文教委員会 第4号
- 発言数
- 197 件
- 登壇者
- 22 名
- 会派数
- 7
- 開催日
- 2000/11/17
会議録
○西委員長 これより会議を開きます。 文教行政の基本施策に関する件、特に教育改革国民会議中間報告について調査を進めます。 本日は、本件調査のため、参考人として、教育改革国民会議座長・芝浦工業大学学長江崎玲於奈君、教育改革国民会議第一分科会主査・お茶の水女子大学名誉教授森隆夫君、教育改革国民会議第二分科会主査・慶應義塾幼稚舎長金子郁容君及び教育改革国民会議第三分科会主査・大学評価・学位授与機構長木村孟君、以上四名の方々に御出席をいただき、御意見を賜ることにいたしております。 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。 次に、議事の順序について申し上げます。 まず、江崎参考人、森参考人、金子参考人、木村参考人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただきたいと思います。その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。 なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、御了承願いたいと存じます。 それでは、まず江崎参考人にお願いいたいます。
○江崎参考人 ただいま御紹介にあずかりました江崎玲於奈でございます。 本日は、教育改革国民会議につきまして、去る九月二十二日に公表されました中間報告、皆さんのお手に渡っておると思いますが、それを中心に御説明申し上げたいと存じます。 これはちょっと余談なんでございますが、昨日、ことしノーベル賞をおもらいになった白川英樹さんがつくばに来ていただきまして、いろいろなことを話す機会がございました。 そこでの話で、かいつまんで申しますと、やはり先生、サイエンスの先生が非常に大事だと。自分が化学、ケミストリーをやったということは、ケミストリーの先生が非常にかわいがってくれて、化学というものに興味を持たせてくれたということが彼の一生を左右したということでございます。 結論的に申しますと、中学、高校にはそういうサイエンスのすぐれた先生が少ないのじゃないかということも一つの結論でございまして、今後化学の振興にそういうことが非常に重要だということを申し上げておきたいと思います。 さて、教育改革国民会議の方に戻りますと、これは二十六人の委員で構成されておりまして、去る三月、前総理の小渕総理大臣のもとに発足したわけでございます。実は、ことしの三月の初めにブッチホンがかかってまいりまして、小渕さんから、なってくれと。私は、最初この大任をやや逡巡したんでございますが、私の今日あるのも日本の教育のおかげでございまして、最終的にはお受けした次第でございます。小渕さんのお話ですと、二十一世紀に活躍するような創造的な人材が日本にどうしても必要なんだと。私もそれについては全く一致した次第で、お受けしたという経過がございます。 もちろん、現在の日本の問題は、そういう創造的な人材を今後どんどんつくらなくてはいけないという問題と、もう一つは、日本の教育界には病理のような問題がございます。少年犯罪の多発、学級崩壊、いじめ、不登校、その他教育環境の荒廃というものがございまして、学校、地域、家庭がどう対処すべきかということが重要課題になっております。 さて、私たちはこういう点を踏まえまして我が国の教育について議論を行ってまいりました。本日、お手元にお配りしております「教育改革国民会議中間報告 教育を変える十七の提案」は、教育改革国民会議発足以来、三十九回に及ぶ会議での議論をまとめたものでございます。 この中間報告をまとめるに当たりましては、国民の皆さんに読んでいただける骨太でわかりやすいものを目指す観点から、理念や抽象論を展開するより、具体的で建設的な提案を行っております。また、幼児、小中高から大学、大学院を通じての教育全般を論議の対象とした一方で、教育のあらゆる分野の課題を扱うというよりも、焦点を絞って論議を行ってきたところでございます。 各分科会ごとの具体的な説明につきましては、分科会審議の取りまとめに当たっていただいた分科会主査の方々から説明していただくことになっておりますが、私からは、中間報告の基本的な視点について、かいつまんで説明したいと存じます。 まず初めは、六ページ及び七ページの「人間性豊かな日本人を育成する」ということについてでございます。 今日の子供たちの状況を考えますと、私は、しつけとか道徳など家でするべき教育が日本では欠けていることが大きな問題ではないかと思っております。子供の教育を考えると、まず最初に、親自身がしつけがなっていないという指摘も少なくありません。親たちに対する何らかのカウンセリングが必要ですし、また、家庭でしつけられていない子供を指導するには、先生の質も高めていかなければならない、こう思っている次第でございます。 そのほかにも、学校での道徳教育の充実や、小中高校で奉仕活動を行うこと、問題を起こす子供への教育をあいまいにしないこと、有害情報等から子供たちを守ることが大変大事であると考えております。 次に、八ページ、九ページ、「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む日本人を育成する」ことについてでございます。 教育というものは、各人が持って生まれた潜在能力を最大限に発揮させるのが教育でございます。現在の分子生物学では、ヒトゲノムの解読が盛んに行われておりまして、皆さん御存じのように、医療ということにつきましては、そういう遺伝的な原因によるもの、それから環境によるものなどが割にはっきりしておりまして、カスタムメード、個人に合った医療というものが考えられております。ちょうどそれと同じように、我々人間の能力、持って生まれた素質、タレントは、各個人が固有のものを持っております。それは、皆さんそれぞれ持って生まれた遺伝情報の中に書き込まれておるわけでございますから、そういう個性を伸ばすということが必要です。 それから、もう一つ申し上げたいことは、世の中が変わっておる。ITというようなことをよく言われます。これは、今までのようにルーチンな仕事があった、ルーチンというのは言われたとおりすればいい仕事ですが、そういう時代から、多くの仕事は常に考えながら取り組まなければならなくなって、皆さん、ここにおられる議員さんは、昔から自分で考えて仕事をなさらなくてはならないのだと思いますが、多くの世の中の仕事が、やはり成果が重視され、各人に的確な判断と創造的な工夫、創造的な手段が要請される、そういう仕事が多くなった。そういう時代に生きる人を育てなくてはいけないということが我々の使命でございます。ですから、一人一人に合った教育ということです。 そういう点から、中間報告では、少人数教育の推進、習熟度別学習、大学入学年齢制限の撤廃など、一律主義を捨てて個性を伸ばす、個人の能力を最大限に発揮するような教育、ですから、言いますと、学習指導要領というようなものを決めてしまって、皆さんそれに倣いなさい、そういうある種の平等主義教育じゃなしに、能力に合った教育をしようというのが我々の提案でございます。 そういう点を考えますと、今までのように記憶力を重視したような大学入試を改めてそれを多様化する、大学生にしっかり勉強するシステムを導入する、職業観、勤労観をはぐくむ教育を推進することが求められているわけでございます。 次に、十ページ、十一ページに移りまして、「新しい時代に新しい学校づくりを」についてでございます。 私は、今の教育の現状を考えた場合、学校や教師や親や地域からの信頼にこたえる必要があると考えております。このような観点から、中間報告では、新しい時代の新しい学校づくりを提案しております。 例えば、個々の教師の努力や意欲を認め、よい点は伸ばし、効果が上がるように評価と結果のフィードバックを行うことが大切です。また、学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れること、多様な教育機会を提供すること、新しいタイプの学校の設置を推進することが大切ではないかと考えております。 次に、十二ページの上段の「教育施策の総合的推進のための教育振興基本計画を」についてでございます。 私は、教育改革を着実に進めるため、目指すべき教育の全体像を示した基本的な計画、すなわち教育振興基本計画が必要であると考えております。 具体的に教育改革を行うには、当然お金がかかります。アメリカなどに比べますと、もっと公的資金を教育に投じていただかなければならない。これも統計でございますが、GDP当たりを考えますと、欧米に比べまして、ある計算をしますと七兆円くらい教育に投資していただく、そうしますと、欧米が初等、中等、高等教育に投じているお金とほとんどコンパラブルになるということを申し上げたい。 高等教育というものをよくするには、国立大学もそうですが、私立大学もサポートすることが必要だと思います。もちろん、税金をつぎ込む以上、厳格な評価を実施することが必要です。評価を重視し、評価しながらよくしていくという観点から、教育振興基本計画、教育環境の着実な改善を図ることが不可欠でございます。 私は科学技術基本計画にも参画をしておりますが、ああいうふうに、科学技術基本法ができ、科学技術基本計画というものによって日本のサイエンスが発展したということ、それと同じように、教育につきましても教育振興基本計画が必要じゃないかと思います。 次に、十二ページ下段の「教育基本法の見直しについて国民的議論を」について申し上げます。 まず初めに申し上げますと、私たちは、教育基本法を変えなくてはいけないという意識で出発したのではありません。また、反対に、変えてはいけないという固定観念も持っておりません。教育基本法は、よくできた法律ですが、制定から五十三年たっており、見直しについては国民的議論が必要だと思います。 私は、二つの文化を認めなくてはならない、こういうふうに思っております。二つの文化というのは、一つは、古きよきものにあこがれ、それにとらわれる文化でございます。私は京都で小中高を育ちましたが、京都千二百年の伝統、そういうふうな伝統文化、これは歴史志向で、地域、京都とか日本とかそういうことでございます。 しかし、もう一つの文化、これは大変重要なものでございます。それは、新しい進化を求め、変革をやまない文化でございます。それは、いろいろなところでそういうものがございますが、それを最も象徴するものはサイエンス、科学の文化です。これは未来志向でございます。ここに非常に創造性があるということを申し上げておきたい。 ですから、教育基本法についても、この双方から論議していただかなくてはならないということを考えております。 教育というのは非常に多面性を持っておるものでございまして、いろいろな意見があり、それぞれの意見にメリットがあるように私は思います。ですから、日本全体でダイナミックに教育をディスカッションしていく、日本全体の問題として、すべての人間が改革に参加するということが必要ではないかと思います。 このため、十月から十一月にかけて、全国四カ所で一日教育改革国民会議を実施しておりまして、国民の皆さんからの意見をいただいているところでございます。国民の皆さんの意見をまとめながら、十一月十四日から全体会議の論議を再開し、十二月中に最終的な報告をまとめたいと考えております。文教委員の皆様からちょうだいする貴重な御意見を十分踏まえながら、最終報告に向けて真摯に審議を行ってまいりたいと考えております。 本日は、どうかよろしくお願いしたいと思います。(拍手)
○西委員長 ありがとうございました。 次に、森参考人にお願いいたします。
○森参考人 ただいま御紹介いただきました森でございます。 それでは、御報告させていただきます。 第一分科会は「人間性豊かな日本人を育成する」という部会でございますが、まず最初に、ここでは、人間性論よりも日本人を育成するという人間性教育論に重点を置くという共通認識のもとにスタートいたしました。 教育というものは、本来、未来に対する準備でありますから、人間として自立した大人になるためには家庭がその原点です。個人としての大人の準備は家庭が原点であります。また、二十一世紀を創造する人材、社会的存在としての人間、公民としての人間、その準備は学校の任務でございます。 そういった意味で、これからの教育というものは家庭を原点としてスタートすべきだと。家庭を原点とすべきということは、臨教審でも、あらゆる教育の原点は家庭であると言っておりますし、中教審でも、あらゆる教育の出発点は家庭である、こう申しております。 そういう意味で、家庭というのはあらゆる教育の原点であるのに、従来は、問題点の指摘はなされましたけれども、それに対する対策は必ずしも十分ではなかったわけであります。そういう意味で、まず、親が人生最初の教師で、家庭でどう対応すべきかということについて考えました。 具体的に申しますと、提言の一にありますように、親がまず信念を持って、しつけ三原則をつくるとか、そういうことをやったらどうかというような問題、あるいは、文部省が出しました家庭教育手帳、家庭教育ノートというのがございますが、これを改善して、もっと活用してもいいのじゃないかといったようなことなどを家庭教育の問題としてここに提起してございます。 次に、「学校は道徳を教えることをためらわない」。提言の二でございますが、ここでは、従来道徳教育は、学校では道徳の時間という形でなされておりますが、教科ではございませんので、道徳教育を教科にしたらどうかという提案がなされております。 教育の理想は、知、徳、体の三者の調和的発展でありますが、知と体についてはそれぞれかなりの基本的な計画や施策が行われておりますが、徳については、三者のうちで相対的におくれております。人間の肉体というものは成熟して老化しますが、人間の人格が成熟して老化したという話を聞いたことがございません。そういった意味で、人間の人格は永遠に未成熟でございます。そこで、道徳教育の重要性というものは重要視してもし過ぎることはないというのが基本的な考えでございます。 そういった意味で、小学校の今日の道徳はそのままでいいのですが、中学校ではこれを人間科、高校では人生科というふうに名称を改めたらどうか。その理由は、学校がかわるごとに教科がかわるということは、ショックを与えまして、何だろうと考えるという意味だけでも活性化効果がございます。人間とは何だろう、人生とは何だろうということを考えさせる意味でも、教科名をかえたらどうかという提案であります。 そこでは、もちろん、人間とは何かということと同時に、生とは何か、死とは何かといったような基本的なことも教える、そういう提案をしております。 それから、この括弧の中の二番目の提言にございますが、日本人として今言葉が乱れております、そういった意味で人間性を豊かにする基本は言葉の教育にあるのじゃないか。特に、幼児期における言葉、敬語の使い方です。 私は個人的にいつも思うのですけれども、「すみません」と言う人は、これは音便形で「すいません」と言ってもいいのですけれども、テレビを見ておりますと、今、若者はほとんど「すいません」としゃべります。それをテロップで流すと、やはり「すいません」と書いているわけです。これは、私はいつも悩むのです。話し言葉と書き言葉、書き言葉では「すみません」の方がいいのじゃないかと思うのですけれども、話し言葉では、音便形で使ってもいい、こうなっておりますから、話し言葉をそのまま表現するときはどうしたらいいのかという問題でいつも悩んでいる。個人的な、ちょっと余計なことを言いました。 さらに、学校教育では、もっと文化や伝統、古典、哲学、歴史を重視しなければいけないという提案がなされております。 次の提案は、いろいろ騒がれております奉仕活動であります。これにつきましては、奉仕活動は道徳教育の各論の一つでございます。それなのに、奉仕活動の義務化という言葉がどうもひとり歩きしているようです。国民会議の提案をよくお読みいただくとわかるように、奉仕活動については、学校教育における子供の奉仕活動、奉仕体験学習と、もう一つは十八歳の国民に対する奉仕活動の義務化を検討するという二つに分かれているのですが、これが混線して議論されている嫌いがございます。 そこで、区別して申しますが、まず奉仕活動の学校教育における方でございます。これは今日でも行われているわけでありまして、お手元の資料に、「新学習指導要領における奉仕活動に関わる主な内容について」というのがあると思います。それをごらんいただけばわかりますが、小中高とも、奉仕活動については、小学校では「道徳」のところで「社会に奉仕する」、中学校でも「奉仕の精神をもって」とか、それから「特別活動」では、小学校では「社会奉仕の精神を涵養する体験が得られるような」、中学校でも「社会奉仕の精神を養う体験が」、高等学校でも「社会奉仕の精神を養う体験が」といったように、もう既に規定されているわけであります。 現在行われているそういったさまざまな奉仕の精神を養う体験学習をもっと活性化しようということで、小中では二週間、あるいは高等学校では一カ月の共同生活でというところが新しいところでございますが、そういう提案をいたしました。 なお、細かい具体的な実施案については、これは各学校、教育委員会で工夫していただければいいと思うわけでありますが、参考までに少し敷衍しておきますと、共同生活については、既に全国で通学合宿という制度が社会教育の分野で百五十四カ所も行われております。特に福岡県と鹿児島県が多いわけでありますけれども、そういうところでは、異年齢の子供が一週間ぐらい合宿して、そこから学校へ通学するという形態をとっております。 ですから、これは、社会教育の通学合宿と学校教育でやっております修学旅行とか移動教室等を連携すれば、これぞまさに各者連携でやれば可能な方法は幾らでもこれからあるのではなかろうかと思います。 さらに、奉仕活動につきましては、奉仕義務化ということで、自発性に基づく奉仕を義務にするとは何事かという反論もございます。これに対しては、大人と子供の違いを考えれば明らかでございます。大人は自立していますから自発的に奉仕活動はできますが、子供はまだ自立していませんから、奉仕活動の何たることかも知らずに、自発的にできないわけであります。 ですから、自発的に、自立心を養う、思いやりの心を養うために、学校で奉仕活動を行う。学校というのは、本来、社会に入る門でございますから、当然いろいろなことを教えなければいけない。それが強制という側面を持つわけでございますけれども、義務教育はすべて強制の面を持っております。 そういったことで、大人と子供の区別を考えれば、大人でも自発的に奉仕活動をしていなければいけないのに、現にしていないわけであります。 この奉仕活動というのは、特定の日に、困ったときに災害地へ行くということではございません。奉仕活動の日常化ということが重要なわけでございます。奉仕活動の日常化というのは、道路に落ちているたばこの吸い殻、空き缶を拾っているかどうかということでございます。一カ月に一度、ボランティアで空き缶拾いをするということではございません。それは自分が捨てた空き缶を拾っているかもしれないのです。 そういう意味で、私は、奉仕活動は自発的にするべきで義務化すべきでないという意見については、いささかちょっと異なった見解を持っているということを申しておきます。 なお、奉仕は法律になじまないという意見もございますが、憲法十五条二項に、あるいはまた教育基本法第六条二項にも、公務員は全体の奉仕者とか、国家公務員法、地方公務員法でも、全体の奉仕者として職務に専念する義務があると法律にきちっと規定されているということも申し添えておきたいと思います。 奉仕活動でちょっと時間をとりました。次の提案でございますが、現在、学級崩壊が問題になっております。学級崩壊を起こしている子供というのは、多くて全体の二割、荒れた学校でも二割、せいぜい一割ぐらいだと現場の先生方がおっしゃっております。そういう意味で、そういう人たちに別の教育方法、教育環境を考えれば学級崩壊も緩和されるのではないかということで、そういう問題を起こす子供への教育ということを考えなければいけない。問題は、もっと多く、ひどくなれば、厚生省の児童自立支援組織、昔の教護院でございますが、そこへ入るわけでありますが、教護院の数は少ないし、なかなか入れないので、教護院と児童自立支援組織と学校との中間のような、そういう機関が考えられないかという意見もございました。 最後の、「有害情報等から子どもを守る」ということでございますが、これにつきましては、悪いものから子供を守れば子供はすくすくと育つ、そういう教育観が、ルソーのネガティブエデュケーションと申すものがございますが、それが、今日有害情報によって子供たちの環境が汚染されているから、これを何とかしようという提案でございます。 さらに一歩進めて、悪から子供を守るだけじゃなくて、子供に有益な情報、そういう情報についても研究開発が必要なのではないかと思います。 最後に、第一分科会では教育基本法についても議論いたしましたので、それについて簡単に御報告して、終わらせていただきます。 教育基本法につきましては、先ほど江崎座長からお話がありましたように、我々は、初めに改革ありきというスタンスでスタートしておりません。教育改革論を議論した上で、教育基本法の改革にも触れざるを得ない場合には、必要ならば改革しよう、そういうことで全員一致しております。 なお、検討することについてはやぶさかでないということで、全員がそれについては、改正ではなくて検討することについては、賛成している。 改正についても、第一分科会としては、大筋としては見直した方がいいのじゃないかと。その理由は、先ほど申されましたように、基本法成立五十三年ですか、もう既に一定の役割を果たしている、社会は変化している、だから見直してもいいのじゃないかという意見でございます。中には、五十年たってようやく定着したのだからこれからじゃないかと言う人もいますが、五十年たって十分実現されていないのならもう五十年たっても実現されないのじゃないかという意見もあるわけでございます。 そうすると、もっと実効的な基本法にしたらどうかということで、教育基本法以外にどういう基本法があるかということを調べてみますと、何と十七も基本法がございます。教育基本法だけが占領下の昭和二十二年にできまして、その後、原子力基本法を初め、最近の、平成十一年の食料・農業・農村基本法などに至る十六の基本法がございますが、これらの大部分は基本計画を持っております。教育基本法は理念だけでございます。理念はすばらしい、立派なものでございますが、その理念がなかなか実現しない。これは基本計画がないからじゃないかと思うのです。 先ほど江崎座長がおっしゃいましたように、教育振興基本計画のような要素をこれにつけ加えれば教育改革はもっと進むのじゃなかろうか、こう思います。 なお、教育基本法に何が欠けているか。世の中には完全なものはないのですから、これを補うということは絶えず必要だと思うのです。そういう意味で、いろいろな意見が出ましたが、一言で言いますと、ベースキャンプなき登山隊というのが私の感想でございます。 これは、教育基本法の理念は世界最高のエベレストのような非常に立派なことが書かれているのですが、これを達成するには、この山に登るには、やはりベースキャンプが必要だ。すべての登山隊はしっかりとしたベースキャンプを持っております。その教育のベースキャンプは、原点は家庭であります。家庭、郷土、国家、これについての規定が教育基本法については、全くないとは言いませんが、それが少し軽視されているような気がする、こういうことであります。 以上、教育基本法については必要に応じて改正するにやぶさかではないという問題提起をしたということであります。 時間が参りました、以上で終わります。どうもありがとうございました。
○西委員長 ありがとうございました。 次に、金子参考人にお願いいたします。
○金子参考人 皆さん、おはようございます。金子でございます。 小学校ですと、みんなわあっと、おはようございますと言ってくれるのですが……。これは冗談でございます。 第二分科会関連の内容についてお話をしたいと思いますが、内容については中間報告によりよく書いてありますので、きょうは少し違った観点からお話をさせていただきたいと思います。 皆様、スペリングビーというのを御存じでしょうか。スペリングビーというのはアメリカでもって毎年行うコンテストで、江崎先生なんか御存じかもしれませんが、全米の子供たちが英語の単語のスペリングを競う、その正確さを競う全国大会でございます。 毎年、各学校、地域から勝ち上がった子供たちがワシントンで全国大会を行います。ことしは七十三回目で、五月の三十一日と六月一日にワシントンで行われ、十二歳のジョージ・サンピー君という子供が優勝いたしました。ちなみに優勝を決めた単語はデイマーシュ、demarche、多分江崎さんも御存じないかもしれません、私は全然聞いたことがないですが、手段とか処置という言葉で、フランス語の輸入らしいのです。 この話を今持ち出したのは、ジョージ・サンピー君は、実は日本で言う不登校生、ホームスクーラーでございます。インターネットなどを利用して、うちでお母さんと兄弟たちと一緒に勉強しているという子供でございます。実は、このジョージ・サンピー君と優勝を争った準優勝の男の子十二歳もホームスクーラー、もう一人ベストエイトに入った女の子十四歳もホームスクーラー、ベストエイトになった三人がホームスクーラーでございました。実際、この決勝に進出した二百四十八名中ホームスクーラーが二十七名いるというのが、ことしの結果でございます。 ホームスクーリングは七〇年代の後半からアメリカで始まりまして、ワシントン州で初めて認可されて以来、現在では全州で認可を受けております。百数十校、このホームスクーリングをサポートする機関があり、ホームページなどによるものが多いわけですが、現在アメリカの就学人口の五%に当たる二百万人程度がホームスクーリングで勉強しているというふうに言われております。 ちなみに、アメリカのチャータースクールに行く児童生徒が大体二%でございますから、それよりも数倍ある。アメリカの私立学校が学生と生徒の数で一一%でございますから、大体その半分程度のインパクトのあるものでございます。ちなみに、日本の小学校、中学校の私立の割合は二・六%しかございませんから、その二倍ぐらいがアメリカでホームスクーリングをやっているということになっております。 サット、SAT、皆さん御存じかもしれません、ちょっと違いますが、アメリカのセンターテストのようなもので、高校生が受けて、それによってアメリカの大学への進学が決まるという非常に重要な全国テストでございます。そのサットの点数でいきますと、ホームスクーラーが平均千八十三点、全受験生の平均が千十六点、ホームスクーラーが七%ぐらいアベレージでいいということになっております。つまり、ホームスクーラーは落ちこぼれではないということです。いろいろな事情で、うちでもって勉強することを自分で選んだ子供たちでございます。ちょっと大げさに言いますと、いい点をとるなら学校に行くな。これは冗談でございますけれども。 もちろん、日本の場合にはこういうことは今認められておりません。大学においては、単位の取得などについては道が今開かれようとしております。もちろん、教育の一番大事なことは対面性、社会性でございますから、私はすべてをインターネットでやればいいということを申し上げているのではございません。しかし、一定の知識、技能を得るということに関しては、アメリカで五%の子供がやっているように、ホームスクーリングをやっても十分にできるわけです。アメリカの例でいくと、点数ということからいえば、十分それでとれるわけでございます。 となると、学校とは何か、義務教育とは何かということが問われる、そういう時代になったのではないかというふうに思う、その一つの例としてお話をいたしました。 今世界じゅうのいろいろな国で、教育こそが国の繁栄を支える最大の要素だという考え方が広まっております。ネットワーク社会、情報社会では、軍事力とか経済力というよりは、むしろ教育の力だというふうに言われております。 イギリスのブレアは、一に教育、二に教育、三に教育、四、五はなくて、六に教育というふうに言っております。アメリカでは、九〇年代からチャータースクールというイノベーションが起こって、どちらがアメリカの大統領になるかまだ決まっておりませんが、両方とも演説のときに、チャータースクールを二倍ないし三倍にしようということを提案しております。アメリカ、イギリスだけではなくて、韓国、シンガポールなども、教育を熱心にやるような制度改革をしております。アメリカでいうと、カリフォルニアのデービス知事は、カリフォルニアの州予算の、実に四五%を教育に投入しております。 このようなときに日本はどうかというふうに見ますと、全くやっていないわけじゃないが、しかし何か歯がゆい思いをするのは私だけではないのではないかと思います。 子供の状態が大変おかしいというのは、前の二人の参考人も言っておりますが、いじめの発生件数が三万件、不登校が十三万件、校内暴力が三万件というような数字。学校の学級崩壊、これは定義はないのでございますが、先ほど森参考人が言ったように、一〇%から二〇%ということでございます。先生たちも悩んでおります。子供が理解できない、担任をやめたいという人がそれぞれ、六〇%、三七%もいるという日教組の調査もございます。 村上龍という小説家の「希望の国のエクソダス」というベストセラーでは、小中の子供たち八十万人が一斉に不登校になって、ネットビジネスを立ち上げて日本を救うというストーリーがございまして、大変読まれております。今の不登校十三万件、高校の中退者が十一万人ですから、合わせると、その八十万人の不登校というのは夢物語ではないのではないかなというふうに感じてしまいます。 このような状況にかんがみまして、国民会議第二分科会では、特に時間の制約で小学校、中学校に焦点を合わせたのでございますが、学校をどういうふうにしたらいいのかということに関して討議を重ね、具体的な幾つかの提案をいたしました。 内容については、中間報告に書いてありますので今は繰り返しませんが、ざっと申し上げると、大きく分けて二つのグループ提案をしております。 一つは、現在の全国の公立の小中学校の改善をするためにこのようなことをすることを提案するという形で、幾つかの提案をしております。中間報告で見ますと、十ページと十一ページに第二分科会関係の提案がございますが、そこに二重丸が一、二、三、四、五つございます。そのうちの最初の四つがそれに当たります。最後の五つ目は、全国の学校を改善するのではなく、新しいタイプの公立学校を全国に幾つかつくって突破口をつくろうということでございます。 もちろん、文部省も教育委員会も何もしていないということではなくて、いろいろな施策は講じておりますし、問題解決や改革に取り組んでいる学校はたくさんございますが、しかし、全体として、現在の学校は親や国民一般の期待にこたえているとは到底言えない状況じゃないかと思います。教育のあり方がどうしても画一的になり、事なかれ主義になってしまう。親が知りたい学校の情報が提供されない。学校だけでなく、教員自身にも、入れ籠のように同じ構造があるのではないか。また、教育委員会を初めとした文部省などの学校行政、教育行政にも、同じような体質が入れ籠のようになっているのではないかなというふうに我々は感じております。 もちろん、教育は社会サービスでございます。企業活動ではございません。一緒にはできませんが、しかし、学校教育は実質的に独占的サービスであるがゆえに、教育を受ける側のニーズや情報がうまく反映されていないという嫌いがございます。義務教育を国民の多くはただだというふうに思っているわけでございますが、実際は、小中学校だけで十兆円以上の公費を使い、六十万人の終身雇用者を雇っている巨大産業というか巨大事業、もう少し言えば巨大官僚システムでございます。これがただということはない。それに我々はもっと関心を持ち、不断の改善の努力をしていかなければいけないというふうに思っています。 この五つの丸の提案、内容は申し上げませんが、ざっと申し上げますと、教員というのがやはり学校教育にとって一番大事な要素であろう。個々の教員についても、また学校についても、それぞれがいつでもよくなる努力をし、情報を開示し、成果は上がっているかどうかチェックをし、そして成果が上がっている教員とか学校についてはそれなりのしっかりとした評価を与えていくということが重要ではないか。これは、教育委員会や教育行政組織全体にとっても同じことではないか。それには、もっと組織マネジメントの発想を取り入れることなどをするというような提案をさせていただいております。 ここまでが、提案の二つのうちの一つ、全国の学校の改善をしようということでございます。 ただ、どうもこれだけでは少し不足ではないか、第二分科会ではそう考えておりました。先ほどから申し上げているように、文部省なり教育行政はいろいろとやっているわけでございます。やろうと思えばできる、けれどもなかなかできない。臨教審、中教審以来いろいろな改革案が出て、改革、改革と言っているがなかなかそれが実現しないという閉塞感、ここに問題があるのではないかと思っております。 一つ実例を挙げますと、開かれた学校というのはかなり昔からのキーワードになっておりました。最初に出てきたのは多分一九八七年、十三年前の臨教審のときで、学校は地域に開け、地域の意見も取り入れろと言ってから実に十三年後のことしの一月になって学校評議員制度というものができたことは、皆さん御存じだと思います。しかし、世界の潮流を見ますと、これは内容的にも一歩も二歩も不足しております。 御存じのように、学校評議員というのは、評議員会ではございません。校長が必要に応じてお願いするわけですから、非常に厳しく言えば、いい校長にはアドバイスは要らないわけでして、悪い校長の方にはアドバイスは要るわけですが、悪い校長だとそんなに厳しい意見を言う評議員に頼むことはないという可能性が高いわけでございます。 イギリス、アメリカ、オランダ、フランスなどはしっかりとした評議員会、理事会のようなものが規定されていて、そこにかなりの度合いの権限が委譲されております。欧米だけでなくて、例えば韓国でも、一九九五年に運営委員会というものを発足させ、去年から全校、公立、私立、全部の学校に必置になっております。 そういう意味では、日本の学校評議員制度も、私はこれは第一歩だと思い評価しておりますが、ツーリトル・ツーレートというのでしょうか、十三年かかってやっとできた割には内容がいま一つ、いま二つ不足しているなという感じを受けてしまいます。 このような形で、なかなか改善が進まないということで、第二分科会ではそれではひとつ新しいタイプの公立学校をつくりたい地域はつくれるようにしようというふうに考えたのが、コミュニティースクールの提案でございます。 あと時間が二、三分でございます。コミュニティースクールについて最後に御説明したいと思います。 コミュニティースクールというのは、中間報告では市町村と書いてありましたが、今では都道府県とか市町村の連合体がつくってもいいかなと思っておりますが、自治体がそのニーズに基づいて有志を募ってつくる新しいタイプの公立学校でございます。 その手続は、今詳しく述べませんが、市町村が公募をして、有志が応募してもいいし、それから市民が、例えば条例請求権は五十分の一の署名でもってできます、何かそういう形でもって発議をしてもいいかと思いますが、とにかく何かしらの形で住民の意思を反映させ、有志が、私がやろうという者が、校長ないし運営スタッフを連れてきて学校をつくるということでございます。 もう一つの特徴は、校長に人事権を与えようというふうに考えております。私は私立の小学校の校長でございます。慶應の小学校でございますが、ことしの教員募集は、数名募集するのにホームページを使い公募したところ、二百名に近いさまざまな、二十歳から五十九歳までのいろいろなキャリアの人が集まりました。その中で慎重に、インタビューをしたり即興演奏をしてもらったりして数名を選びましたが、これができないと、校長としては責任を持って自分の考えを教育に反映できないなというふうに私は思っています。 一方で、これは例えば東京都ですが、ことしは三千五十五人の応募から四百五十五名の教員を採用しております。採用方法に文句があるというのではなしに、どの学校のどの教科をだれが教えるかということを考えずに三千人から四百人をとるというのは、私はちょっと想像ができません。もっともっと校長、学校が責任を持って自分でリクルートし、いい教員を集めるということが、いい学校をつくるまず第一歩ではないかなというふうに思います。 もう一つの要素は、コミュニティースクールは、勝手にやるというのではなくて、地域学校協議会というふうに呼んでおりますが、これは先ほど言った韓国でいう学校運営委員会、イギリスの理事会でございますが、そういうものを学校ごとに必置といたしまして、そこで情報開示をし、ちゃんとチェックをする、ある程度の結果責任をそこで学校に負わせるということ。 要するに、平場のチェック機能をいつも携え、ある種の緊張感を持って、校長ないし運営スタッフが自分の考えに基づいて、しかし実際は自治体のニーズに基づいてやろうというのがコミュニティースクールでございます。 時間がありませんのであと一言ですが、どんな学校ができるかというと、例えばITとか英語なんかをどんどんやるという学校があってもいいし、それから統合教育とか、茶髪の子集まれというのでもいいし、いじめに遭うような子供たちを集めるという学校があってもいいかもしれません。大自然の中で全寮制ということがあってもいいかもしれません。それから、フリースクール、フリースペースなどでしっかりしたところを積極的に認可するということがあってもいいかもしれません。 このような形でもって全国で、ニーズがあり、やる気がある自治体はできるようにしよう、とともに、全国の公立学校システムをさまざまな形で改善しようという二つの提案をしたのが第二分科会でございました。 以上でございます。ありがとうございました。(拍手)
○西委員長 ありがとうございました。 次に、木村参考人にお願いいたします。
○木村参考人 おはようございます。第三分科会の座長を仰せつかっております木村でございます。第三分科会の議論の背景と具体的な提案について簡単に御説明をさせていただきたいと存じます。 当初第三分科会に与えられましたテーマは創造性、すなわち創造性豊かな人材をいかに育成するかというものでございましたが、一、二回の議論の後、もう少し議論の幅を広げた方がよかろう、対象を広げた方がよかろうということになりまして、お手元のブルーの資料の中間報告三十四ページにございますように、「今後、我が国が必要とする人材をいかに育成するか」というものにいたしました。 私どもの分科会では、戦後の日本の教育というものは日本人の平均的な資質を上げることを目指して、それはそれなりに成功したのでありますが、その反面、教育システム、ひいては社会システムが画一化して、冒頭、座長の江崎先生からお話がございましたが、個人の持つ能力、適性に焦点を当てた教育ができなくなってしまったのではないかという反省がまず出まして、この反省を共有いたしまして議論を始めました。 我々が目指すところは、今第二分科会の座長の金子先生からもございましたが、要するに、できるだけフレキシブルな教育システムをつくろうということ、それから多様なオプション、選択肢が可能な教育システムを何とかつくれないかという立場で議論をいたしました。 まず、具体的な提案の御説明に入ります前に、今申し上げた、どうして日本の教育システムあるいは社会システムが画一化したかということについて、少し私見を交えてお話をさせていただきたいと存じます。 私も多少外国のことを知っておりますが、どうも日本の社会では、殊に戦後のようでありますけれども、人間の持つ本質的な価値以外のものに非常に大きな付加価値をつけてしまった。そういうことで、日本人が非常に画一的な思考をするようになったのではないかと思います。 その本質的な価値以外のものは何かというと、一つは、いわゆるよく言われております学校歴、学歴と言われますが私は学校歴と言いたいのです、学校歴です。それから、もう一つは年齢です。これはいずれも、学校歴がいわゆる学歴社会をつくり、年齢が年功序列社会をつくってしまった、そういうことで日本の社会のダイナミズムがすっかりなくなってしまったのだというふうに考えております。 この学校歴社会は実は、少し考えてみますと、経済効率というものを余りに優先した結果できたものだということが言えるかと思います。 お手元に私の資料を四枚ほど差し上げてございますので、それを使って御説明をさせていただきますが、これは私の友人が、相当な労力を使って、学生を動員して調べたデータでございます。 最初が「学歴別生涯所得の推移」ということで、八八年度まででございますが、彼は九五年まで調べておりまして、ほとんどその傾向は変わっておりません。高卒と大卒をちょっとごらんいただきたいのですが、高卒の方が、八八年で生涯所得が二億円、大卒が二億七千万強となっております。九五年時点ではもう少し開いておりまして、八千万ぐらいになっております。 この八千万の所得格差が大きいか小さいか、これは個人の判断によるところでありますが、これをちょっと経済的に分析してみます。すなわち、高卒の方は十八歳で就職をされます。ところが、大卒は二十二歳まで待たなければいけない。すると、その間は賃金を得ませんから、それが投資額になります。かつまた、学資、生活費等が必要ですから、トータルしますと千五百万から、最近は二千万ぐらいになります。それがこの七千万から八千万の所得格差を生むというふうにして計算いたしますと、いわゆる利子率といいますか収益率で勘定いたしますと、大卒の平均が六%ぐらいになります。つまり、非常に高い投資が実るという結果になっています。 次のページをごらんいただきますと、これは大卒だけについての、ただいま申し上げた投資がどれぐらいの利子に回るかというデータでございます。 これは、大企業、中企業、小企業と分けてありますが、同じ大卒でも、大企業に行った場合には実に投資額が一〇%以上に回るという現状になっております。真ん中の中企業が大体大卒の平均的な収益率でありますけれども、大企業が非常に高い。ということでいきますと、とにかく何が何でも大学ということが一つあります。それからその次が大企業、そういうパスが決まってしまうわけです。 そういうことから、御承知のとおり、最近はやや社会が混乱状態になっておりますからこのような状況が崩れておりますけれども、受験競争というものが熾烈になるというのは、この辺にあるわけでございます。ですから、学校歴というのは、とりもなおさず、いわゆる経済効率を求めた結果だということになろうかと思います。そういう、人間本来の持つ価値以外に高い価値を置きますと、必ず社会というのは画一化するわけでございます。 その次のデータをごらんいただきたいと思いますが、これは科技庁の科学技術政策研究所が調べたデータでありまして、MITの工学部の卒業生と、東大と東工大の卒業生について調べた結果でございます。 一番上の「既存企業や組織で出世する」というのと「自分の会社を設立し、発展させる」という欄をごらんいただきますと、白が東大・東工大、それから色がついているのがMITでありますが、やはり圧倒的に東大・東工大、我が方の学生諸君たちの方が既存企業や組織で出世すると答えている比率が高い。これは、日本人のアンケートに対する答え方の習性から見ますと、実は、本当に心の中で思っているパーセンテージはもっと高いのではないかというふうに思います。それから、自分の会社を設立し、発展させるということになりますと、MITに比べて半分しかいない。この辺が、ベンチャービジネスがなかなか起きにくいという問題になっているかと思います。 いずれにしても、申し上げたいのは、これだけ画一的な思考を若者がしているということです。 それから次のページをごらんいただきますと、これは中教審でも使わせていただきましたが、小学館のアンケート調査であります。 小学四年、小学六年の男の子と女の子についての調査でありますが、小学校四年生男子では、一位が野球選手、二位がサラリーマン、三が漫画家。当世の世相を反映しております。女子の方は、四年生ですが、一位が先生、二位が看護婦、ここにも漫画家が出てきております。 これが小学六年になりますと、男の子はサラリーマンが一位になりまして、この一位のなり方が物すごい比率であります。これはもう二位以下がほとんどいませんで、ほとんどが一位のサラリーマンという結果であります。女子の方は非常に健全でありまして、一位が保母さん、二位が教師で、三位が漫画家、四位が看護婦という状況になっておりまして、どうも申し上げにくいのですけれども、しばらくはというか、日本は女性に頼らざるを得ないかなというふうな気が、このデータを見ていたします。 いずれにいたしましても、私が申し上げたいのは、これだけ画一的な思考が若者の中に広がっているという点でありまして、これを何とかしたいというのが第三分科会の議論のベースになっております。 具体的な提案についてはお読みいただければおわかりいただけると思いますが、私の方は、後ろの三十五ページ以降でごらんいただいた方がおわかりいただきやすいかと思いますので、少し残りの時間を使って、三十五ページ以降をポイントだけ説明をさせていただきます。 柱が三本ございまして、「具体的提案」のところに、「独創的、創造的な活動ができる人材の育成」。それから次のページに参りまして、次のページの右側、「高い専門性と広い教養を備えた、社会の各分野でリーダーとなる人材の育成」。三番目が、職業観、勤労観の問題でございます。 一番最初の「独創的、創造的な活動ができる人材の育成」、これは座長の江崎先生、それから金子先生もおっしゃいましたけれども、要するに一人一人の子供たちが持つ能力、個性に合った教育システムを何とかつくるべきだという主張でございます。 そのために、先ほどの白川先生、私がおりました東京工業大学の卒業生で、大変喜んでおりますが、いい先生プラス小人数教育というものをどうしても日本で導入しなければいけないと、私どもは強く主張した次第でございます。と同時に、習熟度別学習もどうしても必要だろう。習熟度別学習といいますと進んだ子だけというふうに考えられがちですが、そうばかりではありませんで、ゆっくり進む子、そして大器晩成といいますか、将来非常に才能が花開く子、たくさんおります。そういうことで、ぜひ習熟度別学習というシステムを導入したいという提案でございます。 と同時に、先ほど出ました日本の教育の病理現象のあらわれとして、不登校、それからいじめ、自殺、そういうものが多発しております。詳しく見ますと、不登校、いじめはほとんど中学校で起きております。中学校の二年、三年です。圧倒的にプロポーションとしては高くなっております。これは、とりもなおさず、要するに高校受験あるいはその先の大学受験ということを意識させられる余りに、非常に子供たちがプレッシャーを受けているという結果だと私どもは判断いたしまして、そういう意味で、高校受験のない中高一貫教育のシステムを拡充したらどうだろうか。 ここには「半分ぐらい」と書いてありますが、よく、どうして半分かというふうな御質問を受けます。特に理由はございませんが、とにかく、冒頭申し上げましたように、できるだけ国民のオプションを広げるということからしますと、従来型と中高一貫、一対一ぐらいであった方がいいのではないかということからの提案でございます。 それから次に、大学レベルの問題でありまして、子供たちにプレッシャーを与えているのが、先ほど申し上げました高校入試、あるいは大学入試であります。どうしてプレッシャーを与えるかというと、いろいろ、冒頭申し上げたような画一思考もありますが、大学入試も全国的に見ると随分形態も変わってきておりますが、依然として特定の影響力のある大学の入試というのは変わっていない。いわゆるペーパーテスト中心であります。そうすると、どういう問題を出しても、ペーパーテストというのはやはり反復練習が一番効果がございます。そういうことで、非常に小さいときから受験勉強が始まるということで、何とかこの大学入試を変える必要があるのではないかという主張をいたしました。 恐らく、ペーパーテストだけでセレクションをしている国というのは世界でも余りありませんで、欧米諸国ではゼロと言ってもよろしいかと思います。もちろん学力も見ますけれども、そのほかに、高等学校時代にどういうボランティア活動をやったか、それから高等学校時代にどういうビヘービアをしたか、いわゆる調査書、そういうものが大きな参考になりますし、また、インタビューというものも非常に重要な要素となっております。そういうふうなことを日本の大学入試でもぜひ取り入れてもらいたいということでございます。 それからその次に、世の中をかなり騒がせておりますが、大学入学の年齢制限の撤廃であります。これは要するに、撤廃をしようという訴えをしましたが、全部やれということではありませんで、大学がオプションでおやりくださいという訴えかけでありました。これは、先ほど申し上げました、どうしても日本の社会に非常に根強く残っている年齢へのこだわり、これに対するブレークスルーをつくりたいということからの提案でございます。 それから次の、リーダーの育成に関しましては、世界の国々を見て、殊に先進国を見ておりますと、やはり国を引っ張っていくような方々というのは非常に高い専門性を持った方が多い。英国なんか見ておりますと、ほとんどそうであります。そういうことから、ぜひ大学、大学院の再編成をやろう。つまり、大学院では高度な専門知識をつけられるようなシステムにしよう。それで、学部の方は、そこに書いてございますように、教養教育でありますとか専門基礎、そういうところの教育に徹底をして、専門性の高い教育は大学院でやろうという訴えかけをさせていただきました。 また、日本の大学というのは入りにくくて出やすいという御批判を非常にいただいています。これは、厳密に言いますと余り正しくはありませんで、私もヨーロッパの事情を多少知っておりますが、理工系に関しては日本の学生も相当勉強をしております。決して負けないとは申し上げられませんけれども、かなり勉強しているということですが、大学総体としては、確かに日本の大学というのは入りにくくて出やすいということでありますので、何とか成績評価を厳格化する方法はないかということでの、例えば日本版GPA制度の導入等を提案いたしております。 最後に、非常に大事な点でありますが、職業観、勤労観の問題です。一九九〇年に中学校を出られた方が百九十七万人おります。それが、二〇〇〇年の時点で何と六十万弱が無業者であります。フリーターでございます。こういうふうに勤労観、職業観が非常に希薄化しているということで、特にこの項を設けて提案をさせていただきました。 全体としてまとめますと、要するに、一人一人の個性、それから適性、能力もそうですが、そういうものに合った教育システムが何とか展開できないか。それからもう一つ、ほかの分科会でも出ましたが、国民のオプションをできるだけ多くするような教育システム、そういうものを導入することによって一律主義から脱却し、ひいては非常にフレキシブルでダイナミズムに満ちた社会を構成したいというのが第三分科会の提言のねらいでございます。 以上で私の説明を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
○西委員長 ありがとうございました。 以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。 —————————————
○西委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。河村建夫君。
○河村(建)委員 おはようございます。自由民主党の河村建夫でございます。 きょうは、教育改革国民会議江崎座長を初め皆様方には、大変御多用のところをわざわざお時間をとっていただきまして、主査三人の方おそろいで本委員会に御出席をいただきましたことを心から感謝申し上げます。また、中間報告につきまして皆様方から直接お伺いする機会を得ましたことをありがたく思っております。 国民会議編成以来、相当なお時間をお割きいただいて教育改革に取り組んでこられまして、このような中間報告をいただきましたことをまずもって感謝を申し上げる次第でございます。いよいよ最終報告に向けて本格的なお取り組みをいただくわけでございます。それに当たりまして若干、我々も時間の制限がございますから全部というわけにいきませんが、各党を代表した形で各委員からお伺いしたい、私は自由民主党を代表する形で二、三点お伺いさせていただこう、このように思います。 まず、この国民会議を編成し議論される中で、これまでの教育を、戦後の教育でございますが、どのように評価をして、そして取り組んでいかれたかということなのであります。 先ほど来お話しのように、日本の教育が、今日の日本の経済発展といいますか日本の繁栄を築いてきた、このことは国民ひとしく認めるところでありますけれども、現実にはいろいろな問題が起きているということでございます。 私は、今ここに鈴木総括政務次官がお見えでございますが、その前の総括政務次官でございまして、そのときに、四月一日に東京・上野で教育サミットを行いました。中曽根大臣のもとでございます。そのときに、小渕優子さんは今ちょっと退席されましたが、小渕総理もちょうどお見えになっておりまして、第一点はもっと教育にお金をつぎ込みましょうという話をいたしました。残念ながらあの日の夜お倒れになって、その遺志は森総理に継がれておる、こう思うわけでございます。 そのこととあわせて、私が、いろいろなことはあるけれども日本の教育というのはすごいんだなと思ったのは、あのサミットの中でイギリスの文部大臣が、それぞれ各国の教育事情、問題点を指摘する中で、我が国は一割の文盲を抱えておって、この教育レベルをいかに上げるかということが一つの課題なんですということをしゃべっておられました。そんなことを思えば、日本の教育はそういう心配はないわけでありまして、それだけでも違うんだな、こう思いつつも、しかし、今現実に起きていることを考えますと日本はそれを手放しで喜べないんだ、こう思いながらその話を聞いておりました。 特に、大学の進学率ももう五割にいこうといたしておりますし、高等教育、いわゆる専門学校等々を入れれば、もう七割になんなんとする国民が高等教育を受ける現状にある。そういう面では世界のトップクラスにあることは間違いないわけであります。しかし、先ほど来委員の皆様からも御指摘がありましたようないろいろな問題が起きておるわけでございまして、これをどのようにただしていくかということだろうと思うわけでございます。 特に、十五年前の臨時教育審議会の答申というのが一つ出ていて、それが実は、先ほどお話がありましたように、ツーリトル・ツーレートと言われながらも、学校五日制の問題とか評議員制度とか、今ごろになってそれが実現するという現状でございます。 そこで、今日、十七の提言をいただきました。それを早くいかに具現化していくかということであろうと私は思いますが、この提言をお出しになるに当たって、今日の教育の現場にあるいろいろな問題、それをどのように評価して、そして学校の現場の状況というものをどういうふうにとらえて提言に至ったか、その辺のことをちょっと各先生方に。 これまでの日本の教育のあり方、特に、先ほどちょっと御指摘ありましたが、戦後の教育の中でどうしても、戦争に敗れて豊かさを求めた、個人、社会が物質的な豊かさを追求し、そのことだけが目標になってしまった。そして、現実に豊かさをある程度つかまえた時点で、さあ振り返ってみると、教育は歩みをとめているのではないかと言われる現状にあるというこの御指摘。 十月二十三日から、経済人が全部読むと言われます日本経済新聞が「教育を問う」ということで、今、日本は学ばずまた教えず、こういう状況になっている。「学びを忘れ 日本が沈む」という題で、このままでは日本は、特に知の大競争に非常におくれをとっているという指摘を正面からいたしました。 このような危機感の上に立ってこの教育改革国民会議というものが生まれ、そして総括をして提案をされているというふうに私は思っておるわけでございますが、いわゆる教育改革国民会議の内部での、これからの教育をどういうふうに進めていくかという総括はどのようにされており、そして提言に至ったか、そのあたりについてもうちょっとお聞かせいただくといいと思います。
○江崎参考人 教育につきましては、やはりその時代時代に応じた変革ということが必要ですが、変えるということに対してかなり抵抗があるのが教育界の問題のように私は考える次第でございます。つまり、現在をやはり変えるということで、変えないという方に安定性を求めるという考え方は間違っておりまして、私はむしろ、ここで変革しない方が日本の将来に危険だと、今先生もおっしゃったと思いますが。 日本の歴史を考えますと、やはり明治維新で、西欧の強大な科学文明に接して、これを何とか早く学ばなくてはいけない、欧米に範をとって後を追っかける、そういう性格のようなものが日本人に身についた。特に日本の現在は、科学技術が日本の産業の発展、我々の生活水準を保っておりますし、科学とか技術の発展なしにはやはり考えられない現状であると思います。 教育の基本的なものは二つある。一つは、先ほども申しましたように、我々各人が持って生まれた天性のようなものを見出して、それの育成に努める。つまりこの場合に、我々は遺伝情報を持って生まれてきたわけでございますが、教育というものは遺伝外情報をそれに付加するわけです。それで、その持って生まれた性格も大事ですし、それを育成することも大事なんです。人によりまして、まあ言いますと、社会学者は育成が大事だという考え方、つまり何が何でも勉強すれば立派な人になれるのだというような考え方が育成化で、もう一つは、やはり持って生まれた素質が大事なんです。それを無視してはいけない。どちらかといいますと、今までの日本の教育というものは、持って生まれた天性は若干無視しまして、皆さん一緒にやりましょうという平等主義的な教育があったように思います。 私は、かつてはそれでよかった。つまり、私がちょっと申しましたように、世の中にルーチンな仕事が多い場合には、みんな一緒にやりましょうという教育でよかったのですが、世の中がグローバリゼーションとか、先ほども申しましたように、非常に的確な判断、創造性が求められるような時代になってきたということは、やはり天性に合った教育というものが必要だと思います。 今ちょっと河村先生の方からもおっしゃいましたが、我が国は既にいろいろな分野でおくれをとっているということであります。国際的に見ますと、新しい先端分野でおくれをとっている。 その一例としましては、皆さんも御存じのように、ヒトゲノムの解読ということ、これが将来非常に重要な問題であります。その解読をどの国が何%したかという一例を申しますと、実はアメリカが、解読の生産量が六七%でございます。英国が二二%です。我が国はわずか六%なんですね。あと、ドイツとフランスが二%ずつで、中国が一%。こういう数字、非常に先端的な分野、非常に将来性のある科学技術の分野で、なぜ我が国がわずか六%なのか。これはやはり、国際的なそういう科学技術の水準が劣っている、それはやはり日本の教育が十分でないということを物語っている。 つまり、これからは、先ほども申しましたように、時代が変わる。やはり各人の持って生まれた創造性、持って生まれた能力のようなものを最大限に引き出すということが、日本の将来に絶対に重要である。ある意味では今までの教育がそういうことをやっておらなかったわけですから、もしそれをやりますと、これは男だけではございません、女性も持って生まれた潜在能力、それは必ず持って生まれるわけですから、それを最大限に引き出す工夫をすれば、必ず日本の将来は繁栄する。我々は、日本人はすぐれた潜在能力を持っているということを確信して、申し上げる次第でございます。
○河村(建)委員 各先生方から戦後の教育の総括を伺いたいところでございますが、時間がございません。 それではもう一点、先ほど森先生からも御説明をいただきましたが、教育基本法の問題についてお伺いをしたいと思うわけでございます。 戦後の時代の変化に今の教育基本法はたえておるのかどうかという問題についていろいろ評価があるところであります。確かに先生言われるように、立派なものだと言いながら、しかし、立派ならば、では、今の日本の教育のいろいろな問題はなぜ起きたんだ、教育基本法の精神がなぜ生かされていないんだ、そこに私は教育基本法の議論をされなければいけないところがあるだろうというふうに思うわけであります。 特に、今回の教育改革国民会議の指摘の中にも、やはり立派な日本人といいますか、どのような日本人をつくっていくかという視点が大事であるということの御指摘がございました。また、日本の伝統文化とあわせて、いわゆる未来志向型の新しい科学文明、そういうものもあわせて考えていかなければいけないと。確かにそういう視点があの戦後の中できちっとできていなかった。もちろんあの戦争への反省、特に教育勅語の排除といいますか、そういう強い思いがあった、これはもう事実であります。 しかし、人間が生きていく中でどうしても大事なことが落ちている。そのことがはっきりこれからの教育基本法の議論の中でやられませんと、あの教育基本法を読んだ場合に、確かに立派なことが書いてあるけれども、人間育成ということはあるけれども、ではどのような日本人をつくるかという視点は、あの中から見えてこない。したがって、あの教育基本法は、世界のどこの国へ持っていったって通用する基本法だという指摘をされる方もある。 そういう現状の中で、この中間報告、また公聴会等も行われていろいろな議論もお聞きになっておるわけでございますが、これからどのような形でまとめていこうとされているのか。議論を求むということだけではなく、教育の根幹について、やはりある程度リーダーシップを持ってこの教育改革国民会議が提案をするということを国民が期待しておると私は思うのでありますが、その辺についてどのような方向で最終的にまとめていかれようとするか、森先生にお伺いをしたいと思います。
○森参考人 お答えします。 私は、教育は人間を対象としていますから、教育改革というのは人間改革だと思うのです。人間改革の究極の姿は自己改革だと思います。そういう前提で教育基本法の方へ目を移しますと、教育基本法がすばらしいというのは、そこに掲げている理念がすばらしいということであります。普遍的で、どこの国でも通用するとおっしゃいましたが、確かにそうなんです。私は、その理念を実現するには、理論が必要だと思うのです。理論を実践に移すには、具体的な方策が必要だと思うのです。理念、理論、方策というこの三点セットがそろわないと、物事はどんなことでも進みません。 教育基本法は理念がすばらしいので、ああ、すばらしいな、あのエベレスト、高いのはすばらしいなと見上げているだけだったのです。そこへ登るにはどうすればいいかという、具体的な理論や方法に欠けている。 例えば自由と言った場合、自由はいいのですけれども、では自由の理論はどうで、学校現場で自由をどう実現するのか。そういうことを考えないからいろいろ自由勝手気ままに、学級崩壊とかいろいろなことが起きる、そういう問題があるのではないかと思います。 そういう意味で私は、現場に影響のあるような教育基本法にするにはもう少し、理論とか方法とか、ほかの基本法のように具体性があってもいいのじゃないかと思うのです。 ところが、現実には、基本法というのはほかの教育の法律よりも上位にあって、その下位の法律が決めればいい、そういう誤解もあるようです。これは最高裁の判例でも、教育基本法は何もほかの教育の法律を規制しない、拘束しないとはっきり出ておりますから、法律論としては、ほかの法律と同じように変えてもちっともおかしくない法律だと思うのですが、何か準憲法的とか、新聞には不磨の大典という、最近余り聞かない言葉まで登場したりしておりますけれども、何もそんなものではない、タブー視しないということで検討しております。 どうまとめるかは、これは座長を初め企画委員会で決めることなので私個人としては言えませんけれども、こういう点は改めた方がいい、こういう点までは踏み込まない方がいいとか、そういうブレーキとアクセルぐらいは提示できるのではないかというふうなところで今共通の理解があるのではないかと思いますが、ほかの人はどうでしょうか。 以上でございます。
○河村(建)委員 国民はこれまで教育基本法ということについてほとんど読んだこともないし、知らない、そういう状況下にあると思うのですね。教育の基本はここにありというものを私は国民の中でやはりもっと議論しなければいかぬともちろん思いますけれども、ではどういう方向を我々は考えたらいいんだということは、一つの方向としてやはり中間報告の中で打ち出していただくべきことであろう、このように考えております。 自由民主党も今この問題について取り組んでおりますし、また学級崩壊の問題あるいは不登校の問題等々、特に家庭教育の問題も含めて、次の国会が教育国会になるということで、提言をすべく今鋭意やっておりますし、また、奉仕の義務化の問題等々、こういうかたい言葉じゃなくて、どういう形で導入できるかというようなことも議論いたしておるところでございます。 いずれにいたしましても、最終報告といいますか、最終答申を国民は注目いたしております。また、我々政治のレベルではそれをいかに具現化するかということについて努力をしなければいかぬ、このように思っておるところでございます。 きょうはどうもありがとうございました。
○西委員長 次に、山元勉君。
○山元委員 民主党の山元でございます。 きょうは、お忙しい先生方に御出席をいただきまして御意見を賜りました。お礼を申し上げたいと思いますし、きょうまで本当に、教育を変えなければならぬという熱意で大変なエネルギーを使っていただいております。心から敬意を表して、私からもお礼を申し上げたいと思います。 時間が少のうございますから、端的にお尋ねなり私の意見を申し上げたいと思います。この中間報告について今河村委員からもありましたけれども、同じことをお尋ねしようと思っておったのですが……。 全部読ませていただきました。けれども、江崎先生が最初におっしゃいましたように、抽象的なことだとか理念というのはおいて、具体的なことについてできるだけ明らかにしようとしたんだ、こうお述べになりましたけれども、私が申し上げたかったのは、やはり今の子供の現状をどうとらえているのかということがすかっと見えない、それは何でこうなったんだということが見えないという感じがするのです。 そうすると、変えていくんだ、だからどう変えていくんだ、だからどういう手だてが必要なんだということは、私は読み方が不十分なのかもわかりませんけれども、きっちり見えなかったわけです。河村委員は、総括的な論議はどうだったのだとか、あるいはどうとらえたのだというふうにお尋ねになりましたけれども、座長さんから今お言葉がありました。重ねてはもうお尋ねをしないで、私は具体的にお尋ねをしていきたいと思います。 一つは、基本計画を策定しようということがございます。この十七項目の提案のうち、あとの二つは教育の振興計画と教育基本法ですね。初めの三つの柱で十五の具体的なことを提起していただいて、あとの二つで、振興計画の問題が出ているわけですけれども、私もこれを読ませていただき、きょう配られました読売新聞の江崎先生の記事は、前もってずっと読ませていただきました。 確かにこの報告の中で、教育振興基本計画を策定する必要がある。教職員の配置や設備、あるいはIT教育の推進、子供の体験学習のための環境整備、こういうことについて基本計画を策定する必要がある。そして、教育への投資を惜しんではならない、目標を設定すべきだ、こういう御意見が出ているわけですね。 そこで、具体的に、先ほども座長さんからありました、GDPでいうと日本の教育費はなお七兆円、こういうことですね。そこまでおっしゃっていただくんですと、ここまでは上げていかなければならぬということを、いろいろなところでもう少し具体的に見えるようにしてほしかったというふうに思います。 例えば、一つ言いますと、小人数学級というのが出てきています。私どもも、このことは本当に大事なことだと思っています。けれども、目標設定でいうと、三十人なのか、クリントンさんが言っている十八人なのか、一体どういうふうにイメージをされたのか。この小人数というのは先ほど、木村先生からでしたか、一体この三十人学級、四十人学級についてどういう論議があってどういう目標の設定をイメージしていらっしゃるのか、まず、座長さんとして分科会での論議を聞かせてください。
○江崎参考人 「二十四の瞳」という話がございます。これは、瞳が二十四でございますが、実は十二人。世界じゅうを見て歩きまして、大体小学校は、私の知る限りは二十数人が平均でございます。 一人の先生が、例えば私にしましても、私は研究生を持っておりまして、研究生の世話をしたりなにかしますと、一人の人間が大体面倒を見られる人間の限界は二十数人じゃないかと私は思っております。ですから、一人ずつの個人を眺めて教育するということにしますと、大体——私の考えは、二十数人が小人数でございます。 もちろん、チームティーチングとかなんとかあるのですが、一人の先生が一つのクラスを小学校のときに見る場合には、やはり一人の個性、個人そのものを細かく見ていっていただくということになりますと、私は大体世界的にそのくらい、世界というのはもちろん先進国の話でございますが。 もう一つは、先ほども申しましたように、カスタムメードといいますか、個人に合った教育ということが大事で、やはり一人一人丁寧に見るということが大事です。 私のことを申しますと、私の小学校の時代には、四十人なり五十人なりだったわけです。どうだったかといいますと、割に先生はよくできる子供にフォーカスを合わせる。私なんかは大変面倒を見ていただいて、五十人いても面倒を見ていただいて、非常にハッピーであったと思うのです。 しかし、それはやはりフェアじゃない。つまり、できない子供、すべての子供、例えば学力——落ちこぼれという言葉は日本の特徴で、私はアメリカという国では落ちこぼれという言葉は聞いたことがございません。つまり、それぞれの人間は必ずそれなりの能力、それなりのタレントを持っているわけです、先ほどから繰り返しておりますように。ですから、そういう能力を見つけるのが先生の責任で、そのためには小人数、今よりも少ない人数が必要だ、これは私の意見でございます。
○西委員長 それでは、第二分科会でしょうか、金子参考人、簡潔にお願いいたします。
○金子参考人 今の江崎先生とは少し違う意見を私は持っております。 これは、第二分科会での議論というより私個人の意見を述べさせていただきますと、クラスのサイズを全国一律でこれこれにすべきということは、私は反対をいたしております。これは、その学校、先生が決めることでございます。 私としては、生活の場としては、かなり多い方がいいのではないかと。例えばその中でスポーツをやるときには、一軍だけでなく、一軍、二軍、三軍くらいつくれるとか、旅行に行くときは部屋割りで悩むというような、そういうことが生活の場としては必要ではないか。ホームルームですね。 ただ、英語をやったり算数をやったりというときには、当然少ない方がいい。幼稚舎では、今、五、六年生では、算数は三クラスを五つに分けて、二十五、六人でやっておりますが、そうすると、ゆっくりする人が非常によく伸びるということでございますので、予算をこれこれで全国一律二十人という形ではなしに、この形でもってそれぞれ選んでやってくださいということが第二分科会の、第三分科会もそうだと思いますけれども、結論でございます。
○山元委員 時間が本当に少ないので申しわけないのですが、二つの論は確かに組み合わさなければならぬというふうに思っております。 けれども、やはり基本的に、教員を配置していく基準とか、あるいは望ましい基準、例えばクリントン大統領は、小学校一年生、二年生、三年生は十八人でやる、こう言っているわけですね。 実際に今の学校では、私もことし三番目の孫が小学校一年に入りましたが、三十九人です。三十九人の、さまざまな生活様式の中から通うてくる子、校長先生に聞いたら、ことしの一年生は、十五ですかの幼稚園、保育園、あちこちからずっと来て、全部教育された形が違うわけですね。生活様式も違う。 ですから、特に低学年はそうですけれども、この五月に文部省の協力者会議が、四十人でいいんだと。途端に社説などでは、「二十一世紀も四十人で持つのか」というのが出ました。今、きめ細かい定員配置あるいは教室の規模というものを考える必要があると思いますので、これはぜひ国民会議でも具体的な論議ということでしていただきたい。 私どもは、党の立場でいいますと、三十人以下にしてほしい。そういう教員の配置をして、今金子先生もおっしゃいましたように、少なければ野球もできないというような話もよくありますけれども、そういう集団で物をやることが大事な教科もありますから、そこのところはそれぞれが思いどおり、地方分権で地域の中で、あるいは校長の裁量の中でやっていくことが大事だ、そういう方向をぜひ国民会議としても出していただきたいというふうに思います。 奉仕活動についてもお聞きしたかったのですが、もう一つは、教育基本法の問題です。 先ほどから出ましたけれども、二つの一方で、他方でというふうに御論議をいただいたというふうに報告書の中に書かれています。タブー視してはいけないということと、そしてやはり論議を行うべきだ、変わってきたんだという論議があって、国民の皆さん、論議をしてください、こうなっているのです。 私は、やはり教育基本法はすばらしい文章であって、そしてそれを最大限に生かすような教育、それで足らないところは各法で、学校教育法もあれば環境基本法もある、そういうところで生かす努力を一体してきたのかどうかということを問わなければならぬと思っているのです。 教育基本法を変えたら教育がよくなります、子供の顔が明るくなりますということではない、これは先生もさっきおっしゃったとおりです。そこで、これからの論議、どういうふうにまとめていこうとされるのか。私は、その論議をまずもとへ戻していただきたいなという感じがしているわけです。 それは、例えば、今申し上げましたように、その理念とか内容というのは、この戦後五十年間、どういうふうに生かされてきたのだ、どういうふうに実現するための努力がされてきたのかということをしっかりと検証してみる必要があると思います。 すばらしいことが書いてあっても、それが実現しなかったのはなぜだということについても、やはりきちっと議論をして、その上に立って、教育基本法を、どう発展的に、直すなら直す、これで本当に日本の教育、日本の子供たちが守れるか、そのためにはこういう具体的な政策なり法でやっていけるのかどうか。私申し上げましたように、この理念を実現するために五十三年間どう努力をしてきたのかという検証が要るのではないか。そして、実現していなければならないことができなかった、それはなぜだということについてきちっとする必要があるのではないかと思うんです。国民会議の論議も、一方ではこうだけれども、他方ではこうだけれどもということではなしに、そこのところにもう一遍戻っていただきたいなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。
○西委員長 どなたを御指名されますか。
○山元委員 座長にお願いします。
○江崎参考人 確かに今の学級崩壊とかいろいろな諸問題は、教育基本法とは何も関係のないことのように思います。 今おっしゃったとおり、教育基本法を新しくつくっても、それですぐに学校がよくなるというものではないのじゃないか。教育基本法というようなものは、実はアメリカ、イギリス、ドイツなどにはないわけでございます。つまり、憲法に基づきますと、能力に応じて教育を受ける権利があるというようなことが書かれておりまして、ある程度は憲法でカバーはできるわけです。 大変難しいことは、法律というものは何か規定をするものが多いのですが、理念的な法律というものの価値がどうかというような、そういう論議も中ではございました。私個人の考え方では、今のものにはずっと目を通しまして、確かに立派なことが書かれておるのですが、五十三年たちますと、必要なもの、例えば生涯教育というようなことには何も関係しておりませんし、現在、環境の問題を取り扱う環境教育というものは何もないわけでございます。 ですから、もう一回この辺で、何がミッシングだ、何が欠けているかという、森主査も若干述べられましたが、その何が欠けているかということの論議は必要じゃないか、そういうふうに私は思っております。
○山元委員 実は私も、二十年の教育現場の経験があります。そういう中で、教育基本法に書かれているからどうだこうだという論議はほとんど、目の前の子供たちのことでいっぱいですから、なかなかできぬわけです。 けれども、そういう経緯からいっても、今大事なことは、行政を行う者、政治を行う者がもう一遍これを見直して、一体何が書かれているのか、今まで一生懸命になってそれを実現するために努力をしてきたのかどうか、生かすために努力をしてきたのかどうかということをやはり考える。もとへ戻らなければならないだろう。 国民会議の皆さん、大変課題が多うございますけれども、この点については、私は、今まで五十年間あったものが、あれはつまらなかったのだ、時代が変わって役に立たぬようになったのだというような受けとめ方をしないで、もう一遍国民が、本当に日本の教育の土台であったということについて再認識をして、それを今生かしていこう、また生かさなければならぬのだということについて、国民的な合意ができるように、皆さんの結論といいますか御論議を期待したいと思います。 ありがとうございました。
○西委員長 次に、池坊保子さん。
○池坊委員 公明党の池坊保子でございます。 本日は、お忙しい中、四人の参考人の先生方には、お出ましいただきましたことを心より感謝申し上げております。ありがとうございます。 私は、今出ました教育基本法についてどのようにお考えかをお一人ずつお聞かせいただけたらというふうに思っております。 私は、この教育基本法は、今までも出ましたけれども、大変にすばらしい理念を持っていると思います。そして、理念というのはどんな時代にあっても世界に共通すると先ほど河村先生はおっしゃいましたが、人間の基本というものは普遍的なものであって、この国にだけ通用するというのは本来おかしいことであって、教育の基本というのは世界に共通し、そしてどんな時代にあっても変わらないものこそが大切なんだと思っております。 理念はしっかりと高いものを掲げ、そしてそれを実行していくことこそが大切です。むしろ、これが教育現場の五十三年間の土台でなかったからこそ、この教育荒廃があるのではないかというふうに私は思っております。私は、これが実行されなかった、それは教師だけではございません、親も含めて尊重されなかったということが今日のこの教育問題を生んだのではないかと思うのです。 例えば、教育の目的は、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」もしこれが本当に教育現場で行き届いていたならば、こんな権利だけを言う、あるいは自由とは何であるかを履き違えるような子供は生まれなかったのではないかというふうに私は思っております。 総理は教育勅語にもいいところがあるとおっしゃいましたけれども、私は、戦後に生まれましたので教育勅語を知りません。今それを持ち出されても、ちょっと違和感を覚えます。 それからまた、伝統文化の尊重というのは、私は京都に住んで、六百年続きました日本の伝統文化の一つである生け花の発展、育成に尽力してまいっておりますから、それが書かれますことは結構ではございますけれども、では、そういうふうに条文化されて、一体どう変わっていくのかという気もいたしております。 先ほど江崎先生は、伝統文化は歴史志向であるとおっしゃいました。ちょっとこの歴史志向というのが、私には意味がわかりません。伝統文化というのは歴史遺産ではございません。数多くの伝統文化は自助努力の中で今日まで生き続けてまいりましたし、生き続けてきたのは、要らないものを取り去り、いいものを取り入れ、取捨選択し、変革し続けてきたからこそ今日まで生きてきたわけでございます。そして、それは大衆のエネルギーによって支えられ、また大衆の感性の発露のたまものではないかと思うのです。 ですから、確かに文化行政はお粗末ではございますけれども、あるいは基本法にそんなことを入れたからといって、みんなが尊重するのかなという気持ちもございます。 それと、私は、基本法を検討するのはもちろんやぶさかではございませんけれども、その前に、二十一世紀はどんな日本の国をつくりたいのか、教育というのは何のためにあるのか、人間としてすばらしい生き方というのはどういうことなのか、そういう価値の構築というものが先になければ基本法もできないのではないかというふうに考えております。これは私の意見でございますが、その辺、それぞれの先生方の御意見をお伺いしたいと存じます。
○西委員長 江崎参考人から、簡潔にお願いをいたします。
○江崎参考人 先ほどの文化のことでございますが、私は、我々の気持ちを考えると、やはり人間というのは古きよきものをめでてそれを愛するという気持ちが一方である、しかし片一方では、やはり新しいものを求めてやまないという気持ちがあると思うのです。非常に単純に考えますと、やはり古きよきものにあこがれ、それを愛するというのは、これを一つの文化としますと、これはやはり伝統文化に近いと思うのです。 もう一つ、新しい進歩を求めてやまないというのは、これはいろいろな新しいものを求めてやまない、ファッションとか何かもあるかもしれません。それを象徴をするものが科学、サイエンスの文化です。科学というものは、発展する、創造するというところに価値があるので、やはりその二つの文化のようなものに我々が生きているということだけは認めていただかなくてはいけない。それを、二つを足して二で割るということをするとこれは大変困るということを申し上げ、それぞれに価値があるということが必要だと思います。 基本法につきましての御意見、私もあれは大変立派なものが書かれておると思いますが、一つの考え方としますと、そういう我々の二つのカルチャーの、やはり両方をアレンジする必要があるのじゃないかというのが大体の意見のように私は思います。 簡単でございますが、それで。
○森参考人 二つのことをお答えしたいと思うのです。 一つは、基本法の理念はすばらしいとおっしゃった点でございますが、私もそう思います。すばらしいのですが、前に述べたことを繰り返しますが、理念を実現するには理論が必要で、理論を実践に移すには具体的な方策が必要だ。この理念、理論、方策ということを考えると、五十三年間、理論と方策において欠けるものがあったのだというお考えだと私は思うのです。 私は、五十三年間も理論、方策に影響を与えなかった理念の方に問題がないかと検討することがどうして悪いのかなということなんです。悪いというのじゃなくて、欠けているものがないかということであります。欠けているものというと、先ほどおっしゃった社会変化に伴う新しい問題、江崎座長がおっしゃったような生涯学習の理念もないし、それから私の個人的な考えでは、教育は家庭の原点だというのですが、その家庭が、大事な原点が社会教育の一部に小さく書かれているとか、いろいろな不満が個人的にはないわけではないのです。そういうことが一つ。 第二点は、まず価値の構築が先ではないかということですが、私は、価値の構築には、人類普遍の原理ですから、これは不易と流行じゃないですが、人間の価値の不易なるものは、知、徳、体の調和的発展、あるいは知、情、意の発展、何でもいいのですけれども、そういう点にあると思うのです。 そうすると、知というのは知識と知恵でございますから、知識はふえたのですが知恵は相対的におくれているから創造性が今後必要だとか、あるいは体(たい)では、体位は向上した、身長は高くなって体重は重くなった、しかし体力は低下しているとか、そういう問題が指摘されています。一番大事なのは徳の方です。ただ、これは現状を考えると非常に問題点が多いということではないかと思います。 先ほどの理念、理論、方策でちょっと補足しますと、理念なきところ概念なしとマックス・ウェーバーも言っていますが、概念がないから理論が生まれないので、そういう概念が生まれないような理念は何が欠けているかということを考えてもいいのではないかということです。 それから、すばらしい文章だということですが、すばらしい文章でないという意見も会議では出ておりました。日本語になっていないという意見です。今度もし改定するなら日本語の専門家を入れろとか、あるいは翻訳調である、エスタブリッシュメントを「確定し」と訳す、これはおかしいとか、そういう議論もあったということを補足的に申し上げておきます。 以上です。
○金子参考人 手短に申し上げます。 これは私の意見が主になりますが、この間臨教審の最終答申を読みましたら、国民会議の答申と間違えたのでございます。要するに、言われるべきことはもう随分前から言われております。それでも結局何も変わらないんじゃないかということが今の大きな問題点であると思いますので、第二分科会では、やはり何かが変わる、何かが始まるということに重きを置いて議論をいたしました。 その点から申し上げますと、基本法は非常に大事でございますが、それを今議論したりどうするということよりは、もう少し、このようなことを変えていこうということを第二分科会では主に議論をしようということでございます。 あるべき姿を最初につくってそれを達成するというよりは、一人一人が、自分が何をやりたいか、どういうふうにしたらいいかということができるオプションをつくろうということで、第二分科会の場合にはもう少し具体的レベルで議論を進めましたので、基本法に関しては、我々としては、議論には参加するけれども、特に今度の国民会議ですべてをやろうということでなしに、もうちょっとポイントを突こうということでしたので、そういう意味では、どういうふうに変えようということに関しては、余り関心がないと言うとちょっと言い過ぎですけれども、ほかのところに重点を置こうということでやりました。
○木村参考人 私どもの部会でも余り教育基本法の議論はございませんでしたので、私個人の意見を少し述べさせていただきます。 私は、議論が始まりましてから、いつもこうやって基本法のコピーを持って歩いております。科学技術基本法ができましたときに、私は自分でそれを英語に翻訳いたしまして、外国へ持っていっていろいろな方に御紹介いたしました。大変に評判がよくて、わかりやすいと。ところが、これを私が自分で翻訳して外国人に見てもらいましたところ、今の議員の御発言のように、確かに理念としてはよく出ているけれども、彼ら英語国民は、ソー・ホワットと聞くのですね。だからそれでその後何するのという質問ですね。そこのところがやはり今まで欠けていたのじゃないかというふうに思います。 ちょっと時間をいただきまして、二つの例を申し述べたいと思います。 最近、インターンシップということが日本でも非常に盛んに言われております。これは完全にアメリカの影響であります。アメリカは非常にインターンシップが盛んでありますが、詳しく調べてみますと、実に一九六八年に高等教育法を改正いたしまして、それで補助金を一件につき七・五万ドルやるという大変な思い切った施策を講じております。また、ITに関しましては、既に二十三年前から小学校にコンピューターをただで配るということをやってきて、今日本との差をこれだけつけたということです。 要するに、申し上げたいのは、もちろん理念も大切ですけれども、何をやるかということ、ポリシーをこれにどう結びつけるかということだと思います。 そういう意味で言うと、我が国はこの教育基本法に基づいたポリシーの展開が少なかったのではないか、そういうふうに私は個人的には思っております。
○池坊委員 理念を目標にし、そこに向かってどういう実効性をもって行動していくかというのは、その時代時代に生きている人間の強靱な意志と理性ではないかというふうに私は思っております。 この教育基本法については私ももっとたくさん申し上げたいことがございますけれども、時間がございません。 金子参考人にお伺いしたいのですが、大変に具体的な話でございます。 早期の学校入学も親と学校の選択によっては可能なのではないかという御意見でございます。これも私は全部皆様方の御意見を読ませていただきまして、いろいろな意見がございましたが、私は反対でございます。 なぜかと申しますと、日本ではまだ個の確立というのができておりません。自分の子供自身を見詰めるのではなくて、ほかの子供との比較の中で親は自分の子供を見てしまいます。そうすると、五歳と言われると、みんなが、お隣が五歳で行く、自分の子は六歳というのはどこかおくれているのではないか、そう思って、焦って五歳から入学することになってしまうのではないかと私は思います。そうなるには社会の醸成というのが必要だと私は思いますし、そういう意味では、まだ時期尚早なのではないだろうかというふうに考えるわけです。 学校に入りますまでに、親として、家庭として、守るべきもの、してはならないこと、していいこと、そういうことをしっかりと教えていかなかったことが、今、学級崩壊などを招いていると思いますので、むしろ私は、学校に入りますまでに、しっかりとしたそういう教育をすべきというふうに思っておりますので、ちょっと御意見をお伺いしたいと存じます。
○金子参考人 手短に。 実は先週、慶應幼稚舎の入試が終わったばかりなので非常にフレッシュなんですが、五歳と六歳、五歳児が来るわけですが、早生まれと遅生まれで物すごく違います。この段階の一年間というのは大変大きな差があるなと。しかしそれは、個別の差というのもまた大きいものだというふうに思っております。 入学の年齢に関しては、実は第三分科会の提案が中間報告に盛り込まれたので私は議論に余り参加しておりませんが、概念としては、そういうことも含めて親とかほかの人が決められるようなオプションをつくってもいいのではないかという提案というふうに理解しております。ただ、諸種の事情を今考えて、具体的にそれを提案した場合に本当にそれでいいのかということに関してはまだこれから、検討が足りないなということで、中間報告には、そのことを提案の中より少し抽象レベルを上げて、こういうことも検討するという形にしております。 やはり実際の現場の状況というものも考えながらやらなければいけないなと思っておりますが、しかし、概念としては、みんなが同じことをするのではなくて、いろいろな状況に合わせて選んでもらうという方向に行きたいなという我々の考えのあらわれというふうに、今のところは思っていただければと思います。
○池坊委員 先生も御存じのように、小学校受験でつまずいている子供たちというのが結構ございまして、それが不登校の原因にもなっておりますので、これは慎重を期していただきたいと思います。 社会奉仕などについても、私は、この義務化というのは小学校、中学、高校まではやはりやるべきというふうに考えておりますし、さまざまなことがございますけれども、時間も参りました。ありがとうございました。
○西委員長 次に、石井郁子さん。
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。 お忙しい先生方にきょうは参考人として当委員会にお越しいただきまして、お礼を申し上げます。本当にありがとうございます。 まず座長、江崎参考人にお伺いをいたします。 十四日に教育改革国民会議が開かれましたね。その後で、クリスマスイブの観劇に牛尾治朗委員が森首相を誘われたということがございまして、そのときに森首相が、これは首相の座にですけれども、それまで座っていられればいいけれどもねとこぼしたと。それに対して牛尾氏が、際どい発言に驚かれまして、そんな軽率なことを言ってはいけないとたしなめたそうでございます。 お尋ねしたいのは、もし森首相が言うように、十二月二十二日がこの教育改革国民会議の最終報告でございますね、そのとき総理の座にいなかった場合、主なき諮問委員会になるわけでございます。その場合はどうされるのでしょうか。何かお考えがございますか。
○江崎参考人 いい質問で、興味のある質問でございます。 これは御存じだと思いますけれども、最初、私は小渕総理に頼まれました。ことしの三月の初めに、なってくれということでして、御存じのようにああいう不幸な事件があったわけでございますが、次に森総理に移ったわけでございます。ですから、基本的にはだれであれ総理の諮問機関ということで、多分十二月二十二日に総理はおられるはずでございますからというのが、これは私の考えでございます。
○石井(郁)委員 金子参考人にお伺いをいたします。 教育基本法の議論に関してでございますけれども、去る九月に、産経新聞に次のような記事が載っておりました。これは九月十一日の夕方ですね。虎ノ門の国民会議の事務局に戻った中曽根弘文首相補佐官が声を荒げたと。事務局で中間報告をまとめる作業をしていた企画委員会メンバーが、またここも牛尾氏と、きょうおいでの金子委員でございますけれども、原案に盛り込まれていた教育基本法改正へ向けた十項目の提案について、削除を決めた直後だった。中曽根氏は企画委員会の突然の後退に腹を立て、事務局内の自室に引きこもってしまった。しかし、きょうおいでの金子委員らが深夜十一時過ぎまでかかって説得し、補佐官を押し切ったという記事でございます。 その中に、政治的に利用されてはかなわない、二十六人の委員が分裂してしまう、私たちは小渕さんから頼まれたからやっている、森政権の延命に手をかすつもりはない、企画委員会でこうした激しい言葉も飛び出して、十項目提案の削除が決まったという報道でございます。 政治的に利用されてはかなわないというような状況があったのかどうか。また、審議会が分裂するような状況があったのかどうか。森首相が審議会に出席するたびに、この教育基本法問題というのは基本法抜本見直しということを要請されてまいりました。ですから、自主的な審議の諮問機関とはほど遠い状況を示しているように私は思って見ていたわけでございます。その辺の状況と、審議会委員の受けとめ方についてお聞かせいただければというふうに思います。
○金子参考人 私は、政治プロセスにはおりませんので、個人のメンバーとして事実を申し上げたいと思います。 そのときの企画委員会では、企画委員がつくった案で、基本法についてどういうふうに書いたらいいかというこれまで出た細かい見解、十項目が入っていたものを、企画委員会でこれはまだこなれていないから取ろうよという意見が大勢を占めたので、取ったものがここにあります。ちょうどそのときに中曽根補佐官が首相と話をしていて帰ってきたというところまでは事実でございますが、その後は全く、漫画というか、正確に覚えておりませんが、補佐官が来て、こうなったよと言ったら、そうですか、今首相に会ってきたばかりだけれどもということで、それ以外のことはございません。説得とかいうことではございません。 それから、これは私個人の意見ですが、先ほど江崎さんもおっしゃったように、首相がだれであれ我々は仕事をするということで、政治的プロセスは、どちらかというと新聞で書いてあったことを我々は楽しんで、こんな見方もあるのかということでございます。首相は首相で自分の考えで政治プロセスの中でやっておられるのだな、我々は我々の仕事をしようということで、これは多少首相には失礼に当たるかもしれませんが、首相の影響力は我々は余り感じずにやっているということが事実でございます。委員によっては、多少個人的に話をしておられる方もいるかもしれません。しかし、企画委員会レベルではそういうことはございません。 また、一つつけ加えますと、中曽根補佐官はほとんど自分の意見を企画委員会でおっしゃるということはなしに、非常にある意味では冷静に、どんどん話してくれということでやっておられまして、もう少し意見を言われてもいいかなというぐあいに思っているぐらいでございます。
○石井(郁)委員 奉仕活動について森参考人から詳しく述べられました。若干お聞かせいただければと思うのですが、その前に、教育改革国民会議は学校視察もされているようでございまして、きのうも東京都内に行かれたということが報道されておりました。その中で高校生たちが随分活発に意見を述べたということを私は聞いているのですけれども、例えばボランティアについても、奉仕活動の義務化については、興味を持って老人ホームにボランティアに行った、しかし義務化するのはいいとは思わない、介助される側のことを考えていないと思うというようなこと等々、高校生はいろいろ率直に意見を述べられているようであります。 そこでお伺いしたいのですけども、曽野委員が、国民を奉仕役に動員するということだとこの奉仕活動について言われている報道があります。国民会議が提起された奉仕活動、いわゆるボランティア活動と、そして社会体験活動、この違いについてどう議論されたのでしょうか。
○森参考人 お答えいたします。 まず、高校生が奉仕活動の義務化ということをおっしゃいましたが、我々は議論を二つに分けてしているのです。一つは学校教育における奉仕活動と、十八歳における奉仕活動の義務化の検討ということです。学校教育については義務化という言葉を使っておりません。 それから、二番目の御質問ですが、ボランティアと奉仕活動、奉仕体験学習、どう違うかということですが、これは、人間の発達段階と教育ということを考えないと御理解いただけないと思うのですが、人間の発達段階と申しますと、幼児の……(石井(郁)委員「短くて結構です」と呼ぶ)はい、短くいたします。 子供の体験学習、教えなければわからないということで、学校ではそういう体験学習をさせる必要があるのではないか。大人は自発的に奉仕活動ができると思うのです。 十八歳の義務化については、国が国民に課する義務だけではなくて、自分が自分に課する義務といいますか、そういう自己実現と自己犠牲が重なり合うような立派な生き方といいますか、私はこれは滅私奉公に対して立私奉公と言っているのです。中国では背私立公という言葉がありますけれども、自分を立てる、そういう理想的な生き方ができるようになれば理想かなという気もいたしますが、これは全く個人的な意見でございます。
○石井(郁)委員 確かに、学校教育の中で行われるそういう社会体験活動あるいは奉仕、指導要領にはそういうふうにもう奉仕と書かれていますから、奉仕的な活動というのはどういうふうにそれを進めていくのかという問題と、十八歳以降のいわゆる義務化という問題とは区別して議論しなければいけないというのはそのとおりなんですけれども、それがどちらのどういう議論になっているかというのも、よく議論を混同しているかなという気もするのです。 お尋ねしたいもう一つは、曽野委員が「上坂氏の奉仕活動批判に反論する」という文章を出されておりますね。そこではこう言っておられるわけです。「私も、国家からさまざまな利益を受けている。教育、医療、健康保険、電力や水道の供給、警察や消防による安全への体制などである。与えられたなら、国家にその見返りとして多少の奉仕をすることのどこが悪いのだろう。もらいっぱなし、というのは乞食の思想だ。」と。 教育、医療、健康保険などは国家が国民に与えたことなんでしょうか。これらは憲法にうたわれた国民の権利を保障する、そういうものだというふうに私は思うわけですけれども、一体国民はこじきなんでしょうか。曽野委員といえば「日本人へ」という委員会全体を代表する文章を発表しておられる方でもありますから、大変影響もあると思いますので、こういう点も森参考人にお答えいただきたいと思います。
○森参考人 私は曽野委員ではないので、曽野委員の弁解はできません。 ただ、曽野委員が委員会の発言でこじきとか、何かそういうことをおっしゃったということは、上坂さんとの論争のことは何もおっしゃいませんし、それは新聞、マスコミレベルのことでありまして、国民会議の議論ではないと思いますので、私は何とも言えません。 それと、誤解がないように言っておきますが、その「日本人へ」というのは、第一分科会の討議を曽野委員の文章のスタイルでおまとめになったということを申し添えておきます。
○石井(郁)委員 奉仕活動を全員が行うようにするというふうにやはり伝わっているわけですから、そこの中には、学校教育でやる範囲と十八歳以降でやる問題とがまだ厳密に仕分けされていないということがいろいろちらちらするわけですけれども、そういう意味では、この奉仕活動というのはきちんと分けて議論していかなければいけないし、丁寧に議論をしていかなければいけないというふうに思うわけです。 この問題では、やはり今国民の間で大変議論が沸き起こっている。教育改革国民会議の皆さんは地方でもいろいろと懇談会をされているわけですし、また国民会議にもいろいろな意見が寄せられているというふうに思うのです。そういうものを見ましても、積極的な意見というのは百八十三通だ、消極的な意見が三百九十二通、倍以上がやはり消極的意見ですよね。それはまだ国民に正しく伝わっていないという点もあるかもしれませんが、やはり奉仕活動ということで意味するもの、イメージするものというのはいろいろあるかと思うのです。 その意見の中で多く出されていますのは、強制参加よりも大人がまず態度で示すべきだ、安易に義務の行使を課すことは自立心や社会性の芽を摘むことになりかねないというような意見が、本当に多く出ている。私は冒頭、高校生の意見も紹介しましたけれども、やはり高校生もいろいろな意見を持っていると思うわけですね。 そういう意味で、学校教育でも、そしてまた十八歳以降でもですけれども、奉仕活動というものをやはり押しつけ的にすべきではないというのが私の考えなんです。この点では座長の江崎さんの御意見を伺えればというふうに思いますが、いかがでしょうか。
○江崎参考人 奉仕ということ、私はこういうものを考えるときにはいつも、これを英語に訳すとどういうことになるだろうということをよく考えるのでございますけれども、一般的に考えられるのは、やはりボランティアの精神というのが非常に重要でございます。アメリカあたりの社会では、ボランティアということが大人も子供も非常に普及しておりまして、そういう普及ということが日本においても非常に重要だということですね。 ただ、そういうことが自動的にできるかどうか。やはり森さんがおっしゃったように、ある程度子供のときには強制的にする必要があるのじゃないか、そういうニュアンスが第一分科会の方にあるのじゃないか、私はそういうふうに解釈しておりますが、森さん、何かありましたら。
○石井(郁)委員 申しわけありませんが、もう時間がございませんので。 最後に、木村参考人に一点お伺いさせていただきます。 きょうは大変興味深いデータを出されたというふうに私は思うのですけれども、やはり画一的な教育になっているという批判が本当にずっと強いわけですね。その問題でいうと、やはり学校歴とか年齢だとかというところ、そういうところに非常に付加価値がついているという問題を示されたと思うのです。だとすると、この問題は学校教育だけで解決できるのかという問題が同時にございますよね。やはり日本の社会の経済のあり方、社会構造全体がかかわっている問題だと思うのですね。だから、その点はどう考えたらいいのかなということを最後に一点お聞かせいただければと思います。
○木村参考人 全く御指摘のとおりでありまして、これは、私の御説明の中で教育システムという言葉と社会システムと両方言葉を使ったと思いますが、やはり日本の社会全体が、私が指摘した、あるいはまた今御指摘のような状態になっているということで、確かに教育だけでは解決できない問題、日本人の意識改革をしなければいけない問題です。 だけれども、意識改革をしなければいけないのですけれども、それの一番手っ取り早い方法は、やはり教育のシステムをよくしていく、改善していくことではないかと私は考えております。そういうことによって、申し上げたように、日本の社会のダイナミズムみたいなものが出てくるのではないかと思う。ですから、もちろん教育だけではないことを、私ども、十分承知をしているつもりでございます。
○石井(郁)委員 どうもありがとうございました。終わります。
○西委員長 次に、山内惠子さん。
○山内(惠)委員 初めまして、社民党の山内惠子でございます。 きょうは、直接お話をお聞きする機会を与えていただいたことを大変うれしく思っております。 二十世紀は科学の時代と言われ、数々のすばらしい研究があり、発見があり、技術の進歩がありました。その結果、原子爆弾や核兵器にまでいってしまった二十世紀でもあったというふうに思います。科学者として輝けるノーベル賞をいただかれ、教育者でもある江崎先生には、たくさんお聞きしたいことがあるのですけれども、どうも十五分というのは大変短い時間ですので、ちょっとだけ私の意見を先に申し上げて質問したいと思います。 なぜ子供たちはいじめに走るのか、なぜ朝、学校に行こうとするとおなかが痛くなって、吐き気がして、頭痛がして、その結果引きこもりが何年も続いてしまうのか、なぜあの十七歳の少年たちは事件を引き起こすに至ったのかという意味での現状分析を、本当はしっかりとしていただきたいなという希望を持っています。本当はここでそのことをどうお考えになられるかもお聞きしたかったのですけれども、私の質問は次のところからにいたします。 この報告書の中では、競い合いの促進が教育システムの変革にとって不可欠というふうにおっしゃっているのですけれども、教育になぜ競争を持ち込むのでしょうか。競争というのは、だれかをけ落としていくということに通じる問題が含まれています。私は、学問というものは、競争ということがなくても、自分の興味と関心があれば大変楽しく、勉強していきたいというものだと思います。その意味では、私は丸暗記の歴史の教育のたびに楽しくも何ともなかったのが、今では楽しいと思ったりしています。 そこで、ちょっと質問が長くなりますけれども、子どもの権利条約を批准した後、九八年にジュネーブで開かれた国連子どもの権利委員会は、日本に対する審査の中で、日本の子供たちは競争が激しい教育制度のストレスにさらされ、かつ、その結果として、休息や余暇や遊び、運動の時間が得られないために、子供たちの間で発達障害が生じていることを懸念するとおっしゃっています。また、不登校の事例が相当数に上っていることを懸念するともおっしゃっています。日本の教育は、余りにもこの間子供を教育する対象として見てきたのではないかということも指摘されているように思います。 表現者としての子供という観点でもう一度子供観を問い直すときを、この権利条約は訴えたのだというふうに思います。特に、十二条の子供の意見表明権、三十一条の休息や遊びの権利など、今回の教育改革の案を出されるに当たって、本当はほかの、ジェンダーの問題だとかサラマンカ宣言の問題だとかもありましたけれども、私の質問は、子どもの権利条約をどのようなベースに討論されてこの教育改革に意見反映されたか。恐縮ですけれども、私はたくさんお聞きしたいことがありますので、短くお願いいたします。
○江崎参考人 御質問は大変多岐にわたる問題で、そう簡単には答えられない話なのですが、基本的には、やはり人間というのは持って生まれた素質、遺伝情報を持って生まれたわけですから、それを重視するということが私は大変重要だと思います。これは、先ほどから申しておりますが、例えば酒を飲めない人間がいるわけで、これは遺伝情報ではっきり決まっているわけですね。その人たちに酒を飲めと言っても、これはもう無理なことです。それと同じようなことで、教育も全部が一様の教育をするというには、私は無理があると思います。ですから、先ほどから言っておりますように、本人が持って生まれたものを伸ばすということ。 実は、私の三人の子供はアメリカの学校を卒業しているのです。今おっしゃったことと全く反対に、風邪を引いて熱を出しても、学校に行くのをやめろと言ったにもかかわらず学校へ行きたがるわけですね。学校をそういう魅力のある学校に持っていくということ、これが絶対に必要ですね。 それから競争ということも、この世界はやはり競争という原理は無視できないのではないかと私は思います。例えば先ほどからのノーベル賞というようなもの、ノーベル賞の大きな意義は、学問の世界に競争を持ち込んだということです。今おっしゃったように、学者というのは、おれは世界一だとみんな思っているのです。ところが、ノーベルの遺産で、物理学でこれを一番の人間にしなければいけないと決めたものですから、そうしますと、ランクづけということが起きる。ランクづけということは競争につながるのです。それだけではございませんが、それが、サイエンスが非常に発展した一つの原因でございます。 それから、それを応用する技術ということになりますと、例えば企業というものも、これは競争ということによって成り立っているわけです。アメリカの社会におりますと、アメリカ社会というのは競争ということがやはりそれぞれ人間に刺激を与える。 それから、競争ということはどういうことかといいますと、自分の得意とするもので競争したいということ。そうすると、自分の天性、得意なものを見出すという効果もありまして、私は過度の競争は反対でございますが、競争というもののメリットはやはり考えなくてはいけないというのが私の意見でございます。
○山内(惠)委員 ありがとうございました。 先ほど、江崎座長は二十人学級を評価されておりました。私たちは、できることなら二十人をと思いますけれども、当面三十人以下学級というのを要求しています。先生のおっしゃるように、競争ということを全く抜きにとは思いませんけれども、やはり義務教育のところなんかでは、競争よりは一人一人を大切にするところに力を入れてもらいたいというふうに思っておりましたので権利条約の質問をしたのですけれども、またそれは別のときにいたします。 次に、問題を起こす子供への教育をあいまいにせずという提起がありますが、そのことにつきましては、幼稚園の園長でいらっしゃいますか、金子先生に質問したいというふうに思います。 ちょっとこれも長くなりますが、フランスの高校を研究していらっしゃる中央学院大学の池田賢市先生にお聞きしたことなんですけれども、フランスの高校で、子供がウォークマンを聞きながら廊下を歩いていた。それを見つけた校長先生が、ウォークマンを外しなさいとおっしゃった。日本で言えば、もしかしたらこれは小さな問題行動かなと言われそうです、禁止しているというふうに言われそうに思いますが、このフランスの校長先生は、外しなさいと言った次に、ウォークマンを聞いていては人の声が聞こえないじゃないか、学校は人とおしゃべりをするところなんだよとおっしゃって、ウォークマンを外させたというのです。学校は人と話し合う場所なんだ、話し合うことで人間関係をつくるところなんだと。 今、日本の子供たちは自尊感情を持てないというふうに言われています。そういうものが持てなくなってきて、人間関係がつくれないというふうに言われています。私は、この子供たちの声に耳を傾けたいということを本当に思っているのです。 先ほど、問題行動を起こす子供には出席停止とか、言葉は違ったでしょうか、厳しい対応、または事と次第によっては教護院というふうにお話しされましたけれども、教育に関しては、こういう子供たちをやはりしっかりと育てていくことが必要だと思います。 この文章の中には、問題児とされている子にも特別な才能があることもある、繊細な感受性を持った子もいるかもしれないと。では、そういうことがなければ振り向いてもらえないのかなと。みずからの悩みをさえうまく言語化できず、不登校や暴力という表現方法をとってしまう普通の子供への対応というものが見えないように思います。このことは、私は、厚生省管轄ではなくて、文部省管轄でしっかりと対応しておいていただきたいというふうに思いますので、先ほどお願いをしました金子先生、短くお答えいただけたらと思います。
○金子参考人 済みません、幼稚舎というのは、ちょっと変な名前なんですけれども、小学校でございます。 先ほどのフランスの高校の先生の話は非常にいいなと思います。私も日常子供に接していて、ああだこうだと言うと、先生、ずるいと言う。のどが痛いときにのどあめを食べて、小学校ではそういうことをしてはいけないわけですから、いや、これはのどあめだから、大人だからいいんだよという説明は、やはり通用しないわけですね。そうでなくて、だめだというのではなくて、やはり先ほどのように、学校はみんなで話すところだよということを添えないとよくないというふうに思います。 一方で、私のところに小学生からたくさんメールが来ますけれども、きょうお父さんからパソコンを買ってもらった、まず最初に先生にメールを出しているんだよというようなとてもうれしいメールをたくさんもらうのですが、やはりこれも、コンピューターというのは自分一人でやるのではなくてだれかに話しかけるもの、自分の気持ちを伝えたい、そういう気持ちを大切にするのが学校教育だというふうに思っております。 教護院については、多分私ではなく、森参考人の方がきょうの発言としてあるので、それについてはちょっとお答えできません。
○山内(惠)委員 わかりました。 今突然お聞きした中のそのパソコンの問題なんですけれども、これからパソコンの時代になるのかというふうに思いますけれども、パソコンを買える家庭、持てる家庭、持てない家庭、今後この階級格差が広がることを私はとても心配していることを申し添えて、ありがとうございました。 太田尭という先生が、日本の子供の勉強は問いと答えの間が近過ぎるとおっしゃっています。答えが一つしかない、それならコンピューターに負けるのです。人間の思考による答えは、Aかもしれない、Bかもしれない、Cであるかもしれないという探求の中から生まれてくることに意味があるとおっしゃっています。もしかしてこうして悩むことも人間的豊かさの一つではないかというふうに思います。 実は私は北海道出身で、この六月の選挙で「子どもに元気!」というのを公約の一つに掲げて当選させていただきまして、ここに参りました。「魔女の宅急便」や「おもひでぽろぽろ」のアニメーション作家の宮崎駿さんは、子供さえ元気であれば、子供たちは知恵を出し合って豊かな二十一世紀を築いていってくれるでしょうとおっしゃっています。まさに、本当に子供が元気であれば未来に希望が持てると思います。 今回の中間報告「教育を変える十七の提案」は、これを実践すれば子供たちは元気になるのだろうかという視点で読ませていただきました。残念ながら、この報告の中に子供たちに対する優しいまなざしを私は感じ取ることができなかったのです。また、日々四十人の子供たちの声に耳を傾け、子供たちの自己実現に頑張っている教職員、苦闘している教職員に対する励ましを、はっきり言って感じることができませんでした。 私の教え子の友人である大学生の話なんですけれども、阪神大震災のときに、自分のバイト代を全部かき集め、友人のバイト代まで借りて神戸に駆けつけた学生がいます。実は、彼は犬を救うのだと言って、二日か三日とにかく行ってくると言って行ったのですけれども、あそこの生活の中で、皆さんのつくったおにぎりを食べながら、自分も食器を洗いながら、たくさんのことを学び、そして自分が元気になって帰ってくることができたと。一月もあちらにいてから、次にまた行くんだと言って帰ってきました。 最近その学生に会いましたら、この義務化のことが新聞に出ているのを読んで、最初から義務化を言われたら自分はああやって行ったかなあとつぶやいているのを聞いて、私もそのように思いました。できれば自発的に、その意味ではもう既に実践されています、いろいろな学校でされています。何もこれを義務化と言わなくても、総合学習や何かの形でもいろいろな体験もやっています。今回のこの中間報告をそのまま行政ルートに乗せるようなことをしないでいただきたいというふうに思うのです。 実は一番最初の「はじめに」のところに、まだ中間報告の段階であるのだけれども、「速やかにその実施のための取組がなされることを強く希望する。」と書かれていることで、私は大変危機感を感じたわけです。 例えば札幌での教育問題があるように、一方で処分をちらつかせながら、それから実績に合わせての教育予算の配分なんかがちょっと見えるようなこの報告書、どうかもう一度見直して、子供たちに希望が持てるような、教職員がもう一度頑張れるようなものに、私は本当に配置転換なんかちらつかせられたくありません。できればクラスの担任が二十人学級でいたならば、もっと子供たちにも私たちの願いを伝え、子供たちの声を聞き取ることができるというふうに私は思っています。 日本の子供たちに、本当に子供であってよかった時代を味わわせるためにも、皆さんの真摯な討論を期待して、きょうの質問を終わります。 ありがとうございました。
○西委員長 次に、谷本龍哉君。
○谷本委員 21世紀クラブの谷本龍哉でございます。 本日は、四名の参考人の方々、貴重な御時間をいただきまして、本当にありがとうございます。 早速質問に入らせていただきます。少し個別論点的な部分になりますが、よろしくお願いします。 一問目は、教職員の質の向上という部分に関連をいたしまして、これは外務ともちょっと関係のある、論点の重なる部分ですが、海外への教員の派遣という問題につきましてお考えをちょっと聞かせていただきたいと思います。 といいますのは、江崎座長、教育のあり方に関する意見書の中で、まず、教育の基本理念というのは、天性を見出してそれの育成に努める、それぞれの子供の才能というのを見きわめて、それに合った教育をして最大限それを伸ばしていく。そのための必要条件として、三十人以下の小人数学級、そして習熟度に応ずる教育、そして三点目にすぐれた教師の存在、この三つが必要であるということを書かれていたと思うのです。 それに関しまして、非常に個別的な論点ですけれども、海外、特に発展途上国への教師の派遣という部分について、実際、今、発展途上国におきましては非常に教育に飢えている部分があると思うのです。 大阪の方に、市民団体で大阪ラテンアメリカの会というのがございます。以前新聞でも話題にはなったのですけれども、そこがスペイン語の算数ドリルの教科書をつくって、それをペルーに送って、そこで印刷をして配付した。その方々から少しお話を伺ったのですけれども、やはりそういう国々に行きますと、非常に教員も不足しております。そして、教材も不足しております。ですから、一冊の教科書を大事に大事に戸棚の中にしまっておいて、使うときにそこから出してきて、子供たちみんなでそれを使うというような現状がかなり多くあると伺っております。 そういう中で、先ほど金子参考人の方からもお話がありました、特に先進国において、次の時代へ向けて教育が非常に大事だとアメリカもイギリスも力を入れている。これは、発展途上国でも同じだと思うのです。確かに資金的な援助というのも非常に重要でしょうけれども、やはり教育の部分をしっかりすることが、次の時代を、しっかりその国を発展させていく一番の礎になると思います。 その中で、国際協力事業団、JICAの方の資料で見たときに、昨年度一年間に募集説明会に参加した現職教員というのが三百八十六名いらっしゃいます。しかしながら、実際に派遣された方というのは五十七名、七分の一でございます。そしてまた、現職の教員以外の教育分野の方すべてを含めますと二百九十八名派遣をされているのですが、現在、途上国からの要請というのは実は四百四十三名。ですから、全然足りていないというような状況にあります。 この背景には恐らく、戻ってきた教職員の受け皿の問題ですとか、あるいは、現職の場合、特にそこを、学校を離れる場合の職場の事情というのが非常に大きく関係しているのではないかというふうに言われております。 そういう中でも、海外のそういった国々での体験というのは、教職員の方々にとっては非常に大きな意味があり、そして、自分がそういう地域で特に教育に飢えている子供たちに教えるという体験は、視野を広げ、それを持って帰ってきてまた日本で教育の現場に立ってもらう、これが持つ日本の教育に及ぼす影響というのは非常に大きいものがあると思うのです。 そういう部分につきまして、小学生とか、先ほどから議論がありました中高生、あるいは十八歳以上の方々の奉仕活動という話もありましたけれども、同時に、そういう生徒たちばかりじゃなしに教職員もその能力を磨いていくという意味では、こういう海外での体験というのは非常に重要になると思うのです。その受け入れ体制であるとか制度化であるとかというものに対してどのような御意見を持たれているか、四名の方のそれぞれの御意見を伺いたいと思います。
○西委員長 手短にお願いいたします。
○江崎参考人 今谷本さんのおっしゃるとおりでございまして、我が国はどちらかといったら閉鎖的な傾向がある国でございます。ですから、海外との交流というものはいろいろな面で重要でございます。 特に今の、教職員というものを発展途上国に送り出す、これは双方に非常に利益がある。行った人たちがそういう新しい環境に触れますと、視野が広くなるわけでございますね。それと同時に、その国にいろいろなベネフィットを与えるという双方性。 これは、決して発展途上国だけではなしに、もっと先進国にも送るということもいい。これは非常にわずかでございますが、ニューヨークあたりには日本人がおりまして、日本人学校のようなものがございます。たしか、生徒が百人以上ありますと、文部省が校長先生を送ってくれるわけですね。そういう校長先生と話しましても、日本と違っていろいろな新しい体験をする。そういう文化の交流ということですね。 それから、日本の大学そのものも、留学生を受け入れる。アフリカとかそういうところの留学生を受け入れてこちらで教育する、生徒を受け入れる、今おっしゃったことの反対でございますね、そういうこともどんどん発展させていく。私も筑波大学あるいは芝浦工業大学でも留学生を受け入れておりますが、これは、大学そのものに非常に大きな刺激を与えるわけです。 ですから、極端な例は、先ほど阪神の大震災にボランティアという話がございましたが、やはり人間というのは新しい環境に触れますと非常に刺激を受けて、伸びるのです。 これは学者というものも、大体ヨーロッパでもどこでも、ポーストドックといいますか、外国に行って数年研究するということが、将来伸びる一つの理由になっておりまして、私は、教職員の方々に大いに外国で体験していただくということが、つまり視野を広げる、日本の将来のグローバリゼーションに絶対必要だと考えています。
○森参考人 教師の質を向上するために、現在既に社会体験の研修というのが行われていますが、それを海外にも拡大してという、まことに私はいい御提案だと思うのです。 といいますのは、子供たちは今直接体験が不足しています。これは文明のせいですが、便利になったために間接経験ばかり多いのです。そういう中で、子供の問題を話すと、必ず大人も教師もとくるのですが、教師にもそういうことが必要だと思います。 それと、自分の経験からさえ学べない人が他人の経験から学べるはずがないのです。だから、自分の体験を豊かにするということが大事なのに、今はそれに逆行しているので、こういう提案が出るということは、私たちの提案もまだまだ発展する可能性があるなということで、非常にうれしく思いました。 それと、全体の奉仕者ということで申しますと、子供よりも大人に奉仕せよということ、そのために教師を考えているということでありますけれども、私は、教師こそ奉仕活動を、それから大人こそ奉仕活動をやるべきだという議論、それが出てきたのは、今やっていないからそういう議論が出てきているわけです。だから、私たちが子供に奉仕活動をと言わなければそういうことも出てこなかったのではないかと思うのです。 それと、既に教師は、教育公務員特例法で「教育を通じて国民全体に奉仕する」と書かれております。教師は、本来日常的に奉仕的にやっていなければいけないのです。大人もそれをやっていれば、教育の第一歩は模倣ですから、子供も自然にそれを模倣するわけですが、大人がやっていないから子供も、それでは鶏と卵の議論になるので、我々は、まず子供からやろうと。そうすると、大人もはっとして目が覚めたというのが現状ではないかと思います。 以上です。
○金子参考人 先ほどの山内さんの御意見にも少し関連するのですけれども、この報告を見て、教師よ、しっかりしろ、能力を高くしろというふうに思える点があると思うのですけれども、実はそうではなくて、やはりいろいろな経験のある人、いろいろな考えの人、それから眠っている能力、意欲を発揮できるようにというふうにして書いたつもりです。その一つの方法として、谷本さんがおっしゃるようなことは大変重要だと思います。 それから、私も現場の校長ですので、これは非常に難しいですね。現場の先生はやはり現場を離れるということに対してかなり、おそれというか、やはり痛いというのがございます、帰ってきたときにどうなるのか。それから校長としては、ほとんどぎりぎりでやっておりますので、この先生がいなくなるとどうなるのかというようなことがございますので、これはやはりある程度のことをしなければいけないと思います。 しかし、私は、もう少し基本的には、やはり校長が自分で採用をするとか、ちゃんと配属を決めるとか、この人にやはり行ってもらおう、そのときにはこういう人を入れる、これは教育委員会、教育長にお願いするというのではなくて、もう少し自分でもってできるという中で、何年間に一回は行くというようなことができればいいかと思います。 もう一つ、全然違うのですが、現在の教員に経験を積ませるのも大事ですが、既に経験のある人を教員に採用する、それは専任じゃなくて非常勤でもいいと思うのですけれども、そういう二つの形をとって、子供たちに、いろいろな経験のあるいろいろなタイプの人に接してもらうということが大事じゃないかと思います。
○木村参考人 今の谷本議員の御提案は非常に重要な点だと思います。 ちょっと視点をかえまして、一言だけ申し上げたいのですが、今、日本の全額出資で年間六百人、二百人ずつスリーバッチで六百人、アメリカの小、中、高の先生に日本に来ていただいております。三週間いて、ホームステイしていただいて、各学校に行っていただく。この先生たちの熱気が物すごいです。私は、これで三年目で、毎回つき合っておりますが、ぜひ一遍そのパーティーにでも御参加いただいて、アメリカの先生たちがいかにすごいかという実情をごらんいただきたいと思います。それを逆に日本からもぜひやりたいというのが私のかねての希望でありまして、全く御提案には大賛成でございます。 ただし、それは、今のは短期のプログラムでございますから、長期になるとなかなか難しい点があるのは御指摘のとおりだと思います。
○谷本委員 非常にすばらしいお答えをたくさんいただきまして、ありがとうございます。 時間が余りありませんので、次の質問をもう一問だけさせていただきたいと思います。 次の質問は、大学のあり方の議論というのはいろいろされていると思うんですが、それと奨学金制度というものについてのお考えをひとつお伺いしたいと思うんです。 日本の奨学金制度というのは他の国々、先進諸国に比べて非常に貧弱であるという議論が多くされております。日本育英会の方の無利子の第一種奨学金、有利子の、昨年から名前が変わりました希望21プラン奨学金、そしてまた各大学の制度、いろいろとございますが、今二〇〇〇年度の現状では、日本では総額四千百五十一億円という資料をいただいております。それに比べまして、例えば米国、アメリカでは、民間いろいろ含めまして年間約四兆円超と、十倍近くのものがございます。 これに関連しまして、森参考人の意見の中に、大人の幼児化という話があったと思うのですが、大人の幼児化と子供の劣子化、大人がだんだんと幼児化している。その大きなポイントに、この日本においては一体どのタイミングから、どの年齢から大人になるのかというのが非常にあいまいな部分があると思うんです。十八歳からなのか、それとも二十歳からなのか、あるいは大学を出た時点なのか。そういうものが、ある意味で社会へ出てもまだなかなか幼児性が抜けないという部分でかなりあると思うんです。 そういう意味で、私が思っておりますのは、ほかのいろいろな法律、制度との兼ね合いもありますけれども、例えば十八歳という線をしっかりと引いて、そこを超えればもう大人なんだと。ですから、そこからは、勉強したければ国から奨学金をいただいて、借りて、それで自分の力で勉強する、あるいは就職する、どの道をとってもいいと思うんです。そのためにはこの奨学金というものを、現時点ではまだまだ、国公立で使われているのが一六・四%、私立では五・七%ですから、どうもほとんど生徒は使っていないというのが現状だと思うんです。これを何とか、制度的にも変えて、だれでも望めばそれを借りられるようにと。 これは返していくわけですから、理想論を言えばお金は最終的には全然かからないという制度ですので、どんどんと拡充をしてふやしていく、そうすることで十八歳の時点でみんな選択をするんだ。自分でお金を借りて勉強するか、それとも自分でお金を稼いで生活していくかという部分を選択するというような考え方というものを打ち出していくのはどうかなというふうに私は考えております。 現時点では、お金を親から出してもらって、遊び半分でと言うと失礼かもしれませんけれども、そういう学生もたくさんいると思います。その部分を変えていくためにも、そういった制度の改革というものも必要ではないかと考えているのですが、その辺のお考えをお伺いしたいと思います。
○西委員長 どなたにでしょうか。
○谷本委員 座長と森参考人とお二人に。
○西委員長 では、森参考人それから木村参考人、簡潔に、お二人にお願いしたいと思います。 初めに森参考人にお願いいたします。
○森参考人 簡単にお答えします。 奨学金については、私も国際会議に出たことがあるのですが、日本でスカラーシップといいますと、日本の育英会はこれは給付ではなくて貸与だから違うのではないかと随分言われるのです。ですから、日本の奨学金と外国の奨学金は簡単に比較できないので、そういう意味では、日本も給付のような奨学金制度の確立がまず急務だと思います。それが一点。 それからもう一つは、そういう奨学金を十八歳を過ぎたらということなんですが、私も、十八歳で選挙権をということですから、十八歳で奉仕義務なんというのも、これは大人としての入社式のような意味が今はありますから、いいと思うのです。ただ、今は、ローレンツが言うように文明社会では大人は幼児化していますので、全部大人ではないのです。ですけれども、そういう十八歳のけじめをつけた方がいいのではないかと、簡単に申しておきます。
○木村参考人 今谷本議員がおっしゃったことと私は全く同感でありまして、英国の事情をちょっと申し上げますと、英国では今御指摘のとおり十八、つまり大学に入った時点から親から離れることが当たり前のことになっております。むしろ、親から離れないことは恥ずかしいことだということになっております。 それはどうしてそれができるかといいますと、今おっしゃったように奨学金制度ですね。もちろん債権、スチューデントローンという返さなければいけない制度もたくさんできておりますけれども、奨学金が非常に完備しているために、自分で最低の生活はできるようなシステムになっている。それが、日本と英国を比べまして、青年の社会的な成熟度に大きな違いをもたらしている原因になっているのではないかと思いますので、私も全く御意見に賛成でございます。 ただ、世界的に見ていますと、財政の面でなかなか苦しくなっていることは確かでございますので、何か工夫をしなければいけないというふうに思いますが、御意見には全面的に賛成でございます。
○江崎参考人 それでは、私の名前も出ましたので、ちょっと。
○西委員長 では、お時間ですので、簡潔にお願いいたします。
○江崎参考人 それでは、一言だけ申し上げますと、現在、日本の高等教育の普及は私学主導で行われている。ですから、授業料が高い。つまり、教育費が高いということが一点あります。その点、異常にそうなんです。 それからもう一点は、大学院を充実しなくてはいかぬ。やはり大学院は自分で働いて勉強するということですね。ですから、奨学資金とかなんとか、大学院生にはどんどんスカラーシップでやる、これはそういうふうにしていただきたいと思っております。
○谷本委員 時間も過ぎましたので、お三人には、どうもありがとうございました。
○西委員長 次に、松浪健四郎君。
○松浪委員 松浪健四郎でございます。 お忙しい中、また長時間、心から感謝をさせていただきたいと思います。 ずっと真摯な御意見、また各党を代表されるような御意見が出てまいりました。それで、聞いておってひとつもおもしろうなかったわけであります。そして、大して参考にもならなかったなという印象を私自身は持っておりますので、私の方から、しようもないと思われるかもしれませんが、質問をさせていただきたいと思います。 まず最初に、いつも江崎先生を思い起こしたときに、なぜ玲於奈という名前をつけたのだろうか、もしかしたなら、お父さんがレオナルド・ダビンチをほうふつとさせられて名前をつけられたのではないのか、そういう気がしておるのですが、お聞かせをいただけますか。
○江崎参考人 実は一週間前、フローレンスから四十キロほど離れているビンチという町で彼は生まれたわけでございまして、私はそこを訪ねてまいりました。彼のいろいろな業績のあるミュージアムもございました。 さて、名前についてでございますが、私は、名前については自分自身には責任がないことはまず申し上げておきたい。それから、私が生まれたのは一九二五年、大正の十四年でございます。大正デモクラシーです。ですから、国際的に活躍する名前ということが一点だと思うのです。それからもう一つは、私の両親、やはりちょっと変わった人間だったのだろうと思うのですが、あなたは違うんだよということを認識させるために、こんな変わった名前をつけたと思うのです。 これはプラスの面、マイナス面がある。私は私の子供にはこういう名前はつけないですよ、名前が重荷になるわけですから。だけれども、私自身は、幸いノーベル賞をもらったものですから、こんな変な名前も皆さんにいろいろなところに書いていただいたわけでございます。 ですから、この教育効果というものはやはり、あなたは違った者だということを思わせたという意味では、私の名前は、こういう名前をつけていただいた両親に私は感謝する次第です。
○松浪委員 おもしろいお話をお聞かせいただきました。 この中間報告の「いまなぜ教育改革か」というところで、「子どもの行動や意識の形成に最も大きな責任を負うのは親である。」江崎先生おっしゃいましたように、名前をつけたのは私に責任がない、おっしゃるとおりであります。しかし、名前をつけるというのは、その時々の社会状況、現象、そして親の意識が大きく影響しておる、私はこういうふうに思います。名前をつけることから、親がこの子をどうしようかというふうに考えるわけでございます。 私の名前は、戦後間もなくでしたから、健康であればいい、そして、少子化時代ではなくて、私は男ばかり四人兄弟でありましたので、四番目だからということでナンバリングされているわけであります。つまり、少子化社会にあっては私のような名前はつかないわけであります。そして、健康であってほしいというのはいつの世にあっても同じであるかもわかりませんが、とにかく名前には流行がある、そういうふうに思います。つまり、社会を映し出しておる。 そこで、金子先生にお尋ねしたいのですが、最近の名前は昔と違う、そういうことを幼稚舎におられて痛感されておられるのではないかということで、名前と親の関係、意識等についてお話を伺うことができればと思います。
○金子参考人 はい、わかりました。 聞かれていないのですが、私の名前は郁容です。郁は先ほどの石井さんの郁なんですけれども、郁容というので、女の子と間違われて非常に嫌だなと思いつつ、江崎さんと同じように、今では感謝をしております。 幼稚舎の子供たちの名前を見ると、女の子にはほとんど子がついていません。物すごく変わった読み方をしておりますので、非常に紛らわしいなと。最近は、男の子の方でも、いわゆる太郎とか四郎とか健三郎とかというのはほとんどなくなって、泰斗(たいと)とか、何かもう片仮名のような名前になっております。 いろいろなはやり廃りがあると思いますが、やはり子供が一人の場合が多いので、物すごい思い入れで、やはりそこに自分たちの思いを入れたのかなと。その結果、今までと違うタイプのものができて、しかし、違うタイプのものが重なるとまた同じタイプになってしまっているなということで、その親の思いというのは大変感ずるのですが、結果としては、非常にアイデンティティーの少ないというか、よくわからない名前がたくさん出てきてしまったなというふうに感じます。最近は女の子だけじゃなくて男の子にもそれが及んできたなというのが、ちょっと気がついたところです。
○松浪委員 とにかく、子供が生まれたときに親がその子供にどういう思いを込めて名前をつけるか、私はこのことも大切であるし、時代が移り変わることによって変わっていく、流行というものがある、そういうふうにも思うものであります。 そこで、江崎先生にまた違った視点から御質問させていただきたいと思うのです。 この前、白川筑波大名誉教授が九人目の我が国のノーベル賞受賞者になられました。日本国民として、これほどうれしいことはございません。そして、九人の方々を見ますと、共通点がございます。それは、江崎先生におかれましても同じであります。九人とも全部細身の方でいらっしゃいます。 何を申したいのかと申しますと、私たちの国はおおむね仏教国でありました。仏像を想起していただければありがたいんですが、つまり、中身じゃなくて体型の話であります。そして、キリスト像を想起していただければありがたいんです。つまり細身であります。我が国の神様は、七福神を初めとして全部肥満体であります。この国には、悲しいかな、肥満信仰がありました。太っているということは、福々しい、風格がある、貫禄がある、頼りがいがある、いい言葉ばかりであります。ところが、細身の人に対しては、頼りない、貧相だ、このような表現がおおむねされてまいりました。 江崎先生にお尋ねしますが、江崎先生の家系には太った人はいらっしゃらないですか。
○江崎参考人 今、急に質問されまして考えておりますが、太った人間は余りおらなかったように思います。私自身も、ノーベル賞をいただいたときはもっとやせておりまして、最近は若干太りぎみでございます。 やはり活躍するにどういう体型が一番いいかということが理想だと思うのでございまして、私自身それほど運動などしておりませんが、食べ物については後ろにおる家内が管理しておりまして、現在の健康はうちの家内のおかげだと思っております。
○松浪委員 皆さんお笑いになっておられますけれども、この国の国技は相撲であります。曙の体重を想起していただければおわかりになりますように、私たちは身体観というものを間違ってきたのではないのか。 そこで、この中間報告を読ませていただきますと、体力という言葉がどこにも出てこないんですね。日本人の体力というものについて将来どのようにしなければならないのか、その議論が行われたのかどうなのか、私は大変心配するものでありまして、もしかしたならば、太目の日本人ばかりをつくってしまうのではないのかという危惧をしておるわけであります。 つまり、細身の人間をつくらなければノーベル賞学者は出てこないよということでありますが、体力についての御議論があったのかどうか、まず森先生からお尋ねしたいと思います。
○森参考人 体力につきましては直接議論はありませんでしたが、先ほども申しましたが、私の意見発表のときに、日本人は体位は向上したけれども体力は低下していると、知、徳、体のアンバランスという関連の中で私は報告いたしました。 それと、知、徳、体の体(たい)が三者の中で相対的におくれているということは事実でありますので、最終報告には、今原案作成中で、皆さん議論しているところですからこれからどうなるかわかりませんが、私は、体(たい)についても少し触れた方がいいのかなという気がいたしますが、ただ、初めに体(たい)ありきというスタンスでは、残念ながらなかったという気がいたします。
○松浪委員 ちょっと古い新聞になりますけれども、毎日新聞に掲載された、私の知人のことなのでちょっと読ませていただいて、そして御感想をお伺いしたい、こういうふうに思います。 「中村哲さんは喜んだ。」喜んだというのは、この前に文章があるのですが、それをちょっと忘れていただいて、中村哲さんは「パキスタン北西部ペシャワルを拠点に医療活動を続ける人だ。渓谷に朝の薄明かりがさしはじめるころ、祈りの朗唱が響き、一日がはじまる。村によっては小学校もあるが、大半の村には一種の寺子屋があって、コーランを通じて読み書きを覚える。親が農業や牧畜で忙しいとき、子どもは放牧や水くみを手伝い、学校には行かない。ある団体が日本と協力して「恵まれない子どもたちのため」村に学校を建設する案を携えて相談にきた。中村さんは答えた。子どもたちは「哀れだ」とは思っていない。ヒツジを追い、たきぎを背負う労働も、家族のきずなを強め、共同体の中で必要な協力や生活の技術を学ぶ教育ではないだろうか。」こういうふうに書かれてあります。 ある意味では、労作教育あるいは職能教育、こういうふうに言えるかもしれませんし、人間としてどこへ行っても生きていくことのできる力をつけることこそが教育の原点である、このように述べられているように私は受け取るわけであります。 これらのことについて、まず木村先生からお尋ねさせていただければと思います。
○木村参考人 お答えいたします。 今の松浪議員の御指摘、そのとおりでございまして、この教育改革国民会議は、ちょっと先ほどの御質問にも関係しますが、教育にかかわることすべてを議論したわけではございません。重点的に項目を取り上げて議論したということで、先ほどのスポーツのことについては、重要性はもちろん認識しておりましたが、今回は外れているということでございます。 今のお話でありますが、教育改革国民会議では今の点についてはさほど議論いたしておりませんが、御承知のとおり、中央教育審議会では、「生きる力」ということではっきりと定義をいたしております。 三つの側面が生きる力にはあって、一つは知的な面、それから情緒的な面、最後は体力の面ということです。どうして生きる力が必要なのかというと、今御指摘のとおり、これから来る社会、世紀は多分非常に不透明な変化の激しい時代になるだろうということで、そこで子供たちにうまく生きていってほしいという願いから生きる力というものの重要性を定義しております点が、教育改革国民会議ではそのことについてはさほど議論がなされておりません。
○森参考人 確かに今御説明あったように、どこででも生きていける力ということなのですが、そういう生きていく力というのは、動物も生きる力があるので、私は、人間として生きていける力、人間として生きる力だと思うのです。そういう意味では、私は、生きる力というのは、絶えず前進する力、進歩する力、そういうものを養うことが必要ではないかと。 木村先生おっしゃったように、確かに中央教育審議会では生きる力を総論的に定義しております。知、徳、体だと思うのです。その中で相対的におくれているのは徳であると言ったのですが、体(たい)についても、体力は衰えておるということは認めております。
○松浪委員 時間が参りましたので、これで終わらせていただきたいと思います。長時間にわたり、本当にありがとうございました。心から感謝をさせていただきます。
○西委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。 この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、また貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。 午後二時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。 午後零時二十四分休憩 ————◇————— 午後二時開議
○西委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 内閣提出、参議院送付、著作権等管理事業法案を議題といたします。 この際、お諮りいたします。 本案審査のため、本日、政府参考人として公正取引委員会事務総局経済取引局長鈴木孝之君、警察庁生活安全局長黒澤正和君、総務庁青少年対策本部次長川口雄君、外務大臣官房審議官横田淳君、文化庁次長伊勢呂裕史君、通商産業省生活産業局長林良造君及び郵政省放送行政局長金澤薫君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○西委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 —————————————
○西委員長 これより質疑に入ります。 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。
○森岡委員 私は、自由民主党の森岡正宏でございます。 三十分という時間を与えられておりますが、いろいろ質問したいものですから、できるだけ答弁の方、簡潔にお願い申し上げたいと思います。 早速、著作権等管理事業法案につきまして、私は幾つかの疑問点をお尋ね申し上げたいと思います。 この法案は、昭和十四年につくられた法律を六十年ぶりに全面改正される。権利者の保護と著作物の利用の円滑化を図るという文化の普及発展のためにますます重要な役割を果たすものであると思いますし、今回の改正は管理事業者の新規参入、また適用対象の見直しなど行われまして、規制緩和が大きく実現する、私はそういう印象を受けております。 私も、大筋ではいいなと思っておるわけでございますが、ちょっと疑問に思う点がございますので、まず大臣にお伺いしたいわけでございます。 著作権行政の現状はこれからどういうふうに変化していくのか。私は、この法案を見ておりますと、使用料をめぐる紛争処理でありますとか、指定管理事業者と利用者代表との調整業務など、文化庁の行政裁量の拡大、また管理強化につながるのじゃないか、仕事の量が膨大なものになるのじゃないかなという危惧をするわけでございます。現有体制でやっていけるのかどうかというようなことも踏まえて、現状とどう変わるのか、まず大臣にお尋ねしたいと思います。
○大島国務大臣 森岡委員にお答えを申し上げます。一言で申し上げますと、今、著作権、著作物と言われるその範疇が、通信革命あるいはまた情報伝達革命において、一つは多様になっているということ、そしてまた、さまざまな文化活動もこれまた多様になっているということ。そのことに向けて、規制を強くするというよりは、むしろ規制を緩和して、そして、そういう多様な文化発展に対応していこうということがこの精神にあると私は思っております。 したがって、本法案の中身は、改めて申し上げますと、許可制を登録制に改めますことによって、非常に規制が緩和されるということ、そして、必要最小限度のものになるということ。第二点として、使用料の適正化を確保するために必要な裁定事務が生ずるということ。第三点目として、いわばJASRACのような特定団体が管理事業を独占してまいりましたが、音楽等の分野には他の管理事業者が参入して、また、これまで管理事業が行われてこなかった美術や写真等の分野においても、きちっとそこに新しい管理事業者が出現してそういう人たちの権利を保護しながら一般に流通をさせていくという業務が発展していく、それがねらいである、このようにお考えいただきたいと思います。
○森岡委員 ありがとうございます。 次に、今回の法案では、営利法人も著作権の管理事業に参入する、そういう法律になっております。美術の分野では今回初めて対象になるわけでございますが、美術商などが参入して営利優先の経営をすれば、真の権利者保護とならないのではないか、そういう懸念があると思うわけでございまして、私は、権利者保護の観点から、管理事業者のあり方についてはきめの細かい配慮が必要じゃないかな、そう思うわけでございます。大臣の御所見を伺いたいと思います。
○鈴木(恒)政務次官 私からお答えを申し上げます。 森岡先生御指摘のような懸念がありますこと、我々も十分承知はいたしております。しかし、著作物の経済的価値はある程度長期にわたって判断されるものであること等から、一定の需要がある作品でありますれば、管理が拒否されることは想定されにくい。そういうことを考えますと、著作権保護に重大な支障が出ることはないと我々は判断をいたしております。 しかし、御懸念はもう重々承知しておりますので、管理事業者の実施状況を、文部省といたしましても確実に逐次把握をいたしまして、必要に応じて適当な指導は行っていく所存でございます。 この点につきまして参議院の附帯決議も付されておりますことを、重々承知してございます。
○森岡委員 次に、多数の管理事業者が生まれた場合、利用者はどのような権利をどこの管理事業者に預けているのかわからない、一人の権利者がいろいろな管理事業者に預けておるというケースもあるかと思います。美空ひばりの曲を、だれが、どの管理事業者が預かっておるのか、一般の人は情報開示がないと全くわからないわけでございます。 このために、著作権の管理情報が一元的に管理される、だれでもその情報を知り得るという仕組みが必要だと思うわけでございますが、これをやろうとすれば膨大な事務が必要じゃないかなとも思います。私はぜひこれが必要だなと思うわけでございますけれども、どのように処理しようとしておられるのか、文化庁のお考えを伺いたいと思います。
○鈴木(恒)政務次官 森岡先生、冗漫な答弁はするつもりはございませんけれども、私は昭和三十八年に毎日新聞に入社いたしました。そのころのことを思い浮かべますと、有楽町の毎日新聞の本社の屋上にまだ伝書バトがおりまして、それから三十数年たって、まあ恐るべき情報化社会の到来だ、もう隔世の感がございます。 権利者の擁護と情報開示というものは、双璧として当然両輪で進めていかなければなりません。我々は、これに関する行政量は今の体制で十分カバーできると思っておりますけれども、情報開示という意味におきましては、先生御存じと思いますけれども、著作権権利情報集中システム、J—CISと我々は申しておりますけれども、そうした新しい検索システムを今実験中でございまして、また、法案にも十七条で情報提供の努力義務が記されておりますので、平成十三年度のシステムの実証実験を経まして、関係団体において実用化を目指すことにしてございます。
○森岡委員 ありがとうございました。 公正取引委員会の方にちょっとお伺いしたいと思います。 本法案は独禁法との関係が不透明じゃないかなと私には思われてしようがないわけでございますが、独禁法第二十三条は、無体財産権の行使を適用除外としております。権利者は保護されております。 しかし、一方で、利用者が権利者と協議を行ったり、また利用者同士がスクラムを組むために協議を行う、例えば放送の分野でいきますと、NHKと民放が協議をする、使用料についての相談をする、こういうことは独禁法上どうなるか、何らかの基準も示されていないように思うわけでございます。これでは利用者が一方的に権利者に対して不利になるのではないか、そんなふうに思えてならないわけでございます。 利用者と権利者の協議や利用者間の協議は、独禁法上、公正取引委員会としてどのように考えておられるのか、この法案で十分なのかどうか、お答えをいただきたいと思います。
○鈴木政府参考人 お答え申し上げます。 一般的に、著作権等管理事業者の立場は利用者より優位に立ちやすいことから、著作権等管理事業法案において、利用者代表と指定管理事業者との使用料に係る協議を可能とする制度が設けられたものと承知しております。 公正取引委員会といたしましては、文化庁との間で、著作権管理事業者と利用者団体との使用料に係る協議の問題について、独占禁止法適用除外規定を設ける必要性の有無を含め独占禁止法との関係について検討を行いまして、次のように考えておる次第でございます。 一般的には、事業者団体による価格交渉は、事業者団体による価格カルテルあるいは構成員の事業活動の制限として独占禁止法上問題となり得る行為でございます。しかし、今回の法案におきましては、一定の要件に該当する著作権等管理事業者に対し、利用者代表の求めにより協議に応ずる義務を課すことにとどまり、利用者代表との協議は、必ずしも経なければならないとはされておりません。また、利用者は、指定管理事業者と個別に交渉がまた可能でございます。加えて、利用者団体による、一見しますと購入カルテルとなるような印象がございますが、著作物等の利用の許諾という財の性質上、通常の財と異なりまして、一人の利用者にその利用を許したからといって他の利用者が利用の許諾が受けられないというものではございません。 こうして考えてみますると、著作権等管理事業法に基づいて利用者代表が指定管理事業者と協議を行うこと自体は、独占禁止法上問題とならない。つまり、独占禁止法に違法するおそれがないと理解いたしておりまして、独占禁止法適用除外規定を設ける必要がないとしたものでございます。 さらに、利用者代表と指定管理事業者との協議に先立ち、利用者代表団体において協議を行うことも、独占禁止法上違反となるものではないと考えておるところでございます。
○森岡委員 今の公取の局長さんのお話、確かですね。私、もう一度確認をしておきたいと思うのですが、利用者の皆さん方が大変不安に感じておられるということじゃないでしょうか。事前に、この法案ができるまでの過程で協議をされましたでしょうか。ちょっと念のために、いろいろな団体、主な団体と協議をされましたでしょうか、それを確認しておきたいと思います。
○伊勢呂政府参考人 この法案を提出する前に、いろいろな団体とこの点につきまして十分に協議をして、理解を得ております。
○森岡委員 次に、文化庁にお伺いしたいわけでございますが、IT革命の波は、電子商取引の発展などを通じて、世界の経済構造や国民のライフスタイルに重大な変化をもたらしつつあると思います。同時に、著作権制度の根幹を揺るがしているとも私は考えます。 著作権により保護している著作物は、文芸、学術、美術、音楽など、人間の知的、精神的な創作活動の成果であり、無体財産として経済的に重要な価値を持っております。インターネット上の著作権侵害は、ネットワークに接続された全世界に一瞬にして広がるわけでございます。違法に複製されたコンテンツが世界じゅうのサーバーに届いて保存される、そういう事態が想定されるわけでございます。仮に権利者が訴えたとしても、世界各地のサーバーに蓄積されました違法複製物を消去することは不可能でありましょう。また、インターネットの匿名性によって、訴えるべき相手を特定できないという事態も発生していると考えます。 これらに対して、現行の法律でカバーできるのかどうか、それをお尋ねしたいと思います。
○伊勢呂政府参考人 デジタル化、ネットワーク化などの技術の進展に対応いたしました著作権等の保護を図るために、平成八年に世界知的所有権機関、WIPOにおいて作成されました、いわゆるWIPO著作権条約というものがございまして、これに対応して、日本の国内法におきましても、これまで、インターネットによる送信に関する権利を著作権者等に付与する、あるいは無断コピー防止のための技術的保護手段を無効にするような装置を規制するという、必要な法的整備を図ってきたところでございます。 今先生が御指摘されましたことは、今後の課題ということで、インターネット上の著作権侵害等に関して、権利者の保護と円滑な利用の確保の両方の観点から、情報の仲介者でありますサービスプロバイダー等に求められる役割とその責任範囲の明確化につきまして、現在、著作権審議会で検討を進めているところでございます。その検討に際しましては、御指摘の匿名による発信の問題に対処するため、発信者情報の開示制度も含めて検討しておるところでございます。これらの問題につきましては、関係省庁とも連携を図りながら、本年じゅうに対処方針を取りまとめたいと考えております。 ネットワーク時代におきましては著作権問題の適切な解決を図ることがさらに重要になると考えておりまして、今後とも施策の一層の推進に努めてまいりたいと考えております。
○森岡委員 私は、ちょっと話題を変えまして、教科書問題について文部大臣に御質問をさせていただきたいと思います。 教科書検定は学習指導要領にのっとって行われなければならないはずなのに、現実に使われております、特に社会科の歴史教科書に大変ひどい部分がある。私はかねてから、これでは子供たちが、この国に生まれて喜びを感じたり誇りを持てない、こんなことではだめだということを思い続けてまいりました。 私は今ここに、今使われております東京書籍のものと、日本書籍の「中学社会 歴史的分野」の教科書を持っております。いろいろな点で、これでは余りにもひど過ぎるじゃないかという点があるわけでございますが、時間もありませんので、一、二、例を挙げて申し上げたいと思います。 一つは、私たちが忘れることができない昭和二十年八月十五日の敗戦の日の出来事を、日本書籍では、当日、ソウルの西大門というのでしょうか、刑務所から出獄した独立運動家たちが万歳、マンセーと叫んでいる大きな写真が掲げられております。私たちが学んだころの昭和二十年八月十五日を書いている教科書は、玉音放送を聞いて皇居の前で泣きながらひざまずいている日本の人たちの姿でございました。 日本の中学生、あすをしょって立ってくれる子供たちが、韓国の、刑務所から出てきた人たちが万歳と叫んでいるような写真をどうして学ぶ必要があるのか。大臣の率直な御感想をお伺いしたいと思います。 それともう一点、東京書籍のこの中にあるわけでございますが、「近代」の最後の方でございますが、PKO活動について記述されております。「日本も、一九九二年にPKO協力法を制定し、カンボジアなどに自衛隊を派遣した。これに対し、憲法の平和主義との関係から、国内で強い反対がおこった。」こう書かれているわけでございます。 「国内で強い反対がおこった。」これだけしか書かれていないわけでございまして、私は、日本政府の命を受けて海外でのPKO活動に出かけていく自衛隊員の方の子供さんは、この教科書で学んだら、どういう気持ちを持って日本の歴史というものを見るだろうかと。お父さんに対する尊敬の念、また国を守っていかなければならないというようなことを学ぶ子供たちには、甚だ不適当な記述だと思います。 こういうことに対しまして、文部省は当時、検定意見をつけたのか、全くノーマークで通してしまったのじゃないか、私はそれをただしたいわけでございまして、ぜひその点を、大臣の御感想も含めて文部省の皆さん方に伺いたいと思います。
○大島国務大臣 PKOの政策決定過程を多分一番よく知っている一人が私だろうと思います。海部内閣のときに湾岸戦争が起こり、一つ目の法案は廃案になりました。その後、今の法案づくりに、私は当時の内閣の政治的責任という思いもあって、成立をせしめたその一人であります。 また、今、教科書の写真の問題についてもいろいろ先生から御指摘ありましたが、ここでその写真についてどう思うかということについて文部大臣としてお答えをするというのは、いささか適切ではないとは思います。 ただ、私たちは、教科書という問題は、外の空気あるいは内外のいろいろな意見がさまざまに聞こえたとしても、子供たちのことを思い、そして客観的な事実に基づいて学習指導要領を基準にして判定していく、この基本はきちっと持っていかなければならぬという覚悟でおります。 したがって、具体的にどのような歴史的事象を取り上げるかという問題は、執筆者や発行者の判断にゆだねられておるわけですから、いずれにしろ、指導要領に基づいて公正中立な場でしっかりとした検定、議論をいただき、そしてその上でということ、それがまさに教科用図書検定調査審議会という場であるわけであります。そこでその方々がそういう思いを持って議論をしていただく、そのためのいろいろなきちっとした環境をつくっておくというのが私どもの役割だろう。そういう慎重な審議を経た結果として許容されたもの、私は今そういうふうにお答えを申し上げたいと思います。 今後も教科書問題については、外でだれが何を言おうが、内でどういう議論があろうが、そういう公正中立、客観的な事実関係を積み上げる、そういうふうな場をもし阻害するようなことがあればそれを排除してさしあげる、そして議論してもらうということが、まず我々の、文部大臣の責務だ、こう思って私は先般のような処置もさせていただいたし、そういう決意でもって今後も対応してまいりたい、こう思っております。
○森岡委員 私は以前、大島大臣じゃないんですけれども、何代か前の大臣が、現職の文部大臣ですよ、こういう教科書を見て、本当にこれが検定を通ったのかということをおっしゃった、しかしすぐに、大臣がこういうことを言ったということだけはオフレコにしておいてくれよということをおっしゃったという話を聞きました。 私は、率直に言いまして、大島大臣も私と同じような気持ちを持っていらっしゃるんじゃないかなと思いますけれども、念のために、先ほど言いましたPKOの問題と昭和二十年八月十五日の写真の問題、これは検定意見がつけられたのか、つけられなかったのか、修正を加えられたとしたらどうだったのか、また、ノーマークであったのか、その点を伺いたいと思います。
○大島国務大臣 先ほど来申し上げましたように、そういう経過を踏まえてこれは通った教科書であろう、私はこのように思っておりますし、先生が今御指摘いただいた教科書は、私自身のこれからの勉強のために後で取り寄せて勉強させていただきますから、これで御勘弁をいただきたいと思っております。
○森岡委員 たびたびこの委員会でも取り上げられていると思うのですが、元外交官の教科用図書検定調査審議会委員が多数派工作をやったという事件につきまして、私なりに少し御質問をさせていただきたいと思います。 私は、以前中国に旅行いたしましたときに、日本の大使館の職員の方からこういうお話を聞きました。中国が今、中国の小学校の生徒さんに教えている算数の教科書、これにこんなひどいのがあるんですよ。日本兵が中国のある村へ行きました、中国人を二人殺しました、次の村へ行きましてまた三人殺しました、そのまた次の村へ行きまして四人殺しました、合計日本兵は中国人を何人殺したでしょうか。これが現在使われている中国の教科書ですよと。日本の大使館の職員の方から私は伺ったわけでございまして、中国では今も反日教育が行われていると思います。 しかし、日本からは一言も文句を言っていないと思います。しかし、現実に日本に対しては、中国からいろいろな外圧が加わってきている。また、いろいろなことを言ってきている。これは事実だろうと思うわけでございます。そういうことを考えますと、日中間の友好関係を続けていかなければならないということは私も異存はございませんけれども、外務省が外圧のパイプ役を果たす、こんなことになりつつあるのではないかと大変な危惧を持っているわけでございます。 教科書問題をなぜ外務省のアジア局で扱っているのか、外務省の方に伺いたいと思います。
○横田政府参考人 お答え申し上げます。 教科書問題としてアジア局で扱っているということはございませんで、アジア局で扱っておりますのは、外務省組織令第六条に、アジア局の所掌事務の一つとして「アジア諸国に関する政務の処理並びにこれに必要な情報の収集及び調査研究に関すること。」という規定がございまして、それに基づきまして、アジア諸国における教科書に対する反応等につきましてアジア局として扱っているところでございます。
○森岡委員 先日、当委員会の馳委員の質問に槙田局長が、教科書検定に外務省は関与しませんという答弁をなさいました。外務省の方にもう一度伺いたいわけでございますが、今後、教科書検定調査審議会の委員の中に外務省のOBを送り込むというようなことはしないと約束できますか。お答えを願いたいと思います。
○横田政府参考人 お答え申し上げます。 御指摘の審議会におきます外務省出身委員につきましては、文部省が、前任者の推薦などに基づきまして、その専門分野や外交官としての経歴などを検討した上で任命してきているものと承知いたしております。したがいまして、文部省が外務省の推薦などに基づき外務省出身委員を任命した事実はないと承知しております。
○森岡委員 私の質問に答えていただいていないと思います。もう一度答弁をお願いします。
○横田政府参考人 済みません、補足させていただきます。 今後いかなる方が教科書検定審議委員に任命されるかにつきましては、外務省といたしまして申し上げられる立場にはございません。 いずれにいたしましても、文部省が外務省の推薦などに基づき外務省出身委員を任命した事実はないと承知しておりまして、同審議会における外務省出身委員につきましては、先ほども申し上げましたけれども、前任者の推薦などに基づき、その専門分野や外交官としての経歴などを検討した上で任命してきているものと承知しております。
○森岡委員 大変不満でございます。この質問はちょっと保留をしておきたいと思いますが、時間もありませんので、文部大臣にこのことをお伺いしたいと思います。 先日の本委員会で、検定委員を選ぶ権限を持っているのは文部大臣であるという局長さんのお答えでございました。今回の野田英二郎なる人物の反省の上に立って、文部大臣として、今後は検定審議会の委員に外務省OBを選任するということはなさらないとお約束していただけますでしょうか。
○大島国務大臣 教科書にはまた、外交史あるいは国際条約、こういうふうなものに対して客観的な事実を子供たちに教える責務がございます。そういう観点から、外務省の長い間のキャリアを得て、そういうことを的確に、客観的に議論できる人を選ぶ余地は私はまだあると思うのです。 ただ、自分の私見であるいは一国の思いを代弁するような方は、選びません。よしんばそういうことがあったとすれば、人ですから、いろいろな人がいるかもしれません、こういう人だろう、立派な人だろうと思って選択したら、残念ながら、ある一国の代弁的な発言ばかりしている、あるいはもしそういう関係をするとすれば、それはそのときに毅然として措置をしなきゃならぬ、こう思っております。 大事なことは、子供たちに、日本の歴史も現状も客観的な事実をしかとしたためて教え、その上で物を考える力を与えることが、教育の最も大事な目標でございますので、そういう観点から委員を選択し、そしてまた教科書の議論をしていただく、審議会の委員というのはそういうふうな方々になってもらうという思いで、あるいはそういう決意で選定をしていかなければならぬ、こう思っております。
○森岡委員 時間が参りましたのでこれで終わらせていただきますけれども、私は、子供たちが教育をされるその教科書、これが外圧によってゆがめられるというようなことは断じてあってはならないと思うわけでございます。近隣諸国条項を初め、政治がこの教科書の検定制度を大変ゆがめてきていると私は思っているわけでございまして、大島大臣を初め文部省の皆さん方、今教科書の検定作業が盛んに行われている大詰めのときだと思いますだけに、これから検定作業はゆがめられることのないようにやっていただきたい。そのことをお願いいたしまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
○大島国務大臣 しかと承って、やります。
○森岡委員 どうもありがとうございました。
○西委員長 次に、藤村修君。
○藤村委員 民主党の藤村修でございます。 きょうは、内閣提出の著作権等管理事業法案につきまして、著作権関連の法案が大変難しいということもございますので、少し細部にわたってお尋ねするところもあるかと存じます。 そもそも著作権という考え方が確かに昔からあって、この関連の法案自体は六十年ぶりの改正だと言われているわけですが、六十年間よくも前の仲介業務法でやってきたなというのが正直な感想です。このたび、新法としてこの著作権等管理事業法案を検討し、内閣で出されたことには敬意を表したいと存じます。 それで、この著作物とか著作権とかいう概念が大きく変わっているのと同時に、また一つは規制緩和という観点からも、先ほどの質問にもお答えがありましたが、今回、旧仲介業法をすべて廃止して新しくこの法案を提案した、許可制であったものを登録制にするという、いわゆる規制緩和という観点からなされているというのは、これはこれで理解できるわけです。 ただ、その対象は、旧法では小説、脚本、音楽などという非常に少ない範囲でありました。その後というか、もう近年は、著作物といえば本当にたくさんのものが出てきているので、当然それらに広げるわけですが、非常に素朴な考え方とすると、対象を広げるということは、より規制を、何か緩和の反対の方向ではないか。一方で、許可制を登録制にするということは規制緩和でありますが、足したら、これ自体は規制緩和の法案なのかどうか。あるいは、対象を広げなければならない理由というのは何なのか、この辺を総括的にお答えいただきたいと思います。
○大島国務大臣 藤村先生の言われるのはよくわかります、自問自答みたいなところがあって御質問をされたと思います。 私も先生と大体同じ世代、と言うと先生に怒られるかもしれません、三つ違いますから。私は二十一年で先生は二十四年。しかし、同じ世代で、我々の小学校、中学校時代の著作物あるいは著作権対象とすれば、レコードあるいは本、そういうものが中心であったと思います。先生御承知のように、今はもうまことにいろいろな知的創作物が出てまいりました。加えて、写真とか美術とか、あるいはゲームソフト、そしてまた実演、こういう方々を保護しなくてもいいのかという問題、よくよく考えてみれば私は同じなんだろうと思うのです。 ですから、規制をする目的は、その方々も保護する、そして対等な、自分の知的創作物に対して評価をいただいて、そして市場に流通する。そうすると、それを管理する手法が今のままではなかなかうまくいかないねということの中で、規制という目標は、あくまで規制のためではなくて、ある意味では保護し流通させていくための規制であるとお考えいただければ御理解いただけるのではないかなと。 そういたしますと、今までの管理をする管理事業者の世界がある意味では多様になっていかざるを得ないということで、そこは規制緩和にしていかなきゃいかぬというふうにお考えいただければ御理解いただけるんじゃないだろうか。規制というのは、抑えるというよりはむしろ保護をしてやろうというふうな意味を含んでいる、こう御理解いただきたい、こう思うのです。
○藤村委員 著作権法という本体の法律自身が、そういう著作物一般について保護をする、あるいは著作権者の権利を保護する、こういう基本の思想、発想が多分あると思いますので、その点を十分に理解し、そして、六十年ぶりにいよいよ現代に合った形で、著作権等管理事業者というものを設けて、さらにそれは、今までの音楽分野でいうとJASRACの、先ほど大臣がおっしゃった寡占、独占状態でありましたけれども、これに一般の参入を許すという意味では、私は、大きな流れの中で十分に認められる話だと思います。 そもそも著作権関係の法案というのは、その大目標、目的というのは、何といってもやはり文化の発展に寄与するということが書かれておりますし、当然そうだ思います。さらに、今回の法案につきましては著作権の保護ということで、それを具体的に目標として、文化の寄与の面で大目的を達成しよう、こういうことであろうと思います。 一方で、文化の発展というときには、著作権者、つまり保護すべき対象ではありますが、と同時に利用者だと。文化というのは、著作権者、物をつくる人とか歌を歌う人だけで文化をつくるわけでなしに、まさにそれを広く利用する、そういう社会があってこその文化の発展であります。そうするときに、保護が行き過ぎると、これはやや偏ったものになりかねないと思うわけであります。 特に、著作物というのは代替性がないとよく言われています。確かにレコードで、今はCDと言うのでしょうが、島倉千代子が欲しい、たまたま品切れですので、では美空ひばりでどうですかというふうな代替性は全くないわけであります。私は島倉千代子が欲しいのだ、こういうものであるとすれば、これはどっちかというと権利者がより優位に立つわけであります。そういう意味で、権利者と利用者の関係ではどちらかというと権利者が、こういう保護をされているという面もありますが、優位に立つことが多い。 そんな中で、この法案では、指定管理事業者、その権利を守る側と、一般の利用者、それもその利用者の代表とで事前協議という枠組みを盛り込んでおられる。この点はこれで非常に正しい考え方であろうと思います。それでひとつ、ちょっと具体的になりますので、文化庁とそれから公取にお尋ねすることになろうかと思います。 こういう事前協議というのは、いわゆる独禁法上で全く問題がないのでしょうか。先ほども委員の質問でもその件がございましたので、文化庁、公取両者に、もう一度確認の意味でも、独禁法上問題ありませんということを答えておいていただきたいと思います。
○伊勢呂政府参考人 まず初めに、権利者の方が優位でという関係で、権利者と利用者との関係について申し上げますと、この法案では、管理事業者の優越的な地位の乱用を抑えて利用者側の意見を使用料に反映させるために、第一には、全管理事業者に対しまして、使用料規程を定めるに当たりまして、利用者または利用者団体から事前に意見聴取を行う努力義務規定を設けております。第二には、事業規模などに照らしまして、影響力の大きい指定著作権等管理事業者につきましては、利用者代表からの求めに応じまして、使用料規程に関する協議を義務づける制度を設けておりまして、管理事業者と利用者団体とが十分な話し合いの上で円滑な利用秩序の形成が図られるよう制度設計しているわけでございます。 こういった協議制度を設けるに当たりましては、利用者団体の協議について、独占禁止法との関係を整理すべきことが著作権審議会においても指摘されていたわけでございまして、公正取引委員会とも事前の調整を行いました結果、指定管理事業者との協議制度につきましては、管理事業者と利用者代表との協議自体は、独占禁止法上問題にはならないという整理をしたところでございます。
○鈴木政府参考人 お答え申し上げます。 ただいま文化庁の方から御答弁がありましたように、私どもの関係から申しますと、一般的には、事業者団体による価格交渉となりますと、事業者団体による価格カルテルは、構成員の事業活動の制限として独占禁止法上問題となり得る行為でございます。 しかし、今回の法案におきましては、ただいま御答弁がありましたように、一定の要件に該当する著作権等管理事業者に対し、利用者代表の求めにより協議に応ずる義務を課すにとどまっておりまして、利用者代表との協議を必ず経なければならないとされているわけではございません。また、利用者は指定管理事業者と個別に交渉が可能となっておりますので、これから考えますと、直ちに何らかの競争が制限されるという事態は想定できませんので、著作権等管理事業法に基づいて利用者代表が指定管理事業者と協議を行うこと自体、独占禁止法上違反になるという問題が生ずるものとは考えておりません。
○藤村委員 それではもう一つ、公取だけにちょっと突っ込んでお伺いしたいと思います。 利用者と権利者の間での協議、これはこれで今理解いたしました。 そうすると、今度は、権利者というのは割に力が強いというか、先ほどの美空ひばりか島倉千代子かということでありますが、どうしてもこれが欲しい、幾つかの利用者団体がその権利を交渉していけるわけですが、その際に、ある意味では権利者は強い。言い値でいける。相当法外な値段が出てきた、そういう場合には、利用者団体がある程度横の連絡をして、その使用料を交渉することができるのか。つまり、給与の場合は組合と会社側で、いわば団交をいたしますが、利用者側の団体が談合と言われないように、まずそういうことを認められるのかどうか。利用者団体同士であらかじめ打ち合わせをして、そして権利者と代表が交渉する、こんなことは一般的なカルテルとみなされそうな気がいたしますが、いかがでございましょうか。
○鈴木政府参考人 ただいま申し上げましたように、著作権等管理事業法に基づいて利用者代表が指定管理事業者と協議を行うこと自体は独占禁止法上問題とならない、したがいまして独占禁止法適用除外規定を設ける必要はないとしたものでございます。 これは、適用除外の規定を設けなかったから適用をするということではなくて、違反とはならないと。したがって、論理的に申しますと、利用者代表と指定管理事業者との協議に先立ち、利用者団体において協議を行うことも独占禁止法上問題とならないと考えております。 先生御指摘のように、確かに一見購入カルテルのような印象がございますが、著作物等の利用許諾という財の性質上、通常の財と異なり、一人の利用者にその利用を許したからといって、他の利用者が利用の許諾を受けられないということでもございません。利用者側が団体を形成しても、団体の統制力を発揮して購入競争を制限するという事態が想定できないものでございますので、したがって、一般的なカルテルとみなされて独占禁止法上問題となるということはない、問題とはならないと考えております。
○藤村委員 大島大臣、一言要望をいたしますと、今は割に人気のあるもので料金をどうするかという話でございましたが、その全く逆で、今のところ埋もれた一地方の陶芸家が何かをつくった。今のところそんなに人気がないものですからそういう意味では価値が余り出ない、しかしこれは将来的には、あるいは文化という観点からすると文化的価値が非常に高いものだ、ある方が見ればそれは評定ができるというふうなものが、今回の法律で不利益にならないように、そういう取り扱いを受けないように、ぜひとも配慮が必要であるということを申し上げたいと思います。 さらに、本法案では、結局文化庁が、割にいろいろな面で今までの仕事以上にこうして指導する部分もふえてくる。先ほどの委員からもございましたが、行政裁量とか判断の機会もふえるわけで、非常に仕事が多くなるのではないか。今の文化庁の現体制で大丈夫かということやら、あるいは、そういう仕事自体がまさに独立法人、エージェンシーでやるべきとは。今、大きな行政改革の中でも、独立行政法人化しているわけです。となれば、どこかの独立行政法人にこういうことを任せられないのか、その辺検討したことがあるのかどうか、お尋ねしたいと思います。
○鈴木(恒)政務次官 私からお答えをさせていただきます。 御心配をいただいてありがとうございます。 ただ、従来の仲介業務法に比べまして、この法律が対象といたします著作物等の分野が広がるわけでございますが、登録制、届け出制を採用することに伴いまして許認可事務がなくなるわけでございますので、文化庁のトップからずっと聞いてみますと、十分今の体制でやれます、こういうことでございます。 新たに独立行政法人というお話もございましたけれども、独立行政法人とは申せ、行政改革、スリム化が時代の流れになっておりますときに、すぐそういうふうに法人の方に仕事を回すというのも、新法も必要になるかもわかりませんし、なかなか難しいということもございまして、現体制で十分こなしていく自信を持っております。
○藤村委員 自信がおありならいいんですが、ただ、対象が広がるということがありますね。さっきの、確かに許認可制の許可の方ではうんと少なくなるのですが、対象が広がる。それから、管理事業者等が複数というか、いわばそこにいろいろな競争が起こる。そうすると、競争が起こる中で、さっきの話ですが、また利用者団体そして指定管理事業者とのいろいろな協議が起こり、場合によっては紛争も起こる、こういうことが想定されますので、三年でひとつ法律を見直すようなこともあるので、こういうことを想定して、やや試験的に一生懸命やっていただきたいなと思います。 そこで、あと二つの問題につきまして、ちょっと個別具体の話で文化庁に答えていただきたいと思います。 先ほど来出ていますJASRAC、大変大きな団体でございます。たしか、著作権の事業量というか、年間で一千億円近いお金がそこに集まる、多分もう最大のいわゆる管理事業者であろうと思います。このJASRACが音楽分野において今日まではたった一つで、まさに独占的に事業を行っておりました。今回はここへ、この法案ではいろいろな団体が参入できるし、場合によっては会社でもいいわけですね。営利法人でもいいわけです。そういう実態的な新規参入の動きというのはあるのでしょうか。
○伊勢呂政府参考人 仲介業務法におきましては、仲介業務の許可につきましては一分野一団体を予定しておりましたために、音楽の著作権を管理する団体はJASRACしか認めておらず、独占状態にあったわけでございます。この法案におきましては、事業の実施につきまして許可制を登録制に改めましたために、JASRAC以外の団体の新規参入は自由になる。これは、法律上のこういう話でございます。 さらに、この法律のもとでは、作詞家、作曲家などから著作権を譲り受けた音楽出版者というのが、みずから保有する著作権につきまして直接権利交渉すること、すなわち自己管理といいますか、それも可能になるわけでございます。 先生今御指摘になられました新規参入に向けた具体的な動きについては、現在承知していないわけでございますけれども、音楽の利用につきましては、演奏とか放送などの利用のように集中管理が適当と考えられる分野がある一方で、例えばネットワーク上における音楽の利用とか、あるいはビデオ、CDなどへの録音等に、分散管理というのですか、個別の管理が可能な分野もあるわけでございます。こういった分野では、JASRAC以外の団体が管理したり、あるいは音楽出版者が自己管理を行うケースが出てくるものと予想されるわけでございます。したがいまして、これまでの音楽著作権の管理はすべてJASRACが行うという状況が変化するのではないかというふうに思っておるわけでございます。 ただ、JASRACの経験とか実績に照らしまして、またJASRACとしてもサービス改善を進めているということから、当面はJASRACが最大の管理事業者として中心的な役割を果たすと予想しておるわけでございます。
○藤村委員 当面はJASRACが最大のとおっしゃいました。そうすると、今JASRACの仕事では、いわゆる著作権について全権一括でないと権利を預からないというふうに聞いているわけです。ところが、今おっしゃったように、いろいろなところが新規参入をしたり、あるいはネットワーク配信のみを管理したりという多様な管理形態が出てくるときに、その多様な事業者の新規参入を可能にするためにも、今のこのJASRACの全権一括受託という方式は、当然変えねばならないのですが、その動きがあるのでしょうか。あるいは、多分何か中の規約があるのでしょうか、そういうものを変えていただかないといけないと思いますが、いかがでございましょうか。
○伊勢呂政府参考人 仲介業務法におきましては、一分野一団体を想定していることから、現在、音楽著作権の管理につきましてはJASRACが市場を独占しておりまして、国内のほとんどの作詞、作曲家のすべての著作権を管理している状況でございます。JASRACの著作権信託契約約款でも、すべての著作権を信託財産としてJASRACに移転をするということになっております。 この法案におきましては、著作権の管理方法や管理事業者につきまして、権利者の選択権を確保するために、同一分野に多様な管理事業者が参入できるようにしているということから、御指摘のとおり、すべての権利を包括的に預かるというこれまでのJASRACの受託方法を改めませんと、事実上、権利者は選択の自由を大幅に制限されるということになりまして、例えば特定の利用方法のみ管理しようとする事業者にとりましては、結果的に新規参入が困難になるという可能性があるわけでございます。 そのため、JASRACにおきましては、ことしの四月に、作詞家、作曲家、音楽出版者、弁護士によりまして構成されます信託約款改正委員会を設置いたしまして、権利者の選択の自由を確保することと、管理事務を適切かつ合理的に運用することの両面から検討を行っておりまして、その観点から、権利者の選択権の具体的内容につきまして検討が進められております。文化庁としても、その検討を見守ってまいりたいと考えております。
○藤村委員 個別具体の話で失礼をいたしましたが、全般的な話として、この法が六十年ぶりの改正ということは冒頭申し上げたとおりであります。 一方で、著作権法というものも、たしか全面改正をされたのですが、それから既にもう三十年たっております。この三十年は、大島大臣も私も似たような世代で、大変大きな変化の三十年、いや、三十年というよりもこの十年を考えても、コンピューター、インターネットを考えても、大変な変化の時代であります。もはや三十年前のあの著作権法全面改定は、ちょっと古きに陥っているのじゃないかな、ぼちぼち著作権法本体の見直しが必要と考えておりますが、文化庁あるいは、これは大島大臣ですね、今後の方針、この著作権法本体の問題でございますが、その方針についてお聞かせいただきたいと存じます。
○大島国務大臣 藤村先生お話しされますように、確かに著作権、そして、目に見えないというのでしょうか、知的財産というものを保護していこう、また逆に言うと、広い意味での知的財産というものが、これからその国、その個人にとっても大変大きな発展のための国際的競争の時代に入る。これは、著作権だけではなくて、特許権の世界もまた一方にあるわけです。世界じゅうの議論というか、これにまつわる議論として、もはや著作権と特許権を一体として取り扱う役所をつくったらいいじゃないかと言う人も、論議の中にはおられます。 そういうさまざまな議論の中で、しかし著作物というものと特許というものはやはり性格が違うということもあるとすれば、著作権というものをどのように保護していくか、あるいはまた流通させていくか。そういうふうなことを考えますと、我々もいろいろなことをやってまいりましたが、今残っている問題というのは、先ほど森岡先生からもちょっと質問が出ましたが、残っているものというとそれだけかと言われる場合もあるかもしれませんけれども、やはりインターネットにかかわる、通信技術とかかわる密接な部分での体制をどうつくっていくかということが非常に大きな課題であろうと思います。 この世界はまさにドッグイヤーと言われるほどどんどん変わっていく。変わっていってどういう配信技術が生まれるか、まあ予測はできますよ、今予測はしている部分はありますが、しかし、やはりそういうふうな世界に対してはよほど注目をしながら我々も対応していかなければいかぬ。特にその中で、プロバイダーの法的責任論というのは、これは早く、それもできれば国際的に何か結論を出さなければならぬのじゃないかという思いを、先ほど総括の方からもお話しされました。そういうことが、今私どもの課題としても、先ほど申し上げましたけれども、骨格としては現在でも有効であろう、こう思っております。 さらに先生の方から、具体的に著作権法の抜本的な改革というのはどこを指しておられるかという、何か先生の思いというものがあれば、また御論議、ディベートができるのかもしれません。私どもとしては、知的財産という広い世界の論議が一つあるのは承知しておりますけれども、著作権法という、著作権、また固有性に基づいた著作権を守るという骨格は現在でも有効であるが、インターネットという世界の中に対応する、そこのところにおいては、まさにしっかりと見詰めながら、特に今プロバイダーの法的責任をどうするか、ここは急がなきゃならぬなという思いであることを申し上げたいと思います。
○藤村委員 私も、基本的に、やはりインターネットに対応した、著作物という概念自体相当変わるであろうということからの質問でもございました。 最近始まっているらしいですが、自分があるCD、美空ひばりを持っていて、それを持っていることをプロバイダーに登録しておきますと、そこを全国の人が見て、それをぜひ欲しいとなれば直接話をして、吸い上げる。すると、この際は個人間の貸し借りの話で、これでは著作権が発生するのかしないのか、なかなか考えにくいことがいっぱい起こってくるということが、これは一つの例でございますが、あり得るということで今申し上げました。 もう一つだけ、今回は著作物一般で入りました実演の部分ですけれども、来月、視聴覚的実演の保護に関する国際会議が開かれるというふうに聞いております。この会議における条約草案というのは大体固まってきつつあると思いますので、特に、視聴覚的実演の保護に関する文部省の方針と、この国際会議に臨む基本姿勢を最後にお答え願いたいと思います。
○大島国務大臣 御指摘のように、本年十二月に外交会議が行われます。デジタル化、ネットワーク化の急速な進展に伴って、映画、ビデオ等視聴覚的実演の利用が拡大、多様化している状況の中で、視聴覚的実演の保護のあり方が重要な課題となっております。十二月には、WIPO、世界知的所有機関において条約策定のための外交会議が開催されることになっておりまして、いわば実演家の人格権、複製権、利用可能化権、放送・公衆への伝達等の財産的権利が規定されております。実演家の権利移転等、米国とEUが対立しているという事項に関しては、複数の選択肢が盛り込まれております。 文部省としてこれまで本新条約の早期採択に向けての検討に積極的に参画してきたところであり、国内関係者の意見を十分踏まえつつ、外交会議が成功するよう、一層国際貢献に努めてまいりたい、このように思っております。
○藤村委員 今回の著作権等管理事業法、六十年ぶりの旧法を廃しての改正であります。三年後の見直しもあるし、一方、その本体の著作権法というものも、先ほども議論もございましたが、この時代に即した、特にやはりインターネットというものを念頭に置きながら、三年ぐらいのうちによく見ながら検討していくべき課題であろうなと思います。 さらに、今回の著作権等管理事業法案の中では、先ほどちょっと議論いたしました、やはり権利者あるいは管理事業者、それから利用者団体、ここでのいろいろなトラブルもあるかもしれません。今後いろいろなことが発展してくると思いますので、そういう意味で、きょう公正取引委員会にも来ていただいておりますし、今後公取委にもそれなりによく検討いただいて、場合によっては仲裁に入るということも必要かなということを最後に申し上げまして、私はちょっと早目でございますが、実は著作物の具体的な話として、関連の質問がございますので、終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。
○西委員長 次に、石井紘基君。
○石井(紘)委員 著作権の問題に関連をすると思いますが、ここにこういう本がございます。「バトル・ロワイアル」これは、著者は高見広春さんという人で、大変なベストセラーになり、若い人たちの中で三十万部売れたというんですが、文部大臣、御存じでございますか。
○大島国務大臣 御質問がありましたので私も探してまいりましたが、三十万部も売れているというのは知りませんでした。そして、先生がこの本を取り上げられるというので、今どういう状況かと聞いたら、文部省もどのぐらい売れているかわからないという程度の認識でございまして、大変申しわけございません。できるだけ読むようにしたいと思っております。中身はほとんど見ていません。
○石井(紘)委員 お忙しい中で、大変厚い本でございますから急に読むのも大変だと思いますが、これが実は映画化になるというんです。東映が映画にする。それで、こういう全面広告が数日前の新聞に出ております。 「本日の授業、殺し合い。」こういうものです。「バトル・ロワイアル」、ビートたけしさんが物すごい顔で、血相を変えて写っております。これはまだ映画が封切られていませんから、後で申し上げますが、私も今、見せてくれと東映さんにお願いしているんですが、事前に見せてくれるということなんですね。この本の映画化ですから、この本をもとにしてこれからいろいろとお伺いをしてまいりたいと思うんです。 この本の内容は、簡単に申し上げますとこういうことでございます。中学生の一団が、学校の生徒たちが修学旅行に出発をした、そうするとバスごと途中で拉致をされまして、乗っていたところの四十二人の中学生は孤島に送り込まれた、そしてコルト銃とかライフルとかバズーカ砲とか、あるいはバットとかかまとか、各自に、一人に一つずつそういうものを与えられた、お互いに殺し合って、最後に残った一人だけが生きて家に帰れるというサバイバルゲームを強制される、そういう内容なんですね。 やらなければやられるという極限状態に追い詰められた中学生が、ある人はもう原形をとどめないぐらい顔がめちゃくちゃにつぶれるまでやられる。ある者は相手をバットで殴り殺す。あるいは、ある少女は悲嘆に暮れて涙するふりをして友と抱き合いながら、隠し持っていたかまでその友達の首をかき切る。もう本当に笑い事じゃないですね。また、長いつめを立てて少年の眼球をえぐり出す。あるいは、少年は鉛筆でもって相手ののどを突き通してしまう。数々のそうした、もうこれ以上ない残虐殺人というものを、四十二人おりますが、映画の中では二人は逃げ出すんだそうですが、少なくとも四十人は、これ以上ない残虐なシーンを次々に、これでもかこれでもかと見せつけられる。そして、各章ごとに、残り二十七人になった、残り二十八人になった、こういうふうにして、ずうっとそういうシーンの連続であります。 何のためにこんなものを出したのか。これはたまたま出したら、たまたまかどうか知りません、ねらいどおりだったんでしょう、三十万部ぐらい売れたというわけです。そうすると、今度は映画界が黙ってはいない。これは映画にすれば売れるに違いないということだろうと思うんですね。それで、十二月の十六日から全国東映系ロードショーで封切られる。正月映画の決定版というわけであります。 さてそこで、幾つかお伺いをしたいのですが、文部大臣は、映画とか出版物、こうしたものの社会的影響というものについてはどんなふうにお考えになりますか。
○大島国務大臣 映画や出版物というのは文化、文化というのは人に影響するから、ある意味では文化だと思います。したがって、できるだけよい文化をつくり、よい文化に親しんでもらうという努力を政策としてしていくことが政治の一つの課題である、このように思います。 今、石井先生から、お言葉で概略、この映画というか本の御説明をいただきましたが、もし今のような状況がその映画のシーンで映され、そして見せられたら、言葉よりもっと非常に残酷なシーンの連続かなという想像をいたしたというのが、先生からの問いに対する答えとさせていただきます。 いずれにしろ、文化というのは、私は人間がつくり出し得る知的宝だと思いますし、その文化が人に影響するから文化なわけでございます。映画も著作物も人に影響を与える、その影響がいいか悪いかという問題は別にして、与えるものであるという認識を持っております。
○石井(紘)委員 文部省に重ねてお伺いしたいのです。 今、大臣は文化とおっしゃったわけですが、文部省は時々優良映画を推薦するとかということをやっておりますけれども、有害図書だとかあるいは有害な映像だとか、そういうメディアについて何かお考えになって対処しておられるのか、どういうふうなことをしていらっしゃるのか、簡単で結構でございますから説明してください。
○大島国務大臣 今そこまでの、第一段階の質問がございませんでしたから、したがいまして、私どもは、ぜひ多くの人たちに見ていただきたいなと思う映画は、文部省選定という形で、最近では「十五才 学校IV」という映画を文部省の選定にさせていただきました。 一般に、性や暴力等の有害情報を含む映画については、やはり心身の発展途上にあり、判断力、責任感が未熟な青少年に対する悪影響が懸念される、このように明確に思っております。 一方、先ほど文化ということを私は申し上げたのですが、そこには言論、出版の自由ということにまた私どもが判断もいたさなければならないとすれば、まさに映倫管理委員会等によって自主規制が適切に行われることが重要だ、それはまさにその国民の文化度あるいは文化の判断だと私は思うのです。 この映画につきましても、映倫管理委員会の自主規制ということの結果として、いわゆる十五歳以下の人には見せてはなりませんという判断を一つして、R—15指定ということになったようでございますが、この徹底をぜひしてもらいたい、そういうふうな思いでおります。
○石井(紘)委員 最近の青少年によって行われた凶悪犯罪の中には、見ていますと、いろいろなスリラー小説を読んでそれを参考にしたとか等々のことが随分ありまして、そういう証拠物件が捜索の中で出てきているわけですね。 例えば、神戸の連続殺人事件あるいはバスジャック事件、こうした事件の中でも、殺し方について何かを参考にしてやった、こういうものが出てきていたと思いますが、文部省でも警察庁でも結構ですから、そういうことはございましたか。
○黒澤政府参考人 最近発生いたしました少年による凶悪事件の中には、例えば少年がホラービデオの影響を受けて犯行を敢行したと見られるものがございます。もちろん犯罪の原因、背景等は多義的ではございますが、ホラービデオの影響を受けて犯行を敢行したと思われる、そういう事案はございます。
○石井(紘)委員 新聞等の報道にもそういうものは大変たくさんあるんですね。ちょっと時間の関係で一々申しませんが、そういうことは皆さん御存じだ。 そういう中で、一つは、今言われた文化とかあるいは表現、出版の自由とか、そういうようなことがあるので、文部大臣は、この映倫の自主規制に任せるなんということしか言えないんじゃないかと思うのです。今の森内閣も大分ピンチになっていますが、これはそういう今までののらりくらりの姿勢ではなくて、少し毅然とした方策をとるべきだ。 私は、この本とか映画はまだ見ておりませんので、これが全く有害な、社会的犯罪を導くようなものだというふうに決めつけることはこの場ではいたしませんけれども、しかし、現にこれまでのいろいろな事例を見てきておりますと、こういうものが参考になる。 しかも、何のためにこういうものが世の中に出てくるのかということがよくわからない。つくった人はそれなりの説明はするでしょう。これは、大人の社会にこうした現実を見せたい、あるいは政治家に、今世の中はこんななんだよというようなことを認識をさせたい、そういう思いはあるでしょう。私も、そういう認識をみんながしなきゃいかぬと思いますよ。 しかし、それを未成年の大勢の人々やあるいは一般の皆さんに、そういった殺しのやり方というようなことを次々に見せつけるということがあっていいのかどうか。ここは、文部大臣、そういう言論、出版の自由とか、あるいは表現の自由とかというものは何のためにあるのかということをよく考えてもらわなくては困りますね。 これは、例えば政治的な言論の自由とかあるいは言論、思想の出版の自由というものと、それから、社会的な罪悪に結びつくような、あるいは秩序の破壊に結びつくような、道徳を失わせるようなことに結びつくような出版の自由あるいは言論の自由というのがあるのかどうなのか。言論の自由ということ、あるいは出版の自由ということがあれば、何でも言っていいのか、何でもやっていいのか。どうですか。
○大島国務大臣 ある一定の基本的な考え方のところは同感でございます。 自由といっても、何でもやる自由ということはないと思います、憲法において公共の福祉というものが範囲ですよということが書いてあるわけでありますから。問題は、この言論あるいは出版のところの公共の福祉という限界がどこにあるのか、ここに国民的コンセンサスがきちっと得られるのかどうかというところに非常に難しい問題があります。しかし、基本的に、今先生がある意味では怒りを込めて私に対して質問をされている、心情的には、私も全く同感でございます。 政策としてどういうことがとり得るかということを考えますと、私どもは、そういうふうなことを考えると、多くの国民の皆さんに、そういう問題に対して毅然として立ち向かう、そういうふうな判断というものを巻き起こすということがまず第一にやらなければならないことであろう。 今、先生からビデオの話も出されました。そういう意味で、日本ビデオ倫理協会にも、映倫が一つの判断をしたら、ぜひそのことをしっかり踏まえてやってくださいというふうなお願いもしております。また、私自身、経済団体との懇談会、あるいは今、PTAの皆様方にお願いしてモニタリング、そして先生が今怒りを込めて、ある意味じゃ一生懸命私に質問している、そのことも踏まえて平成十三年の概算要求に有害環境に関する調査研究費を、先生が御指摘のように、出版の自由、言論の自由、だから何もできないというんじゃなくて、もう少し我々も、具体的に何ができるか、そしてそれをチェックするためにどういう方法があるのか、そういうことを来年の概算要求でひとつ研究しよう、本格的に研究しようということで、そういうことを新規にも要求いたしております。 いずれにしても、やはり最後は、こう言うとまたおしかりをいただくかもしれませんが、国民の皆さんがこういう映画、出版物に対して一種の判断をしていく、そこにかかっていくような気が私はいたします。 私も今、先生のお話を、本当にいろいろと考えなきゃならぬなという思いを持って伺ったところです。
○石井(紘)委員 国民の皆さんはとっくに判断しているんですよ。政治家が、政府が判断しなきゃだめじゃないですか。今の森内閣の中で、あるいは自民党の中でやっているバトルをやめて、こういうところのバトルをすぐやらなきゃだめですよ。 それで、さっき映倫がどうのこうのという話がありましたけれども、映倫というのは客観的な第三者の機関なんですか。映倫という機関は、映倫維持委員会というものでできているわけですね。この最高の責任者、常任委員長、これはこの映画をつくる東映株式会社の高岩という社長ですよ。常任委員のナンバーワンは同じく東映の会長の岡田さんですよ。この委員会は五人で構成されておりますけれども、もう一人は松竹の社長、次の一人は東宝東和の社長、もう一人も20世紀フォックスの代表です。映画会社の社長だけじゃないですか、映倫というのは。何が客観的なんですか。 私は、日本PTA全国協議会の皆さんにも見解を聞きました。ここに坂内さんという事務局長がいらっしゃいますけれども、この方は試写を見に行かれた。そして、私見であるがとは言っておりますが、こう言われているんです。目を覆うばかりのすさまじい場面の連続で、おぞましい映画である、どんなに美辞麗句で整えようとも、この映画で命のとうとさを描いているとは到底思えるものではない、吐き気がするぐらい気持ちが悪い、人間の命の大切さというものをどう思っているのか。 多くの国民の皆さんは、この映画なり本なりを見ればそう思いますよ。それを、概算要求まで森内閣は続くんですか、そういう悠長なことを言っちゃだめだ。映倫なんというのに任せたらだめですよ。映倫なんというのは経営者の機関じゃないですか。 そこの映倫のもとに管理委員会というのがあって、この委員長が清水さんというんですけれども、お年のことを言ってはなんですけれども、大正十一年生まれの大変な御立派な方ですね。それから、次の方は大正十五年生まれの、これもまた大変立派な方です。その次の方は昭和六年生まれの立派な方。それで、もう一人の櫻井修さんという方は昭和二年生まれの立派な方。もう一人は女性ですから年齢を言いませんけれども、そういう方々ばかりです。 政府は、こうした少年法なんというので罰則を厳しくすればいいなんということでお茶を濁すのじゃなくて、やはりこれから二十一世紀を担っていく若い世代、この日本を担っていく人材をどうやって健全に育てていくかというところをもっと厳しく胸に刻んで、そして毅然たる対応をしなきゃいけない。 フジテレビだってこの宣伝を二回もやっているじゃないですか。そして、これからわあっとこのままいけば盛り上がる。私がきょうここで取り上げたのも、この映画の興行にもしかしたら貢献しちゃうかもしれない。そういうこともねらっているわけですからね。そういうことだけをねらっているんじゃないでしょうけれども。 ですから、きょうはここに、総務庁青少年対策本部がありますから総務庁、警察庁、郵政省、それから映画は通産でしょうから通産省、文部省、こういうところですぐにきちっと対策会議をつくる。そして、有害図書、有害映画、その他の出版物、そうしたものについて、思想、信条、言論の自由を侵すものではない、侵さない、表現の自由も侵さない、しかし犯罪は防止する、秩序は守る、道徳は健全に育成する、こういう立場から直ちにはっきりした機関をつくるべきですよ。どうですか。
○大島国務大臣 私はちょっと、先ほどの先生のお言葉で、恐縮ではありますが、それは自主規制機関です、こう申し上げたのです。客観的にということではなくて、自主規制としてやっておりますと。 それで、この問題は、そういう非常に微妙な線というものをどう考えるかということで、石井先生の民主党でも、映画や出版について、法律をもってこういう規制をすべきだという対案があればお示しをいただきながら、また真剣に議論していただくことが一歩進むことになるのではないか、このように思います。何回か自民党でも試みたことがございます。 一方、今先生から御提案がございましたように、私どもは、総務事務次官を長として政府の青少年対策推進会議などでさらに、今先生から御指摘あったこと、今でもやっておるのでございますが、そういうものをどのようにしたらいいか、一体として取り組んで進めさせていこう、このように思います。 もう一度申し上げますが、言うはかなり、ある意味では議論しやすい議論です。出版の自由、言論の自由、それと国家がこの問題に規制をする、こういうことについて本当の具体的な御提案があれば、私どももさらにそれを踏まえて議論します。だから、そういう御提案があれば、また承って、深めていきたい。 しかし、いずれにしても、子供たちにはいい文化を知ってもらい、そして勉強してもらうというのが文教政策にとって大事だ、こういう考えでこれからもやってまいりたいと思っております。
○石井(紘)委員 御提案があればって、提案はしているじゃないですか。それに対して答えなきゃだめですよ。 それから、ちょっと警察庁に伺いますけれども、細かい答弁は結構ですから、警察庁、こうした出版物とか映画とかというものは、青少年に対する教育上、あるいは社会的な秩序、こうした面に対してやはり懸念があるとお思いになりますか。警察庁、文部省と総務庁も、イエスかノーかだけで答えてください。イエスかノーかだけですよ、時間がないから。
○川口政府参考人 私ども、その映画の中身を見ていないので何とも言えませんけれども、一般的に言いますと、冒頭に議員がおっしゃいましたように、青少年に対する暴力とかあるいは性の問題、そういった価値に影響を及ぼすような映画あるいはメディアというものは、青少年に悪影響があるだろうというふうに思っております。
○石井(紘)委員 このことを言っているんですよ、この本のことを。
○鈴木(恒)政務次官 一言私からも発言させていただきます。大臣からも、あなたからもという促しもございました。 私は、新聞という言論機関におりました者として、言論の自由の裏側に絶対にあるべきものは責任だ、こう思っております。石井先生のお話を聞いていて思い出すのは、宮崎勤の犯罪でございます。あれは三巻だったと思いますけれども、作家の方がずっとこの犯罪のフォローをされている本が出ておりまして、私も丹念にこれを読みました。石井先生のおっしゃることは本当によくわかります。言論の自由の裏側に報償があってはならない、そう考えておりますので、私個人といたしまして、この問題は本当に大事なテーマとして、また石井先生ともよく御協議をさせていただきながら対策を進めたいと考えておりますが、とにかく自主規制だけは、業界の方に、商業主義におぼれることなく、何とかそこに歯どめをかけていただきたいものだと、個人的に強い願望を持っておりますことを申し上げておきます。
○黒澤政府参考人 県によりまして区々でございますけれども、青少年保護育成条例というものがございまして、一般的に申し上げますと、著しく性的感情を刺激する、あるいは粗暴性、残虐性を助長するおそれがある、こういった図書類を有害図書類と指定しておるわけでございます。 こういったことは、やはりこういった有害図書のたぐいが青少年に対して大変悪影響を与える、こういう観点からの仕組みでございますけれども、私どもは私どもの立場で、少年の健全育成という観点から、関係方面とも緊密な連携をとりまして、こういった問題につきまして適切に対処してまいりたいと存じます。
○石井(紘)委員 さっき私が言った機関を早急につくってくださいよ。映倫なんというのは会社側がやっていることなんですから、第三者機関でも何でもないです。R指定なんて、十五歳以下は見ちゃいけないと言ったって、未成年者というのは二十未満ですからね。しかも、映画や新聞でじゃんじゃんこうやって宣伝していれば、どんどんだれでも見られるわけです。見させたからといって処罰規定も何もない。行政が、政府がやることでしょう、そういうことは。 映倫に、こういう民間の機関に罰則をつくれと言ったって、罰則ができますか。酒を未成年者に販売した人は、この間処罰されたじゃないですか。映倫、映倫と政府は言うけれども、映倫の指定を侵しても何の罰則もない。何にも関係ない。ないのと同じじゃないですか。そんなことをやっていて、政府がそんな悠長なことを言っているということが許されますか。あしたにでも犯罪は起こるかもしれないですよ。もしまたこういう青少年の凶悪犯罪が起きて、それで、この本を読んだ、あの映画を見たというようなことが起こったら、どういう責任をとりますか。責任をとってくださいよ。 それから、私は最後にちょっと提案をさせいただきたいと思うんです。この映画をだれも見ちゃいけないとは私は申しません。一般の青少年に見せるのではなくて、まさに私たち国会議員がこれは見るべきだ。私は、東映にお願いをしまして、今月の終わりに、二十八日ごろになるかと思うんですが、特別に上映の前に見させてくれるという返事をもらっているのです。文部大臣、一緒に見に行きませんか。
○大島国務大臣 まず第一点の、その映画を見て犯罪を犯したらおまえはどういう責任をとるんだ、こう言われますが、そのことに対してはなかなか難しい問題だなと思っております。 いずれにしても、例えば先生がおっしゃるようにあるチームを、映画等対策会議みたいなものをつくって、この映画を絶対に放映してはいかぬ、つくっちゃいかぬという判断まで含めた対策会議を先生がどう考えておられるのかなと。 いずれにしても、先ほど申し上げましたように、そういう先生のお強い御意思、問題提起が今ありました。私もきょう初めてこういうふうなものがあるということを勉強させていただきました。我々は、青少年対策推進会議という関係省庁の局長クラスの会議がございます、その場できょうの御論議も踏まえてともかく、さらに政府としてどういうことがなし得るか、今までいろいろ議論してきたのですが、また党に対してもぜひお願いを申し上げて、さらに議論を深めていきたいと思います。 最後に、一緒に行きませんかというお誘いがありました。時間を調整してみたい、このように思います。この本そのものにも、全部読んではいませんが、あるいは映画そのものにも、また一方の評価もあるのかもしれません。一方の評価というのは、さまざまな評価がということです。ですから、中身を見てみないことには確かに論議ができませんので、せっかくの先生のお誘いでございますので、ちょっと時間を調整してみて、見たいなとは思うんですが、また文部大臣が見に行ったとなれば、逆にまた格好な何かになるのかもしれません。その辺が難しいなと思ったりもしておりますけれども、出された問題提起については本当に真剣に考えてまいりたい、このように思っております。
○石井(紘)委員 最後に、文部大臣の御答弁、気持ちはわかります。結構だとは申しませんが、ぜひ早急に、これは封切りをされてしまいますから、ひとつ真剣に対応をしてもらわないと困るということを申し上げたい。 こういう質問をやりますと、これは恐らくどのぐらいになるか知りませんが、言論界、報道界、あるいはここに出ているような方、これは文化人かどうか知りませんが、この映画を推奨するいろいろな各界の人たちから、相当な攻撃に遭うだろう。私もそういう意味においてはかなり、政治生命をかけてとまでは思い込んではいないのですが、相当、清水の舞台から飛びおりるぐらいのつもりでこういうことを言っているわけなんです。 これも、けさの新聞に私がこういうものを取り上げるというのが出ているのですが、ビートたけしさんなんか、日本の映倫のばかさの典型だなんて、これは私と全然違う角度から言っているのです。映倫がばかだと言っているわけです。私はまた、こういう人たちからもいろいろとやかく何かあるかもしれませんが、断固として私は、将来の日本を担っていく青少年の健全な発展ということを願う立場から質問をさせていただきましたので、ぜひ多くの、きょう質問をお聞きいただいている皆さんも含めて、こうした問題について真剣に取り組んでいただきたいと思います。 そのことを申し上げまして、質問を終わらせていただきます。
○大島国務大臣 先生の大変な御決意は伺いました。真剣に文部大臣としても受けとめます。 既にもうきょうの報知新聞には、先生が質問されるという予告が載っております。たけし出演映画、きょう衆院文教委員会で議題というものですから、先生がきょうここで話題にされるということは事前に相当な新聞社が御存じであって、反応がいろいろあると思いますけれども、私どもは深刻に、真剣に先生の問題提起に対して受けとめるということを申し上げておきたいと思います。
○石井(紘)委員 ありがとうございました。
○西委員長 次に、石井郁子さん。
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。 法案の質問に入ります前に、緊急の事態として、学校で相次いでいる蛍光灯コンデンサーの破裂によるPCBの飛散事故について、一問お聞きいたします。 この秋、東京、和歌山、岐阜、愛知、千葉で立て続けに学校での事故が起きているわけであります。実は私はことしの四月に、こうした事故が起こり得る危険性を指摘して、直ちに学校におけるPCB使用器具の調査と交換を行うべきだということを質問主意書で出させていただきました。 ところが、政府の答弁書は、施設については学校設置者の責任であり、国としては何らの手だてもとらないという開き直った内容でありました。こうした危機感のなさが事故を未然に防げなかったと言っても過言ではないと思うんです。 PCBは、言うまでもなく、猛毒のダイオキシンを含んでいます。環境中にそれを飛散させるなどというのはとんでもないことでありまして、まして授業中に子供たちに突然降りかかるわけですから、一刻も放置できない問題であります。 この問題は、既に、一九九七年の七月に、日本照明器具工業会が、電気絶縁物についてこのように文書を出しております。「通常十年前後から劣化が進行し、十五年を超える長期使用では安定器・コンデンサの故障を生じ、発煙、容器破損等の事故が発生することもあります」と。PCB使用の蛍光灯は、すべて二十五年以上使用されていることは明らかでありまして、いつ破裂してもおかしくない状況にあるわけですね。 これは、先日、岐阜でしたか、いまだに六百幾十何本とか、あるいはまだ調査されないのが四百幾つとか発表をされておりましたけれども、緊急にすべてのPCB使用器具を交換する、そのための予算措置を含めた対策をとるべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○大島国務大臣 PCBの使用照明器具の破損事故について、こういう事故が起こることはまことに遺憾でございます。 私どもは、その設置責任者というか、そこはあくまでも教育委員会ですよと申し上げたのは、いわゆるPCB使用照明器具の交換に係る経費については、地方交付税において所要の措置をしているわけです。学校の設置者みずからの判断で行ってください、そういうふうに措置をしているわけでございますので、そのように申し上げてきたわけであります。 しかし、いずれにしても、そういう事故が起こったということを踏まえまして、私どもがさらに徹底して指導を行い、そういうことがないようにいたすのが我々のまた義務だろうと思っておりますので、そういう努力をしてまいりたい、こういうふうに思っております。
○石井(郁)委員 日本照明器具工業会の文書については、文部省自身も御存じだったはずであります。ですから、都道府県の担当者の会議などでは配付もされていたということですね。しかし、配付をしてそれだけで何の対策もとらない、もう交付税であなた方はおやりください、こういう態度は、やはり文部省としては極めて無責任ですよ。 実際、この交換というのは大変お金がかかるんですね、何か算定はいろいろあると思うんですが。一基二万円もかかるだとかありますし、それから、取りかえて管理をするということも大変な経費がかかることもあります。だから、危険を承知でやはり放置してきた、私は、このことの姿勢をぜひ改めるべきだということを第一に申し上げたいわけであります。 そして、今何よりも、いつ起こるかもわからない、こういう事態でありますから、ぜひ都道府県に対しても指導すると同時に、文部省自身が、国としてやはり必要な予算措置を含めた手当てをする、事故を絶対に起こさない、早急に対策をとるという点で、改めて大臣の姿勢と御決意を伺いたいと私は思います。
○大島国務大臣 共産党の教育政策がどうなっているか、私は細かには勉強していませんが、ある意味では地方に、教育委員会に権限を任せるという御主張ではないかと思います。一方でそう言いながら、一方で、何か事故があると文部省がけしからぬと怒られるのは覚悟しておるところでございます。 この事故に関しても、先ほど申し上げたような措置をし、できるだけかえなさいよ、こう申し上げてきた。しかし、起こっている実態を見ると、さらに私どもがそういうものに対して、二度と起こさないように点検をして、そして早くかえるようにと指導してまいりたい。ずっと、この事故が起こって以来やってきておりますが、早急になおかつ努力してまいりたい、そして起こらないようにしてまいりたい、こう思っております。
○石井(郁)委員 ぜひそのようにお願いをしておきたいと思います。 さて、著作権等管理事業法の法案でございますけれども、IT革命が叫ばれ、さまざまな著作物がインターネット等で世界じゅうを駆けめぐるという状況でありまして、著作権者の権利を保護するということがますます重要になっていると思います。 今回、営利目的の管理事業者が参入するということになります。既にいろいろ御議論がありましたけれども、どうも、営利優先ということが先行しますと著作権のたたき売りにならないかと、関係者の間での心配がございます。 著作権者の中には、今大変売れている方もあれば、今はそうではないけれども、しかしやはり将来のための大事な仕事をしていらっしゃるということもあるかもしれません。ですけれども、営利目的ということになりますと、やはり利益を上げるということが第一になるわけであります。管理団体がたくさんできますと、これもできるかどうかというのはわからないんですけれども、あなたは余り売れていないのでうちでは扱いませんだとか、そういう形での、契約が拒否されるというようなことが起こらないのかということですね。結果として権利が守られないというようなことが生じないのかどうか、伺っておきたいと思います。
○大島国務大臣 先生が御心配されるような問題提起をよくされます。著作者の不利益にならないように注意しなさいということでございまして、参議院においてもそういう意味での附帯決議がなされたところでございます。しかし、これを法律上禁止するということは適当ではないし、先生もそこまではおっしゃっておられません。したがって、そうならないように、やはりよくウオッチをしながらやっていかなきゃならぬと思います。 私のように、すぐ売れなくても、二十年、三十年たつと売れるような政治家もいるかもしれません。歌でも著作物でもやはりそういう意味での、民間企業というのは中期、長期、短期も含めて総合判断する。そういうことが、企業としての使命でもありましょう。いずれにしても私どもが、今先生が心配をされるようなことがないように、やはり適切な指導をきちっとやっていかなきゃならぬだろうという思いでございますので、また、参議院においても附帯決議をちょうだいしておりますから、その点を注意して今後運営してまいりたい、こう思っております。
○石井(郁)委員 やはり著作物が不利益を受けないように、あるいは著作権者の利益をしっかり守っていく、保護していくというのは第一に貫かなければいけないと思いますので、今御答弁いただきましたけれども、しっかり指導していただきたいと思います。そして、私どもも、国会でも監視をしていかなくてはいけないのかなというふうに思っております。 今回の法律で、新法ですから、三年後に見直しという規定がございますね。これはやはり、起こり得るいろいろな問題、また懸念される事柄が含まれているということからそうさせていると思うのですが、その見直しの対象としてどういうことが想定されるのか、少し立ち入ってお聞きしておきたいなと思います。
○伊勢呂政府参考人 この法案は、事業実施の許可制や使用料設定の認可制などの規制色の濃い仲介業務法というのを廃止した上で、事業実施の登録制、使用料の届け出制というものをとるものでございまして、全体としては、旧仲介業務法の規制を緩和するものでございます。 しかしながら、これまで規制がなかった分野にも適用範囲を拡大する、あるいは規制が緩和された分野についても、今後時代の変化によりまして見直す余地もあるということから、政府の規制緩和推進計画の趣旨に沿いまして、附則第七条におきまして検討規定というのを設けることとしたものでございます。 見直し期間を三年といたしましたのは、この法案が既存の制度を大きく見直すものでございまして、新たな事業者の参入の程度、あるいは協議、裁定制度の運用状況といったようなものの法施行後の状況を早期に把握することが適当であると考えたため、三年としたわけでございます。
○石井(郁)委員 今回の著作権等管理事業法では、著作権者の適用対象の範囲が、俳優や歌手といった実演家の方々に広げられました。いわば著作隣接権が広げられたということが大変重要だと私は思うんです。 先ほど映画の話がいろいろありましたけれども、映画やビデオ等による二次利用の際に俳優や歌手の方の権利を擁護するという問題は、私も当委員会で何度か取り上げさせていただいたわけです。今日、日本の映画、ミュージックビデオなど、海外では大人気になっているということがありますけれども、幾ら売れても、俳優さん、歌手の皆さんには、著作隣接権の対価としては一円も入ってこないというのが現状でございます。 この点で、文部省は、実演家の団体からは実演家の権利を充実すべきであるという意見があることは承知をしていると、これは私どももずっと言ってきたわけですから、そこまではおっしゃるわけですが、一方で、映画製作者などが映画の円滑な利用に対する影響などから映画に関する実演家の権利強化については慎重な意見を持っているということを、文部省がいわば代弁をされるわけです。この映画の円滑な利用に対する影響ということはどういうことを指すのでしょうか。それは、出演者全員から許諾をとらなければならないという問題を指しているのかどうか、お聞きしたいと思います。
○伊勢呂政府参考人 映画に関する実演家の権利を充実すべきという意見に対しまして、映画製作者の方からは、映画の円滑な利用が阻害されるということについての懸念が表明されているところでございます。 具体的に申しますと、例えば、個々の実演家に利用を禁止することのできる許諾権という強い権利を与えた場合には、多数の実演家のうちの一人でも反対すれば利用できなくなる、また、その多数の実演家について一々許諾を得なければならないとすると、全部の実演家の許諾を得るために事務が非常に膨大になってしまう、それで円滑な利用に支障が生ずるなど、実演家に与えられる権利の性質あるいはその権利の行使のあり方によっては、映画のビデオ化等の二次的な利用について障害が生ずるのではないかということでございます。
○石井(郁)委員 確かに映画は総合的な芸術ですね、出演者もあれば、監督、助手の皆さん等々、本当にいろいろいらっしゃるわけですから。そうですけれども、今お話しのように、出演者の一人一人から許諾をとることがどうも難しいのじゃないか、円滑な利用の妨げになるという意見は、私は必ずしも実態に合っているというふうには思わないんですね。 この点では、既に、テレビでの実演家の著作隣接権というのは、実演家著作隣接権センター、CPRAが集中管理をしているわけであります。芸団協の皆さんからのお話では、例えばNHKの大河ドラマがございます。六百人近くの俳優さんが出演している。それをビデオにする場合には、一人一人の実演家が著作隣接権を委託して実演家著作隣接権センターが管理をしている、そこの許諾があれば速やかにビデオにできるという実態があるわけでしょう。これはもう実績としてあるわけですから、やはりこういう対応は可能ではないのかというふうに思うんです。だから、実施できない理由にはならないんじゃないかと思いますが、いかがですか。
○伊勢呂政府参考人 放送の場合ですと、許諾権ということで、その権利をまとめて今の芸団協の隣接権センターがやっているのだと思いますけれども、今言いました映画の二次利用の話につきましては、ワンチャンス主義というのが我が国で採用されておりまして、一度同意をするとあとの権利がなくなるといいますか、そういう形で進んでおりまして、今の制度の中では、もうあとの権利はないといいますか、そういう形になっておるわけでございます。
○石井(郁)委員 実演家の方の権利を保障するというか、擁護するということが大変重要だというのは、これは本当に実演家の皆さんの生活そのものがかかっている、こういう問題でもあるんですね。もちろん、だからこそなんですけれども。 私は、生活の実態についても少し御紹介をしたいというふうに思うんです。 この点でも、芸団協が行いました生活実態という調査がございまして、見せていただいたんですけれども、実演家の個人年収の平均は四百七十七万円だと。これは一九九八年のデータです。十年前が四百七十二万円ですから、それほど変わっていないわけでしょう。労働省の賃金調査でも、全労働者の平均というのは五百二万円ですよ。十年前は三百九十二万円ですから、約一・三倍です。だから、いかに実演家の方というのは状況が変わっていないか、大変困難な中でそういう芸術活動をしていらっしゃるかということがあるというふうに思うんですね。 映画では先ほどのお話のように、ロードショー公開中、劇場収入よりも、その後のビデオ販売の二次利用の収益の方が大きいということがよく言われるわけでしょう。これは一方で、映画の観客数が減ったり、衰退というような状況や、本当に映画がいい作品になっているかどうかとか、いろいろな問題もあるかもしれません。だから、映画製作者が言うように、収益のリスクということがあるので二次利用の際に実演家にまで支払うのは無理だ、こういう考えでいきますと、実演家の権利というのは本当に保障されないということにつながるわけであります。そして、私は、今日の状況には合わないというふうに思うんですね。 ですから、実演家の権利の擁護という点でいうと、新たな立法を含めて本当に政府としてのきちんとした対応が要るのではないかということを強く申し上げたいわけであります。いかがでしょうか、大臣。
○大島国務大臣 今の議論を伺いまして、確かに出演者そのものの権利がきちっと保護されているかどうかというのは、なるほどなという思いがいたします。 したがいまして、今私ども、映像分野の著作権等に係る諸問題に関する懇談会、映像懇と申し上げますが、ここでいろいろな議論をしていただいております。さらに、国際的な動向というものを見きわめなければなりません。そういうことを踏まえながら検討をしてまいりたいな、このように思います。 アメリカの場合は、ワンチャンス主義といっても膨大なお金をスターなんかが取ります。後はビデオで使え、何に使え、そのかわりがばっとお金をいただく、こんなことでございますが、いずれにしろ、今御議論をいただいておる件は、これからの大事な検討課題だという思いを受けて検討してまいりたい、私はこう思っております。
○石井(郁)委員 大臣から、大変前向きな答弁というふうに私は受けとめさせていただきまして、やはり世界の流れというか、そういう方向に動いているなと思うんですね。ぜひ政府としても積極的に検討いただきたいということを重ねて申し上げます。 もう時間がありませんが、十二月にWIPOの著作権条約のための国際会議が開かれまして、八月には議長からの提案もされている。四つの案と言われているわけですね。この十二条、排他的許諾権の実演者から製作者への権利の移転という問題でございますけれども、日本の政府としてどういう立場で臨もうとされていらっしゃるのか、ちょっと基本的な考え方をお示しいただければと思います。
○伊勢呂政府参考人 この八月にWIPOから、視聴覚的実演の保護に関する条約草案が公表されました。この草案では、映画等の視聴覚固定物に固定されております実演に関する実演家の排他的許諾権といたしまして、複製権、譲渡権、商業的貸与権及び利用可能化権が規定されていますとともに、放送・公衆への伝達につきましても、排他的許諾権を各国において選択できるという案でございます。 これらの排他的許諾権の移転に関しましては、四つの選択肢が提示されておりまして、文化庁では、先ほどの映像懇における検討あるいは関係者の意見も踏まえまして、まずそれぞれの選択肢の規定する内容が十分に明確になることが重要だと考えております。 ちょっと長くなりますけれども、一つずつ申し上げますと、EからHまでございまして、E案というのは、実演家が一たん固定に同意しかつ書面による契約に反対の定めがない場合、この条約に規定する排他的な許諾権は映画製作者に移転したものと推定する案でございます。アメリカが強く押している案でございます。この案に関しましては、権利移転の対象が人格権及び報酬請求権には及ばないということが明確になる必要がございます。 F案は、同様の場合、映画製作者は実演家の権利を行使できると推定する案でございまして、これについては、実演家の権利と映画製作者の権利の関係が明確になる必要があるというふうに考えております。 G案は、権利の移転に関しては当該固定物に最も密接に関係した国の法令によるという案でございまして、これは、最も密接に関係した国の決め方がよくわからないので、明確にする必要がある。 H案というのは、権利の移転に関しましては、条約に規定を設けず、各国の判断にゆだねる。これはEUが主張している案でございますが、この案に関しましては、権利移転につきまして各国の法令で定めることができるということを明確にする必要があるというふうに考えております。 文化庁といたしましては、こうしたそれぞれの選択肢の内容の明確化を図りつつ、また国内関係者の意見を十分に踏まえながら、実演家の権利保護、それから映画の円滑な利用の観点から有意義な条約が策定されるように、外交会議に積極的に参画してまいりたいと考えております。
○石井(郁)委員 著作権に関する各国の状況がさまざまでありまして、今お話しのような状況だということは私も承知しています。 しかし、大事なことは、アメリカとEUの駆け引きの模様眺めで終わっちゃいけないと思うんです。日本として積極的にイニシアチブを発揮していくことが大事かなというふうに思いますので、日本政府がまとめ役になるようなおつもりで、御奮闘を期待いたしまして、私の質問を終わります。 どうもありがとうございました。
○西委員長 次に、山内惠子さん。
○山内(惠)委員 山内でございます。 著作権法案というのは大変難しくて、もしかして、今まで御質問された方とダブっていることがあるかなということもちょっと心配です。 この難しい法案なんですけれども、権利の保護と利用の円滑化とのバランスが重要だというふうに思いますが、権利者と利用者の十分な協議の確保ということをどのようにされるか、そして、著作権情報を国民が知るシステムをどのように構築していくおつもりなのかについてお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○伊勢呂政府参考人 この法案は、権利者の保護と同時に、著作物等の利用の円滑化を図ることも目的の一つの柱といたしておるわけでございます。 使用料につきましては、第一に、全管理事業者に対しまして、使用料規程を定めるに当たりまして利用者または利用者団体から事前に意見聴取を行う努力義務規定を設けるとともに、第二に、事業規模などに照らしまして、影響力の大きい指定著作権等管理事業者というものにつきましては、利用者代表からの求めに応じて使用料規程に関する協議を義務づける制度を設けておりまして、管理事業者の側と利用者の側が十分な話し合いをした上で使用料規程を定めることができるように制度設計をしているところでございます。 また、著作権の管理情報の提供につきましては、この法案では、全管理事業者に対しまして、管理事業者が管理している著作物等に関する情報を一般に提供するように努力義務規定を設けております。 さらに、文化庁では、権利者団体が保有しております著作権等に関する情報をネットワークを通じて一元的に提供する、先ほども出ております著作権権利情報集中システム、J—CISと呼んでおりますが、このJ—CIS構想の実現に向けましてモデル総合検索システムの開発を行っているところでございます。平成十三年度にこのシステムの実証試験を経まして、関係団体において実用化を目指すということになっております。 文化庁といたしましては、多様な著作物等を国民が享受できるようにするためには、円滑な利用秩序の形成が重要というふうに考えておりまして、この法案につきましても、そういった視点に立って運用してまいりたいと考えております。
○山内(惠)委員 ありがとうございました。 これももしかしたら先ほどの石井さんの質問にも通ずることだと思うんですけれども、テレビ局や放送局などが、出版物だけではなく、ほかのテレビ、ラジオ、CDなどさまざまな著作物を利用して視聴者にお届けするというときの著作権処理の仕組みを伝えること、これを皆さんに伝える方法、この仕組みをどのように伝えていくのかについてお聞きしたいと思います。
○伊勢呂政府参考人 国民がさまざまなメディアを通じまして音楽、文芸、美術、映像等の作品を享受しやすくするということは、我が国の文化の発展のためにも非常に重要なことと考えております。そのためには、それらの作品の創作者の権利を適切に保護し、新たな創作の振興を促進すると同時に、著作権処理について円滑なルールを整備充実していくことが重要であるというふうに理解しております。 この法案は、先生御指摘の点も踏まえまして、権利の集中管理の法的基礎を整備するものでございまして、管理事業者が事業を行っていく中で、著作物が円滑に利用できるような権利処理システムが整えられるよう、文化庁といたしまして関係団体に対して必要な指導助言というのを行ってまいりたいと考えております。 また、あわせて、国民一般に対します著作権思想の一層の普及というものにつきましても積極的に取り組んでまいりたいと考えております。(山内(惠)委員「どうもありがとうございました」と呼ぶ)
○西委員長 山内惠子さん。
○山内(惠)委員 はい。学校で子供たちに手を挙げさせているのに、私の方が忘れまして、申しわけありません。 この著作権の思想ということにつきましては、本当に何げなく、どなたかの書類などを使うときにも、うっかりして自分が言っているような形で使ったりするというのは、日本では割とその辺のところのけじめがなかったなということを感じております。 小中学校での教育ということが大変大事だと思っておりましたら、文化庁の管轄で、小学生向け、中学生向けに資料を出していらっしゃるということで、見せていただきました。「めざそう!著作権なんでも博士 中学生のための著作権教室」。小学生のためにもつくっていらっしゃるということで、今の子供たちは活字だけではわかりにくいということもあって、絵を入れて漫画風に解説してくださっていることは大変いいなと思いました。文章を見せていただくと、仮名など振って易しくしてありますけれども、できればもう少し易しくてもいいかなというふうに思います。確かに今、中学生などはCDを買うのにお金がかかるから、やはり自分で、またそれも友達から借りて録画したいなどと思う場面を、しっかりとここで説明しているあたりがいいなと思いました。 今度法律が変わった場合、また改めてつくられると思いますので、この内容と、別項目で質問を提起していたのですけれども、あわせて質問させていただきたいと思います。 参議院での附帯決議に盛り込まれました、障害者が著作物を享受する機会の確保ということです。 障害のある方が、できれば録音して聞きたい、ボランティアの方たちの御協力で録音して聞かせていただいているというようなこととか、弱視の方のためには活字を大きくして本を見やすくするとか、もう一つは、テキストデータへの複製などを、営利を目的とする場合を除いて障害のある方たちが図書の活用をできるようにということで、EYEマークの運動をなさっているということをお聞きしました。参議院では日下部議員が丁寧にお話しされ、マークも皆さんにお見せしていらしたようでした。私もいただいてまいりました。 皆さん、多くの方が御存じかと思いますけれども、お聞きしましたところによりますと、読み聞かせの形の続きで、耳で聞いていただくためにしようと思っても、一々許可をとるとしたら時間もかかり、物によっては三年もかかったりというお話をお聞きしました。その意味では、出版物の奥付というのでしょうか、こういうところに著者がこのマークをつけてくだされば福祉目的で使わせていただけるのだということだそうです。 私たちの社民党の方でも、自分たちで出版するものについてはこういうマークを積極的につけていくことを早速やろうというふうに言っていますので、もし、今度新たに小中学生への解説書をつくるのであれば、そのことも入れていただければいいなと思います。今回は附帯決議にはついていません、参議院の方で附帯決議がつきましたけれども、趣旨は同じですので、御理解いただけると思いますが、いかがでしょうか。よろしくお願いいたします。
○大島国務大臣 二点あったかと思います。 まずPR、啓蒙をしっかりやりなさいという御所見があって、これがちょっと難し過ぎるのでもう少し簡単にしたらどうかという御意見でございましたが、これは私でもわかるような内容になっておりますので、かなり簡単ではないかと思っております。 しかし、よく知恵を出してみます。特に、著作権というのは大事でございます。先生おっしゃるとおりです。さらにわかりやすく、何か知恵がないか。ただ、余りわかりやすくして、漫画ばかりでも中学生にはこれはいかぬと思いますので、この程度で、字がちょっと多いかなと思うぐらいでございます。いわゆる御理解をいただく、そして著作権というのはこういうものだということを小学校、中学校から知ってもらうというのは、こういうIT時代でございますから、物すごく大事だと思います。 それから、EYEマークの普及等について参議院の附帯決議の中にあるけれども、どのように考えておるかということであったと思います。 私ども、さまざまなそれらに関する法改正を望む意見があることは承知をしております。御指摘のEYEマークの表示されている書籍は、あらかじめ権利者が利用を同意しているため、改めて許諾を得る必要はなく、障害者の円滑な著作物の利用を促進する著作権者側の自主的な取り組みとして、非常に貴重な試みだと思っております。こうした試みも視野に入れながら、障害者団体及び権利者団体等の関係者の意見に十分耳を傾けて、円滑な権利処理のルールの整備に努めるとともに、法制度の見直しを含め、引き続き検討してまいりたい、このように思っております。
○伊勢呂政府参考人 ちょっと補足させていただきます。 文化庁では、平成八年度以降、毎年、全国の中学校三年生全員を対象に、著作権読本を作成、配付いたしているところでございます。この読本の作成に当たりましては、中学校、高等学校の教員にも編集に参加していただきまして、その内容、程度につきまして吟味をしていただいたところでございます。 その内容も、漫画、あるいは生徒の生活に即したわかりやすい内容にしたつもりでございますけれども、今後の改訂に当たりましては、大臣が言われましたように字がちょっと多いかなという部分もありまして、生徒に一層わかりやすいものとなるよう、内容や表現等の工夫についても検討してまいりたいと考えております。 なお、この読本の積極的な活用を図るために、今の、視聴覚障害者にも簡便な利用ができるよう、今後の改訂においては著作権読本にもEYEマークの表示について考慮したいと考えております。
○山内(惠)委員 ありがとうございました。 この本すべてを丁寧にまだ読み終わっていないところですけれども、中学生や小学生が著作権ということをわかって、自分で録音していいもの、悪いものということをしっかりとわかっていくという点での御説明は大変よろしいと思います。 先ほど少し私の言い足りなかったことがあるのですけれども、大人になってというか、自分が将来出版社に勤めたり、テレビ局に勤めたりする場合にもこういうことを率先してやらなければならないということも含めて書いていただいたり、また大人の皆さんのところにもPRする方法も具体的にやっていただけたらいいなと思います。 私の質問は以上です。どうぞよろしくお願いいたします。
○西委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。 —————————————
○西委員長 これより討論に入るのでありますが、討論の申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。 内閣提出、参議院送付、著作権等管理事業法案について採決いたします。 本案に賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○西委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。 —————————————
○西委員長 ただいま議決いたしました法律案に対し、河村建夫君外七名から、自由民主党、民主党・無所属クラブ、公明党、自由党、日本共産党、社会民主党・市民連合、21世紀クラブ、保守党の共同提案による附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。 提出者から趣旨の説明を求めます。藤村修君。
○藤村委員 私は、提出者を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。 著作権等管理事業法案に対する附帯決議(案) 政府は、著作権制度の重要性にかんがみ、本法の施行に当たっては、次の事項について適切な措置を講ずるべきである。 一 著作権制度の重要性と著作権等管理事業の公共性にかんがみ、著作権思想の一層の普及、啓発に努めるとともに、著作権等管理事業者の健全な育成が図られるよう、特にその環境整備に努め、併せて著作物等の経済的価値のみが優先され、文化的価値の高い著作物等が不利益な取扱いを受けることのないよう、適切な指導を行うこと。 二 著作権等管理事業者と利用者又は利用者団体との使用料規程に関する協議については、委託者と利用者の双方の利益の均衡に特段の配慮が必要であることにかんがみ、関係者間の話し合いの促進などの諸条件の整備に努めるとともに、適切な指導を行うこと。 三 著作権等管理事業者間の自由かつ公正な競争の確保、著作権等管理事業者の利用者に対する優越的地位の濫用の防止及び著作物等の利用の円滑化を図るため、公正取引委員会をはじめ関係省庁が協力して適切な措置を講ずるよう指導を行うこと。 以上であります。 何とぞ御賛同くださいますようお願い申し上げます。
○西委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。 採決いたします。 本動議に賛成の諸君の起立を求めます。 〔賛成者起立〕
○西委員長 起立総員。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。 この際、ただいまの附帯決議につきまして、文部大臣から発言を求められておりますので、これを許します。大島文部大臣。
○大島国務大臣 ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処してまいりたいと思います。 —————————————
○西委員長 お諮りいたします。 ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○西委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。 ————————————— 〔報告書は附録に掲載〕 —————————————
○西委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。 午後四時十五分散会