憲法調査会 第5号
- 発言数
- 38 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 2002/12/04
会議録
○会長(野沢太三君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。 日本国憲法に関する調査を議題といたします。 本調査会は、現在、「基本的人権」をテーマに取り上げ、調査を進めているところでありますが、本日は、二時間程度、今までの議論を踏まえつつ、「基本的人権」を中心として、委員相互間の意見交換を行いたいと存じます。 なお、御発言は着席のままでお願いいたします。 それでは、御意見のある方は順次御発言願います。舛添要一君。
○舛添要一君 自民党の舛添要一です。 基本的人権の問題につきまして、まず第一は、障害者の人権について申し上げたいと思います。 先般、十一月二十八日に東京地裁の判断が出ましたけれども、ALS患者、つまり筋萎縮性側索硬化症、ALSと、これは全身の運動神経細胞だけが侵されます原因不明の神経難病でありまして、だんだん進行していきますと体を動かすことができなくなるということで、現在、四月現在で国内のALS患者が六千百八十人、そのうち三千人弱が人工呼吸器を着けて在宅介護を受けているという状況でありますけれども、こういう方々が投票に行けないということが憲法違反であるという訴えをなしました。東京地裁は、賠償請求については棄却いたしましたけれども、代筆で書けないということは違憲状態であると、こういう判断を述べております。 これは立法府としても怠慢でございますし、賠償請求の棄却の理由は、その当時こういうことが、憲法制定当時予想されていなかったということでありますけれども、今日、障害者の人権ということを考えますと、こういう難病の方々が自分の意思で投票するということを担保する制度を早急に作る必要があるというふうに思っています。 私は痴呆症の母親を抱えておりましたので、体は動いても、例えば痴呆で判断能力はなくなった、こういう方々の投票行動は極めていい加減でございまして、悪い例を申し上げますと、老人施設の理事長さんが、じゃ皆さんこの先生でいいですね、そうしましょうねと言って、ある特定の候補に全部入れるというようなことが行われているわけです、片一方で。ところが、ALSの患者は、筋肉は動きませんが毎日、新聞を読んで判断力は極めてクリアなんです。そして、今はIT時代でありますから、目の筋肉は動くんですね、まぶたの。そのまぶたの動きを言葉に換えることができるんです。ですから、先進国としては、こういう装置を入れてそういう方々の投票権を確保するということが、憲法十四条の法の下の平等、それから憲法十五条の普通選挙権、こういうことの要件を満たす道であると思います。 障害者を社会参画させないで、健常者の払った税金であたかも恩恵を与えるかのごとく措置をしていくという時代ではなくなったことは、介護保険の導入を見ても分かると思います。障害者の方々が社会参加をして、むしろ納税者として活動できるような、活躍できるような、そういう国にするということが我が日本国憲法の基本的人権の理想だと思いますので、技術的な進歩で十分可能だと思います。これ、我々の力で是非実現したいというふうに思います。 先般の東京地裁の判断ですと、現行の公職選挙法、これは七四年に改正されましたけれども、そのときにALS患者は入院を続けるのが通常だったので、病院など指定された施設の代理投票は可能な状態だったということを言いまして、在宅でおられる方々の投票の機会を奪われることについての配慮は何もなかった。介護保険が入りました。在宅の方がたくさん増えました。したがって、これ二つ問題がありまして、先ほど申し上げましたけれども、体は動くけれども痴呆症で判断能力がなくなった方、これはかつては禁治産、準禁治産、現在においては成年後見制度、これの制度というようなことがございます。私は母親を禁治産にしましたので、彼女はその段階で参政権を奪われました。しかし、逆に、体は萎えているけれども判断がある方々の投票権をどうするか、これを一つ問題提起にしておきたいと思います。 もう一つ、アメリカにはADA法がありまして、障害者の社会参画を妨げないようにすべきであると。我々もバリアフリーということを考えておりますし、それからノーマライゼーションということを申し上げておりますけれども、こういうことは新しい先進国の必要な法的要件としてちゃんとやるべきだと、そういうふうに思っていますので、是非障害者の方々のこの憲法で定められた普通選挙権、法の下の平等、その他の基本的人権を奪わないような施策が立法府としても必要だろうというふうに思います。 たまたま先般、ALS患者についての東京地裁の判断が出ましたので、まずその点を申し上げたいと思います。 続きまして、外国人の参政権についてでございますけれども、これも様々な議論がございました。 お許しをいただきまして、私が書きました、朝日新聞の学芸欄に書きましたこの論文を皆さんにお配りしております。これは、二〇〇〇年の六月二日の夕刊に掲載、朝日新聞の夕刊に掲載したものなんですけれども、私の父親が市会議員の選挙に戦前出たときに、ポスターにハングルのルビが打ってありました。これがなぜだろうということを非常に歴史学者として興味を持ちまして、そこにもありますけれども、現物のコピーはこれぐらい大きなやつでハングルが振ってあります。 実は、今日における外国人参政権の問題を語る前に、どうしても日本の植民地時代の話で事実がよく知られていない。結論から申し上げますと、この時期、そのときは朝鮮人と呼んでいましたけれども、日本にいる朝鮮人の方々は参政権のみならず被参政権もあったわけであります。この事実は相当の知識人でも、日本人も知らない、学校の歴史でも教えていない、ソウルに行って韓国の学者と話しても知らない。でありますから、是非議論の前提としてそれを分かっていただきたいというふうに思います。 そこにも書きましたけれども、一九二〇年に内務省が朝鮮、台湾、樺太人といえども選挙権に要するすべての要件を具備するにおいては選挙権を有するということを既に決めてありました。そのときは納税額という要件があったんですけれども、普通選挙の実施とともにそれがなくなりまして、二十五歳以上の帝国臣民たる男子で、衆議院議員については一年以上、地方議会議員については二年以上、同一市町村に居住する者は日本人も在日朝鮮人も、選挙権も被選挙権も、参議院は三十歳以上ですけれども、付与されていたわけであります。 しかも、日本語を書けない朝鮮人がいますので、内務省が三〇年一月にローマ字と同じく朝鮮文字の投票を有効とすることに省議決定をしているわけです。ローマ字と同じくというのは、既にローマ字で書いてもよかったわけです。ですから、植民地時代の帝国臣民と現在の状況は比べ物になりませんですけれども、戦前のある時期におきまして、ローマ字で書いてもよろしい、ハングルしか分からない人はハングルで書いてもいいと、こういう時代があったわけであります。 その後は戦争の進行とともに強制連行、弾圧、抵抗といった事態が起こってきますけれども、こういう時点を、こういう歴史があったんだということを踏まえた上で外国人の人権の問題も考えるべきだと思います。 私は、帰化要件を非常に緩くするならば、是非帰化していただくということは結構だろうというように思います。しかし、帰化要件が非常に厳しいままであるならば、外国人の地方参政権というのは同じ地域に住む人間として認めるということは一つの考え方であっていいと思います。 それから、もう一つは、今イラク情勢も北朝鮮をめぐる情勢も緊迫化しておりますけれども、大量の難民や亡命者が日本に来るということが当然想定される。そのときにこういう方々の人権をどうするか。これも国際情勢との絡みにおきまして十分考えておいていいことかというふうに思います。 特に、この外国人参政権と難民、亡命者の問題というのは、お隣の国、とりわけ朝鮮半島との関係が非常に深いわけでありますけれども、今、日本におります永住外国人の約九割が在日韓国・朝鮮人でありますし、想定される難民の問題も北朝鮮絡みの話でございます。 したがって、そういう新しい事態の発生ということを想定されたときに、我々は憲法を解釈するときに足りないものは立法府で補っていくと、そういう観点が必要であろうかというふうに思います。 以上二点、障害者の人権の問題と外国人の人権の問題、問題提起をしたいと思います。 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) 次は、江田五月君。
○江田五月君 ただいま舛添委員から大変示唆に富む問題提起がございました。共感する部分がございます。 私は、民主党憲法調査会事務局長を務めておりますので、本日は、今年の七月二十九日にまとめました民主党憲法調査会報告の中の基本的人権にかかわる部分の概略を申し上げます。 この調査会は、九月に任期が終わりました鳩山代表、二年の任期の間じゅうの調査について最終報告をするというものでございます。一応の我が党の議論のまとめになっております。 民主党調査会は、ちょうど三年前の九九年十二月十四日、当時就任したばかりの鳩山由紀夫代表の問題提起を受けて発足しました。ちょうど衆参両院に憲法調査会が設置されたときとタイミングが一致しておりまして、この三年間、論憲という立場を論議の土台として取り組んでまいりました。旧態依然たる護憲・改憲論争の枠を踏み越えて二十一世紀の新しい日本にふさわしい憲法の在り方を大いに議論するときを迎えているとの共通認識の上に確認されたものでございます。 七月二十九日の報告は、民主党の議論のたたき台、あるいは国民的な議論のたたき台を提起するもので、この報告を基に新しい時代の憲法論議をリードするにふさわしい自由濶達な論戦、論議を展開することとしております。 五つの作業部会から成っておりまして、第一が総論、以下、統治、人権、分権、国際・安保。私は、第三作業部会の人権の座長も務めました。 明治憲法の人権条項は、法律の留保も多く、極めて不完全なものでした。戦後の日本国憲法は、自由権、社会権、参政権など当時の国際水準の人権規定を取り入れ、我が国の人権保障を一新しました。それから半世紀が経過し、我が国は今、経済活動のみならず、人権保障の面でも明治憲法下とは比較にならない進歩を遂げました。この成果は現憲法の規定だけで得られたものではありません。規定を使いこなし、社会のすべての場面における人権確立に向けた市民の不断の努力、憲法にも書いてありますが、その不断の努力が結実したものだと思います。 それでもなお、社会の実相を直視すれば、性差別、部落差別などが残ったり、適正手続の保障が不十分であったり、国連の人権委員会でもいろいろ指摘しているような、なお改革が強く求められる場面も多く、日本国憲法の人権保障の完全実現が強く求められております。 さらにまた、この半世紀の間、国の内外を問わず、これまでの時代に例を見ない急激な変化がございました。これに伴って、憲法制定当初認識されなかった人権状況が生じてまいりました。人権が国家により与えられるものから自立した市民が自らの努力により確立するものへと変わると同時に、国家が権力を行使する際の適正手続の要請、これも厳しく求められるようになってまいりました。 このような認識の下に、民主党憲法調査会人権部会は以下の三つの課題の議論から出発しました。 第一は、新しい人権。具体的には、環境権とか個人情報の権利、名誉権、人格権、知る権利、知的所有権、子供の権利、あるいは安全への権利、発展への権利、自己実現への権利、自己決定権、人間の安全保障などです。 第二は、外国人の人権について。外国人の権利保障は、地球市民が国際社会と国と地方自治体とコミュニティーとに対して有する連帯の権利に深くかかわるもので、日本国憲法第三章の国民の権利義務には外国人の人権は明文化されておらず、外国人の人権保障について憲法解釈はあいまいなままであって、その明確な規定が必要だと思っております。 第三は、人権保障機関についての議論。九三年、国連総会で採択された国家機関の地位に関する原則、いわゆるパリ原則、ここでは国内人権機関の指針を示しておりまして、以上の三つの議論からスタートして二十九日の報告に至ったわけです。 人権部会の報告の概略を次に申し上げます。 タイトルは「すべての人々の人権を保障するために」となっております。前書きのところで、「私たちは、日本を人権保障を促進する能動的な国として自らを位置づけ、率先して基本的人権の確立に取り組むことを強く希求する。特に、先進国と途上国との間に存在する人権格差を是正するあらゆる努力に主導的な役割を果たし、世界に誇ることのできる国づくりをめざす。」としております。また、二十一世紀型の新しい権利あるいは第三世代の人権、これをどう規定していくべきかなどの課題にこたえるために、憲法上、実定法上の諸規定を見直していく必要がある。同時に、十分な条件を備えた人権保障機構の在り方についても検討していくべきであるとしております。 以下、報告は六つのテーマについて書かれております。 第一は、国際人権保障下の憲法と条約の問題。国境の壁が低くなって地球的規模で市民の権利を守る視点が要請される今日、日本は、国際的人権基準が世界に行き渡り、実現されるために国際社会で積極的な役割を果たさなければなりません。それと同時に、国内においても国際人権を尊重し実践するシステムを整備しなければなりません。 国連の社会権規約に関する委員会の日本への総括所見では、日本の政府と行政でこの規約が十分に考慮されず、裁判でも援用されていない点が指摘されております。また、自由権規約に関する委員会からは、合理的差別、公共の福祉、世論の支持ということを理由に自由権規約遵守を逃れるべきではないと、こう表明されました。とりわけ独立性の高い国内人権機関の設置、在日韓国・朝鮮人、婚外子、アイヌ民族、被差別部落出身者、外国人などに対して国内に存在する差別を撤廃する積極的措置を取るよう勧告を受けています。さらに、女子差別撤廃委員会や子どもの権利に関する委員会から、権利保障のための仕組みを確立すべきであるとの勧告も受けました。 日本は、何よりもまず、これらの指摘、勧告に対し、国際的基準を満たすよう誠実に対処しなければなりません。また、国連で批准されてから五十年以上たった人権諸条約を国内法で整備し、日本でいまだ批准されていない国際人権条約の批准を急ぐ必要があります。 第二は、新しい人権の確立です。先ほども申し上げた憲法に直接明示されていない権利に関しては、人権保障がより明確になることを考慮し、何らかの形でこれらの新しい人権のカタログを憲法的規定の中に取り入れることを検討すべきだと思います。 それらの中から特に検討して提言するものとして、以下の三点を挙げております。 一はプライバシーの権利の確保と表現の自由に関する検討で、プライバシーの権利を自己に関する情報をコントロールする権利ととらえ、これを憲法上の権利として明示することを検討すべきだとしております。また、マスメディアによるプライバシー、名誉権などの人権侵害に対して、マスメディアによる自主的な取組としてプレスオンブズパーソンの設置などを提起をしております。 二は自己決定権。二十一世紀にはますます大きなテーマになることが予測される自己決定権の実効性ある保障のためにも、これを憲法上の権利のカタログの中に可能な限り明示し、その保障を確実なものとする必要があります。 三は環境権。一九七二年の人間環境宣言の直後から憲法の中に環境権を定める国が続いていることを参考に、人権としての環境権を基本にし、環境保全義務の規定を含むことが望ましいとしております。 第三は、新たに再検討すべき人権で、その一は新たな質の法の下の平等。憲法十四条に列記された差別事由のみならず、ジェンダー、障害、疾病、年齢、同性愛など、法の下の平等の概念がその成立時に比べて豊富になったことを踏まえ、平等な機会の保障のための積極的な措置を国に義務付けるなどの憲法上の規定を検討すべきであると思います。 その二は外国人の人権。先ほど舛添委員から提起があったところですが、世界人権宣言、難民条約、国際人権規約などを有力な基準として採用し、国際人権保障に対応するものが求められております。 第四は、現代社会における自己実現の正当な権利としての労働権です。雇用における平等や人格の尊重の意義、さらに過労死などの現代的な課題を考えれば、勤労の場で勤労者が適正で均衡ある処遇を受ける権利を憲法に具体的に規定するなど、新しい労働権の在り方の検討が必要であると思います。 第五は、難民の権利。深刻な状況にある世界の難民問題について日本が国際社会に責任を持ってこたえるには、まず早急な改善を必要とする現行の難民認定制度と支援プログラムを国際的基準に見合ったものにしなければなりません。何よりもまず憲法上に庇護権を明示するとともに、それに対する国の責務を明記する必要があります。 第六は、デュープロセスと人権保障機関です。人権侵害や差別の被害を受けてきた者にとって、現行の司法制度を始め人権擁護制度では種々の限界が明らかになっており、人権保障制度の見直し、適切な救済手段の整備が急務です。 また、違憲審査制の充実と併せて、事件内容の複雑化、困難化に対応し、司法的救済の以前の段階での私権保障としての人権救済手段を充実することも急務です。そのために、パリ原則に基づく国内人権機関の設置やオンブズパーソン制度を提案をし、制度上の独立性を確立し、より実効的な救済機関とするために人権救済機関を憲法に明記する、これも検討すべきであると考えております。 以上が民主党憲法調査会の人権に関する部分の報告の概略でございます。 若干時間をオーバーしてしまいました。私の発言を終わります。
○会長(野沢太三君) 高野博師君。
○高野博師君 私は、これまでの人権関係の議論とは若干離れますが、北朝鮮の憲法についてちょっとお話ししたいと思うんですが。 そもそも憲法が北朝鮮にあるのかなと思いましたら、物すごい立派な憲法がありまして、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法というのがありまして、百六十六条ありまして、憲法改正も何回かやっておりまして、中身を見ますと、立派な社会主義ということで、人間中心の社会制度を作るとか、あるいは外国人の権利、利益を保障する、あるいは自主とか平和、親善、これは外交の基本方針だと、人民の物質文化生活を絶えず高めることをその最高原則とするとか、あるいは農村文化住宅を国家負担で建設すると、こういうことも書いてありまして、また、労働時間は憲法で八時間と、一日八時間と、こういう規定もありまして、これを読む限りはすばらしい国に違いないと、正に地上の楽園という印象を持つんではないか。もし憲法だけこれ見せられたら、これはもう大変すごい国だということになるかと思うんですが、実態はもう全然違うわけでありまして、現実と憲法がこれほど懸け離れてほとんど憲法が意味がないという状況で、人権の侵害、あるいは二十万人を超す強制収容所に入っている問題、外国人の保護どころか拉致をしているという、こういう現実があるんですが。 この憲法の中で一つだけ問題になるのは、国防委員会の規定がありまして、この憲法の百条に、国防委員会は国家主権の最高軍事指導機関であり、全般的国防管理機関であるという規定があって、百三条では、国の戦時状態及び動員令を宣布すると、こういう権限を国防委員会が持っている。正にこの規定によってほかの憲法規定はほとんど無意味にできると。今の軍事独裁体制というものがここに根拠を置いているということが分かりまして、北朝鮮の国民というか人民も憲法の存在すら恐らく知らないんではないかなと、そう思うわけですが。 私は、北朝鮮の問題、特に人権の問題については、今イラクの核の査察、生物化学兵器の査察等がありますが、やはり人権の査察ということは国際機関を通じてやる必要があるんではないか。この地球上で今恐らく人権が最も侵害されているというのは隣の北朝鮮ではないかなと、そういうふうに思っておりまして、我々日本人としても人権意識というのが余り高くはないんではないかと、北朝鮮を人権という観点からとらえるという視点が若干弱かったのではないかなという私は個人的な印象を持っております。 そこで、若干飛躍があるかもしれませんが、我々は日本国憲法についてはほとんど普通は意識していない。大学の憲法の授業で初めて日本国憲法を読んだぐらいの程度で、国家の基本法というのをほとんど学ぶ機会がない。国家とか社会あるいは個人、どういう社会を目指しているのかという意識がほとんどないんではないか。そういう意味では、民主主義とは何かとか、人権とは何かとか、自由とは、平等はと、こういう教育をきちんとやるべきではないかというふうに思っておりまして、私は、人権教育、あるいは更に言えば平和教育、民主教育、環境教育と、こういうものをきちんと日本は教育の中に組み入れる必要があるんではないかというふうに思います。 若干北朝鮮との飛躍がありますが、人権という点では私はここを強調しておきたいと思います。 以上であります。
○会長(野沢太三君) 続いて、小泉親司君。
○小泉親司君 日本共産党の小泉親司でございます。 基本的人権に関連して発言をさせていただきたいと思います。 まず指摘をしたいのは、皆さんも御承知のとおり、日本国憲法は人権に関して大変先駆的な内容を持っているというふうに思います。第三章の国民の権利及び義務では、十九条で思想及び良心の自由、二十条での信教の自由、二十一条での集会、結社、表現の自由、二十三条の学問の自由など、国民の市民的権利、政治的権利を明記していると思います。同時に、日本国憲法は、国民の生存権、二十七条、二十八条の労働基本権、それから二十六条の教育を受ける権利などの社会権を規定していることが大変先駆的だというふうに思います。 社会権は二十世紀の世界史の大きな流れから確立されてきたもので、十九世紀までは人身の自由、言論の自由、宗教の自由など、国家の介入を許さないという意味での自由権が人権の中心でありました。しかし、一九四八年の国連第三回総会で採択された世界人権宣言、この中では、何人も社会の一員として社会保障を受ける権利を有し、かつ国家的努力及び国際的協力を通じて、また各国の組織及び資源に応じて自己の尊厳と自己の人格の自由な発展に欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利の実現に対する権利を有すると規定されたところであります。 こうした社会権を明確に規定しているのは、サミットの七か国の中でも日本とイタリア以外にはないと。イタリアの憲法は第二条で、共和国は個人としての、また、かの人格が発展する場としての諸社会結合体においての人間の不可侵の権利を認めかつ保障するということを規定をしております。 これらの点については既に、当調査会でも議論が開始された基本的人権に関する調査でも、例えば戸波江二参考人は、社会権は十九世紀の自由主義社会のもたらした社会問題、貧富の差だとか富の偏在だとか、いろいろそういう社会問題が出てきて、それを克服するために社会権の考え方が出てきた、この社会権が入っている憲法というのはヨーロッパや西欧の憲法では比較的少ない、日本国憲法はこの社会権の規定を入れているところがとても画期的なところだと述べていることでも明らかだと思います。 この点は大変憲法の先駆的なところであって、私は、第九条の恒久平和主義の問題ばかりじゃなくて、基本的人権においても日本国憲法を改正する必要は全くないというふうに思います。今、大事なことは、憲法の先駆性をいかに現実の国民生活に反映させていくのか、憲法を生かした国づくりを進めることだというふうに思います。 二番目に発言をしたいのは、それでは日本国憲法の先駆性が現実の政治にどのように生かされているのか、その点であります。 この点については、憲法調査会の最も大事な仕事は日本国憲法についての広範かつ総合的な調査を行うということでありますので、憲法調査会が今後の人権問題のテーマで調査追求すべき大変重要な課題であるというふうに思います。 憲法と実態の乖離の問題については、既に今国会では基本的人権に関しまして、もう二十人の参考人から意見をお聞きしておりますけれども、この中でも大変様々な意見や示唆があったと思います。十一月十三日に行われました「経済的自由」についての調査では、戸波江二参考人が、日本国憲法は経済の放らつな自由は認めていないということを述べられております。西谷敏参考人からは、労働法というものは、端的に言えば、使用者の一方的な決定、つまり経済的自由を規制すること、ここに最も基本的な性格を持っているというふうに述べられて、憲法と労働基本権との関係についての指摘がありました。 憲法に照らして、今日の労働現場を見た場合の問題についてどうなのかと。この点についても何人かの参考人から、例えば、ホワイトカラーの長時間の労働は依然として過労死の問題とか様々な社会問題を生み出しており、企業経営上の効率性だけを重視して社会保障の観点が欠落しているとか、派遣労働者の勤務条件が非常に問題がある、あるいは派遣契約が途中で解約されて簡単に事実上解雇される、あるいは派遣先による事前面接という法律上許されないような行為が横行しているといった問題が指摘されているところで、労働現場での労働者の実態が憲法と乖離している現実が指摘されているというふうに思います。 また、現在の日本の大きな問題は憲法自体にあるのではなくて、憲法自体が現実の社会なり、あるいは現実の政治あるいは政策の中で十分考慮されていない、そこにむしろ基本的な問題があるんだと、国会の議論の中でももっと憲法論を、憲法を踏まえた政策論をやっていただきたいという御意見もあった。 こうした指摘をやはり調査会もしっかりと踏まえて、一層この憲法と実態の問題での乖離の問題についての議論を深めていく必要があるのじゃないかというふうに私は思います。 憲法と現実との乖離の問題でもう一言付け加えさせていただきますと、最近、国民の人権がますます制限、統制の方向に進んでいるのではないかと、そうした動きに私は大変懸念を表明するものであります。 さきの通常国会と今国会でも、憲法で保障されている基本的人権も公共の福祉のために必要な場合には合理的な限度において制約が加えられることがあり得るといった有事法制や、国民のプライバシー侵害が問題となった防衛庁のリスト問題、人権擁護法案、個人情報保護法案などが現在議論になっております。本来、民主主義国家においては国民の人権が国の支配権力から守られることが基本であるにもかかわらず、公共の福祉を理由に国家権力が人権をゆがめるといったこのような動きに対して多くの国民が疑念を持っていることは、今国会の状況が端的に私は示しているというふうに思います。 このように、憲法の理念と国民の置かれている現状は大きく乖離しているというふうに言わざるを得ないと思います。調査会の中でも、広範かつ総合的な調査というテーマで、やはり憲法と実態の乖離について十分な調査を行うことが必要であるというふうに思います。 三つ目には、環境権とプライバシー権、いわゆる新しい権利の問題について最後に発言をさせていただきたいと思います。 四月二十四日の参考人の質疑で戸松秀典参考人は、環境権を十三条なり二十五条なりそういうところから読み取って、憲法上の権利ではあるけれども、それを実現するためには環境保全にかかわる様々な立法をしなくてはいけない、その立法の下に具体的な施策がなされれば、それで環境権なる人権が具体的に保障されるというふうに述べておられます。また、五月八日には初宿正典参考人から、プライバシーの権利については十分に現行の憲法十三条の解釈として読み込み得るから、これを改めて明文で、改正で取り入れるべきだとは考えていないというお話がありました。 そもそも、新しい人権は私たちは、憲法の人権規定を踏まえて国民の運動によって発展的に生み出されてきた権利であって、第十三条の幸福追求権の問題点など、現憲法の人権規定によって根拠付けられているというふうに思います。我が党は、憲法が、国民の経済生活上の権利を含めまして、世界でも最も、世界でも先駆的な基本的人権の規定を持っており、それらを基礎とすれば環境やプライバシーの問題などにも十分対応できる懐の深い構造を持っていると考えております。このことは、この間の憲法調査会の議論や参考人の指摘を通じても一層明らかになったのではないかというふうに思います。 このように、私たちは、新しい権利は憲法の改正ではなく憲法の基本原則に基づいて法律でしっかりと保障されるべきものだというふうに考えております。 以上で発言を終わります。
○会長(野沢太三君) 次は、平野貞夫君。
○平野貞夫君 国会改革連絡会でございますが、主として自由党の立場からの意見を申し上げたいと思います。 二十人にわたる学識経験者、弁護士、専門家、団体役員、主婦、それから大学院生含めて、大勢の方から意見を聴取して議論をしてまいりました。総括して感想を申し上げますと、個別の人権問題についてはかなり詳細に具体的に勉強させていただきましたが、基本的人権の本質論の部分が十分でなかったという印象を持っております。 私が申し上げる本質論と申しますのは、現在、日本国憲法の基本的人権の規定の原点になっております十九世紀に確立した人権論のままで二十一世紀これからやっていけるかどうかという問題でございます。市民社会が市場経済原理、見えざる神の手が調整してくれるというそういう信仰でもって花が咲いていた時代と、二十一世紀の現代の社会構造の変化、これをやっぱり今後の憲法の中にどう入れ込んでいくかということが大事だと思っております。 十九世紀的人権、二十世紀にもかなり社会権とかそういうものが導入されておるわけですが、これらはいずれも人間を中心に位置付けていまして、人間の尊厳をどう制度的に確保するかということでございました。これは、非常に普遍的な権利であり、これを否定するものではありません。しかし、二十一世紀の人権論としましては、十九世紀的人権の保障が必要な国や社会がまだまだこれからありますし、同時に、先進国等における、人間自身が環境の破壊、ほかの人間の人権を奪うというようなことを事実上行っていると、この変化をどうとらえるかということでございます。 暴走する市場経済原理主義をどう調整するかというようなことも、人権問題として憲法の中で私は制度化していく問題だと思います。そのことは、貧困の問題を棚上げにして人権論は存在しないということでございます。現在の日本人の平均的生活を仮に六十億人の世界の人類みんなが行うということになれば、地球はあと五つ要ると言われております。そういう意味で、私は、抽象的な、自分中心の、日本人だけが中心の人権論にいささか疑問を持っておるわけでございます。 実は、最近、ある会合である外国の学者から示されたデータを見て私は驚いたんですが、最も貧しい国二〇%の所得を一として、最も富める国二〇%の所得との格差を比較した場合に、一八二〇年には三倍だったそうでございますが、一九九〇年には六十倍に広がっております。 人間というものは、我々、豊かになる、自分たちだけ幸せでいい、ぜいたくすればいいというものだけで済ませるかどうか。私は、こういう点に、今後、東アジアにいる日本人の一員として、どうも自分たちだけを中心にした人権論に何か空虚さを感じます。 そこで、自由党は、平成十二年の十二月に「新しい憲法を創る基本方針」というものを決定しております。これは、新しい憲法文化を作ろうということで、直ちに憲法の改正の手続をしようというものじゃございませんが、その中に「国民の権利と義務について」と、こういう項がございまして、御紹介いたしますと、国家権力と人権を対峙させる啓蒙時代の発想を克服しなければならないと。しかし、ともすれば阻害されがちな個人の自由を国家社会の秩序の中で調和させることは大事だが、基本的人権の保障は、個人、国民が保有すべき条理であると同時に、社会を維持し発展させるための公共財的な性格があるものだと位置付けも必要ではないかということでございます。そして、国民の諸権利と義務は人類の普遍的原理に基づいて日本の良き文化と伝統を踏まえる。公共の福祉の概念をもうちょっと明確にし、思想、信教の自由については政教分離の原則の意義をもうちょっとやっぱり明確にして書いた方がいい。そして、価値多元化社会に適応する自由を確保し、国民の知る権利やプライバシー権、外国人の人権保障、その合理的限界、そういったものも分かるようにした方がいい、あるいは犯罪被疑者と被害者の人権保護の調整ももっと必要ではないかと、こういう考えでございます。 特に、私たちは、地球環境の保全という理念、いわゆる環境権を人間が主張するんじゃなくて、海が見えない、山が見えない、空が見えないという狭い環境権の主張でなくて、地球環境の保全という義務、この理念が市場経済原理の上位にあるという思想を、理念を確立すべきではないかということと、自由な競争社会を作るに当たって、国民の生命や生活の維持に必要な仕組みを政治の責任で整備すると、こういう考え方も大きな人権問題としてとらえるべきではないかと。 具体的には基礎的社会保障、基礎年金とか介護とか高齢者医療、こういったものは国が責任を持って整備するということを憲法に明記することによって、初めて自由で自立した、そして規律のある成熟した市場経済原理社会ができるんじゃないかと、こういう考えでございます。 そして、もう一歩踏み込めば、機会均等の平等というようなことでなくて、こういう人間が生きていくということにおいては結果平等についてもやはり社会がある程度のものは保障すべきでないか、これがやっぱり現代の日本人だけじゃなくて世界的な一つの人権の理論になるのではないかと、しなきゃ駄目じゃないかと、こういう考え方を持っております。 今、私が申し上げたこと全部が憲法として規定できるものじゃないんですが、こういうことを議論の対象としてこれから進めていきたいと思っております。
○会長(野沢太三君) 続きまして、大脇雅子君。
○大脇雅子君 私は、労働者の基本的人権の一つである労働基本権について付言したいと思います。 憲法の二十七条は勤労権を保障し、二十八条は団結権、団体交渉権、争議権を保障しております。労働基本権は生存権的社会権に属するもので、国家が積極的な規制と関与を及ぼすことを容認する人権概念であり、十九世紀が自由権を保障したということを考えれば、二十世紀は社会権を保障するという世紀であったと思います。 そうした社会権の中で、労働基本権というのは中核的な権利を持つということを強調したいと思います。 とりわけ、自由権的側面としては、国家による不当な制限の禁止、団体行動に対する刑事罰の禁止、集会、結社の自由の自覚的行使としての争議権というものが保障されるべきでありますし、生存権的側面からいたしますと、対使用者の関係における権利性が強調され、企業活動の自由が一定程度の制限を受けると。団結権侵害行為は無効であり、使用者による団結への不当な介入は不当労働行為としていわゆる禁止されておりますし、ストライキ等におきます民事責任の免責が行われる。とりわけ、スト権は強制労働からの自由ということで、自己決定の権利で、労働契約に基づいて労働条件を決定するという権利が労働者に保障されているわけであります。 こうした憲法理念の下からいたしますと、現在、ILOより、ILOの結社の自由委員会の中間報告が出されました。これは、平成十四年十一月の二十日の段階でありまして、この勧告部分は何を言っているかといいますと、この委員会は、公務員制度改革の理念及び内容について、法令を改正し、そして結社の自由の原則と調和させる権利から、率直かつ有意義な協議を行うように強く勧告すると言っております。 問題点は、消防職員や監獄において勤務する職員への団結権を認めること、それから国の行政に直接従事しない公務員、例えば国家公務員であれば郵便ですし、地方公益事業からいえば水道、清掃など当たりますが、この人たちの結社の自由の原則に沿った団体交渉権やストライキ権を付与するようにと、そしてストライキを行う権利を正当に行使する公務員が重い民事上又は刑事上の制限に服さないための法令の改正を求めております。 さて、日本の法令を見てみますと、警察職員、消防職員、海上保安庁職員あるいは監獄に勤務する職員は国公法の百八条の二、五項によって団結が制限されております。そして、警察職員、消防職員は地方公務員法五十二条五項によってこれまた団結権が禁止され、不当労働行為制度が存在しておりません。団交権に関しましても、非現業の国家公務員は協約の締結権がありませんし、そうした地方公益事業に関する人たちも制限をされております。 スト権というのは、強制労働の禁止から生存権あるいは自由権の基本的な問題を阻害をしているということで、国公法九十八条はスト権を禁止しておりますけれども、代替措置を出さない限りはこれは無効だという判例もございます。 働く権利というものは、憲法は工場、企業の外で立ち止まると言われておりまして、とりわけ国家公務員あるいは地方公務員の国際法上の理念から見た法改正、憲法理念の貫徹が必要になると思います。 さて、民間労働者については、労働基準法が、憲法二十七条によって勤労権を保障し、最低限度の労働条件を規定しているわけでございますけれども、このところ、労働基準法における時間外労働の蔓延とリストラの影響で一人の仕事量が増えているということも一因で、厚生労働省も残業実態に関する緊急調査を行うというふうにいたしました。 このところ過労死、とりわけ過労自殺を含む精神障害も含めました件数が増加しておりまして、過去最多のペースでございます。脳血管疾患及び虚血性疾患などいわゆる過労死の事案の労災補償状況も請求件数も伸びておりますし、認定件数も基準の緩和により増えております。 このような点においては、やはり憲法の働く権利の理念と現実が果たして妥当しているのかどうかという観点から調査、是正が必要であると思います。さらに、雇用機会均等法とかパートタイム労働者の雇用管理に関する法律というものがございますが、とりわけこのところは正社員が減りまして不安定雇用労働者が増えております。そして、パートタイム労働者と通常労働者との賃金等の格差は拡大の傾向にございます。パートタイム労働者というだけで通常労働者と差別をされている賃金その他の労働条件、あるいは派遣や契約社員のように雇用形態が違うという理由だけでの差別的な処遇、有期契約であるということで業務自体が有期性がないにもかかわらず通常に有期性を導入いたしまして、有期性であるが理由で解雇、雇い止めをしたり、あるいは労働条件に差を設けるというところで、今現在、憲法における平等の規定にかかわらず様々な差別が職場では横溢しております。 それから、社会保障に関しましても、年金、医療、失業、生活保護等、非常に制度自体の維持が不安定なところに来ております。憲法が本当に守られているのか、あるいは生かされているかということを検証をしていく必要があると思います。そして、そうした憲法で保障された権利が現実に具体的な権利として確保されているかどうか、個別法の検証と改正が必要であることを提言して、私の意見陳述とします。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。 松山政司君。
○松山政司君 本日は、「基本的人権」のテーマのうち、その根本的な問題である人権と公共の福祉、そして権利と義務の問題について意見を述べさせていただきたいと存じます。 私は、去る五月二十九日の当調査会におきまして、百地章、中島茂樹両参考人に対して質問をさせていただきました。その際に、次の三点の問題を強調いたしました。 一つは、人権と公共の福祉のバランスの問題であります。 すなわち、我が国は戦前、過度に国家や社会を強調し過ぎた反動で、戦後は逆に権利と自由が過度に主張され、自分さえ良ければよいというエゴイズムが社会全体に蔓延するようになってきたのではないかと。そして、憲法制定後、既に半世紀が経過した今だからこそこのような極端から極端に振られた振り子を真ん中に戻して、普通の姿に戻す必要があると。そのために、まず憲法の公共の福祉の規定を見直す必要があるのではないかということを訴えさせていただきました。 二つ目に、公共の福祉の内容の問題であります。 公共の福祉は人権相互間の矛盾の衝突を調整するための原理であるとの有力な学説の影響の下で、国家、公益の利益あるいは国民全体の利益のために人権を制限することに過度に抑制的な対応が取られてきたのではないかと。そこで、このような公共の福祉についての解釈をまず見直す必要があるのではないかということを訴えてまいりました。 次に、三点目に国民の義務の問題です。 これについては、権利と義務は表裏一体の関係にあると、絶対的な自由や権利はあり得ずに、自由には責任が、そして権利には義務が必ず伴うものであると、基本的にそういう認識に立った上で、日本国民として果たすべき必要最小限の義務は憲法に明記すべきではないだろうかと。そしてその具体的な例として、国民の遵法義務あるいは国を守る義務、環境保全の義務を検討すべきではないかということを訴えさせていただきました。 このような問題提起に対して、百地章参考人からお聞きしましたのは、第一点目の、戦後は人権至上主義的な風潮が蔓延しているが、個人と国家のバランス、公益と私益のバランスを取っていく必要があるとのお答えが、また第二点目は、公共の安全、秩序や公共道徳、国民生活全体の利益の維持など社会的利益や国家の存立維持などの国家的利益のためには人権の一定の制約はやむを得ない、したがって戦後の議論を見直してもう一度公共の福祉の概念を明らかにしていく必要があるとのお答えがございました。三点目は、憲法が国家権力の行使の根拠を与える授権規範であるとの見地に立てば、国家権力を一方的に制限すればよいというものではなく、国家を維持するために必要な義務は憲法に明記する必要があり、遵法の義務や国を守る義務は当然憲法に明記すべきであるとお答えがありました。 このように、私の考えと軌を一つにするその百地参考人のお話には大いに勇気付けられた次第であります。 そこで、このような基本的人権の大前提とも言うべきその自由と責任、そして公益と私益のバランス、公共性への配慮、他人の人権への思いやり、そして法律を守る精神、こういった姿勢を国民みんなが持つことが大切でありますが、そのためには、やはり子供のうちからこのようなことをしっかりと身に付けさせる教育が非常に重要であると思います。特に、権利と義務は表裏一体であることを学ばせる必要があるというふうに思います。 このような観点から、私は、現在政府において進められております教育基本法の見直し作業を大いに評価するとともに、更に一段の踏み込みと改正の早期実現を強く訴えるものであります。 さて、憲法制定後、既に半世紀が経過をいたしました。そして、今や二十一世紀という新たな世紀を迎えております。そのような中で、我が国は大きな変革のあらしの中にあると認識をいたしております。工業化社会から情報化社会へ時代が大きく転換する中で、それに伴う様々な問題が生じております。また、バイオテクノロジーなど科学技術の発達が生命倫理などに深刻な影響を与えております。さらに、少子高齢化、そして我が国の社会の構造変化も進行しつつあります。このような時代が大きく変化しつつある今だからこそ、憲法を見直し、新たな時代にふさわしい憲法に改めていくべきではないでしょうか。これは正に時代の要請でもあると認識をしております。 その際、私は、現行憲法の優れた点は大いに生かしつつも、同時に我が国の歴史、伝統、文化を踏まえて、そして日本という国の、また国民の座標軸をしっかりとらえた言わば地に足の着いた憲法であるべきと思います。 そのような観点から、今後のこの参議院の憲法調査会で更に一層積極的な活動を進めていけることを期待するものであります。 以上です。
○会長(野沢太三君) 高橋千秋君。
○高橋千秋君 民主党・新緑風会の高橋千秋でございます。 私は、与えられた時間は五分でございますので、簡単に意見を言わせていただきたいと思います。 私は、基本的人権と人間の価値についてしゃべりたいと思います。 さきの通常国会が終了後、谷川団長の下、この調査会で欧州を調査をしてまいりました。その後、中国へ行く機会がございました。いろんな国を行かせていただいて、この基本的人権と人間の価値ということを考えてみました。 特に、中国へ行ったときに、交通事故の数、年間、中国では約三十万人の方が交通事故で亡くなるということを聞きました。日本の人口と中国の人口を比較して、少し交通状況も良くないですからそれぐらいの数あるのかなというふうに思いますが、三十万人という非常に膨大な数の方が中国で亡くなっております。 それで、交通道徳もまだまだというところがありまして、車で人をはねて亡くなったとしても、日本円の価値でいうと二十万円ぐらい払えば無罪放免のような形になるというような話も現地で聞いてまいりました。 一方で、憲法調査会としてヨーロッパへ行ったときに、ヨーロッパには人権裁判所がありまして、そこに対する期待感というのが非常に大きくて、人権に対する意識というのは物すごく高いということを感じました。当然、国によって物価も違います。先ほど、三倍だったのが六十倍に広がったという話を聞きましたけれども、そうすれば、人の価値、価格にすれば三倍と六十倍の差があるのかということを考えたときに、この人間の価値、基本的人権ということも考えて、私は、コストの差はそれは当然国によってあるにしろ、基本的な部分というのは私は一つだろうというふうに思っております。 そういう中で、特にヨーロッパではEUが拡大をするという中で、私たちも前回の報告の中でも言いましたように、EU内部で国を渡るときにはパスポートを全く見せなくても済む、それからユーロというお金だけで全然両替もせずに済むということから、もう一つの国のような状況になって国境がほとんどないような状況になりつつあります。 しかし、一方で中を見ると、いろんな部分は地方分権ということをそれぞれの国が強調をしているように思いました。今まで以上に地方分権というのを進めようと。いろんな経済的なものや補助金やら、いろいろな部分についてなるべく地方に権限や財源を与えていこうという動きの中で、一方でそういうどんどんどんどんEUそのものが大きくなり国境がなくなってくるという、非常に相反したような動きがあります。人間の価値、基本的人権というものがそういう相反する中でどうしていったらいいのかということを非常にヨーロッパの中では模索しているように私は感じました。 一方で、日本はどうなのかということを考えてみたときに、先ほどお二人の方から北朝鮮のお話もございましたけれども、最近の北朝鮮のああいう拉致騒動を見ても、我々日本人の中に基本的人権だとか人間の価値だとか、そういうことを本当に胸を張ってちゃんとやっているんだということを言えるのかどうかということを考えてみると、私は決してそうではないというふうに思います。いろんな差別の問題等もありますけれども、日本はまだまだそういう部分で、憲法だけではなくて感情として、いろんな心の中の問題も含めて、まだまだ発展途上の地にあるのではないかなというふうに感じました。 憲法の改憲、それから護憲、それぞれの立場はあるわけでありますけれども、そういうことを抜きにしても、私は基本的な人間の価値を守るということはこれからもどんどんどんどん論議を深めていく必要があるんだろうと、この北朝鮮の問題も含めて感じております。 取り留めもない話で申し訳ないんですが、私は是非、この憲法調査会が、もうあと一年残っているわけでありますけれども、どういう形にしろ、そういう部分を中心にした論憲を更に深められるような調査が進められることを期待して、私の意見表明としたいと思います。
○会長(野沢太三君) 山下栄一君。
○山下栄一君 私は、ちょっと教育基本法の改正問題を取り上げたいと思います。先ほど松山委員からも少し触れられました。 私は、今、中央教育審議会、文部大臣の諮問機関で行われている審議会でも扱われているわけですけれども、そこで教育基本法、全般的な改正を視野に入れた議論が行われているわけですけれども、ちょっと私は、教育の現場や国民的なとらえ方からちょっとずれているんではないかと。非常に上滑りした状況の中で議論が進んでいるように感じます。今日の教育の根本的揺らぎ、これは法律がおかしいからか、法律改正したらというふうな、そういうこと自体が非常に教育を軽視しているというか、ゆがめているというふうなことを感じるわけです。 元々、この基本法の成立の経緯もしっかり検証する必要があるのではないかというふうに思います。憲法制定と一体的に議論されて取り扱われたという、重みを持って取り扱われてきました。準憲法的位置付けとも言えるような、そんな位置付けだったというふうに思います。 戦後、新しい国のスタートに当たって、日本人の骨格、新しい日本人像を新しい価値観の下で示すことが必要であるとされたわけです。新しい価値観というのは、当時の人にとって非常に新鮮な国民主権とか基本的人権の尊重とか、こういうことが非常に当時の国民には新鮮にとらえられた時代の中で、そういう新しい価値観の下で新しい日本人像、骨のない日本人は駄目だという観点から議論されたと。教育勅語に代わるものを示す必要があると。教育勅語の有用性そのものも議論されたわけですけれども、そんな取扱いがされたわけです。 したがいまして、この基本法を改正することについては、私は憲法的な取扱いが必要なのではないかと。通常の法律改正手続でいいのかという、そういう根本的な議論をする必要があると。場合によっては、こういう憲法調査会、両院にある憲法調査会でその改正問題の扱い方も議論をする必要があるのではないかというふうに思います。 と同時に、そのころ、教育というのは国がどこまで関与できるんだということも併せて議論されました。敗戦、戦争に日本が負けたことも国家主義的教育の誤りが敗戦を招いたのではないかとか、また教育が思想統制の道具として使われたとか、そんな議論もされる中で、教育については不当な支配に服することがあってはならない、時の権力に左右されてはならない、権力から距離を置いて教育というのは扱うべきだという議論もされたという背景がある。そういうことの重みもしっかり私たちは受け止める必要があるのではないかというふうに思います。 公明党は、基本法改正問題については極めて慎重な取扱いしておりますし、国民的な、全国民的な議論の広がり、深まりが必要だ、まだまだコンセンサスがそこに至っておらないというように思うわけです。 そういう意味で、国民的議論という面からも、国権の最高機関である両院に置かれているこの憲法調査会の議論にふさわしいのではないかというふうに思いますし、この基本法改正問題というふうに矮小化してはならないと。 社会全体の教育力が低下している。その原因は一体何なんだと。学校の教育力、そして地域、企業、また議員そのものの教育力も低下しているかも分かりません。家庭の教育力も低下している。そんな中で、この教育の重みといいますか、先ほどからも教育の話出ていますけれども、教育という言葉そのものにもいろんな理解の違いがあるように思いますし、学力という言葉も知的面に偏重しておるようなそんな学力のとらえ方もありますし、そういう教育とか学力とは一体何なんだという国民的コンセンサスを深める、共有化するための議論、私、必要だというふうに思います。教育力の衰弱への国民的問題意識の共有、このことがもっと必要だというふうに思います。 人を育てることがいかに大事かと。人間は教育によって人間になるんだという、そういうことの重みをもっともっと自覚することが今最も大事なこの教育問題への取り組み方ではないかというふうに思います。 繰り返しますけれども、教育基本法改正を通常の改正手続、審議会で原案を示して、一つの委員会でルールにのっとって処理するというふうな扱いであってはならないというふうに考えるものでございます。 以上でございます。
○会長(野沢太三君) 吉岡吉典君。
○吉岡吉典君 二つのことを発言したいと思います。 第一に、世界人権宣言五十周年に際して国会が行った人権擁護の推進に関する決議が、「我々は、世界の平和と繁栄は、すべての人々の人権が尊重されることにより、初めて実現されるものと確信する。」と言っていることを改めて重視したいということであります。 人権問題は、かつて国内問題とみなされてきました。しかし、現在は、国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約などに規定された国際問題とされるに至っております。これは、ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、日本の軍国主義が国民の生活と権利を抑圧して、第二次世界大戦を開始するに至ったことから教訓を生かしたものだとされております。 世界人権宣言五十周年を記念して国連が刊行した「国際連合と人権」というパンフレットは、その冒頭で、現代人権論は、第二次世界大戦の終わりの時点において、この戦争の渦中で目撃された残虐行為と人権の大規模な侵害に対応するものとして出現したと言っております。人権は恒久平和の前提であり、人権は平和によってこそ守られるということだと思います。 こうして基本的人権は、第二次世界大戦後の国際社会の原則となりました。第二次世界大戦の経験と反省による国際社会の進歩の表われと考えます。この世界の進歩に沿って、日本国憲法も、「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と規定したのです。 第二に、普遍的権利とされるこの人権のじゅうりんの被害者にどう対応するかという問題についてであります。 この問題は、先ほど小泉議員が指摘したように日本国憲法と現実の乖離という問題と同時に、過去において人権じゅうりんされた犠牲者、例えば治安維持法犠牲者とか従軍慰安婦として戦時性的奴隷にされた人々の人権を今日の時点でどうするのかという二つの問題があると思います。 憲法と現実との乖離は解消しなければなりません。過去の人権じゅうりんはどうするのか。 本調査会で国際法学者の横田洋三参考人は、治安維持法に関して、治安維持法は古い大日本帝国憲法の下で作られたものであるが、新しい憲法に照らしたときに明らかに憲法違反である、その被害者及び被害者の遺族等に対して日本国憲法の下でどう対応するかという問題について、もう解決済みではないかと言うのではなく、国際的には、法律が変わって状況がよくなっても、以前の問題のある法律によって被害を受けた人々、その家族に対して、国がきちっとし、対応するのが人権の立場だという考えが現在の国際的常識になっていると述べました。そして、日本政府及び国会もそういう人たちに対して積極的に救済措置を取っていただければと思っておりますという要望も述べられました。 治安維持法犠牲者の問題にしろ従軍慰安婦の問題にしろ、この調査会での参考人の意見を聴いたというだけに終わらせることなく、国会が何らかの方法でその解決に向けて動くことを検討すべきではないかと思います。 以上であります。
○会長(野沢太三君) 田名部匡省君。
○田名部匡省君 国会改革連絡会の田名部であります。 今日は、「基本的人権」を主としてということのようでありますけれども、基本的人権といっても国民がどれほど理解しているか、憲法そのものを私は本当にこれ全部分かっている人がどれだけおるだろうかという方がむしろ問題であって、それはもう学校教育の中で相当憲法のことに触れて教えておかないと理解できないだろう。先般も何人かの委員の皆さんに、スウェーデンの社会、中学校の社会の本、中学生であれだけのことを教わるんですから、日本でやっぱりもっともっと、人権だとか憲法だとか言う前に、みんなが分かった上で共通の理解を持っていかなきゃならぬ。 しかも、基本的人権といったって、今ごろはもう世界共通のものですよね。昔は、日本は日本だけに住んでいる時代ではないということからすると、もう日本人がどこかへ行って生活をして住む、また日本に来て住む人も多くなっているということを考えると、もう国際的な問題だとしてとらえていかなきゃならぬというのが一つであります。 それから、私は思うんですけれども、この憲法調査会の在り方についてですが、いつまでこれを議論するのか、何をやるのか。専門家の先生方を呼んでいろいろ聴くのは結構でありますけれども、恐らく皆さんは憲法のどこがこれはおかしいと思っておられるのか、そういうことからやっぱり出した方がいいと思うんです。 例えば、九条がおかしいとか、前文に問題があると。例えば、主権は国民に存することから、我々は、平等の、「平和を維持し、」と書いてあるけれども、そういう考えになっているのかどうか。そういうことをずっとやっていってみると、九条の戦争放棄から、十二条の「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と書いてあるけれども、あるいは十三条、十五条、公務員の選定をし罷免することは国民の固有の権利だと書いてある。どうやって権利を行使するのか、何をやるのかというのは、恐らく一般の国民は私は分かっていないと思うんですね。また、百二十四条の政治倫理の問題についても。 ですから、一つ一つ、むしろ委員の皆さんがここにちょっと問題があるというものを出して、これを議論すると。国民が分かるように議論してあげたら、国民が賛成しない憲法というのはこれはできないんですから。ですから、国民に理解をどう求めていく、その議論を国会の場で、おかしいというところをもっともっと私はやる方がもう分かりやすいんじゃないか。例えば、私学に補助を出しているんだって厳密に言えば憲法違反ですよね。憲法を守っていない部分が幾つかある、そのことをまずやる必要があるんじゃないのかなということを非常に今日まで感じてまいりました。 どうぞ、その上に立って、必要な人をお招きいただいて、意見も聴くということを是非委員長に私の方から要望して、終わります。
○会長(野沢太三君) しかと承りました。 大脇雅子君。
○大脇雅子君 二度目の発言をお許しいただき、ありがとうございます。 憲法が制定されてから新しい人権がと言われる領域が拡大してまいりました。それとともに憲法規範が発展をし、基本的人権条項の内容も豊富化してきたことは確かであります。プライバシーの権利、環境の権利、外国人の人権の問題、それからデュープロセスや犯罪被害者の人権の問題等々、非常に多くの、時代に即応した人権が語られるようになりました。 社会民主党といたしましては、こうした新しい人権にどのように対応すべきかという議論でございます。 翻って、憲法の構造を見てみますと、現在の憲法は、平和的な生存権、九条と基本的人権が合体いたしまして、恐怖と欠乏から免かれる、平和のうちに生きる権利というものが中心の魂になっていると思います。そして、人間の尊厳と平等という理念がその憲法の普遍的な原理として保障され、様々な自由権と社会権がその内容を豊富化していると思います。 先ほど、我が国の憲法の先駆性ということを言われましたが、私は更にその普遍性も非常に世界的にあるんだということを言いたいと思います。非常に憲法は広い奥深い容器として時代に即応した新しい権利を抱き取るような柔構造、時代に弾力的に対応できる構造になっていると思います。この新しい人権に対しては、私は、基本法を制定していく、そして個別法により具体的な権利を保障するシステムを我が国は取るべきではないかと思います。 判例などを見ますと、憲法はプログラム規定であって、個別法がない場合直接的な効果を持たないという判例理論が確立しておりますから、憲法に新しい権利を規定したことによって、当然にまた個別法の改正、豊富化が必要となりますので、私は、そうした今までの憲法の持っている広い奥深い容器、先見性と普遍性というものを大切にいたしまして、基本法制定と個別法という対応を主張いたしたいと思います。 もう一つ、人権保障システムの閉鎖性について申し上げたいと思います。 人権が国際化していく中でグローバルで普遍的な人権の価値体系というものが広がっていると思います。しかし、我が国における人権保障システムというのは国内的に非常に閉ざされているというふうに思わざるを得ません。女子差別撤廃条約とか人権規約A、B、それから児童労働や人身売買条約等の選択議定書を積極的に批准していった上で、国内法的にも国際法的にも人権保障概念を我が国の体系として取り入れていくということを提唱したいと思います。 ありがとうございました。
○会長(野沢太三君) ありがとうございました。 まだ時間がございますので、御意見のある方は挙手をお願いし、発言をひとつしてください。
○若林秀樹君 質問でもよろしいですか、御意見に対して、御発言に対しての。
○会長(野沢太三君) どうぞ、やってください。
○若林秀樹君 舛添委員にちょっとお伺いしたいんですが、非常にお話、刺激的で参考になって、私も本当にこういうことは余りよく知りませんで、非常に参考になりました。 その当時から、舛添お父さんに当たる方ですが、こういうハングルのルビを振ったというのは、戦略的にも非常にお上手で、親子二代にわたって選挙がうまいのかなという感じはしましたけれども、私ちょっと不思議に思ったのは、「帝国臣民タル男子」ということで、朝鮮人も台湾人も樺太の人も、ここでいうと出稼ぎの人も日本国民、いわゆる帝国臣民と認めていたことになるわけですよね。そこがちょっとよく分からないので、もしその辺の背景を知っていたらちょっと教えていただきたい。今でも国籍条項で云々というのがあります。それが一点目。 それから二点目が、帰化要件が厳しければ参政権を認めるべきではないかというお話がありましたものですから、今の日本の帰化要件について厳しいと見ていらっしゃるのかどうか。 それから三点目は、ちょっと不思議に思ったこの一番最後の段のところなんですけれども、「十二月に衆議院議員選挙法が改正されて、」というその中に、「当分ノ内之ヲ停止」と書いてありますよね。ここで言う「当分ノ内」というのは、当時何か議論があったんですか、しばらくの間とかなんとか。非常にちょっとそれが引っ掛かったので、その三点について教えていただきたいと思います。
○舛添要一君 まず第一点は、これは実を言いますと、地域によっても差別の問題は非常に違いまして、私の父親がこういうことをやっていたときは北九州であります。 官営の八幡製鉄所がありまして、筑豊炭田を背後に控えています。釜山を始め朝鮮半島はすぐ近くです。関西の方に出稼ぎに来た朝鮮人の人たちは、まず行った先が被差別部落の出身の方がおられるようなところに同居するような形で、最初から差別構造に組み込まれていきました。しかし、北九州の場合は比較的、日本全国から日本人も出稼ぎに出てきたような面がありますので、関西に比べれば差別意識は非常に少なかったかと思います。当時、北九州という町は門司、小倉、八幡、若松、戸畑、この五つの市から成っていましたけれども、こういうところの市会議員に何人も当選しております。それから、東京の深川では朴春琴という方が国会議員として当選しております。 したがって、現実にそういう条件があったわけで、どうしても普選の時代から後の戦争中の強制連行という話が入るものですから、みんな色眼鏡を掛けて見るんですけれども、当時はむしろ移民と同じ自由な労働移民というふうに見た方がいいのではないかというそういう問題提起をなさる方が日本人の学者にも在日韓国人の学者にもいますけれども、そういうことを言うと何かすぐ反動だというようなことを言われることがあるんですけれども、やっと自由な研究ができるようになったかなと。 だから、私は、過去の不幸なことがありますけれども、例えば発展途上国、特にアフリカからヨーロッパに労働移民、戦後たくさん来ましたけれども、それとある意味では同じような形で見た方がいいのではないかと。そうすると、例えばドイツでトルコの問題を考えても、今第三世代まで来ています。在日三世というのは実は第三世代の話であって、そこにおけるいろんな移民政策とか外国人の人権の問題というのは日本が特殊であるのではなくて、むしろ世界共通の問題として、先ほど民主党の江田さんの方から世界人権宣言の絡みとか、それから共産党の吉岡先生からも同じような話がありましたけれども、そういう共通のくくりをして話をした方が、より普遍的な基本的人権概念が出てくるのではないかなと、そういうふうな気がしています。 それから、したがって帝国臣民、これは変な話なんですけれども、朝鮮半島にいる朝鮮人の人たちはもちろん参政権とか被参政権ないわけですね。ところが、日本に労働移民で来た方々は、今申し上げたように、これは衆議院議員だと一年だけいればいいんです、同じ住所に。地方議員の方が難しくて、二年以上いれば、その要件だけで、納税要件すらなくて、これは男性だけですけれども、これは日本人だって男性だけしか選挙権なかったわけですから。そういう状況であったわけです。 それで、帰化要件の前に三番目の御質問にお答えしますと、実を言いますと、敗戦の前後は非常な大混乱がありまして、今申し上げましたように、一時期は日本人と同じような参政権を与えられたにもかかわらず、ポツダム宣言の受諾によって占領が始まりましたら、在日朝鮮・台湾人、そういう方々が日本国籍を一時的に喪失することになってしまうわけです。そうすると、何人でもなくなって何の法律の庇護もなくなってくる、これをどうするんだということで、これを戸籍法の適用を受けざる者の選挙権及び被選挙権は当分の間これを停止するということで、対応が非常に、判断に困って、そのときの国会でもこの問題を取り上げた方がおられるんですけれども。細かい詳細はまた後ほど、私が書いたものがありますからお知らせいたしますけれども、大変な混乱がございます。 そして、この問題をみんなで考えるというより戦争に負けてどうして生き残っていくかということが精一杯で、在日朝鮮・台湾人の人たちのことを考える余裕がなかった。これで、例えば朝鮮半島に戻った方はそこでそちらの国籍になるわけですけれども、日本に残った方々の権利が確定するまで数年掛かるというそういう状況でございました。 それから、二番目の御質問の帰化要件についてですけれども、私は諸外国と比べて決して日本の帰化要件が、何というか、簡単というか易しくないというふうに思っています。ですから、これから少子高齢化で労働力不足ということも景気が良くなれば出てくるわけでしょうから、ある程度帰化要件というのは緩めていいんではないか。 例えば、私はフランスに留学しておりましたけれども、フランスで国家博士号というのを取ったらフランス人になれるんです。つまり、フランスの大学でフランス語で論文を書いてフランス語で陳述をやって博士号を取れるぐらいのフランス語の能力のある人というのはフランス人になる権利があると。それから、フランス人と結婚したら、配偶者をフランス人にした場合も、これは簡単に帰化できます。 だから、例えば日本の大学で日本語で論文を書いて博士号を取るぐらいの能力のある方というのは、当然、日本の社会で生活できる能力があるわけですから、そういう方については帰化を非常に容易にすればいいと思います。 ただ、問題はむしろ在日の方々の方で、特に三世以上になると非常に難しいのは、帰化したいんだと言うんですけれども、しかしやっぱり祖国を失っちゃいけないというお父さん、おじいさんたちの世代のプレッシャーもあって非常に難しい。 ただ、今、在日の方々が結婚している配偶者は七割から八割は日本人です。したがって、これはあと二世代ぐらいになるともうほぼ在日の方々はいなくなる可能性があるので、ほっておけばそれは時間の問題ということもあるんですが、私は、むしろ日本人になっていただいた方が、基本的人権というか、いろんな日本国憲法で定められた権限というのは一〇〇%行使できますから、そうおなりくださいということを言っているんですけれども、我が日本社会の方にも非常なまだ差別構造が残っていますから、これは在日の方も努力していただく、私たちも努力していただく、そういう形でやっていけばというふうに思います。 ただ、今申し上げましたように、あと二世代ぐらいこの問題が解決しないとすれば、やはり例えばその地域における、これも住民参加、いろんなところで外国人に認めていますけれども、そういう試みはやってみて構わないだろうと思います。公権力の行使ができない、だけれども、例えば川崎はそうだったと思いますけれども、これは課長さんぐらいまではたしか在日の方でもなれるはずですし、公務員であっても就ける職種がどんどん拡大しております。こういうことの地道な積み重ねの上に新しい時代が開けるのかなと、そういうふうに思っています。 長くなって済みませんでした。研究した内容を話そうと思うと長くなるので、大変失礼いたしました。
○若林秀樹君 どうもありがとうございました。
○桜井新君 先ほど田名部先生、もういなくなったけれども、発言のあった件に関連して私もお願いなんですが。 私は衆議院に二十年ほどおったんですが、おととし失敗して、去年参議院に、皆さんのところに出させていただいて来たんですが、仕組みがよく分からないで、いろんな、実は二つの調査会顔出しましたら、今日はちょうど同じ時間に重なっていて駄目だから、今、片一方辞めさせてくれと言って申し込んできたところなんですが、参議院の仕組みや国民に対してどういう使命を果たしていいか完全に分かったわけじゃないけれども、何しろ給料をもらっているのが申し訳ないぐらいで、この憲法調査会というのは、これだけ世の中に矛盾が多くて混乱をしておる、そしてそのことが、何が原因してこうなっているかというのは、先ほど田名部さんが幾つか挙げたそのほかにもたくさん普通ささやかれている、難しい、今の日本人の生活習慣と違う問題があるわけですから、そしてそれが混乱のもとになっている問題があるんですから、私はそろそろ、国会なんですから、憲法を、各党ごとで結構ですので、幹事会で詰めて、まあ年度内ぐらいにそれぞれが素案を、たたき台を持ち寄って、そして詰めてやるぐらいのことをやっていただきたいと。 これは何年勉強したってこれでいいなんということはないと思うので、新しい憲法ができてもまた時代の変化や国際状況の影響で改正しなきゃならぬことだって起きるだろうと思いますが、取りあえず今、混乱や矛盾、不安を解消する意味で大急ぎでやるべきだと。それで初めて私どもが衆議院ではない参議院としての使命を果たせることになるんじゃないかと思っておりますので、是非取り上げて、大急ぎでそのタイムスケジュールを決めてやっていただきたい。田名部匡省さんに応援というつもりで発言させていただきました。 よろしく頼みます。
○会長(野沢太三君) 今の御提言は大事な課題でございますので、この調査会全体のまた進め方にもかかわりますので、運営検討委員会等において改めてまた議論をしたいと思います。
○松岡滿壽男君 今、桜井先生もおっしゃいましたが、先ほど田名部先生も発言があったんですけれども、やはり憲法調査会、成り立ちの経過はいろいろあると思うんですけれども、衆議院が一定の方向性も出しましたし、再考の府、熟慮の府とはいえ、非常に重要な問題ですし、私も何回か本会議等で小泉さんと議論したことがあるんですけれども、例えばアメリカが国家情報会議のレポートで、このまま日本が漂流を続ければ、二〇一五年ごろには日米欧の三極が崩れて、日の代わりに中か印だというレポートが出ているんですよね。それ何となれば、日本人というのは自己改革能力が欠落しているという指摘があるんです。 参議院におきましても、いろいろ今回参議院改革協議会で、我々国会改革連絡会としては、総理大臣の指名は衆議院のみとして内閣に対して指導的立場を確保すると、これも憲法改正を伴うことになります。もう一つは、決算と行政監視を重点的にやろうと。だから、参議院に会計検査院を附属機関とする。これも憲法改正が伴います。 それから、第九条のアレルギーがあるんですけれども、例えば憲法第七条の天皇の国事行為の中に、国会議員の総選挙の施行を公示するという、天皇のあれがありますね。これは桜井さんも向こうから来られたから、総選挙というのは衆議院ですよ。我々参議院は通常選挙ですね。これは最初、一院制をめどとしておったからそういう形になっておるわけですし、同時に、国会の召集をされるという国事行為があるんです。去年かおととし、余り出席者が少ないというんで、私は議運の場で共産党さんに憲法を守って本会議に出られたらどうですかという冗談を申し上げたわけですけれども。 これ、そういう点では先ほど田名部先生の指摘は非常に重要だと私は思っているんですね。どこに問題があるのかと。現状にそぐわない、アメリカからそういう自己改革能力がないとやゆされながら、ドイツはもう戦後五十回近く基本法を変えている、そこに今、日本が身の丈に合わない状況でずっと推移している、それで国民の中に無力感が漂っている。 やはり、国と国民の基本的なルールである憲法というものを、やはりここらできちっと論議して一定の方向性を持たせるということがやはり日本全体を奮い立たせることにもこれはつながってくるという非常に重要な時期であるというふうに私は思いますので、田名部先生や桜井先生の御意見に賛成をいたしますので、あえて発言をさせていただきました。
○小泉親司君 今の意見にかみ合わせて発言をさせていただきますが、私は、もう既に憲法調査会が発足した当時からずっとこの憲法調査会に属しておりまして、もう既にその議論は何遍も行われております。 それは、まず村上正邦会長が、できたときからそういう議論がありますが、今度の憲法調査会はあくまでも広範かつ総合的な調査を行う場所であると。ですから、この憲法に対する調査を行うんであって、それは具体的な憲法に関しての改正案を提示したりするような場所ではないと。 これは、既に御承知のように、一度行われました鳩山調査会とは性格を全く異にする調査会でありますから、鳩山調査会の場合については改正を主たる目的にしておりましたので、この点は非常に大きな違いだというふうに思います。 ただ、皆さんが言われたように、それじゃ憲法と現実の違いというのがあると。それじゃ問題は憲法の理念が違うのか、現実が憲法の理念に合っていないのか、こういう問題については当然のことで調査の対象ですから、私たちは、これは憲法の理念が現実の今の政治に生かされていないというところから来る大きな矛盾というのが存在しているわけで、そういう議論を私たちは、先ほども私もお話ししましたように、憲法と現実の状況との乖離の問題については十分にこの調査会でも私たちは調査を深めていく必要があるんじゃないかというふうに考えております。 ただ、桜井委員が言われるように、この委員会に別に憲法の改正案を出してそれをたたき合わせるというようなことじゃなくて、現在の憲法に基づく、現在の憲法を広範かつ総合的に調査する、これが憲法調査会の主たる任務であって、それ以外の私は何物でもないと思います。ですから、先ほど会長が運営検討委員会で検討するとおっしゃったけれども、元々の目的がこれは総合的かつ広範な調査を行うということなんですから、その次元で幹事会でもこの議論を別に改めてやるということは私は必要ないというふうに思います。
○桜井新君 そうだとすれば、あれじゃないですかね。国会の中に常設で勉強会なんて、それは問題ごとに臨時に検討会というのができてもいいけれども、常設で常時貴重な費用を使って私は調査会なんということを設ける必要はないと思うんで、もっと効率的なことを考えるべきだと思いますね。 そして、幾らでもそんなのは学者がいていろんな研究したのもあるんです、本も読めばできることですし、調査は自分たちだって調査権はあるわけですから。私は、いやしくも国家財政を使って私どもが貴重な時間を費やしてやるのであれば、やっぱりそれはそれなりの提言があり、国民生活に大きな貢献があるということが大切なんだろうと思うから、調査なら臨時的なものにすべきだと思いますがね。それも検討してみてください、改めて。過去でこうだったからこれでいいということじゃなくて、改めて取り上げてください。
○峰崎直樹君 今の桜井先生の提案なりずっと議論を聞いていて、これはそもそも最初にこの調査会作るときの約束事ってあるんですよね。まだしかもこれ基本的人権のところで、さらにまだ安全保障とかまだまだ論議することがずっと続くわけですよ。だから、そう拙速にある意味では結論を早く出そうということでも僕はないと思いますし、特に衆議院が中間報告出したと、衆議院が出したから参議院も出さなきゃいかぬというよりも、やはり我々は何の府ですかね、フランスへ行ったときもよく言っていましたけれども、二院制のやっぱり一つの特徴として、衆議院が進めていることに対するある程度チェックをしなきゃいけないし、冷静にまた別の角度から見ていかなきゃいかぬ。 そういう意味で、私は、小泉さん先ほど強調されていましたけれども、我々がそもそもこの憲法調査会が発足するときのそこの約束事は、やはりスタートの段階で約束したんですから、そこはその論議を慎重に進めていくというのが私は筋だというふうに思っております。
○桜井新君 とにかく再検討してみてください。今の意見は意見として。
○会長(野沢太三君) 他に御発言もないようですから、本日の意見交換はこの程度といたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後二時四十四分散会