厚生労働委員会 第16号
- 発言数
- 162 件
- 登壇者
- 22 名
- 会派数
- 8
- 開催日
- 2001/06/14
会議録
○委員長(中島眞人君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 昨十三日、山本保君が委員を辞任され、その補欠として益田洋介君が選任されました。 また、本日、松崎俊久君が委員を辞任され、その補欠として岡崎トミ子君が選任されました。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) 次に、理事の補欠選任についてお諮りいたします。 委員の異動に伴い現在理事が二名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中島眞人君) 御異議ないと認めます。 それでは、理事に沢たまき君及び井上美代君を指名いたします。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) 次に、参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 社会保障及び労働問題等に関する調査のため、本日の委員会に参考人としてハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長曽我野一美君、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長代理谺雄二君、「らい予防法」違憲国賠西日本訴訟原告団副団長志村康君、全国ハンセン病療養所入所者協議会会長高瀬重二郎君及び全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長神美知宏君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中島眞人君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) 次に、社会保障及び労働問題等に関する調査のうち、ハンセン病問題に関する件を議題といたします。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙中のところ、当委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。 私は、本日、ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会及び全国ハンセン病療養所入所者協議会の皆様を参考人として参議院厚生労働委員会にお招きし、貴重な御意見と御要望を承ることができますことに対し、深い感慨を覚えております。 熊本地裁は、去る五月十一日、立法府の責任を厳しく問う判決を言い渡しました。これを受けて、参議院は六月八日、ハンセン病の患者、元患者の方々がこれまでに受けた苦痛と苦難に対する深い反省と謝罪の意を表するとともに、患者、元患者の方々の名誉回復と救済の立法措置を講ずる旨の決議を行いました。 厚生労働委員会の委員長といたしましても、重ねて深い反省と謝罪の意を表しますとともに、多くの苦しみと無念の中で亡くなられた方々に心から哀悼の誠をささげるものであります。 当委員会は、本日、議員立法に係るハンセン病補償法案を審査いたします。これに先立って、参考人の皆さんには忌憚のない御意見と御要望をお述べいただきたいと存じます。私どもは、ハンセン病問題の教訓を真摯に受けとめることをお約束し、よりよき立法を行うことで立法府としての責任を全うしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。 次に、議事の進め方でございますが、まず曽我野参考人、志村参考人及び谺参考人から合わせて三十分御意見をお述べいただき、次に高瀬参考人及び神参考人から合わせて三十分御意見をお述べいただきたいと思います。 なお、意見の陳述は着席のままで結構でございます。 それでは、まず曽我野参考人から御意見をお述べいただきます。曽我野参考人。
○参考人(曽我野一美君) 御指名をいただきました曽我野一美でございます。 本日は、御用多端の中、とうとい時間を割いて私ども原告を招いていただいて意見を聴取していただくこと、本当にありがたく、まず原告団を代表いたしまして心から厚くお礼を申し上げます。 私は、一九二七年の七月生まれでございます。昭和十八年、十六歳のときに海軍に入隊をいたしました。練習航空隊におきまして二年五カ月余り、大変厳しい訓練を受けました。そして、実習航空隊に移りました一九四五年六月にハンセンを発病いたしました。鹿児島の実習航空隊におりましたので霧島海軍病院の隔離病棟に収容され、大変嫌な思いをした記憶が今でも新しくあります。 そして、戦後、一年半くらい家庭療養を続けておりましたところ、保健所の方から、どうしても療養所に入ってもらわなければならない、そういう督促が最初のうちは一カ月に一回程度、最後の方では十日に一度あるいは一週間に一度、白い予防衣を着た係官が私の家を訪ねてくるようになりました。村八分的な扱いを受けかねない、そういうふうな思いがございましたので、一九四七年、昭和二十二年でございますけれども、強制収容されて現在の香川県の大島青松園に入所させられました。 すぐドクターの診断を受けたところ、自然治癒をしておるから一切治療をする必要はない、こういうふうに言われましたので、以来五十四年になりますけれども、何らの治療も受けないで今日に至っておるわけでございます。それであるけれども、帰っていいとは言われない。国の政策というのは、ハンセンと名がつくととことん療養所に押し込める、そういう政策がずっととられていた、そのことを言うことができる、そういうふうに思います。 日本の国としてのハンセン病対策の始まりというのは、今さら申し上げるまでもありませんけれども、一九〇七年、癩予防ニ関スル件という法律が制定されて以来のことであります。今から九十四年の昔であります。その法律に基づいて、全国に五カ所のハンセン病の療養所がつくられました。府県連合立という形で経営されたわけでございます。青森でありますし、東京の東村山でありますし、大阪、それに香川の大島青松園、私がお世話になっておるところ、それから九州の熊本でございます。厚生省が設立せられましたのは昭和十三年、一九三八年でございますから、ずっと後のことでございます。 五つの療養所の管理、統括に当たりましたのは、あの悪名の高い内務省であったわけでございます。そこで、初代の所長は、ドクターではなくて、そのつくられた療養所の所属する県から警察官の警視という階級の方が初代所長として着任をいたしております。 そして、東京の東村山の多磨全生園の初代所長、池内才次郎の、患者を集めて初めて訓示をしたときの言葉が伝えられております。どう言ったかと申しますと、おまえさん方をどう待遇したらいいのか初めてのことなのでよくわからない、そこで刑務所よりも一等減じた扱いをするからそのつもりでいてもらいたい、こういうことをはばからず公言しておるわけであります。 今でもこのことを思い出しますと憤激やる方ない、そういう思いがいたします。病人であって療養所に入れておいて、刑務所よりも一等減じた扱いとは何事かと、それを言いたいわけでございますけれども、池内個人の考え方がそこにあった、そう言ってもいいと思いますし、同時に、国の療養所を経営する基本理念というのがそこにあったと、そう言わなければならない、そう思うわけでございます。 そこで、療養所の立地でございますけれども、人里離れた余り人の寄りつかないところ、それでも反対があるのをようやくなだめて療養所をつくった。私の生活をいたしております大島青松園は瀬戸内海の孤島でございます。海によって隔てられたところに療養所がつくられた。 実際にそれではどういう経営をしたかと申しますと、職員の定数というのを最小限度に抑制をした。多くの職員を雇いますとサラリーを払わなければならないので非常に高くつく。経営が非常に高くつくので人数を少なくした。それでは療養所が経営できない。そこで、軽症患者の労働力を活用するという暴挙をあえて行ったわけであります。 私など、昭和二十二年の入所でございまして、寝巻き類、ほとんどそういうものを持って療養所に入りました。恐らく毎日ベッド生活だろう、そう思って入った。ところが、すぐ翌月から作業の割りつけがございまして、否やを言うことができない強制労働でありました。 重症者の看護、二十四時間張りついて看護をする。看護婦の配置が一人もいない。介護員なんてとんでもない、そんな者は全くいない。不自由者の看護、あるいはガーゼ、包帯の洗濯、再生作業、食事配達。私など、二十歳のときから本当に嫌だったのは、し尿のくみ取り、肥おけを担いでひしゃくでくんで遠くまで運んでいってし尿を処理しなきゃいかぬ。病人が亡くなったときの火葬まで私どもがやらなければならなかった。そういう経営を行ったわけであります。 私どもの全国組織ができましたのは昭和二十六年の一月であります。らい予防法を何とかしてもらいたい、それを大きな目標にして厚生省に要求を繰り返して行いました。その結果、二十六年の十一月、今、名前は変わりますけれども、参議院の恐らくここであったんじゃないかと思いますが、厚生委員会におきまして、光田健輔、宮崎松記、林芳信、この三園長を証人として招きまして意見陳述をさせておるわけであります。今からちょうど五十年昔であります。六月でありますけれども、三園長の証言は十一月であったわけであります。それだけの違いで非常に感慨が深い、そういう思いでこの席に臨んでおるわけでございます。 光田健輔がどういうことを言ったかというと、日本のハンセン病対策というのは将来とも絶対隔離政策を続けなければならない、入所を拒む者については警察官が手錠をかけて拉致連行できるような法律をつくってもらいたい、そう証言をしておるわけであります。 それをベースにいたしまして、厚生省は一九五三年に国会にらい予防法の手直しの案を出して、八月に成立を見たわけであります。私ども、大変な汗を流しての反対運動を展開いたしましたけれども、阻止することができなくて、それが一九九六年まで存在したらい予防法であったわけであります。 熊本判決について申し上げますと、単なる行政論じゃない、また単なる法律論ではない、九十年の歴史を本当に真剣にとらえて、そして厳密に検証を加えて、人道主義を貫いた愛の判決である、そういうふうに私は評価をいたしておるところでございます。 小泉総理の大英断によりまして判決が確定をするに至りました。大変うれしく存じておるところでございます。 国会の先生方におきましてもいろいろ御議論があった、そういうふうに報道を通して承知をいたしておるところでございますけれども、本当に理解のある結論を出していただきまして、超党派による決議であるとか、あるいはまた今後の補償立法であるとか、これから手を加えていただくというふうな御予定を伺っておるところでございまして、原告団一同を代表いたしまして心から謝意を表明する次第でございます。 今後の問題に少し触れさせていただこうというふうに思いますけれども、まず、長い間の九十年に及ぶ誤った行政によって受けた、名誉を破壊された、それを回復する措置をとっていただきたい。 それから、恒久対策として、療養所で生活する以外に手のない特殊な老人集団の私どもでございますので、今後の生活保障。あるいは退所者に関する、非常に苦しい生活をしておるようでございますけれども、新しく年金給付等の道を開いていただくなどの問題。それから、医療、看護、介護等の、あるいは環境整備等の問題。さらにまた、真相究明と再発の防止。さらに継続協議の場を、厚生労働省ともきのう話し合いをいたしまして、それをスタートさせてもらいたいということを申し入れをいたしたのでありますけれども、それらの観点を国会の先生方におきましても今後ずっと注目を続けていただきながら、御支援と御援助を賜られますように心からお願いをして、私の発言を終わります。 ありがとうございました。
○委員長(中島眞人君) ありがとうございました。 次に、志村参考人にお願いいたします。志村参考人。
○参考人(志村康君) きょう、このような機会を与えていただきましたことに深くお礼を申し上げます。 私は、意見陳述を申し上げます。 私は、一九九八年七月三十一日、熊本地方裁判所に訴訟を提起した第一次原告十三名のうちの一人です。これから、私がなぜこのような訴訟を提起したのか、その理由についてお話しさせていただきたいと思います。 私は、旧制中学三年生、十六歳のときに、熊本のハンセン病療養所、菊池恵楓園に入所しました。病院で診察を受け、ハンセン病であることがわかった日の翌々日の入所でした。 このように急いで療養所に入所することになった理由は、私がハンセン病であることがわかれば、保健所が来て家を徹底的に消毒してしまうことになるからです。家の消毒などをされたら、私がハンセン病であることが近所の皆に知られてしまい、家族が村八分に遭うことは目に見えていました。そこで、私は、かわいがってくれていた母親と泣き別れ、父親に連れられて朝一番の列車で熊本に行き、菊池恵楓園に入所しました。 それから十年後、私は同じ入所者である妻と結婚しました。当時の恵楓園では、結婚してもし子供ができたら、妻は堕胎、夫は断種というのが決まりになっていました。妻は、結婚した翌年に子供を身ごもりました。そして、子供を身ごもったことがわかったその同じ日に、園から堕胎手術の日取りを言い渡されました。 園内での堕胎手術のことはそれまでに聞いて知っていました。やはり入所者だった妻の姉が妊娠八カ月で堕胎手術をさせられていたからです。妻の姉は、赤ん坊を産み、その赤ん坊の泣き声を聞いたといいます。そして、生きて生まれた赤ん坊の顔にガーゼをかけて殺されるところをその目で見たということです。 それから堕胎手術までの約二週間というもの、私は何とか子供を助ける方法はないかと必死でした。子供を助けられるのなら何でもするつもりでした。しかしながら、どのようにしても園内では子供を産むことも育てることもできない、それが現実でした。 堕胎手術の日のことは一生忘れられません。手術室まで無言で妻に付き添い、手術の後もただただ泣き崩れる妻に私は何もしてやれることはありませんでした。その後、このことを聞いた私の母親が、生まれてくるはずだった子供のことをふびんに思い、操という名前をつけ、位牌をつくってくれました。今でも操のことを思わない日はありません。死んだ子供の年を数えると言いますが、助けられなかった、済まないという思いは日増しに募るばかりです。 つらい思いをしたのは私たち療養所に入所した者ばかりではありません。私の母親は、私の入所後、一家心中を考え、鉄道に飛び込んだら死体が皆に知れて余計に親戚に迷惑をかけるだろう、死体が上がらないような海に飛び込もうなどと思い悩んでいたそうです。それでも母親は、まだ生後四カ月の乳飲み子だった私の妹の顔を見て、こんな赤ん坊を道連れにはできないと思って自殺を思いとどまったのだといいます。 私の弟は、私のことでつき合っていた女性の両親から結婚を反対され、結局駆け落ちせざるを得ませんでした。相手の両親がかかりつけの医者に相談したところ、らいは遺伝だから結婚しない方がいいと言われたということであります。妹も私のことでまとまりかけた縁談が何度も破談になりました。結納まで交わしたのに、私のことが相手に知れ、破談になったこともありました。父が亡くなったとき、私は近所の人目をはばかって通夜にも葬式にも出ることができず、深夜に家に帰り、明け方には家を出なければなりませんでした。その際、母から、父が死ぬ間際まで私に済まない済まないと言っていたと聞かされました。私は、父も子を失った父親として私と全く同じ苦しみを味わいながら生きていたのだと知り、涙がとまりませんでした。 一九九八年七月三十一日、私は菊池恵楓園や星塚敬愛園の仲間とともに熊本地方裁判所に訴えを起こしました。たった十三人での提訴です。当時はまだ入所者の多くは、自分たちの生活の場である療養所を運営している国を相手に裁判を起こすことについて強い抵抗を持っていました。また、裁判をすることについては、療養所の内外から、国にお世話になっておきながら国を相手に裁判を起こすのかとか、そんなに金が欲しいのかなどという誹謗中傷も数多く受けました。裁判などを起こしたら療養所にいられなくなるからやめた方がいいと言う人もいました。 しかしながら、私は、これほどまでに私や私の家族を苦しめたらい予防法がどうして制定されてしまったのか、また、どうしてその後かくも長きにわたって廃止されないままでいたのか、その理由をどうしても知りたかった。そして、その責任を明らかにしてもらいたかった。らい予防法廃止のときに明らかにされなかったこの問題を私はどうしてもはっきりさせずにはいられなかったのです。 お金の問題ではないのです。お金を幾らもらったところで死んだ操は帰ってきません。私や私の家族の幸せな時間が戻ってくるわけでもありません。しかしながら、もしこの問題がうやむやに終わってしまったら、また将来同じような悲劇が繰り返されることになるでしょう。私たちだけで十分です。もうだれにも私たちのような思いをさせてはなりません。 国会議員の皆様、どうかお願いです。 今回のような過ちがどうして起こったのか、徹底的に究明してください。そして、二度とこのような過ちが起きないような世の中にしてください。差別や偏見のない幸せな社会をつくってください。そして老い先短いこの私にそのような社会を見届けさせてください。私はそれをあの世で操に知らせてやりたいのです。 以上につけ加えまして、一言だけ申し上げます。 坂口厚生大臣におかれては、今月の十六日に我が菊池恵楓園にお越しいただくと聞いております。まことにありがたいと思っております。ただ一つ、この件について残念なことがありました。もともと大臣の園訪問、謝罪は、我々原告団の要請を受け、坂口大臣がぜひお邪魔したいと述べられて実現の運びとなったものであります。厚生労働省は、十六日の訪問を我々に何も相談もないまま、園側には何と十二日に日程案を出してこれを決定し、既に式次第まで決まっていました。我々がこれを知ったのは昨日十三日の午後六時過ぎのことでした。地元のマスコミよりもおくれて私たちは知りました。これではとても謝罪という我々の要請に対する誠意ある対応とは言えません。幸い、この後、協議の機会を設けてくださることになりましたが、今後はぜひ事前に我々原告団と協議いただくよう大臣にもお願い申し上げます。 どうもありがとうございました。
○委員長(中島眞人君) ありがとうございました。 次に、谺参考人にお願いいたします。谺参考人。
○参考人(谺雄二君) 私は、一九三一年、昭和七年、東京で生まれまして、七歳で発病いたしました。したがって、現在六十九歳です。 私は、つまり六十二年間ハンセン病の療養所に閉じ込められた生活をしてきました。この間、同病の母が終戦間際の昭和二十年五月に、職員が空襲で逃げまどう中、餓死状態のありさまで息を引き取りました。兄は、政府、厚生省がプロミン予算を渋っていたために、実際の実施が行われた昭和二十四年の前年にプロミンに手が届かずに死にました。そして私は、この六十二年間、本当に人間らしい扱いを何一つ受けずに生きてきましたが、五月十一日、熊本地裁での判決が私に対して人間をよみがえらせてくれました。私は人間を回復したんです。 そして今、私は大きな希望を胸に持つことができるようになりました。希望という言葉が私には極めて観念的にしか思えませんでしたが、今現実に希望の光が見えてきました。つまり、私は、もしかしたらこの六十二年間の療養所のひどい生活から抜け出て社会復帰できるんじゃないかと、そういう思いが今胸によみがえってきているからです。 私は七歳で発病したわけですから、本当に社会の生活を知りません。しかし、私にはもう既に三十年来交際している女性がいます。しかし、私は、熊本地裁の判決を受けるまで、その女性に結婚を申し込むことはできませんでした。私は、この熊本地裁の判決を本当に確定して、そしてこれから全面解決を願っておりますが、その中で私のような者、私は非常に手足も不自由になっています、しかし、私のような者も社会で生活できる、人並みの社会生活ができるということが皆さんのお力で保障できるならば、私は三十年来つき合っていたその女性に結婚を申し込みたい、そして社会生活をしてみたい、そういう思いでおります。 ぜひ、このような私の願いをかなえるよう、皆さんのお力添えを心からお願い申し上げます。 以上です。
○委員長(中島眞人君) ありがとうございました。 次に、高瀬参考人にお願いいたします。高瀬参考人。
○参考人(高瀬重二郎君) 国会の会期末も近づきましたし、国政御煩多のところ、きょうは私どもにこのような機会を与えていただきまして、まことにありがとうございました。感謝をいたしております。 私は、一九六二年、昭和三十七年でございますが、旧らい予防法第六条によりまして県から入所勧告を受けて、岡山県にあります長島愛生園に入所いたしました。以来、三十九年が経過し、今日を迎えたのでございます。 私のことはそれぐらいにいたしますけれども、去る六月の七日、八日の二日間にわたりまして、衆参両院の本会議におきまして国会の責任を認める国会決議が満場一致で採決をされました。隔離政策の継続を許した責任を認め、患者が受けた苦しみに対しまして深く反省し謝罪するとのことを含めた決議がされたわけでございます。私たちもこの国会決議を厳粛に重く受けとめたいと思っておるところでございます。 その後、委員会の集中審議などにつきましても大変な御努力を願っておるようでございます。 また、このたびの補償金支給に関します立法につきましては、熊本地裁の判決の線に沿って、控訴断念後に迅速に立法作業に取り組んでいただいております。患者のこうむりました精神的な苦痛を慰謝するための補償金、患者の名誉回復などについて定められた法律でございますので、趣旨に沿って速やかに成立させていただきたいのでございます。 しかし、国会の謝罪あるいは補償でハンセン病問題がすべて解決するものではございません。ハンセン病に対します国民の、社会の偏見、差別が完全に解消されたとは言えないのであります。ようやくその第一歩を踏み出したというところでございます。そのために、原告団、弁護団、そして私どもが要請をいたしております統一した全面解決案、これを速やかに御理解賜りまして実現していただきたいのでございます。 その中の何点かにつきまして申し上げたいと思いますが、原告団の発言と重複する点もあるとは思いますが、その点は御了承いただきたいと思います。 まず、退所者及び社会復帰を希望している人に対しましては、先ほども話がございましたように、年金の支給でありますとか住宅の確保、生活の介助など、社会生活を送るために十分な支援をしていただきたい。 現在のところ、社会復帰者に対しましては、一回きりでございますけれども、二百五十万というのが支給されております。しかしながら、これでは生活の安定は不可能でございますので、そういった点もお含みいただきまして、この社会復帰者の問題につきましては御検討を賜りたいと思っております。 次に、二点目といたしまして、入所者の減少によります療養所の統廃合、このことにつきましては、しないでいただきたい。 現在、入所者は四千四百名ぐらいでございますけれども、毎年二百名から二百五十名が亡くなっております。そうしてまいりますと、十年後あるいは十五年後になりますと非常に入所者は減少するわけでございますけれども、私どもには長い間の生活の場でございますし、第二のふるさとでございます。その上、平均年齢七十四歳という高齢に達しておりますので、移動するにいたしましても、これは不可能でございますので、どうか、生涯療養所において余生を送りたいという希望を持っておる者が大半でございますので、そういったことも御理解いただきたいと思うわけでございます。 次に、三点目でございますが、療養所の医療、看護あるいは介護の充実、設備の改善等でございますが、この中で特に私どもがお願いしたいと思っておりますのは、不自由者棟の看護を強化するための看護婦の増員によりまして三交代制を実施していただきたい。しかし、そのためには、速やかに実態調査をしていただきたいと思っております。 次に、四点目といたしまして、まだ社会に根強く残っておりますハンセン病に対します偏見、差別、これを解消するために、学校教育あるいはその他の啓発活動を強化していただきたい。もちろんこれは政府主導によって実施していただきたいと思うわけでございます。 次に、偏見、差別に苦しみながら、先ほどもお話がございました、無念の死を遂げ、しかも遺骨の引き取り先のない二万三千七百人の犠牲者に対しまして、名誉と被害の回復措置を講じていただきたいのでございます。しかし、これには地方自治体の絶対的な協力が必要かと思っております。 次に、九十年に及びます強制隔離政策の真相を明らかにして、再び同じ過ちを繰り返さないように万全の対策を講じていただきたいと思うわけでございます。お願いしておりますように、真相究明委員会等の設置等があるかと思っております。 次に、東村山市にありますハンセン病資料館の充実の問題でございますが、施設の拡充と必要経費の確保、あるいは学芸員等の配置の問題等がございます。 以上、私は、項目のみ、重点のみ申し上げましたけれども、平成十四年度の予算編成期に間もなく入るわけでございますが、どうか厚生労働委員会の皆さんの一層の御理解と御尽力を賜りまして、これらの対策が早急に実現いたしますようお願いする次第でございます。 なお、私が申しました詳細につきましては神参考人の方から説明いたしますので、私はこれで終わります。 ありがとうございました。
○委員長(中島眞人君) ありがとうございました。 次に、神参考人にお願いいたします。神参考人。
○参考人(神美知宏君) 全療協事務局長の神美知宏です。 本日は、大変貴重な時間を割いて私どもの意見の陳述あるいは御要望等を申し上げる機会をお与えいただきまして、そのことに対して改めて感謝を申し上げたいと存じます。 また、先ほど参考人からもるる謝意が述べられておりましたけれども、先日、六月七日、八日の両日にわたりまして、衆参の本会議におきまして国会決議が採択をされました。こういう決議の内容を改めて私ども全入所者の立場で拝見をしてみるときに、こういうふうな国会決議が今までなされたことがあったであろうか、そういう印象を強く持ちましたと同時に、本当に私どもが国会の皆さん方、つまり国民を代表する国権の最高機関でこういう決議がなされたことの感激を今もって強い余韻とともにかみしめておるところであります。皆さんの一方ならぬ反省の言葉と今後の対策についての具体的な指摘もこの中でなされておるところでありまして、必ずや私どもが今回この国家賠償請求裁判をやってよかった、苦労はあったけれどもここまで生き延びてきてよかったという思いを全入所者がかみしめることができるように、あるいは、ふるさとにおいて非常に苦しい暮らしをしておる家族の者たちがこの国会決議を見てどのように感激と喜びを味わっているだろうか、そのことを想像するだけで改めて感動と感激を覚えるところでございます。 そこで、先ほど私どもの組織の会長であります高瀬の方から概略的にいろいろな問題について先生方に御意見あるいは御要望を申し上げたところですが、その問題に若干補足をする前に、私個人のここに至りますまでの片りんをごく大ざっぱにお話し申し上げたい、そのように思っております。 私は、昭和九年生まれでありまして、ことし六十七歳になります。ハンセン病療養所に入りましてから五十年が過ぎました。半世紀です。いまだに死を迎えることはなく、生き延びてまいっておりますが、ここまで私を内側から支えてくれたものは何か。一言で言えば、私どもが置かれている立場、人権を剥奪され、人間の尊厳を奪われ、社会から差別をされ、無らい県運動によって一般社会から追い出されて療養所に入ってしか生きる道がなかった、このつらい体験を何とかいつか生きている間にすべて全面的に解消しなくては死んでも死に切れないという強い憤りと信念が私を今日まで生きてこさせたというふうに思っております。 私は、十七歳で高校に退学届を出して香川県の大島青松園というところに入所をいたしました。はっきりハンセン病だという確信は持てなかったわけでありますが、近隣の医者の診断によりまして、恐らく間違いないであろうということでありました。 本来ならば、病気にかかった場合は近隣の医療機関で治療が受けられる、あるいは薬局等で薬を手に入れることができる。しかし、私がかかった病気に対してだけは、なぜかどこの病院に行っても治療を拒否される。どんなに家族挙げて駆けずり回っても治らい薬を入手することができない。どうしてこういう状況がこの日本の社会にあるんだろうか、大きな疑問と、療養所に入るしか生きる道のなかった失望感とでハンセン病療養所に母親に連れられて入りました。 療養所に入ってみますと、昭和二十六年でありますから、既に療養所の中では昭和二十四年ごろから、ハンセン病の特効薬と言われておりますプロミンの治療が二十四年ごろから開始をされておりまして、見る見るうちに病状が快方に向かっている。そのことを目の当たりにいたしましたときに、私は、不治の病気にかかった、どこにいても治療が受けられない、療養所に入るしかそういう手だてはないというらい予防法によって私どもの今後が生涯が運命づけられていた、その法律はどういう法律なんだということを、十七歳にして失望感の中でこのらい予防法を目にいたしたわけです。 らい予防法の基本理念の中には、強制隔離、撲滅政策という理念が貫かれておりまして、同じような予防法の中に結核予防法があったわけですが、結核予防法は入所規定があり退所規定がある。しかし、らい予防法については、俗に私どもは入り口があって出口のない法律だというふうに言ってきましたけれども、なぜか、らい予防法の中には退所規定、社会復帰の規定というのが全くありませんでした。 療養所に入りましてまず強く印象づけられましたのは、納骨堂がいやに立派であること。東南アジアにパゴダというのがありまして、仏教で使う礼拝堂のことだと思いますが、それにも劣らない立派な建物がどこの療養所の中にもある。これは、たとえ亡くなられるようなことがあっても、骨になっても一歩も療養所から出ることはできないんだよと象徴するかのような納骨堂が療養所の中心に当たるところに立派に建てられておりました。全国十三カ所ある国立ハンセン病療養所の中でこれまでお亡くなりになった方が二万三千七百名、私どもの組織の結果で明らかになっておりますが、このほとんどの遺骨が無縁仏のようにそれぞれのハンセン病療養所の中の納骨堂に眠ったままです。 今、私たちが思うのは、いつになれば大手を振ってふるさとに帰り、肉親の体温を感じるきずなが回復できるんだろうか。あるいは七十になり八十になってもそういう状況はやってこないんではないか。ふるさとがいつ私どもを温かく迎えてくれる日が来るのかということが当面の大きな望みであり願いでもあるわけです。 先ほど、参考人の方々がるる要望を申し上げておりましたけれども、今回の判決を見た後、幸いなことに、国会、政府だけではなくて、地方自治体におきましても県知事が直接療養所に出向かれて謝罪を表明しております。なぜここまで早くも地方自治体の知事までが療養所を訪問しておるのか。その理由を考えてみるときに、昭和の初めごろ国民挙げて政府の指導のもとに行われた無らい県運動、国民の一人一人が、隠れてひっそりと暮らすハンセン病患者を見つけ次第しかるべきところに通報して、みんなで寄ってたかって、手錠までかけて強制収容してきた。自分たちの県にだけは一人もハンセン病患者を残してはならないという運動によって、強制刈り込みが行われた。そのことに対する深い罪の意識を、今の県知事の皆さん方においても自治体の皆さん方においても、何らかの形で意思表示をしなければ申しわけないという気持ちが、知事をして療養所を訪問させているんじゃないかというふうに私は受けとめております。 これから恐らく変わっていくというふうに思います。私どもの気持ちの中にも、社会から排除をされて療養所の中に入ったわけでありますから、社会に向けて心の扉をかたく閉めてかぎをかけて暮らしてきたけれども、ふるさとに残っておる私どもの家族も、同じ気持ちで今まで生きてきたわけです。 これから、地方自治体の代表者も謝罪をしてくれている、今回の裁判を勝利させたのは国民世論の力強いエネルギーが国会を動かし、政府を動かしたと思いますけれども、私どもの全国組織を結成したのが一九五一年で、ことし五十年を迎えます。その五十年間にわたる全国ハンセン病療養所入所者協議会の運動の一番大きな目的は、らい予防法の廃止でありましたし、日本の国内からハンセン病に対する偏見と差別を解消してもらう、解消しなければならないという強い熱意が五十年間の私どもの運動を支えてくれたというふうに思います。 その運動の成果が今回のこの状態に結びついたという総括もいたしておるわけです。この広い日本の、一見平和に見える日本の社会の中に、ハンセン病問題がまだこういう形で残っていたのかということがこのたびの裁判の結果を通してマスコミ報道をされ、そのことによって国民は改めて知らされ、驚き、衝撃を感じ、何かをやらなくてはならないという動きにつながり、政府を動かし、国会を動かした。そういうふうに私は分析をいたしておるわけで、これも非常に喜ばしいことだというふうに、この喜びの思いは死ぬまで忘れないと思います。 六十七歳になって全身が身震いするほどの感激を覚えたことがつい最近二回あった。一つは、熊本地裁における判決をかち取れたということ。一つは、この判決を受けて政府あるいは国会がどう対応しようとしているのか大きな難関でありましたけれども、小泉総理の政治的な決断によりまして控訴断念という情報がもたらされて、判決を手にしたとき、控訴断念を聞いたとき、涙があふれました。全身が身震いするほどの感激を味わいました。 しかし、それだけに終わってはならない。国会におきましては、恐らくあしたになるでありましょうけれども、参議院の本会議におきまして、御提案なさっている問題が国会を通るというふうに思いますけれども、それだけでこの問題が解決したわけではありませんで、補償法案が通ったということは、新しい時代に向けて第一歩を踏み出したにすぎないというふうに私たちは思っておりまして、あしたから、あるいはきょうからどういうふうに今後全療協が運動すれば、本当の意味で裁判をやってよかった、生きてきてよかったという思いを達成することができるのか。それは、先ほど高瀬会長が参考人の立場からるる概略的ではありましたがお話を申し上げたことに関係するわけです。 皆さん方のお手元に、つい先ほど、全面解決要求書なるものをお配りいたしましたけれども、この中に盛り込まれているすべてが実現して初めて私たちは真の人間性を取り戻すことができるというふうに確認をいたしておるわけで、恐らくあした法案が通った後は、きょうも予定されておりますが、厚生労働省に対して全面解決要求書一つ一つを私どもの立場から改めて御説明を申し上げて、速やかなこの問題の解決を要求しよう、要請をしようというふうに考えています。このことが成就して初めて失われた人権なり人間の尊厳が再び私たちの手に回復してくる、そうでなければこの問題は終わったことにならない。 国会で法案が通ったことは、ただ単に緒についたばかりだという認識を持っておりまして、今後、私どもは、平均年齢七十四歳ですから余命幾ばくもありませんが、残された時間を有効に使って全面解決要求の完全なる実現に向けての努力をしなくてはならないという決意を固めております。 どうぞ、参議院の厚生労働委員会の先生方におかれましても、九十年にもわたる日本のハンセン病政策に思いをいたし、今後歴史を一つ一つ検証していく中から、今後どうあるべきかがクローズアップされてくるというふうに思います。私どもの運動をどうぞ側面から御理解を願いたいし、御支援をいただきたい。そして、国会の皆さん方においても注視をしていただいて、ぜひ再びこの問題を国会の中で、全面解決要求を全部実らせるために国会においても引き続き御努力をいただくならば、これにまさる喜びはありません。 私の両親は七、八年前に亡くなっていきました。ある日突然母親は亡くなりました。一九九六年にらい予防法が廃止をされたときに、四十五年も六年も本当の名前を使えない、偽名を使って私は療養所の中で生きてきました。入園したときに、療養所の受付に、あなたは偽名を使った方がよろしいよとアドバイスを受けました。子供でありましたのでとっさに意味を理解することが難しかったんですが、それは、あなたが病気になって療養所に入ることによって秘密がばれると家族がまともな形で生きていくことができなくなるので、秘密にしておくために戸籍名を、親がつけた名前を使わないようにみんなしているんですよと言われました。 一緒に行った母親と相談をして、神崎正夫という偽名を使って、十七歳の三月でありましたが、その瞬間私はどう思ったかというと、十七年間余りいい人生ではなかったけれども生きてきたけれども、療養所に入って親がつけた戸籍名を使うことができないという場に直面をして、私は人間性がそこで再び抹殺をされた、そういう印象を受けました。 ある日突然母親が亡くなりました。七年ぐらい前のことです。私は、全療協の事務局長をやって六年になります。私が就任をして間もなくらい予防法の廃止の問題が動き始めまして、一九九六年にらい予防法が廃止をされた。したがって、ここで私はもう偽名を使う必要がなくなったということで、当時厚生大臣をなさっておりました菅直人さんが多磨全生園を訪れたときに、大臣の目の前で、本日ただいまから私は本名に戻ります、戸籍名に戻りますということを宣言して、神美知宏という名前に戻りました。そのときのまた喜びは格別なものがありました。 本名に戻るときに家族会議を開いて、本名に戻ることによって、もしそれが私が運動を展開する中でマスメディアが取り上げて新聞報道されたら家族がまた迷惑するんだろうかということで、事前に相談をしました。おふくろは、もう少し辛抱しなさい、弟の子供たちがまだ嫁いでいないので、もう少し本名に戻ることは我慢しなさいと言われましたけれども、その他の家族は、やむを得ない、本名に戻るのが当然だろうということで、本名に戻りました。朝日新聞の記者がそのことをかぎつけまして、朝日新聞の「ひと」というコラムに写真入りで私の本名に戻ったことが報道されました。新聞報道されたその日に母親は急死をいたしました。あれほど母親が反対していたけれどもあえて本名に戻した、そのことがショックとなって母親は急死をしたんではないか、直観的にそう思いましたけれども、心筋梗塞でその新聞を見ずに亡くなったということを聞いてほっといたしました。 葬儀には帰れませんでした。墓参りに帰れたのは、亡くなってから三年ばかりしたときのことです。しかし、生まれた家に立ち寄ることができずに、家の前を通り過ぎて両親の墓にもうでて、そっとまた療養所に戻ってきました。もうこういう経験はこれだけでたくさんだというふうに思います。 かつて結核のことを肺病と言われていたけれども、今はどこへ行って自分の過去の病歴を明らかにしても何の差別も受けません。ハンセン病の場合も結核のそれと同じように、かつて私はハンセン病だったということを公言しても何の抵抗もない、差別も受けない、そういう社会に一刻も早く皆さんの御理解によってしていただかなくてはならないと思います。 先般の厚生労働委員会に対する大臣の回答としては、偏見と差別の解消という問題はなかなか難しい、高齢になり、固定観念として人間が一たん思い込むと、繰り返し繰り返し啓発活動をしないことには解消するものではないというふうに見解を述べておられましたが、全くそのとおりだと思います。したがって、一言で集約すれば、ハンセン病に対する偏見と差別が解消されて初めて私たちは人間に戻れる、市民権を手にすることができる、そう思っております。 時間が経過しましたので、これで終わります。よろしく御理解賜りますように。 ありがとうございました。
○委員長(中島眞人君) ありがとうございました。 以上で参考人の方々からの意見の聴取は終わりました。 参考人の方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。私は、参考人の皆様のお話を伺い、立法府としての責任を痛感するとともに、ハンセン病の患者、元患者の方々が強いられてきた多大の苦痛と苦難に思いをいたし、いわれのない偏見と差別を根絶する決意を新たにいたしました。 当委員会は、これからハンセン病補償法案の審査を行いますが、委員会におきましても、ただいま皆様からお伺いいたしました御意見、御要望の重みを体して法案審査が行われるものと確信しております。さらに、今回の立法措置が早急に実施されることを心から願いますとともに、退所者給与金の創設、ハンセン病資料館の充実、名誉回復のための啓発事業など、今後の課題に向けて全力を尽くす覚悟であります。 本日、参考人として御出席いただきました皆さんに心からの感謝を申し上げ、委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 本日は、本当にありがとうございました。(拍手) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(中島眞人君) 速記を起こしてください。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) 次に、政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律案の審査のため、本日の委員会に法務大臣官房訟務総括審議官都築弘君、文部科学省初等中等教育局長矢野重典君、文部科学省スポーツ・青少年局長遠藤純一郎君、厚生労働省健康局長篠崎英夫君、厚生労働省健康局国立病院部長河村博江君及び厚生労働省労働基準局長日比徹君を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中島眞人君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) 次に、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律案を議題といたします。 まず、提出者衆議院厚生労働委員長鈴木俊一君から趣旨説明を聴取いたします。鈴木俊一君。
○衆議院議員(鈴木俊一君) ただいま議題となりましたハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律案について、その提案理由及び内容を御説明申し上げます。 去る五月十一日の熊本地方裁判所におけるハンセン病国家賠償請求訴訟判決について、国は控訴しないことを決定いたしました。これを受け、各会派間で協議を重ね、また、ハンセン病国家賠償訴訟全国原告団及び全国ハンセン病療養所入所者協議会の意見を伺うなどし、衆議院厚生労働委員会において起草、提出したものであります。 本案は、ハンセン病の患者であった者等の置かれていた状況にかんがみ、ハンセン病療養所入所者等のこうむった精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて死没者に対する追悼の意を表しようとするもので、その主な内容は次のとおりであります。 第一に、本案には、特に前文を付し、らい予防法廃止に至るまでの経緯、悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受けとめ、深くおわびするとともに、ハンセン病の患者であった者等に対するいわれのない偏見を根絶する決意及び本案の趣旨を明らかにしていること。 第二に、国は、ハンセン病療養所入所者等に対し、その者の請求により、補償金を支給するものとし、その請求は施行日から起算して五年以内に行わなければならないこと。 第三に、補償金の額は、ハンセン病療養所入所者等の区分に応じ、千四百万円から八百万円とし、昭和三十五年一月一日から昭和四十九年十二月三十一日までの間にハンセン病療養所等から退所していたことがある者に対する補償金は、ハンセン病療養所入所者等の区分及び退所期間に応じた額を控除した額とすること。 第四に、本法案による補償金の支給を受けるべき者が同一の事由について国から国家賠償法による損害賠償等を受けたときは、国は、その価額の限度で補償金を支給する義務を免れるものとし、また、国は、補償金を支給したときは、同一の事由についてその価額の限度で国家賠償法による損害賠償の責めを免れるものとすること。 第五に、国は、ハンセン病の患者であった者等について、名誉の回復及び福祉の増進を図るとともに、死没者に対する追悼の意を表するための必要な措置を講ずるよう努めなければならないものとし、これらの措置を講ずるに当たっては、ハンセン病の患者であった者等の意見を尊重するものとすること等であります。 以上が本案の提案理由説明及び内容であります。 何とぞ、御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
○委員長(中島眞人君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。 これより質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○岡崎トミ子君 民主党・新緑風会の岡崎トミ子でございます。 ただいま参考人の皆様から、五十年、いや六十年以上にわたって受けられた苦難の人生をお話しくださいました。深刻に重く受けとめました。本当にありがとうございました。 〔委員長退席、理事亀谷博昭君着席〕 まず最初に、本法律案の質疑を行わせていただくに当たりまして、患者と元患者の皆様に、一人の国会議員として立法府の不作為を真摯に反省して、九十年もの長きにわたって苦難と苦渋、悲惨な生活を強いて、そして人権の侵害を、抑制を強いてきたことについて心から謝罪をいたします。 また、既に亡くなられた二万三千七百という納骨堂におさめられている皆様方に、また御遺族の皆様方にも心から哀悼の真心と、そしておわびを申し上げたいと思います。 そして、今回の控訴断念は、患者、元患者の皆様が命がけで闘いに立ち上がられた、そして訴えられた、そのことによって政府と国会を動かしてくださった結果です。こうしたことに関して心から敬意を表したいと思います。 また、そのために、雨の中、官邸前で訴えられたあの日以来、体調を崩された方がかなりいらっしゃると伺いました。皆様にお見舞いを申し上げて、一日も早く回復なさいますように願っております。 私の手元に、国会でのさまざまな訴えをなさっている間に、岡山県の長島愛生園にいらっしゃる鏡巧さんから「不作為犯」という歌集をいただきました。不作為、このことにこだわられて歌集の題にされております。 そして、この後書きのところに、鏡さんは十三歳のときに入所されましたけれども、三歳年上の十六歳の人に「ここは病気を治療するところではなく、大勢集めて来てぼつぼつ殺すところだ。」と教えられました。「世界の趨勢に反する日本の「らい予防法」が廃止されたのは、長い長い時を経ての、平成八年三月だった。」、「国も社会の有識者も、らい学会も、」すべて「不作為犯」だと、このことにこだわっていらっしゃいました。 そして、この歌の一番最後のところなんですが、「今にして思へばらいは入園後三年ばかりで治りてゐたり」。それ以来五十年入っていらした。そして最後の作が「予防法違憲の提訴できる身をしあはせとせむ生きのびて来て」ということで、裁判に立ち上がったときの思いが歌われています。 私は今、国会の中で、与党は法的ではなくて政治的、道義的なものとして、また野党は地裁の判決、指摘した立法不作為の責任を認めたということで、現在まで平行線をたどっているという状況です。なぜ、らい予防法を廃止することができなかったのか。立法府としてなすべきことは、今、参考人の皆様方がお話をくださいましたほかにも、一つ一つ検証していかなければならないと思います。検証なしには、やはり責任の所在がどこにあるのかはっきりしません。 最高裁の判決でも、国会の立法責任についてこのように指摘しています。終局的には国民の自由な言論とそして政治的評価にゆだねるということですから、私たちは、政党やあるいは国会議員一人一人が自分の考え方を明らかにすることによって、そして多くの市民の皆様に一体この不作為はどうだということをもう一度考えていただく、そういう機会になるのではないかというふうに思っております。 そこで、今回のこの補償の位置づけですけれども、先ほども神参考人の方から、これが最終解決ではありません、最初の一歩であるということをおっしゃっておりました。このことを大臣にまず確認したいと思います。
○国務大臣(坂口力君) 本日まで多くの患者、元患者の皆さん方のお話を聞きながら、私もきょうを迎えたわけでございますが、そしてその中で多くのお訴えも聞いてまいりました。 そうして、皆さん方としては非常に控え目に、そしてせめてこれだけはという訴えるべきところを訴えておみえになるというふうに思いますが、全体で十何項目になりますか、五項目でございますが、その中がまた小さく分かれておりますから、全体で幾つになるかちょっと数えておりませんが、五項目に分かれました内容の全面解決要求書なるものをちょうだいいたしております。 これを拝見しながら考えておりますのは、先ほど申しましたように、皆さん方のお気持ちとしては、もっと言いたい、もっとやっぱり心の中におることをぶつけてもっとここに書きたい、そういう思いがあるんだろうというふうに思いますけれども、皆さんとしては大変理性的に抑えるべきところを抑えて、そしてここに書いておみえになると私は受け取っております。 この中には、既にお話し合いを始めております点もたくさんございますし、いよいよこれから始めなければならない問題もございます。それぞれ一つ一つを今チェックしまして、そしてこの中で一つでも落ちないように、この中に皆さん方がお訴えになっておりますことが漏れないように、皆さん方とお話し合いを重ねて、そして解決をしていきたいと思っているところでございます。
○岡崎トミ子君 筆舌に尽くしがたい人権抑圧の実態が少しずつ明らかにされてきておりますけれども、事実と直面することが謝罪の一要素だというふうに思っております。そして、再発防止への出発点であるというふうにとらえております。 今、お話の中にもありましたけれども、例えば断種とか中絶は半強制的に日常的に行われていた、生まれたばかりの子供が母親のその前で当たり前のように殺されていたという証言も伺いました。さらには見せしめのための処罰も行われていたということ、この国本衛さんがお書きになった「生きて、ふたたび」の中で「山井道太事件」というところで記されております。 第一区府県立全生病院、病院と名前は書いてありますけれども、社会から隔絶された強制収容所であった。そしてこの中で、山井道太さんは洗濯場で働く主任をされていた。部員は七名いらしたわけですが、その部員の人たちは長靴がぼろぼろだった。非常に作業は困難なんだけれども、洗濯場は入所者のシーツとか着ているものだとか、あるいはうみのついたガーゼだとか包帯だとか、山のようなものが毎日運ばれてきて、それを洗わなければならない。汚水がどっと押し寄せてきて、それが全部足の傷にしみる。悲鳴を上げた。だから、当然、山井さんは主任だったから、長靴新しいものを下さいというふうにお願いをしたけれども、ないと言って断られた。それを言ったことが扇動したというふうに言われて、このぐらいのことで、みんなが最も行きたくないと言われている草津の楽泉園に送られた。これは特別病室という名前の重監房です。 ここの中では、何とそれまでに、一九三九年から一九四七年ですが、九十二名の人が送られて、二十二名の人が獄死して、そのうち十九名は凍死をしたという状況ですからいろいろエピソードがあるんですが、山井さん自身は四十二日目にみずから重体を訴えて出獄をされた。このときに、連れ去られるときに奥さんのキタノさんも、じゃ私も一緒に連れていってと言って四十二日間入ったわけですけれども、出てきたときにはもうすっかりなえてしまって、立つことも座ることもできない、四つんばいになってはい出してきたということなんです。そして、七月十八日に出て、九月一日に死亡した。 国本さんは、「この事件は、らい予防法及び懲戒検束規定による、被害の典型的な例であり、らい療養所九十年の歴史の象徴である。 人間らしい生活を認めず、人間の言葉を奪い、人間としての行動を奪い、そして虐殺した。 それはらい患者を撲滅するという思想であった」、このように書き記しておりますけれども、こういった具体的な問題について一つ一つ検証して、何が起きていたのかを明らかにする作業が必要だと思いますけれども、大臣、いかがですか。
○国務大臣(坂口力君) 衆議院の方でもお答えをいたしておりますが、歴史的な検証、それをやらなければならないというふうに思っております。そして、それはただ内部でやるというだけではなくて、第三者によるところの検証を行わなければならないというふうに思っているところでございます。 現在、どこに依頼をし、そしてどういう人選でおやりをいただくかということの相談を始めているところでございますが、第三者の公正な目で今までの歴史を見ていただく。そして、その中で、なぜこうしたことが行われたのか、そしてそれが続いたのか、そうしたことを含めて明らかにしつつ、後世にこうしたことが二度と再び起こらないようにしていくための糧にしなければならない、そう思っている次第でございます。
○岡崎トミ子君 ありがとうございます。 熊本地裁の判決が出ましたときに、またきょうの参考人の皆様からお話を伺いましたけれども、多くの原告の皆さんが、これで人間になれる、人間に戻れるというふうに言いましたが、この事実をどのように受けとめるか。思わずそう叫んでしまったというのは、これまで人間的な扱いを受けてこなかったということですけれども、裁判に参加されなかったほかの多くの患者の皆さん、元患者の皆さんの胸中を推しはかるということが私は大切だと思っております。 このことは、私たちの社会がみんなで本当に人間として扱わなかったことが申しわけなかったというそのことをはっきりさせる、裏づけることになるというふうに思っておりまして、その人間回復と法的な責任という点で大臣の御見解を伺いたいと思います。
○国務大臣(坂口力君) 今も申しましたとおり、まずはやはりこの事実がどうであったかということの解明が大事だというふうに思っております。そして、その中で国が果たしてきたことはどういうことであったのか、そして社会が果たしてきたことはどういうことであったのか、あるいはまた医学が果たしてきたことはどういうことであったのか、それぞれの立場でやはり検証をしていかなければならないというふうに思っております。 その時代時代、そのときそのときは、このハンセン病に病む皆さん方のためになっているんだと思って一生懸命おやりになっていた人たち、しかし全体で見ると、それが一生懸命になっていたはずだけれども、全体で見るとそれが加害者的役割の方に入っていたといったようなことも私はあるのではないかという気がしてなりません。私も医学を学んだ一人といたしまして、やはりそうした感を非常に強く持つ者の一人でございます。 委員が謙虚に今日までの立場を反省の弁を最初に述べられましたけれども、私もそれ以上に声を大きくして反省の弁を述べなければならない一人だと思っている次第でございます。そこで国がなしてきたこと、そして政治がなしてきたこと、行政がなしてきたこと、そうしたことをやはり明らかにする中で、それがどういうその当時として役割をしていたのかということが明確になりますし、そしてそれに対してやはり判断をしなければならない。ですから、その判断を先にしてはいけないと、そう思っている次第でございます。
○岡崎トミ子君 今なお多くの方たちが補償ではなく国の責任を認めた判決に基づく賠償を裁判でかち取りたいというふうに思っていまして、これは人間回復ということを考えた誇りをかけた闘いだというふうに考えますが、こういう皆さんの気持ちを大臣はどう受けとめますか。
○国務大臣(坂口力君) 熊本の地裁判決が決定をされて、この問題に対して国は控訴をしないということを決定し、この裁判は一つここで一区切りがついたわけでございますが、ほかにも裁判が幾つか続いております。 〔理事亀谷博昭君退席、委員長着席〕 今私たちに大事なことは、全体として今まで大変な御苦労をかけた皆さん方の問題をここでトータルで決着をどうしていくかということだろうというふうに思います。 しかし、裁判の問題は、それぞれの意思でおやりをいただいていることでございますから、その皆さん方の意思というものをやはり尊重しなければならないというふうに思いますが、しかし、希望を申し上げますならば、こうした一つの裁判が決着をしたこの機会に他の裁判につきましても和解その他の道が開かれていくことができるのならば、それは非常に喜ばしいことではないかと私は思っている次第でございます。 お聞きをするところによりますと、最近そうした動きもあるやにお聞きをいたしておりまして、もし裁判をおやりいただいている皆さん方がそういうお気持ちになっていただけるのであるならば、それは大変私は、私たちとしても喜ばしいことだと思っている次第でございます。
○岡崎トミ子君 多分もうすぐ和解であろうという、そういうことが聞こえてきてはおりますけれども、五十年、六十年、七十年、この歴史そのものは九十年ということになっておりますから、本当に人間を回復したいということで裁判に立ち上がったということは、国の責任をはっきり認めて賠償なんだという、この気持ちを私たちはしっかり受けとめなければいけないのではないか。そのことが、この裁判に立ち上がった人たちが本当にこれで、裁判に立ち上がったことが喜べるという先ほどの参考人の皆さんたちのお話もございましたので、私たちは重く受けとめていかなければならないというふうに思っております。 人間回復、名誉回復ということのその措置として、謝罪広告を行うということの要求をこの同じ委員会の中で江田五月議員が指摘をされております。政府はテレビの政府広報番組を持っているのだからこれを活用できるようにしていくということで、坂口大臣はこのことに関しましては必ずしも明確にお答えになっていらっしゃいませんでした。名誉回復措置の検討状況と謝罪広告についての考え方についてお伺いしたいと思います。
○国務大臣(坂口力君) 先日、江田委員から御指摘をいただきましたし、また全療協の皆さん方からもそのお話はお聞きをしているところでございます。また、原告団の皆さん方からもお聞きをしているところでございます。 我々は、あらゆる機会を通じて皆さん方に対する名誉回復の手だてを考えなければならないというふうに思っておりますが、その一つにこの謝罪広告というのがあることは間違いがない。それは私たちも謙虚に受けとめて、それは実行しなければならないというふうに思っているわけでございますが、いつ、どんな形でそれを行うかというところまでまだ煮詰まりがないものですから、はっきりしたことを先日もお答えができなかったわけでございます。 行うという方向でと申しますか、行うということで、今どういう内容でどういうふうにしていくかということを、これからのお話し合いの中の最優先課題として取り上げていきたいというふうに思っておる次第でございます。
○岡崎トミ子君 謝罪広告は効果的でなければなりませんし、原告の皆さんたちがぜひ協議をしてほしい、弁護団とも協議をしてほしいということですから、まずそのことについては大丈夫だと、今そのことを大事にしていかれるということをおっしゃったんだというふうに思ってよろしいですね。 それで、社会復帰準備支援策のことについて伺わなければならないんですが、隔離政策が終わりまして補償がされただけでは済みません。一つには、社会復帰を可能にする施策が必要だ。先ほど谺さんからも、三十年来おつき合いされる方があって、本当に社会復帰を完全にしていきたいんだ、そのことができるのであれば、差別のない、偏見のないそういう社会の中で私は結婚も申し込みたいという、私たちはぜひそのことを祝福できるようにしたいというふうに強く強く願うわけなんです。 らい予防法が一九九六年に廃止されまして、その廃止法の枠組みで社会復帰準備支援事業が実施されているわけなんですが、厚生労働省の委託事業として財団法人が実施主体となって行われておりますが、大きく分けて退所準備支援、そして社会生活訓練ということが内容になっているんですが、現在行われておりますのはなかなか効果が上げられていないというふうに、むしろ批判もされているという状況だというふうに私はとらえているんですけれども、成果を判断する材料として社会復帰の状況がどのようになっているのか、これ、数字を挙げてお答えをいただきたいというふうに思います。
○副大臣(桝屋敬悟君) 社会復帰支援策についてのお尋ねをいただきました。 お尋ねのように、らい予防法廃止後、ハンセン病療養所入所者の社会復帰を促進するという目的で、平成九年度から御指摘のような社会復帰者の支援事業を行っているところでございます。 具体的には、委員の方からもお話がありましたように、退所者に対する住宅準備費用でありますとか引っ越し費用、あるいは社会生活訓練費用、これを支給するということで社会復帰施策を講じてきたところでございます。 今、委員の方から数を挙げてというお話をいただきましたけれども、実は、恐らく委員も御案内のとおりだろうと思うんですが、一つは、入所者が高齢化をされている、あるいは実際に療養所が長い生活の場となっているというようなこともありまして、私どもが用意いたしましたこの社会復帰支援策、必ずしも皆様方の御要望にこたえ切れていない、あるいは実績として数をというお話もありましたけれども、平成九年以降、私どもの用意しましたこの事業に十七名の方が活用されておられるということでありまして、必ずしも十分な成果ではないというふうにも反省をいたしているところでございます。 大臣の方からもお話がありましたけれども、ハンセン病の患者、元患者の方々が社会の中で生活をしていくために必要な施策について、今後、これらの方々の御意見も十分に伺いまして、改めて検討をさせていただこうと、このように考えているところでございます。
○岡崎トミ子君 明快な数字が示されませんでしたが、どうしてなのかなというふうに思うんですが、それをしっかりとらえておかないといけないと思うんですね。 平成八年のときにいただいたペーパーでは、まず入所者七十三人に対して退所者七十五人、九年が入所者七十一人に退所者六十六人、平成十年が七十四人で百四十人、平成十一年が六十人で五十八人、平成十二年が入所六十四人、そして退所者数六十三人ということで、人数が本当に同じような形になっていまして、出た人と同じぐらい戻ってきているというのが現状だというふうに思います。 新しい患者さんが余りいないということですから、これは本当に社会復帰準備支援事業が定着していないということがはっきりしていて、これが今本当に十分にお話が聞けて、本当に社会に出て復帰できますよというその気持ちが欠けた制度なんだという、その反省がないといけませんね。このようなことだとだめだと思いますが、再度お願いします。
○副大臣(桝屋敬悟君) 済みません。委員のお尋ねの趣旨に十分お答えできない答弁になったかもしれません。 私がお答え申し上げたのは、今、委員からもお示しのありました、退所者四百十三名、平成八年から平成十二年にかけてそれぐらいの方がいらっしゃる中で、委員がお尋ねになりました社会復帰支援策がどこまで使われたのかというお尋ねかと思いまして、そのうち十七名と、決してこれは大きい成果ではないということを申し上げたわけであります。 重ねて、委員の方から、入ってこられる方と出られる方とほぼ同じではないか、社会復帰の対策が十分でない、そのことをしっかりと押さえなければならぬという御指摘をいただきました。まさに御指摘のとおりでありまして、委員の御指摘も踏まえまして、もう一度、これから協議の場ができるわけでありますから、本当に効果的な、あるいは今入所しておられる方、これから社会復帰をされようという方がどういうニーズをお持ちなのか、そのニーズに十分おこたえできる事業立てにしていかなければならぬと、こんな気持ちで取り組みをさせていただこうと思っております。
○岡崎トミ子君 社会復帰支援策の中では今具体的に出てこなかったんですが、まず第一に多分住宅というのが挙げられるだろうというふうに思うんです。住宅を探すのには信頼できるいい不動産屋さんというのがいなければいけませんし、その人を探すというのは一般の高齢の人でもまず探すことは難しいという状況になっておりますから、それはやっぱり公的な支援というのが大変大事ですし、プライバシーというのが守られていかなければなりませんし、そういうことのためには多分地方自治体というのもやはり協力をいただかなければならない。十分な支援を行うべきということになりますと、一義的には自治体の取り組みが中心になることもあるというふうに思うんです。 でも、主要は国というふうに思うんですけれども、この辺、いろんな相談体制をつくっていくという意味でどうぞその研修をきちんとしていく、それからまた相談体制づくりもしっかりしていくということとともにお答えをいただきたいと思いますが、いかがですか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 先生御指摘の住宅、そしてまたそれに対してプライバシーをきちっと守った上での相談体制という御質問でございましたが、これもきょう全療協の方々がお配りになった全面解決要求書の中にも挙がっている事項でございます。私も先生と同じような考えを持っております。 今後、患者、元患者の方々との協議の場で具体的に詰めを行っていきたいと思っておりますし、また住民に身近な保健・医療についての専門機関等で、プライバシーをきちっと守りながらそういう相談窓口を設けなきゃならないと思っておりますし、またその相談に応じる者たちについてのきちっとした研修もしていかなければいけない、このように思っております。
○岡崎トミ子君 長い間隔離されてきて、多くの場合には心に傷を負いながら社会とのつき合い方を模索していくというのが現状でありますから、大変困難なものだというふうに思うんです。 地方自治体の方でも一義的にはお手伝いをいただくようなことがあるという話がありましたけれども、その辺のことについて今ちょっとお答えいただかなかったことと、自治体のことについて今ちょっとどうしてもこれはお聞きしなければいけないと思うんです。 岡山県の邑久第三小学校で十数年にわたって使われてきましたハンセン病不適切記述の副読本です。これはきのうのニュースで見たばかりでありましたけれども、この記述の中で「ハンセン病は生まれつきのものではなく、伝染病なのです。だから、かん者がいたら他の人に伝染しないように、そして、少しでもよくなるために、一日も早く療養所へ入院させ、手当てをしなければなりません。」、「歩いて山々をめぐり、この病気に対する正しい知識を説いて回りました。」という、これはお医者さんの話なんです。 これは地方の教育委員会の方で採用した本だということなんですけれども、やはり地方自治体でも努力をしてもらわなければ困る。これではとても差別、偏見を地方の中で、子供たちの教育の中でなくすことができないんじゃないでしょうか。いかがですか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 私も新聞で拝見をいたしましたが、今、先生の御質問でございます地方自治体との連携あるいはまた文部科学省との連携はぜひとも必要と考えておりますので、今後もそういう体制をとっていきたいと思っております。
○岡崎トミ子君 もっと具体的にきちんとやるというふうに言っていただかないと、何かふわっとしたもので、確実にやってくれるなというふうに思えないんですけれども、大丈夫ですね。
○政府参考人(篠崎英夫君) 今後のことでございますけれども、一生懸命やらせていただきたいと思っております。
○岡崎トミ子君 ありがとうございます。 それから、つい先ほど参考人の皆さんがいらっしゃったときに、それから前からも、私が東北新生園をお訪ねしましたときにも、不自由棟についての看護体制、三交代でお願いしますということ、衆議院でもそういう質問がございましたけれども、これはまず皆さんが一様におっしゃいますには、実態を知らないというふうにおっしゃっています。一刻の猶予もならない緊急な事態が連日起きているということなんです。ですから、現場を見にきてほしいということでした。いらしても何となく通り一遍で、本当のところをわからないでお帰りになってしまうことがあるということなんです。 現在、大変御高齢になっていらっしゃいまして、気がついたら心筋梗塞であったとか、痴呆の方もふえている、ナースコールを押すこともできないという状況になっている、失禁してしまった、倒れた人は発見されたときにはもう手おくれだったということで、泊まっているのは看護助手で専門の方ではない。そして、その方が倒れたというのをもしキャッチして看護婦さんに伝えると、それから看護婦さんがさらにお医者さんに連絡をして、お医者さんがいらしたときにはもう手おくれだったという、こういう体制になっているんです。 そうすると、準夜と深夜と日勤ということで、どうしても三交代でやってもらわなければそこは本当に十分な手当てがない。これは緊急な問題だということなんですけれども、現場に足を入れて話を聞いて、そしてこれについて三交代実現ということでお考えいただけないでしょうか。 今、国家公務員の定数法の問題で、このこととは違うというお答えをいただいておりますけれども、明快にしてお答えをいただきたいというふうに思っておりますが、いかがですか。
○国務大臣(坂口力君) 全生園にお邪魔をいたしましたときにもそのお話をお聞きいたしましたし、この前、江田先生でしたか、あるいはほかの方だったかもしれませんけれども、前回のときにも私お答えを申し上げたわけでございますが、不自由棟の皆さん方の中にやはり夜間のそうした看護の必要な皆さん方がおみえになる。その皆さん方に対しまして、今、夜勤をするのではなくて当直をしているだけになっているものですから、だからそれは夜勤に変えていかなければならない。 それで、とにかく役所のことですから、きょう言ってあした人をふやしてという、なかなかいかない面もあるものですから、とにかく緊急を要するところから先に手がけてほしいと今言っているところでございます。なかなか進まなくていつまでも同じ答弁しておるのでは、いつまでたっても私がしかられるばかりでございまして、とにかく早く緊急を要するところからやってほしい、こういうことを今言っているところでございます。 そして、緊急を要するところにも、確かにブザーは押せるようには大体どこともなっているらしいんですが、どういう状況だということ。中にはお話のできる人もたくさんおみえになるわけでございますから、ブザーを押して、そして今こういうことだということをお話しになる人もたくさんあるわけですが、そのお話のできるシステムができ上がっていないところもあるということなものですから、それをちゃんとすることの方が先ではないか。三交代にすることも大事ですが、今、私はこういうことで調子が悪いからすぐ来てくださいということを言えるようにすることも大事ではないかと。そうしたことも含めてひとつやってほしいと今言っているところでございます。 現在います職員の数でいきますと、夜勤をやってもらおうと思えば、そうするとその人に休んでいただかなきゃならない日もあるわけでございますから、そうすると昼間の人数をどうするかという問題があったり、それから全体として人がたくさんいるところがありましたり少ないところがあったりするものですから、その辺の調整もしなければならないところがあったり、それは私はあるんだろうというふうに思っております。 緊急を要するところからとにかくスタートをするということにしてほしいということを今申しまして、そしてそれをするのは、しかし夜勤の人におっていただいても、それにコールをして、ただブザーを押すだけではなくて、どういうことだということが言えるようなこともできないようなことではぐあいが悪いですから、ちゃんと言えるようにしてほしいということを今言っているところでございます。そうしたことをやりながら今後進めていく。 それだけでも多分なかなか御納得のいただけない部分もあるのかもしれません。私が最初お聞きしましたときには、いわゆる家屋の中で、病院なら病院のような一つの家屋の中でそれぞれの個室のようなお部屋があって、そしてそこにお入りになっていて巡回をすればいいのかなというふうに思っておりましたけれども、そうではなくて、それぞれのお家があるんですが、しかしそれが全体の一つのやかたの中にあるわけではありません、ないんだそうであります。それぞれ外にあるわけでございますから、そういたしますと、そこを一体どうするかということがございます。そういうことになりますと、女性の皆さん、看護婦さんに夜、外を巡回していただくということになるのがどうかというような問題もあったりして、ちょっと考えなきゃならないこともあるなと、そんなふうに今思っている次第でございます。
○岡崎トミ子君 もう時間が来ておりますから、実は物すごくたくさん質問があって途中で終わってしまったんですけれども、こういうことについて、厚生労働大臣のもとで第三者機関という形でお話を伺いました。江田五月議員も解決の道筋というところで話をしておりましたけれども、国会の中での特別委員会、調査委員会をきちんと調査のできるものをつけながらきちんとやっていきたいという、そういう気持ちがあって、私もぜひその線で、ハンセン病の最終解決を求める議員懇談会としても一員として頑張りたいと。私自身の決意なんですけれども、これを私、ぜひ大臣それから鈴木委員長にも一人の国会議員として御協力をいただきたいなというふうに思っているんですけれども、そのことだけ一言だけ伺って終わりたいと思っております。
○国務大臣(坂口力君) これは国会のことでございますから国会でお決めをいただくことではございますけれども、私も一人の議員として、それは協力を申し上げることは積極的に協力を申し上げなければならないと思っております。
○衆議院議員(鈴木俊一君) 今回提出しておりますこの法案につきましても、各会派の御協議の中で、衆議院におきましては全会派一致という形で成立をさせていただいた問題であります。その後のフォローにかかわる問題の一つでもあると思いますので、各会派協議の中で、私も衆議院議員の一人として、今の先生のお話については賛意を示させていただきたいと思います。
○岡崎トミ子君 ありがとうございました。
○沢たまき君 公明党の沢たまきでございます。 質問の前に、本日は、参考人の皆様、御意見をお述べいただき、本当にありがとうございました。また、そのためにわざわざ国会までお出かけくださいましたことも、あわせて御礼を申し上げます。 皆様には、不当な偏見と差別の中で、長い間、筆舌に尽くしがたい人権の侵害、多大な苦難、苦悩をこうむられたこと、また、それをもたらした認識の誤り、政策の誤り、そのまた是正をなすべき義務を長い間放置していたことに、深い反省を、心からのおわびを申し上げます。 今後、私どもも十分な皆様の名誉回復及び福祉の推進と支援に全力を挙げることを誓わせていただこうと、このように思っております。 では、質問に移らせていただきます。 今回の政治決断について、歴史的に見て大変に大きな意義があると思っております。国家賠償責任に関する裁判で、人権、人道を重視して控訴を断念した例は過去に一度もないのではないかと思っております。国民の皆様も、私も含めて、本当に血の通った政治が行われたと感動の拍手が送られたわけでございます。 そこで、これを契機といたしまして、今後の厚生労働行政において、人道上の問題と国政の基本的なあり方にかかわる問題の関係について研究あるいは精査され、今後に資するべきだと思いますけれども、厚生労働大臣の御所見を賜れればと思っております。
○国務大臣(坂口力君) 既に幾つか御答弁を申し上げておりますように、やはり過去の問題を精査し、そしてなぜこのような事態になったかということを反省すべきところは反省し、そして今日に至りました経過の中で、これから我々政治あるいは行政の場で取り入れていくべき問題は何かといったことをやはり整理しながら取り入れていかなければならないというふうに思っている次第でございます。 そのほか、患者の皆さんやあるいはまた元患者の皆さん方に対して今まで大変な御苦労をかけてきたわけでございますから、この皆さん方に対してどのようにこれから対応をしていくか、これからのこの皆さん方への対応の仕方、今までの反省をすると同時にこれからの対応の仕方、そのことをやはり丁寧に取り上げていかなければならない。 その中でやっぱり一番難しいのは、患者の皆さんあるいは家族の皆さん方に与えてきた、何と申しますか、偏見と一言で言っていいかどうかはわかりませんけれども、そうした偏見、差別、そうしたものをどうなくしていくかということが、これが一番やっぱり大事なことだろうというふうに思います。そして、ここが一番やはり繰り返し繰り返しやらないとなかなか効果の上がりにくいことでもあるだろうというふうに思っておりまして、最も重点として取り上げなければならない課題ではないかというふうに考えている次第でございます。
○沢たまき君 ありがとうございました。 次ですが、法務省に確認いたしますが、今後、取り残された国政の基本的あり方にかかわる法律上の問題点、すなわち、一つは、国会議員の不作為責任に対して、このような判断は最高裁の判例に反するもので認めることはできないとしていること、二つは、民法の規定では損害賠償請求権は二十年となっておりますが、今回の判決では結果的には四十年間にわたる損害賠償を認めております。このような結論を認めれば、国民の権利義務関係への影響が余りにも大きく、法律論としてはこれをゆるがせにできないとしているこの二点に対して、政府は今後、国が当事者となる同様の訴訟においてはどのように対応をなされるのでしょうか。
○政府参考人(都築弘君) 釈迦に説法で恐縮でございますが、お尋ねの政府声明は、その経緯に照らしまして大変重要な重い政府の意思表明と承知いたしております。今御指摘がございました二点につきまして、今回の判決に法律上の問題があるということで訴訟当事者の立場からそれを指摘したものと承知しております。もちろん、今回の判決がハンセン病問題に対しまして光を当て早期解決を促したという点では高く評価するものでございます。 ところで、この政府声明は、裁判所に対する関係では何らの拘束力はございませんが、訴訟を担当いたします法務省に対しましては、同種法律上の問題につきまして解釈指針として拘束力があるものと考えております。 そこで、法務省といたしましては、今後、同種の法律上の問題が争点となります訴訟では、政府声明の趣旨に沿った訴訟対応を統一的かつ適正にしてまいりたいと考えておるところでございます。 以上でございます。
○沢たまき君 先ほども大臣が人権のこととおっしゃって、繰り返しとおっしゃっておりましたが、人道的救済と国政の基本にかかわる問題とのかかわり方の関係は今日まで対立関係にありましたし、大変難しい課題でもありました。熊本地裁にも、また政府にもそれぞれ御意見はあるようでございますが、いずれにしても最高裁でなければ白黒はつけられないわけで、今回のハンセン病の控訴の断念は、国政の基本にかかわる問題について政府声明として主張して、人道救済を優先した国民にとって大変わかりやすい判決でした。 今、法務省に確認しましたけれども、少しは拘束力があると解釈してよろしいんですよね。
○政府参考人(都築弘君) これは、閣議によりまして、全閣僚の方々の合意に基づいて決定されたものでございますので、行政機関であります私どもに対しての拘束力はあるものと承知しております。 先ほども申し上げましたように、これは対外的な拘束力はないと、こういう御理解を願いたいと思っております。
○沢たまき君 わかりました。 では次に、具体的な事項について伺います。 本法の施行後、補償金は具体的にはどのような手続でいつから支給されるんでしょうか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 補償金につきましては、支給を受ける方々の請求により支給をすることといたしております。 具体的な請求手続につきましては、公布日までに厚生労働省令において定めることといたしておりますけれども、具体的に申し上げますと、現在入所している方々につきましては、申請書を入所している療養所に提出していただくということになろうと思います。また、既に退所されている方々につきましては、厚生労働本省、私どものところに申請書を提出していただくことといたしまして、その後、私どもの方から入所されていた療養所に照会をする、このような手だてが考えられております。 また、支払いにつきましても、補償金支給申請書受理後、審査などの所定の手続を経た上で、できるだけ迅速に対応を考えていきたいと思っております。
○沢たまき君 次ですが、ハンセン病国家賠償訴訟の東日本弁護団が療養所の退所者、またその御家族を対象に行った電話相談によりますと、補償措置による一時金を請求して、それが漏れるのが怖いという、そういう不安を訴える方が二割近くいらしたとのことでございますが、補償金の円滑な支給が図られるように補償金受給資格者への呼びかけはこれはどのように行うんでしょうか。また、全国ハンセン病療養所入所者協議会等との連携も必要ではないかと考えますが、その点はいかがでしょうか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 補償金受給資格者への呼びかけにつきましては、まずは、入所者に対しましては各療養所を通じて周知を行いたいと思っております。既に退所している方々につきましては、新聞などのマスメディアや、あるいは地方自治体の広報紙などを通じて周知徹底を図っていきたいと思っております。あわせて、申請などの手続につきまして、プライバシーの確保に十分留意する必要があるというふうに考えております。公開講座の開催や、あるいは名誉回復のための啓発事業などを積極的に行うなどいたしまして、いわゆる申請しやすい環境づくりを図ることも重要であろうと思っております。 さらに、補償金を円滑に支給するためには、先ほど参考人でお出になりましたが、全国ハンセン病療養所入所者協議会の御協力が非常に重要であるというふうに認識をいたしておりまして、今後、この全療協とも十分に連携をとってまいりたいと考えております。
○沢たまき君 ありがとうございます。きめ細かによろしくお願いを申し上げたいと思います。 次に、補償金については、すべてのハンセン病患者、元患者にお支払いをするのが重要と考えますが、補償金の支払いの手続において、既に痴呆などで御本人が申請することが困難な方の場合、代理人などによる申請等を認めるお考えはおありでしょうか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 御指摘のように、補償金の対象となる方の中に、痴呆などにより本人による申請が困難な方がおられます。このような方に対しましては、民法の成年後見制度の活用によりまして、成年後見人が代理して申請していただくことなどによりまして必要な手続をとっていただくよう配慮してまいりたいと考えております。
○沢たまき君 ありがとうございます。 次は、ハンセン病患者、元患者の方々は、差別、偏見を恐れて社会復帰をちゅうちょしている方もいらっしゃると聞いておりますが、それらの方々の名誉回復、福祉増進、差別や偏見をなくすための教育、啓発、先ほども大臣が繰り返しとおっしゃっておりましたが、ハンセン病問題の全面解決に向けて繰り返し繰り返しその差別、偏見に関してはとおっしゃってくださいましたが、全面解決に向けてはどのように取り組むおつもりでしょうか。
○副大臣(桝屋敬悟君) お答えを申し上げます。 委員の先ほどのお尋ねに対しても、あるいは先ほどの岡崎委員のお尋ねの中でも大臣は御答弁を申し上げました。今後、ハンセン病問題の全面的な解決に向けて、本格的な取り組みはいよいよこれから始まるというふうに私どもは考えさせていただいております。 そういう意味では、今、委員から御指摘がございました名誉回復のためのさまざまな啓発活動あるいは教育、そうした分野の取り組み、そして福祉増進あるいは差別、今申し上げた教育とか啓発、それから今の福祉増進についても本当に患者、元患者の方々の御意見をしっかりいただきながら、しっかり取り組みをさせていただこうと、このように思っているところでございます。 啓発については、今までも取り組んでまいりましたけれども、今、委員からも話がありました繰り返し繰り返しということで、大臣の意向も受けましてしっかり取り組んでいきたいと。特に、ハンセン病資料館の一層の充実、さらには新聞、テレビなどを積極的に活用した啓発事業、こうしたことも取り組んでまいりたいというふうに思っております。 福祉増進については、先ほど社会復帰の施策についてお尋ねもいただきましたけれども、退所者給与金、この問題もございますし、患者、元患者の方々が抱えているさまざまな問題について協議を進めながら十分な取り組みを進めさせていただこうと、このように決意をさせていただいております。
○沢たまき君 終わります。ありがとうございました。
○井上美代君 日本共産党の井上美代でございます。 本日、参考人の陳述を聞き、改めて国の政策の誤りへの認識を深めました。 一九五三年八月、参議院厚生委員会は、政府原案のまま戦前のらい予防法と全く変わることのない政府案、これをそのまま新法として成立をさせました。この法律には当時、近い将来本法の改正を期するという附帯決議がつきましたが、その約束を実行できずに、九六年の法廃止まで隔離政策を放置してまいりました。厚生労働委員会の委員として、当委員会の責任の重さというものを受けとめながら、私は質問をさせていただきます。 まず最初に、六月十二日に、弁護団の上申を受けて、東京地裁の北沢裁判長は国側とそして原告側に和解を勧告しました。この日までに、国家賠償訴訟の原告は一千八百四十五人になったということが報道されております。熊本判決を受けた方は百二十七人、この方たちを引きますと一千七百十八人の提訴者がおられるということです。これら原告の人たちは、あくまでも司法上の手続で国家賠償金として支払いを受けるということを求めておられます。国はこうした要求を受けて、和解では国家賠償として応じるべきだと私は思っておりますが、いかがでしょうか。大臣の御答弁をお願いいたします。
○国務大臣(坂口力君) 熊本地裁判決、それに対する控訴をしないということが決定してこの問題に一つの終止符が打たれた。このことによって、全体の他の裁判、幾つありますか、東京であり、そしてまた岡山であり、他の裁判にもこのことが恐らく影響を及ぼすであろうことは私も想像にかたくありません。 先ほど申しましたように、しかし裁判をされている皆さんにはやはりそれだけの理由があって裁判をされているわけでございますから、どのようにされるかはその裁判に参加をしておみえになります原告の皆さん方の御意思によるというふうに思いますけれども、裁判所が和解勧告というものをして、そしてそれに対してその他の裁判をなすっている皆さん方も、今数字をお上げになりました千七百人からの皆さん方も、それじゃ話し合いに乗ろうということになってまいりましたときには、それはそのお話し合いにやはり乗せさせていただくのが大きな流れとして私は筋だろうというふうに思っております。それは今後のお話し合いに、弁護士さんもおみえになりますし、今後のお話し合いになるのだろうというふうに思っております。
○井上美代君 今、御答弁がありましたけれども、やはり控訴を断念したという立場から、国家賠償の立場で和解に臨んでほしいというふうに思っているのですが、その点はいかがでしょうか。
○国務大臣(坂口力君) そうした具体的な内容につきましては、これはこれからのお話し合いでございますから、和解のお話し合いでございますから、今、私がどうこう申し上げるのは大変失礼な話でございまして、熊本以外の裁判をなさっている皆さん方と国とのこれからのお話し合いの中で決定されていくものと思います。
○井上美代君 私は、確かにこれから和解はされていくんですけれども、やはり国側とそして原告側の話し合いが行われるわけですから、大臣がその和解のときにどういう態度をとってくださるかというのは大きな影響があるというふうに思います。その意味で、ぜひ私は熊本判決にきちんと準じながらやっていただくということが非常に重要だというふうに感じているわけです。ぜひそのようにお願いしたいというふうに思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(坂口力君) 井上議員の御意見は十分に拝聴しておきたいと思います。
○井上美代君 よろしくお願いをいたします。 それで私は、本法案では、補償を受ける要件として法の施行日に生存していることとなっております。したがって、この支給の対象とならない提訴後に死亡した遺族あるいは死亡後の遺族提訴者がいる、これについてもやはり熊本判決の基準で和解すべきだというふうに思っておりますが、その点いかがでしょうか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 厚生労働省といたしましては、本法案の補償の対象であるか否かを問わず、原告の方と先ほどの司法上の問題で話し合っていきたいと考えているところでございます。今後、関係省庁とも相談しつつ適切に対応していきたいと思っております。
○井上美代君 私は、適切にというように非常に抽象的に言っておられますが、そこにやはり熊本判決というのがあるわけですから、そこに準じながらやっていただきたいということでこの質問をしております。大臣、この点いかがでしょうか。
○国務大臣(坂口力君) そこはやはり、先ほど申しましたように、これからいろいろお話し合いをするわけでありますから、あるいは熊本判決以上にというふうにあるいは思っておみえになるかもしれませんし、いたしますから、それはこれからのお話し合いでございますのでそれはお話し合いで十分に、熊本判決もこれは済んだ、もう一つそこに先に終わっているわけでございますから、参考にさせていただくことはそれは当然だというふうに思います。
○井上美代君 私は、この点についてもやはり熊本判決が本当にすばらしい判決だと思いますが、もう本当に調べに調べておられますけれども、まだ調べ切れなかったというぐらいのことが言われて、不明な部分もまだ残しながら判決をしたということを誠実に言っておられます。そういう点では、大臣が言われましたように、私は熊本判決以上のものを出していただきたいというふうに思っておりますので、ぜひ御努力をお願いして、次に移りたいというふうに思います。 次は、先ほどの証人の神さんが言われましたけれども、戦前の無らい県運動について、戦後の運動について、やはり私は取り上げたいというふうに思っているわけです。 本法案では、国に対し元患者の皆さんの名誉回復に努めることを義務づけております。名誉回復のためには、ハンセン病に対する差別と偏見がなぜ生まれたのか、そしてまたなぜこんなにも長きにわたって続いたのか、その真相の究明が不可欠であると思っております。 この点で私は、政府が自治体に指示をして進めた無らい県運動こそがこの差別と偏見を生み出した最大の原因だと思います。草の根分けて患者を捜し出し、実力をもって行使して強制収容を進めてきたものです。国と自治体が責任を認めて反省と謝罪をすることは、元患者の名誉回復の出発点であるというふうに考えております。 幾つかの県の知事が既に反省と謝罪をするということで新聞でも報道されておりますが、やはり名誉回復に努める決意を表明していくということが大事で、この流れは一層広がっていかなければいけないと思っておりますけれども、国がその先頭に立たなければいけないのではないだろうかと思います。 この点で、判決は明快に述べております。戦前、戦後の二度にわたって取り組まれた無らい県運動について、ハンセン病が強烈な感染力を持つという恐怖心をあおり隔離しなければならない脅威という偏見を植えつけたとして、この運動によってつくり出された差別、偏見は、それ以前にあったものとは明らかに性格を異にするもので、今日まで続く差別、偏見の原点があると、こういうふうに結論づけております。 そしてまた、判決では、昭和十五年、一九四〇年には厚生省から都道府県に対し無らい県運動の徹底を求める指示が出されたことも指摘してあります。 そこで、大臣に質問をさせていただきますが、第一に、この戦前の無らい県運動が質的にも量的にもこれまでの差別、偏見とは全く異なる差別と偏見を生み出しました。これをお認めになりますか、御答弁願います。
○国務大臣(坂口力君) 私の生まれます前、あるいはまた私が幼いころの出来事でございます。無らい県運動ということが差別、偏見をつくったのか、それとも隔離政策ということが差別、偏見を拡大したのか、これらのことはもう少しこれは検証をしないと、どの政策が一つ誤っていたからできたということではなくて、私はいろいろのそうした政策が複合的にやはりこの差別、偏見というものを大きくしてきた。あるいは、この病気に対します差別、偏見というのはそうした政策の以前からあったことも事実でございますが、そのありましたものを国がとりました政策がさらにそれを拡大したということが言われているわけでございまして、それもそれがどの程度であったのか、そうしたことも含めて、これはその歴史を振り返り、そして検証をする中から私は明らかになってくることであるというふうに思っております。
○井上美代君 私は、無らい県運動というのは隔離政策と一体のもので、隔離政策によって差別と偏見が大きく広がりましたけれども、それを徹底的に日本じゅうからたたき出す、これが無らい県運動ですけれども、そのことによってやはり差別と偏見はもっと深く浸透していったんだというふうに思うんです。だから、そういう意味で私は、無らい県運動というのはこれは重要な究明をしなければいけない、はっきりさせていかなければいけない中身だというふうに思います。 特に二つ目にお聞きしたいのが、無らい県運動をやはり国が指示を出しているという事実があるだけに、無らい県運動を国が自治体に指示をして、自治体を従えて進めたこと、これをやはり私は認めるべきだと思うんですね、国は。そして、やはり徹底究明をしていくべきだというふうに思うんです。そういう意味で、自治体と一つになりながらやってきた、このことについて反省と謝罪をするべきだというふうに思うんですけれども、大臣の御答弁をお願いします。
○国務大臣(坂口力君) 私が反省と謝罪をいたしておりますが、これは一体どこまでさかのぼって反省と謝罪をしているのかという判断はなかなか私自身も難しいわけでございますが、しかし、どの辺に線を引いてとか、戦後の政策についてとか、それはやはり言えないんだろう。ずっとさかのぼって、日本の国がとってまいりましたその政策全体に対して私は反省をし、謝罪をしているんだろうというふうに思っております。
○井上美代君 私は、戦後につきましても、戦後、療養所を拡張して、そして全国的に一斉に検診を行い、患者の強制収容を進めました。都道府県は競って無らい県運動を進め、そしてベッドだけでも三千五百から戦後ふやしております。この戦後の無らい県運動についてもやはり国の責任を認める内容になっているというふうに思いますけれども、その点はいかがでしょうか。
○国務大臣(坂口力君) ですから、同じことを繰り返す以外にないわけでございますが、そうしたことを全体的に見て、やはり誤っていたところをすべて私は総合して謝罪をし反省をしているというふうに申し上げる以外にございません。そして、どこがどのように誤っていたかということにつきましては、これから一つ一つ歴史的に検証をしていきたいというふうに思っているわけでございます。
○井上美代君 私はぜひ、指示を出すという、国がそういう行動をしているわけですから、今後こうした問題について徹底的に明らかにしながら国民の前に公開をする、そして謝罪をするということが重要であるというふうに思います。 特に、けさでしたか、毎日新聞に自治体の都道府県の全知事のアンケートが出ておりましたけれども、六割がおわびが必要と、こういうふうに言っておられて、具体的に内容が出ておりますけれども、やはり自治体もその方向で動いてきておりますので、私は国がもう本当に先頭に立ってやっていくということが今求められてもいると思いますので、ぜひ努めて頑張って努力していただきたいというふうに思います。 それでは、次に行きますけれども、六月二十四日から一週間がハンセン病を正しく理解する週間というのが据えられていて、従来、厚生労働省が都道府県や藤楓協会などと力を合わせながらハンセン病に対する正しい医学的知識の普及、そしてまた療養所とその地域の交流などが行われてきたということなんですけれども、この機会を利用して、厚生労働省としてこういったメディアを活用し、判決を受けた名誉回復のための活動をすべきであるというふうに思いますが、その点どのように考えておられるでしょうか。
○政府参考人(篠崎英夫君) 先生御指摘のとおりと思っております。ことしは六月の二十四日から三十日までの一週間をハンセン病を正しく理解する週間というふうに位置づけております。この間におきまして、今回、国会決議がなされたことなども考慮いたしまして、マスコミですとかあるいは政府広報、そして地方公共団体のいろいろな広報媒体も積極的に活用するなどして取り組んでいきたいと思っております。
○井上美代君 やはり国民の間に、間違った国の政策をやってきたことがぜひ伝わるようにお願いをしたいというふうに思います。 私も、先ほど出されておりました不自由者棟の問題に触れたいというふうに思います。 これは、先ほど参考人の高瀬さんからも訴えられていた中身ですけれども、我々普通の者が考えるのと本当に違った思いを持っておられるんですね。ハンセン病の療養所へ行きましたけれども、不自由者棟の看護と介護体制というのは、やはり三交代の看護・介護体制が求められるということは直接元患者の皆さんから聞いてまいりましたけれども、そして、私もこの委員会でこの間取り上げたんですけれども、時間がありませんでしたので十分な質問ができませんでした。 さらに、療養所の元患者の皆さんが直面している切実な問題なんですけれども、不自由度についてランクがずっと分けられているわけなんですね。特別重い人、重い人、中くらいの人、こういうふうに分けられているんですけれども、やはり高齢化が進む中で、先ほど証言にもありましたように、高齢者になるほど環境の変化に適応できなくなる。住みなれた場所で親しい仲間と暮らしたいという思いがある。無理に移動すると二、三年でお亡くなりになるという例も出ておりますし、移動してみずから命を絶たれたという事件もありました。 不自由棟の空き部屋が多くなったので一緒に寄せて暮らすようにするというような話では、元患者さんにとっては住みなれたところを動かなければいけないので非常に大変だということを聞いてきているわけです。現在の自分の住みなれた家で介護、看護を受けたいというそういうふうな要求があります。 先ほど大臣が答弁しておられたのを聞きながら思ったことなんですけれども、やはり呼び鈴を押せるようにするというような、そういうことも出ておりましたけれども、私はやはり今社会全体が二十四時間介護が介護制度でやれるようになっているときに、宿直というのではなくてやはり病棟を、夜ももう本当に大変になっていらっしゃる元患者さんですから、ぜひこの看護の三交代制を含めやっていただきたいというふうに思っておりますが、その点いかがでしょうか。
○国務大臣(坂口力君) 先ほど、岡崎先生にもお答えを申し上げましたとおり、これはやっていく、やらなければならないというふうに思っております。 先ほども若干触れたわけでございますが、しかし、ベルすら押すことができないというほど悪化している人があるとすれば、その人はやっぱり一時的に病棟の方に移っていただいて治療を私は受けていただきたいと思うんですね。それはもういつ何どきどういうことがあるかわからないですから。よくなったらお帰りいただいていいわけですから、ベルすらも押せないというような方があったとしたら、それはやはり私は一時治療をお受けいただく方がよろしいのではないかなという私の個人的見解でございますけれども、そんな気がいたします。 ただし、体制としての話は別でございまして、いわゆる不自由棟に対する夜勤制ですか、夜勤制を組めるように今努力中でございます。それも、全国一斉にというわけになかなかいきませんから、できるところから先に、そして重要なところから先にやらせていただきたい、そういうふうに思っております。
○井上美代君 重病だから押せないんじゃなくて、やはり押しても当直の人は休んで眠っていらっしゃるわけですから、そういう体制をまず変えてほしいと、そういうことです。だから、ボタンが押せたからそれで安心というわけではないということを申し上げているんです。よろしくお願いしたいと思います。 それで、次に行きますけれども、京都のある会社の就業規則の中に、長いこと、らい病患者は就業させないという、私ここに就業規則の内容を持っているんですけれども、「次の各号の一に該当する者は就業させない。」ということで、二番目に「ライ病患者」というのがあるんですね。これは、京都の場合は問題になりまして、労働者が会社側と交渉して五月に撤回をさせて改善しております。これは気づいて会社と交渉したから改善できたわけで、この就業規則なんですけれども、元患者が社会復帰して働きたいと希望もあると思います。また、名誉回復をあらゆるところで行っていくことで、このような就業規則がほかにあれば改善をするよう厚生労働省は指導すべきであるというふうに思いますが、それはいかがでしょうか。
○政府参考人(日比徹君) ただいま就業規則についての御指摘がございました。つい最近までそういうものがあったというのは非常に遺憾なことと思っております。 職場におきましても、当然偏見なり差別というもの、こういうものについてはなくすというのが大切なことでございますし、そのための周知啓発活動等につきましては、関係部局とも連携しながら最大限努力してまいります。 それから、就業規則につきましては、これについてもそのような今御指摘のようなそういう記述がなされること、あるいは今まだ削除していないというようなことがないよう周知徹底してまいりたいと思いますし、現にそういうものを発見した場合といいますか、そういうものがあれば、これは是正させるよう指導をいたします。
○井上美代君 やはり今こういうふうに大きく変わっているのを企業が御存じないなどということもあり得ますので、ぜひ指導の文書も出していただいて、努力していただきたいというふうに思います。 私は、学校教育の中で、憲法に保障された基本的人権の尊重の教育として、元患者たちへの差別と偏見、そしてみずからが主張して国の施策の誤りを認めさせた歴史を学び、やはり元患者さんたちの名誉回復を推進していかなきゃいけないというふうに思います。 そこでお聞きしたいんですけれども、これは九十六年の三月、らい予防法を廃止したときに衆議院の附帯決議がありまして、そこに「学校教育の中でハンセン病に関する正しい知識の普及啓発」ということが約束されております。 私は、文部省にお聞きしたいんですけれども、今ハンセン病についてそういうリーフレットがあるかということをお聞きしたいのですが、いかがでしょうか。どのような種類のリーフレットが出ていて、さまざま出ているんだと思いますが、その中にハンセン病についてのはあるのでしょうか。
○政府参考人(遠藤純一郎君) 文部科学省におきましては、子供たちが生涯を通じて心身ともに健康な生活を送るため、保健分野の課題のうち、特に今後注意しておくことが必要な疾患などにつきましてリーフレットを作成しまして配布をしておりますが、最近五年間では、結核、エイズ、それから薬物乱用防止に関するリーフレットを作成しております。ハンセン病に関するものは作成していないと承知しております。
○井上美代君 ハンセン病のパンフレットはないということです。私は、これはやはりぜひつくっていただきたいというふうに思います。 まず、教科書の問題も聞きたいんですけれども、今、公民の授業の中で、基本的人権を保障された日本国憲法に照らしながら、学校教育の中で、公民の授業の中できちんと学習をしていくということが大事ですけれども、教科書の中でハンセン病について記述されている教科書があるでしょうか。
○政府参考人(矢野重典君) 平成十二年度に検定を実施して来年度から使用される教科書は、小学校で五十五種類、中学校で七十五種類あるわけでございますが、このうちハンセン病につきまして記述がある教科書といたしましては、中学校社会科、これは公民的分野という分野でございますが、の一種類におきまして、人間の尊重と日本国憲法の基本的原則について学習をさせるというそういうところの中でこのような記述がございます。「過去にもハンセン氏病の患者は、感染の可能性がなくなっても一般の人々から隔離され、差別されてきました。」といったようなことを記述している例が一点でございますけれども、あるわけでございます。
○委員長(中島眞人君) 時間が参りました。
○井上美代君 最後の質問で終わりますけれども、やはり先ほど岡山県の小学校六年生の道徳の副読本に、患者を早く療養所へ連れていくようにというのが、きのう報道もされ新聞にも出ているわけですけれども、こういうことが起きておりますので、私は最後に大臣にお聞きしたいんですけれども、やはり厚生労働省とそして文部省が一緒になって具体化して、パンフレット、教科書、こういうものにきちんとこのハンセンの問題を載せていく、このことが大事だと思います。そういう意味で、ぜひ作成チームを両省でつくって着手してほしいというふうに思っております。 きょう証言もありましたので、ああいう証言も入れることができますので、ぜひそれをつくっていただいて活用をしていきたいというふうに思いますが、その点を大臣にお答えいただいて、私の質問を終わらせていただきます。
○国務大臣(坂口力君) 連携を密にいたしまして、万全を期したいと思います。
○井上美代君 終わります。
○大脇雅子君 ただいまは、人間の尊厳を取り戻すために苦痛と悲しみと悩みをいかに多く受けられたかというお話を聞きまして、国会議員の一人として重い責任をさらに自覚させられたわけでございます。 なぜ、かくも長きにわたってこうした事実が続いたのかということに関しまして、私は、藤野豊さんという方の書かれた「「いのち」の近代史」というのを三晩かけて読み上げました。非常に厚い本でございます。その中で、やはり医学界も政治家も厚生省も、我々としてはこの起きたことに対する深い検証をさらに必要とするのではないかと思いました。 これから、患者、元患者の方々が故郷に帰られ、家族のきずなをさらに強固になさって、新しい人生を希望を持って過ごすことができるようにと、私は心から願わずにはいられません。 さて、今回のハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律案というものの本件につきまして、その性格をお尋ねしたいと思います。 まず、提案者にお聞きしたいのですが、この法案の立法趣旨というものを改めて確認をさせていただきたいと思います。
○衆議院議員(鈴木俊一君) 本法律案の立法趣旨でございますが、本法律案は、この種の法律案としては異例であるともお伺いしておりますが、特に前文を設けまして、その前文において立法趣旨を明らかにしているところであります。 この前文に述べられておりますとおり、ハンセン病の患者の方々、また患者であった方々といいます皆様は、らい予防法によります隔離政策のもとで多大な苦痛、苦難をこうむってこられたわけであります。こうした事実に対して深く反省とおわびをすること、そしてハンセン病の患者であった方々に対するいわれのない偏見を根絶するというそういう決意を示すこと、さらに深い反省とおわびの心を基本として、ハンセン病療養所入所者の方々がこうむった精神的な苦痛を慰謝するために、熊本地裁判決の認容額を基準として補償金を支給するとともに、ハンセン病の患者や患者であった方々の名誉の回復の措置について定めているところでありまして、以上が本法律案の立法趣旨でございます。
○大脇雅子君 そういたしますと、さらに確認をしたいわけですが、これは熊本の判決を踏まえた立法というふうに理解してよろしゅうございますか。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) この法案の前文でも述べられておりますように、ハンセン病の患者や患者であった方々は、らい予防法による隔離政策のもとで多大な苦痛、苦難をこうむってこられたわけでありますけれども、この法案の補償金は熊本地裁判決の認容額を基準として、このようなハンセン病療養所入所者等の方々がこうむった精神的苦痛を慰謝するために支給するものでございます。 なお、同判決では賠償金の算定対象としていない昭和三十五年より前の入所期間でございますとか、また復帰以前の沖縄での入所期間もこの法案では対象としているところでございます。
○大脇雅子君 第三条に言います「補償金」の法的性格というのはどのように理解したらよろしいのでしょうか。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 今申し上げましたように、本法案による補償金につきましては、らい予防法による隔離政策のもとでハンセン病の患者や患者であった方々がこうむってこられました精神的苦痛につきまして、その苦痛を慰謝するため補償金を支給するという趣旨のものでございます。
○大脇雅子君 そういたしますと、この補償金は、国の行為に起因する国の責任を認めて支払われるものと理解してよろしゅうございますか。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) この補償金の性格というお話でございますが、先ほどお答えいたしましたように、ハンセン病患者や患者であった方々のこうむってこられた精神的苦痛について、熊本地裁の判決の認容額を基準として、その苦痛を慰謝するため支給するものでございますが、なお、またこれも申し上げましたように、判決の対象としていない三十五年以前の入所期間等もこの法案では算定をしているという性格のものでございます。
○大脇雅子君 私がお尋ねしたのは、この補償金は国の行為に起因する国の責任において支払われる補償金ですかとお尋ねしたんですが。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) これは、前文等も含めまして法案全体の考え方といたしまして、今申し上げましたように、ハンセン病患者がこうむってこられました精神的苦痛に対してその苦痛を慰謝するために支給するという性格のものでございます。
○大脇雅子君 率直に言って、衆議院では国家賠償による賠償金なのか損失補償なのかという議論がされまして、非常にあいまいなまま参議院に送られてきております。 私は、違法だ適法だということをまず問わないで、国の行為に起因する国の責任において支払われる国家補償ともいうべき性格のものであるというふうに理解するんですがどうですかと聞いているんですから、率直に、お尋ねしたことに答えていただきたいと思います。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) この法案は補償金を支給することになっておるわけでございますけれども、この補償金につきましては、らい予防法による隔離政策のもとで苦痛、苦難をこうむってこられたその精神的な苦痛、これを慰謝するための補償金というものでございます。
○大脇雅子君 苦痛を慰謝する補償金ということですから、この精神的苦痛を与えたのは国の行為ではありませんか。 それでは、国が支払うんですから、国の責任において支払うということにはなりませんか。何をそんなにあいまいなことをおっしゃるんですか。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) その原因となりました、苦痛、苦難のさらに原因ということでございますが、これはらい予防法による隔離政策という中でこうむってこられたということになろうと思います。
○大脇雅子君 それはすなわち国の責任ではありませんか。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) これは、国のとられました一つの政策のもとでということでございます。
○大脇雅子君 法務の副大臣は、この法案は国家賠償かあるいは損失補償かで、損失補償だというふうに答えられておりますが、損失補償の定義を言ってください。副大臣、損失補償だと答えられたわけですから、その定義を言ってください。
○副大臣(横内正明君) 損失補償とは、公共事業なんかで、土地収用でよく行われますけれども、公権力の行使によって加えられた財産上の特別の犠牲に対して、その損害を補てんすることだというふうに考えております。
○大脇雅子君 この法案の第一条は、「ハンセン病療養所入所者等の被った精神的苦痛を慰謝するための補償金」と言ってありますので、財産的な補償とは全く違ったものを補償しているんですが、なぜそういう定義の損失補償だというふうに答えられたんですか。間違っているんじゃないですか、どうですか。
○副大臣(横内正明君) 衆議院の委員会で委員の御質問がありまして、そういうことをお答えいたしました。質問がありましたから何かお答えをしなきゃならぬという状況でお答えを申し上げたわけでございます。けれども、この法律は議員立法でありますので、この法律のこの措置の性格については、やはり提案者である議員が御判断されることでありまして、私が衆議院でこの性格はどういうものであるというふうに申し上げたのは適切ではなかったというふうに思っております。
○大脇雅子君 それでは、法制局にお尋ねしますが、損失補償というのの定義を言ってください。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 国による場合ということでお聞きだろうと思いますけれども、これは国による一定の作用、そういうものによって国民が被害をこうむった場合に、それを補てんするという性格のものと理解しております。
○大脇雅子君 そうしますと、損失補償というのは、法的な概念としては、適法な行為、公権力の行使によって与えられた財産的な補償を言うという、これはそうですよね。精神的な慰謝料を含んだ損失補償はありますか。前例があるなら言ってください。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 補償というのでしょうか……
○大脇雅子君 損失補償です。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 失礼しました。 損失補償という考え方の中には、物質的と申しますか、そういうものもございましょうし、精神的なもの、そういうもの、両方あるんではないかというふうに考えられます。
○大脇雅子君 副大臣は今適切でなかったと言われました。発言において適切でなかったということかと思いますが、土地収用に対する損失補償とか農地の強制買収に対する対価の支払いで、大体そういうのに対しては精神的な慰謝料を認めた例は一切ないんじゃないですか、ありますか。 どういうことを根拠にして、どの法律をもって、どういう先例で精神的な慰謝料が損失補償に入っているということをおっしゃるんですかね。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 申し上げ方がちょっと悪かったと思いますけれども、今おっしゃいました土地収用とかそういう性格のものにはもちろん考えられない、財産的なものを指し示すというふうに思いますけれども、広い意味の補償という意味の中にはあるんではないかというふうに考えております。
○大脇雅子君 そんなことは聞いていません。広い意味の補償じゃなくて、損失補償です。法的概念を聞いているんですから、言ってください。精神的なものをそれに加わるという私は新しい、そういうのは全く聞いた概念としてないと思うんですけれども、そういうことを法制局、おっしゃるんでしょうか。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) この法律の上で、私どもの方ではこの補償金が損失補償であるというふうな言い方は、言い方というか、理解はしていないわけでございます。
○大脇雅子君 もう一度確認しますが、この法律は損失補償というふうには見ていないということでよろしいですか、再確認です。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) たびたびの御質問で恐縮でございますけれども、物的な損失補償という意味ではなしに、患者がこうむられた精神的な苦痛に対する補償というような性格のものでございます。
○大脇雅子君 だから、損失補償ではありませんね。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) これもたびたび繰り返すようで申しわけございませんが、もちろん物的な補償と言っているわけではございません。そういう意味で、精神的な被害に対する補償というものでございます。
○大脇雅子君 立法者にそれではお尋ねいたします。 副大臣がそのようなコメントをなさったということについては撤回なさいましたので、改めて立法者にお尋ねしたいのですが、これは国の行為に起因する、国の責任において補償をする新しいというか、精神的な慰謝料は今までこういう形で認めたことはないと思うんですが、そういう性質の立法だと伺ってよろしいでしょうか。
○衆議院議員(鈴木俊一君) 率直に申し上げまして、先ほど先生から御紹介ございましたような質疑が衆議院の厚生労働委員会でもございました。委員長という立場でその質疑を聞いておりましたけれども、明確に私も法律論について十分理解をしておりませんので十分に答えられないことは大変申しわけないと思っておりますが、先ほど来法制局でもお話がございますとおり、らい予防法というものがあって、その中で隔離政策がとられてきた。そして、患者さんや患者であった方々がこうむってこられた大変な精神的苦痛におこたえしなくてはならないという一つの大きな今の社会的、政治的な現実があって、それについて、熊本地方裁判所の判決を念頭に置きつつ、その苦痛を慰謝するために補償金を支給するものであるということが我々立法者としての見解でございます。
○大脇雅子君 私がなぜこれほどまでにこのことにこだわるのかというと、患者、元患者の人たちの名誉回復のために、この法律の趣旨の答え方というのは私は非常に大きな意味があるんだということであります。 訴訟を起こしている人は国家賠償法に基づいた賠償金を受領して、それを受領した場合はこの第七条で調整がされるわけですから、じゃ、ほかの訴えをしていない人たちとそういう判決を受けた人と、同じ患者あるいは同じ元患者で差別的な扱いを法的にされることになるので、私はこの法の趣旨にこだわっているんだということであります。 ですから、これは新しい、国の行為に起因して国が責任を認めるという国家補償という概念で認めるのが一番正しい法律的な解釈ではないか、むしろそのことが名誉回復のために必要じゃないかというふうにお聞きしたわけで、国の責任を私は率直に認めていただきたい。この法案はそれを認めていることは明らかでありますけれども、それを何だか非常に持って回ったような言い方をしていただきたくなくて、まさにそれは名誉回復のための一つの重要な御答弁だと思いますが、立法者の方、いかがでしょうか。
○衆議院議員(鈴木俊一君) 大変難しい議論であると思います。その補償金に対する性格ということも大変重要な御指摘だと思います。 しかしまた、それと同時に、この前文に、先ほど立法趣旨を述べましたけれども、そこに、議員立法でございますから、我々の反省それから謝罪、そういうものも明確にあわせて書いておりますので、法律全体としてこの補償金の性格が法的にどうかということもあると思います。先生のおっしゃるとおりあると思いますが、全体として先生のおっしゃっているような我々の責任というものを前提とした、明確にした法案であると、そういうふうに理解しております。
○大脇雅子君 終わります。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、朝日俊弘君及び釜本邦茂君が委員を辞任され、その補欠として堀利和君及び森田次夫君がそれぞれ選任されました。 ─────────────
○西川きよし君 短い時間ではございますが、どうぞよろしくお願いをいたします。 本日は、また、参考人の皆さん方にも貴重なお話をお伺いいたしまして、これから自分自身もしっかりこの問題について頑張らないといけないというふうに思いました。 〔委員長退席、理事亀谷博昭君着席〕 まず第一問目は、今回、衆議院の委員長提出という形で補償法案が提出されました。これまで立法作業に取り組んでこられた関係者の方々、皆様方に心より敬意を表する次第でございます。 私は、実は参議院のみの会派でございまして、これまでの経緯についてはよく存じておりませんので、基本的な部分で、これまでの検討の経緯と、そしてその趣旨をお聞かせいただきたいと思います。 まず、前文からでございますが、当初、与党案として示された内容では、ハンセン病の患者に対する施設入所の政策というふうにされておりましたが、この施設入所の政策のこの部分を今回の法案では隔離政策とされた点についての経緯と趣旨、どういったことであったのか、提出者にぜひ御答弁をいただきたいと思います。
○衆議院議員(鈴木俊一君) 入所政策という言葉は、廃止されましたらい予防法において「国立療養所への入所」という用語で使われておりました。したがいまして、当初、そのらい予防法に使われていた用語を引きまして入所政策ということが当初案にはあったわけでございます。 しかし、入所政策ということを実態としてよく見てみますと、これは何か福祉的な意味合いで入所していただくということではなしに、社会から患者さんを隔離する、こういうような社会から患者さんを遮断するというそういう内容が実態でありますし、また入所に当たりましても、相当に強制的な形でこの入所というものが行われたという実態がございます。 各会派の協議の中でそういう御指摘をいただきまして、協議の結果、最終的には、前文には入所という言葉は余りふさわしくない、この言葉よりも隔離政策という表現の方が適当であるという結論に至りましてこのような表現になった次第であります。
○西川きよし君 わかりました。 やはり、これまでの歴史において、国による隔離政策とらい予防法の存在が偏見や差別を助長してきたことの反省を忘れることがあってはならないというふうに思います。 それでは、次に御質問をさせていただきますが、第四条の請求の期限についてですが、この点につきましては、当初は二年ということでございました。これを五年とされるに至った経緯と御趣旨を御説明いただきたいと思います。
○衆議院議員(鈴木俊一君) 第四条におきまして請求の期限は五年となっているわけでありますが、当初案では、先生の御指摘のとおり二年ということでございました。 いろいろな考え方があると思いますが、二年とした考えの背後には、患者さん、元患者さんの平均年齢がもう既に七十四歳、大変高齢であるということで、むしろ早期に完全解決を図るべきではないかと、そういうことであったと思います。 しかし、一方、先ほど来御質問にもございましたけれども、高齢化しているがゆえに、例えば痴呆の方でありますとか、なかなか御自身で判断のつかない方もおるわけでありまして、そういう方には成年後見の手続というものもしていかなければならない。それから、療養所から退所された方々の周知というものにも時間もかかるということ、さまざまな事情が御指摘がございまして、これも各会派の協議の結果、当初の二年から五年とすることになったわけであります。
○西川きよし君 今の御答弁に出ました御高齢者の方、痴呆の方々、ぜひ本当によろしくお願い申し上げたいと思います。御支援のほど、よろしくお願いいたします。 次に、第十一条の名誉の回復についてでございますが、冒頭の「国は、」という部分ですけれども、これまで無らい県運動をとったという過去の事実、そしてあるいは今後、差別、偏見の解消のための啓発活動等々、都道府県が負う役割も大きいというふうに思うわけですが、ここに地方公共団体も併記すべきではないかとの御意見も強くあったのではないかというふうに思います。 この点につきましても、これまでの経緯をぜひ御説明いただきたいと思います。これは衆議院の法制局の方から御答弁をいただきたいと思います。
○衆議院法制局参事(福田孝雄君) 第十一条のお尋ねでございますけれども、第十一条におきまして地方公共団体を規定しなかった理由といたしましては、らい予防法を廃止したらい予防法の廃止に関する法律におきまして、入所者等の福利増進に関する責務を国のみに課し地方公共団体に課さなかったこととの均衡もあり、今回の法律では地方公共団体の責務を新たに創設することは適切でないと判断されたということと聞いております。
○西川きよし君 これにおかれましても、国とそしてまた地方公共団体、十分な連携をおとりいただきまして諸課題にお取り組みいただきたいと思います。 次に、今回のこの補償法が成立、公布した後の対応についてでございますけれども、この場合、対象となる方には、その方に請求をしていただく必要がございます。 これまでにも御議論がたくさんございましたように、本日ももちろん出たわけですけれども、対象者の中には、先ほど答弁にもございましたように、痴呆の症状のある方もいらっしゃるわけですし、御高齢の方はもちろんですが、今提出者の方からもございましたが、成年後見人の選任など手続面での支援が必要であると思います。そしてまた、申請方法をとる場合には申請漏れが起こらないように最善の方法をとらなければいけないというふうに思います。 〔理事亀谷博昭君退席、委員長着席〕 これまでの答弁では、療養所に入所されている方は療養所において手続ができるという先ほどの御答弁もございましたし、一方、退所されている方々への対応につきましては、やはりそれぞれにさまざまな事情があることでしょうからきめ細やかな対応が必要であると思います。ここのところをぜひよろしくお願い申し上げたいと思いますし、この場合、厚生労働省本省が窓口になるということでございますが、例えば市町村等に問い合わせが行われた場合、対象者と市町村そして厚生労働省と、その連絡のとり方一つについても十分な配慮、これが必要ではないかな、そしてこの手続におきまして、受給手続におきますプライバシーの保護等々いろいろな問題、対応していかなければならないというふうに思います。 この問題につきまして、最後に坂口大臣に御答弁をいただきまして、質問を終わりたいと思います。よろしくお願いいたします。
○国務大臣(坂口力君) これからこの問題を進めていきますのには、いろいろのことを考えて進めていかなければならないと思います。 今御指摘になりましたようにプライバシーの問題も考えていかなければなりませんし、またお一人だけの方もおみえになるわけでございますから、その人たちに対してどういう手を差し伸べていくかということもあるわけでございます。中には、既に社会に出ておみえになる方もおみえでございましょうし、さまざまな立場の皆さん方がお見えでございますから、きめ細やかな対応が大事かというふうに思っております。とりわけ、それに加えて、高年齢者が多いわけでございますから、きめ細やかに対応をしていくということを第一にして、親切に対応をしなければならないと思っております。
○西川きよし君 よろしくお願いいたします。 終わります。
○黒岩秩子君 きょうは、参考人の皆さんから胸に詰まるお話を聞かせていただきました。 実は私、つい先日、長島愛生園の友人と多磨全生園に伺ってまいりました。そこでさまざまなものを見せていただき、ハンセン病資料館も見てまいりました。一番心に残ったのが納骨堂でございます。先ほど神さんが納骨堂が立派だとおっしゃいましたけれども、私にはそのようには見えませんでした。三千弱の遺体のお骨がおさめられていると聞かされたとき、余りの狭さにどのように祭られているのか、そのことが気になりました。横を見ますと、そこには動物のお墓がありました。動物の納骨堂と人間の納骨堂とがほとんど比べられる程度のところに置いてありました。 それで、入所者の方たちに伺ってみましたらば、以前は納骨堂がなくて松の木の根本に骨を埋めていた、そして納骨堂ができたときにその骨を拾ってまた納骨堂に入れたと言っていらっしゃいました。そのことを伺ったとき、自分のお墓が欲しいというふうには思わなかったんですかと伺ったところ、そんなことは考えたこともない、自分の子供が墓を守ってくれるわけじゃないんだからというお答えを聞いて、私は自分の軽薄な質問を恥じました。 そして、先ほどそこにおられた参考人の方が痛々しい断種の現実というのをお話しされました。この断種というものとこの納骨堂とが深い関係があるということに思い至りまして、この断種、これは一体どのような法的な拘束力を持って断種という政策が行われたのか、大臣にお伺いいたします。
○副大臣(桝屋敬悟君) 今、黒岩委員のお尋ねは、療養所において行われていた断種、これがどういう法的な拘束力を持ってというお言葉でございましたが、いわゆるどういう法的な根拠で行われていたのかというお尋ねかと思います。この問題も極めて私どももこの委員会でもずっと議論しております。歴史の検証という観点でしっかりとらえ直していかなきゃいかぬというふうに思っております。 さかのぼって考えてみますと、昭和二十三年が優生保護法、これは議員立法でできた法律でございまして、その当時の考え方からいたしますと、ハンセン病の母子感染の防止あるいは母体の保護を目的として、いわゆる優生保護法の中にらい条項が設けられたと。委員、恐らく御承知のとおりだろうと思います。この規定におきまして、本人あるいは配偶者の同意を条件といたしまして、ハンセン病患者やその配偶者に対して優生手術や人工妊娠中絶を行うことができるという規定になっていたわけであります。 そういう旧優生保護法といいますか、これを一つの根拠にして、あとはこれもいろんな議論があるところでありますけれども、国立療養所の、特に夫婦寮への入居の条件でありますとか、私も幾つかいろんなことを聞いております。半ば強制的な対応があったのではないかということも判決で言われているわけでありますから、そのあたりはしっかりと検証する委員会で私はもう一回歴史的な事実を整理していかなければならない、このように考えているところでございます。
○黒岩秩子君 実は、二十八年のいわゆる新らい予防法と言われる法律をよく読んでみましたけれども、ここの中には断種ということについては全く触れられておりません。そういう意味で、今、桝屋副大臣の方から言われました二十三年の優生保護法の延長としてあったのかもしれません。しかし、このことは本当に大変なことだと思いました。 それで、実は納骨堂ができる前、先ほど申し上げましたように、骨を土の中にただばらまいていたと。このような形で、死者に対する待遇がこのようなものだったということは、これはどうしてだったんでしょうか。大臣にお伺いいたします。
○副大臣(桝屋敬悟君) 今、委員の方から納骨堂と、それからまだなぜ納骨堂なのかという、なぜ墓でないのかという、こんなお尋ねかもしれません。恐らく委員の今お尋ねの中に、昔の療養所において遺骨すら祭られないというそういう歴史があったのかもしれませんし、そうした中で、従来から各療養所で納骨堂に納骨をしてみたまを祭っていこうという体制は今日まで続いてきたんだろうと思います。 お墓については、私もまさに今委員がおっしゃったように、お墓のことまで考えもしなかったとおっしゃいましたけれども、そういう経緯があるのかもしれません。あるいはまた、やはりついの住みかではないというお気持ちがあったのかどうか、ここはそれこそ私にはわからないわけでありまして、これも委員御指摘のとおり、極めて大事な視点でありますから、これも歴史を検証する委員会の中でもう一度改めて、今までの資料も整理をしながらどういうことであったのかということは明らかにしていきたい、このように考えております。
○黒岩秩子君 最後に、今回の法律の中で、死没者に対する追悼をということがうたわれておりますけれども、具体的にはどのようなことを指しておられるのか、お伺いいたします。
○副大臣(桝屋敬悟君) これもこの委員会でさまざまに議論されておりますが、お亡くなりになった方、こうした方については、今遺骨のお話もいただきました、納骨堂のお話もいただいたわけでありますが、本当に完全解決といいますか、そうしたことを考えますときに、ふるさとへ帰りたいというお気持ちも私も何度も聞かせていただいているわけでありまして、療養所において亡くなられた方々、この遺骨がふるさとへ帰ることができるように患者、元患者の方々と十分協議をして、そして各自治体とも連携をとりまして、本当に亡くなられた方への対応をしっかりと考えていきたい、このように思っております。
○黒岩秩子君 今おっしゃられましたように、ふるさとのお墓に帰れるようにという努力をどこまでするかということだと私も思っております。そういう意味で、私自身もそういうことに御協力していきたいと思っております。 そして、実は最後にもう一つ、在外被爆者の問題について御質問をさせていただきます。 けさの新聞に控訴する方針であるということが書かれていて、私はもう大変驚きました。前回申し上げましたように、今回の大阪地裁での判決というのは単に法律を守れという御指摘だっただけなのに、今回の新聞の報道によりますと、過去の国会答弁とか筋違いの判決などを盾にした役所の不真実に政治の方が巻き込まれていると思われてしまいました。 そこで、大臣、このことを政治主導で控訴しない方向に持っていくということはできないのでしょうか。坂口大臣にお伺いいたします。
○国務大臣(坂口力君) 現在、最後の進行中でございまして、結論に向けて今努力をしているところでございますが、今回の大阪地裁判決と申しますのは、これはいわゆる日本に居住または現在する人に対してのみ被爆者とするのではなくて、外国に居住する人もこれは被爆者として加えるべきだと、こういう判決だったというふうに思います。 この大阪の地裁判決と、そしてその前に出ました広島の地裁判決がございますが、広島の方の地裁判決は逆の結果が出ているわけでございます。こちらの方は、日本の中に在住または居住する人にのみこれは被爆者と認めるべきであるという内容でございます。したがいまして、この居住要件によりまして、広島の地裁判決とそして大阪の判決とは違った結果が出ているわけでございます。 これらを踏まえまして、そして法律的にこれをどう我々は対応をしていくかということが今迫られているというふうに思っております。
○黒岩秩子君 全くそのことについて私は違う考えを持っております。 広島判決というのはこれから被爆者手帳を取ろうとしているその方たちの問題であるし、大阪地裁の場合には既に被爆者手帳を取った人が外国に行ったら被爆者手帳の効力を発しないという、そこのところで問題になっているので、私が先ほど筋違いだと言ったことはそのことを言っているので、外国にいる人が被爆者手帳を取れるかどうかではなくて、今回の原告である郭さんは既に被爆者手帳を持っている、そして日本の国内では被爆者として扱われ、韓国に帰ると被爆者として扱われない。しかし、この被爆者援護法の中には居住制限もなければ国籍条項もない、そして失効は死亡したときのみということになっているので、このことを法律どおりにやれと言われたのが大阪地裁判決だと考えておりますので、これを控訴なさっても、広島の判決とは全く違うというふうに私は考えておりますが。
○国務大臣(坂口力君) そういうお話もございまして、広島地裁判決の内容、そしてまた大阪地裁判決の内容、両方とも何度も読み返しをさせていただきました。 大阪地裁判決におきましては、今御指摘になりましたように、被爆者手帳というものをお取りになって、そしてお取りになってから韓国に行かれました。そのときに、大阪府はそれに対しまして、韓国に行かれるのであるならばそれに対しましては資格がなくなりますよ、この法律は、日本の中に在住または現在する人にのみこれは支給するものですよという意味でそれを外したわけでございます。 したがいまして、両方ともその裁判の一番中心的課題になっておりますのは、日本の中に居住または現在している人にのみその資格を与えるか、それとも外国に居住する人にも与えるかという一点に絞られて論点はそこに集中をしているわけでございます。ですから、それに対しまして双方が違う判決を下しているということでございます。 そうした事態を踏まえて、我々といたしましては、やはりこの二つが違う判決が出た、一つの法律に対して違う判決が出た、このことに対して我々はどう対応をするかということでございまして、大変私たちは苦しいながらそこで一つのやはり結論を得なければならないというので、最終、今詰めを行っているところでございます。
○委員長(中島眞人君) 時間が参りました。
○黒岩秩子君 時間が来ましたので、一言だけ。 実は、今、大臣がおっしゃった、大阪府が外国に行く場合には資格がありませんよとおっしゃったその根拠が局長通達だったと思います。したがって、私はその局長通達よりも法律の方が上位にあるのではないか、そのことを申し上げて、終わりにさせていただきます。
○委員長(中島眞人君) 他に御発言もないようですから、質疑は終局したものと認めます。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) この際、委員の異動について御報告いたします。 本日、狩野安君が委員を辞任され、その補欠として山下善彦君が選任されました。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) これより討論に入ります。──別に御意見もないようですから、これより直ちに採決に入ります。 ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律案に賛成の方の挙手を願います。 〔賛成者挙手〕
○委員長(中島眞人君) 全会一致と認めます。 よって、本案は全会一致をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。 なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中島眞人君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 ─────────────
○委員長(中島眞人君) 次に、確定拠出年金法案を議題といたします。 政府から趣旨説明及び衆議院における修正部分の説明を聴取いたします。坂口厚生労働大臣。
○国務大臣(坂口力君) ただいま議題となりました確定拠出年金法案について、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 我が国は、少子高齢化の進展、高齢期の生活の需要の多様化、雇用の流動化等社会経済情勢が大きく変化しており、このような変化に対応しつつ、国民の高齢期における所得の確保に係る自主的な努力を支援し、もって公的年金の給付と相まって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与する制度を創設することが要請されております。 このため、厚生年金基金、国民年金基金等の年金制度に加えて、新たな選択肢として、個人または事業主が拠出した資金を個人が自己の責任において運用の指図を行い、高齢期においてその結果に基づいた給付を受けることができる制度を創設するための確定拠出年金法案を第百四十七回国会に提出いたしましたが、衆議院の解散に伴い廃案となり、成立を見るに至りませんでした。 しかしながら、この法律案は、老後の所得の確保を一層充実したものとするために新たな制度を創設するものであり、一刻も早くその実現を図る必要があることから、ここに再度この法律案を提案し、御審議を願うこととした次第であります。 以下、この法律案の主な内容につきまして御説明申し上げます。 第一に、確定拠出年金は、事業主が労使合意に基づいて実施し、六十歳未満の従業員が加入者となる企業型年金と、国民年金基金連合会が実施し、国民年金の第一号被保険者及び公的年金に上乗せする給付のない六十歳未満の厚生年金保険の被保険者が申し出により加入者となる個人型年金の二種類とすることとしております。 第二に、掛金は、企業型年金においては事業主が、個人型年金においては加入者が拠出することとしております。 第三に、加入者は、個人ごとに管理された資産について運用の指図を行うこととしております。このため、加入者に対して十分な情報の提供等が行われるよう所要の措置を講じております。 第四に、給付は、原則として六十歳に到達した場合のほか、高度の障害を負った場合または死亡した場合に支給することとしております。また、加入者が離転職した場合等においては、他の企業型年金または個人型年金に個人ごとに管理された資産を移換することとしております。 第五に、個人に関する記録の保存、運用の方法の選定及び提示等の業務を行う者は、確定拠出年金運営管理機関として厚生労働大臣及び内閣総理大臣の登録を受けなければならないこととするとともに、両大臣が必要な監督を行うこととしております。 第六に、加入者の受給権保護等を図る観点から、関係者の行為準則を定める等必要な措置を講ずることとしております。 最後に、掛金、積立金及び給付について、各税法で定めるところにより、税制上必要な措置を講ずることとしております。 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要でありますが、この法律案につきましては、衆議院におきまして、この法律の施行日を平成十三年十月一日とするとともに、それに伴う所要の修正が行われたところであります。 何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げる次第でございます。 よろしくお願い申し上げます。
○委員長(中島眞人君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。 本案に対する質疑は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後四時三十二分散会