま休みで、更に毎週土曜日が休みになりまして、随分学校の休みが多くなったなという実感がございました。多分、授業日は二百日に至らないはずでございます。さらに、それに総合的学習の時間が週三時間入りまして、これでは教科の授業時間数が足りなくなるなという実感を持っておりました。そこで、私が教育長に就任すると同時に、資料のような施策を校長会等に提示して、十分に検討を重ね、合意形成を得た上で実践をしたものがその資料の時数でございます。 要するに、夏休み、冬休みの長期休業日を少し削りまして、さらに標準の週時程の時間数より週一時間ほど多く授業時数を確保する施策を実践いたしました。夏休み等の長期休業日は、いずれにしても教職員は出勤日ですので、この長期休業中に授業をすることは何の問題もございません。土曜日を授業とする案が今再浮上しているようでございますが、これは法律、労基法でございますが、それにうたわれております週四十時間の労働時間を超えないということに私は少し抵触することになるんではないかというふうに思っております。ILO等に訴える等の問題が生じないかというような心配もしているわけでございますが。 問題は、夏休みの短縮でございます。暑さ対策をどうするのかという問題でございますが、水戸市は全教室の天井に扇風機を設置することでこの問題をクリアできました。今の時代に扇風機とはとお思いになる方もおられるでしょうが、各教室の天井に四つ取り付けますと想像以上に涼しくなります。空気の流れというのは非常に大事だなと強く思います。もちろん、工事費もエアコンの設置に比べますとはるかに安くできます。教室にエアコンを設置することには私は反対でございます。外に出て遊ぶ子供たちが多分いなくなってしまいます、夏の時期ですね。このような工夫でかなりの授業時数が確保できることが実証されました。このことは全国共通でできるのではないかというふうに思いまして、大変僣越かとは存じますが、こういった方法もあるのかなと、時間確保ですね。土曜日を登校日にする方法ももちろんあるかと思います。あと、長期休業日の調整という方法もあるんではないかなというふうに思っております。時間数は配付されております資料にありますので、お読みいただければというふうに思います。 続きまして、ゆとり教育のシンボルとみなされております総合的な学習の時間の取扱いでございますが、理想としてはよいのであろうというふうに思います。しかし、残念ながら、この理想を実現するのには時間とお金が足りないと感じます。一番の問題は人手が足らないということであります。最初は情熱を持って取り組んでいる先生方がだんだん疲れてきてしまうという状況がございます。その結果、どうしても、まあ言ってみれば惰性に流れた時間の取扱いになってしまって、生き生きした授業がつくり出されていない状況も場合によってはあると。 総合の時間の最大の欠点は、そのような状況からくる、時には指導の私はこれは緩みにつながってしまうのではないかと思うんですが、指導の緩みが出てしまったり、授業を受ける側の緩みが出てしまうことが様々な問題として生じてきているということをかねがね私は感じております。まして、中学校に至ってはこれに選択教科がありますので、二重の指導の時間数の確保の問題、場合によっては緩みといったようなものが生じてくるのではないかというふうに考えます。 したがいまして、総合の時間を今後とも続けるという方向は示されておりますので、内容を変えていくことが必要なのではないかというふうに考えます。つまり、大きな意味で教科の発展の時間として取り扱うことにシフトしていった方がよいのではないかというふうに考えます。現行の指導要領でも教科横断的に実施するようにとうたっておりますので、現実的な改革を望みます。特に、中学校の選択教科と総合につきましては一本化もよいのではないかなというふうなことを考えております。 次に、道徳の時間の取扱いでございますが、教育再生会議の第二次報告にもございますように、多様な教科書と副教材を機能に応じて使う、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じて他者や自然を尊ぶこと、芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動などに十分配慮したものを使用するなどの報告がございましたが、私は、現行の副読本を使用した体制で新しい教育基本法の理念を踏まえた教材を準備できるものと確信しておるものでございます。 これは水戸版の副読本でございますが、一部しか用意できませんでしたが、こういった中身は再生会議が期待する内容であふれております。日本国じゅうどこでも、これまで積み重ねてきた立派な副読本がございます。総合の時間等をもう一度整理して、道徳の時間をしっかり確保できるような体制づくりが必要なんではないかなと。要するに、道徳の時間というのは私は非常に大切だと思っております。したがいまして、全国で試みているこういった副読本ですね、後でごらんになっていただければと思うんですが、非常に立派なものがございまして、期待されている内容が盛り込まれているというふうに考えております。 さらに、地方教育行政法の改正について申し述べます。 現状は、教育委員、教育長に預けられている権限が余りに広範囲で、学校教育になかなか専念できないという悩みがございますが、一方で、これらがすべて首長の権限に入ることにつきましては、首長の責任が余りにも膨大になり、危険な問題に遭遇する度合いも増すと考えます。教育につきましては、権限を分散して、レーマンコントロールが維持できる体制を保持できますよう切に願うものであります。 あわせまして、教育予算の割合が先進諸国三十か国中現在最下位になっているという状況につきましても、聖域なき行財政改革とはいいながらも改善の方向に御努力をいただきますようお願い申し上げる次第でございます。 五点目に、副校長などの新しい職の設置についてでございますが、なべぶた型の学校組織が学校が抱える様々な課題に機動的に対応できる組織への転換を図るという点で適切なものであると考えます。免許更新制につきましても同様に考えます。ただ、これらを実施することによって教師という職業が魅力のない職業になっては困るというふうに考えます。優秀な人材が集まるような運用を願います。 最後に、最近モンスターペアレントなどと称されている一部の、まあごく一部のでございますが、保護者の実態をかんがみて、その改善を促す方策について私の持論を御提案申し上げます。それは、全保護者による学校奉仕のためのボランティア休暇の創設についてでございます。新教育基本法にもございますように、家族、家庭の役割の重要性について改めて強調されている現状から、この提言を申し上げる次第でございます。 授業参観日等で、単時間の授業を親が、御両親が見て、自分の子供の教室での実態を理解することはなかなかできません。学校へ一日、できれば二日ぐらい張り付いていただいて奉仕することによりまして、それから一日じゅう子供と一緒に生活することによりまして、給食も清掃も授業も一緒に受けることによって自分の子供の実態が見えてくるというふうに思います。四十人の学級の子供を見る担任の苦労が見えてくると思います。 水戸市は、「学校へようこそ」という授業を今展開しておりますが、それではまだ不十分であるというふうに私は思っております。働く御両親に企業や行政がボランティア休暇を与えまして、集団の中で生活する自分の子供の実態を知る機会を与えることができるような法改正をできればと、まあ夢のようなことを考えておりますが、私の本音でございます。是非話題にしていただければ幸いでございます。 以上、教育改革は何が何でもやらなければならないことが山積しております。政府の教育三法につきましては、それにこたえる内容のものであって、適切であるというふうに私は思っております。ただし、運用につきましては、十分に学校や地教委の総意を生かす弾力的なものであってほしいというふうに願います。 大変つたない公述になりましたが、以上をもって私の意見陳述を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○団長(狩野安君) ありがとうございました。 次に、池田公述人にお願いいたします。池田公述人。
○公述人(池田賢市君) よろしくお願いします。 お手元にレジュメが配られていると思いますけれども、それを見ていただければと思います。 中央大学で教育学を担当しています池田といいます。よろしくお願いします。 今回、多くの改正案がありますけれども、その中で学校教育法改正案を中心にして、その問題点や懸念されることについて発言をさせていただきたいと思います。 まず、学校教育法そのものの問題点に入る前に、私自身がどんな観点から学校という場をとらえているかということを確認させていただきたいというふうに思います。 レジュメの「はじめに」というところの①なんですけれども、まず第一に、子供たちが安心して過ごせる場所でなければいけないと、安心はゆとりからということで、いろいろ言われていますけれども、ゆとりがやはりキータームになるだろうということです。 それから、二番目に、社会参加あるいは社会形成を可能とする力の育成をする場所だということです。これを学力と呼んでもよいのかもしれません。 つい最近、レジュメの一番最後にとじてあるんですけれども、カラーコピーになっておりますが、ユニセフの調査をインターネットで知りました。その調査の概要等については詳しく把握しておりませんし、またデータにつきましても詳しい分析力は持っておりませんが、この調査によると、十五歳の日本の子供たちの約三〇%は自分は孤独だと感じているということです。アイ・フィール・ロンリーというふうになっています。調査のときの翻訳の問題とか様々な要因があって、あれこれと憶測を重ねることはしませんが、少なくとも他の国の子供たちが大体五%から一〇%の間で推移していることを思うと、かなり極端に多いということです。きっと何か子供たちの内側に、特に人間関係において大きな問題を抱えているんじゃないかとか、学校で安心して過ごしているんだろうかというふうなことを少し感じた次第であります。 このようなことを前提にいたしまして、やや先取り的ですけれども、今回の学校教育法の改正案の問題点、あるいは懸念事項を一言で表すならば、それは人格の完成や個人の尊厳といった方向よりも、その個人が国家、社会にいかに貢献するかという点に重きが置かれているのではないかということであります。 さて、具体的な問題点の指摘としては、まず形式的な、あるいは単純な発想から気になる点が三つほどありました。時間の関係で詳しくは述べませんが、レジュメにはありますが、例えば幼稚園のところの目的を見ると、その幼稚園の目的は明確に義務教育の基礎というふうに位置付けられていますけれども、現場レベルで求められている幼保一元化という動きに対して、かなり難しい調整を迫られるんじゃないかということが一つ考えられるかと思います。 では、学校教育法改正案について大きく三つに問題点を分けて指摘していきたいというふうに思います。 まず一つが教育目的、目標に関する問題です。 各学校段階の教育目標において、社会の発展等に寄与する態度を養うということが規定されていますが、このような目標の達成を評価しようとする場合に、一体何が寄与すると言えるのか、あるいは寄与する態度とは何か、その判断は実際には非常に難しいということです。そのときは寄与していないかに見えて、実は後から考えると大きな役割を果たしていたとかということは日常的によくあることです。 ですが、仮に判断できるとしても、新たな問題が発生してきます。未来において民主的な合意によって形成されていくはずの国家、社会、そして郷土に関して、改正案はそれらを形容する言葉、例えば豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を備えた国家及び社会といったような表現を付けています。そして、そのような社会の発展に貢献する態度の育成ということになってくるわけですが、ここでは人格の完成が向かうべき方向性があらかじめ規定されているということになります。これは、たとえその内容が少なくとも現時点においては良いものであったとしても、そのこととはまた独立の問題ということになります。 どのような社会をつくっていくかは未来に任された課題であります。もちろん、どのように形成してもよいというわけではなくて、そのベースには当然平和、人権、民主主義という思想が不可欠だということは言うまでもありません。そのような意識を十分に培ってこそ、人々は自ら社会をつくっていくことができる。社会を形成していける力というのはこういう意味であります。民主主義という国の在り方を取っている限り、子供たちがその人格、個性の開花とともにどのような国家、社会の形成を目指すのかということの規定に関しては、少なくとも公権力の側、具体的には法律の規定においては禁欲的でなくてはならないのではないかというふうに思っています。 このような将来の方向性についての問題は、例えば幼稚園や高等学校の目的の中に象徴的に現れています。そこでは、手段と目的が逆転されています。 レジュメの二枚目になります。 幼稚園のところでは、「日常の会話や、絵本、童話等に親しむことを通じて、言葉の使い方を正しく導くとともに、相手の話を理解しようとする態度を養うこと。」と改正案にはありますが、現行法は、「言語の使い方を正しく導き、童話、絵本等に対する興味を養うこと。」となっています。つまり、目的であったはずの絵本への興味というのが手段に位置付けられて、それを通じて言葉の正しい使い方とか相手の話をよく聞きましょうといった規範的、道徳的指導を目的に据えるという、そういう形になっているということであります。 要するに、単に子供たちが何かに興味を抱いたり個性を確立していくだけでは十分ではなくて、あるいはそれ自体が目的ではなくて、その興味や個性がどんな方向に進み、どこに着地しなければならないかまであらかじめ法律で決めているということにならないかどうかということです。子供たちが自らの自由な発想で将来において社会を形成していく、そのプロセスを改正案は断ち切ることになりはしないかという、そういう懸念があります。 このように、子供たちの将来をゆとりを持って見守れるかどうかという問題に関していえば、改正案の五十条で、高校では心身の発達及び進路に応じて教育を施すということになっていますが、そこに、現行法に進路というのが追加されたことも問題です。 進路は修学していく中で子供たち自らが決めていくものでありますし、生涯学習社会の中で、学び直しとかというふうに言われるように、機会の開放性を保障していくという観点からすると、子供自身の進路をあらかじめ決めかねないような、そういう条文をわざわざ作るということは適切ではないのではないかというふうに思っています。 ところで、先ほど、目指すべき国家像の内容とはまた別の問題だという話をしましたが、ただ、やはり将来の国家、社会の方向性を規定する、その内容自体にももちろん問題はあります。 例えば、健やかな身体を備えた国家という言い方がありましたが、仮にこの健やかなということが障害や病気を差別するようなものではないとしても、それを可能とするには学校教育だけでは難しく、社会全体、特に経済的な構造の問題があるだろうと。つまり、健やかにあろうとしても、それを許さないような労働条件であったり生活環境であったり、そういうことがあるんじゃないかと。「早寝早起き朝ごはん」と言われますが、それもよいのですが、そうしたくともできない厳しい生活環境自体を改善していくようなことも考えなければならないだろうというふうに思っています。 また、改正案が子供たちの学ぶ権利ではなくて義務の方を強調しているという点もこれと連動して問題となります。 これは達成目標と評価の問題ですが、現行法では、教育の目的、目標はその達成に努めなければならないという言わば努力目標なんですが、改正案では「達成するよう行われるものとする。」というかなり強い規定になっています。達成しなければならないとすれば、当然その達成度を見るための評価が必要になってきます。その評価は、改正案四十二条によると、文部科学大臣の定めるところにより行われると。ここで教育委員会ごとの独自の工夫とか地域ごとの事情を勘案したような評価方法がどこまで保障されるのかという点が心配されます。 レジュメの三枚目です。 また、このような目標達成の強い縛りの中で学校教育が運営されるとすれば、先ほども少し触れましたが、障害の問題ですね、障害児の分離とか排除といった状況が発生しないかどうかは大変心配されるところであります。 ところで、地教行法、地方教育行政法の改正案四十九条には、児童、生徒の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合に文科大臣は是正を要求できるという規定がありますが、侵害されてはならない権利について学校教育法に規定しておく必要があるのではないかというふうに思います。 次に、二番目の大きな柱の教育課程の問題に移ります。 これまで文部科学大臣は小学校等の教科に関する事項を定めることになっていましたが、改正案では教科の部分が教育課程になっています。これは、学校での教育活動のかなり細かい部分まで文科大臣が定めるというふうに読めるわけです。 周知のように、教育課程の編成主体は、現行の学習指導要領が確認しているように、各学校にあります。この改正案においては、この原則が大きく変わるということになります。今の教育基本法第十六条第三項の規定にあるように、地方分権を進めて校長のリーダーシップの下に多様な工夫が必要になっている現状に対して、かえって画一化を助長して、教育現場の改善努力や工夫を妨げることになっちゃうんじゃないかと、そんな心配があります。つまり、地方分権に逆行しているのではないかということであります。様々な教育問題は常に具体的な子供を前にして具体的に起こっているのであり、その解決においても事情をよく知るそれぞれの学校や地域での取組といったものを支援する形の改正案になっていなければならないだろうというふうに思います。 最後に、教職員の階層化と言ったらいいんでしょうか、あるいは給与体系等の在り方に関する問題であります。 改正案三十七条では、校長、教頭、副校長、主幹教諭、指導教諭というようなことが定められていて、その下にいわゆる一般教諭が位置付くということになるんでしょうか、教員間の階層化が規定されています。ここに免許状の更新制とかあるいは附帯決議にあるようなめり張りのある教員給与体系といったことが重なると、学校という場所が極めて競争主義的な性質のものへとなっていくだろうと。 もちろん、ここで、めり張りのある教員給与体系という言い方自体、私は非常に違和感を持ってはいます。つまり、給与は何かの御褒美でもらっているわけではないので、生活を支える大切な権利としてあるわけですから、そう簡単にめり張りを付けられてもと、まあそういうことであります。ただ、その問題はおくとしても、子供にとって身近な大人の代表である教職員がこのように階層化され、差別化されていくことの悪影響がとても心配されるということであります。 ただ、このめり張りのある、まあその表現は別としても、教員給与体系とかあるいは教員の顕彰制度の充実とかといったようなことは、教員に優れた人材を確保したいというものであるということは、まあそこの部分は理解はできますが、教員が求めているのはお金の問題ではなくて、子供とかかわる時間がいかに保障されるかということだと思います。 ここに、手元にあるのですが、お配りはしておりませんが、ある大学の教職課程を履修している大学生三百人にアンケートを取ったものがあります。これウエブでちょっとアンケートを取ってみたんですけど、その中で理想の教師像はという項目があって、ほぼ、まあ全員と言うと大げさですけど九割以上が、多くの時間を子供とのかかわりの中で過ごして一人一人と誠実に向き合える教師というものが理想像とされているわけですね。一見すると生産性が見えにくいようなそんなゆったりとした時間の流れの中でこそ、学生たちは理想の教師像を描いているということになります。 レジュメの四枚目に行きます。 そんな学生たちは今、教員免許の更新制の導入に対してかなり不安を抱いています。最後にこの更新制の問題に触れて発言を終わりたいというふうに思います。 そもそも、免許制度の根幹を変えるようなこの更新制度の目的規定がないということが第一の問題ではないでしょうか。中教審答申等によれば、目的は、時代の早い状況変化に対応する資質を育てるというものであろうと思いますが、だとすると、かえって十年では遅いということになりますし、その目的を達成するんであればもっと別の手だてを考えた方がいいんじゃないかと。また、更新の講習を受ける必要がないと認められる場合の規定もありますが、その基準や手続が不明確な点も問題になりますし、また、そもそも講習の受講が勤務なのか、職専免なのか、勤務時間外の個人的なものなのか、あるいは研修なのか、その位置付け。さらには、その時間と費用負担をどうするのか。その辺も法律に明記されなければならないだろうというふうに思っています。 もちろん、教員は常にその能力を向上させる努力が求められますし、またいわゆる不適格教員と言われる者の排除ですね、それが正しく判断できるのであればという前提ですが、やはりそれは必要なことでしょう。しかし、改正案のような現場から離れての免許状の更新講習とか、そういうことで果たして能力が高まるかどうか。むしろ、学校教育はチームで仕事をしているということが大切であって、その能力の向上も同僚の視点を取り入れた各学校等での研修などの充実こそが実質的な意味を持ってくるんじゃないかというふうに思います。 ところで、この更新制を導入すれば、どうしてもいわゆるペーパーティーチャーへの講習をどうするのかという点も考えざるを得ないと思います。多様なキャリアとかライフコースとかというものを可能にする社会をつくる上において、今は教員ではないけれども免許状を持っていますという、そのペーパーティーチャーの存在は意味のあることでありますが、その質をいかに維持していくのか、あるいは維持しておくのかということは今後の採用計画の問題とも重なって大きな問題になるのではないかというふうに思います。 先ほども言いましたけれども、更新制は大学の教員養成課程を履修している学生の間でも大変不安になっています。つまり、十年後どうなるか分からないというそういう職業にどうやって目指せばよいのかということ。ただ、制度を正しく理解していないとか、あるいは誤解も生じているということもあるかもしれません。しかし、実際に教職を目指すことに対して軌道修正をし始めた者も私の周りにはたくさんいます。そうなったときに、教員の数が足りなくなって、採用に際してその質が維持できるかどうか、これは杞憂に終わればよいがというふうに思っております。 以上で発言を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○団長(狩野安君) ありがとうございました。 次に、根本公述人にお願いいたします。根本公述人。
○公述人(根本健一郎君) 私は神栖市の根本でございます。よろしくお願いいたします。 平成八年に神栖第三中学校の校長を最後に教職を退任いたしました。退職後は神栖市教育委員会の不登校児童生徒を指導する適応指導教室で三年間主任教育相談員として務め、その後神栖市コミュニティーセンター事務局長、社会教育に携わりました。その後中学校の学校教育相談員として、元の神栖第三中学校相談室に勤務いたしました。現在は市内の小学校の学校評議員として微力ながら支援をしている次第です。 このように、教育の現場を離れて年月が過ぎておりますので、このような重要な教育法案改正に関して意見を述べる席にお呼びいただきまして、大変に光栄に思うとともに、恐縮しているところでございます。 ちょっと風邪を引いているものですから聞きづらい点があるかと思います。御了承願います。 また、専門的な研究をしておりませんので、自分の体験、それから常日ごろ考えていることを基に、ピントぼけかもしれませんが、お話をさせていただきます。 今学校は様々な課題を抱えております。学力の低下、いじめ、子供の自殺、児童虐待等、子供の学ぶ意欲やモラルの低下は、正に社会問題として大きく考えていかなくちゃならないことであります。今こそ、教師、保護者、地域社会の協力と連携によって対応していくべきだと痛感しております。このようなときに、現在国を挙げて教育に関する様々な取組が行われていることは大変にうれしいことであり、大事なことであると思います。百年樹人という言葉がありますが、国家百年の大計を考えるとき、最も大切なのは教育と人材養成重視の考えであると常日ごろ思っております。 さて、学校における組織運営体制の改革の一つに、義務教育の諸学校に副校長、主幹教諭、指導教諭という職を置くことができるとあります。学校の教育活動も多岐多様となり、学校をめぐる環境も複雑化し、学校運営にかかわる様々な連絡調整をする業務も拡大されております。そのようなときに新しい職を設置することは、組織の活性化にもなると心強く思います。制度は何年かたってから問題が顕在化すると言われます。部分的な修正ではなく、視野を広げた改革をし、児童生徒や教師に機能させていくようにすべきであろうと考えます。学校管理者である校長の識見が問われてくるであろうと、こう考えます。 私は、「いきいき・かみす」、不登校の生徒を預かっているところで、大変に恥ずかしい話ですけれども、自分が四十年間教育をしてきて、その不登校の生徒たちに触れたときに、本当にこう自分は何を、子供たちに本当に接してきたのかな、みんなをそこまで大事にしたのかなと、それを痛切に考えます。子供一人一人を大切にするということが教育の最大の目標であると、こう痛切に感じました。一人一人を見ると、本当に心も優しいし、思いやりもあるし、そしてまた自分の個性も豊かに持っているんですね。それぞれの桜梅桃李の個性を大いに、小さい部屋ですけれども、そこに来たときにはみんな自分を本当に表現していると、それが子供たちであると。 学級担任の先生方がどれだけ子供たちにかかわれるか。特に、問題を抱えている児童生徒に対して全力を尽くして援助をすべきであると強く感じました。児童生徒のために、教師のために、一番困っている人のために、この制度を生かしていくかを考えるべきであると思います。まあ職員も増員されるわけでありますし、それぞれの工夫によってはそういう子供たちへの手を差し伸べる余裕といいますか、時間とか、そういう空間というものが取れるのではないかなと、このように考えます。 次に、小中学校等の学校評価及び情報提供の提案ですが、学校評価については既にもう自己評価実施あるいは結果公表が努力義務とされていますが、今回、平成十九年ですか、学校評価には保護者や児童生徒の意見を反映させ、学校は外部評価の基準を明確にすると教育再生会議の報告がされております。 私が学校評議員として、小学校においても自己点検評価を、そしてまた昨年度から外部評価を実施しております。その中で、管理職と教師との個人面接ですね、年二回ないし三回ということですけれども、中規模校、大規模校の校長さんにとっては大変な労作となっているようです。勤務外の時間あるいは夏休みを中心に面談をしておるようですけれども、この面談によって今までよりもだれに対しても平均的に相互理解が深まり、教員が適切に評価されて、それぞれの目的に向かって意欲を持った教育活動が展開されていると、このように思います。私も評議員として授業参観、学校行事への参加、保護者の皆さんとともに評価を行い、常に学校経営全般について関心を持って責任を果たすべく努めております。 ここで、これからのことですけれども、各評価内容を実質的に分析、検討を十分に行って、今後の学校・学級経営に生かされるよう、継続して教育力を高める努力を各学校で行われるべきであると、当然そうなると思いますが、継続したことが大事ではないかと、このように思います。 次に、教育委員会の体制の充実と地方分権の推進についてでありますが、もう既に教育委員会の使命とかあるいは自主性、主体性、そういうものに欠けて形骸化していると、このように言われておりますが、今度の再生会議、またこの法案を通して十分な深まりある方向付けがされれば、更に教育委員会の今日的な意義から必要であると、必要性というものが明確にされると思います。 実際に私の住む市の現状を見ましても、教育委員の方々は月一回の定例会で、教育委員会の事務局からの報告あるいは懸案事項の検討、事後承諾等を行って、充て職等の業務もかなりあるようですけれども、なかなか地域住民とのかかわりや活動内容を明確にして自主的に活動するということはなされておられないように感じ取られます。今回のこの改革で教育委員会の在り方を本当に見直していったならば、更なる教育力が高まり、地域の教育環境も良くなるんではないかと、このように思います。 私は、昭和五十三年ですか、教職の途中で波崎町の、当時、教育委員会に三年間派遣されまして、社会教育主事の貴重な仕事をさせていただきました。 そのときに強く感じたことがあります。それは、外見から見て、庁舎内の各部局、自分のところだけで精一杯で、協力体制とか、進んで仕事を見付けてやろうということはなかなかできない状態だったんですけれども、私がその中に入って、当時の町長さん、教育長さん、各先生上がりの方でした、本当に熱心に取り組んでおりまして、町民の健康づくりを推進しよう、そのときに、関係する部署、五つほどありましたが、そのメンバーが集まりまして、三年間、筑波大の教授の先生を招いての健康講座を一年に四回ずつやりました。それから、利根公園の設置、これはペースメーカーを使って健康づくりのあれです。それからランニングコース、町民マラソン、これは後ほど波崎トライアスロン大会、これにつながっていくんですけれども、当時、学校開放が打ち出されまして、早速、小中学校長会で学校開放を、各小学校体育館を開放していただくことになりまして、いろんなスポーツ団体等を育成するようなこともできました。 本当に私自身思うのには、その部署部署のやはり教育委員会、教育委員会で何をすべきかと、今度は明確にしていこうということでありますので、更なる発展ができると思います。 現在は、波崎地区はスポーツの町波崎ということで、そういうことが一つの礎になりまして、民宿、スポーツの民宿ですね、学生が春、夏の長期休業に来て大いに盛り上がった一つの状況が出ております。 この話はちょっとぴんとこないかもしれませんが、私は、教育委員会のいろいろな組織の在り方とかそういうことについてやれば、いろいろあるんだなということを私なりに外部から入って感じたことなんです。 それから、最後になりますが、同一市町村内の転任ですね、これは市町村教育委員会の内申でということですが、私の住む神栖市の現況は、補充教員の不足の問題があります。昔から鹿島は陸の孤島と呼ばれていました。工業地帯になりましても毎年新採の教員が、そのころは波崎、神栖は別でしたが、五十名も来るんです、バス一台でですね。みんな新採です。それが三年たつと帰るわけですよね、地元に帰っていくわけです。その繰り返しでした。現在でも毎年三十名の新採が来ます。あとの三十名は講師ですね。ですから、それだけ教育者の人材不足という部分はあります。あとは他教委からこちらに来ている、地元の教員が少ないということです。 ですから、広域人事から地方にという一つの流れですけれども、これはその地域によっていろんな事情があるということを分かっていただければと思います。 あと一つは男女比ですね、これは女性の教諭が圧倒的に多くなっています。現在、小学校では、十人でしたら十人のうち三人ぐらいが担任としては男子ですね。中学校でも半分近くは女子です。これもいろいろ社会情勢があると思いますが、子供にとっては男の先生に教わったり女の先生に教わったり、やっぱりそういう違いというものはあると思いますね。そういうことを考えると、やはりこの辺も一つの工夫すべきところかなと、このように思います。 時間も来てしまいましたので、私の考えですけれども、地元の高校教育の充実ですね。これは直接ここの話には関係ないと思いますが、やっぱり佐原、銚子の方、鹿島の清真学園にみんな優秀な子は行きます。地元はそれだけ学力が落ちている、これは恥ずかしい話ですけれどもね。いつまでたってもこういう状況になっていると、やっぱりこれは地域の教育力が伸びていかないと、大きな問題だと思います。大学の誘致も話がありました。しかし、それはもう過去のものになってしまっています。企業の退職者の永住はなかなか少ないですね。みんな子供の教育のために都会、そして出身地に戻る、新天地に行くというね。ですから、住みよい町づくりの建設を、なかんずく、教育環境の整備と人間融和の社会を目指した行政が望まれます。 時間が延びて済みません。ますますこの改革の良い方向に進められますことを心から御祈念申し上げまして、まとまらない話でしたが終わりにいたします。 ありがとうございました。
○団長(狩野安君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○荻原健司君 自由民主党の荻原健司でございます。 本日は、三名の公述人の皆様方、大変お忙しいところ大変貴重なお話を伺わせていただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございます。 さて、早速、時間も限られておりますので御質問に入らせていただきたいと思っておるわけなんですけれども、やはり皆さんからお話を伺っていた中で、まず初めに、鯨岡公述人が先ほどお話をされていた中で、非常に興味深いお話といいましょうか御提案もされていて、ああなるほどなと思いました。 その一つ、それは、時にはお父さんやお母さん、仕事を休んでやはり学校現場に直接入って子供と一日過ごしてみたらどうかというお話をされておりまして、それによって学校の子供たちがどういう、何というんでしょう、教育現場で、またどういう先生に教えてもらっているんだということがよく分かるだろうということをお話を伺いまして、ああこれは本当にいい御提案だななんということで考えておりました。 まず、そこで皆さんにお伺いしたいのは、やはり教育の今の実態といいますか、また現場を知るということにはなかなか、特にやはりお仕事を持っておられる方や子供を持っている方でも、本当に子供が学校でどういう教育環境にあるのかというのがなかなかつかみづらいのが実情ではないかなというふうには思っております。 その中で、現在、学校の評価、先ほど来お話をいただいておりますけれども、やはり学校の評価、これ自己評価、外部評価とありますけれども、この評価を客観的に見て、ああこの学校というのはこういう状況なんだな、また地域の私の住む学校はこういう状況なんだなということで、学校の評価というのは非常に私もこれから更にしていただいて、それを通じて今の実情を把握するということは必要だろうと思っています。 そこで、まず最初の御質問なんですが、学校評価の私は観点、やはり何を基準にして評価をすべきかということなんだと思っているわけなんですが、先ほど池田さんからも、文部科学大臣の定めるところによりということで中央集権的な評価方法になるのではないかというような御懸念もお話をいただいたわけなんですが、これは中教審に諮って内容が決められていくんだと思いますけれども。 まず、私は、この評価の観点というところで皆さんにお伺いしたいんですけれども、私としては、これはただ単に学力だとか先生の指導がいいとか、何かそういうところだとか、又は子供たちに評価をさせて子供たちの満足度がいいとか、そういうことではないんだと思います。また、これは保護者だけでもなくて、やっぱりその学校を持つ、その学校のある自治体といいますかね、その地域住民の方々の満足度というものが一番重要な観点になってくるんではないかなと。ですから、その学力、うちの近所の学校の学力がぐんと伸びた、これも一つの観点かもしれませんけれども、やはり私としてはもっと、例えば何かその学校の子供たちがみんな元気にあいさつするようになった、これは本当にいいなと地域の人たちが思うと、こういう観点なんかもあってもいいと思うんですね。 そういう意味で、学校評価の観点、私としてはやはり地域の皆さんの満足度というものが大きな視点になってくるのではないかなと思いますけれども、三名の皆さん、この学校評価の観点について、こんな観点がいいんではないか、ちょっとお話をいただければと思います。
○公述人(鯨岡武君) 今、荻原委員さんの方からお話ありました地域住民の満足度というようなこと、正に私もおっしゃるとおりだというふうに思っております。 水戸市は元気都市・水戸ということで大きなテーマを掲げておりますが、地域の皆さんが子供を見ることによって元気になるということはたくさんあるわけでございますので、そういったことも含めて、私は今、荻原委員のお考えに賛成でございます。 ただ、バウチャー制度を実施するとなると、やはり一本筋を通した評価基準が必要になってくるのかなというふうに思いますので、その辺のところは、通したものと地域の住民の見るものと、その辺が複雑に絡み合っていって、どのようにするのかなという疑問は持っております。
○公述人(池田賢市君) 今おっしゃっていただいた、単なる学力でもないし、教員が面白そうな授業をやっているとかということだけじゃなくてという観点はすごい良い観点だと思いますね。そういう観点ではないということは必要だと私も思っています。 ただ、その地域住民の満足度という言葉でいろいろと想像はしますけれども、ただ、地域住民とのかかわりという点ではすごく重要ですね。いかにその学校が地域とかかわって教育活動をやっているかという点ですね。その点を考えると、今、学校選択制というのが割と導入されてきていますよね。そうすると、あれは学区とか地域をある意味崩してしまうことになりますね。ですので、そこと矛盾をしていく評価になってくるだろうなということがまず一番初めに思いました。 あと、あいさつという点で、私は品川区の実はある中学校の外部評価の委員をやっているんですけれども、すごくあいさつするんですね。ただ、いつ行ってもおはようございますなんですよね、午後行ってもおはようございますで、今、午後になったらこんにちはだよという指導をしているんですと先生は言っていましたけど。まあまあ、でも元気よく声が出ているのはまあいいかなというふうには思っています。 ちょっと学校選択制との調整という点で意見を述べました。以上です。
○公述人(根本健一郎君) ここに持ってきているんですけど、これ見ますと、学習面それから生活面、校外での子供たちの生活の様子、今出ましたあいさつとかマナー、そういうこと、さらに、これは授業参観通しての評価もしておりますので、学習の態度、先生の指導ですね、そういうのもここに入っております。それから、自分たちの学校に対する協力体制、保護者自身の評価、これも入っております。PTA活動なんかについての参加の自分の姿勢ですか。 ですから、今、一番生活面のそういう安全とか、やっぱりそういうことも大きく取り上げて評価していくことも大事かなと。学校の行き帰りのそういう安全ですね、大分細かにやっているみたいです。 以上です。
○荻原健司君 ありがとうございました。 やはり地域の方々がやはり今の学校どうなっているんだということを知る上で、非常にやはりこういったことを更に積極的に進めていただいて、またこれを公表しなければ当然知ることもできないわけですから、やはり公表をしっかりするべきだと私は思っている中で、文部科学省調べのデータによりますと、学校評価のその評価結果というものがなかなか地域の皆さんにほどよく届いていないのではないかなと私は思っております。やはりこの結果というのが、PTAの方々又はいわゆるお子さんを持つ保護者の方々には何かプリント等を配るというようなことはあるそうなんですけれども、例えば町や村の広報紙に載せているというところはほとんど数%しかない、多分一・幾つ、まあ二%ないぐらいだと思うんですね。 ですから、皆さんがおっしゃっていただいたその地域満足度というのもいい観点ではないかという御意見いただきましたけれども、いずれにしても、その公表の範囲というのがなかなかまだ限られていると。私は、これをしっかり確かにお子さんを持つ保護者の皆さんには伝えるというのは重要なことだと思いますが、やはりその地域に住む方々、皆さんが目に触れる機会を増やさなければならない。それによってやはり納税者の皆さんに対する責任も果たすというようなことにもつながってくると思いますので、やはり私はその公表を地域住民までしっかり広げるべきだと思っておりますけれども、三名の皆さんにはどんなお考えがあるか、お伺いをしたいと思います。
○公述人(鯨岡武君) ただいまのお話のとおりかと思いますので、各公立の学校でございますが、地域を持つ学校というふうな意味で地域を大事にしていかなければならない、地域の皆さんにしっかりと広報していくということは必要だというふうに思っております。かなりの学校が実践しているというふうにとらえております。
○公述人(池田賢市君) 地域への公表の仕方ですけれども、今のお話を聞いていて改正された教育基本法の十三条を少し思い出しまして、学校、家庭及び地域住民その他の関係者は教育におけるそれぞれの役割をというところですね。で、すごく一般的にとらえるとそのとおりだろうと思うんですけれども、ただ、公表大事なんですけど、その後、公表された後がとても心配というか、どういうふうにしていくかですね。いい結果、悪い結果、様々あるでしょうし、地域住民がそれに対していろいろ意見を言っていくでしょうし、そこをどう調整していくのかですね。 そうすると、学校の独自性というか、その辺とのバランスですね。地域住民の声を聞くのはもちろん大切なんですけど、どこまでどう聞くのかということはすごく難しくて、例えば学力をもっと上げてくれという親もいるかもしれないし、もっとほかの要求もあるかもしれない。そこのシステムをちょっとしっかりつくっておかないと難しい問題を抱えることになるかなと。公表自体に別に反対というわけではないんですけど、ただ、そこにまた学力調査も公表となってくると、また順位付けというのは、それはもう御承知のとおりだと思いますけれども。 以上です。
○公述人(根本健一郎君) 私の関係しているこの学校では、校長さんが週に一回かな、これくらいの大きさで学校での様子を父兄にちょっと配っているんです。私のところへも届きます。そういう通信ですね、学校通信。校長さん自らが書いてやる、そういう姿勢なんですね、校長先生の。その中にもこの結果を出したりして送ってくれます。ですから、父兄の方へはやっているようですね。
○公述人(鯨岡武君) よろしいですか。済みません、ちょっと言い残したものですから。 その学校が目指すことは一体何なのかということをきっちり最初につくることが大事だと思うんですね。そのことについてどういう達成をしているかというような公表をしていくべきだろうというふうに思います。
○荻原健司君 ありがとうございました。 各学校の校長先生は多分年度初めに、何というんでしょう、一年間の目標といいましょうか、書かれると思いますが、だから、そういうことも併せて、で、一年後どうなったかというようなことだと思いますし、私も非常に、その目標に対してどのくらい達成されたかというものを公表して、それを地域の皆さんが知るということは是非これからも進めていかなければならないというふうに思って御質問させていただきました。 さて次に、少し池田公述人からいただいた資料を見させていただいたものですから、ちょっとそれを基に御質問させていただきたいと思っています。 最後のページに付けていただいたユニセフの調査ですかね、OECD加盟国の調査になると思いますけれども、十五歳の子供たち、孤独を感じている子供たちというのは非常に今世界の中でその割合が高いというふうな資料をいただきました。孤独を感じる、こういう資料ももちろんそうですけれども、又は、先ほど根本公述人から体験談を踏まえたお話もいただきまして、校長先生を終わってから適応指導教室の方で不登校の子供たちの御面倒を見ていただいていたそうでございますけれども、今こういう資料を見させていただきますと、今の子供たちには、やはり何か心に、言い方は悪いんですけれども、何かこう、病というわけじゃありませんけれども、孤独感を感じたり、又はいろいろ資料を拝見させていただいたり、また新聞紙上で今の子供たち、若い人たちには目標がなかなか見えないとか、又は将来就きたい仕事というのは何だかよく明確に持っていないとか、やっぱり何か生きる目標だとか、何か頑張る原動力というものが少しないのかななんということをちょっと感じざるを得ないわけなんですが。 もう残り時間が少ないので簡単にお話をいただければいいと思いますけれども、三人の皆さんに、今の子供たちがやはりこういう孤独感を感じていたり、又は不登校が増えている状況はどういったところに原因があるのか、ちょっと時間が短いのは申し訳ないんですけれども、いただければと思います。
○公述人(鯨岡武君) 私は、遊びをつくり出すことが重要だと思うんですね。ですから、学校の時間の中で、できればそういった時間を拡大できれば本当にいいと思うんですが、なかなか難しいとは思うんですが、子供たち同士がかかわり合う、人間関係をつくる一番の基礎でございますので、学校の時間帯の中に遊びをつくると。家庭でなかなか今はそれ期待できない状況になっているのが現状だと思うので、そういったことが努力目標としてできればと。私は推奨しております。
○公述人(池田賢市君) おっしゃるとおりの子供たちの現状ではあると思いますけれども、やはりそのためには、社会の側がといっても、社会といってもいろいろ広いですけど、頑張れば何かができるんだというような実例が、成功例がないとなかなか、頑張れ頑張れだけいつも言われて、結局勝ち負けができちゃって、それはおまえの責任だと、自己責任になってしまうということで、頑張れる状況というのをつくらなきゃいけないし、学校がやっぱり楽しくなきゃ駄目なわけだし、楽しいということは、何というのかな、せかされなかったりとか、間違ったことを言っても、何というのかな、それは受け止めてもらえてとか、そういう学校の息苦しさみたいなところを変えていくような教育観というか、授業の在り方みたいなものが大事なんだろうというふうに思っています。 ちょっとやや抽象的な言い方になってしまいましたけど、そういうことです。
○公述人(根本健一郎君) 不登校の原因はいろいろあると思うんですよね。一番やはり人間関係が、自分の弱さというよりも人間関係だと思います。友達のいじめとか、あるいは部活での先輩の触れ合いの中でやっぱり挫折するとか、あるいは先生とうまく心が通じないと、あるいは親とですね。 私は、一対一で話をすると、そういうことは、全然立場が違うからだと思うんですけれども、そんなに感じないですよね。でも、やはり本人にとったら、それはもう短い時間ではないと思うんですよね。もう耐えに耐えてきて、駄目で、自分が閉じこもっちゃうと、そういうことだと思います。 来ている生徒は三年生になると卒業になります。ほとんど佐原の定時制に行きますね。ですから、やる意欲はあるんです。あそこで十何人、一年間にやりましたけれども、三年生が三人いれば三人みんな佐原の定時制へ行きます。ですから、あそこから大変ですよ、電車乗り換えて行くの。ですから、意欲はあると。それをやっぱり見てあげるというか、守ってあげるのは、やっぱり先生であり、親でありだと思うんですよ。
○荻原健司君 ありがとうございました。 終わります。
○水岡俊一君 民主党の水岡俊一でございます。 今日は、三人の公述人の皆さん、大変お忙しい中をこの場に御出席をいただいて公述をいただいておりますことに、委員の一人として心から御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。 早速質問に入りたいと思いますが、まずは根本公述人にお伺いをしたいと思います。 根本さんは、副校長、主幹、指導教諭、こういった新しい職が設置をされることについては歓迎をしたいと、こういうお話がありました。学校をめぐる環境は大変厳しく、そして変わっていく中で、学校に活性化という大きな意味を持つんではないかというお話がありましたが、恐らく根本公述人は定数改善があるということを前提に考えておられるんではないかと思いますが、実はこれまでの委員会の質疑の中で、文科大臣、それから文科省からも定数改善はないというようなお答えが今あるような段階なんでありますが、その件について根本公述人はどういうふうにお感じになるでしょうか。
○公述人(根本健一郎君) そうしますと、副校長さんは、今まで教頭先生がいますよね、各学校に。その先生が副校長になるという意味ですね。
○水岡俊一君 そういうことです。
○公述人(根本健一郎君) そうすると、第一教頭、前にそういう、二人とか、第一、第二とありましたから、そうすると、一人副校長がいれば教頭さんはいないということになりますね。それからすると、何ですか、主幹教諭が、今教務主任がいますよね。そうすると、その教務主任の立場の人が主幹教諭になると。
○水岡俊一君 そういうことです。
○公述人(根本健一郎君) ああ、そうなんですか。勘違いしていました。 いや、そういうことになると、ただ名前が変わっただけじゃないですかね。仕事が減らないですよ、それでは。 分担。校長さんが大変だと、教頭も大変だと。じゃ、そこへ副校長さんが、副校長ですか、そうすれば校長さんを助ける、主幹教諭がいれば教頭さんを助けると。仕事のあれが大分能率も上がるし、その分先生方にも多少、私はそれがあったから有効に使えるんじゃないかなということを考えたんですが、ああ、違うんですか。失礼しました。
○水岡俊一君 同じ質問でありますが、鯨岡公述人にお伺いをしたいと思います。 今お話のあったように、実は文科省からはこの法案に関して、教員が子供たちに向き合う時間を増やしたいと、そういう目的のために新しい職をと、こういう提案ではあるんですが、詳しくどんどん聞いていきますと、そういったことが明らかになってきました。そういった観点から、鯨岡公述人としてはどういうふうにお感じになっているか聞かせていただきたいと思います。
○公述人(鯨岡武君) 教育長の立場としては、学校に教職員の数が増えることというのは大歓迎でございますので、希望としては、そういう定数の改善ができることを願うわけでございますが、それでは、それがこういった御時世でできないとすれば、副校長がいることについてどう思うかということになりますと、私は賛成でございます。 というのは、校長が忙しい状況は全国どこも同じだと思うんですが、じゃ、その忙しさをなくして、学校に張り付けということだけでは済まない問題が実はいろいろあるわけですね。トップはやっぱりいろいろ仕事をする必要があると思うんです。そうなったときに、学校におる副校長が決裁できることが幾つかの分野であった方が、私は、仕事が進まない状況を進めるという意味で大事な解決の方向になるというふうに思います。 ただ、指導教諭とかそういった者が子供と向き合えないということにはならないというふうにとらえているわけですが。
○水岡俊一君 私も、おっしゃるとおり、教頭あるいは副校長という中で、校長の権限を一部移譲されながら責任を持って校務に当たるということは、これは意味のあることだと私も考えるところですが、この副校長については、私質問をしましたら、授業を持つというお話が大臣からございました。こういったことについては、鯨岡さん、どういうふうにお考えになるでしょうか。
○公述人(鯨岡武君) 教頭は授業を持つことがこれ決まりというか、持たなければならないんですね。持たないで済む教頭は幸せだと思うんですが。同じように、副校長もあってよろしいかと思います。定数の改善がなければ、そのような形に自然になっていくということは可能性としてあると思います。
○水岡俊一君 そういった中で、副校長という立場で校務に当たられるとすれば、教育をつかさどるという言葉はないにしても、校長の命によって校務をつかさどるということの中で授業をすることもあるんだというようなお話が文科省からあるわけでありますが、そうしますと、この副校長という立場にある人は教頭という立場にある人よりも更に責任が加わる中で授業もしなきゃいけない、かなりプレッシャーになるんじゃないでしょうか。なかなか、今学校現場はストレスフルな職場として危険視をされている、そういった中にありますので、教育長の立場から、そういったことについては何かお感じになることがあるでしょうか。
○公述人(鯨岡武君) 多分、おっしゃっておられるケースというのはごくまれだというふうに私は思います。副校長が常時授業をするというような状態にはならないというふうに、今の定数で考えるとですね、考えられるというふうに思うんですが、場合によってはそういったケースも出てくるというふうにとらえております。
○水岡俊一君 時間がありませんので、この論議は続けたいところなんですが、ここで終わりにしておきたいと思います。 ただ、学校現場としては、標準定数法の中で教頭は授業を持つことを算定に入れておりますので、そういった意味では、今教頭が授業を持っていないケースは多いかもしれませんが、これは学校現場、特に教員の立場からすると、これは授業を持っていただきたいなという思いが強いんではないかと私は思っているところであります。 そこで、鯨岡公述人に引き続きお願いをしたいんですが、鯨岡さんは、教師という職業、これは魅力的な職業であってほしいと、こういうふうにおっしゃっておられました。優秀な人材を集めることができるように望んでいるんだというお話がありました。鯨岡公述人としては、具体的に、例えばどんなことが優秀な人材を集める具体的な手段だと思われますでしょうか。
○公述人(鯨岡武君) なかなか難しい定義だとは思うんですが、それだけではないんですが、お給料の面できちんと配慮されているということは非常に誇りですね、教員をやっている中では。ですから、財政事情がいろいろ難しい状況は十分に理解できるんですが、そういったことで保障している形が続いていただければ有り難いなというのが願うところですね。 それから、やはり優秀な人材は、やはり教員の仕事が好きだということで入ってくる皆さんですので、そういった方々を他の職業に逃がさないというか、学校がしっかりとつかまえる、そういう採用であってほしいなというふうに思います。
○水岡俊一君 ありがとうございました。 今、優秀な人材を集めるためには給与という面も一つの考え方だろうということはおっしゃっていただいたんではないかなと思うんですが、そういった意味では、池田公述人にお伺いをしたいんですが、おっしゃっていただいた中に、めり張りのある教員給与体系という問題をとらえておられました。 めり張りのある教員給与体系とは一体どういうことを言うのかと私たちも考えてきたんですが、どうも政府の動きからすると、例えば教職調整額四%を一律に与えるのではなくて、与える人もいれば与えない人もいるというようなめり張りを付けるというようなことを言っているかのように私は感じるんですが、その点と、今、教員の優秀な人材を集めるという観点から給与を保障していくということと絡めて、池田さんのお考えがあればお聞かせをいただきたいと思うんですが。
○公述人(池田賢市君) めり張りと言われると、どうしてもみんな何か自分のが上がるようなイメージを思うかもしれませんけど、減ることもあるわけですよね。やっぱり給料減る可能性のあるのを体系化するというのは、やはり魅力ある職にはならないだろうということですね。やっぱり生活を支える基盤ですから、それはしっかりとやらなければいけないというふうに思っています。 教員ってやっぱりお金掛かりますよね、何だかんだで教員という仕事は。もちろん学校には予算が付いているとはいっても、学校のまた予算でいろいろ鉛筆買ったり画用紙買ったりもそれはいいんですけど、でもやっぱり、ある意味、これは先生という職業に就く人の性格もあるのかもしれませんけれども、自分で結構出してしまって、自分で割と教材を一生懸命工夫してみたりとかということもある。本来それはきっちりと学校予算でやるべきなんですけど、でもやっぱりそういうやる気というのを考える意味でも、やっぱり給料を保障しておくことはとても重要なこと、高めにやはり保障していくことが必要だろうというふうには思っています。 それと絡めて、優秀な人材ということですけど、先ほど私はお金だけじゃないなんという話をしましたけど、もちろんお金が大事じゃないというわけじゃないんですけど、特にやっぱり免許の更新制ですよね。すごく教員養成の現場にいて不安なんですよね。十年後にはどうなるか分からないという、学生の言い方をかりれば本当にそういうことが物すごく広がってしまっているんですね。そういう職業を本気で目指そうという学生が、じゃどこまで意欲を高められるかということなんですよね。 もちろん、十年後の研修でこういうことなんですよと、こういう基準でやるんだとか、こんな内容なんだと示されていれば、多分それは分かってくる部分もあるかもしれませんけど、単に運転免許の更新みたいな形でとなっちゃうと、それで職を奪われる可能性もあるとなると、そっちの不安が先に立ってしまうというのが現状ですね。
○水岡俊一君 それに関してなんですが、実は、私もインターネットを使って教員を志望している学生にアンケートを取ってみました。やっぱりそうすると、この法案に多少なりとも興味を持ってその中身を知っている学生になればなるほど不安感を持っているということが分かってきました。 池田さんのお話の一番最後のところにもございましたけれども、やはり教員養成課程を履修している学生がどういうふうに思っているかということを、今学校の教授という立場でお感じになっていて不安を提起していただいているのではないかと思うんですね。 今、教員の年齢のバランスから見ると、ここ十年の間に大半の、大半という言い方はおかしいですね、多くの教員が退職をしますので、新しい教員採用の時代を迎える大量教員採用時代を目の前にしているわけでありますが、そういった観点から、池田公述人の感じておられることがあれば教えていただきたいんですが。
○公述人(池田賢市君) 今でも、何というのかな、東京都辺りだと、小学校の採用試験がすごく易しくなってというのかな、倍率が低くなって、就職課なんかはねらい目だなんという変な言い方をするわけですけど、それでは困るのであって、簡単になれる職業であってもいけないという部分もあるし、そこは、単に就職先の一つでもあり、またそれはすごく大きな、市民形成というような意味では大きなことですので、しっかりと養成をしたいという感じはするんですよね。 そのときに、多分、ペーパーティーチャーという話をちょっと私出しましたけど、その辺りも採用計画の中に多分取り込むことも必要かもしれないというふうに思うんですよね。魅力ある職業として教師というのをアピールしていく。 卒業のときに免許は取ったんだけれども、いったん就職してとかあるいは研究者の世界に、大学院に行ってとか、でも、やっぱり年齢がたってきて自分も教員になってこんなことをという人ってたくさんいる、私の知っている大学院生にもいますけど、そういう人たちに今度は門戸を開いていくということ、いろんな経験を持った人たちですよね。だから、逆にペーパーティーチャーってすごくクローズアップされるんじゃないかというふうに思っています。
○水岡俊一君 池田さんにちょっとお伺いするんですが、民主党案についてはお読みをいただいたでしょうか、どうでしょう。イエス・オア・ノーで結構です。
○公述人(池田賢市君) しっかり読んでおりません。ごめんなさい。
○水岡俊一君 ああそうですか。 今回は、政府案三案、民主党案四案ということで、合計七法案を審議をするということでこれまで委員会審議を続けてきましたが、何せ七法案もあるということで、大変、すべてにわたって私たちも論議をすることがなかなかできていない状況ですので問題だなと感じているところですが、特に私が思っているのは、今池田さんのお話の中に、地方分権と逆行している部分が多いんじゃないかというお話があったように思うんですね。 それで、地方分権という観点からすると、鯨岡さんも地教委や学校の創意工夫がもっともっと生かされるようなそういったシステムを考えていくべきじゃないかというお話もあった中で、今ここで、この政府案三案の中で地方分権に逆行という観点からもう少し日ごろ考えておられることがあれば池田さんにお伺いをしたいんですが。
○公述人(池田賢市君) 行政的ないろんなシステムの問題というのをもちろん語らなければいけないのかもしれませんが、というよりも、ここでは、常に教育問題が具体的だという話をやっぱり中心に据えたいんですね、私の頭の中でもそうなんですけど。つまり、全国でそれは学力調査の問題もいろいろありますけど、実はそこも絡むんですけど、全国一律で何かとか、全国的なという視点も重要なときもありますけど、ただ、子供たちが抱えている様々な問題は常に具体的、で、その学校、その教室、その人間関係の中で起こっているわけですよね。そういうふうになってくると、より細かに、それを分権という言い方とはまた、少しは重なっているとは思うんですけど、教育委員会もなるべく細かい単位できちっと学校が見れるような形という意味で分権に絡むと思いますけど、しっかりと具体的に教育問題をとらえるという、で、具体的に改善策を考えるということがとても重要だというふうに思っています。分権化はそんなふうに理解をしています。
○水岡俊一君 じゃ、最後に一つだけ鯨岡公述人にお伺いしたいんですが。 道徳教材のことについてお話がございました。それで、水戸では「まごころ」という教材を作っておられて、それを利用して頑張っておられるというお話がありましたが、文科省は心のノートというのを強く使うように指導をされているように私は伺っておるんですが、それについてはどういうふうにお考えになっているでしょうか。
○公述人(鯨岡武君) その前に、前の質問には触れてはまずいですか。
○水岡俊一君 時間があれですので、まあ短ければ。
○公述人(鯨岡武君) はい、一言で。 大量採用の時代はすごいやつも入ってくると思います。ただ、その辺の十年間の中でどのようなその人たちが評価を受けるかという問題はやはりあるんだろうというふうに思います。 心のノートについてですが、文科省が一生懸命努力されて道徳をしっかり学校でやっていこうというふうな促しをしてきた事情というのはよく分かるんです。なかなか定着しないんですね。私は道徳は大事だと思っているんです。したがいまして、そういった意味でも評価をしております。
○水岡俊一君 ありがとうございました。 終わります。
○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。 本日はお忙しい中、公述人の皆様、大変にありがとうございました。貴重な御意見を賜り、心より感謝を申し上げます。 まず初めに、三人の公述人の皆様にお伺いをしたいと思います。 御案内のとおり、昨年の教育基本法の改正によりまして、新しい時代にふさわしい教育システムの構築を図るための今回の法改正でございます。子供たちにとってもより良い教育環境、また教師の皆様にとってもより良い教育環境を築くための法改正にしたいと思っておりまして、少し大きなテーマになりますが、三人の皆様にお伺いしたいと思いますが、この法案に関することでもそれ以外のことでも結構ですが、子供たちのため、また教職員のためのより良い教育環境づくり、今何が一番重要か、何を今しなければいけないか、それぞれのお立場で感じていることを、是非とも御意見をちょうだいしたいと思います。
○公述人(鯨岡武君) 教育環境は、やはり先ほど申し上げましたように、学校を支援していただける環境というか、温かい環境というのがやっぱり必要だと思うんですね、常に学校を攻撃的に批判的に見る人たちばかりでなくて。そうでないと先生方はやっぱり参ってしまうんですね。ですから、学校を取り巻く人々の環境というか、地域というか、保護者の皆さんというか、そういった方が、さっきボランティアの話を持ち出しましたけれども、そういった目で学校を見ていただくような、国全体がそういう雰囲気になっていただけると、マスコミの皆さんも含めてですね、応援していただくような状況ができれば本当に有り難いなというふうに思っております。
○団長(狩野安君) 池田公述人、よろしいですか。
○公述人(池田賢市君) すごく難しい問題ですけど、私のレジュメの一番初めにあった、私がどう学校をとらえているかというところの繰り返しになるかもしれませんけれども、ゆとりとそれから学力なんですけど。 ただ、ゆとりといっても、多分本当に文字どおり時間的なゆとりだと思いますね。本当に忙しいですよね。先生方も忙しいし、子供も忙しいですよね。そこを何とかならないかということです。授業時間を増やせば学力が上がるかどうかということもまだ分からないですしね。 例えば、これはよく学生にも話すんですけど、小学校とか中学校とか先生に指名されて何か答えなさいと言われたときに、果たして五秒間待ってくれた先生がいるかどうかといつも問い掛けます。──これ五秒ですね。済みません、時間のないところを。これだけ沈黙だと大体先生我慢できなくて、どうしたとか言い始めるのですね。五秒さえ考えさせてくれないのですよ。やっぱりそういうゆとりですね。それは、やっぱり教科書の問題もあるかもしれないし、カリキュラムの問題もありますけど、そんなまず時間的な、やっぱりゆっくり座っていられない、子供たちが、ゆっくり考えていられないというところを何とかしなきゃいけない、環境という点でいうとですね。 それから学力なんですけど、これは社会形成をできる学力ということで、単に知識を蓄積していくだけとなってしまうとこれはやっぱり慌ただしいですね。究極的にはパソコンでもできる話で、やっぱり学校でやらなきゃいけないのは、コンピューターには絶対できないことを、つまり知識をどう使うかということですね、それを一生懸命社会的な状況と絡めながら考えるという、そういう環境になってくれるととても良いなというふうに思っています。
○公述人(根本健一郎君) 私の住んでいる地区では、朝、帰りと年配の方が登校に付いていくんです、二人ずつ。朝は全部ですけど、帰りは一年から三年生、小さい方だけ迎えに行ってやる、そういうことをやっています。あと、夜は七時からですか、パトロール、これは夕方、まあ夜ですから、みんな近所の人たちがグループつくって自分の地区をパトロールするわけです。全部の家庭が分担してやるわけですね。そういうことをやっています。 何よりも私は、隣近所のそういう付き合いも今は希薄ですよね。ですから、学校が呼び掛けるか、まあ呼び掛けるといいますか、何か地域住民のそういうPTAとか、もっと子供たちに声を掛けるということをしていくことが大事かなと思うんです。もう全然知らんぷりで、今は車時代ですのでなかなかそういうところまで気が回らないかもしれませんが、擦れ違ったら声を掛けると、そういう、まあ中学生なんかはよくやっていますんですけれども、そういうことも大事かなと、そういう呼び掛けですね。そんなことを考えています。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。 今それぞれお答えいただいたところにも含まれるかと思いますが、やはり教育関係で何か問題がありましたときに、やはり学校や先生方に責任が求められるケースが多いかと思われます。教育に対して、また様々子供たちに対する問題や課題が起きたときに、やはり学校や先生方だけではなくて、家庭また地域一体となってこういったことに取り組んでいくことが大変に重要であると思っております。 そこで、先ほど荻原先生の方からも学校評価、地域を挙げて一緒に取り組む一つの方法として学校評価ということでお話ございましたが、それ以外に、例えば教育委員会の活性化も今回うたわれておりますが、それ以外に是非、家庭と学校と地域、これが一体となって教育に、また子供たちの教育に携わっていけるようなシステムといいますか、そういったものを構築していきたいと思うんですけれども、もし具体的にこういったことはできるんではないかとか御提案がありましたら、御意見をいただきたいと思います。
○公述人(鯨岡武君) 家庭、地域、学校という言葉はうたい文句のようによく言われるんですが、具体的に、今委員さんからお話ありましたように、一体何をやったらいいのかというようなことを問われたときに、それぞれの学校がやっていることが、地域の皆さんの行事に参加したり学校の授業を応援してもらったりというようなことが挙がってくると思うんですね。ですから、その辺のところを更に進めることで、よりそういった連携ができていくのかと、究極はコミュニティ・スクールのような形になるのかと、そういったところが今問われているんだろうというふうに思うのですが。 以上です。
○公述人(池田賢市君) いろいろ問題が起こると学校ばかり責任を求められてというのは全くそのとおりなんですけど、ただ、家庭、学校、地域の連携といったときに、それが単なる責任の分散にならないような形にしなきゃいけないだろうなというふうに思ってはいます。 ただ、それをどう回していくのかはすごく難しくて、むしろ、家庭、学校、地域の連携はもちろんなんですけど、その具体は難しいですが、何か問題が起こったときに教員に責任が集中しないように、教員のある種の、これは定数法ともかかわりますけど、教員の役割分担みたいなことでしょうか、何でもかんでも日本の学校の先生って、いわゆるしつけから学校のことから何でもかんでもですよね。外で子供が何かちょっと悪さしただけですぐ呼び付けられたりとか、どこまで面倒見ればいいか分からないという、その辺の整理から始めないと駄目かもしれないというふうに思っています。
○公述人(根本健一郎君) 神栖の場合には児童館というのがありまして、それは学校帰った後、子供たちがうちへ行っても親がいなくて独りぼっちだと、そういう場合に児童館の方で一緒に遊ぶ、そういう、これは市でそのように職員を配置してやっているわけです。時間も、ですから、その子供によって多少違いますので、親の方と連携を取りながらやっています。 それから、空き教室を利用して、これもこの間、茨城の方の新聞に神栖のあれが載りましたけれども、空き教室に放課後遊ぶ場所をつくってそこに集まって過ごすと、そういうあれです、放課後ですね。 ですから、方法的には、今具体的にやっているのはそういうことですね。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。 三人の公述人にお伺いしたいと思います。 先ほども少しお話が出ておりましたが、今回の法改正によりまして、副校長、主幹教諭、指導教諭、こういった職を置くことができるとなっておりまして、これは学校における組織運営体制や指導体制の確立を図ること、これが一応目的となっております。 しかし、こういった役職が配置をされてそれぞれの責任が明確化されたとしましても、学校の最高責任者であります校長先生がしっかりとリーダーシップを発揮して指揮を取っていかなければ、幾らこういった職を置いても機能しないのではないかと思っておりまして、今、様々学校の抱える問題や課題もありますし、そういったことも踏まえた上で、これから更にこの校長先生の役割が重要になってくると思いますが、是非、三人の公述人の皆様から、これからの校長先生の在り方といいますか役割について御意見をちょうだいしたいと思います。
○公述人(鯨岡武君) ちょっと考えがまとまらないんですが。 やはりその職責を得たから校長さんが務まるということではないと思うんですね。人間性そのものだと思うんですよ。ですから、自分の持ち味というか、そういったものを出しながらリーダーシップを発揮していく優秀な人材をしっかりと校長に就けると、そういう登用の制度ですかね、それをやっぱり更に一層確立していかなければならないのかなというふうに思うんですが、副校長それから指導教諭ですか、これは置くことができるわけですから、それぞれの採用権というか人事権を持っている県がどのように判断するかという問題が問われてくるんだろうというふうに思います。
○公述人(池田賢市君) 今後の校長の役割ということですけど、多分、私の先ほどの発言にも言ったんですけど、教育はチームで動くもの、教育チームという考え方が大事だと思うので、まあチームリーダーと言うのかどうか分かりませんが、ともかくみんなの話を聞くということですね。で、協力してやっていくということでしょう。リーダーシップというのは、単に校長がこう決めたらみんなそれに従うという意味のリーダーシップではなくて、チームで動くという発想を取るべきだろうというふうに思っています。 以上です。
○公述人(根本健一郎君) よくホウレンソウと言いますが、職員間で何かあった場合の報告、あるいは連絡、そして相談と、これはやっぱり一番の、心掛けるべきではないかなと。たとえ小さなことであっても報告をすると。やっぱりそれがもとで大変なことになる可能性はあるわけですよね。 それから、もう今はないかと思いますが、結局、自分が子供に対して、担任としてやっている場合あるいは部活でもそうですが、自分が責任を持つというそういうことから、まあこのくらいは大丈夫だろうという、やっぱりそういう気持ちになりがちですね。自分の恥でもあるし指導が悪いからと、そういうことがなく、何でも相談できるそういう上司であればいいんじゃないかなと。 そういうホウレンソウ、報告、連絡、相談と。そして、職員みんながやっぱり、お互いもそういう学年同士のあれもそういうふうにやっていくという一つの姿勢を、まあこれは一つの方法ですけれども、どうかなと思います。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。 では、最後に、池田公述人にお伺いしたいと思います。 今回の法案で、指導が不適切な教員の人事管理の厳格化ということで盛り込まれておりまして、任命権者が教育や医学の専門家また保護者などの意見を聴いて、指導が不適切な教員の認定を行う、このようになっております。ここは是非しっかりと公平性、しっかりと、これが重要になってくるかと思いますけれども、この点に関しまして御意見を最後、お伺いしたいと思います。
○公述人(池田賢市君) ありがとうございます。 その不適切かどうかはすごく、まあ専門家がいるのかどうかも実は分からないんですけど、すごく難しいということなんですよね。つまり、ある子供にとってはすごく嫌な先生でも、ある子にとってはすごくいい先生ということは本当にごく日常的にあることで、ですから安易には決められない。ただ、現場には本当にこの人向いてないというような人がいるのも確かだと思うんですよね。そこの見極めは物すごく慎重にならなきゃいけないし、そのときに、専門家というよりも、むしろ、何というのかな、同僚性というのかな、同僚の教員がどう見ているのか、ただ、そこをあんまりやると、またいじめみたいな構造になってもいけないとは思うんですけど、いろんな観点を用意しないとまずいというふうに思っています。 ちょっと短いですけど、以上です。
○鰐淵洋子君 三人の公述人の皆様、本日は大変にありがとうございました。 以上で終わらせていただきます。
○団長(狩野安君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、長時間御出席をいただき、また貴重な御意見を賜りまして誠にありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。本委員会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手) 以上をもちまして参議院文教科学委員会水戸地方公聴会を閉会いたします。 〔午後四時四十九分閉会〕 ─────・───── いわき地方公聴会速記録 期日 平成十九年六月十二日(火曜日) 場所 いわき市 いわきワシントンホテル 派遣委員 団長 委員長 狩野 安君 理 事 中島 啓雄君 理 事 蓮 舫君 荻原 健司君 水岡 俊一君 鰐淵 洋子君 公述人 前福島県石川郡 石川町教育委員 会教育長 吾妻 幹廣君 「わたなべ英数 塾」塾長 渡辺 稔君 元教員 中島 啓子君 ───────────── 〔午前十時四十五分開会〕
○団長(狩野安君) ただいまから参議院文教科学委員会いわき地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします文教科学委員長の狩野安でございます。よろしくお願い申し上げます。 まず、私どもの委員を御紹介いたします。 私の右隣から、自由民主党の中島啓雄理事でございます。 同じく自由民主党の荻原健司委員でございます。 公明党の鰐淵洋子委員でございます。 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の蓮舫理事でございます。 同じく民主党・新緑風会の水岡俊一委員でございます。 以上の六名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 前福島県石川郡石川町教育委員会教育長吾妻幹廣公述人でございます。 「わたなべ英数塾」塾長渡辺稔公述人でございます。 元教員中島啓子公述人でございます。 以上の三名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案、日本国教育基本法案、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上七案の審査を行っております。本日は、七案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を賜るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の七案審査の参考にしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、吾妻公述人、渡辺公述人、中島公述人の順序で、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、吾妻公述人にお願いいたします。吾妻公述人。
○公述人(吾妻幹廣君) 御指名をいただきました吾妻幹廣でございます。 本日の七つの案件から、政府提出の教育三法に対して賛成の立場で意見を述べさせていただきます。 それでは、最初に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正について意見を申し上げます。 今日、私たちは、いろいろのひずみを抱えながらも平和で豊かな暮らしを享受しております。我が国の現在の繁栄に対して教育界が果たしてきた役割は非常に大きいと言われておりますが、その日本の教育を地方で支えてきたのが教育委員会制度であります。 この教育委員会制度は、戦後六十年の流れの中で幾度かの改正を行い、時代に合わせた改善が図られてまいりました。しかし、従前より教育委員会のマンネリ化、形骸化など、問題点を指摘する声が続き、制度の活性化を促す声が年々高まってきた中で、近年になって、地方分権改革推進会議や地方関係団体の一部から、活性化論を飛び越えて教育委員会制度の任意設置論や廃止論が唱えられるようになりました。 このような声に反応した形で、平成十六年に文部科学大臣より中央審議会に対して、「地方分権時代における教育委員会の在り方について」の諮問がありました。その答申内容は、現行の制度を維持しながら制度の活性化を図るべきで、制度の廃止、任意設置論は少数意見ということでありました。 続く翌年、平成十七年の中央教育審議会の答申、「新しい時代の義務教育を創造する」の中でも、教育委員会制度については、教育における政治的中立性や継続性、安定性の確保などの観点から、すべての地方自治体に設置する現在の枠組みを維持することが必要であると述べられております。 それでも、なお一部で教育委員会の廃止、任意設置論が唱えられる中で、昨年の後半に一連のいじめ問題や必修科目の未履修問題が発生いたしました。そこでの学校や教育委員会の不手際ともいうべき反応の遅れや適切とは思えない取組に対して、厳しい批判の声が沸き起こりました。このような事件や案件が発生した場合、だれが、どこの機関が、どのように対応すればよいのかという議論が沸騰する中で、教育委員会に対する責任追及の声がひときわ大きく広がり、また一部には、国の指導性について言及する声もありました。 しかし、だからといって教育委員会は不要であるという声は余り聞かれず、むしろ教育委員会にもっとしっかりしてほしい、頑張ってほしいという叱咤激励の声が圧倒的で、トータルな国民感情としては、教育委員会の充実強化と国の指導性に対しての期待感が大きいと私は感じ取りました。 さて、このたびの地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正についてでありますが、そのポイントの一つは、冒頭に地方教育行政の基本理念を明記するとともに、各条文の中で教育委員会の組織や事務の委任、教育委員の服務など、新たに具体的な在り方を示すことによって教育委員会の責任体制を明確に打ち出していることだと思います。 また、教育委員会の共同設置や市町村教育委員会への指導主事の設置、さらには、教育委員選任において保護者選任の義務化、そして、文化、スポーツ事務の首長担当を可能にするなど、弾力的な対応を含めて体制の充実を図るための理念が明確に示されていると思います。 教育委員会の必要性と重要性を明確に打ち出したこのたびの改正案は、教育委員の意識改革に強く影響を与えるとともに、高い意識と責任感に支えられての教育委員会の積極的な行政執行によって、我が国の教育全体が大きく飛躍することを心から期待するとともに、一部に残る教育委員会不要論に終止符が打たれることを願っております。 二つ目のポイントは、教育における国と地方との関係であります。言うまでもなく、教育という営みは、特に義務教育においては、地域の実態を十分に踏まえて、実施主体である地方公共団体や学校が主体性と責任を持って、地域に根差した特色のある教育を進めるものであります。 それに対して、国は国としての基本理念の下に、教育の機会均等や水準確保の保障を基本として、教育の最終的な責任を担っており、その意味から、適切な指導と助言を行うという関係の中で、国と地方がそれぞれに主体性と責任を全うし、お互いに連携、協力の関係を保ちながら、教育の進展を図っていくものと考えております。 こうした関係を踏まえた上で、今度の改正案では、教育委員会に著しい法令違反や怠りがあった場合、生徒の教育権や生命を保護する意味から、また最終的な責任は国が担うという立場から、文部科学大臣が是正の要求や指示ができるとしたことは誠に当を得たものであると考えております。 三つ目は、教育委員会の自己評価についてであります。教育委員会がその権限に属する事務の管理や執行の状況について点検、評価を行うことは、教育委員会の活性化を図る上で大きな意味があると思います。しかし、その対象と内容、方法についてはやや不明確な面があり、今後の具体的な実施に当たっては慎重な対応を望みたいと思います。特に、評価結果の議会への提出と公表については、教育委員会制度の特徴とされてきたレーマンたる教育委員の在り方と、本改正案に新たに明記された教育委員の服務との関連を踏まえて、十分な研究が欲しいというふうに思っております。 次に、学校教育法の改正案について所見を申し上げます。この法の改正で目に付きますのは、学校の種類ごとの目的及び教育の目標等についての見直しが行われたことであります。 新たに設定された義務教育の目標は、昨年改正された教育基本法の理念に基づき、学校教育の場において指導の指針となるように法として位置付けたものと思います。規範意識や公共の精神の欠如、伝統と文化や生命の尊重など今日的な課題とともに、芸術や運動、家庭生活や読書など幅広く盛り込まれており、大変適切な内容であると思っております。これらの目標を受けて学習指導要領の改訂が行われ、学校教育の一層の改善が図られるものと期待いたしております。 二点目は、学校評価と情報提供についてであります。この点については既に学校設置基準に基づいて多くの学校が実施をしているところでありますが、今回、教育関連法の中核を成す学校教育法に位置付けられたという重みは非常に大きいものがあると思います。このことによって、評価における科学的手法の開発や評価の結果を生かした教育の展開など、今後の実践に大きな期待が持たれると思います。 三点目は、副校長その他の新しい職の設置についてであります。学校教育は、一人一人の教師の責任の下に、学校現場を中心にして教師と子供との間に成立する行為であります。それと同時に、公教育として、法令や様々な基準に基づき、さらには教育関係機関の指導、助言を受けながら行われるものであります。また、学校という一つの組織体として、校長の指揮監督の下に意図的、計画的、組織的に行わなければなりません。これらのことを踏まえた上で、今日、ますます複雑多様化する教育課題に機敏に対応するためには、組織を有効に機能させることが重要であります。改正案に示された副校長、主幹などの新しい職の設置は時代の要請にマッチしたものであり、これによって学校としての組織基盤が明確になり、各教職員の役割分担と連携協力の下に学校教育が活性化されるものと期待をいたしております。 次に、教員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する件についてでありますが、時間の関係で簡単に所見を申し上げます。 教育は人なり、これはどなたもおっしゃる言葉ですが、私もいつもそのように思っております。良い先生がいて初めて良い教育が実現するのだと思います。しかし、いかに良い先生でも、社会構造が激しく変動し、物や心の価値観が大きく変化する中で、地域や保護者の多様な要望など、すべての期待にこたえられる教員であり続けることは大変なことであります。そうあるためには、子供に教えること以上のエネルギーで勉強に励む教師でなければならないと思います。そうしたことを考えたときに、改正案に盛り込まれた更新制度は、十年に一度、免許更新のための研修を受けることによって教員としての最新の知識や技能を修得できるすばらしい機会になると思います。 マンネリ化しかねない勤務校での校内研修から抜け出して、大学で、場合によっては母校で、十年周期の経験を踏まえ、初心に返って研修を行うことは非常に意義が深いと思います。この免許更新の研修を乗り越え、自信と誇りに満ちた先生方によって生き生きとした教育活動が実現することを心から期待したいと思います。 最後に、せっかくの機会ですので、文教科学委員の皆様にお願いをいたしたいと思います。それは、教育予算の拡大に是非とも一層の御尽力をいただきたいということであります。いかに望ましい法案が成立しても、立派な理念や施策をうたい上げても、財政的な裏付けがなければ何も始まらないと思います。 例えば、学校教育法の副校長、主幹、指導教諭などの新しい職の設置では、定数改善の措置が伴わなければなかなか成果は期待できないと思いますし、地教行法の指導主事を市町村に設置する件については、設置したくても国からの援助がなければ財政的にそれができない町や村が全国にたくさんあるのが現状であります。 資源を持たない我が国が厳しい国際社会を生き抜いていく道は、将来を見越した人材の育成を図ること、教育立国を目指すことだというふうに思っております。 平成十二年にノーベル賞を受賞した白川英樹博士は、数年前、国の将来と予算についてこのようなことをおっしゃっております。どんな芽が出るか分からない種をまくこと、すぐには実りが期待できない、実るかどうかも分からない研究のために国が予算を組むことができるかどうかだということでありました。 どうか望ましい教育予算の獲得に御尽力をお願いをいたしまして、私の意見陳述を終わります。 ありがとうございました。
○団長(狩野安君) ありがとうございました。 次に、渡辺公述人にお願いいたします。渡辺公述人。
○公述人(渡辺稔君) それでは、私の方からは、民主党さんで提出されましたいわゆる学校教育力の向上三法案を中心に意見を述べさせていただきたいと思います。お手元にごく簡単なレジュメを作ってまいりました。それを参照しながらお願いしたいと思います。 まず、この学校教育力の向上という言葉を、私、あえて学校の失地回復、いわゆるレコンキスタというんですか、学校が現在置かれている状況をかんがみるに、正に民主党さんが提出された法案は学校の失地回復のための法案であろうかというふうに考えまして、そのように言い換えて、それを前提にまず基本的な立場を一言申し上げてから、各法案の何点かについて述べさせていただきます。 レジュメの中には三つほど書かせていただいたんですが、時間の関係もございますので一つだけ申し上げますと、いわゆる学力を、これは広い意味でも狭い意味でもそうなんですが、学力の保障を第一義的に目指すべきである。要するに、しっかり学力を付ければ、世間の皆様、保護者の皆様も学校のやっていらっしゃる仕事に対してまず納得されると思うんですね。昨今、ゆとり教育であるとか生きる力であるとか、どうも抽象的な概念だけが先走りして、それに踊らされている。そういう状況を考えますと、私はずばり、広い意味でもそうなんですが、あるいは教科の学力も含めて、学力の保障を第一に目指すべきではないだろうかというふうに考えます。こうした基本的な立場を前提に、それぞれの法案について何点か申し上げたいと思います。 まず、いわゆる新免許法ですか、教職員の資質及び能力の向上のための免許の改革に関する法律案ということなんですが、基本的に賛成の立場で申し上げますが、確かに昨今、冒頭の基本的な立場云々でも申しましたように、現在、学校及び学校教職員のアイデンティティー、これが揺らいでいるというふうに申し上げてよろしいんじゃないかなと思います。 学校への理不尽な要求であるとか、場合によっては非常識なクレーム等々が学校の先生方の士気を低下させ、アイデンティティーが揺らいでいる。そうした中にあって、教職員の免許取得の教育を大学院、いわゆる修士課程まで延長して学部と合わせて六年間の養成をすると。これは、高い専門性を持つことによって、そうした種々の問題に適応できる高い位置から保護者あるいは社会にアピールする、そうしたまず一つの関門になろうかと思います。 レジュメにありますように、昨今、多くの保護者たちも大学なりの学歴を持った方が非常に多くなっております。そうした中で、教師の学歴とのアンバランスを是正するといった観点からも一定の価値を有するのではないかなというふうに考えました。 ただし、これは幾つか問題点もあろうかと思います。それは学部と合わせて六年間という期間、これは教師になるために非常に長い期間が従来より必要とされる、あるいはそれに伴って大学の学費なども相当大きな負担を強いられる、そうした状況が生じることはもうどなたでも推測できるかと思います。 私は、それを解決するために、レジュメには見返りというふうにだけ書いたんですが、これ財政的な裏付けがなくてはいけないわけですが、高い給与体系であるとか、あるいは高い社会的な地位であるとか、そうしたことを保障する裏付けがあってこういった改革をするならば一定の意味を有するのではないかというふうに考えます。 ちょっと時間が押していますので、もう少しあるんですが、この点についてだけ申し上げて次に移りたいと思います。 レジュメの二ページ目になりますが、これは自民党さんも提出なさっています免許の更新若しくはそれに伴う講習の件についてでございます。 私たち外部から学校さんを拝見していて、やはり制度的に学校の教師の方々が勉強なさる機会というのが圧倒的に不足しているのではないかと、こういう印象を強く持っております。そういった意味で一定の賛成の立場を持つわけでございますが、先ほど吾妻公述人も教育委員会の件でおっしゃいましたように、やや形骸化してしまう可能性もあるのではないかという危惧はぬぐい切れません。 なぜかといいますと、教師、学校の先生が非常に忙しい仕事を毎日強いられている、この現状の中でやっぱり負担感が相当あるのではないか、ある意味では心理的にもそうですね。そうした中で、一方で、従来も個人的に一生懸命熱心に勉強されている先生もいらっしゃることも、もちろんこれ事実なんですね。そうした先生たちにとっては、場合によってはもう負担でしかないということも起こり得るのではないか。ですから、十把一からげに全員が全員に同じような講習、研修を行うということ自体はどうも疑問符が付くのではないかというふうに考えました。 そこで、ささやかな提案でございますが、例えば昨今、企業などのOJT教育の一つとしてブラザー制とかシスター制というふうに呼ばれている、言ってみればマンツーマンで、学校の場合ですと、経験のある中堅以上の教師とあるいは若い先生がペアになってずっと仕事をともにする、こういったOJTの一つを取り入れることによって学校の、特に若い先生たちの職業的なスキルを涵養することが可能になるんじゃなかろうか。 あるいは、もう一つは研修になるわけですが、レジュメにございますように、若年の先生方については、比較的現場に根差したような教授法であるとか心理学であるとか、そうした方向からの研修をしていただく。他方、中堅あるいはベテランの先生については、教育学であるとか教育思想であるとかあるいは社会学であるとか、そういった方向からの研修にウエートを置いてやっていくであるとか、ややこれは民主党さんも自民党さんも具体性に非常に欠けますので、私は抽象論でしかないなという印象を両法案について強く持ったんですが、こういった具体的なところをもう少し盛り込んでいかれた方がよろしいんじゃないのかなというふうに感じました。 ちょっと時間が押していますので、次の地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案、こちらについて申し上げたいと思います。 主に教育委員会についての法案でございますが、民主党さんでは教育委員会を廃止と言ってよろしいんでしょうか、廃止して、教育監査委員会なるものを新たに設置すると。ただ、これは私は、これも先ほど吾妻公述人がおっしゃいましたように、現在の教育委員会も、仮に新たにこの教育監査委員会なるものをあるいは学校理事会なるものを設置したにしても、どうも法案の文面からは抽象論でしかないなという印象はぬぐい切れません。 じゃ、どうすればいいのかということを一点のみ一つの例として申し上げれば、やはり教育責任を教育委員会なり教育監査委員会がもっと具体的なもので持つこと。例えば、昨今、いろんな事件、事故がテレビ、新聞等をにぎわせておりますが、私たちから見ていると、何かあるとすぐに学校の校長先生なりがテレビの前に引き出されて、そして直接の責任がないように思われるようなケースにおいても学校長などがテレビの前で汗をふきふき弁解すると、こうした印象が強く持たれているんじゃなかろうかと思います。 そうしたケースについては、やはりこれは教育委員会なり教育監査委員会なりがきちっと前面に出て説明責任なりを果たすと。なぜならば、それを見た世間の方々、保護者たち、あるいはもっと危惧されるのは子供ですね、子供が、校長先生が一生懸命、弁解のようにならざるを得ませんね、そうした風景を見るにつけ、これが一体教育的にいかなる負の効果をもたらすか。そういったような点において、具体的に教育委員会なり教育監査委員会が責任をきちっと峻別して、そして学校の校長先生以下にはもう直接子供たちに、毎日の職務に向き合ってもらう。例えば、そういった点において具体的な責任体制を考えていくべきではないのかなというふうに常々感じております。 そして、最後になりますが、三番目の教育環境整備法案についてでございますが、これについてもやや辛口の意見で大変恐縮なんでございますが、これも民主党さんの案始め自民党さんも、従来より当然視されていることがうたわれているのみで、私は非常に正直言ってがっかりいたしました。改めて提示されるべきものでもないものばかりですね。 そういう中で、レジュメの中にやはりささやかな二、三の具体例をもって御提案申し上げたいんですが、例えば教職員の転任の期間、私は詳細はそれがどのように運用されているのか知り得ませんが、少なくとも従来よりも長い期間一つの勤務校に勤務していただく、理想としては私は、一つの学校に生涯教職員としてお勤めいただく。 なぜならば、やはり教職員の方たちがその地域あるいは子供とか保護者に対してもそうですが、数年あるいは十年程度でしょうか、これで任地を転々とされる、それは一つの教員としての資質の向上につながるという部分ももちろんあろうかとは存じますが、やはり地域への愛着であるとか、子供に対する保護者に対する責任であるとか、あるいは人間関係であるとか、非常に持ちにくい状況。私は実は小さな塾を経営しておりますが、私たち小さな塾は一生涯その場所にとどまって、御近所付き合いをしながら、毎日買物で顔を合わせたり、そうした中でお子さんをお預かりして、保護者の方、地域の皆様と信頼関係をつくっていけているなという側面。それと比較するに、学校教員の皆様がどうも先ほど述べたような点においてやや問題が残るかなと、そのように常々感じております。 もう一つは、小学校についてなんですが、御承知のように小学校の先生は、多くの場合は学級担任で多くの教科を一人で子供たちに教えると、こういう体制を取っておりますね。しかし、私たちは、やっぱり塾の現場から見聞きあるいは感じるに、どうも小学校の先生たちの、大変失礼なんですが、指導技術、教授技術が非常に弱いなと、劣るなと、これを非常に強く感じております。その原因が、今述べたような、要するに多くの教科をお一人で担当されている、こういった現状が背後にあるのではないかなというふうにやはり常々感じております。 そうした観点から、これも財政的な裏付けが必要なわけで、その点については今日申し述べることはできませんが、教授技術を教科を分担することによって、ただ、中学校、高校のようにすべての教科を教科担任にする必要はないと思います。少なくとも、例えば理系と文系の教科で二人の担任の先生が一つのクラスを担当すると。例えば、理系の先生が算数の授業をやっているときには、文系担当の先生がチームティーチングで子供たちのサポートをすると、例えばですね。そういったシステム、環境を画策してもいいんじゃないかなというふうな、そういうことも日常的な我々の現場から見えることとして申し述べたいと存じます。 ということで、こういったことを総合すれば、冒頭に述べましたように、要するに子供たちに広い意味での、それは生きる力とも言い換えることができるかもしれませんが、学力保障というふうに申し述べました。それが、社会全体の皆様から、学校、よくやっているなと、それがまず早道だと思いますね。そういった意味で、ささやかな提案を含めて意見を述べさせていただきました。 ありがとうございます。
○団長(狩野安君) ありがとうございました。 次に、中島公述人にお願いいたします。中島公述人。
○公述人(中島啓子君) 御指名いただきました中島と申します。今日は、貴重な時間にこのように意見を述べさせていただくチャンスをいただきまして、深く感謝申し上げます。ありがとうございます。 私自身は教員を八年間経験させていただいて、その後、主婦業ということで、子育て中心に専念して二十数年になります。もう既に子供は仕上げて、様々な観点でPTAの、幼稚園、保育所、小学校、中学校、高校と、あらゆる立場で先生方とより多く語らったり、様々な事件、事故を通しながらも、ともに子供たちを見守ってきたという私自身の身近な生活体験の上から、今回送られた何か膨大なる資料を初めて、ポストに入っていたので、もう一生懸命夜な夜な、短期間ですけれど読ませていただきまして、本当に久しぶりに教員を目指したときの気持ちと、これから私自身のできる立場で何かまた恩返しをしたい、そんな思いで子供たちのことを通しながら語らっていきたいと思いますので、プロの先生方の前では本当に申し訳ないんですけれど、よろしくお願い申し上げます。 今回の法案をしっかり読ませていただいた中で、私自身も学生時代から、教育委員会制度のことは四権分立という卒論を国会図書館に通って書いた経緯もございまして、地方に来てこのいわきの地で、非常に、教育委員とか教育委員会というものの権力という言い方はおかしいんですけれど、存在が非常に薄いんだなということは常々感じてまいりました。 この法案の中にあったんですけれども、特に教育委員会制度に関して、今回、様々な会派の各党の方々の御意見があったようですけれど、教育委員を選ぶその中に保護者は入らなくても入ってもいいというような今までの法案だったのが、今回の改正案の中には保護者の選任を義務化するという、そういう内容がこのいただいた資料の十八ページにも載っておりました。 今回、市町村においても道府県においても保護者を教育委員に入れていたところが二割も行かなかったという、特に、さらに女性の占める割合が非常に薄かったという、そういう実態をこの資料の中から読ませていただきまして、今回の教育委員会制度の充実という一点においては、もうこの保護者を必ず入れる、今このときに子供たちにかかわっている親御さんが入るという、また実際、子供との間に入って悩んでいる女性が入るということの意味合いというものを非常に強く感じてこの資料を読ませていただいて、この法案が更に前進されることを一つ願いました。 もう一つは、学校教育法等の一部を改正する法律案に関してでございますが、今回、副校長制という制度が教頭と兼任される場合もあると。ただ、先生方が、もう一人だれか副校長先生がプラスワンになるのではないというのはこの中に入ってはございましたが、私自身も、子供たちが中学校で校長先生の置かれている立場を、本当に遅くまで一つ一つのいじめ問題、父兄からの問い合わせ、七時、八時まで校長室で父兄と役員とを集めながら丁寧に対応してくださった校長先生のお姿を見ますと、本当にこの校長先生を補佐する方だれかいないんでしょうかというような思いで見ていて、校長先生の頑張りを拝見してまいりましたので、この副校長制というか、校長に準じた仕事ができる立場を、教頭先生とはまた別な意味で今回取り上げたことに対しては賛成を非常にしたいなと思います。本来なら、人事面でもこのプラスワンの、今までの先生プラスワンでまた副校長先生がいれば本当はもっとよりスムーズにいくのかなと、そんな思いでこの法案を読ませていただきました。 この資料の中の六十八ページにも出ていたんですが、私自身が、同級生とか様々に一緒に教員やっていた同世代が、ほとんど今、校長、教頭、管理職で仕事をしている人もございます。しかし、最後まで私は平で行くと、そういう信念の下に退職まで教室から離れないと、そう頑張っている資質の友人もおります。 じゃ、どこで管理職と、最後まで平で行くんだというのを決めたのかというのは、やっぱり家庭的な問題と、御主人とか奥さんの理解がないと管理職は務まらないとか、そういう背景があって、四十代前半ではどっちのコースを取るかを大体選んだんだと、そんな学生時代の友人との語らいもあり、今、一つの問題は、管理職に行くコースにおいて、学校の先生を何年やって教頭試験を受け、校長試験を受けた人が採用される、全部が全部では管理職にそのまますぐなるわけではないと思うんですけれど、その管理職コースに行く方々と、最後まで現場の教員でいたいという、それでも経験があって優秀な先生方が、給料体系も含め、管理職になった方と最後まで平の方は途中からの給料体系が全然違ってきますね。 しかし、保護者の方からすれば、本当にベテランの先生が一生懸命やってくださっている、まあ教頭先生は事務職で給料が上がっている、だけど、同じ以上に力を、頑張っているベテランの先生への優遇措置は何もないんだなと、それを非常に実感しております。そういう意味においては、教職員のキャリアというか、実績というか、頑張ってきたそういうベテランの先生方への配慮というものも非常に大事な励みになるというんでしょうか、そういうような思いであります。 私の知っているある担任してくださった先生なんですが、私はもうプールに入って指導をできる体でなくなりましたと。それで、六十歳定年を何年か前にして教職を退職された先生がいらっしゃいます。非常に惜しまれながら退職されました。後で聞いたら、やっぱり水の中の、プールに入って低学年の子、五年生の子を教えなきゃならない、もういい先生でいることができない、後で体に支障が付いて迷惑が掛かる、そう言われて、だれからも言われることなく退職届を出したんですと。それを伺ったときに、まあ見事といえば見事というか、自分の教員魂を最後まで貫いて退職なさった先生、それがいいかどうかは別といたしましても、そういう心意気で現場をしっかりやってくださった先生がいての今の子供たちがあるんだなと、そんな思いで一杯でございます。 ですから、管理職コース、また教職員のそのまま現場でのコース、それに対する優遇措置に関しての配慮は是非国の方でもお願いしたいなと思います。 もう一点、副校長制のことが出ておりましたが、校長先生の存在においても、他国においては、非常に専門性が今、ただ先生を何十年やったから校長先生になるというときではない、高校とか中学もそうなんでしょうけれど、非常に高い専門性を問われる、それが校長職になってくるんではないか。ほかの国では、教育学博士みたいな相当高い学識と見識と経験を持った方々が大体校長になるんだという、そういう先進国の話も伺いまして、日本においても、また我が地元においても校長先生の存在そのものが、先生から上がっていくだけではない、またいろんな意味の校長職への存在も大事かなと、これは私個人の意見でございます。 あと、今回、教職員免許法及びこれらの一部を改正する法律案の中で、免許更新制度のことを先ほどのお二人の先生もお話しになっていました。私自身も現在はペーパーティーチャー、免許証だけ持っている教員になります。十年、十年の更新を受けないと、免許証だけ持っている先生はなかなか復職するチャンスがなくて、そのまま、やりたくてもいかなかったという先生方が、結局、この免許更新制度は教職に戻る気持ちがある方は受けるようになると思うんですけれど、なかなかこの更新制度ができたときに壁が大きいのかなという気は、若い、今、子育てをして学校の先生を辞めていわきに来た方々からは声が聞かれました。 今回も、この更新制というか、十年、十年、どの職場でもそうですけれど、教員になったら一生公務員だ、これで安泰だという、そういう時代の時の流れも私たちの職場でもありました。しかし、本当に子供の幸せのために、具合が悪い、体の調子がこうだ、ああだという様々な中で、子供と一〇〇%向き合えないときは休職をしたり、また、中にはお辞めになる方もいらっしゃいました。三年以上休職しますと、なかなか復職ができません。ですから、逆に言えば、再度雇用の、辞められて何年、五年、十年たって家族のことが落ち着いて、また再びその経験を現場の教員としてやりたいといったときには、県の採用試験が、やっぱり年齢の上限というのがたしかあるかと思います。 そういう意味では、非常にもったいない先生方もたくさん、現場にはいらっしゃらなくて地域の中でいらっしゃることを私自身も知っておりますので、どうかベテランの、再雇用のことも含めてこの免許更新制、そして採用試験に対しても門を大きく開いていただくような、そういうチャンスがあってもよろしいんではないかなと思います。 最後ですが、今、中学校等々でも、私も一生懸命昨日読んだんですが、講師と言われる臨時職員というんでしょうか、正式の採用試験の先生ではなくて、採用試験を落ちたけれども学校に講師として勤めていらっしゃる先生方が、特に中学ぐらいですとたくさんいらっしゃいます。その先生方は部活の正式な部長もやります、クラス担任もします、責任も取らせられます。しかし、給料とかいろんな意味での扱いは非常に臨時的な立場です。中には、たった一人の無責任な講師の先生がある日突然辞めると言って、受験を前にした学校、生徒には大変迷惑を掛ける、中にはそういう先生もいらっしゃいますけれども。 しかし、一生懸命部活をやり、頑張っている先生が、その頑張っている時期の七月というのが採用試験のテストのときにあるんですね。そうすると、一生懸命の先生が必ず落ちるというんです。私どもも父兄で行ったときに、先生、大会の方は父兄とあれで何とかするから、採用試験の方、勉強頑張ってくださいと言ったんですけれども、もう大会のたびに朝から夜中まで子供と向き合い、土日は試合に行って、結局、採用試験は何回か落ちている先生もございます。だけれども、本当に生徒からも父兄からも慕われている先生がずっと講師でいることが、何かすごく納得いかないものがございます。 そういう意味では、一生懸命学校で実績を積まれた、採用試験はなかなかペーパーの方では合格していない先生でも、実績を積まれたそういう講師の先生方の本採用への道をまた何かできないものかなと、これはたくさんの父兄を代表しての意見でございます。 今回、これを中心にお話を述べさせていただきましたけれども、私たち自身も母親として、子供と学校と地域と向き合ってございました。非常に教育熱心な地域のお子さんはやっぱり事件、事故が少なく、登校拒否も少ないという私どもの身近な体験でございます。そういう意味では、地域みんなで、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなで子供たちを見守って、往復も旗振りもみんなで声掛けて、おなかすいている子には食べていきなって、そう言いながら、私たちの見える範囲の中での声掛けをして、我が地域も今楽しく子供たちを見守っていく運動が少しずつ広がってきております。 そういう意味では、どの小学校、中学校、高校ももう一歩開かれた学校として、どうか地域にも、たくさんマイナスの人間、私ども含め、いるかもしれませんけれども、もう一歩垣根を低くしていただいて、地域の方々との交流、また子供たちをみんなで見守る。遅くに集まって外泊をして、たばこを吸っていたり、いろんなことを地域はみんな見ております。親が手を付けられない、そういう一つ一つに対しての学校運営の中でもう一歩、門を出たら親の責任、我が学校の門を出たらあんたの責任というのではなくて、もう一歩溝を埋めながら、みんなで子供たちが幸せになっていくような道筋を学校運営の方でも検討していただきたいと、それが私どもの切なる願いでございます。 今日は本当に貴重な時間、ありがとうございました。
○団長(狩野安君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○荻原健司君 自由民主党の荻原健司でございます。 三名の公述人の皆様、大変お忙しいところ、大変貴重なお話を伺うことができまして、ありがとうございます。 早速でございますけれども、まず三名の皆様に、教育委員会制度についてそれぞれ御意見もいただいておりますので、まず教育委員会制度の在り方についてそれぞれお伺いをしていきたいと思っております。 まず、吾妻公述人と渡辺公述人、お二方には、教育委員会制度の中で、特にこれまでいじめの問題であったり、又は未履修の問題の中でなかなか教育委員会がうまく機能をしていないのではないかと、また渡辺先生の方からもやはり形骸化しているのではないかというお話もありました。その中で、この教育委員会制度といいましょうか、いわゆる機能不全に陥ってしまっているというその原因というのはどこにあるのか。先ほど、その責任の所在が明確になっていないというようなお話もありましたけれども、さらに教育委員会が機能不全に陥っている原因、又はそのためには責任の所在を明確にするということもあると思いますけれども、それを具体的にどういうふうにすればいいのか。 まず、吾妻公述人と渡辺公述人、お二方から御意見をいただければと思います。
○公述人(吾妻幹廣君) 委員長様から簡潔にという御指導があったわけですが、なかなか今の問題を簡潔に答えるのは難しいと思いますので、ちょっと舌足らずになると思いますけれども、御了承いただきたいと思います。 たまたまああいう事件、事故が起きたところの対応のまずさが非常にクローズアップされて、教育委員会、日本全国すべてそういうふうかという見方は私はしてはいけないと思うんですね。そういう対応の問題点があるのでそういう問題も起きたのかもしれないみたいな目で私はひとつ見ました。 それからもう一つは、非常に難しい問題なんですが、教育委員会制度といっても、教育委員を指しておっしゃっている方もいれば、教育委員会の事務局を指している方もいらっしゃれば、両方含めておっしゃっている方もいらっしゃって、それぞれ違うんですね。そういう意味で、普通よく言われるのは、教育委員が何か名誉職的になっていたり、あるいは教育委員の人材不足で教育委員会、会議そのものが非常に形骸化しているみたいな話が一つあると思うんです。そのことと、教育長を筆頭にした教育委員会の事務局との行政執行機能とは微妙に違うと思うんですね。 ですから、行政執行機能に対して教育委員会という委員会組織がどれだけチェック機能を果たしているかどうかということになると、やはりその問題は、一つはやっぱり人選にあると思います。大都市とかそれから教育に非常に造詣の深い委員がいらっしゃる地域もあれば、なかなか教育委員といっても、月に一回の会議に出るだけでは思い切った発言ができない、結果として事務局からの提案をただ承認するだけみたいな形があると思うんですね。ですから、やはりどういう人を教育委員に選ぶかということ。 そういう意味では、先ほども私は申し上げましたし、中島公述人からもお話がありましたように、一つは保護者を委員の中に一人入れる、まあ一人か二人か分かりませんが、義務化したというのは非常に大きな意味があると思いますね。やはり保護者である以上はその地域の教育に本気になって取り組むと思いますので、そういう意味での人選。 それから、やはり教育委員会に対してもう少し実質的な仕事を与えないと駄目だと思うんですね。月に一回、二回会議を開いて、事務局から報告があってという流れではなかなか本物の形にならないだろうと。そういう意味では、今回、自己評価の問題が出ましたけれども、教育委員会全体の自己評価の前に、教育委員長を含めた教育委員が教育長を筆頭にした教育委員会の事務局をチェックするといいますか、評価するといいますか、そういうことをやっていくと教育委員の方々と教育委員会の事務局との間に一種の緊張感が生まれて活性化するんではないかなと。非常にこれは事務局にとっては厳しいですけれども、教育委員を含めて全体を評価する前に教育委員がもう少し事務局を評価する、チェックする機能を強めたらどうかなと、そんなことを思っています。 長くなりますので、取りあえずそこでやめておきます。
○公述人(渡辺稔君) ちょっと私が今から述べるのはやや抽象論になるかもしれませんが、従来の教育委員会、若しくは民主党さんですと教育監査委員会が持っている、私のレジュメに立ち位置というふうに書いたんですが、立ち位置は、学校をある意味で管理する、評価するといいますか、そういう立ち位置にあると思うんですね。 一方、先ほど私、公述の中で申しましたように、そういう何か事件があったりすると責任はどうも学校にある、要するに管理する教育委員会、教育監査委員会の立場に対して、責任はどうも教育委員会、教育監査委員会は持っていないんじゃないか、管理される学校がいざというときにはどうも弁明をしなくちゃいけない、そういう何か誤謬があるように、ちょっと抽象的ですが、そういった立ち位置を明確にすべきなのではないかなというふうに、ちょっとお分かりづらいかもしれませんが、このように思います。
○荻原健司君 ありがとうございました。 そこで、中島公述人に、先ほどに続いて教育委員会の件についてお伺いをしたいんですが、これまでいじめの問題であるとかまた未履修の問題等もいろいろ調べて、またいろいろニュース等でも伺いますと、学校で起きた問題を教育委員会に連絡をしないで、いわゆる先生の間で職員会議等でもう処理をしてしまっている状況もあるというようなことも言われておりますけれども、先生は教壇にお立ちになられていたお立場で、先生から見た教育委員会、もっとこうあってほしい、又はこうあるべきだ、又は学校側と教育委員会の連携といいましょうか、について何か御意見をいただければと思います。
○公述人(中島啓子君) 私ども教員の立場からは、要するに校長先生が学校の問題に関しての、最終責任者という言い方は失礼ですけれど、起きたことに関しては全部校長先生の立場で責任を取るという流れで仕事はしてきたつもりです。 ただ、それに対して、今度、校長先生の立場を通り越して教育委員会に、確かに事件、事故を学校を一切無視して駆け込む方もたくさんいらっしゃいます。だけど、駆け込まざるを得なかったのは、担任と学校の先生、校長とすべてやった上で、それでも方策がなくて教育委員会に行ったんじゃなくて、やっぱり担任との人間関係、学校に対する不信、それがそのまま教育委員会に飛び込まざるを得ない父兄の道筋ではなかったかなと思います。 それがいい悪いは別として、やっぱり父兄が納得できるように、子供が将来道が開けるように、学校側も教育委員会側も立場がどうこうではなくて、その子にとって、その御家庭にとってよりいい道筋を相談し合うというか、教育委員会が何か学校長をチェック、担任をチェックしてどうこうの、そういうチェック機関であってはならない。それをもう一歩、学校長だけではできないそういう課題に関して、保護者、学校運営に関してのアドバイスをやっぱり的確にできる教育委員会であってもらいたいと、そのようには思います。
○荻原健司君 ありがとうございました。 続いて、渡辺公述人にお伺いをしたいと思いますけれども、先生は塾を経営されておりまして、日ごろから子供たちに、今これで見させていただくと英語と数学ということにはなるんでしょう、幅広く御指導いただいているんだと思いますけれども、子供たち、塾に行く割合というのが大変多くなってきているわけで、やはりどうして、では塾に保護者が行かせるのか、又は子供たちが行きたいのかとこれ考えますと、確かに、みんなが行っているから行くんだ、又は親とすれば、みんな行っているんだからうちの子も行かせなきゃという思いもあるかもしれませんが、一方では、やっぱり塾に行った方が分かると、又は勉強が楽しいということはこれは大いにあるのではないかなというふうに思っています。 学校の勉強が単につまらないということではないんだと思うんですが、やはり塾に行く理由というのは、更にその理解が深まったり、又は楽しく教えてもらえるから子供たちは行っているのもそれも現実なんだと思いますけれども、その中で、学校の中の授業がより分かって楽しくするために、先ほど先生から御提案、理系と又は文系を分けた方がいいのではないかというようなお話もありました。また、先ほど中島先生からは、ある意味体育でしょうかね、高齢の教員の方にはそういうスポーツというのは別の方になんというような御提案かもしれませんけれども、やはり学校の授業がより分かる、楽しくするために、今の先生のお立場から何か御提案あれば教えていただきたいんですけれども。
○公述人(渡辺稔君) にわかには具体的に申し上げることはちょっと難しいような気がするんですが、ただ、やはり先ほど申し述べましたように、学校の先生方が非常に、教科指導のみならず、いろんな学校行事であるとか報告やら対保護者であるとか、そういった対応に毎日振り回されている、あるいは部活なんかもそうでしょうか。そうした中で、学校内のワークシェアリングじゃないんですけれども、もうちょっと仕事を分担して、その分担したエネルギーを教科の指導に振り分けられるような、そういう体制というのをやっぱりつくるべき、その一つとして、例えば小学校の分担云々というふうに申し上げたわけですね。 ちなみに、学習塾は、御承知のように、基本的に教科指導だけです。ですから、我々は仕事の大半を授業以外の、自分の授業以外の時間はほとんど教科の教材研究なんですね。もうみっちりやります。もう分かっていることを何回も反すうして、あるいは新たな指導法なり子供たちの関心を刺激するような、それはもうあきれるぐらいやるんですね。そういった時間が恐らく学校の先生方には不足している。 果ては、昨日、NHKのラジオでもやっていましたが、学校の先生方のバーンアウトの、十時台のニュース番組でしょうか、やっておりましたけれどもね。それでは、何度も申しますが、学校は基本的にまずはやっぱり勉強がちゃんと幹として整っていなければ、何を言ったってやっぱり難しいと思うんですね。 そういった意味で、学校の先生方にもうちょっとそれこそゆとりを与えるという、そういう方向性というのはやっぱり目指されねばならないんじゃないかなと思いますね。
○荻原健司君 ありがとうございました。 確かに、学校の先生、おっしゃるとおりいろんな部活動の面倒も見なきゃいけない、またいろんな校務もあって大変な状況にあると。その中で、先ほど先生、資料の中に、教員自身が研修をしっかり積めるようになんというようなお話もありましたが、これは、やはり忙しいものですからなかなか自己研さんできるような時間も取れない。場合によっては、行ったところ全部自腹でやらなければいけないと。私は、もう少しこの辺はしっかり予算を組んで、先生のスキルアップのためには惜しみなく充実させなきゃいけないのではないかというようなことを考えております。ありがとうございました。 続いて、もう時間がなくなってきましたので、最後の御質問を吾妻公述人と中島公述人、お二人にお伺いをしたいと思いますが、学力の低下というのが非常に叫ばれている中で、これは何とかしなきゃいけないということなんですが、やはり学力を上げるためには、子供たちそれぞれがやはりモチベーションといいましょうか、いわゆる動機といいましょうか、又は目標というんでしょうかね、勉強することで将来こういう仕事に就きたいとか、今この勉強しておかないと将来こういう仕事に役立たないだろうから、いわゆる勉強するための動機付けというものが私は必要なんではないかなというふうに思います。 やはり目標あってのやる気といいましょうか、学ぼうという意識が芽生えるんだと思いますが、吾妻公述人のお立場、また中島先生がかつて教員だったころ、子供たちにいわゆるその動機付け、目標設定、この辺りはどういうふうにおやりになっておられたかお伺いをして、質問を終わりにしたいと思います。
○公述人(中島啓子君) 私自身、教員の立場で仕事をさしていただいたときに、やはり一日じゅうの中で一番子供にとって、生徒にとっての最大の環境は教師自身であると。ただ、人間ですから、いろいろな至らない点は同学の先生方に応援していただいたり、先輩の先生に応援していただきながら仕事をした記憶がございます。 ただ、授業中だけが教員の仕事ではなくて、朝の登校の時間から、たしか私が勤めた学校は、校長先生始め、朝、門の前でおはようございますで出迎えをいたしました。ですから、七時半には登校して、朝食べていない子には私どももパンを用意したり、いろんなことをしながら食べさせて、お母さんがいないところには洗濯物を交代しながら、そうやってある程度の、においがあるとか臭いとかと言われる子は、学校入る前に着替えさせて、たしか自分ちに持ち帰って洗濯をして次の日またやったと。それを親に要求しても、親はもう仕事で一杯一杯という。それぞれの家庭に応じてそれがいいとか悪いとか、ほかの先生にやるとかやらないではなくて、自らが皆さんそれぞれ、先輩はそういうふうに子供たちの手の届くところのようにやってくださった姿を見て、私もそれを見習おうと思って仕事をさせていただいた記憶がございます。 ですから、いざというとき、いろんな事件、事故が起こっても、父兄が守り、昔、今は体罰なんていったら怒られますけれども、血気盛んなときは何か往復びんたやった記憶もございますが。父兄が後で、先生の方が正しい、おまえが間違っているといって手紙をよこして、親に更に反対側ぶたれたって次の日聞いたときに、何か涙が出る思いで、二度と手を上げてはいけないと、そう思った次第ですが、やっぱり父兄と担任との人間関係、そしてまた同僚の先生方、その人間関係は非常に大事な子供の教育環境になると思います。 確かに、ただ教育技術的な面では、幾ら若いとはいえ、やっぱり大先輩はすばらしいです、教育技術が。同じテストをやっても、隣のクラスと平均点が十点ぐらい違ったときがございます。必死になって、隣の大先輩がどういう教育をして授業をしているかを盗み見しながら教育技術を学んだ記憶がございます。 そういう意味では、ベテランの先生は最高のお手本の、授業の、本にはならないですけれども、たくさんの経験を持っていらっしゃる先生は宝物だなと、そういう思いで見ております。 以上です。
○公述人(吾妻幹廣君) 学問に王道なしという言葉は真理だと思います。勉強しない子は勉強できないと思います。努力しなければ学力は付かないと思います。 その勉強する動機付けはどうなんだという御質問だと思うんですが、夢や希望を持たせる、これは言葉では簡単ですけれども、じゃ、夢を持て、何か見学に連れていった、そんなことで夢や希望がさっと膨らんで勉強するならこれは楽だと思うんですけれども、そんなに簡単にはいかないと思いますね。やはり長い間、いろんな機会に子供に、将来自分はどういう生き方をしていくかみたいなことを語り続けることが一つあると思いますけれども、もっと言えば、一番の問題は、一時間一時間の授業の中で、子供たちがその学習内容が分かったか分からないかだと思うんです。できたかできないかなんですよ。できない子供はやっぱり勉強嫌いになります。分からない子は勉強嫌いです。 ですから、やっぱり一時間一時間の授業の中で、子供に本当にできるようにしてやる、分かるようにしてやる授業をどうつくり上げるかです。分かれば、次分かりたくなる。できれば、もっと高度のことをできたくなるはずです。できないからあきらめる、分からないから付いてこない。 結局は、勉強しない子は学力が付きません。勉強する子、努力する子は、やっぱりできた、分かったという経験を教師がどう付けてやるか、そういう授業をできる教師でなければ子供の学力は絶対付かない。ただ、一時間一時間授業やりましたよということではどうしようもない。一時間の授業の中で子供にどれだけ分からせたか、どれだけできるようにさせたか、それが結局は子供のやる気につながるんだろうと、そういうふうに私は思っております。 当然、その指導力とともに、一回、二回本気になって教えても、簡単に子供はすぐできるようにはならないと思うんです。ですから、その指導力プラス、この子供たちを何とかしたいという教員のその子に対する思い、情熱だと思います。指導力と情熱と両方兼ね備えた者がいい教員だと私は思っております。 以上です。
○荻原健司君 ありがとうございました。
○水岡俊一君 民主党の水岡俊一でございます。 三人の公述人の皆さん、大変お忙しい中、貴重な時間を割いていただきまして公述をいただいておりますことに、心から感謝を申し上げたいと思います。 早速質問に入ってまいります。 この委員会は関連の七法案を審議をしておるわけでございますが、民主党案の四案をなかなか皆さんにお読みをいただいている時間がないという状況がありまして、その中で渡辺公述人はお目を通していただいたということで、大変有り難く思っているところでございます。 そこで、渡辺さんがおっしゃっていただいた新免許法にかかわって若干質問をしたいのでありますが、民主党は、この法案の中で、教育力を本当に持つ教員、そして教育に対する熱意を持った教員、そして可能性を持った教員をやはり教育現場に迎え入れるべきだということでこういう法案を作ってみたわけですが、渡辺さんからは、若干の懸念材料もあると。例えば、六年間という中で長期間にわたるというようなことで、どういうふうにその負担増をフォローしていくのかというようなこともありました。 いろいろ意見はある中で一つお聞きをしたいのは、この六年間の最大の意味は、一年間の教育実習をしていただきたいというところだと私は思っています。一年間の教育実習の中で、本当に自分は教員という仕事をどうとらえているのか、あるいは学校現場が何を求めているのかというようなことを感じてもらえる大きなチャンスではないかなということがここの法案に盛り込まれている一つの思いだと思うんですが、それについては渡辺さんはどういうふうにお感じになっているでしょうか。
○公述人(渡辺稔君) 先ほど、時間があればその周辺についても申し上げたかったことがあったんですが。 一年間教育実習を行うということ自体も一定の意味のあるものだというふうに私は思います。ただ、やっぱりこれも実は懸念材料が幾つかございます。 まず、先ほどの申し上げたこととも関連するんですが、六年間、教員になるため、これ学部も含めて、教育学部のような学部、続いてそういう教員養成系の修士課程プラス六年間ということですね。ということは、既に学部に入学した時点、多くの場合は十八歳ぐらいでしょうか、その時点で自分はもう教師になるんだということをほぼ確定しなきゃいけない。現在も教育学部出るためには、四年間の大学生活に先立って十八歳の時点でそのことを決めておかなくちゃいけない。これが更に二年延びるということは、どうでしょう、決断する若い人たちからすると、かなり大きなエネルギー、負荷を伴うんじゃないかなと。 といいますのは、その間に気持ちが変わるということもありますよね、例えば。それともう一つは、これだけの長きにわたって、あるいは学費の大きな負担を強いられる中で、果たして本当に教員になれるのかどうかという問題。教員試験も、例えば医師国家試験であるとか薬剤師、同じく六年間ですけれども、彼らは結果的には多くの場合、国家試験に受かって、そして医師なり薬剤師なりなっているのが現状だと思われます。それに対して、現状の教員採用試験を見ますと、なかなか狭き門ということですね。そういった不安材料を抱えながら、六年間のあるいは実習も含めてやるということ自体ちょっと無理が、現行の状況をそのままかぶせてしまうとちょっと無理があるかなと。 そういう中で、その実習についてですが、実習も、果たして本当になれるのかなという、そういう思いが交錯する中で実習をすること自体は私はちょっと疑問は残るんです。といいますのは、現在も教員の実習は四週間でしたっけ。
○水岡俊一君 二週間から四週間です。
○公述人(渡辺稔君) ですね。二週ないしは四週間ぐらいの教育実習をやっているわけですが、現在はシステムが違うので、なおさら今申し上げた点、つまり、一応ペーパー免許ですか、それを取るためだけに実習を受ける学生も少なからずいるようなんですが、そういう現状の中で一年間の実習をやるときのモチベーションが果たしてどれほど大きなものを、どれぐらいの長い期間維持できるかどうかという、その辺がちょっと何か混沌としているなという感を持ちました。
○水岡俊一君 六年間の修士課程を経ないと教員免許が取れないという制度をもしつくったとしたら、大々的に様々な制度を変えていかないとこれは無理だということはもうおっしゃるとおりだというふうに思っております。 それから、モチベーションをどう持っていただくか、高めていくかということも、それは条件整備が本当にたくさん要るんだろうと思うし、また学校が教育実習生を受け入れる、そういった体制の中にもまたいろんな問題点がありますし、そういったことを含めて、六年間の修士をひとつ日本の教育力を高めるために私たちはやっていきたいという思いがこもっているということは御理解をいただいているんではないかなというふうに思っております。 また、六年間ですから、もちろん奨学金は必要だというふうに思っております。私も大学、奨学金をもらいながら勉強しまして教員になった身でもありますので、民主党は、そういう意味では奨学金はもう絶対必要だと、こういうふうに思っているところです。 さて、続いて渡辺さんにお願いをしたいんですが、新地教行法にかかわってであります。 それで、実はこの新地教行法、私自身かなりかかわった法案でありますのでいろんな思いもこもっているんですが、そこで、ひとつ皆さん方に御理解をいただきたいなと思っていることは、教育監査委員会というのは完全にもう立ち位置が変わっております、この法案は。なかなか法案の文面だけでは御理解いただきにくいかもしれませんが。 今、吾妻さんから、教育委員会事務局と教育委員会のことの御説明があったところですが、教育委員会事務局と言われるものについては、これはもう完全に首長部局に含んでしまう制度なんですね。ですから、もう執行権、執行体は完全に首長部局、そして学校がそこにある。学校は学校理事会という機関もありますが、教育監査委員会というのは完全に第三者的な立場でありますので、説明責任というのは首長部局に完全に移るということがそこにあるわけですね。 例えば、北海道の悲しいいじめ自殺事件がございましたが、あのときも現実的に解決への大きな動きをし始めたのは市長のリーダーシップだということはもう御存じのとおりだと思いますね。そういった意味では、執行権、責任権を持っている首長部局のリーダーシップの下にやる。教育監査委員会は完全な第三者としてチェック機関として、その両方、学校にもあるいは首長部局に対しても厳しいチェックの意見を言えるという立場というのをそこに込めているわけですが、そういった観点からすると、渡辺さんはどういったお感じをお持ちなのか聞かせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○公述人(渡辺稔君) 済みません、よく理解ができていなくて。よく分かりました。 ただ、それにしても、じゃ、その首長部局ですか、そちらの方で、先ほど申し上げましたような、具体的にこういうケースについては今一つ一つ申し述べる余裕はございませんけれども、具体的なその責任を、首長部局ですか、そちらの方で持っていただけるようなそういうシステムはつくらねばならないんじゃないかと。 先ほどいただいた御質問の中で、ちょっと言葉足らずで申し上げることができなかったんですが。というのは、学校の立場からすれば、管理はされるわ、責任は持たされるわ、管理されるから報告すらスムーズにできないという、そういうジレンマにあるようにすら見えるんですね。その辺はもう少し改善しなくちゃいけないんじゃないかなというふうには考えています。
○水岡俊一君 ありがとうございました。 学校理事会という組織もそこに設置をしながら、制度的にはきちっといろんなことを整理していかなきゃいけないというふうに思っておりますが、そういったことの案だということで、また皆さんに御理解をいただければ有り難いなと思っております。 そこで、吾妻公述人にお伺いをしたいんですが、恐縮ですが、吾妻さんは民主党の案はお読みになっていただく時間がございましたでしょうか。
○公述人(吾妻幹廣君) はい、部分的に読ましていただきました。
○水岡俊一君 ありがとうございます。 それでは、吾妻さんにとって、先ほどやはり教育委員会がきちっとチェックをするという機能は果たさなきゃいけないというお話がございましたが、そういった意味からすると、今申し上げておりました民主党案でいう教育監査委員会というのは、首長部局に対してもまた学校に対してもチェックをしていくということが一番の大きな責任として設置をするという案でございますが、そういった案については何か御意見がございますでしょうか。
○公述人(吾妻幹廣君) 私が思いますに、改正されればまた責任が非常に重くなる改正案ですけれども、現行のものはいわゆるレーマンコントロール、いわゆる専門家ではなくて一市民の立場でチェックをする、それは非常に軟らかいチェックであります。そういう意味で、教育行政を教育の専門の人間だけで行うのではなくて、本当の常識の高い一市民の方々の代表がいろんな分野から入ってきて教育をチェックしているということが現在のレーマンコントロールである教育委員会制度であります。でも、それは裏を返せば、甘いという形でマンネリ化というようなことを言われてきたんだと思うんですね。 でも、やはりまた元に戻ってみると、そのたった平均的には五人の教育委員のチェックでさえ甘いという批判がある中で、民主党さんがおっしゃる監査委員になった方々が本当にどれだけの責任感を持ってこの委員としてお仕事をされるかということを私は非常に危惧します。 先ほど、荻原委員からの質問のときにチェックが云々という話をしましたけれども、首長部局で首長主導の下にどんどんどんどん進めていって、あとはほとんど監査委員の方々が追認するだけというのが教育委員会制度よりもっと強くなるんではないかなと私は危惧をします。ですから、私は今の教育委員会制度の充実を図る方が教育としてはよろしいんでないかという思いを抱いております。 以上です。
○水岡俊一君 ありがとうございました。 そういった懸念の問題はございまして、ですから民主党としては、首長部局、執行者のイエスマンにならない委員会をつくることが最大の目的であるわけですね。そういった意味からすると、現在は首長がほぼ任命という形で教育委員を決めているという状況はやはりよくないというふうに思っておりまして、私たちは議会から承認をいただく教育監査委員というものをそこに据えながら、首長に対してもまた学校に対しても厳しい意見が言えるそういう組織をつくりたいというふうなことを考えたわけですが、ちょっとその件に関しては、もし中島公述人として何か御意見がございましたら、お伺いをしたいと思っています。 その意味は、保護者の選任の義務化というのは意味があるというふうに御意見をおっしゃっていただいたので、そういった観点からしても、何か中島さんの思いがあればお聞かせをいただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
○公述人(中島啓子君) 先ほど水岡先生がおっしゃっていた、要するに市長さん、県知事さんが教育委員を任命する、そういう任命権が今そちらにあると伺っておりますけれども、任命権云々のことまでは私もその仕組みというのはよく分からないんですが、今全体的な国の法律のことも含め、立法府と行政府と司法という三権がそれぞれ独立をして国の機能を担っていると思うんですが、教育委員会そのものの存在がもう一つ、教育権というんでしょうか、党利党略とか、時の知事がどちらの党であれ、市長さんがどちらの党であれ、やっぱり首長という方は、党派を超えてその県とか国のまた市の責任を担う方が選ばれて首長さんになっていらっしゃると私は信じます。だから、首長になったから片方の意見だけの市政、県政をやったのでは皆さんが納得をしない状態になります。 ですから、賢明な、私たち県民、市民というんでしょうか、その方の幸せのために、次の時代を担う子供たちの幸せのために教育委員も選んでくださると信じてはいるわけですが、実際、教育委員会の存在そのものは市政、県政と同格、その下にいる力がない教育委員会ではなくて、やっぱり物も申せる、そういう教育委員会制度というものは大事なものですから、三権分立だけじゃなくて、それこそ国全体でいえば四権分立ぐらいの大きな、そのときそのときの情勢に合わせて子供の行政が、また教育の行政が変化されるような状態にならないように、やっぱり子供にかかわるということは私たちの死んだ後のその先を任せる、未来を任せますから、大人の駄目なところを踏み越えて育っていくのも子供たちの生きていく力かなと。大人の財産は、いい財産も残しますけれども、マイナスの財産も子供たちには与えているかなとは思いますので。 ただ、そういう意味で、教育というものは三権分立のほかの大事な存在の、それが、教育委員会制度が徐々に確立していけばまた新しい道を国で探してくださるんではないかなと、そんなふうな思いでおります。
○水岡俊一君 ありがとうございました。 最後に、吾妻公述人に再度お伺いをしたいんでありますが、吾妻さんは教育長をされていたということでありますので、そういった観点から質問を申し上げたいんですが、教免法にかかわって、これまでの校内研修等いろいろやってきたけれども、マンネリ化もあるだろうし、こういった十年の研修をしながら活性化を図っていくべきだというような御意見も先ほど伺ったところなんですね。 一方、吾妻さんも御存じだと思いますが、教職員の超過勤務の実態というのは、これはもう最近、文科省の調査で明らかになっておりますが、これは実は平均しても、一人毎日二時間以上の超勤があるという実態がそこにあるわけですね。そういった中、土日の勤務もあるというような状況の中で、今政府が提案をしている教免法、これは土日だとかほかの休日も使ってやりなさいというようなかなりの過重になってくるような気もするんですが、これはもう教育長をなさったお立場からすると、どうでしょうか、何か御意見ございますでしょうか。
○公述人(吾妻幹廣君) 教職員が非常に忙しい、超過勤務もかなりやるというのは実態だと思います。 ただ、現実問題として、忙しいから子供の教育云々、手を引くわけにはいかないわけでして、これは校長先生の御指導の中で、いかにその学校の中のいろいろな役割分担その他調整をして負担の少ないやり方をしていくしかないと思うんですが、そのことと研修のこととを一緒にするとやはり問題があるかなというふうに思います。やはり教員は研修するのが職務の一つですよね。教育公務員特例法にそういうふうに書いてあると思います。 それと同時に、子供たちに勉強しなさいと言いながら勉強しない教員では仕方がないわけでして、教員の研修を忙しいことと合わせてしまうと非常に難しくなってくるということですので、私は今ここで、各学校、教員一人一人の日常の条件が全部違いますので、こうやればいいですよというようなことは軽々に申し上げることはできませんが、忙しい中を乗り越えて、是非研修というものを大事にした教員であってほしいということしか今はお答えできないと思います。 以上です。
○水岡俊一君 もう時間がなくなりました。 公述人の皆さんには、教育現場にいろいろな面から影響力のある方々だというふうに理解をしておりますので、教員が、中島さんのお話にもありましたように、健康で子供たちにより多くの時間を接することができるような、その方向を求めていけるように皆さん方のお力もいただきたいというふうに思っております。 ありがとうございました。終わります。
○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。 本日は、公述人の皆様、お忙しい中、大変にありがとうございました。また、今日は大変に貴重な御意見を、現場を踏まえた上での御意見を賜りまして、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。 初めに、本題に入ります前に、それぞれ三人の公述人の皆様、長年教育関係、また子供さん方と携わっていらっしゃる方々でございますので、まず最初に、三人の皆様にお伺いしたいと思いますが、長年、子供たちや教育現場に携わられてきた中で、ここ数年、子供たちや学校教育の現場がこのように変わってきたなという何か変化を感じられているのであれば、その変化についてまずお伺いをしたいと思います。 その変化が問題や課題であるならば、それに対して、ではどのように取り組んでいったらいいのか、そのお考えもありましたら、併せてこの二点をまずお伺いをしたいと思います。
○公述人(吾妻幹廣君) 昨日、今日、急に変わったという意味のことでは特にございません。 ただ、傾向としていえば、今の子供たちは耐性がなくなってきているといいますか、なかなか頑張れないといいますか、やはり非常に恵まれた環境で育ち過ぎて、何が何でも頑張るぞみたいな子供が少なくなってきているかなというふうに思います。 それと同時に、保護者の方々も大分様子が変わってきまして、福島県辺りでいえば、昔は学校はだれでも当然歩いて通ったわけですけれども、今は朝、学校の前は交通渋滞です。保護者が車で送り迎えです。これは、一つはやはり簡単に子供がそういうものを要求するし、親も車で送っていくよと。これは、私どもが子供のころは恥ずかしくて親に送ってもらうなんていうことはしなかったわけですけれども、今の子供は平気です。 ただ問題は、じゃそれが悪いのかといえば、最近の登下校でのいろいろな子供誘拐等の事件があって、それはまた別な意味で、それは親が責任を持って送り迎えするしかないという状況があることも事実なんですね。ですから、そういう意味では子供が耐性が落ちてきている、あるいは本気になって勉強しないというのは子供が悪いというんではなくて、豊かな、もう何でも自由になる、何でも手に入るような環境を大人がつくってきたということが原因にあると思うんです。 それから、今の子供の送り迎えでいえば、親が送り迎えしなければ不安で子供をほうっておけない。そうすると、それもやはり親の責任だけ、本人の依頼心だけの問題ではなくて、社会環境がそういうふうに非常に厳しくなってきている。 そういうことを考えると、教育というのは何かちょっと小手先でここをこうすれば良くなるだろうというような、そういう簡単なものではなくて、社会構造そのもの、あるいは今子供の親である人たちの考え方、そういうところまで含めて教育施策というのを考えていかないと、何か今の子供、こういう問題あるからこういうふうにしたらいいんでないのかなというような、そういうレベルでは簡単には解決できない。じゃ、こういうことがいつからということになると、昨日、今日ではなくて、五年、十年、長い期間があると思うんですね。 そういう意味では、教育というのは息の長い営みを根気強く、これはこうすべきだということをお互いに一つ一つ積み上げていかないと、なかなか今の教育を明るい未来にしていくのは大変なのかな、そういうふうに思っております。 以上です。
○公述人(渡辺稔君) ただいまの吾妻先生とちょっと重なる部分があるかもしれませんが、一九七〇年代だったと思うんですが、アメリカの教育学者のウィリアム・カミングスという人と、それからトーマス・ローレンという方が日本に来まして、日本の小中学校あるいは高校をつぶさに一年ほど掛けて調べていくんですね。当時、日本の教育は、どうでしょう、世界的に見て成功しているというふうに評価されていた時代だと思いますね。その成功していると言われる日本の教育について、こういった点、幾つか、十点ほどの点を優れている点として指摘しているんですね。その両者、お二人の先生が共通して指摘している点が、学校に対する威信が非常に高い、あるいは学校の教師に対する信頼が非常に高いという点をお二人の先生は指摘されているんですよ。 一方、これは関西大学かな、竹内洋さんという教育学者がいらっしゃるんですが、現在、フィンランドの教育が世界的に注目されておりますね。フィンランドの教育をその竹内という方が調べてきたんですね、昨年ですけれども。それによると、まず第一点目が、学校の教師に対する保護者とか地域社会の信頼が非常に高いという、アンケートを取ったりフィールド調査しているわけですけれども。 そういう状況の中で、私が知り得ない、私、塾始めてまだ二十年ばかりですので、一九七〇年代といえば私はまだ児童生徒の時代です。そういう私の知り得ない時代も含めてなんですが、しかし先ほど吾妻先生がおっしゃいますように、やっぱり学校あるいは教師に対するそういう信頼性が大きく低下してきている。 私が実際に見たことを最後に一つ申し上げれば、実は一つじゃないんですが、私たち学習塾に保護者が度々やってくるんですね。実は、今日午後二時から保護者との面談が準備されておりまして、私は一時間ほど時間掛けるんですが、いろんなことを話していくんですね。そうすると、もう度々、頻繁に保護者の口をついて出るのが学校の先生に対する悪口なんですね。それはもうすべての先生ではないにしろ、私のような名もないちっぽけな塾の者が、えって思うようなことを、自分の子供に対する先生の対応の仕方であるとか、何を言ったとかどうしたとか、そういうところにこの数十年の学校の先生に対する信頼性の低下の現実を常々強く感じるわけなんですが、そういった変化を強く感じます。 以上です。
○公述人(中島啓子君) 御質問の子供の変化ということなんですが、第一としては、子供の数が非常に地域において少なくなった。たった六学年違う、うちも上と下の子の小学校のときの子供の数なんですが、上のときに自分の地域だけで五十数人、小さな子供会なんですけれども、おりました。その子供会が、下が小学校を出るときはもう半分以下に子供会そのものの人数が少なくなっているのが、特にいわきでもうちの方はまだ少しは中心部かなと思うんですが、それが実態です。 そういう意味においては、たくさんいた子供の中で競い合って、たたかれて、いろんな意味で育ったその時代の子供と、今の子供たちは本当に兄弟もいない、たった一人っ子とか、又は御両親が、非常に女性の働く分野も増えていますので、母親が帰ってきたときにうちにいない家庭がほとんどになっております。それでも、幸せなことに、おじいちゃんかおばあちゃんがいて、電気付いていて暖かい部屋が待っているお子さんはいいんでしょうけれども、なかなか、うちに帰ってもかぎを開けて入る、冷たい部屋に入っていく、それができないので、留守番家庭とか放課後児童とかいろんな形で子供はいろんな人に接する機会があるんですけれども、本当に子供同士でたくさん影響し合う、そのたくさんいた一人と、数人の中の一人と、下手すると教室以外の子とはだれともしゃべらないで帰ってくるというこういう生徒、子供の実態があるかと思います。 近所のお母さんたちにもこの間聞いたんですが、お父さんは一回も中学校の教室に行ったことがない、担任の先生拝んだことないって威張っていたお父さんにみんなで文句を言ったんですけれども、やっぱり中学、高校になったときの父親がもっと入る、昔の親は子供のことは母親任せでおれは関係ない、悪いことは全部おまえが悪いという、そういう風習が今でも残っているかもしれませんけれども、ある中で、やっぱり男性の存在が、今これだけ少子化の中、情報が非常に多い中、悪いこともいいこともある中で、やっぱり子供の変化の中で、いい変化もあるかもしれませんけれども、悪い意味の変化が非常に事件、事故で取りざたされている中で、父親が子育てに、別におむつを取り替えなさいとは言いませんけれども、もう少し子供の成長に目を向けていくことが、子供の悪い変化に対する一つの手だてかなと思ってはおります。 しかし、子供が悪く変化しているだけではなくて、私自身も二点ほど感動的な目の前でお子さんの状態を見させていただきました。 高校に入ると無事卒業するのが当たり前なんですけれども、無事卒業させるまでが母親の三年間の闘いに、いわきでもたくさん悩んでいるお母さんがいらっしゃいます。しかし、入学者全員が昨年全員卒業したというのを、うちの子、昨年三月高校卒業したんですけれども、全員が卒業できたんです。みんなで感動して、どこに行ったかはいろいろありますけれども、行く先はいろいろとしても、入学したお子さんが無事母親の願いどおり全員卒業して、みんなが就職したか浪人したかは別としても、無事卒業証書をいただいたということで親が全員で感動して、子供は何なんだなんて顔はしていましたけれども、今全員卒業することが少ない高校というか、そういう実態の中で、画期的な全員卒業をかち取りました。それにはやっぱり先生が、在宅というんですか、悪いことをして自宅待機のところに毎日、毎晩通って、九時、十時、遅れないように教えた先生の奮闘もございましたし、親も隠さないでうちの子はこうだという情報発信を友達にして助け合ったり、お母さんが励まし合って無事卒業までかこつけたという体験もございます。 あとは、学校は嫌いだけど部活は大好きという、そういう俗に地域でいえば嫌われている御家庭もたくさんありました。中には、お酒があるのか、たばこ吸っているのかというふうな御家庭があったんですが、みんなで部活のメンバーが励まし合って、毎日、とにかく学校に給食の時間には行かせて、部活に参加させて、試合に出させて、無事高校を卒業して今専門学校に行って、本当に親孝行な息子さんになっているそういう同じ部活のお子さんを見たときに、ただ一概に中学校のその姿だけを見てその子を判断するのはいいことではないなと、もう何とかみんなで助け合うというか連携を取り合って、情報はやっぱり隠さないということが母親としての、まあ悪いところは隠したいんですけれども、親として、しかし悪いことは悪いと早くに芽を摘む、そういう母親の勇気も必要ですし、先生方にもその勇気も必要でしょうし、そういう意味では、確かに子供が親をあれするような事件、事故が、もう昔は聞いたことないような事件がたくさん横行しておりますけれども、様々な連携でいかようにもなったかなと、そう思うテレビでの事件、事故でございます。 ただ、今度は何か、英語も何も小学校から入ってくるという意味では、幸せなことに、今の子供たちは世界を意識し語学を学ぶ、そういう世界市民の、世界的レベルでの意識を持たせられる学校教育がなされると伺っております。そういう意味では、英語教育を通しながら、日本の狭い島国根性じゃなくて、世界を見据えての子供たちが育つことをひとえに願っている一人でございます。 以上でございます。
○鰐淵洋子君 それぞれのお立場での貴重な御意見、大変にありがとうございました。 次に、吾妻公述人と中島公述人にお伺いしたいと思いますが、教育における国の責任の果たし方ということで、今回、この改正案に盛り込まれておりますけれども、教育はやはり子供たちや地域住民に近い、身近な学校や市町村が主体的になりまして、それぞれの特色も生かして教育活動を展開していくことが重要であると考えております。 そこで、教育における国の関与というのは必要最低限度に抑えるべきであると私も思っておりますので、今回こういった、明記はされておりますが、国の教育にかかわる、学校にかかわる役割ということで、改めて御見解をお伺いをしたいと思います。
○公述人(吾妻幹廣君) 先ほども最初の公述でお話ししましたように、特に義務教育を含めて、教育は地域に根差した特色ある教育の展開というのが基本だと思います。ただ、私が思いますのは、日本という国が全く資源を持たない、世界に日本人が羽ばたいていかないと生きていけない時代だということは前提での地域でないと困ると思うんですね。 地域の教育を突き詰めていくと、最後は、地域に残る教育、地域の会社に就職をする教育、ほかに出ていくんではなくて地域で活躍する、非常に下だけ見るような子供を育ててしまうことになると思うんです。やはり子供はできるだけ伸ばしてやる、子供はできるだけ広い世界に押し出してやるということも大事な教育の一つだろうと思います。 学力の問題もそうだと思います。地域、地域という観念で教育をしていくと、もうこの辺でちまちまと生きていくのならそんなに勉強しなくていいやという、極端に言えばそういう子供になってしまう。そうではなくて、もうどんどん世界に飛び立っていく時代だよ、そして日本人が世界の中で活躍していくことが日本の国の発展につながるし、その日本の国の発展が一人一人の個人の発展につながると私は思うんです。 そういう意味では、やはり国のレベルで日本の教育をどうするのかということが片方にあって、片方に地域で生きる教育はどうだということ、そのどっちかだけでは私は教育はうまくいかない、これは両方相まって日本の子供の教育をつくっていくものだと、そういうふうに思っております。 以上です。
○公述人(中島啓子君) 国の責任の話がございましたが、一番学校教育にかかわる地元でお願いしたいのは、やっぱり地方行政に対する予算を、子供の将来にかかわるいろんな手だてに関してお金を出してくださることが地域は一番うれしいことではないかなとは思います。 福島県の中でもいろんな町村ございまして、非常に子供たちを大事にする地域なんでしょうか、予算を、ある小学校六年生だったでしょうか、全員を、船で行くグアム研修みたいな形で、卒業修学旅行というんでしょうか、とにかくどの子にも全員六年生になると行かせているというのが、かえって町や村の方が子供たち、小学生を大事にしていると。いわき市の場合、余りに多過ぎて、その子たち全員に行かせたら膨大な予算になるかと思いますけれど、小さな単位の町や村ほど子供たちを大事に大事に、お金の予算を子供の将来に、ましてや外国に船で行く往復の旅費といったら、一けた二けたという万単位でのお金を町や村が投与して、子供たちの未来に希望をというか、世界というものを見せてあげたいという、そういう手だてをしたことを伺っております。 そういう意味では、福島県はこういう財政というか、いろんな意味では、関東の中で一番、首都圏に近い福島県なんですけれど、会津、中通り、浜通りと様々な気候、人種、人種が違うというほど会津といわき弁では全然、何語をしゃべっているか分からないほど、会津の人としゃべっても分からないというほど多岐にわたった福島県でございます。 そういう意味では、どうか国の立場で地方行政、また人材を出す、新しい子供たちに希望を与える意味で、いろいろな派遣制度にしても奨学生制度にしても、夢のあるプランを提示していただければ、それに希望を掛けて挑戦する子供たちも出てくるのではないかと。 今回、いわきでもたしか八月に中国との交流団で、卓球の選手が、小学校五年生が今回、知り合いのお子さんが行くと伺いまして、非常に夢と希望を持って隣の中国に行くことを親御さんが楽しみにしているというのを聞いたときに、勉強の姿勢が全く変わったというんですね。やっぱり中国に行くのには日本の代表で行くんだみたいな、小さな学校の我が家の子ではなくて、代表として行くんだという意識で非常に人間が変わりましたとお母さんからうれしいお話を聞かせていただきました。 そういう意味では、こういう東北の中では中心の仙台とまた違って遠いいわきなんですけれど、どうか国の支援の中で、北海道の子も東京の子も同じ希望を持てるようなそういうプランを是非検討していただきたいと、そういうふうに思っております。 以上です。
○鰐淵洋子君 時間になりましたので、以上で終わらせていただきますが、本日は、本当に三人の公述人の皆様には大変に貴重な御意見を賜り、再度御礼を申し上げます。大変にありがとうございました。
○団長(狩野安君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、長時間御出席をいただき、また貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。本委員会を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手) 以上をもちまして参議院文教科学委員会いわき地方公聴会を閉会いたします。 〔午後零時三十七分閉会〕 ─────・───── 横浜地方公聴会速記録 期日 平成十九年六月十一日(月曜日) 場所 横浜市 新横浜グレイスホテル 派遣委員 団長 理 事 中川 義雄君 理 事 佐藤 泰介君 神取 忍君 林 久美子君 福本 潤一君 井上 哲士君 公述人 横浜市教育委員 会教育委員長 今田 忠彦君 横浜国立大学教 育人間科学部教 授 府川源一郎君 元公立小学校長 加藤 澄代君 弁護士 阪田 勝彦君 ───────────── 〔午後二時開会〕
○団長(中川義雄君) ただいまから参議院文教科学委員会横浜地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします文教科学委員会理事の中川義雄でございます。よろしくお願い申し上げます。 まず、私どもの委員を御紹介いたします。 私の右隣から、自由民主党の神取忍委員でございます。 公明党の福本潤一委員でございます。 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の佐藤泰介理事でございます。 同じく民主党・新緑風会の林久美子委員でございます。 日本共産党の井上哲士委員でございます。 以上の六名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 横浜市教育委員会教育委員長今田忠彦公述人でございます。 横浜国立大学教育人間科学部教授府川源一郎公述人でございます。 元公立小学校校長の加藤澄代公述人でございます。 弁護士阪田勝彦公述人でございます。 以上の四名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案、日本国教育基本法案、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上七案の審査を行っております。本日は、七案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には、御多忙中のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の七案審査の参考にしたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、今田公述人、府川公述人、加藤公述人、阪田公述人の順序でそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後に、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、今田公述人にお願いいたします。今田公述人。
○公述人(今田忠彦君) まず、先生方には、日ごろは文教行政等にいろいろ御尽力をいただきまして、感謝を申し上げます。ありがとうございます。また、今日は横浜までお越しいただきまして、長く横浜市政にかかわった者として御礼を申します。 それじゃ、着席して説明させていただきます。 簡単な私なりのレジュメを用意させていただきましたので、失礼かと思いましたが、それに基づきまして簡単に御説明をさせていただきます。ざっくりした形の説明ということと、それから後ほど、今御審議いただいている個々の法案について私なりの考えを申し上げさせていただきたいというふうに思っております。 はじめにということで、教育委員としてということで、四年間教育委員のお仕事を仰せ付かっておりますが、その間、教育の世界というのは、やっぱり我々行政で生きた者から見ても少し違うというか、ある種誇り高い部分があり、一方で世間の常識から少しずれたような部分があるのかなというふうな、ある種の閉鎖性みたいなものを感じております。 また、独特の組織風土というのか、先生の御経験のある委員の先生方もおいでになりますが、校長がすべて決定できるわけではないというふうな土壌、そういうものもあって、少し独特の組織風土があるのかなと。 また、教育の機能の本質的性格からして、いろいろ言われていますけれども、なかなか短兵急な成果とか効果等は期し難いのかなと。やっぱり先生方は、子供に対するということで、かなり慎重な姿勢というものを我々現場へ行ったときに感じます。ただ、教育に対する世の中の関心の高まりとともに、良き緊張感、改革へ向けての緊張感というものはだんだん醸成されてきつつあるのかなというふうに思っています。 横浜の場合ということになりますと、組織規模約五百二十校、二十七万人の児童生徒がいるわけでございまして、県の教育委員会とは違う、ダイレクトで接触するというようなことで、日常何かが起こるということで対症療法的な対応に追われることの多いという実情というのもあろうかなと思います。ただ、このたび、十八年度から中期計画等も作成して、達成に向けて本気の度合いが今求められていると、そんな状況かなというふうに思っています。 昨年、教育基本法が改正されました。新しい時代に向けた教育理念、教育の目標が明示され明確にされたということで、私はその意義は大きいと評価をいたしております。教育に対する国等の責任が明記されたと、またいろんな条項が加わりましたが、家庭教育の重要性みたいなものも言われたということで、その意義は大きい。ただ、これが学校現場でより効果を発揮するためには、具体的な取組がなされるためにはやっぱり関係法律の整備が望まれるということで、今回御審議をいただいているのもそういうことの一環だろうというふうに拝察しております。 次に、公教育の重要性。これはもう申し上げるまでもないことでございますが、やっぱりいろんな子供の自殺あるいは給食費の未納、高校なんかでの未履修の問題もございました。残念な事件、出来事が起こるたびに家庭教育の重要性と相まって公教育の重要性が言われますが、やはりモラルの面でも、日本の将来を左右する大きな課題である公教育の充実ということはやはり大きな課題であるというふうに認識をいたしております。 教師論というような言葉を生意気にも書かせていただきましたが、先生は人間をつくる仕事。私も教育委員のお仕事をいただいて、どういうふうにこの任を果たしていくかというような中で、古い本でございますが、森信三先生がお書きになった、昭和十二年から十三年、師範学校での講義録を拝読させていただきました。 やっぱり、人間をつくる仕事ということですので、教師がまず人間力、教師力を培わなきゃいけない。そのためには、やはりかつての師範学校のように、ある意味で教師の育成に十分な時間と立派なスタッフがかかわる、そういうことが必要ではないかなと。目の前にいる子供たちが二十年後、三十年後には間違いなくその地域社会あるいはその国の行く末を担うていくんだという、そういう趣で将来の姿をイメージして教育することが大事じゃないかという記述がございます。 こういうところに、今の時代に失われかけている大きな、教師として大事なことが書かれている。そういう意味で、教師の育成というものについて大いに時間とお金を掛けていくべきじゃないか。 そういうことで、生意気にも書かせていただきましたのは、教育予算の増額というのは、これは是非ひとつ超党派でお願いしたい。現場の多忙感、今回、副校長職の採用というようなこともございますけれども、充実した研修受講のためにも代替の先生が確保できるという、そういうふうな意味で、公務員の定数の問題がいろいろ議論になってございますが、教員定数の充実等に向けて是非予算の確保をお願いをしたいというふうに思っております。 それから、次に二ページの方でございますが、学校教育法等の一部を改正する法律案。これはもう改正された教育基本法の理念にのっとって義務教育の目標をしっかりと定めること、また、学校現場が組織としての学校の力を強化していくため、新しい職の設置等は、これは学校教育を充実させていくために必要なことであるというふうに認識をいたしております。 そういう意味で、一番の義務教育の目標の設定について、これを受けまして、これはまだ法律が決まっておりませんが、横浜の方でも現在オリジナルな横浜版学習指導要領というのを作成を予定をいたしております。最終的には、いろいろでき上がりまして、二十二年からその教育課程が進んでいくようなことになってございますが、この学習指導要領の中にも義務教育の目的、目標を新たに設定をし直して組み入れていきたいというふうに考えております。 それから、副校長その他の新しい職の設置ということがございまして、俗に言う、いわゆるなべぶた型、校長と教頭先生あるいは副校長が中心になって学校をリードしていこうとするんだけれども、なかなかみんなが付いてきてくれないと。そういう少し一般社会の常識ではちょっと考えにくいような部分の、それは教育の世界の持つ特性ということなんでしょうが、そういうものを解消して、校長がしっかりと学校経営というものを取り組んでいくためにも、こういう組織のありようというものは必要だろう。 ただ、先ほども申し上げましたが、職制を副校長としただけで果たしてそれが解消できるかというと、なかなか今、副校長の多忙感、そういうものもあって、大きなところにはやはり副校長二人制というようなことも考えていくことも必要じゃないかなと。 それから、学校現場の風土の改革。やはり校長先生がリーダーシップを持っていくんだよと、そのためには、もちろんしっかりとした見識のある校長になっていただかないといけないし、研さんも積んでいただかないといけないというふうに思いますが、組織風土の改革というものも大切じゃないかと思います。 それから、学校評価及び情報提供に関する規定の整備でございますが、これはもう先生方御承知のとおり、近年、家庭の教育力、地域の教育力というのが低下して、その分、一方で学校に求められる。しかし学校も、それ以外にもまた保護者のいろんなニーズが出てまいります。 そういう意味でいけば、地域の力をかりていくというふうな意味で、学校の目標、そういうものを情報提供して、力を合わせて、力をかりてやっていく、そういう姿勢が是非必要であろうと。一方で定数増をお願いしながら、財政状況で教員数の増も難しくというような相矛盾するようなことを書いてございますけれども、そういう意味では学校だけで担うことには限界がある。横浜の場合も、学校版マニフェストなんというものを作って、学校がそれぞれ中期の目標を掲げて取り組んでいこうという、地域へ開かれた学校ということを目指しておりますけれども、是非そういう意味での情報提供が必要だろうと思います。 法律上設けられた学校運営協議会、これは横浜の場合はまだ一つしかございません。いろんな地域の力をかりて地域の人たちと一緒にということで非常にいい制度だとは思うんですが、なかなか地域性もあり、こういうものをどう生かしていくか。 一方で、保護者ニーズというか、地域に開かれた、家庭のニーズも聴こうと言いつつ、しかし一方で、公教育として国民全体に対する責任というのもあるのかなと。保護者の言いなりでいいのかというと、それでは少し甘やかし過ぎる部分もありはせぬのかなと。少し生意気言うようですが、行き過ぎた子供中心主義になっているんではないかという気も私なんかはいたします。そういう意味で、国民全体に対する責任というものも少し頭の中に入れる必要があろうというふうに思います。 次に、地方教育行政の組織及び運営に関する法律云々のところでございますが、私も教育委員を四年務めさせていただいた中で、ここに書いてございますように、機能面で無用論や形骸化しているというのは残念ながら現状認めざるを得ない部分がある。横浜市議会でもそういう質問があって、どうなんだということでございまして、我々は形骸化から脱皮しようとしているというふうに申し上げました。もう少し権限を付与し、拡大する方向というのは大いに結構なことだというふうに思います。 しかし一方で、それらと併せて、一般行政組織の教育委員会に対するかかわり方といいますか、認識の仕方、主体性の尊重、そういうものも必要。そういう意味でいけば、教育委員会も、同時に教育委員会内部での組織風土の大胆な改革、そのための制度改革、組織改革も必要であろうと。 また、今回の法律の中にも教育委員の責任の自覚なんということが出ておりますけれども、やはり教育委員自身の自覚の覚せい、教育行政に対する知識拡充に向けた真剣な勉強も必要だろうと。一方で、処遇面あるいは身分上の扱いというものについても、これもまた一方で考慮していく要素があるんではないかなというふうに思っております。 教育委員の数の弾力化とそれから保護者の選任の義務化ということでございますが、横浜の場合、今六名教育委員がおります。五百校を超える学校規模で六名というのがいいのかどうかというのは、これも一方でまた一つあろうと思います。そういう意味で、六名以上が可能ということになれば、当然委員の増員についてもやっぱり検討すべき事項かなというふうに思っております。 それから、数の問題に加えて質の問題。それは先ほど申し上げましたが、やはり現状認識、将来への展望、そうした事柄に対する深い認識と改革、改善に向けた本気の取組、そういうものをそれぞれ自覚して取り組んでいく必要があるということだと思います。 それから、保護者の選任につきましては、当然、現場の声、子供たちの生の感覚を聴けるということで、現在も六名のうち二名、子供を持った保護者がおられますけれども、そういうことで必要であろうというふうに認識しております。 それから、教育における国の責任の果たし方。この辺のところは会派でいろいろ御議論があろうと思いますけれども、私は、国と地方の責任のありようというのは、都市の成熟度というか、民度と言うとちょっとおかしいんですが、そういうようなものとも多少かかわりがあるのかなと。横浜の場合、その分、都会である部分、かなりいろんな角度からの注目の目があり、そういう意味でいけば、国の対応に対してはしかるべき対応をする自信があるというふうに思っております。 ただ、国の是正要求の発動ということについては、やはり限定的かつ慎重に行われるべきだと思いますが、最終的にはやはり公教育、国が責任を負わざるを得ないという現実がある以上、国がしっかり責任を担保し得る仕組みというのは必要ではないかなというふうに思っております。 最後に、職員免許法及び教育公務員特例法の観点ですが、これはいろんな事例の中で比較的先生を悪者扱いにしたような感じの取組があるようですが、少し前向きな観点から、やっぱり十年間たてば世の中が変わる、それに対していろんなリニューアルが必要であると、そういう観点からの見方というのが必要じゃないかとまず思っております。 それから、まず最初に、これは法律には特に規定はしてございませんが、採用前研修の充実。これはかなり重要な課題であるというふうに思っております。私は委員になってからもうさんざんこのことを申してきましたが、横浜の場合、今年は一月から、よこはま教師塾というのを設けまして、横浜の先生になりたいという人たちに約一年間、これは土曜日でございますけれども、研修をやっていこうという制度を設けました。こういう中で、心意気のある、しっかりとした研さんを積んだ先生を成していけるのかなと思っております。 それから、教員免許更新制度の考え方。これはもう今申し上げましたように、世の中の動きに対してしっかりと認識し、教育に当たれるような仕組みが必要であろう。ただ、そのときにやっぱり、スクラップ・アンド・ビルドといいますか、既存の研修の時間というものがありますから、その中でのうまく制度設計が必要であろうと思います。 それから、不適切教員の人事管理の厳格化。これは、そこに線を引いて書きましたように、厳しい部分ではありますけれども、不適格な教員が公務員という身分に守られながら教壇に立ち続けるというのは、子供たちはもちろん、日本の将来に対しても良くないということだろうと思います。 それから、分限処分を受けた者の免許状の取扱方。これは慎重な手続がもちろん必要ではありますけれども、総合的に勘案して行った処分ということで、免許状効力の失効というものは当然やむを得ないのかなというふうに思います。 以上、時間が参りましたので公述を終わらせていただきます。どうも恐縮でした。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 次に、府川公述人にお願いいたします。府川公述人。
○公述人(府川源一郎君) 府川です。 私は、現在、横浜国立大学で教員養成の仕事に携わっております。しかし、元小学校の教員もしておりましたので、本日は、現場の教職員及び教員養成にかかわっている大学教員の声をお伝えすると、そういうつもりでここに参りました。 公述人になるのは初めてのことですし、また法令関係のことは全く知識がございませんので、ピントの外れた話になるかもしれないことをお許しください。それから、時間が十五分と限られておりますので、話は主にその免許更新制ということについてということになろうかと思います。 教育についての議論が盛んに今行われております。多くの方々が教育活動に関心を持ち、またその成果に注目にされているのはとてもいいことだと考えます。とりわけ、教員についての議論、これは歓迎すべきことかと思います。しかし、その中には納得できないような議論もあろうかと思います。 現在、子供たちの様相は大きく変わってきています。子供たちを取り巻く社会や経済、また文化の状況も大きく変わっています。それに応じた議論がなされなければならないのは言うまでもないと思います。このたびの法案も、現在の子供と教員とをめぐる社会的な変化を視野に入れて考えられているということにまず敬意を払いたいと思います。 その中でも、教職員に対する研修について目が向けられ、またそれを保障するような制度や機会が設けられようと、こういう動きになっていることは極めて重要なことだと考えます。なぜなら、目まぐるしく激動する時代を生き抜いていくためには、常に新しい情報を取り入れ、それを自分自身の生き方と結び付けて応用していく柔軟な精神と態度が求められる、それはもう明らかなことだからであります。しかし、それがいわゆる指導力不足教員の問題とリンクして論議されているように思うことは、これには違和感を感じざるを得ないと思います。 今、研修のことを申し上げましたが、最初に確認しておきたいことは、何のために教員に研修が必要なのかということです。何のために教員に研修が必要なんでしょうか。それはもう端的に言って、教育を受ける子供たちのためだと思います。それ以外に理由はありません。 繰り返すことになりますが、現在は大きな歴史の曲がり角とも言える時代です。十年前の知識が既に古くなってしまい通用しないということはよくあることです。そのためにも、新しい感性の在り方、新しい知識の枠組みについて敏感である必要があります。教員についても同様です。いや、教員だからこそ重要だと言い直した方がいいかもしれません。しかし、それは一般論ではなく、目の前の子供、学習者を理解して、効果のある学習行為を成立させるための敏感さ、そこにつながらなくてはならないと思います。 一般に、現場の教員は、大学における教員養成システムの中で、つまり大学の授業を受けて教員免許を取得し、実際の現場へ巣立っていきます。最近では、大学での教員養成の考え方も大きく変わりまして、いわゆる座学だけではなく、現場の実践的な体験というのを大学教育の中に取り込む方向になってきています。横浜国大の教員養成もそういうふうに動いてきております。横浜市教委にも随分お世話になっております。 しかし、現実の教育現場の様子は、地域によって、年代によって、さらには学校や学級の成員などによって様々に異なっています。大学で学んだ教育理念や教育方法がそのまま通用するわけではありません。あるいは、大学で学んできたことも、現実の子供たちの実態と突き合わせる中で初めて本当に理解できるということもあると思います。 そうだとすると、現実の教室の中から問題を発見し、子供から学び続けていくことのできるような態度と能力、これこそが最も強く教員に求められている資質だと言えると思います。文科省が子供たちに求めているこれからの学力というのも、そうした問題解決能力を基礎にした生きる力だったはずです。 ここで重要なことは、実際に今申し上げた現実の教室の中から問題を発見し、子供から学び続けていく、そういう力を付けられるような研修体制を切実に求めているのも現場の教師自身だと、こういうことです。多様な現場の問題に真剣に取り組み、子供たちの苦しみや悩みを身近に感じ、それをどうにかしたいと思えば思うほど、そこに光を当ててくれるような研修が必要だということは教師自身が今最も強く感じていることです。教師たちの主体的な問題意識に立つ自己研修をこそ大事にしなくてはならないと思います。 こうした教師たちの研修を受けたいという欲求、すなわちそれは教師の研修権ということになると思いますけれども、それを保障することが教育行政に携わる者の大きな責任だと言うべきです。なぜなら、それは子供たちの幸せに直接につながるからです。その意味で、主体的な教員の自己研修というのは、教育実践を進めていく上で必要不可欠なものであると言って間違いないと思います。 その際、考えなければならないことは、研修が教員の主体的な問題意識と密接に結び付くような条件整備がなされているかどうかということです。お仕着せの研修を何時間積んでも身にならないことはここで改めて申し上げるまでもありません。 教師たちが切実に感じている問題を解決し、またそれを様々な角度から検討することができるような機会を設定することが最も重要だと思います。それは、学校内の教員相互による授業研究であるかもしれません。また、講演会のようなものであるかもしれません。また、民間で行われている研究会や講習のような場合もあるはずです。いずれにしても、そこに参加するための交通費や講習の費用など、予算措置も併せて考慮されなくてはならないと思います。 つまり、教員の研修というのは、あくまでも目の前の子供たちの成長のために教師自身が自主的、主体的に取り組むものであって、それをサポートする役割になるのが各教育委員会や私たち大学ということになろうかと思います。研修というのは、その質と教員自身がそれにどのように取り組むかということが重要なのであって、何時間すればいいと、そういう講習の時間だけが問題なのではないと思います。 ところが、今研修の重要性ということを申し上げましたけれども、それが免許の更新制と密接にリンクして議論されている、ここには疑問を感じざるを得ない、これが今日一番申し上げたいことであります。 そもそも免許状の更新というのは、それが更新できなければ教員としての職を失うということで、極めて大きな問題です。教職に就いて今十年目にそれを行うということになっていますが、教職に就いて十年目ということでいえば、学校や教育課程についての全体像をつかむことができ、ある種ベテランと言われている、そういう年代です。教育方法や教育技術についてもある程度の自信を持って取り組むことができるようになっている、そういう時期が十年目という時期だと思います。 しかし、現在、この時期には十年の経験者研修というのが置かれています。私も神奈川県内で十年経験者研修の講師を務めたことがございますが、そこでお話ししたことは、十年研修というのを教員としてのライフヒストリーの区切りと考えたらどうかということでありました。つまり、十年間教員生活を続けてきて、ここでこれまでの教育実践を振り返り、さらに自分がこれから教員としてこだわり続けていく核になる、そういうものを設定するための機会として十年研修をとらえたらどうかという趣旨であります。もちろん、それは人によって十年でなくてもいいわけですけれども、現行の十年研修を積極的に活用して、そこで自分のスタンスというのをしっかり決めていく、子供とかかわるスタンスを決めていく、そういうことを申し上げたわけであります。その考えは今も変わっていません。 ところが、その十年研修と免許状の更新の話というのは、似ているようですが、かなり内実は大きく違うのではないでしょうか。十年目ごとに免許更新を実施するということで、常に失職の不安を抱えながら仕事に当たるということになるのではないでしょうか。目の前の子供のことよりは失職の危険性の方が頭に浮かぶというような思考に追い込んでしまいかねません。もしそうだとすると、教員たちの日常というのはますます萎縮するばかりであります。現在以上に教員たちを萎縮させるような、そういう政策は取るべきではないと私は考えています。 今は、社会が教員を見る目というのを非常に厳しく持っています。そのこと自体は私は、悪いことではありませんし、当然のことだというふうに思っていますけれども、しかし、中には極端に社会性を欠いた要求だとか、あるいは本来なら家庭で担うべきことを過剰に学校に要求するというような傾向もないわけではないと思います。とりわけ、ここ数年それがひどくなってきているということも様々なところから聞いているわけであります。こう考えますと、教員たちは言わば孤立無援の闘いというのを強いられている、これが今の状況なのではないでしょうか。これに対して、教員たちに勇気を与えるような施策というのが欲しいと、こう思います。 もちろん、それは、先ほどから申し上げておりますように、教員たちのためにそうしてくださいということを言っているわけではありません。それは、何よりも子供たちの望ましい成長のためにそれがなければならないと思うからです。教員自身が自信を持ち、主体的に教育活動に立ち向かえないような状況だとしたならば、どうして子供たちを自主的、主体的な判断のできる大人に育てることができるでしょうか。これが言いたいことであります。 ただ、具体的に考えますと、いろいろ心配なことが免許更新制の実施に当たっては考えられます。具体的な実施に当たって様々な混乱が考えられます。 まず、事務量が相当増えるのではないでしょうか。現在でも事務職の方々の負担というのはかなりのものです。各教員の免許状の管理者と授与権者との把握、共通データベースの作成、さらに更新手続に際しての労力というのは大変なことだと思います。また、いわゆるペーパーティーチャーについては、期限を過ぎても失効しないということになっていますが、非常勤の講師をなさっている方や、また民間会社などに現在勤めていてこれから教職に就こうという方々の門戸を閉ざすことになりかねないのではないでしょうか。社会人を含め、できるだけ多彩な経験を持っている方に教育現場に入っていただくという方向とそごを来すことになるのではないでしょうか。もっとも、今のようなことは私が心配することではないかもしれませんけれども。 私は教員養成を担当しているというふうに先ほど申し上げましたが、その立場からいいますと、免許状の更新の講習の開設の主体が大学という規定になっていることが気になります。神奈川県の場合に限ってみても、どれだけ更新の対象者がいるのでしょうか。仮に三十時間の講習をするんだとするならば、そのためにどのような講座を開設することが必要なのかということを具体的に考え始めますと、本当にできるんだろうかということが不安になってまいります。もちろん、そうしたシミュレーションが十分になされた上で法案が作成されているのだと思いますけれども、実際にそこで、では密度の濃い研修ができる保証があるのかどうか、これが心配であります。 免許失効につながるかもしれない講習を担当するんだとするなら、こちらも緊張します。当然のことですが、わざわざ時間を掛けて講習を実施するなら、子供たちの教育に反映するような豊かな内容を用意する必要があります。単なる講習なのだから大教室で話を聞いてさえいれば自動的に修了認定になる、こういうものではないと思います。また、それではまずいと思います。形式的な研修になるなら、わざわざ免許状の更新講習を行う必要はありません。 話題から外れますが、そういうものは、恐らく長期の時間を掛けて、長期研修、あるいは大学院で教員を育てる、再教育をするというところでやるのではないでしょうか。 それでなくても、大学では、夏休みになって、私どものことを申し上げていますが、十年次の経験者研修だとか免許法の認定講習の講師、あるいは小学校の教員資格認定試験、あるいは各地の学校や教育委員会などの講師などに出掛けて教員養成に直接かかわる大学教員というのは、今はほとんど夏休み、休みがありません。もちろん、多忙であることは現場の先生方も同じことであります。何よりも、子供たちの豊かな成長を保障することを最優先に考えた免許制度であり、その更新制度であるべきで、結果的にただ忙しくなるだけだとするなら意味はないのではないかと思います。 これから教員を目指そうとしている学生は、次のように言っています。教職というのは、初任者研修があることでもプレッシャーなのに、十年ごとに免許更新制度ができると聞くと不安定な仕事だなと思ってしまう。仕事も忙しそうだし、責任も重そうだし、それに社会の教員を見る目も冷たいしと。ちょっと甘えたことを言っているのかもしれませんけれども。それでも、教育実習などで子供と触れ合うことでこの仕事の魅力を発見していく学生も多いです。しかし、初めから採用試験を受けないという学生も増えてきておりまして、それに苦慮しているというのが正直なところであります。 繰り返しになりますが、現在、それでなくても教員に対する信頼感というのは薄れています。毎日現場で奮闘している多くの教職員を支えると同時に、これからの日本を背負って立つ子供たちの未来に直接責任を持つこの仕事への信頼感を醸成すると、こういうふうな施策の実現を是非お願いしたいところであります。 以上で終わります。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 次に、加藤公述人にお願いいたします。加藤公述人。
○公述人(加藤澄代君) 本日は、このような機会を与えてくださり、ありがとうございます。 本年三月三十一日をもちまして三十七年間の教員生活を終わりました。その間、先輩の皆様、保護者の皆様、子供たちからたくさんのことを学ぶことができました。それぞれの個性のある子供とのかかわりを通し、自身を深め、見る目を大きく広げることができました。また、自分が変わることにより、更に子供との良い関係が築けたと思います。子供の持っている可能性を高め、それぞれの持っている良さを伸ばすためにも教師の果たす役割は大きいと実感しています。そして、子供とかかわれる職業に就けたことに感謝の思いで一杯です。 さて、団塊の世代交代が教育界に大きな影響を与えています。学校の歴史を知り、支えてきたベテランの先生方が退職し、大量の若い世代が新しく登用されています。十二学級という小規模校にも毎年二名ずつ新任が配置されるなど、どこの学校でも若い世代が教員の半数を占めることが普通になってきました。 新任の研修では、空き時間に非常勤講師が入りますが、学年当初の学級づくりが一番大切な時期に出張するということで、子供や保護者にも不安を与え、担任にとっても子供と十分かかわれない分、不安が残ります。望んで教員になった人が体調を崩したり、辞めていかなければいけない現状を考えると、何のための研修かということをもう一度考えることが大切であると思います。 現に私も、新任の方を一年で退職ということになりましたけれども、まじめにやればやるほど、一生懸命にやればやるほど時間が足りない、教材研究ができない、そして不慣れである。そういう中で、せっかく横浜に就職をしながら早期に退職をする方がいるということが非常に残念に思っています。そして、新任にとって本当に必要な研修内容を精選し、ゆっくり育てていくことも大切であるということを実感しています。 また、どんな先生でも、一たび同じ職場になれば何とか支援したい、それが管理職の心です。現在、不適応な教員も見られますけれども、それでもその教員とかかわるとき、管理職は必死になってその先生が子供とかかわれるような手だてを取ります。しかし、現実には非常に厳しいものもあります。その場合には、専門職としてどうしても子供にとってひどい、そういう方にはやはり退職を求める、そういう在り方も検討されざるを得ないような現状になっているのではないかと思っています。 若者の登用は、ベテランの先生方にとっても好ましく、いい刺激になっています。率先して行動する姿、一生懸命教材研究に取り組む姿から、自身を見詰め直し、惰性に流れていたことに気付く先生もいます。 今回、教員免許の更新の案が提案されましたが、より高い資質と能力を身に付けるためにも、新たな挑戦、原点に返るという意味では意味のあるものだと思います。しかし、その方法については、拙速にならず、十分吟味していただきたいと思います。今、私のこの思いを府川先生の講演の中で伺いまして、ただ形式だけではなく、実のある研修、また先生方が本当に研修を受けて良かった、そういう内容の精選というものが求められていると思います。 先生方が忙し過ぎる背景には、教員の定数が絶対的に足りないという現状があります。特に小学校では、全教科を担任が指導し、なおかつ兼務が非常に多いということです。副校長は副校長職として独立していますけれども、主幹教諭、児童指導教諭、特別支援担当、図書館司書、それは担任であったり、専科の先生であったりしています。自分に与えられた職務が気に掛かりつつも、学級担任としての仕事があるため、十分本来の役割を果たせないのが現状です。司書教諭も全校に配置されていますが、専任でかかわっている人はごくわずかです。ほとんどの先生方は、担任をしながら司書としての仕事をしています。主幹教諭についても同じことが言えます。 形は整っても内容が伴わないのが現状です。そして、まじめに取り組めば取り組むほど時間が足りず、遅くまで学校に残ったり、家庭に持ち帰ったりしています。いい先生が壊されかねないような現状をどのように支援していくのか、そういうことを考慮していただきたいと思います。 これは、外国に旅行し、現地の小学校を視察した際、日本の教育を語り合ったときに出たお話です。日本では一人の教諭が全科目を教えているということを聞いた現地の教諭は、目を丸くして、天才だと言ったそうです。その含むところは、そんなことはあり得ないといった気持ちがあったようです。小学校では、得意でも不得意でも担任が全教科を教えています。 また、中学校から小学校へ異動したある先生も、中学には学級に副担任が付いている、また生徒指導専任もいる、しかし小学校にはそのような制度がなく、すべて先生がやっている、資質の向上といっても、教材をしっかり準備する時間すらもない現状だ、せめて中学校並みの定員の確保が欲しいと訴えていました。これは、朝早くそれから夜遅くまで、本当に先生方が入るとトイレに行く時間すらない、そういうような現状です。そういう現状を踏まえた上での教育基本法の確立を是非お願いしたいと思います。 また、子供の多様性と親の変化ですが、公教育における小学校では、いろいろな児童が入ってきます。一対一対応が必要な児童もいます。学期前半では席に座って話を聞くまでの指導に力を入れなければいけないほど、学校環境に慣れるまでにひどく時間が掛かっております。また、保護者の先生に対する要求も高く、少数ではありますが、そのことに掛かり切りにならざるを得ない現状もあります。 そのような中で、校長として適切なアドバイスや支援を行ってまいりました。校長が積極的に職員の相談に乗ったり、児童や保護者へ適切な対応をしていくとともに、本年三月に卒業していったAのことをお話ししたいと思います。 Aは、東京で不登校になり、おばあちゃんのいる学校だったらということで本校に転入をしてきた児童です。やはり、五月の末に転入し、六月一杯は泣き叫んだり、帰ったり、そういうふうな現状が続きました。七月からこの児童を校長室で見ることになりました。初めは絵をかいたり本を一緒に読んだり、ほとんど十二月までは勉強らしい勉強はしませんでした。しかし、しっかり信頼を築く中で、一月に入ってから、自分からドリルをやり始めました。 この間、担任のかかわりですが、自分の学級がある以上、こんなことをやっている、こういうことをやってください、そのようなかかわりはありますが、じっくりと本人にかかわっていく、そういう姿はありませんでした。これは、担任が悪いということではありません。 本年三月、一人の卒業式を迎えました。おばあちゃん、お母さん、本人、そして副校長、担任の先生、そこにいる先生方でたった一人の卒業式を行いましたけれども、本当に子供が満足し、そして小学校を巣立つ、そのためにはやはり先生方がそこに付ける時間、ゆとり、そういうものが必要だと思っております。 ゆとり教育の導入について、また週休二日制について、学校はますます忙しくなっております。また、生活科が導入されたときは、生活科を通って高学年になった児童、経験をしない児童では、とても大きな変化の違いがありました。それは、実体験のすばらしさを学んだ児童とそうではない児童の差だったと思います。 ところが、今、ゆとり教育が見直しされています。長い期間を掛けて定着してきたもの、その根本が揺るぐということは現場では非常に混乱が大きいです。将来を見通し、本当に付けたい力を吟味していただきたい、そして教育の現場が混乱をしないような、そのような十分な審議をお願いしたいと思います。 今回の公聴会では、言葉足らずですけれども、取りあえず現場の問題をお話しいたしました。教育公務員として、その使命と聖職の意識を持ち、常に自己研さんするとともに、教育に携わる先生方が自信を持って教育に当たれますよう、十分な御審議をお願いしたいと思います。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 次に、阪田公述人にお願いいたします。阪田公述人。
○公述人(阪田勝彦君) 私は、ここ横浜で弁護士をしている者です。本日は、公述人として発言させていただく機会を与えていただきまして、誠にありがとうございます。光栄に思います。 結論から申し上げますが、私は、現在提出されておりますこの法案の成立については反対です。 法案に反対する理由を申し上げる前に、今回の地方公聴会について一言、御意見を言わせていただきます。 今回、私が地方公聴会のお話をいただきましたのは今からちょうど十日前になりますが、その後の理事懇談会の方で、地方公聴会が決まっておきながらこれを採決すると、十四日に採決をというような要請があったようにお聞きしています。しかし、本当に地方公聴会で国民の声をお聴きしていただけると、こういうことなんであれば、どうして地方公聴会を入れた上で採決の話をされるのか、私には全く理解できませんでした。私は、この十日間、国会審議すべて読み、法案も全部読みました。私は、何のためにやってきたのかと非常に憤りを感じました。 ただ、中央公聴会が十四日になったということで十四日の成立はないかもしれませんが、是非そんな拙速な審議ではなく検討していただきたいと切に願います。 中教審での審議ですが、これはわずか一か月でした。これを受けた衆議院での審議もわずか一か月です。しかも、十一項目の附帯決議をひっ付けたまま、それで採決がされています。 この教育三法案というのは、現在の教育の基本構造そのものに手を入れるものでありますから、これがもし間違ってしまったときにはもはや取り返しの付かない過ちを引き起こす危険性のある重大法案です。それゆえに、国会議員の皆さんだけでなく、国民の声を聴くための機会として地方公聴会が開催されたはずですので、特に与党の皆様にはくれぐれも、昨年の教育基本法改正案の際に問題となったやらせタウンミーティングとか、あんな内容などどうでもいいというような形のものは是非やめていただきたい、この今日の審議を是非活用していただきたいと、そういうふうに切に思います。 では、法案の問題点についてお話しさせていただきます。 法案の問題点を述べる前提としまして、まず教育と国家の在り方について申し上げます。ただ、この点につきましては争いのあるところではありませんので、ごく短く申し上げます。 権力拘束規範であります憲法、教育基本法の下では、教育への国家的な介入はできる限り抑制的であるべき。これは、この枠の中で判断しなければさきの戦前の教育の方に戻ってしまうと、ここは争いのないところであると思います。ちょうど旭川学テ判決が言うように、教育は本来、人間の内面的価値に関する文化的な営みであり、これを国家のためや、党派的、政治的観念や利害によって支配されるべきものではなく、そのような国家的な介入により一方的な観念を子供に植え付けるような教育は憲法に違反すると明言しているところであります。 しかし、今回提出されております法案につきましては、このような教育への国家的介入を教育現場の隅々にまで広げてしまう、そういう危険を持つ、言い換えれば、教育の国家統制を可能とする法案であると私は法文を読んだ上で理解しましたので、強く反対するものであります。 各法案について、簡単に具体的意見を申し上げます。 まず、学校教育法についてです。学校教育法等の改正案三十三条、法案を拝見して最も驚いた点はこの点でした。法案では、文部科学省が定めることができる範囲が現行法の教科から教育課程へと文言上は拡大して変更されていました。 現在の教育法学においては、教科とは教科・科目名を指すと一般的に理解され、これが通説的な見解で長らく来ていると思います。しかし、これを教科外活動をも含む概念である教育課程とすることによりまして、およそ教育内容のすべてに文部科学省の権限が及ぶように読むことができるように思います。現在では、法的拘束力の有無が問題となっている学習指導要領につきましても、この法案によってそのすべてに法的拘束力が得られ、国家が教育課程の内容を権力をもって一義的に定めることができることになりかねません。すなわち、法案はこのままですと、その時々の権力者によって教育内容を変えることが客観的にできる制度となってしまうことになります。今そう思っていることではなくて、この後の人たちが時の権力者によって変えることができる制度ができてしまうと、そういうことです。 また、二十一条。特に、法案の二十一条が定める義務教育の目標において、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養う、歴史について正しい理解に導きなどという文言が定められています。 これは、先ほどの国家の教育内容決定権とこの規定が相まってその危険性が増大することになると考えます。それは、何をもって愛国心と解するのか、何をもって正しい歴史認識とするのかは、これは極めて多義的な概念だからです。それにもかかわらず、その内容を権力をもって一義的に決め得る、教育課程の内容としてそれを決め得るということになるのであれば、それは、特定のイデオロギーを持つ権力が利用しようと思うならば、歴史を歪曲し、戦前のように国家への愛国心を刷り込ませることによって、正に国家にとって都合のいい子供をつくり上げることが現実に可能となってしまいます。 また、学校評価制度につきましても若干コメントさせていただきます。 四十二条です。文部科学大臣の定めるところにより学校の教育活動その他の学校運営の状況について自己評価を行い云々と、学校に自己評価、改善措置、教育水準向上が課せられております。加えて、四十三条で、そのことを保護者、地域住民その他関係者に対し積極的に提供するものとして、情報提供義務が規定されております。 しかし、問題は、情報を保護者たちに提供することではなくて、これも文部科学大臣、すなわち国家が基準を定めることになっていることです。国家の定めた一律の基準により各学校が自己評価、自己点検、改善を行うことを求めることになり、これがまた国の教育内容の統制を制度的に可能にすることにほかなりません。また、国会審議の中ではその基準すらも明らかになっておりません。しかし、このままでは国家に白紙委任しているに等しい余りにずさんで危険な法案となっていると考えます。 学校を評価し、それの公表を義務付ける際には、その基準いかんによっては学校の序列化を生む危険すらあります。そのような基準を全く明記せず、議論もせず、後で考えますといって後回しにし、それを白紙委任で出すようなこと、そんな無責任なことにはとても賛成することはできません。 副校長、主幹等、管理職の新設につきましては、これにつきましては、教員の数がまず足りていないという現状は先ほども加藤公述人の方からあったとおりでございます。そのような現状の中、このような副校長、主幹職、この方たちは新設で雇われるのか、それとも今の現職の教員の管理職を流用するのか異動させるのか、そのことすら分かっていません。これが仮に現職の方たちを異動で使うということであれば、今足りない中の先生方を更に忙しくさせる。特に大阪府では、新規に主幹等になられる方はいらっしゃらず、結局は既存の形がやられているとお聞きしています。更に子供と向かい合う時間が失われるだけとなってしまうと思います。 教員免許法について申し上げます。 教員免許更新制度につきましては、本来、教員免許の免許管理者につきましては主に都道府県教育委員会でございますが、法案を見ますと、免許状の有効期間の更新及び延長に関する手続その他必要な事項は文科省令で定める、これは九条の二でございます。免許状更新講習の内容が文部科学省令で定める事項に関する最新の知識技能を修得させるための課程であることを要求し、講師につきましても、教授、准教授、講師のほかは、これらに準ずるものとして文部科学省令が定める者、挙げ句の果てには、講習がその他文部科学省令で定める要件に適合するものであること、また九条六項では、ともかく、前各項に定めるもののほか、免許状更新講習に必要な事項は文部科学省令で定めるとされる。徹頭徹尾、文部科学省令が定めると、国の裁量が強力に認められています。 このような教員免許更新制度改正案の最も危険な点は、これは講習をするかどうか、研修をして自己研さんするかどうかではございません。そのような基準をすべて文部科学省に白紙委任している点にあると私は考えます。 わずか五年前の中教審では、教育公務員のみ更新制を導入することには慎重な意見でございました。昨年の中教審では、これを推進するとしましたが、あくまでも不適切教員の排除を目的とはしないと、日常の職務と自己研さんを行っていれば更新するというものにすぎませんでした。 しかし、本法案の目的につきまして伊吹文科大臣は国会審議の中で、学校現場にはふさわしくない先生は何らかの形で排除したいという再生会議の意見を受け止めましたと四月二十五日におっしゃっています。また、講習とは、単なる更新講習ではなく、筆記試験と実技試験を行うとされています。不合格を繰り返す場合には分限処分の発動を促すと、そこまでおっしゃっています。 ところが、一方で法案は、免許管理者の除外認定により更新講習を免れる者も規定されています。その具体例につき、大臣表彰を受けた者又は校長職にある者を指すとのことですが、大臣表彰というものは知事部局と教育委員会の推薦で行われるものですので、これらの機関にとって覚えのよい教員が優遇されるという事態を生みかねません。 例えば、現在、東京都で裁判が行われております国旗・国歌の起立、斉唱を争う訴訟を行った教員は除外認定を受けられるんでしょうか。しかし、これでは、どういう教員が悪いかを国が決め、その教員を分限処分にすることができることを意味します。これも、悪用すれば、国家にとって都合の悪い教員は排除することが可能となる極めて危険な内容となっているとしか言いようがありません。 例えば、本法案の衆議院における審議では、従軍慰安婦問題、沖縄集団自決問題について、従軍慰安婦は外国人はほとんど存在しないんだ、集団自決には隊長の命令はなかったと通説的ではない見解を自民党の議員さんの方が強調されており、仮に、これをもって最先端の正しい歴史認識であるとして講習修了基準とされるならば、それが通説でなくとも、それに従うことに、自らの生活と引き替えに国家の言いなりとなるしかなくなる。そのような乱用の危険を残すことは許されないことであると考えます。 法的な不備の点は、これは省略いたします。 地教行法について申し上げます。いわゆる地教行法の改正案について意見を申し上げます。 法案は、文部科学大臣から教育委員会あてに是正要求、これは四十九条で、指示権限、これは五十条で与えられています。これらの権限を文部科学大臣に認めたのは、昨年話題となった単位未履修、いじめ問題が契機であると御説明されています。 単位未履修問題につきましては、話題となったのが昨年のことであっただけであり、いわゆる地方分権一括法が施行される以前から存在し、つまり文部科学省は対処をできた、しかも文部科学省はそれを把握しておきながら放置していた、そういう問題でございます。 また、いじめ問題につきましては、地方自治法二百四十五条の三第六項によって指示権限を既に認められているところであります。これ以上に指示権限を増やす理由が全く不明であります。 なお、四十九条の是正要求の規定は、法令の規定に違反する、執行を怠る、いずれかの場合において児童生徒等の教育を受ける権利が侵害されていること、この二つの要件が必要とされていますが、伊吹文科大臣の国会答弁では、法令の規定に違反していれば児童生徒の教育を受ける権利が侵害されていることは明らかであると。つまり、二つあるけれども、一個あれば二つとも明らかだと、そういうことをおっしゃっています。 そのように考えると、例えば、今回新設されています法案一条の二の基本理念にありますように、改定教育基本法の趣旨にのっとってと法律に書いてある、それにのっとっていないと判断をしたとさえ言えば、いかようにでも国家は教育委員会へ介入することができることになってしまうと思われます。 このような法案では、ただでさえ文教行政の末端と呼ばれ、本来の趣旨が失われていると指摘されている教育委員会を更に国家の末端機関とし、その支配を強め、これは地方分権に反することになると強く考えます。 教育委員会の共同設置、指導主事設置につきましては、教育委員会を近隣の市町村と積極的につくりなさいということを規定されておりますが、これは市町村合併にもおいて分かりますように、大きい方が小さい方にやはり力を持ち、小さい方が大きい方に従うという形になることは目に見えていることだろうと思います。 なお、民主党案につきましては、民主党案は教育委員会の廃止ということをおっしゃっていますが、それは教育委員会制度を廃止して活性化をするという一つの説であろうと思います。ただ、それについても慎重な検討が必要であると思いますし、先ほど来この点につきまして慎重なもっと検討が必要であるとのお話が各公述人から出ておりました。やはりそのことも含めてもっと慎重に検討すべきであると、そう考えます。 以上、御指摘させていただきましたように、本法案につきましては、仮に作成者にそのつもりがなかったとしても、悪意を持って運用すれば国家による国家統制をいともたやすく実現することが可能となっている法案であると考えます。 本法案は、教育基本法改定の趣旨に沿っての改定であるとされています。しかし、思い返せば、教育基本法の改定の際の理由は、ニートの増加、少年犯罪の増加、学力の低下などでした。私には、これらの法案のどこがこれらニートの増加問題の解消につながるのか一向に理解できません。条文を読む限り、あるのはただ国による教育への統制強化のみであろうというのが結論でございます。 最後になりますが、私は、実は共産党からの御推薦をいただきましたが、共産党員ではございません。もちろん、自民党でも公明党でも民主党員でもありません。全くの無政党です。将来の子供たちにかかわり、一たび失われたならやり直しの利かない教育の問題を皆さんが政治闘争の道具とされているのではないか、そのように思えてなりません。 資料に「あきれた教育現場の実態」を添付させていただきました。「これでもあなたは日教組に子どもをまかせられますか」、日教組イコール民主党と書かれてあります。これは自民党のホームページから取らせていただきました。私は、一たび失われたらやり直しの利かない教育の問題をこのような政治問題にしていただきたくない。共産党がそのような党員でもない私を公述人に推薦していただいてとても感謝しております。 本法案は、地方公聴会まで行う必要のある重大法案です。郵政選挙で郵政民営化の是非一本で圧倒的多数を取った衆議院の数の論理にただ従うだけならば、私は皆さんは参議院議員としての資格、資質は全くないと思います。抵抗勢力と呼ばれても自らの信念で天下国家を考えられる人、大企業などでなく私たち国民のことを考えていただける方には私は主権の負託をしたいと思います。本当に国民の声を聴いていただけるならば、是非、参議院選挙の際に本問題を提起され、選挙によって国民の信を問うていただきたいと思います。 私は、白紙委任としてすべて文部科学大臣、文部科学省に丸投げをしているこのような法案に、私は実は八歳の娘がいますが、その娘をここの中にやるわけにはいきません。このような何をつくられるのかが分からない法案を作り、その中に送るということは絶対にできません。 以上です。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきたいと思います。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○神取忍君 自由民主党、神取忍です。 本日は、大変お忙しい中、四人の公述人の皆様方に貴重な御意見を賜りまして、心より感謝申し上げます。 初めに、四人の公述人の方にお伺いします。 今、教育現場でいじめ問題、未履修問題等、大きな問題が次から次へと起きております。そういった中で、教育委員会の対応がどうしても迅速に行われない、柔軟に行われないという批判が多く集まっています。そこの中で、教育委員会、その在り方が今大きな問題となっていると思うんですけれども。 そこで、今回の地方教育行政法の改正案、教育委員会が担う責任を明確にした上で教育委員会の体制の充実を図るとするものとなっているんですけれども、この改正案によって教育委員会の意識改革そして組織改革がどのように進んでいくと思われるのか、そしてまた、その際どのような問題が生じるのか、その辺のお考えをお伺いしたいと思います。
○公述人(今田忠彦君) 御質問の件でございますが、法改正でどうその意識改革が進むのかというと、先ほど申し上げましたように、なかなか簡単に、すぐ法律ができたから教育委員会の意識が変わるかというと、そうとは正直なところいかないと思いますけれども、だから、時間を掛けて、やはりこの法改正の趣旨というものをみんなが認識するような研修といいますか、プロパガンダといいますか、そういうことをやっていくことによって、しかし確実に変わっていくというふうに認識をしています。
○公述人(府川源一郎君) 教育委員会の問題は私はよく分かりませんので、個人的な意見は差し控えさせていただきます。
○公述人(加藤澄代君) 現場のいじめですが、直接、担任を超えて学校を超えて教育委員会にそのことが入るというような、そういう信頼関係の非常に希薄さということを感じています。それだけ今、学校が保護者にとっては本当の安心の場ではない。そういうことを考えますと非常に教育委員会の持つ意義は大きいと思うんですが、結局は、教育委員会からまた現場の学校に戻るということで学校対応が多くなっています。そういう面では、学校が力を持ち、本当の意味でいじめに対しても学校自身が胸を張ってそのことに誠実に対応していくという、そういうことが大切ではないかと思います。 行政については、直接携わっておりませんので控えておきます。
○公述人(阪田勝彦君) 私は、教育委員会の意識が低いと、そういう前提に立たれたのであれば、その事実の有無をまず検証されることが重要だと思います。その上でその原因をまずは検証されることが重要なんではないかと思います。この法案がそれを検証された上で出ているものであるということの審議は全く出ていないと、私はそういうふうに思っています。 以上です。
○神取忍君 それでは、今田公述人と加藤公述人にお伺いしたいんですけれども、今度、学校教育法の改正案で、先ほど話した副校長、主幹教諭、指導教諭を新設することになりましたが、様々な意見があったように、先ほど加藤公述人がおっしゃったように、外国人とはまた話がいろいろと違う部分とかあったと思うんですけれども、そういった中で、新たな制度が導入されたときにメリットとデメリットは一体何なのか、そして、今後これが導入されることによって学校運営にどのような変化が現れるのかということの御見解をお伺いしたいと思います。
○公述人(今田忠彦君) 先ほども申し上げましたが、今、学校現場はなべぶた型と言われているのを、こういうふうに法律上もきちっと組織立ったことが明確にうたわれることによって、一挙にはいきません、一挙にはいかないと思いますし、それから、多忙感解消のためのやっぱりサポート的な要素もないとなかなかいかないかなとは思いますけれども、そういう要素を加味することによって現場にしかるべき、校長のよりリーダーシップが発揮できるような体制ができ得るというふうに思っております。
○公述人(加藤澄代君) 教員が一たび学級に入るとすべて子供にとっては同じ教員ということで、公平ということを考えますと、その職員の中にいろいろなそういう組織があるということのまた危険性はあるかと思います。ただ、教師の意識の中に、この人は主幹教諭だからという、そういう責任転嫁が起こるとこれは非常に怖いことだなと。 そういうことで、やはり私は、一人一人の教員が資質の向上を目指す、一人一人が自覚をして現場で活躍する、そういうふうなことが一番大切ではないかと思います。ただ、先ほども言いましたように、もっと広い目でもって子供たちの教育に当たれる、そういう保障があれば、副校長、また専任の主幹教諭が出てもいいとは思いますけれども、やはり主幹教諭自身が担任をしているという、そういう現状では非常に厳しいと思います。
○神取忍君 それでは、府川公述人と阪田公述人にお伺いしたいんですけれども、今度、免許更新法により教員の質を高める、今、加藤公述人もお話ししたと思うんですけれども、確かにそれはすごく大切なことだと思うんですけれども、今度、地域が求める教員はどのようなものかも考えていかなければいけないと、必要だと思うんですけれども、そういった中で、県や市町村のニーズに合ったものとなっている、今の教員養成が県や市町村に合ったものになっているのかどうかというものをお聞きしたいと思います。また、そうでなければ、どこを改善しなければいけないのかということをお聞きしたいと思います。
○公述人(府川源一郎君) うちの大学の場合ということになろうかと思いますけれども、先ほどもちょっと申し上げましたように、学生たちが一年生のころから教育現場へ入って、そして学ぶというようなことをしておりますので、その段階でかなり教育委員会などとも密接な連絡を取っておりますし、また地域の教育方針、又は横浜市の教育方針も含めて理解をして、そしてそれを教育活動に、教員の養成の活動に生かしていくというようなことはしておるつもりですし、従来よりも更にそれは進んでいると思っております。
○公述人(阪田勝彦君) 私は教員ではありませんので、市町村のニーズに合った教員とはどういうものであるかとか、そういうことはじかにうまくコメントはできません。ただ、一人の親として、地域が求めるというか私が求める教員ということであれば、やはり子供の方を向き合って見てくれる学校の先生がいいと思います。 以上です。
○神取忍君 府川公述人にもう一度お伺いしたいんですけれども、免許更新講習について、教員養成大学で行われることになる、これからなると思うんですけれども、その際に求められていることはどういうことなんですか。
○公述人(府川源一郎君) 大学で教員養成をしているということは、戦前の師範学校のようなシステムではなくて、学問の最先端に触れ、そして学問の喜び、追求することの深さ、そういうものを身に付けた者が教員になっていくというのが戦後の大学で教員を養成するということの一番根幹だと思います。ですから、大学で教員を養成するということは私はそういうことだと思っておりますので、大学でもしこの免許の更新ということになれば、やはり大学の学問の理念、研究の理念、そういうものをしっかり理解していただくということがまず基本にあるというふうに思います。
○神取忍君 今田公述人にお伺いしたいと思うんですけれども、今度の地方教育行政法では、教育委員会の所管事務のうち、文化、スポーツに関する事務は地方公共団体の判断により首長が担当することになりましたとなっております。これは、文化、スポーツ事業を市町村がこれから行うということになるんですけれども、これまでの業務を教育委員会が行ってきたと思うんですけれども、それのメリット、デメリットをお聞きしたいと思います。
○公述人(今田忠彦君) ちょっと質問に対してぴったりお答えになるかどうか分かりませんが、横浜の場合も、今は法律上そういうことになっていますけれども、委任規則等でスポーツ、文化等につきまして市長部局にゆだねているという実態がございますんで、これで法律上そういうことで明確になれば、内部的な規定はほごというか、なくして正式に市長部局でオーソライズされるということで、我々としてはそういう方向の方が現状から見て望ましいのではないかなというふうに思っております。
○神取忍君 もう一度今田公述人にお伺いしたいんですけれども、スポーツ、文化事業だけではなく、ほかの部分で権限移譲できることは、お考えはありますか。
○公述人(今田忠彦君) ちょっと、今すぐこれだというのは浮かびませんけれども。済みません。
○神取忍君 分かりました。 ありがとうございました。
○林久美子君 民主党の林久美子でございます。 本日は、四人の先生方、貴重なお話をお聞かせいただきましてどうもありがとうございました。 四人の先生方のお話を伺っておりますと、やはり今だれもが、子供たちが置かれているこの教育環境、教師という立場であれ、親という立場であれ、子供の立場であれ、今のままではいけない、もっと財政的にも人的にも支援をしていかなくてはいけないんじゃないか、あるいは学校の先生たちがスキルアップをするときに、じゃ、どういうやり方が有効なのかと、本当にこれは今の社会にとっての至上命題であるなということを改めて感じた次第でもございます。 やはり、子供たちが健全に育ってこそ国の未来が当然あるわけでございまして、子供たちは、今更申し上げるまでもございませんが、社会を映す鏡と言われ、いじめ問題あり、自ら命を絶つ子がいたり、それから学びたいと思いながらも学べない環境に置かれたり、あるいは親が自らの子をあやめたり、子供が親を傷付けたりという事件が後を絶たない中、やはり教育、とりわけ公教育をしっかりと今再び立て直していくことというのが非常に大事であるというふうに思います。 もちろん、これまでもいろいろな側面から教育を支えるためみんなが努力をしてきたことについては疑いの余地がないわけでございますが、それでも、時代がこうして速いスピードで変わっていく中で、今、じゃ私たち教育にかかわる者としてどういうふうに子供たちを取り巻く教育を再生していくことができるのかというのを、本当に先生方と一緒に今日御意見も伺いながら考えさせていただければなというふうに思いました。 それでは、早速なんですが、四人の先生方それぞれにお伺いをしてまいりたいと思います。 先生方からともに出てきたお話として、やはり免許の更新制のお話があったかなというふうに思います。 私も今四歳の息子が実はいるんですが、幼稚園に限らず、小学校、中学校、やはり子供たちというのが非常に多様化してきていると思います。それは、保護者のライフスタイルが多様化をしてきているとともに、いろいろな障害を持っている子供たちがいたりとか、できるだけそういう子供たちにきめ細かな対応をしていこうというふうに教育は動いているんだと思います。しかしながら、そうした子供たちに常にしっかりと向き合い、子供たちが求める、あるいは親が求める、地域が求める教育をしていこうと思うと、やはりそのスキルアップというのは当然避けて通れない道であるということを考えております。 私たち民主党も、学校の先生たちにより一層能力を高めていただこうと、先生方ももっと学びたい、もっといろんな課題に対応したいと思ったときにそれを支えていこうということで実は法案も提出をいたしております。 国際的に見ると日本の学力が下がってきたということも指摘をされる中で、やはり学校の先生になろうという熱い思いを持った方にはしっかりと大学院まで行っていただいて、しかもそのうちの一年は、先ほどもお話がございましたが、教育実習に時間を割こうと。教育実習を徹底してやってもらって、教師を志す人たちが、自分が本当に教師が向いているのかということも含め、あるいは今の子供たちに向き合うにはどうしていったらいいのかということも、やっぱり実地を積んでいくということで、一年間びっちりとしっかりと教育実習をしてもらおうという案であるとか、あるいは免許の更新の際にもしっかりと百時間学んでいただこうとか、それに伴ってやはり費用負担の問題もございますので、しっかりと奨学金などを創設していこうというような提案もさせていただいております。 先生方それぞれのお立場で、この免許の更新制などについて、あるいは学校の先生になろうという人たちの育成の在り方についてもお考えをお持ちであると思いますので、それぞれにお聞かせをいただければと思います。よろしくお願いいたします。
○公述人(今田忠彦君) 今、林先生からいろいろお話がございましたが、やはり教師という仕事がすばらしい仕事だということをいま一度教師自身も自覚されることが必要ですし、世の中がそれをやっぱり認めるというか、そういう雰囲気というか土壌というものをつくらないと、少し今先生は何か悪いし、それは大勢の中にはいろんな人がいるわけですけれども、そういう先生の仕事いうものの意義、すばらしさいうものをみんながもう一度よく認識をしていくようなことがやっぱり大事じゃないかなというふうに、出発点として、こういうふうに思います。
○公述人(府川源一郎君) 今スキルアップが大事だというお話で、私もそのとおりかと思います。 スキルアップにはいろいろな道があるかと思いますけれども、今お話しになったのは教員養成の段階で大学院まで行き、そして教育実習をみっちりやると、そういう方向もあろうかと思います。 ただ、現行では、例えば現職で何年かおやりになった方が大学院へ入ってくるという、こういう道もありまして、これもまた捨て難いといいますか、つまり、子供たちとのやり取りの中で様々な現実的な問題をもう一度、五年、十年たったときに整理をし直してみる、そしてそれを更に未来へつなげていくと、こういう方向もあるかと思うんですね。ですから、必ずしも教員になるときに、すべてもうそこでみっちりやって、あとはもういいよと、こういうことではなくて、様々なスタイルのスキルアップの方法というのがあり、そして多分、人によって選ぶことができるということが一番いいやり方だと思います。 ですから、私は、大学院を出て教員になるということは賛成ですけれども、そのほかにもそういう様々なルート、また様々な研修の機会、そしてそれは現実に突き当たっている問題から教員が選んでいくというか、また、それをした方が子供のためにいいだろうということで選んでいくということが非常に重要で、やっぱり子供の様相というのは地域やそのほか様々な条件によって、先ほど障害児のお話も出ましたけれども、障害のあるお子さんが教室にたくさんいれば、またそれはそれなりのスキルアップの仕方というのはあるわけですから、そういうことに対応できるということが大事かというふうに思います。
○公述人(加藤澄代君) 今お話がありましたように、学校で学んだ理論が実際に教室へ入ったときにどこまで生きるかということなんです。 やはり、学歴至上主義と言われますけれども、最終的にはその人の持っている人間性ということが非常に教育には大きな影響を与えるということを実感しています。特に、今、子供たちにとってコミュニケーションの能力、それから想像力、こんなことをしたらこんなふうに相手が思うかも分からない、そんなふうな能力が非常に欠けている。それは、大きく言えば、教育の欠陥が子供に出ているのかなということを感じています。ですから、やはりそういう能力を深くするためにも、まずは先生が感動する心を持つ、いろんなことに配慮できる機微的な力を持つ、そんなことがとても大切だと思っています。 そういうことで、やはり大学で学んできたことを実践を通して自分自身が身に体し、さらに自分からもっと研修を受けていく、また大学院などの道もあると思いますが、そのような教師自身のそういう自分を高める方法というか、そういうものが出てくることが本当の教育につながっていくのではないかと思っています。
○公述人(阪田勝彦君) 私もスキルアップは重要だと思っています。それは、弁護士の世界であってもどの世界であってもスキルアップは重要だと思います。 ただし、民主党案が言うように、修士を必要とする、どうせやるなら修士をということだろうと思います、それで一年間と。ただ、それの人事配置が果たして本当にできるのであろうかということは、そこまで具体的に話がされているのかと。とてもできていないんではないかなというふうに思います。それなのに、今、法案が参議院の、二十三日までに成立するということにもしなるのであれば、それは民主党案であっても自民党、公明党の案であっても、とてもじゃないですが現実的じゃないというふうに思います。 また、スキルアップが重要だと申し上げましたが、スキルアップの問題、これと資格を失わせる更新制度を一緒くたにすることは、私はこれは間違いだと思います。 以上です。
○林久美子君 ありがとうございました。 正に、よく言われるように、駄目な先生の資格を奪うということがもちろん目的ではなくて、より意欲を持って学びたいという気持ちを受け止め、そして実際に研さんを積んでいただいて、子供たちと向き合う際にそれをまた、その学んだものを子供たちとの関係に生かしていただきたいという思いで我々は法案を作っておるんですけれども。 でも、その際、やはり先ほどもお話がございましたが、先生たち一人一人がやはり自らを磨きながら子供たちに向き合うことが大切ではないか、そのルートはいろいろあるんじゃないかというお話もございましたが、本当に昨年はいじめの問題が大きな社会問題となりました。 私も、実は昨年、問題となった現場の教育委員会の方とお話をする機会をいただきまして、お話をさせていただいたんですが、そのときに、自ら命を絶った学生が書き残していた紙があって、それは明らかに内容からいうと遺書だったんですが、遺書ではなくメモだと当時のその関係者の方はおっしゃいました。なぜメモなんですかと伺うと、小さな紙に書かれていたからだと。ただ、後になってこれは遺書でしたと訂正をされましたけれども。正にそういう大人の感覚というのが問われているところというのはあるのではないかなと感じています。 そうしたときに、先ほど神取委員の方も少しお話ございましたけれども、やはりどうしても教育委員会の機動力が落ちていると。本来であれば、問題があったときにさっと、しっかりと対応してやはり子供たちのSOSをきちっとキャッチをしなきゃいけない。これはもちろん教育委員会のみならず、家庭でも学校でも同じことになるわけですけれども、そうしたときに、やはり教育委員会の機能低下というのを踏まえたときに、じゃ、どうしていくのがいいのかと。我々は教育委員会の発展的解消というのをうたっておるんですが、保護者も学校も地域の人も専門家も、いろんな人がみんなで集まって、例えば何か問題があって個々に相談をしたけれども声が届かなかったというときには、すぐにそこに言えばきちっと機動的に動くという、そういう枠組みは必要ではないかと実は考えております。 子供たちが直面する課題をきちっとすくい上げていくためにどういう制度的な枠組みが必要であるとお考えでいらっしゃるのか、それぞれにお伺いをさせていただきたいと思います。四人の先生方、お願いいたします。
○公述人(阪田勝彦君) 質問を少し繰り返させていただきますが、いじめに遭った子供が相談すればすぐ動く仕組みをどういうふうに考えているかでよろしいんですか。
○林久美子君 いじめに限らず、いろんな課題が子供たちにあるわけですね。あるいは保護者の方にもあるかもしれない。そういうときに、しっかりとみんなでサポートをしたり解決をする仕組みというのはやはり必要なんだと思うんですね、問題の共有化を含めて。その辺りをどのようにお考えかというのをお話をお聞かせいただければと思います。
○公述人(阪田勝彦君) まず、何か要請があったというときに、必ずその要請に対して動かなければならないのかどうか。例えば、私も父兄ではありますけれども、何だかんだと、もう本当にそんなことを言ってはいけないんじゃないかというぐらいのことを学校に、すべて学校のせいにするということは、また私もその年代の子供を持っていますのでこれは分かります。そういう現実は確かにあると思います。 例えばいじめですけれども、いじめがあったときに、私は、いじめに遭った子供がだれかに話せるぐらいであれば、そんな問題は大きくならないと思います。弁護士はいじめの事件も扱いますので、いじめに遭った子供はだれにも言えないんですね、親にも言えない。これは、自分のプライドというか恥ずかしさの面もあるかもしれません。学校の先生は第三者であるから逆にまだ言いやすいだろうと思います。 そういう状況の中で、例えば言えないという中にいる子供に言いやすい仕組みをというのがもし分かっているのであれば、とっととつくっていると思いますね、そんなものは。それを、例えば教育委員会の改革ですか、若しくは文部科学省がこんなに入ってくるとかいうこの法律でできるのかどうかについてお答えすれば、それはノーだと思います。 私は、これを見て、これでいじめがなくなるというようなことはとても思えません。私も、例えばいじめがなくなる、いじめから子供たちが救われるものを考えたいと思いますが、とてもそれを今この場で思い付いて話せるようなそんな簡単なテーマじゃないと思います。ましてや、この法律でそれができるとはとても思えません。 以上です。
○公述人(加藤澄代君) いじめの問題、もろもろの問題ですが、まず保護者同士の連携でかなり防げるものはあるのではないか。今は保護者を通り越して直接先生とか教育委員会へ行くわけですけれども、十分仲良しのお母さんがいたら、こんなことがちょっと気に掛かるけれどもとか、心配ということで相談ができるのではないかなということを感じています。 そして、もしそこのところのつながりがなく学校に来た場合には学校がそれをとらえるわけですけれども、学校サイドとしては、あくまでも子供たちにいじめが卑怯、いじめはとてもいけない行為ということは、これはもう声を大にして訴えて訴えて訴え続けていくということが大事ではないかと思っています。 よく、何かあったときに教育委員会に訴えると、水戸黄門の紋見せではないんですが、何か上から下に強力的に何か来るって誤解をされている方がいるんですが、実はそうではなく、現場がとても大切だと思います。その面では、現場の先生方も、本当に子供たちの様子をよく見る、変化があったら気付く、そんなふうなことが大事ではないかと思っています。
○公述人(府川源一郎君) 今の御質問は、結局のところ、だれが子供たちの教育に責任を持つのかという、そういうことかというふうに思うんですね。それが今回の法案などだと国家の方に寄ってしまうということで懸念があるということを思っています。 基本的に私はそういうふうに思っておりまして、研修の問題も先ほど申し上げたんですが、国家から独立した教育委員会が、じゃ本当に今十分に機能しているかということが提起されたわけで、それは一足飛びにつぶしてしまえばいいのかどうかは私には分かりませんけれども、しかし、そこで様々なネットワークができて様々なネットワークの中で教育のことを考えていく、そういうシステムをつくっていこうということならば、私はそういうふうにしなくてはいけないし、またそうしなければ子供たちを様々な角度から見ることができませんから、きっといじめの問題もいろいろな、教師だけではなくて周りにいる人たちが気付いていた部分があるかもしれない。だから、そういうものがうまくすくい上げられなかったということなんだろうと思うんです。 ですから、それは教育委員会がすべてそういうことができていればいいわけですけれども、一つの組織でそこだけに頼るというのはやっぱり無理があると思いますので、様々なネットワークをその中につくっていく、あるいは教育委員会がそういうものを組織してコントロールしていくというようなことならば、今の教育委員会制度を更に発展的に解消するということもあり得るかもしれません。 以上です。
○公述人(今田忠彦君) いじめに直接かかわりないとして、機動力が落ちているというふうなお話がありました。横浜の場合、いずれにしろその規模が多うございますので、五百二十校近いということですので、そういう意味でいけば、学校現場と教育委員会とのその距離感、そういうものをやっぱりもっと詰める必要があるだろうということで、まあ今これから、十八年度も検討いたしましたが、方面別に教育委員会のボランチのような格好のものをつくることによって教育委員会と現場との機能的な意識のスピーディーな対応というようなことができるのかなと。そういう格好の距離感を詰める工夫というものをやっていこうということにしてございます。 それから、同時にまた、先ほど申し上げましたが、個々の学校と地域との間での学校運営協議会やそれ以外の評議委員会、あるいは町とともに、町懇というふうに横浜の方で言っていますけれども、その地域の人たちが一緒になって学校と組織づくりしていくという、一緒になってやっていくという、そういうふうなスタンスというものの中にいろいろ課題の解決策というものがあるんじゃないかなというふうに思っています。
○林久美子君 ありがとうございました。 本当にできるだけ現場に近いところに権限を持っていって、そして子供や地域や大人、保護者の皆さんとの距離を近くしていくことでやはりいろいろな解決策も見えてくるのではないかなというふうに思っております。 どうもありがとうございました。
○福本潤一君 公明党の福本潤一でございます。 四人の公述人の方には、それぞれ人生経験、また教育経験から貴重な御意見を聞かせていただいてありがとうございました。私もお話聞きながら、それぞれ教育に対する情熱、深きものがあるということをお伺いさせていただきまして、また法案から離れてもお話聞かせていただければと思います。 学校の現場では、今の言われたいじめ、自殺、さらにはこれまで不登校、様々な問題、昔はクラスの崩壊とかまで、いろいろな形の問題が起こっております。そういった問題に対して文部省また国会でもどういう対処方法をすればこれが改善されるんだろうかということで様々な委員会審議もしてきておるところでございますが、と同時に、家庭の父兄の方々、また御両親、また社会、地域の方々、それぞれ心を痛めながらこれを何とかしたいという思いでいろいろな対処法を考えておるわけでございますが、やはり教師というものは最大の生徒にとっては教育環境という位置付けもできますので、そういった教師の責任というのは非常に重いんだと思います。 私も十年前まで大学で教師しておりまして、小中高、様々な問題を抱えている中で、いろいろ先生方も含めてそれぞれの立場で忙しいという状態が現実に起こっております。学校の先生も忙しい、両親も忙しい、子供も塾も含めて忙しい。忙しい中でなかなか問題が見いだせない。一つの、ゆとり教育というのもそれの対処策ではあったわけではございますけれども、ゆとり教育自身で逆になかなか問題が解決している状況ではないということが起こっております。 四人の方がそれぞれ触れられている中に、免許更新というのがやはり一つの大きなテーマとして出ていて、全員に御意見伺いました。そういうときに、免許更新と絡んで先生方の数、また生徒の数という比較の問題で若干ざっくばらんにお話伺いたいんですけれども。 私ども団塊の世代ですから、小学校にちょっと絞ってお話聞かせていただければと思いますけれども、六十人、五十人というクラスはざらでございました。そんなに大きな問題がなかったなという気がしておりまして、これが二十人になったり十人になると、これ解決するのかなという問題がございまして、少ないときの悲哀というものは、私どものクラスへ行くと十八人で、男の子九人女の子九人ぐらいのクラスで、大変少ないためにその人間関係がまた変わらないで一年から六年まで行くというような中での問題点が起こっているように逆に個人的には感じるんですね。 ですから、最近時代が変わったものにもう一個携帯電話というのと、そのクラスの人間の数、どういう数が適正規模なんだろうかというのを、まあ高校、大学まで行くとちょっと難しい話になりますので、小学校に絞って率直な御意見、まずお伺いさせていただければと思います。 携帯電話の問題も、また体験ございましたらお伺いさせていただければと思います。
○公述人(今田忠彦君) 私どもも先生と同じように、少しまあちょっと私の方があれかも分かりませんが、五、六十人のクラスでございました。 あの当時は、やはり考えてみると、先生というのは偉かったという気がいたします。私は教育委員になりましたときに、校長先生あるいは副校長の昇任試験、だれが試験官やるんだと言ったら、教育委員会の事務局の課長、係長の人たちがやるというから、待てよと、それは違うじゃないかと、校長先生というのは偉いんだぞというような話をしたことがあって、おまえらごときがと言って、かつての仲間なものですから、そういう格好で呼び掛けをしたことがありますけれども、そういう意味でいくと、世の中が先生に対する偉さというものを認めていたと。 ところが、今は時代が変わりましたんで、そういう意味でいけば、ちょっと長くなりましたけれども、いろんな考え方、いろんなとらまえ方があるもので、それに対応するためにはやはりまあ三十人から四十人、そういうところがやはり、少ない数の生徒を対応するというので、保護者対応も含めて現場の先生は目一杯というような状況じゃないでしょうか。もう少し先生に対する見方が変わればもう少し許容量が増えるのかも分かりませんけれども、もうそうはなかなかならないというふうに思いますけれども。
○福本潤一君 それと、担任、副担任持っているようなクラスという意味もちょっとあれば、府川先生の方からまた含めてお伺いします。
○公述人(府川源一郎君) 小学校の適正な規模ということですが、私自身も昔、小学校の教員をやっておりましたし、多くの先生方からお話を聞くと、やっぱり四十人を超えると子供たちが一つの固まりに見えてきてしまうと思うんですよね。それは、いろいろな文書を出したり、一人一人に対応するときもそうだと思うんですけれども、本当に五人増えただけで事務量というのがもう相当違いますので、四十人はとにかく切らないと困るというふうに思っています。 ただ、今いろいろな教室を見ていきますと大体三十人前後の教室が多いわけですから、二十五人から三十人ぐらいが適正規模なのではないかと私は思っておりますが、ただし、今いろいろな子供たちが一つの教室の中にいるという現実がありまして、アスペルガーのお子さんですとか、それから母語が日本語でないお子さんですとか、いろいろなタイプの、又はいろいろなことを抱えたお子さんが一つの教室の中にいるという状況の中で、一律に四十人ならいいとか三十人ならいいとかというふうに決めるというやり方がこれはまた問題かなというふうに思っています。つまり、そういう特別な支援を必要とするようなお子さんに対しては当然しかるべき配慮というのがないと一つの学級そのものが崩れていってしまうというか、そういうことが一方ではあるかと思います。 それから、今携帯のお話があったんですけれども、携帯は、これもいろんな御意見があろうかと思いますけれども、特に中学校などでは学校の中には持ってこないというようなことを規定しているところもあるようですし、私立の高校などではもう一切駄目というようなところもあるようですが、また保護者の方としてみれば、非常にこういう危険な世の中の中ですぐに連絡を取れるようなものが欲しいと、こういう要求もあろうかと思いますので、あるいはまた携帯を使って新しいコミュニケーションをつくっていくという、そういう積極的な側面もありますし、教育実践の中でそれを進めていくということもあろうかと思います。 以上です。
○公述人(加藤澄代君) 幸せなことに、最後の学校では三十人少し超える、またある学級では二十八人、そのような状態でした。したがって、教室の中は非常に広々として子供たちが活発にいろいろなことができる、また、校長も全児童の名前と顔が一致するという、そういう幸せな環境でした。やはり個人名で名前が呼べる、そして、今その子が、ああ昨日は床屋に行ったんだねとか理髪店に行ったんだねとか、けがしたけれどもどうだったって、そんなふうなことを考えると人数は少ないにこしたことはないなということを思っています。 ただ、余りにも少な過ぎると、オール二学級で、どのようにクラスの編制を工夫しても二学級でいくということで、その中には、どうしてもこの子と組ませてはほしくないとか、そういう保護者の声もありますので、少ないなりの苦労というものはあります。ただ、子供たちが伸び伸びと学習するという、そういうことを保障できる数としてはやはり三十人ぐらいが適当ではないかと思っています。 それから、携帯についてですが、小学校の方にも携帯電話持たせていいですかという要望が来ています。三十分ぐらい掛けて歩いてくる子もおりますので、学校として、登校、下校時は持ってもいい、学校へ来たら担任に預ける、そのような決まりを作って、そして全部ではありませんけれども、やはり保護者が子供を守りたいという心を尊重しながら子供なりの規定を付けているところです。
○公述人(阪田勝彦君) 一クラスの人数についてなんですけれども、諸外国の例と比較すると、もう大体、先ほどからもお話ありますように、二十から三十ぐらいなのではなかったでしょうか。自分の子供の学校を見ても、少ない方がやはり目は行きやすいだろうというふうに思います。 ちなみに、実は私の娘は高機能自閉症という障害を持っています。ただ、知恵は遅れてはいませんので高機能なのですが、パニックを起こすことがあります。その際に実は、違う県なんですが、予算がないからということで昨年までいらっしゃったサポートの先生がいなくなりました。四十人学級で一人でこれを見ることになっています。私も何度も言っていますが、お金がないからということでそういう形になろうとしています。 携帯電話なんですけれども、携帯電話を持つ年齢なんというのを法律で定めるようになったら私はこの国は終わりだと思います。 以上です。
○福本潤一君 どうもありがとうございました。 今、今田公述人からもありましたけど、昔の先生は非常に権威あったというのが人数のこと以上に大きな影響を社会的にも及ぼしたということがございました。 この免許更新制度、また今回の教員研修がどういう影響を与えるように思われるか。免許更新をする、先生は十年ごとに更新するんですね。府川公述人からも丁寧な答弁ありましたので分かりましたけど、その先生方の立場、権威に対してどういうプラス、マイナス、影響を与えそうか。これは短く一言、二言で言っていただければと。
○団長(中川義雄君) だれに聞くか。
○福本潤一君 今田、府川両名にちょっと聞かせていただければ。
○公述人(今田忠彦君) それは、研修を受けようとする先生がどういうお気持ちでそれに臨まれるかという、そこにオーバーに言うと尽きるかなと。やらされているというふうに思うか、十年たっていいチャンスだというふうに思うか、その辺のところに帰するのではないかなというふうに思います。
○公述人(府川源一郎君) この件については、私、先ほど申し上げましたけれども、指導力不足教員の問題と研修の問題をリンクさせることは反対であります。
○福本潤一君 そういう意味では、免許更新制度というのは非常に大きなこれからインパクトを与えると思いますので、拙速にならないようにというお話も含めて承っていきたいと思います。 一つの変革、新しい制度の構築をしますと、プラス、マイナス含めて大変大きな影響を与えます。かつて、受験戦争反対という高校生の運動の中から共通一次テストというのをやった。共通一次テストをすれば何か受験戦争が終わるような錯覚にとらわれて実施してみたけど、相変わらず変わらないということもございました。 その意味では、教育に対する制度の変更というものが今後いろいろな形で影響を与えますけど、先ほど阪田公述人のお話伺っていますと、要するに司法、立法、行政の三権からむしろ教育権というのを独立させた方がうまくいくんだなというような御意見のように私はお伺いをさせていただきましたので、こういう四権分立のような形で独立させた方がむしろいいんではないかというような御意見ありますけれども、阪田公述人と加藤公述人に対して、その意見について聞かせていただければと思います。
○公述人(阪田勝彦君) 私は別に四権分立というような話をしているつもりではないんですけれども、国家権力が教育に介入するということの危険は、それは戦前の教育が正にそれを表していると思います。 私たちはやはりその経験の中で今の教育体制を得たわけですから、もちろん、この中で何がいい、こういうふうにした方がもっと効率がいいとかいう話で、そのところに国が入った方が言いやすいとかいうことでどんどん行くかもしれません。でも、本当の基本的な枠組みを忘れたときには、それが時代が変わったときに利用されてしまうかもしれないということが私はとても懸念しているところなんです。 別に四権分立だと言っているわけではありません。大綱的なものについて、その点で水準確保の要請ももちろんありますので、それで全く無視というわけではないんです。ただ、この法案にありますように、完全白紙委任のような形で国家の介入を認めるということは、これは極めて危険であると、そういうことを申し上げているんです。
○公述人(加藤澄代君) 特にはございません。法律に触れるものですので、こちらとしてはちょっと分からない問題ですので、失礼いたします。
○福本潤一君 若干時間が余っておりますので聞かせていただきますと、四権分立というのは、要するに教育権というのを独立さすという識者の御意見の中から聞かせていただいたものでございますけれども、やはり今後、法律改正、これ独立すると、なかなか教育を統御するような形での問題がスムーズにいく、いかない、また制度更新ですらなかなかできないという可能性はあるにしても、教育権の独立が一つの新しい時代の方向性を目指していけるものかなというふうにも思っておって聞かせていただいたわけですけれども。 一つの更新したときに、どうしてもそれがうまくいくかどうか分からないという状況のときに、今回の改正が現実に危惧されるような面というのはあろうかと思いますけれども、法律改正、これから審議、最終的にしていくわけですけれども、加藤公述人の中にもありましたけれども、今回の法律改正が今後の教育界にどういう形で反応していくかというところを若干御意見を聞かせていただければと思います。
○公述人(加藤澄代君) 教育の独立権というのはとても大切なことだと思います。ただ、ここに携わる、またつくられる方に高潔な人材を本当に希望いたします。やはり本当に何物にも左右されないきちんとした倫理観を持っていないと教育という問題はなかなか難しいかなと。そういうところでは、何か時の権力者が牛耳るということではなく、真に子供のことを考え、また平和ということを考え、そういう人格者が推進をしていただきたいなと、これは希望ですが、そのように思います。
○福本潤一君 若干まだ時間があるようですので、やはり現場を長くやられた加藤公述人に、ゆとり教育で現実には教師は忙しくなって、多様性をつくろうと思ったことが負担になったというふうに言われました。これもまた見直しが短期でやられるので混乱起こるんじゃないかというお話ございましたので、できれば、ゆとり教育が現場でどういう状態で問題が生じて、今度また短期で改正、今回の改正もまた短期で改正されると混乱も起こる可能性ありますので、そのときの現場の混乱した状況について若干聞かせていただければ。
○公述人(加藤澄代君) 一応教師側は指導を、教育課程を始めとして、国の受けたもので動くわけです。ですから、国からこういうふうなことでと出たときには、それに沿おうと思って現場の教教員は、従来あるものプラスどのようにそれを組み立てていけばいいかということで研究授業を行ったり、また全体のカリキュラムの見直しをしたりということになるわけです。 ですから、急激に下りたものについての実証とか、また本当にそれが一年から六年までの系統立ててどのようにしていくかという、そんなふうなことを思いますと、すぐに変わってすぐに動くという、そういうものではないと思います。 そういう面では、何か変えるときには、教育現場にそれをいつまでも実証できるような時間のゆとりと、また先生方の取組、それが非常に必要になってくるんではないか。まず先生方が納得して取り組める、そのような体制が必要と思います。
○福本潤一君 どうもありがとうございました。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。 今日は四人の公述人の皆さん、ありがとうございます。 最初に、阪田公述人にお聞きします。 法律家として、また親としての御意見をいただきました。法律家という立場でいいますと、やはり身分を確保するということは大変大事な観点かと思います。そして、ユネスコなどでも、教員の身分の安定というのはむしろ教育の水準の確保のためにも必要だというふうに言われているんですね。 その点でいいますと、この免許更新制度等の法的不備というところは法律家としては大変述べたかったところだと思うんですが、時間の関係か割愛をされましたので、この法的不備の部分について公述人が述べられたかったことをちょっとまずお願いしたいと思います。
○公述人(阪田勝彦君) ILOの点は、正に今委員がおっしゃったとおりだと思います。 私の方が申し上げられなかった、かなり早口で読んでしまって大変申し訳なかったんですが、法的不備の点です。 私のレジュメの四ページのところに書かせていただきました。といいますのも、講習修了認定者のところが若干私にはよく分かりません。国会における審議、これは伊吹文科大臣が二〇〇七年四月十七日の本会議でおっしゃったことですが、講習の実施主体の講習修了の認定の確認を都道府県教育委員会がすると答弁されています。 これは、大学等が講習を修了したと、そのように認定しても都道府県教育委員会がこれを認めない、確認しないということが可能になると。その確認というのが、この場合に、これは形式的な審査のみを指すのか、例えば講師がだれであったか、准教授なのかどうかとか、こういう形式的審査なのか、それとも理解度を確かめるための再試験を行うのか全く分かりません。 また、法案のどの条文から、都道府県教育委員会が最終認定権を持つこと、大学が終わったと認定しているにもかかわらず、その確認を求めることができるのか全く分からない。 さらに、免許管理者、都道府県教育委員会が修了認定確認を行わない場合、大学が認めたのに都道府県教育委員会が二重のチェックで認めないという場合に、その確認を求めるすべというのが法文に規定されていません。不服申立ての手続はないんですね。このままいくと、要するに、二回の審査が入り、最終的には都道府県教育委員会がすべて確認権限を持ち、その不服申立て手続もないということになると思います。 また、それは講習不合格についての不服申立て手続にも同じことが言えると思います。講習や研修不合格を繰り返される場合には分限対象になると、そういうお話になっていますけれども、講習不合格により分限処分となった際には教員免許が同時に失効すると。分限が失効の事項に設けられていますので、つまり、受からないから分限された、分限されたらそのまま教員免許まで失うという仕組みになっていると思います。私立学校で教えることもできません。 これは、要するに、地位とか資格とか身分という観点からすると極めて一方的だと思います。我々の中で、こういう資格を失わせるのに不服申立て手続がないということは異常な問題であろうと思います。 最後にもう一つ、ペーパーティーチャーの問題です。 法案では、更新講習の対象が、実は府川公述人もおっしゃっていましたが、教育職員若しくは職員に雇用予定とされていますので、現に学校の先生を今されている人ということになると思います。しかし、教員免許を取得しているんですが教育職員として雇用されていない人は、例えば更新を受けなくていいとはなってないんです。それがどうなるのかが全く分かりません。 例えば、更新を受けないまま期間が経過した、十年経過した場合にこの人の資格はどうなるんでしょうか。このことについての条文はまずありません。ここがなければ、これは更新も受けられないし、かといって徒過すれば今の法文からいけば資格を失うことになるはずです。これはどういうことになるのか、少なくとも明確にする必要があるだろうと思います。 以上です。
○井上哲士君 ありがとうございました。 次に、いわゆる副校長や主幹教諭などの新しい職について、今田公述人、府川公述人、加藤公述人、それぞれお聞きします。 この新しい職をつくる理由の柱の一つとして、なべぶた型のこの教員の組織というのは良くない、校長などのリーダーシップが発揮できるようにするべきなんだと、こういう議論がありますし、今田公述人からもそういうお話がございました。 先日、参考人質疑を行った際に、これは京都の高校の校長先生のお話でありましたが、教育にとってなべぶた型というのは大変合理的なんだ、教員というのは徹底して議論をして納得してこそ力を発揮し、現場に行っても大きな力を発揮できるんだと、こういうお話がありました。私は、大変なるほどと思って聞いたんですが。 もし校長先生のリーダーシップが発揮されるとすれば、そういう教員の皆さんが納得し、力を発揮するような議論においてリーダーシップを発揮するべきでないかなと私は思うわけでありますが、その点、加藤公述人、府川公述人、今田公述人、それぞれからお聞きをしたいと思います。
○公述人(加藤澄代君) 先ほど専任についてはお話をしましたので、形だけの役職ではなく、実の伴う、本当に子供のため学校のためになるようなものだったらいいのではないかという、そこにとどめておきます。
○公述人(府川源一郎君) 例えば、子供のある問題があったときに、学校の中で相談をするとします。そのときにどういう方法がいいだろうというのを、例えば校長先生が言うからそれは正しいのではない、主幹の教員が言うから正しいのではない、それは子供のために一番いい方向を言う人が一番正しいわけですよね。そういう議論にならなければ、学校現場というか、子供を見ていくということは成り立たないわけですから、役職があるからそれがこういう方向でやらなくちゃいけないとかと、そういうシステムになることは非常に怖いことだと思っています。今度のそういうシステムはそういうことにならないように願っていますけれども、私としてはそういうふうにたくさんのランクを付けるということは反対です。
○公述人(今田忠彦君) 僕は、やっぱり組織というものは、それなりの経験を積んだ人が選ばれて副校長になり、校長になりしていろんな経験を積んでいくと。だから、校長が言うから正しいか正しくないかということじゃなくて、それはそういういろんな経験を積んだ中でしかるべき見識を持った発言というふうに素直にとらえていけばいいんじゃないのかなと。その中で、やっぱりそれが皆さんの、ほかの先生方にも信頼されるためには、校長自身がやはり懐の深い研さんを積んだ上で、ああなるほどなというふうにならなきゃいけない。校長だから言うのが全部正しいとは思いませんが、しかるべき人が校長になっていると、そういうふうにありたいし、なっている。 だから、そういう意味で、そういう組織として機能していくためには、その辺のところは素直に受け止めていく、そういう学校運営というものが望ましいのではないかなというふうに思っています。
○井上哲士君 じゃ、今の点でもう少し今田公述人にお聞きしますが。 そうなりますと、先ほど言いましたいわゆるなべぶた型の教員組織というもののどこが不都合なのかということがちょっとよく分からないんですが、その点いかがでしょうか。
○公述人(今田忠彦君) それは、若干少しためにして言おうとするといろんな言い方ができるんでしょうけれども、私はやはり、組織として成り立っていく上において、しかるべき行政の仕事の中でもいろんな経験を積んだ人がしかるべく上になって物事を言っていくと。新人の人が、私が言っているのが正しいんだという格好で、それぞれ自分が正義だと思えば組織は成り立っていきませんし、その中で、いろんな意見のやり取りがある中でみんなが納得するような時間を掛けたやっぱり対応というものは必要であろうと思いますけれども。
○井上哲士君 ありがとうございました。是非、職員会議がそういう納得できる議論が広がるということを望んでおきたいと思います。 もう一回阪田公述人にお聞きしますが、法律家の立場として議事録なども全部読まれたということなんですが、文部科学大臣などの答弁の中でいえば、国会が決めた法律は守っていただかなくてはならないということを盛んに言われます。これは当然なわけでありますが、法律の下部である告示、これも当然守っていくことなんですが、実際には、国会で我々法律を議論をいたしますけれども、政令、省令などを含めては、これは国会の議論を聴いて決めるということになっていますが、実際の制度の細部からいいますとこれが非常に大事なわけですけれども、必ずしも国会で議決をするものではないわけですね。これが実際には現場をかなり縛っていくという構図になるわけですけれども、こういう在り方について法律家の立場からどういう御意見をお持ちか、いただきたいと思います。
○公述人(阪田勝彦君) まず、端的に申し上げまして、国会審議を一応全部読みましたけれども、その中で一番驚いたのが、文科大臣の法律の認識に驚きました、こういうふうにお考えなのかと。国会は要するに国民が投票して負託したんだから、そこで作った法律にはみんな有無を言わさず従えと、こういうお話をされていると思います。また、それを強く信じていらっしゃるように思います。ただ、その上には憲法があり、法律に基づいて告示、省令等があると、こういう仕組みになっています。 先ほど来申し上げましたように、旭川学テ事件判決というものがあります。たとえ、国会もこれは含むんですね、教育行政機関といえども、国会で適法に法律を作ったとしても、教育の根本部分のところに介入してはならないと。子供たちに党利党略的な、そういう一方的な教育を押し付けてはならない、それは憲法違反になると。法律より上に憲法があるわけですね。そういうことをまず御説明しなくては、本当分かっていらっしゃるのかどうか分からないですけれども、いけないのかなというのが一番驚いたことです。 もちろん、告示等でやるといっても、要するに教育内容への介入をするということは当然不当な支配に該当しますので、不当な支配については、教育基本法の改定後もその趣旨は、内容については変わらないということは教育基本法の審議の際の答弁で伊吹文科大臣御本人がおっしゃっていますので、それは何ら変わらないと思いますが、当然それは良くない、違憲、無効なことだろうと思います。
○井上哲士君 ありがとうございました。 次に、研修の問題にかかわって府川公述人と今田公述人にお聞きします。 研修のあるべき方向などについて府川公述人からあったわけですが、逆に言いますと、現在行われている様々な研修にどういう問題点があるとお考えか、これをお聞きしたいと思います。 今田公述人については、府川公述人のお話にありました様々な自主的な研修、こういうものをどう教育委員会としては位置付けられているのか、そしてその理由についてお聞きしたいと思います。
○公述人(府川源一郎君) 先ほど申し上げましたように、研修というのは目の前の子供たちをどういうふうに良くしていくかという問題意識から立ち上がって発するものですから、必ずしも教育委員会などが用意したそのプログラムの中にそういうことが含まれない場合も当然あります。その場合は、教員たちが身銭を切って様々な集会に参加したり、そこで問題を深めたりということがあるかと思います。 例えば、そういうときに、そういう研修に行かないようにという指導があったり、あるいは旅費を出さないとか、年休を取らないと行っちゃいけないとか、そういうことになりますと、研修の幅というのが結局ある一定の枠の中で、仮にある教育委員会なら教育委員会が用意した枠の中でしか選択することができないという、こういう問題点はあろうかというふうに思っています。これは現場の先生からも随分強く言われていることですので、是非お伝えしておこうと思って申し上げました。
○公述人(今田忠彦君) 自主的な研修をどう位置付けているのか、細かい研修の具体的なものについてはちょっと私の方も少し不十分な部分がありますが、いずれにしろ年次別の研修とか様々な研修をやっているわけですが、おっしゃるように、先生はやっぱり幅広い懐の深い先生になるべしというふうに思っていますから、いろんな、多様な研修というものがないといけない。あわせて、研修に行くときに、その代替要員が確保されない中で非常に肩身の狭い思いをして研修に行かざるを得ないというのが現実の実態。そういう意味でいけば、最初に申し上げましたように、それこそ是非超党派で先生の枠を確保していただきたいというふうに思っています。
○井上哲士君 残された時間でいわゆる免許更新の問題でお聞きするんですが、この免許更新制度というのがやはり失職の不安にさらすことになるということがございました。そして一方で、いわゆる指導力不足の人事管理問題というのは、既に法改正も行われて各都道府県教育委員会などで様々行われているわけですね。今回、当初の中教審の議論とは違って、この免許更新制度の中に、結果としてとはいう言葉は付きながらも、いわゆる指導力不足教員を排除するということも事実上盛り込まれたということになると思います。 そこで、まず今田公述人にお聞きするんですが、現行のいわゆる指導力不足の人事管理ということ以上に、失職の不安にさらしながらこういう免許更新制度にその意図を取り込む必要があるとお考えでしょうか。
○公述人(今田忠彦君) その辺は、先生の立場でそういうふうな解釈をされるとそういう見方があるのかも分かりませんけど、私の方はそうじゃなくて、むしろ研修を受けざるを得ないというか、研修を前向きにとらえていくべき話だと思いますし、研修が十分でないから失職にさらされる、言葉がいいかどうか、そんなけちな根性で先生になっているのかということを正直もっと言いたい部分があって、先生になるその前段での採用前研修の中でやっぱりしかるべき教師の哲学を教えていけば、少しそういう、先生が言われたのは、ためにするとは申しませんけれども、そういうもっと広い、豊かな大きな気持ちで臨むスタンスというものは必要じゃないのかなというふうに思っております。
○団長(中川義雄君) 井上委員、時間ですから簡単にお願いします。
○井上哲士君 もう一度今田公述人にお聞きしますけれども、要するに私が聞きたかったのは、今の指導力不足教員の人事制度というものの枠の中で不都合があるとお考えかということをお聞きしたかったんですが。
○公述人(今田忠彦君) そういう意味でいきますと、横浜の場合には、これは既に平成十六年から指導力不足に係る要綱を定めまして、それに基づいて対応していると。その前の平成十三年からのスキルアップ研修というものを踏まえまして、そういう意味でいけば法律の先取りを少しやっているというのが実態としてはございます。そういう意味で、この法律ができることによって何かかえって窮屈になるというふうなことは、少なくとも横浜の場合にはそういうふうな意識ではございません。
○井上哲士君 ありがとうございました。
○団長(中川義雄君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、長時間御出席をいただき、また貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。本委員会を代表して、心から厚く御礼申し上げます。 以上をもちまして参議院文教科学委員会横浜地方公聴会を閉会いたします。 〔午後四時十五分閉会〕 ─────・───── 名古屋地方公聴会速記録 期日 平成十九年六月十二日(火曜日) 場所 名古屋市 名古屋マリオットアソシアホ テル 派遣委員 団長 理 事 中川 義雄君 理 事 佐藤 泰介君 神取 忍君 林 久美子君 福本 潤一君 井上 哲士君 公述人 前東海市教育委 員会教育長 深谷 孟延君 愛知教育大学長 田原 賢一君 東京福祉大学名 誉教授 学校法人中島恒 雄学園理事 坪田 要三君 名古屋大学大学 院教育発達科学 研究科教授 名古屋大学教育 学部附属中学校 高等学校・校長 植田 健男君 ───────────── 〔午前九時開会〕
○団長(中川義雄君) ただいまから参議院文教科学委員会名古屋地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします文教科学委員会理事の中川義雄でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。 まず、私どもの委員を御紹介いたします。 私の右隣から、自由民主党の神取忍委員でございます。 公明党の福本潤一委員でございます。 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の佐藤泰介理事でございます。 同じく民主党・新緑風会の林久美子委員でございます。 日本共産党の井上哲士委員でございます。 以上の六名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 前東海市教育委員会教育長深谷孟延公述人でございます。 愛知教育大学長田原賢一公述人でございます。 東京福祉大学名誉教授・学校法人中島恒雄学園理事坪田要三公述人でございます。 名古屋大学大学院教育発達科学研究科教授・名古屋大学教育学部附属中学校高等学校・校長植田健男公述人でございます。 以上の四名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案、日本国教育基本法案、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上七案の審査を行っておりますが、本日は、七案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、本公聴会を開会することになった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございます。 皆様からの忌憚のない御意見を拝聴し、今後の七案審査の参考にしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、深谷公述人、田原公述人、坪田公述人、植田公述人の順序でそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、発言は着席のままで結構でございます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、深谷公述人にお願いいたします。深谷公述人。
○公述人(深谷孟延君) 深谷でございます。よろしくお願いいたします。 端的に話に入りたいと思います。 まず、大きく学校教育法等の一部を改正する法律案に関しましては、改正の趣旨が市町村教育委員会あるいは学校現場に伝わるようにしていただけたらなと思います。ともしますと、国の思いが一〇〇%だとしますと、これが県へ下りてきますと八〇%ぐらいになる可能性があります。それがまた市町村に下りますと六〇%。それが今度校長及び管理職の方で四〇%、現場の方に行くと二〇%というような状況がともするとあると。これは何事においてもそうでありますが、そういった点で是非現場まで伝わるような工夫をしていただきたいと。例えばでありますが、インターネットを始めとして、その伝え方をあらゆる角度から検討された方がいいのではないかなと、こんなことを思っております。 二つ目でありますが、義務教育の目標として、第二十一条に、学校内外における社会的活動の促進、それから学校内外における自然体験活動の促進、これがうたわれております。今後一層、社会教育、とりわけ青少年教育の充実強化と、国にもありますが、県及び市町村にもそれぞれ例えば青年の家とか少年自然の家などがあるわけでございますが、学校と青少年施設の連携強化を図っていただいたらいかがなものかな、こんなふうに思います。 三点目でありますが、新しい職の設置についてでございますが、これは、私も学校現場に非常に密着した立場にありました。そういったことから、これまでの学校というのはとかく組織というよりも独立した教員集団であったような気がします。今回の副校長などの設置に関しましては、組織としての学校に生まれ変わる一助になれば幸いではないかな、こんなふうに思います。ただ、現在の例えば教頭、教務主任などとの仕事の明確化をどうするかといったような点、それから、学校現場で教務主任、愛知の場合は校務主任というのもありますが、いわゆる教務主任の仕事をどういうふうに分けていくかというようなところが問題ではないかなと、こう思います。 もう一つは、当然として教員の給与は最大限国の方で援助をしていただきたいなと、こんなふうに思います。 四点目になりますが、学校評価及び情報提供についてでございますが、学校の経営改善には大変重要なことではないかと、こう思います。ただし、学校現場の状況あるいは地域の実情に配慮をしていただけたらなと、こう思います。それと、評価のための評価だとか、あるいは形骸化に陥らない仕組みづくりが大切ではないかなと、こんなふうに思っています。 大きく話が、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部改正についてでございますが、まず一つ目は、教育委員会の責任体制の明確化については、基本理念を規定したことは評価できると思います。ただ、国との適切な役割分担あるいは相互に協力できる関係という部分がありますが、適切な役割分担とは何か、あるいは、相互に協力できる関係となっているがこれはどういうことかというようなことを更に議論を深めていただきたいなと思います。 二つ目は、二週間前まで私は東海市の教育長を八年間務めてまいりました。その経験から、教育委員会と教育長の役割について、改正にいささかの心配と申しますか、いいのかなという思いを感じているところがあります。 その一点として、地方教育行政は首長ではなく教育委員会が最も順当でないかということであります。これはお分かりのように、当然、首長さんや議員の皆さん方は四年勝負でされますが、教育の世界はそんなスパンではできることではないと思います。 二つ目でございますが、新たに規定されました教育委員会活動の状況の点検と評価、これはこれで十分ではないかなと。それ以上の必要はないのではないかなと思います。 三点目でありますが、これに関しました、とかく教育委員会は形骸化しているとか活性化されていないという批判を十分私も八年間受けてまいりました。 しかし、考えていただきたいのは、そうさせてきた要素はどこにあったかということであります。これは、市町村の教育長には、事実上、人事権も財政権も条例制定権もありません。これはよく理解していただきたいと思うんです。その代わり、ないにもかかわらず教育行政の責任だけはしっかり与えられます。この辺のことだけは、いわゆる今回の改定で教育長の権限を何となく更に制限していくようなふうに読み取れる部分があります。これは恐らく、私も全国都市教育長会にも出席いたしますが、当然、全国の教育長がもしかしたら無力感をより一層持つのではないかなという気がいたしております。この点は本当に一度考えていただきたいということであります。 三点目でありますが、教育委員会の体制の充実のうち指導主事の配置が努力義務、これは一応評価できます。しかし、できることならば、努力義務よりも私は将来の教育を展望したときには必置であるべきではないのかなと。ただ、人口規模、学校数規模に応じた指導主事、当然大きい市と小さな市町では同人数ではうまくいくことはないと思います。是非、そういった面でも配置をできる財政支援が国の方で必要ではないかなと、こう思っております。 四点目でございますが、教育委員の研修につきましては、これは大変結構なことだなと思います。問題は研修内容であります。例えば教育長なんかは割と全国都市教育長会とかそういうのが、あるいは町村教育長会というのがあります。しかし、教育委員長さんを始めとして教育委員さん、これに関しましては、当然教育長がそれなりの仲介と申しますか、いろいろ伝達すべきことは多々あると思うんですが、是非、時代に合った研修内容、これをよくお考えをいただきたいと。しっかりとしたコンセプトの下にそういう研修を企画運営する必要があるのではないかな、こう思っています。 次に、大きく、教育における地方分権の推進に関しましては、これは教育委員会の数の弾力化と保護者の選任の義務化に関しましてでございますが、数の問題はまあそうではないかなということを思います。書かれているようでいいんではないかなということであります。 保護者の選任の義務化、これは大変結構でいいことだと思っています。ただ、その趣旨はいいが、仮に例えば二期八年をお務めをいただくとすると小学校二年生のお子さんの保護者ということになるわけでして、そうすると中学校三年生までと。そうすると、そういった問題においてどういうふうに実際には運用上問題点が出てくるのかと。もちろん運用上の問題ですので、市町村単位で、あるいは県関係で決めればいいことかもしれませんが、常識的に、例えば全国の教育委員さんをいろいろ総覧してみましてもいろいろな任期の在り方があろうかと思いますが、この辺をちょっと考えていく必要があるのではないかなと。もし保護者の経験者といえば幾らでもありますが、それではまた意味が変わってしまいますので、この辺の問題が問題点としてあるのではないかなと。 それからもう一つは、文化、スポーツの事務の移管についてでございますが、気になりますことは、いわゆる教育の世界は育てるとかあるいは作り上げていくということが非常に重要なわけでありますが、ひょっとして、移管することによってそういう視点が欠落してイベント主義に陥ることがあっては、いわゆる薫り高い文化の国家とかあるいは力強いスポーツ国家ということは果たしてできていくのかなということにいささかの懸念は覚えます。 時間が迫ってきておりますが。大きい三点目でありますが、教育職員の免許法及び教育公務員の特例法の一部の改正に関してでございますが、まず一点目の免許法関係でありますが、これは教員の資質向上につながるようにすることが最も大切なことではないかなと。そのためには、講習内容をいかにその時代に合った充実した内容にするかということ、二つ目は、指導に当たられる、多分大学の教授さん、准教授さんであろうかと思いますが、誠に僣越な言い方かもしれませんが、そういう方々の資質の問題、三点目は、費用は国が負担をしていただきたいということであります。 それからもう一つが、指導が不適切な教員の問題。特例法の方でありますが、これは、指導が不適切な教員は確かにおります。しかし、全体から見ればほんのわずかであります。それを、私もこういう立場に立っておりまして、かつてマスコミも中心になってそういったところだけが大きく取り上げられていくと。だから、多くの教員が非常にむなしい思いをしていることも事実であります。これは力説しておきたいと思います。 教員の中からは、不適切といえばどの職種やどのあれでもあるではないかというようなことが心の中にあります。これも是非、研修の内容強化充実を期待するほかない。いろいろな今学校には問題が押し寄せています。だから、それに対応できる研修内容をきちんと計画をすることが大事ではないかなと。 以上であります。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 次に田原公述人にお願いいたします。田原公述人。
○公述人(田原賢一君) それでは、失礼をいたします。 今お話がございましたように、法令等に直接関係しない部分もちょっとございますけれども、その前提条件になるものであるということでお話をさせていただきたいと思います。 まず一つ目は、教員養成の多様化という観点でありますけれども、中教審等でも述べられているように、いわゆる高等教育の多様化あるいは教員養成の多様化と、そういう観点が一つの課題になっております。 それで、そういう状況の中で、本学といたしましては、平成十五年ごろから大学で委員会を設けましてそのための審議を重ね、教員の資質向上を図るために、教員の養成の段階において単線型ではなくて多様化の観点に立って教員養成を行う必要があると。そういうことで、本学では資料にもございますように二つのコースを設けてございます。 これは、後でちょっと関係しますので少し詳しく申し上げますけれども、まず一つ目は、学部と大学院との連携による六年一貫教員養成コースというものであります。これは、学部四年間だけではなくて、学部四年間とそれから大学院の二年間を活用したいわゆる教員養成を一貫して行うというものであります。 それで、現在の法制下では四年、一貫とは言いながら、実際には四年間でまず卒業させて免許状を授与する、その上に更に二年間を積み上げると、そういうものでございます。学生数は、現在の教育学研究科の入学定員が百五十名ございますけれども、その中の三十名をそれに振り分けるということであります。このコースは昨年度からスタートしておりまして、そこにございますように希望者が、少しばらつきがございますけれども、大体二十名前後が希望していると。実際に採択されるのもほぼその数であるということであります。 その六年一貫教員養成コースの少し中身を、今お手元にありますパンフレットをちょっと見ていただきながら。まずその設置の趣旨は、目的等につきましては、見開きの一番左の端のQ1を見ていただくとお分かりのように、四点ほど目的を設定しているということでございます。 まず一つは、教育実践活動における実践力あるいはコミュニケーション力の育成ということで、実践力の育成と。それから二番目は、総合的、長期的な視点に立つ単元の企画あるいは開発能力の育成ということで、企画力と。それから三番目は、教育実践に関する高度な研究能力を育成するということで、研究能力の育成と。それから四番目は、そういうものを総合してリーダーシップが発揮できる組織力のある学生を育成すると。そういう四つの目的を掲げましてコースを設置しているということであります。 具体的に、それでは今のコースがどういう形で運営されるかということですが、その辺は全部パンフレットを見ていただきながら申し上げますと、まず大学に学生が入学してきます。それで、二年次の十月下旬ごろに一か月を掛けて出願期間を設けるということで学生の希望を吸い上げると。その後、面接等によって審査を行って、三年次からいわゆる六年一貫教員養成コースに入ると、そういうカリキュラムを作っております。カリキュラムは基本的には従来のものを活用するわけですが、見開きの一番右の端を見ていただけるとお分かりのように、三年次、四年次、これはまあ学部のあれですね。それから五年次、六年次が大学院のM1、M2に相当するものであります。ここに示すような授業科目を新たに設定をして学生がこれを履修するという形になってございます。 その今の名称等は、総合演習、それがⅠ、Ⅱ、Ⅲとございます。それから教育実践研究がⅠ、Ⅱ。それから課題研究、これはそれぞれの学校なりそれから生徒の関心、こういうものを研究したいというものに合わせてそれを設定するというものでございます。それから教育実践研究ⅢとⅣがございます。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、それがあります。それから教育活動のⅠ、Ⅱ。こういういわゆる実践力を身に付ける、今ちょうど議論がなされて、あるいは各大学で準備をしているいわゆる教職大学院のはしりになるようなものでございます。そういうものを設定をして、大学としては教員養成の資質向上に資することを考えようということで設定したものであります。これがまず一つ目のもの。 それから二つ目は、そこにございますように、大学卒業者のための小学校教員免許状取得コース、これも新たに、これは一昨年から設けたものであります。これは、志願者等はそこの表にございますように、志願者が、定員的には今申し上げたように大学院の定員が百五十ございますけれども、その中の三十を振り分けるという形で運営をしているものであります。それが三十なんですが、実際には倍ぐらいの需要があると、七十前後の需要が毎年あって、これはかなり大きな期待が寄せられているという状況であります。 それが二つのコースの内容であります。 それから二番目に、その今の教員養成の資質向上という観点から、まあ多様化とも関係するんですけれども、そういう観点で中教審では、いわゆる大学院レベルまでを含めた教員養成の在り方というものについて少し文章がございます。そこのところをちょっと読んでみますと、中間答申では、今後の教員養成、教員免許の在り方についての中間答申というふうに、一昨年の十二月に出ましたものにつきましてはこういうふうな表現になっております。 我が国の教員養成システムについて、将来的には大学院レベルまでを含めた養成へとシフトすることが適当であるとの意見もあり、その点について引き続き検討すると、そういう書き出しになっておる。それから、最終答申におきましては、同じような場面がこういう形になっております。我が国の教員養成システムを将来的には大学院レベルまでを含めた養成へとシフトしていくことについて今後の課題として検討することが必要であると、こういう文面になっておりまして、そういう意味では半年ぐらいの間ではありますけれども、いわゆる大学院レベルまでにシフトした教員養成という観点では少し前向きに動いているのではないかと、そういうふうな考えを持っております。 その教員養成を大学院レベルで養成するということにつきまして、少し私の私見を述べたいと思います。 現在、時代のテンポが非常に速い、速いテンポで時代が進歩していると。昔ですと十年一昔ということで、十年ぐらいは体制が特に変わるような状況ではないというもので推移した経緯がございますけれども、最近はとみに、非常に毎年新しいことが要求されると、そういうような非常に時代のテンポが速いという状況がございます。そういう中で、今の教員に求められる資質能力も昔のものとは随分違ってまいりまして、授業実践はもちろんのことですけれども、コミュニケーション力、それから地域との連携、いろんなものが同時に求められる、そういう時代になってまいりました。そういう意味で、学部の四年間では教員養成をやるということはなかなか難しいのではないかなと、六年間を掛けて初めて一人前の教員を養成するということが可能になるのではないかと、そんなふうに思っております。 特に、今の答申等を見ますと、一応検討課題にはなっているんですが、今すぐに検討というわけではございませんで、そういう意味では、ここで是非お願いしたいことは、児童生徒の父兄あるいは両親等の学歴を見ますと、随分今学歴も非常に高くなっていると。そういうことをカバーする意味でも大学院を出て、教員養成をやるというのがいいのではないか。それから、特にヨーロッパ、アメリカ等につきましては、今もう教員は大学院の修士課程を出ているのが普通になってございます。そういう意味で外国並みにというわけではございませんけれども、是非その辺は検討をお願いできればということであります。 今のように六年間を通して教員免許を与えるという教員養成を行うわけですけれども、そのときに一つ考慮してほしいことがございます。 一つは、四プラス二ということではないんですけれども、最初の四年間は教科に関する力をきちっと身に付けるということが必要であって、その上に、今盛んに行われているように、教職大学院で行われている授業等に関連して実践力を身に付けると、そういう形の教員養成が非常にいいのではないかというふうに思っております。是非、そういう意味では、そのことを検討していただければ非常に有り難いなと思っております。 それから、三番目のことですが、これは今の法令等に触れることですが、免許の更新制の問題がございます。そのときに、非常に細かいことではありますけれども、講習の時間が一応今の中教審等の話では三十時間で講習を受けるというふうになってございますが、実際、三十時間と申しますと、大学では半期一こまの授業になるわけですね。それでは、今、必要なスキルというものが日々進歩していくという時代の中で半期一こまでは不十分ではないかということで、実際にその先生が出られた後の非常勤の後口等もございまして、そういうことから見ても、少なくとも六十時間の講習は必要ではないかと。それで十分かどうかは分かりませんけれども、やっぱり大学等も、そういう意味で三十時間ではなくて六十時間は、少なくとも六十時間を掛けてきちっとした検討を行ってまいりたいと、そういうふうに思っております。そのことは是非よろしくお願いをいたします。 以上であります。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 次に、坪田公述人にお願いいたします。坪田公述人。
○公述人(坪田要三君) では、御無礼いたします。 私は、長い間、公教育を四十年ぐらいやってまいりまして、その後私学の教育に二十年ぐらい携わらせていただきまして、そういう立場から今お世話いただいている大学に新しい教育をやっているということでしたのでお邪魔をいたしまして、また、こういう場を与えていただいたということに対して大変恐縮しております。 細かいことは専門家の先生たちがおっしゃられましたけれども、私は一貫して、やはり今一番欠けておるのは、教育は国家百年の計と言われたいわゆる人づくり、教育をする、指導する、そういう人づくりに対するあらゆる面からの検討が必要ではないかと。それはもう十分各委員さんの頭の中には入っておりますけれども、現場では本当に一生懸命やっている教員が多いんです。ほとんどだと思います。それがいろいろと時代が変わりまして、昔と違って変わってきました。それを一億総教育評論家のように安易に評論するという時代になりました。 しかし、考えてみると、底流にある教育というのはそんなものじゃないと思います。やはり私も戦前の、明治の教育の名残を受けて、親が人づくりの仕事をしなさいと、こういうことからその筋の学校へ行きました。そして、そこで鍛えられて、原子爆弾にも遭って、生き残って、そしてこの愛知県という土地にお世話になって、ずっと四十年間人づくりというものについて頑張ってまいりました。そういう教員がやっぱりほとんどいるんです。 でも、中には旧法の、昭和二十三年の免許法の改正のときに、だれでも免許を取れるという、私たちはあれはペーパードライバーじゃないかと、教員になるならぬは別にして、資格だけ取っておくと、こういうのが教育に許されていいのかと、こういうことをよく申しました。そういうことを反省して今考えてみますと、ちょっと資料におこがましく書きましたけれども、先達が私に教えてくれましたローマ帝国が滅んだ五つの理由というのは、そういうような形だったらしい。 そうすると、今考えてみると、教育をこのまま場当たり的にもし改革改革だけでやっていったらどうなるかと。実際に、先ほどお話がありましたように、末端まで国の本当の考え方が浸透しない間に更に更に変わっていくと。現場ではゆとり教育だと言いながらまた変わっていくと。六日制のときから五日制になったときも私たちもそう言いました。そういうようなことから考えると、やっぱり基本的にはもう少し一本、日本の国をどうしようという気持ちで是非通していただきたいというふうに思います。 具体的には、私の学校ではもう、アメリカのニクソン大統領が大統領に立候補するときの条件として日本へ見学に来ました。それは教育というものを自分が立ち上げるからだったそうです。そして、日本の学校を見ましたら、何と五十人、五十五人の教室にしいんととにかくまじめに勉強している。アメリカは当時は何だといったら、学校に警官が配備されている、そういう時代だったので、これはいかぬというので帰っていって教育をやったという形だから、その教育は日本の教育じゃなくて、日本のいいところと、それからさらに人間教育という形でやられたと思います。それを実行しているのがハーバード大学始めいろいろな研究の結果現在あるわけなんです。 それを勉強しまして、うちの大学では、もう既に二〇〇〇年に大学をつくりましたけれども、その前に専門学校をつくりましたので、その専門学校から上がってきたいろいろな問題点をしながら、さらに大学に、要するに、大学は講義一辺倒のいわゆる今の教育、義務教育から高等学校の教育を見ますと、いい学校へ入れてくれる、受験が合格すれば親は満足、それがいい学校と、こうなっているわけです。ところが、大学へ入った途端にもう一辺倒の講義式で、ある資格を取るためには、例えば司法試験を通るためには東大へ行っておっても予備校へ行ってそして勉強する、それでないと受からないと、こういうような状態で、大学のそのものがどうなっているかというようなことから、大学はいわゆる日本語流で言うと絞るところであるというので、私のところは講義式はありません。 学生は全部六人単位で座っておりまして、そして男女交互でやります。そして教員は、あるいは教授は机間巡視だけれども余りしゃべりません。テーマはちゃんと与えてあるし、どういうことをやるかということは分かっていますので、お互いに六人がやるわけです。それで、お互いにそこから話を聞くわけ、そしてそれをレポートに書くわけです。他人の意見を踏まえてレポートを書く。そして小テストがあります。ですから、その時間汗だくだくで、眠っている子はいないんです。そういうのがアメリカの教育だそうです。 それを実践するということで、私のところは実践しましたら、おかげさまで就職も一〇〇%近かったし、それから国家試験がほとんど一〇〇%合格しましたし、これで三年間であれよあれよと言っているうちにその世界については言われました。 また、これはもう一つは、今日は持ってまいりませんでしたけれども、うちの総長、学長の理念は、できなかった子、生徒をできる子、学生にすることが教育であるという本を出しまして、その中に全部書いてあります。厚生労働省の方々はそれを四十冊ぐらい持っていっていただきまして皆読んでいただいたという話ございますけれども、そういうふうに、結局、今の大学の在り方、それから大学に対する国民の在り方、それをある程度変えるというような方向で諸案件をもう一遍見直してほしいというふうに思います。 一々申し上げる時間もございませんですが、私はやっぱり教員免許法、これは既にアメリカではとっくの昔に実施済みであるし、それから医師の免許状もそうなんですね。看護婦は大学院出て自分で開業できるようになっております。そういうようなことを勉強しますと、まだまだ我々の世界では改革しなければならないと、こういうふうに思います。 私自身が場違いな発言をしているようでございますけれども、過去やってまいりまして、そして学校もつくりました、公立学校もつくりました、私立学校も改編しました。その経験を踏まえますと、本当に何か後輩にいろんなことを申し伝えたいというのが私の今の毎日でございます。この年になってもこうやってこういう場を与えていただくというのは感謝の気持ちでございますが、これは原爆十三万人があの世へ行って私を支えてくれているんだということで頑張っておりますが、公私ともにいろんなことを含めて申しましたけれども、本来は学長が参るんですけれども、言われましたのがほんの数日前でしたので勉強ができませんでしたが、簡単なことでございまして申し訳ありませんけれども、また後で質問があればお答えしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 次に、植田公述人にお願いいたします。植田公述人。
○公述人(植田健男君) 失礼いたします。 先ほど御紹介いただきました植田と申します。名古屋大学の大学院では教育経営学という研究領域を専攻いたしております。教育課程づくりを軸にした学校づくりということを中心に教育研究をしております。本日、このように参議院の地方公聴会の場において発言させていただける機会をいただきましたことを大変有り難く思っております。 まずは、参議院におかれましては、衆議院のように特別委員会方式ではなく、本来の文教科学委員会の場においてこれらの法案の審議がなされていることに敬意を表したいと思います。集中審議といいますと非常に聞こえはいいですけれども、やはり議事録を確認して、それを踏まえて追加の調査、検討を行った上でじっくりとした審議が進められることを私たち国民は切に望んでいるからにほかなりません。間違っても、先に結論ありきで審議を進めているかのように見られるのは、国会議員の皆様にとりましても大変不本意ではないかというふうに思っております。 さて、本日の意見聴取の案件は余りに対象となる法律案が多く、膨大な量に上りますので、全部について十五分間で公述を行うのはとても不可能です。そこで、私の現在の研究者としての研究的な関心と同時に、中学校、高等学校の校長として学校現場を預かる者としての教育実践的な関心に基づきまして、ごく限られた事項について発言させていただきたいと思います。 お手元のA4判の一枚のハンドアウトをごらんいただきたいと思います。 まず第一点目でございますが、学校体系と高校教育の性質に関する問題です。これは学校教育法の改正にかかわるものであります。 現行法の下におきましては、いわゆる単線系の学校体系を前提として、あくまでも普通教育を軸にして初等中等教育を設計しております。その意味で、高校教育は完成教育、普通教育を完成させる場であるというふうに規定しているのですが、今回の改正案を拝見いたしますと、小学校と中学校を義務教育としての普通教育、高等学校を高等な普通教育として分離する形になっております。これは、学校教育法改正案の二十一条と五十条です。このようにしてしまいますと、事実上、中等教育の概念が極めてあいまいなものにされてしまおうとしていることに懸念を持っております。 さらに、高校教育の目的のところに進路に応じてという一言を付け加えることによって、この問題は一層明確になっているものと考えられます。つまり、後期中等教育、高等学校の教育が事実上大学への進学準備教育と職業準備教育とに分離されてしまっている。これを、法律上、後から正当化することに道を開くことになるのではないかということを懸念いたしております。 度重なる教育改革の結果として、そういう教育制度の実態が現れていることはだれもが知っているところではないかと思いますけれども、少なくとも現行法は、たとえ義務教育が十五歳までであるとしましても、教育制度の原理としてはできる限り十八歳までの教育において初等・中等・高等普通教育を重視する、すべての青年が各々の主体的な選択によってその後アカデミックな道にも行けるし職業人の道も選び得る、こういうことを考えてきたこと、私は非常に大事な意味があったのではないかというふうに思っております。 これを、進路に応じてという、いかにも世間に通用しそうな下世話な用語を第五十条に盛り込むことによりまして、大学への進学準備教育に特化された教育と、それから他方での職業教育との分離を固定化することにつながってしまうことを心から懸念いたしております。 また、第五十一条、高等学校の目標に関する規定において似たようなことが書いてあるように見えますが、同条の三で結論的に社会の発展に寄与する態度を養うことに最終的な目標を持ってくるのと、現行法の四十二条の三にあるように個性の確立に努めることを最終的な結論に持ってくるのでは全く意味合いが違っているのではないかというふうに思っております。 二点目でございます。学校教育法の改正と教育職員免許法の改正の双方にかかわる問題ですが、今回の法改正によって教職員組織の構成の変更を行おうとしている問題について述べさせていただきたいと思います。 今回の学校教育法の改正によって副校長から主幹教諭、指導教諭を新たに職として創設することによって、現在より更に一層教職員を上意下達の階層的な構造にはめ込んでしまおうとしていること、また、教育職員免許法の改正によって十年ごとの教員免許の更新制を創設することによって、私は教師の本来の意味での専門性を著しく損ねようとしているのではないかというふうに思っております。 現在、中高等学校の校長職にありますが、学校を真に父母、国民の期待にこたえるものにするのに必要なことは、当該学校の本来の教育関係当事者たちに学校をつくり変える、ともにつくり上げる自由を一つ一つの学校の教職員と父母や住民たちに与えることにあると考えております。 教職員を序列的な階層構造の中に追いやり、上からの指揮命令系統に組み込んでも、本来の教育効果は期待すべくもありません。また、それを学校管理者の資質の問題に帰そうとしたところでむなしいばかりです。この点につきましては、先ほどの深谷公述人の御感想に非常に近いものを感じております。 そもそも、教育という営みは、人に生まれた私たちを人間へと自立させていくことを援助する、そういう作用であると思います。新旧の教育基本法におきましても、第一条、教育の目的には人格の完成ということが掲げられている。正にそれは、先ほどの、人に生まれた私たちを人間という存在へと自立させていくということを意味していると思われるわけです。工場の中で製品を作り上げるのとは全く意味を異にしております。年齢や性、職歴、専攻分野を異にする先生たちが、教科教育はもとより、特別活動、生活指導、校務運営など、正に様々な分野においてチームを組み、言わば異質共同の体制によって仕事を進めることを大前提としています。全く同質の仕事がやられているのであれば上下の関係をつくった方が動かしやすいかもしれませんが、本当に多次元のところでチームを組みながらやっていく、だから常にだれかが上であるという関係では学校は動いていないという事実があると思います。 そういう意味で、先ほどのような形でこの教職員組織の編成を変えた場合に、そういうものを組み込めば組み込むほど、この異質共同の妨げになってしまう。見事にさきに掲げました教育の本質とやはり矛盾することになってしまうのではないかというのが私の考えるところです。 次に、教育職員免許の授与ということが意味することですが、私は、あくまでも学校現場において教職のキャリアをスタートしてよいということを認めるものであって、それ以上の過大な要請、例えば教職にあることの適格性の存否に関する判断をこの教育職員免許状の更新ということに混在させるべきではないだろうというふうに思っております。もしも教職の適格性に対する再判断の必要があるのであれば、ほかの制度形態において考えるべきではないか。度重なる法改正の中で、少なくともそうした道を開かれてきたのではないでしょうか。 免許状の授与は、その時点において教職歴を出発できるのに足る基礎的能力があることを認めるものにすぎず、その後の教師としての成長は、豊かな教員研修の保障と同僚間の学び合いの中で促進するべきものであって、言わば免許状の取上げとも言っていいような措置によって脅しを掛けて片を付けるべき性質のものではないだろうというふうに考えております。 いったん教職としてのスタートを教員の採用という行政行為によって社会的に認めておきながら、後になってその人が不適格教員であったというのであれば、むしろその責めを負うべきは教員として採用した側にあるのではないかというふうに私は思います。もっと公正で信頼に足る教員採用制度、そして真に教師としての成長、専門性の発展を保障するような教員研修制度、学校における専門家たちの同僚性の保障の追求こそが問われてしかるべき問題ではないのだろうかということをつくづく現場におりまして感じております。 まして、先生たちは与えられる手当とか給料のために専門性を発揮しようとしているのではないだろうと思います。私たち大学教員もある意味では画一的な賃金の下で働いておりますけれども、だからといって働くのをやめようなどということは考えるべくもないのが真実であると思います。 第三に、再び学校教育法の改正法案の方に戻りますが、学校評価の問題について触れさせていただきたいと思います。 今回の法改正の中で、文部科学大臣の定めるところにより、その教育活動と学校運営の評価を行うこと、及びその評価を公表することを学校に義務付けるということになっております。学習指導要領に基づいて作成される全国学力テストへの参加を教育委員会の判断の頭越しに文部科学大臣が学校に義務付けることを可能にするのではないかという懸念も表明されていますが、私は、むしろ本来の学校評価としてどうなんだろうと、その正当性の方により疑問を感じております。 教育の地方自治の下に、一つ一つの学校において教育関係当事者である人たちこそが学校評価にかかわる権限を持っていますし、それがさきに述べた教育の本来的な在り方を実現できる教育的な評価たり得るものと考えています。 だから、教育的な意味での学校評価という問題は私は必要だと思うんですけれども、そこに文部科学大臣の定めるところによりというふうに画一的なたがを課することはどうなんだろうかと。それぞれの学校の実情は非常に多様ですし、その中で、与えられた条件の中で、教職員も父母も一生懸命に子供たちが真っ当に育つように努力をしています。そのときに、全国一律の基準を課して評価を行う、ましてそれが学校への財源配分の基礎になるような事態が起こったとしたら、これまで積み上げてきた教育的な努力は本当に水の泡になってしまう。何としてもそういうことはやめてほしいというのが私の切なる気持ちであります。 同様に、そのハンドアウトの中には書きませんでしたけれども、今回の法改正の中で、教育課程に関する事項を文部科学大臣の権限とするように改正されようとしていますが、私は、現行の教科に関する事項で十分だと思うんです。教育課程と申しますのは、一九五一年の学習指導要領で文部省自らが非常に丁寧な解説を加えておられますけれども、一つ一つの学校において地域や子供の実態に応じて作られるべき教育活動の全体計画であると。正に学校ごとの実情に応じた多様な学校の在り方が、それが教育課程として集約されるということですから、それに文部科学大臣が全国一律の問題としてかかわれるとしたら、それは極めて限られた事項であると思いますし、現行の教科目法定主義という考え方の下におきましては、私は、教科の範囲で十分だ、教育課程の問題はその地域の学校に任せてほしい、自らの責任で自分たちの学校をより良くすることができるように少しでも手を貸してあげていただきたいという気持ちで一杯であります。 私の読んだものによりますと、今回の法改正の中で、教育に関する財源を獲得する正に千載一遇の機会ということでこの法案の改正が議論されているという側面があるというものを読んだことがありますが、教育費の総額が膨らんでも学校現場は全然豊かになっていない。大学もまたそうです。本当に地道な日々の教育活動を行うところにはお金が下りてこない。表面的な金額だけが膨らんで、それはどこかで使われてしまっているという、これは本当にむなしいことであります。 最後に、いずれにしましても、今回の法改正は決して技術的なレベルの問題ではありません。先ほどの学校体系の問題もそうですし、教職員の処遇の問題もそうでありますが、教育制度の基本設計に関する根本的な変更を含んでいます。こうした重要な改正であればこそ、相当程度のかつ慎重な審議が必要とされることは是非是非念頭に置いて審議をお進めいただきたいというふうに思っております。 いささか舌足らずではございますが、以上をもちまして私の公述に代えさせていただきたいと思います。 ありがとうございました。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○神取忍君 自由民主党、神取忍です。 本日は、大変お忙しい中、公述人の皆様方、貴重な御意見賜りまして、心より感謝申し上げます。 まず初めに、四人の公述人の方々にお伺いしたいと思いますが、教員免許状の更新の際に今膨大な経費が掛かると言われています。年間十万人の更新をすると、大体一人当たり今三万円から五万円費用が掛かるという中で、最低でも約三十億円が必要であるということが分かりますが、では、この費用は一体だれが負担するのか。先ほども深谷公述人の中からもお話が出たんですけれども、例えばですけれども、車の免許を更新する場合でもパスポートを更新する場合でも、その更新する費用は当然本人が支払うべきだという声があります。 そこで、もし同じ発想で、教員免許状の更新の際にもその費用を負担するのは教員本人だということになってしまったら、恐らく多くの反対意見や不満が予想されます。また、でも教育というのは、教員本人が仕事をして得る利益以上に、日本の将来を担う生徒を育成するという公共的な利益という側面が非常に強いことも確かです。そういった中ではすごく難しい問題なんですけれども、それでもなお免許状更新の費用が教員本人に課されるようなことになるとしたならば、その費用を負担するに値する講習内容があればまた別な問題になるのかなと思います。 そこで、例えば三十時間の講習を課す場合、カリキュラムのうち、教員として確認すべき基本的な内容に充てる時間を除き、教員自らがそのカリキュラムを設定できるようにすればその講習は有意義なものになると思いますが、そうすればその費用を負担するに当たっても反対意見や不満が少しでも少なくなるんじゃないかなと。 例えば、体育の先生でしたら、より専門的な体育指導を行うためにそれにふさわしいスポーツコーチの下に行ったりとか、数学の先生であれば、より高度な学問を深めるために大学や大学院に行ったりとか、そういった講習を自分で選べるように、具合にすればいいとは思うんですけれども、その辺で、費用負担という観点と、また講習の在り方という観点から皆様のお考えをお伺いできればと思います。
○公述人(深谷孟延君) 深谷です。 基本原則を申し上げれば、免許は個人の資格ですので自己負担が原則というのはこれは分かりますが、今回は、やっぱり途中からということである限り、公的な負担は何とか考えなければならないのではないかなというのが結論であります。 それから、先ほど申し上げられましたようなそういう方策というかアイデアというか、そういうものはもっと今後検討していく必要があるのではないかなと、三十時間にかかわってですね、そんな気がいたしております。 以上です。
○公述人(田原賢一君) 今の講習における費用の個人負担がどうだろうかということでありますけれども、これは今の免許の更新制が義務付けられるということでありますので、基本的には国のあるいは地方の方で公的なものでサポートする必要があるのではないかと。ただ、そうはいっても、講習を受けたこと自体によってその御本人はプラスになるということもございますので、それは非常に微妙なことでありますけれども、基本的には、義務付けるからにはやっぱり費用は公費負担ということが原則ではないかと。 ただ、今お話にございました、費用に見合った講習ができるのかというようなことですけれども、そのことについては、今ちょっと話申し上げましたように、教職大学院のことを今各大学でいろんな準備を進めていると、そういう状況でございます。そういう意味では、現場の先生が見えてもそれに堪えられるだけのものは各大学で、すべての大学とは申しませんけれども、十分準備をしているのではないかと、そんなふうに思っております。
○公述人(坪田要三君) 自分で勉強してより上の資格を取るということを考えますと、歴史的なものがやっぱりあるわけなんですけれども、私が担任をしておったときの学園紛争のときに、大学院を受けたいというのでどうするというので、退職して行くというのと、それから夜間へ変わって行くというのといろいろありました。現在ではそれがどうなっているか分かりませんけれども。 そういうことを踏まえますと、やはり現在は相当社会が変わりましたので、それで私の方では、例えば、今のお話がありましたように、教職大学院は今やっておりますけれども、その考え方は、ウイークエンドや夜間、それに来ていただければ、簡単にというか、中身の濃い勉強をしていただければいいんじゃないかと。 問題は、少し時間が、現場から出るものですから、その空いた時間はだれがやるかということは、これはやっぱり教育委員会なり国の方で保障してもらわないといけないと思いますが、その辺が折衷案じゃないかなというふうに私は思っております。
○公述人(植田健男君) 先ほども申し上げましたように、私はこの教員免許の更新自体に賛成ではありませんので、私が申し上げることではないのでしょうけれども、あえてこのような形で講習を課する側は、神取議員がおっしゃるような講習では意味を成さないということになるのではないかと。つまり、特定の中身について講習を受けさせて、それによって免許の更新を認めたいというのが趣旨でしょうから、費用対価の関係はおっしゃるようにあると思いますけれども、つくろうとしている側は決してそういう論理で構成されていないんでしょうし、もし神取議員のおっしゃるようなことが実現できるのであれば、それはこの免許更新の講習じゃなくって、本来の教員の自主的な研修の場に任せた方がやっぱりはるかに豊かな中身になりますし、先ほど申し上げたような問題とも抵触しないというふうに考えた方がいいのではないのかなというふうに思っております。
○神取忍君 ありがとうございます。 また四人の公述人の方々にお伺いします。 私はスポーツの世界でずっと生きてきたんですけれども、サッカーやボクシングの試合の際に両国の国旗の掲揚や国歌の斉唱が行われます。そして、そこに、会場に来ている若者はごく自然に、何ら思想的なとらわれもなく、起立して国歌のフレーズを口ずさんだりしています。でも、それはあくまでもスポーツ精神にのっとって、相手の国や自分の国を代表して戦う選手に、そして応援する母国の人々のために敬意を表しているものだと思っております。これは礼節を守るという、マナーという範囲の事柄であって、何ら思想的な強制を伴うものではないと私は思っておるんですけれども。 今回の学校教育法の法案で、我が国の郷土を愛する態度を養うという記述が盛り込まれることによって多くの今議論が交わされたことは了解しております。しかし、この記述で「態度を養う」となっているのは、私はマナーとしてこれを養うものだということを解釈しております。いずれにしても難しい条文で、子供たちにこれを教えようとしてもなかなか、いろいろ苦労すると思うんですけれども、こうしてスポーツを通じて、また国際的な文化交流などを通じて、自然にこのような精神を培うことができるのではないかと考えるんですけれども、個人的な意見で構わないので、このことに関して御意見をお伺いできればと思います。
○公述人(深谷孟延君) 深谷でございます。 この件に関しては、教えるということの難しさと同時に、いいなということを感じ取らせるような在り方というのを学校でも考えていく必要があるのではないかな。 私も海外に行きましたときに、それこそ日本の国旗がありましたときに、若いころであります、おっという思いに浸ったことは事実であります。皆さん方もお行きになったとき、正直な気持ちはどうだったかというところでしかありません。 以上です。
○公述人(田原賢一君) 今のことにつきましては、やはり自然に自分の心からそういう気持ちになることが大切であって、それを強要するということになると少しやっぱり抵抗もあるかなという気がいたします。そういう意味では、そういうことが自然にまず、今話にございましたようにスポーツから入るとか、いろんな入り方があると存じますけれども、それで強要しないで、自然にそういうことができるような体制づくりということが必要ではないかと思っております。
○公述人(坪田要三君) 私もスポーツは長くやっておりまして、東京オリンピックの役員としていろいろ世界の選手村へ入って交流もいたしました。それからずっとアマチュアとプロが余りにもプロ化されて残念に思っておりますけれども、やはりそういう問題は世界観だと思います。スポーツが一番ルールを重んじて、お互いの生活の中にそれが入り込んでしまうということが自然なんですね。 それで、今日本は皆様のおかげで海外へ出るようになりました。出た後、何を持って帰るかということが評価されていないというか、まあしているでしょうけれども、各人がそれを持って帰るわけですが、やはりその中で、世界へ出れば国旗の問題やあるいは国歌の問題やらいろいろありますけれども、そういうものを、先ほどお二人の公述人が申されましたように、僕はやっぱり自然に感得してくるものだというふうに思います。 以上です。
○公述人(植田健男君) 私は、先ほど神取議員から御指摘のあった、いわゆる教育の目標規定の中に態度を養う規定を置いていることはマナーのレベルで考えていないのではないかということに非常に懸念を持っています。 そもそも、愛国心の問題というのは個人の内面の問題ですから、法規に近いものを、あるいは法律においてこのようなことを規定することの是非が問われると思いますけれども、ましてその規定の中に「態度を養うこと。」というふうに書いてしまいますと、結果として態度に表れない限りその法律に書かれていることが実行されていないという、そういう評価を受ける危険性があるのだろうというふうに思っています。つまり、日の丸が掲げられたときに起立するという態度、あるいは君が代を斉唱するときに大きな声を出して歌うという態度、見た目に分かるようなものとして結果しないと、態度を養っていないではないか、おたくの学校ではちゃんとした教育をしていないではないかというような点検項目に掲げられてしまうというような事態になることは、これは絶対に避けるべきであろうと思うんです。 だから、こういう心情をはぐくみましょうというのならばまだしも、それは目標にすぎないわけですから、それを見た目の形に表れるということをもって結果ととらえるとしたら、本心ではそう思っていなくとも態度はそう表さなきゃいけないということも起こるでしょうし、子供たちの中にばらばらの気持ちを養ってしまうことにはなりはしないか。そうすると、ある意味では最悪の事態になってしまうんじゃないか、本当に心から国を愛する国民が生まれるだろうかというふうに思います。 私自身も国を愛していますし、日本の教育の将来を案じておりますけれども、態度にして常に示せというふうに言われたら、それは非常に抵抗を感じます。 以上です。
○神取忍君 ありがとうございます。そういった意味では、自然に本当に養えるような形ができるといいと思います。 深谷公述人と田原公述人にお伺いしたいんですけれども、今回の地方教育行政法の改正案で、先ほど深谷公述人がおっしゃっていた保護者の選任を義務化にするという問題で、様々な問題があると思うんですけれども、これから教育委員会が地域の教育行政をリードして地域の実情に応じた教育行政を行うためにはどのような体制が必要なのか、御見解をお伺いします。
○公述人(深谷孟延君) 保護者の選任に関しましては先ほど申し上げたとおりで、どう運用していくかということを考える必要があるかなということが一点と、それから、地域の実情にということでありますが、これも先ほどちょっと申し上げましたが、本当に教育委員会、教育長というのは、責任は取らされますが、何の権限もないんです、僕は辞めたから強く言うわけじゃないですが。そうなると、最後は首長さんの見識とか、そういうこととの関係でしか現在のところしようがありません。ですから、私は、何かのことで教育委員会並びに教育長に多少の権限と申しますか、そんな強権制度を発動するとかそういうことではありませんが、くれぐれも責任だけ取れということだけは、これはよくお考えをいただきたいなということで。 あとは、現在、学校も変わりつつあります。どういうことかというと、学校評議員の問題あるいは学校運営協議会、コミュニティ・スクールでありますが、正に地域の人々をどう学校の中に組み込んでくるかという、そういうことを今後考えていかざるを得ません。 以上です。
○公述人(田原賢一君) 専門というか、直接かかわったわけではありませんので少し話が大ざっぱになるかもしれませんけれども、やはり特に都市部、地方の教育委員会さんのことを少し見ておりますと、やはり今までは県の教育委員会がいろいろなことをやってくれた、それに従う形で運営がなされてきたと、それが実態だと思うんですね。ただ、そういう中で、いきなり地教行法でそういう形で全部を任されるということになるとなかなか実際には大変じゃないかなと。中核都市ぐらいですといろいろな準備もしているということですけれども、なかなか大変じゃないかなというのが実感であります。 以上です。
○神取忍君 四人の公述人の方にお伺いします。 地域地域によっていろんなニーズに対応した教員の養成を行う必要があると思うんですけれども、そのときの県や市町村との連携、また協力の現状や課題について今どのような認識を持っておられるのか、お伺いします。
○公述人(深谷孟延君) 教員の人事に関してというふうに受け止めさせていただいて、これは、私は政令指定都市とかあるいは中核都市とか、そういったレベルのことに関してと、ごく一般の、そういったところを外した市町村のレベルとを同列にちょっとこれを論ずることは非常に難しいだろうと。 例えば、東海市でいきますとわずか十八校であります。そういったところと、知多半島でいきますと一番小さい校数は五校しかありません。ですから、この件に関しましては、あるところの範疇というか大きさでもって論議をしていただかないと、その実情というのは、これは語り尽くせないと思いますので、是非その範疇をはっきりさせていただいた方がいいのではないかな、こう思います。
○公述人(田原賢一君) 教員養成の在り方に関係することですけれども、教員養成と教育委員会さんとのかかわりですね。特に最近は、今までちょっと話もございましたけれども、実際に卒業生が学校に勤務していろんなことを学べる、学ぶことができた時代がございました。それは、いろんな先輩がいて、いろんな教科、自分の教科にしろ何にしろいろんな教えを請うことができて、先生の身に付くものが随分あったという状況がございました。 ただ、今は、少子化のせい、それから人間の社会性が非常に少なくなっている、希薄になっていると、そういうようなこともありまして、先輩たちから現場で教えられる部分が非常に少なくなったと。そういう意味では、やはり教育委員会さんを通すというような形で、それを少し束ねる、広域に物事をして、広域で物事を考えて、やっぱりそういうスキルアップが、学校教育現場でスキルアップができるような体制の整備ということが必要ではないかなと思っております。 以上です。
○公述人(坪田要三君) 教職大学院の仕事を少しやらせていただいておって感ずることですけれども、いろいろとやっぱり公教育の場合は組織がございますので、例えば実務の実習をお願いするというときには、市町村教育委員会ではなくて末端の校長先生にお願いをするわけですけれども、それがやはり上へ上へ上へと行って、結局、上へ入りますとなかなかやっぱり、一番大事なことは、予算化されてないからというようなことが一つのあれになっておりますが。 結局、そういうふうに何かをやろうとするときには、資格とか与えられるものとか、あるいはこうなるとこうなるというような、そういうものと、それから財政的なものとがある程度分かっておれば積極的になると思いますが、そうでないと、そんなところへ行っても、どうも学校現場は、送る方は優秀なやつ送るんだから、そんなのを取られると困るというようなことになりまして、具体的にはそのような形になりますので、そういういい案だったら、ある程度やっぱりそういう明快、何といいますか、予算的にもはっきりとしたものがあれば参加する人は多いし、積極的になるだろうというふうに思っております。 以上です。
○公述人(植田健男君) 非常に簡潔な問いでしたので私の方がちょっと理解をしかねているかもしれませんけれども、地域のニーズにこたえられる教員を養成するということでいいますと、いわゆる教員養成段階よりは現場に入ってからの研修にかかわる問題の方が大きいのではないかと。 私は、教員の責務自体をやっぱりもっと明確化していかなきゃいけないんじゃないのかなというふうに思っているんですね。つまり、伝統的な教師観の中に、ただ自分の専門とする教科を教えるということに余りに重点を置いてとらえられてきたし、そういうものとして教師も自己目的化してきたと。でも、今はいろんな問題を含めて総合的に子供たちの発達を保障できる、そういう専門家であることが求められているんじゃないかと思っているんです。しかし、そこの境界というものが余りに明示されていないのと、そういう現代的な課題にこたえるようなやはり研修が保障されていないということが地域ニーズにこたえていくときに非常に大きな壁になっているのではないかと。 そうしますと、県とか行政の関係でいうと、人事サイクルを機械的に動かすということではなくて、本当にその学校の実情に応じた必要な人材を必要なところにちゃんと配置するという観点が要るでしょうし、先ほど申し上げましたような、やっぱり研修を保障するような財源保障という問題を是非やっていただけたらというふうに思っております。 当然に、学校管理職者を二年とか三年サイクルで動かし続けると、地域ニーズにこたえる教員どころか学校責任者がいなくなってしまっているという現状も同様の問題ではないかというふうに考えております。 以上です。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 それでは、佐藤泰介君、お願いいたします。
○佐藤泰介君 民主党、佐藤泰介でございます。 今日、先生方には大変お忙しい中、時間を割いて、貴重な御意見をありがとうございます。また、国会の都合で日にちまで変えてしまったことを恐縮に思っておりますが、今お話を聞いて、二、三質問をさせていただきますので、よろしくお願いをしたいというふうに思います。 それぞれの公述人の皆さんにお聞きしたいわけですけれども、根底の部分では財源問題だということがお互いに言われたような気がします。 確かに、教育論をやっていれば、五十人おれば五十通りの教育論はあるんだろうと思いますが、その議論だけ詰めていても、なかなかそれに伴う改革、改善しようと思えばだれかが何がしかの負担をしなければいけないのが、やっぱり私は教育の世界でもこれは同じなんだろうというふうに思っております。 私の立場でいいますと、今進められようとしている日本の教育改革の根底にやっぱり財政的な裏打ちがないといいますか、安上がりの教育といいますか、そんな部分が私は非常にあるのではないかと。そこへもってきて精神論だけ言われる、あるいは教員にはまじめさだけ求めるとか、様々なそういう抑圧的なといいますか、積極性、能動的にという部分ではなくて、受動的に抑え付けられるような中での改革になってしまうんではないかと。ある程度予算がそれに伴って、これだけの設計をする教育改革、教育再生会議もそうです、免許状更新もそうですが、それだけの設計をするのであれば、それなりにどの部分をどういう負担をしていくのかということが必要ではないかというふうに思っています。 残念ながら、今、義務教育の第八次の定数改善もストップをしております。というような中で、掛け声だけ掛け声だけで本当に教育改革が進んでいくんだろうかと。 確かに、財政難という状況ではあります。しかし、教育というものは未来への私は先行投資だと、こう思っておりますので、その先行投資がなければ、今は対応できても、長いスパンを考えれば、だんだんだんだん教育費が削られていくに従って全体の教育力も落ちていくんではないかと私は思っています。 日本が戦後ここまで発展してきたのは教育の力による部分が大きいと思っていますが、それは強いて言えば、すばらしい労働力があったということにつながるんだろうと思います。そして、その労働力は、人数も必要ですけれども、働き手の質が私はやっぱり高かった、したがって日本が発展してきた。 しかし、これから、このグローバル化する社会の中で今までどおりの質の子供を育てていたんでは駄目だということは、皆考えていることは同じなんだろうと思います。それが新しい学力観だとかゆとりの中から総合的な力だとか、そういうところへ変わっていったんですけれども、そこに十分変わり切らずに、またぞろ一歩二歩も前のことを論じ始めてきつつあるんではないかと私は思っております。 そういう意味で、何とか私は、教育財政、教育予算の先行的投資という意味も含めて、その部分について四人の公述人の方からひとつお話をいただけたらというふうに思います。
○公述人(深谷孟延君) 正直、県も、ひょっとしたら国もかもしれませんが、県も市町村も教育予算は決して多くないと思っています。これをどうするかということを問われても、例えば私は教育長だった立場からすれば、もうどうしても議員の先生方に頑張っていただくより手がないじゃないかと。ところが、はっきり申し上げまして、首長さんも議員さんも選挙になると目先で票になることをおっしゃる。だから、僕は東海市の議員にも言ってきたんです。当選して何ぼだからそれも結構ですが、一方の目でもっと遠くを見詰めた、票にもならぬようなこともきちんと言ってくださいと。それしかありません。 以上です。
○公述人(田原賢一君) 今の、教育に対する先行投資ということですけれども、それもう全く同感であります。 実は、大学の、高等教育の公平化を、高等教育のいわゆる運営交付金の配分ですね、直接は関係ありませんけれども、本学としては、例えば工学部あるいは医学部等があるところで、やはり産学連携とかそういうところでいわゆる資金が獲得できるところはいいんですが、本学は単科の教員養成の大学でありまして、産学連携がそうできるわけじゃありませんし、そうかといって、今のその講習は公的なもので裏付けされるなら多少大学も潤うかもしれませんけれども、そういう今運営交付金の在り方について非常に危惧を抱いております。 是非、今、佐藤委員からもありましたように、教育に対する先行投資と、これは今日お金を使ったからあした結果が出るというものではございませんので、百年の計じゃありませんけれども、教育は少し長い目で見ていただかないと、教員養成系の大学が全部つぶれるような事態も起こりかねないと、そんなふうに思っております。 是非その辺は、直接関係はございませんけれども、よろしくお願いしたいというふうに思います。 以上です。
○公述人(坪田要三君) 県の全体の予算を見ましても、一般公開されているところを見ましても、教育委員会には三分の一ぐらい、莫大な費用が割り当てられると。その教育委員会に割り当てられた費用はほとんどが人件費である。ですから、人に払うだけであって、物に対する、物とか環境とか、例えば小学校に事務職、事務職というか、事務が非常に多くて、生徒と向き合う時間が少なくなったという問題にしましても、結局いろんなことが自分らでやりながら子供に接するということですから、これが一番今欠陥になっておるわけですね。 ですから、そういうようなところへ行くためには、その予算の在り方といいますか、配分の在り方ではいかぬじゃないか、いつまでたっても同じことじゃないかというふうに私は思っております。だから、そこのところを、現状を、ただ人件費のみとは言いませんけれども、人件費が主なところでしょうが、それに対するいろいろな評価の仕方というものを検討していただいて、よりきめの細かい予算化をされることを希望します。 以上です。
○公述人(植田健男君) 私も正に御指摘のとおりだろうというふうに思っております。 グローバル化の中で、これまでの教育の在り方では駄目だという焦りがあることは非常によく分かるんですけれども、そういうときこそ奇をてらわずに真っ当な教育を行うという勇気が要るのじゃないか、それをやっているのが北欧諸国ではないかと思うんですね。今は、つまり高度成長期のように満遍なく均質の労働力を育てるということよりは、言ってみれば上位三割のエリート層をはっきりえり出したいという欲求があるんだと思います。教育費のパイ全体を小さくした上で、その部分に重点投資をしようという動きが今行われているわけですけれども、これは私は国を滅ぼすことになるんじゃないかと思うんですね。 つまり、ちゃんと地盤工事を行わずに、ベースのないところに高層ビルだけを建てるということ自体がいかに土木から見てもおかしなことなのか、何かビルの尖塔だけが中空に浮かんだようなものが頭の中に描かれているんではないかと思えてならないんですね。 競技選手を育てようと思ったら、国民的な体育の基盤があってではないんでしょうか。これは神取議員が御存じだと思いますけれども、国民が本当に自由にスポーツができるという、その人たちは直ちに競技選手として優秀にならなくても、そういう地盤があるところの中に突出した選手が生まれてくるというのが当たり前の状況であって、国民的な体育の基盤が全く貧困になっているところでエリートだけをどこかから探してきて強化しようとしても失敗したというのは、これはロシアの例でも、ソビエトの例でも分かっていることではないかと思うんですね。 大学も今同じことが行われていて、比較的高等教育の配分の側にシフトしてきているとしても、これはプロジェクト研究にお金が行っているのであって、正に日常の教育研究活動の部分はどんどんどんどん削減をされてきていると。このたび財務当局の試案では、生活費さえも研究費重点に配分し直そうと。すると、現在の予算の一〇%とか二〇%しか運営交付金が来ない大学が出てしまうという、そんなことが平気で議論されているというのは私には異常にしか思えないわけです。 だから、先行投資額のやはり全体としての増額、余りに〇・五%というのは少な過ぎる。GNP比で最低でもやはり、GDPですね、今でしたら、一%ぐらいが常識だと思うんですが、それ以上に、奇怪といいますか、おかしな投資を行うんじゃなくて、本当に国民が必要としている教育の基盤をしっかりと育てるということに是非とも目を向けていただきたいなというふうに思っております。
○佐藤泰介君 深谷公述人にお聞きしますが、責任だけ取らされると。人事権も予算執行権もないというところで現在教育委員会制度が成り立っているわけですね。それがいわゆる政治的に中立というようなところからスタートして、以前は公選制の時代もございましたけれども、今は、東海市の市長に任命されて議会で承認を受けるという形だろうと思うんですけれども、果たしてこれから考えていくときに、そういう独立行政委員会のようなもので教育だけ扱っていくのがいいのか。これ世界的に見ても日本のように行政委員会が教育をつかさどるというのは余りないと私は思っております。アメリカ程度だろうと思いますが、アメリカも逆にそういうスタイルであるところに、公選制を入れていますので、公選制もなく教育委員会を設置をして、それが、私に言えばあたかも政治的に中立のような立場に置かれて責任だけ取らされるというのが現状ではないかというふうに私も思っております。 私どもの案では、もう知事部局、首長部局に統合したらどうかと。そして、教育委員会なるものは発展的に解消して、首長がもし政治的に中立でないような動きをした場合には監査をしていくと。教育監査委員会というのをつくって、教育長を始めそのスタッフは全部知事部局、首長部局に合わせたらどうなんだろうかと。その方が効率がいいんではないかというような観点から民主党の対案は書かれているわけですけれども、この点については、長年教育長を務められた経験の上に立って、どのようにお思いになりますでしょうか。
○公述人(深谷孟延君) 結論から言いますと、教育委員会は残していきたいと、こう思っています。 それで、効率ということからいって、果たして、一方で教育は効率化ということがどうなのかということがありながら、効率ということいかがなものかなということと、首長さんによってどういうふうに変わるかということにおいてはやや心配な面がありはしないかということ、それから、あくまで教育委員会は、学校教育ばかりではありませんが、社会教育も家庭教育もいろいろありますが、先ほども申し上げましたが、要は、育てるとか、将来の日本の子供たちを育てていくとかつくり上げていくという視点が果たして知事部局に移ったときにどういうふうにこれがなっていくのかなという見通しが私には現在立っておりません。 ですから、現状では、これは政治的中立かどうかというのはそれはどうか分かりませんが、あくまで現在の教育委員会、これをどう充実させていくかということの方に力点を置くべきだと考えています。 以上です。
○佐藤泰介君 田原公述人にお伺いしますが、私どもの民主党の案も、六年一貫というよりはむしろ修士を終えることによって教員の資格を得ると。いわゆる六年行っていただいて、最後の一年は四月から三月まで一年間教育実習をともに、指導教官の方と一年間やるというような案で、要するに、更新ではなくて、更新制も入れていますけれども、養成段階がまず一番大事だと。その養成段階を最重要視していくためには、果たして今の四年制だけで本当にそれだけの専門職としての力量が付くんだろうかと。やはり二週間、四週間程度の教育実習では私は大変実践的な力が付きにくいのではないかということで、私ども民主党の案としても一年間教員実習を含む修士課程ということを打ち出しているわけでございます。 あわせて、先ほど田原公述人も言われましたけれども、教師の専門性といいますか、昔で言えば、保護者の方々とのある一定の、学歴という言い方は悪いですけれども、学歴の差があった。今はもう、ほとんど家庭でもお母さんが教育書を読まれたりいろんなことを勉強される中で、本当に教員の専門性が、私はそういう中で四年では不足するなと、こういうふうに思っているわけです。薬学も六年になりましたし、先ほど出ましたロースクールの問題も、これ二年間ですから六年、それから獣医師さんも六年という中で、本当に四年でいいだろうかというのが私どもの大変な疑問だったわけですが、田原公述人のところで六年制というのを中教審の答申をちょっと先取りしたような形で入れられたというようなことを言われましたけれども、今後は正式に教育系大学を六年にするというふうなのはどんな意見をお持ちでしょうか。
○公述人(田原賢一君) 今の件につきましては、いわゆる教大協、教員養成系の大学、学部が集まる組織がございまして、教大協、日本教育大学協会と申しますけれども、そこでの議論がそういう方向で議論がなされているかというと、まだ今のところはそういう状況ではございません。 ただ、個人的には、学僚等といろんな話をしている中では、やっぱり今の四年間では短いよねというような話は随分出ます。本学といたしましても、そういうことを受けて、現在の法制の中でしかできませんので、法制の中でできることをやると六年一貫教員養成コースというものになるということであります。 今、佐藤議員からもございましたように、四年間では、今の免許法は、随分年を追うに従っていわゆる教職関係の授業が多くなっているんですね。いわゆる専門の、例えば私は数学なんですけれども、数学をやる学生、数学をやる時間が非常に、以前から見ますと半分になりまして、そういう意味では、小学校の先生はそれでもいいのかもしれませんけれども、中あるいは高等学校になると、今の採用試験を見ておりますと、数学科を出た学生でも、中等の学生でもやはりまだ専門の時間が必ずしも十分でなかったと、したがって、教員の採用試験を受けるのはやっぱり大学院を出てからでないとちょっと怖いなというような状況がございます。これはもう現にございます。 そういうことで、愛知県の場合には小中と高等学校が別個になっておりますので中高というわけではありませんけれども、高等学校にはなかなか受け入れにくいという状況がございます。そういう意味では、今の学部の段階から、六年を通して、六年出て初めて免許が取れるというような状況を是非早くつくっていただきたい。 そうしないと、やはり今の学歴のこともございますけれども、僕らが現場で見ていて、やっぱり四年間では、四年間で遊んでいるわけじゃないんですけれども、四年間でほとんど教員養成はフルタイムぐらいに授業が組まれているんですね。その中で本格的に例えば教科の勉強もできない、さりとて教職の勉強もできないというのが、中途半端なアブハチ取らずの状況になっていると、そういう状況がございます。 そういう意味では、是非、六年を通した教員養成ができるシステムを、法を整備していただければと思っております。
○佐藤泰介君 それでは、植田公述人にお聞きして、私の時間もうなくなっておりますので、簡潔にお答えをいただきたいと思うんですけれども。 普通教育で高校が予備校的になっているというお話が先ほどされましたが、私どもも、今回も中教審も学制はそのままいじらなかった、検討課題だというふうにして残したわけですが、そろそろ学制を議論を始める必要があるんだろうなということを私どもは思っています。 その最初の取組として、私どもの出した免許法においては、小学校と幼稚園、これをひっ付けて一つの初等何々免許状、中学校と高校をひっ付けて一つの、まあ名前はいいんですけれども、そんなところへ取っ掛かりを付けたわけでございますが、やはり今のシステムでいうと、どうしても公述人言われたような形に陥らざるを得ない。 確かに中高一貫教育も始まってはいますけれども、やっぱり普通教育というところで、中学校も含め、高等学校も含めたやっぱり中等教育という概念をつくり上げ、そして、初等教育というのなら幼稚園も含めてというふうなことを私どもは免許状の上では考えているんですけれども、まだ学制そのものについての結論には至っておりませんけれども、高等学校だけがちょっと離れているというような御意見がございましたので、それに関連してどんなことを思ってみえるかをお聞きして、私の質問は終わりたいと思います。
○団長(中川義雄君) 植田公述人、簡潔にお願いします。
○公述人(植田健男君) ありがとうございます。 まず、前提の普通教育の部分なんですけれども、本当に普通教育たり得ているかという問題に発して、先ほど申し上げたようなことがあるんじゃないかと。例えば教科教育自体も、本来の教科の目的を実現しているのかという点では非常に疑問がありまして、そういう結果として先ほどのような種別化があるということが前提かと思います。 私は、六三三四という学制というのは、やはり当時の子供たちの発達段階から見て行われた分類であっただろうと思うんですね。その意味では、今日の子供たちの発達、体一つ取っても随分変化がありますので、これに心の問題や知的能力の問題を含めて考えたときに、どういう学制区分が必要なのかという研究は進める必要があるだろうというふうには思います。 現状の下で、免許状を幼小とかあるいは中等教育免許にするというのは現行学制の前提だと思うんですけれども、それについては十分あり得る判断ではないだろうかなというふうに思っております。これが学制を通り越して小中一本というようなふうになっちゃうと、ちょっとどうなんだろうというのはありますけれども、先ほどのカテゴリー分けであれば検討に値するのではないかというふうに理解いたします。 以上でございます。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 福本潤一君。
○福本潤一君 公明党の福本潤一でございます。 本日は、四人の公述人から貴重な御意見いただき、ありがとうございました。人生経験、教育経験豊富な先生方の御意見、貴重な御意見として拝聴させていただいた上で、また国会審議に役立てていきたいと思っております。 今回の三つの法律の法改正、一つの現状の教育現場が、いじめ、自殺、また学級崩壊、さらには不登校、いろいろな様々な初等教育での問題が起こっているところから、各関連部門全部の責任、そういったところを改正していくという形で文部省、また与党が提出してきたという形になっております。 先ほどのお話の中にありましたけれども、学校の先生、生徒にとって、また児童にとっては最大の教育環境でございますし、個々の問題ももちろん取り上げて改正の方向に向けて法律改正を進めておるわけでございますが、本人を中心に考えてきたときに、両親がおり、また学校の先生がおり、また地域社会があり、さらには自治体、行政、教育委員会等もあるというような関係の中で、それぞれの環境担当部門がそれぞれが今現実には忙しくなっているという問題があると思うんです。先生は先生で、ゆとり教育にすればゆとり教育でまた忙しくなる。本人も、進学、また塾、いろいろ忙しい。両親は両親で、子の教育はどうなっておるのかと言われながら家庭教育の手が回り切れていないというような側面も起こっておるという中で、特に先生というものに焦点を当てたこの法律改正の中で、免許更新制度、特に研修制度を含めて改正が大きく行われるという現状がございますので、最初に四人の公述人から、この免許更新に関して、これが現実に改正、改善になっていくと思われるのか、スクラップ・ビルド、また任命者責任はどうなるのかというようなことも含めてございますので、今回の改正、免許更新制度の改正について御意見を、賛否も含めてお伺いしたいと思います。
○公述人(深谷孟延君) 免許法の改正に関しては、先ほど申しましたが、結局研修の在り方とでどうセットで考えるかと、ここがしっかりはっきりしていないと効力が薄いのではないかなと、結論から申し上げるとそういうことであります。決して反対ということではありません。 以上です。
○公述人(田原賢一君) 更新制そのものは、賛成というか、是非必要なことではないかなと。いずれにしても時代の流れは非常に速い、いろんな形でその時代時代に即した能力が求められると、そういう状況でありますので、更新制は必要である。 ただ、講習という形で、ちょっと前にも申し上げましたけれども、三十時間ではとてもそれをフォローするだけの時間ではないのではないか。あとの六十時間は、これ実際に後付けすることも考えますと、先生方が半日来ていただいて、半日で二こまとなりますので、二こまでちょうど六十時間という計算になる。そういう形で、その六十時間が十分かどうか分かりませんけれども、時代の流れもございますので、そういう意味では更新制をきちんとやる。ただ、そのときに更新制の中身が、良くない先生を選び出すだけの作用ではなくて、やはり全体の先生を育て上げるという観点で是非御配慮をいただきたいというふうに思います。
○公述人(坪田要三君) 私も更新制は賛成ですけれども、いわゆる現場の先生たちは、何やるんだ、何が講習を受けて自分が向上するんだと、このぐらいの感覚ではとても駄目なものですから、やっぱり現在、子供たちと対応して、その背景が社会の変化によって、例えば家庭が崩壊だとか離婚だとかいろんなことがありますが、今まで経験しなかったことの中に子供はいるわけですね。 それで、高校でもそうですけれども、アルバイトやらざるを得ないとか、自分で稼いできなさいという、こんなこと全然考えられなかった環境ですが、そういったようなことの勉強はそれではどうなっておるかといったら、福祉やいろんな法律が課せられておるんです、あるいは叫ばれておるんですが、そんなことは分からぬ。したがって、この親はどういうふうなところで困っておるかと、こういうところでやっぱり子供と対面しながら、すぐ、バックはどうだ、これはというふうなところはもう少し勉強をしないといかぬじゃないかというふうに私は思っております。 したがって、そういう意味の内容も入れた講習であれば私は大賛成であり、また私ども理学療法の学生を預かっていますが、八週間も行きます、教育実習へ。ですから、専門以外にもう物すごく、学校に来ているのか実習に行っておるのか、それも日本国じゅう散っておりますので大変なんですけれども、そういうふうなところが今一部では全部行われているというのを制度化するというふうにしていただけたらと思います。 以上です。
○公述人(植田健男君) 私も、冒頭に述べましたように、むしろ研修との関連があるわけですから、こういう更新制によらずに研修でむしろ片を付けるべき問題じゃないかと思うんです。 教職員がその時代時代に応じた力量を形成してもらわなければ困るという、その願いはよく分かるんですけれども、こうやって外在的な制度に移せば移すほど教師の学ぶ力はどんどん減っていくんですね。研修もそうですけれども、この間、もう異様なほどに研修が予算化され制度化されているけれども、そのことによって教師自身が学ぶ力がどんどんへたっていっている。むしろ、現場の中に経験豊かな先生がいて、いろんな知恵や知識を持っているのに、横にいるその先生の力を学び合うということがなくなっていって、外部委託された研修に行って、余り自分の必要性のないところだけ学ばされて帰ってくるというような事態が繰り返されていると。これは、現場にある資源を活用する上でも、予算の使い方としても、非常に徒労になってはいないだろうかと。だから、現場にある力をもっともっと大切にしてあげて、それが国民の期待にこたえるような仕組みを考えてほしいというふうに思うんです。 ですから、今のままだと、十年研修で十分にこたえられるだろうし、まして免許の取消しということが常にちらつくと、これは教師にとってはやっぱり脅威にしかならなくて、ますます萎縮してしまうということを私は懸念いたします。
○福本潤一君 ありがとうございました。 と同時に、システムの中の、学校教育法の法律でも改正点、一点ちょっと挙げさせていただいて、これも四人の方にお伺いさせていただきたいと思いますが、今学校評価をすることによって学校のレベルアップを図ろうという改正点が一点ございます。 これ、大学の教員の方も今日は来られておりますので、大学でもう二十年か三十年前から自己点検評価というのをやって推し進めた経緯、経過がございます。私も、十二年前まで愛大、愛知大学ではなくて申し訳ないですけれども、愛媛大学の方で教員やっていましたので、そのとき、この自己点検評価をやることによってどの程度改正進むだろうかと。大学レベルでやった場合、そもそも評価というのは自分がやるもんじゃない、他人がやるもんだというような議論から始まって、かなりこの作業によって多忙度が増すというようなことがあって、現場ではこれがどの程度生かされるか、形骸化するおそれもありまして、形は整えてやるわけですけれども、現実にこれが行われることによる改正、改善を期待しておるわけでございますけれども、これがどういうふうに小中高、こういうところで進んでいくように思われるか、これの賛否も含めてお伺いしたいと思います。
○公述人(深谷孟延君) 私、在任中にこれはもう取り組み始めました。 それで、これは確かに多忙と同時に、教員にはすぐ多忙感というのが働きます。何でもやれば、改革すれば多忙に決まっています、何をやるにしても、必ず。それは付き物なんですが、要は調査項目をどう精選していくかということが、恐らく今年から取り組んでいくことになるのではないかなと。現在、五校でもう二年間やりましたものですから、そういったことが一点と、項目をどう精選するか、もう一つは、その学校のある地域性に準じた項目をどう作るか。全部同じ質問では、これはそこの学校の学校改善の意味を成さないということだと思います。 それから、付随しますが、学校評価をやっていったときに、これを協力してくださった方々から出ましたのは、今後、家庭評価や地域評価はせぬでもええのかと、これが正直な声として出ました。一体、すぐ何かあると大人社会が悪い、じゃ、大人社会をだれが直すんですかと突っ込みを入れるとだれからも回答はありません。ですから、要は学校をつるし上げるとかそういうこととは全く違うわけであって、いかにいい学校を構築していくかという視点で最もいい項目を作っていくことではないかなと。 以上です。
○公述人(田原賢一君) 今の評価の観点で、大学法人化以後、評価はいろんな形で、年次評価、認証評価それから外部評価、いろんなものが入っております。そういう中で多忙になったことは確かですね、それは確かであります。 ただ、そういう自己点検評価をベースにしながら評価をしたことが大学の改革につながっているかという観点ですけれども、それはかなり各大学さんの温度差はあると思いますけれども、やはり随分気にしているというか、大学としてもそういう評価をしながら、やっぱりここは良くないからこういうふうに変えようじゃないかという議論が大学の中でも起こっているのは事実ですね。そういう意味では、評価の項目を入れて良かったのではないか。 ただ、そのときに注意しないといけないのは、評価が自己評価じゃなくて絶対評価になるんですね。それはもうほっといてもそうなっちゃうわけで、それがそういう絶対評価になると、例えば大学でいえば大学のランキング付けに活用されるというようなことがございまして、そして元々ベースが違う、特性があるものの、その特性を配慮した評価なりそういうものが是非必要なんで、そういうことをやらないでいきなり絶対評価に持っていくと、今もちょっと話ございましたようにランキング付けに活用されるということがありまして、それは是非避けていただきたいというふうに思います。 以上です。
○公述人(坪田要三君) 評価そのものの結果が何に使われるかということだと思うんですね。一番厳しいのは、教授でも教員でもそうですけれども、今やっている授業とか講義とかそういったものを学生、生徒が評価する、これは一番痛いですね。それによってまず自分自身が向上すると、これを私は現在ずっと開学以来やっておりますけれども、非常に成果が上がっております。学生も初めは、無記名だとあかん、あかんというわけで全部記名させますから、無記名のときと記名のときとでいいますと大分やっぱり中が違います。そういう責任を持たせると。 そういうこと等が双方で信頼されて、教員、教授は皆それを、絶対評価とありましたけれども、そういう意味じゃなくて、まず自分自身がこういうところかと。それで、実際に教室に入ったとき、講義をするときにもそれを考えながらやると。いわゆる非常に教える方と教えられる方とがスムーズにいっているというのが、全部じゃありませんけれども、徐々にやっぱり日本の教育の今までの在り方を変えていこうというんだから、いいなと思っております。それがやっぱり、外から見えた方にお願いしておりますけれども、見えた方が逆に、中のそういう雰囲気をおおっと言って感動しながら他の方へ影響していろんなことをやっていただけるという例もございます。そういうふうになればいいなと思っておりますが、手前みそなところありますけれども、やっぱり評価は、その評価された人間が何に使うかということが一番大事なことだというふうに思います。 以上です。
○公述人(植田健男君) 学校が持っている公の性質と、それから公費によって基本的に支えられているということを考えますと、その教育的な評価というものを必要としていることは間違いがないんだろうと思います。 ですから、さきの教育基本法第十条、昭和二十二年、法律第二十五号の方の教育基本法ですけれども、ここに、教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負って行われなければならないという極めて重要な規定が置かれていたわけですね。国民全体に対して直接的な責任関係で学校教育は営まれなければならない。とすれば、そこに当然に教育的な評価システムというものが想定されていたはずで、だからその観点からいえば私は評価は要ると思うんですね。 しかし、それは外付けというか、外在的な評価軸が一律に与えられて学校が順番に並べられて、更にその上にそのことによって予算配分が変わるというようなことをやってしまったら、これはもう教育とは無縁のものになってしまいかねないと。昨今、何でもかんでも数値目標化するということが言われていますので、そういう形での貧困な評価に責められてしまうと学校が本質を見失ってしまうことを私は一番恐れているというのが正直なところであります。 以上です。
○福本潤一君 貴重な御意見、ありがとうございました。 大学で先行的にしておったものがまた小中高で行われて、これがかなり現実に実を結ぶような形での成案を求めたいと思っておりますが、と同時に、小中高以外、また大学の方は科学技術予算、かなりここ十数年で大幅にアップしたと思っています。小中高は人件費が大きいですから、なかなかそういう予算的手当てというのが急激に伸びるということはございませんけれども、その大学の教育の中で、今日、田原公述人、坪田公述人、大学の設立からかかわっておられた経験も踏まえて、教職大学院を六年にするという形で新しい試みをされておられます。 少子化の時代で、大学も今度は生き残りが大変だという時代に入ってきておりますけれども、教職を六年にする、また福祉というような専門性のある分野で大学を立ち上げるときに、ある意味では特色を強調、アピールできるような形で進んでいかれたんだと思います。 教職を六年にするという形になったときのモデルケース的に進んでいかれているんだろうと思いますけれども、ほかの学部出ても今は教員になれるわけですね、工学部出ても、また農学部出ても理学部出ても。総合的な大学だとほかの学部の先生になっていただいた人も優秀な人が多いんですけれども、教育学部としては、むしろそういう先生方はなるべくなっていただかないで、教育学部中心に教員は養成したいと。これ六年になっていくとまた一つの新しいシステムの変更になっていくだろうと思いますけれども、そういうとき、ほかの学部の教師志向の人間に対する配慮というのはどういうふうになっているか。また、福祉部門に専門で進まれる場合の、新しい専門分野ですので、それを特化した特徴をちょっと教えていただければと思います。
○公述人(田原賢一君) 今ちょっと言いそびれたかもしれませんけれども、六年一貫で教員養成をやるということにつきまして、全く区分がなくて六年ということじゃなくて、一応四プラス二という考えでいます。 ただ、その中で、一般の大学を出た卒業生も四年のあれとして大学院には受け入れると。受け入れて、一般の大学で四年間を過ごしたけれども、あと実践的な内容についてはこの大学あるいは大学院に入っていただいて、そこで教師になることができる、それをむしろ歓迎するという状況。 今ちょっと申し上げました小学校免許の取得コース、これは七十名ぐらい希望者がいるんですが、その半分以上、もうほとんどが他大学の出身、本学の出身者はもちろん免許を持っていますし、教員の経験は非常に少ないんですね。だから、他大学を出た卒業生がそこへ入ってくるという状況ですので、非常に大いに歓迎ということであります。
○団長(中川義雄君) 坪田公述人、簡潔にお願いいたします。
○公述人(坪田要三君) 小学校に的を絞りますと、全教科、とにかく全人格教育ということですので、相当やっぱり人間性といいますか、人格が問われるわけですね。そういった意味で、昔のことを言いますとちょっとあれなんですけど、小学校一年、二年の担当の方は相当その学校でもベテランの方が着かれたというふうに思います。それだけ小学校一年、二年は大事だったですね。今はそうじゃなくて、順番にというか、どうなっておるか分かりませんけれども、そこのところが少し問題があると思います。 そういったことを踏まえ、先ほど言いましたような福祉やいろんな意味からいって、教職大学院の内容を、カリキュラムを、全然今までの考え方とは違ったカリキュラムを持っております。そういう意味で、あのカリキュラムを、現場とそれから大学院とが一体になって、一年間実習です。ですから、しょっちゅう行ったり来たり行ったり来たりしてやるというような方法で、許されればそれを持っていくということで考えております。 できるだけ、現在悩んでおられる教職員の皆様方が、ああ、そうかと言われるような方法で教育ができたらというふうで今段取りを進めております。 以上です。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 井上哲士君。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。 今日、四人の公述人の皆さん、本当にありがとうございます。 昨年の教育基本法の改正の議論のときに、全国の校長先生から取ったアンケート結果というのがかなり話題になりました。そこでは、言わば改革改革というものが学校現場に来たけれども、それに付いていけないというのがかなり多数の声であったわけですね。それで、ゆとり教育にも見られますように、この間、打ち出された方向が必ずしも検証されないままに転換をしたり、新しい方針が重ねられたりと、こういうことがかなり起きていると思うんです。 そこで、まず、先ほども議論になりました十年研修と免許更新制度の問題について、それぞれからお聞きをしたいんです。 免許更新制度については、植田公述人は制度自体反対、他の三人のお方は、研修内容が当然問題になるけれども、制度自身は賛成という御意見だったかと思います。ただ、十年研修制度というのが始まっているわけですね。むしろ、これを充実をするということによって賄えるのではないかという意見もあります。免許更新というのは、やはり教員の身分を大変不安定にするわけですから、目の前の子供よりも失職の不安が頭をよぎるということにもなりかねない、こういうデメリットもあろうかと思うんですね。 そこで、植田公述人以外の三人の方には、今の十年研修の評価、そして、こういったものを充実させることによって、いわゆる免許更新、失職の危険というのにさらすんではなくて、むしろこれを充実したことによって教員の皆さんの力量向上を図ると、こういうことでは駄目なんだろうかということについて御意見を伺いたいと思います。 植田公述人は、こういう更新制度が本来の意味での専門性を著しく損ねるというお話もあったわけですが、もう少しこの点詳しくお聞きしたいのと、それから、アメリカでは既にこれが導入されているということもあったわけですが、国際的に見てどういう状況になっているのか、御存じであればお願いしたいと思います。
○公述人(植田健男君) 私は、先ほど申しましたように、社会的な客観的要請ということについては理解をするけれども、それを免許の更新制という形で片を付けるべきではないというのが基本的な議論で、むしろ学校現場の中において教師が学び合うことをより重視をする、余裕を与えるということが非常に大事ではないのかなという趣旨で申し上げました。 教師の専門性に対する理解自体が、先ほどこれも触れましたように、どうしても教科の問題、あるいは自分が指導するクラスやあるいは学年の問題としてとらえられてしまって、なかなか専門家が横に手をつないで子供たちの発達にかかわるとか、それから地域や父母が持っている課題もちゃんと見通した上で学校のあるべき姿を考えるというようなものに、つまり現代的な専門性の方に今は道を広げていくべき時期に来ているんだと思うんですね。そのことは、教員免許状で片を付けようと思っても、これはもう付けようがない問題だろうと思うんです。だから、その意味で、手を入れるところが違ってはいないかという趣旨で申し上げたわけです。 そういう不安の中で、井上議員がおっしゃいましたように、教員身分の不安定化にやっぱり手をかしかねないものを課されたら、ますます教師が萎縮をしてしまうということ、これはやっぱり心理的な逆効果というものが私は懸念されると思います。 それから、諸外国の事例なんですけれども、よくこういう形で出されるんですけれども、是非お考えいただきたいのは、国によって学校という制度や教師の役割が違っているということがあると思うんですね。例えば、私はイギリスを専門にしておりますけれども、やはり学校の性格は知育学校であると。つまり、知識をいかに生徒に与えるかということが学校の仕事だし、基本的にそれが教師の任務であるし専門性になっているという国と、日本のように知育を含めて子供たちの人格の完成に働き掛けるということを目的としている国の教師、そしてその専門性、免許制度というものには明らかに質の違いがあっていいと思うんです。 だから、そういうことを無視した上で、ほかの国に更新制をやっていると、日本でなぜ入れないんだという議論というのは私はどうなんだろうかというふうに思っておりますので、アメリカの問題について知見を持ち合わせているわけではありませんけれども、是非、それは外国のことに学ぶときに注意をしていただきたいなというふうに思っております。 不十分なお答えで申し訳ございません。
○公述人(坪田要三君) 外国のそういう制度そのものは、それぞれの文化が違いますので、国の成り立ち、生い立ちが違いますから、一概に同じだということは言えないし、違っているとも言えないと思います。その文化をよく理解した上で、国策に持ってくるなら持ってくるというふうにしなければいけないというふうに思っております。 アメリカの場合は、やはりああいう競争社会ということですから、そういうものの中にそういうものがあるということです。それじゃ、日本は、じゃ、どうかという問題になります。 私、フランスへ一か月ばかり研究に行ったときに、小学校を中心にしてずっと研究したことがありますが、そのとき、小学校六年生になると国家試験があるんです。それで、点数をずっといろいろな能力まであらゆる機関で検査して、君は大工になりなさい、君は四年制大学へ行きなさい、君は医者になりなさいと、こういうふうにやっておるんです。私びっくりしまして、それで、そんな小さいときから職業を決められてと言ったら、いやいや、全然違いますよと。職業に貴賤がありません、そういう社会ですと。だから、大工なら一流大工にちゃんとなれるような社会制度になっているし、医者は医者だと、こういうふうに答えが返ってきまして、ああっと思ったことがあります。 じゃ、それをそのまま持ってきたかというと、そうじゃなくて、日本の小学校教育もフランスの制度を少し利用していたわけですね。それが、ぐるぐるとこう今日変わって、旧法の改正になって、それからずっとこの六十年間来たと。こういうところですので、私が言っている研修と、それから講習とは、あるいは免許更新とはちょっと次元が違うものですから、どちらでもいいような感じなんですけれども、今のところでは、免許制を考えたときに、やっぱりきちっとそこで一遍やるという形の方がいいんじゃないかなという感じで申し上げたわけです。 以上です。
○公述人(田原賢一君) それでは、今、免許更新制の内容が十年研修ではなぜ駄目なのかということなんですが、それはやはり採用の段階で、教師は、いわゆる天職じゃありませんけれども、その職業に向いているか向いていないのか、やっぱり人によって違いがあるんですね。向いていない人もいることは確かです。そういう意味で、採用の段階でそれをうまくセレクトできるかというと、必ずしもそうでないというようなことがありまして、やっぱりある意味での、過度に不安がらせる必要は全くないんですけれども、そういう意味での一つのチェックポイントは必要かなということを感じています。 そういう意味では、十年研修ではなくて、やっぱり免許更新制という道を一つ選ぶということも考えられるのじゃないかと。ただ、そのときに注意しないといけないのは、今話もございましたけれども、過度に不安がらせるというか、免許の更新制をちらつかせて、いろんなことをそのときに行うということはできるだけ避けるということに配慮をいただきたいと思います。 以上です。
○公述人(深谷孟延君) 基本的に、免許にかかわる研修とそれから要は十年目とかいう研修とは、これは区分けする必要があるのではないかなということであります、結論申し上げますと。 それで、研修に関しましては、先ほども時代の要請とかいろいろあるように、もう現場の教員、クレーマーに追われている人がたくさんいます。私の知る範囲でうつ病の大半はそういう人たちがあるということです。ですから、今というときのいわゆる研修はどうしたらいいのかということが、これはいわゆる免許更新とはちょっと違うところで考えていく必要あるのではないかなと。 それから、いわゆる研修に関しましては、教員、ライフスタイルに応じた研修はありません。どうでしょうか、十年目の後、何年目がありましょう。校長さんになると新任校長研修会とかそういうのはあるわけですが、本当の意味での研修、これがどういうふうに教員のライフステージの中であるのかと。これは確かに自主的でいい。ところが、私、知る範囲で、本当に自主的には何人していると、何%していると思われますか。官制研修すりゃ反論、批判が出るに決まっています。この辺の折り合いを本当にどう付けるかということは考えていく必要があるのではないかなと。 それから、話があっち行ったりこっち行ったりしますが、免許の更新が三十時間だったですかな、果たしてそれが、いろいろ三十時間、六十時間、百時間あるようですが、学校現場の視点から考えたときに、じゃこれだけの時間数ならば、一方で子供と一緒におらなあかんと言いながら、すごい時間数でやれとか、この辺はよく両方を勘案してみて、妥当な時間数はここだということをお考えをいただきたい。 以上です。
○井上哲士君 では次に、新しい職に関してお聞きをいたします。 先日、参考人質疑を国会でやったときに、いわゆるなべぶたと言われる教員の組織というのはむしろ合理的なんだという御発言が京都市の高校の校長先生からありました。教員というのは、しっかり議論をして納得してこそ力が発揮できるということから、大変むしろ大事なんだということを言われておりました。 それで、深谷参考人からは、今の学校というのは組織というよりも教員集団であって、これを組織としての学校にする上では大切なんだという公述、御意見もあったわけでありますが、こういう、むしろ教員が納得し、そして力を発揮していく上で、今までいわゆるなべぶたと言われた組織の形態というのは大変大きな力を発揮したという意見もあるわけですね。こういう点についてどうお考えか、深谷参考人とそれから坪田参考人にもお聞きしたいと思います。 それから、同じ件で、植田参考人には、既に都道府県によってはこういう主幹制度に近いものを導入しているところがあるわけですけれども、そういうところでの状況など御存じであればお願いしたいと思います。
○公述人(深谷孟延君) 話し合う力とか、そういうことは私は重要なことだと考えています。それを何も否定はしておりません。 ただ、体制としてどうかいうと、今も申し上げましたが、クレーマー問題が来る、あるいはいじめの問題が来る、あるいは不登校の問題、学級崩壊、一方では、個人で抱え込むなと言うんですよね。それと、一方では、組織というと上から下へだと、こうなる。そのときに、本当に支え合うというのは組織がない限り支え合えません。だから、問題は、この体系をどう運用していくかということは今後の問題であって、だから私はこの職をつくることは重要であるし、今後の新たな学校をどう構築していくかということではないかと、こう思っております。 以上です。
○公述人(坪田要三君) 今までの経験からいいますと、話し合って終わりということが多かったわけですね。で、どうにもそれが生かされないというところがあったんですが、考えてみますと、やっぱり教育そのものは教と育というふうに教えられておりますように、教え込む部分と、育、育てる。育てるという字は、逆さまに言いますと、下が月ですから、これが母。上の方をこういうふうに見ますと子という字ですね、子がひっくり返っているという。子と母、すなわち母親とあれが対面しているというふうに言われますが、そういうふうに両方あるわけです。 それを自分の研修、自分の力そのものだけでだっと出しますとやっぱり違いが出てきますので、組織としてそれを、どの部分を取り上げるかということは大変難しいと思います。長年やっぱり、どのかいわいでもそういう点ではなかなか話合いしても付かないということがあるわけなんで、皆さんが納得する点を取り上げてそれを法制化していくとか、あるいはいろいろなことを、約束事をつくるとかということは必要じゃないかというふうに私は今思っております。 以上です。
○公述人(植田健男君) こういう主幹制度のような中間職制が入ってきますと、結局、学校の仕事を限りなく定型化された事務仕事化をして、上から下への命令関係で進めていくということにやっぱりなってしまうと。すると、一見効率がいいようなんだけれども、教職員の力量形成の問題も起こるし、相互の信頼関係にも相当にひびが入るということがやはり起こっているというふうに私は見ています。 特に、教員評価を行う際に、例えば主幹がその中間的な評価を行う存在にされてしまって、これまで同僚だった人たちに対する評価者として立ち現れると。それを教頭が評価し、その教頭を校長が評価しという形の上下のやっぱり序列化の問題に返ってしまうと。そのときに何が起こっているかというと、管理職の希望者が減っているということがあると思うんですね。 つまり、これまでであれば、さっきのなべぶた組織の中でやがては自分も校長になって学校づくりの先頭になって頑張ってみたいと、そのための経験を今積んでいるんだということで、かなり個人的な契機もあるかもしれませんが、校長になることで学校を変えたい、変えられるという、こういう希望はまだあったんだろうと思うんですが、今のような完全な上下関係になって、しかも教員評価の評価者にされてという形になってしまうと、どう考えても管理職に夢がないと。しかも、一挙に校長にはなれないわけですから、順番を踏んで下から上がっていかなきゃいけないと。特に中部圏では管理職の上下構造は非常にはっきりしていますから、現場の先生は、今日は一番が欠勤しているとか二番が来ていないとかという番号で呼ぶような風土があるように思うんですね。だから、本当にそれは学校という教育の本質にかかわったときにいいことなのかというときに、私はやっぱり疑問を感じざるを得ないというふうに思っています。 だから、学校を代表する責任者としての校長はやはりはっきりと責任を取ってもらわなきゃいけないし、リーダーシップを持ってもらわなきゃいけないけれども、校長も含めて専門家の集団としてやっぱり動いてほしいと。その中にいろんな力量の差はあるだろうけれども、それを埋め合わせるような専門家の集団であってほしいと。そういうところにこのような新しい職を持ち込むということをやると、そういう学校の姿というのはまず絶望的になってしまうんじゃないかというふうに私は思っています。 以上です。
○井上哲士君 次に、田原公述人にお聞きします。 この免許更新制が仮に実現をいたしますと、先生の大学などが更新講習とか、それから認定ということをやることになると思うんですが、実際の細かいやり方などは全部、法成立後、文部科学大臣の定めるところにより行うと、こうなっているわけですね。相当不安が現場にはあるんではないかと思いますし、どういう点を審議の中で更に明らかにしてほしいと思っていらっしゃるか。それからまた、やる上で大学に更にいろんな、予算的なことも含めて、必要なことがあるかと思うんですが、その辺、どのようにお考えでしょうか。
○公述人(田原賢一君) 免許の更新制につきましては、まだ大学として議論ができているわけじゃございませんけれど、法整備ができてからと思っていますので、大学の意見というわけではありませんけれど、個人的には、やはり免許の更新制については、中身をどれだけ公正なもので、国が指定するにしろ、どこかがこういうのを考えるにしろ、公正性の担保というか、それをやっぱりきちっと持っておかないといけない。それからもう一つは、教員としての資質能力ということになると、いつの時代にも変わらない一つの尺度がある、それと同時に時代によって変化するものもある、そういうことで、その辺のバランスをどういう形で取るかということによって中身も変わってくるのではないかなと思っています。 特に、教科に関する内容というのは割と時代の変化には独立した内容を持っている、それに対して、政策的なことについてはその時代時代の対応が求められる、そういう状況がございますので、そういう意味では、更新制は国が指定するかどうかはともかくとして、そういう公平性の担保を、きちっとした、だれが見てもおかしくないような基準を是非設定していただきたいというふうに思っています。
○団長(中川義雄君) ありがとうございました。 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 本日は、長時間御出席をいただき、また、貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと存じます。本委員会を代表いたしまして、厚くお礼申し上げます。 以上をもちまして参議院文教科学委員会名古屋地方公聴会を閉会いたします。 〔午前十一時二十一分閉会〕