文教科学委員会 第2号
- 発言数
- 207 件
- 登壇者
- 13 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 2003/03/20
会議録
○委員長(大野つや子君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査のため、本日の委員会に文部科学大臣官房長結城章夫君、文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、文部科学省初等中等教育局長矢野重典君、文部科学省高等教育局長遠藤純一郎君及び文部科学省高等教育局私学部長加茂川幸夫君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(大野つや子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(大野つや子君) 教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査のうち、文教科学行政の基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○山根隆治君 おはようございます。 今日、この時間に質疑をさせていただくということについては一つの感慨を覚えているところでございます。御承知のように、イラク攻撃へのタイムリミットがこの十時に来たということの意味であります。 さて、このイラク問題に関する件でございますけれども、まず、遠山敦子文部科学大臣は政治家だというふうに私は御認識してよろしいんでしょうか。
○国務大臣(遠山敦子君) 政治家という意味によると思いますけれども、選挙によって選ばれた、そういうポジションを持っておられる方を政治家というのであれば、これは当たらないと思います。私が今この職をやらさせていただいておりますのは、むしろ政治家というあるいは国会議員という中から選ぶよりは民間からというような発想で選考されてここにいると思っております。その意味で、私は政治の中に組み込まれておりますけれども、私自身は政治家というそういう認識は持っていないわけでございます。
○山根隆治君 今触れられましたように、政治家の定義というのはあいまいなものでございますけれども、我が国の法体系の中では、政治資金規正法第三条第四項では公職の候補者である者、公職の候補者になろうとする者、現に公職にある者というふうに定義をされているわけでありますし、またその公職とは何なのかということについては、公職選挙法の第三条で国会議員及び地方公共団体の長又は議会の議員というふうに定義されているわけですから、そうした法体系の中では今の大臣の御認識というものは妥当なものだろうというふうに私もある範囲では認識をするわけでございますけれども。 小泉内閣の女性閣僚、三名でしたか、おられます。その中の川口外務大臣は、先般、政治家の定義ということを意識されていたかと思いますけれども、政治家だろうがなかろうが仕事をやるにふさわしいかどうかで判断すべきだということを言われている。つまり、揺れ動く心のうちをこう表現されたというふうに私は思いますけれども、この川口外相の御発言に対しての何か御見解なり感じるところはございますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 川口外務大臣がどういう場面でそのような発言をされたかについては承知いたしておりませんので、正確な意味でのコメントはできないと思います。 しかし、私も思いは同じでございまして、今、特にこういう世紀の変わり目、あるいは時代の変わり目、政治の持つ大変大きな課題に直面しているときにこの職にあるということは、政治家という、狭義の政治家ということではありませんけれども、私はその責任の重大さ及びこの職の持つ影響力というようなことを考えますと、たとえ出自そのものは選挙によって選ばれた者でないにしても、あるいはないからゆえに、より真剣に私は自らの所掌のことに対して責任を持って当たりたいという気分でいるところでございます。
○山根隆治君 私は、大臣がノーバッジで大臣職に就いておられるということは非常にある意味で意味のあることだというふうに思っております。政治家はどうしてもやっぱり選挙というものを意識せざるを得ませんし、そこでいろいろな自分自身に対して縛りを掛けるということもあるいは場面によっては起きるのかも分かりません。しかし、民間というか、経歴はちょっと民間ということではありませんけれども、ノーバッジで現職に就いておられるということについては、思う存分職責を全うする立場にあられるということでは、私は小泉総理の人選というのは評価する立場でございます。 フランスのドゴールの政権下であったアンドレ・マルロー文化相も、御存じ、当然であろうかと思いますけれども、遠山大臣も文化庁の長官をやられたということで、ドゴールとの対談を本にまとめたものもマルローは出しているわけでありますけれども、アンドレ・マルローのイメージというのは、文化人、高い教養のある方であったと同時に、やはり政治家としてのにおいというか、そういうものを私自身は感じていたものであります。そういう意味では政治家に限りなく近いお立場にある大臣だというふうに思いますし、あるいは私は政治家の一員であるというふうなことをもし断言されたとしたら、私はそのこと自身も評価をしたいというふうにも思っておりました。 さて、このイラクの攻撃が、アメリカ軍等による攻撃が間近に迫った中で、今、大臣も様々な思いがおありだろうというふうに思いますけれども、いずれにいたしましても、大臣のお立場は閣僚の一員だということは間違いないわけでございますから、この閣僚の一員として、アメリカ軍等によるイラクへの攻撃、そして日本の政府の取ろうとしている措置について、その閣僚の一員としての御見解をこの際聞かせていただきたいと思います。
○国務大臣(遠山敦子君) お話のように閣僚の一員でございまして、内閣として、この今起ころうとしております大変大事な時期に日本がどのような立場を取るかということにつきましては、内閣総理大臣が明確に決断をされました。 確かに、国連というものを大事にしてきた国際協調を前提とする我が国の在り方としては、新しい国連決議があった方が望ましいということで様々な外交活動を続けてまいったと思います。いろんな国もそうだったと思いますけれども、現にそのことにおいて、アメリカのブッシュ大統領が新しい決議がなされる見通しが立たないということで、仮に新しい決議がなくても、これはアメリカとしてはイラクに対する、イラクのこれまでの様々な国連決議への違反ということに着目をして、アメリカとしては四十八時間の猶予期間を経た後に決断をするということを言われたわけでございますが、それを受けて、内閣総理大臣として、そういう状況下における武力行使の立場ということは理解できる、支持するというふうに明確に言われたわけでございます。 もちろん、だれしも世界の平和というものを願うというのは同じだと思います。しかし、イラクの持ついろんな脅威ということを考えると、今の事態において様々に日本が置かれた立場を考えると、私は、総理の決断というのは、今の日本の最高責任者としての決断として私はこれはきちんと閣僚として受け止めて、そのことについて私のできる範囲でやるべきことをやっていくという考え方に立っております。
○山根隆治君 大臣は閣議でこのイラク問題について何か小泉総理に発言をされていらっしゃいますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 閣議の中身につきましては毎回閣議の結果を記者会見しておりますけれども、イラクの問題に関しまして、私はそれぞれの閣僚いろんな気持ちを持っていると思いますけれども、これはやはりそれほど活発なそれぞれの意見を開陳するという場面はなくて、むしろそれぞれがいろんな考えの上に立って、全体を見通しながら今回の総理の決断というものを見守っているというふうに思います。 私自体も、イラク問題について特に私自身の考えを閣議で明確に述べたということはございません。
○山根隆治君 それでは、大臣御自身が総理及び、同性ということもございますが、川口外務大臣に対してこのイラク問題について御発言あるいは御進言なさったことはございますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 外務大臣とは閣僚の席も隣でございますし、私自身はトルコにいたというふうなこともございまして、トルコ情勢等について若干の意見交換をしたということはございますけれども、日本政府としてどういう対応をすべきかということについて明確な意味で私の方から進言をしたとか、そういう場面はございませんでした。
○山根隆治君 実は、三月の十一日でしたですか、女性国会議員有志四十二名による小泉総理にイラク攻撃反対の申入れというものをされました。この中には与党の女性議員も入っておられました。自民党から一名、与党議員もおられました。公明党、保守新党からは残念ながら参加者、賛同者というものはおらなかったようでございますけれども、その四十二名が、平和を希求する、強く希求する女性の感性というふうなこともあろうかと思いますけれども、その総理への意思というものを表明されたということが実はあったわけでございます。 そういう意味で、私は、また男性閣僚と違った視点で小泉総理にイラクの子供たちや女性たち、そうした無辜の人々への思いというのはまた別の私は感性がおありだったのではないかというふうに思うときに、やはりそれなりの進言というのは私はしていただきたかったというふうなことが少し今の御発言の中からは残念な思いがいたします。 しかし、ここは公的な場でございますから、遠山文科大臣の私はお人柄からして何らかの形でいろんな御発言は私的にはなさっておられたんだろうというふうなこともそんたくをするわけでありますけれども、公式なお話としては少し残念な思いも若干残るわけであります。 さて、私、昨年トルコ、シリア、レバノンそしてエジプトの中東地域を訪問させていただきまして、院の派遣でございましたけれども、各国の外務大臣、指導者と会談することが、そういう機会を得ました。そこで一様に各国の中東の指導者が言っておられたのは、フセインはけしからぬ男だということで一致しておりました。しかし、アメリカが一国の主権というものをじゅうりんするということについて断固私たちは反対していくんだ、こういうふうな見解を一様に指導者の方々が述べられていたのが非常に印象的でございました。日本にいて中東問題を考えるときには、アメリカ発あるいはヨーロッパ発の情報というのが非常に多くて、感覚的に日本にいて少し私自身もずれがあったかしらという思いがしないわけでもございません。 大臣は、平成何年でしたですか、トルコ共和国の大使もされていたというふうに承知いたしておりますけれども、中東の人々の思いというのをまた別の角度から恐らくお持ちなんだろうというふうに思いますけれども、そうした経験の中から、今回のイラクの問題、また別の感覚があれば、政治的な判断とは別に、その思いを少しお述べいただきたいと思います。
○国務大臣(遠山敦子君) 確かにトルコに三年余駐在いたしておりまして、初めてイスラム圏に住んだわけでございまして、イスラムというものについての勉強を随分させていただきました。 これはキリスト教の文明の知的体系とはまた異なった、宗教的な意味を持つ、そういう人々の心情の中にかなり宗教というものが重要性を占める地域でございます。しかしながら、国家を構成する人々のほとんどはイスラム教でございますけれども、イスラム教の中にもいろんな宗派もございます。そして、トルコの場合には比較的穏健なスンニ派でございますけれども、イラクの場合にはそうではなくてシーア派というのがかなり占めていたりいたしまして、同じイスラム圏の中におきましても、その宗派なりあるいはその宗派を通じて得る人々の行動規範というのもかなり違いますし、その拘束力も違うというようなことはございます。様々にイスラムの文明の成り立つ、よって立つところのものを学ばせていただきました。その意味で、恐らくあの中東地域の人々の同じイスラムの信者たちの中にも様々な考え方があるというのも事実でございます。 したがいまして、今のイラクの政権についてどうイスラム圏の人たちが考えるかというのは、かなりそれぞれの国によって違っていると思います。宗教というものの共通性が必ずしもその国の在り方そのものを決めていくわけでございませんで、やはりその国の、その国についてリードしていく、あるいはその国の成り立ちについて責任を持っている人たちのリードの仕方によって国家の在り方も違ってきていると思います。 したがいまして、イラクを構成している多くの人々とその周辺の人々の庶民の感覚というものは共通性がかなり多いものでございますけれども、やはり国の在り方という面におきましては、それぞれの国の政治形態といいますか、そういったものが非常に国の、何といいますか、存立についても影響しているしということでございまして、庶民の気持ちとそれから政治をつかさどる人たちの心情とが一致している場合と、そうでない場合ももちろんあるわけでございます。 そんなことで、ここではもちろんはっきりとはなかなか言いかねるわけでございますけれども、あの地域を本当に理解するということは大変難しい作業であるなというふうにつくづく感じているところでございます。
○山根隆治君 いろいろな思いというのがひしひしと伝わってきまして、いいお話を聞かせていただいたと思います。 さて、第百五十六回国会における文部科学大臣の所信というのはこの間表明がございまして、私もこの席で聞かせていただくと同時に、何度か読ませていただきました。その中で一つ注目した言葉が私自身にございまして、それは知の世紀という表現でございました。知識の知でございますけれども、冒頭のところにその文言がまず出てきて、その後も、「科学技術・学術の振興」の中で「「知」の創造と活用に向け」という文言がございました。知の世紀等の発信したところがどこかということは言葉としては私も分かりませんけれども、いずれにしても、このことに注目をしたというのは、ここにいろいろな私は意味合いがある、これからの二十一世紀の教育を考えていく上で知というものは何なのかというところの私は認識を是非お尋ねをしておきたいと思います。 もし二十一世紀が知の世紀という御認識、そうあるべきだという御認識であったとするなら、十九世紀、そして二十世紀は知の世紀ではなかった。そこを峻別されているとすれば、どのようなイメージで知の世紀ということを表明されたのかどうか。御自身の今まで文部行政に携わってこられたいろいろな施策の中で、きっといろいろな理念もお心の中にあろうかと思いますけれども、その理念に絡ませて、知ということの意味合いということについてお尋ねをしておきたいと思います。
○国務大臣(遠山敦子君) 知の世紀という言葉を、御指摘によりまして、今所信を見てみますと確かに何度も出てまいります。これは私といいますか文部科学省の発明した言葉ではございませんで、実はかなりこの言葉といいますか、二十一世紀が知の世紀であるということについては広く用いられ始めております。 一番最初に、知といいますか、知識というものがこれからは一国の社会なり世界の経済なりというものを考えていく上で大変大事だということを言い始められたのがピーター・ドラッカーではないかと思います。知識社会というものの持つ意味というものについて非常に創造的な出版物を出されたというふうなことが一つのきっかけであろうかと思いますが、それ以降も、日本でも知価社会でありますとか、知という言葉を使ったたくさんの言葉がございます。 行政上も、そういった知の重要性ということを前提にしまして、知の世紀であるとか、あるいは大学は知の集積体であるとか知の拠点であるとかということで最近使わせていただいております。それは、二十世紀までの間は言わば知識というものが価値を持った、もちろん価値を持つわけでございますが、知識を使いこなして、あるいは知識をそのベースにして様々なものを作り出す、そういったものが社会の中で交換され流通する場合に価値を持っていくということについては、余りそういう認識はなかったのではないかと思われます。 ところが、二十一世紀、二十世紀の後半あるいは終末の辺りからだと思いますけれども、情報社会、情報化社会というふうに言われておりまして、情報が伝達するものは知であり知識であり、そのこと自体が経済にも結び付いていくという意味で、知識社会なり知的社会なり、知の世紀ということの言葉の発端が開かれたと思っております。言わば、それは専門性の高い多様な知識とか情報というものが社会を動かしていく原動力になるという認識であるわけでございますが、特に科学あるいは科学技術の世界あるいは学術研究の世界におきましては、正に知を扱うわけでございます。 私は、そういう知の集積体である大学あるいは研究所といったようなものについて所管をしている立場から、二十一世紀を性格付ける知の世紀をリードしてもらいたいというときに使っております知というものは、やや知識社会とか知識というものとはちょっと違った面もございます。それは、ここで言いたいのは、単に知識を持っている、あるいは知識の集積体というものを大事にしていく、既存の知をよく知っている、あるいはそれらを活用するというだけではなくて、そういったものをベースによく考える。よく考え、思考をして、理解をして、さらにその上に創造というものがないと、本当の意味で世界をリードするあるいは人類の知に何か付加していく、そういうものではないのではないかと考えております。 その意味で、既存の知の集積それからそれをベースにした思考ないし理解というものの上にさらに創造を加えていく、そこのところが日本の将来にとって非常に大事ではないかというふうに思っているわけでございます。その意味で、知の世紀なり知の集積体と言いますときには、創造性といいますか、新しいものを作り出し、かつまた、あるいは実践的に行動するというふうなことも含めた意味で使わせていただいているところでございます。
○山根隆治君 後段の部分でほっといたしました。知識ということだけにとらわれていたとすると非常に大変な問題が惹起されてくるということをちょっと心配を実はしていたわけです。 西洋人、アメリカを含めての人たちの知というものの概念と、私たちアジアの人々のこの知というものの概念というのは、私はかなり違ったものがあるだろうというふうに思っています。例えば中国から伝来してきた陽明学、これは陽明学者の数だけ陽明学があると言われるほどに様々な理解や解釈がありますけれども、しかし、例えば伝習録といったものをひもといてみると、これは仏教で言うと法華経のようなものですけれども、知行合一というのが出てくる。知識と行動というものが一致しなくてはいけないというふうな哲学でございますけれども、様々な、私は今の御答弁の中で、いろいろな示唆に富んだ御答弁ございましたけれども、この知行合一、行動ということもこの知の中の概念の中に包含されているというふうに理解してよろしいですか。
○国務大臣(遠山敦子君) 私も、単に知が何か創造的あるいは英知ということにとどまるのではなくて、何かを作り出すなりあるいは行動というものに結び付いていかないと本当の社会の中での意味ある知というわけにはいかないのではないか。もちろん、これまで長年にわたって研究が行われていろいろ解析されてきたそういったたぐいの知というものももちろん大事でございますけれども、これから必要としているのは、それに加えて行動なりあるいは実践なりあるいは何かを作り出す、そういうものに結び付いていくエネルギーとともにある知というものをこれから考えていかなくちゃならないのではないかなと思います。
○山根隆治君 そうしますと、例えば政治家の資質として言われるのも、知という意味の中で、知情意、情とそれから意識の意、知情意という物の言い方がございます。この概念も含まれていますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 知というものを先ほどおっしゃいましたような形で実践に結び付けたり、何か物として化体するものに作り上げていく場合には、単に知識というものではなくて、それを作り出そうとする意欲でありますとか情熱でありますとか、あるいは将来を見通してその作り出すものというものは本当に人類のためになるかというようなことの倫理性も非常に大事だと思っております。 その意味では、本当の意味の知というのは、山根委員がおっしゃいますようなものをトータルしたようなものでないと本当にふさわしい知ではないのではないか。人の殺りくのために使われるような知であればない方がいいわけでございまして、そこのところは私は、知における倫理性というものも非常に大事ではないか。また、その知というものを、クリエーティブなものを作り出していこうという意欲、知情意ですから情意ですね、そういったものも広い意味では含まれてまいると思います。
○山根隆治君 かなり回りくどい言い方をしているかと思いますが、非常に大事な部分、私自身の認識としては大事な部分ですから、少し回りくどく言わせていただいたんですけれども、私は、今日の教育の混乱というのが欧米の知識偏重の私は犠牲になってきた部分が多々あるのではないかということで、今日の日本の教育の混乱というものの要因として私は認識をしているものでありましたから、そこの部分を掘り下げて今実はお尋ねをしたわけであります。 大平元総理大臣、党派は違いますけれども私の好きな政治家のお一人でしたけれども、大平元総理は「近代を超えて」という本を実は死後上梓されたわけです、出版されたわけです。それは、近代合理主義というのがもう行き詰まっているんだ、欧米の哲学、理念ではこれからの世界を掌理していく、ほどよく治めていくということはできないという意味合いのことを再三いろいろな書物でも書かれていたし、御発言もございました。 私は非常に大平さんが同じキリスト教圏に信奉されているキリスト教・クリスチャンでありながらそういう御認識を持たれたということについては非常に感銘を当時から受けていたものでございますけれども、これからは新しい私は理念なり哲学、東洋的なるものの哲学というものによっていかなければ日本の教育の復興ということは私はあり得ないというふうに思うわけでございまして、単なる、知の世紀という場合の知というものも、そのまま文言を引っ張ってくるというふうなことではなくて、牽強付会ということを用心しながら、私は、東洋的なるもの、あるいはアジア的なるもの、日本的なるものの中にこれからの教育の私はよすがというものを見いだしていくべきだろうというふうに思っております。 この西洋の合理主義精神というか、合理主義、近代合理主義というものについて大臣はどのように評価されていらっしゃいますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 確かに、私どもの知識体系というのはヨーロッパといいますか西洋の合理主義を基盤としたものが主流を占めてまいったことは確かでございます。十七世紀ですか、パスカルが言いましたけれども、人間というのはか弱いアシであるけれども考えるアシであると。あるいは、コギト・エルゴ・スムというような言葉もございますし、要するに人間というのは思考ができて、そしてそういう科学的な知識といいますか合理的な知識といいますか、そういうものをどんどん究めてきて今日の科学技術の基礎ができてまいったと思います。その合理性なりあるいは普遍性なり、あるいはそこが、それが持っている様々なことを解明していく力なり、これはもう本当に知識の中核にあってしかるべきだと思います。 ただ、それだけでいいのかということになりますと、かえって今は西欧の知的な人々が、むしろ東洋に何かもうちょっとこれからの人間の在り方なり知の在り方を考えていくのに参考になるようなものがあるのではないかということで、東洋の知といいますか、そういったものへの見直しというものが出てまいっております。それは単に知識、技術というだけではなくて、あるいは科学技術という分野ではなくて、例えばデザインでありますとか建築の問題、あるいは、何といいますか、人間の心情の問題、感性の問題、風土に対する感情の問題、そういった様々なことについて東洋的な考え方、特に日本の文化というものが作り上げてきたいろんな魅力というものについて見直しといいますか、魅力を感じてきている部分があると思います。 その意味では、知識の中核面、我々のこれからの知識の中核面というのは、ああいう合理性があり普遍性があり、他のものにも転用できる、そういったものを中核にしながらも、更にそれに加えて何か足りないものがあるのではないかというときに、東洋的あるいはアジア的、あるいはもっと言えば日本人でありますから日本的なものというものが、何といいますか、示唆する深みといいますか、そういったものも加味した新たな知といいますか、そういったものに貢献できる国であるといいなと私はひそかに思っているところでございます。
○山根隆治君 こういった抽象的な論議をしていると何か雑誌の対談みたいになっちゃうので、この辺で少し打ち切りたいと思いますけれども。 大臣も、子どもの権利条約を始めとする文部科学関係のいろいろな国際条約はお読みだと思います。細かいことを聞くつもりはないんですけれども、子どもの権利条約が一九八九年十一月二十日に採択されて、日本では一九九四年四月の二十二日に批准をされているわけでございますけれども、この中で、前文の中にも「権利」という文言が非常に出てきます。「国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎を成すものであることを考慮し、」というところにも、まず権利という言葉が出てきます。これの原文ではやっぱりライトということでございます。これを権利というふうに訳した。果たして私はこの訳し方が正しかったのかどうかということが非常に疑問を前から持っておりました。 つまり、私流に訳せば、理解すれば、これは資格というふうなことで日本語に訳した方が、より能動的なもの、思索、思考できる、考える余地のある文言になったのではないか、つまり膨らみのある言葉になったのではないかというふうに思っています。つまり、権利ということだけで終わらせてしまうと、与えられた当然の特権意識というか、そういうことで思考がそこで止まってしまうというところで義務を伴うイメージも全くないということになる。 そこに、私は日本の教育の混乱の原因の一つもこの文言の中に私自身は見いだしているわけですけれども、資格ということで訳すべきだったという私の思いについてはどのようにお考えになりますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 大変深い示唆に富んだ御意見だと思います。
○山根隆治君 簡単にそうですねというふうにお答えできないお立場ですから、急な話ですから仕方がないかとも思いますけれども、私は、この子どもの権利条約ができ上がってきた背景ということを考えてみると、我が国にそのまま当てはめたときの環境というか背景が大きく違っているところがあるだろうと。 つまり、我が国のように衣食住に全部恵まれ、自由に恵まれという成熟した社会の子供たちをイメージしたというよりも、労働を子供たちが強要されて教育の機会も与えられない、そういう子供たちあるいは少年少女の、子供の、少女の売春等で苦しむ、そういう世界の子供たちの権利をどう守るかということで私はこの条約というものは作られてきたというふうに私自身は背景としては理解をいたしております。 したがって、無制限に子供の権利を拡大するための私は条約ということではなかったというふうに理解をしているわけでございますけれども、この点についての見解も更にあればお聞かせください。
○国務大臣(遠山敦子君) 私は、あれは去年、おととしでございましたかね、ニューヨークで国連の子供サミットというのがございまして、ここに出ました。そのときに、各国の代表、子供たちも含めましていろんな発言がございましたけれども、それは、いかに子供たちが飢えに苦しみ、あるいは圧制に苦しみ、そして学ぶこともできない、何とか日本は助けてくれという声をたくさん聞いたわけでございます。それは、もう日本の子供たちが置かれている状況と、そういう希望を持っている国々とは全く違うわけでございます。私は、子供宣言といいますか、子供サミットで接したその悲痛とも言える声というのは、今もアフガニスタンの子供たちがそうであり、これからのイラク等で起きる事柄、あるいはアフリカの国々、もうこれらは本当に、いかにして生命を維持するか、学校へ行けることが本当に夢である、そういう子供たちの悲痛な状況をどう救っていくかということであろうかと思います。 私も委員と同じような感想も持つわけでございます。日本のように恵まれた条件、本当にもう生まれ出たときから豊かであるような子供たちに、むしろライトといいますか、そういったことばかりではなくて、必ず権利には義務も伴う、そして、自らのことだけに、自らの満足のため、快楽のためだけではなくて、いかに社会とか国とかあるいは地域とか、他者のために自分が貢献できるかということについて考え得る、日本はそういう社会であるなとつくづく思った次第でございます。
○山根隆治君 いつか機会を見て、この子ども権利条約の日本語訳というのは政府がやっていたものだと理解しています。したがって、私は、しかるべき時期にこの訳について御検討をされてしかるべきかと思いますけれども、いかがですか。
○国務大臣(遠山敦子君) これは、ライトという言葉を権利という日本語に置き換えて日本語を定着させた福沢諭吉にまでさかのぼるわけでございまして、また政府の定訳ということも出ているわけでございます。 私は、そういうことも、もちろん委員の御発想もよく分かるわけでございますが、訳を改めるあるいは見直すといいますよりは、本当にその条約で書かれているというものが一体何であるのか、あるいは日本に当てはめた場合にどういうふうに考えたらいいのか、そこのところをしっかりと議論していく、そのことが非常に大事ではないかなと思うところでございます。
○山根隆治君 もう一つ、国際的な宣言で世界人権宣言がございます。そこの第一条に、すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利とについて平等である、人間は理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならないという文言がありますけれども、これは私は、キリスト教圏における平均的な哲学というものが表されたものであって、我が国の伝統的な理念とは少し違いがあるのではないかというふうに私自身は思っております。 つまり、人間は理性と良心とを授けられておりということで書いてあるわけでございますけれども、私たち日本人は、理性というものは育て上げるもの、作り上げるものだ、子供のために、という理解を日本の伝統的な感覚として私はあったというふうに思うわけでございます。ところが、キリスト教の影響もかなりあってこの文言が書かれているはずですけれども、それは天から、神から授けられた、最初から理性があるんだというふうなことがここに述べられているわけですね。 昔、私も中学時代でしたですか、教科書だか参考書で見たのは、インドで、戦前ぐらいでしょうか、オオカミ少年が発見されて、そのオオカミに育てられた子供を何とか人間に復活させよう、戻そうということで様々な試みを見たけれども、しかし、全くオオカミと同じような生活態度というか生き方というのは変わることなく命を全うしてしまった。つまり、最後まで人間の言葉を話すこともできず、人間の行動様式を取ることもできず、表現もすることができなかったということを、私も自分自身が中学生ぐらいだったと思いますけれども、見たことがございます。写真を見、そして文言も読んだことがございます。 そのことを今話しながら思い出したわけでございますけれども、やはり先ほどの権利ということを、例えばヒューマンライツということでも、これを私、人権というふうにこの中でも訳しているわけでございますけれども、ここに私は、権利ということでのやっぱり誤解、あるいは傲慢な人間の感情というものを少し生ぜしめてしまったものはないんだろうかということが非常に危惧を、私は前から持っていたわけでございまして、言葉一つの問題でありますけれども、本当に多くのいろんな問題がこの中にもある。この点についてのお考えもございますか。御表明いただける御見解があれば聞かせてください。
○国務大臣(遠山敦子君) 正確にお答えしますにはその世界人権宣言というのを十分読みこなして、英文といいますか、元となる文章と日本語というものを照らし合わせる必要があろうかと思いますので、正確な答弁というのはこの際できないわけでございますけれども、私は、世界人権宣言が出されたときの世界の情勢、それから各国の状況を見ますと、これはやはり一つの理想を明記したものではないかなと思います。西洋的な考え方、理性ないし自由なりといったようなものの押し付け的、あるいは与えられたものという考え方もございますけれども、やはり民主主義であるなりあるいは自由、平和といったような今の日本の憲法の根源になっているような部分について、私は、各国、これは理想として各国の体制の中に作り上げていくべきものだと考えておりまして、その上に立って、それぞれの国の特色、あるいはそれぞれの民族の形成してきたいろんな文化なり伝統なりというものを加味して、一体どのような成熟社会を作っていくかということこそがそれぞれの国のあるべき目標の取り方ではないかなと思っているところでございます。 どうも十分な回答でないかもしれませんが、そのように思います。
○山根隆治君 本当に日本をもう一度よみがえらせていく、そして子供たちの教育というものをもう一回しっかりと考え直していく、立て直していくということについては、やはりもう相当なところまでさかのぼって、あるいは掘り下げていかないと、この国の教育というものは私はもう立て直すことができなくなるという思いが非常に強くするわけです。 ですから、皮相というか上っ面の措置では、びほう策ではもうどうにもならないところまで来ているので、哲学的なところあるいは宗教的なところまで掘り下げて、行政のトップにある遠山文部大臣の立場でそこをもう少し、もっと思索を深めていただいて、かじ取りを是非お願いしたい。この点についても要望をしておきたいと思います、時間ばかりちょっとたってしまったので。 それでは次に移らせていただきたいと思いますけれども、過般、三月の九日でしたですか、広島県尾道高須町の市立の高須小学校の慶徳和宏校長先生が自殺されたというニュースがございまして、非常にショッキングなニュースでございました。 この校長先生は、文部省の新しい方針にのっとり、民間から民間人として教職に就かれたわけでございますけれども、非常にいろいろな方々から期待をされ、御本人も意欲に燃えて校長の職に就いて、わずか一年ほどですかで自殺をされて、自ら命を絶たれた。悲惨なニュースでございましたけれども、なぜ自殺に追い込まれたのか、把握されている情報をお聞かせください。
○政府参考人(矢野重典君) 広島県教育委員会からの報告によりますと、メモが二通残されておりまして、一つは、能力のない者が校長になって、たくさんの方々に御迷惑をお掛けすることになって本当に申し訳ございませんというものでございました。もう一つは、これは御家族にあてられたものでございまして、御家族へのお別れの言葉などが記されておりまして、他の方を批判するような内容ではなかったとのことでございます。 残された遺書といったような性格のメモでございますが、そういうものが残されたわけでございますけれども、この自殺の背景、理由等につきましては、現在、広島県教育委員会におきまして調査をしているわけでございますが、現時点ではその原因や背景等につきまして十分把握ができていないというふうに聞いておりまして、広島県としては、去る十三日に尾道市立高須小学校問題調査委員会というのを設置いたしまして、原因の究明に取り組んでいるところ、取り組んでいるというふうに聞いているところでございます。
○山根隆治君 新しい、報道されていない事実というものが今の答弁で出てまいりました。つまり、二通の手紙、能力のない者が校長になり、たくさんの方に迷惑を掛けた、そういう言葉については各社報道がございましたけれども、もう一通がよく私も分からなかったんでお尋ねしたかったんですが、御家族の皆さんへのお別れの言葉だったということで、そこからは、手紙から、遺書からは、自殺の直接的な原因となるようなことは書かれていなかったというふうな理解でよろしいんですか。
○政府参考人(矢野重典君) はい、そのとおりでございます。
○山根隆治君 なおのこそ、この校長先生のお人柄というものがにじみ出た遺書だなという感想を私は持ちます。 文科省の方で民間校長を採用するという方針を出された背景について、あるいはそのねらい、民間の校長先生には何を求められて大きなかじを切ってきたのか、このことについてお尋ねします。
○政府参考人(矢野重典君) これは平成十二年の四月一日から施行された新しい制度でございますが、校長の、これまでの校長の資格要件を緩和をいたしまして、緩和したものでございますけれども、この趣旨は、組織的、機動的な学校運営を行うことができる資質を持つ優れた人材を確保するということでございまして、特に学校以外のところから幅広くそうした人材を確保するということをねらいといたしまして、校長、教頭も含めてでございますけれども、資格要件の緩和を図ったところでございます。 その場合の大きく期待をいたすところは、今日の学校運営にとりまして、学校をマネージするという、マネジメント能力ということが今日の学校運営にとって大変大事な資質であり能力であるということがあるわけでございまして、私どもとしては、そうした能力を備えた人材を幅広く、学校以外も含めて幅広く確保したいということでこういう制度を新たに作ったものでございます。
○山根隆治君 管理能力に期待されるということでございますけれども、学校にもそれぞれの学校の歴史がありますし、教育界にも様々な文化というものがある。それを理解した上でないと、私は、校長の職責を全うするというのは非常に難しいものが実はあったんではないかという思いがいたします。 民間のセンスというものを学校の管理、運営の中で生かそうということはだれしも思い付くところでもありましょうけれども、しかし、いきなり民間の企業で身に付けた管理能力をもってその学校の運営に当たるということについては、知っておかなくてはいけない様々な私はものがあったはずであろうと思います。 この慶徳先生の場合には、二日間の研修でしかありませんでしたね。新聞報道で見ると、労働組合の方もこれはもう短過ぎる、少な過ぎるというふうな指摘もされております。私も、これは本当に短過ぎるなというふうな思いがいたします。 どのような学校で、どんな文化が、学校文化がその中にあり、どんな環境なのかということを理解していただくのには、いきなりほうり込んで、後はあなた、民間の経験を生かしてやりなさいということにそもそも私は無理があったのではないかという気がしてなりません。法律的なこと等とか上っ面のことは説明し得ても、私はやはり、ある程度一定期間例えばその学校に入って、野球の原監督や王監督じゃないですけれども、副監督をやったりコーチをやったり、いろいろな人間関係を作り上げ、信頼関係を作り上げ、その上で入り込む、校長の任に就くということであれば受け入れられもしたろうし、自分自身の思いというものも時間を掛けて私は発揮することができたんではないかというふうに思うわけでありますけれども、この校長、民間の校長というものを学校の中に派遣するというか投入する、投入というか、人ですからちょっと言葉、表現難しいですけれども、採用される場合には、私は一定の校長への教育、カリキュラムというものをしっかりしたものを作って、そして現場での経験ということを積ませる必要があるというふうに思うんですけれども、この点についてはどのようにお考えになりましょうか。この事件からの反省を聞かせてください。
○副大臣(河村建夫君) このたびの慶徳校長先生の、自殺でお亡くなりになったと、大変痛ましいことでありまして、残念に思っておるところでございます。 今、委員御指摘の点は、私、非常に重要な点だというふうに思います。 就任に当たっては、やはりその学校の特性といいますか、やっぱり任命する側の方といいますか、教育委員会にお願いをしておるわけでありますが、どういう目標を持ってどういう点をマネージしてもらいたいというようなこともやっぱり必要だろうと思います。今回のケースについては、確かに十分なその点が少なかったという指摘がございますが、大いに反省すべき点だろうと思います。 それぞれの各委員会が御判断をいただくことではございますけれども、やはりその方のこれまで積んでこられた経験、この先生の場合には銀行でございます。銀行というのは非常に組織的にもきちっとしたところでございますから、そういう方が、学校現場というのはどっちかというと先生一人一人が個が確立しているといいますか、組織的に動くというよりも、むしろそれぞれの個々の先生がやっておられるという面もございます。その辺の違いもあったんじゃないかと私は、私自身そういうふうに感じるわけでありますが、そうした、その人が持ってこられた経験や知識を踏まえて配属校や地域の状況を踏まえた適切な研修をやる必要がまずあるだろうということ。 それから、校長先生に対しては教頭先生が非常に頼りになるわけでありますが、そういう方には特に豊富な、経験豊富な教頭先生がおられるということも必要ではないか。この先生の場合には、大変不幸なことに、二人の先生が次々と病気になられたという、これも非常にまた不幸であったと思うのでありますが、そういうことがございました。そうした校内体制を、きちっと受入れ側の整備をすることが必要であろうということ。 それから、いわゆる社会人として入られた校長先生がどういうふうにされているかということをウオッチするというとあれでございますが、相談に乗れるような形のもので指導主事の方を派遣をして、きめ細やかに御相談に乗りながら、うまくいくようにバックアップすると、そういう体制が必要ではなかったかなと、こうも思っておるわけでございます。 文部科学省といたしましては、広島県教育委員会の調査結果というものを十分踏まえて、これからの民間人校長の研修の在り方、あるいは教育委員会の支援体制において更に改善すべき点、配慮すべき点があれば、これを踏まえてしっかり指導してまいりたいと、こう思っておりますし、必要に応じて、他の教育委員会におきましても民間人校長の登用に当たっては十分な配慮がされるように働き掛けてまいりたいと、このように思っております。
○山根隆治君 この慶徳先生は、今お話ありましたように、教頭先生お二人も病に倒れられて、そして御自身もうつの状態にもなられていたようですよね。そして、教育委員会にその自分の思い、現状というものを訴えられて、転校ということも希望されている。しかし、とにかく頑張ってもらいたいということで叱咤激励されて、逆にそれがもう追い詰められていくということにもなったんだというふうにも思っています。 今、調査を待ってということでございますけれども、教育委員会を中心とした調査ということになれば当事者の調査ということになるわけですから、私は、これは第三者という者を入れた調査というものをしっかりやっぱりやっていくべきであると思いますね。 平成十四年度、今年度までに民間の校長先生は二十三人、来年度はそれが倍以上になって五十人になるということでございます。この事件を契機にいろいろな民間から登用された校長先生の談話等、記事というものも私も新聞等で読ませていただきましたけれども、やはりみんなそれぞれ非常な困難というかを乗り切っておられるし、苦労が、今までしてきた、民間で重ねてきた苦労と種類が違うものだというふうな思いをそれぞれの皆さんがお持ちになっておられるようでございます。 ですから、私は、もう来年度から倍に、五十人にもなるということであれば、この事件をきっかけとして、ほかの学校に赴任されている校長先生からのいろいろな現場での苦しみとか悩みとかあるいは喜びとか、そういうものも、プラスもマイナスも全部一度お聞きして、アンケートというか、人数がそんな多くないわけですから面談して、調査して、いろいろな知恵、経験というもの、この短い期間でありましたけれども、それを私は集約して来年度から是非生かしていくべきだろうと思うんですけれども、今のところ新聞報道等で見る限り文部省にそうした動きというものを私は承知していないんですけれども、今現在、民間の校長先生、赴任されている皆さんからのいろいろな知恵なり経験なりアイデアなりをいただくというおつもりはないのかどうか、お尋ねします。
○政府参考人(矢野重典君) 民間人校長の登用に当たりましては、今回の不幸な事件を契機として、私どもとして、採用の問題それから研修あるいはそれを支える支援体制といったようなそういう問題について、各教育委員会において相当の配慮をしていく必要があるというふうなことを改めて認識をいたしたところでございますけれども、その際には、先ほど副大臣からも申し上げましたけれども、現在、この事件につきまして、詳細な原因究明について広島県教育委員会で調査研究を行ってございますので、私どもとしては、そうした検討の成果等も踏まえながら、かつまたこの機会に民間人校長の登用に当たっての様々な課題や問題につきまして私どもなりに研究をいたしまして、そうしたことを踏まえて、他の教育委員会に対して民間人登用に当たっての十分な配慮が行われるような必要な指導ということについて検討してまいりたいと考えているところでございます。
○山根隆治君 いやいや、私の伺っていること、提案に答えていないんですけれども。つまり、今、民間の校長先生も赴任されているんだから、それらの先生から直接お話を聞くべきだということを私は提言しています。その答えを下さい。
○政府参考人(矢野重典君) 御提言の趣旨はよく分かりますので、そうしたことも含めて、どのような各県に対する取組の指導を行うかということについて検討をいたしたいと思います。
○山根隆治君 何ばかなこと言っているんですか。そういう抽象的な、官僚的というか、優秀な人もたくさんいますけれども、答弁が優秀でもしようがないのでね。今のお話は、そういうことも含めてじゃなくて、そんな即座に、現場が一番大事なんですよ。ですから、いろんなところから、広島県の教育委員会から話を聞きます、研究者から話を聞きますということじゃなくて、一番学べるのはやっぱり現場なんだから、現場で苦しんでおられる校長先生から話を聞いて、それ生かすのは当たり前のことじゃないですか。なぜそれが抽象的な文言で逃げているんですか。
○政府参考人(矢野重典君) お言葉でございますけれども、民間人を校長として採用し、また具体に配置して、そういう意味での人事について責任を持って行っておりますのは、それぞれの都道府県の教育委員会でございます。そういう都道府県の教育委員会から私どもとしては必要な情報なり、また意見を聞きながら、先ほど申し上げましたような形での指導の対応について検討いたしたいということでございます。
○山根隆治君 間接的な情報では、本当、生の情報じゃないと、いろいろと事実認識が間違ってくるんですよ。これはやっぱり直接聞いて、悩みなり喜びなり、そういうものを聞いたらいいじゃないですか、そんな、当たり前の話でしょう。 これは、政治家たる遠山文部大臣から御答弁願います。
○国務大臣(遠山敦子君) 確かに、民間の方が学校に入られて、今回は本当に不幸な事件でございましたけれども、良い面もあると思います。 良い面、悪い面、それぞれの人々がどのような経験をなさっているかということを聞くということも大変大事だと思います。よく検討してみたいと思います。 これまでの行政手法でございますと、それぞれの教育委員会でしっかり情報を集めてもらってということでございますが、委員の御提言というもの大変意味があると思いますので、検討してみたいと思います。
○山根隆治君 ありがとうございます。それは是非ひとつ、前向きなお答えだと思いますので、いろいろな検討ありますけれども、前向きな今検討だというふうに理解をして、この問題、是非進めていただきたいというふうに思います。 それから、先ほどちょっと一つ聞き落としたのかも分かりませんけれども、校長養成のカリキュラムを文科省の方で作られるというふうな報道もあったかと思います。この点はどの程度進んでいるんでしょうか。
○政府参考人(矢野重典君) これは、民間校長の研修のカリキュラムということでございますでしょうか。 そのことにつきましては、まず研修につきまして、私どもとして一定の、例えば教職に関する専門的な知識等についての一定期間の研修ということが重要であるということを私どもは改めて認識をいたしているところでございますけれども、そのことにつきまして、国として画一的な例えば研修モデルといったようなものを示すということよりも、これはそれぞれの教育委員会においてそれぞれの実情においてよく考えていただく、中身について考えていただくことがより適切ではないかというように考えております。
○山根隆治君 余りにもあれですね、すっきりしないんですけれども、ちょっと時間がもうなくなってきまして、コミュニティースクールの問題、それから不登校の問題等もお尋ねしたいと思っておりましたけれども、時間がちょっとたってきて、非常に消化不良になって残念なんですけれども。実はそれらの問題についてはまた別の機会に是非お尋ねをさせていただきたいと思いますけれども。 私は、選挙区が埼玉県なものですから、宿舎には毎日泊まっておりません。過般、久々に宿舎に泊まりましたときに、その宿舎に緊急の請願書というものが入っていました。 これはどういうものかといいますと、東京大学系の国語学者に覚せいを促すための請願ということでございまして、読んでみると余り請願には少しなじまないものかなというふうな思いがいたしましたので、請願者の方にお電話して、これは国会への請願ということについては少しなじまないと思うというふうなお話をさせていただきましたらば、これはまだ請願として出していませんし、じゃ出しませんと、こういうことでございました。しかし、その請願の内容を読んでみると、非常に私、興味そそられたというか、非常に大きな意味のある請願だったかなというふうな思いを実はいたしました。 つまり、国語辞典や古語辞典というものが根本的なところで少し違っているという指摘でございまして、私も専門家ではありませんので細かいことは分かりませんけれども、幾つかの指摘があるところを見てみると、なるほどというふうな思いが実はいたしました。 例えば、雨が降るかしらということの意味というのは、今の多くの辞典では「しら」と、終助詞ですけれども、それは知らぬの「ぬ」が落ちたものだということに一応なっております。つまり、雨が降ったかどうか分からないと、こういう意味ということが解説としてはあるんですけれども、しかし、この方の指摘ですと、全く違った研究成果を述べられております。つまり、「かしら」の「か」というものについては何という字ですね、何者の何。それから、「しら」というのは漢字の諮問の諮だという理解で、これは、降るかどうだろうかねと、こういう意味だと。つまり、「しら」というのは、上の者が下の者にどうだろうかということを問う、そういう意味合いだということでございまして、雨が降るかしらということの意味というのはかなりやっぱりこれだけでも違うというのがよく分かりますけれども、これが、一か所や二か所じゃなくて、本にしてこの方研究されておられますけれども、非常に多くの根本的なところで今の辞典への疑問というものを呈されております。 中央教育審議会の答申書の概要というのを実は昨日党で勉強させていただきました。文科省の担当官からいろいろとお話を聞かせていただきましたけれども、その中で、「二十一世紀の教育が目指すもの」という中で、「日本の伝統・文化を基盤として国際社会を生きる教養ある日本人の育成」ということを書かれて、大きいタイトルとして掲げられているわけでございますけれども、この日本の伝統、そして文化の基礎として、基盤としてというその基盤にとって一番大事なのは日本語、言葉でございますけれども、その言葉が、私たちの理解が違ったところで我々理解していたんだとなると大変な問題というのを惹起することになるわけでございまして、これは非常に私にとってもカルチャーショックでもございました。 ここはもう学会でもありませんし、私も専門家ではないので細かい論議はする時間もありませんし、その場でもございませんけれども、こうした草莽の、民間の方々の研究の助成ということについてはこれほどな問題提起というのはないと、大きい問題だというふうに思うんですけれども、これら民間の方々へのこの研究への助成というか支援というか、そういうものについては文科省としてはどのようにお考えになりましょうか。これは一般論でも結構でございます。
○副大臣(河村建夫君) この方の請願書を私、実はこの十一月にお出しになったときにはもう衆議院の委員はやめておったものでありますから、副大臣に入っておったものでありますから気が付きませんで、山根先生の御質問があるというのであの本もちょっと拝見をさしていただきまして、よくまああれだけの膨大なものを研究されたんだなと思って本当に感心をしたのでありますが、ただ、この詳細は私もよく分からないものでありますから、これからこれをどういうふうな形で取り上げるかということになると、いろんな学者の皆さん方がどういうふうにされるか、あるいは学会等がこれをどういうふうに見るかというようないろいろなことがあろうかと思います。 しかし、これは文化庁が国語の問題については文化庁の審議会等々でもやっておるわけでございますが、そういう注目されるような研究については、調査審議等においてこれについて研究をしていただく。そして、これがもう日本の国語そのものを根本から変えていくんだというようなことになれば、それによって更に配慮をしてそれを支援をしていくという方向もあろうと思いますが、現時点では、今文化庁では、先ほど御指摘ありましたように、国語の重要性というものにかんがみて、文化審議会の国語分科会を中心に国語の改善、普及を進めてきておるところでございまして、独立行政法人の国立の国語研究所が国語に関する研究に今鋭意取り組んでおりますから、そういうところでもこの研究がどういう意味を持つのか、またこの方が言っておられることについてどういうふうに考えるのかということは、私は是非研究してもらいたいと、このように思います。 冒頭御指摘ありましたように、国語というのは、やっぱり日本人にとってこれはもう日本の意思疎通の手段であると同時に、長い歴史、日本が作ってきた長い歴史で、正に国の文化の中心を成すものでありますから、この先人の皆さんが築いてきたこの伝統文化といいますか、これをやっぱり理解をして、日本人が豊かな感性、感情を備えていく、幅広い知識や教養を持つ、この国語が正に中心であります。今、英語教育のこと等もいろいろ言われておりますけれども、やっぱりそれをちゃんと習得するためには、まず国語がきちっと習得されなきゃいかぬということを私は当然のことだろうというふうに思っておりますので、山根先生がこの本をごらんになって、やっぱりこれ、ここまで研究されたことに対して、それをそのままにせずにやっぱりいろんな角度から考えていくということは必要だろうと思いますし、また民間の方々の研究に対しても、そうした大きな研究に対してはいろんな支援をこれまでもやってきておるわけでございまして、この研究されたことの位置付けというものがある程度はっきりしてくれば支援の方法もあるんではないかと、このように思います。
○山根隆治君 いや、それは順序が違うんですよ。その研究の是非ということを我々は深入りするべきじゃないんじゃないかというふうに私自身は思うんですね。それが是か非か、それが正当なものなのかどうかという判断は行政がやっぱりするべきじゃないんで、それはもう学会に任せればいいわけですよね。それが何とか審議会の意見を聴いてということになると、何とか審議会もほとんど東大が多いんでしょう。やはり、学会でも東大と京大の対立というか流れというのもあるし、だから、それは研究に対してもっとしっかりとした研究の助成措置を取るということがやっぱり大事なんで、そのジャッジを国の機関に求めるというのは少し、ちょっとおかしい、筋としては私はおかしいというふうに思います。 例えば、奄美大島で半生を送った田中一村という画家の方がおられますけれども、非常に、東山魁夷なんかと同級生で、美大で一緒だったんですけれどもなかなか認められないでいましたけれども、しかし死後、非常にその絵というものが、奄美の自然をかいた絵というのは感動を与えて、今美術館も奄美の方ではできているという話を聞いています。 つまり、公のところから、主流のところから認められる、認められないということではなくて、その業績に対して素直にそれを支援していく、その事業に対して支援をするということで結果を見るということが大事なんで、そこは少し順序が逆だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○副大臣(河村建夫君) 私はちょっと舌足らずの面があったと思いますが、これは国の機関に掛けて調査をしてという意味じゃなくて、むしろ委員が御指摘のように、いわゆる一般の研究、こうした研究が出たことに対してどう取り上げていくかということであろうと、私もそういうふうに思います。 ただ、こういう研究というのはいろんな研究があるものでありますから、どれをどういうふうに取り上げるかというのもまた難しい問題でもございましょう。しかし、いろんな研究に対してはそれを取り上げて研究がうまく進むように支援をしていくということは、これは文化庁もいろんな形でやっておるわけでありますから、今の御指摘の点を十分踏まえて対応をいたしたい、こういうふうに思います。
○山根隆治君 私もこの方の生き方というか生きざまというものを見ていて、すごい迫力というものを感じました。一つは、会社、出版社をつぶすぐらいに思い入れして、時間も財産も全部費やしてやってこられたというその姿勢というか生き方というのに非常に今感動を実はしたわけでございまして、これほどまでに国の行く末というものを考えておられる方というのはそうなかなかないだろうと。つまり、自分の財産を何億も捨てて、つぎ込んで研究するなんという人はなかなかいるもんじゃないですよね。私は、その内容が、ジャッジするということではなくて、その研究、そういう姿勢に対してはそれなりのやはり助成の措置というものを取っていく。しかも、それが国の根本を揺るがすような、文化というものを大きく揺さぶるようなもの、あるいは日本人の伝統というもののすばらしさをより一層理解させられるようなそういうものの研究なわけですから、本当に日本人に自信を取り戻させるようなそういう研究の内容に私はなっていくんだと思いますので、是非この点について御検討をいただきたいと思います。 最後に大臣、この問題についてちょっと感想を聞かせてください。
○国務大臣(遠山敦子君) いろんな研究の立場があって、それぞれが濶達に研究されるということは私は学問の発展にとっては非常に大事だと思います。ちょっと個別の面については私はよく存じ上げておりませんけれども、そういういろんな角度のいろんな知の濶達な作用の成果というものが本当に私は大変大事だという点で、委員の御指摘に賛同するところでございます。 ただ、その助成の在り方等につきましては、ふさわしい方法があるかどうか検討させていただきます。
○仲道俊哉君 自由民主党の仲道でございます。 今、世界じゅうが緊迫をした中で、このように日本の教育のことについて語る時間がある日本の平和の有り難さをしみじみかみしめながら質問をさせていただきたいというふうに思います。 まず、教育基本法の改正についてでありますが、現在、小泉内閣の下で聖域なき構造改革の一環として教育改革が行われようとしておりますが、まず、教育改革の中でも特に重要な教育基本法の改正について質問をいたします。 教育基本法の見直しについて審議しております中教審の最終答申素案が三月三日に示され、そして本日、最終答申が示されると聞いております。礼節心や公共心の喪失や規範意識の低下など、戦後教育の弊害の多くが日本民族の魂を入れるのを忘れた現行教育基本法の誤った教育理念によってもたらされたものと考えれば、答申を受けた後は速やかに改正手続に入るべきだと考えます。 文部科学省は、今通常国会に教育基本法改正案を提出すべく検討中と聞いておりますが、大臣の改正に向けての決意と、今後の改正作業のスケジュールについてお聞かせいただきたいというふうに思います。
○国務大臣(遠山敦子君) 教育基本法、制定されましてから五十年余たったわけでございまして、今の大きな社会変化ということを前提といたしますと、これからの新しい世紀を担う子供たちを育成していくためにどういった理念で教育すべきかということを考えるというのは大変大事だと思っております。そのようなことから諮問をいたしまして、正に今日、これから十二時過ぎに答申をいただけると思っております。 その答申をいただいて、これから十分にそれを受け止めて、そしてこれから、改正すべしという明確な答申をいただくようでございますので、そのことを受けましてこれはしっかり対応していくということでございまして、現時点でいつ提出できるかどうかというのはまだなかなかこの場で申し上げるようなことでございませんで、これから答申をいただいて、そして十分に検討していくという、現時点ではそういう状況でございます。
○仲道俊哉君 大臣の決意はよく分かりましたが、是非その決意を具体的に、今国会で具体化するように是非お願いをいたしたいと思いますし、この内容につきましては、その提示されたときの具体的な質問は後に譲りたいというふうに思います。 次に、教育特区の問題についてでありますが、高度な公益性を有して継続性が求められる教育というのは、本来、社会教育のような営利団体やNPO法人にはなじまないものであります。 遠山大臣は、当初、NPO法人による学校設立を頑強に否定をしていたと伺っているわけですが、まずその理由をお聞かせ願いたいというふうに思います。
○国務大臣(遠山敦子君) 頑強に否定していたと言われると、決してそんなことございませんで、ちょっと答弁に戸惑うわけでございますけれども。 もう既に学校法人の設立要件を緩和して、不登校児童生徒対策などの充実を図っていくということで、NPOによる学校法人への参入の条件を緩和するということについては了解をいたしておりまして、既にもうそれを認めることについて第一次の提案にかかわるいろんな法整備も済んでおりまして、NPOについても、条件がきっちり合えばそれはNPOにおいてもそういう内容を持った活動に対してはこれは認めていくということはもう既に明確なわけでございまして、何をもって頑強と言われるのかよく分からないわけでございますが。 第二次提案も更にあったわけでございまして、その際には、一つは私どもといたしましては、NPO法人が学校法人となることを容易にしていこうということで、これは垣根を低くして学校法人の中に入ってもらってやってもらうという一つの方策を了解いたしました。それから二つ目には、不登校児童生徒等に対する指導を行いますための適応指導教室を運営する場合に、NPOにその教室を委託をするというふうなこともいいのではないかということの措置を図ったところでございます。これは非常に早い段階で了解をいたし、株式会社の参入という大きな決断とともに、私どもとしては了解していたわけでございます。 さらに、NPO法人そのものが学校を設置したいという大変大きな声が上がってまいりまして、そのことについてどう対応するかということで省内で鳩首協議をしたということはございます。その際に、NPO法人が学校法人に比べて公共性でありますとかあるいは継続性あるいは安定性ということについて懸念すべき点もあるわけでございまして、NPOというのは学校法人のようにきちっとした一定水準のものということではなくて、いろんなものがございます。非常にしっかりしたものもあればそうでもないものもあるわけでございまして、そういうようなことをいろいろ考えまして、私どもとして今回決断いたしましたことが、不登校児童生徒のみならず、LD児あるいはADHD児といった特定の教育分野におきまして実際にNPO法人が活動を行っているという実績があるかどうかということを着目をして、実績があるものについては今回特区においてそういった分野で学校を設置することを認めるということに決めたわけでございます。
○仲道俊哉君 やや皮肉な質問をしたものですから。 実は、そういうことで本心をお聞きした後、実はこの次の質問が、そういう、大臣は本当は本心がそうだったんだろうけれども、鴻池大臣との攻防の末、結果としてもう認めざるを得なかったというその理由をお聞かせ願いたいという質問を用意しておったんですが、その先までもう答弁をされてしまいましたが、せっかくですから、鴻池大臣とのいろいろなやり取りがあったと思うんですね。実際に、最初は文部科学省はこれについてはやはり反対で、最初受け入れなかったはずですが、その政治的ないろいろな判断とか、そういうことがあったんですか。今お答えした上に、何かもしそういうことで御答弁をすることがあればお聞かせ願いたいと思うんですが。
○国務大臣(遠山敦子君) 私は、同じ内閣の閣僚について、そのいろんなことについて批判したりする、そういうのは私の、何といいますか、自分自身がそこまで落ちたくないという気持ちもあるものでございますからあれでございますけれども、いろんな報道がなされまして、真実でない報道が二回にわたってかなり出まして、恐らくそれで先生も頑強に抵抗しているとか、何とかかんとかというふうに想像されたのではないかと思います。 鴻池大臣は、二回、我が省にわざわざおいでいただきまして、これはやはり総理の強いリーダーシップの下に株式会社について認めるようにというふうなことがございましたし、それからNPOについてもということで、総理の意思を伝えるというだけでございまして、議論はできなかったわけでございます。それから、二回目においでになりましたときも、更にもう一回その総理の意思を伝える、これはもう決めるんだからということで、およそ会見は二分ぐらいでございまして、その日はバレンタインの日でございまして、まあそう言わずにチョコレートでもということで差し上げまして、この間そのお返しのホワイトデーでいただいたわけでございますが、それくらい和やかに、要するにお立場があると、我々も真剣に考えていますということでお別れしたわけでございます。 それを、つまり、会談については二人の会見である、その中身は漏らさないという約束の下に第一回目がございました。それをどういう形で漏らされたのか知りませんが、漏らされて、しかも内容は不正確そのものであったということはございます。ただ、私はそういう報道があっても、これを反論をして、これは間違っていますと言うのは私の美学に合わないものでございますから、無視しておりました。二回目のときはそういうふうな状況でございまして、何かそこで対立したとか何とかということは全くございません。 つまり、特区担当という非常に明確な特命を総理から受けておられて、総理は非常にしっかりと、要するに特区は失敗したらやめたらいいんだ、何だってやったらいいんだというお考えで命令されているものでございますから、鴻池大臣はそういうことで私にお伝えに来られたということでございます。 私としましては、さはさりながら、教育というものは、特に義務教育の子供たちを預かっている我が省としましては、失敗したらやめたらいいんだというのはやや違うのではないか。じゃ、その間そこに、人生の非常に大事な時期をそこで過ごすしかなかった子供たち、失敗したらやめていいんではないかというのはどうかなと。これはやはりきちっとしたセーフティーネットといいますか、そういうものを張って、信頼できるところにお願いするというのが私の責任であろうかということで、手続面におきまして、そこの慎重を期するために最後までやや議論があったということでございます。 私は、今回我が省の中でよく議論もし、また河村副大臣にも御活躍いただきまして得た結論といいますものは、これまで公教育の中で必ずしも十分に対応できていなかった面、例えば不登校の児童生徒、それからLD児とかADHD児のような子供たちにチャンスを与える、そういうことにおいて実績のあるNPOについては大いに特区の中でやっていただいたらいいのではないかと思います。 しかし、そういう特区で申請された多くのNPOも、実はきちっと学校法人の中に入って公的な支援も受けながらやりたいというところが大部分でございまして、学校制度の中に入らない、あるいは助成も受けられない、そういう形ででもとにかくNPOとしてやりたいというところは余りないぐらいのものでございました。しかし、制度を開くとしたら、そこはしっかりとちゃんとセーフティーネットを掛けていくということにおいていろんな議論があったという次第でございます。 私としては、やはり特区というものはそれは非常に魅力的なプランでございます。でも、経済の活性化のための特区ということでございまして、私としては教育の活性化につながるようなそういう特区の構想であればそれはいろいろな角度から検討して協力をした方がいいということで今回の一連の仕事をしたわけでございます。 報道面におきまして正確でない報道が幾つかあったわけでございまして、私としてはもちろん不満もございます。しかし、そこはこれ以上申し上げないことにしたいと思います。
○仲道俊哉君 鴻池大臣とのやり取り等、率直なお話をお聞きし、チョコレートの話までお聞きいたしまして、ありがとうございました。 NPOについてはかなり今詳しく御説明いただいたわけでございますけれども、かなり問題点もありますので、逐次その点について質問をいたしたいと思うんですが、副大臣にお聞きしたいんですが、不登校や学習障害など特別な教育支援に限定して認めたという理由は何ですか。
○副大臣(河村建夫君) NPO法人の制度設計といいますか、これ学校経営ということで考えますと、やっぱり大臣がさっきちょっと懸念を申されました安定性とか継続性とか、そういう点で若干の懸念もある。しかし、一方では柔軟といいますか、非常に機動的な活動もできるような、なっております。 で、実際に不登校等の特別な配慮を要する児童生徒、そういう者に対する教育については、これまでも数多くのNPO法人から具体的な提案をいただいたり、あるいは実際にそれに取り掛かっておられる実績のある学校も、学校といいますかNPO法人があることも我々知っておったわけでございます。そうした観点に立って、不登校等の特別な配慮を要する児童生徒に対して教育に実績のあるNPO法人については、これは特区でやっていただくことによって学校教育の充実とか活性化に資するであろうという最終的な判断をしたものでございまして、これまでそういうNPO法人に対しても、いわゆる私学助成的なものは一切もちろんできないわけでありますけれども、研究費といいますか、そういうことで支援をしてきた例もございますので、そういう実績のあるところに限定してやっていただくことは、これからの教育活性化といいますか、そういう面で必要であるというふうに判断をして、限定をして認めたと、こういうことでございます。
○仲道俊哉君 その今、先ほどの大臣のお話の中で、失敗したらそれではというようなことに対しては、非常にこの教育特区については一番の被害を被るのは子供たちでございますので、NPO法人の財政面はどのように担保されるのか、そして、また学校経営が破綻した場合のセーフティーネットはどのように整備されるのか。実際に大学途中で学校がつぶれたりすれば本当に子供たちが一番痛手を被るわけでございますから、そういう点についてのセーフティーネットなり、NPOの財政面についてはどのようにするか。
○副大臣(河村建夫君) 今回の特区でこの特例を認めるということに当たっては、おっしゃるように、学校経営を継続的、安定的にやってもらわなきゃならぬということでありまして、学校を設置するNPO法人の要件として学校経営に必要な資産を保有することなどを求めるということもございますし、さらに、その財務情報も公開をしていただくということも義務付けるということでありまして、外から見てもNPO法人の経営状態を把握できるようにしようということでございます。 これは、このNPO法人については各市町村が提案をしてくるわけでありますから、これは市町村がある程度これを担保していただくということが前提になっておるわけでございまして、その市町村がそのNPO法人を提案される際にそういうことを、経営状況等も担保した上で提案をしていただいて、それを認定するということになっていくというふうに思っております。 また、万一、破産した場合の、破綻した場合の問題でございますけれども、これは一番問題は、そこに通っている子供たちに影響が一番出るわけでありますから、その子供たちをどうするかということで、これも当然認定の要件を満たしたということで市町村から上がってくるわけでありますから、地方公共団体が当然その近隣の学校への転学とか、こういうことをきちっとやってくれなきゃいかぬわけでありますから、そうしたセーフティーネットの構築を、いわゆる認定推薦を求める責任を持つ市町村、地方自治団体がそれを保障していただく、このセーフティーネットをきちっと構築してもらう、こういうことが条件になっておるわけでございます。
○仲道俊哉君 NPO法人というのは全国でやっぱり一万団体近くあるわけですね。中には、前、以前の報道では、暴力団などが、反社会的な団体がNPOの仮面をかぶっている例も報道されたことがあります。こうした反社会的団体の学校参入をどのようにしてチェックするのかですね。今、市町村でということがありましたが、これはやはり市町村ではなかなかできないわけでございまして、そういう意味では、文部科学省としてそういうNPOの法人をどうチェックするのか、これは非常に大事な点だと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○副大臣(河村建夫君) NPO法人、特定非営利活動促進法という法律になっておるわけでございますけれども、都道府県知事の認証を受けた特定非営利活動法人、あるいは全国的にあるのは国の方へ上げるようになっておりますけれども、その際に、暴力団の関連団体等はそもそもこのNPOの法人の対象、認証を受けることができないというふうになっておるわけでありまして、この点については更に一部法律も改正して強化をしたはずでございますので、今、仲道委員御指摘のような懸念は元々NPO法人にはあり得ないと考えていいんじゃないかと。 しかし、それでも巧妙にということがあり得る可能性もあると。それは、一万もあればいろんなのがありますから、何が出てくるか分からないという心配もあるのでありますが、そういう意味も込めて、特にこの教育参入については、実績のあるところ、そしてある程度の評価を受けておるところという、そういうところに限定をしてお願いをするということになっておるわけでございます。 そのNPO法人の役員も、学校経営の知識又は経験を有していることとか、役員に社会的信望を欠く者が含まれていないこと等々も一応求めることになっておりまして、正に学校を設置するにふさわしい者であるかどうか、やはりこれはチェックするということが設置認可の前提となるわけでございまして、地方自治体がこれを上げてくる場合にそこのところをきちっとチェックして上げていただくということはこれは当然のことでございまして、この特区の認定においては、更に地方公共団体は当該学校については評価を行うことにもなっておりまして、そしてその結果を公表することになっておりますので、そういう意味で何段階においても、こうした反社会的団体といいますか、そういうものが教育にNPO法人として参入できないような仕組みになっておるわけでございます。
○仲道俊哉君 先ほどから、許可権限の話が市町村から上がってきたということである、そこの点で非常に僕は心配しておるんですが、現代は、学校設立の適格性を判断するためには都道府県知事の下に設置されている私学審議会があるわけですね。その私学審議会をめぐっては、撤廃を認める特区推進室と存続を主張する文部科学省の間で激しい攻防があったというふうに聞いております。 それで、文部科学省は、去る二月二十六日に株式会社やNPO法人が学校設立を申請した場合の許可権限を都道府県から市町村に移譲する方針を固めたと聞いておりますが、この点は間違いがないか。より公益的な地方自治体である都道府県の方が適正かつ公平な審査ができやすいのではないかというふうに、こう思います。 また、市町村に許可権限を移譲することになりますと、特区そのものを申請した市町村自らが許可権を持つことになるわけですね。そうしますと、お手盛りの審査が多くなって歯止めが利かなくなるのではないかと。実際には市町村で特区を申請し、その許可は市町村に移譲されるということになるわけですから、非常にそこの点を心配するんですが、その点についてはいかがですか。
○副大臣(河村建夫君) 御指摘の点は省内でも相当議論のあったところでございます。 ただ、特区の性格上といいますか、地方公共団体に特別なニーズがある場合の株式会社、それから不登校児等、特別な配慮を要する児童生徒、これを認める、その方向の段階で、これは御案内のように最終的な認定は総理大臣が行うことになっておるわけですね。したがって、総理大臣がこれでよしという段階においては、当然主務官庁であります文部科学省とも協議をするということになって、また我々の意見もしんしゃくするということにもなっておるわけでございますから、さっき御懸念のような、上がってくる段階でとかく評判があるよというようなことが分かれば我々の方でも止めることができるわけでございますけれども。 ただ御懸念の、その学校としての適性を審議する審議会の問題でございます。これは、申請してくるのは県の場合もあるわけでございまして、県には、これは審議会を持っていますからそこがやりますから、これまでどおり。市町村が上げてきたものを県にまたゆだねていくかどうかというところで、これは市町村の審議会を別途持つか、あるいは便宜的に県の持っている審議会に委託してお願いをして審議してもらうか、これはどちらでもいいということになっておりまして、そこで、これは特区あるいは地方分権、いろんな議論があったわけでありますが、一番その地域の特性、応じて必要な、そしてまたその団体を一番身近で把握している、一番分かっているのは一番身近なところの地方自治体であろうと。そこの自主性といいますか、それを信頼して認定していくのが本来の在り方ではないかという議論もありまして、その結果、それは市が責任を持ってそこで審議会を作るということであれば、それをお認めしようということに、権限を移譲した形になったわけでございまして、その辺についての歯止めはさっき申し上げたような形で、紛れものが入ってこないようにとか、おかしいことにならないように十分配慮をしながら、一番身近なところで一番その団体を把握している地方自治体の審議会がそういうものがきちっとできるならば、そういうもので認定をお願いしようということで決断をいたしたところでございます。
○仲道俊哉君 いろいろ心配な点が大いにあるわけで、他の政策分野とは違いまして、この教育特区の場合には、やはり実害を被るのは子供たちですから、絶対に失敗は許されないわけですね。そういう意味では、私はこの権限移譲を市町村に、今お聞きしますと県の方でもということでしたが、市町村が申請して、その市町村が自分たちのその許可を、許可権限を持つということについてはお手盛りになるおそれがあるわけで、是非何とか自分、申請した以上、自分のところでここをやりたいというのは当然でございますから、その点は本当に大変心配をいたしておりますし、もう本当に絶対失敗のないように、文部科学省としても綿密に市町村なり地方団体を指導してもらいたいというふうに思います。 もう時間が余りありませんので次に進みたいと思いますが、最近、教育界で数値目標がキーワードになっております。私もよく新聞を見るまでは余り詳しくなかったんですが、この数値目標ということについては、各それぞれで、例えば図書館の貸出し冊数を二倍にするとか、いじめとか校内暴力を半減にするという具合に、教育界で一応の数値を、目標を設定をして動いていこうと、働き掛けようというような動きが今出ております。 教育のようなこういう分野に対して数値目標の設定がなじむのかどうかというのは意見が分かれるところで、それぞれ、それぞれの学者がそれぞれの意見を言っているようでありますが、こういうようなことについて文部科学省の見解はいかがでしょうか。
○副大臣(河村建夫君) 仲道委員御指摘のような形で、近年、各教育委員会で数値目標を掲げて、そして生徒指導上の諸問題に取り組んでいるということも承知をいたしておりますし、今御指摘の学校図書館においても、一定の本を読破することを目標にして、卒業までに何冊を読みなさいとかいうようなこともあるようでございますが、実は今、教育基本法の検討の中で、教育振興基本計画の中央教育審議会の中間報告にもそういうことが指摘をされておりまして、学校が良くなる、教育が変わることを実感するためには、いじめや暴力を五年以内に半減しようとか、そういうことも実は検討を今されておるわけでございます。 教育行政を進める上においても、こうした政策目標を定めるということは非常に大事なことであろうと思っておりまして、非常に可能で、数値目標を掲げることが可能なものについては数値化を図る。そして、どのぐらい達成したかということを見るということに対しては、施策を検証する上でも意義があるんではないかと、このように思いますし、目標を掲げてここまで達成したということは、そういう意味では、国民に対する説明責任を果たすことにもなろうというふうに思っておるわけでございます。しかし、その政策目標を数値化する、その内容によっては結果的に目標を設定した意義がなくなってしまったとかというようなことになって、かえって弊害が生じるという危険性もあるわけでございますので、どのような事柄についてどのような目標を設定するのがなじむかということも含めて十分検討をする必要もあろうと、このように思っているところでございます。
○仲道俊哉君 評価の面からいきますと、その数値目標というのは非常に大事なことで、今の御答弁でそれぞれの分野に応じてそういうことを今後検討していこうということでございますので、是非前向きに検討をしていただきたいと思います。 次に、確かな学力の育成とゆとり教育の整合性ということについてお聞きをいたしたいと思います。 昨年の四月から新学習指導要領が実施されました。学習内容を七%減らすというゆとり教育路線がより明確になったところでありますが、ゆとり教育は学力の低下をもたらすものではないかという御心配をするし、またそういう論議もされております。 昨今の子供たちの深刻な学力低下を憂慮してか、文部科学省は新学習指導要領の実施に先立つ昨年の一月の十七日に、宿題や放課後の補習を奨励する学力向上のための緊急アピールなるものを発表しました。教育の指針が、こういうことで見ますと新学習指導要領との間で右往左往しているんじゃないかというような、いまいち整合性が取れていないというような現場の教師たちの戸惑いもあるわけです。 大臣は、おとついの三月十八日の今回の所信において、確かな学力の育成が初等中等教育段階における教育改革の重要な柱であり云々、新学習指導要領のねらいは、子供たちに基礎・基本をしっかりと身に付けさせ、自ら学び考える力の確かな学力をはぐくむことにあると所信で述べておられるわけですね。そうしますと、ゆとり教育を打ち出し、学習内容を減らしている今回の新学習指導要領のねらいが、どうして確かな学力の育成につながるのか、教育現場ではそういうことでやや理解しにくい点もありますので、この辺りの整合性について分かりやすく説明をしていただきたいというふうに思います。
○国務大臣(遠山敦子君) 新しい学習指導要領のねらいは、私は、ゆとりということが強調されたわけでございますけれども、あれをしっかり読んでいただきますと、基礎・基本をしっかり徹底しながら自分で考える力を持つような、そういう子供たちにしようよということだと思います。もちろん、子供たちに時間的なあるいは精神的な余裕を持たせて、そしてしっかりした学力を付けるということが非常に大事でございまして、それを本当にやっていくには、これは生なかなことではできないんですね。だから、基礎・基本を徹底した上で自ら考える力、これをあれですね、単に基礎・基本を一遍教えて、それで分かったつもりになってあとは考えなさいなどというような教育は、もちろん各地の学校で行われないとは思いますけれども、それをしっかりとやるために一体何が必要かということで出したのが「学びのすすめ」であります。つまり、新しい学習指導要領のねらいとするところをしっかりと実現するために出したのがあのアピールでございます。 現場が混乱したとか何とかおっしゃる人もいますけれども、私は決して現場は混乱していないと思いますし、もし混乱しているというようなことをおっしゃるとすれば、それはためにする議論であると思います。現に一月十七日に、私は、あれは外国から帰りまして、各教育長及び教育委員会の委員長を集めた会議でやりましたが、よくぞ言ってくれたということで、これで自分たちはしっかりとやっていきたい、それは新しい学習指導要領のねらいというものを変えるとか揺らぎとは全く違う、それは本当の意味で実現をし、そして揺るがない確かな学力を持っていくためにあそこで書かれたことは当然であるということがその後も私どもには返ってまいっているわけでございます。 研究者の一部が直前の、実施に至る直前の調査をしたりしていろんな数値を発表しているようでございますけれども、私は今大事なのはそういうことではなくて、本当に二十一世紀を生き延びていく、生き抜いていく、あるいは切り開いていく、そういう子供たちをつくるということが大事でございまして、その意味で「学びのすすめ」で言った、一人一人の個性とかあるいはその能力とか進み具合とか、そういったことに着目をしてきめ細かく指導をしましょうと。そして、そのためにはいろんな方法を各地、各学校、各先生が考えて、大いにやってください、創意工夫をしてください、それを十分に支えるために国としてもこういうことをします、こういうことをしますということを明確にしたのが「学びのすすめ」でございまして、その意味で私はあそこで出したアピールというものは、本当に新学習指導要領の精神といいますか、ねらいというものを実現するための分かりやすい方途をお示ししたものだというふうに考えております。
○仲道俊哉君 大臣の熱意はよく分かるわけですが、実際に大臣の、文部科学省が考えている、そういうことが各教育委員会、地方の教育委員会を通して、要は教師ですから、教師一人一人が今、大臣のような考えの下でどのように子供たちを育てていくかという、そこのところを徹底をしていただきたいというふうに、こう思います。 もう最後になりますが、先日、東大、京大などのいわゆる難関、超難関校の合格者が発表されましたが、例によって私立の中高一貫校が上位を独占して、公立校との学力の格差は更に広がった感があるわけです。このような状態が今後も長く続けば、いずれは公教育に対する国民の信頼が失われかねないと懸念をするわけですが、公立校と私立校の歴然たる学力の差をこのまま放置してよいのかどうか、文部科学省の一つの所信なり考え方をお伺いをいたしたいと思います。 二分で答弁を。一分前には是非やめたいわけですが、よろしくお願いします。
○国務大臣(遠山敦子君) 日本の公教育を支える、国立も公立も私立もそれぞれに頑張ってもらわないといけないと思います。特に公立というのは子供たちに身近なところにあって、だれでも行ける学校でございますので、そこが私はしっかりしないと日本の未来はないと思っております。 私学が独自性を持って優れた教育をしてもらうのは結構でございますけれども、公立学校もそれに負けず劣らず保護者の信頼を得るような学校にしていく、それが私どもの今の非常に明確なターゲットでございます。
○仲道俊哉君 ありがとうございました。 以上で終わります。
○委員長(大野つや子君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時二十分まで休憩いたします。 午前十一時五十八分休憩 ─────・───── 午後四時三十分開会
○委員長(大野つや子君) ただいまから文教科学委員会を再開いたします。 休憩前に引き続き、教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査のうち、文教科学行政の基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。 質疑のある方は順次御発言願います。
○大仁田厚君 先ほど、十一時三十分にアメリカがイラクを攻撃いたしまして、僕は個人的に、選挙の最初、二年半前に掲げたのが、人づくりなくして国づくりなし。それで、僕はやっぱり長年、ルワンダからそしてまたベトナム、そしてまたアフガニスタンも三度訪れましたし、いろんな戦後の、戦禍の状況とかいろんなことを見てきましたけれども。二十五年ですね、ベトナム戦争が終わって約二十五年ですけれども、アメリカが使った枯れ葉剤によってその二十五年の傷跡はまだ残っております。 戦争が生むものって一体何なんでしょうか。確かに歴史をひもとけば、戦争の歴史があらゆる国の発展や進歩を助けているというか、そういった進歩が訪れているというのはよく分かるんですが、何か、この時期に何か文教委員会をやっていて、何か自分自身の無力さと何か人間の、私自身が何をすればいいのかということを何か痛感させられます。 別に、小泉総理が掲げられました、アメリカを支持すると。あの中に多分日本におけるいろんなしがらみやいろんな苦闘は分かります。だけれども僕は、僕は人間として、人間としてやっぱり僕は戦争には反対です。これは僕は野党の方々にも分かってもらいたい。小泉総理の個人的な見解としては、僕は戦争は反対だと思います。ということなんですけれども。 僕が大臣に御質問したいのは、これは本当に大臣としてだけではなく、人間として、僕は、アメリカのブッシュ大統領がいつも掲げていられる本当の自由を求めるために、そしてまた、先ほどテレビの中に、アメリカを一〇〇%、アメリカ国家を一〇〇%支持するというアメリカ国民の映像が流れましたけれども、その本当の自由、戦争をして本当の自由が本当に得られるのか、僕はそこに物すごい疑問を感じるんですが、大臣、これを、大臣としてでも結構ですけれども、個人的な御見解をお聞きしたいんですが。済みません、よろしくお願いします。
○国務大臣(遠山敦子君) 午前中の審議が終わりまして直ちに私は中央教育審議会の総会に出まして、教育基本法に関する審議の取りまとめの答申をちょうだいいたしました。そして、直後から三つの会議がございまして、そして内閣における安全保障会議、閣議、そして第一回のイラク問題緊急対策本部というものが開かれて、事態の推移が容易ならざるものであるというふうに思ったところでございます。今日はその意味で、私どもこういう文教科学委員会に属する者としても記憶に残る一日でございますし、特に教育基本法のような大変大事な法律の見直しにかかわる答申を得たという日であり、また同時刻にアメリカのイラク攻撃というのが始まったということでございまして、誠にこれは忘れ難い日であると思います。 今、大仁田先生おっしゃいましたように、だれもが平和を望んでおりますし、できれば戦争を避けたいというのは皆共通ではなかろうかと思います。私は大仁田先生より年を取っておりますので、戦争の恐ろしさをつくづく身をもって体験をいたしております。近親の者も、それで命を失った者もございますし、そういう厳しさというのはもう日本の多くの、ある一定年齢以上の人たちはもうそれを皆記憶にとどめておりますし、そういうことで平和を希求するということは万人共通の願いではないかと思います。 さはさりながら、では、無法者は放置していいのかということなんだと思います。今回はイラク攻撃ということで、ブッシュさんが苦渋に満ちた選択をされ、我が総理も恐らく苦渋に満ちた決断の上で今回武力行使を支持すると。これはもう個人的な好み、あるいは個人的な、何といいますか、戦争は嫌だという思いを超えて、日本の国益というものを考えた上でああいう決断をされたのではないかなと思います。 戦争の手段に訴えるいろんな紛争というものが人類の歴史とともにあったと思います。有史以前といいますか、人類のその歴史の記録に残り始めてからもう正に紛争の歴史そのものであるわけでして、何千年も前から戦いの跡が地中に残っていたりいたしますが、そういうことを考えると、なかなか人類というのは何千年という経験を経てもなおかつ同じような状況に置かれてしまうんだなと感慨も覚えるところでございます。 そういうことで、しかしながら、我々は教育に携わる者でございますので、これからの世紀、どのようになっていくか分かりませんけれども、やっぱり一人一人が本当に自分でいろんな事態を正確に把握をして、そして自ら取れる範囲で平和の希求を忘れずに生きていく、そういうことが非常に大事な時代に入ったと思っておりまして、その意味で私、教育というのは、こういう混沌とした時代あるいは先行き不透明な時代にますます重要性を増しているなというふうなことを感じるところでございます。
○大仁田厚君 どうもありがとうございました。 確かにサダム・フセインがクルド人弾圧とか、一部のエゴでその国の人々を弾圧したりという本当に現状、そしてまたテロの問題もありますけれども。 ただ、僕は思うんですけれども、大臣、僕はアフガニスタンに三回訪れてそこの国々の人と話したときに、国々の人たちは日本に対して物すごく感謝していました。教育やそしてまた援助に対して、日本が貢献してくれることを物すごく感謝していました。その部分で僕は手厚くしてもらったし、そういった部分では日本の貢献度というのはある種アフガニスタンにおいて。ただ、人間って不思議なもので、何でまた、復興しているのにまた、ここでまた戦争を起こし、またそこを破壊し、また今度は援助しなきゃいけないというのは何か、何か非常に矛盾を感じまして、何か自分で何時間かいたたまれない気持ちだったんですけれども。 だけれども、暗いことばかり言っているわけではなく、人間やっぱり不景気なときには暗くなるし、やっぱりいろんなときに暗くなります。だけれども、だけれどもやっぱりそこで何をしなきゃいけないかといったら、やっぱり人間、自分で活性化させながら自分をポジティブに生きさせていかなきゃいけないというのは常にあると思うんです。 僕、アフガニスタンの地雷関係のところに行ったときに、地雷除去のところに行ったときに、三人ぐらいの子供が坂を上がってくるんですね。そうしたら、一人の子が足がないんです。それで僕はその子に聞いたんです、おまえ、どこでけがしたんだと言ったら、その地雷現場のところで爆発した破片によってその足をなくしているわけです。だけれども、不思議なことに、じゃ暗い顔をしているのかといったら、明るい顔をしてにこにこしながら僕にすり寄ってくるわけですよ。おまえ、どこから来たんだとかって言うわけですよ。おれ、日本から来たんだと。子供で分からないからその地雷現場の近くで遊んでいるのか、家が近くにあるのか、それは分かりません。だけれども、じゃ何が今必要かというのは、やっぱり何か明るくなること、やっぱりポジティブになること、自分を活性化させることが本当に必要なことかなって。 日本が何ができるのか、何がしてあげられるのかだけではなく、やっぱり僕は、もっと本質の部分でいろんなことを考えていかなきゃいけないのかなと思っております。 そういった部分で、総理のリーダーシップの部分なんですけれども、本質に入らせていただきますけれども、リーダーシップという部分で、山根先生が先ほど学校長などの裁量権についてちょっと、御答弁されましたけれども、その部分で僕はリーダーというものをやっぱり今求めていると思うんです、子供たちもそうですけれども。 申し訳ありませんが、僕の試合のときに何を求めているかというと、若い人たちがわあっと来るんです。若い人たちが来て、僕の生き方に共鳴してくれるんです。僕は学校もろくに出ていませんでしたし、だけれども、僕がこうやって積み上げていくものに対してちゃんと認識を示してくれて、僕に付いてきてくれる。僕を信じてくれる。 リーダーに何が必要か。やっぱり付いてくる人たちがそのリーダーを信用する。ということは、ある種、校長なんかに、学校を束ねるリーダーとして校長なんかにやっぱりある程度の裁量権を与えるのも必要だなと僕は思うんです。 文部科学省が既に実践研究校として学校運営に関する校長の裁量権拡大を試みていることはよく分かりますけれども、今、途中経過で構いませんので、その御報告を副大臣にお聞きしたいんですが、よろしくお願いします。
○政府参考人(矢野重典君) 学校におきまして、校長がリーダーシップを発揮して、子供や地域の状況に応じた特色ある学校作りを行うことができるようにするには、予算や人事など、学校運営全般に関して校長の裁量権を拡大することが必要であるわけでございまして、それは正に御指摘のとおりでございます。 このために、私どもといたしましては、例えば教育課程の基準の大綱化、弾力化を行いまして、校長が創意工夫を凝らした教育課程を編成できるようにするといったようなこととか、あるいはこれは校長の人事権でございますけれども、人事権は御案内のように都道府県の教育委員会が持っているわけでございますが、校長の人事権を更に拡大するという観点で平成十二年に法律改正をしていただきました。法律改正をしていただきまして、市町村立小中学校の教諭の人事についての校長の意見をより一層反映できるような、そういう制度改正をしていただいたところでございます。 さらに、これは制度改正ということではございませんけれども、制度の運用の問題といたしまして、教育委員会に対しまして、学校運営にかかわります教育委員会の許可とか認可とか承認とかという、校長に対するそういう権限があるわけでございますけれども、その権限を校長にゆだねる、そういう方向で学校管理規則を見直すといったようなこと。 それから、予算の面でございますけれども、校長裁量経費につきまして、学校予算に関する校長の裁量範囲を広げるといったような、そういったようなことにつきまして積極的な取組を促しているところでございます。 そういう観点から、先ほどお尋ねございましたけれども、校長の裁量をより拡大するといったようなことも含めた研究委嘱事業を行っているわけでございます。その中では、今私が申し上げたような対応につきまして、実際の現場において種々の具体的な取組が実践的に行われている、そういう状況にあるわけでございまして、私どもといたしましては、そういう観点で、さらにそういった実践的な研究の成果も踏まえながら校長の裁量権を拡大し、より校長のリーダーシップを発揮できるような環境作りについて努力をしてまいりたいと考えているところでございます。
○大仁田厚君 ありがとうございます。済みません。 校長の、僕は何事も積み上げだと思っているんですけれども、人間そうですけれども、最初の学校に行って、石の上にも三年ですけれども、何事も三年で土台ができて、そこからまた積み上げるという。それがやっぱり短い期間、端的に言うと二年とかでまたほかの学校に行ったりなんかして、やっぱりその学校の本質、地域的なものとかいろんなものを含めて、そういったものが短期的なことで校長が分かるだろうかという疑問が自分の中にあります。そういった学校運営が長期にわたって、校長にある程度任せられて長期間そこに滞在するということは、文部科学省の方では考えておられないんですか。
○政府参考人(矢野重典君) それは私ども全く同じ認識を持っておりまして、校長が校長として必要なリーダーシップを発揮するためには、一定期間腰を落ち着けて校長の職にあることが必要であるわけでございます。学校を取り巻く状況でございますとか地域の状況でございますとかあるいは教職員の掌握でございますとか等々につきまして、一定期間腰を落ち着けてその校長の職にいることが大変大事である。 そういう観点に立ちまして、もう十年ぐらい前でございましょうか、是非、校長の在職期間の長期化ということを国の指導事項として各都道府県に対し指導をいたしておりまして、結果として、今、具体的なデータは持っておりませんけれども、かつて二年ぐらいであったようなそういう在職期間が、倍近く、校長として、平均でございますが、私の記憶では倍近く在職期間が長期化して、長期化というんでしょうか、一定の期間になって、腰を落ち着けてその校長の職に全うできるような、そういう環境ができつつあるように思ってございますし、正にそれは御指摘のとおりでございますので、そういったことを引き続き指導をしてまいりたいと思っているところでございます。
○大仁田厚君 是非検討していただきます。 今日はちょっとランダムになっておりますので、済みません、大臣にも副大臣にも御迷惑をお掛けすると思いますが、大人のボキャブラリーという部分で、やっぱり臨機対応。 やっぱり僕もそうなんですけれども、いつもそうなんですけれども、いつも、僕はメジャーと言われる団体ではないんです。プロレスで言うとインディーと言われる、インディペンデント、イコール、何ですかね、臨機対応型というか、自分がいろんな部分に置かれて、あるとき、リングが来ないんです。奈良の橿原という体育館で、リングが来ないんですよ。どうしようかなと思って、しようがないから、おい、持ってこいよと言って体育館からマットを持ってきて、マットを四角に敷いて、その上、それで、観客の前で土下座するわけです。済みません、リングが来ません、台風の影響でリングが来ませんので申し訳ありませんと言って、そこでやったら観客が大いに受けちゃって、新聞の一面になりました。 人間というのはそうですけれども、やっぱり臨機応変に生きる生き方、大臣も先ほど言われていましたけれども、この二十一世紀に向けて、やっぱり人間がどういうふうに生きていくかというのが物すごく必要な、そういうのを問われる時代だと僕は思っております。 先ほど、ちょっと済みません、皆様方、申し訳ございません。本当に一つだけ僕は言いたかったんですけれども、本当に戦争というものは、だれが一番痛め付けられるか。上のトップの人たちじゃないんです。一番本当に貧しい人たちや、本当に今から将来がある子供たちじゃないかなと僕は本当に痛感しております。 まああれですけれども、ちょっと僕は一つだけ、ちょっと、この間、僕は東京都のMXテレビのアナウンサーで僕は行きまして、小学校のドッジボールを見てきたんです。すごいですね。小学校六年までは男女がある程度体格差がないものですから男女が入り乱れてやっているんですけれども、昔の、大臣、ドッジボールを御存じですか。四角い中に入って、こうやってぼんと当てて、出ていったりなんかするんですけれども、審判が最近六人ぐらいいるんですよね。 それで、済みません、スポーツをやるにしても体力じゃないですか。それで、僕はプロレスに入るときに、身長はこのくらい、一メートル八十ぐらいあったんですけれども、体重が五十三キロしかなかった。先輩からいじめられるんですね。おまえ、太らないと首にするぞと言われて、はい、分かりましたと。僕、多分、一日どんぶり三十杯食べたんです。どんぶり三十杯。一日で三十杯食べるんですよ。それで、太らなきゃいかぬと思って、やっぱり努力するわけですよ。食べる努力をするわけです。 それで、あるとき、ジャイアント馬場さんが来て、おう、大仁田、昼飯食ったかと言われて、僕は焼き肉定食をもう三人前食べていたんですよ。おなか一杯だったんですけれども、おい、スパゲッティ食べれるかと言うんです。いや、もうおなか一杯ですよと言ったら、おい、スパゲッティ食べれたら、スパゲッティ食べれたら賞金やるぞと言うんです。はい、食べますと、僕はすぐ。出てきたのがスパゲッティ・ナポリタンなんですけれども、十人前ですよ、十人前ですよ。ナポリタンですよ、ケチャップでこう絡んだ、十人前ですよ。これをばあっと食べましたよ、大臣、副大臣。 大変ですよ、この食べる苦しさというのは。やせる苦しさも大変ですけれども、食べる苦しさは物すごい大変なんですよ。それでもって、やっと食べましたよ。だってもうやっぱり、これは努力と取るか何と取るかは分からないですけれども、試練ですよ。それで食べましたよ。 それで、六時半から、夕方六時半から試合だったんですね。川崎市体育館で試合だったんですよ。それで、相手が百四十五キロある元相撲取りの伊藤正男選手です。十五分一本勝負。カーンとゴングが鳴った瞬間、ばあっと持ち上げられたんですね。持ち上げられて、マットにたたき付けられた瞬間、鼻からスパゲッティがびゅうっと出てきました。それで、大臣、笑っている場合じゃないんです、済みません、大臣。それで、不思議ですね、出てきたのが白かったという。 これはおいておいて、ドッジボールの話なんですけれども、ドッジボールの話なんですけれども、不思議なことに会場が一体化しているんです。普通は親たちがこうやって応援して元気付けるじゃないですか、子供たちを。そうじゃなくて、逆に、真剣にやっている生徒たち、そして涙を流し汗を流しやっている、戦っている姿に、逆に親たちがパワーを受けて一体化しているんですよね、その会場が。 それで、僕がばあっと行って、おい、君たち、頑張っているかと言ったら、みんなこうやって起立して、はい、頑張っていますと、こうやるんですよ。そのときに僕は何を受けたかって、もうすがすがしさを受けたわけです、ああ、いいじゃないかと。何かこう、何かこう、スポーツをやっている、そういった一体化。そしてまた、家族を大事にしないわけじゃないですよ、監督に対して物すごい愛情と家族に似たような連帯感を持っているわけです。 そこで、質問なんですけれども、国や地方自治体などで推進するスポーツなど、そしてまた男女が一緒にできるような、小学校の中でいろんなことが取られているじゃないですか、大臣、大臣。そういった中で、やっぱりこういった、このスポーツが的確とは言いませんよ、僕、ドッジボールが。だけれども、言いませんけれども、そういった部分で、こういったのを、こういったのを学校で推進したらどうですかというようなスポーツを是非この文教科学で僕は考えてもらいたいんですけれども、そういうお考えは、副大臣、あられますでしょうか。
○副大臣(河村建夫君) 突然のと言うとあれでございますが、スポーツの話は想定をいたしておりませんでしたが、スポーツが持つ子供たちの成長への大きさといいますか力といいますか、これは私は非常に大きなものがあると思いますね。スポーツによって、それはもちろん身体的なものもありますが、心身ともに、私は、スポーツというのは鍛える、あるいはチームワークもそうです。個人技もそうですけれども、やっぱりチームで一緒にやる、連帯感を持つ。 そういうものは非常に私は意味があると思いますから、今おっしゃったようなドッジボールは、これはかなり、我々の時代からありましたし、今何かかなりまた形が変わっていると聞いておりますが、そういうものは非常にいいわけですから、これは学習指導要領、ちょっと硬いことを言いますけれども、そういうものでもきちっと奨励をされておりまして、団体競技、個人競技、むしろ、子供たちにとってはむしろ団体競技辺りでしっかりやる。 バスケットもそうですね。私も息子なんかには、バスケットをやったら背が高くなるんじゃないかというような、そんなことを言いながらバスケットをやらせてみたりとか。私は、スポーツはちっちゃいときには、一つに固まってそれですっと進む人もおりますが、私はいろんなスポーツをやることがかえっていいんじゃないかと。そのうちに自分の得意なやつを見付け出すと、サッカーもそうですし野球もそうですし。 特に、やっぱりできるだけ私は、全員の皆さんができるだけスポーツに親しむ、そういうことが教育上大事なことだろうと思いますので、今、先生がおっしゃったドッジボールを始めとしてそういうものはしっかり進めていくわけで、これはきちっと学校教育でもやっておりますので、まだ更にいいアイデアがあったら是非ひとつ教えていただきたいと、こういうふうに思います。
○大仁田厚君 ありがとうございました。 是非、推進してもらいたいんです。一つのスポーツにかかわらず、何でもいいです。やっぱり小中学生が団体でできるような、そしてまた団体で楽しみ、また汗握るような、やっぱり何か団体的なものをどんどん推進して、学校教育に取り入れてもらいたいと僕は思っております。 ちょっと本題に移らせていただきます。 日本の英語教育と、大臣の所信表明の中にどんどん英語教育を推進していかれるという話がありましたけれども、僕は最初、十六歳のときからジャイアント馬場さんに東南アジアに置き去りにされて、それから一年間、僕は十七歳まで、東南アジア、シンガポール、クアラルンプール、ブルネイ、ジャカルタなどをツアーしていたんですけれども、それで帰ってきまして、また十九のときにドイツの方に行かされまして、ドイツからイギリス、フランス、それからまた今度はアメリカ本土に渡りまして、それで、先生方、体験されたことないですか。飛行機に乗って、初めて飛行機に乗ったときに、僕は自分で格好を付けたか何か分かりませんけれども、ワン・カップ・コーヒー・プリーズと言ったんですよ。そしたらコーラが来たんですよ。何でやねんと思うんですよ。それでコーラが来たから、それでも何というのかな、自分でコーヒーを頼んだのに何でコーラなんだみたいな、自分の中でもやもやしたものはあるんですけれども、何にも言えない自分がいるんです。それで、二回目また頼んだんです。またコーラが来たんですよ。 それで、人間不思議なもので、それでアメリカに三年たち、五年も住んでいると、逆にコンプレーンじゃないですけれども、自分で物事に対して文句を言えるようになってきたんですね。それで、やっぱり自分で改良するんですね、英語って。あ、やっぱりヒアー、聞いていて、聞いていて、あ、違う、コーって言うから駄目なんだ、コとカの間ぐらい、ワン・カップ・カフィー・プリーズ、そしたらコーヒー来たんですよ。そのときやっぱり、あ、通じたってうれしさを感じるわけですよ。 ということは、何が必要かというと、やっぱり実地、体験が必要なんですよ。やっぱりそれは確かに、確かに、僕は今大学通っていまして、今二年生なんですけれども、三年に進級できるかどうかまだ成績発表がされていないんですけれども、何ですかね、僕は、ある種日本というのは淘汰されているところがあって、どうしても恥ずかしい部分というのは非常にあると思うんですよ。やっぱりチャレンジしていかないと英語って身に付かないんです。どうしてもやっぱり体験しないことには身に付かないものというのはたくさんありますよね。やっぱり失敗してみないと身に付かない。 先ほどお話ししましたように、これ例ですけれども、本当にワン・カップ・コーヒー・プリーズと言ってコーラが来てからこそ、ああ、自分で英語力というのはまだ相手に通じないんだなと。そしたら、やっぱり人間努力します。そういった学校内で、学校内で何かそういったロールプレーイングなどの実用的な授業を取り組むという、そのような授業に時間的な、内容的にも重点を置く必要があると思うんですが。 僕が言った意味は分かりますか。一応、仮想的な、だから授業の中に仮想的なものを、もういいんです、先生が、簡単に説明しますと、簡単に説明しますと、余りもう時間がないものですから簡単に説明しますと、はい、君、大仁田君、大仁田君、君、今から、今から全員が、全員が英語で話すから、な、全部英語で答えなさい。そして、間違えたところを、そこを指摘するんじゃなく、君、こうやって答えたらいいんだよということを全員が分かるわけです。今の授業というと、今の授業というと、ああ、分かったかといって一人に当てて、そして僕がべらべらべらべらと答えるわけなんです。そういうんじゃなくて、やっぱり実質的に会話を、じゃ、この一時間だけはじゃ全部英語でするとか、そういったものの取組ということが今後僕は必要になってくると思うんですけれども。 そしてまた、中学校でも、中学校でも逆に言うと英語の先生なんかを取り入れていくとか、その柔軟的な教育というのが必要になってくると思うんですけれども、それについてお考えはどうでしょうか。
○政府参考人(矢野重典君) 経済社会等のグローバル化が進展する中で、児童生徒に対し国際的な共通語となっている英語のコミュニケーション能力、これを身に付けさせることは大変大事になっているわけでございます。 このために、昨年の四月からスタートいたしました新しい学習指導要領では、基礎的・実践的コミュニケーション能力の育成をより重視する、そういう観点に立ちまして教育の内容の改定を行ったところでございます。 その中で、先ほど先生が御紹介ございましたような言語の使用場面や言語の働きを例示しておりまして、例えば、あいさつあるいは買物あるいはその家庭での生活など、言語が使用される具体的な場面を設定いたしまして、その下で子供たちが説明をしたり、あるいは質問をしたり依頼をしたり、あるいはお礼をするといったような具体的な言語活動が行われるような、そういうカリキュラムにいたしている、そういうカリキュラムを取り入れているところでございます。 これは正に先生が御紹介、御指摘になったようなそういう内容であろうかと思うわけでございまして、そういう意味で、私どもといたしましては、そうした取組を通じまして、子供たちに英語によるコミュニケーション能力を身に付けさせるための、そういう観点に立った英語教育の一層の改善に努めてまいりたいと考えております。
○大仁田厚君 ありがとうございます。 これだけ書いてきた割には、僕自分で、できるだけ自分の言葉でしゃべろうと思いまして、余り下を見ない。下を見ると、余計自分の言葉にならなくなっちゃいまして、下を見ると、ローリングプレイングゲームとかという訳の分からない話になってしまいますので、極力自分の言葉で言うようにしているんです。 余り下を見ないようにはしているんですけれども、最近、小泉総理が下を見られると、ああ、つらいなと思って僕は、総理、できるだけ、僕は、下を見ないで昔のようにこうやってしゃべってくださいよといって、僕は自分ながらに応援しているんですけれども。 さあ、ちょっと大仁田厚らしくない質問なんですけれども、ちょっと社会問題、ちょっと気付いたことがありまして、これは一月末に起きた事件なんですけれども、川崎市の古本屋で万引きをした中学三年の男子生徒が、そうです、万引きして、最後は係員に連れていかれたわけですね。で、住所、電話番号を全部聞いて、親御さんというのを事情聴取したんですけれども、全く話もしないと。どうしたものか、しようがないということでその店の方が呼んだわけですね、警察を。そして、警察のそのパトカーに乗せようとしたら走って逃げちゃったんです。そして、踏切のところで踏切をくぐろうとしたら、電車が来ちゃってひかれちゃったというあの事件なんですけれども。 それをニュースなどで取り上げられたときに、その店が、人殺し、警察に通報したのはやり過ぎだなどと非難の声が多く上がって、この書店が一時廃業に追い込まれるという騒ぎがあったんですよ。この事件だけではなく、何か昨今、何か悪いことを悪いととがめた人が逆に何か被害を受けてしまうことってありませんか。 いや、僕、一回、新弟子、新人のころ、山手線で、僕はできるだけ痴漢に間違われないように両手をこうあれして、バッグを持って、しようがないからバッグを持ってこうやっていたんですよ。そしたら、一人の女の子がおれの顔を見てぐっとにらむんですよ。僕はただバッグを持っているだけなんですよ。それで最後、あなた、何と言われましたかね、その女の人、僕のことを、僕を痴漢だと間違えたんですかね。あなた、いい加減にしてよと言ってばっと走り去ったんですよね。そのときは一瞬分からなかったんですけれども、僕は痴漢に間違われたんだなって。やっぱり自分が行っていなくても、何も手を下していなくても逆に被害者にされてしまうという。 何か、悪いことを悪いとやっぱり子供たちにちゃんと認識させる、やっぱりそういった社会でなければ僕は駄目だと思うんですよ。やっぱりそういうのって逆に、もう自然に本当は分かる時代であったんですよ。それがいつの間にかこういった社会になって、悪いことを悪いと認識しない。 そういった部分で、遠山大臣、悪いことを悪いと認識させるような、悪いことを悪いと認識しないこの現状をどういうふうに思われますか。
○国務大臣(遠山敦子君) 本当に今はそれは大変大きな問題だと思います。 かつては、それぞれの家庭で親御さんが子供に対して、子供が何かうそを言ったり、あるいは友達とけんかをしたりなんかしたときはしっかりと怒ったと思うんですね。それがどうもしっかりなされていないというのが一番の大きな原因じゃないかと思います。 しかし、これは親がしっかりしてくれということを待っていても百年河清を待つようなものでもございますので、私は、子供たちは未来の親にもなるわけでございまして、学校教育におきまして、しっかりと何が善いこと、何が悪いことというのは教えてもらいたいと思うんですね。そこがあいまいにして、自分で考えなさい、自分で選んで何かやればそれでいいんですというようなことがちょっと行き渡り過ぎているように思います。 もちろん、それぞれの先生なり学校なりでしっかりしているところは教えてくれていると思いますけれども、そこは私、本当に人間としてやってはいけないということはそんなに幾つもないと思うんですね。旧約聖書の十戒にさかのぼるまでもなく、そんなにはなくていいんです。うそをついてはいけない、あるいは人を傷付けてはいけない、物を取ってはいけない。 で、今の教育あるいはインテリジェンスを持った方々というのは何々をしてはいけないということを言ってはいけないと、こうおっしゃるんですが、私はそうは思わないですね。つまり、家庭でしっかりと何々してはいけないということをたたき込まれている子供に、学校に来たときはむしろポジティブに、じゃ、友達とは仲良くなさい、生命の大切さを身に付けなさい、何か人間を超えるものを畏敬しなさいという、そういう価値を与えるのはいいと思いますけれども、根本のところが今しっかりしていないときに、私は、やっぱり教育の専門機関である学校においても善いこと、悪いことというのはしっかり身に付けさせてもらいたいと思っています。 ということで、小学校の学習指導要領の道徳のところを見ますと、ちゃんと書いてあるんですね。一、二年生のところで、善いこと、悪いことの区別をし、善いと思うことを進んで行う、「みんなが使う物を大切にし、約束やきまりを守る。」から始まって、それぞれの学年年次において善いこと、悪いことをきちっと峻別をして、そのことを、悪いことはしないようにしましょうということが書いてあるわけでございまして、私は、学校の先生はやっぱり学習指導要領がねらっているところはしっかりと子供たちに教えてもらいたいというふうに思います。 そういう地道な努力がなされていきませんと、日本の将来、日本がかつて持っていた、人々が本当に他者に対する親切心を持っているとか、いろんなその美点が、基本のところが揺らいでいると出てまいらないと思います。で、そういうことが出てまいらないと、私は、日本の国の存立の基礎である日本が誇るべき文化というものも生まれてこないようにも思うわけでございます。 そういうことで、学校において今、先生の御指摘のようなことはしっかりとやってもらいたいと思いますし、同時に、親に対しても、学校からこういったことをしっかり教えてくれ、心のノートなどは大いに活用してもらいたいと、そのように思います。
○大仁田厚君 ありがとうございます。 これを、皆さん、これが学校教育なのか、しつけというのは家庭でするものだという認識があって、そしてまた学校に行くと、やっぱり怖い先生がいて、やっぱりある程度社会の中でこれはやっちゃいけない、これはやっていいみたいなところのこの区別という、めり張りというのがはっきりしていた時代と違いまして、本当に、ただ僕、最近発見しました。 ある女性のライターなんですけれども、たまたま車いすに乗って都内を一日じゅう実験してみたらしいんですよ。それで、あるデータが出まして、じゃ、普通の、普通の大人と言われる年齢の方々がちゃんとそのハンディキャップの人にヘルプしたりしたかというと、逆に、逆に若い人たちがちゃんとこうやってくれたというデータが出たんですけれども。 不思議なことに、若い人が若い人がと言われますけれども、最近の若いやつはと、こう言われますけれども、逆に、僕は逆に大人の姿勢も問われているんじゃないかなって。何かもう最近、非常に僕、感じるんですけれども、最近、選挙応援とか行くじゃないですか。で、こうやってお願いします、お願いしますと、こうやっていて壇上からこう言っていると、おば様と言ってよろしいでしょうか、ある程度の年齢をいかれている人たちの元気のある方々、こういう表現でよろしい、そのおば様と言われる方々は元気あるんですよ。わあ、頑張れよと、元気あるんです。 ただ、こうやって遠目で見ていて、通勤列車がこう来るじゃないですか。三十代、四十代、五十代のサラリーマンの方々がこうやって、何かもう世の中に疲れたなあ、おれはもうだめだなみたいな感じで、何やっているんだみたいな感じで、何でこの人たちがもっともっと熱くなり、何かを語ろうとする、コミュニケーションを自分から、自ら取りに行こうとする、そして悪かったら悪かったと言えるような、言えるような何かそういったものがなければ、どんどんどんどん活性化していかないんじゃないかなと。 これ、一つの僕のあれなんですけれども、僕は三年前までは高校生だったんですけれども、高校生だったんです。高校生で、やっぱり僕みたいな、二十六年ぶりに高校に入ったら、やっぱり僕みたいな男でもへこむわけですよ。出てきたのが因数分解、微分積分だ、何やこりゃみたいなところがあって、解けないわけですよ。やっぱりそうなると、じいっと静かになっていきますね。だけれども、何がそれは助けてくれたかといったら、友達なんですね。友達が逆に、大仁田君とは言わなかった、大仁田さんと言っていましたけれども、みんなが教えてくれるわけです。それで僕も力強くなってくるわけです。人間て独りじゃないなと、そういうとき感じるじゃないですか。先生、そうですよね。独りじゃないなと物すごく感じるんですよ。それで、何か同級生が、もう年は倍以上離れているのに、その十七歳、十八歳の子たちが本当に友達になってくるんですよ、これ不思議な現象なんですけれども。そうなると、逆にその友達が僕にパワーを与えてくれるんですよね。 それで、僕らは夜間ですから、一時間目終わったら、こうやって学食食べに行くんですよ。こうやって学食、カツどんだったんですけれども、そのとき。太一という友達とカツどん食べていたんですけれども、カツどん食べて帰ろうかと言ったら、ちょっと何というのかな、ぽちゃっとした、こういう場で言っていいのか分かりませんけれども、これは実際存在します。先生方が否定されようと存在するんですよ、いじめられるタイプというのが存在するんです。これは本当なんです。それで、その子が元気がないから、僕はどちらかというと、おい、元気出せよと肩をたたこうとしたら、ぱっと見たらカツどんの中身が唐辛子で真っ赤っ赤なんですよ。そうしたら、僕の友達の太一が、大仁田さん、これいじめられているんですよと言うんですよ。それで、もうそうなると僕と太一はかっとくるタイプですから、百人ぐらい御飯食べていたんですが、だれだ、こんなことをやったのはと言った途端に、隣の席で座って食べていた教師の、あの政経の西谷先生と化学の大沢先生が、大仁田やめろと、おれを止めるんですよ。ちょっと待ってください、おれの問題じゃなくて、これは先生、生徒の、教師の問題じゃなくておれら生徒の問題ですから、生徒に片付けさせてくださいと僕言ったんです。それで僕は言ったんですよ、だれだこんなことをやったのは。ちゃんと一人立ちました。やっぱり僕が怖かったんだろうと思いますけれども。それで、四人ぐらいがこうやって立ったんです。 ちょっと聞いてください。これは先生方、申し訳ありませんが、これ政治家になる前の話ですからね。僕は悪い言葉を使ってしまいました。これは政治家になる前の話ですからね、大臣、副大臣。僕はちょっと、これは正式に削除するかどうかは分かりませんが、僕はそのときの状況を正しく説明いたします。その子たちに僕は言いました。おい、面かせ、表に出ろ、今だったら多分、お面をおかしください、表に出てくださいと多分言うと思いますけれども。 いや、だけれども、考えてみてください。じゃ、何もしないで、その現状を何もしないで、じゃただ見ているだけで僕が大人のふりをして、あいつら、ああ倍ぐらい違うのにというんじゃなく、僕は何を感じたか。前例のように、僕は友達から、倍ぐらい離れた友達から問題を教えてもらったりいろんなことをしてパワーを逆に与えられました。じゃ、僕にできることは何なのか。おせっかいかもしれません。おせっかいかもしれません。だけれども、そのおせっかい、何かを行動すること、何か動くことによって何かが得られるんだよ、そこから何かが変わるんだよということを大人が教えていかなければ何も変わらないんじゃないでしょうか。僕が言いたいのは、僕が言いたいのは、子供に元気を出せよと言う前に、大人が元気がなければ子供が元気になるわけないじゃないですか。 僕は、教育というものは何だって、分かりません。多分、答えは多分出ないと思います。僕、大臣があと三十年ぐらいやっても多分出ないと思います、答えは。いや、だってそうです。かのアントニオ猪木が、かのアントニオ猪木が、多分江本先生は御存じだと思いますけれども、かのアントニオ猪木さんでさえ、多分、プロレスとは何ぞやと言われたとき、永遠に答えは出ない。教育とは何ぞやと言われたときに、多分遠山大臣でも、これだけ教育を長くやっていても、教育とは何ぞやと言われたときに多分答えは出ないと思うんです。だけれども、じゃ、僕らが、僕ら大人が何もせずに、何もしないでじゃなくて、やっぱり気付いたことに対してチャレンジする、何かをしようとする行動を見せなければ何も、何も変わっていかないんじゃないかなと。 副大臣に御質問なんですが、やっぱり僕は、大人自ら姿勢を正し、今のこの二十一世紀を生き抜くために、子供たちに、失敗してもいいじゃないか、何かをやろうよ、そしてまた、悪いことを見たら、何かそういうものを見たら自分から胸を張ってでも止めてみようよという姿勢というのを、やっぱり教育の中からどんどんどんどん掘り上げていかなきゃいけないと思うんですが、それについてどう思われますか。
○副大臣(河村建夫君) 熱血漢らしい大仁田先生のお話でありまして、私も全く同感でありまして、今の教育で問題なのは、学校の教育力も落ちたんではないかという指摘はありますが、家庭の教育力と、それからやっぱり地域で子供を育て上げるといいますか、気が付いたら、もし子供が悪いことしたら親が行って、よその、自分の子供ではなくてもしかり飛ばす、昔はそういうことがあったんですね。今、そういうことが非常に薄れてきたというところに問題があると、これはしつけに限って言えばそういうことなんでしょう。 私も、こういう職種柄、これは三度目ですが、PTAの皆さんとか、いろいろ話すんです。そうすると、やっぱり、PTA活動なんかでそういうことを熱心にやろうとしている人たちはいいんだけれども、そういうことに入ってこない大人を何とかして引っ張り込んでいただきたいと、何とか親学問というやつを義務教育でやれませんかなんて言われて私も面食らったんでありますが、やっぱりそういう心で子供を育て上げていくということがもっともっと必要だろうと思います。 実は、今、教育基本法の話、さっき大臣からもございましたが、その中にもやっぱり家庭教育の重要さというものを何らかの形でうたっていく必要があろうというのが中央教育審議会の先生方の御意見であったことも含めて、今、大仁田先生言われたような形、そういう気持ちで子供をやっぱり教育していくといいますか、一緒になって教育していく、そういう社会を構築する、まあ再構築といいましょうか、かつてはそういうことがあったと、こう言われていますが、そういうことがこの教育の現場において非常に必要になってきているということ、私も痛感をいたしております。
○大仁田厚君 もう最後の質問になりますけれども、もうこれは質問じゃなくても結構です。最後に聞いていただきたいことがあるんですけれども。 先ほど副大臣が答えられたように、やっぱり地域社会、親御さん、そしてまた先生の資質とかいろんなものが問われていると思います。もう教育とは多分答えが一生出ないものだと思います。もう語り尽くしても、本当に人間という、人間を語るときに何も出ない。 僕みたいな、僕はこの政治の世界に入ったのは、本当に僕みたいな男でも、はっきり言ったら僕は、言葉を使っちゃいけないんですけれども、こういう言葉は本当は適切ではないんですけれども、どっちかというと落ちこぼれです。だけれども、じゃ落ちこぼれの人間は夢を見ちゃいけないんですか、可能性を感じちゃいけないんですか、この世の中に夢を見ちゃいけないんですか。じゃ、エリートの人はどんどんどんどん階段を上がり、テストの点数が良くて、それも僕は人生として否定しません。僕は他人を否定したりする気持ちは全くありません。だけれども、僕は僕の人生をやっぱり歩んでいこうと思います。 僕、物すごく今、日本が不景気だ不景気だと言いながら、やっぱり豊かだと思うんです。僕は、意外と、ある自民党の先生から、おまえ、出が悪いだろうと言われたんです。いや、意外と生まれはいい、僕は呉服屋の息子なんですけれども、いいんですけどねと言ったら、へえ、おまえはそういうふうに見えないなとか言われて、ああそうですか、どうも済みませんでしたと、何でおれが謝らなきゃいけないのかなと思ったんですけれども。 そういった意味で、そのときに、じゃ幸せかと、感じたのは、僕たちのおやじとおふくろが離婚しまして、それでいつの間にか実家の大仁田ふろしき屋の方から、呉服屋の方から生活費が出なくなって、おふくろが働きに行って、保険会社か何かですけれども、夜中にしか帰ってこない。そして、お金が急になくなったときに、お兄ちゃん、お姉ちゃんと言われて、三十円か何かもらって豆腐屋に豆腐買いに行ったんですよね。豆腐一丁買ったら、ああ、きょうだいで来たのと薄揚げ三枚ぐらいもらったんですね。そのときに、そのときおふくろが一生懸命して、こんなものしかないけれども、御飯炊いてくれて、その豆腐で、豆腐とですよ、しょうゆ掛けて、その薄揚げ焼いて食ったときに何を感じたかって、わあ、これが家族なんだなあって、何か幸せを感じたんですね。 もうすぐ終わりますので。いや、幸せを感じたんですね。何が幸せなのか、本当に僕、そうなんです。今、何か知りませんが、これだけ、三十秒だけ時間を下さい。何かやっぱり感性、人を感じること、そういったものがどんどんどんどん何か欠落しているような気がします。もう一回、人を感じ、そして自然を感じ、幸せを感じ、そういった感性教育というものをもう一回取り戻していかないと、何か人間というもの自体の存在理由がなくなってきているような、そんな気がするんです。 そういった部分で、与野党の皆さん、是非僕は推進してもらいたいのは、やっぱり感じなければ、感じなければ人というのは分からないんだよ、いろんなものを感じなければ、そしてまた行動しなければ何も、何も生まれないんだよということを推進していただけることを切に望むものであります。 今日は質問、ありがとうございました。
○山本香苗君 所信に対する質問に先立ちまして、大臣に一つお伺いしたいことがございます。 今、大仁田さんの方からもお話がございました。本日正午前にイラクへの武力行使が始まったわけでございますが、我が党はこの問題につきまして最後の最後、ぎりぎりまで平和的な解決を目指し行動してきていただけに、このような事態に至らざるを得なかった事態に対しては極めて残念だと思っております。しかし、この問題を考えるに当たっては、私たち、当たって、私たちは、単なる反戦平和だけではなくて、大量破壊兵器によるテロから国際社会の平和をどう守っていくのかと、テロ犯罪というものを未然にどう防いでいかなくちゃいけないのかと、この重要な点を見逃してはならないと思っております。 これから私たちは、この事態、これから起こり得る様々な事態に対しまして全力で事に当たっていかなくてはならないわけでございますけれども、文部科学省といたしまして、今既に対応を検討していらっしゃる、また今後対応していこうと思っていらっしゃる点につきまして、教えていただければと思います。
○国務大臣(遠山敦子君) イラク攻撃が開始されまして、先ほど申し上げましたように、政府として安全保障会議、閣議、そして第一回のイラク問題緊急対策会議が開かれました。 私は、省に帰りまして、直ちに我が省のイラク問題緊急対策本部を設けました。これは、事務次官をトップにいたしまして、それぞれ責任ある人たちによって構成されるものでございますけれども、そこで何を私どもがやるかといいますことは、この準備を常にやっておりまして、我が省はかなり危機管理においては相当先端を行っていると思っているわけでございますけれども、何をやるかということで、一つはやはり日本人の人命の尊重ということでございまして、イラク近隣国に日本人学校関係者など我が省関係の在留邦人、まだとどまっているわけでございますが、それの連絡体制をきちっと維持をし、そして状況に応じた退避をしてもらうということで、最大限日本人の保護に当たるということが一つございます。 それからもう一つは、我が省は科学技術関係も所管いたしておりまして、特に原子力施設等に対しましてテロが起きないように、あるいは起きた、万一、万々が一起きたときにどうするかというようなことについては、マニュアルもしっかり作っておりますが、そういうことに応じまして核燃料物質などの管理の徹底ということについてしっかり関係機関に指示をいたす、いたします。また同時に、核燃料物質などの管理の徹底については、既に昨日の段階で各事業所、これは全国に五千か所あるわけでございますが、これに通知を発出いたしました。 その他、仮にテロのようなことが起きまして被害を受けたような人が出てくるというようなことになりましたら、直ちに大学病院などにその被害者を収容し、きちっと診療できるような体制も取っていくこと。 それから、何より、これは直接ではございませんけれども、各地の学校等における子供たちの人命というものをしっかり守っていくことについて、これはそれぞれの所管のところと連携を取ってやっていくということなどの措置を今取っているところでございます。
○山本香苗君 是非とも、こうしたいろんな準備をしてくださっているということですが、復興という観点になりましたら、先ほど大仁田先生の話にもありましたけれども、文部科学省が中心になってくると思いますので、その点もまた早め早めにというか、御検討していただければと思っております。 次に、所信について質問させていただきますが、その所信の最後の最後に、規制改革にも誠心誠意頑張るといったくだりがございました。その規制改革の一環といたしまして、現在、文部科学省内で外国人の学校の大学資格について検討がなされていると伺っております。 そこで、本件についてまずお伺いいたしますが、平成十三年度の規制改革の推進に関する第一次答申では、インターナショナルスクールにおいて一定水準の教育を受けて卒業した生徒が希望する場合には大学等に入学する機会を拡大すべきであるとありますが、ここにおけるインターナショナルスクールというのを何を指しているのかと文部科学省は解していらっしゃるのか、またこれが盛り込まれました背景についてお伺いいたします。
○政府参考人(遠藤純一郎君) インターナショナルは何を指しているかということでございますが、要するにインターナショナルとか外国人学校等々の言葉がございますが、そういった言葉について厳密な意味での定義というのはございませんので、私どもこのインターナショナルという言葉につきまして、インターナショナルスクールに、一定水準のインターナショナルスクールについて大学入学資格を認めるといった際の検討を行うに際しましては、そういった意味で一般的に定義がないということから、幅広く、いわゆる外国人学校ということで検討をさせていただいたということでございます。
○山本香苗君 ということは、これにはアジア系の外国人学校は含まれていると解していらっしゃるんですか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 厳密な定義がないものですから、検討に際してはそういうことも、その点についても視野に入れながら検討させていただいたということでございます。
○山本香苗君 現段階で今三つ機関、ちょっとはっきり覚えていないんですけれども、三つの認定団体を挙げていらっしゃるわけなんですが、この認定団体にアジア系の外国人学校が申請した場合、受け付けていただけるんでしょうか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 私ども、一定水準の教育、一定水準の教育ということで、それをどういう形にしようかということで検討してまいりまして、今、委員御指摘のように、認定団体としてWASC、ECIS、ACSIという、言わば世界的に定評のある認定団体が認定したインターナショナルスクールということで一定水準と、こうあれしたわけでございますが、今御質問の点でございますけれども、私ども問い合わせますと、主として英語で教育を行っている学校を評価の対象にしていると、こういうことでございます。
○山本香苗君 ということは、受け付けないということですか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) その点については、私ども確認はしておりません。 ただ、英語で教育を行っている学校を評価の対象としているということでございますので、恐らくそういう形での申請は今までなかったんだろうと、こう思っております。
○山本香苗君 いや、申請を受け入れるか受け入れないか、そういうものを現時点において確認をしないでやるのはちょっとひど過ぎるんではないかなと思います。 一度、御説明を党の方でもいただきましたときに、もうとにかく今月末、三月末までの宿題ですからとにかくやらせてくださいというトーンで御説明をいただきまして、そういうトーンであるならしっかりとした調査とかもあっていいと思うんです。 規制改革の答申は、先ほど御答弁していただきましたとおり、積極的にアジア系の外国人学校を排除しているわけではないわけですよね。文部科学省としては、この答申の意図をきちんと酌んで、かつ教育の行政をつかさどる文部科学省としての視点も入れて、是非ともこのアジア系の外国人学校にも門戸を開くような形に改正していただけないでしょうか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 私ども、先般示しました対応案では、国際的な評価団体により一定の水準にあるとの評価を受けた外国人学校を卒業した人につきまして入学資格を認めるということとさせていただいたわけでございますが、この案につきまして、御指摘のようにアジア系の外国人学校の卒業生の大学入学資格についていろいろ御意見があるということは承知しておりますし、また、この対応案につきまして現在パブリックコメントを実施しているということでございますので、これらも踏まえて、この件につきまして十分に検討してまいりたいと、こう思っております。
○山本香苗君 現在、私立・公立大学におきましては大学独自に外国人学校卒業生の受験資格を認めているそうです。この実態を把握されていないということを二月二十五日に遠藤局長が御答弁されていらっしゃるんですけれども、こうした実態は本来文部科学省として知っておくべきだと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 公立大学、私立大学で外国人学校の卒業者の入学を認めている大学もあるということは承知をしております。 ただ、私どもとしては、そういう御指摘のような調査につきましては、この前の委員会で御答弁申しましたように、現在のところ調査はしていないというのが現実でございます。
○山本香苗君 今後調査する予定はあるんですか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 大学入学資格の在り方につきまして、いずれにしましても、今後、様々な観点から引き続きいろいろ検討していかなくちゃならないということは、と思っておりまして、そういった検討の中で、もしそういったような調査が必要であるということになれば、御指摘の調査についても検討させていただきたいと、こう思っております。
○山本香苗君 いや、必要だと思います。是非やっていただきたいと思うんですが、聞くところによりますと、半数ぐらいだというふうに報道等には出ておりますけれども、国立大学も、この公立、私立のように各大学の自主的な判断にゆだねるという形はできないんでしょうか。そのできない理由についてお教え願えますか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 一つ申し上げておきますけれども、この大学入学資格というのは制度でございますので、私どもは、今御指摘ございましたように、公立、私立で認めているということでございますが、私どもは、国公私を通じて同じように、法令上の問題として同じように扱っていただきたいということは思っておるわけでございます。 今の御質問の、個別に各大学で入学資格の審査を認めるべきではないかと、こういう御指摘でございますが、この入学資格ということにつきましては、やはり、例えば高等学校という学校種類あるいは大学という学校種類、そういう学校間の接続の体系を明らかにするということによりましてそれぞれの学校における水準を担保するというものでございますから、やっぱり一定水準以上の確保が制度上求められると、こういうことで入学資格というのを法令上決めておるわけでございます。 大学入学資格につきましては、学部段階の教育は初等中等教育段階における学習指導要領を踏まえた体系的なカリキュラムに基づく基礎的な学力の修得を基礎に展開されるものということでございますので、その修得がなされているかどうかという判断につきまして、入学資格として高等学校の卒業あるいは大学入学資格検定の合格といった統一的な取扱いをすることが制度として求められていると、こういうことでございますので、大学入学資格の取扱いにつきましては、制度ということでございますので、各大学の判断にゆだねていないというのが現状でございます。
○山本香苗君 済みません、ちょっとよく分からないんですが、アジア系の学校を排除すると聞いたときに何となく恐ろしい感じがしました。意図的、意図的でないにしろ、結果的に民族の違いで排除をされている。何と表現したらいいのかよく分からないんですが、こうしたことを教育をつかさどる文部科学省が対応案という形であれ出してこられていらっしゃる、その何か恐ろしさというものをちょっと感じております。 この改正自体は行政裁量で行えて、今月末までに行うというふうにおっしゃっていらっしゃるわけですが、三月十三日、我が党は申入れを大臣に行わせていただきました、こうした改正は絶対に容認できないと。何とぞ再考の上、アジア系の外国人学校の卒業生に対しても認めるために必要な措置を講じていただきたいんですけれども、最後に大臣に一言いただきたいと思います。
○国務大臣(遠山敦子君) この問題につきましては、確かにいろんな考え方がございます。私どもも、総合規制改革会議からの答申の中でなぜインターナショナルスクールの人を認めろということであったかといいますと、近年、外国からの対日投資の増加などがあって、日本に中長期的に滞在する、ずっと住んでいるということではなくて中長期的に今滞在する外国人が増えてきているので、こうした外国人の子女の多くが日本のインターナショナルスクールに通っているので、対日投資などを増やすというような角度から是非認めてくれというようなことがあったわけでございます。 大学への入学資格につきましては、本当に長い間、外国人学校をどう扱うかということについては三十年来の大きな課題になっておりまして、もうそのことについて大変大きな決断をしたのが平成十一年でございまして、すべての外国人学校の在学者というのは大学入学試験を、大学入学の検定試験を受けることができるというふうに制度を開いたわけですね。 ですから、これは私は、国際的に、大体バカロレアに通っている、国際バカロレアに通っている、あるいはフランスですとバカロレア、フランスのバカロレアを通っていないといけない、ドイツだとアビトゥアを通っていなくてはいけない。したがいまして、国際的には日本の今取っている制度というのは国際水準になっているわけですね。 規制改革会議は、更に一歩踏み込んで、そういう対日投資というようなこともあるので認めたらどうかということであったわけでございまして、しかも一定水準の教育を受けている人についてそういうのを認めろということであったわけでございまして、対応案を作ってもらいましたときには、じゃ一定水準というときにやはり国際的な認証機関が認めたのがいいのであろうということで、それを一つの手段にしたわけでございますね。ですから、そのときには特にアジア系を除くなどというようなことを、考えはなかったわけでございます。結果的にそういうことになったということで、私も、これはなかなか大きな問題も絡んでいるなという気もいたしております。 一定水準の教育を受けたというのにもちゃんとこたえながら、制度として、それぞれの国際的な動きというのも考えながらやっていく、あるいは諸外国で日本人学校の学生たちがどう扱われているかというのもありますし、いろいろなことを考えなくちゃいけないわけでして、その意味で、私としては、この点については考えていきたいと思っております。 いずれにしましても、まだ結論を得ておりません。十分によく考えていきたいと思います。 それから、アジア系すべてアウトというふうに何か報道されたようでございますので、よく聞いてみましたところ、国々としては、韓国系、それが二校、それから台湾系が二校、インドネシアが一校ですか、あとは北朝鮮、これが十二校ということでございまして、アジアすべてについてノーと言っているのではないわけでございますし、それから、それ以外にもクリスチャン系のとか、つまり認定を、認定機関から認定を受けていない学校、学校といいますか外国人学校ですね、そういったものが幾つかあるという状況でございます。 そういったことをすべてよく考えた上で、これについては更に検討を重ねていきたいと思っております。
○山本香苗君 是非、大臣の今おっしゃってくださったとおり、しっかりと検討していただきたいと思います。 次に、教育基本法につきましてお伺いいたします。 本日のお昼に、先ほどおっしゃられたとおり、中教審の最終答申が提出されたとお伺いしましたが、その答申を受けての文部科学省としての御所見、また中間報告とどういった点が具体的に大きく違うのかというのも含めて御答弁いただければと思います。大臣にお願いします。
○国務大臣(遠山敦子君) 教育基本法、昭和二十二年に制定されてから半世紀以上たちまして、これまでの間の大きな社会の変化というようなことがありまして、今や新しい世紀を迎えた中で、教育がどうあったらいいかということについて、教育の根本にさかのぼって考えていただこうということで諮問をいたしました。その諮問を受けて、中央教育審議会におきましては、一年三か月にわたって大変熱心な御議論が繰り広げられたと承知いたしております。本日、その御審議の成果を答申という形でおまとめいただきまして、お昼にちょうだいをしたところでございます。 これは、その内容についてはこれから正にきっちりとよく読み込んで、そしてその答申でうたわれております教育基本法の改正、そして教育振興基本計画の策定といったようなことにこれから取り組んでまいらねばならないというふうには思っております。私としましては、今日いただいた答申というものを深く受け止めまして、その実現に向けてこれから対応していきたいということでございます。 もちろん、教育に関する根本法にかかわることでございますから、本当に知恵を絞って法文化するときにもよく考えてやらなくてはならないわけでございますし、また当然ながら与党の間でのきっちりしたお話合いというのも必要かと思っておりますし、また諸情勢のこともよく考えましてこれからの対応についてはしっかりやっていきたいと、こういうふうに思っているところでございます。
○山本香苗君 私個人としては、やはり教育の低迷というものが危惧される中で、今この教育の基本中の基本であるこの基本法を手に取って見直すという作業は、教育に関する国民的議論を喚起する上で大変意義深いことだと思っております。 ですから、具体的な改正の是非というのはまた別の話として、大いにその議論はしていきたいと思っているわけでございますが、まず今回の見直しの大枠について、ちょっと確認というか、認識の確認をさせていただきたいと思うんです。 憲法というのは国の形を定めているもので、その国を支える人をつくる、それが教育であって、それを法律に定めたのが教育基本法。となってきますと、国の在り方を決める中で教育の在り方も決まってくる。今、憲法は変わっていない状況なわけで、そうした中で教育基本法を見直すってどういう改正になるのか、どういう見直しになるのかなと思っていたわけなんですけれども、その中に現行の憲法を前提としてとわざわざ明記してある。ということは、この今回の見直しというのは現行憲法の枠内であって、現場で実際もう行われているそういったことを追認していく、もっとやりやすくするために追認する、若しくは新しい時代の流れ、社会の流れに合わせて見直す程度のものであって、憲法の改正のてこになるようなものではないと思うんですけれども、その認識で正しいでしょうか。
○国務大臣(遠山敦子君) 教育基本法の見直しにつきまして、中央教育審議会におきましては、日本国憲法を前提としながら、教育基本法の前文から各条文にわたるまで幅広く検討を行っていただいたわけでございます。 その結果、現行法に示されております個人の尊厳あるいは人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者など、今の教育基本法を貫く根本的な理念というものは当然踏襲するわけでございまして、これは憲法の精神にのっとった普遍的なものということで今後とも大切にしていくということは当然であるわけでございますし、今日いただいた答申にもそのように書かれていると思います。 それは前提としながら、二十一世紀を切り開いていく心豊かでたくましい日本人の育成という角度から、今日、大変重要になっている幾つかの点というものについて今回御指摘いただいたんだと思います。 したがいまして、当然ながら現行憲法の枠内といいますか、それをベースにした上で、今の基本法の基本理念といいますか踏襲すべきものというのはしっかり引き継いだ上で、さらに今、新しい時代になって、なろうとしているときに、必要なものについて更にあるのかどうかということをしっかり見極めていただいたものだと思います。 その中で、信頼される学校教育の確立でありますとか、あるいは知の世紀を担っていく大学の改革の推進でありますとか、あるいは家庭の教育力の回復、さらには公共の精神、郷土や国を愛する心、伝統文化の尊重などといった教育の理念あるいは原則といったものを明確に、より明確にしていく。そのために教育基本法を改正する必要があるということが指摘されているところであります。
○山本香苗君 だとしますと、今、最後にいろんな新しい理念をおっしゃってくださいましたが、よく言われるように、例えば教育理念に国を愛する心を盛り込むことによって戦前の国家主義に回帰することになるんじゃないかということは、もう一切危惧しなくていいということですか。
○政府参考人(近藤信司君) お答えいたします。 我が国の今回の中央教育審議会の答申でも、もちろんそこのところは大いに議論があったわけでございまして、中間報告でも、また今回の答申でも、国を愛する心ですとか、伝統文化を尊重する心が、そういった全体主義とかそういったものに、あるいは偏った偏狭なナショナリズムと申しましょうか、そういうものにならないように、それはならないことは当然のことであると、言うまでもないことであるけれども、そういうことは十分に意識して議論がなされておりますし、またそれを今回明記することが決して先生御指摘のようなことにはつながらないものと中教審は考えて審議をしてまいったつもりでございます。
○山本香苗君 じゃ、何で答申に国家至上主義的な考え方や全体主義的なものになってはならないといった断り書きが入っているんですか。
○副大臣(河村建夫君) 私も昨年十月、副大臣に就任して以来、審議会の審議のあるときはできるだけ出席をしておりまして、今御指摘のような議論がありました。一方の方は、もうこの時代にこういうことを言う必要はないんじゃないかという御意見と、しかし今大事な改正をしているときに国民の皆さんにやっぱり真意を伝えたいと、こういうことじゃないんですよという真意を伝えたいという意味もあって最終的に残ったものであります。 したがって、これは最終的には法律になって出てくるものでありますから、そこのところを配慮したものが出ていくべきであろうということで、やっぱり真意が誤解されてはならないと。正に国家主義、全体主義にならないようにという思いで我々やってきたんだということをやっぱりちゃんとうたっておいて、そしてそれを踏まえて法案化をお願いしたいということがあの答申であると、このように考えております。
○山本香苗君 仮に、その国を愛する心というのを法律に規定した場合、特に教育の現場、また将来育っていく子供たちがどういうふうに変わっていくか、そうしたこと、どういう変化があるか、それをどのように想定していらっしゃるんでしょうか。
○副大臣(河村建夫君) 国を愛する心ということになりますと、「自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め、尊重し、日本人であることの自覚や、郷土や国を愛する心の涵養を図ることが重要」と、こういうふうに書いてあるわけでありますが、答申に述べられておるのでありますけれども、これから文部科学省といたしましても、その答申を踏まえてこの改正をやっていくわけでございますが、その教育基本法が改正された場合に、その趣旨がやっぱり教育全体、教育制度全体に生かされるように学校教育法などの関係法例の関連する規定あるいは学習指導要領などについて見直しを行うということ、これはそういうふうな形で変わっていくんではないかというふうに考えております。
○山本香苗君 国民の方々に誤解してほしくない、真意を伝えたいと。やっぱり具体像をぱっとこう、どういうふうに変わるんだというところが見えると教育基本法を変える意義があるんだなって感じていただけるんじゃないかなと思うんです。 私自身は、そもそも国を愛する心というのは、自分の町とかふるさと、そうしたものを愛する郷土愛、その延長線上にあるものだと思っておりますし、別に法律に規定しなくても個人が養っていくとか生まれ育ってくるものじゃないかなと思いますので、法律に規定するという、その必要性というものは余り感じていないわけでございますけれども。 最終答申の中に一つ言葉が抜けていたんですね。日本人としてのアイデンティティーというのが中間報告にはあったんですが最終報告には抜けていたわけなんです。 で、私は中間報告をいただいたときに、日本人のアイデンティティーって何なんだろうって、すごくよく考えていたんですね。ある松本健一さんという方が「開国のかたち」という本の中におきまして、政治は制度や法を作るが、日本そのものは作らないと。日本そのものを作るのは最後のところで、民族の精神的アイデンティティーなのであるというふうに指摘していらっしゃったんです。要は、日本人のアイデンティティーとは何か、それを深く突き詰めて考えて構築することなくして、幾ら法や制度を変えたとしても、日本という国の国家デザインというのは描けないんだということだと思うんですけれども、そう考えていくと、私たちは、法律をいじったり制度をいじったりと、そういうことをする前に、日本人としてのアイデンティティーというものをしっかり考えるべきじゃないかなと思ったんです。 この点、中教審ではどういうふうに具体的に議論なされてきたのか、また大臣はこの日本人のアイデンティティーというものをどういうものだと思っていらっしゃるのか、教えていただきたいと思います。
○政府参考人(近藤信司君) 前段の審議の経過につきまして、私の方から御説明させていただきたいと思います。 先生御指摘のように、昨年十一月の中間報告では、「世界に生きる日本人としてのアイデンティティを持つことがますます重要になる。」と、このような記述がございました。 その後、中教審で、この表現をめぐりましてはいろんな議論がございました。例えば、この言葉は言葉としてあいまいであり、やはり日本語として、片仮名でなくて日本語として表現できないであろうか、あるいは、むしろアイデンティティーという言葉を使うよりは、率直に国や郷土を愛する心ですとか、伝統文化の尊重と、こういった言葉で表現をすべきではないかと、こんな御意見もございましたし、また、これはたしか有識者からのヒアリングであったかと記憶をいたしておりますけれども、アイデンティティーという言葉は、通常、政治的なニュアンスを伴うものであり、特段の政治的意図がないのであれば余り使わない方がよいのではないかと、このような御意見もいただいたところでございます。 そういったことを踏まえまして、本日提出されました答申では、あえてアイデンティティーと、こういう言葉を使わずに、具体的には、国際社会を生きる日本人として重要な資質としての内容を示すこととし、例えば「自らの国や地域の伝統・文化についての理解を深め、尊重する態度を身に付けることにより、人間としての教養の基盤を培い、日本人であることの自覚や、郷土や国を愛し、誇りに思う心をはぐくむこと」と、このように記述をされたと、こういったような審議経過があったわけでございます。
○国務大臣(遠山敦子君) このアイデンティティーという言葉がなかなか明確な日本語では表しにくいということで、最終の答申からは降りた、使われなかったわけでございますけれども、アイデンティティーというのは、これは国語研究所においても悩んでいるところだそうでございます。 でも、簡明に言えば、私は日本人としてのアイデンティティーというのは、日本人であることのよって立つところといいますか、あるいはよりどころというようなものではないかなと思います。それは中にいるとなかなか分からない面がございますね。外国に出ると、山本委員もトルコにお住まいでございましたが、私もあそこにいて初めて日本人としての自覚というものを更に鮮明に持ったということがございます。 この国の風土であり、文化であり、歴史であり、そして人々の持ついろんな特性、そして今の社会構造も含めて、あるいは国旗・国歌に象徴されるかもしれませんし、そういったもの、要するに自分は日本人であるということのよりどころ、それらを総称したものがアイデンティティーではないかなと思います。
○山本香苗君 ちょっと通告していなかったんですが、国を愛する心と先ほどから何回か言わせていただいたんですが、国を愛する心と愛国心とは同じものなんでしょうか。
○政府参考人(近藤信司君) 同じものだと認識をいたしております。
○山本香苗君 表記を変えている意味は。
○政府参考人(近藤信司君) 学習指導要領におきまして、国を愛する心というような記述をいたしております。愛国心という言葉をめぐりましては、過去、これまたいろんな議論があったわけでございまして、中央教育審議会といたしましては、あえてそういう議論の場、枠と、外と申しましょうか、そういうことを呼び起こさないように、大切なことは国を愛する心を青少年にきっちりと涵養したいということでございますから、そういう言葉を使われたものと理解をいたしております。
○山本香苗君 ありがとうございました。
○畑野君枝君 日本共産党の畑野君枝でございます。 遠山文部科学大臣にまず伺いますが、先ほどからもお話がありましたように、今日、三月二十日、昼前に、アメリカ、イギリス軍などによってイラクに対して大規模な軍事攻撃が開始されました。 この間、地球的な規模で広がった平和の願いを踏みにじり、国際の法にも反する無法な戦争は決して認めることはできません。あわせて、即時中止を求めるものでございますが、小泉首相は、先ほども本会議がございましたけれども、この戦争に直ちに支持を与えました。憲法九条を持つ国の政府として、私は本当に恥ずかしい態度表明だというふうに思います。 特に、私の住んでおります神奈川県、これは小泉首相の地元でもございますが、横須賀を母港とするキティーホーク、空母戦闘群のミサイル巡洋艦カウペンスが、NHKの報道でも、イラク攻撃の第一波の攻撃で巡航ミサイル、トマホークを少なくとも十発発射したと。正にこの日本がこの攻撃の支援をする拠点になっている、こういう事態でございます。 私は、その攻撃の報をこの文教委員会が昼休みの休憩に入ったときに聞きまして、本当に日本の青い空と併せて、イラクにいる人々あるいはそこに住む子供たちはどんな思いでいるかと、本当に悲しみを、そして怒りを覚えたわけでございます。 今、日本の若い人たちも、本当にこの平和の問題で真剣に考える、二十一世紀はどの国とも本当に仲良くできる、そういう国づくりに参画していきたい、こういう声が大きく上がっているわけです。 私は、子供たちの未来を担う教育に携わるその大臣として、こんなことでいいのかと。私は、小泉総理、それは違うと言うべきだと思いますし、アメリカやイギリス軍などには、直ちにこんな無法な戦争は中止すべきだというふうに求めるべきだと思いますが、いかがですか。
○国務大臣(遠山敦子君) 平和を願う気持ちというのはすべての心ある人々、世界の人々は共通だと思います。その平和を達成するために、これまで様々な形での外交努力が行われ、国連での議論も行われてきたわけでございますけれども、イラクにおける大量破壊兵器の廃棄というものがなされなかった、あるいは国連決議が無視されてきた等々の様々なイラクにおけるこれまでの行き方というものに対して制裁を加えようということで、今回、アメリカが攻撃に踏み切ったのだと思います。 それは誠に苦渋のうちの選択であったと思いますし、総理御自身も私は苦渋の選択でありながら、国際協調というものをしっかりやってきたけれども、それが功を奏さなかったときに、やはり日米同盟ということ、日本の国益というものを考えて今回の決断をされたと思っております。平和を願うという気持ちは、総理の談話の中でも、この攻撃が一日も早く終わるようにというようなくだりもあったように思います。 そういうことで、日本としては、大量破壊兵器の拡散を許さないという立場に立てば、私は、今回の総理の決断というものは今の日本にとって必要なものであり、閣僚の一人として私はそれをやはり支持をするという立場にあるわけでございます。
○畑野君枝君 今の御答弁は文部科学大臣としての資質にもかかわる御答弁だというふうに私は思います。 正に、大量破壊兵器の廃棄のためには数か月の査察延長が必要だという国連の調査団の報告、それをも断ち切って力ずくで開戦をしたということであります。 私は、教育というのは平和でなければならない、こういう点でもきっぱりとこの批判をし、中止を求める、このことを申し上げておきたいと思います。 さて次に、世界の国際化の流れの中で、先ほどもお話が出されましたけれども、アジア系学校の大学入学資格問題でございます。 大学入学資格について、アメリカやイギリスの学校評価機関が認定した外国人学校の卒業生には認める一方で、アジア系学校の大学入試資格が除外されようとしているということが大きな問題になっております。その点で、既に、子どもの権利条約の子どもの権利委員会の最終見解の懸念事項で高等教育への不平等なアクセスの問題が指摘されてまいりました。 この点について、どのように対処されてきたのでしょうか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 私ども、いろんな施策を進めていく上ではやはり国際的な条約に反するということがあってはならないと、こう思っておるわけでございます。 今御指摘のように、児童の権利に関する条約、市民的及び政治的権利に関する国際規約等におきまして人種等によって差別をしてはならないという旨の規定がなされておりますけれども、私ども、大学入学資格の問題につきましてはこれに反するような取扱いとはなっていないと認識しております。
○畑野君枝君 差別をしてはならない、不平等なアクセスがあってはならないというふうに懸念をされてきたわけですけれども、今申し上げましたように、欧米系はよくてアジア系は駄目だ、正に差別が起きているわけです。ですから、それはもう本当に御回答にならない対応だというふうに言わなくてはならないと思います。 実際に伺いますが、アジア系の学校が大学入学資格を得られないのは、それではなぜなのですか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) この問題、最初に先ほど大臣から別な形で御答弁がありましたけれども、昨年の三月の閣議決定におきまして、その前の総合規制改革会議の答申を受けておるわけでございますが、その閣議決定におきまして、「インターナショナルスクールにおいて一定水準の教育を受けて卒業した生徒が希望する場合には、我が国の大学や高等学校に入学する機会を拡大する。」という閣議決定があったわけでございます。 この閣議決定を受けまして、私ども、これをどうするかと。「一定水準の教育」ということでございますから、やはりそれは客観的にそうなっていなければならないということで、国際的な評価団体によって一定水準にあるとの評価を受けている学校を卒業した人につきまして入学資格を認めるということにしたわけでございます。 したがいまして、御指摘のように、現在その認定団体三つあるわけでございますけれども、これまで英語での申請というか、そういうことであったということで、結果としてはアジア系の学校が現在も認定をされていませんし、そういうような状況になっているということはございますが、そういう認定する団体がこの三団体ということでございますので結果的にそうなったということで、というふうに受け止めておるわけでございます。
○畑野君枝君 結果的というのは本当にひどい話じゃないですか。閣議決定だからといって、言われたものはやって言われなかったものはやらなかったというのは、一体、文部科学行政としてどういう主体的努力をしてきたのかというのは問われるんじゃないでしょうか。 ましてや、懸念まで言われてきたと、国際的にも韓国や朝鮮学校のことを具体的に名指しされて言われてきたわけでございます。中華学校を始めいろんな、私も横浜に住んでおりますけれども、いろんな国の子供が一緒に同じ地域で学び、交流しているわけでございます。 なぜ、じゃ、アジア系は駄目なのかって、何の具体的なお話も今ございませんでした。この差別をなくしていく、そのためにそれではどうしたら大学入学資格が取られるようになるんですか。具体的な調査をして具体的に文部科学省としてこういうふうにやればできますよ、そういう主体的な取組が現場の声を聞くことも含めて必要になっているときじゃないんでしょうか。その点、いかがですか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 大学入学資格の問題につきましてはいろんな経緯がございまして、平成十一年に大学入学資格の検定規程を改正をしまして、外国人学校の卒業生も含めまして満十六歳以上の人たちは広くこの大学入学資格検定の受検ができると。これに通りますと大学への入学の資格が、受験資格を得るということにしておるわけでございまして、一般的にはそういうことで対応をしてきたということでございます。 そして、今回こういう閣議決定がございましたので、それに対応をするということで国際的な評価団体による評価ということに着目をしたわけでございます。
○畑野君枝君 だから、お答えになっていないわけです。 どういうふうに、じゃ、文部科学省としてやれば、検定試験の問題じゃないというふうに生徒さんたちは言っているわけですよ。だって、欧米系はそれはいいと、しかしアジア系は検定試験でどうぞ、これ正に差別じゃありませんか、差を付けているということになるわけでしょう。だから、どうしたら、さっきのイラクの話もそうだけれども、子供たちに罪はないわけだから、すべての子供たちが教育を受けられるようなきちっと整備を文部科学省としてするべきでしょう。手を差し伸べるべきでしょう。 そのためにどういう調査をじゃされているんですか。具体的に、朝鮮学校や韓国、あるいは中国、いろんなそういうところに行かれて調査されているんですか、局長さん。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 入学資格の問題として今私が何回も繰り返して言っているようなことでございまして、そして、この私ども出しました対応案、これにつきまして、御指摘のような御意見も含め、いろんな意見がございますし、現在、対応案につきましてパブリックコメントを実施している最中でございまして、このパブリックコメント等を十分受け止めまして、この対応案、どうするかということについて検討をしたいということでございます。
○畑野君枝君 調査については、調査しているんですか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 立ち入っての調査というのはしてございません。
○畑野君枝君 文部科学大臣に最後に伺いますけれども、そうした具体的な実態調査も含めて、日弁連人権委員会からも勧告がずっと出されてまいりましたし、あるいは子どもの権利条約を含めて国際的にも指摘されているわけですから、国際的にも懸念されることのないようにアクセスの機会をほかとも併せて進めるべきだというふうに思いますが、いかがですか。
○国務大臣(遠山敦子君) そういったことも含めまして、今、検討をいたしております。
○畑野君枝君 是非進めていただきたいと思います。寄附の優遇税制の問題などの差もあるということも出ているわけですから、広く検討をしていただきたいと思います。 さて次に、教育基本法につきまして、今日、中教審答申が出されたわけでございます。私は、この間の中教審の審議の経過、いろいろと見せていただきまして、いろいろな問題が含まれているというふうに思っております。また、いろいろな声が出されているわけでございます。 この点で、文部科学大臣としてはこの答申を受けてどのようにされるおつもりか、まず最初に伺います。
○国務大臣(遠山敦子君) 答申、先ほどいただきました。 私は諮問をいたした立場でございますので、審議のこれまでの詳細を会議に出て聞くこともありませんでしたし、今日受けました答申というものを十分吟味して、そして、それらの言葉に恐らく盛り込まれたそれぞれの委員の方々の英知というものをしっかりと受け止めて、今回の答申によれば、教育基本法について必要な改正を行うべしということ、そして教育振興基本計画の具体化に向けてその策定をしっかりやれというような中身であるようにざっと拝見しておりますので、そのことをこれからしっかりと対応していきたいと、そういう考えでございます。
○畑野君枝君 今日出されたわけですから、私もじっくり吟味をしたいと思いますが、吟味をすればするほどいろいろな疑問点、問題点が出てくる。私は、これは法制化はやめるべきだというふうに思っているわけです。 まず、今回の、教育基本法改正という答申が出されているわけですけれども、そもそもその改正の国民的な合意というのはなされてきたのか。この点につきましては、今年の三月四日に二十五の教育学会の、教育関連の学会、正に教育問題を深く研究されている皆さんですが、そこから教育基本法の見直しに対する要望が出されてまいりました。その中では、審議の中止を含めて出されてきたわけであります。こうした教育関連の学会二十五の皆さんの要望についてどのように受け止められるでしょうか。遠山大臣あてにこの要望は出されているわけでございます。
○国務大臣(遠山敦子君) 今の御指摘の要望書は教育学関連の学会長有志の方からいただいたというふうに承っておりまして、国民の中での様々な団体あるいは国民の皆様からの御意見の一つとして、私は、答申の取りまとめに当たって参考にさせていただいたものと考えております。
○畑野君枝君 国民的な合意がされているのかということについて、この二十五の教育関連学会の要望は大変な懸念を言っているわけであります。 それで、そもそも本当にその国民的な合意の下で進められてきたのかということでありますけれども、この間、日弁連の意見も昨年十二月六日には出されてまいりました。そして八月、これは昨年の八月二十二日ですけれども、PTA全国協議会の学校教育改革についての保護者の意識調査では、教育基本法について、本文を見たことがなく内容もよく知らないという方が四三・三%、見たり聞いたりしたことはあるが内容はよく知らないという方が四〇・九%、合わせますと八四・三%が内容はよく知らないと、こういう状況であります。知らないものをいいのか悪いのかということも言えないわけでありますね。 じゃ、そういうことを周知徹底する努力を文部行政が、文部科学行政がされてきたのかということでありますけれども、この点につきましても白書というのが出されてまいりましたね。これは白書の話というので財務省印刷局が発行しているのを見せていただきましたけれども、内容は、政治、経済、社会の実態及び政府の施策の現状について国民に周知させることを主眼とするものであるというふうになっています。全部、私、調べてみました。ずっと、一九五三年度から毎年ずっと出されてきておりますけれども、一九五三年に若干書かれて、後はもう本当に一言あるいは全く書かれていない。見出しに載ってこないということで、じゃ、いつ割と長めに書かれて説明されているかといったら、二〇〇二年、教育改革国民会議報告を踏まえて中教審に諮問を行ったその年になって、つまり見直そうという、在り方について考えようというときになって初めてといっていいぐらいにもう載ると。 だから、そういう点では、国民的な合意を取る以前に教育基本法そのものを本当に国民が分かる、それに基づいて教育が進められるという状況になってきたのかということを私は指摘しておきたいというふうに思います。 教育関連学会の意見は様々な御意見の一つのということではなくて、正にこの教育問題を深く研究している人たち、重く私は受け止めていただきたいというふうに思いますが、いかがですか。
○政府参考人(近藤信司君) この意見書も当然中央教育審議会の基本問題部会等にお示しをし、こういった意見ももちろん参考にしながら御議論をいただいたわけでございます。私もこの要望書を見せていただきましたが、ここに書いてある意見はそれ以前からも、例えば私どものといいますか、中央教育審議会でパブリックコメントでありますとか、あるいは一日中央教育審議会を昨年の暮れに全国の五会場で実施をいたしました。そういったときにも、これと類似のような意見も出てきたわけでございます。そういったもろもろの意見を十分中央教育審議会におきましては参考にしながら、平成十三年の十一月の諮問以来、大変な精力的な御審議をいただき、昨年の十一月には中間報告をまとめ、そして、本日、答申をいただいたと、こういうふうに理解をいたしております。
○畑野君枝君 そういう点では、「我が国の文教施策」から「文部科学白書」に変わる中で、それが本当にきちっと取り組まれてきたのかということも私、吟味する必要があるというふうに思います。 さて、次に、本日の答申につきまして伺いたいんですが、国を愛する心ということが言われております。この国というのは何を指すのでしょうか。
○政府参考人(近藤信司君) お答えいたします。 本日提出されました中央教育審議会の答申におきましては、これからの新しい時代においては、「自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め、尊重し、郷土や国を愛する心をはぐくむことは、日本人としてこれからの国際社会を生きていく上で、極めて大切である。」と、このような指摘がなされているところでございます。 この記述の中で申し上げますならば、この国とは日本の国を指していると、こういうふうに認識をいたしております。
○畑野君枝君 日本の国ということでございましたが、それでは今日、イラク攻撃を容認した政府を頂く日本の国というのも含まれますか。
○委員長(大野つや子君) よろしいですか、今の御質問のお答えは。
○政府参考人(近藤信司君) 先ほど申し上げたとおりでございますが。
○畑野君枝君 つまり、イラクの攻撃を容認する政府を頂く日本の国も含まれるということですね。イエスかノーかで言ってください。
○政府参考人(近藤信司君) イラクを攻撃する云々ではなくて、とにかくここで申し上げている、中央教育審議会の答申におきますこの文脈の中での国とは日本の国を指していると、こういうふうに理解をいたしております。
○畑野君枝君 では、政府も含めて日本の国というのは入るんですか。
○政府参考人(近藤信司君) 政府もまた日本の国の一部のそういう組織であろうと思っています。
○畑野君枝君 その政府が、先ほど私も本会議で小泉首相の報告を伺いましたが、イラクの攻撃を支持するということですから、その政府を頂く日本の国ということになるわけですね。
○政府参考人(近藤信司君) そういうことであろうかと思っております。
○畑野君枝君 ということは、そういう国を愛せということになるじゃありませんか。そんなことが憲法上許されるんですか。 国を愛するかどうかというのは、その心というのは個人の問題ではありませんか。先ほども御質問の中で他の委員からお話がありました。個人の内心にかかわる問題であります。その内閣を支持する人あるいは支持しない人、そういう国も含めて愛する心を育てるということになれば、これはもう重大な問題になるわけです。「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」、こういう憲法上重大な疑義のある問題に私は法律として入るべきではないというふうに思いますが、いかがですか。
○政府参考人(近藤信司君) お答えいたします。 中央教育審議会の答申におきましては、グローバル化が進展する中で、国際社会を生きる教養ある日本人として、その基礎となる、自らの伝統文化を尊重し、郷土や国を愛する心を持つことが一層重要になっていると。そういうことから、郷土や国を愛する心についても新たに、現行教育基本法の、いろんなことが書いてございますが、それに加えて新たに規定することが適当であろうと。 これが直ちに個人一人一人の思想、良心の自由というものを侵害することにはならないものと考えております。
○畑野君枝君 それはおかしい話でありますよ。 それでは、イラク攻撃を容認する政府を頂く日本国を愛さないという自由もありますか。愛さない自由もありますか。愛さない心の自由もありますか。自由があるのか。あるでしょう。国会議員やっていられないよ、この委員会。
○委員長(大野つや子君) 御答弁、御答弁いただけませんか、どなたか。
○副大臣(河村建夫君) 日本人として全員が右へ倣え、日本の国を愛しますと、そういうことをこの教育基本法の中で言っていると私は、改正の問題で言っているとは思いません。 これは、日本がこれまで培ってきた歴史、伝統文化、そういうものでやっぱり日本人として意識をすること。だから、私は、日本人が嫌いだという、日本が嫌いだという自由もそれはあると思います。しかし、一方では、今、イラクを攻撃を容認した政府とおっしゃいましたが、一方では、あのオリンピック場、サッカー場で日本頑張れと言ったあの日本が好きな若者もいると。 そういうふうに考えていきますと、私はこの考え方というのは広い考え方だと思いますよ。一概に限定してそこだけで見るというようなものじゃなくて、もっと、我々は日本人としてここに生まれて、ここに住んで、ここに死んでいく、この日本の国をどういうふうに愛していくか。そして、それは同時に、世界のいろんな国を愛することにつながっていこうと、国際化時代に必要な基本的な認識であろうと、こういうふうに私は理解をしているんですが。
○畑野君枝君 そうです。だから、いろんな考え方があるということなんです。国に対しても、それは日本の国というふうに一般的に言われましたが、いろんな要素が入ってくるわけです。 だから、それは本当に個人の自由であって、それを教育の理念というふうに掲げたらそれはやっぱり強制になっていく、個人の良心や思想の自由にかかってくるから私としてはこれは、答申は今日出されてしまいましたけれども、これは法律にするべきじゃないというふうに私、言っておきたいと思うんです。 これについては、日本ペンクラブの会長である梅原猛さんが「論座」で、雑誌で言っていますけれども、一番愛国心が欠如しているのは政治家じゃないか。政治家は国のためと言いながら私利を図っている。私の利益を図っているという意味。公共事業は、公共というぐらいですから公共心がないといけないのに、政治家の利権のためにあるのではないかという疑いを国民はみんな持っております。上は、自分のやっていることは棚に上げてね。愛国心が足りないということは、結局、自分たちのやっているでたらめな政治に対して文句を言わない、従順な国民をつくろうということで、それはとんでもないことです。こういうふうに言っておられます。 正に、ペンを大事に、自由を、平和を大事にと言われている会長さんの発言というのは大変私は重いことであり、本当に深く受け止めなくてはならない発言だというふうに思っております。 ですから、先ほどの答弁聞いても本当にあいまいで、そういう点では法律上本当の吟味が、いいのかどうかということは、正に厳格にこれは考えていただかなくちゃいけない、こんなことを法律にするべきではないということを私は申し上げておきたいと思います。 さて、次に伺いたいんですが、答申の中では教育振興基本計画について述べられております。政府全体としてこの計画を持つというふうに言われております。そこで、私は、これは大変な問題を持っているものだというふうに言わざるを得ません。 伺いたいんですが、教育基本法の十条に、なぜ不当な利益に服することのないようというふうに言われたのか、入れられたのか、その成立のときの趣旨について伺います。簡単で、短く。
○政府参考人(近藤信司君) 御指摘の規定につきましては、戦前の我が国におきまして、極端な国家主義的あるいは軍国主義的なイデオロギーによります教育や学問の統制が行われたことの反省に立って盛り込まれたものであろうと、こういうふうに理解をいたしております。
○畑野君枝君 正にそうでありますね。 それで、それはどういうことか。私も、これは参議院の調査室から作っていただいた「教育基本法資料集」というのも読ませていただきましたけれども、当時の議会の中でもこれはきちんと書かれております。「不当な支配に服することなく」とは、教育が国民の公正な意思に応じて行われなければならないことは当然であるが、従来、官僚とか一部の政党とかその他不当な外部的干渉によって教育の内容がゆがめられてきた。そこで、そういう単なる官僚とかあるいは一部の政党というのみでなく、一般に不当な支配に教育は服してはならないのであり、ここでは教育権の独立ということについてその精神を表したというふうに、議会の中で当時言われてきたわけでございます。 そして、私、当時、「教育基本法の解説」というのが出されまして、今、復刻版が出ております。「いま、読む「教育基本法の解説」」、これは一九四七年に教育法令研究会という、当時の文部省調査局長辻田力、東京大学教授田中二郎の二人を顧問として調査局審議課のメンバーが集まったものでありまして、その点では教育基本法制定の最初からその事務に当たってきた文部省事務官安達健二君が筆を執って取りまとめた本であります。さらに、文部省調査局参事として本法制定に関係の深かった東大法学部教授田中二郎氏と、本法制定の所管局長であった私、というのは辻田氏のことでございますが、私とが監修したものであるというふうに言っているものであります。 そこでは、なぜこの十条、「不当な支配に」ということが言われたのかということで、本条二項は、第一項の国民と教育との関係を基礎にして、教育行政の任務とその限界を定めたものである。従来、教育行政官は、中央集権的な教育行政制度の運営者として、教育が国民全体に対し責任を負うという自覚に欠け、独断的傾向が強かったのである。将来においては、国民の名をかりて不当な影響が教育に介入するおそれがある。教育行政官吏は、かかる不当な支配が教育に入らないよう教育を守らなければならないのである。教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立というのは、さきに述べた教育行政の特殊性からして、それは教育内容に介入すべきものではなく、教育の外にあって教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべきだというのであるというふうに述べておられるわけでございます。 私は、この当時、一九四七年、正にこの教育基本法の立法趣旨、それを具体的に書かれてきた、そういう点では第一級の文献だというふうに改めて読み直しをさせていただいたわけでございます。 そういう点からいいますと、正に教育振興基本計画、教育行政から更に政府全体が、しかもその中身というのは国を愛する心をはぐくむ教育の推進など教育内容への介入である。さっきもまともなきちっとした御答弁いただけなかったですけれども、そんなあいまいもことした、思想、信条、内心の自由の問題にかかわる、そういうことを盛り込む。正にこれは教育基本法の趣旨そのものがやってはならない。そして、それを教育基本法に根拠を規定する、中身は後でお任せ、閣議決定、こんな白紙委任いうのはないじゃないかということ、こういう点から、時間が参りましたので、法制化はやめるべきだということを私は強く重ねて申し上げまして、質問を終わります。
○山本正和君 今日は、朝から大変委員の先生方のすばらしい御質問を聞いておりまして、やっぱり国民の前にもうちょっと文教委員会の宣伝と言ったらおかしいけれども、こういう議論をしているよということをやっぱり何とか聞いていただきたいと、こういう気持ちで一杯でございます。 ちょっと初めに、私、質問に入る前に、先ほどから、大仁田先生から、午後になって総理のお話がありましたから、ちょっとそれに触れて感想と、それからもしもお答えができたらお答えいただきたいと思いますが、これ質問にはありませんからね、通告してありませんからね。 というのは、正直言いまして、私は中曽根総理のときからずっと国会に出ていまして、いろいろと働いてきておるんですけれども、私が昭和二十四年に高等学校の教師になりましたから、それから、教えている世代が小渕、森、それから今の小泉さんですね、こういう総理の時代です。ちょうど私が高校生を教えるときに、まだ森さんが一番まだ元気のいい時代で、戦争間もなく、負けてですね、「青い山脈」の時代とかね、あの人たちがね。それからもうちょっと下が小泉さんたちなんですけれども。 私、そのときに高校生といろんな山に登ったり、私は山岳部でもないんだけれども、体が丈夫なものだから、おまえ、剣道の先生だからちょっと一緒に来いとか言ってね、山に登ったりしたんですけれども、そのときに、ちょうどその世代ですよ、森さんたちの世代が、先生たちは大日本帝国で育ったから、日本が世界一いい国だと育っただろうと。そうだよと、おれたちは神ながらの神のしろしめす国であるといってね、瑞穂の国ですよね。世界で一番立派な国で、世界じゅうの諸民族を指導し、すばらしい世界をつくる使命があるんだと、こういって我々は育ったと、こう言って、これは仲道先生や前文部大臣もそういう子供の経験があるようですけれども、そういう時代に我々は育ったんですね。 だから、子供心なりに日本人としてのさっきのアイディンティーですか、アイデンティティーか、僕は余りああいうの好きじゃないんだけれども、そういう心を人一倍持って育った世代ですね。しかし、それが戦争に負けたときに、私は最後の兵隊ですね。兵役を受けて、それであと二年間また満州におって、帰ってきて、もう一遍学校行き直して、それで教員になった。 そうしたら、森さんたちの同じ世代の高校生が、私らは何を誇りにしていったらいいんだと、こういって言われた。そのときに、いいかと、日本はもう大変な戦争をしたと、大変な人が死んだと。そのときに、いいか、世界で一番立派な憲法を作ろうということで憲法を作ったと。そして、これからの日本の国は戦争をしない国、それを世界じゅうに初めて宣言した国なんだと、だから絶対戦争はしない国なんだよと、こう言って、ちょうど森さんたちと同じ高校生と話しした記憶があるんです。ですから、その後、じゃ戦争が起こったらいろんなことはどうするんだと。それは国際連合というのがあるんだと、国連でちゃんとやっていくんだよというような話をしておったんですね。 だから、恐らく今の学習指導要領にのっとって、社会科の授業で子供にそういう質問を、戦争に関する質問を受けたら、恐らく、そういう武力でもって紛争の解決をするということは国際連合に任せたんだと、ここまでしか言えないんだと思うんですね、学校の先生は。しかし、それを今、アメリカが国際連合の、これは解釈の違いと、こう今日は総理言っておったからね、余りそこのところは余り議論しませんけれども、一部に議論がある。あれは国際憲章違反だと、こういって言っている国がある。フランスもそう言っているんですね。 そういう国がある中で、我が国は武力行使をするアメリカを、それはフセインはけしからぬし、私は北朝鮮けしからぬと思うし、独裁のそういう国は絶対私どもの気持ちからしても許せないんですよ。しかし、それに対して武力の行使でもってやるということはいいんですかと、こういって子供に質問を受けたら先生は何と答えたらいいんだろうなと、こういうことを私は思ったんですね。そこは非常に大きな複雑な問題ですから、大臣はひとつこのことについては十分研究をしていただいて、子供たちに分かるようにどう説明したらいいか、これは省内でしっかり議論しておきたいと。 これをまず第一問として、感想があればで、なかったらないでいいですけれども、どうですか。
○国務大臣(遠山敦子君) 日本国憲法の一番の柱というのは、今おっしゃった平和主義であり民主主義でありということであると思います。 今回のことも、その憲法の精神というものを十分もちろん体現した上で、今、日本として取るべき国益という角度から総理が決断されたんだと思います。 子供たちにどのような形で今回の一連のことについて教えていくかということは大変難しいことだと思いますけれども、他方で、どんなことをしても、あるいは国際約束を破っても、それはなすがままでいいのかというようなことについても、やはりしっかりと教えていく必要があろうかと思います。
○山本正和君 ひとつ十分に中で議論をしていただきたいと思います。 特に、初中局はこれからもしそういう質問が出たら大変だと思いますから、議論をしておいていただきたいと思いますが。 それからもう一つ、これは質問に絡みはしますけれども、これもちょっと今議論があったのでお話ししたいんですけれども、お配りさせていただいた資料の中に学校教育法の小学校の部分があるんです。そこに小学校とはと書いてあるんですね。何を教えるかということが書いてある。そこのところで、伝統文化ということが出てくるでしょう、我が国の伝統。これは、申し上げますが、教育基本法も学校教育法もともに昭和二十二年ですよ。戦後間もないときにできた。そして、学校教育法の、この小学校教育の目的というやつは、それから五十年間、その部分は全然変わっていないんです。みんなが大事に大事にしてきたんです。 小学校において何をするかと。小学校というのは義務教育なんですね。この義務教育のところで、ちょっとこれもお配りした資料の中で、村に不学の戸なく、家に不学の子なからしめんという、そこにある学制発布以来、小学校というものの教育を全部義務にしようと、義務制にしようと。明治四十年ぐらいまではまだ四年制が大半だったんですね。それを、四十年に一挙に六年制に持っていって、それですべての日本人の子供には全部義務教育を、六年間の義務教育が受けられるようにしようというので大変な思いを明治政府がしたんです。その当時の国は貧しいですし、市町村も貧しいですから、学校を作るというのは大変だったんです。 だから、そのときに明治政府は何をやったかといったら、学校を作ることに対して負担を掛けると同時に、まず何をやったか。高等師範学校、師範学校を作ったんです。高等師範学校を作って、師たる者はどうすべきかということを徹底的に仕込んだ。それから、各都道府県に師範学校を作っていった。 そして、校長先生といったら大変な勉強をしなきゃいけないんですよ。四書五経をそらんずるような人はざらにおった。このごろの校長先生は勉強せぬと私は言わぬけれども、私も時々昔の中学校を思い出して論語を読んだりするけれども、今の校長先生、論語と言ったら、ふんというような人が多いんですよね。昔はまず校長先生というものをどういうふうに作るかということで全力を挙げた、明治政府は。私は、明治以来の大日本帝国がいいとか悪いとかいう議論じゃないんですよ。教育の、まずとりあえずの下にそれやったんですね。 そして、今度は師範学校で訓導を作る。訓導というのは大変な勉強せにゃいかぬ、これまたね。だってあれでしょう、オルガンまでみんな弾けるんですよね。バイエルの何番だったか忘れたけれども、そういうのを弾かにゃいかぬ。そうかと思ったら、本当に論語もきちっとある程度そらんじなきゃいけないぐらいやったんですよね、師範学校は。 そういう教育をして教師になったから、要するに先生というものは重みを持たなきゃいけない。重みというのは何かといったら、自分の学ですよ。自らが学んできた実力ですよ。大仁田先生がさっき言われたけれども、なぜ大仁田先生に子供たちが寄るかといったら、彼が生きてきた生きざまなんですよ。それにみんなが従うんでね。 それは、先生に学問を付けなきゃいけない、と同時に、どういうことをしたかといったら、校長先生といったら、村の村長さんか校長先生かというぐらい社会的地位も高かった。待遇もいいんですよ。待遇も、大工の日当が一円五十銭のときに、初任給は訓導で四十五円ですよ、三十日分。ところが、校長先生はその倍もらっているんですよ。いや、倍じゃなくて六十円ぐらいですね。それだけの待遇を今校長先生にしていますか、正直言って。だけれども、それは別です。要するに、それぐらい明治の時代には校長を大事にし、学校で子供たちを教えるための先生を国として大事にしようとしたんです。 ところが、戦争に負けたときに、私もそこの中で頑張ってちょっとやり過ぎたけれども、日教組を作って、教師は労働者だなんてやっちゃった。私はそのときに、実は、昭和三十年に、どこか、大学の先生と長く付き合いが多かったから、特に東大が多かったんだけれども、随分議論して、先生は労働者じゃないと私やって、みんなから総スカン食らった。 そういういろんな経過はありますよ。ありますけれども、まず何よりも大事なことは、そういうことを国の方針として、私は思うけれども、戦争に負けたときの危機と今の日本の危機とはよく似ていると思う。経済状況は違いますよ。しかし、心の貧しさは今の方がもっと貧しいような気がするんですね。それを、何をしなきゃいけないかというと、私は文部省の責任たるや極めて大きいと思う。国会というところは、国会議員というのは主権者たる国民の代表ですから、政府をしかるのが仕事です、私たちの。総理大臣だろうと私どもはしからなきゃいけない、国会議員というのは。ところが、国会議員がこのごろ総理大臣をしからぬものだから、ちょっと小泉さんも少し何かこう、ちょっと大丈夫かなというような気になってきたんだけれども。国会が国会の機能していないことは確かに私どもの責任ですよ。私は、まず文部省にしっかりしてほしい。 そこで、質問です。文部省の任務を定めているのはどういう法律ですか。
○政府参考人(結城章夫君) 文部科学省設置法でございます。
○山本正和君 そこで、これはお配りしてなかったんかいな、文科省の設置法について。これは、文科省の設置法というのを作ったのは、これはいつですか。最初、元文部省。
○政府参考人(結城章夫君) 文部科学省は平成十三年一月にできておりますけれども、その前の文部省設置法は昭和二十四年にできております。
○山本正和君 実は、その前に、戦争に負けて、占領軍によって我が国はこうせいああせいとみんな言われて、そして、例えば教壇におった教員もあるいは役人の皆さんもパージ食らって辞めさせられたり、もうしょっちゅういろんなことがあったんですね。そのときに文部省無用論があったことは御存じですか。
○政府参考人(結城章夫君) まだ生まれておりませんでしたので、存じておりません。
○山本正和君 実は占領軍が文部省要らぬとやったんですよ。大変な圧力を掛けた。その当時、そして教育刷新審議会もいろいろあって、これはやっぱり文化省にしようという話だった。あとは中央教育委員会にしようと。中央教育委員会と文化省にしようと。大臣は元々文化庁が出身だから、本当は文化省にした方がよかったのかもしれないけれども。だけれども、要するにそんな時代があったんです。そうしたら、今でこそもう日教組といったら、この前から聞いておったらもうぼろくそに言われているけれども、日教組を使って占領軍に陳情させたんです、文部省は。そして、日教組が一生懸命占領軍に陳情するものだから、占領軍がストップというやつをやめた。これは歴史に残っておりますから、一遍調べておいてくださいよ、本当に。きちっとあるんですから、歴史に。かつては、戦争に負けてもそれぐらいのいろんな思いがあった中で戦後教育というものが作られた。私は、そこのところを、やっぱり原点を忘れてはいけない。 今、ここで文部省の任務を定めた文部省設置法ができました。できたときの文部省の任務というやつと現在の文科省の書いてある任務と違うでしょう。どういうふうに違っていますか。これは昔の話だから、いやいや、それはいいや。 そのときは、文部省はどっちかといったらサービス機関的な、要するに、どうやったらみんなが勉強できるようにできるかということのために様々な条件を作るということを中心に任務が書いてあった。 ところが今、今のこれはちょっと私も、文部省というのは国語を大事にしなきゃいけないんですけれども、どうも私も国語の力が弱いのかしらぬけれども、文部省設置法の目的のところを読むと、難しいんですよ、これが。 任務です、第三条、任務。「文部科学省は、教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、」、以下、「学術、スポーツ及び文化」と、こう行くんですよね。この日本語は、どれが主語でどれが述語で、そして、例えばこの中間に入っていることはどういうことを意味するのか、ちょっと説明してみてください。
○政府参考人(結城章夫君) 文部科学省の任務が第三条で定められておりますけれども、一つは、教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成、これが一つの任務であると……
○山本正和君 そこまでの意味を説明してください。
○政府参考人(結城章夫君) 意味でございますか。正にここに書いて……
○山本正和君 どれが主語でどれが述語ですか。それから目的はどういうふうになっているか。どれが形容詞ですか。
○政府参考人(結城章夫君) 「教育の振興」と「人材の育成」が並んでおりまして、その「人材」に、「人材の育成」の「人材」にここにあるような形容詞がずっと付いておるというふうに思います、というふうに理解するのだと思います。
○山本正和君 ちょっとそうやって苦労せぬといかぬですよ、読むの。 言わんとする意味は分かるんですよ。どういうことを言おうとしているかという気持ちは分かるけれども、これ普通の、例えば中学校が義務教育ですよ、義務教育を卒業した者がこれを読んでちゃんとこれは的確に分かるだろうかと。ところが、旧文部省設置法はこんなことないんですよ。非常に分かりやすいんですよ、旧文部省設置法は。 ここは、これを見ると、「教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた」と、こういうようにあるんだ。「中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材」と。簡単に言えば、文部科学省は人材の育成だと。これが第一目的なわけでしょう、本当から言うと、この文章は。違いますか。
○政府参考人(結城章夫君) そのとおりだと思います。人材の育成が任務であると書いてあります。
○山本正和君 ところが、それを教育の振興が目的じゃないかと、こういうふうに読む人もおる。どうです。
○政府参考人(結城章夫君) 教育の振興と生涯学習の推進を中核にして、豊かな人間性を備えた創造的な人材を育成するということが任務であるというふうにこれは書いてあると思います。
○山本正和君 だから、そういうふうに、それを、だからこれを読んで、今いろいろ議論しているようなことがはっきり分かるような文章の書き方が僕はあるだろうと思うんです、本当は。そういうことも含めて、文部省としては是非こういうことも含めて検討してほしいと私は思うんですね。 そこで、森有礼さん、初代文部卿ですね。文部大臣、初代文部大臣です。これ、文部省に対して自分が自ら、「自警」、自ら自分を戒める、そこにこういうことが書いてある。「文部省ハ全国ノ教育学問ニ関スル行政ノ大権ヲ有シテ」、行政の大権を有している。「其任スル所ノ責随テ至重ナリ」と。大変重たい。「然レハ省務ヲ掌ル者ハ須ラク専心鋭意各其責ヲ尽クシテ以テ学政官吏タルノ任ヲ全フセサル可カラス」、以下、ずっと書いてあって、大変な、しまいにはこう書いてある。「其職ニ死スルノ精神覚悟アルヲ要ス」と書いてある。こういう気持ちで文部省は頑張っておったから、大体、文部相を、文部大臣をやった人が明治時代は総理大臣になるのが多かった。文部大臣を経験した人が総理になる。近ごろは、文部大臣というのは何か陪食大臣とかかつて言われてですね、今はそんなことないですけれどもね、今はもうあれですけれども。もう大変文部省は虐げられているんですよ。これは、文教委員会に三人文部大臣経験の先生方おられるけれども、本当に各省との釣合いの中で、我が国が戦後やってきた中でこれぐらい虐げられた省はないと私は思う。そこのところを復興せぬことには、これは日本の国の教育できぬですよ、正直言いまして。 私は、そこで、いわゆる文部省設置法を読んでも、それから今度は文科省設置法を読んでも、もう少しやっぱり我々の任務は何かということをきちんともう一遍みんなで見直すべきじゃないのかと、文科省そのものが。そして、それからもっと自信を持って、自分たちが、文科省がこの国の責任を負う一番中心の、政府の中で重要なポストなんだという、そこのところがやっぱり大臣自らがそういう気概を持ってやっていただく必要があると、こういうふうに思うんですがね。 そこで、中教審の議論でもそうなんですよ。中教審も、文部省の中から教育基本法ですね、文部省の中から教育基本法をやっぱり直そうじゃないかと、時代に合わぬからと、こう言ってきたんなら僕はよく分かるんですね。しかし、そうじゃないんですよ。いろんなところから来て、教育基本法って何か伝統文化がないぞなんて言われているんだ。ところが、ないぞと言う人は学校教育法を読んだのかといったら読んでいないんですよ。学校教育法の中に小学校、義務教育ですよ、義務教育において伝統文化の大切、きちっと位置付けてきているんです、ここに、渡してあるようにね。それをなぜ中教審は議論せぬのだ。そんなことを私は思って心配で仕方ないんですけれども、学校教育法の問題は中教審ではどのような議論したんですか。
○委員長(大野つや子君) 御答弁は。
○山本正和君 いいか、じゃ、いいわ。 ひとつ、中教審の今度は答申を受けたわけですから、答申を受けた段階で文部省は学校教育法と絡めて十分に議論をしていただきたい。これは副大臣、特に大変御苦労を願っているところですから、どうですか、ひとつお願いを。
○副大臣(河村建夫君) 私も、全部ではありませんが、昨年の十月就任以来、できるだけ基本部会、総会に出ております。その中で、少なくともその中では、学校教育法の中でこうなっているという議論は私の残念ながら記憶にはないのでありますが、我々党の方にもこういう勉強会がございまして、その中ではやっぱり、学校教育法からやっぱり考えていく必要あるという議論もございまして、今最終答申出てまいりましたから、これをもう一回点検しながら十分協議、検討してまいりたい、そういうふうに思います。
○山本正和君 ひとつ、学校教育法における小学校のこの八項目ですか、この中身は大変立派なものがあるということについて、その辺も点検しておいていただきたいと思いますね。 そこで、今度は中教審ですわ。中教審が、私も知らなかったな、あれは私は法律に基づいてできたと思っておったら、あれは法律に基づいていない審議会なんですね。これ、なぜ一体法律から外してしまったのか、この辺の経過についてはどうですか。
○副大臣(河村建夫君) 審議会等の設置の根拠でございますが、平成十三年一月の中央省庁等改革の一環として審議会等の整理合理化が行われまして、原則として政令に設置根拠を置くことというふうになったわけでございます。 このために、旧文部省においては文部省設置法の第七条に規定をされておりました中央教育審議会が文部科学省組織令第八十五条に設置根拠が置かれることになったと、こういうことでございまして、中央省庁等の改革推進本部の方針によりますと、再編成後の審議会等が国会議員を審議会等の構成にするものである、あるいは、委員人事において国会の同意を要するもの、こうした特定の場合にのみ法律に設置根拠を置くこととして、該当しない場合には政令で設置根拠を置くこととしたと。これによって、先生おっしゃるような形で文部科学省の組織令になったということでございます。
○山本正和君 その前に、今度のやつの前に、文部省の中にあった各審議会を組織令の方に回したときありましたね。しかし、そのときには中教審だけが置かれた。その中教審だけなぜ残ったか、その理由はどうですか。
○政府参考人(結城章夫君) この平成十三年一月の中央省庁改革のときに、審議会は整理合理化をすると。
○山本正和君 それより前です、もっと前。
○政府参考人(結城章夫君) そのもっと前でございますか。
○山本正和君 昭和五十何年かだ、設置法の改正が、そのときにほかの審議会全部取られて、中教審だけ残ったんです。
○政府参考人(結城章夫君) ちょっとその経緯は今、よく調べてみます。
○山本正和君 それを今日は言おうと思って来たんです、中教審はいかに重たいかということを。それは、中教審の委員は内閣の承認が要ったんです。今度は違うでしょう。中教審の委員というのは内閣の承認を得るぐらい重たかったんです。実はこれは、今はだれが見ても中教審、格下げになったとしか思わないんですよ。なぜそんなことしたんだろうかと私は不思議で仕方ない。 これは、中教審が作られたときの経緯で、国会の論議も読んでいろいろ、私、これ議事録取って読んでみたんですよ。中教審生まれるまでの経過はいろいろあったんです。中教審作ることに対してもいろんな議論があったんです。それを何とか中教審を作ることによって、ここで不偏不党の、そしてどっちかといったらその当時、左がかった意見が強かったから、学者の方に、それを何とかちゃんとしようということで中教審作るために大変な苦労をして、そしてできた中教審。しかも、だからそれは内閣の承認を得るところまで追求したからというので、他の審議会をつぶすときにはこれだけ残したんですよ。 私は、これは文部省のもう魂だと思った。そうしたら、今度見て、ほかのやつと同じになってしまったものだからびっくりしたんですけれども、これでいいんでしょうかね、中教審というものを作ったときの意味からいって。もう有馬先生は中教審の委員もずっと御経験がありますけれども、国の基本を定める大変な重要な役割を持った審議会、それが何かするっと置いていかれるようなことをして、こんなことで本当にこの国の教育のことを我々政治の世界が考えているんだろうかと言われて、私どもどうしたらいいのかというような、逆にじくじたる思いがするんですよ。 だから、本当に、今日のいろんな議論があった子供の問題、大変な問題ばかり抱えていますけれども、しかしその根本は国の責任としての、すべての国民に対して一定程度の学校教育保障するという、そういう基本の中における心棒、中心がやっぱり私は中教審だと思うんですね。そんなことを考えて、何とかこれ、中教審の復権とは言わぬけれども、私は思うんですが、その辺について大臣、どうですか、御見解は。
○国務大臣(遠山敦子君) 中央教育審議会が我が省の行政施策の基本についていろんな角度から御審議をいただき、助言をいただいたり、答申をいただいたり、大変重要な機関でございます。 かつては、確かに中央教育審議会はその委員は内閣承認であったわけでございます。それが行政改革という名の下に、省庁再編もあり、そして審議会も各省に一つしか駄目だという形になって、しかもその設置の仕方も、組織令ですか、というようなことで今日になったわけでございますが、これは例外なく行政改革という掛け声の下になったというふうに私は考えております。私がトルコに行っております間にいろんなことが日本で大変革を遂げまして、中央教育審議会もその一つ。 それから、私も心血を注いで設立に力を注いだ大学審議会、これも委員は内閣承認であったものが、これは今やなくなってしまったんですね。中央教育審議会の一分科会になってしまいました。それはもう、大学という、知の世紀を担う大学、どうしたらいいかということを論ずるのに、中央教育審議会のもう様々な分科会等の中でその一つとして位置付けられている、そういう形に今なっております。そんなことでいいのかと思うわけでございますが、これはもう決まったことでございますし、恐らく行政改革というものを推進するための一つの国の大きな意思決定に沿ったということでございまして、今日、そういう状況の中で、いかに政策において優れた知見を集約し、そして実行していくかということが大変大事だと思います。恐らく、ずっと先生のお立ちになってから御議論を聞いておりましたけれども、一つには文部省もっとしっかりしろということであり、学校教育法の体系の中でもしっかり言われているようなことを今さら論議するまでもなく、中心的にもう法体系の中に置かれているのではないか等を含めて、正に我々に対する御激励であると思います。 私も森有礼初代文部大臣がお書きになりました自警の書を、そのまま唯一私は自分の部屋に飾ってございます。これは歴代の大臣がそのようになさっていたからでもございます。日々あれを仰いでおります。そして、文部省の持っている仕事の重要さというものをしっかりと常に考えろ、そして事が成ったと思ってもそれで満足をするな、更に進め、更に図ってますますその任務を遂行せよ、そしてその職に死することを覚悟せよと。これを日々拳々服膺いたしております。 というのは、私は、教育なり科学技術なり文化なり我が省の担っている分野というものは日本の成り立ちの将来を左右する誠に大事な分野だと思っております。先ほど委員は、歴代文部大臣、随分一生懸命おやりになったと思いますが、どうも文部省といいますか、今は文部科学省ですが、落ち込んでいるのではないかというお話でございましたけれども、私は歴代のそれぞれの大臣方、文部科学省の、あるいは文部省の置かれた戦後の非常に難しい時期にかじ取りを一生懸命やってこられたと思っております。今にして、今の立場で批判するのは楽だと思いますけれども、あの戦後の大混乱の中で日本の教育を立て直すために心血を注いでやってこられた方々のことを思うと、例えばこの間の義務教育費国庫負担法の話だって軽々には賛成できないところがあるわけでございまして、しかもその国家の今迎えている大転換期にどこまで協力するかというそのバランスを取りながら、私としては、大げさに言えば、森有礼氏が書かれた最後の行というのを常に考えながらやっていくということを私の信念として今取り組んでいるところでございます。 中央教育審議会の答申が今日出た中で、国を愛するというような言葉にさえ疑問を持たれるような方もおられる。これは正に意見の自由であり、思想の自由ということで守られているとは思いますけれども、そういったことも、私としては、そういうことではなくて、日本の将来を考えて、一体どうあったらいいかということに常に原点に立ち返りながら、二十一世紀の初めの、様々にもう予想もできないようなことが起きつつある、現に今日がそうでございますけれども、そういう中での教育の重要性というものを政治の場で再認識していただくというのが私の役割であると思います。 教育の重要性を認識しないような人々が政治を行っているとすれば、その国の品格はないと私は思っているところでございます。
○山本正和君 是非ひとつ頑張っていただきたいんですが、ただ私が先ほど言ったのは、歴代の文部大臣がサボっていたというんじゃないので、国の位置付けが、内閣の位置付けが正直言ってちょっと戦後金もうけに走り過ぎちゃって、日本の国が、位置付けが悪かったということを指摘したので。 要するに、なぜ私がこんなことを文部省に対して言うかといったら、私が今までの人生の中で尊敬する、私よりも二つ上ですけれども、かつての文部事務次官をしておった佐野さんという人がおるんですよ。本当に一生懸命になって戦後貧しい中でのこの国のために頑張った、その姿が思い浮かばれるものだから。そのときに様々ないろんな折衝あったですよ、各大臣とのね。しかし、本気になってやられた。それを、今はちょっとあれ、自民党から離れたけれども、藤波代議士からも私よく聞いているし、それから森前総理からも、それは文教のいろいろな苦しみ、私聞いていますよ。 しかし、やっぱり一番中心になるのは、文部省が本気になってぶつからないかぬですよ、死するまでとは言わぬけれども。内閣の中でもひとつ頑張っていただいて、ほかの省庁と同じような合理化の中の一環として教育行政をやられたら駄目ですから、教育行政は別だと言って。 これは、特に副大臣は一番元気な若い盛りですから頑張っていただきたいことを要望いたしまして、これで私の質問を終わります。
○委員長(大野つや子君) 本日の調査はこの程度といたします。 ─────────────
○委員長(大野つや子君) 義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案を議題といたします。 政府から趣旨説明を聴取いたします。遠山文部科学大臣。
○国務大臣(遠山敦子君) このたび、政府から提出いたしました義務教育費国庫負担法及び公立養護学校整備特別措置法の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 義務教育は、憲法の要請により、すべての国民に対し、必要な基礎的資質を培うものであり、国と地方が適切に役割分担しつつ、円滑に実施することが重要であります。 一方、現在、政府においては、地方行財政改革を推進するため、地方分権改革推進会議の意見や経済財政諮問会議における議論などを踏まえ、国と地方の役割分担に応じた事務事業の在り方の見直し、国庫補助負担金の縮減に向けた検討を進めているところであります。 この法律案は、かかる政府の方針を受け、義務教育費国庫負担金について、義務教育に関する国の責任を適切に果たしつつ、義務教育に関する国と地方の役割分担及び費用負担の在り方の見直しを図る観点から、その負担対象経費を限定することとするものであります。 次に、この法律案の内容の概要について御説明いたします。 この法律案は、共済費長期給付及び公務災害補償に要する経費の性質にかんがみ、平成十五年度から、公立の義務教育諸学校の教職員に係る共済費長期給付及び公務災害補償に要する経費を国庫負担の対象外とするものであります。 なお、このことに伴う地方財源の手当てについては、所要の財源措置が講じられることとされております。 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いいたします。 今読みました中で、終わりから六行目の、公立の義務教育諸学校の教職員「等」を読みませんでした。申し訳ございませんでした。謹んで訂正、お願いいたしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○委員長(大野つや子君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。 本案に対する質疑は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後七時八分散会