教育基本法に関する特別委員会 第8号
- 発言数
- 496 件
- 登壇者
- 45 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 2006/12/05
会議録
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を開会いたします。 委員の異動について御報告いたします。 本日までに、渕上貞雄君及び谷合正明君が委員を辞任され、その補欠として近藤正道君及び鰐淵洋子君が選任されました。 ─────────────
○委員長(中曽根弘文君) 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○蓮舫君 民主党・新緑風会の蓮舫でございます。 今日は、政府提出の教育基本法案、そして民主党提出の日本国教育基本法案について、比較をして、そして質問をさせていただきたいと存じます。 まず、その前にいじめ自殺について大臣にお伺いをさせていただきたいんですが、理念法を変えるだけではなくて関連法を変えて、あるいは教育行政の在り方、教育行政に携わる大人の感性の在り方をどのように整備していくのか、これもとっても大切なことだと思うんですが、いじめ自殺の中でも、私は連鎖して一か月に三件も起きてしまっていることに大変危惧を抱いております。 大臣のお考えでは、このいじめ自殺の連鎖についてメディアの影響はどのようにお考えか、お聞かせいただけますか。
○国務大臣(伊吹文明君) 心理学者の方に伺うと、今先生が御指摘になったように、成人であっても自殺の連鎖あるいはその他の事案の連鎖というものはあるようでございます。したがいまして、私のところへ参りました自殺予告の手紙などの扱いについても、随分率直なところ悩んだわけです。しかし、当然同じようなものがたくさん来るだろうということは覚悟しておったんですが、二十数通いろいろ来ておりますが、しかし、中に手紙を出した人を特定できるものがありまして、これが五、六通あって、その方に対しては適切な手が打てております。 ですから、マスコミの方々にもお願いをしているのは、事実関係はできるだけプライバシーを損なわない範囲で我々は公表をするつもりだけれども、報道については各々のマスコミの御判断で、今先生がおっしゃったような危惧が生じないような報道、報道をするなというわけではありませんが、是非お願いしたいということを申し上げまして、今回の一連の流れの中では、どちらかというと私はマスコミの皆さんはよく協力をしてくれたんじゃないかという評価をしております。 センセーショナルな取り上げ方とか、あるいは連鎖を呼ぶような取り上げ方、ただ、それ、当該事案についてはそうなんですけれども、バラエティー番組その他ですね、これでいろいろな番組があることは御承知のとおりで、しかし文部科学省の記者クラブとしては私は最大限の協力をしてくれたというふうに感謝いたしております。
○蓮舫君 文部科学省のいじめ自殺予告の手紙に関しては協力してくれたというのは、私もそのとおりだと思うんですが、ただ、個別のいじめ自殺に関しては、やはりテレビ・メディアを見ますと、相当私は、子供たちがならば自分もと思ってしまうような、そんなちょっと行き過ぎた内容があったんではないかと、これは御共有させていただけると思うんですが。 実は、WHOが自殺予防の手引というのを出しておりまして、WHOの推計なんですが、自殺が家族や社会に与える影響は計り知れないとしている。自殺が一件生じると、最低でも平均六人、親とか兄弟とか関係者が深刻な影響を受けて、学校で自殺が起きますと数百人に影響をもたらすとして、マスメディアに指針を出しているんですね。テレビが自殺のニュースを伝える権利はもちろんあるんですが、報道すると十日後まで自殺が増えることを紹介して、マスメディアがしてはならないこととして、遺書を掲載する、自殺方法を詳しく報道する、単純化した原因を報道すること、これがしてはならないこととなっているんですね。今回、一連の子供のいじめ自殺の報道を見ていますと、こうしたしてはならないということが果たして守られていたのかどうなのか。 これ、総務省にまずお伺いしたいんですが、WHOの自殺予防手引で示されたメディアの報道の在り方、日本のメディアではこれは何らかの形で守られているとお考えなのかどうか、教えていただけますか。
○政府参考人(中田睦君) お答え申し上げます。 総務省といたしましては、社会問題化しております自殺、いじめの報道の在り方につきまして十分配慮するよう加盟各社への周知徹底を十一月十四日、情報通信政策局長から民放連の専務理事に要請したところでございます。 また、社団法人日本民間放送連盟では、今お話ございましたWHOが一九九九年に策定をいたしました自殺予防に向けた手引、また本年十月十八日に施行されました自殺対策基本法の趣旨内容等につきまして、関係委員会等での説明を実施しております。 また、民放連では、十一月二十二日に全会員各社二百三社に対しまして、この遺書、自殺方法等の詳しい報道やセンセーショナルな取扱いの自粛など、自殺を取り上げる際の具体的な指針を列挙いたしましたWHOの手引につきまして、報道情報系番組はもとより、編成考査、視聴者センターの関係各セクションに周知することなどを求めるということで周知を図っておられると承知しております。 総務省としましても、放送事業者におきまして適切に対応していただきたいというふうに考えております。
○蓮舫君 報道の自由が一方であるわけですから、なかなかその報道内容あるいは編集に対して時の政府が規制を掛けるようなことというのはなかなか難しいと思うんですが、ただ、伊吹大臣にはお考えをいただきたいのは、子供の命がかかわっている問題ですから、例えば報道協定というものがあります。これは身代金目的などの誘拐事件が起きたときに、その被害者の命の安全を第一に考えて、県警や警視庁がメディアに対して情報は提供するけれども一切報道を控えるように、紳士協定ですね、お互い結ばれるものです。日本新聞協会も、報道統制にならないとの判断をした場合には報道自制をするという、こういう協定が取り決められております。 私は、やっぱりここにも身代金目的の誘拐だけではなくて、等というところにいじめ自殺、特に子供に関するものも是非入れていただけるような、そういう文部科学大臣からの御要請をお願いしたいなと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生がそういう問題意識を持ってここで質問してくだすっているという事実が非常に大切なことだと私は思いますね。 ですから、身代金を目当ての誘拐等の場合は警察に通報したら殺害するという第三者がいるわけですね。ところが、今回の場合は、連鎖の可能性があるという特定できない相手でございますから、率直に申しまして、これは今御指摘のあった報道の自由とそれから子供の命、連鎖による命が失われる可能性との間のやはりバランスの間から答えが出てくるものであって、警察に通報したら人質を殺すという直接に結び付いていることでないだけに、どこまで入っていけるかというのは、これは非常に難しい。確かにおっしゃっている一面があるんだけれども、余り総務省がそれをやり過ぎると報道に対するやっぱり公権力の介入ということになりかねない。 ですから、願わくば、やはり先生がおっしゃっている方向に向かって報道陣のやはり規範意識ですか、自制というものが望まれる分野だと思いますし、私も公式にそういうことを要請するということについては、やはり報道の自由との関係で慎重にありたいと思うんですが、いろいろなチャンスをとらえて、今日御質問のあるような趣旨のことをお伝えすると。だから、今日御質問になっていることもマスコミの人たちが報道をしてくれれば、それも一つの私はいいチャンスだと思っております。
○蓮舫君 全体的に規制をするというのはやはりバランスがあって難しいと思うんですが、個別具体的に行き過ぎた、余りにも行き過ぎているんではないかと思うものに対しては是非アンテナを張っていただきたいし、その都度都度に適正な対応をしていただきたいというのは、これは私のお願いでございます。
○国務大臣(伊吹文明君) お気持ちは全く一緒でございますが、個別具体的に行き過ぎたという判断をだれがするかということなんですよね。 いやいや、それは逆の見方をすると、私は今やはり行政権を持っている内閣の一員ですから、私が個別具体的に行き過ぎたとかどうだとかって放送番組の一つ一つについて、報道の一つ一つについて判断をするというのは、やっぱり非常にこれは慎重で私はあるべきだと思うんです。お気持ちは全く一緒なんですよ。ですから、そこをよく留意をして、逆の立場の方から報道介入をしたと言われないように対応させていただきたいと思います。
○蓮舫君 テレビだけではなくて、今の子供たちが受ける情報というのは本当に様々なものがありまして、インターネットや携帯サイトやメール、本当に情報がはんらんしています。情報化の時代の今、子供たちはなかなか、育っていく発達段階の差異はありますけれども、その情報を受け止めたときに、その真贋ですとか、あるいは左右されてしまうとか、計り知れない悪影響というのも当然考えられるんですが、伊吹大臣は発議者として、この政府提出の教育基本法案に情報教育に関する条文が入っていないんですが、これはどうしてなんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、どこまで基本法に書くかというのはこの法案の立法をした者の、やはり立法政策の問題だろうと私は思います。ですから、民主党さんの案には条を一つ起こしてお書きになっている、これも一つの立法者の意図だと思います。 我々は、教育基本法というのはやはり教育の理念、基本原則を定めるものであって、民主党案の十七条にお書きになっている情報リテラシーというんですか、こういう考え方があっても別にそれはそれで考え方だと思いますが、私たちの提出した政府案の二条には幅広い知識と教養という、その知識の中に情報教育というものを含んで、それを個別具体の学校教育法あるいはそれを受けた学習指導要領に記述していくという立法意図を持っているということです。
○蓮舫君 伊吹大臣は大変民主党案に造詣が深くておられますけれども、今、第十七条で情報文化社会に関する教育を民主党は日本国教育基本法案で条文化しております。 民主党提案者に伺います。あえて理念法の中にこの情報教育を導入したのはどういう意図からでしょうか。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 委員御指摘のように、民主党が提出をいたしました日本国教育基本法案におきましては、第十七条で情報文化社会に関する教育という条項を盛り込んでございます。 これは、正に今回の、まあ大きく申し上げますと二つあります。今回の教育基本法を新しく作り替える意図というのが、明らかにこれ、モダン社会からポストモダン社会、正に産業社会から情報社会への移行期、その移行期にあって、情報社会で生きていくということが、これから生きていく力を身に付けるということが教育の本質でありますので、情報社会についてきちっと理解をするということは極めて重要な、今回の教育基本法を作り直す極めて重要な時代的背景があるという中でこの条項を盛り込んだというのが一つ。 それから、昨今の教育現場を見ますと、明らかにインターネットに伴って光と影、双方極めて色濃く影響いたしております。例えば、いじめの問題などを取り上げましても、携帯あるいはウエブサイトによるいじめという従来にはなかった新しいいじめの様相を呈しておりまして、そのことが極めて深刻な影響を与えているということも事実でございますし、それから、ある調査によりますと、子供の約五分の一が正にリセット、命すらリセットできるという極めて深刻な報告などもございます。 私自身は実はこの情報教育というものの旗を振ってきた人間ではございますが、であればこそ、正に情報洪水の中で子供たちがきちっと正しい情報とそうでない情報を見極めていく、正にメディアリテラシー、情報リテラシー、加えましてインターネットには正にもろ刃の剣でございまして、光と影、これをきちっと教育において教えていく必要がある。 今、授業時間は約八百時間から九百時間でございます。これを三百六十五で割りますと二・二時間。それに対しまして、子供たちがインターネットやテレビに向いている時間は四・二時間ということで、子供たちの学びに対して、授業時間の二倍、実時間で見てもインターネット、テレビ等を通じたいわゆるバーチャルな情報というものが極めて重大な影響を与えているという実態にもかんがみまして、この条項をあえて、幾つもある教育にとって必要な事項の中でとりわけ重要なものだということで教育基本法に盛り込んだということでございます。
○蓮舫君 大臣にお聞きいただきたいんですけれども、私の子供は双子で今小学校三年生なんですね。小学校三年生にもなると、やっぱり学校の中で子供たちの社会ができて、そこで自分が持っている情報が足りない、メディアに触れていない、知らない、見たことがない、サイトにアクセスしたことがないということが、一歩間違えるといじめられるというかグループの中に入れない、そういうなかなか難しい年ごろになっているんですが。 最近、子供たちの間で大きなうわさとなっているのが、インターネットのあるサイトが大変人気になっていまして、帰ってきてどうしても見たいと、話題に入れない、だからアクセスしてくれ。うちでは子供にパソコンは触らしていませんから、それは駄目だと。で、夜、子供たちを寝かし付けた後に見たんですが、このサイト名というのは日本のみならず世界じゅうの大人も子供も知っている大変有名な絵本をもじったサイト名で、アクセスをすると一番最初に大変有名なその絵本の絵が出てくる。で、どこかをクリックする、ボタンを押す、あるいは数秒そのまま放置をしておくと何が出てくるかというと、怖い映像と写真と物すごく心臓を圧迫するような効果音が瞬時のうちに何度も出てくるんですね。ほかにも、何と、幾つかのサイトを見たり全部アクセスをしましたけれども、恐怖心をあおるいわゆるホラーサイトです。これはもう大変な人気になっていて、見ていないと仲間外れにされるというようなことがあるんですが。 専門の会社に今はお金を出したら、ある特定のサイトへのアクセスを制限できるフィルタリングサービスを行うことができるから、自宅で子供にパソコンを渡すときにこのフィルタリングサービスを行ったものを渡すことはできるんですが、友達の中で自宅でそれを保護者がしていない場合ですとか、あるいはネットカフェですとか、あるいは公的なところでもアクセス制限をしていないところがありますから、自分のうちを守ったとしても、一歩外に出たらこういう怖いサイトとか、ある種いろいろな恐怖心を植え付けてしまうようなインターネットの世界に入ることって今可能なんですね。 総務省にお伺いしますが、こうした子供へ悪影響を与えるサイトを出している業者に有害サイトを掲載しないようにすることはできるんでしょうか。
○政府参考人(中田睦君) お答え申し上げます。 基本的に、今の法体系の中で直接的に禁止することは困難でございます。プロバイダー等がその協会によって自主的にガイドライン等を作って対応しているということでございます。
○蓮舫君 今御答弁あったように、なかなか法的には取りこぼされているところなんですが、つまり業界の自主的取組に任されている。今、これ、総務省もこの取組を支援して、今年四月から総務省と通信業界が協力して、子供たちのインターネットの安全利用のための保護者、教職員向けの講座を、これ実は文科省とも連携して行っているんですね。文科省としても子供のインターネットの安全利用は大切だということの行動の表れだと思うんですが、実施期間は三年間で、目標はわずか千講座なんですよ。大臣も御案内のとおり、小中高、国公立入れると四万校ある中で千か所でしか、しかも三年間という長い期間を掛けて。 ネットの世界ってもう本当に一日一日変わっていきますので、人気がなくなってはなくなるサイトですとか、新しい要請に応じて、いわゆるいじめ自殺をあおるようなサイトとか、あるいは自殺ネットとか、今いろんなものがあるんですけれども、懸念されるのが、こうしたサイトに自主的取組でしか制限することができないと。じゃ、子供はどういうふうにこの情報を自分の中で親がカバーできないところを自制できるのかなと。 そこで、民主党提案者が先ほど言った、今のこのITの時代において、メディアリテラシー、子供が自分にとって必要な情報だ、そうじゃない、これは有害な情報だ、それを自分の力で判断できるやっぱり教育環境というのを国として私はつくる必要があると思うんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 子供のしつけ、あるいは家庭での教え方というのは、それはいろいろ御家庭での特色、考え方がありますが、子供さんにパソコンをいじらせないというのはうちの孫の教育方針と全く同じで、大変心強く聞いておりました。 今おっしゃったことは大変大切なことでございますから、単にパソコン、インターネットでの情報以外にも、それはもう有害図書その他ありとあらゆるものが全く同じなんですよ。情報関係のものはすごいスピードで今伸びているということも私よく分かります。ですから、先生のおっしゃっているお考えを実現していくということは、私は全く異論はございません。今日のお話も多分、この国会中継という情報網を通じて文科省の連中も今これをリアルタイムで見ておると思いますから、その方向で努力をさせたいと思います。 そのことと、基本法にそれを書き込むかどうかということは、これはいろいろな考えが私はあると思うんですよ。図書の問題についても同じようなことがあるでしょうし、あるいはそれ以外の情報の伝達についてもいろいろなことがあると思います。そういうことは、やはり学習指導要領その他において、今おっしゃっていることをきちっと学校に伝達をしてやらせるというのが私は正しい方向じゃないかと思っております。
○蓮舫君 民主党発議者にお伺いしますが、今、伊吹大臣が御答弁された学習指導要領で十分事足りるという政府のお考えなんですが、民主党発議者としてはいかがでしょうか。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 正にこの有害情報ですね、今、伊吹大臣から、ネットのみならず、いわゆるリアル空間といいますか、通常の子供を取り巻く環境の中にも有害情報が満ちあふれていると、そのことは私たちも全く同じ認識をいたしております。 今回、民主党案の十七条の三項では、「すべての児童及び生徒は、その健やかな成長に有害な情報から保護されるよう配慮されるものとする。」という条項を盛り込みました。あえて教育基本法にこの条項を盛り込んだのは、むしろ教育基本法でないとこの手の条項は盛り込めないという判断をしたからであります。すなわち、この教育基本法より具体的な規制法において、これはメディアも含むすべての主体に対してこうした努力を求めるという規定でございますから、規制法にこういう条項を盛り込むことはできないわけですね。それは、先ほどの報道の自由、表現の自由との関係でございます。 教育基本法というのは正にその基本法であり、世の中すべての主体が子供の教育にとって望ましいことを努力していこう、そういうことを確認したり宣言したり、そういうふうな教育宣言的な要素も教育基本法というのは含んでおります。 したがいまして、教育基本法であれば、このような努力条項を盛り込むということはこれは一定程度許されるだろう、あるいはそういうことが望ましいであろうということで、様々な議論を経た結果、正に教育基本法にこうした有害情報についての訓示規定を盛り込むということにしたところでございます。
○蓮舫君 改めてこのITの教育の必要性に関して、もう一人、民主党の発議者に御意見をお伺いします。
○西岡武夫君 お答えいたします。 鈴木提案者から既に御説明がございましたけれども、もう一点、私どもは、このインターネット社会における光の部分で、教育に多大の影響といいますか、質的な変化を近い将来もたらすのではないかと。委員御承知のとおりに、このインターネットの発達、それから著作権との関係もございますけれども、少なくとも著作権が切れた文献等については自由に世界じゅうの文献が閲覧できる、それを基に教育の将来を考えますと、私どもが想像できないような教育現場の変化というものがここ五年、十年という単位で考えますと起こるのではないかと。それを前提として、私どもは、教育全体に大きな影響を与えるであろうということで先行的に日本国教育基本法の中ではこのことを位置付けたと、このように御理解をいただきたいと思います。 以上です。
○蓮舫君 私、インターネットに一番最初にアクセスしたのはもう二十年近く前なんですが、感動したのが、東京の自宅にいながらして、ルーブル美術館にアクセスをして、日本で見ることのできない作品を全部写真で見ることができたんですね。その当時はダウンロードするのに一時間とか二時間とか信じられない時間が掛かった時代ですけれども、本来だったら、フランスに行ってパリに行ってルーブル美術館に行かなければ見られない作品を本当に近くで鮮明な映像で見ることができる、これは子供たちに大いなる可能性のある教材の一部分になると思います。その部分では、今、西岡提案者がおっしゃった部分は大変私も賛成をさせていただきます。 先ほど、伊吹大臣は、情報の伝達としてインターネットあるいはメール、いろんなサイトをとらえて、それは学習指導要領で指導をしていくという御発言をされていましたが、情報の伝達以外に、実は子供の体にインターネットの映像が意図的に悪影響を与える可能性もこれは否定できないんです。 総務省にお伺いをいたしますが、日本で大変有名なアニメの映像に光の強弱をあえて意図的に挿入することによって、テレビを見ていた子供たちの体にどんな影響が出ましたでしょうか。
○政府参考人(中田睦君) お答え申し上げます。 今御指摘のございましたいわゆる光感受性の映像というものにつきましては、最初、平成九年に二件問題の事案が発生しております。一件は、平成九年三月にNHKで放送されましたアニメ番組、「YAT安心 宇宙旅行」と、こういう番組がございまして、これを視聴していました児童が体調不調を来したという事態が発生しております。また、同じ年、平成九年十二月に、テレビ東京系の系列六局で放送されましたアニメ番組、「ポケットモンスター」を視聴していました児童を含めまして、約七百名が発作等の異常を来して病院に搬送されるという事態が発生しております。 これを受けまして、当時の旧郵政省から、再発防止を要請するとともに、社団法人日本民間放送連盟に対しましてガイドラインの策定等を要請したところでございます。その後、NHK及び民放連におきまして、平成十年四月にアニメーション等の映像手法に関するガイドラインを作成をしております。あわせまして、放送基準にも入れているということでございます。 その後、ガイドライン作成以降につきましては、この光感受性の基準に違反したと、ではないかという事案が四件今日まで発生しておりますが、これについては特に健康被害というのはございませんでした。
○蓮舫君 大変有名な、子供たちが大好きなテレビアニメを見ていて、光の強弱を意図的に挿入されて編集されたことによって七百人近い子供が引き付け等を起こして病院に運ばれた大きな事件でした。 あるいは、ほかにはサブリミナル効果というのがありまして、意識下に刺激を与えること、これもう本当に数秒というこまには現れないんですけれども、脳裏の中にはその映像が残る。例えばそれ、購買意欲をそそるですとか、あるいはほかにいろいろな部分で洗脳にも使うことができると言われる編集手法なんですが、総務省にお伺いいたしますが、今までこのサブリミナル効果は報告されているのはたしか一件だと思いますが、何の映像がここには挿入されていましたか。
○政府参考人(中田睦君) お答え申し上げます。 いわゆるサブリミナリー的な表現で過去に問題になった事例というのは三件ございまして、平成元年から平成五年までに十一回放送されました読売テレビの「シティーハンター3」のアニメ番組の中でサブリミナリー的な表現を用いられたという一件。それから、平成七年五月にTBSがオウム関係の特番として放送いたしましたJNN報道特集の中でも事案が発生しております。それから、平成十四年四月に日本テレビ放送が、失礼しました、十四年七月から十六年二月までの間に十七回放送しました「マネーの虎」という番組の中でこういう事案が発生しております。サブリミナリーの映像でございますので、瞬間、普通には知覚できないということでございますけれども、この事案では特に人物の映像等が出たということでございます。
○蓮舫君 その人物とはオウム真理教の教祖なんですよ。意識していないときにそういう宗教的情報が意識下に盛り込まれてしまう。今総務省も大変御努力をいただいて、メディア業界、テレビ業界は自主的な取組、ガイドラインを作って規制をしているんですが、インターネットは対象外なんです。つまり、子供たちがインターネットを見て、先ほど大臣は情報伝達の一部としたネットサイトなんですけれども、そこで仮にこういうサブリミナル効果が使われたり、光の強弱による編集手法が使われることで子供たちにどういう影響を及ぼすかというのは実は調査をされていない、報告もない、一体どういう悪影響が出ているのか全く分からないんですけれども、私、これ相当怖いことだと思うんですね。 だから、先ほど民主党発議者の方が言いましたけれども、この部分でもやっぱりその扱う人たち、先生たち、教職員ですとか、あるいは学校で教える人たちやほかの指導する人たちも意識を持たなければ子供が本当に無法地帯のようなネットの波にのみ込まれるものですから、あえて私はやはりこれから先、生まれる子供たちは生まれながらにして電子音のオルゴールを聞いて、おもちゃは全部IT技術を駆使したもので、子供用のパソコンで遊んで携帯メールは当たり前に打てるような環境で育つわけですから、これからの日本の社会のこのIT、情報社会というのは私は切っても切れない、だから教育として理念に盛り込むべきだという御提案をさせていただいているんですが、恐らく懸念される部分は御理解いただけると思いますが、ここの部分、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは大変有害であるということ、そしてインターネットは規制されてないということ、それは今先生がおっしゃった事実だと思います。 しかし、それは何も学校教育に限ったことじゃありませんよね。大人だって同じ被害を受けるのがあるわけで、ですから、私たちが提案している政府案の二条には幅広い知識と教養、正義と責任、これはインターネットを配信する人たちにも当然適用されると思いますが、自他の敬愛と協力などの理念を書いているわけですよ。それを含んで、当然学校現場においては今先生がおっしゃったようなことの危険性を教え込まねばなりませんし、また排除しなければなりません。民主党案でも、あれは一項、二項には推進することが書いてあって、三項には有害なと書いてありますね。で、有害というのは何だと、具体的には。ということは、みんなこれから決めていかないといけないわけでしょう、民主党案においてすら。ですから、このことはむしろ教育基本法という理念法に書くことよりも、ある意味じゃもっと、通信関係の法案でやってもらわなければいけない部分もあるでしょうし、表現の自由とのバランスの問題もあるでしょうし。 そして、ですから、今先生のおっしゃったような御注意は、この我が方の法案で言えば法案第二条を受けて学習指導要領で書き込んでいけば対応できると。これは、先生は民主党案の方がいいと、それはそれでいいんですよ、それは法案の提出者の立法意図としては。それは何ら私そのことに反対しておりません。こちらが提案している法案はそういう意図によって作られておりますという事実関係を御説明しているということです。
○蓮舫君 なかなか平行線なんですけれども、大人だって被害を受けると、今大臣御答弁されましたけれども、先日起きた事件、東京都羽村市、小学校の教諭が交通事故死した六名の児童の写真あるいはいわれなき中傷のコメントを載せていた。これ、ホームページで公開していたんですね。さらに、御遺族の方も把握していないような写真も勝手に載せられていた。これ、市の教育委員会は六月の時点で、著作権法違反でこの小学校の教諭は捕まったわけなんですけれども、それに対して市の教育委員会に六月に報告して、市教委も把握をしていたけれども、著作権法違反だけだから何ら問題はなかったと。これ、感性の問題なんですよ。異常な行動です。あってはならないことです。御遺族の気持ち、あるいはこのサイトって子供もアクセスできたんです。こういう写真があからさまにオープンになっている。その情報に対して二条で政府案で規定をしていると言われましても、子供だけじゃなくて大人も、しかも学校の先生もこの二条だけで事足りるのかなと。 この事件に関してはいかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 正に今おっしゃったように、これは教師というのは当然この教育基本法の範囲の中に落ちてくると思いますが、大人たちとおっしゃいましたでしょう。ですから、教育基本法の、理念法たる教育基本法の中に一つ一つそれを書き込むというのが立法技術として果たして適当かどうかということを私は申し上げているわけです。 羽村の事件は、それはもうだれが見ても教師として不適格なことをしているし、それを受けた教育委員会の、まあ正におっしゃった感性のなさというんですか。テレビでしか私は拝見しておりませんから、事実関係が違えば私の立場として踏み込んだ発言はいけませんが、あのテレビに出てこられた校長先生のおっしゃっていたコメントも、遺族の方からすると私はいろいろなお気持ちがやっぱり起こってくるだろうなと思って私はテレビを拝見しておりました。
○蓮舫君 民主党発議者にお伺いをいたしますが、今の一連の質疑、大臣と私の質疑を聞いて、改めて私は教育基本法の理念というところ、大臣はそこに載せるまでもないとおっしゃっていますけれども、私はやはり載せるべきだという姿勢はこれ崩せないと思うんですが、改めてそこを強く今のお気持ちを聞かせていただけますか。
○鈴木寛君 今の点、ちょっとお答えをする前に、先ほど大臣から十七条についてのコメントがございまして、一項、二項について、促進ということでございましたが、私どもは、インターネットを利用した仮想情報空間におけるコミュニケーションの可能性、そして限界及び問題について、その双方について的確に理解し、適切な人間関係を構築する態度と素養を修得するよう奨励されるものというふうに一項で盛り込んでおります。 先ほど大臣もおっしゃいましたように、大臣は立法技術というふうにおっしゃいましたが、これは正に立法姿勢の問題だというふうに私どもは理解をいたしております。私どもは、このインターネットの革命を発端とします正に情報革命の中で、明らかに情報というものが極めて重大な影響を与える時代に差し掛かっております。六十年ぶりに改正をするというのは、新しい時代にふさわしい、子供たちに生きる力を身に付けるということがやはり必要であるということで、この条項は外せない極めて重要な条項の一つだということで盛り込まさせていただいているということであります。 それから、先ほどこれは通信の方でやったらいいのではないかというお話がございましたが、私どもはそうした立場を取りません。なぜならば、通信ということになりますと、通信の秘密あるいは表現の自由に正に抵触する可能性がございます。我々は、子供の教育という分野であれば、訓示規定という限りにおいてはその有害情報について一定の条文を盛り込むことに妥当性があると思っておりますが、一般の国民をも対象とした通信法の中で、しかも規制法の中で有害情報についての規定を盛り込むことは憲法上も不適切であるという立法姿勢を取っておりますので、これはあえて教育基本法の中で盛り込むことが妥当であるという結論に至っているということで御理解をいただきたいと思います。
○蓮舫君 続いて、民主党案にあって政府案にはない条文についてお伺いをしていきますが、まず御紹介をさせていただきたいのは、去年大きく報道されたんで記憶にある方もおられると思います。おととし六月に長崎県佐世保市の小学校内で同級生同士の女の子が加害者、被害者になるという大変痛ましい事件がありました。このきっかけも、交換日記のみならず、ホームページ、子供たちがつくっていたホームページ、そこへの中傷、誹謗という、インターネットがやはりここにも密接に不可分にかかわっていたんだという、だからこそ私はITを問題意識を大変強く持っているんですけれども、この事件の家裁の最終審判の決定要旨で、加害女子児童が死のイメージが希薄であると報告されたんですね。 それを受けて長崎県が、「児童生徒の「生と死」のイメージに関する意識調査」を行いました。対象は小学校四年生、六年生と中学校二年生。「死んだ人が生き返ると思いますか。」という設問、はいと答えた児童生徒が一五・四%おりました。このはいと答えた理由の中には、霊として生き返るからとか、人間は死んでも生き続けると思いたいからという理由もあるんですけれども、それでも七人に一人が人は死んでも生き返ると考えていたと。大変衝撃的な私はこれは調査報告だったと思うんですが。 民主党案では、第十六条で「生命及び宗教に関する教育」を掲げているんですが、これはどういう意図でこの項目を掲げられたんでしょうか。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 正に今御指摘のありました事例を含めまして、本当に昨今、起こっております子供の教育現場をめぐる様々な事件というものは、死というものが子供と従来に比べまして身近ではなくなってきているという中で、我々がびっくりするような出来事が起こっているわけでございまして、教育の現場でこれ以上真剣に取り組んでいかなければならない問題はないというふうに我々考えております。 一方で、様々な教育現場におきましては、例えばデスエデュケーションという死をとらまえた教育につきまして、極めて真摯かつ真剣な、そして子供の生きる力を、そして成長にとりまして極めて有意義な教育実践が行われていることも事実でございます。そうしたすばらしい実践をこれだけ大変な事態にある教育現場に広めていくということもこれは極めて意義深いことでありますし、今起こっておりますいじめを原因とした自殺の問題等々にも極めて有効だというふうに考えておりまして、そういった意味で、生の意義と死の意味を考察し、命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うという実践を、今こそこの新しい教育基本法を作ることによって広めていきたいという我々の決意を表したところでございます。 以上でございます。
○蓮舫君 政府案では、第十五条で宗教教育、宗教に関する一般的な教育を理念とすることで、大臣、今御紹介したような、命はリセットできる、死んでも生き返るんだと思っているような子供たちの認識を新たにすること、あるいは生きること死ぬことというものに対してきっちりと教育できるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) まず政府案では、二条四号に生命を尊ぶ態度というのが教育の目標に書いてあるわけですよね。その生命を尊ぶ態度というのは、自分の命も掛け替えのないものであるけれども、同時に相手の命も掛け替えのないものであると。さらに、正確にその条文を読ませていただきますと、「教育は、その目的を実現するため、」云々云々と書いてあって、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」と、こう書いてありますから、自分の命、他人の命だけではなく大自然の中に存在する人間以外の生命、自然を大切にし、これをすべて大切にしていくことが教育の目標だということを明示しているわけです。 民主党さんの案にも、先生がおっしゃったように、十六条だけではなく前文にも大変美しい文章でそのことは書かれております。ですから、これはこれで民主党案も立派な案だなと私思っております。 どういうふうに書くかというのは、これは立法者の意図の問題ですから、理念法にどこまで書き込むかということ、そして書き込んだことを各法において具体的にどのように実現していくかということが、これ今後、行政権を預かる内閣に課された仕事だと思います。
○蓮舫君 政府案のこの第二条、教育の目標を今お話しになりましたけれども、やはりこの話になると、態度って何なんだろうかということになるんですね。その第四条で生命を尊ぶ態度を養うこと、態度は大切でしょう。 でも、大臣、例えば態度として、犬をかわいがるとか猫をかわいがる、これ態度としてあるかもしれませんけれども、でも、だれも見てないところでその猫をけったり虐待をしたり、いじめることもできて、態度って実はふりができるんですね。ふりができるものが教育の目標としてふさわしいんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それでは私から伺いたいんですが、民主党さん案の……(発言する者あり)いやいや、伺いながらお答えしますから。民主党さん案の十六条、生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されねばならないと。ここも態度じゃないんですか。ですから、態度とおっしゃったら同じことなんですよ。 ですから、態度を養うということは、当然そのような心を持たなければ態度も養えない。ただし、その内面に入っていろいろ心情的なものを強制するということになると、人間同士の命を尊重しなければならないというのは、これはもうほとんどの方が、というか一〇〇%の方が異議がないところでしょう。 しかし、動物の命を尊重するということになりますと、釣った魚はすべて食べることによってその魚の命を尊重したという考え方もあるわけですよ。釣った魚を放流することによって命を尊重したという考え方もあるわけですね。 ですから、そこのところに踏み込むということを避けているわけですね。ですから、命を尊重しなければならないというのは、それは民主党さん案も我が方も全く同じなんですよ、そういう意味では。
○蓮舫君 ほかのところでまたこの態度についてはお伺いしますが、せっかくですので、民主党発議者に、大臣が大変うれしそうに同じではないですかという御答弁がありましたが、違うというところをどうぞ御指摘をいただきたいと思います。
○鈴木寛君 お答え申し上げます。 私どもは、この法案を作る際に、心と書くべきところと態度と書くべきところを慎重に一つ一つきちっと吟味しながら書き分けさせていただいております。 生命につきましては、正に心ももちろん必要でありますし、それから本当に生命を大切にする態度ということもきちっと養わなければいけないというふうに考えておりますし、例えば十五条では、政治教育というところがございます。真の主権者として自覚と態度を養う。これは例えば投票に行くことの意義をきちっと認めるとかそういったことも、これは義務教育だけではございませんから、この教育基本法は投票権を持った人をも対象としており、そうした方々にはやっぱり態度ということ。 しかしながら、蓮舫議員のおっしゃりたかったことは、政府案の二条においては、一律にこれらの項目について態度となっていると。私どもはそれぞれ一つ一つきちっと吟味をいたしまして、そして心の涵養にとどめるべきところと、それから生命あるいは政治的な有権者としての態度のように、態度もきちっと、ある意味ではそのことを教え、そしてさらには、まあ何といいますか、かなり強く指導をするといったことにも踏み込むということで態度ということを使わせていただいております。 したがって、態度は指導の対象であるということを私たちは理解の上でこのような条文の整理をさせていただいているということであります。
○蓮舫君 よく御理解いただけたんではないかと思います。 続いて、このやっぱり宗教に関する、私、一般的な教養という条文に違和感を感じるんですね。一般的な教養とは何でしょうか。政府案で十五条です。
○国務大臣(伊吹文明君) 十五条のことをおっしゃっているわけですね。
○蓮舫君 はい。
○国務大臣(伊吹文明君) 民主党案の十六条に規定されております宗教的感性の涵養という言葉について政府案で考えていることは、やはり宗教的情操ということに立ち入ると、個別の宗教の教義にある程度立ち入って教えるというか、ことをしなければならない。私はそのことは別段構わないと思うんです、私自身はね。衆議院でもお答えしたんですが。ただ、その教える人の態度として、正に布教的な意識を持って宗教的教義を教えるということが出てきた場合は、これは宗教の、公教育の宗教的中立ということからはいろいろ問題が出てくると。しかし、蓮舫先生が、あるいは私自身が、例えば生徒に対したときに布教的意識を持っているかどうかはだれも分からないんですよ、率直に言って。その人の心の問題ですから。ですから、極めて慎重にすべきだという感じを、特に行政府にいる者としてはね。 ですから、このような言葉を使ったわけで、一般的教養というのは、例えば、もうこれは日本人にはそういう意識は非常に少ないですけれども、イラクがなぜあんな状態になっているのかとか、イスラム世界やキリスト教世界では比較的自殺については自己抑制的なあれがあるのはどうしてなんだとか、十字軍というものが何でああいう形で出てきたのか、それによって今アラブの人たちのヨーロッパ文化に対する感じはどうなのか。それはやはり、少しずつ教義は教えないといけませんね。それが一般的教養だと私は思います。
○蓮舫君 民主党発議者にお伺いをいたします。 伊吹大臣にも御理解いただきたいんですが、私どもは意識して布教教育を行うようなことを推奨しているわけではないんですが、民主党案では一般的な、宗教に関する一般的な教養としなかったのはなぜでしょうか。
○鈴木寛君 お答え申し上げます。 そもそも法律の用語の中で一般的という用語を使うと、これは極めて多義的なあいまいな部分も残ってしまいますので、私どもは、宗教的な伝統や文化に関する基本的な知識を修得してもらいたいということが正に教養の重要な要素の一つでありますので、そのことをそのとおりに明記することが望ましいであろうと。そして、加えまして、宗教の意義についてその理解をきちっと進めていくということでありますので、より明確に、何を教え何を教えないのかということを明確にするためにも今申し上げましたように具体的に書かせていただいたところでございます。 それから、我が方の十六条の四項では、いわゆる公立学校において特定の宗教の信仰を奨励し、又はこれに反対するための宗教教育その他宗教的活動をしてはならないということを明記をしておりますので、先ほど大臣の懸念は、これによって条文としては払拭をしております。 ただ、この条項を、これは正に立法姿勢の問題だというふうに思っております。 私どもは、日本のこの六十年間の教育が余りにも宗教ということを避け過ぎてきたことによって、学校教育の場で健全な宗教教育がほとんど行われなかった、あるいは行われようとしたときに何か障害があるという事例が多発をしてしまったことは極めて残念だというふうに思っております。そういう中で、例えばオウム真理教のような、極めて教養があると思われている若い大学生がそうしたところに走ってしまったと。それはどこに我々の教育上の問題があったのかということを深く反省したときに、やはり宗教的なことについても避けることなく、必要なことはきちっと公教育の場で教えていくべきだということで、従来の路線とはここは明らかにかじを切っておりますけれども、それはそのようにすべきだという判断の下にこのような条文を明確に明記させていただいているということで御理解をいただきたいと思います。
○蓮舫君 先日行われた参考人質疑で、全日本仏教会の杉谷参考人が言われた言葉が大変印象的で、文化としての宗教、生きた学びをすることの大切さを教えると。今どうしてもそのマイナスで、死んではいけないんだ、あるいは死というものに対しての、いじめ自殺があるからなんですけれども、そういう話題がメディアを中心に、あるいはお母さんたちの間でも話になっているんですけれども、そうじゃなくて、生きた、生きることの教えというのは、私は大変大切なんだと思います。 そういう部分では、現行法の教育基本法でも、政治教育に対しては一般的な教養となっていながら、じゃ、今の若者の政治離れあるいは政治への無関心というのはなかなか担保されていないと思いますので、今生きた学びが必要なときに、新たに教育理念法を変えようとするときに、そこの生きる意味というものを一般的なものでいいんだとすることが、果たして私は本当に子供たちの心に涵養するような宗教的意識、文化を伝えることができるのか甚だ疑問なんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私も世界のすべての宗教について通暁しているわけではありませんが、一応西洋の歴史、東洋の歴史、中国の歴史等はかなりの程度自分じゃ学んだというつもりでおります。そこからしますと、宗教、今先生が正におっしゃった生きる姿勢というか命の尊さ、これはあらゆる宗教にその教義として、表現の仕方としてはいろいろなものがあると思いますけれども、命の大切さとかあるいは大自然に対する謙虚さとか、今生きているこの時代は悠久の流れの中では非常に短いものだとか、そういうことは大体ほとんどの宗教に共通していることなんですよ。 ですから、そういうものの態度を涵養するということは、私はそれでよろしいんだと思うんです。しかし、この民主党さん案の対案に示されている宗教的感性の涵養ということを具体的に教えようとすると、日本の場合は特に多神教というか、宗教心が非常に希薄な国民ですよ、諸外国と比べて。例えば、ドイツなんかは宗教の名前を冠した政党そのものが存在するわけですから。 ところが、日本は、先ほど鈴木先生が提案者としておっしゃったように、そこについては非常に憶病に来ているという事実は確かにあるんです。ありますが、その憶病であった事実がなぜあったかというと、いろいろな宗教が混在しているというか無宗教と言ってもいい状態であるだけに、一部のある特定宗教を非常に熱心に信仰しておられる教師がおられたとして、その宗教的感性の涵養に努めた場合には、自分の心の中にある意図が布教的な意図がなくても、と本人はおっしゃると思うんだけれども、周りの者から見ていると随分布教的な意図がある宗教教育をするじゃないかということが非常におそれがあるわけです。 ですから、是非私は先生のお口から民主党の提案者に伺っていただきたいんだけど、日本において宗教的感性の涵養というものがどういうものを指しているのか。一般論としての私の言ったような生命の尊重とか大自然に対する謙虚さとか、こういうものを指しておられるのか。いろいろあるキリスト教でも、プロテスタント、キャソリック、いろいろありますね。キャソリックの中にもいろいろな宗派があります。そういうものの中でのその宗教的感性の涵養ということになっているのか。もし後者であると、これはやはり公教育でこの立場を取るということは、かなり慎重でないと司法の場で争うような問題が出てくるということを恐れているわけです。
○蓮舫君 大臣の御指摘、大変よく分かります。 多分私ぐらいの時代までには、まあ育った環境にもよると思いますけれども、やおよろずの神ではないですけど、一木一草に神が宿って、それこそおばあちゃんからは、御飯粒にも神様がいるから残しちゃいけないんだ、だから御飯は大切にしよう、あるいは、いただきます、ごちそうさまの意味も含めて家庭教育、地域というものがあったんでしょうけれども、今はそれが全部がらがらっと音を立てて崩壊をしていって、じゃ宗教心というのが全く、無信教といいますか、生きるとか死ぬとかいう部分も極めて透明な中で、相手を傷付ける、あやめるということの悪い、なぜ悪いのか、なぜ人を殺してはいけないのか、そういう思いが出てきてしまう大変不安定な時代だと思うんです。だからこそ、一般的な宗教の教養だけではなくて、その命というもの、生きる、文化としての宗教というのは教育で大切だというのが私どもの姿勢なんですね。 大臣が御指摘された、その教える側がある目的を持ってその自分の心の中にある宗教を教えるのは望ましくない、それは当たり前のことで、それは適格かどうかという教師の資質の問題になってくると思うんですが、この件に関して民主党発議者、いかがでしょうか。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 民主党案の十六条三項で言っております宗教的感性といいますのは、正に伊吹大臣もおっしゃった自然や万物に対する畏敬の念でありますとか命に対する尊さ、多くのこの世界で長年多くの方々に信仰されている宗教が共通的に持つそうしたものを指しているということでまず御理解をいただきたいと思います。 そこについては、伊吹大臣と私どもで大きな違いはないかと思いますけれども、その後に、それを教えることがどうしても宗派性が出てしまう可能性を懸念されているようでございますが、その懸念はまず私どもは第四項できちっと払拭をいたしておりますし、それから、これは更に申し上げますと、実は今でも学習指導要領の中には宗教的情操という言葉が盛り込まれていて、そしてその学習指導要領に基づいて長年教育が行われているんですね。であれば、そのことについては懸念がないのかと、こういうことになってしまうわけで、私どもは、学習指導要領の中で宗教的情操ということが盛り込まれて、そのことが特段の懸念なく今までに至っているという実態と、そして、しかしながら一方で、特に教育基本法ができた当時というのは神道指令というものが出まして、過度にそうした、もちろんあのときは執拗だったと、ある程度やむを得なかったというふうに思いますが、しかし、今日これだけ宗教というものが教育が必要な中で、そのことについてきちっと整理をして、そしてこの神道指令についてもきちっと決算といいますか、評価をし直して、そして今の我々の宗教教育というものについての意思というものをきちっと名実ともに確定をしていくということが新しい教育基本法を作る上で必要であると。そして、そのことが現場の混乱を解消していくんだと、大きな一歩になるというふうに考えております。
○蓮舫君 今の民主党発議者の答弁に対して、大臣はどのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 学習指導要領にはそのような言葉を使っております、確かにね。しかし、それは現行の教育基本法の九条があるから使っているんであって、九条なしにその言葉を使うということは、学習指導要領のようなことを書くということは非常に危険であるわけですよ。ですから、今回も、今と同じ例えば学習指導要領になることはないと思いますが、仮に今と同じ学習指導要領であっても、私の言ったようなことが阻却されるために教育基本法の文言を置いているわけでして、民主党さん案のまま、今、例えば今の学習指導要領を使うということになると、仮に宗教教育はしちゃいけないということが書いてあるから構わないんだという、その二つの間には二律背反的なことを同じ法律の中で書いておられるんじゃないかという気が私にはしますね。
○蓮舫君 二律背反的ではないと私は理解しているんですが、どうしても大臣はなかなか御理解いただけないんで、再度、民主党発議者の方に、今の大臣の御答弁に対して、違うんだという御答弁を明快に一言いただけますか。
○鈴木寛君 二律背反というか、どこできちっとこの線引きをしていくのかと、要するにバランスの取れたですね。これは二律背反というか、いずれも重要なことを盛り込ませていただいて、これは現行九条においても、私どもの提案している十六条においても、あるいは政府案の十五条についても同じことだというふうに思います。 ただ、その線引きの程度といいますか、どこまで宗教教育によるかということにおいて、現行の九条と政府の十五条と民主党の十六条でこのあんばいが違うことは、これは明らかでございます。で、どのあんばいにするかということは、正に国民の皆様方に御議論をいただいて、私どもは、今までの六十年間の日本の教育現場を総括したときに、こういうことが必要だということで十六条のこの条項を提起させていただいておりまして、そのことについては懸念なくこれからの教育現場において実施することは可能だという判断をいたしておりますが、大臣はそこについては懸念があると、ここが見解が分かれているわけでありますが、しかし、全国会議員の恐らく、自民党の皆様方にも聞いていただきたいと思いますけれども、民主党の考え方については過半数以上の、個別に議員の皆様方に問うていったならば、御理解と御賛同が得られるというふうに私どもは信じております。
○蓮舫君 次に、民主党案にあって政府案にないものとしては職業教育があると思うんですが、大臣は何度も御答弁をされておりますが、ニート、フリーターをつくらない教育をしていきたいんだ、だから教育基本法の理念の中でも政府案にはこういう思いを盛り込んでいきたいという御答弁をされているんですが、具体的には、ニート、フリーターをつくらない教育はどこに条文があるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私は答弁をすべて覚えているわけじゃないんですが、フリーターというのは、やはり自分の意図を持ってある仕事を見付けられる間、定職に就かずにやっておられる方ですから、私は、フリーターとニートを一緒に御答弁したことはないと思います。 ニートというのは正に、職業にも就かない、仕事、それから学校にも行かないという人たちで、だから、それは単に職業ということだけを含んでいる概念じゃありません。 我々の御提案している政府案の二条二項では、勤労を重んずる態度を養うということをまず書いておりますね。そして、これ正確に条文を読まないといけませんが、教育の目標の中の二項に、個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を養い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うことということを掲げているわけです。ですから、これを受けて必要な措置をその他の法律あるいは通達、予算等で肉付けをしていくと。 先生、民主党案にはあって政府案にはないとおっしゃるけれども、それは条項を立てていないということなんですよ。ですから、これはないということではなくて、これは立法技術の問題で、特にそれを重視しておられるからお立てになっているということは十分私は理解しますが、我々がそれを書いていないということはちょっと適当じゃないと思います。
○蓮舫君 失礼しました。条項にないということでございます。 条項に立てているということが、いかに私たちがその条項を重んじているかということは御理解をいただきたいんですが、勤労を重んじる態度、これは先ほどの、我が国を愛する態度とはまたちょっと違うと思うんですが、この勤労を重んじる態度って何でしょうか。重んじる態度、ふりをすればいいということでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 他人の働いておられること、そして自らも勤勉で努力をし働くことを、これは当然尊重するということです。
○蓮舫君 民主党発議者にお伺いします。 民主党は条文で、第十四条で職業教育という条項を立てておられますけれども、この意図するところをお聞かせください。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 一条を立てるか条項に置くかと、これはもうおっしゃるように立法技術の問題でございまして、そこは、何といいますか、美的センスの問題と、それからいかにこの、感性といいますか、それを重要視していくかと、そういう姿勢の表れであります。 ただ、一点御理解をいただきたいのは、勤労の尊さを学びということを私ども言っております。その点については、政府案が言っております勤労を重んずる態度を養うことと、ここはほぼ同義で御理解をいただいたらいいと思いますが、加えまして、私どもは、政府案になくて私どもの案にある点について明快に御説明を申し上げますと、子どもの権利条約の第二十八条で、すべての児童に対し、教育及び職業に関する情報及び指導が利用可能であり、かつ、これを利用する機会が与えられるものとするということで、これは学習権の重要な一部であるという、私どもは理解をいたしております。そして、そのことを十四条で勤労の尊さを学ぶということと加えて、正に職業に対する素養と能力を修得するための職業教育を受ける権利を有し、そして、国及び地方公共団体は、そのことを振興することに努めなければいけないという義務規定、要するに、学習者の側の権利規定と国及び地方公共団体の義務規定まで踏み込んでいるというところが政府案と私どもの案の違いだというふうに御理解をいただきたいと思います。
○蓮舫君 伊吹大臣にお伺いしますが、今フリーターの方が二百一万人、ニートの方が六十四万人、大臣はよりニートの方の対策に重きを置かれたいということだと思いますが、二つあると思うんですね。 生涯教育という部分でこのニートの方たちにどうやって就業訓練をしていただくのか、自分の能力を上げていただくのか、そして仕事に就いていただく重さというものを感じていただけるのかが一つと、もう一つは、これから育っていくお子さんたちに仕事に就く夢ですとか、自分がなりたい職業を見付けるですとか、この二つだと思うんですね、職業教育というのは。これはどういうふうに整理をされているんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) あえて言えば、先生がおっしゃった二つに加えてもう一つ、正に幼児期から始まって、働くことの価値、大切さ、これをまずしっかりと身に付けて、その上で生涯教育の中で、正に安倍首相の言葉をかりれば再チャレンジするような職業訓練その他の能力を付けていくということなんだろうと思いますが、これは今の申し上げた二条を受けて、あるいは社会教育の規定を置いておりますから、政府提出の法案には。いろいろな場面で今先生がおっしゃったようなことができるように、これは各法において準備をしていきますし、また学習指導要領において指導していくという形になると思います。
○蓮舫君 今お話しになられた再チャレンジという言葉、私余り好きではなくて、再チャレンジの前にチャレンジがあるんだと思います。そのチャレンジをするために、育っていく子供たちにどういう職業を見ていただけるのか。 恐らく大臣、二十二年入省と伺いました──違いましたか、昭和二十二年。恐らく大臣の幼少のころと私の子供のときと決定的に違うのは、大臣が恐らく小さいお子さんだった、利発的な頭のいいお子さんだったんだと思いますけれども、近くに仕事があったと思うんですよね。大人が働く姿を見ていたと思います。農林水産業ですとか個人事業主ですとかあるいは零細企業ですとか、本当に何もない時代から復興していこうと大人が頑張って、ゼロから始めた大人の働く姿、働く姿勢、仕事というものを子供が間近に感じて、そして自分は大人になったらという、極めて仕事という感覚が近くにあって育ってきた時代だったと思うんですが、それが高度経済成長時代を経て、みんなサラリーマン化して、会社人間になって、女性も働くようになって、家庭というものと仕事とが明快に分かれるけれども、家庭の中は随分と変わってきて、その結果、子供さんにとっては仕事というのが何かすごい遠いものになってきていると、ここは大きな違いだと思うんです。だからこそ、私たちは子供たちにもっと仕事を近くに感じてもらいたいんだと。 子供たちが学校を中心に、地域立学校に行って、地域の人たちも参加をしていただいて、子供たちが授業の一環、あるいは放課後、あるいは土曜日にその地域に出ていって教えていただいた、助けていただいた大人たちの仕事を見るという経験を実は重視して学校理事会というものを条文に入れさせていただいて、地域立学校、ここで地域を再生させるんだということを言わせていただいています。横文字で言うとコミュニティ・スクールということになるんですが、恐らくそういうふうに、毎日毎日地域の方たちと仕事が近づくようなそういう制度をつくっていかないと、今は地域を再生することも仕事を子供が近くに感じることもなかなか難しい時代だと思うんですよね。 ここはあえてお聞きをいただきたいんですが、民主党発議者に伺いますが、私たちが目指している日本国基本法案の先にある日本の子供たちが置かれる教育という環境をどういう姿勢を目指しているのか、これは御理解をいただきたいんですが、民主党発議者にお伺いします。地域立学校が目指している日本の子供たちの置かれる教育環境というのはどういう姿なのか、お示しください。
○鈴木寛君 お答え申し上げます。 今回、政府案と私どもの案でやっぱり基本的にコンセプトが違うということは何かといいますと、やっぱり依然として政府の案というのは、文部省の主導によるピラミッド型の、そしてその一番末端の現場としての学校があると、こういう構造はやはり引き続き踏襲しているのかなというふうに思います。 私たちは、やっぱり徹底した学習者主権といいますか子供本位、子供本位というのは決して子供の身勝手という意味ではございません、子供の人生トータルでその子供がより豊かな人生を過ごしていくための生きる力というものをきちっと身に付けていくということであります。正に子供を中心に、それを取り巻く非常に層の厚い、もちろんプロとしての教員、そして地域社会、そして家庭、さらには学生のボランティアというものが三百六十度温かく愛情で取り巻いて、そして子供の学びにとって最も望ましい学びの共同体、正にコミュニティーをつくっていくということを目指し、そのための制度設計をしているということでございます。 その中で、私どもがとりわけ重視をしておりますのは、今の教育で何が以前に比べて貧弱になってしまったかというと、これ斜めの関係でありまして、正に地域の社会のおじさん、おばさんとの関係とか、あるいは近所の、要するに兄弟が減りいとこが減るという中で、子供が悩みを打ち明けられたり、あるいはいろいろな進路の相談に乗ったりするという、そうした斜めの関係を再構築することによって子供たちに非常に取り巻く分厚い愛情の層をつくっていきたいと、そのための支援する枠組みをつくらしていただいているというのがコミュニティ・スクール、そして地域立学校推進の考え方でございまして、このことは既に五十校で極めてうまくいっております。そして、そのことを一挙に広めていこうではないかということが我々の立法姿勢でございます。
○蓮舫君 今回の参議院教育特別委員会で一連の大臣の答弁を通じて私が学んだことは、私が生まれていなかった時代、大臣が御答弁の中でせつな、せつな、その時代、時代にどういう教育の問題があって、どういうふうにクリアしていって、どういう時代背景だったのか学ばさせていただきました。是非大臣にはこの政府提出案の教育基本法の中でもっと重きを置いてもらいたいのは、今生まれて育つお子さん、これから生まれて育つお子さんが、情報化の時代の中で、環境が変わった中で、あるいは職業教育というのをあえて教えていかなければいけない時代で、もっと言えば、命ということを学校でまで教えなければいけないんだ。これは学校だけでは当然できない。家庭、地域、社会というものも出てくるんですが、どうぞその考え方を、私どもの法案にあるものを取り込んでいただいて、是非そこは修正する勇気を持っていただきたいと改めてお願いを申し上げ、私の質問に代えさせていただきます。 どうもありがとうございました。
○神本美恵子君 民主党・新緑風会の神本美恵子でございます。 この間二回、今回三回目の質問ですけれども、これまではいじめ問題や未履修問題でしたので、やっと教育基本法のこの政府改正案について質問ができると思いますが、限られた時間ですのでどんどん行きたいと思いますけれども。 これは通告しておりませんが、昨日、地方公聴会に行きまして、遅くから質問の準備をしながら、昨日は質問の準備が終わって帰って、朝来ましたら、日本教育学会というところからの「見解と要望」というのが来ておりました。読んでみますと、この日本教育学会というところが、歴代の教育学会の会長さんたち、それから各、教育行政学とか日本デューイ学会とかペスタロッチー・フレーベル学会とか教育史学会、様々な、教育政策とか、あらゆる教育学に関する学会の方たちが千人を超える規模で横断的に統一的な「見解と要望」を出されたという文書が届いておりました。この中では、この間の、衆議院で強行採決された、与党のみで採決をされて参議院に送られてきて、教育の根本を考えるこの法律の審議に当たって、こういうやり方に対する大きな懸念を示しておられます。 そこで、これは文部科学省にお聞きしたいんですが、こういう教育学会の方々、教育の専門家でありますし、ずっと長く研究をしてこられ、そのことは日本の教育の内容にかかわっても教育行政にかかわっても様々な研究成果が教育に、文科省としてもそのことを取り入れながらやってこられたと思うんですが、今回のこの学会の千名を超える方々の「見解と要望」についてお聞きになったことありますか。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。 今御指摘のありました文書については、私どもまだ拝見させていただいておりませんけれども、これまでも文部科学省の方にもいろんな学会等からも意見書等が出されておるところでございまして、それらに関しましては、私どもといたしましても拝聴させていただいておるところでございます。
○神本美恵子君 私はやっぱり文部科学省としては、こういうずっと研究をなさってきた方々、この教育学会ですね、こういったところの意見をきちっと、向こうが持ってこないから聴かないというのではなくて、きちっとこちら側から、文科省の方からいかがですかと、政府案としてこうやってまとまりましたけれどもというようなことで、ヒアリングをするなり意見交換するなり私はやるべきだと思うんですけれども、そういう姿勢はなかったんでしょうか。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。 教育基本法の改正に関しまして中央教育審議会で御審議を賜ったところでございますけれども、この中央教育審議会では、関係団体あるいは有識者の方から様々な御意見を伺い、その意見を答申の中にも反映していただいたものと考えておるところでございます。
○神本美恵子君 それはよく分かっているんですけれども、学会として千人を超える学者の方々がこうやってまとまった意見を出していらっしゃるわけですから、是非これは聴いていただきたいというふうに思いますし、これはILO、ユネスコも勧告しているわけです、御存じだと思いますが。教員の地位に関する勧告ということで、教育政策及びその明確な目標を定めるため、当局、教員団体、使用者団体、労働者団体、父母の団体、文化団体及び学術研究機関の間で緊密な協力が行われるものとするというふうに、こういう協議をすることを勧告しているわけです。 そのことがより良い、やはり法律を作るに当たっても、施策を進めるに当たっても不可欠なことではないかと思いますので、是非強く要望しておきたいと思います。 それからもう一つ、これも今朝届いていたんです。これは日本女性学会の方から、の十四期幹事会ということで、十二月一日付けでやはり緊急声明が来ていたんですが、こちらからは現行法の第五条、男女共学の規定が削除されたことについて、これは教育分野における男女平等の根幹を揺るがすものであるというふうに声明でおっしゃっております。 これは私も全く同感でありまして、この男女共学の規定を削除したのは、この間、委員会質疑の中でも、もう男女共学は普及徹底しているので必要ないというふうな答弁だったように思いますけれども、そこをもう一度確認させていただいていいですか。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。 ただいま委員御指摘いただきましたように、現行の五条の男女共学に関しましては、この男女共学が我が国に浸透しておるということで、中央教育審議会におきましてもこの五条については削除することを御答申いただいておるところでございます。 しかし、御指摘いただきましたように男女平等教育を推進することは大変重要なことでございますので、「教育の目標」の第三号に男女の平等ということを掲げさしていただいておるところでございます。
○神本美恵子君 私もそれはよく知っておりますが、大臣、この女性学会の声明の中に、高等教育進学率における男女間格差、後期中等教育及び高等教育での専攻分野における男女比率のアンバランスなど、就学経路上の男女平等を確立する課題は山積していると。女性学研究は、そうした就学経路上の男女格差が社会的、文化的に生み出されるプロセス、教育における男女間格差などが雇用などの性差別の問題とつながっている、したがってこの男女共学の規定は削除すべきではないというふうにおっしゃっているんですけれども、これについてはいかがですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先ほど政府委員が答弁いたしましたことに尽きていると思いますが、今先生がお示しになったその女性学会ですか、のいろいろな就学率に差がある等々について、やはり全く男女は、もちろん体のつくりその他においていろいろ違いが、本質的な違いがあるということを前提に申し上げれば、あらゆる機会において平等に扱わなければならないんですよ、それを前提に。ということは、結果の平等で論ずるのか、それとも条件の平等で論ずるのかという問題がやっぱりあると思いますね。 今、私の理解している限りでは、参考人が御答弁を申し上げましたように、機会の平等において男女が差別されているということはもうないと思いますよ。そして、それは教育においては定着していると思いますね。
○神本美恵子君 機会の平等、結果の平等論ではなくて、現実に男女の就学の結果が(発言する者あり)いや、平等論ではなくて、今実際に専攻分野とか四年制とか短大とかいろいろありますよね、後期中等教育で終えるとか。そこに今、結果といいますか、今現実にそういう格差があるということについてそういう認識はあるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、先生も再三結果というお言葉を使っておられるように、機会を平等に与えているけれども、なぜそういう結果になるのかということですよ。そこにおいて、もし何か差別があるというんなら具体的に例示をしてくだされば私は結構だと思いますが、結果なんでしょう、進学率だとかどうだとかというのは。ですから、機会が平等でないということはまずあってはならないことなんですよ。そして、その中で、それはいろいろ人間の営みの中でいろいろなことがあるでしょう。 どうしてそうなったかということの中に男女の不平等ということが含まれているならば、そこは正していかねばなりませんし、先生おっしゃったように、教育学会も女性学会もお話の機会を持つべきだということであれば担当者にいつでもお話を伺わせますが、私が申し上げねばならないのは、やはり公式な組織としては例えば日本学術会議だとかそういうものがきちっとあるわけですから、あるいは中教審だとかですね、あるいはその他、今いろいろ批判を受けている教育のシンポジウムだとかいろんなことをやっておって、そこで御意見を承って間接民主主義を補完することをやっているわけですから、今先生がおっしゃった学会の御意見もそれを補完する一つの御意見として承らしていただくことについては、私はいつでも事務局にその指示をするつもりです。
○神本美恵子君 ちょっともう時間がないんですが、今おっしゃった、こういう結果を生み出しているその要因に問題があるのであればというふうに大臣はおっしゃっていただきました。そこにあるんですね。 内閣府が毎年調査をしておりますけれども、親やそれから社会的な意識として女の子は短大まででいいとか、そういう男女に対する就学機会に対する社会的な意識の問題が指摘されているんですね、これは数字で表れていますので。だからこそ小さいときから男女共学ということを基にして、共学というのはただ同じ学校に女の子も男の子も行けますよというだけではなくて、教育の内容にまでかかわって、同一教育課程を同一場所で同一の指導者から受けるということが、これは女子差別撤廃条約を批准するときに日本もそれはきちっとそういう定義付けをしてやってきたわけですけれども、そのことが行われていないという教育の中での男女平等ということはまだまだ課題としてあるという認識を是非大臣も持っていただきたいと思います。もう御意見聞く時間ありませんので、是非それは指摘させていただきたいと思います。 そこで、質問に入りたいと思うんですが、まず教育基本法、今回の政府案と憲法との関係についてお伺いをします。 伊吹大臣は、この参議院での十一月二十七日の質疑の中でこういうふうに答弁していらっしゃいます。政府案を作成する段階で、現行憲法はもちろんのことでございますが、自民党が作っております憲法草案との整合性も一応チェックして、そしてこの法案、教育基本法の法案を提出していますが、というふうに御答弁なさっておりますけれども、自民党の憲法草案との整合性をチェックしたという事実はあるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 御答弁申し上げておりますように、まず現行の憲法との整合性は、当然今は憲法改正は行われてないわけですから、国会に提出する限りは当然それとの整合性をチェックをして、チェックをしてというか、現行憲法の下でこの法案を提出しています。 しかし同時に、そのときの自民党と公明党の基本法の協議会の当時の出席者に私、確かめておりますが、そのときも、それから文部科学省が正式にその案をいただいて、それを文言に、字句に直したときも、一応自民党の作っております憲法草案との間の整合性はチェックいたしております。
○神本美恵子君 それは文科省がやったんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) この提案は内閣が提出しておりますが、原案は文部科学省が作成しております。そして、その文部科学省が作成する原案の基本になっているのは、公明党と自民党の与党協議で出てきた案です。その各々の場面で、文部科学省も、そして自民党、公明党の与党協議会も自民党案との整合性はチェックいたしております。
○神本美恵子君 はっきりチェックされているんですね。 私は、これは大問題ではないかと思うんですが、政府案というのは内閣が閣法として提出する、それは当然のことながら現行憲法の枠内で行われるべきことですよね。そうやって現行憲法の下でも作られた法案であるということですけれども、一つの政党の草案、憲法草案と整合性を図るということは、これは政府としてやってはいけない行為ではないでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは全く違います。それは、立法過程においてできるだけ細心に注意を払うべきことであって、現行憲法と整合性が取れていれば、一番最初に答弁したように、現行憲法下で出すんですからそれは当然のことなんですよ。しかし同時に、念のために自民党の案との間の整合性があるかどうかというのは、チェックするのはそれは立法者としては当然のことじゃないですか。
○神本美恵子君 いえ、私が言っているのは一政党の草案ですよね。それと、やることは、政府としてやるというのは、憲法は九十九条でこの憲法重視ということを言っていますよね。それを一政党の草案とチェックをするということは、これは問題じゃないですか、官房長官。
○国務大臣(塩崎恭久君) 一つは、先ほど伊吹大臣から参考までに参照をしたと、こういうお話がありました。それと、自由民主党というのは、どっかの聞いたことない政党ではなくて、与党の一つの政党でございますので、自分たちが言っていること、与党と言っていることが全く違うことを書いてあるような法律を出すというのも余り格好いい話ではありませんので、それはきちっと見ておくというのがごくごく常識的な判断かなというふうに思います。
○神本美恵子君 いや、与党だから許されるとかいうのはおかしいと思うんですよね。これはやっぱり、政府として一つの政党と、参考にしたじゃなくて整合性をチェックしたとおっしゃったんですよね。これはまた、まさか内閣法制局と一緒にやったわけではないですよね。
○国務大臣(伊吹文明君) 再三申し上げておりますように、現在、憲法が改正されてないわけですから、現行憲法との整合性をチェックしてここへ出すのは当然なんですよ。しかし、当たり前のことですよ、それは。しかし同時に、立法者としては細心の注意を払って、どうだこうだ、今の自民党の憲法草案との間に大きな違いがあるのかないのか、そういうことはやはり一応のチェックはするというのが立法者の当然の責任で、今度はそれチェックをしてなかったら逆の攻め方を必ずされますよ。
○神本美恵子君 いや、逆の攻め方しようと思って言っているんではなくて、政府の行為として憲法遵守義務があるにもかかわらず、その一部政党の草案とチェックをしたということについて私は問題にしているんです。これは、それこそ教育基本法第十条、「教育は、不当な支配に服することなく、」ということについて、帝国議会でも、この意味は何なのかというと、従来、官僚とか一部の政党とかその他不当な外部的な干渉、容喙と申しますか、それによって作られてはいけないということを言っているわけで、そのことを自民党はといいますか、伊吹大臣は侵したんではありませんか。
○国務大臣(伊吹文明君) 御質問の趣旨がちょっとよく分かりませんが、提案者としては、提案者というか、この法案の作成者としては、やはりあらゆる注意を払ってこの法案を作っているわけですから、その過程で、例えば、帝国憲法とはこんなに違う、帝国憲法と突き合わせてみたらこんなにたくさん違うところがあるなということだって当然考えるというのは、立法者として当たり前のことなんじゃないんですか。
○神本美恵子君 しかも、私がなぜこんなに問題にしているかというと、自民党憲法草案は、私も新聞記事とかで見ただけですけれども、その理解は今の現行憲法を尊重する立場にはないというふうに思っています。大きく立場が違う内容になっていると思います。特に、例えば自衛軍を創設するとか、それから、現行では基調になっている個人の尊重、尊厳よりも国家主義、公の秩序を維持するというような、理念が大転換するような憲法草案と整合性をチェックしてやるということについて、私はこれは非常に、現行憲法に基づいてやらなければいけない法律改正についてこういうやり方は大きな問題があると思うんですけれども、いかがですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 現行憲法においてすら先生がおっしゃった国家主義というのはどこにある言葉なのか、私は、自由民主党の憲法草案にもございませんし、どこにある言葉なのかよく分かりません。 しかし、現行憲法においても、個人の権利は公共の福祉の範囲の中で尊重さると書いてあるわけでして、運用の問題として、どうもその公共の福祉はどこかへ行っちゃってその個人の権利が強く出ているのは、バランスを取らなければならないという考えはあるのかも分かりませんよ。しかし、全く、その国家主義だとかどうだとかという言葉はどこに入っている言葉なのか、御教示をいただきたいと思います。
○神本美恵子君 官房長官、もう一度お尋ねしますけれども、こういう政府が一政党の草案と整合性をチェックして提案するということについては、しかも、その憲法の下に法律は憲法との整合性を調べなきゃいけないのに、一政党の草案と整合性をチェックしてやったということについては問題はないのでしょうか。官房長官にお聞きします。
○委員長(中曽根弘文君) 伊吹文部科学大臣。
○神本美恵子君 官房長官に聞いております。
○委員長(中曽根弘文君) まず、伊吹大臣。
○国務大臣(伊吹文明君) 委員長の御指名ですから。 一番大切なことは、憲法を尊重して、この現行憲法を尊重してこの法案ができているかどうかということなんですよ、立法意図と提出者の立場から言うと。それは完全にチェックをしてあるわけです。その上でなお念を入れていろいろなものを参照にするということは、国家主義に転換したとかということとは全く関係がないことですよ。
○国務大臣(塩崎恭久君) 今、伊吹大臣が答弁されたとおりだと思います。仮に、民主党が憲法草案を作っていれば参考までに見ていたかも分からないと、そんな感じだろうと思います。
○神本美恵子君 国家主義というところで御質問、私が答弁するんではありませんけれども、これもこの委員会で答弁されているんですが、今回の政府案第二条五項、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度、これはどういうことですかという質問に対して、大臣は、国や社会を愛情と責任感と気概を持って自ら支える責務を共有し、これは自民党草案にあるけれども、ここのところを教育基本法の二条で受けてというふうに、気概を持って自ら支える責務という自民党の憲法草案を受けているというふうに御答弁なさっております。これは教育の、この後の質問にも続けていきたいと思いますけれども、現行憲法も現行教育基本法も個人の尊厳、個人の価値ということをまず一番基本に置いて、その個人の尊厳をもって人間の成長、発達を保障する責務を国が負うという作り方になっていると思うんですけれども、この自民党憲法草案に基づいてと、そこと整合性を図って作られたこの二条の五号ですね、これは国のために自らの気概をもって責務を果たすということを求める内容になっているところを私は国家主義というふうに言ったわけです。 それで、次の質問に移りたいと思うんですが、直接責任、第十条、現行法の第十条の、教育は、不当な支配に服することなく、直接国民全体に責任を負って行われるべきであるという、この直接国民全体に責任を負って行われるべきものであるという、ここを削除されたことについて、これも大臣は御答弁なさっているんですけれども、教育現場でいろんな混乱が起きたので、ここは全体というのは何なんだということで削除したというふうにおっしゃっていますが、そういうことですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、正確に、ここは大切なところですから少しお時間いただいて正確にお答えしたいと思いますが、まず法律を提出した場合、その法律がどのような意図を持って提出をされてどのように解釈されていくかというのは、二つのポイントがあるんですね。 一つは、何度も申し上げているように、提出者がどのような意図を持ってその法律を国権の最高機関である立法府に提出をしているか。だから、ここでずっと与野党通じて御質問いただいていることについては、将来この法律を解釈する場合の大変大きなかぎになると思って、私は大変大切に思って答弁をしているという、それが一つ。そしてその後、その法律に基づいて行われたいろいろな行為がどうも憲法に違反しているとか、当初の趣旨に違反しているという場合は、これをそう思った人は司法という場に訴えることができるわけですよ。ですから、そこで出てきた結論が日本国の統治のシステムとしてはその法律の最終的解釈として定着してくると。これで国が動いているわけです。 今の先生の御質問について言えば、現行法の十条については、先ほど先生がおっしゃったようなこの法律を最初に昭和二十二年に出したときにいろいろな答弁が行われています。だから、国家による不当な介入その他ということをおっしゃったのは、私はそれで立法意図としては間違っていないと思います。そしてその後、この十条の運用について、例えば旭川の事件だとか、東京の国旗・国歌の指導を行った教育委員会の指導の在り方について司法の場へ訴えが起こされたということです。ですから、私たちが今回十六条で「不当な支配に服することなく、」ということをあえて残したのは、教育が国民全体の意思とは言えない一部の不当な勢力の介入を排し、教育の中立性、不偏不党性を求める趣旨からこれを残しているわけです。 そして、国民の意思とは何かといえば、これは日本国憲法によって明らかなように、全国民が主権を持つ、全国民が参加をして選挙によって選ばれた国権の最高機関である国会が国民の意思なんですよ。 そこで、しかしこの国民の意思の下で作られた法律あるいは学習指導要領においても不当な支配になることはあり得るんですよ。私の口からはそんなことはあり得ないとお答えしなければならないんです、文部科学大臣としては。しかし、そうだと思われる人が出てくるわけですよ。出てくることは否定できません。だから、裁判に訴えている場合に、裁判はどのような判決を最高裁が下したかといえば、不当な支配はその主体のいかんを問うところではなく、だから政府も当然ここへ入るということを司法は言っているわけです。論理的には、教育行政機関が行う行政でも、不当な支配に当たる場合があり得ると最高裁判所は判示しているが、同時に、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する行政機関の行為がここに言う不当な支配とはなり得ないことは明らかであるという判例を示しておられるということです。 ですから、私たちはもう不当な支配というそしりを受けないように、きゅうきゅうとして中立的な学習指導要領を作っていかねばならないというのは、これは当たり前のことなんですよ。しかし、それにおかしいと思われた人は当然司法の場で争うと。だから、そこの場面を明確にするように今回の十六条では国民の意思である「この法律及び他の法律の定めるところにより」ということを挿入したということです。
○神本美恵子君 私がお聞きしたのは、国民全体に対して直接に責任を負って行われるべきものであるをなぜ削除したのかというのを聞いたんですが、今御説明になった部分と、もう一つ、これを削除するということは、ここの文言をもって教育委員会制度というのが作られたというのは帝国議会の議事録でも明らかなんですが、これを削除したということは、現行の地教行法ですか、教育委員会制度を定めている、これの根拠を失うことにならないんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは違うと思いますね。まず、十六条は「この法律及び他の法律の定めるところにより」というのが国民の意思なんですよ、国会で決めるんですから。ですから、国民全体に対して責任を持って行うということは、もう憲法の国民の教育権もあれば、国会が決めていただくわけですからね、法律は。「法律及び他の法律の定めるところにより」と書いてあるということで、そのことは当然、国民のために行うということは当たり前のことじゃないですか。 それから同時に、教育委員会制度のことをおっしゃいましたが、この十六条ができたときは教育委員は公選だったんじゃないですか。その後、公選制度は廃止されましたね。そういうことを考えてもなおかつ、公選制度が廃止されてもなおかつこの国民のために教育が行われているということは厳然たる事実なんじゃないでしょうか。
○神本美恵子君 公選であるか任命制であるかの問題をここで言っているのではなくて、教育委員会制度をつくるその根拠になったのがここの部分ではないかということをお尋ねしているんですが、どうも答弁をずらされるので討論にならないんですけれども、その次に行きたいと思います。 まず、教育の目的規定のところなんですけれども、第一条ですね、現行の教育基本法では教育の目的として「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、」、ここは改正案でも同じようになっております。その後に、現行法では「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」となっておりますが、政府案ではそこの間の文言が抜けて、「必要な資質を備えた心身ともに健康な国民」というふうになっておりますが、この憲法の基本理念でもあります個人の尊厳、基本的人権ということにつながる「個人の価値をたつとび、」という文言が外されております。そして、国家社会の形成者として必要な資質として、二条にこれはつながっていくんだと思いますけれども、これは、憲法の理念である個人の尊厳を中心とした教育の目的から、国家社会の形成者として必要な資質を備えなければいけないというふうに原理の大転換ではないかというふうに私は読んでしまうんですけれども、いかがですか。転換ですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 何を指しておっしゃっているのか、ちょっと私は理解できないんですが、現在の教育基本法の第一条を読みますと、「平和的な国家及び社会の形成者として、」と書いてございますよ、これもう国家の形成者としてと。改正案の第一条にも、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として」と。全く国家の形成者としてという文言は変わっておりません。 あえて言えば、先生の御意図は、現在の教育基本法に書かれている真理と正義、個人の価値、勤労と責任、自主的な精神、こういうものが現行、現在の教育基本法には個人の価値を重んじとかいうことが入っているのが、むしろ政府提案の案では抜けているじゃないかということをおっしゃっているんじゃないんですか。それは二条にずっと書いてございますよ。
○神本美恵子君 だから、これが教育の目的として第一条に書かれているのか、国家がこの法律で決めようとしている必要な資質、必要な資質としてその次のところに書かれている、法律で政府が決める、ここで改正案議論しているわけですけれども、国家が決めた内容を必要な資質として国民にこれは強制することにならないかという意味で私は質問しているんです。 一条の目的で、個人の価値を尊び、真理と正義を愛し、勤労と責任を重んずるというその目的規定にあるものを、二条で必要な資質として国家が決める内容になっているのではないかと。こっちに書いているからいいというふうに私は思わないんですけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは一つの立法技術の問題じゃないでしょうか。先生のおっしゃっているような御懸念で、この一条の目的を達成するため二条に教育の例えば手法とか政府の方針とか書けば、私は先生がおっしゃっているような懸念が出てくると思いますよ。これは教育が目指すべき目標を書いているわけですから、今おっしゃっているような御懸念は私は起こらないんじゃないかと思います。 国家がということをおっしゃいますが、国家というのはどういうものを指して国家とおっしゃっているんですか。つまり、我が国の、日本国憲法の下では主権者はあくまで国民なんですよ。だから、国民が参加をして選挙で選ばれた国会というのが最高の、国権の最高機関であり、立法機関なんですよ。そこで決められた意思に従って行動をしない政府というのは、これは許されないんですよ。だけど、そこで決められた意思と違う意思を持っている者の考えに従わないからけしからぬということも、これまた民主主義からいうと、日本国憲法からいうとおかしなことになるんじゃないですか。
○神本美恵子君 国家とは何かというようなお話をいただきましたけれども、私、国家というよりも政府と言った方がいいかもしれません。政府が決めたことについて従わなければいけないというようなこの作りが、一条、二条ですね、必要な資質ということで、必要な資質の中身が二条に書かれておりますので、そういう作りに、現行法とは違う作りになっているのではないかということを私は指摘させていただいたんですけれども、もう残り時間がありませんので、その二条について、この教育の目標として書かれているものは、これ学校教育だけではなくて、すべての職業教育、社会教育、家庭教育、そういう目標にも掛かってくるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは当然かかわってくると思いますが、この場でも衆議院でも再三御答弁をしておりましたように、心の中へ入り込んだような、その人の信条に入り込んだようなことは国家はしてはならないということはもう大前提としてあります。 それから、先ほどの御質問にかかわりますが、国家の代わりに政府だとおっしゃいましたが、政府という概念は憲法上ないんですね。これは内閣という概念しかありません。内閣は主権者である国民が選ばれた議会の指名によってできるんですよ。ですから、政府がやることは憲法や諸法律に反しないようにきゅうきゅうとして謙虚にやるんです。しかし、それがどうも自分の考えと違うから政府の考えは押し付けるとか押し付けないといったら、日本国の統治のシステムそのものをすべて、先生、否定してしまうことになるんじゃないんですか。
○神本美恵子君 先ほど心にかかわるところは評価しないとおっしゃいましたけれども、じゃ具体的にこの教育の目標で必要な資質として法律の中に規定されたことがこれからどのようにほかの関連する下位法の中に表現されてくるのか、又は、具体的には学習指導要領、それに基づいて今度は指導要録、具体的に今、行動の記録としてもうそういうところがあるんですけれども、そこの評価はどうなるのかというようなことについてもまだまだたくさん、恐らく国民の皆さんは、多くはこの規定が内心にまで踏み込んでいくのではないかという、そういう懸念を持っていらっしゃるわけですね。そういうふうになれば、これは明らかに憲法十三条、十九条に抵触してくる、違憲立法ではないかという疑いすら指摘されている弁護士さんや教育学者の方もいらっしゃいますので、そういうことについてはまた次の機会に質問をさせていただきたいと思います。
○委員長(中曽根弘文君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時十五分まで休憩いたします。 午後零時七分休憩 ─────・───── 午後一時十七分開会
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を再開いたします。 委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案につき、現地において意見を聴取するため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認めます。 つきましては、派遣委員、派遣地、派遣期間等の決定は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(中曽根弘文君) 休憩前に引き続き、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございますが、毎日、済みません、どうも。 〔委員長退席、理事保坂三蔵君着席〕 若干時間いただいて質問したいと思いますが、タウンミーティングの関係でお話ししたいと思いますが、昨日は公聴会の関係で新潟、長野に行ってまいりましたけれども、皆さん方からいろいろな真剣なお話を聞きまして、特に皆さん方がこの教育改革に寄せられる思いというものは大変真剣であり、私も心打たれましたけれども、聞けば聞くほどむなしい思いがしたのが実態でございます。そういうことで、特に時間を費やして公聴会やったということだけで終わるんじゃつまらないなという思いをしたわけでございますが、そういうためにはこれからどうしたらいいか、やはり審議の在り方についてもいろいろと考えていかなきゃいけないんじゃないかなと思ったんですけどね。本当にむなしかったですね。そういうことですけど、またあしたは山梨まで行かなきゃいけないんだけど、まあ仕方がないですね、本当に。 それでは、やっぱり公聴会でのいろいろな意見を本当に聴くというんであれば、いいことについては政府の方でも考えていくということができるようにしないと、議案作ったらもう全然変えないんだということではなしに、やはりせっかく公聴会やるのであれば、そういうことを含めて直していくということもあっていいんじゃないかと。特に基本法ですから、そういう意味ではいろいろと考えてほしいなと思うわけでございますが、仕方がありません。 これに絡んでまた思いますのはタウンミーティングの問題でございますけれども、いろいろと内閣府でも今調査をしておられますけれども、その調査もどの程度進んだのか分かりませんが、やはり早く、早くやるやると言っておられますけれども、いつごろまでにその調査が終わるのか責任ある回答を求めたいと思いますので、これは官房長官の方から、はっきり何日までには回答を出すということを言ってほしいと思います。
○国務大臣(塩崎恭久君) 十一月の十四日に林副大臣をトップにいたします調査委員会、スタートをいたしました。百七十四のタウンミーティングすべてを精査しようと、こういうことで、二人の弁護士を含む三名の外部有識者を交えて今鋭意やっているところでございます。 先般来、聞けば聞くほど、このタウンミーティングの本旨にもとるような事実が分かってきておりますので、かなりの作業量の追加があろうかと思いますけれども、何日までというのは、こういった追加的なワークロードもありますので、つぶさに今申し上げるところまで来ておりませんけれども、国会の審議に資するようなタイミングに出せるように今鋭意頑張ってもらっているところでございますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
○亀井郁夫君 日にちは言えないけれども、この国会の審議に資するようにやりたいというお話でございましたけれども、そうすると、十五日には終わるわけですから、それまでに、この委員会の審議中にやるということですか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 委員会というよりは、広くこの国会ということで、様々なタウンミーティングもございましたので、これ全部を今調べておりますから、それを全部調べた上で統一的に調査結果を報告しようということでございますので、国会の審議ということで、十五日の会期末を念頭に努力をしていきたいと、このように思っております。
○亀井郁夫君 タウンミーティングはこの教育問題だけではないとおっしゃいますけれども、この教育基本法は、タウンミーティングにおいていろいろ聞いたことを基にして作ったんだという大臣の説明があったわけですね。ということは、タウンミーティングが非常に影響力を持っておるということですから、これについては、やはりこの委員会の審議終わってからこうだったと言われてみても困るんで、やはり私はこの審議中に教育関係に絡むものについてはやるべきだと思います。ほかの分は別にしてですよ、教育基本法に関する分だけでも整理して、できないことはないですから、なぜそんなに時間掛かっているのかと思うんで、よろしくお願いしたいと思いますが、それについてお答え願いたいと思います。
○国務大臣(塩崎恭久君) 以前にも同趣旨の御質問をちょうだいをいたしました。そのときにも申し上げましたけれども、百七十四は、幅広いテーマでタウンミーティングをやっておりますので、それは全体として統一的に報告を申し上げたいと、こういうことでありますが、事、教育タウンミーティングは八回あったわけであります。いったん衆議院の教育特委には出しました。その後また追加的にございましたので、それもある程度出しましたが、あとは是非この教育特委の委員会の方で、理事会の方でお決めをいただいて、どのような資料が必要なのか、それを林委員会の方が御依頼を拝見をさせていただいて、全体の調査と全体の調査の発表、報告に影響の出ない範囲でできる限り御協力をするということで、その後も追加的に出しているはずでございますので、そのようなことで御理解をいただいて、是非理事会の方で御要望をまとめていただければというふうに思います。
○亀井郁夫君 今のお話だと、理事会で調査内容を決めろということだったですけれども、理事会ではまだそこまでやっていないのが実態ですよね。そういう意味では、まだ遅れているということになるんですか。そういうことじゃなしに、理事会でもやりますけれども、当然、八回しかないんだから、八回分だけは責任持ってやってほしいと思いますよ。
○国務大臣(塩崎恭久君) その八回を含めて百七十四回分のタウンミーティングの今調査をすべてやっているわけであります。それを統一的に分析をした上で御報告を申し上げようということをやっておるものですから、それを途中で出すということになれば、その調査の、何というか、やり方とか最後の発表の仕方、報告の仕方へ影響が出ない範囲で、調査委員会がこれはいいだろうというふうに判断できればお出しをしますので、理事会の方で必要というものがあれば言っていただいて、調査委員会の方で検討させたいと、こういうことでございます。
○亀井郁夫君 理事会で出せば回答できる範囲でやるということですから、理事会で是非ともその問題について検討するようにお願いしたいと思います。
○理事(保坂三蔵君) ただいまの亀井郁夫君の御発議に関しましては、後日理事会で検討させていただきます。
○亀井郁夫君 それでは、次の問題に移りますけれども、大臣にお尋ねしたいのは、民主党との、民主党の案が出ておりますけれども、これとの調整の問題について、可能性についてお尋ねしたいと思います。 政府の立場に立てば政府の提案がベストだというふうな立場にならざるを得ないことはよく分かるわけですけれども、私の目から見れば、それ以上に立派な民主党の案が提案されてもいるわけでございまして、そういう意味では、修正は一切いけないんだと、一番いいんだと言っているんではなしに、やはり基本法としてこれからも通用することを考えれば、心を広くして提案者でも考えてもらわきゃならないと思います。そういう意味では、国会の多少の延長は覚悟の上でもいいから、是非考えてもらうことができないんでしょうか。 特に、議会側の、議会の問題だというふうに大臣は言われて、皆さんが決めるだけだというふうに言われるかもしれませんけれども、しかし、閣法の形を取っておるけれども、実際は与党の議員立法に近い法案で、中身は全部与党で事前に審議された問題でございますので、六十年ぶりの修正であります基本法でありますから、特に基本法ですから、そういう意味で、与野党一緒に審議した結果を盛り込んで、いいものを作っていくべきだと私は思います。そういう意味では、衆議院のように与党だけの強行採決はやるべきではないんじゃないかと思うわけであります。 そういうことで、もうちょっと心を広くしてやってほしいし、同時に、そういうことが参議院の参議院らしい審議だと私は思うわけでありまして、そういう意味では、立派な民主党案も今言いましたように出ているんですから、政府案をベースにしながら、民主党案を盛り込んでいくというふうな形で考えてもらえないかどうか、大臣のお考えを聞きたいと思います。 〔理事保坂三蔵君退席、委員長着席〕
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、大きく二点申し上げたいと思います。 先生、ここでの質疑をし、あるいは公聴会へ行って、大変むなしいということをおっしゃいました。しかし、今朝ですね、例えば蓮舫先生と私の間に民主党案あるいは政府案について条文ごとのやり取りをしているわけですね。そして、ここで私がお答えしている、あるいは御質問になっていることで一番大切なことは、将来、この法律についての立法提案者の意思が那辺にあったかということがこの法律を解釈していく上で非常に大切なポイントだということなんですよ。 ですから、ここの御審議というのは決して無駄ではなくて、特に条項ごとの今朝のような詰めた御質問をいただくということは私の方も大歓迎でございまして、やはり将来、ここはどういうことだというのは、最終的にはこれは司法の場で争いがあれば決めなければいけないんですが、一義的には立法提案者がどういう意図を持ってやっていたかということをやはり討議の中から引き出していただくと。だから、これは決してむなしい作業ではないということはひとつ是非御理解いただきたいです。 それから、二番目ですね、二番目のこの修正をどうするかということですね。これは、私の立場からすると、これはまあ公式論を言わないといけないんですが、その後、未履修の問題とかいじめの問題等を見ても、私は少し、もう少しこうであれば自分がこうできるなとか思うこともございます。ですから、それは、私の方は政府として提案をいたしておりますから、各党間でお話合いをしていただきましたら、私どもはそれに従うというのは、これはもう憲法上、国権の最高機関でございますから、決してそれにあらがうものではありません。 それから、衆議院のように強行採決とおっしゃいましたが、まあこれは言葉の定義ですが、強行なのか、審議に出てこられなかった結果ああいう採決になったのか、これはいろいろ、先生、やっぱり判断がございますので、強行というのはちょっと私は言葉の使い方としていかがかなという感じがいたしております。
○亀井郁夫君 大臣のお立場ではそういう回答が出てくるんだと僕は思いますけれども、確かにこれ、質問は議事録に残りますし、後々議事録まで開いて研究する人には意味があるわけでございますけれども、しかし、議事録までひもといてやる人は少ないわけですからね、実際に。後々には、そうなってくると法案を見るのが精一杯ということになるわけでございますから。まあ仕方がありませんよね、数が足りないんだからね。だから、そこの中で何とか議事録、せめて議事録にだけでも少し残したいという思いで質問しておるわけですから、そういう意味で非常にむなしいわけですね。その気持ちは十分理解してもらいたいと私は思うんですね。よろしくお願いしたいと思います。 そしてまた、党の方で、与党と野党が相談すればそれでいいんだという点については、やはり全員が考えて、与党も野党も考えて、この問題についていい教育基本法を作っていく必要があると思うんですね。だから、衆議院が強行採決でなかったとおっしゃいますけれども、野党の人たちが、衆議院の人たちも採決に暴力は振るわなかったけれども、ただ、暴力を振るったら強行採決かというわけじゃないわけですから、やはり教育基本法という性格から考えて、みんな反対だけれども、出席しないという方法を取られた。穏便な方法でやられたわけですね。だから、やはり強行採決には違いないわけで、そういう意味ではひとつ考えていただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。 それでまた、大臣自身のお気持ちはよく分かりまして、こう聞いてみていても、やはりいいものがあればという気持ちがありますけれども、だけれども、お立場上、今はできないということだと思いますけれども、ひとつよろしくお願いしたいと思いますし、与党の皆さん方にもこのことについてよくお考えいただいて、そしてみんなの気持ちを大事にしながらいい法案を作ってほしいと思わざるを得ないわけであります。ひとつ、はい。
○国務大臣(伊吹文明君) 亀井先生が再三ここで御質問になって、本当に亀井先生のお考えからすると、一番いいものをここでやっぱりみんなで作っていきたいというそのお考えに私は何ら違う考えを持っているものではございません。各々の立場がございますので、私としてはこれ以上のことは申し上げられないわけですが、政党間の御協議に是非私もゆだねて、結果を待ちたいと考えております。
○亀井郁夫君 大臣のお答え、ありがとうございました。これからもひとつよろしく御協力をお願いしたいと思います。 次に、民主党の方に、西岡先生にお尋ねしたいんですが、民主党も、先ほど申しましたように、非常に立派な法案がよく出されたと思って、まさかと思うようなことができているわけでございますけれども、そういう意味では、数が少ないんだから、強行採決と言われてみても何にしても、このままほっといたんではもうお蔵になってしまうということで、出したということは実績としては残りますけれども、それだけのことになるわけだから、やはり法案の中のいい点はできる教育基本法に盛り込んで、そして、みんなで力を合わせていいことやったんだということで初めて参議院の野党の立場が生きてくると思うわけですね。 そういう意味では、没にするよりは何点かでも修正に応じられた方がいいんではないかと思いますけど、この問題について、野党ですね、民主党では、提案者として先生なんかはどう思われますか。自民党の方からそういう話し掛けがあった場合に応ずる気持ちがあるのかどうか、また働き掛ける気持ちがあるのかどうか、それについてお尋ねしたいと思います。いろいろ難しいと思いますけれども。
○西岡武夫君 お答えいたします。 委員からの御指摘のとおり、それぞれ、政府の提案も私どもの提案も自信を持ってそれぞれが提案しているわけでございますけれども、より良いものを求めて参議院において各党が努力をすると、政府も努力をするという方向につきましては、私も全く同感でございます。
○亀井郁夫君 いいものを作ることについては同感だという先生のお話でございますけれども、是非ともイズムに基づいて、簡単に言ったら日教組なんかがバックにあるわけですから、日教組は反対しているわけですからね、参議院の前で、現実に。その中では非常に大変だと思うんですけれども、そういう問題を乗り越えていく決意が先生にはあるんですか。
○西岡武夫君 お答えいたします。 もう委員御承知のとおりに、民主党としての案を御提案申し上げているわけでございますから、これは我が党の問題であり、国会の問題であると、このように考えておりますので、そのような御心配はございません。
○亀井郁夫君 今の西岡先生のお話を聞いて安心いたしました。民主党も責任ある立場ですから、ひとつよろしくお願いしたいと思います。 まだ時間は残っていますが、この辺で今日は終わらせていただきます。 ありがとうございました。
○藤本祐司君 民主党・新緑風会の藤本でございます。 十一月三十日に続きまして質問をさせていただきたいと思いますが、ちょっとせきが出るというか、風邪を引いてしまいまして、この教育基本法の特別委員会開始と同時にちょっと風邪を引いてしまいまして、教育基本法というウイルスとタウンミーティングというウイルスが私の体の中に入り込んでしまったので、是非官房長官におかれましては、このタウンミーティング、さっさとうみを出していただいて私の中からウイルスを取り除いていただきたいということと、あと教育基本法に関しましても取り下げていただければ私の体のウイルスがどこか飛んでやっと治るということがございますので、是非よろしくお願いしたいと思います。 今日の午前中のいろいろ蓮舫さんなんかとのやり取りを、伊吹大臣とのやり取りを聞いておりまして幾つか考えたことがございまして、ちょっと通告がない部分もございますけれども、ひとつ、もしよろしければ御容赦いただきたいと思います。 やはり私も、私、実は来年二月に五十歳になりまして、私……(発言する者あり)ありがとうございます。私の時代と今の時代は大きく様変わりしたなというふうに思っているんですが、本当にいろんな点で四十年前と比べると変化があります。そういう意味で、教育に関する環境という、子供あるいは大人も含めての環境が大きく変わってきているんだろうというふうに思っておるんですが、一番変わったなというふうに感じるところは、私の時代というのは、小学校に入って中学校に入り、義務教育を受けると。いい高校に入れと。いい高校に入ればいい大学に入れると。いい大学に入れればそれなりにいい会社に入って、将来、未来ある、将来が豊かな生活が送れるぞということで、半分だまされながらもそれをやってきて、比較的それに皆さんが一生懸命努力をして、その努力のかいがあるという、そういう時代だったのかなというふうには思うんですね。私の場合、高校のときに自分が勉強が嫌いだということに気が付きましたので、もっと努力すればまた違った人生だったのかもしれないんですが。 ただ、今の時代というのは、むしろ努力をしても努力のしがいがないといいますか、そういう部分というのが大きく違うんではないかなと。というのは、いい大学に仮に入りましたよと、そしていい会社に入ったとしても、その会社がいつまで存続するか分からないとか、あるいは必ずしもいい大学に入っていなくても、自分である才能を見出してやれば、それで頑張っていわゆる将来を豊かなものにできると、そういう時代になってきている。 その辺が、私どものときは、とにかく頑張って努力すればその努力に報いることができるんだよということを言われて、本当にそうなってきた部分というのが強かった。ところが、今はそうではない部分というのが非常に多いと。かなり学歴というのが当てにならないものになってきているということで、子供に、頑張れば将来明るい未来が開けるよということを言っても、なかなかにわかに信じ難い部分があったり、その辺りが大きく違ってきているんじゃないかなと。 私のときは、とにかく一生懸命頑張ればお父さんのようにはならなくて済むよとか、そういうことで頑張ってきたという部分があるんでしょうけれども、そこのところが大きく違うということは、学校教育と職業というところが継続的ではなくて、どこかそこでつなぎ目というか、溝というか、そういうところが大きくなってきているんではないかなというふうに思いまして、そうなってくると、学校で一生懸命勉強するということが、本当に好きな子は勉強するかもしれないけれども、そういう努力が報われないかもしれないと思うとそこで勉強をやめてしまうというようなことが起きるとなれば、この教育ということを考えたときに、やはり職業ということとそのつなぎ目をどうつないでいくかということが非常に重要なことなんだろうというふうに思うんですけれども。 今回の政府案に関して、その辺りについてはどこでどのような担保をしているというか、そこの辺りをちょっと教えていただきたいんですが、あと後ほど民主党の方にもお聞きしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、私もウイルスに感染しないように、基本委員会が終わると必ずうがいをいたしておりますので、先生も是非うがいをお勧めいたしたいと思います。 それで、今おっしゃったことは非常に広範な問題を含んでおりまして、一概にお答えするのも難しいし、ある意味じゃ文化論のようなことに言及しないといけないのかも分からないと思うんですが、私の世代と先生の世代にはまた十数年の差があると思いますが、やはり貧しいときは、やはり人間でも動物でも小さなときは成長力が非常にあるんですね。ある程度大きくなって成人になると、背丈も伸びませんし体重も増えてまいりません。それと同じようなやはり成熟した社会というものが日本にやっぱり来たということが一つ。 それからもう一つは、ですからそのときはもういい学校に、先生の御表現で言えば、いい学校に行って、いい企業に行ってたくさん給料をもらって、社会的に認められるということが割にやりやすい社会状況だったんじゃないでしょうか。今はまあ、よく言えば安定成長、成熟時代に入って、若い元気な伸びるような力というのは、日本経済にはやっぱり昔と比べて少し少なくなってきておりますね。 そういう中で、頑張るということというのがどういう意味だったのか。つまり、学校の階段を上っていって社会のいい会社に入るという意味での頑張りはなかなか難しい状況になってきていると、私もそう思います。しかし同時に、学校ということを頑張らなくても一獲千金を当てる人は結構出てきているということも事実ですね。だから、学校教育が非常にそういう意味じゃウエートが下がってきたということは御指摘のとおりだと思います。 一番問題は、そういう状況をやはり改善しようとして、今のこの日本の一連の流れというのは、自由競争原理への復帰という流れがやっぱり強いですよね、率直に言うと。これは社会主義、共産主義でやっぱり繁栄した国家がないというのは、これは歴史の事実が証明をしているわけですね。そうすると、自由競争原理で社会を動かしていくというのがやはり人間の本性に合っていて、やむを得ないことなんだけれども、やはりこの制度にもこの制度の弊害があるというか、副作用があるんですね。今出てきている現象は何かというと、格差という問題がありますが、格差というのは私は悪いことじゃないと思います。問題は、格差の結果、勝った者のおごりと負けた者のあきらめが出てくるというところに問題があると思いますね。それと同時に、自由競争原理というのは、結果を追求する余り、法律あるいは法律以前の規範、そのようなものを平然と破っても結果さえ良ければいい、損益計算書に利潤だけの計上が大きな会社がいいという風潮がとかく生まれがちですよ。 そこを抑えていくためにこそ、今回の教育基本法の私は根本である、例えば公共の精神とか伝統文化の中から培われてきた規範意識とか、こういうものをやっぱりしっかりともう一度取り戻すと。いや、副作用があるから政府が介入してその副作用をとがめていくんだというまあ社民主義的リベラリズムを取ると、結局、それと間接選挙というものを組み合わせたら、票を入れるということをえさにと言ったら悪いですけど、を示すことによって票を集めてしまう、結局圧力団体が復活してしまうということにやっぱりなりかねないと私は考えております。 であるからこそ、良き人間をつくらないと、小泉さんに象徴された改革というものはやはり決していい結果を生まない。そこをやはり安倍総理は考えて、教育の再生こそ自分の内閣の最大の課題だということを取り上げたのは、私は歴史認識というか、時代認識として決して間違ってないと思います。
○藤本祐司君 大臣のおっしゃるのは、多分第一条、第二条のところでその辺りは担保できているじゃないかという、多分そういう御趣旨なのかなというふうには受け止められるんですが、民主党の方はここに職業教育という、そういう条項を設けておりますが、この職業教育というのを設けたその意図と、先ほど私が申し上げたそのギャップをどうするのかというところについてのお答えをいただければと思います。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 私も藤本委員と同様の問題意識、特に民主党におきまして私は学力低下問題を一貫して調査あるいはそれの対応について取り組んでまいりました。 学力問題、確かに読解力が八番から十四番に下がってしまったということも問題でございますが、日本の教育現場における最大の問題は何かというと、学ぶ意欲の低下でございます。OECD各国の中で日本の子供たちの学ぶ意欲あるいは家庭などでの学習時間あるいは読書、そうしたことに対して最低の水準にあるということが私は最大の問題だというふうに思っております。私どもの日本国教育基本法案を考える上でも、このことを十分に憂慮しながら作成をさせていただきました。 じゃ、なぜ子供たちの学ぶ意欲がここまで低下してしまったのかということについては、今、藤本委員がおっしゃったことと私ども基本的に同じ認識を持っております。 では、どうしたらいいかということなわけでありますが、私どもは、前文におきまして新たな文明の創造を希求するということを言っております。正にそこは、今までは正に近代の時代でありまして、正に物質文明偏重主義、産業社会でありました。そこでは、正に富国強兵、GDP至上主義、経済・物質至上主義でございました。そこでの生きる力ということは経済的に富むということでありまして、経済的に富むということはどういうことかというと、大量生産、大量流通、大量消費社会の中で正に富を最大化していく能力ということが生きる力であったわけであります。 したがいまして、日本の戦後教育は、正に産業社会における生きる力であるGDPを最大化する、そのための工場労働者として非常に適した教育をやってまいったことによって、一九八〇年代に工業国家としては日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるように世界最高に達したわけであります。 じゃ、工業社会、産業社会における基本的な生きる力というのは暗記力と反復力でございまして、正に工場のベルトコンベヤーの中の分業の一翼を担う人間としてマニュアルを完璧に覚え、それを正確に高速に再現するという技術が非常にその工場の歩留りを上げ、その工場を持つ企業の一員であるということが人生においても幸福につながったと、こういうことでありました。 しかしながら、デジタル革命によりまして、大量に高速に反復するというのは人間の仕事ではなくて、デジタルテクノロジーにそこは取って代わられることになって、人間の仕事は正にゼロから一のオリジナリティーを、多くの人々と協力、協働をして、正に創造的で協働的、コラボレーションですね、要するに世の中に一つしかないものをつくり出すということが人間の仕事になりました。日本の教育は、いまだにこの時代の変化、価値観の変化、文明観の変化に対応していないというのが私どもの認識でございます。 したがいまして、前文におきましても、正にそうしたコミュニケーション、知恵、文化などのソフトパワー、これを目指す国、あるいはこれを担う国民として教育をしていくということが子供たちの生きる力を増進するということであり、そこは暗記力、反復力重視ではなくて、正にクリエーティブ・コラボレーティブ・アートワークと言っていますが、その一員として必要とされるコミュニケーション能力と真善美の判断能力を身に付けるということが学校教育のこれから目指すべき道だというふうに我々は判断をいたしております。 したがいまして、前文の中で「真理と正義を愛し、美しいものを美しいと感ずる心を育み、創造性に富んだ、人格の向上発展を目指す人間の育成」ということを盛り込みましたのも、正に真善美それぞれについての判断力を向上させるということを目指したものでありますし、それから、十七条の二項におきまして「文化的素養を醸成し、他者との対話、交流及び協働を促進する基礎となる国語力を身につけるための適切かつ最善な教育の機会を得られるよう奨励されるものとする。」と書きましたのは、正にコミュニケーション能力の強化というものを重視をしていく、このことは、特に世界で十四番に落ち込んでしまった読解力の向上ということとも符合するわけであります。 そのように、正に学校教育の中身、そのベースとなるコンセプト自体をこの際きちっと変えて、そしてそのことを学校教育法あるいは学習指導要領にこれから反映をさせていくことが必要だというふうに思っております。 加えまして、職業教育を十四条に盛り込みまして、正に学校教育それ自体が将来意味あるものにやっぱり変えていかなければならない。それが第一義的であり、そして将来の職業と学校教育というものをきちっと継ぎ目なくつなぎ合わせていくということが極めて重要なことだというふうに考えて、今回の条文を整理させていただいているということで御理解を賜りたいというふうに思っておりますが。 私どもは、私はたまたま原宿が地元でありますが、ここにはファッションとかお料理とかあるいはヘアデザインとか、大変に若くても一生懸命勉強して努力されて、世界に十代から活躍されている若い皆さんが一杯いらっしゃいます。したがいまして、そうしたこともきちっとその職業教育あるいは学校教育のスコープにむしろ入れていくということが重要だというふうに思っているところであります。
○藤本祐司君 ありがとうございます。 やはり、これは現実的にもうそういう社会が変化してきて、どうしようもなく、後ろに戻る、バック、時計の針を戻すわけにいきませんので、それはこの教育という問題と切っても切り離せないということを是非これは強く御認識をいただかないと、観念論だけでは多分進まないだろうなというふうに思っております。 それと、今朝ほどの蓮舫議員のお話の中で情報社会の話がありました。私の時代からというか、ここ十年間ぐらいでもう大きくその情報化という部分が変化をしてきて、私の小学校、中学校時代は想像していない漫画の世界のことが今既にもう目の前に起きて、現実に現実化しているわけなんですね。 そこでちょっとお聞きしたいんですけれども、インターネットをめぐるいろんな事件が頻発をしております。集団自殺だとか交際サイトだとか、あるいは先ほど来話がありました有害情報とか、そういうものにいとも簡単にアクセスできるような社会になってしまったということはもう現実的だというふうに思うんですが、高市大臣にちょっとお聞きしたいんですけれども、こうした有害と言われている情報に自らアクセスをされたことはございますでしょうか。
○国務大臣(高市早苗君) 自分のパソコンで自らアクセスしたことはございませんが、メールでですね、とにかくデートのお誘いですとかエッチな画像がひっ付いたものは毎日毎日山のように入ってまいります。あと、どういう有害サイトがあるかというのは、プリントアウトしたもの等で把握をしたことはございます。
○藤本祐司君 これ、多分、相当簡単にアクセスできて、相当簡単に入手することができるんです。そんなにパソコンとかの知識がなくても、技術がなくても簡単にこれはアクセスして入手することができるような、そういう時代になってきているし、更に言えば、携帯電話がどんどんどんどん進んで、単なる携帯が電話だけではなくなっていて、モバイルのパソコンとほぼ同じような機能を持つようになってくれば、家でパソコンでフィルタリングを掛けるとか、そういうものだけでは全く済まなくなってくると、そういう社会になってくるんだろうと思うんですけれども。 IT担当大臣として、負の、光の部分と影の部分があるわけなんですけれども、光の部分はどんどん進めればいいというその反面で、影の部分を何とか対応しなければいけないということを考える場合に、高市大臣、その担当大臣としてそこら辺りはどういう対応策をお考えになっていらっしゃるんでしょうか。
○国務大臣(高市早苗君) 私も、今、光の部分の対応と同時に、やはりこの負の部分の対応、こちらの方がむしろ大きな関心を持って対応させていただいております。 一応、政府全体の取組としましては、昨年の二月にIT安心会議が設置されました。これは内閣官房を中心として関係府庁が集まって有害情報、違法情報対策をやっているわけですけれども、そこで昨年の六月に「インターネット上における違法・有害情報対策について」という割とこう具体的な施策を策定しまして、もうそれぞれ各府省が対応するということになりました。それから一年たったので、今年の七月に進捗状況を取りまとめました。かなり進んだものもありますけれども、まだまだこれからというものもございます。 そして、来年の概算要求、来年度予算の概算要求ごらんになっていただいたら分かるかと思いますけれども、主に例えば伊吹大臣の文部科学省の方では、御家庭において携帯電話ですとかパソコンの使い方についてきちっと盛り込んだ子育てのヒント集ですね、家庭教育手帳、これを作成するという費用を要求されておりますし、総務省の方では、このITメディアリテラシーに係る教育の指導マニュアル、それから教材ですね、こういったものを既に今年度開発して、来年以降はこれを普及する作業、これの予算がございますね。 あと、私は、特に警察庁の方に頑張っていただきたいなと思っているんですけれども、警察庁の方でも、ボランティアの方がインターネット上の出会い系サイトの有害情報を発信しているサイトなどを把握しまして、当該事業者に対して自主的な措置を要請する活動、これにも予算が要求されております。 それからまた、サイバーパトロール、この業務を開始しているんですけれども、この業務も委嘱を行いまして、違法・有害情報を早く把握する、そして対応を取るというような動きが出てきました。既にもう警察庁の方では違法・有害情報に対応するためのホットライン業務なども始めておりますけれども、これも非常に大きな対応になりますんで、外部委託といったことも含めて来年はまた新たな動きがございます。 昨年から今年にかけてもまた随分進んできておりますので、必要でしたら、その進捗状況の資料等でしたらお届けいたしますので。
○藤本祐司君 いろいろな取組はされているんだろうと思うんですけれども、これはもう本当にスピードが物すごく速くて、どんどんどんどん新しいものを削っては新しくなってということで、イタチごっこでどんどん進んでいるわけでして、通信と放送が融合してくると、放送も電波を割り当てるということで今までやってきていますけれども、その正に個人が放送技術というものを、簡単にソフトが入り込むことになってくると、どこまでが放送でどこまでが通信かということがもう本当に見分けが付かなくなってくる。 そういう段階で、規制というのが非常に困難になってくるわけなので、やはり先ほど高市大臣が自主規制というお話がありましたけれども、これをどう自主的に規制していくのかということと、あと、受ける側がやはりどういう対応をその情報に対してしていくのかということが必要になるわけですね。個人でも本当にいろんな情報を流すことができるし、それは世界じゅうから流れてくる。それを日本国内だけで何か対応していても多分間に合わなくなってしまうということを考えると、このやはり情報というのは、もちろん情報を扱う技術という部分もあろうかと思いますが、受ける側としての教育というか学習といいますか、そういうところはやはりしっかりきちっと位置付けるといいますか、ということが必要なんだろうと思います。 午前中の大臣のお話ですと、この辺りは第二条辺りで包括的に規定していますよというお話だと思うんですけれども、やはりそれだけでは私はちょっと足りないなと。情報に関して言うと、相当なスピードで、想像を絶するぐらいの速さでいろんなことが起きてきている、規制ができない、その中でどうするのかということをやはり理念法といえども私は規定をすべきだというふうに考えておるんですけれども、伊吹大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 午前中も民主党の蓮舫先生から同様の御質疑がございまして、多分、民主党案でもお書きになっている一、二、三項目ですべてをカバーしておられるとは当然法案提出者も考えておられないと思うんです。 これを受けて具体的な学習指導要領に、今先生がおっしゃった受け手の方として、どういうものにアクセスをしちゃいけないか、あるいは逆にどういうものをそこから引き出して自分で使っていくべきか、これは学校教育の場でも大切ですが、生涯教育、社会教育においても当然同じことがございます。 ですから、御趣旨に沿えるように、学校現場において間違いのないように、この基本法、それから学校教育法、そして指導要領その他を、そしてそれに予算で肉付けをしていかねばなりませんから、十分の配慮をして、御注意に沿ってやらせていただきたいと思います。
○藤本祐司君 再度の繰り返しになろうかと思いますが、民主党の方には「情報文化社会に関する教育」という項目がございます。その意図と、私が今申し上げたことに対するお答えをいただければと思います。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。 教育基本法というのは理念法であります。やっぱり、社会に対して重要なメッセージを発するという意味を持っているのが教育基本法だというふうに思っております。 そういう中で、先ほど来申し上げておりますように、学びの質というものが決定的に近代化のための教育をやっている時代とこれからの情報文化社会では違います。すなわち、今まで日本という国はこのキャッチアップということが極めて重要な国家及び社会、そして学校、教育の目標でございました。したがいまして、有益な情報は欧米にありと。したがって、英語教育も読解力中心であったというのは、いかに英語の文献を日本語に訳してそれをキャッチアップをするか。いい情報も悪い情報も基本的に枯渇をしていた、それをいかに入手をしていくかと、これが教育の大きな目標でありました。 しかし、これからは、いい情報も悪い情報も正に情報洪水、情報はんらんの中で生きていかなければいけない時代になったと。これは正に質的に極めて大きな転換だというふうに私どもは思っておりまして、したがって、これだけの時代の転換においては、教育の目指すべき理念、その基本的にある時代認識というのは決定的に質的に違っているので、この情報文化社会における教育ということにこれからなりますよというメッセージを教育基本法という宣言法の中で世の中に対して、そして教育現場に対して発することというのは非常に意味のあることだというふうに考えて、先ほど来の条項を盛り込まさせていただいているということで御理解いただきたいと思います。
○藤本祐司君 同じ民主党だからといって言うわけではありませんけれども、私も、この情報のことは大きく、もう本当に十年前あるいは五年前と比べても大きく変わってきているので、ここのところはきちっと位置付けて教育の中で考えていかないといけないことだというふうに思っておりますので、今後も含めまして、是非よろしくお願いしたいと思います。 ちょっと話題を変えますが、いじめのことなんですが、今までのこの議論を通じて、どの世界にもいじめというのはあるじゃないかと、子供の世界も大人の世界もいじめがあるといういろんなところのお話がございましたし、実際にいじめというのをゼロにすることはなかなかできないと。私も、できない、多分ゼロにはならないんだろうなというふうに思います。 十人いて、十人の中の一人の人がいじめられていたという場合に、その一人の人が何らかの理由で、例えば大人の世界でも会社の中でも仮に退職をして辞められた、あるいは子供が転校しても、じゃ九人になったから、いじめが、一人いじめられた子がいなくなったからなくなるかといえば、また九人の中で一人の子がいじめられるとか、八人になればまたそうなる。だんだんこの十人が九人、八人で、最後一人になるまで何らかの同じようなことが多分起きるんだろうなと。そうなってきたときに考えられるのは、いじめをなくすというよりは、もちろん減らすということは当然重要だと思いますし、その程度を軽減するということは重要なんだろうと思います。 もう一つは、いじめられている側のストレスをいかに少なくするのかということがやっぱり極めて重要なのかなというふうに私は考えておるんですが。実は私、一九八七年から八八年、八九年と大学院に行って、その修士は、私は実はコミュニケーションという学科で修士を取っています。コミュニケーションというのは、大きく言いますと、アドバタイジングとジャーナリズムとテレコミュニケーションとヒューマンコミュニケーションというこの四つなんですが、そのときに、一九八五年当時、いわゆるストレス・アンド・バーンアウト・シンドロームという、ストレス・アンド・バーンアウト症候群というのがアメリカでも結構言葉としてにぎわしたんです。これは大人の社会なんですが、ストレス、バーンアウト、つまり自殺まで行ってしまうと。これをどう止めるかということで、一番有効な手段としては、やはり自分がそう悩んでいることを他人に伝えるという、相談をするということが非常に有効な手段だということの調査結果があったんですね。 それをじゃだれに伝えるかというところも実は重要でして、大人の会社の中での実験調査なんですが、例えば上司に伝える、あるいは家族、スパウス、配偶者というか、奥さんとだんなさんに伝える、あるいは親に伝える、あるいは自分の大学時代の友達、別の会社にいる友人に伝える、聞いてもらうということがあるんですが、一番効果的なのは同じ会社の同期の人間と話をするのが一番ストレスが軽減できる、そういう手段だということを学んだんですね。 だから、子供の世界でも多分同じで、それはなぜかというと、全くその境遇を十分に理解をしてもらえる人というのが一番重要で、上司であるとか家庭、家族だと、何となく分かるんだけど一〇〇%理解はやっぱりその場のことは分からないということがあって、同じ会社の同期の人間が一番分かりやすいと。ただ、大企業ばかりではありませんので、同期生がいないというところもあるので、またそこは新たな取組をしなきゃいけないんだろうと思うんですけど。 子供も、ですから同じような子供たち、いわゆる駆け込み寺になるようなところが、やはり自分と同年代の同じ学校の子供たちというところを設けることによって大分軽減できるんではないかと。海外なんかでそういう例もあるというふうに聞いておるんですけれども、日本でそういう例がまずあるのかどうかということと、それに対しての御見解はいかがかということをお聞きしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) いじめの問題が突然、突然というのか、随分マスコミで取り上げられるようになりまして、先日私はその番組を直接見なかったんですが、ビデオに撮っておいてくれた人がいて、後で見まして、英国では今先生がおっしゃったような取組をやっておるようですね。同級生の中というか、学校のどちらかというとシニアクラスの上級生ですか、にその悩みを訴えて、そしてみんな学校ぐるみで、生徒ぐるみでその辺の対応を教えると。訴えたという子供がまたそれでいじめられないようにと何か事細かにアドバイスをしているのを見て、やはり、ここでも御質問がありましたが、いじめるのも問題なんだけれども、いじめられている子供を傍観している子供も問題だと。しかし、それより更に進んで、いじめている子をサポートする仲間をつくっていくと。 これは、文部科学省でいろいろ各県の取組を伺っておりますと、茨城県ではそういうことをやっておるようでございますね。ですから、先般も例の北海道と福岡での残念な自殺や教育委員会の自殺後の対応について御批判があった後、各都道府県の教育委員会の責任者、政令市の教育委員会の責任者を呼びまして、そういう成功事例の説明をして、是非それを共有してもらうようにお話をしたところなんです。先生がおっしゃっていることは、全く私も同感でございます。
○藤本祐司君 こういう緊急的な本当に命にかかわることでございますので、是非積極的な取組を急いで、スピーディーにやっていただきたいというふうに思います。 時間も大分迫ってまいりまして、残り私の時間が十五分でございます。ここまでちょっと教育基本法とあと教育の問題について質問させていただきましたが、若干ここで復習の時間に入らせていただきたいと。十一月三十日の復習というとタウンミーティングでございますんで、ちょっとこのことをお聞きしたいと思っております。 〔資料配付〕
○藤本祐司君 今資料を配っていただいておりますが、というのは、私どものところにもいろんなファクスとかメールとかがもう大量に来ております。それ全部すべてに目を通している時間もないんですけれども、ざっと見たところ、もちろん教育基本法の本質的な議論というか条文の議論をしてほしいと、あるいは教育の本質的な話をしてほしいということのほかに、やはりこうしたタウンミーティングの問題というのは、その前提になっている部分というのがあるのだから、やっぱりしっかりと明確に明らかにしてほしいという意見もおよそ五分の二とか三分の一程度あることも事実であります。ですから、私の持ち時間のその比率に応じまして三分の一程度の時間を使いまして、このタウンミーティングについてお聞きしたいというふうに思っておりますが。 このタウンミーティングという手法は、私なんかマーケティングをいろいろやってきた人間からすると、実はタウンミーティングで、元々ここに出た意見が、仮に十人の意見があって、十人のうち四人が賛成で二人が反対であとの人はよく分からない、だから賛成が四人で多かったから賛成意見が多数だというようなものではないというふうに私は思っております。これは、サンプル数が余りにも少ないので、三人いて二人賛成で一人反対だから世の中の人は三分の二が賛成かというと、そういうものではないというふうに思っておりまして、タウンミーティングそのものは、やはり質的な情報をどう入手するのかという、量的な把握はむしろ世論調査だとか、サンプル数千ぐらいあると、まあ誤差率も五%以内には収まるでしょうから、そこの中で大体の傾向はどうだというのを見る、その一つの、伊吹大臣もおっしゃっていますが、補完的なメソッドだというふうにおっしゃって、正にそのとおりなんだろうというふうに、私は、客観的に言うと、そう思っておるんですね。 ただ、逆に言うと、逆に言うと、世論調査なんか、NHKの世論調査で教育基本法の改正をすべきかどうか、まあ、どちらとも言えないという方は四割いらっしゃる。そのタウンミーティングに仮に四百人の方が参加をされて、四割の方はどちらかどうか分からないという方が、まあ動員を掛けなければの話なんですが、そういう方がいらっしゃる。その方々は迷っている。迷ってそこの中で自分の気持ちを、態度を決めようと、あるいは自分はどっちがいいかと考えようと思ったときに、やらせの質問があると、それが政策に反映する反映しないは別問題として、その方々が教育基本法の方に賛成の方に動くということは起こり得ることなんだと思うんです。そういう意味では、これは世論操作といいますか、ある意味はプロパガンダといいますか、それを、プロパガンダの訳はいろいろありますが、大衆扇動とも訳せるんだろうというふうに思います。 そういう意味で、このやらせの問題というのは大きな問題になってはいるんだろうなと。それが、はなっから政策に反映するかしないかというのは別問題として、そこで世論を動かす材料になったということだけは、これは間違いないわけで、それがその後の世論調査に影響していくということも間違いないのかなというふうに思っているんです。 ただ、ここで話がややこしくなっているのは、かつてこのタウンミーティングの中身を十分に理解をして、あるいは政策に反映しますというふうに言っていると。私はこれがもうそもそも間違いのもとであって、参考にしてお聞きしますよということであれば良かったものを、そこで何度も何度も政策に反映すると言ってしまったことが話をややこしくしていて、これはむしろ政府広報でPRだけにとどまっているんじゃないかなというふうに思っているんですが、伊吹大臣、どうでしょうか、それについては。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生は非常にバランスの取れた今御意見をおっしゃいました。私の答弁は、先生のおっしゃったことをなぞったような答弁をしております。 まず、タウンミーティングがああいう不正常な形で行われたということは、私は決して賛成はできないと。あれは非常にまずかったということは申し上げております。 それから、二番目に、同時に、先生が今正におっしゃった、タウンミーティングの結果をもって世論の動向がそうだとか、把握をしたということを答弁している、まあ後講釈で私がこういうことを言うのは失礼なんですが、方がいるということについては、余りそのタウンミーティングの本質をよく理解していないと。何が世論を集約しているかというと、これはもう全国民が参加した選挙以外にはないんですよ、日本国の統治のシステムとしては。 前回の総選挙と、その前の参議院選挙において、自由民主党も公明党もマニフェストにはきちっと教育基本法の成立と教育再生を掲げて戦っております。私が見落としておれば申し訳ないことですが、教育基本法については民主党さんにはその記述がマニフェストにはございません。そういう状況で選挙がなされたということを私はやっぱり一番重く受け止めなければならない。そこで止めておけばいいものを、何でこんなタウンミーティングを鬼の首を取ったように答弁をしたのかと、誠に不適切だということを私はいつも答弁しておるわけです。
○藤本祐司君 ですから、その前に、伊吹大臣もおっしゃったように、これを反映したというふうに言わなかったら多分こんなになってなかったんで、それを言い始めたところに問題があったわけですから、あの問題をつくったのは我々ではないということもちょっと申し上げておきたいんですが。 確かに、選挙ということで選ばれたその国会が最終的な民意であるという、そこはそのとおりだというふうに私は思いますが、ただその前に、いろいろな民意を把握する方法というのは、タウンミーティングにしかり、いろいろそれは、公聴会もそうだと思いますし、フォーカスグループインタビューという手法もあるだろうし、あるいは世論調査という。まあ、世論調査になると、例えばサンプル、先ほど申しましたが、千ぐらいあると誤差率というのは物すごく低くなってきて、大体の傾向はつかめるんですね。 そうであるならば、例えばNHKの世論調査だとか毎日新聞のアンケートなんかで、今回のこの基本法については、時代も変わったんだから変えるということについては賛成だけれども、だけれども、反対の人もいますけれども、この国会で拙速に採決すべきではないという方が七割もいるんですよ。これは多分、そのタウンミーティングの十人のうちの四対二というのと意味が違って、七割の人たちが、たった一つのアンケートだけではなくて、いろんな世論調査でその数というのは変わらないで、とにかく拙速にやってはいけないんだと。この臨時国会でやるべきではなくてもっと審議を尽くせと言っている。これが多分七割いるということは、これは私は信じていいんだろうと思うんですけれども、であるならば、ここで決めてしまうのではなくて、もっともっと十分に審議をすべきだというのが国民の皆さんの大半の、七割の方の意見、要するに傾向だというふうに思えば、それはやはり大臣、しっかりこれは受け止めて、それに対応していくというのが筋だというふうに思いますが、いかがでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) 先ほど来、私が申し上げて、先生もそれをお認めいただいたように、やはり民意の集約というのは基本的には選挙なんですね。であるからこそ、ここにいる我々一人一人が国権の最高機関と言われるものの中に議席を占めておるわけです。 ただ、この選挙が行われた後からかなり期間が、時間が置かれて民意も変わっているかも分からない、あるいは、その選挙のときには大衆的熱情で投票が入ったけれども、落ち着いて考えてみたらこうだというようなことはいろいろございましょう、それはね。 であるからこそ、間接民主主義の欠点を補う手法として、例えばタウンミーティングもありましょうし、世論調査をどういうふうに見ていくかということもありましょうし、あるいはまた、主要新聞の論説その他において、これは社会の木鐸と言われるマスコミの意見を読んでみることもありましょうし、そういうものをすべて総合して国会議員一人一人が自分の責任において託された民意を決定するというのが国会ということだと思います。
○藤本祐司君 そうであるならば、昨年の郵政民営化の法案のときに、最終的には参議院で否決をされて、国民の意見を直接聞きたいといって解散をされました。そういうことであるならば、今回も、国民の意見を直接聞きたいといって解散するというのも一つのやり方だというふうに思わざるを得ないんで、多分これはもう本当に水掛け論になってしまうんだろうと思いますけれども、ただ、これだけ七割の人たちが拙速でやるべきではないというふうに言っているのは、やはり重く受け止めていただかないといけないかなというふうには思っております。 ちょっと具体的な話を残りの時間で、五、六分でやらしていただきたいと思いますが、タウンミーティングについてです。 ちょっとたくさんあったんですが、一問だけ。岐阜のタウンミーティングです。お手元にお配りをしております。この間、静岡のハイヤーでちょっとぶったまげてしまいましたけれども、今回、岐阜、これは教育改革タウンミーティングの一番最初の、これ、第百回が岐阜でございます。百回記念の岐阜のタウンミーティングでございますが。 この教育基本法の特別委員会で一番最初に蓮舫議員が、この仕様書の、会場における送迎で四万円も掛かると。ちょっとここに載っけてありませんが、エレベーターのボタンを押す係に一万五千円、そしてエレベーターから誘導する係に一万五千円ということを言われて、ちょっと単価で、あっ、五千円か、単価でちょっと驚いたんですけれども、何と単価だけで驚いているのはいけなくて、この岐阜、四万円の方が、四人の登壇者がいる中で八人もいるんですね。四万円がどうのという以前に会場における送迎で八人いるということ。もっと言えば、エレベーターのボタンを押す係の方が二名、エレベーターから控室まで行く方が二名、各出席閣僚の個別担当が、一人に一人ずつ付いていますが、四名。合わせてそれだけで十六人いるんです、十六人。 それで、ちょっとお聞きしますが、当日、岐阜に文部科学省の方、要するに官僚の方が何人同行されていますか。大臣の秘書官は別として、何人ぐらい文部科学省から岐阜の方に行かれているんでしょうか。
○政府参考人(金森越哉君) お答えを申し上げます。 平成十五年十二月に行われました岐阜県での教育改革タウンミーティングにおきましては、文部科学大臣を除きまして文部科学省の職員が十四名出席しております。教育改革の担当である職員が十四名出席しているところでございます。
○藤本祐司君 最初の第一回目だから、心配だから十四名行かれたのかなというふうに善意に解釈をしますが、山形で次の十二名、愛媛でも十四名、和歌山九名、大分八名と少しずつ収束をしているんですが、これ十四名なんですよ。 で、ちょっとその迎えているその場を想像していただくと分かるんですが、八人迎えられて十四名の方が、会場にいられる方もいらっしゃるんでしょうけど、当然ほったらかしというわけにいかないと思いますので、大臣なり登壇者がいらっしゃったらばそこにお迎えに行くわけですよ。これで十六人足す十四名の合わせて三十名の方がこの登壇者をお迎えに行くというのは、ちょっとこれ本当なのかなと、本当に行っている八名も必要だったのかなと。この八名というのは広告代理店側が用意している方ですので、広告代理店側の方と合わせて三十名の方でお迎えをするという。 大臣、こんなことがあったらいかがでしょうね。ずっと三十人いるということになったら、ちょっとどうしていいか、エレベーターは多分乗り切れないだろうなというふうには私は思うんですけれども。これが本当なのかなというところが逆に疑わしさを増しておりまして、これ警備員も二十二名とか、この間のタクシーのことで分かったように、員数はいかようにでも調整ができるということになってくると、本当に使った、本当にそれだけ必要だったというのであれば、その仕様書とずれていたとしても大目に見ましょうという部分があるんですが、こんな大幅にずれていて、しかも必要じゃない人たちがこんなにいるということが、で、タウンミーティングを百七十四回やっているということ、教育の問題で八回やっているということは、大変な無駄遣いというか、金銭感覚が余りにもずれているとしか思えない。あるいは、それを何かにプールしておいたというふうに思われても、疑われてもこれ仕方がないんですよ。 だから、こういうところはきちっと説明をしていただきたいんですが、本当に八名も必要だったんでしょうか。
○政府参考人(山本信一郎君) 当時の施行業者それから担当者に確認をいたしておりますけれども、それによりますと、前日から私ども内閣府の職員も現場へ出張りまして、それから前日、それから当日の午前中リハーサルをやったり、業者と念入りに打合せをいたします。そのときに確認した人数が、今例えば会場における送迎ということでございますと八名ということでございまして、大臣、登壇者用に三名、それから知事、市長、それから随行者対応、その他ということ。 それから、警備員につきましては、これは地元警察ともう少し前になりますけれども打合せをいたします。我々、仕様書レベルでは十人程度の警備員を用意しているんですけれども、昨今の状況もあると思いますが、セキュリティー対策で地元警察からこの岐阜の場合は二十二名という数字を要請されて、それを警備員として配備したということで、ちょっと手厚いという御指摘だと思いますけれども、一応現実にはこういった人間が張り付いていたようでございます。
○藤本祐司君 静岡だと三十二名ですから、それに比べれば十人少ないといえば少ないんですけれども、警備員も。八名、前日から泊まり込んで、会場における送迎の訓練でもしているんですかね、八名で。そんなことはあり得ないんだろうと思います。だから、とにかくその答弁って全く信用できないものになっていますし、業者側からの要請に基づいてって言っていますが、仕様書によると、これ員数の変更は内閣の指示によるというふうに書いてありますので、内閣が指示をしたということは間違いないわけです。内閣府の指示でやったということになるんだろうと思いますが、こんな金銭感覚というのはあり得ないんだろうなというふうに私は思います。 実際に、ちょっとほかにもいろいろなおかしな点はありますが、まあちょっと、今日、私の持ち時間ここでですので終わりにしますけれども、多分、官僚の方々も入省されたときはこんな感覚を持っていなかったんだと思うんですよ。ところが、税金をとにかく湯水のように使えるという環境の中で、多くの方々から教育をされて、学習をして、このように金銭感覚をつくっていってしまう。この官僚に対する教育というのは非常にそういう意味では重要なのかなと思いまして、まず教育基本法云々でどうのこうの言っている前に、官僚の教育をし直すことが先決なんじゃないかというふうに思わざるを得ないと思っておりますが、官房長官、最後に一言いかがでしょうか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 資料の請求に従って我々もこの契約書とその結果を見て、正にタウンミーティングの趣旨に反する無駄な、そしてまた信じられない、私でも信じられないようなことがたくさん起きております。もうこれは、過去のこととはいえ、これまでの税金をどう使ってきたかということでもありますから、これは徹底的に調べて、そしてどこに問題があるのかと。 昨日申し上げましたけれども、他のタウンミーティング以外のことでも同じようなことがないかも、各省にこの調査結果を踏まえて調べて、貴重な税金はやっぱり大切に使っていくということを政府が率先してやらなければいけないということで、この調査結果を早く国会の審議に供するためにまとめを急がしているところでございますので、この際、一切合財見てうみを出し切って、次なる新しいやり方を編み出して、対話の仕組みというのはやっぱり必要だと思いますから、私も障害者福祉タウンミーティングというのを自民党でやったことがあります。五、六回やりましたけれども、これは全くやらせも動員も何もなしでやると、まあ本当ほとんど賛成という人がいない、あの自立支援法で。それを全部聴いて非常に勉強になりました。もちろんエレベーターでだれも私を迎える人はいませんでしたが。 是非そういう自然体でみんなの声を聴けるような、そういうタウンミーティングを新たに編み出していきたいと、こう思っております。
○藤本祐司君 新たにその資金を捻出する方法などを生み出さないようにいただきたいというふうに思っております。 この問題は契約の問題とか入札自体の問題とか、教育基本法の問題以外のところで非常に大きい問題なので、本当はいろいろやりたいんですが、この場では多分ないだろうというふうに思って、決算なりでまたやる機会があれば是非やらしていただきたいというふうに思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。 ありがとうございました。
○水岡俊一君 民主党の水岡俊一でございます。連日の特別委員会の審議、大変お疲れさまでございます。 昨日は四か所で地方公聴会も開かれました。大変短い時間ではありましたけれども、地方の識者の皆さんが大変貴重な意見を述べていただきました。 最初に、大臣、その地方公聴会の報告については後ほど団長からの報告があるというふうにお聞きをしておりますが、大臣のところには地元の新聞であるとかあるいは記録であるとか、そういったことで何か報告を受けていらっしゃるんでしょうか。ちょっとそのことをお伺いします。
○国務大臣(伊吹文明君) 地方公聴会そのものについてでございますか、今先生の御質問は。
○水岡俊一君 はい。
○国務大臣(伊吹文明君) いずれ、これは国会で公聴会をなさっている、参議院で公聴会なさっているわけですから、その報告書を見せていただきたいと思っております。
○水岡俊一君 本来であれば、地方公聴会の後に委員会が開かれる、その冒頭に団長からの報告を受けて、それを基に審議も進めていくというのが本来の姿ではないのかなと私は思うところであります。 そういった意味からすると、非常に特別委員会の審議日程が立て込んでおるというか、厳しい日程になっているということですので、公聴会の意見を是非政府側も、そして委員各自がお互いに共有をできるような、そういう条件をつくった上で審議をしていくべきだと、私はそういうふうに思っております。 そんな中で、若干そのことに時間を使って報告もしたいんでありますが、私は昨日、神戸会場と徳島会場に行ってまいりました。神戸会場のことを報告をしてみたいと思うんですが、四人の公述人が御意見を述べられました。時間の関係ですべてを言うわけにはいきませんが、例えばお一人目は、愛国心とはあくまで人が成長する中で自然に心に芽生える感情であり、一緒に育てていこうという、そういうものではないんだということをおっしゃった。お二人目は、現行法は個人の尊厳に重きを置いているが、政府改正案は国が必要とする人格の形成を重視している、この違いをどう整理するのか。それから三人目は、政府改正案に混じっているように感じる復古的な国家重視の人間観で時代状況を切り開けるとは思わない。それから四人目は、近代国家の教育は国家公認の哲学を持たないということを基本としていると。こういうような意見がその多くの意見の中の一部としてあったわけですね。 私は、神戸会場で私自身も質問をし、その論議の中で、やはり国民の声として地方の公聴会で識者が参考意見として述べられた、そういった意見の中では、先ほどのアンケートの分析とはまたちょっと違う意味ではありますけれども、非常に国民の声として慎重に審議をするべきではないかなと、こういった声が聞かれたというふうに私は感じました。 そのことについて、大臣のお考えがあれば聞かせていただきたいんですが。
○国務大臣(伊吹文明君) 地方で大変御苦労いただきまして、ありがとうございました。その結果は十分私も参考にさせていただきたいと思います。 どういう御意見で、また公聴会の在り方、どの政党の御推薦その他ということもありましょうから、初めから意見が分かっているんじゃ、これ仕方のないことですから、そういうことも踏まえて謙虚にやはり公述された意見は参考にしていくと。そして、最後はやっぱり一人一人の政治家のというか、参議院議員として国民の負託にこたえた御判断をいただくというのが議会制民主主義のやっぱり基本だと思います。 あと、公聴会の意見をどういうふうに我々に示していただくとか、あるいはどういう形でそれを尊重しながらこの委員会を運んでいただくかというのは、これはもう各党間でお話をいただければ結構だと思います。
○水岡俊一君 各党の理事の皆さん、大変御苦労いただいておりまして、報告も間もなく出るんではないかというふうに思いますが、大変短い時間ですので御苦労いただいているんではないかというふうに思っております。 これは委員長、そしてまた理事の皆さんにもお願いをしたいんでありますが、後ほどまた地方公聴会あるいはそういったものが行われる際には、そういった報告を十分共有できるような形でまた委員会審議を進めていただけるようお願いをしたいと、こういうふうに思っております。 それでは、私の質問をお願いした部分について入ってまいりたいというふうに思います。 まず最初に、インクルーシブ教育についてお伺いをしたいというふうに思っております。 さきの通常国会で、文教科学委員会において特別支援教育にかかわる法律改正について審議をいたしました。そのときに当時の小坂文科大臣から答弁がありまして、今後の障害児教育が目指すものはインクルーシブ教育であると、こういうようなお話を明確にいただきました。 その点、伊吹文部科学大臣としても同じお考えかどうか、お伺いをしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) やはりインクルーシブな制度というのは、これは障害者教育のやっぱり理想だろうと思いますね。その点においては私は小坂大臣と何ら見解は異にいたしておりません。 御承知のように、国連で今審議をされて、そしてその条約案というのも私は見せていただきましたけれども、すべての教育段階において障害のある子供の教育をインクルーシブな制度の下で実施することということと、それから個々の障害者が必要とする合理的配慮を講ずること、これはディスクリミネートするという意味ではないようですね。その各々の障害者がインクルーシブに行動できるような配慮をむしろするという積極的な意味のようでございますが、等について盛り込まれており、そして同時にこれらの漸進的な実現を求めると、漸進的な実現を求めると。 ですから、この納税者の理解を得て明日からすぐできれば、これはもちろん理想でございますが、何せ納税者は投票権を持っておられますので、ここら辺りとのバランスを考えてやっていくと。だから、理想論を現実論のように言って票を取っちゃうということは相手を喜ばすことですが、票を取った後苦しむというのはみんな本当に共通の体験を持っておりますので、私は合理的な範囲で理想のたいまつを掲げてそこへ向かっていくという気持ちは失わないようにやりたいと思います。
○水岡俊一君 今、国連総会が開かれておって、そこで論議をされている障害者の権利に関する条約、このことについて今大臣は述べていただいたというふうに思うんですが、これは今総会で採択をされると見込まれているわけですが、当然日本はその採択に応じると思うんですが、政府閣僚のお一人として、その件についてはどういうふうに見解をお持ちでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 今年は、日本も国連に加入して御承知のように五十周年という記念すべき年なんですが、条約案が採択をされましたら、まず現行法令との整合性をチェックしませんと国会へのラティフィケーションは当然出せませんので、それと予算の先ほど申し上げた漸進的な実現というのを遅らせるつもりは私は毛頭ありませんけれども、どのようなことを条約の、正に立法提案者というんでしょうか、が考えているかというところは、やはり外務省を通じてかなり確かめながら対応していくと。で、採択をされればそちらの方向に向かって国内法の整備その他を考えていくということになるんだと思います。
○水岡俊一君 条約の中をずっと見てみますと、第二十四条に、あらゆる段階におけるインクルーシブな教育、インクルーシブな生涯学習を確保するということにかかわって書いてございます。 少し詳しく見てみますと、その締約国が教育について障害のある人の権利を認めていくと、この権利を差別なしにかつ機会の平等を基礎として実現するために、締約国は次のことを志向していきなさいと、こういうようなことが書いてあるんですね。その中の一つに非常に象徴的に書いてあるのは、障害のある人が障害を根拠として一般教育制度から排除されないこと、並びに障害のある子供が障害を根拠として無償のかつ義務的な初等教育及び中等教育から排除されないことと、こういうふうに書いてございます。それは今、日本としても努力をしてきたし、これからも努力をしていくと、漸進的に導入をし、それは大臣としても積極的にかかわっていきたいというお答えがありましたが、それは有権者の意向にもよるんだというような一つのエクスキューズがありながら、今の答えはあったわけですね。 私は、ここでこれまでの論議の中でやはり注目をしておかなきゃいけないと思うのは、つまり障害のある方について何らかの手だてをする、これは今の日本においてもやられているわけですね。しかしながら、今ここで私が読み上げた中に、初等教育及び中等教育から排除されないということを明確に書いてある。つまりは、初等教育や中等教育に向かうための何かの援助であるとか訓練であるとか、そういったことに幾ばくかのお金を投じたり、そういう施設を造ったり、そういう機会を提供しているということに今とどまっていやしないかということが私は問題だと思うんですね。その先に、ほかの子供たちと同じように初等教育や中等教育を受けさせる、そういう受ける権利を持っているということをきちっと保障していくんだという考え方が私はここにあって、そこに注目をすべきだと思うんですが、大臣はいかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 今先生がおっしゃっているのは、障害別の学校という現在我が国が取っている形態ではなく、一般校においてという意味ですね、おっしゃっているのは。それは、インクルーシブの理念というのは当然そういうことになるんだと思います。ですから、そちらへ向けてということを私は申し上げたのはそういう意味なんですが、問題は、そこへ行くためには膨大な経費を要するわけですよ。ですから、この経費の負担とのバランスにおいて考えなければならない部分がありますから、国連の条約も漸進的という言葉が入っているわけですね。 ですから、私が申し上げているのは、そういう理想というものの方向へ少しでも向かっていくように担当大臣としては努力をさせていただきたいし、また、先生も国民から選ばれた選良の一人として、そういうことをやるためにはもう少し税負担も皆さんお願いしますよということもみんなでやっぱり働き掛けていくということだろうと思います。
○水岡俊一君 大臣、税負担の問題はいろいろ考え方はあろうと思いますが、今納税をしていただいているその升の中でどういうふうにその予算を振り分けていくかということも大きな問題だと思いますので、新たに税負担だけが方法ではないというふうに私は思っております。 話は戻りまして、そこで政府の案に目を戻してみますと、第四条に教育の機会均等が書いてございまして、第二項に、障害のある者がその障害に応じ十分な教育を受けられるようと書いてある。障害の状態に応じという規定がそこにあるわけでありますが、障害の種類とかそれから障害の程度を、そのことを意味をしているというふうに理解をされるところですね。 ここで、障害者に関する教育を取り立てて規定をしているところにおいて障害の状態に応じというふうに書いたのは、非常に危惧をするのは、分離であるとか別学ということをこの条文で固定化をしないかということがあるわけですね。この点については、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 午前中の蓮舫先生の御質問も、そういう立法意図を持っている者がどういう考えでこれを国会へお示ししたかということを確認していただくためには非常に良かったと私が申し上げているのと同じように、先生の今の御質問もそういう御趣旨だと思うんですね。この障害の状態に応じというのが、聾は聾、盲は盲という分離をするという意味ではないのかということを危惧しておられる。しかし、立法作成者の意図としては、障害のある児童一人一人のニーズに応じてという意味でこの法案をお出ししているということを今先生に確認していただいたということなんだと思うんです。 だから、これが将来、もしこの法律をお認めいただいたときには、立法意図はこうだったじゃないかということを一般の方がおっしゃられることを先生は今きちっと議事録に残しておられるということだと思います。
○水岡俊一君 大臣のお言葉の中にインクルーシブ教育を決して忘れないということは、法律の提案者としてそのことは十分に胸の中に入っているんだと、こういうお話ですね。 そこで、今、日本では医学モデルという言葉と社会モデルという言葉がございます。つまり、障害というものをこれから治療していくものだというふうに考える医学モデルと、それから障害というのは社会環境、いろんな意味の社会環境がつくり出していったもので、それを社会生活全分野で障害者が完全参加ができるように、社会全体が共同に責任を負ってそのことに当たるべきであるという社会モデル、こういう考え方。 この日本においては、どうしてもこれ医学モデルに偏ってしまっているということが危惧をされるし、この教育基本法の政府案の中にはそういった懸念というのはないんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私もボランティアとして京都の障害者団体の連合会の会長をずっと十数年やっておりますので、先生がおっしゃった医学モデルと社会モデルという感覚はよく分かります。 教育基本法の中でそういうものを、先生が御心配になっておられるような医学モデルということを前提にしているんならば、先ほど御質問になったところに私があのような答弁をするわけがないわけですよ。ここはもう御理解いただいていると思います。 一方で、障害というのも身体障害、知的発達障害、それから精神障害その他いろいろございますから、これはもう御案内のように、やはり治療という部分で完全に社会復帰ができると考えられる部分の障害もあるんですね。 ですから、完全参加と平等ということを我々も大会へ行ったりすると会長としてよく申しますけれども、それを実現していくためにはいろんな人の御理解、そして医学的な配慮も必要な部分もある、それは当然のことだと思いますし、教育基本法で、何というんですか、医学的配慮で作られているということはございません。
○水岡俊一君 医学モデルとしての考え方だけでは今のインクルーシブ教育というのは克服できないというか、それを実現することは難しいという観点から、この社会モデルというものを社会全般がとらえて障害者とともに歩んでいくということが必要だろうと思うし、そういった意味からすると、私はこういった教育基本法の中に学ぶ権利という考え方をやっぱり据えるべきだなというふうに思うところです。 そういった意味では、我が民主党の日本国教育基本法の中では第三条あるいは第十三条でこういったことについて書いてございますので、また御参考にしていただきたいと、こういうふうに思うところです。 そこで、高市大臣にお伺いをしたいんですが、内閣府にかかわる担当大臣をされておりますし、こういったインクルーシブ教育ということについて大臣が今お持ちの所見であるとかこれからの考え方として何かあれば是非お伺いをしたいんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(高市早苗君) 私は障害者政策全般を総合調整させていただいたりする担当であるんですね。今、日本全体の、教育にかかわらず、障害者政策というのは、障害者基本計画、この十年計画に基づいて行われております。その中で、私は、とても大事な理念、すべてこれからの障害者施策に教育も含めて共通すべき理念というのは、正にこの基本計画の中に基本的な方針として、私たちが目指すべき社会というのは、もう障害の有無にかかわらず、国民だれもが相互に人格と個性を尊重し支え合う共生社会であると。それから、障害者の方も自己選択と自己決定の下に社会のあらゆる活動に参加できる。それから、社会の一員としてその責任も分担していくと。それから、政府の役割でもあるんですけれども、障害者の活動を制限したり社会への参加を制約している諸要因を除去する。それから、障害者が自らの能力を最大限発揮して自己実現できるように支援すると。こういう周囲の人たちや社会の責務と、そして障害者が自分で選択をしながら能動的にまた頑張っていかれるというような理念が盛り込まれていると思います。 ですから、さっき伊吹大臣と御議論なさっていましたが、私はリハビリテーションの理念とそれからノーマライゼーションの理念と両方がやはり必要なんだろうと思っております。 また、私はITの担当大臣でもございますので、例えば働く方でしたらテレワークですとか、また、場合によってはおうちで学べるようなインターネット環境、それも十分セキュリティーに配慮した形で整えていきたいなと思っております。
○水岡俊一君 インクルーシブ教育ということで今注目をしておるわけですけれども、これは教育の分野だけじゃなくて、社会として障害のある方々をそれを理由として差別することのないように、政府のあらゆる機関でそういったことに取り組んでいただきたいと、そういうことをお願いをしたいというふうに思います。 話を少し変えます。 伊吹大臣にお伺いをしたいんですが、伊吹大臣、安倍総理のお書きになった美しい国という本を大臣はお読みになられたでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 安倍当時の自民党総裁候補から送ってこられまして、深くは読んでおりませんが、一応ページには目を通しました。
○水岡俊一君 そうですか。私も読んでみました。そこで安倍総理が書いておられるのは、教育の分野でイギリスのサッチャー首相の教育改革を絶賛をしておられると。そして、その同様な改革を日本で行いたいというような意欲がそこに示されていたんではないかというふうに思いますが、その点については伊吹大臣としてはどのような見解をお持ちでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私も英国に四年ほどおりましたが、サッチャーが出てくるかなり前で、英国の状態はもう率直に言って最悪の状態でして、毎日毎日為替市場でポンドが売りを浴びせられて、公務員は次々とストをして、ロンドンのメーンの通りにはごみが山積みになっているというようなときでした。だから、サッチャーがいずれ、私が日本へ帰ってからですが、出てくる素地はやはりあったんじゃないかと思います。 先ほど来、もうお答えしたんですが、市場経済化によって英国経済に活を与えると、自由競争原理のやはり原理主義的適用をするということをやった場合には、必ずそれの副作用というものがあるんですね。これしかない制度なんだけど、自由競争社会原理というのは副作用があります。 その副作用を埋めるためにサッチャーが語った言葉があるんですね。私は経済を活性化することによって、どん底になっている英国人に自信を取り戻させたいと、しかし、私の最後の改革の目的は、かつてあのビクトリア時代に英国人が持っていた公に対する貢献とか自己犠牲の精神とか、これを取り戻すことであるということをサッチャーが言っているんですよ。その限りにおいては非常にいいことですよね。最後に、彼女は原理主義的なことをやり過ぎちゃって国民の批判を受けて政権を失ったということはございます。 だから、今、日本がこれから進めようとしている教育改革は、安倍総理というか、当時の自民党総裁候補が書いた書物の先生は印象が強過ぎるのかも分かりませんが、いろいろな方のやっぱり意見を広く聴いて、特に教育というものは、百人いれば百人とも教育を語れる、逆に言うと決め手がないものであるだけに、英国のサッチャーの教育改革も参考に当然するでしょうけれども、中教審、あるいは小渕内閣のとき、中曽根内閣のとき、やっておられたようなこともやっぱり日本としては参考にすると。それから、参考にするという意味は、そのまま受け入れるというんじゃなくて、失敗もまた参考にするということですよ。その両々相まっていい日本のものをつくっていくと。 だから、こうしてお話ししていることも参考にして、これからやっぱりやっていかなければならないんじゃないでしょうか。
○水岡俊一君 イギリスのサッチャーによる改革の中で、教育改革というところに視点を置きますと、それはいろんな学者がいろんな意見を述べているとは思いますが、私は、やはり競争原理主義がその中心にあって、その主義を通してイギリスの教育を改革していこうという取組がなされたんだろうというふうに思うんですね。 その結果として、現実として現れている事象として、私は、所得格差、貧富の格差によって学校間格差が拡大をしていったんではないか、このことが一つ。それから、ナショナルテストの重圧、つまり点数ですね、点数が絶対であるという点数至上主義によって学校の授業がゆがんできたんではないか。それから、深刻な人材不足、深刻な校長不足ですね、教員の意欲が減退をしてしまった、そして早期退職希望者がとてつもなく増えてしまった、こういうような結果としての面があるんだというふうに思うんです。 実際には、二〇〇六年五月、今年の五月には、全英校長会という組織が今年の年次総会で、イングランドにおけるテスト結果を公表するのはやめようとか、そういう決議を出した。あるいは、ウェールズでは、ナショナルテストそのものをもう来年には全廃するんだと、こういうような動きがあるんですね。 今、日本が、そのサッチャーの教育改革を進めようとする中において、こういったイギリスの失敗、そしてイギリスが今労働党政権の中でこういった今取組を、あるいは、それは政権だけじゃなくて、教育現場のあらゆる人たちがそういった改善の取組をやっているということについて、大臣は、このまま日本において導入をすれば非常に危険ではないか、その点についてお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、先ほど来申し上げているように、先生は安倍首相が首相に就任する前というか自民党総裁に当選する前の御本をお読みになって、その印象が非常に強いから、そのとおり今教育改革を進めるという前提でお話しになっておりますが、それであればなぜ教育再生会議を開いて、しかもその人選をしたときに、多くのマスコミは安倍さんの意図とは全く違う人がたくさん入っているとか、そういうことを言っているわけでしょう。中教審もありますよ、国会もこうやって議論しております。だから、サッチャー改革をなぞるような改革をするということは政府としては考えていないんじゃないでしょうか。 ただ、その中でいいものがあれば、もちろん国民のために喜んで取り入れるということだと思います。 是非、先生に御理解していただきたいことは、市場原理、競争原理ということが今、結果、教育が悪くなったということをおっしゃいましたけれども、資金の効率的利用ということについては否定はされないと思いますね。それはなぜかというと、学校現場で使われているお金というのは、国が支出をしていようと地方自治体が支出していようと、有権者の血税であるということには変わりはないわけですよ。このお金が本来効率的に使われて、多くの有権者がこれで満足しているなという状態であれば、教育改革の話は起こってこないんですよ、本来ね。時代の趨勢に応じたように教育のカリキュラムを変えていこうとか、そういうことは別途あると思いますが。 ですから、サッチャー改革がなぜ出てきたかというその背景、これは私が四年間英国に行って実感しております。この公職にある者の効率化原則というものが全く地に落ちていたというのが当時の英国なんですよ。 先ほどタウンミーティングのお話もいろいろありましたけど、あんなことは普通の民間会社や政治家の事務所じゃ起こり得ませんよ、限られたお金でやっているんだから。ですから、教育の現場も、国民の税金を扱っているんだというやっぱり基本的な意識をもう一度しっかり持って、みんながこの教育現場を良くしていくという気持ちを持ってやっていくというのが教育再生、教育改革の一番の私はポイントだと思います。 ですから、サッチャーは、資金を効率的に使われてないという現状を考えたときに、資金を最も効率的に使うシステムとして、ある意味では市場化というメスを使ったんだと思います。 しかし、市場化には市場化の欠点があるということも私はよく理解しております。だから、そんなに御心配いただかなくても、国会の御意見も聴きながら、極端に流れないように私はやりたいと思っております。
○水岡俊一君 血税をいかに効率的に活用していくかという点については非常に重大なことでありますし、そのことがサッチャー政権の中でうまく効果を発揮したという部分が、それはあるというふうに思います。 まあ百歩譲って、それが教育の世界でもあったんだというふうに理解をいたしますが、しかし、例えばそういった競争原理の教育界において、例えば学校間格差が起こったという話を先ほどもしましたが、学校選択制という問題を取り入れたことによって、レベルの高い学校ができたり、あるいはそうでない学校ができて、レベルの高い学校に対して多くの知的レベルの高い家族あるいは子供がそこに殺到をしていく。しかし、定員枠がある。どんどんどんどんそういったことを繰り返す中でレベルが上がり、そこに入ってくることが難しくなってくる。そういったことが起きている中で、その学校の土地が高くなってしまって、つまりお金を持っている人しかその学校のそばには移っていけないというようなことがイギリスでは起こった。そういうことも出てくるわけですよね。 ですから、そういった競争原理を、十分にその怖さを認識をしながら日本の教育改革に取り入れていかなきゃいけないということについてはもう十分御認識をいただきたいし、そのことはもうお分かりのことだろうとは思いますが。 そこで、大臣は、先ほど教育再生会議のお話をされました。私は教育再生会議の中のメンバーすべてを存じているわけではありませんが、やはり市場経済主義を最も強く主張されるような方々が割に多いんではないかというふうに私は感じております。そういった中で、市場原理主義を、今の文科省がやろうとしている、伊吹文部科学大臣がやろうとされている教育改革の上に、更に教育再生会議からそのような視点から大きな力が掛かってくるという危険性はないんだろうかというふうに思うんですね。これは、一つは不当な介入かもしれません。大臣は、地方公共団体において、教育長あるいは教育委員長を中心とした教育委員会が、首長、知事や市長からのそういった圧力を受けるかもしれないというふうにおっしゃった。私は、日本の教育全体を眺めてみる中で、文部科学省というところが懸命に日本の教育改革をいかにするべきかということを考えておられる中で、一方、教育再生会議があって、その再生会議の中で今私が言うような懸念も抱かれる。そういった情勢の中で、私は非常に心配をするんでありますが、伊吹大臣としてはいかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) まず先生、言葉をまず整理をしておきたいと思いますね。 教育に市場原理という言葉を盛んに使われますが、私は効率化原理という言葉を使いたいと思いますね。市場原理というと、いかにも金もうけ主義のような印象を与えます。それが、その言葉を使うことによって、教育現場の非効率あるいは国民の負託にこたえていない国民の血税の使い方というものが容認をされるということはあってはいけない。それは、世論調査がすべてではないということをさっきも私はお答えしましたけれども、世論調査の多くは、やはり学校現場における不満が非常に高いですよ、率直に言って。これは反省を、私を含めて教育関係にある者みんなが反省をしなけりゃならない。この資金を、つまり国民の血税を効率的に使うための一つのメソッドとして競争原理、市場原理とあえて私申しません、競争原理を否定するということは私はいたしません。 ただ、競争原理にいろいろな欠点があるということは存じております。先生がおっしゃったような状況が生ずるおそれもあります。しかし、逆に、教育行政を預かっている者の資金の配分として、むしろ下位に落ちた学校を上の学校へ引き上げていくというような政策を取る、差別化の中で取っていくというやり方もあるんですよ。しかし、すべてが平等にやっていこうというイズムでもって人間社会が発展をしたということは歴史上ございません、残念ながら。ソビエト・ロシアも崩壊しましたし、東欧の諸国もみんなつぶれてきておりますから、中国も今市場化によってあれだけの経済発展を遂げているわけですから、そのことを否定するということは私はいたしません。ただ、欠点があるということは十分わきまえて運用したいと思います。 それから、教育再生会議は、これは法律的な位置付けは閣議決定によってできた安倍総理大臣へのまあアドバイザリーボードなんですよ、これはね。ですから、ここへの提言は安倍首相になされるわけです。首相は当然賢明な方ですから、行政権は内閣が持っているわけですから、私も内閣の一員ですから、教育の分野を私だけで担当しているわけじゃありません。職業教育もあれば産業教育もあります。 で、各々の大臣に当然総理は御相談があるでしょう。現実的にできるものと進んで取り入れなければならないものと、いろいろそこに話合いがされるわけですよ。だから、教育再生会議は、今の法律、今の閣議決定を超える提案を当然していただいて結構なんです。しかし、やれるかやれないかは首相と私どもが最終的に判断をして国会の判断を仰ぐということは、これはもう日本国憲法上当然のことなんですよ。そういう前提で私は受け止めております。
○水岡俊一君 競争原理を導入せざるを得ないという考え方については、大臣がそうお考えになっているということはよく分かりました。 しかし、あくまでもこれは子供の立場に立って考えますと、子供一人一人の教育を受ける権利というのは等しいわけでありますから、教育の施策として、政府の施策としてその受ける権利をその差を付けると、差別化をするというようなことに結果的にも意思的にもやっぱりやっちゃいけないということで、私は教育行政に非常に重要な視点、是非大臣にも引き続きお持ちをいただきたいと、こういうふうに思うところであります。 そういったことを教育基本法の政府案の中に、やはり今後の大きな方針ですから、そういったことをきちっと述べていただける、そういうような理解ができるような政府案にもう少し練り直していく必要があるんではないかというふうに思うところであります。 そこで、官房長官にお伺いをしたいんでありますが、イギリスは今サッチャー政権の後、ブレア政権が続いてきました。それで、ブレア政権でやはり非常に大きな深刻な問題としてとらえているのは、青年の失業状態だろうというふうに思うんですね。それから、福祉の重点として青年が社会参加をどのようにしていくのかというような問題。それの一つの大きな手段として、青年がどうやって教育を受けていくのか、若者の教育を受ける権利をどうやって保障していくのか、こういうことが非常に中心課題になってきているわけです。 そんな中で、ブレアの労働党政権下、二〇〇六年ですから、今年からイギリスは義務教育における費用は全額国庫負担という、そういう制度に移行しました、今のイギリスの経過の中で。そういったことを、今、日本としてそのことをどういうふうにとらえているのかなと私は疑問に思うところなんですね。この間、私が当選をさせていただいてからこの間でさえも、義務教育費国庫負担制度が二分の一から三分の一へ減っていくというような、その動きとは逆な動きでありますから、こういったことについて政府としてどういうふうにお考えをいただいているのか、是非官房長官にお伺いをしたいと思うんですけど、いかがでしょうか。
○国務大臣(塩崎恭久君) これはすぐれて教育論のジャンルの議論ではないかなと思います。したがって、本来伊吹大臣のお答えすべきことかなと思いますが、やはり日本では三位一体の改革の中で、この義務教育の国庫負担金につきましては二分の一から三分の一にしたばかりでございます。今回、教育基本法の議論で民主党の案と政府案との違いの中で、責任をどっちが持つんだと、こういう話が大分出ております。ブレアの方は二〇〇六年度から義務教育に掛かる経費、人件費、運営費などだそうでありますが、使途を教育に限定した負担金、今先生がおっしゃったようなものを教育・技能省が全額国庫負担、言ってみれば一般財源化されていたものが今度逆に使途を指定した交付金になったということで、やや日本と逆の方向へ行っているわけであります。 結局、ここは正に先ほども冒頭申し上げたように教育論であって、どこが責任持つんだと、どういう責任の持ち方をするんだ、それが本来の教育の目的を達成するのにどうしてそれがいいのかということをそれぞれ考えているんだろうと思います。日本の場合には地方分権ということで、今回、教育委員会の問題もそうでありますけれども、どちらかというとこれまでは地方にという、責任の重心が地方の方に行っているわけであります、日本は。イギリスの場合には、ブレアは今度逆をやっているということで。さあ、これはどっちがうまくいくのか、正にそこは大いに議論をしなければいけないことでありますけれども。今回、教育基本法では、やはり国と地方が分担し合うということで責任を考えているわけでありますが、イギリスは少し逆だなということで、どっちがより良い教育ができるのかというのは、正にこういった議論の中で我々決めていかなきゃいけないことじゃないかなと思います。 いろいろ、いじめの問題等々、あるいは未履修の問題が出てきて、教育委員会の在り方、あるいは学校そのものへの、まあ何といいましょうか、有効なる教育をやるための責任の所在はどうあるべきなのか考えさせられるブレアの動きでありますが、取りあえず日本は日本で今もう既に動き出している流れがありますので、その中で日本はいい教育をどうやって、あと知恵を出していくのかということかなというふうに思います。
○水岡俊一君 教育のお金を国が負担をするという考え方は、これは要するに、言い換えてみれば教育条件整備を国がやっていくんだ、そのことにほかならないというふうに思うんですね。その面において、文科大臣、そして文部省としてもそれをできることならば拡大をしていきたいという考えはまず間違いないだろうと思います。 ただ、その中に、効率的にやっていかなきゃいけないということは十分お考えだという話は、もう重々お伺いをしているところでありますが、全体として減っていくということになれば、これは国としての教育条件整備をやっていく大きな障害になってくるわけですね。 そういった意味で私は官房長官にお伺いをしたわけでありまして、今後の日本の進むべき方向として、国がやはり何かの基準を持ちながら教育にお金を掛けていく、教育の条件整備をしていくんだという考え方を是非ともこれまた政府案の中に盛り込んでいただきたいというふうに私は思うところであります。 民主党案はその点について明確な指標も持っているわけでありますが、今日はまたそれを御紹介をする時間がありませんので、また次回に回したいというふうに思います。 最後のお時間を使いまして、次の問題に参りたいというふうに思います。 次は、愛国心の問題を若干質疑をしたいというふうに思っております。 愛国心という言葉、あるいはナショナリズムという言葉がよく近年叫ばれる中でありますが、伊吹大臣にお伺いをしたいんでありますが、世界のナショナリズムの研究をしていきますと、伝統文化であるとか、あるいは共通な言語を基盤としたそういったナショナリズム、これを、よく通例言われるのは東のナショナリズムというふうに言いますし、また自由とか平等、民主主義を尊重する合理的なナショナリズムのことを西のナショナリズムと、こういうふうに呼ぶように私も聞きました。 こういったことについて文科大臣としてどういうふうにお感じになっているのか、是非お聞きをしたいんでありますが、この間の議論の中で、愛国心という、そういう言葉を法律の中に持っている国は一体どれくらいあるかという話が各委員と大臣との間で交わされたわけでありますが、これが意外に少なかったということでありますし、また少ない中でも韓国は近年それを取り外したという、そういった事例もあります。 そういった状況の中で、東のナショナリズム、西のナショナリズムというような観点から、大臣の見解があればお聞きをしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 言葉にこだわるようですが、愛国心ということはですね、これはナショナリズムの訳ではないと思いますよ。ナショナリズムはもう少し別の意味に使われて、愛国者というのはパトリオットという言葉ですよね。ですから、東のナショナリズム、西のナショナリズムという言葉は私はよく存じませんが、我々の提案している政府案には愛国心という言葉はそのままの用語としてはございません。 そして、何というんでしょうか、先ほど先生がおっしゃった、世界の中で基本法に愛国心という言葉を規定している国は極めて少ないというよりも、教育の基本法を持っている国がかなり少ないということだと思うんですね。その中で、愛国心を書いているのは中国とかロシアとか、従来の共産主義国家、社会主義国家が割に多いですから、東と西という分け方では先生がおっしゃっているようなことが当たるのかなと思って聞いておりました。
○水岡俊一君 時間があればその点についてもう少しお話もしたいんでありますが、最後に、愛国心そして国を愛する態度を評価できるのかできないのかという問題については、もうこれまで議論もされてきました。大臣としては、そういったものは評価できないんだというふうなお考えを述べられました。 実は、学校には通知表というのがございます。通知表というのは学校が独自に作るものであるというふうに考えておりますが、学校には保管する資料として指導要録というものがございます。指導要録は何に基づいて作られているかというと、これは学習指導要領、そして学習指導要領を基にした文科省の告示によってこういうふうに作りなさいよという指導がなされているわけですね。 そういった中で、例えば小学校の学年別評価の観点の趣旨の中に、社会科として六年生には、国を愛する心情を持つとともにという評価の観点がございます。こういったことが残っていけば、大臣がおっしゃったこととは少し違った状態が学校の中に残っていくのではないか。このことをたくさんの方が指摘をされていると思うんですが、事ここということにこだわって申し上げたことがないので、最後に大臣にこのことについて何かお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 愛国心という言葉はこの御提案している基本法の中にはございませんが、私はこれは非常に評価が難しいと言ったのは、多分先生がそういう御質問をされるんじゃないかと私は思っておったんですが、先生の感じておられる愛国心と私の感じている愛国心とはおのずから差があって当然なんですよ。ですから、評価する者の愛国心の基準で各々の人の心の中を評価するということは適当じゃないと。ですから、この国に生まれて良かったと、そして父や母の中ではぐくまれて良かったと、祖先の私はおかげで今ここに存在していると、私の愛国心というのは多分そういうものだろうと思うんですね。 ですから、各々の学校で自分が生まれてきた歴史だとかあるいは史実だとか、こういうことをどの程度マスターをして、そしてそれを、積極的にそういうことを勉強していくことによって自分の心の中が形成されていくという態度を評価することは私構わないと思いますよ、その学習態度をですね。しかし、それがどういう心を形成するかということを評価してしまったら、これはどうしようもないことになるんじゃないんですか。 だから、今の学習指導要録等についても、なぜそれじゃ君が代・日の丸のときに文部科学省を訴えられなかったんですか、東京の関係者は。やっぱり東京の教育委員会を訴えておられるわけですよ。ですから、個々の教育委員会が学習指導要領に基づいてどういう更に細かな指導をしているのか、校長にゆだねられている通知表だとか何かを校長がどういう形で作っているのか。西岡先輩の持論であれば、それは一刀両断に文科大臣が辞めさせられますよ。しかし、現行法律の下ではそれはなかなか私にそれだけの権限がないということですよね。
○水岡俊一君 最後に……
○委員長(中曽根弘文君) 水岡君、時間になりました。
○水岡俊一君 はい。 この問題は、やはりまだ引き続いて論議をしなきゃいけないように私は感じました。また次回の質問のときにお願いをいたします。 終わります。
○山下栄一君 今日、私は大きく二つのテーマで質問させていただきたいと思っております。 最初に、教育行政の在り方、二つ目は不登校の問題への対応、この大きく二点に分けて質問させていただきたいと思っております。 現行の第十条は、要旨ですけれども、教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して責任を負って行わなきゃならないと、こういう趣旨のことを書いてございます。この不当な支配に服することなくというのは、中教審の答申でもこの文言は引き続き規定すべきだというふうに、三年前の中教審の最終答申でもされておったわけでございます。 そのことについてなんですけれども、教育というのは学校教育に限りませんし、この第十条も学校教育に限った規定ではないと。家庭で行われる教育、地域で行われる教育、企業において、企業はちょっと違うかも分からない、企業も含めてと思いますけど、学校、学校といっても幼稚園から大学までと、学校教育法の対象はそういうことだと思いますし、人を育てるということについての基本原則として、特に公権力との関係、教育行政の在り方、これが第十条の基本的な構えだというふうに思うわけです。 それで、まず、主に学校教育を想定しながら、特に私は小中学校ですね、義務教育ということを想定しながらこの第十条を考えてみたいと思うんですけれども、公立の学校でも、教育というのは児童生徒、教師、学校、教室だけじゃございませんけれども、そのやり取りの中で、授業もそうですし、人格的な触れ合いの中で人格そのものを鍛えていくと、これが教育の営みだというふうに思います。家、家庭でもそうだというふうに、両親と子供の関係、そういうことだというふうに思うわけですけれども。 基本的に、教育行政とのかかわりなんですけど、そういう人と人とのかかわりの中で人格を磨き、人を育てていくという、そういう営みは自主的に行わなきゃならないと、教育の自主性という言葉もよく国会答弁でも使われます。教育の政治的中立という言葉も、例えば教育委員会なんかを説明するときによく使われるわけですけど、私はこの教育の自主性ということを基本に据えた教育行政ということの、私はこれは原点だと思うんですけど、そういうことを踏まえた教育行政であるべきだと、これは前に申し上げましたように、小中学校においても基本はそうだということでなけりゃならないと。 戦前は官僚主導で、教師じゃない人たちが仕切ってたと、中央集権で。そういうことだと思う。その大きな反省からこういう教育の自主性を大事にした、そういうやっぱり教育であるべきだということじゃなかったのかなというふうには思いましてね。 ところが、教育の自主性という言葉は法律で余り出てこないんですね、出てこないと。今回の改正案で比較的あちこちに出てきておりまして、それはまず家庭教育ですね。家庭教育は教育の自主性を尊重しつつと書いて、これは第十条でしたか、今度の改正案ですけれどもね。それから、大学ですね、まあ高等教育が中心だと思いますけれども、大学の方も、大学については自主性、自律性というのも出てきますけれども、第七条です。それは尊重されなきゃならないと、こう書いてございます。次、私立学校ですね、これは第八条。私立学校も、その自主性を尊重しつつと書いてあるわけです。家庭教育、大学、私立学校は書いてあるけれども、学校教育のところには書いていないと。いろいろ条文を考えまして、この教育の自主性ということを明記すべきだったのかなと、一般論としてですね、そういうようなことを無性に感じるんですけど。 今、文科省が教育行政を行うに当たって、この教育の自主性ということをどのような重みを持って御判断をされ、教育を執行されているかということを確認させていただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 教育の自主性というのはやはり当然、特に先生は義務教育について念頭に置いてということをおっしゃられたわけですが、教師と児童との間でやはり個性に応じて行われるという、この教育の本質的な教える者と教えを受ける者との間の関係を考えれば、教師にある程度の裁量の幅があるというのはこれは当然のことなんですね。だから、そういう意味では、教育の本質的な要請に照らして一定の範囲内で自主性というものは私は認められないといけないと思います。 先生が先ほどおっしゃった家庭教育とか大学とか、あるいは私立というところに自主性があるけれども、公教育というか、義務教育のところにそれは自主性という言葉が見当たらないのは、正にそれは当然のことなんですよ。 それはなぜかというと、義務教育というのは国、地方を通じて全額国民負担で行われているわけですね。そして、全国共通の規範意識とやはり学力を保障するために行われているわけですから、当然その自主性という言葉の意味合いは、どちらかというと、私立とか家庭教育とかあるいは大学教育に比べると法律的に制約されてくると。 ですから、今先生がおっしゃったことについての最高裁の例の旭川の五十一年のこの判決を読みますと、教師と子供の間の直接的な人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的な要請に照らし、教育の一定の範囲内において認められるものであると、こういうことを書いておって、不当な支配のところにも関係することであると思いますが、同時に、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここに言う不当な支配とはなり得ないことは明らかであると述べて、ここで自主性を法律に基づいて行われる場合はという形で制限をやはりしているというのが最高裁の判例だと理解しております。
○山下栄一君 私の申し上げる方向性と大臣の方向性、ちょっと違う方向性から話になってしまったことをちょっと不幸なことだなと思っているんですけれども。 本来、教育というのは学校においてもやっぱり、教室で並んで行われる営みというのは、お互いに刺激し合いながら育てるということが基本でなかったら、法律に基づいて教育するというようなことじゃないと思うんですよ。この第十条の話、また改正案で第十六条なんですけれども、教育というのは自主性ということが基本でなくてはならないということを、文書で出てきませんけれどもね、それを踏まえた考え方で教育行政してもらわないと困るなということを感じるもので確認しようとしたんですけれども、ちょっと、何も一切規制するななんて何も言うてませんけれどもね。基本は、その最高裁もそうおっしゃっていると思いますけれども、教育の本質は、そういう人と人、教師と生徒、それが基本だということを明確におっしゃっているので、それを確認したかっただけなんですけれども、質問したいことが、ちょっと余りにも先へ先行し過ぎて、ちょっと展開として私の運びがうまくなかったなというふうには思っておりますけれども。 子供にとっての最大の教育環境は、親であり教師だと。子供にとっての最大の教育環境は、家庭教育であれば親であり、そして学校においては教師なんだということは構えておかないと、もういろんな教師いらっしゃいますが、そのことがやっぱり基本でなかったらならないと。このことはどうでしょうか。子供にとっての最大の教育環境は文部官僚でも文部大臣でもないと思うんですね。一人一人の子供にとっての、一人一人の子供ですよ、最大の教育環境はやはりそこに触れ合う、教育の専門家としての、学校においては教師であり、家の中においてはお父さん、お母さん、地域においてはおじさん、おばさんもあるかも分からない。そういうことが確認されておかないと、やっぱりここをちょっと大事にしたいなと思っているもので、子供にとっての最大の教育環境は両親であり、また教師なんだということについては大臣はどうお考えでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) その点については、私は何ら異議はございません。 しかし同時に、国民負担を使って義務教育を行っている限りは、良き教師であってもらわなければならない努力と、良き教育を施してもらわなければならない基準は、これはやはり法律において定めなければならないということでございますし、御家庭においても両親が最大の教師であり、その触れ合いによって子供が育っていくということも先生がおっしゃっているとおり、何ら私は異議はございません。 しかし、良き両親であるための教育は家庭教育、社会教育等で施さねばならないということでございます。
○山下栄一君 それで、この議論も何回もされましたけれども、今の日本の特に小中学校の教育については、特に公立ですけれども自治事務となっております。 私は、現在の学校教育というのは、いろんな意味で自治事務の部分が余り大きくないなということを感じるんですね。国の関与ということがやっぱり多いなということを感じております。一つは法令によるもの、学校教育法というものがあると、学校の教育は法律では学校教育法、言うてるわけですね。その下に学校教育施行規則というのがあると。見ると、非常に細かい規定になっていると。法律と省令ですね、法令に基づいて学校教育は、特に小中学校の話ですよ、私申し上げているのは、運営されていると。だけれども、じゃ現場の設置者の裁量権というのは、ないことはないと思うんですけれども、だけども、法令によって、法令による管理統制が非常に強くなってしまっているなと。そのことは省令に、施行規則に基づいて今度は告示がありまた通知まであると。これ、全部国の仕事で、そうなっているわけですね、一つは。 もう一つは、指導助言というやり方があると。これは別に指揮命令じゃないと。これは文科省設置法とか地教行法でそういう言葉は出てくると思う。どうも、戦後の教育は指揮監督によって学校教育しませんよと、戦前はそうであったと。戦後は指導助言というソフトなそういうふうなイメージで、特に国の関与は、義務教育への指導助言という形。ところが、指導助言の名の下に何となく拘束される部分が、現場の教育委員会も子供に向くよりも上の方を向いて仕事をされるような意識が強くて、これ地教行法に原因があるのかなとも思いますけれども。 そういうことで、指導助言ということなんだけれども、実質はやっぱり最終判断を文科省に仰ぎながらやっているみたいなことがあって、最終責任は市町村教育委員会なんだと、自治事務であるし。そういうことをこの前、確認させていただきましたけれど、いじめの問題で。現場の学校の管理運営権は一体どこに最終責任あるんだと。これは市町村教育委員だということをお聞きしたんですけれども、実質的には法令に基づく、指導助言に基づく、そして今度は補助金に基づいていろんな補助の執行に当たってのルールがあって、いろんな形で国の関与が、よく考えてみるとあるなと。現場の裁量権は非常に限定されてしまっていると。そんなところにどうして創意工夫が出てくるかと、活力が出てくるかということも、一方では心配なことがたくさんあって、いろんな、文部大臣も直接乗り出されて出ないかぬ場面もあることは不幸なことなんですけど。やっぱり公立がどんどん何となく疲弊してきているのに、活力がなくなっていく原因が、こういう法令に基づくものとか、指導助言とか補助金とかによって現場が非常に窮屈になってしまっている。最終管理運営責任は市町村の教育委員会のはずなのに、そういうふうなイメージ余りないようなことになってしまっているということを物すごく感じるんですね。 この辺がやっぱり、公立の再生を目指すためにもそういう現場の創意工夫、現場の先生方がやっぱりいろんな知恵出して考えるようなことになっていかないと、そういうことで教育の自主性ということを確認させていただいて、これは人を育てることについてはいろんなものが周りにあるとなかなかやりにくくなると。現場の創意工夫、活力を取り戻すには、やっぱり自治事務ということを基本に置いた教育行政というのを考えたときに、今の現行の教育行政の在り方は国の関与が実質的に多くなってしまっていると感想を持つんですけど、大臣はどうでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) ある部分では先生の御意見に私は賛意を表しますが、ある部分では全く逆の印象を持っております。 やはり学校の当事者である校長にどこまで自主性を与えるかというのは、私は大きな課題だと思いますね。それからもう一つは、都道府県教育委員会と市町村教育委員会との関係をもう少しよくしなければならない。それから、国の関与が多過ぎるということがあるんならば関与は少なくても私はいいんじゃないかという印象を持っておりますが、特にいろいろなことを細かく言い過ぎる必要がないんじゃないかと思う部分もございます。しかし同時に、国が持っている最終的な責任は、それを担保する権限は国になければならない。これが今、残念ながらないということですよ。 じゃ、もし先生がおっしゃるとおりの現状であれば、国がお願いしている学習指導要領によって、なぜあれだけの未履修が出てくるんでしょうか。そして、それをとがめる、とがめるというか是正させる権限は国には残念ながら指導したりお願いをしたりすることしか現実には行われていないということを考えますと、私は先生のおっしゃる多くの部分に賛意を表します。しかし、残された国の部分については、それは国が責任を持って、その責任を果たせるような行政権限をやっぱり与えていただかないと困ると。 だから、特に義務教育に限定して言えば、これはやはり国民の税金を使っているんですから、全国一律の規範意識と教育は全国民に同じように与えられなければならないと、私は考えております。先生は違うお考えをどうもお持ちじゃないかという気がしますが、それはお互いに価値観の違いのことですから。
○山下栄一君 民主党案はそうなっているんですけどね、義務教育は最終的には国だと。私はちょっと違う考え方なのでこういうことを一生懸命言っているわけなんですけれども。 私は、最終責任取りようがないと私は思いますので、国はね。三万五千校の学校のことに、現場のことはほとんど分からぬわけですから、現場のことを分からずにこういう指導をすると、それは困ると。本当に活力が出てくるのかと。できるだけ現場が元気出てくるように創意工夫するように、そういうことでないと公立の蘇生はあり得ないと。いろいろ問題があるから更に国の権限を強くするんだというようなことでやると、戦前の国家主義的な教育、そこに大きな問題があったという、もちろん文部行政そのものも改革された部分もあるわけですけど、私は取りようがないと。大学なんかは、それはまあ国が比較的面倒見なあきませんけど、あちらの方が余計自治意識強いわけですからね。この辺は、ちょっと時間、今日ございませんので、余り詰めれません。 それで、お手元に、現行法第十条の変遷という、これは「資料教育基本法五十年史」という、これは力作の書物でございまして、そこのことを参照にしてまとめたものでございます。昭和二十二年三月三十一日法律できたときは、教育は不当な支配に服することなくと、この不当な支配という言葉の変遷を書いてあるわけですね。 最初は、主語は教育行政になっております。昭和二十一年、学問の自由と教育の自主性とを尊重しと。これが昭和二十二年一月十五日には、教育は不当な政治的又は官僚的支配に服することなくと、こう書いてございます。それが昭和二十二年一月三十日になってくると、教育は不当な支配に服することなくと、こうなっていって、枢密院議決で、教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対して責任を負うんだと、こういうふうに変わっていくわけですけど。 私は、この教育行政の在り方ということを、いろんな議論が昭和二十一年から二十二年にあったわけですけど、そういう一つのいろんな、もちろん文部省もGHQも、また教育刷新委員会もいろんな議論をしながらこういう最終版、不当な支配に服することなくとなっていったわけですけど、その過程の中で、学問の自由と教育の自主性を尊重し、また教育は不当な政治的又は官僚的支配に服することなくということがあって、そして不当な支配に服することなくというふうになっていったという、その背景についてはやはりきちっと留意しながらの教育行政ということが必要ではないかということを考えまして、先ほど、教育の自主性と出てきますので、冒頭に、最初の段階で。 今、学問の自由ということは憲法に入り、そしてそれがそのまま第二条、現行の第二条、そして新しい第二条でも、教育の目標の基本前提として、学問の自由を尊重しつつと、しつつのことでいろいろ議論ありましたけど、これはもう大前提なんだということを確認されております。ただ、教育の自主性の方が残ってないと、言葉は。今大臣おっしゃったように、大学とか家庭教育とか私学とかにはあるけれども。基本は教育の自主性ということを尊重する教育行政でなかったら、活力とか創意工夫はどうしても萎縮していくということを、繰り返しになって、もう繰り返しませんけど、そういうことではないのかなということでこの経緯の過程を、そして政治的、官僚的支配に服することなくと、これについては文部大臣は頭にくるぐらいかも分かりませんけれども、官僚的支配でやってきたと、戦前は。全部地方行政はもう中央集権で任命したわけですから。その方々が学校を運営していたわけやからね。学校現場知らない人が、官僚が学校現場を運営していたのは戦前だと。今は教育委員会の方でちょっと距離置いていますけれどもね。 というふうなことの反省からこういうことになっていったと。やはり教育の自主性とか学問の自由をど真ん中に置いた、そういう学校教育なり教育というのでないと人間というのは育たないのではないかという、私は今の公立の現状はそういうことを一生懸命訴えているのではないかと。それを反対に、もうちゃんとしてないから国がどんどん関与していくというようなことになっていくと、これ余計萎縮してしまって、もう学校の先生なんて本当にたたかれて、もう喜びは、子供の中から喜び出てくるわけですからね。親にも文句を言われながら、そして教育委員会も、それも、市も県の教育委員会は当然、まして国からもいろんなことを今やられたら、もう現場は萎縮してしまって、もう給料少々もらっても、学校の先生になろうかなという人は減ってくるんやないかなと、特に公立はですよ。ということを大変危惧しますので、こういうことを申し上げました。 私は、文部行政というのも反省せないかぬと思うんです、今回の未履修もそうですし。未履修においても、分かっていたのに手を打たなかったということがあったわけですから。それはこの委員会でもありました。それはだけど、騒いだら今度は一生懸命調査して修習するのかと。そんな思い付きで恣意的にやるのかと、調査はと。そんな現場のこと分からへんのに、それは書類だけでチェックするしかしゃあないんですよ、それは。その報告が本当に正しいのかどうかなんて疑問持ち始めたら徹底的にやらにゃいかぬわけでね、そんなことやったってしようがないんですよ、三万五千校もどうしてやるんですかということを言いたいと思いますし。 このいじめの問題も調査はやっぱりちゃんと、だけど、官僚の世界で調査なんて、自分に責任があるなと思ったら隠ぺいしたくなってしまいますよ、そんなの。追及されるわけやから、そんなんで。何でうちの子供死んだんですかって言われたら、それはやっぱり隠ぺいしてしまいますよ、それは。いかぬけど、それはね。だから、第三者機関必要ではないですかいうことを今日、今官房長はいらっしゃいませんけど、そういう話をさしていただいたわけで、そういうこと。 タウンミーティングも私はそうやと思うんです。不当な支配とまで言いませんけど、それは適正、この改正案に書いてある、教育行政は公正かつ適正でなけりゃならないと書いてある。タウンミーティングの実態は、教育行政ですからね、それにかかわってタウンミーティングを何とかしよう思ってやらはったんでしょうけど、あんなの公正かつ適正なんてとても言えないような実態になっているわけですからね、誤りもあるわけですよ。 それで、ちょっと済みません、第十六条の、改正案の確認だけするのを忘れていましたんで、この法律及び他の法律の定めるところによりという、これはちょっと、これは局長になると思いますけどね、この法律及び他の法律、他の法令と書かなかったと、他の法律というふうに書いたということに私意義を認めているわけですけど、このことについての文科省のお考えをお聞きしたいと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。 改正案第十六条第一項におきましては、国民全体の意思を代表する国会において制定された法律の定めるところにより行われるべき旨を規定しておるところでございます。したがいまして、これらの政省令の制定に当たりましては、教育基本法やそれぞれの法律の趣旨にのっとりまして、国会等における議論も踏まえて、適正かつ公正に行うことが必要だと考えておるところでございます。
○山下栄一君 法律は国民の意思を代表する国会で定めるものだと。しかし、この政省令とかですね、それは直接我々タッチしませんし、国会は。もちろんそれは基本的に法律に基づいてされるんでしょうけど、だけどそれは不当な支配の対象になり得るんだということを学テ判決も言っているわけで、このことは、先ほどもおっしゃったものをもう一遍確認します。それでよろしいですか。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。 先生御指摘いただいておりますように、最高裁の判決で、法律を運用するに当たっては不当な支配とならないように配慮しなければならないものとされておるところでございまして、これを踏まえて国としても対応していく必要があると考えております。
○山下栄一君 ちょっと不十分やけど。 だから、法令と書かなかった。それは不当な支配の、この令、令のところは、これは行政がやるわけですから、不当な支配になる可能性があるということで法律にとどめたと。もう一遍確認、それでよろしいですか。
○政府参考人(田中壮一郎君) 御指摘のとおりでございまして、国民全体の意思を代表する国会において制定された法律の定めるところによりと規定したところでございます。
○山下栄一君 ちょっとこれ大事なとこなんで、今確認させていただきました。 それで、ちょっともう残りの時間なくなってきましたんで、不登校の話をしたいと思います。 不登校の子供がいろんな国、地方、それぞれの御努力によって増えない状況にはなってきたけれども十三万人いらっしゃると、小中高ですけどね。これは深刻な課題。学校に行きたいと思っていると、行きたいと思っているけれども、様々な心、内面の事情によって、学校へ行こうと思うと体が硬直して行けなくなってしまうと。これはサボっているのではないということを私も現場で経験さしていただいて、スクールカウンセラー提案さしていただきました。これ平成五年のことでございます。そして今、実験的、モデル的な取組から始まって、今はすべての小中学校で教育カウンセラー配置されるようになって、これも一定の効果を上げていると思うんですけど。行きたくても行けないということは深刻な課題だと思いますし、このことで、またそういう状況はどんな子供にも起こり得るんだということを、これはもう文部科学省が確認されております。 そうすると、私は、この就学義務規定なんですけど、これ学校教育法、現行ですよ、現行の学校教育法で就学義務を課しております。教育基本法では課しておりません。学校教育法で初めて就学義務というのが出てくると。学校に行かないかぬと、親は行かさないかぬ、行かさなかったら罰金を取ると、こういう体系になっているわけであります。それは、昭和二十二年当時はそうだったかも分からぬと、それは家事お手伝いとか労働とかで。ところが、もう六十年もたって不登校がこれだけたくさん出てきて、この数は尋常じゃない数やというふうに思います。 そうしたら、この就学義務があるんだという考え方は、それはもう教育基本法改正と同じように学校教育法も、同じ年月日の昭和二十二年三月三十一日に同時にできた法律なわけですから、これはやっぱり見直す時期に来ていると。まあ中教審でも議論あるようですけど、そういうことを念頭に置いた検討、これは私はやるべきではないかと、こういうふうに思うんですけど、いかがでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) 憲法二十六条がございますから、国民の権利として、すべからく保護者は小中学校に就学させる義務が学校教育法において課されていることは先生御指摘のとおりでございます。 しかし同時に、かなり社会状況も変わってまいりまして、今おっしゃったような不登校、自分の気持ちではどうしようもないと、どうしても学校へ行けないという子供がいることも事実です。ですから、こういう子供には、学校外の施設で指導を受けるとか、あるいは自宅においてIT等を利用しての学習を受ける場合は例外的に出席とみなすということがあるのはもう教育現場におられたから御承知のとおりです。 〔委員長退席、理事保坂三蔵君着席〕 ただ、一般論として、不登校ではないけれども、学校への登校義務を外して今のような教育を受けさせるということを一般化するということについては、これはやっぱり教育の在り方、特に子供は大勢の子供と一緒にいることによって自己成長いたしますから、これはなかなか私は難しい課題だと思っております。
○山下栄一君 私は、憲法二十六条の教育を受ける権利、そして改正案の第五条の三項の「国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため」にと、こう書いてございます。国と地方、協力してよと。これも、私、入っていると思うんでありますけれども、教育の機会をちゃんと保障していくという、教育を受ける権利があって、こういう義務教育の規定になっていると思うんですね。 だから、行きたくても行けないという、そういう子供がいらっしゃると。本来の学校ですよ、公立の学校ね、ここに行きなさいと言われた学校。そこには、大臣もおっしゃったように様々な取組はされているんですけれども、僕は腰引けてやっていると思います、私はね。NPOとかフリースクールとかいろんな、もうそういう面倒を見る方々、細々した財政基盤で一生懸命子供にかかわっていることがあるわけです。 したがって、私はやっていないと言いませんよ。やってないとは言わぬけれども、腰引けてやっていると。教育を受ける権利を保障するんだったら、そういう行きたくても行けない子供を何とかして教育を受ける保障をするための仕組みと制度を予算を掛けて、人も手配して、学校じゃないところでですよ、適応指導教室もやっています。やっているけれども細々と、民間の方が熱意込めてやっているというふうに私は思います、NPOの方が。 だから、実際、その適応指導教室等でやっている、どれぐらいの数やっていて、どれぐらいの生徒がお世話になっているのかということをちょっと教えてください。
○政府参考人(銭谷眞美君) いわゆる不登校の子供で適応指導教室で学んでいる子供の数でございますけれども、平成十七年度で一万五千七百九十九人でございます。それから、いわゆる民間の団体あるいは民間の施設等でいろいろ学んでいる子供は二千四百九十五人でございます。それで、適応指導教室で学んでいる子供の約四分の三の子供は、先ほど大臣からお話がございましたように、指導要録上出席扱いをしている人数になってございます。民間の施設の場合は約三割の子供が指導要録上出席扱いになっていると。 各教育委員会では、学校復帰に向けまして、こういう不登校の子供たちに対しましていろいろな指導を今行っているという状況でございます。
○山下栄一君 この取組もまず民間から始まって、それで今適応指導教室ということを、学校現場ではない、ちょっと離れたようなところで面倒を見る体制をつくっておるんですけどね。 私は、先ほど申し上げましたように、まだまだ腰の引けたような状況になっていると。学校に行きたくても行けない子供はもっともっと大事にせないかぬと。それをちゃんと保障するのが二十六条の憲法の精神ではないかと。民間がもうボランティアで一生懸命やることに任せていたい、任せているわけやないけれども、その辺の取組がやっぱりちょっと、憲法の精神を受けたようなその取組をやっているかというと、私はそこまで行っていないということを感じまして申し上げました。 それから、就学義務免除と猶予の制度があるんですけど、これは法律上認められておりますけど、免除とか猶予というような子供は病弱とかであり得るんでしょうが、たとえそういう子供であってもいかにして教育を受ける権利を保障するかというための応援、条件整備、財政支援、これはもう一生懸命やらにゃいかぬと。 猶予とか免除の生徒ってどのぐらいいらっしゃるんですかね、児童生徒。
○政府参考人(銭谷眞美君) 病弱あるいは発育不完全その他やむを得ない事由のために義務教育諸学校に就学困難と認められ、就学義務の猶予又は免除を受けた者でございますけれども、平成十八年、今年の五月一日現在で就学猶予・免除合わせまして二千六百六十五人でございます。 ただ、この内訳を申し上げますと、いわゆる本当に肢体不自由あるいは病弱、虚弱の方もおりますけれども、数として私ども多いと思っておりますのは、いわゆる二重国籍のお子さんの場合でございまして、家庭の事情等から客観的に将来外国の国籍を選択する可能性が強いと認められ、かつ他に教育を受ける機会が確保されていると認められる事由がある場合には、この二重国籍のお子さんについては就学猶予・免除を行うことができるということになっておりますので、そのお子さんが多いというふうに思っております。
○山下栄一君 だから、すべての国民が義務教育を受けろと。就学免除ということは、もう無期限に学校に来なくてよろしいというようなことを認めていることになっているわけですからね。そういうところにも光を当てて、そして教育を受ける権利をいかに保障するかと、それが憲法の精神やと思うんですね。そこまでのきめ細かい気配りを、これが国がやるんだったら私は国の関与はいいと思うぐらいでございまして、自治体がやれへんのやったらね、ということだと思うんです。だから、こういうところにも光を当てたやっぱり教育行政を期待したいと思います。 先ほどフリースクールの話も、あれ局長ね、公的には一万五千人で民間は二千何人とおっしゃったけど、それは本当にその二千六百人かと。それはたまたま出席日数でカウントされる民間の話でしょう、それ。違いますか。思うことありましたら。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど私が申し上げましたいわゆるNPOフリースクール等、民間団体、民間施設で学んでいる子供の数、この二千四百九十五人というのは、全員が指導要録上出席扱いをしているわけではございません。指導要録上出席扱いをされている子供はこのうち七百五十七人でございます。
○山下栄一君 それはそうなんや。だけどな、それは、その施設で、出席日数カウントできるような子供もおればできない子供もおるわけで、それは基本的に報告するようなフリースクールなわけで、報告しないフリースクールも、自主的にボランティアでやっているところもたくさんあるわけですから、私は、不登校の子供たちで学校に行けない子供に差し伸べる仕組みや形というものはできているんですけれども、それはだけど、スタートも民間から始まったことですし、二十六条の精神を受けたそういう取組をしっかりとして、そして、そういう取組をやっているNPOについては、私学助成なんかないわけですからね、財政支援をする仕組みもしっかり考えて、我が党もそれを推進したいと思っていますけれども、そういうことをすることがこの憲法二十六条の精神ではないかと、このようにお訴えして、時間が参りましたので、質問を終わりたいと思います。 済みません。ありがとうございました。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。 現行教育基本法の十条及び政府案の十六条について質問をいたします。 近代公教育制度の下では、義務教育学校の整備一つ取りましても、国家権力が教育に関与することは避けられないと思います。だとすれば、国家権力が教育にどこまで関与できるのか、その当否と限界というものを明らかにする必要があると思います。 その点、現行基本法の十条というのは、戦前の国家権力による教育への強い介入、支配を反省して、その誤りを二度と繰り返さないために作られた条文だと思います。今、与党委員からも同趣旨の質問がありました。これは基本法制定に当たった田中耕太郎元文部大臣もこう述べています。教育は不当な行政的権力的支配に服せしめられるべきではない、それは教育者自身が不覊独立の精神をもって自主的に遂行されるべきものであると立法者意思を明らかにしております。ですから、この十条を改変するということは、国家と教育の関係、そして憲法にかかわることでありますから、私は慎重に慎重を期さなくてはいけないと考えております。 そこで、五月二十六日の衆議院の本会議で前文部大臣はこの十条の改定について、最高裁判決の趣旨を踏まえたものだと、こう答弁をされました。つまり、この最高裁判決とは今日も度々出ております一九七六年のいわゆる旭川学テ判決であり、国家権力と教育との関係について憲法や教育基本法の重要な解釈を示したものだと思います。 政府案はこういう解釈を踏まえたものなんだということをまず確認をしておきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 小坂大臣が答弁をした趣旨はこれは小坂大臣の頭の中にあることですが、私の理解では、現行法は国民全体に対して直接責任を負って行われるべきものであると書いてありますね。我々の改正案は、不当な支配に属することなくこの法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであると書いております。この法律及びその他の法律は、これは国権の最高機関というか、民意の集積場所である国会、つまり国民の意思によって決められているものですから、この法律及び他の法律の定めるところ以外のことをやったら、具体的に言うと内閣あるいは地方自治体その他は当然不当な支配になるわけですよね。 ですから、ただ、国民全体に対して直接責任を負って行われるべきものであるという現行法について、何度もこの法律の趣旨が裁判によって争われているわけですよ。だから、そこを明確にしたいと。国民の意思に従うということは、全国民が参加をして選挙で選ばれた立法府である国会の意思が国民の意思を代表するものであるということを明確にしたということを小坂さんは答弁したんだと思います。
○井上哲士君 中身についてはこれから議論をしたいと思うんですが、それは、しかし、最高裁判決の趣旨を踏まえた、つまり旭川の学テ判決の趣旨にのっとってという、このことを私は今確認をしているんです。
○国務大臣(伊吹文明君) ですから、旭川のその判決は、これは少し法律論になりますから、しっかりと判決をなぞって御答弁しないといけないんで、ちょっと……
○井上哲士君 のっとったものか。その中身はまた議論します、中身は議論をしますから。細かく議論しますから。
○国務大臣(伊吹文明君) ですから、いやいや、しかし、これはここを申し上げないと答弁にならないんですよ。 不当な支配はその主体のいかんを問うところではなく、ですから、国である場合もあるし教育委員会である場合もあるし、あるいは教育に介入するその他の思想団体である場合もあるし、いろんなものがあるよということをまず言っているわけですね。論理的には教育行政機関が行う行政でも不当な支配に当たる場合があり得ると最高裁は判示しております。これは確かにそのとおり。 同時に、憲法に適合する有効な他の法律、つまり国会の議決によって行われる法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここに言う不当な支配となり得ないことは明らかであると。ですから、この判例に従って、民意を表現するのは国会で議決をした法律であるということです。
○井上哲士君 正に旭川判決を読み上げて、これを踏まえたものだということだったと思います。 私は、今結論のお話をされたんですが、ここに至る憲法判断がどのように積み重ねられているのかということを私はまず確認をしたいと思うんです。 お手元に旭川の学テ判決の核心部分をそれぞれ配付をしてありますけれども、まずこの判決は、義務教育の無償などを定めた憲法二十六条の教育を受ける権利について述べております。 お手元の資料でいいますと、二ページ目の右上の辺りでありますけれども、この二十六条の「規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。換言すれば、子どもの教育は、教育を施す者の支配的機能ではなく、何よりもまず、子どもの学習をする権利に対応し、その充足をはかりうる立場にある者の責務に属するものとしてとらえられているのである。」と、こういう二十六条の解釈をしております。 つまり、二十六条は、子供の学習をする権利に対応したものだと、こういう考えも当然踏まえられているということで確認してよろしいでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 今先生がおっしゃったのは、判決文そのものをお読みになっていると理解をいたします。 そうすると、判決文の中に、同時に次のような判決の文言があるんですよ。それは、教育基本法第十条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することはそれなりの合理性を有するけれども、このことから教育内容に関する行政の権力的介入が一切排除されることとの結論を導き出すことは早計であり、この後ですね、憲法上、国は適切な教育政策を樹立、実施する権能を有し、国会は、国の立法機関として、教育の内容及び方法について、法律により直接又は行政機関に授権して必要かつ合理的な抑制をする権利を有するとありますから、ちょっと先生のおっしゃっていることは間違いではありませんが、こういう制約を受けているということは判決文に明示をしております。
○井上哲士君 いや、私が質問しているのはそのことではないんですね。その話は後でやりますので。 要するに、今、先ほど最高裁判決を読みましたけれども、その二十六条の教育を受ける権利というのは、その教育を施す側の支配的機能ではなくて、子供の学習を受ける権利に対応しているんだということをこの学テ判決は言っている。正にこの考え方は、子どもの権利条約とかユネスコの学習権宣言など国際的にも私は確立していると思うんですが、そういう子供の学ぶ権利に対応しているんだと。ここを共通の認識で確認をしておきたいだけなんです。そこを、どうでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 子供には憲法上も当然教育を受ける権利があるということは間違いございません。ただ、どういう教育を施すかということについてはおのずから制約があるということです。
○井上哲士君 この憲法判断というのは非常に重要なんですね。正に教育を施す側の支配的機能ではなくて、子供の学習権に対応しているんだと、これをこの判決は示した上で、次に、じゃ、学問の自由から教授する自由はどの程度認められているのかということについても判断をしております。 これは、お手元の判決の右、二ページの右下辺りにありますけれども、ここでは、おっしゃるように、普通教育でもある程度の自由な裁量は認められるけれども、しかし完全な教授の自由を認めることは到底許されないと、こういうふうに述べております。同時に、ある程度自由な裁量もあるんだと、これは当然だと思うんですね。 最高裁判決は、こういう判断を経た上で、子供の教育の内容及び方法をだれがいかにして決定していくかという判断を示しております。これは二ページの左下辺りにあるわけですが、今大臣も言われましたように、国は、憲法上は、あるいは子供自身の利益の擁護のため、あるいは子供の成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する機能を有すると確かに述べております。同時に、その判決は、この機能も無制限ではないと。教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重するべきものとしている憲法の下においては、子供が自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的な介入、例えば誤った知識や一方的な観念を子供に植え付けるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二十六条、十三条の規定上からも許されないと、こう正に述べておりますけれども、この最高裁の判決の立場ということも、これも確認をしておきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) それはもう当然のことなんですよ。ただ、今度はそのどこまでが最高裁の判決に当たっているのか、憲法違反なのか法律違反なのかということについては、我が国の統治の仕組みからいうと一義的有権解釈権は法律を所管している内閣にあるんですよ。ですから、内閣は、今先生がおっしゃったような憲法違反その他のことを侵さないようにきゅうきゅうとして抑制的にやるわけですよ。しかし、やっていても、それが侵していると思う人が出てくると、イズムが違ったりいろいろな立場から、それは何ら否定されてないんですよ。 ですから、侵したと思われる人は司法に訴えればいいわけですよ。司法に訴えて最終的に司法の判断を仰ぐと。だから、旭川の案についても国は間違ったことはしてないと主張しているが、間違ったことをしたということを主張する人がいるから、一審、二審、最高裁に行って、今読み上げられているようなその判決になっているわけでしょう。 ですから、私は、少なくとも内閣は法律、内閣というものは議会によって選ばれているわけですよ。そして同時に、議会で法律が決まっているわけです。だから、内閣の場合は、どちらかというと、同じ国会によって選ばれ、同じ国会によって議決をされた法律を運用しながら、例えば学習指導要領を作ったりしていますから、ここがおかしなことになったらもう終わりなんですよ。ですから、司法の場で争われることは比較的少なかろうと私は思いますし、また少ないように行政はしなくちゃいけないんですよ。 しかし、これを、現在教育委員会の持っている権限を都道府県の知事や市町村長に与えた場合は、そのあれが随分多くなるんじゃないかということを危惧しているということなんです。
○井上哲士君 私たちはそういう主張はしていないんです。抑制的であるべきだという点は、今正に判決に書いてあるとおりだと認められました。 以上のように、最高裁判決というのは、教育を受ける権利というのは、教育を施す者の支配的権利ではなくて、子供の学習する権利に基づいているんだと。それから、普通教育でもある程度の自由な裁量は認められるけれども、完全な教授の自由というのは許されないと。それから、国は、必要かつ相当の範囲で教育内容を決定する権利はあるけれども、国家的介入は抑制的であるべきだと、こういう憲法判断をずっと積み重ねて、その上でこの教育基本法の現行十条の解釈を示しております。 お手元のこの判決の三ページ目の左上の方にこの十条の非常に重要な解釈が示されておりますが。
○国務大臣(伊吹文明君) 何ページですか。
○井上哲士君 三ページの左上ですね。そのポイントは、教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合に不当な支配に含まれないと解すべきかどうかというところですね。ここから後の文章が非常にややこしいので分かりにくいということで、私なりにまとめてみましたのが別途付いているこの表のわけです。(資料提示) ここでは、この文章の中では、教育行政機関が法令に基づいてする行為には二種類あると。一つは、憲法に適合する有効な他の法律をそのまま執行する教育の行政機関の行為、それからそれ以外の、言わば法律をそのまま執行するのではない、要するに法律を運用する場合と、この二つの場合があるというふうに分けて書いております。 そこで、法律をそのまま執行する教育行政機関の行為というのはどういう意味で、具体的にどういうものがあるのか、これをまず確認をしておきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと先生、私よく分かりかねるので御質問の形で教えていただきたいんですが、この日本国において憲法に適合しない法律というのはあるんでしょうか。それがもしあるとすれば、この国では憲法は守られていないことになるんですよ。ですから、この国の法律はすべて憲法に適合していると私は思います。
○井上哲士君 いや、そこは全然争っているんじゃないんですよ。ただ、違憲立法審査権というのはあるわけでありまして、先日も住基ネットの違憲判決が出た。そこを言っているんじゃなくて、要するに法律をそのまま執行するというのはどういう行政行為なのかということを、当局からでもいいですよ、答えてください。
○国務大臣(伊吹文明君) 法律をそのまま執行するといっても、それは法律には政令があり、そして省令があり、予算の肉付けがなされて具体的な行政行為となるわけですから、今先生がおっしゃっている部分は、具体的に政府は憲法違反になるという行為はしていないと、私の立場から言えば、ということになるわけですが、それが憲法違反に当たるという解釈をされても構わないんですよ、そのことは何ら否定していないんですよ。 だから、先ほどの子供のところも、最高裁の判例は次のようなことを言っているわけですよ。しかしながら、このように、子供の教育が、専ら子供の利益のために、教育を与える者の責務として行われるべきであるということからは、このような教育の内容及び方法を、だれがいかにして決定すべく、また決定することができるかという問題に対する一定の結論は当然導き出されないと言っているわけですから、だから政府としては法律を所管して行政行為をやらなければならないんですから、政府は政府の判断でその行政行為をするわけです。それが憲法違反だという場合は、それはもう司法の判断を仰いでいただいて結構なんで、国が何もそのことを憲法違反にならないなんていうことを言い張ったって、そんなことは通らないのが日本国の仕組みなんですよ。
○井上哲士君 いや、僕はこの判決の文をそのまま分けてね。事実として確認はちょっと当局から答弁してもらえませんか。 要するに、法律をそのまま執行する行為とそれ以外の運用する行為というのは、それぞれどういうものがあるのかということを事務的に私は聞いているんですから、事務的に。ちょっとお願いします。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、「法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為」というふうにありますけれども、政令、省令というのは法律の命ずるところをそのまま規定をして、そしてそれに基づいて、その法律に基づいて法律の命ずるまま執行するということになるのではないかと思っております。
○井上哲士君 義務教育の国庫負担法に基づく国庫負担などは正にそのまま、今年は歳入が少ないから減らしますなんというのはできないわけですね。私、これに当たると思うんですが、これは不当な支配には含まれないというふうに判決では明確に言っております。 そして、それ以外の、当該法規規定が特定的に命じていることを執行する場合を除きというのは、正に直接ではなくて運用する場合、この下に当たると思うんですが、これは具体的にはどういうものが当たるということになりますか。 〔理事保坂三蔵君退席、委員長着席〕
○政府参考人(銭谷眞美君) その教育行政機関がこれらの法律を運用する場合において「当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、」という、この「除き」という意味でございますか。 法律の運用は、とにかく法律の命ずるままに執行するのがまず当然のことでございますけれども、その法律の定めの中に、言わば規定ぶりに一定の幅といいましょうか、そういうのがあると想定されている場合なのかなというふうに思っております。
○井上哲士君 例えば、地方教育委員会などが政令を解釈して発出する通知とか、こういうものがこれに含まれるというふうに考えてよろしいですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 通知等のたぐいは、文字どおり法律の命ずるところをそのまま執行する通知もございますし、当該法律の規定が多少幅を持っている場合に、それを示すような通知もあろうかとは思います。
○井上哲士君 地方教育委員会などが発出する通知などがこのそれ以外の場合に当たり得るんだということでありました。 そして、最高裁判決は、この場合は不当な支配とならないように配慮しなければならない拘束を受けているというふうに判じまして、全体として、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にもこの十条は適用があるものと言わなければならないと、こういうふうに言っているわけですね。これはつまり、教育行政機関が法令に基づく行為であっても、これは午前中も大臣言われていましたけれども、言わばこの不当な支配になり得るんだということをこの旭川判決は言っていると思うんですが、その点確認をしておきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生が、せっかくですが、これ二つにお分けになったことがかえって問題を非常に複雑というか、分かりにくくしていると私は思いますよ。 すべてこの国にある法律というものは、どのようなものであれ憲法に適合しているんですよ。だから、法律として存在するわけです。ただ、その法律を執行していく過程、過程で行政府が関与してくる部分がありますから、そこのところについては行政府は当然のこととして憲法違反にならないというチェックをしながら発出するわけですよ。しかし、それが不当な支配になると感ずる人がいても構わないんですよ。それは当然のことなんですよ、日本の法制上、イズムが違いますから。 だから、それは司法の場で最終的に争って結論を出すということになっているわけですから、私が例えば文部科学行政を預かっていて最も心すべきことは、憲法違反のそしりを受けるような行政行為を厳に慎みながらやっていくと。しかし、それでも憲法違反だと言われる場合は司法で争うということです。
○井上哲士君 決して違うことを言っているんじゃないんです。確認をしているんですね。 午前中の答弁でも、この不当な支配というのはこの主体のいかんを問うところはないと、だから政府も当然ここに入るということを司法は言っていると。そして、国権の最高機関である国会が国民の意思であると。しかし、国民の意思の下で作られた法律あるいは学習指導要領においても不当な支配になることはあり得るんだと。もちろん、大臣としてはそういうことはあり得ないと思っているけれども、これはあり得るんだと、こういうことをお答えになりました。この答弁、もう一回確認しておきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 国会が議決した法律が不当な支配になるというか、若しくは憲法違反であるというようなことがあれば、そもそも法律としては成り立たないわけですよ。 ただ、私が申し上げているのは、その法律の運用等について、結果的に、我々はそういうことは断固ないと信じて行政をやっていても不当な支配と感ずる人があり得るということを申し上げているわけです。
○井上哲士君 それは、国がそうだということは、例えば地方の教育委員会の命令や指導などもそういうことになり得るということでいいですか。
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっとごめんなさい。失礼しました。
○井上哲士君 国もあり得るということになれば、例えば地方の教育委員会等がそういう間違いを犯すこともあり得ると、これはよろしいですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 国が例えば指導要領を発出しておりますが、それがおかしいということであれば、日の丸・君が代については文部科学省を訴えられるべきなんですよ。ところが、なぜ東京都の教育委員会を訴えられたのかということから結論は明らかじゃないですか。
○井上哲士君 地方教育委員会がそういう間違い、言わば不当な支配をやることも理論的にあり得るということだと認めたと思うんですね。
○国務大臣(伊吹文明君) いやいや、それは違う、違う。ちょっと待って。 すぐあしたの赤旗にそういうことを書かれると困りますから率直に申し上げておきますが、誤りがあるということは私は一切認めておりません。見解の相違があるから司法に訴えることができるということを申し上げているんです。
○井上哲士君 そうすると、正に最高裁判決というのは、そういう国の行政であっても地方教育行政がやるものであっても、それは不当な支配だということで訴えることがあるんだと、あり得るんだと、こういうことを判示しているわけですね。 ところが、じゃ政府の改正案の十六条がそれを踏まえているということを前文部科学大臣はおっしゃったわけですが、そうなっているんだろうかと。 五月三十一日に、前文部科学大臣は、今回の十六条のように明確に規定することによりまして、この法律の定めるところにより行われる教育委員会等の命令や指導などが不当な支配ではないということが明確になったと、こう述べているんですね。これは正に地方の教育委員会が出す命令や指導などは、この法律を変えることによって最高裁判決の趣旨と違って、これはもうそういうものにならないと。言わば裁判の道もふさぐような私は答弁だと思うんですけれども、これは正に最高裁判決とも全く違うんじゃないですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは先生、文部科学大臣たるものが国会で答弁をして、国会で議決をされたその法律に基づいてやる文部科学省の行政行為、あるいはそれに基づいて地方がやっている行政行為が憲法違反だとか不当な支配だとかという答弁をするということ自体がこの法律を否定していることになるんですよ。 見解の相違があったって構いません。だから、小坂さんはそう思っているわけです。思っているけれども、そうと違う方は司法に訴えられればいいんです。
○井上哲士君 それは、小坂さんがそう思っているって大問題ですよ、それ。これ、この法案の核心部分の解釈なんですよ。それが、前の大臣はそう思っているけど私は知らないじゃ、それは通用しませんよ。 いいですか。法案、法律を変えることによって不当な支配ではないということになったと、こう言っているんですから、現行と変えるものじゃありませんか。
○国務大臣(伊吹文明君) それはよく私の答弁を聞いて、その端々をつかまえてそうおっしゃられて、またいろいろなところで書かれちゃ困るんですよ。 私が申し上げているのは、小坂文部大臣の答弁趣旨は、国民の民意の総結集である国会で議決をされた法律に基づいて、この法律若しくは他の法律に基づいて行われる行政行為というのは、文部科学大臣としては不当な支配に当たることはないということを言っているわけです。しかし、そうじゃないという考えがあったって構いません、それは。
○井上哲士君 私は、正にこの法案の核心部分が大臣によって答弁が違うということ自体、これは正に法案の審議が全く尽くされていないということを示していると思いますし、しかし、大臣が今日の中で、こうした国や地方の教育行政についても、それはそういうものとして争訟などの対象になり得るんだということを答弁されたことは大変大事だと思っておりますので、それを確認をして質問を終わります。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。 先週の末から参考人質疑あるいは地方公聴会ございまして、しばらく大臣とお顔合わせがなくて、久しぶりにお会いしたような、そんな感じがしてなりません。 通告はしておりませんけれども、今ほどの井上議員のやり取り、私としてもこれは少しおかしいなという思いがしております。文科大臣の答弁でありますので、小坂大臣と伊吹大臣の間で答弁が違うということはあり得ないと。あり得ないという前提でお聞きをいたしますけれども、今ほどのお話だと、小坂大臣は、現行の十条から改正案の十六条に変わることによって、教育行政あるいは文科省が不当の支配の主体たり得ることはもうこれでなくなるんだと、そういうふうな趣旨のことをおっしゃっているというふうに今ほどの質問があったんじゃないでしょうか。 私はそれはやっぱりおかしいわけで、現行の十条の場合もそうでありますけれども、改正の十六条においてもやっぱり教育行政は不当な支配の主体たり得ると、これはもう大臣がずっとおっしゃっている。教育行政としてはそんなことはないと思っていても、いろんな法解釈等でこれはやっぱり不当な支配に当たるというふうに判断するならば、不当な支配の主体たり得て裁判所に争う道が開かれていると。これは現行十条も十六条も変わらないと。 私、伊吹大臣は私に対してはそういうふうにずっと答弁されていたというふうに思うんですが、どうでしょうか、もう一回。
○国務大臣(伊吹文明君) それは当然のことでありますし、小坂前大臣も当然そのことを、日本国の憲法というか三権分立の仕組みを理解しておられる方ですから、当然そのことは前提として答弁しておられるわけですよ、と思います、私はね。 しかし、現行法で国民全体に対し直接責任を負ってということは、逆に言うと、国民全体というのは何だといえば、憲法上、この国会なんですよ、日本国の統治の仕組みでは。国権の最高機関なんですから、主権者である全国民が参加をして選挙で選ばれた。それは、先生のところは少数だから違うよと、自分の考えはそうだよと言うことは構いませんよ。だけど、憲法上の多数決原則というのはそういうことで成り立っているわけです。 だから、この法律及び他の法律によって定められたところでと、こう今回書いているわけでして、このことからすれば、小坂大臣の意図は、多分、私は小坂さんに直接確かめたことはありませんけれども、当然、自分たちのやっていることは憲法違反ということになることはあり得ないということを言っておられるわけで、しかしそれでもあり得ると考える人が出てくると、イズムが違いますから。それは構わないんですよ、それは。それは構わないんですよ、考え方、解釈が違ったって。だから、それは司法の場で救済されるというのは、これは小坂大臣だって当然日本国憲法の下でやっておられるわけですから、だから先生の御解釈、小坂大臣の御解釈として、私の言っていることと違うという解釈をされることは、これはちょっと私は違うと思いますね。
○近藤正道君 いずれにいたしましても、現行十条、そして改正の十六条、不当の支配の問題については大変いろんな問題をはらんでおりまして、今ほどの大臣の答弁、議事録を精査をして、改めてまたやらさせていただきたいと、こういうふうに思います。 私は、改正案の法の二条のことについてお尋ねをしたいと思います。 これは、個人の内面にかかわる徳目を法律化をして、それを教育目標に据える、それでいいんだろうかという、こういう形でこの間議論が行われてきました。私は、これは基本的にはおかしいというふうに思っているんですが、今日はその問題ではありませんで、ちょっと別の角度から、ちょっと地味な問題でありますけれども、ひとつお尋ねをしたいというふうに思っています。 とにかく、この二条の一号から五号に盛られている五グループの徳目、これは現行の学習指導要領の道徳編のとほぼ同じものでございます。教育課程は、教科と道徳と特別活動と総合と、四つのグループから成っておりまして、それで教育課程が成り立っているわけでありますが、そのうちの道徳領域だけが今回改正法の二条という基本法に格上げをされたと、こういうことでありまして、一見しますと道徳がその四つの教育課程の中の筆頭科目になったと、こういうふうに見ることができるんではないか、こういうふうに思っています。つまり、英語とか数学とか国語とか理科とか社会などの教科教育が道徳教育化させられるということが法的にこれで根拠付けられることになったのではないかと、こういうふうに私は懸念をしております。 戦前、修身が教育課程の中の筆頭科目として位置付けられまして、様々な教科にいろんな影響を及ぼしました。戦後、こういうものは改められたわけでありますが、今回の改正案でまた道徳編が、それだけが教育基本法に格上げされたということで、戦前と同じような道徳が非常に優位な位置を占めたんではないかと。この道徳はこれから教科教育にいろんな影響を与えて、そして科学教育はゆがめられるんではないかというふうに、とりわけ社会科とか理科等にそういう懸念が出はしないかというふうな懸念をする人たちが結構いるわけでございますが、これについてどういうふうにお考えなのか。 これは少し地味な話でありますんで、政府参考人の方から御答弁いただければ有り難いと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。 改正法案第二条の「教育の目標」についてのお尋ねでございますけれども、現行法におきましても、第一条の中の「教育の目的」の中に教育の目的を実現するために教育を行う上で重要な事柄として、「真理と正義を愛し、」あるいは「個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」と、このような事柄が書かれておるわけでございますけれども、今回、中央教育審議会からこれからの教育に必要な新たな理念というものが示されたところでございまして、従来から「教育の目的」に入っておりました事柄と新たに中央教育審議会から答申をいただきました事柄を整理いたしまして、「教育の目標」ということで第二条に掲げさせていただいておるところでございまして、これをごらんいただければ、幅広い知識と教養、それから豊かな情操と道徳心、健やかな体ということで知育、徳育、体育にわたり書いておるところでございまして、決して道徳に特化したものとはなっておらないと考えておるところでございます。
○近藤正道君 今ほど来議論がありました現行の十条が今度十六条になるということについて一つお尋ねをしたいというふうに思いますが、結論を言いまして、私は、この改正の十六条によって文科省は教育内容について今度はストレートに、少なくともスタンダードの部分については口を出すことができると。口は出すけれども、しかし金については、教育財政については地方に押し付ける、そういう構造に拍車を掛けてくるんではないかと、そういう懸念を非常に持っております。 そういう意味では、私は民主党の法案は、ここのところについて明確に国が最終責任を負うと、そして財源的にもきちっと手当てをすると、そういうふうになっておりまして、私は政府案よりもはるかに優れていると、こういうふうに思っておりますが、この十六条のことについて大臣の見解をお尋ねしたいと思うんです。 十六条に基づきまして、政府は教育内容のスタンダードを決定する権限、そして達成度を評価する権限を完全に握りました。さらに、評価を通じまして財政配分の権限も握ることになったと。今までは解釈で何とかやっていたわけでありますが、今度は政府は教育内容に関するかつてない大きな権限を握ることになるのではないか、こういうふうに思っております。そして、地方自治体は国の権限、計画の枠の中でしか対策が打てなくなる。 その一方で、教育財政については国が責任を負う構造になっていない。教育内容に関する権限を持ち、口は出す、出すけれども、金は地方に押し付ける、そういう構造に一層の拍車が掛かって、この教育基本法の十六条については、改正法の十六条については教育の自由とのかかわりで今までさんざん議論がありましたけれども、この問題だけではなくて、教育の地方自治そのものを後退させる、そういう構造がこれでできるんではないかと私は懸念しておるんですが、私の懸念は当たっているんでしょうか、全く的外れなんでしょうか、お尋ねしておきます。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、先ほどの小坂大臣の答弁と私の意見との違い、そしてまた先ほどお話がございました二条の徳目についての御懸念、そして今の十六条についての御懸念、私はその御懸念を共有はいたしておりません。 国が地方へ財源を押し付けてということですが、これはもう先生よく御承知のように、二分の一であった義務教育国庫負担金が確かに三分の一になりました。しかし、二分の一と三分の一の差の六分の一は、税目の移譲として地方自治体にきちっと財源をお渡ししているんですよ。ただ、国が三分の一をお渡しせずに国が持っていた方がよかったかどうかというのは、これはいろいろな御議論がありますから、財源はどんどんどんどん地方へ押し付けてという傾向に拍車が掛かるという前提は、まず私は違うと思いますね。それから、財政の配分権を手に入れるということ、財源を地方に渡しているということであれば、国が持っている予算の配分権はどんどんどんどん先細りにむしろなるんじゃないでしょうか。 そういろいろ考えると、私は、先ほど来井上先生とのやり取りもありましたけれども、この十六条になっても、やはり国会の統制を受けている内閣の教育行政というのは極めて抑制的、慎重でなければならないと、私はその信念を持って教育行政に当たりたいと思っております。
○近藤正道君 改正法の十六条で教育財政についての様々な規定がなされているわけでありますが、十六条の四項、教育が円滑かつ継続的に実施されるよう必要な財政措置を講じなければならないというふうに規定されておりますが、なぜ全国の教育の機会均等と水準維持向上のために財政措置を講じますと、こういうふうに明確に打ち出さないんでしょうか。また、教育予算の拡充と安定的な確保を基礎付ける規定になっていないのはなぜなんでしょうか。なぜ国が財政措置の最終的責任を負う構造に明確になっていないんでしょうか。 先ほども言いましたように、口は出すけれども金は地方に押し付けるというか、押し付けることのできるような、そういうやっぱり構造になっている。明らかに、例えば先ほど来議論がありましたように、イギリスでは国が全面的に財政的に支える、そういう構造の中、この国は全くそれとあべこべな方向、口は出すけれども金は出さないと、そういうことができるような構造にどんどんなっているんではないか、こういうふうに思えてならないんですが、今ほどの私の質問についてお答えください。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、現行の教育基本法の下においても、従来は地方に補助金を譲与、六分の一譲るまでは二分の一しか負担してないんですよ、国は。それは国と地方との、地方の教育自主権ということをおっしゃいましたね。教育のある程度の権限を地方に渡しているから、権限のあるところにやはり財源の分担が生じてくるわけでして、英国のようにしてもよろしいというお考えなら、みんなが合意してそういうふうにしたらいいと私は思いますが、財源的に。その代わり、英国の義務教育は国家統制の下に実質的に行われているということも御存じですね。 ですから、財源は地方に渡すけれども、国は何も教育についての責任は持っちゃいかぬというのは、これは先生、やっぱりフランスだとか英国の場合は財源を持っているものが教育権を直接執行しているわけですから、教育権は地方に渡すけれども国は財源を持てというのは、ちょっと私は国家論からいってやや都合がいいというか、乱暴過ぎるお話だと思いますね。
○近藤正道君 私は、傾向としては、今回の改正で教育内容に対する国家統制的なものは非常に強まったと。それに引き換え、財政措置については国が地方に押し付けることのできるような、そういう構造に、システムに移行しつつあると、そういうふうに非常に思えてなりません。 時間がありませんので次行きますけれども、改正案の十六条に加えて十七条ですね。今度は教育振興基本計画、これ見ますと、本当に無制限で白紙委任的な強大な権限を国が持つ、こういうことになって、何でも書き込むことができるような、そういうもののようなんですが、しかしやっぱりきちっとした制約原理は当然あるんだろうと。条文の中には書いていないけれども、歯止めあるいは制約上のものがあるというふうに思っておりまして、これは確認でありますけれども、憲法二十六条の教育を受ける権利だとか、あるいは憲法十三条を始めとする憲法上の諸規定、まあ十九条なんか正にそうですけれども、思想、良心の自由、こういう憲法上の諸権利だとか、あるいは子どもの権利条約や、あるいは今ほど来議論になりました学テの最高裁判決、これはもう教育行政の言わばやっていいこととやってはならぬことの原則を書いてあるわけでございますけれども、この最高裁の学テ判決の判示部分、こういうものは、当然、改正案十七条の教育振興基本計画に対する歯止めあるいは制約原理に私は当然なり得ると。まあ聞くまでもないことのような気もいたしますけれども、確認の意味で大臣から御答弁をいただきたいというふうに思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、日本が憲法の下に民主的な国家として運営されている限り、先生がおっしゃることは当然のことだと私は理解しております。 ただ、やっていいこと、悪いことというお言葉がありましたが、これは先生がやっていいことと悪いことと考えておられるとおりには内閣は考えないということです。
○近藤正道君 やっていいこと、悪いことというのはちょっと乱暴だったかなというふうに思うんですけれども、やってはならないこと、つまり踏み込んではならないこと、逆に積極的にやるべきこと、これを学テの最高裁判決の中でもそれなりに言っているわけです。その定めはやっぱり憲法からくるんだよという規定がありますので、そういうものはこの基本計画の中でも十分歯止めあるいは制約原理として機能すると。十七条には書いてないけれども、当然それは念頭に置いて計画を作らなければならない。その計画にその歯止めを逸脱したような場合には、これはやっぱり場合によっては不当な支配という、そういう問題がやっぱり出てくると。こういうことについてはよろしいわけですね。
○国務大臣(伊吹文明君) 日本は憲法の下の法治国家でございますから、まず憲法、それから関係諸法、最高裁判決、条約その他で、政府が拘束を受けるものについては先生がおっしゃるとおりです。 ただ、旭川の判決について、やるべきこと、やってはならないことということをおっしゃったことは、具体的に振興計画の中に書く限りは、政府としてはそれに一切違反してないと思って書くわけです。それを先生が例えば違反しているとお考えになったら、司法で争っていただくということです。
○近藤正道君 次の質問に移りたいと思いますが、この改正案の基礎になったのが〇三年の中教審の答申、まあそれ以前にも様々な議論がございましたけれども、直近のものとしては〇三年の中教審答申だろうというふうに思っています。二十一世紀を開く心豊かでたくましい日本人の育成、こういうことを目指しているわけでございます。 そういう答申の下でできた、作られた改正案でありますが、法案の二条の二項とか四条二項とか五条の二項、ここに能力を伸ばすという文言が出てまいります。 現行法よりも、この能力を伸ばすという、そういう言葉が多くなってきているわけでございますが、この能力を強調すること、これは、現行法以上にできる子の立場に立った能力観で教育政策を進める能力主義あるいは競争主義の教育を目指し、これを加速させたいという立法者意思の表れと見ていいんでしょうか、お尋ねします。
○国務大臣(伊吹文明君) どうも先生の御解釈は私の解釈と合わないことが多いんですよ。そこまで悪く、悪くというか、立法提案者の意思を別の方にお考えいただかなくてもよろしいんじゃないかと思いますが。 これ、例えば二条に、個人の価値を尊重して、その個人の能力を伸ばし、そして各個人の有する能力を伸ばしと五条の「義務教育」のところに書かれていますが、これはもう教育を受ける一人一人の人たちの個性や独自性に注目して、その人の持っているポテンシャリティーというんでしょうか、潜在能力を引き出してあげると、正に教育というのは引き出すというラテン語からきているということですから、素直にひとつ、先生、御解釈をいただければと思います。
○近藤正道君 いや、もう私はその言葉自身は、その言葉で、その今言った競争主義とか、まあ大臣は効率主義というふうにおっしゃったけれども、それを直ちに見るというのは多少私も気が引けるところがありますけれども、しかし改正案については能力主義を更に加速をさせる、そういうものを目指しているというところは多くの識者がやっぱりこれ言っていることなんで、そこで、それを立法的に手当てするものとしてはじゃ何なのかなと私なりに見まして、やっぱり能力あるいは能力を引き出すという言葉が現行法よりも多くなっていると、そういう中に表れているのかなと。 これは、立法者意思を確認するというのは国会の大きな仕事でありますんで、それで私はあえて聞いているわけです。教育は一般的に引き出すものであるということは重々承知の上で、なおかつ、そういう意向は含まれているのかなという趣旨なんです。誤解をしないでいただきたい、こういうふうに思います。 時間がありませんので先へ行きたいというふうに思いますが、国連の子ども委員会、子どもの権利条約の管理監督機関である国連の子ども権利委員会が二度にわたって勧告をしたという話は前にも大臣と議論させていただきました。 ところが、いったんゆとり教育を取り入れたにもかかわらず、どうも新聞、一部新聞が報道するところによると、再生会議の骨子案の中にはゆとり教育を見直すということがほぼ決まったというふうなことが書いてございます。そういうことになりますと、正に国連の子ども権利委員会の勧告の趣旨、つまり、高度に競争的な教育制度、その下で子供たちが心身をやっぱりおかしくされているという非常にショッキングな記載がある。そういう中で、ゆとり教育の見直しということになると、これは正に真っ向から子どもの権利条約の趣旨と対峙することになって、これはやっぱりまずいんではないかというふうに思えてならない。 授業時間数を増やすということについても、これはやっぱり学力低下の議論が背景にあるわけではございますが、学力低下の問題がどういう形で起こってどこに問題があるのか、いわゆる立法事実をしっかりとやっぱり国会の前に明らかにして、そういう科学的な知見に基づいてこのゆとり教育の見直しをするんならするという形でしっかりとやっぱり議論をしなけりゃならぬわけでございますけれども、そういう立法事実がしっかり示されないまま、この国連が、子どもの権利委員会が二度にわたって行った勧告は、一方的に、まあ私に言わせれば無視されるという、こういう方向というのはいかがなものかというふうに思えてなりませんけれども、重ねて大臣の見解をお尋ねしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 二点、先生、申し上げたいと思います。 一つは、教育再生委員会というのはどういう行政上の位置付けなのかといえば、これは閣議決定においてつくられた安倍首相への、まあ言うならばアドバイザリーボードというんでしょうか、アドバイスをする方々の集まりなんですよ。これを安倍総理がどのように受け止められて、私や関係閣僚と相談されながら実際の法律として国会にお諮りしたり、私が行政を執行していくかというのは、これは内閣サイドの問題でございますから、教育再生会議というのはいろいろな御意見を自由におっしゃれる、当然。これは法律による機関じゃありませんから、それはおっしゃって結構です。しかし、ここに言われたことがすぐ何か即行政になっちゃうんだというふうにお考えいただく必要は私はないと。まずそれが一点ですね。 それからもう一つは、ゆとり教育というのは、私はこのこと自体が悪いんではなくて、基礎学力を持った人たちが基礎学力を応用するために総合学習というこまをつくっているわけで、実は基礎学力を十分教えずに応用をやろうとしたって、これは無理なんですね。それで、現実に起こっていることは、このいわゆるゆとり教育と言われるものが大変不幸に私は運用されていると思います。いや、ゆとり教育そのものが悪いとは私は思いません。だから、運用のやり方その他はかなり直していかなければならないと思いますし、学習時間の問題については、やはりこれは納税者、父兄その他が現在の学校教育の在り方についてどう考えているかということを、やはり慎重に意見を伺いながら対処していくべき課題だと思っております。
○近藤正道君 最後にお尋ねをいたしますが、昨日、新潟と長野、地方公聴会へ行ってきました。大変有意義な話をたくさん聞いてきましたが、その中で非常に印象に残ったのは、イギリスの教育行政、公教育の研究をされている大学の先生が、日本ではサッチャー改革が大変誤解されていると、あれは失敗なんだということをおっしゃっておりましたし、また今注目を浴びておりますフィンランドの教育を専門に研究されている方はフィンランドの教育事情、いろいろお話ししていただきました。競争を排除して底上げをする、できる子を伸ばすというんじゃなくて、できる子はもうどこへ行ったって大丈夫だと、できない子をどうやって底上げをするかがポイントであるとか、教師は子供の学習の支援に徹するとか、本当に少人数教育の中で、まあ私に言わせると今の現教育基本法の理想どおりの教育をやっている。それが、非常にITの物すごく産業の盛んな中で、福祉の進んだ国で、かつ子供の学力を世界トップにしていると。 このフィンランドの教育、大臣はどういうふうに評価をされて、日本に学ぶべき点はあるんではないかというふうに私は思うんですが、この点、ひとつ聞かせてください。
○国務大臣(伊吹文明君) フィンランドであろうとイギリスであろうと、日本でやるべきことは日本の教育改革をやらねばならないということです。ですから、先生の御意見も貴重な一つの御意見として、フィンランドのうまくいった点、まずかった点、財政負担の問題も含めて、サッチャーが成功した部分と失敗した部分、これは先ほど水岡先生が御質問になっていたことにお答えしたとおりですが、みんなで力を合わせて、外国のことは参考でいいですから、日本の立派な教育改革をつくりたいと思います。
○近藤正道君 終わります。
○小泉昭男君 大変、大臣を始め御答弁の方々お疲れさまでございます。また、与野党を問わず委員の皆さん方には真摯な意見交換、議論をいただいて本当に敬意を表したいと思いますし、傍聴の方、本当に御苦労さまでございます。 私は伊吹大臣に御質問申し上げたいと思うんです。まず、この教育基本法の改正、これをもってどういう子供を育てたいとお考えになるのか、この一点伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 実は、教育の問題の一番難しいところは、各々の人間、個人の持っている価値観、人生観によって理想の人間像というのはみんな違うということです。 したがって、私もできるだけ自分の考えている理想の人間像というものについては抑制的にお答えをすべきだと思うんですが、この法律では、人間の育成を目指すかについては、その前文、お示ししている政府提案の前文、それから第二条の教育の目標、こういうところに提案者の立法意図を書いてございます。 具体的に、分かりやすく言えば、まず知徳体、この三つがやっぱりバランスの取れた人間であって、生涯にわたって知徳体の向上をする心を失わないということ、それから、日本にはやっぱり日本の伝統文化があるわけですから、その祖先の営みの中からつくり出されてきた法律以前の約束事をしっかりと守って、外国の方々にも対応できる日本人としてのパスポートを持っている人間、それから同時に、私たちは日本国という国の船に乗っているわけですから、この船が沈まないようにお互いの権利とこの船を進めていくという公共の精神とのバランスの取れた日本人と、この三つがこの法律を要約したことではないかと思います。
○小泉昭男君 今大臣の御答弁、全く私は同感でございますが、私、もう本としては大分古い本なんですが、「ゾウの時間ネズミの時間」という本がありまして、これ本川達雄さんという方が、東京工業大学の当時教授であった方ですけれども、十五年ほど前に書かれている本なんですね。 この中に、人間の原点というのが大分ありまして、これ例えて言いますと、大体人間は、動物というのは、人間もハツカネズミを問わず、一生のうちに心臓は二十億回、呼吸は五億回するというんですね。これがどんな動物にも当てはまるというんです。 これが、人間としては、動物の中では人間が一番知恵が進んでいるわけでありますから、この人間を教育する基本法をきちっと方向付けていく、極めて大事なことだと思っておりますし、これはもう当然プライドを持っている子供たちをしっかり導くわけでありますから、大変な大事業であると思います。 私、以前、カンボジアのプノンペンに入ったことありました。これは自衛隊がタケオの駐屯地に駐屯していたころでありましたけれども、ポル・ポト派が大量虐殺やった時期でありまして、大量虐殺のあった大学に私も入った経験がありまして、物すごい現場でありました。当然もうすべて、必要なものきり残っておりませんでしたが、殺した学生、先生の顔写真全部張ってあるんですね。この国はこれだけの方が犠牲になってこの国の将来はどうなるんだろうか、教育をもう一回立て直すというのは大変なことじゃないかな、こんなことを痛感をいたしました。 そういうことから、今回のこの教育基本法の改正については、日本として世界に発信する子供たちをつくる一番いいチャンスを私たちは一期一会の世界で迎えたんだな、こういうふうに思います。 それと、この特別委員会の中で冒頭の方で京都の小泉顕雄先生が質問されまして、余り高尚な御質問でございましたから、私はもう当然出る番がないだろう、こういうふうに思っておったんですが、今日、小泉顕雄先生に御迷惑掛けないようにしっかりと御質問を申し上げたい、こういうふうに思っております。 それと、私、本当に、おまえそんなこと何で言うのかということを連発しますけれども、大体自分の目から物が見えること、これを不思議と思う子供が何人いるだろうかと。私も現実に子供のころからずっとそれだけは解明できずに今に至っておりますが、そんな中で、私たち、もしかしたら自分だけの世界じゃないかなと思いがちになる時期があったと思うんです。しかし、現実は人と人との支えの中でこの社会が回っていることでありますから、やはり親があって教師があって、そして今の現実があるのだということを思うときに、私はよく言われている中で、親孝行したいときには親はなし、いつまでもあると思うな親と金、ないと思うな運と災難という言葉もありますけれども、子供の根問いということは、ことわざ、根問いというのは、子供は何でもかんでも、どうする、これどうなの、これ何でそうなの、もう問い続けるわけですね。この大事な時期を子供をしっかりと導いていかないと、これ将来的に大変な方向、間違いの方向に行ってしまいます。 私はある先輩から言われました。その先輩の話の中にもよくあったんですが、日本という国を上空から見ると心と読めると。これは私本当にそうだと思うんです。ぽつんぽつんと墨の落ちたところが北方領土である、こういうふうに話された大先輩がおられました。私は日本は心の国だと思っていますが、これを態度で示すことが世界に発信することでありますから、国を思う態度、私はこの言葉は言い当てていると思っております。 そして、この今回の教育基本法の中で一番大事なことは、もしかしたらチルチルミチルの青い鳥を今子供たちがやってしまいそうじゃないかなと、こういうふうに思うんです。身近なところに本当の幸せがあったり、身近なところに本当の真実があったり、そういうことをしっかりと子供たちに教えてやらなきゃいけない、こんな気がいたします。 そこで、大臣に、日本の将来像、どうあった方がいいか、一点お伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 日本の将来像ですか。これは大変難しい御質問で、先ほど理想の日本人像について申し上げたのと同じように、各々の人の政治理念あるいは人生観によって国の、理想の国の形というのは違ってくると思います。 私は、先ほど申し上げた三つの資質を備えた日本人がお互いに共生をしながらこの国を守り立てていく、そういう日本で私はあってもらいたいと思いますし、そうなれば必ず活力に満ち、そして知的な能力に秀で、そして品性を持った日本人が品格ある日本国家をつくるということを信じたいと思いますし、それが安倍総理の言っている美しい国であってもらいたいと念じております。
○小泉昭男君 もう本当に感銘しきりであります。私は、これからこの日本の将来を決めるのは、一番大事な部分は教育だと思っていますので、今大臣がおっしゃった部分、本当に頭の下がる思いがいたします。 子供として、親の子として生まれて男は何を考えるかといいますと、おやじ追い越すことが一番最初の目標でありますから、体力的におやじには絶対かなわないのにおやじに立ち向かっていくという、これがもう第一番のチャレンジでありまして、いつまでたってもおやじ追い越せない。そして、おやじがいなくなって初めておやじの偉大さにまた気付いて、そして自分の方向を間違わないように、今度は子供にそれを伝授していこうという、こういう行動に移るわけでありまして、私、自分事になりますけれども、おやじが小学校六年で他界をいたしました。私はそのときにおやじ、何人も自分の頭の中に描きました。これはおやじがいなくなったことの悲しみ以上に、私、新しいおやじ求めましたから。これはおふくろが再婚するというんじゃなくて、自分の気持ちの中におやじ求めたんですが、その一番最初のおやじ、学校の先生だったんです。教師というのはやはり場合によると何十人もの生徒のおやじでなくちゃいけない、おふくろでなくちゃいけないと思うんですね。 そういう部分で、今いじめがあったりいろんな問題がありますけれども、その中で一番子供たちが求めているものは何だろうかということを考えると、もちろん教育、勉学もこれもちろんでありますけれども、一番求めているものは、自分を認めてもらうこと、そして自分の悩みを聞いてくれる人、聞いてくれなくても自分の思いが伝わるような人、これを身近に多分考えるんだと思うんです。これが私は、子供が入学して一番最初に話をするのは、いろんな話するのは学校の先生方だと思いますから、そういう意味で、この教師という仕事というのは物すごい大きな責任と、それからまた大きな影響力、大きな夢を与えるわけでありますから、今、教員、教師に求められること、これを端的に大臣からお話をいただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) なかなか難しい質問ばかりでございまして、先ほど京都の小泉顕雄先生のことをおっしゃいましたが、小泉アキオという政治家は京都、神奈川を問わず大変高尚な御質問をされるんで答弁にやや苦しみますが、まず私は、教師というものの職に就いて一生懸命やろうという情熱がまず第一だろうと思いますね。そして、教育の専門家として子供を教えていくという能力、これはもう当然のことだと思いますが、三番目にやはり子供を引き付ける人間としての総合的な魅力というんでしょうか、まあなかなか政治家でもこの三つを兼ね備えた人はおりませんので教師に余り多くのことを求め過ぎるのはいけないと思いますが、この三つをやはり兼ね備えている方が教育者としては一番ふさわしいんじゃないかと思います。
○小泉昭男君 教師に対するお考え伺いました。 私、以前から共通するもの、商売やっていても、会社の経営やっても、学校の先生やっても、政治家やっても共通するものといいますと、まあマーケティングの本質といったら大げさになりますけれども、欲しいものを欲しいときに欲しいだけ気持ちよく欲しいところでという、これが原点だと思うんですね。 例えば、政治家にしても皆さんに支持をいただくためにはどういうことをするかというと、ただおべんちゃら言ってごますっただけじゃ票は集まりません。やはり説得力ある行動をしなきゃいけませんし、人格的にもそこそこ認められないと票は集まらないと思うんですね。特に学校の先生の場合にはそういうことが特に求められるんだと思うんです。 そして、私、今日は皆さんお疲れでございますから、私もお疲れなんですが、時間は持ち時間ほどやる気はございません。そして、これもうほとんど最後の方のお話になりますけれども、今やらせというのがすごくどこでも出てくるんです。しかし、そのやらせという中に、私はこれもやらせじゃないかなというのがあるんですね、最近。例えて言いますと、議員会館の前に大変大勢の方が取り巻いてお座りになったりしてます。これもやらせじゃないかなと思うんですが、こういう部分について、どなたか見解、もしいただけたら。
○国務大臣(伊吹文明君) タウンミーティングで大変御苦労なすっている官房長官から後ほど御答弁があると思いますが、私は何がやらせかどうかということには直接のコメントをいたしませんけれども、ここでいろいろ御質問のあるときに、学校現場で教員が足りないと、そして、要するにこの骨太の方針に基づいて、あるいは行政改革基本法に基づいて人員削減をしていくのは子供のために良くないという御意見をいただいております。私も文部科学大臣として必要な教員はできるだけ確保するために努力をしたいと、そういう決意でおります。その決意に対して国民の中から批判が出ないような現実であってもらいたいと思っております。
○小泉昭男君 大臣の御答弁としては大変こう難しい御質問申し上げました。 私はなぜこれを今日取り上げたかといいますと、今大臣がいみじくも言われた三十人学級がいいとか、もっとマンツーマンでいった方がいいとかという、これは私もそれを全く否定するものでもありませんけれども、それ以前にやはり職場の責任というものをしっかりと自覚いただくことが必要じゃないかなと。これはある意味、教職員のまあ職務専念義務とでも申しましょうか、やはりここに出てこられる方は、やはりお仕事をどなたかにお任せするか何かして大勢の方がおいでになっているんだと思うんですね。そして、私は不思議に思うんですけれども、現場の忙しいところをここに出てきているだけじゃなく、私の手元に大分いろんなファクスがこんなに来るんですよ。これ紙代だけでも大変なものです。その発信元といいますと、学校だったり町役場だったりするわけです。これ果たしてこういうものが本当にいいものかどうかというものを私はすごく疑問に思います。 こういうことについて、そういうことがいいのかどうか、どなたかお答えいただければと思います。官房長官、お願いいたします。
○国務大臣(塩崎恭久君) 私のところにもいろいろ来ておりますが、まあやっぱり本分をわきまえて、きちっと仕事ののりを越えないようにしていただかないといけないんじゃないかなと、こう思っております。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、それは組合活動というのはやはり休暇を取れば当然できるというのは、これ労働法規上許されている部分があります。ただ、非常に忙しい、人手が足りないということをお訴えになる限りは、やっぱり教育現場も大切にしてほしいなということです。 それからもう一つは、これは先生の今のお言葉で言えば、役場あるいは学校、これはやはりこれを使うということは一種の公金を使っているということですからね、この点もやっぱり抑制的にやっていただきたいと。私は教員のために一生懸命努力をしたいと思っておりますので、国民から批判を受けるようなことはないようにしてもらいたいと思います。
○小泉昭男君 学校の先生、本当によくやっている先生多いんですよね。そういう意味で、せっかく努力されている先生方が批判されないような、そういう高潔な行動を取っていただきたい、私もそう思います。 それと、もうこういうふうに議論している間にも子供は育っているわけでありますから、この今回の法案につきましては一日も早くこれを皆さん方に御賛同いただいて、そして第一歩、大事な歴史の第一歩を踏み出させていただきたい、こういうふうにお願い申し上げまして、質問を終わります。
○委員長(中曽根弘文君) 本日の質疑はこの程度にとどめます。 ─────────────
○委員長(中曽根弘文君) 昨四日、当委員会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。 まず、第一班の御報告を願います。蓮舫君。
○蓮舫君 第一班につきまして御報告いたします。 派遣委員は、中曽根弘文委員長、風間昶理事、岩城光英委員、岡田直樹委員、中島啓雄委員、神本美恵子委員、近藤正道委員、亀井郁夫委員及び私、蓮舫の九名であり、昨日、新潟市及び長野市において地方公聴会を開催し、それぞれ四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。 まず、新潟市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、社団法人全国高等学校PTA連合会会長藤井久丈君からは、教育は百年の計と言うが、むしろ二、三十年ごとに見直すべきである。これまで個を重視してきた余り、協調性が欠けることから、公共の精神を強調することが必要である。親の一義的責任を明記した家庭教育、大学全入時代における生涯学習の理念、国と地方の役割分担、教育振興基本計画策定の明記など、政府の改正案は時宜を得たものであるなどの意見が述べられました。 次に、都留文科大学文学部教授福田誠治君からは、日本の低学力問題は質の問題であり、思考力が育っていない。フィンランドにおいては、教師は一人一人の子供に合わせた学習支援に徹し、子供が自主的に学べるよう工夫している。自主的精神に満ちた国民の育成を期した現行教育基本法は、この点で先進性を持っているとの意見が述べられました。 次に、財団法人新潟県女性財団理事長大島煦美子君からは、政府案第二条五項の我が国と郷土を愛する態度を養うとの表現に違和感を持つが、民主党案前文の愛国心も気になるところである。また、首長が替わるごとに教育行政が変わることへの不安もあるなどの意見が述べられました。 最後に、新潟県立白根高等学校教諭吉田裕史君からは、現在の教育の問題点は学習意欲の二極化であり、教育基本法改正は競争を激化させ、格差を拡大させることとなる。教師が子供や親に直接責任を負う旨の規定の削除は、教育を現場で支える教職員の誇りを奪うものであるなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、守るべき理念と時代の変化に対応して見直すべき点に対する見解、徳目を法律で規定することに対する考え、少子化時代における家庭教育及び幼児教育の重要性、子どもの権利条約の理念と本改正案とのかかわり、一部の団体による教育への不当な支配についての見解など、多岐にわたる質疑が行われました。 続いて、長野市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、長野市教育委員会委員長久保健君からは、教育基本法は改正の時期に来ており、新たに規定されていることは是とするものが多い。教育の目標に挙げられる政府案第二条五項は大切であるが、そこを調査、評価するのは難しい。教育の機会均等については、格差が生じることのないよう、教育振興基本計画の中でうたってほしいなどの意見が述べられました。 次に、首都大学東京人文科学研究科教授大田直子君からは、現行法の改正にはそれ相当の理由が必要であり、改正の必要性が理解できない。教育基本法の理念を実現してこなかった文教政策の在り方が問題である。民主党案は、情報化社会への対応等新しい社会への対応が盛り込まれている点は評価できるが、教育行政制度の大きな変更には更に議論が必要などの意見が述べられました。 次に、元大町市教育長牛越充君からは、現行法はすばらしいがバランスを欠いており、公共性の喪失がいじめ等の教育課題につながっている。政府案において生涯学習の理念が盛り込まれたことは高く評価しており、家庭教育、学校・家庭・地域社会の連携協力も、地域での生涯学習の振興を通じてそのねらいが達成されるなどの意見が述べられました。 最後に、公認会計士若林健太君からは、教育環境の基盤が変化しており、今の時代に合わせ早い段階で教育基本法を改正し、今起こっている問題に具体的に対応すべきである。国と郷土を愛することは社会性を身に付ける上で必要であり、宗教の意義を客観的に学ぶことは真理を追求するきっかけをつくる上で重要である。家庭教育の位置付け、家庭・学校・地域の連携協力が明確になったことは大変意味のあることなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、教育における自由と規律の在り方、IT社会への対応、財源確保などの理念を教育基本法に記述することの妥当性、教員の資質を高めるための具体策、教育の目標や徳目を法律化することへの意見、宗教的な情操教育に対する見解など、多岐にわたる質疑が行われました。 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。 以上で第一班の報告を終わります。
○委員長(中曽根弘文君) 次に、第二班の御報告を願います。北岡秀二君。
○北岡秀二君 第二班につきまして御報告いたします。 派遣委員は、岸信夫理事、佐藤泰介理事、小野清子委員、鴻池祥肇委員、松村祥史委員、水岡俊一委員、山下栄一委員、小林美恵子委員及び団長を務めました私、北岡秀二の九名であり、昨日、神戸市及び徳島市において地方公聴会を開催し、それぞれ四名の公述人から意見を聴取した後、各委員から質疑が行われました。 まず、神戸市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、兵庫県立高等学校PTA連合会副会長太田勝之君からは、愛国心はふるさとや家族に対する愛情が大本であり、意図的に育てるものではなく、自然に心に芽生える感情であること、週五日制導入により文化祭等の学校行事が縮小される傾向にあること、近年の教育上の諸問題について、現行教育基本法の運用で対応し、その精神を生かすべきであることなどの意見が述べられました。 次に、宝塚造形芸術大学教授桂正孝君からは、阪神・淡路大震災と神戸小学生連続殺傷事件という二つの原体験から、地域の教育力再生を目指し、トライやる・ウイーク活動に取り組んでいること、これらの活動を通じ、行政の支援の重要性とともに、教員の努力、実績等を痛感したこと、教育基本法改正に当たっては、憲法との関係、高校や専門学校の位置付け、宗教教育の在り方など留意すべき点もあるため、国民的コンセンサスの形成が一番重要であることなどの意見が述べられました。 次に、大阪府立箕面東高等学校教諭森本光展君からは、学ぶ姿勢と意欲に乏しく、自分中心であり、さらに、ひ弱で孤立した個人となっているなど、子供の気質が変わってきていること、社会全体も関係が希薄化してきていること、ポスト近代にふさわしい理念を打ち立てるとしたら、教育基本法の改正も悪くないこと、しかし教育にのみ伝統と文化の尊重を取り入れることには限界があること、教育振興基本計画によって教育現場に必要な予算措置がなされることを期待していることなどの意見が述べられました。 最後に、神戸大学名誉教授土屋基規君からは、現行教育基本法を変える理由や必要性が明確でないこと、教育の目標を法定することにより教育に国家統制を強める危険が生ずること、教育の自主性を確立するため、教育内容への教育行政介入を防ぐ必要があることなどについて、現行教育基本法の制定過程などを踏まえて意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、子供や家庭、社会の変化の実情と教育基本法改正の必要性、親のしつけや保護者と学校との関係などについて、PTA側の感想、今回の教育基本法改正が五十年、六十年先を見通したものであるかの確認、教育現場が求める具体的な国の支援策、教育条件の整備に焦点を当てて教育基本法を改正する必要性など、多岐にわたる質疑が行われました。 続いて、徳島市での公述の要旨を御報告申し上げます。 最初に、前上那賀町教育長白川剛久君からは、これまでの教育が、徳目、価値観、情緒などの面をおろそかにしてきたこと、そのため、政府案第二条に伝統文化の尊重が明記されたことを大変評価していること、政府案第十五条に宗教に関する一般的な教養の尊重が盛り込まれた意義は大きい、教育再生という言葉は現在の教育が死に体であることを意味しており、そうした状況の下で教育基本法の改正は不可欠であると思っていることなどの意見が述べられました。 次に、龍谷大学法科大学院教授戸塚悦朗君からは、国際人権法上規定されていることをどのように国内法に生かすかが重要であること、現行教育基本法制度の中に外国籍の子供に対する教育制度などで国際人権法違反を構成している実例が見られること、地球社会時代の到来を踏まえ、改正を急がず慎重に取り扱うべきことなどの意見が述べられました。 次に、徳島文理大学短期大学部生活科学科教授富澤彰雄君からは、政府案第四条第二項に障害者への教育支援が規定されたことは喜ばしいこと、青少年の社会的視野を広げるため、体験・奉仕活動の実施が重要であること、新たな行政組織として児童省か子供省の設立が必要なことなどの意見が述べられました。 最後に、徳島大学総合科学部名誉教授石躍胤央君からは、戦後の教育行政改革の三原則として、民主化、地方分権、教育行政の独立があったこと、子供は「なぜ」を積み上げることにより成長していくものであり、自分で物を考える人の育成が大事であること、むしろ教育基本法第十条を守ってこなかったことが教育の問題状況をつくっていること、教育基本法を変えることには反対であることなどの意見が述べられました。 公述人の意見に対し、各委員より、女性の社会進出や高校進学率約九八%の時代に、どのような分野の施策が重要か、現代の日本の教育に欠けているものは何か、政府案及び民主党案の中で国際人権法上欠けているものの具体例、内心にかかわる目標を達成させることが果たして人格の完成になるのか、子供が育ちにくい環境下での福祉と教育との連携・協力の必要性、教育委員会制度の評価など、多岐にわたる質疑が行われました。 会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はこれにより御承知願いたいと存じます。 以上で第二班の報告を終わります。
○委員長(中曽根弘文君) これをもって派遣委員の報告は終了いたしました。 なお、地方公聴会の速記録につきましては、これを本日の会議録の末尾に掲載することといたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後五時四十六分散会 ─────・───── 〔参照〕 新潟地方公聴会速記録 期日 平成十八年十二月四日(月曜日) 場所 新潟市 ホテルオークラ新潟 派遣委員 団長 委員長 中曽根弘文君 理 事 蓮 舫君 理 事 風間 昶君 岩城 光英君 岡田 直樹君 中島 啓雄君 神本美恵子君 近藤 正道君 亀井 郁夫君 公述人 社団法人全国高 等学校PTA連 合会会長 藤井 久丈君 都留文科大学文 学部教授 福田 誠治君 財団法人新潟県 女性財団理事長 大島煦美子君 新潟県立白根高 等学校教諭 吉田 裕史君 ───────────── 〔午前八時五十六分開会〕
○団長(中曽根弘文君) ただいまから参議院教育基本法に関する特別委員会新潟地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします教育基本法に関する特別委員長の中曽根弘文でございます。よろしくお願いいたします。 まず、私どもの委員を御紹介いたします。 私の右隣から、公明党の風間昶理事でございます。 次に、自由民主党の岩城光英委員でございます。 同じく、自由民主党の中島啓雄委員でございます。 同じく、自由民主党の岡田直樹委員でございます。 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の蓮舫理事でございます。 同じく、民主党・新緑風会の神本美恵子委員でございます。 社会民主党・護憲連合の近藤正道委員でございます。 国民新党の亀井郁夫委員でございます。 以上の九名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 社団法人全国高等学校PTA連合会会長藤井久丈公述人でございます。 都留文科大学文学部教授福田誠治公述人でございます。 財団法人新潟県女性財団理事長大島煦美子公述人でございます。 新潟県立白根高等学校教諭吉田裕史公述人でございます。 以上の四名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査を行っておりますが、本日は、四案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただき、誠にありがとうございました。 皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の四案審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、藤井公述人、福田公述人、大島公述人、吉田公述人の順序で、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、藤井公述人にお願いいたします。藤井公述人。
○公述人(藤井久丈君) それでは、座ったままで公述させていただきたいと思います。 全国高等学校PTA連合会会長の藤井でございます。 私どもは、会員が二百五十万人おります。約四千校の高校のPTAの会でございます。昨今、未履修の問題だとか、いろいろ高校教育の問題には問題点が発覚して、ある意味での改善がされるということで期待しておるわけでございますが、今日は教育基本法の改正に関する意見ということで、公述ということでございますが、何分にも準備が十分できていないこともございますが、全体として全国高P連という、全国高等学校PTA連合会、全国高P連と申しますが、もそれぞれの子供たちの親でありまして、いろいろな意見がございます。 そういった意味で、今日お話しすることは、全国高P連全体の意見というよりも、一人の親としてあるいは社会人の一人として私の意見を述べさしてもらうことが多いということを最初にお話ししておきたいというふうに思います。 さて、教育基本法の改正でございますが、これは大変、戦後からの日本の教育に対する大きな指針でございましたし、教育の憲法ということに値するものだというふうに認識しておるわけですが、その当時の現状と比べて全く今の状況は違っているということを私どもは当然理解しておるわけでございまして、そういった意味では、教育の不易と流行といいますか、一つ神髄として流れるもの、そしてまた、その時代時代に合わせた流行といいますか、いい意味での流行でございますが、こういったことをしっかり押さえていくという中では、教育は百年の計と申しますが、百年ではちょっと遅過ぎると、もっと早めにしなければならないということですので、全く時宜を得ていることだというふうに思うわけです。むしろ、二十年あるいは三十年に一回は見直しということが必要だというふうに考えておったわけでございます。 さて、昨今のいろいろな子供たちの状況を見ておりまして特に思うことでございますが、ちょうど私たちの年代というのは、私は団塊の世代のすぐ後になりますが、ちょうど東京オリンピックのころに深紅の、真っ赤なブレザーを着た選手たちが一糸乱れず行進していた、それをカラーテレビで最初に見たような時期の私たちでございますが、そのときに、すばらしいなと思う反面、一人ぐらいちょっと違った格好をしていてもいいんじゃないかと、あるいはみんな同じ格好はちょっとおかしいんじゃないかということを思うようになった年代でございます。そして、その当時はアメリカには大きなテレビとソファーがあって、台所には大きな冷蔵庫があって、車は二台あってというような、そういうことを考えていたときに、個人といいますか、一人一人を大切にするということ、そして人と違っていてもいいじゃないかということを思いつつおった私たちの世代でございますが。 そういったこともあって、個人、個というものを大変重要視してきたわけでございますが、昨今の子供たちの状況、それから、子供たちだけではございません、ある程度の年配の方々も含めて集団の中における、公共の中における自分たちの位置付けあるいは協調性というものが非常に欠けているように思われるので、そういう意味で、今回の教育基本法の中で私が一番着目しましたのは、やはり公共の精神ということを少し取り上げて強調している点が一番私としては大切なことだというふうに思っておるわけでございます。 そしてまた、これも、この教育基本法が改正というか、古いものを直すというよりも改めて見直すと、見直してそれを再認識する、よく言う言葉でございますが、リエンジニアリングと言いますが、そういった意味でのこの改正ということであれば非常にいいわけでございまして、その中で家庭教育というものは第一義的に親が責任を持つという、こういったことも改めてここで強調されていることも非常に大切だというふうに思っておるわけでございます。 それともう一つは、学校、家庭及び地域住民の相互連絡、協力ということでございますが、これも、戦後の当時とは全く違いまして、改めて重要視する必要があるというふうに思うわけでございます。 そういう中でこれを見てみますと、いろいろ新しく項目に加えたことがたくさんあるわけでございますが、例えば生涯学習の理念でございますが、これも時代の趨勢の中で人口の構成も変わってきているわけでございますが、少子高齢化の中でいろいろな意味での教育機関、特に大学も平成十九年度から全入時代になりますが、そういった中で、むしろ団塊の世代たちが出てくる中で生涯教育ということは大変大切であるということも認識しております。 いずれにしましても、今回はこういったことの中で日本人の良さ、そしてそれが国際的に羽ばたいていくという中でのそういった意味合いということをすごく感じております。これは、二〇〇〇年度の教育改革国民会議の中でそれを初めて目にしたときに、ああ、日本人の良さはここだと、これをもって世界に通用するような国になるためにはしっかりとした教育が必要だということを改めてこの教育基本法の改正の中に私は見たような気がいたしております。 いずれにしましても、今回はこの改正ということに関しては非常に時宜を得たものであるというふうに思うわけでございますが、この審議、一つ一つの審議あるいは一つ一つの言葉の意味合いということをしっかりかみしめて具体的な計画、内容に進めていくことが必要だというふうに思うと同時に、実際にこの内容というものを、これはPTA、親そして世の中の人すべてがもう少し認識するような、そういう方法を取って知らしめるべきことだというふうに思っているわけでございます。 それから、最後でございますが、一つ気になることがございます。教育行政の中で、国と地方公共団体の適切な役割分担と相互協力ということがございます。 これは、正に地方分権という意味の中で大切なことではございますが、この役割、その責任ということをよく考えてみないと、せんだってもありましたような、私から見ていて非常に不思議に思ったのですが、未履修問題のときのその責任の所在というような形の中で少し話が動いたことに関しては、いささか、日本の教育危機管理というものに対して少し不安を覚えるわけでございます。むしろこれは子供たちそのものが被害者でございますし、その中でいろいろなところが協力して、だれが悪いとかだれの責任だということではなくて、しっかりとこれに迅速に対処する必要があったと思われるわけでございます。 そういった意味で、この教育行政、特に国と地方公共団体との役割というものをよく考えて、すき間がないようにしっかりと連携を持って、お互いに責任を持ちながらしていただきたいと思います。 それからもう一つ、最後でございますけれども、こういった大きな流れを教育基本法の中で決めながら、実際には教育振興基本計画というものをしっかりしていきながら、本来の教育あるいは学力といったものはどういうものであるかということを考えながらの具体的な計画に速やかに移って、これこそ日本全体に知らしめるべきことだというふうに思っております。 私のこれはあくまでも私感でございますが、お話しさせていただきました。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 次に、福田公述人にお願いいたします。福田公述人。
○公述人(福田誠治君) 私は大学で教育学を専攻しておりまして、教えていますのは比較文化学科ですので、世界の視点から物事を考えるということをやっております。そこから見ますと、現在の日本の低学力というのは、質の問題からすると大変な問題であると。簡単に言ってみれば、受験が終われば忘れてしまうような知識を一杯詰め込んでいて、思考力が育っていないという、ここではないかと思われます。 それで、世界を見渡してみますと、ヨーロッパの躍動というのはとても大きなものがありまして、現在二十五か国、四億六千万が国境を越えて移動をするという時代に入っています。ですから、一つの会社の中にいろんな国の人たちが一緒になって働いていて、そこに移民までやってくるという時代に入っています。 私のレジュメ、順番に前に行きますけれども、二ページ目のところですが、そういうところで愛国心と言ったらアウトなんですね。つまり、グローバルな時代に愛国心が御法度であると。そうすると、今までそれぞれの国が国民を育てるという形でやってきたんですが、ヨーロッパはどちらにかじを切ったかというと、市民を育てるという、その中に公共性も含まれています。ほかの言い方ですとシチズンシップと言いますか、そういう新しい国際化の中でどういう人間を育てるかという議論をしていきました。 表にまとめましたが、一九九九年には実はEUは大学の単位を合わせてしまいます。学部三年、修士二年ですね。それで資格も合わせていくんですが、二〇〇二年に、コペンハーゲン宣言と言いますが、ここは職業教育の資格をすべて合わせてしまいました。もうロシアはそちらに行くと言っておりますので、日本のすぐ隣がヨーロッパになる日は近いと。 それで、残る問題は義務教育なんですね。義務教育は、一九九九年ですが、そこにDeSeCoという組織が出てきまして、これはスイスの連邦統計局ですが、スイスはEUに入ってないんですけれども、金融とそういう情報は握るという、そういう戦略のようですね。義務教育をいかに統合するかという議論に入っていきました。二〇〇二年にこの結論を得て、二〇〇三年にその結果が出ております。 なぜか、何でこんな動きが出てきたかということですが、DeSeCoはOECDの組織なんですけれども、この間、パリに二日間、OECD本部のある会合に出ました。彼らは、前身はマーシャル・プランであると、ヨーロッパの復興を懸けているんだという、そういう意気込みでいました。 三ページのところに、OECDや世界銀行が知識観をこの十年ぐらいに急速に変えたと。一九九〇年代に国際機関、とりわけ経済組織であるOECDとワールドバンクが急速に学力に関心を持ち始めました。彼らは、自ら積極的に知るという、そこですね、英語で言いますとアクティブノーイングと書いてありましたけれども、世界銀行は人的資本として適応性、創造性、柔軟性、革新性、それを教育が提供すべきだと。要するに、死んだ知識を幾つ詰め込んでも使い物にならないというのがもうその経済界の常識になっていて、彼らは脱規制的教育制度、それによって、つまり知識の枠、枠は知識の名前があるけれども、その中身というのは常に変化していくんだと、そういう学び方をしなければならないというふうに考えました。 そこで、PISAという、OECDが開発をします、今日持ってきましたが、これは文部科学省がこういうパンフレットを作って、PISAという、PISAのPはプログラムのPで、Iがインターナショナル、Sはスチューデント、それでアセスメントのAが付いています。PISAというテストを開発したのは、それまでのテストでは駄目だというふうに考えたからです。それまでの詰め込み、彼らのターゲットは多分東アジア型教育に向かっていると思うんですが、そこをいかに乗り越えるかですね。詰め込み教育でいくと創造性とか批判的思考とか自己信頼とか、今四ページ目の辺を読んでおりますが、そういう大事なものが損なわれてしまうと。だから、新しいテストを開発して思考プロセスを測るようなものをしたいと考えました。 同時並行的にですが、そのDeSeCoと一緒にEUの方の欧州委員会の教育総局というのが、義務教育における教育目的としてのコンピテンシーというのを二〇〇二年に国別レポートを出させまして、そのまとめをしました。両方ドッキングして、四ページの下の方に書きましたが、キー・コンピテンシーという新しい学力像を打ち出しました。 コンピテンシーというのは、職業教育とか企業で使っている、あるいは社会教育あるいは生涯学習で使っている言葉ですね。実践的な力ですね。その中に三つ、一、二、三とまとめましたが、異質集団内で相互交流すると。要するに、多様な能力、多文化の中でいかに能力が使われるか。もう一つは、自律的ですね。自律的というのは、まあ簡単に言えば他人の言いなりになるなと。一人でも正しいことは主張しなさいといいますか、そういう批判力を大事にして、自分で判断しながら、自分で判断した以上は自分で責任取りなさいという、そういう市民性を育てようとしています。 どんなテスト問題が出たかは五ページに載せておきましたが、時間がないので飛ばしまして、六ページに結果が出ていますけれども、日本の深刻な問題は、無答、無回答、白紙で出してしまうのが一杯いると。OECD平均の三倍もいるわけですね。私が感動したのはアメリカでして、無答は少ないけど誤答が多いといいますか、そういう、とにかく自分の言い分は通すといいますか、こういうのがテストで見えてくるわけですね。ですから、批判的に理解しながらどう人間として交流するかという、そちらに目が向いているということだと思います。 そうすると、フィンランドがその中の優等生であるといいますか、これは近ごろ経済界でも相当注目をされています。インターネットを見ていますと、日本はエストニア、フィンランドに勝てるかなどという記事も出てくるんですが、フィンランドは世界の果ての、ヨーロッパの果てのといいますか、農業国だったと。七ページにある本がありますけれども、まさかこんな国がそのIT産業の世界先端まで上り詰めるとは思わなかった。人口は少ないし、人手不足だし、外国語も苦手だと。ところが、今行ってみると、とても英語は上手で、愛国心も強いし、徴兵制もあるらしいですけれども、でも隣近所ととても仲良くやり、貿易相手として、ロシアとも国境線接していますし、スターリンの時代に領土問題、たくさんの領土を取られましたから日本と同じような状況にあるんですけれども、彼らは対立せず、どうやって貿易相手としてうまくやっていくかという、頭にあって、経済発展力というのが国際競争力ですが、それも目覚ましいものがあります。これはスイスの統計機関がきちんと毎年測っていますが、今年はスイスに次いで二位ということになっています。要するに、いわゆる構造改革をフィンランドは福祉国家の枠の中で上手に受け止めたということかと思います。 八番目に、有名なPISAの国際比較のランキング表がありますが、向こうから言わせると、確かに上の方をずっと、上位、まあ五点ぐらいは誤差の範囲内ですので同じだと見ていきますと、日本も大したものでして、この間のOECDの会合では、フィンランドは確かにいいけれども、それと匹敵するのは韓国、香港、日本であると言っていました。ただ、読解力はちょっと見劣りしますが。 それで、フィンランドはどんな教育をしているのかというのは、今日はカラーで印刷してきましたが、九ページのところに私の撮った写真、かわいい女の子が、特急に乗ればこういう感じでごく自然に本を親が読み始めるんですね。写真撮ってもいいかと聞いて、いいと言ったので撮りましたが、一歳八か月の子がじっと見入っていると。それで、図書館へ行けば小さな女の子がそうやって本を自分で選んでいると。授業中は何と編み物している子までいましたね。編み物しながらですが、そのうち何とかなるわよと言って、九ページの横に、自然に授業に入っていきます。必要ならば、これは英語の授業だったので、編み物しながら口では英語を先生の言うとおりにやっていた。 十ページのところに、ある日の六歳児がありますが、十三人クラスでした。大体、小学校は十六人平均です。中学校は十一人平均です、統計上ですね。十三人ですが、このとき先生の話聞いていたのは二人だけっていいまして、それでノートに向かっていたのが三人で、内にこもって一人で積み木やっている子もいれば、三人ぐらいが粘土細工で、前の授業をやっている子もいると。 それで、要するに自分で学べというのを徹底するんですね。その代わり嫌がるものは強制しない。でも、子供だからそのうちやる、何とかなるわよ言う。日本で言えばこれは学級崩壊かとびっくりしましたけれども、まあそのうち何とかなる。で、なるんです。要するに、他人の邪魔はしてはいけない、これは徹底しますが、学び方は自分で探せ、その代わり自分で学べるようにいろんな仕掛けがあります。たった一人でも補習をします、やる気になればする。 十一ページに、これは公式統計ですが、OECDの統計によりますと、学力格差の統計ですが、ゼロよりも左側は学校間分散です。学校によって違いが出てくる部分です。右側は学校の中での差です。コピーが不鮮明ですので裏に原版を載せておきましたが、ずっと下のフィンランドを見ますと、学校の違いというのはほとんどないんですね。その代わり学校の中で学力差はある。要するに、学力差は認める、でも、その背景になる家庭的な環境の格差は何が何でも埋めていくというのがフィンランドの迫力です。これはすごいものです。 要するに、十三ページの上によく言われる言葉を載せておきましたが、教育というボートに乗った子供は一人たりとも落とせないと、この迫力はすごいものがありました。 フィンランドでは、学校とか学級は統合でいろんな人がいますが、中の教え方は個別です。一人一人に合うように、マイペースで学べるようにします。そこが日本の足りなかったところかなと。つまり、教員の質をとにかく高くして、それでその先生にすべてを任せる。任せるということは途中の監視・管理機構を全部なくせますから、小さな政府にできたということですね。その本人が常日ごろ自分の教室の中で全部でき、ふできをチェックできる体制、そこまで専門家に育てる、言わば医師のように育てていくわけですね。そこまでしておりました。 それで、教育基本法のお話にしますが、これは随分不思議な教育に見えますけれども、実は戦後の日本である時期やろうとしていたことなんです。実は、十五ページのところですが、早口で時間がないので行きますけれども、日本国憲法が地方自治を主要原則の一つとして、教育基本法は精神内容あるいは知識内容、広く言えば人間の育ち方、具体的に言えば教育内容・方法への不当な支配を否定して、教育行政を諸条件の整備確立に制限しました、これが十条ですね。そして、目的として、自主的精神に満ちた国民をつくる、一条ですね、それを自発的精神を養うことで育てようとしました、これが二条ですね。ですから、教育委員会もできた。 文部省の設置法では、管理監督官庁から指導助言官庁へ移ると。今までの教育というのは中央で決めて画一的に行ってきていたと、それを地方でそれぞれ合わせて工夫をしなさいと、教師が言われたとおり動くようなものでは機械でもできるということをはっきり文部省の指導要領の中に書いてありますね。その文献に書いてあります。 さらに、社会科の教科書の最後のページには、「教師及び父兄の方へ」というページがございました。これを幾つか拾ってきましたが、従来の教科書と同じように考えてはいけないと、これは文部省検定教科書ですけど、この本に書いてあることを順々に説明したり暗記させたりしては困ると。この本によって得られるものは決して十分ではない。それらはまた他の方法によっても得られるものである。だから、この本を読ませたり理解させればそれで社会科の学習が終わったと考えたり、無理をしてもこの本に書いてあることだけは理解させなければ社会科の学習が成り立たないと考えたりしては困ると言っているんですね。だから、最後の十六ページですが、教師は児童が印刷された本だからといってこれを無批判に受け入れることのないように指導を加えてほしいとまで文部省が言っています。 この立場は、要するに知識というのは自分で切り開いていけ、獲得せよという立場はフィンランドの立場にとても近く、言ってみれば現行の教育基本法は世界のうねりの中でかなりレベルの高いところまで来ていたのではないか、むしろ未来志向ではないかと。だから、私の結論は変える必要はないということですが、最後に、これは厚生労働省が、インターネットで出てきますが、未来志向としてとらえているフィンランドの様子を囲みで入れておきました。 以上、終わります。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 次に、大島公述人にお願いいたします。大島公述人。
○公述人(大島煦美子君) 私は、研究者でもなく普通の生活者の視点で、また女性の視点で、それから母親の視点でと、そういうような形で感じていることをお話しさせていただきたいと思っております。 本題に入ります前に、十二月一日の夕方に参議院さんの方からお話がありまして、突然の電話で、私なんかが公述人という重責でよろしいのかしらと思っておりました。二日の夜に基本法の案がどさっと届きまして、そして三日は私、仕事で新潟県の上越市の方へ向かっているそのときに初めて、その移動中の往復のときに送られてきた資料を必死になって読み込むという、そういう作業でございまして、仕事も過密スケジュールだったものですから、正直言いまして、余り案件を、何というんでしょうか、ゆっくりと読み込むとまではいきませんでした。でも、気になったところをお話しさせていただきたいなと思っておりますが、国会の常識は生活者にとってはすごい非常識なんだなということをちょっと肌で感じさせていただきました。 でも、こうやって国会の議員さん方がお出掛けいただいてまでもお話を聞いていただけるということですので、いろいろ日ごろ思っていますことやら、それから、お送りいただきました案件の中に見えている私としての気持ちみたいなことをちょっとお話しさせていただきたいと思っております。 私はかつて、もう子供はすっかり成人しておりますが、義務教育時代に小中学校のPTA会長、その当時は女性が会長をするというのは新潟市にとっては珍しいことでもありましたが、頑張ってPTA会長を何年か務めました。そのときの、まあ今とは時代がちょっと違いますが、先生方に触れましたときには、本当にすばらしい先生方がたくさんいらっしゃいました。中にはへんてこりんな先生もいらっしゃいました。ですから、何というんでしょうか、基本的にはすばらしい先生方が一生懸命教育に当たるときのモチベーションが下がらないような、その燃えたぎっているエネルギーをそのまま子供にぶつけていただけるような、そういういろんな決まり事になっていけばいいのかなという思いでおります。 私自身の仕事は今、新潟県の出資法人の理事長をしておりまして、内容は、女性の地位向上のため、それから今この少子高齢化時代、それから人口減少が始まっている中で、最もしっかりとした視点を持って進めていかなければならないのではないかなと思っております男女共同参画社会を根付かせるといいますか、そういうようなところのいろんな切り口で新潟県内で啓発事業を行っているものでございます。 世界の流れから見ますと、もう釈迦に説法かと思いますが、いわゆる日本の人間開発指数といいますか、HDIですね、それは一番直近の発表では七位ということで、百八十前後近くの七位ですから、日本社会というのはやはり豊かで、さすが先進国と言われるんだなという思いがあります。 でも、いわゆる女性の能力活用といいますと、分母も、いわゆる発展途上国ですか、というようなところは答え切れない国もあるのかなと思いつつ、半分に減ってしまいまして、その中でも四十二位とか三位なんですね。そういうところを考えますと、教育の中に、いわゆる判断基準を男だから女だからということではなくて、みんな同じ人間じゃないか、その人の個人の能力、個性を、いわゆる人権ですね、男性にも女性にも同じ人間の尊厳というものがあるということで、人権を教育の中で認め合える、そのようなところに視点をしっかり持っていただければ、先進国と言われている日本でも女性の能力活用がなかなか、発展途上国、こんな言い方大変失礼なんですが、えっ、この国ってどこにあるのというような国に負けている順位なんですね。ですから、そういうときに判断基準を男だ女だではなくて、その人の個性、能力を十分に認め合える教育の現場であってほしい、また本人もそういう中で育つことで、いわゆる今のいじめですね、いじめの問題なども解消していく部分ができてくるのかなという思いが、私の今、仕事を通して感じておりました。 少しここで、いただきましたのを必死になって読み込んだ中で感じていますことをちょっとお話しさせていただきたいと思います。 政府案の第二条の五に「我が国と郷土を愛する」云々で「態度を養う」ということに書いてありました文言に触れましたときに、私はちょっとはっといたしました。 まず、この「態度を養う」という、その態度という言葉に、えっ、これって何が養われるんだろうという思いになりまして、広辞苑を開いて態度ということがどういうことかということを確認したりしながら、家に帰って夜、態度というのを広辞苑で読み込んだりしました。 このときに、生活者としては、いきなり国を愛せとか何とかというよりも、まず足下から、それから身近な人たちと心を寄せ合う、そしていわゆる認め合うというところに力を入れていくことで、自分の住んでいる地域がいとしいものに感じられたり、それから人間関係が、すばらしい関係づくり、パートナーシップとかそういうものがはぐくまれていくのではないかな、そういうことの階段を踏んでいく先に国、自分の生まれた国に対する思いが膨らんでくるのではないかなという思いがいたしました。ですから、心の状態を上から押し付けることとか、法律で決め付けられるものではないと思いました。 まず、他者を認め、多様性を認め合える教育が必要なのではないかな。身近な人から、身近な地域からという部分に心を寄せ合うというところから、大上段に構えるのではなくて、細やかな気遣いをしながらの教育がここには大切なのではないかなと思いました。それぞれの自発的な意思に支えられなければ国は守られないのではないかなという思いがいたしました。 それから、民主党案の前文にも愛国心という言葉がありましたが、これも大変気になるところでした。私は、鎖につながれていても玉座に座っていても私は自由である、なぜなら心の中まで人は支配できないものであるからと、たまたま以前友人に聞いた、ローマ時代の奴隷になった哲学者の言葉ということで聞かされていたことがありました。それを夕べふっと思い出しました。 また、政府法案の第十六条の一項、二項、三項からもうかがえますし、民主党案の第十八条辺りからも教育行政の責任者みたいなことが読み取られますが、地方自治体の首長が替わるごとに教育行政が変わるのかなと思うとこういう文言は少し不安。教育を受ける身、私はもう子供はあれですけど、今度やがて孫の時代になると思いますので、その孫の教育のときに、いわゆるトップになっている人の思いでころころ変わっていくのかなと思いますと、どこにしっかりとした照準を当てていけばいいのかなというのは私の中では今分かりませんが、ちょっと不安に感じたという意味でお話しさせていただきました。 それで、どの条文というわけではございませんが、今、日本社会は確かに格差社会というものが、地方ではなおのこと、経済状況が身につまされる思いがたくさんございます。でも、子供の教育には、親の地位とかそういうことで差別が絶対あってはならないと私は思っております。何よりも基本法でありますから、理念法であると思うんですね。そういうときに、学力を高めるということは、心もはぐくむ人間の総合力水準を高めるものであってほしいと願っております。 教育、今再生会議ということでいろいろ問題がありますが、ここで一つ、私は、これは絶対やめてほしいと思うことがございました。この場で言っていいのかどうか分かりませんが、お話しさせてください。 保護者、児童生徒らが参加する先生方への外部評価というのがございましたが、確かに評価を受けなければ大変な先生方もいらっしゃることは認めます。でも、子供や親というのはいろんな考え方を持っているし、いろんな生活レベルの人たちがいるわけです。あの教育再生会議の出席者、委員の皆様を見ていますと、余り生活の御苦労とかそういうことはないのかなという思いの中で見させていただいておりました。小さいうちから人を評価する、自分の思いだけで、自分の持っている物差しで相手を測り込む。例えば、A先生に対してBさんはすばらしい先生と言い、Cさんは駄目だと言う場合もあるわけですね、その人の持っている評価基準で。ですから、ここのところは十分に論議いただきたいと思いました。 先ほども言いましたが、これからの人口減少社会の中で、地域社会の活力の確保と経済の維持の担い手となる人材をいろんな分野の人たちとの協働で、いわゆる十に力三つですね、で働く、協働で育て上げるというような教育になっていっていただけたらなと思っております。 いじめの問題も、違いが認め合えられればそんなに自分と違う人をいじめの対象にはしていかないのではないかな、人権教育だと思いました。 それから、もう一つ最後に、日本は物づくりで成り立っている部分が大きいかと思います。資源がない国です。大学教育だけに力を入れるのではなくて、いわゆる手に職を付ける、職人さんたちの世界がもっとバラ色の世界になるような、すばらしいところなんだよということも発信できる教育であってほしいと思いました。 燃えている先生のモチベーションが下がらないことにも御留意是非いただけたらなという、もっともっと一杯お話はありますが、これで終わらせていただきます。 以上です。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 次に、吉田公述人にお願いいたします。吉田公述人。
○公述人(吉田裕史君) よろしくお願いします。 本日、公述人として意見を述べさせていただくことになり、感謝しております。 私は、新潟県の高校教諭として二十三年目を迎える者です。これまで様々な生徒とともに歩んできた経験から、教育現場の実態と、現在進められている教育政策の問題点を訴えさせていただきます。その上で、現行教育基本法の理念を生かしていくべきだということを述べたいと思います。 初めに、高校生の現状についてお話をします。 現在、私の勤務する新潟県立白根高校は、昭和三十七年、一九六二年創立で、四十四年経過する一学年四クラス、全十二クラスの普通科高校です。旧白根市唯一の高校として地域に根差した教育が行われてきました。先ほど富山県のPTA連合会の会長さんの方がおっしゃっていましたけれども、北信越のPTA連合会の発表会にも、白根高校のたこ合戦への参加とよさこい踊りに職員と保護者と生徒がともになって活動をしているようなことも学校の方から発表させていただきました。 しかし、新潟市に隣接することから、地元中学校の生徒は新潟市内への進学を目指す傾向が強く、旧新潟学区への編入を求める住民運動が行われた歴史もありました。昨年三月に新潟市近隣十二市町村との合併が行われ、現在は新潟市になっています。 この夏に三年生にアンケートした内容を御紹介します。現在の高校三年生が入学前に抱いていたイメージと、この二年半で学んだ今の白根高校のイメージを問いました。 不良がたくさんいる──全く違ういい学校。入ったらだれでも一回はぼこぼこにされる──そんなことは全くなかった。先輩が怖そう──先輩は優しくて学校生活が楽しい。どこかにたむろっている髪染めばかりのばかの学校──そういう人は一部だけ。入学前のネガティブなイメージはどこからくるのでしょうか。 先週、現三年生に聞いてみたところ、中学校ではいい高校に入れるように勉強する子と全くしない子に分かれていたことを話してくれました。いい高校に行けばいい大学に進学できると思っていたこと。ならば、白根高校はいい学校ではないのかと聞いたところ、中学校の先生にそう言われたと答えた生徒もいました。 実際、入学時から学習意欲をなくしたまま学校生活を送る生徒がいます。授業中に私語を絶やさない生徒がいたり、遅刻、中抜け、早退を繰り返し、出席時数が規定に達しない状況が出て休学に入る生徒がいます。さらに、八科目も九科目も赤点を取って進級できる状況にないまま、あきらめてしまう生徒もいます。その結果、進級や卒業ができない生徒が毎年多く出る現状があります。 そこで、今年から、一学期赤点となった科目を持つ生徒を夏休みに全科目一週間ほど補習し、課題考査を実施して合格点に達する者は赤点を解消することとしました。さらに、二学期中間考査の成績を合わせて保護者面談を行っています。そのような指導を繰り返す中から、中学のときは付いていくのが精一杯だった、理解できなかったから苦痛だったと考えていた生徒も、先生や友達が理解できるまで教えてくれるから楽しいという感想を書いてくれました。 現在進められている教育政策の問題点をお話しします。 私には中学二年生と小学校六年生の子供がいます。毎日のように塾や教材会社のダイレクトメールや家庭教師の勧誘電話が掛かってきています。直接セールスマンが自宅まで来て説明していくこともありました。内申書の点数を上げるために、中学校の定期考査を予想し、その対策問題をまとめたものを百万円ほどで提示していった業者もあります。 中学校が相対評価から絶対評価に変わったこと、学年順位等は付けずに志望校の合否を判定するものはなくなったことと、全県八学区ある普通科高校の通学区域を全廃し、全県一学区にする県教委案がこの九月に出たことから、塾等の勧誘は一層拍車が掛かることは明らかです。 全県一学区は、二回の検討会議を経て九月に県教委案が出され、上中下越三会場での意見聴取及びパブリックコメントを集約して、最終案を公表する段階に来ています。 資料に同封いたしました新潟日報、地元の記事をごらんいただければというふうに思います。別紙にありますように、「生徒確保へ戦国時代」という見出しで地元新聞にも報道されています。県中学校長会が全県の中学校長に行った望ましい学区の調査では、三から五学区が最多の五四%と、複数区を支持する声が過半数を占めています。県下三会場で開かれた説明会でも、中学生の保護者から、中学生のストレスが増大していることなどが述べられました。結局、行きたい学校を選べるのは一部の学力が高い生徒の自由だけであること、今でもある学校間格差が更に進むという危惧が述べられました。 県内では、スーパーサイエンスハイスクールや県教委の重点施策である大学等進学率向上施策による予算の上乗せが一部の高校にのみ配当されたり、理数科に医歯薬学コースの設置や普通科に特進クラスの設置を進め、大学入試実績を上げるような際限のない競争が拡大されています。七限授業や土曜補習、そして受験科目に特化した特編授業、今回の未履修問題もそのような背景から生まれたものです。 新潟県では、六年制中等教育学校が四校設置されています。全国の公立中等教育学校十九校中の四校と、突出した状況になっています。さらに、来年からもう一校設置されようとしています。別紙の、これは上越地方の記事でありますが、別紙をごらんいただければというふうに思います。別紙にありますような説明会で、「公立中学の英語は週三時間。それで本当に身に付きますか? うちは毎日ある」などと強調したとの報道もあります。正に競争による学校選択が強化され、義務教育段階から複線化がなされる実態が明らかになっています。義務教育段階から習熟度別授業や発展的な学習で差別化された子供たち。そして、私学まで含めた中学生獲得競争。新潟県でも私立新潟明訓高校が来年度から中等部を設置し、中高一貫校としてスタートすることとなりました。 入りたい学校、学校選択の自由といいますが、その競争に勝ち抜くためには経済的にも負担が大きく、さらにはこれまで以上の受験学力を要することになります。その経過の中で優越感や劣等感を持つことが子供たちの成長に妨げとなるばかりではなく、そのストレスがいじめや自殺などにもつながるのではないかと思います。 小学校から大学まで、競争を基盤とした教育環境づくりが自由化や個性尊重の名の下に進行しています。これらは一部のできる子対策であり、現行教育基本法の目指す全人格的成長にはつながらないことを強調したいと思います。今、公教育に求められているのは、教育基本法第三条教育の機会均等と、行き届いた教育を実現することです。 三番、教育基本法の改正によって更に競争が進み、格差が拡大すること。 中教審や文科省が進めている義務教育の構造改革は、学校選択の自由、第三者機関による学校評価制度などを柱としていますが、これは学校間競争を激化させ、経済的格差が広がる中では教育格差を広げることでしかありません。教育の機会均等という教育基本法の理念が破壊されます。東京都足立区が学力テストで予算に差を付けるという方針を出して、撤回した経過がありました。教育再生会議が行おうとしている政策も同様であり、教育バウチャー制度など、格差を一層拡大、固定化し、教育の機会均等が損なわれるものです。 現行教育基本法の理念を生かす教育の実現を願っています。 一九八〇年代の校内暴力、落ちこぼれという社会問題がありました。私は、一九八二年に新潟市内の中学校で常勤講師を三か月間務めた経験があります。たばこやシンナーを吸い、校内を破壊していく生徒たちへの対応で悩みました。消火器を噴出させたり、牛乳瓶を廊下に投げ付けたり、授業妨害や器物破損が相次ぎました。荒れる子供たちがいる一方で、五百点満点で学年順位を付けると四百九十三点をトップに最下位まで序列を付けていく一覧表が作成されていました。正に偏差値と言われるものに当時の中学校が規定されている現実を知りました。それにより高校入試がランク付けされ、結果的に不本意入学や中退につながる事例も問題にされていました。 現在の課題は、学習意欲の二極化です。今進められている施策は、更にその格差を拡大するものでしかありません。 日々、クラス担任は生徒児童の顔を見て、その子供の状態を知ります。教科担当は授業を通じて、子供の様子がおかしければ話し掛けたり、クラス担任との連携を図ります。遅刻や欠席が多ければ、家庭への連絡をしたり、あるいは家庭訪問を行います。これは教師が子供やその親に直接責任を負っているからであり、ここに教師としての誇りが生じるのです。これは現在の教育基本法第十条の、教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきであるに根拠を有しています。政府改正法案では見事にこの部分が削除されています。 まとめます。 政府改正法案は、現行教育基本法第十条の「教育は、不当な支配に服することなく、」は残したものの、「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」とし、「国は、」「教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない。」、「地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るため、その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない。」としています。第十六条一項、二項、三項です。 これにより、政権与党が国会で教育内容を含めて教育施策を策定できるようになります。地方では首長がマニフェストに教育施策を載せ、当選後は議会でそれを策定することとなります。すなわち、政権政党、首長、行政によって教育支配が合法的に行われることとなります。これは現行教育基本法第十条が最も禁じていることであり、戦前の教訓を無にするものです。 政府法案第二条「教育の目標」、二号「個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、」、第五条二項「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ」からは、できる子づくりや能力主義教育を加速させようとしていることが読み取れます。就学時期の弾力化や習熟の程度に応じた発展的な学習の充実、多様な学校選択などの施策は、早い段階からの教育機会の制度的差別化を推進し、エリート教育を推進することを意図しています。できる子の立場に立った能力観で教育が進められていけば、保護者の経済力との格差も相まって教育にも二極化が進み、機会均等原則が崩されることになります。 発達可能性を尊重されることは人間の権利であり、その権利を保障するのが義務教育としての普通教育です。能力観を転換することはその権利を否定することです。 政府法案第二条三号「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、」や、五号「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、」は、愛国心や公共精神を強制し、国民意識の統合を図ろうとしています。 国民の広範な声を聞く目的である内閣府タウンミーティングにおいて、政府は教育基本法改正を支持するやらせ質問をさせていたことが発覚しました。これまで教育改革フォーラムやタウンミーティングなどを通じて、教育基本法改正が国民に浸透してきたとしていましたが、世論操作をしていたことが明らかとなりました。その内容解明、責任も明確に示さず、慎重審議を求める国民にも目を向けることなく、衆議院で野党欠席のまま委員会採決、本会議採決が行われました。 教育を現場で支える教職員の誇りを奪うような法改正や教育改革はしてもらいたくありません。現場教職員を代表して、このことは特に強調して訴え、私の意見陳述とさせていただきます。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 また、発言は私の指名を待ってからお願いをいたしたいと思います。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○岩城光英君 岩城光英です。 ただいまはそれぞれの立場からの貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございます。時間が限られておりますので、早速質問に移らせていただきます。 最初の質問ですので、まず、基本的なことを四名の公述人の皆様方にお伺いしたいと思います。 現行基本法が制定されましてから六十年近くたつわけであります。この間、大きく世の中が変わってまいりました。価値観も制定当時から比べますと非常に多様化しております。こういった中で、今回出されております政府案それから民主党案、それぞれ生涯学習の理念とか家庭教育とか、あるいは幼児期の教育などの条文を新たに加えております。先ほど藤井公述人のお話にもありました二十年、三十年ごとに見直しが必要ではないかというお話いただきましたけれども、この点、やっぱり守るべき理念はしっかりと堅持しながらも時代の変化に対応できるように見直しするところはしていくということについてのお考えについてはどのようにお思いでしょうか。藤井さんも、先ほどお話ありましたけれども、なお付け加える点がありましたらお願いしたいと思います。
○公述人(藤井久丈君) 先ほども話したところでもございますが、教育の目的としての人格の完成を目指して、平和で民主的な国家及び社会の形成者としてというこの部分というのは現行法でも変わりませんし、そういった意味でこれは不変なものだと思っています。 ただ、今おっしゃったように、いろいろな問題が出てきています。長寿社会でもありますし、それから先ほどちょっと言い忘れましたが、ちょうど今の問題になっている二十歳前後、高校生から、若い人たちの中で問題行動いろいろございますが、例えばいじめの問題、それから問題行動と言われる、私どもちょっといろいろ調査したんですが、例えば万引きだとか自傷行為だとかそういったものというのは本来的な家庭の在り方、これ調査しただけでは、家庭でそういう話をよくするかとか食事を一緒にしているかだとかそういう基本的なこと、それから学校が楽しいか、学校の先生がすごく平等に扱ってくれるかといったことと非常に関係しておりまして、そういったものというものの見直し、それからITの問題、テレビから始まっていろいろな雑誌、有害雑誌そしてまたインターネット、携帯電話といったものがやはりかなり影響しているというふうに思いますので、これはここ二十年のスパンでございますので、そういった意味でやはり二十年、少なくとも二十年たつといろいろなことが変わりますので、こういう基本法というのはしっかりとその都度見直しが必要だというふうに思っております。
○公述人(福田誠治君) 私は、憲法、教育基本法はその時代では世界最先端といいますか、その流れに合ったと思いますが、限界は教育を受ける権利といいますか就学義務といいますかね、国が用意したものを受け取るのだという規定になっている。その前はそんな権利もなかったんですから、確かにそれは前進だったんですが、現在は世界人権規約とか子どもの権利条約に書かれているように、アクセスツーといいますか、教育への権利と規定されています。 それは、一人一人に必要な教育が得られるように、だから大人の方は一人一人に合った教育を準備するといいますか用意するといいますか、だから一律に学校があるから学校に行けばいいのだという発想ではなくて、それぞれに合うような、いろんな能力があるでしょうから、その伸び方も人によって違うでしょうから、例えばフィンランドなんか面白かったのは、学年制は認めるんですが、底上げはするけれども上の伸び方というのは一切制限しないんですね。だから、そういうやり方でないともう現在はもたないんだろうと、いろんな人がいますので。だから、平等というのは不利益を被らないという形に読み直して、それぞれ障害のある人はそれなりにと。 じゃ、高い人はどうするかというと、フィンランドの教育は底上げはするけれどできる人はほっとくんです、だってできるんだからって言いましたから。できる人が伸びるような様々な仕掛けはするということですけれども、だから、そこを社会性とうまくドッキングさせながら教育への権利という形にこれは直した方がいいと思うんですけれども、ただ今回の改定案はどこもそういうふうになってないと。 それで、むしろ私が怖いのは、愛国心の話いろいろ出てきましたけれども、日本がそれを主張すると相手の国も主張するというのを当然頭に入れなきゃいけないわけで、それぞれの国がそれを言い始めたらどうなるかと言わなきゃいけない、考えなきゃいけない。そうなると、例えば日本製品ボイコットとかいろんな問題に発展しないかということですよね。だから、経済の論理はむしろいかに多民族、多文化が共存するかというところにもう既に動いていて、経済界は多国籍企業になっていて、日本人以外の人が企業に入ってくる時代ですね、外国人労働者もいてというところに来ているときに、鎖国するわけにいきませんから、ちょっと私はこんなのを出したら日本の国はもたないんじゃないかなと思います。
○公述人(大島煦美子君) 私も、いわゆる社会状況が急速な直近のIT企業の躍進とか、今までにない経済界の姿に変わってきていますね。それからあと、今先生もおっしゃいましたけど、グローバリゼーションの中での人間、子供たちがどういう社会を担う大人に育っていくかとか、今までにない環境というものが起きている中で、やはりきめ細やかに改正していくといいますか、基本法の内容を検討していくということは大事なことではないかなと思っております。 ただ、どちらかというと日本の教育というのは何か画一的な教育があって、そこの枠にはまらない状況にいる子供に対しての、また子供同士の、それが認められないとかというところがまた、いじめの問題はいろんな原因があると思いますが、そこに一つまた原因もあるのではないかなと常々思っておりました。 だから、そういう意味合いも込めまして、まず日本が置かれている経済状況の急速な変化とか、またやっぱり今のこの人口減少社会が起きている中での、先ほどもちょっと申し上げましたが、活力の確保とか、そういう意味合いも込めて、そういういろんな視点を、画一的な視点ではなくていろんな状況をいろいろ加味しながら、子供の教育にとって何がいいかというところをしっかりとらえた基本法であってほしいと思っております。 以上です。
○公述人(吉田裕史君) 時代の変化に対応して変えていくべきではないかということでありますけれども、実は私どもが毎日生徒に教えている学習内容につきましては、学習指導要領や教科書検定等の経過を踏まえて、現代の課題なども含まれております。社会科も、単純な歴史だけではなくて現代社会ということも教えておりますし、看護や介護などの問題も含めて家庭科の方で教えております。 私も、数学でありますけれども、今から三十年前に私が使った教科書をいまだに持って、生徒に見せるんです。君たちのお父さん、お母さんはこんな教科書で授業を受けていたんだよ。数学Ⅰの教科書というのは一センチぐらいあります、一センチぐらいあります。今では考えられない量を教えていたと。だから、君たちも勉強難しいよなんて言わないで頑張りたまえというふうに言って励ましているところなんです。 ですから、学習内容とかは時代に合わせたものに変わってきておりますし、中学校から高校に移ってきたものもありますし、高校から中学に移った部分もあるというふうに思います。そういう点で教育は対応できているというふうに思います。 私が先ほど述べましたいろいろな考えがありまして、今やっぱり教育基本法は変えるべきではない、その趣旨を生かすべきなんだと、その理念を教育現場で生かしていかないから今様々な問題が出てきているというふうに考えております。
○岩城光英君 ありがとうございました。 先ほどもお話が出ましたけれども、いじめの問題ですね、非常に痛ましい事件が相次いでいるわけでありますけれども、やはり家庭教育を原点としながらも学校教育、そしてさらに地域でみんなで子供たちを育てていくんだという地域での教育力、これが求められていると思います。 そういう意味では、政府案では十三条の「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」、それから民主党案では十一条で「地域における教育」というふうにうたっているわけでありますけれども、地域で子供たちをみんなで育てていくということが改めて今求められていると思いますけれども、それぞれ、時間が限られておりますので一分程度でお話しをいただければと思います。
○公述人(藤井久丈君) 先ほど冒頭でお話をしましたように、非常に地域でのつながりというのは薄くなっております。そういった意味で心のつながりというものがあるかないか、つまり子供たちのそういうセーフティーネットといいますか、そういったものが家庭だけではなく、学校だけではなく、そして地域といろいろ何重にもネットを張ることによっていろいろなこと、問題行動あるいは子供たちの心のケアということもできますし、問題行動に関しても未然に防いだり、あるいはそれから立ち直らせるということができるので、このことに関しては、実は子供だけではなくて、いろいろな職場あるいはかなりの年齢の人たちの中でもそういったことを忘れつつあります。便利になればなるほど非常に心のつながり、そういう希薄さが生まれてまいります。そこをあえて埋めようとする努力ということが必要で、そういった意味でここに書かれてあることは大変重要なことだと思っています。
○公述人(福田誠治君) 家庭教育といいますか、家庭の育ち方はとても重要だと私は思います。 ただ、うまくいかないから問題が起きているんでして、それをテストをやって頑張れと言ったって、どうやっていいか分からないから低学力が起きていると、そちらで見なきゃ駄目なんですね。そうすると、どう変えるかといいますと、今度そのうまくいかないものをほかのところがその代わりをしながら、もちろんその家庭がうまくいくように援助もするといいますか、それを変えていかなきゃいけない。 一つ紹介しますと、フィンランドの場合は寒いから家が小さい。家庭に本が置けないといいますか、だから読書はとてもしているんですけれども家にそんなにあるわけではない、まあ日本よりはありますけどね。どうするかというと、地域の図書館を充実してみんなで読めるようにする。学校にも余りないんですよ。 学校が終わったら、先生も授業が終わったら帰っちゃうんです。先生も生徒も帰ってしまう。なぜか。先生は次の日の、いい授業をできるように準備をすると、どこでやってもいいと。子供たちは地域の子供として、市民として生きていくという発想ですね。だから、いろんな学校の子供たちが寄り集まって図書館を使ったり、クラブ活動をやったり、そのクラブ活動の場所が社会教育で、学校の施設を使ったり教会を使ったりという形になりますから、ほとんどの家庭が共働きだと言っていました。 ですから、確かに家庭は重要なんですが、その家庭が生きてくるようにとすれば、大体、労働時間が八時―四時らしいですね。大体五時になれば家族みんな集まれるわけですので、そうやって、まず父親も含めて家族の時間が五時以降、夜ずっとあるというのは大変なものですよね。一緒に本を読めるわけですし、いろんなこと、こんなことやっちゃ駄目だとかそういうことが言えるわけですので、そういう家族の時間を作って、よく考えられるといいますか、そういうような環境をつくる。 それが難しかったら、公的に何らかの施設をつくりながらそれをバックアップ、家庭に代わるようなものを地域に、だからNPOとかボランティアとか向こうは利用していました。その利用をしながら、いろんなお年寄りの力とか何かもかりながら、家庭に代わるようなものをとにかくつくっていく、そして家庭の教育力も高めていくと、その方式しかないのではないかと思います。
○公述人(大島煦美子君) 確かに子育てのいわゆる責任は家庭だと思いますね。ですから、そのことに関しては何ら問題ないという思いでいるんですけれども、ただ、今の家庭環境を考えますと、いわゆる働かなければ、経済が今大変なときになっているときに、両親とも働かなければ生活ができない。進学もさせるのにもいろいろ選んでいかなきゃならないという状況がある中で、それから日本社会はいわゆる両働き世帯の方が、かつてのように専業主婦世帯の方が多いということではなくて、両働き世帯、いわゆる共働き世帯の方が、片働き世帯、家庭の夫か妻がどちらかが働いているという片働き世帯の方が少なくて、両働き世帯が多くなっているわけですね。 それでなければ生活していけないという人たちが多いということもありますので、文言としてこの教育基本法の中に入れるんであれば、どこかで家庭責任を十分に担い合えるような働き方、いわゆる今言われておりますワーク・ライフ・バランスというものをまた別の法案なりなんなりで、教育基本法が粛々と進めるためのまた別の部分での決め事ですね、法律的なもので社会を見直していくというような動きがなければ、ただ文言だけでは絵にかいたもちになるというのが今の社会状況の現実だと思っております。 以上です。
○公述人(吉田裕史君) 私の住んでおります新潟市の大島という自治会が、昨日、もちつき大会をしました。私もついてきたところですが、子供たちの本当にあの笑顔が見れましたし、年配の方々がきねをこう、米をつぶすんですが、そのつぶしが足りないと良いもちがつけないことも含めて、本当に地域で子供たちを育てているところなんだなという実感をしたところです。 私の勤務します白根高校も、江戸時代から三百年、四百年続く大だこ合戦で有名なところです。理事や委員の方々には是非来年六月来てもらいたいところなんですが、そこで伝統的に作られているたこの作り方を地域の方々が学校に来て教えてくれる。それで高校生は自分たちの作ったたこを自信を持って揚げれるようになりましたし、その高校生がまた卒業して、地域の祭りに参加をする。 やっぱり、私は、高校は地元の高校に進学すべきだということを強く思っております。幾ら進学を目的としても、高い新幹線通学代を出すような通学などをしなくて、地元の高校に是非来てもらいたいというふうに思います。選択科目も含めて、各学校は努力しております。進路に合わせた教育もしておりますので、よろしくお願いしたいということを考えております。
○岩城光英君 ありがとうございました。
○神本美恵子君 今日は、公述人の皆さん、ありがとうございました。 それぞれに本当に示唆に富むお話で、特に印象的に感じましたのは、やはり子供たちに一番近いところに皆さんいらっしゃるそれぞれの立場からのお話だったので、つくづく、私も昔小学校の教員をしておりましたけれども、文科省のお役人の皆さん、今日はいないんで悪口言いたくないんですけれども、やっぱり一生懸命教育政策、施策をなさっているんですけれども、日々変わる地域状況の変化や子供たちを取り巻く環境変化に敏感に対応できない施策が打ち出されている、そのことが現場に様々なしわ寄せを掛けているんだなということをお話を聞きながら感じました。 今日は教育基本法についてなんですけれども、文科大臣、この間の参議院での審議の中で、教育基本法を今なぜ変えるのかという、その変える幾つもの理由をおっしゃいますけど、最大の理由は、現行の教育基本法は確かにそれなりに有意義な役割を果たしてきたけれども、大臣の言葉をかりれば、バターやミルクは大変体にいいと、栄養素としてもそういう食べ物をたくさん食べることはいいけれども、食べ過ぎると良くないということで、つまり、個人の尊厳や個人の価値ということを戦後大切にした教育をやってきたけれども、それが行き過ぎて、今子供たち、モラルの低下や規範意識が欠如しているので、それを今強調する必要があるのではないかということで、今回の政府案の中では第二条にたくさんの徳目的な項目が並べられて、これを国民として必要な資質、この目標を達成することを目標とするというのが第二条に盛られております。 詳しく申し上げる時間がありませんが、その中にも、先ほど大島公述人おっしゃった、我が国や郷土を愛する態度とかそういう文言も入っているんですけれども、こういうふうに規範意識やモラルが低下しているので、これを法律でもって規定して子供たちに教えていこうという、こういう今回の政府案、この点だけで結構ですけれども、これについてそれぞれの公述人、どのようにお考えかお聞かせ願いたいと思います。
○公述人(藤井久丈君) ただいまの話は、規範意識とかそういったことの、文言にすることによって押し付けがましいんではないかというふうなニュアンスというふうに受け止めてお答えさせていただきますが、確かにこの第二条というのは非常に具体的になっております。 その中で、やはり昨今言われるような規範意識、いろいろの人との関係、年上の人を敬ったり、いわゆる社会の中での協調性、そういったことのないところでいろいろな事件ができております。そういったニュアンスを少し盛り込んだり、それから職業というものを考えて、これニートのことだと思うんですが、それからもう一つは生命を尊びというのがございます。 まあ、この今の時代の背景に関してのことを少し抽象的ではありますが書いてあるというふうに私は思っておりまして、これはすべて当たり前のことでございます。しかし、こういったことをやはりここに書くということ自身が、子供たちに強制するんじゃなくて、私たちが考えなければならないものの一つだというような理解で私は思っておりまして、こういうことは言わずもがなというようなものではないと思いますので、この規範意識というもの、社会を構成する一人の人間として必要だというようなニュアンスの中で私は書かれていることには何ら不思議な感じはいたしません。 それから、全般を通してですが、この一つ一つの言葉に対してのそれぞれが受ける印象というのは、それぞれの年代、戦後、戦後直後の方、団塊の世代、その後、それからもっと若い人とは違うと思うわけでございます。そういった中でのこだわりというのはどうしてもこういう審議のときに出るんだとは思うんですが、私自身の感想からいいますと、これは個人的な話でございますが、こういったものはここに出てきて、ああ、しかるべきだなというふうには思っております。
○公述人(福田誠治君) 今のお話は、個人が強くなり過ぎたというような話ではないかと思うんですが、私は逆の考えを持っていまして、自己コントロール力がないからそうなっている。つまり、欲望に任せて、コマーシャリズムであれ買えこれ買えということになって、面白いものとか楽しいものとかそちらに目が行ってしまう。だから、今自分がしちゃいけないことというのは頭が回らないというところが問題なんじゃないかなと。つまり、言いなりになって指示待ち人間だからいけない。だから、そこに法律で別のものを強制しても、確かにそのようにやるかもしれないんですが、応用の利かない話になってしまって。 私は、むしろ自分のためといいますか、何のために学ぶのかというのは自分のためだというのを徹底した方がいい。またフィンランドの話を引きますけれども、他人のためとか報酬のためとやっているから、途中で報酬を手に入れると、あるいは大学受験合格したら、やらなくなっちゃうだけですね。そうではなくて自分のために学ぶ。その代わり、他人を邪魔したり他人に害を及ぼすことは一切してはならないと、それを徹底していきます。 そんな話すると、自分だけ良ければいいのかという話に日本人はすぐ考えるんですが、そうじゃなくて、例えば医者になったって、一人で無人島で手術するわけじゃないですから、チームワークを組んで、それでお客さんもいて、そのやり取りをしながら能力を発揮していく。だから、そういうふうにならなきゃいけないわけですから、指示待ち人間でも駄目だし、それぞれの持ち場、役割をいい方向に、それぞれのいいところを組み合わせていくようなそういう学び方、それが自分のためという、そういう社会で自分が生きていくということですね。 今年、ちょっと高校生と話す機会がありました。日本人の高校生四人いまして、フィンランドで育ったと。フィンランド人の高校生が一人いました。あなたたちは自分のために勉強すると言っていますが、本当ですかと言ったら、一人ずつですが、みんな自分のために勉強するのは当然だと言いましたね。その次にぽろっと言った言葉、だって先生にとっては他人事だからねと言いましたね。ここまで言えるかと。 そして、フィンランドで育った日本人も環境がそうならばそう考えるということを私は学びまして、そうすると、今の日本の環境は子供たちがとても育ちにくいといいますか、どんどん欲望をあおられて、それでいいだろうかと考えるような自分を見失っちゃっているというか、それを考える時間がないといいますかね。それが家庭であったり学校であったり、もっとじっくり自分は何者かを考えないと、言われるまんまに動いている。で、だれか、仕方なしにやるというんじゃ、見てなきゃ、じゃ、ずるしてもいいかという話になりますよね。そんなのじゃ駄目ですね。自分からルールは自覚して、こうだ、そのとおりだというふうに。 だから、ヨーロッパの民主主義の考えは批判力。批判力というと生意気だという話にすぐ日本はなっちゃいますけれども、その批判力は自分も批判するんですよね。だから、より良い社会をつくっていこう、より良い自分をつくっていこうというのは批判力。だから、社会とは違う意見を持ちなさいということをヨーロッパの教育でははっきり言います。ただし、持って行動した責任は自分で取りなさいと、いいと思ったら一人でもやりなさいといいますかね。 だから、その力を持たないと、社会が間違ったときにどうするんだとか、絡めてどうかという話もありますが、教育も多分そうだと思いますが、不当な支配というのは、例えばゆとり教育やるぞといって、みんなでやっちゃったらどうなったんだとか、その責任だれが取っているんだとか、そういう話になると教師だってやっぱり問題でして、正しいと思える真理に基づいてできるかどうかと、そちらの方が大事でして、法律であしたからこうだと言ったら、首長が言ったからといって、あいつが言ったからやっただけだというんでは、それは根本的な解決にならないし、むしろ個人を弱めるものだからもっと混乱に陥ると私は思います。
○公述人(大島煦美子君) 私も今先生がおっしゃったような思いでおります。駄目だから約束事を決めてそれを押し付けるというようなことがあっても、押し付けても、押し付けられた人はどこからかまたにょろっとこういったものは出てくるということになるのではないかなと。それよりも、教育なんですから、頭ごなしに何かを言うとかなんとかではなくて、何が原因で、その子供たちの問題行動なりがどこに原因があって、どうしたらそれを解決できるかということをもう少し深いところで議論し合うという問題なんではないかなと私は思っております。 だから、最終的には、あなた方一人一人は大事な大事な宝物なんだよという、本当に大事な人なんだよということを家庭を始め地域社会、学校でもですが、そういうメッセージが本人に伝わる、伝えることはどうすればいいかというようなことにつながっていくのかなという思いでおります。安易に決め事を決めて、それを押し付けるといっても、また別の問題が起きてくるのではないかなという不安な思いでおります。 以上です。
○公述人(吉田裕史君) やっていいことと悪いこと、いいことはどんどんやりなさい、例えば部活動、学校での勉強、悪いこと、人の迷惑になることはやっちゃいけないよということを例えば学校では繰り返し話をしたり、このごろは携帯電話が非常に迷惑になっておりますので、授業中の携帯電話の使用は認めないというようなことを物すごくでかい紙に書いて張らないと子供たちに伝わらない。それも私たちの話し方が悪いのかもしれません。本当は、君たちが聞かなければいけない授業なんだから一生懸命聞きなさいということを説得するべきだというふうに思うんですけれども、やってはいけないこと、やるべきことということを紙に書くようになってはやっぱりおかしいんじゃないかなというふうに思います。 ですから、何が大切なのか。自分自身を大切だと思えるような子供たちに育てていくことが私たちの仕事なんですが、今、本当に社会も含めて格差、格差と言われています。経済的にも豊かでない家庭がいて、授業料が払えない家庭もいますし、人間関係が複雑になって登校できなくなる生徒もいます。だから、本当に一人一人を大切にするというところを気を付けていけば、このような形で法律上、徳目を並べ立てる必要はないというふうに思います。
○神本美恵子君 ありがとうございました。 時間が少なくなりましたので、福田公述人と吉田公述人にお聞きしたいんですが、教育は不当な支配に服することなく直接国民全体に責任を負って行われるべき、吉田公述人は、このことこそが教職員にとっての誇りの本になっているというお話がございましたけれども、福田公述人、フィンランドの場合、もう教員にすべて任せる、もうそこに権限もあるんだというふうにおっしゃいましたけれども、じゃ、任された教員側はそれだけの質を確保するといいますか、日々の子供の様々な問題と計画的な公教育活動をやらなきゃいけないんですけれども、その質の確保のためにどのようにその専門性向上も含めてやられているのか。 日本の場合は教員研修というのをやっていますけれども、一方では、これから免許更新で十年ごとに見ましょうとか、不適格教員はどんどん教員評価で排除していくというふうな方向を取っていますけれども、そのことと比較してのお話と、それから吉田公述人には、同じようなことですが、現場から見て、そういう政府の今政策としてやろうとしていること、直接国民に責任を負ってやっているということとの関連で、一言ずつお願いします。
○公述人(福田誠治君) フィンランドがとても面白いのは、子供中心の新教育と、九〇年代に特に強くなりましたネオリベラリズムといいますか脱規制の、それが面白い形でつながっているんですね。新自由主義、新保守主義を拒否したわけじゃなくて、それを入れ込んでいます。それが規制緩和でして、小さな政府にする、その代わりに全権限は地方自治体と教師に渡すということをしました。そうすると、中央のコントロールする、先ほども言いましたが、そのような機構がほとんど要らなくなるし、教科書検定もなしです。要するに、教科書で学ぶ、教科書を教えるのではなくて、教科書以上のものを学んでいけといいますか、そういうふうにしていきます。 そうなると、教師の質は大変なものになってきます。要するに、向こうの人は医師と同じだ。修士号まで出させますね。修士といっても三年、二年の五年ですけれども、それぞれ、例えば特別支援教師となれば一年のまたコースを受けなきゃいけないとか、大学院レベルの授業を受けなきゃいけないという、そういうふうにしてあります。ソーシャルカウンセラーもそのようにマスターまで出させているみたいですね。それだけ専門性というのを重視します。 その代わりといいますが、フィンランドでは教師になるまではとても難しいが、いったん教師になった後は社会的評価を行わないと、これがOECDに出した正式文書です。つまり、人事考課をしない、一切しないと。なぜかというと、目の前にいる子供たちが一人一人違うんだと。その一人一人違う子供の伸び方も違う、クラスが違えば違う子供がいる。そうすると、教師のやっている仕事は同じように見えるかもしれないけれども、違うことをやっているんだという、そういう発想ですね。医者もそうですよね。患者に合わせて、この人に今何をしなきゃいけないかというのをいろんなところを総合的に判断して、どこが足りないのか、家庭環境があるだろうとかですね。足りないところをその場で、おまえ駄目じゃないかと言ったらやる気なくしちゃいますから、この子はしばらくはここは言わないで元気付けようとか、そこが教師の専門性ですよね。答えを言うのが教師じゃなくて、育てるわけですよね。 そうなると、どうしたかというと、まず専門的な力量、そして自ら学べるように学ぶ力を、探求者としての教師というのを育てます。それで、研修に代わるようなものは、もうとにかく自分で……
○団長(中曽根弘文君) 恐れ入りますが、時間になっておりますので、簡潔にお願いいたします。
○公述人(福田誠治君) あっ、ごめんなさい。自分の学校でやるという形になっています。基本的にはそうです。
○公述人(吉田裕史君) 直接責任を負ってというのを本当に日々実感しながらやっているところです。 授業の中で本当に理解が整っていない子につきましては、今日も期末テストをしている最中なんですけれども、一週間前から悪いけどと言って呼んで補習などもさせてもらっております。その上でテストを受けて、また調子が良くなければ補習もしたり、年度末の指導もしていきたいと考えております。 そういう個々の努力を学年で連携していこうということで、私ども高校の職員室、これまで社会、英語、数学というふうに分かれて島があったわけですけれども、一学年の担任・副任団の島、二学年の担任・副任団の島、三学年の担任・副任団の島に大規模改修のときにチェンジさせていただきまして、学年の連携も図るようにしておりますし、当然、管理職を通じまして県の教育委員会に問い合わせをすることもあります。そういう意味で、現場教職員が直接子供たちや保護者と触れ合う機会を設けているところであります。 その上で、免許更新制とかいうふうな形は非常に現場の者を不安にさせますし、現場自体閉塞的な形になるんじゃないかな。教員評価制度というのも協力、共同の職場を分断してしまうように思います。成果、成果、成果だけ求められて学校ごとに競わされる、その目標に達しない先生は不適格とか指導が足りないとか進学実績が足りないというふうなことになってしまうと、先生自体が息苦しくなりますし、先生が楽しくなければ子供たちも楽しくない。これは私の先輩が毎回繰り返していた言葉なので、ここでもお話しさせていただきますけれども、その意味を毎日痛感しているところであります。
○神本美恵子君 ありがとうございました。
○風間昶君 それでは、四人の公述人の方々にそれぞれお伺いしたいと思います。 藤井公述人には、十七条の振興計画の中でこれから具体的なものに進めていく必要があるようなことの御発言がございましたけれども、示唆になるようなものとしてどういうことが考えられるのか、お伺いしたいと思います。 それから、福田先生には、今教師の質を高めないとということで、具体的な力量、自ら学ぶ探求者としてのありようが御発言ありましたけれども、もうちょっと具体的には、そうすると時間を別建てで取るとか何かがあればできるのかどうか。とにかく教師の質を高めないことには、今の学校教育の中で、先ほど大島さんもお話しになりました教師のモチベーションが下がらないということが物すごく大事なんで、ここでの具体的な、もうちょっと踏み込んだ、福田公述人にお伺いしたいと思います。 大島さんには、済みません、やっぱり子供が最も生まれてきたときに教育基本法って、私二十二年生まれですから、そのときに成立したんですけれども、今はむしろ、私自身は子供七人いますけれども、全く子供がない、少ない状態で、物質的に物は豊かになったけれども子供は生まれない状況の中に、このまま教育基本法が昔のまんまで維持していけるのかという、私は個人としてそう思っているものですから、それにはやはり、家庭教育とか幼児教育というのを新しい条項を入れたんですけれども、むしろ家庭の教育力の話になりますと、家庭の教育力ということじゃなくて、家庭を持つことの関心や意欲をどうやってしていくかということの方がむしろ非常に大事じゃないかということが思うので、その点を一点。 もう一点、それから、男女共同参画について先ほどちょっと御示唆いただきましたように、教育基本法の理念法の中の別法でも、あるいはその下の法でも、むしろ女の人に子供を産み育てよということではなくて、むしろ産んでいただいた後、子供を育てていくその責任というか、仕組みを社会や男性側が持つべきだという観点に立って私は一つの法としてつくっていく必要があると思うんで、そのお考えを伺いたいと思います。 それから、吉田先生に、教師の誇りって一体、具体的に生徒さんにお話しするとき、一言で、教師の誇りっていうのはこうなんだということを教えてもらいたいと思います。
○公述人(藤井久丈君) 教育振興基本計画をどのようにというお話でございますが、ちょっと大変漠然としたことですので、説明あるいは私の意見でございますが、先ほどから私が申し上げていることは全く私の個人的な意見でございまして、全国高等学校PTA連合会としての意見ではないということを改めて申し上げてからお話ししたいというふうに思います。 さて、私自身はこの教育基本法というのはかなり大きな、抽象的であるけれども一つの流れあるいは考え方を出すものであって、その個々については十分審議して具体的な、総合的なそういう計画に移していくことが必要だというふうに考えているわけで、その中では非常に、まずそれぞれの言葉の定義あるいはどういうふうに考えていくかということをしっかりやる必要があるというふうに思うわけでございます。 例えば、学力の問題にしましても、先ほどから、今のお隣にいる先生がお話しになったように、本当の意味での、学力低下と言いますけれども、学力とは何だろうと。PISAのテストでも、あれは数学の問題にしても、基本的にどれとどれを、どういう組合せをすると一番安く物が買えるかとか、生きていくための基本的な学力、力でございます。 ですから、今世の中でよく頭がいい、あの人は頭がいい人ですねと言うときには、非常に物事を順序立てて考えたりその説明をしたり、非常に総合的でなおかつ基本的な力を言うわけですけれども、そういったものとして学力を考えてみた場合にどんなふうに教育していったらいいかというようなことでありまして、それを全国統一の試験に置き換えたりいろいろすると、そこがまた違ってくるニュアンスがございます。そういったこともやはり話する必要がございます。 それから、先ほども、これも少し愛国心という言葉が出ておりますが、このニュアンスというのも非常に皆さん違うのではないかなと、それぞれが違ってとらえると思うんですが、まず、祖先を敬ったり先輩を敬ったり自分の周りの地域を大切にしたり、それがその地域社会であったり市町村であったり県であったり、それを誇りに思うことは必ずしも競争意識をかき立てることでも何でもございませんし、それが世界、逆に言うと日本、アジア、世界、地球というふうに広がっていくわけでございますから、そこにとらわれる必要は全くないと思いますが、そういった、人を思いやる、そして自分を大切にするという基本、それがこの愛国心的なニュアンスで語られているのかもしれません。 いずれにしても、そういったようなコンセンサスを全体でとらえることが、日本全体でとらえることが必要だというふうに考えるわけです。 それからもう一つは、先ほど大学という、私は高校のPTAでございますので、今の未履修問題の中で高校教育がある意味クローズアップされたのでこれは大変喜ばしいことだと思っておるんですが、その中で学力とは何か、そしてそれに対しての大学の選抜、要するに入試とはどういうものであるかということの中でも、やはり競争社会だからと、それはいけないというような形では一般の方々、マスコミもそうですが、一方ではそういう競争社会というのはよくないというマスコミですら、もう一方では国立大学あるいは東大の合格人数が何人であったかという高校のランキングをまた出しているという、これがやはり日本の世の中の風潮であると思うわけでございます。 つまり、非常にそういったことが面白いと、あるいは興味あるというふうにしてとらえるこの社会の考え方こそ今反省すべきであって、そういった意味で、本当の学力は何か、そして教育の機会均等は何であるかといったことも考えられるべきだと思いますし、そういう具体的なことがございます。 それから、先ほどから教員のところでもありますが、いわゆる先生というのは非常に大切な立場で、フィンランドでは非常に大切な地位であるというようなことでございますが、しかし、実際にはなべぶた的な、特に高校なんかを見ていてそう思うんですが、なべぶた的な方法でもって全体を監督する、主幹制度といいますか、そういったものがしっかり発達しているところもあればそうでないところもございます。こういったところに教育の組織そのものの見直しとかそういったことも必要であると思いますし、そういった具体的なことを、とにかくまずはこの教育基本法の真髄を国民全体に知らしめて、なおかつ具体的なところの教育振興基本計画というものをしっかり立てていくということが私は非常に必要だというふうに思っているわけで、そういった意味では、これは今始まったところだというふうに考えております。
○公述人(福田誠治君) 一つのエピソードからお話ししますが、この間、授業、理科の、小学校四年生ぐらいの授業を見ておりました。そうしたら、休み時間から遊んでいる子供が、ちっちゃなぴかぴか光るライトを持っていて遊んでいるわけですね。日本だったらすぐしまえと言うんですけれども、先生が、いいのを持っているねって。これはね、青色発光ダイオードといって日本人が発明したのよねって。まあ私たちが行ったからそういう話題がすぐ出せるということなんでしょうけれども。小さいけどとっても性能がいいわねって言って、ほかに持っている子はいると言ったら、また女の子が取り出して、私もってやり始めて。でも、今から授業するからねって。振り回しているの、それともしまうのって。うん、しまうっていう、そういう話でしたね。 だから、いろんなところに、何でしょう、ああそうか、知識というのはこうやって役に立つのかとか、こんな小さくてこんなに光るものをといいますか、そこではっと気が付くといいますか、そういうように先生に教養があふれているといいますか、そういうふうにしなきゃいけない。 だから、私が実は旅行に行ったらこんないいことがあったのよとか、こんな人がいてねとか、そうすれば地理の勉強だって楽しくなるかもしれない。それを、夏休みはともかく学校に来いとか余り旅行に行きにくいとか、そういうふうにしてしまったらむしろ駄目で、自由な時間をつくる、それは研修である。その先生たちがもう授業に懸けているといいますか、逆に言えば授業以外の負担は一切なしという、そこが徹底している。だから、いい授業をやって何ぼのものじゃという、そこに懸けているといいますか、そういうふうに組み直す方が大事で、授業に専念して。 ですから、来年は総合学習で水というテーマをやろうとすると、もう今年のうちから毎月一回、学校ぐるみで八人の先生が専門家を呼んで勉強を始めるわけですね。来年どう授業をしようか、自分の授業。自分の授業を自分で評価していくということになれば質の高い授業をつくらなきゃいけないという、そういうふうになっています。 多分、日本の先生は忙しくて教科書を教えるのが精一杯になっているんじゃないのかなと思うんです。それをいかに面白く教えられるかという、そこの方が大事で、そういうのを社会が支援、社会といいますか行政が本当は支援しなきゃいけないということだと思います。 それから、先生も悩みますから、特別支援教師というのは子供だけじゃなくて先生のカウンセリングもしているらしいです。それで、いろんなクラスに問題が起きたら、担任任せじゃなくて、校長とそういう養護の先生とか特別支援教師と、要するにカウンセラーに当たる人ですね、それから市の方から派遣されてくるソーシャルワーカーですね、要するに子供はその地域で学校を越えていろいろ問題を起こすわけですから、そして本人と、そういうチームがつくられます。だから、一人任せにした、おまえが悪いんじゃというやり方はしませんね。 先生はとにかく授業に専念できるようにして、それ以外のものはまあみんなで解決すると。そのために、いい授業をつくるために国家教育委員会という専門家が、日本でいうと国立教育政策研究所のようなところだと思いますが、五百二十万の国に三百五十人いるんです。そのレベルは物すごい高いです。大学の先生並みの人がどんどん教材を開発して、それを、資料を知らせていくんですね。それを使うかどうかは教師の話です。使えという、命令するんじゃなくて、いい授業をつくれるようないい資料をどんどんつくっていくといいますか、そういう国の体制があるということです。
○公述人(大島煦美子君) 一つ目の御質問ですが、家庭を持つことへの関心がない今の若者はと言ったとき、これは親世代の責任ですね。お父さん、お母さんの姿を見ていて果たして結婚生活は楽しいという、そういうモデルがあるのかないのかという辺りですので、それが、それだけとは言いませんが。ですから、団塊の世代のお父様、お母様方が、いわゆる団塊世代が地域に、家庭にもう帰られますよね。そのときこそ、今まで男は外で仕事をしていればいいんだ、女は家事、育児をしていろなんというような態度を改めていただいて、両方でお互いにやれることをシェアし合う、楽しくシェアし合っている姿を見せるとか、まず家庭の中ではそういう、親がモデルになるということも遅くはないと思いますので、是非見せていただきたいなと思っております。 それから、あとは、やはり職場生活をしている女性が、だって今若い人たちは雇用機会均等法世代、改正されてあらゆる職場の環境とか条件が男女の性差によって区別されるなんということがないという法律があるにもかかわらず、なぜか女性の方が頑張っているという、頑張らなきゃ駄目だという中で、やっと自分が職域でも身に付けて周りから認められてきているというときに、それ以上の楽しい結婚生活が待っていれば、えいやっという思いにもなるんでしょうし、また職場を辞めずに結婚生活を続け、また産み育てながらも自分のキャリアを生かしていける環境というものができていけば、それは結婚生活に関心が行くという一つの条件にもなるのかなと。そのときはやはり男性の視点の持ちようというものも大事なことになってくるかと思います、いわゆる性別による役割分担意識ということではなく。 それからもう一つ、男女共同参画の視点で……
○団長(中曽根弘文君) 恐れ入りますが、度々で済みませんが、簡潔にお願いいたします。
○公述人(大島煦美子君) はい。男女共同参画の視点でということですが、これは、やはり子供は、まあ要するに両親ともそろっている家庭であるならば、子供は両親の、パパちゃんもママちゃんも親なんですね。だから、そのときに、本当に子育ての期間というのは短いんです。その喜びを味わわずにして人生の豊かさなんて加わっていくと私は思っておりませんので、是非そこら辺りをまああらゆる分野の方々が、特に国会からも投げ掛けていただければなという思いでおります。 何せ、育児・介護休業法というすてきな法律があるにもかかわらず、七〇%の女性は取っています。でも、男性が取っているのが〇・一とか二とか三とかという世界ですので、そこら辺りがお互いに、一人の子供にとって、職場は違うけどもお互いに取り合えるという、その法律を是非是非もっと活用すべく推進していただければ二人目も三人目も産もうという思いになるのではないかなと思います。何せ子供を産める機能を持っているのは女性だけです。それから、母乳で授乳できるのも、その機能を持っているのも女性だけです。是非、そういう意味で、キャリアを生かしたいと思っている女性たちがたくさんいる中で、そこら辺りにも是非是非視点を当てていただけたらなと思います。 以上でございます。
○公述人(吉田裕史君) 教師の誇りについて問われましたので考えていたんですけれども、十五歳で中学から入学をし十八歳になって社会人になる、その成長過程を見守れるのが本当に私たちの誇りだというふうに考えております。 文部科学省の文書の中に、高校は自分探しの旅だ、そういう文章を見て、そのことについてどう思うということでクラスの生徒に作文を書かせたこともあります。嫌なことがあって辞めたいと思ったこと、友達が支えてくれてまた続けるようになったこととか、そういう自分自身将来の目標を持ちながらその夢に頑張る生徒もいますし、その夢を持てずに悩んでいる生徒もいます。そういう中で、私どもと保護者と、また地域と連携をして卒業して社会人になっていく、また更に進学を目指して頑張っていく。先週でしたけれども、新潟県立女子短期大学というところに二名推薦で合格しましたし、この春新潟大学にも一人合格しておりますので、夢を持って頑張れと。 その夢を実現するように努力していくのが一番誇りなんですが、その先の社会が今非常に、格差社会と言われるような、また自殺とかいじめとか倒産とか、親も大変だという中で、子供たちに目標を持て、目標を持てと、そのことを教えていくのが今非常につらくなってきているところです。ですから、社会のありようが今の学校教育にも反映しているんではないかなと思っておりますので、併せて訴えさせていただきました。
○風間昶君 以上で終わります。
○近藤正道君 近藤正道でございますが、子どもの権利条約とのかかわりについての質疑が今まで余りなかったようでございますので、その角度からお聞きをしたいというふうに思っています。 福田公述人にお尋ねをいたしますが、今から十二年ほど前にこの国は子どもの権利条約の批准をいたしました。本来であればこの条約の批准に伴って子供の権利に関する基本法的なものが作られるべきであったにもかかわらず、それがなされないまま今回の教育基本法の改正になったわけでございます。 お聞きしたいのは、一点、子どもの権利条約と今回の政府改正案をどういうふうに見るか、つまり子どもの権利条約は改正案の中にどういうふうに生かされているのか、御所見をお伺いしたいというふうに思っています。 そして、もう一つは、福田公述人と吉田公述人にお尋ねをいたしますが、この子どもの権利条約を批准した後、今から十年ほど前、そして五年ほど前、国連の子ども権利委員会が日本政府に対して二度勧告を行っております。どういうことを言っているかといいますと、日本の教育制度は高度に競争主義的であると。したがって、子供たちにストレスがたくさんたまっておって、人格障害を引き起こしかねないと。大変厳しい指摘を二度もやっているわけでありますが、そういう中で、今回、教育再生会議が多発するいじめ自殺について緊急提言を行いました。そしてまた、報道によりますと、教育再生会議がいわゆるゆとり教育についても見直すという、そういう方向性を打ち出したようでございますが、この子ども権利委員会の二度の勧告と今ほどの再生会議の言わば方向、これをどういうふうに考えたらいいのか、お聞かせをいただきたいと思います。
○公述人(福田誠治君) 子どもの権利条約に関する視点ですけれども、私は現行の教育基本法の方がといいますか、それがその視点に立っているといいますか、つまり子供中心主義で世界がどんどんと動いていて、先ほども言いましたが、教育への権利、アクセス・ツー・エデュケーションといいますか、そういうふうになっていて、しかもマイノリティーその他の権利をもう世界じゅう引き受けなきゃいけない。例えば、国民でなくてもそこに住んでいれば義務教育の段階はその管轄政府が引き受けなきゃいけないという、そういう形になっています。 それに比べるとちょっと日本はいろいろ心もとないんですが、むしろ改正案の発想の、何ですか、新保守主義かネオリベラルか分かりませんが、要するに権利という発想を私は捨てているんじゃないかという、とても危険というか、世の中の流れと、それがアングロサクソンモデルと言うかどうかという話ですけれども、要するに消費者と国民をみなして教育を商品として買うといいますか、それで良い商品を売るために品質管理をするといいますか、それで様々に点数その他で管理をしていくという、そういう企業的な発想に立っていて、それがアメリカ、イギリスが今進めていることだろう。 そこで一番大事なのは、日本はそこを議論しているんですけれども、心の問題は見事に抜け落ちますね。それから、人間として育つかどうかも抜け落ちますね。だから、変だなと思うのは、ある一時点までは詰め込み教育よくないと、受験勉強で人間性が損なわれると言っていたマスコミがどこでどう変わったかという話にもなります。これは相当大きな問題を含んでいて、人間として育てるという視点がないから、近ごろは予備校の教師見習えとか、何かそんなまるで逆転したような発想。公教育にはそれなりの役割がある。それはやっぱり人間を育てるかどうかですね。その人間が育つかどうかのところを何か点数で評価する、数値目標出せ。だから、あれですよね、世界史必修を飛ばしちゃったというのは点数が取れることだけやる、そういう人が私の大学にもどんどん入ってくるんですが。 そういうことを考えると、自分の将来のために勉強するという発想が商品を買うような発想だと、知識とか何かは自分の身にちょっと付けるようなアクセサリーぐらいのつもりで、英会話ができたらいいなとかですね。それが自分の考えを変える、自分の職業として、あるいは人間として育っていくための知識になるか、血となり肉となるかですね。多分、子どもの権利条約はそこの一番大事なところを押さえている。だから権利と言う。 だから、高度の競争主義もいけないというんですが、多分もっと競争しろと、日本の教育生ぬるい、農業と教育に競争原理入れろと言っている人が教育再生会議とか何かに入っていきますから、それはそういうことを言っている人もいないわけじゃないですね、それをアングロサクソンモデルと言うかどうかですけれども。危険なのは、見事に権利という発想がないと。それがこれから国際関係、様々な国際条約を結んだけれども、日本政府がちょっといろんなところで立ち往生してしまう事態が起きるのではないかと私は危惧します。
○公述人(吉田裕史君) 法律の私専門家じゃありませんので、目の前の子供たちとか、その与える影響ということで考えさせていただきますと、自分の考えていることをなかなか子供たちが言えない、大学入試でも、AO入試などでなぜその学部を選んだんですか、この学科をどうして選んだんですか、将来あなたはどのような職業に就きたいんですかと、その学んだ経験をどのように生かしたいんですかというふうな模擬面接はさせていただくんですが、なかなか言葉にならない。だから、自己主張とか、自分の考えを主張しながら友達との関係を調整するとか問題を解決するとかいうことではなくて、メールの文言が気に食わないからけんかになっちゃうとか、ちょっとした出来事で閉じこもってしまうというふうな今子供たちの状況が現れているんじゃないかなと思います。 ですから、子どもの権利条約を生かすやっぱり教育実践をしていかなければいけないと考えてはいるんですが、なかなかそれが実現できていないというふうに思っております。 プレッシャーの件でありますけれども、これ昨日、おとといですか、うちに来た某ベネッセコーポレーションの、コマーシャルもしています、全国の中学校の定期考査を全部集約をしてその対策問題をやらせていますということをコマーシャルしています。これの売りが、別にベネッセを批判しているわけじゃないんですけど、今なら受験準備スタートを特別にお届けということで、中一・二要点暗記セット、お笑いですけど、笑っちゃいますよ、要点暗記セット、要点復習ドリル、これが付く。だから、定期テストを全国的に集約をして対策プリントを作って繰り返しやらせる、さらに暗記をするための要点セットまで配る。これが先ほど福田先生の言われた剥落学力と言うんです。 何のための学力なんですか。自分の考えをまとめたり、自分の思いを伝えたりということで世界の流れが出てきているし、そうならなければ今のこれからの国際社会にも生き抜けないというふうに思うんですけれども、言われたことだけをやるとか言われたことだけを覚える、そのことの繰り返しだけで、受験に特化したような高校の授業では大学の教育が成り立ちません。大学に行って、言われたことをやるような学生だったら要らないですよ。だから、自分でもっとこういうことを研究したいとか考えたり、友達と環境のことを考えたり、人権のことを考えたり、戦争のことを考えたり、今の社会のことを考えたりするようなやっぱり力を付けさせていきたいなというふうに思っております。だから、そういう権利が君たちにもあるし、君たちがそういうことで伸びていってもらいたいんだよというふうに学校教育自体変えていければというふうに思っております。 プレッシャーは本当にすごいです。私も毎日掛け続けています。
○近藤正道君 福田公述人にまたお尋ねをいたしますが、先ほどフィンランドのお話がありました。うらやましいほどの少人数教育が行われておりますが、いろいろお話をされた後、正にフィンランドで行われていることは日本の教育基本法の実践そのものだというような趣旨のことが言われておりましたけれども、フィンランドでは日本の教育基本法というものをどういうふうに評価しているのかということが一つ。 それと、フィンランドは非常に福祉国家であるけれども、同時に世界的なIT産業の言わば先進国である。グローバル社会に勝ち抜くためには、正に今こそより能力主義的な教育あるいは競争的な教育というものが必要だというのがむしろ日本の世論の大勢なんだけれども、そういう意味ではフィンランドとまるっきりあべこべの方向にこれからこの国は私は行こうとしているんではないかというふうに大変危惧をしておりますけれども、このことについて先生のひとつ御意見がありましたら、簡潔に聞かしてください。
○公述人(福田誠治君) 調べましたら、日本の教育基本法から学んだというようなくだりは歴史の本とか何かには出てきません。ただ、どこかでは学んでいるんだと思いますが、それよりも大きなのは、日本の教育基本法がなぜできたかの方が問題でして、それは世界の流れの中で、アメリカとの関係とか出てきます。 それは、そのベースは何かというと、子供中心主義ですね、子供から。つまり、学校に子供を合わせるんじゃなくて、子供に学校を合わせると、子供が伸びるような教育を大人が準備するといいますかね、そういう発想に立っていて、その時代はよくぞそういう教育使節団をアメリカが送ってきたものだとびっくりするぐらいですが、それは、私はある面では早過ぎた新教育と書いたんですけれども、今、一九七〇年以降といいますか、とりわけ九〇年以降不思議な力を持っている、それが国際競争力になっているというところが面白いところですね。 要するに、ヨーロッパのIT産業というのは北欧の国々が切り開いています。それはなぜかというと、それだけの応用力、想像力、思考力、並の思考じゃないようなものといいますかね、だからノキアという大産業がありますが、そのほかにリナックスですか、そういうコンピューターのソフトも開発していますし、それからベンチャービジネスというか、起業家精神というのをちゃんと教えるんですね、それはヨーロッパ全体が教えるわけですが。 彼らが面白いのは、そういう福祉国家であるがゆえに一か八のかけをやれると。すってしまってもちゃんと福祉が支えてくれるんですね。日本で一か八かといったら、負け組になったらどうしようと考えちゃいますから、まず危険なことしませんね。他人と同じようなことしますよね。楽な方を選んだら、それは産業伸びないと思いますね。 国際競争力、先ほどのプリントの中にもありましたが、十位のうちの上位に北欧の国々が入ってきていますから、とても面白い。福祉をやって金を使ったら産業伸びないんじゃないかと普通は思ったんですけれども、もうなけなしの金をみんなで分け与えてしっかり使っていったらうまくいったと。 一つだけ、例えば実験設備を日本だとみんなに行き渡るように何十個と買うんです。向こうは金がないから二個か三個しかクラスにない。そうなると、ローテーション表を作って、進んだ順に、進度順にやりこなしていけばいいんです。一クラスに二つあればいいんですね。それで、ある先生の授業に参加したら、その先生がリンゴを持って、庭で取れたリンゴをかご一杯持って、今日は自然観察に行きますと。環境問題と、理科と数学とミックスしたようなものですね。実験設備のない子はシラカバの林の中で俳句を詠むというふうに、ないお金を知恵を絞ってそれで創造性を高めている、ここは我々学ぶべきところではないかと思います。
○近藤正道君 もう一つ最後に、大島公述人にお尋ねをしたいんですが、先ほどの家庭教育でワーク・ライフ・バランスの話、大変、私も全くそのとおりだというふうに思っておりますが、大島委員は新潟県の男女共同参画事業、先頭で頑張っておられますが、その観点で一つだけお尋ねをいたします。 今度の改正案で男女共学の規定、現行法ではありましたけれども、これが削除されたわけでございます。その代わり、第二条のところに男女平等の言わば徳目規定が入っているわけでございますが、いずれにいたしましても男女共学規定が削除されたということについていろいろ意見が出ています。大島委員はどういうふうにお考えでしょうか。
○公述人(大島煦美子君) 私は、男女共学はあるべき姿だと思っております。いろんなところでお互いの違いを認め合いながらも、また判断基準を男だから女だからではなくて、能力、個性を認め合えるということは自分とは違う性と性が向かい合ってこそ育つ気持ち、知識、意識ですから、この男女共学の文言が外れても、それはもうしなくても大丈夫なんだよということで外されたのか、そこら辺りがとても問題なのではないかな。 でも、私の聞いているところでは、いまだに玄関は同じだけれども入ると右と左に別れる学校があったりというようなことをお聞きしたりしておりますので、まだまだこの部分は、日本社会は当たり前のようになるまで進めなければならないのではないかなと思っております。
○近藤正道君 終わります。
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございますけれども、今日はありがとうございます。 委員の方から貴重な御意見をちょうだいしました。私も、最後になりましたけれども、ちょっとお尋ねしたいと思うのですが、今日皆さん方は触れられなかったんだけれども、私たちは、小さいときから自然の中には人知を超した神様もおるんだということを教わったり、御飯を食べるときにはありがとうございますということで手を合わして感謝の気持ちで食べるというようなことだったんですけれども、そうした宗教的な情操教育をこの教育基本法に盛り込むべきだというふうな意見もあるわけでございますけれども、これについて四人の方はどう考えるか、ちょっとお聞きしたいと思います。簡単にお答え願いたい。
○公述人(藤井久丈君) 宗教的な教育をどうするかということ……
○亀井郁夫君 いろんな宗派に固定されたやつじゃなくて、一般的な、何ですかね、済みません。
○公述人(藤井久丈君) とにかく、一般的な宗教と、基礎的なその教養としての宗教に対する知識は昨今の子供たちにはすごく必要だというふうに考えております。そういった意味での宗教の教育、宗教の一般的な知識ということは私は必要だと思っておりますけれども。
○公述人(福田誠治君) 私もそういう情操教育とかいうのはとても大事だと思うんですね。ただ、それ点数化できないものですから、ここは難しい。何か今の世の中、点数化できるようなところだけ競わせようとしているので、そちらに目が行くと重要なところが見えなくなっちゃうんですね、これが教育かというところまで。だから、今とても危険な状況に日本はあるんじゃないか。点数に見えるところしか評価しない、その点数によって何か予算も決まるだの何だのという、大学なんかは研究費まで決まっていくわけですから。 本当は、人間関係というのは現実につくられていくものですから、例えば電車で席替わってもらって感謝されたと。そうすると、してもらって良かったなという気持ちから多分起きてくる。やりなさいと言われて、まあ最初は、子供のうちはやるかもしれませんが、それは長続きしなくて、それで相手が自分の意思で席を替わってくれたなら、当然意思を働かせてくれたということに対して感謝をするといいますかね、人間関係ですね。そのコミュニケーションといいますか、そういう力を養わなきゃいけないと。 PISAのテストで面白いのは、読解力と訳しちゃうんですが、あれは言語を使っていかに社会とかかわりを持つかという、そういうリテラシーというか能力ですので、読解力じゃなくて、言語運用能力といいますかね、相手とコミュニケーションする、そのときに心はなかなか言葉に言い表しにくいんですけれども、とにかくお礼を言うとかなんとか、そうやって心を表現をするといいますか、相手がなぜやっている、そんなことをしてくれたんだろうと考える力、そして自分がそれを評価して、いいことか悪いことか評価して、そして自分がそれを表現する力ですね、そこまで読解力に含めて育てようとしていますので、何か朝読書すればいいとか漢字を覚えればいいとか、そういうレベルじゃないんです。日本のマスコミも大誤解をしちゃいまして、読解力が足りないんだと思うんですけれども、下がった下がったって言うんですけれども、そんな柔なもんじゃない。 だから、人間関係のときにいかに言語情報を使えるかというのが読解力ですから、かなりその仕掛けが、PISAのテストの仕掛けは大きいし、国際的な学力観というのが実は心の問題をいかにといいますか、思考のプロセスをいかに取り出すかというところに向かっていますから、結果だけ覚える式の教育をしていたのでは心は育たないと。じゃ、心を点数化できるかというと、それも難しいと。形だけで評価しようとすると、形だけで心は別の方を向いているような、そういう教育になってしまうと。 だから、本人がやって良かったというような、そういう社会をつくっていくしかないということですね。だれが率先してやるかですが、それはいろんな団体が率先してやって、それで子供たちが良かったと思うような実感をいろんな場面でつくっていかないと、教え込むという発想になったら、目の前、そのときだけいい格好をします。だから、心は育たないと思います。
○公述人(大島煦美子君) 私も福田先生とほぼ同じ意見です。強要してその場は取り繕うということはあるかもしれませんが、本当に心の教育にそれが深く浸透していくのかといったときに少し危ういものがある状況に現実的にはなってくる部分もあるのではないかなという思いがあります。 ですから、選択肢の中に入れ込まれていて、それを、多様な生き方を認めるというのが理想的なところですので、その間にそのところの視点で選び込まれていくということはやぶさかじゃありませんけれども、いわゆる強要してそれを、何というんですか、強く投げ掛けるというところに対して私はちょっと疑問を持ちます。 以上です。
○公述人(吉田裕史君) 教科の歴史とか社会の公民などで、もちろん国会の仕組みから国民の義務から権利から、もちろん世界の歴史の中に宗教の発生から戦争から何からというふうなことも教えておりますので、そういう意味での一般的な知識については高校でも中学でも小学校でも教えているところだというふうに思います。 私が大切だなと思うのは、先ほどフィンランドの話ありましたけれども、点数などで輪切りされて受験だけやっているような学校ではなくて、様々なタイプの生徒が交わり学ぶことが大切だというふうに考えます。そういう中で、他者への理解とか思いやり、連帯とか共同というふうなのが分かってくるんだろうし、社会に出れば本当にそういう多様な人たちとのつながりが一番大事なわけですから、そういう点で、人を尊重したり、その前に自分が認められる、自分自身に肯定感を持てるような子供たちを育てていくことが最も大切なんじゃないかなというふうに考えておりますので、特別に宗教教育を実施するみたいな徳目的なものは必要ないというふうに考えております。
○亀井郁夫君 次に、一点お尋ねしたいのは、教育について不当な支配の介入の問題がいろいろ書いてありますけれども、私の郷里の広島では、外部の団体が、日本同和、同和の方ですけれども、これが実際に教育を支配した時代がありました。そのために、これじゃ困るという声が非常に強いんで、これを削除してほしいという声が非常に満ちているわけですが、新潟県の場合分かりませんけれども、教育委員会が不当な介入するんじゃなしに、外部の団体がやるわけですから、それに対してそういう声が非常に強いんですけれども、これについてどういうお考えを持っているか、委員の方にお聞かせ、簡単にお願いしたいと思います。
○公述人(藤井久丈君) まあ、教育権の介入ということは非常に気になるところでございます。これは、いろいろな団体もございますし、それから私自身がちょっと気になりますのは、それぞれの地方公共団体のトップの方のかなり偏った考え方とか、そういうのもかなり気にはなっておりますし、それからもう一つは、外部評価というのは私は必要だと考えていますが、その方向性というのも気にはなります。 それからもう一つは、先ほどから少しお話をしていますが、世の中の風潮といいますか、それも私はかなり、これこそ外部の介入だというふうに考えていますので、それも含めて検討するべきでありますし、そういった意味で、マスコミといいますか、そういった対応というものをしっかり考えていかないと駄目だと思いまして、私の外部団体の介入というのは、むしろ大人の世界の社会の考え方、それが一番問題だというふうにむしろ考えています。
○公述人(福田誠治君) 形ある介入とすれば、いろんな団体はそれは考えられますし、私はそれは政府も入っていると、これは学テの最高裁判決にも出てきますが。それで、形のないのですと、今言われましたようにマスコミその他、いろんな形で欲望をあおるようなので、とても子供が育つのには良くないようなものまで入ってくるわけですが、ただそうやって、それをどうするかですけど、そういうような不当なものがあるとみなしますね。それで、じゃどうするかというと、やっぱり子供のためになるかどうかで、そこで教師が専門家として判断せよと、それで真理に忠実であれと、そこが譲れないことかな。 だから、例えば医者と比較しませば、目の前にいる患者に一番いい治療法を医者が判断すればいいわけでして、ちょっと金稼ぐために手術をやれとか、そうやってくるのが不当な介入、本当に助けなきゃいけないのに三か月たったから病院から出せとか、それが不当な介入だと私は思うんですけど、それを教育に当てはめれば、先ほどちょっと言いましたが、じゃ、ゆとり教育やれといってやって、日本じゅうやったのどうなったんだとか、そういうものをやるだけの条件もつくらないでやれと言った、それは不当な介入じゃないかと私は思うんですけれども、それで近ごろ総合学習やめようかと言ってみたり、もう時間割までできて指導要領まであって、いろんな教材まで作ってやっているのにですよ。だから、ちょっとそれは、ある団体が良くないというようなものではなくて、だったら教育の論理が徹底せよという、そういうふうに解釈した方がいい。医師だったら医学の論理が徹底せよですね。 そういうことで、だれが何を言っていて、意見が同じだからだというその現象を見るんじゃなくて、それが本当に子供のためになっているか、そこで測るべきではないか。それが、どっかで決めたからその先生は守らされているとか、そういうのは良くない。そうなると、やっぱり政府の介入も、私は、お任せ主義になって無責任になって、政府がやれと言ったからというか、教科書ができたからだとか、時間割があるからおれはこれで授業をやっただけだというような教員になってはいけないんじゃないかと。目の前にいる子供に本当に自信を持って、これは君たちの将来ためになるんだよと教えられるような仕組みといいますか、そういうのは中立的な仕組みというかもしれませんが、それが大事ではないかと思います。
○公述人(大島煦美子君) 私は、教育というのは基準に持つのはやっぱり子供あって、子供をどうするかというその基準が大事だと思います。そのときに、それを不当な介入となるのか、またとても建設的な介入もなきにしもあらずですので、そこのところはいわゆる聞く耳を持ち、また受け止めるものを持ちながらも、今、福田先生もおっしゃっていらっしゃったように、子供というもの、子供の教育というものを、ぶれない基準というものをしっかり持って、その上で大人が判断する、学校でしたら教師が判断するという、そこのぶれない意識といいますか、ぶれないものというものはしっかり持っていていただかなければならないのではないかなと思っております。 以上です。
○公述人(吉田裕史君) いろいろな課題とか問題が起こったときに、それがどういうことなのかということを私たち教師が理解しない限り子供たちの問題は解決しないというふうに思っておりますので、介入というふうなおっしゃり方されていましたが、例えば子供が差別されていたり人権を無視されている、それならばその当事者の方々と話を聞く、私たち教育現場での課題があれば、それを整理をしてまた解決に向けていくという歩みが一番大事なんだろうというふうに思うんです。 それを一方的に介入というふうな言葉で制限するものではないというふうに考えておりますので、先ほど大島さんも言われておりましたけど、私たち自身が感性を持って聞く耳持って、また目の前の子供たちにとって何がいいのかということを考えていく対応をしていきたいと考えております。
○団長(中曽根弘文君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、長時間にわたり御出席をいただき、また、貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。拝聴いたしました御意見は本委員会の審査に十分反映してまいりたいと思います。委員会、委員一同を代表いたしまして、厚く御礼申し上げます。どうもありがとうございました。 以上をもちまして参議院教育基本法に関する特別委員会新潟地方公聴会を閉会いたします。 〔午前十一時十六分閉会〕 ─────・───── 長野地方公聴会速記録 期日 平成十八年十二月四日(月曜日) 場所 長野市 ホテルメトロポリタン長野 派遣委員 団長 委員長 中曽根弘文君 理 事 蓮 舫君 理 事 風間 昶君 岩城 光英君 岡田 直樹君 中島 啓雄君 神本美恵子君 近藤 正道君 亀井 郁夫君 公述人 長野市教育委員 会委員長 久保 健君 首都大学東京人 文科学研究科教 授 大田 直子君 元大町市教育長 牛越 充君 公認会計士 若林 健太君 ───────────── 〔午後二時五十八分開会〕
○団長(中曽根弘文君) ただいまから参議院教育基本法に関する特別委員会長野地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします教育基本法に関する特別委員長の中曽根弘文でございます。よろしくお願いいたします。 まず、私どもの委員を御紹介申し上げます。 私の右隣から、公明党の風間昶理事でございます。 続きまして、自由民主党の岩城光英委員でございます。 同じく、自由民主党の中島啓雄委員でございます。 同じく、自由民主党の岡田直樹委員でございます。 次に、私の左隣から、民主党・新緑風会の蓮舫理事でございます。 同じく、民主党・新緑風会の神本美恵子委員でございます。 社会民主党・護憲連合の近藤正道委員でございます。 そして、国民新党の亀井郁夫委員でございます。 以上の九名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 長野市教育委員会委員長久保健公述人でございます。 首都大学東京人文科学研究科教授大田直子公述人でございます。 元大町市教育長牛越充公述人でございます。 公認会計士若林健太公述人でございます。 以上の四名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査を行っておりますが、本日は、四案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を承るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には御多用中のところ、本日は御出席いただきまして、誠にありがとうございました。 本日、皆様から忌憚のない御意見を拝聴いたしまして、今後の委員会審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、久保公述人、大田公述人、牛越公述人、若林公述人の順序でそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、久保公述人にお願いいたします。久保公述人。
○公述人(久保健君) 意見を申せという、そういうことでございましたので、長野市の教育委員会の委員長の久保健と申しますが、よろしくお願いいたします。 私は、長野市の教育委員会に所属しているわけでございますけれども、市町村の教育委員の立場と、そして住民の皆さん方に最も近いところにいる教育委員の一人として、日ごろ思っていることの一端を申し上げたいと思います。 最近、非常に教育問題が山積している、そして、いろいろなところで、今の子供たちの教育はどうなっているのかと、それから家庭はどうなのかと、保護者はどうかという、様々な声が聞こえるわけでございます。 もとより教育の重要性というものは、私は、知徳体一体とした円満な人格を形成していくという、そういうところにあるかと思うわけでございますけれども、それが取りも直さず我が国の社会存立の基盤となると、そういうように思っております。また、人づくりを通して文化を大きくその根底から育てる仕事、その仕事もしていかなければならないと。したがって、教育に携わる者はやはり一つ使命感をしっかり持って取り組んでいかなければいけないという、そんなふうに思っておるわけでございます。 そして、教育の在り方は、やはり国家、社会の発展に大きくかかわると言っても過言ではありませんけれども、そのことが国民の皆さんお一人お一人がやはり改めて自覚をしなければいけないときに来ているのではないかというふうに考えます。 それだけに、教育上の今日的な課題、とりわけ、私は市町村の教育委員会を担当している委員でございますけれども、地域に最も密着し住民に近い、そういうことから切実な声をお聞きして、何とかより良い教育行政をしていかなければいけないという、そういう思いがあるわけでございますけれども、矢継ぎ早に様々な教育改革という方向が出てきて、ややもすると市町村の教育委員会並びに学校現場は戸惑いを感じているというのも事実でございます。しかし、お互いにその任に当たっているということでございますので、自覚を持って自らの責任を果たしていかなければいけないという、そんな思いでございます。 社会の変化、そして社会構造が大きく変わっているという、そういう声が聞こえるわけでございますけれども、正にそのとおりだと思うわけでございます。そして、それに直面していて、市町村の教育委員会あるいは今の公立の学校、様々な教育施設におきましては、都市化の波、そして少子化、高齢化、そういうものを背景として、家庭や地域の教育力の低下ということが言われております。 また、子供たちの学ぶ意欲、そして学力の問題、それから最近非常に世の中を騒がせておりますいじめによる問題、そして、大変こんなことはあっていけないということでありますけれども、子供さんの自殺の問題、また、かつては余りこういうことはなかったかと思うわけでございますけれども、学級集団が成立をしなくて学級崩壊をしてしまうというような、そういう状況が醸し出されているということもやはり一般公立の学校の中にはあるということを認識しております。 また、青少年による凶悪な犯罪、そして家庭における児童虐待など、こういう状態、事態について直接私どもがその対応に迫られているというのも事実でございますし、ここを何とかしなければ我が国の教育の存立というものが危うくなるのではないかというふうに考えます。 このような状況は、やはり私の立場からしますと、地方公共団体の大小にかかわらず、その背景にある要因は違うにしても、様々な状況で醸し出されていると、そんなふうに理解しております。 その背景には、一つには、家庭における幼少時からの養育、そしてしつけの問題と、そして若い保護者の方々が子育てに迷いを生じているという状況がないかということが一つ背景にあろうかと考えます。 それから二つ目でございますけれども、子供たちの多様な能力とかあるいは適性など、一人一人に十分対応できない、これは学校教育の在り方であろうかと思うわけでございます。 三つ目でございますけれども、ややもすると今日の子供たちは生活体験が不足して、いわゆる大人になって様々な事態に対応する原体験となるべきその内容というものが不足してしまって、そして、そういう中で人間関係を構築していくというそのすべというものがなく、他人への思いやりとか、あるいは人間相互が連帯感を持って生活していくという、そういう意識というものが希薄化しているのではないかという、そんな環境の問題があろうかと思います。 四つ目でございますけれども、保護者も含めて大人一人一人が、住民一人一人が自分たちも学びたいという、そういう思いを持っている、いわゆる生涯学習社会でございますので、そういう思いを持っている方々が非常に多いかと思います。そういう中で、生涯学習の学ぶ場として、機会としてどんなものがあるかと、そこを通して子供とともに触れ合うという、そういうことが非常に薄い状況にあるのではないかと。様々な施策は講じられているわけでございますけれども、地方の公共団体においては財政的な問題等がございまして、なかなかそこがうまくいっていないという状況があろうかと思います。 このような課題を私自身持っているわけでございますけれども、その対策として、一つには、その地域の持つ特色及び実態に即した主体的な教育行政を推進していきたいと。もちろん、国、県とそして市町村のその一環の中ではございますけれども、いずれにしても、地域住民に密着している市町村の教育委員会あるいは市町村は地域の特色を存分に発揮していきたいという、そんな思いでございます。 人々の学習需要は高度化し、多様化しております。これらに対応した学習機会を提供している、そういう立場にあります教育委員会といたしましては、是非ともこの面での力を発揮し、そして子供の問題行動に対する取組も含めまして、学校だけでは解決できない様々な課題から、学校と家庭と地域社会の連携による、地域全体で子供を育てていくというその取組が今後ますます求められてくるかと思います。 その対策の二つ目でございますけれども、教育の質の向上のためにどのような教育条件を整備していったらいいかということでございます。 教育の質が問われますと、そのほとんどが学校教育とそれにかかわる教育行政の対応、施策の有様が指摘される今日でございます。とりわけ公立の小中学校におきましては、市町村が設置者であるだけに、地域の子供の望ましい教育を常に念頭に置きまして、学校を支え責任を果たすべく努力しているわけでございますけれども、しかしながら、学力低下への懸念とか、あるいは不登校生の増加の状況、最近特に言われております体力の低下、その影響からくる心身の未発達、そして学ぶ意欲や生活習慣の未確立等が言われ、その対応に苦慮している状況にあるかと思います。 これは何も、教育行政が様々な施策を講じて何とかしようとしているわけでございますけれども、一般の保護者の方々もそれの対応に苦慮していると、どうあったらいいかという子育ての問題にも絡んでくるかと考えます。子供に身に付けるべき力やその力を具体的にどのようにはぐくむかという道筋につきましては、保護者、地域との間で必ずしも共通の理解がなされていないのが現状であろうかと思います。そして、教育の成果や課題が不透明で見えないという、そういう指摘もございます。これはやはり地域、家庭、社会がお互いに留意して、学校教育を守り立てていかなければいけないという、そういう方向で条件整備を図る必要がないかと、そんなふうに考えます。 対策の三つでございますけれども、学校、家庭、地域社会の役割を再認識して連携を密にしておくと、そういうことであろうかと思います。 各市町村では様々な施策が講じられまして、その成果と実績に基づいて更なる展開が図られていることと考えます。さらに、それを発展、拡充するためにそれぞれの役割と在り方が改めて議論されている今日であろうかと思います。 特に、義務教育におきましては、教育基本法でもうたわれておりますけれども、人格の完成を目指し、個人として自立して個性、能力を伸長させ、その可能性を開花させるための基礎を培うと、その重要な役割を担っております。 また、家庭におきましては、子供の育成の第一義的な責任は家庭にありという、このことがややおろそかになってやしないかと。それは、保護者の責任としてしつけとかあるいは基本的生活習慣を身に付けることは常に言われてきているところでございますけれども、今日憂慮すべき状態にあろうかと思います。家庭の教育力が低下しているからといって、学校の役割をその面で拡大しても子供の心の満足は得られません。家庭の教育力は学校で代替できる性質のものではないことをやはり大人そして保護者、それから教育行政を担当する者は心していかなければ、理解していかなければいけない今日であろうかと思います。 以上、いろいろなことを申し上げましたけれども、教育の根本法となる教育基本法の改正は、やはりその時期に来ているものと考えます。教育の基本理念、そして目的、目標を明確にされまして、十分な論議の上、改正されることを願うものであります。 新たに規定されていることにつきましては、いろいろな点で是とするところがたくさんございます。 義務教育に関しましても、学校に関しましても、特に教員の研修につきましても是とするところが盛られているかと思います。免許があるから子供を育てられるという、そういうものではないと思うわけです。やはり教育は、子供と教師が人格的な触れ合いを通して育てていくものだと。したがって、教師になる人間はやはり人格を磨き、そして使命感に燃えて、教育愛ということはもちろんのことでございますけれども、やはり使命感に燃えて努めていくと。そういう内容が第九条に盛られている、これを是とするものでございます。 それから、家庭教育、これ第十条に盛られておりますけれども、第一義的な責任ということ、そのために国と地方公共団体が支援をしていくという、これは大事な点ではないかと思うわけでございます。 そして、「教育の目標」にございます「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」、このことでございますけれども、我が国の伝統、文化から学ぶということ、これは今の子供たちの学習の中にも当然ございますし、私ども大人もそうであろうかと思います。今ここに生活しているということはどういうことかと。私は長野市の人間でございますけれども、長野市の文化を享受し、そしてこの歴史の中の、今歴史の流れのいっときをここにいると、そういうことをこれはやはり学んでいく必要がないかと。それを尊重し、国や郷土の先人の業績、歴史を理解し、愛情をはぐくむという、これは大切なことと考えております。 ただ、難しいところは、調査をし、評価をするという非常に、その内心を評価すると、これは難しいことだと思うわけでございます。そういう意味で、やはり意欲とか関心とか態度を総合的に見ていく、そういう必要がないかと、そんなふうに思っております。 そのほか、教育の機会均等、それから教育水準の維持向上、義務教育の無償制等、様々ございますけれども、教育の機会均等だけは是非とも格差を生じないようにしていかなければ我が国の教育全般の底上げにならないと。そんなことで、教育基本法は改正の中に十分に盛り込んでいただき、また振興計画の中にそのことがうたわれることを御期待申し上げたいと思います。 以上でございます。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 次に、大田公述人にお願いいたします。大田公述人。
○公述人(大田直子君) 首都大学東京人文科学研究科の大田と申します。専門は教育行政で、特にイギリスの教育政策分析をやっております。 私は、研究者としてこの法案をどう見るかという立場から申し上げたいと思います。 まず、全般的に法律の改正が行われるということはそれ自体は反対はしませんけれども、法律が改正される場合にはそれ相当の、特に教育基本法といういわゆる準憲法というふうに位置付けられている法律を変えるということに関してはそれ相当の理由が必要であるというふうに考えています。 まず、政府から出されている法案についての意見ですけれども、現在、日本の教育制度が多くの点で批判されていること、多くの人が教育改革を望んでいるということは事実であろうかと思います。また、社会の情勢も近代公教育が成立した十九世紀とはかなり異なっており、改革がその時々に行われる必然性はあると思います。しかし、それは例えば高度情報化社会、ネットワーク社会、あるいは私の専門で言えばイギリス社会が今目指しているような生涯学習社会の構築といった大きな理由が存在しているはずであろうというふうに考えます。 翻って、現在の日本の公教育制度が抱えている問題は、ある意味で戦後の教育改革の理念を形骸化してきたこれまでの政府・与党文教政策の結果でもあると私は見ていますけれども、それについては何ら反省も分析もされておらず、専ら学校、教職員あるいは教育委員会あるいは教職員組合のせいにばかりされてきたような気がいたしますし、このごろは保護者の側への批判もメディアによって痛烈に行われています。つまり、個々の当事者を批判するという態度から脱していないように思われるわけです。 しかしながら、現実をよく見れば、生活状況、経済状況の悪化や人間関係についてのストレスを抱え、ある意味、正直者がばかを見るような成人社会の問題に起因しているものの方が多いのではないでしょうか。例えば、指導者と言われるべき政治家や公僕と呼ばれる公務員によるいろいろな問題、公約は破っていいのだと公言してはばからない元首相の登場などは、現在の教育問題の結果であるというよりは、全く異なるところに理由があるのではないか、そう思えて仕方がないのです。 そういう意味で、今教育基本法を改正するという必要性が私には理解できません。問題はむしろ教育基本法の理念を実現してこなかったこれまでの文教政策等々の在り方にあるのではないか、そして、あるいはこのような理想社会を築き上げられないで来てしまった私たち自身に問題があるのではないかというふうに考えています。 また、この改正案論議の背景として、特にイギリスの教育改革がモデルのように安倍首相によって持ち上げられていますけれども、当時のイギリスにとっての改革モデルは一九七〇年代の威信の高かった日本の公教育制度であったということをきちんと評価していただきたいと思います。問題は、むしろなぜそのような公教育制度が現在このような状況になったかという、その分析をする必要があると思います。もちろん、そこには社会の変化、先ほども申しましたが、豊かさの問題、生活空間や時間の感覚の変容といった問題、大人と子供の区分があいまいになったなどなど、複雑な要素が絡み合っていると思います。 また、基礎学力と貧困問題というのは、今、たまに例外もありますけど、基本的に正の比例関係にあるというのは教育学の一般的な常識であります。ですから、教育だけをいじくっても、本当の意味の基礎学力の向上とか、貧困問題とか、社会の平等を更に促進するというようなことにはならない、もっと総合的な教育制度改革論議あるいは社会全体の制度改革論議というものが必要なのにもかかわらず、この教育基本法の改正だけをやったということで、理想とするような社会にはならないのではないかというのが率直な意見です。 さらに、そういうことに関してどうすればいいかということはいろいろと議論があると思いますけれども、もっと現場での対応策を考え、それを支援していくような財政上そういう条件整備をする方がよっぽど効果ではないかと、有効性があるのではないかと思います。 特に、政府は一九八〇年代以降、義務教育費国庫負担制度を改正していくという形をずっと取っておりまして、公教育費の削減をやっております。最初は教職員の中の一部の職員を負担の対象から外すというような言い方をしていきまして、それを守るというか、学校職員全体で義務教育費国庫負担制度を堅持してきたわけですけれども、最終的には三分の一の国家負担という形に決着しています。それ自体も実は、じゃその分、地方や学校に自主裁量権が来たかといえばそういうことはなく、全く数字上の合わせだけで、ひどいときには中学校を対象除外にするという暴論も出たぐらいの、全く教育論として意味の成さない公教育費負担の削減をずっと一方で続けてきていた。そういった問題を何ら対処せずに、この教育基本法改正をするとあたかも何もかもうまくいくような、そういう幻想を振りまいているというのはいかがなものかというふうに考えています。 また、仮にこの中身に対して、もし改正案としてどういうふうに考えるかというと、これもまた全く時代錯誤的な内容となっているとしか言いようがないと思います。 例えば、イギリスの例を引いて申し訳ありませんが、イギリスは明確に生涯学習社会をつくるということを定義し、それを支えるのは活動的な市民であり、それは多元化した価値観の中で互いに価値観の違いを理解し尊重し合う自立的な個人の創出にあるのだと、そのために例えばシチズンシップ教育というものを同時に主張していますが、これは日本で今論議されているようなものではありません。国家はこのような自立的な市民を育成するために最低限のサービスの保障を約束しますが、それは社会生活の基本的ルールを奨励するものであって、国家が自ら率先して価値観などの統制を行うわけではないのです。 しかしながら、今回の改正内容を見ますと、多くの点で国家が内心の自由や私の領域、プライバシーの領域への関与を明言しており、自由主義国家としてもその役割を大幅に逸脱していると言わざるを得ません。ある意味で非常にパターナリスティックな国家に逆戻りしているかのような感じがあります。しかしながら、むしろその多様な在り方があるということを前提にして、その中でどうやって生きていくのか、互いに尊重して人格の形成をしていくという元々の目的を考えた場合に、現在の文脈においては評価を伴うある種の強制として、特に目標の設定の部分は危険性が大いにあるというふうに感じています。これはやはり法律としても問題を抱えているのではないかと素人目に見ても思うわけです。 内容を更に検討してみますと、同一の章内にレベルの違うものが並列されているような感がします。例えば、生涯学習だけが理念として語られていますが、生涯学習と教育の目的というようなところはどう関係しているのか、あるいは生涯学習と社会教育の問題はどうなっているのか。本当はこれこそが基本法として概念として整理されるべきような問題には手を付けておらず、並列して何か物をこう押さえているというか、自覚的に対応されているとは言い難いような気がいたします。 まして、今回の政府案の提案の方法とかといったことに関しては、例えばこれはイギリスで政策分析をする場合にとても重要なんですが、政策文書が公表され、さらにその前に政党として、党大会で正式な政党の政策として認められるかどうかの討議を経て、さらには政策文書を公開し、関係者に事前の協議をし、そして世論とよく相談し合ってそして議会に出し、議会でまた論戦が行われるという、この一連の分析を見ている者からしますと、今回の法案の提出というのは非常に問題があったのではないかと思います。そして、さらには教育学会、関係の十五団体の会長が反対をするという連名で決議を上げていますけれども、あるいは国民の反対の声明はかなり出ていると思いますが、そういった世論調査の結果も無視しているのではないかというふうに思います。 また、安倍首相の個人的な文書が教育政策の動向に大きな影響力を与えてしまうような状況も問題であると思います。特にイギリスがその場合教育改革のモデルとされ、あたかもサッチャー教育改革が成功したかのように喧伝し、サッチャーが一九八八年教育改革法を成立させ、四四年教育法を改正したために成功したのだという極めて恣意的な単純化した論調で現在の教育基本法改正を正当化するというような論議というのは、まじめにイギリスの教育政策分析に取り組んできた者として見過ごすことのできない多くの問題を抱えていると思います。このような単純な見方が流布してしまうことに非常に憤慨しています。 これは、例えば教育バウチャーの議論についても同様です。実際には教育バウチャーにはいろいろなパターンがあり、いろんな形で活用できる可能性もあるんですが、今のように日本で紹介されてしまいますと嫌悪感の方が先立ってしまいまして、教育バウチャー制度をめぐるまともな議論もできなくなってしまう。このことを一番がっかり思っているわけです。非常に私としては政府が出されておりますこの法案に対しては明確に反対したいというふうに考えています。 それからもう一つ、民主党の提出の日本国教育基本法案についても言いたいことがありますので、多少言わせていただきたいと思いますが、政府案と比べれば、民主党提出の法案は多くの点で政府案よりも受け入れられる余地はあるだろうと思います。内心の自由などについても守られており、基本的な法律としての要件も満足していると思います。いろいろ政府案にない、例えば外国籍の人々への教育の保障、特別支援教育の配慮、財政的保障、情報化社会への対応など、対案としての性格が前面に出ていますけれども、新しい社会への対応というものが盛り込まれている点で評価できると思います。 ただし、教育行政に関して付言すれば、従来の教育委員会制度廃止という大きな変更を求めているということに驚かされているわけです。これも、急に出たような意識がありますので。日本は戦後改革以降、アメリカの教育行政制度である教育委員会制度を採用してきました。しかしながら、五六年の地教行法以来、公選制が任命制に切り替えられ、教育長の資格が剥奪されたりしてきています。元々財政的裏打ちもなく、脆弱な基盤の上に成り立っていたものが更に形骸化されていったわけです。さらに、このごろの批判の中では、教育委員会廃止論ももちろん展開されておりますし、分権化と絡まって大きな関心を引いています。 しかしながら、教育行政の一般行政からの分離という原則を見直すことに関しては更に議論が必要であると思われます。例えば、学校の自律性を高め、学校理事会を置くことで公立学校制度の改革も同時に提案されていますが、当該地域の教育全体を見直し、バランスを取るという仕事は必要不可欠であり、これに関しては教育行政の専門家である教育長が行うべきであると考えます。これは特にアメリカのみならず、イギリスでも再確認された点であります。 イギリスは日本と異なり、一般地方行政の一部として地方教育行政が位置付いています。それでも、そのイギリスでも、一時期教育行政を担当する部局の廃止が叫ばれたんですが、基礎学力の向上、特色ある学校づくり、そういった目的を学校だけにゆだねるのではなく、当該地域全体に配慮して調整し、困難を抱えるような学校に対しては積極的に支援を行うためにいわゆる地方教育行政機関、その役割が再認識されてきています。こういった点も含めてこの点は検討されるべきではないかと思われますので、これについて今後の論議を進めていただければと思います。 以上です。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 次に、牛越公述人、お願いいたします。牛越公述人。
○公述人(牛越充君) よろしくお願いいたします。 私は、この十月まで信濃教育会で現場の先生方と一緒に講習の企画、それから地域の皆さんとの生涯学習の推進等々に当たってきました。そういう立場で幾つかの教育の課題を、本当に危機感を持って感じていることは幾つもあるわけですけれども、今回はこの法案に関係してという視点でお話を申し上げたいかなと思っております。 第一点目ですけれども、この経過の問題について、私は政府にも課題もあるが我々にも課題があると。 ちょっと話の途中になりますけれども、私お配りした資料は、改革というのは共々だよと。学校や教師ももちろん大きい責任があると、行政も改革しなきゃいかぬ、それから家庭もそうだよと。今まで、行政が悪い、学校が悪い、子供が悪い、地域が悪い、親が悪いというのをみんな言ってきたんじゃないかと。もうずっとそれを言い合ってきた、カエルの合唱みたいに。じゃ、それをやめようじゃないか、そしてまず果たすべき責任を見詰めようじゃないか。しかし、今果たそうと思ってもここに家庭の問題が出てきて、後で触れますけれども、家庭に教育の大きい責任がある、私はそう思います。 しかし、十分に果たそうと思ってもできない面もまたある状況。学校もそうです。学校が果たすべき責任はあるんですよ。だけれども、チャレンジャー精神を付けろ、基礎、基本を付けろといっても、明日からまた登校拒否がばあっと増えてしまう、校長の名前だれだというような問題が出てきたり、いじめが出てくる。そういう中で、もうがんじがらめになっていることを早く気付かなきゃいけない。そのことを強く思って述べさせてもらいます。 一点目ですけれども、この経過の問題。 これは皆さん御存じのように、平成十三年の十一月のときに諮問が出ているわけですね。それで、十八年の四月幾日ですか、二十八日に閣議決定している。かなりの年数があるんですよ。これも私は政府だけ批判していませんよ。後で生涯学習と結び付けてこの課題を申し上げたいと思うんですけれども、これは政府自身にも啓発の課題があったということも言えるでしょう。それとともに、私ども国民が、生涯学習社会が進んでいないんです。 それで、生涯学習って何かというと、悪い意味じゃないんですけれども、個人的な趣味、種目別な生涯学習が進んでいる。何ですか、習字、パソコン、その他パッチワークだとか。これは非常に進んできて評価するんですけれども、問題別の生涯学習社会が進むような質の高い社会の成熟度がそこに高まっていない。そのことが、ここに五か年くらい置かれているんですけれども、なかなか課題になってこなかった。これは政府ともに、また教育関係団体ともこれを課題にするような経過を踏んでこなかったということで、共々にこれを反省しなきゃならぬじゃないかという課題が一点であります。 次に、この教育基本法、できるだけそこに絞ってお話ししたいと思うんですけれども、現在の社会との関係で、特に基本法の問題、この公共性の問題が指摘されていますから、そこへちょっと焦点を当てて課題を見ていきたいと思いますけれども。 現在の教育基本法、これは教育憲法なんて言われているんですけれども、これができた背景というのはファシズム、国家主義の中でずっと突っ走ってきた、だから、あるすばらしい基本法ですよ、個人の尊厳という点については。しかし、バランスが欠けていた。現在の社会を見たときに、もうこれはだれも認めているんですけれども、余りにも、本当の意味の個人主義ならいいんですけれども、民主主義の原理は個人主義です、それはいいんですけれども、そうじゃなくて、他を排するような利己主義がずっと進んできてしまった。要するに、公共性の喪失ということであります。この問題が、私は、いじめとか不登校、その教育課題のところへ大きく突き刺さっているというのが一点であります。 それから二点目の問題、これは大きい問題でありますけれども、これも御存じのように、グローバル、グローバルなんて言っておるんですけれども、これは経済競争ですね。そして、この経済競争の元は知の競争です。知の競争に勝てば経済競争に勝つということで、今先進国その他が教育をみんな国家戦力の中に入れて市場原理を導入して競争している。日本もその波の中にある。しかし、それに乗らないと国家が成り立たないという大変難しい問題を抱えている。この問題が、勝ち組、負け組なんて嫌な言葉が出てきている、つまりこれがなおさら利己的な環境をあおってくる状況にあると。だから、私が言いたいのは、公共性という問題を強調しなきゃいかぬよというのが二点目であります。 それから三点目の問題は、これ、教育の問題は文明病だということを久しく言われてまいりました。私は今もそのことを思っているんです。だれが悪いかれが悪いというときに、共々にこの問題を考えていかなきゃいけない。そして、この技術革新を進めてきた、イノベーションなんて最近言われていますけれども、それを極端に進めてきたのはまた消費者でもあるし、そしてそれはまた企業とかそういった関係でもある。共々の責任であると思うんですが、これがまたどういう問題を持ってきたかというと、これは感性の喪失であります。 これは、今度の基本法の中でこの問題を、二条の五ですか、取り上げていただいたんです。この問題を解決しない限り、いじめの問題、これは解決できない。文科省が命の問題が起きるたんびに担当者を集めて檄を飛ばす、そして担当者が帰ってきてまた檄を飛ばす、これではどうにもなりませんよ。ですから、本当に危機感を持ってこの感性の喪失の問題をどうやって回復していったらいいかということを真剣に考える時期に来ているかなと。そういう点で、基本法の中へこの問題が盛り込まれたという点は、文章表現に多少課題はあるけれども、今後深めていく重要な課題かなと。 そして、四点目でありますけれども、今、大田先生からもお話がありましたように、生涯学習の問題です。これが今度ここへ入りました。 私は、この基本法で一番評価する点は生涯学習の理念の問題を盛り込んだ点、これは非常に高く評価しています。これを盛り込まなければ、私はあとの条文みんな反対です。公共の問題も、それから郷土や国土を愛する心というのはまあ態度に変わりましたね。生涯学習社会というこの理念を入れてくれたから、トップダウン、押し付けじゃないよ、愛国心を押し付けたと言うけれども、いや、生涯学習社会というものを構築していく、そして公共性に参画して云々というような条文が入っていますね。その公共をどうやって創造していくかという、それが生涯学習なんです。生まれてから死ぬまで勉強だというとらえ方は私は余り賛成しないんで。 ですから、生涯学習社会の理念を本当に取り入れていく中で、公共性の問題、それから郷土や国を愛するというように、具体的な実践を通してやっていくということで、生涯学習の理念を取り入れたことを私は高く評価しています。これがなければ、私はほかの条文は全部反対であります。 それから次に、これは一例なんですけれども、今までの現教育法が非常にいいことがうたわれているよ、だから改正しないでいいよという意見もあります。これはかなり私も傾聴する面があるんですけれども、すばらしい法律があるにもかかわらず、現状の動きは現在の基本法と違う方向へ動いている面が幾つかあった。例えば、特にこの教員の関係でいきますと、現法でいけば第六条でございます。今度は十何条か、十条になったんでしょうか、この中で、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期せられなければならないというのがここに入っているわけです。 ところが、現在、実際動いているのは何かというと、教員の給与が高過ぎると、五年間計算したら一万何ぼも高過ぎるから下げましょう、人材確保法を見直そうじゃないか、そして外部評価、民間人の登用というのが動いているわけです。これ全部私は反対するわけじゃないんですけれども、この教師の使命感、そして今度は崇高なという言葉に変わりましたね、これもう正に賛成なんです。そういう法でうたっていることを確立するためには、単なる外部評価、民間人の登用、こういうことだけでいいのかどうか。むしろ、それは逆の方向になって、教師や学校の信頼を低下させる方向へ動いているというのが現実であります、これは。紛れもない今事実で、その中で学校や教師がもがいているということがある。 今度の法では十七条に、私はこれに期待しているんですけれども、教育の振興に当たっての基本計画を作成するとあっていますね。ですから、今度は、現在の教育法というのは、ただすばらしいことをうたっているだけでなくて、今度は、改正した中で盛り込んだのを具体的に実施されていくかどうか、細案を作って示して国会で報告しようというわけでしょう。だから、これは一歩前進かなということであり、これに期待しているところが大きいわけであります。 次に、特にこの評価すべきというか、大事にしたいということで、生涯学習のこの第三条のことについて今触れましたけれども、これは日本が国際社会の中で生きていくためにも、一九九九年にケルンで首脳者会議が開かれ、小渕さんが行きました。初めて首脳者の中で生涯学習がブレアさんの提案で承認されたんです。これからのグローバルの時代には、切符とかパスポート、そんなものはどこへでも行けると、本当のパスポートは生涯学習であるというのを宣言したんです。そして、この生涯学習を構築するために最も重要なのは教師だよというのをここでうたったわけであります。これが本当に世界じゅう動いていけば、世界の環境問題も平和の問題も、かなり解決できる方向へ進んでいくんです。 そういう中で、日本はこの経済競争のトッパーでなくてリードしていく国になってほしいなということで、この生涯学習の推進ということは国際的にも日本がリードしていく、すべき点ではないか、こんなことを思って強調したわけであります。 それから次に、家庭教育の問題、十条の問題、先ほどからも出ております。 これは、教育改革国民会議の真っ先のところに、家庭の教育、教育の原点は家庭であるとうたっていました。その後、教育改革の中で、先ほどこれは久保さんからも出ておりますように、学校とか教師だけへ改革が向いているという傾向があったんで、なかなか家庭に向いて、これは入りにくいという面は分かりますけれども、食い込まないできた。そして、家庭の問題まで法で規制するなということが出ていますけれども、しかし今家庭教育の問題も共々に考える。これは家庭教育の問題をピックアップしていけば企業もすべてがかかわってくるんですよ。おやじさんが企業戦士で、おやじさんの背中を見て子供は育てったって、見る方は、企業戦士でもって、そんな姿見てられない状況もある。そして、朝起きてみればもうおまんまは炊けている。子供たちが苦労しなんでも、ぞうきん掛けるところもない。そういう家庭の中で、家庭教育をしっかりやれよと、やってほしいと言っても酷な面もある。そのことをみんなで理解していかなければならないときに来ているかなということで、十条で取り上げた点は有り難い。 そして、今後この発想は、家庭教育をどうするかという発想じゃ駄目なんです、これは、もうレベルが低い。家庭文化をどうやってつくっていくかということです。これは再生会議で家族の日をどうするかなんという話が出ていますけれども、家庭文化をどう高めていくかということは国民的課題ですよ、これは。親子でもって映画見に行く、親子で音楽を聴く、音楽で詩を読む、所得の低い国でもそこまで行っていますから、こんな所得の高い国は家庭文化をどうつくるか、これも生涯学習社会の中でつくっていく。 ですから、十七条で言っている、今後この法を基本的に、具体的にしていくというときは、家庭教育をどうするか、家庭文化をどうするかというところへ高めていっていただきたい。そういう中で子供が育てばこれは立派な子供が育つ。そして、その家庭文化をどうするかということで、人ごとじゃなくて、学校は学校、地域は地域でもって共々に考えていく必要がないかなということを強く思ってこの条文を評価するとともに、今後へ期待するところでございます。 それから、十三条で、学校、家庭及び地域社会の相互の連携協力をうたっております。これはもう学社連携なんというものは何十年、私が教員になるときからもううたわれてきた。じっと、学校と力を合わせていきたい。しかし、この課題は何だかというと、地域が学校を手伝う、学校が地域を手伝うという発想だったんです。そして、みんな忙しくて、いや学校が駄目、地域が駄目だと。この発想は駄目です。だから、私はむしろこの十三条の問題は、まあこの国民的なコンセンサスを得るためには現状はこういう言葉で仕方がないがということで肯定しますけれども、学校にやってやるとか、学校が地域にやってやるじゃなくて、地域の生涯学習もすべて、公民館とか図書館活動とか、あるいは生涯学習グループ、町づくり、これをどんどん、まあ社会教育もどんどん減っちゃっているんですけれども、進めていけば、学校教育と重なる点が山ほどあるんです。 だから、やってやるんじゃないですよ。地域の生涯学習の推進で習うねらいと学校教育で習うねらいと、それを重ねればこんな効率的なことはない。お金は掛からない、そして両方が生きる力をもらっている。これは一部で今、学社融合って言っていますが、これが実はあの信濃教育会、私が参画したときにつくったあの共々という、そういう形でお互いに課題や責任を押し付けないでやっていきましょうということなんです。そして、こちらがあっちをやってやる、こちらが、まあそのボランティアの精神はいいんですけれども、それぞれの目的が幾重にも重なる、学校目標と社会教育の重なる点は山ほどあるわけです。それを重ねてやれば学校のねらいも地域のねらいも分かると。それなりに総合的学習というものを、いいものをつくってくれたんじゃありませんか。それがまた時間をつぶして学力低下だなんというのも、ちょっと文科省もぶら付いていますけれどもね、そういう点で十三条を評価しつつ、今後へ期待したいということであります。 それから次に、この感性の問題で、感性、自然や環境とのかかわりの新しい内容というのを二条へやはり繰り入れていました。これは、慈しみの問題、命の問題、大事な点であります。これはどうしても具体的な活動を通さないとできない。感性が大事だよと幾らお説教しても駄目なんです。ですから、この教育、今度の基本法のこれを受けて、これを具体的に進めていくためにどうするか、教科書をどうつくるか、生活科というのができております。生活科の中で、子供たちがまだ理屈が分からない世界で、この畏敬の念とか、種をまけば芽が出る、ドングリが芽が出てきている、いろいろの動物もこんな命を持ちながら生きることに一生懸命であるということを具体的に理屈抜きで体験する場をつくりながら、この第二条の五へ迫っていくような具体案を今後に期待したいわけであります。そのやることが、命の問題が起きるたびに、過去にもそうでしょう、あの小六の事件が起きたときも集めて檄を飛ばす、その前も檄を飛ばすじゃ、うまくこれはいきっこない。 もう時間が来てしまいましたけれども、あと課題の、現場の大きい課題だけちょっと申し上げますと、これは改革の問題が本当に矢継ぎ早なんです。改革は現場も反対じゃないんです。私は今、内から、教師たちが自らこういうふうに自分たちでお金を掛けて、自分たちでお金を出して研修します、自分たちでイギリスの改革を勉強して、勉強します、先取りします、これをやってまいりました。そういう内発的な改革へ支援することなんです。そうしない限り絶対できません。これはイギリスのブレアさんがやって、それを反省して十数年たってそう変えてきたんですよ。それを今もって今度は再生会議も外部からこうやるというだけでいけば、これは必ず失敗しますよ。 これは、一九九七年にユネスコが二十一世紀の教育をどうしたらいいかというときに、二十一世紀の扉を開くかぎは生涯学習であると。そして、教育改革を成功するためにはどうしたらいいかという先進国を分析した報告があります。この中には、矢継ぎ早の改革は改革をつぶしてきた、余裕を持って参画する時間を持たなきゃ駄目ですよ、そして改革の当事者を入れない限り改革は成功しません、失敗した国はみんなそうなっていますよというあの報告がございますので、そのことも肝に銘じていかなければいけないかなというふうに思っております。 それから、この不当な支配に屈することなくというのを今度入れていただきました。私は非常にこれにもこだわっている。これを入れてくれたから、国を愛するとか公共性の問題を主張してもいいよということで、もうちょっと補足したいんですけれども、時間が来てしまい、途中でございます。失礼いたしました。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 次に、若林公述人にお願いいたします。若林公述人。
○公述人(若林健太君) 私は、みすず監査法人という監査法人で代表社員、公認会計士として地域の金融機関始め、中堅企業や学校法人の会計監査業務などを取り組むと同時に、長く税理士として中小企業の経営相談に乗りながら、地方の経済社会の現場で活動してきました。また、青年会議所や地域の経営者団体などに所属して、明るい豊かな社会の実現を目指してと、実業界の立場から教育問題を含めた社会活動に取り組んできた者であります。 今回の公述人を拝見すると、いずれも教育関係の御専門とされる大変立派な諸先輩方でありまして、私が発言することは大変恐縮でありますけれども、委員会からの要請をいただき、せっかくの機会ですので、公認会計士として地域経済社会に汗をかく立場と、それから二人の小学生の父親としての立場から発言をさせていただきたいと、こんなふうに思います。 私は、昭和三十九年、東京オリンピックの年に生をうけました。日本の高度成長期とともに受験戦争と言われた時代を過ぎて、今の監査法人に就職をしたわけです。就職するとともにバブル経済に突入しました。バブルの崩壊後は、いわゆる失われた十年と、それからその後の規制緩和、構造改革という中を、この地方の大変厳しい経済社会の中に軸足を置き、経済人として活動しました。その意味では、昭和二十二年に制定された現行の教育基本法に基づく戦後教育の申し子の一人であるというふうに思います。 私の育った時代は、受験戦争や家庭内暴力の問題などが社会問題化しておりまして、過度な競争を強いる教育環境が大変問題にされていた時代でありました。しかし一方で、努力をすればある程度経済的な豊かさというのが夢見ることができましたし、その成果、確かに確信できるような、そんな時代であったように思います。また、地域のつながりについても多少、まだまだ残っておりまして、PTA活動ですとか地域の中での大人たちが他人の家の子供をしかるなんという風景がごく普通に残っているときでもありました。バブルが崩壊して、大きな経済社会の構造変化の中で、新人類と私ども言われていた世代は、大幅なリストラにおびえながら自らの価値観そのものを変えていかなければならないような、そんな場面に直面をいたしました。 少子高齢化、国際化、それから経済の低成長というところで終身雇用制というものが完全に崩れて、会社と個人との関係というのは根本的に変化しました。組織に所属をして忠誠を誓っていればある一定の経済的な豊かさ、将来を保証された時代は終わりました。個人が自ら自立して能力を磨いて、組織は自己実現のためにある程度利用していくツールだと、こんなふうに考えを転換していかなければならない、そんな時代を私たちは過ごしてきているというふうに思います。これは多分、次のこの時代に飛び込んでくる子供たち、それに対する社会の期待も大きく、そういう意味で変わってきているんではないのかなというふうに思うところです。 毎年、私が所属する監査法人には二、三百人の新しい新社会人が就職してきますけれども、自立と、それからその組織との関係という、大変戸惑いを覚えている、そういうメンバーが大変多くおられます。ともすると、個人としての自立というのを履き違えて、著しくこの社会性というものを欠いているようなそんな人材もいるようなことを見ておりますと、大きいこの構造変化の中で求められている、社会が求めている人間像、自立した個性豊かな人間力あふれる個人、そしてその社会性と、そんなことが求められている部分を考えると、今の教育、その考え方も大きく変えていかなければいけないんじゃないのかなとかねて感じておりました。 また、よく言われていることですけれども、少子高齢化社会、核家族化や共稼ぎという中で、私どもの同世代、正に同世代ですけれども、家族の風景が大きく変わってきました。私は長野市の郊外に住んでおりますが、この地方都市の郊外であっても、都市化、市街化はもうどんどん進んでおります。地域の姿も大きく変わり、そのつながりも変わってきております。子供たちをはぐくむための家庭と地域の環境がやっぱり大きく変わってきている、そんなことを実感するわけです。 子供を取り巻く社会の期待と、そしてそのはぐくむ環境が大きく変わってきている、そんなことが今回、今社会問題化しているいじめだとか子供の虐待、親子にまつわる本当に目を覆いたくなるような凄惨な事件につながっているんではないかと、そう思うとき、今こそ教育環境の基盤の変化に伴う整備ということが急務ではないかというふうに思います。 その意味では、平成十二年に既に教育改革国民会議の中で提言が出され、そして十五年、中央教育審議会で答申、それを受けての今回のこの教育基本法の改正ということでありまして、議論はどこまで尽くしても尽きないのかもしれませんけれども、今の時代に合わせていくと、この思いを持てば、この教育基本法改正というのは早い段階で行っていただいて、関連する法整備ですとか、また基本計画などによって、むしろ今実態で起こってきている様々な問題に対してきちっと具体的に対応していく、本腰を入れて政府なりまた教育関係者の皆さんで取り組んでいってもらいたいなと、こんなふうに思っております。基本的に改正について賛成であるというふうに思います。 グローバルな競争社会、私ども監査法人も正にその中におりますが、そういう中で、ともすると個人主義というのが非常に目に付く昨今でありますけれども、本来、自立した個人というのは、個人の尊厳を重んじ、自ら真理を追求する力を持ちながら、社会の一員としての自覚を持っていることが必要であるというふうに思います。その意味では、この前文で個人の尊厳をうたいながら公共の精神あるいは伝統の継承ということをうたっておられること、また、教育の目的の中で人格の形成とともに国家及び社会の形成者となることを並列して掲げられていることは、大変大切なことだというふうに思います。 さらに、社会の一員としての自覚、これは本来、やっぱり自ら、社会的存在の基礎となっている国や郷土の歴史と伝統に敬意と誇りを持って、それに対して愛する気持ちを持つこと、そのことがベースになっているんだというふうに思います。その意味で、教育目的を達成するため、五つの目標の一つとして国と郷土を愛すること、これを掲げていることは、私は、基本的に賛成をしているし、当を得ていると、社会性を身に付けるべきであると、その意味合いの中でこれは非常に意義があると、こんなふうに思っています。 また、自立した個人をはぐくんでいくために生きる力を備えた豊かな人間力が大切であると、こんなふうに思っています。この生きる力を付けていくために人としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きていくかという生き方について、その真理を追求する力、これは基礎的なことではないのかなと思います。 そのために、人類が受け継いできた重要な文化である宗教の意義を客観的に学ぶこと、これは大変重要であるというふうに思います。 私はこの善光寺のおひざ元で生活をしております。宗教に対する寛容の態度、社会生活の中での位置付け、自然と日常生活の中で感じております。教育の場で、一党一派に偏せず、客観的にそうした宗教に対する寛容の態度や一般的な教養を教えることは、子供たちに真理を追求するきっかけをつくると、その意味でも大切なことではないかなというふうに思います。 ちょうど思春期のころ、私はどうして今ここに生を受け生きているのか、あるいはその死生観についてと、思い悩むときが私自身もありましたし、多くの皆さんにもあったんだと思います。そのときに、その考える道筋を提供いただく、そのことは教育の中でも役割としてあるんではないか。これは決して宗教教育をするとか、ある一定の価値観を植え付けるということとは別だというふうに思います。 私は、小学校に通う二児の父親として、自分自身が決して十分であるとは思っておりませんけれども、正に先ほど先輩からお話がありましたが、ある意味では不安を抱えながら試行錯誤をして、しかし子供たちが自立した社会人となれるように一生懸命家庭のしつけに取り組んでいるところであります。 子供の教育について保護者が一義的な責任を負うと、今回この法案の中で示されていることは正に大切なことだと、こんなふうに思っておりますし、家庭での愛和に努めて、その上で地域や学校との協力関係の中で子供たちをはぐくんでいくこと、このことが大切だということは、私もPTAの研修や何かに伺わさせていただきながら、多くの思いを共有する親たちが考えている、感じていることではないかと、こんなふうに思います。 今回、この家庭教育に対する位置付けをしっかりされたこと、保護者の一義的責任ということを明確にされたこと、そして家庭と学校と、そして地域と、この三者が一体となって子供をはぐくもうとする、そのことの位置付けがはっきりと打ち出されたことは大変意義があったんではないかなというふうに思いました。 教育振興基本計画についてですけれども、これは国がナショナルミニマムとして教育基本法に基づいて教育行政を行っていくためには必要なことなんだろうと、こんなふうに思います。 しかしながら、今正に地方分権の時代だというふうに言われていて、この国の形は地方主権型社会に進めていこうというふうに言われているわけですから、教育権を地方公共団体へ移譲していくこともとても大切であると。その意味では、あくまでもナショナルミニマムとしての教育機会の均等ですとか、あるいは水準の維持といった、そういう部分に姿勢をきちっと堅持していく、そんなことが大切なんではないかなと、こんなふうに思います。 昨今、いじめ問題で、文部科学省へのいじめの数の報告がゼロ件というような報告があったというようなことを報道で伺って大変驚きました。いじめ問題については、これはもちろん学校ばかりではなくて、家庭や地域社会が一丸となって取り組んでいかなくてはならない問題だと、こんなふうに思っています。しかしながら、三人寄れば派閥ができる、これも人間社会の現実であり、我々社会人の中でも、広い意味でのいじめ、これはなくならないのも現実ではないかなと、そんなふうに思います。 そうした人間社会の現実を直視しながら、学校ばかりに頼らず、学校と家庭、地域が連携を取りながら、真正面から根気強く対応していくことが必要なんではないか。現実ではあり得ないようなゼロ報告というようなことが現場で上がり、それをうのみにしてしまった行政側、現場と行政とのコミュニケーション、現状の制度の中にその運用についてやっぱり大きな問題があるんではないのかな、こんなふうに思います。 教育基本法の改正、この後、関係法制を整備されたり、あるいはまたこの基本計画の中で様々な制度の設計がその都度されていくんだと思いますけれども、是非ともこの現場と行政とのコミュニケーション、このことも御注意いただいて取り組んでいっていただきたいと、こんなふうに思う次第であります。 整いませんけれども、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。
○団長(中曽根弘文君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願い申し上げます。 時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 また、発言は私の指名を待ってからお願いをいたしたいと思います。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○中島啓雄君 自由民主党の中島啓雄でございます。 本日は、四人の公述の方々には、大変お忙しい中、また大変短時日で急なお願いをいたしまして御出席をいただきまして、本当にありがとうございました。教育の第一線を経験された方から実業界に毎日接しておられる方まで、幅広い御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。 今回の教育基本法の一つのねらいに、戦後の教育というのは個人の価値の尊重というようなことで、自由とか自主性というのが非常に重んじられてきたと。これも大事なことなんですが、その反対に、規律といいますか、他人の自由も尊重しなければならないということがややおろそかになっていたのではないかということで、公共の精神とか道徳心ということが新たに取り入れられたのではないかと思いますが、この自由と規律の関係についてどんなふうに考えておられるか、一言ずつで結構でございますから、各公述人からお聞かせいただければと思います。
○公述人(久保健君) 子供たちの社会の中には、やはり伸び伸びと育てたいというそういう思いもございますし、そして戦後の民主主義のこの社会の中でも、やはり自分の意見は率直に言い、そして様々な方との交流を図るという、そういう意味で自由というものが尊重されてきたかと思います。 ただ、その際に責任をどのようにして取るかと。自由があれば必ず責任があるという、このことが学校教育の中でも行われてきたわけでございますけれども、例えば子供たち、あるいは私たち大人もそうであろうかと思いますが、自立という、自ら立つという、自立しなければいけないということであります。そのときに、率直に自分の考えを述べなさいという、それは正に自ら考え、そして自分はその考えに基づいて行動を起こす、自ら行い、そしてその次の、やはり自らのこととするというところが欠けてきたかと思います。言うなれば、自立の中での考える自立、思考の自立と行動の自立はいいわけでございますけれども、その考えを行ったからには自らのこととする、言うなれば責任の自立という、そういう点がやはり戦後の教育で果たしてどうかという、私はそのように思っております。 したがって、これからの子供たちの教育、我々大人もそうでありますけれども、やはり責任の自立という点を重視していく、そういう社会にならなければいけないと、そんなふうに思います。
○公述人(大田直子君) 今の問題は二つのレベルで考えるべきだと思います。 自由と規律はもちろん大事だというのは言をまちませんけれども、そもそも法律に書かれてなかったから自由と規律が実現していなかったかのように御説明されるということ自体は、むしろ自由と規律というのは教育の内容とか家庭の中身とか社会全体とか、そこのレベルで本当にきちんと身に付けさせていくようなそういうことであったので、教育基本法にその規律の部分が入ってなかったから教育基本法が問題であるというような論議にはならないというふうに私は考えております。 ちょっといろいろと申し上げたいことはあるんですが、それが一番なのでここだけにします。
○公述人(牛越充君) 私は、中学で社会科を教えているときに黒板に自由イコール不自由ということを書いて、おい、みんなで考えてみろと言ったことがありますけれども、より自由に生きるためには、規律という言葉の範疇に入るか、ちょっとそれるわけですけれども、ある一方においてはこの規律が守られ、規則が守られ、法がなければ自由なんて絶対ありっこないと。道を自由に車に乗っていくためにも、交通法がみんなに守られたときに自由があるんじゃないかと。おまえたちは給食食べるときも、給食の材料が、これがいいかどうか、今日食べたものをちゃんと保存して、食中毒にならないように、そして作る人は保健所で厳しい検査をしているんだよということで、自由と不自由というのは裏腹だというような話をしたことがあるんですけれども、ただこれが戦後、もう日本の自由というのは本当に上からいただいた自由で本物になっていなかったという、そのことを教育の中でも十分生かして教材化すればよかったんだけれども、余りにも国家主義が強かったものですから、それに対する自由だけで突っ張ってしまったかなと。 二点目で、この課題、今どういうところへ出てきているかというと、これは地域や保護者が自分で果たすべき責任を果たさないで問うわけでありますよ。学校においても、子供たちがちょっと柱が出ていたから転んだ、これは学校の管理責任がある等々。ちょっと絞って学校を見ますと、子供や親にもうはれものに触るようで物も言えない状況ができておる、ポピュリズム、これが大きい今課題だということが問われていますし、そういう傾向があります。学校が元気のない理由にはそれがあるんですが。だから、親なら親が、先ほど家庭教育の問題もいたしましたけれども、それぞれの責任を果たしつつやってきて問うならいいんですけれども、そうじゃない。自立のできていない子供を、もう紙おむつで育てて個室で育てた子供たちが育ってきている中で、課題は片方だけ問うという状況ができている。これは非常に私は深刻な問題だと思います。 そういう中で、公共性の問題をこの生涯学習の中でもってつくり上げていく、自由と規律も生涯学習でもって具体的な活動を通しながら体験して身に付けていくということで大事にしていきたいなと思っているところであります。
○公述人(若林健太君) 自由と規律というのは、今牛越公述人あるいは久保公述人がおっしゃられたのと同じ意見であると思います。 自由があるところに規律がある、権利があるところに義務があるというふうに私は思っておりまして、ともすると、先ほど私、意見発表の中でもお話しさせていただきましたが、権利のみが、あるいは自由のみが強調をされ、その裏にある規律や義務ということがなおざりにされてしまう。そういうことが、これは子供たちの社会に限らず、私ども大人の社会にも出てきているんではないのかなと、こんなふうに思っております。 自由あるいは権利を主張するときには、まずは、その社会の一員としての自らの責任とその中の規律をしっかり果たした上で行われるものだと、こういうふうに思っておりまして、それが教育の中でしっかり教えられていくことが大切だと思います。
○中島啓雄君 ありがとうございました。 久保公述人と牛越公述人にお聞きしたいと思いますが、両公述人とも家庭教育の重要性ということを非常に強調されまして、これは、じゃ家庭教育の力を上げるにはどうしたらいいかというのはなかなか特効薬はないと思いますが、こういうことをやったらどうだというような何かアイデアがございましたら、教えていただければと思います。
○公述人(久保健君) 家庭教育が今非常に問題視されているということ、そして悲しい事件がある。子宝という言葉は今死語になってやしないかと私は思っております。本当に我が子の思い、そして我が子が神から授かったというそういうことの思いというものは、やはり日本の国においては昔から脈々と人々の心に伝わってきていたものだと思うわけでございますけれども、こういうことが最近どうなのかという非常に心配しております。それは、子供たちを他と比べると。子供の個性、能力を大事にするというものの、他と比べて親御さんが我が子を客観視するという、そういう事態が家庭教育の中にないかどうかという。 したがいまして、家庭教育はどうあったらいいかということは非常に難しいところでございますけれども、やはり生涯学習社会でございますので、様々な場面でこれからの我が国を、国家社会を存立さしていく、そして自分たちを、これからの社会を託していくという、そういう思いを生涯学習社会のいろんな面で共々に話し合っていかなけりゃいけないと。正に、このことについては家庭ばかりがいろいろ問われる問題ではないと思いますので、学校も地域も、そしてあらゆる関係機関が一丸となってやっていかなければいけない問題だと思います。 そういう意味で、家庭教育のことにつきまして基本法の中に位置付けられたということは、非常に結構なことだと思っております。 以上です。
○公述人(牛越充君) 先ほど家庭教育という発想でなくて家庭文化をいかに高めるかということを申し上げたんですけれども、今度の再生会議の中で、ちょっと最近の情報の中でどの程度話になったか分かりませんけれども、このワーク・ライフ・バランスというようなことが話題になったということで、これは大いにそういうことを話題にしていただければいいんで、子供たちの書いている作文であるとか、あるいは先生方と話している中で、父親の生きざまというようなものが少しも子供の中に伝わっていないと、こういう状況がございます。 この問題は、先ほど言った、確かに経済競争に勝つというところまでいくとみんなつながっていく難しい問題なんですけれども、これはもう企業であろうと、地域社会、行政ともども担って家庭教育の問題を考えていきたい。これは単なる学校教育だけじゃなく全部が関係しているんですよ。学校は朝早くから部活をやらなきゃいけないとか、遅くまでまたやらなきゃいけないとか、これは今言った企業がそれぞれ忙しい状況であるとか。 それから一方、行政の縦割りの問題もありますけれども、具体的にそういう中に入ってみまして、例えばこの文科省の生涯スポーツの振興という方では、ナイターの施設を補助金して造るとか、それから朝起き野球の補助であるとか。父ちゃんは朝起き野球、母ちゃんはママさんバレー、それからじいちゃんはゲートボールと、これ推進しておるんでみんな、いいことなんですけれども、縦で一緒になっている活動がないから、こういうものをみんなのところでもってどうやってつくっていくかということを考えなきゃいけない。 これを、先ほどの生涯学習の視点で進めていかないと、行政がそれをやれとかと言うと行政はお金がないと言うでしょう。学校がやると忙しい。家庭がやるったって、いや、そんな暇はないとか。この課題をみんなで共有することが責めなんで、共有してどうしたらいいかということを、自分の手弁当、自分の労力でみんなでかかわり合っていくというのを生涯学習社会でつくっていきたいなと、そういう地域も少し出てきております。 これも具体的に活動した中で、三郷村というのがありまして、地域の年取ったおじいさんと学校の中学生とがかかわっていく中で、中学生は学習して初めておれは三郷の人間だなという感想を漏らしているんですよ。そういう学習手段でいけばずっといっちゃうんです。それがこの郷土を愛する心へつながっていって、実はその地域の中で父ちゃんも母ちゃんも働いているんだなということを実感していく、そういう具体的な場面をつくり出していくかということが大事かなということを思っております。 そして、何ですか、家庭の日というの今あるんです。家族の日をつくると言っていますけれども、第三日曜日でしたかね、全国家庭の日というのを、これは、組織は青少年育成何とかというのを全国で作って。ところが、家庭の日にイベントを行う、家庭の日にほかの方もみんなやってますから、この教育基本法で家庭の課題をピックアップしていただいて、それぞれがこの家庭の問題、家庭はもう家庭だという考え方じゃなくて、考えていって、親子で活動できる場面をつくっていくとか、それから企業の皆さんも、家庭で父親の生きざまを示せるようなバランスも考えていただくというような方向をつくっていくことも一つかなと思っているところであります。
○中島啓雄君 ちょっと時間がなくなってきましたが、大田公述人にお伺いしたいと思いますが。 先ほど、小中学校の義務教育費負担等が減ってきたというお話、確かに国庫負担は減ったんですが、八九年から〇四年までの十五年間ぐらい取ると、実は生徒数が小中学校、三割ぐらい減っているんですね。教育予算そのものは、わずかですが六%ぐらい増えていると。そうすると、人数割りでいうと一人当たり五一%ぐらい増えていると、こういう話になるんで、実感としてそう感じられないところはどこにあるのか。お金の使い方としてもっとこっち、こういうことしたらいいんじゃないかというの、何かございましたら教えてください。
○公述人(大田直子君) 私、専門、イギリスの教育行政なので、本当の希望する形としては、学校の自律性を高める形で教育予算が配当されるべきであろうというふうに考えています。それは、その配当する基準という考え方は、生徒数とか規模とかいろんなことがあると思いますけれども、使い勝手のいい、本当の意味で学校に使い勝手のいいお金をきちんと保障するというやり方が私としては希望です。 義務教育費国庫負担制度が今ありますのは、ただ今のところ結局教職員の給与という形に特化されてしまいまして、それの上限という形になっているところはそれなりのまた問題があると思うんですけれども。で、公教育費全体を見ますと確かに硬直化しているような使い方をされているというか、むしろこのごろ政策になりやすいところに予算を要求していくというような、そういう文教の方の反応がありますので、本当に長期的に展望を抱えた場合、例えば教職員をもっと増やすとかそういうことに本当の意味のいじめ対策とかあると思うんですけれども、そういう今行革の流れの中で教職員の定数を増やすというようなことにストップが掛かっています。そういったところを問題にすると、やはりまだ問題はかなりあるのではないかというふうに考えています。 済みません、余りまとまってませんけれども。
○蓮舫君 民主党・新緑風会の蓮舫です。 四名の皆様方には、今日はそれぞれのお立場から大変貴重な御意見を拝聴させていただいたことを心から感謝を申し上げると同時に、今後の私どもの審議に十分に反映をさせていただきたいと改めてまた質問をさせて、皆様方の声を伺わせていただきたいと思います。 まずは久保公述人にお伺いをしたいんですが、先ほど改正の時期に来ていると、教育基本法は、理念、目的、目標、それは十分な議論の上に改正だというお話がありました。私どもも改正の時期に来ていると思います。今の新しい状況、六十年前と違う社会環境がありますから、いろいろな環境を加味して、私どもも独自の日本国教育基本法案を提出していますからその思いは同じなんですが、この十分な議論の上に、十分というのはどれぐらいなんでしょうか。端的に教えていただけますか。
○公述人(久保健君) 時間的にもう非常に難しいところに来ているかと思いますけれども、この地方公聴会、これをかなり重ねておいでになるかと思いますが、こういうような公聴会を十分に取った上で、そして国において議論をしていただきたいと、そういう思いでございます。
○蓮舫君 参議院での地方公聴会は今日が初めてです。今日が二か所目です。まだ始まったばかりなんですけれども、衆議院の議論と参議院の議論の過程で何が決定的に違うかといいますと、衆議院の段階では、純粋にこの教育基本法の在り方をどういうふうにとらえるべきかという与野党の審議が行われましたが、参議院に舞台が移った後、国民の間で関心が高まったのは、いじめですとかいじめによる自殺、統計を取りますと一か月に三人もの小さなお子さんがいじめで悩んで自らの命を絶っている。あるいは、高校の未履修問題、どんどん増えている。 じゃ、国が指導、助言してきた学習指導要領というのは一体何だったのか。国が指導、助言してきた、いじめはあってはならないんだとした。そして、教育委員会から、学校から上がってきたデータはいじめ自殺はずっとゼロだった。いじめ、減っているんだ、こういう現状認識が余りにも違うんじゃないか、この部分も含めて改正しなければいけないんではないか。だから私たちは、教育基本法案の対案のみならず地教行法ですとか教育振興法を出して、今の問題をも解決していこうという議論をお願いをしているんですが、残念ながら、政府案の方からは、前小泉首相のときと何ら変わらない政府案が、そして今の問題に対応するための素早い関連法案の提案がないところが非常に私は残念だと思っているんですが、今国会予定されている審議は土日を除いてあと九日です。 四名の方それぞれにお伺いします。この九日という時間は、今の問題、国民の多くの方々、親御さん、大人の方たちが悩んでいる子供の声を救うため、いろんな教育の改革の議論をするために必要十分な時間だと感じますか。いかがでしょう。
○公述人(久保健君) 十分に議論をどこまでやればいいのか、あと何回やればいいのか、そこらのところを私は定かには申し上げられませんけれども、いずれにしましても、このような公聴会、そして住民、国民の皆さん方の声を何らかの形で吸収していただきたいと、そんな思いでございます。
○公述人(大田直子君) 難しいですよね。どのレベルで考えるかということで、確かにやり出すと、私は基本的に今改正の必要性を認めてませんので、そういう立場からしますと、いつまでたってもまだまだ足りないというふうに申し上げてもいいかもしれません。よりいいものを作るという形で考えるならば、もう少し生産的な議論をしていただきたいと思いますし、このままですと平行のままなので、あたかもやったように見えますけど、現実的には何ら解決ないままに平行線で終わるというようなことを危惧しています。 それよりは、本当にこれだけ重要な法案を変えるのですから一度選挙があった方がいいのかとか、いろんなことを考えております。本当の意味で一度も国民に問うてないのではないかと。世論といっても、それも取る、取らないがありますし、私たちのような公聴会というのも、いろんな問題がタウンミーティングで表れてしまった現在ではとても信じてもらえるかどうかも分からない。こういうことであるならば、一度これは、準憲法にのっとっているという解釈も今までのところありますので、本当は国民審査に掛けるようなレベルのものではないかと私は思っています。
○公述人(牛越充君) 極めて難しい問題で、私、簡単には判断できないんですけれども、国会の方で七十時間ですか、何かいただいた資料の中に、かなり時間を掛けたという資料が……
○蓮舫君 衆議院で百時間、参議院で四十五時間です。
○公述人(牛越充君) 書いてございましたけど、それは中身の問題で、時間が短かろうと長かろうと、国会内でのつぶさな論議というのは私分かりませんから、それが本当に深まってきて論議がされてきているのかどうなのかという問いが、はっきり分からないので、もういいよとか、まだだということは言えませんけれども、これは前段で私ども、何ですか、いつまでたっても公共性とか内心の問題について書くべきじゃないという繰り返しだけでいたらば、これはもうどれくらいたっても分からないと思うんで、ですから現状の危機感をどれだけ持っているかということを先ほど私は申し上げたんで、その現状の危機感というものの認識をどうしたらいいかというのを生涯学習社会の中でやっていかなきゃ駄目だということを申し上げたんで、国会内部のこの論議の中身というのは、今日、昨日ですか、いただいた資料で見たり、あるいは教育情報で私見ているだけで、それが十分深まったかどうかということは話が分からない。 ただ、これは、本当の国民的課題にならないというのはこれ私どもの責任、私も教育職能団体にいながら話題にしながら十分そこのところを深められなかった。それは、幾らうたったってそれは駄目だよと、違っているという、そういうあきらめムードもあったかということなんです。そのことが大きい原因かなと思っておりますんで、もう十分でないか十分かというのはちょっと分かりませんけれども、何か情報だけ、何か同じところ堂々巡りしているような感じがしていないか。いかがでしょうかね、それは。
○公述人(若林健太君) 既にこの議論は十分尽くされているのかどうか、これはやはり当事者でなきゃ分からないことなのかもしれません。 私も、昨日、議事録を事務局からいただいて拝見をさせていただいたにすぎませんから、このことですべてを尽くしているのかどうかと、そのことの判断をするほどの自分自身に情報がないということだと思いますが、しかしながら、この十八条ですかね、この少ない条文の中で、それぞれの論点というのはこの議事録の中から既に相当数出てきているんではないのかなというふうに感じることもございます。 これはあくまでも基本法、理念法だということであるとすれば、細かいその社会的、今起きている社会的な問題や何かをこの理念法の論議の中で一緒にやるべきなのかどうかと。このことは、そんなことをしていればいつまでたっても終わらないんじゃないのかと、このことは感じます。論点としてそれを感じることであって、今お話のあった残り日数として適切かどうかについての判断はできかねるというふうに思います。
○蓮舫君 若林公述人に今の御答弁をいただいて再度お伺いしたいんですが、理念法の後に関連する法整備を行いたい。これは制度としては分かりやすいんですね、順番は。 今、細かい問題とおっしゃいましたが、私たちは、いじめやいじめ自殺の問題、未履修の問題は細かいととらえていません。逆に言うと、この問題は命であり、学びであり、もっと言ったら、高校生の中では、文科省が七十時間で、それ以上はリポートでもいい、未履修時間の部分はほかの部分で工夫してくれと言いましたけれども、それ自体が文科省が守れと言って指導通達をしてきたものを、そうじゃなくて、学んだ子と学ばない子がいてもいいんだという、これ大変大きな問題だと思うんですね。 実際に学校でいじめが私もなくならないと思います。ただ、その声をきっちりと学校が、先生が、校長が、教頭が、あるいは市町村の教育委員会が、あるいは都道府県の教育委員会がくみ上げて、どこかでセーフティーネットが働かなければいけないものが、子供から直接文部科学大臣に予告手紙が来るぐらいですから、余りにも教育行政が私たちは弊害化していると考えています。 これを私たちは細かい問題だとはとらえていなくて、実際にこれから育っていく自分の子供たちや周りの子供たち、生まれてくる子供たちのために理念と同時にこの今ある問題を話すべきだと考えている。この件に関しては御理解いただけますか。
○公述人(若林健太君) 今お話のあった被害者の子供が直接文部科学大臣に手紙を渡さなければ声が通じないというのは、正に制度疲労だということについてはまさしくそういうふうに思います。大変重要な問題であるということも課題としては感じさせていただきます。 しかしながら、これは制度としてどういうふうに取り組んでいくのか、制度設計の問題なのか運用の問題なのか、この議論をしっかりやっていく必要があると私は思いますし、大変重要な問題だと思いますが、そのことをとらえてこの基本法そのもの、理念のところの議論、これがまとまらないから理念はひとつ待てよと、こういう論理はいささかどうなものなのかなというふうに思います。
○蓮舫君 理念というところで、これは先ほど大田公述人が私どもの法案に御理解をお示しいただいたんですが、久保公述人にお伺いします。 政府・与党案の中で私どもと決定的に違うものは条文がないものが幾つかございます。それは、IT教育、職業教育、あるいは財源確保、あるいは義務教育の対象を政府・与党案は「国民」と限定していますが、私たちは「何人も」と、日本に住む外国のお子さん、あるいは生涯教育という観点に立ちますと、外国の方も研修をできるように国際的な日本というのを見据えているんですが、特にそのIT教育、職業教育は今ほど大切な理念を掲げなければいけないときはないと思うんですね。ニート、フリーターがもう二百万、三百万人いて、今生涯教育でその方たちにどうやって仕事を大切に参加してもらえるのかという観点が一つと。 もう一点は、これから育つお子さんたちがニート、フリーターにならないように、仕事を夢だと思ってもらえるように、残念ながら政府・与党案では職業に関しては態度を目標として、教育の理念、目標として掲げていて、態度だけで果たして本当に仕事に夢を持てるのか、私たちは不安ですし、ITの情報というのは、変化する社会の中で今の子供ほど、メディアリテラシーというか、その情報をちゃんと自分で消去できる、あるいはこれは大切だと思える能力が必要なときは、私たちの時代以上に求められていると思うんですが、これは理念法に入れるに取るに足りないことだとお考えなんでしょうか。
○公述人(久保健君) ニート、フリーター、正にこのことについては日ごろ目にする、そういう状況がありまして、非常に懸念をする、そういう状況であろうかと思います。そして、正にITの時代でございますので、そのことについても十分に考えていかなきゃいけない。情報化については負の部分が子供たちを害しているという、そういう状況にございます。 これを理念としてどこまでとらえていくかと、そこら辺のところが非常に難しいと思いますけれども、具体的な場におきましては、やはりこの基本計画、教育振興基本計画の中で実際にそれを下ろしていくと、そういうことでいいのではないかというふうに私は理解しております。
○蓮舫君 大田公述人にお伺いします。 確かに、教育基本計画の中にいろいろなものを落とし込んでいくことはできると思うんですが、私どもの考え方では、やはり理念の中で、生まれたときから電子音でITに囲まれて育っていく子供たち、携帯電話、手にしただけで一時間でその能力、すべての使い方が当たり前に頭に入ってしまう、ネットなんかもうキーボードは自由自在に触れる。それ、相当な違いの社会に今の子供たちは生まれ育ってきているんですが、私たちは、そこにおいて、やはり子供たちにどういうふうにこのITの中で、あるいは職業教育を学んで自分たちで夢をはぐくんでいく力を持っていただきたいのかというのを日本国教育基本法案に入れさしていただいたんですが、改めてこの部分で大田公述人が御同調いただけるところ、あるいはここの部分はもう少し加味した方がいいんではないかと思うことがあったら教えてください。
○公述人(大田直子君) 私自身、この法案を見せていただいたのはむしろ対案というふうな形で評価させていただきましたので、具体的に、例えばこの理念というもので考えられるべきものというのは今後どういう社会を私たちがつくっていくのか、どういう状況にあるのか、そのときに求められる教育あるいはそこで生きていくために必要とされる人間像とか、そういったものが盛り込まれるべきであろうと考えていて、ITは確かに現実的なものとして非常にこれからは重視されてくるでしょうし、その害悪というのも同時に言われていますよね。メディアリテラシーの問題も非常に重要になっています。そうすると、今度はメディアリテラシーの、今度は持っている者と持っていない者との差が非常に出てくるとか、だから最低限の教育の内容の中にITに関するものが入ってくると思いますが、教育論議の中においては安易にインターネットで情報を集めること自体が子供の教育にいいのかどうかという、非常に重要な問題も含まれております。 ですから、その条件整備をするという具体的な計画、振興計画の中には更に丁寧な考え方を入れていっていただかないと、逆にIT万々歳ですべてがいいと、あるいはITの中で語学の英語帝国主義のようなそういう議論もありますので、かなり気を付けないといけないのではないかと。私たちに対しての今後の社会はこうあるということを予見させ、なおかつそれに対してリスクを考え、次にどのようなことを教育として考えるのかということで入っているということでは評価させていただきたいと思います。
○蓮舫君 ありがとうございました。
○風間昶君 公明党の風間でございます。よろしくお願いを申し上げます。 久保公述人にまずお伺いしたいんですけれども、九条の教員の件につきまして、教員の質を高めるべきであるというふうに、現在以上に、そう私も思うわけでありますけれども、その中に、今度の閣法では、「自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず」という言葉が入っているんですね、常に研究と修養に励みというかなり強い規制ととらえることも一面ではできます。もう一面では、ほとんど修養と研究に努めていらっしゃらない方もいるというからこそこういうふうになったのかとも取られますけれども、この部分について現実に高めるための具体的な方策について御示唆いただければ有り難いというふうに思います。 それから、済みません、大田公述人には、民主党さんのタイトルが日本国教育基本法案になっているんですね。日本国というと、これは憲法とか条約とかで日本国、国と国という関係でイメージすることが私は多いんですけれども、そうでないと思う者もおりますが、日本国と言ったら日本国民を私は想定します。したがって、法案の中に日本に在住している外国人の子弟の教育について論述していることは非常に評価できると思いますけど、日本国憲法というふうに言うと、そのイメージからは外国人のことはどうも出てこないわけなんで、この辺のところをどう考えているのか、ちょっと教えていただきたいと。 それから、牛越公述人、ありがとうございます。生涯教育の件に関して、何といってもやっぱりこの今回の法案で幼児期からの教育も入れ込んだ形で、生まれてから老いて死に至る一個人のこの生涯というだけではなくて、むしろその地域の生涯と言うとおかしいですけれども、家庭の生涯、広い概念でというふうな私はとらえ方をすべきだと思っているんです。そのために、ですから、学校教育と家庭教育と社会教育が協力、一体になっていかなきゃならないというふうに、やっぱり根っこは家庭だというふうに思うんです。 そこで、家庭の教育力を強くしなきゃならないということを議論する前に、家庭をつくる、要するに家族をつくることができる人の養成を私はしないと、家族をつくることができる人を養成することが私は大事じゃないかというふうに思いますので、その点に関してちょっと教えていただければ有り難いと思います。 若林公述人、ありがとうございます。家庭の文化をどう高めていくかということは極めて大事だと思っているんです、家庭教育という観点からすると。具体的に、今日、御参加の公述人の中では一番お若いわけでありますから、その次の世代への子供たちに引き継いでいけるのはむしろあなたが一番引継ぎ人だと仮定すると、今後の家庭教育、家庭文化をどう高めていくかということについてお考えがあれば、いただければ有り難いと思います。
○公述人(久保健君) 第九条に、教員というそういう項の中に「崇高な使命」という、そういう文言がございます。正に教員は使命感と教育愛に燃えていなきゃいけないということは言うまでもないわけでございますけれども、ややもするとそこのところがあいまいになってきている、そういうところで非常に悲しい事態が起きていると、そんなふうに認識しております。 そこで、その使命感でございますけれども、絶えず研究と修養に励みという、そうしない限り、教師自分自身の人格を陶冶していかなければならないということを思いますと、絶えず研究、修養に励まなきゃいけないということはもっともなことだと思うわけであります。 子供たちに対して、そして児童生徒たちに対してやはり尊敬されるようなそういう教師像、そして子供の側からすると信頼されるという、そういう教師像を描かざるを得ないと。そうしない限り、人格と先ほども申し上げましたけれども、教育は教師と子供との関係において人格的な触れ合いの中で成立すると、知識の受渡しであればこれはどうこうないわけでございますけれども、やはりそこに、知識の受渡しの中に、あの先生から教えてもらったことが非常に心に残ると、そのことが生涯においてともしびとしてその子供の心の中にともっていくという、そういうことがない限りやはりこの教育が成立しないだろうと、そんなふうに考えております。 したがって、使命感を持つということと、もう一つは、教師自身が自己課題を持って絶えず修養に励むと、自分にとってどうなのかと。 それから三つ目は、やはり一人一人が個性の持ち主でありますので、児童生徒は、その十人十色の子供たちに対応できるそういうすべといいますか、指導技術を求めていきたいと。そのためには絶えず研究と修養に努めなきゃいけない。そういう意味で、十分なそこに身分的な保障、それは当然のこととしてこの第二項に挙げられているわけでございますけれども、是非ともこれはお願いしたいと、そんなふうに思っております。 以上です。
○公述人(大田直子君) よろしいですか。私、先に。 その前に一言、教員の研修について申し上げたいんですが、よろしいですか、駄目ですか。
○風間昶君 私は伺っておりません、そのことについては。伺っていません。
○公述人(大田直子君) じゃ、駄目ですか。
○団長(中曽根弘文君) 質疑に、質問にお答えください。
○公述人(大田直子君) はい、分かりました。 日本国という名前が冠されているということに関しましては、私は自分で考えたわけではないので、多分政府・与党の案と区別化するために日本国を付けたのかと推察いたしますが、どうしても法律でありますから、国内法でありますし、国民、国家がベースであるのは今の社会、どこの国でもそうですから、日本国というのが入ったということで考えれば、国民、国家をベースにして考えている。 しかしながら、この現代の社会は、既にグローバル化と言われていますように、多民族・多文化国家に移行しつつあるわけです。ただし、もちろん法律を作る場ではまだ日本国という枠は入ってしまうわけですよね。だけど、例えば日本の現状を見ても、以前から実際は多民族であったし、日本人だけではなかったわけです、ここで生活している人間は。さらに、今は外国人労働者というような家族ごとで来ているような人たちもいまして、国民という名の下でそういった人たちの教育を保障してこなくていいのかという、そういう議論はもちろんあるわけです。 そういう意味では、受入れをきちんとする、あるいはその人たちも、ここは基本的人権という考え方なので、国家に縛られずにそこにいる人たちには日本を分かってもらうというようなこともありますけれども、生活ができるような教育を保障するというのは多くの先進国ではもう行われていることだと思います。ですから、私はこれが入ったことを喜ぶというか歓迎しているところはあります。是非それは自民党案にも入れていただければと思うぐらいでございます。
○公述人(牛越充君) 御質問に端的に答えられるかどうか、大変難しい問題でありますけれども。 一点目ですけれども、この生涯学習、今、生涯教育という言葉が平成八年ころまで使われていたけれども、それは学習者の立場に立っての言葉じゃないということで生涯学習というふうに変わってきたかと思うんですけれども、それで今課題にされている幼児期からということは極めて私、大事だと思います。 簡潔に具体的にちょっと申さなければいけないんですけれども、端的に言えば、親子でもって列車に乗っていたと、こういうコメントなんですけど、列車に乗っていた、急停車したので子供が列車の前の柱へこつんこした、そのときに親がどう出るかと。多くの親は、こんなものあって駄目ね、邪魔だねと、こうやるんだと。ところが、そのお母さんは、ああ、あなたも痛かったでしょうけれどもこの柱も痛かったね、この柱もなでてやりましょうと、こう言ったというんですね。それが、幼児期からそういうものが小中高まで続いて家庭の中で育っていけば、いじめなんか起こらない可能性が非常にあるわけですけれども、今は先ほどの自由の問題が過剰に行き過ぎてしまったものですから、こんな石ころがこんなところに出ていたからいけない、こんなところに落としたのはだれでしょうかと、この柱邪魔でしょうねという感じが今多くなんですけれども、そういうものを幼児期からつながるようにしていきたいものだなということが切なる願いであります。 それから二点目に、おっしゃるとおり、生涯学習は個人が充実して、家庭の中でも地域でも充実していくということで、個人の学習も大事なんですけど、今どちらかというと個人学習だけなんですよ、もう種目別の。自分の趣味に関しては、それはいいです、それは。それはいいんですけれども、例えば今教育の問題で、教育環境はこうだよと、じゃそういうグループでもって話し合いましょうとか、あるいは教育者も先生方も含めてやりましょうとかというそこまで行っておりませんでしょう。 ですから、おっしゃるとおり、地域づくり、きれいな町にしようだとか、もっと子供たちの健全育成をこうしていこうだとかという、そういう生涯学習を進めていかなきゃならない。これは三年ほど前に文科省の課題はそういうふうに出したんだけれども、それに手を打つ方向は余り出ていない。むしろ、社会教育は減ってきているというのが現状かと思いますので、家庭生活の問題もそういうことでアプローチしていくことが非常に重要かなと。 それから、もう一つの例で、PTAでもっている母親文庫というのは家に帰ったら用がなくなっちゃうと。そのせっかく集まったグループが読み聞かせの学習をしたんです。お母さんはそこへ参画することによって非常に生き生きとして参画していった。初めはお父さんが、そんな忙しいのに何行っているんだと言ったんだけれども、お母さんが生き生きとして帰ってきて子供たちと話したり接触するようになったというんで、お父さんも子供も、お母さん行ってきなさいよと言うような状況が出てきたということで、これも生涯学習の推進の一環が家庭へ響いていくかなという一つの例ですけれども、すぐ端的にというのはありませんけれども、そういう生涯学習の推進を進めているわけです。 おっしゃるとおり、教育する、親を集めて、一時それがはやったんです、企業でも。親の教育とか父親の教育とかね。ところが、講座を開いてもなかなか集まらないし、必ずしもそれは効果がぴんとこないということで、活動を通しながら生涯学習の推進の中で家庭も文化も高めていくという方向を推進していくことが重要かなと思っているところです。
○公述人(若林健太君) 家庭教育についてということで第十条、今回の法案の提案にあります第十条に、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和の取れた発達を努められるよう努めるものとすると、こう書いてありまして、もう正にそのとおりだというふうに思っております。 私とすれば、もうちょっと自分の身近な、小学生二人持っている父親として身近な言葉で私の理解でお話をさせていただければ、やっぱりこれはしつけだというふうに思っております。社会人としての最低限のしつけの部分というのはやっぱり家庭教育の中ではぐくんでいかなきゃいけないものだと、こんなふうに思っておりまして、我が家では玄関に履物をそろえるというのを標語を張って、非常に身近なところからしっかりとしたしつけをやっていきたいと、こんなふうに思っております。 また同時に、その父親の姿というのがこの家庭の中でだんだん見えなくなってきたということもよく指摘されていることでありまして、私も父親の一人として背中でしっかりと語れるようなそんな家庭の中での父親としての存在感、これも発揮していきたいと。ある方にこの間、経済同友会の中でお話をさせていただいた中で、家庭の中のルールづくりをしましょうと、父親と母親、そして子供、それを明文化して我が家のルールづくりと、そんな運動を始めましょうと、こんな話がありました。これも一つ父親としての役割、母親としての役割、きちっと議論をすること、家庭の中で議論をすること、その役割を全うすること、こんなことが大切ではないかなと。 私は、父親として、更にもう一つその父親としての役割をはっきりさせる中で、仕事をしている社会人としての気構え、姿勢を示すとともに、やっぱりこの生きざまといいますか、生き方、生きざまというものも見せていきたいと。これは父親だけではなくて、母親からも学んでいってもらいたいことだと思いますが、この人が生きる基本になる生きる力、生きることとは何ぞやと、こんなことを家庭の中からも教えていくような機会をつくっていきたいと、家庭教育の中にその役割はあるというふうに思っています。
○近藤正道君 社民党の近藤正道と申します。 今日は、公述人の皆さん、貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。お聞きしたいこと、もう既に先にいろいろ聞かれておりますんで重複は避けたいというふうに思いますし、私、後の質問ですんで、少しポイントを絞って全員に質問することができなくなる可能性が強いんですが、その場合はひとつお許しをいただきたいというふうに思います。 大田公述人にお聞きをしたいと思いますが、政府法案の第二条、教育の目標ですね、様々議論になっております。個人の内面に深くかかわる、あるいは可能性のある言わば徳目的なものを法律化をして、それを教育目標として掲げるということが果たしてどうなんだろうかと。このことは今の教育基本法とこの改正法案の性格をがらっと変えてしまうんではないかと、いろんな議論がございますが、この第二条について、とりわけその徳目を法律化したということについてどういうふうにお考えなのか。これは、その後、十六条とか十七条で教育行政の正にポイントとして、評価を伴って達成度に応じて予算配分ということも場合によってはやりますよと、こういう形でこれからぐいぐい前に出てくるわけでございますが、その大前提としての教育目標第二条、こういう規定の仕方をどういうふうに思っておられるのか、お聞かせいただきたいと思います。
○公述人(大田直子君) 私は法学者じゃないのでよく分からないんですけれども、少なくとも公法に当たるものに関しては、公法ですね、私法とかではなく、民法ではない、こういったものはやはり国家と個人の契約関係を表しているものだと考えていまして、基本的人権と国家との、政府との関係といいますか、権力とどういう形になるかと、そういうふうに考えたときに、徳目に公法のレベルで入るのはやはり良くないというふうに考えています。 ここで目標というふうに設定されているものは、実は学校教育法とかその他の下位法、あるいは教育振興計画とかそういった中で議論を進めていくべきものでもありますし、それが例えばこの日本の文脈では評価というものにかかわってしまうと、もうもちろん皆さん御承知のように君が代と日の丸のところでも既に起こったように、あるいは態度、意欲、熱意とかそういったものでも起こったように、子供の自由な発想をむしろがんじがらめにしていくような現場の対応というのが予想されますので、非常に危険を感じるわけです。 評価ということでもう一つ言えば、この一つの評価の対象になるようなものしか答えがないという、そういう非常に極めて単純なその評価が下されやすくなる。多様な愛国心の在り方があることに対しても、それを道を閉ざしてしまうし、そして最初に申し上げましたけれども、これからの未来というのは、価値の多元化の中で互いに違いを認め合って尊重し合うというときに、たったこの一つのやり方しか愛国心がないんだというふうにやれてしまわれるととても困ることになる。 例えば、私がこのように政府・与党案を批判しているのは、日本がもっと良くなってほしいからであって、これも愛国心の発意形態であるんですけれども、どうも下手をすると政府の言うことを聞くのが愛国心で、それ以外は駄目だというふうに、別に政府が言っているわけではないと思うんですが、現場が過剰に反応してやりかねない。そういうふうに自分たちが自信を持って愛している国であれば、こんなところに明記しなくても、非常におのずと誇りを持ち、この国を愛すると思うわけで、これを法律というレベルで議論するということを非常に危機感を持っているということです。
○近藤正道君 もう一度、大田公述人にお尋ねをいたしますが、イギリスの教育行政が御専門だということでございます。イギリスの教育改革が今の教育改革論議の言わば前提となって様々な角度から議論があって、そして今回の法案提出になってきたと。私は、流れを実に大ざっぱに、そういうふうにとらえておるんですが、先ほどの大田公述人の話によりますと、何か非常にイギリスの、とりわけ公教育の教育改革についてはいろいろ誤解されている向きがあるやの話がございました。 端的にお尋ねをいたしますが、ずっと御専門でやってこられて、一番、イギリスの公教育に関する教育改革、日本で最も誤って、誤解されて伝えられている点は何ですか、一点挙げてくださいと言ったらどういうふうにお答えになりますか。それが一つと、もう一つは、イギリスの公教育の改革を勉強されてこられて、今一番日本が学ばなければならない、これを一点挙げてくれというふうに申し上げたら何とお答えになりますか。この二つ、聞かせてください。
○公述人(大田直子君) 一点目ですが、あたかもサッチャーの教育改革が成功したというふうに説明されるところが一番問題だと思います。もう二十何年たちましてかなり修正されましたし、ブレアになりましてからは意義、その戦略等々は似ているものが多々ありますけれども、その実現しようとする方向性や目的が全く違うものに変わっているというふうに私は見ています。 それからもう一つ、日本が本当の意味でイギリスから学ぶものがあるとしたら、いろんな問題がありましたけれども、例えば今の利己的な親を本当の意味でほかの子供たちにも目配りができるような親、あるいは保護者という形にきちんと育てる。そして、教師は教師として自分の信じる、まあ教育実践を生き生きとできる。そして、それを支える学校経営があり、教育委員会は全体のバランスを見る。そして、その全体が国として水準を守られているかどうかという、そういうきちんとした四者のチェック・アンド・バランスといいますか、全体として教育改革を考えていくということに、本当のイギリス教育改革の日本に与える一番のいい面があると思います。 済みません、こんな感じでよろしいですか。
○近藤正道君 牛越公述人にお尋ねをいたします。 先ほど、不当な支配のところで何か言い掛けられて、話が時間切れで切られてしまいましたんで、そのことについて続きを、もし、短い時間で恐縮でございますが、お話しになっていただきたいというふうに思うんですが。 これについては、現在の教育基本法の十条について、直接責任の問題がございますよね。あるいは不当な支配だとか、非常に今の教育行政の根幹にかかわる、教育の根幹にかかわるような話が、一つは削られる、一つは残ったと。こういうことがありまして、牛越公述人は長い間教育現場にもおられたということなんで、直接責任の規定がなくなったこと、そして、かつ不当な支配という概念が残ったという、この二つについてどういう見解をお持ちなのか、お聞かせいただきたいと思います。
○公述人(牛越充君) 今回、不当の支配という言葉が残されました。ただ、その後にまた何か付きましたね、法によって云々というのがちょっと気掛かりになるんで、しかし前段で申しました個人の尊厳の問題も公共性の問題もバランスということが一番大事なんで、片方だけ主張したって駄目なんで、不当な支配に屈することなくということも十分尊重しなきゃいけないんですけれども、それが誤った方向へまた行ってしまって、本当の自由というのは身に付いた形でもって不当な支配というものを守っていけばいいんですけれども、そうじゃないといけませんから、多少の法的な問題が付いても仕方がないかなと思うんですけれども、ちょっと気掛かりな点は気掛かりでございます。 それで、具体的なんですけれども、私ども信濃教育会は戦争中に満蒙へ青少年を送ったんです。これは国是県是で送ったということになっていますけれども、しかし先生方は必ずしも賛成したんじゃない。しかし、送り出さなければ自分が職が務まらない。治安維持法等があって、先生方がまんま食っていけないわけです。そういう中で、満蒙へ送って、今もってそれを批判されるんですけれども。 昭和二十二年のときに、信濃教育会、長野県の先生たちは猛反省しまして、もうこの公権力に支配されないこの教育の課題になりましたけれども、目標に書いてある学問の自由というのを書いてありますけれども、公権力に支配されない教育研究所をつくろうといって、二十二年のときにお金のない先生たちがみんな金出して研究所をつくって六十年間続けてまいりました。そのときは、もう不当な支配に屈しないためには、補助金をくれとか、何かくれじゃない、自分のお金でもってやっていこう。現場の一番困る課題を取り上げて、テーマに挙げて、そしてずっと貫いてきたわけであります。 そこへ、先ほど教員の研修の問題がありましたけれども、いったん現場へ行って、また課題を深めた先生が信濃教育会の研究所をしてやって、要するにリカレント、これは免許の更新の答申の中にありましたけれども、座学だけでは駄目だよと、現場の課題と結び付いて、現場の先生も指導に入ってということを六十年間やってきたわけです。 そんな点で、不当な支配ということは、私はちょっと戦争中も体験しましたけれども、学校へこういうサーベルという刀みたいなものを差して来て、それが権力を振るっていた中で、多少私は教育を受けた感じがしますから、それが戦争の義に付いた。 ですから、条文の中で国を愛するいろいろというのは入っているけれども、私は不当な支配に屈するとか、それから生涯学習、この問題を具体的に救う中でもって肯定する面もあるよということを申し上げたわけです。ですから、不当な支配に屈するということは、絶対私は取らぬでほしいな。 それから、先ほどイギリスの問題が出ましたけれども、イギリスの教育学者は日本の教育は何だと聞いたら、生きる力だよと言った。イギリスは、ええ、日本の子供は死に掛けているがと言った。イギリスは市民教育が、先ほど言ったスキンシップだということを言いました。そういう、市民教育というのは日本にはすぐなじみませんけれども、総合的学習等でもって社会の成熟度を高めていく。そういうものを一緒にしていかないと、ただ国を愛するとか戦争だ、上からやったというふうに動いてしまうので、この法の解釈の問題も一つの条文だけ取って論議するんじゃなくて、この全体の中で規制し合わなきゃ駄目なんです、これは両方が。そういう中で評価して、どう進めていくかということも話題にしていかなきゃいけない、それが社会の成熟度だと私は思っております。 以上であります。
○近藤正道君 最後になると思いますが、久保公述人と若林公述人にお尋ねをしたいと思いますが、家庭教育のことでございます。 今回の政府の改正案の中で、家庭教育が盛り込まれまして、家庭が第一義的な責任を負うということになっておるわけでありまして、それ自身は私は当然のことだろうというふうに思っておるんですが、言わば家庭というのは世の中の文字どおり一つの単位でありまして、率直に言いまして、様々な格差社会、格差が今世の中に蔓延して、正に固定化をしているんではないかというふうに思っています。 そういう、その家庭を取り巻く格差的な状況、あるいは家庭を構成しているお父さん、お母さん、男女、この辺でもかなりそれなりの格差的な、あるいは差別的な現状があるわけで、この辺のところをやっぱりしっかりと是正をしていくということを前提として行わないと、家庭の責任を果たせるところはいいけれども、果たせないところはもういろいろまた問題が出てくるんではないか。だから、家庭の責任を言うからには、その前に家庭がやっぱり家庭としてきちっと機能するような、格差の問題に対する対応だとか、あるいは男女の働き方に対する様々な是正策、見直しだとか、いろいろやるべきこともセットでやらないと、私は非常に、単にその倫理だけを押し付けるような、そういう形に結果としてなるんではないかと、そういうふうな懸念を多少持っておるんですが、どんなふうに皆さんお考えでしょうか。 つまり、家庭責任の前提として、政治がなすべきこともやっぱりあるんではないかと思うんですが、いかがでしょうか。
○公述人(久保健君) 子供の教育の中で家庭が第一義的な責任を負うという、これは正にそのとおりだというふうに認識するわけでございますけれども、ただいまお尋ねの、家庭によって様々な様相を呈している、そういう状況が実際にございます。どうしても学校に支払うべき費用として、例えば給食費でございます。それが支払うことができないという、そういう家庭もございます。また、母子家庭、父子家庭で、親が仕事に行ってしまうその間を子供だけで過ごすような、そういう家庭もございます。 そういう中で、家庭の機能がどのようにして働くかということは大変難しいことでありますけれども、そういう面での子供たちの教育に関して、家庭でどうあったらいいかということは、これは何らかの形で救済措置はしなきゃいけないと、そういうふうに思います。 そういう中で、やはりどうか子供を大事に育ててもらいたいというその思いは教育行政の中でしかるべき措置をしなきゃいけないと、そんなふうに思います。 したがいまして、私は地方公共団体の一教育委員会に所属しているわけでございますけれども、教育委員会としてなかなか手を差し伸べたくてもできないという、そういう状況のいら立たしい気持ちは絶えず持っているわけでございますけれども、何とかその面での手だてというものを、これは是非ともやっていかなければいけないと。したがいまして、この第一義的な責任があるということのその背景に置かれている現実的な状況について、何かいい施策を講じていかなければならない、国も地方公共団体もですね、そんなふうに私は思っております。
○公述人(若林健太君) 格差社会あるいは男女共同参画を現実のものにしていくというテーマは、これは教育にかかわらず正にこの国のこれからの形をどうつくっていくのかという意味合いでも大変重要な課題だというふうに思います。そのことは教育にかかわらず重要なことだということであって、保護者が第一義的に責任を負うこの教育基本法でのこのテーマとは私は一つ切り離して考えてもいいんではないのかなと。基本法のテーマとして、まず親の責任をしっかり教育の中で位置付けると、このことに意義があると。そして、今の格差社会なんかについて、もちろん関連した問題ですが、それは是非また政治の中で大きな問題として取り組んでいただきたいなと、改善していただきたいなと、こんなふうに思いますが。
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございますけど、今日は四人の公述人の方、本当にありがとうございました。いろいろと貴重な御意見いただきまして、ありがとうございました。 もうこれまでいろいろと聞かれたわけでございますが、最後でございますので、お疲れだと思いますけど、もうちょっと待ってくださいね。 最初にちょっと聞きたいのは、この議論に対して宗教的な情操教育ということが書かれてないけども、これを法律の中に書き込むべきではないかという意見もあるわけですけども、特にさっき若林さんも話されたけども、長野は善光寺もあって、宗教的な教育というのは、情操教育というのはいろいろに行われているんじゃないかと思うし、私たちも小さいときから、山には山の神様がある、川には川の神様があると、大自然には人知を超えたものがあるんだということを教わってきたわけでありますけども、そして御飯を食べるときもやはり手を合わして感謝するというようなことを教わってきたんだけども、そういうことについて若林先生から皆さん方にお聞きしたいと思いますけれども、一番若い若林先生からお話を、若林公述人から皆さん方にお聞きしたいと思います。
○公述人(若林健太君) 宗教的情操教育についてということであります。 善光寺さんのおひざ元に育ち、私ども日本人の心の奥底にある自然に対する畏敬の念ですとか、あるいは先祖伝来のつながりの中で生かされているという思いというのは、これはどの宗教にも通じたある種原始宗教的な日本人の固有の思いだと、こんなふうに私自身は思っております。そのことを私は家庭教育の中でしっかり子供にも伝えていきたいというふうに思っておりますし、これが一定のどこか一党一派に偏するような宗教教育にならない範囲の中で教育機関の中でも子供たちに感じさせていってもらいたいものだというふうに思っております。 憲法二十条の信教の自由という問題があって、公教育の中で宗教教育をするということについては決していいとは思いませんが、しかし日本人の日本人たるゆえん、その歴史的背景、自然に対する畏敬の念、このことはしっかりと学んでいかなければならないというふうに思います。 よろしいでしょうか。
○亀井郁夫君 次に、牛越公述人にお尋ねしたいと思うんですが、今おっしゃったように特定の宗派に拘泥しないと、かかわらないという形での宗教的情操教育を頭に置いておりますので、その辺をちょっとお願いしたいと思います。
○公述人(牛越充君) 今、若林さんのおっしゃったことと私も同じであります。畏敬の念、昔、私、育てられたときも、理屈抜きでおてんとうさまが見ているよとか、野菜が、初なりの野菜、ナスが取れたとき仏様に上げるよとかいう世界で育ってきました。神様があるかないかじゃない、そういう世界で育ってきました。 今、自然に対しても、それから人と人のかかわりの中においても、単なる理屈とか観念論ではなくて、体験の中でもってそういうものを大事にしていきたいなということを思っております。そういう中で、学校で特定の宗教を宗教教育するんでなくて、そういう望ましい宗教の活動が続くならば結構だと思います。宗教によって国が発展していく国もあるし、宗教によって大変な血なまぐさい闘争が起きている国もあるわけであります。そういうのを見るにつけて、宗教にかかわる問題も教育の課題の中に据えていくことが大事かなと思っておりますけれども。
○公述人(大田直子君) 現行の教育基本法第九条が宗教教育の規定を持っています。現実に、今おっしゃったような宗教教育の内実に関しましては、学校で例えば道徳教育、そして社会科、世界史、倫社、そういったところを通じて宗教に関する情操の涵養というのは行うことにもうなっていまして、ただし、公立学校の中に宗教科という科目がないのは政教分離のもう一つの原則から来ているので、今おっしゃったことは現行の教育基本法の中でも十分行われるものでありまして、これが積極的に改正の理由になるとは到底思えないのですが。
○公述人(久保健君) 宗教的な情操でございますけれども、やはりこれからの児童生徒たちに、先ほども牛越さんの方からお話がありましたが、おてんとうさまが見ていますよ、悪いことしたらおてんとうさまが見ていますよっていう、こういうような話は私の小さいころはございました、子供たちのころ。また、うそ言うと閻魔様にへら抜かれますよという、そういう話もございました。これはやはり先人が残した一つの子育ての知恵ではないかというふうに思うわけでございますけれども。 それはさておきまして、子供たちの生活の中には、やはり先ほど来出ておりますが、自然への畏敬の念、これはどうしても必要と。もう一つは、自然にはその移ろい、自然の移ろいの中でやはり自然の趣というものを感じ取らしたい。風情といいますか、秋になってきた、冬を迎えているという。それともう一つは、自然の理というものを学び取らしたいと。このことが取りも直さず子供たちの中に自然への宗教的な情操として位置付いていくんではないか。特定な宗教活動を行うわけではなくて、日ごろの日常的な学習指導、生活の中で十分にそれにこたえられていくんではないかと。 したがいまして、この改正案の中に盛られておりますように、「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」と、そんなふうに私は思っています。 以上です。
○亀井郁夫君 最後に一点だけまたお聞きしたいのは、今まで議論に出ましたが、国を愛する心が、これでは国を愛する態度になっているわけですね。態度では、心がなくて格好だけすればいいということになるんで、むしろ態度を改めて心にすべきではないかというふうな意見もありますけども、これについて四人の方にお尋ねしたいと思います。
○団長(中曽根弘文君) 若林公述人からどうぞ。
○公述人(若林健太君) 国を愛する心と態度の問題については、議事録を拝見すると衆議院の委員会の中でも随分議論がされたところだというふうに拝見をさせていただいております。 私自身の意見は、やはり社会性というのは自らよって立つ基盤となる国や郷土を愛するところ、愛する心から始まってくるものだというふうに思っておりまして、本来でしたら、やはりしっかりそこは明確に表すことが大切ではないかというふうに思っております。 しかしながら、今回のこの教育基本法改正案の中では国を愛する態度と、こういうふうになっておりまして、これについて委員会審議の中では態度と心は一体だと、こういう御意見があるようでありますので、私はここの一点を取り上げて、あえてその基本法の制定そのものが揺るがされるようなことになっては決して本末転倒になってしまうのではないのかなと、それを揺るがすほどのテーマではないというふうに思っています。 しかし、本心はそんなふうに自分自身は思っております。
○公述人(牛越充君) 民主主義は個人主義でありまして、個人が大事なんであります。しかし、個と集団の問題は非常に問いが重いわけですけれども、国なり社会というもの成立しない限り自分の幸せもあり得ないので、ここのバランスの問題だと思うので。 ただ、それを、国家というものが先にあって、これは皆さんの討論の中で政治機構はこの中に含まれませんというようなことを認識してきたというような経過が書いてございましたね。それはそれでそのとおりだと思いますけれども、ただ、日本の過去が余りにもそれが強かったものですから、そのイメージが強くなっていると。 私もおやじを戦争に送りました。戦争になんか賛成していません。戦争しちゃいかぬからこそ、正しい意味での体験を通しながら、生涯学習を進めていく中で内発的な郷土を愛し、国を愛する、それを育てていきたいものだなということを切に願って、この十七条にこの具体化を期待しているところなんで、これと「不当な支配に服することなく、」というこの条文も大いに生かしていただいて、それを大事にしていきたいなと思っているんです。これは、環境の問題も、それからいじめの問題も、公共性の問題も、みんな一緒に絡み合っている問題でございます。 そういうことで、ただ上から押し付けとか何か、そんなことは毛頭思っておりませんし、内発的な、地域や広い公共の中で生涯学習の活動を通しながら、いや町づくり、国づくり、大事だなという実感を得ていきたいということで、前段で申しました、生涯学習の項がなければ反対だと言いましたけれども、そういう意味で大事にしていきたいと、こう思っているところであります。
○公述人(大田直子君) 何度も申し上げますけれども、教育の理念を確定していくべき教育基本法でこのように具体的に教育の目標を想定して、またその御指摘になりましたように、態度とかそういった、まあ漠然としたというか、非常に訳の分からないものを持ってきていること自体には明確に反対です。 それで、じゃ愛する心は必要ではないかというと、そういうことはないわけですが、もし理念で語るのであれば、例えば日本国基本法案のように前文で訴えるという、そのことの方がむしろふさわしいというふうに考えております。
○公述人(久保健君) 一九九八年に長野冬季オリンピックがここで開催されました。非常に外国の方がたくさん見えて活気があったわけでございますけれども、そのときに、日本の選手が大活躍をしたと、思わず声援を送る皆さん方でございましたし、そして旗を持って一生懸命に振っているという、そのことを今頭に浮かべていたわけでございますけれども、それは心であり、態度であるかなと。 そういうことからしますと、やはり内発的な、先ほどお話がございましたけれども、内発的な動機付けの中で郷土を思い、そして我が国を思うという、そのことは大事にしていかなければいけないと。したがいまして、このことについて目標の第五項に位置付けてあるわけでございますけれども、こういう方向で、そして郷土を愛し、それがひいては国を愛し、国際社会の一員として自覚を持って生活していけるような、そういう国民であってほしいというふうに私は願っております。 以上です。
○団長(中曽根弘文君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の皆様に一言申し上げます。 本日は、長時間にわたりまして御出席をいただき、また貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。本日拝聴いたしました御意見は今後の本委員会の質疑に反映させていきたいと、そういうふうに思っております。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 以上をもちまして参議院教育基本法に関する特別委員会長野地方公聴会を閉会いたします。 〔午後五時十五分閉会〕 ─────・───── 神戸地方公聴会速記録 期日 平成十八年十二月四日(月曜日) 場所 神戸市 ホテルオークラ神戸 派遣委員 団長 理 事 北岡 秀二君 理 事 岸 信夫君 理 事 佐藤 泰介君 小野 清子君 鴻池 祥肇君 松村 祥史君 水岡 俊一君 山下 栄一君 小林美恵子君 公述人 兵庫県立高等学 校PTA連合会 副会長 太田 勝之君 宝塚造形芸術大 学教授 桂 正孝君 大阪府立箕面東 高等学校教諭 森本 光展君 近畿大学教授 神戸大学名誉教 授 土屋 基規君 ───────────── 〔午前九時開会〕
○団長(北岡秀二君) ただいまから参議院教育基本法に関する特別委員会神戸地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします教育基本法に関する特別委員会理事の北岡秀二でございます。よろしくお願い申し上げます。 まず最初に、私どもの委員を御紹介をいたします。 こちらの右隣から御紹介をいたします。自由民主党の岸信夫理事でございます。 自由民主党の鴻池祥肇委員でございます。 同じく自由民主党の小野清子委員でございます。 同じく自由民主党の松村祥史委員でございます。 次に、こちらの左隣、民主党・新緑風会の佐藤泰介理事でございます。 同じく民主党・新緑風会の水岡俊一委員でございます。 公明党の山下栄一委員でございます。 日本共産党の小林美恵子委員でございます。 以上の九名の委員でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 兵庫県立高等学校PTA連合会副会長太田勝之公述人でございます。 宝塚造形芸術大学教授桂正孝公述人でございます。 大阪府立箕面東高等学校教諭森本光展公述人でございます。 近畿大学教授、神戸大学名誉教授土屋基規公述人でございます。 以上の四名の方々でございます。 当委員会におきましては、目下、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査を行っておりますが、本日は、四案について関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を賜るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。 皆様から忌憚のない御意見をいただいて、今後の四法案審査の参考にいたしたいと存じておりますので、どうかよろしくお願い申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、太田公述人、桂公述人、森本公述人、土屋公述人の順序でそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございますから、よろしくお願い申し上げます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、太田公述人にお願いいたします。
○公述人(太田勝之君) おはようございます。太田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。 まず、私は、この公聴会というものをよく理解もいたしませず安易にお引き受けをいたしまして、場違いにこの場に出てまいりましたことをおわび申し上げます。 私は、決して教育関係者でも学識経験者でもございません。淡路島に住まいをいたしておりまして、地域の子供たちの少数化と、自営業でございまして、いささかお勤めのお父さん、お母さん方よりも時間が自由になるということから、子供たちがお世話になっております学校のお手伝いを始めたことがその後、巡り合わせといいますか、PTAの県単位の組織にかかわるようになっただけのものでございまして、そういう意味から、大変平均的な国民と申しますか、一般的な庶民としての教育基本法問題への感想を申し述べるものであります。 この教育基本法の改定につきましては、テレビニュースと新聞の報道でしか知識はございません。この公聴会に出席するに際しまして、初めて現行基本法と改定基本法の全文に目を通したような次第であります。 マスコミで取り上げられております主な問題箇所は、教育の目標にあります「我が国と郷土を愛するとともに、」という表現が、愛国心を国が教育によって国民に求めているかに連想されるということかと理解をしております。 私自身は、愛国心とは、自分が生まれて成長する中で人として自然に心のうちに育っていったふるさとの山河や家族や周囲の人々への親しみ、自身が美しいと思ったふるさとの風景がこれから先も変わらずにあってほしいというふうな、また子供たちにも同様に感じてほしいというふうな、故郷に対する愛情がその大本ではないかというふうに思っております。 私の両親は戦争世代の人間でございまして、戦前の教育を受けております。父は戦地にも行っておりますが、その父と話しておりましても、国に対します思いというのはないわけではございませんが、その気持ちを突き詰めて考えますと、やはり父自身が育った郷里や家族、親しい人々を守りたいというふうな、誠に単純で、それがゆえに純粋でもあるようなそういう思いではなかったかというふうなことでした。その気持ちが大きく広がったものが愛国心というふうに理解されるもので、あくまで、繰り返しますが、成長する中で自然に心に芽生えてくる感情であって、決して、これが愛国心というものだから一緒に育てていきましょうというふうな事項ではないように思います。 近年になるにつれまして、学校や教育現場におきまして悲惨な事件や、子供の虐待、子殺し、親殺しといった残虐な事件が多く発生しております。それら様々な事象、事件に対応するためでしょうか、改定基本法はかなり細かく国民への教育の方針を規定されているように感じます。私などは、本当に現行教育法の運用でそれら問題に対応できないものだろうかと、もう少し言いますと、現行教育法は正しく運用されてきたものであろうかとの思いを持つわけであります。 改定教育法が参議院を通過されまして施行されますと、この後この事態が改善されなかった場合、いつか、より厳しく国民の教育を指導すべく、どんどんその徳目が増えていくのではとの不安を少しく持つわけであります。 次に、各校のPTAの役員と話しておりますときに最近よく話題に出ますことは、我々の学校生活で楽しかった思い出であります、そのまた大きな部分を占めている文化祭というものがこの数年学校行事としてどんどん縮小されたり、またあるいはなくなってしまったりしていることがございます。 生徒たちが研究発表や演劇などの文化祭に向けましての準備の中でクラスの団結を深めていく、これは一つの一大イベントであったように思います。そのイベントが縮小されていく理由の一つは、二〇〇二年から採用されております週五日制と、新しい教育課程が始まったことでの総合的な学習や選択教科が増えたために他の教科の授業時間が少なくなったことから、その授業時間を確保するためにこれらの行事をなくす方向に進んでいるのではないかと思います。 つい最近も、高等学校の必修科目の未履修問題が大きな問題となりましたが、これは一つには、私ども親たちが受験に向けての必要な科目のみの授業を学校に求めていったというふうな側面もあろうかとは思いますけれども、授業時間の少なくなっていったことがやはり文化祭等の行事がなくなっていくその大きな理由ではないかと考えます。 ゆとり教育ということをうたいまして、逆に窮屈な教育となってしまっている現状から考えましても、制度や、ましてその基本となります法律の改定には真剣に、またより御慎重であっていただきたいというふうに思うわけです。申し上げるまでもなく、最もその影響を受けますのは子供たち、生徒たちであるわけでございます。 現行の教育基本法が制定されまして半世紀以上、五十九年ですか、の時間がたつそうでございます。しかし、制定以来長い時間がたったから現行教育法が、その文言が現状に合わないということではなくして、その法の精神といいますか、心を生かすべく、いま一段お進め、お努めいただくべきことがあるんではないかというふうにも思います。 よく教育は国家百年の大計という言葉で言われます。改定基本法には百時間を超える審議を尽くしたと新聞で読みましたが、私は、国家百年の大計を審議されるにはまだまだその時間は少ないように思われます。国会議員の先生方も教育基本法のことを重要法案というふうにお考えをいただいておられますからこそ、お忙しい中このように公聴会をお開きいただいているんだと思いますので、政府や文部科学省の皆さんは、これまで以上に国民大衆が憲法の次に大切な法律を審議されていることを理解し、皆がこの問題を考えるようにメディア等を通じて宣伝といいますかアピールをしていただきたいというふうに思うわけであります。 大変的外れなことばかりを申し上げたように思うわけでございますが、一般の国民といいますか、親の理解というのは多分この私程度のものではないかというふうに考えます。繰り返し言い訳めいたことを申し上げますが、私は決して教育の専門家ではございませんので、ひとつ難しい御質問等につきましてはこの後お話しになられます先生方によろしくお願いをいたしまして、私にちょうだいをいたしました時間を終えたいと思います。大変失礼をいたしました。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 次に、桂公述人にお願いいたします。
○公述人(桂正孝君) おはようございます。桂でございます。お手元に私のお話ししたいことのちょっとメモをつづってございますので、それを見ながらまたお聞きいただければ幸いです。 今回は、はるばる神戸までお越しくださいまして、北岡団長さんを始め皆さんの御努力に大変敬意を表したいというふうに思っております。 私は今年もう六十九歳になるんでありますけれども、教職歴四十年やってまいりました。そして、主に学校教育学の方法等について研究をしてきたわけでありますが、研究の傍らでございますけれども、兵庫県や神戸市あるいは大阪府市等、この教育現場あるいは学校の教育の行政、そういうものの末端でお仕事をさせていただいております。そういう立場から今日何をお話ししたらいいかと、この短い時間ではありましたけれども、考えさせていただきました。そこで、私自身はそういう自分の経験と自分の研究の関心から、現場に近いところから発言をするべきではないか、こんなふうに考えたわけでございます。 そうなりますと、私、この十年余り、十年余になりますけれども、二つ大きな体験がございまして、そこの話をすれば兵庫県の実情を少しでも理解していただけるんではないか、こんなふうに考えたわけでございます。その二つの原体験と私は申し上げているんですけれども、それが阪神・淡路大震災という経験でございました。私は神戸の灘区で被災をいたしました。もう一つは、その二年後に起こりました神戸小学生の連続殺傷事件という大変痛ましい事件に遭遇いたしました。このことにどう対応するかということは私どもにとって大変大きな課題でございました。そのことを受けて、今、文部科学省等でも御評価いただいておりますけれども、トライやる・ウイークという取組をしております。そういうことを一つ前段にお話をいたしまして、現行の教育基本法改正問題についての私の思いと申しましょうか、意見を述べさせていただきたい、こんなふうに考えております。 阪神・淡路大震災は、もう御承知のことでございますので、詳細には申し上げる時間もございませんけれども、私は非常に先生方にお話ししたいのは、あの苦境の中で、国として大変いろんな援助をしてくださったことに対しては非常に感謝をしているということであります。これはひょっとしたら愛国心かと思いますね。本当に感謝しております。 それは何かと申しますと、あのときに役所もすべて崩壊してしまいました。何もなくなったわけです。たまたま先生方は、職場でありますから学校に駆け付けますと、もう既に避難民が入っていらっしゃる。そして、その避難民の六割、十八万二千と言われますけれども、学校にもう入っておりました。五時四十六分でございますから、もうかぎを壊して避難所でない学校にもあふれているような状況であったとお聞きします。その避難所となった学校でお世話したのが現職の現場の先生方でした。何の命令も何の指示も何もなかったのですけれども、取りあえず、御自分の家が被災をして全壊した先生方も、もう来た限りは帰られなくなってしまいました。 しかし、私は、そのことだけではありませんけれども、大きな暴動だとかなんとかというふうなことがなかったことを私は誇りにしております。その学校の先生方の本当に獅子奮迅の活動というものを私見まして、改めて日本の先生方というのは大変なものだなと実は見直したわけでございます。日本の学校文化は中心だといいますけれども、それだけの心は生きていたなと思いました。 そして、新しいことにたくさん遭遇しまして、それまでの安全指導というふうなものだけであったこの安全教育というものを、新たな防災教育をつくるところにまいりました。その中で、この議論の中に出てまいりますような心の教育でありますとか、あるいは生と死の教育でありますとか、いや応なくぶつかりました。子供たちを支え、励まし、肉親を失った子供たちとともになって頑張りました。それを救ってくださったのが、政府や文部科学省が派遣してくださいました教育復興担当教員の枠でございました。百二十八人、そして多いときには二百八名というあの力がどれほど現場を支え、子供を支え、親を支えたかと私は思います。これは国の支援なしにはできなかったことでございます。あらゆることを現場も行政も一緒になってやりましたけれども、そのことが私は大変頭にございます。現行の教育基本法に照らしてみますと、それは正に教育行政というのは教育諸条件の確立であると書いてあることの意味がそこにあるんだなと私は了解をしているわけでございます。 もう一つ、この神戸の小学生連続殺傷事件でした。平成九年で二年後でありましたけど、ちょうど兵庫県の教育委員会では学校教育審議会をやっておりました。家庭、地域、学校の連携についてというテーマでやっている途中で起こったものですから、大変でございました。本当に私はびっくりしてしまったわけでございます。そして、そこで河合隼雄先生、来ていただきまして、そして初めてこの防災教育の中に心の教育ということをしんに据えて考えるようになりました。こうしてスクールカウンセラーの配置をしてくださり、あるいは民間からは専門のボランティアが来てくださり、若者を含めて百四十万、延べ百四十万の人たちが助けてくれました。これは本当に相互扶助、お互いに共助するということの一番私は意味があったというふうに了解をしております。 ここで、家庭、学校、地域だけでなしに、専門家、医師、弁護士、様々な力をお借りしないと、今の学校が、あるいは家庭が、子供が抱えている問題は解決しないということを私は感じたわけでございます。そういうことについての教育の連携については、この政府案の中にも書かれていることではございます。 そして、そういう二つの大きな経験から目指したのがトライやる・ウイークでありました。トライやる・ウイークは、文部科学省でも既にそれに類似した事業を全国に打ち出しております。平成十年から始まりまして今年が九年目、今十年の検証作業をやっているところでございます。公立中学校の二年生、一週間、体験的な学習活動を通じまして心の教育の充実、そして生きる力の育成ということ、それは正に今壊れている地域の教育力の再生を果たすということが目的でございました。 一番私が驚きましたのは、不登校生の三割以上、四割近い子供たちが登校してきたということでありました。これはいろんな理由があろうかと思いますけれども、大変大きな取組で、教育改革の意味があるということが分かった次第でございます。 こういう立場から、今の教育改革への教訓として私は、現行の教育基本法の前文にありますところの憲法の理想の実現は、「根本において教育の力にまつべきもの」ということが私は納得いくものでございます。たとえ国や行政が取りあえずとんざしましても、現場の先生方が取りあえず子供たちのところへ駆け付け、親や地域と一緒になって教育を守り再生させるという、その努力というのを私は信頼するわけでございます。それを、教育の行政は教育諸条件の整備、確立という形で御支援いただいて、そして兵庫のトライやる・ウイークというものが一定の成功を収めたものと考えているわけであります。 そういう経験から、今の改正問題、特に、政府案は読まさせていただきましたけれども、いろんな論点があるなと、いろんな検討する課題があるなというふうに私は感じております。それを少し問題を出してみたいと思います。 一つは、この改正案というものの根本的な性格にかかわることでございます。言ってみれば憲法との関係というのはどんなふうに考えたらいいのか、あるいは新しい法律を作る場合に法案の構成原理はどうなのかということが私にもまだ十分に納得できない部分がございます。現行法は、準憲法的性格という形で今の現行憲法とのワンセットで成っているように理解しております。これはちょうど明治憲法と教育勅語のような関係に多少似ていると思っております。この政府案決めましたときには、今の現状をかんがみまして付加条項というものが、私の数え方では六つぐらい、あるいは障害児教育触れておりますので七つと言えるかもしれませんが、付け加えられております。これが、現行のいろんな下位の法律がございます、学校教育法以下ですね、その法律との関係、そういうことを整理する必要があろうかというふうに考えるわけであります。 なお、六つの中で、例えば生涯教育からいろいろ幼児期の教育まで挙げられているんですけど、少し斜めから見ますと、じゃ高等学校とか、そういう専門学校等の位置付けはどうなのかと、そういうふうなことも気になるわけでございます。 二つ目は、この新しい時代の教育課題に対応しようという改革であろうかと存じます。しかし、新しい時代をどんなふうにとらえるか、これはいろんなとらえ方があろうかと思います。文部科学省や地方教育行政との対応の関係、そういうふうないろんなことを考えて出されていると私は承知します。しかし、例えばグローバリゼーション、今大きな課題ですが、そのグローバリゼーションの時代に、例えばもう二百万を超える外国籍の方が住まれ、日本人も、日本国籍を持つ者も海外で百万人を超えて暮らしております、定住して働いております。そういうことを考えますと、多文化共生の教育というようなものをどうするのか、こういうことは既に大きな課題であろうかと思います。 兵庫県では、既に芦屋国際中等教育学校という六年制の学校をつくりまして、そうしてそこで、それを拠点校にいたしまして多文化共生の教育、海外からの帰国子女、あるいは外国人の子弟たち、日本の子供たちも含めまして教育を始めております。こういう対応を既にしておるわけでございます。 そしてまた、三つ目には、この今日の現行の教育基本法あるいは憲法は、一番大きな特色は基本的人権にあろうかと思いますが、教育を受けることも基本的人権としてとらえられております。これは今日の現行の憲法が近代立憲主義の立場に立つということから来ているのかと存じます。 この政府案は、先ほど太田委員もおっしゃられましたけれども、国が必要とする資質をこの際備えた国民の育成ということを力点を置いてございます。現行法では、個人の人格の完成という個人の尊重、あるいは個人の尊厳というふうなことに基点を置いた教育を受ける権利を想定しております。この辺のことをどのようなところで落ち着けるのかということは、なかなか微妙な問題ではなかろうかと、こんなふうに思います。 また、四点目には、愛国心、先ほど出ましたけれども、愛国心の規定につきましても、これは非常に愛国心というものが多様でございます。そうしますと、憲法十九条にありますような思想、良心の自由との関係をどんなふうに折り合いを付けるのかというのは、やはりなかなか微妙な問題で、検討しなきゃならない問題かと思います。 愛国心というのは多様性を持っていると思います。しかし、日本はいわゆるキリスト教の一神教ではございませんで多神教でございますので、なかなかこの多様な形での愛国心の存在があろうかと思います。戦前では教育勅語というものがございまして、天皇主権で勅令主義でございました。これは私も原本の写しを見たのですけれども、当時の総理大臣等は副署をしないで、国会を通さない形でもって勅令として下しおかれたものでございました。ですから、睦仁というお名前だけが書かれておりました。これはその当時の専門家の分析によりますと、これは国会というものが国民の内心に入ってはいけないという、当時の西欧の考え方に配慮したものというふうに言われております。 そのほか、宗教についても大変微妙な問題でございます。信教の自由、政教分離という憲法二十条のものと、この宗教教育の在り方、つまり根本で申しますと、宗派によらない宗教教育はどういうふうな形で可能なのか、こういうことについての究めが必要かと存じます。 最後に、結論といたしまして、今の公教育制度の根本にかかわるやはり改定になるかと思います。論点を十分に掘り下げていただきまして、国民的なコンセンサスづくりがとても大事だと思います。震災で一番難しかったのは、地域のコンセンサスづくりが町づくりで一番困難でありました。いまだになかなか解決しません。そういう意味では、教育の問題はすべての国民にかかわりますので、是非、人権としての学習権の保障というものが憲法二十五条にもありますように、社会保障の一環でございますので、是非子供や親や保護者、そして教育現場の教職員を支え励ますような形で御審議をいただければ大変幸いに存じます。 ありがとうございました。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 次に、森本公述人にお願いいたします。
○公述人(森本光展君) おはようございます。森本光展でございます。 私は、昭和五十八年に大阪府に高校の教員として採用されて以来二十数年間、学校教育の現場で教育実践をしてまいりました。教育行政や教育法の専門家ではございませんが、教育の現場から発言をさせてもらおうと思います。 全日制普通科で学力困難校と呼ばれているところも経験いたしましたし、難関国立大学に多数合格する伝統進学校も経験いたしました。現在は、多部制単位制高校という昼間の定時制の高校に勤務しております。前任の伝統進学校でも様々な改革を経験してまいりましたけれども、現在の多部制単位制高校は、再チャレンジの意味を込めた定時制高校の抜本的な改革として大阪府によってつくられた学校で、私の教員生活の歴史そのものが一連の教育改革の現場を象徴しているものと言えます。 特に、現在の私の勤務校について述べますと、大阪府によれば、定時制に入学してくる生徒の約六割が全日制高校を受験しており、全日制に入学できなかった等の理由で定時制に入学してくることが多いというところから、定時制のシステムを利用して、昼間の定時制の学校として昼間での受入れ枠を拡大し、それまで夜間定時制にしか行けなかった生徒の昼間の受皿としてつくられたのが私の勤務校というわけであります。 また、私は、授業や学級担任をしている傍ら、教員生活の二十数年のほとんどを学校教育相談の実践に努めてまいりました。言わば教員カウンセラーとして、不登校その他様々の心の問題を抱えたり、傷付いた子供たちやその親たちに寄り添ってまいりました。 本日は、改革の現場と教育相談の現場の二つを基に、私なりに教育基本法改正について感じていることを述べさせていただきます。 まず、時代状況の認識についてであります。 教育基本法提案理由の説明では、私には状況認識が焦点化されていないように思えてなりません。私が現場で感じる現状の課題の根本というのは、子供が変わったということであります。学校や教師の指導力あるいは教育力というものは、子供の側の、学校に行こう、学ぼう、自己を高めよう、教師、学校に従おうという姿勢と意欲に支えられ、その姿勢と意欲に呼応して発揮されるものであります。 ところが、現代の子供たちは、そういった姿勢と意欲に乏しく、傷付きやすい割には、自分を鍛えたり周りに適応したりするというよりも自分中心に考えるのであります。言い換えれば、学びの主体というよりもサービスを享受する主体であり、提供されたサービスを選択する主体であるように変わってきました。 学校や教師が魅力ある学校にしようと努力したり学ぶ意欲を引き出そうと努力しても、自分に合わなければ折り合いを付ける努力もせずに自分の好き嫌いを優先してしまい、学校や教師の努力を意に介さないという子供たちが多くなってきたのです。学校が集団の場である以上、すべての生徒に気に入ってもらえる魅力ある場になるのは困難であり、子供たちが大きく変化しているにもかかわらず、学校や教師は従来型の教育方法で子供たちと向き合わざるを得なくなっていると言わざるを得ません。 高校の進学校における未履修問題は、学びの主体が後退して、受験に有利というサービスを享受する主体に変わった子供たちに対して学校側が対応したものにすぎません。大都市で未履修問題が少ないのも、予備校が現役生を相手に公立高校を補っているからにすぎません。私が勤務する昼間の定時制の学校などは、従来型の心因性の不登校生徒以外に、朝起きれない、決まった時間に登校できない、学校に来る意味を感じられない、髪の毛や遅刻で怒られるから学校は嫌だ、一日六時間の授業が耐えられないなどの理由で学校を欠席する生徒が多数おります。私の経験からして、学びの主体からサービスを享受する主体への変化、そして、その主体というのも自立した個人ではなく、ひ弱で孤立した個人となっているというのは、今の子供たちに、進学校や困難校を問わず共通する状況であろうと思わざるを得ません。 では、子供の変化の原因は、子供が大人社会の鏡である以上、社会が変化し、それに伴って家庭や親が変化していることに求められると思います。親たちが学校をサービス提供の場と考え、様々なクレームを学校に寄せるようになったのも社会や親の変化の一端でありましょう。大阪大学の小野田正利教授などは、親のクレーム自体を研究対象にして、今の学校の置かれた状況を、学校はごみ箱であり教職員はサンドバッグと表現しています。 では、社会の変化の根底には何があるのかというと、社会全体の関係性の希薄化であり、断裂化ということであります。簡単に言えば、様々な場面で人間と人間の触れ合いや関係がばらばらになってきているということであります。夫婦、家庭がばらばらになりつつあるのは言うまでもなく、オートロックマンションが増え、買物はコンビニで一言も言葉を交わすことなくできますし、地域社会といっても、個人商店は少なくなり、専業主婦も共働きで少なくなると、子供たちとかかわるのはもう高齢者しかいないという状況が地域にあります。 こうした関係性の解体現象によって今の子供たちはばらばらな個人として未熟なまま生きざるを得ないのに、早くから消費者として、子供向けサービスを享受する主体として好きなものを選ぶように育ってきているということです。 教育行政の教育改革によってもたらされた学校現場を経験して思いますのは、こうした状況認識を踏まえているんだろうかという疑問であります。しかも、肝心の教育改革が一貫性がなく揺れ動いていて腰が据わっていない。例えば、総合的な学習が始まるときには学力低下論争に押されて基礎学力重視にシフトチェンジするとか、条件整備を十分せずに学校システムを変えるとか、こうした状況は教員の事務量を膨大にして、しかも、改革に取り組んだのに、そのやさきから改革の方向が総括もなしに変われば、教員の意欲を失わせてしまうのはやむを得ません。 従来の教育基本法の制定は、民主化、近代社会化を進めていく一環として教育勅語に代わって制定されたものであることは言うまでもありません。したがって、今までの教育基本法が近代社会の人間の理想像と教育理念を根本としていまして、時代状況を切り開く根本理念としては今や時代にそぐわなくなってきているように思います。ポスト近代にふさわしい理念を打ち立てて、現状の状況を打破できるきっかけになるとしたら、教育基本法改正も悪くないというのが私の見解であります。 そこで、今回提案されている教育基本法案を拝見させていただきますと、人間観におきまして、教育基本法の近代社会的人間観に対して、国家、公共、共同体を重視する復古的な人間観が入り混じった異なった人間観のモザイク状にちりばめられた文章になっているという印象を受けます。高度消費資本主義社会が様々なひずみを生んで、関係性の解体、ばらばらになるというような状況をもたらしたからといって、復古的に国家重視、公共重視の人間観で時代状況を切り開けるとは私には思えません。 特に、議論のある教育基本法第一章第二条第五項の、伝統と文化、国云々ということについて私見を述べさせていただきますと、まず第一に、伝統と文化を尊重ということですが、伝統芸能を学ぶということにしましても、伝統芸能がその時代の生きた娯楽であった時代にはその時代の大衆感覚に合っていたわけですが、大衆芸能としては死んでしまったものまでも現代の子供たちに尊重させるのは大変に無理があります。そして、一方で、農業政策によって農村の伝統社会の解体を促進したり、市場原理のグローバルな進展によって地域社会の様々な伝統が壊れるのを放置しておいて、教育にだけ伝統と文化の尊重というのは現実には実現が困難ではないでしょうか。 第二に、我が国と郷土を愛するということについて、国家主義的なナショナリズムではなく、郷土といった意味合いの強いパトリオティズムと言われていますけれども、例えば、特攻隊の若者たちが死んでいったのは、決して東条英機の体制や当時の日本政府を守るためではなく、故郷や母親に思いをはせて、国イコール郷土を愛しながらでありました。つまり、国が政府イコール統治機構を意味しないからといって、国家を守るために死んでいくことイコール郷土を守るために死んでいくことという飛躍につながることに対しては歯止めにならないのではないかという懸念があります。したがって、人間の自然な感情である郷土愛あるいは国土愛を利用したナショナリズムに陥らない工夫が要ると思います。その意味で、我が国と郷土を愛するという文言だけではその危険性に陥るので、他国を尊重という文言を入れたのであろうと私には思えます。 第三に、在日外国人の人たちが肩身の狭い思いをすることのないような観点と表現がこの我が国と郷土には必要ではないかと思います。あるいは、これからの日本は、少子化に伴って移民や外国人労働者を受け入れざるを得なくなるでしょうから、生まれや育ちは別の国の人やあるいは別の郷土を持つ人たちも受け入れられるような教育目標が大切ではないかと思います。現実に、今や生徒たちの中に日本国籍でない人あるいは日本国籍を持っていてもルーツを日本以外に持っている人が多くいるのに、我が国を愛するとか、まして日本を愛するという表現では、現場で混乱を生みかねません。愛国心の強調が、学校現場でそういった外国籍生徒へのいじめや差別につながりかねないことを心配するものであります。教育行政に内外人平等の視点が是非欲しいと思います。 この改正案で、特に大阪の教育の現場が進めてきた多文化共生教育がやりにくくなるのではないかと懸念しております。私の前任校の大阪府立天王寺高等学校では、校区内にコリアンタウンを抱えていることもあって毎年一割以上の在日コリアンの生徒がいますけれども、卒業式で国歌を歌い国旗を掲揚するなら在籍している生徒のすべての国歌、大韓民国や北朝鮮の国歌を歌うべきではないかという意見が生徒の方から毎年のように出ているわけであります。私は、多文化共生の観点から、国立の学校以外は学校での式典は校旗掲揚と校歌斉唱がふさわしいと思っている人間ですが、様々な思想信条の教師の思いを踏みにじることのないように要望いたします。 次に、公共の精神や規律の重視の方向についてですが、前文や第二条第三項に公共の精神とあり、第六条、学校教育において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んじるとあります。恐らく子供たちの規範意識の希薄な現状からこういった文言が提起されたのでありましょうが、大人社会のモラルの低下や新聞報道に見られる偽装、ごまかしを改める努力もせずに子供たちだけに規律を取り戻そうとしても、改革の実は上がらないのではないでしょうか。 次に、第六条、学校教育の第二項に、教育を受ける者がとか、あるいは第十条、家庭教育の第一項、父母その他の保護者は云々とか等々、国民の側の務めのような面を規定をしておりますが、それは法律になじまないのではないかと思います。法律はあくまでも国及び地方公共団体を規定するもので、まるで徳目のように規定してあっても、果たして改革の意味があるのだろうかと思います。 次に、教育改革という観点からは、義務教育九年という枠を外したのは、思春期が早まってきている現状と高校進学率九〇%を超える状況の中で、義務教育の見直しという意味では大いに意味のあることではないでしょうか。 次に、このたびの教育基本法案にはグローバリズムの観点が欠落しています。地球というグローバルな視点からIT化や人と人とのコミュニケーションや文化の普遍化を考えるべきだと思います。環境問題も、日本一国ではなく、グローバルな問題群として考えるべきでしょう。すると、世界市民教育、環境教育、国際人権教育が必要となってきます。今後の五十年、百年先を見据えた改正だとすれば、グローバリズムの視点が欠落しているのは基本法の性格としては問題ではないでしょうか。教育の目標の中に、あるべき世界市民、地球市民の人間像が反映しているとは思えません。 最後に、学校現場の人間としては、第十七条の教育振興基本計画には大きく期待しております。国も社会も、教育には何よりもお金を掛けなくてはならないし、最優先で予算を組むことが五十年、百年先の国家社会を繁栄させることにつながるという価値観の確立が大切だと思います。学校現場のまじめな教師たちが、膨大な事務量と保護者のクレームと従来の常識が通じなくなった子供たちへの対応に追われて疲弊しています。教師の誇りとゆとりを取り戻すためにも、学校現場に人と金をつぎ込む最優先の予算措置を願ってやみません。ただし、計画が内容にまで踏み込んで国家が教育現場を統制するというのであれば、更に現場が苦しむだけであろうと思います。 私は、教育の目的は、子供たちの幸せ以外にはないと思います。子供たちが自立して幸せになる力を付けてあげるのが教育者の使命であり喜びだと思います。冒頭、子供たちが変わったと申し上げましたが、私は、すべての子供たちが生まれながらに尊厳であり、生きる力を持っていると信じております。ただ、子供たちが生まれ落ちた社会や環境が子供たちを変化させているのだと思います。子供たちの幸せを願って悪戦苦闘している同僚教師たちに励みとエールを送ってもらえるような教育改革論議と基本法の改正であってもらいたいと願って、私の話を終わります。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 次に、土屋公述人にお願いいたします。
○公述人(土屋基規君) ただいま御紹介いただきました土屋です。 私は、三十一年間神戸大学に勤務いたしまして、この三月、定年退職いたしました。この間、教育の制度、行政、教育法、これを中心にして勉強をしてきたものでありまして、今回の教育基本法の改正問題につきましては、これまでの研究を世に問うべく、この六月に「輝け 教育基本法 教育基本法「改正」と日本の教育」という簡単なブックレットを発行させていただいております。 今回のこの改正案の審議に当たりまして、現行法を全面的に改正するということになっているわけですが、その理由や必要性、これが納得いくように説明されていないと思います。私は、現行の教育基本法に示されております理念と原則、これをこれからの教育にも十分に生かし、それを創造的に発展させることが必要だというふうに考えておりますので、改正案に反対の立場から意見を表明さしていただきます。 まず、改正案は、御承知のように、政府・与党の検討委員会、協議会においてまとめられまして、それを受けて文部科学省によって法案が作成され、国会に提出されたわけですが、今回の改正論議は、教育の内在的な理由によって改正をするというものではなくて、与党の検討会、協議会での論議を重ねてきたわけですが、その経緯が大変不明でありまして、全面改正の理由が分かりません。 一つだけ例を挙げさしていただきますと、与党の中間報告では、現行の第十条教育行政について、「教育行政は、不当な支配に服することなく、」としておりましたが、最終報告になりますと「教育は、不当な支配に服することなく、」というふうに、現行法の表現になりました。この変化はどのような議論によってそうなったのかということが、議事録が公開されていませんので分かりません。こういうことで改正に踏み切りますと、これは後世の歴史的検証ができないという事態になるのではないかと思います。 なぜそういうことを申すかと申しますと、ちなみに現行の教育基本法が制定されたときには、内閣全体の直属の審議会として一九四六年八月に設置されました教育刷新委員会、これが教育改革の推進に当たりました。現在の日本国憲法の制定を論議しました第九十回帝国議会、ここで当時の田中耕太郎文部大臣は、憲法における教育についての条項はごく簡単にとどめ、むしろ教育根本法というべきものを制定すべきだという答弁をいたしました。このこととの関係もありまして、教育刷新委員会は発足してすぐに、教育の基本理念と教育基本法について自主的に審議を開始いたしました。そして、文部省の大臣官房室と連携しながら参考案をまとめたわけであります。 そして、それを基に文部省が一九四七年一月から教育基本法案を作成して国会に提出したわけですが、その教育刷新委員会の議論、これは現在では、岩波書店から教育刷新委員会・審議会会議録全十三巻という、このくらいになりますけれども、これが公刊されております。したがって、ここで、総会を始め教育基本法の参考案を作りました第一特別委員会の議事録が全部公開されておりますので、それに参加した各委員の発言の内容とか委員会の議論の経緯、これがよく分かります。教育基本法はなぜ制定されたのかということなどに関しては、これは大変重要な歴史的な史料となっております。そこを見ますと、戦後日本の復興と教育改革に懸けた当時の委員たちの熱意というものがよく伝わってまいります。 こういう歴史的経緯を知るがゆえに、今回の改正論議の経緯というものについては、なぜ全面改正しなくてはならないのかということについての説得ある理由の提示というものが私は欠けていると思います。 次に、今回の改正法案を見ますと、教育基本法の改正案ということなんですけれども、今申しましたように現行法の全面的な改定案になっておりますので、これをむしろ新しい教育基本法の制定というふうにとらえるべきものでありまして、その性格を一言で言うならば、現行法が大事にしております平和主義、民主主義、平等主義、こういう原理を根本的に変えて、教育に対する国家の統制を強めるという内容が濃厚であります。 そこで、私は、次の三つの理由から改正案の問題点を指摘し、これに反対する理由を述べさせていただきます。 その一つは、既に出ておりますけれども、国家による教育目標が法律で定められ、その目標に挙げられた二十ほどの徳目について学校が組織的、系統的な教育を行い、その達成度を評価されるという仕組みになります。 現行の教育基本法には二つの側面がございます。 その一つは訓示的な側面であります。これは教育の理念とか教育の方針というふうなものでありまして、必ずしもその達成度を客観的に評価されるような側面ではございません。 もう一つの側面は規範的な側面でありまして、先ほども出ましたように、義務教育は九年間とすると、あるいは教育行政は教育の目的を達成する教育の諸条件の整備確立をするという、これはある意味で法律として強制力を持っている側面であります。 ところが、今回の改定によって法律によって徳目が強制されるということになりますと、これはほかにも多くの人が指摘しておりますように、憲法が保障しております思想、信条の自由、内心の自由、これが侵される現実的なおそれがあるというふうに考えるからであります。 教育という活動は、知識や技術、技能を習得するというだけではありませんで、子供の内面の価値を形成するという営みを伴っております。そして、それは、子供たちが多様な価値観とかあるいは道徳とかそういうものに触れながら学習と発達の過程で自ら選びながら身に付けていくという、そういう性質を持つものでありますので、これを他から強制されるという行き方は、近代的な教育の原則というものから見ますと、これは侵害するということになります。 近代国家の国家と教育の関係というのは、国家が道徳の教師にならない、国家公認の哲学を持たないということを基本としております。それは、戦前、教育勅語が発布されるというときにこの原則を重視したという発言があったことを大変大事な歴史的教訓とすべきだというふうに私は思います。 教育勅語が発布されるのに様々な天皇側近の準備がありましたけれども、明治二十三年、一九八〇年の六月二十日、当時の政府の高官でありました井上毅、後の文部大臣になっておりますが、当時の山県有朋総理あての書簡を出しまして次のように述べております。この勅語は他の普通の政治上の勅語と同じようになってはいけません、今日の立憲政体主義に従えば、君主は臣民の心の自由に干渉しないのですというふうに述べておりました。こういう経緯もありまして、教育勅語は、大臣たちの副署がなくて、天皇の言わばお言葉という形で発布されたわけであります。 現行の教育基本法を制定するに当たりましても、当時の田中耕太郎文部大臣は、教育勅語に代わる教育理念を示す必要がありましたので、最低限のことを法律に書くときに大変抑制的にこれを定めざるを得なかったということをその後に述べているわけであります。 こういうことを考えますと、一九九九年に国旗・国歌法が制定されましたときに、当時の官房長官等政府の高官は、これによって児童生徒の内心の自由を侵害するつもりはないと明言しておりましたけれども、その後の東京都教育委員会などの卒業式などの措置を見てみますと、今回の改定で法定された徳目は学校教育において強制されないという保証は私はないのではないかと思います。内心の自由を侵害する行政行為に対しましては、去る九月二十一日の東京地方裁判所が東京都教育委員会の行政行為が違憲、違法であると判示したことは私どもの記憶に新しいところであります。 二つ目に、教育への国家による関与、介入ということが今回の改正で歯止めなく進行するおそれを感ずるからです。 現行法の第十条、教育行政についての規定ですが、その一項は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」というふうに定めております。これを受けて第二項は教育行政の条件整備義務というものを定めているわけですが、これは、教育と教育行政を区別しながら、教育の自主性を尊重する教育行政の在り方について定めたものであります。 この規定の起草経過を見てみますと、一番初めは、政治的又は官僚的な支配に服することなくというのが一九四六年十二月二十一日の教育刷新委員会の教育基本法要綱案でありました。その後、これが不当な政治的又は官僚的支配というふうに一九四七年一月十五日の文部省による教育基本法案になりましたが、更に改定が加えられまして、現行のように「不当な支配に服することなく、」という簡単な表現に変わりました。 この「不当な支配」というのは教育に侵入してはならない現実的な力による支配のことでありまして、それを及ぼす主体として、政党のほかに官僚、財閥、組合等の国民全体ではない一部の勢力ということが考えられておりましたけれども、これは戦前、教育に大きな力を及ぼしたのは行政そのものだという反省から教育への不当な支配という規定がされたわけでありまして、その際、特に教育内容への関与というものは極力抑制されなければならないということが論議されていたわけであります。 ところが、今回の改正は、この教育の国民全体に対する直接責任性という大事な文言を削除しておりますし、これに代わって、教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであるというふうにしております。これは、法令上の規定があるということを理由にして教育行政が歯止めなく教育内容に介入するということがまかり通るようなことになりかねません。教育の自主性を発揮する上で、教育行政のかかわりというものを制限するということが必要なんであります。 このことは、論議されておりますように、学テ最高裁判決によって承認されているという解釈があるわけですけれども、この最大の重要な特徴は、教育内容に教育行政が関与すべきでないという論と無条件に関与できるという論をいずれも極端な論だというふうに排除して、必要かつ合理的な範囲で教育内容に関与することができるというふうにしたわけですが、それは抑制的でなければならないというふうに判示したところに特徴があるわけであります。 第三に、教育基本法の改正論はこれまで憲法改正論と一体となって主張されてまいりました。今回の改正は、安倍首相の所信表明演説でも明確に示されておりますように、改憲の政治目標と一体のものでありまして、第九条を中心とする改憲への現実的な第一歩だというふうにとらえることができます。その点で、日本国憲法の理念の実現をうたった教育基本法の改正ということは私は容認できないわけであります。 最後に、この現行の教育基本法に示されております理念や原則、これは教育の現状と大変懸け離れた状態にあるということが問題だと思いますけれども、この理念や原則は生かされ、更に創造的に発展させるべきというところはたくさんあると思います。個人の価値と人間の尊厳の尊重ということを徹底すること、教育の機会均等と無償教育を拡大するということ、国民全体への直接責任性を具体化する制度的仕組みを実現すること、あるいは、教育の自主性を尊重する教育行政の条件整備義務を更に推進することなど、課題が山積していると思います。 言わば、教育基本法に示されております理念、これは可能性の理念と言うべき性質を持っておりまして、これを生かし、その内容に創造的な発展をさせていくということが大きな課題だと思いますので、私は今あえてここで全面改正をするという必要がないと思います。慎重な審議を重ねていただいて、是非廃案とするように強く希望するものであります。 以上で終わります。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願いを申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○松村祥史君 自席で失礼をいたします。 自由民主党の松村祥史でございます。 本日は、公述人の皆様方には、月曜日の早朝から大変貴重なお時間をいただきまして、また貴重なお話を聞かせていただきましたこと、まずはお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。 限られた時間でございますので、たくさんの皆さんにお尋ねをしたいんですが、極力集中した形で私は聞かせていただきたいなと、このように思っております。 私は、そういう点では、お見掛けどおりまだ若うございまして、私も四人の子を持つ父でございまして、PTAの一人でもございます。子育て世代をやりながら政治にも携わらせていただいている一人でもございます。そういう意味で、太田公述人にいろいろと御意見を伺いたいなと、こう思っております。 今回の法改正ですが、憲法が国の形をつくるものであるならば、その国をつくる人材をつくっていく、育てていく、こういったものが教育基本法であろうと若い私たちはそう思っておりますし、今この現場の中でもそういう理解をしております。 そんな中で、戦後六十一年、今社会で話題になっておりますいじめや子供たちの自殺、本当に行き場所のない子供たちの心が迷いに迷った末に自らの命を絶ってしまうような悲しい事件が本当に多く起きておりますし、子供が実の父を母を身内を手に掛けてしまう、またその逆、本当に一体我が国はどうなってしまったんだと目を覆いたくなるようなことが多いんですけれども、子を持つ父としても、一体我が子も大丈夫なのかなと、また地域の子供たちはなんという心配をよくするんですよね。 そうしたときに、やっぱりこの法案、今回集中的にやらせていただいて、衆議院で通常国会と臨時国会で百七時間、参議院に参りましてから四十二時間今いろんな審議をさせていただいております。そういう意味でも、今回この法案をできるだけ早く成立をさせ、その中で、これが成立したとてダイナミックに変わると私は考えてはまだおりません。このことでスタートを切ってしっかりと今ある問題をいかに解決をしていくか。そのためには、政治や私たちだけでなく、地域の皆さんや国民の皆さん方にしっかりと一緒に取り組んでいただくことが大事だと。 そういう意味では、現行法が十一条からこの改正法案では七条補足をして新しくいろいろなものを付け加えました。家庭教育についての規定や社会教育。逆を言いますと、残念なことでもあるなと。昔は家庭でのしつけとか社会での地域の方々が守り育てるなんというのは当たり前のことであったと思うんですね。ところが、社会構造の変化や経済発展で大切な日本の文化みたいなものがなくなってきたと、こう思うんですよ。もうやっぱりこういう法案の中に書き込まなければ今後どうなってしまうか分からないというような実情が発生しているのが今の日本ではないかなと。そういう意味では、大変意義があるものだと、こう思っております。 そんな中で、太田公述人にお伺いしたいのが、特にPTAの現場でたくさんいろんな方々、保護者の皆さん方、先生方、また子供たちと接していらっしゃいますでしょう。まず、子供たちにどんな変化が、子供たちの環境や子供たちの心情や、どんな変化が起きているような感じがされるか、まず一点お尋ねをしたいと。 併せて申し上げます。まずこれが第一点目。 それから第二点目が、今申し上げたように、家庭や社会教育とかこういう新しいものを付け加え、今までなかったものを我々が、我々というと語弊がありますが、我々の先輩の世代の方々は当たり前と思っていたことをこういうふうに明記をして、これから意識をして取り組んでいかなきゃいけないということになった、このことについてどんな御意見をお持ちかお聞かせをいただきたいと。 それと、最後にもう一つ。私も、この法案が出てまいりましてから、地域の皆さんや保護者の方々、先生方、教育委員会の方々、ありとあらゆる方々といろんなお話をし、自分でタウンミーティングを開催しながらやってみたんですけれども、保護者の方々と特にお話をするときに、保護者の方々が、保護者の何というんでしょう、親学といいますか、親のしつけがなってないと。保護者が保護者の批判ではありませんが、やっぱりあれじゃねという言葉が出てくるようなお話がたくさんございます。 今日の日経にも載っておりました。子供が窓ガラスを割って子供がしかられたらば、校庭に石がある学校が悪いんだと、こんな内容でございましたけれども、こんなちょっと権利の主張みたいな親の方々が増えてこられたのかなと。そのことに対応し切れない学校の側の問題もあるのかなと、こういうふうに思っておりますが。 実際、PTA活動をされている中で、PTAの保護者の皆さん方がどういった感性をお持ちか、また太田さんなりにどういうふうに感じていらっしゃるか御意見をお聞かせいただければと思います。
○公述人(太田勝之君) 私、先生方のように順序立てて細かくお答えすることはよういたしません。大変雑駁にお答えすることになろうかと思いますけれども。 私自身は、先生、子供が余り変わったというふうには思っておりません。よくPTAの親御さんと話することでございますけれども、今日の神戸新聞の一面にも載っておりましたことは、虐待される子供の四〇%が大変経済的にしんどいといいますか、そういう御家庭の子供さんだという記事があったと思うんでありますが、親が自信を持てないといいますか、親が子供に当たるときといいますか、子供に対してそういう虐待とまでは言いませんけれども、きつく当たるときというのは、自分自身の生活なりそういうことに対して安心感というか、自分の将来に対して自信を持ててないときだというふうに思うわけです。 今、私どものPTAの中でもリストラであるとかそういうことで職を失った方もいろいろおられます。以前に比べますと、先ほど私がPTAにかかわったことで一つ申し上げましたですけれども、大変片親の御家庭が多うございます。そういう意味から、どうしてもお手伝いをできる人間が限られてくるので、私も小学校のときから順繰りに今高校までこういう形で来ておるわけですけれども、これはやはり、経済的に御苦労なされている御家庭が大変多いというふうに思います。 だから、お父さんがお父さんとして自信を持てない、お母さんに対しても子供に対しても、自信を持って子供を育てていけないという一つの理由に経済的なことがやはりあるというふうに思います。昨日もNHKで健康保険のことをやっておりました。それから、話があちこち飛びますが、夕張市のようなこともございます。自分の住んでいる地域や自分の仕事、自分の将来に対して父親や両親が自信を持ててない状態で子供に対して余裕のあるような接し方ができるかといいますと、これは無理であります。 自分自身が非常にプレッシャーを受けている状態、仕事を実際持って働いている方たちの中でも、やはりその環境の中で、大人の世界でももちろん御存じのとおりいじめ等はございますわけですから、大変そのプレッシャーの中で生きていると。そういう親たちが気持ちの中で余裕もなしに家庭で接した場合に、やはり弱い子供に対して、意識せずとも、そういうふうに表れてしまうものではないかというふうに思います。今の親たちが、先ほど先生おっしゃいました学校の校庭に石があるから悪いんだ、そういう議論、確かにあります。それに近いふうなことをおっしゃる親御さんも実際に存じ上げております。 でも、その方たちが突然そうなったかといいますと、その方たちも子供の時分からそういうふうに親からいろんな、国がどんどん右肩上がりで上がっていく中で受けてきたその家庭のそういうもろもろのことが今現在の親の姿勢に表れているんではないかというふうに理解をしております。 ですから、私自身は、この教育基本法のことに戻りますと、初めてその前文から以降、全部読ましていただきまして、これは戦後に焼け野が原になった日本を復興さしたい、それまで狭いところに閉じ込められていたような感覚が開けた、そこからこの国を何とか発展さしていこうという強い思いというのがこの前文の「希求」とかいうふうな言葉にも大変感じられるわけでございます。いい法律だなというふうに思っております。 ですから、その一つ一つを細かくやっぱり規定するんではなくして、基本法ですから大まかに理念というものをうたっていけばそれで私はいいものだというふうに思っておりますので。逆に、家庭というものが国家の中の一番小さい単位であるものだと思います。そこに、やはり国の力と言いましては語弊があるかと思いますけれども、国が介入されるのは少し違うのじゃないかなというふうに思います。 ですから、家庭が家庭として温かくいくための一つの大事なものとして、やはり仕事がちゃんとあり、経済が回って、親が休みになればちゃんと子供たちと遊んでやることもできという、そういうふうな、どういうんですか、経済的なことからのことを一つ思うわけでございます。 しつけができてないということは、それはもちろん父親がなかなか子供と接する時間がないであるとか、その親自体が、今申し上げたようにそういう教育を受けながら、やっぱり親にそういうふうなプレッシャーを与えられながら育ってきたというわけでございますから、これもなかなか一朝一夕には直らないと思うんですけれども、その責任といいますか、原因を教育法の方に求めるのはちょっと違うような気がするわけであります。
○松村祥史君 はい、分かりました。ありがとうございました。 そこで、もう一人、現場の最前線でやっていらっしゃられます森本さんにお尋ねをしたいんですが、さっきの石が置いてある学校が悪いんだと、こんな話でございますけれども、実際、保護者の方々はやっぱり自分の権利を主張されると。昔であれば学校の先生方は毅然とした態度でそれは違うと、こう言えたのかもしれません。よく先輩方にお話を聞くと、先生に頭を殴られたと、帰ったらば、私たちの親の世代でございますけれども、それはおまえが悪いからだろうといってまた親に殴られたと、こう言われるんですね。ところが、もうこんな話は今通用もしない。 先生方の現場の中に、やはりその組織の中に問題があるのか。校長先生というリーダーシップを取られる方がいる、また教育委員会という組織がある、そして保護者というこの三角形がなかなかうまく機能していないような気がいたしますけれども、何か御意見がありましたら、お聞かせをいただけませんか。
○公述人(森本光展君) PTAの活動をされている方は、基本的には学校に協力的な方でありますので、保護者のクレームとかそういうことについての問題には実はならなくて、学校現場で苦労しているのは、PTAの活動には参加しないけれども、自分の子供が怒られるというときには抗議をする、何かあったときにはクレームを付けるというような形で、学校側、教師としては、親と一緒になって子供の教育に携わりたい。 例えば、私は高等学校ですから、停学措置とか、子供が何か悪いことをしたときでありますけれども、昔であれば停学措置になったときには、そういう処分のときには親御さんと学校が一緒になって子供を怒ったわけですけれども、学校の停学処分が気に食わない、文句を言う、学校けしからぬというふうに親御さんの方が学校に文句を言ってくるというケースにはしばしば出会うわけでありまして、そういう保護者の方のそういったクレームというのは実際に経験していることです。 それは、組織というよりは、PTAで組織をできない部分が保護者の中にある、あるいは地域社会の中にあるということそのものの問題のような気がしております。 以上です。
○松村祥史君 ありがとうございました。 残りのお二人の方にちょっと質問する時間がございませんでしたけれども、おわびを申し上げます。大変参考になる御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。 終わらせていただきます。
○水岡俊一君 民主党の水岡俊一でございます。 公述人の皆様方には、公私ともに大変お忙しい中を御協力いただきました。私も委員の一人として心から御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。 さて、教育は国家百年の大計というふうに申されます。この教育基本法は日本の教育の根本を定める法律ということになりますから、言い換えますと、教育基本法はという主語にして、教育基本法は国家百年の大計であるとも言えるというふうに思います。 そこで、桂公述人と土屋公述人に是非お伺いをしたいんでありますが、現行教育基本法は制定後間もなく六十年を迎えるということになっております。もし、仮にここで改正が行われるということになりますと、今後五十年あるいは百年生き続けるという法律になる可能性があります。そういう意味からして、このたびの改正論議は、今後五十年あるいは百年を見通したものであるのか、あるいは今後五十年耐えられるものであるのか。そういう疑問を持つことは至極当然なことだと思うんですね。国民の間に教育基本法の改正が本当に必要だという願いが強くあるならば、それは改正をされて至極当然だろうというふうに思うわけですね。しかし、そのためには十分な審議が必要だということはもう自明の理であります。 そこで、この間の衆議院特別委員会、それから参議院の特別委員会の審議が重ねてこられたわけですが、それが十分なものであるのか。あるいは、こういったことが少なくとも行われないと不十分であろうとか、あるいはこういったことがやっぱり国民の立場からして必要ではないかとか、そういった観点において、それぞれのお立場から御意見がありましたら、ひとつお述べをいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
○公述人(桂正孝君) 私、先ほどお話ししましたように、教育現場というのは、その都度起こる目の前の子供の問題に取り組まざるを得ないし、また取り組む仕事でございます。 そうしますと、先ほど二つの例を挙げましたけれども、ああいう大きな大地震が起こったときには前例がないわけです。そして、もうそれぞれが判断して組織として動くんですけれども、大変なんですね。皆さんに私二つお話ししましたのは、ああいう事件に遭遇したときに何をしたか、そしてどうしたかということを分かってほしかったんです。これは根本法という問題と少し遠いように見えるんですけれども、現場にですね、大いに現場というのを助けてほしいというのが本当の私の気持ちです。国ができることですね。 で、私は、あのときのことを考えますと、本当に先ほど申しましたように、教員の、教師の働き、教職員の働き、大変それまでの評価を変えてしまいました。ああ、日本の先生というのは、何も自分の仕事がどうか以外は関係ないんじゃなくて、学校を中心にして子供や地域社会に根差しているんだな、これが百数十年の日本の近代学校の歴史だなと思いました。そのことの歴史ですね。 私は何も今の学校を褒めているんじゃないんです。あの明治の初期、三千万幾らの人口の中で学校をつくったとき、二万四千つくっているんですね、小学校。今も二万四千足らずです。あの時代、私は本当生まれ変わりたいと思いますよ。どんな熱で学校をつくったか。それほど情熱持って学校をつくって近代化に向かったんですね。それはとても難しかったということを思います。 そういうことを考えますと、百年の計ということを考えますときに、本当に学校の先生方だけでなくて、親や子供が生き生きとするようになるためには大変な手間も条件も要るということを理解した上で改定していただきたいなと。この議論が十分ではないというので、先ほど幾つかの論点を出さしていただいたんですね。 そして、トライやる・ウイークというのも、本当にこの兵庫で考え出したことなんです。そこで、どこが悪いどこが悪いという、そういう責任ではないんですね。ですから、地域が壊れている、子供をもう一遍地域で、先ほど出ましたように、地域で子供が育てられるような条件をもう一遍つくろうと。単に労働体験させるんじゃないんです。地域の真剣に働いている親の姿に子供を出会わしたいんですね。そのことをトライやる・ウイークでやったと。ですから、生き方そのものというものに触れ合わせたい。その中で子供はかなり変わりましたよ。不登校の子供も出てきたんですね。これはまだ十分に分析できていませんが、大変大事なことだと思うんです。 ということは、今の教育改革、可能なんです。ですから、付加法でいろんな形で新しい現象を出してくれておりますけど、これ一つ一つ大変大きな問題です。私、これ時間を掛けて、新しい時代と新しい時代の変化は何かということをもっと討論したいですね。そういう中で考えないと、小手先でやっても余り浸透をする仕組みがない。それで私は、取りあえず現行法でいいますと、やっぱり教師を、教職員やらを、地域を信頼していただいて、そしてそこでやっぱり教育の力にまつという部分は大事にしてほしい。そのことをサポートし、また御指導いただくのは有り難いんですね。しかし、当事者を中心の施策が欲しいなと。現場というのはそういうところだと私は思っております。
○公述人(土屋基規君) 私は、仕事柄、衆議院の特別委員会の議事録をこの夏休みにすべて読みました。そして、その上で問題を整理しておりますが、今日ここには、申し訳ありませんけれども、その整理したものを提示しておりませんが、主な論点をちょっと簡単に申し上げます。 百七時間審議されたということですが、その論点を整理してみますと、私は主に九つぐらい挙げております。ちょっとアトランダムに申しますと、まず第一に、現行法を全面的に変える必要性、これについて議論がございました。第二に、現行憲法との関係、これも議論がございました。第三に、教育基本法が制定された過程についての論議がありました。第四に、教育基本法と教育勅語との関係についての議論がありました。そして五つ目に、教育の目標を法定するという改定案の第二条ですね、これについての議論がありました。そして、さらに現行法の第十条、教育行政の役割についてのいわゆる不当な支配という問題についての議論がありました。あと、宗教教育についても少し議論があったように思います。 この議論の中で、それぞれのお立場と考えで論争が行われているわけですけれども、私はこの議論の中で審議が十分に尽くされていないと思うような問題がまだ幾つかあります。 その一つは、教員の職務が大きく変わるという問題ですね。これなんかについては審議が不十分だと思います。 それから、全体について申しますと、現行法はわずか十一条の短い法律なんですが、それに十七条というふうになったとしても、これまでの審議の中では逐条審議というものを徹底的に行っているというようなことをうかがい知ることができません。そういう感じを持ちます。今はインターネットで議事録を落とせますから、こんなに厚いものを、この夏休み、相当な時間を掛けて私は講演などの必要がありましたので見させていただきました。参議院の方はまだ議事録が全部そろいませんので見ておりませんが、是非逐条審議をやっていただきたい。例えば、前文のところで日本国憲法との関係をどうするかというふうな問題もございます。 それから、いろいろ審議を聞いておりまして感じているのは、大臣、文部科学大臣替わりましたけれども、前文部科学大臣なども、先ほど来からいろいろ問題になっているいじめの問題とか非常に難しい問題がございますね。そういう問題について、改正をしたからといってこれが解決するものではないというような趣旨の答弁もございます。 こういう点で見ますと、私、最後にちょっと早口で申しましたが、今、学校現場や教育をめぐっていろんな問題が山積していることについてはだれもがみんな心配しております。これを法改正という形でいかなければできないものかどうか。例えば、教育振興基本計画を立てるという場合にも、現行法の第十一条でこれは十分立法技術上可能なんですね。そういう方法を取らないで教育振興基本計画を取るというのは、現在の行政の様々な基本法と基本計画という関係があるから、予算措置や何かでそういうことを考えられているんでしょうけれども、今挙げました幾つかの論点につきましては、重要な点を幾つか挙げて審議をされていますけど、私は逐条審議がきちっとできていないという印象を持っております。 そして、このことを変えることが一体日本の教育の将来にとってどういう意義があるのか。このことによって私は教育と教育の仕組みは構造的に転換すると思っておりますので、相当大きな変化が時間を掛けて起こってくるだろうというふうに思います。その辺を是非論議してほしいと思っているところです。 教育勅語もすぐに効果を発揮したわけではなくて次第に、修身科とか学校行事とかというのを通じて最高の基準としての効力が戦前も発揮されていったわけでありますので、これが、今のような改定が五十年百年もつかということでいえば、それはそこまで見通せているんでしょうかと。現行の教育基本法もできてから五十九年ですけど、あの敗戦直後、六十年先の社会の変化まで見通せてやっていたかということになりますと、それは難しかったと思いますね。そういう点でいえば、社会の変化に応じて改定していくと。例えば、韓国の教育基本法も何回か改正されていますよね。そういう形になるなら、私は教育条件の整備ということに焦点を当てて改正をすると、改正をするならですね、いうような方法もあるんではないかという考えを持っております。 以上です。
○水岡俊一君 ありがとうございました。 時間がなくなりましたので、あとお二方に短くお答えをいただきたいと思うんですが、森本さんと桂さんにお願いをしたいと思います。 今お話にも出ておりました教育条件整備という観点からすると、内外人平等の精神が必要ではないかというふうに森本さんおっしゃいました。外国人の子供たちの教育をどういうふうに保障していくか、今、グローバル化の中で日本は本当に真剣に考えていかなきゃいけない、そういうときに来ているわけですが、そういった観点で、繰り返しになっても結構でございますので、現在、教育基本法の政府案に対してお感じになっていることを若干お述べいただきたいと思います。森本さんと桂さんにお願いします。
○公述人(森本光展君) 内外人平等の観点からということになると、私が思いますのは、現場で子供たちの問題というのは、自分自身のアイデンティティーを確立できない、自分とは何かということがなかなか自信を持てないというところがあるわけです。 そうしますと、外国人の子弟の場合、日本社会の中で自分自身のアイデンティティーをどう確立していくかというところの問題が、随分問題抱えているといいましょうか、自国を愛するということはその外国人子弟にとっては一体どういうことなのかと。日本社会の中で日本文化を身に付けながら、でも国籍は違うという、これに対してどう自信を付けていくのかと。そのことについて、言語であるとかあるいは様々な教科の問題であるとかにかなり人を割かないといけないし、また特別な教育も施さない限りハンディキャップを負ってしまうというふうな部分で、随分その条件整備が必要であるというふうに感じております。 以上です。
○公述人(桂正孝君) 私、今、内外人の話が出ましたけれども、一番大事な問題は、子供の社会的自立をどのように支援するのかということが一番大事な課題だと思っております。それは、日本の子供であれ他の外国の子供であれ、同じ問題だと思います。 でも、例えば非常に多い日系ブラジル人と言われる方、たくさんおられます。その中で、少年院に入っている率は非常に高いというふうにブラジルの方がおっしゃいます。是非支援してほしい。非常に難しいですね。労働力として親は入ってきますけれども、どの子供一人として自分の意思で日本に来た子はいないんですね、どうも聞いていますと。ですから、親の都合で一緒に来たと、そして学校にもなかなか行けない、行かないという形で路頭に迷っている子供、その子供が犯罪に巻き込まれている場合、多いんですね。 私は、子どもの権利条約というのだけでなしに、日本にいる外国人の子供たちに対してきちっと学習権を保障する。ただし、ブラジルの場合には十歳の壁というのがございます。十歳後で来ると割合うまくいくんですけど、十歳より前に来ますと、ブラジルの文化や言語もないし日本にも適応できない、そしてむちゃくちゃになっていくんですね。 そういうことをしますと、やはりきちっと支援する、社会的に支援する、そういう施策を細かくやらない限りこの問題解決しない、こんなふうに思っているわけでございます。
○水岡俊一君 ありがとうございました。大変参考になりました。 終わります。
○山下栄一君 今日は公述人の皆様、朝早くから大変ありがとうございます。貴重な御意見をお述べいただいたわけでございまして、少しでも、大事な法案審議でございますので、生かしていきたいと、このように思っております。 まず、森本、桂、太田、三公述人の方に、現場の視点から、国が支援するとしたらどういうことを今現場的には支援してもらいたいのかという観点で是非御要望をお聞きしたいというふうに思うわけでございます。 先ほど森本公述人から、子供の状況が大きく深刻に変わってきているという時代状況の認識を中途半端にした改革論議というのは、かえって現場を混乱させるよという意味のお話があったというふうに思います。太田公述人からは、子供はそんなに変わっていないと思うというようなお話もございましたですけれども、学ぶ姿勢ができないままにサービスの主体としての要求がどんどん出てくるというふうなお話、森本公述人からもお話があったわけでございまして、非常に私は参考になったわけでございますけれども。桂公述人も、もっと現場をサポートしてもらいたいと大震災の経験からおっしゃいました。また、PTAの高校のお仕事、貢献されております太田公述人も、やはり保護者として、教育費支援を含めてもっとやっぱり国としてもやるべきことあるだろうということはおありかなと、こう思いましたもので、それぞれお三方から御要望ございましたらお聞きしたいというふうに思います。
○団長(北岡秀二君) 森本、桂、太田公述人、三人でよろしいんですね。
○山下栄一君 はい、そうです。
○団長(北岡秀二君) はい。じゃ、森本公述人。
○公述人(森本光展君) 私が現場で感じますことは、まず、子供が変わったということについてですけれども、ずっと高等学校におりますので、定点観察といいますか、二十数年同じ十五、六歳の子供を見続けてまいった中で感じていることであります。簡単に言いますと、要するに手が掛かるようになったと。昔手が掛からなかったことが、四十人とか四十八人とか、私は四十八人学級で育った人間ですが、そういう集団で教育しても余り手が掛からない、高校ぐらいでありましたら教員は教科の指導をしていればいいというふうな状況がありました。 ところが、要するに、先ほど言いましたような状況の中で、子供たちが学びの主体から後退をしております。サービス主体で様々なニーズが非常に多様化していると。その多様化したニーズにこたえるということと、学ぶ意欲が減退した子供たちに対応すると、これ両方とも、要するに、一口に言って手が掛かる。その手が掛かるためには、少人数教育をせざるを得ない。 それから、教員の方が、例えば四十人であっても、静かに子供たちをさせるためには一人の教壇の教員では足らないというわけで、その手が掛かる子供たちに対応するためにまず教員の人数が必要であると。これはもう私の学校で実際に、教室の中に入り込んで教科担当だけでは静かにならないところを静かにさせるとか、廊下に張り番をして静かにさせるとか、あるいは教育相談の担当の人間を増やすとか、様々なところに教員のニーズが増えております。それは従来であったら要らないようなことだったかもしれませんけれども、そういったニーズというのが増えている。 文化祭にしても、生徒たちは自分は積極的に何か作らないんだけれども楽しみにしたいという生徒が多くなってまいりました。そうすると、その運営主体は教員がやっておりますので、日ごろの授業の傍らそういう行事を運営をするというのは教員であると、楽しむのは生徒であるというふうな形で、圧倒的に人手不足であります。そういう意味でのまず教員の負担を減らすというのは、教員の人数が増えれば随分減ることではないかというふうに思います。 それと、ニーズが多様化するということは、多様なニーズにこたえたサービスが必要になってきますので、その多様な教科の展開をするためにも、やはり条件整備という意味でこれは予算措置が必要であろうと。多様な学校をつくっていくと生徒に対応できるんでしょうけれども、それもまた予算措置が伴うと。今の現場の教員が苦しんでいるのは、多様な教育をしていく、学校の特色づくりといいながら、金も人もよこさない、理念だけが多様化しているというような状況の中で苦しんでいるんではないかと思います。 以上です。
○公述人(桂正孝君) 森本さんが先ほどおっしゃられた高等学校の現状と私も一致を確認します。よく分かります。しかし、同時にまた、太田さんがおっしゃられたように、変わっていないよという子供もいます。つまり、子供が非常に多様になったということだと思います。 そして、私が一番問題にしているのは、なぜ社会的に自立化できないか、非常にモノトーンといいますか、それぞれ生活世界狭くなっています。いろんなものと、異質なものと出会うという機会が非常に少ないのです。ですから、トライやる・ウイークなどもそういうことを目指したわけです。いろんな出会いをつくろうと、いろんな関係をつくろう、そのことなしに一人の人間を一人前にできないということだと思います。 先ほど森本公述人がおっしゃいましたけれども、そういう条件整備ということがありますけれども、本当、手が掛かるんです。私は、中学校の荒れた子供たちの問題にいつも直面しておりまして、大人が壁にならないかぬわけです。受容せないかぬけれども、一方で許容できないこともあるんです。ここのさじ加減は物すごく、壁にならないかぬわけです。この壁になることが物すごいしんどいんです。そのことが先生方は本当にしんどいんだと思いますね、二十四時間になりますから。 ですから、そういう先生方の努力を支えていただくという意味で、今、森本委員がおっしゃったようなこの条件整備、残念ながら日本はOECDの中でも教育費の投資が非常に公的には低いですね、今のところ。学級の人数も韓国と同じように高いです。そういうことも含めて、もう一度再配置を考えていただきたいと思います。
○公述人(太田勝之君) 実際に学校におりまして思いますことは、本当に先生に掛かります負担、事務的な仕事とか大変そういうものが多いというふうに感じております。私もしょっちゅう呼ばれまして学校へ行きますけど、例えば、保健のことにつきましても、年間の計画等を立てまして、非常に細かくその運用といいますかそういうことが決められております。そういうことはすべてどなたがおやりになるかといいますと、全部現場の先生方であります。 それで、現状は、先ほどからおっしゃられますように、ちょっと強く出ますとやはり親の方から非常に反発が来るとか、そういうことがあるわけですけど、確かに、先ほど森本先生もおっしゃいましたように、PTA等に深くかかわっておればおる人間ほどそういうことはほとんどございません。余りそういうことにタッチしない情報量の少ない方ほど、やはり子供を守ろうとする意識からか、そういう極端なことに出る親御さんが多いように思います。 ですから、私も、先生方のやはりお手助けといいますか、先生方がもっとゆとりを持ってといいますか、気持ちにゆとりを持って子供たちを教育できるような環境ということが望ましいということは、親同士での話でもよく出ることでございます。 先生方は、やはり校長先生、教頭先生、もちろん同じ一つの学校の中でやっていただいているわけですけれども、やはり管理する側、管理される側という立場もございますし、やはり文科省並びに教育委員会等々からいろいろ御指示が出ますたびに現場の先生方がそれに大変時間を取られてやっておるという現状もあるというふうに見ております。その辺を、森本先生がおっしゃいましたその人員とか予算のことからも含めまして、何とか先生方が教育そのこと自体にもっと労力を割けるような状況をおつくりいただけたら有り難いというふうに思います。
○山下栄一君 土屋公述人にお聞きしたいと思います。 非常に重要な視点を御指摘いただいたように私は思っております。 それで、まず、基本的に現行の第十条にかかわる話ですけれども、教育の国民全体への直接責任、これは非常に大事な観点だというふうに思います。教育の民主化といいますか、ちょっと政治の民主化と教育の民主化というのは、現実を踏まえた政治に対して、将来を踏まえなきゃならない教育というのは、若干違う方法で表現、制度としてですね、表現できるということは、表現しなきゃならないという観点あるというふうに思うんです。 それで、ただ教育の国民への直接責任を制度化するという、これはちょっといろんな形で学校運営協議会とか試みはあるんですけれども、どんなふうにして制度化したらいいのかという、その何か御示唆とかございましたら是非お願いしたいところ、これが一点でございます。 時間の関係で、もう一点。これは、中央の教育行政の在り方でございます。 今、文部大臣、文科省、内閣の一員として文部大臣がかかわりながら教育行政が行われ、中央教育行政ですけれども、先ほど教育刷新委員会のお話ございました。あれは、内閣直属で昭和二十一、二年でしたですか、行われて、しばらくそういう体制がございました、今は大きく変わっているわけですけれども。この中央教育行政の在り方、不当な支配をさせない、政治的、官僚的支配、今の言葉のちょっと前の要綱の段階での表現でございますけれども、そういうことを克服するための中央教育行政の制度の在り方、これも何かございましたら、是非先生のお考えをお聞きしたいと、この二点でございます。
○公述人(土屋基規君) まず第一点ですが、教育は国民全体に対して直接責任を負って行われると。これは二つの側面がございます。 一つは、現代の学校は、私立であれ公立学校であれ公の性質を持つということが定められております。これを前提にして、教師は国民全体への奉仕者であるというふうに規定しておりますが、これは憲法十五条の公務員の全体の奉仕者性を超える性質を持っていると私は思っております。国民全体への直接責任性というのは、教師がすべての階層の子供とどうかかわるかという問題です。勉強ができる子もできない子も、腕力が強い子も弱い子も、いじめられる子もいじめられない子も、この子供たちに人間としての値打ちを彼らにちゃんと力を付けてもらうと、そういう点で差別なく、無差別平等に子供たちの成長を願う。ただし、それぞれの子供は個性がありますから、勉強ができる子も遅い子もいます。こういう子供たちに、すべての階層の子供に教師が無差別平等に誠心込めて働くということでございます。 もう一つは、父母とか住民が教育行政にどうかかわるかという側面がございます。この条項ができました後、この解説をした文部省の中の教育法令研究会が「教育基本法の解説」という本を書いておりますけれども、これは、直接的には父母や住民の教育行政に対する考え方の反映という仕組みを予定しておりました。つまり、法律は変わりましたけれども、教育委員を選ぶというのに住民が直接かかわるという仕組みが一九四八年から一九五六年のわずか八年間でありましたが、この間に三回だけ選挙がありましたけれども、こういうふうに直接教育委員会に父母や住民の意思を反映させるという仕組みを行ったことがありました。ただし、一九五六年以降は、御承知のように任命制になりましたので、教育委員の委員を選ぶのに対して住民が発言権を行使するということは制度的にできなくなりました。 もし、これを制度的にやるとすれば、今委員が御指摘になったような、あるいは民主党案の中にもありますように、学校の評議員制度とかあるいは理事会制度、こういうものを住民や父兄がPTA以外にも参加できるような仕組みをどれだけつくるか。ただし、民主党の案の中の理事会、法案というのは、諸外国の理事会とは権限が大分違います。諸外国の場合は、イギリスにせよアメリカにせよ、教育内容や教育課程とか財政とか教員の人事権まで持っている理事会なんですね。 すぐ日本がそれやるかどうかは分かりませんけれども、仕組みとしてはこのような教育行政に住民や父母が参加できるような仕組みをどうつくるかと。これは十三年間でございましたけれども、一九八一年から十三年間、東京中野区で教育委員の準公選という仕組みがあって、これは現在なくなっていますけれども、いろんな方法でその参加する仕組みというのはあると思います。もっと学校レベルでいえば、日常的に学校、何というんでしょうか、三者協議会とか、そういうようなものをつくってやっていくということもできると思います。 それから、時間がありませんからはしょって言いますけれども、中央教育行政の在り方ということでいえば、現代の行政は非常に複雑で高度でありますから、そういう点でいえば、中央教育審議会など審議会行政というのがございますね。文部科学省はその専門の方々がやっているとしても、そこにいろいろ知恵を付けてもらうような審議会行政というのがありますね。こういうところをかなり相当発揮していくということが私は基本的には大事だというふうに思います。 ただし、今回は、先ほど御指摘があったような教育刷新委員会というのは内閣全体にできた審議会でありまして、これが参考案作ったわけですね。戦後六十年たちますけれども、内閣全体に対して直接責任を負うような審議会ができたというのはわずか二回です。この教育刷新委員会は一九四七年八月から五二年六月まででありましたが、二回目はどこかと申しますと、あの中曽根内閣のときの臨時教育審議会でありました。それ以外は全部中央教育審議会のレベルでやっていました。 ですから、今回、もし教育基本法の問題を本格的にやるというなら、私は内閣全体の大重大問題だというなら、そのくらいのレベルの審議会で審議をして、もちろん政治家の方々が議論するのは構いませんよ、それは大いに構いませんけれども、そして案を出し、国民的なコンセンサスがいくような形になれば、多くの改正案についてのいろんな議論というのは深まっていくし、また同時に、教育の在り方ということについての非常に大きな議論の深まりが期待できるだろうと思います。 中央教育行政は文部科学省が中心なんですけれども、そこはやはり条件整備ということに徹する、あるいはサービス機関に徹するということがずっと中央教育行政の在り方で戦後改革されてまいりました。地方分権化の問題がこの二〇〇〇年代になって問題になりましたけれども、かなりの権限を移すように見えますけれども、やはりまだまだ中央のこの握って放さない部分、これが相当残っているというふうに思いますね。そういう点では、地方教育行政、そして学校へという形で幾つか権限を分散していくということ、そしてそこに住民や父母の参加ということができるような仕組み、これはいろんなレベルでできますので、そういう工夫があった方がいいんじゃないかというふうに考え方を持っておりますので、先ほど抽象的にああいうふうに申し上げました。
○山下栄一君 ありがとうございました。
○小林美恵子君 日本共産党の小林美恵子でございます。 今日は、公述人の皆さん、大変貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。 私は、まず、十条の問題について桂先生と土屋先生にお聞きをしたいというふうに思います。 私は、現行基本法は、戦前の子供たちも戦争に駆り立てていった歴史の反省に立って、国家のための人づくりではなくて、一人一人の人格の完成を掲げ、国家が教育に介入しない、教育行政は諸条件整備確立に負うと規定したものだというふうに理解をしています。 そこで、御質問なんですけれども、政府案は、現行基本法にあります「教育は、不当な支配に服することなく、」という文言は残しておりますけれども、国民全体に直接責任を負うとのくだりは削除されています。これが国家の介入を歯止めなきものにしていくのではないかという御指摘もございましたけれども、まず、土屋先生に、こうした政府案の削除されたことが国家の介入の歯止めなき危険性、この点についてもう少し詳しく教えていただけるでしょうか。 それと、桂先生には、先ほど阪神・淡路大震災において、そのときに様々な形で支援があったと、それがまさしく教育行政の諸条件整備確立なんだというお話がございました。しかし、政府案はこれを見事に削除されています。この点についてどのように思われるか、お聞きしたいと思います。
○公述人(土屋基規君) 十条の問題を考える際にも重要な問題がありますので、一つそれを先に説明さしていただきます。 これは、現行の教育基本法が制定されていくときの理由について、教育刷新委員会の第一特別委員会が参考案を作ったときに重要な文言がございました。一九四六年十一月十五日付けの文書であります。教育は、真理の開明と人格の完成とを期して行われなければならない、従来、我が国の教育は、ややもすればこの自覚と反省とに欠けるところがあり、特に真の科学的精神と宗教的情操とが軽んぜられ、徳育が形式に流れ、教育は自主性を失い、ついに軍国主義的、又は極端な国家主義的傾向を取るに至った、この誤りを是正するには教育を根本的に刷新しなければならない、こういう文言でございました。これは、現行の教育基本法が成立していく過程の中で、従来というところから根本的に刷新しなければならないという約百八十六文字は、法律上なじまないということで削除されました。しかし、ここには、なぜ戦前の教育に代えて教育基本法を作るのかという理由が実に明確に書いてあります。 このような明確な理由がこれまでの審議の過程や現在の参議院の中で示されておりますでしょうか。私は、審議録を見た限りでは、六十年たって非常に社会が変わったとか、あるいは子供も変わった、新しい時代に対応するためにという説明がございますけれども、このような現在まで五十九年たってきたこの教育基本法が日本の教育にどう生かされていたのか、生かされていなかったのか、こういう点についての検証がきちっとやられているのかどうか。 このことと関係して、教育基本法十条の諸条件の整備確立ということが、さっきの国民全体への直接責任性ということがなくなってしまいまして、法律に基づいて教育は行うという書き方になっておりますので、その法律上の扱いについてはこれに従えという強い力が働くということが今回の改正案に見られることだと思うんです。教師たちもそういうふうに働けというふうになってくるというふうに思います。 そこで重大な問題は、教育内容はだれが決めるのか、教育内容に対して国家や行政はどうかかわるべきか、かかわってはならないのか。先ほど私は、現行の十条は教育と教育行政を区別して、関連し、教育を縁の下から支えるようなそういう条件整備をするのが教育行政の役割だと申しました。このときに、教育内容に対して歯止めなく介入してまいりますと、それが最高裁学テ判決で認められたんだというふうな、しかも一番大事なところ、抑制的でなければならないということを抜いてそういうことがまかり通っていくとすれば、教育振興基本計画の第一に全国一斉学力テストが予定されておりますように、こういう形でいった場合には子供たちが一番被害を受けるというふうに私は思わざるを得ない。それは、一九六一年から一九六四年まで四年間、全国一斉学力テストというのが行われ、そして余りにも弊害が多いということでやめた経験がございます。その中には、四国のある県なんかで不正があったということを教師の口からも調査からも出たことがあります。 こういう形で、中央の教育行政なりあるいは国家機関が教育内容に非常に強い形で関与をしていった場合には、教育の現場に問題が起こるだけではなく、子供が一番被害になってしまうと。競争をあおるような形でいった場合に、子供の中にたまるストレス、こういうものがいじめの大きな原因になっているというふうに思いますので、そういう教育行政ではなくて、正に、教師を増やすとか、学級を少なくするとか、予算を立てるとかいうような形での、幾つかの現場から要求のあるような条件を整備するということこそ求められているんだというふうに思っております。 時間がありませんので、後の発言を保障する意味でその程度にしておきます。
○公述人(桂正孝君) 私、先ほど阪神・淡路大震災の経験でお話をいたしました。このときに、今の問題ですけれども、条件整備という場合に、予算措置はいろいろ考えましても、それはやはり出す側の部署部署が何のために出すかという考えがあってやっているんだろうと思うんです。ですから、条件整備ということと実際の考え方というのは切り離すことができないと私は思います。ここは大変困難なことだと思います。ですから、私自身は、実際に今日もこういうふうに公聴会出てくださって有り難いと思うんです。それぞれの状況をきちっと判断して決めてくださる方の考え方そのものが適切でなければ、打つ後の施策がうまくいかないんだろうと、こんなふうに思うわけであります。 今日申し上げましたのは、これは他の問題も同じです。阪神・淡路大震災で教育復興担当教員という加配の教員を出してくださったおかげで、その伝統は今度新潟にも生きました。そして、いろんなところに道が開かれていくんですね。今の教育の困難な状況に対して議員さんに御理解いただいて、そして何が必要なのかということをやはり現場から学んでいただいて、そして施策を決めていただくという、我々はそれに大変協力できるというふうに思うわけです。 そういう意味で、これからは、もちろんそれは国だけの問題じゃないんです。もう企業を含めまして、私、うれしかったのは、JRのこの前の事故のときに、あの近所のやっぱり企業が二百人ぐらいわっと助けに来てくれたんですね。あれは、阪神・淡路大震災の経験なしにはああいうことは起こらないと思うんです。だから、社会のいろんなレベルのやはりネットワークの中で全体を見通して国の側がきちっと予算を出していただきたい。大変厳しい情勢、財政状況ですから難しいと思うんですけれども、明治時代のことを思い浮かべまして、教育立国というふうな形になれば有り難いなと、こんなふうに思うわけです。
○小林美恵子君 私は、お聞きしましたのは、諸条件整備確立というようなものを削除しまして、それで「不当な支配に服することなく、」は残しつつも、国民全体に直接責任を負うというくだりを削除するということは、本来の国や教育行政の役割がまさしく後退するものじゃないかということを思いまして質問をしました。ありがとうございます。 それでは、あと太田さんと、そしてあと土屋さんにお聞きしたいと思います。 太田さんには、昨今、いじめによる子供の自殺が本当に相次いでいます。私も子供を育ててきた親の一人として本当に胸が痛むわけでございますけれども、いじめの温床には子供たちのストレスがあるという調査も明らかになってまいりました。国連からも、過度に競争的な性格が子供の肉体的及び精神的な健康に否定的な影響を及ぼしというふうに指摘をされています。こういう指摘がありながら、大学受験急ぐばかりに必修科目の未履修が問題になると。そうした現状の今の競争的教育についてはどのようにお考えか。 それとまた、今回政府案の十七条には教育振興基本計画がございますけど、そこには全国一斉学力テストの実施がございます。また、安倍総理が教育再生の中で、学校選択制ですね、義務制段階も含めまして、がありますけれども、こうしたことといいますのは、一層競争の教育を激化して子供たちにストレスを与えるんじゃないかと私は思うんですけど、この点、PTAの方としてはどう思われるかというのをお聞きしたいんです。 あと、最後に土屋先生にお伺いしたいのは、先生が御指摘なさいました憲法とのかかわりでございますけれども、前文にはいわゆる憲法の理想を掲げて、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」というふうに現行基本法前文には規定をされています。そして、個人の価値とか人間の尊厳の尊重、そして平和的な国家、社会の形成者として、個人としての人間の価値を尊重していると。しかし、政府案は、その「根本において教育の力にまつべきものである。」というこのくだりを外しました。しかも、「公共の精神」という文言が加えられました。 この点で、現行法と政府案の根本的違いについて、先生の御意見をお聞きしたいと思います。
○公述人(太田勝之君) いじめの問題につきましてですけれども、基本的に私は、先ほども申し上げましたように、やはり家庭での教育、幼いころからの教育とかが一番最も根本にあるものだというふうに思っております。 いじめというのは別に昨日今日始まったことではございませんで、かつてからやはりそういうふうなことはあったかと思います。それをやはり家庭に戻りまして、その親でありますとかそういう愛情に包まれることによって消化してきたように考えます。ですから、それができない現状になっていることから、子供が独りでそれを抱えてしまって自殺という極端な方向に走ってしまっている現況については、誠に痛ましいことやというふうに思っております。 ですから、先ほどの話に若干戻りますが、私は、親がもう少し自分の生活なり将来なり、極端に言いますと老後の方までもう少しゆとりを持った生活ができておりますと、子供のことにももっと目が行き届き、そういうことにも対応できるんではないかなというふうに思います。 また、学校と家庭との協調の問題でありますけれども、これも、今はなかなか先生も親たちから受けるプレッシャーが大きくて、なかなか家庭と地域とそれと先生と協力、PTCAということをよく言われるわけですけれども、なかなかそういう形に今なっていないというふうに思います。ですから、そういう意味で、もっと先生方と親とが情報を交換できる状況があれば、そういうふうなことももっと防げるんではないかというふうに考えます。 それと、学校の選択制の問題でありますけれども、これもやはり、まあ民間ということをこの何年かよく言われてまいりまして、学校が自分のところの特性を一生懸命出して生徒を集めようということ、余りそれに走りますとやはり偏りが出ると思いますし、本当に教育ということではなしに、施設であるとかそちらの方ばかりに重点的な目が向けられてしまうような間違いが生じてくるんじゃないかと思います。 同様に、日本国じゅうであちこちで特区というのが設けられまして、六三三制からいろいろ違う制度を取り込んでいるところは出てきておりますけれども、例えば生徒たちで全国的にあちこちやはり転校等々で動く場合があろうかと思います。そういうとき、そういう生徒たちに対してそういうふうな制度はどういうふうに対応していくんかなということがちょっとようまだ理解できておりません。 全国一斉試験の問題につきましても、先ほど土屋先生がちょっとおっしゃっておられましたけれども、以前そういうふうな、過去にそういうふうな間違い等があったということもございますので、行っていただくことについては別に反対でもございませんが、やはりその辺の制度の調整といいますか、それをよりもっとお図りいただいた上で実施いただくことが望ましいんではないかというふうに思います。 誠に雑駁なことで申し訳ございません。
○団長(北岡秀二君) 土屋公述人。時間が迫っておりますので、御協力お願いいたします。
○公述人(土屋基規君) 時間がオーバーしておりますが、北岡団長の御指名ですので、ごく簡単に述べさしていただきます。 現行の教育基本法は二つの点で、どういう人間を育てるかということを規定しております。それは、小林委員が御指摘のように、個人の価値を尊重するという点が一つです。個人の人間としての値打ちというものを伸ばすという点です。もう一つは、平和的な国家及び社会の形成者という、この国民形成の二つの側面です。政府案はこの前文の中から、個人の価値を尊重するという文言を削除しております。また、「真理と平和を希求する」という、この「平和」というところもカットしておりますので、私は先ほど申しましたような点を感じたわけであります。 で、なぜこのような二つの育てるべき人間についての考え方を現行教育基本法が入れたかということは、先ほど私が申しましたような戦前の教育への反省の上に立っているわけであります。したがって、個人の価値の尊厳というのは、これは考え方でいえば、現行憲法との関係でいえば、人権としての教育の在り方というものをベースにしているわけであります。基本的人権としての国民の教育を受ける権利というのを分け隔てなく保障するという、こういう考え方に立っているわけでありますが、この点を落としているというのは非常に大きな違いがあるというふうに思います。 そして、私は先ほど衆議院での特別委員会の議事録を全部目を通したと申しましたが、この冒頭の方のやり取りを見ておりますと、憲法改正と教育基本法の改正についての非常に興味ある議論が行われております。で、政府案も、日本国憲法に基づいてというようなものを最後の前文の方に入れてありますけれども、この憲法との改正は、現行憲法との関係というよりは、そこで論議されている議論は、改正を予定している憲法との関係というふうに読み取れるし、そういう主張をしている議員さんがたくさんございます。 そして、辞められた小泉前首相とそれから質問に立った議員の間には、憲法改正が先なのか教育基本法が先なのかというので、いや、先に憲法を改正してそれにのっとってというような形でやったらどうかというふうな形もありますが、替わった文部科学大臣は、憲法が変わったら、それと不都合なところがあれば、また教育基本法は変えるんだというふうに言っておりますので、これは今後の推移によると思いますけれども、改正を予定している憲法に合うような形での教育基本法を先取り的に改定したいというのがどうも衣の下から見えることでございます。 その程度にとどめておきます。
○小林美恵子君 ありがとうございました。
○団長(北岡秀二君) もうよろしいですね。 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 私の方から公述人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げたいと思います。 大変長時間にわたりまして御出席をいただきまして、またそれぞれのお立場からそれぞれの御意見を、貴重な意見をいただきました。誠にありがとうございました。 そしてまた、この公聴会が決まったのが先週末ということで、お願いを申し上げたのももう短時間の中で、それぞれの御意見をまとめていただきながら、この時間に合わせていただいたと、そのことも併せて御礼を申し上げたいと思います。 皆様方からいただきました御意見、私ども十分に今後の委員会の審議に反映をさしていただきたいというふうに思っております。皆様方に対しまして委員会を代表して心から厚く御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。 以上をもちまして参議院教育基本法に関する特別委員会神戸地方公聴会を閉会いたします。 どうもありがとうございました。 〔午前十一時九分閉会〕 ─────・───── 徳島地方公聴会速記録 期日 平成十八年十二月四日(月曜日) 場所 徳島市 阿波観光ホテル 派遣委員 団長 理 事 北岡 秀二君 理 事 岸 信夫君 理 事 佐藤 泰介君 小野 清子君 鴻池 祥肇君 松村 祥史君 水岡 俊一君 山下 栄一君 小林美恵子君 公述人 前上那賀町教育 長 白川 剛久君 龍谷大学法科大 学院教授 戸塚 悦朗君 徳島文理大学短 期大学部生活科 学科教授 富澤 彰雄君 徳島大学総合科 学部名誉教授 石躍 胤央君 ───────────── 〔午後三時開会〕
○団長(北岡秀二君) ただいまから参議院教育基本法に関する特別委員会徳島地方公聴会を開会いたします。 私は、本日の会議を主宰いたします教育基本法に関する特別委員会理事の北岡秀二でございます。よろしくお願い申し上げます。 まず、私どもの委員を御紹介をいたします。 私のちょうど右隣から、自由民主党の岸信夫理事でございます。 同じく、自民民主党の鴻池祥肇委員でございます。 同じく、自由民主党の小野清子委員でございます。 同じく、自由民主党の松村祥史委員でございます。 次に、左側になります。民主党・新緑風会の佐藤泰介理事でございます。 同じく、民主党・新緑風会の水岡俊一委員でございます。 公明党の山下栄一委員でございます。 日本共産党の小林美恵子委員でございます。 以上の九名でございます。 次に、公述人の方々を御紹介申し上げます。 一番こちらから、前上那賀町教育長白川剛久公述人でございます。 龍谷大学法科大学院教授戸塚悦朗公述人でございます。 徳島文理大学短期大学部生活科学科教授富澤彰雄公述人でございます。 徳島大学総合科学部名誉教授石躍胤央公述人でございます。 以上の四名の方々でございます。よろしくお願い申し上げます。 当委員会におきましては、目下、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査を行っておりますが、本日は、四案につきまして関心の深い関係各界の皆様方から貴重な御意見を賜るため、本公聴会を開会することとなった次第でございます。 この際、委員を代表して、公述人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げます。 皆様には、大変お忙しいところ、時間をお割きをいただいてこの公聴会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。 皆様方からそれぞれの立場で忌憚のない御意見を拝聴し、今後私どもの四法案審査の参考にさせていただきたいと存じておりますので、よろしくお願いを申し上げます。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、白川公述人、戸塚公述人、富澤公述人、石躍公述人の順序で、それぞれ十五分以内で御意見をお述べいただいた後、各委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。 なお、御発言は着席のままで結構でございますから、よろしくお願いを申し上げます。 それでは、これより公述人の方々から順次御意見をお述べ願います。 まず、白川公述人にお願いいたします。
○公述人(白川剛久君) 失礼をいたします。白川剛久と申します。 本日は、公述人としてお招きをくださり、愚見を述べさせていただく機会をお与えいただき、誠にありがとうございます。わずかでもお役に立てればと思っております。 まず私は、法案の第二条に伝統文化の尊重という文言が明記されたことを大変うれしく思うものでございます。その国の公教育はその国の伝統や文化に基づいて行われるという、極めて当たり前のことが行われていないという憂うべき現状を打破できるという期待がわいてまいります。 我が国には、我が国の人づくり、国づくりの系譜がございます。聖徳太子が儒教、仏教、神道の三つを柱に据えて国をつくろうとしたことに始まり、古代、中世、近世と時代の変遷とともにあらゆる分野にあまたの偉人、賢人が世にいでて、その業績で我が国の人づくりの伝統や系譜ができ上がり、人類史上最も優れたと言っても過言でない日本の精神文化が醸成されたものと考えます。 しかし、戦後の公教育は、自分たちの国にすばらしい人づくりの体系、伝統が存在するのに、見事なまでにそれを捨て去り、その結果、立ち所のない、自分の生まれた国に誇りが持てない、根なし草のようにさまよう人間を大量に育てる結果となりました。 私も、長い間教育行政に携わり多くの現場の先生方と接してきましたが、極めて一部の方を除いて、ほとんどの先生方が自分たちの国に受け継がれてきた精神文化の偉大さに気付かぬどころか、その存在すら知らず、伝統文化と申しますと郷土芸能やお手玉、竹トンボぐらいとしかとらえてもらえない現状です。国家の一大事である教育に携わる教師が、その国の真価を知らず誇りも持てない、そして子供たちにそれを伝えていくことも当然かなわない、これは民族にとってこの上なく不幸なことであります。 教職員は、法令によって研修ということが義務付けられた職であります。基本法に伝統文化の尊重ということがはっきりうたわれますと、教職員はこれらをしっかり学ばなければなりません。今言われております教職免許の更新においても、これらの習得や理解を必要不可欠とすることもできます。自己研さんを惜しまず、我が国の歴史や精神文化、古典といったものに深く学び、自分たちの国に誇りを持ち、日々の教育活動を裏打ちする精神的基盤をしっかりと持った現場の教師を一人でも増やしていくことが教育再生のかぎであると思います。 長い歴史と先人たちの偉業で築いてきた日本の美しい心に基づいた徳目や価値観、情緒といったものを受け継いでいく、この大切なことを戦後教育は余りにもおろそかにしてきたと思います。今回の改正で伝統文化の尊重とはっきりうたわれましたことは、私は大いに評価をしております。伝統文化をしっかり教えることができましたら、国を愛する心、そして態度はおのずから養われるものと思っております。 次に、宗教に関しましても、新たな宗教に関する一般的な教養が尊重されるということになっております。 私は、平成十年、当時の文部省からスウェーデンに教育事情視察に派遣をしていただきました。そして、特に宗教と教育の関係について興味を持って見てまいりました。スウェーデンの義務教育課程には宗教が明確に位置付けられておりましたが、もちろん一宗一派の布教のようなものではございません。キリスト教の教義を中心として、イスラム、仏教といった世界を代表する宗教の教義やアウトラインを教えるシステムとなっておりました。これによって、人が生きていく上でどうしても必要な宗教的情操、宗教的倫理観を養うというものでした。そして、キリスト教の道徳観によって子供たちに非行や問題行動が生じないように指導をすると説明を受けました。私は、日本の教育においても宗教の基礎的な知識を教える必要性を強く感じておりました。 また、帰りに訪れましたパリのノートルダム寺院では、通訳の日本人がステンドグラスを指さしながら、あらゆる芸術は宗教のサポートであると説明をされました。ステンドグラスの美しさは、字の読めない者が自然に礼拝の気持ちを起こす教化の役割を果たしているものと説明をしてくれました。 よくよく考えますと、音楽も文学も建築も彫刻も絵画も、そして日本の書道、茶道、華道を始めとする道の文化も、すべて究極は目に見えない崇高な存在、不可思議な自然や生命に対する敬けんの念につながるものと思います。芸術も文化も、ひっきょうはその崇高な存在に対してのささげものではないでしょうか。そして、教育も、現在のように全く宗教を敵視するような教育では、真の人づくりができるのでしょうか。 安岡正篤先生もよく言われたことですが、宗教なき道徳はなく、道徳なき宗教はないとよく説かれました。教育においては、道徳は、言うまでもなくすべての教科の根底に流れるものであり、すべての教師が指導できなければならないものであります。だから、あえて道徳の教員免許はございません。宗教なき道徳がないとしたら、教員が道徳を指導するときに宗教に関する一般的な教養は必要不可欠であると思います。学校現場では道徳教育が浅薄なものになり、心の教育と申しましても、言葉だけが上滑りをしているのが現状です。これは宗教的な裏打ちがないからということでないでしょうか。公教育である以上、一宗一派の布教じゃないかと誤解を招くような宗教教育は禁物でありますが、宗教的情操、宗教的倫理観あるいは宗教的教養というものは人格を形成していく上で大きな役割を果たします。改正法案にも教育の目的として、引き続き「教育は、人格の完成を目指し、」とうたわれています。仏教では完成した人格のことを仏陀又は仏と呼びます。人格の完成を目指すとき、宗教の一般的な教養は欠かせないと思います。 今、日本では、個人主義や合理主義、自由、権利などというものが本来の理念と懸け離れ、エゴイズムに陥っているケースがよく見られます。それは、給食のときにいただきますと手を合わすことさえ忌み嫌われる、必要以上に宗教をタブー視した教育にも原因があると思います。宗教に余りにも無知、無関心な層が増えてしまい、それが社会の真っ当な価値判断を誤らせ、荒廃の原因となっています。宗教に関する一般的な教育はすべての国民に必要なものであります。この文言が盛り込まれた意義は大きいと思います。 また、時間の関係で詳しくは述べられませんが、生涯学習や家庭教育、幼児教育など、現代社会の重要な項目について新たな一条を設けられることや、教育行政の条で、「この法律及び他の法律の定めるところにより」という文言の追加も大変喜ばしいものであります。 今いじめの問題がクローズアップされていますが、教育にまつわる問題はいじめだけではありません。凶悪化する少年犯罪、学級崩壊、学力低下、ニート、フリーターの問題、引きこもりや不登校、小学生による対教師暴力、そしてついに私たちの社会には幼い我が子の命を奪える親、親を大した理由もなく殺せる子まで次々と現れ出ました。 国や社会をつくるのが教育です。今私たちの社会はむしばまれていますが、この世相をつくった主因が教育でないとしたら一体何でしょうか。教育再生という言葉が一般社会に大きな抵抗もなく受け入れられていますが、これは裏を返せば教育が死に体である、教育がおかしいと多くの人々が認めているということでしょう。今正に教育を根本から見直すべきときが来ています。それには根本である教育基本法の改正が不可欠であると私は思っております。 どうもありがとうございました。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 次に、戸塚公述人にお願いをいたします。戸塚公述人。
○公述人(戸塚悦朗君) 戸塚でございます。 良識の府とされる参議院の本特別委員会に公述人として御招待をいただきまして、大変光栄なことと感謝しております。 教育基本法は準憲法と言われるほど重要でございます。教育への権利が国際人権法上どのように保障されているかを十分研究の上、世界に恥じない立法をされるよう努力していただきたいと思っております。良識の府である参議院では、世界の法的良識を研究せずして拙速の立法をされないであろうと期待をしております。 私は、一九八〇年代の弁護士時代から国際人権NGO活動を継続いたしまして、国際人権法、とりわけその実務に関する研究と実践に専念してまいりました。約十年間、ロンドン大学、ソウル大学、ワシントン大学等での在外研究の後、二〇〇〇年から神戸大学、次いで龍谷大学に勤務いたしまして、大学での教育研究に携わりつつ、国連NGO国際友和会、JFORと申しますが、のジュネーブ国連首席代表として国際人権法の実践と普及に努めてまいりました。 実はこの分野の日本における研究は大変後れておりますので、その点について一言申し上げたいと思います。 この二年間余でありますが、国際人権法政策研究所事務局長、龍谷大学内の外国人学校問題研究会のコーディネーターとしまして、教育への権利に関して国際人権法の視点から研究してまいりました。その研究の現段階の結果でございますが、日本ではこの分野の研究がほとんどないことが分かってまいりました。そのため、今回、各党の先生方が法案を立案する段階でも、この視点からの日本における研究をほとんど参照することができなかったのではないかというふうに推測しております。今後、十分に資料を御収集いただきまして御研究を済ませない限り立法作業を進めることができない状況にあるというのが私の現段階における判断でございます。 お手元にお配りいただきました「国際人権法政策研究」という雑誌がございますが、この通算第三号は、十一月二十日、私が研究所の事務局長として発行したばかりでございます。発行が参議院のこの審議に間に合いまして、今日この特別委員会の徳島公聴会にお届けできたことは大変喜ばしいと思っております。まだごく一部の研究にすぎないのでありますが、今後、国会を含めて各界での研究、審議の端緒にはなるのではないかと思っております。 この分野の日本の研究が著しく後れているのに対しまして、世界的には相当研究が進んでいることが分かってまいりました。日本も批准しております子どもの権利条約が保障する教育への権利に関する良書も見付かっておりまして、この今申し上げた「研究」通算第三号の五十七ページに報告をしております。現在翻訳作業中でございますが、出版は来年にならざるを得ないということで、今お届けできないのが残念でございます。日本も批准済みの経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約、いわゆる社会権規約が保障する教育への権利の研究も重要でございます。この分野でも良書の原書が見付かりましたが、まだ翻訳ができておりませんで、今後研究に取り掛かる段階でございます。 社会権規約、子どもの権利条約などは批准済みの条約でございますから、日本を法的に拘束しております。日本は、国際的に保障された人権を憲法と国内法を通じて実効的に実現するという国際的な法的義務、これは憲法九十八条二項ですが、を負っていることに思いを致さなければならないと思います。 今私たちが論議すべきことは、国際的に保障されている人権をどのように国内化しなければならないか、またどうしたら実効的に国内化することができるのかという課題でございまして、そのことの研究抜きで立法をするということはできないわけであります。 国際的な研究成果を前提に検討いたしますと、現行教育基本法には後に述べますような国際人権法違反があるというふうにせざるを得ないと考えております。したがって、私はその是正のために法改正が必要であるというふうに考えております。もし条約違反などの重大な違法があるということが明らかになれば、ほとんどの市民の方々はこれを解消するための法改正には反対しないであろうと思います。現在、与野党が御検討中の法案につきましては、国際人権法違反を解除するのに十分な提案になっているのか否か、時間を掛けて研究する必要があると思います。まだその検討も不十分で、違反を解消していない可能性が濃厚であるという現段階では立法に熟するに至っていないと言わざるを得ないわけであります。 この分野の研究が遅れてきた原因について、次に申し上げたいと思います。 遅れの原因の第一には、これ歴史的な要因がございまして、私たちは必ずしも責任がない分野もございます。戦後、継続的に進行してまいりました国際人権法の成長に日本が対応し切れなかったことから研究に遅れが生じた、これが一番大きいと思います。 憲法と現行教育基本法が成立してから後、国際社会は大きく成長いたしました。その主要な柱の一つに国際人権法の成長がございます。戦前の国家主義を克服しました一九四七年の教育基本法の歴史的意義、役割を損なうものとは思いませんが、すべての人の教育への権利を保障する世界人権宣言の成立、これが一九四八年でございます。お手元のレジュメの資料のところにございます。 〔団長退席、岸信夫君着席〕 この一九四八年の世界人権の成立は教育基本法成立の後でございまして、そのため、国際化の点で教育基本法が検討を要することになったのは否めないわけであります。教育基本法も、あるいは政府の改正案も国民の育成を期するものにとどまっておりまして、その後発展してきた国際人権法が外国人である子供を含めてすべての人の教育への権利の実現を求めていることに対応し切れていないという限界がございます。 教育基本法成立後の国際人権法の成長によりまして、国民が国民の後継者を教育するという伝統的教育観では世界的には対応ができなくなったということが極めて重要だと思います。人類が人類の後継者の教育への権利を保障するという教育観を指導原理としなければならない地球社会時代が到来したのであります。教育基本法を改正するのであれば、この点を含め、国際社会の成長に合わせて教育政策の成長を図る必要があると考えます。 遅れの原因の第二でございますが、司法、立法、行政の三府の決断の遅れにも原因があると思われます。 二〇〇二年の六月十二日に参議院の憲法調査会にお招きいただきまして、参考人として意見を述べる機会がございました。そのときに実は説明させていただきまして、この私の著書である「国際人権法入門」の第一章に掲載しておりますが、国際人権法遵守義務を定めております憲法九十八条二項を実効的に実施するという政治的決断をすることが極めて重要でございます。これを実効的に実施するには、国際人権法に関する限りは国際人権機関による解釈を受け入れることが必要でございます。ところが、日本ではまだこの政治的決断が十分ではないわけでございまして、国際人権法に関する研究も、その結果、未了のまま立法作業が進められるということが多いのであろうと思います。教育基本法改正問題についても同様の状況にあるのではないかというふうに思われます。 第三に、言語の問題がございます。 これは案外隠れた原因なんでございますが、日本は高度の学問研究を日本語でできる、これはまれな国でございます。それはメリットではありますが、国際人権法の分野ではこれが裏目に出ております。国際人権法及びこれに関する情報のほとんどは日本語ではなく、英語など国際語で書かれております。国連情報もそうでありまして、国会議員の先生方も容易に日本語で重要情報にアクセスできないというのが現状でございます。それを打破するために、憲法調査会での意見を申し上げた際、その日本語化の要請を続けてきたのでございますが、いまだにこれが実現しておりません。これもこの分野の研究が遅れる隠れた原因だというふうに思っております。 次に、現行教育基本法制度が国際人権法違反を構成しているのではないかという実例でございます。国際人権法上の問題と関連しまして、現行教育基本法制度にどのような問題があるか、その実例を若干挙げてみたいと思います。 第一に、日本は、外国人である子供を含めすべての子供の教育への権利の実現を義務付けられております。これは世界人権宣言の、そこに資料に掲載いたしました条文をごらんいただければ明らかでございまして、これを承認しておりますし、その後の方に付いております経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)及び子どもの権利条約の締約国として国際人権法上の責務を履行する義務を負っております。 ところが、現行教育基本法の法制の下では、教育行政実務はこのような国際人権法が保障している外国人である子供の義務教育への権利を認めておりません。そのことによって、国際人権法上の義務に違反しているのであります。このことは、お配りいたしました「研究」通算第三号の七ページの本岡論文を御参照いただければと思います。 第二に、高等教育に関する国際人権法違反問題がございます。この問題、極めて重要でございまして、詳細に述べたいのですが、時間がございませんので説明を省略させていただきます。これは「研究」通算三号の二十三ページの私の論文を御参照いただきたいと思います。 〔団長代理岸信夫君退席、団長着席〕 次に、改正法案はこの違反を解除できているかということでございますが、与野党の改正法案がこれらの国際人権法違反問題を解消するのに必要十分であるかどうかについては、今後慎重な研究を必要といたします。しかし、程度の差こそあれ、いずれの法案も検討が不十分で、まだ解消が十分できていると言えないのではないかと思います。 一例を挙げてみたいと思います。 政府・与党法案を見ますと、外国籍である子供の教育への権利を保障している文言がございません。権利主体は外国人を含める言葉である何人、ないしすべての人でなければならないわけでありますが、権利主体を日本国籍を持つ者に限定し、外国籍を持つ者を除外する国民という文言が五か所に出てまいります。これに対して、外国籍を持つ者を含む文言である何人、すべての人というものも見当たりませんし、外国人という文言も見当たらないのでございます。また、権利という言葉は一切ございません。 民主党の法案でございますが、国民が四か所に出てまいります。これに対して、何人が五か所でありまして、必ずしも一貫性がございません。不徹底であるというふうに考えます。外国人は一か所に出てまいります。権利は七か所に出てまいります。相対的には政府・与党案より充実しているのでありますが、実は外国人である子供の義務教育への権利を認める文言がないなど、問題なしとしないわけであります。 次に、比較法研究について申し上げます。 教育に関する地球規模の比較法研究も日本においてはいまだ極めて不十分でございます。今年七月、英国の教育法について若干研究してきたのでございますが、外国人の差別がないことが判明いたしました。教育法上の権利主体もいかなる子供となっておりまして、国民に限られておりません。外国人にも義務教育を含め教育への権利が保障されております。実務上も外国人差別はございません。十分な比較法的研究をせずに拙速な立法を行いますと国際的にも極めて恥ずかしい事態になるのではないかというふうに恐れるわけでございます。 結論でございますが、以上の次第でございますので、与野党とも法改正を急がず、国際人権法違反の解消のためにどのような方策があるか、今後研究を慎重にお進めになることを要望させていただきたいと思います。 ありがとうございました。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 次に、富澤公述人にお願いいたします。富澤公述人。
○公述人(富澤彰雄君) 富澤でございます。よろしくお願いいたします。 レジュメに沿ってお話をさせていただきます。 福祉分野では、特に相談・援助場面では自分のことは余り言わないというのが原則でございますが、ましてこのような場でございますが、今日はあえて私のことから話を進めてまいります。 私は、昭和十九年一月に今の北朝鮮で生まれ、来年一月には六十三歳となります。一歳八か月のときに引き揚げてまいりました。二年前の秋、徳島、故郷に戻りまして、秋に大腸がん手術を受けました。その折、母の妹である叔母からの励ましの便りに、あなたはお母さんがあの北鮮の果て清津、チョンジンと読むんでしょうか、から命懸けで抱いて帰られた子供ですから、首の据わらないあなたを抱いて王地、母の実家でございますが、でうれし泣きしたことを思い出します。現在、八十三歳の叔母です。私が二歳過ぎの二月にやっと言葉が出たこともその便りにありました。このことは父からも母からも聞いたことがありませんでした。五歳まで牛小屋に、中学校三年までマーケット、通称長屋に住んでいました。家の中には水道もトイレもありませんでした。しかし、長屋の皆さんは優しく、温かい人ばかりでした。そのような環境の中、義務教育を受け、恐らく児童福祉法や当時の社会福祉事業法の恩恵を受けたものと思われます。 現基本法が制定されたのは私が三歳のとき。制定後六十年となりました。児童福祉法は制定後五十年の一九九七年、大改正されました。児童が主体、主役となりました。また、社会福祉事業法は社会福祉構造改革において大幅な改正が行われ、事業の二文字を削除し、二〇〇〇年六月から社会福祉法となりました。すべての国民が対象となりました。 次に、レジュメに沿いまして、社会の変動。そこに人口減社会とか情報化社会とかございますが、この六十年、社会は大きく変わりました。環境も価値観も信じられない世相であるようにも思いますが、若者には場合によっては信じられる世相かも分かりません。特に、子供たちの周りは変わり過ぎています。おぎゃあと生まれるまでの赤ちゃんは今も昔も変わらないと言う人もいます。しかし、この世に生を受けた後の家族が、地域が変わったのではないでしょうか。この子供たちのことを中心として、今回の教育基本法案の改正が進められていると考えます。 私は、知的障害児施設で児童指導員として子供たちにかかわりました。その中には、おぎゃあと生まれなかった子供さんもおいでになります。また、福祉の最前線で働く専門職員の養成機関の教官として長年若者たちにかかわってきました。児童養護施設の現場にもかかわってまいりました。現在も福祉系の教科を担当し、つい今日の午後、授業ございました。先ほどまで児童福祉論の授業をしておりました。そういうこともあり、福祉の立場から意見を述べさせていただきます。 基本法案についてということで、福祉には理念があります。必要です。学生さんにも絶えず訴えております。この法案は時代の変化に即応したもの、また個人の尊厳、人格の完成など、現行法の理念を堅持されていると考えますし、またそのことを高く評価いたします。 バランスが取れた、だれもが中道だと判断できる内容で、郷土愛というのがございます。「我が国と郷土を愛するとともに」は、国を愛することを私ども民に強制するのではなくて、だれもが認める郷土愛を基調とし、国際社会への広がりを持った表現になっているのではないでしょうか。郷土を愛すること、自然、文化、人を愛することは大切なことです。三年前に郷土に戻り、そのことを一層実感しております。 次に、一、教育の目標に生命の尊重、勤労を重んずる態度、自然と環境との共生の概念が新たに明記されております。これは、社会福祉の目標でもございます。現状、世相はこれらと逆行していないでしょうか。これからの時代にとても大切なものだと考えます。共生を平仮名で「ともいき」と名付けた地域福祉支援センターもございます。福祉のキーワードの一つでもありますし、教育の目標の一つでもあると考えます。 二、社会の教育力の回復に向け、家庭、学校、地域社会の三者が相互に連携・協力に努めることが新たに規定されております。福祉分野では協働、協力の協ににんべんに動く、協働という言葉がよく使われております。キョウドウにも様々な言葉がございますが、福祉の分野では協力の協ににんべんの動、動くですね、という言葉がよく使われております。 三、あらゆる機会・場所で学習でき、その成果を生かせる社会を目指し、生涯学習の理念が明記されております。人生のあらゆる段階で学ぶことができる環境の整備もうたっております。社会全体の教育力を回復及び向上していくことになるのではないでしょうか。 四、家庭教育や幼児教育の重要性と、それに対する行政の支援が明記されました。ホテル家族、砂浜家族という言葉が十数年前ブームになったことを思い出します。家族の意義について、家族は一番小さなデモクラシー、民主主義の核です。子供の人格を尊重した家族内のコミュニケーションが子供にとって社会生活を送る上で欠かせない土台となります。先ほど話ございました児童の権利条約も大変参考になるのではないでしょうか。我が国は国連採択の五年後に採択されました。それが一九九四年でございます。また、それに対する行政の支援が明記されてございますが、それにより親の自覚が強まるでしょうし、国民全体が家庭や学校教育の荒廃について考える大きな契機になることと思われます。幼児教育については、行政の支援が明記されておりますので、子育て負担軽減とか社会全体が支援する環境整備への道を開くものと考えます。 五、国が教育環境の充実に努める教育振興基本計画の策定が明記されております。計画なくしての実行はあり得ません。私は現在、徳島市の障害福祉計画作成委員会の会長をさせていただいております。なおのことそのことを痛感いたします。 次に、特に私の立場から次の点について述べさせていただきます。 教育の機会均等、第四条二に「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」と明記されました。やっとこのときが来たと思い、感じました。十二月九日は障害者の日です。昨日の十二月の三日から十二月の九日までが障害者の日。今日から十二月十日までは人権週間です。知的障害児、当時の精神薄弱児の義務教育実施は昭和五十四年度からでした。まだ二十七年前のことです。私の研修機関での卒論テーマは、精神薄弱児はなぜ学校教育を受けられないのか、就学猶予・免除についてでした。余りにも単純な疑問から卒論テーマといたしました。 十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならないとあります。例えば、例としてお話をさせていただきます。普通児、健常児という言葉を私はあえて使いたくありませんが、普通児、健常児が山間へき地に生まれ育ち、小学校入学となりました。その場合は、教員が山を登ってきます、たとえ一人の児童であっても。知的障害児の場合は、山間へき地に生まれ育ち、小学校入学となった場合、大半の知的障害と言われる子供が親から切り離され、施設に入所し、そこから学校に通います。 昨日、十二月三日、県南部の海部郡の障害者の集いに出席いたしました。会場内の知的障害の高齢な方、あるいは二十七、八以上の方の大半、三十、四十の大半は就学猶予・免除であったと思われます。 具体策検討に入ります。 いじめ、校内暴力、先ほどもお話ございました。私も、長屋住まいであったことがきっかけなのかどうか分かりませんが、小学、中学といじめを受けておりました。かばってくれる友が必ずいました。そのことを思い出します。 体験、奉仕活動の実施について、一昨日、十二月二日の土曜日、知的障害児、自閉症の児童、青年、若者たち十一名と、本学の学生さんあるいは主婦のボランティアさん十数名と、クリスマスケーキ作りをいたしました。月一回のお菓子クラブです。この人たちには月三回の活動がプールクラブ等々含めてございます。 ボランティアさんの振り返りの会で、初めて参加した女子学生が、ボランティアサポーターである私が逆にサポートされ感激しましたと発表いたしました。彼女のペアは同年代の知的障害のグループホーム利用者の女性です。女子学生さんの左手には手指はありません。丸まっています。そのことを当事者であるメンバーはだれ一人言いませんでした。気にもしていませんでした。見もしていませんでした。この人たちは優しく温かく包み込んでくれます。こんなことは体験しなければ実感できません。心が震えることはありません。どきどきもしません。涙ぐむこともありません。優しさに包み込まれることはありません。体験、奉仕活動の実施を是非と思います。 終わりに、この法は基本法でございます。日本政府全体の基準にならなければなりません。この基本法が教育の在り方を実現するためには、文部科学省のみならず、いじめとか幼児とか障害とか高齢者とかございました、厚生労働省もあるいは省庁の壁を越えた取組となることと思いますが、私は、立法、司法、行政に、教育権あるいは児童福祉権、今の時代でございますからあるいは児童省、子供省みたいなものは考えられないかと思うことが度々ございます。 福祉分野では、主体者は本人、生活に困窮している人、子供、障害のある方、高齢者あるいは精神病院の患者さんであると強調しております。教育も、主体者であるのは子供を含めてその当事者でなければならないと思います。この基本法もそうであることを確信いたしまして、私の意見陳述といたします。 ありがとうございました。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 次に、石躍公述人にお願いいたします。石躍公述人。
○公述人(石躍胤央君) 十五分でということですので。私、ワープロも今の機器使えないので、手書きの汚いやつを資料といいますかメモ書きでお渡ししておりますが、これに沿って話をしていこうと思うんです。 一番、私は今度のことを資料をちょうだいしたりして見ていまして、なぜ変えなきゃいけないのかがよく分からないんです。それで、できるんだったら私が意見、それは何考えているか言うよりも、いらっしゃる委員の方になぜ変えるのかという話を聞きたいと思ったが、ここで聞く場じゃないからもうやめますが、それと、今日私なりに考えていることを申し述べますが、その際に、どうでしょうかということを実は聞きたいことが幾つかあるんです、端的にお答え願いたいことが。だけど、これもせずに、私の教育の場でやったことを紹介しながらお話をしていこうと思うんですが。 教育問題は非常に重要な問題で大変なことだということを私、身の回りで感じているんですが、それを置きまして、先ほど言いましたように、なぜ変えるのかということをもっとしっかり話をしてほしいんだけど、何か知らぬけどばたばたばたばたやって、済みません、ばたばたなんて言葉、どうもあれしないんです。 それで年表を、後であれしますが調べてみていったら、教育委員会の公選制を廃止して、今の市町村の教育長ですか、教育長については県知事だとか、それから県の教育委員会の教育長については文部大臣が認めるか認めないかというようになるような方向に変えていったときの法案を、今度の野党がいないところでやっちゃった、やりかけている、まあ最後はやらぬだろうと思いますけど、同じように、しかも参議院で警官まで導入してぶち込んで通すんですよね。これは後の話にかかわることですが、先言います。だから、その辺のところどうなっているのかですね。 それで、一番、子供にも、将来しょって立つ子供たちに、私はこう思っているんです。なぜ、なぜという問い掛けですね。子供が大人になぜと問うたときに、答えにくいことが多々あるだろうと思うんですよね。そのなぜが今の子供たちには失われているんです。このことを一番僕は危機に感じているんですね。なぜ、なぜを積み上げていって一つ一つ知りながら積み上げていく。そして、それなりに意見を持っていて、違った意見があるんだったら議論をしていくというようなことですね。それで、しかも、教育についてはある枠の中へはめていくんじゃなくて、そういうことで、子供たちが将来選択していくには、自主的に一人の主権者として選択できるようなものを教育の場で作っていかなきゃいけないというふうに私は思っているんです。 そういうことで、私が生まれましたのが昭和七年、一九三二年。それで、戦いに敗れ、一九四五年のときには中学の一年生ですね。それで、その後の教育の改革が行われて、そして今の対日講和条約が結ばれたり安保条約が結ばれたりしたころに、その後に大学に行くということになるんですが。 一番、いろいろあるんですけど、私はこの点がどうなっているのかということについて点検をしていくことが非常に大事じゃないかと思っているんです。 それで、書きましたように、戦後の教育行政改革の三原則というのは、民主化であるということ、それから地方分権、教育行政の独立と。これは先ほど触れました、教育行政の独立の最たるものが公選制教育委員会なんです。それで、これは文部省というのはあくまでもサービス機関なんです。これは条文読んでもらえたら出てくるところ、御存じのことなんだと思いますが。それで、指導要領がいろいろと出されて、それが拘束力を持ったり基準化されていくようなことも後で、こんなこと私がるる述べなくても御存じのことだろうと思いますが、なっていくんですが、最初のときはこれ試案なんです。先生方にこんなことではどうだろうかと見せて、先生方が論議していく中で案を作っていくというのが建前だったんです。ところが、そうじゃなくなっていくんですね。道徳教育の問題が出だしてからそうなっていくんです、というようなことですね。 それで、教育行政というのは何なのかといったら、教育の条件整備。ほかの何かはしないということは、はっきり言って教育統制をやらないということ、教育統制はやらないと。特に思想、良心、道徳、価値観の統制は行わないと。 これはいただいた資料の中にも出ておりますが、「教育基本法の解説」というのを御存じだろうと思うんですが、この中に、どうして変えるのかということについて、これは文部省の人たちがやったわけですが、明治期の学制が開かれて、明治五年に学制をやって、そしてその後ずっと憲法ができて、教育諸法ができてずっとやってきた。そして不幸な戦争をして大変なことになったというようなことの中で、その中では極端な国家主義的又は軍国主義的なイデオロギーによる教育、思想、学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であったと、昔は。 この制度がなくならない限り自由自主的な教育は生まれることは極めて困難であったというようなことを書いて、この十条のところのことについて目標と、十条のことについて書いています。だから、言いましたように、ここに書きましたように、思想、良心、道徳、価値観については入れないというようなことなんですが。 さて、それを置きまして、今改正案を見まして、先ほど伝統の話がありましたが、まあ見事に賢い方々というのは大変なところで伝統をお引継ぎになっているんだなと思って見たのですが、これ学生と議論して今の憲法の話をしたりしているときに、大日本帝国憲法を対比してやったんです。お配りしたのは字が小さいんでちょっと見にくいかもしれませんけど。 これは五七年の五月に長谷川正安さんが書かれた「日本の憲法」、岩波新書です。それの第三章。上が日本国憲法です、一番下が帝国憲法ですが。国民の権利及び義務、第三章、それで帝国憲法の方には臣民権利義務とあります。これ見ていきますと、法律の定むるところとか、法律の範囲内、法律によるとか、法律法律と出てくるんです。例えば一つ開きますと、帝国憲法のあれで、第二十九条、日本臣民は法律の範囲内において言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有すと書いてあるんです。ここを読んでください、法律の範囲内においてという言葉を外したら、表現の仕方は違うけれども、一番上見ていただきたいんですが、今の現憲法と一緒なんです、ただ条文が違ったりしておりますがね。なぜこんなことになったのか。ほかにもたくさん出てくるんです、これ。御存じのことだろうと思います、なぜこうやったのか。 これは明治期に、御存じのように、こんな話私は議員の方々にするような羽目になったのは非常に悔しい思いをしているんですがね。どういうことなのかというと、とにかく明治維新後近代国家を形成していく過程で、ヨーロッパ並みに、先進諸国並みに、ヨーロッパ先進国と肩を並べようと思って、幾つか要件があるわけです。御存じのように、一つは立憲国家になることなんですね。野蛮国じゃないんだと、憲法を持つんだということで調査団が出されたりいろいろして憲法ができたんです。ところが、一方の方では、教育勅語の方に流れてくる、天皇を中心にして云々というやつが出てくるわけですね。それと合わさなきゃならない。だから、これは先ほどの伝統の話でいったら、着物脱いで服を着た、洋服を着た、洋服を着たのが憲法かもしれない、ここに書かれている条項がそうだ。ところが、それではまずい、ここではこううたっているんだけれども法律で全部つぶしていった、そういうものがあるんです、ここに。そういうことを踏まえているから、先ほど私が言いましたように、前のようなやり方をやったら絶対駄目なんだという反省の上で、ここに書きましたように教育行政についての三原則と。特に、教育行政の独立ということが言われているわけです。 ここに用意しましたように、それで現行の対比で見ていきますと、下に書いておきましたけれども、筋を引いているのがそれなんですが、片方が現行が十条で、補則の方が十一条になるわけですが、改正案の方でいきますと、実施するためのところで、必要な法令が制定されなければならないと。現行法では、必要がある場合には適当なという言葉が入っている。これ外されている。これ物すごく重要なことですね。必要がある場合には適当な、適当なというのは何なのかといったら、憲法の精神、教育基本法の目標で掲げている精神にのっとって云々なんですね。やっぱり法律、法令で決めていかなきゃならない問題があるんで、そのことをここでうたっているんだけれども、それは外してしまっている。この辺のところが、なぜこんなことになっていくのかということについて知らせてほしいんです。ない。まさか知らなかったなんというようなばかな話にはならないだろうと思うんですよね。見事なんです。まあ見事というふうに言っちゃいけません、そういうことを言っちゃいけないんです。 それで、時間が限られていますが、私がどういう教育を受けたのかということと、それから私が接した学生がどうであったのかということについて簡単に触れていきます。 一つは、私は、新制に切り替わっていく過程のところで、日本国憲法の第七十九条に最高裁の裁判官についての国民審査の項がありますね。衆議院選挙の第一回のときにやるんだというようなことになっていて、それでそれについての投票方法についてのあれが裁判所の審査法というので十五条と二十二条にあるんです。これはお互いにやっていて御存じのことだろうと思いますけれども、あれは否とする者についてペケを入れるんですね、バツ印。それ以外はやっちゃいけないんですね。賛成の方は白紙で入れるものなんですね。ほかのものを書いていたら無効になるわけですよね。 これを私は高校のときに言われて、いいのかどうなのかなんです、このやつが。民主的なのか民主的でないのか、投票の仕方として、ということについて議論しました、同級生で。先生も言いました。先生が言ったのは、おかしいと言いました。それぞれが自主的に判断するんであるんだったら、否であったらペケを入れるし可であるんだったらマルを入れるべきだと。白紙にするというのは白紙委任だと。これは民主的じゃないと。ヨーロッパではこんなことやってないという話を聞かされた。それで、知らない人間についてマルもペケも入れないから白紙なんだというのが日本の慣習ですね、昔からあった。知らないからといってペケを入れて、もしその人がいい人だったらどうなんだと。これは投票した方の責任の問題なんです。その辺のことについては憲法の十二条に書かれている。国民がどうあって主権者がどうあるべきかということについては十二条に書かれている。ここにある先ほどのやつを見ていただきましたが、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」ということを先生が引いて、だからそれぞれがきちっと見ていかにゃいけない、分からない人が並んでいるんだったら調べるということをやっていっていいか悪いかを自分で判断する力を付けていこうじゃないかという教育を受けました、私は。 それで、ついでですが、おっちょこちょいだったせいもあるかもしれませんけれども、第一回の衆議院の選挙のときに、今のあれですが、そのときの最高裁の判事についての国民審査のあれがあると。高校生だったんです。東京の蒲田の駅の北口のところへ行って、ミカン箱持っていって、仲間と、明くる日の投票のときにはきちっとしてくれと、分からないんだったら全部ペケ入れろというような演説をやったんです、途中でとんざしたりしましたけれどもね。というようなことで、自分で物を考える人間を育てていくということで育てられてきたように私は思っているんです。 ところが、そして、これは書いてあるから時間がないから省きますが、次のDのところへ行きまして、一九四五年八月十五日という日はどういう日ですかといって聞きますと、ここで聞いて手を挙げていただいたら非常にはっきりするんですけれども、大多数の人が終戦の日と言うんです。私にとってみたら、中学一年で、終戦の日じゃないんです。敗戦の日なんです、私にとって。それで、終戦の日と言って間違いではないんですね、戦争が終わったんですから。いかがですか。戦争が終わったんだから間違いないんだ、だけど正確じゃないんだよ。なぜ敗戦と言わないで終戦という言葉を選んだのか。だれが選んだのか私は調べていませんけれども、一般化していっている。それで、今お互いに知っている人間同士で終戦か敗戦かといえば、ああこうなんだということで分かるんだけれども、子供たちが聞いたときは終戦でつながっていくんです。言葉というのは思想を変えるとここに書いているのは、後の方に書いているのはそれなんです。考え方を変える。これは実に知恵者がいて仕組んだなと私は思っているんです。 それから次に、無条件降伏という言葉もずっとあるんですね。学生も言うんですよ。無条件降伏とは何だと言ったら、戦いに敗れたんだから占領軍の言いなりにならなきゃならないんだと言うんですよ。だから憲法を押っ付けられたんだという話に直結していくんです。これもある意味では仕組まれたのかもしれない。無条件降伏したのはポツダム宣言を無条件で受け入れたんですよね。そうでしょう。 時間ないんですか。はい。だから、その辺の辺りのことをきちっとしないとね。もう少し、済みません。 無条件降伏というのはポツダム宣言を入れたんだと。そうしたらポツダム宣言飛んでしまって無条件降伏だけ独立するから、それじゃポツダム宣言が出てから受け入れるまでの期間どうだったんだと聞いたら、原爆が二度あったのとソ連が参戦したという話が出てくる。なぜ遅れたんだという議論を学生たちなり子供たちが疑問を持つような格好に持っていかなきゃいけないんです。 それからもう一つ、済みません。 分数で分数を割るときの割り算、これを我々は逆さまにして掛けると教わったんです。いかがですか。これも皆さんに聞きたいんです。ところが、ある時期に子供たちが、割り算を何で逆さまに掛けるんだと、何で掛け算になるんだといって食って掛かったんですよ。これを先生が一生懸命説明したんです。これは有名な遠山の水道方式と言われるやつですよ。今の学生たちはみんなひっくり返して掛けるようになっています。いかがですか。それぞれお考えいただきたいんです。そういうなぜ、なぜと問い掛けていくようなことがなくなっていったということに非常に僕は危機感を感じているんです。 あとここに、下のところに挙げている項目は、教育委員の制度が変わっていった、それから先生が勤務評定、物が言いにくくなっていった、学習指導要領で方向が決められていった、そして一斉テストだとか入試の問題が変えられていく中で受験勉強に入られて自由に物を考えられない状況に子供たちが追い込まれて今きているということ、大管法が変わって法人化されて大学も自由に物が言えないような状況になっている、こういうことの積み上げの中で今日の状況が出ているということを踏まえた上で見たときにどうなのか。教育基本法の十条なりに目標をきちっとしてこなかったためにこんなになったんじゃないかということに私はなるんですが、いかがでしょうかね。 そういうことで、私は変えることに反対です。
○団長(北岡秀二君) ありがとうございました。 以上で公述人の方々の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑を行います。 なお、公述人の方々にお願いを申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いをいたします。 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○小野清子君 自由民主党の小野清子でございます。 今日は、公述人の四人の方々、本当にありがとうございました。それぞれの御意見を伺わせていただきまして、短い時間ではございますけれども、御質問させていただきたいと思います。 諸先生たちからいろいろお話出ましたけれども、戦後六十一年がたちまして、本当に時代の変化とともに、子供たちの誕生してからの、学校に入り、そして人生を歩いていく中での大きな変化が私はやはり起こってきていると思っております。そうした中に四世代、三世代が正に核家族になり、そして子供の数も少なくなり、家庭の中における教育的な意味合いというものが大変薄くなってきていると同時に、家庭教育とそれから地域社会の教育ということになりますと、子供の遊びというものに対する時間の保障がなくなってきている。これは、塾に行ったり習い物をしたりということで、以前の餓鬼大将集団というものがかわいがったり助けてくれたりいろいろなことをして、それが一つの教育の力になり、兄弟の不足を補っていくというふうな以前の良き社会教育、いわゆる遊び、軟らかい言葉でいくと、いい意味にも悪い意味にも餓鬼大将集団というものが非常に大きく子供たちの中に影響を与えながら、お互い助け合いの気持ちも生まれていった。そういう社会的な条件がいろいろ変わっていきました中に、男女雇用機会均等法という法律が一九六〇年誕生いたしまして、女性が社会で働くような時代になってきました。 そうしますと、働くことは、少子化の時代におきましては、これからなお一層進められていくように国も方針をしておりますけれども、かぎっ子という言葉が誕生をいたしました。そうなってきますと、家庭教育の中における子供の存在というものが非常に寂しいものになってきているという現実も生まれてしまったわけでございます。 片や学校教育の中におきましては、やはり教師に対する親からの様々な意見の要求によって、教師自身がそれに堪えられるものではない状況も出てきているわけでございます。様々に変わってくる現状をかんがみましたときに、やはり家庭で行っていたものが、地域で行っていたものが、あるいは学校で行っていたものが今までのままでよろしいのかどうかということが非常に大きな教育基本法を作る中におきまして私は素材となっているものと承知をいたしております。 白川先生にお話を伺いたいと思いますけれども、高校進学が九八%まで上がってまいりました。こういう現状の中で、片や学ぶ意欲がない子供たちも多いと言われております。この非常に矛盾した状況というものが現実の世界にあって、そしてこれからの時代を担っていく子供たちには、やっぱり何はともあれ教育というものが絶対的必要な時代になる。それが決して高等教育に限らずに、それぞれが生きていく、人生を生きていく上での例えば専修学校、各種学校等々の、自分は何で生きていきたいかということを学んでいく上での教育の分野も含めて、本当に子供たちが喜んでその道を目指して学んでいきたいという子供たちにとっての思いや、あるいは建学の精神を持っている私学の問題等々が日本の学校教育の中で非常に大きな役割を担っている。そういう部分が例えば今の教育基本法の中に大変欠けている分野ではないかと、そんな認識を持っているわけでございますけれども。 今申し上げたことも含めまして、これからのいわゆる新しい時代の教育基本法の中において、先生はどういう部門を更に推し進めていくべきであるかということをお伺いしたいと思います。
○公述人(白川剛久君) どういう部門を進めていけばいいということでしょうか。これから何か必要なものということでしょうか。 やはり私は、今非常にいじめの問題なんかが出てきておるんですが、ちょっといろんなマスコミ報道とか新聞報道を見ましても、少しやはりおかしいなというふうな気がいたします。やはり伝統文化と先ほど私もよく申し上げましたが、例えばひきょうを教える、武士道を教える、やっぱりそういうふうにすることによって、あるいは惻隠の情というようなものも教える、そういうようなことでかなりこのいじめは解消できるのではないかと思うんですが、今ただアンケートをしたり、そういうマスコミ対応のような対策が主になって非常に残念に思うんですが、やはりこの伝統文化の日本人としての心を教えるということがやっぱりいじめには大切なことじゃないかと思っておるんですが。 私は総合学習というものが出てきたときに非常に興味を持って、これはいいと思ったんです。それで、それはなぜかと申しますと、例えば江戸時代の教学の中心となっていきました儒教というものがあります。それで、それを学校の総合学習の方へ取り入れたりということで、山口県の萩市なんかにもちょっと松陰の読本があるということで取り寄せたり、あるいは岡山の閑谷学校とか水戸の弘道館とか、そういうようなところをたくさん見て回ったんですが、さあ果たしてやろう、これはできるぞと思ったら、学校の先生方がそういうことに全く興味がないんです。それでやっていただいたことが国際教育とか英語教育とか、それから人権教育、環境教育とか、そんなことばかりを学校でせられたんで非常にもう残念で。 それで、例えば私はそういう論語を取り入れて、論語は宗教ではありませんから、論語を取り入れてそういうこともやって、子供たちが掛け算の九九を覚えるように、例えば論語の言葉がたくさんあります、今はちょっとたくさんありましてお挙げできませんですが、そういう論語の言葉をあらゆる人生の、人生を垣間見たときに、そういう掛け算の九九が出てくるようにそれが出てくると、そういうふうなことを小学生にやる必要があるんじゃないかと。いわゆる素読教育ということです。 そのときに学校にもお話ししたんですが、素読教育という言葉すらもう先生方に理解してもらえないんです。教育の専門家である先生方が素読という言葉を知らないんです。非常に私は残念に思ったんですが。やはりそういう日本の、先ほど申しましたが、日本の人間をつくってきましたそういう伝統的な教育ということをちゃんと学校に取り戻す必要があると思います。 明治維新のいろんな二十歳、十代、三十代までに活躍した人を見ましても、あるいは戦争の折に、さきの大戦のときに散っていった人の残した文章を見ましても、字を見ましても、全く今の人と違います。なぜこれだけの人物ができたのか、そういうことをやっぱり学校現場がよく考えてもらわなければならないというふうに思います。 ですから、やはり伝統文化ということは非常に期待を持っております。だから、そういう私がしたい、これから求めるものと聞かれましたら、やはり素読教育とか、そういうことを取り入れていただいたら有り難いなという気がします。
○小野清子君 ありがとうございました。 戸塚先生にお願いしたいと思いますが、先生は国際人権法の実務に関与していらしたとお話でございました。人権法の立場から対応できていなかったというお話を、今までの教育基本法なり日本の在り方ができなかったというお話でございますけれども、学校教育、社会教育、それから家庭教育と、こう分けた場合に、先生のお立場からお考えになられて、地球社会時代というお言葉も使われましたけれども、そういう観点から考えますと、日本におけるこの三分野における最も大事な地球社会時代というものに対応すべき点はどの分野であるのか。あるいは、もちろん三分野がそれぞれが立ち上がっていかなきゃならないということは当然だろうと思いますけれども、特にどういう分野が日本において欠けていたのか、お話しいただきたいと思います。
○公述人(戸塚悦朗君) ありがとうございます。 一番足らなかったというのは、実は私もその分野が足らなかったんですけれども、私、一番最初に国連に出掛けたことがあるんですが、その国連に出掛けた理由は、八四年のことですけれども、日本の精神病院の中で、精神衛生法の欠陥のために大量に拘禁されている人がいる。それから、その中で虐待が非常にされていた。しかし、そのことを訴える方法もない。手紙も書けない。中には、そのまま殺害されていく人もいた。この状態を日本で訴えても解決する方法がなかったんですね。それで国連に行ったわけですが、そのとき私が考えておったのは、日本を良くしたい、日本の中で人権侵害をなくしたいという一念だったわけですね。 それで、大変な思いで国連に参りまして、幸い国連のNGOの御支援いただいたり、あるいは、当時中曽根総理大臣でしたけれども、国連NGOの御意見を聞かれて、法改正をしようというふうに決断をしていただいて法改正がされたと、こういう経過があるわけですが、それで私は大変成功したということで、満足しちゃったんですね、実は。 日本を良くする立場であれば確かにそれでいいんですけれども、よく考えてみると、国連に行った場合に出てくる話が、世界じゅうの同じような、精神病院だけでないんですけれども、世界じゅうの方たちが被害を受けていると。この世界じゅうの方が被害を受けているということについて私の関心が向かないんですね。拷問もそうでした。拷問同様のことが行われているわけですね、精神病院の中で。ところが、世界じゅうで起こっている、それが私自身の中で切実な問題にならないんですね。これを後になって物すごく反省しました。 実は、その国連NGOの方たちにお世話になりましたので、ふりでもいいからと思って外国の方たちの人権侵害も、私も貢献しようと思ってある程度お付き合いしたんですけれども、それがどうしても本気にならない。これは、やはり日本が島国で、日本の中のことしか考えていなかった。私はそれで人権弁護士だと思っていたわけですね。 ところが、そうやって育ってきた日本人である私は世界のことには全く関心がないと。これはいまだにそうだと思います。いまだにそうだと思いますけれども、私がそういうふうに育っちゃったわけでありまして、これはどうにもならないんですが、これからの子供たちは世界で起きていることはすべて自分たちの問題であるというふうに心から感じて、それを勉強し、行動していってほしいと。そこが日本の教育の中で一番欠けていたことじゃないかなと、私に欠けていたことです。
○小野清子君 ありがとうございます。 あと一分しか時間がないんですけれども、富澤先生、一分しかないなんて言って質問、申し訳ございませんけれども、大変よくおまとめをいただいて、大変分かりやすく拝聴させていただきました。ありがとうございました。 やはり文言があって計画ができ、計画があって実行が行われる、そういう中における体験奉仕活動を是非というおまとめでございましたけれども、誠にそのとおりだと感服をさせていただきました。 先生からさらに、日本における何かしらもう一つ欠けているものがあるとすればどのような点なのか、一言お願いしたいと思います。
○公述人(富澤彰雄君) 今大学で教えておりますけれども、私の教え子が今ケニアで夫婦でボランティア活動をしております。彼は、大学のとき一年間休学してケニアに行ったときに向こうのストリートチルドレンとか、向こうはまだ孤児院と言っているみたいですけれども、その思いをずっと持っていまして、施設に勤めて、お金を一生懸命ためて、結婚して、それも徳島の女の子ですけれども、結婚してケニアで今ボランティア活動を一年間しております。時々メールが入ってきましたら、そうなんだという、そういう現状ですね。 ほかにも、今の学生にもJICAで、青年海外協力隊で東南アジアあるいは南アフリカ、南アメリカにということで、もっと視野を広げるというんですか、何かこういうものが、若者がもっと行きやすく、一年間、二年間、半年でもいいですから、そういう体制というか、そういうものができたらいいなと常日ごろ思っております。以上でございます。
○小野清子君 ありがとうございました。
○佐藤泰介君 民主党の佐藤泰介でございます。 今日は、大変お忙しい中を熱のこもった公述をいただきまして、これからの参議院での審議の過程の中に皆さん方の意見を反映させ、議論を深めていきたいというふうに思っております。 まず、戸塚公述人に聞きますけれども、国際法上、条約違反が解除されていないというお話を最後の方に話していただいたわけですけれども、民主党案も含めてのお話をいただきました。まだ民主党案の方が国際違反を解除している部分があろうと私は自負をしているわけですけれども、民主党案の中で一番ここが抜けていると、国際条約が解除されていないというのは、端的に言うと、お一つか二つ挙げていただくとすると、私ども、先生が今日配付いただきました国際人権規約あるいは子ども、政府は児童と訳しますが、児童の権利条約等々、相当読み込んで作り上げていったと思うんですけれども、まだまだ及ばないとすると、どの部分がとりわけ及ばないかということをお聞きできればと思っています。
○公述人(戸塚悦朗君) ありがとうございます。 実は、詳しく申し上げたかったんですが、時間の関係上割愛をさせていただいたわけです。 足らないというのは、まず足りているところを申し上げないといけないんですけれども、実は、私ども注目しておりますのは、幾つかあるんですけれども、一つが外国人の問題でございます。 御承知のとおり、今お配りした資料のところで見ていただきますと分かりますように、世界人権宣言でもすべての人が権利主体でございますし、それから国際人権、社会権規約でもそうでございます。子どもの権利条約でもそうでございます。この点、民主党の法案で、現行法五条に対応する七条でございます。この普通教育及び義務教育のところで、何人も、普通教育を受ける権利を有するというふうになっております。この何人もという表現は、これは明らかに外国人を含む表現でございまして、国際人権法に合致しているというふうに思っております。 ところが、残念ながら、これが義務教育の問題になりますとそうなっていない。なぜかというと、その第二文に、国民は、その保護する子どもに、当該普通教育を受けさせる義務を負うというふうになっております。 元々、民主党の法案の要綱を拝見しましたところ、ここは、保護者は、になっていたんですね。これはイギリス法に対応しておりまして、今度調べてまいりましたイギリス法では、親は、となっております。これが親は、ないし保護者は、であれば外国人も含みますので、義務教育を受けさせる義務を負うと。ブラジル人の方でもペルー人の方でもどなたでも、日本にお住みの方であれば子供を教育しなきゃいけないというふうになるわけですね。 ところが、現行法でも政府法案でもなっておりませんし、これは民主党法案も本質的には同じに国民になっております。したがって、外国人に対して学校へ子供をやりなさいということが言えなくなるという問題がございまして、これが私は大変がっかりした点でございます。何か参議院の法制局が異論を述べたということであるかのようにうわさを聞いておりますが、これは何としても元へ戻していただかなければいけないんじゃないかと、それが非常に象徴的でございます。 その他に、私、国民が何か所出てくるというふうに申し上げたんですけれども、その他の点でも、原則としてすべて何人あるいはすべての人でいいはずなんでありまして、国民となるのは本当に特殊な理由が必要な場合にだけに限定されるように御検討いただいてはどうかというふうに思います。 そして、また、もう一点、高等教育について、民主党の御提案は現行法と違いまして漸進的無償化を行うというふうに書いてございます。これは高く評価できる点でありまして、A規約の現在留保している点をクリアしているかもしれないんですが、実はこれは具体的にどういうふうにするかということがないと本当に解除できるかどうか分からない。私の判断では七十九年まで学費を下げないといけないわけですが、それがどこかに入ってくるのかどうか。そのような点、まあその他にもございますけれども、大きな点はそういうことでございますが、よろしく御検討いただければと思います。
○佐藤泰介君 ありがとうございました。 重要な御指摘をいただきまして、これから更に我々の作った民主党案も、今、戸塚公述人が言われたようなところを踏まえながら深めていきたいと、こう思っておりますので、どうぞよろしくお願いします。 じゃ、四人の方にお尋ねしますけれども、改正案の二条の問題でございますが、内心にかかわる目標を人格形成の目標にするということについてどうお考えになられるか。態度を養うというのは、態度と心は表裏一体だという答弁も小泉さんからございましたし、答弁上は態度を養うも心も同じだというような政府答弁でございますが、その内心にかかわる目標をクリアさせることが人格の完成になるのかと私は非常に疑問を持っています、そこは。それが一点。 さらに、教育行政のところで不当な支配という言葉が出てまいります。これも現教育法ができたときと、ここで使われている不当な行為というのは全く私は意味が違うと思いますけれども、政府は同じだという答弁をしております。そこが二点目。 それから三点目は、現在の教育委員会制度、とりわけ白川公述人にお聞きしたいんですが、十分に機能を果たしているのかどうか。教育委員会制度が教育長中心でほぼ回っているんではないか、常勤は一人もいないし。私もいじめ問題等で現場視察をさせていただいたときに、大変な問題が起きているのに教育委員会は定例の月一回であったと、北海道のこれは江部乙小学校へ行ったときに教育委員の方がそう言われました。若干教育委員としても受け身だったのかなと反省をしておみえになりましたが、現在の教育委員会制度そのものは私は非常に機能が果たされていないんではないかという、こういう疑問を持っています。 石躍先生はその中で、公述人は公選制を言われましたけれども、公選制まで今の状況で変えるということは難しいと思っていますけれども、私どもは私どもで、教育委員会制度をこうしたいということは民主党案を読んでいただければ分かるわけですけれども、十分な機能をしていない。中教審でも言われましたが、教育委員が名誉職化していないかという指摘が中教審の答申にもあったかと思います。 その三つですね。内心にかかわる目標をクリアすることが人格の完成なのかと、不当な支配とは何ぞやということと、教育委員会制度はこれは白川公述人だけにお伺いして、あとの三点は戸塚公述人、富澤公述人、石躍公述人にお願いしたいと思います。
○団長(北岡秀二君) 全員ですね。質問のボリュームが今たくさんございますので、四人全員に答弁を求められておるようでございますので、できるだけ簡潔に白川公述人から順番にお願いをいたします。
○公述人(白川剛久君) 私は、教育委員会、教育委員として十一年、教育長の職にありまして、いろんな体験をしてきたわけなんですが、教育委員会というのは、もちろん定例会があれば臨時会というのがございまして、何か問題が起これば毎夜のようにやっておりまして、そういう対処をしてきたんですが、今いろいろ教育委員会制度の改正が言われておるんですが、私は、もう最終的には、いろいろ問題がございます、でも、教育委員会を選ぶ人、やはりその市町村の首長の見識と熱意と、そういうようなものに懸かっていると思います。制度は幾らいじっても、私は正直申し上げまして、今新聞なんかで見まして、制度、これで全部が解決するとは思いません。 例えば、あの石原都知事の例を見ても分かりますように、石原都知事のあの熱意と力量があって東京都の教育は非常に変わりました。それは市町村に当たっても同じことが言えます。 ただ、市町村の教育委員会に関しましては、今先生がおっしゃられましたように名誉職化しておるところがあります。それと、非常に首長の選挙に影響を受けます。だから、首長の選挙の支持した人たちあるいはその首長の選挙を応援した人たちの推薦、そういうふうなものによって選ばれているのが現状だろうと思います。 それともう一つは、そういう方が教育に関して造詣の深い方であればいいんですが、そうでない場合も多く見られます。それと、もう一つ私問題なのは、学校の校長先生を据えておけばそれでいいだろうという安易な考え方があると思います。じゃ、学校の校長先生をせられて三十年、四十年教育をやってきた人が果たして教育に対して造詣が深いか、熱意があるか、力量があるかと、そう言えば、それは非常に疑問があります。だから、その学校の校長先生を据えておけばいいとする首長の姿勢に私は問題があると思います。 だから、私は教育委員のときに、実は「国家の品格」の藤原先生とあることで、上那賀町へどうしても呼びたいということで呼びまして、そしていろんな、お泊まりいただいて話をしまして、それから度々来ていただけるということでそういう関係ができたんですが、藤原先生を特別教育委員にしたかったんです、上那賀町の。それで、藤原先生にいろんなプログラムを書いていただいて、それによって、いわゆる国語教育の町と、そういうふうなことにしたかったんですが、実は私が、いろんな町村合併とかいろんな学校統合とか、それから藤原先生もだんだん忙しくなりまして、お互いにスケジュールが合わず、そういうことをできないまま、町村合併で私は失職したわけなんですが。 だから、そういうことができると思うんです。ですから、私のところであれば町内だけで教育委員を選ぶ必要ないと思います。だから、そういう、東京でもいいし、熱意のある方だったら来てくれると思います。藤原先生はそれで来てくれるという約束を私と進めておったようなことがありました。 ですから、制度を幾らいじっても、やはり首長の見識が大事ということと、それと、特に教育長の熱意がやはり教育委員会を活性化させると思います。以上です。
○公述人(戸塚悦朗君) ありがとうございます。 教育委員会問題につきましては、私の印象でございますけれども、現行法の精神が失われてきているように思われますので、民主党御提案のような新たな制度を採用することも一つの方法かなと思います。ただし、これも立法した後で精神が失われることはあり得るので、その辺の保証をどうするのか御検討いただければと思います。 それから、内心にかかわることでありますけれども、これは国際人権法におきましても内心には絶対に踏み込んではいけないと、特に国家が踏み込むことは許されておりませんので、私は、態度とか心とかいうものに影響があるような教育を行うこと、少なくとも公教育が行うということについては疑問に思っております。代わりに、国際人権法の方では、その目的、教育の目的について明確な定めをしておりますので、社会権規約十三条あるいは子どもの権利条約等を御参照いただいて、現在のその各党が御提案になっているものの代わりにそういうものをそのまま法案の中に入れるということも一つの方法かと思っております。
○公述人(富澤彰雄君) 最初の、教育の目標、第二条一、二、三、四、五とございますけれども、態度云々ですね、私も最初に見たときに、態度、心、付くべきじゃないかなとは思ったんですけれども、福祉の世界ではよくそういったことがございます。恐らくこの案を作成するときにそういう意見も、議論も出たんじゃないかなと思います。個人としてというか私自身としては、福祉の人間でございますので、態度そして心、心、態度というのが必要だと思っております。 教育委員会制度については、いじめ及び殺人事件で注目されたような私は気がいたします。学生さんにも教育委員長と教育長の違いはと言ってもぴんときませんですね。テレビの報道等で、みのもんたの云々でビデオを撮って見せると、あっ、そうなんだということになりますね。もっともっと教育委員会のことを広報というか、こういうところよということをもっと広報すべきじゃないかと思いますし、あとは白川さんの熱意、首長の熱意とか教育長の熱意とか、もちろん現場の教師の熱意とか、やっぱりそこに行き着くんじゃないかなと思っております。以上でございます。
○公述人(石躍胤央君) 今、先ほど言いましたように、私は今いじくることをすべきじゃないと思っているんです。というのは、今のような事態がどのようにして起こってきたかについてきちっと整理していくことをするのが第一の仕事だろうと思うんです。確かに解決しなきゃいけないもの、たくさんあるわけですよね。 それで、今までの政府といいますか、それのやり口が、正にやり口なんです、言ったですね、法律によってという格好でここやってきている。第九条があって、子供が素直に読んだら、イラクに派兵なんかできるわけない。にもかかわらず法律で行けるようにした。いい例があるんです。それで、子供がそのことについて、高校生が首相に出しましたね、おかしいって。そうしたら前の首相は何と言ったのかといったら、教育がおかしいと言わんばかりのことを言っている。まあそういう考えもあるといえばあるということなんですけど。 そういう点で、今はなぜこんな事態になっているのかということをじっくりしていくことが僕は大事だと思う。その次ですね。だから、そういう点で、民主党さんの言われていることについてのあれなんですけど、部分的にいいのがあるとかなんとかという議論じゃないんです。基本がどうなのか。 それで、特に言うのは、大学入試の問題について、共通一次が始まってから子供たちがどうなっているのかといったら、今、塾通いから何から大変ですよね。そろそろ私らの孫の時期になってきているわけですけれども、時間がないんですよ、もう。それで、何なのかといったら、条件反射なんですよね、あれ。問題見て、ぱあっぱあっと。考えるんじゃないんです、答えを条件反射で覚えていくぐらいに頭に突っ込んでいかなきゃならない。そのような子供をつくってきちゃっているの、今、大学入試。 その大学入試で共通一次が出るときに大学側で私も一員でいろいろ議論したんですけど、どこに欠陥があるんだという話をまともに整理できないままあれ押し切られていった。それでどういうことになるのかといったら、二度試験があったらチャンスが二回あるじゃないかという意見が多かったんですよね。だけど、百人定員のところで五十人ずつにして、半分にして試験したらどうなります。五十人から六十人は合格するでしょう。あとは切れますよ。通る者は通るけど、落ちる者は落ちる。差のところで少し変動があるだけ。そのことに気付いて、何をやったのかといったら、第一次試験で合格した者は手続取ったら二次試験受けちゃいけない、合格したのは取り消せとかというようなことになったでしょう。というような誤りをやっているんだから、その辺のところをじっくり考えてやっていかなきゃいけないと思っているんです。 それと、済みません、時間取って申し訳ありません。それから、この間、高校生が飛び降り自殺しましたね、先生が見ている前で。そうしたら、その日のうちに、夜、何か歓送迎会か何かあったかで、教育委員会の方が夜宴会をやったというあれが報道されて、後、教育長と教育委員長が辞任されたのかな。そういう格好の教育委員会になっちゃったのはどうしてなのか。これ私の教え子の年代ですよ。まともに物を考えるようなものを身に付けていないんだ。それは何なのかといったら、上に言われるとおりにやっていけばいいわけですよ。私はこう言っているんです。金の出どころによって人は物の言い方を変える。御存じの方いらっしゃるんじゃないかと思います。政府の委員なんかになったらがっぽり入りますものね、手当が。やめられませんよ、年寄りはね。だから、その辺でじっくり考えなきゃいけないということです。
○団長(北岡秀二君) もうよろしいですか。
○佐藤泰介君 一つだけ。 富澤公述人が子供省、子供庁を言われました。私どもも懸命にそう言っておりますので、やっぱり縦割りばっかりですので、是非一緒になって、内閣府に子供庁をつくって、当面は、そして子供省として独立させようというのが我々考えていますので、よろしくお願いします。 以上を申し上げて、終わります。
○山下栄一君 今日は急な連絡で公述人として来ていただいているということをお聞きしておるわけでございますけど、そういう中にあって足を運んでいただきましての公述、心から感謝申し上げたいと思います。大変短い時間で申し訳ございませんけれども、簡潔に質問させていただきたいと思います。 戸塚公述人にちょっとお聞きしたいんですけれども、国際人権法の考え方を、これは昭和二十二年当時そういう環境ではなかったと、四八年から世界人権宣言ができた後、国際人権規約B規約、子どもの権利条約等制定されていったわけでございます。その考え方をできるだけ教育基本法の改正するんだったら反映させるという、そういう考え方は大変大事な観点だというふうに思っております。 また、こういう取組がまだまだ日本は弱いということも感じております。参議院の憲法調査会でも、私もメンバーでございましたので来ていただいたことを覚えておるわけでございます。確かにこういう取組を一貫して粘り強くやっておられる方がそんなにまだまだ多くないのではないのかなと。現場で様々な形で取り組んでいる方は増えてきておるわけでございますけれども。 そういう観点で、多文化共生の理念といいますか、子どもの権利条約二十九条一項、このお配りいただきました中にも、ちょっと全部は読みませんけれども、児童の父母、児童の文化的同一性、若干省きますけれども、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成することと、こういう考え方、非常に大事な観点だと思います。 今回の改正案の二条五項に、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛しと、他国を尊重しと、国際社会への寄与というふうなこと、若干不正確ですけれども、ございます。自らが育ってきた地域また国の文化伝統を学んでいくということ、これはもう戦後は非常に欠けていたということも、そういう考え方で私も同じ考え方でありますけれども、他国を尊重し、というのはそういうことの意味を込めて他の国の文化も学び、そして尊重するんだという、この子どもの権利条約二十九条一項の考え方をできるだけ反映させたいという思いからこういうことになっていったというふうに理解しておるわけでございます。 それについての表現ぶりについての御意見をちょうだしたいことと、まとめて戸塚公述人にお聞きしたいと思いますけれども、国際人権規約、A規約の十三条ですね、教育への権利ということがございます。ここにも書いてございますが、特に私はこの三項の「父母及び場合により法定保護者が、」と、途中省きますけれども、「児童のために選択する自由並びに自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。」と。宗教とか道徳に関する教育については、その父母また法定保護者が基本的には子供に自己の信念に従って後継者に、自らの後継者に教えていくんだということが基本だということを私はうたったのがこのA規約の十三条ではないかなというふうに理解しております。 それと、四項に学校設立の自由が書いてございます。これも、学校は公の性質を持つという考え方があるわけですけど、一方で、条約では個人が、個人が学校を設立する自由があるんだということを書いてございます。この考え方も、これから我が国の今後を考えていったときに、非常に大事な考え方ではないかなと思っております。 確かにこの辺は不十分というか、余り表現されておりません、改正案でも。そういうことを考えましたときに、私が申し上げました、今具体的な条文示させていただきましたけど、その辺についての戸塚公述人の御所見をお伺いしたいと思います。
○公述人(戸塚悦朗君) 山下先生、大変勉強家でいらっしゃいまして、憲法調査会のときにも詳しく質問をいただきまして、感謝しております。今回も大変重要な難しい問題を御指摘しておられますので簡単にはお答えができないわけでございますが、条文の一部だけを取り上げてそれを条文化しますととてもおかしなことになるわけでありまして、私のお願いは、このような子どもの権利条約あるいは社会権規約の条文をそのまま取り入れていただく、そっくりですね、それが重要ではないか、一部だけを切り抜かないということをお願いしたいと思います。 例えば、最初の居住国の伝統文化云々の問題がございますけれども、これは、居住国の子供に対し、つまり、例えば日本にいる日本の子供に対してだけではないんですね。日本には外国人が二百万人現在おります。その現在二百万人いる外国人のお子さんたちが学校に来た場合に、そのお子さんたちにも同じように教えるんですね。したがって、極端に言うと戦前のように日本のために死になさいということをその外国人の子供たちに教えることはできない。ただ、住んでいる今のこの土地に対する理解をしてもらいたいというわけですね。 そこで、それが日本なり国を愛する気持ちというふうになりますと、例えば朝鮮のお子さんたち、ブラジルのお子さんたちにも日本を愛しなさいということになるわけですね。逆に、外国のことが出てまいります。これは、日本の子供にも同じように外国を愛しなさいと。隣国である朝鮮もそうですし、アメリカもそうですし、これ両方とも自分の国を愛しなさいということを、自分というのはもうこれ世界、地球人全部が自分の郷土を同じように愛するということを教えることができるのかなと思うんですけれども、内心に立ち入れませんので、やはり日本の子供も外国人の子供も同じように教育しなきゃいけない、そこが極めて重要なことだと思いますので、一言申し上げておきたいと思います。 それから、親の教育権の問題がございました。 これは、おっしゃるとおり、国際人権法の分野では、ここに記載してあるとおり、親が権利を持っております。したがって、国家が決めていくわけではない、教育の中身を。あくまでも親が決めるわけです。体罰をするかしないかについても、親の考え次第で子供一人ずつについてやり方を変えなければいけないというヨーロッパ人権裁判所の判決がございます。そのように、国家からの、現在改正の論議がされているときに、どうも国家からの統制が強過ぎるという私は印象を持ったわけでありますが、権利という言葉がなくなっている、与党案では、というところに問題があるだろうと思うんです。子どもの権利、親の権利の方から物を考える必要がある、これは国際人権法の立場でございます。 それから、個人が学校を選択する権利、おっしゃるとおりでございます。ところが、日本では個人が学校を選択する権利が実はないんですね。例えば、日本人の子供が国際学校に行きたいという選択をする場合に、これは就学義務違反ということになります。一条校ではないからです。ブラジル学校に日本人の子供が行くということも許されていないんですね。実は学校の選択権は日本法上与えられていない。法が改正されても、そこは与えられていないわけですね。 ですから、外国人の方々も日本に居住する以上は、何人もですから、その方たちも学校設立の権利はある。したがって、その方々が設立した学校も、私立学校として日本の私立学校と同様に扱わなきゃいけない、そういう問題が含まれているわけですね。 したがって、私は、大変いい御指摘を幾つかいただいたんですが、そういったところを個別に見ないで、全体として取り入れていただいて、今申し上げたような点も解消していただきたいというふうに思います。 ありがとうございました。
○山下栄一君 ありがとうございました。 富澤公述人にお聞きしたいと思います。 長年、福祉の現場、また今は研究者、高等教育の教官の立場でお仕事されておられることに敬意を表したいと思いますけれども、今、子供が取り巻く環境、特に学校教育におきましても、子供の生活そのものの、育ちの環境、育ちにくい環境が、それが家の中も地域もそうだと思います、それが学校現場に持ち込まれるということを考えましたときに、そこで勤務されている先生はそこに住んでおられるとは限りませんので、特に公立でもそうですけれども、教員の限界がある。そういう意味で、子供の生活をトータルに、よく連携を取りながら、よく分かった上で、その子供の生活指導、生徒指導に当たっていくということが非常に大事な今時代状況かなと思っております。 そういう意味で、特に地域資源、様々な地域資源のことをよく知っておられる、例えば社会福祉士、ソーシャルワーカーなどが学校とよく連携取ってつないでいくといいますか、そして様々な専門性をフルに生かしながら、情報交換しながら子供の成長に取り組んでいくという、そういうことが今非常に大事かなと思っておりまして、福祉に限りませんけれども、そういう例えば福祉と教育の連携、学校との連携、連携・協働ということを先ほどおっしゃられましたけれども、そういうことが非常に今求められているのではないかと。 そういう意味の公的支援も、人の配置も含めまして、大事かなと考えておりますが、今まで取り組んできてこられて、子供を取り巻く環境の中でこういう地域と学校との連携、そして福祉の専門家を活用する、学校現場に、というようなことについての先生の御所見をお伺いしたいと思います。
○公述人(富澤彰雄君) ありがとうございます。 私が最初のところで意見陳述いたしましたけれども、今の若者は、他人の痛みというんですか、そういうコミュニケーションというものが少な過ぎるように思います。そういった意味で、本大学もそうですけれども、私、今ソーシャルワーカーあるいは精神保健福祉士の国家試験の受験コースの方で今しておりますけれども、そういう学生さん、若者がそういう仕事に就きたい、よくよく考えて、あるいは相談に乗ると、自分も悩んでいる、それを何とか人の役に立ちたいと、そういう気持ちはすごく貴いんですけれども、じゃ、それを実行にとなると、コミュニケーションはなかなかそういう学生さんは取れない。やはりもっともっと対人関係というか、そういった場がボランティアの場であったりいろんな部活の場であったりということだと思いますので、そういったものを大学の中でももっともっと、ボランティアといってもなかなか乗ってきません、よほどのことない限り。有償ボランティアならということなんですけれども、まあそういうこともありかなと思っております。 そういった意味でもっともっと幅広く学生さん、若者が、メニューが一杯あって、その中で自分がこれだと言えるところに顔を出す、首出す、行ってみる、それでまた続けてみようかとか、そういうメニューをもっともっと増やさなければいけないんじゃないかなと思っておりますし、ネットワークの話がございましたけれども、もう事例を幾つも幾つも積み重ねて、それを発表する場みたいなものがあればいいなと思いますね。「小さな親切」運動の最優秀賞は徳島市内の小学校の子供が最優秀賞だということで、今日からホームページに出ているということで、まだ今日忙しくて見ていないんですけれども、そういったことももっともっと子供たちに広げて、ああそうなんだということで、そういう温かい輪というか優しいコミュニケーションというか、そういうものをもっともっと広がるような、もっと紹介するというんですか、そういうものをしなきゃいけないんじゃないかなと思っております。 以上です。
○山下栄一君 もう時間が来てしまったんですけど、白川公述人、また石躍公述人にちょっと学習指導要領、郷土教材のことなんかもお聞きしたかったんですけれども、時間が来てしまいまして申し訳ございません。 今日の様々な御意見を本当に教育を良くする方向で反映させるように、一生懸命取り組んでまいりたいと思っております。 以上でございます。済みません。
○小林美恵子君 日本共産党の小林美恵子でございます。 公述人の皆さん、本当に今日は貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。 私、まず石躍先生にお聞きしたいと思いますけれども、先生、先ほどからのお話の中に、子供たちがなぜ、なぜかと、そういうことを問う、そのことが今失われているというお話もございました。自分で物事を考える力を身に付ける人間を育てる、そのことが難しくなってきているというお話だったというふうに思います。その点につきまして、その要因といいますのは、この間のいわゆる文部行政、日本の教育政策からいきましてどこに要因があるのか、問題があるのかと、そしてまた、そのことが政府案でいきましたら一層どういうふうに展開されていくのかと、この点について先生の御意見をお伺いしたいと思います。
○公述人(石躍胤央君) 教育行政のことを中心にして先ほどは話をしましたけれど、愛国心の問題で、どうなんでしょうかね、これは答えが出なくてもよろしいんですけど。ここにいる四人が四人意見を述べました。それぞれ国を愛しているから意見を述べているんですよね、国の在り方について。将来をしょう主権者をどう育てていったらいいのかという観点から言っているんです。ところが、今の法案について反対か賛成かということで割れているわけですね。どうされますということをまず投げ掛けておきます。 それから、先ほど来の話とのかかわりでいくんですけど、今それじゃ具体的に何かしていかなきゃならないわけだけど、どうなのかといったら、人間としてあるべきこと、しちゃいけないこと、それからすべきことについて大人が子供たちに話し掛けていくことが僕は地域で大事だと思っているんです。 ただ、言うと大変なんですよね。学校の先生、それできない。何に頼ったのかといったら、校則で書いているからでやるんですよ。法律で決められているからとかで言っちまうわけ。そうじゃなくて、人間としてどうなのかということについてきちっとされていない。子供たちがなぜって聞いたら答えるようにしているんです。あるときこういうことがあったそうですね。人を何で殺しちゃいけないんだと聞いたらもたもたしたとかという話があるでしょう、テレビのあれで。そこなんですよ、大事なことは。 先ほど教育委員会の問題についても出たけど、徳島で教育長が金取って、私の教え子が校長になるときにそのことを、金持っていったということで結局パアになりましたが、金取った事件ありますよ。徳島の方は御存じだ。しかも、愛人に腹刺されて表に出たというようなばか騒ぎがあった。なぜそんなことになっちゃったのか考えてほしいということですよね。 もう少し言いますと、この間、私の経験からすると、関西に行きまして電車に乗りまして、そうしたら、優待席みたいなやつがあるんですね、年寄りとそれから体の不自由な人と。あそこに、携帯電話、この近辺では電源を切ってくださいと書いてある。それから、マナーモードにしてくださいと書いてある。たまたま、私、年が年だからそこへ座った。そうしたら使っているんですよ。やめてくれと僕言った、こう指して、若い人に。そうしたらやめました。その後ですよ。僕だけじゃないと、ポケットに電源切ってない携帯を持っている人間が何人いるか知っているのかとやられた。それからその次に、今度よそのところでやっている人がいた。あれ何で注意しないんだという話が出た。 これは、ある時期にこういうことがあったんですよ。私のところの医学部の学生がカンニングして見付かった。見付けたから処分しなきゃならないから事情聴取した。そうしたら何と言ったのかといったら、おれだけじゃないと言った。おれだけじゃない、ほかにもいるんだ、何でそいつらやらないでおれだけやられるんだ、差別じゃないかと食って掛かってきた。その次はどういうことが起こったのかといったら、医進課程では全部単位そろわないと進学できない状況だった時期がありますよね、御存じの方いるだろうと思う。そうしたら、同級生が何人かで来て、あいつだけじゃないんだ、おれたちもやっているんだと、何でだって。どうなっちゃうんですかね。そういう時期があった。 それは何なのかといったら、学校できちっとできないし、親でもできないような状況があるんですね。だから、それを解決していくのは、大人が、年寄りが順番にこう一人ずつ言っていかなきゃいけない。だけど、それじゃ、人間としてしていいことと悪いことについての判断もできないような大人を育ててきちゃったんじゃないんですか、戦後。先ほど言ったように、子供が憲法のあれからいったらおかしいんじゃないですかと言ったら、教育が間違っているようなこと平気で言えるような世の中になってきたんだ、総理大臣が。考えましょうよ。教育委員会の制度にしてもそうですね、いる。 それで、このごろ子供たち守ろうということで地域であれしているんですね。不審者を探すということをやったら、お互いの不信感を持つようになりますね。どこかの経験で、それをやめて、子供にとって危険な場所はどうなのかを子供の目で見て歩いていって対策しましょうということから始まってまとまっていったという話もありますよ。そういうことが大事なんですよね。それを教育行政が支援していく。それを上からこうだというようなことをやるようなことをやってきてしくじってきているんですよ。 時間なくなっちゃうからやめておきます。済みません。
○小林美恵子君 ありがとうございます。 先ほどの話の中で、愛国心の話が出ました。改めて私もちょっとお聞きしたいと思います。戸塚先生と、これも石躍先生にお聞きしたいんですけれども、政府案第二条には、目標に掲げていまして、いわゆる国を愛する態度を養うという、そういった文言があります。結局はこういう徳目を列挙して、その目標の達成を学校の先生とか、そして子供たちに義務付けしていくということになりますよね。こうした目標を法律でもって明記をする。現行基本法はこういった細目の目標は明記はしていません。この政府案は明記をしていますけど、こうして明記をして、国が強制するといいますか教え込むといいますか、そのことが本当に本来の教育の営みに即するのかどうか、この点について改めてお二人にお伺いしたいと思います。
○公述人(戸塚悦朗君) ありがとうございます。 実は二つあるんですけれども、私は、若いころ大学院で心理学を勉強したことがございまして、戦時中のことですが、ピアジェという心理学者がおりますが、この方が子供の発達を研究されて、それはいまだに非常に世界的に通用する研究でございますけれども、子供の倫理観ってどう育っていくのか。徳目を教えると絶対駄目だということなんですね。徳目を教えるのではなく、自然に子供が発達するということを目指さなければいけないと。戦時中、この心理学は非常に危険視されたそうでございます。だから、日本では研究ができなかったと思います。 それからもう一点、先ほど申し上げましたとおり、国家が内心に踏み込むということは、憲法でもそうでございますけれども、国際人権法上禁止されております。ですから、法律によって国家が内心に踏み込むような立法をするということは国際人権法違反であるというふうに思われます。 ただし、先ほど御指摘がありましたように、子どもの権利条約で若干注意深く読まなきゃいけない条文というのがございます。それが二十九条の教育の目的でございますけれども、その中に一項の(c)というところがございまして、「児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること。」というのがございます。 この点は、確かに一見、誤解されると愛国心になっちゃう可能性はあるんですけれども、二つ問題がございます。ここには決して愛国心とは書いてないということが一つ。もう一つは、この児童というのは、先ほど来私何度も申し上げておりますように、外国人を含むんです。日本人だけじゃないんです。ですから、国民とやっている以上は愛国心になりますけれども、外国人も含む日本にいるすべての児童に対して教えるということを前提としたら、従来伝統的な愛国心、極端に言うと国のために死になさいというような愛国心は決して教えることはできない。 ですから、この児童の権利条約の読み方の児童というところ、それから居住国というところ、ここをよく読んでいただきたい。居住国というのは、確かに日本の場合は日本です。しかし、出身国というのも書いてある。したがって、その両方ともに配慮しなければいけないわけでありまして、日本だけを愛する、あるいは日本の国だけを愛するというのはできることではないというふうに御理解いただきたいと思います。 この条文そのままを立法によって、一部だけでなくてそのままを法案の中に入れていただくのであれば私は問題はなかろうというふうに思います。
○公述人(石躍胤央君) 日本の国というのは、海で囲まれていて国境を他国と接していないために、隣の国のことについて考えずに勝手放題のことを言えるようなことがあるんですね、歴史的にずっと見ていきますと。 それでいて、先ほど言葉のことを言いましたけれども、漢字文化圏の中でアジアの中での日本。ヨーロッパの場合には、国境を接しているから必ず隣のこと等を考えながら物を考えていくようなことをしていく。 だから、今の話につながることなんですが、その国だけじゃなくてそれぞれの国ということで国民ということであるんだったら、それぞれがお互いに生きていけるようなことを、平和に暮らしていけるようなことを考えていくことをお互いにつくっていくことが僕は愛国心だろうと思うんですね。そうじゃなくて、その国だけのことをやるというようなことを言ったらどういうことになるのかといったら、また元へ戻りますよ。 それと、先ほど言いました、この場で反対と賛成の意見があって、それぞれ国のことを愛する気持ちで一生懸命になって考えて言っていることについて、どうなんでしょうかね、その辺のかかわりを言ったときに、国会で決めたり国がやったりするような筋合いのものじゃないということを私は暗にそのことに含めて言っているつもりなんですがね。 終わります。
○小林美恵子君 ありがとうございます。 もう一つ、今審議になっております、骨格部分になりますいわゆる現行基本法の十条問題で改めてお聞きしたいと思います。この十条は、教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に直接責任を負うというふうにあります。 私はこれは、私、戦後生まれでございますけれども、やっぱり戦前の痛苦の歴史の反省の上に立って、国家が教育に介入はしないという立場でこういう規定がなされたんだというふうに理解をしております。 それで、政府案は、国民全体に直接責任を負うというところが削除されています。そうしたことといいますのは、国家による教育の介入を歯止めなきようにしていくのではないかというふうな懸念がございますけれども、この点、済みません、戸塚先生と、これも石躍先生にお伺いしたいと思います。
○団長(北岡秀二君) 時間が経過しておりますので、簡潔に御答弁をいただきたいと思います。
○公述人(戸塚悦朗君) ありがとうございます。 ただいまの十条の問題、一項でございますかの問題でございますけれども、私は、先生のおっしゃるとおりの問題があるというふうに思います。 ただ、国際人権法の立場でいうと、ここの点でも国民というのが出てまいりまして、これは人類に対して負うんだと、責任を。人類として、私たちが子供に対して、子供の教育を受ける権利を保障するのであるというふうに御理解をいただきたいと思います。
○公述人(石躍胤央君) おっしゃられたとおりだと思います。 それと、先ほど来言っていることなんですが、今の現行法ができるときにどういう議論を重ねてきてでき上がったのかをもう一遍じっくり見てどうなのかということを、することをしていただかないといかぬだろうと私は思っています。 それで、もう一言付け加えると、実に巧妙というか、これはよっぽどあれじゃないと見抜けないのが、全部法律でひっくり返すようなことをやってきているのが明治憲法以来の為政者の手法ですね。明治憲法、先ほど今の憲法と対比しましたけれども。 終わります。
○小林美恵子君 ありがとうございます。
○団長(北岡秀二君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。 私の方から、改めて公述人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げたいと思います。 長時間御出席をいただきまして、それぞれのお立場から大変中身の濃い御意見を拝聴させていただきました。誠にありがとうございます。 特に、この公聴会自体が、先週末もう本当に緊急に決まったということで、大変そういう面では、公述人の皆さん方には無理を申し上げて御出席をいただいたと。今申し上げましたとおり、にもかかわらず大変すばらしい御意見をいただいたと。重ねて心から厚く御礼を申し上げたいと思います。 そしてまた、なおかつ、皆様方からそれぞれにいただいた御意見は、私どもしっかり聞かせていただきましたので、今後、法案の審査の過程の中で十分生かさせていただきたいと思っておりますので、その旨も御了解をいただきたいと思います。 本当に、諸先生方の御協力に対しまして、委員会を代表しまして心から厚く御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。 以上をもちまして参議院教育基本法に関する特別委員会徳島地方公聴会を閉会いたします。 〔午後五時八分閉会〕