予算委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 153 件
- 登壇者
- 27 名
- 会派数
- 8
- 開催日
- 2000/03/14
会議録
○委員長(倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。 本日は、平成十二年度一般会計予算、平成十二年度特別会計予算及び平成十二年度政府関係機関予算につきまして、六名の公述人の方々から順次項目別に御意見を伺います。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。 本日は、平成十二年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。 それではまず、財政・税制について、公述人、専修大学経済学部教授正村公宏君及び奈良女子大学助教授中山徹君から順次御意見を伺います。 まず、正村公述人にお願いいたします。正村公述人。
○公述人(正村公宏君) お招きいただきましてありがとうございます。時間が大変限られておりますので、幾つかの基本的な問題だけを提起させていただきたいと思います。 まず第一に申し上げたいと思いますのは、財政と経済との関係についてであります。私が強調したいと思いますのは、過去の財政運営の経験について率直に申し上げますならば、いろいろな失敗の経験について私たちはもっと的確な理解を持つことが必要なのではないか。教訓と言ってもよろしいかと思いますが、適切な教訓を過去から学ぶためには理解の確かさということが重要であります。私が懸念いたしますのは、過去の財政運営で繰り返された誤りについての正確な認識が先生方の間で、国会議員の皆さん方、または政府の関係者の間で共有されていないのではないかということであります。 端的に申し上げますならば、今日の財政のこの大変な危機的な状態、一般会計予算の表面上をとりましても四割前後を公債に依存している。中央、地方の公債を合わせますと──大変恐縮でございますが、私語をおやめくださいませんでしょうか。過去三十年の間の財政運営の誤り、はっきり申し上げますが、いろいろ努力をなさったことは承知しておりますが、誤りの結果として、今日四割前後を公債に依存し、国と地方を合わせてGDPの総額を超える累積負債を抱えるという状態に至ったわけであります。 何が問題であったかということを一言で申し上げることは難しいんですけれども、財政と経済との関係で指摘したいと思いますのは、政府の財政運営は少なくとも一九七〇年代以来、非常に強くアクセルを踏んだかと思うと次の時点で今度は反対に大変強くブレーキを踏むという、そういう操作の繰り返しをなさったと思います。 思い起こしていただけば明らかでありますが、一九七〇年代後半はアクセルの時代でありました。機関車論という国際的に推進された積極政策のもとで、石油危機に基づく不況を克服するという理由はあったものの、公共投資を一挙に拡大なさいました。一部の経済学者は景気対策のためにこれは正当だという主張をしましたけれども、私は反対でありました。公共投資というのは、長期の計画に従って安定的に重要な分野に重点を絞って伸ばすべきであって、景気のために水あめのように伸ばしたり縮めたりということをやり過ぎてはいけないということで反対でありました。 八〇年代の前半はブレーキを踏み過ぎたわけであります。臨調という組織をおつくりになって、増税なき財政再建ということを追求なさいました。年々財政支出を削りました。私は、こんな財政運営をやっていたらどんな強い経済でも必ずおかしくなるというふうに発言しておりました。いろいろな事情がありますからそれだけが原因ではありませんが、あの極端な財政抑制政策と、内需の縮小といいましょうか内需の圧縮政策、これが大幅な貿易黒字を生み出し、急激な円高を生んだことは御承知のとおりであります。その結果として、八〇年代後半はまたアクセルを踏んだわけです。このアクセルがバブルを生み出したきっかけになったことは御承知のとおりであります。 こういうアクセルとブレーキを交互に踏むという大変乱暴な、私に言わせれば、率直な言い方をさせていただきますが、乱暴な財政運営をやって日本の経済と財政と両面での危機をもたらしたにもかかわらず、九〇年代は再び同じようなことをおやりになったと思います。最初はアクセルを踏み、途中でブレーキに踏みかえたわけです。 私は、財政の構造改革を前内閣が提起されたのはまことに妥当であったと思います。構造改革の不可欠性は極めて明らかでありましたし、切迫していたと思います。しかし、およそ三十年の間に財政が危機の状態に追い込まれてきたという状況を考えるならば、そしてこの危機の大きさを考えるならば、三年とか五年とか七年とかというような期間の間に財政の健全化に向けての形をつけるというのは不可能であります。不可能というよりも、こういうことをおやりになったら日本経済の安定成長は保証されないということを当時私は発言しておりました。財政構造改革の趣旨には賛成だけれども、短期間にこういうことを何か形をつける、対GDP比何%に公債発行を持っていくとか、そういうことを優先しておやりになれば日本経済の安定成長が不可能になるということを申し上げていたわけであります。いろいろな機会にいろんな形で申し上げてきたわけであります。 このような財政運営を繰り返してはならないと私は思います。今は専ら景気対策に主眼を置いておやりになっていますけれども、その反面、財政構造改革の問題は、凍結と言うんだそうでありますが、棚上げされております。この状態を過ぎまして少し景気がよくなったら、再び財政赤字をどうするんだという話になりまして、再び抑制の方向に一方的に傾斜するということがありませんでしょうか。そういうことであったならば、二〇〇〇年代の日本経済の安定成長は確実に損なわれると思います。 私は、九〇年代というのは中ぐらいの成長から低成長への移行の転機になるであろうと予測しておりましたけれども、その転機が大変曲折に満ちた混乱に満ちたものになってしまったのは、多分に政府の経済政策、財政政策に責任があると申し上げざるを得ないというふうに思います。 二〇〇〇年代の課題は、いかにしてこの低成長時代、低成長ではあるけれどもバランスのとれたいい状態に経済を持っていくかと。高成長はあり得ません。中成長でさえも再現は不可能です。大体、労働力人口がマイナスになっていくわけですから。そして、しかも相当に豊かになっているわけですから、豊かさの追求そのものが優先目標ではない。イノベーションは依然として重要でありますし、社会の活力を維持することは必要ですけれども、しかし重要なことは均衡と安定ということでしょう。 経済の均衡と安定を損なうような財政の急変を避けながら、しかし、十年、十五年かけて確実に未来の世代に負担を残さない状態に、社会保険料、租税を含めて、一般会計だけではありません、国だけではありません、国と地方と社会保険会計を含めて、今の子供たちやこれから生まれてくる子供たちにそういういい状態を残せるような、財政のいい状態を残せるような改革をやるということをやらないといけない。三年、五年で格好をつけるということよりも、十年、十五年で確実にそういう状態に持っていくということの方が強固な意思と十分なプログラムが必要であります。硬直した計画ではなくて、戦略が必要であります。そういうことについてぜひ真剣に御議論を賜ればというふうに思います。既にそういう議論はやっているよということであれば、その一端をお聞かせいただければというふうに思って参上したものであります。 二番目に申し上げたい点は、ではどういう姿の財政に持っていくのか、どういう規模の財政に持っていくのかということを考えなければなりません。およその見通しをつけなければいけません。 ただし、そのときに、よく言われますようなGDP比国民負担率五〇%を超えないようにするというような数値から議論を始めることに私は反対であります。五〇%なら経済がもつけれども五五%ならもたないという根拠は全くないわけです。こういう根拠のはっきりしない数値でもって財政の議論を始めるというのは、有能な学者のやることではありません。つまり、ほかにないから一応めどをつけておこうということであります。多分、政治や行政の現場にいらっしゃる方は、何かそういう数字がないと抑えがきかないという感覚をお持ちになっているんだろうと思います。そういう感覚が支配的であるとすれば、それは民主主義政治の病理であります。 つまり、具体的にどういうことを政府がやらなければならないかということを詰めていかないで最初から五〇%と切ろうとするのは、それは私は不毛な議論を招くしかないと思います。もし国民生活の安全、安定のために、安心の保障のためにどうしても五五%、こういう制度のもとで国民負担をお願いしなければならないという結論が出るならば五五%でもよろしい。私の申し上げた数字は仮の数字でありますけれども、五五%でもいいんです。五〇%の数字で抑えようと頑張って、国民に対する安心の給付に政府が失敗すれば、これだけ豊かになりながら国民の不安は緩和されませんし、経済の不均衡も拡大するんです。 今までの日本は、福祉が過剰であったために不均衡が生じたのではないんです。貯蓄が超過する国は貿易が黒字になるというのは現代経済学のイロハのイであります。貯蓄が超過する国は、つまり貯蓄を国内で使い切れない国は貿易が黒字になる。日本の今までの大幅な貿易黒字と行き過ぎた円高が日本の産業に大きなダメージを与えました。この行き過ぎた円高の背後にあるものは貯蓄超過であります。 日本人は用心深い国民性だと言われますが、その用心深い日本人が将来に対する備えのために、あるいは子供の教育のためにとか住宅ローンのためにとかいうこともあると思いますが、一つは、やはりいろいろ社会保障を政府はおやりになってきたけれども、もう一つ安心感に欠けている、画竜点睛を欠いているということが国民の不安感につながり、貯蓄超過にもつながってきたと私は考えております。 ですから、中途半端でないやり方で、しかもつまらないばらまきはやめて、今までいろいろやってきたことを全部見直して、これだけはどうしてもやりますよという姿を示して、その上で、いや、五五%はお願いしなきゃならないかもしれないということを、五五%という数字はこだわらないでいただきたいんですけれども、後からそういう数字が出てくるはずなんです。こういうふうに議論を整理していただかないといけない。 私は、ここのところ小さな政府論がはやりになりましたけれども、小さな政府論は既に破産しているというふうに思っております。小さな政府というふうにおっしゃいますが、日本の政府が現実におやりになっていることは小さな政府路線ではなくなっているんだと私は思う。小さな政府路線は守れなくなっているんです。 私は、一つの指標を申し上げますならば、一九八九年に、消費税引き上げに対する国民の反対ということの衝撃をお受けになってと思いますが、ゴールドプランというものをお立てになりました。高齢者の介護について政府は責任を持つということをお示しになったわけです。 中身は私は不十分であったと思います。当時の時点でホームヘルパーの数にして二〇〇〇年に十万人とおっしゃっていたけれども、そんなことで日本の介護が、安心のある老人介護ができるはずがないというふうに思っておりました。五十万人は必要だというのは私の当時の主張なんですけれども、でも、不十分ではあっても介護について政府が無視できなくなったということは、それなりの負担を暗に国民にお願いするということがあったはずであります。でも、そのことは明示されませんでした。どのぐらいの費用をどういう方法で調達するかということは必ずしも明確ではありませんでした。そういう方向転換をなさった。地域のボランティアと家族の介護で何とかなるという考え方でかなりやってこられたわけです。臨調路線はまさにそうだったわけです。高齢化社会が来るから今のうちに政府を小さくするというとんでもない議論を振りまいたわけです。 私は批判をいたしました。臨調は国鉄の民営化等々の功績はありますけれども、日本経済にとっては破壊的だった。福祉社会づくりの基盤を整備する条件を破壊した。将来、高齢化社会が来るから今のうち小さな政府というのは誤りなんです。将来、高齢化社会が確実に来るのだから、今のうちにやるべきことをやりましょうと。将来の世代への負担をふやさないために、今の世代の皆さん方、負担してくださいと言わなきゃいけなかったんです。それを避けた。時間の軸を入れてお考えくだされば、この誤りは極めて明確なんです。錯覚をなさったのか、知っていて誤ったことをお書きになったのか知りません、当事者に聞いたことありませんから。でも、こういうことをやってこられたわけです。しかし、それでは間に合わない。 さらに、九〇年代に入りまして、今まさにスタート目前でありますが、介護保険という制度をお入れになったわけです。介護保険の制度を入れたということは、保険料という形での負担増は確実になるわけであります。それだけではありません。介護保険の保険料は保険料という形で集めますけれども、これで介護の費用は賄えない。御存じのように、半分以上は国と地方の一般財政からの負担です。 では、その一般財政からの負担がふえる裏づけをどうするのかということを御議論なさったんでしょうか。もし、その裏づけになるような新しい税体系を考えておられないのだとすれば、暗に借金に依存するということではないでしょうか。借金に依存するということは、つまり中央、地方の公債がこれでまたふえるということであれば、将来の世代の負担がふえるということです。これでどうして小さな政府論なのかということなんです。 私は、小さ過ぎる政府は国を滅ぼしますよと。やるべきことをきちんとやり、必要なことをきちんと政府がやる、そのかわりやるべきでないこと、不必要なことからきっぱりと手を切って新しい制度体系をつくるという、そういう有効な政府をつくるということを目標にしていただきたい。有効な政府をつくるというときに、その見通しを、展望を明らかにして、将来の世代の負担をこれ以上ふやすわけにはいきませんよということを含めて、国民を十分に説得していただきたい。民主主義というのは大変厄介な制度ではありますけれども、でも、一人一人の議員さんが、自分の選挙区を駆けずり回って票を集めるんじゃなくて、日本の将来はどうするんだということをめぐって政党の間でも大いに議論していただきたい、そういう問題を最初に申し上げておきたいというふうに思います。 どうもありがとうございました。(拍手)
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 次に、中山公述人にお願いいたします。中山公述人。
○公述人(中山徹君) 御紹介にあずかりました奈良女子大学の中山です。 時間が限られていますので、早速本題に入らせていただきます。 私の専門は都市計画とか公共事業、そういった問題を扱っております。そういう専門から日本の国家予算もしくは自治体の予算なんかを見ますと、どこに大きな特徴があるかといいますと、他の先進国と比べますと明らかに公共事業費が非常に大きいというところに日本の予算の大きな特徴があるのではないかなと思います。 それがどういうものかというところ、お手元に資料が届いていると思いますので、それを参照しながらごく簡単に触れます。 図の二というのがあるかと思います。一般政府固定資本形成の対GDP比という資料ですが、大体おおむねこの三十年ほどの推移を見ているものですけれども、ちょっと見づらくて申しわけないんですが、一番上のグラフが日本です。一九七〇年代後半から日本の公共事業費というのは他の先進国の倍以上の推移をずっとたどっております。 また、図の三というのが右の上にありますけれども、一般政府固定資本形成、公共事業の工事費ですが、これを実際の金額ベースで見たものです。 一九九五年の公共事業の工事費ですけれども、日本の公共事業費をアメリカのドルに換算しますと大体三千二百七十九億ドルになります。当時、アメリカは千二百九億ドルぐらいの公共事業をやってきたわけです。日本の国というのは、アメリカの国土面積と比べますとアメリカの方がはるかに大きいわけですが、そのアメリカで行ってきた公共事業の倍以上の公共事業を日本の国は一九九五年にやっておりました。 また、ほかの先進国、日本を除く六つの先進国をすべて足した値がそのグラフの一番右に出ています二千六百八十二億ドルです。ですから、そういう意味では、日本の国というのはほかの六つの先進国の公共事業費をすべて足した以上の公共事業をこの年には行っていたということになるかと思います。 ちなみに、例えば都道府県で見ますと、ここの東京都でいいますと、東京都内で一年間でこの年に行っていた公共事業は、このグラフでいいますと大体イギリスぐらいに当たります。ですから日本の場合、公共事業をたくさんやっている都道府県というのは東京とか北海道になるわけですけれども、そういった東京とか北海道でやってきた公共事業というのは大体イギリスと同じぐらいというような金額になるかと思います。 日本の予算、国とか自治体まで含めまして非常に大きな特徴というのは、こういう公共事業予算が非常に大きいというところにあるのではないかと思います。 では、なぜこういう公共事業予算が大きくなったかということなんですが、その図の二というのをもう一度見ていただいたらおわかりのように、九〇年代に入ってから日本の公共事業予算がふえています。 これには幾つかの理由があると思いますが、一つ大きいのは、公共投資基本計画というのがございます。日本の国は公共投資基本計画というのを立てております。そこで、日本の公共事業を内需拡大のためにふやしていくという、これを国際的な公約にしたわけです。そういう中で、九〇年代に入ってから公共事業費が急増しております。 また、もう一つ大きなのは、ここでもずっと議論されていると思いますけれども、景気対策です。九一年にバブルがはじけました。それ以降、日本は不況に入っていくわけですが、その中で、日本の国の不況対策といいますと公共事業の拡大というふうになっております。ただ、御承知のように、前の内閣のときに財政構造改革で議論されておりましたが、今先進国の中で景気対策で公共事業を拡大している国というのは日本だけでございます。 図の四というのに資料を挙げておりますけれども、これは一九八五年、九〇年、九五年の公共事業費の比率を見たものです。各国ごとにグラフを三つ挙げておりますが、特に見ていただきたいのが九〇年と九五年のグラフです。 アメリカは九〇年代半ばからやや景気が回復してきていますが、おおむね九〇年代の前半というのは国際的に見て景気が余り芳しくなかった、特に先進国は芳しくなかった時代です。その時期にカナダとかフランス、ドイツ、イタリア、イギリス、そういった国々は公共事業の予算の比率を下げております。 これはある意味では当然でして、不況のときというのは税収が減ります。そういう中で公共事業も抑制しているということなんですが、日本の国は不況対策といいますと公共事業をふやすということになっておりますので、九〇年代に入ってから他の先進国とは違って公共事業費を非常にふやしたという、そういう経済対策をとってきたのではないかと思います。そういった景気対策によって九〇年代に入って公共事業費が非常にふえたのではないかと思います。 また、私のように都市計画を専門的にしていますと、今の自治体のあり方というのも問われるかと思います。 御存じのように、この間、国際化とか情報化、そして規制緩和、そういったものが物すごく進んでおります。そういう中で各自治体は、国際化、情報化の波に乗りおくれては大変だ、国際化とか情報化、そういうのに勝てるような地域社会を築いていく必要があるということで、日本の各都市が国際化や情報化に役立つような大型公共事業をこの間競争のようにやってきたわけです。そういった背景で九〇年代に入って公共事業費が非常に膨らんだのではないかと思われます。 さて、そうなってきますと、九〇年代に入って非常にふえてきた公共事業が当初予定していたような経済効果をもたらしてきたのかどうか、この点を考えておくことが日本の今後の予算を考えていく上では非常に重要になるのではないかと思います。 特に、公共事業と景気の関係でいいますと重要な点が幾つかあります。 一つは、いわゆるストックの効果と言われているものです。これは何かといいますと、公共事業で高速道路とか空港をつくりますと、当然、後々それを使って経済の活性化が図れるわけです。確かに、六〇年代から七〇年代にかけての高度経済成長期、例えば東海道新幹線ができて東名高速道路や名神高速道路が当時つくられました。そういった公共事業というのが日本の当時の経済発展にある一定の寄与を果たしてきた。これは事実だと思います。ところが、この間行われてきた大型公共事業、それが日本の経済にとってストックとして大きな役割を果たしてきているかというと、この辺はやや慎重に考える必要があるのではないかなと思います。 例えば、この近辺でいいますと東京湾の横断道路、またもうちょっと西の方へ行きますと本四架橋があります。また、自治体が行ってきた大きなプロジェクトでいいますと、ここでしたら東京の臨海副都心開発、また私の住んでいる大阪でいいますと、大阪のりんくうタウンなどをこの間ずっと手がけてきています。 ところが、そういった公共事業を見ていますと、当初予定していただけの利用が行われていくか、当初予定していただけの採算があるか、また当初考えていただけの企業進出が見込まれてきたか、そういった点を判断していきますと、大型公共事業をやってきたのがストックとして経済の活性化に当初予定していたほど役立ってきているかというと、この辺は必ずしもそうではないのではなかったかと思います。 また、公共事業に、経済的な問題でいいますとストック以外にいわゆるフローの効果というのがございます。このフローの効果というのは、公共事業をやればたくさんのお金が動くわけで、そのお金が景気の回復に与える効果です。このフローの効果というのも、大きく分けると二つあります。 一つは、公共事業をやりますと、当然そこでは建設会社が仕事を受けるわけですけれども、建設会社が仕事を受けるだけではなくて、製鉄所とかが鉄を受注するわけですし、また公共事業をやりますとたくさんのセメントなんかを使います。公共事業をやりますと、そこで鉄やセメントなどいろんなものを使って、それがさまざまな別の産業に波及していく効果があるわけです。 公共事業はそういう効果が非常に高い分野だというふうに言われてきました。確かに、かつての高度経済成長期、そういった面はかなりあったかと思います。ところが、最近の様子を見ていますと、必ずしもその辺の効果がかつてほどは高くなくなってきたのではないかなと思います。 なぜそういう変化が起こっているかと申しますと、御承知のように、一九八五年にプラザ合意があって、それ以降急速な円高が進んでいく中で、日本の製造業は、日本の国内で工場をフル回転させるというよりも、むしろ日本の国内の工場を海外に移していくという、そういう方向が一九八〇年代半ば以降急速に強まってきたわけです。 かつてのように公共事業でたくさんの資材を使えば、それがそれ以外の産業にもどんどん波及していって、そこで新たな設備投資を次々引き起こしていくというようなことが最近ではほとんどなくなってきています。強いて仮に公共事業でたくさん鉄を使ったとしても、かつてのように日本の製鉄所がそれを受けて日本国内で新たな工場をつくるかというと、もう今ではそういうことは恐らくあり得ないと思います。そういう意味では、公共事業が持っているこの波及効果、それが年々低下してきているんではないかなと思われます。 また、もう一つ公共事業が持っているフローの効果として大きいのは雇用効果でございます。公共事業をやりますと、そこでたくさんの人を雇用することができます。雇用された人は当然給料をもらうわけです。給料をもらいますと、その人たちはそれを消費に使います。公共事業というのはそういう個人消費の拡大につながる効果が非常に高いというふうにかつては言われていました。確かに、景気が悪いときには失業する方がふえるわけで、その人たちを公共事業で救っていくという政策が日本の国は伝統的にとられてきたわけです。 ところが、最近、その雇用効果という点を見ても公共事業の持っている効果がやや衰えてきているんではないかなと思います。それを見ているのが、お手元にお配りしています資料の裏側になりますが、図の七でございます。これは建設省が出している公共工事着工統計年度報からつくったものですけれども、すべての公共事業を網羅している統計書ではないのですが、大体大まかな経過はわかるかと思います。一番太い実線がこの十年間の公共事業費の変化を見ておりますが、大体公共事業費はこの十年間で五割ほどふえています。それに対して、例えば総工事費百万円当たりの労働者数を見ますと大体五割ほど減っています。そういう意味では、公共事業の持っている雇用効果がかつてのように高いかといいますと、最近の雇用効果という点でいいますとやや衰えてきているんではないかというふうに判断できると思います。 そういった点から見ますと、公共事業を景気対策としてやっていく、日本の政策というのは伝統的にそういうことを行ってきたんですが、そういった効果というものをもう一度見直しておく必要が今あるのではないかなと思います。 では、どうすればいいのかということなんですが、公共事業というのはどんどん拡大しますと当然借金がふえます。日本の財政状況が極めて深刻だということは国会でも議論されておられるとおりでして、そういった財政状況が厳しい中で一体どう考えていったらいいのかということがあるかと思います。 私のように都市計画とか公共事業をやっている者からいいますと、今の日本の公共事業はもう一度きちっと内容を見直していくべきときに来ているのではないかと思います。特に、今のような財政状況を考えますと、緊急度の低い公共事業もしくは採算性に疑問のある公共事業、そういった公共事業についてはかなり内容を精査していく必要があるのではないか、そのように思います。 もちろん、国際化がどんどん進んでいく中で、そういった社会資本整備が全く不要だと言っているわけでは決してありません。私も都市計画を専門にしていますので、日本の社会資本整備が先進国と比べると劣っているということは当然事実としてあるわけでして、すべての社会資本整備をやめろと言っているわけでは決してありません。ただ、今のような財政状況、国民の暮らしの状況を考えますと、今本当に慌ててしなければならない公共事業というのは何なのか、その辺を精査していく必要があるのではないかなと思います。 例えば、国際化というとすぐ空港というふうな感じになろうかと思います。もちろん、空港というのも非常に重要な施設で整備していく必要はあるのですが、例えば首都圏では成田がありますし羽田があります。今、首都圏の第三空港の計画というのもあります。静岡に行きますと静岡空港が計画されていますし、愛知県に行きますと愛知新空港に名古屋空港もあります。滋賀県に行きますと琵琶湖空港の計画があります。私が住んでおる大阪には関空がありますし伊丹があります。神戸市は今、神戸沖空港の計画を進めています。兵庫県は姫路に空港をつくる計画を持っています。岡山に行きますと岡山空港。広島空港それから広島西空港。山口県に行きますと、山口県は東部に空港をつくりたい計画を持っておりますし、今既に山口宇部空港があります。九州に入りますと北九州空港があって福岡空港があるわけで、ちょっと数え間違っているかもしれませんが、おおむね首都圏から九州までに十八ぐらいの空港がこれから並んでいく可能性があると思います。 ただ、例えば新幹線の「のぞみ」に乗りますと、東京を出ますと、通常は名古屋にとまって、京都にとまって、それから大阪、岡山、広島、小倉、博多、「のぞみ」でも八つしかとまらないわけでして、その間に十八の空港を並べることが、それは予算がたくさんあればいいと思うんですけれども、今の時代そういう整備を進めていくことが本当に日本経済、国民生活にとって必要なのかどうか、そういった内容を精査していく必要が今の財政状況を見ればあるのではないかというふうに考えています。 ただ、そういうことを申していますと、いや、この間公共事業を行ってきたから日本の経済はここで食いとめられているんだ、もし公共事業を削減すればもっと失業者がふえて大変であったはずだというふうな議論も聞かれます。 ただ、その点をどう考えればいいかということで、私自身、試算をしたことがありますので、それを紹介しておきますと、図の八と図の九があります。これはちょっと急いでいまして、タイトルが図の八と図の九を反対にしてしまって申しわけないんですが、この図の九の折れ線グラフの方が、これは普通建設事業の一般財源に対する比率、自治体の公共事業費を見ているものです。見ていただければわかりますように、九〇年代に入って公共事業費が急増しています。 私がどういう試算をしたかといいますと、仮に九〇年代に入ってこれだけ公共事業をふやさなかったとすれば、別にゼロとしろとは言いません、せめて八〇年代後半ぐらいの水準、一般財源に対して四割程度の公共事業費の水準で仮に九一年以降推移させておれば日本の経済はどうなっていたのかというのを見ました。 もちろん、公共事業を削減する、それだけをすれば景気に対して悪い影響が出るのは当たり前ですが、公共事業を削減することによって財源が浮いてきます。その財源を、私が考えたのは、社会保障、自治体でいえば民生費になりますけれども、仮にそういったところに充当していたとすれば日本の経済はどうなっていたかというのを見たものです。 御承知のように、これから少子高齢化社会に入っていくということで、社会保障予算の拡充というのはむしろ求められていると思います。従来でしたら、社会保障といいますと、国民生活の向上には必要だけれども、経済対策という面から見るとややお荷物ではないか、むしろ経済的に見ると浪費ではないかという考え方が強かったと思うんですが、社会保障とか民生費というのは経済的な面から見ましてもそれなりの一定の効果を持っています。特に、社会保障の持っている経済的な面で多いのは雇用効果です。公共事業と比べましても社会保障というのはかなりのそういった意味では雇用効果を持っています。 もし、公共事業を九〇年代に入ってこれだけふやさずに、そこで浮いてきた予算を社会保障に該当しておればどうなっていたか。それを計算しましたが、結論だけ申しておきますと、経済的な波及効果という面ではほとんど変わりません。 それに対して、今失業者がどんどんふえています。雇用効果という点だけを見ますと、むしろ公共事業を八〇年代の水準で推移させていて、それで浮いてきた財源を社会保障に充てていた方が明らかに雇用はふえていたというふうな計算結果になっています。 もちろん、これだけですべてのことが論じられるわけではありませんけれども、今の国民生活の状況とか日本の財政状況そして景気、そういったことを考えていきますと、この公共事業予算というのをどこまで精査していくことができるのか、またそういう中で財政再建というのをどういうふうにめどを立てていくことができるのか、そういったことが、恐らく日本の今の国とか自治体の予算全般を見ていますと非常に重要なことではないか。私のように都市計画をやっている者から見ますと、そのように考えている次第でございます。 以上です。(拍手)
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○市川一朗君 自由民主党の市川一朗でございます。 両先生、大変お忙しいところわざわざお出向きいただきまして、また大変貴重な御意見を発表いただきまして、まことにありがとうございました。 特に、正村先生には、前々から私もいろいろ啓発されておる先生でございまして、先ほどのお話の中でかなりスケールの大きいお話をいただきまして、しっかり論戦しようというような気構えも感じたわけでございますが、ちょっとお聞きしてすぐ論戦を挑むには話のスケールが大き過ぎますので、とりあえず今予算審議しておりますところでいろいろ議論になっております点について、まず先生の基本的な考え方を一、二お聞きしてみたいと思います。 また、中山先生には、公共事業関係につきましてその後でちょっとお尋ねしたいと思います。 まず、いろいろお話もございましたが、バブル崩壊以後、日本の経済というのは長期の低迷を余儀なくされてきたわけでございますが、その間、財政はいろいろな状況の中でアクセルを踏んだりブレーキを踏んだりというお話もございましたが、経済情勢に応じた対応という面においては、私はそれなりに大変頑張ってきたのではないかというふうに思っておりまして、特に具体的な点を一、二挙げますと、一つはやはり公共投資や減税を含めた景気対策に財政は頑張りましたので、民需の落ち込みを相殺できたのじゃないか。そして、景気がスパイラル的に悪化していくのを防止したのじゃないか。そしてまた、金融システムの問題につきましても、複数の金融機関が破綻しまして大変国民不安をあおりかけました金融システムへの信頼というものもある程度回復されたといったようなところで、ここは評価が分かれると思いますが、ここのところ、私どもは我が国経済、自律回復の兆候が見えてきつつあるのじゃないかと見ているわけでございますけれども、そういった点に関しまして、特に長いスパンでの話という中で、バブル崩壊以降の我が国の財政政策につきまして先生はどのような評価をされておられますか、改めてお尋ねしたいと思います。
○公述人(正村公宏君) もし政府が積極的な財政政策をおとりにならなかったらもっと大変なことになったことは事実だと思います。 金融についても、いろいろ問題点はありますけれども、緊急措置をおとりになったのは、これは金融システムの崩壊を防ぐ効果を、どれだけかというのはわかりませんが、持ったことは事実であります。それは、かつての自由放任経済とは違うということを皆さんが体験なさったと思うんです。非常に政府が重要な役割をする。 金融の自由化ということについて、話はちょっとそれるかもしれませんが、自由化自由化ということを盛んに言ってまいりましたけれども、自由化ではあるんですけれども、それは規制をなくすことではないんです。護送船団方式と言われるような、金融機関を保護するという形で間接的に預金者の資産を保護してきた、こういう仕組みから、もっと競争原理を働かせながら別の方法で預金者の資産を、ミニマムを保証するという新しい規制です、これは。あるいは金融機関の放漫な経営を国民にかわって、預金者にかわって監督する。 ですから、自由化とか規制緩和とかいう言葉は非常に誤解を生んでいるのであって、政府の役割は軽くはならない、政府の役割の質が変わるということをしっかり理解してこなかったところに問題があったと思います。 そして、危機が発生したときに、率直に言って慌てられたと思います。それはバブルの崩壊の後遺症が非常に大きかったわけですから仕方がないんですけれども。財政についても、私は緊急の、いわば堤防の決壊を防ぐための措置をおとりになったというふうに理解しております。 その措置をとるときに、残念ながら過去二十年なり三十年なりの間に取り組んでおかなければならなかった日本の財政構造の改革ということがおくれているために、税制もそうです。私も税制調査会の専門委員をしばらくやっておりまして、多少は議論を知っておりますけれども、テーマは話題になるんですけれども、決まらないんです。あらゆる委員会にそういう傾向があります。調査会、審議会にそういう傾向がありますけれども。それをずっとやってきて、ここに来ていますね。 そこで、応急措置をとるということになれば、今の財政制度、今の財政構造の枠の中でやらなければなりません。したがって、手っ取り早く言えば、手っ取り早く公共投資を拡大せざるを得ない。公共投資というのは、日本の財政法では公共投資は一応公債発行の可能性が制度として認められておりますから比較的楽にやれる。その枠を超えて公債を発行しておられますけれども、今の制度の状況の中ではやはり公共投資に依存せざるを得ない。その長期的な効率とか、今お話がありましたような当面の経済効果ということを一々考えて選択するということは不可能な状態になっている。 私は、堤防の決壊のための応急措置をなさったという範囲のことであると思います。その応急措置の結果として、財政赤字はさらに拡大したわけです。公債の残高はさらにふえたわけです。将来にまた重い後遺症を残すことになったわけです。そのことを考えないわけにいかないと思います。 九〇年代の不況の重要な特徴の一つは、消費が冷え込んだということなんです。過去の景気循環の過程での不況期の重要な特徴の一つは、消費が堅調で下支えを、落ち込みを防ぐという効果を持っていて、その土台の上に、景気の動力は設備投資なんですけれども、下支えを消費がしていたわけです。その消費が冷え込みました。これが景気の回復を非常に悪くいたしました。その消費の冷え込みというのは、やはり国民生活の不安感が非常に大きいという、そういうことをあらわしていると思うんです。そこにやはり七〇年代以来の日本の社会保障への取り組みとか、そういうものの立ちおくれがあります。 ですから、そのことをお考えいただきたいということなんです。九〇年代の政策は、その極めて厳しい状況の中で、後に物すごい後遺症を残すような形で過去の後遺症の後始末に追われたということを考えますならば、こういう危機のときこそ超長期の問題との取り組みを始めていただく必要があるのではないかというのが私の意見でございます。 どうもありがとうございました。
○市川一朗君 超長期的な取り組みの必要性につきまして、また時間がありましたら後ほどお尋ねしたいと思いますが、もう一点だけちょっと、最近のこの予算委員会でよく議論しております問題点で正村先生の御意見をお伺いしたいと思います。 今のお話にもございましたけれども、現在の我が国の財政の状況は、先生もお触れになりましたように、非常に厳しい状況になっていることは事実でございまして、平成十二年度の公債依存度も三八・四%、それから平成十二年度末、国、地方を合わせました長期債務残高は六百四十五兆円ということで、大変な深刻な状況でございます。 大蔵省が予算委員会の資料として配っております「財政の中期展望」というのがございました。非常に簡単な計算ですので私などは不満がいっぱいあるんですが、ただ、やはりそこには極めて示唆に富む数字がございまして、GDP成長率を仮に三・五%と前提を置いて計算してみた場合、余りいろんな政策的な変数は入れていないのでございますが、結局平成十五年度は財政はむしろ悪化するというような計算もしているわけでございまして、これは堂々と予算を出している政府側から私どもに資料として提供されているという状況の中で、我々は予算の審議に真剣に取り組んで議論しているつもりでございますが、こうした状況を見ますと、先生も指摘されておりますように、財政の構造改革というのはもう避けて通れない課題であるということは、私も言うまでもないことだと思っておりますが、しかしながら、小渕総理が我二兎を追わずと言っておりますが、経済がようやく最悪期を脱しまして緩やかな回復基調に入りかけておる今、その足元を固めることなく財政再建に取りかかるという過ちは犯すべきでないという考え方で私などはいるわけでございます。 先生の先ほどのお話も、急いで短期間にやる問題ではない、しっかりと取り組むべきであるということで、私は我が意を得たりという感じがするわけでございます。要するに、今なすべきことは、せっかく上向きかかってきた景気を本格的な回復軌道に乗せて、かじ取りに過ちなきよう万全を期して着実に国力の回復を図ることが重要で、そして財政再建、財政の構造改革にも長期的にしっかりと取り組むという考え方で私どもはいるわけでございますが、先生はこの点につきましてどのようにお考えになっておりますか。先ほどのお話で大体尽きていると思いますが、もう少し細部にわたってお聞かせいただければと思う次第でございます。
○公述人(正村公宏君) 時間をかけて取り組まなければならないということは、問題を先送りするということであっては絶対なりません。 それで、財政構造改革の展望を示すということ自体が景気の回復にプラスに作用すると思うんです。それは、財政構造改革をするということが、ただ将来の負担をふやすということにつながるだけだ、あるいは将来の歳出のカット、切り詰めにつながるだけだという、そういう予想を国民に抱かせるような性質の財政構造改革論をにおわされたならばこれはマイナスですね。 でも、この極めて重大な、ほとんど破産していると言ってもいいほどの国家の財政を我々は立て直すことができるんだ、その立て直すということはただ切り詰めをやるということではなくて、国民の安全、安心、安定のためにどうしても必要なことについてはこういう対応をしますと。例えば、年金、医療、福祉、これはばらばらに扱われてきているんですね。そうではなくて、総合的な社会保障、社会福祉計画をお示しになって、これだけの負担はお願いしなければならないかもしれないけれども、そのかわり、心配で心配でたまらなくて生命保険会社と契約したりというのをやたらにやるということはしなくても済む状態になりますよということを示してくださることが非常に重要だと思うんです。 ですから、当面は景気対策でやむを得ず今の制度ではこれをやっていますよという弁明は、賛成はいたしませんが、理解はいたします。でも、だから構造改革論はちょっと待ってくださいという話では済まないだろうと。そうではなくて、構造改革論をむしろ積極的にお取り上げになって、そして付加価値税を一五%まで上げなければならないかもしれないけれども、年金、医療、福祉はこういう形に持っていけますよという、そして財政の健全化の可能性は、立て直しは我々できますよ、今非常に危機的な状態だけれどもという、そういうことを今おやりになることが非常に重要だと思うんです。そういうふうに私は思っていますけれども。
○市川一朗君 先ほどの先生のお話にもございましたけれども、先生、最近立派な御本をお出しになられて、私も読ませていただきました。 あの中でも述べておられますけれども、やはり私も、何といいますか、人間と社会の再生産力をどのように維持していくかといった、先生が表現されておられるそういう問題意識に非常に強く共鳴を覚えている一人でございますが、そういった中で、少子化、高齢化というのを文明史観的なとらえ方でこれからの財政、経済の問題を議論すべきだという御主張はまことに同感の至りと私は思うわけでございます。 その中で、きょうも触れておられますが、公的介護の問題一つ取り上げても、やはり国民の負担のあり方をどう持っていくかということが極めて重要でございまして、選挙で当選しなきゃならない政治家としての立場をよく考慮されて叱咤激励の部分もあったというふうに理解しておりますが、ただ、今予算委員会の場でも、またいろいろ政治家の中で議論がありますのは、例えば公的介護をどういうふうにやっていくかということで、保険制度でやっていくか、いわゆる税制の形で賦課的にやっていくかというような問題でいろいろ議論が分かれておりまして、いろんな議論の結果、保険制度でスタートすることにしたわけでございますが、しかし少子化の時代を迎えますと、もう既に年金あたりではっきり兆候が出ておりますように、保険制度というものの限界というものが今、日本の社会では見えてきているわけでございますね。特に、先生が御指摘なさっている少子化の急激な状況が現実化してまいりますと、保険というものは果たして従来我々が考えてきたような保険でうまくいくのかなというような問題もあると思います。 そういった面で、ちょっと質問の仕方としては少し幼稚かもしれませんが、例えば公的介護保険制度について先生はどのように評価されており、そして長期的に見て今後はこういうふうに考えるべきではないかというようなお考え方がございましたら表明していただければと思います。
○公述人(正村公宏君) 介護を保険にするという制度は、世界の中で少数派だと思います、国でいいますと。 日本の政府も、多分ドイツの八〇年代以後導入されました介護保険制度を参考になさっていると思いますが、非常に違うんですね。ドイツの介護保険制度というのは、障害の原因を問わないで要介護状態になったすべてのハンディキャップドピープルを介護の対象にするということでありまして、今までの普遍的な社会的な扶助の制度を普遍的な社会的な介護保険の制度に切りかえるということをやっているわけです、ドイツの場合は。ところが、日本の場合には、初めは二十歳という情報が伝わっておりましたが、結局四十歳以上からだけ保険を集めて、そして原則高齢者だけを対象にするという限定された方法で始められたわけですね。 それで、いろいろな点で問題があります。私は、新聞などで求められて多少論争にもかかわりましたけれども、こういう制度は無理ではないかと。まず、保険料だけで賄えない。それから、保険料の徴収そのものにも不安がある。それは今までの国民健康保険やその他を見ていればわかることでありますけれども。 私は税でやるべきだと。付加価値税を差し当たり二%国民に訴えて、そしてこれを地方に高齢者の数に応じて配分し、特別会計に組み込ませて住民に開示して、この部分を介護に使うと。経済が発展し社会構造が大きく変わり農山漁村から若者がいなくなっちゃったという状況のもとでございますから、各自治体に財政的自立を求めることは不可能であります。年をとった人たちを支えるべき人たちは都会へ出てしまっているわけですから、こちらで税を集めて、そしてプールをして、財政についてはナショナルシステムで、全国的なシステムで調整をする。 しかし、介護のシステムをどう構築するかは、地方によって非常に状況が違いますし、いろいろ工夫をしていらっしゃる地方の首長さんもおられるわけでありますから、もっと自主性に任せる。分権の時代でありますから、介護サービス、人と人との間の対人関係が基本的に重要なものですよね、サービスというのは。社会福祉の特徴であります。 ですから、財源の調整についてはナショナルシステムを考えなければならないけれども、サービスについては分権的におやりになったらどうですかと。透明性を高めれば、隣の自治体がやっているのをおれのところもやってくれないのかという、そういう自治体間の競争も起こってまいりますし、むしろ改善されるだろうと思います。 ただ、今ここまで来てしまった段階で、介護保険制度の発足をおくらせるとか保険料の徴収を少し先送りするとかという措置は私はおとりにならない方がいいと思っております。 そうではなくて、ここまで来た以上は決意を持ってスタートさせて、保険料もちゃんとお取りになって、そして受益と負担の関係についての意識をはっきり持ってもらう。ついでに、皆さんからいただいている保険料では半分も賄えていないんです、一般財政からこれだけのものを出さなければならないんですということをやはり情報公開なさったらいいと思う、徹底的に。そして、どういう姿がいいですかということを改めて議論して、そして安心ができる状態で、しかも乱用されない仕組みというのはどうしたらいいのかということについてもっと世論を起こさないといけません。それが不足しているというふうに私は思っております。これは二年、三年、五年かけて御検討いただくべきことじゃないかと思います、非常に厳しい状態になっていると思いますけれども。
○市川一朗君 大変貴重な御意見、ありがとうございました。 中山先生、ちょっと時間が少なくなりまして、大変恐縮でございます。 先生は、都市計画、公共事業の専門とおっしゃっておられましたが、景気対策と公共事業の関係についての中山先生の御意見は、私としてはちょっといろいろ意見がございますが、ただ、先生の御意見としてはきょう非常に明快に御説明いただいたと思います。お考えはよくわかりました。 時間もございませんので、私はその前の部分、先生が公共投資基本計画という形で触れられましたが、本来は景気対策で公共事業をやるというのはおかしいのでありまして、専門家ということでそれは御理解いただけると思うんです。やはり日本に必要な社会資本の整備を行う、これが公共事業の基本でございます。やはり公共投資というのは長期の計画に従って必要なものをやると。 これは、先ほど正村先生もそういう表現をなさったと思いますが、そういった観点に立った場合、今の日本の公共投資のあり方につきまして、先ほど空港を例にされて厳しい御指摘がございましたが、こういうふうにやるべきではないかといったようなことにつきまして、公共投資基本計画、あるいは個々のあれでもよろしゅうございますが、そういう計画をつくる側に対するサジェスチョンという形で先生の御意見を御開陳をいただければと思う次第でございます。
○公述人(中山徹君) 今御指摘にありましたように、公共事業というのは、本来どういう社会資本が必要かという、そういう視点から当然組み立てていくものだと思います。 ただ、日本の公共事業の原型というのがいつごろできたのかといいますと、大体おおむね一九六〇年代ごろの高度経済成長期に日本の公共事業の原型ができたのではないかなと思います。 当時の日本経済というのはどういう状況であったかといいますと、今とは違いまして、どんどん工場が国内でふえる、もしくは人口がどんどんふえる。そういう状況の中で、そういうふえる産業とか人口の受け皿をどうつくっていくのか、そういう公共事業が日本の国ではつくられてきたわけです。例えば、ニュータウンをつくるとか高速道路をつくる、工場団地をつくる。それを私は開発型公共事業というふうに呼んでいるんですけれども、そういうふえ続ける産業や人口の受け皿としての公共事業というのが大体おおむね一九六〇年代ぐらいにつくられてきたのではないかなと思います。 ところが、今これからの日本を考えますと、日本の国内でどんどん工場がふえるとか、もしくは、日本の人口もあと数年後がピークですけれども、人口がどんどんふえるということは恐らくあり得ないと思います。そういう時代の中で、かつてのように行ってきた次から次へと開発していく公共事業、そういった開発型公共事業を続けると、どうしても社会的な浪費が発生するのではないかなと思います。 むしろ、これから日本が少子高齢化社会に向かっていく中で、また、むしろ日本の産業が余り国内でどんどんふえるような、そういうのとは違う時代の中で、そういった開発型の公共事業ではなくて、私は改善型の公共事業と言っているんですけれども、今ある市街地を例えば防災的に強いものにしていくとか、高齢者でも安心して暮らせるような町にするとか、住宅の改善を行っていくとか、かつてのように人口や産業がふえるような時代に行ってきた公共事業とは違って今あるものを改善していくような、そういった改善型の公共事業に重点を移していくことがこれからの公共事業では重要ではないか。開発型公共事業から改善型公共事業、そういうふうに公共事業の内容を変えていくということが公共事業のあり方という点では重要ではないかなというように考えております。
○市川一朗君 それに若干関連しますが、例えば、言葉が適切かどうかはわかりませんが、いわゆる再開発といったようなことの重要性というのは、特に東京や大阪に住んでいますと市民ひとしくみんな感じている問題だと思いますが、ところが実際やるとなりますと、そこへ住んでいる人たちのいろんな居住条件その他の条件を変えていくという問題もございますし、またある程度の負担も願わなきゃいけないという問題があって、なかなか住民同意をとることが難しい。しかし、これからの都市計画は、やはり住民参加の中で、合意形成の中で進めなければうまくいかない。 そこのところは、私は非常に難しい二つのジレンマの中で、しかしなし遂げていかなきゃならない問題だというふうに思っておりますが、そういった問題についての住民参加とか住民合意とか、そういう問題につきまして中山先生のお考えをお聞かせいただければありがたいと思う次第でございます。
○公述人(中山徹君) 今の御意見を伺いまして非常に心強く感じたんですけれども、日本の都市計画とか公共事業を見ていますと、諸外国と比べますと、そういった市民の意見をどう取り入れていくか、また市民の意見を聞きながらどのように改善していくか、その点が、最近はやや改善はされてきているんですけれども、やっぱりまだまだ弱い側面があると思います。 特に、都市計画の場合も今度地方分権との関係でかなり変わりましたが、まだまだ、地方での独自性を生かした町づくりができるか、また例えば国でも今公共事業の再評価などに取り組んでおられますけれども、そういった再評価をしていく上で市民の意見をどう反映させていくのか。そういった点から見ますと、日本の取り組みというのが他の先進国と比べて非常に進んでいるかというと、なかなか残念ながらそういう状況にはまだなっていないのではないかなと思います。 ですから、そういう意味では、今御指摘がありましたように、町づくりというのは二十年、三十年、もしくは数十年かけて行っていくものです。特に急いで、人命にかかわるような事業というのはこれは急がなければなりませんけれども、そうでない事業というのはかなりの時間をかけてやっていけばいいと思います。特に景気対策との関係で慌ててするというよりも、むしろ市民の意見とかそこに住んでいる方の合意を図りながら長期的な時間をかけてきちっとやっていくべきものが本来の都市計画や公共事業だと思います。 ですから、そういう点では、今後地方分権を進めていくとか、市民の意見を聞く制度をつくっていくとか、そういった取り組みをしていただけたら非常に心強いなというふうに感じた次第でございます。
○市川一朗君 どうもありがとうございました。 きょうは大変貴重な御意見を両先生からお伺いしたと思っておりますが、特に正村先生、私どもも、二十一世紀を迎えまして、非常に日本経済が厳しい状況の中で、しかししっかりと国民の立場に立って頑張っていきたいと思っております。これからもどうぞよろしく御指導を願いたいと思う次第でございます。 ありがとうございました。
○浅尾慶一郎君 正村先生、中山先生、大変わかりやすいお話、ありがとうございました。 まず、正村先生にお伺いをさせていただきますが、先生のお話の中で、日本は貯蓄過剰だ、それがひいては貿易黒字につながるというお話がありまして、私もそれはそのとおりだろうなというふうに思っておりますが、この貯蓄過剰の状況を変えていくためには恐らく二つのことが必要なのではないかなと。 先ほどお話で触れておられましたように、六十五歳以上の方がほぼその千三百兆円の貯蓄の大宗を持っておられる状況。それはなぜかという原因を考えると、将来に対する不安ということにつながるのかなということでございますので、総合的な社会保障の制度をつくるということもそのとおりというふうに思っておりますが、もう一つ大事なのは、国内で新しい投資というものをつくっていくということ、投資機会ということをつくっていくことがひいては貯蓄過剰の解消につながるのではないかなというふうに思っております。 そこで、正村先生に伺いたいのは、前半の将来に対する不安ということはそのとおりだと思っておりますので、それではなくて、この日本の中に新たな投資機会、今IT革命ですとかバイオですとか、アメリカを中心とする、あるいはアメリカ、イギリスの方では大変な新しい産業ということで、百年に一回あるいは二百年に一回のビジネス機会というふうに言われておりますが、日本の中でどういうふうにしたらそういったようなものがつくれるというふうに考えておられるか、もし御意見があればお伺いしたいと思います。
○公述人(正村公宏君) 貯蓄が非常に大きかったというのは過去なんですね。これから非常に高い貯蓄がずっと続くというふうに私は考えているわけではありません。 急速に高齢化していくわけであります。それから所得の伸びが落ちてまいります。いろいろな事情がありまして、高い貯蓄率がそのまま長く維持されるかどうかはかなり疑わしいと思っております。その点はまず留保をしておかないといけないと思います。さま変わりしてうんと減ってしまうということはないと思います、高齢者がまた貯蓄をしたりしている社会でありますから。ですけれども、今までのような形でそのまま高貯蓄が続くかどうかというのは疑わしい、世代もかわってまいりますから。 ただしかし、御指摘のように、貯蓄を国内で有効に使うということが必要であるということはおっしゃるとおりであります。しかし、主要な部分は民間なんですね。民間の設備投資の水準が六〇年代、七〇年代、八〇年代と落ちてきているわけです。九〇年代は民間の設備投資が非常に落ち込んだということが景気を悪くしたわけです。景気を悪くしたということは、九〇年代に日本経済にとって可能であった水準の成長率よりは低く現実の経済成長率を下げてしまったと。 私は、九〇年代は恐らくポテンシャルで三%台の成長は可能であるというふうに考えておりました、九〇年代の初期の段階で。三%台を実現いたしたのは九六年だけだったわけであります。しかし、九六年の三%台の実質経済成長率が実現したのは、それは民間設備投資なんですね。民間設備投資がきれいに盛り上がってまいりまして、将来に対する予想、それから今お話がありました情報技術革命等の影響もあって、この状態がある程度続くことができれば安定成長の軌道に日本経済を乗せることは可能であったと思いますけれども、それはならなかった。ならなかった理由はいろいろございます、金融不安もございますし、政府の財政もこの時期に引いてしまったわけでありますから。 ですから、私は財政で積極的に国民の貯蓄を使うという考え方ではなくて、これをやろうと思ったら公債依存をずっと続けなければならないわけですから、そうではなくて、民間の企業がこの大変化の時代に、御指摘のように非常に大きな変化の時代です。非常に大きな変化の時代は、非常に大きな潜在的可能性があると同時に、やはり非常に不安定化する時代でもあるわけですから、この状況の中で、財政政策は国民生活の基盤を支えるということでアンカーになるという役割を追求することが必要ではないかというふうに考えております。 それから、もう一つ申し上げたいのは、高貯蓄ということの中には可処分所得が大きいということがあるわけですね。可処分所得が非常に大きいということは、つまり租税負担率が相対的にヨーロッパのいわゆる福祉国家に比べますならば一段と低いわけであります。 例えば、スウェーデンの人たちの生活の構造を見ますと、租税・社会保険料の負担率は言うまでもなくかなり高いわけです。しかし、貯蓄率は低いわけです。しかし、考えてみるならば、そんなに高い貯蓄をしなくてもいい暮らしを、安心感、安心の給付ですから、社会保障は所得の再分配だと考える人がありますけれども、これは間違いなんです。社会保障は所得の再分配の制度ではないんです。そうではなくて、すべての国民に安心を給付する制度なんですね。 ですから、この安心を給付するためにこれだけのコストを負担してくださいよということで租税・社会保険料の負担率を高めれば、これは消費水準を大幅に下げないようにするためには当然貯蓄を削らざるを得ません。しかし、貯蓄を削っても済む、削ることができる状態になると思いますね。 それから、もう一つ貯蓄に影響しているのは、恐らく持ち家主義、日本の住宅政策が持ち家主義でやってきたと。ですから、頭金を用意し、ローンを返しということで、これは貯蓄になりますから、その貯蓄の率、家計貯蓄率は高くならざるを得ないんですね。 持ち家主義というのはやむを得ない部分はありますけれども、私はかねてから批判的でありまして、持ち家主義でやってきたということは、日本のいわば国民の政治的無関心を高めたり、一種の保守的な空気、保守党とか何とかという意味じゃなくて、保守的な空気を育てる上で自作農主義と同じように大きな効果があったと思いますが、経済政策としては私は必ずしも妥当でなかったと思っております。 もう一つは、過剰な進学ですね。こんなに、高等学校に九割の子が行き、四割の子は大学に行っていますけれども、そのうちの何%がまじめに勉強していますか。親の贈与と社会の贈与、補助金つぎ込まれていますからね。親の贈与と社会の贈与に依存してモラトリアム人間をたくさんつくるという、そういうことになってしまって、そのために親は猛烈に貯金しているわけです。こういうことをやめなきゃ、全体の構造を変えないと私はまずいんだろうというふうに思っております。
○浅尾慶一郎君 正村先生のお話の持ち家政策の部分、その他の部分もそうですが、大変そのとおりだろうなと思っておりまして、欧米の例でいえば、例えばイギリスの家は大変長い期間もつということなんだと思いますけれども、日本の場合はどうしても自分の家を建てかえたいということで、恐らく一つの家に住まわれるサイクルというんでしょうか、家が保有する人数というんでしょうか、そういったようなものが欧米の家とは全然違うという部分があるということはそのとおりだと思います。もちろん、その背景としては石づくりの家と木造といったような説明もできるのかもしれませんけれども、それにしても、これだけ建築技術が進歩している中ではもう少し変えていくことも可能なんではないかなと、こんなふうに思っております。 そこで、時間の関係で九分と九分ということで、中山先生に移らさせていただきますが、先生のお話、大変わかりやすく伺っておりました。 その中でも、ストック効果とフロー効果という形で二つに公共事業というものを分けて御説明をいただいたわけでありますが、先ほど来のお話を伺っておりますと、まず、第一点目のストック効果については非常にその経済効果が限定的であるということは私もそのとおりだと思いますし、それからフローの方もその波及効果と雇用効果とさらにそれを分けて御説明いただいたわけでございますが、両方ともだんだんと限定的になってきているというふうにとらえたのはそのとおりだろうなというふうに思います。 何を伺いたいかというのは、その先の話でありまして、公共事業の経済効果を考えた場合には、これはなかなか外部不経済というような話になるから難しいのかもしれませんけれども、今議論が一部で出ておりますPFIといったようなものを考えた場合に、高速道路でも何でもそうでしょうけれども、通行料を払ってそれによって賄えるものはつくっていきましょうというような議論があるんだと思いますが、そういう形で市場に任せる。民間資本が参入することによって、そこである程度のリスクをとりながら、本当にその需要があるところにはそういう橋をかけるとか高速道路をつくるといったような考え方もあるんではないかなというふうに思いますが、PFIについて何か、要は政府が直接的に関与するんではなくて、そこの部分に関与するのは民間の資本に任せるという考えについて御意見があれば伺いたいと思いますが。
○公述人(中山徹君) 今ちょうど政府の方でもPFIについては御検討されている時期だと思います。 ただ、このPFIについて今後考えていこうとしますと、かつて一九八〇年代に重点的に取り組みました第三セクターの問題をどう考えておくのか、そこがどうしても必要になってくると思います。 御承知のように、一九八〇年代の行政改革のころに公共事業費の抑制というのが言われました。公共事業費を抑制するんだけれども、公共事業全体としての事業費はできるだけ減らしたくない。要するに国とか自治体の財政負担を余りふやさずに公共事業をどうすれば進められるか。それで一九八〇年代にかなり重視されたのが第三セクターです。第三セクターというのは、要するに半ば公共事業のようなことをやるんですが、その費用を国や自治体の財政に頼るのではなくて、主に借金に依存して開発を進めていくということがとられます。 ところが、その第三セクター、当時は何が議論されたかといいますと、行政の持っている公共性と民間企業の持っている効率性、ここをうまくかけ合わせたものが第三セクターであって、これをしていけば非常に効率的、しかも公共的に開発が進められるということが今から十年以上前に言われたわけです。 ところが、この第三セクターがどういう状況になっているかといいますと、これはもう御承知のように、東京でも問題になっておりますが、至るところで当初の予定どおりいかないということが起こっているわけです。これについてはいわゆる行政と民間の責任関係が不明瞭だからうまくいかなかったという側面も指摘されておりますが、私のように都市計画とか開発問題を専門的にやっている者から言いますと、仕組みに問題があったというよりも、こういう第三セクターに頼って本来必要であったかどうかが不明瞭な公共事業をかなり進めてきた結果、それが破綻してきているのではないかと思います。 今のようにここまで第三セクターの破綻が相次いできますと、それと同じ方法で公共事業を進めていくというのは現実的に非常に困難になってきます。そういう中で、じゃ財政的負担は余りふやさずに公共事業の総額を何とかして確保できないか、そこでまた考えられてきているのが私はPFIではないかというふうに考えております。 今おっしゃられたように、PFIによって公共事業を進めていくというのは確かにイギリスなどで用いられてきた方法ですけれども、それを日本で適用していくことが果たしていいのかどうかということなんですが、私のように都市計画をやっておる者から言いますと、本当に公共性の高い事業、それについてはやはり行政が責任を持って公共事業としてきっちり進めていくべきではないかと思います。公共性は余り高くないけれども採算ベースに合いそうなもの、そういったものはむしろ余り行政が手をつけずに民間の独自の事業としてやっていったらいいものではないかと思います。 PFIというのを別に頭から否定はしませんけれども、第三セクターと同じような形でPFIの導入という方向になってきますと、むしろ問題は大きくなるのではないかという懸念があります。 例えばどういう懸念かといいますと、PFIというのは契約期間が二十年以上、そういうふうな事業が多くなると思います。その間に社会的ないろんな変動も起こってくるかと思います。それで第三セクターのように事業が破綻するというようなことが起こってきた場合、今度はだれが責任をとるのかといいますと、PFIの場合は長期間の契約を結ぶことになります。もしくは事業が破綻したとなっても、第三セクターの場合はその時点でだれが責任をとるかというのが議論されるわけですけれども、PFIの場合ですと、このままいきますと行政がむだだとわかっていてもその事業を買い続ける必要が起こってくるとか、もしくはかなりの違約金を払って契約を解除するとか、そういうことが起こってくる危険性があると思います。 ですから、そういう点を見ますと、民間の資金を導入するということは頭から否定はしませんけれども、そういうことをするに当たってやっぱりかなり慎重なことが必要ではないか、特に第三セクターの経験なんかを見ますとそれ以上に慎重な対応がPFIについては求められているのではないか、そのように考えております。
○浅尾慶一郎君 大変わかりやすい御説明でよくわかりました。 若干私の観点を御説明させていただきますと、PFIでやる場合は、採算性ということで、当然その事業のキャッシュフローというものを民間側が複数の人が見てキャッシュフローのいいところにはお金がつく、だから採算性のいい事業だけが事業として立ち上がるのではないかという観点でございますので、多分その御意見はそういう面では一緒なのかなというふうに思っております。 恐らく時間の関係で最後になると思いますが、当委員会でも公共事業の観点で、例えば高速道路の話で言いますと、本来であればこれは何年間かたつと無料になるということになっておったわけでございますが、全国一律ということになると半永久的に、例えば首都高速なんというのは大変なキャッシュフローを上げているんでしょうけれども、半永久的に無料にはならない。それは果たして、冒頭申し上げましたストック効果ということを考えた場合に、それをつくることが本当に、交通量の少ないところに交通量の多いところの負担においてつくることが経済効果の上で合理的なのかどうかということについての御意見をいただきたいと思います。要は交通量の多いところの収益でもって少ないところを負担しているということだと思いますので。
○公述人(中山徹君) 時間の関係もありますのでごく簡潔に申しますと、当然、こういった場で議論する以上、国土の均衡な発展ということを考えていくことが必要ですので、過疎地だからといって別に整備をしなくていいというわけには決していかないと思います。ただ、道路なんかを考える場合、交通手段ですから、その場合は交通手段をトータルに考えていく必要があるのではないかと思います。 日本の場合は、道路とか鉄道とか空港とかがどちらかというと別個に考えられていると思うんですけれども、道路の財源にしましても、そこから税収として上がってくるものを道路の整備だけに使うのではなくて、もっと公共交通の整備、鉄軌道とかバスとか、そういったものもトータルに含めて日本の国土全体の交通をどう考えていったらいいのか、そういう議論が日本の交通政策を見ると重要ではないか。 ですから、過疎地だから要らない、都市部で上がってきた収益を使うのはもったいないというよりも、国土全体の交通網をどう整備していったらいいのか、道路とか鉄道とか空港を含めてトータルに考えていくことが今一番重要ではないかと思います。
○浅尾慶一郎君 今後の予算委員会の審議のために大変参考になる意見をいただきました。 どうもありがとうございました。
○魚住裕一郎君 公明党・改革クラブの魚住裕一郎でございます。 両先生には大変示唆に富むお話をいただきまして、ありがとうございます。 時間が限られておりますので、早速御質問させていただきたいと思います。 まず、正村先生、今、先生のお話の中で、不安感といいますか、安心がないから消費も冷え込むというようなお話がございました。私どももまさにそのとおりだなというふうに思っております。 長期的な財政の再建を含めて総合的な政策をということでございますが、人口問題研究所で統計を、将来予測を考えてみると、二〇〇五年ぐらいから労働人口が減ってくる、それから二〇〇八年から具体的に人口が減るということで、しかも高齢者が頭がでかくて働く世代がどんどん減って子供になってもっと減る。これは百年ぐらいたったら人口が半分ぐらいになるんじゃないか。そうすると、活力を維持する、私ども今の生活を維持するためには子供をふやせればいいんですけれども、そうじゃなければ外国の方から働き手を招くしかないというようなことも多分出てくるんだろうというふうに思うんです。 そういうような観点から、長期的な視野に立って私どもも子育て支援策といいますか、女性も産むだけじゃなくて、もちろん自己実現のために男女共同参画型社会の中における子供をふやせる方策は何かないかと一生懸命考えているところでございますが、不安除去といいますか、そういう観点から見て少子化社会への対応につきまして正村先生の御意見ございましたらお教えいただきたいと思うんです。
○公述人(正村公宏君) 私は、二十世紀のタイプの文明をそのまま二十一世紀に延ばすわけにいかないことがはっきりしつつあると思います。大変資源浪費的、環境破壊的な文明であったわけでありまして、このまま延長したら人類は滅びます、確実に。ですから、大転換をやらなければいけないので、人口についても人口の増加というのは恐らく目標になり得ない、しかし激減するのは問題があります。 国家と社会は違いますが、国家の基盤をなしている社会が崩壊していきますから、だから私は、ナショナルゴールみたいなものを考えるとすれば、漸減ということだろうと思っています。資源の消費をふやさないリサイクル型社会をつくる、環境保全を重視するということでありますから。 しかし、問題は、そういう状態のもとで、数が減るだけではなくて子供の育ち方が変わってまいりますから、質にも問題がある。日本人は教育に失敗しつつあると思います。私たちの社会の教育力が低下してしまっている。進学率は先ほど申し上げたように過剰に高くなっていますけれども、本当の教育をやっていないと。本当の教育というのは何だといろいろ議論がありますけれども、一番日本の子供たちに身につけてもらわなければいけないことで不足しているのはコミュニケーションの能力だと思います。人間と人間のコミュニケーションというのは厄介なんですね、人づき合いというのはなかなか大変なんです。私はそういうのは最も苦手の方でありまして、多分だから政治家には絶対なれないと思っているんですが、そういうことを我々は失敗しています。 かつては家族が子供を育てる、それも子供が大勢おりました。それから、地域社会が子供を育てる、そういうことだったわけです。そこに共同性、子供たちは自分たちの共同の未来の世代として育てなきゃいけない対象だという、それも盆栽みたいに育てるんじゃなくて、厳しい自然の中で彼ら自身が自然の厳しさを体得し、人間関係の大切さを体得するという、そういう条件があったと思うんです。 それは、都市型の社会に大きく変わりましたときに本当の都市を私たちはつくらなかったわけです。ベッドタウンをつくっただけなんです。スプロール型の町をつくったけれども、人間の都市はできてないんですね。そういうことを根底から変えていかないといけないと思います。 女性について言えば、働くのは当たり前だったんです。かつての農家の女性、商家の女性、今でもそうですけれども、働くのは当たり前なんです。それがそうでなくなった。働くということと子供を育てるということがばらばらになったんです。 こういう構造そのものを、全体を変えるということを問題にしていただくことが必要なんであって、子育て支援のために多少の予算をつけたぐらいでは、大変申しわけないんですけれども、余り効果がないと私は思います。やっていますよということにはなるかもしれないけれども、それは余り効果がない。それよりは、私たちの暮らし方はこれでいいのかと。子供たちが夕日に輝く浜辺を見て感動するとか、そういうことがなくなっているということをどうするんだということから議論をしていただく必要があると思います。私は、もちろん保育制度を整備するとか大賛成なんですけれどもね。
○魚住裕一郎君 今私どもは、循環型社会元年ということで、そういう社会の構造変化、また教育改革ということもしっかり取り組んでいきたい、総合的にその部分も含めて考えていきたいと思います。 中山先生に、本当に時間がなくなってしまったんですが、先ほど図の八をお示しになられて、民生費拡充によるプラスということをお教えいただいたんですが、私どももこの辺非常に危惧をしておりまして、建設業から民生の方にどう労働を移行させるかというのは大事なポイントになると思いますが、その辺について対応策、お考えがありましたらお教えいただきたいんです。
○公述人(中山徹君) 確かに、公共事業を今すぐに例えば半分にしてしまうとかということを一年や二年でやってしまいますと、一体そこで働いている人をどうするのかという問題が出てくると思います。これはむしろこういった国会の場で、例えば十年ぐらいかけて公共事業費をどう削減していくのか、それとの関係で雇用をどう安定的に確保していくのか、そういった視点が当然重要になってくると思います。
○笠井亮君 日本共産党の笠井亮です。 きょうは両公述人から貴重なお話、本当にありがとうございました。 GDPの二期連続減ということもありまして、今度の予算、それから財政、経済のあり方をめぐって、景気も財政も共倒れという今のやり方、そして予算の問題などが大きな問題になっていると思うんです。お話を伺いながら、今本当に予算に求められていることは、やはり景気回復を実現するためにも国民の暮らしや社会保障に思い切って予算を回すとともに、財政再建の確かな目標と見通しを示すことだということで、そのことを改めて痛感したところです。 早速伺いますけれども、まず中山公述人から伺いたいのですが、先ほど公共事業の経済効果ということで、フローの効果の面の中で、かつてと違って最近は雇用効果が高くない、衰えてきているという点で、その点にも触れられたわけですけれども、その要因といいますか、なぜかということについて御説明いただければと思います。
○公述人(中山徹君) 公共事業の雇用効果がこの間減ってきているのは事実ですが、それに対して特に政府の方でこういう理由だということは発表されておりませんので、私の方の考えですけれども、一つの大きな点は、公共事業、この間やっぱりかなり建設現場でも労働の生産性を改善させるというか、リストラをかなり進めてきていると思います。 ですから、そういう意味では、かつてのように公共事業をやることによってどんどん人を雇うというよりも、むしろ少ない人数でどうやって工事をこなしていくのか。特に日本の場合は、建設というのは非常に上下関係の厳しいところですから、元請、下請、孫請の中でどうやって少ない人数でやりくりして工事をしていくのかという、そういうリストラというのがかなり建設現場でも進んできていると思います。ですから、そういう意味では、ほかの分野と同じように建設現場でもかなりのリストラが進む中で雇用効果が落ちてきているのではないかと、一つはそのように思います。 それからもう一つは、不良債権との関係がありますけれども、工事費をすべてそういった、いわゆる個人消費とか賃金に充てていく、もしくは資材の購入に充てていくのでしたら、それなりの一定の雇用効果というのは確保できると思うのですけれども、その受け取ってきたお金の相当部分が不良債権対策などに使われるということに回っていきますと、それが雇用効果のなかなか拡大につながらないという、そういう面があるかと思います。 ですから、そういう意味では、この間建設会社も今いろいろと不良債権を抱えて大変なんですけれども、そういった不良債権対策とか、そういうのにかなりの部分が流れていくおかげで雇用効果というのが減ってきているのではないか、そのように考えております。
○笠井亮君 引き続き中山公述人に伺いたいのですが、先ほど自治体のあり方も問われているということで、国際化、情報化、規制緩和の流れの中で公共事業が膨らんでいるという指摘もあったわけですけれども、私、景気対策の中で地方自治体に過大な公共事業を押しつける、しかもそれが消化できなくなっているという実態もあるというふうに感じているんですが、公述人が言われた点も含めて、地方自治体にとって今公共事業押しつけや、それからその流れとの関係でも、そういうやり方をやることが地方の財政破綻と住民負担という点でどういう影響を与えているというふうに考えていらっしゃるか、御意見を伺いたいと思います。
○公述人(中山徹君) 今御指摘がありましたように、この間自治体財政というのは極めて深刻になっています。そういう中で自治体がどういう対応をとっているかといいますと、そういった非常に厳しい財政状況の中で財政をどう立て直していくかというのを御議論されているわけですけれども、その中心は二つあると思います。 一つは、人件費の削減、これは公務員の職員の人件費の削減ですけれども、それともう一つは市民負担の増大、こういう方向で今の自治体の財政危機を切り抜けていきたいというふうに考えておられる自治体が多いかと思いますが、先ほどから議論になっていますように、今消費が非常に冷え込んでいるわけです。そういう状況の中で、自治体が職員の削減を図る、もしくは自治体が市民負担を拡大する方向で財政再建を考えていく、そういうことを仮に行いますと、ますます国民の不安というのが高まって、消費の低下を招いていくのではないかなと思います。 そういった状況を抜本的に改めていこうと思いますと、この間自治体が景気対策で行ってきて、財政悪化の大きな原因となってきた公共事業費をむしろ思い切ってこの際見直して、そこで浮いてきた財源を社会保障とか教育面の拡充に充てていった方が国民の将来に対する不安というのも解消されて、またそこで新たな雇用が拡大されて、むしろ経済と財政と、それから国民生活の向上、この三つを覆うような対策がそれによって可能になるのではないかな、そのように考えております。
○笠井亮君 正村公述人に伺いたいんですが、先ほど小さな政府、大きな政府ということで御意見もあったので、私も大きなとか小さなということじゃないのかなというふうに思っているんです。 それで、そのおっしゃった中で、中途半端でないやり方でと、つまらないばらまきはやめてということで端的に言われたんですが、最近の財政のあり方あるいは予算の使い方をめぐって、つまらないばらまきということで端的に公述人がこの点はそうだということで御指摘いただけるような点があれば伺いたいということと、それから財政再建の問題では、私も短期間に短兵急にやるのではなくて、これはやはりこれだけのたくさんの財政借金でありますので、きちっとした計画である程度時間をかけてということが必要になってくると思いますが、十年、十五年というお話もありましたが、大体どんなふうな形で再建の展望を描かれているか、もう少しお話をいただければと思うんですが、その二点を伺いたいと思います。
○公述人(正村公宏君) つまらないばらまきとつい言ってしまったんですが、実はたくさんあるわけです。二つあると思います。 一つは、農業分野とか、それから先ほど来お話しの公共事業のような形での雇用対策といいましょうか、そういう形で国民生活の基盤になるものについて政府が責任を負うというよりは、個別分野ごとに、これは農業政策ですよと言って、実際は農業分野の本当の効率性を高めることではなくて、生活の安全保障のためにお金を出してこられた、これは後発工業国型の政策思想の名残だと私は思っているんです。後発工業国ではあらゆる産業について政府が助成をするということが正当化されてまいりました。その産業助成という枠組みの中で農業政策もずっと考えてきて、そして実際には日本の農業を強くするということに必ずしも役に立たなくなっている。あるいは既に効果が疑わしい埋め立てをやってみたり、効果が疑わしい圃場整備のようなことをやってみたり、いろいろやっています、おやりになっていますよね。よく御存じだと思いますが、そういう種類のものを整理するということです。 私は、行政はスクラップ・アンド・ビルドといいますけれども、ビルド・アンド・スクラップの考え方をおとりにならないとまずいのではないかと。というのは、政府が、例えば農村も高齢化が進んでおりますし、いろんな問題があるわけですから、農山漁村であるか都市であるかを問わず、国民生活のミニマムはこういう形で保障いたします、それ以外のことは手を引きますよという、既存の政策のビルドの方をお示しになってスクラップをする、これをおやりになることが妥当だと思うんです。 小さなばらまきを申し上げますが、多くの自治体が敬老の祝い金とか称してお金を配っていますね。私もその対象になりました。最近年齢が上がりましたのでもらえなくなりました。こういうものは、では私が一万円もらって何の役に立つんですか。そうではなくて、私なり私の家内なりが倒れたときに、あそこへ相談に行ったらその日からきちっとした対応をしてもらえるという確信が持てたら、税金は高くてもいい、私も結構納税者ではありますけれども、いいと思います。 そうではなくて、これはつまり、さっき申し上げた後発工業国型の福祉政策まがいの産業政策を片一方でやってきたわけですけれども、他方では社会保障の抜本整備の進まない中でその場しのぎに、率直に言いますならば、やはり政治の論理のようなもので、お年寄りにという気持ちがあるのだとは思いますけれども、無意味なばらまきをやってこられたと思うんです。本当は、それは一切整理しますよと。それをおやりになっている自治体があるようでありますけれども、これから当市の高齢者福祉をこういう形でやります、ですから敬老祝い金はやめますということをおっしゃって、廃止された市長さんがいるということを聞いていますけれども、こういうビルド・アンド・スクラップをやらないといけない。そのビルド・アンド・スクラップをやるときにそのビルドには費用がかかるということを介意しないことが必要だと思います。 お願いしたいのは、今の政権与党であろうと野党であろうと、安上がり政府である、安上がり政府であって安心の給付ができるという幻想をばらまくような御議論はなさらないでいただきたい。それは私のような多少とも経済のわかっている人間にとっては全く信用のできない議論だと思いますので、そういうふうに根本をやっぱり変えていただくことが必要ではないかということであります。 御質問に答えるよりは余計なことを申し上げたかもしれませんけれども。
○笠井亮君 ありがとうございました。
○照屋寛徳君 社会民主党の照屋寛徳でございます。 本日は、両公述人におかれましては大変有意義な貴重な御意見を開陳していただきまして、感謝を申し上げたいというふうに思っております。 私に与えられた時間は非常に短うございますので、まず正村公述人にお伺いいたします。 先生のお話の中で、バブルが崩壊をして今長期の不況が続いている状況にあるわけでありますが、景気の下支えとなるべき消費が冷え込んでおるんだ、こういうことは私も同感でございます。そして公述人は、その原因はまさに国民生活の不安感に根差しておるんではないかという分析もしておられました。私もその点は全く同じでございまして、雇用不安、それから生活不安あるいは子育ての不安、年金、介護、医療の不安、まさに将来に対する先行き不安というのを国民は抱いておるのではないかなと、こういうふうに思うわけであります。 一方で、小渕内閣は、発足以来この低迷する景気を回復させるために積極的な財政出動をやってまいりました。その結果はどうかというと、国債の発行残高は税収の七年半分、国と地方を合わせた二〇〇〇年度末の長期債務残高は六百四十七兆円に達する見込みだというふうに言われております。六百兆円を超えますと、もうちょっとやそっと景気が上向いても返せないのではないかなと、こういうふうに私は思うわけでありますが、このような中で、公述人からもありました介護保険料の一部徴収の凍結の問題あるいはペイオフの延期の問題、その他たくさん将来世代にツケ回しをするというんでしょうか、そういうことが私どもからすれば選挙へ向けたばらまき的な要素をはらんだ政策ではないかなと批判せざるを得ないわけであります。 また、つまらないばらまきの内容についても笠井委員の質問にお答えいただきましたが、私が大変関心を持ってお聞きしたいのは、公述人は、小さな政府論はもはや破綻したということと同時に、有効な政府をつくることを目標とすべきだ、こういうふうなことをおっしゃっておりました。先生が目標とすべきという、その有効な政府の中身というんでしょうか内容というんでしょうか、その実体についてお聞かせいただければありがたいなと思っています。
○公述人(正村公宏君) 大テーマを一、二分でしゃべるというのは非常に難しいんですけれども、神わざに近いんですが、大きな政府、小さな政府というのは一度捨てた方がいいと思いますね。そして、政府は何をしなければいけないのかということをきちんと議論するということでありましょう。 わかりやすいかどうかわかりませんが、一つの私の考え方を例示的に申し上げますと、官庁の再編成をなさいますね。でも、何のための再編成かが私にはよくわかりません。なぜかというと、行政の責任ということについての哲学が見えてこないからなのであります。 私はこういうふうに考えております。規制緩和でなくて規制改革であると。先ほどその一端を申し上げましたが、市場経済というのはなくすわけにいかないわけです。共産主義の失敗はその点にあったわけですね。計画経済化できると思ったんですが、それは不可能で、政治的な統制社会をつくってしまうという副産物を生んで大変な悲劇に終わりました。市場経済はなくせないんです。なくせないけれども、でも自由放任はだめなんです。 それで、まずきちんとしたルールをつくらないといけない。しっかりしたルールがなくて市場経済をやったら混乱が起こります。安全が損なわれます。事故がふえます。生命の安全が守れません。食品の安全、医薬品の安全等々ございます。ですから、ルールをしっかりして、このルールを国民にかわって厳正に守らせるということが政府の最も重要な役割なんですね。ですから、公害とか食品の安全とか、そこの部分は思い切って強化しますよ、そのかわり、そうでない部門からは政府はさっと手を引きますよと。時間はかかりますけれども、十年たったらきれいに変わったという姿にしないといけない。 もう一つ、サービスにかかわる分野、特に社会福祉サービスとか教育にかかわる分野は思い切って分権化します。中央の政府はもっと小さくします、その限りでは。中央、地方をあわせた政府は必ずしも小さくならないかもしれない。教員の数をふやさなきゃならないかもしれないし、保育所もふやさなきゃならないかもしれないし、福祉は充実しなきゃなりませんから。でも、そういうふうにすることによってこういう構造をつくりますと。このルールに基づく産業に対する管理の体制をしっかりやるということ、何よりも生命の安全を優先すると。警察のあり方も同じであります。 それから、分権化を徹底的にやる。それから、国民生活の安全保障のために社会福祉、教育等についてはもっと思い切って分権的に、自発性と創意を引き出すような中央が何もかもやるのではないやり方を考える。 その結果として、国民の租税負担率はこのぐらいになるのかなという、後から出てくるものだと思います。それを模索することをもっと早くから始めなきゃいけなかったんですけれども、それをやるべきだというのが私の意見であります。
○照屋寛徳君 中山公述人にもお聞きしたかったんですが、時間がありません。お許しください。 終わります。
○高橋令則君 自由党の高橋でございます。時間がございませんので正村先生にお願いをしたいと思います。 私は、年金そして福祉、それから医療の今後は非常に面倒だと思うんです。それは税とそれから保険料、この全体の問題だと思うんです。 今、保険料システムが基本になっておりますけれども、先生がおっしゃるように五〇%に拘泥する必要はないということは、はてなという気持ちもありますけれども、それにしても保険料だけですと払わない人が出てきておる、現実に。大変なことだなと思っておりますが、これでいいのかなと。やっぱりこういうふうな社会のセーフティーネットというような基本的な問題については税でやっていくべきではないのかと私は思っておりますが、先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○公述人(正村公宏君) これも時間がございませんから手短に申し上げますと、恐らく基礎年金の部分とそれから高齢者医療、そして高齢者介護、できればこれを拡張して障害者一般、差別しないで、高齢者であるかないかではなくて、高齢者はどうでもいいんです。私も高齢者ですけれども、元気な高齢者は面倒を見なくてもいいんです。余計なことをしない方がいいのであって、要介護状態、これは障害者と見るべきなんです。障害者という言葉は嫌いかもしれませんけれども。 高齢者医療とそれから基礎年金部分、高齢者を含めた障害者に対する社会福祉的な事業、この三つについては差し当たり、超長期の問題はちょっと別としても、税への移行を真剣に考えなければいけないだろう。そうせざるを得ないだろう。それは国保の状態を見ても、高齢者医療の医療費の問題を考えても、介護の問題を考えてももう既に明らかだと思います。基礎年金も今三分の一ということになっておりますが、税から持ち出しになっていますけれども、これはもちません。ですから、思い切って税に変えるということをやはり真剣に考えなければならない時期に来ているだろうと私は思っております。これについてはもちろん専門家の間でいろいろな議論がございますが、私の結論はそう思っております。 もう一つつけ加えるならば、今までの政府のいろいろな議論の進め方を見ておりますと、どうもばらばらであり過ぎる。福祉を充実することで医療費の節約ができるかもしれないんです。福祉を充実して、高齢者を受けとめる仕組みをつくらないで、病院から追い出す制度をおつくりになったから悲劇がたくさん起こったわけです。そうではなくて、福祉を充実することで、拡充することで、重い障害を負っている高齢者をそこで受けることで老人が長く病院にとどまることをしなくても済む状態をつくるということが必要であったのに、それをおやりにならなかった。今やっと追い出し的な医療費の制度は見直すということをおっしゃっていますけれども、遅過ぎる。 私は、年金、医療、福祉は総合的に御検討いただくことがどうしても必要だと思いますし、税は不可欠だと思います。国庫補助をふやせという議論はあるけれども、じゃ、その国庫補助の財源をどうするのかという議論のところへ行くと、皆さんの議論はうやむやになる場合が多いような気がするんです。こういう形でやりますということをぜひ皆さん方で御議論いただきたいと思います。
○高橋令則君 私も勉強いたしまして努力いたします。 ありがとうございました。
○松岡滿壽男君 参議院の会の松岡滿壽男でございます。両先生、きょうは御苦労さまでございます。時間がございませんので正村先生にお伺いしたいと思うんです。 去年、地方分権一括法が通りまして、いよいよ分権に踏み出したんですけれども、実質的なものは何も変わっておらないわけです。やはりこれから財政再建を考えるときに、税と歳出削減をどう組み合わせていくかしかないんだろうと思うんですが、その中で、行政改革といいましょうか、遅々として進んでおりません。だからここは、さっきビルド・アンド・スクラップとおっしゃいましたけれども、仕組みを変えると。省庁再編は哲学がなかったというお話がございますが、例えば思い切って道州制を導入してしまうとか、既に広域市町村圏を始めて三十年たちますし、今度の介護保険とかいわゆる高熱焼却しなきゃいかぬというふうに、いや応なしに広域的な対応が迫られておるわけです。 この道州制論といいましょうか地方の仕組みを変えていくという行き方と、実質的に地方分権を進めていくためにこういう知恵があるよということがございましたら、お教えをいただきたいというふうに思います。
○公述人(正村公宏君) 道州制論について端的に申し上げますならば、私は道州制に行き着かざるを得ないだろうと思っております。しかし、過去に提案されました道州制論というのは、上からの割り振りみたいな形で提起されているという印象が非常に強かったと思います。そうではなくて、分権化を徹底的に推進するならば、今の自治体の規模では小さ過ぎる。市町村も小さ過ぎますし、都道府県もこのままではその地域の行政に対応できません。ですから、分権化を徹底的に推進するということが、道州が不可欠だという機運を高めることにつながると思います。つながるのを待つという意味ではありませんが、上から行政的にかぶせて制度を先に考えるよりは、思い切った分権を今の制度の枠の中でもいいから推進するということが必要だろうと。 関東地方を例にとりますならば、関東地方から外に流れている川はほとんどないんです。関東地方の河川を建設省がやらなきゃならない理由はないと思います。それはかつてのように、明治時代のように技術者がいなかったときは東京がやらざるを得なかったと思いますけれども、北海道の石狩川の、どういうふうにこれを維持するのか、自然との調和を考えて安全を守るのかということを道民が自分たちで考えて、自分たちでこれに対応するということをやるべきなんですね。 ですから、私は三十年来の分権論者ですが、それは中途半端じゃなくて徹底した分権をやる必要がある。そうすることがほとんど不可避的に、生活の構造が広域化していますから、だから既にいろいろな試みが各地でありますけれども、道州以外にないということが強まっていくと思いますが、皆さん方は、一種の及び腰で、そしてそのために議論がイタチごっこになってしまって、今のままでは小さ過ぎる、だからだめだという話でぽんと道州制をお出しになるんですけれども、足元から徹底的に分権化をやるということをお考えいただくことが私は非常に重要じゃないかなというふうに思っております。これも時間がなくて舌足らずになりますけれども。
○松岡滿壽男君 ありがとうございました。
○島袋宗康君 二院クラブ・自由連合の島袋宗康でございます。きょうは、本当に貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。 本当にこの予算委員会というものが、多額のいわゆる赤字、累積赤字といいますか、そういったものを抱えている中で、これからの日本の累積赤字をどう解消していくか、財政再建をどうやっていくか、財政の健全化をどうやっていくかということが非常に問われている委員会だと思います。その点について、大変今までも詳しく御説明ありましたけれども、再度その辺について、赤字解消をどうすればいいかというふうな点についてお教え願いたいと思います。
○公述人(正村公宏君) 私が申し上げたいと思いますのは、今考えなければならない財政の再建は赤字の解消ということではない。赤字の解消といいましょうか、財政の健全化を目指さなきゃいけませんけれども、財政の均衡が目標ではないのであって、財政制度と財政の構造を根底からつくり変えるということが目標だろうと思います。そういうことの中で、そういうこととリンクさせて財政の健全化ということを追求することがどうしても必要だろうと思います。 私は、これからの時代、国家というものが相対化されなければならない時代だと思っております。相対化というのは、国家が唯一絶対の公共団体なんだという思い込みを克服しなければならない時代だと思っております。 二十世紀というのはネーションステートというものを追求してまいりました。国民、国家、そしてナショナリズムというものが建設的なエネルギーと同時に破壊的なエネルギーを生み出しました。今でもナショナリズムは非常に深刻な問題であります。でも、ネーションステートというものを中心にすべてを考えるということを変えていかないといけない時代になっていると思います。ヨーロッパ連合はその一つの重要な手がかりだと思います。 しかし、ヨーロッパは特殊だと考えない方がよろしいと思います。国家こそが唯一絶対の公共団体なんだというふうな思い込みを捨てないといけない。恐らく、国家が持っている権限の多くの部分をさまざまな国際機関に移譲していかないといけない。極端な場合は、ヨーロッパのような今までの国家を超えた新しい連合、連邦政府をつくるという努力を始めています。 他方では、やはりそれぞれの国の中のそれぞれの地方の多文化的多様性、社会的多様性を見直して分権化ということを進めなければいけない。ヨーロッパ連合の、連合の方だけ見る人が多いですけれども、あの動きの中で分権化の動きがすごくいろんなところで進んでいるんです。円滑にするする行くとは思いませんけれども、いろいろな問題が起こってきますけれども、このことを考えないといけない。 ですから、国家財政のこの危機を克服するためにも、二十世紀型の国家のイメージの枠の中で国家の財政のつじつま合わせをする、計算合わせをするためにどうしたらいいかという議論ではなくて、国家の役割と国家の中の地方のさまざまな公共団体の役割分担を根底から見直す、明治以来のこの仕組みというものを変えるという心構えで財政のあり方も見直していただく必要があるんじゃないか。 先ほど官庁のことについて申し上げましたけれども、何を中央政府がやるのか。サブシディアリティーというふうに英語で言うんだそうですが、基本的なことはすべて地方の単位の公共団体がやる、どうしてもそこでできないことだけをもう一つ上の公共団体がやるという補完の原理です。上が下を補完するんです。日本はそうじゃなくて、下が上を補完しているんです。つまり、中央政府の政策を地方自治体がやらされているというところが多うございますね。そうではない原理で、公共システム全体をつくり変えるという発想が私は必要だと思うんです。そうすると、財政全体を見直すことがもっと容易になる、容易とは言いませんが可能になると。 中山公述人が御指摘になりました公共事業に関しても、このことは、御反論があるかもしれませんが、多分こういう視点を入れることで今までのような公共投資のあり方を見直す手がかりができるのではないかというふうに私は考えております。
○委員長(倉田寛之君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。 本日は、限られた時間の中で有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手) 午後一時に再開することとし、休憩いたします。 午後零時八分休憩 ─────・───── 午後一時一分開会
○委員長(倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。 休憩前に引き続き、平成十二年度総予算三案につきまして、公述人の方々から御意見を伺います。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 お二方には、御多忙のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。 本日は、平成十二年度総予算三案につきまして皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。 それではまず、景気・経済について、公述人、経済戦略会議事務局長三宅純一君の御意見を伺います。三宅公述人。
○公述人(三宅純一君) 御紹介にあずかりました三宅でございます。きょうは、参議院という良識の府にお呼びいただきまして私の意見をお聞きいただくことを大変光栄に思っております。 景気と予算との関係ということで私の考え方を申し述べたいと思いますが、まず私自身、今回の不況、これはよく言われておりますように、九〇年代に入っていわゆるバブルが崩壊いたしまして、その後、短期循環的には景気上昇局面もございましたが、基本的には経済の地盤というものが必ずしもよくなっていない、そのように私自身は認識しております。したがいまして、今回の一般会計予算、八十五兆円の予算は、私自身は、ちょっと言い方が不遜かもしれませんが、やむを得なかった措置じゃなかったかと思っております。 私自身、九八年の夏に小渕総理の諮問機関であります経済戦略会議の事務局長をお引き受けいたしましたが、そのころはまさに日本経済がデフレのふちに入っていた時期であったと思うわけでございます。いわゆる六十兆の公的資金の投入といったような緊急避難的な措置が出されまして、一昨年の補正予算あるいは昨年度の本予算等において景気が徐々に立ち直ってきているという意味では、戦略会議が開始されたときに比べれば、景気の気という面で申し上げますと、私自身は明らかによくなっていると思います。 たまたま昨日、経済企画庁の方で十—十二月期のQEという速報値が発表され、これが余りよろしくないということで昨日の夕刊あるいはけさの朝刊に書かれているわけでございますが、私自身は、設備投資、これが、すべての業種とはもちろん申し上げませんが、企業によってあるいは業種によって少し前向きの動きが出てきたというふうに評価しております。企画庁で発表しておられる機械受注統計というのがございまして、これで少し景気がよくなっているというふうに思いますので、今の時点での景気判断といたしましては、昨年あるいは一昨年の戦略会議ができ上がったときに比べれば、繰り返しになりますけれども、景気の気という意味ではよくなっていると私は考えております。 しかし、経済という断面で物事を切ってみますと、これはなかなかよくならないんじゃないかと。いろいろなシンクタンクでことしの経済成長率、これは本年度、九九年度は、昨日の発表でかすかに〇%行くかどうかというふうに私自身考えておりますし、二〇〇〇年度、来年度については、いわば公共投資、昨年の補正予算の効果、あるいはきょう御審議の本予算の効果がききまして、恐らく年度上期につきましてはそこそこの成長率を達成できると思いますが、その後、少しずつこのままでいけば景気というものが再び下降局面に入るのじゃないかと思っております。 そのように考えますのは、一つは、九六年十一月の財政構造改革法、橋本内閣のときにできたこの法律は、私自身この法律自体は決して悪い法律じゃないと思っておりましたが、いかにもタイミングが悪かった。九六年十一月というのは、私自身、当時景気は既に下降局面にあるという判断をしておりました。そのときにそういう法律を打ち出されたという意味では、今回の不況を長引かせた一つの要因であったと私は考えております。たまたま消費税率が翌年の四月から五%に引き上げられる、さらに社会保障負担が乗っかってくる、そういうことで景気は悪くなりましたし、九七年の秋にはいわゆる金融システム不安というものが起こりましたのは先生方御承知のとおりでございます。 世の中のエコノミスト、私は自分自身エコノミストとは決して思っておりませんので、エコノミストの方に対しては大変不遜な言い方になるかもしれませんが、世の中のエコノミストのかなり有力な方は、金融システム不安が今回の不況の原因だと言われる方もございます、あるいは財政構造改革がより大きな原因だと言われる方もございますが、私自身はこの両方がいわば重層的に今回の不況をもたらしたというふうに考えているわけでございます。 したがいまして、経済を本当によくする意味では、その両方にメスを入れないといけない。それが先ほど申し上げました公的資金六十兆の投入でございます。私自身、国民の貴重な税金を、銀行救済とは申しませんが、なぜ銀行のために使うのかということには個人的には非常に不快感を持っております。 〔委員長退席、理事竹山裕君着席〕 日銀の方は、これも、私は十年前まで日本銀行というところにお世話になって、そこで禄をはんでいた身として日銀を批判するのは大変不遜な言い方になりますが、去年の二月に〇%金利にやっと踏み切ったというのが私の偽らざる実感でございます。 金利政策というものは弾力的に動かしてこそ意味があるわけで、私自身はもうその前、戦略会議の事務局長を引き受ける直前に、金融政策はもう幾ら〇%近くにしても効果がなくなりつつあるということを日本経済新聞の経済教室に書いた覚えがございます。金融政策はもう限界に近い状況に来ている、ここは財政政策を強力に打ち出して、それによって日本経済を再生させるということが大変大事だと思っておりまして、たまたま去年の二月二十六日に答申いたしました戦略会議の第五章にかなりきめ細かな財政政策を打ち出しているわけでございます。いわゆる新社会資本というような概念で述べられている幾つかの項目がございますが、そういったことが必要だろうと思います。 申し上げたいのは、そういった未来、二十一世紀型の社会資本の充実ということこそ今、日本に求められている大事なことでございまして、そのためにはいろいろな制度、システム、例えば単年度主義、そういったものを打開しないといけないんじゃないかというふうに考えております。 現在の景気について話を戻させていただきますと、私自身は、設備投資がふえ、それが生産の増加あるいは所得の増加になって経済が循環していくことによって景気が好転するという考えをとっておりまして、GDPの六割を占める消費が悪いから景気が悪いという考え方には必ずしもくみするものではございません。消費というのは、私の考えでは、全体の経済がよくなってやっと消費がよくなるというふうに私自身は考えております。 たまたま先週、出張で大阪へ参りましたときに、タクシーの運転手をつかまえて、私はいつも、私自身が大阪でございますから、どうでっかと、こういうふうに聞くわけでございますが、ほとんどの運転手からはあきまへんわという答えが返ってくるわけでございます。ただ、これがGDP統計の六割を占めているということが実は今の景気を必要以上に暗くさせているというふうに考えているわけでございます。 そういう意味で、繰り返しになりますが、今回の一般会計予算八十五兆というものはやはり必要な措置であるというふうに考えざるを得ないわけでございます。 それでは、財政再建はもうどうでもいいのか、こういう論点に戻させていただきますと、私自身、先ほど申し上げましたように、橋本内閣のときの財政構造改革法は、言ってみればちょっとタイミングが、ちょっとというかかなりタイミングが悪かった、そういう認識をしておりまして、財政構造改革そのものの重要性を否定するものではございません。どの段階でやるかということが非常に大事でございます。 戦略会議の答申では、平成十五年度から財政構造改革に取り組むべきだ、こういう答申を出しておりますが、こういった考え方は私は今の段階では基本的に正しかったと。私自身が事務局長としてまとめたことを自画自賛することは大変僣越でございますが、この点についても先生方の御批判等がございましたら、ぜひ承りたいと考えております。 もっとその時期が早く来ればそれにこしたことはないわけでございますが、私自身、先ほど申しましたように、この秋ぐらいから再び景気が減速過程に入ってくるんじゃないかというふうに考えておりまして、そういう意味では、なるべくそういう財政構造改革を初めとするいわゆる構造改革に早く取りかかれる景気情勢になることを切に期待しているわけでございます。 あと、戦略会議の答申で取り上げた大変重要なテーマといたしまして、不動産の証券化ということがございます。 私自身、日本銀行で三十年禄をはんでおりましたが、実はそういったことに対しては私は専門的知識はございません。したがって、いろいろ戦略会議時代にある程度勉強したことを今御紹介しているわけでございますけれども、先ほど申しました不良債権の問題、これが六十兆の公的資金投入ということになったわけでございますので、そこのところが本当に不良債権の償却が公的資金を使って立ち直った後、例えば不動産の証券化というような、いわば銀行がローンという形で人様から集めた預金を貸し出すというような仕組みにかえて、投資家が買うような証券化ということを進めることが非常に大事だと思っております。 戦略会議の答申後、SPC法の改正ということが行われまして、これは一歩ずつそういう法律的な仕組みが前進しつつあるというふうに私自身評価しておりますので、昨日、例の新しい銀行ができるというニュースを見ましたときも、私は銀行がああいう形で本当に立ち直ってくれれば、これは先生方に申し上げるのは釈迦に説法でございますが、金融というのは経済の血液でございますので、ぜひそうなってほしい。 これまでのいろいろな統合と絡めて、新しい銀行経営が成功することを切に願うものでございますけれども、そのためには基本になる経営者の姿勢というものが大事でございまして、残念ながらこれまで銀行経営者の方がなかなか不良債権の数字すら公表しない。公表しないというのは言い過ぎかもしれませんけれども、私どもにとってもよくわからない。もうこれで峠を越えた、これで峠を越えたということの繰り返しでございまして、その辺の意識さえしっかりしていただければ、私は二十一世紀には新しい金融システムが構築できるのではないか、かように考えております。 残された時間で財政構造改革についての私見を申し述べたいと思います。 御案内のように、九三年ごろの統計で見ますと、日本は先進国の中で財政赤字、これはフローベース、ちょっと専門的な用語で申しわけございませんが、国と地方を合わせた財政赤字を分子にいたしまして、分母をGDPでとった比率で単純に計算してみますと、先進七カ国の中で日本は圧倒的な優等生でございました。それが九九年の数字を見ますと、あのイタリアよりも以下になっている。 これは、かつて日本の経済というのは世界では一流だけれども、あのイタリアに負けているというのは、私は別に政治家じゃございませんので、あるいはそういった仕事をしているわけじゃございませんので、イタリアは個人的に好きでございますが、あのイタリアにも負けているというのは大変残念でございます。 イタリアがなぜよくなったかというと、やはりこれもいろいろな考え方があると思いますけれども、EUの通貨統合というものを目指して一生懸命努力した結果、あのイタリアでさえよくなったというふうに考えておりまして、やはり財政赤字が大きくなるということは、今まだ資産的には十分、よく国民の金融資産は全体で千二百兆とか千三百兆とか言われておりますが、今ならまだ耐えられるわけですが、どんどん赤字がふえてまいりますとこれは実は大変なことになる。 繰り返しになりますけれども、そのタイミングをどこでつかむか、少なくともそういった議論を今から始めておかないと、余り目先の景気に煩わされていると決してこれはよくないというのが私の考えでございます。 現実問題として、年金生活者の方々にとってはこの超低金利というものが恐らく、国民全体と言うのは言い過ぎかもしれませんけれども、怨嗟の的になっているわけでございます。私も日本銀行を退職して十数年になりますけれども、大変残念でございます。 そのためには、財政規律というものをきっちりと守りつつ、いわば将来につながる財政政策を行って、その一方で財政再建の時期を模索する、こういった姿勢が私は必要であろうかと思います。 時間の制約もございますので、この辺で終わりたいと思いますが、ただフローベースでの赤字を一挙に縮小するということは大変なショックでございますので、そこは財政の債務残高といったようなものをにらみながら、これも別に諸外国がすべていいとは申しませんけれども、そういったもののためにいろいろな改革等を進めていく、それが日本経済を長い目で見て再生させることになるのではないかと私自身考えております。 以上で私の陳述を終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。(拍手)
○理事(竹山裕君) ありがとうございました。 次に、教育について、公述人、慶應義塾幼稚舎舎長・慶應義塾大学大学院教授金子郁容君の御意見をお伺いいたします。金子公述人。
○公述人(金子郁容君) こんにちは。 私は、去年の四月から慶応の幼稚舎、これは幼稚園じゃなくて小学校なんですが、の舎長といいます校長をやっておりまして、きょうの午前中も三年生の授業をやってまいりました。一時間後、こうやって参議院の予算委員会の皆さんの前でしゃべるので、聴衆の年齢差が大分あるなと。しかし、正直なところ、皆様方は大変若々しいので安心しております。 私のちょっと経歴を紹介させていただきたいんですけれども、私、慶応大学を出てから、アメリカのスタンフォード大学でPhDをやっておりまして、その後、ウィスコンシン大学、州立大学で九年間教えておりました。日本に帰ってきまして、一橋大学の商学部、国立大学で十年間教え、それで六年前に慶応大学に移りました。去年からは、先ほど申し上げたように、小学校の校長ということで兼任をしております。 このような経歴から、小学校から大学院に至るまで日本の教育システムに関していろいろと言いたいことはございます。危機感も持っておりますが、きょうは時間も限られておりますので、私が今一番身近に感じている、そして今一番日本の教育の中で切実な問題を抱えているんじゃないかと思います小学校、初等教育に絞らせてお話をさせていただきたいというふうに思います。 この一年間というか九カ月、十カ月ぐらいですけれども、私、二つのことを子供たちと接していて発見いたしました。一つは、子供というのは非常に複雑なこともそれなりに理解をするものだな、子供だから易しくとか、そういうことは必要ないんではないかなということが一つ。もう一つは、子供は楽しいと思ったらどんどんと自分でもって思いもかけないようなこともやってしまうという、そういう能力にあふれているんだなということを実感いたしました。 ちょっとその様子をビデオでもってごらんいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。 これからお見せいたしますのは、実は国の予算をいただきまして慶応大学などがつくりました教育ソフトを二つお見せいたします。 一番初めはクロノスシステムと申しまして、ここに持ってきましたが、「情報の歴史」という、この年表でございます。これは紙ベースのものなんですけれども、世界の歴史を同時進行的に五つのコラムに編集して載せてある本です。 例えば、エリザベス女王と織田信長が一歳違いだとか、グーテンベルクと一休さんが同世代だということがわかっておもしろいんですが、これをコンピューターの中に入れようと。いろんな歴史の事象、五万件ぐらい入っているんですけれども、これを全部ばらばらにして三次元のこのようなタイムトンネルの中に配置をして、クロノマトリックスと言うんですけれども、それで、もう歴史というのは固定的な事象ではなくていろんな関係性を自分たちで発見するものじゃないかということ。これは研究用それから大学用につくったんですが、これを後でお見せいたしますけれども、幼稚舎の二年生、四年生、六年生の授業で使ってみました。 このような形でもって今五万件ほど入っておるんですけれども、横から見たり縦から見たりして自分がタイムトンネルに入っていくような形です。 これは二年生です。しばらくちょっとごらんください。 最初は、これは大学生用それから研究者用につくったので到底二年生じゃ盛り上がらないんじゃないかと思いましたら、これは幼稚舎としては子供が最も集中した授業だったらしいんですが、彼女、彼らたちは歴史の授業は一回も受けておりません。年表は見たことがありません。我々、歴史というと、やっぱり年表があって、日本史、世界史があるわけですけれども、今のように非常に盛り上がって、自分の知っているものを見つけるとタイムトンネルの中に入っていきます。 これは四年生で、もう四年生の場合は、自分でコンピューターシステムをさわっていってもらって、さっきのタイムトンネルの前半、上が福沢諭吉、下がアメリカの歴史ということで、いろんな課題を出して自分たちで発見をさせようということです。新学習指導要領の中には、歴史の流れをつかむのは中学生でと書いてありますが、もう二年生である程度できてしまうという一つの例でございます。 もう一つは、2プラス1という、略称なんですけれども、ゲームのような形で、環境について、それから英語などの問題をどんどん自分たちで解いてもらおう、最終的には自分たちの経験を絵本としてつくり直してそれで発表してもらおうという教育ソフトでございます。楽しさと学びというのは相反するものではないということがこれでわかったような気がします。 学校はつまらないものを学ぶ、遊ぶのは楽しいこと、学校でやらないことではなくて、工夫によってはおもしろいことをどんどん学ぶ。 これは海の中のメタファーで、いろいろな魚とか、カプタと呼んでいますけれども、情報のいろんな要素を自分で見つけて、それをポイントをとるには英語の問題を解いたり、それから環境問題について考えたりということで、だんだんポイントが上がっていくといろんなことができるようになるということでございます。 これ非常に子供たち喜んだんですけれども、ごらんになってわかるように、普通のゲームではすごく地味なんですね。何かばんばんと相手を倒したりというのはないんですけれども、非常に子供たち興味を示しました。自分でもって辞書を引いて英語をどんどん勉強するような子も出てきましたし、これでわかったのは、これも三年生からやりましたけれども、我々キーボードを子供が学ぶにはまずアルファベットを教えなきゃいけないなんて思いますけれども、アルファベットなんか知らないで、もう自分でもってどんどんとやっていくというようなこともわかりました。 子供たちが特に喜んだのは、先生が知らないことを自分たちはどんどんやっていくと。先生にこれ知っていると言うと、いや私知らないんだよということでとても盛り上がっていました。 これは昼休みに自由に使っていいというのでもう大変な騒ぎになってしまいまして、お昼休み、給食をすぐ食べて押し寄せてきました。 これは情報の先生なんですけれども、聞き分けのいい子だと思ったけど全然守っていないと。 これは勉強なんですね。これでいろいろなことを学ぶのも、ゲームはやっちゃいけないとかということでなしに、その中に埋め込むことによってどんどんとやっていく、もう我々が知らないいろんなわざもこれでクリアしていくということがわかりました。 非常に短い間ですけれども、お手元に2プラス1の五年生の感想文がございますので、後でもしお時間がございましたら、ごらんになっていただきたいというふうに思います。 まず、情報教育ということに一つ例をとりまして、小学校の教育についてちょっとお話ししたいんですけれども、昨年の七月ですか、政府のバーチャル・エージェンシーが学校教育についての提言、中間報告をいたしました。それによりますと、「子どもたちが変わる」、「授業が変わる」、「学校が変わる」という、なかなか斬新な切り口のまとめがあったんですが、私としましては、その一歩も二歩も進んでいただきたいなというふうに思っております。具体的に言えば、やっぱりここに子供と授業と学校だけではなく、先生が変わる、それから社会が変わるというところまで行かないと情報教育、本当の意味がないんではないかというふうに思っております。 先ほどちょっと申し上げましたけれども、幼稚舎は今一年生からインターネット、コンピューターをやっております。これまでの経験ですと、いわゆるコンピューターの読み書きそろばんというものですね、キーボードを覚えたり、ワープロを使えたり、プレゼンテーションをしたりというのはもうすぐに、大体一年生でも二年生でも、二、三カ月すると、おもしろいと思ったらすぐにやりますので、情報教育というのは何かコンピューターの使い方を学ばせるということでは全然ないんじゃないかというふうに思っております。 どうもこれまでは情報処理ということばかり頭が行っていると思うんですけれども、情報というのはテレビとか新聞なんか、もう編集された情報を今我々は口の中に押し込められている状況です。インターネットでも使うと、情報を自分で編集していく、自分で選び、それをさっきのゲームのように自分でまとめ、伝えるという、そういう編集力というのが必要じゃないかと思いますが、そこで問題になってくるのが、先生がすべて生徒よりもたくさんのことを知っているという前提が今まで小学校にあったんじゃないかというふうに思います。 例えば、私が教えています湘南藤沢キャンパス、SFCでは、インターネットを日常的に使っております。SFCでは、昔のことよりもWTOの問題、それから、きょう先ほどの委員のお話があったような景気の問題などの授業が多いんですが、そうすると、情報としては教えている我々よりも学部生の方がたくさん事実は知っているという状態が今、日常化しております。そういう新し目のことはインターネットがたくさんあるわけですから。 ですから、知っていることの量としてはもう学生の方がよく知っていて、学生がよく、授業を終わってからホームページのちょっとプリントアウトを持ってきて、先生これ知っているのと。知らない、ありがとうといって、次の講義に使ったりしておりますが、もちろん大学と小学校は違います。しかし、今はこういうメディア時代でございますから、先生よりも子供の方がよく知っているということもあると思いますし、先生が自分の知っていることだけを教えるということが教育でない、先生が知らないことを子供がやり出したときに不安になるんではなくて、どんどんそれを促進するというようなことが必要じゃないかというふうに思っております。 例えば昔、子供が校長、舎長に物を言うには、まず両親に、両親が担任の先生に、担任の先生が多分教頭先生に、教頭先生が校長に言うということを経ていたんですが、今私のところに毎日子供からメールが来ます。しかも、四月から入ってくる五歳の幼稚園児から平仮名ばかりのメールが来たりするわけですね。それから、親から担任の文句というんでしょうか、こういうところは困るということのメールもどんどん来ます。これを困るというふうに言ったんじゃ情報教育はなかなかできないんじゃないでしょうか。学校の中には、全部フィルタリングして有害なホームページは見せない、メールは出しちゃいけないと。学校の中だけを無菌状態にしても、多分自宅に帰れば何でも見れるんじゃないかと思います。 このように、情報の海の中で、世の中にはいろいろ悪いこともある、危険なこともあるということを教える非常に貴重な実験場がインターネットじゃないか。それには、先生たちの風通しもよくして、我々教員同士のコミュニケーション、それから意思決定の方法も透明なものにしないと、学校の制度、先生、社会をそのままにして子供だけにインターネットをやれといっても、これは効果がないんじゃないでしょうか。 〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕 ちなみにですけれども、幼稚舎の場合には三十五人専任がおりますが、ほぼ全員インターネットを日常的に使っております。大体ほとんどの決定事項、相談はメールでもってやっております。一日大体十通から二十通のメールが行き来しております。きのうちょっとデータを見たんですが、幼稚舎の場合、一日にメールを見に行く回数が三十五人の中で七百八十回、一日平均二十回ぐらいメールを見に行っているということです。こういう状態でございます。 もちろん幼稚舎が今一番いい状態にあるというふうには思いませんけれども、何でも意見を言う、そこで何か教頭に話し校長に話しというのじゃなくて、みんなの見ている前でもってどんどん議論をしていく、それでどんどんと決まっていくという状態を今幼稚舎の教員の中ではつくりつつあります。その上で、生徒たちにインターネットの情報編集というものを教えていくということ。 もう一つ言いますと、やはりこれは教員の育成、養成制度にかなり問題があるんじゃないかというふうに思います。 今の小学校の教員なんかは、非常に熱心で、子供が好きで、非常にすばらしい人が多いと思います。しかし、現在、私の大学なんかも考えてみて、やはり教職課程に行くという学生はかなりあるタイプの学生が行き、それで教職課程は大変なリクワイアメントがあるわけですけれども、出たらすぐにもう先生になって、先生先生で、一生先生をする。こういうことだと、これは生きる力を持った生徒を本当にそういう先生が養成できるのかということは非常に深刻な問題ではないかと思います。日本は特に、大学入試もしかり、それからアパートを借りるのもしかり、入り口は非常に狭いんですが、その後、ある意味では非常に甘い。 それから、私としては、きょうは時間がないので具体的な提案はございませんが、もっといろんな経験のある人を先生にし、それで適性がなければどんどんやめていただく、ないしはほかの職に移っていただく。それから、必要ならば例えば心理学とかいろんなものも教師になってから学ぶという制度をつくっていく。それから、二、三年企業にほうり込んで社会勉強してもらう。そういう先生がいないと、生きる力、情報教育はできないんじゃないかというふうに思っています。生きる力だけでなくて、複雑さを理解するとか、それから学ぶことは楽しいんだというようなことを、そういう人材が先生の中に入ってこないとまずいのではないかというふうに思います。 ボランティア教育について一言述べさせていただきたいというふうに思います。 新学習指導要領の中にはボランティア活動を重視するということも盛り込まれておりますが、私の経験ですと、小学生はボランティアというふうに言わなくても人のためになりたいという気持ちであふれているような気がします。 ある朝、朝礼のとき、私が、ありがとうと言うことは大事だけれども、人からありがとうと言われることはもっとうれしいんだよということを朝礼でお話ししました。そうしたら、その日のうちにある二年生の女の子が次のような作文を書いてくれました。そのまま読みます。 今日の朝の朝礼で、金子郁容先生の、お話は、「ありがとう」というお話でした。そのお話を、かんたんに言うと、「ありがとうを言うのもいいけど、言われるのもうれしい」ということでした。私は、(早く、だれかに、親切にしてあげたいなあ)と思いながら、中目黒のえきの近くを歩いていたとき、一人のおばあさんが、私に聞きました。「中目黒のえきはどっち」私は、(親切ができるいいチャンスだ)と思い、「ここを、まっすぐいったところにありますよ。」とおしえてあげたら、「ありがとう。」と言って下さったので、私は、「いいえ」と言いましたが、とってもうれしかったです。気もちよかったな。 大人だと、ボランティアをやるのは偽善じゃないかとか、なかなかチャンスがないなというふうにいろいろ考えてしまいます。子供は、やはり子供らしい直観で、いつでも人の役に立ちたい、社会の役に立ちたいということを思っているのではないか。日本ではキリスト教の精神がないのでボランティアは根づかないというふうに言われておりましたが、阪神・淡路大震災のときに私も二週間ほど行きましたが、百三十万人というボランティアが日本じゅうから出てきた。あれは、やはりあの場面には自分の少しの力でも役に立てるというそういう場面が展開していた、非常に不幸な出来事だったんですが、それを日本人が知ったいい機会だったんじゃないかと思います。 子供は、今の作文にあるように、そのような気持ちというのは最初から持っているのではないか。もし日本の教育がそういうものをだんだんとはぎ落としていく、そぎ落としていくというプロセスだとしたら、それは非常に不幸なことじゃないかと思います。 ただし、子供はもちろん自分ではなかなかそういう機会は探せません。それから、おばあさんに親切にということは考えつきますけれども、それが学校の中、コミュニティーの中、国全体、社会全体のためになるというところまではなかなか考えつかないものです。そういう意味では、教員、学校の方でさまざまな機会を、人の役に立つことはとてもうれしいことなんだ、それが社会に役に立つ、そこの展開をしていくんだということ、そういう機会をたくさんつくることが必要ではないかというふうに思います。 私ごとになりますけれども、私は昔、うちの母親が卵のにおいが嫌いだったもので、卵料理は全部私がやったという経験がありまして、今でも一人で料理したりするのが好きなんですが、子供のときはそういう手伝いとかボランティアとかはもちろん思いませんでしたが、うちの手伝いをするのはもう当たり前、それから高学年生が低学年生のことをいろいろと手伝う、こういうことはどんどんもう学校でやっていくような、そういう学校でありたいというふうに思っております。 そういう仕掛けが必要なんですが、ともすると、そういうことに対して現在の小学校、教員、学校は及び腰というか、何かやらせるといったり何かを決めるということに対して何でも自由にしていいということがちょっと見られる、それはまずいのではないかというふうに思います。 最後に、一、二分ですが、もう一つ。 今、ネットワーク時代、インターネット時代で非常にさまざまなことが急速に変わっていく。この変わり行く時代であるがゆえに、逆に普遍的なもの、人として重要なこと、それから伝統、古きよきものというのは、これはしっかりと伝えていかねばならないと思います。先ほどのボランティアと同じように、ともすると、そういうことに対して多少勇気がないんじゃないかなというふうに思っております。 例えば、幼稚舎生は俳句なんかをつくらせると大変喜んでしまって、これは実は高原学校へ一緒に秋に行って俳句をつくってもらったんですけれども、「あきかぜをまっすぐとおるとんぼかな」、これはなかなかいいんですけれども、「朝つゆにぬれた草木に虫のこえ」、「おもいでがはいくいっくでできました。」なんというのがありまして、もうその日じゅうすべての言葉が全部五七五になってしまったんですね。先生があそこで何か言っているとか、困ったな白井先生遅いなあとか、要するにそういう日本古来のある種リズムとか楽しさというものは、ちょっと教えれば子供の中に噴き出してくる、そう難しいことではない。しかし、そういうことをちゃんとわかって勇気を持って仕掛けていくということが必要ではないかと思っています。 幼稚舎ではお正月になりますともちつきをやりまして、それでつくったおもちを付近の商店なんかに配っておりまして、そこへ行くとありがとうというようなこと。そういうことを、ちっちゃなことなんですけれども、日本の伝統的なこと、植林をやったり、剣道、柔道なんかは大学のOBなんかも含めて朝五時半から起きて寒げいこなんかをみんな一生懸命やって、それで非常に自信をつける子供なんかも出てきております。 もちろん、慶応義塾は福沢諭吉がつくったそういうよき伝統が、ある種使いやすい伝統がございますので、命日には幼稚舎生が連なって墓参をいたします。別に、特にそういうことは難しいことというよりも楽しいこととしていて、先人のいいことを学び、感謝の気持ちを持つということを自然に学ぶ、このような人材、それから制度を学校の中にどんどん取り入れられるようにしていただきたいなというふうに思います。 時間が来ましたので、私の公述はこのぐらいにさせていただきたいと思います。 どうもありがとうございました。(拍手)
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○保坂三蔵君 自由民主党の保坂三蔵でございます。 きょうは大変お忙しい中を、ただいま予算審議進行中の中を、公述人といたしまして三宅先生、金子先生、ようこそおいでいただきました。また、わかりやすいお話でよくわかりました。特に、ただいま金子先生はプロジェクターを使っていただいて、大変わかりやすく臨場感あふれる公述で、今後の公述のあり方にも何かサジェスチョンを示すのじゃないかと思いますし、また特に教育と情報という点で取り組まれて、インフォメーションテクノロジーが教育の場でどう生まれて大きく育っていくかという現場を拝見したような気がいたしまして、深く感銘を覚えた次第でございます。 ところで、きょうは景気対策と経済ということで改めて三宅先生にお尋ねしたいのでございますが、ただいまお話がありました一九九九年の第四・四半期といいましょうか、あるいは平成十一年度の第三・四半期といいましょうか、QEが昨日発表されたわけでございます。これを見て、株価が一時五百六十円安になったとか、あるいはまたマイナス成長が一年の中で連続して二期マイナス一・〇あるいはマイナス一・四続いたと。これは見ようによればアメリカあたりではリセッションと言うのではないだろうかという論議などがきのうあったところでございます。 しかし、株価なども考えようによりますと、一番悪い一万二千円台から比べれば、もう既に二万円を前後はしておりますけれども、この夏にはもう二万三千円も夢でない、こういうところまで来まして、時価総額などは一番安いときに比べますと既に倍、もう五百兆近くなってきているということになりますと、新たに金融資産として二百五十兆、二百六十兆というお金が生まれたことはどういう効果を及ぼすか。これはもう素人でもわかることでございます。一番いいときの八百兆に比べればまだまだ追いつかないとはいいますけれども、アメリカの百カ月続いた景気回復の中に早く日本は立ち直らなくちゃならない、こういうメッセージを示したきのうのQEではないかと思うのでございますが、先ほどその中でいい点悪い点ありましたけれども、もう一度きのうのQEの分析をお話し願いたいと思います。
○公述人(三宅純一君) お答えいたします。 先ほど私は設備投資が少しよくなりつつあるというふうに申し上げました。先生今御指摘のように、株が上がっているということは、これは日本経済にとって大変結構なことでございます。そういう意味で、心理面で明るさを増しているということは私も否定いたしません。ところが、私自身株の専門家でも何でもございませんのでそこのところは全く予想できないのでございますが、株が下がればやはり景気の気という面では悪くなるんじゃないかという気がしております。 消費が先か投資が先かという議論でございますが、私は先ほどちょっと早口で申し上げて大変申しわけなかったんでございますが、今企業の業績が株が高くなっていることによって少しずつ上がってきております。企業の業績が上がるということはいわばもうけがふえることでございますし、もうけがふえるということは勤労者の所得もふえるということでございますから、株が上がるにこしたことはございません。 ところが、先ほどちょっと早口で申し上げて言い足りなかった点は、日本の経営者の方は、これもすべてとは申しませんが、株が上がればそれで安心していわゆる厳しい経営をギブアップする、そういった方も中にはおられるわけでございまして、そういう意味で株が上がることは必ずしも、経営者にとって甘い感じを与えるという意味で申し上げたわけでございます。 昨日のQEの中身を私もまだよく子細に分析しておりませんけれども、新聞等で見たところによると、やはり設備投資が上がっているけれども消費がよくない。そういうことでQEが悪いということで、先生今おっしゃったように、アメリカ流に言えば二期連続マイナスが続くということはリセッションでございますから、私もアメリカ流の定義に従えば、やはり日本はリセッションに入っているというふうに認識しているわけでございます。 一—三の数字は私よくわかりませんが、たまたま、これは統計上の問題ですけれども、ことしはうるう年でございまして、その分でいわば暦が一日多くなっておりますから、統計的にはこれがQE、これは一—三の六月に出るQEを恐らく押し上げると思います。その結果、年度を通じて見れば、これは私の全く個人的な見方でございますが、かすかすの〇%、〇・一とか〇・二ぐらいの成長率は達成できると思います。 それから、ちょっと先のことを申し上げて恐縮なんですが、先は、先ほど申しました、今審議されている予算あるいは補正予算の効果が出て恐らく秋口ぐらいまでは景気がもつだろう、こういうふうに認識しておりますので、もっと長い尺度で見ますとリセッションという定義が必ずしも当てはまるかどうか、それは私は疑問に思っております。
○保坂三蔵君 金子先生流に言いますと、支持率に株価互いに不思議がりなんて去年言われましたね。もうあれは今は言いませんよ。常識になってしまって、支持率も高ければ株価も高い、これが今の世の中の常識というふうに受けとめているわけですけれども。 きのうのQEの評価に関しましては、株価のみならず、国会の中でも議論がありまして、堺屋長官などは、既に読み込み済みである、一—三を見てみろと。先生の今お話しのとおりですね。これは通年で通して見れば三年連続マイナス成長に絶対ならない、これはポイント一とか二という判断の狂いはあるかもしれないけれども、絶対自信を持っている、こういうお話だった。 それを実証するように、今お話があった設備投資や機械受注などが非常によくなった。設備投資なんか二期連続でございますから、待ちて久しい上昇なんですね。それから有効求人倍率、これがよくなってきた。それからデパートなんかは一—二がいいんですね。これが二十カ月連続でマイナスだったが、一—二がいい。しかも、外商などで扱う高額商品が驚くほど出た、こういう東京百貨店協会の話などを聞きまして非常に気の上で力強く思います。それから、七十カ月連続で対前年度比マイナスを続けていた自動車の登録台数、これが回復してきまして、そういう点で全体的なマクロ的な数字というのは確かによくなってきた、こういうふうに思います。 しかし、一方では、堺屋長官などはこういう楽観主義を戒めなくちゃならない、こういうふうに言うんですが、実はこの三月の月例経済報告に景気の自律回復を政府が宣言をするんじゃないかといううわさが出ておりまして、これは日経などで既に一面トップに報道されているところでございますけれども、これがもし自律回復が言及されるということになりますと、九七年の四月に後退して以来三年半ぶりの政府の公式の回復宣言に近いものになるわけですね。 確かに消費は足踏みが続いている、しかしあらゆる面で自律的な回復に向けた動きがあらわれている、したがって自律回復の現況を明記する、こういう報道があるのでございますけれども、これは仮説で恐縮でございますが、先生はこういう動きをどうごらんになるでしょうか。
○公述人(三宅純一君) 私は、自律的な回復のプロセスに入っていると思います。ただ、これは極めて弱々しい、ちょっと押すと倒れるというふうには申しませんけれども、先ほど申し上げた株がもし今のようにいかない、落ちていくということになりますと、経営者のマインドも後退いたしますし、そういう意味で、自律的な回復プロセスに入っているとは思いますが、果たして自律宣言をしてそのとおり順調にいくかどうか、その点については私は個人的にはやや悲観的な見方をしております。 繰り返しになりますけれども、昨年に比べれば明らかに景気はよくなっているということは私も否定するものではございません。
○保坂三蔵君 慎重な御答弁でございましたが、あれだけ高額な補強をした読売ジャイアンツが五月に弱い、そこで長嶋監督はこの五月には二十勝十敗でいくんだと。我々はデータからするとかなりきついことを言っているんじゃないかと思いますが、ああいう気を養うというか、あるいはインセンティブを与えるというのは、これは非常に私はわかりやすいナガシマミックスじゃないかと思うんです。いわゆる勘ピューターが働いているんじゃないかと思うんです。 こういうことを考えますと、例えば郵貯が平成十二年、十三年で百六兆という集中満期が来ます。これは一千万預けた人が一千六百万になっているんですから、十年間預けて。こういう過剰流動性となり得るお金が、キャッシュフローが待っているとか、あるいはバックグラウンドとして成長センターとしてのアジアの景気が回復してきたとか、あるいはオリンピックがあるとかサミットがあるとか、アメリカだってそんな急激に落ちないだろうとか、いろいろこういうもろもろやりますと、景気の自律回復宣言は決め手になるんじゃないか、こう私は思っているわけなんです。 そこで、もう一つ難しいと思いますのは、一番足を引っ張っているのが消費ということで、GDPの六〇%が個人消費だということになって、ここに火をつける。きのうもお話が同僚の議員の方から出たんですけれども、日本人に浪費を勧めるようになるんじゃないかと。勤倹貯蓄というのは美徳で、確かに先ほども午前中に貯蓄過剰という話が出たんですけれども、将来に不安を持っているアメリカが貯蓄が七%台で、将来に大変な不安を持たないようなドイツでも一二%台、今、日本の場合はたしかこれは一五・七。しかしこの一五・七%の貯蓄率というのはバブルの最高のときに二〇%あったんですね。ですから、貯蓄というのは国民性もありますし、現に韓国が日本と同じように高いわけです。こういうのに浪費をしろと言うのは何となく、中曽根文部大臣に伺わなくちゃならないぐらいの何かパラダイムシフトといいましょうか、それを感じるんです。 それで、そういう問題と、それから今、例えば先生が御苦労された経済戦略会議での日本型システムの中でこれが大きな変化をした、旧来型の。どうしても新しいシステムを構築しなくちゃならないところに追い詰められた。そこにあるところの雇用の不安だとかあるいは老後の不安だとかという不安を解消しなくちゃならないというのがテーマになっているんですね。 しかし、こういうものもろもろをあわせましても、時代は間違いなく二十一世紀の時代に来て、そして資源は循環型でむだをしちゃいけない、こういうふうな中で消費の拡大というのはどういう訴え方を国民にすれば一体火がつくものなんでしょうか。
○公述人(三宅純一君) 先生がジャイアンツファンということを初めて伺いましたが、私はタイガースファンでございまして、タイガースの場合はいつも、特に去年あたりは四月、五月は大変、私もひょっとしたら優勝するんじゃないかと。常に裏切られているわけでございますので、私の考え方の発想には物事を悲観的に見るという、そういう癖があるかもしれません。 したがって、私がこれまで申し上げたこともそういった色のついた意見だということをお含みおきの上で、今の先生の御質問に対して私の考えを申し上げますが、確かに貯蓄率が、先生今御指摘のとおり、日本の場合高いわけでございます。 私も、昔の話になりますが、ちょうどオイルショックのときに日銀で調査のような仕事をしておりまして、オイルショックできっと貯蓄率は下がるだろうと。そのころから中高年というか少子化時代ということが既に言われ初めておりまして、だんだん貯蓄率は下がるだろうというようなことを、私はまだ課長にもなる前に予想しておったんですが、いまだに貯蓄率が高いわけです。 これは先生御指摘のように、恐らく日本人の二宮尊徳以来の勤倹貯蓄の精神が国民性になっていることが一つの大きな原因だと思います。ですから、そういったバックグラウンドを考えますと、先生が今おっしゃったように、景気が少しよくなるというふうな何らかのメッセージが出れば国民各層は消費に回ってくるんじゃないかと思います。 ただ、今貯蓄率が高い一つの原因は、やはり中高年層が多くなって、特にこれだけ厳しい経済情勢が続いておりましたので、いわば財布のひもをかたくする、消費をしたいけれども消費すると怖くてしようがないと。さっき言った金利の確定利率のものがなかなかいつまでたっても元本がふえない。先ほど先生御指摘の郵便貯金も、確かに十年前の高利のものの満期が参りますが、私自身は千万限って郵便貯金に銀行預金から移そうかと思っているぐらいでございますので、やはりそれだけ国民のガードがかたくなっているということが消費を冷え込ませている大きな原因だろうと思います。 さっき百貨店協会のお話をされましたけれども、若い世帯は結構高いホテルに泊まったり、一々ホテルの値段までチェックしているわけじゃございませんが、こんな若いやつが何でこんな立派なホテルに泊まるんだと。これはちょっと年寄りのひがみで申し上げているんですけれども、そういう意味で、全体を眺めますと確かに消費はそれほど悪くないかもしれない。 これはもう経済企画庁のテーマでございますので、私が申し上げるのは大変経済企画庁に僣越な物の言い方になりますけれども、消費統計というのは非常に限られたものをベースにつくっているわけでございまして、そういう意味ではひょっとしたら、悉皆調査というようなことを仮にいたしましたら、あるいは先生御指摘のようにもっと消費はいいのかもしれない、このように思っております。 たまたま先週、福山に講演で参りましたら、あそこに青山商事の社長がおられまして、その後のレセプションのときに、何かうちは大変もうかっているというようなお話をしておられましたので、これはさっきのタクシーの話とはまた別に、それぞれきめ細かく調査しないとなかなか実態はわからないんじゃないかというのが私の考えでございます。
○保坂三蔵君 そういう点ではライフスタイルを変えるということはとても重要だと思います。私どもはサマータイムを一生懸命やっておりますけれども、そういうのも効果があるんじゃないかと思いますが、一方ではもう少し国内旅行にもいそしんでいただきたい。それぞれ行った人も生活の充実が図れるし、また来られた方も経済的な効果が上がる、そういう乗数効果が出てくると思うんです。 例えばJR東海が京都の宣伝をしています。あれは関西圏、近畿圏でおかしいじゃないかという批判が出て、株主から言われたそうです、やめるということが決まったというので、私は陳情しまして残してもらった。やっぱり東京人にとって京都がどういう存在であるかというのは、ディスカバージャパンじゃありませんけれども、ちょっと刺激してやればこれはもう経済効果が出る、こう思います。 きょうは、もう一つ公共事業が進まない理由には地方財政の悪化の問題などあるということを申し上げ、石原新税などについても御意見をいただきたかったのでございますが、いろいろ諸般の事情がございまして、以上をもって質問を終了いたします。ありがとうございました。 金子先生、どうも済みません。
○櫻井充君 民主党・新緑風会の櫻井充です。お二人から貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございました。 まず最初に、三宅公述人にお伺いいたしたいんですが、GDPで見るよりはむしろ今回の場合においては設備投資がよくなってきているので改善基調にあるんじゃないかというお話をされたかと思います。景気を見てくる上において、私も必ずしもすべてがGDPではないとは思いますが、いいメルクマールになるものは何だとお考えなのか、まずその点からお伺いさせていただきたいと思います。
○公述人(三宅純一君) 私はGDPも一つの大事な指標だと思います。それでむしろ景気というものの構成要因としてやはりそれぞれの企業の業績というものを見ていかないといけないと思います。よく言われる損益分岐点というような分析を、これはなかなか全体像をとるのが難しいのでございますが、私もかつてシンクタンクにおりましたときに、損益分岐点売上高比率というのを部下にグラフにかかせまして、その分析をさせた覚えがございます。これは、大蔵省の法人企業統計季報という有価証券報告書を集めたものからつくらせたわけでございますが、そういったミクロのメルクマールも必要だろうと思います。 今、先生御指摘のように、残念ながら全体の統計としては企画庁の四半期に一度出すGDP統計しかないのでございますけれども、この中身もなかなか、さっきから申し上げているように特に消費のカバレッジが小そうございますので、いろんなものを補強する、あるいはいろいろなヒアリングをする、それで総合的な景気判断をすべきだというのが私の考えでございます。
○櫻井充君 ヒアリングという点で、私も仙台でタクシーの運転手さんに随分、どうですかと聞いてみますと、去年より悪いという方が三十人の中二十九人で、一人の方だけが少しよくなったということで、私にはまだ余り景気がよくなってきているようには思えない実情がございます。 先ほど、景気は若干よくなってきているような感じがするけれどもこのままいくとまた秋には悪くなるんじゃないかというお話をされておりました。それから、予算について言いますと、八十五兆円の今回の予算案は仕方がないところだなというふうなお話でございましたが、若干矛盾点があるような気がいたします。 ですから、例えばその八十五兆円が枠としては仕方がなかったと、この中身の問題なのか、その点について、要するにこのままいけば秋には悪化するのじゃないか、その辺の理由等について教えていただきたい。そして、どうすれば三宅さんがお考えのように、少しずつ改善していくというふうにお考えなのかについて教えていただきたいと思います。
○公述人(三宅純一君) 今の御質問でございますが、まず景気全体について、繰り返しになりますけれども、今ようやく回復の緒についた段階だというふうに考えております。先般の八十五兆の予算というのは、仮に補正予算が組まれないとすれば、恐らくことしの、ことしというか二〇〇〇年度の成長率はマクロで見る限り余りはかばかしい成長はできないのじゃないかと思います。したがって、今やはり景気対策に専念すべきであるという意味で、きょう御審議の八十五兆の一般会計予算を私なりに評価したわけでございます。 先ほど単年度主義を打破すべきだというふうなお話をいたしましたが、私はこれは、例えば公共投資にしても、一つのことに専念すると申し上げるとちょっと変な言い方なんでございますが、例えば東京都の場合は大変高速道路でも込んでおります。一般のサラリーマンの人は、最近余りラッシュアワーに乗ったことございませんのでわかりませんけれども、かなり遠いところに住んでおられて、なかなか通勤が大変で、会社へ着いたときにはくたくたになるという状況でございますので、そういった意味での公共投資、高速道路も含めて都市型の公共投資、こういったものは必要だと思います。 私たまたま環状七号線の内側五百メートルのところに住んでいるのでございますが、あの環状七号線がまだ環状になっていないわけでございます。それで、私は目が悪いものですからよく目の検査をして、どこに穴があいていますかと。まさにあれが問題で、私はやはりその貴重な国のお金をつぎ込むのであればそこのところに集中的にする、別に環状線をつくれと言っているわけじゃございませんので、例えばそういうところに専念してやるべきだということでございます。 ちょっと先生の御質問のときに、保坂先生にお答えし損なったわけでございますが、京都も私大好きでございまして、京都はいかに観光をやるべきか。その場合に、京都は京都、大阪は大阪、神戸は神戸と言っていたのではだめでありまして、近畿圏にいかに観光客を誘致するか。外人が京都とか奈良を大変喜ぶわけですけれども、日本人が海外に行くのも結構ですが、私はもう国内旅行をしたいということで、ファシリティーと申しますか、そういった旅行をするときに便利なシステムというものをある程度国の予算を使ってもつくるべきだ、それがいわば景気対策と構造対策と両方できる道じゃないかというふうに私は考えております。
○櫻井充君 それともう一点お伺いしたいんですが、財政構造改革は必要である、平成十五年からというお話でしたが、これは期日をまず区切るということがある意味で大事なことだというふうに思いますが、どういう条件が整ったらば財政構造改革に入ればいいというふうにお考えか、教えていただきたいと思います。
○公述人(三宅純一君) 先ほど保坂先生がおっしゃったこととも関連いたしますが、アメリカ経済は私は一挙に悪くなるとは思いません。アジア経済も一部には悪くなると言う人もいますけれども、今立ち直りつつあると思います。そういう意味で、日本を取り巻く環境は基本的にいい状況が続いております。 先ほど申し上げましたように、設備投資が本格的に仮に回復して消費が転化すれば、場合によっては平成十五年度以前に財政構造に取り組むことが可能かもしれない。ただ、先ほど来申し上げているように、今申し上げたのはすべていい条件を積み上げてその結果こうなるということで、日本経済が本当に民主導の、財政政策にもそう頼らず、あるいは海外要因といいますか海外の経済にもそう依存せず、いわば自律的に回復する局面という意味では、私はやはり平成十五年ごろまではちょっと難しいんじゃないかというふうに考えております。 したがって、先生の先ほど御質問に関連して申し上げますと、すべてのそういう与件、前提条件がよければ私はもう少し繰り上げて財政構造改革に取り組むチャンスが来るんじゃないかと、このように考えております。
○櫻井充君 どうもありがとうございました。 それでは金子先生にちょっとお伺いしたいんですが、私、この仕事につくまで内科の医者をしておりました。 私は不登校の子供たちのカウンセリングも行っていて、その子たちに話を聞くと家族関係はみんな悪いんですね。例えば個々人、お父さん、お母さん、本人とかの構図をかかせてみると、とにかくだれかかれかが仲が悪いと。そして、そういう意味で今度は子供たちだけのカウンセリングではなくて、御両親を呼んで家族療法というのをやっておりました。ただ、その御家族に来てくださいと言うと、御両親と子供さんと三人で来られる方が大体半数ぐらいしかいらっしゃらない。半数来られた方々を家族中心に治療してその家族関係を変えてくると、大体八割方の子供さんが学校に行けるようになると。これは私が治療していただけではなくて、名古屋で児童虐待を何とかしたい、解決したいというふうにやられている方々も大体そんなぐらいの数字だというふうに言われておりました。 私はそれで、二十一世紀のテーマとしては家族と、それからコミュニティーと、もう一つ教育なんじゃないかというふうに考えているんですが、先生がお考えのまず学校の担うべき役割と、それからもう一つできれば家族の担うべき役割というふうなものが、教育という点ででも結構ですし、それから今後、先ほど先生は学校が変わって先生が変わって、そして社会が変わるというふうな社会全体から見た中で学校の担うべき役割と、それから家族の担うべき役割についてお聞かせ願いたいと思います。
○公述人(金子郁容君) 心の問題は私、日々現場におりまして成長過程の中でかなりみんな小さい子供たちが悩み苦しむ問題があると思います。 多くの問題は、櫻井さんおっしゃったように家族の問題、ただその家族が親が片方しかいないとか、それから両方働いているから子供に影響があるという場合もあれば、それからお母さんがいつもい過ぎて問題になるという場合もあるのでないかと思いますので、一概には言えないと思いますが、今御質問のお答えといたしましては、学校はある意味では教員にリソースパーソン、ちょっと横文字になってしまいますけれども、子供に何か教えるというよりは、もう実際子供は持っているというふうに思っております。ただ、子供が何かやるときに、そのリソースになる、こんなことをしてみたら、こんなことはやっぱり危ないからやめようねとか、それから自分が率先するというそのリソースになる、ネットワークのハブというか、みんなをつなぐその点になればいいんではないかというふうに思っております。 それからもう一つは、やはり学校というのは集団生活でのある種の決まり、ルールを発見し学ぶところだと思います。家族では単位が小さいわけですから、そういう意味では、今少人数クラスということがかなり言われておりますが、余り少人数にするよりも大勢の人がいると、その中でけんかがあったり、いろんなことがあったりしながら自分たちでルールをつくっていくことを学ぶというのはやっぱり学校の一つの役割じゃないか。そのときにやはり先生は毅然としていいことはいい、よくないことはよくないということを、先ほど申し上げたように、先生が全部を知っていてそれを教えるという態度ではなくて、導いていくということが必要ではないか。 これは社会心理学なんかの言葉で言えば、おじさんというかおばさんというか、親、お母さん、お父さんはもちろん大事なんですけれども、第三者で、しかも非常にいつも関心を持っているおじとかおばの役割というのが先生にあるんではないか。全部自分がやるというよりは、そういうちょっと離れているけれども、しかしいつも関心を持っているということ。 それから、先ほど申し上げたように、集団の中でもって子供たちは自分からルールを編集していくというか発見していくという、そういう場としては非常に大事ではないか。 もう一つは、学問的に歴史について、伝統について、先生の方が率先して材料を与え、それで何か関心を持ったら、そこでまたこんなものはどうだろうかということをどんどんと提供していくというような、役割としては非常に大事なものがこれからもあるのではないかというふうに思っております。
○櫻井充君 何で学校の担うべき役割というふうなことをお伺いしたのかといいますと、大概、今事件がありますと、学校の先生だけが前面に出されます。万引きでも人殺しでも構いませんが、どこどこの中学校の生徒で、校長先生が出てきて担任の先生等が謝る。しかし、今の教育、ではそれでいいのかというと、決してそうではなくて、学校の先生たちが大分疲れてしまっているようなところがあるので、今の家庭教育というのが余りにおろそかになり過ぎてというか、本来なら、今までだったらば家庭でやるべき教育が学校に押しつけられ過ぎているんじゃないだろうか。そういうふうな意味で、家庭教育自体の見直しというふうなものがもう少し必要なんじゃないかなというふうに思ってきています。 先ほどの子供たちの笑顔を見ていると、慶応の幼稚舎の場合には、不登校の子とか、それから不適合と言ったらおかしいかもしれませんが、そういう子供さんはいらっしゃらないのかどうか、もう一つその点についても教えていただきたいんですが、いかがでございましょうか。
○公述人(金子郁容君) 私も、こういう責任のある立場になって、いろいろなテレビなんかの、事件が起こりますと非常に心を痛めるというか、正直自分のところでなくてよかったみたいな気持ちも少しありながら考えるんですけれども、しかし、問題は家庭にあるのか学校にあるのか地域にあるのかということではなくて、やはりだれかがどこかで子供をいつも関心を持って見ていると。それで、幾つかのルートというんでしょうか、子供としては訴える相手がいる、そのうちの非常に重要な一つが学校であり先生ではないかというふうに思っております。 先ほど人材について申し上げましたけれども、やはり学校の先生というのは、かなりまじめな人が非常にたくさんの科目をとり、国家試験をパスし、それで先生になったら後はもうずっと先生であるということの中から、なかなか非常に、まじめにくたびれてしまうということもある。そういった中で、やはりいろんな人を、人生経験のある人が先生になり、その中でもっていろんな勉強も必要ならしていきというようなことの中で支えていくということが重要じゃないか。 しかし、おっしゃるとおり、今家庭の方が非常に何でもいいというようなことの風潮はあると思いますが、でもそれは家庭の責任で学校はそれを担わなくていいということを言っていたのでは問題は解決しないと思いますので、そういう意味では、いろんな人材がいて、それで先ほど言ったように、幾つか、いろんな先生にいろんなことを相談できる窓というのが三つも四つもあいているというところに学校というのはなり得るんじゃないかというふうに思っています。
○櫻井充君 それからもう一つ、中高一貫教育ということなども言われていますが、慶応の場合には幼稚園からずっと大学まで上がっていらっしゃる方々もいらっしゃると思います。あとは慶応大学なら慶応大学から入ってこられる方々もいらっしゃいますけれども、そういう子供さんたちでやはり差が出てくるものなんでしょうか。つまり、そういう中高一貫教育というふうな形で教育を行っていった方がいいとお考えでございましょうか。
○公述人(金子郁容君) 慶応の場合には、幼稚園はございませんで小学校なんですけれども、中高が続いた六年制のものもございますし、それからアメリカのニューヨーク校も含めてさまざまなものがございます。慶応義塾がいいのは、いろんなシステムがあって、いろんな人が入ってくる、切磋琢磨するというところが実はいいものじゃないかというふうに思っております。 私は、大学でも教えているので、やはり入試制度ということも考えざるを得ません。ただ、今私が考えるのに、大学の入試制度は随分と多様化しているというふうに思います。私の教えているSFCでもかなりの人数は面接だけでもって採ってしまう、AO入試と言っておりますが。彼らは非常に成績もいいですし、それから卒業のときにいろんな賞をとったりするのもその面接で入ってくるのが多いわけです。我々は責任を持ってこいつならいいというのを採るというようなことが大学では行われているんですね。高校とか中学ではなかなかそういうことが行われていないような傾向にあることも一つの問題ではないかと思います。 ですから、中高一貫にするかどうかということよりも、全体として子どもの成長をどうやって見守るか、どうやって情報を伝達していくか、学校同士ですね、そういうことは公立でも十分にできるんではないかというふうに思っていますので、単に三年がいいか六年がいいかということだけでは決められないのじゃないかというふうに思います。
○櫻井充君 今度ぜひ慶応に足を運んで教育の現場を見せていただきたいと思いますし、自分の育った仙台の町でああいう教育ができればなというふうに思っております。 どうもありがとうございました。
○山本保君 公明党・改革クラブの山本保でございます。私の方は持ち時間が七分ということでございますが、聞きたいことがいっぱいあるんです。 私は厚生省におりまして、今不登校などの話がありましたけれども、それが専門だったんですが、その前は研究者の端くれになることで教育の政治的また経済的な研究をやっておりました。きょう、偶然だと思うんですが、この公聴会で教育と経済が一緒になっておる。これは全くただ単に並べただけだとは思うんですが、しかし私は、自分なりには偶然にしても非常に重要だと思いますので、そういう観点から、ちょっとお二人に、一つずつになるかもしれませんが、お聞きしたいんです。 まず、三宅先生にお聞きしたいんですが、お話になかったことをお聞きしますので、ちょっと長目に説明いたします。 といいますのは、例えば昭和三十年代、この前この委員会でも申し上げたんですが、いわば高度成長の前に、日本におきましては、また世界におきましても、非常に経済的な効果ということ、教育の経済的効果が重視された。日本においては人的資源ということで経済界が引っ張っていっていたと思うんです。ただ、そのときの考え方というのは、子供が非常に多く生まれてくる、それも優秀な子供である。しかも、それは重厚長大型の産業に合うような極めて画一的な教育内容でよろしいんだ。そしてもう一つは、そのための社会の中の競争というのはもう学校教育の中で終わっておけばよろしいんだ、こういう原則じゃなかったかなと自分では考えておるわけです。 さて、今少子高齢社会になってまいりまして、常に経済戦略という題が出てくるわけでございますけれども、ここでぜひ私は、教育改革、最近総理も言っておられるんですが、どうも何か道徳とか大事なことが欠けておるような気がしてしようがないわけです。 要するに、これからの経済のために教育的な基盤を、制度をどのように変えていったらいいのかということについて、先生の方からもしくは戦略会議でもお話があったら御紹介していただければと思います。
○公述人(三宅純一君) 慶応の先生をお隣りにして教育問題に口を挟むのは大変僣越でございますが、私自身は、今の教育は、一言で申しまして学校教育は間違っているんじゃないかと思います。 これは、私のときもそうでございましたけれども、要するに、受験、受験、受験、受験で、その大学さえ通ればあとは適当に遊んでいても卒業できるというのが日本の当時の私が卒業したころの教育システムでございました。それがだんだん激化しているんじゃないかと申すと変な言い方ですけれども、だんだん悪くなっているんじゃないかと思うんですね。私も大学の先生のまねごとみたいなものを何年かやっておりますが、もう大学へ行って教えると腹が立ってくるんです。寝るのはいいと私は言うんです。寝るのはいいんですけれども、前でデートしておるやつがおるわけです、ソフトクリームを持って。ある私立大学ですけれども、それはもう本当に教えに行っただけの値打ちがないというふうに思います。 それに対して、私は、これはつい数年前でございますけれども、社会人の大学院の先生を五回ほど大阪でしたことがございますが、社会人の方は極めて熱心でございます。それで、目の色が違います。試験の採点のときに大変私も苦労いたしました。苦労いたしましたと言うと変ですが、私も、あれだけ熱心に私のいいかげんな話を聞いてくれたので採点しないといけないと。 そういう意味で、私は、これから大学院教育というのも一つ大事だと思いますが、大学教育でやっぱり入ったらすぐもうそれだけで卒業させるというようなやり方は余り賛成できない。もう思い切って、厳しい試験をすることは大事ですけれども、大学へ入った以上はもう死に物狂いで勉強させて、そこで出口でぴしゃっと決める、入り口は少々甘くしても出口でぴしゃっと締める。 それから、ちょっと貴重な時間を使って申しわけないんですけれども、子供の教育も大事で、これはやっぱり家庭の教育が大事で、最近のその辺のお母さんみたいなのが歩いていますと、これが親かというのがいるわけですから、その辺の性根をたたき直さないとだめだと。 だから、教育改革は私はもっと幾らでもしゃべりたいんですけれども、先生おられますので、この辺でやめさせていただきます。
○山本保君 もう時間がなくなって、金子先生にお聞きしたいんですが、今の同じ質問でも構いませんが、私は先生のボランティア論などもちょっと読ませていただいたことがございます。ボランティアのことも今出ました。最後に、いわゆる道徳教育にかかわるようなこともちょっとおっしゃいました。 私は、日本の道徳教育は全く幼稚園とか小さいときこそしっかりやるべきで、高校生になってからやっているなんというのはおかしいと思っているわけですが、発達段階に合っていないと思っているんですけれども、そういう内容論でも結構でございます。 同じ質問でございますが、お願いいたします。
○公述人(金子郁容君) 山本さんは、NPO法案などもかなり推進されて、そういうことの重要さはよく御存じだと思いますが、おっしゃったとおり、私のこの一年間の経験は、これをしてからでないと子供はこれができないとか、この年代にはこれをするという考え方はいつも裏切られます。何かおもしろいことがあれば子供はいつでもそれに飛びついていって、我々の思わないこともどんどんやっていきます。 先ほど俳句のことを申し上げましたけれども、やはり何か快いもの、それから楽しいもの、これは何か伝統だから必要だというのではなくてですね。それから、私の知っている能の鼓を打つ人と謡の人が全国の学校に行って、即興でもって生徒とかけ合いをやると非常にみんな踊り出して楽しむと。そういうところから、やはり伝統というのは非常に大切だというふうに思います。古いものが一番いいということでなしに、そういう形に、まさにボランタリーというか、やっていくのがいいと思います。 それから最後、ちょっと先ほどのですけれども、私は競争とか評価というのは非常に大事だというふうに思っております。ただ、競争の中には、相互の信頼性がある中で、やはりいろんな勝つ場面をつくっていく。足の速い子は運動会のときに一番になるし、絵画のときには絵がある、それからボランティアでもってすごくすばらしい能力を発揮する子。いろんな競い合いの場というのをつくっていくことこそが、なかなか家庭ではできない、学校の一つの重要な、それに対して勇気を持って学校も取り組む。しかし、それは全部縦並びにして上から切っていくということではなしに、いろんな競争の場面をつくるということが、日本のこれからの経済の基本的なところの重要性にもなっていくんじゃないかというふうに思います。
○山本保君 ありがとうございました。 これから非常にそういう教育内容論、また制度論について議論が始まると思います。ぜひまたお聞かせいただきたいと思っております。 ありがとうございました。
○阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代でございます。 最初に、三宅公述人に質問したいと思うんです。 先ほど二〇〇〇年度の予算はやむを得なかったと、そういうお話でございました。お話を聞いていて、小渕総理の繰り返しあの方の口から出てきた、二兎を追う者は一兎をも得ずというのを思い出したんですが、つまり当面景気対策が先だ、財政再建なんということは今言っておれないんだという、そういうことだと思うんです。 ならば、二〇〇〇年度末の長期債務残高が六百四十五兆円、GDP比で一・三倍ですか、になろうとしているわけですけれども、政府の言うように景気がよくなり経済成長率二%とかあるいは三%とかが実現したときに、それでは税収増がどれくらいなのかということも応答があったんです。一兆円程度だと、六百四十五兆円の長期債務残高に対して一兆円の税収増。これでは焼け石に水ではないかと思うんです。 つまり、私はこんなことで一兎を追っていると言えるのだろうかというふうに率直に疑問に思うんですが、どうでしょうか。
○公述人(三宅純一君) 小渕総理が一兎を追うということを言っておられることは新聞、テレビで拝聴、拝読しておりますが、私自身は、できるだけ二兎を追う状況が早く来ればいいということでございます。二兎を今同時に追いますと、やはり経済そのものが、景気が腰折れするというふうに私は思っております。 先ほど保坂先生の御質問にもお答えしましたように、私はややペシミスティックな考え方でございますので、そういう意味で今はまだ一兎しか追ってはいけないんじゃないかという考えでございますが、できるだけもう一つの、先ほど先生ございました六百四十五兆という債務残高は、これは先ほどフローベースで各先進国の数字をこの七年間の間に相当悪くなったと申しますが、今、先生がおっしゃったストックベースでも相当大きな残高になっております。EUは御存じのように六〇%がクライテリアでございますので、日本がそういう大きな数字になっているということは日本経済を長期的に見て大変ゆゆしき問題だと思いますので、財政構造改革を初め幾つかの構造改革に早く取り組まなければいけない、それで早く小さな政府をつくって民間に任せられるものは民間に任せる、そういうシステムの構築が大事だというふうに私は考えております。
○阿部幸代君 平成十五年ぐらいまでやむを得ないのではないかというお話も先ほど承ったんですが、私の認識では一兎をも追っていないんではないかというふうに思うんです。つまり、今日のような財政の危機的な状況を目の当たりにして、むしろこのことが景気の足を引っ張っているのではないかと。つまり、国民はこれがやがて何をもたらすかというのは透けて見えるわけです。 財政再建を先送りした二〇〇〇年度の予算案でも、実は年金の改悪、まだ法律は通っていませんが先取りされていまして、ベースアップ分の反映がなくなるとか、あるいは医療改悪で高齢者の病院の窓口での本人負担が定率制になるとかで、大体二兆円増になるんです、負担増。あるいは、このままいくと消費税の大増税があるんではないかと思いますし、社会保障はもっと悪くなるんじゃないかと思いますし、インフレで貨幣価値が下がって預貯金の価値もとんでもない目減りがして、隠れた増税と言うそうですが、そういう目にも遭うのではないかということで、これはもう消費マインドが冷える一方。 このことが景気の足を引っ張っているというふうに思うんですけれども、そうではないんでしょうか。
○公述人(三宅純一君) 今いろいろ御指摘いただきましたが、最後におっしゃったインフレ云々という点につきましては、私はまだインフレが起こるような状況ではないと思っております。 これは、裏返して言えばそれだけ今の景気が本当によくなっていないと、そういうふうに認識するからでございまして、日本銀行でインフレターゲット論というようなことが議論されているようでございますが、議論するのは大いに結構でございますけれども、今ここですぐインフレが起こるというような状況にはなっていないんじゃないか。それだけ景気が悪いということでございます。 景気が悪いというのは、先ほど来いろいろ留保条件をつけて申し上げておりますので、景気の定義をするとこれは大変なことになるのでもうこれ以上申し上げませんけれども、税収の点に関して言えば、何とか景気をよくして税収を上げるという考えだけではだめで、なるべく歳出をカットできるようなシステムをつくると、戦略会議の答申の第二章で中谷さんがお書きになった部分がまさにそういうメッセージなのでございますが、そういう意味での小さな政府をつくるという大きな絵をかいたわけでございまして、そちらへ向けての議論は財政構造改革も含めてすべきであるけれども、今すぐ財政赤字の圧縮ということは、やはり今の景気情勢から考えて私自身はちょっと時期尚早じゃないか、このように考えているわけでございます。
○阿部幸代君 つまり、今日の財政の危機的な状況が、長期的に見てばかりではなくて短期的にもやはり消費マインドを冷やして、そのことが景気の足を引っ張っているという認識は、これはあながち不当なことではないと思うんですけれども、どうでしょうか。
○公述人(三宅純一君) 今御指摘のように、先ほど申し上げた財政そのものをできるだけめり張りのついた公共投資を行う、そういうことが大事だと思っているわけでございまして、ことしの八十五兆予算は、もし補正がなければ、規模の点だけで見ますと私は今の景気を支えるに十分かどうか必ずしも即断できない。しかし、そういった下支えをしないと、なかなか先生がおっしゃるように財政赤字縮減策には取り組めない。 平成十五年というのは、先ほど申し上げたように、昨年段階での答申が平成十五年でございまして、先ほどもお答えいたしましたように、その時期がなるべく早く来るために今の景気対策を進めるべきだ、そのための予算というふうに私は位置づけているわけでございます。
○阿部幸代君 九三年度ごろから日本の公共事業というのは国と地方を合わせて年間五十兆円という、社会保障費の二・五倍ですか、世界でも例のない事態になっていて、このことが財政を圧迫しているというのが私どもの認識で、何か見解の不一致のような気がするんですが、ここはやむを得ないと思います。 金子公述人に質問したいと思います。 先ほどの映像も見て、私自身もインターネットが子供たちやあるいは教師にとって新しい教育を展開する上で役に立つものであるというふうに認識をしております。このことについてはきょうはとりわけ質問はしないで、先生がたしか東京新聞か何かでショートエッセーを連載なさっていると思うんですが、それを読んでいてちょっと感じたことがあります。 「教育というものは、そもそも、生身の人のもっている切実さや傷つきやすさ—人が生き、他の人と関係をもつことからうまれる弱さとすばらしさ—を身をもって学ぶプロセスではないかと思う。」とおっしゃっていましたし、「教育にとって大事なことは、かかわりのなかで「かけがえのなさ」を実感することだと思う。」ということをおっしゃっていました。つまり、人間は人間関係の中でしか人間らしく育たないという、こういうことを言っておられると思うんですが、私もそのとおりで、教育にはこれが貫かれなければならないと思っているんです。 これは努力していくことだと思うんですが、しかし、なぜ人間関係がつくりにくいことになったのか、その辺どのようにお考えになっているか聞いて、終わりたいと思うんです。
○委員長(倉田寛之君) 金子公述人、コンパクトにお願いいたします。
○公述人(金子郁容君) はい、手短に言います。 きょう述べたことの続きで申し上げますと、やはりさまざまな社会的、家族の圧力から教員、学校が非常に憶病になっているということが一つ。それから、教員自体の人材が、阿部さんも専業主婦になってまた小学校にお戻りになったという経歴があると思いますけれども、いろんな人が、たくさんの人がいるということがないと、非常に中でもって閉じていってしまうということがあるのが一つの原因だというふうに思います。 ただし、私は、やっぱり教育というのは、かけがえのなさ、切実さというのをいろんな形でもって教えていく、提示していくという場でありたいなということは全く賛成でございます。 〔委員長退席、理事竹山裕君着席〕
○阿部幸代君 どうもありがとうございました。
○三重野栄子君 社民党の三重野栄子でございます。 本日は、お二方とも、どうもありがとうございます。 私のいただいている時間は六分でございますので、三宅公述人には恐縮でございますけれども、金子公述人にだけお伺いさせていただきたいと思います。 二点ございまして、まずどんなにすぐれた子供たちを入学させても、何かやっているうちにどうしても進んでいる子とおくれている子というのが出てくるわけですけれども、そういたしますと、ずっと学年が上がるごとにいろいろ出てきますが、そういうのはどのように御指導なさっているかということが一点。 それから、パラサイトシングルというのがこのごろいろいろ言われます。大変私も興味を持っておりますが、先生が二月二十四日に「放射線」でお述べになっております「全国で百万人もいるそうだ。」ということと、それから、石川啄木だとかあるいは一、二例を挙げておられますけれども、「やはり、現代の二十六歳は恵まれすぎているということだろうか。」ということでございましたが、そこらあたりの原因と、どうしたらいいか。私は余りこれは賛成しないような、賛成というと語弊がありますけれども、こういう人たちばかりだと将来をどう担っていくかということで心配でございますので、そこらあたりにつきまして時間いっぱいお話をお願いします。
○公述人(金子郁容君) 慶応幼稚舎の例がどのくらい参考になるかというのはわかりませんが、私が着任してから始めたことは、成績別ではなくて目的別にクラスを組みかえるということを今始めております。 五年生と六年生は算数は今三クラスなんですが、四月からは五クラスにして、それでどんどんやる子、言われればやる子、それからどうもわからない子ということで、特に算数なんかは、今幼稚舎の場合は四十四人ですので、進む子はもうはいはいと言ってどんどんやってしまう、先生はそちらにやっていると、よくわけがわからないと言う子もいるし、そのわからない子を先生がじっくり教えていると、よくできる子、わかっている子は隣と殴り合いをしてしまうみたいなことがありますので、そういう意味では目的別、タイプ別に五つにクラスを全部リシャッフルというか再編成をする。これは例えば音楽なんかでも、リコーダーとか楽器なんかをもうプロはだしでやるような子もいれば、ドレミファもできない子もいる、そういう子供たちはやはりそれなりのことをしていく。 ですから、先ほど私、公述の中で申し上げたように、必ずしも少人数化がいいというふうには思いません。やはり競い合う人たち、サポートし合う人たちがある程度のサイズは必要だと思うんですが、特にある程度の科目に関しては、そういうように何をしたいのかということを基準に幾つものオプションを用意するということが大事ではないかというふうに思います。 もう一つは、これはもちろん慶応の場合には入学試験のプレッシャーがないということが非常に大きいんですが、さまざまな競い合いの場をつくるということで、これは非常に卑近な例ですけれども、例えばこの間の運動会では、幼稚舎で一番足の速い子供を決めるということをいたしました。その中には、三年生の女の子は決勝にあと一歩で残れなくて大粒の涙を浮かべていたという、そういう経験というのは、悔しさなのかそれとも恥ずかしさなのかわかりませんけれども、多分その子にとって非常にいい経験になるのではないか。 ただし、それは足の速い子だけでもって全部を決めるということではなしに、いろんな機会をつくっていく。その中の一つは算数というのがあってもいいと思います。そういう意味では、評価をしたり競い合いをするということは非常に重要で、それに対して我々は憶病であってはいけないというふうに思っております。 パラサイトシングルのものに関しては、あれは小さなコラムですので余り問題点を整理しないで、最後はいつも、のだろうかというふうに終わると結構余り意見を言わなくて済むので便利なんですけれども、基本的には、今はすべてのことが全部見えてしまっているというのが一つの情報社会でございます。ですから、先生の言うことも大体もうわかってしまっている、大体あれを言うんだろうなということを言うと、それに対してはやっぱり子供は非常に初めから飽きてしまうということがあると思います。もちろん最近の子供たち、これは中学生、高校も含めて、注意をする時間が非常に短くなっていることはあると思いますが、すべてをいろいろ見えてしまっているので、そういう意味では、先生たち学校も、我々は全部知っているんだというのではなくて、子供たちにいろんなものをどんどん提供していく。 先ほどの2プラス1ですけれども、一つはポイントが出るんですけれども、見ていてポイントが高いからといって威張っている子は一人もいないんですね。ただ、ポイントが高いといろんなことができるようになるわけです。いろんな洞穴を見つけたり、それから変身したりと、そのことはみんな大いに威張る。先生はわかると言うと、いや、わからないと。そういうようなことの場を、ある種安全だけれども安心して威張れる、それから、あるときでは負けるけれども別のときでは勝てるというようなことをつくり出すのが、それは家庭ではやっぱりなかなかできないんじゃないか、学校ではないかというふうに思います。 そういう意味では、今、日本は経済が成長して、この五十年間ですか、さまざまな先人たちの努力によって経済がよくなったということに関しては何の引け目も感じる必要はないと思うんですが、生活がよくなったことをもう今から戻すことはできないわけですから、そうではなくて、結果がわかってしまっていることに関して、エキサイトメントというとちょっと大げさですけれども、何かどんどん冒険をしていくというような機会を与える。そのうちの一つが、インターネットですべてを解決するとは全然思っておりませんが、すべて編集されたテレビ映像とか本だけではなくて、何かが起こるかもしれぬ、もしかしたら危ないことが起こるかもしれないというインターネットというのは一つ風穴をあける重要なメディアになるのではないかというふうに思っております。
○三重野栄子君 櫻井議員も学校を訪問させていただきたいと御希望がございましたけれども、私も校長先生、舎長先生の御意見をいただきながら、お伺いさせていただきたいと思ったりしております。どうぞよろしくお願いします。 ありがとうございました。
○入澤肇君 自由党の入澤でございます。 きょうは大変知的好奇心をそそるようなお話をいただきまして、ありがとうございました。 まず、金子公述人にお聞きしますけれども、日本とアメリカの大学を経験され、さらに日本の大学教育におきましても国立と私立と両方とも経験され、さらに小学校の教育まで経験されておられるということでございます。 そこで、お聞きしたいんですけれども、アメリカと比較しまして日本の大学教育あるいは小学校教育、あるいは日本における私立学校と国公立学校の違い、どんなことが特徴として見られるかということについてお聞きしたいんです。例えば教員の選び方、カリキュラムのあり方、教育の進め方、それから個性の伸ばし方、これらの点についてちょっと両者を比較していただきたいと思うんです。
○公述人(金子郁容君) これは多分三宅さんもたくさん言いたい分野じゃないかと思いますけれども、一言で言いますと、やはりアメリカの場合には教師も学生も必死でやっていると。教師もちょっといいかげんにすると評価が下がるとか生徒がいなくなってしまう。 例えば、毎学期、これはかなり古く、十年前以上前の話、私の経験ですけれども、自分が教えようとしているクラスに生徒が集まらなかった場合にはそこはキャンセルになって、自分が教えたくないけれどもたくさん人数が集まっているクラスの並行セッションを教えさせられる。そうすると、必死になってそれを勉強しなきゃいけない。ですから、先生の方が学生に履修の申告だけでもいいからしてくれということで人数を集めたりというようなことまでしている。要するに、お互いに必死になっている、その中でもっていろんなインタラクションが行われる。 〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕 そういう意味では、先ほど三宅さんも言っておりましたけれども、日本では同じような経験の同じような年代の人がどどっと来るという、これは大学だけでなくていろんなところで同じだと思うんですが、これがやっぱりちょっと異常ではないかというふうに思います。確かに慶応の大学院でも社会人が入ってくるとゼミなんかもすごく活気づきます。要するに、いろんな経験のある人、いろんなモチベーションのある人が集まるという場に大学がなればもっといいのではないか。 先ほどの私の公述でいきますと、それが最も求められているのは小学校の教員ではないか。今の制度はそれに対して非常に入り口を狭くしているんじゃないかというふうに思います。 国立と私立ですと、ちょっと揚げ足をとるみたいになるんですけれども、一つは国立の場合にはやはり非常に皆静かで質問をするのもばからしいみたいなのがありますけれども、私立の場合には、私語も多いですけれども、結構何かこちらから刺激を与えるとそれに反応をしてきてというような形ではかなり活気があるのではないかなというふうに思っております。 それから、私、阪神大震災のときに行ってコンピューターをいろんな企業からもらって障害者の施設とかにどんどん配っていたんですけれども、それはちょうど慶応に移って一年目だったんですけれども、これが一橋でしたらもう絶対にできないなと、国家財産ですから。そういう意味では、これは別に今の公立の制度でもできますので、もっともっと自発的に動くことに対してサポートするということができれば多分公立のある種の硬直さというのも直るのではないかというふうに思います。
○入澤肇君 三宅先生には申しわけありません。これで終わります。 ありがとうございました。
○島袋宗康君 両先生には本当にきょうはありがとうございました。 私は、時間の都合で両先生に一点ずつお伺いしたいと思います。 まず、消費税の引き下げですね。五%から三%というような声があります。その問題で、いわゆる消費税を引き下げることによって景気浮揚にどのように影響があるのかということを一点、先生にお伺いしたい。 それから、我が国の教育制度の現状にはいろいろ不都合なものが露呈しておるというふうに言われております。幼児教育、初等教育、中等教育、高等教育を通じてそれぞれ問題点があろうかと思いますけれども、先生がもしこの問題、いけないとかあるいはこうあるべきだといったような何かありましたら御参考までにお聞かせ願いたいと思います。
○公述人(三宅純一君) 私自身、仮に消費税を五%から三%に引き下げたとしてもそれほど大きな経済効果はないんじゃないかと思います。と申しますのは、日本が、あれは橋本内閣のときでございますね、三%を五%に上げていくと。これをもっと上げるべきだという意見もあるわけでございまして、日本の税制体系を徐々に変えていくというのが私の考えでございまして、先ほど小さな政府というようなことも申し上げましたけれども、これは消費税を、今すぐもちろん上げられないんですけれども、上げていかないとだめじゃないかというのが私の考えでございます。 ヨーロッパがすべて正しいとは思いませんが、先生御案内と存じますが、ヨーロッパの場合は付加価値税というのを採用しております。これはいわば支出にかける税金でございます。日本は余りにも所得税が累進的になっていた。かなり最近是正されてはきておりますけれども、そういうことで、私は税率を仮に二%引き下げたとしてもそれほど大きな経済効果はないと思いますし、そういう意味でむしろ五%の今の税率をどういうタイミングで上げていくか、それを一つの、何と申しますか、経済がよくなる、先ほど申し上げた経済がよくなって財政構造改革を進めるプロセスで取り組むべきテーマじゃないかと思います。 直接のお答えにならなくて大変恐縮でございますが、私はそのように考えております。
○公述人(金子郁容君) 時間が短いので端的に答えたいと思います。 今学校の中で欠けているものは二つあると思いますが、一つは勇気、危ないことはするなとか、先を読んでうまく無難にいくということでなしに、やはり勇気を持って物事を進めるということが学校側、教員側に著しく欠けているのではないか。これは教員だけが悪いということでなしに、先ほど言ったように親もまた責任もあるし、地域もあるんですが、まずプロフェッショナルとして自分の信じることを進めるという勇気がないのではないか。しかし、その勇気を実現するにはやはり相互信頼というか、お互いに信頼をするという、お互いを信頼するというのはサイクルでして、悪い方に行くとどんどんだめになる、うまくいくとすごくうまくいく、そこが、サイクルがどこかでもって切れてしまっているんじゃないかというふうに思います。ただし、最初に一歩を踏み出すのはやはり学校側、教員側じゃないかというふうに思っております。 先ほどの質問にちょっと答えなかったんですけれども、公立の方でもしか改善するものがあるとしたら、私立の方は、私は今、校長でして、ある意味で私は全責任を持っておりますから、人事にしてもクラスの編成にしても、相談していいと思うものはやると。だめならば責任をとるというか、また変えればいいんですけれども、そういうことが人事面それから予算面でもし公立の小中学校が今なかなかできないようになっているとしたら、それは思い切って改革する必要がある。その中から勇気が出せるという基盤ができるのではないかというふうに思っております。
○島袋宗康君 ありがとうございました。
○委員長(倉田寛之君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。 本日は、限られた時間の中で有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手) 速記をとめてください。 〔速記中止〕
○委員長(倉田寛之君) 速記を起こしてください。 暫時休憩いたします。 午後二時五十分休憩 ─────・───── 午後三時四分開会
○委員長(倉田寛之君) ただいまから予算委員会公聴会を再開いたします。 休憩前に引き続き、平成十二年度総予算三案につきまして、公述人の方々から御意見を伺います。 この際、公述人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。 お二方には、御多忙中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。 本日は、平成十二年度総予算三案につきまして皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうかよろしくお願いいたします。 次に、会議の進め方について申し上げます。 まず、お一人二十分程度で御意見をお述べいただいた後、委員の質疑にお答えを願いたいと存じます。 まず、社会保障について、公述人、日本労働組合総連合会生活福祉局長桝本純君の御意見を伺います。桝本公述人。
○公述人(桝本純君) 桝本です。 本日は、こうした形で意見を述べる機会を与えていただきまして、委員長初め委員の各先生方に心からお礼申し上げたく思います。 私は、二十分という時間をちょうだいしておりますが、主として社会保障にかかわる分野について私どもの見解を述べたいと思います。 お手元に二枚ものの発言要旨と、それから私の所属しております団体でつくっております医療制度改革についての討議資料というふうに書いてございますが、私ども組織内であるいは組織外の皆様に訴えるというつもりでつくったものでございますので、御参考にしていただければありがたいと思います。 まず、大変概論的なことで恐縮でございますが、現段階における国の予算編成というものについて、それはどのような課題を負っているのかということについての私どもの見解をあらあら述べさせていただきたいと思います。 御案内のとおり、当年は二十世紀最後の年でございまして、私どもの国も社会も大変大きな転換点にあることは国民各層ともそれぞれに感じているところでございまして、この段階における国の予算というものは、単に単年度の予算配分ということを超えまして、二十一世紀における我が国のあり方そのものについて一つの方向を打ち出す、そういう非常に重要な課題を負っているのではないだろうか、そのように考えます。 その点で、まず国民経済全体の中での資源配分というものを考えますと、国の予算は、それに対する一つの方向性を大変強く押し出す、そういう性格を持っておると思いますし、その内容から申しますと、従来、敗戦後から今日まで続いておりました我が国の経済の基調でございました産業優先から国民生活重視へという転換が求められて久しいかというふうに思います。 そしてまた、戦後のいわゆる貧しい時代に大変重要なテーマでありました平等の配分ということよりも、むしろ安心の配分ということが今日の社会全体の非常に大きなテーマなのではないだろうか、そのように考えるところでございます。その中にあって、今日特に重要なのは、制度に対する国民の信頼、そしてその信頼をベースにした国民の間での助け合いということがきちんと行われるような、そうした基礎的な構造をぜひとも予算としてもまた示していただきたい、そのように考えるところでございます。 具体的に申しますと、これまで不況のたびに我が国の予算配分は公共投資に傾斜をしてまいりました。また、各省庁間における公共投資の配分についてもその見直しということが言われてから久しく、かつそれは実現しているとは言いがたいわけでございますが、今後とももちろん公共投資は必要であろうと思いますが、公共投資が本当に必要な分野はどこにあるのかということについての明瞭な考え方というものが必要でございますし、あわせて、公共投資というややもすれば箱物行政と言われてきたあり方から、むしろ今後の福祉あるいは教育、そういった分野へ資源配分を移すとすれば、投資的な経費よりもむしろフローのベースの経費を重視していく必要が出てくるのではないだろうか、そのように思います。 しかし、産業構造というのはその中に働く労働者がそれぞれいるわけでありまして、現状のように公共投資比率が非常に高い我が国の経済の中で、その公共投資に強く規定された産業分野で働いている労働者が大変多いこともまた事実でございます。したがって、これはあるときに急激に切りかえられる性質のものでもまたございません。 例えば、現在まで建設重機械をつくっていた屈強な男子労働者があしたから子供のあるいは年寄りの面倒を見るヘルパーになれるわけではございません。したがって、そこのソフトランディングと申しますか、きちんとした経過措置をとって、かつ計画的に進めていくということが特段に重視されなければならない、そのように思うところでございます。 その中で、社会保障、福祉ということを考えましたときに、幾つか大きな柱がございますが、まず第一に、先ほどの安心の配分ということから申しますと、重要なのは年金の問題であろうかと思います。現在、国民福祉委員会の方で御審議いただいているところでございますが、我が国の年金について一番危機的なことは、昭和三十六年以降の国民皆年金というふうに言われてきたものが制度的にはほとんど破綻に瀕しているというふうに私どもは認識をしております。この国民皆年金という立場を引き続き維持しようとするのであれば、年金制度の抜本的な見直しが大変大きな課題になるというふうに思います。 年金に対する国民の依存度、なかんずく雇用労働者の退職後の生活の依存度は大変高うございまして、年金だけで暮らしているという人は必ずしも多くありませんが、退職後の主たる生活のベースを公的年金に依存している人は今では七割を超えている、こういう状態でございます。したがって、今後の高齢者の退職後の所得保障、退職後の生活のセーフティーネットということを考えた場合には、公的年金が当然のことながらその基盤にならなければなりません。 現在の公的年金は、先生方御案内のとおりいわゆる賦課方式、すなわち現役の労働者が納める保険料が現在の年金生活者の方々の受け取る年金の財源になる、こういうシステムでございます。したがって、世代と世代の間の信頼抜きにはこの制度というのは維持されません。その意味で、現状の我が国の年金制度に対する最も大きな課題は、現在の高齢者が不安にならないようにということと同時に、現在保険料を払っている現役、なかんずく若い労働者が現在払っていることによって将来の彼らの年金そのものが保障されるという確信を持てることであります。今、この事態は大変危機的な状況にある、そのように思います。 第二の社会保障の柱は言うまでもなく医療でございますが、これにつきましては、年金よりも歴史が古いわけですが、古くは三K赤字というふうに、米、国鉄、健保、三つとも大きな国の赤字であるというふうに指摘されてまいりました。既にそれから三十年もたっているわけですが、この構造は基本的には変わっていない。つまり、医療費が膨脹する、それを負担が追いかける、また費用が膨脹する、再び負担増が追いかける、こういうことを繰り返してきたわけでございまして、こうした悪循環を断ち切ろうということが五年前から国全体で議論をされてきた。これを総称して医療並びに医療保険制度の抜本改革というふうに呼びならわされてきたところだろうというふうに思うわけでございます。 このような抜本改革が一昨々年の九月、まず負担を引き上げる、それを追いかけて二〇〇〇年度から、つまり平成十二年度から抜本改革を実施する、こういう約束のもとに負担増がまず行われました。しかし、以後の歩みは御案内のとおりでございます。 現在の抜本改革の基本的な課題を取り並べることはいたしませんが、一番基本的なことは、我が国の現在までの医療並びに医療保険制度というのは、医療サービスが全体として供給不足であった。医師の数も足りない、病院その他の医療施設も足りない、いい薬も足りない、そういう時代にお医者様になるべくいっぱい働いていただく、それから病院などはつくりやすくする、それから当時非常に経営基盤の脆弱だった薬剤メーカーの経営基盤を安定させる、こういった趣旨でつくられてきた制度だと思いますが、しかし現在では、全体として医療サービスはむしろ供給不足を克服し、あえて言えば供給過剰の状態に入っております。供給不足の時代につくられたシステムにはそれなりの根拠があったと思いますけれども、供給過剰の時代になって、そのシステムが生き長らえていることによって生じる矛盾というのが現在の抜本改革を必要としている客観的な条件なのではないだろうかというのが私どもの基本的な考え方でございます。 高齢社会というふうに言われますが、昔はお年寄りが長生きすることはおめでたいことでございましたし、みんなが祝ったものでございます。しかし、現在は高齢化ということが何かしら暗い、重たいもののように語られ、そしてややもすれば高齢者によって行われるさまざまな需要というものが社会的なコストの面だけで意識されている。これはやはり我が国の社会にとって決して健全なこととは思えません。むしろ、高齢者の人口に占める割合が高くなれば高くなったにふさわしい活力ある社会というのはどのようにしたらつくられるのか、このことが非常に大きなテーマだろうと思います。 例えば、病院に入りたくても入れない時代が終わったわけですが、今はむしろ病院に入っている必要のない、あるいは病院で手当てをすることが必ずしも適当でない人も、不適切な言葉になるかもしれませんが、不必要に入院、病院にいる。俗に言う社会的入院といったような事態が広く見られるのもまたその一つだろうと思います。 その中から、それは医療ではなくて介護という新しい分野でフォローすべきだというところから介護保険の導入が決まり、そしてこの四月からいよいよ施行されようとしているわけでございますが、その介護につきましても、従来の発想は、基本的には寝たきり老人をどうやってケアするかということに重点が置かれてまいりました。しかし、実際には寝たきりというよりも寝かされきりといった現象も多く見られるわけで、自分たちができることをできる範囲でやることが、高齢者自身にとってもその持てる能力を発揮し人間らしい暮らしになるはずでございます。 その意味では、活力ある高齢社会というのは、元気な高齢者だけではなくて元気でない高齢者にも、人間らしい、そしてその人たち自身が生活の営みとして活動できるような、その意味では寝たきり対策あるいは寝かせきり対策から自立支援へという方向で今後の方向づけをしていかなければならないのではないか、そのように思います。 最後に、いわゆる福祉と言われる分野についてちょっと言及をさせていただきたいんですが、いわゆる社会福祉基礎構造改革ということがテーマになり、今国会にも提出をされる運びと聞いておりますが、非常に大きなのは、いわゆる措置制度からの脱却というスローガンでございます。しかし、この措置制度からの脱却という言葉は、ややもすれば単なる市場原理への移動ということにとらえられかねませんし、またそのようにとらえる風潮も決して弱いわけではございません。 私どもは、措置制度という言葉そのものにあらわれているように、福祉サービスを受ける国民というのは全く受け手、受け身の存在であって主体が行政である、こういう福祉のあり方はやめなければいけないというふうに思います。しかし同時に、それはマーケットメカニズムに任せれば適切な資源配分が行われるということでは必ずしもないのではないか。この二つが機械的に対立している議論のまま法案は提出されるわけですけれども、むしろ新しい社会連帯、新しい助け合いの基盤として社会福祉基礎構造というものの見直しをぜひ進めていく必要があるし、私どももまた、私なりの立場からその努力をしたいというふうに考えております。 以上、今日の福祉・社会保障分野が求めている基本的な方向性について、考えを述べさせていただきました。 さて、具体的に平成十二年度の予算でございますが、今年度の予算編成を拝見するところでは、まず介護保険の問題につきましては、予算上の手当ては昨年の補正予算で基本的なところはカバーをされていると思います。そしてまた、公的年金にかかわる予算部分も、ないことはありませんが、大変少のうございます。圧倒的な部分は医療関係で占められているところでございます。 したがいまして、私、以下、予算の内容につきましては、議論を医療並びに医療保険の関係と、それから昨今の新しいテーマでございます児童手当の問題に絞らせていただきたい、そのように思います。 まず、医療・医療保険関係でございますが、二〇〇〇年度抜本改革というふうにかつて自社さ連立内閣が国民に約束いたしましたプログラムは、既にとんざをしてございました。これがとんざをした結果として医療費の膨張が続いております。私の発言要旨の一枚目の一番下に書いておりますように、この医療費の膨張の中でも、ここにありますものは前年比ないしは前年同期比でございますが、特に負担増が行われた平成九年以降現役の方の伸び率は非常に小さくなっておりますが、老人保健の費用増は、そこにあるように最近では二けたに達しているというのが実情でございます。 こういう中で、先年、健康保険の支払い側の事情を無視したというふうに言わざるを得ないような形で診療報酬の引き上げがなされました。現在の健康保険の実情は、不況の中で保険料を払う労働者の数が減っており、そしてまた一人一人が保険料を払うベースであります賃金は、特に残業手当がカットされたりということを含めて全体としては減少している、人数の面からいっても一人当たりの面からいっても減少している、これが健康保険の収入状態でございますが、他方で支出は先ほどのように伸びている。こういう中で、医師の診療報酬だけが引き上げられるというのが先年末の政治決着の内容でございました。 二年前の診療報酬改定のときに一つの公式がございまして、その公式に当てはめれば、今回の諸事情のもとでは診療報酬の改定はマイナスになるはずでございました。一番新しい物価を概想いたしますと、その場合の改定率はマイナス〇・四%という計算になるはずでございますが、それよりも〇・六ポイント高い〇・二%の引き上げというものが審議会の外の非公式な場でいわゆる政治決着という形で行われたのは御案内のとおりでございます。実は、この中には薬価制度の改定で浮いた財源がございますが、これは当然のことながら、全額とは申しませんが、少なくともその一部は被保険者並びに患者に還元されてしかるべきものでございます。しかし、これが全額診療報酬の改定財源に上乗せをされた、その結果の〇・二%でございました。 私どもは、こういった保険財政のアンバランス、これに対して実際に現在の政府が出している方針は、どのように見ても患者負担を引き上げることによって財政バランスをとり直す、こういう内容だというふうに理解するほかないというふうに思います。 〔委員長退席、理事竹山裕君着席〕 例えば、高齢者の自己負担を現在の定額から一割定率に切りかえるという主張がございます。これは抜本改革の中では当然考慮されなければいけないと思いますが、前提であります費用抑制なしにただ自己負担を定率化するというのは、これは単なる負担増ということになります。 それから、長期にわたって重い病気にかかった人について費用の上限を定めておりますいわゆる高額療養費制度でございますが、これについては非常に大きな改定がされました。一つは、上位所得者ということで、年間収入に引き直すと大体九百万円ぐらいになるかと思いますが、それ以上の人については現在までの六万三千円何がしの金額を倍額に引き上げる。さらにその上に、これまでは定額上限であったものに一%の定率条項を加える。 これは大変大きな変更でございまして、健康保険というのは特に重い病気にかかったときに安心して医療を受けられるためにある。そのために月々健康保険料を私どもは払っているわけですが、実際に一番重症になったときの負担が倍以上に一挙に引き上げられる。定率がついておりますので、医療費が高額になれば事実上青天井でございます。これはもう全く制度としては健康保険の持っている意義そのものを変更するようなものではないのかというふうに考えられます。 それからもう一つ、三番目に政府が持ち出しているのは、健康保険の料率設定についての上限を見直すということで、これはこれまで一般医療費の保険料の上に介護保険料を上乗せして、そしてなおかつ法定上限、政府管掌健康保険であれば千分の九十一、健康保険組合であれば千分の九十五という上限におさまるということを前提に制度設計がされてまいりました。しかし、これはおさまらないということになって、急遽介護保険料は別枠にするということが持ち出されたわけで、これは事実上の保険料の引き上げということになろうかというふうに思います。 厚生省が発表しております平成十二年度の医療費の見込みを見ますと、介護保険も導入されない、制度もいじらないということでいくと従来ベースでは三十兆円強という内容のものが、今回の予算案の前提になっておりますものは二十八兆円強ということで、この中には介護への移行を除き、それから制度改正を行ったものの増加した分を見込んだものでございますが、実際にはこれよりも五千億円以上低く設定できたはずのもので、これが患者、被保険者の負担増ということになっているわけでございます。 多少時間をとってしまいまして、私のいただいている時間の限界に参りましたので、残りの分についてはまた御質問をいただいて追加をさせていただきたいと思います。 どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)
○理事(竹山裕君) ありがとうございました。 次に、環境について、公述人、株式会社日本総合研究所主任研究員飯田哲也君の御意見をお伺いいたします。飯田公述人。
○公述人(飯田哲也君) 飯田でございます。 本日は、公述人として発言する機会を与えていただきまして、ありがとうございます。 私の方は、環境の中でもとりわけエネルギー政策、特に自然エネルギーに重点を置いて意見を述べさせていただきます。 まず、その自然エネルギーの前にエネルギー政策全般に関して簡単に意見を述べまして、その上で特に自然エネルギー政策の重要性について述べさせていただきます。 昨今、昨年の東海村臨界事故、それから最近のサウジアラビアのアラビア石油の権益問題、そして三重県芦浜原発の白紙撤回という、かなり日本のエネルギー政策は大胆に今揺れ動いておりまして、そしてことしの秋にはオランダのハーグで、かつて三年前に京都でありました地球温暖化防止会議のかなり詳細なルールを決める重要な会議を迎えるということで、ことしはまさに新しい二十一世紀に立ったエネルギー政策仕切り直しの年であろうかと。 そういう意味で、過日、深谷通産大臣が原子力の増設見直しを含むエネルギー政策の見直しを表明されたことに関しては非常に高く評価したいと思います。この上、今後はどのような形、どのようなプロセスでどういうエネルギー政策を目指すのかということが非常に重要になろうかと思います。 特に私の場合は、一昨年の春までスウェーデンのルンド大学の方で欧州のエネルギー政策、環境政策を眺めてまいりましたし、日本でも市民運動にも参加しながら日本のエネルギー政策というものをずっと原子力政策を含めて見詰めてまいりましたので、日本のエネルギー政策の課題、そして目指すべきエネルギー政策像というものを提言したいと思います。 先ほどのお話で、社会福祉は安心の配分というお話がありましたけれども、環境問題というのは、特にヨーロッパの場合は今リスク社会と言われておりまして、不安をどういうふうに配分するかというある種の、これもまさにデモクラシー、民主主義の問題でもあります。そして、欧州の場合はいち早くもう原子力推進、反対という対立の構図を乗り越えて、八〇年代以降は環境と経済が両立する、むしろ環境の勝者が経済の勝者になるという形で、非常に大胆なエネルギー政策のシフトが起きております。 つい先月の二月二十五日、ドイツ議会で新しい自然エネルギー政策法、自然エネルギー促進法が可決されまして、この四月一日からドイツは全く新しい自然エネルギー促進法を導入します。 これは、お手元に資料が行っておるかと思いますが、五ページ目に、ドイツは昨年一年だけで風力発電で百五十万キロワットを増設しております。合計四百四十万キロワットに達しております。日本もようやく最近、自然エネルギー、特に風力発電、それから身近なところでは太陽光発電が目につくようになってまいりましたが、風力発電は昨年末で大体推定八万キロワットです。二けた多い量をドイツは、九〇年代、この十年間だけで発達をさせてきております。 そのペーパーには、既にドイツは風力発電産業で二万五千人の雇用を生み出している、そして二千億円の市場がもう既に生まれたと。この先、二〇〇五年までに風力発電で五%を賄い、二〇一〇年までに一〇%の電力を風力発電で賄うという、単に環境防止だけではなくて、風力発電に関して世界の経済社会の中でリードをしていく国を目指すという非常に格調高いことが述べられております。これも後ほど、お手元に資料がありますのでごらんいただければと思います。 この九〇年代、日本の場合は不況にあえいだこともありますが、もう一方でエネルギー政策、環境政策に関しては一種の政策貧乏と申しますか、失われた十年間と言っても過言ではないかと思います。その間、欧州の環境政策、特に自然エネルギー政策は非常に大胆に動いております。それをこれから十年ぐらいをかけて、京都会議のターゲットである二〇一〇年前後に向けて、地球温暖化防止の最初のマイルストーンである二〇一〇年に向けて急速にキャッチアップをしなきゃいけない非常に重要な時期かと思います。 まず、日本のエネルギー政策全般の課題に話を移しますと、日本の場合は全体としてのエネルギー政策というものが明確な形として輪郭であらわれてこない。これは、日本の場合は長期エネルギー需給見通しという、言ってみれば旧ソ連型の、数字で十年先のエネルギー計画を出して、それを一生懸命達成しようということで、実はそこには戦略といったものとか昨今の国際情勢といったものを反映するような形は非常に難しい。 欧州あるいはアメリカで行われているようなエネルギー政策を見ますと、まずデンマークではエネルギー21という、これは二〇〇五年に二〇%程度エネルギーを削減し、かつ自然エネルギーを二〇%導入していくと。さらに二〇三〇年に向けてエネルギー消費量を三五%削減しながら経済成長を達成し、さらに自然エネルギーを五〇%以上導入していくという非常に大胆な政策が掲げられております。 スウェーデンも一九九七年にエネルギー政策というものを固めまして、地球温暖化防止のみならず、経済成長とエネルギー消費の削減、そして自然エネルギーの増大、これを両立させようとしております。 それから、イギリスのブレア政権も九八年にニュー・アンド・リニューアブル・エナジー・プロスペクトという新しいエネルギー政策を公表しまして、これも大胆に自然エネルギーにシフトしていこう、二〇一〇年までに一〇%導入していこうと、こういう国家としてのエネルギー政策戦略を固めております。 EU全体としても、京都会議の直前、一週間前に自然エネルギー白書を公表して、自然エネルギーを二〇一〇年までに倍増していこう、域内で一二%にしていこうと、そういう政策を出しておりますし、アメリカも以前、九二年に国家エネルギー政策法、NEPAというものを公表しておりますし、昨年クリントンは大統領令でバイオマスを二〇一〇年までに三倍増にしていこうと、そういう政策をメジロ押しで出しております。 ちょうど九七年、三年前の京都会議に向けて各国がエネルギー政策の見直しをし、かつことしのCOP6、オランダのハーグの会議に向けて、それの実施の政策手段をどんどん強化させてきている、そういう十年間であったのではないかと思います。 日本の場合は、そういうものが残念ながらまだまだヨーロッパの取り組みに比べて乏しいということで、これを強化する必要があるかと思います。 第二の点としては、エネルギー政策は現在、通産省が所管になっておりますけれども、総合エネルギー調査会も通産大臣の諮問機関という形で、そこですべてのエネルギー政策が決まるような形になっております。 海外のいろんな例を見ても、それから政策としての必然性を見ても、エネルギー政策の軸足はかつてのいわゆる安全保障、セキュリティーはもちろん今でも重要ですけれども、環境の軸足が非常に重たくなっておりまして、デンマークなどは環境エネルギー省というふうになっておるぐらいですが、やはりこれは政治が主導権を持ってエネルギー政策を決めていく、そういうことがこれからは必要であろうかと。そのうち、エネルギー産業の実施部門は通産省がやっていく、それから環境の側面は環境庁がやっていくという形で、政治のイニシアチブでエネルギー政策の各方面の施策を実施させる、そういった構図が望ましいのではないかと思います。 そして、さらにその審議のプロセスというものが、やはり政治家が入って審議をしておりませんので、国民の世論からは大きく乖離をしたエネルギー政策の中身になっておりますので、こういったプロセスも見直す必要があるかと思います。 〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕 そして、先ほど冒頭に申し上げましたように、長期エネルギー需給見通しという十年先の数字を計画するのではなく、中身のある戦略というものを立てる、そういうふうに見直していく必要があるかと思います。 それから第四点目としては、これが自然エネルギーに対して最も顕著で、二ページ目ですけれども、今現在は通産省の中だけを見てもばらばらの縦割りのエネルギー対策のような形になっておりまして、来週三月二十一日から電力も部分自由化されますけれども、その部分自由化と環境政策に関するかなり高い視点に立った統合性、例えば制度的なメカニズム等、そういったものがこの中にも入っていない。こういったものもやはり政治主導のプロセスを持っていくことによってかなり解消できるのではないか。 そして、新しい政策ツールとしては、この九〇年代、日本の場合は各対策室からの、補助金と研究開発が主体の、言ってみれば古い政策ツールが主体でしたけれども、この九〇年代に先ほどのドイツが四百四十万キロワットという風力発電、それから、例えばスウェーデンでいえばバイオマスが一次エネルギーの二〇%を森林廃棄物で賄えるようになってきている。そういう現在に至った大きな理由としては、新しい政策ツールをこの十年間に発展させてきたことです。 この新しい政策ツールというのは、一つはまず市場を活性化させるということで、とにかく初期投資を与えて補助金を与えれば何とかなるというのではなくて、市場にインセンティブを与えて自然エネルギーの市場を創造する。その最も重要なものとしては、ドイツの自然エネルギーの買い取り法、そういったものがあろうかと思います。 二番目に移りますと、今後目指すべきエネルギー政策への提言も大きく五つ提言をしておりますけれども、やはりまず持続可能な社会のためのエネルギー政策法といった統合された政策法のようなものを国会もしくは内閣、いずれにしても政治主導でつくっていく必要があろうかと思います。これは先ほど内容を紹介しましたので詳細は割愛しますけれども、ここで特定の省庁に陥らない、日本の国家としての政策法というものを数年置きに見直してつくっていく、そういうことが必要かと思います。 そして第二点目としては、それをつくるための場として、やはり政治に軸足を置いたエネルギー政策委員会のようなものを国会もしくは内閣に附属する形でつくる必要があろうかと思います。 第三点目としては、これから電力自由化が進んでいくわけですけれども、自由化が進んでいくと、いわゆる市場で競争する機能と、それから市場の競争の場を提供する公共インフラを提供する、言ってみれば送電線であるとか需給調整をする機能とが大きく分かれていきます。そうすると、それを調整する場としての公益事業規制委員会のようなものがやはりこれからは必要になってこようかと思います。これは自然エネルギーに関する、例えば風力発電で送電線と系統連系をするときのルールをつくる、買い取りのルールをつくる、あるいは紛争を解決するルールをつくる、そういう第三者機関がこれからはマーケットを機能させるために必要になってくると思います。 第四点目は、特に原子力政策は今かなり行き詰まっておりますので、少なくとも今現在稼動している原子力は安全に運転しつつ、今後の拡大に関しては慎重になって引き続き国民的対話の場を設置するということが大事かと思います。とりわけ、原子力政策というのはエネルギー政策にきちんと統合する形で持っていくことが望ましいであろうと考えます。 最後に、自然エネルギー促進法の制定です。これはちょっと時間をかけて御紹介したいと思いますけれども、これから十年という期間で、日本のエネルギー政策のベクトルを省エネルギーと自然エネルギーの軸足に相当重きを置かなければならない。そのためには、まず第一歩として自然エネルギー促進法というものをつくる必要があろうかと思います。昨年十一月二十四日に、国会議員の皆様二百五十五名以上の方が参加をされる自然エネルギー促進議員連盟が発足されましたけれども、ぜひその中身を十分に審議していただいて、できるだけ早期にこの導入を図ることが望ましいのではないかと思います。 これはちょっとマスコミの報道で、自然エネルギー促進法というのはドイツの仕組みが強制的な買い取り義務というものでしたのでそういう誤解もありますけれども、この促進法の趣旨は固定価格、つまり決まった価格で自然エネルギーからの買い取りをルールとして決める、そういうことが趣旨です。それは非常に自然エネルギーの市場をつくることに効果があるということが昨年出たIEAのレポートの中でもう既に検証されております。この十年間、ヨーロッパ各国が取り組んだ結果、自然エネルギーをもし普及させるのであれば固定価格による自然エネルギーの買い取りをルール化すると。ルール化というのは、ドイツが今現在持っているのは義務づけですが、デンマークであれば今度グリーン証書という割り当てになりますし、ほかにもアグリーメント、合意、いろんなやり方があります。 いずれにしても、一定価格というものを保証することによって新しい市場が立ち上がる。このことが国内に産業を生んで、例えばドイツでいえば、九〇年代にエネルコンという全く新しい競争力のある風力産業が生まれて、国内に先ほど申し上げたような雇用とそして二千億円というマーケットが生まれるに至ったと。それを日本国内にもつくる必要があろうかと思います。これはいわゆる一般国民だけでなくて、新しい経済を目指す企業も非常に大きな期待をしておりますので、ぜひよろしくお願いしたいと思います。 この自然エネルギー促進法に関して添付しております資料に沿ってもうちょっと御紹介しますと、お手元の資料でいえば、まず五ページ目が先ほどのドイツと日本の固定価格での普及の差の図でございます。一番下にありまして、これは九〇年代、十年前は日本とドイツはほぼ同じレベルであったものが、この一本の法律によって昨年で四百四十万キロワットという日本の八万キロワットの五十倍、二けた大きい規模になったということでございます。 そして、次の六ページをごらんいただきたいんですが、これは総合エネルギー調査会、今現在通産省のもとで新エネルギー部会を設置されて議論が進んでおりますけれども、私の方から前回プレゼンテーションをしました資料でございます。ここで提案しております先ほどの固定価格制での買い取りのルール化ということです。これは今現在、実は北海道に特に風力発電が集中しておりまして、北海道電力は経済的、技術的、両方の制約から、昨年トータル十五万キロワットに風力発電を制限せざるを得なかった。これは風力発電を設置する事業者にとってもマーケットがなくなると同時に北海道電力にとっても持ち出しが多いということで、まさしく公共政策が不在であったことによる非常に大きな問題点ではないか。 これを今年度の平成十二年度の予算案で関連するところで申し上げますと、やはりその差額の補てんです。今は電力会社がみずからの自主的な制度措置で非常に高い価格で風力発電あるいは太陽光発電の電気を買い取っておりますが、その買い取り価格をむしろ電力会社の普通の電気代と同じ価格に下げる。普通のコストと同じものに下げて、その差額を電源開発促進税で充てることが妥当ではないか。もともと電源開発という目的で設置された特別勘定でございますし、毎年七百億円程度が前年度から剰余金で繰り越しが移っております。風力発電に関してはまだまだ日本は量が少のうございますので、たかだか数十億円規模でこの差額というのは補てんすることが可能かと思います。 こういう形で固定価格によって日本の自然エネルギー市場を十分に立ち上げていくと、行く行くは現在デンマークそしてヨーロッパが導入しようとしている電力自由化と非常になじみのある変動価格制に移行していくことが可能になります。そういったことを我々としては提案をしており、新エネルギー部会、通産省のもとでも議論を進めているわけでございます。 ちょっとページ数を飛ばしまして、お手元の資料十一ページです。これが日本語に翻訳されましたIEAのレポートでございまして、左側のページのところにアンダーラインを引いておりますけれども、これまでの実践結果、つまり欧州におけるさまざまな再生可能エネルギーに対するインセンティブの与え方によって、特にプレミアムつきの買い取り価格制度を導入すると短期間で自然エネルギー、再生可能エネルギーからの発電量を大幅に拡大することがわかっているということがIEAのレポートで確認されております。 右側にも同じ趣旨のことが書いてありまして、自然エネルギーの市場の発展に最も決定的な影響を及ぼすのは再生可能エネルギーからの電気の購入に関する規則と買い取り価格であるということで、今現在EUレベルでも、先ほど申し上げました自然エネルギーを倍増させる白書に沿ってEU指令の整備が今進んでおるところでございまして、日本もまさに今実践を得た形でこの自然エネルギー促進法を進めていくということが必要かと思います。 そして十三ページ目は、電力会社も既に能代で風力発電の事業会社を設立しておりまして、これは電力会社自身もこういったところにある種IPPとして乗り出していくのであれば、一般の民間企業も同じ条件で入っていく条件整備をする必要があろうかと思います。 電力会社の規模で考えますと、例えば東京電力一社でほぼイギリス全体の電力容量に相当します。確かに、日本は非常に停電も少ない品質のいい電気が供給されているわけでございますが、新しい経済を生み出していくものは経済のプレーヤーの多様性でございまして、それを今の電力自由化の流れとともにこういう制度を整備していくということが大事かと思います。 あとはドイツの新しい促進法等についても簡単な邦訳をつけておりますので、それもごらんいただいて、今この自然エネルギー促進法が非常に加速をしているのは、日本だけではなく、特に欧州等あるいは米国等で進んでおりまして、これが地球温暖化の防止を初めとする環境汚染防止と、そして新しい経済をつくっていく大きな牽引車になり得るということで、ぜひ来年度予算を含めて御検討いただければと思います。 御清聴いただき、どうもありがとうございました。(拍手)
○委員長(倉田寛之君) ありがとうございました。 以上で公述人の御意見の陳述は終わりました。 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。 質疑のある方は順次御発言願います。
○岸宏一君 公述人のお二方の先生、本当に御苦労さまでございました。 せっかくいらっしゃったのに桝本先生はお話ししたいことの全部をお話しできなかったというようなことでございますが、時間は十分ございますから、後ほどひとつ説明できなかった部分についてどうぞ御説明をお願いいたします。 それから、先生にお尋ねいたしたいのは、私、実は田舎で町長をやっていまして、国民健康保険、老人保健、こういった問題、国保税の徴収率が低いとか、大変苦労をいたしたことがございまして、先生のおっしゃったことも十分理解ができるわけでございます。特に老人医療の点で医療費の伸びというのは非常に高くて、小さな町村なんかでも大変な苦労があるわけです。そういう点を先生指摘されておられました。まことにごもっともだと思います。 そこで、新しい介護保険の関係がこういった老人医療費の伸びを抑えるんだろうというふうに期待をされて、そういう点からも新しい保険を歓迎するという地方自治体も非常に多いのではないか、こういうふうに思うわけでございます。しかし、老人医療費はそのように期待どおりに伸び率が低下するかどうか、これはなかなか難しい問題じゃないかという気がいたすわけです。 そこで、御専門の立場から、この老人医療費をどのような形、どのような政策が老人医療費の伸びを抑えると言っては失礼な言い方かもしれませんが、適切なものにすることができるだろうかということを私も田舎で随分と考えたことでございます。しかし、なかなかこれはいい答えが出なかったんですけれども、もし全国の保険者に対して参考となる御意見があればお伺いをしたい、こういうふうに思うところでございます。
○公述人(桝本純君) 大変大事な問題で、私どもも本当に苦慮してまいりました。 現在の高齢者の方々の医療費が伸びているという問題をそもそもどのようにとらえるべきかという問題が一点ございます。これは貴重な健康保険財源を現在のお年寄りたちがむだに使っているというふうに見るべきなのか、あるいは現在の日本の医療そのものがサービス供給の不足から過剰に転じた中で、むしろ高齢者の人々を医療関係者並びに医療産業のいわば利益のためのターゲットにしているというふうに見るべきなのか大変難しいところだろうと思います。 しかし、現在の過剰医療が今の高齢者の方々御自身にとっても決して幸せなものだというふうには私どもはどうも思えません。したがって、医療サービスの過剰供給ではなくて、本当に医療サービスを必要としている方に必要なサービスが提供されるということがまず合理化とか適正化とかという場合の一番基本でなければならないのではないか、まずこれが一つございます。 それから、実際の医療サービスの適正化ということを考えますと、人間の体というのは自分で治ろうとする力を内在的に持っているはずなので、これを本当に発揮させるような医療のあり方ということが医療そのものの性質の問題としては大変大事なのではないだろうかというふうに思います。 これについて、実は御関係の国民健康保険もそうですし、それから現役の労働者についてもかなり言えるのですが、実際の医療費の地域的な格差というのはかなりございます。俗に言われるのは、北海道や大阪は大変医療費がかかっている、長野のようなところは余りかかっていない。そういう意味での医療費が余りかかっていないところの地域の経験というものを私どもは地域交流を含めて学び合うということがもっとあっていいのではないだろうか。 その場合に、保険財政ということから申しますと、二つの点を私どもは考えてまいりました。 一つは、まず市町村国保につきましては、三千三百という細かい単位で本当に保険集団として機能できるのだろうかという問題が一つでございます。 それからもう一つは、被用者保険との関係から申しますと、現在の被用者保険というのは退職してしまった労働者は一切面倒を見ない。この人たちはどこへ行くかというと、国保へ行く以外にない。いや応なしに国保というのは高齢者比率が極めて高い保険集団になっていってしまう。これをどうやったら是正できるのか。この点について、老人保健制度というのは既にその役割を終えてしまって機能不全に陥っているのではないだろうか。その意味で保険制度の仕組みそのものを変えるということが一つあると思います。 それから、医療費そのものにつきましては、保険制度を変えてみても直接の回答にはなりませんで、それについて私どもはずっと考えておりましたのは、いわゆる出来高払い型の診療報酬というシステムを包括型に改める。この点で今回一定の前向きな回答は出されているというふうに評価することもできようかと思いますが、入院、外来ともにこの包括化ということを基本的なコンセプトにしていくことが一つは大事ではないか。 二番目には、薬の問題でございまして、従来あります薬価差益と言われていたようなものが発生しない仕組みを考えなければいけない。これについては審議会の議論は大変いろいろな政治的な圧力の中でとんざをしてきている、大変残念な事態でございます。 さらに、中期、長期的なことにつきましては、現在の高齢者の医療の状態を見ますと、寿命は長引いておりますが、いわゆる健康寿命と言えるものは必ずしも長引いてはいない、人によってはむしろ短くなっているというふうに言われております。これは高齢になってからいきなり気がついて走ったりしてみてもだめだと思うのですが、三十代、四十代、五十代で無理ばかり重ねてきた人が六十を越して元気でなくなるのはある意味では当然でございまして、今後、国民の健康水準全体を高めていく、そしてなるべく長い間健康で過ごす時間の方を長引かせるということが可能な生涯を通じた健康管理、これを長期的にはぜひとも実現していく必要があると思います。 その意味で、私どもは労働者ですから、職場での安全衛生、職業病、職業上の事故のようなものに対する対策というものばかりやってまいりましたけれども、それを職場を離れた医療の問題と、それから労働の現場での健康管理の問題とあわせた対策をとってまいりたい。同時に、これは家族や地域の方々との協力なしにはできないことでございまして、その点でまたいろいろ御教示をいただければありがたいと思います。
○岸宏一君 説明が足りなかった部分、いいですか。
○公述人(桝本純君) ありがとうございます。それではちょっと時間をちょうだいいたします。 もう一つ児童手当の問題がございます。最近の社会保障の財源問題が非常に苦しくなるところで少子高齢化がある、保険料を払う現役が減って受け取る高齢者がふえるんだから、これは社会保障については切り下げ的な措置がやむを得ないというふうに言われているんですが、今回提案されております児童手当につきましては、内容を見ますと、私の発言要旨の二枚目の一番最後にありますが、これはどうも納得しがたい内容だというふうに考えます。 現在、いわゆる六歳までのところ、小学校に上がるところまでは年少扶養控除というのがついておりますが、この年少扶養控除を廃止して、そのかわりに児童手当を現在三歳までのものを就学時年齢まで引き上げるということでございます。しかし、この年少扶養控除というのは実は十六歳未満まで適用されている税制上の控除でございます。 そういたしますと、年齢別に輪切りにしてみますと、三歳未満までのところは、手当は現状のとおりで扶養控除の方は廃止される。したがって、これは増税でございます。それから、三歳から義務教育に入るまでのところは、手当が新しくここまで延びて、そのかわりに控除の方は廃止される、これはプラスマイナスどっちになるのかよくわかりません。さらに、それを超えて十六歳未満のところの子供を持っておる親につきましては、手当は相変わらずありませんし、扶養控除だけは廃止されるので増税でございます。 今後の少子高齢化に対する対応の中で、与党の合意された中身を拝見いたしますと、少子化対策のこれが柱だという位置づけなんだそうでございますが、実際に子供を育てる責任を負う世代どこについてもこれはむしろ増税というか負担増になる。これは本末転倒ではないだろうか、到底納得しにくい内容だと。これはぜひとも、実際に子育てに当たる世代の人たちにとって、どこでも負担増には少なくともならないという措置に切りかえていただく必要があろうかというふうに思います。 どうも補足させていただきまして、ありがとうございます。
○岸宏一君 ありがとうございました。 飯田先生にお伺いいたしますが、飯田先生、実は先生のお話があるというものですから、先生のお書きになった「三つの「本職」」というんですか、これを実は予習して読ませていただいたわけです。そこの中で、私は大変感心をしたと言っては失礼ですが、びっくりしたんですが、その中の「「原子力村」で得たもの」というフレーズ、そこで先生はこういうふうに述べているんです。職人的な技術について普遍的な技術仕様を組み立ててそれを普及させる努力がなされていないようだ、それでどうも「もんじゅ」の事故も起きたんだ、そしてまたさらなる事故が必ず起きるということを私は確信を持って予言すると、こういうふうにおっしゃっていましたが、まさに起きたわけですよね。それで、恐らく先生の予測した事故というのはあんな単純な事故じゃなくて、もう少し技術的な事故じゃないかというそんな気がするんですが、そこで私は、いや、飯田先生って偉いものだとつくづく感心したんです。 また、もう一つ思ったことは、そういう技術や日本の職人的な精神というんでしょうか、心というんでしょうか、そういったものがどうも新しい時代に入って壊れつつあるんではないかと。その一つの証拠は、証拠というか証明するものと言った方がいいんでしょうか、この前の日本の二つのロケットの失敗、こういったことを考えると、どうも飯田先生のおっしゃっていることはそんな意味も含まれているのか。かなり文明論的な話というふうに実は受けとめて、このことを少しく詳しく先生から国民の皆さんに向かって、物づくりとか、そういう物をつくる技術、職人の心というんでしょうか、そういうものが日本の国の安全や発展に大切なんだよということをここでひとつ持論を述べていただけたらと思うんですが、いかがでしょうか。
○公述人(飯田哲也君) 今御指摘いただいた点は、まだある意味研究中というか、ちょうど今次の本をまとめつつあって、そこらあたりでも書いていきたいと思っていますけれども、我々日本人の一般の特性として、私自身は企業の現場で実際にヘルメットをかぶって溶接とかも、溶接は研修ですけれども、やったこともありまして、一方で原子力政策、科学技術庁の委員として技術基準の法律づくりなんかもやりまして、日本の原子力においては物づくりと政策づくりの両極に携わった経験があります。 そこで特に感じましたのは、例えば日本が今使っている原子力の技術基準、いわゆる物づくりの基準、法律はまた別ですけれども、これは通産省の電気事業法の中のさらに告示五百一という通産省の告示にぶら下がっているわけです。それに従って溶接基準が決まっていたり、いろんな物を曲げたりとか検査をする、そういうのがすべて官僚がつくる裁量の規則の細目で決まっている。 ところが、アメリカはどうかというと、アメリカの場合は、ASMEと言われるアメリカ機械学会がそういう技術、特に原子力、ディビジョン3といいまして、第三章に非常に包括的な技術体系ができ上がっているわけです。例えば、そのASMEに一つの素材をのせるためには大体一億円ぐらいかけて、材料というのはいろんな形で溶接されたり長く使われたり、試験をいろんな形でやってようやく、材料のばらつきもありますから、一つの材料、一つ数字をのせるのに非常に時間と労力とをかけてその知識を交換し合いながら技術体系を組み立てるというのがアメリカ型の技術基準の組み立てです。 日本はどうもそのやり方が非常に、これは私も含めてですけれども、日本社会はどうもそれが苦手で、一方で職人というのは絶えず、かつて日本刀をつくったりいろんなものをつくり上げてきた、いわゆる職人という形で組み立て上がってきた。かつて原子力技術は、私は比較的日本は優秀だとは思いますが、それはアメリカのNASA型でつくり上げた技術基準と日本の職人とが非常にある意味でマッチをしていたんではないか。今原子力も老朽化をしていますし、その技術基準はもう既にアメリカではほぼアップデートされることは、更新されることは多分余りないだろうと。 その一方で、日本のいわゆる職人、企業のリストラも含めて非常に今厳しい現場にありますので、職人技術のモラールといいますか、モラールそのもの以前に、技術レベルが維持できるほどには、製造現場も今ソフト重視で、いわゆる金融重視という形で徐々にハードの現場は衰退していって、その間のギャップというのは今非常に大きくなっているんではないか。そういうふうに非常に大きな構図としては見えております。 さらに、「原子力村」という言葉がありましたけれども、日本の場合は実態として非常に大きなそういう問題が、今ひずみが出つつあるところを、非常に大がかりのいわばダブルスタンダードというか、本音と建前の世界で、原子力委員会あるいは原子力安全委員会、最近は公安委員会が問題になりましたけれども、権威だけが上に乗っかって、その実態のところの問題を開かれた形であぶり出して、本質的にさかのぼってそこをどういうふうに対策しようかという、その真の事故原因にさかのぼることがなかなか、それもまた日本の場合は今までできていなかったんではないかということで、やはり原子力のこの前の東海村の臨界事故も、最後の出口は簡単でささいな、もう考えられないハプニングから起きているわけですけれども、そこをさかのぼっていくと非常に構造的な要因をさかのぼることはできます。 そういうようないわゆるアメリカ型の、ちょっと英語で言うとメタレベルというんですか、物をさわるよりももう一次元高いレベルで技術基準を組み立てることが日本の場合は原子力に関しては少なくともできていなかった。そして、職人芸のレベルも、今人材そのものもいなくなって、そこのギャップができているところを権威が今覆い隠していて、そこを本当に本質的にアプローチできるような形には残念ながら今の原子力安全委員会では無理だろうというふうに私は見ております。
○岸宏一君 私も実は、モラールの問題をおっしゃったわけですけれども、何となくこのごろ変な嫌な事件があって、そんなものとさまざまな失敗や事件、技術的な事件ですね、こういうものもどうも、今構造的な問題があるとおっしゃっていましたけれども、かなりあるような気は率直に言って私もいたします。 どうぞ先生、そのあたりをひとつ御高察なさって、ぜひ私たちにまた勉強になる、ためになる御提言を出していただきたい、こういうふうにお願いを申し上げます。 さて、きょうの先生のお話、非常に中身が多くて、先生少し早口でなかなかわかりにくくて、理解するのに相当私の凡庸な頭では難しかったわけですけれども、もう一回おさらいの意味でぜひお聞きしたいのは、この前、深谷通産大臣も原子力発電を多少見直さなきゃいかぬということを申されておりました。そういうときにたまたま飯田先生が公述人でここにいらっしゃる、こういう話を聞いたものですから、いろいろ勉強をしなきゃいかぬということで考えておりましたら、実は我が参議院も非常に勉強をやっておりまして、たまたま自民党の政審で資源エネルギーの問題のヒアリングがございまして、そこでいろいろお聞きしたわけですけれども、どうも環境の問題からさまざましてみますと、先生おっしゃるように化石エネルギーだけに頼る、あるいは原子力だけに頼る、そういうエネルギー政策ではいかぬのだということがはっきりとわかるわけでございます。しかし実際問題、なかなか日本の場合、きょうお話しありましたようにドイツと比べたら、例えば風力発電にいたしましても全然問題にならない。 実は、私の出身地は山形でございまして、山形県の立川町というのは私のところからすぐでございまして、あそこが初めて風を利用するということを考え出したときに、私も実は町長をやっていましたのでよくその経緯を存じ上げているわけです。しかし、あれからかなりの年数がたっているわけです。 日本が、実際そのようにドイツのようにうまくいかない理由、それは例えば地理的なとかあるいは気象学的なとかそういうものもありましょう。それと同時に、政策的な問題として日本がうまくいっていない原因と、どうしたらそういう自然エネルギーをふやすことができるのか。それが国民にとってプラスになる方法で我々政治の方はどういうことを具体的にやるべきなのか。こういうことをやったらすぐできるよということを、先生、国民にわかりやすくひとつ説明してください。
○公述人(飯田哲也君) できるだけわかりやすくしゃべりたいと思います。 まず、自然エネルギーがどうすれば普及をするかのポイントですけれども、自然エネルギー、エネルギーの使い方には電気と熱があります。まず電気に関しては、風力発電は電気だけですし、太陽光発電も電気だけですし、これから森林廃棄物とか畜産のふん尿なんかを使って、デンマークとかドイツでやっているメタン発酵をさせて、コージェネレーションといって電気と熱を両方おこすと両方に使えるというのがあります。 まず電気に関しては、かなり比較的簡単にふやすことができまして、ドイツ、デンマークあるいはそのほかの国でやっている送電線にまずつなぐためのルールをきちんと整備して、そのときの買い取り価格を十分に優遇する、電気代を優遇するということです。今実は電力会社が自主的に定めている価格というのは、かなり電力会社の持ち出しで優遇しています。ただし、優遇しているがゆえに、これは電力会社の持ち出しですので、例えば北海道のように風力がわっと押し寄せると、十七年間長期に買いますというメニューを発表したのが一昨年の春ですけれども、それから半年の間に五十五万キロという風力の計画が北海道だけで起きたんです。 この五十五万キロという数字は、日本政府が二〇一〇年までに目指している三十万キロのほぼ倍です。それが北海道に半年の間に沸き上がってきたんです。これはさすがに北海道にとっても技術的にやっぱりそんなに突然風力が入ると問題があるということと、財政的にも問題がある、百億円持ち出しになるということで、慌ててこれは十五万キロにするということで、一年後に、十五万キロまでしか入れません、残りは競争入札で入れますということを言ったわけです。 その間、ある意味で政府は座して見ていたわけで、やはりドイツ、デンマークあるいはヨーロッパの各国は、送電線に自然エネルギーをつなぐというのはこれは公共のルールである、そのときに電力会社に負担がかかるのであったら、それは電力会社の負担は逆に軽減して、国民の負担もしくは政府の負担というか、今ちょうど電源開発促進税で毎年数百億繰り越しで余っているわけですね、それを補てんしていく、そういうやり方が公共政策としては十分考えられるわけです。 ドイツの場合は、電力会社が今までは負担をしていたんですが、それで電力会社が非常にクレームを言っていまして、この春から国民の負担に切りかえてさらに大胆にやるわけですけれども、この一定の価格を長期間保証するというやり方が、まず風力発電という一番経済性の高い自然エネルギーを普及させるのに最も効果があります。 ドイツがさらに新しい法律で入れているのが、太陽光に関してはまだ経済性が乏しいということで、日本円にして五十円ぐらいの価格で買い取ると。今までの価格の五倍ぐらいに買い取り価格を上乗せして太陽光を普及させるということを今度始めます。そういう形をすれば、まず電気の方は普及します。 熱の方は、もう一つ問題ですけれども、これはコージェネレーションで、例えば廃棄物もそうですし、バイオマスなんかを使って熱が出てくるのをどうするか。 これは特に日本の北、山形もそうですけれども、北日本は、やはりドイツ、デンマーク、スウェーデンで普及しているような地域熱供給をきちんと導入する、これが大事です。日本の場合は地域熱供給の政策がやはり自然エネルギーの電気の政策と同じように余り十分機能してこなかったんです。地域熱供給は、単に高いんだとか使いにくいというある種の迷信で今まで十分やられてこなかったんですけれども、それはドイツ、デンマーク、スウェーデン等ではもう非常に研究が進んでいまして、どうすればパイプを安く引けるかとか、パイプからお湯が漏れたときにどうやって検知するかとか、入り口と出口の温度を何度にすればどれだけ経済性が豊かになるかという非常に詳細な研究がもう進んでいますので、スウェーデンのどこに行かれても、本当に小さな町に行っても、みんないわゆる地域暖房されていて、住宅は非常に快適です。そういうような政策をきちんとやっていくと自然エネルギーは十分普及します。 特にこの熱の施策は、今はそれを、多分北海道に行くと全部灯油をたいてがんがんやっていますので、それが地域熱供給で、しかも廃熱が使えることになるとCO2はもう一気に下がります。これは、単に自然エネルギーを普及させるだけではなくて、いわゆる省エネルギー、快適になりながらエネルギーを減らすという意味では非常に大きな施策で、しかも地域熱供給ですから、ハードのインフラ整備を伴いますから、ここにこそまさに公共投資をこれから投入していくというのは非常に日本にとって重要な施策だと思います。
○岸宏一君 先生、よくわかりました。 それと、時間もありませんが、ぜひバイオマスの関係で、私は林業の方にも関係しておりますから、日本の森林資源をそういう形で有効に使う方法、これにひとつ私もできれば努力をしたいと思いますので、先生、これから少し時間をおかりして、いつかぜひ御指導をいただきたいと思います。 どうぞ先生、ひとつ日本の国のためにクリーンエネルギーを国民の皆さんが一層理解をして、そのために努力するように今後一層の御努力を心からお願い申し上げまして終わります。 ありがとうございました。
○木俣佳丈君 お二人の先生方には、お忙しい中この場にお出ましいただきまして本当にありがとうございます。 先に、まず桝本公述人の方に質問をしたいと思うんですが、特にこの中で医療改革というか医療改悪については本当に目に余るものがあるというお答えだったと思うのでございますね。負担増、そしてまたサービスその他もろもろ、どこにどう手をつけたらいいのか、私も改めて勉強させていただいてもわからないぐらいこの制度の改悪が進んでしまっている。なのにもかかわらず、負担が増をするだけで結局従来からの方式が全く変わっていないということなんです。特に私が思うのは、三点の方向でやはり変えていくべきではないか。 一つは、やはりコストをどうカットするか、コストコントロールですね。全体を抑制しながら、一人当たりの負担を抑制しながらやっていくということ。 もう一つはコストシフトということだと思います。これは、介護保険の導入というのはまさにその理念でされたというふうに考えておりますけれども、つまり今までは長期の療養型病床群、こういうところでいわゆる社会的入院をしていた方々が適切に福祉の施設で行われるようにこのコストを適切に使っていくんだ、このまず配慮が非常に大事ではないか、これが二点目。 そして三点目には、やはりその制度自体の信頼性、やはりこれだけ負担をしていけば、国民負担率という話がけさも出ておりましたけれども、それが五〇%を超えても六割になろうとも、いやもっと言えば七割になっても、絶対将来はこれだけのお金を投じていけば年金はきちっともらえるし、そしてまた健やかな安心な暮らしがある、こういういわゆる政府の信頼性というものが今ないということだと思うんですけれども。 個人が保険を払い、そしてまた医療機関からサービスを受け、そしてまた薬を個人が受けていく中で、どうでしょうか、私もまず医者のサービスという面でも経験したことから、アメリカで経験して思ったのが、例えば私の家内が指の腱鞘炎になった。ひどく腱鞘炎になりまして包丁が持てなくなったんですね。そのときに、日本だと医者へ行きますと大体レントゲンを撮ってせいぜい湿布を張るぐらいなわけなんですが、向こうではスポーツドクターというのがおりまして、この者がレントゲンを撮りながら、筋肉の状況を見ながら、マッサージをしながら、太い注射針でいわゆる乳酸を散らすということなんでしょうか、ちょっと専門的にはわかりませんけれども、非常に荒療治のようなことをしながら治した。二日間は手が痛くて使えなかったけれども、三日目には治るよと言われて、そのとおりになった。 この辺の医療のサービスの面もやはり問題があるのかなということを考えるわけでございますが、まずサービス全体についてはどんなお考えをお持ちでしょうか。
○公述人(桝本純君) 大変専門的な分野ですので、私ども素人としてなかなか的確に御質問にお答えできない面もあることを冒頭お断りしておきたいと思います。 一つは、今の保険制度というものが本当に必要なサービスを必要なときに提供するようにうまく機能しなくなっているということは、これは言えると思います。 例えば、今お話に出ました日本の医療の場合に、レントゲンプラス湿布、あと多分痛みどめを出すということが多いと思うんですが、例えばパップ剤、いわゆる湿布剤ですね、これは私の知り合いの医師の方に聞きますと、あれは全く治療効果がないんだそうです。しかし、それは本人としては気持ちよくなる、したがってああいうものは保険の適用外にしてもいいのではないかと。いや、町で買ったものよりも先生にもらった方がパップ剤はいいですよと言ったら、それは保険なんかでやるからいかぬのであって、あれを保険適用外にすればむしろ市販品でいいものが出回るはずである、むしろそういう財源というのはもっと本来の医療機関でなければできないサービスに集中すべきではないかというのがそのお医者さんのお説でございました。大変小さな例ですけれども、私はなるほどというふうな気がいたします。 それからもう一つは、日本の医療サービスは、例えば今例に出されましたような特定の部位についての故障であればまだいいのですが、どうも人間の体を部品の集まりのように考えて個別部品に対する修繕技術だけが非常に発達をして、人間の体を一つの有機的な全体として見るという考え方は必ずしも十分ではないのではないだろうか。このことについて、私自身が自律神経を痛めました若いときの経験、あるいは心臓の欠陥を抱えて生まれてきました私の娘の経験等々を含めて大変痛切に感じているところでございます。 むしろ、医は仁術という言葉がありますが、人間の体というのは一つの全体であって、それからもう一つは、それは自己治癒力を持っているんだということに着目をしたような医療、そうすれば今のように薬に頼らなくても済むのではないだろうか。また、薬に頼り過ぎた結果がついにどんな薬も効かないような病原菌を生み出してしまうという、こういった事態も避けられたのではないだろうか、そのように思っております。
○木俣佳丈君 次に、やはりサービスの質の問題もさることながら、コストがどのあたりでかかっているか。連合さんがお出しになっているものを見ながら発言させていただくんですけれども、一つは薬が高いということも含めて、それからあと高価な機器を結局中小の病院でも持ち過ぎている、こういった原因があるということですね。そしてまた薬においては、高価のみならず、いわゆるローカルドラッグ、日本の国内だけでしか承認されないような、海外へ持っていったらおよそ薬と呼べないようなものが高価で出ているという状況があるということなんですね。非常におかしな話が進んでいるんだなということを思うわけでございます。 コストのコントロール、コストカットということで言うと、やはり一つの歯どめというのは、保険者である健康保険、各種健康保険そしてまた国民健康保険そしてまた政府管掌保険、こういったところがきちっとコストコントロールをしなければいけないと思うんですけれども、現在はどのようになっているとお考えでしょうか。 特にあと政府管掌保険、中小事業者のためにできているというふうに聞いておりますけれども、その今の現状も踏まえましてお答えいただけますか。
○公述人(桝本純君) まず、最後の方のお答えでございます。 保険者機能ということが言われるようになりましたのは極めて最近のことでございます。我が国の健康保険の保険集団と申しますのは、被用者保険とそれから地域保険いわゆる国民健康保険とに大きく分かれますし、それから被用者保険の中でも、今お話しになりました政府管掌健康保険、これは中小零細企業に適用されておりますし、それからそうでないところは健康保険組合をつくっております。また、公務員の分野では共済組合がその中に短期給付という形で医療保険を組み込んでございます。 保険集団は非常に細分化しておりまして、先ほど岸先生のお尋ねにお答えした中でもちょっと触れましたが、例えば市町村国保は三千三百という基礎自治体ごとに一つ一つつくられている。それから民間の健康保険組合は、今不況の中でやや減りつつありますが、千八百ぐらいに細分化されていて、その中でも本当に数百名の規模の組合員しか持たないものがたくさんあるわけで、例えば一人透析患者が発生したときに保険機能を維持できるところというのは極めて限られている、こういう現状でございます。 その中で、伝統的には健康保険集団というのは、保険集団としての独立性を持つよりも、むしろ医療機関への支払いの窓口になってきた。直接医療機関に払うというよりも、被用者保険ですと診療報酬支払基金を通じて払うわけでございますが、ようやくこの数年間医療抜本改革ということが話題になる中で初めてテーマに上ってきたものだろうと思います。 今後につきましては、この保険集団が、保険集団の経営という面が一つと、それからそこにカバーされております被保険者の、いつ患者として医療のお世話になるかわからない、そういう立場におります被保険者の利害を医療機関に対して代表する、こういう交渉すべき一方の当事者としてその機能を強化していかなければいけない、これはまだ本当に緒についたばかりだろう、そのように考えております。 特に政府管掌健康保険について御言及がございました。これは先ほどの細分化とは逆に、全国単一の極めてガリバー型のものでございまして、これの管理運営は全部お役人の手のもとにあります。実際には国庫負担は現役で一三%、高齢者について一六%入っているだけで、残りの費用は全部労使の払っている保険料で賄われているわけですが、この労使の意見が反映する場というのは現在の政府管掌健康保険にはまずないと言っていいわけで、中央に懇談会がつくられているだけでございます。 私どもは、都道府県単位で運営委員会をつくって、そこに実際に保険料を払っている労使の代表が運営に直接関与できるようなシステムに改める、そして地域格差というのは大変大きゅうございますが、政府管掌健康保険であってもその中で経営努力についての一定の競争が働くようなそういうインセンティブを導入すべきではないか、そのように考えております。 コストシフトのお話がその前にございました。大変難しい問題で軽々に申し上げにくいわけですけれども、少なくとも現在までのような公定薬価制度というものが敗戦直後のような弱小薬剤メーカーを下支えするという機能は既に終わっているのではないか。それからまた、それに依存しなければならないような医療機関の経営というのは、これは大幅な改革が必要であって、例えば投資費用というものはある部分は共通にしていく、そして診療報酬とは切り離していくというふうなことが必要ではないだろうか。また、診療報酬そのものについては、先ほども触れましたように、出来高払いというインセンティブ型のものよりは、一つ一つの病気に着目した包括型のものに切りかえていく必要があるんではないか。ようやくその端緒についたかなというところで、大変その歩みは遅々としている。 これを総括として、抜本改革がとんざしているというふうに私どもが申し上げているところでございます。
○木俣佳丈君 ありがとうございました。 コストのコントロールということで、今明確になったと思うんですけれども、やはり保険者がきちっとコントロール、コストカットをしていない。 私も、記憶をたどっていけば、ドイツのいわゆるシックネスファンドというものがあったりして、そこが何とかコストを抑えようとしていたり、そしてまたもうちょっと極端な例だと、アメリカのオレゴン州のオレゴン方式というのがあったかと思います。これは、いわゆる保険適用のものをぐっと絞って、病気を絞ってしまって、例えば人工透析のようなものは、これは非常に難しい人権的な問題にもなりますけれども、保険の適用外にしてしまうという意味での強制的やり方というのがあると思うんですね。どのようにやるかはともかくとして、やはり保険者がきちっとしていないとだめだということだと思います。 また、やはり薬の、先ほどローカルドラッグの話をさせてもらいましたけれども、アメリカというのは経済的規制というのは極めて少ないわけでございますが、いわゆる社会的規制、安全基準というものが極めて強い。世界で一番安全基準が強いがゆえに、アメリカの薬は一番よく効いて、しかも安いということからしても、これ結局日本の体質、護送船団方式というのか、というものがここにもあらわれているというふうに私は非常に思うわけでございます。 先ほどのコストシフトの話は、端的に申しますと、今ケアが必要な方が大体百万人いらっしゃって、三十万人が福祉の適切な機関である特別養護老人ホーム、七十万人がいわゆる社会的入院をされている。片や一カ月だと三十万円で済む、片や大体四十六万六千円、五十万円と言われておりまして、そうしますと、差し引きが約二十万とすれば、二十万円掛ける七十万人掛ける十二カ月で一兆六千八百億円毎年どぶに捨てながらいわゆる牛馬のように扱われている。 これがシフトして福祉の方に行けば、例えば特別養護老人ホームで、私の住んでいる豊橋あたりで、百床のベッド数を持ち、そしてまた大体毎日のケアの人の数が五十人ぐらいの施設を先日もつくりましたけれども、大体二十五億ぐらいでできるんですね。ですから、それを使えば全国に七千ぐらいのそういう施設が楽にできてしまう、しかもその経済効果も高いというふうに思うわけですが、いかがでございますか。
○公述人(桝本純君) 今のコストシフト、主として医療から福祉へということの流れだと思います。その中で、具体的に今度介護保険が発足をするわけでございまして、そこの役割を担う介護保険そのものについて具体的な検証をしないとならないと思います。 今の豊橋のお話は大変力強い例でございます。しかし、他方では、現在までの福祉行政でカバーされてきた人が介護保険では認定から除外をされるのではないかということが大変多く心配をされております。 それからまた、特養につきましては、これはケースについて非常に大きな差がありまして、実際にはいわゆる寝たきりから寝かせきりから縛りつけといったような事態も各所で報告されているところでございます。その意味では、先ほど強調いたしましたが、当初ケアのコストはかかるかもしれませんが、むしろ自立支援ということにきちんと軸足を置いた福祉型のサービスの提供ということがどうしても必要になろうかと、そのように考えております。
○木俣佳丈君 一分でございますので、飯田公述人に対しての自分なりの意見を申し上げたいと思っております。 先般、二〇〇〇年の一—二月号のフォーリンアフェアーズに「原子力発電の必要性」というのが載っておりまして、私はそのとおりかなというふうに思うんですね。 石炭火力発電というのは米国で毎年何か一万五千人の死亡原因にかかわっておる。そしてまた太陽電池も有害な廃棄物を生む。そしてまた風力発電は、投入したコンクリートや鉄材の割に効率が悪くて、カリフォルニアにおいては貴重な最近問題になっているタカを含む鳥類がそのタービンブレードによって何百羽も殺されているということらしいですね。 一キロワットアワーというのはまきが一キロ燃えたら出る熱量だそうでして、一キロの石炭では三キロ、一キロの石油では四キロ。軽水炉によって一キロウランで四十万キロワット、これをうまくリサイクルすると七百万キロワットアワーを発生させることができると書いてありました。 風力については先生が先ほども御紹介ありましたようにかなりありますけれども、原子力発電一基分をつくるのに大体四千四百二十九基の風力が要る。これは琵琶湖の面積と全く同じぐらいの面積になるわけでございますし、原子力発電十六基分をつくるのには秋田県全部を埋めなきゃいけない。こういうことではなかなか安定した供給にはならないんじゃないかということだけ、こちらから意見を言うのはおかしいんですが、ちょっと述べさせていただきました。 ありがとうございました。
○荒木清寛君 公明党・改革クラブの荒木清寛でございます。 まず、飯田公述人にお尋ねをいたしますが、先ほど自然エネルギー促進法案制定の御提案がありました。これは、自然エネルギーを優遇した固定価格で買い取ることをルール化する、その優遇分の補てんを促進税で充てるという、そういうお話でした。 大変興味深いのですが、ただ、そのような形でルール化しましても、自然エネルギーの発電コストが下がらなければ、ずっと国民は税金で補てんをして高い電力を買わなければいけないということになってしまうわけでありますが、その点はいかがなんでしょうか。
○公述人(飯田哲也君) 御指摘の点に関しまして、お手元にお配りした資料の八ページ目にございます。 自然エネルギー、特に風力もそうですし、これからバイオマス等が広がってくると、そのマーケットが広がればコストは相当下がってきます。 デンマークの例を挙げておりますが、デンマークは現在デンマーク・クローネで〇・二五、今十五円ぐらいですから、その四分の一ということで大体三・五円から四円を一キロワット時当たりのコストが切っております。普及とともにコストが下がっているというのがごらんいただけるかと思います。 日本ではまだ多分十円をなかなか切ることは難しいと思いますが、マーケットをつくることによって価格は十分に下がってくる。しかも、それを固定価格からさらに変動価格という形に持っていけばよりコストとしては下がってきますし、もう十分この四円という価格であれば石炭火力等とも同等であり、あとはCO2等のいわゆる環境コストを考慮すれば当然これはもう市場競争レベルに入ってきているというふうに考えていいかと思います。
○荒木清寛君 先ほども若干指摘がありましたが、コストダウンということについては見通しがつくのかもしれませんが、安定性という面ではどうなんでしょうか。 風力発電ですと、風が吹くかどうかという自然条件あるいは太陽光発電でも同じでありまして、今のように絶対停電をしないという、そういう良質な電気を自然エネルギーでもって供給できるんでしょうか。
○公述人(飯田哲也君) その点はまさに今通産省の新エネルギー部会で議論しているところですけれども、従来は、電力会社は非常に大きなシステムをつくって一分一秒とも間違いのない安定した電気を送るという形で調整しておりましたけれども、もう既にデンマークの北部の方では風力発電が八割程度入っているところもありまして、ドイツの北部ももう二割を突破しております。そういったところでは、もうちょっとシステム志向というんですか、一個の風車は確かにとまったり動いたりしますけれども、それが全体として集合になりますと、全体としては動いている。風は慣性がありますのでぱたっとやむことはないですから。しかも、地域的な広がりがあって、かつ今情報技術の予測技術の進歩もあってかなり面的に風力発電は集合的には、なだらかには変動しますけれども、突然どこか切れるということはない。 むしろ大型電源、例えば昨年十月二十七日に高浜原発三基同時停止で京都で大停電があったように、大型電源であればあるほどとまったときのバックアップが非常に大変である。そういうふうに、これはデンマークのエネルギー庁の専門家が言っていたことですけれども、これからは自然エネルギーだけではなくて、マイクロタービン、燃料電池という非常に小規模分散型がどんどんシステムに入ってきます。 それをマーケットの機能を使って、いかにうまくネットワークを使ってコントロールしていくかというのがいわゆる新しいエネルギーシステム社会のあるべき姿で、ちょうどコンピューターが大型コンピューターからインターネットに変わってきた変化がこれからエネルギーについて起きる。 そのシステム、これはハードもそうですし、その両面の制度づくりをしていくということが日本社会がこれから世界をリードしていく先進国の一つとして求められている役割だろうというふうに考えております。
○荒木清寛君 次に、桝本公述人にお尋ねをいたします。 先ほど、今回の児童手当法の改正は本末転倒であるというお話でございました。ただ、これは自自公三党で平成十三年をめどに支給対象年齢及び支給額の充実を含めた抜本的な見直しを合意するという前提での第一歩なんですね。そういう意味では、まだ今回の改正には課題があるということは我々も承知をしております。 ただ、一つお聞きをしたいのは、今回、年少扶養控除をある意味で児童手当に振りかえたというのは、扶養控除ですと所得税の高い人ほど有利になりますし、税金を払っていない人には恩典がない。そういうあり方よりは児童手当の方が公平ではないかという、このことについてどうお考えなのかという点と、特に与党の中でも我々は、ヨーロッパ並みに十六歳未満のお子さんすべてに、また金額もふやして支給をすべきだと、そういう考えを持っているんですけれども、この二点につきましてどういうお考えを持っていらっしゃいますか。
○公述人(桝本純君) 先ほどの発言で失礼なところがありましたらおわびいたしますが、私どもは御指摘の点がはっきりと提出されれば、それはそれで大変大きな検討の対象とさせていただけると思います。 私どもが非常に本末転倒と申しましたのは、先ほどの私のレジュメの最後のところで申しましたように、全年齢にわたって、子育てをしている、ちょうど対象になる児童の年齢の全年齢にわたってその親が、これは負担増ないしはプラス、マイナスどっちかわからないと。これは少子化対策の基本と言うには、その趣旨とは全く逆行しているのではないかということを申し上げたわけでございます。 一つの政策姿勢といたしまして、控除よりは手当の方がより公正ではないか、これは一つの見識として十分承ることができると思います。しかし、その哲学が、実際にこういう各年齢ごとにどこをとってみてもはっきりとプラスにならない、結局、子育てに当たるところの世代の親たちについては負担増になると。これはせっかくの哲学を裏切ることになっているのではないだろうか。これが私が先ほど納得しがたいというふうに申しました理由でございます。
○小池晃君 時間の関係で、きょうは専ら桝本公述人に年金問題でお伺いして、飯田公述人には御容赦願いたいというふうに思います。 きょうは午前中にも国民福祉委員会で年金法案の審議がありました。私の質問で、モデル夫婦で一世帯当たりの生涯受給額がどう減るかということで、夫が七十歳の世帯で生涯三百万減る、それから夫が五十歳で夫婦で六百万減る、それから夫が二十歳、まだ結婚していませんが、二十八歳で結婚するという想定で千二百万円の支給減という数字が厚生省から出されております。大変な全世代にわたる年金の削減だと思うんです。 来年度の支給減だけ見てもどうか。厚生年金の報酬比例部分の改悪で、これだけで四千億円の支給減であります。それから、基礎年金額部分は、実質賃金スライドだった政策改定が物価スライドになることによって、これで五千億円支給減になるんです。ですから、合わせて九千億円、約一兆円の給付減が来年度すぐに起こってくると。 この年金の改悪の影響というのが、まさに消費不況と雇用不安に大変な悪影響を与えるんではないかというふうに考えるんですが、公述人の御意見をお聞かせください。
○公述人(桝本純君) 私ども、いわゆる給付総額でどのくらい下がるかということについての試算をちょっと出しておりませんので、直接先生今御報告をいただきました数字との対応でうまくお話ができるかどうかわかりません。 と申しますのは、今議論しているのは二十五年後の年金でございます。そして、二十五年後における物価水準やあるいは賃金水準といったものが今日からどのくらい変動するのかということについて、厚生省は白書で延々と先延ばしの推計をグラフにまでしていますけれども、その前提条件などというのは幾らでも変動するものですので、余り金額上の議論を長期にわたってすることはほとんど意味がないのではないかという気がして私どもは余りやっていないんですが、申しわけありません。 ただし、年金が減るんではないかということの極めて強い不安が現実の消費を手控えさせている。このことは全く事実でございます。 これは二つの面があると思います。一つは、現実に消費がシュリンクして実際の短期的な経済の拡大、活性化の条件を制約するという問題が一つです。それからもう一つは、その分だけ貯蓄に回るということです。 現在、既に我が国の個人金融資産は千二百兆円とも千三百兆円とも言われております。これ自身が累積した老後不安の塊だというふうに言って過言ではないのではないか。そして、こういうふうに蓄積された巨額のいわゆる過剰貯蓄と申しますものは、我が国経済全体としては投資あるいは消費と貯蓄との不均衡を構造化させて、これが結果、政府部門の赤字、そして貿易収支の黒字の増大、こういうことを生むようになってから既に二十年たってございます。 したがって、そういう経済全体として考えたときのマクロなアンバランスをもこれは誘発し、拡大をする。さらに加えて、現在の国際金融資本の動きというのは国境を越えた無政府的な投機をしばしば誘発してございます。その場合の優位性を持っているのは、現在、我が国でも大銀行等が合併等々盛んでございますけれども、実際に長い間いわゆる護送船団方式という一種の幼稚産業保護のような形で置かれてきた我が国の金融機関が、アメリカの大手の投資銀行その他に対して対抗力を持っているとはとても思えません。 したがって、今後一番警戒しなければならないのは、そういう巨額の我が国の貯蓄というものが、日本の勤労者がつめに火をともすようにしてやってきたものが、結果、我が国ではないところの、しかも物をつくったり何かしない企業の利益の源泉としていわば食い物にされるようなことがないようにと、これは極めて大きな課題ではないかというふうに思います。
○小池晃君 さらに、六十歳の繰り上げ減額率の問題なんですが、これは公述人は国民福祉委員会の参考人質疑で二〇%台にすべしという御主張をされました。 きょう、私、これを質問したら、運用利回りを五・五%で計算して、そして三五%という減額率の計算を出しているという答弁だったんです。全くいつの時代のどこの国の話かというふうに思うんですが、財政再計算全体を四%で運用利回りを計算しながら、減額率のところだけは五・五%でやる。非常に御都合主義的な厚生省のやり方が見えたんだと思うんですが、この減額率の基礎を運用利回り五・五%で計算している、このことについてどう思われますか。
○公述人(桝本純君) もともと今回の年金改正に当たって、厚生省当局はこの減額率の見直しということについてほとんどまじめに検討してきておりません。 実際には、二階部分の支給開始年齢を六十五歳へ移動させる、それを開始する二〇一三年のテーマの問題なんだと、こういうふうに言ってまいりました。私どもは、そうではなくて、定額部分の六十一歳に繰り上がる来年からのテーマなのだと、こういうふうに言ってきたところでございます。したがって、そこに十分な技術的な検討の用意が厚生省当局になかったのはやむを得ないところで、それは、当初私どもが主張しておりましたように検討していればそういうあほなことはなかったんだろうと。 予定利回りをどう見るのかということは、この減額率を見るときに数理的には大変大事なことでありまして、したがって、財政再計算の財政見通しは四%で見、そして減額率の計算には五・五%で見るというのは、これはまさにまた裂きでございます。 しかし、実際には、それでは減額率の設定というのは、これは完全に政策中立的に純粋に数理的にはじけるものなのかどうか。かつて年金審議会の中でこのことが話題になったときに、お一人だけ民間の保険数理の御専門の方がいらっしゃいましたが、この方に伺っても、これは純粋に中立的な数理的な数字というのは出てこないのである、これは基本的には政策決定をすべきものだと。その政策決定というものについてどう判断するのかということが非常に重要なテーマであった。私どもの二〇%も純粋に数理的にはじいたものではございません。 しかし、現在の高齢者の雇用状況が極めて悪い。定額部分の一階部分を六十五歳に引き上げていくということが検討されました五年前の改正から以後五年間においても、むしろ情勢は厳しくなりこそすれ改善はされていないということを考えれば、そういう状況を前提にして、減額率は小さ目にするというのが適切な政策判断ではないかというふうに考えるところでございます。
○小池晃君 最後に、確定拠出型年金の導入の問題ですけれども……
○委員長(倉田寛之君) 時間です。
○小池晃君 わかりました。 公的年金を全体として縮小する一方で、確定拠出型年金導入の動きがあります。これはまさに公的責任を後退させて労働者の自己責任にゆだねていくという流れではないかということで、私ども非常に警戒すべき動きだと思っていますが、一言でいただけますでしょうか。
○公述人(桝本純君) 大枠については先生のお考えと私どもそう大きく違いません。 ただ、今回出されております法案は、確定拠出型であるというだけではなくて、確定拠出型の中にも数あるタイプの中で、いわゆる四〇一k型というものだけに特化した税制上の優遇措置をとろうとしている。そこは非常に一面的かつ部分的なものだろうというふうにあえて私どもは考えております。
○清水澄子君 社会民主党の清水澄子でございます。 六分しかありませんので、まず桝本公述人にお尋ねします。 先ほど公述人は、二十一世紀における社会福祉や社会保障の役割というのは安心の配分と、そして社会保障制度に対する信頼と国民の連帯であると、最も必要な、最も当面する構造改革の考え方といいますか、それをお話しになりましたけれども、現在の予算に提起されている政策というのは実はこれとは逆行しておりまして、国民の不安を増幅させているというのが現状だと思います。 そして、年金、医療、介護、福祉等の制度は相変わらずばらばらでありまして、そして長期的な総合的な政策ビジョンではなくて、当面の財政対策に終始しているという状況でありまして、おっしゃるように、これら社会保障制度の抜本改革というのはすべて先送りになっているという状況にあります。 中でも医療制度の抜本改革が最もおくれていると思いますけれども、桝本公述人は、一九九七年に自社さ連立政権で何カ月もかけて協議した、与党医療保険制度改革協議会で提案してまいりました医療サービスの提供体制の改革ですね、そういうことがことごとくなし崩しにされているわけですけれども、それらについてはどのようなお考えをお持ちでしょうか。
○公述人(桝本純君) 結論から言って、非常に不本意であり残念であり、私どもはもう少し言わせていただければはらわたが煮えくり返っております、感情的な言い方で申しわけないのですが。 かつての与党協でおまとめになったものが私どもは十分だとは思いません。しかし、あれは九月からの、私どもで言いますと、本人負担一割から二割への引き上げ、それから薬剤、ベッド一部負担の導入、こういう負担増と、負担増を先行させて、そしてその後必ずやるからというのが政府の約束であり、国会御自身もまた確認をなさったもの、これが今日に至るまで一つ一ついわば踏みつぶされるようにとんざしてきた。二〇〇〇年度抜本改革というのは今や絶望的な状況に置かれている。このことについては、私は、端的に言って、これは官僚の責任である以上に、先生方を前にして申しわけありませんが、政治の責任にまつところが非常に大きいのではないだろうか、そのように考えております。
○清水澄子君 そこで、改革なき負担増は許せないとおっしゃっているんですが、この抜本改革が行われない中で負担増が最も集中するその部分というのはどこであるとお考えでしょうか。
○公述人(桝本純君) 端的に言ってこれは患者でございます。 患者の中でも、一つは、医療費の抑制が行われないまま定率負担に切りかえられる高齢者の部分と、それからもう一つは、現役の中でも中高年層をねらい撃ちにしているとしか言いようのない高額療養費の引き上げでございまして、中高年で非常に深刻な病気に陥った人のところに特に高い負担がしわ寄せされる、このように理解しております。
○清水澄子君 それでは、飯田公述人にお伺いしたいと思います。 先ほど新しい経済を開くエネルギー政策の改革といいますか、そういうお話の中で、持続可能な社会のためのエネルギー政策法の重要性をお話しになりました。しかし、この持続可能な社会という価値観といいますか哲学が日本の中ではなかなか理解されない。私は、そこに最も今日なかなかエネルギー政策が、これは単なる部分的環境政策ではなくて、これが日本の経済、また将来への経済のあり方という根本的な問題に触れることだと思うんですけれども、それらについてもう少し、それはどういうことを意味しているかということと、なぜ日本で広がらないかということについてお答えいただきたいと思います。
○公述人(飯田哲也君) まず、私の新しく書いた「北欧のエネルギーデモクラシー」という本を各会派に一冊ずつ、八冊持ってきましたので、ごらんいただければと思いますので、委員長に後でお預けします。 持続可能な社会の意味するところは、先ほどちょっと民主党の木俣議員が最後にコメントされたことに関して私は極めて違和感を抱くんですけれども、いわゆる原子力を物理的なリスクで見ると確かにリスクは少ないのかもしれませんけれども、先ほど冒頭申し上げたように、環境問題というのは不安をどういうふうに配分するかという問題設定に今もうなってきているわけです。 原子力は事故は起きないかもしれないけれども、起きたときにすさまじい、チェルノブイリに代表されるようにすさまじい影響がある。それを経済価値に換算しても非常に大きな金額になるし、一般の人はそれに対して、今臨界事故など、九割の人が非常に不安を覚えている。その不安をどう調整するかが環境政策のこれからの原理であって、そのためには予防原則と呼ばれるものがこれから中心的な原則にならなきゃいけないというのがヨーロッパの今基本的な考え方です。それがまず一つ。 あと、物質循環でいえば、究極的に目指す社会は再生可能な資源を再生可能なベースで使う、これをエネルギーに置きかえていえば、省エネルギーを加速させながら自然エネルギーに置きかえていく、この二つの道しかないわけです。それもあってスウェーデンは脱原発の道を歩んでいますし、デンマークは原発を入れなかった。そして、ドイツも今脱原発に三十年かけて歩もうとしている。これは化石燃料もそうですけれども、その方向を日本としても歩んでいかなきゃいけない。 ですから、今ある五十二基の原発をすぐとめることは無理かもしれませんけれども、少なくともこれからふやすということは環境的には無理ですし、自由化が進んでいくエネルギー市場においても、極めてこれは非常に大きな負担が日本の財政にもかかってくると思います。 以上です。
○清水澄子君 どうもありがとうございました。
○入澤肇君 まず、飯田公述人にお聞きしたいと思います。 先ほどの御説明を聞きまして、日本のエネルギー政策につきましてかなり批判的であると。理念とか手法とかかなり問題があるんじゃないかという御指摘でございます。 その中で、特に自然エネルギー対策については、ドイツはこんなに進んでいるんだけれども日本はおくれていると。このドイツと比べて日本がおくれている理由は一体どこにあるんでしょうか。
○公述人(飯田哲也君) 基本的には、先ほどの繰り返しになりますけれども、まずエネルギー政策に政治がきちんと責任をとってこなかった、関与してこなかったということですね。長期エネルギー需給見通しという単なる数値計画を閣議決定して、それがあたかも政策であるかのように、しかも国策であるかのように日本国じゅうで言っていたと。政治が関与するというのも、単に国会で議論すればいいというだけではなくて、エネルギー政策にはいろんな価値を持っているところ、特に地域に行けば自然エネルギーを今非常に期待している声もありますし、企業をやっている電力会社はまた違った価値観を持っている。そういう違った価値観を持った人たちが政治家とともにお互いの意見に折り合いをつけながら日本として目指していくエネルギー政策をきちんと定めていくというあり方にないことが、まずそのプロセスの問題が一番大きい。 あと、ベースとしては、先ほど清水先生のときにお答えした持続可能な社会に関する基本的な合意のところが日本にない。ドイツあるいは北欧にはもうちょっと高い次元のところでその合意ができている。そこの違いのところもやはり大きく違うのかなと、こういうふうに思っております。
○入澤肇君 長期エネルギー需給見通し、これは、私どもから見ますとある一面では非常に意味があるというふうに思うんですが、作成内容に問題があるのか、作成の仕方に問題があるのか、どちらの方に問題があるのかちょっと教えてもらいたいと思うんです。
○公述人(飯田哲也君) こういうエネルギーシナリオというのは、頻繁に政策をつくる段階であっていいものだと思います。 ただし、それはこういう政策パラメーターを、こういうパラメーターを入れたらこういうふうになる、例えば環境税を入れればこうなる、入れなければこうなるという形で、政策の有効性を評価する、そういう形で出ればいいわけですけれども、今の長期エネルギー需給見通しは二〇一〇年にこうでなければならないということで、もう十年も先の例えば原子力を今から一生懸命つくろうとする。これは、経済政策では十年先というのは無限遠ですから、しかもこれから自由化に向かう中で、無限遠の先の三千億円、四千億円の投資を決めるということは経済政策上極めてリスクが大きくて、これはアメリカで頻発しているいわゆる不良債権化する問題が日本でもかなり現実化してくる可能性があります。 ですから、そういう硬直的なエネルギー計画ではなくて、単なるシナリオとして、これは私を含めたシンクタンクがいろんな形で今の経済見通しと同じように出せばいいわけです。それを開かれた形で議論して合理的なエネルギー政策を、エネルギーあるいは政策ツールを定めていく、その単なる参考指標として出せばいいんではないかと思います。
○入澤肇君 桝本公述人に一問だけお聞きします。 神奈川県連合は、介護につきまして県下統一の条例をつくれというようなことを主張しておりますね。これは、介護保険制度、地方分権を徹底させるんだ、各市町村に競争させるんだ、自立を支援するんだという考え方と若干矛盾すると思うんですけれども、いかがでしょうか。
○公述人(桝本純君) 地方分権というものをどのレベルで考えるか大変難しい問題で、介護につきましては、実際の介護サービスの提供を基礎自治体がやる方が実際のユーザーに近い分だけいいと思いますが、財政問題がそれで各基礎自治体で分立していいかどうかというのは、これはまた別の問題でございます。これについてはまだ、制度が発足した上で相当な地域格差が生じると思いますので、それを踏まえた上での検討に今はゆだねられているのかなというふうに思います。 神奈川というところは工業地帯を控えたところで、これは工業地帯のない、例えば農村を中心にした地域ともまた条件が違いますので、分権のあり方についてはそれぞれで議論をされるのかなと。 ただし、自立支援ということは、これは個々人についての自立支援でございまして、これはサービスの水準を引き下げる問題とはまた次元の違うことだというふうに理解しております。
○入澤肇君 ありがとうございました。
○島袋宗康君 二院クラブ・自由連合の島袋宗康でございます。きょうは本当に御苦労さまです。 私、「医療・医療保険制度の抜本改革二〇〇〇年度実施を求めて」というふうなことで、今これをちょっと読ませていただいたんですけれども、要するに膨張する国民医療費と日本の医療と、それから先生が指摘されました医療費の抜本的改革というふうな点について、もう時間がありませんから、ひとつ何か参考になる点がありましたら御指摘願いたいと思います。
○公述人(桝本純君) 個々については申し上げませんが、一番基本になっているのは、いい医療、そして実際に病気になったときに安心してかかれる医療というのは、医療提供者とそれから患者との信頼が基礎なんだというのがまず前提にございます。 そして、日常的に保険料を払っている人間から申しますと、払っている保険料がそのいい医療のために確かに有効に使われているんだということが透明に見えるような医療保険制度であると。現在それは、先ほど申しましたように、医療サービスの供給が非常に不足している時代につくられた制度がそのままで残されているために、逆に非常に非効率で不透明でそしてお金ばかり使って実際の医療サービスはちっとも水準がよくならない、そういう事態を生んでいるのではないか。それは逆転する必要があるというのが基本的な考え方でございます。 また、その他につきましては、別途に御説明をさせていただく機会をいただければありがたいと思います。
○島袋宗康君 本来は、本当の抜本的改革は何かというふうなことをお聞きしたいんですが、もう時間の都合がありますのでこの辺で終わります。 次は、いわゆるグローバルな地球環境問題が今相当指摘されておりますけれども、我が国の環境行政、いわゆる環境庁の行政そのものがやはりまだ、省に昇格するという話もありますけれども、その辺のアプローチが非常に弱いんじゃないかというような気がするんですけれども、これからの環境行政というものについて何か御指摘いただければありがたいと思います。
○公述人(飯田哲也君) 確かに、先進国の中でいまだに、特に欧州と比べれば環境省がないというのは環境政策において非常におくれているかと思いますし、それからエネルギー政策と環境政策との接点において、日本はいまだに通産省のもとでエネルギー政策が囲い込まれているわけですが、例えばデンマークあるいはオーストリアのようなところであれば環境省とエネルギー省がくっついているわけですね。 この地球環境問題、特に地球温暖化等を考えていくと、やはりエネルギー政策の軸足を環境政策に移していく。と同時に、それぞれの省庁が今いわゆる縦割りでこの環境政策、エネルギー政策あるいはその他の政策もそうですが進めているわけで、先ほど私はエネルギー政策委員会というのを国会もしくは内閣主導というふうに申し上げましたが、これは全く同じことが環境政策に関してもやはりそういう政治主導の場で見直していくことが必要である。 これはなぜかといえば、環境政策、エネルギー政策というのは、今までの古い制度とかあるいは組織というものを柔軟に変えていかなければ対応できないからで、去年のクリントン大統領令でも、インターエージェンシーの新しい制度をつくってバイオマスを普及させるんだということを言っておりますし、ダイオキシンにしても、あらゆるものが今、日本の厚生省とかいろんなところにまたがっているわけですが、これを一カ所できちんと政治がイニシアチブと方向性を出す、そういう政策の検討の場というものがやはり必要である。これは科学技術がどんどんますます発展している今現在、環境政策、エネルギー政策にあっては絶対に不可欠なことだというふうに考えております。
○島袋宗康君 どうもありがとうございました。
○委員長(倉田寛之君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。 この際、公述人の方々に一言御礼申し上げます。 本日は、限られた時間の中で有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。(拍手) これをもって公聴会を散会いたします。 午後五時十分散会