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150回国会衆議院2000/10/12

憲法調査会 第2号

発言数
75
登壇者
9
会派数
4
開催日
2000/10/12

会議録

中山太郎自由民主党

○中山会長 これより会議を開きます。  開会に先立ち、民主党・無所属クラブ、自由党、日本共産党及び社会民主党・市民連合所属委員に対し、幹事をして御出席を要請いたさせましたが、御出席が得られません。やむを得ず議事を進めます。  日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を進めます。  本日、午前の参考人として作家・日本財団会長曽野綾子君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用の中を御出席賜りまして、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、我々の調査の参考にさせていただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、曽野参考人、お願いいたします。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 憲法調査会に来て話をするようにと言われましたときに、それは私にはとても無理だと申し上げました。と申しますのは、私は、憲法に常識的な範囲以上に興味を持ったこともございませんし、それから深く研究したわけでもございません。深く学ぶと学ばないとではどんなに違うかということは、私が著作の世界でいつも経験しているところでございますので、深く勉強しないものについては申し上げられないとお断り申し上げました。  しかし、今回に関してのみ、二十一世紀の日本のあるべき姿という形で、憲法、すなわち人間と人間との間の取り決めでございましょうが、その背後にある人間の姿を考えるための資料を提供する場だというふうに御説明いただきましたので、それでは何らかのお役に立つかと思って出てきたような次第でございます。  きょうのメモをお渡し申し上げましたが、それは本当にキーワードだけでございまして、小説家はその場になって何をしゃべるかということは、これは頭の悪いせいなのですが、なかなかわかりませんので、お許しをいただきたいと願っております。  まず、二十一世紀、もう本当に目前に迫っておりますが、その二十一世紀の日本というのは、ごく普通の人間の感情からいたしましても、私どもの子供、知人、それから多くの友人たち、そういう人たちとあるいはその子供たちにとって、生きるに値する幸福な時代であるというふうになってもらいたい、そういう願いは私たちに共通のものだと思います。その幸福の最も基本的な形を考えてみますと、それは当然自立にあるわけです。  この自立というのは、二つに分けますと、国内的に、つまりドメスティックには、食糧、水、エネルギー、治安、それから少し子供じみた素人っぽい言葉ですが、産業の確保ということです。これらがすべてかなえられればよろしいのですが、国によって、社会によって、必ずしも一〇〇%の自立というか自給が可能であるということはないと思いますが、バランスのとれた自立が可能であるような状況にしておかなければならないと思います。  それからもう一つの柱でございますが、これは国際的に、インターナショナルに、自立のための防衛と外交が要ります。私は小さなNGOをやっておりまして、二十八年目になります。そのお金の出先を調査するために途上国と言われているところを歩いたものですから、それが百八カ国か百九カ国になりました。この百八か百九カ国の中で先進国と言われているものは本当に少ないわけでして、そのほとんどが途上国です。そうしますと、そこの世界がどういう状況で動いているかというと、折あらば侵入する、それから部族の対立はある、そのほかに思想的なあるいは宗教的な内乱とか内戦のようなものがございまして、内外ともに防衛ということができないと、これは人間の生活を保っていけないような状態にたやすくなることを見てまいりました。  それで、第二の問題は、その自立への必要過程ということをお話ししたいのですが、これはまず現実の正視ということから始まると思います。  なぜこういうことを申し上げるかというと、最近の日本というのは、大きく申しまして、最近景気が悪いとかなんとか言っておりますが、戦後の五十年余りを幸運に見舞われまして、そして日本人の勤勉も影響いたしまして、順調な国家体制を持ってまいりました。それで、社会や現実、人間の生涯といったものはうまくいくんだと人々が考えるようになりまして、現実の直視ではなくて、理想を語ることが多くなったように思います。つまり、私たちの現実、生涯というものは、どちらに転んでもよかったり悪かったりするものなんですけれども、政治がよくなれば、それから運がよければ、みんなが理想の心を持てば理想郷が来るというふうに考えるようになってまいりました。  これは全く間違いだということは、理想郷という言葉のユートピアという言葉をつくりましたのは、あの有名なイギリスの政治家であるトーマス・モアでございます。このユートピアというのは、ウー・トポスから出た言葉です。ウー・トポスというのは、ウーはノー、トポスはプレースですから、ノープレース、どこにもない場所という言葉でございます。ですから、理想郷というものは、どこにもないということの悲しい人間の確認の上に我々が求めたものであろうと思います。  しかし、これは決して先生方を非難するのではございませんけれども、選挙のたびに、町の街角、あちらこちらで、皆様方が安心して暮らせる生活をという言葉が聞こえてくるのです。これは全くあり得ないことでございます。これをおっしゃっただけで、うそということになるわけです。これは決して、先生方が無能だとか、うそをついていらっしゃるということではなくて、いわば人間の宿命でございます。そしてまた、この言葉が選挙民に受けるというのは、そのようなあり得ないことを私たち人間が希求しているということのあらわれだというふうに私は解釈しているわけです。  では、現実の状況をどういうふうに正視するかと申しますと、私が参りました八十国か九十国かよくわかりませんが、そのぐらいの数の途上国、そこは今でも淘汰の世界でございます。理想的な、お互いに譲り合って平和をつくりましょうというのではなくて、淘汰という言葉は今めったに日本で聞かれなくなりましたが、その言葉をもってあらわすしかしようのないことがあります。これは英語でセレクションというらしいのですが、英語のできないのに限って、英語の単語を一つもらいますと訳は一つしか覚えない。私もその一人ですが、セレクションというと選択と覚えます。同時に、これは淘汰という意味のようです。  それで、先日もあるアフリカの国の方としゃべりましたら、ここ何十年と平和がないのであって、だから、平和というものを望むかと言われても、平和というのは見たことがないんだからよくわからないと言うんですね。それは私どもは、子供のときにキリンを見たことがないんですけれども、当時は絵本があったり、最近ではテレビがありますので幾らでもわかるのですけれども、見たこともさわったこともないものをどうやって希求するか。世界が平和を希求しているということは全くの幻想でございまして、つまり、やはりやりたいのは淘汰であり、勝利であり、力を使って相手をどうやって排除できるかということであろうと思います。  私は、つい数週間前に南アメリカの各国、ブラジル、ペルー、ボリビアから帰ってきたわけでございますが、ブラジルで初めて聞く言葉に会いました。それは侵入区という言葉でございました。曽野さん、きょう侵入区を見に行きましょうと言うのです。インベードです。これは土地の不法占拠でございまして、政治的な思惑が絡まっているのでしょうけれども、ここをやれといって一夜のうちに掘っ立て小屋をつくりまして、その材料はしばしば苫というかござというか、そういうもので壁をめぐらしただけのものです。そこに、おもしろいことになぜか国旗を立てます。国旗を立てると、それでその家族がそこを占拠したことになりまして、住民の組合のようなところが土地の権利書を発行することによってその居住権を認めるというやり方なんです。彼らは人道のためにそれをやっていると言い、そこは無法地帯であるという言い方もできるわけでございますが、こういう力による占拠というものがあるわけです。  私、小説家らしくくだらない表現で力というものをお話しさせていただきたいのですけれども、日本では、外国へ参りますと、リザベーションペーパーというものがありますとどこの国でもホテルはちゃんと予約されていると思うことになっております。ところが、アフリカの多くの土地で、行ってみると、あなたの部屋はないよと言われるのです。どうしてですかと言うと、いや、隣の国の外務大臣が七十人お供を連れてきたから、ないんだ。ああ、そうですか。ないと言ったらないんですから、なぜないかと言っても、そんなことはしようがないんです。  それを解決する方法は三つあるんです。一つは、外に寝ることであります。これは、大地のある限り人間は寝られますのでどこでも平気ですけれども、一つ問題は、マラリア蚊とか、それから持っている物をとられるという危険性がございます。できたら、どこかシェルターの中に寝たい。ホテルが一番便利なんです。私の同行者がそこでやることは、非常におもしろいのですけれども、三つあるんですね。彼が一度にその三つを行使したというわけではありませんけれども、三つあります。  一つは、パスポートの間に十ドル紙幣を入れて、君、よく見てくれないか、どこかに部屋が残っているんじゃないかなと言ってこう出すことなんです。そうすると、今一つキャンセルがありましたと係のお嬢さんが言う。これが一つで、金力による力の示し方です。  第二は、男の方の場合に有効なのですが、カウンターの上にひじをつきまして、中のお嬢さんに、君は美人だな、残念だな、部屋がなくて泊まれないの、僕は君とお茶を飲みたかったのになと言うんです。そうすると、今よく調べたら一つありましたということになるかもしれません。これは、いわゆる外交による力の示し方です。  それから第三番目は、威張ることでございまして、いいのか君は、おれを泊めなくていいのか、おれはムバラクの友達なんだぞ。そうすると、大体、フロントの中の人は、多分この人物がムバラクの友達である可能性はないと思うのですけれども、でも、もしかするとムバラクの友達かもしれない。そうすると、ムバラクの友達だと言っている人とそうは言わなかった人とどちらを泊めるかというと、ムバラクの友達だと言っている人を泊めた方が得かもしれない、こういう計算になります。これは、権力を行使したものでございます。  私は、力というものがすべてを決める土地を随分歩きまして、これはいわゆる中近東でございますが、多くの場合、水のない土地です。そして、水のないところではどういうふうにするかと申しますと、最後の一滴の水、貴重な水というのは、原則として力ある者が飲むことになっております。つまり、弱い者に分け与えるというのではなくて、力ある者が飲んで生き延び、そのことによって、先ほど申し上げました淘汰を行って、その種族を続けていくという原則を持っております。  それで、では、ずっとその力だけなのかと申しますと、そこに大変またおもしろい状況があるんですが、聖書の中に、求めよさらば与えられん、たたけよさらば開かれんというところがあるんです。皆様御承知の有名な場所でございます。これはどういう状況かと申しますと、こういう乾燥地帯の住民というのは、旅人に対して一夜の宿を貸す義務を有しておりまして、それで、旅人が参りますと必ずパンと水を与えます。それ以上のものはやらなくていいようです。そして、保護いたします。なぜならば、砂漠には泥棒もおりますし、追いはぎもいるからです。  それで、ある晩、自分のところに夜遅くなって、というのはワンルームですから、戸を閉めますと、もうお泊まりは勘弁してください、プライバシーになりましたからということなんだろうと思うのですが、そこに友達がやってまいりまして、遅くなったけれども泊めてくれと。その家は貧乏でございましたので、水はあったと思いますけれどもパンがありませんでした。その主人は煩悶いたします。パンもなしに旅人を、しかも友達をどうやって寝かせることができるだろう。それで、禁を犯して、同じ村の知人のところに参ります。そして、どんどんとたたいて、済まないがパンを貸してくれ。そうすると、その友達は、おきてに反しておりますから嫌な顔をするんですね、帰ってくれと。ところが、この人はしつこくそれを頼みましたので、そのうちに女房も起きてきてしまいますし、同じ囲いの中に入れてある羊などもメーメー鳴き出して、黙ってもいられなくなったので、こうなった上は早くパンを持たせて帰した方が後よく寝られるという判断なんでしょう、パンを持たせて帰します。  これは一つの社会的約束事である、敵対部族といえどもパンと水を与えねばならないというおきてでございます。これは慈悲というものにかかわる、一種の憲法だと言ってもいいし、宗教の規律だと言ってもよろしいのですが、こういうものの区別がない国がたくさんございます。力に対する正当な判断と申しますか、その行使した結果とかそういうものを見ない私どもに限って、この反対の慈悲というものから遠のいてまいります。もちろん、日本は社会的に整備をいたしまして、社会保障とか健康保険とか失業保険とかいろいろあるからそういうものは要らないということになるのですが、人間的な慈悲というものを忘れてくるんです。  私は、またここで大変個人的なことを申し上げるのをお許しいただきたいと思うのです。小説家はいつも個人の体験から物を考えておりますのでお許しをいただきたいと思うのですが、シナイ半島にバスで参りました。それはカイロから行ったんですが、シナイ半島の先のサンタカタリナという荒野の中の聖地で、そこでバスの油を補給することになっておりました。これはちゃんと事前に案内書を調べて、そこにガソリンスタンドがあるということになってはいたんですけれども、行ってみたらございませんでした。これは中近東でよくあることで、一切の書物と人の言葉を信じてはいけないという大原則。ドントウオーリーというのとノープロブレムという言葉をよく聞くんですけれども、ドントウオーリーと言ったら反射的に心配しなきゃいけない、ノープロブレムと言ったら必ずプロブレムがあることだ、そういうふうに思えと私どもは訓練されるわけですが、その一つだったんです。  それで私が、運転している日本人に何とか帰れないのと聞いたんです。そうしたら、どうしても帰れませんと。一番近い村までも戻れませんかと言ったら、戻れませんと。では、このバスを置いて、私たちだけ時々飛んでくる飛行機で脱出しなきゃいけないのかと思っておりました。でも、とにかく近くにある何か人間のいるところに行きましょうと。それは軍隊が、小さなグループの軍隊です、道の舗装工事をやっているところでした。そこに行きまして、司令官に、私は旅人で、ガソリンスタンドがないことを発見して大変困っておりますので、油を分けていただけないでしょうかとお願いしたんです。そういたしましたら、オーケーということになりました。  私は人間の根性が悪いものでございますから、その次の興味は、この司令官が幾らで軍隊の油をやみ流ししたかということでした。つまり、私どものグループがこの僻地の駐屯部隊に、オイルの値段を多分知らないであろうからといって安く買いたたいたか、あるいは、司令官の方で私どもが困っているのを見て、足元を見て高く売りつけるか、どっちの方向かに少し傾くでしょうけれども、大体幾らぐらいの値段でその油を買うことになったかという興味でした。それで、顔ではにっこりしてありがとうと言って手を振ってその囲いの中を出た瞬間に私は運転手に聞いたんです、幾らで売ってくれましたかと。その運転手は、初めはにやにや笑っていてなかなか言わなかったんですけれども、私が教えてよと言ったものですから答えたのですが、ただでした。それは、困っている旅人は助けなければいけないというアラブのおきてでございます。  もし日本でございましたらこういう場合にどうなるかよくわかりませんけれども、PKOが油をお上げになりますか、上げて、それを正確に報告なさいますと、以後は冗談ですが、会計検査院が文句を言うとか、よくわかりませんが、何かそういったことになるのではないかと私のような素人は余計に想像してしまうのです。これもみんなこのおきてというものを超えたと見るべきか、おきての中にこういう人間的なものが含まれているというか、どちらかでございます。  それで、こういう外の力に対しまして、私は、もう一つ対立するものとして、徳の力ということを考えるのです。徳というものとか、あるいは後でちょっと触れるかと思いますけれども、例えば愛にせよ真善美にせよ、そういうものを申しますと、最近の風潮で、これは古い、古いことを今ごろ持ち出しても何の力もないよとよく言われるのですけれども、二つの理由でこれは間違いです。  一つは、私たちは古いものを踏襲せずにやってこれたわけがない。ですから、我々の肌の中に、既にあったものに対する評価というものが必ず内蔵されているということは言えるのではないかと思うんです。若者たちは時々物すごい古いファッションの古着を町で買ってきて、それが一番最新、流行のお洋服になっているということはよくあることですし、それもその一つです。  それからまた、もう一つの状況は、古いものといって片づけられたということは、それを既に会得しているということになりますが、それを全く持っていなかった、そういうものの教養すらなくてそれを捨ててしまっていながら、古いものは意味がないという言い方が最近ふえてまいりました。  私はその両方の危険性を感じておりますが、いずれにせよ、徳の力ということについて二十一世紀の日本人は考えなければならないと思います。なぜならば、世界じゅうで、日本人の、例えばコンピューター、そういう先端技術に関する才能とか、勤勉であるとか働き者であるとか、それから算数がよくできるとか、そういうことに対する評価というのは十分にあるのですが、徳のある人だという印象は余り持っていないのではないかと思います。  この徳の力というのはどこから出てくるかと申しますと、まず基本的人間関係です。親子、兄弟の中で暮らす。それから、豊かであっても貧しくあってもその途中であっても、あるいは暑くても寒くても、食生活が貧しくても貧しくなくても、そのようなすべての生活に耐える力を持つということでございます。そして、その起こったことに、基本的には、他人の責任だと言わない、すべてのことは自分がこうなったのだ。後で私たちは国家に属していることをお話しいたしますから、国家の部分というのも当然あるのですが、非常に多くの部分は自分が責任を負わなければならないのです。そういうような姿勢を持つことが、基本的人間関係を成功させた結果であろうと私は思います。  私たちは、よかれあしかれ環境に触発されます。なぜ日本人になるかというと、やはり日本的な風土に住んで日本的なものを食べて生きるからです。雨が降る杉木立というふうなものは、だれの目にも、私たちの一つの精神的な出自を象徴するものとして心の中に焼きつけられておりますし、それから、おいしい御飯、梅干しのおにぎりというものはたまらなくいいものだと思うのです。  それから、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんのしゃべる方言というものは標準語以上の豊かな感情というものを人間に与えるものです。ですから、日本に生まれた外国人で、よく東北弁をしゃべったりして日本人以上に日本的なことをおっしゃる方が出てくるわけです。私たちは、そういう家族とか伝統とかいうものの上に日本人になってまいりました。  その上に、帰属的な人間、帰属的な人間関係というものがございます。国家に属していない人間というのはないわけです。もちろん、そういう立場が出てきたら、小説家として大変おもしろいと思います。そういう状況が出てきたらそういう方のことをよく見たいと思いますけれども、目下のところ、国家に帰属しない人間というのは、普通にはできないわけです。  それで、個人が外国においてどういうビヘービア、行動をするか、つまり、難民とか犯罪者とか外国で侮べつされないような人間になるにはどうしたらいいかということがあります。私は、決して簡単な意味で難民が悪いとか犯罪者が悪いとかと言っているわけでもないのです。つまり、犯罪者も難民も、非常に大きな外的圧力からなる場合もたくさんあるわけです。  それで、今、日本では、差別語を禁止することに、私などは大変な圧力を受けております。ここにマスコミの方もいらっしゃいますが、マスコミが戦後言論の自由を守ってきたというのは全くのうそでございます。私の責任において書くことでも、これは載せられないという形でどんどん言論の統制をしておられます。  私は書くものについては責任を負いたいのですが、例えば、この間、石原東京都知事もそのようなことに巻き込まれていらっしゃったようにお見受けいたしました。つまり、今、私はここで何国人ということは言いませんけれども、ある国籍を有する人の犯罪がどんどんふえますと、これはどこの国でもよろしいのですけれども、ある国の国民だということがもう侮べつ語になってまいります。ですから、侮べつ語を排除するということは事実上できないことです。  それはどうしたらいいかと申しますと、そのような犯罪者を出さないということです。そのためには、日本人がみずから自分を訓練しなければいけないこともございますし、また、他国にそういう困っている人があったら助けなければならないということも事実でございます。  いずれにせよ、私たちはみんな国家に属しておりまして、個人のできないことをしてもらっているわけです。  少しそのことについてお話申し上げますが、アフリカの多くの国あるいはアジアの多くの国では、救急車を呼んでも救急車がだれでも運んでくれるというわけじゃないのです。この間、アフリカで暮らす何人かのカトリックの修道女が一緒になっておもしろい話をしていたのですけれども、ある国で働いている日本人のシスターが、うちは救急車を呼ぶと言ったら、もう一人別の国にいるシスターが、あなたの国はいいわね、救急車が呼べるのと言うわけです。うちの方は電話がないから呼べないわよと言うのです。  その次の話は、救急車を呼んだら、患者を持っていくか持っていかないかという話になりまして、まず大体のところでは、救急車が呼ばれますと、血を流していたり痛がって苦しがっているその家族に対して、救急車代は幾らだけれども金は払えるかと言うのです。そうすると、そういう人たちは貧しい人が多いわけですから、払えませんと。そうすると、親戚はどうだ、親戚のところに行って聞いてこいとなって、その人は病人を傍らに置いて走り回るわけです。その村の近くにいる親戚に金を借りに歩くわけです。やはりそこでも要求するだけの救急車代が集まりませんと、その救急車は病人を置いて帰るわけです。  私は、一時東京のホームレスの人たちのことをちょっと調べておりまして、ホームレスの人たちを専門に入れるようにしているのが済生会病院というところでございまして、今もそうかどうか、ちょっと最近のことは知らないのでございますけれども、ホームレスの人専用の病棟がありました。それはまた差別だと言う人がいるのですけれども、そうじゃなくて、ホームレスの人は真っ黒でございまして、運び込まれてきてもどこが病気だかわからないというのです。ですから、まず済生会病院には洗う設備がございます。  中には、私が聞きましたもので、一年半長靴を脱いだことがないという人がおりました。そういう人が運び込まれてきますと、長靴を脱がすことはもう不可能になっていますから、長靴を切り離しまして、ゴムと靴下と足の皮膚が一緒になっているのをはぎ取ってからその病気を診る。そうすると、足の方は、はぎ取られてから後も長靴の黒い色素をずっと入れ墨のように残すということになっているようでございます。そういうこともあったのです。  その人たちでさえも、何にも所持金がなくても、主訴と申しますか、頭が痛いとかおなかが痛いということを当人が言えない場合には三十分以内にCTスキャンをかけておられました。そういうことを私は大変に誇りにいたしております。  実は、国歌と国旗の問題もお話ししようと思うのですが、なぜ私が国歌と国旗を必要かと申しますと、私が訪ねましたアフリカの多くの国というのは、村に入りますと言葉は全く通じません。私は、行く前に、ここは宗主国はどこなんだろう、フランス語か英語かなということを調べていくのですけれども、フランス語は余りできませんし、英語もちょっとなのですが、そんなものができたって、村の方に入りましたら、部族の言葉しかしゃべりませんので、それは全く意味がないのです。  それでは、私はどうやってそのような村で人々と善意を通じ合えるようになるかと申しますと、これは大変難しいのですが、にっこり笑うのが一番いいように思います。  実は、そういう土地の多くでは、我々は悪魔の目というのを持っているのです。持っていないと言ったって、向こうは持っていると言うのです。イービルアイというのですけれども、悪魔の目は、しばしば幸福な者、それから初々しい者、優しい者につきます。ですから、赤ん坊などが受けやすいのです。  私たちが赤ちゃんを見ると、普通はかわいいなと思ってにっこりほほ笑みかけます。赤ん坊の死亡率がしばしば一千人の中で二百五十人とか三百人に達するような国が多いわけですから、おしゅうとさんが当然またお嫁さんをいじめるわけですね、おまえはどうして子供を殺したんだと。そのお嫁さんも困りまして、外人が来てにっこり笑ったんです、そのときに悪魔の目がこの赤ん坊につきましたから、それで死ぬことになったんです、こう言うわけです。  ですから、私たちが幾ら悪魔の目がないと言ってもだめなんです。頭をなでたいと思っても、聞くところによりますと、頭は神の宿るところだ、肩をたたいたらどうなのといったら、これは天使のとまるところだ、そういうことをしてはいけない。  そうしますと、そのような人たちに対して、私があなたには善意を持っているのですよということを示そうといたしますと、国の旗と、そして国の歌、国歌が演奏されましたときに起立して迎えるということ以外にやりようがございません。  そして、日本でこういうことを申しますと、日の丸反対派が、日の丸の旗は血塗られているというお話がよく出るわけですけれども、大東亜戦争で亡くなった方というのは、数え方によりますが、大体三百万人ぐらいだと思います。それに対しまして、戦後の合法的に認められました中絶の数は一億人とおっしゃる産婦人科の医者がいらっしゃる。これは私に推定のしようがないのですが、もし一億人、これは数年前の数でしたから、もっとふえているということにその方にとってはなると思うのですが、そういたしますと、大東亜戦争三十三回分の殺人を合法的に繰り返したのは戦後の日の丸の旗でございました。どちらが血塗られた旗かと申しますと、数でいって、単純計算で、戦後の日の丸の旗の方がずっと血塗られたということになるのではないかと思います。  それで、徳の力につきまして、宗教的な問題もちょっと触れなければいけないのですが、オウム真理教以来、宗教というのは非常に危険なものと思われてまいりましたが、宗教というものは、永遠に未知なるものの手前にいるという我々の位置関係を明確にするものでございます。  アメリカにラビ・トケイヤーという非常にすばらしいラビ、ユダヤ教の先生がいらっしゃるのですが、その方の講演に参りましたら、あるとき質問者が出まして、どうしてあなたたちは豚を食べちゃいけないとかエビを食べちゃいけないとかと言うのですかという質問があったのです。そうしたら、ラビ・トケイヤーがお答えになったのですが、今から二百年前、三百年前を考えてごらんなさい、君たちは電話とか電気とか飛行機とか考えられたか、我々は永遠に未知なるものの手前にいる、それゆえに我々は、我々にわからないことがあると思って、命じられたことは一応守っておくのだというのがその答えでございました。  私などはなかなかこういう言葉に納得しない面もあるのですけれども、宗教が本物であるかないかということを私は私なりに判断する、今のところ四つぐらいのデータを持っております。第一は、強制的に宗教団体のために金を出させないということです。第二が、教祖が釈迦、エホバ、キリスト、マホメッドの生まれ変わりだと言わないということです。第三が、教祖がぜいたくな暮らしをしていないということです。第四が、現世の利益、こういうことをすればあなたは病気が治るとか金持ちになるとか、そういうことを約束しない。つまり、人間世界で完結するというのであれば、これは宗教ではないというふうに私は考えております。  それで、日本でただいま古い古いと言われております真善美は、昔から宗教とともに考えられてきたのですけれども、日本において、真と善は共通の確認というものがかなり持てるように思います。しかし、美は違うのですね。美は、個人の哲学において、個人の責任において、個人の命をかけて選択し、守るものであろうというふうに私は考えております。  それで、一つ例を挙げたいのですが、ポーランドという国は御承知のように東欧の一国でございまして、余り豊かな国ではないのかもしれません。私のような小説家が初めてその国に国境を越えて入るとどういう国に見えるかということをお話しするほかないのですが、雨がしとしとと降る初秋のころに、ほとんど車も通らないような村の道に男が一人、ひかれているのかと思うように横たわっておりました。あれは何でしょうか、病人ですかと言ったら、アルコール依存症、お酒を飲み過ぎて、雨にぬれたまま道の真ん中にぶっ倒れているわけです。  そういう一つの光景も私の目から離れないのですが、先生方の世界とは別に、私の方の世界から申しますと、このポーランドというものを位置づけている一人の偉大な人物がいるのです。それはマクシミリアノ・マリア・コルベという一人のカトリックの司祭でございます。  この人は、一八九四年にポーランドに生まれました。そして一九三〇年に長崎に布教に来ております。今で申しますとミニコミですが、当時では珍しかった活字による布教ということを初めてした人なのですが、既にそのときに結核の既往症がございまして、陳旧性結核という病気にかかっておりました。長崎で何度も発熱いたしまして、そして、布団がろくにないものですから、みんな修道士たちの毛布を集めて悪寒を防いだという記録が残っております。また、大変汚い生活をしておりまして、おふろがないものですから、長崎の海に行ってあかを落としていたと。その修道士たちが帰ってきますと、今度は洋服がまた汚いものですから、夏になると、修道士たちが働いていたすそに真っ白いものが降り積もっている。何だろうと思って見ると、それは塩であった、体から噴いた塩が粉になって落ちた、そういう記録があるのでございます。  一九三〇年に長崎に来まして、間もなくポーランドに帰りまして、一九四一年にアウシュビッツに入れられました。そして、七月三十日に画期的なことが起こります。その神父のいた兵舎から一人の逃亡者が出ました。当時、逃亡者が出ると、そのたびに報復として数人を処刑するということをやっておりました。十人という説と二十人という説とあるのですが、よくわかりません。一人にフランチーシェック・ガイオニーチェックという軍曹が選ばれました。この人は私たち並みに女々しい人だったようで、その死刑に決まりますと、つまりこれは、アトランダムにおまえ、おまえ、おまえ、おまえ、十人殺す、こういうやり方らしいのですが、その一人に選ばれますと、彼は、ああ、私の妻子はどうなるんだろうと言って嘆いたのです。それを聞きましたコルベ神父が、私はカトリックの司祭で妻も子もおりませんから、私がかわりに死にますと言った。  ナチスはアウシュビッツその他の強制収容所の長い歴史の中でさまざまなことを経験いたしましたが、人の身がわりになって死ぬと申し出た人というのは、あともう一例あったというふうにも聞いておりますが、極めて異例のことでしたので、驚いて、この名簿を入れかえました。そして、そのままこのコルベ神父は、当時はまだガス室というのはございませんで、餓死刑室、おなかがすいて死ぬような部屋に入れられました。実に、陳旧性結核を持っておりました弱い神父が水なしで七月三十日から八月十四日まで生きております。これは一つの実験だろうと思いますけれども、血が沸騰するような苦しみであると。なぜならば、水分が入らないことによって血栓が起きるのか何かわかりませんけれども、そういう状態で、八月十四日はまだ虫の息で生きておりましたところを、フェノールの注射を打ちまして始末いたしました。そして、そのまま炉に入れて焼きましたので、この神父の墓は今もってないわけです。  これは、真善美の壮烈な美に当たるわけです。みずから選んで自分の命を他のためにささげるということを承認した人でございまして、これはだれからも強制されたものではございません。そして、こういう死に対して日本人は、今もし仮にこういうことが行われたならばその人を賛美するかどうかというと、いろいろなことのためにそれにブレーキがかかるのではないかと思いますが、私は、この人の死というものを、永遠にたどり着けない一人の人間の究極の魂の選択としてずっと考えてまいりました。  もちろん、これも余計なことですが、こういうふうに死ねないというので、亡くなられた遠藤周作さんを中心にして転びキリシタンの文学者の会というものが、実体があったかどうかは別としてございまして、私も転ぶ、私も転ぶという小説書きがいっぱい出ていたのです。それで、多分一分ともたないだろうとか一日もつだろうとかという感じで、みんなが遠藤さんのお考えに賛同いたしまして、もし御禁制になったらばすぐ信仰を捨てるというふうに私どもは加盟していたわけなんでございますけれども、その反対としてこういうふうな方がいらっしゃったわけでございます。  そして最後に、私たちは二つのキーがあるように思います。  一つは愛というものであります。  私は、人権というものでは全く解決しないと思っております。このごろ、人権という言葉を聞くと何となくつらく思うようになりました。なぜならば、要求しても与えられないものが三つあるのです。それは尊敬と人権と謝罪でございます。要求したが最後、要求された方は白けるのです。そして、尊敬はどうしてかち得るかと申しますと、尊敬されるような要素を黙々として示すことであります。人権は、要求するのでなくて、こちらがその人でいていただくことのありがたさに対して配慮をするというときにしかうまく成り立たない。謝罪は、要求されたらどんどん謝りますでしょう。謝っておけばいいんだろうという感じです。しかし、謝罪は、要求した途端に、その謝罪を要求した人というのは、私の個人的な考えですが、愚かしく見えてまいります。  この三つは要求して与えられるものではありません。そして、そのかわりに、それらのものを充足いたしますのは愛でございます。日本の教育には愛という言葉は全くございませんし、法務省の人権関係の会議におきましても、人権という言葉は一時間、二時間の会議の間に何十回と出てまいりますが、愛という言葉は一度も出てこないのに私は驚嘆したことがあります。つまり、基本的なものがないと、どんなに制度をつくりましてもそれは生きてまいりません。  それで、愛という言葉をお聞きになると、この中にも、曽野綾子はキリスト教徒らしいからまたそれを言い出したとうんざりしていらっしゃる方もあると思います。それは当然のお考えと思いますので、少し説明をさせていただきたいと思うのですが、私が習いました愛という言葉は二つございまして、これは日本語に直しますと両方とも愛になるのですが、例えば新約聖書の中で使われております愛という言葉は二つでございます。フィリアとアガペーというものでございます。  このフィリアというのは、厳密に申しますと、愛というふうに訳されておりませんで、好きであることというふうに言った方がよろしいと思います。ですから、これは好意の還流が成り立ち得る関係を示しておりまして、兄弟愛というのはフィラデルフィアで、フィリアがその中に入っているわけです。それから、皆様方がひげをおそりになりますフィリップという会社は、あれはフィリアとイポス、馬という言葉が入っております。つまり、馬を愛する者という意味でございます。ですから、これは人道的な愛というふうには使い切れない言葉でございます。  それに対しましてアガペーというのは、これは難しい言葉だそうでございまして簡単に言ってしまってはいけないのですが、理性の愛でございます。つまり、私たちは、例えばNGOで働きますと、もし本当にその人がNGOで働いておりますと、相手に対して嫌になることがあります。嫌になって憎む瞬間があるかもしれません。そのときにその相手を救うという行為を続けるのは、これがアガペーでございます。  理性としてやらねばならないからやるのであって、やることが気持ちいいからやるのではない。ボランティア活動というのは、それが楽しくなったらやめる方がいいというのが我々が戒められている一つの言葉なんでございます。だからといって、義務だけでさせていただいておりますというわけでもないとは思いますが、やはり私たちは、こうあるべき姿をやり続けるというより仕方がないんだと思います。  もう一つつけ加えますと、このアガペーという理性の愛があるときに初めて国際赤十字社というものの観念が成り立ってまいります。私たちは、制服を着て傷ついている敵がおりましたらば、もし私でしたら、これは相手を殺すのに絶好のチャンスだと思いまして、もう一度出刃包丁などを持って刺し殺し直しに行くのではないかと思うのです。でも、それはいけない、あなたたちは理性を持ってこの傷ついた敵を国際赤十字社の手に引き渡せと。こういう表裏のある大人の解釈が日本人に成り立たないというか、日本人に教育されませんときに、実は、二十一世紀の日本を代表する人々が国際的な社会において通用する法、姿勢というものもできてこないのではないかと思います。  そして、そのような愛を、悲痛な、命をかける危険な愛を推し進めていくものは勇気であろうと思います。これは勇気と申しますより、まず基本的なギリシャ人の思想というものを申し上げた方がいいと思うのでございますけれども、これはアレーテーという言葉です。  アレーテーというのは五つぐらい大きな意味がありまして、第一は男らしさということです。当時の社会は男が戦争をいたしましたし、経済行為をいたしましたし、それから家のすべての責任を負いましたので、やはり男らしさが第一の意味になってもいたし方ないと思うのです。  第二が卓越です。この卓越というのは、私たちは、卓越せずに人のどんじりになる方が楽だと思うときも私などは多いのですけれども、普通に申しますと卓越するということの方が幸せでしょう。ですから、人よりいい状態、すぐれた者になりたい。このアレーテーというのはそういう意味を持っております。  三番が勇気です。この勇気というのは、いわゆる戦争の、殺すか殺されるかというときにだけ発揮されるというふうに大東亜戦争終結直後の私たちには印象づけられましたが、実はそうでございませんでして、ただいまのような穏やかな時代にこそ勇気というものは示されなければならないと思います。  なぜならば、ギリシャ人の思想においても、このアレーテーという言葉は勇気であると同時に徳を意味いたします。勇気と徳が同じだということは我々の思想にはないものでして、徳のある方というのは、余り人に逆らわずに穏やかに、そうですねと言って同調して、そして何か際立った勇気など示さない温和な人というふうな感じがあります。ですけれども、徳のない勇気はないというのです。  さらに、もう一つ驚くべきことは、第五番目の意味ですが、このアレーテーは奉仕貢献ということが入っております。奉仕貢献をしない徳のある人というのはない、これはわかるのですけれども、奉仕貢献をしない男らしくて卓越した人はあり得ないということになります。また、奉仕貢献をしない、勇気もないということになります。それゆえに、この奉仕貢献ということは、最も普通に人間が求めるよき状態の中に含まれているわけでございまして、これは聖書の中にあるんですが、受けるより与える方が幸いであるという、使徒言行録の中にある言葉です。このような発想ともつながっているわけです。  私は、こういうところに来てきっと上がっていたんだろうと思いますけれども、先ほど、IIのcのところにございます負の力としての貧困というのを全く抜かしてしゃべっておりました。ちょっと補足させていただきたいのでございますが、今世界の貧困というのは非常に大きな状況でございまして、これが結局自立への必要過程、日本が自立する場合でも——bも抜かしていたのでございますね。申しわけございません。電力の持つ意味と、負の力である貧困というのにほんの少し触れさせていただきたいと思います。  電力というのがどんなに戦後の日本において大きな力を持っておりましたかということですが、今電力を持たない人々がどれだけいるかということをこの間教えていただきましたら、これは非常に数を数えるのが難しいんだそうですが、約二十億と言われています。  そして、電気がないところには民主主義が成り立ち得ません。これは大きな関係がございまして、電気のないところで民主主義をやっているところはないんです。何をやっているかというと、部族社会でございます。ですから、日本でも、停電になりました途端に民主主義は停止いたしまして、一時部族社会ができるんですね。つまり、停電になると、夜でございますと、どなたかわかりませんけれども、立たないでください、みんな誘導しますからここにいてくださいと言う指揮官があらわれます。それは我々が民主的に選んだ人ではないということです。  それからもう一つは、工業生産品というものがなくなりまして、家から何から全部その辺にあるもので調達いたしますから、私が驚きましたのは、直線と真円が見られないということ。つまり、真円は多分満月のある瞬間に見られるわけです。それから直線は、理論的に申しますと、紙幣と国旗によって見ることが可能なはずなのでございます。あとは、切ってきた大黒柱、その辺のヤシの葉っぱ、それからおなべも丸いはずなんですけれどもひん曲がったようなもの、そういうことでございますので、直線と真円が見られない。  どういう結果になるかと申しますと、抽象的思想というか発想というものを持つことができない人間が育ってまいります。つまり、一本のバナナと一本のバナナをもらうと二本になるということは、子供たちも一生懸命やると算数ができるんですが、一足す一は何かというとわからない。それは一というものが抽象的思考だからでございます。  こういうふうなことが成り立たないという恐ろしい状況を持ってまいりますので、戦後の日本が電力の補給を受けたということは、これは基本のエネルギーが何であれ、私たちに大きな恩恵をもたらしたということで、これがない社会において民主主義が成り立たないことを私たちは非難してはいけないというふうに考えます。  それから、負の力としての貧困でございますが、これは世界的に大変ひどいものでございまして、アフリカは現在、一日に大体一家一ドルで生きております。一家でございまして、一人じゃありません。この間参りましたブラジルの場合、最低賃金が三ドル近かった。あなた方は三倍お金持ちですと言ったら、貧しい人に嫌な顔をされましたけれども、大体子供が六、七人いても九十ドルぐらいで暮らしているわけです。  貧困がございますと、五つぐらいのことがはっきり出てくるわけです。まず、盗み、暴力です。私たちが今お金がなかったらどうするかと申しますと、盗むよりしようがないですね、だれもくれませんですと。こういうことを、いい国に暮らさせていただいておりますと忘れてまいります。盗み、暴力。  その次にどういう結果が出るかと申しますと、幼児の死亡率が非常に上がってくる。千人中二百五十人とか三百人とかという数になってくる。それから平均寿命が、これはエイズが大きく関係していると思いますが、つい先ごろの調査で三十歳以下というのが出てきたようなんです。そうしますと、三十歳以下の平均寿命の恐ろしさというのは、成長して、知的に教育を受けて、なかなか難しいことですが、仮にできたとして、受けても、一人前の人間として働く年数が非常に減ってくるということでございます。  それから、道徳性の低下でございます。家庭の崩壊がございまして、要するにせつな主義になりますから、男女関係というのはめちゃめちゃになりまして、南米では消えた夫だらけでございます。例えば、インディオが山から出てきまして、稼ぎのいいところに行こうと思いまして、就職いたしますと、非常にひどい労働をしなければなりませんので、そこで結核になります。結核になったよといって、国に残してきた奥さんに手紙を書けばいいのですが、字が書けませんので、何となくそのままになっているうちに、やけ酒を飲んで、そこの女とできるようになります。その女との生活に没頭してしまいまして、そしてついにはだんだん家族に対して捨てたという思いが強くなって、もう家に帰れなくなっていくということです。  それから第四番が麻薬でございます。麻薬をやめなさいと言っても、かわる換金作物がない。これはもう先生方御承知のとおりでございます。この間ボリビアに参りまして、このごろボリビアはどうですか。これは私にすればあいさつがわりなんですけれども、そうしたら、非常に不景気なんですと。ああ、やはり同じですかと言ったら、いや、麻薬を取り締まったらボリビア全体に入る金がなくなってきたと。その辺の細かいいきさつになりますと、先方様もわからないでしょうし、私も確かな証拠として伺うだけの自信はないのですが、そういうお話がございました。  それから売春でございます。これは、今ヨーロッパの各地で、自動車道路を走っておりますと道端にお嬢さんたちがたくさん立っていまして、これはやはり娼婦でございます。これは、気の毒なことに、難民として東欧からヨーロッパに入ってきた人たちが、何も特技がございませんし、言葉もよくできない人もいますでしょうから、そこで何をするかというと、売春をするほかはない。  貧困による大きな影響力というものが援助される側にも援助する側にもございまして、この現実というものに対して私たちがよく目を開かなければいけないわけです。  ですから、貧困の一つの中に、今私は非常に素朴な意味で盗みと申しましたが、大統領から土地のケースワーカーまで盗むという当然のことが出てまいります。  これは、本当にこういうところで申し上げる話じゃないかもしれないんですけれども、小説家ですからお許しいただきたい。つい先ごろ、私はインドのある人としゃべっておりました、インド人の神父なんです。夕方、ビールを飲みますときに、ですから本当に大まじめとはお考えにならないでいただきたいんですけれども、大体、神父様のお国のようなところに我々日本人が援助をしたときに、どれだけが本当に、貧しい、困っている人たちのところに行くんですかと聞いたんです。そうしたら、その神父は、ちょっとビールを置きまして、どことどことの援助だと言うんです。では、ガバメントからガバメントの援助としたらどうですかと聞いたんです。そうしましたら、ゼロ%だ。そして、ではカウンターパートがあった場合はどうですかと聞きますと、五〇から、うまくいけば九五%だ。  私は、ゼロ%というのは、今申しましたようにビールの上の数字だろうというふうに考えております。ただ、人たちが見るのに、せっかく贈っていただいたお金というのはもう少し行くべきではないか。ですから、そのことに関しますと、人々の考え方がゼロ%に近いというほどの額がどこかに消えているという実感を多くの人々は持っているようでございますが、これは先ほども申し上げましたように、一市民、普通の生活者としての、ビールを飲んだ上での会話でございますので、そのようにお聞き流しいただきたいと思います。  そういう意味で、私は、日本人の優秀な性格、素質というものをいささかも疑ったことはないし、そして、私たちが指導していけばよい結果が出ると思っております。しかし、ただいまのところ、それが十分に果たされているという実感が余りございませんので、先生方のようなお立場の方々に日本国民のあるべき姿を強力にお示しいただいて、そしてその指導力を発揮していただいて日本人を伸ばし、日本人だけの幸福でなく、幸福な者は必ず幸福を分け与えるという任務を持っておりますので、おまんじゅうは一人で食べないで必ず弟にやりなさい、半分に割ったときにちらっと見て大きい方を食べてもいいけれども、小さい方は弟にやれとよく申します。そのような気持ちで日本人が暮らせるように御指導いただきたいと思っております。  どうも大変個人的な話で、お恥ずかしく存じております。お許しいただきたいと思います。(拍手)

中山太郎自由民主党

○中山会長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————

中山太郎自由民主党

○中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。保利耕輔君。

保利耕輔自由民主党

○保利委員 本日は、曽野参考人には大変お忙しい中、こうして私どもの調査会にお出ましをいただきまして、ただいまは、大変示唆に富んだ、そしてある意味では宗教観に根づく、さらにまた、私どもがなかなか行けないような外国での経験を交えていろいろなお話をしていただきまして、私も大変感銘深く承りました。特に、二十一世紀の日本のあるべき姿を考えていく上での大変大きな示唆に富んだお話だったと私は思っております。心から厚く御礼を申し上げたいと思います。  ところで、最後の方でお話しになりました愛でありますとか勇気でありますとか、あるいは、要求して与えられないものは尊敬、謝罪、人権、そういうようなものであるというようなことは、私どもが物を考える上で大変大事なテーマであるというふうに思ったわけであります。  それで、最初の部分でお話がありました中に、自立というものがありました。自立の中で、特に食糧とか水とかというものをやはり自立させるべきであるという御指摘をいただいたことは、私もこの分野で長いこと仕事をしてまいりましたが、大変ありがたいことだと思っております。  今、御存じのように農業が非常に難しい状況になっている。それは、一つは世界的な貿易の自由化の波がある。そして、私は常に言っておるのですが、自由化というのは、輸出をする自由もあるけれども、輸出をしない自由もあるのだ。輸出をしない自由ということについては何ら論議がされていないところが、非常に均衡を失するものだと思っております。  そんなことを考えてまいりますと、今の貿易の自由化論議というのはやや利己主義的なところがあるのではないかというようなことを常日ごろ考えているものでございまして、この点については、もし御意見等がございましたらお話をいただきたいと思います。非常に専門的なといいますか、きょうのテーマと少し違うかもしれませんので、また別の場合でもよろしゅうございますが、お話がございましたら、自立ということに絡んでお話をいただければありがたいと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 こういうことにお答えできるようでございましたら小説家をやっていないと思うのでございますけれども……。  ただいまのことで私が思い浮かべますのは、私はシンガポールで時々暮らしているのでございますけれども、あそこは黒い鶏を少し生産するだけで、全く食糧も、水さえも足らないのです。そして水も、飲めない水を買って、シンガポールできれいにいたしまして、またマレーシアに売っているという感じでございます。だから、食糧は何にもございませんから、南半球、北半球、両方から安いものを買いたたいて、たたいてというのは私の言葉ですけれども、おいしいものを食べているという感じなんですね。  そういう状況が成り立ちますのは、一つは国が小さいということです。小さいものをたたきつぶすと世界から非難をこうむりますので、こういうものもおもしろい要素になってきたと思うのですが、日本は多分、小さいからかわいがってちょうだいよというのはもうきかない国ではないかと思います。  それから、御下問のございました輸出する自由、輸出をしない自由というのは、一般に当然のことでございます。そのような問題について一市民がよく理解をいたしません理由は、これの広報が余りよくなされていないからのように思うのです。これは、国内広報はもちろん、外に対して繰り返し繰り返し、それはどういうふうにぐあいが悪いことであるかということをおっしゃっていただかないといけないのではないか。  そのような情熱というものが少し足りませんし、世界じゅうが利己主義を第一とし、人間ならば当然でございますが、その利己主義を糊塗するだけの知恵を持っているということは事実でございます。ですから、私ども日本人もそれに相応した知恵を持ちまして、その上に、できれば、さっき申しましたように少し徳のある人間の輩出する国家として、アディショナルな味をつけていけたらというふうに思っております。  お答えになっておりませんけれども、どうぞひとつこういう問題を対外的に執念深くアピールなすっていただきたいというふうに思っております。申しわけございません。

保利耕輔自由民主党

○保利委員 大変ありがたいお言葉でございまして、私どもも宣伝が少し足りないと思っております。こうしたことについては、やはり私ども政治家が責任を持って国民の皆様にPRをしていくべきことだと思っておりますので、著名な文学者からそういうお話をいただいたことを私ども肝に銘じて、今後活動してまいりたいと思っております。  さて、きょうは、有名な作家でもいらっしゃる曽野参考人でございますので、ちょっと私も質問がしにくいのでありますけれども、かねて御著作やいろいろなところで発言をしておられるものを読んでおりまして、実は私、大変感銘したものが一つあります。「利己主義な私。けれども… 「美」と「酔狂」に殉じたい」というのを最近月刊誌に出しておられるわけでありますが、その中で、泉鏡花の「滝の白糸」について書いていらっしゃるわけであります。私は、滝の白糸のありさま、生きざまというものをここで論じようとは思いませんが、その文章の中に、国語の美しさというものを泉鏡花が示しているということが書かれておるわけであります。  国語というのは非常に大事でありまして、二十一世紀の日本でも恐らく国語は使われていくでありましょうし、使われていかなければならないと思っております。千年も前の枕草子の言葉が生き生きとして今日の日本にも通用する、そして我々が読めるということは、どんなにありがたいことかと思います。  今、ちょうど秋でございますけれども、その一節には、  秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、からすの寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいてかりなどの連ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。 こういうような文章が今日も読めるということは、私どもにとって大変有意義なことでありますし、これを大事に大事にしていかなければならないという気持ちが私にはあります。  そんな美しい国語を持っているということについて、参考人の御意見をお聞かせいただければありがたいと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 私たちが一番大事なことは、他を理解するということでございましょうが、これは、憲法にせよ、それから国内のよき政治にせよ、それからまた対外的に援助の活動をするという場合も、相手を理解するということですが、この理解ということは言語を通して行われるわけです。ですから、それは、今おっしゃっていただきましたように、国語を私たちが学ぶということ、外国語を学ぶということ、それからまた、国籍、人種を問わず理解する基本的なものが哲学というものでございますけれども、そのようなものを私たちは読んでまいりたいと思います。  「滝の白糸」のことをお引きいただきましたのは、私も子供のときから見たいと思っていたのですが、「滝の白糸」というお芝居をこの年になるまで見たことがございませんで、二代目の水谷八重子さんが大変見事な舞台をお見せになりました。  そして、当時はやはり職業に対する差別がはっきりしておりましたから、水芸の女である滝の白糸が、東京帝国大学法学部を出るような、検事補になったような優秀な青年に対してどうして金を貢いだかということを聞かれる法廷の場面で、そのときに、水谷八重子さんのせりふということでただいま出会っているわけでございますが、だから申し上げたじゃありませんか、それは私の酔狂だったんですよ、それ以上は絶対言わないんです。それが先ほど申しました美の一つでございます。自分の酔狂なんだから立ち入らないでくれというんです。  でもそれは、言葉にはならない。水芸の女ですから、どうしてそうなったかということは説明できないかもしれませんけれども、彼女の一生をかけて選んだ、死刑になるわけですけれども、一つの選択であったということでございます。つまり、そのような思いを表現する言葉、そして私たち外部の者でしたら、それを察してあげることのできる言葉というものがなければなりません。  しかし、最近ちょっと変わってきたようでございますけれども、長い間、国語の教育において作文というものが昔と比べて軽視されてきたように思いますので、そういうものを復活していただいて、そして、お互いに相手の心をわかるということは、これは大変に楽しいことでございますので、その楽しみというものを得たいと思います。  例えば、今の日本語で本当になくなってしまいましたのが、羞恥、謙遜、反語、これは一緒にしてはいけません。羞恥、謙遜をあらわす言葉と反語が通じなくなったのは驚くべきことなんです。私は、もうずっと若いときですけれども、あるときインタビューを受けまして、そういう問題は私のように頭のいいのにはちょっとわからないのですがと言ったんです。そうしたらそのとおり書かれまして、それ以来、私のようにばかな者はと書かなきゃいけないんだと思ったんですけれども、つまりこれが通じない。これは裁判も恐らく通じない世界だと思います、いまだに。  ですけれども、これはとても寂しゅうございますので、あなたは言葉でこう言ったじゃないかというんじゃなくて、日本人であることの共通の感覚を駆使してお互いが生活できるような、そういう状況に持っていく教育を子供たちに与えていただきたい。殊に、羞恥と謙遜というのは全く通じなくなりました。これは私にとって驚くべきことなんでございます。おっしゃいましたように、豊かないい文章にたくさん触れて、ですから、テレビもいいんですが、本も読まねばならないとはっきりおっしゃっていただきたいというふうに思っております。  私は、実は現国を高校の授業から取る方に賛成なんでございます。と申しますのは、私の書いたものが出てまいりまして、これは曽野綾子という人の文章だけれども、中に三つの願い事があるけれども、その三つは何だろうと。おばさん、よく僕にはわからないんですけれども、おばさんが書いたんだからわかるでしょうと、息子の友達が持ってまいりました。筆者の私に全くわかりませんでした。そういうのはわからないならわからないでよろしいので、そういうことに血道を上げる現国はやめた方がいいという理由でございます。

保利耕輔自由民主党

○保利委員 いろいろお話しいただきまして、作文の大事さというのは私自身も感じております。学校で国語を勉強いたしますが、恐らく子供さんに対するインパクトというものはテレビの番組の方が大きいような気がいたします。特に民放のコマーシャルなんかでは、いかがかなと思うような日本語に時々ぶつかることがあるわけでございます。そういうところにやはり公共放送機関の方々は配慮をしていただく必要がある、私は常日ごろそんなふうに思っているわけでございます。  ところで、先ほどの「滝の白糸」のお話の中の文章でございますけれども、「この芝居は心を打つものであった。今、鏡花の原作も手元にないのだが、その時代の日本語の優雅な含みのある表現が今は全く失われた日本人の美学・哲学・精神の構造をごく平易な形で語ってくれているのを発見したのである。」こういう文章を書いていらっしゃるわけです。本当にこれは私もうれしくなるような文章でございます。  そういう観点から日本国憲法の前文というものを見てみますというと、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」これは一部でありますが、書き出しのところがそんなふうになっております。  これはマッカーサー草案の直訳とほとんど同じようなものでありまして、発想的にも英語の構文に基づいてつくられているように私には感じられるのであります。憲法というのは非常に大事な法律でありますから、少なくとも前文ぐらいは、義務教育を終えた中学生が見て、一〇〇%とは言いませんが、八〇%は、ああ、こういうことかというのがわかるような文章であってほしい、私は憲法についてはそう思うわけであります。  すぐ改正論に結びつけてこのことを申し上げるつもりはありませんけれども、しかし、前文の意味するところはこういうことだよということで、きちんとした国語に、これも国語ではありますけれども、国語に直し、日本人の発想に基づく日本語の構文様式に基づいてつくるということが必要なのではないかと私は感じておるわけであります。  物事を日本の言葉で表現するというのはいろいろな意味があると思いますが、言葉というのは意思の伝達の機能だけではなくて、むしろそれより以上に思考の道具である。物を考えるときに日本語を使って考えている。私、常日ごろそんなふうに考えておりますものですから、日本人の頭に入りやすい日本国憲法前文、これを書いてみる、これをすぐ改正論につなげるつもりはありません、書いてみるということが必要ではないかと思うのであります。  著名な作家でいらっしゃる曽野参考人に、私はぜひ、この思想をそのまま正しい国語で伝えたらこうなりますというのをつくっていただきたいなと念願をしているものでありますけれども、その辺について御感想がありましたら、お聞かせをいただければありがたいと存じます。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 私は、専門家というものに大変尊敬を感じまして、そして、私のような素人とはあくまで一線を画すべきものというふうにいつも思っておりまして、法律の専門家は法律の専門家としていいのである、したがって、このようなわからない文章もこのままでいいのではないかと今でもまだ思ってはおります。  ただ、その背後には、例えば聖書の翻訳というのがございまして、聖書をもう少しよくしろというのがあったのですけれども、あれを私は四十代になりましてから、ギリシャ語ができるわけでは全くないのですが、ギリシャ語の原文にところどころ当たりながら教えていただいたわけです。そういたしますと、あれはいい文章にならないのです。厳密にするにはあのまましかあり得ないということがわかりました。それで、憲法というもの、法律というものもそうではないかなというふうには考えております。  ただ、これから先は小説家としての御返事になりますが、いい文章というのはわかる文章です。だから、しち難しそうに見える文章というのは全部悪文である。  昔から、私ども若いときには、中央公論を小わきに抱えてというのがあったのですけれども、わからないような本を持って歩くと何か高級になったように感じられるというのがありましたけれども、わからない文章にはいいことが書いてあるように思うというのは全く間違いでございまして、どんな難しいことをも普通にわかりやすい文章で書けねばならないということは、私どもが若いときに、文章修行をするときに言われることです。  ですから、確かに子供にもわかるような文章というのがあってもよろしいのですが、同時に、私は、現実性ということも少しチェックしなければいけないんじゃないかと思います。  憲法は、かくあるべきという姿をあらわしているのであればそれでよろしいのでございますけれども、例えば「教育を受ける権利を有する。」というのがございましたね。権利を有すると申しますけれども、子供の人権宣言なんというのもございますが、私が参りましたような貧しい人たちに、あなたたちは教育を受ける権利があると言った場面を私は想像するのです。そういたしますと、何か受けるって、くれるのかねと言うので、ええ、教育を受けるという権利を上げるのです。そうすると、多分理解できない人もかなりおりますでしょう、非常に知的な人もおりますけれども。ですから、そういう人たちが何て答えるかというと、その何とかいう権利は要らないから夕飯に食べるものをくれないかと言うのですね。そういう人たちがたくさんいることもございますので、例えば、「権利を有する。」なんという文章というものが、どんなに、時として、場合によって浮き上がるものであるかということも私たちは考えなければならないと思います。  しかし、先生のおっしゃいましたように、わかりやすい文章の中で全部が言えるということは事実でございます。ですから、法的にそれが可能でございましたら、ぜひ、私ども一般市民が楽しんで憲法、法律一般を読めるように改善していっていただけたらと本当に願っております。

保利耕輔自由民主党

○保利委員 憲法の前文は、法律的要素というよりも、むしろ文学的要素の方が強いような感じがいたします。それですから、やはり、高邁な思想を正しい国語で表現していただく、あるいは我々がするように努力をしてみるということは必要なんじゃないかと思います。  それから、教育の権利のことについてお話があったわけでありますが、実は、この日本国憲法にも、二十六条に不思議な文章がございまして、子供は権利を有する、大人は義務を課せられる、これは義務教育についてでありますが、子供は権利だけが与えられておる、それから親の方には義務教育を受けさせる義務がある、こういう書き方になっておるわけであります。なぜ、子供に、学校へ行かなければならないのだと率直に書けなかったのか。義務には、法律的にいって、これに反すれば処罰を受けるというような面もありますけれども、精神的な義務というのもあるはずでありますから、私は、この憲法二十六条の条項については若干疑義を持っております。そのことを申し上げさせていただきたいと思います。  時間がございませんので、最後に、人間教育ということについてお伺いをいたしたいと思います。  その前に、人間という言葉について、私は常日ごろ、これはおもしろい言葉だなと思っております。人間といいますと、これは人のことを普通は指すのでありますが、どういうわけか、人の間と書いて人間と読ませております。江戸時代から人間という言葉があったのか。漢和辞典を引いてみますと、人間という使い方は誤用である、人と読ませるのは間違いなのである、これは世間に近い言葉で、人と人との間である。だから、人間教育といった場合には、人と人との間の関係を教育していく。これは道徳もありましょう。当世流に申せば、公徳心を養うということもありましょう。あるいは、エチケットを磨くということもありましょう。そういうようなことがこの人間教育というものから発想されるわけであります。  この人間という言葉、さらに人と人との関係ということについて、先ほどもお述べになっていらっしゃいますが、もう一回、人と人との関係はどうあるべきか、二十一世紀、日本において人間の関係というものはどうあるべきかということについて、お考えをお聞かせいただければありがたいと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 私は小説書きなんですけれども、きっといいかげんに世の中を生きているせいか、余り物事を厳密に考えたことがないのですが、英語でマンと言うと、ある人をいう。ワンと言うときもございますけれども。ワン・セズとかマン・セズとかという言い方をいたします。なぜそれはマンでなきゃいけないのか。ウーマン・セズと言っちゃいけないのか。ウーマン・セズと言うと、女性が言うということになって、人が言うということにはならないわけです。そういう意味もあるのかと思いますけれども。  おっしゃいましたとおり、ターザンででもない限り、私たちは必ず人と人との間に生きておりまして、それで、人と人との間に生きますと、必ずいい人間関係と悪い人間関係ができてきます。これはいささか粗っぽい分け方ですが。私たちは、いい人間関係というのはよくわかりません。自分にとって快い人間関係と言ってよろしいのでしょうか、そういうものを求めますが、現実問題としてはそれだけを求めるということは難しいわけです。ですから、私はいつも、人間関係が悪いのもいいのも、ともに現世の姿であると思ってそれを受け入れて、そのよさの中からと悪さの中から、ともに意味を見つけるという姿勢でありたいと願ってはおりますが、なかなか自分がそういうふうにうまくはまいりません。  というのは、これは一般的な命題でございまして、別に人間関係だけではありませんけれども、すべての存在には意味があるというトマス・アクイナスの考え方に結びつくのであろうと思いますが、やはり、よければいいのですけれども、では、悪い人が一人もいなくなったらいいかというと、私たちは、自分を侵すような存在から随分学ぶことがございます。望んでそういうものを得るわけではございませんが、望まなくてもそういうものが降りかかりますので、そこから学んでいくより仕方がないんだと思います。  ただ、そういうときに、人間関係が怪しげになりますと、つまり受け流して、余り関係なくして、今でしたらおたくというふうな状況に逃げ込むのも一つの手。本当につらくなったら、それも私はよろしいと思っているのでございます。  もう一つは、やはり人間が人間に対して責任を負うという、その反対の極にある人間関係でございます。それを私はユダヤ人の思想から学んだのでございますけれども、私どもは簡単に、だれとだれとが仲よくなって、我々は同志的な気分を持っているというようなことを申します。同志とは一体何か。カムラーズということなんでしょうけれども、何かということをあるとき読みました。同志とはどういうことをもって同志と言えるかというと、血か金を差し出す人という定義でございます。つまり、同志と言えるからには、その人のために命の危険があるほどの行為ができるか、極論するとその人のために死ねるかでございます。  もう一つは、これが極めてユダヤ人的、ジューイッシュの方たちの発想らしいのですが、その人にとって苦しいほどの金を出すことができるか。同志というのはダミームと言うのだそうでございますけれども、ダミームの定義は、その二つの要素をかなえることでございます。  例えば一万円とか十万円とかお出しになることじゃないのですね。先生方がどれくらいお金持ちでいらっしゃるかわからないのですけれども、例えば十億円とか五十億円とかお出しになる、これはダミームの一つのあかしである。私たちは金を侮べついたしますが、ユダヤ人はそうではないのですね。ユダヤの人たちは、金をもってその表現にかえるということがあり得るということらしゅうございます。  私は非常に大きなショックを受けまして、どちらにせよ、署名運動だったり、握手をしたり、一緒にダンスを踊ったりすることで同志のあかしを立てられるのではない。人間関係というのはもっともっと深くかかわるものであるということを、私どもはユダヤ人と同じように考える必要はないのですけれども、そのような判断をする民族もいるということぐらいは知っていてもいいと思います。  そして、今おっしゃいましたように、人間関係というものが、第一歩にして最終的な私たちの生活の幸福なんだということを深く子供たちに教えていただきたいと思っております。

保利耕輔自由民主党

○保利委員 もう時間が参りました。まだまだ続いてお話を承りたいと思っておりますが、また別の機会にどこかでお話をお聞かせいただければありがたいと思っております。  きょうは、野党の皆さんが出てきておられませんで、大変残念でありますが、恐らく館内テレビでごらんになっていらっしゃるのではないか、こう思っております。  日本人らしさをどう保ち続けながら、国際化していく社会の中に生きていくか。二十一世紀は本当に難しい世紀だと思います。私どもも十分勉強して、来るべき二十一世紀に対処してまいりたいと思っております。  本日は、お忙しいところ、ありがとうございました。

中山太郎自由民主党

○中山会長 これにて保利耕輔君の質疑は終了いたしました。  民主党・無所属クラブの質疑予定者の御出席を要請いたしましたが、御出席が得られませんので、やむを得ず次の質疑者に入ります。赤松正雄君。

赤松正雄公明党

○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。本日は、大変にすばらしいお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。  私も、保利代議士と同じように、きょうこの場でお話を聞かせていただいて質問をさせていただくということで、急ぎいろいろなものを読ませていただきました。実は、私は映画が好きでして、かつてベトナム戦争を描いた「地獄の黙示録」という映画があったのですが、この映画を評論家の立花隆さんが、だれもコッポラのメッセージはわかっていない、要するに、キリスト教の歴史、背景を知らなかったら「地獄の黙示録」を本当に見たとは言えないのだという意味の論文を書いておられたのを読んで、なるほど、キリスト教をわからなきゃだめだなという思いを持ちました。  それで、NHKの人間講座「現代に生きる聖書」を見ようと思って、一回だけ挑戦して三十分間見ましたけれども、あとは残念ながら見られなかった。そういうことから、テキストをきょうに備えまして全部しっかりと読ませていただきました。それこそ一冊のテレビ講座のテキストを読んで聖書をわかったようなことをもちろん言うつもりはありませんが、要するに、聖書の何たるかの本当の入り口部分がわかったかな、あるいは、引き続きいろいろなものを少し読んでみようという気持ちになったことは事実でございます。ありがとうございました。  そこで、実はそのテキストの冒頭のはしがきの部分に、曽野参考人はいきなり、私はひきょう者であるということを書いてある。いろいろなところにそのお言葉をよく使われる。先ほど、日本の言葉から羞恥と謙遜がなくなったということをおっしゃっていて、これは文学者特有のレトリックでおっしゃっているのだろうと思いつつ、同時に、転びキリシタンというお話もあった。私も宗教者の端くれ、仏教徒の端くれでございますので、いかにもよくわかる気がいたすわけですけれども、そういうところもあって、なかなかいろいろな意味でおもしろく読ませていただいたのです。  きょうは、冒頭にぜひお聞きしたいなと思うことがございます。それは、政治家というものに対するとらえ方でございます。ほかのところで、職業としての政治家が嫌いだとはっきりおっしゃっています。うそをつくからだと。さっき街角での演説のお話をされました。  私たちはこの場で二十一世紀の日本というものを考える、二十一世紀のあるべき姿、先ほどのお話の一番最後で、政治家に対する、私たちに対するいわば期待のようなことをおっしゃって終わられました。二十一世紀を引っ張っていくべき、引っ張っていくという言葉はまたよくない言葉かもしれませんが、日本をリードしていかざるを得ない、そういう立場に立たされている政治家に対する曽野参考人の考えられる期待像というか、その辺について、こういう政治家なら好きよというところを聞かせていただきたいと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 何かうれしくなるようなことを聞いていただきまして、政治をなさいますには、これは当選しなければならないわけでございますから、私はその方面の技術というのが実は人一倍わかっていないので、お答えもピント外れになると思うのですけれども、やはり明確な哲学と、あえて危険を冒すという姿勢をお持ちの政治家になっていただきたい。  つまり、わからない人はわからなくていいんだ、わかる人はついてこいとおっしゃっていただきたいのです。そうでなければ、同じように、人権が大事です、落ちこぼれがないようにしましょう、そんなことは言わなくたって、私たちはわかっていることなんでございます。それ以上のことを、この方は何をしてくださるのかということではないかというふうに私は思っております。  そしてその上で、言葉というものは、私はその方面でいささかかかわってきた者ですけれども、言葉というのは必ずしも完璧でないということはわかっているはずでございます。もし国民がわからないようなら、その教育をすべきなんです。そして、政治家がおっしゃっていることをわざと悪意にとるとか、そういうことがないようにしなければならない。また、マスコミにはマスコミの教育というものが多分要るだろうと思います。ここにいらっしゃる方には、優秀な記者も優秀でない記者もいらっしゃるということだろうと思います。  それで、私たちは、どういう人がうまいインタビューをとれるかというのはよく直面するんですよ。これは、まず第一に、声帯模写のうまい人ですね。音声をぱっと耳で覚えられて、その人の言葉じりをとらえておもしろくまねできるような人がいいインタビューをとれるんでございます、現実に。ちょっとふざけた返事になりますけれども。  そうでなくて、私、エッセーを今用意してきたんでございますけれども、北風型と太陽型というのが記者氏におられまして、政治家に答えられないようなことをずばずば聞くのが優秀な記者だというふうな考え方が一方にあるんです。私は、それを外から拝見していまして、そういう人はほとんど談話がとれないで終わると思います。そんなのはすぐ見分けられますから、そういう人には何も言わない。やはり、記者の方々の人格そのものに深い尊敬を覚えるときに、政治家の方も本当のことを、聞かれないでも言っておしまいになるだろうというふうに私は考えております。そのときに、メディアを通して私たちは全部伺うわけですから、その政治家の本当の言葉というものが出てくるだろうというふうに解釈いたします。  ですから、まず政治家の方では、これだけは自分は譲れないと思うこと、さっき申しました勇気イコール徳イコール奉仕貢献イコール男らしさイコール卓越、それらをお持ちいただいて、そして危険を恐れずになさっていただきたい。それが選挙にどういう影響があるのかということになりますと、私は部外者でございますので全く難しいことになってくるんですけれども。  そして、先ほどちょっと性悪説、人間というものが、悪いものである、それから裏切る者であるというようなことにもちょっとお触れいただきましたので、補足いたしたいと思うんです。本当に、同じ宗教者としてやはり補足しておかなきゃいけないとお思いになるんじゃないかと思うんですけれども。  私たちキリスト教徒は、少なくとも私は、キリスト教において性悪説です。ですから、外国に行ったら金はたちまちだまし取られ、人は全部うそをつくだろうと思って対処しておりますと、いい人がいて、だまされなくて、むしろ救ってもらった。ああ、恥ずかしゅうございました、どうぞ私をお許しください、あなたに対してこういう悪い思いを持っておりましたと言う喜びを得ている人間でございます。ですけれども、性悪説は変わりません。性悪説でずっと私のNGOの仕事などは今後もやってまいりたい。そして、私一人が悪者であって、ほかの方はいい人だったという御報告をできたらしたいというふうに考えております。  この性悪説は固定したものではないんです。人間というのは両面、両サイドを持っております。そして、それを一番はっきりあらわしておりますのが、キリスト教の場合ですと殉教者ということになります。殉教なんというのはどうしてできるんだろう、火責め、水責め、石抱きなんというあんな恐ろしいことになったらどうにもならないから、どうしてあんな力があるんだろうと思うのです。それで、私たち小説書きの中の何人かが、すぐ転ぶ会というのをやっていたのはその理由なんです。  殉教者たちがどうしてライオンに食われたり火で焼かれたりするのに耐えられるかということですが、殉教者というのは英語でマーターと言うらしいんですね。そのもとはマルチュレーオーというギリシャ語でございますが、マルチュレーオーというのはあかしすることなんです。何をあかしするかというと、その人も普通は私と同じような弱い者である、しかし、その瞬間に何か、彼の内側かあるいは神、仏かよくわかりません、そういうものからの力を得て、そして、その人と考えられないような力を発揮する、そのあかしをすることをマルチュレーオーといい、あかしをした人がマーターという言葉になっております。  こうなりますと、私たちは弱い人間だということは、さっき申しました謙譲語であるとかなんとかということになるのかもしれません。そしてまた、一面の真実であろうと私は思います。一面どころか非常に大きな真実であろう。しかし、それがまた、人間が両極のもう一つを得まして、人間とは思えないほどの力を発揮するということも真実なんです。  私どもは、そのひきょうな面の現実をとらえることに憶病であってはならない、そのような面で簡単に人に絶望してはいけない、同時に、どのような人であっても、その力をあかしできる人間になるかもしれないという未来を忘れてはいけない、それに希望をかけていかなければならない、そういう感じが宗教に関していたしております。

赤松正雄公明党

○赤松(正)委員 ありがとうございました。  今のお話にもいろいろさらに私の考えるお話をさせていただこうかと思ったんですが、ちょっと時間がありませんので、次のテーマに移らせていただきます。  今大変に新聞、テレビ等で話題になっております教育改革国民会議における曽野参考人の御発言とか、お立場のお話があるわけでございますけれども、それに関して、例の産経新聞の正論誌上における上坂冬子さんとのいわば論争、「奉仕活動の義務化は是か非か」というのを興味深く読ませていただきました。これは、曽野参考人の二度目の反論に対する上坂さんの再反論ではないのだと思うんですが、私、読ませていただいて、大変失礼かもしれませんが、これは痛み分けかなというふうな思いが実はいたしております。  そこで、きょうお聞きしたいのは、要するに、奉仕活動というのは義務を伴う、そして強制的なものだろう、ボランティアというのは自発的で、むしろある意味で、究極を言えば人間の権利というようなものだろうと私は勝手に読ませていただいて思っています。上坂さんは奉仕活動とボランティアについて区別をされておられないという観点の反論をなさって、一方で、個の確立ということは五十年待ったけれども、正確な言葉ではないかもしれませんが、長い間待ったけれども、日本の特に子供たちの世界における個の確立というのは大変に難しくて、できていないんだということをおっしゃって、上坂さんが個の確立の方が先に来るべきだとおっしゃっているのは、いわばないものねだりみたいなんだということをおっしゃっている。  私は、ここでぜひお考えを聞きたいのは、奉仕活動も大事だと思います。ただ同時に、私は、確立された個に対する子供たちの接触——実は、私の体験を言いますと、高等学校時代に、当時の校長先生が、猪木正道さんと大森実さんと五十嵐喜芳さんとそれから木琴の平岡養一さんを呼んでくれて話を聞かせてくれた。本物に触れた思いがした、本当にすばらしい体験をしたと思いました。  だから、そういう奉仕活動もいいんですけれども、小学校、中学校、高校時代に、何が本物かという議論がまたあるかもしれませんが、確立された個に接触するということが私は教育にとって大事だと思っているんですが、その辺についてのお考えを聞かせてください。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 先生のおっしゃるとおりでございまして、私も、強烈な個、余り強烈な個に会いますと、いいんだか悪いんだかわからなくなるほどの強烈な個です。その個に出会って、私にも若いときがあったわけですから、びっくりしたりおぞけを震ったりなんかしながら、こういうふうに物は考えられるのかと思って、私自身を伸ばしていただいたというその幸せの思いに満ちております。  この問題、お聞きいただきましたので申し上げます。  なぜ義務化しなければならないかということは、実は一九八四年から始まりました臨教審のときに私おりまして、このときに、多分議事録に載っていない部分だと思いますが、その当時、あるお一人の新聞記者の経歴をお持ちの方がいらっしゃいました。一九八四年というと、ボランティアなんという言葉が余りなかった時代なんですね。その方はヨーロッパのある町に赴任なさいましたときに、まだ中学か高校ぐらいのお嬢さんをそこへ伴われました。  そして、ある日こう言われたんですって。パパ、ボランティアとかいうものに行くんだってよというわけです。それで何をやるんだい、何だかわからないけれども行かなきゃいけないんだってというわけなんです。それで、みんなと一緒にボランティアをしたと。どうだったと言ったら、パパ、意外とおもしろかったよと言ったんですね。  私はなぜ委員のお一人だったその方とこういう会話ができたかというと、その当時、ボランティア活動を大学在学中にしたときには、何か評価をして、それが就職に有利になるように計らってはどうかというふうな話が出ていたんです。私は、どちらかというと上坂さん的でございまして、ボランティア活動というのはボランタレリーなものであるから、いい会社に入るためにそういうことをするというのは不純であるから、点数に入れない方がいいという説だったのです。しかし、私は、どうも朝令暮改なんですけれども、すぐ考えを変えまして、その方のお話を聞いたとき、そうだ、チャンスは与えなければいけない、これが教育だと思うようになりました。  そして、実はこういうことを提案するまでに、一九八四年から十五年以上かかっているわけですけれども、その間にいろいろな、知事さんとかそういう方に伺いました。そうしますと、うちの県じゃもうやっていますよというお話がありまして、それで、私立学校で自発的に奉仕活動に行っているのがありますよと言うのです。それじゃ行きたいのが行けばいいですねと、私がこういう返事をするのは、大体すごく怠け者なので、何かを強制的にやるというのは本当に好きじゃないものですからそう言ったんですね。そしたら、そのお一人の方が、でも、曽野さん、それはある意味でだめなんだ、やる人はやっているんだよと言うんです。そして、ボランティア活動がどんなにおもしろいかということをやらせてみるということが大事なんだ。これが義務化の一つの理由であります。  それで、私、もちろん例外がないとは申しません。多分私どもの同業者なんというのは、強制的に連れていかされたら、さんざん怠けた上に、能なしで、働かないで、あと悪口を言うということになると思いますけれども、大抵の人が、ボランティアで行きますと、やや義務的にいろいろなことをさせられるわけですけれども、それが楽しくなって帰ってまいります。  その基本が、先ほどちょっと私が触れました受けるより与える方が幸いである、これは聖書の言葉ですが、私流に申しますと、受けて与えるのは幸いである。受けて与えるということは充足のこの上なく健全な形でございます。これは、呼吸をしまして吐きます、それから、食物を摂取して排せつする、こういうことと同じでございますから、両方やらなければ人間は満足しないように本来的になっております。それを体験させてあげるということなんです。ですから、多くの国でいろいろな形の義務的な期間を設けております。兵役もありますけれども、今兵役をやることは全く必要ございません。そういうことを体験させてあげたいというのが一つの気持ちです。  それから、義務化いたしませんと、つまり、さっきちょっと触れましたが、暑さ寒さに耐え、そしてつらい仕事に耐えて、それができたということの自信をつけてあげられない。  ですから、そういうことをすると大変だとおっしゃいますけれども、宿舎なんかは簡単なのでいいわけですし、栄養の計算がある程度できていれば粗食で結構なんです。そういうことに子供たちを一時期、決して長い期間じゃないのですから、与えてやりたいというふうに考えております。

赤松正雄公明党

○赤松(正)委員 終わります。

中山太郎自由民主党

○中山会長 これにて赤松正雄君の質疑は終了いたしました。  自由党、日本共産党及び社会民主党・市民連合の質疑予定者の御出席を要請いたしましたが、御出席が得られませんので、やむを得ず次の質疑者に入ります。近藤基彦君。

近藤基彦21世紀クラブ

○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。よろしくお願いいたします。  私自身は戦後生まれでありますので、もう憲法も制定をされてから生まれた人間でありますので、なかなか憲法自身も学校で習うというようなものではありませんでしたので、実は、本格的に一章ずつ目を通したのはこの憲法調査会に入ってからということになります。  精神的な部分で、前文に書かれている大変高邁な、いわば理想的な、先生の言葉でユートピア的な前文かなという気もいたしますし、また、日本の憲法であるにもかかわらず、世界観的な平和主義を掲げて、あらゆる人種を愛せよという文言やに見受けられるわけでありますが、先生自身も、文章の力をもって、愛と勇気、まさに先生が触れられました普遍的なものを常に訴えられていると思います。  私自身も赤松先生と同じように奉仕のことでお聞きをしようと思っておったのですが、先生自身もほぼ言い尽くされたのかなという気もいたします。海外では兵役制度がある国もあります。これは一つの国家への奉仕といえば奉仕活動に当たるのかなという気も私はしないでもないのですが、奉仕活動の義務化、これは私自身も大賛成であります。一年がいいのかとか、期間的な部分あるいは年齢的な部分、そういった意味ではまだ詰めなきゃいけないところはたくさんあるだろうと思うのです。  それ以外に、二十一世紀を我々が語るとすれば、もう来年からとは申せ、我々は二十年、三十年分ぐらいしか二十一世紀で生活をしない。それ以降の大部分は我々の子供や孫が生活をするわけですから、その子たちにとっていい日本を残していきたいというのが我々の願いなのでございます。経済的にはかなり、戦後、経済大国と言われるところまで復興したというか、頑張ってきたわけですが、それに伴って、精神面で非常にかけ離れてきている部分があるのではないか。おくれてきていると言ってもいいのかもしれません。  奉仕活動の義務化以外に、今後、学校教育の中で、そういった精神面でとらえていかなければいけない教育課題といいますか、教育の中でどうやって子供たちにそういった部分を教えるのか。道徳の時間をふやせばいいとかいろいろなことがあるのだろうと思います。我々が子供のころ、それでもまだ校庭の片隅に二宮尊徳があるという学校がたくさんあった。今の子供に二宮尊徳なんと言ったってわかるのかどうかわかりませんが、道徳の時間も我々のときはありました。  先生のお考えで、学校教育の中で精神面を修養させる、あるいは哲学的な部分も含めて、以前の道徳の時間という形でふやせばいいのか、あるいはもっとほかになすべきことが先生のお考えの中であるとすれば、それをお聞かせいただきたいと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 人はそれぞれ育った形によって違うものでございますが、私は、古い道徳を押しつけて、それが生きるというふうに考えているわけではないのです。古いものであろうと新しいものであろうと、それが現実の私どもの肉体と精神の中で意味のあるものならば、人間は必ず反応するであろうというふうに思っております。しかし、それだけではなくて、多少の指導的な部分というのが教育に必要ではないかと思うのです。  私は、今でも忘れられないのでございますけれども、戦後、大学出のインテリと言われた人たちが、メッカ殺人事件なんというのもそうだったと思うのでございますが、たくさんございまして、その中のだれか一人が、経済的に余り困らないちゃんとした家庭に育って、家も、お父さんやお母さんも一応の教育を受けているというような人でございますが、その人が、これは裁判に対するポーズであったかどうかはわからないのですが、僕は人を殺すことが悪いということを初めて知りましたと言ったのです。私は、そのとき愕然といたしまして、人を殺すということは悪いことだというのは、いわば人間の本性の中にインプットされているものではないかなと思っていたのです。  ところが、それは、私のおばあちゃんが、お仏壇を上げておりまして、そしてその中に、極楽の絵はなかったようで、地獄の絵というのを覚えているのですけれども、うそをつくと閻魔様に舌を抜かれるとかという式の教育を私にいたしまして、それで、人を殺すと悪いことだというのは祖母が言ったような気がするのですね。だから、私も、インプットされていたのではなくて、習ったのではないかというふうにも思いまして、その辺のところははっきりしないのです。  しかし、例えば、万引きなんてみんながやっているじゃん、こう言うというのですけれども、万引きは泥棒である、こういう一言をやはり言わなきゃいけない。これは古い道徳と言ってしまえばそうなのですけれども。  私どもがよく、一番大事なこと、一番基本的なことを言い忘れるというのは、この世の人間関係でよくあることでございます。ですから、殺すのは悪いことである、万引きも泥棒であるというようなことを教えるのは、もしそれを聞いたことがない、お母さんがいつも働きに出ていらっしゃって余りいないし、それから、核家族になって、私のように、お仏壇を上げているおばあちゃんもいないということになりますと、だれかがそのかわりにはっきり教えてやらなければいけないのかなと思うのです。  そんなものはインプットされているという考え方と、それから、インプットされているというのは甘い考え方で、教育というのは、もっと謙虚になって、我々年長者が一から順序を踏んで子供たちに教えていかなければ責任を果たせないのではないか。それを古い道徳と言われるならいたし方ないけれども、それをやり続けるほかはない。  そして、もう一つが、忍耐の問題です。苦しいことに耐えさせるということを自動的に与えませんと、今、人間やっていけないわけですね。人間は、つまらないことに、暑さ寒さとか、例えば甘い清涼飲料水がちょっと飲めないというだけでも不満に陥るということになりますと、そのわずかなことでもって人間を失うという状況になりますから、それはやはり子供たちにかわいそうである。少々おなかがすいても、暑くても寒くても、それから寝る場所が悪くても、そのようなものに耐えて人間をやっていけるかどうか。私は、それができない子が本当にかわいそうなのです。そういう子をいっぱい見ます。そういう大人をいっぱい見ます。  ですから、停電になったらどうするかというと、停電になったらどうしていいかわからない。これは、石井威望先生が、昔、一九八四年の臨教審時代におっしゃったのですけれども、東大の学生に、君たち停電になったらどうすると言われたら、今でも覚えておりますが、先生頭古いな、今どき停電はないのですよと言ったというのですね。そうしたら、間もなく阪神大震災があったわけです。  つまり、そのような子供たちの甘い気分というのか、人生に対する思い上がりというのですか、それはやはり教育というもので少し直していってやらなければいけないことではないかというふうに思っております。

近藤基彦21世紀クラブ

○近藤(基)委員 子供たちには、そういった意味では、忍耐とか愛とか寛容とかそういったものをぜひ覚えていただきたいと思うのですが、それを逆に言うと、教える立場の人間をどうするか。それは、学校教育の中だけではなくて、社会的な環境も育てていかなければいけないだろうと思いますが、とりあえず制度として学校教育制度があるわけですので、教師という部分で、現行の教師でそこまでのことが教えられるのか。  逆に言えば、私どもが教育国民会議にお願いしたいのは、この間中間報告も見せていただきましたが、もう少し、教える立場の人間をどうするのか、その部分が少し弱いのかなという印象を実は受けた一人であります。私ども、文部省に来ていただいて、少しこの中間答申を勉強させていただいたのですが、子供を思う気持ちというのは、国の宝だという気持ちはみんな持っているだろうと思います。  そういった意味では、これは委員のお一人にお願いという部分もあるのですが、もう少し教師の質の向上をどうするのかという部分をぜひ、十分お話をされているとは思うのですけれども、その部分にも着目をしていただきたいことと、もう一つは、子供たちを取り巻く社会環境の整備、これは教育だけの問題にならないだろうと思いますが、教育的観点から見た社会環境の整備をどうしたらいいのか。隣近所のつき合いもあるのでしょうし、隣組みたいなものが昔あった、あるいは大家族制がある意味核家族になっている。いろいろな部分があって、文部省限りの中だけでできる問題ではないだろう。観念的になるかもしれませんけれども、そういった部分で、先生の今のお考えの、方針的なもので結構なんですが、お聞かせいただければと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 教育にとって社会環境の整備をするということはどういうことか、私は本当は全然わかっていないような気がいたします。と申しますのは、私は、降りかかった状況を教材にするということしか考えてこなかった人間でございますので。  もちろん、よき教育環境というものは、言葉の上でわかりますし、あるのではないかと思っておりますが、私を育ててまいりました、例えば教育で大きな影響がございましたのは、一つが、不和の両親の中で育った私の家庭でございます。その次が戦争でございます。その次が宗教教育でございます。このうちの最初の二つ、不和な家庭の中で育ったというのはマイナスの環境でございますけれども、そのマイナスの環境が、よかれあしかれ今日の私をつくっておりますので、もちろん、平たい言葉で聞かれれば、ああいう家庭に戻りたいかというと、真っ平だということにはなります。やはりお父さん、お母さんは仲のいい方がいいわと思っております。  でも、私は、私が受けた、降りかかった運命のように与えられました環境をむしろどう使うかという教育の方が大事だと思います。なぜならば、理想的な教育環境というものはよくわかりませんけれども、もしありましたら、それは多分非常に教育的によくない環境であろうというふうに考えております。ですから、しようがない、どういうことになるかわかりませんけれども、めいめいが国家、社会、個人から受けてきた環境をどうプラスの方にして、そしてそれに対する温かい意味合いを見つけられるかということを考えた方がよろしいと思います。  そして、今おっしゃいましたように、先生方がお忙しい毎日の間に人間を取り戻して、さらに深い濶達な人間になれるような時間とかチャンスをつくっていただきたいということを私も本当にお願いするのですけれども、教師だけが今度の奉仕活動の教師になるわけじゃございません。ですから、学校の中に、またこの奉仕活動以外にも、社会で働いてきたような人たちの本当に生の言葉を伺えるチャンスを取り入れた方がいい。  例えば、町の中で本当に主婦業だけやっていらして、そして年をとられたという方が仮にいらっしゃるといたしましたら、その方はやはり人生のベテランなのでありまして、そして、自分の生きてきた間にどういう思いをして、それがどういうふうに自分の生活にプラスになっているかということを語る資格のある方ですね。そして、それを子供たちが聞く耳を持つようにするのは親の責任でございます。つまり、老人だといってばかにすることではなくて、むしろその年数分だけ深い体験を積まれた方だというふうな積極的な意味合いを見つけて尊敬を持たせるように、子供にそういう姿勢をつけさせるのは親の教育というふうに考えております。  ですから、先生方に期待するのもそうでございますが、教育というのは、教師だけとか親だけというわけにはまいりません。今、少し親の責任が軽くなり過ぎているというふうに私は思いますけれども、その親もやはり、一人一人伺えば、マンションのローンを返さなければいけないから共働きしなければならないだとか、いろいろな御事情がありまして、私は決して子供を放置しているというふうに一概に思わないのですが、やはりこの際、学校とそれから親と社会と、それプラスその当人の責任をしっかり言っていただきたいと思う。  私は、教育を行う第一人者は、責任を持つ者は当人と思っております。これは、小学校五、六年生より年上の者は、多分その責務を負わなければなりません。そして、おまえがおまえを教育するのだよという言い方をもう少し徹底していただくと、教育はもっと味のある、すんなりと柔軟なものになっていくのではないかという気がしております。お答えになっていないと思いますが、お許しください。

中山太郎自由民主党

○中山会長 次に、松浪健四郎君。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。  参考人におかれましては、お忙しい中お出ましをいただいて、そして貴重なお話を伺うことができました。心から感謝をさせていただきたいと思います。ただ、恐縮に存じますことは、野党の皆様方が出席をされなかったということに対して、参考人に対して私からおわびを申し上げたいと思います。  それで、中近東の話が、またアフリカの話がたくさん出てまいりました。そこで、一つほうふつとさせられましたのは、実は、アフガニスタンのバーミヤンというところに世界最大の仏像がございます。一つは五十四メートル、一つは三十八メートルであります。この二つの仏像は世界遺産に指定されております。  きょうの朝刊を広げてみますと、どこかの出版社が週刊で世界遺産という雑誌を刊行するという広告が出ておって思い起こしたわけでありますけれども、その世界遺産であるバーミヤンの仏像の、三十八メートルの仏像のおなかに、大きな砲撃された跡が昨年残りました。これは、アフガニスタン国内における内戦で、北部連合と言われる人たち、つまりバーミヤンを制した人たちが、この世界遺産を盾にとって立てこもった。対するタリバーンという勢力がそこに爆撃をしたわけでありますけれども、ユネスコは当初から双方に対して、貴重な世界遺産であるから爆撃をしないように、ここを戦場としないように強く申し入れておりましたけれども、これは無視をされました。  思い起こしますのは、部族社会であります。そして、参考人のお話にもありましたように、部族社会の中にはおきてが働く。また、おきてというものが存在するというお話でございました。それで、アフガニスタンにもプクトンワリというおきてが昔からございまして、そしてタリバーンという勢力がそのおきてにのっとって世界遺産を爆撃した。私はこういうふうに思っておるわけでございますけれども、参考人はかねてからシルクロードにも強い興味を持たれていらっしゃるというふうにお聞きしておりますので、そのことについてのまず御感想を聞かせていただければと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 私は、先生に今よく教えていただきまして、初めてこういう仏様のことやら何やら全貌がよくわかったのでございますけれども、もちろん、世界遺産を壊しても何の得もないわけでございます、私たちから見ると。しかし、多分これは、この仏像のおなかに穴があくということは、この仏像をねらって撃てば相手に何らかの心理的なダメージを与えられるだろう、この相手というのはどこまでを含むのか私にはよくわかりませんけれども、そういうことだろうと思うのです。  一番ひどいのになりますと、仏像といえどもまきでございますから、そのまきを燃してきょう飯を炊こうということになるのじゃないかと思います。それが貧困というものでございます。  ですから、私どもは、貧困をなくすれば対立の多くが解消するということは間違いない。対立も解消しますし、泥棒もなくなりますし、こういう破壊も減ってまいります。つまり、みんな世界じゅうの人が一応食べられて、住むことができて、着ることができるということです。それがかなえられない限り、こういうことは別の名目をつけて、結局ここは砲撃だったので随分上等というか、人工的に意味があるようなことになっておりますけれども、さっき申しましたように、一番素朴なのはまきにして燃すということでございます。ですから、私は、先生方が世界の貧困あるいはエネルギー問題をどういうふうに解決していっていただいたらいいか。  レバノンに大変いいことわざがございまして、私たちは冷静なとき、食べ物を持っているときにはどんなこともできる。しかし、貧しい人は別だ。あすの雌鳥よりきょうのひよこというのです。ですから、あすの雌鳥になるのを待つよりも、おなかがすいたら、きょう、ひよこのうちに食べてしまわなきゃいけない。それが彼らの叫びであるということを先生方にお考えいただきたいというふうに考えております。もちろん、私といたしましては、こういうものを見る前に壊されたのは大変残念でございます。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 お話の中に、文学者からの目なんでしょうけれども、余りにも差別語の禁止が多過ぎて言論の自由はない、統制がある、こういうお話を伺いました。私も経験がございますけれども、テレビ、ラジオ等には放送禁止用語等規制をするようなものがございますけれども、我が国の憲法第二十一条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」というふうに書かれてあるわけでございますけれども、本当に言論の自由はない、そういうふうにお思いでいらっしゃいますか。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 その社会の権威者に対してどのような批判もできるということでは、日本は言論の自由を有しております。  ただ、表現の自由ということになりますと、戦後、私は三つの波を体験いたしました。一つは、これは新聞社が勝手にやったことと思いますが、創価学会の圧力に対して新聞が屈した時代がございました。創価学会のことについては一切批判を載せられないという時代がございました。これが一つです。今はそういうことはございません。  第二が、中国報道の偏向でございます。中国についてはどのような悪いことも書いてはいけない、全部それは引きずりおろされます。私は、輪転機が回ってから第一刷りまで刷った私の署名入りの囲み原稿をおろされたことがあります。そういう意味で、中国報道の偏向に関しては長いこと続いておりました。  今残りましたのが、差別語と申しますのでしょうか、よくわからないのですけれども、びっこの机と言ってはいけないというふうなことでございます。私は人のことをそういうふうに言ったことはないのです。ど近眼と言ってはいけない。私自身ど近眼でございまして、四年前には足を折りまして長いことびっこを引いておりましたけれども、ありがたいことに治りました。そんなときに、私は友達の愛情を感じたことこそございますが、それを侮べつ語だと思ったことはないのです。しかし、署名のないものは、やはり一応の礼儀というか、きちんとした言葉遣いがあってしかるべきと思います。  私は、文学者でございます。残る余生を悪を書いてまいりたいと思います。今、余り善ばかり人が申しますので、だれかが悪の解明というものを引き受けなければなりませんので、私はそれをさせていただきたいと思います。そうすると、言葉がないと書けないのです。ですから、その意味で、私の署名があるものは、どうぞ悪の表現をお許しいただきたいと思っております。私が全部責任を引き受けます。しかし、それが載る前に、新聞や雑誌の方で規制するところが多うございます。  なお、中国報道に関しましては、一新聞社と一通信社以外は、全部中国にしっぽを振りました。そして、中国の言いなり放題でございました。そのことは申しておきます。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 きのう、個人情報保護基本法の大綱が発表されました。インターネットのこの時代にありましては、個人の情報を保護しなきゃならないということでございます。当然のことであろうかと思います。  そこで、気になりますことは、マスコミの世界と申しましても、テレビ、ラジオは、放送法の関係等がございまして、郵政省が許認可を与えたりする関係で、主務大臣が郵政大臣ということになっております。ところが、新聞、雑誌は、何も印刷されていないときには通産省が主管となりますが、活字が印刷された時点で果たしてだれが、どこが監督するのか。つまり、主務大臣がどなたになられるのか明確ではございません。となりますと、新聞や雑誌で個人情報が本当に保護できるのかということが我々は気になるわけであります。  そこで、日本新聞協会は、法制整備の必要は認めながらも、報道の自由が制限されかねないと主張しております。そして、報道分野の基本法からの全面的な適用除外を求めているわけであります。となりますと、報道される側の人権と申しますか、プライバシーというもの、これは常に新聞や雑誌が担保しているというような変な状況になるのではないのか、そういうおそれを私は持っております。  そこで、参考人におかれましては、新聞、雑誌等の主務大臣、これはどこが、だれが、どの大臣がふさわしいか、ちょっとお聞かせいただければと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 省庁再編がもうお決まりになっていらっしゃいます上に、こういうことがわかるようでしたら、またさっきの言葉になりますが、小説家をやっていないと思うのですが、これは、情報省のようなものがあって、そこで一括するというのが普通の考えのように思います。それが今度はどうなられますのか、どの程度の実務を担当なさるのかわかりませんけれども、先ほどの中国の政治的な御配慮なり、面倒くさい手数を一度に省いておしまいになった話が出ましたので、こういうものも、先生のお力で、あなたのお力で、おかしいことは放置しないでやるということでございますね。  私どもの家庭でも、これはここにあるのがうちだからと思って何となくやっておりますと、家じゅうごみだらけになります。ある日、他人の目で見ますと、果たしてこれはここに置かなきゃいけないかというと、随分むだなものが出てまいります。そういうことを先生方がよき方向に再編成していただくというのが私どもお願いしたいところでして、どうぞひとつ、判こは百二十幾つから一つになった例があるようでございますから、できましたら、簡単に私どもわかるようにしていただきたいと思うのでございます。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 ギリシャのアレーテーの話をお聞かせいただきました。男らしさ、卓越、勇気、徳、奉仕貢献、これらの意味を持つということでございまして、私はこのアレーテーから想起させていただきましたのは、実はイスラム教の聖戦、ジハードであります。  このジハードには、女性、病人、子供、旅行者以外の男は武器を持って戦う。それは、宗教であったり、国であったり、部族であったり、地域であったり、自分たちの名誉が侵害されるときにこのジハードが宣言される、こういうふうに言われているわけでありますけれども、そこで亡くなれば殉教者として、シャヒードと言われますけれども、一番名誉を与えられるというふうになっております。  ところが、私どもの憲法は、第九条で戦争の放棄とそれから戦力及び交戦権の否認をいたしておるわけでございますけれども、このイスラム教における聖戦、ジハードについてどのように思われるか、お尋ねしたいと思います。

曽野綾子作家/日本財団会長

○曽野参考人 これはイスラムの問題でございまして、湾岸戦争のときにも、何でこういうことに従う人がいるんでしょうということが話に出ました。私はイスラム教徒でございませんからお答えする立場にないのですが、つまりこれは、聖戦であるから、それによって死ねば来世で報われるという形になりますので死んでいったんだろうと思うんです。私どもは、みんなそれぞれの立場においてこのような思い込みというのがございますし、また、今おっしゃいましたジハードに従事すべき者というのを今初めて教えていただいたのでありますが、これは断食の規則にも当てはまるものでございますね、病人、お年寄り、それから旅行者、これはみんな断食をするかしないかというのにかかわっておりますので。  社会的ないろいろな問題があると思いますけれども、やはりこれは世論を上げていくということと、もう一つは教育ないしは教育の交流というか、なかなかイスラムと交流できませんでしょうけれども、若者たちの交流ということをお考えいただきたいと思います。そういたしますと、若者たちが一カ月でも二カ月でも生活をともにいたしますと、相手の暮らしがよくわかりまして、その立場を理解するようになるかもしれません。  かもと申しますのは、日本人は非常にそれをよくわかるようになるんですが、断じてわからない人もいるのでございますよ、世界には。この場合に、どうしていいかわからないのですけれども。それでも、むしろ二十一世紀から二十二世紀への長いスタンスで見た青少年の交流ということに希望をかけて、教育あるいは国際交流という形でお取り上げいただいたらと考えております。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 長時間にわたりまして、貴重な御意見をありがとうございました。  それで、私たちの憲法の前文に「名誉ある地位を占めたいと思ふ。」こういうふうに宣言をしておるわけでございますけれども、宗教、哲学、風土、これらが異なれば名誉の種類も異なる、そういうふうな思いをさせていただきました。  長時間にわたりまして、本当にありがとうございました。時間が参りましたので、私の質問を終わらせていただきます。

中山太郎自由民主党

○中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  調査会を代表いたしまして一言御礼を申し上げたいと思います。  曽野参考人におかれましては、本当に貴重な御意見を率直にお述べいただき、二十一世紀のあるべき日本の姿の中で、これから私ども、国民を代表する立場のこの立法府の人間がいかなる考え方で次の時代をつくるかということについて御示唆をいただいたことを、厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)  午後二時から調査会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午前十一時三十四分休憩      ————◇—————     午後二時二分開議

中山太郎自由民主党

○中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。  日本国憲法に関する件、特に二十一世紀の日本のあるべき姿について調査を続行いたします。  午後の参考人として日本大学大学院総合社会情報研究科教授近藤大博君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用の中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をちょうだいいたしたいと思います。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと思います。  なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、近藤参考人、お願いいたします。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 近藤でございます。  国民の選良たる諸先生方を前にしてこうしてお話しする機会を得ましたことは、身に余る光栄です。ただ、御期待にこたえ得るかどうか、甚だ自信がございません。しかし、せっかくの機会ですから、私なりに一生懸命努めさせていただきます。  お手元にレジュメがあるかと存じます。「戦後論調に日本・日本人の自画像を探る」とのタイトルのもとで話を進めさせていただきます。  まず、お断りしなくてはいけないことがあります。私は、政治学者ではありません。経済学者でもありません。大学院の教授という職にはついておりますが、学者ですらございません。少年のころから雑誌編集を志して中央公論社に入社し、主に雑誌中央公論の編集を介して世の中に参与してまいりました。十年前に中央公論社を退社し、現在は、その体験、経験を生かし、大学院教育に携わっている者でございます。ですから、本日の私の話は、学者としてみずからの学説を皆様の前に披瀝するというふうにならないと思います。  ただ、長く雑誌編集に携わってきましたことから、戦後、現在の体制が成立したころからの、つまりは、この五十余年または半世紀以上にわたる論調を、主に総合雑誌を舞台にして論じられてきたことを通史的に眺める習性がございます。日本人が日本社会を、日本人そのものをどのように把握してきたのか、それを常に問題意識として有してまいりました。論調の変化を見ることにより、現在の自分の置かれている状況を理解しようとします。  もとより、私の論文や書物の読み方が正しいとは申しません。すべてを網羅的に目を通したとも申しません。いわば、独断と偏見に基づいたひとりよがりの読書の結果でございます。我流です。我流ながら、それを御紹介申し上げることは、諸先生方が二十一世紀の日本のあるべき姿を御論議なさる際の御参考になるのではとひそかには考えておりました。  丸山真男氏も、新しき時代の開幕は、常に既存の現実自体がいかなるものであったかについての意識を闘い取ることのうちに存するというラッサールの言葉を引いて論述を進めたことがございます。五十数年前の常識と今日のそれとにずれがあるとしたら、または、昨日の考え方と今日の考え方にずれがあるとしたら、ずれはいかに生じたのか、いかに変化したのか、いつごろから変化したのかを問わなくてはならないと思います。日本の将来像を語る際には変化のプロセスを踏まえなければならないと考えています。  本来、私は何らかの提言をすべき立場かと承知しています。しかし、他の参考人の方々のようには提言を準備しておりません。正直に申し上げれば、その能力もないというふうになると思います。  本日は、提言のかわりに私なりの温故知新と申しますか、古きをたずねて新しきを知る作業を御紹介したいと存じます。今後の諸先生方の御論議のため、その立脚点づくりの一つの例を御参考までに供したいと念ずるものでございます。温故知新を繰り返し行うべきだというのが本日の私の提言だと御理解いただければ幸いです。  国家を論ずる前に、国家が包んでいるものあるいは国家の構成単位について、その論調の変化を踏まえるべきだというのが私の本日の提言だと御理解いただきたいと念じます。  話の進行上、個々の論文の内容を、最低限ではありますが御紹介申し上げます。諸先生方は十分にわきまえておられることと存じますが、再度御記憶を新たにされ、御提言づくりの際に御活用くださるよう願うものです。  個々の論文を後知恵的にあげつらうつもりはございません。また、論者の思考、考え方や行動の一貫性のなさなどについても言及するつもりはありません。個々の論文そのものを今後のために新たにひもとく必要があるとの観点で接したいと存じます。温故知新の作業に少しくおつき合い願います。  なお、これから話す内容は、論者たち、筆者たちがそう意図しているということではありません。私が現在そう考えている、そう読んでしまっている、そう読み取れるという意味で言及したいと思います。  前置きだけ長くて申しわけございません。これは学者のまねごとかもしれませんけれども、本来学者ではない私としては、こういう範囲内でお話しするということを明確にしておきたかっただけでございます。  明治維新以来、日本人は、日本における文化とアイデンティティーを模索してきたというふうに言えると思います。人々は、いかなる変化があっても、何か不変に存続すると思われるものに依拠しようとする、全体的なまとまりの核を形づくるものが確固としてあるという意識を持ってきたような気がします。  明治維新以来の考え方の流れは、明治維新前後から、やはり日本はおくれているという後進性の認識、その上に立っての脱亜入欧、そして富国強兵という形での近代化、そして、いや、もう欧米何するものぞといった形での近代の超克、そして悲しい敗戦、そして敗戦の直後には、敗戦の原因は何だったのか、さらには、戦争という愚かな行為に走ったのは何だったのか、それはやはり日本の近代化、民主化に問題があったのだ、近代化、民主化に失敗したのだ、おくれた国だったのだ、つまりは後進性の認識というふうに、またぐるっと変わるわけであります。  戦後、近代化、民主化に邁進し、高度成長期を経て、いわば経済大国化します。あるときから、日本の経営、ひいては日本の社会が世界で一番とまで意識あるいは声高に説く人まで登場しました。戦後版の近代の超克というふうに言えそうでございます。  その後、外国との関係でいろいろな摩擦が生じました。それにつれ、主に外国から、アンフェアだ、日本企業の行動、ひいては日本人の考え方は異質だ、それは欧米の基準とは違う、日本システムは世界に通用しないし、はっきりと言えばおくれているのだとの声が聞こえてくるようになりました。日本の経済が順調なうちは、欧米からの批判に対し、いわゆる日本システムを手直しし、それを提示することにより日本人の中に広がろうとした不安を軽減しようという種々の試みもなされました。  その後、バブル期があり、社会全体が浮かれたかのような感じがします。欧米からの批判を等閑視したかのようです。  そのうち、日本経済の問題点、ひいては日本システムの問題点に気づかされます。経済の停滞も実感されるようになりました。日本側の論者たちも、日本社会に問題あり、そういった形で意識せざるを得なくなりました。戦後の飢餓状況、あすの食べ物を心配しなくてはいけないという状況ではありません。しかし、意識としては、戦後の後進性の認識、否定的異質論、欧米基準に達していない、または自信喪失といったような段階に立ち戻ったように感じます。  ほどなくお気づきになられるかと存じますが、戦後の論調を追いますと、日本人は自画像を描き切ったか、あるいはその自画像は日本人の総意、賛同を得ることができるようなものであったかと設問しますと、必ずしもそうとは言い切れません。ですから、先生方のお手元用のレジュメのタイトルは「戦後論調に日本・日本人の自画像を探る」とありますが、正確には、自画像を探し求め、描こうとする努力の跡を探るということになろうかと思います。  終戦、敗戦、その直後から、総合雑誌を中心としまして活発に活動を開始します。  戦後の出発の記念碑的論文といえば、丸山真男氏の「超国家主義の論理と心理」であると思います。この論文は、戦後知識人の日本認識あるいは現在もなお多くの知識人と言われる方々に影響力を有していましたし、有しています。  大学者の論文を簡略化することに恐れを抱きつつ、あえて行ってみますと、以下のようになると思います。  丸山氏のタイトルの「超国家主義」の「超」とは、極端、より強度、より露骨というような意味でございます。明治国家は精神的権威と政治的権力の一体化したものであり、そうなると、国家体系そのものが価値の独占的決定者となる。国家活動の正当性を内部に持つことになる。国家を超えた基準、規範には服さないでもよいことになる。さらには、私と公の別がなくなり、私と国家が合一化し、国家の中へ私的利害が無制限に侵入してしまう。あらゆる行為は自我意識ではなく国家権力と合一化、一体化されますから、位が上の者はより絶対的価値に近い存在となり、法律はヒエラルキーの具体的支配の手段にすぎなくなります。法は、下の者を縛りますが、上へ行くほどルーズになる。そうしますと、無意識の独裁となってしまう。  日本の国家秩序に内在している運動法則が、軍隊に集中的に表現されました。また、軍人の意識も、一般人を地方人と呼ぶように、より絶対的権威に近い存在として価値的に優越してしまう。軍隊は、国外に出れば、諸外国人に対し限りなき優越的地位に立ちます。結果として、暴虐な行為に出てしまった。さらには、外交においては諸外国に対してより優越的地位にあるはずですから、対外硬に傾く、外国に一歩も譲らないようになってしまうということだと思います。  次に、同じ昭和二十一年の六月号になりますが、世界五月号に続いて、翌月の中央公論には、川島武宣氏の論文が発表されます。日本の家族制度を封建武士的、儒教的な家族制度と民衆の家族制度の二つに類型化しますが、日本の戦後の出発に当たっては民主化が課題と考えた川島氏は、日本の家族原理そのものは民主主義と絶対的に対立するものだと把握しました。  日本の家族原理について、四つの点を指摘しております。権威による支配と権威への無条件的服従、そして、個人的行動の欠如とそれに由来する個人的責任感の欠如、三つ目は、自主的な批判、反省を許さない社会規範、言挙げすることを禁ずる社会、そして最後の四つ目は、親分子分的結合の家族的雰囲気と外に対する敵対的意識、セクショナリズム、このような四つの類型化は、青木保氏の「日本文化論の変容」という書物の助けをかりて説明させていただきました。  次に、日本人の文化的側面も、一刀両断のもとに切って落とされました。桑原武夫さんの「第二芸術」がそれです。日本人は芸術の何たるかを理解していない、俳句の結社というのは非近代、前近代、非人間性を持っている、そして作品の質も低下している、俳句は芸術ではなく、せいぜい芸である、芸術の名をつけたければ、第二芸術と呼べばよい。この桑原さんの問題提起は、今日では想像もつかないような大反響を呼び起こしたということでございます。  戦後、敗戦直後、戦争に敗れた日本人は、みずからの芸術、文化までをも否定しなくてはならなかったのであります。否定したのか、否定されてしまったのです。  外国人の作品ですが、その後、日本・日本人論に強い影響を与えた書物、ルース・ベネディクトの「菊と刀」に話の進行上触れざるを得ないと思います。  戦後三年、昭和二十三年に邦訳は出版されました。ルース・ベネディクトは、文化相対主義の立場で、比較文化論であります。一つの文化の価値観を尺度にしない、大変フェアな論述だと思います。アメリカ・アメリカ人との対比。従来のこういうものは文明社会対未開社会という書き方ですが、あくまでも日本も一つの文化、文明としてとらえています。  後に有名になったことですが、日本は集団主義であり、欧米は個人主義、日本は恥の文化であり、欧米は罪の文化。これは、必ずしも全部が全部そうだと言っているわけではありません。全体的傾向としてそうだと言っております。  しかしながら、その後の日本人論のほとんどが、この集団主義、恥の文化ということをかなり強く意識せざるを得なかったと思います。罪の文化というのは、道徳の絶対的標準を説いて良心の啓発を頼みにする社会ということです。恥の文化というのは、簡単に言えば、世間の中での恥が人の行動の標準であるという社会である。  繰り返しますが、この集団主義、恥の文化ということは、現在も、オーバーな表現ですが、日本にとどまらず全世界の人間に大きな影響力を有していると思います。  昭和二十七年、一九五二年四月、アメリカの占領が終了するわけです。朝鮮戦争の特需などもありました。日本経済は着々と離陸し、高度成長へ進むわけであります。  占領終了から五年たった一九五七年、梅棹忠夫さんの「文明の生態史観序説」が発表されます。このころから、日本否定の見直しが始まります。その代表的な論文だと申し上げてもいいと思います。ユーラシア大陸の東の端の日本と西の端の西欧、その二つの文明は並行進化したとするわけであります。  梅棹さんによれば、戦前の日本肯定論は神話に基づく非合理的なものだった、かつ西欧否定論と表裏一体だった。日本肯定は西欧否定論だった。戦後の日本否定論は、合理主義の旗を掲げたけれども、西欧肯定論と表裏一体、西欧を肯定するかわりに日本を否定するという形になっていた。梅棹さんによって初めて日本肯定論と西欧肯定論の両立を可能ならしめたというふうに言えると思います。  その前年に、御存じのように、「もはや戦後ではない」という経済白書が発表されておりました。自信回復をしつつあった日本人をさらに元気づけることになったわけであります。  一九六〇年から一九七三年まで、経済成長は平均一〇%程度であります。一九六四年、昭和三十九年には新幹線が開通し、東京オリンピック開催の年、その年に有名な論文が発表されました。中根千枝さんの「日本的社会構造の発見」であります。  このころの論調を見ますと、西欧イコール近代モデルへのためらいといいますか、劣等意識を何とか払拭しようというような感じがします。または、一九五六年のソ連のハンガリー侵攻によりまして、社会主義への幻滅といいますか、社会主義を絶対視するような論調が影を潜めて、力を失ってまいります。また、逆に、輝かしく見えたアメリカが、ベトナム戦争の泥沼に入っていきます。アメリカに陰りが生じます。  そんなような時代背景を持ちまして、中根千枝さんの「日本的社会構造の発見」、これは後に単行本となって「タテ社会の人間関係」になります。ですから、皆さんはこの論文の内容は「タテ社会の……」という形で御記憶だと思います。  簡単に申し上げますと、日本人、日本の社会は、場の強調、資格よりも場というものが問題になるということであります。全員参加の意思決定、そして縦組織による人間関係、疑似的親子関係という形であります。  これは英語版はペンギン文庫になりまして、「ザ・ジャパニーズ・ソサエティー」というタイトルになっておりまして、これで世界的なベストセラーになります。  中根氏は、日本人、日本社会のよさだけを言ったわけではありません。論理性または批判性の欠如といったものは問題視しておりました。しかしながら、当時の社会また当時の読者にとっては、日本近代化の背景には、また秘訣はここにあるんだというふうに、中根氏が日本の近代化を積極的に評価をしたというふうに受けとめました。  そして、翌年の尾高邦雄さん、一九六五年、昭和四十年の「日本の経営」という本は、これも雑誌論文を中心としてまとめられたものですから、雑誌論調と申し上げてもよろしいと思います。他に挙げる書物も、ほとんどが最初の発表のときは雑誌でございます。そのようなものを主に対象にして話を進めております。  従来の日本の産業化、近代化、また経済大国化は、組織または日本の集団の封建的な社会関係がそのままである、その封建的な社会関係を維持しながら、西洋の技術をうまく取り込んだので成功したというのが欧米の学者の分析であったわけであります。  しかしながら、尾高さんは、そうじゃないんだ、集団主義と恥の文化、そういったものが逆に背景としてあって、封建的社会関係ではないんだとしたわけであります。豊かな大国意識の萌芽とマッチしたわけであります。その後の日本的経営論の先駆けというふうになるわけであります。  そして、土居健郎さんの「「甘え」の構造」が、少し話は飛びますが一九七一年であります。  この「「甘え」の構造」も、甘えという言葉がありますが、これは別に否定的に使っていることではありません。母と子の関係が、そのモデルが社会集団に作用していると、潤滑油として積極的に評価しているのですね。また、欧米の学者たちからは、日本人には近代的自我が欠如しているというふうな批判がありますが、それへの反批判という形になっています。子供の母親への依存、また母親がその子供の期待にこたえる、そういった関係が成人後も同様な形で社会にある、これが日本の社会的な安定、精神的な安定といったものを保っているんだといったような分析だったと思います。土居さんによれば、中根氏の縦制も甘えの心理に支えられているんだということでございます。  そして、この年にはイザヤ・ベンダサン、「日本人とユダヤ人」、皆さん御記憶だと思います。  しかしながら、これは日本社会に対する危うさについての警世の書のはずだったのですが、安全と水は日本人はただだと思っているというのが、逆に、日本社会はだからいいんだというふうに、これも日本称賛の書というふうに受け取られたと思います。  そして、これは御本人が意図したのかどうか知りませんが、昭和四十七年、一九七二年、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」全六巻が完結されます。  これが当時の日本人の精神的な雰囲気にぴったりで、やはり日本人は本当は立派なんだ、輝かしい未来を語れる、また、未来に向かって動く民族なんだというような自信の背景、裏づけとなったと思います。  そして、一九七九年、「文明としてのイエ社会」というものが発表されます。近代日本の建設は、西欧化、近代化ではないというんですね。簡単に言いますと、家型組織原理とそれに従属してきた村型社会が、集団主義といいますか、間柄主義のもとにおいて達成されたというわけであります。  さっき申し上げました、川島さんが昭和二十一年に発表した「日本社会の家族的構成」の家族原理は、反近代、反民主主義だという分析でありました。その分析や位置づけを逆転したわけです。西欧よりも日本は今後の社会発展の可能性をより大きく持っているというふうに評価したものであります。  そして、同年に、かの有名なエズラ・ボーゲルさんの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が発表されたわけです。これは、ジャパン・アズ・ナンバーワンなんですが、しかしながら、日本人の多くはジャパン・イズ・ナンバーワンというふうに受け取っております。村上さんたちの家社会の独自発展の可能性を、外部、特にアメリカから保証されたというような感じで受け取ったと思うんです。  内外の評価にずれがあるということを日本人の多くは意識しておりましたので、それを不安がっていたのですが、そういった日本人の心理を見事につかみ取った。その上で、このころ、日本的経営というものの称賛、賛美がなされて頂点に達したというふうに思います。  そして、村上泰亮さんの「新中間大衆の時代」、これが、社会階層と社会移動の全国調査などに基づいて展開したもので、日本における集団と個人を新しくとらえ直そうとした試みだと言えます。階級とは違って、階層的には構造化されない新中間大衆が登場したということであります。  それで、これは作者の意図とは違うんですが、多くは、みんなが中流になれる、みんなが中流で少しもおかしくない社会、こういった社会になっているんだというふうな読み方をしたと思います。私もそういうふうに誤読した一人であります。  エズラ・ボーゲルさんや村上さんたちの作品が発表されたころが、日本の戦後の頂点だったというふうに言えると思います。ほどなく外国から日本への異論が聞こえてきます。  以下、まだこれは新しいことですので、御記憶でしょうから、レジュメに記しました筆者やタイトルを御一べついただければよろしいかと思います。先に進ませていただきます。  このような外国からの声に呼応しまして、日本でも日本システムの優位性、そういったものに対して疑いが台頭してきました。  尾高邦雄さんというのは、先ほど申し上げました日本的経営賛美の先駆けみたいになってこられた方だと思います。この方が、一九六五年、昭和四十年に発表した「日本の経営」を、「日本的経営——その神話と現実」という形で、ほぼ二十年ぐらいになりますか、一九八四年、昭和五十九年に違った角度から日本の企業、社会を論じます。  逆に、日本の経営がよろしい、日本的社会がよろしいという神話の蔓延によって、二十年前はメリットとした点を、そのすべてのメリットがデメリットになってしまっていると。現在、いろいろな企業でさまざまな再建策、リストラ、企業再生策がとられておりますが、まさしく、従来、日本企業特有の長所と考えられてきました年功序列とか終身雇用といったものを短所、欠点とみなしていますね。それを十六年前に、もう既に尾高さんは厳しく指摘していたのです。  そして、日本社会は平等化の方向に進んでいるはずでした。しかし、実際は階層化の進行、不平等が進行しているんだという鋭い指摘がなされました。それが、小沢雅子さんの「「階層消費」時代の幕開け」であります。所得格差の拡大とその社会への影響は大変なものである、静かに進行しているのに気がつかないだけだということであります。  先ほど、日本の経済が順調なうちは、欧米からの批判に対し、いわゆる日本システムを手直しして、それを提示することにより日本人の不安を軽減しようと種々試みがありましたというような内容のことを申し上げたと思いますが、次の山崎正和さんの「文化開国への挑戦」、この作品もこのように位置づけられるかと思います。  前年に発表した「柔らかい個人主義の誕生」では、欧米的な個人主義とは違って、個別化に向かう日本人を肯定的に描いたものです。しかしながら、一年たちましたら、国際化にあって、日本文化が血を流す、日本人の人間関係の基盤を支えるのは日本語だという当然の常識が国際社会では通用しなくなった、国際世論が国際的と認める方式に従って人間関係を調整せざるを得ないというふうになっております。  しかし、論調はここまで進むんですが、世の中はバブルで浮かれます。そのとき、日本の優位性の再定義、日本的経営の賛美が主流となります。御記憶にも新しいでしょうから、細かく紹介しません。  そして、異質論への違和感を表明します。つまり、外国からの異質論に対して強い違和感を表明します。あるいは、非は外国にありというような強い主張が繰り返されます。一九九一年、平成三年がそのピークでしたと申し上げることができると思います。そして、一九九一年、平成三年が、自画像の描き方が転換した年ではないかと考えております。  「ザ・カミング・ウオー・ウイズ・ジャパン」などに代表されるように、日本脅威論も最高潮。それに対して、日本側も、外国に非あり、外国、特にアメリカ何するものぞとの論調が見られました。当時の日本の雑誌に躍ったタイトルだけでも、その当時の雰囲気を御理解いただけるかと思います。レジュメに付しておきました。嫌米、排米、反米、離米などの文字が躍っておりました。  また、今から考えるとおかしなことなんですが、平成景気はどこに行くなんという特集がありました。まだ好景気だと考えておりました。そして、この日本の好景気は半永久的であるというような楽観的な記事までこの時代にはありました。  そこで、平成三年はどんな年だったかを御記憶を新たにしていただくために、御参考までに最小限のことをレジュメに記しておきました。  一九九二年、平成四年一月のブッシュ・アメリカ大統領のアメリカ財界人を伴っての来日を境に、バブル経済は目に見えてだめになってくるわけですね。そして、それとともに自信喪失へ向かいます。書店は、日本の後進性の指摘、優位性の否定の論文、そういった書籍であふれます。残念なことに、官僚の世界、官界、それから金融界を初めとする産業界での不祥事が続きました。日本的経営賛美というものはどこへ行ったんだろうと思われるぐらいに急激な変化が起こったわけであります。  現状についてちょっと触れます。これはあくまでもこれまで取り上げてまいりました論文ほど多くに認知されていないかもしれません。しかしながら、私が最近の論文からきょうの話の流れの中で関連があると思われる論文を二つだけ取り上げたいと思います。また、この論文は、やはりまだ現在自信喪失の時代にあるという、否定的論調であるというふうに御理解をいただけると思います。  山田昌弘さんの「パラサイト・シングルの時代」です。パラサイトというのは御存じのように寄生虫です。これは日本的な造語でございます。親と同居している二十から三十四歳までの未婚者は男女それぞれ五百万人いる。男女合わせれば一千万人。日本の人口の約一割にも達する。このような状況では、日本社会全体が活力を持つ、あるいはやる気を持つといったことにはならない、日本人の精神構造にまでも悪影響があるのではないかと言っております。  そして、佐藤俊樹さんの「不平等社会日本」でございますが、先ほど取り上げました小沢雅子氏が指摘したことより悪化した状況になったと言っております。出発点に恵まれなかった人々は社会が不平等だと考え、一方、出発点に恵まれた人々はもう既に社会は公平だ、むしろ自分たちの足が引っ張られているとさえ感じてしまう。そして、いわゆる中流になる可能性が失われている。ある人にとっては自分の正当な業績であるものが、別の人にとっては不当な既得権に見えている。このような形では競争に参加する意欲が損なわれる。社会のシステムへの信頼を喪失させ、自由で活力ある社会ではなくなりつつある。ついでに、佐藤氏は、機会の平等についてのコンセンサスがないと正当な競争社会が実現できないんだと言っております。  以上の二つのものと少し趣旨が違いますが、添谷氏の論文も私は興味深く読みました。この論文は、大国意識を日本が漫然と持つことへの批判です。戦後、五五年体制下で、日本の外交路線または政策路線について分裂があった。大国イメージを持った伝統的国家主義路線と非大国イメージの平和主義路線に分裂してきた。この分裂が日本外交の足かせになってきた。  大国イメージによる論調には、諸外国からは大国志向あるいは軍国主義化への懸念、そういったものが表明されてきた。そして片方で、非大国イメージによる論調には、国際的責務を果たしていない、果たそうとしないと諸外国から批判されてきた。現状としては、錯綜する内外からの批判、懸念表明に日本は混乱している。  ですから、非大国イメージと大国イメージの間に、安保条約をめぐって分裂した反応があるというわけであります。大国イメージ派は、日本の自主性を阻害する側面があるというふうに不満を持つ、そういう人たちはすぐに対米追従ということを言い出した。そして、非大国イメージ派は、安保条約は、日本が国際問題に巻き込まれる可能性がある、そういった機能を持っていると反発をしているということであります。  この大国、非大国イメージの葛藤、そういったものをまた両方とも克服し、オーストラリアに見習うべきこととして、大国たるアメリカをきちんと認識し、その関係を良好に保つことによって、日本は日本の身の丈に合った外交をすべきだ、つまりアメリカという大国と同次元の単独戦略は持ち得ないということであります。これも私は興味深く読みましたし、現状と折り合いをつけて安心を得るという潜在的な意図が働く場合があると申し上げましたけれども、この論文もそういった色合いを読み取ることもできると思います。  もう少しで話を終了させていただきたいと思います。  以上、論文や書物を誤読した上での、間違って理解した上での話ではなかったかと改めておそれを抱いております。確かに誤読かもしれません。特に、筆者、論者の方々からはおしかりを受けるかもしれません。しかし、私は私なりに位置づけて理解し、現在の状況を理解していることをお話ししたいと思います。  冒頭で、温故知新を繰り返し行うべきだというのが私の本日の提言だと御理解いただければ幸いですと申し上げました。また、その時々の論調は、その時々に声高に論じられることは、流れがあることだけは御理解いただけたと思います。十二分にお気づきのことでしょうが、論調、考え方、思想にも流行があるというふうに申せましょう。本日、ここまでお話ししまして、論調、考え方、思想に接する際にも、不易と流行との言葉を強く意識しなくてはならないんだと自分も強く思いました。  また、自分の仕事は、不易と流行という言葉で言えば、流行の中でビジネスをしてきた、流行の中で業を営んできたのではないかと深く反省しております。  もう少しで話を終了させていただきますと申し上げましたが、ここで私が話を終えてしまっては先生方にとりましては御質疑の糸口が見つけにくいかと存じます。長々と申し上げました日本人による自画像を探る作業を通じて私なりにイメージし得ました今後の憲法について、憲法そのものというよりも、憲法のイメージについて少し触れたいと思います。  筆者、論者の意図は別にしまして、日本・日本人を論じた書物、論文を読んで、それを歓迎してきた読者たる日本人は実に繊細、ナイーブだと思います。読み手たちは常にその寄る辺といいますか、よりどころを求める作業を続けてきた、続けているというふうに申せると思います。  または、常にほかとの優劣をつけたがっている、つけてきたとも言えると思います。アジア諸国とは優劣が歴然としているからでしょうか、比較する対象は常に西向きあるいは欧米でございます。時には、みずからが優位と感じますと、自信過剰、傲慢にさえなります。底流には、日本は大国であらねばならない、あるいは世界で冠たる国家でなくてはならないとの強迫観念が流れているかのような気がします。先ほど触れました非大国イメージ派も、少なくとも、世界にあってユニークでなければならないといった気分を有しているのかなという感じがします。  かかる民を想定した際の憲法、国の成り立ち、国の構成を律する憲法は、簡潔に国家のシステムを律するものの方が望ましいのではないかということをイメージとして持っております。  さらに、文章を扱う職業を長く続けてきた者として、次のことをつけ加えたいと思います。それは、憲法の文章の作成の際、外国人を読者として想定すべきだということです。格調はあってほしいものの、難解、わかりにくくあってはならないと思います。また同時に、国際語たる英語に翻訳した際にいかなる表現になるのかを常に念頭に置いて取りかかるべきだと思います。  最後に、おわびとお願いを申し上げます。  雑誌をつくることを業にしてきた者は、話に統一がないものであります。雑誌の目次を想定していただきたいと思います。一本一本の記事、論文は、それぞれ目次で隣り合わせになっていますが、無関係なことが多いものであります。しかし、つくり手としましては、一本一本無関係と思われる記事、論文をあわせて、全体をまとめて、その後にみずからのイメージを、またはメッセージを託しているということでございます。本日の私の話も、あたかも雑誌の目次のように細切れの連続だったと思います。おわびします。後は、英邁なる諸先生方の御頭脳によって、この男は何を言いたかったのか、まとめていただきたいと念ずる次第でございます。  先生方の御期待に沿えたとは思いませんが、私のつたない話はとりあえず終えさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

中山太郎自由民主党

○中山会長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。  速記をとめてください。     〔速記中止〕

中山太郎自由民主党

○中山会長 速記を起こしてください。     —————————————

中山太郎自由民主党

○中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。柳澤伯夫君。

柳澤伯夫自由民主党

○柳澤委員 近藤参考人には、本日は、歴史的にもかなりの期間にわたっての論壇の論調につきまして、親切、周到な御披露をいただきまして、大変刺激になりました。ありがとうございました。  先生のそうした論調の御紹介に対して果たしてどういう質問をしたらいいか若干迷いますし、それから、場合によっては若干失礼になってしまう懸念もないわけではありませんけれども、できるだけそうならないように注意をして、少しでも実りのある議論をさせていただきたい、このようにまず申し上げておきます。  まず私が御質問をいたしたいのは、先生がいみじくも冒頭おっしゃられたとおり、日本の戦後においては、日本国民が、特にオピニオンリーダーを中心として、みずからの文化とアイデンティティーを見つけよう、何とかそこに不易なるものを、変わらないものを見つけ出して、そこに依拠していこう、こういう態度が見られたということでございました。そういう中で多くの日本論及び日本人論が論文として問題を提起されて、それが大変な量になっているわけでございます。  それからまた、先生が御紹介いただいたように、その中では、それぞれの時代の、若干の成功かなといった時代、それから若干これは失敗したかなといった時代、それに応じて論調が大きく変わるというようなことも教えていただいたわけでございます。  まず第一の御質問は、外国のことを我々よく知っているわけじゃないんですけれども、いろいろな物の本によりますと、日本論が多いあるいは日本人論が多いというのはかなり日本に特有な現象のようだ。それについて、今先生は、それは強迫観念によるんじゃないかということで、ある意味でお答えをいただいたわけでございますけれども、外国人の中には、こういうことはやはり日本人がその根底において劣等感を持っているからだというような指摘をする向きもあるようです。  いずれにせよ、もう一度、なぜこれほどまでに日本の論壇というのは日本論あるいは日本人論というものを展開するのか。つまり、論ずべきものは、もっと客体、客観的な事実についていろいろ論ずればいいものを、翻って、その客体をつくり出している主体といえばそれまでですけれども、それを常にみずからの反省というかそういったことに論点を転換して、主体を論ずることが非常に多い、こういうことでございますが、なぜこういうことになるんだろうかということについて、もう一度先生のお考えを承れればありがたい、このように思います。  加えまして、これが、先ほど先生も御紹介していただいたように、非常に客観的な、端的に言えば、かなり経済的な状況の変化に対応していると大ざっぱに言ってもいいかとも思うんですけれども、非常に変わるわけであります。この変わることについても、外国の論者の中には、日本人というのはやはり信念がないんだ、非常に状況対応的というか、価値観も非常に状況で変化してしまうというようなことを指摘する向きも多いのでございます。  つまり、どうしてこんなに日本人論をやるんだ、あるいは、若干失礼なことというのは以下のことなんですけれども、雑誌の編集者の皆さん方がそういうことを慫慂し、場合によってはあおっているようなところはないのか。場合によっては読者がそれを非常に需要しているという面もあるかもしれない、これをやればまず間違いなく売れるとかといったようなベクトルが働いているのかとも思うんですけれども、もしその辺についてもお教えいただければありがたいわけでございます。要するに、なぜこんなに多いか、なぜ変わるのか。  それから最後に、そういうことをやることがどのように戦後の日本の歩みに貢献をしたというふうにお思いでいらっしゃいましょうか。大変参考人に対して失礼にわたっているのかもしれませんけれども、端的に、先生のお話等をお伺いして疑問に思った点をお尋ねしている次第でございます。よろしくお願い申し上げます。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 大変鋭い御質問なので十分にお答えできるかどうか自信がないのでありますが、頭に思い浮かんだことだけお答えさせていただきたいと思います。失礼ということではないと思います。  先ほども、雑誌編集を業として、流行の中で業を進めてきました、それを反省していますと申し上げましたように、実は日本人論、日本文化論、日本論、これは総合雑誌でやりますとかなり当たるわけですね。読者は物すごく要求するわけであります。だからやっていればいいだろうというふうに開き直ってはいけないと思います。ですから、常にまた反省をするわけであります。  ピーター・デールという人の「日本的独自性の神話」というようなものも載せました。これは、日本人の日本人論というものが方法論的におかしい、自分たちの自己満足的なことだと。例えば右脳、左脳の問題を出すけれども、そんな客観的な実験データは裏づけられていないじゃないか、それをみんな喜んで日本人は読むじゃないか、そういうことはいかぬじゃないかというような論文も扱いました。だけれども、それはまた、それだって日本人論の一つとして読まれるという矛盾になっております。  それから、きょうは手元に資料を持っておりませんので詳しくは申し上げませんが、経営書のレベルで言いますと、この日本人論、日本論というものは明治以来日本の産業界に大変貢献したというふうに、例えば先ほど申し上げました尾高邦雄さんの最初の作品なんかもそうです、だからこそ成功した。だけれども、なぜ好きかということについては、まだ正確な答えを持った論文または書物に出会っていませんし、また、自分がそれをやらなくちゃならないなと思っても、その能力について自信がございません。  ちなみに、ある研究所の調査によりますと、一九四六年、終戦直後から七八年に至る三十二年間で、日本人・日本文化論は単行本だけで七百点近くですね。調査時点から既に二十二年ですから、その間の出版活動はまた活発化しますから、天文学的数字じゃないでしょうか。  そして、ここに挙げておきましたハルミ・ベフさんの「イデオロギーとしての日本文化論」というのは、簡略化して言えば、日本人・日本文化論は日本人にとってのイデオロギーだ、企業経営を含めて体制側に大変有利なイデオロギーだ、すぐにまとまって何かやると。このハルミ・ベフさんの評論も外国ではかなり読まれておりまして、だから日本人は怖いよというふうに認識されていると聞いております。  実際、アメリカ人教師に聞いた話なんですが、日本人の学生に日本とアジア諸国を翻訳しろと言いますと、日本人はジャパン・アンド・エイジアン・カントリーズというふうに翻訳するそうです。アメリカ人の教師としては、ジャパン・アンド・アザー・エイジアン・カントリーズ、つまり、日本もアジアの国のはずじゃないのかというような設問だったのです。日本人は、アジアには位置していますが、アジア諸国の中には入っていないという感覚にあるかのような気がします。  とりあえずのお答えはそれでお許し願いたいと思います。

柳澤伯夫自由民主党

○柳澤委員 どうもありがとうございました。  それで、私は、アイデンティティーということをちょっと取り上げてみたいのでございますけれども、憲法を定める際などにも、明示的にはそういうことはないかもしれませんが、少なくとも黙示的には、日本あるいは日本国民のアイデンティティーというものを踏まえてそれが書かれるべきだ、こういうように一般的に考えておりまして、アイデンティティーについてはかねて関心を寄せているわけでございます。  アイデンティティーが自明の国、これは非常に幸いであります。しかし、歴史の大きな動乱に巻き込まれてアイデンティティーを見失うというようなことは往々にして諸国で起こることでありまして、そういう経過の中で識者がみずからのアイデンティティーを探求するということもあっていいわけですけれども、日本の場合、先ほど申したように非常に状況対応的であるというようなことで、こういう状況対応型ということ自体が日本の国のアイデンティティーなんじゃないかということも一つ頭に浮かぶことであります。  しかし同時に、やはりそんなわけはないのであって、アイデンティティーというのは文字どおりアイデンティティーで、それが動揺するというのは一種の語義矛盾であって、幾ら動揺しても、その動揺している現象の基底にはやはり不易なものがある、それこそがアイデンティティーだというふうに考えるべきだと私は思っておるわけです。  例えば、ついこの前まで我が国のアイデンティティーであると言われておった同質性、ホモジェニティー、それから、先ほど先生もお触れになりましたけれども、意思決定の際のコンセンサス主義、こういうようなことも、実は今我々の経済がバブル崩壊後大きく不振に落ち込んで動揺している中で、こういったものすらグローバル化あるいは意思決定方式の責任所在の明確化等の時代の要請の中で大きく揺らいでいる。  そういうことなんですけれども、しかし、私、寡聞な人間ですが、経済学の分野に制度学派というのがあって、どんなに外見的な現象的な制度が変化したとしても、そこには、その国民の文化であるとか国民性から、全く同じものは存在しない。だから、そういった理論の基礎に立って議論を展開する人たちの中には、「資本主義対資本主義」というような表題の本も書かれる。全く同じことをやっているようでも、やはりどこか違ってくる。そのどこか違ってくることこそが、制度学派が言う制度というか、そういうことなのかもしれないし、我々が今ここで考えているアイデンティティーというものではないのかというふうに思います。  大変恐縮ですが、先生のこれらの問題点についてのお考えをお述べいただければ大変ありがたい、このように存じます。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 先生のおっしゃるとおりだと思います。私としてつけ加えるべき言葉が見当たりません。  もう一度先ほどの質問と絡めて申し上げますと、私どもが反省しなくちゃいけないのは、日本文化論、日本人論、日本論、これは往々にして、我々がやってきたのは日本人向け過ぎたということです。ですから、自己満足的であった。そして、外国へのメッセージ性を持てたときには、逆に特異な、異質な集団であるかのように伝わってしまったというわけであります。  先ほど申し上げましたハルミ・ベフさんは、日本人は日本人論、日本文化論を家電製品みたいな大衆消費財として扱っているのではないかというようなことまで言っております。そして、これはだれが言ったかわかりませんが、言葉として思い出しているのは、日本人は生まれたときからすぐ日本人だ、だから逆に言うと、アイデンティティーを本来は問わなくてもいい集団である、いろいろこの言葉に漏れる部分いっぱいありますけれども。  ただ、世界の人たちが、日本人は何だろう、日本の社会は何だろうと疑問を持つ、または興味を持つというのは、やはりアジアにおいて明治維新後急激に産業化、近代化した、そして欧米諸国と伍した国、そういう国はほかにないわけでありますから、その意味で、日本を研究するというのは大きな意味でいえば正当な行為だと思います。

柳澤伯夫自由民主党

○柳澤委員 同じようなお考えでいらっしゃるという思いがするわけですが、今ちょっと最後に先生おっしゃった、外国人が日本とは何ぞやというのは、私、自然だと思うんですね。  これは、例えばパキスタンが、パキスタンという国はどういう国かというのを世界のシンクタンクに諮問したことがありました。そのときは私ども、政策グループでそんな研究をしておったものですから、そのこと自体にちょっと驚いたのでありますけれども、考えてみればむしろその方が、パキスタンの場合にそれが一番適合しているかどうかはともかくとして、日本のような、いわば契約国家じゃない自然国家の場合には、外国から見て日本とは何かということの方がむしろ自然で、みずからがみずからを、おれは何だろう、おれは何だろうというのはちょっと偏執狂のような、あるいは先ほど言った強迫観念が強過ぎて、このあたりはこれから考えて、心していかなければならない点かなと、きょうの先生のお話を聞いて思った次第でございます。  ついでにちょっと御披露しておきますと、日本のアイデンティティーというか、後でもし時間があればこれも触れたいと思いますけれども、日本の経済システムというのは物すごい激変をこれからしていかなければならない、まさに構造改革の時代に入ってきたわけでございますけれども、そのときにも、何といっても日本の強みはここにあるということを述べられた先生がおりました。それは、消費者の商品を見る目の厳しさ、これこそが日本のすごさである。ですから、日本の消費者に満足が得られるような商品であれば、世界で満足されないなんということはもう絶対ないんだというようなお話を聞いて、まさに私どもが駅のキヨスクで売っている新聞にしろ週刊誌にしろ二冊目をとるというような日本人特有の商品に対する感覚、こういうものに日本人らしさというか、先ほどの言葉で言えばアイデンティティーがあるというようなことをちょっと思ったりいたしました。これはこれで話を終わります。  次に、ちょっとパラダイムの変換の点について先生のお考えをお伺いできたらと思います。  それは、一つは国際関係におけるパラダイム変換、パラダイムシフトの話なんでございますけれども、先生は御紹介の御経歴でもそうですし、我々日ごろ送っていただいている雑誌、例の外務省の外交フォーラムの編集長もされていたのでございますけれども、最近におきます国際関係におけるパラダイムシフトの最大の問題というのは、普通の国論というか、普通の国観というものが非常に大きな流れになってきておることであろうかと思うわけでございます。これは、もう言うまでもなく、湾岸戦争のときに我が国がとった態度が経済至上主義というふうに言われて、批判と反省を呼んだわけでございます。  先ほど、午前中、曽野綾子先生のお話を聞きますと、ユダヤのコムレードというんですか、同胞というのは、そこに血と金とがちゃんとしかるべく支払われることによってそういう関係が成り立つんだということでございまして、私は、あのとき日本が払ったお金も腰骨が折れるぐらいのお金であったわけでありますから、これだったら十分はらからとしての評価を得ても当たり前じゃないかなと思いつつ聞いたんですが、やはりなかなか国際世論ではそうはならなかった。  特に、私がじかに聞いた、私は一九九一年の一月十六日にワシントンにおりまして、せんだって大統領選にも出られたブラッドレー議員の部屋におったわけです。そのときに、ブラッドレー氏があの大きな体を自分はくたくただと言わんばかりにソファーに横たえて、日本を同盟国と思ってきたのにというようなことで、我々のあの当時とった態度に対して大変嘆いておりました。  そういうことについては、私も、ある外交官がこういうことを講演で言ったということも影響しておると思うんです。それはどういうことかというと、「この時期だれが石油を支配するかは、アメリカにとって深刻な問題だが、日本にとってはそうではない。もちろん、石油を友好国が管理すればそれにこしたことはないが、経験の告げるところ、支配者がだれであれ、いずれそれを売らなければならない。幾ら代金を払っても、日本にはこれを買える資金がある。」こういうふうに当時言った。  こういうことを言えば、それはやはり批判が出るのは当たり前だという気もするわけでございますが、いずれにせよ、そういったことを一つのモーメンタムとして、最近、我が国の国際関係論では普通の国論というものが非常に大きく力を伸ばしていると言ってよろしいか。これは、最近出た北岡伸一さんの本でも先生自身がそういうことをお述べになっておられるわけであります。  そこで、この日本の普通の国論というものについて先生がどのように御評価されるか。単に湾岸戦争での話、湾岸戦争で我が国がとった態度のリパーカッションとしてこういった論が台頭してきたと見るのか、あるいは、戦後一貫して日本人が維持してきた軍事消極主義ともいえるようなものがここへ来てようやく破綻をするに至ったというふうに見るのか。戦後の論調の中でどのようにお考えで、御評価をされているか、お話がいただければと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 十分にお答えできる能力があるとは思いませんが、一生懸命努めます。  石油の問題については、これはオイルショックの折、日本のとった行動がアメリカに不信感を植えつけたと思います。日本の中でも、アラブ外交じゃなくて油外交だというような強い批判があったというふうに記憶しております。また、アラブ外交というものは、日本が単独で担当できるとは思いません。大国アメリカまたは国際秩序全体の中でアラブというものを考えなくてはならない。しかしながら、そういったことを試みようとした、それは大きな間違いではなかったかと思います。  そして、外国への貢献ということになりますと、ちょっとでも危険がありますと、日本の中の論調では、先ほど申し上げました非大国イメージ派という論調が強くなります。そして、究極的には、世界政府をつくってけんかを仲裁しようじゃないかというような論調が出てきます。そんなものは逆に、平和を掲げるのはいいんですが、その手順、手続、そういったものが大変慎重でなくちゃならないし、世界政府というものを今現在すぐにつくって、それが効率よく働くとは思いません。  また、普通の国という言葉、これはなぜ理想の国じゃいけないのかというふうな、言葉としては言えると思います。普通の国というのは、要するに、説明不足で摩訶不思議な国に映っているぞというような意味合いも逆にあると思います。だから、摩訶不思議な国じゃないんだよというふうに外国に理解されるように努力すべきだと思います。日本の政策、行動はこういった論理性を持って行っているんだということを十分に説明する、その説明する努力をしつつ行動するということがあってしかるべきだと思います。  湾岸戦争において、増税までして費用を負担した、こんな国家はそうざらにあると思えません。少なくとも諸外国の為政者は、日本の貢献というのを大きく理解していると思います。日本の外交はかなり一生懸命やっていると思います。通常兵器の移動に関する規制とか地雷除去などについても、諸外国は高く評価していると思います。  何かというと、日本は援助したりなんかしますと、このごろの論調で、感謝しているということを言われないと嫌だというふうなものがございます。急に伝統的日本主義者みたいなことを言いますが、日本語には陰徳という言葉がございますね。とにかく徳を積む。どうして徳を積んで理想の国家になってはいけないんでしょうか。こんなふうに感じております。  お答えにならない答えでごめんなさい。

柳澤伯夫自由民主党

○柳澤委員 もう最後、時間がなくなりましたので、非常に手短に御質問させていただきますが、もう一つのパラダイムは、言うまでもなく国内の特に経済問題をめぐってシフトが起こっているということでございます。  最も端的なのは、家族的な、共同体的な経営というものがここで一挙に欠点を露呈して、もっと株主重視の経営がなされなきゃならない、こういうようなことになってきたかと思います。加えまして、特にその中で雇用の問題というのが最も日本人にとっては厳しいものを提起してくるのではないか、こう思われるわけです。  日本では人を雇うということでございましたけれども、どうも我々、今いろいろな欧米の経営体における人の働きというものを見ておりますと、それは本当に仕事があってそこに人がつくという、まず仕事が優先でございます。日本の場合には、ある会社に雇われた、何の仕事をするんですかと言ったら、そこに二、三カ月座っていてくれたら何をしなきゃならぬかがわかる、こういうようなことで、本当に人を雇っているわけですが、それがそうでないということのようです。  こういうようなことは、日本に自生的に出てきた一つのスキームでないだけに、そういうものを取り入れる場合には非常に日本国民にとっては負担になるのではないか、こんなふうに考えておりますけれども、もしコメントがあれば手短にいただいて、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 アトランタにいたときがあるんですが、そのときに、あるアメリカ人がこぼしていました。日本の企業に勤めた、なぜ勤めたかというと、日本的経営のなぞ、ミステリーに迫りたい。そうしましたら、彼は怒っていました。何もわからない、大体日本企業はジョブディスクリプションがない、その中で日本人は平気で働いていると。だから、それが日本企業の秘密なんだよと僕は言ったのです。だけれども、これでは外国人を雇っていくには無理があるんじゃないか。そういう意味で、今までジョブディスクリプションがない形でやってきた日本的な経営は、やはり変化せざるを得ない。  ただ、雇用を保障するというのは、日本の企業は大変誇っていましたけれども、現在、そうでもなくなってきましたね。逆に、誇ってきた責任があるのだから、もっと長期に雇用を継続してやる、これが日本企業のよさだということで踏ん張っていただきたいというような気持ちを持っております。

中山太郎自由民主党

○中山会長 これにて柳澤伯夫君の質疑は終了いたしました。  民主党・無所属クラブの質疑予定者の御出席を要請いたしましたが、御出席が得られませんので、やむを得ず次の質疑者に入ります。太田昭宏君。

太田昭宏公明党

○太田(昭)委員 きょうは貴重なお話、余りこういうお話を聞く機会がなかったものですから、大変参考になり、また先生が同じ年の生まれということで、読んできた本が非常に共通しているんだなということを改めて痛感し、勉強させていただきました。  第一には、日本に新しい目標と新しい理念が必要、どういう新しい目標と理念なのかなということをお伺いしたいと思います。  憲法制定当時は、日本は明確に大きな理念等の変換があったと思います。ノートルダム女子大の梶田学長等によれば、四つに分けて、軍国主義から平和主義になった、そして全体主義から個人主義への流れができた、日本主義から国際主義というふうになった、そして国家神道体制から社会の無宗教化へという、四つの大きな流れができたと。これが、憲法にもまた教育基本法にも大きく反映して、それをよしとして戦後が展開されてきた。  そこにはいろいろな波がありますけれども、この四つを肯定的にとらえながらも、日本の論壇の論争ではゼロか一かという、そういうことがいまだに続いてきて、ちょうど二〇〇〇年という年、あるいはまた今、教育基本法の論議であるとか、あるいは憲法調査会がこうして法案を出さないで論議をするというようなこと自体が生まれたということは、大変すばらしいことだというふうに私は思っております。  ところが、軍国主義から平和主義へというゼロ一論争から、これが、平和主義が、いつの間にか一国平和主義ということでいいのかという問いかけが生まれる。  そして、全体主義から個人主義へというけれども、この個人というのが、ヨーロッパ近代の個人という、生まれながらにして自由で平等であるというような、そうしたことの、いわゆるヨーロッパ近代という上に立った憲法でいいかどうかというような問いかけが一つはある。その中で、個人主義がいつの間にか私生活主義というか、あるいは自己中心主義になってきている、そういう一つの問題点が出てきた。  三番目の、日本主義から国際主義へというならば、国際的に開かれるということは大事だけれども、そこでナショナルアイデンティティーというものはどういうものであらなければならないのかという、そうした深刻な問題が提起される。  さらに、国家神道体制から社会の非宗教化へという、こうした流れに対しては、文化とか伝統とか生活とか精神、哲学、こういうものが極めて希薄になっているというような問題が社会全般を覆っているというふうに私は思えてならないわけで、ゼロ一論争の〇・五というところの論争ではなくて、ゼロ一論争の五十年間を終えて、二、三の、二十一世紀の論争というものを、そこの土俵の上で論議を展開しなくてはいけない、私はそのように感じているのです。  新しい目標と新しい理念ということと、今私が申し上げた、論点自体を実は論じていくという土俵にしなくてはならないということについて、お考えを伺いたいと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 該博な御知識のもとでの御質問ですので、私がお答えするよりも、今の御質問の中にすべてお答えが入っているのではないかと思っております。新しい目標と理念をおまえ語れともし迫られるのであれば、これは私は、太田という議員さんに聞いた方が早いですよというお答えをした方がいいかもしれません。  冗談はさておきまして、ごめんなさい、何を答えたらいいか、今整理するために余計なことを申し上げてしまいました。  まさしく、二十一世紀の日本を語るこういう試みが行われていることが、その意味で、太田議員の御懸念を解消する一つの手だてとして行われているわけですから、喜ばしいことだと思っております。  そして、特に強く問題にされた平和論、一国平和主義のことについて少しお答えしたいと思いますが、本来は、これは他の参考人の方々から論じられると想定していましたし、また先生方の方が国会で論議を深められていることと存じますから、あえて余り言及しなかったのですが、論文の世界では、これは決着がついているのですね、本来的には。  平和論、または平和主義と現実主義という問題で言いますと、日本的経営とか縦社会が言われたころの一年前、昭和三十八年、一九六三年、いわゆる安保騒動から三年目ですか、これは、高坂正尭氏の「現実主義者の平和論」というものが大きな役割を果たしたわけです。これは、いわゆる一国平和主義あるいは非武装中立を言い立てるだけで何もしないということでは、かえって説明ができない。単純に言えば、じゃ、絶対的な平和を言うのであれば、その手だてをどういうふうにつけるんだ、その政策をどういうふうに持っていくんだということがない限り、平和というものはあり得ないんだということです。  そして、昭和三十九年、一九六四年に、同じ高坂さんの「宰相吉田茂」論というものが出て、いわゆる戦後の吉田路線といいますか、軽武装、経済第一主義というものがよいんだなというふうに、何となく国民全体が感覚を共有してきたと思います。高度成長にそれで邁進したと思います。  そしてなおかつ、昭和四十二年、一九六七年、永井陽之助氏の「平和の代償」という本が衝撃的にデビューしたのですね。つまり、初めて平和というものにも代償が必要なんだなということになる。  ですから、私の感じでは、国会内の論争のあり方の方が、この平和主義と現実主義の問題については非常におくれているのではないかというふうに思っております。  それから、全体主義から個人主義の問題、また、自己中心型またはミーイズムの問題、それから単純な日本主義と国際主義、日本主義を否定して国際主義、こういった立論の仕方も逆に言うとおかしいんだと思います。  例えば、個人主義とか、先ほども申し上げました中流意識の崩壊ということでいえば、一九八三年、昭和五十八年に、これは蒲島郁夫さんと猪口孝さんという二人の学者によって「現状肯定の偏差値世代」という論文が発表されております。これは、東大の新入生を調べましたらば、一九八三年時点で、もう既に親の所得が物すごい高い層になってきていて、そして彼らは、社会を十分によろしい社会であるという意識を持っていて、余り世の中を変えようとか理想に燃えて何かをしようという気にならない。ですから、その前後からの日本人は少し現状肯定が過ぎるんじゃないかというふうなことはその後ずっと言われてきました。また今度経済的におかしいものですから、中流社会の崩壊というものが言われて、警鐘が鳴らされているというふうに思います。  つけ加えるとしましたら、憲法というものが、例えば真正面切って中学生に教えることができるかできないか。私は、恥ずかしいことですが、高校生時代に憲法を一生懸命読みましたが、どうして日本が自衛隊を持てるのかよくわからなかったです。後に自衛権とかそういう問題を教えられることによってその疑問は解消できましたけれども、要するに難解であります。ですから、日本が新しい行動をとろうとするときに必ず憲法解釈をめぐっての論争をせざるを得ないわけですね。その意味で、憲法調査会が新しい憲法をつくるということに動くのであれば、それこそ二十一世紀の日本の目標、理念と密接に関連するんだと思います。

太田昭宏公明党

○太田(昭)委員 時間が余りありませんが、一つだけ聞きます。  最近、村上龍さんが書いた本の中に、失われた十年というよりも失われた二十五年というか、一九七五年ぐらいからずっと目標を喪失した、生活スタイルは一緒である、ずっと目標を喪失しながら新しいキャッチアップをしてきた日本であるけれども、目標を喪失してしまって、結局見当たらないまま二〇〇〇年を迎え、二十一世紀のとば口にいるという分析があるわけです。確かにバブルとかさまざまな現象はあったんでしょうが、その目標の喪失とか、そういうようなものの二十五年というか、そういう見方について近藤先生はどういうふうにお考えでしょうか。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 やはり漠然とですが、日本というか日本社会といいますか、キャッチアップするのが得意なんじゃないか。ですから、言葉として何と書くかというよりも、やはりキャッチアップするような雰囲気のときというのは強みを発揮するんじゃないかと漠然と考えています。  大体、総合雑誌というものが誕生したのは、これはよく御存じだと思いますが、西欧にキャッチアップするための道具として生まれたわけでありますね。明治二十年代にでき上がったものが今まで続いているわけでありますが、そのとき、西欧にキャッチアップしなくちゃいけない、そのためには西欧的な紳士にならなくちゃいけない、そうしたら、経済的な問題、政治的な問題に限らず、文学も芝居もわからなくちゃいけない。そうしましたら、その総合雑誌というものは、経済論文、政治論文、そして小説、芝居、あらゆるものが入っている、いわゆる幕の内弁当型の雑誌ができ上がって、これはキャッチアップするための道具としてずっと生きてきたわけです。そして、キャッチアップを終わったというような雰囲気になったときに、やはり総合雑誌の売れ行きが陰りを見せているということであります。  現在、ITの問題でもってキャッチアップの声が高いわけであります。多分、こんなことを言うと経済学者でも何でもないのに無責任と思いますが、こういうキャッチアップが明確になった場合には、かなり早くキャッチアップできるんじゃないでしょうか。

太田昭宏公明党

○太田(昭)委員 ありがとうございました。終わります。

中山太郎自由民主党

○中山会長 これにて太田昭宏君の質疑は終了いたしました。  自由党、日本共産党及び社会民主党・市民連合の質疑予定者の御出席を要請いたしましたが、御出席が得られませんので、やむを得ず次の質疑者に入ります。近藤基彦君。

近藤基彦21世紀クラブ

○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。きょうは、大変お忙しい中お越しをいただいて、ありがとうございました。  柳澤先生と若干質問がダブるかもしれませんが、先ほど先生は、日本人の日本人論あるいは日本文化論を雑誌にかなりお取り上げになって、それを載せればある程度の販売効果がある。なぜ日本人がそういった論文を買って読むのか。日本人が日本論あるいは日本文化論を唱えることで、他国との違いを明確に認識して、その中で劣っている部分には実は目をつぶって、すぐれている部分だけをクローズアップして、どうも優越感を全国民が享受しようとしているのではないのか。ほかの国より異質、特異な部分を極端に取り上げて、他国よりは日本がすぐれているんだ、そんな気持ちがあって、そういった部分でかなりの論文が出てきているのかどうなのか、それをひとつ教えていただきたいと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 必ずしも称賛している論調のものだけを日本人が求めてきたわけではないと思います。先ほど余り詳しくは申し上げなかったので恐縮ですが、自虐的とも思えるような、日本人はだめだだめだというふうに書いたものもかなり売れております。また外国人もそういったものを書いております。これは若干レジュメの中に出てくると思います。外国人が書いても、日本論というのは外国でそれほど売れるわけではなくて、翻訳すると日本の中で物すごく売れるわけであります。  そういった時々の日本人の心のあり方といいますか、時代が求めているのか、自虐的なものがばっと売れるとき、称賛するものがばっと売れるときがあります。我々の業界としましては、例えば自虐が求められているときは、自虐的なものを書いている外国人のものが売れるわけです。特に外国の人が言ってくれた方がいいみたいであります。称賛するときも外国の人が言ってくれた方がいいみたいなんです。そういう波に乗ることを心がけている書き手を、隠語としてですけれども、業界用語としてプロフェッショナル外人というふうに言っております。  もしかしたらテレビタレントでも、日本の悪口を言う人がテレビにばっと出てくるときと、やたら日本を褒め上げる、それで人気を得るという人と、そういう時期があります。それが両立する時期は、二つのタレントが同時期にはやるということは余りないと思います。重なり方が少ないと思います。  その意味で、やはりそういった論調も時代背景と関係があるというふうにしかお答えできないのです。

近藤基彦21世紀クラブ

○近藤(基)委員 その時代背景なんですが、自虐的なものがばっと売れる、あるいは称賛するものがばっと売れる、先生、もしお調べでしたら、そのときの社会的な背景、例えば経済が景気がいいときはこう、そういったものにリンクをしているのかどうなのか。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 やはり経済的に好調なときには、自分たちがなぜこれだけ好調なんだ、いわば先ほど申し上げましたように、本来的には、バブル経済のときにも、日本のシステムが揺らいでいる、世界の中では通用しなくなってきている、そういう危険があるというふうな論調が既にきちっと出ているのにもかかわらず、日本社会全体はバブルに酔って日本称賛をしてきた。日本的賛美、日本的システムの賛美のものに飛びついていたということだと思います。それで、現在余りにも、逆に言うと日本否定の論調が目立ち過ぎるかもしれません。

近藤基彦21世紀クラブ

○近藤(基)委員 日本人論はこの辺でやめておきますが、私ども21世紀クラブは今国会から参加をさせていただいて、一月からこの憲法調査会が始まっているわけですが、前国会、私どもが参加をしたときに事務局の方から原文をいただきまして、その原文を、調査会でもお話ししたことがあるんですが、ある大学の若手のグループに持ち込んで、現代語に和訳をしてもらうべく依頼をして、その答えが、大変立派な現憲法で、これ以上平易な言葉で訳すとすると逆にかなり誤解を生む文章ができてくる。英語を基礎に現憲法ができているわけですから、大変立派な訳である、これ以上は、紆余曲折、誤解を生む訳になる可能性があるので勘弁をしてほしいということでありました。  先生が先ほど一番最後に、国際語たる英語あるいは外国語を意識しながらこの憲法を扱った方がいい、もし改正をするならばそこまで考えた方がいいと。私もそのとおりだと思うんですが、一つだけ先生に、少し触れられたんですが、余り理念、理想的なものは憲法に入れるべきではないと。現憲法では前文に、そういった部分では、客観的というよりは、ある意味では、平和主義を唱えているので、これはまずいというわけではないんですが、かなり理想的な部分のくだりがあると思っておるのです。そういった意味では、もし万が一憲法を論議するとき、平易な言葉、そういった主義的な部分は省いた方がいいとお考えでしょうか。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 主義的という言葉を私なりに理解した形でお答えしたいと思います。  やはり現憲法を現代語訳するというのは無理があると思います。いろいろと憲法学者の中で解釈が違うわけであります。ですから現在の混乱があるんだと私は考えています。ただ、私は憲法学者でも法律家でもないので、個々の条文や条項について言及するのは避けたいと存じます。また、外国の憲法と比較したこともございません。  ですから、先ほどイメージとしての憲法と申し上げました。あくまでも印象論ですが、これは司馬遼太郎氏もおっしゃっていましたが、憲法というのはコンスティテューション、コンスティテュートしてできたものだ、つまり構成、組み立てることだと。強引な飛躍かもしれませんけれども、国家という家の設計図と思えばよろしいのではと考えています。環境や住んでいる人間に変化が生じたら、それにつれて家の構造を変える必要があると思います。それには設計図も変えなくてはならない。そのように考えますと、設計図はわかりやすくなくちゃならないと思います。それは、平易な表現が必要となります。  また、表現上からも、外国語として日本語を習得した人々にも容易に、簡単に理解できる日本語が望ましいのではないかと考えています。つまり、外国人というふうに申し上げましたけれども、中学生を外国人と思えばいいのだと自分では納得しております。我々が身についた用語、表現を絶対視していては、読み手に作者の意図が伝わらないことがあります。読み手を外国人と想定して文章を推敲するということ。  さらに、平易さを求める理由があります。続けてこれは司馬氏の言葉をかりますと、彼によりますと、日本人の多くは大文字で表現するゴッドを持たない。つまり、絶対神を持たない。またはバイブル、聖書あるいはコーランを持っていない。このような場合、憲法の文言がバイブル、聖書とかコーランの文言と同じような役割を果たしてしまう可能性があります。表現は格調が高いことが必要でありましょうが、平易でなくてはならないと思います。そうでないと、常に文言解釈をめぐっての神学論争に陥る可能性があるでありましょう。  そして、なおかつ政治をわかりにくくします。ですから、外国からもわかりにくくなります。少年少女に憲法を教えるときに困難が伴います。こんなような状況を放置しておいてはならないと存じます。つまり、政治の効率を極めて悪くしているということを私は感じております。  なおかつ、現在、企業活動では、昨今、コーポレートガバナンスというものの重要性が問題になっています。つまり、コーポレートガバナンスというのは、私なりに解釈しますと、開かれた経営による健全な企業活動ということになると思います。この開かれたというのは、外部からも、または参加している人間にとっても理解しやすいということが重要だと思います。  政治も開かれて、つまり、わかりやすくなければならないと思います。外国からも、日本の少年少女たちからもわかりやすいと思われなければならない。そして、日本の行動が合理的だと受けとめられなくてはならない。そのためには、やはり平易な文章でなければならないと存じます。憲法九条の精神を堅持せよというような意見が強いことは承知しています。だったら、その精神をより平易に表現していただきたいというふうに、逆に言うとお願いしたいんです。  それから、英語との関係でいえば、どうせ英訳して海外に紹介しなくちゃいけない。だから、常に翻訳後の表現を想定してかかった方がいいんじゃないかと思います。また、ほかの言語というのは、やはり違った民族的、文化的背景を持っています。日本語的思考では気づかないこと、自明、至極当然だとみなしてきたことをチェックするためにも、そういう作業を行った方がよろしいのではないかというふうに感じております。  お答えにならない形で申しわけありません。

近藤基彦21世紀クラブ

○近藤(基)委員 大変ありがとうございました。私ども同感ですので、今後とも御指導をよろしくお願いしたいと思います。  以上で質問を終わります。

中山太郎自由民主党

○中山会長 次に、松浪健四郎君。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。  長時間にわたり、本当に御苦労さまでございます。  先ほど太田委員から、戦前戦後、どのように変わったか、それは軍国主義から平和主義へと変わったというふうにわかりやすいお話がございました。「戦後論調に日本・日本人の自画像を探る」ということでお話をいただいたわけでありますけれども、まず私がお尋ねしたいことは、この話の中身と余り関係ないと思いますけれども、戦前は音羽文化、岩波文化、これらがこの国のオピニオンを形成しておったというふうに私自身理解をしておるわけであります。そして、その岩波文化の中に世界という雑誌がありました。  ところが、近年この雑誌が売れない。そして、近藤さんも携わっておられた中央公論、これも売れない。なぜ売れなくなってきたのか、その辺のことをまずお尋ねしたいと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 十年前に中央公論社を退社してから、世界や中央公論の売れ行きを定期的にニュースとして得ておりません。松浪先生が売れないというふうに断定されるのであれば、売れていないのでしょう。  しかしながら、ひところのような形で話題にならないというだけでありまして、世界も中央公論もそれなりに現在の社会的な役割をまだ担っていると思います。先ほど申し上げましたように、キャッチアップのための道具としての役割は失っているかもしれませんが、それなりに日本社会において学際的な意見表明、交流の場として成立していると思います。  ちなみに、この調査会に参考人としてお出になっていらっしゃる方々の全員が全員、私以外は総合雑誌の筆者でございます。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 私も、長い間教壇に立ち、そしてまた学会の研究誌に投稿をしてまいりました。学会の雑誌は一万部も売れば大変な広がりがある、こういうふうに言われております。しかし、それはその学問の領域の中であって、大衆、つまり、このマスメディアの時代の中にあってそれらの理論が国民すべてに行き渡るかというと、悲しいかな、専門家だけにしか行き渡らない。結局、私は、世界も中央公論ももはや学会誌的な傾向に陥って、そして、国民全部にこれらの考え方を広める、そういう役割はもはや使命としては終えているような気がしているのですが、それについての御感想をお伺いしたいと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 その点については市場原理が決めていくことなんじゃないでしょうか。社会的使命がなくなったら、やはり経営として維持できなければやめざるを得ないということになると思います。  ただ、ひところのように部数的に売れていないと思いますが、政治家の先生方も、新しい行動をとられる、または新しい政党を立ち上げられるというようなときには、中央公論、世界に限りませんが、いわゆる総合雑誌に寄稿されて、世の中の方々に理解してもらうというための道具としてはお使いになっていると思いますし、それがまた、読者がそれを求めるということになると思います。  一つの学会に閉じこもらない形での学際的な役割、機能を持っていると申し上げました。そこに活路を見出せば、まだまだ総合雑誌は生き延びるのではないかと思います。  ただ、友人たち、まだ総合雑誌で一生懸命仕事をしております。その彼らの努力、研さんには常日ごろ敬意を持っておる者の一人であります。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 話はそれましたけれども、私の言いたいことは、日本のオピニオンリーダーたちも、またその後ろについている人たちもだんだん活字離れしてきておる、このことを大変残念に思いますし、寂しく思うということを言いたいわけであります。  質問に入ります。  この国が経済大国化していく、つまりそれはどんどん我が国が近代化していくということであったわけでありますけれども、このレジュメの中に私が一生懸命読ませていただいた本がございます。梅棹忠夫先生の「文明の生態史観序説」、それから中根千枝さんの「タテ社会の人間関係」、一生懸命読ませていただきました。  経済大国化していくときに、日本人の国民性が変わってまいりました。和辻哲郎の「風土」によれば、国民性、民族性というのは風土によって規制される、こういうふうに書かれてあるわけで、我が国の風土が変わったわけでもないにもかかわらず、国民性が変わってきた。これは、恐らく経済によって変わってきたのだろう、私はそう思っております。  それで、近代化が進むに従ってどのように変わってきたのか。物すごくわかりやすく表現しますと、力道山、つまりプロレスを想起していただければありがたいのですが、日本人は、善玉でなければ応援しない、正義の味方でなければ応援しないという国民性を持っておりました。ところが、近代化をし、経済がどんどん右肩上がりで上がってまいりますと、悪役がヒーローになる、そういうふうに変わってくる。もちろんベビーフェースと呼ばれる善玉も人気を得るわけですけれども、ヒールと呼ばれる悪玉も人気を得る。このことは、価値観の多様性、そして国民性が多様になってきた、そういうふうな気がいたします。同時に、この国も国際化をし、海外旅行者がどんどんふえていった。こういうふうに認識しておるのですけれども、参考人はいかがお考えでいらっしゃるか、お尋ねしたいと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 松浪先生の御意見を拝聴して、どの部分にお答えしていいのか判然としないのです。申しわけありません。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 日本人の自画像がどういうふうに変わってくるのか、私にも大変興味がありますけれども、結局、わかりやすく言いますと、私たちの憲法はいろいろなことを予想してあるわけですが、例えば第二十二条の二項には、「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。」こういうふうにあります。移民をする、つまり、自分たちの国は耕すところもないし、経済的に豊かになる可能性がないから、もっと新天地に向けて自分たちが夢を持って移住しようというような人たちがたくさんいらっしゃいましたし、そのことは憲法で保障されておったわけであります。  ところが、私たちの国が近代化され、経済大国化するに従って、この国を離れて移住するという人が、個人的にはかなりいたでしょうけれども、集団で行くというような風潮、これらがなくなってまいりました。それでありながら、日本人が日本人を批判するというふうな形に変わってくる。  だから、その自画像を、近藤参考人もおっしゃいますように、どういうふうにして描けばいいのか。描き切ることができないというようなことは我々にも理解できるわけですけれども、とにかくこの近代化、経済の大国化、右肩上がりに経済が上がっていくということによって、参考人は自画像をどういうふうに描けばいいというふうにお思いになっておられるかをお尋ねしたいわけであります。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 先ほどの繰り返しになりますが、流行と不易と申し上げました。その流行の中で業を営み過ぎてきたというふうに申し上げました。余りにも日本人論、日本文化論をやり過ぎた。しばらく自画像を描こうとする作業をやめた方がいいんじゃないか。逆に、先ほど申し上げましたように、憲法を家の設計図として考えたら、設計図の方を先にかいた方がいいんではないか。その方が問題の解決に、また世界へのメッセージを持てる国家になるんではないかというふうに現在のところは考えております。  それから、もう一つ申し上げますと、例えば、世界の為政者の多くは外国に資産を持っている、または簡単に亡命するというような歴史を持っているものですけれども、日本の歴史を見ますと、そういう例は大変に少のうございます。義経がフビライハンになったという、義経伝説というのがありますけれども、そのほか、政争に敗れた人間が亡命したというのは余りないと思うのです。その意味では、日本人は日本人として、先ほど申しましたけれども、生まれたときから日本人で、余りアイデンティティー論を今ここで性急に仕立て上げる必要はないんではないかと思っております。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 中国との国交を樹立いたしました。そして、日本の経済の状況もいろいろと変わってまいりましたし、国のありよう、外交の仕方、これらも変わってきたように思うわけですけれども、これは日本の否定的異質論、これなんかと関係があるのか、あるいは欧米基準、日本の自信喪失、これらとかかわりがあるのかどうか、お尋ねしたいと思います。

近藤大博日本大学大学院総合社会情報研究科教授

○近藤参考人 中国についての論調については、少し、私としては賛成しない論調がここのところ目立っています。  先ほど、優劣をつけたがっているとかいうようなことを申し上げましたけれども、どうも自信がないというか、褒められたい感じがするんですね。ですから、いいことをやっている、いいことをやっているということを先方が言わないと、何となく寂しくなる。これだけやってあげているのにというような発想の雑誌論文がかなりあると思います。  もちろん正当な外交関係を中国と展開する必要がありますが、礼を言わないじゃないか、感謝しないじゃないかというような言い方に近いもの、それは余り生産的ではないんじゃないか。何かアメリカとの外交関係を論ずる文章で、先ほど申し上げました、対米追随じゃないかというようなことを平気で言う、または、アメリカとつき合うのは危険だ。逆に、中国とも同じことだと思います。中国との関係もやはり外交的な配慮というものの中で論ずべきで、特殊、特別、そういった感情移入の強い論調がここのところ目立ってきているのは、少し私としては違和感を持っています。

松浪健四郎保守党

○松浪委員 時間がやってまいりましたので、これで質問を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

中山太郎自由民主党

○中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  近藤参考人におかれましては、本日、大変御多忙の中御出席をいただき、貴重な御意見をちょうだいしたことを、調査会として心から御礼を申し上げたいと思います。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後四時十三分散会

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